『大志を抱く男の生き様(上)(中)(下)(結末)』作者:オレンジ / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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原稿用紙約25.32枚
  (上)


 ギター一本肩に担いで、勘当同然で家を出て上京したのが16歳の夏だった。俺はあれから一年、バイトで何とか食い繋ぎギターを弾き続けている。
 今では、駅前で定期的に路上ライブが出来るまでになった。ここまで来るのには数々の修羅場があった。
 だが俺の信念はそれを跳ね除けるのに十分なパワーがあったようだ。

 俺は必ずこの世を動かす男になってやる。
 一本のギターと歌声、これだけで俺はのしあがるんだ。

 この理不尽でフザけた時代に俺は歌い続ける。世界は俺を待っている。俺の歌は世界を一つにする力を持っているから。俺は中途半端に音楽を止める訳にはいかないのだ。

 この事を人に話すと、みな一様に「その根拠の無い自信はどこから来るんだ?」と言われる。だが心配御無用。俺にはちゃんとした根拠があるのだ。

 俺はいつも真実を歌っている。

 今、巷には偽善に満ちた歌が溢れている。上辺だけのかっこつけの恋愛観を歌ったり、独善的な平和主義をかざして無用に世間を混乱させたり、物事の本質に触れる事も無く音楽にのせて騒ぎ立ていらぬ差別を助長させたり。
 どいつもこいつもミュージシャン顔で害悪を撒き散らして、音楽の地位をどんどん貶めている。

 だが俺はそんな愚かな事はしない。
 一度聴いてみるといい、俺の歌を。そうすれば解る。真実が何なのか。

 もっともっと皆に俺の歌を聴いてもらうには、もっともっと頑張って名を売らなければならない。
 
 道程はまだまだ遠い。時々自分の中の信念だけでは心を支えきれなくなる。純粋すぎる俺にとってこの世の荒波はかなり厳しい。
 自分がおれてしまいそうになるそんなときでも、翔子が俺のパフォーマンスを見に来てくれると、それだけで腹の奥底にある「やる気」という燃料が再燃する。

 翔子は、俺が今の場所でライブをやり始めた当初からのオーディエンスで、週二回のパフォーマンスをほとんど欠かさず見に来てくれていた。
 この辺りでは結構有名な女子高の制服を着て、友達と二人でやって来た翔子は俺の前に座り、その大きな瞳で指先から顔の表情まで俺の全てを見つめていた。
 瞳に吸い込まれるとはこういう事なのだと俺は知った。翔子の瞳はこの世の全て、森羅万象を浸透させたとしてもまだ、底には達することが出来ないだろう、そう思わせるほど澄み切っていた。

 そして翔子は、俺の歌を聴いて涙を流した初めての人だった。俺がパフォーマンスをしている間、その大きな澄みきった瞳から流れる大粒の心の雫は途切れる事が無かった。

 正直な話、翔子がいたからこそ続けられた部分はかなり大きいと思う。
 バイトの店長から、音楽なんか止めて正社員にならないかと言われたが、もし翔子が居なかったらひょっとしたら話に乗ってしまっていたかも知れない。

 翔子とは、ライブが終わってからも良く話をした。彼女は、俺の身に着けているクロムハーツに興味をひいたらしく、事細かに訊ねてきて、次に会った時には、しっかりクロムハーツの指輪をしていたのだ。
 「ねえ、これ似合うかなあ。」
 俺に指輪を見せながら、満面の笑みを浮かべていた。その笑顔は、天使の微笑みだと表現しても決して間違いではない。

 翔子は小柄だが、足もスラリと長くスタイルの良い女の子だった。俺の田舎では絶対巡り会う事は無いタイプだ。
 一緒に来ている女の子が長身なので、更に小ささと可愛さが際立っていた。

 翔子は、時々差し入れを持ってきてくれる事もあった。翔子の手作りのおにぎりを駅前広場のベンチに座り三人で頬張ったあの夜は、季節外れの雪がちらほら舞う様な天気だったが、俺のハートが暖房の役目をしていたので、寒さは微塵も感じなかった。
 そう、いつまでもこの瞬間が続けばなあと願うばかりだった。

