『リストバンドマン』作者:木の葉のぶ / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
全角5395文字
容量10790 bytes
原稿用紙約13.49枚
 うちのお兄ちゃんは、リストバンドマンだ。
 腕に「リストバンド」をはめた「バンドマン」だから、リストバンドマン。
 そして私は、このお兄ちゃんのことが、大大大っきらいだ。




「リストバンドマン」




 お兄ちゃんは、17歳。でも今は学校に通っていない。いわゆる不登校だ。私はみっつ年下で、14歳。ちゃんと学校に通っている。
 
 お兄ちゃんは、ほんとうに、ほんっっっとうに、クズだ。
 色が白くてガリガリのモヤシで、一日中ずっと家でごろごろしている。私のことを見るとすぐ「んだよ、ブス」とかいうし、ママが自分の部屋に入ってくると、「だから勝手に入ってくんなっつってんだろババア!」と叫ぶ。
 それなのに、うちのパパとママは放任主義で、いつもへらへらしてる。お兄ちゃんのことを、叱ったりとか、学校に行きなさいとか、全然言わない。

 もともとお兄ちゃんは、もっとちゃんとしていた。中学には行っていたし、勉強も部活もちゃんとやっていた。
 でも、高校に入ってすぐに、誰かからすごくいじめられたらしい。

 お兄ちゃんが高校生になってからしばらく経ったあとの、あの日のことは、今でも忘れない。
 夕方、お兄ちゃんの部屋から漫画を借りてこようと思って、こっそり忍び込もうとしたら、部屋にお兄ちゃんがいた。「ねえ、漫画貸してよ」って声をかけようとしたんだけど、そのとき私は異変に気づいた。

 窓から差し込む夕日に、なにか鋭利なものがきらりと反射している。
 机に座っていたお兄ちゃんが手に持っていた、カッターだった。
 お兄ちゃんは夕日にカッターをかざして、それをそのままじっと見つめていた。
「なにしてんの」
 私の声に、お兄ちゃんは振りむいた。
 お兄ちゃんはカッターを持ったまま、静かにこっちを見ていた。
「お前、リストカット、って知ってるか」
 固まったままの私に、お兄ちゃんは言った。
「手首切ると、すげえ血、出るんだってさ」
 そう言ったお兄ちゃんの目には、何の感情も宿っていなかった。

「って話を聞いたんだけどさー。まじこええよな。俺だったら怖くて絶対できねーわ」
 見れば、お兄ちゃんの机の上には厚紙とかシールとか、紙切れとか、いろんなものが置いてあった。なにかを作っている最中だったらしい。
「あ、お前さー、暇ならこれ手伝ってくんね? 友達から頼まれてんの」
 普段の調子に戻ったお兄ちゃんに、私はほっとした。よかった、お兄ちゃんはいつもどおりだ。
「なにつくってんの?」
「今度のライブのポスター。これをコピーして大量に貼る」
 お兄ちゃんは、小さい頃から音楽が好きだった。小学生の時からギターをやっていて、今では地元の友達とバンドを組んでいる。今はギターボーカルだそうだ。
「お前、今度のやつ聴きに来る?」
「いい」
 私は即答した。一度だけ、ライブハウスに連れて行ってもらったことがあるが、あれはひどかった。爆音で耳がやられるし、みんなキチガイみたいに陶酔しててなんか怖いし、うるさいし、とにかく何がいいのかさっぱりわからなかったから。
 しばらくの間、二人でカッターで紙を丁寧に切ったり、のりで貼り付けたりしていた。

 ふと私の手元を見たお兄ちゃんが、私に尋ねた。
「それなに」
 私が右腕にはめていた、赤いリストバンド。かわいいイラストがついていて、ちょっと子供っぽいやつ。
「これねー、さっき部屋の掃除してたら出てきたの。小学校の頃さ、リストバンドが学校でめっちゃ流行った時期があって、そのときに買ってもらったやつ」
「へー」
 小学生って、急によくわからないものにハマったりする。あのときはリストバンドのことを「かっこいい!」って思ってたけど、今となっては全く惹かれない。
 机の奥から出てきたどことなくホコリっぽいそれを、なんとなく腕につけてみたら、今でもきちんとはまったのだった。
 ふと、私はあることを思いついた。
「そうだ。これお兄ちゃんにあげるよ」
「ハア? なんで」
「なんとなく。似合うと思うよ」
「適当言ってんじゃねーよ。お前、自分がいらないから押し付けてるだけだろ」
「いーから! ほら!」
 嫌がるお兄ちゃんの右手を掴み、無理やりリストバンドをはめさせた。赤くてかわいいイラストのついたそれが、お兄ちゃんには全然にあってなくて、私はしばらくの間げらげら笑っていた。はめられた方の当本人は、なんだか悔しそうだった。

