『正直者は嘘をつく』作者:ガサラ / TXyX - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
男には毎日欠かさず見るものがあったそれは『夢』だった。いつ終わるとも思えないの夢幻地獄に男は夢と現実の区別がつかなくなっていく。すさんでいく男 上野秀和を助けたいと思う日本人とドイツ人のハーフ ギーカ。同じ職場で働くギーカに夢の相談をしていくのだが―
全角8876文字
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原稿用紙約22.19枚
 鏡に映った自分の顔が酷いのはわかっていた。首の周りには贅肉がついているのに頬は妙に痩せこけ、クマは酷い。そうなっている原因もわかっていた。それは今自分が映っている鏡の横の時計が示していた。
 時計の針は午前三時を指していた。その秒針を男は睨み続けている、少しでも良い、時間が止まってくれと願っていた。そして、早く夜が明けてくれと。
 それが矛盾していることなど男にはわかりきっていた。しかし、その両方を男は心から願っていた。手元には午前八時三十分にアラームがセットされた携帯が置かれている。だが、男は今にも閉じそうな瞼をこすり、必死に寝まいとPCにかじりついていた。
 耳にねじ込まれているイヤフォンからは鼓膜が破れんばかりのメタルバンドの絶叫が溢れだしていた。
 男がいる部屋はゴミ屋敷とまではいかないが、かなり汚れていた。読んだ本はその辺に投げ捨てられ、空になったペットボトルや紙パックがそこらじゅうに散乱していた。
 それに隠れるように病院から出された薬の袋が捨てられていた。その袋にはこう書いてある。
―眠れない時にのみ服用すること。飲んだ後は運転などはお控えください。
 その中身は睡眠薬だった。しかし封は切られてない、男には睡眠薬は必要なかった、不眠症ではないのだ。彼は寝ようと思えば寝られるのだ、だが男はそれをしない。いや、できないのだ。男は再び時計に目をやる、時間は『三時1十八分』
 男は両手で目を塞ぎ深々とため息をつく。寝たい、このベッドで早く眠りにつきたい。それが男の本音だった。じゃあ早く寝ろ!パソコンなんか早く消しちまえ!そんな怒号がどこからか聞こえてきそうだった。しかし、寝れない理由が男にはたった1つだけあった。
 それは『夢』だった。
 数少ない知り合いにこのことを話すと、リアクションは様々だったが総じて良いリアクションではなかった。
 呆れる顔、頭に響くほどの笑い声、失笑、本当にさまざまだった。−夢に怯える男がどこにいる!今日の小学生だって夜はぐっすり眠れるもんだ!肝っ玉がちいせえからそんなしょうもねえ事でビクビクしちまうんだ!なんて説教を垂れる奴までいた。
「どうしようもねえな」
 情けない笑みを浮かべながら、静かに瞼を閉じた。電気を付けたままだと瞼を閉じていても、かなり明るい。男にとってはその明るさが少しホッとする。別に暗闇で寝るのが苦手な訳じゃないが、真っ暗な中で寝ると夢から目覚められないのではないか、なんて馬鹿げたことを考えてしまうのだ。
 電気代はかなり痛いが、男は今日も明りをつけたままにする。徐々に体の力が抜けていき意識が朦朧とするのがわかる。意識の制御が失われていき、荒唐無稽な物語が頭の中で少しずつ形成されていく。男はほぼ無くなりかている意識の中で思った。
―今日こそは何も見ませんように
 針は静かに三時四十八分を刻んだ。




 外はすっかり日が昇り光が溢れていた。道では学校に行く学生や仕事に向かうサラリーマン、家の前を箒で元気よく掃除するおじちゃん、店の開店準備をする飲食店の店主、皆が日光を受け活気に満ちていた。しかし、分厚いカーテンに遮られ男の部屋に日光が届くことはなかった。
 人工的な明りに照らされながら、男は座りながら器用に眠り続けていた。だが、男の表情は険しく、何かに怯えるように体をビクつかせていた。
決して良い夢を見ていないことは明白だ。拳は力強く握られ、歯はそのまま歯茎にめり込んでしまうんじゃないかと思うほど喰いしばられていた。その歯の間から荒々しい寝息が漏れている。
