『歯車の欠片』作者:久保田亮 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
全角14885文字
容量29770 bytes
原稿用紙約37.21枚
   序章

「ここを出たい?」
「はい」
 深夜、青年は師にそう申し出た。
「……それで、どうするんだ?」
「研究の方に移りたいと思います。自分には、人を教える才も、誰かの下に就くような性格も、を持ち合わせているとは思いませんので」
「ほう……」
「今までの指導、そして面倒を、ありがとうございました」
「行く当ては決まっているのか?」
「はい。四年という期限付きで、既に研究所の方は。そちらに、移って生活していきたいと思います」
「……そうか」
「それでは、失礼します。夜分に、すみませんでした」
 ぺこりと、青年は頭を下げると静かに反転して部屋を出た。
 その後姿を、寂しそうな目で、師は見つめた。名残惜しそうに、あの巣立つ鳥に必要だったものを教えることが出来なかった自分を責めるかのように。


   一章

 フラスコの中に光がともる。儚い、淡い小さな光。レビィはそれに手をかざして、小さく呪文を唱えた。
 唱えた瞬間、花火のように一瞬様々な色を見せて光は輝き、あっという間に散ってしまった。
「っち。また失敗か……」
 静かに呟く。フラスコの中は、淡い光の残像と、光がいたことを証明するかのように、白い煙が弱弱しく漂っていた。
 溜息をつくと、レビィは無造作にフラスコを机の上に置いた。自分と同じだ。何かが足りない。
 レビィことレヴィ・ヴァン・アレウリスは、魔導師だった。魔導師と一般的に言っても、三種の魔導師が存在する。一つ目は、実際に魔導を用いて人や国に雇われて戦力となる魔導師。二つ目は、弟子を取り、人に魔導を教える魔導の先生業をやる魔導師。そして三つ目、それが彼の職業。新しい魔導やそれに順ずるものを開発、発明する魔導師である。大抵は魔導と魔導を掛け合わせて新しい魔導を開発したり、魔導の新しい利用法などを考え出すのが仕事なのだが、彼はそうではなく、魔導から物質的な何かを生み出せはしないかという研究に励んでいた。
 短い金糸の髪を掻き毟ると、レビィはどかりと椅子に座り頭を抱えた。
 魔導とは、四つの元素(エレメント)(火・水・風・地)と五つ目の高次元素、を混ぜて発動させる非物質的現象のことである。彼はここに目を付けて、混ぜる割合を何とか工夫してゼロからモノが作れないものかと、研究をしていた。過去には、今ある物質を原料に、エーテルを混ぜて新たな物質を作り上げる研究はなされたが、一から生み出す研究はなされてはいない。しかし現実はと言えば、魔導から光を生み出すと言う初級のことは出来ても、そこから発展して何か物質を作ることには至らず、いつも混ぜたエーテルに耐えかねて元素が爆発すると言う結果に至っていた。
 魔導を教えていただいた師匠に弟子入りして魔導の根本を学んだのが十年前――十歳の頃だった。それから一通りのことを教わり、今の研究を始めて四年。未だ成功と呼べるような代物を作り出せずにいる。焦ってはいけないとはわかりつつ、焦りがじわじわと、レビィを襲っていた。
 研究を始めて、四年目――それは、もう後がないと言うことを表す言葉だった。研究を始めて何らかの成果が四年の間に出ない限り、魔導研究と言うものとはみなされない。つまり、折角弟子入りして魔導を使えるようになっても、ただの無職の状態に放り出されてしまう、と言うことだ。
 自分を育て、魔導を教えてくれた師匠から自立して、何の成果を挙げることがなく、無駄に四年という歳月が流れた。
 後がない……。
 焦ってはいけないとは思っていても、焦ってしまう。焦燥感に負けている自分を、何度も何度も冷静になれと言い聞かせる。レビィの毎日は、そんな毎日だった。
 確かに、後はなかった。この半年で研究の成果を出さない限り、彼はこの研究を続ける術を失う。
「くそっ……!」
 レヴィは、思わず右の拳を卓上に叩き付けた。
 硝子と硝子がぶつかり合う音がして、何本もの試験管やフラスコが音を立てて揺れた。
 その中に、先ほど失敗して煙を出していたフラスコが一つ、バランスを失ってゆっくりと大きな円を描いて机の上で踊ると、床へと落下していった。
 ガシャン。
 フラスコは床に接触すると見事に割れて、フラスコ内に溜まっていた煙や液体が床に散らばった。
「うわっ」
慌てて、レヴィは床のあちこちに広がった硝子の欠片を拾おうと屈んで手を伸ばそうとした時、彼の白衣の袖が卓上のものをひっかけ、何本かの試験管がその上に落ちて割れた。白濁した煙と無色の液体の上に、試験管の中の様々な色の液体が流れ出した途端、白い煙が部屋中を満たした。
「な、何だ?!」
 突然の煙に、レヴィは慌てて両腕を振り回した。同時に、卓上の試験管にあたったのか何かが割れる音がし、床に更に液体が零れていき、室内の白濁は次第に濃くなった。


