『美紀と優太と回転木馬 【Act.7】まで』作者:バニラダヌキ / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
『リアル・現代』で『ファンタジー』ってなんじゃそれ――そんな人並みの疑問は歯牙にもかけぬ狸が贈る、十年一日の狸印、分福茶釜の綱渡り。
全角170114.5文字
容量340229 bytes
原稿用紙約425.29枚
 
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  美紀と優太と回転木馬  【目次】

   プロローグ 【なかなか木馬が回らない】 (約44枚)
   Act.1 【木馬は回る】       (約49枚)
   Act.2 【回転木馬はなぜ回る】   (約70枚)
   Act.3 【誰が木馬を回してる】   (約63枚)
   Act.4 【回転木馬が止まらない】  (約64枚)
   Act.5 【若き日の回転木馬】    (約67枚)
   Act.6 【回転木馬が止まる時】   (約65枚)
   Act.7 【それでもいろいろ回ってる】(約67枚)


   次回予告 Act.8 【あなたと私の回転木馬】 乞うご期待!

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  【プロローグ】 なかなか木馬が回らない


     1

 雛祭りと同じ木曜日、山福美紀は十四歳になった。
 二日後の土曜の昼下がり、雛人形が並んだままの居間では、クリーム色のでっかいプラスチックの箱が、座卓の上から美紀を睨んでいた。
 ちょっと見、座卓の天板の半分近くを占める平べったい衣装ケースのようだが、衣装ケースにしては不思議な丸みをおび、その正面には、ずいぶんでっかい目玉が三つも並んでいる。
 はじめはかなり怯えてしまった美紀だが、落ち着いて考えれば、その目はたぶん死んでいるはずだった。とんでもなくでっかい段ボール箱を運んできた宅配の人たちが、受け取る父さんの腰をマジで心配したほど中身の詰まった、物言わぬプラスチックの形骸。
 もっとも、その奇妙な外観だけなら、実は美紀も何日か前に見せられていたのである。あの晩、父さんが指さしていたネットオークションの画像と、形だけは確かに同じだ。ただ美紀の予想よりも数倍大きかったため、すぐには同じ物体として受け入れられなかったのである。
「ホームシアターよ!」
 母の淑子が、痩身に似合ったメゾソプラノで歓声を上げた。
「ホームシアターだ!」
 父の泰蔵が、恰幅相応のバスバリトンで歓声を上げた。
「……あのねえ」
 ひとり娘の美紀は、シャムの子猫のような顔に似合わず、冷ややかなアルトで半畳を入れた。
「こんな粗大ゴミに、一万も払ってどーすんのよ」
 ここまででっかくて重たい物は、回収代だってハンパないはずだ。そもそも勝手に誕生日のプレゼントにされただけで、先月あたりからいそいそと準備を進めていたのも美紀ではなく両親、とくに父さんのほうである。美紀には、居間にある大きめの液晶テレビで充分だ。友達の家にあるビデオプロジェクターは、なんだか画面が暗くて寝ぼけていた。やたら大きく映るだけなのである。
 美紀としては、スマホが欲しかった。親の愛、それもうちよりかなりユルい形の愛に恵まれた友達が、指でつるつると見せびらかす、ぴかぴかのかわいいスマホ。それとも、今お行儀よく膝をたたんで座っているこの居間か、隣の客間のどっちかに洋風の絨毯を敷いて、ソファーや椅子を入れてもらったり。
「何をおっしゃる兎さん」
 泰蔵が反論した。
「天下のボルコの三管式だぞ」
 娘の反応への遺憾より、喜色が勝っていた。
「お前が生まれた頃は、百万以上してたんだ」
「え」
 さすがに美紀は絶句した。
「……こんなにでっかいのに、なんでそんなに高いの?」
 友達の家のプロジェクターは、新品でもウン万円と聞いている。同じ機能のモノなら、新しくて小さいほうが高いはずではないか。
「これだから平成生まれはねえ」
 淑子が、他人事のようにぼやいた。
「あなたがおなかにできなかったら、父さん、これが買えてたのよ」
 ぼやきの前半は、もう気にならない。昔から母さんの口癖で、耳にタコができている。勤めている女子高でも「これだから平成生まれは」を連発し、昭和レトロ夫人とかロッテンマイヤーとか、少女の敵これ平とか呼ばれているそうだ。当人もそれを自慢にしているくらいだから、たぶん平成が何か次の時代に変わるまで、同じ文句を繰り返すのだろう。
 でも後半の新情報は、ちょっと心外だ。
 おいおい、古き良き昭和とやらの内になんぼでも子作りできたろうに、四十過ぎてわざわざ私をこしらえたのはどこのどいつだ――。
 さすがにそこまで言い返す語彙のない美紀は、母親そっくりのちょっとツンとした鼻筋に、軽く皺を寄せただけで堪えた。今さら家庭に波風を立ててもしかたがない。この母に悪意はない。ただ若者に厳しく夫に甘いだけなのだ。この父母なくして子の美紀もない。
 ことほどさように、世間との折り合いにおいてはなかなか早熟な美紀だが、別方向ではまだまだ子供である。お赤飯こそ半年前に炊いてもらったものの、早生まれだからか背は小さいほうだし、バレンタインのチョコだのなんだの、男子と女子のアレコレにもまったく興味がない。赤ん坊の作り方を知っているのは、単に小学校の保健体育で習ったからだ。
 まあ、その前後から、いらぬ世間知の奔流のような平成少女コミックを通して、泰蔵あたりに開陳したら世をはかなんで一家心中に走りそうな専門用語や高等技術なども目にしているわけだが、美紀にとってはあくまで仮想世界、それもどうでもいい方向の仮想世界であり、両親や学校のみんなとそれらの情報の間に実際どんな関わりがあるのか、そもそも気にしようという気がなかった。
 それでも小学校の卒業式あたりから、自分の両親と友達の親のビジュアルには違和感が募っている。母親のほうは、往年の美貌とスリムな若作りでそこそこ化けているけれど、でっぷりメタボの父親は明らかに白髪が多すぎるし、顔のホーレー線も目立つ。いっしょうけんめい他を見渡して、ようやく別の老けた親を見つけると、その家の子には、ずいぶん年の離れたお兄さんやお姉さんがいたりする。
「ま、今んとこ、美紀の言うとおりかもしれんな。リサイクルショップの動作未確認、ノークレーム・ノーリターンだし」
 泰蔵は、あくまで喜色を浮かべたまま言った。ふくらし粉を混ぜて焼いた鬼瓦のような、一見いかつい顔をしているが、妻と違って若者にも子供にも、ついでに自分にも甘い父である。
「しかし俺がなんとかする」
 自信たっぷりで言いきる夫に、淑子は無言でうなずいた。
 そのうなずきは、信頼ではなく寛容なのである。
 このツンデレ妻め――美紀は心の中で舌打ちしながら、その妻に代わって父親にツッコんだ。
 ワードも使えない化石みたいな国語教師が、やれるもんならやってみろ。辞書やブンガク全集じゃないんでしょ、この中身。

     2

 奥羽山脈と朝日連峰に抱かれた峰館盆地、とくに山福家のある蔵王の麓あたりでは、旧暦に合わせて四月三日に桃の節句を祝う家が多いが、山福家では、家政の万事が土着の泰蔵ではなく東京育ちの淑子に委ねられている。
 飾りっぱなしにすると娘が嫁ぎ遅れるという東京あたりの風潮にかかわらず、未だに雛人形が飾られたままなのは、旧暦にこだわる泰蔵の実家との妥協策である。淑子も現役音楽教師の手堅い共稼ぎ夫婦とはいえ、美紀の成長に合わせて思いきって購入した家のローンが馬鹿にならない。田舎好みの内裏一式を、自力で飾り立てる余裕はなかった。
 余裕がないから、たったひと晩で不動の古ボルコに音を上げた泰蔵は、翌日の朝、かつての教え子・亜久津茂に、救助要請の電話を入れた。
 この手の物件だと、パソコンやAV――嫌らしくないほうの音楽映像おたくだった柴田あたりが相応しいのだろうが、あいつは楽器を商っているから土日が稼ぎ時だ。売れない漫画描きの亜久津なら、曜日時間に遠慮はいらない。アニメおたくのあいつも、確か早くからホームシアターにこだわっていたはずだ。
 案の定、電話口で快諾した茂は、三十分もたたないうちに車で乗りつけた。高校卒業後すぐに上京し、いったん山福とは疎遠になった茂だが、妻子を連れてUターンしてから十何年、なんやかやの腐れ縁が続いている。
「うわ。うちの型とおんなじですね。今どきすごいと言うか、困ったと言うか……」
 仕事で徹夜でもしたのか無精髭だらけの茂は、内臓むきだしのボルコを見るなり、四十過ぎても昔と変わらない、どっちつかずの声を上げた。
「……直らんか?」
「いえ、たいがい直せば直るんですが。念のため治具持ってきたし。でも――何年か前に、うちの奴がいかれたときは、一管交換するだけでウン十万」
「わ」
 そんな小遣いはないぞ。だいたいこいつ、子供六人養ってんだろ。漫画ってそんなに儲かるのか。やっぱり親や細君の稼ぎか。
「でも中はピカピカですよ。先生が磨いたんですか」
「いんや。きのうから、見た目だけはちゃんとしてた。外も中も」
「じゃあ最近メンテされてますね」
「だと思うんだが、電源が入らんのだ」
 淑子が運んできたコーヒーもそこそこに、あちこち検分すること数分、茂はにやりと笑って言った。
「もしか――ここのディップが緩んでるだけだったりして」
 ぽち、とつぶやきながら、どこかの何かを、軽くぽちっとする。
 縁側からの日差しにも負けず、三原色の光輪が、茶箪笥と白壁にまたがってわやわやと重なった。
「ほら点いた」
「おう」
 やった。一万プラス送料四千なんぼで百万ゲット――いや百ウン十万かも。
 三つのブラウン管といっしょになって顔を輝かせる泰蔵に、
「喜ぶのは早いですよ、先生」
 茂は保育園の保父のように言った。
「この機械のキモは、三管それぞれの微調整です。設置場所とかスクリーン距離とか、きっちり決まってます? 決まってるなら、俺がなんとかしますよ。今日は仕事明けですから」
 泰蔵は頬の肉が揺れるほど、ぶんぶんとうなずいた。
 ああ、おたくは、いい。現在の生徒でさえなければ。こいつらが好きなものを「なんとかする」と言うときは、枝葉末節重箱の隅、やるなと言っても残らず突っつくのだ。

 茂とふたりがかりなら、腰の心配もない。
 泰蔵はどでかいプロジェクターを、半地下のAVルーム――ひと月前までコンクリ打ちっ放しの物置だった、八畳ほどの空間に運びこんだ。
 半地下というのは、もともとこのスペースが、山肌を宅地化する過程でやむを得ず生じた複雑な段差になかば食いこんだ、おまけのような部分だからである。右の天井近くに明かり取りの小窓があるだけで、そこいら以外の壁を突き崩せば、すぐに土竜《もぐら》の仲間入りができる。押しこめるにも引き籠もるにも、なにかと収まりがいい空間だ。
「……やりますね、先生も」
 洒落たソファーだの洋酒だのが並んでいるわけではない。
 周囲に木目調の壁紙を張り巡らせた中、コンクリ床には、古びた映画館そのものの座席が二列、数席連結したまま並んでいた。奥のスクリーンは八〇インチ程度だが、その両側には、ご丁寧に緞帳っぽい赤茶色の幕までたぐられている。まだシネコンが少ない頃、茂が東京で足繁く通っていた池袋や浅草の名画座を、さらに小規模化したようだ。さすがに映写室の小窓はなく、後ろの壁際に、頑丈そうな横長スチールラックが、微動だにしないようボルトで固定されている。
「いいなあ。どこで買ったんですか、こんな座席」
 リサイクルショップにも古道具屋にも、出回るとは思えない。
「先月、峰館座がつぶれただろう」
「はい」
「あそこの廃物を譲ってもらった。スクリーンは、昔、お前も見ただろう。学校の視聴覚室で三十年近く使ってた奴だ。今は大型液晶テレビで済ませてるからな。ちゃんと書類出して、倉庫の奥から廃品回収したぞ。だから金かけたのは軽トラのレンタル代、特売のブルーレイプレーヤー、壁紙と延長コード、あとはボルトとビス代くらいか。いや、プラス、このボルコだな」
 なるほど、ブルーレイ関係に並んでラックに収まっているビデオデッキは、上からのお下がり。アンプは三十年選手と覚しい分離型オーディオコンポ。スクリーン横の木製スピーカーも、たぶんそのコンポの一部。
 あちこち結線しながら、茂は言った。
「中森明菜が猫伸びしそうなコンポですね」
「お前はいったい、いつの生まれだ」
「今でもネットで見られますよ。あれはかわいい。コンポもでかくて機能美があるし」
「おたくだなあ」
「先生もおたくじゃないですか」
「失敬なことを言うんじゃない。趣味人と言え」
 同じだ同じ。
「とりあえず繋がりました。あとは……」
 茂は言いかけて、持参の工具箱を探っていたが、
「……うわ。俺やっぱりボケてる。すみません先生、テスト用のディスク忘れたんで、プレーヤーに何か入れてください。なるべく画質のいい奴を」
「おうよ」
 泰蔵はラックから、一枚のブルーレイを手にした。
「これにしよう。真っ先に、こいつが見たい」
 その古めかしいジャケット写真を、茂は横目で窺った。
 田舎のカーニバルらしいカラフルな木馬に、赤い丸首シャツにベージュのベストを羽織った男と、ピンクのドレスの金髪女性がもたれ、能天気に口を開けて歌っている。ほらほら総天然色ですよと言いたげな彩度が、昨今の洋画の沈んだ色彩設計になじんだ目には、いかにも眩しい。冬の東京の空と、夏の蔵王の空の違いがある。
「『回転木馬』――いいですねえ、古き良きハリウッド・ミュージカル」
「ほう、知ってるのか」
「あっちで専門学校に通ってた頃、うちの奴と浅草の小屋で見ました」
「俺も女房と、峰館座の特別鑑賞会で見た。なんか楽しいとか綺麗より、やたらしんみりしたりしてな」
「元はモルナールの『リリオム』ですもんね。あんな辛い芝居はないんじゃないかな。俺なんか『欲望という名の電車』よりも辛かった」
 茂は絵を描くだけでなく話も作る稼業だから、漫画やアニメ以外の創作物も多く見聞している。
 ちなみに一九五六年、泰蔵の生まれた翌年に制作されたハリウッド・ミュージカル『回転木馬』は、直接には一九四六年に上演されたブロードウェイ・ミュージカル『回転木馬』の映画化だが、その元ネタは、オーストリア=ハンガリー二重帝国末期の一九〇九年、モルナール・フェレンツによって著された戯曲『リリオム 或るならず者の生と死 ――裏町の伝説・七場――』である。本邦でも、あの森鴎外先生をはじめ多数の翻訳がある。
 遊戯場の回転木馬で働いているリリオムは、若さと向こうっ気とそこそこのイケメンしか取り柄のない半端者だが、純真な少女ユリと愛し合い、結ばれる。しかしそこそこの色男ゆえにそれが仇となり、嫉妬した女性オーナーに解雇され、極貧生活に陥ってしまう。そうなると元来半端者のこと、惚れた女房にさえバシバシ手を上げまくる毎日だ。それでも内心、半端者なりの情はある。やがて妻の妊娠を知ると、リリオムは生まれてくる子供のために一攫千金の犯罪に手を染めるが、半端者ゆえ結局失敗、その場で自殺してしまう。昇天して天界の長い審判を受けたリリオムは、十六年後、贖罪のためにいっぺん下界に戻ることを命じられるが――結局、半端に失敗してしまう。半端者は死んでも半端者――。
 もっとも、けして救いがないわけではない。リリオムとユリは、どんな状況下でもやっぱり愛し合っていたのだし、十六年後、リリオムの娘ルイーズが、わけのわからないことを言ってくるルンペンと――それが実の父とは知らず――諍いになり、とうとう小突かれてしまったときも、なぜか痛みは感じなかったりする。
「『回転木馬』のほうは、ずいぶん話を陽気に変えて、ラストも優しくなってましたけど――どっちみち、いい人生も悪い人生もひとりじゃ生きられないし、ひとりじゃない以上はどうしても食い違うし、どう食い違ってどう重なるかがそれぞれの人生……そんな感じですよね」
 昔から優柔不断な話し下手の茂も、こと仮想物件に関しては、おたくらしく述べたがる。
「俺なんか、こんな原作で描けって言われたら、ぜったい断りますよ。このギリギリの『許し』が、今どきどこまで伝わるか……ハヤリの『癒やし』とかとは真逆なのに、たぶん読者は勝手に癒やされちゃう」
 確かに『リリオム』は、近代戯曲史上の定番にして難物とでも言おうか、一世紀を経た今日《こんにち》でもベテラン俳優から若手俳優まで果敢に挑戦しているが、ファンタジー要素に引きずられ、しばしばハリウッド以上にロリポップ化してしまう。
「……おうよ」
 泰蔵は、過去の教え子の現在に、深い感慨を覚えながらうなずいた。思わず胸中で、イルカの歌が流れたりもする。
 今〜春がきて〜〜君は〜きれいに〜なっ……てないけども〜〜かなりマシな頭になった〜〜。
「そもそも『癒やされる』なんて言葉、俺が子供の頃は、マジにぶっ倒れそうなときしか使わなかったもんだ。今は『和む』べきところで『癒やされ』ちまう。ままならん人生もままならん人間も、べつに病気とは限らんのにな」
「ハリウッド・ミュージカルでそれをやろうってんだから、元々ちょっと無理があったんでしょうね」
「ま、無理を通して道理にしたい人生もあるさ」
 変わってないですね先生、と口にするのが何か面映ゆく、茂は黙って天井の照明を落とした。

 デスクライトで手元のボルコをいじりながら、とりあえず三色それぞれの光軸と焦点を合わせる。
「おお、ちゃんと映るじゃないか」
「……まだアマアマです」
 茂はブルーレイをあちこちスチルしたりスローしたり、スクリーンの隅々まで目を凝らしながら、三つのレンズ周りを細々といじりつづけた。
「字幕も出してもらえますか」
「英語でいいか」
「何語でもいいんですが――」
 もの問いたげな茂に、泰蔵は苦い笑顔で言った。
「日本じゃイマイチのDVDしか出てない」
「ありゃ、俺のアニメといっしょだ」
 大作ミュージカル映画と自主制作短編アニメをいっしょにされたらハリウッドが怒るだろうが、ビデオ止まり、LD止まり、DVD止まり――時代の需要は秋の空だ。
「いっぺん上のテレビで見たら、さすがにあちらさんは違うぞ。俺の生まれる前の映画が、傷ひとつないツヤツヤのピカピカだもんな」
「でも、昔のシネマ峰館あたりのスクリーンで見たかったですね。ちょっとくらい傷があっても」
 昭和の中頃から県下一の大画面を誇っていた『シネマ峰館』は、茂がUターンしてきた頃にはすでに閉館していた。今は根性の入った廃墟と化している。かつての興行街全体が衰退してしまったため、撤去費用との兼ね合いで、駐車場にさえならないのだ。
「ま、峰館座がつぶれたときにゃ、女房と泣いたよ。シネマの次にでかかったからなあ、あそこの幕は」
「大きさじゃとてもかないませんが、映りは負けませんよ。スクリーン近いし、この機械、下手なフィルムより味がありますから。――ほら、あそこの店の壁、影になってる柱時計」
「おお……こりゃ、いい感じだなあ」
 輪郭や細部は柔らかいが、いかにも木製の古時計の存在感である。
「学校の新しい液晶も、何もここまでってくらい細かく映るが……なんつーか、これは……モノが違うってやつか」
「もっと行けるはずなんですが……」
 茂は、まだ首をひねっていた。
「……細密より階調、情報よりも情動です。光の魂はアナログにあり」
 さすがにこいつも絵描きだなあ――泰蔵は、キャンバスに向かって絵筆を操る茂を想像した。背景は花のパリーのアパルトマン、でもビンボそうな薄汚いアトリエ。
 実のところ茂は、趣味の高校時代から、主にパソコンで絵を描いている。セルアニメ時代のハイジやアンやペリーヌに惚れこんでアニオタに墜ちた茂にとって、自分の小遣いでアニメ調の絵面を量産するには、そのほうが安上がりだったのだ。「これからの人間はパソコン必須」と親を欺き、天に許しを乞いながら昼飯の奢り代だけでCGソフトを入手すれば、あとの画材はほぼ無料である。しかし、その頃もプロになってからも長く手描きにこだわっていた水彩画やパステル画さえ、近頃はパソコンで描くようになった。デジタル画材の進化に順応しきったわけではない。数年前、ある大手アニメ会社の仕事をきっかけに、なかば困窮状態だった生活ががらりと多忙になり、時間的に合理化せざるを得なかったのである。
 峰館あたりではアシスタントの手が足りない。茂のアシのメインは専門学校の後輩連中で、おおむね東京近辺をうろついているから、今の茂の原稿は、デジタル信号として峰館=東京間を行ったり来たりしながら完成し、デジタル・データでクライアントに届く。もちろんパソコンもボードもモニターも厳密に調整してあるが、内心、欲求不満がつのる一方なのである。泰蔵が言った『ツヤツヤのピカピカ』も、まさに高精細デジタル・リマスターの威力であるにしろ、茂はやっぱり、白と黒の間にある無限の色とグラデーションが恋しいのだ。
 ――とどのつまり、俺の目玉にも脳味噌にも、四角いドットは存在しないんだよな。絵の具や真空管のほうが、まだ好きなように遊べるんだよな。
 茂は、どこぞの趣味人の大広間向けにメンテしてあったボルコの三管を、峰館地下八畳名画座にマッチさせるべく、やや退嬰寄りの徹夜頭で、好きなだけ弄びつづけた。

     3

 正午を少し回った頃、玄関に鰻の出前が届いた。
 母親を制して昼食の盆を掲げた美紀は、半地下物置、もとい親父好みの即席昭和レトロAVルームに向かって階段を下りた。
 家のお客のおもてなしなど、めったにしない美紀だが、今日は特別なのだ。
 胸がどきどきする。
 こんなことになるなら、夜更かししてアニメ雑誌なんか見てないで、早起きすればよかった。
 変な三つ目の衣装ケースなんて、もうどうでもいい。父さんだって、この際ちょっと見えないとこに置いときたい。あ、でもあの父さんがいるからこそ、あの『あっくん』先生が、今うちの床下で私の誕生日プレゼントのために働いていらっしゃるのだ。これからはあの三つ目の箱も、かわいがってあげよう。父さんも、ちょっとくらいは大事にしてあげよう。
 父さんの好きなお蕎麦をとろうする母さんを言い負かすため、大事にとっておいたお年玉の残りをほとんどツッコんでしまったが、悔いはない。
 あっくん先生は、家族の生活を守るため、本名とか個人情報をいっさいマスコミに明かさないけれど、たまにはアニメ雑誌のコラムとかで自分の話をする。先生は焼き鳥と鰻が好きなのだ。お蕎麦より鰻。ならば鰻重の松をどーんと飛び越してえーい特上、それしかないではないか。せっかく肝吸いまでつけたんだから、ふたりともちゃんと上の客間で食べればいいのに。
「……お邪魔します」
 いつものアルトより、ややメゾソプラノっぽい声が出せた。うん上出来。
「おう、美紀か」
 あれ、と、美紀は首をかしげた。
 奥のスクリーンからなにやらきんきらきんの光と歌声が流れているが、それはまあちょっとこっちに置いといて、薄暗い物置に並んだ逆光の座席には、首から上がひとつしか見えない。声からすれば、あの振り返った影は父さんに違いない。じゃあ、あっくん先生は――棚の三つ目んとこにも、やっぱりいらっしゃらない。
「昼飯か」
 泰蔵は、リモコンで映画を止め、部屋の明かりを点けながら言った。
「お前が客前に出てくるなんて珍しいな。どうした、変な顔して」
「……あっくん先生」
「なんだそりゃ」
「……お母さんに聞いた。お父さんが呼んだのが、あっくん先生」
 今どきの高校教師として、生徒を理解するためにけっこう重要であるにもかかわらず、泰蔵はアニメや漫画にまったく興味がない。それでも亜久津の商売が、そっち方向なことだけは知っている。この場に自分ではない『先生』がいるとすれば――汚職代議士や三文小説家も、世間では先生。売れない漫画家しかり。
「なんだ美紀、そいつの話をしてるのか」
 泰蔵は、ボルコの乗ったスチールラックを、顎でしゃくった。
 茂は作業完了まで身が持たず、仮眠をとっていたのである。
 峰館座の座席は肘が固定だから横になれない。コンクリの床よりは横長のラックのほうが、まだベッドっぽい。数年前は連チャンで徹夜をこなした茂だが、しょせん昭和も後半生まれ、手塚先生や石ノ森先生ほどの根性はなかった。
「おい茂。亜久津先生。亜久津茂大先生!」
 あーうー、などという間の抜けた声が、ラックの一番下から聞こえた。
 ごそごそと身じろぎの気配がし、美紀の足元に、ぼさぼさの頭が現れた。
「……あー?」
 半分眠っている声が、次の瞬間、慌ただしくとっちらかった。
「うわ先生寝てません俺起きてましたちゃんと聞いてます授業俺」
 美紀が、ついこないだ、昼下がりの教室で聞いたようなセリフである。
「……あれ? ここって……」
「――お昼ご飯です、先生」
 低めのアルトしか出せなかった自分を、美紀は恥じた。正直な娘であり、良心的な娘なのである。
 美紀の予想、もとい幻想とは別状、あっくん先生は、スーパーのいちばん下の棚にあるお豆腐のような顔をしていた。お豆腐よりは黒っぽく凸凹もあるが、どのみちいっさいの緊張や畏怖を要さない顔である。
 失望するまい、と美紀は心に誓った。
 なんと言ってもフツーの人ではない。フツーでは描けないものを描く人なのだ。天才アーティストなのだ。きっと心が真っ白な画用紙なのだ。こんくらい豆腐っぽいほうが、白っぽくていいではないか。なんの理屈にもなってないような気がするが、アートに理屈はいらないのだ――。
 まあそうした水面下での齟齬は多々あったけれど、
「うわ、『染太』の鰻だ」
 あっくん先生は、ミエミエの少女コミック級に瞳を輝かせ、美紀が多大な犠牲を払って献じた鰻重と肝吸いを、ラックの空きをテーブル代わりにして、犠牲以上の笑顔で食べてくれた。
 泰蔵も、米飯の間にまで隠れていた蒲焼きに目を見張り、
「ほう。張りこんだな母さん」
 私だ私!
 美紀は、あっくん先生に見られないように、父親にだけ身振りで激しく主張した。
 奥ゆかしい娘なのである。

 食後、はじめはおずおずと、しかしそのうち犠牲に匹敵する勢いで美紀が繰り出したアマチュア・インタビューにも、あっくん先生はひとつひとつ、ちゃんと真面目に答えてくれた。聞き取りにくいぽそぽそした声だって、ガラスの心を持った繊細なアーティストなら、かえってクールだ。
 ちなみに茂自身は、自分が豆腐のような顔や声であることも、インタビュー向きの気の利いた自己演出など不可能な人間であることも自覚しているから、そっち系の表仕事は、よほどの義理がない限り引き受けない。一方、個々の読者に出会ったときは、相手が幼稚園児だろうが白寿の老人だろうが、いつも素のまんまで接している。
「……あれは、あんまり美紀ちゃんに見てほしくないんだけどなあ」
 数年前、表舞台に立つ要因となった大手の連続SFアニメに話題が及び、茂は眉をひそめた。
「あれは中二病の話だから。俺もキャラやっただけだし」
「私、中二です」
「……あのね、中二病って、大人になっても頭が中学生くらいのまんまというか……」
「知ってます」
「ならいいんだけど……中二の美紀ちゃんが中二っぽいなら、それはあたりまえだ。いや、いいことだ」
 相手が自分の娘と同じ学年なので、茂も気を遣う。
「まあ、子供っぽい中二も大人っぽい中二もいるだろうし、美紀ちゃんがそのどっちか、俺にはまだわかんないけど――そう、たとえば十年後、美紀ちゃんがちゃんと大人の年になっても、心――気持ち――いや社会意識――」
「わかります」
「――が今のままだったら変でしょ、それって」
「はい」
「そーゆー人たちにウケちゃったんだよねえ、あの話は」
 美紀はそれなりの中二だから、それくらいの事は理解している。あっくん先生は、あの作品のシナリオにもコンテにもタッチしていらっしゃらない。レンタルで全話揃っていたのを、わくわくと借りはじめた美紀も、途中で投げ出してしまった。キャラデザはいいのに、できたアニメはなんか違う絵になってるし、そもそもそのストーリーのどこが面白いのか、ちっとも解らなかったのである。
 あの作品を依頼される前に、先生が全部自分のパソコンで作った短編――美紀がまだ魔法少女くらいしか見ていなかった頃、動画サイトで評判になってDVDになって、大ブレイクのきっかけになった『河のほとりの猫』――あれが真の『あっくんアニメ』であり、美紀にとっては史上最高に美しい映像詩、涙腺大決壊アニメなのだ。
「ありがとう」
 茂は頭ひとつ半小さい美紀に、すなおに頭を下げた。
「情けないみたいだけど、あれの後で俺の名前が入ったアニメは、みんな忘れてほしい」
 美紀もすなおにうなずいた。いえいえちっとも情けなくなんかないです先生。
「でもコミックのほうは、ちゃんと描けたのがある。話が終わらないうちに切られちゃった――描けなくなった奴も多いけどね」
 今どきの、そっち方向の少年少女を侮ってはいけない。コアなファンはいても読者アンケートが下位とか、掲載誌がいきなり廃刊とか、編集が馬鹿ばっかしとか、その程度の業界事情は、美紀もおおむね把握している。真のアーティストは繊細ゆえに孤高なのだ。
「全部じゃないけど、いっぱい持ってます!」
 美紀は意気込んで言った。
「サインもらえますか?」
「うん」
 茂は気軽に引き受けた。
 ここ数年、仕事の切れ目はないといっても、単行本になった数は知れたものである。大半一〜二巻止まり、三巻続いたのは二作ぽっきり、四巻越えは一作こっきり。胸を張って「ぜんぶ俺の仕事」と言えるのは二冊のイラスト集くらい。DVD化された短編アニメだって、盛り上げてくれた音楽は柴田のシンセだ。
「待っててください!」
 ぱぱぱぱぱ、と空いた重箱や椀や小皿を盆にのせ、ぱたぱたと階段を走り去る美紀を見送って、泰蔵がお茶をすすった。
「なんの話をしてるんだか、俺にはさっぱり解らんが、ちゃんと先生なんだな、お前」
「いい娘さんですね」
「まあな」
 ずっと無視されていたにもかかわらず、泰蔵は機嫌がよかった。
「俺はただほったらかしで見てるだけだが、ちゃんと淑子に似てくる。母親とは喧嘩ばっかりしてるくせにな」
「うちの茂美も中二ですけど、俺にも女房にも似てきません。母さんにも似てない。親父にばっかり似てくる」
「……そりゃ、ちょっとまずいんじゃないか?」
 茂の父親は、隠居していったん丸くなったと思われたが、去年の秋口、街で絡んできたハングレを病院送りにしたと聞く。もう八十近いのに。
「でもまあ、性格はギリギリ普通ですから。ちゃんと剣道部とか続いてるし」
「ま、せいぜい見ててやることだな。あの年頃だ。鬱陶しくない程度に陰ながらこっそり、な」
「はい」
「優太君は元気なんだろ」
 茂美の相方、二卵性の弟である。他にも男女入り交じった四つ子の小学生がいるはずだが、泰蔵は名前を覚えきれていない。
「あいつは……まあ元気といえば元気なんですが……もうまったく昔の俺ですね」
 茂は、嬉しいやら嬉しくないやら、微妙な顔で笑った。
「ならいいじゃないか。先生になれる」
「……でも、中学んときの俺ですもん。まだ何も描いてない頃の」
 泰蔵も曖昧に笑うしかなかった。
 高校三年の春、文化祭でちょっとした騒動を起こすまでは、山福どころか過去のクラス担任さえ、亜久津茂という姓名とその顔が一致しなかったくらいである。
 スーパーのいちばん下の棚に並ぶ豆腐のひとつが、冷や奴になるか麻婆豆腐になるか、あるいは何かの手違いで高級割烹に運ばれ、吸い物の中で旬の国産松茸と勝負するか――売れる前には誰も予測できない。
「お待たせしました!」
 美紀が、ぱたぱたではなく、どっこいしょどっこいしょと戻ってきた。
 ラックに積まれた色とりどりの小山に、茂は喜んだ。
 確かに全部ではないが、自分でも気に入っている作品ばかりだった。
 中には編集者の意向に折れた不本意な作品もあるが、茂美と同い年の少女なら、それでいい。荒っぽい茂美など見向きもしない、かわいい系の四コマである。『河のほとりの猫』も、二冊のイラスト集もちゃんとある。
「お願いします!」
 美紀がうやうやしく差し出したサインペンを、照れくさそうに受け取る茂に、泰蔵は言った。
「きっちりハクをつけてやってくれ。お前が死んだ後、なんでも鑑定団に出せるかもしれん」
 無論冗談だが、美紀はじっとりと父親を睨んで、それからまっすぐに茂を見つめ、
「このオヤジより長生きしてください」

     4

 泰蔵や美紀から見れば、もう充分に綺麗な映像でも、茂はなかなか納得しない。
 ひと眠りしたし、今の稼ぎでもめったに食えない特上の鰻を食ったし、なにより自作の映像を自分の意図レベルまで再現しなけばならない。解像のために『回転木馬』のブルーレイ、階調のために自作のDVD、とっかえひっかえしたりもする。
 おたくもここまでくるとやっぱりアレだわなあ、と、呼びつけた張本人の泰蔵が呆れ、アーティストの目はやっぱり極限まで厳しいのだなあ、と美紀の感心がMAXに達する頃、
「――こんなもんですかね」
 ようやく茂は、治具を片付けはじめた。
 泰蔵は、うむ、とうなずいた。こいつらおたくが自分の手がけたおたく物件を「こんなもんか」と言うときは、『見ろ見ろ俺様の魂のカタマリを』ということだ。ただし他人の物件だと『それってゴミ』。
 ちょうど三時の紅茶を運んできた淑子も加わり、ようやく通しの試写会である。
 美紀としては、名目だけでも自分の誕生日プレゼントなのだから、当然あっくん先生作を本番にしたかった。なのに、あえて泰蔵や淑子の推す『回転木馬』に反対しなかったのは、あっくん先生がうちの親父にマジで一目置いているらしいと、認識を改めていたからである。
 それでも退屈なものは退屈だった。
 両親や先生は、前に日本語付きで見ているからストーリーもセリフも解るらしいが、美紀には、まったく話が見えない。英語字幕で勉強しようなどという殊勝な心がけもさらさらない。
 なにこれ、天国だかなんだか知らないけど、ちゃっちいセットの中で、むさくるしいおっちゃんたちが、ぱあぱあしゃべくりあってるだけじゃん。
 タイトルの『Carousel』って『回転木馬』なんでしょ? でもぜんぜん映らないし木馬。
 等々、内心不満たらたらながら、両脇で熱心に見入っている先生と父親の手前、我慢して付き合っていると――ようやくプロローグの天国編が終わり、賑やかなタイトルを経て本編、華やかな本式の回転木馬が画面いっぱいに回りはじめた。
 これには美紀も惹きこまれた。
 やっぱり大きいことはいいことだ。木馬の大きさが、ちゃんと木馬の大きさだ。
 小学一年の夏休み、家族で東京に行ったとき、ディズニーランドで乗ったことがある。他のアトラクションがあんまり行列だったので、半日に三回も乗ってしまった。でも三回目でも、ちっとも飽きなかった。四回でも五回でも、はしゃいで乗っていたかもしれない。峰館あたりの遊園地のお子様物件とはスケールが違うのだ。ほんとにトリップしちゃうのである。
 まあ中学二年も終わりに近い今だと、ああ、あの頃は私もウブなネンネだったのねえ、などと大人ぶる気がないではないが、三年の修学旅行でディズニーランドに行ったら、たぶんまた乗ってしまうのだろう。
 でも恥ずかしいから二回くらいにしとこう。今年はディズニーランドがダメでトシマ園とかになる、そんな噂もあって、みんなブーイングしてるけど、そこにも立派な回転木馬があるらしい。だから私は、そっちでもいい――。
 と、ほどよくトリップしている美紀の目の前を、木馬に乗った女の子が、ゆらゆら上下しながら通りすぎた。
 目の前を、である。
「ひゃあ」
 美紀は母親以上のソプラノで感嘆した。
「すごいね、お父さん」
 ああ三つ目のボルコ君、粗大ゴミ扱いしてごめん。すごいぞ君は。3Dメガネかけないで3Dなんだ。
 女の子の乗った木馬が通りすぎたあとも、誰も乗っていない木馬たちが、スクリーンの左横の壁から次々と現れては、ゆるやかな波の弧を描きながら、前のまんなかの席にいる美紀をかすめるようにして、右横の壁に消えていった。
 あの子の木馬が、また回ってきた。
 外人の子ではなく、日本の子っぽく見える。小学生の低学年くらいだろうか。ポールに絡ませている腕も掌も、気の毒なくらい細くて小さい。お母さんの古いアルバムの写真みたいな、今ではあんまり見かけないきっちり三つ編みと、カルピスみたいな水玉の、ふっくら袖のワンピース。
 それはお父さんが生まれる前の映画だから、出てくる子供だって昔の子だ。賑やかな木馬に乗ってても、なんだかずいぶん寂しそうに見えるのは、きっとワケアリの子供なんだろう。
「……『三丁目の夕日』みたい。来年の映画は3Dになるんでしょ」
 なぜだか誰も反応してくれないので、右隣を見ると、父さんは崩れかけの鬼瓦のような顔で、前を向いたまましゃっちょこばっていた。
「………………」
 大きな口を開けっ放しにして、ホーレー線まで固まっている。
 その向こうの母さんは、体を折り曲げ、父さんの胸に顔を寄せている。
 まったくうちのアンティーク・バカップルはこまったもんだ。ふたりとも学校の先生のくせに、娘の教育ってもんがあるでしょう。だいたい、今日は大事なお客様だっているのに――。
 心配して左隣を窺うと、あっくん先生は、お鍋の中の湯豆腐のようにぷるぷる震えながら、ぽそりとつぶやいた。
「なんじゃこりゃ……」
 お豆腐は茹だっても白っぽい、と美紀は思った。



  【Act.1】 木馬は回る


     1

「ありがとうございます」
 居間ではなく客間の座卓で、なかば放心状態の淑子が煎れてくれたお茶を、茂はありがたくいただいた。
「ああ、おいしい。……志釜園の玉露ですね」
 は、と淑子が我に返り、平生の上品な微笑を浮かべる。
「はい、うちは、いつもあそこですのよ。あの店が、昔の駅前にあった頃から。――亜久津さんのお宅も志釜園で?」
「はい。うちの親父が、あそこの先代と親しかったもので」
「あら、まあ」
 ふたりとも、穏やかに細やかに人生の機微を紡ぐ小津安二郎監督映画――劇的な事件など何ひとつ起こらない、あのローアングル日本間畳表視線でこのまま話が進んだらどんなにいいだろうと思っているわけだが、
「で、なにか、アレは」
 泰蔵が言った。どんなに荒唐無稽で非常識な事態も、自宅で進行している限り、家長として対峙しなければならない現実だ。
「やっぱり、その……いわゆる幽霊ってやつか?」
 おずおずと振り返る泰蔵の視線は、いくつかの部屋を隔てた奥廊下、そのさらに先にある半地下物置に向けられている。ボルコの電源を落としても、無音の闇で回り続ける木馬たち。そしてそのひとつに、飽くことなくまたがっている水玉ワンピースの女児。
「すばらしいテーブルですね」
「はい、宅の実家の旅館にあった、檜の一枚板ですのよ」
「おい、茂、淑子」
 ふたりは音のないため息をついて、小津調日常会話を中断した。
 茂が、うつむいて言った。
「まあ、俺の知ってる限り……いや推測する限り、たぶんそーゆーものであろう、いや、なのではないか、と」
 同じだ同じ、と、自分につっこむ余裕もない。
「木馬の幽霊ってのは変な気もしますが、あの子のほうは、たぶんそうなんでしょうね」
 淑子は何も言えなかった。
 ロッテンマイヤーさん型の教師兼主婦として、仏事や神事もきっちり重んじる彼女だけに、非業の死を遂げた人間が化けて出るとか、墓を荒れたままにすると先祖が怒るとか、中絶すると水子が祟るとか、死者の生を徒に貶めるような迷信には与しない。それらは残された生者の未熟に起因する被害妄想だと思っている。それだけに今回の変事には、内心、誰よりもとっちらかっていた。
「まいったなあ」
 泰蔵は、両手でゆるゆると顔をもみほぐしながら言った。
「なんで、あんなもんが出てきた。この家を買ったときから、ただの物置だったぞ。夜中に入ったこともあるが、怪しげな気配なんてちっとも……」
 それまで黙ってお行儀良く座っていた美紀が、座卓の一角から、はい、と手を上げた。
 大人三人が目を向けると、美紀は、遊び盛りの座敷猫のように瞳を輝かせながら、
「あっくん先生のピュアで力強いオーラが、宙をさまよっていた少女のピュアな魂と共鳴し、あのボルコを通して実体化したんでは」
 実はそっち系の話も大好きな美紀なのである。
 一座の注目を浴びてしまった茂は、俺? 俺? と言うように戸惑っていたが、じきに自信なさそうに首をひねって、
「……あるかなあ、オーラ、俺」
 泰蔵は難しげに腕を組んだ。
「あるにしても、そう強くはないな」
 茂もすなおに頭を垂れる。
 美紀もいったん黙るしかないほどの垂れっぷりだった。
 ――もうちょっと自信を持ってください、先生!
 今この家で、あの部屋に怯えていないのは、美紀だけかもしれない。もちろんちょっと恐い気はするが、あの木馬の女の子は、けして伽椰子とか貞子とか、怨霊っぽい雰囲気ではなかった。むしろ、なんかワケアリならなんとかしてあげたい、そんな感じの子だった。
 泰蔵が言った。
「かけた映画が『回転木馬』だからか?」
「でも、世界中の映画館やテレビで、何度もやってたわけですよね。DVDやブルーレイだって、何万枚もプレスしてるわけだし」
「じゃあ、あの機械になんか憑いてたのか? 考えてみりゃ、なんぼジャンクでも一万はおかしいだろう」
「確かに。ガタガタの部品取りでも、ふつう何万は――」
 言いかけて、茂は頭を振った。
「――いや、専門店でもない、ただのリサイクルショップのオークションなら、そんなもんでしょう。それがたまたま先生以外の需要がないタイミングで落ちた――ショップが知っていたとは思えませんね。大クレーム覚悟で出品するショップはないんじゃないかな。無責任な個人ならともかく」
「じゃあ、そこに持ちこんだ奴が、黙って厄介払いしたのかも」
「それは、ありそうですね」
 といって何をどうしていいものやら――客間にしばしの沈黙が続く。
 やがて、泰蔵が口を開いた。
「――恐山のイタコでも呼ぶか」
 おお、と美紀だけは期待した。ついにうちにも霊能者登場か。
 茂が、おずおずと言う。
「枕崎を呼んでもいいですか」
「おう?」
「覚えてますか、先生」
「そりゃ覚えてるさ」
 いつも泰蔵にはなんだかよくわからない妙なものを抱えていた、ぶよんとしてしまりのない生徒である。無難に出来がよくて意思の疎通も楽だった生徒より、扱いに困った生徒のほうが、えてして教師の記憶に残るものだ。
 たとえば泰蔵が中学時代、ブンガクおたく――いやいや文学少年として、話の通じる国語教師と話すため、人のいやがる職員室に昼休みなどしょっちゅう出入りしていたときも、他の教師たちの内輪話を漏れ聞くと、優秀な生徒の名はほとんど聞かれず、劣等生や荒っぽい連中のほうが、よほど話題に上っていた。みんなで心配していたのである。中には明らかにただ迷惑がっている教師もいたが、それはあくまで少数派に見えた。のちに、同級の荒っぽい奴と話していたとき――泰蔵は当時から鬼瓦のような顔をしていたので、そうした連中も気軽に話しかけてきたのだ――「どうせ俺らなんか誰も気にしちゃくれねえんだからよ」などという僻みを聞かされて、うーむ『親の心子知らず』ってのはこーゆーことなんだな、などと、大人ぶって顔をしかめたりもした。
 ともあれ現在、泰蔵の記憶にある昭和某年の峰館商業高校三年四組では、少女漫画おたくの相原、ネット&AVおたくの柴田、なんだかよくわからないがとにかくおたくでちょっと電波系っぽい枕崎、その三人が、おたく三人衆としてセットになっている。それを束ねていたのがエクセル会計おたくの横溝。で、最後のオマケに、アニメおたくの茂。
「……あいつ、やっぱり、こっち方向だったのか?」
 泰蔵は、やや意外に思いながら、茂に訊ねた。
 確かにあの頃は尋常じゃない奴に見えた枕崎も、今は県内有数のメガネ・チェーンで、順調に昇進していると聞く。一昨年だったか、茂を含め同窓会で顔を合わせたときも、相変わらずぶよんとしてしまりがないなりに、恰幅のいい中堅社会人に見えた。
「こっち方向とは、ちょっと違うんですが」
 茂は言葉を濁した。
 いわゆる超自然現象関係において、茂は当然、肯定派である。そもそも現在の妻とのなれそめが、そっち方向なのだ。ただし、それ以降の茂の身に、そっち方向の出来事は皆無である。
 しかし――そのなれそめに陰で大きく関わってくれた枕崎は、今、どうなのか。
 泰蔵は、茂の昔ながらのどっち付かずな様子を、肯定的に受け取った。
「なんでもいい。お前に心当たりがあるなら、すぐ呼んでくれ」
 茂が愛用のガラケーで電話を入れると、枕崎は家にいた。
 店舗経営の実績を見こまれて、本社から引きが多かったにも関わらず、管理職より現場の店がいいと長く支店長稼業を続けていた枕崎だが、何年か前に本社入りしている。その直後、元おたく同士の飲み会で茂が理由を訊ねたら、俺の現場での使命は終わった、そんな答えが返った。だから日曜は休みである。
 茂が、かいつまんで事態を告げると、枕崎は、
『……わかった。でも、今の俺には何もできないと思う』
「そうなのか……」
 落胆する茂に、枕崎は言った。
『洋子――女房を連れて行く』
 茂は首をかしげた。枕崎の奥さんには、何度か会ったことがある。ミッション・スクール育ちの、地味そのものの女性だ。
「……奥さん、そっちのほうも判る人なのか?」
『いや、そっちもあっちも関係あるんだかないんだが――ここだけの話だぞ』
 枕崎は、なにか恥ずかしがるように、
『俺の出世の種明かし、お前にだけは、したことあるよな』
「ああ。アレの――」
 周囲を気にして、茂は明言を避けた。
【世界が正しく見える眼鏡の作り方】――枕崎だけが持つその原料を使い切ってしまったから、彼は現場を離れたのである。その先の本社での出世を、枕崎自身は余得などと自嘲しているが、茂から見れば、枕崎に世界を正しく見る資質があったからだ。彼が小学校で受けていたという陰湿なイジメを、世界への愛で克服したように。まあ、その愛が多少限定的な『萌え』――『眼鏡っ娘』や『眼鏡フェチ』に帰結していたとしても、裸眼やコンタクトを排他せず相対的に扱える限り、それは正しい愛だろう。
『女房が、それの最初のユーザーなんだよ。よっぽど相性が良かったみたいで、今でも大事に使ってくれてる。上質な鼈甲縁は、ちゃんと手入れすれば一生物だからな。そしてそれが、今、俺の手の届くところに残ってる唯一のアレなんだ』
「うん」
『花の声とか、けっこう見えるらしい』
「声が見える?」
『俺にもよく解らんが、伝わってくるってことなんだろうな』
 そりゃうってつけじゃないか、と茂は思った。
「じゃあ、えーと、その、いわゆる幽霊とかも――」
『相手しだいだろうな』
「ほう」
『花は話したいとも話したくないとも思ってない。ただそこに咲いてる。だから気持ちを受け取れるかどうかはこっちしだいだ。でも人間は違う。話したい奴は話す。話したくない奴は話さない。生きてたって死んでたって人間は人間だ』
「なーる……」
 どこかで論理がズレている気もするが、ニュアンスは解る、いや解るような気がする。
『でも、ヤマブクロ――山福先生には言うなよ。洋子を妙な目で見られたくない。俺が昔から、大霊界に詳しいとでも言っとけ。先生なら、きっと納得する』
「わかった。すぐ来れるか」
『いいけど、俺、知らないぞ、先生の家』
 田畑の畦道をそのまま広げたような細道が入り組むこの辺りでは、カーナビも当てにならない。
「俺の車で――いや、お前の家だと――」
 枕崎宅と自宅と山福宅の位置関係を、茂は頭に描いた。
 ――優太だな。
 あいつなら、うちに近い枕崎の家も知ってるし、この住宅地のちょっと先に友達の家があり、何度か自転車で行き来しているはずだ。
「優太を迎えに行かせる。自転車ならすぐだ。お前の車に乗せて、案内させてくれ。近くなったら携帯で誘導する」
『了解』
 通話を終えて、とりあえず一座にうなずいてみせる茂を、泰蔵もとりあえずやや安堵、そんなうなずきでねぎらった。
 淑子はまだまだ不安そうである。
 美紀だけが、猫じゃらしの先を目で追う子猫のような、わくわく顔をしていた。
 なになに? マクラザキとかユータとか、なんだかちっともよくわかんないけども、やっぱり霊能者っぽい流れ? すごいぞ今年の誕生日関係は――。
 何事も楽しんでしまう娘なのである。

     2

「……茂美も行く?」
 父親からの携帯を受けた優太は、同じ部屋の片壁でバランスボール・スクワットを繰り返している姉に、ぽそぽそと声をかけた。道を知らないわけではないが、なんとなく心配だ。そこにいる他の人たちへの羞恥心もある。
 茂美はスクワットを続けながら言った。
「いいかげんに自立しなよ、あんた。道案内くらい、ひとりでできるでしょ」
 年上ぶって窘める口調だが、十数分ほど先に生まれただけの姉である。母親の羊水内で丸まっていた頃から、主な生活空間を共有し続け、今も同じ二階の子供部屋で暮らしている。
 そろそろ年頃の男女を一室に置いておくのは何かとアレなのではないか、などと心配するむきもあろうが、その階下、本来は客間である十二畳を小学三年の四つ子に明け渡している亜久津家では、やむを得ない処置だった。
 それに、女の子もいるはずなのに女の子らしい物件は何ひとつ見当たらず、その女の子が愛用している剣道用具一式やエキスパンダー類以外、男らしい匂いなどちっともしないこの部屋を見れば、心配無用なのは明らかだろう。お互い近頃かなり目立ってきている男女の生理的差異をひっくるめ、ふたりはあくまでただの双子同士の感覚しかなかった。そもそも世間の姉弟の多くは、いわゆる姉弟愛――たまに近親憎悪も混じったりする連帯感こそあれ、弟に萌えないし姉萌えもしない。
 しかし――。
「そんなに心配なら、優作でも連れてったら?」
「……あいつ、気まぐれだから」
 このやりとりは、別の意味で異常だった。もし父の茂や母の優美や、棟続きで暮らす爺さん婆さんが聞いたら、本気で悩んだだろう。
 二卵性のふたりの誕生時、実は茂美に続いて、優太の一卵性の兄・優作も誕生していた。しかし胎内での混雑に疲れすぎたのか、生まれつき病弱で、三歳の冬、眠るように旅立った――はずなのである。
「まあ、きっちり出てくるのはお盆くらいだもんね。でも、あんたのほうが、まだけっこう会ってるじゃん。やっぱりほら、父さんだけじゃなくて母さんも同じだから」
「茂美も同じだよ」
 優太はそう返したが、茂美としては精子とか卵子とか、そうした言葉を人前であまり口にしたくない。女剣士への道はストイック、そっち方向は無用なのである。
 優太は茂美の同伴をあきらめ、子供部屋を出た。
 階段を下りる前に廊下で立ち止まり、
「……おい、優作」
 いちおう念のため、そう呼んでみる。
 しばらく待ったが気配の気の字もないので、優太は肩を落とし、階段を下りた。
 下りてすぐにある十二畳の客間、もとい特別第二子供部屋は、今は静まりかえっている。全員集まると、無口な優太など頭が痛くなるくらいやかましい弟や妹たちだが、それだけに四人とも狭い家では収まりが悪いらしく、近くの公民館や、その前の広場あたりを休日の根城にしている。
 玄関に出る前に台所を覗くと、母親の優美が、夕飯の下ごしらえをしていた。
「気をつけてね優太。お父さんに言っといて。夕飯までには帰ってきなさいって」
 このちょっと鼻に掛かった、柔らかい、耳に心地よい声の主が、ほんとうに茂美や学校の女子や女教師と同じイキモノなのだろうか――優太は、しばしば戸惑ってしまう。
「……うん」
 思わず蚊が鳴くような返事になってしまったりもする。
「聞こえたの?」
 茂美のように咎める口調ではない。振り返った顔には、いつもの母さんの微笑が浮かんでいた。
 優太はあわててこくこくとうなずき、ぱたぱたと玄関脇の自転車に走った。
 マザコン少年と笑うなかれ、まだ第二反抗期を迎えていない男子ならば――おまけに三十路半ばを過ぎても瑞々しい母に恵まれた息子ならば、まあこんなものである。

 山辺の住宅街を抜け、周囲に広がる果樹園を縫って遠ざかる優太の自転車を、茂美は二階の窓から、こっそり見送っていた。
 そこはそれ誕生日はいっしょでも、先に世に出た姉として、不出来な弟を気遣わねばならない。
「ありゃ?」
 優太の自転車の後ろに、もうひとり誰か乗っている。地味なブルゾンの優太より、ずいぶん気取った革ジャンをはためかせているが、背格好はまったく同じだ。優太にも自転車にも掴まらず、ジーパンに手をつっこんだまま、器用にバランスを保っている。
「……優作じゃん」
 自転車がビニールハウスの連なりに隠れる前、優作はこちらを振り返って、ひらひらと茂美に手を振った。前でペダルをこいでいる優太は、後ろの優作に気づいていないらしい。優太と違って悪戯な優作だから、いきなり「わっ」とか、タイミングを見計らっているのだろう。
「なによ、優太ばっかりひいきして」
 口ではそう言っても、茂美は安心していた。
 ――OK。優太に心配なし。
 茂美は独立心を木賊で磨いたような娘である。それに、お盆とかお彼岸なら、優作は茂美の前にもきっちり現れて、気取った仁義を切ったりするのだ。まるで爺ちゃん婆ちゃんの大好きな古い映画に出てくる、フーテンの寅さんみたいに。
 でもなんで優作、いつもあんなツッパった格好してるんだろ。言葉遣いだって、優太とは正反対だし。あたしよりあいつのほうが似てるはずなんだけどね、弱っちい優太に。

     3

「こんばんは」
 両親と先生が客間に案内してきた初めてのお客様たちに、きちんと挨拶しながら、美紀は思った。
 ――うわ、この人が霊能者? なんだか信楽焼の狸みたいな小父さん。あ、でも、この奥さんのほうは、ちょっとそれっぽいかもしんない。カトリック幼稚園でお世話になったマスールみたいな感じで、えーと、オゴソカ? そう、厳かで、でも優しいの。お祈りしても神様の声は聞こえないかもしれないけれど、いつもちゃんといっしょにいるのよ、なんてね。
 さて、その後に続いて入ってきた、あっくん先生の息子さんは――。
 美紀は、けして失望しなかった。あっくん先生同様、事前の期待には大いに反していたが、予想は見事に的中したのである。つまりお豆腐になる前の、ほわほわした豆乳の塊みたいな男子だった。
 その豆乳みたいな男子は、かなり恥ずかしそうに、でもちょっとなれなれしい笑顔で、美紀に頭を下げた。
「……山福さん、こんばんは」
 明らかに、初対面ではない人に対する表情である。
 美紀は反応に窮してしまった。
「……こんばんは」
 反射的に頭を下げながら、頭の中のデータベースを引っかき回す。
 ――あれ、どっかで会ったかな、この子。
「驚いたか、美紀」
 泰蔵が言った。
「まさか大先生の息子さんが、同じクラスにいるとは思わなかったろう」
 え? え?
 鳩が豆鉄砲をくらって、すかさずその豆を口で受け止めたものの、飲みこみそこねて喉に詰めてしまったような美紀のあわてっぷりを、泰蔵は、ただ驚いているだけと解釈したようだ。
「いや、なんか口止めされてたもんでな」
「あ、あの……」
 あたしこんな子知らないよ――と口にするほど、空気の読めない美紀ではない。
 優太は、相変わらず恥ずかしげに、ただ曖昧な笑顔を作っている。
 父の茂もまた曖昧な笑顔で、影の薄い息子の頭を、軽くぽんぽんと励ました。お互い、二十人の同性に紛れてしまうと、同級生でも記憶しがたい容姿容貌なのである。
 過去に同様の思いを重ねてきた枕崎は、客間の空気をこれ以上悪化させないため、瀬戸物のように無機質な声で言った。
「さっそく、その――アレを見せてもらえますか。俺も明日は朝が早いもんで」
 昔の枕崎なら、黙っておどおどと部外者を装うところだが、さすがに、その後踏んできた場数が違う。不特定多数の顧客を相手にする現場に二十年近くいたのだから、一見同じ没個性に見えても、たいがいの場を治めるための積極的没個性を体得している。
「あ、先生たちは、ここで待っててください。あんまり人が多いと気が乱れるもんで。案内や説明は茂ひとりでいい。あと洋子、お前も来てくれ。そのほうが俺の気が落ち着くから」
 美紀は、あからさまに肩を落とした。
 ――がっくし。
 そんな美紀の顔を、ちらちらと、でも根性を入れて窺いながら、優太はその場の事情を推測しようとしていた。今のところ優太は道案内を頼まれただけである。アナログのカーナビというところだ。含羞に充ち満ちた優太のこと、今回も大人たちが説明してくれない限り、あまりうるさくしゃべらない旧式のカーナビに徹していたかもしれない。
 しかし――実はいつも教室で、遠くからこっそり窺ったりしてしまう子猫のような顔――山福美紀の、コロコロと良く変わる、気まぐれというか正直すぎるというか、そんなかなりキラキラした顔が、今はすぐそばにあるのだ。そっちのほうが気になるぶん、その背後にあるこの場の詳細、つまり美紀ちゃんの家庭の事情も、たいへん気になる。
 枕崎夫妻と茂は、阿吽の呼吸で客間から出て行った。
 残された泰蔵と淑子、そして美紀と優太は、所在なげにお茶をすすりながら、四者四様の沈黙に耽った。
 泰蔵の場合――先が見えない心配もあるにはあるが、まあひとつひとつ問題をつぶしていけば、何事もそれなりに収まるはずだ。ここは、あの枕崎の電波に期待しよう。今はすっかりただのオヤジに見えるが、昔のあのハンパない怪しさは、まだどこかに潜んでいるはずだ。人間の本性というものは、そう簡単に変えられるものではない――泰蔵は何事も清濁併せ呑むタイプの楽観主義者であった。
 一方、淑子は――なんてことになっちゃったんでしょうねえ。あんなもの、この世に居るはずないんだけど。でも私はあくまで、一般常識内での家政をきっちり保つのが仕事。外での仕事も基本は一緒。そうよ、冷静にならなければ。まあ一般常識外のことは、うちの人に任せておけば、なんとかしてくれるはずだわ。この人は、いつも大概の厄介事を、なんとなくそれなりに治めてしまう大器だもの。むしろ今、私が気にするべきは、うちの大事な美紀にちらちら色目を使っている、この寄せ豆腐のような男の子。大それた事をしでかすタイプではないけれど、大それた事にはすぐ潰されてしまうタイプと見た。どのみち、あまり娘や生徒に近づけたくないタイプだ。男というものは、それ自身の安全性で計ってはいけないのだ。外的危機への対処こそが男の甲斐性なのだ。平成生まれの若い男は、それが解っていない。解っていないからこそ、安全であるべき平凡な自分自身が、ある日突然とっちらかって外的危機そのものに豹変したりもする。まったくこれだから平成生まれは――淑子は冷静な自分を保っているつもりで、実は力いっぱい現実逃避していた。
 優太はというと――美紀ちゃん、やっぱりかわいいなあ。それにしても、ほんとに何がどうなって、俺はこの場にいるんだろうなあ――まあこの程度である。感性的にも知性的にも、彼にしてはかなり尖っているのだが、端から見ればやはり物言わぬ豆腐未満、包丁がなくても指で簡単に崩せそうだ。
 そして美紀は――見たい見たい見たい見たい見たい見たい霊能者の霊視現場見たい――以上。
 もっとも、優太も事情さえ知っていれば、大いに見たがったはずなのである。もともと臆病な質ではない。実の兄弟とはいえ、茂美と自分以外誰にも見えない優作と、平気で話せる優太である。また、大人しくて目立たない人間が、必ずしも消極的とは限らない。ふだんの優太は目立つ必要性を感じないから大人しくしているだけで、好奇心は人なみにある。
「あの――」
 優太が、ついに発言を決意したとき、
「宿題残ってるから、二階で勉強してる」
 美紀が素っ気なく言って立ち上がった。
 泰蔵も淑子も、少々違和感は覚えたものの異議はない。
「おう」
「そうね」
 しかし優太は、残念以上に、不思議に思った。
 ――あれ? そんなに宿題出てたか?
 上から数えても下から数えても同じくらいの成績、つまり美紀よりずっと下の優太が、昨夜、土曜の晩だけで軽く終えられる程度の量だった。期末テストだって、こないだ終わっている。
 廊下の先にある玄関脇から、美紀が階段を上がる軽やかな足音が響き、やがて消えた。
 少々の間を置いて、
「……すみません、トイレ、どこですか?」
 優太も腰を上げた。
 念のため、これはあくまで生理現象、お茶の利尿作用に由来する発言である。
 気になる女子を追いかけるほどの度胸があれば、どんな男子だって豆腐以上、まあガンモドキくらいには見えるはずだろう。

