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『月夜の鳥』 作者:高遠一馬 / 未分類 未分類
全角3379文字
容量6758 bytes
原稿用紙約10.1枚
それは夜空の闇の中を優雅に浮かぶ雲が、一瞬でかき消されてしまったほどの突風が吹き荒れた夜の事。天の一角に轟音を共にして現れた門は、その扉を固く閉ざすためにつけられた大きな鎖が大きく擦れ合う音を辺り一面に響かせた。

「さあ、貴様をこれを以(も)って天より追放処分とする」

荘厳なその達しを告げた男の口ぶりは、その内容とはうって変わり、楽しげに弾むようであった。
事実、男は自分がこれより門の向こうへと放り投げる相手を心底憎らしく思っているのであり、
少なくとももう二度とこの顔と鉢合うことは無いのだと思うだけで、体が震えるほどの悦楽を感じる事が出来るのだ。

「貴様は腐臭を放つ穢土(えど)で、腐り落ちていく肉塊どもと愛でも語っているがいい」
男はそう言うと周りに気をかけるでもなく、大声で笑いだした。その笑い声に響き合うように門の鎖は次々に崩れ落ち、身の毛のよだつような低い音を立てて扉は両開きに開く。
大地を揺るがすような音が鳴り止む頃には、そこには今から放りこまれる咎人(とがびと)を待ちうけるように、黒々とした闇をたたえた門の向こう側が広がっていた。


彼は幾つもの名前を抱えている。それはかささぎであったり闇王であったりしたし、人によっては彼を魔そのものだと罵(ののし)ったりもした。そのどれをも彼はやんわりと受け止めていたが、中でもかささぎというその名前を好み、自らそう名乗ることも少なくなかったりもした。
その彼が天を追放されることになったのは、ほんの二日ほど前のことになる。
理由は、天主の寵姫の心を奪ったがため。ただ、それだけの事だったが、天主を中央に置くその世界ではそれ以上の理由は必要ないほどに立派な重罪だった。
まばゆい光で覆われた法廷に彼が連れ出された時には、もう既に彼の処遇は決まっていたのだが天主はそれを余興とばかりに高みに置かれた座から見下ろし、心底楽しそうな顔をしながら寵姫の太ももをいやらしく撫でまわしていた。少しづつその指の動きが自分の中心に近づいてくるのを感じ取ると、寵姫は悲痛な叫び声をあげた。
「――闇王、私はここに! 私をこの汚い男から救い出して!」
その声は法廷中に響き渡り、次の瞬間には闇王の足元に彼女の首が降って落ちた。
「生意気な言葉を覚えたカナリアが。どうしようもない屑(くず)だったな」
天主はそう言うと自分の隣で血を吹きあげている女の首の無い体を、大げさに蹴って法廷に落とし、程なくそれが闇王の目の前で鈍い音をたてて潰れた様を覗いて笑った。
法廷の中はほんの一瞬ほど水を打ったような静寂に包まれはしたが、天主の機嫌を損ねては大変とばかりに皆一同に揃って潰れた女の死体を指差し、腹を抱えて笑い出したのだった。
当の闇王は、自分の目の前に降ってきた女の首を眺め、その見開かれたままの大きな眼球を覗きこむような動きをしてみせると、口の端を歪めてあげた。

「どうだカササギ。それ、その女には望み通り自由をくれてやったわ。貴様は何を所望するか?」
天主は闇王の遥かな高みから彼を見下ろし、懐から扇子を取り出して口元を隠し、低く笑う。
闇王はまだ女の眼球と目を合わせたまま身じろぐこともせず、その場に立っていたがやがて静かに言葉を告げた。
「いえ、何も」
そう応え、喉の奥で笑う。笑いながら上を見上げ、高みで自分を見下ろしている男に向かって歪んだ笑みを投げかける。
「何を求めたとて、貴方は私からそれをことごとく取り上げてしまうでしょうしねえ」
闇王はそう言うと可笑しそうにくつくつと笑い、顔を斜めに下ろし肩を震わせて笑った。
その両手が後ろ手に縛られてさえいなければ、彼はきっと口元を隠して笑っていたことだろう。
天主は彼のその応えに不服だったのか、女の血で汚れた壁を何度か蹴飛ばし、法廷の中心である年老いた神に目を向けてにやりと笑みを浮かべた。
「ほれ、カササギは罪状を述べられるのがよほど心待ちだと見える。さっさとそれを明らかにしてやれ」
その言葉に老人がまごつくのを、闇王は未だ肩を震わせながら見やった。そして、むしろ老人を庇うような口ぶりでゆっくりと、法廷中に聞こえるようにはっきりと、彼は告げた。
「さて、私はどのような処分を受けることになるのやら」
そう言い放つ彼の顔は余裕そのものを感じさせ、薄く笑みを浮かべたその口元は法廷を取り囲む数々の傍聴席に着いている精霊や女神といった女達の視線を釘付けにした。
言うまでもなくこれまで数知れない女達の心を動かしてきた彼の美貌は、罪状を読み上げられる時でさえも少しも歪むことはなく、それを見ている天主の方が逆に強く歯軋りをしてみせたほどだった。

