『世界で一番大切な貴方へ』作者:冴渡 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
全角9664文字
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原稿用紙約24.16枚
―――「世界で一番大切な貴方へ」――――

大人になりたい。

子供でいたい。

貴方は、どちら?


――――――――――――――――――――
「初音〜、朝ですよ〜!起きなさい。ほらっ!」
ピチピチと頬を叩かれ、私こと小野田初音(おのだ はつね)中学一年は眠気と格闘中。
「眠い〜…もぅ、まだ大丈夫だろ〜…放っといて…。」
「ほら、朝ご飯覚めちゃいますよ〜!」
「ん…。」
 ふ、と目を空けると目の前に使用済みと思われるフライパン返しがあった。さっき、ピチピチと何か平べったいものがあたっていたような気がする。慌ててフライパン返しを遠ざけ、オヤジにむかって怒鳴った。
「ちょっ、使用済みのフライパンで乙女の顔を殴るなっ!」
「何を行ってるんですか。もうこんな時間ですよ〜?」
「時間って…うわぁっ!何この時間?!何でもっと早く起こしてくれないんだーっ!?」
「さっき、まだ大丈夫って言ってたから…。」
「何言ってんだっ!とにかくっ、急ぐから朝ご飯いらない!」
「こらっ!朝ご飯は初音を一日元気に…」
「いつまで部屋にいる気?!娘の着替えを覗く気かっ?!」
「えっ、あっ、いやっ、そういうわけでは…。」
……。
「そういうわけじゃないんだったら…」
フライパン返しを振りまわしながら慌てる父に、私の眉間がピクピクと動く。
「さっさと出ていけーーーーっ!!」
見事なストレートパンチが顔にめり込み、オヤジは廊下で倒れた。
「ったく。嫌になる。」

こうして、いつものように朝は始まった。

「美代さん、娘の初音が反抗期です。パパにも冷たくあたるんですよ。ワタシ、どうしたらいいのか…!」
母の仏壇に手を合わせ、ブツブツと呟くオヤジが呟いている。
「オヤジ、母さんが迷惑だろ!そんな愚痴ばっかり聞かされたら!」
「何言ってるんですか!こうして、小さな事からコツコツと美代さんに報告してあげているんですよ。」
オヤジは照れくさそうに少し笑った。
母さんが死んだのは私が生まれてすぐのこと。母の顔は写真でしか知らない。
優しい人だったのか、怖い人だったのか、無邪気な人だったのか。
ただ、写真の中の母さんは常に笑っていて、いつも楽しそうに見えた。
「おや…初音、朝ご飯は食べていかないんじゃ…。」
「うるさいな。学校で腹が鳴ったら恥ずかしいだろ。」
「でも、時間が…。」
「どうせ送れるんだから、十分も一時間も違わないよ。だったら、食べていった方がいいだろ。」
「五十分違う気がしますが…。」
 うるさい、と後ろに向かって私は怒鳴ると椅子に座り朝ご飯を食べ始めた。
オヤジはいきなり涙を流しながら、後ろから抱きついてきた。
「さすが初音〜!パパの言う事、分かってくれたんですね〜!」
「違うっ!離せ!このバカオヤジっ!!」
腕を少し引き、すかさず肘鉄を食らわせる。
「そんなんじゃないって言ってるだろ!」
慌てて家を飛び出した。玄関では、父が腹を押さえながら“行ってらっしゃい”と手を振る。
学校まで歩いて十分。

