- 『「私色」』 作者:カニ星人 / 未分類 未分類
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原稿用紙約10.1枚
気がつけば、私は夢の中にいた。
* * *
私はあまり夢を見ない。
他人は、「疲れてるからだ」とか勝手に分析するけれど、確かにそうかも知れない。
美大に入って一年半。
小さい頃から好きだった絵を、もっと上手く描きたくてこの大学に決めた。
高校に入ってすぐからデッサン予備校にも通い、死に物狂いで勉強して、なんとか入学できた時はすごく嬉しかった。
しかし引き換えに、私は何か大切なことを忘れてしまったのだ。
私は絵が描けなくなってしまった。
もちろん、課題や単位に必要なものはきっちり描いた。
でも、それは私が求めているものとは全く違うのだ。
教授のご機嫌取りに過ぎない、一寸の狂いもないデッサンと色彩の専門書にのっとった正しい色使いで描かれた作品。
おかげで昨年のコンクールに入選した。
けれど、私の心の拒否反応がやまない。
私の知っている自分の絵じゃない。
こんなのは技術を極めれば誰にだって描ける、無個性な模範作品でしかない。
コンクールの審査員とやらの見る目のなさに憤りまで感じる。
いつから、絵を描くことが楽しくなくなったんだろう。
私は、とても大切なものを見失っていた。
* * *
「どうしたの」
どうしたの、だったと思う。
突然に声をかけられたことに驚いた私は、その子がなんと言ったのか判断する余裕がなかった。
びっくりしすぎて返事が出来ずにいる私を、くりくりした目で見上げている小さな女の子。
やわらかそうなワンピースを着ていて、長い髪を腰の辺りで切りそろえている。
私は彼女の問いには答えずに、周りを見回してみる。
やはり夢の中。
あたり一面、地球上とは思えない風景が広がっていた。
遠くに家や丘があるものの、現実のそれとは全然違う。
ぼんやりとかすんだようになったそれらには、色がない。
「おかしいな。色がなければ、物が認識できるはずないんだけど」
勉強で学んだ知識にそぐわないことに、私は疑問を抱き呟く。
もっとも、夢なのだから何でもありなのだが。
女の子が、そんな私を不思議そうな顔で覗き込んだ。
そして視線の先にある街に気がつき、
「ああ、あの街は死んでいるから」
と、さらりと言い放った。
街が死んでいる?
意味がわからなかったが、その言葉の響きと、こんな幼い少女が「死」などと言ったことに、私は妙に怖くなる。
ふと気がつくと、この女の子にも色がない。
今にも空気に溶け込みそうな。
でも、もう訊いてはいけない気がした。
「さあ、行きましょう」
少女が私の右手を取り、街の方へと進んでいく。
子供のくせに変に乾いた手のひらだった。
手を引かれながら私は、なおも四方の景色を眺めている。
そして遥か向こうに、微かに金色に光っている一帯を見つけた。
「あれは何?」
普段は人見知りが激しく口数の少ない私も、夢の中では自分の意思で行動しているわけじゃないため、思ったことを率直に口に出す。
「あの、向こうで金色に光っているやつ」
左手で指をさすと、少女は振り向き、
「あそこは森」
と、言って足を止めた。
「森は、まだ生きているから色があるのよ」
相変わらず淡々とした口調で彼女は言った。
賢そうな、どことなく大人びた横顔。
うつろな瞳で、森があるという場所を見つめている。
木も何も見えないが、そこには確実に生のオーラがけむる豊かな森があるように思われた。
「行きましょう」
再び彼女は言い、私達はまた歩き出した。
すると、今度は斜め上に月を見つける。
ジューシーな、今にも雫がしたたり落ちそうな色の月。
さっきの森の色に似ている。
色がついているということは、月もまだ生きているんだな、と私は納得して今度は別の質問を投げかける。
「あの色、さっきの森の色もそうだけど、なんていう名前の色なの」
カーマインとか、シアンとか、あるじゃない。
少女は月を見上げて、興味がなさそうに、ああ、と言うと、
「カロメ色」
と教えてくれた。
カロメ色という名前は今までも聞いたことがなかった。
もとい色なんて、名前をつけ始めたらきりがないのだけど。
カロメ色。
私は小さく復唱して、心に刻み込む。
こんな綺麗な色なんだもの。
少女はそんな私を呆れたような目で見た後、今度は何も言わずに歩き始める。
並んであの色のない街へ向かいながら、私は何気なく訊いてみた。
「ところで、どうしてあの街へ行くの」
すると、彼女からの答えは予想だにしないものだった。
「あなたが死んでるからよ」
一瞬で顔がこわばった。
「死んでるって…」
これは夢なのだ。何も不安になることはない。
言い聞かせたが、私はとても恐ろしかった。
途端に心細くなり、孤独感に襲われる。
「あなたはもう色がなくなってしまうわ。だから、あの街に捨てに行くのよ。あそこには色を失った他の人間もたくさんいるわ」
その抑揚のない子供らしからぬ話し方に、本能的な危機感を感じた。恐怖で涙が出てきた。
「いや、行きたくない」
「行くのよ」
ブルブルと首を振って言う私の願いを、少女の冷たい言葉がさえぎる。
「もう、おしまい」
薄気味悪い笑みを浮かべて彼女は言った。
その時、恐怖でいっぱいだった心が、憎悪へと変わった。
そして私は、なぜか手の内にあったナイフで少女を思い切り刺した。
彼女の瞳が硬直する。
勢いよくナイフを抜くと、彼女はその場に崩れ落ちた。
色のない髪が、手足が、地面に這う。
立ち尽くす私の手には、カロメ色のナイフがしっかりと握られ、無色の液体が伝うだけだった。
* * *
眠りから覚めると、まだ夜明け前だった。
ベッドの上で、上半身を起こして、今見た夢を思い返す。
はっきりと鮮明に覚えている、ナイフの感触、重み。
グロテスクな内容に反して、今日の気分は妙にすがすがしい。
私は、布団を跳ね除けてキャンバスを用意する。冬の早朝にも関らず。
それから持っているありったけのアクリル絵の具を床に並べる。
よさそうなものを数色選び、異常なほど大量にパレットに出すと、色合いを見ながらそれらを混ぜ合わせる。
そして狂ったように筆でその色をキャンバスになすりつけていった。
「美咲、入るよー」
玄関口で叫んで、友人の聡子が入ってきた。
「学校来ないからどうしたかと思ったよ。熱心な美咲が休むのなんて珍しいし」
明け方から書き続けて、気がつけば既に昼過ぎだ。
キャンバスの前で、古びた椅子に座っている私の横から、半日かけて完成した絵を覗き込んで聡子は言う。
「あら、こういうのも素敵ね」
ぴんと張った布板に、黄金色のみで描かれた髪の長い少女と風景。
模範的な色使いも、構図も無視した一枚の絵。
だが、誰にも真似できない素晴らしさがあった。
取り戻せた、私の個性。
聡子は、私の後ろをうろうろしながらしばらく絵を眺め、ふうん、と楽しそうに言って、
「この色綺麗ね。なんていうの」
と訊いてきた。
私は何の迷いもなく、
「カロメ色よ」
と、答えた。
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■作者からのメッセージ
「色」をテーマにした企画に沿って書いたのですが…いつもに増してブラックに(泣)
わかりづらいかもしれませんが、色=個性として考えて、個性を失いかけた女の人が、夢をきっかけにそれを取り戻すという話(に、なってるといいのですが/汗)