『狭間の気持ち』作者:りせ / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
全角13017.5文字
容量26035 bytes
原稿用紙約32.54枚
プロローグ


 心地良い日差しが、わずかな隙間のあるカーテンから部屋へと降り注ぐ。
今日は学校が休み。 毎日、高校で騒いでいる私にとって、休日は本当にありがたい。
もっと寝ていたいのに太陽の眩しさに目が覚めてきて、少し不機嫌になった。
「今・・・何時?」
 一人呟き、手元にあるはずの時計を手探りで探す。しばらくしてコツン、と、手が時計に触れた。
時計の指す時刻は、十時。 完全に目が覚めてしまったので、しょうがなく布団から這い出る。
カーテンを開けると、外の光に目を細める。マンションの十階となれば、太陽の光も、木々の小ささも、相当なものだ。
窓の鍵をはずせば、新鮮な空気が流れ込んできた。
長く黒い髪が、風に弄ばれるように翻る。肌寒いはずの風がほっそりとした身体を包むが、なぜか心地良い。
ふと、優しさの光を帯びた瞳が、窓の外のある一点に据えられる。
「なんだろう?あの、黒いやつ・・・」
 部屋には一人しかいないため、答えてくれるものは誰もいない。それでも構わず言葉を続けた。
「羽?でも、鳥でもないような・・・」
 思案しようとした矢先に、その鳥のような黒いものは消えてしまった。
まぁいいや、と興味を失い、着替えるためにタンスに手をかける。
そのとき、違和感を覚えた。

 この背中の微妙な重みは、なんだろう。
自分の意志で動くような、背中の『違和感』はなんだろう。
新手の幽霊か。いや、見えないはず。そんな恐ろしいものは、今までに見えたことはない。
じゃぁ、なんだろう。

 心臓の音が、煩いほどに耳に響いた。
意を決して、バッ、と顔だけ振り向く。
その刹那、言葉を失ってしまった。
「な・・・なにこれっ?!」
 絞り出した声は、もはや悲鳴に近く。頭の中は真っ白になりそうだった。
そう、真っ白だ。

 今日この日、工藤 皐月と言う名の少女の背中から、真っ白な羽が生えた。
ファンタジーの世界でよく見る、あの天使と言うものを表す羽。
夢だろうか。 そうだ、夢に決まっている。 寝ぼけてるなぁ自分。
あはは、と乾いた笑いを響かせ、ゆっくりと背中の羽に手を伸ばす。
「きゃっ?!」
 自分が触った感覚が分ってしまった。羽がバサバサ、と音を立てる。 自分で動かしたのだ。
つまり、ようするに、夢だと思っても、夢じゃない。
混乱状態に陥ってしまったため足の力が抜け、その場にペタン、と座り込む。
「どうしよう・・・なんで・・・」
 明らかに『普通』ではない自分に、嫌な恐怖を覚える。
「あーっ!もう! 落ち着け、自分!!」
 頭を抱え、深呼吸をして、気持ちをなんとか落ち着かせようと試みる。
昨日は別に、変なものを食べたり飲んだりしていない。 いたって普通に過ごしたはずだ。
羽が音を立てて羽ばたく。 神経が繋がっているように羽がちゃんと動くのだから、不思議な気分だ。
羽ばたかせているうちに、恐怖は好奇心へ変わりつつあった。
感覚の戻った足で立ち上がり、とん、と床を蹴る。同時に羽を羽ばたかせてみた。

浮いた。 床との差、わずか25cm。

 皐月の顔に、笑顔が広がっていく。
「慣れれば楽しいなぁ・・・」
 幼い子供が楽しむような笑み。 元々、高校生だが、皐月の顔立ちは少々幼さを帯びていた。
空中を楽しんでいたが、だんだん、羽ばたかせていた羽が身体の体力を奪っているような気になってきた。
床に下りようか、と思った瞬間、ぐらりと身体が傾く。
「え?!・・・きゃぁっ!!」
 飛ぶことに疲れて派手にバランスを崩し、しりもちをついた。
「いったぁ・・・飛ぶことも簡単じゃない、ってことかぁ」
 それにしても、と、床に座ったまま思案する。

 なぜ、羽なんか背中に現れたのだろうか。
日ごろの行いが良いから、神様からの贈り物か。
もしかしたら、変な世界に来ちゃったのだろうか。
じゃぁ、この家は? この景色は? 幻覚?

