『救助犬、食いますか?』作者:黒猫1999 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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原稿用紙約18.2枚
救助犬食いますか?
1.
 吹きすさぶ雪を眼前にとらえ、僕はスキーなんかにくるんじゃなかったと今更ながらに後悔した。
 大学のサークル仲間に誘われて僕はスキー旅行に来ていた。それは今から数時間も前のことだが、準備はさらに数ヶ月前までさかのぼる。
 ―――可愛い子用意するから
 そんな甘い誘惑にそそのかされ
 ―――ほんじゃ準備よろしく
 と、半ば押し付けられた旅行準備。
 片っ端からパンフレットを読みまくって、サークル仲間から渡された雀の涙ほどの旅行金をやりくりし、それでも足りないから僕のポケットマネーを大幅に足しての二泊三日の旅。
 女っけのない寂しいキャンパス生活を送っていた僕のスケベ心はそれを可能にした。
 白銀に輝くゲレンデでご対面したのは何処の怪獣映画から引っ張ってきたのかと思う酷い面体の女だった。
 スキーなどしたこともない僕は直滑降で真っ直ぐに坂を滑り落ちた。涙が風圧で吹き飛ぶほどに。
 白いゲレンデなんて大嫌いだ と叫びながら一人でオールナイト。
 ただ鋭く風を切る爽快感だけを慰みに、上級者でも滅多に行かない山頂までうなぎのぼりに上がっていった。
 天気は何時の間にやら全てを白く塗り潰すほどの猛吹雪。
 そんな生きるのも精一杯な豪雪が僕には相応しいと思って滑走。
 それがこの有様なわけだ。

 洞窟の中、折れたスキー板と、人間の間接の可動限界を越えてねじくれた僕の足を見る。
 不幸中の幸いにか、あまりの寒さに僕の足は痛みを失っていた。
 だがあまりに滑稽な自分自身の有様に僕は泣き笑いをしていた。
 これほどの吹雪の中、捜索隊が来てくれるはずもない。
 そもそも、僕と一緒に来た連中が僕のことを心配して連絡してくれるかどうかも怪しいもんだ。
 
 女の子に釣られて、山で骨折、遭難。
 これが他人事なら余程笑えるな、と思いながら僕は泣き笑い。

 

 雪が止む気配は全くとしてなかった。
 体の感覚が麻痺する寒さと、あまりに単調な豪雪の景色に心の感覚も麻痺し、僕は何もかも諦めるように横になって眠りにつこうとしていた。
 
 ……あぁ……さむい……なぁ……
 ここ……ろ……もから……だ……も

 生き死にの問題よりも、たった一人で寂しくいることの方が僕にとっては辛かった
 確かに僕はたいした人間ではないし、死んだとしても誰も困らないし、何も変わらないありふれた凡人なんだろう
 だけどこんな結末を迎えるほどにどうでもいいものだったんだろうか

 底の見えない深い暗黒の中に沈もうとした時に、僕以外の息遣いが聞こえてきた。
 はっ はっ はぅ
 と、何か息をすることにも精一杯な獣のような息遣い
 目を開けるとそこには、ふっくらとした長毛の犬が舌を垂らして僕を見ていた。

 夢か幻か、そんなことではどうでもよく、僕はその犬を抱きしめた。
 冷え切った体に触れた生き物の命の熱さが注ぎ込まれるようだった。
 甘い気だるさの中、僕は短い安息を得た

2.

 ふかふかとした羽毛のような心地の中で、僕は目覚めた。
 見ると、僕はなぜか洞窟にいた犬と体を寄せ合って寝ていたのだと気づく。
 その犬の首輪はやけにじゃらじゃらとしていた。見ると、樽や火元、固形燃料が首輪につけられていた。
 それを見て、僕はこの犬が救助犬なのだと知った。
 洞窟の入り口から吹き荒ぶ風から逃れるように僕は必死で燃料に火を灯した。
 犬も火に物怖じせず、早く、はやくーと言わんばかりに火元に近づく。
 青白い火を灯して燃料は燃える。
 極寒の中、か細いマッチのともし火を頼ったマッチ売りの少女の気持ちが解る。
 それは心も体も蕩けさせる様な甘いともし火だった。
 犬が担いでいた樽の中にある火酒、僕は舌になすりつける様に飲んだ。ぴりぴりと痺れる酒の痛みも、喉が焼けるような熱さも僕には有難かった。
 すると酒の匂いに惹かれたか、犬もふんふんと臭うように僕に鼻をなすりつけてきた。
 「そうだよな、お前が持ってきてくれたんだもんな」
 僕が所有権を主張するのも可笑しな話だと思い、手のひらに酒を垂らし、犬に飲ませた。
 べろべろと手のひらを嘗め回され、舌のざらざら感が心地よかった。
 