だが、私には三十分かかる道のり。
「えーっと、とりあえず何処に行こうかなぁ…。」
指折りしながら、行きたい所を数えていると後ろから背後霊が背中をつついた。
「初音…どこへ行く気ですか…?」
「うわっ、オヤジ!どっから出てくるんだよ!」
「家からに決まっているでしょうが…」
「まさか、後をずっとつけてきたのか、このストーカー!」
「何を言ってるんですか!お家で楽しく洗濯物を干していたら、初音が学校と正反対の方向に行くから、誰かに導かれているのかと心配でっ!」
「うるさい!分かったから帰れ!」
「学校に行きますか?」
「行くよ。」
「本当ですか…?」
「…。分かったよ、行くよ。」
「ならいいんです。では、パパは戻って洗濯物干してきますね。」
ルンルンと帰るオヤジを見ながらため息をつく。
仕方なく学校に向かった。

 教室に入ると、愛嬌と太さのある担任の先生が出迎えてくれた。
「おー、小野田。遅かったなぁ。遅刻か?」
「いえ、事故です。目の前を足の長さ六メートルもあるダックスフンドが表れ、通る車をその足でペシャンコに…」
「はいはい、遅刻な。分かった分かった。」
その前に、足の長さが六メートルもあったらダックスフンドじゃないと突っ込んで欲しかったが、公務員である先生にそれを求めるのは少々酷だろう。
皆が出迎えてくれた。
笑いながら昼まで学校で過ごすと、早退した。

「今日は、どうしても行きたいところがあるんだよ。」
家へ帰ると嘘を着いて、岡崎商店街を通り過ぎよとした時、ふと変な二人組を見つけた。
二人組のうちの女は、見覚えのない顔だった。
だが、もう一人の男は明かにうちのオヤジだ。
(まっ、まさかこれは…!) 
うっ、うっ、浮気ぃ〜?!
私の頭の中をその言葉が幾度となく回った。
…あのヤロー…母さんが死んでまだ十三年も経たないというのに…!
胸の中で怒りがどんどんと大きくなっていく。
「こうなったら、後をつけてやる。」
眉間にシワを寄せながら、ピクピクと痙攣する血管を押さえ後をつけた。
見てみれば、オヤジと女はかなり深い仲のようだ。とても楽しそうに会話をしている。
しばらくすると、女性の方がここでいいです、と言うかのように止まり、お辞儀をした。
オヤジもその三倍くらいのお辞儀をし、別れた。
女性は家へと入っていき、オヤジは家の方向へと帰っていく。
オヤジの後を追いながら、こっそり女性の家をチェックする。女性は結婚していた。
つまり…
「不倫かっ!」
最悪だ!
見損なった!
あのクソエロオヤジ!
帰ったら承知しないぞ…!
怒りに任せて郵便ポストを殴り、郵便ポストは見事に凹んだ。
怒りに任せて、ずんずん進んでいると目の前で女性が絡まれていた。
「たっ、助けて〜!」
「おじさんたち、無理はやめなよ。みっともないよ。」
私が公然と常識的な事を言うと、むこうは何がむかついたのか分からないが、突然いきり立って、か弱い乙女に向かって拳をむけてきた。

「お姉さん大丈夫?」
「あ、あの、ありがとう…。」
「どういたしまして。じゃあね。」
何故か呆然とするお姉さんを置いて、一人帰った。
お姉さんの後ろに寝転がっている連中も、これでしばらく悪さは出来ないだろう。
しばらくは、立てないぐらいボコボコにしてやったから。
こちとら機嫌が悪いんだ。