 再び立ち上がって、自分の部屋から飛び出ようとドアノブに手をかける。
しかし、ピタリと止まってしまった。 冷や汗が額に滲む。
もし、この羽を見られて、珍獣に扱われたら。
見せ物になって、実験のために解体されたり・・・

――考えたくもない。

 ちらり、と背中を見やる。
すると、それが合図だったかのように、羽はスウッと透明になって見えなくなる。
驚きに、目を丸くした。 不思議な事もあるものだ。
皐月はパジャマのまま部屋を飛び出した。
このときはまだ、皐月の身に課せられたものを知る由はなかった。



第一話


 ドアを開けて、リビングへ向かう。
何も変化のない、変わらぬ自分の家。
ほっと安堵の息を漏らす。 そして改めて辺りを見回した。
「あれ? お母さん??」
 いつも朝起きれば、笑顔で迎えてくれる母親の笑顔が、ない。
皐月の顔に焦りの色が見えた。 再び、心臓がバクバクと音を立てる。
そのとき、ふとテーブルの上にある紙片に目が止まった。
急いで取り上げて、そこに書いてある文章を急いで眼で追う。 それは見慣れた母の字であった。

『皐月へ。 昨日話した通り、お母さんはお父さんと二泊三日の温泉旅行に行ってきます。 夕飯は、隣の菊池さんが持ってきてくれるから、朝と昼のご飯だけ自分で作りなさいよ。』

 皐月は思い出したように、目を見開いた。
母が商店街のくじを当てて、見事、温泉旅行に行く事になっていたのだ。
いつの間にか心臓も落ち着き、紙片を置いた。
温泉旅行。それは滅多に行けるものではないので皐月は『連れてって』と意地になって叫んでいた。
しかし旅行中に学校の休みが明けてしまう。 旅行で学校を休むわけにはいかない。
皐月は成績はまぁまぁなのだが、サボリ癖がついていたのだ。 先生にもよく怒鳴られる。
思い出すと、思わず不機嫌な顔になってしまった。 
しかし、自分のお腹が鳴ったので、そんな気持ちもあっさり吹き飛んだ。


 羽があるので着替えられないか、と思ったが、不思議と服を纏う事ができた。
簡単な食事を終えて、着替えもバッチリだ。
家に人が一人もいないという事で、羽を見えるようにする。
鏡の前に立つと、嫌でも目に入る、純白な羽。
まるで本当に天使になったような気分で、少し照れくさくなった。

誰かに、自分の不思議な出来事を話したい。
誰にも、自分の不思議な出来事を話したくない。

 複雑な気持ちが交差する。 家でジッとしているのが勿体無くて、髪を適当に整えてから外へ飛び出した。
もちろん鍵をかけるのは忘れていない。
ちら、と自分の背中を念のため確認すると、ちゃんと消えている。 人目に映らないように。
どこに行く当てもなかった。 ただ、静かな通りを歩く。
休日にも構わず、人通りの少ないところだ、と思った。 だから良いのだが。
しばらく歩けば、公園が目に付く。 
入ろう、と足を踏み入れた瞬間、ザアッと風が流れた。 長く艶のある黒髪が、横から吹き付ける風に流され視界を覆う。

優しい風。
暖かい風。
――風と一緒に、大空を翔けてみたい

 そう思った。 思っただけなのに、行動に出ていた。
地面を蹴った感覚が、足に伝わる。 すでに聞きなれた羽ばたく音が、耳の傍で聞こえた。
目を開ける。 ゆっくりと視界が開けていった。
「・・・綺麗・・・」
 思わず呟いた、感想。 下を見れば、公園のブランコが小さく見えた。
なぜか恐くない。 元々、皐月は高いところが好きだったからだろうか。
風がそっと皐月の頬を撫でた。 鳥はこんな素晴らしい景色を見ているのか、と言う思いが頭をよぎる。
笑みが零れる。 もっと高く、もっと高く。
そのとき、また目についた黒いもの。
今日の朝に見た、羽の生えた、鳥のような影。
目を凝らしていると、それはどんどん皐月に近づいているような気がした。
ゾクリ、と背筋が粟立つ。 今日何回目だろうか、心臓が激しく脈打った。
先ほどまでの飛ぶ事に楽しんでいた笑みは消え、恐怖に引きつった顔が一点を見つめる。
頭の中で危険信号が鳴り響いていた。 しかし、理由のわからない恐怖に、思わず空中にたたずんでしまう。

