『天使がくれたもの』作者:Susu / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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原稿用紙約26.39枚
この子がいてくれるだけで、それだけでどんな苦難も乗り越えていけると思っていた。
例え夫に逃げられても、両親に見放されても、生活が多少苦しくたって生きていけると思っていた。
この子が側にいて、世界一幸せだよと言って笑ってくれることが、何より私の支えなのだから。
私が望んでいたのは、そんなにも贅沢なことだったのだろうか?
私があまりにも望みすぎたから、神が罰を与えたのだろうか?
……だったら私に罰を与えればいい。望みすぎた私が悪いのだから。
この子は関係ない。
それなのに……。 なんで!!
「空……?」
私の人生が、変わった。



「……んん?」
朦朧とする意識のなか私は目を覚ました。
頭が痛い。果てしなく痛い。
昨日の夜はいつも以上に飲んだ気がする。その証拠にキッチンの机の上には様々な酒と呼ばれるたぐいのものがひしめきあっている。
「……」
私は吐き気と頭痛をこらえながら適当にコップを取っていすから立ち上がった。机に突っ伏して眠っていたせいか、腰骨が悲鳴を上げる。
「バキバキ、って……」
カルシウムが不足しているかもしれない。
いや、カルシウムなどという時点で最近私はまともな食事すらしていない。酒で腹がゴボゴボになっているせいもあるが、何かを作ったりする気力がない。その無気力はたった半年で私の体をボロボロにしてしまった。外見的な所もあるが、ほとんどが内面的な問題だ。
恐らく私の内臓はドナー登録を嫌がられるくらいに痛んでいるだろう。
まあしかし、今更健康に気をつけようなどとは思わない。
どうせいつ死んだってかまわないのだから。
私は床に散乱するビール瓶やらペットボトルやらを蹴り分けながら流しにたどり着き、見るも無惨に汚れがこびりついた食器類に「げっ……」と思いながらも水を一杯飲む。
まずい。
都会の水は何やら化学的な味がする。全くおいしくない。
所詮汚いものをちょっときれいにしているだけで結局はまだ汚いのだ。たいして意味はない。
半ばあきれ気味にきびすを返す。踏み出した足に空き缶があたった。
「……汚いなんて言えた義理じゃないね」
キッチンを見渡し、呟く。
視界に入るのは酒とインスタント食品に溜めこんだゴミ袋。そろそろ床が見えなくなってきている。
半年間でここにはまともな世界から隔離された負の世界が出来上がっていた。
「……異常者の仲間入りだね、私も」
まあ、どうでもいいけど。
さてと、酒でも飲んで寝よう。私にはもう生きている理由なんてない。
酒飲んで寝ている間に殺されようが、アル中で死のうが知ったことじゃない。
とにかく楽に死なせてくれればそれでいい。


「ふう……」
トイレでアルコール濃度をわずかに下げる。アルコール依存にはたいして意味もない話だなと思いながら冷蔵庫を漁り食べ物を探してみる。
梅干し、ヨーグルト、ちくわ。おそらくヨーグルトはもう危ないだろう。
……おっ、カレールウ発見。って食えるか。ああよし、これにしよう。
ガリだけ食べて残したいなりずしを持って机に戻り、机上の酒ビンを適当にどかしていなりずしの入ったパックを置き、一口食べてみる。油揚げが妙に乾いていてあまりうまくない。負けず劣らず米もパサパサとしている。
「のどが……」
水分を求め、机上の酒ビンをあさってみる。
ビンや缶が立てるやかましい音を不快に感じながらも、なんとか飲めるだけ残っていた焼酎を見つけた。
腕を伸ばしビンを持ち上げる。
そのまま固まった。
「……」

縦15センチくらいの背中から羽の生えた何か。

一言で言うとそんなものがビンの陰に潜んでいた。
はじめのうちは変な生き物納得していたが、よく見て考えてみると天使と呼ばれるたぐいのものっぽい。
まあ、どうでもいい。
天使がとまどいをうかべた目で私を見上げた。私は特に気にすることなく焼酎をのみ下す。
