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『Walker!【完結】』 作者:K伸 / アクション アクション
全角101880文字
容量203760 bytes
原稿用紙約284.9枚

Seen00 -conference-
 床も壁も天井さえも、そして蛍光灯の明かりさえ白色の広大な部屋。その部屋の中心には十数人が一堂に会して会議を行えるガラス製の巨大な楕円の長テーブルがあり、十数個程の見た目に立派な木製の椅子が備わっていた。椅子は疎らに七つ程が埋まっていたのだが、到底ここにある全ての椅子があと2〜3の僅かな人数で埋まるのかと言えばそうではない。
 部屋は適度に空調が整えられていたのだがこの場に顔を揃えている面子間での会話がない所為か、その空調の音も「コォー」と耳に付くほどに強調されている。そんなある種不自然な空間がその部屋であった。
「浦野(うらの)君、そんなところに突っ立っていないでこちらに来て座ったらどうだい?」
 白髪に加えて、片方の鍔を上方向に折りピンで留めた特徴的な帽子を被った老人が唐突に口を開いた。それはこの白色で統一された部屋の出入り口付近に直立不動でいるスーツ姿の肩幅の広い男「浦野」に向けた言葉である。
「いえ、伏井(ふくい)様、私はこの会議の場に座って発言する権限を持ってはおりません」
 浦野は顔色一つ変えることはなく、「これが自分の仕事である」と言う確固たる信念でもあるかの様に、丁寧な口調でその老人「伏井」に向かって返答をしたのだが、対する伏井は続ける言葉で浦野を諭す。
「なに……ここに座して発言をしろと言っているんじゃない。それに全員が揃ったところでここに並べられた座席が全て埋まるわけでもないんだ」
 歩行の補佐が使用用途と言うには明らかに長過ぎる杖でトントンと隣の座席を叩いて話す伏井は顎をしゃくって「どこでも好きな所に座りなさい」とも促した。浦野は困惑気味の表情を見せながら、その一連のやり取りを静観していた白衣姿の初老の男へと向き直った。浦野に取ってそれは白衣の初老に「それは出来ないこと」と、伏井を説得して貰う為のものだったのだが、浦野の期待に反する言葉が白衣の初老の口からは切り出された。
「それは名案ですな、……どうせ会議が始まったところで成果について儂から一方的な説明が為されるだけで、この場は意見交換の場にはなりはしないのだからな」
 浦野はすぐに白衣の老人「プロフェッサー」に向け異論を挙げる。端から見ていれば、そんなことに対する拘りなど些細なものの様にも見えるのだったが、どうやら「浦野」に取ってはそれは重大な問題となり得ることらしい。
「プロフェッサー、しかし……!」
「好意には甘えておくものだ、浦野」
 浦野は「私如きが末席を汚すわけにはいかない」とでも思っているようで、プロフェッサーの言葉を受けてなお簡単に引き下がる気はないらしい。既に椅子に座して会議が始まるのを待っているプロフェッサー、そして伏井らに取ってはそんなことは問題と捉えるまでもないものであることは言うまでもないだろう。まして、彼らに取ってこの場に顔を揃えていると言うことは即ち、既に「同類」であり「同士」であることは否めないことなのだから……である。
「はは……君は規律に厳しすぎる、規律だけを重要視して臨機応変さがない場合には上分別は生まれないものだよ?」
「……はい、矢倉(やぐら)様、それは心得ていますが……」
 浦野は自分が座席に座るように言う三人目の男「矢倉」の言葉を受けてそれまで以上の苦渋の顔を見せた。
 矢倉は一見すると浦野と同年代か、もしくは上を見ても一つ二つが精々の、ここに顔を揃える中ではプロフェッサーそして伏井と言った老人達とは一線を画す若さを持った男である。髪色も茶色に染められたもので、濃紺で上下を揃えたスーツにしても春先に街で見掛ける新入社員の様な若々しさを持っていた。
 そしてもう一人、一線を画す若さを持ち、かつ七つの座席が埋まる中で紅一点の女がこう口を開いた。
「あはは、おかしいの、浦野さんが困ってるなんて」
 腹の底からおかしそうにクスクス笑う女の様を見て、浦野は明らかにこの場の他の面子には見せない険しい目つきで女を見た。「……」と浦野は黙ったままで、その女に何かしらの言葉を向けることはなかったのだが、言葉にすると「後で覚えておけよ?」と言った具合の意味合いがそこにはあっただろう。
「うー……、怖いー、浦野さんがわたしを睨んでる」
 年齢的なことを言えば間違いなく浦野・矢倉の下を行く。小綺麗に整った顔立ちもさることながら、右前髪だけを胸元まで伸びし、その他の部分は首の中ほど程度で切り揃えた髪型が印象的で、はっきりと隠すことなく感情を前面に押し出す表情が特徴的だ。そして、その小綺麗な顔立ちからは想像も出来ない様な子供っぽさを各所に見せながら、女は「怖い」といったその言葉通り、怯える様な仕草を見せて顔を顰めた。
「はは……はははは、これは傑作だ、浦野ともあろう男がな」
 そんな一連のやり取りを見ていたプロフェッサーはおかしくて堪らないと言わんばかりの笑い声を上げた。「プロフェッサーッ!」と非難の声をあげた浦野だったのだが、全く意図せぬ方向から「ドゴンッ!!!」とガラス製の机を掌で叩くけたたましい音がこの会議室内に鳴り響いて、……状況は再び緊張度を増したものに一転した。
 徐に立ち上がる中年、小太りの男。不機嫌な表情でこの場に顔を揃える一同を見渡しながら、彼は勿体ぶった調子でこう口を切る。
「すまないが我々はここに雑談をしに集まったわけではないのでね」
 淡々としたその言葉は伏井、そして矢倉を見下げる様な態度を持っていた。伏井にしても矢倉にしてもそんな態度に対して色を正し、一瞬にしてその場には険しい雰囲気が立ち込めたのだが、男はそんなものを気にした風は見せずに澄ました顔をしてプロフェッサーへと向き直るとこう問い掛けをした。
「……もうそろそろ始めてしまっても構わないだろう?」
「ふむ、それもそうか」
 プロフェッサーは思案顔を見せた後で、グルリとこの場に顔を揃える一同に視線をやって各々に同意を求めた。そこに首を横に振る者はなく、男の要求は聞き入れられることとなる。
「しかし情操を育てるのには他者とのコミュニケーションがものを言うのだよ、孝山(たかやま)君?」
 不意に思案顔をして孝山へと向き直ったプロフェッサーの口からはそんな言葉が漏れたのだが、小太り中年の男「孝山」はドカッと椅子に腰を下ろすと「そんなことは自分には関係のないこと」と、そう言わんばかりの態度を見せる。
「それはこの会議が終わった後にでも、そちらでゆっくりとやったら良いんじゃないのかね?」
 孝山を見るプロフェッサーの目の色に何かしらの変化を見て取ることは出来なかったが、そこに微かながら感情の色が混ざったことを記述しておく。
 そんな雰囲気を気に止めた様子を見せることなく、その直ぐ横では伏井が女に向き直って会話をしようと試みているところだった。意外にも浦野・矢倉を始めとする他の面々も、一部を除いてその伏井と女とのやり取りを静観する状況がそこに存在していた。孝山がそうやって言葉を荒げることなど、いつものことと言わんばかりの対応だ。
「お嬢ちゃん、名前を聞いておこうか?」
 伏井は自分の孫にでも向ける様な和らいだ表情をして問い掛ける。見た目に相応するやり取りではないながら、そこに不自然さは感じない。それは伏井の年齢を基準としてその孫と言うことを考えるからなのだろうが、問題はそんなことよりも、そこに見た目に相応する女の……年相応の対応がないことだろう。
「……名前って、何?」
 真顔で切り返す女に対して、ここに来て始めて伏井が困った様な表情をした。そうして振り向き様にプロフェッサーに「どんな対応をすれば良いのかね?」と、視線で尋ねる。伏井の視線の先を追う様に、その質問を携えたまま女の視線もプロフェッサーへと向いた。
「おぉー……、まずはこの娘に名前を与えなければ肝心の会議も始まらないな」
 それに対してプロフェッサーは如何にもわざとらしい、まさに「そうだった」と、たった今気付いたかの様な仕草を取って見せた。伏井がそれをこの場にいる誰よりも「憎い演出」と感じた様で、……殊更「してやられた」と言ったさも楽しそうな笑みを見せた。それもすぐに小難しい思案顔へと変わって、伏井は「うーむ……」と唸り始めたのだが……。
「どうだろうか、ここで皆さんにまずはこの娘の名前を決めて頂くというのは?」
 グルリとプロフェッサーが見渡した一同の表情は千差万別だった。大半が特に反応を返さない、賛成とも反対とも意志を示すことのない顔付きをしていたのだが、……だからこそそこに異論を挟むものはいなかった。
「名前を決めるその間に残りの面子が来ない場合はそのまま会議を始めることにしたいと思う。では名前を募ろうか?」
 誰かから何かしらの言葉があがるよりも早く、カタンッと椅子を鳴らして男が立ち上がった。わざわざ椅子を鳴らして立ち上がった行動がこの場に会する面子の注目を集める為のものだったことを、徐に口を開いた男の挙動が示していた。
 わざわざ全員がそちらに向き直ったことを確認してから大きな身振り手振りを交えて口を切ったのだから、ある程度この場で女の名前を決めることになるだろうことは予測出来ていたのだろう。そしてそれは状況を理解出来ずにキョトンとした顔で周囲をキョロキョロと窺うこの「女」に対して、男が相応の期待を抱いていることを同時に示唆していた。
「ふん、国見千宗(くにみちひろ)と言う名前はどうだね、皆さん?」
 孝山がやって見せた様にこの場の一同をグルリと見渡しながら、彼はこう名前の由来を説明する。
「この国の行く末を見守る存在となり、また幾千と存在する我々と同質の望みを持った組織の、戦略・戦力の中心(宗)と成り得る」
 矢倉と同じ上下を濃紺で揃えたスーツに身を固めてはいたが言葉付きや挙動などから、その男には矢倉とは違った意志の強さを垣間見ることが出来た。説得力と言うか……相手を説き伏す為には絶対必要な威圧感というものがあるのだ。そして、年齢的なことを言っても浦野・矢倉らよりは確実に上だろう。
「……もしも彼女が我々の望み得る成果と成り得るのなら、この名前ほど彼女を言い表すに適した名前はないとは思いませんか?」
「はは……ははは、確かにその名前はいいな、名護谷(なごたに)さん」
 カラカラと笑いながら伏井がその男「名護谷」を喝采し、孝山が鋭い目つきでその一連のやり取りを眺めていた。伏井から見れば名護谷も十分に若造の域を出ない部類に含まれているとは言え、名護谷がまとう威圧感を意に介した風がないと言う辺り、伏井もただ年を重ねただけの人当たりの良い老人ではない様だ。
「いや、それ以上に的確なものは挙がらないかも知れないな、どうだろうプロフェッサー?」
 伏井がプロフェッサーへと同意を求めてしまうと、もうそこに異論をあげられる者はない。実質的に伏井と名護谷の、この二人が、この場の……そしてこれから始まる会議の、意志決定の進行役になるだろうことはあらかた推測出来てしまうことだった。
「議論するまでもないことですな、この娘の名前を決められるのはあなた方を置いて他にはないのです」
 ニィと口許に灯す笑みを灯し一つの間を置いて、プロフェッサーが続ける。
「皆さんが賛成ならば、この娘の名前は国見千宗で決定しましょう」
「……国見千宗?」
 恐らく当初に話してみせた通り、「名前」の意味を理解していない女は未だキョトンとした顔のまま首を傾げていた。その意味を教え言い聞かす役割を買って出たのはプロフェッサーでも伏井でもなかった。名前を提案した張本人、名護谷である。
「お前の呼び名だ、……お前はこれから誰かに対して、それが敵であろうと味方であろうと、国見千宗と名乗ることになるんだ、千宗」
 名護谷は千宗の目を見て話ながら、言葉の最後で「千宗」と呼び掛けた。始めは表情のない顔をしていて、「……千宗、千宗かぁ」と、二度三度と名前を反芻する千宗だったが、不意にご機嫌な照れ笑いを見せ、名前の発案者たる名護谷に向けて感謝の言葉を向けた。
「えへへ、良い名前をありがとうございます、名護谷さん」
 まるで名前という形のないものが自分の中に存在しているとでも感じている様に、千宗はギュッと自身を抱きしめながら椅子の上でゴロンゴロンと忙しなく動いていた。そう言う方法で感情として込み上げて来た「嬉しさ」を表現していたのかも知れない。
「ふむ、あっさり名前が決定してしまったと言うこともあるが、……時間にルーズな連中ばかりで困ったものだな」
 プロフェッサーは腕を組み、この場に予定された全員が揃うことのない状況を改めて確認すると、僅かながら「困ったものだ」と言う具合の表情を見せたが、それもすぐに切り替えられる。
「まぁいい……では始めるとしよう。浦野、例のものを矢倉君に」
 パンパンッと二度、それを合図にするかの様に手を叩くとプロフェッサーは大きな声を出した。それは予め打合せた通りであるらしく、浦野はその呼び掛けに顔色一つ変えることはない。自身に科せられた役割を果たすだけである。
「はい、畏まりましたプロフェッサー」
 浦野は矢倉の座る椅子の横まで行くと、上着のポケットから数発の九ミリパラベラム弾を取り出した。矢倉はそうした浦野の一連の動作を特に驚いた様子もなく見ていたが、浦野が続き様に懐からクーガーM8000を取り出してみせるとさすがにギョッとした表情を見せた。そんな矢倉の表情を気に掛けた風もなく浦野は手慣れた様子でマガジンを外し、矢倉の前のテーブルにそれを並べる。
「鑑定しろ……と言いたいわけだよな?」
 矢倉は半ばそれが自分に課せられた役割であると分かりながら、何かをして欲しいと要求することのない浦野に対して念を押したのだろう、……そう確認を取った。
「ええ、お手数ですがお願い致します」
 矢倉は真横に直立不動でいる浦野の顔を一度見上げた後で、胸ポケットから銀フレームの眼鏡を取り出すと、テーブルの上に置かれた品々を手に取る。ふっとその目には真剣さが灯り、鋭くそして物の真価を見通す緻密さがそこに備わる。矢倉の鑑定は一分と立たずに終了した。銀フレームの眼鏡を外し、綺麗に畳んでテーブルの上へと置くと、矢倉は浦野に対してではなく、その場に顔を揃える一同に向け自身の見解を述べた。
「九ミリパラベラムは六発全てが実弾でクーガーのマガジンは中身が空、……クーガーはフレームに軽量化を施した後が見られる以外は基本的に標準のそのままのものだ。……それでこれがどうしたと言うんだい?」
 矢倉は見解を述べ終えると再び自身の真横に直立不同でいる浦野へと顔を上げ、そう尋ねた。浦野は矢倉の問いかけに答えずに、空のマガジンを手に取ると手慣れたで動作で弾を込めていく。そうしてクーガーにそのマガジンを装填すると、無造作に遊底を引き、誰もがその動向を見守る中、千宗の座る座席の横まで歩いて行くと、不意に立ち止まる。
「千宗」
 ついさっき決定したばかりの名前で女を呼ぶと、こころなしか浦野は表情を綻ばせた様に見えた。名前が付いたことに対する祝福の意図があったのかどうかは定かではない。
「うん?」
 呼び掛けに顔を上げる千宗に対し、浦野は大振りな挙動でクーガーを構え、そして躊躇うことなく引き金を引いた。ドンッドンッドンッ……と立て続けに三発、一つの間を置き残りの三発を千宗が声をあげる間もなく撃ち放った。
 初弾は確実に千宗の後頭部にヒットしていた。残りの五発の弾丸も千宗の上半身の至る部分に撃ち込まれ、誰もが目を見開いたまま言葉を失い、そしてその場には静寂が生まれた。
 弾丸の衝撃から千宗はグラリと身体を仰け反らせ床に突っ伏す……と、誰もがそう思った矢先のこと。千宗はタンッと倒れそうになる身体を右手をついて持ち直し、振り向き様に浦野に向けて怒った様な怪訝な表情を見せて言う。
「……何、するの?」
 そうやって振り返った千宗の状態には誰もが驚愕を隠せなかった。各所に撃ち込まれた弾丸により、着ていた服には穴が残っていたが、そこに目に見える傷と言うものが存在しないのだ。そればかりか出血の跡もなく、頭部に直撃した額部分も然り、銃撃を受けた箇所には痣の一つも存在してはいない。
 プロフェッサーはさもそれが当然だと言わないばかりの顔をして、一度小さく頷くと一同に向けて区切りと言わんばかりに口を切る。
「どうだね、お望みならば50AEのデザートイーグルでも、454カスール弾仕様の猟銃でも用意するが?」
 そこに生まれた静寂を切り裂いてパンッ……パンッパンッ……と、真っ先に盛大な拍手をくれたのは名護谷だった。目を見張る表情も次第次第に満足の笑みへと変わり、名護谷は千宗の顔を覗き込む様に銃弾が直撃した額に手を伸ばす。千宗は僅かに緊張した様な面持ちで身動ぎ一つせず名護谷の為すがままになっていたのだが、浦野にクシャッと髪を撫でられるとニコリと顔を綻ばせた。
「驚いたな、……当初の予定じゃ自己修復能力の向上がどうだとか言っていたから多大な期待は掛けていなかったんだが、はは……これは想像以上の代物じゃないか!」
 矢倉もその雰囲気に呑まれた様に表情を変えて、盛大な拍手に便乗する。
 千宗はその拍手喝采が自分に向けられている理由を理解は出来ない様だったが、それが自分自身に向けられていることは理解している様で、取り敢えずペコリペコリと周囲の様子を窺いながら頭を下げていた。恐らく、どうして自身が頭を下げると言う判断を下したのかも理解はしていないだろう。時折、誰かがそうやって頭を下げているのを見て、学習しただけに過ぎないはずだ。
 ……この場に会するみんながみんな、千宗が見せた「結果と言うもの」に対して喝采をしているわけではなかった。複雑な表情をするのは孝山、そして一度もこの場に置いて発言をしていない……この部屋の最も出入り寄りの席に座る男も同様だった。彼らに取ってこの結果は手放しで祝福するに値するものではないらしい。
 ただ、実質上の意志決定を下す伏井・名護谷の二人が結果を喝采していることで、この場で反論をぶつけられる雰囲気にはないだけである。
「それではここまでの、……あー「国見千宗」の能力に関しての資料を配付しよう、浦野!」
 テーブルの下からプロフェッサーが取り出したその資料と呼ぶものは、それが当初ここに集うはずだった人数分のものだと言うのなら、各々一人分が一冊の小冊子にまとめられる程の、資料と言うには相当に分厚いものだった。浦野がそれを受け取り各面々に渡して回ったのだが、それを受け取った面子の表情は軒並み同じ表情をしていた。孝山を始めとした手放しで喝采をしない面々にしても、それは一定の成果として認められるべき結果と受け止められた証拠だったのだろう。


Seen01 三等陸佐
 半径で言えば軽く十メートル強はあるのだろうか。それに加えて高さが一律三メートル程度の円柱形の空間。中央が小さく窪んでいて平行ではないので一律とは言えないのだが、その差異も十数センチとはない微々たるものに過ぎない。そんな不思議な空間がここだった。
 壁はコンクリートとも金属とも異なる物質の手触りをしていて、色は白色。床の踏み心地と言うものも、コンクリートのものでも金属質のものでもない、白色の物質としか言いようのないものだ。
 どうせネチネチと小言を言われるだけだろうと高を括り、ろくに話も聞かずに適当に相槌を打っていたのが仇になった形だった。男はどういう経緯でこんな円形の空間に閉じこめられたのかを全く理解していなかった。
 ついさっきまでは会議室の様な中規模の部屋で、少なくとも階級章が自分よりも数個多く付いた偉そうな老人達に囲まれて、意味の良く通らない話を聞かされていただけだったのだ。それがいつの間にか、そこにいた彼ら「階級章の多く付いた老人達」を硝子張り、……それも恐らく強化硝子かナノ硝子で出来たものを一枚挟んだ向こう側の部屋へと置いて、自分だけがここにこうして立たされている格好なのだから、怪訝な目つきをするなと言うのも、不機嫌な表情をするなと言うのも……正直無理な話だろう。
「それでは里曽辺健一(りそべけんいち)君、用意は調ったかね?」
 マイクを通し天井に設置されたスピーカー越しに老人達がそう質問をする。
 男の名前は里曽辺と言った。外見の輪郭だけを捉えるとその体格は痩躯の長身の様に映ったが、実質そのほとんどが筋肉質であり、無駄な筋肉がない引き締まった肉体をしていた。
「引退間際の俺に一体何をやろせようと言うんだ?」
 里曽辺は硝子越しの向こうの部屋に顔を揃えるこの催し物の見物人達を睨み見て口を開いたが、それに対して彼らから何かしらの返答が返ることはなかった。てっきり「話を聞いていなかったのかね?」と言った具合の小言の様な科白を言われると踏んでいたので、何一つ言葉が返らなかったのは里曽辺に取っても意外なことだった。
 唐突にバタンッとドアの閉まる音がして、里曽辺は視線をその音のした方へと走らせた。真っ先にその里曽辺の目に飛び込んで来たのは少女が丁寧に自分に対してお辞儀をして見せる瞬間であり、思わず里曽辺はそんな光景に怪訝な顔を見せずにはいられない。ますます以てこの円柱形の空間に自分が押し込められた理由なんてものが分からなくなっていた。
「こんにちわ、里曽辺健一三等陸佐」
 どんなに下の年齢を見ても少女と呼ぶ年齢ではない。だからと言って女と言い表すには不適切に見える。……年齢的なことを言うのなら女と言い表す方が適切なのだろうが、里曽辺が「女」とすぐに判断しなかったのは恐らく咄嗟に感じた印象による所為だった。見た目よりも一回りは幼い様な印象を里曽辺は受けたのだ。
「里曽辺君、君にはこれから千宗と一試合を持って貰い、千宗の全体的な身体能力について評価をして貰いたい」
 耳を疑う言葉が老人達からは話された。
「……あなた方は俺を馬鹿にしているのか?」
 それが寸分違わず、老人達から発せられた言葉だと理解すると里曽辺は呆れた表情を取って硝子の向こうに顔を揃える面々にそう言葉を向ける。老人達へと向き直って言葉でのやり取りを見せる里曽辺のその後方で、千宗は柔らかく伸びのある素材のズボンなのだろう、屈伸を始めながらそのやり取りを興味なさげな無表情で眺めていた。
 千宗は一見するとどこかの民族衣装の様なゆったりとした風変わりな服装をしていたが、よくよく見ると至る箇所にセンサーの類が付けられていて、里曽辺にその身体能力を評価させようと言うのはどうやら彼らの真意の様である。それを肯定する様に硝子の向こうで顔を揃える面々の、その中で最も偉そうな態度の老人がこう弁明をした。
「馬鹿にしているとは……そんなことはない。里曽辺君と戦い得る能力を持っていると考えているからこそ私達は君にこの娘との戦闘を展開して貰い、評価を下して貰おうと考えているのだ」
 硝子越しに顔を揃える面々と千宗と呼ばれた「少女」を交互に確認するが、そこに何かしらの共通点を見付けることは出来ない。ただ千宗に感じる違和感の様なものは、正直……里曽辺に取ってあまり気持ちの良いものではない。だから里曽辺は一体自分がこの千宗のどこに見た目以上の幼さを感じているのかを自問し、そして改めて千宗と呼ばれた「女」を上から下までじっくりと眺め見た。
 小綺麗に整った顔立ち、右前髪だけが胸元まで伸びる特徴的な髪型。ヒョロリと長い身長。目つきは「捉えようがない」と形容するのが最も的確だろうか。鋭くもなく、また穏やかでもない。恰もその目で見た眼前にあるものを先入観なく捉えている様な……そんな澄んだ瞳で、その癖その目は感情だとか思惑だとか、そう言った類のものを隠さず曝け出す危うさを持っている。
「宜しくお願いしますね、里曽辺健一三等陸佐」
 千宗はニコリと微笑むと、ペコリと大きくお辞儀をして見せた。そこに里曽辺は千宗と言う「女」の、……その見た目に対して自身が幼さを感じているわけではないことを理解した。単純明快に述べてしまうのなら発言が幼稚で、物腰に子供っぽさを残している。言い方などいくらでもあるが見た目通りの年齢らしさを、……雰囲気と言うか、……態度と言うか、そう言ったものから感じ取ることが出来ないのだった。
 それは恐らく千宗と言うこの女が子供の振りをしているからではなく、中身が子供相当の年齢だからだと里曽辺は判断していた。それが「精神年齢」と呼べるものなのかどうか、まだその判断は付かなかったがそう感じてしまえば恐ろしいほどに澄んだこの千宗の瞳にもある程度の納得は出来た。
 パシュンッと不意に音がして、里曽辺はハッと我に返る。
「……それは木刀とほぼ同程度の打撃ダメージを相手に与える事の出来る打撃具だ」
 天井部に設置されたスピーカーからはいつの間にか試合に関する説明が話されていて、里曽辺は千宗からその打撃具へと視点を移した。眼前には床に出現した小さな穴から黒い漆塗りの木刀の様なものが、ちょうどその姿を現すところだった。ウイイィィィンと鳴るモーターの駆動音が鳴り止み、それの全容が明らかになる。見た目には反りのない西洋刀の様にも見え、長さで言えばそれは里曽辺の足先から腰付近まである相当なものだった。
「手に取ってみたまえ」
 促されるままにそれを手に取ってみると金属の様な無機質の冷たさが感じられ、また木刀よりもやや重量がある様に思えた。軽く二度三度とそいつを振ってみるとビュンッと風切り音がなり、木刀と同程度の打撃ダメージとは少々信用出来ない話だった。
 里曽辺が打撃具を手に取ったことを確認すると千宗は「パンッ」と勢いよくそいつを握り取る。試合開始の合図もないと言うのに里曽辺に対して身構える千宗に里曽辺は僅かな困惑を滲ませて、老人達の対応を横目に捉えた。そこにあるは静観。里曽辺へと向き直った千宗の瞳には既に真剣さが灯り、そんな顔をして千宗が眼前に立ちはだかっている以上、里曽辺も身構えないわけにはいかなった。
「行きます、里曽辺三等陸佐」
 里曽辺が身構えた瞬間に千宗が口を切る。やはり老人達からの試合開始の合図は存在しなかった。強いて言うのなら、その千宗の言葉を合図として唐突にそれは始まったのだ。
 千宗は機敏な挙動を見せながら、けれどもそれは牽制と様子見の意味合いが強い様で、攻め込む意図を持った踏み込みがないものだった。安易には距離を詰めて来ない千宗に対して里曽辺は即座の踏み込みを見せる。それは千宗が打撃具を握る右腕の関節へと狙いを定めてのものだった。
 間合い的なことを言えば千宗は簡単にそれを迎撃するなり、後退するなり、あらゆる方法を用いて対処することが十二分に可能な間合いであった。けれども千宗は里曽辺にあっさりと胸元への接近を許した。既にその場所は里曽辺が繰り出す攻撃を回避出来る距離にはない。従って里曽辺の攻撃は確実に、それも最もダメージの大きい箇所を的確に捉えたものになっていた。
 千宗がどんな反応を見せるのかを瀬踏みする意味合いの強い攻撃ではあったのだが、それはものの見事に千宗へヒットしていた。ドゴオォォッと肋の下から突き上げる様に決まった里曽辺の掌での一撃は、常人ならば呼吸器系に一時的な障害を起こしただろう一撃だ。
 それを千宗は常人ならば無謀……と言える、その衝撃を前面に体重を掛けて凌ぎきるやり方で相殺すると、打撃具を大きく振り翳し、反撃をしようと挙動を見せる。
 あまりにも簡単に、それも致命的ダメージを与えられる位置を千宗が里曽辺に許したことで里曽辺は当初繰り出す予定だった一撃を間接への一撃から胸元への一撃へと切り替えたのだが、千宗は苦しむ素振りを何一つ見せてはいなかった。
 里曽辺の表情は自然と怪訝なものへと変化する。そうして里曽辺は打撃具を握る千宗の間接目掛けて再度一撃を繰り出すのだが、それもものの見事に綺麗に決まってしまった。
 間接を狙った掌による一撃もドゴォッと鈍い音を響かせ、千宗の間接を曲がってはならぬ方向へとへし曲げた。その衝撃から半歩遅れたモーションで千宗の腕が、それも全く威力の伴わぬ一撃を強引に撃ち放つ。ヒュンッと音が鳴って、打撃具は簡単に千宗の手を離れ、白色の床を転がって行った。間接へと決まった一撃で千宗の握力はその一瞬の内に、ほぼ皆無になったのだからそれも当然。カーンッ……カンッカンッと打撃具が床を滑る音がして、里曽辺はそれが簡単に拾える位置には留まらなかったことを理解する。
 打撃具に気を取られながらも体勢を立て直そうとする千宗は「あ……」と言った具合の驚いた表情をしただけで、間接に食らった一撃の痛みに顔を顰める様子は見せずにいる。
 だからこそ、里曽辺の身体は反射的に動いたのかも知れない。
 その顔面に里曽辺が繰り出す裏拳からの一撃がヒットする。これほどまでに「直撃」と言う言葉の似合うヒットの仕方はないだろう。痣の一つ二つは残りそうなほどに色白の肌には里曽辺の拳が食い込んで、千宗はグルンッと半回転をして床へと突っ伏す。遅れてドガァァァッ、ズザアアァァァッッと摩擦の音が響き、しかしながら次の瞬間にはトンッと千宗が身軽に体勢を立て直して状況は一気に緊迫の度合いを増した。
 里曽辺の困惑はより度合いの強いものに、千宗の反応は次第次第に的を捉えたものに、……なりつつある。
 「むぅー……、早い」と少し不機嫌な、それでいて真剣な表情をして感想を漏らす千宗の顔には、里曽辺の渾身の一撃が決まったにも関わらず痣の一つも残ってはいない。里曽辺はこの千宗が普通の相手ではないのかも知れないと言う推測を、強い確信へと変えざるを得なかった。
 間接に加えた一撃にしてもそうであるのだが、千歳のか細い腕など簡単にバキンッと持って行ったっておかしくはない。……にも関わらずダメージを受けた風がないことは十二分に理解しなければならない。「どうして?」とは問わない。千宗と言う相手がそう言う相手なのだと理解するだけ……。
 そうして同時に、里曽辺はあらかたこの試合に隠された意図と言うものを理解した。このまま数時間、いや十数時間に渡ってこの試合が続く様なら、その里曽辺の推測が外れたことを意味するが、恐らくこの試合は近いうちに終わりを告げると里曽辺は考える。そしてグルンッと一度首を回して構えを解くと、里曽辺はゆっくりと千宗との間合いを開いた。結局、一度もそれで撃ち込むことをしなかった打撃具を千宗へと向け放り投げ、里曽辺は体の各所の感覚を確かめる。
「時間はやる、そいつを拾え」
 恐らく格闘戦などはやったことがないのだろう。打撃具を失った千宗は里曽辺との間合いを開くと、里曽辺の格好を真似ただけのなってないポーズで身構えて見せていた。間合いの取り方にしても然り、力を込めるべき箇所に全く力の込められていないど素人並みの体勢も然り。そこいらの街を闊歩しているゴロツキ相手にも簡単に連撃を許しそうな千宗の状態は否応なくこの試合の意図なんてものをさらに里曽辺に確信させる。
「どうした!? さっさと打撃具を拾え」
「んー……、あッ、はい」
 里曽辺の言葉にハッとした表情をして「そうでした」と言わんばかりに返事を返す千宗に、里曽辺は思わず苦笑いをこぼす。トントントンッと軽快な動作で、千宗は里曽辺が放り投げた打撃具の落ちた場所まで行くと、一度……里曽辺の様子を窺った後で打撃具を拾い上げ、ギュッとそいつを強く握り締めて見せる。「どうしてわざわざ打撃具を拾わせてくれるのだろう?」と、そんなことを考えているのかも知れない。
 ……打撃具を拾い上げて、千宗はそれをじっくりと注視しながら暫し熟考。里曽辺はその様子を眼前に置いて一つ溜息を吐くと、千宗に向けてこう問い掛けた。
「お前はそれで俺に攻撃を仕掛けるつもりだっただろう?」
「……はい」
 注視していた打撃具から顔を上げた千宗は酷く真剣な顔をして、小さく頷いて見せる。そんな千宗の態度に里曽辺は苦笑を漏らしながら、安易に答えを教えることはない。
「じゃあどうして、お前はしっかり握っていたはずのその打撃具を床に落とすはめになったと思うんだ?」
「ここに里曽辺三等陸佐が攻撃を加えたら、しっかり握ってたはずの力が抜けて……」
 千宗は里曽辺に打たれた場所を指さし、そこを一度注視した後、里曽辺に向き直ってその答えを仰いだ。現在置かれる状況が試合中であり、また里曽辺が試合に置ける敵であると言う認識など、真剣に考え込んでいる千宗の頭の中にはない様だ。そんな顔をして考察を述べる千宗の、その言下の途中で里曽辺が口を開いて問い掛ける。
「だったら、どうしたら良い?」
 千宗は一度二度と首を捻って「……うーん」と唸り考え込んだ後、「……力が抜けない様にすれば良いと思う」と答えた。まるで里曽辺がどうしてその部位を狙って一撃を加えたのか、それを把握出来ていない様だ。いや、……把握出来ていない、……原理を理解出来ていないからこそ、そんな答えを口にするのだろう。
 里曽辺はニヤリと笑みを零した後で、千宗に向けてこう挑発にも似た言葉を紡ぐ。
「それじゃあ、お前が俺に勝つのは難しいな」
 千宗は「どうして?」と言った具合の理解に苦しんでいる顔をして、それでも里曽辺の攻撃の意志を感じ取り身構える。里曽辺の速度を警戒しての防御の姿勢なのだろう。千宗は打撃具を下段に構える格好で一歩二歩と後退して見せると、牽制の意図があるのだろうか、打撃具を振り翳した無防備にも似る状態で静止した。
 里曽辺は「ふぅー」と一つ息を吐き出し、防御に徹する姿勢の千宗に対して「掛かってこい」と顎をしゃくるジェスチャーを見せながら条件を一つ付けてこう言った。
「今度は俺から攻め込まないでやる、俺の体勢を崩してみろ」
 里曽辺の言葉に千宗は再度「どうしてそんなことをするのだろう?」と、心底不思議そうな表情を見せたが、それもすぐに掻き消え、小さく……それでいて明瞭な返事をして見せた。深く自身が置かれる現状を熟考することは、今は意味をなさないのだと悟ったかの様だった。
「……はい」
 トンッと軽く踏み出す程度の一歩に見えたが、常人を軽く凌駕する俊敏な挙動で千宗は里曽辺の間合いに飛び込んだ。大きく振り上げた打撃具で里曽辺を捉えようという腹積もりだったのが、たかだか千宗の速度が里曽辺の予測を遙かに上回る程度だったぐらいで、簡単に一撃を貰う里曽辺ではない。
 攻めた時にやって見せた様に、間接目掛けて……それも攻めた時のものより威力の低い一撃で、千宗の打撃具はポーンと放物線を描いて空を舞う。続けざまにドゴッと千宗の脾腹にエルボーを加えて、蹌踉めく様に後退する千宗の顎下目掛けて撃ち放つハイキックがヒットする。ズガッと鈍い音が響く一撃、……それでも里曽辺から見れば、かなりの手加減をした一撃ではある。
 それをまともに食らって千宗はそのまま床に突っ伏すかに見えた。トン……トントンとバランスを取る様にステップを踏んで、千宗は何とか体勢を立て直して見せた。それは里曽辺に取って感心出来る材料であり、また同時にさらなる攻撃を加える分岐点でもあった。どちらが良かったとは言わない……が、それが里曽辺に連撃を決意させる一因を担ったのは言うまでもないだろう。
「右腹を狙うぞッ!」
 間合いを一気に詰めて、里曽辺のストレートが風を切る。千宗のガードは間に合わない、いや反応出来ていないのだ。だからそこにズドッと肉を打つ鈍い音が響く。それは100%の威力でヒットしていた。千宗は意図せず蹌踉めき、とてもではないがそこから反撃に転じるだけの状況にはない。
「顎下を狙うぞッ、回避して見せろッ!」
 ビュンッと風切り音を鳴らして繰り出すは回し蹴り。どこからその一撃が来るのかさえ予測を出来なかった千宗はハイキック同様それをまともに食らい、重力に逆らいながら綺麗に宙を舞った。空中で体勢を立て直そうとはしたのだが、さすがにそれも間に合わず、千宗は顔面から床へと突っ伏す。
 トンッと手を突き瞬時に起きあがりはしたのだが、その表情は優れない。どうして簡単に床に倒されるのか?
 それを試行錯誤しながら理解しようとしている様が見て取れるのだが、それが自身の勝ち目を削ることに繋がっているとは気付けないでいた。余計な思考に集中力を持って行かれて千宗が里曽辺の連撃を回避出来るわけはなかった。数分と立たぬ内に千宗はまた床に突っ伏すことになる。
 続けざまの里曽辺のストレートを内からの払い手で薙ぎ払ったまでは良かったのだ。……が、戦闘経験の浅い、それも近接的格闘戦に至っては恐らく経験さえないのだろう千宗は人の領域を逸した反射神経だけで防御と回避に徹していた。反射だけに当てていた集中力を余計な思考に持って行かれる様になるとすぐに身体が追いつかなくなる。だから、すぐにボロが出る形になっていたのだ。
 ストレートを払った腕を絡め取られて、里曽辺も腕一本を本気で持って行くつもりで攻撃に転じていた。それは加えた攻撃のほとんどが千宗のダメージになった風がないから半端な攻撃を無意味だと踏んだことと、硝子の向こう側の連中に自分の衰えがないことを示す意味合いが強く含まれていた。
 ドゴンッ……と間接とは逆向きの、くの字に折れた千宗の右腕は、しかしそこから骨が折れた音が鳴ることがない。だから、里曽辺は続けざまの連撃を否応なく選択せざるを得ないのだ。
 指先まで大きく開いた右掌で千宗の肋を捉えようと右腕が撓る。千宗の細い胴体を鷲掴みにする様に里曽辺の腕が伸びるのだ。里曽辺は「千宗の右腕が動かない」と高を括ることはなく、あくまでどの方向から反撃が来ようとも対応出来る体勢を整えていた。
 千宗が普通の人間とは違うことを、見た目通りの相手ではないことを、里曽辺は大前提として千宗に対していたのだ。そこに油断がないのだから、千宗の付け入る隙など存在しなかった。
 状勢は里曽辺の一方的有利に見えてはいたが、実質それが見た目通りであるかと言えばそうではなかった。今も里曽辺の渾身の後ろ回し蹴りで千宗は二メートル近くの距離を吹き飛ばされて床に突っ伏したのだが、けれども平然と立ち上がって見せると、戦意を喪失した風もなくすぐに里曽辺に向き直って見せる。
 本日それが何度目になるのかさえも、もう解らないほど繰り返された光景だ。
「はッ……、随分と達の悪い相手だな」
「……」
 里曽辺はいくら打撃を撃ち込んでも平然と立ち上がる千宗に対し「勝つことが出来ない」と感じていた。それと同様に対する千宗の側も、このまま戦闘を続けてもただの一撃も攻撃を加えることの出来ない里曽辺を相手に「勝つことは難しい」と考えていた。
 しかし「出来ない」と「難しい」では話が違う。このまま戦闘を続行すれば、最終的には……それがいつになのかまではまだ予想出来ないが里曽辺が負けるのだろう。体力が尽きるのか、それとも千宗が里曽辺の攻撃を見切れる様になるのか、それさえもまだ予想すら出来ないが、この状況に明瞭な変化がないのなら里曽辺が千宗に勝つことは出来ないのだと安易に予測出来るのだ。
 里曽辺が構える。千宗の瞳に灯る戦意が揺らぐことはない。純粋に敵を敵と見なす千宗のその目が何よりも厄介だった。次第次第に双方どちらも簡単に攻め込まない状況が生まれていた。
「……もういいかな、里曽辺三等陸佐?」
 状況を静観していた面々がそれを里曽辺と千宗の拮抗状態と見て、スピーカー越しに試合の終了の適否を問い掛け、終焉は急速に訪れた。
「……いいだろう、評価をするには十分見させて貰った」
 大きく吐き出す安堵の息を隠そうともせず、里曽辺は吐き出していた。硝子越しの面々を見やる目つきにも「なんて代物と試合を持たせてくれるんだ?」と言った非難の色合いを混ぜながら、それでも里曽辺自身その試合を楽しんだ様で表情には気分の良さが滲み出ていた。
 構えを解いて口を開いたそんな里曽辺の言葉に「えッ!?」と言う具合の驚愕の表情を見せ向き直ったのは、……他でもない千宗である。まだ決着が付いていないと言いたいのだろう。そうしてその視線を硝子の向こうの面々へと切り換え、こう訴える。
「……待ってよ、もう少しだけ……もう少しだけ続けさせて!!」
 千宗の言うその「もう少し」で、里曽辺との決着が付けられないことが実際に里曽辺と対峙する千宗に解らないわけがない。それを熟知しているのだろう硝子窓を挟んで向こう側に居合わせる面々の代表は、口を開いてこう話す。
「いや、これで終了だ」
 千宗に向けてピシャリッと言い放った人物こそ、当初その場にはいなかった白衣の老人「プロフェッサー」だった。階級章を付けた面々が一歩引いた格好で状況を静観する中、続ける言葉でプロフェッサーは千宗に向けてこう諭す。
「はは……、残念だが今のお前では例え後一日程の時間が与えられたとしても里曽辺三等陸佐に勝つことは出来ない。千宗、お前の眼前にある男はそう言う相手なのだ」
 負けん気が強いのだろう。しばらくの間、千宗は俯いてグッと唇を噛む不機嫌な表情をしていたのだが「出来ないこと」と自身に言い聞かせたのだろう。里曽辺へと向き直り「ありがとうございました」とだけ口にした。そうしてスッとその場に背を向け、一人足早にこの部屋を出て行こうとするのだが、プロフェッサーの何気ない一言に千宗はその足を止める。
「一朝一夕ではWalkerに勝つことは出来ない。……そう言うことだ、皆さん」
 それはプロフェッサーがその場に顔を揃えた面々に向けた言葉で、さらに言うなら里曽辺に対して直接向けることなく、且つそれを意識をする様に仕向けた賛辞でもあった。
「……Walker?」
足を止めた千宗がキョトンとした顔をして呟き、里曽辺へと向き直る。そうして、千宗の目の色は里曽辺に対する興味一色で染まったのだが、それを里曽辺が気付くことはなかった。


