『ハスキー(第四章更新)』作者:ゆうら 佑 / t@^W[ - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
少女みいと犬のハスキーは、生まれたときから一緒の同い年。「ハスキーと一緒じゃなきゃ、小学校には行かない!」そんなわがままを言いだしたみいは、動物と一緒に学べる私立学校への入学を決めるけれど……。ちょっぴりふしぎで切ない、一人と一匹のお話です。
全角56585文字
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原稿用紙約141.46枚
第一章 入学試験

  1.

「ハスキー、鹿さんだ、鹿さんがいる!」
 みいがおれの顔を見おろして叫んだ。
 鉄砲玉みたいに走りだすみいに、おれはぴったりついていく。
 すずしい風を切って、芝生の広場を駆けぬける。
 草のにおいが鼻をくすぐる。やわらかい地面が足元ではずむ。
 四本の足を軽快に動かすおれのとなりで、みいの二本の足が前後にぱたぱた動いている。いまにも転んでしまいそうで、見ていてひやひやする。人間ってやつは、よくもこんな不自然な走り方ができるもんだ。犬のおれからすると不思議に思う。
 広場の真ん中で、一匹の鹿が地面をほじくっていた。立ち止まったみいは、その大きな体に「ほおー」と見とれる。
「おっきいね! ね!」
 みいが顔を上気させておれに叫ぶ。初めて見る鹿に、興奮を抑えきれないらしい。
 改めて近くで見ると、たしかにでかい。おれの四倍はある。動きはとろいが、油断していると踏みつぶされてしまいそうだ。
「この子、噛む? 触っても大丈夫かな?」
 大丈夫だろう、とおれは答えた。
 みいがおそるおそる伸ばした手に、鹿はずいっと顔を近づけてきた。それに驚いたみいがあとずさりする。足がもつれる。
「わあっ」と叫んで、みいはこてんと尻もちをついた。
「笑わないでよお、ハスキー」
 みいはほおをふくらませながら立ち上がって、手についた芝生をぱんぱんと払った。
「すまんすまん。怪我しなかったか?」
「してない」と、みいはぷいとそっぽを向く。
 ちょっと前まではあんなに小さかったのに。いまは二本足で立っているみいのほうが、おれよりずっと背が高い。走るのも速くなった。まあ、来年からは小学校に上がるんだ。ちょっとくらいたくましくなってもらわなきゃな。
 鹿はみいに興味を失ったのか、すたすたと歩いていってしまう。
「あっ、行っちゃうよ」
 みいはこりずに追いかけようとする。
 ほかの観光客がおれとみいをじろじろ見ていた。犬のおれを連れているのがめずらしいらしい。なあに、心配しなくても、噛んだりほえたりなんかしないさ。そのあたりの犬と一緒にしてもらっちゃ困る。おれは主人にきちんとしつけられた、賢いシベリアンハスキーだからな。
「あんまり先に行くなよー」
 少し息を切らせながら、おれの主人――みいのパパさんが追いついてきた。汗で眼鏡がずり落ちている。脱いだジャケットを腕に抱えて、シャツ一枚になっていた。梅雨が明けて、もう七月半ば。空はくもりがちで日差しはそんなに強くないとはいえ、かなり蒸し暑い。
 休日の奈良公園は、観光を楽しむたくさんの人でごった返していた。広場から道路のほうを振り返ると、人の流れが川のように動いているのが見える。
「楽しんでるな、みい」
 パパさんがつぶやいた。
 おれはうなずいて、鹿の脇腹をこっそり小突いているみいを眺める。
 パパさんが少し顔をそむけて、手で目のあたりをぬぐったような気がした。汗か。いや――気のせいだったのかもしれない。パパさんはすぐに元気な声で、みいを呼んだ。
「みい、おーい!」
 呼ばれたみいは振り向いて、パパさんに気づくとすぐに駆けよってきた。
「ねえ、鹿さん触ったよ! もこもこしてた!」
「そうか、よかったな」
 パパさんはにっこり笑って、みいの頭を撫でた。
「もうすぐ向こうのほうで『鹿寄せ』っていうのがあるみたいなんだけど、行ってみないか」
「鹿寄せって何?」
「ホルンっていう楽器を吹いて、鹿さんを呼び集めるんだよ」
「鹿さんいっぱい来る?」
「そうだよ」
「行きたい!」
 ガイドマップを広げたパパさんは、あっちのほうだね、と広場の向こうを指さした。
「歩くとちょっと遠いかな。バスに乗る?」
「大丈夫! 歩く!」みいは大はしゃぎだった。
 人通りの多い道は避けて、そのまま広場を歩いていく。色あざやかな芝生がずうっと広がっていて、それを深緑の木々と山が囲んでいる。鹿のフンのにおいが鼻につく以外は、快適な場所だ。
 よく見るとあちこちに鹿がいて、気ままに草をはんだり寝そべったりしていた。一匹でいるやつもいるし、二、三匹で固まっているやつらもいる。大きさもさまざまだ。みいは鹿を見つけるたびにはしゃいで、ぺたぺたと鹿の体に触ったり、あとをつけまわしたり、反撃されてびっくりしたりしていた。そのせいでなかなか先に進むことができずに、目的地に着いた頃にはもう「鹿寄せ」が始まっていた。
「ほら、あそこにホルンを持ってる人がいるよ」
 パパさんが指さした先、林の少し手前に人だかりができていて、そこに金色の楽器を持った一人の男が立っていた。遠目で眺めていると、そいつは楽器を少し持ち上げて、空に向かって吹き鳴らすようなしぐさをした。一瞬遅れて、その音はあたりに響きわたった――。
 なんて悲しい音色だ。
 おれははっとして、その音に耳をすませた。
 まるで――泣いているみたいじゃないか。
「パパ、すごいすごい! 鹿さん!」
 みいが叫ぶ。見ると、林の奥から何匹もの鹿が出てきて、男に駆けよっていくのが見えた。だがおれにとってはどうでもよかった。ただただ、ホルンの悲しげな音に聞き入っていた。音は芝生を越え、木々を越え、くもりがちな空に向かって消えていく。
 集まってくる鹿に、見物客たちが歓声を上げる。
 その中心で、男はその音色を奏でつづける。
 みいも母親を呼んで、あんな悲しい声を出していたことがあったっけ……。
「ハスキー? ハスキー?」
 はっと我に返ると、みいがおれの背中をぽんぽんと叩いていた。
 おれの顔をのぞきこんで、ふしぎそうな顔をする。
「どうしちゃったの? ハスキーは鹿さんじゃないでしょ?」
 パパさんも笑っている。「ハスキー、何つられて歩きだしてるんだ」
 あたりを見回す。いつの間にか人だかりの最前列にいて、みんなの視線を集めてしまっていた。何が起こったのかよくわからない。見ると目の前に鹿の大群がいて、ホルンの男のまわりで押し合いへし合いしていた。その真ん中で何かえさのようなものを与えながら、男が見物客たちに説明をする。
「このホルンの音が鳴っている場所に来ると、えさがもらえるって知ってるんですよ、鹿たちは。だから音が聞こえると集まってくるんです」
 人だかりから、へえーという声が漏れる。
「ハスキーも食べものがほしかったんだ!」
 みいが叫ぶ。おい、鹿と一緒にするな。
 どうも納得できない。えさを求めてやってくる? 別に言い訳したいわけじゃないが、そんな単純なことではない気がした。もっと体の中の何かを揺さぶられるものが、あの音にはあった気がする。
 ホルンをじっと見つめていたら、鹿寄せの男と目が合った。頭にバンダナを巻いていて、口のまわりにひげを生やしている。決して若くはない。パパさんよりちょっと上くらいか。そいつは優しげな目で、おれに笑いかけた。悪いやつじゃなさそうだが、どこかうさんくさい。
 一方みいは、きらきらした目で男と鹿たちを見つめていた。
「すごい! みいもやりたい! みいも鹿さん集めたい!」
 みいの言葉を聞いて、鹿寄せが笑う。そしてゆっくりと近づいてきた。
「気をつけろよ、みい」
 そう注意したが、みいは聞く耳を持たない。パパさんも鹿寄せに愛想笑いをするだけだ。
 近づいてきたそいつはしゃがんで、みいと視線を合わせた。
 おれもみいにぴったり寄り添う。「いつも言ってるが、知らない大人にはむやみに――」
 男が口をひらいた。
「鹿さん、集めたい?」穏やかな話し方だった。
「うん!」
「そうかあ。残念だけど、これは練習が必要で難しいんだ。きみにはまだ無理かな」
 不満げな顔をするみい。
「でもいい方法があるんだ。向こうのほうで鹿せんべいっていうのを売ってるんだけどね、鹿さんはそれが大好物だから、それをあげると鹿さんが集まってくると思うよ」
「ほんと? みいにもできる?」
 鹿寄せはうなずく。
「パパ、鹿せんべーだって! 鹿せんべー!」
 みいはすでにやる気満々で、パパさんの手を引いて走りだそうとする。
「すみません、ありがとうございます」
 パパさんは鹿寄せにお礼を言うと、みいに引っぱられて離れていった。
 おれはそっと男を見あげる。もう楽器は吹かないらしい。集まってきた鹿の体を撫でながら、遠ざかっていくみいたちを無表情で眺めている。
「おや、きみは行かないのか」男がおれに気づいて声をかけてきた。「ごめんな、きみにあげるご飯はないんだ」
 バカにするな。おれはきびすを返して、みいとパパさんを追いかけた。
「あった! 鹿せんべー!」
 道端の売店を目ざとく見つけたみいは、さっそくパパさんにねだって買ってもらっていた。大量のせんべいを胸に抱えて、うれしそうに笑う。さすがに買いすぎじゃないか、パパさん。かわいいからって甘やかすのは良くないぞ。
 みいは「鹿さん鹿さん」と言いながら餌付けする相手を探そうと歩きだしたが、すでに三匹くらいの鹿がみいに寄ってきていた。首を伸ばして、我先にとせんべいにかぶりつこうとする。みいの体まで食いちぎりそうな勢いだ。おびえた様子で、みいは逃げようとした――が、後ろからもたくさんの鹿が突進してきていた。あっという間に囲まれる。みいの姿が見えなくなる。群がる鹿の中から、かすかな悲鳴だけが聞こえた。
「みい!」
 おれは走り寄ってほえた。パパさんも駆け寄る。だが鹿たちは夢中で気にも留めない。群がった鹿のまわりをぐるりと一周したが、どこからもみいは見えない。これじゃ、みいが――。迷ってる暇はない。ひづめのある足に突撃する。何とか足の間からもぐりこんで、みいのいるであろう場所に近づこうとする。
「みい! みい!」
 前足を踏まれた。
 それがどうした。みいはもっとひどい目にあっている。
 何匹目かの鹿の胴の下をくぐりぬけたとき、やわらかい感触が鼻先に触れた。小さな手が、おれの頭を必死につかむ。
 ああ、よかった。
 大声でほえまくって、鹿を蹴散らしていく。おれの登場に驚いた鹿たちは、すぐにみいから離れていった。もともと争いを好まないやつらだ。みいに群がったのだって、別に悪気があったわけじゃないだろう。責めるつもりはないが、小さな女の子にぐらい、手加減してやってほしいもんだ。
 二本の腕が、おれの首に巻きついた。見ると、みいが後ろから抱きついて、おれの自慢の毛に顔をうずめていた。
「うわああああああん。ハスキー、こわかったああ。わあああああああん」
 ひさしぶりに聞くみいの泣き声。
 たくましくなったと思ったけど、まだまだ子どもだ。

「怒ってるのか?」
 運転席のパパさんに声をかけられた。車は夜の高速道路を静かに駆けぬけていく。カーナビの明かりが、ちかちかと目に痛い。
「ああ」という返事がわりに一声鳴く。みいほどじゃないが、簡単な意思疎通ならパパさんともできる。
 鹿は悪くない。だが、やっぱりあいつは気に食わん。みいをそそのかしてせんべいを買わせたあの男。仮にもあそこで働いてる男なら、あのせんべいのせいで、みいに危害が及ぶことも予想できたはずだ。
 みいは疲れたのか、おれのとなりですやすや眠っている。その寝顔を眺めていたら、パパさんが諭すようにおれに言った。
「いいかハスキー、今日のことはあの人のせいじゃない。鹿が寄ってくるのは当たり前のことだし、それを注意する看板だってあちこちに立ってただろう。責任があるとしたら……むしろ、みいを守りきれなかったぼくやハスキーのほうじゃないのか?」
 後部座席からは、その表情はうかがえない。ただ、口調はいつになく厳しかった。
 パパさんの言うことは正しい。間違いなく正しい。おれは大人しくため息をつく。そうだ、おれは――もっときちんとみいを守ってやるべきだった。
 そのとき、となりで眠っていたみいが突然声をあげた。
 ぎゅっと抱きつかれる。寝ぼけ声が耳に届く。
「ハスキーいなくなった……ハスキー、一緒にいて……どこにもいかないで」
「こわい夢でも見たんだろう」
 さっきまでの雰囲気とはうって変わって、パパさんが笑いまじりに言った。
 寝言だったんだろうか。みいはおれの体をつかんだまま、また寝息を立てはじめた。
 パパさんが冗談めかして言う。
「ハスキー。みいと、いつまでも一緒にいてやるんだぞ」
 ふん。
 これだから人間は。
 空っぽの助手席のうしろで、おれは体を丸める。
 パパさん……「いつまでも」なんて、ありえないってこと。
 あんただって、わかってるだろう。

  2.

 いつから一緒にいるのか。おれもよく覚えていない。ただ、生まれてすぐ母親を失ったみいと、生まれてすぐ母親に捨てられたおれは、気づけば一緒にミルクを飲ませてもらっていた。
 ほとんど離れた記憶がない。同じものを見て、同じ音を聞いて、同じ空気を吸って……長い時間を二人で過ごすうちに、いつしかお互いの言葉もわかるようになった。いや、言葉なんか、初めからあって無いようなものだった。
 そうしてもう六年が経つらしい。長い時間だ。こんな生活がいつまでも続くはずはないと、おれは理解している。時間は流れ、物事は移り変わるのだ。この冬もいつか終わり、やがて春がやってくるように。
「やだ、やだあー!」
 みいの声が聞こえる。ソファの上でひなたぼっこを楽しんでいたおれは、目は閉じたままで片耳を立てた。うちのお姫様はずいぶんご機嫌ななめらしい。
「ハスキーと一緒じゃなきゃいやなのー! やだっ! やーだっ!!」
 それをなだめるパパさんの声。いったい何の話をしているのか。おれは身を起こしてソファから飛びおりる。パパさんの部屋をのぞいてみると、しゃがんだパパさんがみいと向かいあっていた。みいは泣き顔、パパさんはいつもの困り顔。
「パパ言ってきてよお、学校に! ねえ、ねえ! いいでしょ?」
「そんなこと言われても……ああハスキー」
 パパさんがおれに気づいて、助けを求めるようにこっちを見た。
「みいがね、ハスキーと一緒じゃなきゃ学校に行かないなんて言うんだ。どう思う?」
 返答に窮する。
「ほら、ハスキーもそんなのダメだって言ってるだろ」
 いや言ってないが。案の定、みいは怒った。
「そんなこと言ってないよ! パパのうそつき!」
「いや、その……」
 しどろもどろになるパパさん。おれは見かねて声を出した。
「みい、あんまりパパさんを困らせるな。小学校は人間が勉強する場所だろう。おれの行くところじゃない」
 みいがこっちを向いた。その目が――みるみる潤んでいく。
 しまった。
「なんで? ハスキーなんでそんなこと言うのー?」
 いよいよみいは本格的に泣きだしてしまった。よしよし、と頭をなでようとするパパさんの手をすり抜けて、部屋を飛び出していってしまう。おれもしっぽを踏まれそうになる。バタン、とお風呂場のドアの閉まる音。
 鍵をかけて立てこもったみいは、それから寒さと空腹に耐えきれなくなるまで、ほとんど丸一日出てこなかった。パパさんは午後の診察を臨時休診にする羽目になって、かなりこたえたらしい。その夜、しぶしぶ小学校に電話をかけたようだった。
 次の週、おれはパパさんに連れられて外出した。もちろんいつもの散歩とは違う。その小学校に交渉しに行くためだ。
「大人しくしてるんだぞ、ハスキー」
 冷え込む夕方の道を並んで歩きながら、パパさんにそう言われた。どうやらパパさんは、本気でおれを小学校に入れるつもりにしたらしい。
 丘の上にその学校はあった。家から歩くと、だいたい二十分くらいか。みいの足では少し遠いんじゃないかと感じる。坂が急だし、途中に交差点が多いのも気になった。
「その犬ですか」
 部屋に入ってきた校長先生は、開口一番そう言った。
 その犬呼ばわりとは、ずいぶんなめられたもんだ。だが賢く大人しい犬であることをアピールしないといけない。おれは部屋の隅に座ってすまし顔をする。
「ハスキーといいます。大人しいやつで、ほえたり、人に噛みついたりなんかは絶対にしませんし」パパさんは勢い込んで話しはじめる。「娘とも本当に仲が良くて……」
「来年入学予定の、沢村みいなちゃん、ですね」
 校長は手もとの紙をぱらぱらめくりながらつぶやく。
「はい。娘の言うこともよく聞きます。それに、娘が何か間違いをしたときはちゃんとたしなめるんですよ。この前なんか……」パパさんのアピールは続く。「あ、あとトイレも自分でできます。もちろん人間用のトイレで。うちでもぼくらと同じ水洗トイレを使ってますし――」
「お父さん」
 パパさんの熱弁に水を差すように、校長は渋い顔を向けた。
「はい?」きょとんとするパパさん。
 校長は長い息を吐きながら、書類を机の上でとんとんと整えた。
「小学校ってのはね、友達を作る場所なんですよ」
 はあ、とパパさんはうなずく。
「人生で初めての友達、仲間を得て、同じ場所で多くの時間を過ごし、一緒に学んで、協力して、いままでできなかったことにチャレンジする……そういう場所なんですよ。ああもちろん、『人間の』友達ですよ?」
 最後の一言が、ずいぶんいやみに聞こえた。
「いや……」と言ったきり、パパさんは黙ってしまう。
「もし、ですよ」
 校長は半びらきの目でパパさんを見すえた。おれのほうには、もう見向きもしない。
「あの犬を学校に入れたら、それはみいなちゃんは楽しいでしょう。でもそれって、『人間の』友達を作ることを放棄することにつながりませんかね。『人間の』友達を作るチャンスを逃してしまって、今後もずっと、そういうスキルが身につかないかもしれない。でしょ。犬と遊んでばかりで、肝心の『人間との』コミュニケーション能力に欠けた人間になってしまうかもしれない。それって、みいなちゃんの将来的に、どうなんでしょうねえ」
 結局、パパさんは反論できずに席を立った。
「お忙しいところ、ありがとうございました」
「こちらこそ」と校長は満足そうにうなずいた。
「入学、お待ちしていますよ」
 学校から出てみると、まだ山の上に夕日が残っていた。あっという間に追い返されたということでもあるし、だんだん昼の時間が長くなってきたということでもある。
「ハスキー、どうする?」
 パパさんがため息をつきながら、おれに話しかける。答えなんか期待しちゃいないんだろうが、一応答えておく。
「みいを説得するしかないだろうな」
 ただの鳴き声にしか聞こえなかったはずだが、パパさんはまたため息をつくと、「そうだよなあ」とつぶやいた。単なる自問自答か。それともおれの言葉が通じたのか。どっちにしろ、とてつもなく大きな問題が目の前に転がっていることだけは、おれもパパさんも理解していた。

 それから何日かして、みいが何かを一心不乱に読んでいるのを見つけた。パパさんは午前の診察中で、壁の向こうの診療所からかすかに声が聞こえてくる。おれが居間に入っても、みいは気づきもしない。本か何かか? そっとそばから覗き込んでみると、机の上に薄っぺらい紙が数枚。漢字が多かったが、すべて丁寧にふりがなが振ってあった。パパさんに教えてもらったおかげで、おれも簡単な漢字くらいまでなら読める。
 入試――という言葉がまず目に入った。
「あっ、ハスキー! 見てっ」
 ようやくおれに気づいたみいは、持っていた紙をおれのほうによこしてきた。「児童募集要項」という小難しい言葉の下に、パパさんの字で「このがっこうの、はいりかた」と書いてある。
「動物と一緒に勉強できる学校なんだって!」
 みいが興奮ぎみに叫ぶ。動物と勉強だと? なんとなく、いつか絵本で見た「もりのがっこう」を連想した。ターザンみたいな野生児が、森にすむキリンやゾウたちと一緒に勉強するのだ。
「違うよハスキー、ふつうの子が行くところだよ。でもね、動物を連れていってもいいの!」
「本当か?」
 この前の校長の態度が身に染みているから、すぐには信じられない。疑いつつもみいの資料に目を通してみると、難しい言葉はわからないが、たしかにそういうことが書いてあった。こんな小学校があったとは。
「パパさん、よく見つけてきたな」
「鹿寄せさんに教えてもらったんだって!」
 しかよせ? 聞き覚えがある。少し頭をひねると、いつかの男の姿がよみがえってきた。それと同時に、芝生の明るい色と、鼻の曲がるような鹿のフンのにおいも。
「ああ、奈良公園の――」
「あの人もこの学校に行ってたんだって!」
 ふと見ると、みいのそばにはおみやげらしき大仏プリン。パパさん、また奈良まで行ってきたのか。最近よく一人で外出してると思ったら、こんなことを……。
「ハスキー! 一緒に学校に行けるよ!」
 みいがおれに抱きついてくる。
 どうやら事態は良い方向に進んでいるようだ。さすがはパパさん。壁の向こうの話し声に耳をすませながら、尊敬の念と――なぜか出し抜かれたような悔しさを感じた。やっぱり、みいの親はあの人なのだ。
 ただ――
 みいの肩越しに要項を眺めて、おれは少し心配になる。私立の学校だから、当然試験がある。まだ、行けることが決まったわけではないのだ。

 《入学試験:面接を実施します。学園でのパートナーとなる生物と一緒にご参加ください。》


  3.

