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『暗黒の従者』 作者:トレイスフォード / 未分類 未分類
全角26944.5文字
容量53889 bytes
原稿用紙約79.4枚
暗黒の従者

第1章 プロローグ

 いつの時代にも、願望や欲求を満たす為のおまじないのようなものは横行していた。
その根源はすべてカバラと呼ばれた魔術の原点ともいえる教義から派生して出来たものだった。
それは常にキリスト教などの古き時代から伝えられてきた宗教から見ると、異端視され、背徳のものとして扱われてきていた。魔女狩りなどのような制裁を受けながらも、禁断の教義として密やかに受け継がれてきていた。
はるか昔、マクレガー・メイザースやアレイスター・クロウリーのような魔術大師がそれらについて深く教義を学び、数多くの実践を行っていたという歴史が残されている。
彼らが実践してきたことは、また新たな教義として過去から未来へ受け継がれ、中にはアントン・ラベイのように、警察官を辞めて悪魔教会を設立し、全てを我が物にしようと野望を抱いているものもいるのである。

「汝、意思するところを行え。これこそ全ての法とならん」

きっと俺もその言葉に共感されたものの1人だったのだろう。
俺は静かに、右手に短剣を持ち、部屋の中央で東を向いて立った。時計は真夜中0時を指していた。真夏の暑い日だったので、真夜中と言っても少し暑かった。俺はある目的の為にそれなりの格好をしていた。自分でつくったローブを着て、その中は肌着1枚と下着1枚だった。靴下は履いていない。というよりも履いてはいけないのだ。これが魔術師の正装した姿だった。
部屋の4方位にはキャンドルが立てられ火が灯されていた。祭壇には、3本のキャンドルやペンタクルと呼ばれた五芒星が描かれた金属製の円盤、ワイングラスの形をした金属製のキャリスと呼ばれるもの、その他に、香炉や鈴などが置かれていた。
呼吸を整え、右手に持っている短剣を胸の前で立てて、叫んだ。
「ここは混沌の砂漠の中央にそびえる神殿なり。形無く、姿無く、生まれ無き闇の勢力達よ、我に耳傾けよ! 我こそ汝らが主、汝らが支配者、我こそ神なり」
俺はそのまま東のキャンドルの前へ歩いていき、短剣をその地面に向かって空中に五芒星を描き、声を震わせながら叫んだ。
「ヤーーーウェーーー!」
そして南のキャンドルの前へ歩いていき、同じく短剣をその地面に向かって空中に五芒星を描き、声を震わせながら叫んだ。
「アーーードナーーーイ!」
その次に西では、
「エヘーーーイエーーー!」
北では、
「アーーーグラーーー!」
と同様の動作を繰り返しながら、地面に五芒星を描いていった。
北のキャンドルでの動作を終えると、一度、東のキャンドルの前に立ち、再び部屋の中央まで歩いていき東を向いて立った。
 それから短剣を頭上に突き上げて、八芒星のシジルと呼ばれるあるマークを想像した。
それは小さな円に八方位を指し示す小さな矢印がついているマークだった。それは、闇の世界とこの世の接点を現していた。
 俺ははっきりとした映像のように頭上にそれを想像すると、叫んだ。
「我が頭上に八芒星!」
 俺はそのシジルから、東西南北のキャンドルを基点としたピラミッド状のバリアーが張られていく様子を強く想像した。そして、そのイメージを保ちながら、突き上げている短剣を胸の前に降ろし、こう叫んだ。
「高貴なる暗黒の神殿はここにそびえたり。我こそ神殿の主、王子にして祭司、第二の太陽なり。我は神なり。形無き、姿無き、生まれ無き物どもよ、我に耳傾け聞き従うべし」
 暗黒神殿建立儀式が終わると、4方位のキャンドルを消し、円状の位置に7本のキャンドルを並べて火を灯した。並べ方は、東を向いて立っている俺を中心として、左右に1本づつ、前に2本、後ろに3本が位置するようにした。
 これから、ある者に対しての憎き怨念を抱きながら、エノキアン魔術の1つが行われていくのである。
 俺は1枚の彼の全身が写った写真を手に取った。そして、決められたとおりの順路を辿りながらキャンドルの火を消していくという作業を始めていった。その方法とは、仮に前方にあったキャンドルのうち、左側のキャンドルを1番として、時計回りに2番、3番、4番・・・、と番号付けたとする。そのように番号付けたときには、次のように順路を示すことができるだろう。

 1→3→6→2→5→7→4

このようにキャンドルの火を1つ1つ消しながら、彼の希望1つ1つが消えていく様子を想像するのである。苦しむ姿を想像するのである。
 そして、すべての灯が消されて真っ暗になると、キャンドルで形作られた円の中に行き、彼の写真を憎しみこめて踏みつけながら、こう叫んだ。
「ドーシーゲー・オーレイリー!」
7本のキャンドルと彼の写真を手に持つと、外へ出て、誰にも見られないように気をつけながら、土の中に埋めた。他人に見られてしまうと、効果が無くなるばかりではなく、自分にはねかえってきてしまうからである。
俺は再び部屋に戻り、暗黒神殿解体儀式を始めた。これをしなければ、霊的空間の中で動いているうちに、混沌の中に呑み込まれて、死に至ることさえあるからである。
先程と同様に4方位のキャンドルに火を灯した。俺は部屋の中央で短剣を立てたまま、東を向いて立った。そして、こう叫んだ。
「我は混沌の砂漠にそびえし神殿の門を閉じん。形無き、姿無き、生まれ無き闇の勢力達よ。時によりて定められたる深き淵に戻りて、我が玉座の前より退くべし!」
その後は暗黒神殿建立儀式で行った動作を、4方位の各キャンドルの前で行い、東のキャンドルの前に立ってから部屋の中央に戻り、東を向いて立った。
 俺は短剣を頭上に突き上げてこう言った。
「高貴なる暗黒の神殿はここに閉じられたり。我こそ神殿の主、王子にして祭司、第二の太陽なり。形無き、姿無き、生まれ無きものどもよ、深き淵に帰りても、我が命にそむくことなかれ。我が求めに応じ、いかなるときも我に耳傾けよ!」
再び頭上に八芒星のシジルを想像すると、部屋の中で張られていたピラミッド状のバリアーが、そのシジルの中に吸い込まれて、消えていくように想像した。
これで悪しき復讐の為の術は、無事終わった。

第2章 リリア

 俺の名はディル・クレイトン。古の力を使って、閉ざされた未来を変えていこうとする者だ。すべては神が決められた運命に従って、人生という長い道のりを歩んでいる。
誰かに対して熱烈な恋をすることも、たった一瞬の出来事に一生忘れないような感動を覚えたりすることも、すべては神のみが知る運命のプログラムに従って生きているのである。
 すべての人には、その人生の中でしなければならない役割がある。その役割を終えると、輪廻転生からはずれて永遠の魂として、収まるべき世界に行くことができる。神はすべての人に一生かけて学んで欲しいという議題を与えて、俺たちを送ってきた。
 苦しみも、悲しみも、喜びも、それは一生かけて学んで欲しいことを気付かせる為に、神が与えた試練なのである。

 そしてその試練は、5年前、俺と妹のリリアに音も無く、忍び寄るように迫ってきたのである。妹のリリア・クレイトンは敬虔なクリスチャンで、巫女としてアイスラーク教会で主イエスの為に祈りを捧げていた。リリアは、ハイスクールを卒業後、優しく、清らかで、いつも誰かの為に尽くしたいと考えた末、22歳の今日まで巫女として神に仕えていた。
 そのリリアを我が物にしようと、あの手この手で迫ってきていた人物がいた。エンドア財閥を1代築き上げたレイモンド・エンドアの1人息子であるアルバ・エンドアだった。
 リリアは彼の執拗な勧誘がとても嫌いだった。来るたびにお断りをするのも大変な労力であった。

「ねぇ、お兄様。あのアルバ様の蛇のよう目つきには耐えられないわ」
「巫女のお前が、そのように他人のことを言うものではない。でも、それほど嫌ならば、なるべく相手にしないようにすることだ。俺も時々気をつけて見るようにする」

 しかし、アルバの欲望がとうとう火花を散らした。ある晩、彼の仲間の1人が教会にいるリリアの背後から、物音を立てずに近づき、一瞬のうちに口を封じると、他の仲間が両手両足を押さえつけて彼女をロープで縛り、布袋をかぶせるとそのままアルバの部屋に運んだ。彼女は叫び声を上げることも出来なかった。
 そして、アルバの前で荒々しく着ている物を剥ぎ取られた。すぐにリリアの白い肌が現れた。
「やっと君を自由に抱ける日が来たようだ。この日をどれだけ待っていたことか。」
彼はそう言うと、仲間に手足を自由にするように合図をした。リリアは体が自由になると、彼の目の前から逃げ出そうとしたが、彼の仲間がそれを許さなかった。
「お願いです! 離してください! ……嫌よ! やめて!」
アルバの欲望が彼女の体を汚れた身体に変えていった。
「いやー! お兄様ー!」

……そして、数十分後、彼の欲望のままに汚されたリリアを、裸のまま豪邸の外に放り出した。
 彼女はうつろな目で、周囲の視線を浴びながら、傷ついた心を癒すてだても無く、何時間もかけて歩いていた。もう、どこへ向かって歩いているのかもわからないほど、彼女の心は傷ついていた。
リリアが疲れ果ててたどり着いたところは、教会ではなく俺の家だった。

ガタッ!

