『異世界転生記 1-1』作者:レインボー忍者 / ِE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
 死んだと思ったら異世界に転生していた! ママンは金髪巨乳の美女、親父はくたびれた中間管理職のおっさんだった。元の世界で自分を待ってくれている人がいるか分からないし、そもそも帰り方が分からない。だから僕はこの世界で精いっぱい生きようと思う。とりあえずの目標は将来幸せになること。出来れば美人の女の子捕まえて甘々エロエロな生活を送りたいです。
全角123332文字
容量246664 bytes
原稿用紙約308.33枚
異世界転生記



プロローグ



 死にたくないと強く思ったのは覚えている。
 多分、洪水のような大雨が降っていて。
 おそらく、周囲は岩や巨木が流れる濁流の渦。
 そして、体はこれっぽっちも動かなかった――と思う。
 冷たくて、お腹が減っていて、片目はもう見えなくなっていて、頭のどこかでもう自分は助からないと察していた。
 記憶の映像は唐突に途切れる。
 暗くて細長いチューブの中をぬるりと移動する感覚のあと、僕は急に覚醒した。
 明るくて、周囲にはたくさんの人の気配。
 助かったのだろうか。
 おぼろげながら絶望的な状況だったのは覚えている。
 僕は途中で気を失ってしまったけれど、そのあとすぐにヘリが来て、なんとか死ぬ前に保護された――。
 あの大嵐の中でよくヘリが飛んだものである。
 大きな手が僕の全身を撫でている。ぬるいお湯で体のべとべとした泥が落ちていく。僕の瞼はゆっくりと開いた。

「――――――――――――――――」

 瞬間、僕は驚いて声を出しかけた。
 周りの人間が金髪青目でとても色白だったからだ。髪を染めているとかカラコンを入れているとかそういうチャチなものじゃ決してない。
 というか、顔の骨格が日本人じゃない。
 外国人みたいに綺麗だ。女も男も、皆……。
 とすると、僕は何らかの水害に遭って、外国の救助隊に救われたのか?
 困惑する僕を、眼前のふくよかな胸を持つ中年の女性が撫でる。このおばさんは茶髪だ。例外的に美人ではない。骨格はやっぱり外国人。
 彼女は僕をタオルで包むと、ベッドで横たわる若い金髪の女性に差し出した。

 あれ? ちょっと待った。

 この女性、背がめちゃくちゃ大きくないか? いや、でかいのはこの茶髪のおばさんだけじゃない。今僕を胸に抱いて大事そうに頭を撫でている金髪の女性もでかい。彼女は鈴のような綺麗な声で何事か僕に語り掛けている。日本語でも英語でもない、よく分からない言語だ。
 そう言えばタオルもでかい。
 白くて清潔そうな布団もでかい。
 木で出来た簡素なベッドもでかい。
 何だ、こりゃ?
「……。あー、あー、あー」
 そして僕は言葉を口に出せない。とりあえず何か単語を言おうとしてことごとく失敗し、それらは全て意味をなさない音の羅列となって宙に消えていった。
 だめか。
 よし、こういうときはボディランゲージだ! 両手を合わせて「いただきます」の仕草! 意味は「助けてくれてありがとうございます」だ。
 そこで僕はとても重要なことに気が付いた。
 いや、気付いてしまった。
 おそらくそれまで脳が拒絶反応を起こして必死に理解しようとしなかったことを。
 えっと、なんていうか、その――。

 僕の手、小さくないか?

