『写真 一章〜六章(終)』作者:藤崎 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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 初めて、その写真を見たとき。
 あたしは、息をするのも忘れていた気がする。
 胸が苦しくなって、のどに熱いものがこみ上げてきて。
 泣きそうになった。
 狭い世界でしか生きていなかったあたしに、何か大きなきっかけをくれた。
 そう。あの写真にめぐり合えていなかったら。あたしは、こんな旅に出ることはなかっただろう。
 ただ、その世界をこの目でみたいと、それだけが。
 あたしの中に、息づいている。

一章
 
 カタンカタン、と、心地よい揺れに身を任せて。
 一人でブロック席に座っていた。
 車内はガラガラ。無理もないか。今日は平日。
 こんなに、ゆっくりできるのは一体何日ぶりだろう。
 流れていく景色とか、遠くに見える地平線とか。
 そんなのものを改めて眺め、感嘆の息を漏らすほどに、あたしの生活スピードは早くなっていた。
 あっという間の、三年間。
 怖いほどに、早かった。特に、この一年は。
 朝起きて、朝食を摂って、授業を受けて、昼食とって、ほんのちょっとの休み時間、また授業。家に帰れば予習復習、好きなことをする時間なんてもってのほか。
 中学校最後の生活と、受験という、逃れようのないものに囲まれて。
 テストの合間を縫って次々と繰り出された行事。
 それとも、行事の合間を縫って、繰り返されたテスト?
 みんなで何か一つのことをやるのが好きで。
 友達だって、いっぱいいた。
 ふざけたり、おなか抱えて笑ったり、必要以上に遠くに出かけて。
 息苦しくも、楽しい毎日。
 なのに、いつの間にか。苦しいだけになっていった。
 口を開けば、二言目には勉強しろと言う先生も、二学期が終わるまでは、一緒になって、行事を楽しんでいたのに。
 笑いあって、わきあいあいとしたクラスの雰囲気も、いつの間にか、重くどす黒いものになっていって。
 受験、というものが、何かをかえていってしまうように。それも、決してあたしの望むほうへ、ではなく。
 息苦しくて。

『次は、×××、次は×××』
 車内アナウンスが聞こえ始めた。
 あたしは慌てて写真集を開く。
 同じ地名を目にして、またも慌てて荷物(といっても、必要最低限のものの入ったバッグ一つ)を手にして、電車から降りる。

「………」
 ちいさな、駅だった。驚くくらいに。
 知らなければ、見過ごしてしまうくらいの年季の入った駅。
 だけど、写真の一枚と、一緒だ。
 そしてその向こうに広がる景色に。
 あたしは、息をのんだんだ。
 空が、ひろい。
 壮大、絶大、雄大。
 どれもこれも、当てはまらないような気がする。
 薄く雲がかかった、果てないそら。
 そして。
 骨までも凍りつかせようとするかのように冷たい風が、そこを渡る。
 それさえも、心地いい。
 ごみごみとした、人間的なものが一切ない。
 ただ、自然のかぜ。
 都会、とまではいかないけれど、少なくともあたしのいたところでは、こんなに広い空を目にすることはできなかった。
 何かにいつも、見張られているような強迫観念。
 なにもない世界。
 すごく、開放される。
「……っと」
 いつまでもここでじっとしているわけにもいかない。
 期限は、三日。
 今頃、テーブルの上の書置きは、かあさんに見つかっているだろうか。
 優に千キロは離れていり我が家へ、思いを馳せる。
 それさえも、無駄なことだと気づき。
 あたしは、真冬の畦道へと、最初の一歩を踏み出した。


 最初にヤツらと出会ったのは、中一の春。
 一人は、とにかく元気のいいやつだといった印象しか持てなかった。
 そしてもう一人は。
 驚くくらいに、やわらかく笑うヒトだと思った。
 一見ミスマッチなカンジさえ与えられるのに、なぜか二人が一緒にいるところを見ると安心したし、それが普通になっていった。
 気がつけば、あたしも彼らと一緒にいた。
 それぞれ、育ってきた環境も違うというのに。何故あれほどまでに気が合ったのかも、わからないけれど。
 ただ、毎日が楽しかった。