「っ……ゲホっ……」
 静かに白濁は治まっていき、レヴィはゆっくりと身体を起こした。段々とはっきりしていく視界は荒れていて、試験管やフラスコ、硝子の破片などが散乱していた。
 やってしまったと思い、溜息をつきつつ頭の後ろを掻きながらゆっくりと辺りを見回す。
 と、その時突然レヴィの左足首に何かに刺された様な、妙な痛みを感じた。
「っ……!」
 驚いて、思わず足を振った。すると、何かが机の脚にあたる音とカチャン、っと小さな硝子の音がして、それよりも小さな声で何者かが小さく呻いた。驚いて呻き声のあがった方辺りへと視線を移す。
 レヴィと同じ白い肌、不自然な淡い朱鷺色の長い少しウエーブのかかった髪。瞳の色は閉じていて良くわからないが、その全てが言葉通りに小さな人形のように小さかった。そう、つまり手のひらサイズの人間が、机の脚に頭を打ったのか伸びて目を回していた。裸体だったが、男なのか、女なのかその外見では良くはわからなかった。人間と同じ大きさであったら、十歳くらいであっただろうか。しかし、性別と言うものがないように見えた。
「な、何だ………?」
 突然現れた小さな人形のような生物を目の当たりにして、静かにレヴィは呻いた。



 妙な痛みは、人形のようなこの小さな人間――いや、人間と呼んでいいのだろうか? ――がレヴィの足首を噛んだからである事が判明した。手加減というものがなく、まるで喰い千切らんばかりに噛んだその痕は、小さな歯型の形に赤く腫れあがり、血が滲んでいた。レヴィは、足首に乱暴に包帯を巻くと、そのままでは寒そうなので自分を傷付けた本人にも白い肌に洋服代わりに体中に包帯を巻きつけた。
 包帯を巻きつけて、失神している小さな生物を両手でそっと抱えて、レヴィは研究室の戸を乱暴に開け、開けっ放しのまま慌てて夜の街に出た。研究室としてレヴィが使っている街外れの施設から歩いて十五分のところに、彼の師匠が住んでいる。その師匠の元へ、彼は走った。
「師匠っ!!」
 時間帯も忘れ、レヴィは声を張り上げた。
 もしかしたら、いや、もしかしなくても。もしかしなくても、この手の中に居る生命体は、もしや……
「ししょぉぉーーー」
「……叫ばなくてもわかるわ。少しは近所迷惑も考えなさい。レヴィ、何時だと思ってる?」
 玄関の前で叫ぶ二十の青年に、玄関を開けると呆れた声でアルヴァは言った。白い息を吐き出しながら、アルヴァをレヴィは見上げた。黒い目、黄色い肌。肩まで伸びた黒い髪を、乱暴に三つ編みにした三十過ぎの青年が、レヴィの師匠、アルヴァー・クライシス・リテイルだった。
「で? どした? こんな時間に情けないくらいな変な叫びのような声出して」
 アルヴァは、レヴィを家内に促すと、後ろ手でドアを閉めた。
「し、師匠、見てください」
 レヴィは、未だ興奮が醒めない、と言う感じで両手をあるヴァの前に差し出した。アルヴァはレヴィの両手の中でぐったりしている生命体を見ると、一瞬驚いたように目を見開いて、それからレヴィの方へと視線を元に戻した。
「……気絶しているのか?」
 レヴィは、アルヴァの声に無言で頷いた。そして、一度落ち着くために息を整えてから、レヴィは静かに口を開いた。
「五つの元素だけで、生成した、生命体です」
「……製造法は?」
「……え……?」
 てっきり、自分と一緒に驚いたり喜んだりしてくれるだろうと思っていたアルヴァは、レヴィの予想とは全く違い、冷静にレヴィにそう問うた。
「製造法は?」
「……ええっと……」
 思いがけない言葉に、レヴィは言葉を詰まらせた。製造法。新たなものを五大元素で作り上げるのに必死で、すっかり忘れていた。
「製造法は? と聞いている。……まさか、偶然出来た偶然の代物を持ってきて、出来た出来たと騒いでいるわけではないよな?」
 ぎくり、と冷たい汗がレヴィの肌を伝った。
「……図星か……お前にしては、珍しい見落としだ」
 その様子を見て、呆れたようにアルヴァは溜息をついた。
「研究を発表するって事は過程も発表しなきゃ意味がないんだぞ? 製品を開発しているんじゃないんだ。製造方法を発表しないと意味が全くないじゃないか。お前はこれで、「研究が成功した〜」と勝手に喜んでたんだろ。どうせ」
 製品開発でも、過程発表は要るがな、とアルヴァは付け足した。すっかり意表を突かれて、レヴィは暫し呆然とした。全身の力が抜けたようにへなへなと座り込むと、今の状態が数時間前と全く変わっていないと言う事実を突きつけられて、頭が真っ白になってしまった。
「……そ、そんな……」
 そう、呟いた時だった。小さな呻き声を上げてレヴィの手の中の小さな小人は、瞳を開けた。宝石のような赤い瞳を少し曇らせ、朦朧とした頭を二、三度振ると、レヴィの手のひらに思いっきり噛みついた。
「ってぇっ!!!」
 唸りながら、怯えてレヴィの肉を噛んでいる製造物を見て、静かにアルヴァは言った。
「……獣だな。これは」