 そんなこんなで、俺の音楽生活は苦しいながらもそこそこ充実していた。
 そんなある日、ほんの数十秒だが俺のパフォーマンスの様子とインタビューがテレビに流れたのだ。
 ちょっと前に確かににテレビ局の人にインタビューを受けた。報道番組で、ストリートミュージシャンの特集枠を組んだとか言っていたが。まさか、自分が本当に映されるとは思ってもみなかった。

「Q.君にとって音楽とは何?」
「A.そうですね、自分が戦い抜くために持っている唯一の武器ですね。」
「Q.その耳のクロスのピアス、似合ってるね。」
「A.そうすか?これは自分の体の一部なんで……。」

 ほんの二つの会話と、3〜4秒歌が流れただけだったが、その次からオーディエンスが一気に増えていった。
 俺のパフォーマンスも益々盛り上がっていった。

 まさに、順風満帆だった。


  (中)

 
 梅雨の長雨や諸々の事情で、今日のライブは二週間ぶりだった。
 日の暮れた駅前広場には、俺を中心に人々の壁が弧を描いている。人だかりにさえぎられ、いつも見慣れていた風景はまったく見る事が出来ない。噴水も少年の銅像も意味のわからない歪んだオブジェも、俺のパフォーマンスを見に来た人々によって視界から消されてしまっている。

 ありがとう、今日も満員御礼だ。

 俺の指がギターの弦を弾く度に魂の叫びが空気に乗ってオーディエンスの脳を刺激する。
 さあみんな、今日も俺の魂とシンクロしてくれよ。

 駅前に起こった渦巻きは全てを飲み込んでゆく。渦の中心で俺は、それら全てと混ざり合う。今日も俺はこの世界と一つになった。

 音楽は世界を一つにする・・・その真実に俺もオーディエンスも酔いしれる。パフォーマンスが終わっても、余韻が俺達を包み込んでいる。
 今日もまた一歩目標に近づいたなあと感じる。

 俺のパフォーマンスも、オーディエンスのノリも申し分ないものだったが、ただ一つ気になる事があった。
 翔子の姿が見当たらなかったのだ。
 高校は今テストの時期だし、勉強に力を入れているのかな。そうだよきっと。ただ、もう二週間以上会っていなかったので、今日会えるのを楽しみにしていた事は事実だ。

 携帯電話でも持っていれば、連絡の取り方もある。しかし、金の無い俺にはとてもじゃないが持てる代物ではなかった。

 ライブの後片付けをしていても、翔子の姿を探してキョロキョロしてしまう。
 すると、俺の目の前に、スーツ姿のゴツイ男が立ちはだかった。残念だが翔子ではなかった。
 派手な柄のシャツと金色に光る腕時計がやけに目に付いた。
 30歳代後半から40歳代くらいと思われるその男は、野太い声で俺に話し掛けてきた。
 「ああ君、ちょっといいかな。」
 同時に男は、名刺を差し出した。

 「クラブ・ジャッジメント」〜オーナー〜 柚木拓馬(ゆずき たくま)

 「君のライブ見せてもらったよ。いやあ、響いたね、ハートに!久しぶりだよ君みたいな熱い瞳の人間に出会ったのは。」
 
 クラブ・ジャッジメントと言えばこの辺ではかなり有名なライブハウスだ。今活躍している大物アーティストも、このライブハウス出身者が多いらしい。
 その為客の眼も耳も非常に肥えていて、半端な音を出そうものならパフォーマンス中だろうが瞬殺である。もう二度とステージに立つことが出来なくなるという。逆に言えば、ここで認められればそれは、将来を約束された様なものなのだ。
 
