- 『1つの恋のエピソード U』 作者:森々 / 未分類 未分類
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原稿用紙約10.25枚
球技大会が一週間後に近づいたある日、私は体育の授業の下準備で、体育館の真上にある卓球場にいた。
別に体育の教科委員ではないのだが、偶然購買で昼食を購入しているところを体育教師に発見され、否応無しに雑用を言いつけられたというわけだ。
「なんで私がやらなきゃいけないのよ」
体育準備室からラケット入りの箱を持ち出し、ウンウン言いながら卓球場へ運んだ。これはかなり重い。
途中で床の出っ張りに躓いて、卓球で使うピンポンボールを2、3個溢してしまった。
「…こんなところに出っ張りがあるからいけないのよ!」
イライラが身体の芯まで染み込んでいた私は、悪態を吐いて自らの足で思いっきりその箇所を蹴った。
「あ―――――――――っっ!!」
生まれつきの方向音痴である私は、目的位置からかなり逸れた場所にある、硬くて丈夫な木造の柱に、短い小指をぶつけてしまった。
ビリビリと全身に痛みが伝わり、私は持っていた箱を床に落としてしまった。
その途端箱の中に入っていたラケット、推定40本が、そこら中に散らばっていった。
「え…?やだ、ちょっと待って!」
『待って』と言っても、ラケットに言葉が伝わるはずもなく、私の声だけが空しく部屋中に響いていた。
「どうしてこうなっちゃうのよ……」
半べそをかきながらも、片付けないわけにもいかないので、痛い足を抑えながら散らかった床を片付け始めた。
「何をやってもいつもこうよね。そりゃあ自分が向こう見ずだからいけないんだけどさ」
ふと卓球場へと続く空中廊下を見てみると、そこに何か赤い物体が見える。
目を凝らして見ると、それはさっき私が溢したラケットだった。
「あんなところにまでいっちゃったの?」
有り得ない、有り得ないと呟きながら、渋々空中廊下に向けて走っていった。
その頃―――――――
「何をそんなに急いでんだよ」
池上智也は背後の友人の声に振り向いた。
「今日は球技大会に向けての練習試合があるんだよ。現役卓球部員が負けるわけにはいかないだろ?」
「だからって昼休みまで練習しなくてもいいだろうに」
智也の友人浦川シンゴは、頭の後ろに手を組みながら言った。そしてクセのない金髪をサラサラと揺らしながら、顔に似合わない大きなアクビをした。
「俺は球技大会そのものが面倒くさいよ」
「お前ってホントに顔と性格が一致してないよな」
「親からの唯一のオクリモノだよ」
ほんの一瞬だったが、シンゴの表情が曇った。
「…シンゴは幽霊部員で有名だからな。いい加減ちゃんとしないと、部長に怒鳴られるぞ」
「うちは弱小陸上部だもん。張り切ってるのは部長くらいだよ」
口を尖らせて言うシンゴに、智也は顔を隠すように俯きながら、小さく笑いを零した。こうは言いながらも、シンゴは毎日部活に顔を出していることを、智也は知っている。
「じゃあ俺急ぐから。今日は5時間目に授業が入ってるらしいし」
「俺は教室で待ってるよ。窓側の席は眠くなるからイカン」
そう言って二人は別れた。
「今何時だろう」
ラケットを取りに来たはいいのだが、さっき見えた場所には痕跡さえ見当たらなかった。
重くはないが、風で飛ばされる重さではない。仕様がないので近辺を探してみたのだが、この広い廊下に隠れる場所なんてない。
私は不意に自分の左腕を見た。いつも嵌めている腕時計がソコにはある。
「これで動いていれば完璧なんだけどね…」
さっき足をぶつけた拍子に、無意識に腕を壁にぶつけていたらしく、腕時計は無惨にもヒビが入って、動かなくなっていた。
幸い腕に怪我はなかったのだが、時間がわからないのでは授業に遅れてしまう。
「ラケットは見つからないし、時計は壊れるし、足の小指は痛いし…。もう散々だよ」
私は本当に泣きたくなっていた。
「あれ?なんでこんなところにラケットが…?」
智也は自分の足元に転がるラケットを、ヒョイと拾い上げた。
空中廊下を目前とした場所にソレはあった。
「誰かが蹴っ飛ばしたのかな。皮の部分が剥がれてる」
智也は少し顔を顰めながら、剥がれかけた皮を元に戻した。自分が好きでやっているスポーツの用具を傷つけられて、良い気持ちはしない。