              ◇   ◇   ◇
 
 慣れない制服に身を包み。緊張して、クラス表を一心に見ていた。
 下のほうに、アイの名前があった。
「ねぇ、見てよ、あの二人」
 そしてその耳に。
 アイが、ささやく。
「………。誰アレ」
 指を差された方向を見ると、二人の少年が踊っていた。
 文字通り、踊っていた。
「なにやってんの、あの人たち」
 はじけんばかりの笑顔。
 二つの表情は、まがいもなく同種のものだ。
 と、観察していると、くるりとバク転。
「やるぅ!」
 愛が、歓声を上げる。
 確かに、見事。
 ぴったりそろった息が、きれいな円を描いていた。
 他の観客も、少なからず感心している。
 上級生も、その姿に見とれていた。
「カッコいい!」
 ひっきりなしに歓声を上げるアイとは違って。
 あたしはただ、みとれていた。

「あんたさ、どこの人?」
 幸か不幸か。
 あたしは彼らと同じクラスになった。
 そして、落ち着かない教室の中で、まず声をかけてきたのは、カズキだった。
「なぁ、あんたどこの人?」
 失礼極まりないと言えばその通りだが、なぜか悪い気はしなかった。
「×××のヒト」
 しらっと答えてやる。
「オレな、カズキっていうんだ。あんたは?」
 なんだコイツ。それが、そのときのカズキに対する感想だった。
 初対面の人間に、あんたあんたと連発するヤツ。
「シン」
 やけになれなれしい。
 その質問には、冷たい受け答え。
「なぁシン、オレらと友達なんない?」
「……は?」
「お〜い!友達なるって!来いよ!」
 あたしが返事をする前に、彼は勝手に話を進めていた。
 そしてその呼びかけに答えた少年が、カイだった。
「なにやってんだよ、カズ。そんなあせんなくてもいいじゃん」
 困ったようにやってきた少年は、あたしの前に立つと、にこっと。
 やわらかく、笑った。

              ◇   ◇   ◇
              
『なぁシン。……もう少しさ、ジュケンセイとしてのジカクっての?持ったほうがよくね?』

二章

 世界の果てなんて、ないような気にさせる。
 どこまで歩いても、一面の雪景色。
 なんて世界だろう、と。
 感心したという以外、言葉が見つからない。
 何かの足跡だろうか、わずかに雪がくぼんでいたり。
 遠くに、山並みがうっすらと見える。
 やわらかそうな雪に触れてみる。
(うわ………)
 さらさらと、音がしそう。
 けれど冷たい。
 思わず、寝転びたくなった。
 真っ白な、セカイ。
 雪が降り始めていた。
 きれいというよりも、幻想的。
 地平線に並ぶ、カラマツ林。
 なだらかな丘のライン。
 こんなにもすばらしく広い世界があるなんて。
 だけど時が過ぎてしまえば、この光景もなくなってしまう。
 変わらないものなんて、なにもないのかもしれない。
 人間が、きれいだと心奪われるのもはみな、時の流れの一部に過ぎないのだろうから。
 だけど、それでも。“ずっと”を、望まずにはいられない。


 中三になろうかという、春。
 カイが死んだ。
 心臓に病気を持っているとは聞いていたけど。
 それが“死”というところまで結びつかなかった。
 人間なんて、あっけないものだ。
 あれだけ騒いで、笑って、楽しくて。なのにそれは、誰か一人が欠けた途端に、ただの思い出になってしまった。
 そしてあたしとカズの間では、禁句になっていった。