 俺は家の戸口で何か音がしたようだったので、急いで扉を開けた。
そこには変わり果てた妹の姿があった。それを見たとき身体が凍りつくような気持ちになった。

 裸のままで……、妹が、……倒れている。

 俺は一瞬、気が遠くなりそうだった。でも、リリアを早く家の中に入れる方が先だった。
俺は妹を抱いて寝室に運ぶと、そのままベッドに寝かせて毛布をかけた。彼女が風邪をひかぬように、暖炉に火を着け暖かくしてあげた。俺は意識を失っている妹の側でずっと見守っていた。
 数十分後、リリアが声を漏らした。
「お兄様……、お兄様……、私を……助けて……」
今にも死にそうな声だった。
「リリア! リリア! しっかりするんだ、リリア!」
「お兄様……、私を……助けて……」
「リリア! 目を覚ませ!」
 リリアが静かに目を開けると、俺の姿が目に映ったとたんに、抱きついて泣き始めた。
そして、泣きながら俺に言った。
「お兄様、私……、もう、巫女なんか……、できない……」
この言葉を吐き出すのが、今の彼女にとっては精一杯だった。言い終えると同時に、彼女はベッドの上で泣き崩れてしまった。
 俺は、誰がリリアをここまで苦しめたのかを知りたかった。
ふと、俺の脳裏に1人の名前が浮かんできた。
(アルバ・エンドア、貴様なのか? 貴様がリリアを苦しめたのか……?)
でも、リリアの口から真相を聞くまでは、煮えたぎる想念を打ち消しておくしかなかった。
 俺は妹を落ち着かせる為に、暖かいレモンティーを入れた。
「リリア、これを飲むといい。少しは落ち着くだろう」
彼女は泣き崩れて、可愛そうなほど涙でズブ濡れになった顔を上げた。
「お兄様……、うっ、……有難う」
彼女は震えた両手で、カップを包み込むようにして触れながら、カップの熱を彼女の両手の体温に伝えていった。
俺は、彼女の為に、トレーナーとジーンズを持ってきてあげた。
「少し大きいかもしれないが、そのままでは寒いだろう。着るといい・・・。」
彼女は、レモンティーが入ったカップを、ベッドの側のデスクに静かに置いて、
トレーナーを着てみた。少し大きいが、暖か味が直接肌に伝わってきた。
「お兄様の心のように、温かいわ……」
俺は静かな声で、語りかけるようにゆっくりとした口調で問い掛けた。
「何があったのか……、教えてくれ……」
俺はじっと妹の瞳を見つめた。彼女は、レモンティーの入ったカップを両手で包み込むように取り、少し冷めて、ほどよい暖かさになったのを確認すると、ゆっくりと口に含んだ。
 そして、瞳をリビングルームの暖炉の火に目を向けて、絶望感を漂わせるような口調で言った。
「私、教会で数人の男に襲われたのよ。口を塞がれて、ロープで縛られ、近くにあるレイモンド・エンドアの豪邸に運ばれたわ……」
「アルバの部屋だな」
「……その通りよ。私の身体を、アルバの部屋に運ばれたの」
リリアは、震える両手でカップに残ったレモンティーを一気に飲み干すと、右手でカップを床に叩きつけるように放り投げて言った。
「あの男は・・・!」
瞳から零れ落ちる涙を拭う力も無いほどの脱力感が、喉元から絞り出すような細い声に変えた。
「私の……、身体を……、もて遊んだのよ……」
彼女がやっとも思いで言い終えると、可愛らしい顔が再び崩れていった。
妹が見せた愁嘆場を納得するのに、十分すぎるほどの内容を聞いた俺は、煮えたぎるような憤りを抑えきれないまま、彼女の骨がきしんでしまうほどの強い力で抱きしめた。

 俺は奴に復讐する為の方法を頭の中に浮かび上がるように努めた。
でも、平常心を失った俺の頭には何も浮かんでこなかった。
妹のリリアが、涙で疲れ果てたのか、眠ってしまったのを確認すると、気付かれないようにそっとドアを開けて外へ出た。
 俺は、真夜中でも営業しているマックスバリュへ向かっていた。そこへ行けば、何か方法が見つかるだろう。そう、思っていた。
街灯を頼りに20分程歩くと、そこに到着した。真夜中だというのに、若者が溜まり場のように入り乱れていた。
俺はまっすぐに本が並んでいるコーナーへと向かった。大抵の本はそこに置いてあった。
そこである雑誌の表紙が目に写った。タイトルは、マジックと大きく書かれていた。
そこにはある人物の顔があった。
(誰かな……。何となくだが、不気味さを感じさせる)
表紙をめくってみた。彼の名前が書いてあった。アレイスター・クロウリー。
そして、次のページをめくると、こんなことが書いてあった。

貴方は、運命を変えられると言ったら信じられますか?
貴方は、どうしても復讐したいのに、その方法が見つからないと悩んだことがありますか?
貴方は、自分自身を、思い描く自分に変えてみたいと思ったことがありますか?

そう書いてあった。
どれもインパクトがあり、通常では考えつかないような文面に吸い込まれた。
(本当にそんなことができるのか)
さらにこう書いてあった。

すべての人間には、願望をかなえ、望んだとおりの人生を歩む権利がある。
それはとても自然なことであり、神から創られ、神の遺伝子を受け継いだ私たち人間にとって、決して不可能なことではない。

そして、その次にこう書かれていた。

“汝、意思するところを行え。これこそ全ての法とならん”

この言葉に共感してしまった俺は、この本を買った。
そして大事そうに抱えると、これはきっと俺にとって運命的な出会いかもしれないと感じた。
この時、音も無く、魔術師としての扉が開いたのである。

第3章 2人が求めるもの

翌朝……。
トントントン……。
包丁が何かを刻む音が聞こえた。
(ん?寝てしまったのか……)
リビングルームのソファーに横たわっている自分に気がついた。台所を見ると、妹が何かを料理しているようだった。
「あら、お兄様。ごめんなさい、起こしてしまったわね」
悪夢のような一夜が過ぎ、妹も落ち着きを取り戻したようだった。
「今、トーストとコーヒー、それにハムエッグにチーズを添えて、朝食を作っているわ。勝手に冷蔵庫を使ってごめんなさい」
俺は上半身を起こしながら、笑顔で答えた。
「リリア、いいんだよ、気にしなくても。……それより、元気になって良かったよ」
俺は、昨夜買ってきた本はどこかなと見回した。リリアがすぐに気付いたようだった。
「お兄様が大事そうに抱えていた本は、寝室のデスクの上に置いておいたわ」
「そうか。有難う」
俺はソファーから立ち上がり、リリアの後ろからやさしく包み込むように抱いた。
「……あっ、お兄様……」
「リリア、元気になって良かった……」
「有難う。さぁ、食事にしましょう」
俺とリリアは椅子に腰掛けて、微笑みながら朝食を食べ始めた。熱いコーヒーとリリアの笑顔が昨夜の悪夢を全て消してくれそうな気がした。窓から入ってくる陽光が、リリアの顔をさらに輝かせた。
 熱いコーヒーを一口含んで、喉をうるおしてから、俺は口を開いた。
「リリア、これから何か予定でもあるのかい?」
フォークとナイフを静かに動かしながら、妹は答えた。
「いいえ、教会にはしばらく戻るつもりはないし、それにもう戻れないわ。どうかしたの、お兄様」
妹は不思議そうに、俺の目を見つめた。ハムエッグをフォークで取りながら、俺は静かに口を開いた。
「俺と魔術のトレーニングをしてみないか?」
リリアの手の動きが止まった。妹は目を丸くして、急に何を言うのとでも言いたいような口調で答えた。
「お兄様、変な宗教でもするつもりなの?」
「いや、違うんだよ。きっと、あの本を読めばリリアもわかってくれると思う」
「食事が終わったら、ちょっと一緒に読んでみないか。きっとリリアにとっても役に立つと思う」
リリアは少しうつむいて考えていたようだが、すぐに笑顔で答えた。
「私を暖かく迎えてくれたお兄様が考えていることだもの。きっといい話よね。読んでみるわ」