 「どうだろう。うちでライブをやってみないか?まあ、予定が詰まってるんでやれるのは三ヶ月ほど先になるんだがね。」
 「え、いや、ありがたい話なんですけど、俺ライブハウスでやれるような金持ってないし。」
 「いやなに、最初の一回はうちが全部面倒見るよ。まあ、前座としてだけどね最初は皆そうだから。これが成功すれば、次回からはもう金の心配は無くなるさ。」
 「いいんすか?本当にこの俺が……。」
 「やる気があれば、明日午後五時にうちの店に来るといい。悪くない話だと思うけどね。」
 そう言って俺の肩をポンと叩くと、彼は去っていった。

 次の日、俺は言われた通り、午後五時にクラブ・ジャッジメントの扉を叩いた。
 昨夜は突然舞い込んだ大チャンスに有頂天になっていたが、夜が明けて冷静になってみると、とても信じ難い話だ。そんなオイシイ話がこの世にある訳がない。
 
そんな思いで店に入ると、オーナーの柚木さんは白く輝く歯を見せながら、満面の笑みで俺を迎えてくれた。
 隅のほうにあるソファーに向かい合って座り、俺は柚木さんといろいろな事を話した。時間にして一時間程だったと思うのだが、俺は確信した。この人は本物だと。
 柚木さんの音楽に対する姿勢に、俺はただただ感心するばかりだった。彼の思想は俺の遥か上をいっている。

 柚木さんは俺がステージに上がる事において、さしあたっての課題を二つ提示してきた。
 一つ目は、携帯電話を持つこと。これから連絡を取り合うのに電話の一つも無いのは不便で仕方ないとの事だ。
 二つ目は、三ヵ月後のステージで発表出来る新曲を作り上げること。

 半信半疑だった話がどんどん具体化している実感がする。この急転直下の展開に俺の脳髄はアドレナリンの出口が緩みっぱなしになっていた。

 柚木さんと別れ、店を出るとすぐ俺は携帯電話を買いに行った。まあ、新規加入者0円の者を選んだのだが。

 次に俺はバイト先に向かった。三ヶ月間の休暇をもらう為だ。
 この三ヶ月は作品作りに集中しなければならないし、練習も今まで以上に時間を取る必要がある。
 だが、うちのバイト先は、全国チェーンの居酒屋で就労条件に関しては結構厳しかった。例えアルバイトでも、三ヶ月もの長期休暇は許してもらえなかったのだ。

 仕方なく俺はバイトを辞めることにした。まあ、バイトをしなくても三ヶ月くらいは生活できる蓄えはあるし、ライブのおひねりも最近は増えてきているし。何とかなるだろう。
 うちの店長は気の良い人で、いつでも帰ってきていいぞと言って送り出してくれた。
 すごく嬉しい言葉だが、店長、俺は三ヵ月後にはバイトなんかしなくても生活出来るようになってる予定だからさ、そこのところ、よろしくな。ただ、今までお世話になりました。ありがとうございました。

 そして、次の路上ライブで翔子に会ったら、この事を伝えなければ。きっと翔子は喜んでくれるだろう。
 携帯電話も持ったし、これで一気に距離も縮まって……。
 よおし、翔子の為にも俺は頑張るぞ!

 しかし、今回のライブにも翔子は姿を見せなかった。


   (下)


 とてもヤバイ事になっている。何をしていても翔子の事が気になってしまい、何も手に付かないのだ。
 もうかれこれ一ヶ月くらい会っていない。一体何処で何をしているんだろう。
 新曲を捻り出そうとしても、頭の中に出てくるのは翔子のあの天使の微笑みだけだ。
 本当に俺はどうすればいいんだろう。何も手に付かない。こんな事は初めてだ。翔子に会えない時間が俺をこんなにさせてしまうとは。

 携帯電話が鳴り響く。柚木さんからだ。また新曲の催促だろう。後からかけなおすとしよう。とりあえず、ごめんなさい。まだ何も出来てません。
 路上ライブも徐々にオーディエンスが減っている。最近では人々の壁の隙間から、少年の銅像が顔を覗かせるようになってしまった。
 今日もそろそろライブに行かなければ。当日ドタキャンしてしまうともう二度とその枠でパフォーマンスは出来ない、それが暗黙のルールになっている。自分の音楽を発表する場のない若手(?)達が虎視眈々と場所を狙っているのだ。