風が一際強く、皐月の身体をたたいた。
その刹那――

「堂々と飛んでるなぁ。 よっぽど自分の強さに自信があるのか?」

 声、が聞こえた。 いつの間にか瞑っていた目をゆっくり開くと、そこには人がいた。
驚きで声が出ない。 頭の中の信号は煩く鳴りっぱなしだった。
その男の人は、自分と同じ年齢のような顔立ちで、漆黒の髪。鋭く、どこか暗い光を灯した藍色の瞳。 真っ黒で身軽そうな服装。
そして、真っ黒な羽。
まるで、皐月の羽に黒いインクをぎっちりと染み込ませたような色だ。
もし、皐月を『天使』と例えたら、目の前の男は『悪魔』
皐月のだんまりにイラついたのか、その男は機嫌の悪そうな、よく響く声色をした口調を強めた。
「聞いてんのか、おい。 黙ってると、今すぐ殺すぞ」
 恐ろしい一節を聞いて、皐月は息を詰まらせて男を凝視する。
震えながら絞り出した声は、もはや小さく掠れていた。
「こ、殺すって言ったの? 私を?」
 そんな皐月の声に、男は訝しげに眉を寄せた。 じっ、と何かを探るような目つきで皐月を見る。
皐月は今までに経験した事のない恐怖を味わっていた。 しかし、その瞳は強気に男を見返している。
双方、無言の時がすぎ、皐月は自分を心でなだめながら、叫んだ。

「後ろに白い羽を持った人が、たくさんいる!!!!!」

 半ばヤケになって、叫んだ。 男の目をそらすために効果的な言葉は、今の皐月の思考回路にはコレしか浮かんでこなかった。
しかし、意外と成功し、男は一瞬、その繊細な整った顔に焦りの色を滲ませながら、勢いよく振り向いた。
いまだ。
ここぞと言わんばかりに皐月は急降下を始めた。
さすがにものすごいスピードで落ちていき、さらに心に恐怖の種を植え付けられたような気分になった。
「死ぬよりは・・・マシだよっ・・・!!」
 自分に必死に言い聞かせる。 地面が近くなってきた。 後ろは振り向けない。
顔を下にして急降下していたが、羽を思いっきり羽ばたかせ、身体を正位置に戻していく。
自分でも内心驚くほど慣れた羽さばきに感心しつつ、地面に足が触れる。
その瞬間、どっと疲れが身体に押し寄せてきた。 しかし、皐月は人のいる所へと走り出す。 疲れている自分の身体を叱咤しながら。
背後から、何か声がした。 でも振り向かない。 羽を透明にさせて、大通りへと飛び出した。



第2話


 あの後、皐月は無事に生きて家へ帰ることができた。
絶対に羽を使わず、自慢の陸上で鍛えた俊足で走って。 しかし、どんなに一生懸命走っても胸の焦燥感は消えなかった。
すでに日は傾き、辺りはゆっくりと紅に染まる。
マンションと言えど、やはり一人でいると広く感じるものだ、と改めて痛感した。
菊池さんはすでに夕食を置いていった。まだ夕飯の時間には早いと思ったから、ぼんやりと部屋に寝転ぶ。
――今日は色々ありすぎた
思い出すと、気が重くなる。大きな溜め息を一つ、吐き出した。
羽。 明日になれば、消えているのだろうか?
そんな希望と、微かに残る羽への喜びが、皐月をより苦しませた。
「早く寝よう。 明日、学校で騒ぎたいもんね〜・・・」
 夕飯はまだ温かかった。 黙々と食べる、無言の刻。 音のない世界。
なんだか恐くなって、皐月はテレビをつけた。
『明日の天気予報をお伝えします。 明日は・・・』
 女性の天気予報のキャスターが喋りだす。 つまらない天気予報でも、今日ばかりは感謝した。


 ふと気付けば、時計の指す時刻は十一時。 お笑いのテレビに夢中になっていた皐月は、終わってしまった番組を一瞥して、テレビを消す。
お風呂にも入った。 すっかりと身体は冷めてしまったせいか、肌寒い。
「早く布団に入って、寝よう!」
 暗い気持ちを明るくしようと、声を張り上げる。
自分の部屋へのドアを開けた、その瞬間だった。