「受験番号四十二番の方、お入りください」
 扉の向こうから聞こえてきた声に、一瞬体がこわばった。
 ついにきたか。
「がんばるんだぞ、みい」
 パパさんがみいに声をかけるが、そわそわしているのが丸わかりだ。
「うん」とうなずくみいも不安げで、いつもの元気はない。表情が硬い。さすがに緊張するだろう。もちろん面接なんて生まれて初めてだ。それも小学校に入れるかどうかの、大事な面接。パパさんとたくさん練習したとはいっても、本番は会場も面接官も違う。聞かれる質問だって、全然予想しなかったものかもしれない。
「大丈夫だ」
 みいを見あげて言葉をかけた。
「いつも通りのみいでいい」
 こくん、こくん、と、みいは二回うなずいた。ただし表情はこわばったまま。
「失礼します」
 パパさんがノックをして扉を開ける。まずみいが、それに続いておれが部屋に入る。「よろしくお願いします」というパパさんの声と、扉の閉まる音が後ろで聞こえた。保護者は面接室に入れない。もうパパさんには頼れない。いまここでみいの力になってやれるのは、おれしかいない。
「沢村みいなちゃんとハスキーくんだね」
 机の向こうに座った男が、にこにこしながら声をかけてきた。若く見えないこともないが、たぶんパパさんよりかなり年上だ。
「は、はいっ」みいの声は緊張でうわずっている。
「よろしくね。床にしるしがあるから、一緒にそのあたりに立ってください」
 言われたとおりの場所に移動して、面接官と向かいあう。
「それじゃ、いくつか質問をさせてもらいます」男はそう言ってみいに笑いかけた。「大丈夫、リラックスリラックス」
 不思議なことに、みいの表情も心なしかほころんだ。なるほど。さすがこういう仕事をしているだけあって、子どもの心をつかむのは上手いらしい。
 ただしもう一人の面接官――背の高い中年の女のほうは、おれたちを見つめたまま微動だにしない。身のすくむような冷たい目をしていて、何を考えているのかもまったくわからなかった。
「ハスキーくんってかっこいい名前だね」男が何でもない口ぶりでみいに言った。「みいなちゃんが考えたの?」
 質問されたことに一瞬遅れて気づいたみいは、おずおずと口をひらく。
「えっと、違います」
 面接官の男は柔和な顔で、うんうんとうなずいている。
「じゃあだれが考えたのかな?」
「パパが……」
「そっか、お父さんなんだ。じゃあ、どうしてそんな名前を付けたのか知ってるかな?」
「えっと……」
 おれはみいを横目でうかがう。おれの名前の由来か。簡単な質問だ。だが、みいはちゃんと知ってるんだろうか。少なくともおれの前では、みいとパパさんがそんな話をしていたことはないはずだが。
「ハスキーはシベリアンハスキーっていう犬なんです」
 意外にも、みいははっきりした口調で答えた。「だからハスキーなんです。でもハスキーには『強い』っていう意味もあって、強く育ってほしかったから、パパはハスキーっていう名前にしたって言ってました。ハスキーは、生まれたとき体がすごく弱かったから……」
 思わずみいの顔を見あげた。名前はどうでもいい。それよりも――おれが生まれたときの話なんて、いままで聞いたこともなかった。パパさんがみいに話したんだろうか。
「へえー」と男は感心している。「そっか。強く育ってほしい、っていうお父さんの願いがこめられていたんだね。ハスキーくんがいまこうやって元気なのは、そのおかげなのかな」
 みいはうなずく。いつの間にか笑顔になっていた。
 男もほほえんで、「じゃあ次の質問……」ととなりの女をうながす。
 それまで黙ったままだったもう一人の面接官が、ようやく口をひらいた。
「では、ハスキーくんとの一番の思い出は何ですか」
 きびきびとしてよく通る声。別の言い方をすれば、少しきつい。
 みいはちょっとたじろいだようだが、すぐに「えーと」と声を発した。
 だが、次の言葉がなかなか出てこない。
「一番の思い出です。何かありませんか?」
 女が追い打ちをかけてくる。男のほうと違って、こっちは容赦がない。
「一番……えっと……」
 おれは心配になってみいを見る。思い出なんていくらでもあるだろう。その中から一個選んで話せばいい。何でもいいんだ。――みいにそうアドバイスしようと思ったが、寸前で踏みとどまる。おれが声を出したら減点になるだろうか。むやみにほえる犬はイメージ悪いしな。何より、質問されているのはみいなのだ。
 ふがいない。結局、おれは何もできないじゃないか。
「焦らなくていいよ。ゆっくり考えて」男が穏やかに声をかける。
「えっと、えっと……」
 だが、みいはそう言ったきり、うつむいて黙り込んでしまった。
「どうしたの? わかんなくなっちゃったかな」
 男に尋ねられても、みいは顔を上げない。しばらくして、蚊の鳴くようなかぼそい声が、みいの口から漏れた。
「ごめんなさい」
「ん?」男が不思議そうな顔をして、みいを見つめる。
 みいは少しだけ頭を起こして、唇をひん曲げた妙な顔で面接官に言った。
「ごめんなさい……選べないです」
 ふっ、と男の空気がゆるむ。そして椅子にもたれると、大きく何度もうなずいた。
「なぁるほど。一番は選べないか、そりゃそうだ。こっちの質問がちょっと悪かったね。ねえ先生?」となりの面接官に笑いかける。
 それとは対照的に、女は眉一つ動かさずにぴしゃりと言った。
「わかりました。結構です」
 男はそんな仲間の態度に苦笑いしながらも、姿勢を正してもう一度みいに向き直った。
「みいなちゃんには、ハスキーくんとの楽しい思い出がいっぱいあるんだね」
「はい。海に行ったりとか……鹿さんと遊んだりとか、お花見とか、あ、この前は一緒に雪合戦をして――」
 いっぱいあるんじゃないか。おれはそっとため息をつく。いまのが選考に響かなきゃいいが。かなり時間もロスしてしまったはずだ。
 みいの話をうなずきながら聞いていた男は、さりげなく次の質問に移った。
「そうかあ。ハスキーくんの好きなものって、ほかに何があるのかな?」
 これはみいも答えやすかったようだ。
「えっと、食べ物だとお肉……あとお散歩。それと、うちのソファが大好きで、いつもごろーって寝てます」
 そんな恥ずかしいことは言わなくていいんだ。何だかおれの私生活が暴かれているようで、あまりいい気分はしない。次の女の質問も、おれのことだった。
「では、ハスキーくんの嫌いなものは何ですか」
「えっと、におい。クサいにおいが嫌いです」
 よくわかってるじゃないか。
 今度は男が、相変わらずなごやかな表情で尋ねる。
「そういえば、ハスキーくんはいま何歳だったっけ」
「六歳! みいとおんなじ!」
 簡単な質問が続いている。入学願書にも書いたようなものばかりだ。まあ小学校の面接ならこんなものか。それほど心配する必要もなかったのかもしれない。
「では」女が表情一つ変えずに切りだす。
「ハスキーくんは、何歳まで生きると思いますか」
 す、とみいの顔から血の気が引くのが、見なくてもわかった。
「えっ……」と言ったきり、言葉が続かない。
「シベリアンハスキーのいわゆる寿命は、十二歳くらいと言われています。長くても十四歳」
 女は「間違いありませんね」と男に確認する。男がうなずくと、淡々と続けた。
「あなたが学園を卒業するまでに、ハスキーくんが死んでしまう可能性は十分にあります。もしハスキーくんが途中で死んでしまった場合、代わりのパートナーを考えていますか」
 みいの手が小刻みに震えている。おれは顔を上げて、面接官の女をじろりとにらんだ。何も間違ったことは言っちゃいない。だが、それにしてもひどすぎないか。女は冷たい目で、おれを見返してくるだけだった。
 答えを返さないみいに、男のほうが優しく声をかける。
「もしもの話だからね。ほら、たまに病気になっちゃうこともあるだろうし。学園では動物と一緒に授業を受けてもらうから、もしものとき、代わりのパートナーは絶対必要なんだ。わかるかな」
 男の問いかけにも、みいは答えない。
「たとえば、そうだなあ、ハスキーくんの子どもとか。ハスキーくんにお嫁さんはいないのかな?」
「は……」黙ったままだったみいが、突然声をあげた。
「ハスキーのお嫁さんはみいだもん!」
 驚いてみいの顔を見あげる。
 目から大粒の涙がこぼれていた。透明な液体が、真っ赤なほおを伝い落ちる。
「ハスキーは……死なないもん。ハスキーはずっと一緒だもん!」
「落ち着け」
 鋭い一声を、みいに向かって発した。みいの体がぴたりと止まる。
 これは試験だ。落ちるわけにはいかない。
 落とすわけには、いかない――
 小声で、早口で、みいにささやく。
「あいつらだって、いじわるであんな話をしてるんじゃない」
「だって」と、みいは泣き顔をおれに向ける。
「みいがどんな子なのか、知りたいだけだ。みいがおれのことをどう思ってるのか、知りたいだけなんだ。正直に、みいの思うように、答えればいい」
 おれもいつかは死ぬのだ。確実に、みいより先に。当たり前のことだ。みいはそのことを理解できているか。この質問は――それを試すための試験なんだ。
「もう一度お尋ねします」
 面接官の女が、静かに声を発した。
「ハスキーくんがいなくなったとき、あなたは代わりのパートナーをどうしますか」
 頼む、みい。
 みいは女をキッと見すえて、叫んだ。
「絶対、ぜったいぜったい、ずっと一緒にいるの!」
 ああ――
 目を閉じて、思わず笑う。
 バカだなぁ、みいは。
「では、これで面接を終わります」
 石のように冷たい声とともに、入学試験は幕を閉じた。

 試験会場は、学園からそう遠くない長野の大きな公民館だった。学園よりアクセスはいいらしいが、それでもかなりの山奥だ。いったいその学園というのはどんな場所にあるのか。犬や人間が行ける場所なのか。だが、もうそんな心配をしても無意味だろう。
 パパさんに抱かれて泣きわめいているみいを残して、おれはトイレに向かう。終わったこととはいえ、やはり悔やむことが多い。あそこでああできなかったか。もっと対策できたんじゃないか。うじうじ考えながら廊下を歩いていると、目の前のドアからスーツを着た女が出てきた。
 脇によけて通り過ぎようとしたとき、声をかけられた。
「あら、さっきのハスキーくん」
 見あげて初めて気づく。あの面接官だった。相変わらず表情は読み取れない。
「あなたずいぶんお利口なのね。人間の言葉がわかるの?」
 ばれていたか。まあ、もうどうでもいいことだが。
「あいつは不合格か?」
 そう聞いてみたあとで、言葉が通じるはずがないことを思いだす。だが驚いたことに、答えは返ってきた。
「さあ、どうでしょうね……でも熱意だけは見せてもらったわ」
 それだけ言うと、女はハイヒールを鳴らして去っていった。その後ろ姿をしばらく眺める。妙なこともあるもんだ、と思いながら、おれは急いでトイレに向かった。

 数日後、学園から封筒が届いた。おれとみいが固唾を飲んで見つめる中、その中身を読んだパパさんが、心底ほっとしたような顔でおれたちに告げた。
「みい、ハスキー、合格だ。合格したよ!」




第二章 一年生《前編》

  4.

 おれの首にプレートをぶら下げると、みいは作品の出来ばえを確かめるようにおれを眺めて、屈託なく笑った。
「ハスキー、似合ってる!」
 何でもこれが学校の動物であることを示す証明書らしい。首輪なんて生まれてこの方、一度もされたことがなかったのに。首のあたりがむずがゆくて、頭を何度も傾ける。
「苦しい?」
「いや、大丈夫だ。それより早く電気を消せ。夜更かしすると、明日起きられなくなるぞ」
 みいは「はあい」と言って、枕元に垂れたひもを引っぱった。ベッドスタンドの明かりが落ちて、あたりは真っ暗になる。ベッドを仕切るカーテンの向こうからは、まだひそひそ話す声が聞こえてくる。起きているやつらも多いらしい。入学式のあとだ。興奮して眠れないのも当然か。
 学校に入学した児童は、これから六年間、この寮で生活することになる。遠い学校に歩いて通う必要がないのはいいが、きっとパパさんは心配しているだろう。みいだってさびしいはずだ。いまはまだ平気なふりをしているが、パパさんと離れて、住み慣れた家を離れて、さびしくないはずがない。
 寮のどこかから、「ママー、ママー!」と叫ぶ声が聞こえた。みいにも聞こえたらしい。暗やみの中で「あ」とだけつぶやく。ホームシックというやつだろう。家を恋しがってだれかが泣いているのだ。声はすぐにやんだ。
 みいがおれのほうに身を寄せてくる。小さな声が耳元でした。
「ハスキーがいてくれてよかったあ」
 ふんと鼻を鳴らして、おれは目を閉じる。今日見た光景を思い返す。でかい学校だった。まわりには山と森しかなくて、敷地は広いし、建物は多いし、中央にある本館はビルほども高い。しかもどうやら地下にも部屋を作っているらしい。まるで迷路だ。正直、この寮が学校のどのあたりにあるのかも、まだよくわかっていない。
 もし自分がいなくなったら。
 この大きな学校で、みいは一人ぼっちなのだ。
 ふと視線を感じて身を起こす。カーテンの隙間から、二つの丸い目がのぞいていた。体じゅうの毛が恐怖で逆立つ。だがそれは一瞬のことで、すぐに小さな手が伸びてきたかと思うと、目はカーテンの向こうに引っ込んだ。
「だめだよ、キャサリン」と女の子の声がする。
 何だったんだいまのは。これじゃゆっくり寝られもしない。何も気づかずぴーぴー眠っているみいに目を向ける。せめて友達くらい作ってほしいとは思うが……妙なやつらと関わり合いにならなきゃいいが。
 カーテンの向こう側から、女の子の話し声が聞こえる。
「あなたが悪さしたら、あたしがママに叱られちゃうんだから」
 ママ、か。
 そういえばさっき聞こえた泣き声も、たしか母親を呼んでいたな。
 みいの母親は、みいが生まれてすぐに亡くなった。そんな母親のことを、みいはもちろん覚えていない。もともといないも同然だ。母親がいなくてさびしいという感情をみいは知らないし、きっと想像もできないだろう。いまのみいにとって、それは幸福なことかもしれなかった。

 次の日になっても授業は始まらず、施設見学のために半日も校内を連れ回されるはめになった。食堂で昼食をとった新入生たちは、今度は体育館で待機を命じられた。何か説明会のようなものがあるらしい。しかしもう帰りたいと顔に書いてあるやつも多いし、何人かは座って待っているのに飽きて騒ぎはじめていた。
「見てハスキー、おっきい鳥!」
 みいが天井を指さした。見あげてみると、たしかに大きな黒い影が、天井をさっと横切って――そして一気におれたちのほうに向かって急降下してきた。ばさばさという羽音に驚いた子どもが顔を硬直させる。逃げ出すやつもいる。阿鼻叫喚の中、おりてきた鳥は一人の女の腕にとまった。
 いつの間にか目の前に、あの面接官の女が立っていた。
「あなたたち、大人しく待っていることもできないのですか」
 その迫力に押されて、全員が床に座り直す。あのときとまったく変わらない冷たい目でおれたちを見回したあと、女はこう挨拶した。
「一年生担任の泰(はた)令子です。これから一年間、どうぞよろしく」
 二十五人の新入生が、いっせいに息をのむ。
 そんなことは気にも留めず、泰先生は大きなハゲワシを腕にとまらせたまま、淡々と話を始めた。
「まず最初に、ご入学おめでとうございます。さて、明日から授業が始まります。言うまでもないことと思いますが、必ずパートナーの生き物と一緒に参加してください。もしパートナーに異常が起きた場合は――」
 気のせいか、泰の目がおれとみいのほうを見た気がした。
「すぐに私に連絡するように。ここまでで何か質問は? 手をあげて聞いてください」
 お手本のつもりか、泰が片手をあげる。それと同時に、ハゲワシも片方の翼をばさりと広げた。お前もやるのか。
「ふふっ」みいが小さく笑いを漏らした。さっきまで泰先生の登場に顔を青くしていたくせに。見るとほかの新入生の雰囲気もやわらいでいる。まさかとは思うが、彼女なりのユーモアなんだろうか。
「――質問がないようですので、話を続けます」泰は眉一つ動かさない。「授業はここにいる一年生全員で受けますが、授業の中では五つの班に分かれることが多くなります。詳しくは各教科の先生から指示があるので、しっかり聞いてください。では、いまからその班分けを行います。1班から5班まであります。呼ばれた順に私の前に来て、縦に、一列に、並んでください。では、まず1班……」
 泰が名前を読みあげていき、座っていたやつらが動物と一緒に移動を始める。
「班分けらしいぞ、みい」と声をかけてみる。
 みいはとくに緊張した様子もなく「そうだね」とうなずく。たぶんあまり事の重大さがわかってないんだろう。いつまで同じ班で授業を受けるのか知らないが、この組分けがみいの学園生活を左右することは間違いない。おれだって、変な生き物と一緒になるのはごめんだ。
「次、3班はこっちです。海老原サチ、沢村みいな、……」
 呼ばれたな。みいと一緒に立ちあがり、泰のもとに歩きだす。何やら緑色のものを肩に乗せた女の子の後ろに並ぶ。嫌な予感がしたのも束の間、その「何か」がくるりと振り返って、大きな丸い目でおれたちを見つめた。全身に悪寒が走る。まちがいない。昨日の夜のあいつだ。
「わー」
 みいが興味津々で触ろうとする。ばかやめろ。
 女の子も振り返って、みいに向かって「かわいいでしょ!」と言った。満面の笑みだ。
「ざらざらする!」
 止める間もなくみいはそいつを撫でていた。ちゃんとあとで手を洗えよ。そのままおれに触るんじゃないぞ。
「何ていう子?」とみいが尋ねる。
「キャサリンちゃん。イグアナの子ども!」
 そのとき「3班はその場で座りなさい。次、4班……」と泰の声がして、会話は中断された。二人は大人しく座りこむ。あまり騒いでいるとまたハゲワシに襲われそうだから、静かにしてるのが得策だろう。
 しかし、結局、妙なやつと一緒になってしまったな。
 泰が4班のメンバーを呼び集めているとき、後ろから声がした。
「おい、おい」
 振り返ると、さかしそうな男の子がこっちを見ていた。みいも気づいて振り向く。
「お前、面接のとき泣いてただろ?」
 みいの顔がかっと赤くなる。おれは思わずうなり声をあげた。何だこのガキは。みいを馬鹿にしやがって。肩に乗せたでかいオウムが、飼い主と同じへらへらした顔をしているのも憎らしい。
「よく受かったよなー。普通落ちるだろ」
「みい、相手にするな」
 ――と言う前に、みいは張り手を食らわしていた。
「いってえな」とガキのほうも応戦し、小突き合いになる。オウムがけたたましい声で鳴きわめく。おれが間に割って入ろうとしたとき、女の足が視界に入った。
 泰がすぐそばに立って、おれたちを見おろしていた。みいとガキは完全に体を硬直させて、おずおずと泰の顔を上目づかいに見る。
 静まりかえった体育館に、石のように冷たい声が響きわたった。
「もちろん、仲良くする必要はありません」
 腕にとまったハゲワシが、威嚇するように翼を広げてみせた。大人の身長を優に超える巨大な翼。それを身にまとった泰の姿は、黒衣の悪魔そのものだった。
「ただし、困ったときは助け合いなさい」
 泰はそれだけ言うと班決めに戻った。意外とすぐに去った危機に、おれとみいはほっと胸をなでおろす。オウムのガキは「べー」と舌を出すと、それきりそっぽを向いてしまった。まったくどういうしつけを受けているのか。まあそれを言えば、みいだって偉そうなことは言えないか。先に手をあげたのはみいだからな。
「謝らなくていいのか」と、一応聞いてみる。
「だって、仲良くしなくていいんでしょ」
 みいはふくれっ面のまま、それから一度も後ろを振り返らなかった。

