- 『いきてくつよさ』 作者:佐倉 透 / 未分類 未分類
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原稿用紙約6.75枚
十月も半ばになってくると、朝と夜はかなり冷え込む。
そのお陰か空気は澄んで、今日は水平線がくっきりと見えた。対岸と呼んで良いものか、海の向こうには佐渡の姿をはっきりと捉えることが出来る。
眼下には防砂林も兼ねているのであろう松林が、海岸線まで続いている。
濃紺を溶かしたような海面に、真白いヨットが一艘、航跡を白く引きながら漂う。
例えば、この海が突然荒れ狂うとか、例えばこの青天がいきなり暗雲に包まれるなどということは、誰も想像出来ないだろう。
風は確かに冷たくなったが、午後の日差しは暖かだった。
こんな日に死ねることを、私は幸福だと感じた。
この醜く歪んだ生き物が蔓延る世界に、醜く歪んだ生き物が作った、この箱から、私は飛び立つ。
外へ。遠くへ。
きれいなところへ。
あの、綺麗な景色の中に。
私はこれから飛び込むのだ。
私が雷(いかづち)に。私が嵐に。
この世の禍に。
わたしが、なる。
……飛ぼう。
私は、一歩前に踏み出した。風が下から吹き上げてくる。髪が、揺れた。
「まって」
聞き覚えのある声がして、私は振り向いた。
「どこ、いくの?」
何しているのか、とは聞かれなかった。ただ、どこに行くのかと。
彼女は、私のことを半年分知っている。
半年前からの、『学友』だ。
「きれいなところへ」
私は答えた。
ここは、汚い。人は醜い。
「わたしはここに、いたくない」
「どうして?」
私の答えに、彼女は不満を持ったようだった。
「……きたないから」
私には、それで十分だ。
ここから、飛びたい。私を待っている世界が、きっと、ここ以外にあるから。
「そうじすればいいの」
彼女は言った。
「きたないなら、きれいにすればいいの。よごれているなら、みがけばいいのよ。それだけだわ」
「できるわけない」
私が首を横に振ると、
「だって、このままじゃあなたも、よごしたままだわ。よごしてよごれて、それがいやで、きたないからって、あなたはにげるのね」
彼女は私の目を見ていた。
私は目を逸らす。見たくない。
「にげるんじゃない」
呟くと、
「おなじことよ」
と彼女が応えた。
「あなたはなにもしていない。よくも、わるくも」
彼女は、私を見ている。
私は彼女を見れない。
見れるわけがない。
「なにもしないで、まわりがなにもしてくれないからって、あなたはにげるんだわ」
「ちがう」
「ちがわない」
押し問答になりそうだった。
――その時、彼女が動いた。
私を見ていた彼女は、不意に私の隣に立った。
「わたしにはわかるの」
彼女は言った。
「だって、わたしがいましようとしていることだもの」
彼女が、地面を蹴った。
ふんわりと、重力がない様に、彼女の体が宙に浮く。
彼女と、目が合う。
彼女は、笑っていた。幸せそうに。心底、嬉しそうに。
――じゃあね。
彼女の唇が、微かに動く。
途端、スローモーションだった景色は一転して現実に引き戻された。
一瞬だ。
彼女は落ちていった。今まで、浮かんでいたように見えた、彼女が。
ただ、一瞬で。
「――――っ!!」
私は彼女の名前を呼んだ。
何故かは知らない。
ただ、彼女の体は、緋の華を、汚い大地に咲かせていた。
まっかなはなを。
悲しいぐらいに綺麗で、気持ち悪いほどに醜悪な、紅い花を。
私は頬が濡れていることに気付いた。
涙が、流れていたらしい。
悲しいから、ではない。
羨ましく、悔しかったからだ。
この世界から、先に飛び出した彼女が。
先に飛び出せなかった自分が。
彼女の華は、あんまりにも美しすぎて。
あの、綺麗な景色の中に。
彼女が飛び込んだ。
彼女が雷(いかづち)に。彼女が嵐に。
この世の禍に。
彼女が、なった。
私は、涙を拭うと努めて落ち着いて、ゆっくりとその場を離れた。
階段を駆け下り、最初に会った人に言う。
――ともだちが、とびおりたんです!
彼女の旅路を知るのは私だけ。
彼女の望みを知るのは私だけ。
これは、私の義務。
私が、まだしばらく、旅立たない理由。
彼女が、私に与えた宿題。
彼女の咲かせた華の行く先を。
私が見届けなければならないのだ。
たびだつべきはわたし。
けれど、かのじょのたびじをわたしはいのる。
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■作者からのメッセージ
……あいたたたたたたた。
はじめまして。こちらでの初めての投稿で痛いものですみません。