べつに幻覚が見えることなど珍しくもなんともない。一週間程前から顔のない男の死体や、冷蔵庫にウーパールーパーが大量発生している幻覚が見えはじめていたので今更天使を見ても驚かなければ興味もない。
今の私を驚かせようというのなら、玄関のチャイムが実は起爆スイッチだった、くらいのレベルじゃないと無理だ。
「……」
私は置物を見るような目で天使を観察する。
天使は時々困ったようにほおをポリポリかいてみたり、足の裏の液体(こぼれた酒)をピチャピチャとしている。
しばらくするとやることがなくなったのか、上目づかいに私を見つめてきた。
子犬のような目。
そんな目をされても困る。
「……食べれば」
なんとなく居心地が悪くなり、私は残っていたいなりを差し出す。
「あ……どうも。いただきます」
しゃべった。
私は体の1/3くらいはあとうかといういなりを食べはじめた天使を見ながら、幻覚ってしゃべるのかと思う。
いや、じゃあこれも幻聴っていう可能性もあるわけで……。
「……うっ!」
物思いにふけっていると、いきなり天使が苦悶の声をあげた。
乾いたいなりが喉につっかえたらしい。口に物が入っているので咳をすることもできず、涙目で胸をどんどんと叩いている、といった感じだ。
私は重病患者にケンカを売っているかのようなノロノロとした動作で適当な酒をとってコップに注ぎ、天使の前に差し出してやった。
天使は適当におじぎをし、両手いっぱいにコップをつかみ、一気に飲み下した。
が、喉の動きがすぐに止まる。
数秒の沈黙の後、天使の手からコップがずるりと滑り落ち、机上をゴロンゴロンと転がって床に落ちて割れた。
コップが割れる様子を面白くもなく追った後視線を戻すと、そこにいるはずの天使がいない。
どこだ? と思う前に背後でバシャバシャと水音があがる。振り返ると天使が両手で水をすくい、必死の形相で水を飲んでいた。
「忙しいやつだね、あんた……」
「喉が熱いです……」
涙目で訴えてくる。
残っているのがこれしかなかったとはいえ、さすがにウォッカを飲ますのはまずかったか。
少し反省してみる。
「ねえ、ところであんただれ?」
冷蔵庫からビールを取り出しつつ言う。
「ああええとですね。とりあえずはじめまして。僕は天使のペグといいます」
ぺこりとおじぎをする。
私は「ああ、そう」くらいの勢いで聞き流し、イスに座って缶ビールを開ける。
プシュッ!とさわやかな音がした。
「……信じてないですね? 僕が天使だってこと」
背後から声がする。
「当たり前。天使がいるなんて信じてる人間、そうそういないの。あんた幻覚かなんかでしょ?」
そんなことを言うと、いままで天使天使と言ってきたのはなんなんだ、という話になるが、それは便宣上つけた名前であって、天使だということを信じていたわけではない。
「違いますよ!」
大声がしたかと思うと、驚くことに天使が小さな羽をパタパタとさせながら飛び、机の上に着地した。
おお飛んだ、と思うより、でかい蚊が飛んでるみたいでキモイ、という思いのほうが強かった。
「僕は本当に天使です。幻覚なんかじゃありませんよ。ほら!」
トテトテと私に近寄り、机に置いた左手をバシバシと小さな手で叩いてくる。
叩かれてる、という感覚はあるが全く痛くない。
「ほら、痛いでしょう?」
「いや、痛くないし……」
ビールを一口飲む。
天使は少しムッとしたらしく、今度は両手でバシバシと叩きはじめた。
はじめのうちに気にしなかったが、何かに頻繁に触れられているというむずがゆさにだんだんとイライラが増してきた。
簡単に言うとウザイ。
「ああ、もう。分かったから」
私はうっとうしく左手をはらった。
「信じてもらえました?」
「……信じた」
これ以上張り合う気もないので、適当に負けを認める。
「そうですか。よかったです」
天使は満足そうにうなずくと、再びいなりを食べはじめた。
「このおいなり、パサパサしてますけどおいしいですね」
「そう……」
気のない反応を返し、ビールを一口飲む。
天使は再び喉につまったいなりと格闘中だった。