「ハスキー、難しい漢字ばっかりだよー」
 配られた教科書をぱらぱらめくりながら、みいが不安そうにつぶやいた。
「少しずつ覚えていかないとな」
「見て見てー、ハスキーが載ってる!」
 枕に乗せていた頭を起こしてのぞいてみると、たしかにシベリアンハスキーの写真が載っていた。「どうぶつ」という教科の教科書で、いろんな生き物が簡単に紹介されているらしい。
「これはおれじゃない」
「わかってるよー。ハスキーはもっと、目のところがたらーんってしてるもんね」
 ふん。みいも生意気になってきたな。
「おれはもう寝るぞ。今日は疲れた」
「みいも寝よー」ふああ、と大きなあくびをすると、みいはベッドのカーテンを少し開けて、「サッちゃん、おやすみー」と声をかけた。向こうからも「おやすみ、みいちゃん」と返ってくる。トカゲの女の子だな。少しずつだが、みいも部屋の子と言葉を交わすようになってきている。このままたくさん友達ができていけば、いつかおれなんか必要なくなるのかもしれない。
 それでも、そのときが来るまでは。
 おれの首に回したみいの腕が、小刻みに震えている。いや、体全体が震えていた。
「寒いか?」
 みいは何も言わず、首を横に振った。
 おれも黙ったまま、ぴたりとみいに寄り添う。やがて震えは止まって、小さな寝息が耳元で聞こえてきた。暗やみをじっと見つめながら、しばらくそのかすかな音に耳をすませていた。
 翌日、みいは元気に朝ごはんを食べて、ほかの一年生たちと一緒に教室に向かった。記念すべき最初の授業は、「せいかつ」だ。どんな内容で、どんな先生に教えてもらうのか。おれもガラにもなくわくわくしていた。授業が行われるのは「グルーミングルーム」で、本館の二階にあるらしい。校舎には大勢の子どもと動物が行き来していて、授業前の廊下はすし詰め状態だった。
「はぐれるなよ、みい」
「だいじょうぶだいじょうぶ」
 肩に提げたカバンを引きずるようにして歩きながら、みいはにこにこ笑っている。きっとみいも楽しみなのだろう。昨日は不安で泣きそうになっていたくせに。
 無事に目的地に着いて、授業が始まるのを待つ。長机が並んでいるだけの部屋で、奥のほうはカーテンが仕切りになっていて見えない。チャイムと同時に部屋に入ってきた白衣の男は、ホワイトボードに名前を書いて自己紹介した。「森谷大和」。漢字も簡単で、犬にも覚えやすい。
「これから一年間、みんなの『せいかつ』の授業を担当します。よろしくね」
 森谷は柔らかな物腰で、そう挨拶した。面接のとき、泰と一緒にいた男だ。ただの面接官かと思っていたが、やはりここの教員の一人で、しかも「校長代理」とかいう偉いポジションに就いている男らしい。おとといの入学式でも、校長として挨拶していたのはこの男だった。
「みんな、レインコートは持ってきてくれてるかな? おっ、いいね。忘れてる子はいないかな? おー、みんな優秀だなあ」森谷はにっこりしながら、「じゃあさっそく、そのレインコートを着てください」と指示を出した。
 みいがカバンから出したコートを着込む。学園支給の品らしいが、ビニールでできた明らかに安物だ。でもすぐに背が伸びて着られなくなるんだろうし、これくらいで十分なのかもな。
 全員が準備を終えたことを確認して、森谷は部屋の奥のカーテンを開けた。
 わあっと驚きの声が上がる。カーテンの向こうには予想以上に大きな空間が広がっていて、いくつものバスタブやシャワールームが並んでいるのが見えた。
「最初の授業は、『お風呂実習』です。みんな、パートナーをお風呂に入れてあげましょう!」
 みいがおれを見て、「ハスキー、お風呂だって!」と叫ぶ。
 そういえばこっちに来てから風呂に入ってなかったからな。みいは寮の大浴場に入っていたが、動物のほうはどうすればいいのかと気になっていた。まさかこんな部屋があったとは。さすがは動物と一緒に学べる学校だ。
「いつもおうちでやってたように、パートナーの体をきれいにしてあげてください。何かあれば言うから、それまではいつも通りでね。途中で質問してくれても大丈夫だよ。あ、パートナーをお風呂に入れたことがない子は、あとで教えてあげるからちょっと待っててね」
 子どもと動物たちは、めいめい移動を始める。
「ハスキー、どのお風呂がいい?」
 みいに聞かれて部屋を見回す。もちろんバスタブ希望だが、そのバスタブにも大小さまざまな種類があった。大きさ的には体より二回りほど大きいのがベストか。だが、深さはあまりないほうがいい。しばらく物色していると、かなり理想に近いものが見つかった。中に飛び込んでみると、底の感触も悪くない。
「熱かったら言ってねー」
 みいが蛇口をひねってお湯を出す。湯がたまるのを待ちつつ、ほかの連中の様子を観察してみた。すぐそばでは、背の低い男の子がシェパードを風呂に入れている。シャワールームのほうは、おもに鳥たちが使っているようだ。その中にあのオウムと小僧もいた。あんな水だけで満足できるとは、やっぱり鳥の好みはわからんな。
「おふろ〜。ハスキーおふろ〜」
 おれの体を洗いながら、いつも通りの感覚で歌いだすみい。
 こっちが恥ずかしいから、やめてくれ。
「ハスキー気持ちいい?」
「ああ。背中をもう少し洗ってほしいんだが。ブラシはないのか?」
 あるよ! とみいが棚から大きなブラシを取ってくる。毛の感じが見るからに気持ちよさそうだ。この風呂場は至れり尽くせりだな。
 そこに森谷がやってきて、しばらくおれたちの様子をじっと見ていた。みいがふと振り返って、ようやく森谷の存在に気づいて体をこわばらせる。
「ごめんごめん、そのまま続けて」
 森谷は手を前に出して、ちょっと困ったように笑った。
「あんまり息がぴったりだったものだから、見入っちゃって。すごいね。まるで話ができるみたいだ」
 褒められているらしい。みいはきょとんとしていたが、森谷はうんうんとうなずきながら離れていった。あちこちで湯が使われているために、湯気で部屋全体が白っぽく見える。
「みいも入りたいなー」
 バスタブのふちにもたれながら、みいがつぶやく。
「みい、レディは人前で裸になっちゃだめなんだぞ」
「そうなんだ」
「そうだ。あと、人前で鼻をかむのもだめだ」
 部屋の真ん中で、森谷が「そろそろお風呂を終わりにしてくださーい」と呼びかけた。もう少しくつろいでいたかったが、仕方ない。おれはしぶしぶ風呂から上がった。濡れているせいで、全身の毛がずっしりと重い。
「ハスキー、まだぶるぶるしちゃだめだよー」
 バスタオルを広げたみいが、そろそろと近づいてくる。
 それくらいわかってる。おれだってもう子どもじゃないんだから。
「はいオッケー!」
 みいの合図で体を震わせて、水滴を思いっきり跳ね飛ばす。みいのバスタオルがしっかりガードしてくれる――はずだったが、少し甘かったらしい。
「おい、水かかったぞ!」
 キンキン声がした。見るとあのオウムの子どもが、少し離れたところからこっちに向かって叫んでいた。
「また羽根濡れちまっただろ! おいどうしてくれんだよっ!」
 枝木にとまったオウムも不機嫌そうな顔でこっちを見ている。どうやら悪いことをしてしまったようだ。
「みい、謝るか」
「やだ」
 だろうな。
 どうしたものかと頭を悩ませていたら、折よく森谷が歩いてきた。
「ほら、沢村さんも八鳥(はっとり)くんもそのくらいにして。沢村さん、周りの迷惑にならないように、もっと気をつけなくちゃいけなかったね。八鳥くん、濡れたってまた乾かせばいいだろう。そんなきつい言い方はよくないよ。さあお互いに、ごめんなさい、だ」
 森谷に促されて、二人はわずかに頭を下げ、かなり不服そうに「ごめんなさい」という声らしきものを口からしぼりだした。
「よしよし」と森谷がうなずく。
 いや、いいのかそれで。二人とも全然反省してないのは明らかだろう。
 むくれたみいのとなりで、おれは首をかしげずにはいられない。
 優しい性格なのはわかるが、教師として、少し子どもに甘すぎやしないか。そういえば昨日の泰も、大してとがめてくれなかった。それどころか「仲良くする必要はない」とか何とか。もしかしてこの学園はそういう方針なのか。これじゃ本当に、いつかの校長に言われた通り――「人間の友達を作るスキルが身につかない」んじゃないか?
 森谷は立ち去りざま、おれの顔をちらりと見た。それからかすかに笑って、「友達は言われて作るものじゃないからねえ」とつぶやいた。おれに向けて言ったんだろうか。その言葉の意味するところは、よくわからなかった。

  5.

 次の教室に向かう途中、みいは「トイレ行く」と言って一年生の集団からはずれてしまった。「ハスキー、先に行ってていいよ」
「待ってるから、早くしろ」
 おれはため息をついてその場に座る。さっきの授業で、おれが味方をしなかったことが気に食わないらしい。相変わらず大勢の人や動物が廊下を行き来していて、壁際にいても通行のじゃまになるくらいだ。
 二分、三分と待つうちに、少しずつ不安になってくる。トイレの場所はわかっただろうか。いやそもそも、あっちにトイレなんか本当にあるのか。廊下を流れる人と動物の波が、だんだん小さくなっていく。もうすぐ次の授業が始まるのに、みいが帰ってくる気配はない。さすがに――遅すぎる。
 廊下を走りだす。みいのにおいをたどろうとしたが、あいにくほとんど掻き消えてしまっていた。それでも床を嗅ぎ回りつつ、かなりの距離を走ったが、みいの姿はおろかトイレさえ見当たらない。授業開始を告げるチャイムが鳴った。
 もしかして先に教室に行っているのか? そうかもしれない。そうするとおれが遅刻ということになって、またみいに怒られてしまうな。階段を駆け上がって三階の教室に向かう。何の変哲もない部屋だ。ドアを乱暴に押し開けると、教室の中の目がいっせいにおれを見つめた。
 探すまでもなくにおいでわかった。みいはまだ来ていない。
「みいを知らないか」
 教室の中に向かってほえてみたが、おれの言葉が理解できる人間などいるはずもない。
「うるせーな」例のオウムの、八鳥とかいう子どもがわめく。「飼い主どこだよ。あのバカ犬何とかしろよー」
 話にならん。おれはきびすを返して教室を飛び出した。
 だれもいない廊下を全速力で駆ける。
 落ち着け。もとの場所に戻って、もう一度慎重ににおいをたどるんだ。おかしな場所に行っていないかぎり、それできっと見つけられるはずだ。おかしな場所に行っていないかぎり……
 ふと、鼻に当たる空気に違和感を感じた。さっきまでは無かった何かが混じっている。鉄くさくて、錆びたような――
 パパさんの仕事場で何度も嗅いでいる。
 血のにおいだ。
 それがただよってくる方向に向きを変え、さっき下りてきた階段をまた上る。においは上からだった。一歩階段を駆け上がるごとに、それは鼻を突くくらい強くなっていった。みいのものか? わからない。血では区別がつかない。どうか、ほかの人間のものであってくれ――
 みいの泣き声が聞こえた。嘘だろう? 心臓が止まりそうになる。何かの間違いであってくれ。ただ上だけを見て走りつづける。自分がどれほどの階段を駆け上がったのか、いまどこにいるのか、それすらわからなくなっていた。
 廊下の真ん中で泣き叫んでいるみいを見つけた。
 口を大きく開けてわんわん泣いていた。三十かそこらの若い女が、みいと一緒にいる。みいをなだめようとしているようだが、よく見るとその女の様子もおかしい。ハンカチで押さえた右腕からは、血が滴っていた。
 急いでみいに駆け寄る。体を調べる。よかった――怪我はない。
「心配ないですよ」女に声をかけられる。「さっきは知らせてくれてありがとう」
 さっき――?
「明日葉(あしたば)先生! どうなさったんですか?」
 慌てた声とともに、白衣の男が駆け寄ってきた。森谷だ。
「……番犬に」明日葉と呼ばれた女はそう言って、怪我しているにもかかわらず気丈に微笑んだ。
 それとは逆に、森谷の顔がこわばる。
「処置します。あちらへ……」
 森谷は白衣を脱ぐと、それを血の出ている明日葉の腕に巻きつけた。そしておれたちに「しばらくここから動かないように」と言い残すと、明日葉を抱えるようにして去っていった。
 廊下で待たされている間、みいはずっと泣いていた。それでもおれの背中に顔をすりつけているうちに、だんだん気持ちが落ち着いてきたようだった。しゃくりあげるごとに上下していた体の動きが、少しずつ小さくなっていく。
「どうした? みい。何があった?」
 そう尋ねてみたが、みいは洟と涙でぐちゃぐちゃになった顔をゆがませると、またうえーんと泣きだしてしまう。
「あの人に助けてもらったのか?」
 息をするのも、声を出すのもおっくうなように、みいはおれの背中に顔をうずめたまま、こくこくとうなずくだけだった。

  6.

「犬だったんだな」
「そう。いっぱいいたよ。……こわかった」
 ぽつりとつぶやいたみいの目は潤んでいた。また思いだしてしまったようだ。教科書をベッドの端に押しやると、枕をぎゅっと抱えて黙り込んでしまう。
 夜にはみいもだいぶ立ち直ってきて、その日起こったことをぽつりぽつりと話してくれた。道に迷ったみいは立ち入り禁止のところに入ろうとしたらしく、そこでたくさんの怖い犬に襲われた。そのときあの女の先生が来て、助けてくれた。みいの話をまとめると、どうやらそういうことのようだった。
「番犬、か」
 たしかあの人はそう言っていた。なるほど番犬なら、立ち入り禁止の場所に配されていてもおかしくはない。だが、あの腕を流れる血を思いだすと、どうにも冷静ではいられなくなる。もしあの人が助けてくれなかったら。下手をすれば、みいは、死んでいたかもしれないのだ。
 この学校の中で。それも、おれのすぐそばで。
「みい、もう一人で歩くようなまねはするな。……おれも、目を離して悪かった」
 みいは一度こっちを振り向くと、すぐにまた顔をそむけて「ごめんなさい」とつぶやいた。それだけで、なぜだか涙が出そうになった。
「明日葉先生にも謝らないとな。それから、ちゃんとお礼もするんだぞ」
 つかみどころのない教師陣に、人を噛み殺そうとする番犬。得体のしれない学校だ。ただ、あの女性の存在だけは救いに思えた。血を流しながらもみいを励まして、笑っていたあの人。あの笑顔のある場所でなら、みいも、おれも、どうにかやっていけるかもしれない。