 まるで――赤ん坊みたいで。
 赤ん坊、みたいで……。
 あれ……?
「――――――。……………? ………っ!? あ。あー! あー! ああー!!!!」
 僕の絶叫に金髪の女性が慌てたように体を揺り動かす。これは――僕の考えが正しければ、多分、『赤ん坊をあやしている』動作だ。
 周囲から氷のような視線が僕の全身に張り付く。
 僕はバクバクと音を立てる心臓を押さえつける。
 未曽有の大災害に巻き込まれた僕は、確かに死にはしていないようだ。
 いや、前の体は死んだのかもしれないが、この体は生きている。というか生まれたばかりだ。
 そう、生まれたのだ。
 信じられないことに、僕は目の前で赤ん坊(僕)をあやす金髪の女性の息子として、生まれ変わったようだった。



第一章 忌み子



 状況を整理しよう。
 と言っても、整理するほど情報があるわけでもないが。
 まず――、僕はどういうわけか、前世で絶体絶命のピンチに陥っていた。
 轟音を伴って荒れ狂う泥の激流、わずかな足場、言うことをきかない体。
 何らかの災害に巻き込まれたのは間違いない。
 頑張って頭を捻っていたら、微かに海の香りがしたのと、自身がジャージを着ていたのを思い出した。
 多分、僕は海の近くの街にいて、災害が起きた日、ジャージ姿で寛いでいるときに、大雨などによって起こった大規模な津波に襲われた。
 そしてどうにか高いところに避難するも、周囲を水に囲まれ衰弱。救助を待ったが、おそらく助からなかったのだろう。
 死んで、そのあと金髪美女の息子として生まれ変わった。
 ちなみに息子であることは間違いない。ちゃんと股座にちんこが付いていたからな。
 前世の記憶についてだが、自分が何者であるかとか、周囲にどういう人間がいたとかは全く思い出せない。
 学生だったのか、それとも社会人だったのか、はたまたニートだったのか。
 前世の記憶が欠損していて困っているという謎の事態。
 まあ、直接的に害はないだろうけど。
 一方で、ありがたいことに一般教養の類の知識は脳みそに残っていた。多分今この場で成人男性の体が与えられ、日本に帰されたとしても、最低限のアクションは起こせると思う。トイレの仕方や食事のとり方に始まり、読み書き算術、履歴書の書き方(書く内容はともかく)など、これらはウンウン唸るまでもなくすんなりと頭の中に想起された。
 これにより、前世の僕は日本人であったこと、就職活動をやったことがあったということが推測された。
 だが、逆に言えば生前の自分に関する情報は、それで打ち止めだった。
 一般教養の中に僕の住所や家族を推測できそうなものはなかったし、どうして赤ん坊に転生することになったのかという最大の謎に対する答えはあろうはずもなかった。
 僕はこれからどうすれば良いのだろう?
 元の場所に戻る道を一生かけて模索するのか?
 でも――元の場所に戻れたとして、そこで僕を待ってくれている誰かはいるのだろうか?
 何もかもがあやふやで、しっかりしない。常に不安が付きまとった。
 ぼんやりと目を開くと、白くて侘しい天井がある。
 小さな部屋。
 小さな揺りかご。
 視線を傾けると、開け放たれた窓から春の匂いのする風が吹き込み、白いカーテンを大きくはためかせている。すぐ外は緑の牧草地帯。その向こうにはまだまだ背の低い麦畑が見えた。
 元の世界の自分の事についてはともかく、この世界についての事は少しだけ分かっている。
 今、僕が生まれてから三か月くらい経っている。木製の板に彫られたカレンダーは太陽暦みたいだし、一日は多分二十四時間。時計の類は砂時計と日時計しかこの家にはないけど、生前の記憶の眠る僕の脳みその感覚からしてそう間違ってはないはず。
 何という国かは分からないけど、多分ヨーロッパ。
 ヨーロッパだと思いたい。
 なんて願望型を使うのも、ヨーロッパだとしたらおかしな点が存在するからだ。

