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『魔界の女神1』 作者:丘田 ひなげし / 未分類 未分類
全角7059.5文字
容量14119 bytes
原稿用紙約19.65枚
小高い丘の上には、腐った死肉の匂いが混じった風が吹き荒れている。空は高く紅く、雲はどこへとも知れぬ旅を続けている。その丘の上に少女は一人、青く長い髪をなびかせて立っていた。遠くのほうをじっと見つめ、その闘志を帯びた青い瞳は、紅い空を写し、錆色に染まっていた。
「やっと来たぜ・・・。」
目の前に広がる景色を睨みつけ、少女は低くつぶやいた。
 長い沈黙の後、少女の瞳に、涙にも似た光があった。少女は何を思っているのか・・・。だが、その光を気にも止めず彼女は歩き出した。行く先は、わからない。だが、歩き出さなければ何も見つからない。この世界で、自分は一人きりなのだ。手を差し伸べる人は誰もいない。いや、いないわけではない。ただ、少女はそういった手をことごとく払いのけてきた。
(俺は一人で生きて行く。誰の助けも必要ない。)
それが彼女の生き方だった。そして、彼女はこれからも、その信念を強くしていくのである。


 少女は魔と人の間に生まれ、「殺(アヤ)」と名づけられた。両親と一人の妹と共に育ち、決して裕福ではないが、一日一日を平和に暮らしてきていた。その反面、魔である母の血を色濃く受け継いだ彼女には、生まれながらに人並みはずれた戦闘能力が備わっていた。そして、頑固なほどに孤独を好んだ。
 母は、殺からは想像できないほど穏やかで優しかった。外見的にも美しく、殺と同じ青い髪と、彼女たちの種族特有の額の印を持っていた。人間でないと判断できる部分はその程度である。強大な魔力を秘めながらも、彼女はそれを決して外には出さなかった。自らも人間として生きていこうとしていたのである。周囲の者たちも、彼女が魔であることに気付いていたが、彼女の明るさと親しみやすさも知っていたため、そのことについて責めるものはいなかった。小さな村であったため、近所づきあいはよく、殺の母も外交的で、逆に人気者と言えるほどだった。父はごく普通の家庭で育った人間である。格別働き者だったわけではないが、家族を愛し、平和を愛した。母に比べ、外との付き合いはあまりなかったが、それだけ子供達の相手をすることも多かった。子供達も、そんな父が大好きだった。妹は殺と2つ違いの「依梨(エリ)」という名の少女だ。殺とは正反対の性格で、女らしく、美人で明るく、周囲からの人気もあった。よく話し、よく出掛け、毎日のように周囲には男が群がっていた。殺とは似ても似つかない黒い髪と、黒い瞳。そのために、依梨も殺と同じように、魔の血を受け継いでいるにもかかわらず、そう思われた事が一度もなかった。だからというわけではないのだろうが、殺は妹を好んでいなかった。孤独の中にいた彼女には、周囲の者は皆、外交的な妹を可愛がっているように思われてならなかったのである。そういった考えと妹の存在が、段々と「殺」を作り上げていった。
 だが、そんな彼女にも救いはあった。それは父の存在だ。父はあまり外を出歩かなかったため、家にこもっていた彼女の良き話し相手であり、良き理解者であった。彼女も父には心を開いていた。少女らしく、無邪気でいられた。何の事はない平凡なその日の出来事、依梨との事、母の事・・・。何のためにこんな話をするのだろうと思いながらも、父の前では笑顔が耐えることはなかった。
 ある日、殺と依梨が大喧嘩をしたことがあった。うるさくつきまとう依梨に、殺がとうとう怒りをあらわにしたのだ。お母さん子であった依梨は、真っ先に母のところへ行き、泣きながら事のいきさつを話した。それを聞いた母は、殺のところにやってきてたずねた。
「殺、一体どうしたの?なんで依梨に意地悪するの?」
「してねぇよ。」
ぶっきらぼうな返事だった。依梨が母にくっついているため、殺には母が依梨のかたを持っているとしか思えなかった。そのため、殺はいつも、母にそっけない態度しか取れなかったのである。当時の殺は、自分は母が嫌いだと思っていた。
「じゃあ、何したの?依梨、泣いてたわよ。」
「うるせぇな。泣かしときゃ良いだろ。」
「殺!!」
バチンという大きな音が部屋の中に響いた。頬に手を当てながらも、殺は何も言わず、ただ母を睨んでいた。
「妹でしょ?どうして優しくできないの!」
そう言って、母は部屋を出ていった。その瞳に輝くものが流れ落ちないように、拭いながら。