「お前、立ち入り禁止のとこに入ろうとしただろ!」
 教室で授業が始まるのを待っていたら、前の席から八鳥が話しかけてきた。班ごとに席が決まっているせいで、こいつとはいつも席が近い。またみいを馬鹿にする気か。そう思ったが、どうもそうではなく、なぜか興味津々な様子でみいを質問責めにする。
「何か見たか? 何があった?」
「なんにも」みいが不機嫌そうに答える。
「うそつけ! 教えろよ」
「何でそんなこと聞くの? あそこに何かあるの」
「はっ? お前そんなことも知らねえの?」やっぱり八鳥はみいを見くだすような態度になって、鼻持ちならないキーキー声を出した。「五階から上は立ち入り禁止だろ? おれの推理では、上に秘密の校長室があるんだよ!」
 この話はみいも予想外だったようで、機嫌の悪さを少し引っ込めて食いついた。
「校長先生の部屋? 校長先生ってだれ?」
 八鳥はますます調子に乗る。
「それも知らねえの? 校長はいないんだぜ。校長代理は森谷っていう先生だけど。名簿とかにも校長の名前は載ってない。変だろ? あやしいよなー」
 そのとき教室のドアが開いて、先生が入ってきた。
 明日葉先生だった。
「きのうは授業ができなくてごめんなさい。きのういなかった子もいるので、また自己紹介から始めますね」
「この犬のせいだ」
「違いますよ八鳥くん。わたしの都合です」
 明日葉がやんわりといさめる。
 そうか。きのうは気づかなかったが、あれは明日葉の授業だったのか。おれが慌てて飛び込んできたのを見て、この人はみいを探しに行ってくれたわけだ。
 明日葉はホワイトボードに「あしたば くみ」とひらがなで名前を書くと、一通り自己紹介をした。腕を怪我しているはずだが、長袖のシャツを着ているため、外からはわからない。
「この『どうぶつ』の時間ではいろんな生き物のお話をしていくんだけど、今日は、ちょっと昔のお話をしましょう。いまはもういない生き物のお話です」
 そう言うと明日葉は、ペンを持ってホワイトボードに絵を描きはじめた。驚くほど上手い。見ていた子どもたちから歓声が上がる。みいも目を皿のようにして見つめている。あっという間に、ホワイトボードの中には犬に似た生き物が三匹も現れていた。大きな耳ととがった鼻先はキツネにも似ている。毛や表情があまりにもリアルで、いまにも動きだしそうだ。
「ごめんなさい、左手だとうまく描けなくて」
 冗談だろうと思ったが、たしかに怪我をした右腕は、さっきからだらりと垂れ下がったまま――しかし子どもたちのほとんどは、明日葉の言った意味を理解できていないようだった。無理もないか。これを利き手で描くとどうなるのか、おれにもまったく見当がつかない。
「この動物、写真とかで見たことあるひとー?」
 ぱらぱらと手が上がる。驚いたことに、みいも手をあげた。
「すごいなあ」と明日葉はうなずくと、「じゃあこの動物の、名前も知ってるひとはどのくらいいるかな?」と重ねて聞いた。
 上がっていた手が少し減る。みいも悔しそうに手を下げた。思わず苦笑してしまう。
「名前はみんな聞いたことがあるんじゃないかな。じゃあ海老原さん、わかる?」
 指名されたトカゲ少女は、ちょっと緊張ぎみに「えっと、オオカミ」と答えた。手をあげなかった子ども達からも、ああー、と声が上がる。
「そう、大正解」
 明日葉はにっこり微笑むと、三匹のオオカミにそれぞれ名前を書き足した。「ハイイロオオカミ」「エゾオオカミ」「ニホンオオカミ」。
「このハイイロオオカミは、昔は世界の半分以上の地域にいたのですが、いまはとても少なくなってしまいました。その仲間で、こっちのエゾオオカミとニホンオオカミは日本にいた種類ですが、百年ほど前に絶滅しています。この子たちのすみかを奪って、絶滅させたのは……わたしたち人間です」
 教室がざわつく。ぽけーっとした顔で話を聞いていたみいも、「ひどい」とつぶやいた。
「ひどいかどうかは、ちょっと難しいところです」明日葉は笑った。「オオカミと戦うことで、人間は生活する場所を増やすことができたし、仲間を増やすこともできたんです」
 明日葉はホワイトボードの絵をさっさと消してしまうと、そこに新しい絵を描きはじめた。
「生き物が生きる目的というのは、自然という大きな世界で見たときは、『種の保存』――つまり、仲間をたくさん増やすことだと言われています。ヒトならヒトの仲間。ハイイロオオカミならハイイロオオカミの仲間。仲間増やしの競争です」
 ホワイトボードに、「ヒト」と「オオカミ」、それぞれのグループが図で示される。そのまわりに明日葉は、「イヌ」「ネコ」「オウム」……と、さまざまな生き物の名前と絵を書き加えた。
「その競争の中では、違う種類の生き物は、ライバルということになります」
 そう言って明日葉は、こちらを振り向く。やわらかな表情で、おれたちを見つめる。みいがおれを見た。ふしぎそうな、でも、どこか憂いを含んだような顔で。どうした、みい。まるで大人の女のひとみたいだぞ。
 明日葉が問いかけた。
「でも、みんなは違う種類のパートナーと、仲良く生きています。どうしてだと思う?」
 だれも手をあげない。明日葉は教室を見回したあと、すぐ前に座っていたオウムの小僧に声をかけた。
「八鳥くん、どうしてだと思う?」
 おれは内心でほくそ笑む。難しい質問だな。きっと答えに詰まるだろう。みいを馬鹿にした罰だ。
 だが八鳥は、一瞬の迷いもなく言い放った。
「どうしてって、好きだからに決まってんだろ!」
 教室がしんとなる。恥ずかしくなったのか、八鳥は耳を真っ赤にしてうつむいてしまった。そんな飼い主に、オウムがそっと寄り添う。
 明日葉はその答えを反芻するように、静かにうなずいた。
「好きだから。そうですね。ヒトとオウムは、もしかすると仲が悪かった時代があったかもしれないし、これから先、仲が悪くなるかもしれません。でも、八鳥くんとキングくんは友達ですね。海老原さんとキャサリンちゃんも友達、沢村さんとハスキーくんも友達ですね」
 ホワイトボードに書かれた「ヒト」から二重線が伸びて、「オウム」と結ばれる。「イヌ」とも、「ネコ」とも、「イグアナ」とも結ばれる。
「生き物と生き物をつなぐ架け橋があって。みんなは、そんな橋の上に立っています。特別な存在で、十分誇りに思っていいことなんですよ」
 そう言うと、明日葉は照れくさそうに笑った。
「ちょっと難しい話をしちゃったけど、頭の隅っこでいいから、覚えていてくれるとうれしいな。今日のお話はこれでおしまい。残りの時間は、みんなで絵本を読みましょう。たくさんあるから、ひとり一冊、好きなのを選んでね」
 明日葉が掲げてみせた色とりどりの本に、わっと歓声が上がる。さっきまでの真面目な雰囲気は消えて、ようやく小学一年生らしい授業になった。みいもまたいつものように、「ハスキー、あれおもしろそう!」とはしゃいでいた。
「お前さー、せっかくあそこ入ったんだったらさー、何か手がかりとかつかんで来いよな」
 一冊読み終えて手持ちぶさたになったのか、八鳥が机の向かいから話しかけてきた。
「絶対あそこに何かあるんだよなー」
「あっそ」
 みいは絵本で顔を隠すようにして、そっけない返事をする。だが八鳥はちょっかいを出すのをやめない。我慢できなくなったみいは、「もーうるさい!」と大声で叫んだ。
「どうしたの?」
 明日葉が八鳥のそばにしゃがみ込んで、にこやかに声をかけてきた。
「あっ、もう読んじゃったんだ。すごいなあ。じゃあね、これなんか、八鳥くんにおすすめだよ」と、腕を伸ばして机の上の一冊を指さす。その瞬間――そで口から白い包帯がのぞいた。明日葉はさっと隠したが、それを見た八鳥の顔からは血の気が引いていた。
「そんなに気になるなら、自分で行ったらいいじゃん」
 明日葉が遠くに行ってしまってから、みいが八鳥にささやいた。
「怪我してもいいんだったら!」
 八鳥は答えず、目を伏せて絵本を見つめるだけだ。
「よーわむし!」
 ここぞとばかりにみいが煽る。
 おれは目ぼしい絵本を物色しながら、ひとことだけ言ってやった。
「みいが怪我したわけじゃないだろう」
「…………」
 クスリが効きすぎたか。みいはそれきり何もしゃべらなくなってしまった。

 授業のあと、だれもいなくなった教室で、みいは明日葉先生に謝った。
「わたしのことはいいから」と明日葉は笑ったあと、少し真剣な顔になって「でも、もう絶対近づかないこと」と釘を刺した。
「五階から上は立ち入り禁止。最初の見学のとき、そう言われたはずです」
 みいはしょぼんとうなだれる。思えばこの学園に来て、叱られたのはこれが初めてだ。
「ハスキーくん、あなたもしっかりしなくちゃ、ね?」
 おれも怒られてしまった。だが悪い気はしない。むしろ、ようやくまともな先生に出会えた、という安堵のほうが大きかった。
 おれが「はい」と返事をすると、頭を撫でられた。おそらくこの人もおれの言うことがわかるんだろう。だからみいを探しに行ってくれた。動物の学校だけあって、やっぱりその道のプロが集まっているってわけか。
「二人ともえらいえらい。さあ、早く次の授業に行かなきゃ。また迷子になっちゃうよ」
 まだ涙ぐんでいるみいを、明日葉はそっと抱きしめてくれた。
 それは、長い長い一瞬だった。
 おれにはできないことがたくさんあって。みいはこれからいろんな人から、いろんなことを学んでいくんだろうと、なぜだかそのとき強く感じた。開け放たれた窓から、春のにおいが風と一緒に流れ込んできていた。
 みいと並んで混雑する廊下を歩きながら、ふと思う。
 明日葉が発したあの質問。
 ――でも、みんなは違う種類のパートナーと、仲良く生きています。どうしてだと思う?
 もしあの質問をされていたら、みいは何と答えただろう。
 みいがおれと一緒にいる理由は何か。言い換えれば――おれは、みいに何をしてやれるのか。そんな疑問が、抱き合うふたりの光景とともに、いつまでも頭の中をぐるぐるぐるぐる回って離れなかった。
「ねえハスキー」
 騒音の中、みいがこぼした小さな声は、はっきりとおれの耳に届いた。
「おかあさんって……あんな人なのかなぁ」




第三章 一年生《後編》

  7.

 「せいかつ」にしろ「しんり」にしろ、どの教科にも週に一度のテストがあって、そこで規定点を取れないと、問答無用で補習が待っている――そう聞いて、これはまずいと最初は思った。
 ふたを開けてみれば心配していたほどみいの成績は悪くなかったのだが、意外なことに、みいは「どうぶつ」の科目でよく補習を食らった。そしてそのたびに放課後、明日葉先生にほぼマンツーマンで教わることになるのだった。初めは明日葉と一緒にいたいためにわざと点を落としているのかとも思ったが、テストの前夜に必死で教科書とにらめっこしているのを見る限り、そうでもないらしい。
「お前何でそんな点しか取れねえの?」と、八鳥には落ちこぼれ呼ばわりされる。悔しいが八鳥の言うとおりだ。おれから見ても、たしかにそれほど難しい内容とも思えない。だが、実習中心の他教科と違って、どうしても覚えることの多くなる「どうぶつ」は、みいの苦手科目のようだった。
「そっか、だから犬とか猫は、鳥より人間に近いんだー」
「そうそう、大正解!」
 毎回、明日葉はみいがわかるまで丁寧に教えてくれた。
 補習が行われるのは夕暮れどき。とはいえ、教室はいつもうだるように暑かった。寝そべって待っているとすぐにおなかがムレてくるし、風も入らないから歩くと余計に暑くなる。気を紛らわせようにも、することがなくて暇を持て余すばかり。二人が勉強しているそばで、こっそりあくびを噛み殺したことは何度もある。正直なところ、おれにとってはあまり楽しい時間ではなかった。
 だが、明日葉はおれに気をつかうことも忘れなかった。
「ハスキーくん、のどかわいたでしょう」
 毎度のことながら、そう声をかけてくれるタイミングが絶妙なのだ。おれはありがたく、明日葉が持ってきてくれた水たっぷりの皿に顔を突っこんで涼をとる。
「みいちゃんにはジュースね」
「やったあ!」
 人間にしてはそこそこ美人で、気配り上手。みいが好きになるのもわかるし、おそらく人間の男からだって好かれるだろう。おれの鼻には合わないが、体からいい香りもさせている。みいとの会話を聞く限りでは未婚らしいが、男の一人や二人くらいいてもおかしくはないはずだ。だがどうもそんなにおいは嗅ぎ取れない。教員もこの山奥の学園で暮らしているから、会う機会がないだけなのかもしれないが――
 みいの小さな靴と明日葉の白いスニーカーが、机の下で近づいたり離れたり、たまにちょっとぶつかったりするのを眺めながら、そんなどうでもいいことを考えているうちに――季節はあっという間に過ぎ去っていった。
 明日葉の根気づよい指導のおかげで、みいは何とか一学期の「まとめのテスト」を乗り切ることができた。それも、何と八鳥よりも高い点数で。
「お前、先生にテストに出るとこ教えてもらったんじゃねーのかよ!」
「ちがうもーん」とみいは鼻高々だったが、ひいきしてもらった可能性は否定できないなと、おれはこっそり思った。ありがたいが、あまり甘やかすのもどうか。

「みい! ハスキー!」
 夏休み初日、おれとみいが学校を出ると、パパさんが目にうれし涙を浮かべて出迎えてくれた。大げさな。たった三か月会わなかっただけじゃないか。
 空は夏らしく真っ青に晴れていて、日を受けた山の新緑が目に痛い。学園の敷地を囲む森からは、つんと鼻を刺すすっぱいにおいが漂ってくる。こずえや落ち葉の下を、小さな生き物がせわしなく動き回る気配もよく感じられた。そして何重にも連なった山の向こうまで、やかましいセミの声でいっぱいだ。あらためて見ると、この学園は昔話によく出てくる、山奥の隠れ里そのものだった。
 ちょうどほかの子どもたちも出てくるところで、それを見送る先生たちの姿もあった。みいは何を思ったかパパさんの腕を引っぱると、門の横に立つ明日葉先生のところにまっすぐ連れていった。めずらしくヒールの靴を履いて、涼しげな色のワンピースに白い帽子でおしゃれした明日葉は、ふだんよりかなり若く見えた。
 みいが「先生! みいのパパ!」とパパさんを紹介する。
 パパさんは恐縮したように頭を下げ、それに応えて明日葉も「動物科担当の明日葉です」と自己紹介した。
「すっごく優しい先生なの!」とみい。
「すみません、うちの娘が、その、ご迷惑などおかけしませんでしたか」
 美人を前に、パパさんは明らかに緊張している。マジメが取りえの人だけれども、あれでは女ウケは望めないだろう。
 明日葉は微笑んで、お世辞かもしれないが「みいちゃんはとってもいい子ですよ」と言った。みいはへへーんと胸を張る。すっかり調子に乗ったようで、「それでねそれでね……」と、まだ話を続けようとする。
 おれはわざとため息をつく。
「みい、明日葉先生も忙しいんだし、そのくらいにしておけ。パパさんだってお仕事があるんだから、早く帰らないとな。あと日差しが強いから帽子を――」
 みいはこっちを見て、ぷっとほおをふくらませると、「うるさいなー、いいじゃんちょっとぐらい!」と不機嫌そうに叫んだ。
「ハスキー、そんなに焦らなくてもいいだろう」とパパさんにも言われる。
「そうだよー」
 みいは明日葉にぺったりくっついて、おれに憎たらしい目を向ける。
 何だ何だ。おれはただ、甘やかすのはみいのためにならないと思っているだけなのに――
 思わず苦笑する。この感覚は何だ。他人にこんなにもなつくみいを見ることが、いままでなかったからなのか。初めてのことに、おれは少し戸惑っているのか。
「すまん、みい」
 口から小さく鳴き声を漏らす。
 くだらない。焼きもちは人間が焼くものだ。

 パパさんが車を出すとすぐ、みいは運転席に向かって話しかけた。
「パパ、明日葉先生って、みいのおかあさんに似てる?」
 何を言いだすかと思えば。
 これはパパさんも予想外だったようで、「え?」と言ったきり、しばらく無言でハンドルを切るだけだった。車は細い山道を下っていく。日の光もさえぎるほど木が生い茂っていて、まるでトンネルの中に入ってしまったかのようだ。はるか頭上からこま切れに差し込む日差しが、星のように窓ガラスから降りそそぎ、それがみいの髪を次々撫でていった。
「ねえ、どうなの!」
 待ちきれなくなったみいがパパさんを急かす。
 運転の邪魔になるぞと言おうとしたが、さっきのこともあるし大人しくしておく。みいはそんなに明日葉先生が好きなのか。自分の母親と比べてしまうほどに。おれは寝たふりをしながら、こっそり聞き耳を立てる。
「似てるかっていうと……」パパさんはためらいがちに答えた。「顔は似てないかなあ。でも似てるといえば似てるのかなあ。似てるってわけじゃないんだけど、似てるところもあるかなあ」
 あいまいすぎて笑いそうになる。
「どっちなの!」とみいはさらに追及したが、パパさんは「まだ一回しか会ってないし、ちょっとわかんないな」と逃げた。
 もちろんみいは納得していない。それでも「そっかあ」とうなずいたので、話はそこで終わるのかと思ったら、みいは重ねてこう尋ねた。
「じゃあ、みいのおかあさんってどんな人だった?」
 おれの会ったことのない、みいの記憶の中にもない、みいの母親――
 パパさんの答えは思いのほか早く、そしてその声は落ち着いていた。人間の尺度で言えば、亡くなってからまだそう年は経っていないはずなのに、まるでじいさんが昔のアルバムをひらいて思い出話をするような――そんな、どこか遠くから物を取り出してくるような口調だった。
「勇気のある人だったよ。自分の信じたことは、絶対曲げなかった」
 うん? とみいは首をかしげ、「じゃあ、どんな人だったの?」とまた同じことを聞いた。
 抽象的な説明は、まだみいには難しいんだろう。どんな人であれ、このパパさんと結婚したのだから、相当の物好きだったに違いない。
 おれの会ったことのない、みいの記憶の中にもない――みいの、だいじなだいじな人。
 パパさんは慎重に運転を続けながら、いくつかのエピソードをみいに語って聞かせた。どれもみいが生まれる前の話のようだった。おれはみいのとなりでじっと体を丸めながら、ほどよい冷気を出しつづけるエアコンの音に漠然と耳を傾けていた。
 みいは後部座席から身を乗り出して、うれしそうにパパさんの話を聞いている。
 おれは何も知らない。おれは、みいに何も伝えてやれない。
 それどころか、みいには母親などいないも同然とさえ思っていた。
 運転席にしがみつくみいの背中を見ていて、ようやくわかった。
 みいにとって、母親は決して過去の人ではないのだ。
 いままでだってずっとみいの心の中にいた。そして確実に、これから先もずっと、ずっと――。おれは、そのことにまったく気づけていなかった。
 あまりのおかしさに、のどの奥から笑いがこみあげてくる。
 しょせんは犬だ。
 人間のことなんか、何にもわかりゃしない。

  8.