 そして額にはうっすらと汗をかいていた。電灯に照らされそれは不気味に光っている、それが鼻っ柱に伝った時携帯電話がけたたましくなった。
その瞬間、男の目は見開き驚く程のスピードで携帯を耳元にあてた。
「誰だ?」
 男は短くそうとだけ言い放った。寝起きとは思えない重い声が電話越しの相手を威嚇する。相手はその短くも重い言葉に気圧されたのか形にならない言葉しか出てこなかった。
「嫌がらせなら切るぞ」
 そういうながら電話を切ろうした時、慌てた声が向こう側から帰ってきた。
「あの、上野さん?ハロー、もしかして寝てたの?」
 若干ぎこちない日本語が女性の声と共に聞こえてきた。上野と呼ばれた男は深いため息をつきながら、時計に目をやる。
「ギーカ、まだ八時だぞ?寝てるに決まってんだろ。で、何の用?」
「申シ訳ありません、あの朝ごはん食べましょうか?まだシゴトの始まりじゃないでしょ?」
 ギーカと呼ばれた女性は流暢だがすこしおかしい日本語で上野に問いかける。誘いを受けた男は少し戸惑っていた。体は鉛のように重く、目の焦点も定まらない。何よりさっきまで見ていた『何か』が男にへばりついて離れなかった。内容はすでに覚えていないが感触だけは残っていた。 自分の肉が潰れる感触、骨が曲がる音、体から流れ出る生暖かいモノ、それが全身に絡みついている。酷く悪い夢を見ていたことはこれらが裏づけてくれる。汗が次は頬を伝った。
「−さん、上野さん?どうするの?」
 ギーカは少し強めの口調で再び催促してきた。正直上野は乗り気ではなかった。人付き合いが得意な方ではなかったし、朝飯は食う主義ではない。それにこの目覚めとあっては、俺じゃなくてもそっとしてもらいと思うさ。ギーカには悪いが今日は独りで朝飯を食ってもらおう。
 そう思いながら断りの言葉を口にしようとした刹那ギーカからのカウンターが飛んできた。
「今上野サンの家の近辺にイルんだがどう?」
 何故それを先に言わない?どうと聞く割には彼には選択肢がなかった。特大のため息をついた後、渋々返事を出すしかなかった上野であった。
「寝起きだから少し時間かかるよ?それに低血圧で朝フラフラだから待ち合わせ場所までも時間かかるし―」
「ダイジョブ!上野さん迎えにイキマス!またな」
 そのあとは電話が切れたことを知らせる電子音が聞こえるだけだった。静かに携帯を置くとそれはそれは静かな、そして深いため息を長くついた。そして、スイッチが切り替わったかのように素早く立つと足元のごみを蹴散らしながら洗面所へと急いだ。鏡に映った上野の顔は青白く目は血走っていた。これにロングのカツラをつければ貞子の出来上がりだ。
―しかしそうだとこのひげが邪魔だな、いや逆にあの容姿にひげがあったほうが恐怖も倍増か?
 なんて馬鹿なことを考えてる時が上野にとってほんの少し幸せな時間だった。彼はあまり人前では笑うことはなかった。過去に笑い方を指摘されそれから軽いトラウマになってしまった。だから彼は笑わない、段々と口はへの字になり、顔は険しくなっていき実際の年齢より老けて見えるようになった。この顔が原因で色々厄介ごとに巻き込まれることも多々あった。チンピラや不良から絡まれることはざら、歩いているだけで職務質問を受けることもしょっちゅうだった。
 だが、それも今や笑い話。それを思い出してか髭を剃っている上野の顔は少し綻んでいた。その時、上野の部屋に呼び鈴が鳴り響いた。ビビり癖がしっかり身についてしまった上野の右腕は力強く横にずれてしまった。
「っ!」
 鋭い痛みが走り右頬に視線を落とすと案の定切れていた。赤い血が髭剃り用の白い泡のせいで際立って赤かった。意外に深いのか出血量が多いのが上野は気に入らなかった。沁みるのを承知で勢いよく顔を洗うが冷たい水と相まって思いのほか沁みた。
 その時、その痛みと共に忘れ去られていた記憶が引きずり出された。
