- 『向日葵の君』 作者:朝麻 夏樹 / 未分類 未分類
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 第1章
 
 いつもと何も変わることのない束縛された生活。
 窓の外には自由がない世界。
 半ば投げやりな人生を送っていた自分。
 自分が何故この世に産み落とされたのかを呪う毎日。
 そんな時、君は囁いた。
 「あなたは、あたたかい…」
 
 
 今なら君の言いたかったことが分かるよ。
 もう遅いけど君に届けたい言葉がある。
 
 
 ありがとう…。
 
 
 いつも君はあの笑顔で聞いてくれている。
 きっと僕は生まれた時から幸せだったんだね。
 
 
 
 
 十八歳の夏、僕は生まれて初めて本気で恋をした。
 
 
 
 
 
 1、向日葵とのあいさつ
 
 学校のより横長い黒板に、白い先の削れているチョークを持った若い講師が字を書いては消して綴っている。それをこの部屋にいる人間が、機械的にノートへシャープペンシルの擦れる音を奏でて書いていく。
 その音が耳障りだといつも思う。
 窓から外を見ると交差点の信号機が青から赤に変わり数分後には赤から青に変わっていき、そのつど毎日見ている同じような人間達が集まっては流れ、流れては止まる。
 道路を挟んで建つガラス張りのビルに塾の看板が映し出されている。
 ―― 十時四十分 ――
 ズボンからこそっと取り出した携帯にはそう表示されている。
 目の前に、ただ広げられているノートには奇麗に等間隔で並んだ線しか書かれていない。
 今日もこの部屋で一日を過ごした、こんな事を週に土日を除いた五日間ここへ来て毎日と繰り返す。
 「あと五分か…」
 周りに聞こえるか聞こえないかぐらいかの音量で呟いていた。
 いや、きっと音量をもう5上げたとしても周りの人間には聞こえないだろう。
 ノートから視線を前にずらすといくつもの “機械 ”が規則正しく動いている。その “機械 ”の中にいると自分も機械になりそうで嫌になる。
 廊下から足音が聞こえた、特進コースの奴等は終わったみたいだ。
 さらに視線を黒板の上に向けると、いつも目に付く文字が飾ってあった。
 目指せ!全員志望校合格!
 ふん、全く馬鹿らしい、いくら勉強したって頭の悪い奴は思いどおりの大学に合格できるわけでもなく、ましてや普通コースの俺達では志望校どころか大学に行けるかさえ怪しい、「そんなもん特進コースの教室だけに張っとけっつーの。」
 講師はろくに説明もせずに、これを写しておけといった感じで闇雲に文字を書く。
 まったく塾の講師はいいよな、それで高い給料もらってんだろ?
 進学組で進学先の名前を売って俺達普通組から手を抜いた授業をして金を巻き上げる、上手い商売だな全く。
 そんな事を考えていたら、終業を告げる鐘が鳴った。
 鐘が鳴り講師が教室を出ていく。
 だが生徒達はまだ機械のままだった、みんな黒板の文字を必死に写している。
 「あほらし…」
 そう呟いて手早く参考書をバックに押し込み俺は教室を出ていく。
 ドアを閉じる寸前まで耳障りなシャープペンシルの演奏が消えることはなかった。
 「よう!隆也もう終わったのか?」
 そう言って教室から出てきた俺を見て近づいてくる一人の男。
 真っ赤なTシャツにダブダブのズボンを履いていて肩には参考書で膨らんだショルダーバックが掛かっている。
 「ああ、勇気か。プチっとフケてきたとこだよ。」
 「おいおいそんなことで大丈夫か〜?」
 片眉毛を吊り上げていう勇気。
 こいつ、谷 勇気(たに ゆうき)とはクサレ縁というやつで一番付き合いの長い友達だ。
 …でも友達であって親友ではない。
 友達と呼べる奴等は多すぎず少なすぎずいるがどれも浅い関係だ、きっと1年も会わなければお互いのことなど忘れてしまう、携帯に登録してあっても新しい携帯に変えた時には名前は抹消され、相手が聞いてこない限り自分から新しいアドレスを教えたりはしない。
 メールは来たら適当に返事をする程度で数回メールし合うとそれで終わり。
 一番付き合いの長い勇気も同じ友達として俺はみている。
 「さあな、大丈夫じゃないことだけは確かだけどな。」
 「そんなこと自信満々に言うなよ。」呆れている勇気。
 俺は一度も友達と呼んでいる奴等と喧嘩はしたことはない、もちろん勇気ともだ。
 それは何故か、
 まあ当然といえば当然で俺はいつも人と一定の距離を置いて、相手に話しを合わせて自分の意見を静かに握り潰すからだ。
 人とは距離を必ず置く。
 俺にとってそれは生きていく上で常識になっている。
 そうすれば自分が傷つくことも、相手を傷つけることもない。