 今日は翔子に会えるかな。あの笑顔さえ見えたら、全てがうまく行く様な気がする。
 しかし、俺の願いは叶わなかった。今日も翔子の姿は無い。それどころか、オーディエンスも最盛期の半分くらいしかいなかった。噴水も、オブジェも、少年の銅像も、今日は良く見える。駅前広場はこんなに広かったんだ。

 ああ、指が動かない、声が出ない、ボロボロだ……。パフォーマンスの最中でも探してしまう、翔子の姿を……。どこかにこっそり隠れて俺を驚かそうとしているのではないか?ライブを終え、後片付けをしている俺の目の前に跳ねるようにして現れて「ごめんね、なかなか来れなくて、寂しかった?」なんていってくるのだろう。無邪気な笑顔というプレゼント付きで。
 しかし、翔子は遂に姿を見せなかった。

 失意のまま帰路に着いた俺に、更に追い討ちをかけるようにあの人が厳しい表情で現れた。隠れて今日のライブを見ていたのは、翔子ではなく、柚木さんだったらしい。
 「なあ、どうしたんだよ君。全然なってないじゃないか。あのテレビに映った時の様なキレのあるパフォーマンスを期待しているのだが。今のままじゃうちの店でステージには上がれないよ」
 「はあ、スイマセン。あの、がんばります、俺頑張りますんで……」
 「うんうん、解ってる解ってる。私は本当に君に期待してるんだからね。頼むよ。あ、それから新しい曲は出来たかな?」
 「スイマセン、もうちょっと待ってくれませんか……」
 「早くしないともう間に合わないよ。一週間――あと一週間だけ待つよ。それ過ぎたらこの話は白紙だからね。頼むよ」
 そう言って柚木さんは、近くに停めてあった紺色のベンツに乗り込み、去っていった。
 一週間――たった一週間で曲を完成させろと。まったく何も出来ていないのに、一体どうしろとゆうんだ。しかし、これをやらなければクラブ・ジャッジメントのステージには上がれないのだ。何が何でもやるしかない。

 それから俺は、ろくに外出もせずに曲作りに明け暮れた。
 あまり日の当たらない、湿度の高い六畳ちょっと切るくらいの部屋にカンヅメになり、俺は五線譜と格闘している。しかし、頭には音符よりも先に翔子の顔が浮かんでくるのだ。これでは先に進まない。やはり気分転換も必要かもしれない。
 
 バイトに復帰しようかな、気分転換に。いや、正直言うと、ちょっと生活費が厳しいのだ。携帯電話の料金が思った以上に負担となっていた。まあ、計画とは多少ズレが生じるものだし、そんなときは臨機応変に対処しなければ。
 俺は早速、店長の下にバイトの復帰をお願いにあがった。しかし、
 
 「悪いね。今はもうバイトは間に合ってるんだよね。折角来てくれたんだが今は雇えないなあ」
 そんなバカな!いつでも帰って来いって言ったじゃないか。あの言葉は―。
 「あの時とは状況が変わったんだよ。新しい子が入ってね。君の仕事が無いのに来てもらう分けにはいかないだろう」
 何度も何度も頭を下げ頼み込んだが、店長は取り合ってくれなかった。商売とはそんなものなのだろう。世知辛い世の中というか、何と言うか……。

 こうなったら何としてでも良い曲を作って、ステージを成功させないといけない。いまさら新しいバイトを探す気にもなれないし、うじうじ考えている場合じゃない。

 俺は死に物狂いで曲作りに励み、やっとのことで新曲を2曲完成させた。まさに俺の想いが全てこもった渾身の作品だ。
 早く柚木さんにお披露目しなければ。俺はクラブ・ジャッジメントへ向かった。
 柚木さん聴いてくれ、俺の真実を!感じてくれ、俺の魂を!