「いてぇ・・・」
一言そうつぶやいて、殺はそのまま下を向いてしまった。赤い頬を隠そうともせずに、両手は力なく床に触れていた。
暗い夜が訪れる。月明かりさえない闇の中、少女は一人、眠ったように座っていた。母に叱られてから、彼女はその日、少しもそこから動いていない。いっそこんな家、飛び出してしまおうか、そんな考えが浮かんだが、動きたくもなかった。空しさに、涙さえ流れた。誰の愛も感じられない。妹は母を独り占めにし、母は妹ばかりを可愛がる。ならば、自分の居場所は、この家のどこにあるのか、自分などいなくても、誰が悲しむものか、もしかしたら、そっちのほうがみんなせいせいするかもしれない。だが、殺はそこから動こうとしなかった。
 しばらくすると、部屋の戸を叩く者があった。その者は返事のしない部屋のドアを開け、静かに中へと入ってくる。
「母さんに叱られたんだって?」
ビクッと体が動いた。数時間何の声も聞いていなかったせいか、突然の問いかけに体が勝手に反応したのである。声はまだ続く。
「泣いてるのか?」
少しばかり笑いを混ぜて問い掛けた。だが、嘲るような笑いではない。優しく、その場の空気を和ませていった。
「泣いてねぇよ・・・。」
自分でも驚くほどに、小さく、低い声だった。闇の中に溶けて、行き場を失うような、誰のもとへもたどり着けないような、そんな小さな、こもった声。だが、声の主である父は、しっかりとその言葉を受け取った。ささやかなそんなやり取りが、少しだが殺の心を救った。
「母さんも泣いてたぞ。」
落ち着いた声だった。父はその一言を投げかけ、返事を待っていた。しかし、何の返事も返っては来ない。
「俺は何があったか知らないんだ。母さんの口からは、依梨の言い分しか聞けなかった。お前も何か言いたいんじゃないのか?」
再び問い掛けた。その言葉には、すべてを受け入れてくれそうな、そんな父の優しさが詰まっていた。殺の目から一粒の涙がこぼれ落ちる。それでも父は、優しく見つめているだけだった。抱きしめることも、それ以上言葉を生み出すこともしなかった。
 殺は、一生懸命に自分の涙を押さえようとしていた。だが、そんな努力は空しく、涙は次々に床を濡らす。人前で涙を流すことは、孤独に沈んでからは初めてのことだった。自分は誰の心にも存在していない。心のどこかでそう決め付けていた彼女にとって、小さなことで心配されることは正直に嬉しかったのだろう。素直にそれを出すことができないかわりに、涙だけが流れていくのだろう。それでも、父の問いには何も答えられなかった。依梨が嫌いだ。今自分はそう言いたい。だが、そう言ったらいくら父でも自分を叱りつけるだろう。その思いが、彼女の口を閉じさせた。何のことはない、ただの姉妹喧嘩だというのに・・・。それから殺は、小さな声をあげて泣き続けた。遠くのほうで、母の歌声を聞きながら。
 いくつかの経験を通して、殺の中で父は大きな存在となっていき、母には次第に心を見せなくなっていった。そうして段々と、家の中に裂け目が出来てきたのである。そんなある日、突然父は病に倒れた。小さな村に入りこんだ見えない悪魔は、確実に父の命を削っている。平和であった村は、一瞬にしてその姿を消していく。父だけではなかった。村人は、そのほとんどが病におかされ、その命を失っていった。そして父も、殺を残して去っていった。部屋の片隅でうずくまる少女にそっと触れた母の手は幽かに震えていた。だが、少女はその手を思いっきり払いのけた。母は今まで、近所の人々の看病をしていたのである。父が病に苦しんでいた時に、なぜ家にいてあげられなかったのか、殺の怒りはそこにあった。依梨と殺はずっと父の看病をしていた。そして母は、人手の足りない近所の家々を看病して回っていたのである。自分の家には、看病できる人が2人もいる。だが、他の家にはそういった人が一人もいない家がある。普段の殺ならば、おそらく納得はしていただろう。だが、父の死を前にした彼女は、母が憎くてならなかった。
 振り払われた手を軽く握り締め、涙ぐんだ瞳で殺を見つめた。
「ごめんね、殺・・・。」
この時の母の言葉を、少女は父のことだけだとしか思っていなかった。けれど、彼女なりに理解はしていても、その時の殺に、簡単に許せるはずがなかった。
「謝ってすむことじゃねぇだろ!?なんで家にいてやらなかったんだよ!家族だろ?家族よりも外が大事かよ!ふざけんじゃねぇ!!」
その言葉に、母は涙をいっそう浮かべ、やがてそれは床へとこぼれた。殺も同じだった。2人は向き合いながらも、お互いの姿を見れないでいた。