―誰もいない昼下がりのビルの屋上、俺は柵の向こう側に立っていた。現実と同じようにビル風を感じていたのを思い出した。妙に心地よい暖かさを感じた、その温もりが優しく、だが力を込めて俺を前へと押し出した。俺は目を閉じながらまるで鳥になったかのように両手を広げて風に乗ったのだ。それはとてつもなく短くそして長かった。いや、夢の中での時間などは曖昧以外の何物でもなかった。そして片目をうっすらと開けた瞬間に先程の感触と繋がるのだった。全身の鳥肌が総立ちしていたのに気付くのには少し時間が必要だった。
 その時2度目のチャイムが鳴り、上野は完全に現実へと引き戻された。
 茫然としていたが、下でギーカが待っていることを確認した彼はもう一度顔を洗うと、急いで服を着替え鍵とカバンを掴むと、靴に足が入りきらないまま慌ただしく部屋を出て行った。
 しかし、上野は解せなかった。ギーカが 二度目のチャイムを鳴らしたことにではない、自分自身にだ。ビルから落とされた彼の顔は上野自身が忘れていた程の完璧な笑顔だった。
 不安や悩みなど一切無い、誰もが羨むであろう完璧な笑顔だった。それに反して今の自分の顔はどうだ?エレベーターの中で踵の潰れた靴を直しながら、今1度自分の顔を見つめ直した。
 夢の自分とは違って、マイナスの要素しかない現実の顔。夢の自分はあんなに安らかな顔だったのに現実の顔は不安や悩み、恨み辛みしかなかった。
「ひでぇ顔だ」
 吐き捨てるように言った時、エレベーターのガラス越しに人形のように肌の透き通った綺麗な女性が顔を覗かせた。ゆっくりとドアが開くとそこにはガラス越し以上に美人に思えるギーカが立っていた。
「ハロー!上野さん、元気?」
 大袈裟に手を振りながらこれ以上ないほどの笑顔を上野へと送る。
―俺もこんな笑顔が出来ればな〜。
 そう思いながら上野も力なく手を振り返す。
「この顔見て元気そうに見えるか?」
 まるでゾンビだ、上野本人は心の中でそう呟いた。睡眠時間が短いせいもあって目は半開き、たまに白目、それに低血圧もあって足取りはフラフラ。この状態でゾンビ映画のオーディションを受ければ確実に受かる自信がある。勿論、ゾンビ役として。
「もしかしてマタ夢のせい?」
 ギーカの手が止まり本気で心配そうな目を向けてくる。目も若干潤んでるような気がするが目の焦点が合わないせいか良く見えない。
「まぁそんなとこかな、でももう慣れたよ。最近毎日見るしな、それよりどこで飯食う?」
 力のない顔を無理やり笑顔に変えてなんとか元気よく振る舞うが、反対にギーカの顔からは笑顔が完全に消えている。フワフワだった髪の毛までが心なしかシュンとしてように思える。
 「ナンデ毎日見るの?私が凄くシンパイなの」
目にはさらに涙が溜まり今にも流れ出しそうになり、声までが完全に涙声だった。
―勘弁してくれ!
 心の中で上野は叫んでいた。朝っぱらから女の涙や鳴き声は勘弁だった。女が泣く事ほど面倒くさいものは上野にとってはない。ギーカの傍を通り過ぎながら無言で手を引っ張ってマンションから出て行く。外は目が開けないほど日が差しており、暖かかった。それとは逆にギーカの手は雪のように冷たかった。
「相変わらず冷てぇな」
「上野サンこそ、テイケツアツなのになんでそんな手がアタタカイの?」
「心が冷たいからだよ」
「変なの」
 少しギーカの顔に笑顔が戻った。日の光の下で見ると改めて彼女の美しさに驚かされる。確か日本人とドイツ人だか、フランス人だかとのハーフだと聞いたことがある。だが容姿は完全に白人寄りだ。身長も一七〇cm以上ある上野と同じくらい、横に若干太いことを除けばスタイルも申し分なかった。
 かなり頭の良い大学に行ってるらしく、日本語はもちろん、フランス語、ドイツ語、英語、中国語がペラペラらしい。23歳で5各語とは奇跡に近いような気がする。
―2歳しか違わないのに全く俺とは大違いだよ
 落胆する上野をよそに彼女の顔には笑顔が完全に戻っていた。しかしそんな彼女にも欠点があった。
 彼女には男の人が苦手という欠点があった。あまり覚えていないが19歳までドイツに居たらしくその時に付き合っていたドイツ人の彼氏に色々とされたらしく、それ以来彼女は男が嫌いらしい。
 だがそこで疑問が1つある。上野も間違いなく男だ、なのに今はその男とがっちりと手を握っている。何故だ?
