『前田に聞きたいこと』作者:中島ゆうき / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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 「別に怖い話ってわけじゃないよ。なんかちょっと変な話ってだけで。幽霊や妖怪みたいな気持ち悪い奴も出てこないし、衝撃の展開も無い。結末なんて無いよ。ただその日の出来事も、いつもの普通の日常に、繋がっていってるだけ。そんな話でよければ話すけど」

 冷蔵庫から二本、缶のコーラを取り出して、俺の前に座り直すと、前田はちょっとダルそうに笑って、そのうち一本を開けて、飲んだ。

 当時、同棲していた女と、妙な事をきっかけに遂にうまくいかなくなって、むしゃくしゃしていた夜、俺は同期の前田のアパートにやや強引に上がり込み、やけ酒に付き合ってもらおうとしたのだが、前田がアルコールアレルギーだと知り、興ざめし、苛立ちをもて余した俺は、前田に無茶ぶりをした。なんか面白い話ねぇの?笑える話泣ける話ムカつく話怖い話、何でもいいからネタねぇのかよ?なんて言って。その時の俺、前田のアパートに来る途中のコンビニでひっかけたチューハイの軽い酔いが、持ち込んだ不機嫌にプラスされ、まぁまぁ感じ悪い奴になってたと思う。どんな話でもいいから話せよ、つまんなかったら、つまんねぇよって笑ってやるから。なんて言った記憶がある。前田はずっとダルそうに笑っていたような気がする。

 「まぁ、ぼんやり聞いてよ」

 前田はコーラを啜りながら、どこを見るということもなく、ぼんやりと宙を見ながら話し出した。





 「俺、学生の頃年上の彼女がいたんだ。九歳年上だった。ホステスやってて、まぁ仕事柄ちょっと派手だったけど、けっこう美人で、スタイルも良くて。年上の女って初めてで、なんか色んなことに、一々どきどきしちゃってさ。最初はすっげぇハマったよ。

 安っぽい学生とは違う高そうな服の趣味とか、デート代も全部奢ってくれて、たまにお小遣いくれたりすることとか、セックスで初めて女にリードされることとか。何もかもが、その時の俺にしてみりゃ刺激的で魅力的だったよ。

 ある日彼女が、私のマンションで一緒に住もうよ、って言ってきたんだ。まだ俺は学生だから、もちろんお金は要らないって。仕事で忙しい私に代わって、家事を少し手伝ってくれたら嬉しいな、って言われてさ。二つ返事でオッケーしたよ。狭くて小うるさい実家暮らしから解放されるのも嬉しかったしね。

 それでいそいそと、鞄一つで彼女の部屋に転がりこんで、同棲始めたんだけど。まぁやっぱり、一緒に住むとなると、色々上手くいかなくなるよね。うん。

 上手くいってないって思ってたのは、俺だけだったんだけどね。彼女は、良くも悪くも変わらなかった。男の存在ごときで、生活スタイルや思考をガラリと変えちゃうようなタイプでもなかったし、年齢的にもね。僕が彼女との生活に、一方的にストレスを溜め込んでただけだったんだよね。

 昼間は講義がある学生の俺と、夜仕事に出る彼女とじゃ、時間によるすれ違いがまずあったし。そんなの同棲する前から分かってたことだけどね。それでも一緒に住めば、過ごせる時間が増えるはずだって思ってたんだ。でも、実際は逆だったな。お互いに意識して時間を作らなくなったせいで、一緒に住んでるのにほとんど顔を合わさない日が続いたよ。

 たまに顔を合わせると、家事をお願いされて。少し時間ができてセックスしようかって流れになっても、俺のやりたいようには抱かせてはくれなかったり。お小遣いをもらうと、俺ってただのヒモ?それとも家政婦?もしかして遊ばれてるんじゃないかって思えてきて。仕事柄とは言え、ひっきりなしに男から電話がかかってくることにも、いつも平然としていられるわけじゃなかった。そのうちだんだん、彼女の仕事や生き方に否定的になってきて。

 恋愛において、魅力だった部分が全て嫌になってしまうことほど、自分に苛立つことはないよね。単に、俺がガキだったってことなんだけどね。彼女が悪いんじゃないと、今でも思うよ。彼女はただ、年下の男と上手に遊ぶけど、育て上げたりは出来ないし、しないタイプだったんだろうね。