 その円柱形の部屋を出ると既に階級章を付けた老人達は居なくなっていて、プロフェッサーだけがそこには残っていた。この試合をする様に仕向けた人物が、眼前にいる「白衣の老人」なのだと里曽辺は直ぐに理解する。階級章を付けただけの老人達とは明らかに一線を画す気配をこのプロフェッサーは持っていて、またそれを里曽辺に感じさせたのだから、そう直感するのも仕方がないと言えるのだろう。
「千宗と一戦交えてみた感想はどうだね、里曽辺三等陸佐? ……いやWalkerと呼んだ方が良いかな?」
 里曽辺はそれら二つの問いに答えずに、鋭い目つきでプロフェッサーを捉えた。里曽辺の想像が正しいものなら、このプロフェッサーは複数個の階級章を持つ連中の、さらにその上に立つ人物と言うことになるのだ。しかも里曽辺にはプロフェッサーの顔に見覚えもなければこんな人物が存在すると言うことを風の噂にも聞いたことがないのだから、身構えるなと言う方が無理なのだろう。
「……あんたは誰だ?」
 里曽辺の科白にプロフェッサーは驚いた表情を見せた。
「鳥谷部一雅(とりやべかずまさ)と言う、……そうか君との顔合わせは始めてなのか」
 それはすぐにプロフェッサー、「鳥谷部」の自身に向けた苦笑いによって掻き消された。
「どうも年を取ると記憶が曖昧になっていかんなぁー……、いつも噂話に里曽辺三等陸佐の名前が出てくるのでね。どうにもこうして会うのが始めてと言う気がしないのだよ」
 その言葉は里曽辺が有名人であると言うことを前面に押し出したものだが、逆を言えばそれだからこそ故に、里曽辺は一介の三等陸佐が知り得ない様な多くの人間を知っているわけである。もちろん表舞台に立つ様なことのない人間までも……である。
 その里曽辺が風の噂にも聞くことがなく、しかも複数個の階級章が付く様な人間を思いのまま自由に動かすことが出来る相手を訝しがるなと言うのは無理な相談であるのだ。そんな里曽辺の考えを知ってか知らずか、プロフェッサーは里曽辺を気に掛けた様子も見せずに、マイペースに話し始めた。……どうやら必要以上に、自分に対する説明をするつもりはないらしい……と、里曽辺はそう判断をする。
「ふむ……そうだな、儂のことはプロフェッサーとでも呼んで貰えると助かるな」
 返事を言葉にして返さない代わりにコクリと頷く里曽辺に対してプロフェッサーは満足に二度頷くと、すっとその表情を真剣味を帯びるそれへと切り換え、話を元へと戻す。千宗と一試合を設ける前に前提としていった通り、里曽辺の千宗に対する評価を聞くというわけだった。
「それでどうだね? 千宗は見所がありそうかね?」
「はっきり言わせて貰えば化物だろう、戦い方がなっていないが反射神経も身体能力も常人以上」
 相手に不快な感情を与えかねない率直な感想を、誉めるでも貶すでもない言葉を、里曽辺はぶつける。ある程度、相手の意図というものが推測出来てしまっていたから、里曽辺は尚更その率直な意見を述べることに躊躇いは持たなかった。戦い方を知らない素人同然の千宗を、戦闘経験豊富な里曽辺と一試合設けさせたのは他でもない。そこから戦い方を学ばせる為に他ならない。それも恐らくダメージと言う概念を取り除く特殊な何かを施した千宗に、戦い方を学ばせようと言う手筈なわけだ。どんな生物であれ、生まれついて戦い方の全てを熟知する生物などいない。教育しなければならないのだ。
「訓練すればいくらでもあんた方が望む戦力にはなるだろうさ?」
「望む戦力に育て上げる為には協力がいるんだ、Walker」
 里曽辺の言葉に間髪入れず、プロフェッサーからの言葉が返る。プロフェッサーの真摯な目つきに対して、明らかな困惑の表情を見せたのは言うまでもない、……里曽辺だった。
「……もう俺はWalkerではない、例えその呼び名が敬意を表すものだったとしても止めて頂きたいものだな」
「はは、これはこれは……Walkerとは勲章だよ。それも君の身体に刻み込まれた勲章だ、里曽辺三等陸佐。引退をするからと言って消えてなくなる様なものではない」
 プロフェッサーの顔付きには笑みが混じっていた気がしないではない。けれども目元にはその笑みの欠片さえも見て取ることが出来ないのだから、険しい目つきをする里曽辺と視線を交差させれば、そこには張り詰めた雰囲気が漂うのだった。スッとそこから先に引いたのはプロフェッサーだった。ただそこに臆した調子がない以上、望まぬ名称で呼ばれることがどれほど気分を害するものなのかをプロフェッサーも身を以て知っていると言うことなのだろう。
「……とは言え、里曽辺三等陸佐が良い印象を抱いていないと言うのなら仕方がない。そう呼ぶことがない様に極力留意しよう」
「……三等陸佐と言う肩書きを付ける必要もない、実質俺はそんな立場にはない」
 里曽辺の目つきが真剣であることをプロフェッサーは汲み取らなければならなかった。「Walker」との呼び方同様に里曽辺がそう肩書きを付けて呼ばれることを嫌がっていることをプロフェッサーは否応なく理解する。
「ではそうだな、……里曽辺君と呼ばせて貰おうか。……構わないかね?」
「あぁ、それで問題はない、プロフェッサー」
 その里曽辺の言葉に今回はその目元にもきちんと笑みを灯して見せて、プロフェッサーは半ば強引に里曽辺の手を取って握手を求めた。「名前」であるか、それとも「通り名」であるか、そんな違いこそあれ特定の名称で呼ばれることを両者共に嫌う点に親しみを感じたのかも知れない。
「……里曽辺君には千宗を教育して貰いたいんだ」
 唐突に、恐らくこの話の核心がプロフェッサーの口から話されて、里曽辺はその真意を窺う様にプロフェッサーのその目を見返した。白髪の老人と言うには鋭い目つきがそこにあり、また簡単には退かないだろう意志の強さも見て取れる。
「見ての通り、千宗には戦闘行為に対する癖や先入観を植え付けさせない為に、何一つそれに対する教育を為して来なかった。その結果は見ての通り里曽辺君には手も足も出ない。これがただの常人だったなら、里曽辺君の一撃目でノックダウンだっただろう」
 言いたいことはすぐに理解出来た。現時点での千宗の能力は判断能力を含めたあらゆる点で生まれついての状態にあると言うことだ。それでいながら既に、反射神経を含めた身体能力については常人を軽く逸するレベルにある。これから教育によっていかようにでも伸ばしようがあり、その限界は未知数。
「教育を施すのが目的だと言うのなら、より優れた人間はいくらでもいる。俺の様に実戦経験が豊富と言うだけで相手を教育する能力が高いと判断されても、その……なんだ、迷惑な話だ」
「失礼しまーす」
 突然、背後……扉越し、そこから千宗の声が響き渡った。てっきりカチャッと扉が開いて声の主「千宗」が姿を見せるかと思えば、ゴンッゴンッとその後にノックの音が響く通例の順序とは逆の行程がそこには展開される。そうしてたっぷりと一つの間を置きガチャリッと扉が開いた。
「まだ入室しても良いと許可が下っていないでしょうッ、良いですか、大体順序が……ッッ」
 ……キイィィィと扉が開き、浦野のそんなお怒りの言葉が響く中、プロフェッサーそして里曽辺の視線は自然にそちらへと向いていた。千宗は目を閉じた状態のツーンとした何食わぬ顔をしていて、そんな千宗に浦野が訓戒をしている光景がそこには展開されていた。そうしてその訓戒の途中、何気なくこちらを向いた浦野と里曽辺の目が合う。
「……失礼致します」
 そこで一瞬押し黙った浦野だったが咄嗟に表情を取り繕い、装った平静でそう言うのがやっとだった様だ。浦野の表情には直ぐに「失敗した」「居心地が悪い」と言った具合の感情が浮かび上がってきて、目を覆う様なポーズを取って俯き……カリカリと来ているのだろう。そこに渋面を滲ませる。
「千宗、里曽辺健一三等陸佐だ、改めて挨拶しなさい」
 浦野のそんな苦悩の状態などなんのその。まるで何事もなかったかの様にプロフェッサーが口を開くと、そこに一瞬存在していた凍り付いたかの様な時間もすぐに始動した。プロフェッサーの言葉を受けて、千宗はビシッと姿勢を整えるとペコリとお辞儀をして見せる。
「先程はご指導のほど、どうもありがとうございました。……と、言えば良いんだよね?」
 千宗はお辞儀をした格好のまま、浦野の顔を見上げながらそう言って、……そうして浦野の怒りを買うのだった。里曽辺に対する千宗の印象を良くしようと浦野が吹き込んだのだろうが、……浦野の思い通りにはことは運ばなかった。
「私が考えていた段取りをものの見事に、それも繕いようがないほどに叩き潰してくれて、……覚悟は出来ているんでしょうね?」
「うぅー……、浦野さん本気で怒ってるの?」
 その問いにニコリとだけ微笑んで答えを返さない浦野は、さも「当然です」と言っているかの様だった。ビクッと千宗が怯えた仕草を取って見せた辺り、この浦野が千宗の教育係なのだと里曽辺は理解した。
「浦野……、里曽辺君が居合わせる席なんだ。今回はそこら辺で勘弁してやってはどうだね?」
「しかしッ……、……そうですね」
 浦野は苦渋の選択をしましたと、言わないばかりの顔をして引き下がる。その様子を食い入る様に見ていた千宗がグッと後ろ手に握り拳を作って喜びを表現していた。さすがのプロフェッサーもそんな千宗を多少呆れた顔付きで眺めていたが、「千宗、里曽辺君に挨拶を続けなさい」と挨拶の再開を打診すると、千宗は直ぐさま素直に返事をする。
「あー……っと、はい。わたしの名前は国見千宗と言います。えー……伏稚(ふくち)山系駐在施設所属、自衛隊第にじゅー……」
 その千宗の言下の内にプロフェッサーは口を切っていた。そう言うのも千宗の名前の後に続くはずだったのだろう言葉がすらすらと出て来ない雰囲気を持っていたからだ。千宗に関して言えば解らないことは解らないと、すぐにその表情に出るのだから見ている側としては非常に解りやすかった。
「千宗はどう考えているんだね?」
 キョトンとした不思議そうな表情をして、千宗はそう質問を投げ掛けたプロフェッサーに問い返す。
「考えているーって、何を?」
 プロフェッサーの側(特に背後でこの一連のやり取りを静観している浦野)にしてみれば、こうして里曽辺に顔合わせをしたことで、それぐらいのことは察してくれるだろうとでも考えていたらしい。右手で頭を抑えて俯き溜息を吐き出したのは、他でもない……その浦野だった。
「里曽辺君に戦い方を教えて貰うことについてだ」
「……!!」
 プロフェッサーのその言葉が話された瞬間、千宗はパッと目を見開いて……余程驚いたのだろう。上擦った調子ながら即座にこう反応をする。
「教えて欲しい、……です!」
 そこに迷いはなかった。濁りのない透き通った硝子の様な目で振り返り、千宗は里曽辺を直視する。
「……里曽辺君、どうだね?」
 一つの間を置き、プロフェッサーも里曽辺へと向き直る。千宗からは未だ里曽辺に対する懇願に似た真っ直ぐな眼差しが向けられていて、里曽辺は本格的に返答に困った形だ。出来ることなら、その役目を担いたくはないと考えている里曽辺がここに来て、悩みの表情を浮かべる。
「我々は正式に君に依頼をしたいんだ。もちろん、教育と言っても学問や礼儀を君に教えて欲しい……と言うわけではない。里曽辺君には千宗の戦闘面だけを見て貰えれば構わない」
 プロフェッサーの言葉に強制的なものはない。口調や態度にしても同様で、居丈高なわけでもなければ謙っているわけでもなかった。だからこそなお、里曽辺はこう切り返した。
「……依頼なんて形を取らずに正直に言えばいい、俺に選択肢などないんだと」
 そうでなければ階級章を付けた老人達をわざわざ引っ張り出して来た理由などないのである。選択肢を里曽辺に持たせても構わないのならば、始めからプロフェッサーが依頼という形を取り、里曽辺に尋ねるだけで全てことは片付いたのだ。ここに来て里曽辺の鋭い目つきがプロフェッサーを捉えた。
「その為にここに俺を呼び、試合を設けさせたんだろう? ……端から俺に選択肢などない様に見えますがね」
 予想だにせずプロフェッサーはその里曽辺の態度に笑い声を漏らした。さも楽しそうに、……それが作りものの様には見えず、里曽辺は表情には表さないながら心の中に広がった当惑を隠せなかった。
「はははははは、招聘とは名ばかりかね。そうか……上層部の人間にはそう言われたのか?」
 その言葉にある「招聘」をされた覚えもない。ただただ呼び出されて、意味も解らず千宗との試合をさせられて、そして今……ここにこうしているに過ぎないのだ。
「そんなことを気に掛ける必要などない。当然これを断っても里曽辺君に不利なことなど何一つない。……里曽辺君は招聘されるべき大切な客人であり、例え今回の依頼が君に承諾されなくとも、今後とも君の世話になることがないとは言えないのだから、それは当然だろう?」
 里曽辺は押し黙る。そうやって返答がないことをプロフェッサーはどう捉えたのか。……言葉だけが後に続く。
「任務と言う意識を持つ必要もない。……この千宗が相手なんだ、少々手こずるかも知れないが根気よくこの娘を実戦レベルで使える様に仕上げて貰いたいだけなのだよ。どうだね、依頼を受けては貰えないかね?」
 浦野・プロフェッサー、そして千宗の期待の瞳に直視されて、里曽辺は俯く様に僅かに首を下げる。プロフェッサーのその言葉通り、選択の余地がないわけではないらしい。もちろん、里曽辺よりもそう言った戦闘面の教育に長けた人間は存在するのだから、それも当然だと言えば当然なのだ。ではどうして「里曽辺」と言う白羽の矢を彼らが立てたのか、里曽辺は答えのない熟慮をしていた。
「……了解した」
 十数秒程度の思考時間を挟んで、里曽辺が半ば無意識の内に口に出した答えは了承の言葉だった。直ぐさまそれに反応をしたのは他でもない千宗だ。身体全体で喜びを表現することに何の躊躇いも見せず飛び跳ねて喜んでいるところを、浦野に「止めなさい」と行った具合の諫めの言葉を貰っていた。
「浦野、里曽辺君が滞在する部屋についてと、ここでの里曽辺君の権限についての説明をしておく。あー……、里曽辺君と千宗は廊下に出て浦野への説明が終わるまで待機していて欲しい」
 プロフェッサーのそんな言葉を合図に部屋を出て、後ろ手に扉を止める。……バタン、ガチャッと鳴る開閉音が廊下に響くか響かないかの瞬間だった。
「よろしくね、里曽辺三等陸佐」
 部屋から出た途端、千宗はご機嫌な調子で里曽辺へと向き直り、深々とお辞儀をして見せた。余程、簡単に自分をやり込めて見せた里曽辺にものを教わることが嬉しいのだろう。しかしながらそれに対する里曽辺の表情はどうして了解の言葉を紡ぎ出したのかが自分自身腑に落ちないと言った具合の、自身に対して自問を向けた格好の渋い顔だ。そんな表情のまま、千宗に切り出した言葉はこんな内容のものだった。
「三等陸佐と肩書きを付ける必要はない」
「……むー、里曽辺君? 里曽辺さん?」
 千宗は心底悩んだ様な顔付きをして「三等陸佐」に代える名称を探している様だったが、それに代わるものは浮かばなかったらしい。すっと里曽辺に真剣な表情をして向き直るとこう訴えた。
「でもでも、プロフェッサーはきちんと位の上の人には「三等陸佐」とか、そー言うのを付けて呼びなさいって言ったんだよ? 浦野さんにも規律を正す為にそー言うことはきちんとしなさい……みたいなことを言われているから、やっぱり三等陸佐って呼ぶの」
 その千宗の言葉に呆気に取られると同時、やはり里曽辺は見た目の年齢にはない千宗の幼さを実感していた。濁りのない透き通った硝子の様な瞳。それは簡単にその中に存在する感情さえ覗き込めてしまえる。純粋で物事に対して一途なのだと言えば聞こえが良いが、言い方を変えれば他の要素を考慮に入れることが出来ない盲目さを持つに等しい。
 けれども……だからこそ、里曽辺はこの依頼を承諾したのだと気付いた。あまりにも千宗の感情が純粋だからこそ、背後に漂うプロフェッサーらの意図がどんなものであったにせよ、それを払い除けられなかったのだと理解した。
「……規律か、そうだな、お前が教えを受けると言う立場である以上、それは重要なこと……か」
「ここだけの話ー、凄く怖いんだよー浦野さん」
 千宗は里曽辺の横にチョコンと並ぶと、しみじみとした口調で頷きながらそう話した。余程、手厳しくやられている様で、そこには実感と言うものが籠もっている。……と、カチャリと扉が開いて浦野が姿を見せると千宗はすっと口を閉ざし、あっと言う間に大人しくなった。
「先程はお見苦しいところをお見せしました。私は浦野雅史(まさふみ)、気さくに浦野と呼んで頂ければ光栄です」
 千宗のお辞儀はここから来ているのだ直感出来るほどの綺麗な礼をして見せて、浦野は里曽辺に握手の為の右手を差し出した。そこにはこれが初対面とは思えない程の、かなりの鈍感な人間でも感じ取れるだろう程の親しみが込められていて、里曽辺はすぐにその手を握り返すことを躊躇ったのだが、そこに握手を交わさない理由がない。差し出された手を握り返すのに弱冠の間が空いたのだったが、浦野はニコリと笑みを灯した表情のまま怪訝な顔を垣間見せる様なこともなかった。
「……こちらもさっきのやり取りで話していた通り、「三等陸佐」と肩書きをつける必要はない、浦野雅史殿?」
 里曽辺に取っても、そんな真意の計り知れない浦野はどこか調子の狂う相手であった。実質、里曽辺に取って浦野の様な規律重視型の人間は付き合う上でも少々苦手とする部類に他ならないのだ。
「はは、そう言うわけには行きません、里曽辺三等陸佐。取り分け私は規律を重視する部類の人間です、……それにこれは性分と言うものでもありまして」
 浦野は自身を自らそう言い表すと里曽辺と握手をするその手にくっと力を込めて、こう同意を求める。
「千宗に対する礼儀や規律などの見本にもならなくてはならないのが私です、……それは無理な相談でしょう?」
 里曽辺に対してはそんな柔らかい物腰で笑顔を向けて、そうして千宗に対しては……先程の怒りがまだ完全には収まらないのか、ギロリと一つ睨みをくれて、浦野はゆっくりと歩き出す。そんな浦野の一瞥を千宗は素知らぬ顔で黙殺するとその直ぐ後に付いて歩き出し、結果として案内される里曽辺は最後尾に付くこととなった。
「では、里曽辺三等陸佐に滞在して頂く部屋まで案内致します」と良いながら、すぐに浦野は立ち止まる。恐らく足音が異なるところに不自然さを感じ、それが里曽辺のものではないと判断したのだろう。里曽辺の側へと振り返る浦野は、「どうしたの?」と言う具合にキョトンと見返す千宗を眼下に置いて、呆れ果てた様な表情を見せた。
「千宗は部屋に戻っていなさい。今日の用件はもうないはずです」
 浦野の言葉に対して千宗は明らかな不服の表情を見せ、そのまま浦野をじっと注視すると言ったささやかな抵抗を行ったのだが、顔を突き合わせるその浦野の表情に、目に見える怒りの色が見え隠れする様になった頃、ササッと意志を翻しその場から立ち去って行った。それでも去り際にはきちんと「それでは明日からよろしくね、里曽辺三等陸佐」と言葉を一つ残していく辺りが、「ああこんな性格なんだな」と里曽辺の印象に強く残ったのだった。
 浦野は呆れた顔をして「ふぅ」と一つ深い溜息を吐き出すと、その一連のやり取りを静観していた里曽辺へと向き直る。その浦野の顔はどこか疲労が溜まっている様にも見えた。
「はは……大変そうだな?」
 そんな浦野の表情に、思わず里曽辺の口からはそんな労いの気持ちの乗った言葉が漏れる。
「これからはお互い様になるかも知れませんよ、里曽辺三等陸佐?」
「依頼を受けるのを早まったかな……と考えているところさ」
 世間話の様な言葉を交わしながら、歩き始めたのはどちらからとも言えなかった。里曽辺の中には全く唐突にそんな浦野に対する親近感みたいなものも湧いてきていた。それも恐らくこれから内容は違えど、同じ教育係なのだと思えばこそ……なのだろう。