 足をきれいにふいてもらい、ソファに寝ころがったおれのとなりで、パパさんがみいの通知簿を広げていた。おれも渡されたときにすでに見ているが、たしかどの科目の欄にも満点近い「8」や「9」が並んでいたはずだ。みいにしてはよく頑張ったと思う。
 しかし、パパさんはなぜか顔をしかめた。
「なかなか厳しいことが書かれてあるなあ」とひとりごとを言う。「担任の先生、厳しそうな人だったもんな」
 どうやら最後に書かれた泰のコメントのことを言っているらしい。難しい漢字が多く、そもそも達筆すぎておれもみいもよく読めなかったところだ。
 何が書いてあるのだろう。
 物欲しげな目をしてパパさんを見あげてみたが、伝わらなかったようで何も言ってはくれなかった。
「パパー、みいの背、はかってー」
 みいの声がした。振り返ると、みいが台所の壁の前に立ってしきりに手招きしている。ちょうど冷蔵庫とテーブルのあいだ。これまでのみいの成長の記録が、何十本もの線として刻まれている壁だ。
「わかったわかった」とパパさんは笑いながら近づいていって、みいの頭に手を乗せる。
「ほら、あごを引かなきゃ」
「パパ、みい大きくなってる?」
 待ちきれずにみいが聞く。パパさんはそんなみいをなだめながらしゃがみ込み、ペンと定規で壁に一本の線を引いた。みいが弾かれたように壁から離れる。
 何と、線は前回より数センチも上にあった。
「すごいなあ。半年でずいぶん伸びたなあ」と、パパさんが日付を書き込みながら感心している。
 大喜びのみいは、「次はハスキーの番!」とおれを壁の前に立たせた。体を横向きにくっつけるようにして、同じように線を引いてもらう。
「あれ?」とみいがつぶやく。
「ハスキー、小さくなった?」
 おれも振り返って壁を見つめる。最初の一年こそものすごい勢いで伸びていたが、だんだんと線の間隔はせばまり、重なるようになって――そしていま引かれた線は、前回までの位置をわずかに下回っていた。
「夏だし、ちょっとやせたんじゃないかな」とパパさんは笑う。
「たくさん食べなきゃ、ハスキー」とみいが心配してくれる。
 けれど、おれにはわかっている。
 季節のせいばかりじゃない。若いときのような体の張りや食欲が、このごろなくなってきたのは確かなのだ。
 みいは壁の前に立って、さっき引いてもらった線と自分の背をしきりに比べている。天井はまだ見あげるほどに高い。みいには長い人生が待っている。これからもっと高く、もっともっと高く、壁に線を刻んでいくのだろう。
 だが、自分はもう長くない。
 おれがいなくなったあとも、みいの生活は続いていく。
 幸せそうなみいとパパさんを見て。自分のいなくなったこの家を想像して。寒くもないのに、体が震えた。
 何震えてやがる。わかりきったことだろう。みいをずっと守っていけるのは、みいと同じ人間なのだ。みいに必要なのは、母親のようにみいを包み込んで、さびしさを癒してくれるような、どこまでも優しい存在なのだ。
 だとすれば――。
 一人で居間に戻り、またソファに飛び乗って寝たふりをする。
 おれにできることは、何もないのだ。
 まあいいさ。みいが好きになった人には、おれも嫌われないように努力するさ。

 去年までと同じように楽しい夏を過ごしたみいが、どっさり出た宿題を泣きながら片付けていたときのことだった。
 どうも肌がぴりぴりするなと思ったら、台風が近づいてきているらしい。パパさんはいつも以上に神経質になって、さっきからずっとテレビに張りついている。やがて空が暗くなってくると、パパさんは慌てて家中の雨戸を閉めはじめる。そしてまたテレビの前に戻る。また立ち上がって、非常食の入ったリュックの中身を点検しはじめる。
 そんなに心配することか。おれはホネ型スティックをがじがじやりながら、挙動不審なパパさんを横目で眺めていた。たしかにこの季節ではめずらしい大雨になりそうだが、この家は高台にあるし、造りも丈夫だし、別に怖がる必要なんてないだろう。まあ、パパさんが怖がりなだけかもしれないが。
 みいを早めに寝かしつけると、パパさんは居間のソファで待機を始めた。場所を取られたおれは、仕方なしにそばで体を丸める。夜が更けるにつれて、外の雨音は強くなってきた。風も強いらしく、雨戸がガタガタと鳴る。どこかで木が倒れる音もした。
「ハスキー、先に寝てていいよ」
 と、パパさんが疲れた顔でおれの頭を撫でた。お言葉に甘えることにして、おれも寝室に向かう。廊下で振り返ると、光の漏れる居間のガラス戸に、背中の曲がったパパさんの影がぼんやりと映っていた。
 みいは大口を開けて眠っていて、ひっきりなしに寝がえりを繰り返していた。蒸し暑くて寝苦しいんだろうな。おれだってこの毛皮を何とかしたいが、それはできない相談だ。タオルケットをくわえ、苦労しながらどうにかみいのおなかに被せてやると、おれもベッドの近くにうずくまった。
 ずっと雨の音を聞いていた。毛がふわふわと浮き立ち、体じゅうの血管がしびれるような感覚があって、なかなか眠れなかった。雨に流され、風に飛ばされるいろんなものの悲鳴が聞こえるような気がした。自分は丈夫な家の中にいるとわかっていても、どうにも落ち着かない。
 どれくらいの時間が経っただろうか。
 窓の隙間から一瞬光が差し、すぐに雷鳴が部屋を震わせた。それと同時に、大きな叫び声。すぐにベッドに駆け寄るが、みいはぐっすり眠っていて気づいてもいない。不思議に思いながら寝室を出る。居間の明かりはまだついていた。入ってみて、そこで足が止まる。パパさんがテーブルに両手をついて、汗びっしょりになりながら、肩ではあはあと息をしていた。形相はまるで鬼のようで、おれの知っているパパさんではないように思えた。
「ああ――ハスキー」
 眼鏡のない顔をおれに向ける。ずっと起きていたのか、目がひどく充血している。
「びっくりしたね、雷……」
 そう言うと、パパさんはまたソファに体を預けた。みしりと音を立てたソファは、なぜかパパさんの心の中まで象徴しているように思えた。また閃光が走り、強烈な音が鳴り響く。パパさんはうめき声をあげ、両手に顔をうずめた。
「大丈夫か?」
 おれが声をかけると、パパさんはゆっくり顔をあげ、無理に笑顔を作ろうとした。ろう人形のようなでき損ないの笑顔のまま、パパさんはぽつりとつぶやく。
「思いだすんだよ、まだ……」
 いったい何のことだろう。だがパパさんはそれ以上何も言わず、よろよろと立ち上がると、そのまま台所に歩いていった。おれもあとをついていく。けれど、もうパパさんはおれに見向きもしない。
「どうしたんだ、パパさん」
 いくら尋ねても答えは返ってこない。言葉が通じないのだから仕方がない。
 パパさんは電気もつけず、水をコップに注ぐと、それをぐいと飲み干した。おれは目を疑う。いつもは体に気をつかって、常温の水道水なんか絶対に飲まない人なのに。
 こんなに近くにいる人のことさえ、おれには何もわからないのだ。
 パパさんは流し台に体をもたせかけたまま、微動だにしない。そして雷鳴が遠ざかり、雨あしが弱まり、風の音がやみ、雨戸の隙間から朝の光が差し込んで小鳥が鳴きはじめるまで、パパさんはそこを動かなかった。

   *

 学園に戻って日焼けしたクラスメイトと再会すると、みいは夏休みの思い出をうれしそうに話した。班のメンバーともまた仲良くできて、みいにはうれしいだろう。しかし一回り大きくなったイグアナは色も濃くなって気味悪さが増していたし、八鳥は生意気な性格にさらに磨きをかけていた。
「サワム ラミイ ナハバ カッ」
 みいの顔を見るなり、八鳥の肩に乗ったオウムが甲高い声をあげた。
 何かの暗号か。一学期のときからそうだったが、こいつは簡単な人の言葉を話すことができるらしい。とはいえ実際は話しているわけじゃなく、人のものまねをしてるだけなんだろうが。
 焦点の合っていなさそうな目をあちこちに向けながら、オウムは早口でしゃべりつづける。
 しばらく感心したように見つめていたみいだが、なぜか急に顔色を変えて怒りだした。二、三歩前に踏み出して、「バカじゃないっ」と相手をおどすように腕を振りあげる。だがオウムは首をカクカク動かすだけで、まるでロボットのように同じ言葉を何度も繰り返した。
「サワムラ ミイナ ハ バカッ」
 八鳥がわざとらしく机をたたいて笑う。
 ようやくおれにも言葉の意味がわかった。バカバカしい。こんなもの相手にするだけ無駄――だがおれが止める間もなく、みいは自分のふでばこを乱暴につかむと、その中身を全てオウムに向かって投げつけていた。
「うわあっ」
 羽根をまき散らしてオウムが飛び立ち、消しゴムが顔に当たった八鳥が悲鳴をあげる。みいは飛んでいったオウムを教室の中で追い回す。だが、飛ぶ鳥をそう簡単に捕まえられるはずもない。
 地団駄を踏むみいなど目に入らないかのように、オウムは天井に吊るされた照明の上で「サワムラ ミイナ ハ バカッ」を繰り返した。
「落ち着け、ただの口まねだ」とおれが言っても、みいは耳を貸さない。
「ハスキーは黙ってて!」
 それでもオウムには手が届かないと判断したか、みいは怒りの矛先を八鳥に変えた。そのまま二人のけんかが始まる。
「怖がりのくせにっ」
「おれのどこが怖がりなんだよ!」
「二人とも、いいかげん廊下に立ちますか?」
 教室が一瞬にして静まりかえった。その場にいた全員が、声の主を探してあたりを見回す。いや探すまでもない。いったいいつの間に入ってきたのか、泰が窓際に立ち、射るようなまなざしをこちらに向けていた。
 みいと八鳥はそそくさと自分の席に着き、大きなハゲワシに追いたてられたオウムは、きいきいと鳴きながら八鳥のもとに逃げ帰った。
「今学期が思いやられます」
 一学期と同じく黒いスーツに身を包んだ泰は、年齢を感じさせない身のこなしで教壇に上がると、おれたちを見おろしてそう言った。
 泰が担当する「しんり」の授業は、パートナーと意思疎通をはかる授業だ。そんなことはおれとみいにとっては朝めし前で、みいもこの授業でだけは優等生だった。パートナーと完全に会話できる子どもは、案外少数なのだ。たいていは伝言ゲームのように食い違いが生まれる。この日も八鳥のオウムが何を勘違いしたのか「オスワリ、オスワリ」と叫びだし、点数を大きく落としていた。一方そつなく課題をこなしたおれたちは満点。そんなわけで授業後のみいはすっかり天狗になっていた。
「あまり図に乗るなよ」と注意してやる。絆の強さを数字で示してもらったところで、それがいったい何になる……もちろん、みいにそこまで言う気はなかったが。
 新学期になったとはいえ、どの授業の内容もさほど変化はなかった。変わったことといえば、「たいいく」と「しぜん」の授業を屋外でする日が多くなったことぐらいか。どちらもれっきとした実習なのだが、みいはいつも外で遊ぶような気持ちではしゃぎまわっていて、そんな日の夜は、長話をする間もなく、みいは――そしておれも――すぐに疲れて眠り込んでしまうのだった。

  9.

 だれかに呼ばれているような気がして目が覚めた。
 眠っているみいの腕をすり抜けて、ベッドから下りる。
 まだ時刻は十一時を少し回ったところで、遅く昇った月が窓から白い光を投げ込んでいた。体は疲れているはずなのに、妙に頭が冴えてしまっている。すぐには寝られそうにない。
 少し歩いて体を冷まそうか。
 部屋を出ると、寮の中は真っ暗で静まりかえっていた。こんなに静かな夜はひさしぶりだ。修学旅行で六年生がいないせいだろう。最高学年にもなると遅くまで勉強しているやつも多いし、学園生活の締めくくりである卒業試験だって間近なのだ。
 本館に通じる渡り廊下に出ると、風が体の毛をなびかせて、いい具合に肌を冷やした。
 ようやく秋も深まって、夜も涼しくなってきた。山の向こうに中途半端に欠けた月が浮かんでいる。白々として鋼のようだ。あれを眺めていると、どうも物恋しくなるのはなぜだろう。
 また、呼ばれたような気がした。だがもちろん、あたりにはだれもいない。
 山の木々を揺らした風が、グラウンドをわたって渡り廊下を吹き抜けていくだけだ。
 気のせいか。
 そこでふと気づく。ひんやりした床から漂ってくる、かすかなにおい。つい数分前に、ここを通った人間がいるらしい。
 廊下は本館の入り口につながっている。
 少し躊躇した。児童も動物も、夜間の学校への立ち入りは禁止だ。ここを通って忍び込んだやつだって、どうせまともな理由があってのことじゃないだろう。関わり合いになっては損だ。
 だが、また呼び声がする。
 この近くじゃない――もっと上から。
 本館を見あげる。
 月明かりを反射して無数の窓をきらめかせる塔は、敵の侵入を拒む要塞のように見えた。

 やはり鍵はかかっていなかった。だれもいない本館に、そっと足を踏み入れる。非常ランプも、階段の手すりも、半分閉じかかった防火ドアも、暗い中では何もかもふだんとは違って見える。
 気配を感じる。床を踏むかすかな音も耳に届く。やはり、上にだれかいるらしい。
 三階、四階とのぼっても、人がいる様子はなかった。ここから上は昼でも立ち入り禁止の場所だ。みいも一学期の初めにひどい目にあっている。こんな時間に、いったいだれが――
 そのとき、はっきりと悲鳴が聞こえた。
 体じゅうの毛が総立ちになる。
 熱を持っていたはずの体が、いっきに冷えて感覚を研ぎ澄ませる。
 ベッドに戻るという選択肢を、一瞬考えた。もしここでだれかに見つかったら――。
 バカバカしい。こんなときに、決まりがどうのこうの、言ってられるか。
 いつかみいを探して走ったときのように、階段を数段飛ばしで駆けあがる。
 五階。何もない。倉庫のような部屋が並んでいるだけ。
 六階。やはり何もない。暗い廊下の奥にも、生き物のいる様子はない。
 騒がしい気配は――すぐ上からだ。
 最後の階段を駆け上がる。腕から血を流していた明日葉の姿が、ちらりと頭をよぎって消えた。
 月明かりでかすかに照らされた廊下の向こうに、逃げまどう子どもの姿が見えた。
「オスワリ、オスワリ!」とだれかが奇妙な声で叫んでいる。
 そしてそのさらに向こう、暗やみの中から音もなく迫ってくる、無数の何か――無数の、光る目――
 足がすくんだ。
 畜生――。悪態をつきながら、廊下の奥に目をこらす。
 子どもはほとんど泣き声に近い悲鳴をあげると、「キング、窓から逃げろ!」と肩に乗った鳥を空中にほうった。そこでようやく、そいつらがだれなのかに気づいて愕然とする。こんなところで、いったい何してやがる。
 翼を広げて慌ただしく飛び立ったオウムだが、目がよく見えないのか、見当違いの方向に向かい、痛々しい音を立てて壁にぶつかった。そのまま床に這いつくばってしまう。格好の獲物とばかりに、そこに大勢の何かが、一斉に飛びかかっていった。
「キング!」
 襲われそうになるオウムに八鳥が覆いかぶさる。
 その小さな丸い背中を見て、おれはいつの間にか飛びだしていた。
 八鳥に群がる獣に突進する。
 黒々と光る毛。細く引き締まった、筋肉質の大きな体。みいの教科書でも見たことがある。番犬として名高い大型犬――ドーベルマンだ。
 ふいをつかれたそいつらは一瞬ひるんだが、すぐにおれの喉もとを狙って飛びついてきた。体をねじって必死にかわす。左前足に食らいつかれる。胴体に爪を立てられる。牙が首に迫る――
 だがおれのほうがわずかに早く、相手の喉笛を噛み切っていた。
 しかし間髪を入れず後続が飛び込んでくる。
 きりがない。
 死ぬ。
 痛みでほぼすべての感覚が消し飛んでいたが、それでも何をすべきかはわかっていて、考える前に体が動いていた。
 震える八鳥の服をくわえ、足に渾身の力を込めて飛ぶ。犬どもの群れを抜ける。階段まであと少し。あそこにたどりつければ、何とか――
 後ろ足に痛みが走った。と同時につんのめり、ぶざまにあごを床に打ちつける。何匹ものドーベルマンの牙が、がっちりと足に食い込んでいた。飛びそうになる意識の中、首を振り、くわえていた八鳥の体を放り投げる。にぶい音を立てながら、八鳥は階段のそばまで転がっていった。
「早くベッドに戻れ!」
 苦しい息の下でそう呼びかける。かすんで赤くなる視界の中、八鳥がオウムを抱え、転げ落ちるように階段を下りていくのがかろうじて見えた。
 倒れたおれに、犬どもが群がってくる。
 重い。つぶれそうだ。
 死ぬのか。頭が朦朧としているせいか、痛みすら心地よいと思えてくる。馬鹿だ。逃げりゃよかったんだ。人間のガキなんか助けて何になる。しかもあの八鳥を。情にほだされたか? かわいそうだと思ったのか? それじゃまるで、人間みたいじゃないか。まるで、甘ったれた人間の考え方じゃないか……
 意識がだんだん細くなって、暗やみの中に埋もれていく。
 少し眠っていたのかもしれない。もう一度目を開けたとき、犬どもに圧迫される感じは消えていて、床に這いつくばったおれの前にだれかが立っていた。白くて小ぶりなスニーカーだけが、ぼんやりと目に映った。
「ハスキーくんっ」
 聞き慣れた声。だが聞いたこともないような、怒りに震えた声。顔は見えないが、きっと唇をわななかせているに違いない。
「あなた……何度言ったらわかるのっ!?」
 胴体を乱暴に抱え上げられる。体が宙に浮く不穏な感じと同時に、その人の肌の香りが強く鼻をついた。
 ああ、また、この人か。
 またこの人に――助けられてしまった。
 そのまま明日葉は踵を返して階段に向かう。視界の端に、背の高い男がムチで番犬たちを追い払っているのがちらりと見えた。

「泰先生は怒るだろうなあ」
 森谷はそうつぶやきながら、濡れたタオルのようなものでおれの顔をふいた。
「いまは修学旅行の引率でいらっしゃらないけど、帰ってきたら……覚悟しておいたほうがいいよ」
 医務室の中だった。まぶしいライトや機械のアーム、よくわからない電子機器、その他いろいろの見慣れないものが、おれの体を見おろすように取り囲んでいた。
 ぼんやりする頭で、いまの言葉を反芻する。
 覚悟。いったい何のことを言っているのだろう。
「一度目は迷子だったから、ぼくらも目をつぶったんだけどね。二度目となると……」
 まさか退学になったりはしないだろうな。
 ベッドに伏せたまま、目だけ動かして森谷を見る。麻酔が効いているらしく、首から下の感覚がない。どうやらまだ足は四本ともくっついているようだが。
「おれは一度目だぞ」
 弁解した。誤解してもらっては困る。
「たしかに」と森谷は笑うと、着ていた白衣を無造作にかごの中に投げ入れた。それからまた近づいてきて、おれのそばによっこらしょと腰かける。思ったより会話がスムーズに進むところを見ると、こいつもおれの言っていることがわかるらしい。
「でも立ち入り禁止ってことは知ってたんだろう? 賢いきみが、どうして同じ過ちを繰り返したのかな」
 そう言うと、森谷はじっとおれの顔を見つめてくる。白くて明るい蛍光灯の下では、目のまわりに刻まれたしわがかなり目立った。
 八鳥の名前を出そうかと思ったが、すぐに思いとどまる。
「学園としても、かなりの損害が出てるんだよ」
 追い打ちをかけるように森谷が言う。穏やかな口調なのが逆に怖い。やっぱり重い処分を受けることになるんだろうか。みいにも、パパさんにも迷惑がかかるのか? そんなのはごめんだ……。耐え切れなくなって、森谷の顔から目をそむけた。
 あのガキに責任を押しつけるのは簡単だ。
 だが――
 べそをかきながらオウムをかばった八鳥の姿が、脳裏に浮かぶ。まだこの目に焼き付いている。
 いやなものを見た。甘ったれた慣れあいだ。
 ――どうしてって、好きだからに決まってんだろ!
 好きだから一緒にいるんだと、いつかあいつは言ってたな。
 笑うしかない。これだから人間は。たいした力もないくせに、好きだの嫌いだのバカバカしい……好きなら守ってやれるのか? 世の中、そんな甘いもんじゃない。
 見殺しにすればよかった。なめくさったあいつらに、現実を見させてやればよかった。
 おれは森谷を無視して沈黙を守る。
 そもそもあいつらのせいにしたところで、おれのやったことが許されるわけでもないんだろう。夜の校舎に忍び込んだのはおれの意思だし、ドーベルマンを数匹噛み殺したのもおれなのだ。結局、何も変わらない。
「どうしてまたあそこに行こうと思ったの?」
 森谷が重ねて聞いてくる。
 待てよ、おれが学校に忍び込んだのはどうしてだ。
 昨晩の記憶を漠然とたどっていく。月に照らされた本館の塔。硬くて冷たい渡り廊下。ベッドから抜け出すときに感じた、みいのぬくもり――ふいに、あのときおぼえた感覚がまざまざとよみがえってきた。
「どうも……」胸がざわつくのを感じながら、おれはつぶやく。
「呼ばれているような気になった」
「ほう」森谷が意外そうな顔をした。「だれに?」
 八鳥ではない。それはわかっている。
 だれかはわからないが、たしかにおれは呼ばれたのだ。
 そしてこの感覚は、前にも一度感じたことがあるような気がした。
「あの上には何がある?」
 思わず尋ねていた。
「ああ、水ならあっちにあるから、持ってきてあげるよ」
 と、森谷は笑顔で立ち上がる。
 通じなかったのか……それとも、はぐらかされたのか。
「おっと、もう行かなきゃ。修学旅行で人手が足りないんでね」
 慌ただしく出入り口に向かった森谷だが、そこでまた「おっと」と言って一歩後ろにさがった。それとほぼ同時に、ドアの開く音。
 おれの位置からでは見えなかったが、だれが来たのかは懐かしいにおいでわかった。そしてそれに混じって、嗅ぎなれた涙のにおいもした。
「ハスキーのせいだから!」
 泣きじゃくり、すっかり枯れてしまった声が耳を刺した。
「明日葉先生に嫌われちゃったっ……ぜんぶハスキーのせいだから! もうハスキーなんか嫌い! 大っ嫌い!」
 ドアが乱暴に閉じられ、みいの小さな足音が遠ざかっていく。
 おれは動けない体のまま、ふうと息をつく。目を閉じて、シーツに深々とあごを沈める。
 ……もうたくさんだ。
「そうそう」
 森谷が場違いに事務的な口調でつぶやいた。「本当ならきみが入院している間、みいなちゃんの代わりのパートナーが必要なんだけど……連帯責任でみいなちゃんの『教育猶予』は確実だから、その点は心配しなくていいからね」
 それだけ言い残すと、森谷は今度こそ医務室を出ていった。
 歯を食いしばる。まだ口の中に残る血と毛の味。その苦みにむせ返ってごほごほ咳き込む。シーツの上に、赤黒く染まった犬の毛が飛び散った。

 森谷の言葉通り、翌日にはみいの二週間の「教育猶予」――早い話が停学――が決定した。ふつうの授業は受けず、寮のなかで専門の職員に世話してもらうのだそうだ。
 とてつもなく長く、空虚なだけの二週間だった。
 せま苦しい殺風景な部屋で入院している間も、おれは何度かあの呼び声を聞いた。それは決まって夜であり、声にならないくらいの小さな響きで、言葉にすらなってはいなくて、ただおれを呼んでいるということだけがわかる声だった。
 呼んだって無駄だ。おれはお前のことなんか知らない。
 断続的に聞こえてくるその声を、どうにか意識の外に追い出そうとして、おれは冷たいシーツの奥深くに頭をうずめ、大声で鳴いた。




第四章 進級テスト

  10.