ふと空中廊下を見てみると、一人の女の子がしゃがみこんでいた。
「あの子は……」
「グスン」
私は探す気力も歩く気力もなくして、床にしゃがみこんでいた。
自分へのやりきれない気持ちと、卓球用具を無くしてしまったという責任から、目から涙が溢れてきた。
ポロポロと零れる涙を拭う事もできなくて、私は声を押し殺して泣いた。
「どうしたの?」
驚いて振り向くと、ソコには『あの男の子』が立っていた。心配そうな顔で私を見ている。
私は恥ずかしくなって、急いで服の袖で涙を拭いた。
「なにかあったの?」
「いえ…ちょっと…あの……」
シドロモドロ話していると、不意にその子の手に握られているものに気付いた。
「あ!!それ…っ」
「え、これ?さっきソコで拾ったんだけど」
男の子が指差す先には、小さな出っ張りがあった。ラケットはその影に隠れていて、私は見つけられなかったのだ。
「よかったぁ…」
私は安著の息を零した。そしてゆっくり立ち上がると、その子に向けてお辞儀をした。
「ありがとうございました。ソレをずっと探していたんです」
「卓球のラケットを?」
「今日は5時間目に体育の授業があるから…」
私はラケットを無くすまでの一部始終をその子に話した。ただし出っ張りを蹴ったという箇所は除いて。
男の子は話を聞き終わると、ケラケラと笑い出した。
「そっか、そうだったんだ。俺はてっきり誰かがラケットを壊したんだと思ったよ」
「え?壊した?」
男の子は脇の下からラケットを取り出して、私の前に差し出した。
ラケットの赤い皮が少しだけ剥がれている。私は何て事をしてしまったんだと思い、見る見るうちに顔が蒼くなっていくのを感じた。
「壊れた…壊しちゃった…どうしよう!ごめんなさい!!」
「別にいいよ。ワザとじゃなかったんだし。ハイこれ。返すね」
男の子はラケットを私に渡すと、制服の袖を捲くって右腕に嵌めてある時計を見て言った。
「そろそろ5時間目が始まるよ。準備に行った方がいいんじゃない?」
「あ……そうですね」
何となくやりきれない気持ちが残ったが、私はもう一度男の子に謝礼をすると、卓球場に向かって走った。遠くに授業開始5分前を告げる鐘の音が聴こえる。
「それでそのラケットはどうしたの?」
「さっき先生に渡してきた。これくらいなら、すぐに治るって」
「もしかして卓球部なんじゃない?その子」
ミヅキの言葉に私は驚いた。
「そうかもしれない!空中廊下の先には卓球場と音楽室しかないもん」
「だったら吹奏楽部っていう確率もあるんじゃない?」
ユウコが言った。
「それに卓球場へ行こうとしていたとは限らないじゃない。単に廊下の前を通りかかっただけなのかもしれないし」
「それもそうね」
ミヅキが追い討ちを掛けるように言った。
私は負けじと二人を押しのけて言った。
「どっちにしろ、もう一度会えたってことは、天も私に見方しているってことよね。生徒数が多いこの学校で、再び会えるなんてことは滅多にないもの」
「『会いたい人に』が抜けてるわよ」とミヅキが言った。
「とりあえず、まず卓球部を調べてみるわ。顧問はうちの担任の林先生だし。確か今年の大会用に部員全員の顔写真をファイルに挟んであったのを覚えてる。それを見せてもらえばいいのよ」
「頑張りなよ」
ミヅキが私の肩に手を置いて言った。「まだ春なんだし。時間はたっぷりあるわ」
「ありがとう」
「っていうかさぁ…」
ユウコが靴の紐を結びながら、立っている私を見上げた。
「何で名前を聞かなかったの?」
私は固まった。
ミヅキは「そういやそうじゃん」と言って笑い出した。
肩に置かれた手が、一層重く感じた。
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2004/01/06(Tue)09:25:23 公開 /
森々
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■作者からのメッセージ
例の男の子の名前は、「池上智也」でした。
智也はシンゴのことを「シンゴ」とそのまま呼んでいますが、シンゴは智也のことを「トモ」と呼んでいます。シンゴは略するのが好きなんです。