『想いの逝き先』作者:佐倉 透 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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原稿用紙約6.88枚
 どうしようもなく。どうにもならず。
 もてあますばかりの。
 この思いのいきつく先は、どこなのだろう。

 この思いの行き先は。
 この想いの、逝き先は。


「やぁ、精が出るの」
 老人が若い男に声をかけた。
 男はポストに溢れる手紙をどうにかして取り出そうと苦心しているところだった。
「えぇ。毎日こんなに手紙が来るんじゃぁ。ポストを大きくしなけりゃ」
「ほっほ。そりゃあ大変だ。腕のいい大工を呼んでおこうかね?」
 老人は白くたっぷりとした髭を撫でながら聞いた。
「……いえ、自分でどうにかしますよ」
「そうかね、残念じゃの」
 老人は髭を撫でながら言った。残念とは言いながら、別になんてことはないような口振りである。
「ま、今日の昼には、一人呼んでこにゃならんが」
「あ、そうなんですか?」
 ほっほ、と老人は笑った。
「なぁ、トート。お前さんも、そろそろ仕事についたらどうじゃ? いつまでもそんなことしておらんで」
 トートとは、男の名前だった。
「不況で仕事なんてありませんよ、シューじいさん」
「あるところにはあるもんじゃよ?」
「そんな稼ぎのいいところ、俺みたいな変わり者、雇ってくれるわけないでしょ」
 老人――シューはそれもそうかの、と頷いて去っていった。
 トートとシューは昔からの知り合いだ。
 シューはいつもこうして通りがかりに、トートに近況やらなにやら、世間話をして去っていく。
 トートの家は、大通りのすぐ近くにあるので、シューが出かける際には必ず前を通るのだ。
 シューはトートのことをあれこれ気にかける。
 それが善意であると分かっているので、トートも悪い気はしない。
 ただ、仕事の話になると、話は別だ。
 シューはトートに、早く仕事に就けとことあるごとに言うのだが、トートにとって、これだけは大きな御世話だった。
 喰うに困っているわけではないし、今の生活が好きなのだ。
 それに、トートは『仕事』が好きにはなれなかった。
 昔からの友人は、みんな迷いもなく仕事に就いている。
 みんな、自らの仕事に誇りを持っている。
 自分だって昔は、仕事に就くのが当たり前だと思っていた。
 みんなそうなのだ。
 みんなそうなっていったから。
 それが当たり前なのだと思っていた。
 しかし。
 一通の手紙を受け取ってから、どうにも、仕事をしたくなくなってしまったのだ。

 その手紙は、偶然か、必然か、トートの家のポストに届けられた。
 トートに宛てられたものではない。
 ある女性から死んだ恋人に宛てられた手紙だった。
 その手紙は、悲しみを溶かし込んだような薄い薄い藍の便箋に書かれていた。
 ある言葉など、濡れてインクが滲んだのだろう、そのまま乾いて、読めなくなってしまっていた。
 その部分だけ滲んでいたので、配達中に濡れたとか、そんなわけではなく。
 むしろ雫が落ちたような染みであったので、涙で滲んだのだろうというのは、トートにも分かった。
 一言一言に、行き場のない想いが込められていた。
 一字一字に、どうしようもない想いが封じられていた。
 読んでしまって。
 トートは涙が溢れるのを、堪えることが出来なかった。

 この女性の恋人の命を奪ったのは、誰だろう。
 この女性に、こんなに深い悲しみを与えたのは。
 こんなに大きな思いを持っている人に。
 こんなに強い願いを持っている人に。

 トートは。
 友人が憎くてたまらなくなった。
 シューが憎くてたまらなくなった。
 自分の仕事がどんなに大きいものなのかを知った。
 自分の歩もうとする道が。
 だから、仕事に就かないと決めた。
 自分のやるべきことは、そんなことではないと思った。

 翌日から。
 トートの家のポストには、溢れんばかりの手紙が届いていた。
 その手紙を、すべてトートは読んだ。
 死んだ友人に。
 亡くなった母に。
 失った幸せに。
 封じ込めた恋心に。
 行き場を無くした思いのつづられた手紙が、それから毎日、溢れるほど、トートの家に届くようになった。
 トートはもともと小さかったポストを、少し大きく作り変えた。

 ある日、トートが手紙を読んでいると、友人の一人が尋ねてきた。
「なあ、おい、トート」
「なんだよ、邪魔すんなよ」
 手紙を読むのを邪魔されて、トートは苛立った声で友人に応えた。
「聞いて驚けよ! 俺さ、明日王族一人呼ぶ仕事貰っちまったよ!」
 友人はそんなこと気にも留めずに、誇らしげに胸を張って言った。
 トートは顔を上げて、友人を見ると、
「王族?」
 と問うた。
 すると、友人はさらに胸をはって誇らしげに、
「そそ! すげくね? まだ俺新人なのにさぁ! 大役だよなァ。お前も早く仕事しろよ、なぁ。一緒に呼びに行かねぇ?」
 トートは、この友人を今にも張り倒しそうになるのをぐっとこらえた。
「いいや、俺手紙読まなきゃだし」
 苦笑いにも見えるだろう。
 思いながら、トートは笑ってみせた。
「そんなに手紙来るのか? ラブレター?」
「そんなんじゃねーし。相手いねーし」
 言うと、相手も笑って
「だよなー。お前ぷーだもんなー」
 などと言った。
 確かに。
 と、トートは思った。
 確かに端から見れば、自分は無職だから正に『ぷー』なのだが、自分としてはぷーであるという自覚はないのだ。
 むしろ、この友人よりずっといい仕事をしているという自覚さえある。
 人の命を奪う、『死神』の仕事などよりは。
「じゃ、明日頑張れよ」
「おう。お前もいつまでもぷーでいるなよな」
「うるせっ」
 他愛もないことを、そのあと一言二言話してから、友人は帰った。

 自分の生まれは『死神』だ。それは変えられない、と、トートは思う。
 周りの仕事が『死神』として『人を殺す』ことだということも、同じように変えられないと分かっている。
 ならば。
 自分が『死神』でしかないのなら。
 自分は想いの死神になろう。
 絶てぬ思い、断てぬ想い。
 別れの悲しみ。離別の哀しみ。
 行く先のない思いの、行き先になろう。
 逝く先のない想いの、死神になろう。

 そんな『死神』がいても良いじゃないか。
 開き直りともとれる答えに行き着いた時には、トートの家のポストはあふれていた。

「あーあ、またポストでかくしなけりゃ」
2004-01-19 22:07:53公開 / 作者:佐倉 透
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■作者からのメッセージ
あんまりシューの意味がなかったと反省しております……日々是精進。
トートはエジプト神話の神々の書記官からです。
読んでくださってありがとうございました。

PS タイトルが前作の『いきてくつよさ』と酷似していたので、変更しました。すみません、記憶力弱くて……(泣笑
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