家に帰ると、いつもの調子でオヤジが抱き着こうとする。
「初音、お帰りーっ!」
その顔に思い切り拳をめり込ませてそれを阻止した。
「どうしたの?今日は一段と機嫌が悪いねぇ。」
「うるさい。クソオヤジ。」
うっ、と唸ったかと思うと素早く母さんの仏壇の前に行き、手を合わす。
「聞いて下さい、美代さん。反抗期はどんどん酷くなるばかりですよ…。昔は、私のコトもパパと呼んでくれたのに、最近じゃあ、クソオヤジ呼ばわりです。」
「いい加減にしろっ!大の男がメソメソすんなっ!」
そんな、というとオヤジは、真剣な顔になった。
嫌な予感がした。こういう顔をするとき、オヤジは絶対何か説教をする気だ。
「初音は、女の子なんですからケンカは駄目ですよ。」
「なっ、ケンカなんかしてない!」
「嘘おっしゃい。じゃあ、なんでこんなところにケガを?」
見てみれば、手にケガをしていた。とんだヘマをやらかしてしまった。
「こっ、これは、ただ…」
「ただ?」
「なっ、何でもないよ!」
「とにかく、体は大切にしなきゃ駄目です。美代さんから貰った、大切な体でしょう?」
まったく、とため息をつかれ、どこかでプチ、と何かが切れた。
「なんだよ、そんな風に母さんが大切だったみたいに言ってさ!結局、母さんの事なんかもう忘れちまったんだろ!」
「何を…」
「言い訳なんかさせないぜ。見てたんだからな!オヤジが他の女と歩いてるところ!本当によく言ったもんだよ!美代さんの大切な子ですから、とか、美代さんのこと、愛してただとか、全部、全部、戯言だっ!結局、母さんの事、忘れてるんじゃないかっ!」
「忘れてなんか…」
「嘘つくなっ!じゃあ、あの女の人はなんだよ!もう、次の人か!いつか、あれが新しいお母さんだよって紹介するつもりなんだろっ!あの人もあの人だよ。夫がいるにも関わらず、浮気するなんて!最悪な女…」
バシ、と頬を叩く痛い音が静まり返った部屋に響いた。
「イタ…。」
「パパのことならいい。だが、他の人のことを、簡単にそんな風に言うもんじゃないよ。」
「なっ、なっ…」
言葉にならなかった。
頭の中を渦巻いているのは、悔しさと、胸を覆うもやもやと、理不尽さに対するムカツキと、殴られた頬からの痛みばかりだ。
「なっ、なんだよ!やっぱり、あの女の人の方が大切なんじゃないかーっ!!」
思い切り叫んで、窓から逃走した。
「あっ、こらっ、初音!靴をはきなさい!靴を!それに、窓から出ちゃいかんと…初音、初音―っ!」
遠くで叫んでいるオヤジの声が聞こえた。
悔しくて、涙すら出やしない。
道路を睨みながら裸足で歩いた。
ドン、と誰かにぶつかった。
「あ、ごめんなさ…」と顔を上げると、昼間のお姉さんだった。
「あ、今日はありがとう。」
「いえ…。」
「あら、裸足じゃない。どうしたの?」
「何でも…オヤジとケンカして。」
「ケンカかぁ。私も、ケンカすれば良かったのかなぁ。」
「え?」
突然のお姉さんの告白に驚きながらも、すぐ近くにある公園で話を聞くことにした。
「私ね、好きな人と結婚したの。もう、三年ぐらい前かしら?その人のことがとても好きで、ずっと一緒にいたかったから結婚したの。だけど、一年ぐらい前からその人、浮気してるの…。」
耐えきれなくなったように、お姉さんは静かに泣き出した。
「私、何も言えなかったの…。浮気をしていても、夫の様子は変わらなかったから、嘘だって信じたくて…。」
「お姉さん、そんな男を信じたって、痛い目見るだけだよ。今回は、お姉さんの見る目がなかったって事で別れたら?」
 私は、お姉さんの肩を叩きながら、励ますように言った。お姉さんは苦笑している。
「でも、怖いの。それを言い出すのが。浮気をしてるって分かってるけど、夫が変わらないなら、それでいいのかもしれないって思って…。」
「何言ってんだよ。じゃあ、何でお姉さんは泣いてるのさ。それは、辛いからだろ。そんな事にも気づかないでどうするんだ。辛くて出る涙なんて駄目だよ。だから、そんな自分を不幸にするような男とはもう別れちゃえ。もしくは、勝手に旅にでも出て、そいつの事忘れちゃえ!」
それ別れろ、さぁ別れろと言わんばかりの口調に、お姉さんは思わず笑った。
「どうしてかしら。あなた、今日会ったばかりなのに、こんな事話しちゃうなんて。」
「さぁ。とりあえず、駅にいるとよく声かけられるタイプだけど?」
道を聞くためにであり、ナンパではないのがミソ。
「あぁ、分かったわ。あなた、私の幼馴染に似ている。とても。」
え?
そう思った瞬間、遠くからオヤジの声が聞こえた。
「おーい!初音〜!」
 慌てて、オヤジのバカでかい声にセーブをかけるべく怒鳴る。
「オヤジ!ご近所迷惑だろ!夜中に大きな声は控えろ!」
「初音に言われたくないような気もするが…」
うるさいっ!と怒ってお姉さんを振り返ると、お姉さんは驚いたように目を見開いている。
「小野田くん。もしかして、この子…!」
「あっ、川田さん。どうしてここに…。」
何?!この二人、知り合い?!
「いや、娘がお世話に…」
「ちょっと違う気がするぞ。」
 冷静になるようツッコミを入れた。
「小野田くんの娘さんだったのね、どうりで似てると思った。初音ちゃんって言うのね。」
「どうも。」
「あっ、あの、娘が何か…?」
少しオヤジは焦っているように見えた。このお姉さんに、何か私が文句でも言いにいったんだと思っているに違いない。
つまり、このお姉さんがオヤジと昼間に会っていた人だったんだ。
「いえ、小野田くんによく似てるわ。正義感が強くて、真っ直ぐなところ。
―――いい子ね。」
「いやぁ、そんな事ない…いてっ!」
否定しようとしたオヤジのすねを素早く蹴った。
それを見てお姉さんはクスクスと笑い、私と目線を会わせられるようにしゃがんだ。
「初音ちゃん、今日はありがとう。初音ちゅんのおかげで、私、勇気出た。小野田くんは、相談に乗ってくれても、明確な答えは決して教えてくれなかったから。」
「別れるの?」
こら、とオヤジが怒鳴ったが、知らん振りだ。
「ううん。旅にでる。旅に出て、もう一度自分が、あの人と、これからどうしたいのか、きちんと考えてみる。それぐらいの預金はあるわ。」
「いいじゃん。頑張りなよ。」
「ありがとう。」
「小野田くん、心配かけてごめんね。それじゃあ、今日はもう遅いから。」
「あ、うん。」
お姉さんは走り去っていってしまった。
残されたのは親一人子一人。
ケンカしたばかりの気まずい沈黙が流れた。
「ブランコでも乗ろうか。」
無言で頷いた。