「本当に、ごめんなさい・・・。」
母にはそれしか言えなかった。殺の気持ちはよくわかる。もちろん自分だってそれを望んだ。だが、助けを求める周囲の声に耳をふさぐことなどできなかった。
「どうせ助けてなんてやれなかったくせに・・・」
突き放したその言葉は真実だった。父の傍らで、次々に増えていく村外れの墓石を、殺も知っていた。そんな真実に母は両手で顔を包みこむ。それが彼女の後悔なのだ。外の者を助けられなかったばかりか、一番愛する者のそばにいてやれなかった。そして、家族に、特に殺に与えてしまった窮屈な立場。母は殺以上に自分を恨んでいたのである。
 次の日から母はほとんど外に出なかった。父のいなくなった穴を埋めようとしているのか、遠目に見ながら、殺はそう思っていた。だが、そうではなかった。時折暴徒と化したような村人が戸口の前で怒鳴るのだ。
「出ていけ、疫病神!あんたたちのせいでこの村は潰れちまうんだ!!」
「なんだって?」
殺は思わず声をあげた。一体何の理由があってそんなことを言われなくてはならないのか、そう思って母を見た。母は食事のしたくをしながら、涙をこらえるようにうつむいていた。
「何よ、あいつら。都合の良いことばかりなんだから。」
そう吐き捨てたのは依梨だった。依梨は理由を知っていたのだ。
「何があったんだよ。」
「あいつらね、私たちが魔なのをいいことに、この病気を私たちのせいにしてるのよ。お母さんが看病してたのに病気が悪化するばっかりで直らないから、みたいな感じじゃない?なんか魔力を使ってるとか思ったのかしら・・・」
「バカ!」
そう言って母を見た。母は変わらず食事のしたくを続けている。
「ごめぇん・・・」
ひとつため息をついて、殺は村人達の勝手さに怒りを覚えた。大切な人を失って、もしかしたら次は自分かもしれなくて、そんな状況にいたら、おそらく何かにあたりたくなるだろう。実際、自分だって母にあたった。だが、その怒りにはちゃんとした理由があった。「魔」であるというだけの、不確かな理由でない理由が。
 その日から、殺たちの風当たりは強くなっていく一方だった。毎日のように村人の罵声を浴びせられる。自分達は何もしていないのに・・・。それどころか、自分たちだって大事な人を失ったのに・・・。そんな気持ちが、時折殺の声を荒げていた。
「この村に魔がいることがいけなかったんだ!早く出てけ!!」
「うるせぇ!」
そして、そのたび母は胸を痛めていたのだ。
 そんな状態が続き数日が過ぎたある日、依梨が家を出ていった。どこかにふらふらと出掛けて、そのまま帰ってこなかった。部屋に入ってきた母は妙なほどに落ち着いていた。
「依梨、返ってこねぇな・・・。」
「そうね、あの子は強い子だから、きっと大丈夫よ。」
「なに言ってんだよ。」
「こんな場所に比べれば、どこだって良い場所に決まってるわ。魔界だって・・・。」
「魔界・・って?」
「私の故郷よ。私たちが本来住む場所。・・・ねぇ、殺。魔界に行きなさい。ここにはもう、私たちの居場所はないわ。」
「あんたはどうすんのさ、俺一人で行けって?どこにあるかも知らないのに?」
「私は、行けたら行くわ・・・。」
そう言った母の顔は、どこか寂しそうだった。その表情に小さな不安が胸を過ぎる。
「これを、あなたにあげます。」
母が取り出したのは、小さなペンダントだった。ひし形のロケットのペンダント。それは小さなオルゴールでもあった。
「これは私たちの種族に伝わるペンダントなの。少し早いけど、あなたにあげるわ。」
そしてそれを殺の首にかけた。ロケットを開けると、静かな曲が流れてくる。時々母が口ずさんでいる曲だった。
「こんなのいらねぇよ。」
不安に刈られた殺の口からとっさに出たのは、そんな言葉だった。一瞬焦った彼女は母を見た。そこには優しく微笑む母がいた。
「ねぇ、殺。母さんはね、必ず行けるとは限らないの。だから、それをあなたに持ってて欲しいのよ。今の事実を受け入れて。お願い。」
一緒に来てほしい。一緒に来てくれないのなら、自分は行かない。一番言いたい言葉は喉につまり、ただ胸を熱くするだけだった。
 母は自分の未来を霞み見ていたのだろうか。たとえ事実は残酷なものであっても、殺に変な期待を抱かせてはいけないと思った。行けるとは決して言わない。言えないのである。期待が大きければ大きいだけ、裏切られた時の落差は大きい。自分のことを忘れて、一人生きていって欲しい。この少女にはそれが出来るはずだ。そう思っても、自らの存在が消えることは苦しかった。たとえ殺が自分を愛していなくても、自分のことを忘れないでいて欲しい。だから、ペンダントを渡したのだろう。そして母の最後のわがままは、そのまま形見となっていくのである。