     4

 洋子は、不可思議な木馬や少女に怯えもせず、それらが発する朧げな光の前で、穏やかにそれらを見守っていた。
 やがて夫たちを振り返り、
「……ごめんなさい。あの子は、たぶん、もう外が見えていないんだと思います。心が閉じているのですね」
 茂は落胆したが、枕崎は、ただうなずいた。
 見たり聞いたりすることはできても、通じ合えるかどうかは、お互いの心ひとつである。
 それでも妻をフォローすべく、その横に進んで光の中に手を伸ばす。
 あの少女は、今はスクリーンの後方に回りこんでおり、この半地下には木馬の波しか揺れていない。
 金の轡《くつわ》に飾られた白馬の鼻先が、すっ、と枕崎の掌に交わった。
 そのまま白馬の首筋も、華やかな深紅の鞍も、掬うように枕崎の掌をすり抜ける。
 枕崎は手を引いて、こんなもんだ、と言うように茂を振り返った。
 茂も、そんなもんだろう、とうなずいた。事前に枕崎がデジカメで撮った写真を見ている。そのときも少女を気遣って木馬しかいないタイミングを狙った。フラッシュのあるなしに関わらず背後のスクリーンしか写らない木馬に、人が触れるとは思えない。
 やがて、あの少女の乗った木馬が、また端から現れた。
 幼げな三つ編みや水玉ワンピースにも、子供っぽい白い靴下の折り返しにも、足元のちんまりした赤い靴にもまったく似合わない、憂いの濃い目鼻立ちが、ゆっくりと波打ちながら近づいてくる。
 茂は顎をくいくいして、枕崎に接触を促した。物ではなく人――もと人になら、あんがい触れるのではないか。自分でやるのは御免だが、高校時代のこいつは、『眼鏡っ娘』だけでなく『きっちり三つ編み』や『白ソックスの折り返し』にも固執していたはずだ。ここは思い切って――。
「やだ」
 枕崎は、きっぱり言った。
「こんなもん下手に手を出して、懐かれたりしたら面倒じゃないか」
 そうか。確かにこいつの『萌え』の中には、なぜか『プチっ子』が入ってなかったもんなあ。
 落胆だか安堵だか、微妙な顔をする茂に、洋子が微笑みかけた。
「たぶんこの子も、ただこうして回っていたいから回り続けているんですわ。それでよろしいのではございませんの?」
 暑苦しい旦那とは正反対の、峰館ではまず見られないアシヤレーヌや鎌倉夫人のような物腰で言われてしまうと、下賎な茂は到底太刀打ちできない。
「……そうですね」
 物置、いや大事なAVルームを失った先生は今後どうするか、こんな物件と生涯同居してゆく覚悟ができるのか――そのあたりは、ちょっとこっちに置いておくしかないだろう。

 さて、地下室でそのような光景が展開しているとき、そこに続く階段の上、暗い奥廊下では――抜き足、差し足、忍び足――皆様ご推察のとおり、美紀が息を潜め、スリッパも履かないで、お気に入りのキティちゃんソックスをそろそろと床に滑らせていた。
 そして、さらに皆様ご推察のとおり――抜き足、差し足、忍び足――奥のトイレで小用を済ませた優太が、客間とは反対の廊下の奥に消えてゆく美紀の後ろ姿を認め、こっそりストーカー化したりもしていた。
「よ」
 いきなり耳元に声をかけられて、優太は仰天した。
 思わず悲鳴を上げそうになるのを、かろうじて堪える。
「お前もやるなあ。で、後ろから飛びかかるのか? 前に回って押し倒すのか? なんなら俺も手伝おうか?」
 その声の主も、そうした悪っぽい台詞が冗談であることも、長いつきあいで悟っているから、
「……いたのかよ」
 優太は、驚きや心強さを隠して、そっけなく返した。
 ちなみにこれらの会話は、彼ら以外の誰にも聞こえない、あくまで意識上の声による疎通である。
「久しぶりに寄ってみたら、おもしれーことになってるじゃん。俺も混ぜろよ」
 優作と優太が話すのは、実際久しぶりなのである。年に何度か気まぐれにふっと現れて、長くて数日、たいがいはその日のうちに、いつのまにか消えてしまう。茂美のいう『フーテンの寅さん』、まさにそんな感じだ。ふだんは世界中を気ままに旅しているのだそうだ。
 優太がまだ幼い頃、冬の布団の中、春の桜の下、また夏の夜の縁側や秋の銀杏並木で、優作が話してくれるナイアガラやピラミッドの話、あるいは優太の知らないナントカ海溝の深海生物や、アメリカのカントカ州にあるどでかい樹木の話などを、わくわくしながら聞いたものである。でも優太が小学校に上がり、図書室あたりで自力で好奇心を満たすようになってからは、めっきり姿を現さなくなった。当人によれば、長年旅を続けているとあちこちにしがらみができて、なにかと忙しいらしい。
「かわいい子じゃん。でもあれは、お前にゃ難しいぞ」
「ほっとけ」
 会話が他人に聞こえなくとも、気配はなんとなく伝わってしまう。
 美紀は、後方に異物の気配を認め、おもむろに振り返った。
「…………」
 豆灯だけの奥廊下では、はっきり見えないけれど――大人じゃないのは確かだ。
 もちろん美紀には、優太の姿しか見えていない。
 美紀は、黙ってついといで、そんな手振りをした。
 優太は拍子抜けしながら、後に従った。
「こりゃだめだ」
 優作が言った。
「存在そのものが問題にされてない」
「……いつものことじゃん」
「俺よりお前のほうが影薄いんじゃないの」
「だから、ほっとけ」
 優作が言うほど、そして優太が思うほど、美紀にとって現在の優太の影が薄いわけではない。そりゃこんな面白そうなモノを見たくない子はいないよね。それにひとりじゃないほうが、やっぱし気合い入るし――その程度には存在を認めている。
 つまり、優太がなんにも知らないことを知らない美紀にとって、今の優太はアブないストーカーではなく、あくまで同好の士なのである。同時に、偉大なるあっくん先生の血を引く者でもある。まあ、さっき会ったばかりなのに顔も思い出せないのは、とりあえずちょっとこっちに置いといて。
 奥廊下のどん詰まりにあるドアを、そーっとそーっと抜けて、半地下への階段を下りる。
 いた。
 でも――なんか、ただ三人で、立ったままこそこそ話してるだけだ。木馬にも変わりなし。
「……終わっちゃったのかな、これからなのかな」
 美紀は囁き声で後ろに訊ねた。
 返事がないので振り返ると、偉大なるあっくん先生の血を引く者は、コップが倒れてテーブルに広がった飲み残しの豆乳のような顔をしていた。
 優太としては、答えるどころではない。それはそうだろう。通常、一般住宅の物置で、ファンタスティックな回転木馬は稼働していない。おまけに壁まですり抜けている。
「へえ、俺の同類か」
 優作が言った。しつこいようだが、あくまで優太に言ったのであって、美紀には聞こえない。
 優太はようやく事の次第を、大雑把にだが推測できた。あの枕崎さんが、高校時代にいわゆるデンパ――ファンタスティックな生徒であったことは、父さんから聞いている。
「こりゃ面白い」
 優作は遠慮なく、木馬のほうに歩みだした。
「どう思う?」
 美紀が振り返り、優太に答えを促した。
 目の前に迫った顔に、優太は思わずつぶやいた。
「……か、かーいい」
「だからあの子じゃなくて、あっくん先生――優太君のお父さんたちのほう」
 は、と優太は我に返り、父親を含む三人の影と、その横を通って木馬に近づいてゆく優作の影に目をやった。
「……たぶん、これからだと思う」
 正確には、父さんたちが何をどうしようとしているかはちっとも判らないけれど、少なくとも優作はこれから木馬や女の子にアプローチしようとしている、である。
 そのとき、優太と美紀の背後から、バリトン寄りのバスで声がかかった。
「こら」
 泰蔵である。淑子も後ろにいるようだ。
「まったく、何が二階で勉強だ」
 こっつんこ。
 まあ、痛くない程度の軽い制裁である。
 淑子は、夫の戒めに「てへ」などと笑ってごまかす娘から、横で挙動に窮している優太にも、ちらりと目をやった。
 この子が美紀をそそのかした――なんて可能性は、九割九分ない顔だわね。
 淑子も、ほぼ平常心を取り戻していた。

 結局、全員並んで後ろの座席に座り、鑑賞会が再開してしまった。
 観賞しているだけなら、映画ではない回転木馬も、充分に美しい幻燈である。
 しかし歌も踊りもなく、物言わぬ小さなお客様がひとりだけ回っている様は、木馬たちが華やかなぶんだけ、徒に寂寥を募らせる。
「……つまり、ほっとくしかない、ということか」
 泰蔵の困り顔に、茂も枕崎も、他の観賞者たちも為す術を知らない。
 もっとも優作だけは、優太以外の誰にも見えないのをいいことに、木馬をつんつんと指で突っついたり、自分も空いている木馬にまたがろうとして滑り落ちたり、あの女の子に今どきはやらないベロベロバーをしてまるっきり無視されたり、あちこち移動しながらマイペースで木馬の検分を続けている。
 そんな優作を、右端の席から眺める優太は、複雑な心境だった。
 すぐ横にいる父さんに、なぜあいつは姿を見せてやらないのだろう。家を訪ねてきたとき、なぜ母さんや爺ちゃん婆ちゃんにも挨拶してやらないのだろう。
 十年ちょっと前、あいつが一度いなくなったとき、茂美や自分はまだ小さすぎたから、泣きも喚きもしなかった。それよりも、このまま一生泣きっぱなしの母さんになってしまうのではないかと、そっちのほうが心配だった。そんな母さんにだけでも、元気な姿を見せてやるべきではないか。
 そう思う一方で、実は、解る気もするのだ。優太が面と向かってその訳を訊ねたら、優作は、たぶんこう答えるのではないか。そんなことしたら、また別れるとき泣かれるじゃないか。
 まあ、気楽なとこにだけ顔を出す、それでいいのかもしれないけれど、それもまた、ずいぶん寂しい話だよなあ――。
 その優作が、こちらに戻ってきた。
 優太は、他の目を引かないよう正面を向いたまま、何食わぬ顔で訊ねた。
「どうだ?」
「だめだな。完璧シカト」
 処置なし、と優作は両手を広げてみせた。
「けっこういるんだよ、大人でも、あーゆーの。あんまり長く世間をシカトしてると、自分でもなんでシカトしてるのか忘れちまって、それっきり風まかせでフーラフラみたいな奴」
「そうなのか……」
「でも、あの子はそうでも、他は違うぜ」
「他?」
「馬とか」
「わかんねえ」
「なんつーか――そうだな」
 優作は、羽織っていたジャンパーを脱いで、
「たとえば俺の革ジャンだって、ほら、ちゃんとタグあるだろ」
 差し出した襟の裏地には、確かにきっちりタグが縫い付けられていた。アルファベットのロゴは、なにか動物の刺繍と重なっていて読みとれないが、オマケのようにくっついているサイズは読める。XXS。
「ちっこいな」
「ほっとけ。お前と同じだ。もともと外人《ジンガイ》の大人用だもん」
「で、それがなんなんだ?」
「ニブい奴だなあ。つまりこの革ジャンは、俺とは別モンなんだよ。ちゃんと横須賀《スカ》の店にぶらさがってた奴を、俺が頂戴したわけだ。パクったわけじゃないぞ。モノじゃなくて形だけだぞ」
 優太にも、優作の言わんとすることが解ってきた。
「とゆーことは、つまり――」
 回転木馬の少女に目をやる優太に、優作がうなずいて言った。
「そ。今のあの子がなーんも考えてなくたって、あのワンピース裏返しゃ、親が買ってやったときのタグが残ってるってこと」
「じゃあ、見てみれば――」
「お前なあ、俺にアグ●ス・●ャンの超音波攻撃でも受けろってのか?」
 優作は呆れたように言って、木馬の流れを指さした。
「それより、あの馬だ。お前らにゃ触れなくても、元はどっかのちゃんとした回転木馬だ。裏っ側なんでこっからじゃ見えないけど、鞍と腹の下の間に、プレートみたいなもんが付いてる。どの木馬にもな」
 なるほど、まだ誰も木馬の裏には回っていないが、木馬たちやそれを支えるポールは垂直方向に上下しながら平面的には円を描いているから、この部屋に現れているのがほんの一部の円弧であるにしろ、端から覗きこめば、反対側の木馬の裏側もなんとか見えるわけである。
「なんか書いてあったか」
「遠くて見えねえ。前の奴も邪魔になるし」
「近くで確かめて――」
 きてくれよ、と続けようとする優太に、
「あのなあ」
 優作は辟易したように言った。
「甘えんじゃねーよ。だいたい、お前も見てただろう。俺は、あれに触れるんだよ。っつーことは、下潜るにも上飛び越すにも、しくじったらごんごんごんごんぶつかっちまうんだよ」
 そうか、と優太は納得した。
 優作はときどきうっかり優太に重なったりするが、この世の物体や生きている人間同士が同じ空間で重なれないように、あっち側のナニ同士も重なれないのだろう。それに優作は、宙に浮いて自由に飛び回ったりもできない。世界中を旅するのだって、姿が見えないのをいいことに成田空港からジャンボに乗ったり、原住民のカヤックに便乗したり、オリエント急行にただ乗りしたりしているのだそうだ。
「じゃあ……」
 行くの、俺?
 目顔で問う優太に、優作は、にんまりと笑って言った。
「そ。自分でペンペンしなさい」
 お前はいったいいつの生まれだ――古いギャグにおいては、似た者同士のふたりなのである。
 ふと気がつくと、隣の父親が、不審そうに優太を見ていた。
「……どうした?」
 優作との会話に夢中になって、思わず声を漏らしてしまったらしい。
 優太はぷるぷると頭を振り、ごまかしついでに行動を決意した。
「あの、ちょっと……ちょっと前で確かめてみたいかな、とか」
 一座の中で最も影の薄い人間が行動を起こすと、なんであれ必要以上に注目を浴びてしまう。ほう、と、その場の皆が目を見張った。透明人間が雨の中でなんとなく見えてきた、そんな感じである。
 それでも異議はなさそうなので、優太は立ち上がり、席の前に歩みだした。
 不思議なくらい恐くない。元々この手の現象に――ひとりだけだけど――慣れているし、相手は木馬である。こっち系が好きらしい美紀ちゃんにも、かなり注目されているようだ。
 さすがにあの女の子とコンバンワするのはちょっとアレなので、あの子が右の壁に吸いこまれたタイミングを見計らい、木馬の間をすりぬける。ぶつからないとは判っていても、やっぱりちょっとアレなので、ひょい、と勢いをつけてスライディングしたりもする。
 振り返った優太は、一瞬、激しい目眩を覚えた。
 外から見る回転木馬と、内側から見る回転木馬は、トリップ感が半端なく違う。子供の頃、近郊の遊園地で木馬に乗ったときも、そこそこトリップした記憶があるが、それより遙かにくらくらする。さほど明るい光でもないのに、優太は目映い光の渦に巻きこまれた気がした。
 ――いやいや、ウスラボケっと突っ立っている場合ではない。
 優太は気を引き締めて、手近の木馬の、優作が言っていたあたりを覗きこんだ。
 ――お、ほんとだ。
 ちょっと古びているけれど元は金ピカだったらしい、数センチほどの、横長のプレートが見えた。
 しかし、木馬は泳ぐように移動しているのである。
 上下しながら次々と過ぎってゆく木馬の腹を、しゃがんだり中腰になったりしながら見定めようとする優太の姿は、客席から見れば、クラゲが水中で縦横にスクワットしている、そんな印象だった。まあ美紀だけは、なんだかよくわからないけどかなり変ななりにあの子も頑張っているらしいと、ダイオウイカ程度には存在感を認めていたので、優太が知ったら多少は報われただろう。
 ――こりゃだめだ、目が回るばっかしだ。あのプレートには、確かになんか、レリーフの文字が見えるんだけどな。
 焦る優太の眼前を、なにか木馬ではない物が、ひょい、とかすめていった。
 白い靴下と赤い靴――焦っている間に、木馬が一巡していたらしい。
 そのか細い踝《くるぶし》を見送っているうちに、優太はようやく気がついた。
 ――うわ、俺って馬鹿。始めっから、ひとつの木馬を追いかければよかったんだ。
 すかさず反対の端に移動し、新たな木馬を待ち構える。
 客席の一同も、ようやく優太が何をしようとしているのか判ってきた。
 斜めにスクワットしながら蟹走り――そんな感じで端から端まで木馬の腹を追いかけながら、優太はようやく当初の目的を果たした。
 はあはあと息を荒げて、木馬やポールを平然とすり抜けてくる優太は――当人としては、くたびれてしまって他の木馬を避ける気力がないだけなのだが――客席から見れば、あんがい様になって見えた。美紀あたりだと、小さい頃にテレビで見たホラー・アクション映画のキアヌ・リーブスを、無意識のうちにほんのちょっとだけ重ねていたりもする。さすが、あっくん先生の血を引く男子――。
「えーと、『篠原遊具製作所1966』、そんな木馬です」
 おお、と感心する大人たちの横で、優作が言った。
「やるじゃん。よく気がついたなあ」
 息を鎮めながら、優太は思った。
 ――ああ、こいつも同じ顔してるだけあって、やっぱり俺と同程度の馬鹿だ。



  【Act.2】 回転木馬はなぜ回る


     1

 美紀は今、久々の放課後廊下勝負に挑もうとしていた。
 大人たちの懐旧や地方自治体の自尊心によって有形文化財に指定されてしまった木造学舎に現在学ぶ者たちが、もうそこで学んでいない者やこれからも学ぶ心配のない者ほど、自分たちの学舎を誇っているとは限らない。その証拠に、放課後の掃除を嬉々として行う異常な生徒など皆無に近い。
 美紀だってバリバリの平成生まれだから、その廊下が小学校のときのようなピカピカのリノリウムで、かつ周囲に先生の目がなかったら、立ったまま乾いた雑巾を踏んづけてちょっとくるくるしながら歩く、その程度で済ませたかもしれない。きっちりしたお手入れは、どうせ誰か専門の人たちが、定期的にこっそりやってくれるのだから。
 しかし現在、目の前に長々と続いているのは、年季の入った自然木の廊下である。
「じゃあ美紀、あと、よろしくね」
 廊下担当だった同級生が、周囲に先生の目がないのをいいことに、美紀に軽く声をかけてクラブ活動へと去って行った。二年三組前の廊下の大半は、まだ乾ききったままである。
 うむ、と美紀は、ジャージ姿の薄い下腹に力を入れた。
 ちなみに美紀は、イジメにもパシリにも縁がない。どちらかといえば、良きにつけ悪しきにつけ肯定的に放し飼いにされるタイプである。ただ、この子はときどき、なぜか木造校舎の廊下との勝負を異様なまでに重んじる、かえって邪魔しないほうがいい、そう思われているだけだった。美紀自身もそれを否定しない。
 五時間目が体育だったので、ウォーミング・アップは無用である。
 近頃はお寺の墓地くらいでしか見かけなくなったブリキのバケツで、力いっぱい雑巾をしぼり、美紀は、ひとりチキンレースに突入した。
 だだだだだだだだ――。
 ひとりチキンレースに挑む場合、併走するライバルがいないので、両隣の組の廊下でまだ掃除を続けている生徒が仮想ライバルとなる。つまり、ぶつかる直前まで極力スピードを落とさず、むしろ加速を続け、しかし絶対にぶつかってはいけない。
 隣の三組前から国境を越えて突撃してきて、自分の鼻先で巧みに停止、「や」などと挨拶してから反転してゆく美紀を、四組の女生徒は「ん」と軽く返事して見送った。それを見ていた他の四組廊下担当たちも、ああ、今日のお隣さんがあの子なら、自分たちはもう適当に掃除してるふりをしてればいいな、と、だらだらモードに移行した。
 二組の廊下も、同様の経緯をたどる。
 美紀が廊下との勝負を終えた頃、時計塔を頂く擬洋風三階建て校舎の二階廊下には、もう美紀ひとりしか残っていなかった。
「ふう」
 美紀は額の汗を拭うと、廊下の中程にある石造りの水場でバケツや雑巾を洗い、誰もいなくなった教室のロッカーにしまって、また廊下に出た。
 美紀の教室と、上下に重なっているふたつの教室にだけ、教室と廊下にまたがって、太い柱のような出っ張りがある。その内側は空洞になっており、時計塔の時計の錘《おもり》――建築当時のままに長いワイヤーとその先の分銅によって重力駆動する時計機構の一部が、一階まで通っているのだそうだ。五日に一度、市内から古い時計店のお爺さんが通ってきて屋根裏に上がり、機構をチェックしたり、錘の付いたワイヤーを巻き上げたりしてゆく。
 美紀は、廊下にぺたりと正座して、その柱もどきに背中をもたせかけた。
 北国の春は、まだほんの入り口だが、さすがに陽は高くなってきた。廊下の窓の晴れた空から、けっこう暖かい光が射す。
 ちなみに美紀の中学は、よくある平日六時間or五時間制でも、年間一律に曜日で決めるのではなく、季節によって割合が変わる。晩秋から初夏までは五時間が多い。冬の昼が短い北国だからだろう。だからこの時期、帰宅組の美紀は放課後の時間が有り余っている。アニメの同好会もあるにはあるのだが、おたくっぽい男子が多いので、入学当初は顔を出していた美紀も、じきに行かなくなってしまった。
 背中の板から、大時計が時を刻む気配が微かに伝わってくる。
 もやもやした気分を吹っ切るには、廊下勝負が一番。
 で、何かじっくり考えたいときは、ここが一番。
 もやもや気分や深い考え事には、めったに縁のない美紀だが、今日はどちらも、けっこうあった。
 もちろんひとつ目は、あの木馬である。
 優太が、彼にしてはかなり頑張って得た『篠原遊具製作所1966』という情報は、今のところ宙ぶらりんのままになっている。
 あの後、居間に置いてある山福家共同パソコンで、茂が中心となり検索の海を泳ぎ回った結果、篠原遊具製作所という会社が、かつて茨城県のつくば市近郊にあったことだけは確認できた。遊園地や行楽施設の大型遊具では、かなりの国内シェアを誇っていたらしい。しかし昭和五十年――一九七五年に事業を閉じている。オイルショックによる倒産ではなく、先を見越した円満解散らしいが、そうなってしまうと、廃業後二十年以上たってようやく民間まで普及したネット上には、元の経営者や関係者が懐古的HPでも立ち上げてくれない限り、それ以上の詳しいデータが存在しない。
 各地の遊園地の回転木馬そのものなら、廃業していても山のように情報がある。回転木馬という遊戯システム自体のビジュアルや機構に関する情報も、けっこうある。しかし現存しない製造会社までは、誰の気も回らないらしく、世界的に有名な外国企業が、遊園地のウリとして紹介されているくらいだ。
「国会図書館あたり――それとも、茨城やつくばの図書館にないかな、その会社の社史とか」
 泰蔵に助言されて茂も頑張ったが、残念ながら、それらしい書籍は見つからなかった。
「あとは、そうですね――県立峰館図書館の検索で出た『回転木馬』関係――創作系じゃないらしいタイトルが何冊かありますね。国会図書館とも、けっこう被ってます。俺が明日、当たってきましょうか、現物に」
「そりゃありがたいが、仕事は大丈夫か?」
「次の締め切りは月中に一本、ラノベのイラストだけですから」
 と言っても文庫一冊ぶんの四半分を残しており、ひと月後にはまた月刊コミック誌の締め切りが待っている。でもそこはそれ自由業の強み、あるいは弱み、つまり土壇場の睡魔と大格闘して――。
 そんなこんなで、木馬の正体は、まだ宙ぶらりんだ。
 そしてもうひとつ、美紀には、もやもやの種がある。
 ようやく亜久津優太君の顔を覚えて、今朝も教室でちゃんと「おはよう」を言ったのに、なぜか優太君は声を返してくれず、頭をちょっと動かしただけだった。あれって、ちょっとヘンじゃない?
 もちろんそれは、優太の必要以上の含羞が為せる業である。早い話、優太は男子や教師以外と朝の挨拶をまともに交わした経験がなかった。おまけに、昨夜あの美紀ちゃんとなんかいろいろかなり接近してしまった――単に成りゆきで家に行っただけだが、とにかく重大な局面を共有してしまった――それだけで、なぜか無性に恥ずかしいのである。ヘタレと笑うなかれ、この辺りの田舎では、現代でもこんな男子が珍しくない。かてて加えて優太には、自分でもけっこうヤッタと思われる行為が結局まだなんの功も奏していない、そんな負い目がある。
 美紀も決して鈍感ではないから、そっちの負い目だけは、昨夜の別れ際の表情から薄々察していた。
 しかしあっちの羞恥心は、まだ管轄外である。
 挨拶しても挨拶してくれないって、なんかあたし嫌われちゃった? でも、そんな覚えはちっともないし――あーなんかもやもやするもやもやする。
 そんなこんなで、いつもなら気が落ち着くはずの廊下勝負や大時計のコチコチが、ちっとも効いてこない美紀なのである。
「おーい、ミー坊」
 誰か女子に呼ばれたが、昔の子供っぽい渾名なので、もうやめてほしい。
「美紀!」
 抗議口調で名乗りながら顔を上げると、今はちょっと離れた五組にいる、昔の同級生が立っていた。
「やっほ、美紀」
「あれ? 今日は剣道部行かないの、茂美ちゃん」
 小学校時代、けっこうつるんでいた茂美が、現在、剣道部で女子の主将を張っていることは、美紀も知っていた。でも今は、クラブの時間なのに制服姿で、肩掛け鞄まで提げている。
「いいのいいの。どうせこのガッコじゃ無敵だから、あたし」
 確かに昔から、いかなる凶暴な男子をも、顎でこき使うタイプの女子だった。
「それより、美紀」
 茂美は、にんまし、と、どこか不気味な笑顔を浮かべて言った。
「きのう、うちの親父や弟がお邪魔してたでしょ、あんたん家《ち》に」
 は?
 鳩が豆鉄砲をくらったような顔をする美紀に、
「じゃーん!」
 茂美は胸を張って言った。
「あるときはかわゆい女の子、またあるときは無敵の女剣士、しかしてその実体は――正義と真実の使徒にしてあっくん先生の長女、亜久津茂美様だあ!」
 は? は?
 鳩が豆鉄砲をくらって、すかさずその豆を口で受け止めたものの、実は豆ではなく百円ショップのスプリング鉄砲から放たれた中国製のBB弾だった――そんな顔で固まっている美紀に、
「……ありゃ、ウケない」
 は? は? は?
「おかしいなあ。うちのクラスや部活じゃ、けっこうウケたんだけどなあ」
 今どき片岡千恵蔵の多羅尾伴内を知っている中学生はいない。アニオタであるのみならず古映画オタでもある父親に、幼稚園の頃からそんなビデオを見せまくられていないかぎり。そしてこれまでそのネタがウケてきたのは、理解や喜悦ではなく畏れによってである。
 美紀は、ただ天に問うていた。
 ああ、偉大なるあっくん先生、昨日から今に至るこのなんかいろいろは、あなたが私に与えた大いなる試練なのでしょうか――。
 茂美の姓が亜久津であることは、もちろん美紀も知っていた。しかし『あっくん』が『亜久津』に由来することは、昨日初めて知ったのである。それまではアツシとかアツオとか、名前関係だとばかり思っていたのだ。
「ま、いいや」
 茂美は茂美らしくあっさり気を変えて、美紀の前に正座した。美紀とは違い、大事なトコロさえ隠れていればスカートだって平気であぐらをかいてしまう茂美だが、そこはそれ剣道部、何時間正座しても平気だし、今日は改まって美紀にお願いがある。
「お願い、教えて。あんたん家《ち》に何があった」
「えと……聞いてないの?」
「いやね、なんかふたりともすっげー気むずかしい顔で帰ってきたんだけど、父さんはもともと、すっごく口が堅いんだわ」
「優太君は?」
「そ。あいつなら、たいがいシメればシメ落とす寸前で吐くから、ちょっとシメてみたのよ。それでもなんにも言わないの」
 うわあ、茂美のシメに耐えたんだ――美紀はかなり感心していた。お父さんの口止めを、親子でちゃんと守ってくれたんだ。優太君なんか命がけで。
「と、ゆーわけで、あたしかなり欲求不満なのね。あたしが欲求不満だととってもアレなのは、美紀もわかってくれるよね」
 危険レベルMAXか――美紀は観念した。
 まあ茂美が女子をシメるのは、相手がよほどのナニでないと――たとえば芯から根性の曲がったイジメ娘とかでないと見たことがないから、さほど大きな覚悟をしたわけではない。もともと自分でも、自分サイドの誰かに相談したかったのである。
「――えーとね」
 これこれこーゆーわけなのよ――。
 ふたりが正座で談合している間、放課後の廊下を、ふたり連れの女子と男子ひとり、そして男性教師ひとりが通りすぎていった。
 どこにでもいそうなふたり連れの女子は――「あれ、今日はあのフシギちゃんだけでなく、女剣豪までいっしょに座ってる。なんかとっても興味あるけど、どーしよーあんた」「いやいや、やっぱりここは見て見ないふり、このまま安全に通過したほうがいいんじゃないの? 触らぬ神に祟りなし」――そんな会話を視線で交わし、そのまま通りすぎた。
 次に現れた、どこにでもいそうなガンモドキふうの男子は、「あれ、今日はあのちっこい猫みたいな子だけじゃなく、あの凶暴な虎女もいっしょに座ってる。なんかずいぶんヘビーな顔してるみたいだけど、大丈夫かな。話がこじれて、いきなり虎が猫を食ったりしないかな。でも両方猫科だから、たぶん大丈夫だよな。うん、触らぬ神に祟りなし」――そんな内心を無表情で糊塗しながら、迂回して通りすぎた。
 そして、平成元年生まれの事なかれ主義新米社会科教師は、「……『廊下を走るな』って張り紙はあるけど、正座するなとは、誰も言ってないよな。えーと、あれは確か三組の山福美紀と、五組の亜久津茂美か。うん、放置。タイプ違いだが、両方とも放し飼いで無問題」――そのように、何食わぬ顔で通りすぎた。
「……あんたたち、こんなとこで何やってんの?」
 四番目に通りかかった中年女性英語教師が、さすがに呆れて叱責した。
「廊下の交通妨害禁止! クラブないんなら、どっちかの家でダベんなさい」
 さすがベテラン、家で勉強しなさいなどと無駄なことは言わない。

 茂美が美紀の着替えを待ち、連れだって校舎を出る。
 校庭のポプラ並木は秋に葉を落としたままだが、枝越しに見上げる空は、もう冬の透徹しすぎた青ではなく、淡い春の水色を刷いている。
 校門に向かって歩きながら、茂美が言った。
「そーゆーことなら、心霊探偵の仕事だわね」
 美紀は、かなり驚いた。
 茂美から、そっち方向の話は聞いたことがない。それに、そっち系が大好きな美紀も、『あるかもしれない世界』や『あってほしい世界』と、『ちょっと面白いけどあってほしくない世界』や『すっごく面白いけどありえねー世界』の区別くらいはしている。とはいえ旧友の茂美が、いい加減な嘘をつく連中は竹刀の餌食としてしまうタイプであることも知っている。
「いるの? そんな八雲みたいな人」
 茂美は、意味ありげに頬笑んで、
「見たり聞いたりできるかどうかは、この場合、問題じゃないの」
 茂美だって、ひとりだけなら見えるし聞こえる。といって優作が本当に何を考え、ふだんどんな所をうろついているかなど、優作自身にしか判らない。
「島本和哉って人、知ってる?」
「知ってる。けど……」
 美紀がそっち系に目覚めた頃、ときどきそっち系のテレビ番組に出ていた小父さんだ。でも確かその人は、この世に幽霊なんていないとか、霊能者なんてみんなインチキだとか、そんなことばかり言う人だったはずだ。
 実際、島本和哉は、過去のいっとき心霊系バラエティーで重宝なヒール扱いされていた、基本心霊否定論者のフリーライターである。しかし幼い美紀が思っていたほど、頑迷な論陣を張っていたわけではない。その霊能者は過去にこれこれこんなことをやっている詐欺まがいの商売人だ、とか、この心霊写真は撮影したデジカメを現場で実機検証した結果、複数の非球面レンズの内面反射によって横の壁のポスターが変形して映りこんだだけだ、とか、自らの徹底的な検証に基づいて発言していたのである。しかしそれゆえに、やがてそっち系の表舞台が、真偽の検証ではなく「まあ嘘でもホントでもなんでもいいから、それっぽいのをみんなでワイワイ怖がりましょうよ」に変質してからは、ほとんどお呼びがかからなくなってしまった。今でも細々と、その手の著書を出し続けているのだが、美紀は読んだことがない。
 茂美は言った。
「あの人はリアリストだよ。嘘は嘘、夢は夢。でもどんなに調べても、どっちか解らないことは、ちゃんと『あるかもしれない』って言ってる。つまり、モノホンのリアリストね。そーゆー意味で、ちゃんとした探偵なわけよ」
「でも、お金ないよ、うち」
 美紀も、そこいらは立派にリアリストである。興信所の浮気調査だって何万円もかかると、平成少女コミックに教わっている。
「だいたい、どうやって連絡するの? ブログとかあるの?」
 茂美は、にんまし、と、不気味ではない笑顔を浮かべた。
「実はお父さんの知り合いなのよ。峰館市役所の、ちょっと先に住んでたりして」
「へえ……」
 まあ、あっくん先生が御近所だったくらいだから、そーゆー人が峰館にいても、おかしくはない。
「あたしなんか、父さんより島本さんのほうが、人生関係とかアテになる気がして、しょっちゅう話聞きに言ってる。まあ、マジに実地調査とか背後関係調査とかだと、ギャラとるらしいけどね」
「じゃあ、ダメじゃん」
「美紀直じゃなくて、あたし経由ならOK」
 茂美は、にんまし、と不気味なほうの笑顔を浮かべた。
「島本さん、借金あるから。うちの父さんに」

     2

 茂美が、その島本にアポイントをとった後、『島本さんとこに寄ってから帰る』と母親にメールを入れると、すぐに『たかっちゃだめよ』と返信があった。
 美紀は両親が共働きなので、夜まではいわゆる鍵っ子である。それでもいちおう母親に『友達とちょっと街に行ってから帰る』とメールを送ると、間もなく返信があった。『品行方正、門限厳守!』。
 バイパス沿いにある路線バスの停留所から、北の市街地をめざす。
 美紀たちの町は、奥羽新幹線の停車駅である峰館駅と、次の停車駅である神ノ山温泉駅との、ちょうど真ん中あたりにある。ローカル線が停まる駅も、近隣にあることはあるが、新幹線にシカトされてしまったJR駅は、開通前より格段に不便になると相場が決まっている。いつのまにか連結車両が減ったり、こっそり本数が減ったりする。その不便を、地元のバス会社が補うわけだ。
 十分ほどで現れたバスの中ドアから、整理券を取って乗りこむと、こんな中途半端な時間でも、車内には、お年寄りやママっぽい人たちが数人座っていた。
 いちばん後ろの席がまるまる空いていたので、ゆったり腰を据える。
 まだ斑に雪の残る水田を縫って三十分ほど走った頃、バイパスの彼方に、レゴのバケツをひっくり返したようなビル街が見えてきた。
「……ありゃ」
 茂美が妙な声でつぶやいた。
「どしたの?」
「……ストーカーが涌いてる」
 茂美の顎に促されて、美紀は目を凝らした。
 前のほうのひとりがけ席に、窮屈に身を縮めている頭の先っちょが見えた。
 ときどきこそこそと頭を上げて、バックミラー越しにちらちらと後ろを窺っているのは――皆様ご推察のとおり、本日朝から現在に至るまで、美紀の言動を陰に日向にずっと捕捉し続けていた、少年ストーカー約一名である。さすがにあの廊下では、遠すぎて何も聞こえなかったが、校庭に出てからは、部分的に盗聴していたりもする。もっとも自前の耳頼みなのでやや感度不足、ふたりの行く先の詳細までは検知していない。
「うわ、なさけない。庭石の下のダンゴムシか、あいつは」
 美紀も、うわあ、と呆れたものの、餓狼や変態親爺ではなくダンゴムシなら、そう嫌ではない。あんまり近寄ってきたら、つっついて丸くしてコロコロできるし。
「でも面白いから、放し飼いにしとこう」
 茂美の邪悪な笑顔に、美紀も異議なしとうなずいた。

 中心市街に近づくにつれて、さすがに車内が立てこんできた。
 田舎なりに都市熱がこもるせいか、もう道筋には雪の欠片もない。ただし卒業式あたりに名残雪を見るのが珍しくない土地柄、道行く車のタイヤは、たいがいまだスタッドレスである。
 終点の峰館駅に至る少し前の繁華街で、茂美が降車ボタンを押した。市役所前の停留所だから、放っておいてもたいがい停まるのだが、そこはきっちりさせないと落ち着かない性格なのである。
 前降りのドアに向かう茂美と美紀を、優太は席に縮こまったままやりすごした。
 ちょっと間を置いて、大勢の降車客にまぎれ舗道に降り、追跡を続行する。
 どうやら茂美たちは、市役所のちょっと先にある交差点をめざしているようだ。
「よ、がんばってんな、学生さん」
「わ」
 しっかり声を上げてしまったが、賑やかな街中なので、誰にも気づかれずに済んだ。
「……いつからいた?」
 昨夜、茂親子や枕崎夫妻が山福家を出る頃、もう優作は消えてしまっていたのである。一度消えるとそれっきり旅に出てしまうことが多い優作なので、優太としてはけっこう意外な、かなり嬉しい再出現だった。
「お前たちが、バスに乗ったとこからだ」
 優作は言った。
「俺も、今日はこっち来る予定だったし、ちょうどいいから屋根によじ登ったわけよ」
「中に座れば良かったのに」
「いや、なんか邪魔になりそうだったからさ、イロケづいた学生さんの」
「……そんなんじゃないよ」
「これのどこが、そんなんじゃないんだよ。そんなんじゃなきゃ、どんなんなんだよ」
 そう言われてしまうと、優太も、そんなもんなんです、と頭を下げるしかない。
 優作も、うむ、とうなずき、
「いや、別に咎めやしねえよ。お前もそーゆー歳になったんだなあ、とまあ、兄として、ゆんべっからしみじみとナニしていたわけでございますよ」
 道行く人々の前に見え隠れする、ふたつの制服姿を目で追いつつ、優太は優作に訊ねた。
「あの後、どこにいたんだ、お前」
「そりゃ久々の生まれ故郷だもん、気ままにほっつき歩いてたのさ。寝るにしたって、狭い家ん中より、墓場かなんかのほうが落ち着けるしな。墓場はいいぞ。試験もなんにもない奴らが、毎晩楽しく運動会やってる」
 マジか――優太が目を見張ると、
「本気にするんじゃねーよ。妖怪なんて、この世にいやしねーよ。俺ほど吹っ切れねえ連中が、二三人うろついてるだけだ」
「……それもやだなあ」
 そんな馬鹿話を続けるうち、ふたり――正確にはふたりがふたつ――は、繁華街からいくつかの交差点を経て、マンションやアパートの建ち並ぶ一角に踏みこんでいた。
「んじゃ、せいぜいがんばれ、優太」
 優作が、別れるそぶりを見せた。
「え?」
「そんな情けねー顔すんじゃねーよ。さっき言ったろ。俺は、もともとこっち来る予定だったの。あすこの停留所から、またバスに乗るから」
 優作はそう言って、三人ほどの待ち人が佇むその停留所ではなく、道の先の彼方、盃を伏せたような小山を指さした。蔵王連峰の、ほんの露払いの山である。
「あの山に、昔、世話になったおばさんが迷ってんだよ。明治だか大正だか、婆さんの嫁いびりにがまんできなくなって、一升瓶かかえて冬山に入って、雪道で酔いつぶれて死んじゃったんだと。で、それからずーっと、その山道で酒あおってるわけだ。まあ早い話、アル中のホームレスみたいなおばさんなんだけどな」
「へえ……」
「俺、旅に出たばっかりで、右も左も判んなくてこのへんうろうろしてた頃、そのおばさんに、ずいぶん世話になったんだ。だから、たまに帰ったときくらい、きっちり挨拶してやんねーとな」
 そうか。そっちの世界もこっちの世界も、世の中色々あるんだよなあ。あの木馬の女の子だって、なんかこっちで色々アレなことがあったから、ああして回り続けてるんだろうしな――。
 優作が側にいてくれてかなり心強かった優太だが、甘えてばかりはいられない。優作には優作の世界があるのだ。
 そう諦めたつもりでも、内心の寂しさが、つい優太の顔に出る。
 優作は言った。
「勘違いすんな。せいぜいひと晩、飲み明かすくらいだ。あのワケアリ木馬だって気になるし、またそっちに寄る」
「うん」
 それならオールOK。
 安心したところで、優作の言葉の一部がちょっと気にかかり、
「……お前も飲むの?」
「そりゃ飲むさ」
 優作は嬉しそうに言った。
「飲んでも飲んでも減らねえ一升瓶だぞ。白鶴の大吟醸だぞ。初めて会ったとき飲ましてもらって、こんなうめーもんこの世にあるかと思った」
 うわ、こいつ、三歳から飲んでんだ――。
 まあ、アルコール中毒で死ぬ心配だけはないだろうが。
 ふたりが停留所にさしかかる頃、後ろから、山に向かうバスがやってきた。
「えーと、それからもひとつ、念のため」
 優作は立ち止まり、優太の肩に手を置いて言った。
「あのな、優太。とっくにあいつらに気づかれてるって、お前もとっくに気がついてるよな」
「え?」
 そ、そうなの?
 とっちらかる優太に、
「……ま、とにかく、それなりにがんばれ」
 優作は脱力したように言い残して、他の乗客にまぎれ、バスに乗りこんでいった。
 残された優太は、おずおずと前を窺った。
 ふたつの制服姿は、とくに警戒する様子もなく、次の角を右に折れてゆく。
 いやいや、まだ気づかれていない、それは優作の考えすぎだ――そう自分に言い聞かせつつ、じゃあ自分と優作のどっちが判断力において優れているかと問われれば、同じ程度であると胸を張って答える自信もない。
 とにかく、見失ったらおしまいだ――。
 優太は次の角に急ぎ、ふたりが曲がって行った方向を、おそるおそる覗きこんだ。
 目の前で、茂美が仁王立ちになっていた。
 優太は、反射的に口を開いた。
「や――」
 茂美は、はしっ、と掌で優太の発言を押しとどめ、
「なにも言うんじゃない。このうえ『やあ偶然だね』とか言われた日にゃ、あたしゃあんたを今ここでタコ殴りにしなきゃなんない」
 ああ、砂の器が崩れてゆく――優太は絶望した。
 茂美の鉄拳制裁は今さらどうでもいいが、美紀ちゃんは、もはや永遠に、俺に「おはよう」をしてくれないだろう。こんなことなら、今朝、俺もちゃんと最初で最後の「おはよう」をしとけばよかった――そう絶望しながら、優太は茂美の後ろにいる美紀に、ちらりと目をやった。
 美紀は腹をかかえて体を折り曲げ、ぴくぴくと痙攣していた。
 いけないいけない。今ここで吹き出してしまったら、母さん寄りの「おほほほほ」ではなく、父さん寄りの「ぐわははは」になってしまう――。
 つつしみ深い娘なのである。

 なにはともあれ合流した三人は、すぐ横のマンションのエントランスからエレベーターに乗った。
 マンションのエントランスといっても、古い団地に毛が生えたような貧相な意味での昭和レトロであり、当然エレベーターも狭苦しくて薄汚れている。
 最新のエレベーターに慣れた優太や美紀が、少々不安になるような震動の中、茂美は優太にさりげなく言った。
「ところで、アレ、どうなった?」
 優作の話だな、と優太は気づいた。後をつけていたのがバレていたなら、当然、茂美も優作を見ている。
「うん、なんか用事があるんだって」
 あくまで家庭の内輪話のような調子で答える。
「ほんっと、あいつ気まぐれよね」
 そんな会話を、美紀も姉弟の内輪話として聞き流した。
 最上階で降りてちょっと奥に進むと、他の部屋にはない立派なプレートが見えた。『島本和哉事務所』。ただしドアそのものは他の部屋と同じ、古い団地から毛が抜けたようなペンキ塗り物件である。
 茂美はノックもそこそこに、ドアを引いて上がりこんだ。
「やっほー、先生」
 これほど軽い響きの『先生』も、めったにあるまい。
 フローリングのリビング兼仕事場の隅っこで、パソコンデスクに向かっていた男が、キーボードを叩きながら顔だけこちらに向けた。
「よう、茂坊」
 あ、茂美の小学校の頃の渾名だ、と美紀は思った。よほど親しいつきあいなのだろう、茂美は茂坊呼ばわりされても、ちっとも気にしていないようだ。
「お邪魔虫!」
 茂美はなんの遠慮もなく、手前の小さな応接セットに座りこんだ。
 なんとなく遠慮して、立ったままでいる美紀と優太に、
「さあさあ、君たちも遠慮なく掛けたまえ」
 あくまで茂美の言葉である。
 島本は苦笑して打鍵を止め、小さな友人とその連れたちに、冷蔵庫からコーラでも出そうと立ち上がった。
「おや、優太君も来たのか。これはお珍しい。いや久しぶり」
「ども」
 島本が過去に二度ばかり亜久津宅を訪れたとき、優太も顔を合わせている。ただし優太にとっては、父さんが昔イラストを描いていた本の文章を書いていた人、その程度の認識である。
 島本は、端っこで小さくなっていた美紀に、
「はじめまして、えーと――」
 美紀は反射的に立ち上がり、きっちりお辞儀した。
「山福美紀です。よろしくお願いします」
「はい、こちらこそよろしく」
 美紀の幼時記憶にあるようなイヤミな小父さんだったら、適当に茂美の顔を立てるだけで帰ろうと思っていたのだが、実物の島本さんは、マジに外国映画の探偵みたいな人だった。なんかスタイリッシュでキレそうな人だ。
「そんなにしゃっちょこばらないで、座って座って」
 もっとも本来の島本は、若かりし東京時代こそバブリーに着飾っていたが、都落ち後は、安アパートの四畳半で年中同じヨレヨレのジャージを着ていたような男である。それが結婚後、妻の感化によって若干マシになり、さらにテレビに呼ばれるようになった頃、ディレクターの要望に応じてスタイリストがいじくりまわした結果、現在のビジュアルに落ち着いたわけである。
「山福さん――珍しい姓だね」
「……変な名字ですよね」
「いや、とてもいい名字だよ。山には福がある、山から福が来る――いかにも峰館らしくていいじゃないか」
「ありがとうございます」
「美紀ちゃん――そう呼んでいいかな」
「はい」
 元気に答える美紀に、島本が、あれ? と言うような顔をした。
 この毛並みのいいシャム猫みたいな感じは――年齢や背丈はまったく違うが、なんだか、あの奥さんにそっくりじゃないか。昔、同じアパートの階下に住んでいた中年夫婦――そう、山福さんの奥さん。
「美紀ちゃん、もしかして、お父さんもお母さんも先生してない?」
 美紀は驚いた。なんで、そんなことまで判ってしまうのだろう。やっぱりシャーロック・ホームズ級の探偵さんなのだろうか。
「君が生まれる前だと思うけど、たぶん俺と同じアパートに住んでた。確か、お父さんは国語の先生だったよね」
 実は美紀もとっくに生まれていたのだが、当時、泰蔵と淑子はそれぞれの学校の演劇部顧問を務めており、その合同公演が高校演劇界のトップレベルに達してしまったため、教育者としての義務と使命を果たす都合で、美紀は一時期、蔵王温泉にある泰蔵の実家に預けられていたのである。
 すでに乳離れして幼児期にあった美紀としては、自分の幼子の躾にさえロッテンマイヤーな母さんや、トコトコ歩くにも駆け回るにもすぐに何かにぶつかってしまう狭いアパートより、なにかと甘いお祖父ちゃんやお祖母ちゃんと広い旅館で暮らすほうが、よほど楽チンだった気がする。まあ、ときには夜中に泣いたりしたのかもしれないけれど、蔵王温泉だって峰館市の内で、車を飛ばせば三十分、父さんも母さんもしょっちゅう会いに来てくれたし。
 ともあれ、そのアパートに島本が住んでいたことなどは知る由もない。
 うわあ、と美紀は目を見張り、それから、またぺこりとお辞儀した。
「どうも、父や母がお世話になりました」
「いやいや、こちらこそこちらこそ」
 島本は恐縮しながら、美紀の横で「あらまあ」みたいな顔をしている茂美に、なにやら目配せした。
 ――同じ女の子でも、ずいぶん違うねえ。
 茂美は、しかめっ面を返した。
 ――ほっといて。
 とにかくそんな雰囲気であるから、美紀も優太も、すぐにこの場の空気になじむ。マンションの外観はボロでも部屋の壁や資料棚はピカピカ――それが島本自身の仕業ではないにしろ――だし、いちおう最上階、窓の彼方には青空と、蔵王連峰の、白と青茶の波模様が望める。
 コーラのグラスが並んだテーブルを囲み、
「さて、詳しい話を伺おうかな」
 島本が切り出したとき、島本の携帯に着信があった。メールではなく電話のコールである。
「ちょっと御免」
 おう、千鶴子か――へえ、そりゃ面白い――うん、大丈夫、こっちに回してくれ――そんな短い応答の後、
「今日は千客万来だなあ。ちょっとしたら、もうひとりお客さんが来るぞ」
「ありゃ。もしかして、あたしたち、お邪魔?」
「それは、あっちの用件しだいだな」
 島本は意味ありげに笑って言った。
「まあ、親子で俺に声がかかるってことは、十中八九、同じ用件だと思うけどね」