 ブランコに乗ると、オヤジは勢いよく漕ぎ出した。
これにはコツがあるんですよー!などといいながら、勢い良く漕ぎだす。
それを横目で見ながら、ため息まじりに口を開いた。
「どうして否定しなかったんだよ。」
「え?」
「どうして、不倫じゃないって否定しなかったんだっ!」
「そりゃあ、初音がそんな暇与えてくれなかったからですよ。」
「うっ…そりゃあ、そうだけど…」
またしても、沈黙。
かなり、気まずい。
「初音、ありがとう。」
「へ?」
何の事?と聞き返すと、オヤジは少し照れくさそうに笑った。
「川田さんの事ですよ。私は、ああいった事を相談されると、無難な事しか言えないんです。でも、初音の他人に全くといっていいほど配慮しないモノの言い方が、効を制したようです。」
「それって、褒めてんの?バカにしてんの?」
もちろん、褒めてますよ、ハッハッハ!とオヤジは笑う。
「別に、オヤジに…」
ありがとうって言われるような事も、褒められるような事も、何もしてない。
さっきまでの自分の勝手な思いこみが恥ずかしくなってきた。
「言いたい事、あるんじゃないのか。」
「言いたい事?ありますよ、そりゃもー、山のようにっ!」
「なら、言えよっ!」
「じゃあ、言います。」
私はゴクッ、と唾を飲み込んだ。
「ちゃんと学校へ行って、ケンカしないで帰ってきなさい。そして、明日はパパとデートに行こう!」
「…へ?」
何だ、それは?
「明日は土曜日でしょ?土曜日といったら、デート!約束しましたからね!パパを置いてどっかに行ったりしたら泣きますからねっ!」
「…お、怒らないの?」
「怒って欲しいんですか?」
「い、いや、できれば避けたい。」
「なら、帰りましょう。」
オヤジは先にブランコから下りると、ニヤリと笑いながら叫んだ。
「家に先に帰った方が、こっそり昨日のうちに買っておいたアイスクリーム独占権ありーっ!」
叫ぶやいなや、猛ダッシュ。
「ちょっ、卑怯な!フライングーっ!」
と叫びながら私も追いかけた。