Seen02 「Walker」
 狭くも広くもない宿舎で寝起きをする里曽辺の生活も一週間が過ぎようとしていた。だいぶこの施設での生活に慣れたとは言え、正直日の光に当たらないと言う生活は里曽辺に取ってあまり慣れ親しめるものではなかった。
 現在、里曽辺の生活時間の大半がプロフェッサーからの依頼である千宗の訓練に当てられていた。それらの用件が施設外に出る必要のあるものならば、否応にも施設外の……蛍光灯以外の光を浴びることに直結するのだが、如何せん現時点での千宗の訓練内容では施設外に外出する理由はないのであった。
 里曽辺が真っ先に千宗に教えたことは間合いの取り方だった。人並み外れた反射神経と身体能力があるのだから、まずはこれを存分に活かせる様にすることが重要だと感じた為だ。取り分け、プロフェッサーの要望が「格闘能力面の充実を最優先に……」と言う内容だったことも重なって、里曽辺は本格的に千宗の格闘能力の向上に努めていた。
 当初、見た目に華奢な千宗には何よりも筋力トレーニングが必要だと里曽辺は感じたのだが、プロフェッサーはそれよりも実際の攻防による経験を積ませて欲しいと要求をした。結果としてそのプロフェッサーの言葉通り、千宗に必要なものが経験だったのだと里曽辺は一週間の訓練の初日で身を以て知ることとなる。
 顔合わせの際に設けた試合では一撃も千宗の攻撃を里曽辺が貰うことがなかったから解らなかったのだが、千宗の繰り出す攻撃にはどれも十分な威力が伴っていたのだ。
 考えごとをしている間に千宗は里曽辺との距離を詰め、ヒュンッと風切り音を響かせて里曽辺の間接目掛けた一撃を繰り出した。里曽辺は手慣れた挙動でそいつをさばきながら、千宗に自身を打たせる為のアドバイスを口にしていく。千宗の一つ一つの挙動が終わるか終わらないかの内に、そのアドバイスは上積みされていて、恐らく千宗はその半分さえも耳で聞き、頭で考慮し、実際の行動に結びつけられてはいないだろう。
「教えたポイントだけを打とうとしても駄目だ。相手にダメージを与える為の攻撃はどんな強力なものであろうとも、それが相手に当たらなければ意味がない」
 ブンッと千宗のストレートが風を切り、それが里曽辺に命中しないとなるとトンットンッと足の運びを変えた変則的な裏拳へと変化を始める。一週間の中で里曽辺の戦い方を正確に模す様にそれらを覚えていった千宗は、良く言えば攻め込む基礎を的確に覚えながら、悪く言えば千宗なりの応用が利かない戦闘展開を見せていた。攻め込むパターンを簡単に組み替えるだけで、千宗なりの瀬踏みとか挙動と言ったものがないのだ。
 それらが元々は里曽辺の戦い方である為に、里曽辺に対してそれらは効力をはっきりすることがないのだが、取り分け今の千宗が保持する問題は応用が利かないところにあった。相手に行動を読まれ易いと言う致命的な弱点がある以上、どうにかしてそこを克復させてやらなければならない。
「相手の行動を予測すると言うことは本来経験を積まなければ出来ないことだが、ある程度同じ踏み込みだけで相手を攻め続ければ場当り的な推察ぐらいは出来る様になる」
 他に千宗について解ったこととして、一朝一夕では本来覚えられない様なことをあっさり覚えてみせる一方で、当たり前のことが出来ない不器用さを持っていることだった。里曽辺が千宗に対して一度も仕掛けたことのない様な攻め込み方をすると、どう対処をして良いのか判断出来ないのだ。精々が生来のその反射速度で回避動作を取ることぐらいで、直前まで平然とやっていたはずの「払いの動作」とか言ったものがそれを境に唐突に出来なくなるのだから、里曽辺に取って千宗はかなり特殊な部類の訓練生となっていた。
「俺の物真似を軽く弄っただけじゃ本当に実力のある相手には手も足も出ないぞ。応用を利かせて打ってこい!」
「……」
 相変わらずの……「如何にして相手を倒すか?」それだけを携えた真摯な目で千宗は里曽辺に向かってきていた。そうやって直ぐに熱の入ってしまう性格自体には善し悪しもあったのだが、里曽辺に取ってはその熱意は良しといったところだろうか。ともすれ、そうなってしまった千宗は一度床に突っ伏さないことには満足に会話も成り立たない程の負けん気があり、それが問題と言えば問題だったが、それはそれで同時に里曽辺の楽しみにもなっていた。直接、そこに技術だとか経験だとか言った具合の進歩を窺い知ることが出来るからだ。解った振りをして、何とかこの場をやり過ごそうとする連中よりはよっぽどやりやすいと言うのが里曽辺の本音である。
 千宗が唐突に間合いを詰めて、里曽辺が時折見せる顎下を狙った右腕の一撃を繰り出した。いや、踏み込みの挙動から実際に攻撃を繰り出すまでの動作と言う点では、既に里曽辺のものを上回っているかも知れない。今は経験上の反射的な動作とかそう言ったもので里曽辺が軽々と千宗をリード出来ていたのだが、いずれそれもひっくり返るだろうと、里曽辺はここ数日の千宗の学習能力を目の当たりにして実感していた。
 時間を掛ければ掛けるだけ、相手をすればするだけ、千宗は対里曽辺用の……里曽辺と全く同質の動きとか攻め方と言ったものを覚えて行っているのだ。里曽辺は千宗ならばいずれ完璧に自身の挙動をコピーするだろうとも考えている。
 トンッと払い手でその右腕の一撃を絡め取って引き、左胸元を掴み上げて、そこから里曽辺は千宗を一本背負いの要領で投げ飛ばす。体重の軽い千宗が宙を舞った距離は、今まで里曽辺が同じ様に投げ飛ばした訓練者の中で恐らく最長のものになっただろう。後少しで壁に激突すると言う辺りで千宗は失速し、ドゴォッと落下音を響き渡らせた。
 頭上から落ちた逆さの格好のまま、千宗は自身の思う様にことの運ばない歯痒さからか……不機嫌な表情をしていた。今回は攻め込めていたと言う実感でもあったのだろう。
「今のは何て言う技?」
「柔道で言うところの背負い投げと言うやつだな」
 千宗は「柔道」と言う言葉を知らないらしく一度小さく考え込む仕草を見せた後で、それが自身の知識にはないものだとすぐに理解する。当初、プロフェッサーが里曽辺に話した「戦闘行為に対する先入観を植え付けさせない為の無教育」とは余程、徹底されて来たものらしい。
「……柔道って何?」
「基本的には相手の攻撃力に順応して相手を投げ、倒し、抑える。これが柔道だ。当て身などの攻撃・防御の技もあり、それらを習得するのと同時に身体の鍛錬と精神修養を目的とする」
 そこに何を考えることがあると言うのか、千宗は思案顔をして押し黙っていた。里曽辺はそんな千宗に向けてタオルを放ると本日の教育の終了を告げる。
「まぁいい、今日は終わりだ。明日もみっちり扱いてやるから、早くあがって疲労を取っておけ」


 円柱形の試合部屋(里曽辺はそう呼んでいる)で分かれ食堂へと足を向ける里曽辺は、期せずしてそこで見知った顔を二つ発見することになった。その一つである千宗は声を掛けるまでもなく里曽辺の存在に気付いた様だったのだが、その隣に浦野が座っていることと何か関係があるのだろうか、里曽辺の方へと向き直って声をあげることをしなかった。……目を閉じた例のツーンとした何食わぬ顔で、浦野の話でも聞き流している最中なのかも知れない。だから、敢えて里曽辺は浦野に向けて声を掛ける。
「……珍しい組み合わせだな?」
「そうですか、割と私は千宗と行動を共にしていることが多いと思っていますが?」
 それは確かに浦野の言う通りだった。この施設内で千宗の同伴者が里曽辺ではない場合は七割方が浦野である。そして基本的に施設内では千宗一人だけを見掛けることは滅多にない。大概、プロフェッサーに里曽辺・浦野と、後は医療ブロックにいる里曽辺には名前も解らない特定のスタッフの誰か彼かが千宗には同伴しているのだ。
「食堂でこの組み合わせを見るのは初めてだぞ?」
 浦野が里曽辺と会話をする為に千宗から目を離すのだが、その間にどうにか手早く食事を済ませてしまおうと千宗は画策していたらしい。浦野が里曽辺に向き直った瞬間、千宗は箸を持ち直して掻っ込む様に御飯・おかずを問わず口にする。
 すぐに浦野は里曽辺に対して「失礼」と言った具合のジェスチャーを見せて、米神を押さえながら千宗へと向き直り、こうデカイ声で叱り付けた。
「千宗! 食事をする時の礼儀作法までを完璧に覚えなさいとは言わないが、せめて箸の握り方ぐらいは覚えなさい」
「むぅー……」
 カツカツカツ……とある一点を境に、唐突に箸のもたらす音が変われば不正を働いたことがばれることまで、千宗は頭が回らなかったらしい。浦野に箸の握りを修正されて、千宗は不機嫌な表情をして小さく唸っていた。
「ははは、なるほど。合点が行った」
 箸の握り方なんてものを練習させられている千宗の様子を里曽辺は豪快に笑い飛ばした。「人事だと思って……」と里曽辺に非難の視線を向ける千宗を黙殺し、里曽辺は浦野に向き直る。
「マンツーマンでの礼儀の指導とは大変だな? まぁ根気よくやってくれ」
 千宗と言う存在を「ダメージと言う概念のない化物」へと育て上げた弊害。日常に存在する当たり前のことが出来ない様な成育を千宗が経てきた片鱗を、そんなところに目撃して里曽辺は小さく肩を竦めた。恐らくは精神年齢と言った要因も、見た目に相応しない子供っぽさも、その成育から来ている弊害の一つに過ぎないことなのだろうと里曽辺は理解する。
 一体千宗に何を為したのかを問うだけの権限を里曽辺は持っていない。そしてそれを為したのだろうプロフェッサーの属する組織の翼下にある里曽辺がそれを非難することは出来ない。また、もしかすると里曽辺と言う存在そのものが、千宗にそんな教育を為さざるを得なくなった一因であることを里曽辺は自覚しているのだ。
「良かったな。浦野が教師では食事の席で恥を掻く様なことはないぞ。立派な立居振舞が出来る様になる、……言葉遣いなんかを含めてな」
 里曽辺は千宗の頭をクシャクシャと撫でながら、冗談めかしてそう言った。千宗がそれを厭う仕草を見せないから、里曽辺はその手を離すタイミングを見失って、言葉を全て話し終えてしまってなお……しばらく千宗の頭を撫でていた。
「むぅー……」
 千宗は嫌々ながら真剣な顔をして箸の扱いと格闘していた。里曽辺がそんな千宗の横顔に視線を落としながら思案をする。……恐らくは、自ら望んで化物となったわけではない化物。そもそも自分がそう見られる存在であることを認識出来ているのかどうかにすら疑問符は付いた。
「……必要最低限のことを教える必要はありますからね」
 浦野の言葉で里曽辺はハッと我に返った。慌てて千宗の頭から手を離し、里曽辺はそこに滲んでしまった自身の感情を誤魔化す様に食事が配給されるカウンターへと足を向けようとする。それを呼び止めたのは浦野だった。
「ああ、今から私がトレイの返却に行くので、里曽辺三等陸佐は席に着いていてください。返却ついでに里曽辺三等陸佐の分は頂いてきますのでゆっくりしていてください」
 千宗が食事中のものをテーブルに避けると、浦野は千宗のトレイに自分のトレイを重ね返却口へと席を立った。その浦野の足取りを追い掛ける様に視線を走らせる千宗は酷く真剣な顔付きをしていて、非常に里曽辺の笑いを誘った。そんな千宗は浦野が柱の陰に隠れると直ぐさま里曽辺へと向き直って口を開いた。
「ねね、そう言えば「Walker」って言うのは一体何なの、里曽辺三等陸佐?」
 千宗はまるで水を得た魚の様にいつもの調子を取り戻していた。余程、浦野が相手の場合には遠慮・自粛をしていると言うことなのだろう。確かに浦野は子供っぽさを残した千宗の対応を厭う雰囲気を持っている。
「たいして面白くもない話だぞ」
「聞きたいの」
 積極的と言うのか、好奇心旺盛と言うのか。千宗はそう自身の気持ちを直ぐさま断言して見せた。微かに里曽辺がそれを話すことを厭う調子を見せたことなどお構いなしだ。……いや、そんな些細なことになど気付いてはいないかの様だ。
 その透明な硝子の様に透き通る瞳に、限度一杯湛えられた千宗の「興味」に里曽辺はあっさり折れた。渋々口を開いて、里曽辺は簡潔にそれの説明を始めた。浦野がここに里曽辺の分の食事を持って帰って来るまでの僅かな時間で口に出来る言葉では、恐らく千宗の理解の範疇に収まる説明には成り得ないと言う考えも、あっさりとそれを口にしてしまうことを後押ししたのかも知れない。
「Walkerとは、……立ち止まらない者のことだ。……いや、立ち止まることの出来ない者のことかも知れない」
 真摯な瞳とは裏腹のキョトンとした表情で、千宗は里曽辺の言葉を聞いていた。里曽辺は千宗へと向き直ることなく、ここには存在しない何かに焦点を合わせた一見すると虚ろな目をして口を切っていた。
「立ち止まって自らを振り返ることはない。正当性を妄信し決して立ち止まることのない者だ」
「それは素晴らしいこと?」
 唐突な千宗の言葉に里曽辺は思わず苦笑した。余りにも簡単に、結論を下せるはずのないことを他人に答えとして求めるのだから、苦笑をするなと言うのは無理な話だった。里曽辺は一つ深い息を吐くと、千宗に向き直ってこう話す。
「……その判断は俺に委ねて終わるものではないだろう。お前が自身で見つけ出しそして理解するべきことだ」
 今の千宗にはそれは「難しいこと」の様で、顔を顰める様にしながらポリポリと頭を掻いて千宗は悩む顔をした。
「いずれお前も、お前自身が置かれ続けてきた状態というものをはっきりと理解する時が来る。例えそれがどんなものであろうと決して目を背けるな。それで解決出来ることなど何もない」
「……?」
 千宗の疑問の目。里曽辺自身に嘘のない答えを求める目。そこには澄んだその瞳一杯に湛えられた疑問がある。
 里曽辺はそれが自身の正当性に向けられたものの様に錯覚した。大義名分やら根拠やら、そこに事実を曖昧な現実に濾過してくれるフィルターはない。その目は最終的に物事を突き詰めた捏造も隠蔽も潤色もない……、何一つ着飾るもののない里曽辺自身の「己」と言うものに問い掛けているかの様だった。
「お待たせ致しました」
 浦野の言葉に里曽辺はハッとなる。眼前に差し出されるトレイを小刻みに震える手で受け取り、里曽辺は食事を始めた。その隣でも浦野による千宗の箸の扱い方のレクチャーが再開されて、問いの答えはあやふやなものに終わった。
 とても旨いとは思えぬ食事を口にしながら、里曽辺は複雑な表情でもう一度「己」に目を向けていた。そこに千宗の幼さから来ていたのだろう激しい手厳しさはなかったが、里曽辺は静かにゆっくりと「己」を突き詰め始めた。


 食事の席の一件から一夜が明けて、円柱形の試合部屋で歩調のことを千宗に教え聞かせていると、不意に千宗が「変則的な歩調の相手」に対して「浦野さんみたいな歩き方のこと?」と里曽辺に質問を口にした。
 恐らく今までそんなことを意識したことはないだろうと考えていた里曽辺はその質問にかなり驚かされた。
「良い所に目を付けた。そうだ、浦野みたいな歩調の相手だ」
 パッと見だけでは判断出来ないが、事実……浦野は少し一般人とは異なった歩き方を見せている。普段一般の時でも一貫してその歩き方を見せているので、それは意識してのものではなく既に体得した武術ないし格闘技から来ているのだと考えられたが、千宗がそんな微少な変化を感じ取っていたとは里曽辺に取って本当に驚くべき材料だった。
 ピンッと閃いた里曽辺の都合の良い様にことは運んでいて、硝子越しには浦野の顔が見て取れた。それは恐らくこの訓練が終わった後の食事の時間に、浦野が千宗に基本を教えるからなのだろう。つまり、浦野の本日の本職の方は終わっていると言うことを意味するわけだ。
 里曽辺は千宗に「そこで待っていろ」と言った具合のジェスチャーを見せて、その場を離れる。扉を開ける音がしても浦野はそれに気付くことなく、円柱形の試合部屋中央に佇む千宗を直視していた。今晩の千宗に対して行う教育方法について、思考を巡らせているのかも知れない思案顔とも見て取れないこともない。
「そんな堅苦しい格好に、その態度と言葉遣いと来れば、ストレスも堪るだろう?」
 ハッと我に返る浦野は突然の里曽辺の声にギョッとした様だ。しかしそれも一瞬のこと。すぐに浦野は自分が思考に意識を持って行かれていて、周囲に対しての意識が散漫になっていたのだと理解する。
「どうだ、軽く一試合設けようじゃないか?」
「随分と酷い冗談ですね。里曽辺三等陸佐に私では、万に一つも私に勝ち目などないですよ?」
 まるで「身の程は弁えています」と、そう言わないばかりに浦野は素っ気なく里曽辺の提案を拒否する。里曽辺は首を横に振りながら、その提案による試合の相手が自身ではないことを述べた。
「相手は俺じゃない、もう中央に陣取っているだろう?」
 里曽辺は親指を立てて背後の円柱形の試合部屋中央を指差し、ニィと言った具合の笑みで浦野に同意を求めた。「なめられたままじゃ、浦野の顔が立たないだろう?」と、恐らく言葉にすればそんな科白がその表情には言い表されている。
 しばし意味を理解出来なかったのだろう浦野は里曽辺に対して怪訝な表情を見せていたが、「なるほど」と言った具合の顔をした。里曽辺同様、口許に笑みを灯して同意に賛同をする。
「……はは、面白い趣向ですね。これは千宗の要望を兼ねて……と言うことですか?」
「そう言うことにして置こうか」
 里曽辺のその言葉で浦野の顔付きがすっと変わった気がする。浦野と里曽辺が何を話しているのか気になるのだろう、円柱形の試合部屋中央で千宗はそれを興味深げに窺っていた。そんな千宗と里曽辺を交互に見た後で、浦野はその提案をこう了承した。
「たまには身体を動かさないと、感覚が錆び付きますからね。……良いでしょう」
 浦野は上着を脱ぐと、そいつをデッキの上へと放り投げた。バサァッと音を立てて翻る上着の着地点を確認することもなく、浦野はネクタイを解きながら出入り口の方へと足を向けていた。そこにあるのは「気は進まないが……」と言った具合の消極的なやる気ではない。散々手を焼かされている千宗を相手に一試合……となれば、浦野のそんなやる気も解らないではなかった。
 円柱形の試合部屋へと入っていく浦野を呼び止めて、里曽辺はルールについて問い掛ける。一度で勝敗を決してしまっては千宗に取って恐らくプラスになることは多くない。そうして長く時間を掛けすぎても、そう大きな収穫はないと里曽辺は踏んだ。だから、二度床に倒された時点で負けとするルールを里曽辺は敷いた。
「勝敗をどうやって判断するかだが、床に二度倒されたら負け……と言うので構わないか?」
 それは時間的にも千宗の訓練が終盤に差し掛かっている頃であり、千宗の肉体的・精神的な疲労と言う点を考慮しての提案だったが、もう一つ……千宗の負けん気と言うものを考慮した上での判断でもあった。
「それで構いませんよ、ただの余興ですからね」
 ただの余興と言うには意気込みの度合いの大きい浦野がそう了承をし、千宗はキョトンとした不思議そうな表情をしていた。「どうして浦野さんが?」とか考えているのかも知れないが、いざ試合をするとなったら千宗に躊躇いなどないだろう。千宗とは良くも悪くもそう言う性格である。
「では、これから千宗と浦野の模擬試合を始める」
 目算では先取は浦野があっさりと決めるだろうと里曽辺は踏んでいる。
 そうして二度目。千宗がどうしてあっさりと先取をされたかについて自分なりに思慮を重ねながら、如何にして浦野と攻防を繰り広げれば良いのかを悩みに悩む。それでどう言った判断を千宗が下すのかを里曽辺は見ようと言うわけだった。
「高々一週間に渡り、Walkerから訓練を為されたぐらいで簡単に勝てるとは思わない方がいいですよ、千宗?」
「……行きます」
 浦野と試合をするのだと理解した千宗はその理由は分からないながら余計なことを考えない様にしたのだろう。ボソリと呟く様に……けれどもはっきりとした明瞭な言葉で身構え、戦う意志をそこに示して見せる。
 初めて千宗が里曽辺とこの場所で対峙した時と同様に開始の合図はなく、浦野・千宗の両者共にジリジリと小さな挙動で様子を窺い始めた。
 おおよそ千宗が対する相手としては、やりにくいことこの上ない相手のはずだった。
 里曽辺とは間合いの距離がどれほど開いているかによってある程度行動の予測を立てることが出来る相手だが、浦野はある一定の距離下であるのならどんな間合いからでも同様の攻撃を繰り出してくる相手だ。特定のリズムと言うものがなく、非常に動きを読みにくい。その分、里曽辺よりも攻撃に威力がなく、パターンが多彩と言う特徴がある。まして浦野の様なパターンを始めて相手にするのだから、千宗が感じる「やりにくさ」は相当なものになるはずだ。
 千宗が浦野の攻撃範囲外にいる間は、浦野はジリジリと千宗に対して距離を詰める挙動を見せていたが、実際にはほとんどその距離を詰めてはいない。人の動きを凌駕する千宗の俊敏な挙動に慣れるまで、物怖じをして先攻してもおかしくはないのだが、浦野はそんな様子を見せることもなく自身の戦い方のセオリー通り、迎撃の体制を整えている様だ。つまり瀬踏みはなし。ぶっつけ本番でどこまで千宗の攻撃を凌ぎきれるのか……と言うのが浦野の側の見所の様だ。
 この状況下で、浦野に対して千宗がどんな攻撃を仕掛けるのかを里曽辺は楽しみにしていたのだが、その千宗が取って見せたものは迎撃体勢を整える浦野へと安易に距離を詰めることだった。
 浦野はそれを予測していたかの様に前に出る。互いが距離を詰めたことでその対処に困ったのは、言うまでもなく千宗の方だった。千宗が繰り出そうと身構えた一撃は確かに浦野にヒットしていたが威力を殺された格好で、ではそこからどうしていいのかが千宗には咄嗟に判断が下せない。一週間と言う付け焼き刃ではそれもしようがないのだろうが、致命的だったのはその状況下で上半身へと撃ち込まれるだろう浦野の一撃に千宗が意識を持って行かれ過ぎたことだ。
 もちろん、浦野がそれを印象づける為に大袈裟な挙動を見せたから……と言うこともある。浦野はめり込む様に決まった千宗の脾腹への重い一撃に顔を顰めることもない。そこにある千宗の手首を握り取り、大きく振りかぶる。
 瞬間、浦野の足払いが千宗に決まり、パンッと綺麗な音がした。余程の好条件が調わないことにはこうすんなりとは行かないだろうぐらいの綺麗な足払いを浦野が決めてしまうと、先取は浦野が取ったに等しかった。
 体勢を立て直そうと歩調を乱す千宗に浦野が僅かにバランスを崩す為の攻撃を加え、軽く捻ってやるだけで千宗は仰向けの状態であっさりと床へと突っ伏したのだ。
 何が起こったのか理解していない表情をして、千宗は浦野の所得顔を見ていた。ハッと我に返った様に自身を床に押し付ける浦野の右手を握り取ったが、そこで先取をされたのだと千宗は理解した。
 所得顔のまますっと立ち上がる浦野はバッとその乱れた服装を正す。……最初の立ち位置に戻ろうと言うのだろう。浦野は千宗に背を向け里曽辺のいる方向へと足を向けながら、里曽辺に対してこう問い掛ける。
「千宗は実際のところどうなんです、本当に見所はありますか、里曽辺三等陸佐?」
 挑発と……そう千宗が受け取ってもおかしくはない言葉だった。本人の眼前で千宗を教える立場にある里曽辺へと見所があるのかどうかを尋ねるのだから。ただ……そこで一番困った顔をしたのは里曽辺に他ならない。
「全てはこれからと言ったところさ」
 そう確答を濁して、里曽辺は小さく首を傾げた。
「……」
 浦野の背中を鋭い目つきで見据えながら立ち上がった千宗がすっと構えを取ると、二回戦は一回戦目同様に合図もなしに始まった。浦野が千宗へと向き直ると、千宗はトンッと身軽な挙動で距離を詰め、そこには一回戦目とは異なる激しい打ち合いが展開された。


 いつもの通路を歩き、里曽辺は食堂に向かう途中のことだった。その通路の途中で壁にもたれ掛かる様に立つ浦野が目に映った。このブロックでは浦野を見掛けることがあまりないこともあって自然と目に付いた格好だったが、里曽辺が声を掛けるよりも早く浦野は里曽辺の姿を目に留め、顔を上げる。
「里曽辺三等陸佐」
「随分と神妙な顔をして一体なんだ?」
 神妙な顔だと里曽辺に言われたことで、ようやく自身がそんに表情をしているのだと理解したのだろう。浦野はくっと横を向き、いつもの表情を装ってから話を始めた。
「本来は私が言うべきことではないのですが、私には黙ったままでいることが苦痛でしようがない。だから里曽辺三等陸佐には私の口から話してしまおうと思います」
 浦野が珍しくもそんな調子だから否応なく里曽辺は身構える。その内容が身構えるに値するものなのかどうかも、先程の浦野の神妙な表情が示唆してしまっていたかの様だったから、それは尚更だった。そうして浦野がそれまで以上の真剣な顔をして見せるから、てっきり里曽辺はそこに本題が話されるのだと心の準備を整える。
「……私は里曽辺三等陸佐、あなたを心の底から尊敬している」
 里曽辺は思わず呆気に取られた。それを前置きの言葉の一つだったと理解するのには、実にかなりの時間を有したほどだ。けれどもそれは確かに、里曽辺の緊張にも似た身構えなんてものを和らげる効力を発揮した言葉だった。
「随分と持ち上げるじゃないか。その話の内容とやらはそんなに悪い知らせなのか?」
「千宗に、あなたが持つWalkerを冠させたい」
 間髪入れずに返った言葉は随分と唐突な内容ではあった。けれどもそれも里曽辺の予想の範疇から必ずしも逸脱しているものでもなかったのだ。だから里曽辺も驚きこそすれ、そこに怪訝な顔を見せることはない。
「……いずれその話をされると考えていたよ。俄には信じ難いことだが、俺が組織間の抑止力になっていたと言う話は時折されて来たことだからな。難儀なもんだな。人智を越える化物を必要とする社会というのは……」
 里曽辺が語尾を濁したことで、そこには思いも寄らぬ静寂が生まれた。浦野は黙り込んだまま里曽辺の答えを待つのに徹するらしく、その問いの答えが返るまでは雑談を交わすつもりはないらしかった。
「千宗で良いのか?」
 恐らくは端から千宗を後継にする為に教育を為してきただろうことを半ば理解しながら里曽辺は浦野に問い掛けた。
「今では私も、あれにしか……あなたの後を冠せる者などいないと考えていますよ」
「俺に教えられることは全て教えよう。……ただあれがどこまでの存在になれるのか、俺には予想が付かない」
 それを浦野の問いに対する取り敢えずの答えとして里曽辺は返した。「上手く話がまとまってくれた」と浦野は考えているらしい、ホッと胸を撫で下ろす仕草を垣間見せた。もしかすると、里曽辺が自身の後継など望んではいないことを浦野は理解していたのかも知れない。話が取り敢えずのまとまりを見せ安堵する浦野に対して、里曽辺は唐突に口を開いてこう質問をぶつける。
「……良心の呵責はないのか?」
 里曽辺へと向き直る浦野の表情に、いつもとは違う何かしらの変化を見て取ることは出来ない。表情と言うものを意識して消しているのかも知れないし、唐突なその質問も浦野に取ってはあらかた予測していた質問の一つなのかも知れない。
「仮初めにもまだ少女の域を出ない女を人殺しの道具として育て上げようとしているんだ」
「呵責……ですか」
 里曽辺の目をしっかりと見据えて、はっきりとその質問の意図を咀嚼する様な仕草を見せる浦野がこのまま返答を口にするのを待っていたとしても、予め用意されたかの様な模範解答を口にするだろうことを予測するのは難しいことではなかった。だから浦野が口を開くよりも早く、里曽辺は言葉を続ける。
「あれに何を施したのかを尋ねるつもりはない……が、それも含めた上での浦野の本心を聞きたいものだな?」
 浦野は開きかけた口を再度閉ざして、黙り込んだまま里曽辺を直視する。
「例えそれを聞いたところでどうしようもない、後戻りなど出来ない場所に自分が来てしまっていることを、理解出来ていないわけではないぞ?」
「ならば、それを私に問うてどうします?」
「ただの好奇心さ」
 里曽辺はあっけらかんと言って退けた。確かに神妙な顔付きを見せない里曽辺から、口にした以上の真意を読み取ることは出来なかった。表情には表さないながら返答には困っているのだろう浦野は、結局「私の本心など、いずれ簡単に推測出来る様になりますよ」と曖昧に答えを濁して、その問いをやり過ごした。そうして一つそこで言葉を句切ってから、里曽辺に対して全く同じ内容の問い難い質問を、僅かな躊躇いの後に里曽辺へと問い掛け直した。
「……里曽辺三等陸佐はどうなんです? 実際に教育を為す立場として良心の呵責はないんですか?」
 自身が困った問いの答えを里曽辺がどう切り返すのか。浦野はそれを見定めようとする鋭い目で里曽辺を捉えていたが、当の里曽辺は恐らくそんな質問が浦野から自身に向くだろうことを予測していたのだろう。
「本人が望まなかったのなら、上層部がなんと言おうと受けるつもりなどなかった。いや例え本人が望んだのだとしても、……その相手が感情や本心と言った類のものをまるで隠そうとしない千宗だったからこそ、俺は教育をしようと思ったのかも知れないな」
 その言葉は、千宗の教育依頼に際して里曽辺が自身に自問して導き出した答えと寸分違わぬものだった。
「はは、Walkerになりたいかと問えば、恐らく千宗は千宗自身の意志でWalkerになりたいと答えるでしょうからね」
 選択肢のない一本道を歩かされてきた千宗が、そこで選択肢を突き付けられてそれを選択した。例えその背後にプロフェッサーの思惑があって、千宗がそれを望む様に醸成されていたのだとしても、あの場で千宗が見せた望みは真意だったはずだ。少なくとも里曽辺にはそう見えた。だからこそ、里曽辺は千宗の教育依頼を引き受けたのだ。例え千宗の望みが旺盛な好奇心と負けん気から来ているだけの深い意図のないものだったとしても、千宗は確かに力を望んだのだ。そして良いも悪いも千宗が望んだ「力」はこの組織の中で、嘱望される千宗自身の将来の姿に合致する。
「……いずれ、後悔をする時が来るかも知れない。それでも俺や浦野が属するこの組織の中で生きていかなければならないのなら、千宗に取って能力を向上させて行くことは望むべくことになるだろう」
「……まるで後悔をしているかの様な物言いですね、里曽辺三等陸佐?」
 その言葉を目の当たりにした浦野は笑みの表情から一転、顔付きを険しいものへと変えていた。だから、里曽辺は自身がどんな表情をしてその言葉を口にしていたのかを理解する。
「そう聞こえたか?」
 どうしてか、……里曽辺は溜息を吐き出す様に自嘲気味の笑みを零して浦野に問い掛けた。そんなことは問うまでもないことだと言うにも拘わらずだ。まだ、立ち止まって自らを振り返ってはならぬ存在である以上、里曽辺に後悔なんてものがあってはならない。
「俺は千宗の様に、何かを為され人智を越える化物になるべく生み出されたわけじゃない。Walkerと呼ばれる様な存在になったことには考え至ることもある。それが後悔と呼べるものなのかどうかは俺自身にも解らないがな」
 正確な言葉で表現することをせず、里曽辺はそれを「考え至ること」と曖昧に濁し、浦野の問いの答えとした。
「……」
 浦野は暫く里曽辺を複雑な表情で直視していたが、里曽辺が「浦野」と唐突に呼び掛けたのをきっかけに、いつもの調子へと立ち返った。
「はい、なんでしょうか?」
 里曽辺も浦野同様、表情から自嘲の笑みを掻き消し、いつもの調子を装った。浦野へと向き直った時には既にそれは完璧な装いとなっていた。そこには「立ち止まることのない者」がある。
「二人分、銃が必要だ」
「……銃ですか?」
 唐突な要求に浦野は僅かに驚いた表情を見せたが「どうして?」と聞き返す言葉が返らないのだから、その理由は簡単に理解してしまったのだろう。
「一丁は45ACPクラスのものならどんなものでも構わない。もう一丁は、あれに見合うものを探さなければならないからな。……出来得る限りの種類を集めて貰えると助かる。その中から扱うべき一丁を探し出す」