     3

 その日、睡眠不足が重なっていた茂は、つい昼まで寝過ごしてしまい、あわてて市街に出て県立峰館図書館に駆けこんだ。そうして昨夜見当をつけた書籍類に当たったものの、結局、篠原遊具製作所に関しては、ネットと同程度の情報しか得られなかった。
 仕方なく帰路をたどる内、茂は図書館に近い横町にある、小さな古書店の存在を思い出した。古書店で木馬関係の資料を当たろうと思ったわけではない。その古書店『伽藍堂』は、島本和哉の妻が経営しているのである。島本自身も、暇なときには手伝っていると聞く。あの島本さんなら、俺よりはるかに、そっち系の調査活動に明るいのではないか――そう考えた茂は『伽藍堂』に寄り、島本の所在を確認したのである。
 茂と島本のつきあいは長い。茂が専門学校を卒業して何年か、文字どおりまったく売れない漫画家として東京をうろついていた頃、マスコミの片隅のちっぽけな編集プロダクションを通して、何度か島本の著書――当時は実話と称する創作怪談が多かったが――にカットやイラストを描かせてもらい糊口を凌いだことがある。茂が峰館にUターンした翌年、ひょんなことから島本も同郷のUターン組であることを知り、以来、何度か顔を合わせて飲んだりもした。
「いやあ、あっくん、面目ない」
 茂が部屋に合流すると、島本は、きまり悪そうに頭を下げた。峰館で再会したときに少なからぬ金を借りて、いまだに返せないでいる。
「いやもう、気にしないでください」
 茂は本心で言った。
 その借金に関しては、茂の父親が経営する安アパートが全焼し、そこに住んでいた島本が焼け出されてしまった等々、種々の事情が重なっているので仕方がない。だいたい借用書すら作っていない借金の話を、他人や子供の前で隠そうとしないだけでも、人間として尊敬――まではできないが、それに近い親しみを覚える。
 茂も島本も、お互い本質的には同じロマンチストであることを感じ取っているのである。茂は根が生真面目ではないから、花も実もある絵空事としてのロマンを創ろうとする。対して現在の島本は、仮想では飽き足らず、現実世界にロマンの実在を求めている。
「今の月刊、まだ続きそうか?」
「はい、なんとか。例によってアンケートは下位なんですけど、編集が面白がってくれてるんで」
「そりゃ用心しろ。編集変わるとそれっきりだろ、そのパターン」
「そうなんですよねえ」
「ちゃんと営業やってる? 田舎に引っこんでるぶん、目立っておかないと」
「……実は、あんまし」
「あっくんのことだから、今現在思うように描くしか、頭にないんだろうなあ」
「まあ、例のアニメのおかげで、まだあっちこっち印税入りますから、当分はなんとか凌げます」
「そうか。あの一発はでかかったもんなあ。俺なんか去年はゼロだぜ増刷。今やってる仕事も単発で次がないし」
「いざとなったら、いっしょにコミケで食いましょう」
「そりゃチョンガーの話だろう」
 そんな内輪話がしばらく続いたが、美紀や優太は、けっこう面白く聞いている。
 とくに美紀は、先生に対して『あっくん』で通せる島本に、かなり信頼感を増している。
 ただし茂美は、そっちの業界にまったく興味がない。
「いいかげん本題に入ろうよ」
 ようやく、謎の木馬の話に入る。
 これこれこーゆーわけなんです――茂メインに美紀がサブ、そんな流れで島本に事の次第を伝え、
「とにかく一度、実物を見てもらえますか」
 話だけではとても信じられないだろうと、茂は言った。
「いいよね、美紀ちゃん」
「はい」
 美紀も、ぜひお願いしたい。
「近々伺うが、先に検証を始めよう」
 島本は、冷静に言った。
「俺だって、そっちのほうで食ってるんだ。取材で全国回ってりゃ、ふたつやみっつは、それらしい物を見たこともある。ただどれも再現性がないっつーか、客観的に現実であると証明する手立てがない。対して今回の件は、ここにいるだけでも三人、総計七人、信頼に値する人間が同時に目撃してる。ならば、それは現実だ。再現性があろうとなかろうとな」
 おお、と一同はうなずいた。
「かてて加えて、篠原遊具製作所の木馬。これは、なかなか――」
 島本は立ち上がり、資料類の棚から、一冊のファイルを抜き出した。
 島本は仕事上のデータを、ディスクやUSBメモリーやクラウドのみならず、プリントアウトでも保存している。エコなペーパーレスには反するが、今どきのアブないネット環境では、そこまでやらないとデータを護りきれない。
「見てくれ。えーと、五年前の取材メモだ」
 テーブルに広げたページには、こんなタイトルがあった。『廃墟の幽霊――回転木馬の少女 2006(H18)0123』。
 島本は、本文を指し示しながら、
「読んでもらえりゃ判るが、実際の目撃談は一九七二年、昭和四十七年の四月だ。五年前、茨城の牛久に住んでる山田さんというお年寄りから、ここに手紙が届いた。あの頃は、まだ俺もけっこう顔が売れてたし、本なんか若い衆より年寄りにウケがいいんだ」
 それは茂にも想像できる。島本の怪談話は、でっちあげ――創作の頃も、その後検証する立場に転じてからも、岡本綺堂あたりに近い話芸がある。
「実物の手紙も次のクリアに入ってるが、達筆なんで俺も読むのに苦労したくらいだから、この梗概だけ読んでくれりゃいい」
 四人揃って、それぞれの速度で本文に目を走らせる。
 茂が読みながらつぶやいた。
「『峰館ハワイアンランド』――そんな遊園地があったんですか?」
「あっくんは知らないだろうな。そりゃ、たぶんあっくんが生まれる前の話だもんな。俺だってやっと物心ついたくらいの時代だし、この手紙読むまで知らなかった」
 島本は、手紙の入ったクリアファイルから、何枚かのコピーを取りだして見せた。
 四つ折りが二枚、もとは大型の二つ折りパンフレットの裏表らしい。
「その山田さんが持ってたパンフを、取材に行ったときコピーさせてもらった。驚くなよ」
 島本は、思わせぶりに、コピーを開いてみせた。
 麗々しく表紙を飾るカラー写真を見て、
「なんじゃこりゃ……」
「なにこれ……」
 茂と茂美が、仲良くハモった。
 美紀も優太も、声は出さなかったものの、表情は「うわ」である。
 島本は、ごもっとも、とうなずいて、
「あったんだよねえ。こんな田舎にも、こんな浮き世離れした行楽施設――今でいうテーマパークがさ」
 存在をまったく知らなかった四人にとって、それは、悪い冗談のような写真だった。
 背景に蔵王が写っているところを見ると、確かに場所は峰館近郊らしい。周囲に広がる段々畑や、まばらに点在する藁葺き屋根の農家は、茂なら微かに記憶している山合の農村風景だし、子供たちにも、まあ確かにド田舎だもの大昔はこんなんだったんだろうなあ、そう納得できる光景だ。
 しかし、その中央、緩やかな山肌にへばりついているのは、周囲何キロもありそうな近代的外壁に囲われた、巨大なアメーバのような行楽施設だった。その分厚い外壁自体も、ホテルやイベントスペースになっているらしく各階に円柱や細かい窓があり、内側には巨大な観覧車や、遠目にもトロピカルに飾り立てられた複数の大型プール、ジェット・コースター、その他無数の遊戯施設が見えた。
「こちらもご覧あれ」
 島本が示したパンフの内側らしい園内イラストマップには、写真で判る大物の他にも、ゴーカートやスリラーハウス等の定番に加え、小規模ながら動物園まで紹介されていた。
 四人が四人とも、こう思った。
 うわあ、こんなド田舎で、なんて無茶なことするんだ――。
 島本は、なかば苦笑しながら、
「そーゆー時代だったんだよねえ。高度経済成長期のピークだもの。日本全国、こないだの世紀末バブルより、もっと浮かれていた時代だ。あのバブルんときも、ずいぶんあっちこっちの田舎に馬鹿でかいテーマパークみたいなのができて、今はほとんど潰れてるだろう。その同類さ」
「それにしても、こんなものすごい施設、なんで俺が知らないんだろう、いくら赤ん坊の頃だって。俺、旧市街の城跡が陸軍の練兵場だった頃の話とかだって、ちゃんと親父から聞いてますよ」
「そこが色々あるんだよ」
 島本は言った。
「まず、この峰館ハワイアンランドは、昭和四十二年、一九六七年の五月に開業して、一九七一年、昭和四十六年の十月には閉園してる。つまり営業期間わずか四年半」
 うわあ、やっぱり無茶だったんだ――。
 茂は呆れて言った。
「そりゃ県内のファミリーが残らず押しかけたって、こんな施設、採算とれるわけないですもんね」
「そのあたりは、隣の福島の常磐ハワイアンセンター、今のスパリゾートハワイアンズ、あれを見込んだらしいな。なにせイケイケゴーゴーの時代、悪くても近県各県、あわよくば全国から観光バスが連なって――そう思ったんだよ」
「なるほど、確かにこんだけ色々あれば――十年くらいは、もちそうな気もしますね。なんで、たった四年なんだろう」
「よく見てごらん」
 島本は、その巨大アメーバ全体を、指でなぞりながら言った。
「屋根もなんにもないだろう」
 四人はふたたび仰天した。
 遊具はもとより、温泉プールも露天なのである。
 うわあ、無茶のギネス入りか――。
 現在、蔵王のこっち側にある小規模遊園地は、たいがい冬期は休園する。遊具が雪に埋もれてしまうからだ。運営会社は従業員を冬だけ山上のスキー場やホテルに回すなど、ギリギリの工夫で存続しているのである。
 絶句している茂に代わり、茂美が呆れ果てたように言った。
「……なんでこんな馬鹿なもん造ったの? 社長は小学生だったの?」
「それもまた、時代のイキオイだったんだろうねえ」
 島本は、実際に吐息して言った。
「この運営会社は、峰館交通、峰館観光、峰館新聞、それから近辺の温泉組合、そんな寄り合い所帯で発足したんだよ。つまり、確固たるビジョンを持ったリーダーが存在しなかった。で、みんなでイケイケのまんまわいわい寄り合いやって、当時、東京の近代建築で名をはせていた建築家に、外周のホテルとか売り物の温泉プールとか、要所要所の設計を一任した。隣の県のイマイチ垢抜けない施設――あくまで当時の話だよ――その施設より、力いっぱい近代的な物件にしたかったんだろうな。そしてその建築家はあくまで東京育ち、つまりモノホンの雪国を知らなかった。もちろん一流の建築家が、まるきり馬鹿なわけはない。当時としてはSFに近いアクリル構造の屋根とか、当初は設計に含まれていたらしい。ただ、それがあまりに非現実的な予算を必要とした。で、寄り合い所帯の運営会社は、それはまあちょっと余裕ができたらあとでゴニョゴニョしましょう――そんなこんなで見切り発車、とまあ、そんなとこらしいんだな」
「……信じらんない」
「そう言うけど、茂坊、前にもここで色々話しただろ。時代という奴は、えてしてイキオイだけで簡単に転がっちゃうんだよ。他の国からガンガン資源を略奪しないとどうやっても維持できない近代国家を希望に燃えて建設したり、ちょっと落ち着いて考えればどうやったって勝てるはずのない戦争を始めてみたり――それが歴史というものなんだ」
 茂美も黙りこんでしまった。
「で、いよいよここから、俺の仕事の範疇になる」
 誰も意見や質問はないらしいので、島本は続きに入った。
「さて一九七一年の秋、雪を待たずに一時休業に入ったこの施設は、冬の間に閉園を決定、雪が溶けた頃には、もう立派な廃墟に仕上がっていた。そりゃそうだよね。前年の冬まではきっちりされてた除雪作業とか、いっさいされなかったわけだから。そしてようやく解体撤去が始まったのが、一九七二年の四月。で、ここに当時篠原遊具製作所の社員だった、牛久在住の山田さんが絡んでくる」
 島本は、イラストマップの真ん中あたりを指さした。
「他の色々に比べて、小さくて見にくいけど、回転木馬があるよね」
「はい」
 今度は美紀が、代表して返事した。
 島本が続ける。
「当時、筑波郡谷田部町にあった篠原遊具製作所は、木馬や小型遊具の単体だとリースもしてたけど、こうした大規模な機構一式の場合、基本、あくまで販売設置とその後のメンテナンス、そんな契約だったんだそうだ。だから、四年で倒産しようが百年続こうが、メンテ以外は本来知ったこっちゃない。アメリカあたりだったら、はいサヨナラで済む話なんだが、そこはそれ義理と人情の昭和日本企業、ランド側になんとか引き取ってもらえないかと泣きつかれたら、当然対処する。状態が良ければ、修繕して使い回しもできるからね。で、その山田さんが、峰館に出張してきて状態をチェックすることになった」
「はい」
「もっとも篠原遊具のほうでは、初めから無駄足だと思っていたらしい。マジな雪国でひと冬放置されたら、木造の物件がどんな状態になるか、専門の業者なら見なくても見当がつく。だから山田さんも、まあ、義理を果たすだけのつもりで出張してきた。そんな出張に旅費なんてかけられないから、予定は日帰りだ。新幹線もない時代だから、早朝に牛久をたって常磐線で仙台、仙峰線に乗り換えて午後には峰館、形だけチェックして夜行で牛久へ戻る、そんな予定だな」
「はい」
「ところが仙峰線の線路が、ちょっとした雪崩で一時不通になっちまって、ようやく峰館に着いたのは、日が暮れた後だった。なにせ高度経済成長真っ盛り、会社に帰れば山のような仕事が待っている。だから山田さんは、夜の内に形だけ木馬の状態を確認し、仙峰線の最終に乗って仙台に一泊し、朝イチの常磐線で茨城の会社へ直行しよう――そう考えたんだな。なにせほら、モーレツ社員の時代だから」
 そこいらになると、現代っ子たちは首をひねってしまう。
「忙しくて過労死する暇もない時代だったのさ」
 茂が冗談めかして注釈を入れると、子供たちもなんとなくうなずいた。
 実際には、まだ東海道と山陽の一部にしか新幹線がないからこそ、地方出張中は列車の中で長くくつろげる、そんなローカル系の鉄ちゃんに優しい時代でもあったわけだが。
 島本が続ける。
「夜の廃墟には、もう管理人ひとりしか残っていなかった。定年退職後の老人、もう足元もおぼつかないような名ばかり管理人だ。山田さんを呼びつけたランド側だって、寄り合い所帯で責任のなすりつけ合いに忙しいから、時間外に社員を回す余裕がない。山田さんはしかたなく、懐中電灯を借りて、ひとりで廃墟中央の木馬に向かった。なにせ広大な夜の廃墟だ――ここからが、ほんとなら一番の語り所なんだが、まあ今日は説明だけなんで、あっさり言っちまおう。つまり山田さんは、そこで、電源も止まってるのに回り続けている回転木馬と、そのひとつにまたがっている女の子を見ちまったわけだ」
 あっさり言われただけでも、茂美を除く山田さんの仲間たちは、けっこう背中が冷えていた。
 茂は言った。
「えと、その、女の子の服装とか――」
「そこまでは見なかったそうだ。つまり、まず遠くから見かけて、まさかと思いながらちょっとだけ近づいて、間違いなくそーゆーシロモノだと判った時点で、一目散に逃げ出しちまったんだな。そりゃそうだよね。大勢集まってるAVルームならともかく、ひとりっきりの廃墟できっちり細部まで見ました、なんて話なら、かえって眉唾だろ。篠原遊具の社員としても、そんな怪しい物件は即引き取り不可、それでなんの問題もない。そうして廃墟は撤去され、土地は転売され、専売公社――今のJTがらみの煙草農園、つまり段々畑に戻っちまった――とまあ、こんな話なんだな」
 しばしの沈黙の後、茂が口を開いた。
「……関係ありそうですね、今度の木馬と」
「ああ。ただし、この件とそっちの木馬がリンクするにしても、不確定事項が多すぎる。俺も五年前、県立図書館でその頃の峰館新聞のマイクロフィルムに総当たりしてみたが、峰館ハワイアンランド近辺で、子供がらみの死亡事故とか、行方不明とかは一件も起きてない。どこか外からまぎれこんだとしたら、もう調べようがない。だから、このネタは保留中なんだ。ビジュアルとしては実にそそられるんだが、今の俺の仕事には、最低限でもオチが必須だからな」
「俺としちゃ、それだけ破格な施設の存在が、峰館人の記憶からきれいさっぱり消えている、そのあたりも気になるんですが」
「それは考えすぎじゃないかな。峰館在住者のレトロ系ホームページやブログでは、近頃もぼちぼち話題になってるし、一般世間のほうは、峰館交通と峰館観光と峰館新聞と周り中の温泉組合、それが全部、一刻も早く忘れよう、世間にも忘れてもらおうと黒歴史扱いしてたんだぜ。今のネットみたいに、草の根レベルで繋がるメディアがない時代、地元の主要メディアがシカトしてりゃ、たいがいの地元話は十年ひと昔で風化する。実際にそこで遊んだ人たちが、個人的に覚えてたり、写真をもってたりするのが関の山だ。ぶっちゃけ俺だって、幼稚園だったか小学生だったか、そんな遊園地に連れてってもらったような気がするんだ。でも親が死んじまってるから、自分でも、その記憶にある観覧車がハワイアンランドだったか峰館遊園だったか、もう思い出せない」
「そうか……そうですね」
「俺としちゃ、もし今回の木馬や子供がハワイアンランドと同じものだとしたら、なぜ今、山福さんの家に現れたのか、そこが一番気になるね」
「あの――」
 ずっと黙りこんでいた優太が、おずおずと手を上げた。
 一同が注目すると、
「えーと、その、このパンフレットだと、ハワイアンランドって、峰館市大字飯沢にあったんですよね」
「ああ、そのとおり」
「なら、今は南峰館町になってるんじゃないでしょうか。小学校の社会で習いました。ずっと昔、学校のあたりは飯沢村って呼ばれてたって。あと、この表紙の写真、この後ろに見える蔵王って、俺がしょっちゅう見てる蔵王と、ほとんどおんなじ形に見えるんですけど」
 言われてみれば――一同は顔を見合わせた。
 島本は訊ねた。
「その小学校って?」
「南峰館二小です」
 優太が答え、茂美と美紀もうなずく。
「えーと、美紀ちゃんの家は――」
「南峰館町の見晴が丘ニュータウンです」
「あっくんとこは――」
「南峰館町の上谷地です」
 ひと口に『町』と言っても、田舎には、都会の町より遙かに広大な『町』があるのだ。また蔵王という名称は、あくまで蔵王連峰の総称だから、眺める場所によって山影の連なりや重なりは大きく変化する。
 島本は、実地検証実地検証とつぶやきながら、奥のパソコンデスクに急いだ。
 他の一同も、島本を追う。
 島本はブラウザを立ち上げて、あちこち突っついていたが、
「おい、あっくん。国土地理院の空中写真って、どうやって見るんだっけ」
「俺、そーゆーのは、ちょっと」
「あの、俺、わかります」
 優太が言った。
「けっこう見て遊んでるんで。一九六七年から一九七一年あたりがあればいいんですよね」
「そのとおり。その写真と、今現在の南峰館を重ねたい。そっちもできれば空中写真がいいな」
 優太は島本に代わり、デスクについた。
 キーをぽちぽち、マウスをするする、そうしてしばらく検索した後、
「――一九六九年と二〇〇七年があります」
「ガッチャ! それで頼む」
 二〇〇七年の写真なら、今とほとんど変わらないはずだ。
 さらに少々いじくった後、優太は言った。
「……どうやって重ねたらいいんだろ」
 同じあたりの空中写真でも、撮影年代が違えば位置にずれがある。
 茂は島本に訊ねた。
「このパソコン、フォトショップ入ってますか?」
「俺、そーゆーのは、ちょっと」
「パソの中、覗かせてもらっていいですか」
「おう」
 島本は妻の目が恐いので、パソコンに妙なファイルは溜めこんでいない。
「優太、ちょっと代わってくれ」
「うん」
 茂はブラウザを開いたまま、Windowsの『すべてのプログラム』をチェックした。パソコン自体が大手メーカー品なので、フォトショップは入っていないにしろ、なんらかの画像加工ソフトがバンドルされているはずだ。
 案の定、国産の、かなり使えるソフトが入っていた。
 それを立ち上げると、
「優太、その二枚、続けて出してくれないか」
「う、うん」
 席を譲られた優太が、ぽちぽちするすると表示したブラウザ画面を、横から茂が阿吽の呼吸でするするぽちぽち、プリントスクリーン経由で画像ソフトに取りこむ。
 横で見ていた茂美が、美紀に耳打ちした。
「なんか、こーゆー関係だと、けっこうヤルよね、うちの弱っちいふたりも」
 ほとんどIT類には手を出さない茂美である。
 ネットくらいなら使っている美紀も、こくりとうなずいた。
 まあ、少しでもパソコンおたくの気がある連中なら、ありふれた芸なのだが。
「よし、後は俺がやる」
 今度は茂が席につき、二枚の画像の四隅と縮尺を調整して、それぞれをレイヤーで重ねる。
「――見てください」
 茂は、重ねた画像の、上の二〇〇七年の不透明度をマウスで変えながら一同に示した。
「やっぱり……」
 島本が呻くように言った。
 藁葺き屋根が点在する山合の段々畑、そしてその中に異様な染みを広げる峰館ハワイアンランドは、現在、似ても似つかない、こざっぱりとした郊外の住宅地に変貌していたのである。
「地形まで、けっこういじってる。まさに『滄桑の変』だな」
 島本は言った。
「美紀ちゃんの家は、どのあたりかな」
 美紀は鳥ではないので、真上から自分の町を見たことがない。それでも周囲の道筋から、おおよその見当はつく。
 茂は気を利かせて、二〇〇七年のレイヤーの不透明度を百パーセントに上げた。
「えーと、たぶん、このあたりだと思います」
 美紀が指さすと、
「ちょっと、そのまま」
 茂は徐々に二〇〇七年の不透明度を下げ、下にある一九六九年の空中写真を浮かび上がらせた。
「うひゃあ」
 美紀は思わず、かなりおまぬけな声を上げてしまった。
 ジャスト、指先はアメーバの真ん中だ。
 島本が言った。
「つまり、その地下室の木馬や子供は、突然現れたんじゃなくて――昨日、見えるようになっただけ、ということか?」

 驚愕の新事実っぽい状況に、おのおのがそれぞれの思いを巡らせて黙りこんでいるうち、東の窓に浮かぶ蔵王は、盆地の西にある朝日連峰の夕映えを受けながら、赤墨色から薄墨色へと染まってきていた。
 島本は無言のまま、照明のスイッチに向かった。
「……だとすれば、やっぱり、その場所になんらかの要因が……しかし新聞にも載ってないとなると……」
 蛍光灯の明滅の下、独り言のようにつぶやいていた島本は、部屋が明るくなったとたん、いきなり自分の頭をごつんと叩いた。
「なんてこった。俺は馬鹿か」
「どうしたんですか?」
「今ごろ気がついた。さっき、自分であっくんに言ったことだよ。つぶれた後で、関係者一同がずっとシカトしてたんなら、つぶれる前――営業期間中の事件や事故だって、峰館新聞だけ当たったんじゃ無意味だったんだよ」
 さすがに茂は首をひねった。大袈裟にいえば、それはもはや報道管制である。
「でも、仮にも県下一の新聞社が、自分の都合で大ニュースを控えたりするでしょうか」
 島本は、いやいや、と首を振り、
「あっくんは、覚えてないかな。俺が高校の頃、峰館交通の路線バスが、すぐそこの交差点で左折事故を起こして、隣の女子高の生徒がひとり、自転車といっしょに轢かれちまった。かわいそうに即死さ」
「……知りませんでした」
 答えながら、茂は、確かに違和感を覚えていた。
 広からぬ旧街道がそのまま繁華街になっているような地方都市のこと、郊外のバイパス等ならいざ知らず、中心街での死亡事故など、当時は何年も語り草になるほどの大事件だったのである。
「そう。峰館新聞でも峰館放送でも、ほとんど取り上げられなかったからな」
 島本は言った。
「これが純然たるバス側の過失だったから、全国紙の地方版じゃトップ扱いの記事になった。ところが峰館新聞は、たったの数行で済ませちまったんだ。『どこそこでだれそれさんが交通事故で亡くなりました』、そんな程度さ。峰館放送のニュースも大同小異だった。あの頃は峰館新聞と峰館放送と峰館交通、全部資本がカブってたからな。後からけっこう問題になって、市民団体が大抗議したりしてたんだよ」
「……そうだったんですか」
「まあ、昔も今も、マスコミなんてそんなもんだ」
 茂もマスコミの一角で仕事をしているから、その空気は解る。現在は、市民団体のほうを気にして表現にダメ出しをくらう場合が多いが、どのみちてっぺんにあるのは、社会よりも自社の損得なのだ。
 島本は言った。
「全国紙の地方版――明日から、これを総当たりしよう」
「俺も手伝います」
 そうした取材活動がどれほど大変かも、茂は知っている。自身は夢を創る仕事だが、きっちりした寝床がなければ、しっかりした夢は見られない。
「そうか、あっくんも、あそこのマイクロ使ってるんだ」
「はい」
 茂はそう答えた後、優太に言った。
「お前も使えるよな、あのリーダープリンター」
「うん」
 小学校時代、何度かいっしょに県立図書館に行ったとき、面白半分で操作法を伝授されている。
「明日、放課後でいいから手伝ってくれないか」
 作業量の膨大さを思えば、猫の手も借りたい。
「うん!」
 優太としても、望むところである。
 島本は言った。
「よし。これでなんとか――なるかどうか判らんが、少なくとも先に進める」
 茂美が、したり顔で美紀を見た。
 なんかみんな、けっこう様になってるじゃん。やっぱり来てよかったでしょ――そんな顔である。
 美紀も、さっきより強めに、こくこくとうなずいた。
 あっくん先生や島本探偵が大人として頼りになるのはもとより、昨日までお豆腐未満に見えた男子も、あんがいちゃんとしたお豆腐、それもスーパーの真ん中よりやや上の棚あたりに昇格して見えた。
 母さんがアレを奮発した晩は、いつもの湯豆腐が、けっこう老舗旅館のお味っぽくなったりするのだ。



  【Act.3】 誰が木馬を回してる


     1

「おはよう!」
 やや高めのアルトで、いつもの声が教室に響く。
「……おはよう」
 ずいぶん景気が悪いなりに、けして暗くはない声が返る。
 正しかるべき中学生として、ちゃんとした朝の挨拶である。その点では、なんの問題もない。
 しかし、それまでわいわいきゃいきゃいと賑わっていた朝の二年三組は、潮が引くように沈静した。
 なぜ山福美紀と、えーと、名前なんだったっけ、とにかくあの男子約一名が、相手を特定して仲良く挨拶を交わしているのだろう。
 優太と比較的親しくしている名もなき男子二三人などは、もはや驚愕の表情だった。
 それまで日光東照宮の壁あたりにへばりついている三猿仲間――見ざる言わざる聞かざる仲間だとばかり思っていた隣の猿が、いきなり壁から飛び降りて、国宝の眠り猫に向かって駆けだした――そんな衝撃を受けたのである。
 美紀の友人たちは、美紀同様に好奇心旺盛な女子ばかりだから、
「なに? なに? なんかあったの、アレと」
 美紀としては、うやむやにごまかしたいので、
「えーと、ちょっと、ワケアリで」
 などと答えてしまい、お年頃の女子たちの妄想に、なおさら火を付けてしまったりする。
 いっぽう優太の友人たちは、あえて何も言わない。
 うん、これはきっとなにかの間違い、ほんの一過性のハプニングなのだ――。
 下手に真相を質して、三猿仲間が減ってしまうのが恐い。やはりルイはトムを呼ぶのである。
 ともあれ、その後は何事もなくいつもの学校生活が流れ、すでに学年末試験も終わった教室は、雪国の春の訪れにゆるゆると和んでゆく。
 まあ発展途上の人間が四十人も詰まっているのだから、それなりに小競り合いもあれば、やや過剰なラブラブもあったりするのだが、そこはそれ田舎の木造校舎、鬱陶しい湿気もたいがいの加熱も、壁の木目がそれなりに吸収放出しながら、適宜調節してくれる。
 やがて放課後になると、美紀と茂美が合流し、優太は公然の放し飼い状態で後に続き、昨日より早めのバスで、昨日と同じ市街をめざした。ただし行き先は島本のマンションではなく、そのちょっと先にある県立峰館図書館である。

 いっぽう茂と島本は、図書館の開館と同時にマイクロフィルムリーダープリンターを二台借りて、過去の有力紙の地方版に総当たりを始めていた。
 それから午後までずっと、昼食と時折の休憩を除けば、借り出したフィルムのロールをリーダーに装填し、コマ送りしてはモニターを凝視する、その繰り返しである。
 ちなみに、新旧七台のマイクロフィルム機器が並ぶこのブースは、現在、茂と島本のふたりだけになっている。大学生の卒論需要や研究者の論文需要も端境期だし、そもそも昨今は地道に図書館を漁るより、手軽なネットに流れがちだ。大学生が卒論にWikiの無根拠私論や誤謬をまんまコピペしたり、プロの研究者が海外の論文を翻訳ソフトで誤読しまくり、さらにそれをつぎはぎにして学位に挑む時代である。
 茂がぼやいた。
「こーゆーの、早く全部デジタル化してくれませんかねえ」
「まあ、予算的にも時間的にも、ここじゃ不可能だろうな」
 島本の返事も、ぼやき口調だ。
 近頃の新聞なら、初めからデジタル化されている。新しいマイクロフィルムなら、カセット化されて半デジタル的な検索も可能だ。しかし四十年前となると、早い話がアナログ35ミリ映画フィルムの同類である。一巻あたりおおむね六五〇コマ、ぽちぽちとコマ送りしながら確認しなければならない。
 せめて一時間にひとつくらい、たとえ欠片のような記事でも、何かそれっぽい情報が見つかればいいのだが、今のところ、ハワイアンランドがらみの事件らしいものといえば、開業後まもなく起きた地元の若い男女による痴話喧嘩――別れ話がこじれて女が男を果物ナイフで突っついて全治二週間、そんな一件くらいである。
「……ケツが痛い」
 島本が、呻くように言った。
「あっくんは大丈夫か」
「……そろそろ、まずいですね」
 お互い稼業が座り仕事、日頃から尻事情はよくない。島本ほど筋肉のない茂など、出口あたりの括約筋も弱いのか、何年か前に脱肛まで経験している。
「うかつだった。なんか持ってくりゃよかった。千鶴子に持ってこさせるか」
「いや、待ってください。そろそろ、あいつらが着く頃だ」
 茂は茂美にメールを入れた。
『今、どこらへん?』
 すぐに返事が届いた。
『やっほー! もうすぐ市役所前』
『座布団、それかクッション希望。百均のでいい。念のため五枚』
 三台ある旧型リーダーのうち、隣の一台も予約してある。そこは優太が使う予定だから、一枚は余分があったほうがいい。島本と茂は、一枚では足りなさそうだ。
 その依頼を知って、島本が別の追加を頼んだ。
「それと、虫眼鏡ふたつ」
 新聞によって地方版は原紙しか所蔵していないので、女の子たちにもチェックを頼もうと思ったのである。昔の新聞はどう保存しても変色して読みにくくなるから、ルーペがあったほうがいい。
『了解。ボラギノールも買う?』
 茂美が察して訊ねてきた。
『いらね』
 その程度の市販薬で済むなら、世に肛門科の医者は必要ない。

 やがて、子供たちが図書館に到着した。
 活気あふれる女子ふたりに比べ、本来主役のはずの優太がオマケに見えてしまうのは、ビジュアル上、いたしかたないことだろう。どでかい百均の袋まで下げているから、荷物持ちの下僕というところか。
「じゃあ、これ、頼む」
 茂に一巻のリールを渡され、
「うん」
 優太は席に着くと、手慣れた様子でリーダーに装填しはじめた。世のご多分に漏れず、こうしたメカトロニクス物件の操作は、若年者のほうが物怖じしないし忘れにくい。おまけに運動音痴の優太は、図書室や図書館がホームグラウンドである。
「いや、ありがたいありがたい」
 島本は安手のクッションを受け取りながら、茂美たちに言った。
「で、君たちにもお願いがあるんだが」
 入館直後に端末検索しておいた、レシート状の書誌情報を何枚か渡す。
「このぶんの新聞、チェックしてくれないか。半月ごとに綴じてあるから、書庫から出してもらって。読みにくかったら、その虫眼鏡でね。全部じゃなくて、峰館版のページだけでいい。ハワイアンランドの文字があれば、もうなんでもいいから何年何月何日何面、それだけメモしてくれれば、あとで俺がチェックするから」
「はい」
 茂美のほうは、うわ、遊びに来ただけなのになんなのそれ、みたいな顔をしたが、美紀にしっかりうなずかれてしまったら、いやとも言えない。
「ほう」
 島本は、感心して言った。
「美紀ちゃん、こーゆーの、ちゃんと解るんだ」
 最初は実習的にやって見せる必要があるだろうと思いながら、説明していたのである。
「はい。前にちょっと、教わったことがあって」
「これは頼もしい。ゆっくりでいいから確実にね」
「はい」
「茂坊は、運搬役メインでいいよ。重いから」
「へいへいへい」
 そんな重い物を女子供に押しつけてどうする――そんな心配は無用である。茂美はこの場の誰よりも強い。
「おらたち百姓は死ぬしかねえだか」
 などと意味不明な愚痴をつぶやいている茂美を連れて、美紀は、書庫担当のレファレンス・カウンターに向かった。
「どこでこんなん教わったの、あんた」
「えーと、ちょっとね」
 入学してまもなく、アニメ同好会のぶよんとしてしまりのない汗っかきの先輩男子たちから無理矢理伝授された、アニメ番組地方放送史研究技のひとつである――そんな説明は、あまりしたくない。
 みんな美紀に対しては必要以上に淡泊で、けして悪い人たちではなかったのだけれど、ニキビ面で「二次最高!」とか断言されると、やはり不気味なのである。彼らが実は三次元女子に淡泊なわけではなく、陰で苛烈に牽制しあっていただけ、そんな真実は、まだ美紀の管轄外だった。
 とりあえず、それぞれひと月ぶん、半月の綴りを二束ずつ借り出す。
 厚さは月によってまちまちだが、溜めこんだ古新聞を資源ゴミの日に捨てた経験のある方、あるいは新聞配達経験者なら、その総重量は見当がつくだろう。
 それを、ふたりぶん悠々と持ち運びながら、
「『ああくたびれた。なかなか運搬はひどいやな』」
 茂美が妙な声色で言った。
「――だーれだ?」
 茂美も美紀と気が合うだけあって、単なる鉄腕少女ではない。
 美紀は即答した。
「『セロ弾きのゴーシュ』の三毛猫さん」
「さすがミー坊」
「美紀!」
 閲覧スペースの大机に並んで座り、ぱらぱらとチェックを始める。
 峰館版のページだけなら毎日三ページ、ひと月あたり百ページ弱の勘定だ。
 茂美が数分で音を上げた。
「うああああああ」
 場所が場所だから、あくまで小声である。
「あたしもうダメ。竹刀振りたい。夕日に向かって走りたい」
 やはり高畑勲監督や宮沢賢治ほどの知的忍耐力はないようだ。
 美紀はくすくす笑って言った。
「裸足で走ってくれば?」
「あんた、あたしを町中の見世物にしたいか」
 ちなみに茂美の足の裏は、靴の底ほど硬い。育ち盛りの中学生が二年も田舎の剣道部で鍛えれば、山道だって素足で走れるようになる。
「ちょっと先の北高まで走れば、きっと剣道部に入れてくれるよ」
「でも、あそこはレベル高いしなあ、頭のほうの」
 峰館北高は、市内で中の上、ことによったら上の下にもちょっと属する県立女子高である。美紀もそこを狙っている。
「茂美ちゃんなら、大丈夫だよ」
 今の茂美の偏差値でも、四分六で受かるだろう。三年で本腰を入れれば、まず確実だ。
「でも考えちゃうんだよねえ。峰女なら剣道で入れそうだし、授業も楽そうだし。でもあそこ、やたら校則キツいって言うしねえ」
 どんなに小声でも声である限り、図書館ではクレーム対象になる。
 案の定、近くにいたお年寄りから、こらこらっぽい視線が届いた。
「へいへいへい、おらたち村娘は黙って売られるしかねえだか」
 ささやき声の愚痴を残し、茂美は作業に戻った。
 もとより美紀は没頭した。
 夕日に向かって裸足で走りたくない美紀だって、夕日の下でおしゃべりするのは大好きだ。しかし今は、やっぱりあの木馬の子が気になる。
 山福家のAVルームは現在封印ということになっているが、施錠されているわけではない。泰蔵も念のため時々覗きに下りるし、実は美紀も夜中にこっそり見に行ったりする。そして、三日目の今となっては、もうまったく恐くない。あの寂しそうな顔を見るたびに、とにかくなんとかしてあげなければ、そんな気持ちが高まってくるのだ。
 なんとかしてあげるためには、どんな事情があるのか知らねばならない。
 結局、ロッテンマイヤーな淑子の内面にある多大な母性を、美紀も立派に受け継いでいるのである。
 相手の生死さえ問わないのは、やや立派を通りこしているかもしれないけれど。

 そうして年齢性別問わず、五人とも、夜の閉館間際までそれぞれがんばったが、結局、有力な情報は、ひとつも得られなかった。
 駐車場に停めてある茂の車に向かいながら、島本は言った。
「ま、いちんちで埒があくとは思ってないけどな。最低でも三四日はかかるだろう」
「島本さん、いつも、こんな仕事やってるんですか」
「そりゃ年に何回かはな。そーゆー仕事だもん」
 茂は、かなり感心していた。ある程度の現実さえ踏まえれば自由に飛び立てる自分より、はるかにハードな著作活動である。それを島本は、大した稼ぎにならないサブカルの隅で、営々と続けているのだ。
「さて、じゃあ、次はその現物を拝ませてもらうか。美紀ちゃん、あっくん、よろしく」
 今夜は山福夫妻の合意の上で、美紀の門限は一時間特別延長、これから島本も茂の車に同乗し、例の木馬を実地検分することになっている。茂美もオマケ、もとい協力者として同行を許されている。
「おなかすいたよう、美紀」
「お母さん、ごちそう用意して待ってるって」
「やったね、今日はホームランだ!」
 だからお前はいったいいつの生まれだ我が娘――『我が娘』の部分は、他の三種類に入れ替え可能である。
 島本が助手席に座り、美紀たち三人は後ろに収まる。
 茂美は当然のごとく、真ん中に乗りこんだ。弟の内心のアレに薄々気づいているからこそ、今は時期尚早、誤った姉弟愛によって旧友に虫を寄せてはならない。小心な優太もまた、まだそのほうがありがたい。
 右に街の灯が流れ、左に夜の山並みを仰ぐバイパスを、南峰館に向かって走っていると、
「よ、優太」
 予期せぬ六人目の同乗者が、フロントグラスの外のど真ん中、上から逆さまに顔を出した。
「わ」
 例によって優太が声を上げたが、走行中なので誰にも聴かれずに済んだ。
 優作は逆さまのまんま、茂美に挨拶した。
「おっひさー、おねいさまあ」
「なんてとっから出てくんだ、あんたは」
 無論、声ではない会話である。
 優作は、のそのそと車のルーフから這い下りて、ボンネットの真ん中にあぐらをかいた。
 茂美と優太に向き合い、改めて、や、などと敬礼する。
 自分と茂美にしか見えていないとは悟りつつ、なにせどーんと正面で視界を遮っているものだから、優太は思わずはらはらしてしまった。
 優作は、あくまでマイペースで、
「あ、なんか、後ろ向きだと酔いそう」
 ごそごそと前に向き直り、
「ひゃっほう、走れ幌馬車!」
 だからお前はいったいいつの――以下略。
「……ほんっと、気まぐれな奴」
 茂美も思わず声にしてしまい、隣の美紀にハテナ顔をされ、あわててごまかした。
「あ、いや、ちょっと内輪の話」
 なんだかよくわかんないけども、やっぱりひとりっ子より兄弟がいたほうが面白そうだな、と美紀は思った。

     2

 平坦な夜の田圃をしばらく走り、広いバイパスから、やや細い左の市道に抜け、東に上る。
 しだいに勾配を増す畑地と、点在するいくつかの集落を縫って、蔵王方面をめざす。
「なるほど、やっぱり自分の脚で探らなきゃだめだな」
 山福家のある見晴が丘ニュータウンが近づくと、助手席の島本が言った。
「峰館近郊にアレを造るんなら、確かにここらへんだ。峰館駅も神ノ山駅も車ならすぐだし、当時は最寄り駅にも、奥羽本線の急行が停まったわけだし」
「寄り合い所帯も、まんざら馬鹿じゃなかったってことですね」
 そのとき茂の胸ポケットで、携帯が連続震動した。運転中なので、出るわけにはいかない。とりあえず伝言メモに任せ、茂は山福家の花壇横に車を停めてから、電話の主を確認した。枕崎である。
「ちょっと先に行っててください」
 皆が下りた後、茂は枕崎に電話を入れた。
「おう、どうした」
『誰か周りにいるか』
 枕崎は、人目をはばかるように、もとい人耳をはばかるように訊ねてきた。
「大丈夫。俺ひとりだ。先生の家の前にいる。今から、また例の木馬を見に行くとこだ」
『ちょうどいい――のかどうか解らんが、とにかく、もうひとつ伝えたいことができた』
 あの【世界が正しく見える眼鏡の作り方】に関することだろう。正確には、その原料の話である。枕崎が今さら内緒話を望むなら、それしかない。
『アレと今回の件と、関係あるのかもしれない』
「でも――どこが、どうして?」
『俺の息子が、トシナに入社したのは知ってるな』
「おう」
 枕崎の長男は、よほど父親より母親の遺伝子が強かったのか、ストレートで東京工科大から一流光学メーカーに進んでいる。確か一昨年、茂も仰天して入社祝いを奮発したほどだ。
 TOSINAという社名自体は、一般世間ではNIKONほど知名度が高くないが、ガラス溶解からレンズ製造まで一貫した設備を持つ、メイド・イン・ジャパンの立役者なのである。国産高級カメラはもとより、ライツやツァイスのOEMまでやっている。
「……なあるほど」
 茂はすぐにピンときた。
『はい、おおむね、ご想像のとおり』
 枕崎は言った。
『あいつの上京が決まったとき、アレがほんの一滴ぶん残ってたんで、ちっこいガラス瓶に入れて、お守り袋に入れて渡したんだよ。実際、あくまでお守りのつもりだったんだが――どうも就職してしばらくして、なんか初仕事で自信がなくて、いきなりどっかで使っちまったらしい』
 やっぱりお前の子だなあ、とは茂も口にしなかった。
「つまり――それがボルコのレンズに?」
『そこいらは、配属先がガラス原料部門なんで、はっきりしない。ただ、その頃、トシナがボルコに、リペア用のレンズを一ロット出荷したのは確かなようだ』
「あんな古物のパーツを、まだ造ってるのか」
『ああ、さすがにヨーロッパは物造りのスパンが違うよ』
 そこに感心している場合ではないのだが。
 枕崎は続けて言った。
『俺の経験からすると、あんな一滴じゃ、せいぜい眼鏡二三本に使えればいいところなんだ。でも、それ以外の条件が幾重にも重なったら――たとえば映画そのものにこめられた膨大な関係者の熱意とか、お前の異常なこだわりとか、そこにいたみんなの情動とか――まあそれでも、ありもしない何かを形にする、そんな力はないはずなんだがな』
「いや、それだけ聞けば充分だ」
 今のところ判明している事実だけを、茂が枕崎に伝えると、
『――なるほど確かに、すでにそこにあったモノくらいなら、見えるようになるかもしれんな。もっとも、なんの解決にもならんが』
「でも、なんかすっきりした。あとは、こっちでなんとかするよ」
『ああ。どのみち俺には、これ以上なんもできん。でも、なんか続きがあったら、いちおう教えてくれ』
「了解。じゃあな」

 茂が玄関で声をかけてから山福家の客間に入ると、お座敷スキヤキの準備が整っていた。
「ご苦労だったな、茂。まあ、まず軽く一杯やれ」
 ビールを勧める泰蔵の顔も、隣の島本の顔も、すでにほんのり赤かった。昔、同じアパートの火事で焼け出された仲間だから、旧交は温め済みなのだろう。
「あ、でも俺、コレですから」
 茂がハンドルを回す仕草をすると、
「大丈夫。こっちの二本はノンアルだ。気分だけで気の毒だがな」
 見れば、優太もビールっぽいものを飲んでいる。
「……うまいか?」
「うん」
 このあたりは祖父や父親ゆずりで、甘い飲み物より苦み系が好みなのである。
 淑子と美紀と茂美がいっしょになって、大ぶりのスキヤキ鍋をじゅうじゅういわせはじめた。
 泰蔵は言った。
「もう俺も覚悟を決めた。あの部屋以外、実害はないんだ。別に陰気でもないし、恐くもない。だから急がなくていい。でもまあ、仕事に差し障りがない程度に、話を進めてくれるとありがたいな」
「あっくんは、そうすれば?」
 島本が、リラックスした様子で言った。
「もともと俺の専門分野だしな。事情がはっきりしたら匿名でネタにする許可も、山福先生にもらったし」
「でも、今さっき、ちょっと情報が入りましたよ、枕崎から」
 注目する皆に、茂は言った。
「やっぱり、急にアレが見えるようになった原因は、あのボルコみたいです。具体的に何か憑いてるわけじゃありませんが、とにかくなんらかの霊的な力がこもっていて、それが、あの木馬や女の子を見えるようにしたんじゃないか――そんな話でした」
 例の『ほんの一滴ぶんのアレ』に関しては、ぼかさざるをえない。
「ほう。残念、やっぱりお前のオーラじゃなかったのか」
 泰蔵は余裕で軽口をたたいた。
「オーラだとしたら、たぶん、そこにいた全員のオーラでしょうね」
 茂は、曖昧に話を合わせた。
 とりあえずそっちの話はちょっとこっちに置いといて――そんな顔で、淑子が口を挟んだ。
「はいはい皆さん、そろそろ、お肉をどうぞ」
 いつもの親子三人ではないから、淑子も勧め甲斐がありそうである。
「すごいよね、父さん」
 茂美が、ちょっと興奮気味に言った。
「こうやって、まず焼いたお肉だけじっくり味わったりして、そのあとでお野菜とか、ぐつぐつになるんだって。うちじゃ、いきなりどーんと大鍋でぐつぐつだもんね」
 茂と優太は、苦笑するしかなかった。なにせ亜久津家では、三世代十人が一緒に食べるのである。そのうち四人は、飢えた子犬の群れのような連中だ。スキヤキも水炊きも峰館名物の芋煮も、ほぼ似たようなごった煮状態、戦場の鍋になる。
 茂美の横から、優作が言った。
「うわ、情けねえ」
 実は優作も、ずっと客間をうろついていたりする。
「お里が知れるってなあ、このことだな」
 茂美としては、いい災難である。ほっといて、と言い返しながら、何事もなげに、お肉じゅうじゅうを続けねばならない。
「俺なんか、浅草の今半とか銀座の但馬屋とか、きっちり食ったぜ」
 死んでんのにどーやって食うんだあんたは、とツッコミながら、顔は別方向にニコヤカを保たねばならない。
 とりあえず無視――は無理にしろ、とにかく不自然ではない態度をとるのに、茂美も優太も懸命である。
 なにかと心配性な優太は、優作にしてみればほとんどシカト状態で不愉快なのではないか、そんなふうに気を遣ったりして、美紀ちゃんとの初会食イベントを、おちおち味わっていられない。
 もっとも優作自身は、生者のシカトには慣れっこだから、そんな姉弟のハラハラ状態を、からかうように楽しんでいるようだ。
 たとえば優太が箸を手にすると、優作も、その箸に手を伸ばす。
 ひょい、と手を交わした直後には、同じ箸を優作も手にしている。
 ――なあるほど、革ジャンなんかも、こうやってGETしたのか。
 優太が感心しながら、牛肉を小鉢の卵に絡めると、
「もーらいっ」
 優作は、ほどよくピンクの残るその霜降りを、ひょい、と横から先に頂戴してしまう。
「んむ。こりゃうめえ。火かげんも絶妙だ」
 などと、もぐもぐしている前の小鉢では、優太の箸先に、その肉がちゃんと残っているのである。
「いい肉食ってんなあ、ここん家《ち》は。俺、こっちに居着こうかな」
 ――なあるほど、母さんや婆ちゃんが毎朝仏壇に供えている御飯も、あながち慣習だけじゃないのかもなあ。
 ご先祖様の食欲を想い、思わず襟を正したりする優太なのだった。
 そうして賑やかな、一部とっちらかった晩餐が続くうち、
「……ねえ、お母さん」
 美紀が、手元の小鉢を見ながら言った。
「これ、あの子にも、お供えしていいかな」
 他の一同は、微妙な表情を浮かべた。
 島本や茂美は、まだ対面していないのでなんとも言えないが、泰蔵や淑子や、茂や優太は、あの木馬と少女にそれぞれ種々の神秘を覚えこそすれ、そうした親和感までは抱いていないのである。
 ――ああ、美紀ちゃん、やっぱり女の子っぽくて優しいなあ。
 改めて胸をきゅんとさせたりしている優太に、優作が言った。
「やめさせろ」
「え?」
「あの木馬の子には、どうせ何も見えちゃいねえし、下手すりゃ藪蛇だ」
「…………」
「とにかく、俺ほど吹っ切れてねえ奴に、赤の他人が優しくするのはペケなんだよ」
「……わかんねえ」
 つい美紀を擁護しようとする優太に、優太は、あんがい厳しい目を向けた。
「俺が信用できねえか」
 うわ、そんなシビアなレベルか――優太は黙りこんだ。
 それらの会話は、当然、茂美にも聞こえている。
「でも……なんて言ったら、いいんだろ」
 茂美にとって、美紀はふつうの友人よりも、妹に近い存在だ。優太みたいに弱っちくないし、優作みたいに憎たらしくないし、下の四人みたいに喧しくない。つまり、それだけ可愛い妹である。
 つかのま逡巡していると、
「それは、まだいいんじゃないかな、美紀ちゃん」
 先に口を開いたのは茂だった。
「あの子は、お肉や卵が嫌いかもしれないし、ネギだって苦手かも」
 島本が言い添える。
「そうだな、美紀ちゃん。そこらへん、俺がしっかり調べてやるから。あの子だって、ケーキのほうがいいかもしれないし」
「……はい」
 美紀も、なんとなく納得してうなずいた。
 優作は、父親と島本に、感心したような目を向けた。
「さすがオヤジら、無駄に長く生きてねえわ」
 それぞれ別の意味で――茂はやや深いレベルの仏教的意識において、島本は仕事がらみの種々の先例に照らして美紀を止めたにせよ、方便が大人である。
 ともあれ、その後は何事もなく――ただし一部、水面下でかなりとっちらかったまんま、和やかなスキヤキ・パーティーが進む。
 食後のお茶でひと息つくと、島本が言った。
「さあて、山福さん、そろそろ見せてもらえますか、えーと、その、アレを」

     3

「取材で全国回ってりゃ、ふたつやみっつは、それらしい物を見たこともある」――昨日の島本の言葉は、けしてハッタリではなく、むしろ控えめな表現だった。
 華厳の滝の岩肌だの、新興宗教信者がありがたがっている本山のオーブだらけ洞窟だの、幽霊病院の廃墟だの、そうした有名な『心霊スポット』では、いっさい超自然現象を見たことがない。すべてが物理的あるいは心理的に、自然現象として説明がつくことばかりだ。ネットに出回る心霊写真や心霊動画と称するものも、99.9パーセントは自然現象、あるいは捏造である。
 それでも、あるとき、あるところでは、超自然物件が実在する。もとい、するらしいのも確かなのだ。
 たとえば島本は、峰館近郊の某団地の一室で、すでに一家心中を遂げたはずの家族が、仲良く一家団欒を楽しんでいる現場に遭遇したことがある。京都の某寺社で、白昼に瓦屋根の上を優雅に散歩――たぶん散歩しているのだろうと思われる、日傘をさした和服の女性を見たこともある。東京にいた頃に何度か通った青山霊園や雑司ヶ谷墓地には、残念ながら何もそれらしいモノがいなかったが、雑司ヶ谷から池袋駅に至る途中の裏路地で、明らかに戦災に遭ったと覚しい襤褸を纏った子供が数人、横を走り抜けたこともある。しかし、同じ戦争で破格の大惨状を呈した広島や長崎では、一度もそれらしいモノを見かけなかった。
 たぶん、それらのモノは、この世界の無限の物理の根源を成す何物かと、個々の脳髄、つまり意識の根源を成す何物かが奇跡的に重なったある瞬間、第三者にも見えるようになるのではないか――そんなふうに、島本は解釈していた。島本は未だに出会っていないが、いわゆる霊能者――幻覚者や欲求知覚者ではない真の霊的能力者がいるとすれば、その人物は、たぶんその『何物か』を、凡人よりも多く備えているのだろう。
 島本は知る由もないが、実は枕崎や茂が知っている『ほんの一滴ぶんのアレ』――かつてはひと抱えもあるぶよぶよした塊だった、通称『なんだかよくわからないもの』――もまた、森羅万象の因果律に人智を無視した玄妙な作用を及ぼすという点において、まさにその『何物か』に属する存在なのかもしれない。
 どのみち島本本人にとって、それら霊的な存在は、大概ほんのいっとき、長くて二三分で霞のように消えてしまう。だからこそ島本は、例の木馬や少女を前に、誰よりも感動していた。いくら見つめても霧消しない、初めての超自然物件である。
「これは……すばらしい」
 現在、峰館地下八畳名画座の最前列――もっとも座席は二列だけだが――は満席で、茂と優太は後ろの席にはみ出している。反対の端には、優作もちゃっかり座っている。
 一昨日のように、茂がボルコで映画『回転木馬』を映写したり、その電源を落としたりした後、島本は立ち上がり、スクリーンに近づいた。
 茂美も面白がって後に続く。
 島本は、慎重に木馬をすり抜けて、内側に入った。
 茂美は木馬の外側で、物怖じせずに、あのワンピースの少女を見つめていた。
 優作も、茂美の横に立った。
 島本が泰蔵に尋ねた。
「このスクリーンのむこうは、土の中なんですね」
「そうなるな」
 泰蔵は、地下室の右横壁の後方、天井近くにある小窓を示した。
「土の上に出てるのは、あのあたりまでだ。あそこにエアコンでも付けて、一年中楽しめるようにしたかったんだが――ちょっとまだ無理っぽいな。いっそ四谷のお岩さんでも出てきてくれたら、夏場に涼しくてよかったのに」
「あなた」
 淑子が、顔色を変えて言った。
「冗談でも、言っていいことと悪いことが」
 ファンシーな木馬や、幼げな子供だからこそ、淑子もまだ我慢できるのである。
 泰蔵は、軽く笑ってごまかした。
 茂美が優作に、声ではない声で言った。
「ずいぶん根気のいい子供だよね」
 壁に消えてゆく少女を見送って、
「あたしだったら、あんなふうに、四十年もぐるぐる木馬にまたがってるなんて、とても我慢してらんない」
「そりゃ茂美はな。三輪車も三分で飽きて、裸足で駆け出すガキだったからなあ」
「ほっとけ。――だいたい、あの顔、子供の顔じゃないよ。なんか、もー人生ぜーんぶ諦めました、そんな顔じゃん。ほんとに子供なの、あれ」
 優作は、そうか、そういう見方もあるか、みたいな顔をした。
「まあ、仮面ライダーみたく豪快に変身する奴も、中にはいねえこたないけど――今んとこ、俺にも判らねえ。ほんとに、なーんも感じないからアレは」
「そっか……」
 それらの会話は優太にも聞こえているわけだが、もとより優太の考えの及ぶところではない。
 優太は幼い頃から、平気で何時間も黙って本を読んでいるような子供だったし、幽霊にも解らない他の幽霊の内心を、優太が汲めるはずもない。
 島本が、泰蔵に言った。
「念のため、外から見せてもらっていいですか」

 島本は、非常用のLEDライトを借りて、玄関先から横庭に回った。
 建売住宅にしては、田舎らしい広めの横庭で、隣家との境も垣根だけでなく、暗い樹木がそこそこ茂っていた。
 島本の後ろから、ぞろぞろと全員が続いてゆく。
「……あの、山福先生だけでいいんですけど。まだ夜は寒いし」
 いやいやいや、こーゆー滅多に見られない趣向は、きっちりこの目で見ておかないと――。
 結局全員、裏の土留めブロックになかば接した、家屋の突き当たりまで進む。
 僅かな根雪がこびりつくように残る地面近くの角を、泰蔵が指さした。
「そこが、あの窓だ」
 縁の下になぜか小窓がある――そんな部分を、島本は屈んで覗きこんだ。
 試しにライトを消すと、なるほど極小のサッシの網ガラスは、中で回っている木馬の光を、心なし宿している気がする。
 島本は、周囲の地形を見回しながら言った。
「ハワイアンランドから段々畑、そして宅地開発――どっちでも土盛りされたり削られたり――家が建つ前は、この家の並びも含めて、半分は土の下だったんじゃないかな」
 茂が、暗い顔で言った。
「土の中で、ずっと回り続けていたんですかね、あの回転木馬も、あの子も」
 各人、それぞれの想いに沈む。
 くすん、と、微かなしゃくりあげが響いた。
 美紀が、涙ぐみはじめていた。
 茂美は美紀の頭を、よしよし、と撫でた。
「恐くなっちゃった?」
 美紀は、ふるふると頭を振った。
「……かわいそうだよ……そんなに、ずうっと……」
 中二にもなってみっともないとは思いつつ、美紀自身にも、こみあげるぐじゅぐじゅは止められない。 
「……ひとりぼっちで……真っ暗な土の中で……」
 しまった、と茂は思ったが、もう遅い。
 つい編集者相手の惹句のような表現をしてしまったが、あの、極力煽りを排した『河のほとりの猫』でさえ大感涙してくれたという少女に、この場で聞かせる言葉ではなかった。
 淑子が、そっと美紀の頭を抱き寄せた。
 茂美も、横から美紀の肩を撫でた。
 思わずもらい泣きしそうになっている優太の耳元に、優作がささやいた。
「下を見るな」
「え?」
 見ると優作は、なぜか鬼のような顔をしていた。
「あの窓、見るなと言ってんだ」
 そう言われると、つい反射的に見てしまうのが、優柔不断な人間の常である。
 横手の足元にある、あの床下の窓をちらりと窺って、優太は声も出せずに凍りついた。
 誰かが、その小窓から地面へと、うつぶせに這い上がろうとしている。
 島本のライトから逸れているので、窓のあたりは、ほぼ暗黒である。
 無論、網ガラスも堅く閉じている。
 しかし確かに、おぼろげな光を宿す人影が、じわじわ這い上がろうとしていた。
 子供ではない。
 長い黒髪と両手に続き、白い夏服の肩口が現れた。
 優太は、震えるのさえ忘れて棒立ちになっていた。
 ――貞子? いや伽耶子?
 どちらでもあるはずはないが――もう生きていない大人の女である。
「……見ちまったもんはしょうがねえ」
 優作が言った。
「そりゃ、見るなって言われたら見ちまうわなあ。俺としたことが、なんてアホだ。でもウスラボケっと固まってる場合じゃねえぞ」
 幸い他の一同は、しゃくりあげている美紀を気遣って、すぐ横の足元の異変に気づいていない。
 茂美だけは、優作の警告を耳にして、身をこわばらせている。
「おい、茂美」
 優作が言った。
「なんでもいいから、みんなここから逃がせ。間違っても『窓を見るな』なんて言うなよ。なんでもいい。とにかく明後日《あさって》のほうに目をそらして――解るな?」
 茂美は、明後日のほうを向いたまま、こくりとうなずいた。
 少々の間を置いて、
「あっ! UFO!」
 力いっぱい今の自分の後ろ、つまり家の前の夜空を指さし、
「なんか白っぽいの! マジ、矢追さんみたくジグザグ飛行!」
 やや棒読みだが、迫真の演技だった。
「あっちの山に、今、飛んでった! ほら、美紀、行ってみようよ」
 え? え? と戸惑っている美紀を、茂美は巧みに抱えるようにして、玄関方向に移動しはじめた。
 他の一同も、自然、そちらに向かう。もう裏の検分は済んでいるし、ふつうなら世迷い言の『あっ! UFO!』だって、なにせ超自然物件に馴染んだ連中のこと、もしあるのなら検分するにやぶさかではない。
「よし、OK」
 優作は、一同が玄関方向に曲がったのを見届けると、屈みこんで、すでに背中を現しはじめている女に話しかけた。
「なあ、お姐さん」
 見ず知らずでも、そこは幽霊同士である。仁義はわきまえねばならない。
「何があったか知らねえが、ワケアリならワケアリで、ちょっとオイラと話してみねえか?」
 しかし女はまったく反応せず、緩慢に、なお這いだしつづけている。
「……やっぱし、なーんも聞こえねえ手合いか」
 苦々しげにつぶやいた優作は、ふと、横に立っている学生服の足に気づいた。
「なんだ優太、逃げなかったのかよ」
 優太は、スニーカーの先までがくがくと震わせながら言った。
「……これ、美紀ちゃんが?」
 いや、この場合、美紀ちゃん『に』かもしれない。
「あ? ああ。察しがいいな」
 優作は言った。
「さっきから、ヤバイんじゃねーかヤバイんじゃねーかと思ってたんだが、どうも、マジに懐かれちまったっぽいぞ。そーゆー気配があると、なんでだか自然に寄ってっちまうんだよ、この手のナニは」
「でも、この人、あの子じゃ……」
「もともと、女の子なんかじゃなかったんだよ。本人が女の子のつもりでいただけ――子供の昔に戻りたかっただけ――ま、そんなとこだろ。茂美も、さすがだよな」
 ずるり、と、女が腰まで窓を抜けた。
 汚れた白いワンピースの背中に、乱れた長い髪が張りついて見えた。
「こうなったら実力行使!」
 優作が、がばり、と女に取りついた。
「姐さん、ごめんよ!」
 肩を押さえて、力任せに、窓の中に押し戻そうとする。
 しかし女は、慢心の力をこめる優作をまるっきり無視して、なお、這いだしつづけている。
「こなくそおっ!」
 ずる、と優作が押し返された。
 悪夢のようだ、と優太は思った。
 美紀ちゃんちの裏庭で、本格JホラーとヤングVシネマが、マジに絡み合っている――。
「くそ、埒あかねえ」
 優作が一瞬息を継いだ瞬間、
「え?」
 優作の体の下から、ぬるっ、と白いものが流れた。
 もう、女は立ち上がっていた。
「え?」
 優太の真正面である。
 白いワンピースの胸から裾まで、ぐっしょりと赤黒い染みが見える。
 顔にかかっている黒髪が、べったり濡れて見えるのも、もしかしたら――血まみれなのだろうか。
 だめだ、と優太は思った。
 こんな人を、美紀ちゃんに近づけてはいけない。
 そう決めたとたんに、不思議に震えが止まった。
 優太は女に向かって踏みだした。
「……戻ってください、お願いだから」
 やはり、何も聞こえていないようだ。
 女は、漂うように歩を進める。
「姐さん、やめとけ!」
 優作が、女の足にしがみついた。
 しがみついたまま、優作の腕も手も、いっさい女の足の動きを阻めない。
 優太の脳味噌は、真っ白い海胆《うに》になっていた。
 俺に止められるのだろうか。ただすり抜けてしまうのだろうか――。
 深く考える余裕もなく、優太は、自分よりやや背の高い女の、だらりと下げた両の二の腕を、両手でつかんだ。
 これは――手応えなんだろうか。
 優作とうっかり重なったときとは違い、確かになんらかの弾力を感じる――いや、感じるような気がする。
 生ぬるい粘液でできたマネキン、そんな感触だった。
 しかし粘液に皮膚はない。
 女は、そのままずぶずぶと優太の手を抜け、さらに近づいてきた。
 むわ、と、黴びた干物のような息を感じた。
 べとついた髪の間から、虚ろな目が見えた。
 その目は、優太を見ていない。
 たぶん何も見ていない。
 虚空すら見ていないのかもしれない。
 優太は恐怖よりも、とてつもない寂しさを感じた。
 ――あの子の目だ。
 ただ、今は、ほんの少し生気が――いや、この場合、死気か?
 女の顎が、優太の額に交わる直前、
「うわ!」
 足元の優作が、手応えを失って地に伏した。
 優太の目の前で、白と赤の斑模様が、垂直に流れた。
 さっき優作の下から逃れたときのように、女は自らの有りようを変えたのである。
 優太が振り向いたときには、なにか灰色の蛇のようなうねりが、横庭の闇を縫って遠ざかっていた。
 優太と優作は、猛然とダッシュした。
「なめやがって、あのアマぁ、ウナギか!」
 ふたりが追いついて飛びかかると同時に――その流れる女は、ぬるりと玄関方向にうねった。
 しがみついた相手がなんであれ、いきなりほぼ直角に移動されてしまうと、当然、力いっぱい振り回される。幽霊同士の優作は、なんとか女の胴にしがみついたままこらえたが、手応えのおぼつかない優太は、あっけなく振り切られてしまった。
 きりもみ状態で、冬枯れの垣根に頭から突っこむ。
「あだだだだ」
 あわてて顔をかばっても、小枝にびんびん弾かれてしこたま痛いわけだが、痛がっている場合ではない。優太は転がる先から立ち上がり、ばさばさと垣根を掻き分けて前庭に飛び出した。
 仰天したのは、玄関先で茂美主導の「あっち向いてホイ」を展開していた一同である。横庭方向の騒ぎに振り向くと、いきなり真正面からUFOならぬJホラーが飛んできたのだ。もっとも姿全体ははっきり見えないし、顔もブレている。とにかく宙を突進してくる異形の人影、そんな認識である。
 淑子はとっさに美紀と茂美を両腕に包み、覆い被さるように背を向けた。さすがは骨の髄からロッテンマイヤー女史タイプ、とっさの護りも鉄壁である。
 ひとかたまりになった淑子たちの前に、泰蔵が文字どおり鬼瓦の形相で立ちはだかり、そこを島本がスタイリッシュなビジュアル相応にびしりと前衛、茂もそれに並び重なるようにして、調理前の高野豆腐程度にはガードを固める。
 その時点で、娘たちを除く大人たちの目は、迫り来る女の異相を、きっちりズーム・アップしていた。
 ならば泰蔵はともかく、茂や島本が瞬時にそこまでクールにキメられるものか――そんな疑問は無用である。幼少期にまともな躾を受けた峰館男なら、いかなる事態でも本能的に女子供を守る。もっともこの場が男三人だけだったら、島本と茂がいっしょになってハバのある泰蔵の背中にへばりつき、力いっぱい前に押し出して盾にした可能性は高い。
「こなくそおっ!」
 優作は片手で女の胴を締めつけながら、横を流れる庭木の枝に手を伸ばした。それを物理的に握れるかどうかは、あくまで相対的な意識の問題である。ばさばさと枝を薙ぎはらいながら、いくらか女の進路を逸らした。
 顔面擦り傷だらけの優太も、追いついて飛びかかる。
 その隙に、泰蔵が淑子たちを屋内に入れた。
「先生も中へ!」
 島本と茂は、外に残って身構えた。
 女は、庭先の宙を、とぐろを巻くように飛び回った。
 優太は飛びかかった勢いのまま、女の上から顔の前までのめりこんでいた。優太の場合、実際に、女にめりこんでしまうのである。
 優太の顔と女の顔が、逆さまに交わった。
 血に濡れた髪も虚ろな目も、そこにめりこんでしまえばただの闇、例の生ぬるい粘液のような感触しかない。傷にもしみない。しかし粘液じみているだけに、優太の口にも鼻にも、女の顔そのものが流れこんでくる。優太は反射的に口を閉じた。これで粘液に味まであったら嘔吐悶絶必至だが、幸いにしてなんの味もなかった。微かに肉の匂いを感じたくらいである。
 さすがに女もただならぬ違和感を覚えたらしく、コースを乱して屋根方向に大きく蛇行した。
 ぬぼ、と優太は顔を引き抜いた。
 茂も下から加勢を試みるが、手が届かない。
 女の腰にしがみついたまま優作が叫んだ。
「優太、こいつを吸いこんじまえ! じゃなきゃ飲んじまえ!」
 んなむちゃくちゃな、と言い返す暇はない。
「とにかく今止めるにゃ、それっきゃない!」
 同じベテランのアレが、それっきゃないと言うのなら、きっとそれしかないのだろう。
 優太は、すでに口中にあるぶんのナニ――よくわからないが女の頭の中のどこかを、とりあえずごくりと飲みこんだ。肺のほうに送ると、咽せかえりそうな気がしたのである。
 喉越しの感触はなかった。食道にも胃にも、何かが下りていく感触はなかった。ただ、飲んだという自覚だけがあった。
 おいおい正気の沙汰じゃないだろう――そんな指摘は無意味である。恋は盲目――とは限らないが、いずれ重度の精神錯乱に他ならない。まして中坊の初恋においてをや。あの娘《こ》に向かってミサイルが飛んできたら、散華覚悟で迎撃するしかないのである。
 これなら止められるかも――。
 優太は、思いきって、ぱっくりと口を開いた。
「もが」
 さすがに頭から飲みこむ度胸はなく、肩口から試みる。
 悪夢のようだ、と、下から見上げる茂は思った。田舎の庭先で、長男がJホラーを捕食している――。
 しかし木馬の女にも、本能的な好悪は残っているらしかった。それはそうだろう。人の霊に限らず犬だって猫だって、プッツンした少年に食いつかれるより、甘そうな少女に懐くほうがいい。肩口の一部を優太の口内に残し、ぬめり、と、女は横に逃れた。
 支えを失い、背中から地面に落ちそうになる優太を、茂が駆け寄って抱き留めた。
「ナイスキャッチ親父!」
 優作が女の腰から賞賛した。
 茂も誰かに褒められたような気がした。
 しかし次の瞬間、
「わ!」
 ぐん、と、激しく女がのけぞり、優作は、ぶん、と夜空に弾き飛ばされた。人間大の鋼の板バネに匹敵する衝撃だった。思考とは無縁の女でも、本能を妨げる外的圧力へのストレスは、それほど蓄積されていたのだろう。
「なんじゃこりゃあ!」
 優作はジーパン刑事のように絶叫しながら、夜空に消えていった。
 優太は呆然と見送るしかなかった。あまり呆けすぎて、「お星様になったのよ」、そんな常套ギャグが頭に浮かんだ。まあ殉職する心配だけはないだろうが。
 女は数瞬、弾けたバネの余韻を鎮めるように宙に浮いていたが、ひょい、と長い髪をひと振りしかたと思うと、狙い澄ましたように茂と優太の頭上をかすめ、直後、ふたりの背後に降り立った。
 振り返った玄関先で、女と島本が対峙していた。
 女は後ろ姿だが、島本の顔は見える。
 丸く見開いた島本の目は、明らかに尋常ではなかった。
「これは……すごい」
 島本は、地下室を検分したときよりも遙かに酔ったような目をして、両手を胸の前に上げ、ゆらゆらさせていた。その掌は女のいる前方ではなく、自分の胸に向いている。これでは『ストップ』ではなく『オーライ、オーライ』である。
 島本の頭の中で、喜悦が恐怖を凌駕していた。
 もっと――もっとお前の実在を、俺の魂に深く刻め――。
 しかし女は、やはり何も見ていなかった。
 ぬ、と島本に交わり、そのまま前に進む。
「――しまった!」
 島本が我に返って身を翻したとき、女はすでに背中までドアにめりこんでいた。
 あわてて島本がドアを開くと、女は一瞬、ドアにつられて円弧状に引き延ばされたように変形し、直後にはまた魚のようにうねって宙に浮いた。
 そのまま廊下の奥に流れる。
 島本たちは土足で廊下に駆け上がり、脱兎のごとく、もとい追狼のごとく後を追った。
 しかし女は、瞬く間に奥の居間の硝子障子に達し、そのまま吸いこまれるように消えていった。
 直後、居間の中から複数の叫び声が響いた。
「美紀! 美紀!」
 島本たちが駆けむと、居間の隅では、ぐったりと目を閉じた美紀を泰蔵が抱え、淑子は血相を変えて美紀の胸に耳を当てていた。
 茂美はおろおろと親子の様子を気遣っている。
 例の女の姿はどこにもない。
「大丈夫ですか!」
 島本の問いに、誰も答えられなかった。
 大丈夫なのか大丈夫でないのか――早急には計れない。
 やがて、無限とも思える数十秒を経て、
「……眠ってるだけみたいです」
 淑子が顔を上げ、ひと晩で数歳老いたように、長い息をついて言った。
 一同も、吐息して覗きこむ。
 確かに美紀は、日向の縁側で丸くなっている猫のように目を細め、健やかに息づいているようだ。
 しかし――島本は警戒したまま居間を見渡した。
 あの女は、やはり影も形もない。
 茂が茂美に訊ねた。
「何か見たか?」
 茂美は、ふるふると頭を振った。
「なんか、なまあったかい風が吹いたみたいな気がしたけど……そしたら美紀が、いきなりコトンって眠っちゃって……」
 少なくとも娘たちは、あの女を間近で見ずに済んだらしい。
 しかし――ならば、どこに消えた?
 優太は、もはや顔面蒼白である。
 茂と島本も、その危惧の半分までは共有している。
 泰蔵と淑子、そして茂美は、なにがどうなっているのか、まだ判らない。
 美紀だけが、ただ安らかに眠っていた。
「――とにかく、念のため病院へ」
 島本が言った。なんであれ突然失神したのなら、医者に診せなければならない。
「お、おう」
 泰蔵が動こうとしたとき、
「お?」
 腕の中の美紀が、うっすらと目を開いた。
 ぽしょぽしょと瞬きしながら、唇を震わせ、つぶやくように言う。
「……ゆ……びわ……」
 安堵以上の疑問に、一同は顔を見合わせた。
 ゆびわ――指輪?
「……えーと、美紀ちゃん」
 島本が、言葉を選びながら訊ねた。
「えーと、俺がわかる? 目が覚めた?」
 美紀の目の前で、手をひらひらさせる。
 しかし美紀は、ぼんやりと視線をさまよわせたまま、
「……ゆびわ」
 また、そうつぶやき、泰蔵の腕を離れて、ゆらりと立ち上がった。
「美紀!」
「美紀!」
 淑子や茂美の声も、耳に届いていないようだ。
 美紀を引き戻そうとする泰蔵を、島本は制した。
 あの女の気配をまったく感じないことが、今は問題なのである。
 もし、女がまだここにいるとしたら――考えたくはないが――。
「……みんな、いっしょに。何があっても、すぐ守れるように」
 ついて行きましょう、そう島本は、皆に促した。