 冬の朝日は目にしみる。淡い光の中に森はどっしりとたたずんでいて、そのあいだを縫うように白いもやが立ち込めていた。ひと足踏み出すごとに、地面の霜がパキパキと鳴る。痛いし、不快だ。そこらの水たまりにも氷が張っている。いつもならみいが喜んで遊んでいくところだが、今日は時間がない。みいの運動靴がなかなか見つからなくて、朝の「しぜん」の授業に遅れそうになっているから。
 となりを歩くみいがくしゃみをした。
「大丈夫か」
「うん」
 そっけない会話だけを交わして、さらに足を急がせる。白く立ちのぼる息が、目の前の景色をさらににじませる。みいは冬用のえんじ色の体操服を着込んでいたが、それでも寒いのか、赤くなったほっぺたをひきつらせて、ときどき手で体をさすっていた。山奥の学校は、やはり平地より格段に気温が下がる。人間はご苦労なことだ。おれはとうに冬毛に生え変わっているから、このくらいの寒さは問題にならない。暑さには弱いが、もともと寒さには強い犬種なのだ。ここで暮らすようになったせいか、いつもの年に比べて冬毛が厚い気がする。室内で生活している犬は冷暖房の影響で冬毛と夏毛の差がないなんて聞くが――おれにもまだ自然の能力が残っていたのかと思うと、ちょっぴり気分がいい。もこもこしてやや重いのは、そのうち慣れるだろう。
 ぶかぶかの体操服を着たみいは、体をさすりさすり歩を進める。服が大きすぎるせいで、外気が入ってきてしまうんだろう。だから寒いのだ。もっと中に着こまないとな。だがそれは、自分で学んでいくことだ。まあおれが言わなくても、寮の職員なんかが教えてくれるかもしれない。みいは近ごろ職員のおばさんと仲良くなって、髪もその人に編んでもらったりしているし。
 森の中の小道を歩きつづけて、やっと目的の広場が見えてきた。もう一年生はみんな集まって、めいめい楽しそうに騒ぎまわっている。「しぜん」担当の青野先生も、快活に笑いながらそれを見ている。すぐそばにいる巨大なアフリカゾウが、先生のパートナーだ。体の高さはガタイのいい青野のさらに二倍。大きな耳をぱたぱたさせながら、鼻をあちこちに動かして子どもたちと遊んでいた。
 みいが近づいていくと、海老原があっとこっちに気づいて、それからあからさまに背を向けた。海老原だけじゃない。ほかの子どもたちも、みいと目を合わさないようにこそこそしている。今朝の食事のときだって、だれもみいに話しかけてこなかった。
 停学事件以来、ずっとこの調子だ。そして日に日にひどくなっている。クラスメイトはみんなみいを避けるようになった。まあ、教育猶予を食らったやつなんかほかにいない。まだ知恵の浅い子どもには、そういう子が異質なものに思えるのも無理はないのかもしれない。
 だがそれにしても――あからさますぎないか。
 全員がそろったところで、青野が話を始める。その話もすぐに終わって、青野とゾウを先頭にして列が動きだす。いつもどおり、崖下の森でのフィールドワークだ。自然の生き物や植物を観察し、その生態を学ぶ授業。教科書はまだ一度も使っていない。週一回のテストだって、これこれの虫を捕まえてこいとか、そんなのばっかりだ。なるほどしかし、「しぜん」の名前にふさわしい授業だとは思っている。
 みいは列の一番後ろで、しょんぼりしながら一行についていく。
 友達がみんな自分から離れてしまったのが悲しいんだろうか。もしそうなら、もちろん全部おれのせいだ。けれどこれでよかったのかもしれない。要は、こんなくだらないことで離れるような友達だったということだ。中途半端な馴れあいなら、いっそ無いほうがまし。いずれ、みいもそのことに気づくだろう。
 だが唯一、みいに近づこうとする子どもがいた。八鳥だ。
「あ、おい――」
 今日もわざとらしくおれたちの前を歩いていて、ふいに振り返ってみいに話しかけようとする素振りを見せた。みいが気づくよりも早く、おれは半歩前に出てうなり声をあげる。八鳥は顔をこわばらせ、また前を向いた。懲りないガキだ。
 余計なことは言うな。
 おれだってあの夜のことは忘れたいんだ。お前を助けたことなんか思いだしたくもない。
 あれ以来八鳥の顔を見るだけで、いらいらが募るばかりだった。みいに謝ろうとでもいうのか? 何をいまさら。これ以上みいに近づくようなら、今度はおれが殺してやるぞ。
 おれが威嚇するし、みいは相変わらずそっけないしで、八鳥は早々に退散し、列の前のほうに移動していった。
 つづら折りの坂道をゆるやかに下っていく。森に深く分け入ると、足元の落ち葉がぬるぬるして歩きにくくなった。トロッコの線路をたどっていくから、横木が邪魔になって余計に歩きづらい。途中で雨まで降りだした。みぞれ交じりの冷たい雨だ。青野が慌てることなく指示を出し、それに従ってみんながレインコートを着始める。みいも着る。だが、みいのコートにはフードが付いていなかった。
「みい、フードはどうした」
 みいはちょっと首のあたりを触ってから、興味なさそうに「わかんない」とだけ言った。針のように襲いかかる氷雨は、きれいに編んでもらった髪をみるみる濡らしていく。枯れ草はしゅんと身を縮め、雨に打たれた枝が首を上下させる。おれの足もとで、落ち葉の下の住人たちが騒がしく這いまわるのを感じた。
「前から人が来まーす。左に寄ってー」
 青野の声が響いた。
 列がごそごそと片側に寄る。しばらくして前のほうから歩いてきた数人が、青野と言葉を交わすのが見えた。全員コートを着ているが、一番背の高い女が明日葉だということはすぐわかった。ほかのやつらは、おそらく明日葉のゼミに所属する上級生だろう。
 明日葉たちは朗らかに挨拶をしながら、おれたちの横を通り過ぎていく。みいには目もくれずに。楽しげに話しながら歩いていくそいつらの後ろ姿が、みいにはどうも気になるようだった。何度も振り返るせいで、列から遅れそうになる。
「遅れてるぞ、みい」
 みいは「わかってるよ」と口をとがらせて列に戻る。あの事件以来、明日葉は以前のようには話しかけてくれなくなった。みいが何度も食らっていた補習も、不思議とまったくなくなってしまった。みいにはショックだろう。だがひいきしてくれる先生がいなくなったことは、長い目で見ればいいことだ。優しいだけが、いい教育者じゃないんだからな。

 授業が終わったあと、みいがおれの体にバスタオルをかけてくれた。
「毛皮があるから大丈夫だ。自分の心配をしろ」
 みいはふてくされたようにタオルで頭をふきながら、次の教室に向かう。編まれた髪がぐちゃぐちゃでひどいことになっている。一度だれかにほどいてもらわないと。だがもちろん、まわりに暇そうな大人なんていない。
 廊下を歩いてきた三、四年生くらいの女の子に、みいの目がいく。かわいらしいハムスターを手に包んであやしているのだ。みいが「わあー」と感嘆の声をもらすのが聞こえた。
 おれは体を振ってバスタオルをそのへんに落とす。
 あんなかわいいペットなら、さぞかし付き合いも楽だろう。
 小さな女の子には、ハスキーよりハムスターのほうがお似合いだ。おれみたいな大型犬は、みいには荷が重すぎる。
 おれがいなくなったあと――みいはどんなパートナーを選ぶだろうか。
 「しんり」の授業が行われる教室に入ったとき、案の定だれかがみいの頭を見て笑った。みいは気にせず席に着く。よしよし、みいもだんだん強くなってきたな。
 泰が入ってきて授業が始まる。今日はテストの日で、課題はパートナーに指示された物を取って戻ってくるという、しごく簡単なものだった。二人ずつ教室の真ん中に呼ばれてテストが進んでいく。みいの番が来て、同じ班の海老原サチといっしょに位置につく。おもちゃや楽器、野菜などが置かれた台が二十メートルほど先に見えた。泰の合図でテストが始まる。みいが「ボール」と言うとすぐに走っていき、台の上に置かれたゴムボールを鼻先で転がして戻る。「にんじん」なら、あまり傷つけないようにそっとくわえて持ち帰る。おれは淡々と課題をこなしていく。みいに嫌われていようがいまいが、ここでのおれの仕事はみいの指示に従うことだ。それがみいのパパさんに育てられたおれの役目。おれの存在意義。群れの一員として当然の行動だ。断じて、好きだから一緒にいるわけじゃない。
 まさに百発百中で、泰が手にしたボードの上に次々と丸が書き込まれていく。いっぽうとなりのペアは苦戦しているようだった。海老原が悔しそうな目でこっちを見てくる。イグアナが全然言うことを聞かないのだ。寒くて体の動きもにぶりがちなんだろう、ドライヤーで体を温めてもらっても、なかなか前に進むことができない。台までたどりつけたところで、イグアナが物を取ってこられるかどうかも疑問だ。
「ハスキー、今度はりんご」
 みいの声がして、おれはさっと身をひるがえして台に向かう。本物のりんごではなくおもちゃだったが、それをきちんとくわえてみいのもとに戻った。
「沢村、もう結構です」
 頭上から泰の声がした。まだ途中なのに、ストップをかけられてしまった。それもそうか。こんな簡単な課題、いくらおれたちにやらせたって意味がないからな。
「甘え過ぎです」
 と泰が言った。
 その意味がよくわからなかった。みいもピンピンはねた髪のまま、首をかしげて泰を見あげている。泰は石のように冷たい目でおれたちを見おろしながら、「あなたたちは言葉でしか会話をしていない」と言った。
「愛情というものがまったく感じられません」
 そう言われた。
 思わず笑いそうになる。
 愛情? この女が言うのか。
「もうすぐ冬休みですね。また夏のように課題を出しますが――あなたには、私からの個人的な課題です」
 泰はまったく表情を崩すことなく、ぽかんと突っ立っているみいに宣告した。
「『どうぶつ』、『しぜん』、『たいいく』、『せいかつ』、『しんり』、すべての教科書を三十回ずつノートに書き写すこと」
 何だと――? 耳を疑った。この女、正気か。
「課題を提出しなかった場合、三学期の授業を受けることは許しません」
 みいはまだぽかんと突っ立っていたが、その目に、少しずつ涙があふれてくる。
 どこかで笑い声があがり、それにつられたように、教室にいた何人かが笑いだす。おれはかっとなって振り返る。最初に笑ったのは、あの海老原だった。トカゲを腕に抱き、いかにもうれしそうに歯を見せていた。海老原を中心に、笑いのさざめきがだんだん大きくなっていく。そうか、どうもおかしいと思ったら。こいつが指揮をとってやがったのか――
「人を笑うのは、自分のするべきことをしてからになさい、海老原」
 泰が冷たく言い放った。
「あなたが面接で言ったこと、私はまだ覚えていますよ」
 海老原は顔を赤らめ、何かよくわからない悪態をつくと、教室の隅に引っ込んでしまった。
 こぼれてくる涙をそででぬぐいながら、一人で教室の真ん中に立ちつづけるみいを見て、おれは何が何だかわからなくなった。何がいけなかったのか。どうすればよかったのか。おれのせいなのか。おれがいなければよかったのか――?
 だれも答えを出してはくれず、泰はみいを乱暴に押しやると、何事もなかったかのようにテストを再開した。

 鉛筆と紙がこすれる音だけが部屋に響く。窓の外はいちめん真っ白で、雪遊びに興じる子どもたちの声がかすかに聞こえてくる。日が落ちても鉛筆の音は鳴りつづける。手元が暗いことにようやく気づいたのか、みいが机の電灯をつけた。うす暗い部屋を、白い明かりが鈍く照らした。
 やがてどこからか歌が聞こえてくる。食堂のほうからだろう。

  ジングルベル ジングルベル 鈴が鳴る ……

 冬休み前のお楽しみ会とやらを、寮が催しているらしい。ほかの子どもが遊んでいる中、一人だけ部屋にこもって、みいは課題を続けている。今日だけじゃない。ここ最近はずっとだ。放課後も、休みの日も、大好きな雪の降る日も、起きているうちはずっと教科書を書き写している。顔を赤くして、大きな目をさらに大きくして。間違えるたびにいらいらしたように消しゴムをノートに押しつける。折れた芯や消しかすが、机の下にたくさん散らばっている。
 寮のおばさんが何度誘いに来ても、みいは行こうとしなかった。
 おれはみいの椅子の後ろに寝そべって、ときおりみいの様子をうかがうために頭をあげる。いつ見ても同じだった。ノートにぺったり顔をくっつけるようにして、手だけを延々と動かしつづける。クリスマスなんかどうでもいいが、こんなことをしていては体がもつまい。まだ七歳の子どもだ。限界はとうに来ているに違いなかった。
「みい、少しは休憩しないか」
 無駄だとわかっていても、声をかけずにはいられない。それがおれの役目だからだ。
「体に毒だぞ。冬休みは明日からなんだし、そんなに焦って終わらせる必要なんかないだろう」
 みいは顔をあげることもなく、姿勢を変えることもなかった。また無視か、とあきらめかけたとき、小さなつぶやきが耳に届いた。
「早く終わらせなきゃ……」
 熱に浮かされたような、かぼそい声だった。
「冬休みは、パパと、雪だるま作るんだもん……」
 遠くから聞こえてくる、クラッカーの音と歓声。

  ジングルベル ジングルベル 鈴が鳴る ……

「パパと、遊びたいもん……」
 おれは目を伏せて、ほっと息をついた。いまは泰を恨むばかりだ。こんなもの嫌がらせとしか思えない。休みの日に宿題ばかりして何になる。子どもにとっては、体を動かしたり、家族と過ごしたり、そういう時間のほうが何倍も大事だろう。おれだって、こんな雪の日は外に出て走りまわりたい。いろんなところに出かけてみたい。できれば、みいと一緒に――。
 ふと気づくと、鉛筆の音が聞こえなくなっていた。眠ってしまったか。布団で寝ないと風邪をひくと、何度言ったらわかるんだ。
 机に前足をひっかけて、ノートにつっぷしているみいの顔をのぞきこむ。
 声をかけようとして、様子がおかしいことに気がついた。
 眠っているんじゃない。
 おそるおそる鼻先を近づける。
 ひげで感じられるみいの呼吸は荒く、真っ赤なほっぺたは、熱いほどに熱を帯びていた。体はいまにも溶けそうなくらいぐったりしている。鉛筆を持った小さな腕が、おれの目の前でだらりと垂れ下がった。
 助けを呼ぼうと、夢中で部屋を飛びだした。

  11.