 それからしばらくたったあと、お兄ちゃんは本格的に不登校になった。
 でも、お兄ちゃんはなぜか、私があげたそのリストバンドを、あの日からずっと、今だに毎日はめ続けている。

 バンドマンであろうと、リストバンドマンであろうと、お兄ちゃんがクズなことに変わりはない。
「智子〜。金貸してくんない?」
 もう何度目だろうか、お兄ちゃんがノックもせずに私の部屋にずかずか入ってきた。手にはギターを持っている。
「この前貸したじゃん」
「明日発売のゲーム、どうしても欲しいんだよ。今の小遣いじゃちょっと足りなくてさー」
 がたんと席を立ち上がって、私はキレた。
「そうやっていつも妹にお金せびって、恥ずかしくないの!? 働いてもいないし、学校にも行ってなくて、ギターばっか弾いてそのへんの不良と一緒にバンドやって、それでいいと思ってんの!?」
 お兄ちゃんが真顔になった。そのまま踵を返すと、部屋を出ていこうとしたから、「ねえ聞いてる!?」と叫ぶ。
「俺の友達は不良じゃねーよ」
 ドアのところでそれだけ言って、お兄ちゃんは隣にある自分の部屋に帰っていった。
 憤慨しながら中断していた数学の問題集を再開すると、数分もしないうちに隣からギターの音が聞こえてきた。
 練習をしている。私があんなにぶちギレたあとだというのに、呑気に歌を歌っている。
 壁ドンで抗議しようとして、やめた。
 だだだだだと足音をたてて廊下に出て、閉まっているお兄ちゃんの部屋のドアを思いっきり蹴飛ばした。
「死ね!!!」

 下の階から「智子、どうしたのー?」という母の声が聞こえた。
 どこまでいってもうちの人はみんな、呆れるほどへらへらしていた。



「っていうことがあってさー」
 次の日、私は教室で、隣の席の中沢くんに愚痴っていた。
 中沢くんは、人当たりがよくて、勉強ができて、あとメガネで地味だから目立たないけど、よく見るとかっこいい。
「そっか。福井さんも、色々大変なんだね」
 穏やかに話を聞いてくれる中沢くんが、神様みたいに思えてくる。うんこみたいなお兄ちゃんとは大違いだ。
「バンドかー。俺も、いつかは組んでみたいんだよなー」
「中沢くん、楽器できるの?」
「ギターをちょっとだけね。まだまだ初心者だけど」
「へえー。良かったら、今度聞かせてよ!」
「いいよー」
 中沢くんはいつも優しい。うちで穀潰しをしている誰かとは違って。


 その日、学校が終わって家に帰ると、お兄ちゃんがリビングのパソコンでネットをしていた。
 その右手には、今日も変わらず赤いリストバンドがはまっている。
 シカトして自分の部屋にあがろうとすると、急に声をかけられた。
「なあ、今日アマゾンから色々届くはずなんだけどさ」
 無視した。
 へえ、アマゾンね。ヒキニートにはうってつけのお店だよね。私が学校に行って勉強して友達と喋ってお弁当食べてまた勉強してそれから帰ってくるまでの間、お兄ちゃんはずっとパソコンで遊んでたんだよね。

 もういいよ。
 もうしらないよ。
 お兄ちゃんなんか、あんなクズなお兄ちゃんなんか、いなくなってしまえばいいのに。
 お兄ちゃんなんか大嫌いだ。

「智子ー、スーパー行って卵買ってきてくれないー? ごめーん、買い忘れちゃったのよー」
 ママに頼まれたので、渋々近所のスーパーに向かうことになった。口答えしたりなんかしない、私はいい子だから。
 夕暮れの川の土手を歩く。人がまばらで、犬を連れて散歩しているおじさんくらいしか歩いていない。チリリン、といって自転車が私を追い越していった。
 遠くの方から、ギターの音が聞こえる。優しいバラードみたいな、そんな感じの。
 またギターか。どうせ、知らない誰かが弾き語りでもしているのだろう。
 そう思ってちらりと視線をずらした瞬間、衝撃が走った。