 美紀は、ゆらゆらと居間を歩み出て、家の奥に向かった。
 他の一同は、美紀の周りを囲むようにして、息を潜め、あたりを窺いながら進んだ。
 周囲の一同の存在は、まるで美紀の目に入っていないようだ。
 その虚ろなまなざしに、優太は、あの女の目を想ってちょっと身震いしたが、よくよく見れば、やはり本質的に彼此を異にする、美紀ちゃんらしい澄んだ瞳だった。
 やがて、奥廊下に曲がる角が見えてきた。
 美紀は、ゆらゆらと角に近づき、そのまま左折して地下室方向へ――と思いきや、反対に向きを変えた。
 目の前は、素っ気ない化粧板の引き戸になっている。
 そのまま引き戸にぶつかりそうになるので、泰蔵がすかさず開きながら、小声で島本たちに告げた。
「納戸だ」
 淑子が手を伸ばし、扉の内側の横、電灯のスイッチを押す。
 四畳半ほどの板間には、段ボール箱や収納ケースの類が、ぎっしりと、しかし主人や主婦の性格を反映して整然と積まれていた。
 その中央の細い余地を、美紀は最奥まで進んでいった。
 爪先立ちになって、棚の一番上に手を伸ばす。
 元はカラフルだったと覚しい、金属製の菓子缶を求めているようだ。
 それに指が届いた瞬間、
「――あれ?」
 不意に美紀は、いつものアルトでつぶやいた。
「……なんで?」
 とっちらかったシマリスのような顔で、きょときょととあたりを見回している。ここは誰? 私はどこ? そんなベタなギャグに相応しい顔である。
「……居間にいたよね? みんな」
「美紀!」
 淑子が、泰蔵や島本を押し分けて美紀にしがみつき、文字どおりおいおいと嬉し泣きを始めた。
「えーと、あの……」
 とまどっている美紀に、茂美もすがりついた。
「よかったあ、ミー坊!」
 美紀としては、こう答えるしかない。
「美紀だってば」
 そんな女性陣の睦み合いを後ろで眺めながら、優太もまた、大いなる安堵に胸を撫で下ろしていた。
 茂が優太の肩を、ぽんと叩いた。
 とりあえずなんとかなったかな――そんな顔である。
 優太も、こくりとうなずきかえした。
 とりあえずなんとか――なったんだと、いいんだけどなあ。
 お互い、まだまだ不安は尽きないわけだが、ともあれ今夜の共闘は一段落らしい。



  【Act.4】 回転木馬が止まらない


     1

 居間に戻った美紀は、すっかり、いつもの美紀に戻っていた。
 しかし納戸へ移動した数分の記憶だけは、どうしても途切れたままだ。
「……あたし、どうしちゃったんだろ」
「まあ、いろいろあったからねえ。気疲れ気疲れ」
 茂美は余計な心配をさせまいと、努めて明るく言った。
「それより、あたしもう埃だらけだよ。ひと風呂浴びたいなあ。美紀もいっしょに入ろうよ」
 そう言いながら、大人たちに目配せする。今後のちょっとアレコレは、美紀がいないほうがいいよね――そんな利発な判断である。
 おおナイスフォロー、と大人たちもうなずき、
「そうしなさいそうしなさい」
 すかさず淑子が言って、風呂の準備に向かう。
 やがてお年頃の娘ふたりが、まあいろいろあったなりに風呂場できゃいきゃいはしゃぎはじめると、残り一同は、忍び足でその前を通りすぎ、さっきの奥廊下に向かった。
 まずは、おっかなびっくり地下室を検分する。
「……いませんね」
 島本の言葉に、一同、こくこくと首を振った。
 確かに、回っているのは、もう木馬だけだった。あの少女は、どこにも乗っていない。幸か不幸か、あの女もいない。
「優太君の言うとおり、あの子が、あの女だったんでしょうね」
 この期に及んで優太をはぶんちょ扱いする大人はいない。もはや泰蔵や淑子にとっても当事者仲間である。
「このまま消えてくれればいいんだがなあ」
 泰蔵が切実な口調で言った。無論全員同意見だが、まだ木馬が残っている以上、なんとも言えない。
 続いて納戸に入り、例の菓子缶を回収する。
 泰蔵は、手に取ったその昭和レトロなクッキー缶を、矯めつ眇めつしながら言った。
「なんだったっけ、この中身」
「美紀が、小さい頃に遊んでた小物とか」
 淑子が答えた。
「捨てたくないって言ってたぶんを、これに入れて地下室に置いといたの」
「あそこのもんは、外の物置に移したんじゃなかったのか」
「大きい物は物置に移したけど、小さいのは、みんな納戸よ」
「じゃあ、これもずっと、あの地下室にあったのか……」
 アレに関係あるのかな――目顔で問う泰蔵に、島本と茂は、ふるふると頭を振った。すみませんわかりません――。
 居間に持ち帰り、埃を拭いて缶の蓋を開ける。表面の印刷はだいぶ焼けているが、内部のメッキはメイド・イン・ジャパンらしく艶々と光っていた。
 黄色い布製の小人さんとか、たれつくしたミニたれぱんだとか、それらしいファンシー物件たちの下から、場違いに汚れた小箱が現れた。
「これは……」
 おおむね四センチ四方、厚みは三センチほどか。芯は木製だが、表面のぶよぶよに傷んだ厚い化粧紙から察するに、元は、お子様向けの宝石箱だったらしい。
 泰蔵が、厚紙一枚の蝶番もどきで繋がった蓋を、バラけないように注意しながら開いた。
「……指輪だ」
 確かに指輪ではあるのだが――茂は首をかしげて言った。
「……グリコのオマケでしょうか」
 すっかり光沢を失って暗灰色化した、アンチモニーの玩具指輪である。
 島本も覗きこんで、
「グリコよりは、造りが立派だ。三丁目の夕日の頃の駄菓子屋玩具――そんなところかな」
「そういえば……」
 思い当たったらしい泰蔵に、
「そうよ」
 淑子もうなずいて、島本に言った。
「この家に引っ越してきた日、美紀が裏庭で拾ってきたんです。あんまり汚いんで捨てるように言ったんですけど……こんなところに残っていたんですね」
「美紀ちゃんは覚えてないんでしょうか」
「たぶん。入学前の話ですから」
 奥の風呂場から、まだ幼稚園でもおかしくないような、娘たちの笑い声が響いてきた。
「ちょっと、いいですか?」
 島本が指輪をつまんで、目をこらした。
 本物なら宝石がはまっているであろう部分も、ただ盛り上がったアンチモニーの表面を、赤いペンキのような塗料で染めてあるだけだ。
「――奥さん、どう思われますか? 俺は男兄弟だけだったんで、女の子のおもちゃは、あんまり見たことなくて。でも、宝石の代わりにガラス玉くらいは、はめてあったような気がするんですが」
「そうですね。私が子供の頃は、色つきのプラスチックが。そもそも指輪全体が、もうプラスチックのメッキになっていたような……」
「だとしたら――糸口になるかも」
 島本は、持参してきたショルダーバッグから、一枚のプリントアウトを取りだした。
 茂だけは見覚えのある縮小コピーである。
「それは……」
「そう。昼間、あっくんが見つけた記事だよ」
 図書館のマイクロフィルムにあった、今のところ唯一の、ハワイアンランドがらみの事件である。別れ話がこじれて、地元の若い女が果物ナイフで男を切りつけた――昭和四十二年八月十日、夕刊の片隅の、十行にも満たぬ記事だ。
 泰蔵と淑子も目を通す。
「……全治二週間か」
 泰蔵が言った。
「それにしちゃ、ずいぶん記事が小さいな」
「警察や新聞の『全治』は厳密ですからね。ほんのかすり傷でも全治一週間。二週間なら、大した傷じゃありません」
「それに、怪我したのは男のほうだぞ」
 泰蔵が怪訝な顔をすると、島本は逆に訊ねた。
「山福先生は、何かスポーツとか、されてます?」
 泰蔵は、ますます怪訝そうに、
「近頃はウォーキングくらいだが」
「若い頃の話でも」
「ああ、高校までラグビーやってた。テレビの青春物にカブれてな」
「怪我したことないですか。真夏の峰館で」
 泰蔵は、しばらく考えこんだ後、なるほど、と手を打った。
「あったあった。合宿で転んで、石ころで頭切って、シャツからパンツまで血まみれになった。ぴゅーぴゅー血が吹くはどくどく流れるは、出血多量で死ぬかと思ったよ。でも病院に行ったら、ほんのちょっと縫うくらいの、なんてことない傷でな」
 そうなんです、と島本はうなずき、
「止血すればすぐ治まるような軽傷でも、血の巡りがいい季節だと、切れた場所によって、びっくりするくらい出血します」
 雪国だから夏は涼しいかと思いきや、実は真夏の熱血度においても峰館は無敵である。盆地性の風炎《フェーン》現象が、昔からハンパではない。地球温暖化も都市熱も無縁の昭和八年に、最高気温40.8度を記録し、平成十九年まで実に七十四年間、日本観測史上最高記録を誇っていたほどだ。
「そこに、切りつけた加害者のほうがしがみついたりしたら――まして、その女が白いワンピースでも着ていたら」
 確かにビジュアルとしては、あの女ができあがる。
「で、記事によれば、女は当時二十一歳。ならば幼い頃は、昭和二十年代後半――奥さんも生まれていない時代です。駄菓子屋の指輪は、まだプラスチックじゃない。どこかの町工場のセルロイドかアンチモニーでしょう」
 確かに時代も合う。
「もちろん、その事件の詳細を調べてどうなるか、俺自身まだ解りません。でもハワイアンランドの開業中、殺人事件とか死亡事故とか、園内で人死にが出なかったのは確かだ。当たってみる価値は、充分あると思いますね」

     2

 ふだんの美紀が、寝覚めのいい娘であるかどうか――これがなかなか、微妙なところである。
 たいがい、小猫型の目覚まし時計が鳴ると同時に、ひょい、とベッドで半身を起こす。
 しかし、その時点では、美紀はまだ夢の中なのである。
 日替わりの夢は、ご多分に漏れず、雑多な記憶と仮想が織りなすシュールな過連想の迷宮であり、やがて目覚ましの電子音が夢の中まで響いてくると、当然、迷宮の途上から現実のベッドに帰還を余儀なくされる。その際の電子音の快不快によって、『寝覚め』の善し悪しが決まるわけだ。
 美紀にとって、月の内のほぼ六割は、その音が大変に迷惑である。で、ふつうに迷惑な朝が、残り四割。つまり目を覚ますのがありがたいような不快な夢はほとんど見ないわけだから、主観的には、とても寝覚めがいい娘なのである。しかし客観的には、「ああまだずっとこの夢の中にいたい」という願いを五分後のスヌーズだけでは振り切れず、たいがい十分後の三回目が鳴りだすまで、ベッドで目覚まし時計をなでさすり続けるから、けして寝覚めがいい娘とは言えない。つまり微妙なのである。
 ともあれ、いつもなら七時ちょっと前には、冬眠あけのシマリスのようにちょこちょこと階段を下りてくるはずの美紀が、今朝に限って七時を回っても台所に顔を出さないので、淑子は、ちょっと心配しながら二階に上がっていった。
 淑子も他の一同も、昨夜の美紀の言動が、なにやら霊的な現象――いわゆる憑依だったにしろ、あくまで一過性のものと推測している。正確には、そう願っていると言うべきか。しかし地下室では、相変わらず無人の木馬が回っているだけなのである。夜中にも、二度ばかり美紀の部屋を覗いて無事を確認しているから、たぶん大丈夫だとは思うのだが――もし万が一。
「美紀、起きた?」
 廊下から呼んでも返事がないので、淑子は、おそるおそるドアを空けた。
 美紀は、ベッドで半身を起こしたまま、すうすうと寝息をたてながら、器用に目覚まし時計を可愛がりつづけていた。
「美紀!」
「……うー」
 美紀はようやく、ぽしょぽしょと目を開いた。
「わ!」
 猫型時計のデジタル表示は、いつもより十五分も進んでしまっている。眠りながらスヌーズしまくっていたらしい。こうなると、お気に入りのファンシー時計も、可愛いんだか、親切すぎて迷惑なんだかわからない。
「……いい夢、見過ぎた」
「どんな夢?」
「夏祭りに行ってたの。上の鎮守様みたい。夜、みんな浴衣着て、金魚すくいとか輪投げとか、リンゴ飴とかアンズ飴とか綿飴とか」
 淑子は、よしよし、とうなずいた。木馬とも指輪とも関係なさそうだ。
「……ねえ、猫飼って」
「は?」
「本物の猫。毎朝、ちゃんと肉球でモミモミ起こしてくれるんだって、猫」
 夢の話ではなく、目覚まし関係の話らしい。
 淑子は、これなら大丈夫と胸を撫で下ろしつつ、大事をとって訊ねた。
「今日は休む?」
 気丈な淑子ですら、昨夜の変事は骨身に応えている。自分の骨身は長年鍛え上げてあるから大丈夫だが、娘の骨身は、まだ発展途上だ。
 美紀はぷるぷると頭を振り、ぱし、と両手でほっぺたに気合いを入れた。
 ベッドから飛び降り、通常の三倍速で着替えはじめる。
 ぱぱぱぱぱぱぱぱ。
 具体的にパジャマをどうの肌着をどうのは、美紀の名誉のために描写を控えさせていただくが、一挙一動ごとにあっちこっち飛び散るオノマトペは、輪郭くっきりの丸文字フォントである。
 ぱぱぱのぱぱぱ。
 淑子は安堵して台所に戻った。
 美紀が着替えや洗顔を終え、ジェリーを追いかけるトムの勢いで居間に駆けこむと、
「お、元気そうだな」
 泰蔵が、目覚めの番茶を啜りながら言った。
「あれ? お父さんがいる」
 泰蔵は、市街にある県立高校のクラス担任教諭だから、いつもなら美紀が目覚める時刻には家を出ている。ちなみに淑子は、私立女子一貫校の音楽専門講師なので、ベテラン常勤でも出勤時間に余裕があるのだ。
「今日は休みだ。島本君や茂といっしょに、まあ、なんかいろいろとな」
 娘や妻同様、遅刻欠席欠勤を性分として嫌う泰蔵だが、さすがに昨夜のような事態を迎えてしまうと、家長として早急な対策を迫られる。木馬や子供ならともかく、お岩さんの同類に自宅をうろつかれてはたまらない。場合によっては蔵王温泉の実家に、一家で疎開することまで考えている。車なら三十分の距離なのだ。
「そっか……」
 美紀としては、もう父さんたちに任せるしかなかった。
 美紀自身は、昨夜の女をはっきり見ていないので、あの女の子に対する同情や心配はまだ残っている。でも、現に木馬しか回っていないのだから、どうしようもない。
 とにかく今は、小学校以来の無遅刻無欠席記録が大事である。
 美紀は淑子といっしょになって、ぱたぱたと家族分の朝食を整え、
「お願い、見ないふりしてて」
 そう言って、年頃の少女にははしたなく――人によってはふつうなのかもしれないが、とにかく山福家の娘としては大変はしたなく、ご飯にとぽとぽと味噌汁をかけ、さらにどーんと目玉焼きまで乗っけて、わしわしと掻きこみはじめた。
 慣れない三倍速の食事に、うぷ、などとむせかける美紀を、泰蔵は苦笑しながら眺めた。
 よかった。特に後遺症はないようだ。ああいった現象が、病気と同じなのかどうか定かではないが――。
 淑子も泰蔵と顔を見合わせ、やれやれ、と吐息した。

 そうして美紀は、いつもよりちょっと早足で、いつもの通学路を急いだ。
 距離は三キロ近くあるが、大半は山の麓の緩やかな下り道だから、たまに後ろから来る通勤の車にさえ気をつければ、朝の登校は楽なのである。
 いつもの時刻どおり、無事に木造校舎の下駄箱にたどり着く。
 待ちかまえていた茂美が、元気に声をかけた。
「おはよう!」
 いっしょに待っていた優太も、バンドエイドだらけの顔をほころばせ、内心の大心配を隠して、せいぜい明るく声をかけた。
「おはよ」
 しかし美紀の返事は、昨日の朝ほど元気がなかった。
「……おはよ」
「あれ? 調子悪い?」
 茂美は心配して、美紀の顔を覗きこんだ。なんだか、いつもより青っぽい気もする。
「うん。ちょっと、おなかが重たいだけ」
「大丈夫?」
「うん。ちょっと寝坊して、朝ご飯、ほとんど丸飲みしちゃったから」
 その上、途中で駆け足になったからかも――美紀の自覚としては、あくまでその程度のムカムカである。いつもなら、学校に着く頃にはおなかの中でこなれているはずの目玉焼きが、今朝はちょっと白と黄色の二色のまんまでがんばっている――そんな感じだ。
 ともあれ大事はないらしいので、茂美は、もしかしたら月一のアレかも、などと思いながら、自分の教室前まで美紀を送り、そこで別れた。
「じゃあね。今日は、途中までいっしょに帰ろうよ」
「うん」
 別れ際、茂美はオマケの優太にも、目線で念を押した。
 ――しっかり注意しとくんだよ、でも触っちゃだめだかんね。
 優太は、うん、と目で応え、美紀の斜め後ろあたりにくっついて、オマケ、もとい護衛の任についた。
 優作でもいてくれたら、ずいぶん心強いのだろうが、優作はまだ戻ってこない。お星様にはなっていないにしろ、あのイキオイだと、奥羽山脈を越えて東の仙台あたりまで飛ばされてしまったのかもしれない。
 とにかく美紀ちゃん、まずは元気そうだ――。
 そんな優太の安堵もつかのま、自分たちの教室が近づくと、美紀が不可解な兆候を示した。
 教室の、閉じたまんまのガラス戸に、そのまんま近づいてゆく。まるでガラス戸が存在しないか、ひとりでに開くと思っているか、あるいは――すり抜けられると思っているような足取りだった。
 優太は、あわてて前に回ってガラス戸を開いた。
「あれ?」
 美紀も、自分の奇妙な行動に気がついた。実際その直前まで、ガラス戸があってもなくてもあたしには関係ない、そんな気分で歩いていたのである。
 優太の脳内アラートは、一瞬にして警戒レベル2から4あたりに跳ね上がった。しかし、それを顔に出すほど優太も愚鈍ではない。とりあえず曖昧に笑ってごまかす。
 美紀も、なんとなく笑ってごまかした。
 ――うん。ちょっと、ぼーっとしてただけ。寝坊しちゃったし、消化不良だし。
 そんなふたりの様子を見て、教室内の学友たちは、当然ながら別の意味で驚愕していた。
 きのうっから、なんだかちょっとアヤしかったあのふたりが、今朝は、いきなり女王様と下僕化している。下僕の顔面のアレは、もしかして女王様に、なんらかの折檻を受けたのだろうか――。
 ちなみに、美紀に代わって女王様化したいと思った女子は皆無である。
 対して、優太を押しのけて下僕になりたいと心から願った男子は、もしかしたら半ダースを越えたかもしれない。

     3

 淑子が出勤して三十分もしないうちに、まず茂が山福家に着いた。
「美紀ちゃん、大丈夫そうですか?」
「ああ、いつもの感じだった」
「そりゃよかった」
 泰蔵が、手ずから茶を淹れる。
「早くからすまんな」
「島本さんは、ちょっと遅れてくるそうです。心当たりが、ひとり見つかったとか」
「もう動いてくれてるのか」
「お年寄りは朝が早いですからね」
 もちろん島本の歳の話ではない。
「あの人の情報源はハンパじゃないですよ。警察を定年退職して自分史出してる人とか、けっこういますから」
「そりゃ頼もしいな」
「話によっちゃ、合流は午後になるかも知れませんね」
「じゃあ、こっちはこっちで用件にかかるか」
 お茶もそこそこに、茂の車で、昨夜電話しておいた枕崎の家に向かう。
 枕崎当人は、当然出勤して不在だが、協力は約束してくれた。つまり、過去のアレコレはいざ知らず、今現在も大霊界っぽいのは自分ではなく妻のほうであると、泰蔵に明かしてくれたのである。

 市街に近いバイパス沿いにある枕崎宅は、若き日の彼が無理を重ねて建てた小住宅から、四倍近い広さの瀟洒な洋風邸宅に変貌していた。このあたりの地味な家に並ぶと、百メートル先からでも、そこだけ鎌倉山や芦屋級に際だって見える。
 門前の充分な余地に車を停め、のどかに開けっぴろげになっている鋳鉄の格子門から、かなり奥の玄関へと、石畳の小道を辿る。地べただけは余っている地方のこと、庭の広さはどこも大差ないが、大雑把な田舎の庭と瀟洒な庭園風の庭では、やはり趣が違う。
「しかし、まさかあいつが、あの四組で出世頭になるとは思わなかったなあ」
 泰蔵はしみじみと言った。
「やっぱり大霊界パワーか? 奥さんがキリスト様とツーカーだからか?」
 茂は苦笑して、
「それもあるんでしょうが、たぶん、あいつ自身が一番強かったんですよ。小学校の頃にイジメで首吊りかけた話とか、先生は聞いてます?」
「おう。まあ詳しくは聞かなかったがな。あいつ無口で、ぼそぼそとしかしゃべらんかったし」
「そのマイナスを、あいつは全部プラスに変える根性があったんです。俺が今、好きな道でなんとか食えてるんだって、枕崎たちの、なんつーか正直な生き方に刺激されたわけで」
 正直の上に馬鹿がつくのだろうが、騙すよりはましである。相手が他人であれ自分であれ。
「ほう。やっぱり教師なんぞより、仲間のほうが良く見てるもんだなあ」
「それに先生も、懐が深かったし」
「俺の場合、ただ放し飼いにしてただけだ。あの頃は、お前らのやってることなんて、わけがわからんかったからな」
「放牧と放棄は、ぜんぜん違います」
 泰蔵は思った。
 今〜春がきて〜〜君は〜きれいに〜なっ……てないけども〜〜〜以下略。

 田園調布級の広々とした応接間で、恐縮してしまうような英国風正調紅茶接待を受けたのち、泰蔵が、持参した例の指輪を開陳すると、
「……宅が電話でもお伝えしたように、わたくし、そんな大それた力はないのですが」
 洋子は謙遜しつつ、愛用の鼈甲縁眼鏡を鼻筋で整え、数分の熟視に入った。
 白いレースのカーテン越しの、柔らかな光に浮かぶ洋子の姿は、地味な出で立ちであるがゆえに、派手の幾層倍も品良く見える。そのいかにもミッション・スクール育ちらしい透明感に、泰蔵は自然と先日よりも頭が下がった。
 やがて洋子が、おもむろに口を開いた。
「……『結婚』」
「結婚?」
 泰蔵と茂が、仲良くハモって繰り返した。
 洋子は厳かにうなずき、
「はい、そんな声が見えます」
 泰蔵と茂は、首をひねった。
 茂が訊ねる。
「エンゲージリング……ということでしょうか」
 こんな駄菓子屋物件が?
「今は、こんなになってしまっておりますけど、元は、とても綺麗なものだったと思いますよ。子供の目にとっては、なおのこと」
「確かに……」
 泰蔵が感心してつぶやいた。
 しかし洋子は、なぜか眉をひそめて、
「ただ、同じ声が、ふたつの赤で、ふたつ重なって見えるんです」
「ほう……」
「ひとつは、もう純粋に暖かい、心から嬉しそうな赤なんですが――」
 洋子は言いにくそうに、
「もうひとつは、とても暗くて、濁った赤です。なにか赤漆の中に黒漆を流したような――たぶん絶望、それとも憎悪――あるいは、その両方かもしれません」
 茂は、ぞくりと背筋を震わせた。
 洋子は、あの女の存在を知らない。あの木馬の少女に関係しているらしいものが見つかったから、ぜひ見てほしい――その程度の来意しか、洋子には伝えていないのである。
 泰蔵が洋子に言った。
「実は、あの木馬に乗っていた子供が夕べから消えちまって、今は、あの木馬しか回っとらんのです。ご迷惑じゃなかったら、また家《うち》の中を、見ていただけんもんでしょうか」
「……そうなのですか」
 洋子は、心苦しそうに、
「残念ですが、わたくし、ただ在るものの声が見えるだけで、見られようとしていない人の姿や心を、見ることはできませんので……」
 そう言われてしまうと、泰蔵も茂も納得するしかない。確かにそんな霊視まで可能なら、今頃この家は、信者志願者や怪しげな業界関係者で溢れかえっているだろう。

 丁重に礼を述べて枕崎宅を辞した後、バイパスを市街に向かう車中、助手席の泰蔵が言った。
「いやあ、やっぱりすごいもんだな、あの奥さん。俺なんか、思わず這いつくばって拝みそうになっちまった」
 長いつきあいなのに怯えまで感じてしまった茂とは違い、いかにも泰蔵らしい率直な言葉である。
「あの伝で、できれば美紀の按配なんかも、見てもらいたかったんだがなあ」
「本当にそこまでできる人は、専門の島本さんも、まだ見つけてないらしいですからね」
「まったくなあ。子供でも大人でもなんでもいいから、俺に直接なんか言ってくれりゃ、たいがいのことは聞いてやるんだけどなあ。もっとも、代わりに恨みを晴らしてくれとか言われたら困っちまうが」
「でも、やっぱり、あの事件がドンピシャっぽいですね」
「おう。きっちり供養する相手くらいは、判るかもしれん」
 噂をすれば影とやら、アームレストのトレイで、茂の携帯が鳴った。
「島本さんだったら、先生、出てもらえませんか」
「おうよ」
 やはり島本からだった。
 泰蔵は賑やかに挨拶を交わすと、枕崎家での顛末を島本に伝え、携帯を戻した。
「急がなくていいから、直接、お前と話したいそうだ」
「なんだろ」
 茂は、バイパス添いのガソリンスタンドに車を入れ、ついでに給油してもらいながら、島本に電話を入れた。
『おう、あっくん、今、どのあたり?』
「もうすぐ街中です」
『そのまんま市街を抜けて、山寺まで走ってくれないか』
「もう何か判ったんですか」
『いんや、あくまで本番は相手待ちなんだが、いちおう情報源は確保した』
「さすがですね」
『どんな小ネタでも記事が特定できれば、こっちのもんさ。あの時代の話なら、ブンヤさんだってデカさんだって、けっこう生きてる』
 そんな人脈を営業方向で築けば、今も表舞台で左団扇だろうに、島本も基本的には茂と同じ、居職の職人肌なのである。
『で、あっくんに、折り入ってお願いがあるんだが』
「はい?」
『あっくんの個人情報、漏洩してもかまわんか?』
「は?」
『つまり、謎の漫画家あっくん大先生が、実は峰館在住の亜久津茂先生である、みたいな』
 なんの話かはさっぱり解らないが、島本が言うからには、先に進むのに必要な手段なのだろう。
「そりゃ、かまいませんけど」
『良かった。じゃあ、もうひとつ、お願いがある』
「はい」
 また尻対策の座布団だろうか。
『漫画描く道具って、今、持ってないよね』
「えーと、スケッチブックとパステルくらいなら」
 さすがに車にペンやケント紙は積んでいない。ノートパソコンと記録用のデジカメがあるくらいである。
『それでもいいのかな――いや、たとえば、ときどき漫画家さんが本屋でサイン会やったりするだろう』
「色紙とかサインペンですか」
『そうそう。そんな感じ。それを何枚か――念のため五六枚ぶん、途中で調達してきてくれないか』
 まさか情報源はアニメイトやコミック専門店――そんなはずはないよなあ。だいたい山寺とは関係ないもんなあ。それとも俺の隠れファン――でも、あれは俺が生まれる前の話だぞ。
 結局さっぱり解らないが、とりあえず漫画家として協力するにやぶさかではない。
「了解しました」
『じゃあ、よろしく。山寺の駅前で待ってるから、近くなったら、また電話してくれ。昼飯でも食いながら、委細面談ってことで』
「はい、じゃあ、また」
 通話を終えた茂に、泰蔵が訊ねた。
「なんだって?」
「なんだかよくわかりませんが、とにかく山寺に、なんか情報源があるみたいです」
「ほう。なんだかよくわからんが、あるだけありがたいな」

 北の市街にある行きつけの画材屋で、好みの色紙や十二色サインペン、ついでに予備のスケッチブックやパステルを購入すると、茂は市役所前の交差点を北東に右折して、県道十九号、いわゆる峰館山寺線に入った。
 しばらくは建てこんだ街中をあちこち曲がるが、街外れの峰館川に架かる大きな橋を渡った後は、道なりに八キロほどで、西から延びる旧山寺街道に交わる。右も左も雪を残した山ばかりが続くその街道を、さらに四キロ東に走れば、左手の切り立った山肌に、上から下まで転々とへばりついた大小の堂塔伽藍、宝珠山立石寺が見えてくる。松尾芭蕉の『奥の細道』で、『閑さや岩にしみ入る蝉の声』と歌われた、あの山寺である。JR仙峰線の山寺駅は、すぐ先だ。
 小粒ながら寺社作りの山寺駅舎前で、島本の車と合流する。
 ちょうど昼時だった。
 駅近くの土産物屋兼食堂に入ると、シーズン・オフの平日だからか、他の客は二三組しかおらず、ゆったり座れた。もっとも観光バスの団体客などは、初めから街道筋のでかい施設に収まる。
 お勧めの手打ち山菜蕎麦など頼んだのち、
「さて、ここで問題です」
 島本が冗談めかして、ふたりに訊ねた。
「飯食ったあと、千段以上の石段を奥の院まで登って、早めに用件を済ませて帰るのがいいか。それとも、あっくん先生のサイン会を開催して、夕方まで麓で待つほうがいいか、どっちにしましょう」
 泰蔵は、あっさり言った。
「なんだかよくわからんが、せっかくここまで来たんだから、奥の院を拝みたいな」
 何年前だか家族で来たときのことを思えば、大した苦労ではない。淑子も美紀も、けっこう張りきって登っていた。
 茂は、悩ましげに言った。
「なんだかよくわかりませんが、サイン会って、なんなんですか?」
 公衆の面前で主役面するのも気が進まないが、何年前だか家族で来たときのことを思えば、奥の院までの道程はエベレスト登頂に等しい苦行である。もっとも茂と優太以外は、妻子どころか爺さん婆さんまで、けっこう張りきって登っていたが。
「話せば長いことながら」
「話さなければわかりません」
「ま、こういうことだ」
 島本は、自分のここまでの活動報告を兼ねて、説明しはじめた。
「俺の昔からの知り合いに、県警OBの爺さんが何人かいることは、前にあっくんにも話したよな」
「はい」
「朝方、片っ端から電話したら、ひとり、あの事件を知ってる爺さんがみつかった。西崎さん――この名前は他言無用にしといてくれ――この西崎さん、どうやら飯沢の交番巡査時代、ハワイアンランドのあの事件に直接関わったらしいんだが、そこはそれ定年後でも、在職中の守秘義務は心得てる。俺の専門分野――国道十三号の幽霊だの笹谷トンネルの幽霊だの、夏場の納涼ネタみたいな事例はともかく、まともな刑事事件に関しては、なかなか口が堅い」
「ほう」
 泰蔵が言った。
「テレビの探偵物なんぞでは、元警官の老人とか、べらべら得意そうに昔話してるがな」
「あれはフィクションですから。特に関係者が存命中の場合は難しいですね」
「ありがたいような、この際ありがたくないような」
「でも自分の職務上の話じゃなく、直接事件に絡んでいない民間人の情報なら話は別です。たとえば、それを記事にした新聞記者の話とか」
「そうか」
 茂が言った。
「そっちを知ってたんですね」
「そう。激動の昭和の社会派仲間――ある意味、部隊違いの戦友ってわけだ。今もけっこう会ったりしてるらしい。いちおう今朝、電話で紹介してもらった。当人はもう家を出てたんで、俺が話したのは家族だけだがな」
「いけそうじゃないですか」
「うん。で、ここでちょっと興味深い話がある。その元記者さん――澁澤さんっていうんだが、例の事件の後、新聞社という組織に絶望したとかで、自主退職しちまったんだそうだ。まだ三十ちょっとだったのに、いきなり実家に引き籠もっちまったんだな。まあ引き籠もりって言っても、ハヤリのニートじゃなくて、実家がそこそこ畑を持ってたそうだが」
 泰蔵が訊ねた。
「その退職が、あの事件と関係あるのか?」
「西崎さんの口ぶりだと、どうやら」
「そんな大それた話だったのか――まあ、ただの痴話喧嘩じゃないだろうとは思ってたが」
「かなり根が深そうです。その元県警の西崎さんだって、実のところ守秘義務一辺倒の人じゃありません。歳も歳だし、話し相手も残り少なくなってますからね。俺が話を訊きに行けば、たいがいのことはオフレコ扱いで教えてくれるんですが、この件に関しては、自分じゃいっさい語りたくないそうですから」
 注文した蕎麦が届き、たぐりながら話を続ける。
「それで、その元記者さんのほうが、山寺の奥の院に? 出家でもしたのか?」
「いえ、地方民俗の研究者に転向したそうです。あくまで自称研究者、つまり市井の趣味人ですね。実家で農業やりながら、そっち系の本も何冊か出してます。でも、三十ちょっとから事実上の世捨て人、とくに隠居してからここ十年は、毎日毎日山寺のてっぺんに通って、奉納物を研究してるような人ですからね。ぶっちゃけ、ものすごい偏屈老人だと思ってください。西崎さんとか昔の知己を除いて、ほとんど家族とも口をきかないような爺さんらしいです」
「じゃあ、いきなり行っても無視されるだけなんじゃないか」
「西崎さんの紹介と言えば、無視はないでしょう。それに、あくまで民間の趣味人ですから、勝手に奉納物をいじくるわけにはいかないらしくて、今は名目上、ボランティア・ガイドということになってます。だから奥の院まで行けば、とりあえず口はきいてくれます。いきなり事件の話じゃなく、たとえば峰館の昭和史関係でいろいろ調べてるとか、そのあたりからぼちぼちと攻めれば――」
 あとは島本の取材技術、つまり口の巧さしだいである。
「行こう行こう。これ食ったら、すぐ行こう」
 乗り気の泰蔵とは別状、足弱尻弱の茂としては、まだエベレスト登頂以外の選択肢も気になる。
「えーと、それだと、俺の色紙って……」
「うん。俺としちゃ、そっちが先でもいいと思うんだよな」
 島本は、なぜか、にやりと笑って言った。
「その偏屈な澁澤老人に、ひとり孫娘がいるんだが、西崎さんの話だと、その子にだけは、もうベタベタに甘いそうだ。その子と言っても、もう二十幾つ、近くの児童保育施設で保育士やってる娘さんだけどな。で、その娘さん、どうやら美紀ちゃん級の、あっくんファンらしい」
「……マジですか?」
「マジもマジ、大マジなんだよ」
 島本は請け合った。
「お祖父さんの茶飲み友達、つまり西崎さんの古希祝いにまで、あっくんの画集を贈りつけたってんだから、もう親衛隊級じゃないか」
「前言撤回。そっちを先に落とそう」
 泰蔵が言った。
「たぶん芋蔓式で爺さんも落ちるぞ。俺の親父なんか、俺ら子供にゃ男でも女でもゲンコくれまくりだったのに、美紀の頭なんか、一年中エビス顔で撫でまくってる」
 茂も異論はなかった。確かに自分の家の後期高齢不良も、孫たちの前では、ただのメロメロ爺さんである。それに千段の石段より、色紙のほうがまだ楽だ。
「よし。じゃあ、シナリオ2で行こう」
 島本は張りきって言った。
「あっくん先生は、峰館を舞台にした新作漫画の取材中、そんなシチュエーションだな。昭和レトロ狙いの、昔の遊園地が舞台になる漫画とか。俺と山福先生は、その取材の協力者ってことで。あとは俺が臨機応変に言いくるめ――もとい、話を進める」
「そんなに、うまく運びますか?」
「問題ない。朝に俺の電話に出てくれたのも、実は、そのお孫さんなんだよ。お祖父さんの下山は、いつも午後遅くになるから、俺たちは先に彼女の勤務先に寄って、下りてくるまで待っててもらってもいい――そんな話だった。行けば大歓迎さ」
「もしかして、端っから俺の名前出してます?」
「まだ本名までは出してないけどな」
 島本は、しれっとして言った。
「仕方ないだろう。俺の名前だけじゃ、相手が知ってたって、かえって胡散臭がられるだけだもの」
「まあ、いいですけどね」
 苦笑いする茂に、泰蔵が言った。
「嘘も方便ってやつだ。俺や島本君と違って、お前の性分だと苦手そうだがな」
「俺だって、嘘で食ってるんですよ」
 茂は居直って言った。
「それに、あとからちゃんとそんな話を描けば、嘘じゃなくなります」

     4

 さて、少々時間は遡り、南峰館第一中学校、給食前の四時間目――。
 体育の卓球で、球筋に体が追いつかず空振りを連発する美紀に、相手の級友が言った。
「……大丈夫?」
 いつもなら高麗鼠級にすばしっこく、すばしっこすぎて球が来る前に空振りしてしまうような美紀なのである。
「うみゅみゅみゅみゅう」
 独特な悔しがり方も、いつもよりトーンが低い。
「具合悪いんなら、見学してたほうがいいよ」
 本当に心配している顔だった。
 美紀は無念そうに訊ねた。
「あたし、変?」
「うん。いつもの二倍速、じゃないや、スローで動いてる」
「……おかしいなあ」
 美紀としては、三倍速は無理でも、せいぜい等倍で動いているつもりなのである。なのに、ラケットも体操着も運動靴も、今日は妙に重たい。朝の目玉焼きが元の目玉に戻って、おなかの中できょろきょろしているような感じもする。
 でも、見学はいやだ。ちょっとくらい熱があったって、アレのけっこう重い日だって、意地でも等倍の生活を送ってきた美紀である。
「……来なさい!」
 気迫に押されて試合再開した相手のサーブを、かろうじて受けた。
 でも返せたのは、それっきりだった。
 その後の給食も、半分しか、おなかに入らなかった。進取の気象に富んだ峰館給食センターが送ってよこす、いかなる無謀な献立をも、小学校以来完食しつづけてきた美紀なのに、である。
 友達や先生たちの心配顔と、推定その十倍の優太の心配顔に見守られながら、なんとか五時間目を乗りきる。座っているだけなら、どんどん重くなる制服も、それほど気にならない。それに、実際に体が重いわけではないのである。ただ、重いような気がするだけなのだ。
 気のせい気のせい――そう自分を叱咤しながら、いつもの廊下掃除では、こんな想いを抱いてしまった。
 ああ、たれぱんだって、きっと、こーゆー感じで生きてるんだ――。
 そうして放課後、朝の約束どおり、茂美に合流する。
 校庭の並木道、
「ぐぬぬぬぬう」
 負けるもんか負けるもんか――。
 うなりながら根性で歩く美紀を、茂美は横から覗きこんで言った。
「おぶったげようか?」
 合流前に、優太が一日の監視状況を報告しているので、茂美もかなり心配顔だ。
「……いい」
「鞄、持ったげようか」
「……いい」
「よくないんじゃない?」
「……そんなに変?」
「うん」
 茂美は正直に言った。
「ぶっちゃけ、山登りの人みたい。エベレストによじ登るみたく、地べたを歩いてる」
「……ぴんぽーん」
 精神的には、まだ余裕が残っているようだ。
「遭難しそうだったら、いつでも言ってね」
「……さんきゅ」
 そんなふたりを、優太はちょっと離れて、後ろから見守っていた。
「あーあ、すっかり懐いちまってるなあ」
 いつのまに戻ったやら、すぐ横で優作の声がした。
 優太は驚く気力もなく、
「……何か見える?」
「おう。ああ馴染んじまうと、お前らにゃ、もう見えねえかもな」
 優作は、いつになく深刻な顔をしていた。
「俺としたことが、遅れをとった。なにせ竜山越えて、熊野岳と雁戸山の間あたりまで飛ばされちまって、カモシカに蹴られるは狸に嘗められるは、戻るのにひと苦労でなあ」
 どうやら宮城側まで抜けないうちに、蔵王連峰に引っかかったらしい。
「せめて、ゆんべのうちに、なんとかしてりゃ……」
 優太は、おそるおそる訊ねた。
「やっぱり……あの女の人が、美紀ちゃんに?」
「ああ。お前も見といたほうがいいだろう。ちょっと目玉を貸してやる」
 目玉?
 怪訝な顔で優作を見つめる優太に、
「あ、なんか、お前、鬼太郎と目玉親父とか想像してねえ?」
 優作は呆れたように言った。
 優太は、ぷるぷると頭を振った。実は想像していたのである。
「なんぼ俺だって、目玉は取り外し式じゃねーよ。こーゆーことだ」
 優作は優太の背後に回り、ぬい、と顔を突き出した。
 優太の後ろ頭から、優作の顔が交わってくる。
 同じ幽霊でも、優作とあの女は別種の存在なのだろう。優作に重なられても、優太は粘りけも何も感じないし、重たくもない。
 同じ顔の同じ眼球が重なった瞬間、
「わ」
 優太はぎょっと立ちすくんだ。
 美紀の後ろ姿に、異様な斑模様が重なって見えた。
 制服姿の美紀の輪郭に、あの女が美紀と同じ輪郭に変形してぴったり重なっている、そんな有様だった。
 優作は、すぐに顔を後ろに引いた。同時に、優太の視覚も元に戻る。
「ちょっとだけで、すまん。俺にゃ、ちょっとコタえる技なんでな」
 優作は、めまいを押さえるように首を振りながら言った。
「俺みたく吹っ切れてる死人だと、この世のモノにダブるのは、すっげー骨なんだよ。痛いっつーか気持ち悪いっつーか、ゲロ吐きそうっつーか。でも、あの女みたく、自分でも生きてんだか死んでんだか判らねえ奴は、なんでだか簡単にダブっちまう」
「……成仏してないってことか?」
「まあ、そんなもんなんだろうな」
「じゃあ、美紀ちゃんは……」
「すぐにどうのこうのってこたぁ、ねえと思う」
 ひとまず安心する優太に、優作は続けて言った。
「『すぐには』だぞ。いずれ、体より先に頭がまいっちまう」
「頭……」
「ああなっちまうと、マジに重たいわけじゃねえんだよ。なんつーか、ほんとは重くないのに、重たい苦労だけはしっかり感じるっつーか――なんて言ったらいいかな」
 優作は、ちょっと考えこんでから、
「――ありゃ確か、ソマリアだったな。戦場跡の荒れ地で、神父がひとり、ぺしゃんこにされるのを見た。相手は、こーんなちっこいガキどもだ。なんぼ神父さんが優しくお祈りしたって、地雷で木っ端微塵に吹っ飛んだ何十人のガキどもは、そもそもなーんも考えちゃいねえんだよ。悪気だってねえ。ただ、わらわらわらわらたかってくる。それだけで、生きてる人間なんて簡単につぶれちまう。体がつぶれるんじゃねえぞ。心がつぶれるんだ」
 それは困る。大いに困る。美紀ちゃんも困るだろうが、俺だって、もうどうしたらいいかわかんないくらい困る――。
 優太は歩きながら、文字どおりわなわなと震えていた。
 優作は、そんな優太の思い詰めた横顔を見定め、なぜかニヒルに口の端を上げて言った。
「……代わりに背負《しょ》いこむ覚悟はあるか?」
 そんなことができるなら――こくこくとうなずく優太に、
「じゃあ、今度は、ちょっと下を見ろ。お前の腹あたりな」
 優太が言われたとおりうつむくと、
「あらよ」
 優作が、また後ろから顔を重ねた。
「わ」
 優太は、また立ちすくんだ。
 自分の臍の奥あたりに、なにやら異様な塊が見える。
 優太は解剖医や検死官ではないので、はっきり断言はできないが、グロ系のホラー映画で、そんなものを見たことがあるような気もする。なんか人の頭が割れたりすると、なんか中からぐにゅりとはみだして――そんなようなものである。その横にちょっとくっついているオマケは、もしかして肩肉だろうか。
「……吐きそう」
 思わずつぶやく優太から、ひょいと離れて優作が言った。
「そんくらいで嘔吐《えず》くんじゃねーよ。俺なんか、お前の脳味噌くぐるほうが、よっぽどゲロっぽいなんだからな。だいたい、それっぱかし、見えなきゃ気になんない程度だろう。それ以外のぜんぶ、あの子に入ってんだぞ」
 言われてみれば、そのとおりである。
「でも、元がいっしょの奴だから、もしかして、こっちにくっつけられるかもしんねえ」
 よろしくお願いします――優太の目は、そう言っていた。
「んむ。さすがは俺の弟だ」
 タメだけど、この際、頭を下げてお願いします、お兄さん。
「待ってろ」
 優作は優太を残し、前のふたりに駆け寄った。
 美紀の背後に近づくと、隣の茂美が優作に気づき、目を丸くした。
 ――あれ、あんた、なにするの?
 優作は、とりあえず俺に任せろ、と茂美を制し、
「おいしょっと」
 美紀の両脇に、後ろから自分の両手を入れた。
「ごめんよ姐さん」
 ずるり、と、あの女だけ引き寄せる。
 美紀の輪郭を離れるそばから、女は自分の姿に戻った。
 無敵の茂美も、さすがに戦慄した。実際にその女を間近で見るのは、初めてなのである。
 もっとも女の様子は、かなり昨夜と違っていた。後ろから見守る優太には、優作が美紀の中から、女の形をした白い布を引き出したように見えた。昨夜の貞子や伽耶子じみた邪気を、ほとんど感じない。
「――あれ?」
 美紀がつぶやいた。
 首をくるくるしたり、肩をこきこきしたりしながら、
「……なんか、急に楽になっちゃった」
 茂美の強張った顔面が、ちょっと緩んだ。
 ――そーか、そーゆーことだったのか。
「どうしたの? 変な顔して」
「あ、いや――良かったねえ、美紀!」
 美紀の肩をぽんぽんしながら、戻ってゆく優作に目をやる。
 優作は、けっこう苦労していた。女は、優作とコミで認識している茂美や優太以外、他の誰にも見えないほど沈静している。それでも優作にとっては、生きた大人の女性を引きずるのと同じ力がいるのである。
「痩せてる割にゃ、重いな姐さん」
 ふつうの相手なら怒ったろうが、女はやはり何も聞こえていないらしく、ずるずると優作に引かれるままだった。
 待ち受ける優太は、正直、かなりビビっていた。
 あの女の人は、昨夜よりずいぶん恐くない感じだが、その代わり自分のほうに、怖がる時間がありすぎる。しかし現に美紀ちゃんは、いきなりいつものように元気にケンケンしたりしている。ならば、あとはこっちで引き受けるしかない。
 選ばれし者の恍惚と不安、ともに我にあり――まあ殉教者などというものは、えてして神様なんぞ見てもいないところで、勝手に殉教するしかないのである。
「行くぞ、優太」
 ――山福美紀よ、亜久津優太は君のためなら死ねる!
 鞄を下ろし、彫り損ねた不動様のような顔で覚悟している優太の横を、他の生徒たちが通りすぎてゆく。実はさっきから、下校中の多数の生徒に珍妙なひとり芝居を目撃されているわけだが、そこはそれ、とことん影の薄い優太のやること、さしたる注目は浴びていない。
「どっせーい!」
 優作は優太の後ろから、ずん、と女を背負わせた。
 優太としては、てっきりさっきの美紀ちゃん同様、自分の体そのものに女が重なると思っていたのだが、
「……あれ?」
 見れば自分の両肩から、女の両腕が、だらりとたれている。
「おい、ちゃんと持て。おんぶだよ、おんぶ」
 優作に言われるまま、両手で女の太ももを支える。人の感触はない。背中のワンピースも、布っぽい感触はない。人の形のスライムを背負っているようだ。つまり、昨夜の感覚と大差ないのである。
「まあ、あの子とお前じゃ、人柄が違うからな。馴染むにゃ当分かかるだろ」
「……痩せてる割に重いね、この人」
 などと言っているうちに、両脇に見える青白い腕も、後ろ手で抱えている細い脚も、ぬるぬると形を変えてゆく。結局、昨夜と同じなのだ。
 女の形が、ある程度失われたあたりで、
「あちゃー」
 見ていた優作が、自分の頭を叩いた。
 女の姿は、もう優太の背中から消えていた。
「……やっぱり居心地が良くないか」
 ふたりして前を検めると、校門に向かって元気に遠ざかりつつあった大小の制服姿の、小さい方だけが、いきなり十センチくらい縮んだように見えた。
「美紀!」
 スキップ状態だった美紀が、いきなりストンと下がってしまい、茂美はあわててその肩を支えた。
「大丈夫?」
「うー」
 美紀は、不本意そうにうなって、
「……またエベレスト」
 茂美は優太たちを振り返り、危険度MAXのガンを飛ばした。
 ――どーなってんだこれ! なんだかよくわかんないけど、あんたら、きっちりやんなさいよ!
 優作は、腕組みして言った。
「……なあ、優太。お前、なんつーか、人として、もっと優しい気持ちになれないか」
 もっともらしい口調だが、なにか芝居がかっている。
「あのお姐さんだって、きっと人に言えねえような訳があるんだよ。だからこう、あの子みたく、スコーンとヌケたくらい大らかに受け入れてやる、いわゆるひとつの『思いやり』ってやつをだな」
「…………無理」
 熟慮の末、優太が正直に答えると、
「だろうな」
 優作は、あっさりうなずいた。
「俺だって、シメられるもんなら、力いっぱいシメてやりてえくらいだもんな」
 正直にそう言いつつ、優太の腹のあたりを覗きこみ、
「でも、こっちにも、ちゃんと馴染んでるんだよなあ、部分的には」
「……シメたいほどじゃ、ないかもしんない」
「よし。なら、まだ道はある」
 優作は、優太の肩に手を置いて、
「お前、あの子と一緒になれ」
 優太は硬直した。
 な、なんとゆー大胆なことをおっしゃいますか、お兄さん――。
「……なんか勘違いしてねえか?」
「いや、その」
「ちょっとくっつけってことだよ。手ぇ繋いでみるとか」
 俺が美紀ちゃんと手を繋ぐ――優太にしてみれば、さっきのおんぶとはずいぶん方向性が違うものの、覚悟の度合いにおいては同程度の難行に思われる。
「あんがい楽にしてやれると思うぞ。ことによったら、重さが半分こになる」
 そうか――。
 逡巡している場合ではない。これは試練なのだ。
 かつて運動会のフォークダンスでほんのちょっと繋いだだけの、あの美紀ちゃんのちっこくてかーいらしい手を、合法的に――いやちょっと非合法かもしんないけど、とにかく思う存分握りまくれるとゆー超ラッキーな――いやいや万やむをえない、神が与えた試練なのだ。
「……行ってくる」
「んむ、行ってこい」
 優太は、歩を早めて前のふたりに近づき、主観的には決然と、客観的にはおどおどと声をかけた。
「あの……」
 美紀が、きょとんとした目で振り返った。
 茂美は、懐疑に充ち満ちた顔で優太を見据えた。
 ――いかん。どう言い訳していいものやら、見当もつかない。
 優太は、しばし思い悩んだ末に、
「……ちょっと、ごめん」
 それだけ言って、ひょいと美紀の手をとった。
 美紀や茂美のみならず、辺りに散在する下校中の生徒たちすべての目が、一瞬にして点になった。
「…………」
「…………」
「…………」
 凍りついたような数瞬の沈黙ののち、
「……殺していいよ、美紀」
 茂美が言った。
「なんなら、あたしが殺したげようか」
 しかし美紀は、ちょっと小首をかしげながら、
「……軽くなった」
「え?」
「なんか、軽くなった」
 全身の登山モードが、エベレスト級ではなく、裏山の稲荷神社の段々程度になっていた。
 確かに茂美から見ても、美紀の頭が五センチくらい高くなった気がする。
 美紀の黒目がちの可憐な瞳が、優太の凡庸な瞳に重なった。
 ――なんで?
 優太は、精一杯の瞳を返した。
 ――あの、ちょっと口では説明しにくいアレなんで、実感重視、そんな感じで、末永くお願いできれば。
 人生を豆腐一筋に賭ける決意をした、豆腐屋の息子のような瞳だった。
 美紀は思った。
 ――ああ、たった三日前に知ったばかりのお豆腐なのに、体がそれを求めてしまう。
 意味不明の視線を交わすふたりの間に、ぬい、と茂美が割りこんだ。
「ちょっとごめん」
 優太を美紀から引き離し、代わりに美紀の手を握る。
 とたんに美紀の背丈が、ストンと数センチ縮んだ。
「……エベレスト?」
「……うん」
 茂美は、ふう、とため息をつき、不承不承、優太にバトンを返した。
 なんだかちっともよくわかんないけども、こうとあっては、しかたがない――。
「妙なイロケ出したら、即シメるからね」
 優太は力いっぱいうなずいた。全殺しはないだろうが、半殺しならありうる。

 蔵王を望む田舎町の、のどかな校門前。
 春先らしい絹層雲のヴェールでやや霞んだ青空の下、屈強な女衛士を従えてしずしずと歩む不釣り合いなコンビを、多数のまん丸目玉が、興味津々で見送っていた。
 手を繋ぐ当人たちの思惑に著しい齟齬はあれ、傍目には、童謡の『靴が鳴る』が聞こえてきそうな情景だ。あるいは男女逆転した『矢切の渡し』。どのみち開校以来の椿事に違いない。
 驚愕するギャラリーの中には、二年三組の級友たちも混じっていた。
 きのうっから、なんだかちょっとアヤしかったあのふたりが、今朝はいきなり女王様と下僕化し、あまつさえ放課後にはラブラブ化している――。
 ちなみに美紀を羨ましいと思った女子は、やっぱり皆無だった。
 しかし名もなき幾人かの男子は、もはや嫉妬や羨望を超え、大いなる福音の光を、そこに見ていた。
 ああ、俺らみたいな一寸の虫にも、いつかは幸せな明日が訪れるのかもしんない――。



  【Act.5】 若き日の回転木馬


     1

 さて、再び時間は遡り、山寺を見上げる土産物屋兼食堂。
 昼食後、島本が携帯でアポイントを求めると、澁澤老人の孫娘は、ふたつ返事で承諾してくれた。
 島本は、相手が賑やかすぎて少々疲れた、そんな表情で携帯を閉じた。
 同じテーブルで様子を窺っていた泰蔵と茂に、
「OKです。ただし、できれば二時過ぎに来てほしいそうです」
「そりゃ先様だって、何かと忙しいだろうからな」
「というか、お絵描きイベントの都合ではないかと。小学生が放課後を過ごすための託児所ですから」
「そうか。学校が終わるのは、今だと二時半頃だったな」
 泰蔵は茂に、からかうような笑顔を向けた。
「どうやらサイン会じゃなくて、お絵描きの先生やるらしいぞ、お前」
「俺は、そっちのほうがいいです」
 実際、茂の性分だと、大人のファンより、知らない子供たちのほうが好ましい。
「まだ時間がある。腹ごなしに、せめて五大堂まで登っておこう」
 脚に自信のある泰蔵は、やる気満々で言った。
 五大堂は、崖上に突き出すように設けられた三方吹き抜け構造で、数ある山寺の御堂の中でも一番の絶景スポットなのである。まして晴天だ。
 泰蔵ほど脚に自信のない島本も、あそこまでなら、とうなずいた。
 茂は、あまり浮かない顔で泰蔵に訊ねた。
「あそこまで何段ありますかね」
「段数は知らんが、ゆっくり行っても三十分かからんはずだ。時間つぶしに、ちょうどいい」
 山福先生の脚で片道三十分弱――俺の脚だと、少なく見積もっても往復一時間半。ぎりぎり間に合いそうな時刻が、かえって恨めしい。
「まあ、無理しないで、行けるところまで行けばいいさ」
 島本が、察して言った。
「肝心の先生が、ヨレヨレになっても困るしな」

 登山口の小さな売店で、陽気なおかみさんから、名物の『力こんにゃく』を、ひと串ずつ購う。
 醤油で煮ただけの玉こんにゃくに、さほど栄養があるとは思えないが、たっぷり辛子を塗って食べると、なぜかその気になるから不思議だ。
 ときに急勾配はあるものの、残雪もきっちり横に除けられた石段を、泰蔵は元気いっぱいに登っていった。島本も、なんとか順調に追随する。
 ふたりは茂の運動不足を考慮し、途中の姥堂や仁王門で、追いつけるようインターバルを置いた。茂だけは、正直、処女雪の険峻にアタックしているマリオネットのような有様である。
 それでも五大堂に辿り着くと、茂は、ガクガクの脚も忘れて感嘆した。
「これは絶景……」
 前に家族と来たのは夏だったから、とにかく汗まみれになってしまい、宙を隔てて対面する緑濃い山々も、遙か麓に広がる門前町も、ろくに眺める気力さえなかった。しかし残雪期の晴天下では、何もかもが違う。冬の水墨画と春の水彩画をコラボしたような、絶妙な景観である。眼下の山合を縫って流れる立谷川も、仙峰線を行くローカル車輛も、絵心のあるマニアが組んだ緻密なジオラマのようだ。
「どうだ、来てよかったろう」
 泰蔵が上機嫌で言った。
 茂も異議なしでうなずいた。過去の辛苦は、どうやら大半、風炎の成せる業だったらしい。
「これでエスカレーターでもあったら、夏場も最高なんですけどね」
 軽口のようだが、実感である。
「よせよ、江ノ島じゃあるまいし」
 島本が呆れて言った。
「だいたいエスカレーターで上下する坊さんとか、ありがたくもなんともない」
「確かにな」
 泰蔵が言った。
「しかし澁澤さんって人は、坊さんでもないのに、七十過ぎて毎日毎日、もっと上まで通ってるわけだ。生半可な根性じゃないぞ」
「前に郵便局を取材したとき聞いたんですが、立石寺を担当する配達人は、みんなスポーツ心臓になるそうです」
 島本は言った。
「三浦雄一郎さんみたいな人ならいいんですけど、まあ、西崎さんの話だと真逆っぽいですね」
「じゃあ、そろそろ下りて、下ごしらえにかかろうか」
 いっそ奥の院まで行っちまおう、そんな言葉を恐れていた茂は、即座に反応した。
「そうしましょうそうしましょう」