 山奥で気温が低いことも災いしたか。丸太を積んだ程度の簡素なつくりの寮は、当然すきま風もひどかった。服装のことでみいに注意しなかったことを、ちょっぴり後悔する。なあに、ただの風邪だ。どうせすぐに治るさ。
 だが、そのただの風邪が思いのほか長引いた。冬休みに家に帰ったみいは、結局冬休みが終わるまでベッドの中で過ごすことになった。小児科医であるパパさんがついているのだから、間違いのない、最高の治療が受けられているはずだ。それでもみいの体調は戻らなかった。のどの痛みはずっと消えないようだったし、熱は上がったり下がったりを繰り返した。楽しみにしていた雪遊びもかなわず、このあたりではめずらしく雪の積もった日も、みいは横になったまま、とろんとした目で窓の外を眺めているだけだった。
「何か精神的な要因か……」
 パパさんは疲れきった顔で、あるときそうこぼした。
 思い当たることが多すぎた。だがおれは、それをパパさんに伝えることができなかった。言葉が満足に通じないからだ。どうやったら、誤解されずに、詳しく説明することができる? 泰に言われた、「言葉でしか会話をしていない」という言葉を思いだす。バカバカしい。言葉でしか会話できないのは、まさに人間のほうじゃないか。
 あっという間に新しい年が来て、三学期がやってきた。
 みいは泰の課題をまだ半分程度しか終わらせていなかったが、そもそも体調が戻らないのだから授業に出られるはずもなかった。三月の進級テストが間近にせまっていた。もしこのまま授業を受けられなければ、進級が危うい。万一進級できなかった場合は、強制的に公立小学校への転入手続きがとられる――つまり、退学なのだ。
 寮の中の人間用の病室で、みいは隔離され、痛々しい咳を繰り返していた。みいは外に出たがったが、ほかの子どもや動物にうつるから、と、森谷に強く制止された。
「みいの進級はどうなるんだ。ちゃんと救済措置はあるんだろうな」
 おれの言葉にも森谷は口を濁すばかりで、話にならない。いったい学校の規約はどうなってる。パパさんに確認してみたかったが、おれにはそのすべがなかった。
 せまい部屋の、微動だにしないベッドの上に、まるで転がされるようにしてみいは寝ていた。床と壁は清潔そうな木の板で覆われていたが、その木目が天窓から差し込む月明かりを浴びると、きょろきょろと無数の目を動かしてみいの命を狙っている怪物に見えるときもあった。そうでなくとも冷えは床を這い、容赦なく忍び寄ってくる。おれはみいを守るために、夜通しベッドの脇にうずくまりつづけた。こんなときこそ、寒さに強いおれの出番なのだ。
「うつるよ」
 ベッドの上からかすれた声がした。それから、二、三度咳き込む音。
 寝そべったまま言い返す。
「シベリアンハスキーは病気に強いと、教科書の一四〇ページあたりに書いてあった」
「うそつき」
 ああ、うそだ――おれが何も言わずにいると、すぐにまたみいの声がした。
「でも『どうぶつ』の教科書の、二〇〇ページくらいには書いてた」
「そうなのか。よく知ってるな」
 何でもいい。病気なんか怖くない。こういうときにそばにいてやれなくて、どうする――
「パパに言われたからいるだけでしょ」
 つんとしたみいの声。その声が、四角い部屋をかすかに震わせて、やがて跡形もなく消えた。それでもおれの耳の中にはいつまでも残った。
 そうなんだろうか、と、思わず自問しているおれがいた。
 みいとずっと一緒にいてやれと、いつかパパさんに言われたことがある。そんなことは無理でも、家族の一員として、生きているうちはみいに尽くすのが当たり前だと思っていた。だが、本当におれは、それだけで、みいと一緒にいるんだろうか。
 だんだんわからなくなってくる。
 群れなのか、家族なのか、仲間なのか、友達なのか――
 ひく、とみいがしゃくりあげるのが聞こえた。
 それは一度きりで、おれも顔をあげることはしなかった。
 みいはしばらくこらえて荒い息をしていたが、やがて我慢できなくなったか、絞り出すような嗚咽がもれた。甲高い、かぼそい、弱々しい声。聞くだけで悲しくなるような声。みいが寝返りを打ち、ベッドがわずかにきしむ。枕かシーツに顔を押しつけているのだろう。くぐもった泣き声が上から落ちてきた。
「苦しいか? 痛むか?」
 答えはなく、泣き声だけが大きくなる。
「パパ……パパ……」
 この学校に来て。
 果たしてみいは幸せだったのか。
 ふと気づけば、夜の空を牡丹雪が舞っていた。黒々としたその影が、窓の外を横切っては消える。寮にぶつかるぼたぼたという音も聞こえる。またかなり積もるんだろう。雪かきに精を出す職員さんたちの姿が目に浮かぶ。山のことはよく知らないが、雪の季節はまだまだ続くという。ここでの雪は非情だ。静かで、重くて、冷たくて、あらゆる命の営みを包み込んでしまう。
 また気温が下がってきたようだ。もっと温かくする必要があるな。そう思って、部屋の隅から予備の毛布を引っぱり出す。
 そのとき何かが近づいてくる気配がした。床を規則的にきしませる、人間の足音。おれは動きを止めて耳をすませる。その足音はやんだかと思えばまた聞こえだすといった調子で、まっすぐこの部屋に向かっているようではなかったが、とうとうドアの前までやってくると、そこでぴたりと止まった。おれは息を殺して様子をうかがう。しばらくの沈黙のあと、ひかえめなノックの音がした。こんな時間に、だれだろう。
 みいも泣くのをやめて、不安げにドアを見つめている。
「だれだ」
 おれが問いかけると、ドアの向こうの人間は小さく悲鳴をあげ、「お、おれだよ」とどもりがちに言った。
「八鳥?」みいがつぶやく。
 ドアがゆっくりと引き開けられ、暗やみの中に小さな子どものシルエットがぼんやり浮かんだ。
「お前何しに来た」
 おれがさっと駆け寄ると、八鳥はおびえたように叫び、持っていた何かを部屋の床に投げ捨てた。薄い本のようなものに見えた。
「字汚いけど、文句言うなよ!」
 八鳥はそれだけ言い残すと、ドアを乱暴に閉めて走り去っていった。
 何のつもりだ。お見舞いのつもりだったのか。それとも冷やかしか。
「ハスキー、それ何?」
 みいが床に落ちた本を指さしていた。近づいてにおいをかぐ。濃い鉛筆のにおい。八鳥のノートのようだ。だが、それだけじゃない、これは――
「見せて。ねえ早く!」
 みいがしつこく手を伸ばすので、おれはしぶしぶノートをくわえてみいに渡した。
「気をつけろよ」とささやく。ありえないことと思うが、妙な心配をしてしまうのだ。
 咳き込みながらノートをひらくみいを、ベッドの下からじっと見つめる。
「何が書いてある」
「ノート……」
「それはわかってる」
「だからノートだって。見れば?」
 ベッドに近づき、みいの手元をおそるおそる覗き込む。淡い雪明かりの中、うねうねとくねるような文字が紙の上に並んでいるのが見えた。「ただしいグルーミング」「しょくぶつのぶんるい」「ほにゅうるいのめのはたらき」――八鳥がとった授業のノートだった。最近のものだけでなく、みいが「教育猶予」になっていた秋の頃の内容まで、びっしりと詳しく書き込まれてあった。
「何かはさまってる」みいがつぶやく。
 カミソリか? まだ疑いをぬぐいきれず、びくりと体が反応してしまう。
 だがみいがノートの間から取り出したのは、折りたたまれた便箋だった。
「手紙……?」
 それをひらきながら、みいがふしぎそうにつぶやく。
 何だと。八鳥からの手紙だと。おいおいそんなもの――と思いかけてふと我に返る。いや、どうせおれには関係のないことだ。これはみい宛てのものだからな。みいが一人で読むものだ。
 ほら、とみいがおれの顔の近くに便箋を持ってくる。熱をもったみいの体も、すぐ近くにあった。どぎまぎしながら尋ねる。
「見ていいのか」
「見ないの?」
「いや……見る」
 便箋に目をこらす。そのときただよってきた香りで、すべてを理解した。

 みいちゃん
 八鳥くんからはなしをききました。
 ハスキーくんがたちいりきんしのばしょに入ったのは、あそこでこまっていた八鳥くんをたすけるためだったそうですね。わたしのことを、ひどい先生だとおもっているでしょう。わたしは、ハスキーくんがやくそくをやぶったとかんちがいして、ついはらをたててしまいました。なにもしらないで、みいちゃんにつらいおもいをさせて、ほんとうにごめんなさい。
 みいちゃんのからだが一日もはやくよくなることをねがっています。げんきになったら、またいっしょにべんきょうしましょう。そして、できれば、こんな先生をゆるしてください。
  あしたばより

「ハスキー」みいが化け物でも見るかのように、目を丸くしておれを見つめた。「何で? 何で……?」
 おれはばつの悪さに顔をそむけた。
 いや、違うんだ。あのガキを助けようとしたわけじゃない。変なふうに誤解されても困る――
 どんとぶつかられて、思わずよろめく。首をぎゅっとつかまれる感覚。ぶ厚い毛皮の上を、何か熱いものが伝っていく。
「ごめん……ごめんねハスキー……」
 おれのことは、もういい。
 もういい。
 そう言おうとしたが、なぜだか言葉にならなかった。
「……何も言ってくれないハスキーが悪いんだもん」
 そう――その通りだ。
 みいはおれから離れると、涙をぬぐって、もう一度便箋に目を落とした。
「よかった……明日葉先生、もう怒ってないよ……」
 みいが喜んでいる。
 泣きながら、笑っている。
「よかったな」とおれは言いながら、みいのそばで体を丸める。
 おれが何のためにみいのそばにいるのかはわからない。
 ただ、一つだけわかったことがある。
 みいが喜べば、やっぱり自分もうれしいのだ。

  12.

 部屋と部屋、階と階が不規則に積み重なり、蛇のようにねじれてそびえたつ本館の四階に、泰先生の教室はある。苔とツタに覆われたその四角い箱のような部屋は、ちょうど大木の幹から枝が突き出るように、建物からやや離れてぶら下がっていて、細いつり橋を渡って行き来する必要があった。北側の壁は一面が窓になっている。夏にはさわやかな風と木漏れ日が舞い込んで心地いいのだが、冬は凍えるようなすきま風が入り込むために児童たちからは不評だった。ふだんはだだっ広い床がむき出しになっているこの部屋にも、今日だけは机と椅子が整然と並べられている。一年生の進級テストの会場になっているからだ。
「ハスキー、切ったらいけないものって何だっけ? 切ったらいけないものってあったよね?」
「ネコのひげのことか」
「あっそうそう! そうだーおひげだー」
 席に着いたあとも、みいは落ち着きなく体を動かしている。寒さのせいもあるだろう。机のそばに伏せて待機していると、部屋全体を揺らすような風の音がいやでも気になった。近ごろ暖かくなってきたと思ったら、今日はまた冬に戻ったような大雪だ。
「みい、トイレは大丈夫か」
 心配になったので、顔だけ上げて聞いてみる。人間は寒いとトイレが近くなるからな。
「大丈夫。さっき行ったから」
「我慢できなかったら手をあげて言ったらいいからな。小さい声でな」
「はーい」
 試験官を務める泰は微動だにせず、教壇の上からじっと児童たちを見おろしている。
 まったく、息が詰まって仕方ない。
 おれは伏せたまま首を回し、こってきた肩をほぐす。教室はいつにも増して静かだった。だいたいのやつらは普通のテストと変わらずのほほんとしているのだが、さっきも、シェパードを連れた小さい男の子が緊張で泣きだしてしまっていた。前の席に座った海老原は、首にトカゲを巻きつけたまま、神経質にひとり言を繰り返している。やはりいつもと違う緊張感が教室に漂っているのは確かだった。
「あと五分で始めます。机の上の物はしまいなさい」
 泰の無機質な声が教室に響いた。
 何人かが教科書やノートを片付ける音がしばらく続く。進級テストはペーパーの比率がかなり高い。それがこれまでのテストと違うところだ。つまり実技の成績がいくら良くても、それで挽回できるようなものではないのだ。
 知識事項はみいの一番苦手とするところなのに、おれは何もできない。せいぜい邪魔をしないように、横で静かに待っていることしか。何ともいやな三十分が、これから始まろうとしていた。
 そわそわとあたりを見回すと、すぐ後ろの席が空席になっていることに気づいた。席は班ごとに決まっている。結局一年間ずっと変わらなかった班だから、だれがいないのかはすぐにわかった。
「みい、八鳥はどうした」
 みいも後ろを振り返って、ふしぎそうな顔をする。
「え? わかんない」
「沢村、前を向きなさい」
 すかさず泰の声が飛んできた。
「八鳥がまだ来てないぞ」
 おれは泰にそう言ったが、なぜか知らんぷりをされた。胸騒ぎがした。どういうことだ。このテストを受けなければ、当然進級はできない。そして強制的に退学になる。みいにわざわざノートを貸してくれたあいつなら、そんなこと百も承知だろう。それなのに、どうして――
 いやな想像が頭をよぎる。
「もしかしてあのガキ、責任感じて、テスト受けないつもりか……?」
 がたんと大きな音がして、みいの椅子がすぐ横で倒れた。床の振動が腹に伝わって、おれは飛び起きる。見るとみいが立ち上がっていて、顔に並々ならぬ決意の表情を浮かべていた。
「呼んでくるっ」
 そう叫ぶと、机の間を縫って走りだす。おれもぴたりとその足もとに付き添う。
「沢村!」と泰の声がして、二羽のハゲワシが行く手をふさごうと飛んできたが、みいは体当たりでそれを押しのけて部屋を飛び出した。雪がまともに吹きつけるつり橋を駆けぬけ、本館の建物に戻る。
「ハスキー」
 みいがそう言っておれの顔を見た。
「たぶん外にはいない」とおれは答える。つり橋を渡ったとき、八鳥のにおいをまったく感じなかったからだ。「この建物のどこかだ」
 みいはうなずき、よたよたと階段を下りていく。だが焦ったのか、足をずるりと滑らせ、危うく転げ落ちそうになった。昨日の夜からぶり返した寒さのせいで、学校中の床が凍りついているのだ。
「大丈夫か」
 おれが駆け寄ると、みいはおれの体をぐいと押すようにして、「ハスキー、先に行って!」と叫んだ。ふいをつかれて、おれはよろめく。
 そうだ、急がなければ。
 すぐに向きを変え、階段を蹴った。
 踊り場でブレーキをかけ、方向転換するごとに、八鳥のにおいは強くなっていく。
 いる。確かにいる。
 二階に到着し、床を嗅ぎながら居場所を探る。さまざまな動物のにおいが入り混じる中を、潜るように、かき分けるようにして。意識を極限まで研ぎすます。何万本もの細い糸を、一本ずつ調べるような感覚。これじゃない。これも違う。どこだ。深く分け入るごとに糸は細くなり、息が苦しくなる。頼む。見つかってくれ――。
 やがてそれは暗やみの中の一筋の光のように、おれの意識の奥にぽつりと浮かび上がった。引きあげるとそれは一本の線となり、どこまでもまっすぐに伸びて、おれを導いてくれる太い道になった。
 パキパキと音の鳴る廊下を走り、寮に通じる渡り廊下に飛びだした。
 雪の降りしきる中、大きなリュックを背負い、かばんを両手に提げた八鳥が、こちらに向かってとぼとぼと歩いてくるところだった。
 おれを見つけたオウムが甲高い声をあげ、八鳥も気づいて「しまった」という表情を浮かべる。八鳥は重い荷物に体をよろめかせながら、背を向けて寮のほうに戻ろうとした――
「ハスキー!」
 後ろからみいの声がした。
 それだけで体は動いた。
 逃げようとする八鳥に駆け寄り、そのまま行く手に回り込む。本館のほうからはみいが走ってくる。はさみうちだ。退路を断たれた八鳥は一瞬動きを止め、次の瞬間にはみいに押し倒されていた。
 降り積もったばかりのやわらかい雪の上に、八鳥の体がめり込んで見えなくなる。かばんの中身がばらばらと散らばった。
「何してんのこんなとこでっ。何してんのっ……」
 風の音の合間に、みいの涙交じりの声が聞こえた。
 八鳥はもごもごと言い訳をしていたようだったが、みいの剣幕に押されてすぐに黙った。そのままみいに無理やり立たされ、服を引っぱられて本館のほうに連れていかれる。
「ラミイ ナゴメ ンッ。サワム ラミイ ナゴメ ンッ」
 オウムがよくわからない言葉を叫びながら、二人のまわりをせわしなく飛び回る。ときおり八鳥の肩にとまり、頭についた雪をくちばしで取ってやろうとするしぐさも見せる。
「いてえよ、キング……」
 八鳥が迷惑そうな声を出した。それでもオウムはそれをやめない。
「急がなきゃ! もー早く歩いてよっ!」
 みいがいらいらしたように声を上げる。しょんぼりして従う八鳥を、まるで元気づけるようにオウムは鳴いた。人間の言葉ではなく、金属がきしむような不気味な音だったが、八鳥は鼻をすすりながら「うるさいな」と泣き笑いの顔を見せた。
 甘ったれた慣れあいだの何だのと、おれは好き勝手言ったけれど――
 体に降り積もった雪を、ぶるんとひと震いして払い落とす。
 おれはこいつらのことが、うらやましかっただけ。
 そんなの最初からわかっていた。

   *

 あの日の大雪が嘘のように、暖かな陽気が山の上までのぼってきた。
 木々のあいだから差し込みはじめた日の光が、朝露に濡れた落ち葉を輝かせている。
 ぬかるんだ地面は歩くたびに泥が跳ね、おれの白い足をまたたく間に茶色く変えてしまう。
 崖下の森の中からは、雪解け水を運ぶ川の音が聞こえてくる。冬の停滞を取り戻そうとするかのような、虫の、草木の、小さな小さな躍動を肌に感じる。
 氷に閉ざされていた生き物たちの世界が、またようやく目覚めて活動を始めたらしい。
 この学園での、二度目の春が来るのだ。
「せんせいっ。明日葉せんせいっ!」
 花壇の手入れをしていた明日葉のもとに、みいが駆け寄っていく。それに気づいた明日葉が微笑み、スコップを置いて軍手を脱ぐ。みいが明日葉の胸に飛び込まんばかりの勢いで飛びつき、「合格したよ! みい合格した!」と叫んだ。
 明日葉の顔がぱっと輝く。
 遠目から見ていても、そこだけひと足早く花が咲いたような笑顔だった。
「おめでとう、みいちゃん!」と、しゃがんでみいをぎゅっと抱きしめてくれた。
 それで感極まったのか、明日葉の肩に顔をうずめたみいは小刻みに震えだし、やがてくぐもった声で嗚咽を漏らした。
「これで、来年からも、先生と一緒っ……」
「うん、そうだね。よろしくね」
 よしよし、とみいの背中を撫でる明日葉の目にも、涙が光っていた。
 おれは露に濡れた体をぶるりと震わせると、背を向けて本館のほうに向かう。雪解け水をしたたらせるそのいびつな建物は、日の光をくっきりさえぎってそびえ立ち、中庭に大きな影を落としていた。まわりの木々よりはるかに高く突き出た屋上付近は、いまはもやに包まれて見えない。
 泥と落ち葉だらけの中庭を出ようとしたとき、明日葉とみいの会話が耳に入った。
「よく頑張ったね。勉強、たいへんだったでしょう?」
「ううん、らくしょーだったよっ。だってみい、教科書に書いてあること全部覚えたもん……」
 何が楽勝なんだか。
 ふと目を上げると、二階のベランダに見慣れた女が立って、こちらを見おろしていた。
「盗み聞きか?」と声をかけてみる。
「そんな趣味はありません」
 泰はいつも通りつんとした声で、何ら感情のこもっていない返答をした。この一年でめっきり白髪が増えたように見えるのは、不安定な朝の光のせいだろうか。
 おれはぐいと首を曲げて、泰を正面から見すえる。
「あんたのおかげだ」
 そう言った。あの鬼のような宿題がなかったら、みいはきっと、ペーパーテストで点を取ることができなかった。
「感謝してる」
 泰は片腕を手すりに乗せ、重そうなまぶたの向こうからおれを見おろした。鼻で笑われた、ような気がした。
「沢村の記憶力では、普通に勉強しただけでは進級テストのクリアは難しいと――そう判断しただけです。全児童に一定水準の学力を身に付けさせるための、当然の配慮に過ぎません」
 それだけ言うと、泰はくるりと背を向けて、建物の中に消えていった。
 昇ってきた太陽が本館のわきから顔を出し、おれの目を一瞬くらませる。中庭のほうから、みいの楽しそうな笑い声がかすかに聞こえた。
 畜生。人間のくせに、かっこつけやがって。





   第四章おわり




 
2015-06-24 20:53:17公開 / 作者:ゆうら 佑
■この作品の著作権はゆうら 佑さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 こんにちは。これから手を付けようとしている作品の、ほんのさわりの部分だけ投稿させていただきます。ある程度書きためてから投稿を、とも思ったのですが、早いうちにご意見をいただきたくて……。問題なさそうならこのまま続けます。致命的な欠陥があるようでしたら、何とか修正して、やっぱり続けます(笑) 感想などいただけるとうれしいです。いまのところ、四百〜五百枚程度の長編を予定しています。(5月1日)

 こつこつ書き進めております。第二章を更新しました。(5月13日)

 しばらく身を潜めていましたが、ようやく第三章を更新できました。ご指摘いただいたことを踏まえて書いた結果、ちょっと語り手の心情が強く出る文章になったかなと思います。またご意見等いただけると幸いです。第一章、第二章もぼちぼちと修正していく予定です。今回「一年生《後編》」と題していますが、一年生編は次の章まで続き、その後に第二部と言いますか、物語の核となるお話を始めるつもりにしています。(6月10日)

 第四章を更新しました。建物の外観や人物の容姿など、いままで描写していなかった部分も若干書いたので、「なんかこれまでのイメージと違う!」となるかもしれません。齟齬が出ないように、第一章からの修正も進めていくつもりです。(6月24日)