 そんなでも、じゃあ別れようって話を俺はなかなか言い出せなかった。彼女と同棲することは、金銭面でかなりおいしかったし。バイトもせず、家事を少しやって彼女からお小遣いをもらい、俺が独り暮らしをしてると思ってる親からは毎月仕送りをもらってたからね。おまけに彼女の広いマンションの一室、ゲストルームを俺の部屋として使わせてもらってた。実家の俺の部屋は汚い六畳の和室だったから、そんなことも捨て難かったんだ。ふかふかのおしゃれなベットに寝そべりなから、通帳に振り込まれた仕送りの金額を眺めてると、自然と、彼女と別れるなんて選択肢は無くなるよね。いつか捨てられる日が来るかなぁとは想像する。でも俺が学生やってる間は、飽きずにいて欲しいなぁなんて願うようになる。すっかりしょうもない男に成り下がってたんだよね、その時の俺。


 
 その日はね、日曜だった。日曜の朝。いつも通り明け方に彼女は帰ってきて、ちょっと飲み過ぎたとか言って、シャワーも浴びずに寝ちゃったんだ。

 彼女はいつも、裸同然の格好で寝るんだけど、飲み過ぎたり疲れたりして帰って来た日は、服や下着をリビングに脱ぎ散らかしたままにする。朝に俺はそれらを拾い集めて、洗濯機に入れる。彼女の服や下着は、どれも高そうなブランドのタグが付いてるものばっかりだったけど、それらを大事に丁寧に着る人じゃなかったから、俺も普通に洗濯機で洗ってたよ。一応、ネットには入れてたけどね。

 彼女ってね、何故かポケットの付いた服しか着なかったんだよね。カジュアルなデニムやパンツはもちろん、シャツやカーディガン、ドレスやワンピースなんかも、裏にポケットが付いたものを着てた。時々、すごく下手くそな縫い方で付けられた、異なる生地のポケットが付いた服もあった。きっと彼女が自分で縫い付けたんだろうけど。

 一度、聞いたことがあるんだ。ポケットの付いた服しか着ないよね、付いてないと、自分で付けたりしてるよね、どうして?って。彼女は、便利だから、って。それだけ。口紅やら名刺やらライターやら、そんな細々としたものを入れておくのに、丁度良いから、って。なんかすごくノーマルな答えが返ってきたから、ちょっと拍子抜けしたよ。全ての服に、絶対にポケットが付いてるもんだから。特別なこだわりでもあるのかと思ったからさ。

 シャネルやらグッチやらのワンピースの裏に、小中学生の裁縫レベルで手縫いのポケットを付ける感覚は、ちょっと俺には分からなかったけど、お金に余裕のある女って、そんなことは気にしないのかなぁなんて、その時の俺はそう思ってたんだ。

 今思うと、それも変なんだけどね。明らかに不便そうな、物を取り出せないような場所にポケットが付いてる服とかもあったし。

 でさ、彼女って、必ずそのポケットに物をいれたままにするの。一度、ポケットティッシュを入れたままにしてるのに、俺が気が付かなくてそのまま洗濯しちゃって、大変な目にあった。ティッシュって、なかなか取れないんだよねあれ。それからは、ポケットの中に、物が入ってないかどうか、必ず確認するようにしてたんだよ。だからその日も、俺はちゃんと確認した。確か、ディオールのパンツだったと思う。元々小さなポケットが付いてる服だ。案の定、ライターと、コンビニのレシートが入っていた。それから、そのパンツのポケットには、底が無かった。

 おかしなこと言ってるけど、本当なんだ。底が無かったんだ。手を突っ込むだろ。生地のさわり心地があるだろ。ライターとレシートの感触があるだろ。ちゃんと落ちずに入っていたわけだから、底に穴があいてるわけじゃない。それらを取り出す。他には何もないかなって、もう一度手を入れた、そしたら手がさ、どこまでも入っていくわけよ。

 まず、指を伸ばした状態の手が、手首まですっぽり入って、でも底に触れられなくて、そこから肘の辺りまで入って、あれって思ったんだ。裏返して、ポケットを確認して見ると、そのポケットの深さはせいぜい十センチぐらい。指を伸ばした俺の手がそのまま入るのも、ちょっとおかしいけれども、肘まで入るなんてのは、絶対に、絶対に、おかしいだろ。物理的に絶対にあり得ない。

 ポケットから手を抜いて、ひとまず深呼吸したよ。俺、疲れてんのかなぁって思ったよ。彼女との生活で、知らず知らずストレス溜まって、変になったのかなぁって。幻覚かなって思ったよ。パンツを裏返して、ポケットが破れてないことを、丁寧に指で触って確かめて、ポケットの中も覗いた。パンツにおかしなところなんて、どこにも無いんだ。