 少なくともこの家には電気がない。

 正確に言うと電気という概念がないっぽい。
 日が暮れたあと、この小さな部屋の光源は小さな蝋燭になる。抱っこされてこの館内を見て回ったが、シャンデリアのような豪奢な器具はあるものの、やっぱり先に付いているのは燭台だった。
 トイレも汲み取り式で、台所も竈と大きな氷を入れた食料保管庫。肉は保存が効くように香辛料をたっぷりと振りかけている。だけどメイドが失敗して(この家にはメイドさんがいるのだ!)、大切な肉を腐らせてしまったこともあった。
 節電かなと思ったけど、流石にやりすぎ。
 これは単純にインフラが整っていないと見るべきだ。
 でも現代ヨーロッパにこんな不便な生活をしているところあるのだろうか……。
 大人たちの着ている服も変だ。中世ヨーロッパみたいな服を着ていて、香水の匂いがとにかくきつい。人によっては香水の匂い以上に体臭が鼻を突く人もいた。どう考えても風呂に入っていない。
 だけど、皆はそれが普通だという顔で接している。確かに臭うけど、騒ぐほどじゃないよねとでも言わんばかりの反応だ。
 衛生の意識もおかしいくらい低い。
 もっとも、それらの事象が全然気にならないくらいめちゃくちゃおかしなことが他にあるのだが――。
 僕が瞑想に耽っていると、不意に部屋のドアが開いて白いワンピースを着た金髪の女性が入ってきた。
「あら、目が覚めていたのね。おはよう、アルフォンス」
 その女性――というか、僕の母親なんだけどね――は少し疲れた顔で笑いながら揺りかごに歩み寄ってくる。彼女が口にしている言葉の意味は読み取れていると思う。僕の名前はアルフォンス。相手によっては『アル』という略称で呼ばれることもある。
 言語に関しては、この三か月他にやることもなかったので、周囲の人間の言動から色々学んでいたのだ。
 生前の僕が外国語を苦手としていたかどうかは分からないが、実際に言葉が使われる環境に三か月も放り込まれていたら、口語程度なら分かるようになる。読みはカレンダーの数字を読みとるくらいしかできないが、今のところ困っていない。赤ん坊だしな、僕。
 数は十進法。だから僕が知っている四則計算や数の性質がここでも通用する。
「ご飯の時間ですよ」
 母親がそう言って左のおっぱいをぽろりと出した。
 うおっ! でかい!
 僕も男なのでおっぱいに反応しないわけはない。変態ではないけど、人並みにおっぱいは大好きなので念入りに乳首をペロペロしてから母乳をいただきます。

「レロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロ。チュッパ、ジュルルルッ、ムパア、レロレロレロレロロンッ! フホッ! チュパァ…………」

「んっ。ちょ、ちょっと、アルフォンス、くすぐったい」
「チュパァ…………。チュパァ…………。チュッパア…………。レロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロ!! ジュルルルルルルゥゥゥゥッ!!!」
「も、もう……。元気な子ね……」
 ドン引きせずに僕におっぱいを吸わせてくれる二十代前半(推定)の金髪美女。
 素晴らしいね。
 あ、この金髪巨乳ママンの名前はグレイスと言うらしい。
 最初の一ヵ月、僕は乳首だけで彼女をオルガスムスに導けるよう研鑽を重ねた。が、どうやら彼女は乳首だけではいけないらしい。僕が下手なだけかもしれないけど、とにかく彼女はアヘ顔になることはなかった。
 乳首だけでいっちゃう人なんてあんまりいないか。しかもグレイスは僕に対して恋愛感情を持っているわけでもないし、気持ちよかったとしてもそれで興奮することはないだろう。
 僕は眼前の爆乳から母乳を搾取しながら、下半身に力を入れる。
 あー……、この三か月ムラムラが溜まりっぱなしだぁー……。もっとも、ペニスは勃起することはあれ、射精はできない。しかし、生殺しはここまでだ。僕は今日この時をもってフィーバーするぜ!
「フッ、フホンッ!」
 気合一閃。
 僕は布のおしめの中で膀胱の中身を思いっきり解放する。
 テクノブレイクッ!
 いや、お漏らししただけなんだけどね。
 ただ、この瞬間のため限界ぎりぎりまで我慢していたせいで僕の尿は止まることを知らない。おしめの間から暴れて顔を出したペニスがグレイスの顔に向かって液体を放出した。
「あっ! あー! あー!」
 ご、ごめんなさい!
 調子乗り過ぎました!
 そう言おうとしたけど、言葉が出なかった。
 グレイスが驚きの声を上げ、僕の汁は彼女の綺麗な顔を汚していく。
 うわ、どうしよう! 軽い気持ちでやったことだけど、これは申し訳ない事をしてしまった。中学生じゃないんだから、もう少し後先考えるべきだったな……。
「ぷはっ。ふふっ。いいのよ、アルフォンス。気持ちよかったね」
 僕はこんなにもクソ野郎だというのに、眼前の女神は愛好を崩そうとしない。うわあ、これは罪悪感あります……。もうしません。
「風邪ひいたらいけないから、乾かすわね」
 グレイスはアーモンド形の目を和ませると、僕の股間に手をかざした。