 翌日、今までなかったほどの騒がしさに目覚めた殺は、そこに初めての争いを見た。争いというのは正しくない。正確には虐待だ。無理やり押し入ってくる村人達の目は、どれも正気からは程遠かった。大勢で母を掴みあげ、殴り、どこか村外れにまで連れて行く。窓からそれを見下ろしていた殺の背後にも、その未来は迫っていた。無造作にドアが蹴破られると、そこから次々に人の群れが流れ込んでくる。こんなにいやがったのか。一つにまとまった村人の数が、今まで思っていたよりもずっと多いことに驚いた。そしてその手が一斉に殺へと伸びるのだ。もちろん抵抗しない彼女ではない。伸びてくる手を払いのけ、襲いかかる村人を手にかける。やられなきゃやられる。その想いが、殺のためらいを心の奥にしまいこんだ。これも、彼女にとって初めての経験だった。しかし、彼女の殺し方は決してそう見せなかった。躊躇せずに切り刻む手刀、すべてを焼き尽くす青い炎。村人達は魔そのものである殺の姿におののいた。おののき、消えて逝った。
 その場にいた人間が姿を消すのに、そう時間はかからなかった。足元に転がる死体の山を気にかけながらも、殺はその場を後にした。なによりも母が心配だった。階段を使っている暇はない。殺はそのまま、さっきまで自分が覗いていた小さな窓から飛び降りた。そして地に足が着くか着かないかのうちに、母の連れて行かれた方向へと走り出した。小さな村だったはずなのに、こんな時に限って広く感じる。墓石は増えていったはずなのに、たくさん人がいる。虐待に参加していない人はもちろんいたが、走っていく殺を見る目はみんな一緒だった。その視線を常に感じながらも、少女の足は止まらなかった。母はどこまで連れて行かれたのだろう・・・。昨夜の不安は確実なものとなって少女を包み込んでいた。
 数十メートル行ったところにそれはあった。張り付けられた母の周りには、魔物よりも恐ろしい人間がたむろしていた。槍で体を突き、鍬でたたき、みんな目の色を変えている。そして、母の息はもうなかった。殺は怒りに身を震わせた。目の前にいる者を容赦なく殴りつけ、真っ赤な血の雨を降らせた。何の武器も使わずに、発狂したような彼女は皆殺しを始めたのである。そこは自分が生まれ育った場所。殺の故郷だ。家族との思い出があり、暖かな愛があった。だが、もうそんなものはどこにもない。あるのは苦しみにもだえる人々と、血にまみれた母の死体だけ。彼女のほかに誰もいなくなった村のはずれ、縛られ、張り付けられた母の前で、すべてを失った少女は独り涙を流した。すべてを奪われ、すべてを壊した少女は、本当の孤独を感じた。今までは、そばに父がいた。母がいた。妹がいた。父がいなくなっても、妹がいなくなっても、母はずっとそばにいてくれた。どんなに冷たく突き放しても、母は自分を愛してくれた。今彼女は、ようやく自分の気持ちを見つめることが出来たのだ。何もかもが過ぎ去ってしまった、今になって・・・。


 あてのない旅を続けていた少女は、ようやく目的の地を訪れることが出来た。これからまた、いや、さらに長い道が待っている。足を止めず、しかし手はしっかりとペンダントを握っていた。人と共に生活をしてきた少女が、野生の中に身を投げた。待ち受けるサバイバルの世界。それでも彼女は立ち止まらなかった。振り向きもしなかった。ただ前を見据え、地を踏みしめて歩き続けている。殺の中の野生の血が目覚めたのだ。

2003/11/10(Mon)21:40:34 公開 / 丘田 ひなげし
http://hinageshi.s42.xrea.com/
■この作品の著作権は丘田 ひなげしさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
自サイトで公開している「魔界の女神シリーズ」の1の序章です。
序章は短編としても取れると思ったので投稿させて頂きました。
少し古い作品ですが楽しんでいただければ幸いです。
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この作品の投稿者 及び 運営スタッフ用編集口
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