 そいつは暫くがしがしとレヴィに噛み付いていたが、生肉を与えたらそっちの方にかぶりついて静かになった。
「……冗談で、持ってきたんだが……生肉、食っとるな…こいつ」
 アルヴァが何やらため息混じりに言った台詞に、レヴィは心の中で冗談かよっ!と突っ込みを入れておいた。
 綺麗な整った天使のような顔立ちをして、生肉を食べているという現実の視界的ギャップに、レヴィは少し頭がくらくらしていた。
 物語で言うなら、こいつは魔導から作られた人間――ホムンクルスという事になる。色んな魔導師がこのホムンクルスを生成しようとして失敗し、夢を見てきた魔導ではあるが、そんな夢物語のホムンクルスは少なくとも生肉を食べるなんて事はなかったような気がする。夢物語のホムンクルスを自分で作り上げ目の当たりにしているわけだが……現実と言う奴は、どうもこういうものらしい。
「で? どうするんだ? レヴィ」
「どうするって……」
「こいつだよ。いくら製造法がわからない偶然の産物とはいえ、まさか、作っておいて捨てるわけにはいかんだろう?」
 そう言って、アルヴァは生肉を美味しそうに頬張る小さな小人を肩越しに指差した。
「ああ……」
 生返事を返しながら、レヴィは親指の爪を噛んだ。小さい頃の癖で考え込むときはいつもこうしてしまう。
「産物から、配合割合や順番が割り出せないでしょうか……?」
「……つまり、こいつの組織片から、製造方法を逆にたどってみると?」
 そう言って、アルヴァは小人の頭を指先でぺちぺちと叩いた。
「ええ」
「……まあ、親はお前さんだしな。俺は好き勝手なことは言わんよ」
「……親?」
 突然言われた聞きなれない言葉に、レヴィは眉を顰めたが……確かに、よく考えてみれば偶然の産物とはいえ、製造主はレヴィではある。そう、よく考えてみれば、だが。
「……親、なんですか?」
「親みたいなもんだろ。ほれ、ついでなんだから名前の一つくらい付けてやらんとな」
 アルヴァはレヴィにきっぱりと言い放ったが、レヴィは予想もしていなかった話に、明らかに動揺を見せた。名前? 親? 確かに、創ったのは自分。だが、創り上げたからと言って、こいつの親?
「それとも、俺が名付け親になってやろうか?」
「……あの、師匠……さっきから何を言って……」
 混乱しているレヴィを見て、にやりと口の端を曲げると、アルヴァは小人の朱鷺色の髪を指先で優しく撫でた。
「『ウェリア』……うん。ウェリアにしようか。なぁ、ウェリア、気に入ったか?」
 生肉を頬張るウェリアに向かって、アルヴァはにっこりと笑った。それにつられてか、噛んでいた肉から口を外すと、にっこりとウェリアも笑った。
 朱鷺色の髪が、白い肌の上をさらりと流れ、紅玉の瞳は嬉しそうに微笑んだ。その笑みはとても純粋で、まるで天使のような綺麗なものだった。