ありもしない罪を捏造したものを高だかと読み上げ、老人は丁寧に礼をして静かにその場を後にした。読み上げられた罪状が事実であるかどうかという確認を受けることもなく、闇王は老人に背を向ける形で法廷を連れ出されて行く。
後ろ手に彼の自由を縛った絹糸が、女達の嘆く声を反すように閃(ひらめ)いた。


そしてそれからたった二日の後、闇王は穢土への門の向こうへと追放されることになったのだった。彼を連れてきた男は天主と同様に、妻の心を闇王に奪われた立場の者だったためか、
闇王の手首を締めつけている絹糸を見下ろすといやらしい笑みを満面に浮かべた。
「二度と光差す天へは戻れまい。いいザマだな」
すると闇王は男の方をちらりと見やると、憐れみをこめた目で小さく笑い、
「……可哀想な方々ばかりでしたね」
ぼそり、そう呟くと同時に、それまで闇王の自由を奪っていたはずの絹糸はまるで自分の意思からそうしたかのように、はらりはらりと花びらが散るような趣きさえ見せながら崩れていった。
そのさまを目の当たりにした男は驚きに目を見張り、開かれた門の向こうを指差して叫んだ。
「さっさと消えろ、化け物め!」
「ええ、そうしますよ」
闇王はゆっくりと、一語一語を男に言い聞かせるような口ぶりでそう応えると、自ら歩みを進めて門をくぐる。

男は闇王の背中に一瞥(いちべつ)をくわえると、慌てて門の扉を閉めた。
門は荘厳な音を辺りに響かせて閉じられ、そしてそこにはいつもと変わらず麗らかな天の光景が広がる。たった今まで門が開かれていたはずの場所をしばらく眺め、恐怖に息を弾ませて転がるように立ち去った。

長くくねった暗い道を進んでいくと、どこからか闇王の名を呼ぶか細い声がした。
と、突然自分の足首を掴んだ何者かの存在に気付くと、彼はゆっくりと視線を足元に落とす。
そこにいたのは苦しげに息をあげた女の姿があった。地に這いつくばるようにして、彼の足を掴んでいる。
法廷で天主に殺された寵姫だった。
女は絶え絶えに息を弾ませながら、それでもかつては咲き誇る牡丹のようだと賞された微笑を浮かべて口を開いた。
「闇王、これで私達は誰にも邪魔されずに永い時を過ごせましょう」
その言葉を聞くと、彼は驚きもせずただ薄く笑みを浮かべて応える。
「いいえ、カナリアの姫。私はあなたの心を受けることは出来ません」
女の表情が一瞬にして強張る。
「それは。それはどのような理由からですか? ご冗談はおやめくださいませ。私は――」
女の言葉はそこでさえぎられた。闇王が激しく女の体を蹴り上げたからだ。
女はごろりと転がり、苦しげな嗚咽を漏らした。
闇王はその女の様を眺めながら、その端麗な造作をした顔に白く細い手を寄せ、口元を隠して笑う。

「どの方も、勝手に私に心を寄せてくださっただけではないですか。私がこれまで一度でもあなた達に愛をささやいた事があったでしょうか」

その言葉は柔らかく、しかし女の存在全てを否定するようなものだった。

女はその言葉を聞くと絶望に身を震わせ、その場に這いつくばったままで歩いていく闇王の背中を見つめた。
湿った土の匂いばかりが辺りに満ちている世界だったが、頭上を見やれば細く斬れそうな下弦の月が光を放ち、彼の歩んでいく道の先を細くかすかに照らし上げている。
闇王は着物の裾に残っていた絹糸の残りを摘み取ると、それを眺めてにやりと笑んだ。

こうして彼は自由を得たのだった。
狭苦しい天の世界から、新しい世界へと。
闇王の指を離れた絹糸は月光に照らされて細く閃きを浮かべながら風に流れて行った。
2003/11/13(Thu)16:01:11 公開 / 高遠一馬
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