 「……これが君の出した答えか……。残念だが今回の話は無かった事にしてくれ」
 耳を疑う言葉が柚木さんから返ってきた。
 「どうしちゃたのかな。テレビで初めて君を見た時は、すごいひらめきを感じたんだが、私の眼力も落ちてきたのかなあ。まあ、仕方ない。今のまま君がこのステージに上がっても、自分で墓穴を掘るだけだ。このまま音楽を続けるかどうかは君次第だが、それがもう一度このステージに繋がるかどうかは別の話だから。いやあ、本当に残念だが、今日のところは帰ってくれ。私も用事があるんでもう行くよ。じゃ、まあ頑張って」

 柚木さんは、俺がわめこうがすがり付こうが、まるで相手をしてくれなかった。叫び続ける俺に一瞥をくれて柚木さんは姿を消してしまった。
 
 残された俺は、真っ暗なステージをただ見つめるしかなかった。

   
   (結末)


 あれから三日、俺は一歩も外に出ず、何もしないまま過ごした。朝も夜も肌で感じる事無く、食事もほとんど摂っていない。ギターもあれから一度も触っていない。三日もギターを触らないなんて俺にとっては信じられない事だった。

 そういえば今日は路上ライブの日だ。ああ、行きたくない。本当に何もやる気が出ないのだ。
 だが、今日もしライブをやらなければ、折角手に入れたあの場所を手放す事になる。それだけは免れなければならない。
 今はこんな不甲斐ない俺でも、音楽を続けていればいつかは……。
 俺はいつもと同じ時間に、三日ぶりに外へ出かけた。

 薄暮時の駅前広場は風も生ぬるく、湿気の壁は皮膚の表面に汗を増殖させていく。
 べたつくシャツと蝉の声を気にしながら、俺はパフォーマンスの準備に入る。そうか、もう蝉の鳴く季節になっていたんだなあ。
 今日のオーディエンスは三人か。寂しくなったもんだ。しかし、ここで始めた時は一人もいなかったのだから、それを思えばかなりマシではないか。

 こうやって、何があろうと音楽を続けていればまたいつかチャンスはやって来るだろう。そう信じることが、俺に精一杯の勇気を与えてくれる。

 よし、今日も頑張るか。気合を入れて、自筆のスコアの前に立つ。オーディエンスに挨拶をして弦を押さえようとしたその時、視界の片隅に見覚えのある制服が入った。
 
 あの制服は――。
 翔子……!!

 いや、そこに佇む女の子は、彩美(あやみ)といういつも翔子と一緒にいた友達だ。
 俺は咄嗟にギターを置き、彼女の元へ駆け寄った。彩美はちょっと驚いた顔をしていたが、やがて僅かに微笑をうかべ、軽く頭を傾け挨拶をした。
 「ひ、ひさしぶり。翔子は、今日は翔子は一緒じゃないの?」

 三人で他愛のない話をしていた、あの楽しかった時間が蘇る。翔子たちと交わした会話が、一字一句違えず頭に浮かび上がってくるようだ。
 しかし、彩美の方といえば、どうもばつの悪そうな顔をしている。そしてやっとの事で一言発した様だ。

 「翔子は……あの子はもうここには来ません。もう、あなたには逢いたくないみたい……」

 ――は?

 立て続けにいろんな事があって、今更何を言われようが驚くことなどあるまい、と思っていたのだが、この言葉は流石に……。
 今の壊れかけの俺のハートでは受け止めることは出来ない。もし受け止めたのならば、きっと俺のハートは砕け散るだろう。

 だから俺は、彩美に何度も何度も翔子に逢わせてくれるように頼んだ。彼女しか翔子との接点は無いのだ。彼女の言うことが本当かどうかも含めて、真実を知るのは今しかない。

 「わかりました。じゃあ翔子に逢ってみます?真実をその眼で確かめてみます?今なら翔子に逢わせてあげられます。今じゃなきゃ駄目なんです。ライブを中止して、今すぐ一緒に来てくれるなら……」
 「今から?今からじゃなきゃ駄目なのか?」
 「そう、今からです。理由は聞かないで下さい。また今度はありませんので…」

 どんな理由があるのか知らないが、今からとは――。
 彩美の瞳を見ても冗談で言ってるとはとても思えない。今、彼女に付いていけば翔子に逢える、真実が解るのだ。しかし、今ライブを取り止めてこの場所を離れることは……。
 究極の選択か―。