「……あんたさあ、何しにここ来たの?」
かなり疑問に思う。まさか私の乾いたいなりをピンポイントに狙ってきたわけじゃないだろう。
「あのですね、」
ごくりといなりを喉に流し込む。
「そこの窓が開いていたので、勝手に入ってきてしまい、」
ビッ!、っと流しの上にある窓を指差す。そういえば風通しがなかなかいいので開け放したままだった。
「べつにこれといった用があってきたわけじゃ、ないんですよ」
最後の一口を口に放り込む。しばらく咀嚼した後飲み込み、「ごちそうさまでした」とぺこりとおじぎをする。私も最後の一口を飲み干すと、不意に一つの単語が浮かんだ。
「不法侵入だね……」
何気なく呟くと、天使は「あうっ!」と声をあげた。
「あんたさあ、完全に法律破ってるよね?」
「僕は天使ですから、こちらの法律は……」
「関係ないね」
有無を言わさぬ口調で言う。
「警察に行こうか?」
「僕を天使だって、誰も信じないと思いますよ?」
少し得意気に言う。
言われてみれば、たしかにそうだ。天使が不法侵入しました、などと言って何の疑いもなく取調べをはじめる警察がいたら、私はその人と一緒に飲み歩きたい。
私は一円も出さないが。
「じゃあさ、どっかのマニアックな研究機関に叩きこむってのは?」
我ながらナイスアイディアだと思う。訳の分からない生物には理解不能な人間達だ。
うまくいけば生物学の発展にもなるだろう。
「それはさすがに、困ります」
そう言って本当に困ったような顔になる。たしかに、そんなマニアックな所に行けば、まず生きては帰ってこれないだろう。
どこかの博物館で会えるかもしれないが。
「じゃあ、それが嫌なら……」
しばらく考え込む。何がいいだろうか。
酒買ってこい。いや、多分持てない。
銀行から適当に金盗ってきて。犯罪だし。
いっぺん死んでこい。やるはずがない。
いろいろ考えてみるが、天使の体格とわずかに理解した性格とを考慮すると、できることは少ないように思える。
「……あんたさあ、私のために何ができる?」
考えるのにも飽き、率直に聞いてみる。
天使は「そうですねー」と考え込み、やがてポンっと手を打った。
「掃除くらいなら、できると思います」
なるほど、掃除か。今更きれいになっても意味はないと思うが、せっかくなので任せよう。
「んじゃ、よろしく。とりあえずここはいいから居間の方やって」
「はい」
台所の掃除を拒否したのは、荒れ具合になんとなく心地よさを覚えていたからだ。
……人常な心地よさではないが。
居間の掃除に取りかかった天使を、私はぼ〜っと見ていた。
てきぱきとせわしなく動き、徐々に居間がきれいになっていくのが分かる。
体が小さい分細かいところまで目がいき、割れたビンの小さなかけらを見つけるたびに、
「危ないですねえ」
とつぶやく。
そんなこんなで私が一番初めに酒の匂いをつけはじめた部屋は30分程で一般レベルにまで片付いた。
「やるね……」
「それほどでも」
何故か天使は誇らしげだった。
「じゃ、残りの部屋もよろしく」
「了解です」
天使は羽をパタパタさせながら居間を去っていった。
私はきれいになった居間を見、「なんだ、キノコ生えてなかったのか」と微妙にがっかりし、眠りについた。


ちょんちょん。
誰かに顔をつつかれている。顔を起こすのも面倒くさい。
「お姉さん、ちょっと起きてくださいよ」
誰かと思えば、あの天使か。掃除は終わったのだろうか、少し早い気もする。
まあ、終わったのならそれでいいけど。
私はだらしなくあくびをしながら机に突っ伏していた顔を上げた。
「……なんか用?」
「あのですね、ちょっと聞きたいことがありまして」
「スリーサイズ?」
「違いますよ……」
呆れ気味に言うと、天使は後ろ手に持っていた物を胸の前に見せた。
それは一枚の写真だった。
木陰で静かに微笑む少女が一人写っていた。
「あの〜、もしかしてこれってお姉さんの娘さ……」
「それ、焼いといて」
写真から目線をそらす。
「え? でもこれ……」
「いいから焼いて」
自分でも自然と投げやりな口調になっていることを感じた。