 施設内はブロックと呼ばれる独自の基準で分けられているのだが、そのブロック間のほとんどには仕切と言った様なものはない。そう言うのもブロックにはそれぞれに名前が付いていて、医療ブロックや外来者用のロビーブロックなどの分類でブロック間に仕切を設ける必要がないからなのだが、浦野に案内されて始めて足を踏み入れたそのブロックには仕切と言うものが存在していた。
 それもそれは簡単に「仕切」と表現して終わる様なものではなかった。堅く閉ざされた分厚い金属製の扉は高さが三メートルはあろうかと言うほどに巨大なもので、横幅にしても戦車一台ぐらいならここを通過出来る幅がある。それを目の当たりにして、里曽辺は驚愕の表情を見せていた。
 その横にはコンソールが存在していて、暗合ないし指紋ないしを入力しないとこの金属製の扉は開かない仕組みになっているらしい。浦野が歩み寄ってコンソールへと触れると、コンソールはピピッと音を立てて反応をした。どうやら暗合ないし指紋ないしを入力可能な状態になったらしいが、その近代的な電子制御式の扉に里曽辺の表情は未だ優れない。
 浦野が手慣れた操作で暗証番号を入力するのを里曽辺は横目に見ながら、ここまで厳重に管理しなければならないこの扉の向こう側に存在するものに対して顔を顰めていた。もちろん「銃が必要だ」と言ってここに案内されて来たのだから、この扉の向こう側に銃が存在するのは確かだろう。しかし、ここまで厳重な管理を目の当たりにしてこの扉の向こうにあるものがそれだけだと思えないのも事実だった。
「……随分と近代的な設備だな?」
 浦野は里曽辺へと一度向き直った後、「指紋認証」と赤い文字の浮かぶコンソールへと再度視線を戻し、小さな液晶画面に親指を押し付けながら、話し始める。
「そうですね。始めてここに着任する人間の大半が最初は左遷されてここに来たと思うようですが、これらの設備を目の当たりにすると大体が驚きますね」
 取り分け、里曽辺は眼前にあるこのブロックについて言ったのだったが、浦野はそれをこの施設全体についての言葉と理解したらしい。そんな会話を交わしている間に画面には「認証完了」の文字が浮かび、ガシュッ……ガキンッと施錠の外れる音がした。
「いくつかの有名な施設を除いては、ここまで立派なものをそうお目に掛かることはありませんからね。はは……どこの組織にでも機密と言うものは存在すると言うことです」
 鉄製の扉は中央から割れる様にゆっくりと開き始め、見る間にその開閉の速度を上げて行く。油圧式なのだろう金属の摩擦音もなく静かに開いた扉の向こう側にはこちら側と大差のない通路が続いているだけだった。そこに不自然さを感じるとするなら「一体この施設はどれだけの面積を持っているのか?」と疑問に思うほど長い廊下が続いていることだろうか。
 ふと里曽辺はこの施設の外に出て、この施設の全貌を把握したことがないことを思い出した。しかしこの施設そのものがどこに位置するのかを知っていて、里曽辺は常々不思議に思っていたことを浦野へ問おうと口を開いた。
「……一つ聞いて置きたいと常々思っていたことがあるんだが、今聞いても構わないか?」
「なんでしょう、里曽辺三等陸佐?」
 浦野は未だコンソールを弄りながら何か重要な後処理でもあるのだろう。里曽辺へと向き直ることもなく、口を開く。
「こんな辺境にこれだけの規模の駐在施設があると言うのはもちろん初耳なんだが、あまり他言しない方が良いのか?」
「そうですね。……お解りかとは思いますし、別段それが強制というわけではないですがあまり他言しない方が懸命かと思います」
 浦野の口調自体には変化を見て取ることは出来なかった。けれども里曽辺が「了解した」とだけ簡潔に返事をしたのは、そこに「問うまでもないことです」と言った強い雰囲気が漂ったからだ。
「アクセス権限者の変更により一部仕様を変更致します。本当に宜しいですか?」
 不意に響いた無機質な声はコンソールから発せられた浦野に適否を問うものだった。浦野は最後にタンッと液晶パネルに触れると里曽辺へと向き直り、この鉄製の扉を始めとした事情の説明を始める。
「ここのロックは里曽辺三等陸佐のデータが中央の管理サーバーに登録されるまで外して置きます。この階層のさらに地下に射撃演習場もありますので、千宗の射撃訓練はそちらで行うのが良いと思います。武器庫にある弾丸の使用に関してですが、おおよその使用弾数量を事後報告で構いませんのでお願いします」
 それは里曽辺が思っていたよりも遙かに制限を受けない内容だった。浦野が里曽辺に信用を置いて、かなりの面倒を取っ払ってくれた可能性は否定出来ないながら、千宗の教育に際していちいち浦野にこの鉄製の扉の開閉をして貰わなくて済むというのは、機械音痴気味の里曽辺に取っては願ってもないことだ。
「了解した」
「それでは、こちらです」
 浦野の案内で入室した部屋はそう広さのない部屋で、机が部屋の隅に一つあるだけの簡素な部屋だった。机は様々な部品か何かを整理して置く為の窪みだろう、大小入り混じる窪みが複数鏤められた特殊用途に特化したものだった。
 里曽辺が机に目を落としている間に浦野はその部屋の壁際へと寄って行き、胸ポケットからキーを取り出す。壁には黒い円柱形の突起の様なものがあり、次の浦野の動作でそれが鍵穴を隠すキャップだと理解した。三つある鍵穴全てのロックを外すと、浦野は鉄製の壁に付けられた取っ手を力一杯に引き、室内にはガアアァァァとレールのスライド音が響いて、数十〜数百はあるだろうか、ハンドガンが並べ揃えられた棚が姿を現した。
「……良くもまぁ、これだけのものを集めたもんだな」
 呆気に取られた顔付きもそこそこに、里曽辺は視線を走らせてその並べ揃えられた拳銃群を物色していたが目的のものを見付けたのだろう。その中から一丁のハンドガンを手に取る。
「普通に流通しているものは大体揃えられているでしょうかね。……まぁさすがにショートレイルやブレンテンと言った様な銃はここにはありませんが、千宗に見合うものを探すと言う目的には十分な種類が取り揃えられているはずです」
「確かに、十分どころか満足の行くレベルだ」
 里曽辺は手に取ったハンドガンを入念に確認しながら、浦野に顔を向けることなくそう対応をする。遠目にそんな里曽辺の動作を見ていた浦野だったが、唐突に口を開いて里曽辺へと問い掛けた。
「……ガバメント、弾は……やはり45ACPですか?」
「これ以上の口径の銃は肌に合わなくてな。それに余計なカスタムが為されていないシンプルなものが好きなんだ」
 里曽辺の対応に浦野は「里曽辺らしい」と思ったのか、小さく含み笑いをすると続ける言葉でこう問い掛ける。
「50AEなら、上手くやれば車を吹き飛ばせますよ?」
 別段、大口径のハンドガンに思い入れがあるわけではないのだろうが、浦野独自の世間話と言ったところだろうか。どうやら浦野は手持ち無沙汰らしい。実質、里曽辺の入念なハンドガンチェックの間、浦野がするべきことは何もないのだ。
「そんなものを破壊する目的があるなら、端から別の武器を使うさ」
 里曽辺の応対を、浦野は銃が格納してある棚の鍵を指で弄びながら聞いていたが、態度にいつもの堅苦しさを戻すと、たった思い出したかの様に里曽辺に尋ねる。
「ハンドガン以外の銃もありますがご覧になりますか?」
「いや、それは千宗にハンドガンを扱う才能がなかった時に考える」
 里曽辺はあらかためぼしい銃のチェックを終えたらしく、すっくと立ち上がると一つ一つ拳銃群の中から千宗向きのハンドガンを抜いていく。
「さて……と、ある程度は見繕ってやらなければならないわけだが……。ザウエルに、グロッグに……」
 浦野は不意に考え込む仕草を取って見せると、一体何を思ったか……こう里曽辺に進言をする。
「撃ち放つと言うだけならあまり千宗を過小評価しない方が良いと思いますよ、里曽辺三等陸佐。まぁ……目標に命中するかどうかは別の話ですが……」
 意味深げな発言とも取れる浦野の言葉に、思わず里曽辺はハンドガンを選別する動作を中断して浦野に向き直ったほどだった。けれどもそこに浦野がそれ以上何かしらの言葉を里曽辺に向けることはなかった。
 浦野は黙ったままではあったのだが、まるで「その進言に深い意味はありません」と口にしているかの様な目をしていた。そうして里曽辺が再度ハンドガンの選別の為に棚へと視線を戻そうとすると、それを浦野が「里曽辺三等陸佐」と呼び止めた。その呼び掛けに里曽辺が顔を上げると、ちょうど浦野がこのハンドガンを並べ揃えた棚の鍵を里曽辺へと放るところだった。里曽辺は半ば訝しげな表情をしてそいつを受け取ったが、すぐに鍵を放った理由が浦野の口から話される。
「千宗にここに来る様に言っておきます。射撃演習場はここを出て直ぐの右手の階段を下ったところにあります。……それでは私にも片付けなければならない仕事がありますので失礼致します」
 浦野の言葉通り、千宗は里曽辺がハンドガンを適当に見繕っている内にこの部屋へとやってきた。その千宗を引き連れて射撃演習場へ続くと思しき階段を下ると、それはすぐに眼前に広がった。
 センサーが常備されている様で、里曽辺が足を踏み入れた瞬間に蛍光灯が灯る。十数人が同時に射撃演習を出来る広大さもさることながら、それよりも特筆すべき点は的を機械制御で新規のものへと瞬時に取り替えることなどが出来るコンソール付きのシステムだろう。
 里曽辺はマガジンに弾の入っていない拳銃群をコンソール脇のテーブルへとばらまくと、千宗に手招きのジェスチャーをする。まずはマガジンへと弾丸を込めるやり方から教えなければならないからだ。
「これから銃を使用するに当たって基本的なことをお前に教えていく」
 小さく頷いて見せた千宗に、里曽辺は一通りのやり方を千宗の眼前で実際にやって見せる。マガジンの外し方に、セーフティの解除。マガジンへと弾丸の装填の仕方をやって見せて、セット……そして遊底を引き身構える。まずはそこまでの手順を想定していたのだが里曽辺は片手で的を狙い、そして引き金を引いた。
 ドゴオオォォンッッとガバメントは銃声を響かせ、的には弾丸がヒットしたことを示す穴が生まれる。それは一丁ごとに異なる銃の癖について、そのガバメントがどんな癖を持っているのかを把握して置きたかったからなのだが、ことのほかそいつは里曽辺の言うことを聞き、狙撃目標地点から僅かに右に逸れたに過ぎない程度の癖を持っていただけだった。
「……とまあ、実戦して見せるとこんな具合だ。まずはこれが良いと思う銃で狙うところまでやってみろ」
 里曽辺はゴトッと45ACPガバメントを机の上に置き、その場を離れた。
「里曽辺三等陸佐はいつもどれを使っているの?」
 千宗は銃を手に取る段階で何を思ったか、選ぶその手を止めると里曽辺へと向き直りそう質問をした。目前に置かれた様々な種類の銃の善し悪しについて先入観のない千宗が、里曽辺の使用しているものを最初に扱ってみようと思うのも自然の成り行きだっただろう。
「俺か? 一番右端に置いたさっきの銃だ、ガバメントと言う」
「これ?」
 里曽辺は同じガバメントで、45ACPよりも口径が小さく反動のないものを千宗に手渡そうと脇のテーブルにズラリと雑多に並べたハンドガンに視線を落とし、そして千宗の確認に答えることをしなかった。
 そうして視線を上げた里曽辺に飛び込んできた光景は、今まさに45ACPガバメントを身構え撃ち放とうとする千宗の姿だった。それも里曽辺がやった様に片手で構えて的を狙う。体格的に見て、千宗がそれを出来るとは思えないポーズで……だった。
「……オイッッ!!」
 思わず里曽辺は声をあげる。引き金を引く指に力を込める千宗に制止の言葉を掛けても、もう間に合わないと踏んだ里曽辺は続く言葉の内容を咄嗟に切り換え、こう注意を促す。
「きちんと構えろッ、お前が思っているほど容易く扱える道具ではないぞッ!!」
 里曽辺の言葉が言下の内に銃声は響き渡って、ドゴオオォォンッッと言う音と連動して千宗がその反動で仰け反った。
「わわ、わわッッ!!」
 里曽辺がやって見せた中では反動があることを理解出来なかったのだろうか。千宗は派手に一歩二歩と反動から後退し、かなり驚いた表情をして、手の中のガバメントに視線を落とす。
「お前のその細い腕で、それもいきなり45口径のガバメントなど撃とうと考えるからだ」
「……ふわー……」
 未だ呆気に取られた様な表情をする千宗に、里曽辺はテーブルの上からグロッグを拾い上げる。
「ほら……グロックだ、こいつを使ってみろ」
 バレル部を手に持ちグリップを差し出す形でグロックを薦めたが、千宗は一度里曽辺へと視線を向けただけで手にしたガバメントに再度視線を落とすと、グロックに手を伸ばそうとはしなかった。
「弾丸は九ミリパラベラム、バレルも短く反動が小さい。お前でも扱えるだろう」
 その言い方が負けん気の強い千宗に火を付けたわけではないのだろうが、千宗はその勧めをやんわりと拒否する。上目遣いの、本来ならねだる様に要求をするその目に鋭く意志の強い懇願を込めて千宗は里曽辺に訴える。
「もう何発か……これで撃ってみたい、撃たせてよ」
 千宗は試合や里曽辺との訓練の際に見せる様に「熱」が入ってしまっている様だった。それを説得するのにはかなりの時間を有すると踏んだ里曽辺はその訴えを聞き入れることにする。いずれそいつを振り回すことが厳しいと悟るだろうと、里曽辺は考えたのだ。
「別に構わないが最初の内はもっと脇を締めて肩を痛めない様にしろ」
 見るからに初心者である千宗が大口径の銃の威力に惚れ込むのは理解出来るがそれもすぐに諦めるだろうと、里曽辺は高を括っていた。けれどもことのほか、千宗は辛抱強く狙いを定めてガバメントの引き金を引き続けていた。
 45ACPガバメントのマガジンを入れ替える。それも五度目の動作になろうかと言う頃、……千宗は黙々と遊底を引き、両手で身構えてそれを撃ち放って行く。ほとんど的には当たっていなかった弾丸がポツリポツリと的に当たり始めて、里曽辺はその目を凝らした。
 千宗はほとんど45ACPガバメントを撃った際の反動に身体を仰け反らせる様なこともなくなって来ていて、そればかりか構えた腕が少々ぶれる程度まで反動を殺せる様になってきていた。その細い千宗の腕でそんなことが簡単に、それもこんな短時間に出来るはずがない。里曽辺は先入観からその目を疑って、そして意図せず千宗を呼び止めていた。
「ストップだッ!」
 千宗はそれが自分に向けられた言葉だとすぐに判断した。身構えた格好のまま撃つのを止め里曽辺の方へと向き直ったが、当の里曽辺は千宗を制止したは良いが何かしら向けるべき言葉を用意していない。だから、里曽辺は簡素なパイプ椅子から立ち上がると無言のままで歩き始めた。
「里曽辺三等陸佐?」
 千宗は「どうしたの?」と言う具合にキョトンとした顔をしていたが、身構えた格好のまま微動だにしない。
「今まで銃を扱った経験はあるのか?」
「ううん、ないよ、始めて」
 千宗は里曽辺の質問に即答し、さらに里曽辺の表情を驚きの度合いが甚だしいものに変える。
「45口径を軽く撃ってみてどう思った?」
「凄い衝撃だったよ、なかなか身体をその衝撃に合わせるのが大変だったもん」
 千宗は得意顔をしながら、里曽辺には理解が難しい自分の言葉を使って感想を話し始めた。里曽辺はすぐに「問い方を間違った」と一つ溜息を吐いたが、すぐに千宗に向かってこう言葉を続ける。
「……引き金を引いていた方の腕を見せてみろ」
「はい」
 千宗はガバメントをテーブルの上へと丁寧に置くと、投げ出す様に里曽辺に対して腕を差し出した。千宗が差し出した腕は、何の変哲もない年相応の腕だった。細くしなやかな腕をそのままに、触感もプニョンプニョンとした柔らかさがあり、そこに衝撃に耐えうる量の筋肉があるとは考えられない。到底ガバメント、それも45口径の反動を押し殺せる様には見えないのだ。
「どうかした?」
 千宗は不思議そうな顔をして、自分の腕をマジマジと確認する里曽辺に問い掛ける。
「いや、……もう良い、ガバメントが気に入ったならそれで確実に的を狙える様にすることだ」
「はい、里曽辺三等陸佐」
 小気味が良いほどの明瞭な返事をして、千宗は再度その目に鋭さを灯した。


 訓練の終了を告げると「またこの後、浦野さんに扱かれるんだよー。あっちの方がきついから浦野さんに里曽辺三等陸佐から何とか免除する様に話をつけて欲しい」とか何とか、千宗はぼやきとも本音とも取れる言葉を残して食堂に向かった様だった。
 そんな千宗から遅れること一時間。おおよその使用弾丸量を計算し、千宗の手に握られることもなかったグロッグやザウエルを棚に戻して里曽辺も食堂へと足を向けた。その途中のこと。このブロックの仕切となる金属製の扉に寄り掛かる様にプロフェッサーが立っていて里曽辺は小さく会釈をする。里曽辺には浦野に聞いて置きたいこともあったので、その会釈だけでプロフェッサーの横を通り過ぎようとしたのだが、プロフェッサーからは里曽辺へと呼び止める様に言葉が向いた。
「里曽辺君、あの娘に銃の扱い方を教えて欲しいと頼んだ覚えはないんだがね」
 それは咎める様なものではなかったにせよ、「どうしてなのか?」とその理由を尋ねる強い調子がある。「格闘能力面の充実を最優先に……」と条件をつけたことと何か関係でもあるのかと勘繰ったが、余計な詮索をすることをせず里曽辺はその理由をこう明確に口にした。
「仮初めでも「Walker」の名前を引き継ぎ冠するんだ、銃ぐらい自分の腕の様に扱って貰わなければ困る」
 プロフェッサーは「なるほど」と合点が行った様に頷くと、しかしその里曽辺の言葉に驚いた風はなかった。どこから千宗が次のWalkerを冠すると言う話が里曽辺へと伝わったのだとしても、そんなことはさして問題視はしていないらしい。
「ふむ……、しかし正直なところあれは銃の扱いにはまるで向いていないと儂は思ったんだがね」
 小さく頷く様な仕草を見せたプロフェッサーは不意にそう言葉を続けた。「Walkerを冠する者だから」と言う理由自体には、プロフェッサーに異存を挟むつもりはないらしい。
「里曽辺君が教え込む気になったと言うことは見込みありと考えても良いと言うことなのかね?」
「……それ相応の結果は残してくれましたよ。今日だけで二十センチ円の中には間違いなく集弾出来る様にはなった」
 里曽辺に取って「見込みがあるかどうか?」と言う問いは非常に確答することの難しい問いであった。実質、千宗の射撃能力について里曽辺はそこまで高い評価を下せないでいる。
 確かに銃の衝撃などへの「慣れ」と言う点に関しては常人を凌駕する適応性を持っていた。けれどもこと集弾能力と言う話になれば、里曽辺はそこにいくつかの疑問符を投げ掛けることが出来た。
「そうか、里曽辺君。二十センチ円に撃ち込めるとは十分な能力を持っていると言うことだよ。嬉しいねぇ」
 けれどもそこに返るプロフェッサーの対応と言うものは、里曽辺が想像していたものとは懸け離れた喝采にも似る賞賛の言葉だった。それが千宗の射撃に関してプロフェッサーの期待の低さが露呈された言葉だったのか、それともプロフェッサーが射撃に関する知識を持たない故の言葉なのかが里曽辺には判断ではなかった。
「俺の見解を包み隠さず述べさせてもらえば、正直……体格的に45ACPをあんな具合に扱える見込みはないと思ったんですがね。本人曰く、……反動にさえ慣れてしまえば問題はないと言って来ました」
 千宗が千宗自身の感覚を言葉にした「反動に慣れる」と言うものが何か特別な意味を持つ言葉なのかと勘繰って、里曽辺はプロフェッサーにそいつをぶつけてみたのだが、そこに里曽辺の望む答えの様なものが返ることはなかった。
「銃が扱えるなら扱えるに越したことはないのだ。だがその命中率が低く、残弾に常に制限されていてはならない。里曽辺君のその拘りを理解出来ないわけではないが出来得る限り今の千宗には格闘能力面を優先させてもらいたいのだよ」
 そしてまたプロフェッサーが口にする要求。前回同様そこに強制を暗示する強い調子はなく、あくまで判断を里曽辺に全て委任した上での「出来ることならば」と言う望みに過ぎないことを示していた。
「平行して銃の扱いに慣れさせていくのには儂としても何も異存はない。様々な戦い方を展開出来、また里曽辺君の様にどんな状況でも対応の利く臨機応変さをあの千宗が手に出来るのなら、それは願ってもないことなのだから」
 プロフェッサーがそこに妥結点を模索する気がなく、またそれが強制力を持たない以上、ここでそのやり取りを続けることにさしたる意味はなかった。だから里曽辺は「……解りました、最大限に善処しますよ」とだけ言葉を残し、その場から立ち去ることを選択した。
 千宗に対してハンドガンに留まらない自動小銃やライフルと言ったものの扱いを同時に考え始めた里曽辺には、ここでのプロフェッサーの会話よりも浦野と会うことの方が重要性を持っていたからだ。ハンドガンで反動に慣れて見せた千宗は確かに、かなりのばらつきを見せながらではあるが二十センチ円の中には何とか集弾出来る様になったのだ。
 同じ様にその円を狭めて、より精巧なライフルを扱わせた場合の慣れはどうなのか。またより反動が強いながら威力の強力な自動小銃の場合での慣れはどうなのか。千宗に関して里曽辺は様々な可能性の模索を始めていたのだ。まだ里曽辺は千宗に関するそう言った特徴を完全に掌握出来ていないと言う思いがあった。


Seen03 離反
 タンッと千宗の握るライフルが銃声を響かせた。千宗は俯せになる格好でライフルを構え標的を狙ったのだが、その弾丸がハンドガンの時と同様に的へと命中することはなかった。千宗はこれで五ダース近くあったライフル弾を全て使い果たした格好だ。珍しくもプロフェッサーが「銃の才能について実際にこの目にしてみたい」と要望を述べ、この訓練の場に居合わせる中、千宗は千宗自身でライフルを扱い切れるだけの才能がないことを証明した様なものだった。
「無理、……こんなの狙えないよ!!」
 狙い自体は悪くはない。実質、風向きだとか言った具合の障害がなければ、ハンドガン同様に二十センチ円中には集弾出来るのだ。……しかし言うなれば、より精密且つ確実に的を捉えることが要求されるライフルに関して、それらを修正することが出来ないと言うことは「才能がない」と結論付けられてもしようのないマイナス点であった。
「……結果は見ての通りと言うわけか」
 泣き言を言う千宗に追い打ちを掛ける風にプロフェッサーは溜息を吐き、そう感想を述べた。里曽辺も大体がプロフェッサーと同様の感想を持っていた。
 これからも訓練をし続ければ伸びるのかも知れないが、ことそれは今要求されているには合致しないものだ。今日になってプロフェッサーは里曽辺に対し、もう一つ要求を突き付けた。それは才能のあるものを伸ばし、出来るだけ早急にどれか一つでも実践力として使えるレベルに仕上げて欲しいと言う内容の要求だ。
「ハンドガンの様な、ほぼ一定のパターンを持った反動には本人曰く簡単に慣れることが出来るらしいが、ことスナイパーライフルなど周囲の影響を大きく受けるものに関しては才能がない…か」
「はははは……、そうだな、まるっきり才能がない」
「……うぅ」
 声高々に笑うプロフェッサーに対して、自分が情けないのだろう。千宗は複雑な表情をしながら呻く様な声をあげていた。表情には悔しさと言った様なものも明瞭に現れていて、負けん気の強さが表だって出て来た格好だ。
「まぁハンドガンに関して扱えると言うことが解っただけで十二分に収穫だったよ。なにせ始めは射撃に関する能力などないと思っていたからね」
 プロフェッサーはポンポンと里曽辺の肩を叩くとこの場での用事は済んだと言わないばかり、射撃演習場を後にした。ガサッと不意に音がして、プロフェッサーの背中を目で追った里曽辺に飛び込んで来た光景は、プロフェッサーがコンソールの上へと紙切れを一枚置いていく現場だった。
「後で目を通して置いて欲しい。やはり儂の睨んだ通りでな、……予定よりも早く千宗の成果を形で示せと言う浅はかな連中が出て来たのだよ、里曽辺君」
 プロフェッサーは小さく後ろ手に手を振るポーズを見せると、里曽辺へと振り返ることもなく射撃演習場を後にした。
 取り敢えずの射撃訓練を終え、千宗に医療ブロックに行き休憩を取る様に言うと、里曽辺はプロフェッサーが置いていった書類を手に取り、その文面を読み飛ばす様に視線を走らせた。誰の調印もない発行場所の不明瞭な一枚の書類ながら、複数個殴り書きされたサインのいくつかに見覚えがあって、里曽辺は目を留めた。内容よりもまずどこから発行されたものなのかを確認する自身の癖に苦笑いを零しながら、里曽辺はその内容に視点を戻す。
 不意に射撃演習場に入ってくる靴音を耳にして、里曽辺は慌ててその顔をあげる。
「こうして顔を合わせるのは初めて……と言うことになるのかな、里曽辺三等陸佐?」
 里曽辺は一度自分の目を疑った後で、書類のサインに再度視線を落とした。確かにその人物の名前はそこに連なっていて、やもするとこうやって目の前に姿を現してもおかしくはないのだった。
 年齢だけで見るならば、そいつは里曽辺よりも一回りは若い。けれどもその手腕に関して周囲からは絶大な評価を受ける人物で、そして里曽辺よりも高い位に付く幹部候補生である。いや、幹部候補どころか実質幹部と同等の権限は持ち合わせているだろう。なぜならば里曽辺は良いも悪いも様々な噂を耳にしているのだから。
「私は……、同じ組織に属しているのだから知っていると思うが、名護谷と言う」
 立ち居振る舞いに滲む威圧感は相当なものだった。もちろん名護谷には里曽辺に対する敵意なんてものはない。それにも関わらず里曽辺にすらそれを理解させる強烈な威圧感なんてものをまとっているのだから、上層で人の指揮を執る器を生まれながらに備えていると言われても仕方がないのだろう。
「おっと……ここで私に敬語を使う必要はない。見ての通り、ここに来ているのはただの私用であり襟元に階級章が付いているわけでもないからな」
 名護谷は確かに私服姿をしていた。私服と言ってもラフな格好ではなく、スーツに袖を通した正装にも似る装いだ。しかしながら「畏まるな」とは、里曽辺には無理な話でもある。こうして顔を合わせることがまずないにせよ、下手をすると直属の上司と面通しをしているのと同じなのだから……だ。
「書類には目を通して……。あぁ、今……目を通して貰っている最中か。」
 名護谷は里曽辺に「続けて目を通してくれ」と言うジェスチャーを見せると、射撃演習場の立ち位置へと足を向けた。そうしてスーツの胸元からガバメントを取り出すと的に照準を合わせて撃ち放つ。ドガッドガッドガッ……と、フルオートのガバメントのマガジン一つ分を全て撃ち放って、名護谷は里曽辺に対して口を開いた。
「実際その期日までに千宗にWalkerとして一定の結果が残せる様にして貰いたい」
 カンッとマガジンが床に落ちる音がした。名護谷はすぐにマガジンを入れ替え、再度的へと照準を合わせると、躊躇うことなく引き金を引いた。それは年月がものを言う完成された動作だった。実際、名護谷の弾丸は確実に標的を捉えていて、やもすると一度着弾で開けた穴を、再度通したものもあったかも知れない。
「もちろん、この期日までに里曽辺三等陸佐が長年に渡り積み上げて来たWalkerとしての経験のほとんどを千宗に教えるなんてことが出来ないのは百も承知で、今後とも継続して教育はして貰いたいのだが……、如何せん……お偉方と言うのは目先の結果というものに拘る能のない連中ばかりで、一つ成果を目に見える形で示さないと納得しないんだ」
 名護谷は顎をしゃくって自身が撃ち抜いた標的を指して見せた。そこに「こんな具合にな」と言う言葉を形にして示し出したわけだった。全ては千宗次第と言う状況下の里曽辺には「善処します」と言葉を返すのが精々だった。