              ◇   ◇   ◇
            
 葬式がある、と聞いたのは、春の、暖かい日。
「シン!電話」
 そう言って子機を持ってきた母さんは、机の上をちらりとのぞいて去っていった。
 そんなにあたしが何をしているのかが気になるのだろうか。
「もしもし?」
『………』
 無言。
「もしも〜し?」
『………。……シン…か……?』
 受話器の奥で、カズの震える声が聞こえた。
「どうかした?」
 らしくない。なぜか、とてもいやな予感がする。
 重い空気が、受話器の奥から伝わってくるようだった。
『…………カイが……。………死んだよ……』
「……………。………、……………。    …は?」
 なに言ってるんだコイツ。
 まず最初に、思ったことはそれだった。
 カイが死んだ?なんで?そんなこと、あるわけがない。理由が、ない。
 しばらく、沈黙が続いた。
『明日通夜で、葬式は明後日だって』
 震える、声。
 心の奥が、悲鳴を上げたけど。あたしはそんなの、無視した。
 拒否する、というよりも。なぜか、信じられなかった。
 いつも元気のよすぎるカズの、わざとらしい震える声とか。なんだか、変にウソっぽくて。
 ふと、目に入ったカレンダー。四月の、一番初めの日。
「あ〜!」
『……シン?』
 カズには見えないだろうが、あたしは小さく何度も頷いた。
「カズ、来年からはもうちょっとマシなのにしてくんない?」
『……は?』
「笑えないよ、それは。いくらエイプリルフールだからって」
『………』
「あたし、信じかけたじゃん」
 話器の奥が、黙った。
 妙に長い時間続く、沈黙。
「カズ?」
『………』
「お〜い?どうした?」
『………』
 黙ったまま、聞こえないカズの気配。
 嘘がばれて、怒っているのだろうか?
 そう考える一方で。心臓の音がやけに大きい。
 背中のほうから、ぞくぞくと何かが這い上がってくる。
 はやく。早く、嘘だといって。
 いつもみたいに、わらって。怒っていてもいいから。
 強く、何かを望んでいた。
「カズ?」

『……………本当にウソなら、って……、オレだって思ったよ……』

「え?」
 静かな一言を残して。
 電話は切れた。

 葬儀の日は。
 涙を吸い込むように晴れ渡った青空で。
 喪服と制服を着た人がごったがえす中で。
 泣かなかったのは、彼の、お姉さんだけだった。

              ◇   ◇   ◇ 
 
 カイは、カメラマンになりたいといっていた。
 だから本屋で、“海(カイ) 写真集”と書かれたそれを見たとき、心臓が、
 止まるかと思った。
 そしてその中を見たとき。
 その写真の光景に。
 鳥肌が、立った。

三章

 気づけば、もう日が暮れかけていた。
 一日は、何て早く終わってしまうのだろう。
 回想に気をとられている間に、雪はやんでしまっていた。
 そろそろ、彼女の家に行かなくちゃ。まさか、野宿するわけにもいかない。
 けれど、目が離せない。
 きらきらと煌く、その光景からは。
「きれいでしょ?」
 声に驚いて振り返ると、一人の女性が立っていた。
 カイの、お姉さん。
「寒くない?遅いから、心配していたのよ」
 そう言って、彼女は、サヤさんは、あたしの横に並ぶ。
「雪がやんで、気温が一気に下がるとね。こんな風に、煌くの」
 怖いくらいに、神々しい。
 積もり積もった雪は、急速に晴れ上がった空に現れた日の光に、照らされ。
 丘一面が、輝いていた。
 遠くに、雪山が見える。
「………」
 隣に立つサヤさんは、柔らかい表情。
 一年も経っていないのに。
 どうしてこんなにも、すがすがしい表情をしていられるのだろう。
 あたしは、まだ納得できていないのに。
 あの瞬間のまま、あたしの時間は止まってしまっているのに。
 彼女は、もうとっくに動き出してしまっている。
 どうして?
 横顔に問いかけてみても。
 サヤさんが、返事をすることはない。
 
 その日は、彼女のところに泊めてもらった。

 二日目。
 そろそろ向こうでは大騒ぎになっている頃だろうと。
 どうでもいいことを考えながら、あたしは薄暗い外へ、一人出かけた。
 朝日を、見ようと思った。
 そんなこと、一度だって考えもしなかったのに。
 金色の世界を目の当たりにした瞬間。
 あたしは今までどうしてこの光景に出逢う機会がなかったのかと。
 残念で、仕方なかった。
 朝日が顔をのぞかせるという瞬間。
 その時セカイは、黄金色に染まる。
 霧氷の衣装をまとったカラマツ林が、その光を和らげて。
 昼間とは、全然違う空間。
「………」
 だけど。
 時間が経てば、その空間はあたしが知っているものへと変わっていくのだ。
 いや、似ているだけだから、そのものではない。
「……」