 下りもけして楽ではないが、上りとはずいぶん違う。足弱の茂でも、樹木に覆われた千年の古刹の風情を、味わう余裕ができる。石段の傍らの雑木に紛れ、なかば残雪に埋もれて佇む地蔵たちの風化した微笑に、思わず微笑を返したりもする。
「『ムカサリ絵馬』――」
 ふと、茂はつぶやいた。
「『ムカサリ絵馬』の話、それでどうでしょう。あれをモチーフにした漫画を描きたいと言えば、きっと、その澁澤さんも話に乗ってくれます」
「そりゃいいな」
 泰蔵がうなずいた。
「確かに、ここの奉納物を調べてる人なら、絶対乗ってくる」
 ムカサリ絵馬とは、この地方独特の奉納絵馬である。峰館地方の方言で『婚礼』を意味するのが『ムカサリ』だ。したがってムカサリ絵馬には、いずれも和やかな婚礼の情景が描かれている。しかし、その花婿花嫁の一方は死者がモデルであり、一方は、この世に存在しない架空の配偶者である。
 つまり、若くして未婚の内に亡くなった我が子が、死後の世界で幸福な生活を営めるよう、遺族が架空の婚礼風景を描いて奉納する絵馬、それがムカサリ絵馬なのだ。民俗学上の『冥婚』――『死後婚』に類する風習で、峰館以外にも津軽の一部などに見られるが、この立石寺には、他を圧して奉納が多い。奥の院、中性院、また金乗院、それらの御堂の内を覗けば、大小無数のムカサリ絵馬が奉られている。
 戦前戦中までの男系中心時代には、花婿のための絵馬が多かったが、その後は花嫁のための絵馬も増え、さらに本来の婚礼《ムカサリ》のみならず、就学以前に先立ってしまった子のために、入学式や学校生活を描いた絵馬なども奉納されるようになった。また絵馬の形ではなく、花嫁人形そのものや、ランドセル等の入学用品を奉納する遺族も増えた。
 いずれにせよ、この国に仏教が渡来する遙か以前から、山は死者の住むところ――死者が生きつづける場所であると信じられていたのだ。それは現代の街に生きる多くの人々にとって、すでに失われた概念のように思われがちだが、少なくともこの地方では、確固たる習俗として生き続けている。現に山寺の奥の院、仄暗い院内にうずたかく積まれた花嫁人形たちを見れば、古色を帯びた骨董品のみならず、昭和後期から平成の作と覚しい西洋人形じみた顔立ちの、真新しい花嫁も少なくない。たとえば近い将来、童貞のまま逝ったオタク息子のために、ウェディングドレスを纏った初音ミクのフィギュアを奉納する親が現れても、ちっとも不思議ではない土地柄なのである。
「なるほどなあ」
 島本が言った。
「あの女も、たぶん結ばれずに死んだわけだし、現状にぴったりだ」
「実は、頭ん中で遊園地と指輪の話を考えてたら、あの絵馬がからんできたんです。昔から、いっぺん使ってみたいモチーフだったんで」
「もう漫画にしてるのか」
 泰蔵が感心して言った。
「まるで噺家の三題噺だな」

     2

 澁澤老人の孫娘が勤める『あすなろ児童クラブ』は、山寺街道沿いにある市立中学の敷地内に、こぢんまりと併設されていた。
 約束どおり二時を少し過ぎた頃、そのトタン屋根のプレハブの玄関をくぐる。
「こんにちは、おじゃまします。さきほど連絡させていただいた島本と申します」
 島本が声を上げると、待ち構えていたように、若い女性職員が駆け足で現れた。
「いらっしゃいませ! 澁澤恵理と申します!」
 二十幾つと聞いていたが、まだ少女と言ってもおかしくない、溌剌とした、ふくよかな娘である。
 続いて初老の男性ひとりと、職員らしいふたりの女性が、慎ましい足取りで現れた。女性のひとりは中年、もうひとりは恵理よりも少し下か。いずれも峰館人らしい素朴な顔立ちなので、人見知りの激しい茂は、かなり安心していた。
 水を向けたらいくらでもしゃべりそうな表情の恵理も、ここは上長らしい初老の男性に正面を譲る。
「責任者の斉藤と申します。こんな田舎まで、皆さんご苦労様です」
 男性が差し出した名刺には、所長の肩書きがあった。
「いやいや、実は我々、みんな地元なんですが」
 島本は恐縮しながら名刺を差し出し、
「フリーライターの島本と申します。そして、こちらが漫画家の『あっくん』先生。そしてこちらが取材協力者の山福泰蔵先生です」
 茂と泰蔵も、名刺を渡す。
「どうも」
「なにとぞ、よろしく」
 所長の斉藤は、それぞれに如才なく会釈したが、フリーライターや漫画家といった馴染みのない肩書きよりは、泰蔵の名刺に着目したようだ。
「ほう、峰館商業で教えていらっしゃいますか」
「はい。現国と古典、漢文を受け持っております」
 斉藤は相好を崩して言った。
「実は私も去年まで、隣の中学で国語を教えておりました」
 ちなみに『あすなろ児童クラブ』は、あくまで市の委託事業所だから、斉藤は現役公務員ではなく、定年後の再就職者である。それでも同じ地道な教育者仲間に違いはない。
「それはそれは」
 泰蔵は改めて深々と頭を下げた。
「実はこの亜久津茂君も、昔の教え子で、まあ出世頭とでも申しますか」
 実は数年前まで長いこと落ちこぼれ続けていた、などという解説は無用である。
 ともあれ、これで三人の来訪者は、全面的にこの場に受け入れられた。
 事務室に案内され、賓客扱いで遇される。
 茂は、恵理とその後輩――恵理の感化でそこそこ『あっくん』ファン化していた短大を出たての児童保育士嬢を相手に、色紙を描きまくるやら素人インタビューに応じるやら、大わらわである。
 島本は島本で、彼のマスコミ露出時代を覚えてくれていた中年女性、推定この施設の最ベテランを相手に、お得意のダンディーな話芸を披露したりする。
 泰蔵は斉藤所長との茶飲み話――この地域の小学一年から五年までの鍵っ子全員を集めても総計二十四人という現代の少子化問題に我々ロートルは今後いかに対処すべきか――そんな論議に余念がない。
 まだ姿のない例の澁澤老人も、孫の恵理のみならず所長以下全員に、一種の地元名物老人として一目置かれているらしく、この託児所が待合室代わりに使用されても、誰も疑問はないようだった。
 やがて放課後の子供たちが集まりはじめると、斉藤所長はデスクワークのため事務室に残り、他の一同は学習室に移った。学習室といっても、学校の教室のように机と椅子が並んでいるのは部屋の半分だけで、もう半分は保育園の遊戯室に近い。
 恵理先生が気合いを入れて紹介する、峰館出身の偉人にして本日の臨時お絵描き教室ゲスト講師『あっくん』大先生に、大小の二十四の瞳、もとい四十八の瞳が集中した。ふつうの環境で育った小学生なら、『あっくん』程度のマイナー漫画家は、たいがい「誰それ?」だろうが、なんといっても全員が恵理の保育を受け、例のDVDや画集を見せられている。
「……えと、その、よろしく」
 茂自身の挨拶は、それだけだった。
 四十八の瞳すべてが、極めて深刻な懊悩の色を浮かべた。
 恵理先生を疑いたくはない。けして疑いたくはない。しかし――この田んぼで風に吹かれているカカシのような人が、本当に『あっくん』先生なのだろうか。
 それでも案ずるより産むが易し、いざお絵描き教室が始まると、茂は瞬く間に、蟻にたかられるアンコ玉と化した。子供たちにしてみれば、自分たちの似顔絵のみならず、頼めばドラえもんからピカチュウまで本物そっくりに描いてくれる大人など、一度も見たことがない。
 やっぱりこの人はカカシではなく、スゴい先生なのだ――。
 一年二年のちびっこあたりは、実際、わらわらとたかってくる。
 茂はアンコのように磨り潰されそうになりながら、高校時代の文化祭でパンダの着ぐるみに入ったときの、盛大なお子様人気を思い出していた。
 ああ、あれから修行を積むこと無慮四半世紀。パンダじゃなくて地のままでも、こんだけ子供にウケる大人になれたんだなよあ、俺ってば――。

 調達してきた色紙もスケッチブックも、あらかた使い果たした頃、ようやく窓外の陽が傾きはじめた。
「そろそろ、お祖父ちゃんが下りてきます」
 恵理が、満面の笑顔で言った。
「皆さんのことは伝えてありますから、いっしょに帰りましょう」
 ――第一関門、完全攻略。
 茂たちが、すっかり油断しているところへ、
「失敬」
 いきなり扉が開いて、リュックを背負った痩身の老人が入ってきた。
 茂たちは虚を突かれ――あるいは事前の不安予測が的中しすぎて、三人とも、山道で羆と鉢合わせしたようにつっぱらかった。
 豊かな白髪の下から覗く眼光が鋭い。鋭いだけでなく、底知れぬ深味もある。
 里山歩き風のラフな出で立ちだが、その眼力とまっすぐに伸びた背筋は、明治の軍人、あるいはストイックな侠客、それとも根っからの恐持てに見えた。往年の三船敏郎と高倉健に、ブレイク前の遠藤憲一を足して、三で割らないまま老境を迎えたような風貌である。
 思わず挙動に窮している茂たちとは別状、
「いらっしゃい、澁澤さん」
 中年の女性保育士は、緊張感の欠片もない声をかけた。お人好しの八百屋の親爺に挨拶するような、親しげな声だった。他の女性も子供たちも、山道に突然現れたクマのプーさん、そんな気安さで会釈している。
「お帰りなさい、お祖父ちゃん」
 恵理が溌剌と声を掛けると、
「はい、ただいま」
 老人の眼光が、一瞬にして雛祭りのぼんぼりのように和らいだ。
「事務所で所長さんに言われたんだが、ほんとにこっちで良かったのか、恵理」
 言いながら、顔面全体が、しまりなく緩んでゆく。
 茂たちは、直前とは逆方向ながら、やっぱりたじたじとなってしまった。
 なあるほど、これは予想に輪をかけた孫力――。

     3

 澁澤老人を乗せた恵理の車に続き、澁澤家の庭先に車を乗り入れた島本は、朝方に西崎から聞いた『世捨て人』という表現が、あくまで仲間内の冗談らしいと悟った。
 あの保育施設で女性陣から聞いた話だと、澁澤家は、このあたりでも今どき珍しくなった専業農家である。十年前に澁澤老人が隠居した後、長男夫婦が経営を継ぎ、峰館名物の洋梨『ラ・フランス』や和梨、椎茸や舞茸の栽培等、雇い人を使いながら手広くやっているらしい。
 しかし農園に囲まれた広壮な瓦屋根の自宅は、築十年の新しさではなく、古民家と呼ぶほど古くもない。つまり、澁澤老人の代に建てられたものである。たとえ先祖が残した土地があったにせよ、数冊の民俗学関係書を著す一方でこれだけの農園を築き、これだけの家を建てたとすれば、むしろ実業家的な資質がなければならない。今どきの多角農業経営は、日々律儀に耕作し続けているだけでは、すぐに破綻する。来年の市場の需要を見越して臨機応変に作付面積を変える、そんな投機的判断が不可欠なのである。
 もっとも街中の生臭い実業家とは違い、澁澤老人の口が極端に重いのも確かだった。島本たちが座敷に招かれ、和やかな晩餐が始まってからも、長男夫婦と老人は、ほとんど直接の会話を持たない。和やかさの九割九分が、恵理の介在で成り立っている。といって老人と息子夫婦の間の情愛が、とくに薄いとも感じられない。単に、そんな交情が澁澤家の常態であるらしかった。

 恵理の孫力のおかげで、賓客扱いの夕食が済むと、三人は老人の書斎に案内された。
 当然のように、恵理が先導する。
 十二畳ほどの広い和室は、島本たちの予想に違わず、文机周辺のわずかなスペースを除き、膨大な書籍と収集品らしい民具に埋もれていた。
「じゃあ、お祖父ちゃん、なんでも教えてあげてね」
 そう言いながら、恵理が自分も腰を据えようとすると、
「お前は下がっててくれないか」
 澁澤老人は、あくまでにこやかに言った。
「ここから先は、この方々の仕事上の取材になる。仕事の話は、男同士でじっくりやらんとな」
 恵理は心配そうに茂たちを見た。
 茂ら三人も異存はない。本来の目的に踏みこめば、恵理に聞かせたい話ではなくなる。だから異存はないのだが――それでもやっぱり、ちょっと恐い。
「じゃあ、皆さん、ごゆっくり」
 恵理は、渋々部屋から下がっていった。
 襖が閉じると同時に、老人の顔貌が豹変した。
 あの学習室に突然現れたときのような、只ならぬ眼力である。
 澁澤老人は、おのおのを見定めるように視線を流したのち、まず茂を見据え、
「――漫画家か」
 それだけ言って、値踏みするように睨め回した。
「はい……」
 気圧されて二の句を継げない茂に代わり、島本が口を開いた。
「えー、恵理さんからお聞き及びと思いますが、このたび、この亜久津君が『ムカサリ絵馬』の伝承を元にした新作を構想中で――」
 澁澤老人は、ぎろりと島本を睨みつけた。
「君には訊いとらん」
 いちおう『お前』や『きさま』ではなく『君』扱いだが、それにしては、懐からドスでもちらつかせそうな凶眼である。泰蔵の顔が鬼瓦ならば、今の澁澤老人は『瓦』抜きの実物に近い。
 島本は、思わず縮み上がった。
 しまった。これはどうも第一印象でしくじったらしい。きっと俺のビジュアルが軽すぎたのだ。ああ、今日はこんなスカした服じゃなく、カタギらしい背広でも着てくりゃよかった――。
 澁澤老人は茂に視線を戻し、地獄の底から響くような声で言った。
「藤子不二雄という人を知っているか」
「は?」
「オバケのQ太郎とか、ドラえもんを描いた人だ」
 声と話題の落差に、茂は戸惑った。
 たぶん老人は、藤子・F・不二雄――藤本弘先生の話をしているのだろう。『オバケのQ太郎』の頃までは、相棒だった藤子不二雄A――安孫子素雄先生との合作だが、『ドラえもん』はF先生の単独作である。
「……はい。生前、何度かお会いしました」
「君は、あの人をどう思う」
 依然として閻魔大王のような声である。
 茂は許しを乞う亡者の気分で、正直に答えた。
「天才です」
 実際、茂の脳内では、手塚先生よりも石ノ森先生よりも、藤子・F・不二雄先生が偉大である。手塚作品に通底するあまりにも人間的な歪みや、石ノ森作品に顕著な度を過ごした繊細さが、藤子・F作品には見られない。大人を描いても子供を描いても、すべてが適切だ。適切をファンタジーにまで高められる創作者を、茂は他に知らない。
 老人は眼力を保ったまま、続けて訊ねた。
「あの人の描いた『山寺グラフィティ』という漫画を、君は知っているか」
 必ずしもメジャーとは言えない一短編のタイトルを挙げられ、茂は一瞬驚いたが、この山寺を題材とした作品なのだから、澁澤老人が知っていても不思議はない。
「はい。藤子先生の数ある短編の中でも、あれは最高傑作だと思います」
 実際、茂は昔から、そう思っている。
 高校卒業を待たずに亡くなった少女が、その死を惜しむ父親によって、『こけし』として山寺の岩穴に奉られる。『こけし』に託された娘の意識は、いっしょに納められた玩具の家具調度に囲まれて、そのままそこで生活を続け、やがて、都会に去ったかつての恋人の前に、成長した姿を現す――簡略に言えば、そんな幻想譚である。無論本編は、長からぬ三十六ページの内に藤子・F先生らしい巧みな紆余曲折が織りこまれ、哀切や陰鬱に陥りがちな題材を、暖かく澄んだ叙情へと、なんの疑義もなく導いてくれる。
 澁澤老人は茂の目の奥を、真偽を計るように黙って見据えていた。
 茂は、訥々と続けた。
「えーと、もし俺が、自分でこんな漫画を描けたら、もうそれっきり死んでもいい――そんな漫画のひとつなんです。俺にとって、あの作品は」
 もっとも茂が小学校低学年の頃、初めて少年漫画誌で『山寺グラフィティ』を目にしたときは、幼すぎて、その真価を理解できなかった。中学時代に短編集で再読し、改めて悶絶級の感銘を受けたのである。
 澁澤老人は、なんら感情を窺わせないまま、おもむろに訊ねた。
「あの娘は、なぜ『こけし』だったんだろうな」
「……なぜ『ムカサリ絵馬』ではなかったか、ということですか?」
「そのとおり」
 老人の凝視が、一段と重みを増した。
 ここは老人に媚びるべきだろうか――茂は迷った。
 おそらく老人は、山寺の奉納物の要である『ムカサリ絵馬』を、あの話の中で無視されたことに、不満を抱いているのではないか。また、死者を『こけし』に託すという概念も民俗学上には存在しない。『こけし』の語源は『子消し』や『子化身』である――つまり堕胎や間引きに由来するなどという不吉な俗説とは別状、『こけし』はあくまで生きる子供が遊ぶための、あるいは大人が子供を慈しむための玩具である。
 しかし茂は、巧まず真摯に答えた。
「藤子先生も、山寺を舞台にするなら、本来あの絵馬であるべきことは、ご存じだったと思います。ただ、あの作品は、あくまで少年誌に掲載された短編です。ですから全国の子供が知ってる『こけし』を使うのが、児童漫画としては正しいのです。ページ数の制約もありますし、ほとんどこの地方だけの習俗を、長々と説明するわけにはいきません。もし俺があの話を描くとしても、たぶん『こけし』を使うと思います」
 澁澤老人は満足げにうなずいて、茂ではなく、横の泰蔵に言った。
「なかなか良くできた生徒さんですな、山福先生」
 孫娘に対するほどではないが、柔らかい笑顔に変わっている。
 泰蔵も、ようやく緊張を解き、
「はい。まあ、まずまずの仕上がりでしょうか」
 担任中はカケラも期待していなかった、などという解説は無用である。ふたりがなんの話をしているのか俺にはほとんど解らない、そんな事実も無問題だ。
 澁澤老人は、続いて島本に訊ねた。
「君ならどう書くね、島本和哉先生」
 先程とはまったく異なる、悪戯小僧のような目つきだった。
「近頃は妙な仕事ばかりしておるようだが、その、いわゆる怪談作家としては」
 島本は苦笑して答えた。
「私ならムカサリ絵馬の詳細も入れて、みっちり二百枚ってとこですね」
 島本も怪異譚や幻想譚なら、漫画・小説・映画を問わず、たいがいの佳作に接している。
「あの豊穣なニュアンスの集積を、あえて文章で伝えるとしたら、五十枚や百枚では無理でしょう」

 やがて、様子見をかねてお茶を運んできた恵理は、和気藹々とした書斎の様子に目を丸くした。
「お前の言うとおりだ、恵理」
 澁澤老人が言った。
「この若い衆は、なかなか素性がいい」
 さすが『あっくん先生』のお人柄、この巌のようなお祖父ちゃんを、たった数分で陥落《おと》している――。
 恵理は、感心しきりでお茶を置くと、
「なんでお祖父ちゃん、お父さんとも、そうやって楽しそうに話せないの?」
「お前の親を悪く言いたくはないが、あいつは、つまらん。仕事の話しかできない」
「あたしの親って、お祖父ちゃんの息子でしょうに」
「教育を誤った。あいつはムカサリ絵馬よりも、ラ・フランスの色艶にしか興味がない」
 恵理は朗らかに笑って、
「じゃあ、お祖父ちゃん、あともよろしくね」
 明らかに「先生たちの相手をよろしく」のみならず、「どんな話だったか、あとで私にも教えてね」を兼ねた言葉を残し、しずしずと下がっていった。
 澁澤老人は、そんな孫娘を目を細めて見送り、茂に向き直った。
「で、君は私に、何が訊きたいのかな? まあ君も承知の上だと思うが、私にできるのは峰館の昔話くらいだ。あとは息子と同じで、峰館の土に向いた果物、椎茸、舞茸、ナメコの栽培――そんなところしか相談に乗れんぞ」
 この人に妙な腹芸を使うべきではない、そう思った茂は、
「実は、『峰館ハワイアンランド』での話を、お伺いしたいんです」
 のっけから本題に入り、島本と泰蔵に目配せした。
 泰蔵がうなずき、島本も心得る。元々、本番では島本が議事進行の予定である。
 澁澤老人は、当初ほど険しくはないものの、眉根に深い皺を寄せ、ただ黙りこくっていた。やはり気が乗らない話らしい。
 島本は、頭の中で段取りを組み立て、
「――まず、これを見ていただけますか?」
 ショルダーバッグから、例の新聞記事のコピーを取り出した。
「この記事を書かれたのはあなただと、西崎さんに伺いました」
「……確かに」
 否定はしないが、それ以上語る気もない――老人の顔は、そう言っているようだ。
「では、次に、こちらをご覧ください」
 島本は、あえて話を迂回した。これまでの経緯を整然と語るのは簡単だが、それだけで第三者の重い口は開けない。
 あの二枚の空中写真を差し出し、
「――こちらが四十年ちょっと前、ハワイランドが開業中だった頃の、周辺一帯の空中写真です。そして、こちらが同じ地域の、現在の空中写真です。国土地理院の資料をもとに、縮尺も範囲も、両方ぴったりいっしょにトリミングしてあります。私や山福先生は、こうした画像を扱う心得がないので、この亜久津君に画像処理してもらいました」
 澁澤老人は、それぞれを文机に並べ、興味深げに見入った。
「ほう……ずいぶん変わったものだ。まさに『滄桑の変』だな」
 二日前の島本と、まったく同じ表現である。もっとも、これは島本の語彙のほうが古いのだろう。
 島本は言った。
「こちらのハワイアンランドの真ん中あたりに、赤い点が打ってありますね」
「ああ、あるな」
「現在の写真にも赤い点があります。両方、私が打った印です」
「ああ」
「二枚重ねて、明かりに透かして見ていただけますか」
「……同じ場所だな」
「はい。片方は、ハワイアンランドの回転木馬があった場所。そしてこちらは現在、山福先生が住まわれているお宅なのです」
 澁澤老人は、ほう、と山福を見た。
 そうなのです、と山福がうなずくと、
「……その木馬なら、確かに私も知っている」
 不承不承、老人は言った。
「しかし、それとこれと、何がどうだと言うのかな?」
 島本は、確かな手応えを感じた。
 心霊スポットの探訪経験などを得意げに述べたがる輩はいざしらず、市井の常識人から気乗りのしない話を引き出すには、一方的に質問しても、多く徒労に終わる。逆に相手からなんらかの質問を引き出し、こちらが答える形で話を進めるのが有効だ。それは怪奇体験に限らず、口にしにくい話すべてに通じる取材方法である。
「ご説明する前に、こちらも、ご覧いただけますか」
 島本は、一通の封書を差し出した。
 篠原遊具製作所の元社員・山田老人から島本に届いた手紙――一九七二年の春、峰館ハワイアンランドの廃墟で、木馬に乗った少女を目撃した夜の体験談である。達筆すぎて島本には読みにくいが、手紙の主と同世代の知識人なら難無く読めるはずだし、かえってリアリティーを感じてくれるだろう。
 澁澤老人は四枚ほどの便箋を、滞りなく、興味深げに読み終えた。
「……ほう。あの木馬は、この人の会社が造っていたのか」
「はい」
「しかし、そんな怪しげな子供なんぞも、私に心当たりはないな」
「子供ではなく、大人ならどうでしょう。たとえば二十一歳ほどの、若い女性だとしたら」
「子供の幽霊話が、なぜ大人の話になる」
「我々の目の前で、子供から大人に変わったからです」
 さすがに澁澤老人は唖然とした。こいつはいったい何を言い出すのだ――。
 OK、ツカミはここまで――島本は続けて言った。
「非常識な話ではありますが、我々三人、間違いなく、この目で見た話です。ご質問はあとでお伺いします。どうか、とりあえず最後までお聞きください」
 あとは粛々と、本編を語るだけである。

     4

 引き続き島本が主になって、適宜、茂や泰蔵にも話を振りながら、この三日間の出来事を説明する。
 澁澤老人は、長い話を黙って聞き終えた後、
「……この話は、西崎の奴にもしたのか?」
 渡されていたあの指輪の箱を閉じ、横の文机に起きながら、そう島本に訊ねた。
「いえ、新聞記事の件を訊ねた時点で、自分では何も語りたくないと、あなたのお名前を」
「あの野郎、当事者のくせに、俺に丸投げしやがった」
 澁澤老人は、やれやれと頭を振り、
「まあ西崎の立場も、気持ちも解らんじゃないが……あの娘がまだ迷ってるんなら、俺じゃ、どうしようもない。西崎に全部教えてやれ。きっと、すぐに山福先生の家に飛んでいく」
 島本たちは、「あの娘」に対する興味もさることながら、むしろ「迷っている」ことに澁澤老人がなんの疑問も抱いていないらしいのを訝った。
「どうした、お三方。妙な顔をして」
「いえ……頭から信じていただけるような話では……」
 島本が言うと、澁澤老人は苦笑して、
「暇を持て余した爺さんや学生連中じゃあるまいし、仕事持ちの大人が三人も雁首並べて、訳の解らん作り話を聞かせるために、こんな隠居をわざわざ訪ねてこんだろう、ふつう」
「それは、そうなんですが」
「だいたい、十年近くも古寺に通ってりゃ、後ろの透けて見えるような連中だって、そう珍しいもんじゃない。むしろ、なんで皆あんなに影が薄いのか、なんで挨拶くらい返してくれんのか、こっちが歯痒いくらいだ」
 そっち方向に関しては、澁澤老人も、どうやら島本の同類らしい。
「あの娘も、木馬になんぞしがみついてないで、あの男の前に遠慮なく化けて出て、恨みごとでも言ってやりゃいいんだ。刺し殺されたって祟り殺されたって仕方のない奴だったんだからな。それを今になっても、まだあそこで迷ってるとはなあ……」
「差し支えがなければ教えていただけますか、その女性や男のことを」
「いいだろう」
 老人は言った。
「もう四十何年も昔の話だ。西崎だって、あいつの周りに差し支えがなくなったからこそ、俺を教えたんだろう。差し支えのありそうな奴――たとえば高見の奴は、まだ大手を振って生きてるようだが、どのみち昔の自分を恥じるようなタマじゃない」
「『たかみ』――それが怪我をした男ですか」
「そう。高見俊彦。『高いところを見る』の高見に、俊敏とか俊英の『俊』で、俊彦だ」
 元新聞記者の澁澤老人だけに、そうした字面にも気を遣ってくれる。
「そして刺した娘は、西崎綾音――綾取りの『綾』に、『音』と書いて『あやね』」
「『西崎』――」
「そう。綾音さんは、あいつの再従妹《はとこ》なんだ」
「あの西崎さんの……」
「そうなんだよ」
 澁澤老人は、遠い目をして、
「――西崎は俺より四つ下だから、昭和十五年の生まれだな。綾音さんは西崎より六つ下だから、二十一年、敗戦翌年の生まれか。そして高見俊彦は十八年生まれ。――あの事件のあった昭和四十二年八月には、俺が三十一、西崎が二十七、高見俊彦は二十四、そして綾音さんは二十一、そんな勘定になる」
 すると刺された男も、今はすでに七十近く――。
 改めて時代や世代の違いを想い、三人それぞれ、微妙にうなずく。
 澁澤老人は茂に訊ねた。
「亜久津君は、事件の頃、幾つだったかね」
「残念ながら、まだ生まれてません」
 茂は昭和四十六年、大阪万博の翌年の生まれである。
「島本君は?」
「生まれてましたが、やっと満一歳ですね」
「山福先生は?」
「小学六年――いや中学一年ですか。ハワイアンランドの開園も知ってたんですが、私は蔵王高湯の旅館の倅だったもんで、夏休みだと、そっちから流れてくる客を泊めるほうの手伝いで忙しくて、自分で行けたのは、確か翌年の春でしたか」
「なるほど。すると時代感覚は、けっこう我々と共有できそうだ」
「しかし記憶の大半は、高度経済成長期に入ってからですから、それ以前の戦後復興期となると――」
「いや、違うことだけ解っておられるなら結構」
 澁澤老人は、茂と島本に、
「たとえば、君たちも『砂の器』なら知ってるだろう。近頃のテレビドラマじゃなく、松本清張の原作や、古い映画のほうだ。丹波哲郎が年嵩の刑事――今西刑事をやった映画だな」
 茂は映画だけなら観ているし、島本や泰蔵は原作も読んでいる。
「あれの若いほうの刑事――確か吉村っていったか。あの男が俺と、ほとんど同世代ということになる。森田健作の話じゃないぞ。あくまで物語の中の吉村刑事だ」
 つまり日中戦争の前――『砂の器』の中だと、村を追われた哀れな親子が日本中をさすらっていた頃に、澁澤が生まれたわけである。
「あの話を持ち出したのは、別に時代考証のためじゃない。どうも俺には高見俊彦って奴が、和賀英良――あの話の犯人にダブって見えてならんのだ。もちろん高見は、人を殺しちゃいない。逆に殺されかけた側だ。告発されるような罪も、表立って犯しちゃいない。和賀英良をもっと即物的にして、即物的なぶんだけ姑息に小回りが利く、そんな男だった。しかしまあ、世間的には学業優秀眉目秀麗、とくに顔形のほうは、下手すりゃ加藤剛より上だったよ。スマートで上背もあって、目が切れ長で顎が細くて、まあ、今でいうイケメンって奴だな」
 あ、俺、そーゆー奴が一番嫌いなんだ――聞いている三人は、揃って思った。
「木馬の前で傷害事件が起こったのは昭和四十二年だが、そこまでの経緯《いきさつ》は、まだこの国に進駐軍がいた頃から始まってる。西崎に聞いた話、俺自身が関わった話、後で俺が調べた話――別々にすると話がワヤワヤになっちまうんで、ここは間違いのない出来事を、おおむね時系列でしゃべる――それでいいかな」
「はい」
 三人とも、そのほうがありがたい。
「――高見俊彦が、いつから綾音さんに近づいていたのか、西崎にも定かじゃないらしいが、とにかく最初に奴の存在を知ったのは、西崎が小学校の高学年に上がった年――昭和二十五年の春だな。その年、高見が同じ飯沢小学校に入学してきた。なんでも、そんな小さい頃から、高見の頭と顔は、学校でも評判になるほど図抜けていたそうだ。当時の飯沢村は田舎もいいとこで、小学校は飯沢小ただ一校。しかしそれだけ学区が広いぶん、全生徒数は峰館市内の小学校よりも多かった。そこで図抜けて見えたからには、頭はいわゆる神童なみ、顔は映画の子役なみだったわけだな」
 そーゆーガキも、あんまし好きじゃないんだ俺――聞く三人の内心はさておき、
「しかし、それだけ学年が下だと、多人数の学校では、直接の興味や関係に繋がらない。ただ、高見よりもさらに三年遅れて入学してきた綾音さん――つまり下級生から見れば、秀才の誉れ高い上級生は、幼いなりに、また違った存在感があったろう。まして少女雑誌の絵物語に出てきそうな御尊顔だ。もっとも西崎は入れ違いで中学に上がっちまったから、小学校での具体的なあれこれは、当然知らない。西崎が初めて、綾音さんと高見が二人きりでいるのを見たのは、翌年の夏、鎮守の森の夏祭りの晩だった。昭和二十九年――高見が五年生、綾音さんが小学二年の夏だな」
 老人は話を切って、お茶に口をつけた。
 泰蔵が訊ねる。
「あのあたりで鎮守の森というと、飯沢稲荷ですか」
「ほう、ご存じか」
「はい。うちの裏山の、すぐ奥に」
 飯沢村は南峰館に変わっても、お稲荷様は改名しない。
「そうか。そりゃ知っていて当然だ。ハワイアンランドも山福先生のお宅も、昔は飯沢村――」
 澁澤老人は、自分の頭をこつこつと叩いて、
「いかんなあ。どうもこの歳になると、さっき見たばかりの写真が、頭の中で現実に重ならない」
 話が逸れたついでに、島本も口を挟んだ。
「夏祭りの晩に、五年生と二年生がランデブーですか。まあ当時の飯沢なら、子供だけでも不用心ってことはないでしょうが、ずいぶんませた奴ですね、その高見って奴は」
 少なからず嫌悪の窺える口調である。
「でも、子供同士の話じゃないですか」
 茂が、たしなめるように言った。
 その高見俊彦を弁護したいわけではないが、茂と妻の優美が知り合ったのも、ちょうどその年頃である。当時住んでいた峰館駅の近くで、いっしょに神社の縁日を楽しんだこともある。さすがに二人きりではなく、近所の子供連中といっしょだったが。
「まあ大人になってこじれるにしても、その頃はまだ子供らしい、ほのぼのとした仲だったんじゃないでしょうか」
 澁澤老人は、島本と茂を面白そうに見比べ、
「ま、そこは少々微妙なんだが――」
 意味深に言いながら、文机の、あの朽ちた宝石箱を見やり、
「この指輪は、たぶん、そのとき高見が綾音さんに贈ったものだ」
 ほう、と三人が注目する。
「――まあ『大人になったらお嫁さんにして』とか『大人になったら嫁さんになってくれ』とか、子供がそんなママゴトみたいな約束を交わすのは、そう珍しいことじゃない。ませてると言えばませてるんだろうが、それだけならば亜久津君が言うように、ただの無邪気な昔話だ。しかし西崎が見たところでは、少々、一筋縄じゃいかんところがあったようなんだな」
 老人は、先を続けた。
「その晩、西崎は学校の仲間と神社に来ていたんだが、自分の再従妹と噂の神童が仲良く連れ立っているのを見かけたら、当然、気になる。幼い再従妹への心配もあれば、それ以上の野次馬根性がある。西崎は仲間と別れて、こっそり、ふたりの跡をつけた」
「はい」
「そのうち玩具の夜店の前で、キラキラの指輪や腕輪に惹かれ、綾音さんがしゃがみこむ。高見も横に並んでしゃがむ。仲の良い兄妹のように交わす会話の内容までは、西崎には判らない。しかし、あの頃のアセチレンランプ――山福先生あたりじゃないと知らんかな。あの、炎がちょろちょろとむきだしで燃えてる、えらい臭いがする屋外照明だな――あれのおぼつかない明かりの下でも、すばらしく嬉しそうな綾音さんの顔が、はっきり見えたそうだ」
 泰蔵だけでなく、茂や島本もうなずいた。ふたりの記憶だと、夜店の照明はすでに裸のクリア電球だが、かつてそうした照明器具があったことは知っている。
「で、それから、ふたり仲良く、あれでもないこれでもないと指輪を物色し、やがて綾音さんがひとつの指輪を選ぶと、高見が自分の浴衣の袖から財布を出した。これが、赤い花柄の、女の子用のちっぽけな蝦蟇口だったそうだ」
「それは……」
「そう。綾音さんの蝦蟇口だったんだよ。つまり高見は、なぜか自分で綾音さんの財布を持っており、そこからテキ屋に金を払って、その指輪を綾音さんの指にはめてやったわけだ。それでも綾音さんは、心底嬉しそうにはしゃいでいたそうだ」
 三人は、その状況の意味を計りかね、顔を見合わせた。
 島本が、老人に問う。
「えーと、それは、いわゆるその――すでに高見は事実上、綾音さんのヒモだったってことですか?」
 老人の答えを待たず、茂が突っこんだ。
「ヒモ?」
 いくらなんでも、小学生のヒモは受け入れがたい。
「だって、そうじゃないか」
 島本は言った。
「女からせしめた金でその女を喜ばせるのは、ヒモの王道だ」
「でも……たとえば、小さな綾音さんが財布をなくしたりしないよう、年長の高見が預かっていたとか。もしかしたら、そうするように大人に言われていたのかもしれない」
 茂としては、ここはあくまで夏祭りの夜店の叙情、童心にこだわりたい。
 どっちかはっきりさせてください――そんな目を、ふたり揃って澁澤老人に向けると、
「このおふたりは、なかなか面白いな」
 老人は、泰蔵に言った。
「正反対に見えて、どっちも正鵠を射ている」
「まあ、私が見るところ、同じ紙の裏と表みたいなもんですね」
 泰蔵は、鷹揚に言った。
「でも、この場合、いかにも澁澤さんの人が悪い。初めにおっしゃったように、ワヤワヤじゃなくストレートに話していただければ」
 澁澤老人は苦笑して、
「そうだった、そうだった――」

     5

 ――それじゃ、まず関係者の出自を、はっきりさせておこう。
 西崎家――綾音さんの家は、徳川時代から、飯沢近辺では有数の庄屋だった。当然、維新後の地租改正で土地所有権が集中し、明治以降も大いに栄えたわけだが、なぜか祖父の代に、いきなり稼業を開業医に変えちまった。文句を言ってくる弟なんぞは、顔を立ててそこそこの分家にしてやり、残った広大な農地は、小作農家に代金後払いで安価に譲渡してやった。いわば太平洋戦争後にGHQがやった農地解放を、何十年も前に自分でやっちまったわけだな。これは、その祖父が田舎には珍しい超インテリで、当時の大正デモクラシーに、ずっぷり傾倒しちまったかららしい。旧態依然の封建的な農村形態を民主化すると同時に、自身は農村の保健衛生に生涯を捧げる――そんな大志を抱いたわけだな。
 もちろん、それは過去代々の蓄財に恵まれていたからこその大志だが、戦後の農地解放で旧弊な大地主連中が軒並み没落したのを思えば、実に先見の明でもあったわけだ。その息子たち――綾音さんの父親や叔父さんたちも揃って出来が良く、西崎病院は、昭和戦前には内科・外科から歯科や眼科まで身内で賄うようになり、地元には貴重な私立総合病院として、戦中戦後も大いに栄えた。唯一、憂いがあるとすれば、二代目病院長の奥方――綾音さんの母親が、第一子の綾音さんを儲けた翌年に子宮を傷めて、それ以上子供の産めない体になっていたことくらいか。
 で、島本君も知ってる西崎――西崎良平は、同じ西崎でも、祖父の代に枝分かれした分家の子だ。いちおうそこそこの寄生地主だったわけだが、本家ほど融通が利かない祖父さんだったらしく、農地解放でモロに弱体化して、孫の良平の代には農業に見切りをつけ、県警のお巡りになっちまった。俺にとっちゃ高校の後輩だし、気心の知れた仲なんで悪口は言いたくないが、島本君もご存じのとおり、昔も今も真面目で人が良いだけが取り柄の、実に公僕向きの男だな。
 そして高見俊彦――こいつは物心ついた頃から、和賀英良ほどじゃないにせよ、今じゃ想像を絶するような苦労を重ねて育ったのは確かだ。家は代々の水飲み百姓――最末端の小作人だな。西崎本家にでもぶら下がっていれば、大正以降はいくらか楽になれたんだろうが、残念ながら旧弊な因業地主に縛られていた口だ。しかも母親は早くに病死し、残った父親も、寝たり起きたりの虚弱体質だった。大戦末期の根こそぎ動員の赤紙さえ、体力不足で免れるほど弱かったらしいから、当時の軍国的風潮だと、そっちの世間体のほうが貧乏以上に辛かったかもしれんな。幸い高見には歳の離れた姉さんがいたんで、弟が物心つくまで母親代わりに世話してくれたらしいが、この姉も、そのうち峰館の花街に働きに出て、昭和二十七年の暮れには肺結核で亡くなってる。高見は、しばらく家に引きこもっちまうほど参っていたらしい。そしてその翌年、綾音さんが同じ小学校に入学してくる――。
 ――もちろん俺自身は、あの傷害事件の後の高見しか、実地には見ちゃいない。しかし良平の話や、前後の経緯を考えると、十中八九、高見は初めから綾音さんに目をつけてたんじゃないかと思う。
 あの頃の小学四年生が、自分の将来にどこまで具体的な野望や執念を抱けるか――昔も今も、まともに育っていれば、田舎の十歳児なんて無邪気なもんだろうが、もし、まともじゃなく育ったとしたら、今の子供の『欲望』や『執着』と、当時の子供の『野望』や『執念』は、まったく違ったものだったと俺は思うね。なにせ生き物としての棲息条件、社会生活のベースが違う。弱者を脅して小遣いを得ようとか、弱者を貶めて欲求不満を晴らそうとかいう以前に、まず現状から這い上がらんことには、イジメる弱者さえ見繕えんわけだからな。いっそ高見が顔だけの男だったら、将来は映画俳優めざして上京しようとか、手軽にドサ回りの大衆演劇一座に飛びこんじまおうとか、いずれにせよ、西沢病院に目を付けるほどの度胸はなかったんだろうが――。
 さて、ここでさっきの、おふたりの疑問にお答えしておこう。縁日の指輪の件だな。
 俺が言った『正反対に見えて、どっちも当たっている』――山福先生の言った『同じ紙の裏と表』――実際、もう高見俊彦は綾音さんだけじゃなく、その親御さんたちにも充分認知されていたんだよ。亜久津君が言ったように、綾音さんの財布を預かっていたのは親御さんに頼まれたからだし、島本君が言ったように、そこからそれなりの小遣いを高見自身が使うことも、綾音さんの親御さんが許していた。――そうだよ、島本君。ヒモどころか、高見はもう西沢本家の庇護下にあったんだ。
 良平はまだ知らなかったそうだが、前年の秋、高見の父親は娘と同じ肺結核で亡くなってる。高見は天涯孤独の身になったわけだ。本来なら峰館あたりの養護施設に預けられるところなんだが、なにせ飯沢村始まって以来の神童だ。幸い当人には肺の気もない。学校だって村役場だって、そんな子供を地元から手放したくない。おまけに西沢病院の院長先生の一粒種――幼い綾音さんが、高見を実の兄のように慕っている。かてて加えて高見当人は、将来、家族を奪った病と戦えるような立派な医者になりたいと言っている。
 まあ、その時点で養子がどうの跡継ぎがどうのまでは誰も考えちゃいないにせよ、とにかく高見は、すでに前年の暮れから、綾音さんの父親が後見になり、病院の裏にあった職員寮から小学校に通っていたわけだ。
 俺が、あの事件の後に、西崎本家の昔の使用人から聞きこんだ話じゃ、あの夏祭りの晩も、良平が気づかなかっただけで、ちゃんとふたりを見守っていたらしい。結果的に、高見はずいぶん株を上げたわけさ――。

 澁澤老人は、そこまで語ると、再び茶碗を取り上げた。
「失敬。この歳になると、長口上は口が乾いてかなわん」
 老境の噺家のように軽く茶を吸って、舌と喉だけ湿らせる。
 泰蔵が、独りごちるように言った。
「スタンダールの『赤と黒』みたいですな。己の知力や容貌を武器に、極貧から栄達をめざす男、ジュリアン・ソレル……」
「シオドア・ドライサーの『アメリカの悲劇』――ミステリーだと、アイラ・レヴィンの『死の接吻』ってとこですか」
 島本の言に、茂もうなずき、
「『砂の器』だって、そんな構図ですよね」
「――そう。あれらの男たちに近い野望と執念を、幼い高見も、充分備えていたんじゃないかと思うよ」
 澁澤老人が、語り続ける。

 そして、その夏祭りの二年後、昭和三十一年――。
 高見が、もはや西崎本家の一員になっているのを、良平も自分の目で確かめることになる。
 昭和三十一年というと、経済白書で謳われた『もはや戦後ではない』のフレーズが有名だな。あれは国民総生産、いわゆるGNPが、ようやく大東亜戦争の前あたり――昭和十年前後に戻ったという意味だから、よくもまあ、その後十年も勝ち目のない戦争を続けてこの国の金や人材を無駄に捨て続けたというべきか、よくもまあ、その後たったの十年で元の懐具合に戻ったというべきか、まあ歴史的には様々な見方ができるわけだが、それはこの際、横に置いておこう。とにかくその頃から、近頃妙にもてはやされている三丁目の夕日の時代――高度経済成長期が始まるわけだ。
 ところでこの年、この国で初めて全国的な小中高の学力調査が行われたことは、山福先生あたりならご存じかな。――ほう、さすがに勉強していらっしゃる。そう。最初はあくまで限定的な、試験的な抽出調査ではあったが、その後『全国学力テスト』として悪名をはせ、近頃も『全国学力・学習状況調査』として色々騒がれている、あれの原型だな。
 この年、高見俊彦は、国立峰館大学付属中学校に合格した。皆さんご存じのように、あそこは今も昔も峰館一の名門中学だ。そこで参加した第一回の全国学力テストでも、高見は全教科満点だったそうだ。ちなみに同じ年、西崎良平は県立峰館南高校に入った。実は俺も、そこの卒業生だ。こっちはとても名門とは言えんが、まあ峰館市内の高校じゃ、上から二番目くらいには思われてるな。その南高の授業で使っていたのと同じ副読本を、峰館大学付属では中学生が使ってたくらいだから、顔のみならず頭でも、端っから勝負にならんわけだ。
 そして同じ昭和三十一年の夏、『もはや戦後ではない』を象徴するような大型商業施設がふたつ、峰館市内に相次いで誕生してる。丸富百貨店と大峰百貨店。いずれも従来県下に類を見なかった、本格的な総合デパートだ――。

 そこまで述べて、澁澤老人は語りを止め、なにやら不可解そうな顔をしている三人に訊ねた。
「どうかしたかね?」
「いえ、その――」
 島本が代表で答えた。
「それまで一軒もなかったんですか、峰館には、その、いわゆるデパートってやつが」
 仮にも明治時代からの県庁所在地、東京の三越や大阪の阪急ほど早くはなくとも、せめて昭和の入り口くらいには、すでにそれなりのデパートがあったと思っていたのである。そもそも島本や茂にとって、丸富デパートは、青少年期に経営不振でつぶれてしまった過去の記憶であり、大峰デパートは今も営業しているものの、感覚的には色褪せた過去の残滓だ。
 澁澤老人は、少々困ったような顔で、
「山福先生も、そうお思いかな」
 山福は、正直に言った。
「はい。申し訳ありません。私も、やっと、その頃の生まれなもんで」
「……時代感覚の共有というものは、やはり難しいですな」
 澁澤老人は、なかば吐息しながら、
「確かに大峰のほうは、もう江戸時代からあそこに荒物屋か何か開いていたそうだし、戦後はモルタルの二階建てにして、いちおう百貨店を標榜していたが、それまでの峰館には、そもそも鉄筋コンクリのビルなんぞほとんど――」
 そう言われても三人としては、校長先生からお説教を受ける子供のような気分で、すなおにうなだれるしかない。
「しかし山福先生なら、あの頃のデパートというものが、どれほど晴れがましい場所であったかは、ご存じでしょうな。大人にとっても子供にとっても」
「はい。それなら充分に」
 山福は、まさに三丁目の夕日の時代、田舎に生まれ育った子供である。
「私のような山育ちだと、せいぜい年に数回――市内に住んでいた従兄弟でも、月に一二回くらいでしたか。盛装した大人に連れられてデパートに出かけ、玩具売り場で買えもしない高級な玩具をわくわくと見て回ったり、大食堂で、そこにしかない色とりどりのお子様ランチや、滅多に食えない支那蕎麦を味わって、デザート――いや、そんな言葉はまだ知らなかったですが、とにかく食後、あの恐ろしいほど美味なソフトクリームという代物を惜しみ惜しみ嘗めてコーンまできっちり食い尽くし、それから屋上の遊園地に上がって、観覧車や回転木馬に乗って午後を過ごし――」
「観覧車や回転木馬?」
 島本と茂は、思わずハモった。
「あの大峰の屋上に、そんなものまであったんですか?」
「ああ。もちろんスケールは屋外遊園地の何分の一だがな。それもずいぶん昔に、ちゃちな遊具だけ残して撤去されちまったが、俺が子供の頃には、デパートに行けば、それこそなんでもあった。地下には直営の映画館まであったんだからな」
 白黒テレビさえ田舎ではまだ珍しく、単館映画館が全盛の時代である。
 澁澤老人は深々とうなずいて、
「そう。そうした華やかな世界――今まで雑誌の写真や映画でしか知らなかった都会の風が、戦後十余年を経て、ようやく峰館にも流れてきた――そしてその晴れがましい場に、綾音さん一家や良平だけでなく、あの高見俊彦も、胸を張って加わっていたわけだ」

 良平は峰館市内に下宿して南高に通っていたから、それらのデパートも、開店直後から何度か覗いていた。だから半月ほど後に、西崎本家の一家や自分の家族が揃って見物に訪れたときは、案内役として駅まで迎えに出た。まだ峰館駅が二階建ての木造駅舎だった頃の話だ。
 汽車からホームに降りてくる親類たちの中に、高見が混ざっているのを見て、良平はずいぶん違和感を覚えたそうだよ。すでに高見が西崎本家の客分になっていることは知っていたが、こうした身内の集まりにまで当たり前のようにくっついてくるとは、思ってもみなかったんだな。
 それでも、繁華街に向かうハイヤーの中で実際に会話を交わしてみると、高見俊彦という子供は、実に真面目で純朴な中学生に見えた。高見も良平同様、峰館市内の学校に在籍していたわけだが、毎日飯沢から汽車とバスを使って通学し、放課後どこかに遊びに寄るようなこともなく、文字どおり勉学に勤しんでいるらしい。高校は良平の通う南高よりも上を狙っているとか自分で話すときも、なにか遠慮がちな含羞が見えて、少しも驕ったところがない。そうなると、高見の際だった美少年ぶりもかえって好感に繋がり、良平はすっかり心を許してしまった。まあ美少年といっても、高校生から見る中学一年生だから、あくまですなおで可愛い子供に見えたんだな。
 可愛い子供という点では、そのとき十歳、小学四年になっていた綾音さんも同じだ。今の発育のいい子供たちとは違う。今ならたいがい第二次性徴期を迎えて、それなりに大人への羽化を感じさせる時期だが、その頃の十三歳の男児と十歳の女児なんてのは、今なら二三歳は下に見える。だから、初めての都会的なデパートを大人たちに混じって興奮気味に見物する間も、やがて屋上の遊園地、回転木馬で仲良くひとつの木馬にまたがって笑いながら回っている間も、良平には、親戚の幼い兄妹が無邪気に喜んでいる、そんなふうにしか見えなかった。何年か前の夏祭りで抱いた疑問だって、西崎本家の人々のみならず、自分の親たちまでが高見を本家の身内のように扱っているのなら、もうこだわる謂われはない。
 良平と違って陰険な俺としては、西沢一族もずいぶんお人好しが揃っていたもんだと思わんでもないが、たぶん当時の高見俊彦は、もう充分に当初の目的を遂げていたんだろう。そこはそれ、中学生の子供だ。そのまま頑張って成績や素行を保ち、どこかの医学部を卒業できれば、ことによったら西沢病院の跡継ぎだって夢じゃない。最悪でも医者にはなれる。食うや食わずで、着物とも言えないような襤褸《ぼろ》をまとって生きた幼い頃を思えば、それだけでも身に余る出世だ。だから、その時点の高見は、たぶん満たされた天使だったんだよ。
 これも陰険な俺なりの考えだが――綾音さんの親御さんたちも、明らかに高見を婿養子にする気でいたんだから、それなりに姑息に画策すれば良かったんだ。たとえば高見がどんなに優秀でも、常に自分たちの目の届くところに置いておくとかな。地元の峰館大学――いや、あそこの医学部はまだ出来てなかったか――まあ仙台の東北大あたりに入れておけば、しょっちゅう様子見できるし、あそこも明治以来の帝大医学部だから、地方病院の院長としては充分な箔がつく。それを、いくら優秀だからといって、遙か東京に出しちまう手はない。今なら新幹線で二時間半だが、井沢八郎が『あゝ上野駅』を歌った時代だ。一日一本の特急でも五時間半、たいがいの列車は九時間以上かかった。運賃だって感覚的には今の倍以上、いや三倍ってとこか。その頃になると、綾音さんも雛には稀な娘に育っていたから、高見がいくら上昇志向の激しい奴だって、後見人に背いてまで、あえて遠く離れる気はなかったろう。
 さて――あくまで、ここだけの話だぞ。
 まあ俺は、そこそこ食うに困らない家に生まれ育ったわけだが、だからこそ、極端に育ちの賤しい人間を、いくら優秀だからといって頭から信用する気になれない。もちろん苦労人ゆえに人として大成する奴もいる。しかし彼らの多くは、人間関係というものを、敵か味方か、上か下か、それだけで判断する人間に育ちがちだ。つまり敵に厳しいのみならず、より上の味方ができれば、それまでの味方を下に置いて、あんがい平気で切り捨てちまう。
 ここまで言えば、その後、東大医学部に一発合格し、上京してひとり暮らしを始めた高見の身に、何が起こったかは見当がつくだろう。もちろん休暇には律儀に帰省するし、こっちの後見人夫婦だって、たまには娘を連れて様子を見に上京したりする。修学旅行で東京に寄った綾音さんが、自由行動で高見に会ったりもする。しかし年の大半は放し飼いだ。医学部だから、最短でもそれが六年続く。東大きっての眉目秀麗な学生が、どんな『上』に巡り会ったって不思議じゃない。
 そうして昭和四十二年――あの峰館ハワイアンランドが華々しく開園し、この国のほとんどの人間が、明るい未来の夢に酔っていた夏――まあ一方では、今の中国なみに大気汚染や水質汚染がひどかったり、日米安保粉砕を叫ぶ苛烈な学生運動が再燃しつつあったり、けっこうキナ臭い時代だったんだが――高見俊彦は、東大闘争を企てる連中とはしっかり距離を置いて、奴らしく着実に、卒業への準備を整えていた。しかしその前に、高見には大きな仕事がひとつ残っていた。
 より『上』をめざすために、飯沢に残した『下』の縁故を、切り捨てておかなければならなかったんだ――。



  【Act.6】 回転木馬が止まる時


     1

 澁澤老人が話す間、茶がすでに冷めているのを察した島本は、如才なく淹れ直して老人の膝元に戻した。さすがに泰蔵や茂より、こうした場数を踏んでいる。
「おう、かたじけない」
 老人は茶碗の湯気で軽く鼻や舌を湿らせ、
「見かけのわりに気が利くな」
「亜久津君や山福先生と違って、私は半分水商売みたいなもんですから」
 冗談めかして自嘲する島本に、澁澤老人は微笑し、
「水商売もプロになると、ただうんうんうなずいてるように見えて、実は姑息に先を読んでるもんだ。その意味じゃブンヤだって水商売だし、フリーライターも似たようなもんだろう」
 一座の中では少々風合いの違う島本に、老人は、あんがい親近感を抱いているらしい。
「ならば高見の立場が、そう簡単じゃないのも想像できるな」
「確かに『新しいコネができました。はい、さようなら』って訳にはいかないでしょうね。綾音さんを切るだけなら『はい、さようなら』で済むかもしれません。子供時代のママゴトはともかく、大人として具体的に結婚の約束をしていないなら、感情的な禍根だけ黙殺すればいい。しかし西崎家の恩義のほうは、美辞麗句を三日三晩並べ立てても済まないでしょう。感情的な問題だけでなく、そもそも医学部は大変な金が掛かる。私立はもとより国立でも、奨学金やバイトなんぞ、せいぜい生活費の足しにしかならないと聞きます。それに高見の場合、子供の頃からまるまる西崎家の扶養になってるわけで、いわば膨大な負債がある。借用書が無いからといってそれを黙殺したりしたら、後々、社会的に多大な禍根が残ります」
「それを全部、一気に片付けるためには?」
「高見って奴が馬鹿じゃないなら、あらゆる点において『上』の味方を見つけたってことでしょう。女っぷり、性格、知性――のみならず経済的にも社会的にも、西沢家を問答無用で黙らせられるような」
 澁澤老人は首肯し、先を続けた。

 ――もっとも綾音さんだって、けして並の娘じゃなかった。地元じゃ飯沢小町と呼ばれていたほどだし、性格も、いい意味でお嬢様らしく温順だった。頭も悪くない。市内の女子高ではトップクラスの県立峰館西高校を出て、医学部にこそ進まなかったものの、仙台の医療系短大で診療放射線技術を修め、国家試験にもパスしていた。今だと放射線技師も四年制大学や大学院出じゃないとツブシが利かないが、当時は短大や専門学校が主力だったんだな。そうして昭和四十二年の夏には、西沢病院のレントゲン助手を務めながら、親御さん共々、高見の帰省を心待ちにしていた。
 帰省の折りに、皆に会わせたい人を連れて行く――高見から、そんな便りが事前にあったそうだが、綾音さんも親御さんも、親しい友人くらいだろうとしか思っちゃいなかった。そこに、いきなり垢抜けた美女が随伴してきたわけだ。慶応の医学部で、高見と同じ外科を専攻しているという、バリバリの女医さん候補だ。さらに高見は後見人夫婦に、この女性と結婚を前提にした交際をしたいから、彼女の両親ともぜひ一度会ってほしい、そう切り出した。もちろん、自分の長年の親代わりである夫婦の顔を十二分に立てた、非の打ち所のない話しっぷりでな。
 もちろん西沢本家としては寝耳に水、晴天の霹靂だ。俺だったら相手に非があろうがなかろうが、鼻の軟骨と前歯の二三本、ことによったらアバラの一本くらいはへし折ってやるところだが、あくまで人の良い一族のこと、当座は困惑するばかりで激怒もできない。ただ使用人の中には、話を聞いてさすがに腹に据えかねた連中もいて、当時、地元の交番に配属されていた分家の総領息子、つまり西崎良平に御注進に及んだ。良平も仰天したが、まさか勤務中に私用に走るわけにもいかない。幸い日勤だったんで、夕方、ようやく本家に駆けつける。するとそこには、もう先様の両親までが挨拶に訪れていた。
 医療法人××会の会長夫妻――実際にバツバツ会ってわけじゃないぞ。ここはあえて匿名にしておく。とにかく当時は県下最大級の医療法人、県内あちこちに傘下の総合病院や診療所を擁する、医師会の顔役だったと思ってくれ。西崎病院の院長夫婦も、当然、以前から面識があった。ただ、そこの息子たちがあまり芳しい出来ではなく、事務長や理事長ぐらいは務まりそうだが院長や会長の器ではない、したがって出来のいい娘とその配偶者を表に立てたい――そんな内部事情までは知らなかったんだな。
 まあ先様だって馬鹿じゃない。いくら愛娘が高見にぞっこんだからといって、軽々しく娘婿に選ぶはずはない。高見の出自、孤児になってからの境遇、現在の男女関係まで充分に調べ尽くしてのことだったろう。今回の訪問が、実質、西崎家の跡取り候補を横取りする行為であることも自覚していたろう。しかし、お家大事の明治や大正ならいざ知らず、自由恋愛真っ盛りの昭和戦後だ。当人同士の自由意思を尊重する限り、親に非はない。その上で、西崎夫婦に三顧の礼を尽くす。無論、それまでの高見が受けた有形無形の援助には、充分に報いることを匂わせてな。西崎夫妻としては、結局、折れるしかなかった。綾音さんの内心の嘆きも重々察していたろうが、親からみれば、まだ若いんだからいくらでも先はある。綾音さん自身、表立って泣き喚くような人じゃない。
 むしろその晩、表立って荒れまくったのは、分家の西崎良平だった。その場で暴れたわけじゃないぞ。島本君も知っている、あの驢馬のような人柄のまんまだからな。良平は夜中近く、いきなり市内の俺のアパートに転がりこんできたんだ。もう、へべれけに酔っ払ってな。地元や職場で愚痴を吐けるような話じゃない。俺は奴と同じ南高柔道部のOBで、昔は時々稽古をつけてやったりしてた。奴にしてみれば、お互い独り身で近からず遠からず、そんな俺しか自棄酒の相手が思い浮かばなかったんだろう。あれはどう見ても、綾音さんに惚れてたよ。惚れていながら、それまでは状況に遠慮して、奴らしく忍んでたんだな。
 俺には最初、なんの話かさっぱり解らなかったが、これでもいちおう全国紙の峰館支局でそこそこやってた身だ。相手がへべれけでも話の筋はつかめる。俺も、その高見って奴の遣り口にはずいぶん腹が立った。しかし外野が公的にどうのこうの言える話じゃない。だから翌朝、酔いつぶれてる良平を部屋に置きっ放しにして、ちょいと書き置きを残して出社するしかなかった。『ちょうどいいから、お前が、その綾音さんにコナでもかけたらどうだ。お巡りが医者になるのは無理でも、病院の警備係くらいならできるだろう』――まあ、そんな気休めを書いてな。それから一日、仕事であちこち飛び回って夜遅く帰ったら、良平は、しおらしい詫びの一筆を残して消えていたよ。律儀なあいつのことだから、その日が公休じゃなかったら、酒も飲まず愚痴も言わずに出勤してたんだろうな。
 いずれにせよ、まさか、その翌日にあんな事件が起ころうとは、誰も思っちゃいなかった――。