二章

「っああああああっ?!!!」
 レヴィは、首筋に強烈な痛みを感じて慌てて起き上がった。寝起きの頭は、本能的に首筋の痛みの元を叩き落そうとして、両手をもがくように命じたらしい。数秒の格闘の後、ぽとりと、何物かが掛け布団の上に落ちた。
「っ、はぁ、はぁ……」
 涙目で荒れた息を整え、現在の自分の状況を確認しようと、自然に落下物を目が追った。
「……何だよ……」
 落下物を目に写したレヴィは、気が抜けたように言った。落下物は、自分が落下したことすら理解できないようで、自分を見つめるレヴィに、大きな赤い瞳を更に大きく見開いてぱちくりと見つめ返していた。
「……う?」
「『う?』じゃないっ!」
 首をかしげた小さな小人――そうだ、名は確か昨日アルヴァ師匠が付けた筈。ウェリアと言ったか――に、涙を抑えながらレヴィは声をあげた。
 ウェリアを掛け布団の上に残したままベッドから起き上がると、鏡を覗き込んで首筋を写してみる。小さな歯型が、紅く浮き上がっていた。
 一体何なんだ。朝から……俺が一体何をしたというんだ。ウェリアに何一つしていないというのに、どうして噛まれなきゃならないんだ。
 言うことの聞かない犬でも飼い始めたような感じに、レヴィはため息をついた。
「……っくちっ……」
 そんなレヴィの心を知ってかしらずか、ウェリアは小さなくしゃみをした。


 とりあえず、昨夜はお腹がいっぱいになって眠くなったのか、ウェリアはだんだんととろんとした目になり、船を漕ぎ出したので家に帰る事にした。家に着いた頃にはすっかりとレヴィの手のひらの中で寝息をたてており、ベッドの横の棚の上にタオルで寝床を作ってそこにウェリアを寝かせ、自分も夢路についたのだ。
 レヴィは、朝食をちゃっちゃと作ると(ベーコンと卵を炒め、パンを焼き、野菜を洗って刻んだ簡単なものだが)その一部を小さな皿によそってやり、ウェリアの前に置いた。ウェリアは、不思議そうに皿の上の物を見て、首を暫くかしげたり、恐る恐る触ったりしてみた後、ようやく食べ物とわかったのか口に入れた。どうやら、生肉以外も食べれるらしい。
 裸では寒そうだが、ウェリアの身体に合うサイズの服などなく、レヴィは布切れを何枚か巻いてやった。
 嬉しそうに手掴みでご飯を食べるウェリアを見て、ようやく朝首に噛み付かれたのはお腹が空いたかららしいことが判明した。
 まるで、子供と獣の間のようなイキモノだった。言葉は上手くしゃべれないらしく、「う」とか「あう」とか、言葉ではないようなものを時々漏らす。師匠の言葉を借りるのなら、レヴィを親みたいに思っているらしく、何かあるたびに「あー」とか言いながら、レヴィをぺちぺちと叩いた。それでも、放っておくと噛み付くので、レヴィは叩かれるたびに仕方なく「なに?」と小さな子供に尋ねた。



「何だかんだ言って、すっかりお父さんしてるな。レヴィ」
「何がですか、師匠」
 ヒトの苦労も知らないで、と心の中で小さく呟いた。だが、そんなレヴィの心を知ってかしらずか、すっかりとレヴィに懐いているウェリアを見て、にやりとアルヴァは笑った。
 陣中見舞いだ、と称して、師匠が尋ねて来たのは一週間後だった。知り合いに作ってもらった、と言って人形の服を持ってきてくれたので、ウェリアは布切れの洋服からそれに着替えた。自分では上手く着れないので、一つ一つ手伝っている姿を見て、アルヴァはしみじみと呟いたのだ。
「研究の方はどうなんだ?」
「どうも何もないですよ。朝から、こいつが噛み付くわ、何か事あるごとに噛み付くわ、研究室の物をひっくり返すわで、研究のけの字も出来てません」
 きっぱりと言い切ったレヴィに、まるで生まれたての子供の世話をしながら研究しているようだと、アルヴァは笑った。
「笑い事じゃないですよっ!」
 泣きそうな声を上げ、レヴィは叫んだ。
「そんなに嬉しそうにするなら、師匠、師匠が面倒見ててくださいよ」
 顔を真っ赤にさせると、レヴィはそう早口に言って部屋を出た。ばたんっと、わざと戸を閉める大きな音が響く。
「素直じゃないなぁ……全く」
 なぁ、ウェリア、と、アルヴァは苦笑した。
「すっかりと、お父さんしてる。心配は、無用みたいだなぁ」
 ウェリアの髪を撫でる。不思議そうな顔をして、ウェリアはアルヴァを見上げた。