              ◇   ◇   ◇

「シン、オレと付き合わん?」

「………」
 どうして、と。
 思わず、聞き返すところだった。
 柄になく真顔で呼び出されて。
 何かおもしろいことでもしてくれるのかと思いきや、まさか。
 放課後の体育館裏。
 こんなありきたりなシチュエーションで、しかも、そんな風に見ていなかった親友から、告白されるなんて。
 まるで、悪い夢でも見ているみたい。
 あたしの知らないカズが、あたしの前であたしをみている。
「シン?」
「……あたし、は………」
 このままでいたい。
 カイも、このままを望んでいる。きっと、きっと。
 あたしたち三人で、ずっとこのままで。
 天国から見ているカイだって、きっと望んでいるはず。
 ギュッと、こぶしを握りしめる。
 どうして、このままじゃいけないんだろう。
 何もかも、かわっていく。
 ただ楽しかっただけの、あの頃に戻れたらいいのに。
 カイもいた。あたしの知ってるカズもいた。
 三人で、ずっと笑っていられたらよかったのに。
 カズが、目の前のカズが、今にも笑って、『冗談だよ』って言ってくれたらいいって。
 強く強く、望んでる。
「……何で……?」
「え?」
「何でそんなこというの」
 そう言うと。
 困ったように笑っている。
 ドウシテ?
 あたし達がそんな関係になったら、カイの居場所はどこにあるの?
 どうして。
 まるでカイを忘れようとしているみたいに。
 まるで今までの関係じゃ、ダメみたいに。
 時間は、意地悪だ。
 どうして関係を壊そうとするんだろう。
 このままじゃいけない理由なんて、あるのだろうか。
「シン?どう?ためしに、でもいいからさ」
「………」
 かわらなきゃいけない?
 わからない。
 だから、頷けなかった。

四章

 サヤさんには、家に泊めてもらっているだけ。
 何も、言わずにあたしを受け入れてくれる人。
 あの写真は、カイが生前撮ったものだと聞いた。
 それに、彼女がとったものを加えて、写真集として出した、と。
 家を貸してくれているだけで、他に何も干渉をしない人。
 優しい人。

 しばらく歩くと、雪の中に納屋が見えてきた。
 今日の空は、冬にしては珍しい青空だ。
 地上はしろ。
 空はあお。
 その地平線が、くっきりと、浮かんでいた。
 何か動物の足跡だろうか。
 昨日来たときに見たモノと同類の、ちいさな丸い足跡。
 そしてその先に、年季の入った納屋が見えた。
 カラマツの影が、真っ白な丘に模様を描いている。
 ポツン、と、一本だけ、向こうに木が立っている。
 それもまた、幻想的で、きれいだった。
 自然は、癒される。
 なんてらしくないことを考える。
 今日も、寒い。
 はっきり言って、足は痺れを通り越して、感覚がない。
 だけどその寒さが、気持ちを軽くしてくれているような気がした。


 笑われたユメ。
 大人達は、未来をみろとしつこく言う。
 信用のないものはすべてウソで、それ以外は全部ホント。
 目に見えるものだけが事実で、それ以外は全部偽物。
 大人なんて、あたしの、知らない生き物だ。
 どうしてそんな風に決めつけてしまうことができるのだろう。
 どこに真実があるかもわからない世界で。
 否、真実が、あるかもわからない世界で。
 カズだって、そうだ。
 何故今の関係を壊そうとする?
 決定的な関係がないと、この先やっていけないんだろうか。
 なんだってそう。


 雪原光雲。
 一日中、晴天が続くわけがない。
 サヤさんが、言っていた。
 晴れていても、西側から雲が去来し、雪を降らせることもある。
 本当に、その通りだ。
 雲によって作られた影の下に、青い世界。
 白い雪は、かげると青くなるものか。
 妙に、感心する。
 雲と雲の間から、冬の光がまぶしい。
 夏に見える、積乱雲のよう。
 湧き上がる、雲。