 そんなの翔子に逢いに行くに決まってるじゃないか。
 翔子がいたからこそ、あの頃の俺は輝いていたのだ。今のこのあやふやな心のままでは俺は全てダメになってしまう気がする。
 俺には翔子が必要なんだ。

 三人のオーディエンスも既に何処かへ消えていた。俺はギターを仕舞い込み、彩美と夜の駅前広場を後にした。噴水が、オブジェが、少年の銅像が俺を見送る。大丈夫、俺は必ずここに戻ってくるから。

 彩美はどんどん街の中へと向かって行く。大人しくて控えめな印象だった彼女だが、今日はある意味頼もしく見える。

 「あの子は、翔子はとても真っ直ぐで自分に嘘がつけない性格なんです。自分の信念のまま思う様に生きている、私とは正反対の子なんです。私は、そんな翔子がうらやましくて、憧れて……」
 彩美は、道すがら、頼まれもしないのに翔子の事をいろいろ話した。出会いの事やら、高校生活の事など。

 「さあ、もうすぐ着きますよ。心の準備は良いですか?」
 心の準備とはちょっと大袈裟な気もするが、いよいよ翔子に逢える。
 
 おや?気付けばここは、俺のよく知っている場所ではないか。そう、この角を曲がると、そこはあの思い出したくない場所「クラブ・ジャッジメント」がある路地だ。
 「じゃ、ここで待ちましょう」
 俺達は道路を挟んだ向かい側、路地の角、丁度クラブ・ジャッジメントのエントランスから死角になる場所に潜んだ。

 しばらくすると、男がやって来た。見覚えのある顔だ。忘れる筈も無い、オーナー柚木拓馬その人だ。今日も金色に輝く腕時計とネックレスが眩しい。派手な女が彼の腕に絡んでいた。
 まあ、柚木さんは渋いし男前だからな。女の二人や三人はいるんだろうな。金持ってるし。
 ん、あの女?いや、まさか。しかし…俺があの瞳を見間違える筈が無い。あの天使の微笑みは。……あれは俺の為のものではなかったのか!

 あれは間違いない。翔子だ!

 まさか、翔子と柚木さんは親子?それとも親戚?歳の離れた兄妹とか。いや、考えたくはないが、あの二人は「ただならぬ関係」にあるようだ。他人がみてもそう思うだろう。

 「見ました?あれが今の翔子なの。あの子は自分に嘘がつけないの。だからしょっちゅう彼氏が換わってて。でも、毎回その恋に一所懸命で、だから私達は何も言えないんです。あなたのライブに行っていた頃も、本当に一所懸命だったんですよ。でも……」

 俺は情けない程に一歩も動けず、ただ二人が店のドアをくぐって行くのを見つめる事しか出来なかった。

 彩美の話によると、やはり二人は俺の考える「ただならぬ関係」のようだ。
 柚木さんと出会ったのは俺が二週間ほどライブを休んでいた時で、テレビを見た柚木さんが俺を探しに公園に来た時にたまたま出会ったらしい。
 次の日から翔子は、柚木さんと逢うようになったのだという。
 俺の知らない所でこんな事になっていたとは。
 翔子は…あの時の翔子はもういない。
 
 俺は放心して膝を付いた。
 「情けない。俺は何も気付かずに一人で踊っていたわけか……。そして一人で勝手に舞台から足を踏み外して。―何も気付かずに―」
 
 彩美の声が聞こえた。
 
 そう、あなたは何も気付いていない。この私の気持ちも。
 気付いてないですよね。
 私、翔子が行かなくなってからもずっと、一人であなたのライブを観に来てたんですよ。

 俺は、彼女の言葉を理解した。そして膝をついたままの姿勢で彼女を見上げた。
 彼女の顔には一筋の涙の軌跡が見えた。

 「でも、もういいんです。もう会う事もないでしょうから」

 彩美は、手に持った通学カバンから何かを取り外し、俺の方へ投げ捨てた。
 これは、クロムハーツの指輪だ。俺のでも、翔子の物でもない。彼女も持っていたのか。これは、きっと彼女のリスペクトの証だ……。

 「今日はきっとライブを選んでくれると思っていたのに。そしたら、私も勇気を出して……。いや、もういいんです。さようなら」

 彩美はくるりときびすを返し、俺から去っていった。
 彼女の髪の毛から優しい香りがふわりと漂った。
 
 俺は、小さくなっていく彼女の後姿を見ながら思った。

 一体俺は何をしているんだろう

 真実って何だ?