「……」
やがて天使は無言のままキッチンから去っていった。
よどんだ静けさがキッチンを満たす。
(なにやってんの、私……)
もう、半年になる。
思い出したくない。絶対にあの笑顔だけは、思い出したくない。
終わりを告げた、あの笑顔だけは……。
やりきれない思いに、何も考えず酒を飲んだ。


その日、私は非常に弾んだ気持ちで一日の仕事を終えた。
たとえカラスが午後五時の時計塔から「アホだアホだ」と鳴いていても気にしない。
明日は娘の誕生日。今日はそのためのプレゼントを買いに行く予定だ。
ちなみに今年の娘の希望は手ざわりのいいクマのぬいぐるみだそうだ。
なんとも微妙な注文をしてくれたと思う。手ざわりがいいとはどういうものなのだろうか。私のなかでは手わざりがいいというのは手わざりが面白いとしか考えられない。
まあ、とりあえず値段と相談しながら決めよう。
女手一つで娘を育てているのだからむやみやたらに金を使うわけにはいかない。
「いらっしゃいませー」
ファンシーな店にファンシーな声で迎えられ、普段なら素通りであろう店へと入る。適当に物色しているうちにクマのぬいぐるみをいくつか見つけ、値段と相談しつつ手わざりを確かめた。なにやらゲル化剤でできた非常に手わざりの面白いクマのぬいぐるみを見つけたが、押さえると目が飛び出したように見えたりと少々グロイのでやめておく。
その後30分程悩んでみたが、最終的にフサフサの毛がついたクマのぬいぐるみを選んだ。
お釣りをもらうのを忘れそうになりながらも、私は店を後にし家へと向かう。
少々サイフが軽くなったが、いい買い物をしたと思う。
今日にもこれをプレゼントし、娘の喜ぶ顔を見たいが、誕生日は明日だ。フライングはいけない。
私はぬいぐるみがなくなっていないかしつこいくらいに袋の中を確認しながら娘の待つ家へと向かう。
そういえば今日は娘が肉じゃがにチャレンジしてみるとか言っていたような気がする。早く帰って側で見ていないと、その子は意外とドジだから何をしでかすか分からない。焦がして鍋を一つダメにされるのも少し困る。
あれこれと心配しているうちにアパートの前に着いた。
階段を上がり、家の前に着くと、何故か扉が開いていた。
閉め忘れたのか、無用心だねえ、などと思いながら家へと入る。
「ただいまー」
後ろ手で扉を閉め、くつを脱ぐ。
返事はない。
「空ー? いないのー? お母さまのお帰りだよー」
トイレかあ? と思ったが電気がついていないので違うだろう。私は不思議に思いながら廊下から居間へと入る。


その瞬間、私を支えていたものが一瞬にして崩れた。

「空……?」
強く握られていた紙袋が指先から離れ、落ちる。
袋から滑り落ちたクマのぬいぐるみが床を転がり、その指先が赤い液体に触れる。
赤の源をたどると、そこには――。


「……」
またいつのまにか眠っていたらしい。外の暗さからみても夜のようだ。
「……」
夢を見たような気がする。思い出したくないあの日の夢を。
(酒でも飲もう……)
ぐいっ、と一升瓶を持ち上げる。
そこで私は机上の天使に気がついた。何気に存在感がない。
「ああ、あんたまだいたの……」
何気なしに言い、焼酎をコップに入れず飲む。
何故か手が震えうまく飲めず、焼酎がだらだらと床にこぼれてしまう。
「お姉さん……」
気まずそうな、それでいて悲しそうな表情をしてくる。
私が何かしたのだろうか。それとも掃除中に何かを壊したのだろうか。
まあ、なんだろうがべつにどうでもいいけど。
「なんで、泣いてるんですか……?」
「!!」
手から力が抜け、一升瓶が音を立てて割れた。
私が、泣いている……?
私は震える指先で目の下に触れてみる。
瞬きの後、冷たい滴が指先に触れた。
あの時以来、泣く理由なんてどこにもない。泣いても何も変わるわけじゃないことを、知ってしまったから。
それなのに、知っていたはずなのに。
私は……。
「空……」
泣いていた。
「お姉さん……」
いくらこらえようとしても、あふれてくる涙が止まらない。
「何があったんですか……?」
何が、あったか……?