 2人は食事を済ませると、食器をきれいに洗って片付けた。リリアとこうして共同生活をするのも、初めてのことだけに新鮮味があった。この町へ来てから、俺とリリアは支えあって生きてきた。立場は違っても、血の繋がった家族としての気持ちはいつも同じだった。だからこそ、リリアが悲しむ姿を見たくないという気持ちがあふれてくるのである。
 俺は寝室のデスクからマジックと書かれた本を取り、リリアに渡した。妹は何が書いてあるのか、少しだけ興味があるようだった。表紙の人物を見てこう言った。
「この人、少し不気味だわ……」
「そうだな。俺も一瞬、そう思ったよ。でも、ページをめくってから、そんなことはどうでもよくなったよ」
そう言うと、妹もページをめくった。

貴方は、運命を変えられると言ったら信じられますか?
貴方は、どうしても復讐したいのに、その方法が見つからないと悩んだことがありますか?
貴方は、自分自身を、思い描く自分に変えてみたいと思ったことがありますか?

「2行目の復讐というのは、あまり良いとは思えないわ。でも、運命を変えたり、自分自身を変えたりというのは興味あるわ」
俺の本当の目的は、リリアを苦しめたあの男に復讐する為だったのだが、リリアの前ではそれは言わない方が良さそうだと感じた。
「そうだな。敬虔なクリスチャンだったリリアには、復讐などできるはずがない」
そして、リリアはページをめくっていった。魔術の解説を読んだとたんに、リリアの手が止まった。そこにはこう書かれていた。

魔術師は、修業を重ねて、自分が求める欲望や目的を達成させる為に、様々な悪魔を召喚する力を得ることが最大の目的である。

「お兄様、私には出来ないわ……。確かに私の身体は汚れてしまったわ。でも、巫女として生きてきたことに対してはこれからも従順でいたいの。悪魔の召喚なんて……、ごめんなさい」
文面を見た俺も面食らった。魔術師というものが、悪魔使いだったとは予想もしなかった。
俺はしばらくテーブルの上で頭をかかえていたが、しばらくしてからこう言った。
「リリア、変なことを勧めてすまない。俺もよく読んでから勧めるべきだった。でも、例え悪魔使いになろうとも、正しい使い方をするならば問題はないと思っている。それに、弊害を及ぼすような内容の本を書店で販売するわけがないと思う。それなら、リリア、罪滅ぼしに本を見に行こうか。それに、リリアに着せる服も買わなければならないし……」
妹は機嫌を取り戻した様子で、笑顔で答えてくれた。
「嬉しい、お兄様。服を買ってくださるの。いいわ、行きましょう!」
いつまでも妹に俺の服を着せたままにはしておけない。そう思っていた。それに、リリアにはもっと違う形で、魔術と同様の効果があるものがあるはずだ。それをリリアが生きていく為の手段として見つけて欲しいと思っていた。

 俺と妹は、すぐに出発した。今日はとてもいい天気で、何かを始めるにはいい日のような感じがした。家を出ると、両側に野原が広がっている道を中心街へ向かって歩いていった。沢山のトンボが野原の上で気持ち良さそうに飛び回っているのが見えた。また、秋の匂いがほのかに漂っていた。
「とてもいい天気で、空気がおいしいわ」
無邪気に笑う妹を見るのは、久し振りのことだった。リリアが人差し指を立てて、頭上に腕を突き上げた。不思議なことに、すぐにトンボがリリアの指に止まった。リリアは静かに、顔の前まで腕を下ろした。トンボはリリアの頭上を3回旋回してから、飛んでいった。「可愛いわね。でも、何かを語りかけるような感じがしたわ」
「そうだな」
俺も、何か新しい発見がありそうな気がした。まず、リリアの為に、服を買ってあげることにした。お店までは15分で着いた。大抵の服はそこで手に入れることができる。アンティークな雰囲気のお店である。そこで白いドレスを買ってあげた。リリアはとても気に入った様子で、その場で着替えた。
「お兄様、有難う!」
「とても綺麗になったな」
リリアの喜ぶ顔が、体の疲れを癒してくれた。その後、書店に向かった。同じストリートにあるので数分で着いた。大きな扉を開けて、中に入っていった。リリアが宗教の本を見たいと言うので、俺も行った。何冊か目を通してから、リリアが1冊の本に釘付けになったようだった。
「それは、何の本かな?」
リリアは、そのまま俺の方を見て、
「私にもわからないわ。でも、魔術とは違うような気がするの。東洋のみたいよ。」
同じ本がもう1冊あったので、俺も目を通した。東洋の呪文みたいな内容が書かれていた。でも魔術と違うと感じたのは、東洋の神を召喚することらしかった。表紙には、ミッキョウとアルファベットで書かれていた。
「お兄様、私はこれを学んでみたいわ。東洋の神様を召喚するものなら、きっとイエス様もお許し頂けると思うの」
「そうか、リリアの好きにするといい」
俺とリリアは、その本を手にして帰った。
リリアにとって、これが何を意味するのかはまだわからなかったが、運命を左右するものになりそうなことには変わりないと思った。

第4章 旅立ち

 俺は魔術を求め、リリアは密教を求め、修行する意を決した。しかし、ここで修行するには無理があることはわかっていた。そこで、俺は翌日、再び書店へ向かった。まずどこへ行けば良いのかがわからない。俺は到着すると、オカルトの書物が並んでいる棚へ向かった。
(どの本を見るといいのかさえもわからないな……)
そう思いながら、端から順に見ていくと、1冊の本が目に写った。その本の背表紙にはこう書かれていた。
「神秘の町、ニューヤパン」
俺はとにかくその本を手に取って、開いてみた。少し読んでみると、色々な宗教が混在している町のようだった。イスラム教、ヒンズー教、ブードゥ教、ゾロアスター教、密教、カバラ……。
(密教?確か、リリアが覚えたいと言っていたものだ)
カーリー寺院のカーリー・モスと言う人物が紹介されていた。そこでは密教と呼ばれる教えを説いているらしい。その次のカバラとは何だろうか? ・・・聞いたことがない。該当するページを開いてみると、どうやら魔術の原点というべきものと書いてあった。
(なるほどそうなのか。そこへ行けばいいのだな)
 俺は早速戻って、この話をリリアに話した。
「どうだ。2人でニューヤパンへ行ってみないか? そこへ行くと、きっと新しい世界が待っているかもしれない。それに、ここからそう遠くないところにある」
しかし、リリアは目を丸くして聞いていた。それもそのはず、兄が帰ってくるなり、突然その話をするのだから当たり前のことである。
「ん? リリア、何か変か?」
リリアは俺の目を見つめると、突然、クスクスと笑い始めた。
「お兄様、まるで楽園でもいくかのように、楽しそうに話すものだから……」
俺は一瞬、我に帰った。
「そうだったな。俺は早く魔術を学びたい。その気持ちがきっとそうさせたのだと思う」
リリアは、そんなことはわかっているわよというような口調で、
「いつ、私をそこに連れて行ってくれるの?」
俺は間髪入れず答えた。
「明日だ。すぐに準備しよう」
リリアは、やれやれというような顔で、準備に取りかかった。そして、さりげなく俺に聞いた。
「ところで生活するには、お金が必要なのよ。どうするつもりなの?」
俺は少し手が止まったが、気にせずこたえた。
「そこで何かいい方法が見つかることを祈っているさ」
リリアは少し怒ったような口調で言った。
「お兄様はいつもそうよ! いつも行き当たりばったり……」
俺も少しふてくされたような口調で答えた。
「それじゃ、止めにしようか?」
俺はリリアが本気で言っているのではないことぐらいのことは見抜いていた。
「お兄様の意地悪……」
そして、その夜はしばらく別れるかもしれないリリアと、抱き合って寝た。