「あー、やっぱりな。 ここの家に住んでたのか」

 妙に聞きなれた、声。
部屋の窓は開け放たれ、月光を背にしながら窓の溝の部分に腰を下ろす、人影。
バタン、と突然に皐月の背後のドアが閉まる。 仄かな月明かりの射す暗い部屋に、緊張が走った。
まさに、空で皐月に対し『殺すぞ』宣言をした、あの同い年ぐらいの、羽を持った男が目の前にいた。
皐月の驚きと恐怖に満ちた顔を楽しそうに眺めている。

「え、ちょっと・・・?!なんでいるのっ?!」
 皐月の顔が真っ青になっていく。 心臓が早鐘を打つのに、全身の血の気が下がっていくばかりだ。
思いっきり、目の前にいる男を指差して、皐月は悲鳴に近い声を上げた。
「そ、空を散歩してただけなんだよ! 別に、あなたにとって有害な生き物じゃないよっ?!!」
 自分自身、何を言って良いのか分からない。 ただ、死ぬのはごめんなので、必死に相手に何かを訴える。
ああ、やばい。 泣きそうだ。
皐月は、もしものための逃げ道を目で探す。しかし、背後のドアか、男の後ろの窓しかない。
またもや無言の刻が過ぎたかと思うと、男は顔を歪ませた。そして、大声で笑い始めたのだ。
「あははは!解ったぜ!お前って、最近突然に『空派』になったんだろ?」
 突然笑い出すし、混乱中の皐月の頭に、さらに拍車をかけるような意味のわからないことを喋りだす男。
困惑の表情で、じっと見つめる皐月の視線に気付いて、にぃと笑う。
男の口から八重歯がのぞいた。 
「『空派』だよ。お前たちのような白い羽を持つやつらをそう呼ぶんだ。そして・・・」
 男は、さっと自分を指差す。正確には、自分の羽を指差した。
「俺たちのような黒い羽を持つやつらを『海派』と呼ぶ」
 いや、そんなことを説明されても、頭から煙が出てきそうな気持ちです。
皐月は男の言っている事がさっぱり解らないので、自分から質問を仕掛けてみた。
「だいたい、何?『空派』と『海派』って・・・」
 男は考えるそぶりを見せた。

 ふいに目を細め、月へと視線を向ける。その瞳は悲しみの色を帯びているように思えた。
「事実上、空と海は、決して交わる事はない。完全に切り離され、仲良くするなんてことは考えられない」

「・・・じゃぁ、『空派』と『海派』は・・・」
 男の視線が皐月へと注がれる。切なそうに笑った顔が、皐月の目に焼きついた。
「争ってる。 簡単に言えば、異世界の土地に対する縄張り争いだ」
「異世界?」
 首を傾ける皐月に、いじわるそうな笑みを向けてから、話を切り替えた。
「それはまだ知らなくても良いだろ。さて、オレが今度は質問する番だ」
 皐月は話を切り替えられたことを不満に思ったが、質問を受けることにする。
どうぞ、と促すと、男はビシリと皐月を指差した。
「お前はまだ『空派』に選ばれたばかりだ。 そういう場合『海派』に変更する事も不可能ではないんだよなぁ」
 普通の一般人には戻れないのか、と訊ねようかと思ったが、止めた。
「お前が『海派』に移る、と言うなら、命は助かるぜ」
「・・・え?」
 その言葉は、生と死の選択でもあるのではないだろうか。 皐月は喉に刃を突きつけられた気分になった。
相変わらず男はにやけた顔で、皐月を見下ろしている。
「まぁ、今すぐに返事って言っても難しいか?」
 小さく頷く。 すると男は羽をバッと広げた。
「オレの名前は佑助。 明日にはいい返事がもらえるように期待してるぜ、皐月」
 なんで名前知ってるの、と言う質問をする暇がなかった。
最後の一言を残して、佑助と名乗った男は飛び去ってしまった。

 皐月は全身の力が抜け、その場に座り込む。
佑助が、また明日来る宣言をして行ったから、嫌でも顔をあわす事になるだろう。
おもいっきり布団に倒れた。



第3話


 ぼんやりと開いた目に、朝の光が差し込んでくる。
もう少し寝よう、と思ったが、外にいる鳥の声が煩い。 耳を塞ぎたい気持ちになった。
おもむろに時計に手を伸ばす。 しっかりと掴んで自分の目の前まで引き寄せた。
八時十五分。
なんだ、まだ寝てよう。 そう決めて布団にもぐろうとした瞬間だった。
学校。
ふと、学校と言う二文字が頭に浮かぶ。
次第に顔が青くなっていく。 今日は平日という事を思い出したのだ。
「きゃぁ?! 遅刻っっー?!!」
 快晴な青空に、皐月の叫びが高々と響いた。 その叫びを上空で、楽しそうに眺めている男がいることも知らずに。