走りながら、オヤジの背を見て思う。
なんだかんだ言っても、やはりオヤジはオヤジで、私よりも数倍大人なんだと思った。
きちんと相手を思いやれる。
感情に任せて相手を傷付けるなんて事もない。

オヤジに酷いことを言った。
にも関わらず、オヤジは私にありがとう、と言う。
だけど、私は今だに謝れもしない。
こんな自分が嫌いだった。

もっと、優しい人になりたい。

早く、大きくなりたい。
大人になって、早くオヤジを安心させたい。

心の底から、そう願った。



――――――――――――――――――――――
次の日、驚くほどの快晴。
私はオヤジとデートに行くことになった。
「おぉ!初音!今日はちゃんと起きてきてくれましたね!さ、パパの愛情たっぷりのご飯を食べなさい!」
無言で席に着き、朝ご飯を食べる。
「美味しいですか?」
「美味しい。」
オヤジはハラショー!と叫ぶや否や、お母さんの仏壇の前で手を合わせる。
「よかったです。どうやら初音は反抗期を脱したようです!これで、美代さんにも顔向けできますー!」
「気持ち悪いこと言ってないで、さっさとご飯食べなよ!今日は出かけるんでしょ!」
「でも、口の悪さはまだまだのようです…。」
「何か言った?」
「何も。今行きまーすっ!」
いつものもましてハイテンションのオヤジに頭が少しいたんだ。
ご飯を食べ終わると、オヤジと一緒に家事を一通り終わらせ、車に乗りこんだ。
「で、どこに行くのさ?」
「着いてのお楽しみ〜!」
ルンルンと車を走らせ、車は走る。窓から入る風が気持ち良かった。
「着きましたよ〜!」
目の前に広がったのは、どこかの有名なレジャースポットでもなく、美味しいと評判のレストランでもなく、巨大な百貨店でもなく、ただの廃れたお寺だった。
「ずっとここに来たかったんでしょう?」
驚いて、オヤジの顔を見る。
どうして分かったんだ、と思わず口にしてしまいそうだった。
「美代さんの命日を忘れるわけがないでしょう。」
微笑みながら、どこで買ってきたのか、綺麗な菊の花を取り出した。
水で墓の汚れを落としながら、オヤジは言葉を続ける。
「でも、ドキッとしましたよ。この間、美代さんのことを言われた時。」
ドクッ、と鼓動が早くなるのを感じた。
「確かに、少しずつ美代さんが薄れていっていました。面影も、写真を見なければぼんやりとしか思い出せなくなったし、懐かしい思い出も、もうあまり思い出せない。よく考えてみれば、美代さんが死んでから、もう十三年も経ったんですね…。」
「…もっ、“も”じゃない。“たった”十三年だ。」
鼓動が早くなっていく。
オヤジは何を言おうとしているのだろう。
「違いますよ。十三年“も”経ったんです。美代さんか死んで、あなたが生まれてから。」
 