ベッドの中でリリアが言った。
「お兄様は、新しい町ではきっと綺麗な彼女を見つけるのかもね……。そうなったら、私は1人ね」
俺はリリアの長い髪を撫でながら答えた。
「そう言うリリアだって、向こうに行ったら、いい彼が見つかるさ……。お互いの為にも良い選択だったのかもしれない」
リリアの瞳は少しうるんでいた。
「……お兄様、そんなこと言わないで……。私はお兄様のこと、愛してるのよ」
俺にはわかっていた。
「でも……」
そう言うと、リリアは首から下がっている十字架を握りしめた。彼女にとって、巫女であったという経験は、大きな障害でもあった。イエス様に従順な巫女にとって、性的な欲望は罪深いものだからだ。でも、既に彼女は汚されていた。
「お兄様……、いいの。私の体は、もう汚れてしまったのよ。お兄様の手で、私の体を清めて……、お願い……」
そう言うと、俺とリリアは兄妹ということを忘れて、静かに、ごく自然に重なり合った。
リリアの細い身体は白く、とても柔らかかった。リリアに対する愛しさがすべてを抱擁していった。俺はリリアの首筋に愛撫をして、乳房を愛撫した。
「あぁ……、お兄様。愛してるわ……」
そして、夜が更けていくのと同時に、2人は官能の夜へと……。

 翌朝、俺は隣で、裸体を横たわらせているリリアを起こした。
「リリア、起きろ! リリア!」
「……お兄様……、朝なの?」
「そうだ。列車に間に合わなくなるぞ!」
リリアは上半身を起こし、目をこすった。自分が裸になっているのに気がつくと、すこし顔を赤らめて、すぐに服を着た。洗顔して、髪を整えて、準備するのに30分もかかった。
「朝食を取っている暇はなさそうだな。列車の中で食べよう」
そう言うと、俺はリリアの手を取って、駅へと急いだ。
この町、フレイトスの駅までは急いでも30分はかかる。現在時刻は7時46分。ニューヤパン行きの列車は、8時30分には出る。切符も買わなければならない。急がなければ。俺の気は焦っていた。2人の持ち物は、お互いにカバンが1つだけだった。その中には、それぞれが購入した本がもちろん入っている。そして、俺は万一の時の為に、所持金を2つに分け、リリアに渡していた。
今日は、少し曇って、冷たい風が吹いていた。
(もうそろそろ、秋になるのか……)
俺はそんなことを考えながら、駅へと急いだ。時折、リリアがつまづいて転ばないように注意して見ながら行かなければならなかった。
 駅が見えてきた。俺たちは走った。
駅に着くと、ニューヤパン行きの往復切符を2枚買った。なぜ往復にしたかというと、万一、仕事が見つからずに困っても、このフレイトスには戻ってこれるという安心感を持っていたいという意味があった。8時22分、すぐに改札口を通って、列車に乗った。
唯一の救いは、満席ではなかったことだ。
2人は、大きな溜息をついた。
「さて、朝食でも食べに行こうか?」
俺はリリアに声をかけた。リリアは疲れたのか、返事の代わりに今は何もいらないという表情で首を横に振った。俺は、食堂で食べようかと思っていたが、リリアを1人残すわけにはいかないので、パン2つと缶コーヒーを2本買って、席に戻った。戻ると、リリアはそのまま寝てしまっていた。俺は、リリアの頭を膝に乗せて、風邪をひかぬように上着を身体にかけてやった。サイドテーブルをセットして、俺は静かに朝食を取った。
(これから、新しい世界へと出発するのか……)
列車は予定通り、8時30分にゆっくり、ゆっくり、動き始めた。まだ見たことがない、ニューヤパンへと向かって・・・。

第5章 ニューヤパン

 リリアは、もうすぐニューヤパンに着くという頃になって、目を覚ました。
「んん……、私、眠ってしまったのね。お兄様、ここはどこなの?」
「やっと、目を覚ましたか。もうすぐ、ニューヤパンに到着する頃だ」
リリアは、上半身を起こして、窓の外を見た。まだ、森の中を通っていて、町らしきものは見えてきてはいなかった。
「本当にこんなところに、ニューヤパンなんてあるのかしら」
俺も少しだけ不安だったが、その不安をかき消すように答えた。
「もちろんあるさ。もうすぐだよ、リリア」
列車が森を抜けて、少し見通しが明るくなった。遠くで町らしきものが見えた。そこから少し離れたところに、大きな建物が点在している様子も見ることが出来た。
「お兄様、ニューヤパンの町が見えてきたわ」
窓際に座っているリリアが遠くを指差した。
「やっと見えてきたか……。これからは俺とリリアは、ここで過酷な修練を乗り越えていかなければならないのだな」
俺は少し吐き捨てるようにつぶやいた。リリアは何も言わず、ただじっと俺を見つめていた。
キ、キ、キ、キ、キーッ!
列車がゆっくりと停止した。乗客はこの先の都市にいくものばかりなのだろうか。ニューヤパンで降りたのは、俺とリリアの2人だけだった。駅前には商店街が並んでいた。何軒かのレストランもあるようだった。特に、買い物をする用事も無かったが、この辺りで仕事を探さなければならないという、差し迫った緊迫感が2人を襲っていた。
「好き嫌い抜きで、仕事を探さなければならないな……」
リリアは少し遠い未来を見ているような目でこう言った。
「でも、きっと住めば都よ。それに私たちの目的はここで働くことではないわ。修行することよ」
俺はそんな風に言うリリアを初めて見た。俺は微笑みながらリリアに言った。
「リリア、いつの間にか強くなったな」
リリアも微笑みながら答えた。
「きっと、お兄様の愛情と一緒に強さも私に注がれたのね」
リリアの可愛らしい口元から、ペロッとピンク色の舌が見えた。
近くに町の案内図が立てられていた。俺は案内図を見たとたんに、不思議な感覚を覚えた。この駅前商店街を中心として、様々な宗教の建物が円を描くように点在していることがわかった。まるで、この町全体が何か大きな力で守られているような錯覚に陥った。リリアもそれに気がついたようだった。
「この町は何か不自然な感じがするわ。町にしては小規模すぎるし、それに各宗教の建物もあまりにもバランスが良く建てられているわ。お兄様、私少し怖いわ……」
先程の威勢のいいリリアとは変わって、もとのリリアに戻っていた。
「さぁ、俺にもよくわからないが、先程から不思議なパワーを感じるような気がする」
奇妙な感覚に包まれながら、2人は行き先を確認した。
密教のカーリー寺院は、歩いて10分程のところにあるようだった。カバラについては・・・、良くわからないが、チャーチ・オブ・ダークというのがある。他の宗教とは違うようだった。きっとそこかもしれない。同じく、歩いて10分程のところにあるようだったが、リリアとは逆方向だった。俺はリリアの肩に手をかけ、彼女の瞳を見つめながら言った。
「リリア、ここでお別れだ。修行に入ったら、会うこともないだろう。1人で行けるな」
リリアは一瞬、寂しそうな顔をしたが、きっと俺を困らせてはいけないと思ったのだろうか。ニコッと微笑んで答えた。
「お兄様、お気遣い有難う。でも、私は大丈夫よ、ここから1人で行けるわ」
「そうか。どちらが早く終わるかはわからないが、修行が終わったら、必ずフレイトスの町に戻っててくれ。俺も修行が終わったら、必ず戻る」
「わかったわ。お兄様、約束よ」
「それともう1つだけリリアに頼みがある。俺が学ぼうとしている魔術は悪魔を使うものだ。もしも、俺が悪い方向に変貌した時には、リリアの術で俺を葬ってくれ」
「お兄様、そんなことを言わないで。お願いだから……」
リリアは今にも泣きそうな声で言った。
俺は力強くリリアを抱きしめて、チャーチ・オブ・ダークへと向かった。
そして、兄の後ろ姿を見送っていたリリアも、カーリー寺院へと向かっていった。