 遠くの方でギターを弾いていたのは、制服姿の中沢くんだった。
 知らない女の子の隣で、ギターを演奏していた。
 ふいに、教室での会話が蘇る。

「中沢くん、楽器できるの?」
「ギターをちょっとだけね。まだまだ初心者だけど」

 なんだ。

 全然初心者なんかじゃないじゃん。普通に上手いじゃん。
 あの中沢くんが、土手でギターを弾いてるなんて、と思うと、ちょっと笑えてくる。

 カンカンカンと踏切が鳴る音に、私は呼び戻された。
 角を曲がって、スーパーに辿り着く。明るい店内に入る。ひんやりした棚の中から、八個入りの卵をパックを手に取る。
 
 中沢くんの隣にいた女の子は、私よりもずっと可愛かった。


 晩ご飯を食べて、部屋に戻ろうとしたら、「おい」と言ってお兄ちゃんがまた声をかけてきた。
「なに? 私明日小テストあるから勉強したいの。忙しいんだけど」
「まあ待てよ。すぐ終わるから」
 なかば引きずられるようにして、お兄ちゃんの部屋に連れていかされた。
 久々に足を踏み入れたお兄ちゃんの部屋は、前とずいぶん変わっている。壁には有名なバンドのポスターが増えていたり、よく見ると本棚の中身も前と違った。
(?)
 本棚の漫画の間に、見慣れないものが挟まっている。
(高卒……認定試験?)
 じろじろ見ている私に気づいたお兄ちゃんが言った。
「まあ、そういう手もあるってことだよ。他にも、資格取るとか、専門学校行くとか、それか、またもう一回高校行くとかな。あとはバイトするとか」
 机の上には、アマゾンの茶色いダンボールがあった。お兄ちゃんがそれを開封すると、小さな緑色のなにかが出てきた。

「これ、お前にやるよ」

 それは、透明なビニールに入った、緑色のリストバンドだった。
 かわいいイラストのついた、お兄ちゃんがいま右手にはめているのと色違いの、リストバンドだった。
「もう販売中止になってんのかなーって思ったんだけど、まだ売ってたのな。それ、あげるから」
 そんだけ。と言って、ぽいっと私にそれを投げてよこすと、お兄ちゃんはもう用事は終わったとばかりに、横に置いてあった楽譜とにらめっこを始めた。
 私の手の中には、見慣れた赤いやつとは少しだけ違う、色違いのリストバンドがおさまっていた。

「……なんで?」
 つったったままの私の小さな声に、お兄ちゃんは「んー?」と言って、しばらく宙を見つめたあと、つぶやいた。
「もし、あの時にさ」
 お兄ちゃんは、昔を思い出すかのように言った。
「あの時、部屋にお前が入ってこなかったら、俺、どうなってたかわかんねーな、って」
 それが、いつの、なんのことを指しているのか、私にわからないはずがなかった。
 夕日に照らされながらカッターを手にしていたお兄ちゃんの、あの時の眼差しは、今でも私のなかに残っている。
「あとお前、もうすぐ誕生日だろ」
 それは、兄ちゃんからのプレゼントだよ。超やっすいけどな。
 そう言って、お兄ちゃんは笑った。
 頭の中がぐるぐるして、よくわからない何かがこみ上げてきたので、私は逃げるようにお兄ちゃんの部屋を出た。
 
 その夜はベッドでちょっと泣いた。


 朝、制服に袖を通す。顔を洗って、髪をとかす。お兄ちゃんはまだ寝ている。
 階段を下りていくと、私に気づいたママが、「あら?」と首をかしげた。
「その腕につけてるの、お兄ちゃんとおそろいじゃない! どこで買ったの?」
「ないしょー」
 席について、焼きたてのトーストにジャムを塗った。新聞を読んでいたパパがちらりとこっちを見て、「お、いいなそれ」とぼそっと言ったのが笑えた。

 いってきますと言って玄関を出る。左手には、緑色のリストバンドがはまっている。
 いまどき中学生がリストバンドなんて、ださいかもしれない。でも、きっと私は、これからもこれを腕にはめ続けるだろう。
 
 私にギターは弾けない。顔は別に可愛くないし、真面目なだけで、頭も良くはない。
 それでも、まだ家で寝ているであろう誰かさんのれっきとした妹であり、血のつながった家族である。今はそれでじゅうぶんだと思う。

 みんなきっと、どこかで自分なりに頑張っている。
 だから今日から私も、リストバンドマンだ。


<おわり>
2015-09-19 10:02:31公開 / 作者:木の葉のぶ
■この作品の著作権は木の葉のぶさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
短編第二弾。
こちらは「自傷」をテーマに書いて欲しい、と言われて書き上げたものです。ちょっと、テーマからはずれている気もしますが……

ご意見、感想などいただけたら嬉しいです。
この作品に対する感想 - 昇順
感想記事の投稿は現在ありません。
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。