5月 1日 第一章投稿。
5月13日 第二章更新。ご指摘を受けて第一章を少し修正。
6月10日 第三章更新。
6月24日 第四章更新。
この作品に対する感想 - 昇順
 どうも、みずうみゆうです。
 これからどのように話が進んでいくか、楽しみですね。頭の中にこれから物語が行きつく先がいくつか候補が浮かんでおりますが、果てさて、ゆうら佑さんはどのように物語を帰結させるのか。
 まだあくまで、物語が動き出す前段階、プロローグであると思うので、評価は控えておきます。第二章から学園でみいとハスキーがどのような生活を送るようになるのか、楽しみにしております。
2015-05-02 01:20:05【☆☆☆☆☆】湖悠
 作品を読ませていただきました。
 ああ〜、僕の腐肉にまみれた心が浄化されていく〜。
 完成予定枚数から考えたら本当に序盤の序盤ですからはっきりとは言えませんが、致命的な欠陥というか、欠陥はないんじゃないですかね。物語の進行の大きな妨げという意味のものは今回分には含まれていないと思います。
 しかし、驚きました。今回はタッチを変えてきましたね。一本道になっている。しかも人物描写だけでなく話の展開にも非常に重きを置いているように感じられます。どのような展開になるのか全然分からないので、まだ何とも言えませんが、ゆうら 佑様ならきっと僕たちを感動の渦に巻き込んでくれるに違いありません!(プレッシャーをかけていくスタイル)
 物語の筋が見えるのはおそらく次章かその次の章でしょう。それまではこっそり空気感を楽しませていただきます。気づいたら『みい』に変な視線を送るロリコン感想が増えているかもしれませんが、邪険にしないでください。失笑する程度にとどめておいてください(笑)。
 ところで動物を連れて行っても良いということは、犬でなくてもよいのですよね。とすれば、クラスメイトのペットにも普通じゃないのが混ざっているのだろうなあ。さすがに魚類や爬虫類はNGだと思うのですが、どうでしょう。
 僕は小学生の頃山で猿と激闘を演じて以来動物を信用できなくなっているので、こうしてペットと仲睦まじく戯れる様に触れるのは、それがたとえ文章の中だとしても珍しい経験です。完結目指して頑張ってください。
 次回更新をお待ちしています。ピンク色伯爵でした。
2015-05-02 03:40:36【☆☆☆☆☆】ピンク色伯爵
こんばんは。犬と一緒に学校で勉強するというのが面白そうで、冒頭部を読ませていただきました。
せっかくなので、感想というか意見を書いてみようと思います。
実は、奈良公園のくだりに引っかかってしまいました。子供がうっかり鹿せんべいを持ったまま鹿に近づいて、たくさんの鹿に囲まれて泣きわめくというのはいわば日常茶飯事の風物詩的に感じるので、もしも鹿寄せの男が危害を加える悪者的な立ち位置なのだとすると、ちょっと違和感があります。ただ、例えばハスキーがそんな日常のことにも「みいに危険が及んだ」と心配してしまうくらいに彼女のことを思っている、ということを示すためのエピソードなのだったら、話は変わってくるだろうと思います。読み進めないとわからない部分なのかもしれません。
正論を振りかざす嫌味な校長とか、そのあとの面接の場面は良かったです。この一見冷たそうな女性面接官は実はそんなに悪い奴じゃないんだろうな、という感じが面接中の会話からうまく出ていたと思います。
しかしこのハスキー君、やっぱり先に死んじゃったりするのかなあ。これは作品の評価とは関係ないですが、動物ものはハッピーエンドで終わってくれないと辛いなあというのが、個人的な(勝手な)気持ちです。
2015-05-03 01:31:21【☆☆☆☆☆】天野橋立
>湖悠さん
 感想ありがとうございます!
 この物語が行きつく先は……このまま順調に行けば(?)、みいの卒業と、それとほぼ時を同じくして訪れるハスキーの死です。ど直球です。ただし、それに一人と一匹がどういう心境で向かいあうのか、が重要なところかなあと思いますが。
 いえいえもう物語は始まっております(笑) 実は学園モノが書きたかったわけではなく、作中のみいやハスキーと同じく「行かないといけないから行く」だけなので、入学してからが本番! という意識で書いているわけではないんですね。それでも、次から話が大きく展開していきます。次回もお付き合いいただければ幸いです。ありがとうございました。

>ピンク色伯爵さん
 今回もありがとうございます!
 欠陥、ないでしょうか。とりあえず安心しました。いままでになく長いものを書こうとしているので、ちょっと及び腰と言いますか……。でも、ふたを開けて見ればまた三百枚くらいで終わっちゃうかもしれません(笑)
 本当はこういうお話のほうが好きなんです。昔読んだような、子どもの成長を描く王道ファンタジーで、エンターテイメント性に満ちあふれていて、どきどきしながら読めるような物語……そういうものを書きたいなあ、とずっと思っていたので、ちょっと今回挑戦してみます。感動の渦? 任せてください!(プレッシャーをかけていくスタイル)
 なので話の展開はもちろん重視しています。おっしゃる通りです。この時点で見抜かれてしまうとは。とりあえず次回くらいまでは入学後のあれこれが続くと思うので、もう少し空気感を楽しんでいただけるかと思います。ただ……ラストまで突っ走るようなめまぐるしい展開にしたいので、「物語の筋」はあまり見せたくないなあ、というのが本音です。おおざっぱに言ってしまえば入学→卒業、で以上なのですが。
 動物はですね、「生物」であれば何でもOKで、極端な話ザリガニとかでも大丈夫です。面接を通る可能性は低そうですが、こういうのはダメ、という決まりは特にないですね。クラスメイトにもえげつないのがいるかもしれません。
 ぼくもいままでそれほど動物と仲良くしてきたわけではないので……みいとハスキーの関係は、ただ単純にうらやましくて書いてるだけなのかもしれません。かなり理想入っちゃってます。できれば彼らにはハッピーエンドを用意したいのですが……。GWですし、できるだけ頑張って書き進めてみます。ありがとうございました。

>天野橋立さん
 お読みいただきありがとうございます!
 天野さんは犬がお好きなんですね。ぼくも去年まで実家で飼っていたので、犬はけっこう身近な存在で……犬と人のこんな生活があればいいな、と思って書きはじめました。
 うーん奈良公園のくだり、不自然でしたか。鹿寄せの男はハスキー目線では悪者になっていますが、もちろん客観的に見れば何ら責任はありません(パパさんもそういう発言をしています)。ここは天野さんの言われた後者のほうを意図していて、つまりはハスキーの親(?)バカっぷりを笑っていただきたかったのですね。客観的な視点をはっきり入れるために、パパさんにもっときつく叱ってもらうべきでしょうか。
 校長は自分でもいやだなーと思うくらい嫌味に書けたので、ぼくも気に入っています(笑) 女性面接官についても、しっかり読み取っていただけたようでうれしいです。
 たぶん不老不死の薬を求めて旅をするような展開にはならないと思うので、ハスキーが先に死ぬのは確実でしょうね……。もしこの作中で死ななかったとしても、いつか別れは訪れますし……。でもあんまり悲しいラストにはしたくないんですよね。できるだけ幸せな別れに向かっていけるように、丁寧に書いていきたいと思います。ありがとうございました。
2015-05-03 19:11:13【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
 ようやく土曜……。早速続きを読ませていただきました。
 チャプター5の最後あたりから少し転調しましたね。学園の秘密に視点が向けられつつあるのかな。番犬がいることオオカミの話――ハスキーも言っていましたが学校・教師陣がなんかおかしいですね。ストーリーの方にエンジンがかかってきた感じ。
 ちょっと気になったのはみいとハスキーの人(犬)物描写の濃さはこの作品のテーマに合っているのかなということです。前書きや後書き、返信蘭を読みますにみいとハスキーの絆の物語、あるいは成長物語が作品のテーマになって来るんですよね?(違っていたらごめんなさい)
 そうすると、現在の描写の掘り下げ具合だと、本当に二人が仲良くしている描写だけで、「彼ら二人の世界はそれだけで完結してしまっている」という印象を受けるのです。仲たがいの描写を入れろと言っているわけではなくて――。例えば今回更新分の最後でハスキーが思い悩んでいることはみいにはもちろんあずかり知らぬことですよね。そう言う互いがまだ知らない部分――共有できない部分がおそらくたくさんあると思います。そう言うブラックボックスの部分があるが故の、違和感のようなものを二人の描写に乗せていくというのが、二人の描写に奥行きを与え、のちの作品のテーマを描くドラマ部分でじわじわ効いてくるのではないかと個人的に思います。やや現在だと淡白かなー……と僕は感じるのです。片方が幼女ですから、意識されて軽いタッチで描かれているのだろうとは思うんですけどね。ちょっと自信が無いので他の感想者様のお話も聞いてみたいのですが(皆さん気にしていらっしゃらないなら読み飛ばしていただいて結構です)。
 みいが独立すること、ハスキーがみいから独立すること、外界と触れ合うこと――これらは全て周囲の誰かが関わってくるわけで、書いていたらテーマが「友達との絆」みたいな一般的なものにシフトしてしまう危険があると思います。この辺りどう料理するかも腕の見せ所でしょうか。
 人物描写についての感想は作者にとって非常にヘヴィーなので(僕は初投稿作品で四、五回全面改稿しました)、通常は最後の感想に書くようにしているのですが……。面倒な感想を投げてしまって申し訳ないです。
 次回更新を心待ちにしています。ピンク色伯爵でした。
2015-05-16 00:24:43【☆☆☆☆☆】ピンク色伯爵
読ませて頂きました。犬目線なんですね。みいちゃんと、ハスキーくんの生まれた時からの非常に強い絆が感じられました。特に、みいちゃんなんかは、かなりハスキーくんに依存している気がします。
なので、その後ことあるごとに、ハスキーがいなくなったら関連の質問をされていて可哀想になってしまいました。
それと、私だけかもしれませんが鹿寄せのホルンが悲しい音色に聞こえた、というところが少し不自然に感じました。その後の、みいも母親を。。の文に繋げるためだろうとは思ったのですが、皆で楽しく出かけた公園で鹿を集めるために吹くホルンが急に物悲しく聞こえるものかなと。唐突な感じがしたのです。ウキウキ気分も半減したように感じました。  学校には、クセのある子もいるようですが、色々と揉まれて二人(一匹?)とも、逞しくなってきていますね。これからのエピソードを楽しみにしています。
2015-05-17 14:23:32【☆☆☆☆☆】えりん
>ピンク色伯爵さん
 お読みいただきありがとうございます!
 ぼちぼちストーリーを進めました。番犬の存在は次回以降も重要になってくるかと思います。ここからどんどん加速していければいいのですが。
 さて、一人視点の長編はひさしぶりに書くので、そういう描写の濃さとか伏線の入れ方とか、自分でもぎこちないなーと思っている部分が多々あります。ですので指摘していただけるのは大変ありがたい、のですが……「違和感のようなものを二人の描写に乗せていく」というのがどういうことなのか、なかなかうまくイメージできません。第二章のラストのような、ちょっとした心のすれ違いを書くということでいいのでしょうか。
 とはいえ、まずはこの作品のテーマについてお答えしないといけないですね。絆の物語、成長物語と言い表わしてもよいと思うのですが、むしろ「別れの物語」なのかなと思っています。イメージとしては現在の二人は二本の直線の交点にいて、そこから先はお互いに離れていくばかり、という感じです。だから現時点では完全な仲良し描写になってしまっているのかなと。みいも身体的・精神的に成長していきますし、ここから徐々に二人の心の距離が大きくなっていくはずですが、うーん、どうでしょうか。
 >>みいが独立すること、ハスキーがみいから独立すること、外界と触れ合うこと――これらは全て周囲の誰かが関わってくるわけで、書いていたらテーマが「友達との絆」みたいな一般的なものにシフトしてしまう危険があると思います。この辺りどう料理するかも腕の見せ所でしょうか。
 そんな危険があったとは……。怖い。しかし、この点についてはたぶん大丈夫だと思います。もしだめなようならまた教えていただけると幸いです。
 まだ八十枚しか書いていませんし、改稿や方向転換も容易かなと思っています。むしろ完結後に直すほうがしんどいので、早いうちにご指摘いただけたほうが助かります(笑) これからもよろしくお願いします。

>えりんさん
 感想ありがとうございます!
 犬目線なんです。みい目線にすることもちょっと考えましたが、六歳の女の子の一人称はハードルが高いかなと感じたので。ハスキーとみいの絆を感じていただけたようでうれしいです。みいが責められる展開はたしかにかわいそうでしたね……でもラストに向かう上では、必要なプロセスだと思って書いています。
 あのホルンは……おっしゃる通り唐突ですね。実は「みいも母親を〜」の文につなげる以外にも重要な意味があったりなかったりするのかもしれません(笑) 言ってしまえばあとあとの伏線であり、この作品の数少ないファンタジー要素でもあるのです。では、ハスキーがみいに「悲しい音だよな?」と尋ねて、みいが「そんなことないよ」と否定し、それでハスキーも気にしなくなる、という描写をはさんでみます。これで唐突な感じは薄れて、かつ読者の方の記憶にもちょっと残せるようになるでしょうか。
 ご指摘、たいへん助かりました。次回もお読みいただけると幸いです。
2015-05-17 22:09:24【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
 更新分読ませていただきました。みずうみゆうです。
 学校に入ったことで教師、生徒、そのパートナーの動物、という様々な人々と出会い、物語の幅が広がってきた印象を受けました。学校に纏わる『謎』も気になるところですが、今はみいが色んな人間とどう接し、どのようにぶつかり、どのように仲を深めていくかに注目していきたいと思っております。人の成長を促すのは人との関わりですからね。特に今は八島くんかなあ。彼との今後の関係の変化というのが今は一番楽しみなところであります。まあ、しかし、人間と仲良くなることでその弊害もまた……なんて、色々妄想を巡らしながら、次回更新も楽しみにしております。
2015-05-19 00:37:00【☆☆☆☆☆】湖悠
こんにちは。遅ればせながら、続きを読ませていただきました。
いよいよ学校の生活が始まり、凶暴な番犬(?)の存在によって何か大きな秘密があるらしいということが示されてと、展開としては順調で悪くないと思いました。
しかし、なぜか登場人物に立体感がないような、存在感が薄いような感じがしてしまいます。ピンク色さんの指摘も読んでみましたが、僕の感じていることとは違うようで…。
と考えてみて気付きましたが、どうも主役たるハスキー君が、あまりにも犬らしくなさすぎるのが物足りなさの原因のようです。ほかの動物たちもそうですが、動物としてのリアリティが不足してる感じがするんですね。「しまじろう」の世界というか、擬人化されたイラストのような動物たちと子供たちが触れ合っている感じがしてしまう。
せっかくの一人称なので、ハスキー君が犬として感じるであろう感覚、それをもっと読みたいと思いました。たとえばお風呂の場面ですが、犬らしい感覚が描かれているのは「全身の毛が重い」の一言だけだったりしますし。リアルなワンちゃんがまるで人間のようにみいちゃんのことを色々思って、という感じがいいなとリクエストしておきたいと思います。
2015-05-23 19:10:56【☆☆☆☆☆】天野橋立
>湖悠さん
 お読みいただきありがとうございます!
 みいの成長、楽しみにしていただけて何よりです。人との関わりや八鳥との関係の変化など、次の章でしっかり書いていければいいなと思っています。そのせいでハスキーが蚊帳の外に置かれる場面も出てくるかもしれないですね(笑) うーんあまり詳しくは言えないのですが……。学校の謎にも少しずつ迫っていきます。
 次回もお読みいただけると幸いです。ありがとうございました。

>天野橋立さん
 またお読みいただきありがとうございます! 展開はこの調子で進めていきたいと思います。
 さて、ご指摘の点ですが……これはたぶん、容姿の描写が少ないことが原因かな? と自分では思いました。読者の方の想像に任せる方針で、人物・動物ともに外見の描写を意図的に省いていたのですが、さすがに少なすぎたのかなと。擬人化に思えると言われてしまっては、かなり再考の余地があると感じます。
 たとえばオウムだったら、普段くちばしから妙な音を出したり、唐突に羽をばたつかせたり、せっせと毛づくろいしたり、足や首をぐにぐに動かしたりしていると思うので、こうした「非人間性」を描写に取り入れていこうかなと思います。ほかの動物についてもその方向で。
 ただし語り手のハスキーについては、それが難しいと感じられてぼくも悩んでいます。一人称なので容姿や行動を客観的に描写することはできず、リクエストしていただいたように「感覚」を書くことになるのですが……ぼく、犬じゃないからわからないんですよ(笑) でもがんばって考えてみます(もしアドバイスいただけるのなら本当に助かります!)。ご意見ありがとうございました。
2015-05-23 23:04:16【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
 二度目のレス失礼します、ピンク色です。
 前回わけわからん感想を書いていますが、忘れていただけると嬉しいです。お騒がせしてマジですみませんでしたっ! 二人の絆の物語なら、二人の絆が深まっていく余地があるように人物を描写するべきなのではないかというのが前回僕が考えていたことなのですが……。なるほど、別れの物語なら僕の言っていることはますますとんちんかんですね。
 実は天野様と同じく、僕も人物描写が薄いというか、あまりのめり込めないというのを感じていまして、しかしそれを指摘するだけではいけないだろうと思い、『自分ならどう描くだろう?』というのを考えて感想を書いたのですね。それで余計ややこしい事になってしまっているのだと思います、ハイ。忘れてください(泣)。
 次回更新をお待ちしています! この二か月リアルをほっぽり出して楽しんでいたので、しばらくこの掲示板にあまり来られなくなると思います(自業自得)が、更新されているのを見つけたら速攻で読みに来ますよぉ!
2015-05-24 11:46:34【☆☆☆☆☆】ピンク色伯爵
>ピンク色伯爵さん
 こんにちは。わざわざありがとうございます。
 やはりそうでしたか。何となく、ピンク色伯爵さんとぼくでは思い描くクライマックスが違うのかな……と感じてはいたのですが。ただ、別れの物語であっても仲が深まる余地はあると思うので(単純な仲良しとはまた別の意味で)、決してとんちんかんということはないと思います。
 人物描写についてはファンタジーと銘打った分、もっと意識しないといけない部分だったかなと思います。どの程度書き込むかはこれからも手探りになると思いますが……できれば、読んだ方の目の前に世界がパッと広がる感じになるよう書いていきたいと考えています。またご意見いただけるとうれしいです。
 ……たいへんな状況のようですが、くれぐれもご自愛なさってください。
2015-05-25 22:31:00【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
 読ませていただきました。(初回から読ませていただいていますが、感想差し上げられず申し訳ございませんでした)
 動物と一緒に学べる学校、面白そうですね! 「こんな発想もあったのか」と、楽しみながら読ませていただいてます。
 ふつうの子が通う学校とは違うだけに(ファンタジー要素があるために)、学校のバックグラウンド(背景、構造など)をイメージしながら文章表現していくのは難しいのではと、読んでいて感じました。でも、動物たちの動き回る様子など、なかなかにぎやかな学校だろうなとは思いました。
 ストーリーに関しては、これから先ハスキーとみいがどうなるのか楽しみです。「人間臭い感性をもった犬だなあ」と最初は戸惑いましたが、私個人的にはこのハスキー、結構気に入ってます(笑)。
 次回更新を楽しみにしています。
2015-06-14 00:27:06【☆☆☆☆☆】手塚 広詩
>手塚 広詩さん
 感想ありがとうございます。
 この学校はですね、みいとハスキーが一緒に過ごしていくにはどうすればいいだろう? と考えて出てきた設定でした。あくまでみいとハスキーが中心だったんですね。だからまだうまく使いこなせていない面も多々あるかと……。学校のバックグラウンドについてはいま煮詰めているところなので、次回以降、きちんと書きこんでいこうと思っています。学校の背景、構造、外観なども、ストーリーに絡んでくる予定なので。
 ハスキーについては、もうちょっと犬であることの自覚を押し出したほうがいいなと思い、三章でそういう傾向を強くしました。一章、二章もこの方向で若干修正するつもりなので、違和感は少なくなるかと思います。でも気に入っていただけてよかった……。次回もお読みいただけると幸いです。ありがとうございました。
2015-06-20 00:28:31【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
計:0点
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