- 『ささやかな食事』 作者:辻原国彦 / 未分類 未分類
-
全角2511.5文字
容量5023 bytes
原稿用紙約6.7枚
あなたが望む事は? と聞かれたとき、私は少し迷った。子供の頃からの夢を言いそうになったが、どれほど異常な夢であるかは自分が一番承知していた。しかし、そのとき私が置かれていた状況も、些か異常な状況であったため、私は思い切って自分の夢を語った。
「私は子供の頃から、少し偏食の気がありました。その事を重く見た両親は私をある病院に通院させ、必至になって治そうとしました。もともと、私は両親を悲しませるなんて思いもしませんでしたから、それに、両親がそんなにも私のことで思い悩んでるなんて思いもしなかったので、私はその半年に及ぶ通院で自分の偏食が治ったかのごとく振舞う事にしました。ただ、両親の喜ぶ顔が見たかったからです。それから、私は色々なものを食べました。魚に肉に野菜。パンにお米に卵。大抵の人が普通に食べるものを、私は我慢して食べました。それもこれも、両親の喜ぶ顔が見たかったからです。
しかし、私が小学校の六年生に上がった頃。この頃になると、私はもう普通の食事をすることができるようになり、吐く事もほとんどなくなっておりました。何せ、五年間も普通の食事だけをしてきたのですから。今から思えば、子供というものは非常に適応能力に優れています。ただ、小学校の六年になった頃、両親がある事故で死んでしまいました。それも、私の目の前でです。二人とも電車にはねられてバラバラになってしまいました。そのときのことは今でもはっきりと覚えています。なぜなら、その瞬間から私の偏食がまた始ってしまったんです。足元に飛び散っていた両親のどちらかの肉片を拾い上げ、おもむろに私は口に含みました。口の中いっぱいに広がる血の味は、私の脳の奥深くで眠っていた過去の記憶を呼び覚ましてしまったんです。
幸運にも、私が血まみれの肉片を口に運んだところは誰にも目撃されていませんでした。一瞬に両親を亡くした不幸な少年として、私は多くの人間に同情されましたが、決して、誰も私に生肉を与えてはくれませんでした。
その後、私は母方の祖母の家に引き取られ、静かに暮らす事になります。近くに養鶏場や養豚場があったため、時々出向いては見つからないように内臓などをつついて欲求を満たしておりました。しかし、どんなに高価な豚肉や鶏肉でも、人間の肉の味にかなうものではありません。両親が死んだときに味わったあの肉の味は、もう味わえないものと思っていました。しかし、ある日、祖父が畑で仕事中に怪我をしてしまいました。鍬で自分の足を切断してしまったんです。そのとき、祖母は友達と出かけており、家には私しかいませんでした。中学も後もう少しで卒業という頃です。地べたをはって何とか家に辿り着いた祖父は、真っ青な顔で、私に助けを求めました。私はすぐに救急車を呼び、冷蔵庫からありったけの氷を持ってきて祖父の切断された足を冷やしました。そこで気づきました。切断された足を、祖父は持っていませんでした。私は咄嗟に頭を働かせ、すぐに家を飛び出しました。畑までは100メートル程です。祖父の流した血をたどりながら私は畑に到着し、すぐにそこで見つけました。まだ瑞々しく血を垂れ流す足を。すぐにかぶりつきたかったのですが、さすがにもうすぐ救急隊員も来る頃だし、私はその足を握り締め、再び全力疾走で家に戻りました。まだ救急車は来てませんでしたし、祖父は居間で気を失っていました。私は静かに自分の部屋に入ると、ビニル袋に足を入れて押入れに隠しました。
祖父は命を取り留め、無くなった足は野犬か猪が持っていったのだろうという事になりました。祖母も命が助かった事を素直に喜びました。祖父の足を食べたのは、次の日の事です。祖父は入院し、祖母はほとんど毎日一日中祖父に付きっ切りでしたから、家には私しかいない状態でした。そこで、私は堂々と台所で足の調理を始めました。まずは五本の指を切り取り、油で揚げました。足の甲と裏はきれいに骨から剥ぎ取り、フライパンで軽く焼きました。足首の辺りもきれいに骨からはずし、毛を剃り、刺身で食べる事にしました。
味は、両親の肉の味にはとどきませんでしたが、私の欲求を満たすには十分でした。やはり、年をとると共に肉の質は落ちます。しかし、そのときのささやかな昼食は、私にとっては何にも変えがたいものだったのです。
やがて、私は高校には進学せず、都会に出て働く事にしました。祖父母を助ける意味もありましたが、私自身早く自立したかったのです。それでこの街にやってきて、小さなコピー機の営業マンになりました。祖父母に仕送りをしながらも、何とか食べていけるようになり、私の偏食も生肉の購入によって抑えられることになります。しかし、この店との出会いが私を変えてしまったんです。先程も言いましたが、やはり肉の質は年齢を重ねていくと落ちます。私も今年で23歳になります。私の望みは、味わってみたいという事です。今しかないと思ったのです」
私はコップに満たされた水を一気に飲み干した。傍らで終始頷いて男は、私をじっと見つめている。
「それで、今夜はお金を持ってまいりました。これで、食べさせてくれるんですよね?」
私は目の前に100万円の束を置いた。傍らの男が何も言わずにそれを持ち上げると、鮮やかな手つきで数える。
「確かに100万円頂戴いたします。それでは、奥の特別室へどうぞ」
通された部屋は、手術台ときれいにセッティングされたテーブルが並べられた異様な部屋だった。
「はじめに説明させていただきます。まず、手術による痛みはまったくありません。それと、当店で失った体の箇所が原因で私生活に不都合が出ても、当店は責任を持ちかねます。それでは、まずはこちらへどうぞ」
確かに、痛みはまったく無かった。切断された薬指は、すぐに厨房へと消えていった。
「長年の夢だったんですよ、これが」
「そうですか。お客様の夢の実現に立ち合わせていただいて、私共も光栄です」
出てきた指はソテーされ、きれいに盛り付けられていた。テーブルに移動していた私は、しばらく自分の指を見つめてから、根元の方にナイフを入れた。
了
-
-
■作者からのメッセージ
こんなお店は存在しません。と、思います。