 レヴィには、六歳になるまでの記憶が欠如している。それが、一体どういうわけなのかは、本人にはわからない。初めの記憶は、アルヴァ師匠の笑顔だった。アルヴァは、魔導師になったばかりで、それでも、何人かの生徒がいた。アルヴァの生徒と、アルヴァと、レヴィはその中で育った。
 親なんて知らずに、強いて言うならば、アルヴァが唯一の肉親だった。どこか、冷たい瞳を持った子供だった。どこか欠けた、とでも言うべきなのだろうか。
 その部分が埋まることがないまま四年前、自分の独立とともに、レヴィはアルヴァの元を出た。アルヴァは、果たすことが出来ないまま、レヴィは巣立ってしまったのだ。幸せに笑いながら、どこか悲しく泣いているようなレヴィ。
 笑いもする。喜怒哀楽がある。だが、どこか欠けているように見える。だから、心配だったのだが……。
「たった1週間だって言うのにな」
 アルヴァは、ウェリアの髪をそっと撫でる。
 徐々に、欠けた部分を取り戻しつつあるように見えるのは、気のせいだろうか?
「お前は、凄いよ」
 きっと、朱鷺色の髪の一部を使って、原子分解を試みているレヴィを思い浮かべながら、アルヴァは静かに微笑む。
「初めから、きちんと、あいつが親だと思っているんだからな。あいつが自分を愛してくれると、信じてる」
 そう。レヴィ本人は気付いてはいないが、この子が噛むのはレヴィだけだ。それも、振り向いてもらえないときに、寂しくて、噛む。獣に良く見られる甘噛みと何一つ変わらない。
 へらっと、ウェリアは撫でられていることに喜ぶように、笑った。
「お前は、好きなんだよな。あいつが」
「う?」
 首をかしげる。その様子を見て、にっこりと微笑んでアルヴァは言う。
「そう、すーきー」
「…しゅーき…?」
 アルヴァを真似て、ウェリアは不思議そうに声を発した。
「……お前、話せたんだな……」
「う?」
 びっくりするアルヴァに、全くわかっていない風にウェリアは声をあげた。
 そんなウェリアに、アルヴァはにやりと笑う。
「いいか。お前が好きなのは、『レ・ヴ・ィ』だ」
「……れーび?」
 オウムのように一個一個身長に言葉を発するウェリアが面白くて、アルヴァは親の居ない間に、色々な言葉をウェリアに叩き込んでみた。



 その夜のことだった。
「あー」
 ぺちぺち、とレヴィの頬を叩く。その声と感触に、レヴィはうっすらと目を開けた。
「んー」
 寝入ろうとしていた脳みそが反応についていけず、寝ぼけた声を出す。両腕を一回大きく上へと伸ばすと、棚の上からベッドの上へとダイブしてきたウェリアを両手でそっと包んだ。
「……どした? 眠れないか?」
 両手に乗ったウェリアを引き寄せて、踏み潰さないように注意しながら、側にそっと置く。そして、何気なく朱鷺色の髪を撫でる。撫でられているのが気持ち良いのか、時々目を細めながら、ウェリアは微笑む。
 我ながら、どうしてここまで人工のイキモノに優しく接しているのだろうかと疑問に思う。始めに、師匠に親だといわれたときには驚いた。確かに、作ったのは自分ではあるが、親なんて知らない。接したことさえないものに、一体どうなればなれるのだろうと。
 不思議なイキモノだと思った。
 生まれたのは、正体不明の液体や気体の、元素の混合物のくせに。
 撫でられるのが、まるで気持ち良いという様に、身を任せる姿を見ると、どうしても何か別の感情が沸いて来る。心の底から。そうすると、不思議なことに自然と身体は動いた。
 時間的には、こいつが生成される前の方が余裕があった筈なのに。今の方が落ち着いているのは何故だろう? 前のように、焦って机や椅子に当り散らすことはなくなった。こいつの生成元を分解して調べるだけ、というゴールが見えているからかもしれないけれども。それでも、そのゴールは全く成功してはいない。前より焦らねばならないのが事実なのに、何故か焦りという感情が消えた。
 今日は師匠にこいつの世話を頼んで、今日こそはと実験に向かった筈なのに、やっぱり、成果はなかった。なのに、何故か前よりも心にゆとりという文字があった。
「……」
 何かを考えているようにウェリアは、首をかしげると、もう一度手を伸ばしてぺちぺちとレヴィを叩いた。
「なんだ、なんだ」
 慌てて、レヴィは問う。しかし、ウェリアはもう一度考えるようにして首をかしげるとゆっくりと言った。
「しゅきー」
 驚いて、一瞬言葉を失う。しかし、そんなレヴィにはお構いなしにウェリアは笑うと、もう一度言った。
「れび、しゅきー」
「お前、いつの間に、言葉……」
「しゅきー」
 へへっと、ウェリアは恥ずかしそうに笑った。その笑みにつられて、レヴィも驚きからゆっくりと目を細めた。
 すき、か。
 ずっと聞いていなかった言葉のように聞こえた。小さな手で、小さな身体で、一生懸命笑って、ウェリアは言った。
 そんなウェリアを、レヴィはそっと撫でた。
「れーびー……?」
「れび、じゃない。レヴィ」
「……れーびー……れび……れーぶー……?」
 訂正した自分の名前を何度も言おうと努力しては失敗しているウェリアを見て、思わずレヴィは吹いた。
「無理しなくていいよ」
 うに? と、もう一度不思議そうにウェリアは首をかしげた。
 嬉しそうに胸に収めると、静かに言った。
「おやすみ、ウェリア」
 彼は、ほっとしたように、そっとウェリアを包んだまま眠りに着いた。
 寝息は、とても安らかなものだった。