 チャーチ・オブ・ダークは中世的な雰囲気を持つ建物だった。中に入っていくと、少し冷たい風が中から吹いてくるように感じた。普通の教会のように十字架はなく、礼拝堂らしきものもそこにはなかった。大きなロビーのような広いスペースの中央に、生命の樹のモデルが大きな彫刻のように配置してあった。奥から人影が見えてきた。40代半ばの紳士のようでローブを着ていた。
「貴方が来ることは、私のパワーが察知していました。そして、別の方が他の教えの建物へ向かっていったことも」
俺は驚いた。そんなことまでわかるのか。
「妹の存在まで知られてしまうとは、これがカバラというものなのか?」
男は不気味な笑みを浮かべながら答えた。
「そうではありません。私たちは、常にタロットカードで世の中の動きを察知しているのです。それは、いずれ貴方にも可能になるでしょう。私の名前は、ファル・クシズと申します。貴方は?」
「私はディル・クレイトン。魔術を教えていただく為にここへ来ました」
ファルは軽くうなずくと、ついてくるように合図をした。教会の奥には3つの扉が見えた。ファルはその各部屋について説明をした。
「この3つの入口は、知識を学ぶ為の入口とトレーニングをする為の入口、そして、実践する為の入口になっています。部屋ではありません。あくまでも入口です。扉を抜けると、いくつかの部屋が用意されており、全てが終了するまでは戻っては来れません。各過程の部屋にはトイレが設置されております。食事も取ることは可能ですが、1部、それが出来ない部屋もございます。なぜかと申しますと、断食が必要な過程があるからです。ディル様はまだそこには行けません。最初に行かれるのは、知識を学ぶ為の入口です。中には、習得できずに、白骨化した死骸もございます。知識を学ぶ段階においては、出口での質問で間違われると不徳修行者と見なされ、たちどころに白骨化の呪いがかかってしまうのです。なぜ、死骸がそのままになっているのか気になるでしょうね。それは私達のような修練を積んだものは、実践する為の入口しか入ることは出来ません。無理に入ろうとすると、呪われて白骨化になってしまいます。ですから、白骨化した死骸を取り除くことは出来ないのです。その代わり、無理に修行することを勧めることは致しません。だからこそ、あえて、全てをお教えするのです」
何というべきか、とてつもなく大きな力を手に入れるための厳しさのようなものを耳にしたような気がした。ファルは俺に問い掛けた。
「では、お伺いいたします。お入りになられますか? それとも、引き返しますか?」
俺はこれを学ぶ為にここに来たのだ。リリアでさえ、あの細い身体で修行に行ったのだ。ここで帰るわけにはいかない。
「もちろん、入ります」
俺はきっぱりと答えた。
「中には、先日いらっしゃった数名の方がおります。また、各過程の部屋には時間制限があります。入室してから、1週間以内に次の過程に進めなければ、その者には呪いがかかり白骨化してしまいます。その点を気をつけながら、いってらっしゃい」
俺は緊迫した瞬間を味わいながら学ぶことになるであろう、知識を学ぶ為の入口の前に立った。大きく、深呼吸を3回してから、ゆっくりと扉を開けた。

第6章 カーリー寺院

 リリアはその頃、カーリー寺院の前に立っていた。とても大きな建造物は、古い歴史を物語っているようなものだった。大きな扉の前には、不動明王と書かれた大きな石造が建てられていた。とてもたくましく、勇ましいその石造はいまにも唸り声を発してしまいそうなほどリアルだった。リリアは大きな扉を押して、中に入っていった。中には様々な手の組み方をした像が9体、広い空間を取り囲むように並んでいた。そして、その9体の像はそれぞれ特徴のある手の組み方をしていた。ただ、現時点ではリリアには理解できぬ領域だった。広い空間の先には、1つの通路が見えており、その奥から何かの呪文を唱えているような声が聞こえてきた。
(何をやっているのかしら……)
やがて通路から1人の老人が歩いてきた。その老人は私の姿を見て、声をかけてきた。
「どうなされたのじゃ?」
私はここに来た理由を、カバンから本を取り出して見せながら話した。
「私は密教について学びに来ました。ここには、カーリー・モスという方がいらっしゃって、その方を訪ねると良いことが本に書かれていました」
その老人は、微笑みながら答えた。
「そのカーリーというのは、わしのことじゃ。奥ではわしの門弟が修行をしているのじゃ。お若いの、名前はなんというのじゃ?」
「リリアと申します。是非、修行させてください!」
私はすがりつくような気持ちで、カーリーに頼み込んだ。カーリーは私のほうをじっと見ながら、何かを考えているようだった。そして、口を開いた。
「リリア、よく聞きなさい。本当ならば、その長い髪を落とし、スキンヘッドにしなければならないのだが、女性であるリリアにはそれは無理だ。そこで、そのままで修行してよいという特例を、このわし自らが出そう。その代わり、他の男の修行僧と同じつもりで鍛えるつもりじゃが……、それでも良いか?」
男しかいないということが、少し恐怖心を与えた。カーリーは既にその心を読んでいたかのように、1つ付け加えた。
「実はのう、つい最近、若い女性がどうしても修行したいと申してな。その女性にも特例を認めて、入門させているのじゃよ。彼女にとっても、女1人じゃ、やりにくかろうと思っとったところじゃ」
リリアの心の中で渦巻いていた不安はその言葉を聞いたとたんにかき消され、ライバルがいるので頑張らなくてはという意気込みに変わった。カーリーは、続けて、密教についての話をした。
「リリア、密教についてはどこまで知っているのじゃ?」
本は持ってはいたが、まだ目を通してもいなかった。
「何もわかりません。教えてください」
「そうじゃのう……。ならば少し教えよう。密教とは、真言密教のことで、はるか昔に空海という偉い僧侶が修行を重ねてつくりあげたものじゃ。彼は、この真言密教を創る前に、インドに修行にいってたのじゃ。これは、今の地球になる前の、古き地球の時の話じゃ。彼はそこで不思議な文字、サンスクリット語を学んだのじゃ。それは、後に梵字(ぼんじ)と呼ばれてのう。そしてその梵字によって創られたのが、この真言密教じゃ。近いうちに、リリアもそのパワーに触れることが出来るじゃろう。まずは、門弟を紹介するからついてくるのじゃ」
先程、カーリーが通ってきた通路を逆戻りしていった。通路の両側には小部屋があり、その近くにトイレもあった。その通路を抜けると、大きな広間があり、突当りの壁には大きな絵が飾られていた。それはマントラと呼ばれるものだった。数人の門弟が何かを唱えているようだった。門弟の中には、先程カーリーが述べていた女性の姿もあった。門弟達は、マントラの方に向かって唱えていたので、私達には気付いてないようだった。カーリーはすぐに皆を集めた。
「修行中にすまないのう。今、若い女性が修行したいと申してきてのう。まず、皆の意見を聞いてみようと思っているんじゃ。髪の毛については、そのままで良いという特例は出しておる。どうじゃろうか?」
1人の門弟が答えた。
「大僧正、彼女の胸にあるのは十字架と思われますが、ここで修行する以上は、それは外してもらわなければ困ります」
カーリーは、私の方を見た。
「十字架と言うのは、パワーとしては認めておるが、他の宗教なので遠慮してもらいたいのじゃ。何かの想い出として、残しておきたいと言うのなら、カバンにしまっておいても良い。じゃが、修行中は決して身に付けてはならん。良いな?」
私は、一時的に、巫女としての自分を捨てることにした。
「わかりました」
「後は無いかのう?」
再び、門弟に問い掛けた。反論を述べるものはいなかった。カーリーは意見するものがいないのを確認すると、修行を続けるように言った。それから門弟の1人である、先日入門したカレン・ハートを呼んだ。彼女はリリアと同じく、金髪のロングヘアーだった。ただ私と違うのは、同じ細身でも筋肉質だということだった。
「門弟のカレンじゃ」
カーリーが紹介すると、カレンは私に優しく微笑んで、握手を求めてきた。
「カレンです。わからないことがあったら、私に聞いてね。まだ、2ヶ月しか修行してないけど」
私も笑顔で応えた。
「リリアです。色々と教えてください。宜しくお願いします」
2人の自己紹介が終わったのを確認すると、カーリーはカレンに言った。
「カレン、彼女に一通りのことを教えてやってくれんかのう。今日は、修行はいいから、彼女のことをちょっと頼むよ」
カレンは任せてと言うように答えた。
「わかりました、大僧正。彼女に色々と教えます」
そして、カーリーは更に奥の通路を通って消えていった。
カレンは私を見ると、
「そうね。まず、寝泊りする部屋に案内するわ」
そう言いながら、通ってきた通路を逆戻りしていった。部屋は先程見えた両側にあるのがそうらしかった。カレンは歩きながら話を続けた。
「ここには個人専用のお部屋はないの。私も最初はとまどったけど、すぐに慣れるわ。ほら、そこの部屋よ。大僧正の計らいで男性とは別にしていただいてるわ。だから貴方が来るまでは私の1人部屋のように使っていたのよ」
中はどうなっているのか興味津々で部屋を覗いた。そこには、彼女のカバンがあるだけだった。
「ベッドはどこなのかしら?」
私が問い掛けると、カレンは一瞬、驚いたような顔で私を見つめたが、クスクスと笑い始めた。
「貴方面白いわね。もしかして、仏教系のことに関わるの初めて?」
「えぇ、初めてなんです……」
カレンはなるほどと納得したような表情を見せると、
「仏教系は、布団と言って、ベッドに敷いていたようなものを床に敷いて寝るのよ」
何となく、意味が理解できた。
「通常は、押入れといって、布団を片付けるスペースに置いてあるの。ほら、あそこよ」
カレンが指差すと、突き当たりに扉が見えた。
「取りあえず、部屋についてはわかったわね。そして、部屋に入るときは靴を脱ぎ、部屋から出るときは靴を履くのよ。そうしないと、布団が汚れてしまうのよ」
直に床に敷くのだから当たり前のことである。すぐに納得できた。
「まず、部屋に入ってゆっくり話しましょう」
そういうと、2人は靴を脱いで部屋に入った。少し、寒かったが、見たところ暖房なんてものは無さそうだった。
「寒い?」
カレンが気遣った。
「えぇ、少し……」
「でも、この寒さに耐えるのも修行の1つなのよ。たぶん、冬はもっと寒くなると思うわ」
私は、お兄様から買ってもらった白いドレスしか着ていなかったので、余計に寒かった。
カレンは法衣に着替えるように言った。
「リリア、この法衣に着替えなさい。少なくとも、そのドレスよりは暖かいわよ」
そう言うと、今着ている法衣を脱いで、私に渡してくれた。そして、下着姿になった彼女は、カバンから予備の法衣を取り出して着た。
「有難う」
私はそう言うと、白いドレスを脱いだ。白いドレスを脱ぐと、白い肌の裸体が見えた。
カレンはあわてて入口の扉を閉めながら言った。
「あら、下着はつけてないの?」
「えぇ、色々と事情があってね……」
そう言いながら、今までカレンが着ていた法衣を着てみた。彼女の温もりが直に伝わってきた。そして私は、今までのいきさつをすべてカレンに話した。
巫女だったこと、レイプされたこと、お兄様がいること、ここに来た理由等をすべて彼女に話した。カレンは、私の過去をすべて聞き終えると、私に言った。
「そんな過去があったのね。でも、よく私なんかに話してくれたわね」
「カレン、貴方なら全てを話してもいいと、会った瞬間にそう思ったの」
「お兄さんは、今どこにいるの?」
「兄は、チャーチ・オブ・ダークに向かいました。魔術師になりたいと言って……」
カレンの表情が急にきつくなった。
「なぜ、あんなところへ……。貴方のお兄さん、もしかしたら生きて帰って来れないかもしれないわよ……」
「そ、そんな……」
私の心の中では、一抹の不安が渦を巻いていた。