「自分のバカぁ!!」
 誰かが答えてくれる訳でも無いのに一人で自分を罵りつづける。
朝ご飯を作っている場合ではない。 母がいれば少々の食事は摂れただろうが。狭い家の中を走り回り、登校のための必要最低限な準備をする。
制服にも着替え、あとは髪を整えるだけだった。 急いで鏡の前に立つ。
その時、目に付いたモノ。
それはバサバサと音を立て、存在感を改めて強める。
これを使って学校に行く場合、誰にも見られないようにしなければならない。
危険と隣り合わせだが、皐月に迷っている時間はなかった。
髪を簡単にとかし、家の玄関の鍵を中から閉めた。そして急いで自分の部屋へ入り、鞄を手に取る。
窓を思いっきり開けた。

次の瞬間――
皐月は風に乗るように、窓から羽を広げ飛び立った。


 岡野下高校、一年四組。
「おはよう!!!」
 声を張り上げた。 クラス中の視線が集まった気がしたが、幸い先生は来ていなかった。
皐月は家を飛び出してから、空を猛スピードで飛んで、高校近くの人通りの少ない裏道に降りた。
その後に羽を消して、限界に近い速さで教室まで走ってきたのだ。
ぜいぜいと乱れた呼吸はなかなか静まらず、皐月は、自分の机に向かいながら深呼吸をした。
「皐月!寝坊でもしたの?」
 皐月の前の席にいる由佳だった。 うん、と頷いて席につく。
「鏡貸してあげるから、髪を整えなさいよ。ぐしゃぐしゃだから」
 皐月の机の上に置かれた鏡は、明らかにボサボサの髪を映す。
なんとなく、親友の優しさが嬉しく感じる。 由佳は中学からの友達だった。
空を飛んできたからなぁ、とぼんやりと思い、制服のポケットからくしを取り出した。
何回かとかしただけで、皐月の髪は綺麗な光沢を放ち、艶のある真っ直ぐな黒髪へと戻った。
「皐月の髪、本当に長くて綺麗だよね」
 由佳が皐月を見ながら呟いた。 心から思う本音。
「よく言われるけど・・・由佳の茶色でショートの髪も綺麗だよ?」
 首を傾けながら言う。
由佳が苦笑した理由を皐月は知ることができなかった。


 皐月にとって学校の楽しみとは、友達と騒ぐこと。 毎時間の休み時間には、大勢の友達と輪になって他愛のない話をする。
男女問わず仲の良いクラスだったので、クラスの団結力が試されるときが来たら負けることはないだろう。
授業はいたって真面目に受ける。 が、皐月の席は窓側の一番後ろ。
天気のいい日には眠気との戦いの毎日である。
しかし、今日は違った。
授業中、皐月は必死でお腹を押さえていた。 腹痛が襲ってきたわけではない。 時間に余裕のなかったため朝食を抜かしてきた。 それが原因だ。
冷や汗が流れる。皐月は辛さに顔をゆがめた。
お腹が鳴りそうになるのを必死でこらえ、皐月は昼食の時間をひたすら待った。

 「助かったぁ・・・」
 いつもより倍の昼食を買い揃えた皐月が、由佳の元へ戻ってくる。
由佳は呆れ顔でそんな皐月を一瞥してから、教室に足を踏み入れた。
しかし、皐月は教室に入ろうとしなかった。
「皐月?」
 由佳が訝しげに自分の名前を呼ぶが、軽く聞き流す。
背中の羽が不自然に痛む。 何かに反応しているかのように。
皐月は意識を凝らした。 ふと、何かを感じ取る。 上から、呼ばれているような。
「ごめんね、由佳!ちょっと用事思い出した!!」
 そう言い残して走り去る。 皐月の昼食を託された由佳が後ろで何かを叫んでいるが、あえて無視した。
心臓がだんだん慌て始める。 皐月が感じたものは、決して良いものではない。
行きたくない。 でも、行かなければいけない。
妙な使命感に襲われつつ、皐月は階段を駆け上がった。
やっとの思いで校舎の最上階に来ても、まだ上に感じた。 呼吸を整えながら思案する。 
屋上に出よう。
そこは普段は入ってはいけない場所。 しかし皐月が触れると、扉の鍵は音を立てて難なく開いた。
扉の向こうから射す眩しい太陽の光が、目を焼く。 その中にある、一つの影。
皐月は羽を力強く広げた。