三章

 言葉が、頼りなげに話せるようになってから、ウェリアは少しずつ手のかからない子供へと成長していた。その成長は驚くもので、今は、研究所に一緒に連れて行っても研究の邪魔どころか、じっとレヴィのしていることを黙って見ていることが出来るようになった。ただし、ウェリアを別室に置いて研究したり何処かへと行ったりすると、必ずウェリアは叫んでレヴィを呼んだ。まるで、たった一つの守ってくれるものが消えてしまったように、怯えながら。何処にも行かないでと、言葉では言わないが、声が、そう叫んでいた。
「……ちっ……」
 レヴィは、小さく舌鼓をすると、フラスコを床の上に叩き付けた。がしゃん、っという音がして、キラキラと硝子の破片が舞った。
 キラキラと光を反射する床を見て、ウェリアは「あ?」と首を傾げた。
「何でもないよ。驚かせてごめん、ウェリア」
 優しく、レヴィはそう付け足す。焦りをこの子が和らげているといっていても限度があった。既に、研究の期限まで2ヶ月を切ってしまった。あと、もう少しだというのに。自分は一体その期間何をしていた? ウェリアと居た? 冗談じゃない。本業は研究だ。一体自分はどうしたというのだ。
 いらつく心を持ってはいても、何故かウェリアの笑顔を見ると和らぐ。そんな自分を否定したいかのように、ここ数日のレヴィは何の成果も上げない実験器具に当たっていた。
 そんな時だった。

 かしゃん。

 小さな音が、やけに大きくレヴィの耳に聞こえた。慌てて、レヴィは振り返った。音のしたところは、ウェリアが黙って自分を見ていたところ――また、前のように何か実験器具を勝手にいじって壊したか――始めはそう思った。しかし、心の中が妙に騒いだ。
 そして、それは、現実のものとなってしまった。
 小さな試験管を倒して、小さなウェリアは顔を真っ青にして倒れていた。試験管の中の、液体に身を沈めながら。
 それはまるで、本当の人形のように、見えた。
「ウェリアっ!!」
 レヴィは叫んだ。
 慌てて、雫溜まりの中から小さな人形を抱き上げる。
 ウェリアはぐったりと、レヴィの手の中に横たわっていた。顔を、真っ青にして。本当の、人形のように。



「……う……?」
「ウェリア、気がついたか?!」
 ウェリアは、苦しそうに眉を顰めながら、その紅い瞳を開いた。紅い瞳は、初めて見たときよりも心なしか濁って見えた。白い肌はよりいっそう青白く見え、明らかに血の気が失せていた。
「……れー……び?」
 自分を覗き込む青年に、不思議そうにウェリアは首を傾げたが、その声は弱弱しく、消えそうな声だった。
「……ウェリア……」
 不安げな声をあげて、レヴィはそっと朱鷺色の髪を撫でた。気持ちよさそうに、目を細めてその感触に身を任せるウェリアだが、やはり全体が消えそうなほど弱弱しかった。
 レヴィは、ウェリアに向かって精一杯笑みを浮かべた。いとおしそうに。心配はないよ、とでも言うように。そして、自分にそう言い聞かせるように。
 危惧はしていたことだった。この事態は。
 ウェリアは、偶然出来た、偶然の産物。実体から創り上げたものではない、不安定なものからできている。だからこそ、何で出来ているか解明しようと努力していたというのに。
 わかっていた。もしかしたら、いつかはこうなるのではないのかということが。
 不安定な元素の粒の塊でしかないウェリアが、バランスを失ってしまうかもしれないということが。
「大丈夫だよ」
 う? とウェリアはわかっていないように返す。大丈夫。それは、ウェリアに言っているのか、自分に言っているのか、レヴィ自身もわからなかった。
 ただ、強く、今までにないような感情が心の底からわきあがっていた。
 消してたまるか、と。