第7章 リリアの回想

 その時、部屋の外から声がした。
「カレン、入門したばかりのリリアを脅してはいかん。入っていいかのう?」
カレンは突然の大僧正の声に驚いていた。
「はい、大僧正。只今、開けます」
私は、彼女が立つ前に、即座に扉を開けた。
「あぁ、リリア、有難う。通りかかったら、チャーチ・オブ・ダークの話が聞こえてきてのう。穏やかでは無さそうなので、ついつい、聞き入ってしまった。申し訳ないのう」
カーリーはそう言いながら、部屋に入ってくると、私達の前で座った。
私は、カレンに話したことを、もう1度カーリーにも話した。カーリーは、何かしらの破天荒な運命を悟ったかのように、黙って聞いていた。
カーリーは私に1つの質問を投げかけた。
「リリア、貴方はもしかしてこの世界の人ではないんじゃなかろうか?」
私は黙って、首を縦に振り、過去のことを話し始めた。
「その通りよ。私と兄は、アメリカという国で生まれ育ってきたわ。ところが、文明の発達と反比例するかのように、各国は不況の風をあおるようになっていったの。やがて、弱肉強食のように、強い国が戦力の強大さを振り上げ、弱い国から奪い取るようになっていったわ。祖国アメリカは、世界中でもトップの地位を保つほどの、強大な力を保持していたの。それが祖国を苦しめていったんだわ。有り余る力を世界の為に働きかけようと、国際社会に協力していったけど、弱小国家からは非難の風が強くなり……。ついには第三次世界大戦へと発展していったの。当時の私は、気が狂いそうなほど、悲鳴を上げたわ。両親は18歳の兄と15歳の私を引っ張って、戦争の中を逃げ回り続けたわ。でも、長くは続かなかったの。上空を通過した爆撃機が、爆弾を大量に落下したのよ。もうこれで終わりなのね……。そう思ったの。丁度その時、近くで空間の歪みによってなのか、違和感のある空間が見えたような気がしたの。兄はその空間の中に最後の希望を託したのね……」
私は話をしながら、当時の記憶を呼び戻していた。

「リリアーー! あそこに飛び込むんだ。急げ!」
お兄様は私の手を引っ張った。
「でも、お父様が、お母様が・・・!」
上空で、突然、大きな光が見えた。と、同時に、私と兄は空間に飛び込んでいた。
それからどれくらいの時間が経過しただろうか。私は草の匂いで目がさめた。
そこには戦争の面影は無く、広い大草原が見えていた。近くには、お兄様が倒れていた。
私はお兄様の身体を揺すって、起こした。
「お兄様、お兄様、お願い、起きて! お兄様!」
兄、ディル・クレイトンは目を覚ました。
「ここは……、ここはどこなんだ、リリア?」
お兄様にも少しづつ、状況が把握できたようだった。
「そうか……。あの空間の先がここだったのか……」
お兄様はそう答えると、
「リリア、よく聞くんだ。状況を見てわかる通り、ここは別の世界だ。俺達の両親は、もういない。今まで育ててくれた、セインもマーラも……、セインもマーラも……」
そう言いながら、お兄様は涙を流した。私も大声で泣いた。声が枯れてしまうほどに・・・。
でも、お兄様はすぐに悲しみを打ち消すかのように、今やるべきことは何か考え始めた。
「まず、ここから近くの町に行こう」
そして、長い時間をかけて町に出た。身寄りの無い、私達は、すがるような気持ちで教会を探した。きっと教会ならば私達を助けてくれる。お兄様はそう思っていたのかもしれない。町の中を歩いている人々は、ボロボロになり、傷だらけの私達を変な目つきで見ていた。でも、悔しいとは思わなかった。なぜだろうか。その時は生きていることの素晴らしさを実感していた。
やがて教会を見つけることが出来た。そこはアイスラーク教会だった。
教会の中に入ると、すぐに神父さんの姿が見えた。お兄様は、すぐに声をかけた。
「お願いです。私達を助けてください。身寄りも無く、生活することもできないのです」
神父さんは、見てすぐに事情がわかったような顔で、優しく答えてくれた。
「こちらに来なさい」
私達は教会の隣の家に連れて行かれた。レンガ造りのその家は、神父さんの自宅のようだった。神父さんは、奥から着るものを取ってくると、それに着替えるように言ってくれた。
「まず、これに着替えなさい」
「有難うございます」
私達はあいさつをして、お互いが見えないようにしながら着替えた。
神父さんは、着替えている間に、コーヒーを入れてくれた。
「さぁ、これを飲んで暖まりなさい。君達はまだ若いようだが、両親はどうしたのかね?」
お兄様は、今までのことを話しても、まともには聞いてくれないと思ったのか、
「両親は、先月事故で亡くなり、私達は行く当ても無く困っていたのです。」
神父さんは同情するように聞いていた。
「どこから来たのかね?」
「実は、両親と一緒に事故に遭った時に記憶を失ってしまって、ふと気がついたら、大草原を歩き回っていたのです」
さすがだわ。お兄様の機転の速さは凄かった。