 
                  完






 
2004-04-30 21:05:34公開 / 作者:オレンジ
■この作品の著作権はオレンジさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
すんません。ずいぶん前に書いたものですけど、こいつのサイドストーリーみたいなのを書いたので、一回だけアップさせてもらいます。
 これを読んでから、「オーナーの使命」ってのを読んでいただくと、少しは感じ方が違うかなと思いますんで。
この作品に対する感想 - 昇順
風さん、お気遣いありがとう御座います!やっと、消える前の所まで来ました。もうちっと頑張ります。
2004-03-08 00:41:33【☆☆☆☆☆】オレンジ
消えてしまったのですか?それは大変でしたね。でもすごくおもしろかったです。翔子はなぜ来なくなったんでしょう…?とても続きが気になります。頑張って下さい!あ、あと誤字らしきものを見つけましたのでご報告を。(中)の最後のほう、『そした、次の路上ライブで〜』の『そした』は誤字ではありませんか?違いましたらすみません。続き、楽しみにしています。
2004-03-08 15:01:54【★★★★☆】林 竹子
投稿・追記する際は自分のパソコン内にtxt、プレーンテキスト形式で保存しておくのが常識です。区切りもなく、少し追記して投稿を繰り返すのは他の利用者に嫌がられると考えられる。自分にパソコン内に保存し、テキストエディタ・メモ帳で書き、限のいいところまで書いたら追記する、というのをおすすめします。
2004-03-08 16:21:12【☆☆☆☆☆】紅堂幹人
林さん、感想ありがとうございます。やる気が出ます。がんばりますね。管理人さま、ありがとうございます。メモ帳ですか、全然気が付きませんでした。それの方が絶対間違いは起きないですよね。今度からそうさせていただきます。
2004-03-09 01:16:24【☆☆☆☆☆】オレンジ
消えてしまったとは、本当に大変でしたね。順風満帆の彼に、これからどんな衝撃的な事がおきるのか、とても楽しみです。続きが気になります。これからも、頑張って下さい。
2004-03-09 13:34:06【★★★★☆】冴渡
主人公の気持ちが伝わってきてなんだか応援してあげたくなりました。翔子はどうしたんでしょうか?続きを楽しみにしています。  あと、これは私の小説でどなたかが教えてくださったんですが、基本的に会話文の「」の最後の 。 はいらないそうです。うけうりですみません。
2004-03-10 09:59:04【★★★★☆】白雪苺
自分もギターやってますので(あまりうまくないけど)とても面白く読めました。この翔子が何故来てないのか気になりますね。次回も頑張ってください!
2004-03-10 20:25:06【★★★★☆】フィッシュ
読ませてもらいました。どうしようもなくなっていく主人公の気分がよく分かりますね。ただ、翔子に関して少しぐらい伏線があってもよかったかなぁ〜と思ってます。最後がどうなるかによってまた見方が違ってくるのかもしれませんけれど。ではでは
2004-03-12 03:48:36【★★★★☆】rathi
翔子がいなくてここまでできないというのは、主人公にとって翔子はとても大切な人だったんですね。次回も楽しみにしてます
2004-03-12 18:47:17【★★★★☆】フィッシュ
冴渡さん、白雪苺さん、フィッシュさん、rathiさん、感想ありがとうございます。こんな拙い物を読んでいただいて感謝しています。最初は(上)(下)で終わる予定だったのに、いつの間にかこんな長くなってしまいました。内容詰め込みすぎて、まとまりない文章が多くなってしまいました。あと1回更新します。それで完結の予定です。よろしくお願いします。
2004-03-12 21:34:50【☆☆☆☆☆】オレンジ