「大いなる火の魔素よ、我が手に宿り、その熱き理を具現化せよ。リトルフレイム! 重ねてこいねがう、大いなる風の魔素よ、我が手に宿り、その爽やかなる理を具現化せよ。リトルウィンド!」

 グレイスがそう吟じたあと、彼女の右手の平に小さな火が軽い音とともに生成され、続いて熱を含んだ風が吹いて僕のおしめを乾かしていく。
 そう、一番おかしなことはこれだった。
 何もないところから火を出し、何もないところに風が起こる。彼女がよく分からない呪文を唱えたあとに、だ。
 最初は中二病か何かに罹患しているのだと思っていた。僕の母はだいぶん重症なのだと。
 しかし違った。
 気まずい沈黙が流れるでもなく、空気に耐えきれず彼女が「テヘペロ」するでもなく、僕の前で水が作り出されたり、火が作り出されたり、土が生成されたりした。
 手品と言うこともなさそう。種も仕掛けもなさそうだし、何より、生活の一部に当たり前のようにこの不可思議な現象が利用されているのだ。
 例えば肉を焼くとき。
 例えば洗濯物の乾きが悪いとき。
 例えば外の牧草に水をやるとき。
 わざわざ手品をする手間をかけるわけはない。
 これは技術なのだ。
 上下水道の整備や電気の普及の代わりに、ここにある物なのだ。
 ……ということを、僕はおしめを乾かしてもらいながらようやく理解した。
 この三か月間半信半疑だったのだけど、これはもう確定でいいだろう。
 こいつは『魔法』で。
 おそらく、この世界は前世の世界とは異なる理で動いている。
 僕はただ転生しただけでなく、どうやら異世界に転生してしまったらしい――と。
「――ちょっと、グレイスさん! まだなの!?」
 僕がグレイスの天然ドライヤーで股間を温めてもらっていると、また部屋のドアが開いてメイド姿の女性が入ってきた。
 この人は生まれた僕の体を産湯につけてくれた中年の女性だ。名前は忘れた。というか、多分聞いてないよな。
 この屋敷にはたくさんメイドがいるのだけど、グレイスとまともに話をしているのは、このメイド長っぽい中年女性だけ。白髪の混じった茶髪を後ろでぴっちり結い上げ、白い頭巾をかぶっている。
 毎回グレイスに対してぞんざいな態度をとっていて、僕はこの人が苦手だった。そんな喧嘩腰に当たらなくてもいいだろうに……。
 グレイスはいつものように縮こまった。
「あ、す、すみません、チーノさん。アルフォンスがおしっこしてしまって、乾かしていて……。新しいおしめは余っていますか?」
「旦那様のお子様方が使っておいでです。乾いたならそれで良いでしょう」
「そんな贔屓するようなこと……! アルフォンスも旦那様のお子です!」
「ええ、でも汚らしい下女の血も入っていますがね」
「――――っ」
 グレイスが唇を噛みしめる。
 そうか、僕は妾の子だったわけか。だからこんな小さな部屋で世話もされずに放置されているのだ。そんで、多分おしめの予備もあるはずなんだけど、嫌がらせで満足に替えさせもらえないと。
 グレイスママ、悪いのは漏らした僕なのでもういいよ。
 と言いたいが、僕の舌はまだまだ未発達なのでうまいこと発声ができん。
 マジで悪戯なんてするんじゃなかったな。
「グレイスさん、いいから早く台所におりて夕食の準備を手伝ってちょうだい。妊娠中の仕事分を取り返すって言っていたの、あれは嘘なの?」
「――っ。嘘じゃありません。すぐに行きます。……アルフォンス、ごめんね。お母さん行ってくるね」
 グレイスは僕の額にキスするとそそくさとチーノの後に付いて部屋を出ていった。
 僕はその後ろ姿を見て、せめて彼女に迷惑の掛からない賢い子になろうと決意するのだった。