私は怖いくらいにその出来事を覚えていた。
あまりにも鮮明で、あまりにも残酷な光景を。
あの日から私は、本当に一人で生きてきた。
苦しみも、悩みも、誰にも打ち明けられずにずっと一人で抱えてきた。
でも、私は自分が思っているほど強くはない。
自分だけじゃ、自分を支えきれない。
私は少しも冷静なんかじゃなかった。冷静でいようと、無理をしていただけ。
とっくに気付いていた。どんなにあがいたって、私はもう、
「……半年前娘が、空が殺されたの……」
限界だった。
「私は、空がおてくれればそれでよかった……。親から見放されても、夫に逃げられたって、私は空がいてくれるだけで生きていけた……。なのに……!」
私は右の拳で机を強く叩きつけた。
「空は私の留守中に殺された!バカな男に、もて遊ばれて殺されたんだ! 空は何もしてない、何もしてないのに!!」
悔しさに、私は拳を強く握った。
いくら強く握っても、足りなかった。
「私は血塗れのあの子を腕に抱いて何度も呼びかけたよ……。空!空!って。そしたらあの子、一度だけ目を覚まして、何か言いたそうに弱々しく微笑んで、結局何も言えずに死んでいった……」
私なんかが親で、笑顔を絶やさないで生きてきたのに、あんな死に方なんてひどすぎる。
「……ねえ、あの子はなんの為に生まれてきたの? 私なんかと一緒にいて、貧しい生活させられて、なんお為に生まれてきたの?
 ……ねえ、あんたはどう思う……?」
私は震える声で天使に尋ねた。
大きく丸い目がとまどいと焦りを浮かべる。
やっぱり、分からないか……。
やがて天使は気まずそうに気まずそうに視線をそらした。
「あ、あの……。お姉さん、僕は、」
「いいよ、何も言わなくて……」
こんなことを言ってしまった自分が悪い。そもそも、自分のなかにだけ溜め込んでいればよかっただけのこと……。
他人にまで余計な負荷を与えようとした私が悪い。
「悪いね、バカみたいに騒いで……」
「……」
天使も不幸だね、偶然入った家でこんな話聞かされるなんて。
「はあ〜あ……」
涙はいつのまにか止んでいて、薄汚れた世界が再び広がる。
私は目をそらすように机に突っ伏し、ポツリとつぶやいた。
「産むんじゃなかったかな……」


……また、朝が来た。
当然のことといえば当然なのだが、朝なんて来なければよかったと思う。ずっと深い闇の中で眠り続けていたかった。
何も考えなければ、苦しまないですむ。
楽しみも支えもなく、ただ苦しむためだけに生きていくなら、死んだほうがよっぽどいいんじゃないだろうか。
「朝っぱらから何考えてんだ、私……」
腹減ったなあと思い、伸びをしながら席を立つ。冷蔵庫へと向かう直前、私は一通りキッチンを見回してみた。
「ま、いるわけないか」
寝ている間に帰ったのだろう。興味もないのでどうでもいい。
私は冷蔵庫を開け、ちくわを取りだし口に入れる。何やら味が微妙だが気にしない。食中毒で死ねるならそれもいい。
「あ〜、満腹」
かなり嘘だが、他に食べる物がないので仕方ない。
「酒でも飲も……」
戸棚から日本酒を引っ張り出す。床に散乱するゴミ共を蹴散らしながらイスに座り、机上に一升瓶を置く。
と、そこで私は気付いた。
昨日と同じ、いや昨日よりも少し傷だらけになった天使がそこにいた。
「あんた、ホント何気に存在感ないね……」
「どうも」
いや、誉めてないけどね……。
「えと、お姉さんこれ……」
そう言うと天使は一枚の封筒を差し出してきた。
何の気なしに受け取る。
「なに? ラブレター?」
「違います」
あっさり否定された。
何が書かれてるんだ、と思いつつまずは封筒の表面へと目を走らせる。
なんでもないことだが、私はそれを見て目を疑った。
「お母さんへ?」
特になんでもないことだ。娘が母親に手紙を出すことなど。
だが、現実的に考えて私の娘、空は死んでいる。
こんなことがあるわけない。
「ねえ、なにこれ?」
単純に考えれば天使のいたずらということになる。
「娘さんからの手紙です」
ほほお……。
「あんたさあ、何考えてるの?」
「何を考えているかは自分でもよく分かりません。でも信じてください。その手紙は娘さんからのものです。僕が天界にいる娘さんにきちんと書いてもらいました」
天使の目は真剣そのものだった。
だが私はそれでも尚いぶかしぎながら、今度は封筒を裏返してみる。
そこで私は再び目を疑った。
「これは……」
封筒の隅に遠慮がちな字で世界一幸せな娘、空よりと記してあった。
「……」
私は無言で封を切る。中には白い便箋が一枚、きれいに折りたたまれて入っていた。私はそっと取りだし、折り紙を解いていく。