 千宗にはライフルを扱わせない方針を決めた里曽辺が、それを格納庫に戻し射撃演習場へと戻る途中のことだった。里曽辺は不意に聞き覚えのある声を耳にしてその足を止めた。ライフルの格納庫がハンドガンのものとは別の場所に位置していることから、里曽辺は普段は訪れることのない電子制御の扉で隔絶されたブロックの奥まった場所へと来ていたのだ。
 ……それはプロフェッサーの声であったのだが、この周辺には会議室は存在しないはずで、またプロフェッサーが普段籠もっている研究室関連の部屋があるわけでもない。
 浦野がこの電子制御の鉄製扉で隔絶されたブロックについて詳細な説明をしていないので、実際には里曽辺もこのブロックの全てを把握しているわけではない。浦野はこのブロックについて「地下演習場に格納庫を始めとした武器の管理に、重要なゲストの為の寝室があるブロック」だと里曽辺には説明をしていた。
 説明を鵜呑みにするのなら、プロフェッサーは誰か重要なゲストとの会談の最中か何かと言うことになり、だからこそ里曽辺は歩き出さねばならぬその足を制止させ、その声に耳を澄ませたのだった。
 このブロックが人の出入りのないブロックであることも、里曽辺のその本来は許されぬ盗み聞きをしようと言う魔を助長した。周囲には人影を窺うことは出来ず、里曽辺は止めた足の踏み出すタイミングを計れない。
「彼女は、……いやあれに性別などないのだから、そう差別化するのはおかしな話なのだが、ふむ……見た目通りの三人称ならばやはり彼女となるのかだろうかね?」
 誰を前にしてもそう態度を変えることはないのだろう。プロフェッサーの言葉付きは里曽辺に対するそれと大差はないものだった。ただそこに重要な会談を設けている雰囲気はなく、やもするとそれは雑談でも交わしているかの様だった。
「三人称など今はどうでも良いことでしょう。……それでどうなんです?」
 もう一人の声は里曽辺には聞き覚えのないものだった。プロフェッサーに対して強い非難を込めた口調と声色で、はっきりとは判断出来ないながら、年齢的には高齢のものではない。どちらかと言えば若々しいものだろうか。
「はは、一体君ともあろう者が何を焦っているんだ?」
 気付けば物音一つないこの廊下はドアを一つ挟んだ部屋での会話を明瞭に聞き取れる場所になってしまっていた。恐らく防音装備などないのだろう。耳を澄ませばコォォォォ……と言った具合の微かな室内空調の音さえ聞き取れる。
「まぁ……いいか。そうだな、肉体的なことを言えば不死身に近い存在だ」
 直感的に「不死身に近い存在」という言葉が千宗を指してのものだと里曽辺は理解した。否応なく里曽辺の聴覚は研ぎ澄まされる。そう直感してしまったことで、プロフェッサーから話される内容が里曽辺自身にも全く関係のないことと言うわけには行かなくなったからだ。
「どんな口径の銃であっても殺せはしないし、複数人に自動小銃で蜂の巣にされたとしてもまずくたばることはない。何せ戦車砲の直撃でもくたばらないんだ。まぁ復元に多少の時間は掛かったがね。……そこいら辺のものでは殺せない」
 一瞬、里曽辺は自身の耳を疑ったのだが、話の内容を聞き間違うはずはない。……僅かな雑音さえも混ざることなく、彼らによって交わされる話の内容は里曽辺の聴覚に明瞭に聞き捉えられているのだからだ。
 驚きは隠せなかった。けれどもそこに理解を示しているもう一人の里曽辺も確かにそこには存在していた。
「ただ精神攻撃と言うのかね。何だその……調査室にいる、あー……名前が思い出せないが、新しく室長になった彼の様な術と呼ばれるものを扱う人間が相手だと圧倒的に不利だと言うことが判明している。後はそうだな、……各所各所に与えるダメージでは殺すことは出来ないが、瞬時に人間を灰にする様な高温などでは人と同様、殺すことが出来る」
 千宗のマイナス材料を口にするプロフェッサーに、聞き覚えのない声の男は苛立ちを隠せない様にこう口を切る。
「それは……対軍隊用兵器にしかならないと言うことですか?」
 わざわざそこに対軍隊用と言葉を用いたことに、すんなりと行かない引っかかりを里曽辺は感じた。千宗がどんな能力を持っていようとも、窮極的には安全を保つための……直接及び間接の侵略に対する防衛組織の一員であるのだ。では、想定としてそこに対軍隊以上の何が存在しているというのか?
「ふむ、どうだろうな? それにもう一つのマイナス材料が成功率の低さだ。ゼロコンマでは到底、実用化の目処とは言えんだろう?」
 プロフェッサーは明確な返答を避けて、そう新たに問題点を口にした。そうすることで、まるで自身が携わっている千宗と言う存在はまだまだ改良の余地があると言う科白を暗に、そしてはっきりと言い表したかの様だ。
「……生殖の可能性は?」
「ははは……まさか。性別がないと始めに言わなかったかね?」
 苛立ちを隠さない男の言葉に、プロフェッサーは「落ち着きなさい」と言った意味合いを含めながら返答をした。明らかにその場には険悪に近い雰囲気が漂い始めていたのだが、プロフェッサーがそれを意に介している様子はなかった。そうして水を得た魚の様に、その問いに対する見解を楽しそうに語り始める。
「元々こいつは異種交配で誕生した様な代物だ。自然の摂理に従ったかどうかは知らないが、生殖機能を持ってはいないのだよ。まぁ、人体の形を精巧に模すことが出来るのだから行為の真似事ぐらいは出来るだろうがな」
 聞き覚えのない声の男は一体どんな表情をして、そのプロフェッサーの見解を聞いているのだろうか。
「……それでももし増やすと言うのなら、クローニングが妥当なところだが現行のクローニング技術が通用するのかと言うとまた別の話になってくる」
「要は、私が望むものとしては失敗……と言うわけですか」
 恐らく何かしら言葉をぶつけなければ、まだまだプロフェッサーの見解は続いただろう。「どうしてクローニングが通用するかどうかがはっきりとしないのか?」など、その後に続いただろう見解を予測することは、里曽辺に取ってでさえ容易なことだ。だから、半ば強引に聞き覚えのない声の男はそう切り出したのだろう。それは言葉に区切りを加えた、酷く淡々とした口調だった。まるで「はっきりと結論を述べてください」と、プロフェッサーに刀の切っ先でも突き付けたかの様だった。……やもすると、そんなプロフェッサーに対して、我慢の限界が来ていたのかも知れない。
「はは、失敗とするには少々出来が良すぎるとは思わないかね?」
 プロフェッサーの声色に僅かに真剣味が混ざった気がした。「失敗」だとはっきり言い放たれた言葉に反論をする様な感は否めなかったが、プロフェッサーの失敗を否定した言葉は十二分に納得の行く内容だ。今までのプロフェッサーの説明を聞いていて、誰が「千宗」と言う化物を「失敗作」と罵るだろうか?
「確かに万能ではないし、使用用途も限定されるが、扱い方さえ間違わなければ我々が望む以上の結果を叩き出せる品質は持っている」
「いかなる相手に対してでも抑止力になれなければ意味がないでしょうッ!」
 ドガッと机を叩き付けたかの様な音がした。荒々しく発せられた言葉には、僅かにでも苛立ちを隠した様な配慮は窺えない。
「なぜ君はそんなにまで早急な結果を望む? 一体何を為そうとしているのだね?」
 すっとプロフェッサーはそれまでの表情から態度を一転させた。扉を一枚挟んだ場所で聞き耳を立てる里曽辺が、そこに目つきの鋭さなんてもの感じることが出来たのだから、その部屋の内部の雰囲気は瞬時に変化したはずだ。
「……」
 その淡々とした冷徹なプロフェッサーの質問に、明確な返答をしなかったのは聞き覚えのない声の男の側だった。そして、そこに生まれた一瞬の静寂を打ち破ったのもまたプロフェッサーである。
「ふむ、儂にそれを尋ねる権限はないが同時に君もプロジェクトとして進行している段階の現状を変革させる権限はないのだよ?」
 それは「この話はここで終わりにしておこう」と話を区切る様に切り出した言葉で、そうすることでプロフェッサーは対する男の出方を窺ったのだった。
「……失言でした、申し訳ない。少し頭を冷やしてくることにします」
 カツンカツンと足音が里曽辺が聞き耳を立てる扉の方へと向かって近付いてきて、大慌てで里曽辺はその場から立ち去ろうとその一歩を踏み出した。果たして足音を立てるべきなのか、それとも立てない方が懸命なのか、里曽辺は判断に悩み熟慮する。足音を立てないとは不自然極まりないが、姿を見られることなくこの場から立ち去ることが出来るのなら、その場所にいた痕跡を何一つ残すことなく済ませられるのだ。時間にすればゼロコンマの思考の後で、里曽辺は小さな足音を立ててこの場から立ち去ることを選択した。
 トンッ……トンッと里曽辺が歩み始めると、前方の……ブロック間のちょうど区切りの役割を果たす大きな鉄製扉の向こう側から声が聞こえた。それは怒声にも似た大きな声であり、またその声の主はこのブロックに向かって歩いてくると言う非常にまずい状況の様だった。
「追加として送付された資料についてプロフェッサーと話がある!!」
「孝山様ッ、お待ちください! 現在プロフェッサーは……」
 ブロック間の行き来を監視する役目を負った人間はこの駐在施設には存在しない。それはつまりその声の主を制止する人物が、中央からここまで常にその人物を制止をし続けて今に至ることを意味するわけだ。半強制的な制止の利かない相手が声の主ということになるわけだから、否応なく里曽辺の表情は緊張度を増した。
「どけないかッ!!」
 制止の人物を振り払う為のものだろう荒い声が鉄製の扉越しにもはっきりと聞き取ることが出来て、まるで「半強制的な制止の利かない」ことを実際に証明したかの様だ。ドガンッと勢いよく前方のドアが開け放たれると、里曽辺はすっとそれまで以上に平静を装うことを意識しながら、歩みを止めることなくその男と擦れ違う。
 男は直接的には里曽辺と面識のない「孝山」だった。だからそこに挨拶が交わされる様なこともなく、また互い様子を窺うその目に遠慮をすることもなかった。居丈高な歩き方が特徴的な、中年……小太りの孝山はいつも以上の不機嫌な表情をしていて、擦れ違い様の里曽辺を鋭い目つきで値踏みするかの様に横目に捉えて行った。
 キイィィ……と後方で扉の開く音がして、里曽辺は微かに顔を顰める。そこで交わされていた会話が恐らく聞いてはならぬものだったからこそ、プロフェッサーと顔を合わせることは避けたかった。
「プロフェッサーッッ!!」
 孝山が向ける荒い口調など意に介した風はなく、プロフェッサーはそこに存在していることが不自然な見覚えのある後ろ姿に呼びかけをする。プロフェッサーの声色に僅かながら怪訝な調子が混ざったことは否めない。
「……里曽辺君?」
 トンッと靴音を響かせて、里曽辺はその足を止めた。プロフェッサーの呼び止めを無視して歩き去ることほど不自然なことなどない。そうして二つの視線が背中に刺さる中、里曽辺はゆっくりとプロフェッサーへと向き直る。
「盗み聞き、行けないんだ。里曽辺三等陸佐」
「ッッ!?」
 唐突に背後から、それも耳元……里曽辺だけに聞こえる様に話した千宗の声に、里曽辺は驚愕の表情を隠すことは出来なかった。いつの間にここに姿を現して、いつの間に背後に立ったのか、全く気付くことはなかった。背後に立たれたことに関してだけを言えば、里曽辺がプロフェッサー……そして孝山に意識を集中させていたことが原因と受け取れなくはないのだ。しかしながら、里曽辺が身を震わせる程に驚いたのは千宗のその言葉の内容に他ならない。
 どうして千宗がここにいるのかを里曽辺が疑問に思ったのも、その驚愕が冷めて冷静さを取り戻し始めてからだった。考えられる理由としては、里曽辺が休憩を命じた千宗を迎えに行くのが遅れたと言うことになるのだが……。
 千宗は礼儀正しく孝山に対してお辞儀をして見せた。孝山はそんな千宗を冷めた瞳で一瞥をくれて、まるで眼中にないと言う様に、バッと身を翻しプロフェッサーへと向き直って見せるのだった。
「人と同じ様な教育を施せるかどうかが未知数などと言う馬鹿げた話がどこにあるッッ!!」
 懐から十数枚に上る書類の束を取り出した孝山は怒号にも似た口調でそうプロフェッサーに食い付いた。書類をパンッと手の甲で荒々しく叩き付けると、それをプロフェッサー目掛けて投げつける孝山の所行は収まるところを見せない。そうして千宗を指差し、その口調の激しさにさらなる勢いをまして言葉を続けた。ただ里曽辺に取ってそれよりも印象的だったことはプロフェッサーの表情だった。対照的なその顔はより落ち着きを取り戻した様な雰囲気を持っていたからだ。
 敢えて言葉にするなら「ようやく膿が出始めてきたか」と、何かそれを予測さえしていた風だ。
「完全に制御出来なければ意味がないんだッ、もし何らかの間違いであれが我々に牙を剥く様なことが起こったら一体どうするつもりなんだプロフェッサーッ!?」
 孝山の口調は千宗を責め立てるかの様な雰囲気を持っていた。現にそれは千宗に対して向けられたかの様な雰囲気も同時に併せ持っているのだ。だから千宗は孝山をまるで睨み見るかの様に直視していた。まるで壇上の裁判官を見詰める様な目で、判決を待つ罪人の様に、千宗は身動ぎすることなく孝山とプロフェッサーのやり取りを見ていた。
「今からでも遅くはない、完璧な教育を施せッ!」
「教育を施す……かね。今、浦野や里曽辺君が行っているものでは不満なのかね? 孝山君の言う教育と言うものがこちらの意図通りに作用するかどうかは解らないことだと解っても、それでも君は千宗に教育を施すと考えるのかね?」
 プロフェッサーが口にした恐らく予想だにしていなかったのだろうその言葉に、孝山は一瞬……言葉を失った。そうして怪訝な顔で目前にあるプロフェッサーを睨み見る。
「何を言ってる? ……人に対して行う上では、既に確立された教育プログラムがある。そんなことが解らないわけがないだろう?」
 はっきりとした言葉に表されることはなかったが、孝山が言っているその教育と言うものが「人格更正プログラム」だと里曽辺は理解した。確かにそれは孝山の望む「完全な制御」とやらを為すことが出来る。
「それは「人」に対しては……の話だろう? 人とは脳の構造……やもすると思考パターンの違う相手に対してそれは有効かね?」
 プロフェッサーは前屈みのポーズを取ると、ゆっくりとした挙動で孝山が投げ付け床へと散らばった書類の何枚かを拾い上げて行く。その四散した書類の中に、そのことを記載したものでもあると言うのだろうか?
「……あの千宗とか言う娘は人間ではないと言うことかッ、はんッ……馬鹿を言うなッ?」
 不意に……全く唐突に、プロフェッサーは口許をくっと綻ばせて、その表情を笑みで歪ませた。カンッと靴音を響かせて思わず後退ったのは、直接この会話に入り込む余地を持たない里曽辺だった。なぜならば、そのプロフェッサーの表情と言うものが、問いの答えをあまりにも的確に言い表した顔に他ならなかったからだ。
 盗み聞きをする格好になったプロフェッサーと聞き覚えのない声の男との会話を、全て現実のことと否応なく理解させられる笑みがそこには存在していた。それも当然と言えば当然だったのだろう。Walkerを継ぐ生命を、継ぐに足る生命を、わざわざその手で作り出したと言う自負を持って、プロフェッサーはその場に挑んでいたのだから。
「人間かどうかなど本来は関係のないことだ。なぜならば、君らは儂に「計画の実行を遂行出来る力」と注文を付けただけ……。儂は君らに人間を作れと言われた覚えなんぞないんだぞ?」
「人間ではないのか?」
 まるで「そうか」と、納得する様なあっさりとしたものだった。孝山の表情にしても同様に、そこに僅かにでも驚いた様なものを見て取ることは出来ない。人間でないと言うのなら、人間でなくとも構わない。さも、それは大した問題ではない……と、言っているかの様だった。
「半分は霊長類ヒト科の生物だ、……なにせヒトの形をしていないことには「人間社会であらゆる任務を遂行出来る」と言う条件を満たさくなってしまうからなぁ」
「……そんなことはどうでも良い。完全な教育は不可能だと、言うことなんだな?」
 孝山の言葉にプロフェッサーは明確な返答を返さず、孝山に鋭い目つきで対するだけだった。
 論点がずれていると里曽辺は感じた。本来、論争するべき箇所はそこではないはずだと里曽辺は憤りを覚えていた。
「……キチガイめ」
 ボソリと呟く様に侮蔑の言葉を向け、孝山はプロフェッサーに背を向ける。「このことは査問委員会で問題として取り上げる」とだけ言葉を残し、孝山は足早にその場を後にした。恐らくこの後に何が起こり得るのかを、孝山はあらかた予測出来たのだろう。
「孝山様、お待ち下さい!」
 遙か後方で浦野の声が響いていた。浦野の制止を払い除け、孝山の足音は去っていった。
 そこに取り残される形で、里曽辺とプロフェッサーが対峙していた。
 プロフェッサーはゆっくりと足を進めて、そうして「ここにいたことは不問に付す、但し何も語るべきことはない」と、そう言わないばかりに里曽辺の横を擦り抜けていった。
「……どうした?」
「名護谷様、孝山様が……」
 後方では名護谷と浦野の会話が行われていた。孝山についてどう対処するのかの検討がこれから始まるだろう。「査問委員会」とはただごとではない。本当に孝山がそんなものを収集出来るのかどうかは不明だったが、出来るのだとしたら確かにこの場に顔を揃える面子はただでは済まない。
「里曽辺三等陸佐、こちらへ」
 名護谷が浦野の後に続いて入った部屋は一面大理石の床の、一面に高級な装飾品の飾られた部屋だった。最後に里曽辺が入室する形で浦野が扉を閉める。中央には赤いカーペットが敷かれていて、長方形の机にはちょうどここに入室した人数分を補える黒色の立派な木製椅子が六つ並んでいた。そういう部屋を浦野が選んだからなのかも知れなかったが当の浦野は部屋の隅に設置されたコンソールへと足を向けるのだった。部屋の隅には中身が空のコンテナが複数個積まれていて、壁に「Fall」と書かれた鉄格子の仕切などがあることから、ここが商談などに使用される部屋だと推察出来た。
「孝山様の追跡を……」
「異種交配と、話していたな?」
 名護谷・浦野の視線がその突然の言葉の発言者、里曽辺へと向いた。特に浦野は言下の内だったこともあって、驚いた表情で里曽辺へと目を向けていた。そして、まるで見せつけるかの様な挙動でワンテンポ遅れて里曽辺へと向き直ったのはプロフェッサーだった。そこに動揺なんてものを垣間見ることは出来ない。
「プロフェッサー。あんたは一体、人間に何を混ぜたんだ?」
「本当に里曽辺君はそれを知りたいのかね?」
 その当事者たる千宗がキョトンとした顔で、里曽辺へと澄んだ瞳を向ける中、里曽辺は険しい表情を取ってプロフェッサーを睨み据えていた。わざわざ「Walker」などと言う下らない称号を継がせる為だけに「化物」を、それも人ですらない生命を作り出した……言うなればキチガイを、里曽辺は険しい目で見ていた。
「ふむ、例えそれを知ったところでどうなるわけではないだろう。千宗は既にそこに存在しているのだし……またそれを知ったから今更、千宗をどうこう出来るわけではない」
 椅子に座らず、わざわざ机に座してプロフェッサーと里曽辺の対話を真摯な目つきで聞いている千宗に気を遣って、里曽辺は言葉を慎重に選んで反論をしようと必死だった。だから咄嗟の言葉は出て来ない……ただそこに熟慮はある。
「里曽辺君が千宗にどんな感情移入をしたのかまでは儂には解らない……が、千宗とは望み必要とされこの世に生み出されたものだ。これ以上の幸せがどこにある?」
「それが端から兵器として生み出されていたとしてもですか? 自身に妄信するだけの正当性もなければ、そんなものはただの傀儡人形に過ぎない。兵器としての運用にはそこに存在せねばならぬ千宗の意志など反映されないでしょうッ?」
 里曽辺には自身が「兵器」ではないと言う自負がある。自身の正当性を妄信するからこそ、ここまで歩き続け、またこれからも……例え僅かな時であろうとも「歩き続ける」と言う自負がある。……意志を持たねばならない。例えそれが妄信の中であろうとも、過ちを過ちと、敵を敵と、正当性を正当性と認識せねばならない。
 兵器とは「正当性」など持ち得ないただの道具でしかない。何をも考えることはない、何をも区別することもない、……それを使用する「者」の思うがままに殺傷を続けるただの道具でしかなく、使用のその意図を理解することがない。
 兵器として成るべく作られた存在と、人間として生まれた存在を兵器として育成した存在は全くの異なるものである。幸せだとか、不幸だとか、そんなことではない。自身の核を持たない存在はどんなに強靱であろうとも、どんなに強大であろうとも、ただの脆弱な存在でしかない。必ず穴を持つ、言うならば人間としての欠陥・欠落だ。
「千宗は千宗自身が納得出来ないことをしようとは考えないだろう。……千宗に完全な教育を為すことが出来ない以上、無理を通せば道理が引っ込む。そしていずれ里曽辺君の前に顔を揃えるだろう千宗の誕生に携わった面々はいずれも自身の正当性を認識している。僅かにも誤った道を進んでいるとは思ってはいない」
 そこには里曽辺が千宗に向けて説明をした「Walker」そのものがある。立ち止まって自らを振り返ることはなく、正当性を妄信し決して立ち止まることもない。だからこそ里曽辺は口を噤んだまま、何も言えなかったのかも知れなかった。
「千宗とは兵器であり、同時に我々の娘でもある。……だからそこに千宗の意志は存在するのだよ」
 里曽辺の反駁が掻き消えたことで、プロフェッサーは小さく頷き満足そうに笑みを零すと、ポンポンと二度その里曽辺の肩先を叩いた。「いずれ理解する時が来る」と、里曽辺は千宗に向けたその言葉をそっくりそのまま返された気がした。
「ところで里曽辺君、千宗の訓練はどこまで行っているのかね?」
 プロフェッサーは千宗の頭をクシャッと撫でて、里曽辺へと問い掛けた。千宗は嬉しそうな表情をしながらも、その問いに里曽辺がどんな答えを返すのかが気になるらしい。一言一句聞き逃さないと言う具合に耳をピクリピクリと動かした。
「……」
 名護谷・浦野・プロフェッサーと、この場に顔を揃える面々を未だ里曽辺は険しい表情で見ていたが、ハッと現況がそんな悠長なことを言っていられる段階ではないことも里曽辺は理解する。だから、咄嗟に返答が口を突いて出ていた。
「そろそろ実践的なことも出来るぐらいには訓練をして来ているつもりだ」
 その里曽辺の言葉を、プロフェッサーは「千宗の試験運用が可能な状態」と受け取った。……おおよそ間違いがないから、里曽辺は満足な反論もままならない。
「千宗、孝山克を処分して来るんだ」
「処分?」
 千宗は聞き慣れない言葉だったのだろう、不思議そうな顔をしてプロフェッサーへと顔を上げた。ゴホンッと咳払いをした後でプロフェッサーは「殺す、……と言うことだ」と言い直し、そこで再度……明確な言葉にはしなかったものの「構わないかね?」と言った具合の了解を視線によって里曽辺に求めた。
 この状況に至って頷かざるを得ない里曽辺が首を横に振れるわけもない。その里曽辺の了解を得て、プロフェッサーは名護谷の名前を呼んだ。名護谷にしてもその意図を解ってしまっていて、説明も要さずすんなりとことは運んだ。
「名護谷君?」
「構わない、後処理に関してはこちらで手を回しておこう。もちろん情報調査室あたりに任せて、手際よくやって貰っても構わないがね」
「あそこには味方でも敵でもないグレーゾーンの連中が多すぎる。後処理に関しては名護谷君に一任しよう」
 情報調査室と別の組織の名前が出たことを、プロフェッサーは「悪い冗談だ」と笑い飛ばした。ただ、同時にプロフェッサーが名護谷に対して全幅の信頼を置いていることを、里曽辺はそんなやり取りから読み取っていた。
「千宗、こいつを持っておけ」
 名護谷が背広の内からデザートイーグル.44MAGを取り出し、千宗に向けてそいつを放った。パンッとそれを受け取った千宗はキョトンとした顔をしていたが、それが何かを理解するとニコリと笑みの表情を取って名護谷に向けて口を開いた。
「ありがとう名護谷さん、拝借します」
「ふむ、おかしな敬語だけを覚えていくな」
「はは……我々の体質的なものにも問題があると言うことでしょうね」
 千宗の受け答えに成長の跡を見て取ることが出来たらしい。名護谷と浦野は千宗に複雑な表情を見せながら、そんな会話を交わしていた。
「……このまま行けば、孝山の処分が実質的に千宗を稼働させる最初のミッションと成り得るわけか。はは……これが結果としてお偉方に通るならどれだけ楽なことだろうか」
 孝山の処分を確信する名護谷のその見解は一体どこから来るものだろう。理解を余儀なくされた格好の里曽辺は、足下の大理石の床に映る自身の表情を苦悶のものへと変え一人口を噤んでいるのだった。


 ロビーブロックには複数人の男達が集まっていた。数としてはそう多くはなかったのだがその手には一様にMP5が握られていて、一種異様な雰囲気を漂わせていた。隊列を組み微動だにしないその集弾にロビーブロックを通り過ぎる人々は奇異の視線を向けていたのだが、それが孝山の命令によってそこに隊列をしているのだと知ると「あぁ……」と訳も解らず納得していた。殊更この施設の警備に携わる連中がチラリホラリと目に付いたことも、その納得の一因を担っている。
 自分達には縁のない演習か何かでも、これから始めようと言うのだろう。この施設でビップの扱いを受ける孝山の名前が出ていたことでそんな具合の納得をさせてしまっていた。
 カツンカツンと靴音を響かせて孝山が姿を現すと、隊列を組む集弾の表情には複雑な色が窺うことが出来た。愉悦・苦悶・期待・葛藤、それらは様々だった。そうして孝山がパチンッと指を鳴らすとその中の四人の男が孝山の脇を固める様に歩調を合わせ、残りの連中は始めから役割分担がされていたかの様に一気に四散を始めた。殊更、苦悶や葛藤と言った表情を見せていた連中は、それを押し殺したかの様な顔をして駆けていた。
「フリーズッッ! 全員手を頭の後ろで組めッッ、早くしろッ!!」
 タタタタタンッッ……と威嚇の射撃が天井を駆け抜けると、孝山の息の掛かった警備による施設の制圧作戦が展開された。孝山はその様子を横目に捉えながら歩みを止めることはせず、その足を医療ブロックへと向けた。怒号と悲鳴が飛び交い始めたロビーブロックを後にして、孝山は口許を吊り上げる様に微笑みながらこう口を切る。
「さて、それではここから無傷で帰るとしようか。やはりガーディアンを連れて来たのは正解だったか」
 金の塗装の為された悪趣味なハンドガンを取り出すと、孝山はそのハンドガンのマガジンのチェックを始めた。一見すると孝山の銃は小太りなその体格には似合わず、大きさ・銃身ともに非常に小さくメインアームと言うよりは護身用と言った感じが否めないものだ。金の塗装が為されているだけで特殊な改造が為されているわけではないらしく、マガジンに装填済みの弾丸の種類と弾数の確認だけで孝山はチェックを終了した。
「新顔のWalker見習いには通常弾は利かん。必ず例の弾丸を使用しろ、いいな?」
 ガーディアンと呼んだ四人の内の一人に指を突き付けながら孝山は言う。念を押す様な口振りながら、孝山の表情自体は自身に充ち満ちていた。まるで今から新兵器の対人実験でも行い、そこに残る成果が自分の望み得るものと合致するのかどうかを心待ちに待つ狂った科学者の様な顔付きだ。
「ショットガンでは潰せませんか?」
 ガーディアンの質問を孝山はピシャリと否定する。その理由自体は明確な理由と呼べないものながら、けれども酷い説得力を持っていた。それは恐らく孝山自身がそれを酷く実感しているから……なのだろう。
「ショットガンで潰せる様な生物を、奴らがわざわざ化物と呼ぶとは思えん」
 ロビーブロックに接する医療ブロックへと孝山が到着するのに多くの時間は掛からない。ロビーブロックから四散した連中がMP5で医療ブロックを始めとした隣接ブロックの占拠を手早く済ませてしまったことでさしたる抵抗もないのだからそれは当然だった。
「私は最短ルートで地下駐車場まで出る。ここの地図は全て頭の中に入っているな?」
 ガーディアンは小さく頷くだけの返答もしなかったのだが、孝山はそれを「Yes」の意と取って、言葉を続けた。
「対Walker見習い用弾丸は各マガジンに装填されているだけだ。一人に付き12発のみ。間違っても無駄弾は使うな」
 孝山がエレベータのコンソール前まで来ると不意に、緊張の眼差しでその様子を窺っていた医療ブロック内の一人の人間が行動を起こした。
「止まれッ、一体何事……!」
 ズドオオオォォォンッッ!!
 そのコンソール操作を制止しようとした医療ブロックの警備を一人……それも白衣に身を包んだ一般医療スタッフと一見何の相違もない相手を、ガーディアンと孝山が呼んだ四人の内の一人がショットガンを用いて撃ち殺した。
 孝山は顔色一つ変えることなく話を続け、ガーディアンにしてもそれを当然のことの様に対応する。
「高浦・山薙は私と一緒に来い。安藤・盛村は寝返った警備を率いて連中の足止めに回れ」
 孝山は各ガーディアンの名前を呼んで指示を飛ばすと、医療ブロックの小さなエレベータへと乗り込んだ。すぐに高浦・山薙が後に続き、残った安藤・盛村に対して孝山はこう言葉を続けた。
「手筈通り二箇のエレベータを潰したら、お前達も順次撤退して構わん。もちろん、管制室を占拠してここを潰してしまっても構わんぞ、好きに暴れてくれて構わない」
 ガアアァァァとエレベータの扉が閉まり、ゴォウンとその稼働音がしばらく響いていた。エレベータの現在位置を示す点滅表示が最下層の「B7」を示すのを確認すると、ドガンッドガンッドガンッと銃声を響かせ安藤・盛村は待ちきれないと言わんばかりにその場から立ち去った。後には完全に破壊されたエレベータのコンソールだけが残された。


 ザザ……とノイズが走る様な音がして、浦野がその会話の場から離れた。浦野はポケットの一つから無線機を取り出し、無線の相手とやり取りをしながらその表情を険し手ものへと変える。そこから孝山のことについて何かしらの問題が発生したことを読み取るのは簡単なことだった。
「警備から裏切りが出て孝山様の側の援護に回っている模様。なお相手は自動小銃で武装をしていて、孝山様直属の連中も複数人出て来ていると言う未確認情報も入りました。」
 浦野は無線とのやり取りを続けながら、簡潔に現在置かれる状況についての説明をした。浦野は自身の権限で為すことの出来る対処を口にして、それの影響についても試算した。
「施設内部に災害発生時の緊急隔壁を降ろしますが、……恐らく時間稼ぎにもならないでしょう。医療ブロックなどへの非難警告を出して施設の中央管制室へ戦力を集結させることにします。」
「なら警備にも時間稼ぎの牽制だけをさせた方が良い。こちらに大きな被害が出ない様に後退しながら最終防衛ラインである中央管制室を死守」
 名護谷の言葉に浦野は無線でのやり取りをしながら「了解しました」と言う意図なのだろう、利き腕の掌を見せるジェスチャーを取った。浦野の焦りの表情なんてものを垣間見ることが出来る貴重な瞬間でもあった。
「封鎖は出来ないのかね?」
「中央管制室での緊急コードの承認が得られていません。ラボからの直接的なバイオハザード警報でも可能ですがあれでは私達も移動に支障を来します。完全な隔壁封鎖を行うには封鎖エリアに避難勧告を出す必要もありますし……」
 プロフェッサーの自信を持った問いに、浦野は否定的な見解を述べた。それでは「孝山の逃走を止めることは出来ません」と、はっきり言えない辺りが浦野の立場を表していた。
「ははは……近代装備などたいして役に立たないものだな」
「孝山一匹この地区から外に出さず処分するなど、そう大したミッションじゃないと言うことですよ。なぁ、Walker?」
 カラカラと笑うプロフェッサーと、ニヒルな笑みを灯しながら里曽辺に対して「Walker」としての働きを期待する名護谷がそこにいた。
「お言葉ですが名護谷様。状況はいつでも最悪の可能性を考慮しなければなりません。警備から多数の寝返りがあって、その総数を把握出来ない以上、山岳部に逃げ込まれた場合が厄介です。」
 一人シビアな浦野の言葉に対し、唐突に表情を真剣なものに変えた名護谷がこう推測をする。
「……実際、舗装も為されていない道悪の獣道を逃走経路に選択するとは思えない。ここの正面玄関への道路というものは無限軌道の装甲車でさえ訪れにくく、また離れにくい急勾配の坂を選んである。仮に山岳部へ逃げ込むことを端から考慮していたとしても、いざとなればこちらが人海戦術を展開出来ることを孝山は知っている」
 作戦展開の方向性を決定するには、プロフェッサーよりも浦野を説得しなければならないと理解したのだろう。名護谷は浦野に向けてそう説明を始める。実際、プロフェッサーは座席について腕を組み、その二人のやり取りを遠巻きに眺めているだけだった。千宗にしても、千宗が簡単に入っていける様な話が展開されていなかった為に、両腕をブランと垂らして机に頭を投げ出すだらしのない格好をして、借りてきた猫の様に大人しくなっていた。
「まぁ孝山の性格的なものを分析しての結果でもあるが、最もこの場所からの逃走に適し、且つ孝山が利用可能なものを絞り込めば孝山を捉えることが出来ると踏んでいる」
 しばし熟考していた浦野だったが、名護谷の推測を頭の中でシミュレートしてこう口を開いた。全てこの施設に関したことはその頭の中に記憶されているかの様だ。
「……ここの地下駐車場から貨物積載ゲートを通れば、直接山岳部を抜ける国道の境潟(きょうせき)トンネル側壁に出ることが出来ますね。人間を積載して支障のないものでは医療ブロックエレベータに、同じく荷物運搬エレベータ、地下駐車場出入り口エレベータの三箇所があり、全て地下駐車場に出ることが出来ます。こちらがそう簡単に境潟トンネルまでのゲートを隔壁封鎖することが出来ないと孝山様が解っているのなら、この逃走経路の確率は非常に高いと思います」
 そこまで説明し終えて、浦野の表情が不意に険しさを増した。だから、何を言うのかと思えば、浦野は現状が非常に切羽詰まったものであること述べるのだった。
「ここから最短ルートで行けるものは……、医療ブロックにあるエレベータ……と言うことになります」
「くっくくく、さすがは臆病者と言ったところか。逃走経路と逃げるタイミングだけは熟知していると言うわけだ」
 場違いな名護谷の笑い声は孝山を侮蔑したものなのか、それとも賞賛したものなのか、或いはその両方の意図を持っていたのかも知れない。そうして次から次へと思慮の回る名護谷の有能な指揮能力だけがより一層際立つ形になっていた。
「貨物積載用の垂直コンベアーを使って千宗を地下駐車場に射出するのが最善策だな。まぁ本来は人間を積載出来る様な仕様ではないがちょうど良いコンテナもある。あれに入れて運搬すれば千宗としてもそう苦にもならんだろう?」
 名護谷の言葉に、浦野・プロフェッサー……そして里曽辺の目が千宗へと向く。コンテナとは千宗が膝を折って小さく丸まれば収まるだろう大きさだった。
「……うん?」
 千宗は視線を感じたのだろうか、ムクリと頭を擡げると自身に目を向ける一同に不思議そうな顔を返した。