心臓が止まった。
さっきまでそよそよと流れていた風も止まった。
風に揺られ擦れあう草の音も止まった。
景色が、音が、心臓が、どんどん止まっていく。
その中で、ただ一人、オヤジだけが喋りつづける。


「本当に…大きくなった――――――。」


止まった心臓が動き出す。

「あなたは、本当に大きくなった。美代さんが死んでしまって、本当にどうなる事かとは思いましたが、実に立派に、大きく、いい子に育ってくれた。これも、一重に美代さんのおかげですかねぇ。」

違う、と言おうとしたが声は出ない。
ようやく、風が戻ってきた。

「美代さんのことを忘れてしまうのは、確かに寂しい事です。ですが、人は過去ばかりを振りかえっていては、先に進めない。だけど、あなたは美代さんの思い出と一緒に生きている。なんたって、美代さんの忘れ形見なんですから。」

胸が潰されるように痛い。
草の音が戻ってきた。

「あなたが生きて成長していく事は、美代さんが生きていくことと等しいのです。だから、美代さんを少しずつ忘れていってしまう私を許して欲しい。その代わり、あなた…いや、初音の事を沢山、一つも忘れないように覚えていきたい。それで、おあいこにしてくれませんか…?」
 

――――涙が、止まらなかった。

頬をつたっては、一つずつこぼれ落ちる涙が、私を溶かすように小さくしていく。
何かを言いたいけれど、言葉は出ず、口からは息を吐くばかり。
頬を伝う涙を強引に腕で拭って、オヤジに言いたいことを伝えようとしても、オヤジの顔を見るだけで、涙はまた溢れては頬を伝って落ちていく。
 
どうして。
どうして、こんな事を言うのだろう。
どうして、こんなにも優しいのだろう。
本当に、私のパパなの?
こんなに、ありがとうも、ごめんなさいも言えないのに。
言いたい事を、十分の一も伝えられない子なのに。
それなのに、パパはどうして私に、十二分も与えてくれるの?
胸が苦しかった。
優しさが、胸の中いっぱいに詰まって苦しかった。
 
「おやおや、急に泣出して。まだまだ子供だねぇ。最近は泣かなくなったと思ったら…なんだか、小さい頃を思い出すね。あの頃は、まだ私をパパと呼んでくれていたね。」
 

“パパー!あのねぇ、すごいの!すごくおおきなイヌしゃんをみたよ!”
“本当かい?それはスゴイ!パパも見たかったなぁ。”
“うん。パパもみて!あそこ!すごくかわいいでしょ!”
“あぁ、可愛いね。イヌさんが好きかい?”
“うん。すっごくすき!でもね…”
“うん?何だい?”

 “パパのほうがもーっとだいすき!”
 “―――パパも、世界で一番、お前の事を愛しているよ。”



大人になりたい。
大人になって、もっと優しい人になりたい。
大人になって、もっとパパを安心させたい。
大人になって、もっとしゃんと背をはってパパを見られるようになりたい。


子供に戻りたい。
子供に戻って、もっとパパに言いたい事を言いたい。
子供に戻って、素直な気持ちを伝えたい。
子供に戻って、パパの胸で思いきり泣きたい。


オヤジが、いつもするように優しく抱きしめてくれた。
涙が止まらない状態で、思い切り泣け、といいたかったんだと思った。
「離してよっ!もう、子供じゃないんだからっ!。」
そう、私はもう子供じゃない。
「でも、大人でもないだろう?」
「そうだけど…。」
そして、大人でもない。
「さ、お母さんにお参りをしよう!涙を拭いて。」
「言われなくても拭くよっ!」
手を合わせて二人で母さんを想う。
 
子供にもなれない。
大人にもなれない。

今までもこれからも、私は私でしかないから。

「さぁ、お腹が減っただろう!何が食べたい?」
「オムライス!」
「まだまだ子供だなぁ。」
「子供じゃないっつーのっ!」



パパ。
いつかパパにきちんと言える日が来るだろうか。
あの日から、ずっと言えなかった言葉を。



“はつねも、パパのことがせかいでいちばんだいすきだよ!”