 澁澤老人は、いったん黙りこんで、二口三口と茶を啜った。
 ずっと無言でいた茂が、つぶやくように言った。
「でも、綾音さんは、なんでいきなり刃物なんて……そんなことをする人とは思えない」
 ここまでの話だと、逆上や怨念とは無縁の女性に思える。
 島本と泰蔵も、それにうなずいた。
 前夜見てしまった西崎綾音当人――あの異形の女からさえ、異形であること以外、怨念や狂気は窺えなかった。もとより幼い姿からは、ただ諦念や寂寥しか感じなかった。
 澁澤老人は、
「その理由は、痛いほど推測できる。しかし確証はない。そこが高見の、心底、許せんところだ。しかしやはり、その許せんことの確証は一切ない。綾音さんの名誉のために、ほんとは俺も、これ以上話したくないんだが……」
 言い渋る老人に、泰蔵が頭を下げた。
「そこを、どうか、お願いします」
「……ま、今さら、話さんわけにもいかんだろうな」
 澁澤老人は茶碗を置き、
「俺が、あの記事に書いたことは、間違いのない事実だ。綾音さんは、八月九日の昼、高見がハワイアンランドに出かけているのを知り、家から持ち出した果物ナイフで、回転木馬から降りたばかりの高見を切りつけた。しかし、その隣の木馬に誰が乗っていたのかは書いていない」
「圧力でも掛かったんですか?」
 島本が訊ねた。
「たとえば、その有力医療法人サイドから」
「そう思うのが当然だろうが、実は、そうじゃない。あの程度の事件の被害者に、事件に直接関わっていない同伴者がいたって、そっちのプライバシーまで書く必要はない。それは三流週刊誌の仕事だ」
 澁澤老人は、きっぱりと言った。
「無論、綾音さんが、あえてその場で凶行に及んでしまった、感情的な直接の理由ではあるだろう。つい昨日まで将来の伴侶と信じていた男が、別の女と楽しそうに木馬で遊んでいる。自分が子供の頃、デパートの屋上で同じように遊んだ思い出だって、大いに脳裏に浮かんだろう。本来なら、そこにいるのは自分のはずだった――そんな状況で、昨今のドライな娘たちがどう出るかは解らんが、まあ色恋の縺れってやつは、あんがい今も昔も変わらん気がするな。もっとも、どう考えたって男のほうが悪いのに、恋敵のほうをブスリとやっちまう女だって多い。あなたを殺して私も死ぬ――そう逆上して男を殺しちまう女なんてのは、まだ正直だと思うよ。綾音さんの場合は、高見がうろたえて動き回ったんで、腹や心臓じゃなく、たまたま額の横あたりに刃先が行った。頭蓋骨は硬いから、目玉でも突かなきゃ大傷にはならん。しかし血だけは、実に派手に流れる」
 やはり泰蔵の高校時代の怪我と、同じような部位である。
「それを見た綾音さんは、自分のやってしまったことを改めて思い知ったんだろう、泣きながら高見にしがみついたそうだ。ナイフなんぞ、無論とっくに捨ててる。しかし高見は綾音さんを突き飛ばし、婚約者のほうに逃れる。その娘も確かに高見に惚れていたんだろう、抱き合うようにして、その場を逃れる。放心状態の綾音さんは、為す術もなくそれを見送る。回りの客たちも避難し、じきに木馬が止まる。やがて喧噪の鎮まったその場で、綾音さんは、自分を遠巻きにして怯えている衆目に気づく。――綾音さんは、もう、すべてを諦めたんだろう。お騒がせして申し訳ありません――そんなふうに周りに頭を下げると、警備員たちに大人しく従って、事務所の一室に収まった。ランドが警察に通報し、警官が駆けつけるのを待ったわけだな」
 澁澤老人は、文机の宝石箱を手に取り、
「――ま、そこまでが、その記事の出来事だ。たぶん綾音さんは、あの日、この指輪も持って家を出たんだろう。途中でどこに落としたのか――木馬の近くで落として、台座の下にでも紛れたのか――いずれにせよ、よくぞ今まで残ったもんだ」
 茂や泰蔵は、老人同様しみじみとうなずいたが、島本は首をかしげ、
「しかし綾音さんにとって、犯行の直接のきっかけが木馬のふたりあったにしろ、事前に刃物まで持ち出すような女性とは、やはり思えません。それに、澁澤さんがさっきおっしゃった確証云々、『心底許せん』とまでおっしゃる理由が、まだ私には」
「ごもっとも」
 老人は、島本を見る目に、例の親近感を浮かべながら、
「君の性分だと、他にも疑問があるんじゃないか」
「はい。――たとえば、その事件が起こったのが八月九日の昼、しかしこの記事が載った新聞は、翌日十日の夕刊です。当日の夕刊には間に合わないにしろ、翌日の朝刊さえ跨いでますね。それも峰館新聞はもとより、他紙の地方版でも一切黙殺されている。さらに――あくまで私の怪談屋としての見聞に照らした推測ですが――綾音さんは返り血を浴びた姿のままで、お亡くなりになった可能性が高い」
「まったく君は、ブンヤ向きの男だな」
「あいにくイロモノ専門でして」
「おしゃるとおり綾音さんは、地元の警官――良平たちが駆けつける前に、ハワイアンランドの事務所から姿を消した。幼馴染みにも家族にも合わせる顔がない――そんな辛さもあったろうし、何より自分自身、もう消えてしまいたかったんだろう。この場合、ハワイアンランド側に責任はない。傷害の現行犯だから、民間警備員にも緊急逮捕する権利はあるが、それは権利であって義務じゃない。あくまで警察側の仕事だ。傷害事件の容疑者が逃亡――そう言っちまえば大事だが、被害者の高見は結局ほんの軽傷だし、当人もしおらしく綾音さんを気遣うような言葉を並べ立てている。外野から見れば、珍しくもない痴話喧嘩だよ。そこに地元の名士・西崎家や、例の有力医療法人まで絡んでいる。地元の警察だって、事を荒立てたくはないさ。警察発表がなければ、目撃者の誰かが直接新聞社に電話や投書でもしない限り表沙汰にはならない」
「でも、澁澤さんは――」
「そう。報道関係者では俺だけが、その日の内に飯沢に駆けつけた。実は良平が、馘首覚悟で一報入れてきたんだよ。そのまま事がうやむやになるのが、たまらなかったんだろう。そのうち綾音さんらしい女性が山に入っていくのを見たという知らせが入り、警察と消防団の連中がいっしょになって山狩り――いや、そんな性質の騒ぎじゃなかったな。地元の皆の衆は、ふだんの綾音さんを知っている。むしろ良平同様、綾音さんの身を案じて捜索していたわけだ。しかし明け方近く、あの稲荷神社近くの崖下で、息絶えた綾音さんが見つかった。自分で身を投げたのか、足を滑らせたのか――まあ十中八九、自分から飛び降りたんだろうな」
 三人は、消沈してうつむいた。
「……事故にしろ自殺にしろ、死者まで出たのなら、そっちのほうが大事じゃないですか」
 島本が言うと、
「そりゃそうだ。しかし、それを発表するなら、いきおい昼からの経過全てが公になる。――まあ警察にしてみれば、峰館の主要な資本が雁首揃えてるハワイランド側への思惑も確かにあったろう。医師会の有力者への思惑もあったろう。しかし正味の話、そっちからの圧力なんぞは、ちっともなかったんだよ。むしろ綾音さんの両親が泣いて懇願したから、昼の一件も夜の一件も、警察発表には至らなかったんだ。サツ回りの連中――県警に張りついてる記者の中には、小耳に挟んだ奴もいたらしいが、その日は他に強殺とか派手な玉突き事故とか、ふんだんにネタがあったから、あえて深入りはしなかった。現地で深入りしちまった俺だけが、このフヌケた記事を、なんとか夕刊に突っこんだわけだ。5W1H――Who《だれが》・What《なにを》・When《いつ》・Where《どこで》・Why《なぜ》・How《どのように》――そんな最低限の情報さえ揃っていないヘボな記事でも、道端の供養地蔵くらいにはなる。それだって支局長なんぞは乗り気薄だったが、まあ入社以来十年近く、それまでこっちも人並みに働いて、色々と会社には貸しがあったからな」
 現在の澁澤老人から想像するに、当時も相当な猛者だったのだろう。
「ぶっちゃけ新聞なんて代物は、配った翌日にはただの古新聞、古地蔵や墓石と同じだ。どんな立派な墓を立てたところで、盆や彼岸に参ってくれる縁者がなければ、苔むしたゴロタ石と変わらない。しかし墓石さえ残っていれば、その下に人が埋まっているという事実だけは、通りすがりの他人にでも判る。現に、これを残しておいたおかげで四十何年後の今、君たちが、ここにこうして座っている――」
 澁澤老人は言葉を切り、もう語り終えたと言うように、じっくりと茶を啜りはじめた。
 茂や泰蔵は、含蓄ありげな言葉に惑わされ、なにがなし納得していたが、島本はあくまで冷静だった。
「最初の疑問に、まだお答えいただいておりません。続きをお願いします」
「やれやれ、やっぱり勘弁しちゃくれないか」
 澁澤老人は溜息交じりに、
「――綾音さんの初七日が済み、高見もいったん東京に戻り、四十九日が近づいた秋口あたりから、奇妙な投書が、あちこちに届き始めた。高見のゼミの教授、学部長、果ては東大の総長までな。そっち方向だけじゃない。県警や峰館市内の各新聞社、例の××会や峰館医師会、高見の出た高校のOB会にまで届いたそうだ。内容は、高見の人間性に対する誹謗中傷だ。それに関しちゃ、詳しい内容や経緯は省く。とにかく人づてに西崎病院の院長――綾音さんの父親も何通か現物の封書を見せられて愕然とした。女文字の筆跡が、明らかに自分の妻――綾音さんの母親と同じだったからだ」
「それは……」
「そう。ひとり娘を失い、息子同様に思っていた高見に去られても、知性的な父親のほうは、なんとか持ちこたえていたんだが……奥さんのほうは、一見ふつうに見えて、実は精神を病みはじめていたんだな」
「……無理もない。その誹謗中傷だって、実は真実だったんじゃないですか? 澁澤さんも、社で現物を見ているんでしょう?」
「他人の心が真実か嘘かなんて、誰にも解らんさ。語彙や文脈が正気だったのは確かだ。しかし、そんな手紙を手当たり次第にばらまく行為自体、すでに尋常じゃない」
「それはそうですが……」
「俺だって、尋常じゃなくなって当然だと思うよ。痛々しいが、責めようとは思わん。問題は、奥さんの行為そのものじゃないんだ。それに対する返礼だよ」
「返礼?」
「しばらくして、また奇妙な封書が、あちこちに届いた。これは先の投書ほど数が多くない。西崎の本家と分家、県警、そして俺のいた新聞社の峰館支局――他には噂すら聞かなかったから、まずそれだけだろう。奥さんの投書とは違って、口の堅そうなところだけ選んだわけだな。差出人の裏書きはなく、宛先も日本語タイプライターで打ったラベルが貼ってある。開けてみると、中には名刺判のモノクロ写真が、ただ一枚。どこか和室らしい布団の上で、若い娘が恥ずかしそうに頬笑んでいる写真だった。あの頃の男性週刊誌のグラビアみたような、今ならなんてこともない大人しいポーズだが――浴衣もなにも着ていなかった」
「まさか……」
「そう。綾音さんの写真だったんだ」
 茂は手にしていた茶碗を取り落とし、泰蔵などは飲みかけの茶を吹いた。
 なんなんだそりゃ――。
 島本は、発砲前の天知茂のように眉根を歪め、
「……高見だ。高見しかいない」
「しかし、それを証明する手段がない。封筒や写真からは指紋も何も検出できなかったし、日本語タイプも、どこにでもある量産品だ。背景の和室の映りこみも、どこにでもあるような壁と調度だけだ。仮に特定できたとしても、奴のことだ。自分のイケメンはサングラスや何かで隠したろうし、宿帳なんぞは偽名、それも綾音さんに書かせただろう。綾音さんの容貌や髪型から見ると、撮影されたのは十八歳か十九歳あたり。つまり綾音さんが過去に唯一、親元を離れて仙台の短大に通っていた時期だな。封筒の消印も仙台。高見が並の下衆野郎だったら、『俺はあの頃、西崎綾音とつきあっていて捨てられた男だ』とかなんとか、写真だけじゃなく、もっともらしい成りすましの手紙の一枚も同封してくれたんだろうが、長い文面になればなるほど、タイプの癖から個体が特定しやすくなる。そこまで考えての、写真だけなんだよ。無言で無限の可能性を含ませられる。奴としちゃ西崎家の口さえ封じれば、それでいいんだからな」
 茂が、なにやら泣きそうな顔で言った。
「……身も心も捧げていたんですね、綾音さんは」
 晩婚の泰蔵や島本とは違い、初恋同士で結ばれ、生涯純愛路線志望の茂である。
「そう――それでも裏切られた。しかし当時の田舎の深窓育ちとしては、親にも誰にも、それを言えなかったわけだ。情よりも見栄が本性の高見あたりは、写真という弱みがあるからこそ、綾音さんも大人しく引き下がると思っていたんだろう。それを撮ったときだって、甘い言葉は百万言も並べ立てたろうが、『婚約』だの『結婚』だの、確かな言葉は使っちゃいないに違いない。――どのみち刃物を持ち出すしかなかったんだよ、綾音さんは。どっちの喉を突くにしても、両方突くにしても」
 泰蔵が、もはや低周波に近い音域でつぶやいた。
「……許せん」
 顔が、形容ではなく肉質の鬼瓦になっていた。
「半殺しにしてやる」
 もし娘の美紀がそんな目に遭ったら、泰蔵は確実に実刑をくらうだろう。
 まあまあ、と言うように、島本が泰蔵の肩を叩いた。島本自身、はらわたが煮えくりかえっているのだが、それ以上に泰蔵の顔が凄かったのである。
「まあ落ち着きなさい」
 澁澤老人も、泰蔵をなだめるように、
「山福さんが小学生の頃の話だよ。高見も、いいかげん爺さんになってる。今さら性根を叩き直せる歳じゃない。それに、その後の西崎家だって、存外悲惨にはならなかった。西崎病院そのものは、さすがに翌年閉じちまったが、院長夫婦は揃って遠い信州の村に移り住み、奥さんの気も落ち着いて、そっちで充分に意義のある医療活動に携わった。弟たちも飯沢や峰館市街に各科の個人医院を開いて、今でもちゃんと続いてる。良平だってそこそこの娘を娶り、人情警官、人情刑事、それから人情隠居――ちゃんと奴らしく生き続けてる」
「しかし――」
 泰蔵は、まだ気が治まらず、
「澁澤さん御自身、その件をきっかけに記者の仕事を辞められたとか」
「それは別に高見のせいじゃないんだよ。いや、確かに、それはそうなんだが――つまり、大新聞だの天下の公器だの、ご大層に胸を張ってみても、たったひとりの糞野郎の悪意にさえ勝てない――そう悟っちまったからなんだ。俺も陰険な質だから、その後二年近くかけて、高見の過去や、その後の様子を調べて回った。社会的に引きずり下ろしてやるためのネタを探していたわけだ。しかし、そのうちアホらしくなって投げちまった。高見の立ち回りの旨さに、つきあいきれなくなったんだ」
 島本が訊ねる。
「そこも腑に落ちないんです。養家のほうで、それだけの事件に関わり、かてて加えて綾音さんの母親が送った怪文書――いくらその××会長令嬢に愛されていたところで、そっちの両親が納得するものでしょうか」
「納得しないさ。するはずがない。娘可愛さで一旦は妥協しても、将来的には、高見にとって大きな不安定要素に繋がる」
「そうですよね」
「結論から言えば、高見は無事に東大を卒業し、東大病院でつつがなくインターンを終え、医師国家試験に受かったのを機に、正式に結婚した。結婚相手は、医療法人○○会の会長令嬢だった」
「は?」
 ――マルマル会? バツバツ会じゃなかったか?
 澁澤老人は、心底うんざりした顔で、
「ちなみに○○会は仙台に本拠を置き、当時、東北各県で合計二十幾つの総合病院やクリニックを経営する、北日本有数の医療法人だった」
 茂や泰蔵のみならず、クールな島本の口までが、あんぐりと大穴のように開いた。
 あが――。
「……それは、とどのつまり……」
「そう。高見は、それまで十数年かけてやった以上の荒技を、今度は二年で実現しちまったんだ。まあ、ふられた××会のお嬢様のほうは、さすがに慶応ガールらしく、他の相方を探しに回ったようだがな」
 あががががが――。
「この世の中には、なんぼ後から地蔵や墓石を立てて回ったって、追っつかない糞野郎がいるんだよ。そして法にさえ触れなきゃ、誰もそいつを阻めない。だから俺は、昔からある地蔵や墓石や、物言わぬ農産物を相手にして頭を冷やすことにしたんだ。今はムカサリ絵馬だな。絵馬はいいぞ。嘘をつかないし、姑息に動き回らん」

 気がつけば、もう八時半を回っている。
 とりあえず過去の経緯が明らかになったところで、三人は澁澤老人にことわり、書斎からそれぞれの家庭に連絡を入れた。妻とふたり暮らしの島本は、千鶴子宛に『取材で遅くなる』とメールひとつ送れば済むが、茂や泰蔵は、そうも行かない。
 茂が携帯で家を呼び出すと、待ち構えていたように妻の優美が出た。
「や、俺。――うん、まだ山寺のほう。――うん。まだ、ちょっと遅くなりそうなんだけど。――は? なにそれ?」
 つかのま通話したのち、茂は首をひねって、隣で自宅を呼び出し続けている泰蔵の肩を叩き、自分の携帯を差し出した。
「先生、ちょっと代わってください」
「あん?」
「奥さんも美紀ちゃんも、今、うちに居るみたいです」
「は?」
 泰蔵は戸惑いながら、自宅の呼び出しを切って、茂の携帯を耳に当てた。
『あなた、早く戻ってちょうだい』
 確かに淑子の声だった。
『家じゃなくて、亜久津さんのお宅に』
 いつもクールな妻らしく、けして取り乱してはいないが、かなり困っている声だ。
 泰蔵の顔から血の気が引いた。
「どうした、家でなんかあったのか?」
 またあの女――綾音さんの幽霊が現れて、あちこち飛び回っているのだろうか。しかし、それなら蔵王の実家のほうに避難しそうなものだが――。
『家じゃなくて美紀なのよ。それから優太君も』
「なんじゃそりゃ」
『話せば長いことながら』
「話さなければわからんぞ」

     2

 つまり、美紀と優太がふたりで分担しても、大人ひとりぶんの重さ――根性的な負荷と言うべきか――は、なかなか馬鹿にならなかったのである。
 もっとも美紀のほうは、ふだんから小動物的にとたぱたと足腰を鍛えているから、そう簡単にはめげなかった。体重わずか一〇〇グラムのリスだって、四グラム近いドングリを両方のほっぺたに三個も四個も詰めこんで、樹上の巣穴まで一気に駆け上ったりするのだ。茂美とおしゃべりしていれば、根性歩きもあんがい気にならない。
 いっぽう優太は、きわめて植物的な男子である。リスよりもドングリに近い。お手々繋いで野道を行く間はなんとか持ちこたえていたが、山福家がある見晴が丘ニュータウン方向への上り道にさしかかると、優太の足取りが、めっきり衰えてきた。晴れたみ空に靴が鳴らない。繋いでいる美紀の片手も、自然、斜め後ろに伸びがちになる。
 そのうち美紀の頭が、またストンと下がった。
 ありゃ、と女子ふたり、立ち止まって後方確認すると、優太はいつのまにか美紀の手を離れ、かろうじて肩掛け鞄のストラップにつかまっていた。
「あ、ごめんね」
 早い話、美紀は茂美とのおしゃべりに夢中になって、非力な下僕の存在を失念していたのである。
 なんだかとっても悪いことしちゃったなあ――。
 美紀があわててさしのべる手に、ぷるぷるとすがったりする優太の様は、小猫に引かれて市場に売られてゆく哀れな子牛のようだ。
「……小休止」
 茂美が憮然として言った。
 うちの弟はドナドナかい――。
 もはや美紀に言い訳する気力も、優太を叱咤する気力もない。だいたい、手を繋いでんのか繋いでないのか、振り返るまで気づかれない男子ってどうよ。
 三人の後ろからついてきている優作に、茂美が思わず『ちょっと、こいつなんとかしてやって』みたいな目を向けると、優作は『どもならんがな』と両手を広げてみせた。
 道端のよろず屋の前に、格安自販機とベンチがあったので、八十円コーヒーで一服する。
 茂美と優太は、かなり気まずそうだ。
 でも真ん中の美紀は、実はけっこう楽しかったりする。体はやっぱり重たいけれど、両側の凸凹姉弟から伝わってくる、両親や同級の女子とはまた違った感じの、ゆるゆるした温もりが心地いいのだ。錆びだらけの古い自販機から転がり出た、聞いたこともないメーカーの缶コーヒーだって、ちゃんとおいしい。美紀が物心ついた頃から据えっぱなしのベンチも、木目がまんま凸凹になるくらい、きれいに磨きこんである。
 午後の田舎の青空で、トンビがくるりと輪を描いた。
 愛しの美紀ちゃんと手を繋ぎつつ、内心、生涯最大の自己嫌悪にうちひしがれている優太に、
「ま、同情の余地はある」
 優作がベンチの端から言った。
 優太は力なく頭を振った。
 同情なんていらない。なおさら惨めになるだけだ。形にできない誠意ほど虚しいものはない――。
 豆腐あるいはドングリっぽくても、十四歳になった男子なら、男としてそれなりに思うところがある。昔の公家や武士なら元服する、つまり成人式を迎える年齢だ。実際、優太たちの中学では年に一度、子供の日前後に二年生の男子だけ集めて、壮行式という名の元服行事を催している。だからこそ今の自分が情けない。
 優作は、ひょい、と優太のコーヒー缶を取って、もとい複製して、
「たぶん、お前のほうが、その子の倍は重いんじゃねえかな」
「……なんで?」
「俺から見ると、ちょっと面白いことになってんだよ。今のお前には、あの姐さんがまるまる重なって見えるんだ」
「……マジ?」
 それにしては美紀ちゃんも、それなりに重そうだ。
「んでもって、あの子にはなんでだか、あの木馬の子が重なって見える。学校出てちょっと歩いたら、もう、そうなってた」
「なんでだろ」
「わかんねえ。たぶん美紀ちゃんが小学生みたく無邪気で、お前は中学生にしちゃドンヨリ濁ってるとか、ま、そんなとこじゃねえか?」
 なあるほど、と素直に納得してしまう優太の心根が濁っているかどうか、客観的には微妙だが、多少ドンヨリしているのは確かだろう。
「今んとこ、手ぇ離すと元に戻っちまうみたいだけどな。でもまあ、そのうち目方の割合で、別々に馴染むってこともあるかもしんねえ。とりあえず、お前、このままがんばってみろ」
「うん」
 そーゆーことなら、自己嫌悪の半分くらいは救われる。
「あと、お前、なんぼなんでも、もうちょっと体を鍛えろよ。朝晩走りこむとか、茂美のダンベル借りるとか、夏んなったらプールに通うとか、色々あるだろう」
「……うん」
「このまんまじゃ、将来その子をラブホに連れこんでも、お姫様抱っこしてベッドまで運べねえぞ。そーゆー事態は男として絶対避けたいだろう、なあ」
「いや、今んとこ、そこまでは……」
「んでも、どのみち新婚初夜には欠かせないだろう、お姫様抱っこ」
 かなり常識が古いような気がする。まあ優作の一般常識には、五十年前や百年前の仲間から得た常識も多いわけだから、ここはあくまで参考程度にしといたほうがいいだろう。
 美紀のあっち側にいる茂美にも、ふたりの会話が聞こえていた。
 愚弟どものアホっぷりは、ちょっとこっちに置いといて――このままでは確実に、山道で優太がヘバる。
「ねえ美紀、ちょっと家《うち》に寄ってかない? すぐ帰っても、誰もいないんでしょ?」
 亜久津家は、山福家と方向違いの山裾にあるから、ここからだと下りになる。
「あ、それ、いいかも」
 美紀は即座にうなずいた。
 今日は、お母さんも明るいうちに帰ると言っていたけれど、このままじゃ優太君が山道で遭難しそうだし、自分だってけっこうキツいし、何よりあっくん先生や茂美の家――オマケに優太君の家を、いっぺん覗いてみたかった。

 南峰館あたりの家庭は、たいがい複数の自家用車を持っている。大人が社会生活を送る上で、自前の足や路線バスだけでは、思うように用が足せない。
 親子三人の山福家には、泰蔵の普通車――今日は茂の車に同乗しているので使っていないが――と、淑子の軽がある。三世代十人家族の亜久津家には、でかいワゴンと普通車に加え、ごつい四駆まである。ちなみに四駆は主に、八十近い爺さん茂吉《しげきち》が、まだ五十代の婆さん八重子を乗せて、道なき道を突っ走ったりするのに使う。今を去ること四十年前、三十代後半にして十代前半の少女に茂を妊ませてしまった鬼畜野郎は、現代の児ポ法で罰せられない代わり、死ぬまでマイナス四半世紀の走行性を保たねばならない。
 だから美紀が亜久津家に寄り道しても、家まで帰る手段には事欠かないのだが、今のところ問題は、優太が美紀のオマケとしてグリコ状態にある、そのことだ。
「ただいま!」
 いつものように、茂美が玄関で元気すぎる声を上げると、
「お帰り」
 台所のほうから、いつもの柔らかい声が返った。
「お客さんだよー」
 茂美は美紀たちを率いて、台所に顔を出した。
「山福さんちの美紀ちゃん登場!」
「こんにちは、おじゃまします」
「あらまあ……」
 母親の優美は、近頃噂のお客様と、なぜか仲良く手を繋いでいる長男をしげしげと眺め、
「……仲良しさん?」
 それだけ言って、嬉しそうに頬笑んだ。
 おいおい母さん、これ見てそんだけですかい――。
 茂美はやや呆れながら、隣で反応に窮している美紀に、まあうちのヨメはいつもこんなふうなのよ、とうなずいて見せた。
 亜久津家の天然母に、世俗的な問答は無用なのである。母親の好みで、玄関や台所のみならず家のあちこちに飾られた額装色紙――筆文字にピーマンやカボチャの水彩画が添えられた、武者小路実篤の揮毫が全てを物語っている。
 〜 仲良き事は美しき哉 実篤 〜
 しかし茂美には、今後も親友と愚弟がグリコ状態を続ける関係上、説明義務がある。
「えーと、これとこれがこうなっちゃってることに関しましては、話せば長いことながら――」
「話さなければ、わからないわねえ」
 優美は、春のような微笑を浮かべたまま、
「とりあえず、みんな、おやつにしましょ」
 人生も、世の中の全ての出来事も、なるようにしかならないものよ――そんな大らかな微笑だった。
 さすが『あっくん先生』の奥さん――。
 美紀は我知らず、優美の全てを受け入れていた。
 自分の母親とはずいぶん違うようでいて、実は根本的に同じ種の動物と感じる。
 猫集会の真ん中で女王様っぽく君臨している血統書付きのシャム猫も、端っこでなんとなくほわほわしている和風の白猫さんも、猫は猫なのだ。

「――そうなの、それは困っちゃったわねえ」
 優美は、子供たちといっしょにケーキをつつきながら、明らかにそれほど困っていない様子で言った。
 台所の隣の洋間は、いちおうダイニングの体裁だが、大家族用のテーブルと椅子だけで、ほぼ満杯になっている。
「……ところで、お母さん」
 茂美は、自家製ケーキの微妙な後味に戸惑いながら訊ねた。
「これって何?」
「スモークサーモンと野苺の生クリームケーキよ。おいしくなかった?」
「いや、まずくはないけど――」
 そうか。どうりで、石狩川の岸辺で焚き火しながらシャケを肴に苺ショート食べてる山猫みたいな気分になるわけだ。けして不味くないのは確かだが、山犬系の祖父の血を受け継いだ茂美としては、ミートパイか何かのほうがありがたい。
「美紀ちゃん、どう?」
 優美が訊ねると、美紀は満面の笑顔で答えた。
「とってもおいしいです!」
 お世辞ではない。本当に口の中で、魚の燻製の風味とベリー系果実の酸味と乳製品系の甘味が、絶妙なハーモニーを奏でているのだ。
「教えてください、このレシピ」
 ぜひ山福家にも導入したい。
「パソコンに入れてあるから、あとでプリントしてあげるわね。他にも色々アレンジしたのよ。おやつ系だと、オイルサーディンとメロンのチョコパイとか、身欠き鰊と黒糖のサーターアンダギーとか」
「ぜんぶ教えてください」
 ああ、やっぱりこの子も猫科だ――茂美は改めて思った。
 ちなみに優太は犬猫入り交じった雑種なので、なんでもありがたくいただく質である。仮にホッケ入りのカスタードシュークリームを出されても、出してくれるのが母親や美紀ちゃんなら、ありがたくいただくだろう。ただしその際は、今日のレモンティーよりブラック・コーヒー、あるいはビールが欲しい。ノンアルでもいい。
「でも、こうやって静かに座っていれば、美紀ちゃんも、なんとか大丈夫なんでしょう?」
 優美が、ころりと話題を元に戻した。
「はい」
 最悪だった昼に比べ、今はずいぶん楽になっている。両手でおやつやお茶をいただいていても、そんなに重たくない。
「じゃあ、とりあえず、たとえば歩き回るときだけ、とうぶん優太と仲良しさんで、とかね」
「そうですね」
 なんの緊張感もなく猫鍋化しつつある母親と美紀に、茂美は思わず声を荒げた。
「だからそこが問題なの! サネアツさんじゃなく一般世間では!」
 向かいでケーキをつついていた優作が、隣の優太に言った。
「んめーな、これ。おふくろ、いい仕事してるわ」
「うん」
「んでも、お前、そうやってヘラヘラ笑ってるバヤイじゃねえだろう。その子に好かれてるわけじゃねえんだからな。空気とおんなしで、まるっきり相手にされてねえんだぞ」
「でも、嫌われるよりは空気のほうが……」
 体さえ鍛えれば、ことによったら生涯、美紀ちゃんの直近を漂っていられるかもしんない――お豆腐は元服してもこんなものである。
「あーもう、ごちゃごちゃとうっちゃーしい!」
 茂美は愚弟たちに、声ではない声で叫んだ。
「優作、あんたいいかげん、お母さんにも挨拶してやんなよ」
 それが人情というものだろう。
「んでもって、美紀や優太に重なってんのがどんだけのシロモノか、きっちり見せてあげればいいじゃん」
 そもそも優作抜きで状況説明するのに、どんだけ詭弁を弄したか。
「そーゆーけど、泣くぞ、おふくろ。そりゃもうわんわん泣くぞ。んでもって気絶するぞ。下手すりゃ心臓止まっちまうんじゃねえか。お前と違って、とっても優しくて繊細なんだからな、うちのおふくろは」
 優太もこくこくと同意する。
「あーもう、このマザコンどもが! この天然の、どこが繊細なのよ!」
 そんな姉弟の相克をよそに、
「そっか……確かに体育の時間とか、ずうっと手を繋いでるわけにはいかないものねえ……」
「そうですねえ……」
 大小の猫型天然同士は、現実に対峙しているんだかいないんだか、和やかに悩んでいる。
 そこに玄関のほうから、どたばたきゃぴきゃぴと、一群の音声が転がってきた。
「ただいまー」
「はらへったー」
「ただいまー」
「おなかすいたー」
 男児女児各二声、計四人混声、必要以上に活気に満ちた少年少女合唱団のようだ。
「あ、お客様!」
「お客様!」
「姉ちゃんのともだち?」
「兄ちゃんのカノジョ?」
「カノジョ!」
「ちがうよ」
「まさかね」
「姉ちゃんのともだち!」
「ともだち!」
 やんちゃそうな赤いほっぺの群れが繰り出す声変わり前の重唱は、乱雑なようでいて微妙にハモっている。
「こんちわー」
「こんちわー」
「こんちわー」
「こんちわー」
 最後は四声がきれいに重なった。
 ブルゾンの柄や髪型に差異は見られるが、四人とも、まったく同じ顔である。
 美紀は、とっさに挨拶を返せず、ぽとりとフォークを取り落とした。
 頭がくらりとしたりもする。
「ちょっと美紀!」
「大丈夫?」
 茂美と優美が、あわてて美紀の肩を支えると、
「……いや、あの、ちょっと……」
 美紀は、めまいをこらえながら言った。
「……3Dメガネかけないで、ディズニーの3D見てるみたいな……」
 朝からの疲労とは別口、むしろ自律神経や三半規管に一時的な失調を来したわけである。

 やがて夕刻、淑子も携帯で娘の現状を知り、自宅に直帰せず亜久津家に立ち寄った。
 しかし解決策など立てようもない。
 ここは調査活動に回っている旦那たちの成果を待つしかないだろう――。
 そんなこんなで、なし崩しに山福母子を交えた、亜久津家の夕食がはじまる。
 ほどなく淑子は、同席者たちに、大いに心配される事態となった。
 とにかく、くらくらするのである。
「奥さん、大丈夫ですか?」
 家長として茂吉が気遣うと、
「ええ、ちょっと……軽いめまいが……」
 食事の席には、当然ちっこい妹弟たちも加わっている。
 すでに視覚適応した美紀は、わかるよお母さん、と淑子の肩を励ました。
 親子だけに、自律神経も三半規管も同程度である。まして十人家族、茂抜きでも九人の同時晩餐に加わりながら、四つ子の洗礼を受けているのだ。しかも主菜は寄せ鍋である。
 これが噂に聞いた戦場の鍋――ある意味、幽霊に憑依されるより過酷かもしれない。
 などと冗談に逃れている場合ではないのだが、混雑した船の三等室で嵐に遭ったことのある者なら、その気分は察しがつくだろう。美紀ほど天然でない淑子のこと、自分の愛娘とこの家のお豆腐二世、失礼、あまり御丈夫そうでない御子息が意図せずしてお手々繋いで生きる羽目になっているのだから、なおさら心労は大きい。
 そうして満腹した嵐の元たちが、あんがいお行儀よく「ごちそうさまー」とハモり、とたぱたと子供部屋に引き揚げた頃に――ようやく亜久津家の電話が鳴ったのである。

     3

「次を左だ」
 先を走る島本の車のリアシートから、澁澤老人が言った。
「良平を拾うなら、そっちが早い」
 西崎老人への連絡は、すでに澁澤老人が後ろで済ませている。
 助言に従い、次の信号でバイパスから横道に折れるため、島本は車線を変えた。島本も何度か西崎老人宅を車で訪ねているが、カーナビ任せだと、たまに渋滞に引っかかる。
 信号待ちの間に、後続していた茂たちの車が右に並ぶと、島本は「そのまま先へ」と身振りで伝えた。澁澤老人も「じゃあな」と手礼した。後続はもともと、亜久津宅に直帰する予定になっている。息子や娘への心配もあるし、西崎家がらみの大筋を先に伝えておいたほうが何かと話が早い。そこから先は状況次第だ。
 黒々とした山影の裾野で二手に別れる。
 直進する茂に、助手席の泰蔵が言った。
「いやはや、島本君は飛ばすなあ」
「すみません、いきなりスローになっちゃって」
 茂の運転技術だと、ここまでの追走は至難の業だった。
「いや、安全運転でいい。帰り着く前にコケたんじゃ話にならん。澁澤さんも、よく平気だよ」
「昔は飛ばしてたんじゃないですか、あの人も」
「確かに、パトカーくらい平気で振り切ってた感じだな」
 さしずめ、古い日活無国籍アクション映画に登場する猛烈記者か。
「島本君も、そんな感じだ」
 いや、あの人はバブル末期に首都高あたりで、飛ばせば飛ばすほど隣のギャルにモテてた口で――そんな旧悪を暴露するほど、茂も野暮ではない。
「なんとかしてくれるといいですね、西崎さん」
「ああ。とにかく綾音さんを正気に――幽霊に正気ってのも変か。なんであれ現状を自覚してもらわないことには、どうにもならん。その上で男に祟るなり、成仏するなりな。澁澤さんの話だと、根は純情な娘さんじゃないか。少なくとも貞子や伽耶子みたいな、無差別プッツン女じゃない。牡丹灯籠のお露さんとか、皿屋敷のお菊さんタイプと見た。いっそお岩さん級に根性入れて、その高見って奴を地獄に叩きこんでほしいな。今からでも遅くない。なんなら俺が手伝ってやってもいい」
「いや、それはちょっと……」
 せめて半殺しでお願いします先生。

 結局、島本たちは亜久津家に寄らず、山福家に直行することになった。
 亜久津家の家族も、四つ子と子守役の八重子を残し、山福家に移動する。
 ちなみに優太は、山福家の車のほうに同乗している。淑子や泰蔵にしてみれば、美紀の加重を慮って、そうせざるを得なかった。もっとも助手席の淑子は、前を見ているようでいて、実は五感のほとんどを後ろのふたりに向けている。確かにこの優太君は、当初思っていたより使いでのある男児のようだが、オマケはあくまでオマケであって、昨今の食玩のように肝腎のキャンディーを圧迫してはならない。
 茂は山福たちの車を追いながら、隣の助手席に陣取っている茂吉に言った。
「親父まで来ることないのに」
「馬鹿を言うんじゃねえ」
 茂吉は苦々しい顔で言った。
「孫が大変なことになってるってのに、留守番なんぞしてられっかよ」
 一見、昔より枯れて縮んではいるが、渋面になると、本性は変わっていないのが判る。去年の秋にも、若いハングレを三人ばかり病院に叩きこんだばかりだ。隠居前、焼き鳥屋をやっていた頃の茂吉を知っている古いゴロツキなら、道で会っただけで頭を下げてくる。穏健派の息子としては、なぜ父親に前科がないのか、なぜ警察の感謝状が溜まっていくのか不思議なくらいだ。
「しかし優太も、ああ見えて大したもんだ。惚れた娘のために体張ってんだからな。お前にばっかり似てるんで心配してたんだが、やっぱり茂美と同じ俺の孫だな」
 リアシートから、優美が異を唱えた。
「あら、茂さんだって、ちゃんと体を張ってくれてますよ」
 茂は、ありがたくうなずいた。
 そう。俺は妻や子のために骨身を惜しんだことはない。
 茂美は優美の隣で、微妙に首をひねった。
 まあ、そーゆー見方も、できないことはないんだけどね。体そのものが、ちょっとヤワなだけで。
 さらにその隣に便乗している優作は、んむ、と力強くうなずいた。
 仲良き事は美しき哉――。

 二台の車が見晴が丘ニュータウンにさしかかる頃、横道から三台目が追いついてきた。
 数珠繋ぎになって、山福家の前庭に停まる。
 島本の車から降りてきた澁澤老人と西崎老人が、初対面の人々に頭を下げた。
「よろしく」
「いやはや、なんと申し上げていいものやら、なにとぞよろしくお願いします」
 まさに好対照、変身後の大魔神と変身前の埴輪顔が、並んで立っているようだ。
 茂吉は、彼らとしっかり目を合わせた段階で、両者が熟練の高齢者であると見定めた。自身が大魔神タイプの両面兼備だから、ハンパな輩はすぐ見抜ける。
 淑子や美紀は、澁澤老人の面構えに当初やや腰が引けたものの、日常的に泰蔵の顔面に接しているので、すぐに慣れた。コワモテの敵は恐いが、味方のコワモテは頼もしい。もとより亜久津家の母子に警戒の色はない。顔面造作と心根は別物である。仲良き事は美しき哉。
 あたりを見回し、西崎老人がつぶやいた。
「確かにここは、あのハワイアンランドの……」
 県警を退職して久しいが、土地勘は衰えていないらしい。
 しかし、あの指輪の箱を手にしながら、美紀と優太を見つめる目は、まだ半信半疑のようだ。
「本当に綾音さんが……」
「そうとしか考えられないんです」
 茂が言った。優柔不断な彼としては、珍しく断定的な口調だった。
 自分の子供に限らず、なにかと子供に甘い茂でも、子供たちが天使のように正直であるなどという愚かな幻想は抱いていない。しかし自分も優美も、爺さん婆さんも、言っていい嘘といけない嘘、その違いくらいは子供たちに教えたはずだ。
 それは山福夫婦も同じである。
「とにかく、まず例の木馬を見てやってください」
 泰蔵は、さっそく老人たちを奥の半地下室に導いた。
 他の一同もそれに続き、名画座リサイクル座席の前に立つ。
 色とりどりの朧気な光を宿して、壁から壁へと回り続ける木馬たちに、海千山千の老人たちも、さすがに絶句した。
 しばしの沈黙ののち、茂吉が唸るように言った。
「……人の一念ってやつぁ、すげえもんだな」
 澁澤老人も、深々とうなずく。
「まさに……」
 これまで山寺で何百枚と精察した絵馬や、何百体もの花嫁人形の中には、確かに心を感じるものがあった。薄く人影まで漂っているものもあった。しかし、ここまで明瞭な過去の残像は初見である。
 西崎老人は、ただ無言で固まっていた。
 やがて一同から離れ、ひとり木馬に歩み寄り、そっと手を差し伸べる。
 西崎老人の痩せた皺だらけの掌を、何頭かの木馬が、鮮やかな過去の色で彩りながらすり抜けていった。
 老人の背中が震えはじめた。
 微かに嗚咽が漏れる。
 その嗚咽を堪えながら、西崎老人は一同を振り返った。
 歩を進め、美紀と優太の前に立ち、若者のように潤った瞳で、
「……もう、いいじゃないか、綾音さん」
 見えてはいないが、綾音がふたりに重なっていることを、信じてくれたようだ。
「家に帰ろう。家がなければ、うちに泊まればいい」
 おや? と優太が首をかしげた。
 あれ? と美紀も首をかしげた。
 ふたりの怪訝そうな目が重なる。
 ――軽くなった?
 ――うん。
 ふたりの間、闇から抜け出すように、小さな人影が現れた。
 大人ではない。きっちり三つ編みと、カルピス柄の水玉ワンピース――あの女の子である。初めて現れた三日前と同じ、白い靴下と赤い靴で、おずおずと西崎老人に近づいていく。
 横で窺う優作の目にも、もう大人の綾音は見えなかった。
 うまくいった――のか?
 固唾を飲む一同の注目も知らぬげに、幼い綾音は老人の前で立ち止まり、その顔を見上げた。
「……良平だよ」
 西崎老人は言った。
「分家の良平だ。……判らないかな。ずいぶん昔の話だもんなあ。ほら、あの頃の分家の爺さんと、よく似ているだろう」
 綾音がつぶやいた。
「……良平にいちゃん」
 西崎老人の瞳から涙が溢れた。涙がそのまま頬を伝うほど、もう若くはない。眼窩の下に幾重にも深く刻まれた皺が潤って、薄く光を帯びる。
 しかし綾音の顔には、なんら感情らしいものは浮かんでいなかった。木馬に乗っていたとき同様、子供にはそぐわない寂寥感を漂わせているだけだ。
「……ゆびわ」
 そうつぶやいて差し出した小さな手に、西崎老人は戸惑いながら、例の宝石箱を乗せてやった。
 箱の中をちまちまと検める綾音の顔にも、やはり子供らしい感興は窺えない。
「……まだ俊彦を待っているのかい」
 西崎老人は、寂しげに言った。
「なら……俺の家で待てばいい」
 綾音は答えず、小箱を閉じて、そっとワンピースのポケットにしまいこんだ。
 踵を返し、しずしずと後戻りして、美紀と優太の間に収まる。
 それから両手を、ふたりの手に繋ぎ、
「……ふう」
 綾音は初めて子供らしい吐息を漏らすと、立ったまま眠るように目を閉じた。
 すぐ後にあった座席のひとつに、そのままストンと腰を下ろす。
 どうも、それっきり目を開ける気配はないようだ。
 ありゃりゃりゃりゃ――。
 美紀は片手を繋がれたまんま、
「……寝ちゃったね」
 優太も片手を繋がれたまんま、
「……うん」
 大人たちの横から、優作がのほほんと言った。
「いやあ、よく鎮めたもんだなあ。優太、お前も、だいぶ心が練れてきたぞ。これがいわゆる『思いやり』ってやつの成果だ」
 茂美が呆れて言った。
「アホ言ってんでないよ。なんの解決にもなってないじゃん、これ」
「んでも重なってるよりはマシだろう、なあ優太」
 それはそうだけど――今後いったいどうしたものやら。
 優太が美紀の顔色を窺うと、美紀は綾音を見下ろしながら、困ってるんだか嬉しがってるんだか、
「……かわいいね」
 明らかに今後のことは何ひとつ考えていない。
 そんな子供たちの前で、情けなさそうに肩を落としている西崎老人の背中を、澁澤老人がぽんぽんと慰めた。
 まあ世の中、どんなに想っても、報われない真心だってあるさ――。
 一同、揃って黙りこんでいると、
「山福先生――」
 島本が、ふと泰蔵の袖を引いた。
「――後ろを」
「ん?」
 美紀と優太も、そのとき初めて気がついた。
 いつの間にか木馬が止まっている。
 宿していた朧光も消えている。
 幾つもの木馬が黒々と佇む様は、まるで『本日の営業時間は終わりました』、そんな感じだ。
 泰蔵が呻くように言った。
「これは……良くなったのか? 前より悪くなったのか?」

     4

 まあ、いちおう事態は好転していたのである。
 その証拠に、二時間ほど後の深夜、山福家半地下名画座もどきでは、止まった木馬たちを前に、幼い綾音がひとり、くうくうと寝息をたてていた。つまり寝こんでしまえば、仲良しさんたちが手を離しても平気だったのである。
 美紀は、今夜は隣の席でいっしょに寝ると言い張ったのだが、厳格な両親によって却下された。もっとも、よほど壊れた両親でない限り、この手のお客――幽霊の隣で娘は寝かせないだろう。
 それでも外見は推定十歳当時、今の子供なら三年生くらいにしか見えない女児である。淑子は風邪をひかないようにきっちり?根布団をかけてやったし、優美の助言によって、美紀の部屋にあった一番大きいキティちゃんを、美紀の代理として抱かせてある。のみならず美紀の独断によって『さびしかったら、ミキおねえさんが、うえにいるよ』などというアブない走り書きの紙まで、こっそりキティちゃんのポッケに忍ばせてあったりもする。
 そうして、明日も学校のある美紀や淑子は寝に就き、茂美や優太も優美の運転で帰宅、深夜の山福家の客間では、おっさんと爺さんが三人ずつ、水割りや清酒を酌み交わしながら密談していた。実は優作も残っているのだが、あくまでオブザーバー、見えない野次馬である。
「こりゃもう、その高見って奴を、ここに連れてくるしかねえだろう」
 冷やのコップ酒を傾けながら、茂吉が最年長らしい重厚さで言った。
「その上で、土下座させるなりフクロにするなり、なあ」
「そうですな」
 次に年嵩の澁澤老人が、負けじと渋面で言った。
「首に縄をつけてでも、引っぱってくるしかなさそうだ」
 元焼き鳥屋の親爺と元事件記者、育ちや立場は違っても、妙に息が合っている。
 現役教師の泰蔵も、我が意を得たりと、
「そうしましょう。制裁や懲罰以前に、まず何事も、本人に質《ただ》さなければ」
 内心は半殺しにしたいのかもしれない。
 島本も異議はなかった。成仏できず迷った被害者の霊が、加害者本人にどう対応するか、実地に見たい気持ちもある。
 穏健派の西崎老人や茂も、それぞれの思惑で同意した。どのみちこのままでは済ませられない。
「で、澁澤さん、西崎さん」
 茂吉が訊ねた。
「その高見って奴が、今どこでどうしてるか、あんたらなら知ってんだろう」
「面目ありません。実は私、ここ何十年、奴の詳しい消息には、あえて耳を塞いでおった次第で」
 澁澤老人の言に、西崎老人も首肯した。つい宵の口まで、思い出したくもない過去だったのである。
「しかし、死んだという噂は聞きません。なあに、私も良平も昔取った杵柄、明日には居所をはっきりさせます」
「よし。生きてんのなら、後はなんとでもなる。四の五の言わせるもんじゃねえ」
 茂吉は、にんまりと笑って言った。
「命が惜しけりゃ、ここに来るさ」
 茂吉の清酒をちゃっかり相伴しながら、優作は思った。
 ――さすが爺ちゃん、長く生きても無駄に変わってねえわ。



  【Act.7】 それでもいろいろ回ってる


     1

 そんなこんなの一夜が明けて、木曜の朝、南峰館第一中学校。
 二年三組の山福美紀と亜久津優太が、おとついから昨日にかけて何やらエラいことになっているらしい――そんな噂は、教師たちの間にもすっかり伝播していた。生徒の誰かが直接チクったわけではないが、あっちこっちで囁かれる開校以来の超ラブラブ発生説は、どうしたって教師たちの耳に届く。
 まあ、たとえドのつく田舎の木造校舎にしろ、戦後はずっと男女共学でやっているのだから、夜中にこっそり駆け落ちしてしまうような生徒も、たまには存在した。物陰でうっかり子供を作ってしまうような生徒も皆無ではなかった。しかし白昼堂々、仲良く手を繋いだまんま校門を潜ったカップルは前代未聞である。
 当然、今朝は生徒指導担当のバーコード教師とロッテンマイヤー型女性教師が、それとなく校門付近で見張っている。物好きな生徒たちも「あ、なんか俺ら私ら、今朝に限って妙に早く登校しちゃったなあ。おかしいなあ。なんかヒマだから校庭でも散歩してようかなあ」みたいな顔をして、校門付近のそこかしこに三々五々わだかまっている。新聞部の委託を受けたパパラッチ野郎などは、屋上の時計塔にもぐりこみ、校門に向けて超望遠デジカメをスタンバイさせていたりもする。
 三月にしては、やけに寒い朝だ。乳白色の空の下、皆の息が真冬のように白い。もっとも、ほとんどが雪国の原住民だから、今さら萎縮したりはしない。
 やがて朝礼の時間が迫り、遅刻すれすれの常連たちが駆け足で校門を突破しつくした頃、前方の山方向から、いつもならもっと早いはずの小柄な女子がひとり、とととととと転がるように駆けてきた。そしてもうひとり、いつもなら朝練に出るためさらに早いはずの引き締まった女子が、山裾の横道からたたたたたと駆けてきた。
 双方、蒸気機関車のように白い息を吐きながら、校門への直線で合流し、
「おはよー茂美ちゃん!」
「やっほーミー坊!」
「美紀!」
 美紀も茂美も、昨夜の一件で夜更かししたため、さすがに今朝は寝過ごしてしまったのである。
「なんか寒いねー」
「まあこんなもんこんなもん。――あの子、どうだった?」
「うん。起きてたよ」
「上がってきた?」
「ううん。ずっと下に座ったまんま」
「そっか」
「でも、おはようって言ったら、なんか聞こえてたみたい」
「へえ、すごいじゃん」
「でも、ちょっとだけだよ。気のせいかもしんない」
 美紀が声をかけた直後、あの子の抱いている特大キティちゃんが、ちょっと動いて見えただけだ。でも、なんとなく挨拶してくれてる気がした。「それ、綾音ちゃんにあげるね」とか言っても、やっぱり返事はなかったが、なんか「ありがとう」っぽい感じがしたのは確かだ。
 そんな会話を交わしながら、並んで校門を突破する。
「おはようございます!」
「おはようございます!」
 ぎりぎりセーフである。
 生活指導の教師たちは、安堵とも失望ともつかぬ顔で、
「よ、おはよう」
「はい、おはよう」
 噂の女子に異常なし。噂の男子の姉にも異常なし。しかし噂の弟は、まだ登校していない。容貌による判別が極めて難しい生徒だから、すでに登校したのを見過ごしてしまったのだろうか――。
 ともあれタイムアウト、教師たちが校門を閉じようとすると、
「す、すみません……」
 山裾方向から、息も絶え絶えの声がかかった。
 噂の片割れが、よろよろと駆けて、もとい早足でよろめきながらやってくる。
 本来なら遅刻なのだが、途切れ途切れの白い息を憐れんだ教師たちは、思わず手を止めて見逃してやった。
 生徒だって人様々、厳しく接して伸ばすべき猛者もいれば、下手に厳しくするとそれっきりぺしゃんこになってしまいそうな弱者もいる。人生、いろいろあってみんないい――とは限らないが、いろいろなのは確かだ。
 様子を窺っていた他の生徒たちも、失望とも安堵ともつかぬ顔を浮かべ、朝礼に備えて散って行った。
 ――なあんだ、もう見捨てられちゃったんだ。
 ――いやいや、下僕に戻っただけかもしんない。
 ――ああ、やっぱり俺らみたいな一寸の虫は、幸せな明日を夢見ても無駄なんだよなあ。
 ちなみにそれら種々の所感は、その後の学校生活を通して微妙に変遷、収束してゆく。
 つまり、女王様と下僕でもなし、といって明らかなラブラブでもなし。でも、ときどきちょこちょこと、ふたりで目を合わせたり笑ったり――なんかアヤしいような、アヤしくないような。
 ここは経過観察の要アリ、そう収束したわけである。
 実は優太自身も「あれ? なんか俺って、今日は、ちょっとアヤしい感じ?」みたいな気がしている。
 たとえば美紀ちゃんに、朝のあの子の様子を教えてもらったとき、そんな地下室の情景を、自分も起きがけの夢うつつの中で、まんま見ていたのを思い出した。あの子もちゃんと美紀ちゃんに「おはよう」とか「ありがとう」とか返事していたはずだ。まあ、それはたぶん単なる偶然か、いわゆる既視感《デジャヴ》ってやつなんだろうけど、その後も美紀ちゃんの顔を見ているだけで、なんとなく美紀ちゃんの気持ちが解るような気がする。まあそれも、あくまで俺の希望的観測なんだろうけど――。
 そして美紀自身「あれ? 優太君って、なんかフツー以上にキモチが通じやすい子?」などと感じていたりするのだが、元々の思い入れに天と地の差があるので、今のところアヤしがるほどではない。

 同じ日の午後、薄曇りの峰館自動車道。
 蔵王連峰を東の宮城県側に越えるため、笹谷峠を目指す大型ワゴンの車中、
「妙な話になっちまったなあ」
 茂吉が気の抜けた声で言った。
「高見って奴、その幽霊病院とやらに引きこもってるってのは、本当なのかい?」
 茂が運転する亜久津家のワゴンには、昨夜の密談メンバーが全員同乗している。二列目に島本と泰蔵、三列目に爺さん連中、そんな按配だ。助手席は一見空いているようだが、実は優作が便乗していたりする。
「現住所に間違いがなければ、そうなります」
 島本が言った。
「いっときネットで心霊スポット扱いされていた病院の廃墟と、まったく同じ住所ですから」
 宮城県北東部、西に石蒔湾を抱いて太平洋に突き出ている雄鹿《おしか》半島――そこに幾つも穿たれた入り江のひとつ、三陸海岸の南端に近い小さな港町の奥の山際で、巨大な異物のように朽ち果てていた元総合病院の動画を、島本ははっきり記憶している。
「今のグーグル・アースでも、それらしい建物のままでした。まあ現在、高見が住んでいるなら完全な廃墟じゃないわけですが、少なくとも数年前は、まったくの廃墟でしたね。仙台あたりの若い連中が夜中に車で乗りつけて、肝試しの様子をネット配信したり。私も一度覗いてみようと思ったんですが、実際に何かが出るわけじゃなかったらしいんで」
 今ではそんな噂も風化し、動画自体ネットから消えている。
「そんなところが、奴の終の棲家か」
 澁澤老人が沈鬱な顔で言った。
「尾羽うち枯らして、半身不随の身で……」
 澁澤老人と西崎老人は、午前中から昔のコネを頼りに高見俊彦の現状を調査していた。その経緯を島本のオフィスに逐一連絡し、島本がパソコンで情報整理、ネットで確認照合等を行う――そんな流れだった。老人たちがスマホでも駆使できれば話は早かったのだろうが、世代的にガラケー止まり、iモードさえ使っていない。
 亜久津宅で待機していた茂親子と泰蔵は、昼過ぎに島本から連絡を受けてワゴンを出し、オフィスの島本と、あちこちに散っていた澁澤や西崎を拾ってきたのである。そのほうが何台かに分乗するより同一行動がとりやすいし、もし高見と接見がかなって、同行あるいは拉致――あくまで非常手段だが――ということになれば、定員十名の大型ワゴンなら充分な余地がある。
「……報いを受けたんだ」
 西崎老人が呻くように言った。
「さんざん人を踏みつけて生きてきた報いだ」
 数年前、東北屈指の医療法人の頂点に足を掛けていた高見俊彦は、一転、それまでの巧みな世渡りが卓袱台《ちゃぶだい》返しを喰らったように、落ちるところまで落ちていたのである。
 まず、後ろ盾の現会長が心筋梗塞で急死した。それが契機となったのか、傘下の複数の病院における犯罪に近い医療過誤や院内感染が相次いで表沙汰になり、元々会長以外の経営陣に味方の少なかった高見俊彦は、ほとんどスケープゴートとして一切の責を担うことになった。そんな騒動の渦中、偶発的な交通事故で妻子のみならず孫までが亡くなり、ほどなく彼自身も心身疲労による脳溢血で倒れ、一命はとりとめたものの重篤な後遺症が残った。以来、彼は社会との交わりを一切拒否し、唯一残った個人資産である郊外の廃病院に蟄居しているらしい。
「でも、あんまり可哀想な気もしますね」
 運転席から茂が言った。
「仮にも一時は会長になりかけた人でしょう。廃墟に置き去りなんて、その法人の沽券に関わるんじゃないですか」
「なあに、おそらく奴が自分で選んだ道だろう」
 澁澤老人が言った。
「見栄で生きてる人間が社会的な見栄を失ったら、もう自分ひとりに見栄を張り続けるしかない。『俺は世間に捨てられたんじゃない。俺が世間を捨てたんだ』――そう自分に言い張っていれば、死ぬまで孤高でいられる」
「……それもまた報いだ」
 西崎老人が言った。
「自分自身の報いだ」
 泰蔵は無言でうなずいた。なんともやるせない気分である。半殺しにしてやる前に、もとい人の道を糾す前に、因果応報に先を越されてしまったらしい。
「ま、後の仕事が楽でいいさ」
 茂吉が、車内の重い空気を振り払うように、からりと言った。
「車椅子かなんかでカラコロ転がしてくりゃいいんだろう」
 助手席の優作は、ほっと一息ついた。優太と違って磊落な優作も、予想外の事態の流れには、かなり滅入っていたのである。
 うちの家族はマジにナゴむからいいよなあ。どんなイキモノだって優しくなでちゃう親父、良かれ悪しかれ一本道の爺ちゃん――気持ちの根っこが、昔からちっとも変わっていない。
「あっくん、次のパーキングエリアで運転代わろう」
 島本が茂に言った。
「宮城側は俺が走り慣れてる」
 高速道路だから茂もせいぜい飛ばしているが、島本から見れば歯痒い。そもそも普通の走りだと現地到着が日暮れになってしまう。
「皆さんもトイレを済ませておいてください。雄鹿《おしか》まで一気に突っ走りますから」
 澁澤老人は頼もしそうに、うむ、とうなずいた。
 茂吉も息子の安全運転に欲求不満を募らせていたので、よし、とうなずいた。
 それ以外のメンバーは、やや怯えながら同意した。少々命が惜しい気もするが、まあ本人が未だに五体満足なのだから、たぶん今日も五体満足で帰れるだろう。
 もとより優作に異議はない。生身の体とは、とっくにオサラバしている。
 ひゃっほう! 走れ幌馬車――。