 
 「待っておりましたよ。工藤 皐月・・・」
 屋上に立っているその影の正体は男だった。 皐月より遥かに年上で、すらりとした青年だ。
青年は薄い茶色の髪を風になびかせながら、目を細めた。
「これは失礼。私の名前は杉内 敬と申します」
 敬と名乗る青年は、礼儀ただしく綺麗な顔立ちで好印象だった。 背中に、黒い羽が見えなければ。
皐月が警戒心を剥き出しにしているのを、可笑しそうに見据える。
医者が羽織るような服が真っ黒に染まったものを着ている。 その服が不自然に波打った。
「あなたのおかげで話が早い。 私がここに来て、あなたを屋上に呼び出したわけを教えましょう」
 敬の右手が光った。 そこに現れた、細かい無数の氷の刃。
「え?」
 今まで黙っていた皐月は、思わず声を吐き出した。
敬の手が軽く翻った後、皐月の頬から一筋の血が流れ出ていたのだ。背後にちらりと視線を送ると、氷の刃がコンクリートの壁にしっかりと刺さっていた。

「私は、最近現れた『空派』を殺しに来ました」

 二日連続で聞かされた、最悪の言葉。 
殺しにきた? 冗談じゃない。
皐月は震える足を叱咤し、コンクリートの地面を強く蹴った。



第四話


 皐月が空中へ舞い上がると、それを追って敬も羽を羽ばたかせてきた。
羽さばきには自信があったものの、やはりスピードは相手のが上だった。
その上、やっかいなものまである。
「・・・いったぁ〜・・・!」
 氷の刃が、休む間もなく皐月に襲いかかった。
すでに全身のいたるところから、赤い鮮血が流れていた。
恐怖に打ちのめされる。 気が緩んでしまったら、待ち受けるのは、死。
嫌な汗がどっと噴きだす。 全身が重くなって、自分がちゃんと飛んでいられるかすら心配になってきた。
自分の心臓の嫌な音と、風を切る音。 いつの間にかその二つしか、皐月の耳には聞こえなくなっていた。

 対立を続ける『空派』と『海派』。
縄張りのために、自分たちの住処のために、お互いを殺しあう存在。
――事実上、空と海は、決して交わる事はない。完全に切り離され、仲良くするなんてことは考えられない
佑助の言った言葉が、脳裏をよぎる。
本当に、そうなのだろうか。
この世界の空と海は、仲が悪く、お互いを憎むべき存在としているだろうか。
だったら何故、人は空と海を見て、幸せを感じるのだろうか。
何故、同じ色をしているのだろうか――
突然、皐月は何かに気付いたように、目を見開く。
羽が自分の運命を大きく変えた。 高校生活を楽しんでいた、ただの一般人を。
真っ白な羽が生えた理由は、今だ良くわからない。 しかしもう、理由なんて関係がなくなっていた。
自分が信じた道を行く。 ずっと昔から決めてきた、自分を大切に思うための言葉。
普通の人生は、もう送れない。 
だったら、精一杯できることをやってやろうじゃないか――

 皐月が心の中で大きな決断を下したとき、辺りに嫌な風が流れ始めた。
「な、何?!」
 逃げ続ける皐月を仕留めるため、敬は風を操り、動きを封じる障壁を作り出したのだ。
ぐらり、と身体が傾く。 純白の羽の自由が、完全に遮断された。
「鬼ごっこは終わりです、皐月さん。そろそろ終わりにしましょう・・・」
 敬の手のひらが、淡く光を放つ。 動きを封じられながら、風に乗ってゆっくりと落ちていく皐月に、冷酷な笑みを向けた。
氷の刃が放たれる。 自分の信じた道を行くために、死ぬわけにはいかないのに・・・
皐月は、固く目を閉じた。