―それは俺が知りたいもんだ。
「なんか怖いカオをしてますね。ナニ考えてるの?」
「すいませんね、この顔は生まれつきなもんで。ていうかギーカこそどこで飯食うか考えてんのかよ?」
「ワタシはどこでもイイのよ、上野さんはどこがいいの?」
「あのね、普通は誘った側がそういうの考えてくるものなの!ん〜、ここで良いか」
 たまたま目についた定食屋へと足を進める上野。ここなら仕事場から近いうえに、人通りも少ないので静かだろうと踏んだのだ。だが横目で見たギーカの顔は決して納得はしていなかった。
「ワタシ朝は米よりサラダのほうが良いんデスガ』
「はい、聞こえない!仕事まで時間無いんだからさっさと食おうぜ」
 握った手を強引に引っ張って定食屋ののれんをくぐっていく。上野の読み通り店は閑古鳥が鳴いていた、時間が早いせいもあるだろう。
 六十代であろうおばちゃんが元気よく席へと案内してくれた。元より体力のない上野にとって椅子に座れることは幸せ以外の何物でもなかった。
「おばちゃん、サバ味噌定食一つ!ギーカはどうする?」
「えとね、じゃあヒヤヤッコで」
 はいよ! とおばちゃんが元気に返事するとさらに大きな声で厨房に注文を通す。朝から大きい声や音は苦手だが、こういうのは意外に心地よかった。
「ギーカ冷奴だけで良いの?」
「うん、私朝からコメは駄目なの」
「だからそんなに手が冷てえんだよ!もっと暖かいもの頼みなさいよ!」
 まるでお母さんだ。そんなやり取りをしている間に早くも料理が運ばれてきた。上野達のテーブルにはサバ味噌の良い匂いが充満していた。
「うまそ〜!」
 二人が声を揃えて感想を口にする。ギーカのほうにも美味しそうな冷奴とおばちゃんの心意気なのか漬物ときんぴらがそれぞれ置かれていた。二人がおばちゃんのほうに軽く会釈をすると、さっそく目の前にある料理にがっついていった。
 基本的に朝は食べない上野だが、以外にもご飯が進み早くもお代わりを注文し二杯目をかきこむ。対するギーカもゆっくりだが一口が大きいのか目の前のおかずを見る見るうちに減らしていった。
 目の前の食事を堪能していた上野がふと違和感を感じ視線を少し遠くの席へとやる。そこにはいつの間にか女性が一人座っていた。
―いつの間に座っていたんだ?おばちゃん、いっらしゃいませなんか言ったかな?
 女性は上野に背を向ける形で座っており顔は確認できなかった。しかし髪の毛は艶のあるロングで体格も華奢だった。しかし、何か違和感がある。その女から目が離せないのだ。それに女は動かない、微動だにしないのだ。背筋を伸ばしたまま、まるで置物のようにそこにいるのだ。これはやばいかもしれない、そう思った時にはもう遅かった。女はゆっくりとこちらへと振り向きだしたのだ。それは短くそして長く感じた。夢の時間の体感速度とまるで一緒だった。女の頬が見え時には上野は限界だった、何かとんでもない化け物に喉元を押さえつけられているような得も言われぬ恐怖感が彼を襲っていた。体が全く言うことを聞かず、全身の毛穴から汗が噴き出してくるのを感じていた。
 女の口元が見えたときに彼の恐怖は限界を超えた。その口は裂けんばかりに笑っていたのだ。
―俺はもうダメだ……
 そう思った瞬間に上野の肩に衝撃が走った。驚いて反射的に掴んだそれはギーカの腕だった。
「上野さんダイジョブ!?呼んでも全然リアクションがなかったから……、料理来たよ、さぁ食べヨ!」
 上野は状況が全く理解できず立ち上がって辺りを見渡していた。だが、店の関係者以外でここにいるのは上野とギーカだけだった。それに先程食べていたはずの料理が手つかずの状態で目の前にある、しかも出来立ての状態で。
「なんで料理があるんだよ……そ、それに女は?女はどこだ?」
ギーカは目をぱちくりさせながらどんな表情をしていいのかわからないといった状態で上野をまじまじと見つめていた。
「今運ばれ来たノヨ!それに私は女よ!」
「そうじゃなくてお前の後ろの席に座っていた女だよ!どこに行った!?」
「何言ってるノ?私達以外にお客さんナンていないよ」
 冷汗が止まらなかった。確かに女はいた、それに料理も食べた。まだ口の中にサバ味噌の余韻が残っている。その料理が出来立ての状態で目の前に置かれている、それだけで上野がパニックになるのには十分だった。
「さぁ、食べマショ」
 上野のことなどギーカは気にも留めずに目の前の冷奴に手を付ける。大き目のサイズに取り分けながら器用に箸でつまみ口へと運んでいく。見た目にそぐわず一口がかなり大きい。それを見て少し落ち着きを取り戻したのか、ぎこちないながらも座り直した。目の前には湯気の立った料理が男に食べられるのをじっと待っている。だが、上野は箸を取り2回ほど料理を口に運ぶとぱたりと動きを止めてしまった。それに気付いたギーカも合わせるように箸を止めた
「食欲ナイノ?」
「いや、そういう訳じゃないんだけど……、なあ、料理が運ばれてくる間俺何してた?」
 ギーカは首を傾げた。当然の反応だろう、ほんの五分、六分前の自分の行動を他人に聞いているのだから。
「料理の注文ヲしてから上野さん寝ちゃってタヨ」
 そう指摘され上野は言葉に詰まっていた。
―俺が寝ていた?じゃあさっきのは夢だとでも?じゃあこの腹に溜まった様な感覚と、口に残っていた余韻は?それに寝ていたとしてもせいぜい5分程度だろ?