 その内に、僕は酒が回ってきたのか犬を相手に管をまくように喋りかけていた。
 僕がどれほどこの旅行に尽力してきたか。
 女の子を紹介してくれるという言葉にどれほど僕が期待したか。
 楽しみにしていた女性がどれほどまで酷かったのかを、身振り手振りで語った。
 その合間、合間に酒を飲み続け、僕はついに感情を爆発させていた
 
 「ちくしょうっ!なんだってんだよ!この旅行は僕が全部セッティングしたんだぞっ。散々思い出作ろうとか調子いいこと言っといて、単にあいつらが楽しみたかっただけじゃないか!
 僕がこんな目に遭ってるっていうのに、どうせあいつらは…………
 ちくしょう……
 ちくしょう…………ちくしょうぅぅ…………」
 ただ息を潜めて何日も洞窟の中で溜まっていた鬱憤が今になって全部吐き出る思いだった。
 笑って自分を客観視して誤魔化したり
 自分には価値ない人間だとなじったりした自身の行為全てが、僕をみじめにさせていた
 
 前のような泣き笑いではなく
 僕は本気で泣いていた
 「ちきしょぉ……ちきしょうぉぉっ…………!」

 くぅ〜ん くぅ〜ん
 
 犬は怯えずに僕の涙を拭き取るように舐めてきた。
 
 容赦ない豪雪の叫びの中、犬が自分の悲しみを抑えて僕を気遣う音は
 耳にここちよい音楽のようだった


3.

 それから幾日も犬と体を寄せ合って代わり映えない吹雪を見つめる日が続いた。
 救助犬は本来、火酒等を置いたらすぐに救助隊の元に駆けつけて要救助者の元に導くはずなのだが、今回のケースではそれは無理だった。
 犬はすでに足に傷を負っていた。いくら訓練されている救助犬でもこの吹雪の中、手負いで出て行けば命はない。
 人間よりも本能に忠実な動物だからこそ、自分の生命の危機くらいは弁えているようだった。
 つまりは、僕の元に救助隊が来るのは絶望的ということだ。
 しかし、僕にはそれを嘆く気持ちはなかった。救助隊が来ないということよりも、せっかく幸運にも等しい確立で僕の元に命が来たと言うのに、またひとりぼっちで取り残されることが僕にはなによりも怖かった。
 虎の子の燃料と火酒を使い潰しながら、僕らはいつ明けるともしれない豪雪の終わりを息を殺して待った

 だけど何も変わりはしなかった

 ただ虚脱感と空腹感だけが募る、限りなく不毛な時間だった
 
 正直全てを投げて命を諦めたい気分だった。
 しかし時折、か細げにくぅ~んと犬が鳴くと僕は自身の命が危機に晒されているのに犬を安心させるように頭を撫でた。
 そうやって他者を労わる気持ちを残している。
 それが僕を生命として繋ぎとめている尊厳だった。

 だけど時に本能は卑しく僕を誘う

 犬と心と体を温めあいながらも僕はこの手に抱きしめている暖かい血の通う柔らかい肉を口いっぱいに頬張りたいという欲求を抱くようになっていた
 犬が先に短い仮眠につく度、僕に向けてくるこの無垢な寝顔を飢餓と食欲の元にずたずたに引き裂いてやりたいと思っている
 
 だが時折、犬が漏らすくぅ〜んという僕を見て、僕を頼るすすりなくような泣き声を聞く度に理性と本能の間で激しく揺れた
 僕が本能に負けた時、それは僕の拠り所である尊厳を失うことに他ならない
 ―――いや、僕はそれ以上に他者を労わると言う尊厳よりもこの犬のことを失いたくなかった
 
 友と言うにも、主従と言うにも語りつくせないような掛け替えのないものに僕は思っていた
 
 たとえ、このような限定条件下においてもだ。
 今、僕にとってのリアルはこの状況であり、その拠り所こそがこの犬なのだから


 そんな本能と理性の天秤争いは続いた。

 その内に犬は僕に何十回にも及ぶ無垢な寝顔を向けた。
 この無垢な寝顔がどれほどに罪深いものか、こいつには解るまい。
 長毛の下に隠された温かい血を含んだ肉を想像する度に僕は性欲にも似た興奮的な食欲を覚えた。
 その味は?
 その柔らかさは?
 想像は翼を広げて際限なく広がっていった。
 失神しそうな煩悶の中で犬が寝返りをうった。