 どうしてだろう。
 楽しくて。
 それ以外望んでいなかったのに。
 いつの間にか、知らない間に、
 時は過ぎていって。
 悪い、冗談みたいに。
 変わっていく環境。
 変わっていく景色。
 変わっていく関係。
 変わっていく。
 みんなみんな、かわっていく。
 かわらないものなんてないんだ、って。
 その現実を突きつけられたとき。
 あたしは、それを冷静に受け止めることができなかった。
 だから、あんなこと。

              ◇    ◇    ◇

「それで?」
「………なにが?」
「こないだの答え。黙って逃げ出したときの」
 聞かれるんじゃないかとは思っていた。
 彼はそういう性格だったし、何よりあたしがカズの立場だったらすっきりしない。
 前と同じ、放課後の体育館裏。
 体が、震えていた。
「ごめん」
 って、ひとこと言うだけでいいのに。
 それができない。
 あたしには、できなかった。
 もしその言葉を口にしてしまえば、あたし達の関係は終わる。
 そんな勇気、あたしにはなかった。
 そして気づかなかった。
 ここで断っても断らなくても。
 あたしには“今のままの関係”を続ける度胸なんて、ないのだということに。
「カイは、いいよね」
「……は?」
 期待と違う返事をよこされ、とまどうようにカズはつぶやく。
「あたしは………。ずっとあのままでいたかった。……あのままずっと、笑っていられるだけでよかったのに。…カイはさ、こんな想い、……しなくすむんだから」
「シン!」
 真っ直ぐに、カズの目が見れない。
 死んだ人をうらやむあたしに、カズは何を思うだろう?
 だけど。

 なにが怖いかって?
 きまってる。
 かわっていくことがこわいんだ。
 どうして今のままじゃいけないんだろう。
 大人になる?
 目に見えないものを信じられなくなっていきながら?
 諦め、妥協、断念。
 そんなものを繰り返して、大人になるのが怖い。
 どうして、いまのままじゃいけない?
 いつまでも子供でいられないのは何故?
 どうあがいても、時の流れに逆らうことができないのはなぜ?
 人は、あたし達は、時間というものに対して、どうしてこうも無力なんだろう。
 あたしたちは、ただ身を任せるしかないのだろうか。
 それが、生き年生ける者への。
 この世に生を受けた、代償なのだろうか?

五章

 一日の終わりを見つめる。
 時間なんて、あっという間。
 夕暮に染まる丘の上に立つ親子の木も、今日という日を生き、そしてまた、明日も生きるのだろう。
 アカガネいろの空。
 哀愁を、誘う。
 なきたくなる。

 夜の景色をみたいといったら、サヤさんは難なくOKしてくれた。
 一緒にいてくれないかと頼むと、それも。
 夜中の二時。
 あたし達は、すわって夜を眺めた。
 やっぱり、昼間とは全然違うくて。
 でもやっぱりきれいだった。
 冬は、一番きれいな季節のかもしれない。
 しんしんと降る、雪。
 月光に照らされた雪ほど。
 これほど神秘的なものは、ない気がする。
 そして。
 こわくなった。
 夜に、飲み込まれてしまいそうで。
 気がつくと、
 あたしはすべてを、彼女に話していた。