 その代償に誰も自分を見てはくれなくなるけれど。
 これは俺にとって友達に限らず今まで付き合った女の子にも、親戚の人達にも、そして親にも言えることだ。
 俺は物心ついた時から人と一定の距離を取っていた。
 そのせいか幾人かの女の子と付き合ってみても、女の子を可愛いとか奇麗だとか思ったこともないし、デートに自分から誘うこともない。1ヶ月も経たない内に自然消滅してしまい長く続いた試しは一度もなかった。
 付き合ったことはあっても、まだ初恋も俺は知らない。
 言い寄ってくる女の子はいたので、自分の顔は少しカッコイイんだなと考える、うぬぼれた自信はあった。
 俺は世間一般的に言う恋人を友達と同じ物として認識し、付き合っていく。
 そのせいか学校で一時期俺は女の子には興味がないと周囲に思われてホモじゃないかという仮説が流れた時もあった。
 「僕を待ってたって事は何か用があるんじゃないのか?」
 「ああっと、そうだった。明日祝日で塾も学校も休みだし今度俺達が受験しに行く大学をみんなで見学して回ろうかと思ってるんだけどお前もこないか?」
 視線を勇気からはずし頭中に予定表を浮かばせる。
 明日は家で何もすることはない。
 頭中の予定表は真っ白…
 俺に予定表なんて必要ないか。
 ほとんどの場合一緒にどうだ?と誘われてもすぐに断わる。
 なんだかあまり行きたくない気分だな、断わろう。
 「悪い、明日は宿題が溜まってて明日丸一日掛かりそうなんだ。」
 まったくのデタラメだった、宿題は今日出た分だけしかない。
 「そうか?それじゃあしかたないな。」
 「ああ、また今度な。」
 また今度…なんて都合のいい言葉なんだと、俺は時々そう思う。
 この言葉で勇気はしばらくの間俺を何かに誘いにこなくなってくれる、これでまた他人に気を遣わなくてすむ。
 他の教室からもちらほらと生徒が出てきたので廊下で話していた俺達も帰ることにし塾を後にした。
 塾の玄関をくぐった俺達を熱気が包み込む。
 「うわーじめじめしてるなーったくいつになったら梅雨開けすんだよ。」
 勇気が愚痴をこぼす。
 確かにここ最近雨ばかり降っていて昼間に青空を見ていない、塾の玄関を潜ると夕立が降りそうなくらい空気が湿っていて生暖かい感じだ、空はもうすぐ深夜だというのに曇っていると肉眼でも分かる、いつ雨が降ってきてもおかしくはない。
 嫌な予感がした俺達は急ぎ気味に駅へ向かった。
 ホームで電車を待っていると急に大粒の雨が降り出してきた。
 見る見るうちにホームの端が濡れていく、どうやら俺達の感は的中し雨に濡れることを回避することができた。
 やがてホームに入ってきた電車に乗りこむと、車内には学生が大半を占めてサラリーマンらしき人がほんの数人いるだけだった。
 「降り出す前に駅に来てよかったな。」勇気の顔にはホッとした表情が浮かぶ。
 「ああ…」
 電車の窓には水滴がくっついては流れては視界から消え、ガラスに当たるたびバチバチと音がする、どうやら大雨のようだ。
 着くまでに止んでくれるといいけど…
 「さてと、隆也、終点に着いたら起してくれ。」
 「分かった。」
 そういって頭を腰掛けにもたれるとすやすやと寝付いてしまう勇気、各駅事に人が降りていき、だんだんと人が少なくなり空になっていく。
 俺が降りる駅は次だなと思っていると、いつもと同じ人しかこの車内には乗っていなくなる、勇気は寝てしまっていて何だか俺だけがこの車内に取り残されたような気分だ。
 ふと斜向かいに目をやるとサラリーマン風の頭の薄い中年のオヤジが寝ている。
 ―― あんなにハゲちゃってゴクロウサマデス ――
 そう考えると無性に腹が立ってきた。
 何が悲しくて大学なんかに行く為に塾になんかいかなきゃ行けないんだ?毎日同じことを繰り返し行い月に一度はテストをする。しかもそのたび親は受験料を払う。
 やる気も何もない俺は点数と呼ばれるものが上がるわけもなくただ叱られるだけ、なんで大人は無駄だってことを知らないのだろう。
 ただ疲れ果てるまで毎日働いて、せっかく稼いだお金を溝に捨てるようなものだと、どうして気づかないんだ?
 そんなんだったら初めから俺を塾なんかに入れるんじゃねえ!
 俺はそう心の中で叫んでいた。
 「終点、お忘れ物のないようお気よつけ下さい。」
 駅に着いたので隣で気持ちよさそうに寝ている友達を起して外に出る、改札をくぐると幸いなことに雨は止んでいた。
 当たりは静まり返り六月も終わりの夜は空気が湿っていてどんよりと重い感じがただよっている。
 雲が消えた空はやけに闇い…
 二人は只の友達として闇い道を歩いていった。
 