「私は、その時の、神父さんの対応の良さと、このままでは飢え死にするかもしれないような私達を救ってくれたことに感激してまた泣いてしまったわ。そして、後にその教会の巫女になったの。お兄様は、鍛冶屋の仕事を紹介してもらって、そこで働くようになったの。だから、フレイトスにある今のお兄様の家は、鍛冶屋の旦那が借家として貸してくれているのよ」
黙って、カーリーとカレンは私の話を聞いていた。そして、カーリーが再び口を開いた。
「そうじゃったか……。他の者とは少し違う匂いがしたのでな。いや、気の毒なことを聞いてしまったのう」
「そ、そんな、いいんです」
私はあまりにも熱心に聞いてくれるカーリーに、少し顔を赤らめた。
カーリーは、今の地球についての話を始めた。
「実はのう。その戦争が地球全体を滅ぼすような事態に悪化して、結局、宇宙に移民することになったんじゃ」
「ええーっ! 私達の祖先は、宇宙で生まれたのですか?」
カレンが驚いたように声を上げた。新しい地球については学校で学んでいたが、宇宙に移民していたことは教科書には載っていなかったからだ。と、いうよりも、過去に大きな文明や文化があったことを知って欲しくないという国の方針もあった。きっと、同じ過ちを犯して欲しくなかったのだろう。
「そうじゃ、わしがスペースノイド6世じゃから、カレンは8世じゃろう。そして、地球が再生するまで、何百年という月日が流れたのじゃ。その間、スペース・コロニーと呼ばれた世界の中で生活していたのじゃ。そして、地球が再生されたと判断された時に、祖先は地球に降りてきたのじゃ。そして、この国を造っていった。じゃが、まだ生き残っていた旧地球人がおったのじゃ。それは2つの集団だった。1つは、魔術を使いこなす集団で、俗世から離れても生活できる特殊能力を身に付けているのじゃ。そして、もう1つの集団が我々真言密教の1族だったんじゃ。祖先は、その先住民と争うことを避けて、共存する道を選んだのじゃ。でも、先住民は祖先に対して敵対していた。それもそのはず。結局、彼らは荒れ果てた地球に残された者達だからのう。その時に、魔術師の集団は霊的なパワーで攻撃を仕掛けてきたのじゃ。祖先はそれを跳ね返す為に、ゾロアスター教やキリスト教を復活させて応戦した。同じ先住民である真言密教の集団は、少し悩んだ。先住民としては、同じ仲間を助けなければならない。でも、好き好んで争うのはご法度とされている。とても困っていた。と、その時に不思議なことが起こったのじゃ。
 天から、天使長ミカエルと不動明王が降りてきたのじゃ。そして、ミカエルが言った。
「教えは異なっても、求めるべきものは同じである。和解し、共に歩め」
そして、不動明王も続けていった。
「私は、古き時代に魔界との戦争以後、大天使の1人として皆を守っていく立場にある。ミカエル様の話に従うようにしなさい」
そう言うと、2人の姿は天に変えるように、スーッと空に消えていったのじゃ。
その後、お互いが認め合い、そして、学んできた各宗教の発展の為に、それぞれの砦というべき建物を造っていったのがこの町じゃ。この町は、そういう意味を持つ古い町なんじゃ」
カレンが聞いた。
「その後に、多くの町が出来たのですね」
「そうじゃ。だが、地球の半分の地域だけじゃ。残りは何が存在するのか、今もわからん。もしかしたら、地球外生命体や古い地球で語り継がれたUMAがいるのかもしれんのう」
「考えたくはないわ」
私は答えた。
「だからこそ、何があっても乗り越えられるように、それなりの術が必要なのじゃ」
2人は黙ってうなづいた。
「明日からは、リリアもカレンと共に修行にはげむのじゃ。よいな」
そう言うと、カーリーは部屋を出て行った。
私は、一度に多くのことを考えすぎたのか、少し疲れてきた。いつの間にか、そこで寝てしまっていた。カレンは、リリアに布団をかけてあげた。そして、カレンは、リリアが寝たのを確認すると、再び修行をしに広間へ向かった。

第8章 知識の扉

 俺は扉を開けた。フィルの言うとおり、扉を閉めると中からは開けることは出来なかった。目の前にもう1つの扉があった。扉には、「生命の樹」と書かれていた。
俺は何のためらいもなく、その扉を開けた。中は、教室というイメージがするような部屋で、机が並んでおり、個室のトイレもあった。俺以外には誰もいない。
「ここは無事通過していったのか……」
机の上には、教科書のようなものが置いてあった。かなりボロボロになっていた。床には「生命の樹」とコメントされている大きな図が書かれていた。大きな正円が10個描かれていた。俺はまず教科書を開いてみた。

 カバラの宇宙概念である生命の樹は、神がこの宇宙を創造した時の設計図だと言われている。そして、それは10個のセフィラ(天球)から成り立っている。各セフィラには、名称がつけられており、ケテル、コクマー、ビナー、ケセド、ゲブラー、ティファレト、ネツァク、ホド、イェソド、マルクトと呼ばれている。10個のセフィラは、3本の柱の上に点在していて、言い表すならばこうなる。
ケテル(中央柱の最上部)、コクマー(ケテルより斜め下、右柱)、ビナー(左柱、コクマーと同じ高さ)、ケセド(右柱、コクマーの下)、ゲブラー(左柱、ケセドと同じ高さ)、ティファレト(中央柱、ゲブラーの斜め下)、ネツァク(右柱、ティファレトの斜め下)、ホド(左柱、ネツァクと同じ高さ)、イェソド(中央柱、ホドの斜め下)、マルクト(中央柱の最下部、イェソドの真下)。
そして、至高の存在であるケテルから流出した力は、各セフィラを通りマルクトへと流れていくのである。
「なるほど、これが生命の樹というものの外観か」
 各セフィラには意味があった。
ケテル(王冠)、コクマー(知恵)、ビナー(理解)、ケセド(慈悲)、ゲブラー(神の威力)、ティファレト(調和)、ネツァク(勝利)、ホド(栄光)、イェソド(基礎)、マルクト(王国)。
「その他に、四界について書いてあるな」
俺は熟読した。もうこれで十分だ。俺は書かれていることのすべてを頭に叩き込んだ。
「よし、出るぞ!」
俺はこの部屋の出口へと向かった。
突然、目の前のスピーカーから、問題が出された。
「あなたが魔術師を目指してから、魔術師になるまでを例に、四界とは何か答えてみよ」
俺は少し考えて答えた。
「魔術師になろうと考えた意思の段階が、流出世界であるアツィルト界です。次にその為に計画を立ててこの教会に交渉に来たことが、創造界であるブリアー界です。そして、このように扉を通過して学んでいくことが、形成世界であるイェツラー界です。最終的に魔術師になることができたときが、物理世界であるアッシャー界です。以上です」
少し静けさが漂った。俺は少し緊張した。間違っているのか……。
その時だった。
「次の部屋に行きなさい」
と、スピーカーから声が聞こえた。
俺は胸を撫で下ろした。最初からつまづくわけにはいかなかったからだ。
扉を開けると、次は「タロット」と書かれた扉が現れた。
「あの、占いのことか。でも、これが魔術に必要なのか……」
俺は疑問が頭の中をこだましたまま、次の扉を開けた。その部屋の中を見て俺は息を飲んだ。白骨化した死骸が散らばっていた。壁には爪でひっかいたような、引っかき傷がいくつもあった。それほど難しい部屋だということなのか……。
 しかし、そこにも前室同様、生身の人間はいなかった。机の上には、もはやボロボロで読むことさえも難しいような、教科書らしきものがあった。床には、タロットの絵柄と意味が書かれていた。
「これだけの資料でここを突破するのか……」
その声が聞こえたのだろうか。どこからか声が聞こえてきた。
「何か、ご不満でもおありかな?」
「教科書がボロボロで目を通すことは出来ない。代わりのものはないのか?」
俺の声が届いたのだろうか。天井の隙間から、1冊の教科書が落ちてきた。
俺はそれを拾って熟読した。中には、タロットの意味と生命の樹の小経(パス)に対応していることが書かれていた。さらに、大アルカナの秘密の称号も書かれていた。
「秘密の称号とは何だろう?」
こう書かれていた。
愚者---エーテルの精霊、魔術師---力の術士、女教皇---銀の星の女司祭、女帝---万能の主の娘、皇帝---暁の子、法王---永遠なる神々の博士、恋人---聖なる声の子達、戦車---水の勢力の子、力---燃え上がる剣の娘、隠者---光の声の魔術師、運命の輪---生命の勢力の支配者、
正義---真理の支配者の娘、吊るし人---強大なる水の精霊、死神---偉大なる変換者の子、節制---調停者の娘、悪魔---物質の門の支配者、塔---強大なる神の主の支配者、星---大空の娘、月---流動と反流動の統治者、太陽---世界の炎の支配者、審判---原初の炎の精霊、世界---時の夜の偉大なる者。
「よし、覚えたようだ。いくぞ!」
俺は気合を入れて出口にたった。
スピーカーから問題が出された。
「この部屋を表す大アルカナを1つ答えなさい。間違いは2回まで認めます」
俺はこれしかないと思い、すぐ答えた。
「女教皇!」
先程と同様に静けさが漂っていた。俺はこの答えには自信があった。
しばらくしてスピーカーから声が聞こえた。
「次の部屋に行きなさい」
そして、俺はこの調子でいくつもの部屋を通過していった。
最後の部屋を通過すると、小さな踊り場のような場所に出た。
そして、今度はファルの声がスピーカーから聞こえた。
「無事通過されましたね。おめでとうございます。そこからは、逆戻りするようにトレーニングの部屋を通過していただきます。今度は試験がありません。そのかわり、ある条件を満たさないと、出ることはできません。頑張ってください。部屋は1つしかありません。ごゆっくりどうぞ」
 俺は、新たな入口の扉を開けた。少し暗い部屋で、そこには、数人の姿が見えた。
男性が2人と女性が1人だった。ただ、何となくだが、異様な雰囲気が漂っていた。
(これが魔術のトレーニングというものなのか……)

