- 『夢人 第四章』 作者:棗 / 未分類 未分類
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「天のおとし子」
急にフィルは笑い始めた。反動で、流しの中にあったコップが倒れた。
「何言ってるのよ!あんなのが降ってきたら、私だったら一瞬で放置するわよ」
「シェルの両親は、放置しなかっただけ」
コップを立て直す。カチャン、と軽い音がした。
たちまち、フィルの好奇心溢れる瞳がキラッと輝く。
「ここからは長い話になるかもしれない。一旦座る?」
そう言って、ボクはシェルの両親から聞いた、彼の驚くべき出生秘話を、延々と話す羽目になった。
ある春の日の朝、テンリという女性が散歩に出かけた。
その日は絶好の散歩日和、心地よい風が心地よく吹き、満開の桜の花びらがヒラヒラ舞っていた。
彼女が上空を見上げると、青空はどこまでも広がり、気持ちの良い色に染まっていた。
「…良い天気だった、って言えば良いじゃない」
フィルが言ったが、ボクは少し顔を赤くしてコホン、と咳払いした。
「いいんだよ。煩いな。」
すると彼女は、ぱん、と手を叩いた。
「判った!春って言いたかったんでしょ?で、言葉が思いつかなかった訳ね」
「…」
図星。だったが、構わず続けた。
そんな時、彼女がひとふさ、桜の枝をもぎ取った。
あまりに美しく咲いていたので、家で待っている娘に見せてやろうと思ったらしい。
案の定、家に持ち帰って見せると、娘は喜んだ。そして、
「庭に植えて育てよう」
と言った。
植えてみた桜は、全く枯れずに力強く根を張り、水を与えなくともぐんぐん育っていった。
夏にはしっかり緑色の葉を涼しげに茂らせ、秋には真っ赤に葉を染め、冬には葉を散らさずに、自然に葉が減っていったという。
虫だって付かないし、近所に迷惑をかけない。
不思議な桜だね、と家族はもちろん、近所の人々も言い、毎年毎年その桜で楽しんだ。
「へー、良い話じゃない?でもさ、シェルと何の関係があるのよ?」
「ここからが本番です」
ボクはまた咳払いをして続けた。
その桜が育ち、苗ではなく木になった頃、娘は自立し、母親は原因不明の病気で寝込み、父親は借金を抱えて家を飛び出し、家族は散り散りになった。
ある日、娘が母の看病に訪れると、この時期になると毎年葉を茂らせている桜の木は、今にも枯れそうになっていた。
世話をする人がいなくなったからだと、娘は思わなかった。
あんなに不思議な桜が、そんな些細な事で枯れてしまうとは思えなかったからだ。
「ふ〜ん。ま、その桜のある家がひどくなったら、桜もひどくなったと。」
「…簡単にまとめますね」
フィルは一回舌打ちして言った。
「いいのよ。早く続けて!」
紙芝居をするおっさんになった気分だ。
母親が亡くなった。4月の、下旬だった。
独身で、親戚も少なかった娘は行き場が無く、父も生活を切り詰めていて、引き取れない。
彼女は漂うようにして、あの桜に会いに行った。
桜の大木は衰えながら、また今年も気高く、美しく咲き誇っている。
この桜と過ごしてきた幸せな思い出で、一瞬胸が一杯になる。
と、その時だ。
彼女は、桜の根に絡まれ、飲み込まれていった。そして
―――二度と、帰って来る事は無かったのである―――
「え、人食い桜?シェル?何の関係?」
「もう少しで判るかも」
ボクは少しフィルをからかって、重々しく聴こえるように話した。
その後、近所の住民達は、桜を『人食い花』と名づけて近寄ろうともしなかった。
手入れをされない桜と、廃墟と、汚い庭。人食いの話を知らなくても、誰が近寄るだろう?
しかし、近寄った者がいたのだ。
物好きの男、ケクリだった。
「ケクリって…」
「そ。シェルの叔父さんだよ。」
一瞬、重い空気が流れた。
「叔父さんは亡くなっているわ」
フィルが言うと、ボクも頷いた。
「でもね、人食い花が食べた訳じゃないんだ」
ケクリはある日、友人にこう告げた。
「よし、肝試ししよう!人食い花に、自分の名前を刻もうぜ!」
この時、ケクリは18歳。今更肝試し?と、友人に笑われたが断固として折れない。
ついに友人が折れて、総勢10名位で、肝試しは開催された。
順調に友人達は帰ってくる。最後はケクリだ。
それに付いて来たのは、ケクリの弟、ピルだ。
「ピル?シェルのお父さんよね。」
「ビンゴ。」
兄の影でビクビクしていたピルは、その時13歳。
歳の割に小柄で、幼い。
サクサクと兄は幹に名を彫る。もちろんピルの分も。
満足げな兄。たたりが無きゃ良いけど、とピルは内心不安だった。
「よし、帰るか」
その時。
木の根がするする伸び、どっしりと重い腰を持ち上げた。
天まで届こうかというほどに枝は伸びに伸びた。その枝には、隙間無く白い花が咲いていた。
そして、その花のトンネルをくぐって、赤子がピルに落ちてくる。
「うわ!」
悲鳴をあげる。
何事かと顔を見る。もしかしたら死んでいるかもしれない。
しかし、赤子はにっこりと微笑んでいた。
天使のように。優しく、朗らかに。
うっとり見惚れて、兄が近づき、頬に触れる。
一瞬の出来事だった。
赤子の背後から真っ黒い影が現れ、何かで兄を切りつけた。
一瞬で。
「兄さん!兄さん!」
ピルが呼んでも、返ってくるのは赤子の鳴き声だけ。
それは、ひどく悲しんでいる、啜り泣き。苦しげにしゃくり上げる赤子を見ていられず、ピルはその赤子と、無惨な姿に変わり果てた兄の事を知らせるため、その場を離れていった。
もちろんこの事は、身内でも、近所でも、内密にしておく事になった。
「こんな感じ。つまり、天から降ってきたの」
「…なんでそんなに知ってるの?」
フィルは僕の顔を覗き込む。コホンと軽く咳払いし、ボクはあっちの方を向いて答えた。
「ピルおじさんが話してくれたんだ。おじさんは、テンリさんとかと、もともとは親戚だったらしいよ」
暫くして、フィルがボクの顔を覗き込んで言う。
「でも、大丈夫よね」
その言葉には、信頼が漂っていた。
安らかな寝息が
午後の空に響く。
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2003/11/14(Fri)23:27:09 公開 / 棗
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■作者からのメッセージ
だんだんと佳境に入ってまいります。
この後からの展開をお楽しみに。