「そう」
 静かに、サヤさんはつぶやいた。
 黙って、聞き入れてくれた人。
「あなたのなかでは、“時”というものはまるで、仇みたいね」
 笑いながら、彼女は言う。
「……あなたは……。時の流れがなければ、カイは死ななかったと、思っているんじゃない?なにもかも、あのときのままだった、って」
 凍えそうな夜。
 カイを、誰よりも愛した人からそう問われるのは、どこか不思議な感じがした。
「サヤさんは、そうは思わないんですか?」
 静かに、けれど迷うことなく、彼女は頷いた。
「どうして……」
「………。時の流れなんてね、人間が勝手に作った幻想でしかないと思うから」
 何も言えず、次の言葉を待つ。
「あなたはかわるのが怖いといった。それもこれも、すべて時間の流れのせいだと。だけどね。みんながみんな、仕方なしに、かわっていくわけじゃないわ。かわっていく者は、かわりたいと思っているのよ。全部、自分で決めたこと。カズ君も、違う自分を見てみたいと思ったから、あなたに告白したんじゃない?」
 何も言えない。
「時の流れがなかったら、なんて。考えても仕方ないわ。だって、私達は時の流れの上に生きているから」
 それはきっと、彼女が何ヶ月も考えて出した答えなのだろう。
 このひとは、あたし以上に、きっと時の流れを恨んだはず。
「かわるのが怖いのなら、かわらなければいい。かわろうと思え、なんて、私は言わないし、思わない。だって、かわりたくないと思ってやっていける人は、この世にいっぱいいるはずだから。そして、私はその中の一人だからね」
 やさしい月光。
 カイが死んだと聞いた日も、ここには存在したのだろうか。
「だからといって。その人たちの決断に、私達が口を出すことはできなわ。それがたとえ、あなたのような立場にあっても」
「だけど。あたしはそのせいで、かわってしまうかもしれない」
「それは違うわ。あなたがかわりたくないと願うのなら、そのかわりたくないと思う自分をしっかり持っていればいいだけのこと」
「………」
「だけどね。人は生きている限り、変化せずにはいられないの。考えてみて?ここに来ようと思ったのは、あなたの決断。その決断を下す前のあなたと後のあなたは、少なからず違っているはずよ。こうやって話をした後のあなたと、する前のあなたとでは、多少なりとも違いがあるはずよ」
「………」
 すべて、あたしの決断だったという。
 ほんとうに、そうなんだろうか。
 受験をすると決めたのは、あたしの意思?
 高校に行くと決めたのは、あたしの意思?
 カズから逃げたのも
 大人になるのがいやだと思ったのも
 カイがいなくなってしまったと、途方にくれたのも。
 全部ぜんぶ、あたしの、意思?
「何かきっかけがあったとしても。決めたのはあなた。立ち止まっていちゃ、何も変わらないし、何も動かない。だれも、決断してくれないから。どんなことがあっても、最後に決めるのはあなたなのよ」

 彼女の言葉に、説得力があるのは気のせいじゃない。
 けれどあたしは。
 それでもまだ。
 素直に、うなずくことができなかった。

六章

 三日目の朝は。
 並木にひかりの帯がはしった。
 雪が、薄紫に染まった。
 朝日の光が七色に輝いて見えて。
 少し曇った空は昨日よりも少し暗い、金色に染まっていた。
 冷え込んだ朝が、オレンジ色に染まる。
「きれー……」
 語彙が少ないなぁと、自分でも思う。
 だけど、それしか言葉が浮かばない。
 人が作った言葉なんかで、表せられるものじゃない。
 それほどまでに、神々しい。


 今日はサヤさんがくれたカイロを靴と靴下の間に挟んでいるせいか、昨日ほどに寒さは感じない。
 それでも、鼻はもげそうだし、耳は痛いし、顔にはなんだかわからない傷がつきそう。
 長靴を貸してくれると言われたが、断ったのはじかに感じたいから。
 雪の冷たさ。そんなもの。
 歩き続ける。
 あたししかいない世界を。
 時の流れを感じないセカイを。

 きれいなもの。
 風に乗った霧。
 雪の中で交差する光と影。
 真っ青な空に映える雪が原。
 並ぶカラマツ。
 冬の光。
 冷たすぎる風。
 そして何より、霧氷。
 周囲の景色と一体化した霧氷。
 青に映える霧氷。
 それはまるで。
 木々の枝という枝に、雪の華が咲いたようで。
 ゆめのように。
 あたしの前に現れる。
 それから。
 太陽をバックに、キラキラと輝く霧氷も。
 これ以上ないほどにきれいだ。