第9章 陰の存在

トレーニング中のメンバーが俺に気がついたようだった。その中の1人の男が俺に話しかけてきた。このメンバーの中心的存在なのだろうか。リーダー的な雰囲気が感じられた。黒い長髪の彼はローブに身を包んでいた。
「よくここまで来れたな。俺達は新参者とは言っても、多少の知識があったから通過できたんだ。俺の名はクラン・セト。君は?」
「俺はディル・クレイトン。今日この教会に来たばかりだ」
その言葉が他のメンバーにも聞こえたのか、一斉に俺に視線を浴びせた。
「俺達は魔術サークルのメンバーで、魔術体験旅行も兼ねて120名のメンバーが先月ここに来た。しかし、旅行などとはほど遠い場所に来てしまったことに気付いたのは、質問の答えを誤って、次々と白骨化していくメンバーの死骸を見てからのことだ。ここは普通の教会とは違う特殊訓練所のような雰囲気を漂わせている。ここまでのことをするからには、何か他の目的が……」
彼がそこまで言いかけた時、突然苦しみ始めた。
「あっ、あ……、苦しい……。た、助けてくれ……!」
他のメンバーが彼に駆け寄ってきた。
「クラン! クラン! どうしたんだ! クラン!」
もう1人の男が彼の体を揺さぶった。クランは次第に白骨化していった。そして、その時、どこからともなく不気味な声が聞こえた。それは、ファルの声とは別の太い声だった。
「彼は少し喋りすぎたようだ。君達はもうここから教会の外へ出ることは出来ないのだ。我々の下僕として、トレーニングを通過し、実践を学んでいくか。それとも、途中で放棄してクリアできずに彼のように白骨化していくか。選択の道は2つに1つだ。これからは下手なことは考えずに生き延びることを考えることだな、フ、フ、フ、フ、フ……」
もう1人の彼は、白骨化したクランの死骸を抱きかかえるようにしながら、涙を流していた。
「畜生!なんでこんなことになるんだ」
そして、その死骸を片隅に静かに、静かに寄せた。
俺は今置かれている状況を瞬時に察知し、他のメンバーに口を閉じるようにジェスチャーをした。近くにあった筆記用具を見つけると、その紙に書きなぐるようにこう書いた。
“この部屋の会話は盗聴されている。教会の陰謀については、今は声に出さない方がいい。皆で力を合わせて、術を習得することに専念しよう。その術がいづれは役に立つかもしれない。”
そう書いて、他のメンバーにその紙を見せた。
 残された2人の仲間はそれに目を通した。そして、読み終えるともう1人の男が俺の方をじっと見つめ、首を縦に振った。
俺は長い間静寂をつくっていては、盗聴している教会の者に不信感を与えることになると感じたので口を開いた。
「俺はディル・クレイトン。これからも宜しく!」
すると他のメンバーも呼応するように答えた。
「俺はブラド・ビゼー。彼とは親友だった。今後とも宜しく!」
クランと同様にローブを着ている金髪の彼からは、何か武闘派の雰囲気が感じられた。
「私はライサ・ジル。これからも宜しくね」
黒髪の彼女は孤独な悲愴感を漂わせていた。そう言うと、1角にある休憩室らしいところへ入っていった。にブラドが俺に、トレーニングについての話を始めた。
「まず、この部屋の内容だが。ローブの作り方から始まって、四拍呼吸法、リラックス、視覚化、カバラ十字の切り方、パスワーキング等のトレーニング方法が書かれている。それらを全てマスターして、マルクトからケテルまでパスワーキングが出来るようにすることが第1の目標だ。そして、最後のケテルに到達した時に、キーワードが与えられるそれを出口の前で言えれば合格だ。そのキーワードは四大元素のうちの1つであり、それぞれ異なる時もあるそうだ。俺達はそれぞれのペースで行い、お互いのトレーニングの邪魔をしないように心がけている。
 それと、見てわかるとおりこの部屋はパスワーキング用に暗くなっている。1角にある休憩室に教科書が置いてあるから読むといい。ローブを作るための材料もそこに置いてある。
話しかけていいのは休憩中だけだ。以上、頑張ってくれ」
彼はそう言うと、トレーニングを再会した。
俺はまず休憩室に行って、ローブを創ることにした。休憩室の扉を開けると、先に入室していたライサの姿があった。軽く目を閉じて、うつむいていた。よほど疲れたのだろうか。
「トレーングは結構きついのかい?」
俺は立ったまま、扉の近くにあった棚から、ローブの生地を取りながら、さりげなく声をかけた。
「精神力があればどうってことはないわ。後は孤独との闘いよ……」
彼女は頭を持ち上げ、視線を俺に向けた。俺はローブの創り方を教科書で調べながら言った。
「君には家族がいないのかい?」
「わからないわ……。物心ついた時には両親の姿は無く、育ての親だった叔父も私が10歳の時にどこかへ行ってしまったのよ。10歳年上の兄がいたらしいけど、叔父の話では、あいつは気が狂って変な宗教に入信して出て行ったと言ってたわ」
彼女は生きた屍のように、魂が抜けていた。
俺はローブの創り方を頭の中にインプットして、針と糸を片手に、彼女の隣に座った。
「1つだけ君に聞いてもいいかい?」
彼女は俺の方を見て答えた。
「どうぞ」
「君はここから出たいと思っているのかい? それとも、もう失望して、死んでもいいとおもっているのかい?」
彼女は瞳を潤わせて答えた。
「嫌よ。まだ、死にたくないわ」
俺はローブを創る手を止めて、彼女の方を見た。
「そうか。ならば俺と共にここから出て行こう。彼も仲間ならそれを望んでいるはずだ」
俺はきっぱりとした口調で言った。彼女はコクリと首を縦に振り、新たに意欲を燃やしたように笑顔を俺に向けて、休憩室を出て行った。
俺はローブを創りながら、頭の中で色々なことを考えていた。
果たして俺はここから無事に出られるのか。あの謎の太い声は何者なんだ。この教会では何が行われているのだ。ファルもどことなく、不気味な感じがしていた。
そして、何よりも、寺院にいるリリアのことが心配だった。
2003/12/01(Mon)19:24:08 公開 / トレイスフォード
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