「四大元素のうち、主に火・風にエーテルが強く当たり、生成されたところまではわかっているのですが……一体、どの元素が何割ずつ混ざり合い、また、エーテルがどの程度各元素に影響して生成されたかという、根本的なものが何一つわからないんです」
 次の日、レヴィは紙にエーテルを加え、浮力を与えてアルヴァの元へと飛ばした。エーテルを与えたれた紙は、意思を持ったように大空へと羽ばたくと、まっすぐにアルヴァ師匠の元へと飛んでいた。
「……つまり、配合から何から何まで謎のままで、今現在生成されている方が不思議な状態だと、そう、言いたいのかな?」
 手紙を読み、アルヴァはそのままの状態で慌てて駆けつけた。封書には、たった一言、力を貸してください、と書かれていた。彼からのそんな言葉は、今まで何年も一緒に居て初めてアルヴァは聞いた。
 静かに、レヴィは頷く。あらゆる方向から攻めても、ウェリアの生成方法が全くの謎だった。謎だからこそ、いつバランスを壊し消えてしまうかわからないのに。彼は何故か、いつまでも消えないで、自分の側に居るものだと過信していた。
 それは、自分が生成した『親』だからか、そう考えたくなかったからか……。
 だから、焦りを感じることも何もなかった。そう、ウェリアが倒れるまでは。
「……はっきり言うがな。無駄だな、レヴィ」
 机の上に何本も乱雑に置かれた試験管を無造作に取り上げながら、アルヴァは答えた。
「……そんな……」
「お前の師匠だからと言って、全てが万能だという訳ではない。俺だって、アンバランスな正体不明のものに対しての対処なんて、わかるわけがない」
 きっぱりと、アルヴァは言った。
「いいか、レヴィ。作ったお前なら、何か出来るかもしれない。だが、そうでもない第三者の俺には、黙ってあいつが消えていくのを見守るのしか出来ないよ」
 ぺたんっと、レヴィは最後の希望を失ったように床へと座り込む。
 冷たい床の感触が、これは現実の事態なんだと、レヴィに語りかけていた。


 夢を見た。霞がかった視界に、わずかに見える人影。
 何処だ、ここは……。見渡しても、全てがぼんやりとしていて、輪郭が確かではない。居るのに、居ない。不思議な孤独感が、レヴィを襲った。
 れび……
 呼ばれて、振り向く。朱鷺色の長い髪が、ゆっくりと静かになびく。紅い瞳は、笑っていた。幸せそうに、笑みを浮かべてレヴィを見つめる。
 ウェリア……
 その人物が、一体誰なのかようやく理解すると、周りのぼんやりとした人影は消え、ウェリアだけがくっきりと見えた。
 幼い笑みは、とても純粋で、心が洗われているようになる。
 ウェリア……
 手を伸ばす。その髪に触れようと、白い肌に触れようと。しかし、手は虚空を切った。ウェリアは相変わらず笑ったまま。居るのに。居るのに。見えるのに――触れない。
「ウェリアっ!!」
 自分の叫んだ声で、レヴィは目が覚めた。がたんっという音がして、椅子が後ろに倒れた。
 ウェリアの生成実験を再現しようとしていた筈なのだが……いつの間にか、眠ってしまったようだった。薄暗い研究室の机の上は、様々な色の液体の入った試験管やフラスコが、あちらこちらに散乱していた。
 肩で息をする音を聞きながら、レヴィは胸に手を当てた。どくん、どくんっと大きな音を立てて、心臓の音が伝わってくる。落ち着け、落ち着け、っと心の中で何度も呟いて、言い聞かせる。
 ふっと、思い立ってレヴィは辺りを見渡した。試験管やらフラスコやらに埋もれて、白い箱が視界に入る。白い箱の中には、タオルが敷き詰められていて、今のウェリアの簡易ベッドとなっているものだ。慌てて箱に近づいて中を覗き込む。
 相変わらず血の気はうせているが、小さな寝息とともに小さく胸が上下している。
 ほっと息をつくと、レヴィはそっとウェリアの胸の上に手を置く。
 通常ならば、聞こえるはずの音。心の音。
 ウェリアの胸からは、それは伝わっては来なかった。
 呼吸をして、小さなサイズではあるものの、ご飯を食べて、笑って、泣いて……なのに……心臓の鼓動は、ない。それは、ウェリアが作り物である証だった。
「……くしょう……畜生……」
 下唇を噛んで、レヴィは拳を卓上に叩きつけた。
 倒れてから、ウェリアは目を覚ましている期間がだんだんと短くなっていた。酷いときは、一日中、人形のように眠っていた。恐怖心が襲い、レヴィは何度もウェリアを覗き込む。
 心臓の音は聞こえなくても、弱弱しい小さな、ゆっくりとした呼吸音が、唯一のウェリアが生きていると言う証だった。
「……れー……び?」
 机の振動で起きたのか、ウェリアはゆっくりと紅い瞳を開けた。その瞳は、始めに見た硝子のような透明感は消え、どこか濁っているように見えた。
 ウェリアは、ゆっくりと手をレヴィの方へと向けた。レヴィの指を掴もうと、力なく、小さな手が大きく広がる。
「どーした? ウェリ……」
 その名を、最後まで呼ぶことが出来なかった。
 ぼろっと、二人の目の前で、レヴィの指先に触れたウェリアの両腕が落ちた。
 驚いて、ウェリアはジャガイモみたいになってしまった自分の両腕を暫く見つめたが、興味がないとでもいう風にその視線を、レヴィに向けた。
 レヴィは、固まっていた。崩壊が始まったのだ。ウェリアの組織の崩壊が。
 机の上に落下していったウェリアの小さな両腕は、机に触れると、小さな粒子となって、消えていった。元素同士がもろくなり、つなぎのエーテルまでもが、バラバラになってしまったのだ。
「ウェリアっ!!!」
 レヴィは、声をあげた。
 ウェリアの崩壊は、両腕から少しずつ、光の粒子がきらきらと飛び、星屑のように、綺麗だった。
「れーび」
 にっこりと、ウェリアは笑った。自分が消えていくのだと言うのに、その感覚がわからないのか、いつもとなんら変わりのない、やんわりとした笑みだった。
「れーび。しゅーき」
 へへっと、そう言ってウェリアは笑った。恥ずかしそうに、照れ笑いをして。
 レヴィは、何も言うことが出来なかった。何一つ、言葉が喉を通っては来なかった。
「しゅきー」
 これ以上ないような、極上の笑みを、そう言ってウェリアは浮かべた。白い歯を覗かせて、満面の笑みを浮かべて。
「……ウェリア……」
 光は、どんどんウェリアを包んでいった。生成されたときのように、ウェリアは光り輝いて、天使のようだった。だが、この光は誕生の光ではなく、崩壊の光だった。
「いくなウェリアっ! ウェリアっ!!」
 光に包まれるウェリアに、レヴィは声を張り上げた。しかし、ウェリアは少し照れているような満面の笑みを浮かべていた。
「れーび。しゅきー……………」
 その言葉を最後に、ウェリアは完全に光に包まれ、見えなくなった。光の洪水が収まる。
 白いもやが、辺りに広がり、小さな白い箱には、小さな人形が寝ていた跡がくっきりと残っていた。
「……俺も、すきだよ。ウェリア……」
 へへっと、ウェリアの嬉しそうな恥ずかしそうな笑い声が、したような、気が、した。