 ピピピピピ…カチッ
 「んーっ…」
 布団の中で軽く背伸びをして身を起す。
 しかし意識は遠のいている、時計に目をやると目覚ましがなってから三十分が経っていた、どうやら俺は身を起したまま、また眠ってしまったようだ。
 カーテンの隙間から差し込む光のラインが、外が晴れだと教えてくれた。
 「さてと…これからどうするかな…」
 今日、両親は一週間旅行に行っていて家には俺一人しかいない、いつもうるさい親がいないと気が休まる。
 このまま寝てもいいのだが、なんだか久しぶりの晴れの日にこのまま寝てしまうのは勿体無い気がした。
 しかし、起きたところで何もすることがないのも事実…。
 「勇気は大学を見に行くって言ってたよな…」
 人間とはころころと心変わりするものらしい、一度自分でこうだと決めても翌日には昨日思っていたことと逆の考えになることがある。
 でも今更ついていくのも気が引けるな…
 最終的に行かないという結論が出たのだが、そうするとまた何もすることがなくなってしまった。
 とりあえず顔を洗い食卓に作り置きしてある朝食を摂ることにした。
 テーブルの上には朝食と通帳が置いてある。
 「………。」
 いつも一緒に食べている両親が横にいないのにいつもと変わらない感覚、ついこの間試験の結果が悪く怒られたリビングでの食事。
 塾に通っていてどうしてこんな成績しかとれないんだ情けなくはないのか!
 あの怒鳴られた言葉が脳裏に蘇り何度も木霊し段々と腹の虫が暴れ出す、
 「だったら俺を塾になんかにいれるなよ…」
 俺は声を押し殺して口から吐く空気と一緒に言葉を吐き出した。
 朝食を食べ終わり食器を片づけていると、リビングにある朝食を食べる時につけたテレビからアナウンサーの声が流れてきた、生中継でもしているのだろうか、慌ただしく何やら叫んでいる。
 食器を片付け、つまらないテレビを消して自室に戻ると、
 ―― 暇だ ――
 ベッドに倒れ込んだ俺は無意識に呟いていたかもしれない。
 「大学…か…」
 何もすることのない俺はとりあえず散歩にでも行くことにして自宅を後にした。
 ぶらぶらと散歩をしていると俺の足は快晴の青空から吹く風に煽られてふらふらと家から十分くらいのところにある神坂駅に迷い込んでいた。
 いつも塾へ向かう電車とは逆行きの切符を買う。
 「そういえば、こっちの電車に乗るのって久しぶりだな…」
 やがてドアが閉まりゆっくりと電車は動き出した。
 次の駅は、三原駅…俺の死んだ婆ちゃんの住んでいた街にある駅。
 都心から一つ離れているだけなのに駅からの風景は田舎を思わせる。懐かしさに浸りながら窓の外の風景を見ていると右から左へと昔の映写機のように次々に変わっていく。
 もう数分の間ずっと見続けていた。
 三原大学…
 突如その大学の名が頭に浮かんだ、
 お婆ちゃんが生きていた頃からある大学で、リホームされてはいるが今なおある全国有数の学問で有名な大学である。
 「せっかく来たんだし少しよってみよう…」
 三原駅に降りた頃、空は夏の顔をしていた。
 