   ×               ×              ×

 三か月後、はいはいを覚えた僕は小さな部屋から飛び出すことに成功した。
 部屋は二階にあるので、生後半年の僕は自力で階下には降りられない。
 頑張れば何とかなるだろうが、下手したら死ぬし、そうでなくとも怪我をしたらグレイスに迷惑がかかるのでやらない。
 代わりに二階のあらゆる部屋を訪問した。
 廊下を行き交うメイドは僕の姿を見てもすぐに目を逸らすばかりであの小さな部屋に戻そうとはしない。メイド長――チーノは例外で見つかれば戻される。
 しかし、二階は広いので、うまい事スニークすれば彼女に見つかることは無い。正確にはクリープか。
 僕にとって僥倖だったのは、二階にこの館の書庫があったことだった。
 知識は力だ。
 人が知っていないことを知っているということは強力な武器になる。僕の立場で知識をひけらかすのはあまり良い事ではないが、密かに持つことは絶対に良い事だ。
 僕は妾の子。
 『旦那様』は僕に会いに来てくれない。僕が生まれた場にいたのかもしれないが、どの男性がそれか分からない。
 そんな愛情の注がれない子がどうやって生きていくか――力を持つしかあるまい。雌伏の鳥のように耐え忍び、機を見て空へ飛び立つ。
 僕はもう元の世界に帰ることをあまり考えていない。
 記憶がない以上、帰ったところで誰が待っているか分からないし……、まず頑張ったところで帰ることができる保証が全くない。
 それよりは目先のこの状況だ。
 グレイスと自分自身の居場所を最低限確保しなければならない。
 当面の目標はこれ。
 元の世界の事については後回し。最悪帰れなくてもいい。
 というわけで、僕は書庫を見つけてから毎日のようにそこに入り浸った。
 活版印刷術がまだないらしく、全部手書き。
 おそらく超貴重品。
 そんな本が、六畳くらいの広さの部屋に、そこら中にうず高く積まれていた。
 本棚に入れるでもなく、手入れもあまりされていない。
 『旦那様』はどうやら本がお好きではないらしい。
 生活の様子を見るにどうもここは似非中世ヨーロッパ世界っぽいので、文字を読むことに対してあまり執着がないのかもしれない。きっと『旦那様』は脳筋に違いない。
 書庫に置いてあった本だが、どれもかなり古いものだった。
 保存状態も悪く、日に焼けたり、黴が生えたりしている。だけど判読するのに問題はないと思う。
 問題は文章読解だが、文法に関しては前世で言うところの英語に近いことが分かり、何とかなった。英語というか、日本語以外の僕の知っている言語かな。
 日本語や旧ユーゴスラビアの言語だと文章の流れが『主語→修飾語とか→述語』だけど、英語とか中国語とかドイツ語とかは『主語→述語→修飾節』。
 この世界の文法は後者に近いということだ。僕は絵の多い本を選び、簡単な動詞や名詞、副詞の確認をした。これだけでだいたい二か月丸々かかった。
 そのあと絵本を通読して意味を取り、よく分からないところがあれば、その夜グレイスに「あー! あー!」と呼びかけて読んでもらう。一分か二分ほど時間をくれたらそれで良かったのだが、グレイスは親切にも僕に絵本の読み聞かせをしてくれた。迷惑かけないつもりが迷惑かけっぱなしである。
 でも、分からないままでは次に進めないからな……。
 グレイスは、絵本程度は読むことが出来たが、もう一段階難易度の高いハードカバーの本の判読は難しいようだった。このレベルは、館でチーノしか読めないらしいから、グレイスに頼るのはここまで。僕はグレイスが見つけてきた辞書(彼女なりに頑張ろうとしたらしい)を片手に本をどんどん解読していった。ゼロから始めていたならともかく、前世で少なくとも日本語をマスターし、英語も一般教養レベルで勉強していたらしいこともあって、解読は割とすんなりいった。
 書庫の本はどれも興味深かったが――、中でも目をひいたのが次の二冊である。