 キィィィン・・・

 何か硬いものが、刃を弾いた。 そう思った瞬間、皐月は何かに抱きとめられた。
「大丈夫か?!皐月!」
 あぁ、この声を知っている。
皐月はゆっくり目を開けた。 案の定、皐月を見下ろす佑助の顔が、そこにはあった。
小声で「大丈夫」と返すと、佑助は皐月をしっかりと抱えて、空中で敬と対峙する。
羽が動かない。 全身に力が入らなくなっていて、悪いなぁと思いながらも佑助に身を任せた。
「敬。こいつはまだ『空派』に選ばれたばかりだ。今なら『海派』へ移し身することも可能だろ?」
 佑助が真剣な面持ちで言う。 
敬は相変わらず、薄っすらと笑っている。 しかし、瞳は冷たい色を放っていた。
「上司には敬語と言う常識を知らないのかい? 常識を知らないから『空派』なんかを助けてしまったのだろう」
 敬を睨む瞳が、強い光をもつ。 怒気が佑助の身体から立ち上った。
「黙れ。・・・こいつが『海派』に移ると言うんだから、助けるのが当たり前だ!」
 黙って事の成り行きを見守っていた皐月は、ふと、口を開く。
「ねぇ・・・私、『海派』に移るなんて言ってないよ?」
 沈黙。
しばらくしてから、佑助が皐月を凝視した。 敬は面白そうにそれを見つめる。 右手がうっすらと光りだした。
「お、おい!『海派』に移れば命は助かる、ってオレが言ったよな?!」
 すごい勢いで怒鳴られたので、少し身を縮めた。 それでも、瞳はしっかりと佑助に向けた。
「もし『海派』に移っても『空派』から命を狙われるんでしょ?それなら、どっちも立場的には変わらないよ!」
 さすがに佑助は言葉を失った。 皐月の言うことは確かな事だ。だが、納得いかない。
何かを言おうと口を開いた瞬間、敬が佑助に叫んだ。
「佑助!退きますよ・・・『やつら』が来たようだ・・・人数に差がありすぎる」
 佑助の身体がビクンと震えたのを感じたとき、たくさんの羽ばたく音が近づいてくるのを聞き取った。
音のするほうへ首をめぐらす。 思わず息を飲んだ。
そこには皐月と同様、純白の羽を持った『空派』の者たちが、およそ十人。
皐月と同じ漆黒の髪を持ち、気の強そうな瞳。女性にしてはがっちりとした体つきの『空派』の一人が、口を開く。
佑助と敬は恨みのこもった瞳で『空派』を見返していた。
「その娘を置いていけ。置いていけば、命は助けてやろう」
 佑助の早くなった鼓動が、皐月の耳に流れ込む。 真っ黒な服を引っ張った。
「佑助、降ろして?私は『海派』へは行けない・・・」
 佑助が、皐月の通う学校の屋上に、ゆっくりと皐月の華奢な身体を降ろした。
そのときの佑助の顔に、少々の罪悪感を覚えて小さく呟いた。
「でも、私は『空派』でもない・・・」
 その言葉は、周りの誰にも聞こえなかった。


第五話


 小さくなる佑助たちの姿を見送った後、皐月は大勢の『空派』を見上げた。
先ほど言葉を放った『空派』の女性が、ふわり、と目の前に舞い降りてきた。
その手には、いつの間にか鋭い刃先の整った槍が握られている。 皐月はそれを凝視した。
「その槍で『海派』を・・・?」
「殺す事はあまり無いが・・・やむを得ない場合は、殺す」
 呼吸が止まる。 皐月はどうしようもない悲しみに覆われた。
「お前も『空派』に認められた者だ。やらなければ、やられる。槍は、お前が念じれば出てくるはずだが」
 次々に『空派』が舞い降りてくる。その中には、小学生ぐらいの子供から社会人ぐらいの歳の人がいた。
「みんな、元々は一般人だったの?」
 その女性は首を横に振った。 どうやら、この『空派』の群れの中で、一番権力があるのがこの女性らしい。
「我らの世界で生まれた者は、元々の『空派』だ。首領が才能のある者をこの世界から選ぶときが、お前のような『空派』になる」
 皐月は、淡々と喋りつづける女性に怒りをおぼえた。 一般人が、いきなり生死の戦いに巻き込まれても良いと言うのか、と。
握った拳に力が入る。 そうしないと、涙が出てきそうだった。
「異世界を我らの住処にすれば、戦いから開放される。 それまでの我慢なのだ」
 チャイムの音が鳴った。 それを合図に、『空派』は一斉に空高くへと舞い上がった。