 止めたままの時間。
 動かさなくちゃいけない。
 カイは、死んだんだ。
 あんなにも、楽しくて。
 あんなにも、やわらかく笑っていたあの人は、もういないんだ。
 信じたくなかった。
 信じたら、認めてしまったら。
 カイは本当にしんでしまう気がして。
 受験だって、ある。
 見たくなかった。
 いつまでも。
 ずっと、こどものままでいたかった。
 大人になんて、なりたくない。
 時間が、止まればいいと思った。
 また、息苦しい日々が始まってしまう。
 このままずっとここにいれば。
 あたしは、時間を止めることができるのだろうか。
 雪の上に、うずくまる。
 一日なんて、あっという間。
 何もしない日は、あんなにも長いのに。
 ここにいたいと願う日だけは、どうしてこうも。
 こわい、いやだ。
 そんなものたちが、あたしを取り巻き、からだを埋め尽くして。
 思いきり、おもいっきり、
 なきたかった。
 いつの間にか、泣き方さえ忘れてしまっていた。
 声を殺して、なくしかできない。
 こうして、大人になっていくのだ。
 本当は欲しくもないものを手に入れる引き換えに、何か大事なものをなくしていきながら。
 子供の頃、好きで好きでたまらなかった気持ちとか。
 いつかは空も飛べるんだという、絶対的な真実とか。
 あたし達は、なくしていく。
 どうあがいても、逆らうことはできないんだ。
 そして、その事実を認めてしまえば。
 仕方ない、と諦めてしまえば。
 大人に、なってしまう。
 諦めかけている自分がいやで。
 また、大きくしゃくりあげて。
 ないた。
 どうしようもなく熱い涙が、雪を溶かしていく。



 どれくらい、そうして泣いていただろう。
 あまりの寒さと、なき疲れのせいで震える肩を、あげる。
 日は、沈んでしまっている。
 そして、鳥肌が立った。
 寒いからではなく。
 その光景に。
 あの日見た、怖いくらいに、のみこまれる光景に。
 カラマツ林のうしろで。
 雲が、
 静かに、
 深く、

     燃えていた。
 
 西側から張り出してきた雲が、染まって。
 地平線でない、雪の丘のラインが、黄色の雲に映えて。
 日の光がないほうは、紫。
 そして丘のラインに近づくほどに、薄桃、アカガネ、オレンジ、黄色、  と、変わっていく。
 山肌が、紺のシルエットのようで。
 鳥肌の、立つ風景。

「カイ……」

 こんなところに、いたの?
 カイも、この風景を見たんだね。
 あの写真集。
 あたしに、ここに来させようと思わせたもの。
 あれは、あの写真は、カイの渾身の力だと聞いた。
 本当に、撮りたかったもの。
 自分の死後に、どうしても見せたかったもの。
 サヤさんは、きっとあれがそうなんだと言った。
 カイと、同じ景色を目にしてる。
 それはとても不思議で。
 なんだかわからないあたたかさが。
 足元の雪を、溶かしていくようだった。


「なにやってんだよ」
 初日と同じように、声に驚いて振り返る。
 そこには、
「カズ……」
 親友の、姿があった。
 心を奪われ、気づかなかった。
「サボりなんて、らしくないことするなよな」
「………」
 驚きと、悔しさと、
 嬉しさが一緒になって。
 ただ、彼を見つめるしかできなかった。
「すげぇなぁ」
 隣に立って、同じように空を見上げる。
「……じゅぎょう、は?」
 震えてしまう声で、訊く。
「さぼりー。明日行ったら、大目玉だぜ?」
 ははっ、と、楽しそうに笑う。
 そして。二人で、眺めていた。
 その冬の中、一番きれいな瞬間を。
 時を超えて。
 あたし達は、カイが見た風景を共有していた。

「帰ろうぜ。みんな待ってるよ、サヤさん家で。今日は鍋パーティーだってさ」
 “みんな”。
 そのことばが、心にしみこんでいくのを感じる。
 そして。
「……うん……」
 そこには、素直にうなずけるあたしがいた。