 プロフェッサーは「ついでにこいつを持って行け」と言い、試作品だと言うレアメタル製の柄のない長刀を二本千宗に手渡した。もともとこの長刀を自由自在に扱わせようと格闘能力の向上を里曽辺に要求したのだともプロフェッサーは述べたのだったが、今となってはその言葉が里曽辺の心に何かしらの影響を及ぼすこともなかった。
 コオオォォォォォ……と千宗を乗せたコンテナが垂直コンベアーを滑っていく音が室内にはしばらく響いていた。続いてドッシァァァンッッと凄い音が響いたのだが、それを重大な問題が発生したと捉える者はその室内には存在しなかった。
「どうやら……、耐落下衝撃材が地下駐車場に敷かれていなかった様だな?」
「まぁ滅多に使用されることのないルートではありますからね。恐らく予め連絡を入れておくと作業員が衝撃緩和材を敷きに来る仕組みになっていたんだと思います」
 浦野はあっさりとそう言って退けたのだが、里曽辺にはそれがここからの落下速度がどれ程に達して、また衝突エネルギーがどれ程のものになるのかを解って言っている言葉には聞こえなかった。では、コンテナの落下速度がどんなレベルに達しようとも千宗にはそれが何ら障害にならないのだと浦野は端から解っているかの様に里曽辺の目には映った。いつか浦野に問い掛けた「良心の呵責はないのか?」と言うその問いの答えを、明瞭な態度で示し出された気がした。
「さて、Walker「里曽辺健一」の能力をこの目で拝ませて頂こうか?」
 そう里曽辺に同意を求めた名護谷にしても然り。千宗が「人」と呼べる範疇にはない存在だと知っている。
「……名護谷さん、俺は引退間近の身だ。……もう絶頂期の様な能力など残っていない」
 同意に対して否定的な言葉を里曽辺は紡いだ。けれども例えどんな言葉で拒否の意志を示そうとも、最終的には里曽辺が「歩く」ことを選択すると、名護谷は確信している様な口振りでこう問いを続けた。
「ふん、幾千の死体が無惨に転がる地獄の底を歩き続けた生還者が随分と情けない科白を聞かせてくれるのだな?」
 里曽辺が名護谷の問いに対して答えを返すよりも早く、名護谷は次の言葉を紡ぎ出している。迎撃に名護谷自身が出向くつもりなのだろう、入念に背広の内から取り出したハンドガンのチェックとマガジン数をチェックしながら名護谷の視線は確かに「Walker」を眼前で見ることを期待していた。
「それと私を呼ぶ時は名護谷で良い。英雄に「さん」と呼ばれるほどご大層なことをやって来たわけではない。肩書きなど所詮は飾りに過ぎないものさ。……いざとなったら何の役にも立ちはしない」
 名護谷が前線に立つ以上は、確かにそこは里曽辺が銃を握らないわけには行かない状況だった。なぜならば、名護谷とは里曽辺の上司と同等の存在であるのだ。
 客観視をしてみても状況は相手側から攻め込んで来た格好であり、しかもそれは避けようがない。そして状況は自衛の手段として迎撃を必要とし、それを為すべき里曽辺が動かずに済む状況にはないのだ。
「……地獄の底を歩き続けて、疲弊したからこそ歩くのを止めようとしているんですよ」
「くく、それでは何か、Walker見習いに本物のWalkerの闘争を見せることもなく、皆伝を許すのか?」
 名護谷が里曽辺に銃を差し出した。見覚えのあるフォルムに里曽辺は渋面を見せていた。名護谷は小さく首を傾げて見せて「これで問題はないだろう?」と、里曽辺に対して同意を求めて見せて「もちろん、45ACPのガバメントだ」と話すのだった。里曽辺はその名護谷の目を見据える様に見返しながら、渋々そいつを握り取った。


Seen04 地獄を歩いた生存者
 カンッカンッカンッカンッ……と複数の靴音が通路を行き来していた。所々、照明及び電送系が破壊されているらしく薄暗い箇所を抜けると里曽辺・名護谷の緊張感は一気に増大する。
 ドダダダダダッッ……タンッ……タタタンッ……とマシンガンの音がT字路の向こう側から聞こえてきていたからだったが、ひっきりなしに鳴り響く銃声がそれ以上に肌に刺す雰囲気を作り出していたからだ。バチッバチバチ……と時折ヒューズの飛ぶ音が鳴る電送系が密集しているのだろう柱を背にする五〜六人の警備の姿が見て取れた。
 ちょうど通路と通路の複合地点になっている一際広い場所に机を複数個横倒しにしただけの簡素なバリケードを作り、警備は全く同様の格好をした孝山側に寝返った警備を迎え撃っていた。
 里曽辺の位置からでは敵の位置と数の把握が出来ないながら、里曽辺は躊躇うこともなく一歩を踏み出し、弾丸飛び交うその最中に躍り出て行った。すっと身を屈める様に体勢を取ると柱の脇まで走り唐突に片膝を付く格好で制止、ガバメントを身構える。背後からの接近に一瞬身を強張らせた警備だったが、それが里曽辺だと理解すると安堵にも似る息を吐き出していた。
 立て続けに響くハンドガンの銃声。自動小銃のけたたましい銃声の中にありながら一際耳に付く声を響かせて、ガバメントは里曽辺の操作によって意志あるかの如く敵を捉える。格闘能力もさることながら、里曽辺の射撃能力は群を抜いて極まっている。こと、多少の訓練を受けているとは言え射撃のスペシャリストとは程遠い連中から成り立つ警備の中ではそれは尚更だった。
「状況グリーン」
 里曽辺が招くジェスチャーを取ると名護谷が後に続いて、複合地点に足を踏み入れた。名護谷はグルリと周囲の状態を見渡すと、柱にもたれ掛かる様に表情に疲労を滲ませた警備にこう問い掛ける。
「敵の状態はどうなっている?」
「敵勢力はMP5で武装、こちらの装備では正直手も足も出ません。……それと警備の中にも離反者がいる様らしく、警備として登録されている人間だからと言って迂闊に信用出来ない状況です。通路で警備と出会しても正直どんな対応を取ればいいのか、対処に困っていますよ」
 目に見えて疲労を表情に灯す警備も仕方がないと言えた。こんな具合の室内戦を想定した訓練は基本的には受けていないのだからだ。それも敵か味方か見た目に判断出来ない画一的な警備の格好をした敵が中に紛れ込んでいる可能性も精神的な重荷になっている。
 自衛隊の駐屯地域に攻め入って来る相手は当然自衛隊が対処してくれるはずが、敵の鬨(とき)はまさにその組織の内部で上がり、やもするとその隊員の中にも孝山側に寝返った連中が居るかも知れない。
「孝山らしいと言えば孝山らしいやり方だな。どうせ、長期的に何か問題の起こった時のことを考え保険を掛けて置いたんだろう。……とは言え、この分だとかなりの賄賂額が動いていた様だな」
「離反者の数は相当数に上ると言うことか」
 里曽辺の問いに名護谷は明確な答えを返さなかった。ただそこに不安だとか言った具合の険しさがない以上、名護谷はこの状況を危機的状況とは捉えていないのだろう。
「……警備は全員ここから退避しろ、警備チームβはラボ付近に接近する不審者に対処!」
「了解しました」
 素早く下された命令に従い配置に急ぐ警備を、里曽辺は複雑な表情で眺めていた。
「給料分以上の仕事を体良く押し付けらた格好だ」
「なに口利きぐらいはしておいてやる、退職金と特別手当はガッポリ付けてやるさ」
 ぼやく様に嫌味を向けた里曽辺だったが、名護谷に軽く肩をポンポンと軽く叩かれるだけでやり過ごされ、大きく溜息を吐き出したのだった。


 特に目的地を決めた上での移動ではなかったのだが、足は自然と孝山が使用したであろうエレベータのある医療ブロックへと向いた。その医療ブロックまで辿り着くと、人影はなくとても隣接区域で戦闘を展開しているとは思えない程に閑散としていた。遠くでは未だ銃声の鳴り響く音を聞き取ることが出来たのだが、既にここの制圧は完了していると言わんばかり。医療ブロックには敵の姿を見て取ることは出来なかった。また、一般の医療従事者の姿も見て取ることが出来ず、今まさに次のブロックへと名護谷が移動しようとした足を踏み出した時、それは起こった。
 今の今まで微かな気配さえも存在していなかった柱の影から、躍り出てきたのだ。
「はッ、簡単に後ろを取らせるなんて甘ち……」
 ドゴンッと銃声が鳴り響く。それは孝山のガーディアン「盛村」の言葉が言下の内のことだった。弾丸は盛村の肩先にヒットして、ガシャンッと一つけたたましい音を立ててMP5が医療ブロックの所々に銃弾の爪痕が残るタイルの上へと落ちる。しかしながらその着弾点には血液が滲むことはなく、どうやらケプラー繊維の防弾服を着服しているらしい。
「ぐあぁぁッッ……アァァッ!」
「なめて貰っては困るな。逃げの一手を打つ為だけに、金銭的な損得勘定を重要視する孝山が莫大な金額を掛けて警備を取り込むなどとは浦野だって思いはしないぞ。はは……それともう一つ、取り込んだ警備を前面に出すばかりでそちらから正面切って攻め込んで来る様子がなかったんで「ああ……これは待ち伏せだ」と途中から確信出来てしまった」
 ドゴンッドゴンッと続けざまに引き金を引く名護谷の弾丸を、盛村が回避出来るだけの状況にはなかった。胸元……脾腹……太股と敢えて急所を外し撃ち放つ名護谷の真意は盛村から孝山の逃走経路を聞くことなどではないのだろう。
 壁際まで追い詰められた盛村はドゴッと蹌踉めく勢いのまま肩を壁へと打ち付けた。そのまま倒れ込んだ盛村は蹲る様に左肩を押さえて苦痛に呻き、荒い息を吐いていた。そんな盛村から僅かに距離を取った位置で名護谷は手早くマガジンを換装するとガバメントを身構え制止する。
「孝山の目的は一体何なのか、お前の知り得る全てのことを洗いざらい話して貰おうか?」
 黙り込んだまま、ただ呻き声をあげる盛村に向けて名護谷は容赦することなく撃ち放つ。ドゴンッと銃声が響くと「がああぁぁッッ!!」と言った具合の言葉にならない声が医療ブロックには響き渡った。簡単にくたばることが良いことだとは言わないが、今回ばかりは防弾仕様が仇になった格好とも言えた。
「何だよ。これが選りすぐりのガーディアンの一人だってか?」
 苦痛に呻く盛村を横目に盗み見ながら、盛村の様子を一望出来る柱の影で安藤はさも面白くもなさそうにボソリと呟いた。それはちょうど名護谷が盛村に向けて言葉を向けている最中のことで、その微少な安藤の呟きが名護谷の耳へと届くことはない。そこは電送系が完全に破壊されているらしく、また外部からの明かりがその場を照らすことのない柱の影の部分だった。
「はッ、玉石混淆も甚だしいじゃねぇかよッ!」
 そのままその場で息を殺していたなら恐らくその場に安藤が居ることを安易に悟られることはなかっただろう。けれども安藤は声を荒げて、その苛立ちを言葉にして盛村に向けて口を開いたのだ。そして、響き渡るは銃声だった。ドゴッドゴッと盛村に向けて弾丸は撃ち放たれていて、後頭部に直撃を受けた盛村は一度ビクンッと身を痙攣させた後、白目を剥いたまま動かなくなる。それが名護谷の持つガバメントの銃声ではないと里曽辺は判断し、慌てて声をあげる。
「下がれッ、名護谷ッ!!」
 さすがの名護谷もこの場にもう一人ガーディアンが潜んでいたとは察せていなかった様で、険しい表情をして里曽辺に言われるがまま後退に徹する。元々、盛村にしてもこの場に誰かが潜んでいるのだと名護谷が確信していたわけではないのだ。類い希な推測と洞察力、そして判断能力で「待ち伏せ」があると予測して身構えていたに過ぎないのだ。
「後方支援を任せる」
「……なに?」
 名護谷の明確な返答が返るよりも早く、後退する名護谷と前に出る里曽辺が交差した。そうして、医療ブロックの広場を疾走する小刻みなMP5の銃声が生まれる。トントントントン、トタタタタタッ……と、それは里曽辺目掛けて射出されたものではなく、どちらかと言えば牽制の意味合いが強いものだっただろうか。それとも里曽辺に対して、戦闘開始の合図たる鬨の代わりだっただろうか。
 背広の形態を取る上下の黒服は……恐らくは盛村同様にケプラー製の防弾仕様だろうか。整髪料で整えているのだろう黒髪の針頭。蒼白いネクタイを締めて黒いサングラスとまるでコーディネイトでもしたかの様な容貌をして、安藤はMP5を身構える格好で里曽辺の前にその姿を現した。
 その風貌には似合わないながら、鋭く敵を捉える目つきと的確な照準は並ではなかった。カンッカンッカンッカンッ……と連続的に通路に銃弾の跡が走り、このまま事が運べば弾丸は確実に里曽辺を捉えていただろう。迫り来るその音の直線上からまるでステップでも踏むかの様に僅かに身を翻し、里曽辺は目の色を変えた。
 ガンッガンッ……と一際大きく響いた着弾音は里曽辺のいる僅か数センチ横を駆け抜けていった。安藤、対する里曽辺ともに顔色一つ変えることなく、互いの一挙手一投足に全神経を集中している状況は、そこに銃撃戦を展開させているとは思えない。MP5の弾丸が頬を掠めてなお里曽辺は瞬き一つせず、その視線の先の安藤を捉えていた。ガバメントの銃口がその視線を追う様に銃身をあげると、里曽辺同様に瞬き一つ見せなかった安藤に僅かな表情の変化が見て取れた。
 狙い撃つ獲物だけを捉える為に特化した里曽辺の目に見据えられて、安藤は思わず苦笑いを零していた。それは確かに苦笑いであり、それ以外には形容のしようのないものだったのだが、……けれどもそこには確かに安藤の嬉々とした感情を垣間見ることも出来たのだ。里曽辺に銃撃が当たらないことを眼前にして、それをさも「そうでなければならない」と確信したかの様な笑みはあまりにも不気味さを持っていた。
 安易に引き金を引かない里曽辺の一撃はカウンターでの一撃必殺を否応なく予感させる。現実として里曽辺に弾丸が命中しないことと相まって、常人ならばそこに「恐怖」を感じたとしても何らおかしくはない。名護谷が持つ人を屈服させる威圧感とは異なった肌を刺す雰囲気をまといながら、里曽辺はガバメントの引き金に力を込めた。
 緊張の中に存在する研ぎ澄まされた冷静な安藤の……経験という思考は、頻りにMP5と言うマシンガンの狙撃対象周辺への集弾性の高さを訴え、的確に標準を定めた上でMP5から射出される弾丸全てを回避することは不可能だと主張した。それも、反動が大きく少なからず命中対象とのブレが生じるこのMP5は、ともすれば無数の流弾を撃ち放ち、この通路のありとあらゆる……目標範囲外にも銃撃をしているのだから、それに当たらないなど既にそれは人間業ではないのだ。
 里曽辺がガバメントの引き金を引くその瞬間が安藤の目には入っていた。肌を刺す嫌な予感に駆られ、安藤は咄嗟にMP5の射撃を止めてサイドステップを踏んでいた。前屈みのポーズを取って、手慣れた挙動でマガジンを換装しながら、ドンッと言った具合の、ハンドガン……それも経口のそう大きくはない特有の銃声に身体を僅かに強張らせながら、しかし確かにその弾丸の進行方向を安藤は確認していた。カンッと一際耳障りな天井後方への着弾音を双方共に聞き取って、再度銃撃戦は展開された。
 一撃必殺と成り得る部分は頭部だけだと言わないばかりに、MP5の銃身を額に当てる頭部に重点を置いたガードを取っていつでもMP5を撃ち放てるよう引き金に指を置き、安藤は里曽辺との距離を一気に詰める。
 その接近の間にも確かに一度二度と里曽辺のガバメントの銃声は響き渡ったが、安藤は里曽辺の狙いが頭部に絞られていると解っているかの様にそれをMP5の銃身で受け止める。カンッカンッと金属音が二つなり、「予測通り」と言った安藤の口許の笑みが目に付いた。
 安藤が狙う箇所はガバメントを握る里曽辺の左腕だった。急所を捉えなくとも構わないのだ。そう……致命傷を負わせられなくとも一向に構わない。腕を掠める、足を掠める、何でも良かった。
 里曽辺の胴を捉えようとMP5の銃口が里曽辺へと流れる。その間にも引き金は安藤の手で引かれていて、未だ狙いが完全に定まる前のMP5が近距離下でズガガガガガッッ……と小刻みで一際けたたましい銃声を響かせた。
「へ……へへ、生きた英雄相手に簡単に勝てるとは思っちゃいねぇんだぜッッ!!」
 天井から床からドガッドガッドガッ……と着弾音が響き渡るその近距離の間合いの中で、里曽辺の払い手が安藤の内に入ってMP5の銃口が僅かに左方向へと流れる。左の壁側面には無数の銃痕が生まれたが、その射撃もそこから里曽辺の側へと流れることはない。近距離下、それも里曽辺のガバメントは下を向いていた。だから打撃攻撃が来ると踏み、安藤は一気に間合いを開ける為に後退する。
 引き金を引いたままの、射撃をし続ける後退でさらなる里曽辺の踏み込みを牽制した安藤だったが、当の里曽辺は予想外の行動を見せていた。MP5が真正面を向けば逃げ場を失う里曽辺には常にその銃口をどうにかずらすことが求められるのだから、一見安藤との距離を詰めなければならない様に見えるのだったが、そこで僅かに後退をして見せたのだ。後退とは言っても、トンッと歩調を合わせる様に僅かに後ろに下がっただけ、どうしてガバメントの銃口が下を向いていたのかを安藤が理解するのはその次の瞬間のことだった。
 反動の強いMP5を……それも常に引き金を引いたままの、最大の反動を受ける状態の中で、照準を正確に合わせるのは非常に難しい。里曽辺がそこまでのことを頭に置いてその挙動を取ったのかはともかく、最初の里曽辺の払い手で想像以上に左にぶれていたMP5に里曽辺の回し蹴りがヒットした。
 ガチャァンッと音を立ててMP5は壁の側面に叩き付けられ、安藤自身も体勢を崩した。MP5を拾いに行く時間など与えてはくれぬとすぐ様判断したのか、早々にMP5を諦めると安藤はその武器をハンドガンへと切り換える。
 銃口を擡げる里曽辺のガバメントと、そして黒服の胸元から姿を見せる黒塗りのグロッグ26。交差した二丁のハンドガンで、先に火を吹いたのはセーフティのないグロッグだった。里曽辺には安藤がMP5にもう少し固執するかも知れないと言う考えが合ったことが大きいだろう。けれどもフルオート・連射の利く安藤のグロッグとは、まるで事態がこうなることを予測していたかの様でもあった。
 MP5と言う広範囲への射撃可能な武器が安藤の手から離れたことで、様子を窺っていた名護谷が後方で安藤へと狙いを定める。それを振り向くこともなく簡単に察知する里曽辺は「手を出すな」と声をあげ、名護谷を制止していた。自身どうしてそんな言葉を口にしたのかはっきりと理解していないながら、安藤が明らかに対自分用の戦闘展開をしていることがその理由の一因だと認識する。弾丸が当たらないことにも驚いた様子もなく、そればかりかそれを前提とした戦い方をしている安藤は、明らかに里曽辺と戦う為だけにここにいる。
 トンッと里曽辺は歩幅を合わせる様にステップを踏み、弾道を事前に察知したかの様な回避を見せる。そこに僅かにも無駄な挙動はない。グロッグの弾丸がピッと頬を掠めてもただ一つ目標たる「安藤」だけを睨み見て、里曽辺はガバメントの照準を合わせていた。グロッグのマガジンが空になって、銃口を下げる安藤は里曽辺に弾丸が当たらないことを「満足だ」と言わんばかりの笑みを灯していた。
 マガジン換装の隙を付き、里曽辺は安藤の頭部を狙ってガバメントの引き金を引いた。それは安藤の額を確実に捉えた一撃だったのだが、それを振り翳した左腕で受け止める安藤に里曽辺は思わず笑みを零した。ケプラー繊維に守られて弾丸を受け流したのだとは言え、その一撃はかなりの激痛を伴うものだったはずだ。けれども微かにも表情を歪めることもなく、安藤は恍惚にも似る笑みを見せていた。その武者震いにも似た双方の笑みは、相手が自分に相応しいと認識したから漏れたものなのだろうか。
 換装の終わったグロッグの遊底を引き、直ぐさま安藤は構え直して撃ち放つ。ドンッドンッドンッ……と立て続けに鳴り響く銃声にも、里曽辺は直撃を良しとはしなかった。円を描く様に安藤の弾丸を回避しながら、時折イレギュラーの様に目標を外した一撃にも当たることはないのだから、里曽辺は安藤がどこを狙って撃ち放っているのかを「見て」、そして「理解」しているのかも知れなかった。そうして反撃による射撃の一発一発を、ケプラー繊維の服をまとう安藤の全身のどこかしらへとヒットさせる。その攻防はガバメントの弾丸が切れるまで続いた。
 カチンッカチンッと撃ち放つ弾丸がないことを里曽辺のガバメントが訴えると、安藤の挙動は瞬時に変化した。肉弾戦を仕掛けようと言う腹積もりの様だったが、それは殊の外……呆気なく終わりを告げたのだった。
 踏み出したはずの足に力が入らず、意図せず片膝をつく格好で体勢を崩したのだ。笑みが掻き消えた後に残った表情には苦痛を感じた風はなかったが、安藤は思い通りに動かぬ身体に対して顔を顰めて見せて、慌てて次の挙動を取って見せた。里曽辺に隙をついた踏み込みを許さぬ為、グロッグを振りかぶったのだが、それも苦肉の策であることは否めなかった。ただ、ここで里曽辺は安藤に取って甚だ予想外の行動を取って見せた。不用意に距離を詰めることをしなかったのだ。
 里曽辺にしてみれば対自分用の戦い方を展開されて必要以上の警戒をした所為もある。……だがそれ以上にそれを躊躇させたもの、……それはそこに際してなお恐怖のない安藤の表情だった。
「これでチェックメイトでは芸がなさ過ぎる。立て、……そしてグロッグを構えろ。」
「……ひへへへへ、さすがにWalkerの名前は伊達じゃねぇ。あの地獄の時と同じ様に歩くべき場所を知っている」
 一度キョトンとして顔をした安藤だったが、ゆっくりと立ち上がると再び表情に恍惚に似る笑みを灯して見せた。これ見よがしにグロッグのマガジンを換装して見せると、顎を杓って里曽辺にも弾のないガバメントの換装を要求する。
「どこを歩くべきなのかを知ることで銃撃が当たることのない場所を「見る」なんざ、やっぱりあんたは本物の化物だぜぇ、……先頭に立って地獄の底を歩いただけはあるッッ!!」
 ガギンッと音を立ててグロックの遊底を引く安藤の一挙手一投足を注視しながら、里曽辺は澄ました顔をして安藤のその言葉に対してこう反論をした。
「俺の名前を、俺の印象を、より強烈なものにする為のそんな作り話をお前がどこで耳にしたかは知らないが、そんなものはただのまやかしだ」
 不意に笑みを掻き消す安藤の、その後に残った表情はただの無表情だった。そこには何も残らない。そして……次第次第にそこに、何に対するものなのかも解らぬ怒りの色を灯し始める。
「くっ……くっくく、作り話かい?」
 不気味な声。喉の奥底から無理矢理に引っ張り出してきたかの様な、それでいてどこか笑いにも似たその声に、後方で状況を注視する名護谷はゆっくりと銃口を安藤に向けたのだった。
「では、弾に当たらないのはただの偶然だとでも言うつもりなのかいッ? 悪い冗談だぜ、里曽辺三等陸佐ッッ? あんたは俺の眼前で歩いて見せたじゃないか、踊って見せたじゃねぇかッッ!?」
 大袈裟な身振り手振りで、それを訴える安藤の意図をそこに見て取ることは出来なかった。いや、言ってしまうなら直接関係ないことの様に見えるその「里曽辺=化物」と言う方程式の否定こそが、その安藤の怒りの真相なのか知れない。
「そうだ、だからWalkerと呼ばれる」
 淡々と言い放つ里曽辺に、過敏に反応して否定の言葉を言い放つ安藤。異様な光景だった。
「違うねッ、ならあんたが歩いた地獄の話をしてやろう。誰が何を言おうとあんたは地獄の底を歩いて来たんだぜ。例えそれをあんたが否定しようともその事実は変わることがない。それとも、あんたが歩いたあの場所は地獄ではなかったと言うつもりなのか?」
 安藤の口調は「あの」にプロミネンスを置き、そして里曽辺は表情を掻き消すのだった。安藤がやって見せた様な「何も見て取ることの出来ない」無表情を装って、里曽辺は安藤の言葉に耳を研ぎ澄ます。
「ベトナム戦争時のベトナムの惨状と比べたら、まだマシだとでも言うのかいッ? 最近の連中は程度の低い惨状を地獄と呼びやがるが俺が保証するぜ、あそこは地獄だったッ! それもあんたが自分自身の為に作り出した地獄だ」
 一度言葉を句切った後で、安藤はその内容をさらさらと切り出した。
「表向きはミサイル制御に使用する電子チップの輸送計画、……が実質はプルトニウムの不正輸出だった。あんたはそれの護衛部隊の実質上の責任者だった、なぁ里曽辺三等陸佐?」
 時折、里曽辺に対して同意を求める様な言葉を混ぜていたのだが、それに里曽辺が反応を返すことはなかった。それがただの聞きかじりなのか、それとも安藤自身が現実をその目に見ているのかどうかを里曽辺は躍起になって判断しようとしている様にも見えていた。
「ロシアの大陸横断鉄道を用いる……幾重に情報を偽装した安全な護衛のはずだったが、一転それは国際テログループの強奪目標になっちまった。あまりにも護衛とルートが陳腐だった、……そりゃあそうだ。表向きはそう大したものを輸送していないことになってんだ。厳重な警備なんざつけられるわけがねぇよ」
 詳細までを話して見せる安藤に、里曽辺は目の色を変えながら、けれども黙り込んだままその言葉を聞いていた。
「……それを本物の、最新ミサイル制御電子チップ。……言葉が悪いな、お宝の山だと勘違いした馬鹿なゲリラグループが深夜一時過ぎだったかい? 護衛の交代時間を付いて列車を襲撃して来たんだったよな? 情報は筒抜けだった。頭の悪い上層部が貨物列車の運賃を安く済ませようとか考えるから何から何までだぜ。ホント酷い話だったぜ、なぁ?」
 名護谷がゆっくりと銃口を降ろして見せた。険しい目つきで里曽辺と安藤を注視しながら、恐らくは「生き残り」の安藤の処遇を里曽辺に委ねた様のだろう。
「ひへへ……そこまでは良かったのな。なんてことはない……起こり得る可能性の、その予測の範囲内だった。プルトニウムが入った四つのアタッシュケースの内の一つがこともあろうにゲリラグループによって強奪さえされなければ、あんな惨事は生まれなかったのにホント愚かな連中だったよな」
 恍惚な笑みを灯し、さも楽かった思い出でも話すかの様な口調。
 だから里曽辺も、あらかた安藤が何を求めてこの場に姿を現したのかを理解し始めていた。
「……そして地獄が始まったァ」
 大きく両手を広げて、安藤の話はさらに熱を帯び始める。
「ゲリラグループは中身が本物なのかどうかを確認する為にアタッシュケースを開けて、そうして運悪くそれがプルトニウムだと理解出来ちまった。それが国際的に暗躍するテロリストの手に渡ってしまう、ひへへへへへ……危惧はそんなことじゃなかった。日本の優良企業が、それも政府のお墨付きを貰った企業様が、プルトニウムを不正輸出したなんて事実が全世界に拡散したならどうなる?」
 名護谷も里曽辺もその熱心な説明を遮ることはない。だから「Walker」と言う化物が生まれた場所を再認識出来た。
 そして今また、そこで生まれた化物が「Walker」ただ一人ではなかったことを理解させられるのだった。安藤はここに……里曽辺と言う化物が居るこの場所に、化物に成りに来たのだから。恐らくは千宗も孝山も関係などない、安藤は安藤の意志でここに里曽辺と言う基準を持った「化物」に認められる化物になりに来たのだ。
「それも原発に使われるべきはずのものがだぜ、僅かな手を加えるだけで原子爆弾に流用出来る状態だったんだ。全てを闇に葬る必要があった。情報調査室がやる様に全てだッ、何もかも、一切合切。その地域を世界地図から切り取る様に消滅させてでも、その情報が広がる可能性を消さなきゃならなかった」
 ……そして切り取る様に消滅させた。
 里曽辺の目は安藤を見据え、その手はガバメントのグリップをギリギリと締め上げていた。
「そこを拠点に活動していたテログループ三百五十人余り、そして地域一帯の全ての情報伝達手段を遮断、ブロードバンドジャミングを広範囲に展開した後、街二つ村三つを地図から消した。武装したゲリラグループ、わけも理解せず自己防衛として銃を構えた民間人、分け隔てなく区別なくあんたは皆殺しにして火をくべた」
 未だ狂った夢は覚めやらぬ。未だ振り返ることなく歩き続けねばならぬ。未だ正当性を妄信せねばならぬ。未だ人を凌駕する化物の、その必要性を認識せねばならぬ。
「限られた短時間の中で、巧妙な爆弾を使い、一斉に各所で発生した広大な山火事が原因に見える様なやり方であんたは任務を遂行した。……拍手喝采ッッ、あんたは英雄だ。その後の調査で死傷者は五万人を越えたらしいぜ、英雄ッ、Walkerッ、里曽辺三等陸佐ッ?」
 賛辞の言葉を並べ終え、安藤は不意にその目を閉じた。そうして感慨深げな声をあげる。
「あぁ……目を閉じれば眼前に広がる様だ。手に取る様に何もかも鮮明に思い出せるぜ。深夜に放った盛大な火炎が一気に山間の寝静まった街を包み込んだ、逃げ惑う民衆で溢れかえる避難経路に設置した爆薬はものの見事……あんたの狙い通りに綺麗な爆音を響かせて、ガキも野郎も女も分け隔てなく消し炭に変えた」
 目をキッと見開いて安藤は里曽辺にこう問い掛ける。「……あそこは地獄じゃなかったのかい?」と。
 声として安藤へと返すことはしなかったが、確かにそこには里曽辺の同意の言葉が漂っていた。あの場所は「地獄だった」のだと、確かに同意が返っていた。
「自らの手で放った炎の中に躍り行って銃撃戦を展開し、……あの灼熱の、焼け焦げた死体が無様に転がる地獄の中をあんたは歩くべき場所を熟知したWalkerとなり、次々と生存者を銃殺していったんだぜ?」
 言葉を句切り、安藤は獣の様な目で里曽辺を睨み見てこう言った。
「灼熱地獄の、自動小銃の盛大な喝采の中を、ステップを踏む様に歩き続けた化物だ」
「……俺はお前の眼前で、歩いて見せたのか?」
 確認する様に問い掛けた質問に、安藤は明瞭に「Yes!」と返事を返し、里曽辺は大きく息を吐いた。
「名前を聞いておこうか?」
「安藤芳章(あんどうよしふみ)だ、室谷(しつや)二等陸尉の下にいた」
「そうか、……俺と共に地獄を歩いた哀れな生き残りか」
 タンッと唐突な挙動を取って、安藤は自身の後頭部にグロッグを突き付けた。大きく見開いた目をして引き金に指を置き力を込めて、ともすれば弾丸を撃ち放つギリギリのラインでそれを留める。目の色を変えて、恐ろしい程の集中力を持って、少しずつ少しずつ引き金を引いていた。
「今、本物になって見せるぜ。あんたがくたばる時にはそれ以上の化物が生まれ出でなきゃなんねぇんだよッ!!」
 これが俺のやり方だと言わないばかり、そこに名護谷は身震いを覚えた。雰囲気が変わると言うのか……、安藤がまとう気配が変わると言うのか。限界を引き出そうとしていると言えば言葉が良いのだろうか、ともあれ里曽辺に近付く為に安藤が恐ろしい程の集中力を引き出そうとしているのは確かだった。
「人を凌駕する化物となって何を為す? 一介の殺人兵器に身を窶すのか? 化物には意志が必要だ」
 安藤は米神に皺を寄せ、額に無数の青筋を浮かべながら、荒い息を吐き始めていた。見るからに異常な発汗をして、ガチガチと凍える様に歯を鳴らす。里曽辺の言葉などその耳には届いていない様、しかし里曽辺は続ける。
「……拠り所を持たない人ですらない化物がどうなるか知っているか?」
「へへ……へへへ、あんたの哲学は尊重するぜぇ。でもなァッ、後塵を拝する……あんたに追いつこうと足掻く俺らは、まずはそこに到達しねぇとならねぇんだよッ! ……知ってるかい? 理想って奴は力がないとほざけねぇんだぜッ!」
 くっと目を見開いて、前面に身震いする程の戦意を押し出し、安藤が咆吼をあげる。
「行くぜぇッ、あの地獄で生まれたアーキタイプッ!!」
 グロッグが身構えられる。先手を取ったのは安藤で、その第一撃は里曽辺の後頭部を掠めた。ここに来て始めて安藤の一撃が里曽辺に、僅かながらではありながらダメージを与えられた瞬間でもあった。
 けれどもその安藤の表情に満足はない。ただただ里曽辺を殺す為の、直撃だけを求める真剣な顔があるだけだ。
 嫌な気配がしていた。それをより嫌っていたのは名護谷だったのが、それは里曽辺にも通じる重苦しい気配だ。
「……まずいッ」
 そんな直感の命ずるままにガバメントを身構え、里曽辺の援護の為の名護谷は引き金を引いていた。
 ドゴッドゴッと肩先を狙った名護谷の弾丸が肩付近に直撃してなお、安藤は顔色を変えることがなかった。まるで名護谷の後方支援など眼中にもないかの様に里曽辺だけに狙いを定めた一撃を続けた。
 放たれてからの弾丸を回避するなど出来る芸当ではない。では放たれる以前の弾道を読んでいるのか?
 次第に、里曽辺に歩調を合わせる様に安藤も里曽辺の弾丸の回避を始めた。互いが互いの射撃を回避しながら相手を仕留める為の一撃に神経を集中させる異様な緊張の中、名護谷は舌打ちをする。
「くそッ、千宗にマグナムを手渡したのは失敗だったかッ!」
 名護谷の狙いは肩先などではなかった。けれども肩先にしかヒットしない。否……逆を取れば肩先にはヒットするのだ。安藤が「Walker」の領域に突入するよりも早く、多大なダメージを与えて置いた方が良い。そう判断した名護谷は思わず顔を顰めた。里曽辺の挙動が一定のパターンに基づかないから、里曽辺に当たる可能性のあるコースに狙えないのも一因だっただろうか。
「あんたは銃口を見ているわけじゃねぇんだ。……かと言って俺の頭の中を読んでるわけでもない」
 安藤も里曽辺と同じ様に何かを見始めていると名護谷は理解した。額直撃コースの弾丸を左腕で止めながら、その止める回数も格段に減りつつある。そうして安藤は常に左腕を翳した防御姿勢を取っているわけではない。
 自分の額に直撃する弾のコースを「感じて」、そして「予測している」のだ。里曽辺の様な完全な回避をしているわけではないながら、安藤も間違いなく里曽辺の領域に近付きつつあった。
「俺だって狙いはともかく、弾がどこに向かって飛んでいくのかなんて実質わからねぇんだ。でもあんたは何かを見ているんだ、確率とか可能性とか言った不確かなものなのかも知れねぇ……、けどあんたはそれをどうやってか「知る」ことが出来るからWalkerなんだ」
 ところどころ歪な軌道を描きながら、且つ一方方向だけへと移動するわけでもない。けれども安藤と里曽辺の位置関係は互いが円を描く様に推移する。必要最低限の距離を保ち続ける緊張の中では、双方どちらも残弾数など数えてはいなかった。相手に弾丸を直撃させる為だけの行動に全神経を集中させていた。
 けれども残弾数が残り僅かなことは理解出来ていた。手に握り持つハンドガンの重さが変わる。それによって撃ち放った直後の反動が変わる。理由は様々だったが理解はしていたのだ。
 だから安藤は唐突に距離を詰める為の一歩を踏み出した。より近距離下に里曽辺を置いて、その目的を遂げる為に。肉弾戦では勝ち目がないこともその理由であるし、そして何よりケプラー繊維の防弾服に身を包む以上、結果が例え相打ちの格好でも勝利の目が残っているからだった。
 そこに残った結果は実に単純明快なものだった。安藤の接近に合わせて里曽辺も前に出て、そうして里曽辺が先手を打ったのだ。グロッグを握る安藤の右手にガバメントを突き付けて、ゼロ距離。ドゴンッと銃声が響くとあっさり安藤の右手は制御を失い、そうしてただ引き金を引かねばならぬと言う意志に取り憑かれたかの様に照準定まらぬままグロッグは火を吹いたのだ。
 安藤の胸元にガバメントが突き付けられて、再度ゼロ距離。まともにストレートで殴られた以上の衝撃に全弾丸を使い果たしたグロッグも安藤の手を離れて床を滑って、勝敗が決する。
「へへ……ひへへへへ、やっぱり一発も当たりやがらねぇのか」
 着弾の衝撃に身を任せる様に安藤は床に突っ伏した。ドゴッと衝突の音が鳴り、そのまま壁へともたれ掛かる格好だった。額のガードに当てていた安藤の左腕は骨が砕けているらしく、集中が途切れた今ピクリとさえも動くことはなかった。
「でも安心したぜ。……あんたが引退するとか言う馬鹿げた話を小耳に挟んでね」
「……事実だよ、足を痛めた、Walkerが足を負傷し歩けないなどいい笑い話だろう?」
 里曽辺の言葉に、声に出すことのない笑いを含みながら安藤はこう言葉を続けた。それは「引退など出来るはずがない」ことを確信した上での科白だった。
「冗談言っちゃいけない、あんたが引退したら誰が戦場に地獄を呼び込んでくれるんだい? 誰が愚かな敵性組織を震え上がらせてくれるんだい? あんたの次のWalkerがそれをきちんと担ってくれる保証はあるのかい?」
「……これから世界は平和を目指して一つにまとまる方向へと流れていくだろう」
「それ、見せ掛けだけの紛い物だろ?」
 間髪入れずに安藤がそう里曽辺へと問い直す。叶わぬ里曽辺の希望的観測をものの見事に否定するその様は、自身が目指したものの必要性を訴えている様にも見えた。
「実施なんか伴わないんだよ。矛盾を解決する理論がねぇんだから……。へへ……グローバリゼーションがソノモンディエルを聞かせてくれるかァッ?」
 ゴリッとガバメントの銃口を里曽辺は安藤の後頭部へと突き付ける。それを厭う様子を見せない安藤は既に抵抗が無意味でことを承知していた。それで楽にくたばることが出来るのだと理解していた。
「出来るはずがねぇッ……あんたもそう思うだろ? ひはははは」
 楽しそうに言葉を話す安藤に対して、里曽辺は引き金に指を掛け無表情のままその話に耳を傾けていた。
「……化物を殺すことが出来るのは、それ以上の力を持った化物だけだ。あんたがくたばる時にはそれ以上の化物が生まれた時だけだぜ、その中途の礎としてくたばるなら本望、いずれ生まれくるより以上の化物に乾杯ッッ!!」
「……それらは本当に、国ないしそれらを生み出した何かを守る存在なのか?」
 そうやって危惧を口にしてみても、安藤からは望む答えなど返らないことは理解していた。誰も彼もが中身のない化物を求めている気がした。
「あんたを殺せないで良かった、こんな無様な俺如きがもしも済し崩しにWalkerを冠してたら、ホントいい笑い話になるところだったぜぇ。次のWalker見習いとやらは、あんたに劣り勝らぬ化物なんだろ?」
 答えはやはり返らなかった。右手を大きく掲げ安藤は満足げな顔をして高々と声をあげる。
「来るべき日の為に、乾杯ッッ!!」
「……来るべき日などない」
「いずれ来るんだよ。一年先か、数年先か、百年先かは知らねぇが。だから化物が必要とされる」
 ドゴンッ……と、一つ銃声が響き渡ると安藤は動かなくなった。