 するとごろんと犬の片足が投げ出された。

 それは犬が骨折した方の足だった。
 折った時に血管か、神経を傷つけたのか、この極寒の中すでに血の気は通っておらず枯れ木のようにみすぼらしい姿だった。
 そこで僕の煩悶は消え去った。

 すでに食べるか食べまいか、殺すか生かすかの人間的な悩みはなく

 極めて冷徹で氷のような決意で僕は手元にあった鋭そうな石を犬の足へ振り下ろした

 思ったとおり、その足は肉体の一部と言うよりは物質的なものであり、ぱきんと枯れ木が折れるような儚い音で膝の辺りで折れた。血も全く出なかった。

 僕は火を起こしてその足、いや肉を焼いた。
 火で炙ると半ば凍っていた血が皮と肉の中で蘇るようにじゅうじゅうと音を立てた。
 皮はパリパリに
 肉はふっくらと
 においたつ血液を含んだ肉に僕はかぶりついた。
 意識など一斉に霧散する刺激だった。
 頬が痺れ、喉が躍動する
 まさに生き返るような心地だった
 量的には少なかったのに、小さくなった胃はこれだけで満足してくれた

 至福のような満腹感を味わって僕は犬と体を寄せ合って寝た
 罪悪感はなかった。

 だって犬は生きてるんだから
 ―――殺さなかったんだから


 起きるとむしゃむしゃと貪るような音がした
 見ると犬が洞窟の奥に閉じこもってがつがつと何かを食らっていた
 余程それは美味しいらしく、しっぽをふりふりと振っている。その側で足をなくした片足の腿がアンバランスに揺れていた。
 ナニを食べてるんだ?と僕が体をずらして近寄ると僕は信じられないものを見た。

 未だ靴下を履いたすね毛交じりの僕の足だった

 見るとねじくれていた僕の片足がぽっきりとくるぶしの辺りからない。
 がつがつ と、品のない咀嚼音の中で僕の足の爪や肉、血が飛び散る。

 げっぷ と、犬が食事を終えると、僕を向き悪戯げにぺろりと舌を出した

 まるで、これでイーブンだね♪と言ってるようだった

4.

 僕らの中に一つだけのルールが出来た

 食べた分は自らの身で贖うこと

 そんな合理的なような、平等的なような、あるいは狂的な―――

 ルールが出来たことにより僕らは遠慮を省くように食い合った。
 お互いがお互いを慈しみあい、そして失わないように部分的に食いながら
 そんな公平な場所に身を置くことが僕にとってのあるいは犬にとっての尊厳となった
 他者の生命を尊重しつつも、自身の生命を尊重するという形で

 余程のことがなければ僕は手をつけるつもりはなかった
 しかし、一度肉の味を知ってしまうとその味を夢想することで一日が埋まってしまう。
 いつ来るともしれない救助隊をただ待つよりも、その方がずっと一日が充実していた。
 僕は小刻みに耳から食べることにした。
 
 なるべく痛くないように鋭い石を削り、止血だけは万全にして
 切り取った耳の毛を毟り、火で炙る。
 嬉しい時はぴんと逆立ち、悲しいときはしゅんとうなだれる。
 愛らしい耳だった。

 そして僕が仮眠から覚めるとすでに耳は食いちぎられていた。
 獣の歯らしく、千切りかたが歪(いびつ)なので僕は石の刃物で綺麗に切り取り犬に、歪な耳肉を渡した。

 僕はどうしても食べたかった部分があった。
 ぷにぷにと心地よい肉球だ。麻酔代わりにちょっとだけ酒を飲ませ、ほのかに赤みさす薄桃色の肉球を切り取った。
 軟骨のような歯ごたえで歯の触覚を満足させる味だ。
 そして、暇な時の手慰みによく揉んだ柔らかい犬の手のひらだった。


 ここの出血は場合によっては命に関わるので、うぅーとうなる犬をなだめて自分で切り取ることにした。念入りに雪で冷やし、手首を強く縛る。
 感覚がなくなった自分の手を数時間かけて切り落とした。
 自分で自分の手を焼くことになるとは思わなかった。


 僕は尻尾を食おうとした。
 しかし、お前には尻尾がないじゃないかどうするんだ?と言わんばかりに犬が嫌がった。
 頭のいいやつだ。
 お尻に噛み付かれてもな、と思いやめにした。


 傷つけあうような生ではなく、補完しあうような生

 僕と犬の間には憎しみなど存在せず、強い連帯感だけがあった

 僕は誓う、何が遭ったとしても僕はこの犬を憎んではいなかった
 できることならずっとこうして命を寄せ合って生きていたかった

5.