   終章

「……以上が、研究の経過でした」
 数十枚にもわたるレポートを国の魔導本部に出した帰り、レヴィはアルヴァの家に寄った。
 コーヒーカップをテーブルに置くと、今まで黙って聞いていたアルヴァは肘を突いて口を開いた。
「と言うと、事故からのウェリアの生成、その後の経過、そして元素(エレメント)の破壊の原因を、提出したと言うことか」
 ええ、とレヴィはコーヒーで唇を潤すと、そう答えた。
「ウェリアが消えてから、よく短期間でまとめたな……それも、破壊原因まで突き止めて」
「記録にしないと……あいつが生きたことを記録にしてやらないと、あいつは本当に形も残らず消えてしまいそうでしたから……」
 悲しそうに、レヴィは微笑んだ。そして、思い出したようにポケットから小さなビンを取り出すと、コトリとテーブルの上に置いた。第二間接程しかない小さなビンの中に、小さな硝子の欠片がひとつ、入っていた。
「……これは?」
「あいつの、核です」
 そう、結局は無から何かモノが生み出されることはなかった。ウェリアは、割れた硝子のフラスコの破片を核に、幾度かの偶然による元素合成、元素還元が繰り返され、出来た産物であったのだ。
「それでも、今まで魔導から生命体が誕生したと言う記録はない。……多少、当初の研究とは違いましたけれども、結果的に魔導から作られた生命のアンバランス性をテーマに論文を書きましたよ」
 そう言って、寂しそうにレヴィは小瓶の中の硝子の欠片を見つめた。
 れび、しゅきー。
 どこかで、あの、無邪気な子供の声が聞こえたような気が、した。



fin
2004-01-12 00:42:54公開 / 作者:久保田亮
■この作品の著作権は久保田亮さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
初投稿となります。はじめまして。
短編のファンタジー小説です。
個人的には、「しゅきー」と可愛く言わせてみたくて、書いてみました。

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この作品に対する感想 - 昇順
この世界の魔導師の生き方などちゃんと説明してあり、とても読みやすかったです。レヴィのウェリアといういきなりあらわれた生命体に対しての心の変化など登場人物の感情もひしひしと伝わってきました。ラストも感動的でよかったです。私的にはラストに「どこからか、無邪気な子供の声が聞こえた気が、した。」→『れび、しゅきー。』とウェリアの声で終わらすのもいいかな〜っと思いました^^とっても良い作品でしたよv
2004-01-14 22:24:25【★★★★☆】シア
ありがとうございます^^
2004-01-18 20:01:48【☆☆☆☆☆】久保田亮
計:4点
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