Seen05 設計図に存在しないもの
「待ってましたー孝山さん、おいたは駄目だよー」
 施設内部の喧噪とは一転、静まり返った広大な地下駐車場内に響き渡った聞き慣れた声に、孝山は一時……驚いた風な表情を垣間見せた。しかしながら、このまますんなり逃亡を許してくれる相手ではないことなど承知の上らしく、孝山は自らの感情を鼓舞するかの様に口許に笑みを灯すと威勢良くこう口を切るのだった。
「人でなしの化物が知った風な口を利く、正義は我にあり……だぞ、Walker見習いッ!」
 バッと突然の挙動で孝山が手を翳すと真横に控えていたガーディアン「高浦・山薙」の二人が銃を身構え、千宗の声が響いた方角へと向き直る。ガーディアンと言う立場上、高浦と山薙の二人は一歩二歩……と孝山よりも前を行こうとするのだが、孝山は自身の千宗対策とやらに余程の自身を持っているらしく、その声がした方へと躊躇いもなく足を進めた。
「どうした、私の首を取りに来たのだろう? 掛かっては来ないのかね、Walker見習い?」
 挑発の意味合いを込めた威勢の良い言葉で孝山が自身の首を刈る様な仕草を取って見せると、千宗は広大な地下駐車場を支える複数個の柱の影の一つから、その姿を現した。フレンチコートの様な裾の長いコートを羽織り、懐へと差し入れた右手が今まさにコートの懐から引き抜かれたところだった。
 手にするはデザートイーグル。それが身構えられるよりも早く高浦・山薙の二人は千宗へと照準を定め、そうして構え様に弾丸を撃ち放っていた。ドンッドンッ、ドンッドンッと交互に二度、総数として四度響き渡る銃声。
 その弾丸は千宗の胸元に着弾したが千宗は蹌踉めくこともなく、また大した衝撃を受けた風も見せなかった。キョトンとした顔をして千宗は撃たれた箇所に目を落としたが、ニィッと言った具合の所得顔を見せる。
「こんな口径の銃じゃ、わたしにダメージを与えることは出来ないよー?」
 高浦・山薙、両者共に身動ぎもせず銃を身構えた格好のままその千宗の動向を窺っていた。孝山だけが「見るまでもない」と、そんな具合に腕を組んで目を瞑り、千宗の身体に弾丸の影響が現れるのを待っていた。
 そしてそれは確かに訪れる。千宗はその余裕の表情を一転させると、そこに驚愕の色を灯した。
 腕には力が入らないらしい。それはブランと地を向き、デザートイーグルもその手からアスファルトへと落下する。それが千宗の意志に反してであることを、音の鳴った地面へと視線を落とした千宗の挙動が指し示していた。
「……あーー……、うー……、何を……したの?」
 自分の身体に一体どんな変化が起きているのかを理解出来ない千宗はそう口を開くと、孝山へと向き直った。一転して所得顔へと表情を切り換えた孝山は、さも満足そうな笑みを零した後で、千宗を見下げる様にこう言い放つ。
「銃撃では死なない、銃撃は利かない、そう高を括ったのが運の尽きだったな、Walker見習い」
 パチンッと右腕を振り上げると同時に指を鳴らし、それが合図と言わないばかりに孝山はこう続ける。
「撃ち殺せッッ!」
 ドガッドガッドガッ……、と全ての弾丸を撃ち尽くすまで高浦・山薙の射撃が始まる。その弾丸とハンドガンの組み合わせによる着弾の衝撃自体は千宗に取って微々たるものだとは言え、さすがの千宗もその猛攻に一度二度と蹌踉めく。
 全弾丸を撃ち放って二人の銃口がゆっくりと下を向くと、千宗はドサッと片足を付き自身の身体に現在進行中で起こっている影響の把握に未だ戸惑っている様だった。
 しかしながら改めて、そこに苦しむ素振りがないことを高浦・山薙は感じていた。多量の対Walker見習い用弾丸を撃ち込まれてなお苦しむ素振りを僅かにさえ垣間見せない千宗に、高浦・山薙の二人は険しい表情を見せ始めていた。孝山が言う様に千宗に対してこの弾丸が本当に効力を発揮しているのかを見定める基準が存在しないのだ。だからより一層、高浦・山薙の千宗を見る目つきは鋭さを増していた。微かな変化も見逃さぬ、まさにそんな蚤取り眼だっただろう。
「反応……弾……?」
 ブスブスと肉の焦げる嫌な匂いが、銃弾の撃ち込まれたありとあらゆる箇所から立ち込めるのを他人事の様に客観視しながら、千宗は誰に問うでもなくそう口にした。自身の身体の様子を確認する様に下を向き、それがただの発火系統の弾丸ではないのだと理解出来たのだろうか。
「ホローポイントを改良した弾だ。それもただ体内に残るだけではなく、化学反応を起こし高熱を発する」
 その弾丸は確かに目に見えるダメージを千宗に与えた。事実、こうやって千宗を身動き取れない状況に追い込んだのだ。けれども孝山は、だからこそもう一つの目に見える大切な事実を看過しようとしていた。それは千宗に焦りとか苦痛とか言った類の……千宗自身に危機的状況に追い詰められたと言う意識がないことだ。
 孝山はそれをただの強がりか何かだとでも判断したのだろうか?
「Walker見習い対策仕様の特別製だ。存分に苦しんで消えてなくなりたまえ」
 言葉に強い調子はない。けれどもその一方で孝山の目つきには相手を見下げる冷たいものがある。
「人でなしは人でなしらしく……な」
 千宗は何かしらの言葉を返さなかった。その孝山の目つきにある「意図」と言ったものが一体どういった類のものなのかをまだ理解出来ないこともあったし、未だ白い煙をブスブスと着弾痕から吹き上げる自身の身体は思い通りに動かせる程には回復していないことがあったからだ。だから千宗は優越感に浸った所得顔の孝山の話に黙ったまま耳を傾けていた。
 孝山は千宗を見る目つきにその見下げた色を灯したまま、様々な罵倒の言葉を千宗に向けて見せていたのだが、「ふんッ」と言った具合の含み笑いを灯した後で、唐突にその話の内容をガラリと切り換えた。
 仮初めにも眼前にある、この手も足も出せない人でなしを誕生させることに自身が関わっていたのだと言う思いが込み上がってきたのかも知れない。勝利を確信していた孝山の話がそうして千宗対策の弾丸にまで及ぶのに、そう然したる時間は掛からなかった。
「千宗、お前の設計図を見てどうやったらお前の様な化物を殺せるかをずっと思案した」
 千宗は孝山が唐突に口にした言葉に不思議そうな顔をしながら、それでも興味を引かれたらしい。その内容を急かす様に、黙っまま孝山の言葉に耳を傾けていた態度を一転、口を開いてこう問い直した。
「設計図……?」
「正確に言えば今のお前自身の雛形を記したものではないがね。……プロトタイプのものとでも言えばいいのかね? イカレタ生物工学でいかに異常回復能力を身に付けさせるかを克明に示していたよ」
 千宗は「ふーん」と言った具合の、さして驚いた風な表情を見せてはいなかった。それよりも、そんなことを自身に話し始めた孝山の意図と言うものを何とかそこから見て取ろうとしている風にも映っていた。
「確かに成果としてもたらされていた異常回復能力はこの目を疑うものだったよ。心臓を失っても脳細胞を失っても元通りに再生する、狂っている……心からそう思ったよ」
 孝山の口調に非難の調子はない。言葉にして見せた「狂っている」とは、そこに賞賛の意味合いしか取ることが出来ないものだ。だから例えそこにプロフェッサーらとは異なるどんな態度を示して見せようとも、孝山も千宗に類する存在を望んでいることが浮き彫りとなった格好だった。
「鳥谷部は人間とは成長の過程に沿った「身体の設計図」を持っていると言い、回復を統制する別の細胞があれば例え人としての形態を失うほどに壊れても設計図を参照して元通りに修復出来ると喋っていた。回復能力を統制する細胞の移植についてそう話しているのを聞いてピンと来てね。お前の全身の……ありとあらゆる場所にこの銃弾を撃ち込んでその統制細胞とやらを先に殺してしまえばお前をなんら容易く殺せることが出来ると思ったのさ」
 千宗が見せるダメージ耐性は全て異常回復能力によるものだと、孝山は推測したらしい。銃痕に血液が滲まないことも、里曽辺が何度か千宗に対して試みた脳震盪を引き起こす打撃によるダメージがなかったことも、全てそれで説明付けられるのだと語ってみせていた。
「まぁその結果は、今からこの目でしっかりと焼き付けることになるのだがね」
 千宗は「むーん」と小さく唸りながら思案顔を見せ、孝山の……自分を殺す為の見解に対してこう問い返した。
「プロフェッサーはね、その統制細胞は記憶とか人として存在する上での重要な、経験として積み重ねられたものを現時点のものでは再生出来ないーみたいなことを言ってて、回復統制細胞による計画は頓挫させたんだーって言ってたよ?」
 孝山は「フンッ」と鼻息荒く下卑た笑みを見せると、自身の確信を僅かにさえも疑うこともない。
「お前にこのプロトタイプ設計図にはない何を付加して、Walker見習いを作り出したのかまでは知らない。だが、大まかな図式と言うものは変わらないものだろう? はは……ははははは、お前がくたばる様を見て私は引き上げさせて貰うことにするよ。だが喜べ、この弾丸がお前を殺せると言う事実で、お前を作り出した技術を我々は承認することが出来る」
「……それは、どう言うこと?」
 千宗は心底不思議そうな顔をして孝山へとそう問い返した。孝山は千宗を無知で童蒙と、そう見下した目をして得意気な口調で教え聞かせる為の言葉を紡ぐ。
「解毒剤のない毒など使わない。対処のしようのない化物など作り出さない、……もしくは例え対処のしようがなくとも完全に制御が出来る。ここはそう考える連中が大半を占める世の中だ。技術水準の高さよりも実際は酷く重要なことがこう言った類の当たり前のことなのだよ」
 確信として揺らがぬ絶対的有利な状況がそんな言葉を口にさせたかどうかは定かではないが、千宗に施されている技術そのものを価値あるものと孝山が判断していることは確かであった。
「お前は掻き消える……が、お前に施された技術を元に生み出された兄弟・姉妹がこの世に生まれ出でる道は出来たと言うことだ」
 孝山のその言葉は千宗の中に存在する技術に対し、遵守するべきことさえ遵守すればプロフェッサーらがやる様に「千宗に類するもの」へと愛情を向けられるのだよと、優しく教え諭しているかの様にも聞こえた。
「……奴らは解っていない。思い通りに手足の様に動かすことの出来ない兵隊などに意味がないと言うことを。意図通りに制御出来ない化物など使い道がないと言うことを。我々自身が滅ぼすことの出来ない化物など、ただの手に余る害でしかないことを……な」
 愚痴を零す様に持論を展開し孝山は再び冷たい目をして千宗へと向き直り、こう問い掛ける。
「……身体の内から焼かれる気分はどうだ?」
「これが身体の中から焼かれる感覚なんだ、……まだこの感覚に「慣れ」ていないから全身に力が入らないよ」
 真正直に孝山の質問に答えを返した千宗の言葉が、ある種……千宗が受けたダメージの大半が回復したことを示唆していたのかも知れない。千宗が既に平常時の状態に戻ったという点ではそう言ってしまっても過言ではないのだろう。
 そして千宗はこう口を切る。言ってしまえば戦闘再開の合図などする必要はなかった。けれども千宗はそれをした。
「ふふーん、……けど孝山さんは本当にこんなものでわたしを殺すつもりなのかな?」
「まずいッ!!」
 高浦が胸元から銃身の長いショットガンを取り出し、千宗への距離を詰める。千宗は足下に転がるデザートイーグルに手を伸ばそうとしている状態で、中指の先にそれが当たろうかと言う時になって胸元にはショットガンが突き付けられた。
 ズガァッズガァッズガァァァンッッとけたたましい音が三連続で響き渡る。千宗は簡単に二メートル近く宙を舞い、後方に停車していたRV車の運転席側の側面へと落下した。ドゴォンと音が鳴り響き、衝突の影響でRV車のサイドガラスには細かな罅が走る。
「孝山様、今すぐここから離脱しますッ、Walker見習いの殺害は失敗です!」
 トンッとアスファルトへと降り立ち俯いた顔を振り上げた千宗には既に激しい戦意が灯っていて、ショットガンによるダメージなど見受けられなかった。だから高浦が声を張り上げ、孝山へと撤退の指示を飛ばすのだった。
「うー……、これぐらいの感覚にすぐ適応出来ないから里曽辺三等陸佐にもプロフェッサーにも銃を扱う才能がないとか言われるんだよー!!」
 千宗は未だ思う様に動かない、力の入らない自身の身体に対する不満をそう言葉で表現すると不機嫌そうな表情をして立ち上がる。蹌踉めく様に体勢を崩しながら顰め面をして踏み止まって、千宗は高浦……そして孝山の位置確認をする。突進をする様に身体を前のめりにする千宗は、右手をコートの左腰辺りに置いて手刀でも切ろうかと言う格好だ。
 その意図の不明瞭な千宗の動作に警戒しながら、再度千宗への距離を詰めようと前に出る高浦は、けれどもヒュンッと鳴る風切り音に咄嗟に反応しショットガンの銃身で防御態勢を取った。それが功を奏して、広大な地下駐車場にはカーンッと一つ耳障りな金属音が響き渡る。
 千宗はレアメタル製の長刀で振り抜き様に斬りつけていて、高浦はほぼ鼻先数センチの位置でショットガンの銃身によりそれを受け止めた格好だ。もしも千宗が発火弾によるダメージが尾を引かないベストの状態だったなら、高浦がこうやって凌げたかどうかは解らない一撃。
「山薙ッ、背後を取れッ、孝山様がここを離れるまで時間を稼ぐぞッ!」
「了解したッ!」
 打てば響く反応を見せて、山薙はショットガンの遊底を引きながらRV車のバンパーを踏み台に千宗の背後へと降り立った。顎をしゃくる様にして高浦へと合図を送り、山薙はショットガンを身構える。
 見るからに能力低下状態にある千宗を、高浦はショットガンを突き放す様に押し付ける格好で突き飛ばし、手慣れた動作でポケットから取り出した弾丸をショットガンへと装弾する。ショットガンによって千宗の胴体に与えたダメージが、未だ赤々しい肉が露出する形で回復していないのだ。だから、このまま撃ち続ければ何とか出来ると高浦は踏んだのだ。最悪の場合はこうしてショットガンのダメージが残るのだから、足回りに射撃を集中させ一時的に行動を不可能にさせてから、逃走を図っても良い。
 山薙はショットガンの照準を吹き飛ばされる格好で接近する千宗へと向け、指を掛けた引き金に力を込める。ギリギリまで引き付けて、千宗を捉えるショットガンの一直前上の高浦へと間違っても被害が及ばない様にする。
 ズシャッ……と肉を裂く音がした。そうして続け様、確かにショットガン三連発の銃声が響き渡った。刹那の間を置いて、ドゴオォッッと再度RV車への衝突音が響き、高浦は振り上げる様に身構えたショットガンの引き金を引けなかった。
 千宗を捉えるはずだった山薙のショットガンの銃口はあらぬ方向へと向いてしまっていた。山薙の腹部にはレアメタルの刃が突き刺さっていて、その上ショットガンの反動がRV車への激突に加速度を掛けた格好でもあった。
 千宗は自身の腹部へとレアメタルの長刀を突き刺していて、まるで切腹でもするかの様にその刃を自身の胸元まで突き上げる。グシャッと肉を裂く音がして、ビクンビクンと痙攣をする山薙の手にあったショットガンがアスファルトへと落下すると、山薙同様ダメージを受けているはずの千宗は得意満面と言った具合の微笑を見せて、高浦へと向き直った。
 自身の腹部に突き刺さったレアメタルの長刀を引き抜くと、その勢いのままビュンッと風を切って、千宗はそこに自身がまとう戦意を示しだしたかの様だった。
 RV車のサイドガラスには罅が走り、ガシャリとへっこんだフレームがその衝撃の大きさを物語っていた。千宗の背にもたれ掛かる様な体勢を取った後、山薙はズルズルと崩れて行きアスファルトへと突っ伏した。刃は心臓部まで届いたらしく、言葉にならない呻き声を漏らしながら暫し痙攣を続けていたが、やがてそれも仰け反る様な大きな痙攣を最後に、口から多量の血を吐いて動かなくなったのだった。
「くッ、くく……はは、次のWalker候補は今のWalkerに輪をかけた化物か」
 笑い声をあげながら、孝山は僅かにさえも千宗を注視する視線を緩めない。そこに想像以上の化物振りを発揮する千宗に対する恐怖が滲み出ていた。
 トンッと地を蹴り千宗が突然の挙動を取る。高浦はその挙動の俊敏さに目を見開き驚愕した。孝山が言う様に、ただ異常回復能力を付加しただけの、……それだけの相手が人の能力を超越する脚力を持っているのかと本格的にそれを疑い始めたのだ。結果として高浦は千宗に対する全ての先入観を拭い去り、千宗について何一つ情報を知り得ないのだと自身に言い聞かせた。そしてどんな相手に対しても万能に対処する、……そんな戦い方に身を置いた。
 出来る限り間合いを取って自身の攻撃のタイミングを崩さないやり方に切り換え、高浦は時間を稼ぐと言う当初の最優先事項に徹するつもりらしい。ガーディアンとして戦闘に熟達した高浦から見れば千宗の間合いの取り方は断然に程度が低かった。だから「いつも通り」にあしらってさえ行ければ、千宗に勝てずとも負けもしないのだと判断したのだ。
 ガキイィィィンッと加速度の付けた千宗が振り翳すレアメタルの刃をショットガンの銃身で受け止め、高浦は千宗のボディー目掛けた蹴りを放ち、忠実に間合いを開く為の挙動を見せる。空中で体制を整えて身軽な動作で着地した千宗は消極的な高浦の動作に怪訝な表情をしながらも、ニッと口許に灯す微少でレアメタルの長刀を構え直した。
 チラッと横を盗み見る様な挙動を見せて千宗が斜め前方にダッシュする。その方角に転がるはデザートイーグル。
 高浦は「まずいッ!」と言った具合の渋面をして、千宗に遅れてダッシュを掛ける。スピードは言うまでもなく千宗の方が二倍、いや三倍近くは早いだろうか。足を伸ばす段階まで来て間に合わないと踏んだ高浦はショットガンを持ち直し、いつでも撃ち放てる体勢を整えようとしたのだが、カーンッッ、カンッ……カンッとデザートイーグルは高浦の靴の先に当たってアスファルトを滑って行った。
 タイミング的なことを言ってそれは起こり得るはずがない結果であった。では千宗の狙いは始めからデザートイーグルなどではなかったと言うことになり、バサァッと身を翻えす千宗は今まさにレアメタルの長刀で高浦の利き腕一本薙ぎ落とそうと刃を振るう直前だった。
 ショットガンの銃口は高浦の咄嗟の反応も虚しく、未だ千宗の右脾腹辺りを彷徨っていた。引き金をギリギリまで引かない我慢の限界も……そこまでだった。ズゴオォォォンッ……と鳴り響く銃声に千宗は吹き飛ばされる。けれどもしっかりと狙った高浦の利き腕に傷の深い斬撃を加えていて、高浦にしてみれば何とか腕を持って行かれることなく凌ぎきったと言う状況だ。
 普通の人間が相手だったなら右脾腹に与えたショットガンのダメージは致命傷になり得て、辛くも高浦の勝利と言う構図だったのだが、千宗は「してやったり」と言う具合の愉悦の表情で平然と起き上がって見せていた。勢いよく傷口から吹き出る鮮血は一向に止まる気配がなく、高浦の側は動脈までも持って行かれた様だった。
 利き腕の止血点を左手でグッと締め付けて渋面を見せていた高浦だったが、起き上がった千宗がタンッタンッと身軽な挙動を取って壁際のデザートイーグルをその手に拾い上げると、観念したかの様に表情を消した。そうして止血点を締め付けていた左手を離すとその左手にショットガンを持ち替える。……もう助からないと踏んだのだろう。
「……楽しいか、Walker見習い?」
「楽しい? ……うーん。どうなんだろ、解んないや。……そんなこと聞いて、どうするの?」
「冥土の土産と言う言葉は教えて貰っていないのか? はは……、お前は地獄の底を地獄とも思いはしないのだろうがなッ!!」
 自身の気持ちを鼓舞する様に大きく歯を剥き、ヒュンッと風を切って高浦はショットガンを身構える。
 千宗は見せつける様にデザートイーグルを身構えて、そして躊躇うことなく引き金を引く。ドゴォンッと響く銃声に高浦は僅かに左斜め方向に回避をするだけだった。弾丸を完全に回避する気はないらしく真っ赤な血の滴る利き腕の、その右肩付近に千宗の撃ち放った弾丸はヒットした。吹き飛ばされるかの様な着弾の衝撃を踏み堪えながら、高浦は激痛に顔を顰める。完全に言うことを利かなくなった右腕は肩先から骨を持って行かれた様だった。
「けッ、マグナムが好きならリボルバーでも使ってりゃいいものをよッッ!!」
 貫通力の高いリボルバーのマグナムだったなら、デザートイーグルで食らう様な衝撃に足を止めることもなく千宗目掛けて一心不乱の前進に専念出来たことだろう。但しこれがリボルバーだったなら、弾丸は確実に右肩を貫通しただろう。ただ高浦の目的が千宗の後頭部に銃口を突き付けての「せめて一太刀」である以上、その貫通よりもこのデザートイーグルの衝撃に足を止めたことの方が痛手であるのだった。
 高浦は千宗のデザートイーグルの二発目の回避が厳しいことを悟って、不本意ではありながら至近距離とは言えないこの位置で千宗目掛けてショットガンの引き金を引いた。デザートイーグルの衝撃に僅かに蹌踉めいた千宗が、高浦の心臓を狙った一撃の……その引き金を引く前に。
 ズゴオォォォンッッ!!
 ……高浦の聴覚にカツンカツンとアスファルトを歩み寄ってくる靴音が聞こえていた。背中に冷たいアスファルトの感触を感じる横たわった体勢のまま身動ぎ一つせず、見下ろす格好で立つ千宗の顔を高浦は睨み付ける。
「Fucking bitch!!」
「……何それ?」
 言葉の意味を理解出来ない千宗の受け答えに、高浦はこれ見よがしの大声を上げて笑って見せて、こう言うのだった。
「はは……はははッッ、……くたばれ雌豚ってことだよ」
 凄味を利かせて見せると千宗の表情はすぐに切り替わる。瞬時に込み上げる何かを感じて、千宗は引き金を引いていた。……ドゴォンッ、ドゴォンッ!!
 頭部に二発弾丸が撃ち込まれ、高浦の頭部は原型を留めてはいなかった。
「……」
 千宗はムカムカする感情に囚われながら、複雑な思考を展開させていた。「さも可笑しくて堪らない」と、死ぬ間際にあってそんな具合に嘲笑されたのも初めての経験であり、またそうやって圧倒的有利な立場にありながら罵られたことも初めての経験である。その感情が「怒り」に類するものだとは分かりながら、より発展した「敵意」だとは認識出来なかったことがその尤もたる理由だったが、千宗は衝動に駆られるままもう一発デザートイーグルの引き金を引こうかと葛藤を見せていた。
 攻撃をする為の武器でもう自分には害を為さない肉片に、弾丸を撃ち込む理由は見付けられない。しかもその弾数は限られたものであり、まだ獲物を追う状況にあって無駄弾は使えない。だが、そうでもしないとその衝動は収まりそうにもないことを千宗は理解していた。結局、脳髄をぶちまけて原形を留めていない高浦だったものをグシャッと踏みつけて、アスファルトにこすりつける様……踏み躙った後で、千宗は孝山追撃の為に足の向きを変えた。
 そこには不機嫌な千宗の表情が残っていた。