翔子はなぜ来ないのでしょうか。どんどんダメになっていく主人公がせつないです。最後まで頑張ってください!
2004-03-12 23:10:37【★★★★☆】林 竹子
一人のギタリスト話なんですねー。面白い……。けれどギターの楽譜は五線譜じゃないです……。あと、幾らスゴイとは言え、新入りにイキナリ対バンがつく事も無いです。前座からスタートです。オレンジ様が書こうとされてる内容が面白いだけに、もっとギターに対するリアリティーと表記が欲しいです……。勝手な望みかも知れませんが……。頑張って下さい。続き、楽しみにしてます!(主人公の使ってるギターってアコギですよね?)
2004-03-13 07:48:26【★★★★☆】境 裕次郎
鏡さん、感想ありがとうございます。やはり、知識不足が出てしまいましたね。ギターもやったこと無いし、ろくに調べもせず見切り発車で書き始めたので、リアリティーが出なかったですね。反省点です。
2004-03-14 14:53:04【☆☆☆☆☆】オレンジ
オレンジさん、お疲れ様でした。く、暗いですね〜…。やっぱり、個人的には翔子とか彩美との何らかの絡みが欲しかったですね。意外性は確かにバッチリでした。ではでは
2004-03-14 18:51:29【★★★★☆】rathi
お疲れ様です!最後はびっくりでした!世の中こんな風に上手くいかない事ばっかりですが、あえてそれを話の主題に持ってくるっていうのがなかなか新鮮な感じでした。あえてつっこむなら翔子の反応も少し欲しかったですかね・・・あと、下の方も書かれてますが彩美との絡みも。その方が主人公の絶望さが伝わってきたような(笑)。でも、コレは私の個人的な意見ですので。次回作も楽しみにしています。
2004-03-15 18:21:40【★★★★☆】白雪苺
お疲れ様です!……ラストシーン、言い様の無い暗さですね……。は、兎も角、面白かったです!個人的には、もっと主人公が成功するストーリーが見たかったなー、と思いました。こういう系の話が好きなので。残念です……。でも、此の話を読むと、逆に無性にギター弾きたくなるんですよね。次回作も楽しみにしてます。頑張って下さい!
2004-03-15 19:45:33【★★★★☆】境 裕次郎
オレンジ様、お疲れ様でした。暗いですね……。この後の主人公はどうなるんでしょう。とてもおもしろかったです。次回作、楽しみにしています。
2004-03-15 21:02:35【★★★★☆】林 竹子
rathiさん、白雪苺さん、鏡さん、林さん、感想有難うございます。私の文章を読んでおもしろいと感じていただける人がいると思うととても励みになりました。いろいろなご意見しっかりと受け止めてまた、次回作を作りたいと思います。しばらく構想期間をおいて長編でもかいてみようかなあと今は思ってますが、どうなるかわかりません。ありがとうございました。
2004-03-16 08:29:09【☆☆☆☆☆】オレンジ
おおお、胸が痛い。こういう話はけっこうツライですね。うーん、歌詞などを入れても説得力が出たかもしれません。主人公の性格なんですが自信にあふれているようで、弱さも垣間見えてました。真実というのは何でしょう。哲学者が求めるようなモノとは違った心の在り様だとも思います。これみをみてオーナーの使命読むもうと思ってたのですが、少しだけ時間置きたいです(笑)
2004-05-01 13:02:19【★★★★☆】晶
読ませていただきました!実はこちらの本編より先に、”オーナーの使命”を読んでしまって、慌てて本編を読ませていただいたという次第で(汗!!この結末、やるせなくて胸にズキンときました・・・・・・。しかし結末にいきつくまでのストーリーの流れ、主人公の心情等、見事にひっぱれらました。あとやはりオレンジさんの、ハードな筆致はカッコイイです!!
2004-05-01 19:22:10【★★★★☆】卍丸
計:56点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。