『世界の地理 〜フランチェスカから出よう〜』

『基礎魔術概説 総論と各論』

 二つとも名前の通りの本だ。
 世界の地理は、この世界の形がどうなっているのか、詳しい絵と解説が載っている。難しい単語も使われておらず、絵がメインなため、僕には非常にやさしい本だった。
 こいつを読んで分かったことは、この世界は前世の世界とそう変わらない形をしているという事だった。本によれば南極大陸とオーストラリア大陸は存在しないことになっているようだが、それ以外の大陸はだいたい同じ形で存在している。
 今僕が住んでいるところはヨーロッパのフランスとドイツの境目くらいに当たる場所だ。
 こちらの世界ではコーカソイド地方(だいたい元の世界で言うところのヨーロッパ)のフランチェスカ王国と言うらしい。
 その中でも神聖ルール帝国(元の世界で言うドイツ)と言う国との国境線――とまではいかないが、それよりちょっと内側にある辺境の地、モーリス辺境伯領だという。『旦那様』の名前はどうやらアドリアン・モーリスと言うらしい。つまり、僕の名前はアルフォンス・モーリスという少々ゴロの悪そうな名前ということになる。
 辺境伯――ということは、武力に長けているのかと思ったが、どうもそうではないようだ。
 本当に争いの地になっているのはお隣の土地。
 僕の父のアドリアンの治めるこの地は、広大な牧草繁殖地と魔物の住む未開拓の森しかなく、目立つ産業のない文字通りの僻地らしい。
 お隣さんはガチガチの軍人さんだけど、ウチは左遷されちゃった系貴族が生涯を過ごす微妙な場所。
 そこの、さらに僕は妾の子と。
 これはどうなんだろう?
 貧民に転生するよりはましだったと思っておくべきなのか。
 というか、そんな辺境の貧乏貴族の癖に平気で妾の子とか作ってんのかよ。
 これ財政的にどうなっているんだ?
 何回か見たメイドの食事風景はパンとチーズに野菜屑のスープだったけど……、アドリアンは当然もっと良い物食ってんだろうな? これで毛が生えた程度なら泣けてくるが……。
 下手したら僕の成人後グレイスとともに放逐されるまである。
 そうなってもいいように今から頑張ろう……。
 さて――、もう一冊の『基礎魔術概説』は分厚さが三センチくらいある魔術の教本だった。総論で魔術の原理についていくつかの仮説が並べられ、そのあとに通説が説明される。そのあとの各論部分は呪文集のようなものだった。
 簡単にまとめると、魔術というものは、大気に満ちる魔素(魔素=いわゆる魔力)か体内の魔素に働きかけて行うもので、この世界の住人は最初から大体これができるという。ただし、出来ると言っても、本当に働きかけられるだけで、火をつけたり、水を出したり、土で竈を作ったりという実用的なレベルでの運用はきちんと仕組みを理解し、呪文やアクションを正しく取らないと出来ないらしい。
 総論部分では、最初にこの世界の魔素には基本的に五つの種類があるということを説明していた。
 それぞれ火の魔素、水の魔素、土の魔素、風の魔素、そしてどれにも属さないエーテルという無属性の魔素があるという。風は土に強く、土は水に強い、水は火に強く、火は風に強い。無属性は苦手も得手もない。
 世の中の物理法則もだいたい魔素のせいということにされていた。重力とか、質量保存の法則とか、そういうのはない。物理法則自体はあるんだろうけど、魔素というよく分からないエネルギーが存在するせいで誰も見つけることができていないようだ。