             Fin



―――――――――――――――――――


少し雑談になるかも知れないが、私の家に小さな絵葉書が送られてきた。

小野田様、と丁寧な文字で書かれた絵葉書の絵は、どこかの浜辺とよりそうようにたたずんでいる二人の写真だった。

二人の顔は、逆行で見えなかった。


だが、その二人の左手の薬指には、まだ銀の指輪が眩しく光っていた。


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2004-03-10 21:53:54公開 / 作者:冴渡
■この作品の著作権は冴渡さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
ちょっと長編疲れしたので、短編でも書いてみました。(長編はまだまだ続けますよ。)
十代、思春期の、子供にも戻れない、大人にもなれないそんな複雑な心境を描かせて頂きました。
ご感想、ご意見など、お待ちしております。
たとえどんな些細なことでも、とても貴重なお言葉なので、よろしくお願いします。

〜雑談について〜
これは本編に入れようと思ったのですが、入れられなかったので、雑談として入れさせていただきました。
この作品に対する感想 - 昇順
読ませて頂きました。とても感動しました。子供になりたい、大人になりたい。そんな誰もが思う心境をとても上手に小説に表せてるなァ〜ッと思いました。今まで私が見て来た小説の中で一番すごい作品だと思います……。これからも頑張って下さい!
2004-03-09 20:40:33【★★★★☆】シア
どうも初めまして、名も無き詩人と申します。なかなかテンポの良い作品でした。父と娘がお互いを見つめ合う。ちょっと感動しました。良い力作を見せて貰えました。さて、私はこの作品を読んでいて少し気になるところがありました。それは、父親のしゃべり方がとても柔らかく、まるで母親のようなしゃべり方をしている点です。もしかしたら、私だけが感じたのかも知れませんがそう言う風に感じました。最も、こういうお父さんもいても良いかも知れませんね。
2004-03-09 21:13:44【★★★★☆】名も無き詩人
すいません。こんなにいい作品を読んだのにこの気持ちをうまく表現することが出来ません・・・;; 本当に読んでて感動しました!こういうお話かける人かなり尊敬してたりします(笑) 今後も頑張ってくださいね♪
2004-03-09 21:17:10【★★★★☆】turugi
シアさん、名も無き詩人さん、turugiさん、感想ありがとうございます。とても嬉しいです。こんなに感想をいただけて、それだけでものすごく幸せです。この小説を読んで感動してくださるという事に、本当に感激しています。ちなみに、父が女っぽい口調なのは、娘(初音)が男らしい口調なのは自分の男口調のせいだと思い、丁寧な口調にしようと思ったからです。本当に、みなさんありがとうございました。
2004-03-10 20:43:01【☆☆☆☆☆】冴渡
読ませていただきました!自分的にお父さんが私を貫きました(^^)いいですね、あんな親父が欲しいです!柔らかいようで強い、そういうの好きなんですよ(^^)私は普段、冒険やファンタジー系しか読まないのですが、新たな分野が開かれそうです。全体的に、綺麗だな。っていうのが印象に残りました。次作品も期待しております!
2004-03-11 14:14:55【★★★★☆】ダイスケ
人物像が若干想像し難いところもありましたが、これはこれで一つの形ですね。楽しく読めました。オヤジが良いキャラだなぁとしみじみ感じます。ではでは
2004-03-11 18:36:40【★★★★☆】rathi
初めまして!読ませて頂きました〜!!うちの話とは確かに逆だったけど、どこか同じような気がしたのは気のせいでしょうか…?主人公の気持ちがとても伝わってきました!良かったです!初心者なので、どう表現したら分かりませんが…汗
2004-03-12 23:57:08【★★★★☆】花井ハルミチ
計:24点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。