 堂々とした建物、敷地もとても広くまるでどこかのお城みたいだ。
 木の下には芝が生えていて隅から隅まで手入れが行き届いている、誰がこんなに広い敷地を手入れしているのだろう。
 「うわ…すごいな…」
 知らずうちに自分の口から声が漏れていた。
 所々にいる大学生は見た目からしてインテリといった感じで近寄りがたく、どこか塾の “機械 ”のような雰囲気が渦巻いている。
 俺は軽い拒絶反応が起きて、その場から退散し、大学を離れた俺は近くにあった公園のベンチに腰を下ろしていた。
 照り付ける日差しが葉と葉の間から降り注ぐ、走ってきたせいか額にはうっすらと汗が滲んでいたが、ちょうど座っているベンチの後ろに立っている木によって影が作られ自然のクーラーがきいて、かいだ汗がすうっと消えていく。
 涼んでいると、ふと風に乗ってどこからか花の香りが漂ってきた、どこか懐かしい匂い。
 「何所だったかな、だいぶ昔にかいだことのある匂いなんだけど………向日葵?」
 行ってみようと思う前にすでに足は動きだしていた。
 広すぎない公園の中にそこはあった。
 まだ蕾ばかりだったが残りの咲いていた背が高く黄色い大きな向日葵達は太陽を向き一心に背伸びをして、まるで子供たちが、誰が一番背が高いのか競争しているみたいのようだ。
 ここだけ、ほんの3m正方形ぐらいのスペースだけ別の時間が醸し出されている。
 僕は向日葵の目の前にあったベンチに腰掛けた。
 向日葵を見ていると心の外側を包む暗いカーテンが一枚、また一枚と剥がれていくようだ。
 なんでこんなに落ち着くんだろう…
 こんな落ち着いたことは記憶にない、ときより風でゆれる向日葵が挨拶をしてくれている。
 そんな時、君は現れた。
 『こんにちは、向日葵はお好きですか?』
 え?
 地面に落ちたカーテンを急いで拾い上げ自分を包み込み、相手を凝視する。
 視界には女の人が立っていた、歳は俺より少し上ぐらいだろうか、白い色のワンピースを着て麦藁帽子を頭にちょこんとのせ、風で帽子が飛ばされないように抑えている。
 「別に…」
 『私は大好きですよ、向日葵。』
 にっこりと笑みを顔に浮かべている。
 何を言っているんだ?馬鹿かこいつは。と思ったが声には出さなかった。
 「………。」
 『お隣に座っていいでしょうか?』またにっこりと笑う。
 とても笑顔が似合う女の人だ。
 「ええ、いいですけど…」
 なぜか自分が受け身にまわってしまう。
 少女は隣に腰を下ろすと向日葵を真っ直ぐな眼差しで見つめ始めた。
 少しの間無言で向日葵を見つめる二人、
 ……ピッ
 腕時計が三時を告げる。
 俺は、はっと我に返った。三十分もの間中俺は謎の少女と一緒に向日葵を無心で眺めていたのだ、我に返るとより一層警戒心がました。
 なんで俺はこんな奴と花を見なくちゃいけないんだ?くだらん。こんなところにいても時間が勿体ない。
 視線を向日葵から外すと少女の顔が視界に飛び込んできた。
 向日葵をそんなにみつめてなんの意味があるんだ?会話でもしているのだろうか、だとしたら馬鹿だな。
 僕の視線に気がついた少女は、にっこりと笑い返してきた。
 ! ……。
 ちくりと胸が締め付けられた気がした、何故か彼女のことを中傷することを考えると後悔した気分になる。
 「…そろそろ帰らないと行けないから…。」
 彼女の近くにこれ以上いたくなかった、余り会話もしてないのに、会ったばかりなのに何故か彼女の存在が俺の中に入ってこようとする。
 今まで体感したことのない未知の感覚に襲われる自分。
 『そうですか、よければまた向日葵に会いに来てくださいね。』
 やはり笑顔が浮かぶ。
 君の髪を時折吹く風がそっと撫で、その度君は髪を梳くい上げるしぐさを僕はじっと見つめ続ける。
 「…………。」
 そんな君に見とれている僕の方を向き、にっこりと笑った君はそっと僕の手をとり囁いた。
 『あなたは、あたたかい…。』
 彼女の手は、ひんやりとしていて心地よい。
 二人の間を優しい風がそっと吹く。
 僕は呆気に取られてしまった。
 何が言いたいんだこの人は?
 あたたかい?
 俺の手が?
 君の手が冷たいからだろ?
 からかわれている?
 ………。
 彼女はそれだけ言って手を放すと、また向日葵を見つめ無言で向日葵と会話を始めてしまた。
 ― なんで知らない奴に変なこと ……!
 大変なことに気がついた、なんで今になって気がつくのだろう…
 ついさっき会ったばかりなのに親しく話し掛けてくるこいつは誰だ?
 どうしてこいつは始めてあった名前も何も知らない赤の他人に平気で話し掛けることができるんだ?
 あういう性格なだけのか?
 ただ単に馴れ馴れしいだけか?
 いや、今までに馴れ馴れしく話し掛けてきた奴等とは違う、もう既に僕の頭の中は知らない少女のことで一杯になっていた。
 彼女のことを詮索する自分が存在する。
 ポーカーフェイスの僕でも心の中は戸惑いを隠せてはいない。
 「…………。」
 変な奴のことなんてどうでもいいだろと自分に言い聞かせ、その場から立ち去ろうとしても足が動かない、まるで自分の足ではなく他人の足。
 ここから立ち去りたい自分と無意識のうちにここにいたいと思う自分が葛藤する。
 『どうかなさいましたか?』
 いきなり話しかけられた僕の思考回路は、突然落雷が直撃して使用不可能になったパソコンみたいにショートしてしまった。
 『気分でも悪いのですか?』
 「え、えっと………べ、別に…」
 俺はたった数文字を口から出すのがやっとだった。
 そんな僕を見て首を傾げる少女。
 「き、奇麗ですねこの向日葵。」
 そう言って、目先を向日葵に向ける。
 なっ、何を言っているんだ俺は、帰るんじゃないのか?これじゃただの馬鹿ではないか。
 あまりの恥ずかしさに顔に火がついているようだ。
 でも君は、そんなことを気にもせず、にっこりとした笑顔で答えてくれた。
 『ええ、私もそう思います。』
 「で、ですよねー…。」
 ―― あほだ ――
 もうここまで来ると馬鹿や阿呆を通り越して、心障人間だなこれじゃ。
 いっそのこと穴に入って二度と地上になんか顔を出たくない気分だ。
 「…………。」
 早くここから立ち去ろう…
 腰を上げようとした時、少女はおもむろに話し掛けてきた。
 『夏の訪れを告げる花は何かご存知ですか?』
 へ?っと思わず声を上げてしまった、予想外のことを言われたので無理もない、でもそのおかげで少し落ち着くことができた。
 「た、多分…向日葵じゃないかな。」
 くすくすと彼女は笑い、
 『違います、夏の訪れを告げるのは紫陽花ですよ。』
 「…へ、へえーそうだったんだー…。」
 ぎこちないものだったが何とか会話が成立したことにほっとする自分、すると彼女は付け足したように呟いた。
 『向日葵は、夏の終わりを告げる花、奇麗で一生懸命で…そして儚い。』
 それだけ呟くと一瞬彼女の顔から笑顔が消え瞳が曇る、すぐに笑顔に戻りはしたが俺はその表情を見逃さなかった。
 俺は自分が何か気にさわる事でも言ったのかと思い、悔やんだが彼女が見せた表情の訳は分からないままだった。
 彼女と交わす言葉が見つからない。
 何も言えない自分にいいようのない怒りが込み上げてくる。
 「…………」
 『……向日葵にまた会いに来てあげてください。』
 「え?」
 彼女はそれだけ言うと僕の視界から消えていく、ただずっと声も掛けられぬまま白い背中を見つめ続け、白いワンピースを着た少女の後ろ姿を見つめ続けることしかできない自分だけが公園に取り残されていた。
 