 空気抵抗を無視するという条件で、鳥の羽根と鉄球のどちらが速く地面に落ちるかなんて命題は、この世界の人からしたら「問題文の意味が分からん」となるのだろうな。
 総論部分の大部分では世の中の物理現象を魔素という概念を使ってあれやこれやと説明していた。例えば水を温めれば水蒸気になる現象についていくつかの仮説が並び、通説で締めくくられると言ったふうに。
 そういう身近な物理現象を理解したうえでないと魔術は使えないらしい。
 考えてみれば当たり前のことだ。
 例えば熱風の魔術を使うにしても、空気を温めて、それを対象に吹き付ける作業が必要なのだから、火の魔素を使った魔術と風の魔素を使った魔術が必要になる。理解できない者はドライヤーの魔術が使えない。
 それとこれは予想だけど、こっちの世界の人間は水気の多い場所でないと水は作り出せないし、火を起こすだけでもかなり莫大な魔素を消費しているのではないだろうか。
 というのも、前者なら水蒸気になった水を元の液体に戻す、後者なら火は可燃物さえあれば燃えるとだけ理解しているからだ。だから水素と酸素を組み合わせたり生物の脂肪を分解したりして水を生成できることを知らないし、助燃物――酸素が火力に影響することも知らない。そもそも酸素とか水素とか知らないだろうしね。
 で、実際に僕がやってみたら(どうして発声できない僕が魔術を使えたのかは後述する)、ウチのメイド連中が水をつくり出すよりやや早く、ちょい多めに水を生成できた。
 火についても同じ。グレイスが台所で顔を真っ赤にして火を維持しているのを尻目に、僕は余裕をもって火を展開し続けることが出来た。
 気づかれるわけにはいかなかったから火柱は小さいけれど。
 水に関する実験は他にも色々やってみようと思う。
 火に関しては危ないからもう実験しない。
 一般的に大魔法使いと呼ばれる人物は、こういう法則を理解し、かつ超広範囲の魔素に志向性を与えることが出来る人物を言うらしい。個人の体内にある魔力総量なんてたかが知れているから、外からとってくる力が強い方がすごいのである。
 それで、その魔素に呼びかける行為だけど、これには対応する呪文と身振り手振りが必要だとか。ただ、これはおそらく魔素では説明がつかないだろう物理法則を無理やり理解しようとするために必要な、『自己暗示』に近いもののようで、本当に必要なものではないっぽい。
 というか、僕には必要なかった。
 僕からすれば火を燃やすのに燃えるものと酸素があればいいから、酸素と燃えるものをどこかから引っ張って来ればいいと考える。魔素は言うなれば『エネルギー』に過ぎない。
 だけど、この世界の住人は『大いなる魔素様』が奇跡を起こして燃えるものを燃やしてくださると理解していて、火が強くなったり弱くなったりするのも魔素様のご機嫌次第と考えているので、魔素様とやらに一生懸命こいねがう必要があると言う。
 それが呪文と身振り手振りなのだ。
 僕は魔素様とやらにお願いする気はないし、必要性も感じていないので、そんなことはしない。
 要するに魔術とは空想する限りほぼ万能であり、本人が「当然そうなる」と正しく思いこむ限り物理現象となって具現化するということだ。とは言え、自分さえも騙してしまう妄想家が大魔法使いと言うわけではないから(それはただの狂人だ)、この解釈は正鵠を射ているわけではないのだろうけど。
 ちなみに、普通の人は魔術を生活の中で使わずにアナクロ(?)な手段に頼っている。
 メイドの大半は火をつけるときも普通に火打石だし、火を維持するときも竹筒で息を吹き込んでいるし。