 まだ、なにも解決しちゃいない。
 本当は、逃げてしまいたい。
 大人になりたいとは思わない。
 帰れば必ずくるであろう、大人達の説教には、やっぱり反発を覚えずにはいられないだろう。
 だけど。
 カイはきっと望むだろう。
 かわっていく、ということを。
 今は嫌だと思うことを、あたし自身が近い将来望むかもしれない。
 カイの死を受け止めて、前に進もうとすることを、望むかもしれない。
 死んでしまうということは、かわることを望めなくなるということなのかもしれない。

 時は、流れるものじゃない。
 そう言ったサヤさんの言葉を、あたしは受け入れることができない。
 だって、時の流れがないのなら、こんなきれいな光景を見ることはできなかったはずだから。
 でもだからって、それはどうこう言うことじゃない。
 サヤさんは、あたしじゃない。
 あたしは、サヤさんじゃない。
 あたしとサヤさんの意見が違う、それは即ち、あたし達の価値観が違うということ。
 ただ、それだけのことだ。
 時は、否応なしにやってくる代物で。
 サヤさんの言うように、あたしにとっては仇みたいなもので。
 それが、あたしの真実。
 だから。止まっていても必ずやって来るから。
 ならば、こっちから出向いてやろう、と。
 思えるように、なったから。



 西の空。
 カイがしたように、カメラのシャッターを切るつもりで。
 心の窓を開ける。
 この瞬間を焼き付けるように。
 この瞬間の気持ちを、焼き付けるように。
 忘れることの、ないように。

「なにやってんだよ」
 カズが、振り向いて言う。
「いまいく!」
 ひどい顔をしているだろう。あれだけ泣いたのだから。
 それでもカズは何も言わず、苦笑するだけだった。
 あたしは、顔を赤らめて待つカズに向かって駆け出した。
 その時。

『  が   ん  ば っ   て』

 と。
 声が聞こえて振り返る。

 そこには……
 懐かしい励ましの声がすいこまれていった、
 冬の
 
 黄昏があった。
2004-01-26 17:02:27公開 / 作者:藤崎
■この作品の著作権は藤崎さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
ホントはもっと、シンの気持ちを丁寧に書きたかった。だけどそれは、今の藤崎の能力では無理らしい。まだまだ努力が足りない。
最後の“がんばって”のセリフは、誰の言葉だか分かっていただけたでしょうか。
こんな下手くそな、小説といえるかさえ分からない代物に、最後まで目を通してくださった方、心の底から感謝申し上げます。
欠点等、自分では把握し難いため、ありましたらお願いします。酷評、大歓迎です。
この作品に対する感想 - 昇順
とても読みやすい文章に好感を持ちました!とても自分に近い環境を描いているので、親近感が沸きます!続きを楽しみにしています〜
2004-01-21 19:01:28【★★★★☆】葉瀬 潤
テンポがよくて、読みやすかったです♪すごくセンスを感じました。続きも楽しみですvv
2004-01-23 02:06:39【★★★★☆】律
読むたびに、すぐに情景が浮かんできます。無駄な部分がないとこにもすごく好感が持てます!更新を楽しみしています!
2004-01-23 23:43:31【★★★★☆】葉瀬 潤
過去を追憶し、今の世界についての主人公の気持ちにすごく共感できます!
2004-01-24 12:50:10【★★★★☆】葉瀬 潤
読みやすくて、とても楽しめました☆続きが知りたい!
2004-01-25 20:14:50【★★★★☆】梟
読ませていただきました。所々に考えさせられたり、ドキッとするようなセリフがあったり、本当に上手だなぁと思いました☆見習いたいです。続きも読ませてもらいますね!
2004-01-25 23:27:00【☆☆☆☆☆】律
すいません。点を入れ忘れました^^;
2004-01-25 23:27:29【★★★★☆】律
私から指摘する欠点はないです。。その場の情景がすごく伝わって、みんなの考えていることを代弁してくれた作品なのではないでしょうか??とても印象が残る作品でした。。次回作も期待しています!!
2004-01-26 20:33:15【★★★★☆】葉瀬 潤
すごくよかったです!とにかく最後まで綺麗で、物語も面白かったです☆読みやすかった^^次回作も楽しみにしてます!
2004-01-29 00:01:58【★★★★☆】律
計:32点
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