 家の周りの家々は明かりが点き、道の蛍光燈には小さな虫達が飛び交っている。
 「ただいまー……って親が今家にいるわけないか…」玄関のドアを閉め自分の部屋に向かう隆也。
 あれから俺は日が沈むまで向日葵を眺めていた。
 何か起こるわけでもなくただじっとベンチに座り向日葵を見ていただけ。
 「不思議な一日だったな…」自室のベッドに身を預ける。
 無性に向日葵を見続けることしか考えつかなかった。
 何故少女はあんな表情を見せたのか。
 「名前なんていうんだろ…」目を瞑ると睡魔が襲ってきた。
 向日葵を見つめ続ければ彼女の思っていたことが分かる気がした。
 でも分かることはなかった。
 「………」睡魔の気持ちよさに身を差し出す。
 いつしか重くなった瞼は閉じていた、
 トゥルルルル…トゥルルルル…
 電話のコール音が部屋に鳴り響き、僕の身体の中にいた睡魔をはじき出すと無理矢理現実に連れ戻され、僕の身体に不快感だけが取り残された。
 「ん…誰だよいったい…」
 寝ていたところを邪魔されて少し腹が立ったが一つ深呼吸をして気を落ち着かせ、受話器を取る。
 「はい、坂本ですが。」
 受話器からは返事が返ってこない、悪戯か?
 「どちら様ですか?」
 すると今度は返事が返ってきた、声の主は友達の勇気だった。
 「あの、お、俺、勇気だけど…どうかしたのか?なんだ怒っているみたいだったけど、ひょっとして今電話したらまずかったか?」
 恐る恐る言葉を丁寧にならべてしゃべる勇気。
 「いや怒ってもないし、まずくもないけど?」
 「そうか?なんだか怒ってたみたいだったから…」
 どうやら一呼吸して落ち着かせたはずだけど声は苛立っていたみたいだ。
 「ああ、寝起きだったからつい声が荒くなっただけだよ。」
 「ええっ!お前もう寝てたのか?まだ九時前だぞ。」
 ――― え? ―――
 僕は慌てて部屋の時計を見た、午後八時四十分…
 「…………」
 「おい隆也、どうかしたのか?」
 「別に…」
 もう真夜中ぐらいだと思っていたのに、まだ九時前だなんて…
 「なんか変だぞお前。」
 「はは、確かにそうかもな。」
 朝起きてご飯を食べて塾に行ってご飯を食べて寝る、いつもと同じ当たり前の毎日が日常のリズムになっていた時に、突然不思議な少女との出会いだもんな、リズムが狂っていてもおかしくはないか。
 「どうしたんだよ?お前らしくもない…」
 「ああ悪い悪い、ちょっち変わった出来事があったもんでな。それで何のようだ?」
 「おっとっと忘れるところだった、塾が休みになるってさ、んで連絡網では俺からお前に伝えるってことになっるから伝える為に電話したってわけ。」
 「そういうことか、分かったサンキュウ。」
 それだけ言っていつものように受話器を置いた。
 ふう…と大きなため息が漏れる、
 受話器から手を放すと急に肩が重くなった気がしてベッドに再び身を寄せる。
 あなたはあたたかい…
 目を瞑った瞬間、頭の中に少女の笑顔が浮ぶ。
 手を意識すると、まだあの子の手の感触が残っているようだ。
 「あの子…誰だったんだろう…」
 少女の言葉が俺の中で膨らみ制圧する。
 「俺の何があったかいんだ?」
 あの言葉がどうしても頭から離れない、少女の存在が俺の中で大きくなっていく。
 「わけわかんねえ…」
 解決策がまるでない、気分で立ち寄った公園で出合った女の人…
 名前も何も知らない不思議な彼女が俺の心の中を貪ってくる。
 なんでこんなに気になるんだと思いつつも無理矢理寝ようとするが、気になって眠れない。
 「塾が休みになるみたいだし、また行ってみるかな。……ん?そう言えばいつ休みになるんだ?あいつにそこまで教えてもらってない…」
 しかたなく電話をかけることにした。
 トゥルルル…トゥルルル…
 電話のコール音が規則正しく耳の中に響く。
 受話器を持っている手はジンわりと汗ばんでいた、勢いで電話をかけたまではいいのだが、もう数年と自分から友達に電話をかけたことなんてないのでどうやって対応するのか必至に頭の中で考えていた。
 「勇気の家の人が出たら、坂本ですが…で、勇気が出たら、さっき…」
 などと呟いていると相手が受話器を取った、その拍子にドキンと僕の心臓が鐘を鳴らす。
 「はい、もしもし谷ですが。」
 高鳴った心臓が相手の声を聞くと少しづつ落ち着いていった。
 「あの、坂本だけど…」
 相手からの返事が少し間を置いて返ってくる。
 「ええ!隆也か?なんだよいったい、どういう風の吹き回しだ?」
 「どんな風でもないよ別に、俺は至って普通だ。」
 「そんなことどうだっていいさ、お前から電話してくるなんて始めてだろ?坂本だけど、なんて言われちゃって一瞬誰だか詮索したよまったく。」
 「ははは…」苦笑する俺。
 「それでどうしたんだ?お前から電話してくるだなんて珍しい、何かしでかしたのか?」
 「…お前、いつ塾が休みになるか言ってなかったろ。」
 あれ?っと受話器から声が返ってきた。
 「俺言ってなかったか?」
 「ああ、教えてもらってない。」
 「あはは、悪い悪い。えーっと…確か明後日の金曜日だな。」
 なんだか自信のない感じだ、
 「おいおい、明後日で大丈夫なんだろうな。」
 「ノープログレム!」
 本当に大丈夫か?と思ったが口にはしなかった。
 「分かった…」
 「おう!」
 元気な返事が返ってくるのを確認してから受話器を置く。
 「明後日…休み、か。」
 また来てくださいね…
 「また来てくれって言われたんだし、行ってみよう…」
 