     2

 蔵王の東側は晴れていた。内陸盆地と太平洋側は、奥羽山脈を越えれば気候が違う。気温も何度か上がったようだ。
 最新カーナビの情報と、情報を超越した島本の反射神経によって、一行はまだ日のあるうちに、目的の入り江の町に着いた。
 南北を囲む小高い岬の間隔はせいぜい二キロほどか、中央の魚港から西奥の丘陵まで一キロもなさそうな小ぢんまりとした港町だが、中心街にはそこそこ中層ビルや店舗が建ち並び、全国チェーンのコンビニも出店している。
 噂の幽霊病院は、住宅地の端の丘陵際に、斜面から続く樹林に隠れるようにして鈍色に佇んでいた。現役時代は地元のみならず、湾岸道路や丘陵越えの道を通して周囲の町村の患者を一手に集めていた施設らしいが、滅びてしまえば規模に比例してうそ寒い。
 周囲を守る高い金属柵に沿って走り、厳重に閉ざされた格子門の前にワゴンを停める。
「……廃墟どころか、まるで要塞じゃないか」
 真っ先に降り立った澁澤老人が、呆れ声で言った。
 四階建ての建物のおおよそは確かに古い。積年の塵埃や風雨による浸食で、見る影もなく傷んでいる。しかし本来ガラス窓だったはずの帯状の凹部は、明らかに近年、コンクリートで塗り固められている。かろうじて病院らしさが残っているのは、所々に花壇の痕跡が残るひび割れた前庭と、その奥の正面入り口だけだった。
「……見てください」
 茂が怯えたように言った。
 外周の金属柵の上部に途切れなく鉄条網が張り出しているのみならず、柵そのものにも門扉にも一面に有刺鉄線が絡めてある。密集した蔦のようなそれは、根雪の残る日陰の地面際まで続いていた。
「こりゃ見事なもんだ」
 門扉の内側の図太い施錠を覗いて、茂吉が感嘆した。
「俺の四駆でぶち当たっても、破れるかどうか」
 門扉から建物の背後にかけて、前庭に明瞭な轍《わだち》が残っているのを見ると、車の出入りは定期的にあるらしい。
 島本は、持参の小型双眼鏡で建物を検めた。
「最上階の軒先中央に防犯カメラが見えますね。右側にもある。ここからじゃ見えませんが、たぶん左や裏手にも」
 泰蔵が訊ねた。
「ダミーなんじゃないか?」
 近頃は田舎のホームセンターでも、天井で稼働する防犯カメラと見分けのつかないダミーカメラを、個人向けに安売りしている。
「ダミーなら逆に目立たせるでしょう。実際にモニター中と見ました」
 現役の総合病院ならともかく、引き籠もり老人がここまでやるか――一同、ほとんど呆れ果てて立ちつくしていると、前庭の奥、正面玄関のガラス扉が開きはじめた。車の音や彼らの声が届く距離ではない。防犯カメラが機能している証だろう。
 人影が現れた。
 車椅子の老人ではなかった。
 機動隊員じみた出で立ちの筋骨たくましい中年男が、確固たる足取りで近づいてくる。
 両手で抱えているものが散弾銃であると悟り、一同は身構えた。
 男は門扉の前に立ち止まり、無機質な声で言った。
「標識に、お気づきになられませんでしたか。この建物の周囲の道は全て私道です。皆さんは私有地に無断で乗り入れているのです。早急に市道までお戻りください」
 慇懃無礼を絵に描いたような警告だった。猟銃は銃床と銃身を棒のように握っているだけだが、ただならぬ威圧感である。
 思わず腰を引く一同から、西崎老人が歩み出た。自身の穏やかな性格に関わらず、かつての職業上、物騒な銃器にも機動隊員にも慣れ親しんでいる。
「高見俊彦君が、こちらにお住まいと伺ったのだが」
 男は蝋人形のように無反応だった。
 西崎老人は続けて言った。
「失敬。こちらから名乗るべきでしたな。西崎良平と申します。高見君とは古い仲だ」
「高見先生は、どなたともお会いになりません」
「どうか取り次ぐだけでも。西崎綾音の件で話があると伝えていただければ」
 お互い老後に旧交を温めるような相手でないことは、高見も重々承知のはずだ。どのみち拒絶されるなら、せめて高見に昔の非情を顧みさせたい。
 男の表情が微かに揺らいだ。
 しかしすぐに無表情に戻り、
「――お待ちください」
 素っ気なく言うと、踵を返し建物の中に戻ってゆく。
 澁澤老人が言った。
「あんな奴が他にもいるのか?」
 猟銃の携帯は許可を得れば合法だが、あの鉄面皮だと非合法なヤクザより危なく見える。
「いてもいなくても高見しだいでしょう」
 西崎老人は腹を据えていた。
 横から茂吉が言った。
「門前払い上等じゃねえか。人の出入りがある以上、忍びこむ手もあるさ」
 ほどなく正面玄関の自動ドアが開いた。
 一台の車椅子が、バリアフリーのポーチから下りてくる。遠目には、白い部屋着姿の老人に見える。車椅子は電動らしく、先刻の警備員らしい男は介助せず、猟銃を抱えたまま後ろに従っていた。
 車椅子が前庭の半ばに達したあたりで、門外から見守る一同は、揃って怪訝な顔になった。巷で見かける車椅子の人々と同様に見えていた相手が、実は、かなり異質な風体であると気づいたのである。
 その白い着衣は上から下まで、折り目正しい礼服だった。着替える時間などなかったはずだ。高見俊彦が噂どおり蟄居状態なら、ふだんから礼装で生活していることになる。それが彼なりの矜持であるにしろ、体の不自由な身として、生半可な根性ではない。
 やがて細部が判別できる距離になった。オフホワイトのロングタキシードとベストに純白のシャツ。靴までが白く光っている。これで白いネクタイを締めたらまるで年老いた花婿だが、襟元だけは、猛禽類のカメオをあしらった渋茶色の組紐で飾っており、そのワンポイントが、型通りの礼装を独自の美意識によるカジュアルのように演出していた。
 車椅子は電動ではなかった。アシスト機構すら備わっていない。あくまで自力で――右手でレバー状の部品を漕ぎ、右脚でペダル状の部品を踏み、連動する複雑な機械構造でぎりぎりと両輪を回転させながら、亀裂だらけの前庭を滞りなく直進してくる。礼服の右腕や右脚は、内側からアスリートのように張っているが、左はどちらも空虚に近い。
 体同様、顔にも顕著な左右の差異があった。右半面は往年の美形の面影を充分に残している。もう六十七歳のはずだが、七十歳の西崎よりも遙かに若く、五十代といっても通るだろう。しかし左半面は、端に近づくにつれて皺びた皮膚が垂れ下がり、八十近い茂吉より年老いて見えた。
「高見……」
 西崎老人が呆然とつぶやいた。
 他の一同も固唾を飲んだ。
 見つめる全員、頻度に差はあれ、これまで何度か片麻痺の知人や縁者に接している。しかし高見俊彦から受ける齟齬感は、まったく別種の存在に思えた。半身の生命力を常人以上に保つために、もう半身の生命力を使い果たし、結果、左右が別人化してしまったようだ。想像力が豊かすぎる茂などは、不謹慎にも、こんなことを思ってしまった。もし等身大の両面鏡をこの老人の前に立てたら、ドリアン・グレイの実体と肖像が、左右同時に並ぶだろう――。
 門格子の間近で、おもむろに車椅子が止まった。
「……これはこれは、分家の良平さん」
 やや呂律の怪しい、内に籠もった棒読みのような声だが、言葉は明瞭に伝わる。しかし感情は読めない。
「俊彦……」
「……変わりませんなあ。好青年が、そのまま好々爺になられたようだ。私はご覧のとおりです。変わり果てたやら……腹の内が外に漏れだしたやら」
 そんな自嘲も、自嘲らしい口調ではない。そもそも口調が変えられないらしい。
 返答に窮する西崎老人に、高見は続けて言った。
「綾音の件とおっしゃると……もしや、あなたは綾音を連れて帰りたいと?」
 意味がつかめず、西崎老人は戸惑った。
 高見は、あくまで真顔で、
「そうしてもらえば、むしろ私はありがたいが……いかんせん、あいつは陽の下に出てこない。ここ何年、ずっと、私と同じ籠の鳥だ」
 一同に困惑が募った。
 高見は、きりきりと車椅子の向きを変え、ぎこちなく正面玄関を振り返り、
「……おやおや、さすがに良平さんは、綾音に好かれているようですな。あいつが、しおらしく頭を下げている。私には『この死に損ない』やら『早く死ね』やら、言いたい放題のくせに。夜中なぞ、のしかかって首を絞めてくる」
 暗い玄関の奥に人影はない。優作にさえ何も見えない。
 高見は西崎老人に向き直り、
「――良平さん、すみません。前言を撤回します」
 眼窩の奥で虚ろに濁っている左目とは対照的な、若々しい睫毛に縁取られた右の瞳に、不敵な光が宿った。
「あなたに綾音を返すわけにはいかない。なんとなれば今の私は、あいつの恨み言を聞き続けるために、こうして生き続けている。私の力が続く限り、一日でも、いや一分一秒でも長く、あいつに呪われ続けてやる。そのために生きている」
 高見の右頬が、にやりと釣り上がった。
「首が飛んでも動いてみせます」
 その言葉が、まさに『四谷怪談』の色悪・民谷伊右衛門の台詞であることを、大人たちのみならず、若い優作も知っていた。ルート66のドライブインあたりでハンバーガーをぱくついていそうな優作だが、実は優太と同じで父親ゆずりの渋好み、ときには歌舞伎座に出向いて、幕間の仕出し弁当を賞味したりもする。
 優作は、荊棘線に覆われた格子門に歩み寄った。
 苦手な異物感をこらえながら鋳鉄の格子に交わり内側にすり抜け、高見の顔の前に、ひらひらと手をかざしてみる。
 ――ああ、この爺さん、マジにイッてるわ。
 実際に死んだ人間が見えるのなら、優作に気づかないはずはない。
 西崎老人も、他の一同も、暗澹と黙りこむしかなかった。
 高見の態度には、身体的病変以外の違和感がまったくない。彼は居るはずのない綾音と、確かに同居しているのだ。被害妄想も幻覚も幻聴も、信じきっている者にとっては真実に他ならない。
「……そろそろ失礼します。私も近頃、陽の光が苦手なもので」
 頭も下げずに高見は言った。
「それから良平さん、くれぐれも妙な気は起こされませんように」
 背後の男を示し、
「侵入者への対応は、昼間は空包、深夜は実包で行うように言いつけてあります。当然過剰防衛でしょうが、最高の私選弁護士を雇う用意がありますし、そもそもこの吉田君は、私のために入獄することを厭いません」
 吉田と呼ばれた男は、真顔で首肯した。
「そして私は、ご覧のとおり、もう入れてくれる刑務所がない。医療刑務所さえ、入れてくれるかどうか」
 そう言い残して屋内に戻っていく高見の車椅子を、一同は為す術もなく見送った。

「いやあ、まいっちまったなあ」
 漁港に近い、安食堂のような喫茶店でコーヒーを啜りながら、茂吉がぼやいた。
「アレをむりやり外に引きずり出すほど、俺も鬼じゃねえぞ」
 茂と泰蔵も力なくうなずいた。
 澁澤老人と西崎老人は、ただ無言である。
 ちなみに島本は、今は席を外している。街に聞き込みに出ているのだ。実は優作も、好奇心からそっちに回っている。
「あの妄想も脳溢血の後遺症か……」
 つぶやく泰蔵に、茂は言った。
「あの感じだと、統合失調症のような気もしますね。昔、うちのクラスでも、ひとり入院したじゃないですか」
「ああ、あいつか」
 田舎の商業高校では珍しいほど真面目だった生徒が、いつからか「犬神様の声が聞こえる」と言いだした。初めは家族さえ冗談だと思っていたほど、それ以外の言動は正常だった。むしろ枕崎あたりのほうがよほど異常だったわけだが、枕崎は年がら年中変な奴だったので、今さら誰も治療の要を認めなかったのである。しかしそれまで百パーセント正常だった生徒が、九十九パーセント正常なままで犬神の声を聞きだしたら、やはり病院に行かされる。実際、ひと月の入院と三か月ほどの服薬で、その生徒は犬神様ときれいさっぱり縁を切った。
「体とは別に治療するべきなんでしょうけど、あの生活状態じゃ……」
「誰に迷惑かけてるわけでもないしなあ」
 泰蔵にとっては大迷惑の張本人に他ならないが、今の高見に責任能力があるとは思えない。
 澁澤老人と西崎老人は、むっつりと黙りこくっていた。目の当たりにした高見の変貌が、骨身に応えている。半世紀近い歳月は、彼らだけでなく高見の人生にも、深々と恩讐を刻んでいたのだ。
 入口のガラス戸が開いた。
 島本や優作といっしょに、潮と魚の匂いのする風が、夕暮れの街路から流れこんだ。
「いやあ、まいりました」
 島本は茂吉と同じことを口にしながら席に加わり、奥にいた無愛想な初老の主人にコーヒーを頼むと、
「あの建物は徹底的に孤立してます。電気ガス水道、それから電話、どれもまったく繋がってないらしい」
 は?
 半開きの口々を代表して、澁澤老人が訊ねた。
「じゃあ、いったい、どうやって暮らしてるんだ」
「メインは自家発電でしょう。月に何度か、あの吉田って男が、小型のタンク車で大量の燃料を運び入れてるようです。廃業する前の非常用発電設備が、そのまま生きてるんじゃないでしょうか。水は地下水をポンプで汲み上げればいい。海が近い土地でも、あのあたりなら深さに注意すれば真水が出るそうですから。食料は、今どき携帯ひとつあれば配達で揃う。何年だって籠城できる理屈です」
「なんと……」
 西崎老人は絶句した。
「まるでじゃなくて、マジに要塞じゃねえか」
 茂吉が言った。
「なら、どうしたって攻略したくなるわなあ」
 茂は、あわててたしなめた。
「やめてくれよ親父」
 実際に猪突猛進しかねない父親である。しかし肉弾戦は得意でも、猟銃の弾が相手だと穴だらけになるだろう。
 店の主人がコーヒーを運んで来たので、一同は口をつぐんだ。
 無愛想にカップを置いて無愛想に立ち去るのを待ち、
「――確かに私も、中の実態には興味がありますね」
 島本はそう言ってコーヒーに口をつけ、顔をしかめた。コーヒーより味噌汁が似合いそうな店だから仕方がない。まあいいか、と気を取り直し、
「あれだけの敷地の外周を、たったひとりで警備しきれるとは思えません。鉄条網に電気が流れているわけでもない。少なくとも柵は抜けられそうだ」
 忍びこむ気か――一同が注目すると、
「いえ、確かなところを確認しておきたいだけです。穴があっても、すぐに潜りこむわけじゃありません。ただ、ああした人物が、ああして孤立している状況そのもの――あの高見という男の生活を、もっと調べてみたいんです。今後事態がどう動くにしろ、街の聞きこみだってまだほんの序の口、できれば明日も粘ってみたい」
 非現実的事象を追求するあまり現実おたくになってしまった、島本らしい言葉である。
「本物の綾音さんのためにも、何か解決の糸口が見つかるかもしれません」
「俺もひと肌脱ぐぜ」
 茂吉が身を乗り出した。
「探偵さんにゃなれないが、カラス除けのカカシくらいにはなる」
 本気と見て、茂は言った。
「じゃあ、俺が残る」
 進んでカラスを襲いそうな親父より、自分のほうがカカシ向きだ。
「俺は隠居で、お前は家長だぞ」
 茂吉は、逆に息子を諭した。
「だいたい、お前、いつまで仕事を休むつもりだ。いっとき少しばかり儲けたって、今の調子だと何年も保たねえぞ。自慢じゃねえが俺なんか、お前が生まれた頃にゃ、もう死ぬまで女房子を養う蓄えがあった。お前はなんだ。茂美や優太が学校に上がるときだって、ランドセル買ってやったのは優美さんだろう。机やなんかは俺が――」
 茂は、解った解ったと両手で制した。ごめん。全部事実です。はい働きます。
「山福さんも当座の問題は一段落したんだし、あっちで娘さんや学校の心配してたほうがいい。西崎さんだって、死に損ないのあいつより、あの子の近くにいたいんじゃねえか」
 さすがに最年長者、見るところは見ている。
「私も隠居です」
 残る澁澤老人が、にんまりと笑った。
「高見のストーカーに復帰ということで」
 結局、島本と茂吉と澁澤老人が、この街に残ることになった。
 店の主人に相談し、今夜の宿と、これからの脚を探す。幸い近所の商人宿に空きがあった。さすがにレンタカーはこの町にはなく、主人の口利きで、少々離れた観光地の業者が、これから宿まで配車してくれることになった。愛想とコーヒーが不得手な主人も、顔は広いらしい。
 優作は、どっちにしようか土壇場まで悩んでいたが、駐車場で一同が別れる間際、茂のワゴンを選んだ。
 やっぱり優太たちのほうが気になったのである。

     3

 あくまで安全運転遵守の上、途中で西崎老人や泰蔵を自宅まで送り届けたため、茂は夜半近くになって、ようやく我が家に帰り着いた。
「おかえりなさい」
 ワゴンの音を聞きつけて、優美と八重子が玄関に迎えに出た。
「ご苦労様」
「うん」
 いつもの妻の柔らかい声と穏やかな笑顔を見ただけで、茂の精神的な疲労は霧消した。体の疲れも風呂に入れば消えるだろう。茂は幾つになっても柔弱な男である。
 姑の八重子は、嫁に続いて「ご苦労さん」と言いながら、なにやら苦笑いを浮かべていた。茂吉が雄鹿半島に居残ってしまったことは、もう電話で伝わっている。
「置いてくるつもりはなかったんだけど」
「仕方ないよ、昔から鉄砲玉だもん」
 後期高齢者の夫に比べて四半世紀も若い八重子は、どう見ても茂吉の娘にしか見えない。そんな夫婦の間に生まれた茂としては、いつもつくづく感心してしまう。よくあんな皺くちゃの非行老人を見捨てずにいられるもんだよなあ、母ちゃん――。
「頭が冷えたら帰ってくるでしょ。帰巣本能だけは達者だから」
 確かに茂吉が徘徊しっぱなしになったことは一度もない。惚ける前にポックリ逝くタイプだろう。
 八重子はひらひらと手を振りながら、棟続きの隠居所に下がっていった。
 茂は、遅い夕餉の卓につく前に、四つ子の子供部屋を覗いた。四つ並んだ蒲団の境界を無視して、てんでんばらばらに寝息をたてているのを見ると、やっぱりこのまんまじゃまずかろうなあ、と思う。優太や茂美だって高校に上がったら、さすがに同室はまずいだろう。
 親父が言ったように俺もせっせと稼がねば、と気を引き締める一方で、数年前まで親父が経営していた焼き鳥酒場やアパートはいったいなんぼで売れたのか、現在親父の蓄えはどんだけ残っているのか、そのあたりも気になる。いや、いかんいかん。これでは死ぬまで親がかりの男で終わってしまう。いっそ己の頑なな美意識を曲げて、あの大手アニメの新シリーズに参加しようか――茂は幾つになっても優柔不断な男だった。
 茂がダイニングで、優美が温め直してくれた晩飯にありついていると、茂美と優太がパジャマ姿で二階から下りてきた。
「おかえり、父さん」
「おかえりなさい」
 揃っての顔出しは嬉しいが、もう真夜中過ぎである。
「まだ起きてたのか」
「いや、いっぺん蒲団には入ったんだけどね、気になって寝てらんないんだもん」
 茂美が言い、優太もこくりとうなずいた。
 茂は、あまり精神的に重い部分を避けて、おおまかに事情を説明した。相手は脳疾患の後遺症で、話を聞いてもらえる精神状態ではないし、そもそも自由に動けない、そんなニュアンスである。実は、昨日知った高見と綾音の過去についても、怪文書や写真の件など、あまり生臭い部分は極力ぼかして伝えてある。
「あの子に会わせてあげるのは無理?」
「今のところはね。とにかく島本さんたちに、詳しく調べてもらってからだな」
 子供たちは釈然としない様子である。
 優美が優しく諭した。
「気になるのは解るけど、今はどうしようもないでしょう? 気になって眠れないなら、朝まで気にしててあげればいいのよ」
 無理に「眠れ」とか言わないところが、いかにも母さんらしい。
「そうして忘れずにいれば、いつか、やってあげられることが見つかるかもしれないでしょ。今夜でも、明日でもあさってでも、来年でも、大人になってからでも。そのときになったら起き出して、やってあげばいいんだわ」
 茂美と優太は微妙にうなずいた。
 確かにこの人間離れした母さんなら、何事も、そんな大らかなペースで悩んでいられるのかもしれない。
 娘や息子が真似できるかどうか、それはちょっとこっちに置いといて。

 優太と茂美が自分たちの部屋に戻ると、窓辺の壁に背をもたれていた優作が顔を上げた。
「どうだった?」
 茂美は頭を振って、
「あんたに聞いたドギツい話を、お子様向けの絵本にしたみたいな話」
 処置なし、と言うように両手を広げ、
「ま、親心としては解るけどさ」
「どのみち様子見しかねえんだしな」
 優作は軽く言い、それから大あくびをした。
「今日は俺も、なんかいろいろ繊細な心にコタえるものがあったから、ここで寝かしてもらうわ」
「蒲団、余分ないよ。優太の蒲団で寝る?」
「お姉様のお蒲団がいいなあ、ボク」
「いいけど命の保証はしないよ」
「大丈夫。もう死んでるから」
 などと言いつつ、優作は、その場でごろりと横になった。
「また風邪ひいて死んだら、生き返ったりしてな」
 茂美と優太は、ちょっと鼻の奥がツンとなるのを感じながら蒲団に潜りこんだ。
 同じ部屋で三人いっしょに寝るのは、いったい何年ぶりだろう。
 嬉しいような、でもなんだか、ちょっと哀しいような――。

 さて同じ頃、山福家の美紀もまた、お子様向けの絵本っぽい抄訳を泰蔵に聞かされたのち、二階の部屋に追いやられていた。
 ――でも、なんか、もやもやするんだよねえ。
 伊達に山福家の娘を十四年もやっているわけではない。父さんの鬼瓦顔が、今夜はかなり嘘っぽかったことくらいは美紀にも判る。
 ベッドで輾転反側すること数分、美紀はごそごそと起き出して、そっとドアを開けた。
 美紀には気を紛らわせてくれる姉弟がいないし、アヤシげなレポーターもいない。
 抜き足、差し足、忍び足――。
 階下の居間では、泰蔵と淑子が、まだ話を続けていた。
 盗み聞きはいけないことである。良い子は、真夜中にこっそり大人の部屋の硝子障子に耳を寄せたりしてはいけない。しかし世の中、伏せられた真実のほうが大切な事象は多々ある。
 ――ふんふん。
 ――ほうほう。
 ドンピシャ、なんかいろいろ隠されまくっていたようだ。
 ――え?
 それどころか真の情報は、ドンピシャを遙かに凌駕していた。
 ――え、え、え!?
 亜久津家の姉弟のように衝撃を分散緩和できないぶん、美紀は、かつてない懊悩に陥ってしまった。
 子猫あるいは栗鼠的な生活感覚で生きている美紀のこと、何かとっちらかることは多々あるにしても、これほど底の抜けた陰々滅々方向にとっちらかるのは、生まれて初めてだ。
 居間の中では泰蔵の報告が終わり、明日からの日常に話題が移った。
 美紀は自分の部屋に戻る気になれず、鬱々と奥廊下に歩を進め、地下室への階段を下りた。
 止まったままの木馬たちや、座席の背から覗くあの子の頭の先が、闇の中で薄ぼんやりと光っている。
 夏の夜に裏山の沢で舞う蛍火――それとも、お父さんの実家にある古い柱時計の、針と数字に残っている薄緑色の蛍光塗料――そんな、懐かしいような寂しいような、心の奥がきゅんとするような光だった。
 美紀は座席の前に回って、あの子の隣に腰を下ろした。
「……やっほ」
 あの子は眠っていなかった。
 寂しそうに前を向いたまま、胸に抱いた特大キティちゃんを、ゆっくりと撫でさすっている。
 美紀は、囁くように話しかけた。
「……なんか、たいへんなことになってるみたいだよ」
 やっぱり反応してくれない。
 ――私の声が聞こえればいいのになあ。でも、聞こえないほうが幸せなのかなあ――。
 自分でもよくわからないまま、美紀は話しかけつづけた。
「どうしたらいいんだろうね、お姉ちゃんは」
 あくまで独り言のつもりで、
「綾音ちゃんは、どうしたい?」
 そう言いながら、隣のおつむを軽くぽんぽんしていると、どこからか微かなつぶやきが聞こえてきた。
 ……つれてって……
 可愛らしい女の子の声だった。
「え?」
 美紀は思わずアルトよりも低い、濁点付きの『え』で呻いてしまった。
 あわててあの子の顔を覗きこむ。
 口を動かした様子はない。
 でも、確かに聞こえたのである。
 ぱちくりしている美紀の瞳に、おずおずと、綾音の瞳が重なった。
「……俊彦にいちゃんの、お家《うち》……」
 ちんまりした唇は、やっぱり少しも動いていない。
 それでも声ではない声が、儚げな視線に乗って、美紀の耳に届いてくる。
「……つれてって……」
 美紀の胸の奥が、きゅんきゅんと疼いた。
 いや、オノマトペ全部に濁点が付いて、部屋いっぱいに「ぎゅううううん」とか響き渡りそうな、かつてない疼き具合だった。もし美紀の胸のあたりに『いたいけ度』や『護ってあげたい度』を表示する電光掲示板があったら、その声と瞳は特大キティちゃんの得点を遙かに凌駕し、百点満点を振り切っただろう。
 これはもう、今すぐ連れてってやらねば――。
 なかば惑乱しながら、美紀は言った。
「――まかせなさい」
 まるごと美紀お姉ちゃんに任せなさい。

 思索より感情優先の美紀が「ちょっと待っててね」と言い残し、とととととと地下室の階段を駆け上がっていく姿を、山福家から遠く離れた亜久津家の二階で、なぜか優太も綾音といっしょに見送っていた。
 言うまでもなく夢の中である。優太自身、これは夢なんだろうなあと思っている。夢の中ならば、自分がいつのまにか他人になったり、視点がころころ入れ替わったりするのは珍しくない。
 小学生モードの綾音が、実はまだ美紀や優太と心の糸で繋がっているとか、その結果『優太←→綾音←→美紀』の形で少々感覚があっちゃこっちゃしているとか、今のところ情報漏洩が『綾音←→美紀』『優太←美紀』方向に顕著なのは単に受信側の思い入れの差であるとか、綾音当人さえ把握していない識閾下の玄妙なアレコレを、優太に推察できるはずもない。
 ともあれ自分の部屋に戻った美紀が、ぱぱぱぱぱとラフな外着に着替えたり、お気に入りのサンリオのバックパックに何やら色々放りこんだり、自由帳の一枚を破いてサインペンを手にちょっと悩んだ末、『家出じゃないよ。たぶん夕方には帰ってきます。なんかあったらメールするね』などと舌足らずな書き置きを机に残したりするのを、優太は自分の寝床の中で、はらはらと見守っていた。
 ちなみに着替え中の美紀の姿などは見ていない。優太が自己規制したわけではない。現状、美紀自身が見ているものを綾音を経由して優太も間接的に夢で見ている、そんな状況だからである。念のためバックパックに入れたキティちゃんのワンポイント・ショーツなどは、優太もしっかり見てしまったわけだが、そこはそれ不可抗力、なにとぞ勘弁していただきたい。
 美紀は、きわめて大雑把な旅支度を終え、抜き足差し足忍び足、一部とととととで地下室に戻った。
「おまたせ。さ、行こ」
 お手々繋いで階段を上がり、奥廊下に出ようとしたところで、
「ん?」
 美紀の片手が、後ろに引っ張られた。
 振り返って見ると、あの子がドアのところを抜けられず、うんしょうんしょともがいている。
 ドアは開いているのに、なんだか透明なゴムの壁みたいなものがあってそれ以上前に進めない、そんな感じだった。
 綾音は、さらに二三度突破を試みたのち、その伸縮する見えない壁に、ぽふ、と顔を伏せてしまった。
「……ふう」
 ありゃ、そーゆーことなのか――。
 美紀は、ようやく綾音の現状を悟った。
 こないだ窓から這いだしたときのような貞子や伽耶子っぽい根性は、すっかり消えてしまっているのだ。つまり傍迷惑な浮遊霊の曲がった根性を失って、元の引っこみ思案な地縛霊に戻ってしまった、みたいな。
「……またお姉ちゃんに取りついてみる?」
 昨日の夕方程度の根性歩きなら、しばらくは我慢できそうだ。
 綾音はふるふる頭を振った。
 そーゆーいけないことは、いけないことだからやっちゃいけないの――そんな、いいとこのお嬢ちゃんらしい気持ちが、美紀に伝わってきた。
「じゃあ、おんぶ?」
 ふるふるふる。
 どのみち私だけ部屋の中に落っこちるんじゃないでしょうか、お姉ちゃん――。
 そんな経緯を夢の中で共有しながら、優太は思った。
 ――こりゃ相手が育ちの悪い子供だったら、たぶん「あんたはバカか」とか言うとこだろうなあ。
 自立前のクララにごねられてしまったハイジのように、美紀が困ってしまっていると、
「……あ」
 綾音は何か思いついたらしく、ぽん、と手を打った。
 見ている優太は、こう思った。
 なんだかあの子がどんどん無邪気っぽくなってるけど、あれはあの子の本性というより、やっぱり誰かさんの感化なんだろうなあ――。
 綾音はこそこそと水玉ワンピースのポケットを探り、あの汚れた飾り箱を取り出して、はい、と言うように、美紀に差し出した。
 ハテナ顔の美紀が、その懐かしい宝石箱を受け取った次の瞬間――綾音の姿は、もう、どこにも見えなくなっていた。
「え?」
 メゾソプラノでつぶやく美紀の掌で、宝石箱の中から、ことん、と小さな音が響いた。
 ――ありゃ?
 今にも壊れてしまいそうな紙張りの木箱を、そっと開いてみる。
 ――これは、もしかして……。
 灰色に退色した型紙の真ん中で、ぼろぼろだったはずの指輪が、今はきらきら光っている。
 できたてのアンチモニーの輝きと、艶々に赤いエナメル塗りの宝石。
 今なら食玩のアクセサリーにも劣る出来映えだが、たとえば夜店のアセチレンランプ――あのゆらゆら揺れる光の下でなら、純銀や瑪瑙に負けない輝きであり、この世でいちばん大切なものなのだ。
 美紀は、んむ、とうなずいた。
 箱の中で指輪が転がらないように、香り付きのティッシュをふわふわに丸めてクッションにしたり、箱そのものをキルトで包んだりしたのち、バックパックの真ん中あたりに仕舞いこむ。
 さらにパックごとゆらゆら振ってみて、中から苦情が出ないのを確認し、
「んじゃ、出発!」
 気合いは充分、でもやっぱり抜き足差し足忍び足――。
 そろそろと玄関のドアを抜ける。
 北国の夜風はまだ冷たいが、モコモコのダッフルを着こんでいるから平気だ。
 庭の屋根だけのガレージに、車と並んで家族共用のママチャリが見える。
 とりあえずあれを拝借して出発――と、てっきり優太は思ったのだが、美紀はガレージの横を素通りし、そのまんま前の坂道に出ていった。
 ――あれ?
 夢の中の優太は首を傾げた。
 ――なんで美紀ちゃん、徒歩?

 優太は、がばりと蒲団を撥ねのけた。
 安穏と蒲団にくるまっている場合ではない。
 今までずっと、見た目も中身も自分より遙かに上等で、とても釣り合わない高嶺の花だとばかり思っていた美紀ちゃんが、必ずしも偶像級のスグレモノではないことに気がついたのである。
 その一、運動神経抜群のはずの美紀ちゃんは、なぜか自転車に乗れない。
 その二、テストや通知表の数字とは別状、美紀ちゃんには計画性というものがカケラもない。
 優太は焦ってパジャマを着替え、バックパックの準備を始めた。衣類なども入れるに越したことはないが、重要なのは情報と資本である。テストや通知表こそおぼつかない優太でも、そこはそれ年季の入った図書館小僧、つまり若き思索者、夢や希望の土台に厳しい現実があることくらいは心得ている。
 一泊旅行程度の諸々に、常時充電済みのノートパソコンと虎の子の長財布を加え、優太はバックパックを背負った。書き置きなんぞはいらない。家族が起き出して優太の不在に気づけば、嫌でも携帯に連絡が入る。そのときに説得すればいい。ただし、それ以前に、引き返しても無駄なところまで進んでいないと、田舎の中学生が平日に学業を放棄して、雄鹿半島への旅を完遂するのは不可能だろう。
 せいぜい静かに動いたつもりだったが、優太が部屋を出ようとしたとき、
「……どしたの?」
 茂美が目を覚まして声をかけてきた。
「なにやってんの、あんた、そんな格好で」
 そう言われて初めて優太は、自分が現実の中で夢の続きを実行していることに気づいた。
 それまでは、夢と現実を区別する暇もなかったのである。
「あ、いやその……」
 どう説明したものか、優太自身にも解らない。
「えーと、美紀ちゃんが……」
 茂美のぽしょぽしょしていた目が、あっという間に殺気を帯びた。
「美紀? なんの話?」
 自分の知らないところで、なんかアヤしい共同謀議でも図られていたのだろうか――。
 そのとき、窓辺で寝転んでいた優作が、ぽそりと言った。
「行かせてやれ」
 とっくに起きていたらしい。
「茂美だって、おおむね想像はつくだろう」
 茂美は渋々うなずいた。
 今回の一連の流れの中で、あの直情的な美紀が、そろそろ何かしでかしそうな予感はしていた。
「だったら優太なんかじゃなくて、あたしの方が」
「もう、そーゆー問題じゃないんだよ」
 優作は柄にもなく厳粛な顔で言った。
「茂美や俺に選択肢はないんだ。あの子――綾音さんが、美紀ちゃんと優太を選んだ。美紀ちゃんは綾音さんを選んで、そして優太は美紀ちゃんを選んだ。あとは、みんな外野なのさ」
「でも……」
「優太だって、べつに美紀ちゃんに呼ばれたわけじゃないだろ? たぶん綾音さんに呼ばれてるんだ」
 優太も渋々うなずいた。確かにそんな気がする。けして美紀ちゃんに選ばれたわけではない。
 しかし――。
「俺が美紀ちゃんを選んだのは確かだ」
 うわ、と茂美は目を丸くした。
 このヤワな豆腐小僧に、こんなコシのあるセリフを吐く日が来ようとは――。
 思わず胸中で、イルカの歌が流れたりもする。
 今〜春がきて〜〜君は〜〜〜〜以下略。

     4

 垂れこめる薄い雲に隠れて、星は見えない。
 三日月と半月の間あたりの弓張り月は、真夜中前に沈んでしまったようだ。
 吐く息が霧のように白い。
 山合の夜道は、やっぱりしこたま寒かった。
 停車場や停留所は、歩きだと遠い。
 下り道だから、自転車を使えば楽なのは解る。でも美紀は、未だに自転車に乗れない。小さい頃、両親の目を盗んで大人用に挑戦し、顔面から地面を直撃しそうになったのがトラウマになっている。さすがに倒れるときは体をひねったので、腕をすりむいただけで済んだのだが、目の前に迫った地面の記憶が凶悪すぎて、以来、あんな横に薄っぺらい乗り物が直立するのは超常現象、そう脳味噌に刷りこまれてしまった。世間の常識や慣性の法則と、深層心理は別物なのである。
 なんのなんの、雨や雪じゃないだけ上等上等。
 などと強がりつつ、内心けっこう心細く、暗い山道をとことこ下っていると、
「こんばんは」
 道端のよろず屋の前の暗がりから、いきなり声が掛かった。
「わ」
 美紀が反射的にファイティングポーズをキメると、
「美紀ちゃん、俺」
 このところ聴き慣れた穏やかな声の主が、ベンチから立ち上がった。
「ごめん、おどかして」
 優しそうな見慣れた顔が、自販機の煤けた明かりに浮かんだ。
「……なんで?」
 そう訊ねながら、美紀は、あんがい不思議に思っていない自分を、かえって不思議に思った。
 いてくれて当然――なぜだか、そんな感じがする。
 優太も理にかなう答が見つからないまま、さっき買っておいた缶コーヒーを美紀に差し出した。
「はい」
「……さんきゅ」
 ふたり揃って、プルトップを引く。
 もう三月も中旬なのに、零度まで下がりそうな北国の夜、うらぶれた格安自販機のおぼつかないHOTさえ、手に熱く感じる。まあ実際はそこそこの温もりなのだが、それだって口や喉やおなかの中は、炬燵のように明るくなる。
 優太は言った。
「鈍行もバスも、始発は七時過ぎだよ」
「……でも、朝まで家で待ってると、お母さん起きちゃうし」
「どっちみち、起きてちょっとしたら、俺たちがいないのがバレちゃう。もし一一〇番されたりしたら、停車場も停留所も交番のすぐそばだし」
「そっか……」
「峰館交通ビルに行けば、仙台行きの高速バスが出る。五時五十分始発だから、バレる前に蔵王を越えてる」
「でも……」
 峰交ビルは峰館市街の真ん中だ。歩くには遠すぎる。
「大丈夫」
 優太は、軒先に停めてあった自転車を引き出した。
 愛用歴四年、本当はマウンテンバイクが欲しかったのだが、買ってもらった頃は、わらわらたかってくる小さい弟妹を乗せてやる義務があったので、いわゆるシティサイクル、後ろのキャリアにも人ひとり乗れるタイプだ。それでも六段変速だから、坂道だってへっちゃらである。
 優太は、キャリアに括りつけてきたクッションの具合を検めて、
「市街までなら、そんなに痛くならないと思う」
「……うん」
「あと、まだ寒いから……」
 念のため持ってきた余分のダウンベストを、美紀に差し出す。
 優作あたりなら「ヘイ、ハニー」とか言って、自慢の革ジャンを脱いでハニーの肩にかけてやり、自分は薄着のまま格好つけてハーレーでも吹かすところだろう。しかし優太はあくまで堅実派、つまんないくらいあっさり自転車にまたがり、美紀の同乗を待った。優太の荷物はハンドル前に固定してある。
 美紀は、おっかなびっくり後ろに乗って、ちょっと迷ってから、優太のおなかに手を回した。
 あくまで自転車乗りのアクロバットに備えただけ――なんかドキドキするのもアクロバットが恐いだけ――自分ではそう思っているが、そこはそれ、表層と深層はしばしば別物である。
「じゃあ、行くよ」
「うん」
 とりあえず下り道、がんばらなくとも自転車は勝手に進む。
 まだそれほどがんばっていないのに、優太の心臓もなんだかドキドキしているのを、美紀はしっかり感じとっていた。胸があんまり膨らんでいないぶん、前の背中のドキドキも共鳴しやすいのである。
 お父さんやお祖父ちゃん以外、男の人の背中につかまるのは、生まれて初めてだ。いや、ちびっ子時代、担任のイケメン先生に思いきってしがみついた記憶があるが、あれはまあ若気の至り、ノーカウントだろう。
 黙っているとかえって恥ずかしい気がして、美紀は言った。
「すごいね、優太君」
「ん?」
「自転車、乗れるんだ」
「まあね」
 ふつう乗れるだろう、などと返すほど優太も野暮ではない。
「美紀ちゃんだって、きっと乗れるよ」
「うん。こんど教えて」
 うっかり言ってしまって、ますます恥ずかしくなったりする。
 でも、それはそれで、けして嫌な気持ちではない。

 やがて山裾の平らな畑中道に出ると、夜空の薄雲がちょっと流れて、まだらな星空が、地球サイズのプラネタリウムのようにふたりの自転車を包みこんだ。
 星砂の浜辺が空に広がっているみたいだ――そう思いながらペダルを漕ぐうちに、いつのまにか優太の胸の鼓動は治まり、下町の豆腐屋で水槽に沈んでいる午後の木綿豆腐のような、静かな心に戻っていた。
 俺は今、ものすごく大それたことをしているはずだ。それなのに、あたりまえの自転車を、ただあたりまえに漕いでいるだけのような気がする。それは、今があたりまえとしてずっと続いてほしいという大それた願望を、俺の並外れてあたりまえな心が、あたりまえに吸いこんでしまったのだろうか――などと、やや哲学的な想念を抱いたりもするが、まあ長続きはしない。
 それにしても、美紀ちゃんは軽いなあ。弟や妹を乗せているのと、大して変わらないみたいだ。けしてホルスタイン系が好きなわけじゃないけれど、やっぱりもうちょっと重たいほうが、たとえばこのまんまいっしょの自転車で星空に駆け上がったり、今後、来たるべきお姫様抱っこに備えて体を鍛えたりするとき、男として、こう、なんかいろいろ心のパワーの活力源的部分において――。
 早い話、あくまで未熟な中坊の優太は、早くもこの身分不相応なダッコちゃん状態に悪慣れし、美紀ちゃんの胸やお尻はもうちょっと膨らんだほうがいいのではないかとか、けしからぬ本音を漏らしはじめているわけである。
 そうした本音まで美紀に伝わってしまったらエラいことだが、幸い美紀のほっぺたは、もっと深い記憶の共有部分を、優太の背中越しに受信していた。
 ――あれ?
 なんかちょっと思い出しちゃったけど、小学校の入学式のとき、隣の組に、なんかずっとあたしのほうばっかり見てた男の子がいたよね。忘れようとしても思い出せないくらい目立たない子だったけど、あれって、もしかして優太君に似てた?
 そんなことを考えていると、確か四年生の夏あたり、かなり危機一髪だった出来事を思い出したりもする。
 その頃、同じクラスに、やたら美紀の悪口を言ったり、乱暴に小突いたりする男の子がいた。今にして思えば、いわゆる『好きな子を思わずイジメちゃう馬鹿』だったのかもしれない。とにかくその子が、お昼休みのドッジボールで、とんでもない剛速球を美紀の頭に投げつけてきたのだ。モノホンの殺意はなかったらしく、あとでマジに謝ってくれたから許してやったけど、とにかく、昔からすばしっこかった美紀もただ立ちすくんでしまうしかないほど、プロ級の剛速球だった。そしたら、誰か知らないよその子が、いきなりどこかから美紀の前に駆けてきて、そのボールを自分の顔面で弾き返してくれた。で、そのまんまどこかに駆けてっちゃったから、お礼したくてもできなかったんだけど、あれって、もしかして――。
 正味の話、優太は昔から筋金入りの美紀ちゃんストーカーだったのである。そのときだって、できることならヒラリと格好良くボールを受け止め、ついでになんらかの自己紹介を試みたかったのだが、あんまりあわてて手が泳ぎ、顔面で受けるしかなかったのだ。で、かなりひん曲がったであろう自分の鼻や、吹き出す鼻血を美紀ちゃんに見られたくないので、まんま校舎裏まで走って逃げた――それが真相である。
「……あのね、優太君」
「ん?」
「……なんでもない」
 まあいいや、と美紀は黙りこみ、とりあえず優太の背中に、ほっぺたをくっつけつづけた。
 夜空に星砂の浜辺が広がっていると、うら若き乙女の採点基準は、どうしても甘くなる。

 そして亜久津家の子供部屋――。
 茂美は、あれっきり一睡もできず、蒲団を被って悶々としていた。
 ときどき顔を出して窓辺を見ると、優作は眠ってるんだか起きてるんだか、壁を背にして呑気そうにくつろいでいる。
 ――あーもう、こいつ、蒲団蒸しにして須川に放りこんで、最上川まで流したろか。
 などと、茂美の危険度がMAXに達する頃、
「さて、そろそろ下りてくる頃合いか」
 優作がつぶやきながら立ち上がった。
「あんた……」
「俺、ちょっとマラソンしてくるわ。チャリは満員だろうし」
「じゃあ、あたしも」
 半身を起こす茂美に、優作は、ちっちっち、と指を振り、
「なんぼ茂美でも、途中でバテるぞ。俺は、あの世までだって走れるけどな」
 見たこともないほど優しい笑顔になって、
「大丈夫。心配するな。いや、こっちで心配してろ。お前、いつも優太に言ってるじゃねえか。いいかげん自立しろとかさ。俺だって野暮はしねえよ。優太ひとりでどこまでやれるか、ま、先立っちまった兄として、草葉の陰から見守るだけだ」
「優作……」
 優作は窓を開いて、ひらりと外に身を躍らせた。
「んじゃまた」
 足音もなく、それきり気配が消える。
 茂美は、開いたままの窓をしばらく眺めていたが、やがて夜風に身を震わせ、窓を閉めに立った。
 外のまだらな星空の下には、暗い果樹園が広がっているだけで、優太たちの自転車が通りそうな国道は、遠すぎて見えない。優作の姿も、もう見えない。
「……自立ったって、優太ひとりの問題じゃないじゃん」
 茂美は蒲団に戻り、枕元の携帯を開いた。
 こんな時間にアレかなあ、とは思いつつ、ポチポチとお目当ての番号を呼び出す。
 意外にもコール二回半くらいで、もう応答があった。
『どうした茂坊』
 なにか辺りを気にしているような、ぼそぼそした声だった。
 茂美は、ほっとしながら感心していた。
 さすが心霊探偵、頼りになるなあ。真夜中でも、ちゃんと営業してるんだ――。





           〈【Act.8 あなたと私の回転木馬】に続く〉



【注】この物語は、完全なフィクションです。まさか本気にする方もいらっしゃらないでしょうが。
また、劇中に登場する『峰館ハワイアンランド』も、かつて実在した『山形ハワイドリームランド』に、時代的な部分でずいぶん似通ってはおりますが、施設の規模は当社比2倍以上にフカシておりますし、設立過程や運営会社に至っては、もうまったく完全な創作です。現存する交通会社や観光会社や新聞社とは、なんの関連性もありません。また、登場するデパート等も架空の存在です。でもまあほんのちょっとくらいはアレなんじゃないかなあ、などと思われる山形出身の方がいらっしゃいましたら、きっとあなたの気のせいです。世の中には『お約束』というものがあるのです。
 
 
 
2015-10-23 22:27:54公開 / 作者:バニラダヌキ
■この作品の著作権はバニラダヌキさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
……全人類の皆様、いえ全人類のうちコンマコンマコンマコンマコンマコンマコンマ1パーセントくらいの皆様、お久しぶりです。半白髪の狸です。
他の方のお作への感想では、ちまちまとお邪魔しておりましたが、自作の投稿は、一昨年の秋以来でしょうか。
それまでもあれからもなんかいろいろありましたが、それはまあちょっとこっちに置いといて、十年一日、いえ日々衰えつつある狸のでんぐりがえり、一年かかるか二年かかるか自分でも見当がつきませんが、まあ今回は正味数日間の物語になるはずなので、完結だけはできると思います。
なお今回の物語は、いちおう以前に発表した『パンダの夢は猫の夢』や『なんだかよくわからないものの聖夜』の後日譚という形になっておりますが、前二作間のアレコレ同様、厳密な時系列には沿っておりませんし、ストーリーも単独でお楽しみいただける仕様になっておりますので初めてお目に掛かる方でも大丈夫、と、暗に「……茂美ちゃんって、もう高校生くらいじゃないの?」などと首をかしげるかもしれない異常に記憶力の良すぎる方を牽制し、同時に前作を知らない方に通読を催促する姑息な狸。
ちなみに今回投稿分、こんだけ枚数があってもストーリー上のプロローグにすぎない内容ですが、ストーリー展開はこれからでも、物語におけるクライマックスの『背景』だけは、アンフェアにならないよう、目敏い方――ここ数年以内に誕生した目敏い方になら、解るように仕組んであります。
でも、お気づきになった方も、感想内で「うわなに、これがアレに重なるの。こんなユルいエンタメでそれ無謀じゃないの」などと具体的にネタバレなさるのは、どうかお控えください。
……無謀上等、どうで狸のでんぐりがえり。

で、2回目、【プロローグ】に続く【Act.1】を投稿したんですが……面白いですか、これ。クドクド長ったらしい講釈が混じるのは、いつもの狸話ゆえ、ちょっとこっちに置いといて。

あんがい早めに3回目、【Act.2】を投稿できました。それもけっこう長丁場。ああ眠い。もう昼近いんだなあ。外はいい天気だなあ。さあ、カーテン閉めて寝よう寝よう。……すみません、独り言です。
などと言いつつ、ひと眠りしたら「あ、忘れてた」で、ちょっと補填したり……。

さて、4回目、【Act.3】を投稿しました。ふう、やっと激動したぞ。今後はちょっとユルんだりしながらも、コロコロ転がっていく予定です。で、お池にはまってドジョウが出てきてコンニチハ……違う。
なお、その前の【Act.2】も、天野様のご感想を鑑みて、ちょっとクドすぎたかもしれない部分を刈り込んでみました。

5回目の投稿、【Act.4】です。実は、今後の長丁場に備えて、全体的に構成を少々いじくったため、前回の【Act.3】の後半が、かなり増量したりしております。つまり【Act.3】の途中から――『「なめやがって、あのアマぁ、ウナギか!」 ふたりが追いついて飛びかかると同時に――その流れる女は、ぬるりと玄関方向にうねった。』から後ろが、今回の投稿ぶんになります。わかりにくくてすみませんすみません。

6回目の投稿、【Act.5】なんですが……うわあ、おっさん連中がうろうろするばかりで、美紀と優太の続きが皆無。おまけに、なんか爺さんの講釈の途中で〈続く〉になってるし。しかし、元々こーゆー流れだったんで、仕方ありません。次回も当然、爺さんの講釈がちょっと続きますが、その後は美紀と優太もしっかり絡んできますので、なにとぞお見捨てなく。

7回目の投稿、【Act.6】です。……ふう、なんとか月イチで回を重ねたぞ。
いまのところ、あと2回で完結の予定です。つまり次回あたりから、クライマックスに向かって大いに盛り上がるはず――でもまあ予定は予定であって決定では――いや、意地でも盛り上げねばなあ、うん。

8回目の投稿、【Act.7】――ああ、ついに月イチ更新が叶わなかった。次回はもっと難しい気がする。今年中に終わるのだろうか。終わるまで狸は生きていられるのだろうか。そもそも今回は盛り上がっているのだろうか。当狸比としては盛り上げたつもりなのだが……まあいいや。誠意だけなら負けないぞ、と。


2015年4月26日、プロローグ投稿。
4月29日、プロローグ修正。
4月30日、プロローグ微修正(こっそり)
5月8日、【Act.1】投稿。
5月10日、微修正。
5月17日、【Act.2】投稿。
5月20日、微修正。
5月31日、【Act.3】投稿。
6月1日、ちょこちょこ修正。
6月6日、ご感想を参考にまた修正。
6月24日、【Act.3】の追加分と、【Act.4】を投稿。
6月27日、ちょこちょこ修正。
7月2日、またちょっと修正。
7月6日、こっそり修正。
7月27日、【Act.5】を投稿。
7月30日、一部修正。
8月1日、しつこく修正。
8月3日、こっそり修正。
8月31日、【Act.6】を投稿。
9月1日、誤字修正と少々補填。
9月3日、うわ、まだ誤字があった。こっそり修正。
10月7日、【Act.7】を投稿。
10月10日、一部修正および少々補填。次回の都合で、残留組の宿や車を先に手配させました。補填前にお読みになった神夜様には、慎んでお詫び申し上げます。でもまあ大勢に影響はないので無問題……それでいいのか狸。
10月17日、自販機とベンチに愛を補填。
10月23日、爺さんに愛を補填。それ以外にも、まあ例によって、こちょこちょと。
この作品に対する感想 - 昇順
お久し振りです。
と言ってもおわかりにならないかと思いますが、以前お世話になっていた者です。いやあ、いつもながらの流れる様な文章に感心しながら、随分緩いお話しだなあと。しかし、私も迂闊でした、後日譚とは知らずに読んでしまいました。私はまた、少女祭の時の話やラベンダー館の話みたいのを期待してたもので。
ですが、よき文章は触れることに意義があります。今後、どの様にエンタメ昇華されるか楽しみにお待ちしてます。
2015-04-29 14:23:44【★★★★☆】RAN
久しぶりの新作、さっそく読ませていただきました。大変面白かったです。
…と、平静を装ってみましたが、いや実は非常に嬉しいです。久々に新作が読めるということもそうですが、ついにあの「峰館シリーズ」(と勝手に命名)の続編じゃないですか。某雑想の予告を読んだ時から楽しみにしていました。何せ「パンダ」も「聖夜」も大好きで、特に「聖夜」はもう繰り返し読んでましたから。
いきなりハイテンション気味の出だしで、三管式プロジェクターとか往年のミュージカルとか、いつものマニアックなレトロ路線全開なのも、実に楽しいです。あんまり知らない世界でも、それでもバニラダヌキさんの文章で読んでると面白そうに思えてくるんですよね。今回は特に、3Dで浮かび上がる木馬のくだりがとてもよかったです。
これは次回以降も期待せざるを得ないです。きっと(作者様の予定を超えて)長いものになると思うので、今後しばらく楽しませていただけそうです。たとえ仕事を放りだしてでも、ぜひ完結させて下さい。
2015-04-29 15:06:32【★★★★☆】天野橋立
びっくりするくらいのお久しぶりです。何気にバニラダヌキさんの作品を初めて読むあさだです。
一昨年以来の新作……ってことは私と同じくらいの時期で一度筆が止まってたんですね。なんという偶然(笑)
なんとも独特な雰囲気でとてもたのしく読むことができました。これは前作も読まねばと思いつつ山よりも重たい私の腰が持ち上がるのははたしていつのことやら。
それでは続きを期待して待ってます。
2015-04-29 23:16:33【★★★★☆】浅田明守
>RAN様
お久しぶり……って、誰だったかなあ。確かどこかで会ったような気がするんだがなあ。まあいいや。あちらから挨拶してくれたんだから、きっとどこかで会ってる人なんだよな。ここはきっちり、明るく大声で――「お久しぶりで〜っす!!」 ……しかし俺も我ながらあざとい狸だよなあ。
えーと、独り言の部分は気にしないでくださいね。
少女物、館物――ちょっと見、今回の系統は違って見えますが、実は狸の化ける話は、どれもこれも全部おんなしです。本狸が言うんですから間違いありません。でも「おんなしじゃやだ」という御意見もあろうかと思われ、必死に別物のふりをしているだけです。ですから、なにとぞ最後までおつきあいください。なお、「おんなしじゃなきゃやだ」と思っておられる場合は……やっぱり最後までおつきあいください。裏も表も同じ紙です。
>天野橋立様
もうお気づきでしょうが、「……茂美ちゃんって、もう高校生くらいじゃないの?」などと首をかしげられる方は、前作の感想をいただいた時期から考えれば、もう天野様くらいではないかと思われます。しかし、それだけに、この話は天野様のご愛顧によって誕生したのかもしれません。だから最後まで男らしくセキニンとってよね、見捨てちゃイヤよ、ウフ、と。
>浅田明守様
おひさしぶりです……って、なんか久々の同窓会会場になってるみたいですね、この感想欄は。
えーと、上のメッセージに記したように、前作を読んでいただかなくとも今回の話はOKですが、これまた上のメッセージから察せられるように、狸の辞書に『節操』という文字はありません。妙なものが夢に出てきたりする前に、読むのが吉かもしれません。今回の話が終わってからでも小吉です。
いずれにせよ、狸の辞書の関係で、今回これっきりだと大凶なのは確実です。散歩中、凶悪な狸に鼻を嘗められたりします。途中で期待できなくなっても、読み続けるのが大吉。
……おみくじって、精神的なカツアゲですよね。
2015-04-30 00:38:03【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
ほんとだ。同窓会みたい。

ご無沙汰しております。お元気でいらっしゃいますでしょうか。

バニラダヌキさんのお名前に反応して読ませていただきましたが、懐かしい登場人物が出てきてほっこり。茂くん元気そうでよかったです。でもそっか、もう中学生のパパなんですね。

主軸の女の子(になるのかはわかりませんけど)が、みきちゃんみたいなタイプなのって、バニラダヌキさんの作品としてはとても珍しいように思いました。レトロなものに疎く、わりとクールな現代っ子風なのが新鮮です。でも鰻を御馳走しちゃう辺りが中学生の女の子とは思えず心憎い。このくらいの歳の子なら、相手の好物より、自分の好物御馳走したくなっちゃうでしょうに。心の声ではクールな割りに、ちゃんとパパにも御馳走しちゃうところが可愛いですよね。いいこいいこしてあげたくなっちゃう。
パンダの頃、優美ちゃんのキャラクターを今一つ掴めず、一貫した少女としてリアリティをどうしても感じられなかったのですが(ごめんなさい)、美紀ちゃんはすんなりイメージが沸いて、さっくり好感を抱けました。……同年代じゃなくなったから? いや、でも優美ちゃんは、昨日もう一回読んできたけどやっぱり仲良くなれなかったし……。
まだ導入部、茂くんの話は9割方理解しておりませんが、これから面白くなっていきそうで楽しみです。

久しぶりに感想を書かせていただいたので、あんまり感想らしいことも言えずごめんなさい。というかそれは以前からですね。すみません。
続きをひっそりこっそり物陰に隠れてお待ちしておりますね。

そうそう。
「泰蔵は豊齢線が揺れるほど、」のところ、諸説あるようですが、今のところ、豊齢線は法令線、もしくはほうれい線と表記するのが正しいようです。法令紋からきているそうなので。
それと、法令線は刻まれたり、深くなるものであっても、揺れるものではありません。法令線とはあくまでも口と頬の境の線です。
ただ、正しいもなにも法令線って言葉自体、正しい日本語の仲間には入れてもらえてないみたいですけど。ここで敢えて使う必要のない言葉なんじゃないかな、とは思います。
重箱の隅をつつくようで申し訳ないのですけど、気になってしまいました。ご確認頂ければ。
2015-04-30 02:18:16【☆☆☆☆☆】夢幻花 彩
うわあ、彩様、ご無沙汰しましたお久しぶりです。
そりゃ狸が投稿するのが久しぶりですから、皆様もお久しぶりなのは当然なんですが、いや本当に嬉しいものですお久しぶりは。
美紀ちゃんを気に入っていただけたようで、それも嬉しい。美紀ちゃんは、まあちょっと今様にトンガってますけど実は両親の躾がけっこう染みついておりまして、人前であぐらをかくのを(たとえジャージやパンツルックでも)無意識のうちに慎んでしまうような今どき珍しい娘さんです。でも今後、お行儀良く正座しながらけっこうトンデモに走ったりするフシギちゃんであることが判明したりもするので、どうか最後まで見捨てないでやってください。

茂が若かりし日の優美ちゃんに関しましては――はい、実は、語り部である狸自身も、実在感の薄い、違和感のある、なんかよくわからん子だなあと思っていたりします。かつてあの物語にノってくださった読者の皆様のうち、萌えキャラ好き(ビジュアル方向だけは狸もしっかり語りましたから)の男衆すら、何人かはそう感じていらっしゃるのではないでしょうか。でも、いいんです。優美ちゃんは、茂だけの原女性=アニマですから。『雪女』のお雪や『夕鶴』のおつうみたいなもんですね。でもお雪やおつうのような、巳之吉や与ひょうにとってのみならず語り部や聞き手にとってもアニマでもあるかのような象徴的存在ではない、あくまで茂専用アニマです。あんがい端から見れば、なんだかなこの子、そんな感じなのかもしれません。

で、豊齢線に関しましては――す、すみません。なーんも深く考えないで打ってました。……そうだよ。アレは狸が単にテレビのなんかエステ関係みたいなコーナーで聞き囓っただけで、そんなレベルだから、狸といっしょに聞きかじっただけの美紀ちゃんにとっては『ホーレー線』で、それを第三者視点で打つためにネット検索したら正式な漢字表記は決まってないらしいので加齢を思わせる『豊齢線』を使っただけなんですが――今、自分のメタボな老狸顔を台所の鏡で見てきたら、あはははは、確かにそれ自体揺れるもんじゃないわこれ。
……こっそり直しとこう。……ポチ、ポチ、ポチ、と。……よし直った。
で――え? 豊齢線? 彩様、それなんの話ですかあ?
……恥を知れ狸。
2015-04-30 22:54:30【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
 初めまして、作品を読ませていただきました。と初見の人間のように言いましたが、実はバニラダヌキ様の作品は以前からこっそり読ませていただいていました。だからこう言った方が良いかもしれません――初めて感想を書かせていただきます、ピンク色伯爵です。
 読みながら、何とも言えぬ濃厚な空気が頭の中へ流れ込んでくるのを感じました。作中に出てくる小道具が僕にとって見慣れないものばかりというのもありますが、それよりも登場人物に独特の灰汁があり、彼らの言動が主にこの不思議な空気感を醸し出しているのかなとキーボードを叩く指を一際遅くしながら理由を探しています。美紀ちゃんは鰻をごちそうするのね。茂はすごく喜んでいましたが、僕は鰻で喜ぶという感覚がなくて、それより蕎麦が良かったなと(ただの好みの問題)。我ながら贅沢な話です。
 鰻や空気感に圧倒される一方で、地下にAVルームを作ってそこでプロジェクターを使って上映会をするという行為には懐かしさを覚えました。僕の父も地下に部屋を作り、そこで何やらごそごそするのが好きでした。作中のようなAVルームではなく、巨大な温室設備で、そこで蘭を大量に育てていました。ナウシカの世界ですね。地下というのはおじさんの夢とロマンと心の贅肉がたくさん詰まった秘密の帝国なのです。かく言う僕もある種の憧憬のようなものを持っています。
 まだプロローグ部分であるとのこと、今後の展開を楽しみにしつつ、次回更新をお待ちしています。


 ところで、美紀ちゃんは『かわいろっぽい』くらいにはなるのでしょうか。ええ、僕としては『かわいやらしい』くらいが上品で素晴らしいと思うのですが、未来形である『かわいんらん』もストライクゾーンです。
 本文に中二病という言葉が出てきましたが、ちょうど法律家の使う『悪意』と一般の方の使う悪意とに違いがあるように、ラノベを書いている人間の『中二病』って違うのだと思います。
 ラノベ作家の榊一郎曰く『中二病とはかわいい女の子といちゃいちゃすることだ』そうです。僕もまさにその通りだと思っていまして、ラノベを書く人間とは皆『中二病』でできている大きな子供なのだろうと考えています(すごく失礼)。
2015-05-02 03:40:02【☆☆☆☆☆】ピンク色伯爵
うわ、また自発的にアブレて徹夜しちゃったよ、死ぬんじゃねーか俺。でも残りのG・Wは連チャン夜勤コミだから無問題。うん、食える。
……すみません。独り言です。アルツ初期の爺いは独り言が増えます。忘れてやってください伯爵様。

美味しそうな色をしていらっしゃいますね伯爵様。しかし下僕タイプの狸も、美味しそうな色では負けないぞ。
自分では久々の創作物なので、薄いんじゃないか薄いんじゃないかと心配していたのですが、伯爵様の高貴な舌には、ちゃんと濃かったようでなによりです。
ならば、その高貴な舌で鰻を蕎麦以上に味わっていただくには――うん、柴又の『宮川』かな。間違っても築地の『宮川』には行かないでくださいね。あそこはもう量産量販チェーン企業になっちゃってますから。柴又のちっこい『宮川』は、親爺さんがひとりで焼いてる、鰻嫌いの人もなぜかリピートしてしまうという徹底的に脂を落とした上品な薄味で、独特ゆえにヘビーな鰻好きには人気薄だが――だから鰻の掲示板じゃないだろうここは。だいたい、ここ十年以上行ってないくせに金なくて。
そして、地下には歴史あり怨霊あり。現代に疲れた多くの男たちは無意識の内にその隠微な誘いに惹かれ地下深くこもる。しかしそれがやがては風水くんちの地脈ちゃんをいろいろとナニしてしまい、怨霊と化した平将門青年や崇徳院御大や菅原さんちの道真先生が徒党を組んで現代の政界や財界に――すみません。そーゆー話にもなりません。
ズバリ、美紀ちゃんは、『かわ「い」』系統を逸脱した存在です。『かわ「お」』系です。『かわおかしい』『かわおもしろい』『かわおいおい』、そんな感じでしょうか。いちゃいちゃなどは超越してしまっているのです。すげえぜ、たかちゃん系。……たかちゃんって誰や。
しかし『中二病』って、なんかいろいろ適当に解釈されまくってますが、そんな単語も『おたく』などという単語もまだ存在せず、かろうじて『サブカル』だけがあった昭和四十年代、「えーい俺はこーゆー世俗的な大人になるための偽善や懊悩を振り切って今の十四歳の精神年齢を一生維持するんだ」と決意し図書館や映画館にこもる一方で、当時はまだ世間的に無名だった高畑先生&宮崎先生のパンコパやハイジに惑溺、そのまんま半世紀以上生きてしまったかに見える狸でも、実はさすがに高校生あたりになると「いや十四歳の精神年齢を固持していたんでは生涯リアル女子といちゃいちゃできずに終わってしまう」と陰でこっそり『偽善』の階梯に歩を進め、その甲斐あってようやくハタチ過ぎに実在女子といちゃいちゃできました。しかしその相手が実年齢では2コ下なのに身長145、着衣状態ではJCそれも低学年にしか見えなかったってどうよ。これやっぱり『中二病』でしょうか。胸を張って「中二病です!」と言っていいんでしょうか。やっぱりただの『ろり野郎』になってしまったのでしょうか。それとも時代が変わったんでしょうか。
 でも今は熟女だってしっかりOKだったりしますし……ただのオヤジになってしまったのでしょうか。……まあいいや。マザコンの『中二病』も、あるらしいしな
2015-05-02 12:22:36【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
 続きが更新されているのを見つけて飛びつくように読ませていただきました。
 今回更新分を読んで、美紀ちゃんに路傍の石のように扱われたいと思ってしまうのは僕だけなのでしょうか。優太君にシンクロしていたと言いますか、小学校の頃の淡い思い出がよみがえってくると言いますか……、『すれ違っている感』がとてもコミカルに描かれていて、終始顔からニヤニヤが取れませんでした。そうなんですよね、男の子は女の子を意識するけど、相手は毛ほども思っていないという残酷な世界の真理。僕の初恋の相手は林間学校の時、他校イケメン君に盗られてしまいました。思えば僕が寝取られ大好きという人外の境地に足を踏み入れたのもこの時が最初だったのかもしれません。それにしても、幽霊にまで「影が薄い」と言われる優太君憐れなり(笑)。
 回転木馬についてもお話が進んできて、続きが気になる展開です。安易に話の先を予想するなど無粋なことはせず、バニラダヌキ様の心地よい文章に身を任せ、この若干ミステリーになってきた空気を骨の髄まで楽しみたいと思っています!