 頭を軽く振って、息を深く吐いて、もう一度ポケットに手を入れたんだ。でもやっぱり底が無いんだよね。そのまま突っ込めば、二の腕辺りまですっぽり入る。途中までは肌に生地が触れてるのが分かるけど、途中からはひんやりと冷たい、湿り気を帯びた、なんとも言い難い、感触というか、感覚というか。空間に触れてるみたいなんだ。雨があがったばかりの、冷えた森の中の空気に触れてるみたいなイメージ。突っ込んだ手の指は妙に動かしにくくて、氷に触れた時のように、だんだんとかじかんでくる。俺は気味が悪くなって、腕を引っこ抜いて、パンツを床に投げた。不気味さの次に苛立ちが込み上げてきて、俺はパンツを何度か強く踏みつけて、その日洗濯するのを辞めた。

 
 俺は、自分に焦ったよ。酒も薬もやってない、素面で、幻覚を見てしまったってことは、精神が病んでるのかなって。それは何故だろうって考えると、原因として彼女が浮かんでくる。だから彼女に腹が立ったんだ。

 それから、マンションに居ても気がますますおかしくなると思ったから、外に出たんだ。日曜は、どこに行っても人が多いから、あんまり出歩かなかったんだけど、その日の人の多さは、俺をすごく安心させたよ。ショッピングモールをぶらついて、やたら混んでるラーメン屋でラーメン食べて、二流俳優のアクション映画を観て、夕方まで過ごしたよ。すると幾分、気が晴れて、落ち着いたよね。

 別に、精神病んだなら病んだで、それも仕方ないよなって思えてきて。彼女と別れて実家帰って、医者通うかって。どうせ一生涯一緒にいたい相手じゃないはずだし、お互いにね。もう恋はさめたのに、金欲しさやつまらない損得勘定で同棲なんかしてるから、妙なストレスが溜まって、おかしなことになっちゃうんだろうなと思って。

 マンションに帰ると、彼女はまた眠ってるみたいだった。キッチンに、食べかけのコンビニ弁当と、救急箱が置いてあった。一度起きて、軽く食べて、二日酔いの薬でも飲んだんだろうけど。脱衣場の洗濯機の前には、ディオールのパンツが、俺が床に投げたままのかたちで置かれていた。俺はそれをそのまま、ネットにいれて、洗濯機に放り込んだ。彼女はその日、一歩も部屋から出てこなかった。その日はそれに救われた。

 それから、俺は毎日毎日、彼女の底が無いポケットに手を入れた。スカートも、シャツも、ジャケットも、デニムも、彼女が脱ぎ捨てたポケットには、全て底が無かった。ふと思い、洗濯し終わった乾いた服のポケットに手を入れてみた。ちゃんと底はあった。彼女のクローゼットをこっそり開けて、ハンガーに掛かっている服の全てのポケットにかたっぱしから手を入れた。しっかりと底はあった。彼女が、一日着て脱いだ服のポケットにだけ、底が無かった。俺の服のポケットには、洗濯前でも洗濯後でも、いつも底があった。やっぱりこれは俺の精神的な問題なんだと思ったよ。

 そのこと以外で、何か、おかしな物が見えるとか聞こえるとか、そんなことは無かった。俺はいたって普通だった。食欲もあるし、夜も眠れる。ほっときゃそのうち、治るんじゃないかなんて、楽天的な気持ちも出てきて、精神科に行くこともせず、変わらない日々を過ごしてた。だんだんと、底無しのポケットにも慣れてきたある時、俺はポケットに引きずり込まれそうになった。

 いつも通りの底無しポケット。しばらくゆらゆらと、ひんやりとした空間に腕を入れたまま、ぼうっとしてたんだよ。俺のこの症状、変だよなぁ、いつ治るのかなぁとか、なんかそんなこと考えてたと思う。彼女にしては珍しい、ノーブランドの、わりと地味なワンピースだった。彼女、このワンピースお気に入りみたいでさ、よく着てたんだ。でも元々はポケットは付いてなかったみたいで、彼女の手作りのポケットが、左胸の内側に縫い付けられていた。

 そしたらさ、ポケットの中で、いきなり俺の手を何かが掴んでくるんだよね。物凄い力で。感触は、人間の手みたいな。見えないからわかんないけどさ。誰かが俺の片腕を、掴んで離さないみたいなんだ。それでぐんぐん引っ張って、ポケットの中に俺を引きずり込もうとするみたいなの。しかも、二本の腕でね。肩までずるずるポケットの中に入ってって、ポケットの口は破れて、周りのワンピースの生地もビリビリ電線していって、俺の腕が飲み込まれていくの。

 さすがに取り乱したよ。洗濯機の前で、冷や汗びっしょりでのたうちまわった。これは俺の幻覚なんだって、頭では理解してるつもりでも、片腕にはめちゃくちゃ痛みがあるし、自分以外の何者かの力を強烈に感じるし。抜けないしさぁ。