 優しい風が吹き始める。皐月の長い髪が横から吹く風に流された。 心が痛くて、教室に戻る気にはならなかった。
人に、人を殺せと言う。しかも縄張り争いのために。 今もちゃんと自分たちの住処はあると言うのに。
何故、仲良くできないのか。 お互い協力する事ができれば、心を通わせる事ができるのに。
皐月はゆっくりと伏せていた顔をあげる。その瞳には、決意の色しか見えなかった。
今まで、この戦いで何人の人が命を落したかは、知らない。しかし、刻は一刻を争う。
皐月が決意した事は、生きられる保証は全く無い。そう思うと、全身が情けなく震え始める。 嫌な汗が一筋、頬を伝った。
『空派』と『海派』の全員を敵に回す、大作戦。仲間がいないと言う孤独感は、どうすることもできなかった。
「『空派』と『海派』のどちらにも属さない立場か。・・・狭間にいる気持ちって、辛いなぁ」
 泣きそうに顔を歪めながら苦笑する。 純白の羽が、降り注ぐ太陽の光に向かって大きく広げられた。
普通の高校生。何所にでもいるような高校生。その高校生が、自ら死に向かうような行動をする

 大空へ身を投げ出せば、風が全てを教えてくれる。現在、『空派』と『海派』の住んでいる場所や、異世界の場所を。
皐月はふと、気付いた。風も自分と同じ、空と海の狭間の立場だったのだ。
皐月に優しく吹くのは、味方をしてくれているから。 皐月に全てを教えてくれるのは、同じ気持ちだから。
唯一、皐月と違うのは、空と海は仲が悪くない事。風は、この世界に広がる空と海の気持ちも教えてくれた。
――空と海は、とっても仲がいいんだ。だから、『空派』と『海派』も仲良しにしてあげて
一人じゃない。こんなに強い味方がいる。なんで、孤独だなんて思ったのだろう。
「みんな、ありがとう・・・本当に・・・」
 風が一際強く、辺りを駆け抜けた。木々がザワザワと音を立てる。
風が収まり始めたときには、すでに皐月の姿はなくなっていた。

――異世界に行って、争いの元凶を壊してくるから・・・悲しみの連鎖を終わりにしようね――

2004-03-28 22:05:15公開 / 作者:りせ
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■作者からのメッセージ
長すぎるので、もうすぐで終わりにする予定です!
話の内容が変になってきているかもしれませんが、読んで下さると光栄です。
ご指摘、ご感想等、お待ちしております♪
この作品に対する感想 - 昇順
初めましてー^^僕は丁度今日自分に羽が生えて空を飛び回る夢をみたので、レスをせずにはいられませんでした^^基本的にしっかりと書き込まれているので未熟な僕からアドバイスできることはありません。次回作楽しみにしてます
2004-03-10 11:48:12【★★★★☆】風
風さんから感想を頂いて・・・もう感無量です!風さんの小説は読ませていただきました♪文章からすごい何かが伝わってくるような感じがして、尊敬しております。風さんの見た夢のように、空を飛べると嬉しいですよね(笑
2004-03-11 23:13:07【☆☆☆☆☆】りせ
描写が出来ていてうらやましい限りです。とても面白いと思いますよ。次回も頑張ってください!
2004-03-12 00:00:00【★★★★☆】フィッシュ
フィッシュさん、応援ありがとうございます!はい、頑張らせていただきます〜!あ、描写はフィッシュさんの小説もできていると思いますよ!!ジャストタイムに感想をありがとうございました♪
2004-03-14 22:17:51【☆☆☆☆☆】りせ
内容も詳しく、表現力、展開のスピード等もとても上手だと思います。この調子で、次回も頑張って下さい!
2004-03-15 10:22:41【★★★★☆】DARKEST
はじめまして。読ませていただきました。空を飛ぶ表現など、すごく良いと思います。話も面白そう。次回も頑張ってください
2004-03-15 11:16:12【★★★★☆】オレンジ
はじめまして!DARKESTさん、オレンジさん、感想ありがとうございます〜!DARKESTさんの描写やオレンジさんの力強い文章はとっても素晴らしいので・・・私もそんな風に書けるように頑張りたいです♪本当に感想ありがとうございました〜!
2004-03-16 00:10:01【☆☆☆☆☆】りせ
計:16点
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