 次の日、俺は昼に塾の休憩時間を利用して周りの目を気せづ驚いでいる勇気と、塾から十分くらいのとこにあるファミレスで軽食を摂っていた。
 「お、おい。お前本当に、本当に隆也なのか?」
 「他にどんな、お前の知り合いで子供の頃から近所に住んでいる坂本隆也がいるって言うんだよ。」
 なんでこいつはこんなにも驚いているのだろう、ただ俺があの公園で会った女の子について話しただけなのに、
 「ま、まあそうなんだが、ん?そうじゃなくてなんでそういうことを俺に聞いてるんだよ!」
 「いやだって、いつもお前は女の子女の子って言ってるから俺より知識あるんじゃないかと思って、参考がてらに聞いてみただけだけど。」
 「女の子女の子って言ってるか俺?」
 「ああいつも言ってる。」
 「う〜ん…ってそういうことでもなくて!」
 鼻息が少し荒く、言葉が尖っている。俺は何か気に障る事でも言ったのか?
 「違うのか?」
 「違う!」
 叫んだように言い放つと、周りの視線が軽く刺さる。
 さすがに俺も道徳心は多少あるので勇気を宥める事にした。
 「まあ、少し落ち着け勇気。」
 「十分落ち着いてるよ!」さらに視線が突き刺さり痛い。
 少し鼻息が荒く言葉づかいも尖っているこの状態を人は落ち着いているとは言わないのではないのだろうか?
 やがて勇気は周りの視線がこのテーブルに集まっている事に気づき、いささか恐縮した。
 テーブルに置いてある水の入ったコップを手に取り、一気に飲み干す勇気。
 俺は何故勇気が怒ったのか分からず聞いてみる、
 「何で、そんなに怒ってるんだよ?」
 すると即答で返事が勇気から返ってきた。
 「怒ってなんかいない、嬉しいんだよ!」
 「はあ?」僕の頭上にいくつもの?マークが浮かぶ。
 「意味わかんないんだけど…」
 ふうとため息をつくと順々に勇気は話し出した。
 「お前一度も、小さい頃から長い付き合いの俺に一回もそういうこと聞いた事なかっただろ、女の子事についてなんてもっての他だったし、ホモじゃないかと心配したりしたけど…いや考えてみればいつも話し掛けるのは決まって俺からで、お前から私用のことで話しかけてきた事なんか記憶にない。だから、相談してくれて嬉しくなったのはいいけど対応に困ったというわけだ。」
 そんなに俺に相談を持ちよられただけで嬉しいのだろうか?
 俺は逆に相談なんか持ちかけられたら嬉しくとも何ともないんだけど…
 このままではなかなか話しが進まないので無理矢理俺は軌道修正をした。
 粗方の経緯を話し何故俺が、あたたかい、なんて言われたのかなど自分が思った事、疑問を全て勇気にぶつけた、最初はいきなりの質問の嵐に戸惑っていた勇気だったが、少しずつ自分の意見を聞かせ始めてくれた。
 「う〜ん、あなたはあたたかい…か、その後なんか言われたのか?」
 「いんや、何も言われちゃいない。」
 「ふ〜ん…確かに不思議な子だな。」
 「ああ…」
 「でも、少なくともお前は彼女にとって、なんかあたたかいって思うもんがあったから、そう口に出したんし、ひょっとしたらお前に言ったんじゃないのかもよ?」
 右手で持ったストローで氷の入ったグラスをカラカラと音を立てながら言う。
 「どういうこと?」
 「つまりなんだ…お前と似た人に姿を重ねたとか、想い出に耽ったとかさ。」
 「俺に似た人?」
 「いや、そこら辺はあくまで推測なんだし、例えて言うなら昔付き合っていた恋人の面影がお前に似ていてつい口走っちゃったとか色々さ。」
 「それはない、彼女は誤魔化すそぶりも何も見せなかったんだから。」
 「だからあくまで推測だって、ひょっとしたら助けを求めてる可能性だってあるんだし。」
 「助を求めるってどういう事だ?」
 「おいおい、そんながつくなってお前らしくもない。」
 その言葉で自分がテーブルから段々と身を乗り出している自分に気がつく。
 俺が元に戻ると、続きを口した。
 「その子は何か人には相談できない大きな悩みがあって、無意識の内にそう口に出してたとかさ。」
 「悩み?」
 「ああ、お前だってそうだろ?自分一人じゃ何も解決できないから俺に相談すれば何か解決する手がかりか何かが見つかるかもしれないって思ったから俺に相談してきたんじゃないのか?だからその子も始めて会った人だから真意を伝えるわけにいかないけど何らかの形でお前に何か気づいてほしかったかもってことさ。」
 「人殺しとかか?」
 少し、がついていたせいか声が大きくなり言葉を発した後の周りの視線が変わった。
 「おいおい、そんな物騒なこと大声で言うなよ。」
 「あ、悪い。」周りの視線に気圧されて、声量を落とす隆也。
 「まあ、俺はその場に居たわけでもないし、推測でしか話す事はできないからこれ以上何も言えないけど、少なからずとも何か意味が込められている事は確かなんだし、お前なりにゆっくり時間をかけて考えてみたらどうだ?」
 勇気が俺なんかのために真摯に考えてくれるなんて…
 「分かった参考にしてみるよ、少し気が楽になったかも。」
 「そうか?またいつでも相談してくれよ?」
 ピッ!
 ああ、と一つ返事をすると腕時計が午後一時告げた。授業開始は一時十五分。
 「あっ!やばい!」
 こんな時ほど時間が止まってくれればいいのに、
 「どうしたんだよ、急に大声出して。」
 「時間!」
 「は?時間?…っあ!」
 周りの視線には目もくれずに俺達はファミレスを飛び出していく、まるで台風が過ぎ去ったようにレストランには静まり返っていた。
 途中一個所だけある信号に不運にも引っかかったがなんとかギリギリ間に合った俺達はそれぞれの教室に入ることができ、無事授業を注意されずに受ける事ができた。
 急いで塾の校舎に向かう途中、公園の方から蝉の鳴き声が聞こえてきた。
 