「くそッッ、地下駐車場の災害時用封鎖隔壁は残り三つもあるのかッ? 加速を付けて突き破れないのかッ?」
 孝山の表情には焦りの色しか窺えなかった。孝山はセダンの後部座席から身を乗り出す格好で、そのセダンの運転手へと問い掛けるのだが、運転手から望む答えは返られない。
「これは耐圧仕様の隔壁ですよ。軍用ジープでもない限りはそう上手くは行かないでしょう」
 運転手はコンソールに視線を落とし操作を続けながら、孝山の言葉に一つ一つ丁寧な返答を返していた。
「いちいちパスワード入力をして手動解除をしていたんでは間に合わんぞッッ!」
 孝山へと向き直って口を開こうとした運転手だったが、唐突にドゴォォンッと広大な地下駐車場内にこだましたマグナムの銃声に、次の瞬間……頭部を失い人形か何かの様に宙を舞った。ビシャッと血飛沫がコンソール一帯に飛散し、一瞬状況判断に困惑した孝山だったがそこに千宗の声が響き渡ると激しい怒りを灯して見せる。
「もう手遅れだよ、孝山さん」
 ドサァッと運転手だったものがアスファルトに横たわる音がした。
「この弾丸凄いんだねー孝山さん、まだ完全に感覚が戻らないんだよ? 本当に凄いよー」
 孝山がバックミラー越しに姿を確認した千宗はセダンへとゆっくりと歩み寄ってきながら、左手を握り締めては離し……握り締めては離しして、自身の感覚というものを確かめている様だった。
「ふふー、……わたし対策の為に作ったんでしょー、凄いよ、効果抜群だよ」
 そこに何を嬉しそうな表情を見せる要因があるのかは解らないながら、千宗は楽しそうな嬉しそうな表情をしている様にも見えていた。それが孝山の表情を激しい渋面へと変化させたことは言うまでもないのだが。
 高浦・山薙との戦闘で負った傷は未だ完全修復はしていない。孝山の弾丸による銃痕もくっきりと残っていて、千宗の顔には一円玉ぐらいの赤い肉が見える穴が複数窺える。千宗が孝山の弾丸を賞賛するのも尤もだっただろうか。
 バンッと後部座席のドアを閉め、孝山はセダンの中で運転席へと移ろうと身を乗り出す。千宗はそんな孝山の行動を知ってか知らずか、ともあれ歩行速度を緩め逃げ場を失った孝山を迎え撃とうと言う考えらしい。
 セダンはウオォォォンと一度エンジンをふかした後で、ギュルギュルとハンドルを切った状態でバックをし、千宗と対峙する形で制止する。カチッとライトを付けて、孝山はそれをハイビームへと切り換える。……続け様に孝山がアクセルを踏み込み、セダンは千宗目掛けて急発進した。
 運転席に座る孝山へと千宗がデザートイーグルを構えるが、孝山はハンドルを切らない。デザートイーグルの引き金が引かれ、ドゴォンッと銃声が響くも対するセダンのフロントガラスにはガゴォンッと鈍い音が響き無数の罅が走っただけだった。防弾ガラス仕様のセダンはスピードをさらに加速させ千宗への距離を詰める。
 その接近によってなんら冷静さを失わない千宗と、切羽詰まった形相でセダンの運転に集中する孝山との勝負はその時点で決してしまっていたのかも知れない。それも人間の能力を超越する速度で行動出来る千宗が、その突進を食らうかと言えばその確率は低かのだ。ドゴォンッ、ドゴォンッと立て続けにデザートイーグルを撃ち放ち、その度にドゴッドゴッとフロントガラスは軋む音を立てていた。
 千宗はどうやらその射撃で防弾ガラスを粉砕出来るとは考えていない様だ。それぞれの弾丸が着弾した箇所はフロントガラスの運転席部分からはかなりずれた場所であるのだ。銃口を降ろすと、ヒュンッと風切り音を鳴らしてレアメタルの長刀を構え直す。
 千宗はトンッと真上に飛ぶと猛スピードで突進して来たセダンの屋根へと降りる。ダンッと天井で音がするのを理解する孝山は直ぐさま急ハンドルを切って、千宗をセダンの屋根から振り落とす。キイイィィィィッッとブレーキと急ハンドルによるものだろう音がして、セダンは大きくケツを振ってスライドするかの様に一回転する。
 セダンの屋根から抵抗することもなく放り投げられた千宗は天地が逆さまの状態で、それも利き腕にデザートイーグルを構えぬ不慣れた射撃を試みた。それが運良くもほぼ狙い通り横滑りするセダンの後輪タイヤにヒットするのだから、天は孝山を見放したのだろう。
 セダンにはかなりの加速度が付いていた。後輪を失ったことで横滑りの進行方向は大きく楕円を描く様にずれて行き、ドガアアァァァンッッとけたたましい音を響かせて、地下駐車場の支柱へと衝突した。
 衝突は運転席側、……それもフロント部分からだった為に、その運転席にいた孝山にも大きな衝撃があったはずなのだが、セダンは未だギユュウウゥゥゥンと唸り声を上げていた。未だ孝山がアクセルを踏み続けているのだろう。そうして次の瞬間、セダンは急発進する。
 パンパーはがしゃりと凹み、また弾丸の衝撃には強いはずの防弾ガラスも無惨にあちらこちらが欠け始めていて、もうその防弾と言う役割を果たすのは難しい様に見える。
 振り落とされた千宗がわざわざセダン真正面の直線上へと行くと、孝山はさらにアクセルを踏み込んだのだろう、エンジン音が上がった。そうして千宗は見せつける様に身構えるデザートイーグルの照準を、無惨に罅の走る防弾ガラス越しの孝山へと取るのだった。マガジンの残弾数は一発。
 ガシャアアァァァンッと防弾ガラスが飛び散る音が響く。千宗は未だデザートイーグルによる射撃の反動に慣れていない様で小さく仰け反っていたのだが、弾丸は孝山の頬へと命中し頭部を貫通したのだった。
 着弾の衝撃にドンッと座席にもたれ掛かると、ハンドルに突っ伏す様に倒れ込み「パアァァァァッッッ」と地下駐車場にはクラクションの音が鳴り響いた。孝山の突っ伏したハンドルは少しずつ切れていったらしく、千宗直撃コースから少しずつセダンはずれて行き、遙か前方の壁にけたたましい衝突音を響かせて、セダンは大破した。


 孝山が起こした反乱から三時間が経過した。施設内部は名護谷の指揮する「掃除屋」と呼ばれる連中によって後処理が続けられていて、珍しく里曽辺は施設外部の一般車輌用の駐車場で月を眺めていた。
 空には満面の星空が広がっていた。この施設に無用な注目を集めない為だろう、照明も数が限られていてその光量も少ない為に、星空は壮観な長めだ。
「民間航空機を撃墜、密航船により国内に侵入した国際犯罪組織グループを殲滅」
 千宗は里曽辺の横で大人しくその話を聞いていた。千宗が里曽辺にそれを問い掛けたからかも知れなかったが、例え千宗にWalkerについて問われずとも、里曽辺はその話をしたのだろう。
「果ては原子力発電用途プルトニウムの不正輸出の防衛……。そして俺はそれがわざわざ傀儡の一民間会社を設立して、政府関係の人間が行ったことを知っている」
 里曽辺は「兵器」ではない。意志がある。そして不幸かな……それが過ちだったかも知れないと立ち返ってしまった。
「俺はあまりにもたくさんのことを知り過ぎている。はは……これが終われば消されるかも知れんな」
「消される?」
 自嘲気味の里曽辺の言葉に千宗は怪訝そうな顔をして問い掛けた。
「お前はそんなことも知らないのだな、……殺されると言うことだ。くく、こんなことをお前に話したところでどうしようもないのに詰まらない話を聞かせたな」
 千宗は恐らく理解をしていないながら、里曽辺への配慮から首を横に振って詰まらなくはないと否定をしていた。里曽辺に取ってそれは酷く笑える光景で、だから……また自嘲が顔を出すことを予測するのはそう難しいことでもなかった。
「Walkerを始めた俺が、次の「Walker」へと全てを伝えなければならないなんて馬鹿げた規則もないはずなのに、口を開けば話してもしようのないことばかり、後悔ばかりが突いて出る」
「んー、吉前(よしざき)さん?」
「……立ち聞きをするつもりはありませんでした」
 千宗が唐突にあらぬ方向へと向き直り、名前を呼んだ方角からは見知らぬ男が姿を現した。けれども、その声を里曽辺は覚えている。それはいつかプロフェッサーと千宗に関して言い争いをしていた聞き覚えのない男の声だった。
 最初は申し訳なさそうな顔をしながら、けれども次の瞬間には意志の強い……恐らくその顔でプロフェッサーに食って掛かったのだろう険しい顔をして、吉前と呼ばれた男は里曽辺へと向き直った。
「しかし、里曽辺三等陸佐の話を偶然にも耳にして一つだけ言っておきたいことがあります。あなたは英雄だ、里曽辺三等陸佐。例え闇から闇へと葬り去られることだけに従事してきたのだとしても、この国の為に働いた功労者を間違ってもこの国が処分するなんてことがあって良いわけがない」
 千宗は吉前にただならぬ気配でも感じたのか、里曽辺と吉前を交互に見ていた。そんな千宗に対して、千宗がこの場にいると話しにくいのだろう、吉前はこう口を切る。
「プロフェッサーが呼んでいた。急ぎの用と言うわけではなさそうだったが、行って来た方がいい」
「プロフェッサーが呼んでいるの? ふーん、何だろ? ……ちょっと行ってくるね、里曽辺三等陸佐?」
 それが事実なのかどうかは里曽辺には解らなかったが千宗の問いに里曽辺は小さく掌を見せ了解の意を示す。千宗がこの場から去ってしまうと、重い雰囲気が里曽辺と吉前の周りを漂っていた。そして、先に口を開いたのは吉前だ。
「あなたと顔を合わせるのは初めてですね、里曽辺三等陸佐。私の名前は吉前邦志(よしざきくにゆき)と言います、肩身の狭い国家安全保安局の安月給取りですよ」
 吉前はまるでそこに千宗がいないことを確認するかの様に、千宗の歩み去った後を目で追って見せた。
「あの娘……、国見千宗と言う名前が付いたんでしたかね。……千宗の誕生に関わった一人です」
 小さく肩を竦める様にしながら、吉前は里曽辺へと握手の為だろう手を差し出した。里曽辺は吉前から差し出されたその手を握り返さずにその目を見据えたまま、いつか浦野にも向けた質問をぶつけた。
「良心の呵責はないのか? わざわざ人でなしの化物をこの世界に送り出したと言う……良心の呵責だ」
 吉前は手を差し出した状態のまま、黙り込んで里曽辺を見ていた。
「それも「人智を越える」ではない「人でなし」の化物をな」
 里曽辺が言葉を続けるとようやく吉前はその手を引っ込め、里曽辺の問いへの答えを口にする。
「あれには申しわけないがこちらも手段を選んでいられる状況にはないんですよ。人智を越える化物を殺す為にはより以上の人でなしの化物が必要だ」
 里曽辺は吉前がプロフェッサーと口論じみた会話をしているのを聞いてしまっている。だから吉前が「人智を越える化物」に対する抑止力として千宗を求めていることを理解する。
「何者にも対することの出来る抑止力を必要とすると言っていたな?」
「そうですね、……ええ、その通りですよ」
 吉前もあっさりとその里曽辺の問いをそうだと肯定する。では、吉前が千宗を作り出そうとした目的は明確に決まった様なものだ。そこで里曽辺は新たな疑問を抱くのだ、吉前が想定する「人智を越える化物」とは何なのか……と。
 その問いを吉前にぶつけるよりも早く、吉前は続ける言葉でこう口を開いていた。
「はは、正直な話をすれば……あらゆるものに対して抑止力になることの出来るものが制御など出来るはずはないんです、千宗にしてもそうだ……完全な制御など有り得ない」
 そこには一種の矛盾が生じる。完全な制御など出来ないのだと理解しながら、自身も脅威となるものを生み出すのならば、それは抑止力となると同時に副次的な様々な問題を抱えることになるからだ。
「ならどうして化物を必要とする? ……本心を言えば、俺は人を殺して英雄になれる時代は終わったとも考えている」
「そうとは思いませんね、まだ人を殺して英雄になる人間は必要とされなければならない。まだそれが必要とされる時代は終わっていない、いいや……私はこれからそんな存在の意義が増加する傾向にあると考えている。無論、英雄が欲しいのだと考えているわけではないですよ」
 反論は間髪入れずのものだった。余程それは違うと言う否定の気持ちが強かったのだろうが、そこにプロフェッサーと口論じみた会話をしていた時の様な荒々しさはない。安藤が笑い飛ばして相手になどしなかった様に、吉前も里曽辺の言葉をきっぱりと否定してこの話を終わらせた。
「……あんたは名護谷祐一、伏井明司とも異なる意図を持って国見千宗と言う化物を作り出した、……違うか?」
 明らかに里曽辺にはこの吉前邦志と言う人間が持つ意志と言うものが、他の連中とは異なると思っていた。プロフェッサーが言った様に自身の正当性を妄信しながら、より深い何かを持っていると里曽辺は直感していた。
「……目先の利害が違う以上、意図が同じと言うことは有り得ない話ですよ、里曽辺三等陸佐。しかし最終的に我々が望むものは全く同質の一つのものだ。私利私欲に走るもの、また考えが異なるものは次第次第に顔を出し、そしてそれは我々の手によって排除されていくでしょう」
「孝山克の様に……か」
「彼は私利私欲に走ったわけでもなく、また考えを我々と異ねるものではありませんよ。彼はー……ただ臆病者だっただけです。……何から何までこちらの意図通りに動くものしか信用・信頼出来ない」
 言葉を選んで見せた様は今は亡き孝山に対する吉前なりの心遣いなのだろうか。その内容は少なくとも孝山に対して、配慮があった風な感じを受けなかったが、だからこそ孝山の本質を言い表しているのだと理解出来る。
「実際の世界に置いてそんなものが一体どれだけあると言うんです? ……とは言え彼の考え方までを否定する気にはなれない、彼は自身の考え方を貫くことでここまで来たんですからね。しかし彼は根本的なことを間違った。こともあろうに計画を潰そうと考えた。いや潰そうとしたでは言葉が悪い、この計画の障碍になってしまった、……そんなことになってしまった以上、孝山さんを処分すると言う決断は翻しようがない」
 吉前はそこで一度言葉を句切る。ただ話を切り換える為だけそうしたのかも知れないし、改めて里曽辺の険しい表情を見返す為にそうしたのかも知れない。そうして吉前はこう里曽辺へと要求を突き付ける。
「千宗をあなたの様な本物の「Walker」として育て上げてください、里曽辺三等陸佐。出来得る限り万能な、……抑止力となる様に。仮初めの、歩き方を知らない「Walker」では、役不足と言わざるを得ない」
「人でなしの化物でさえ役不足か? ……不死身に近い化物でさえ役不足か?」
 吉前は小さく首を横に振って、その里曽辺の批判が見当違いのものだと否定した。
「恐らく私の考えは里曽辺三等陸佐、あなたのものに一番近い。……意志が必要だ。なぜここに生まれて、自分が何をするべきなのかを理解する。引いてはどこに辿り着きたいのかを理解する」
 何かしらの言葉を返さない里曽辺に対し、吉前は里曽辺に期待を掛けているという科白を付け加えてこう言い直した。
「千宗が兵器で終わる存在であってはならないと言いたいのですよ。……千宗が私の望む成果に成り得ることを心から懇願しています。そしてそれは恐らくあなたの手に掛かっているんだと私は思っています、里曽辺三等陸佐」
 達観したかの様な言葉をさらに付随させ、吉前は里曽辺に対して自身の見解を述べていた。里曽辺のものと一番近いと言った通り、吉前のその言葉には里曽辺が頷ける要素が多量に含まれている。
「兵器は簡単に使われる人間を変える。なぜならばそこに意志がないからだ。所信がなければ大義などない。あなたの言う通り化物には意志が必要だと私も考えています。例え狂ってしまっていようとも、……狂っているのならば狂っているなりの意志を……ね」
 不意にクルリと吉前は里曽辺に背を向け、顔だけを里曽辺へと向ける格好で去り際の言葉をこう口にした。まるでそれが切なる願いだと言わないばかり……。
「……千宗をWalkerに。ただ銃撃ではくたばることのない陳腐な化物から、本物の……Walkerに」
 兵器ではない「Walker」の意味を、少なくとも吉前は理解しているのだろう。そして自身が正しい道を歩き続けるのだと確信しているのだろう。
 地獄を歩いて狂った化物になった里曽辺は、次の狂ったWalker候補に勲章を譲り渡すまでは歩き続けなければならないらしかった。吉前のいなくなった満天の星空を天井とする薄暗い地下駐車場で里曽辺は口を開く。
「一度狂ってしまったのなら正気に立ち返ることなく、一生狂ったまま歩き続けることだ」
 ここにその言葉を向けるべき千宗はいない。……千宗は意志を持って、もう狂ってしまった。実質、今日の一件は千宗が「Walker」を冠したに等しい出来事だ。例えそれが公的でなかろうと、正規の手続きを踏んでなかろうと……だ。
「過ちに気付くことがないなら、それよりも幸せなことはない。……例えどんな批判に晒されようとも常に自身の正当性を懐疑することなく、狂ったままで最後まで歩き続けられるのならそれ以上の幸せなどない」
 願うは立ち返らぬこと。兵器ではなく意志を持つのだから、所信を持ち歩き続けることが出来る。
「過ちに気付きながら、それを隠し自身に嘘を付き続けながら過ちを犯し続けることより困難なことはない。願わくば、お前が狂い歩き続けられる「Walker」であることを願うだけだ」


Seen06 -継承-
「目標は江藤隆晃(えとうたかあき)、表沙汰には名前が出て来ないがマスメディアを通じて大々的に報じられた騒動の、……いや小競り合いの中心人物だ。小物ではあるがバックにいる武器商を経由してかなりの武器を保有しているらしい」
 伏井は眼前にある千宗に対してとても楽しそうにそう説明をしていた。千宗にWalkerを冠させるからなのだろうが、伏井にしてみれば孫が成長して小学校にでも通うことになったのと、似た様な感覚なのだろう。
「今回、組織の構成員数人と側近をSPとの銃撃戦で失い我々を逆恨みしているらしい。警備が薄くなると言う情報を情報屋を通じてばらまき、それに食い付いてきた」
 千宗はそれを到底理解はしていないのだろうが、伏井のいつもとは違う真剣な態度にビッと表情を引き締めていた。一方的に続く伏井の話に対して、時折相槌を打つ様に頷きながら真剣な表情をしているのだ。
「はは、頭の回転の悪い武闘派はこれだから本当に助かるよ。千宗、一匹残らず皆殺しだ。ただの一人もここから生かしては返すな」
 キョトンとした顔をしていた千宗に、伏井同様の笑みが灯るのはその次の瞬間のことだった。


 鬱蒼と生い茂る大森林。太陽は沈み、月明かりだけが光源の……深い暗闇が森林を包み込んでいた。
「撃てッ、撃てぇッ、なにやってんだよォッッ!!」
 タタタタタタタ……タンッタンッタンッとサブマシンガンの音がひっきりなしに鳴り響く中、時折ドゴオォォンッッと言った具合のハンドガンの銃声が間を縫って響き渡っていて、やがてサブマシンガンの銃声が途絶える。
 45ACPガバメントにはサイレンサーが付いているわけではなかった。また例え、それにサイレンサーが付いてたとしても口径の大きさから言って、そこに防音の効果は期待出来なかっただろう。
 それは即ち、千宗が一発を撃ち放つたびに自分の現在位置を相手に教える不利な状況下に置かれていることを意味したのだが、実質それが千宗に取って好条件に働いていることを見抜けるものなどこの場には誰一人としていなかった。
 誰もが一見するに戦闘の素人だと千宗を見ていたのだ。それは当初はただの油断だったのだが、時間が経つに連れ恐怖を伴っていった。間違いなくサブマシンガンの射撃は命中している……けれども相手を倒すことが出来ない。
「相手は何だッ!? くたばるなら、それぐらいの確認をしてからくたばりなッ、オイッ!!」
 ザアァァー……と鳴るだけの無線から返答が返ることはなかった。無線の周波数を切り換えて、生存している先行部隊を探すのだがそのほとんどから応答が返ることはなかった。嫌な予感が頭を刺す。それはサブマシンガンの銃声が途切れたからこそなお、真実味を帯びていた。
「江藤代表。赤外線のサーチによる敵影はない、……何一つ映らない」
 それは江藤の側からも見える位置にいる先行部隊による無線の報告だった。
「状況の詳細は解らないが、少数精鋭をさらにばらけて配置しているのかも知れない」
「みーつけた」
 ガサリッと鳴ったのはその千宗の声に振り返る時に周囲の茂みを揺すった音だ。それは江藤の耳がそれをはっきりと聞き取れる程の近距離だった。いつの間にそこまでの接近を許したのか、理解は出来なかった。
「き……きさッ」
 途中まで無線に聞こえた焦燥感を伴った声も、ドゴォンッと響いた銃声に掻き消える。ゴトォッと無線が大地に落ちた音の後にはサアァァァァァ……と、操作する人間のなくなった無線のノイズだけがあり、ドサァッと無線を操作していた本人が横たわる音を最後に通信してくれる。
 ようやく暗視ゴーグルに姿を捉えることが出来た「敵」の姿は驚くべきものだった。暗視ゴーグルなど装着していない。そればかりか、防弾装備も満足に身にまとってなどいないのだ。
「迎撃準……!」
 ドゴォンッと口径のデカイ銃による銃声が響き渡り、慌てて立ち上がり声を張り上げようとした見張り役の後頭部は瞬時に吹き飛んだ。暗視ゴーグルなどなくとも、確実に弾丸をヒットさせたのを眼前に見せつけられた瞬間だった。
「たった一匹でここまで来れたのは誉めてやる、……が不用意すぎたなッ! 撃ち方構えェッッ、……言い残すことはあるか、嬢ちゃん?」
 江藤の合図で千宗を囲う様にサブマシンガンを持った連中が姿を現した。銃口を強調する様にジリジリと千宗への距離を詰めながら、連中の表情には「勝った」と言う安堵が垣間見えている。
 千宗はガバメントを身構えた格好のまま、言われた言葉が理解出来ていないかの様なキョトンとした顔を見せていた。けれども次の瞬間、恍惚を帯びる愉悦に染まった顔で千宗は口を切るのだった。
「へへへ、わたしの名前はWalker、どんな一撃もどんな障碍もわたしの進行を妨げ遮ることは出来ないよ」
 大降りな挙動を見せ、ガバメントの照準を江藤へと合わせる。瞬間、振り上げられ制止していた江藤の腕は振り下ろされて「はッ、救いようのない馬鹿だなッ!」と罵る言葉と同時にサブマシンガンの銃声が響き渡った。タタタタタタッッ……タンッタンッタンッ……と周囲を包み込む銃声は確実に千宗の全身を捉えていたが、衝撃を受け仰け反りはしたものの、体勢を崩しだけでその場に崩れる様なことはない。
「へへ……へへへ、イングラムの衝撃はもう覚えたんだよ、だから何千発撃ち込まれたって利かないんだー」
 恍惚とした表情も掻き消えることはなく、江藤を始めサブマシンガンの引き金を引いていた連中は身震いを覚えた。
 何か途轍もない違和感でも感じ取ったのか。苦渋にも似た顔付きをして江藤がガバメントを構えた。それは仰け反ったことによる照準のずれを修正しようとする大振りな千宗の挙動よりもいくらか早く、そして的確に狙った的を撃ち抜いた。
 ドゴォンッと響き渡った銃声が千宗のガバメントよりは口径が小さく、また威力も低いことを示唆したがその弾丸は千宗の二の腕を捉えていた。刹那、千宗のガバメントを握る指から力が抜けてドサッと音を立ててガバメントは草村へと転がった。ほんの一瞬、千宗は「おろ?」と声を漏らし驚いた様な呆然とした顔を垣間見せたのだが、すぐに「そうこなくっちゃ」と言った具合の満面の笑みへと表情を切り換えた。江藤の目つきが鋭く千宗を刺し、銃声が響き渡る。
 ドゴォォン、ドゴォォン!!
「何をやっているッ、とっととそいつを潰せッッ!!」
 江藤の言葉にハッと我に返った様で、千宗を囲う様に構えていた兵士が一斉にイングラムの照準を合わせた。弾丸がまだ残っている者、全て撃ち放っていてマガジンを装填し直さなければならぬ者。その双方どちらとも、その度合いはともかく混乱状態にあった。それでもイングラムを構えて引き金を引く、ここまでの判断をし行動出来たことは訓練のたまものなのだろう。相手を殺さねば殺されるのだと本能が感じたからなのかも知れないが……。
 バサァと身を翻し、千宗は江藤の弾丸を回避する挙動と共に腰に帯刀していたレアメタル製の長刀を引き抜いた。タタタタタタッッッと撃ち放たれたイングラムのダメージなど気に止めた様子もなく、千宗は江藤を睨み据えていた。
 江藤の弾丸は的確な精度で撃ち放たれてはいたが、千宗の挙動の俊敏さを正確に捉え計算出来てはいない。だから、それらは命中することなく流弾へと変わる。
「ふふ、マガジンを入れ替えるだけの時間なんて与えないよ」
 ヒュンッ、ヒュンッと風切り音が二度聞こえた時には千宗の剣撃はイングラムを構える兵士の腕を落とし、首を狩り、胴を薙ぎ払って真っ二つにしていた。不用意に距離を詰めたことが仇になったのだ。迸る鮮血を気に止める様子もない、瞬き一つせず千宗は眼前にあるものがどうなったのかを確認しているかの様だ。「がぁッッ!」「ぐぎゃああぁぁァァァッッ!!」と意味を成さない劈く悲鳴を、まるで厭うかの様に千宗は口許に灯した印象的な笑みを見せつけて、それら戦意を喪失し地面に横たわった兵士の顔面に刃を突き立て黙らせた。
「一匹残らず皆殺し、ただの一人も生きては返さない」
 与えられた任務を復唱する様にボソリと呟き、千宗は江藤への距離を一気に詰めた。想像以上、いや……その速度を千宗に始めて対する江藤が予測など出来るはずはなかった。だから、あっさりと江藤は致命的な一撃を貰ってしまった。
 ズゴッと音がして江藤の肩口から心臓部にまでレアメタルの刃は突き刺さっていた。何が起こったのか一瞬理解出来なかっただろう。しかしすぐに苦痛に顔を歪め、口から吐いた血液を垂れ流しながら、自身の身に何が起こったのかを理解する。それでも身構え銃口を千宗の額に突き付けて見せたのはさすがだと言えるだろう。
「ばけ……もの……めッッ!!」
「わたしの名前はWalker、どんな一撃もどんな障碍もわたしの進行を妨げ遮ることは出来ないんだよ」
 半ばそんなもので「こいつは殺せない」と江藤は理解しながら、けれども引き金を引かないわけにはいかなかった。この一撃は微かな希望であり、僅かな勝利の可能性である。
 大振りな挙動で千宗も手に握るガバメントを江藤の頭部に突き付ける。
 刹那、口径の異なる二つのガバメントが交差した。
 しかしながら、その主として対峙する二つの表情は対照的だった。……対照的すぎた。その後に残る結果を暗示出来てしまうほどにだ。いつの間に千宗がガバメントを拾い上げていたのかさえも江藤には解らなかった。その江藤の目に色濃く滲むものは恐怖。
「死にやがれッッ!」
 江藤が吐き捨てる様に言ったそれが合図だった。互いの頭部を目掛けて、けたたましい銃声が鳴り響く。
 ……ドゴオォォォンッッッ!!
2004/02/03(Tue)18:11:58 公開 / K伸
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■作者からのメッセージ
B級アクションです。なんつーか三人称での記述が苦手なんで、そこら辺こーした方が読みやすいなど指摘して頂ければ幸いデス。
レベルが低いのは自分自身、重々承知していますのでそこは目をつむって頂ければ幸いデス。表現力のなさと情景描写の少なさはホント自分でも自己嫌悪の対象なのでご勘弁のほど、願います。
校正が完全に出来ていないのも見逃して頂けると幸いデス。
駄文ですが宜しかったらご笑覧クダサイ。
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