 もう幻覚見ちゃうのは仕方ないにしても、痛いのは勘弁してくれよって感じで。なんかわかんないけど、謝ったよ。何に謝ってんのかわかんないけど、ごめんなさいすみません、俺が悪かったですからぁとか言って。叫んで。でも全然腕は抜けないの。謝ったら、余計に引っ張られる力が強くなった気がした。

 幻覚を消す方法なんて分からなかったから、ちゃんと精神科に通ってればって後悔したよ。

 痛みがどんどん増して、血の巡りが悪くなってくるのがわかる。腕が熱くなって、痺れてきて、痛みに耐えることしか出来なくて、頭がぼんやりしてくる。すると、非現実的な方向に、思考が逃げる。これ、幻覚じゃなかったら何なんだろうって。

 俺の腕を引っ張ってるのは、女の腕だなって思った。見たわけじゃないけど、長い爪のようなものが、皮膚に食い込む感触があったから。きっとそんなに太くない、普段は華奢で非力な女の腕が、何らかの理由で渾身の力を込めて引っ張っているんだ
、って。幻覚が消えないからって、俺、妄想し始めちゃってさ。

 妄想の中の、俺を引っ張る腕の女は、彼女なんだよね。やっぱり。俺のストレスに大きく関与してるのは、彼女だからさ。だから俺、彼女の名前を呼んだんだ。何度も何度も、たしなめるように呼んで、俺はしょうもない男だから、一緒にポケットには入れません、ごめんねって言って。そこで俺、気を失っちゃったの。

 
 気づいたら、リビングのソファに寝てたよ。彼女がソファの前で、何故か爪を切ってたんだよね。彼女の爪切りの音で、目が覚めたんだ。俺が目覚めたことに、彼女は振り向きもしないで気が付いたみたいで、俺が寝言で何度も彼女の名前を呼んでたことを聞かされた。彼女はそんな俺を、可愛かったよ、って言ったんだ。その時彼女は俺の方を一度も見なかった。俺はソファに寝ながら、彼女の上半身の後ろ姿を見たけど、彼女、さっきのあのワンピース着てるんだよね。俺の幻覚の中で、破けて着れなくなったワンピース。

 片腕には指の形までくっきりとわかる痣が残っていたし、爪で引っ掛かれたようなみみず腫やかさぶたもあった。 たまたま彼女は久々に家事をして、長くのばしていた爪が折れてしまったので、爪を切っていたらしい。

 
 俺は幻覚と妄想で、ちょっと自分を傷つけちゃったけど、でもそれも一度きりだから、今はもう治ってるし大丈夫。やっぱり彼女と別れたら、ぴたっとおさまったよ。実家の家族の服のポケットには、底が無いなんてことなかったしね。

 何か気になることがあれば答えるけど。まぁ、ちょっと不思議をほのめかして話し出したけど、結局は俺が情緒不安定だった頃の話だよ。別に作り話じゃないけどね」

 前田はまたダルそうに笑って、話しながら空にしたコーラの缶を、両手で静かに凹ませた。

 俺は、ぬるくなったコーラの缶を握りながら、しばらくいくつかの言葉を探した。酔いは遠くに飛び、アルコールではない何かのせいで、心臓がいつもより素早く鳴る。俺は恐る恐る、前田に聞いてみた。

 「なぁ前田。お前さ、彼女の鞄の中に、引きずり込まれたことはないのか?」

 前田がゆっくりと俺の顔を見た。凹ませたコーラの缶が、音をたてて元の形に戻った。

















 


2015-06-17 03:01:54公開 / 作者:中島ゆうき
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■作者からのメッセージ
誤字が多くて、ちょいちょい修正してます。すみません。
この作品に対する感想 - 昇順
おお、これは面白い。
実のところ高齢の狸は、段落ごとに行空けがあったりセリフごとに行空けがあったりする、いわゆるネット小説的(?)な散文になじめず、よほどのことがない限り読み続けられません。ですから中島様の作品を最後まで読み通したのも、今回が初めてです。
しかし、これは面白かった。冒頭の語り口に引きこまれたので、全文を愛用のエディタにコピペして一般的な散文の文面に修正した上、改めて冒頭から没頭しました。
こうしたシュールで緻密な作風は、大好きなのです。行開け等の形式的な違和感を除けば、語り口そのものは実にこなれており、ほとんど引っかかるところがありません。
楽しいいっときを過ごさせていただき、感謝です。
2015-06-18 21:55:31【★★★★☆】バニラダヌキ
計:4点
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