 彼の頭の中には誰に聞くでもない質問がどっと溢れ出していた。作ってくれた人には申し訳ないが目の前の料理を胃袋にいれる余裕はもう上野には残されていなかった。静かに手を挙げあばちゃんに勘定を促す。言葉を発する余裕ももうなかった。まだ全てを食べ終えてなかったギーカも慌てて自分の口に料理をかきこむ。
「あんた若いのにこれだけしか食べないのかい!?ちょっと待ってなさい」
 おばちゃんはそういうと手際のよい動きで上野の食べ残しを持ち帰りの容器に詰めていく。
―おせっかいやきのおばちゃんだな
 そう思っていた上野だが表情はまんざらでもない様子だった。手提げ袋に入った料理を渡すと「仕事頑張ってきなよ!」と労いの言葉をかけてくれる。こんな人ばかりだと人生生きやすいんだろうなと考えながら、会釈をしてそれに答える。慌てて支度をするギーカをよそに上野はひとり定食屋を後にした。
 時間はきっと三十分と経っていないだろう、しかし通りはすでに活気に溢れていた。先ほどよりも人通りは多く、多くの人が仕事、学校、様々な目的の元行動していた。
「いつもこの感じだ」
 彼は誰に言うわけでもなくボソリと呟いた。上野はこの活気ある人混みの中にいる時、最も孤独を感じる。この街だけで幾万の人が生活している、その中で一人だけが仲間外れを受けているような感覚を彼は持ち続けていた。他人に言わせればそれはただの被害妄想だろう。彼に近しい人間がいないわけではない、ギーカもそうであり、先程の食堂のおばちゃん、上野の周りには優しい人間がたくさんいるのだ、彼自身だけが優しくなかった。自身の殻に閉じこもりあえてその優しさに触れようとしない、理解しない、目を向けようともしない。いや、そうしたくなかったのだ。今彼は彼自身の夢に蝕まれている、そのギリギリの精神状態を支えているのが「俺は孤独だ」という被害妄想だった。悲劇のヒーローを演じることで全てのことから目を背けたかった。この男は怖かった、その優しさに触れてしまい自分自身の殻を破ってしまうのを。もし、その優しさが一時の物であれば?再び失うということがどれほど恐ろしいことかは彼の体に染みついていた。であれば、優しさなどのいらない、最初から何もない方が良い、それが彼が出した結論だった。その時、上野の後頭部に鈍い衝撃が走る。
「ナンデ待ってくれてないノ?」
 その正体は炸裂したギーカの鉄拳だった。置いて行かれたのが余程頭に来たのか目にうっすらと涙を溜め、その拳はかすかに震えている。怒りで赤らむ頬が皮肉にも彼女の美しさを一際際立たせていた。
「痛えな!仕事があるって言っただろ!それに俺が会計済ませてる間に支度する時間あっただろう?てか、何気に奢ってやったんだからご馳走様の一言も聞かせてもらいたいもんだね」
「ダッテ、まだ豆腐残ってタシ、でも、ソノ、あの……ごちそう様デシタ」
 彼はそれは聞くと満足げな顔だけを残しながら踵を返し歩を進める。逆に不満げな表情したま彼女もそれを追いかける。手が触れる距離まで追いつくと静かに彼女は上野の指へと自身の指を絡ませる。傍から見ればどこからどう見ても仲睦まじいカップルだろう。だが不思議なことに彼らは付き合ってはいなかった。
「俺ら付き合ってもいないのに何で手繋いでんの?」
「アタタカイから」
 即答の返事をもらえたのは良かったがそれは上野の望んだ答えではなかった。
「私ネ、男の人はキライ。でも上野サンはダイジョブ、あなたの手はとても安心スルノ」
「……どうも」
 朝からこんな直接的なこと言われるとは思っていなかった。彼の頭は若干のパニックに陥りやっとひねり出した言葉がこの一言だった。そんなやりとりをしている間に彼の職場へとついてしまった。
2015-05-29 09:44:24公開 / 作者:ガサラ
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■作者からのメッセージ
初めまして、ガサラです。久々に書きました。
半分フィクションですが半分ノンフィクションです。
至らないところが多々ありますが拝見していただければ幸いです。
この作品に対する感想 - 昇順
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