 もう、お互いに人としての、犬としての原型は留めていなかっただろう

 僕はもう犬を見ることはできない。その器官がない。
 もうお互いに食べることが生命に関わると知った時に互いに食べることをやめた

 ただ極寒の中、身を寄せ合い、暖めあう日だけが続いた

 それで良かった。僕はそれで良かった。

 一時だって僕は犬を……いや彼という命を離したくはなかった。
 限りなく孤独なこの世界の中で彼の存在だけが救いだった。

 だけど彼はそれでよかったのだろうか
 僕がこうなったのは僕のミスだ
 だけど彼はそうじゃない。僕を助けようとしてこうなったのだ

 こうして僕と共に死んでいくこと。
 それは彼の望むことだろうか。
 僕たちが作ったルール、平等であることに反しはしないだろうか

 ふ と、僕は笑みを浮かべた

 考えるまでもなかった。
 しわがれた声、それで通じるものかどうかは知らないが言いたかった
 「…………食ってくれ」
 寄せる彼の体が衝撃にか、揺れた。
 彼の口があるであろう場所を僕の首元に導く。
 荒い息遣いが皮膚を伝わって聞こえてきた。
 「…………そう、それでいいんだ。それでお終いだ……僕はもうお前を食わないよ」
 もう手もない腕を頭があるであろう場所にかけ強く抱きしめる。
 「お前は……僕を助けようとしてこうなったんだ。僕と一緒に死ぬことはない……」
 
 「……そう、公平を規するなら僕がお前のために死ななければならなかったんだ……」
 彼がかぶりを振る。
 「いいんだ……それで……僕はお前に十分救われた。こんな状況で幸せというものが初めて実感できたんだ…………
  …………なぁ……信じるか?僕はお前が食いたくて食ったんじゃない。お前と一緒にいる時間を延ばしたくてそうしたんだ……」
 空洞になった目から熱い涙が零れる。
 抱きしめる手が欲しかった
 見つめる目が欲しかった
 「ごめんな……全部俺のわがままだ…………俺のわがままで……
  お前とずっと身を寄せ合いたくて……俺は……俺は……
  許してなんて……言えるはずもないよな……?……うっ……ぅぅ……ぅぅぅ」
 
 ぽたり ぽたり
 
 頬に当たるものがあった。腕で上から注がれる熱い液体の出所を探る。
 「…………お前……泣いているのか…………?」
 
 くぅ〜ん くぅ〜ん

 「……ありがとう …………ありがとう………………
  だけど…………いいんだ……お前がくれた命……返すよ……
  頼む……もう……苦し……い……んだ……」

 皮膚に刺さる強い圧力を
 喉元に感じる牙を感じた

 「そう……それ……で   い い…………
  ありがとう
   あり が とう……………………
  ……………………………………」


 ………………………………


 救助隊がその洞窟を発見したのはその三日後のことだった。
 
 レスキュー隊は洞窟の中を見止めて目を覆った。それは酷い有様だった。
 獣に食いちぎられたような男の姿。
 そして男に身を寄せるように息絶えたかろうじて犬と解る肉の塊だった。
 犬は男の喉元に牙をつきたてたまま死んでいた
 
 報道ではしばしばこの救助犬が救助者を食い殺したという事件として紙面をにぎわせた。
 専門家の予想としては男が傷ついた救助犬を食料として飼っていたところを逆襲にあって殺されたのではないかということで片がついた

 しかし、殺人救助犬として恥ずべきレッテルを貼られた救助犬だけが知っている。
 救助犬は男の意思を汲んで喉を潰して楽にさせた後、一切死体には手をつけていない
 そしてあえて自分の意思で犬は死んでいる

 彼にとって犬との生活が掛け替えのないものであるように
 犬にとっても彼との生活はかけがえないものであった
 彼なしで生きることを望まないほどに

 それを知る者はもはやいない

 報道は救助者も救助犬も史上における最も見苦しく、生き汚い者と報道する

 ただ最後の時まで身を寄せ合った一人と一匹の姿だけが
 真実を語る…………


2004-01-24 18:54:26公開 / 作者:黒猫1999
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■作者からのメッセージ
二作目です
前と同じく気持ち悪い感じになってしまいました。今度は読後がいいものにしたいと思います
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