 公園の一角にあるベンチに座り向日葵を見つめる若い二人の男女。
 時々会話を交わし、くすくすと笑いあう。
 俺は何故彼女に会いたいのかは分からなかったが、あの日を境に、時間の許す限り公園に立ち寄って彼女と会話するのが日課になりかけていた。
 彼女と話すきっかけを掴んだのは勇気に相談した翌日、偶然とも言える出来事が起きたからだった…
 その日も青空が何所までも永遠と終わりなく続く快晴の日だった、公園に行く為に神坂駅に向かう途中、俺はついでの用事のつもりで図書館に借りていた本を返しに立ち寄ったのだが、本を返し終えて図書館を後にしようとした時偶然にも彼女と会った。
 「あれ?」
 声を出した俺に気づいた君、
 『あら、あなたは…』
 いきなりの事でびっくりした、てっきり俺は、彼女は公園の近くに住んでいると思っていたのにこんな所で会えるなんて。
 突然不意打ちを食らった俺は一気に鼓動が高鳴る。
 それでも何とか残り滓の自制心で言葉をかき集め口に出した、
 「前に公園でお会いしましたよね?」
 かすかに声が震えている、
 『はい、私の事を覚えていてくれたのですか?』
 「まあ…」
 僕の言葉を聞くと君はあの笑顔を浮かべてくれた。
 『また、向日葵さん達に会いに行ってあげてくださいね。』
 君の見せる笑顔はとても魅力的で目が離せない。
 「あ、あの…今日は公園には行かないの?」
 『行きますけど…』
 「だったらさ…俺も今から行こうと思ってたとこだし、一緒に行かない?」
 それを聞くと彼女は少し考え込んでしまった、
 「だめ…かな。」
 『私はいつも午前中は、ここで本を読んでから公園に行くようにしてますから…あなたはみたところ、もうこの図書館には用はないようですし…』
 「なら大丈夫!本を返しに来ただけだったし、僕も君と一緒に本を読むよ、そうすれば一緒に行けるからさ。」
 それを聞くと彼女は目をパチクリさせる、何か変な事でも言ったのかな…
 そう言えば勇気がナンパをする時に言うセリフに似ていたような…
 そう考えると不安になってきた、軽い奴だと思われてしまったのだろうか…
 後悔と恥じらいの念が込み上げてくる、
 だけど君はいつものように笑顔を浮かべて答えてくれた。
 『あなたが、それよいのでしたら構いませんよ。』
 「よ、よかったー…」
 僕の心に安堵が満ちる。
 それから二人で奥の方の机に向かい合って座り、それぞれ気に入った本を持ってきて読み始める。
 僕が選んできた本、「罪と罰」
 …はっきり言って意味が分からん。
 見栄ををはって選んできたのはいいのだが、小難しい文章ばかり綴ってあって理解ができない。無理にでも読もうとしたがこの本の難しさと、あの彼女がすぐ目の前に座っていることもあって本を読む事に集中できず、本を読もうとしても無意識のうちに彼女の顔ばかりを僕は見ていた。
 ちらちら…
 彼女の時折見せる髪を掻き揚げるしぐさや本の文字を目で追うしぐさを見つめ続ける、それはとても印象に残り僕の脳裏に焼き付いていく。
 そういえば公園でも向日葵を見ていた、というより彼女ばかりを見ていた気もする…どうしてだろう俺はこの人のことを気にかけてしまう。
 『…………』本のページを捲り文字を目で追う彼女。
 「…………」その動きを目で追う隆也。
 『ぷっ……』
 突然のことだった彼女はいきなり吹き出した、不意打ちのような出来事に僕は驚いくことしかできない、どうかしたのだろうか?
 本を持つ少女の手は小刻みに震え顔も下を向いている。
 『…うっく……』
 気分でも悪くなったのだろうか…
 突如、溜まっていた物が我慢しきれなくなり一気に爆発したかのように、彼女は普段みせるお上品な容姿を崩して周りの目を気にもせず笑い出した、
 『あははは!』
 近くに座っていた青年が驚いて振り向く。
 「ど、どうしたのさ急に。」焦った俺は身を乗り出して話し掛ける。
 『くっ、あははは…だって…だって…あははは…』
 目尻に涙を一杯に浮かべて、まだ笑うかというくらい笑い続けた。
 『あははは…あなた、…おかしいんですもの…ははは…』
 「なっ!どうせ俺はおかしいですよ!」
 『あははは!』
 「………。」
 『怒らないで下さい…あははは………ふう、ふう…あなたって面白いんですもの。』
 「は?」
 俺の何所が面白いんだろう?俺ってそんなに変な顔でもしてたのか?面白い本でも読んでいたのか?いくつもの疑問が浮かぶが笑われた理由が分からない。
 『だって、ここは本を読む場所でしょう?なのにあなたは席に着いてから本を読まずに、ちらちら私の方ばかり見るので、つい我慢できなくなってしまって…。』
 涙を拭いながら話す。
 僕はというと顔を真っ赤にして立ち尽くすしかなかった。
 ゴホン…
 後方から咳払いが聞こえて振りかえると、あまりの視線の多さに驚いてしまう、周りの人に見詰められて二人は恥ずかしそうに俯いてしまった。
 「…………。」
 話し掛けようとしても周りの様子が気になってうまく話し掛ける事ができない。
 何かよそよそしい僕を見て彼女はおもむろに持ってきていたバッグから小さなメモ帳とシャーペン2本を取り出すと自分の持っているペンで何やら書き始める。
 ただじっと僕は差し出されたペンを受け取りその動作を見つめた、彼女が何がしたいのかすぐに分かり書き終わるのを待った。
 少しして彼女はシャーペンを置くと僕の目の前にメモ帳を置いた。文字が書いてある、
 ―― 騒ぐと怒られるかもしれないので、これでお話ししませんか?
 奇麗な字だ…達筆でも行書でもなくただの字だったけれど奇麗だと思えた。
 とりあえずここは、彼女のことを知ることのできるチャンスだと思いペンを走らせる。
 ―― OK、君の名前は?
 彼女の字と比べると丁寧に書いたつもりだがかなり汚い。
 ―― 加賀明菜(かが あきな)といいます、あなたのお名前は?
 ―― 坂本隆也、毎日ここへ来てるの?
 加賀明菜さんか…絶対にこの名前は忘れないぞ。
 ―― ええ、暇があれば来るようにしています
 ―― へ〜、読書が好きなんだ
 ―― はい好きですよ、坂本さんはどうですか?
 ―― 嫌いじゃないって感じかな
 ―― そうなんですか、男の方にしては珍しいですね
 ―― 友達にもそれよく言われる
 前に勇気とこの図書館によっていこうと言ったらお前本なんか読んでんのか?男らしくもないって言われた覚えがある。
 それからしばらく俺と彼女の間で手紙のやり取りがしばらくの間続いた。
 三十分くらいだろうか、無我夢中で彼女のことについてひたすら質問を書き続けた。
 すると、文字を書いていると最近字を書くことをサボっていたせいかやけに手が痺れてくる、このまま続けていたら手が攣ってしまいそうだ。
 ―― ねえ、手が痛くなってきちゃったから、どこか外の喫茶店でも行ってそこで話ししない?
 この文を書いて渡すと少し悩んだように首を傾ける彼女。
 最初は図々しかったかなと後悔したが、そんな気持ちも虚しく彼女からの返事は期待以上に嬉しいのものだった。
 ―― いいですよ、ごいっしょします
 やったー!
 断わられるとばかり思えたので嬉しさが二倍三倍とこみ上げる、