 『中二病』や『時代』の話は、オスカー・ワイルドが言うようにモラルかインモラルかという話と同じくらい本来は必要ないものだったとも心の奥底でこっそりと考えています。しかし、敢えて言うなら、僕はそれら全てを研究によって創造することが可能だと信じています! どのような物語もミクロな視点で考えればひらがなとカタカナと漢字の組み合わせ。できないはずはないです! ――また、新しいものが良いというのもナンセンスな話で、最近は自分がかつて信じていたものにわずかな嫌悪感を覚え始めております。何が言いたいかと言うと、つまり僕は駄目なアマチュア軽小説物書きだということです(笑)。
 ラノベばかり読んでいる僕にもとても面白かったです。バニラダヌキ様の軽快で濃厚な筆遣いに感動しつつ、学んでいきながら、次回更新をお待ちしています。ピンク色伯爵でした。
2015-05-09 13:15:12【★★★★☆】ピンク色伯爵
なんと、思い人をイケメンごときに盗られるとは――伯爵様、日本男児として恥を知りなさい恥を。狸なんか、顔で負けたことなど一度もない。学歴や男気で負けただけだ。……すみません。恥を知らないのは狸かもしれません。
ふと思い起こせば、狸が化ける話には、けっこう寝取られ要素が含まれることもあり、それは過去の虎や馬に蹴倒された結果なのだろうなあ。でも、この峰館シリーズだけは寝取らせないぜ、ラブだぜラブ。などと言いつつ、ここまで影が薄いと逆転への道は遠いぜ優太。
なにはともあれ、中二病だろうが大人だろうが清純だろうがインモラルだろうが古色蒼然だろうが軽佻浮薄だろうがラノベだろうがヘヴィノベ(なんだそれは)だろうが、己が言霊をもって相手を組み伏せることができれば立派な文学。騙し通せれば立派な真実。あとで「……しまったオレオレ詐欺だった」と後悔させるようなハンパな詐欺師ではなく、あとで大ウソがバレても「いいえ、あの人は確かに結婚詐欺師だったかもしれないけれど、あたしへの愛だけは真実だったのよ」とシヤワセな余韻を残す、そんな詐欺師めざして頑張りたいものです。
2015-05-10 02:19:37【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
 うおー面白い!! とついつい読みふけってしまいました。お久しぶりです、と言っても長い間失踪していたので覚えてらっしゃらないかもしれませんが、みずうみゆうです。
 なんて味のある地の文なのでしょう。地の文を噛めば噛むほど味が濃くなっていく、そんな感覚に陥りました。登場人物も一人一人必ず頭に残るような、そんな魅力に溢れており、謎の多い展開も相まって、今の僕の気持ちを一言で言うならば「はっ、早く続きを!」という感じです(笑
 優太くんの動向が気になります。こういう子大好きなんです。報われて欲しいなあ。でもいつまでもそういうのが下手な子でいてほしいなあ。彼と優作くんとの絡みが面白くてもっと見ていたいけど、背景を鑑みるとどこか切なくて、その絶妙なバランスがまた物語への吸引力になってる気がします。
 ともかく、すごく面白かったです! 次回更新を楽しみに待っております!
2015-05-10 03:35:20【★★★★☆】湖悠
思えば前回のラストは、正直なところ何が起こっているのかいまいち把握できておらず、しかしとにかくシリーズの新しいのが読めて嬉しいぜだけで大喜びしていたわけですが…。
うーむ、これは面白い。美紀ちゃんと優太の青春ぶりもとてもいい。こりゃ感情移入しながら読んでしまいますね。なんだかんだ言って、優太君結構頑張ってるじゃないですか。もっとも、優作が姿を現したのには、さすがに驚きました。家族の思い出の中に生きている、どころか一緒に遊んでるし。
前回も思いましたが、幻燈回転木馬の描写がやっぱり素晴らしいと思います。特に、今回の内側に入ったあたりの文章は、見事なものだと思いました。こういうものを読むと思うのですが、いかに素晴らしい幻想的なイメージが浮かんだとしても、それを文章にて実体化するだけの力が伴わなければ、小説は成立しないのですよね。ここは僕自身が課題としているところでもありまして、やはりツールとしての文章力・技術力というのは必須ですね。
しかしこれは、ここからいくらでも面白くできそうな展開。心から期待して、お待ちしております。

2015-05-10 12:54:36【★★★★☆】天野橋立
>湖悠様
ああ、よかった。ちゃんと面白がっていただけたんだ。
いえ、ほんとに久しぶりの創作再開で、かなり心配だったものですから。
現在、続きの回の四半分くらいまで進んでいるのですが、いまだに「……他の方が読んでも面白いかなあ、これ」状態でして。自分では、当然、面白いからこそ打ち続けているわけですが。
優太君は、大丈夫です。対女子工作の上手下手なんぞにかかわらず、報われます。狸の脳内創作予定ファイルに、主役や準主役が報われないで終わる長編はありません。主役や準主役をイジメるのは、短編や中編だけにしております。
さあて、次回分でも、さっそくたっぷり報われるように――嘘です。報われるのは、やっぱり刻苦の末の大フィナーレ、そんな昭和レトロな王道ですね。
>天野橋立様
プロローグ、なんか中途半端に終わらせてすみません。よっくと考えてみれば、ストーリー進行における『始まり始まり』の部分は、ほんのラスト部分だけですもんね。でもまあ、そこに耐えていただけた読者だけが最後にたどり着ける狸の国、そんな分福茶釜の綱渡り、まあ最後の最後で落っこちたら笑ってごまかしますので許してください。
優作、いやほんとによく出てきたもんですねえ。話を打ち進めながら、こいつほんとに出てくるのか出てこないのか、などと作者自身も首をひねっていた奴なんですが、正直、これから具体的にどう話に加わって行くのか、作者自身にも判然としません。でもまあ、ついに勝手に出てきたからには、当人もなんかいろいろやってくれるつもりなんだろうなあ、と、もはや作者自身、楽しみにするしかありません。ぶっちゃけ、画策された長編を型通りにしないためのアドリブ担当、そんな感じですね。作者自身が涙を呑んでステージから蹴り落とすような流れにならないことを、祈るばかりです。
木馬の内側に関しましては、なんか過大に評価して頂いてしまって――てへっ。……そんだけかい。まあ、とにかくキャラを動かすのではなくキャラに動いてもらいキャラに見てもらいそれを作者が追いかけ必要に応じて解説し結果読者も行動を共にする、そんなのが長編の楽しみと信じる狸なので、これからも、せいぜい描写には手を抜くまいと思います。などといいつつ、あの『野薔薇姫』第一稿のラストあたりでは、作者自身が「あーもうお前ら何もしないでいい。そのまんまそこで一生ほのぼのやっててくれよお願いだから」な精神状態になってしまい、ついつい他人事のような描写になってしったところを、天野様はじめ皆様のご指摘のおかげで、心を入れ替え補填できました。今回も、そこいらはズコズコとツッコんでいただければ幸甚です。
2015-05-12 04:01:51【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
出遅れちゃった。
続きを読ませて頂きました。

カルーセルの描写、わたしも好きです。軽妙な文章の中にあるから余計際立つのかも。個人的には、茉莉花館みたいな純文らしい運びのバニラダヌキさんのが好きなんですが、メリハリが利いてる感じ。

美樹ちゃんはやんちゃで素直でナチュラルでとっても魅力的です。でも優作くんが美樹ちゃんには見えなくて本当によかったですよね。優太くん危ないところだった。モテないタイプだとは思わないけど中学生で、美樹ちゃんみたいな子だったら、優作くんの方にどうしたって目がいくもの。
目立たないタイプの男の子は、一度認識されてしまえばこっちのものです。頑張れ!



優美ちゃん。
あの、何て言えば良いんでしょう。バニラダヌキさんの作品のヒロインてキャラクター性とか所謂設定というか、そういうものが浮世離れしていてもすごく現実感というか、存在として説得力があるんですよね。たかちゃんたちとか。だからファンタジーでファンタジーを見せられるのではなく、ファンタジーでしか描けない現実や、生身じゃないからこその現実の人間に逢えるような感じがすることがあるんです。勝手なわたしの感想なのですけど。
そこからいくと、優美ちゃんはバニラダヌキさんのヒロインらしからぬというか、行動と人間性に説得力を感じなかったんですよね。ストレートに申し上げますとカワイイいい子な姿ばっかりこれでもかこれでもかと、ところどころギャップをとりいれながら見せつける姿に、「いやーこの子絶対狙ってやってるよね」っていう、醜い反感を覚えました。美樹ちゃんのソックスは素直にとっても可愛いけど、そうなると優美ちゃんはケータイストラップのキティちゃんすらあざとく感じてしまいました(笑)

お気を悪くしないでほしいんですけど女先生たちと同類に見えるというか、ハンター優美ちゃんが計算しつくした罠を使って茂くんパンダをハントするように見えるというか……。いや、それはそれで好きだからこそすることだし、茂くんが現在に至るまで幸せそうだから勿論いいんですけど。たぶんほんとにわたしが感じた優美ちゃん像がとんでもない間違いで、可愛い良い子なんだろうし。他の方はこんなこと言ってなかっただろうから、優美ちゃんを歪めてるわたしが歪んでいるだけなんだと思います……すみません。
ただ、もし彼女が優子ちゃんのような女の子ではなく、普通の、茂くんのためだけのアニマなら。
それでも良いけれど(聖夜で、枕崎くんの奥さんとか、描写は少ないのに綺麗だけど目立たない女性で、でも枕崎くんにとっては誰よりも素晴らしい女性に見えることとかひしひしと伝わりますし)、それならそれで第三者視点から見た優美ちゃんの別の見方(可愛くないとかじゃなく、茂くんが好きすぎて健気にアピールしてるのがわかるような視点とかでも)が、あれば優美ちゃんの存在に説得力がかなり増すんじゃないかなあと。
それこそ茂くんが現実の男友達で、直接茂くんに聞いた話とかなら敢えて水差そうとは思いませんけど、小説なので。
……ほんとにほんとにすみません。しかも別作品のヒロインのことはここでいうことじゃない気がしてきました。ただ、当時は優美ちゃんに感じた違和感をこういう風に言語化出来なかったような気がしたので。
今更なに言ってるのかな、頭も性格も悪いんだな、ってまるごと全部聞き流して頂けると嬉しいです。


半分以上優美ちゃんのことで生意気を申してしまいました。ごめんなさい。バニラダヌキさんの作品じゃなかったらスルーできるんですけど。
回転木馬。次から物語が動き出しそうなので、楽しみにしております。長々変な感想で失礼致しました。
2015-05-15 03:32:55【★★★★☆】夢幻花 彩
いえいえ、彩様は、ちっとも出遅れていらっしゃいません。なんとなれば、ガンガン話の続きを出し進めるべき作者が、次の回でもなかなか話を激動させることができず、キャラたちと遊んでばっかりです。どうか彩様も、のんびり足踏みするくらいのペースで、でも最後までついてきてくれると嬉しいな、と。

あっちの優美ちゃんに関しましては――実は前回のご感想へのお返しに記したことがすべてなんですが、今回の『それこそ茂くんが現実の男友達で、直接茂くんに聞いた話とかなら敢えて水差そうとは思いませんけど』あたりで、ちょっと感動していたりもします。それはたぶん、むしろ彩様が茂を現実の男友達とほぼ同等に感じてくれてヤキモキしてくれている証拠なのではないか、と、作者として自画自賛的に、えっへん。
いずれにせよ、あの物語の中での優美は、クライマックスに至る以前は、徹頭徹尾、茂の視点でしか描かれません。まあ、おたくたちのビジュアル評価や、茂の母ちゃんとか内田先輩とか、年長者の甘い視点もあるにはありますが、それもまた茂の耳目を通した事象でしかありません。優美の内面は、あのクライマックスで初めて吐露した内心、それだけです。無責任なようですが、たとえば優美の同年輩の同性キャラを出したりして客観化するとか、あるいは要所要所で優美自身に内面を語らせたりして主観化する意思が、狸には最初からなかったと思ってやってください。すみません。
まあ、男なんてもんは少年から老人まで通してしょーもないイキモノでして、ブリっ子に弱いんです。それが狡猾なブリっ子であれ、天然のブリっ子であれ。

で、こっちの話の美紀ちゃんは――美紀ちゃんどころか登場する人々の多くが、外から内から自己主張しまくって、作者の狸すら、いらんことまで無制限に語ったりします。『聖夜』の最終話の形式を引き継ぐ世界観ですね。それにしちゃあ年代とか年齢とかいいかげんなのは、狸のことゆえ御愛敬。
いいんだもう。峰館の人々も狸も彩様も他の読者の方々も、元気で生きていればオールOK。ストーリーなんか、進まなくともいいんだ。
……いくないような気もするので、そろそろ激動させないとなあ、とは思っているのですが……ここは歌ってごまかそう。
♪ ぼ〜っくらっはみんな〜〜い〜っきてっいっる〜〜〜〜 いっき〜ているからうたうんだ〜〜〜〜 ♪
はい、ご一緒に。
♪ ぼ〜っくらっはみんな〜〜い〜っきてっいっる〜〜〜〜 ♪
2015-05-15 22:30:53【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
 続きを読ませていただきました。みずうみゆうです。
 ほんと面白いなぁ〜。と読み進めていたらあっという間に読み終えてしまいました。うむむむむ。
 前回も言いましたが、キャラが生き生きしていて、誰かが何かをしゃべったり行動するだけで面白いんですよね。これ、僕にとってはとてもうらやましく、そしていざ自分で書くとなると難しいものです。勉強させていただきます。
 はてさて、我らが(?)男子代表優太くんの活躍で話が動きましたね。なんでだろう、彼が活躍すると心から嬉しい、というかストーキングしてる時でさえ「な、なんでそんなことを……でも気持ちは分かる! 頑張れ、頑張れ男の子!」と心からエールを送っている僕は一体……。美紀にそこまで嫌がられてないのを見て僕まで安心してしまいましたとも。優作もこんな気持ちで彼を眺めているのかな……。
 木馬に関する謎という本筋も気になることながら、優太くんの活躍をひとえに願いつつ、次回も楽しみにしております!
2015-05-19 05:17:25【☆☆☆☆☆】湖悠
『うむむむむ』んとこが、実は『あっという間に読み進めちゃったけど、ストーリー自体はほんのちょっとしか進んでないんだよなあ、うむむむむ』だったりしないことを、小心な狸としては祈るばかりです。
でもまあ、湖悠様に面白がっていただけたのなら、ひと安心! 安心ついでに増長して、今後ももうストーリーなんか気にしないで、みんなに勝手にしゃべったり行動してもらったりして――ウソです。次回あたり、きっと大激動します。いや、するはず……するかなあ……するかもしれません。
で、ストーリーそのものはちょっとこっちに置いといて、日常的会話や日常的行動をどうやって面白くするか――これはアレですね。って、どれだ。落語。それも名人芸の落語。狸の場合、ユーモラスな脱力系として、先代の金原亭馬生師匠を範としております。シリアスに語るなら、やっぱり円生師匠あたりでしょうか。古いねどうも。
そして優太君、彼に関しましては、最後まで期待してやってください。やってることはストーカー同様でも、あくまで自分ではなく美紀ちゃんを思ってのストーキングですもんね。美紀ちゃん僕は君のためなら死ねる、そんな度胸も覚悟もまだありませんが、自分よりは美紀ちゃんのほうが人としてひゃくまん倍も貴重である、その程度の自覚は、すでにある優太です。こーゆー奴が、うっかり他人のために死んじゃったりするわけですね。どうか、いつかは届くそのクライマックス、優太の壮絶な死にっぷりを楽しみに……ウソです。死にません。
2015-05-20 03:01:03【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
いよいよオールスターキャストになってきましたね。あの島本まで出てくるとは思いませんでした。
この分だと、あの天ぷらでアパートを全焼させた奥さんとかも登場するのでしょうか。
さて、今回のお話ですが、これももう僕の好みにぴったりというか、「廃なんたら」大好きな僕としては大喜びで読んでしまいました。つい最近も、「廃競馬場」を徹底調査してるサイトにはまりまして、住宅地の地形などにその姿がはっきりと残ってたりするのを見てこりゃ現地行ってみようかとか(奈良のがわかりやすい)色々思ったりしてました。巨大施設の痕跡が「実はここに」みたいなの、わくわくしますね。
件の物件のモデルについても、確かあちらの日記で知って調べたことがあって、実際航空写真の比較などが載ってるサイトも見た記憶がありますが、なのにこの展開には「おおっ、そうだったのか」と素直に感動してしまいました。いや、好きな小説読んでる時は、あんまり先読みしたりしないで、そのまんま流されるような読み方したほうが楽しいですね。
喜んでばかりでもあれなので、敢えて言うと今回はその謎についてが語り始められるまでが(優太と茂がおのおの島本のところにやってきて、というところまで)若干いつもに比べてまどろっこしい感じもしました。ただ、僕はシリーズ物として読んでいて、各人物の背景もある程度分かっているのでそう思った可能性もあります。この作品は独立したものとして、初めて読まれる方にも楽しんで欲しいと僕も願っているので、そうなると必要な情報はやはり入れておかなければならないでしょうしね。
ともかく、誰があれを回しているのか、次回を心から楽しみにしています。
2015-05-20 20:08:26【★★★★☆】天野橋立
天野様、こんばんは。
やっぱりひとりは本職の調査関係っぽい奴」がいないと話が進まない、そんなこんなで、島本再登場です。もともと愛着のあるキャラでもあったし、ちゃんとフローラさんをGETできたことも語っておきたかったし。でも、しんきちさん&まゆみさん夫婦は、さすがに出番がないかもしれません。
廃墟――いいですよねえ。日頃からアルツ老人のごとく巷を徘徊するのが好きな狸も、良さげな廃屋なんぞを見かけると、つい忍びこみたくなって何回も周りを巡ったりします。余談になりますが、この話を打ち始める前に画策していた別の企画には、もっと壮絶な町ぐるみの廃墟が絡んでいたりするのですが、軍艦島ではないので大丈夫。……何が大丈夫なんでしょうねえ。
で、あのあたりの『まどろっこしい』感じは、狸も重々悟っていたりして、子供たちが島本の部屋に着いたらもう茂もいた、そんな趣向でトントンと話を進めようかとも思ったんですが、そうすると、過去の茂&島本&山福家のしがらみが1シーンの中で多重錯綜して、なんかもっとぐちゃぐちゃになってしまいそうなのでした。まあ、そうした過去のしがらみなどは、「俺の読者なら当然知ってるはず、いちいち書かなくても自分で想像してくれるはず」と、狸の敬愛する高橋克彦先生の大長編連作みたいに、ガンガンとばしてストーリーを転がせればいいのでしょうが、さすがに一介の狸には、畏れ多くて真似ができず……。
ともあれ、主要登場人物は今回あたりで出きったので、次回からガンガンとストーリーを進め……られるかなあ。
ついつい本筋の外で遊びたがっちゃうんですよねえ、話の中のみんなも、狸自身も。
2015-05-20 22:10:53【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
あぁそうですよねえ、わたしだって化けて出るならファンデーションを塗りたくった現在の姿じゃなくて、まだ年齢が一桁だった、目の下にクマさんが出現する以前の姿か、花も恥じらうティーンエイジャーの姿希望。しかも記憶を都合よく改竄してるだろうから、実物の三割増しくらい見栄えよくして……そっちに共感してちゃだめですね。
優作くんがちゃんと外見的にも年齢を重ねられるのは、優太くんがいるからかな、とか考えてたので、つい。

前回ぶんも拝読しておりましたが、感想を書くのが遅く間に合いませんでしたので、一緒に。最初に拝読した時も、わたしはちっとも気になりませんでしたが、改稿されて更に読みやすく流れているように感じました。
 物語としても相変わらず面白くて、木馬が突然現れた訳ではなく、回り続けていたものがただ見えるようになっただけだというのもドキドキしたし、寂しげに回り続ける少女が本物の少女ではないということも、納得したりちょっと安心したりして。ほんとに無垢な子供が、お母さんのところに行けるでもなくずっと一人ぼっちで木馬から離れられなくなって、誰の声も届かないとしたら可哀想ですものね。


挨拶も返せない上に、追いかけてるの見つかって絶望する優太くんも、カルーセル少女にお供えしたくなったり泣いちゃったり、でもそんな自分を恥ずかしがったりする美樹ちゃんもとっても可愛かったです。
バニラダヌキさんの作品に出てくる子供達って、みんなほんとに心配になるくらい素直ないい子ですよねえ……。
木馬のお姉さんも見た目が恐ろしげなだけで、ほんとはそんなに恐ろしく無いんじゃないかな、という気もしたり。



そうそう、前回の感想で申し上げた優美ちゃんのことについて。長々と大変失礼なことを申し上げたのに、丁寧なお返事ありがとうございました。
「茂くんが語る」優美ちゃんとして読み直させて頂いて、ようやく、おっしゃることがどうにか理解出来たような気がしております。
そもそも茂くんフィルター越しなんだから、優美ちゃんは生身じゃなかったんですね。仲良くなれないのは仕方ないのかも。
こっちの生身の子供たちはとっても可愛いので(わたしより年下なのに全員やたら昭和っぽいけど)、木馬は止まるのか消えるのかまた見えなくなるのか成仏するのか解りませんが、とにかく続きを楽しみにお待ちしております。

最後にひとつだけ、「 座布団、それともクッション希望」に引っ掛かりました。何かわたしが存じ上げないだけの言い回しだったら恥ずかしいんですけど、普通は「それか」「または」「もしくは」「或いは」の方がいいんじゃないかしらと思ったので。

続きは楽しみですが、ご無理はなさらないようにしてくださいね。お天気が優れませんが、どうかご体調など崩されませんように。
2015-06-06 00:08:41【★★★★☆】夢幻花 彩
こんな面白いことになってんのに、読まないともったいないよ、みんな。
……と、思わず感想だか何だかわけの分からないことを口走ってしまいました。
何だかんだ言って、ずっとほのぼのした雰囲気で進んできたこのお話、「瓦屋根の上を散歩する和服の女性」という恐ろしげな文章が出てきたあたりから(これは身近な風景でリアルに思い浮かべてしまうと本当に怖い)雲行きが怪しくなってきたのを感じたのですが、そしてすき焼きを供えるという辺りでさらにヤバげな気配を感じましたが……こう来ましたか。ここで終わりますか。
しかし、優作がいて良かったですね。今回は優太君もなかなか格好良くて拍手を送りたいですが、しかし優作がいなかったら、この展開だとさすがに危険すぎる感じですね。美紀ちゃんいい子だけど、「あかんあかん、そういうのは危ないんや!」と思わず腕を引っ張ってその場から引き離したくなります。
ここからは大活劇パートとなるのか、それとも案外人情系に行くのか、目が離せませんね。

今回も、喜んでるばかりじゃあれなので。図書館での調べもののパート、なかなかマニアックに書き込まれていて個人的には面白いんですが、やはり物語の動き出しまでの時間がかかってしまうので、読者がついてこれるかどうか少し不安を感じました。長編の楽しみは、こういう部分にこそあるのだとは思うのですけれどもね。
あともう一点、これも扱いが難しいところだとは思うのですが、「一滴分のアレ」関連については、本作を単独で読まれる方にはやはり分かりにくいんじゃないかなあと思いました。多少野暮な感が出てしまうにしても、もう少し親切に説明があったほうが、読まれやすいのじゃないかと思います。
それでは、また次回を楽しみにしています。
2015-06-06 12:03:46【★★★★☆】天野橋立
>夢幻花彩様
なにをおっしゃる兎さん、いや彩様。人間、そのときどきの『今』が旬なのです。特に女性はスッピンがいちばんなのです。狸なんか、少女Aの頃の中森明菜さんと、現在の中森明菜さんのどっちと露天風呂で混浴したいかと問われれば、迷わず「今の明菜さん!」と答えます。でも、その際は、狸自身がぶよんとしてしまりのないメタボ状態からスリムなナイス・ミドルに変身して……信楽焼の狸って、哀しいものですね。
しかし、優作の成長にしろ、木馬のお姉さんの正体にしろ、もーまったく書いてる狸としてはギクリギクリとしてしまうような先を読んだお言葉、思わず続きを打つ指が止まったり――するほど繊細な狸でもないので、ああ、やっぱり解る人には解っちゃうんだなあ、でもいいや解ってもらえるんだから、そんなユルさで先を進めたいと思います。
あっちの優美ちゃんに関しましては――もし現在の狸があの話を着想したとしたら、確かにあの頃と全然違った生身の優美ちゃんを描こうとしたのかもなあ、などと、今にして思っていたりもします。あの頃は、まだアニメもアキバも今のような画一的な萌えキャラばっかりではなかったので、あえて萌え絵的な少女を文章で造形してみたかった、そんな欲求もあったんですよね。初々しかったんですねえ、狸も、アキバも。
などと言いつつ、その後はさらに退行して、もはや昭和ずっぷしの狸、昔読んだ児童文学の中で親しんだような、ウブな少年少女と戯れる日々――でも最終的には「時代の移り変わりがなんぼのもんじゃい! 『今』はいつだって『今』なんじゃい!」そんな感じで、最後まで走りたいなあ、と。
で、「それとも」の件につきましては――はい、ホーレー線と同様、もーまったく同程度に、なんも考えずに打ちとばしてました。こっそり直しとこう。……ポチ、ポチ、ポチ、と。……よし直った。
……しかし、狸もちっとも成長せんよなあ。
歳なのさ。

>天野橋立様
そうです! 読まないともったいないです! ……自分で言ってどうする狸。
ともあれ、ようやく激動しました。これからは二転三転、大活劇の人情話が続きます。
……自分で言っといて、それがどーゆーシロモノなのであるか見当もつかないのは、小動物ゆえ御愛敬。
いいんだもう。とにかく狸らしい分福茶釜の綱渡りを、渡りきるまで続けられれば。
図書館パート、ごもっともです。実は、初めはもっともっとみっちりと根掘り葉掘り書き込んでいたのを、半分以下に刈り込んだのですが、ううむ、読み返してみたら、確かにまだクドい。今回の話は、衒学趣味ぞっこんエンタメの『パラサイト・イブ』でも『ブレイン・バレー』でもなく(いや、個人的にはあーゆーのが大好きなんですが)、あくまで基調はジュブナイル。と、ゆーわけで、再びズバズバと刈り込んでみました。「一滴分のアレ」に関しても、後のほうで、ちょっとだけ書き込んでみたり。
正直、今のところ読者様どころか自分が話についていくのに精一杯状態ですので、これからもドシドシつっこんでいただけると幸甚です。
2015-06-06 23:16:45【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
読みました〜。正直にいうと実は初め、最初と最後だけ読むという、小学生が読書感想文を書くときのようなズルをしてしまいました。そしたら、最初のほんわかファミリー話しから、なぜか幽霊が突如現れていて、焦ってちゃんと全部読みました。あ〜、なるほど、こうなってああなったんですね。
曰く付きの物を、掴まされてしまったと。それで、最初に出てきた女の子は、物静かな感じだったのに、後半姿を変えて攻撃的になり、どうなってしまうんだろうと思っています。優太くんが、美紀ちゃんのために、大人しい自分の殻を破って幽霊に立ち向かっていくという感じなのかな。

また、話しの中に、懐かしい単語や地元の名所などが、いくつか出てきて嬉しくなりました。
その昔、西村京太郎サスペンス等で、地元の駅名や新幹線が取り上げられていると、飛びついていたものです(笑)

文章は、ハイテンションな部分もありますが、読みやすいです。まだまだ続くようですので、またお邪魔したいと思います!
2015-07-01 13:15:41【☆☆☆☆☆】えりん
ああ、面白い。毎更新ごとにこれだけ面白いというのもすごいとしか言いようがないのですが、今回は特にすごい。
途中であれを捕食嚥下した時は、後でこれがストーリーに大きく絡んでくるのではないかとまでは思ったのですが……あのホラー物件を使って、まさかこういう青春展開に持ってくるとは! 文句のつけようのない、素晴らしい展開だと脱帽しました。昭和っぽいおもちゃの指輪がどう展開に絡むのかも楽しみです。
地味ながら、「何年前だか家族できた時のことを思えば」の反復とか、こういう細かい部分も大好きで、いいなあと思います。その後に続くお約束のフレーズ含め、ある種漫才的なのかもしれませんね。「人生を豆腐一筋に賭ける決意をした、豆腐屋の息子のような瞳だった」に至っては、感動的なのか何なのか、もう面白絶妙すぎて何も言えませんが、とにかく次回も大変に期待しております。
2015-07-01 17:51:01【★★★★★】天野橋立
>えりん様
わーい、読んでもらっちゃったい、と素直に喜びつつ、えりん様のお好みとはずいぶん畑違いの世界におつきあいいただいているのではないか、そんな危惧もあったりする今日この頃、えりん様におかれましては如何お過ごしのことでございましょうか――とまあ、こうしたおちゃらけた姿とはまた別の、シリアスで幻想的な、鏡花先生や綺堂先生志向の文章世界も、狸にはしっかりあったりするわけなのですが、残念ながら、この場にはほとんど残っておりません。すみませんすみません。でも本当なんです信じてください。
いずれにせよ、狸印の長編だと、全体的なストーリー進行なんぞは、部分的に読んでもまず把握できない芸風になっております。その証拠に、これからの続きも、確かにここまでの話の続きではあるものの、いつのまにかとんでもねー状況に雪崩れこんだりするかもしれません。どうか最後まで呆れずにおつきあいいただけることを、遠い空から祈るばかりです。
で、ぶっちゃけ狸も、コテコテの山形産だったりします。とはいえ高校を出てからは関東各地を転々とし、現在は主に東京湾岸を徘徊しておりますが、本籍も菩提寺も未だに山形市内です。したがってそのうち骨になったら、永遠に山形在住化する予定でもあります。それにしちゃあ『峰館』って本当の山形とは違うなあ、と思われるかもしれませんが、そこはそれ、長年の郷愁やら望郷やらが積み重なるうち、老朽化した脳味噌の中で、村山盆地も庄内平野も置賜地方も最上川も馬見ヶ崎川も須川も、果ては大雪の朝日村までが融合してしまい、そんなぐっちゃんぐっちゃんになった世界を『峰館』と名付けておりますので、どうか生暖かい目で見守ってやってください。

>天野様
毎回のご愛読、心より感謝しつつ、五体投地五体投地。
さて今回、これまで比較的ユルかった世界が、いきなり波瀾万丈七転八倒的になったりして、展開についてきていただけるかやや不安でもあったわけですが、無事にお気に召していただけたようで、なによりです。このまま心地よく化かされ続けていただき、分福茶釜の綱渡りを最後まで見守っていただけますよう、気合いを入れて、でんぐりがえり続けたい狸です。
でも豆腐って、おいしいですよね。……何の話だ。
いや、『青春とはなんだ!』とか叫びながらボールを追って日々根性入れまくる青春もあれば、トロトロの豆乳をじっくり仕込んで、立派な豆腐に仕上げるのもまた青春であろう、と。
今回の物語は、そんな豆乳・優太に、どうニガリを投入して重しをかけて立派な木綿豆腐に仕立て上げて、美紀ちゃんが毎日食っても飽きないような豆腐になってもらうか――そんな青春物語でもあります。まあ無事にそうできるかどうかは、まだ狸にもわかりませんが、少なくとも、そうするつもりではおります。
ともあれ、今後のニガリや重しのかけ具合を、引き続きお楽しみいただき、最終的にはどーんと純粋に感動しまくってもらう予定……あくまで予定としては……まあ、豆乳のままでもいいんですけどね、毎日飲んでも飽きないくらいの豆乳であれば。
うん、豆乳だって、充分おいしいですよね。
2015-07-01 23:48:10【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
たとえすっぴんが一番と言われても、少しでも綺麗だと思われたい女心。


また遅くなってしまいました。
主に終電を逃した日、残業が片付いてから読ませていただいております。美樹ちゃんたちの存在に元気をもらっています。ありがとうございます(*^^*)

前回のおわりかた、連載漫画みたいだなあ、と思ったのですが、わたしはこちらの方が好みでした。章としてしっかり区切られているかんじ。

これは作品の感想とは少し違ってしまうのですが、 前回の天野さんのご感想に 『「瓦屋根の上を散歩する和服の女性」という恐ろしげな文章 』とありましたのを拝見して、なんだかちょっぴり意外に思いました。
わたしは瓦屋根が日差しを受けてきらめく麗らかな午後、紗合わせか、絽の羽織を纏ったご婦人が、着物が透けるのか本人が透けるのか、陽炎みたいにゆらゆら揺れながら屋根をお散歩してる様子を想像していたので、「気持ち良さそうでいいなあ」とのんきに読んでしまってて。楽しそうですよね。もう紫外線を恐れる必要もないわけですし(そういう問題じゃない)
バニラダヌキさんの物語は、わたし、亡くなった方への愛を感じるところが好きなのかもしれません。

物語的には確かにいろいろ動いてきて、ちょっと困ったことにもなり、優太くんなんかもうすごく頑張ってるんですけど、相変わらずみんなとっても可愛いいい子たちばっかりですので、「バニラダヌキさんがこんないい子たちをあまりにひどい目に合わせたりなさらないはず」と信じつつ、それほど危機感なく読ませて頂いております。
でもだって、身体が重くだるくしんどくても、周りの目と言うよりは、自分のために、いつも通りに振る舞おうとする(お行儀悪をしても、お手伝いを欠かさず朝御飯を抜かないのもポイント高い)美樹ちゃんとか、豪快なようでいて、さりげなく機転を利かせるあたりが細やかな茂美ちゃんとか、すこんと突き抜けて気持ちのいい優作くんとか、ほんとにみんな可愛くていい子なんですもの。美樹ちゃんに甘えちゃう木馬のお姉さん込みで、みんな幸せになって欲しいです。
なかなかシリアスなシーンを挟みながらも、太陽に吠えたり傍目にはパントマイムをさせてみたり、あくまで重くなりすぎないように描かれているのも流石だなぁと思いました。
あと、おてて繋いで下校する二人にくすぐったくなったり。公認の彼氏でも学校付近で手を繋ぐのは恥ずかしいお年頃なのに! 
あの、制服の裾掴むとかじゃ、同じ効果は発揮されませんでしょうか。てを繋ぐのはちょっと恥ずかしいから……って、いつもは元気一杯の美樹ちゃんが優太くんよりちょっとだけ後ろから、学ランの裾をつまみながらちまちまついていくの。可愛いかなと思うんですけど、いかがでしょう。

二つだけ、ちょっぴりだけ気になったこと。
峰館の夏の暑さは東北人のわたしには想像がつくのですけど、他地方の、山形の風土に馴染みのないかたの中には、「東北の夏は涼しい」と思っている人も多いですよね。
ハワイアンランドが雪に埋もれる説明がしっかりあった以上、もう一言くらい、イメージとは違って、夏は暑く冬は寒い場所なんだよ、というような解説があった方が分かりやすいように思いました。

もう一点、このみの問題かもしれないんですけど、前回ぶんをもう一度読ませていただいて、
『「ずっと回り続けていたんですかね、あの回転木馬も、あの子も」
くすん、と微かなしゃくりあげが響いた。』
のところ、なにか少しだけ早すぎるというか、茂くんの台詞の後に余韻というか、一拍間を置いた方がより良いような気がしてきました。美樹ちゃんが堪えきれなくなるまでには、たぶん台詞のあと、一秒は間があったように思うので。
ほんの小さなことばかりですが、ご確認頂けると嬉しいです。

美樹ちゃんがこのまま素直に大人しくしているとも思えないので、あまりお転婆しないようにねと思いながらこっそり見守りつつ、引き続き続きも楽しみにお待ち致しております。

2015-07-05 06:19:58【★★★★☆】夢幻花 彩
……わかります。ほんとうは、わかっているんです。たとえ苦しいとわかっていても、ひとつ下のウエストサイズのジーンズを購ってしまうような、狸心の持ち主として。
この腹の肉を狸汁にして、残業あけの夜食にさしあげたい……アブラミばかりで美味しくないかもしれませんが。
章構成は、今後も、こんな感じで行こうと思います。毎週毎週更新できるならともかく、このペースだと、やっぱり毎回、それなりにオチがつくところまで。
しかし、あの和服の女性についてのご感想、読者様によって180度印象が違うのが、実に興味深いです。見る方によって恐くもあれば羨ましくもある。たぶん散歩してる本人は、特に何も考えていないと思われます。狸としては、生きている人間も死んだ人間もこれから生まれる人間も、良かれ悪しかれ同じ人間であり、あくまでこの現世に含まれるもの、そんな感覚です。過去も現在も未来も同じ森羅万象の内、みたいな。悪人もいれば善人もいて、不幸もあれば幸福もあり、結局すべては収支トントン、そんな感じで。
それにしちゃあ、この話では今のところ善人しか出てきておりませんが、そこはそれ狸印の長編ファンタジー、意地でもみんな幸せにしてやります。悪人も不幸な出来事も、分福茶釜でトロトロ煮込めばアラ不思議、いつのまにやら粉飾決済。
ところで、今回の『お手々繋いで』だけは、どうか許してやってください。ぶっちゃけ中学時代の狸は、お手々を繋ぎたくてたまらなかったのです。それはもう夜ごとひとりでのたうちまわるほど、繋ぎたくて繋ぎたくてたまらなかったのです。でも実際にお手々を繋げたのは、ハタチ過ぎてからでした。だからせめて妄想の中でくらいは、中学生の内に手を繋がせてやってください。繋げなきゃ泣くぞ。……などと言いつつ、実は今後(次の次くらい?)、ちょっと彩様のイメージに近いシーンの予定もあったりして。学ランじゃなく私服、どっちがついてく側かも微妙ですけど。
そして最後の、ふたつの御指摘。――ぴんぽーん! などと朗らかに笑顔でごまかしつつ、例によって、さっそくこそこそと修正する姑息な狸が約1匹。
2015-07-06 03:59:29【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
おはようございます。
狸汁……いやいや男性はある程度恰幅がよくても素敵じゃないですか。近頃男性のお客様にも丼ものや揚げ物を召し上がらず、煙草もお酒もなさらない方が増えてらして、職業的建前に反しちょっぴり寂しい彩です。
でもお気持ちだけ嬉しく頂きますね。お返しは身欠きにしんでよろしいでしょうか。

ごめんなさい、今回のおてて繋ぐシーンを変えてほしいとかじゃないんです。
今後しばらく、おてて繋ぎ続けるとかだと、優太くんはしあわせかもしれないけど美樹ちゃん居たたまれないだろうなあ、打開策を考えるだろうなあ、と思った結果、「てを繋ぐより恥ずかしくない!」(実際、裾を掴む方が心理的抵抗が減るんです)と考えて、傍目に可愛いことにならないか妄想してのことだったのです。
でも確かにわたしの感想を見るとそうとれますよね。大変失礼を致しました。もう今回のは、くすぐったくて可愛くてきゅんきゅんしたんです。おてて繋がせちゃってください。それだけどうしても、さきにお伝えしておきたくて。
でも男の子って、案外手を繋ぎたいものなんですねえ……。水荒れし、女にしてはごつごつした作りの手をしていたことを気に病み好きな男の子の手ほどふりほどきがちだった遠い日々を思うと胸が痛んだりして。もう忘れてくれてるかな。

……優太くん頑張れ。
2015-07-06 09:00:26【☆☆☆☆☆】夢幻花 彩
続きを読ませていただきました。
なるほど確かに、今回はおっさん&老人ばかりの大変地味な回ではありましたが、しかしやっぱり面白い。
とうとう本格的に地方都市としての峰館の「歴史」が絡んできた感じで、こういう背景がきっちりと書き込まれていると、リアリティに分厚さが出てきて良いですね。ムカサリ絵馬というのも大変興味深いです。
これは余談に近くなりますが、僕はどうも地方デパートってのが好きで、旅行先で時間が取れたら必ず立ち寄ることにしているんですが、そういう個人的な好みもあって屋上遊園地のエピソードがとても気に入りました。こちらは峰館じゃなくて秋田ですが、木内というデパートの屋上遊園地について紹介しているサイトを見たことがあって、そこに掲載されていた白黒写真が頭に浮かびました。あれは美しいものです。
今回も良いところで終わってるわけですが、果たしてここからどんな悲話が展開するのか、次回更新をお待ちしております。
2015-08-02 18:20:04【★★★★☆】天野橋立
あづい……。
脳味噌が汗に溶けて、八割方、耳の穴から流れ出してしまった気がする……。
……いや、いかんいかん。ありがたいご感想に、きっちりお礼を言わねば。
天野様、毎度どうもです。ぺこり。
…………。
ふhんjぎおkゅhjぐといk…………。
……はっ!
いかんいかん。ぺこりと頭を下げたまま、キーボードにつっぷして朦朧状態に……。
――失礼いたしました。暑いのは狸穴ばかりではないですね。そちらも十二分に茹だり上がっていると思われる今日この頃、天野様におかれましては、脳味噌が耳から流れ出さないよう、くれぐれもご自愛ください。

さて今回は、また中途半端な〈続く〉になってしまい、すみませんすみません。このまま行くと、おっさんトリオ&爺いのしゃべくりだけで百枚を越えそうで、美紀や優太の再登場は、次回に持ち越してバランスを取ることにしました。ここでこのくらい語っておかないと、今回の物語の最終的な情動にたどり着けない気がしたからでもあるのですが、ここを楽しんでいただけたなら、なによりです。続きも最後まで楽しんでいただけるよう、昼に流れ出した脳味噌を夜にじゅるじゅると嘗め啜り、狸らしくでんぐりがえり続けたいと思います。
デパートの屋上遊園地や、当時のデパートそのものの『ハレの場』っぷりは、実は狸も幼少期にずっぷし浸っていたわけで、当時の古写真や古映画にそんなシーンが出てくると、思わずウルウルしてしまいます。しかし一見失われてしまったかに見えるそれらの空間も、そこに渦巻いていた情動の質そのものは、ムカサリ絵馬同様に、時代を超えて人々の生活意識上に有り続けるに違いなく――あ、いかんいかん。化け終わってもいないのに、つい自己解説に走ってしまう。やっぱり脳味噌がユルんでるなあ。
ともあれ、どうか次回以降も、よろしくおつきあいください。
2015-08-03 22:14:49【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
お盆休みで時間ができたので、ゆっくりと読ませて頂きました。
今回の段も、良かったですよ!山寺を舞台にされているところ、私には大サービスでした。そうそう、お歳をめした方々の方が元気よく上っているんですよね。それと、このおじさん達は入口前の売店で、売っている力こんにゃくは、食べたんでしょうか(笑)
○澤老人、さんは強烈に印象に残りますね(すみません、苗字読めませんでした)。勝手な妄想で、悪役商会にいそうな感じで、白髪の長髪をゆるく結わえ、棒術でもしてそうなご老人を思い描いたのですが、どうでしょう。

そして、物語はバニラダヌキさんの軽快なテンポに乗せられて、さくさく読んでいるうちにしっかりと内容も進んでいくんですよね。そこ、すごいと思います。それに、さらっといろんな言葉が盛り込まれているという。言葉の引き出しが多彩で、読書などたくさんされているんだろうなと感じます。
次回はまた、優太くんたちの登場ですか。高見さんも、一癖も二癖もある感じがしますね。
更新、楽しみにしています。
2015-08-13 23:37:29【☆☆☆☆☆】えりん
あづい……。
脳味噌が汗に溶けて、八割方、耳の穴から流れ出して…………って、先々週も言ったぞ、それ。
うわあ、あれっきり一度もユルんでないんですね、今年の夏の凄暑。
えりん様におかれましては、耳から流れ出した脳味噌を、忘れずに回収再注入されますよう、くれぐれもご自愛ください。

で――ああっ、ほんとだ! おっさんたちに力こんにゃく食わせるの忘れた! あれを食わないで山寺の石段を昇るとは、なんたる非常識! ……うん、次回までには、きっちり食わせねば。カラシたっぷりぬってハフハフと。
悪役商会、いいですねえ。リーダーの八名信夫さん、実は澁澤老人と、ほぼ同年齢だし。ちなみに『澁澤』は、単に『渋沢』の旧字です。余談になりますが、狸の人間名の姓にも、旧字ではないのですが異体が含まれており、公的な書類に百円ショップの認印が使えなくて、ちょっと悲しいです。
読書は大好きです。書物のない人生は考えられません。えりん様も大好きですよね。ただし狸の場合、近頃アルツが入ってきて、昭和以前の書物しか脳味噌が受け付けなくなって困っております。なにせ明治時代の生まれなもんで。……すみません、嘘です。でも実は、この物語に登場する山福泰蔵先生と、ほぼ同世代の古狸だったりします。
推定お若いえりん様におかれましても、平成以降の書物などには脇目もふらず、いっそ綺堂や鏡花のみに専念していただいて、早いとこ立派な老婦人に……などと言いつつ、未だに月に一度はアキバを徘徊し『まんだらけ』とか『とらのあな』覗いてる半白髪の親爺ってどうよ。
なにはともあれ、あらゆる世代の連中がそれなりにとたぱたしつづけるこの話、どうか最後まで、よろしくおつきあいのほどを。
2015-08-16 20:54:30【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
熱い茶が、五臓六腑に染みわたるこの頃。ささ!狸殿も一服召されよ。。粗茶ですが(笑)それ、どこぞの瓦版によると、あの人気連載中の不思議木馬草子が後二回ほどで終わってしまうとか。寂しゅうございますなあ。とうとう、優太殿の恋は、実らず終い。。なんと哀れな(いやいや、期待しておりますです)

とおふざけは、これぐらいで。
更新分、またまた楽しく読了しました!だいぶ核の部分に迫ってきましたね〜。今回は、綾音が半成仏したような感じで、ほっとしました。布団かけて、キティ抱いてる子供の幽霊、想像してみても全く怖くないですね。かわいい寝顔で、いい夢見てときどき笑ったりしてるんだろうな。爺さん組は、集結して息巻いていて何かやってくれる予感がする!
それと、この投稿板の昔のやつも見てきたのですが、以前は、もっと人も多く、レスも活発だったんですね。
今は、ちょっと落ち着いてしまってる感じがしました。評価も、星マークでしたし。で幼稚園モノ?だったかな、の話読んできましたよ。あと、これ点数の入れ方が分からないのですが、気持ち的には、3点ぐらい入れてます!
では、なんだかいつも格好いい感想が書けずすみません。次回も楽しみにしています。
2015-09-03 00:02:30【☆☆☆☆☆】えりん
あの、すみません、できれば冷たい麦茶にしてください――。
などと贅沢を言いつつ……故郷は、もう涼しいのだろうなあ。東京湾岸は、まだ湿気ムンムンだったりします。
ところで、過去、「あと2回」「あと1回」とか言いながら4回も5回も続けてしまった前科数犯の詐欺師は私、この狸です。すべては愛の成就のためでした。とにかく美紀ちゃんをお姫様抱っこするまで、がんばるんだ優太!

さて、いったん沈静したかに見えた幼女モードの綾音が実は今後巨大悪霊化して帝都を破壊しまくるとか、敵地に乗りこんだ中高年集団がマシンガンの掃射をあびて壮絶に散華するとか、そうしたネタバレは、詐欺師らしくちょっとこっちに置いといて――。
幼稚園モノというと、アレですね。狸のこれまでの腹鼓の中でも、最高にノリまくってしまって自分の腹を叩き破ってしまい、未だに真のオチをつけられずにいる、あのトリオ物件ですね。ありがとうございますありがとうございます。読んでいただいてありがとうございます。あの星マークのページからでは確かに点数を入れられないわけで、点数入れられるページも実は残っていたりするのですが、もう気にしないでください。狸としては、読んで楽しんでいただければ、他の見返りはいりません。心の3点、きゅうんきゅうんと歓喜しながら狸穴中を駆け回っております。

賑わう都会の街中でも、季節外れの閑静な里山でも、人と狸の出会いは一期一会。
腹の皮を張り直してポコポコ叩く今回の腹鼓、どうか最後まで、よろしくお楽しみください。
2015-09-03 22:40:58【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
今回も、大変に面白かったです。……これで終えてしまうと感想になりませんね。
若い二人&その他のパートもいいんですが、やっぱり大人たちが渋くてとても良いですね。今回は特に、「……良平にいちゃん」のくだりが感動的で、心を打たれるものがありました。時を超えたこの再会の、なんと悲しくて美しいことか。その後、回転木馬営業停止後の静かな感じも好きです。
次回からは、いよいよクライマックスが推定何回か続くようですが、まさか高見が出てきそうな展開になるとは思いませんでした。いや恐らく、これも一筋縄では行かないとは思うのですが。きっと社会派的な、本格的なストーリーが続くように思いますので、期待しています。
小ネタですが、今回は「××」と「○○」の使い方に感心しました。「実際にバツバツ会ってわけじゃないぞ」ってのが、言わずもがななことをわざわざなんで、と思ったのですが、こう来るわけなんですね。二度の裏切りというサプライズが軽妙に語られていて、こういうのは大変勉強になります。僕なら仕方なく架空の名前を付けてしまったと思います。

取って置きの2点はあんまり連打せず、ここぞというところで付けるようにしているのですが、どうやら本来はもっと点数が付いている状況のようなので、いわば代行として今回は評価を「とても良い」=2ptとさせていただきました。いや実際、とても良いわけなので、ちっともおかしくはないのですけれども。
2015-09-04 19:25:19【★★★★★】天野橋立
引き続きのご愛読、毎度どうもです。おっさんや爺さんに化けるのが好きな中高年狸です。ああ、化けやすい。美しく化けるのはともかく、悲しく化けるのは、まんまでいいから楽だ……。
次回、高見が当然どどどーんと登場するわけですが、当然一筋縄では行きません。もしかしたら一般的な社会派をかなり逸脱するかもしれませんが、平均台だけは踏み外さないよう、しっかりでんぐりがえりたいと思います。
××と○○のお遊び、気に入っていただけたようで一安心。今後の高見がらみの展開がかなりアレになる予定なので、こっちの峰館おっさん爺さんサイドは、重い話でも極力ユーモアを保って語らせたかったのでした。
で――あ、そうか。えりん様のおっしゃった『点数の入れ方』って、この話のほうだったのか。勘違いしてました。天野様、代行大感謝です。ぺこぺこぺこ。

えーと、天野様のお気遣いに厚顔にも便乗し、えりん様への解説もちょこっと。
コメント欄の右下に、『評価 ▼』という、ちっこい枠がありますよね。コメントを書き込んだあと、そこの▼をポチっとしますと、その下にずらずらと何行かの短評が現れます。その中の『とても良い』をポチっとしたあと、下の『投稿』をポチっとしていただくと、2ポイント入ります。『良い』で1ポイント入ります。それ以外は選ばないでくださ……いかんいかん。このように自分からポイントを強要すると、狸がアクセス禁止をくらいます。その下の『普通/レス』でポイント0、さらに下に行くにしたがってマイナスが増えます。そんな感じで、「あれ、今回はイマイチだったなあ」と思われたら、バシバシ減点していただくのも、愛の鞭かもしれません。

……しかし、天野様のご感想へのお返しが、半分えりん様宛てって、どうよ。
2015-09-05 06:12:49【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
こんばんはたぬきさま。おげんきですか。かみよるはげんきいっぱいです。
さあどうもお久しぶりです、神夜です。知らん間に狸さんが連載しとるっ!!言うんのでめっちゃ読んだ。めっちゃ読んだ結果、めっちゃ面白かった。次回くらいで最終回なんじゃないかと思っている訳ですが、ここまで、と、この更新分の盛り上がりは非常に面白かったから、文句無しに「2p」をつけよう。旅立つこの様はクライマックスに向けて文句無しである。本来はいろいろ書くべきなんだけど知らん、半年ぶりくらいの感想だからこまけえこたあいいんだよ、面白いもんは面白いの一言で十分じゃろがい。
願わくばまた神夜が溶けていなくならない内に、最後まで読ませて欲しいのである。
2015-10-08 19:42:20【★★★★★】神夜
遅い! 気がつくのが遅い! 狸なんか、もー思わず佐々木小次郎に化けてしまって、武蔵はまだか武蔵はまだかと物干し竿を振り回しながら半狂乱で待ってたんだぞ巌流島!
と、ゆーよーな、冗談めかした恫喝は、ちょっとこっちに置いといて――。
ああ、よかった。やっぱり面白かったんだ。盛り上がってたんだ。もう神夜様に細かいアレコレは期待しません。二言三言で充分です。座布団もしっかり二枚もらったしな、うん。
で、次回は当然最終回の予定なんですが、なんか最終回2時間スペシャルくらいになってしまいそうな予感もそこはかとなく漂ってくる今日この頃、もしかしたら前後編とか、神夜様が溶けていなくなったあとの完結になる恐れもないではないわけですが、まあ狸が持病の高血圧と先頃新たに判明した高血糖が悪化して行き倒れになる前には読ませてあげられればいいなあ、と切に願ってしまう今日この頃、神夜様におかれましてはなるべくゆっくり溶けてくださいね、まる、と。
2015-10-10 00:39:28【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
今度こそ熱い茶でも大丈夫、それも糖の吸収が穏やかになる(らしい)黒豆茶でございますぞ、狸のダンナ。

!ついに高見さん登場ですね。白づくめの装束とは迫力満点です。頭の中にダダダーンと効果音が鳴り響いたのは私だけでしょうか?こういう、妖しい館から黒幕登場のような流れは、けっこう大好物ですので食い入るように読ませて頂きました。
それと問題の優太くんと美紀ちゃん、こそばゆいような感じながらも、少しずつあれ?もしかして俺、私。。。みたいな展開になってきてる。これは、やはりですか??そこは、最終回の楽しみにとっておきますね。


2015-10-12 10:13:37【☆☆☆☆☆】えりん
わーい、黒豆茶、黒豆茶! ぐびぐびぐび。……んむ、ちょっと苦いとこが、いかにも効きそう。これ、胃袋たっぷんたっぷんになるまで毎日飲んだら、少しは甘くなくなりますかね、狸の血。
で、高見さん、出ました。それもタダゴトならぬイキオイで、この話の中の誰よりも細かいビジュアルで。ちょっとやり過ぎかなあと思ったりもしてたんですが、お気に召していただけたようで何よりです。
ところで優太君と美紀ちゃんなんですが、えりん様のおっしゃる『これは、やはりですか??』とは果たしてどんな想像をされているのか、神ならぬ身の狸として知る由もないわけですが、これはもう優太自身と美紀ちゃん自身にお任せするしかない状態に突入してしまっているので、狸自身、ちょっとドキドキしてます。どうなるんでしょうねえ。
とりあえず作者として、ここまでキャラを煮込んでしまえば、あとは作者が投入する『状況』に各人どんな反応をするのか、こっちでは変にいじらず、真摯に見守るのみです。
2015-10-14 00:45:31【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
引き続き厳寒の、この掲示板界隈ですが、いくらかは寒さが緩み始めた……というか、元旦の深夜に近所の小さな神社に初詣でに行ったら、たき火の周りに数人の人が集まっていた、そんな気分を味わっております。
さて、遅ればせながら、続きを読ませていただきました。というか実は二度読んでいまして、一部補填の前後両方読ませていただくことになりました。
前回期待しておりました、高見の登場による社会派展開ですが……まさかこういう形で姿を現すとは驚きました。バニラダヌキさんの作品には珍しく、同情の余地なくひたすら悪い奴と言う感じの人物だと思っていましたが、見事に善悪の帳尻を合わせて来られたなと感じました。しかし行った悪の深さに見合ったものとは言え、この姿はすさまじいですね。
星空の下の駆け落ち(じゃないけど)シーンは大変美しいですね。コンビニではなく、よろずやの自販機の前で落ち合う辺りが非常に良いと思いました。個人的な趣味(わびしい自販機好き)から言わせていただくと、自販機の様子がもう少し描かれていると嬉しかったですが、これは賛同意見があまりなさそうです。
次回で、最終回なのでしょうか。すでに五百枚近い大作なのにも関わらず、もう終わってしまうのかと短く感じてしまうのが不思議です。この作品世界に、結局わずか数日しか滞在できないというのが名残惜しいのかもしれませんね。ともかく、次回を期待しています。
2015-10-17 01:57:55【★★★★☆】天野橋立
ああ、たき火の炎が暖かい。かじかんだ掌に、じんじんと血がかよってきます。昨日今日の冷えこみだって、へっちゃらだい。
二度も読んでいただいて恐縮です。おまけに、またちょっと、次回を待たずに、これから補填しようとしている狸だったりします。自分でさっき読み返して、確かに自販機さんへの愛が欠けていたのを痛感しました。前回に続いて登場した、とても大事な自販機さんなのに……。今回に描写を追加すると流れが変わりすぎる気がしたので最小限にとどめ、主に前回のシーンで補填させていただきます。ついでにベンチさんにも、ちょっとばかり愛を。
高見に関しましては、まあ旧弊な狸の悪い癖、古典的勧善懲悪因果応報に偏ってしまった気もしないではないのですが、まあ、真の許されざる悪というものは、自他を相対的に捉えられない、よほど無自覚なアホにしか全うできないような気もします。
さて次回、お星様キラキラの情緒的な旅立ちから否応なく世間の荒波に晒されてゆく、寄る辺なきふたりの運命やいかに! お子様モードの綾音は変身怪人高見に対して、みごと壮絶な復讐を果たせるのか!
……四分六で嘘が多いかもしれません。ともあれ次回も無事に難航しておりますので、どうか気長にお待ちください。
2015-10-17 23:28:08【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
やっと追いつきました。

僕があらためて申し上げることは何もないかも知れません。安定のクオリティで、いつものように楽しんでおります。「猫」「豆腐」のモチーフが姿を変えて何度も現れるのが楽しいです。また「放し飼い」という表現がその意味合いを変えて繰り返し出てくるのも楽しい。また、一度は恐ろしげな姿になった綾音さんが純朴な少女の姿に戻ってしまうところに、バニラダヌキ様の女の子たちへの愛をあらためて感じたり。

ちょいと気になったのが、澁澤老人が「米軍」「占領」という表現を使ったところ。ご老人が使う表現としては少し違和感を覚えました。「進駐軍がいたころ」とか「講和前(?)」とか、もうちょっと違う言いかたの方が似つかわしい気がして。どうでしょうか。この辺は僕の世代の感覚ではもうよく分からないのですが。
2015-10-23 00:57:34【★★★★☆】中村ケイタロウ
うわあ、もう追いつかれてしまった。老い疲れた狸としては、もうちょっと先行しときたかったのに……。
……なんだか神夜様に対する反応と我ながら違いすぎる気もしますが、まあそこはそれ分福茶釜の綱渡り。相手次第でコロコロ化け変わっちゃうのですね。

「猫」も「豆腐」も大好きで、「放し飼い」されるのも大好きで、おまけに重度ロリコンの狸ゆえ、自分で楽しみながら打っていると、どーしてもこんな作風の、こんな展開になります。そこんとこを鬱陶しがらずに楽しんでいただけたなら、きっと中村様も、猫と豆腐が大好きな、放し飼いされたいロリコン野郎なのでしょう。「最後は違う!」とおっしゃるなら、その根拠を早急に自らの著作物によって表現なさるのが吉ですね。

で――おう、またまた愛の不足を指摘されてしまった。戦前生まれの爺さんを、狸は愛しきれていなかった。なんとゆーことだ。お気に入りの脇役だったのに……。
とゆーわけで、すかさずまんまコピペに走ってしまう恥知らずな狸が一匹。
いえね、今ちょっと、いやいやけっこう色々慎重に考えたんですが、ここはやっぱり「進駐軍」だろうなあ、と。
2015-10-23 22:20:45【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
計:71点
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