最後の一折りを解き、私は娘の言葉に目を通した。
純白の紙に、愛しい娘の言葉がたった一言、たった一言だけ書かれていた。
世界一幸せな私を産んでくれてありがとう
と。
「文章力のない子だねえ……」
私は熱いものが込み上げてくるのを押さえながら、見えない娘に対して言ってやった。
「僕としても、もっと書けばよかったんんじゃないかと思います。この郵便、192文字までなら一定額ですから」
あっけらかんとビジネスな話を展開してくる。まったく、なんかもうわけわからん。
いきなり現れて、暴露した朝に帰ってきて、傷だらけになってと思ったら死んだ娘の手紙を持っていた。苦笑するしかない。
「……あんたさあ、バカじゃないの?」
バカみたいなお人好しに、思わずあきれてしまう。
「お姉さんは親バカですね」
天使がにこにこしながら言ってくる。
ひどく嫌味のない、さらっとした口調だった。
「ああ、そうかもね……」
誰に言われなくても、私は娘大好きな親バカだ。
多分これからもずっと、それは変わらない。
「じゃあ、お姉さん。親バカついでに娘さんに返事を書いてください」
スッと新しい便箋を差し出してくる。私はとくに考えることもなくササッと書いた。天使に手渡す。
「う〜ん……」
その便箋を天使は何やら不満そうに封筒の中へと入れる。
「なに? なんか文句ある?」
空からの手紙を封筒にしまいながら聞くと、天使は再び「う〜ん……」とうなった。
なんだ、不満があるなら言えばいいさ。
「なんで親子そろって一言だけなんですか? 192文字までなら一定額なのに……」
そんなの、それしか書くことがなかったからに決まってる。
「本当にありがとうだけでいいんですか?」
「それでいい」
多分それだけで伝わる。私と空は、産まれる前からつながりあっている親子なのだから。
「……まあ、いいです。とりあえずこれを届けてきます」
そう言うと天使は小さな羽をパサッと広げ、ふよふよと窓に向かって飛んでいく。
「今日みたいに速達じゃなくて、ゆっくり行ってくればいいから」
「了解です」
そして天使は飛んでいった。
「さてと……」
私は重い腰を上げ、玄関へと向かう。なんとなく外に出たくなったのだ。
ゴミにうずもれるキッチンを抜け、天使が掃除した廊下を通って玄関にたどり着くと趣味の悪い私好みのサンダルをはいて外へと出た。
朝日が眩しく、反射的に少し目を細める。しばらくそうしていたが数秒もするといつも通りに視界が広がった。
広がる視界の庭にある花も、きれいに整理されたおもちゃも、少し錆びた自転車も、すべてが懐かしい思い出を宿しているように思えた。
空がいなくなったその日から、私は極力空を思い出してしまいそうな物や事を避けてきた。空を思い出すだけで、感情が暴走してしまいそうな気がしていたからだ。
毎日が苦しく、辛かった。
それでも私はここまで生きてきて、ようやく救われたと思う。
一人の天使によって。
「天使、か……」
とてもではないが、人に私は天使に救われたなどとは到底言えない。誰も信じないだろうし、私自身も言う気はない。
このことはそっと自分のなかにしまっておけばいい。
鳥の声に導かれ、私は何気なく空を見上げた。
青い空がどこまでも広がっている。
雲一つない快晴。
天使は今ごろどこを飛んでいるんのだろうか。天界に向かっているらしいが、天界というのはどこにあるのだろうか。少し考えてみるが、分かるはずもない。
けれど、きっとあるはずだ。
そう――。
この空のどこかに空がいる。
「……」
くだらないダジャレに、私は思わず苦笑した。
2004-01-23 18:40:53公開 / 作者:Susu
■この作品の著作権はSusuさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
はじめまして。
まだまだ精進しなければいけない文章ですが、一言でもいいので、皆さんの意見を聞かせてください。
この作品に対する感想 - 昇順
全て読ませていただきました*^^*とっても良い小説だったと思いますv大人っぽいお姉さんや天使のペグのような魅力的な登場人物や、描写、感情的にでもとっても読みやすかったですv
2004-01-23 21:27:43【★★★★☆】シア
シアさん、ご感想ありがとうございます! なんだかいろいろ誉めていただいてうれしい限りです^^; シアさんの作品も読ませてもらいます。読んでくれてありがとうでしたm(__)m
2004-01-24 18:03:56【☆☆☆☆☆】Susu
計:4点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。