 それから二人して図書館を出た。
 晴れわたった空が朝見た時より透き通るように青い、太陽は空の天辺で輝いている、元気すぎる太陽のせいもあり僕の気持ちは踊っていた。
 カランカラン、
 喫茶店のドアを境に天国と地獄が分かれているそう思えるぐらいに喫茶店には冷房が効いていて涼しかった。
 まだ七月の半ばだというのにこれほどクーラーが恋しくなるとは…
 ウェイトレスに案内され席に着くと俺はアイスコーヒー、彼女はアイスティーを注文した。
 それから何気ない会話を交わし時間を過ごした。
 彼女と俺との歳の差は俺が二つ年下ということや血液型が同じだということなど会話をしているうちに知った。
 注文したコーヒーが空になったころ、とんでもないことを彼女から聞かされた。
 「え?学校に行ったことないの?」
 それは、彼女は小さな頃から体が弱く、小中高と学校には数えるほどしか行ってないということだった。
 『ええ、一年ほど前に病院生活から開放されたばかりですし、ほとんど学校には行ったことはありません。』
 「友達とかは面会にこなかったの?」
 『数えるほどしか学校には行っていませんでしたから、友達と呼べる人は私には一人も居ないんですよ。』
 「そっか…」
 『あ、でも人ではないですけど、お話し相手ならいましたよ。』にっこり微笑む。
 人ではない話し相手?…あっ!僕は閃いた。
 「向日葵!」
 『うふふ、よく分かりましたね。』
 「そりゃそうだよ、隣に座って向日葵を見ていた時君をずっと見ていたから、無言の会話をしているように思えたからさ。」
 自信満々に言うと彼女は頬を赤めてしまう。
 あれ?俺変なこと言ったかな…
 『あ、あの、………い、いえ何でもないです…。』
 「?」
 彼女が顔を何故赤らめたのか考える、俺が言ったことで赤くなった理由何か言ったか?
 あっ!
 君をずっと見ていたから…
 次第に思い出すと何かが段々熱くなってくる。
 俺はボンっと音が出るくらい顔を彼女に負けないくらいに赤く染めた。
 「あはははは、…」
 『…………。』
 やばい、これではナンパ野郎ではないか。
 「………。」
 『………。』
 「そ、そろそろ出ようか?」
 勇気を振り絞って言ったものの声が裏返っている。
 『はい…。』
 喫茶店を出た俺達は公園に着くまでほとんど会話することができなかった、どちらかというと喫茶店を出た頃には彼女は落ち着いていたけど、逆にその無言のプレッシャーが俺にとっては話しかけにくい雰囲気で話しかけることが出来ずにいた。
 まともに話すことができたのは、二人で向日葵をただじっと見詰めているうちに空が夕日色に染まりかけた時のことだった。
 彼女に気づかれないように向日葵から目線を外すと、そっと君を見つめる。
 奇麗だ…
 夕日で染まった彼女の顔が、髪が、しぐさが、君を引き立て僕を虜にする。
 真剣な眼差しで向日葵を見ている君の瞳。
 あまりの真剣さに向日葵に嫉妬しそうになる自分。
 「あのさ…」
 突然俺は言葉を発していた。
 頭には何も言葉は考えていない、空っぽの状態。
 僕の呼びかけで振り向く君。
 「友達ってやっぱ欲しい?」な、何を聞いているんだ思いっきり失礼じゃないか。
 『ええ、一人は寂しいですから…』彼女の表情が曇ってしまう、ズキンと心が締め付けられた。
 彼女が悲しむ姿なんて見たくなんかない!
 早く誤るんだ、と必死に自分に抵抗しても言葉が口から出てこない、まるで自分がもう一人いるみたいだ。
 「君が良かったらでいいんだけどさ…」言葉が無意識のうちに思っていることと違うことが出てくる。
 「俺が君の友達になるよ。」
 『え?』彼女は目を開き僕の目を真っ直ぐ見つめた。
 驚いた顔をしている彼女だったが、その表情からは喜びと戸惑いが伺える。
 「だめ…かな。」
 『嬉しいです、嬉しいですけど…でも…』
 「でも?」
 『どうして私と…』
 「うーん、どうしてって言われると君と似ているからかな多分…。」
 『私と似ている?』どこが?といった感じで首を傾げる。
 それから初めて自分のことを話すことができる人間を知った、もう一人の俺は自分のことについて少しずつ語り始めた、自分のことや軽い友達はいても本当の意味では友達はいないことなど、いつも他人とは距離を置くのに君に対しては置こうとしない自分がいることなど、初めて人に対して自分のことについてゆっくり語った。
 話しているうちに、自分なのかもう一人の自分か分からなくなり次第に一人の自分になっていく。
 『………。』僕の話しに耳を傾け俯いたまま何も話さない彼女。
 それでも俺は自分のことを少しでも知ってもらいたくて話し続けた。
 全てを吐き出した頃には日が大分落ちかけていた、一時間は話したのだろうか、でもどんな事を話したかよくは覚えてはいない。
 話し終えるとしばしの沈黙はあったが彼女は口を開いてくれた。
 『でも私は全てをあなたに伝えることはできません。』
 もっともだと思いふ〜んと口をとがらせて言う、
 「別にそんなの必要ないって、俺だって今の話しだけで自分の全てを話したわけじゃないし恥ずかしいことや人には言えないことは話してないもん、逆に誰かに自分のことを隅から隅まで話せる奴がいたら恐いって。」
 『…………。』彼女なりに何か考えているのだろうか視線を向日葵に向け遠くを見ている。
 「じゃあ逆に聞くけど俺と友達になりたくない?」
 こんな自分がいたのかと驚きつつも彼女の返事に耳を向ける。
 『それは…友達になりたい…です、でも。』彼女が前に一瞬だけ見せたあの表情が浮かんだが、向日葵を見ていたせいで僕はその表情には気づけなかった。
 「でも?」
 『…いえ、何でもないです。』
 「じゃあ友達でいいってこと?」
 『はい、坂本さんがよろしいのでしたら。』
 不思議とこの結果になると分かっていたのかもしれない俺は静かに心の中で喜んだ。
 それから二人は夕日が沈むギリギリまで目一杯会話した、人が聞けばくだらないこと情けないことばかりだったけど、僕は何か大切な物を手に入れることができた気がした。
 
 彼女は笑みを浮かべて僕に答えてくれる。
 僕も君の話しに笑みを浮かべて答える。
 時折吹く風が心地よい、僕たちをそっと撫でて去っていく、風との別れを惜しむように向日葵達は頭を揺らし別れを惜しんでいるようだ。
 夕日のスポットに照らされ二人だけの世界に、目の前に咲く向日葵達が二人を静かに見守ってくれていた。
 
 第1章 完
 
 
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2003/09/22(Mon)20:27:12 公開 / 朝麻 夏樹
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■作者からのメッセージ
 知り合いの小説家に影響を受けて書いてみたこの作品、実際自分が体験した事も混じっていたりもする?一様、主人公の言葉使いも「僕」「俺」を使って心の本質を表してみたりしました。男の子じゃないので男の子(主人公)の言葉使いを書くのが大変でした、一様甘酸っぱい恋愛物ですが一度見てみてください。