 この館のメイド連中は、水を出したり風を吹かしたりとちょっとは魔術が使えるみたいだけど、それもかなり例外みたい。
 この前客としてやって来た貴族風のおっさんがメイドの魔術を見て超驚いていたからな。そんなものなのだろう。
 燭台とか竈とか用水路紛いの溝とかが存在するのだから、魔術を使えない圧倒的多数の人間がそういうインフラに頼っているということなのだ。そうじゃないと全部必要ない物になりかねない。
 『基礎魔術概説』はそう言ったことを書く一方で、それら物理現象とは異なる超常的な事象についても言及している。例えば身体強化の魔術。これは無属性であるエーテルと呼ばれる要素が関係しているという。僕の前世の世界には無かった概念だが、これにより術者は強力な運動能力を得るという。
 こいつに関しては定義が曖昧でどういうものかは他の魔素以上によく分からない。
 何でも、武術も最後まで行きつけばエーテルを使った魔術になるとか。
 限りなく魔術に近い技術――これを習得する者は、例えば素手で半径三十メートルのクレーターを作ることもたやすいという。そしてその境地に至ったものを、理を極めた者と称するらしい。
 他にも、本は通常の五つの魔素の他に、その上に存在する上位属性の魔素の存在についても示唆していた。すなわち、聖の魔素と闇の魔素である。通常の空間では存在できない二つの魔素で、当然この魔素を使った魔術の発動も限定条件下のみであるという。
 筆者自身も、聖の魔術は治癒魔術しか見たことが無く(治癒魔術は割と一般的らしい。ちょっとワクワクした。ケ〇ルとかベ〇マあるのかな?)、闇の魔術については存在自体を疑っていた。
 まあ、通常の状態で使えないのならあんまり気にする必要はないんじゃないかと思う。でも治癒魔術だけは知っておきたいな。
 当該魔術は教会が独占しているらしくて、一般の冒険者は教会が高値で売る回復薬や解毒薬を買って治癒魔術の代わりにするらしい。
 治癒魔術は、この世界ではとても強力で、とても貴重なのだ。
 本は治癒魔術がどんな性質を持つものかという簡単な解説で終わっていた。
 なるほどね。魔術に関してはどういうものかだいたい分かった。
 こりゃ読んで正解だった。
「ウフッ、オフッ……」
 知らず、笑い声が漏れてしまう。
 やっぱり魔法って言うのは現代人の心をくすぐるものがあるよな。
 誰だって「自分が魔法を使えたら」なんてことを一度は妄想したことがあるわけで。
 僕だって小さい頃は魔法使いなんてものに憧れていた時期もあったわけで。
 それが、色々と制約はありそうだけど、こうして使える世界に転生できたわけで。

「ねえ、あの子、今変な笑い声あげなかった?」
「え……、止めてよ、気持ち悪い……」
「あたし、あの子苦手……。だっておかしいでしょ? ずっと書庫なんか入って……。まだ一歳になる前なのに……。本覗き込んでいるけど、あれ読めているのかな?」
「いや、ないでしょ。かっこうだけよ、かっこうだけ」
「賢いって思わせて気をひこうとしているだけよ」
「さすが、『抜け掛け』グレイスの子どもね」

 書庫の外から声が聞こえてきた。
 僕がそちらを見ると半開きの扉の前からいそいそと人の気配が散っていく。
 ははあ、メイド連中だな。
 今日も今日とて書庫に入り浸っている僕の事を気味悪がっているみたいだ。
 というか、グレイスママンのことを『抜け掛け』グレイスとか言わないでほしい。
 確かに彼女たちからしたら、『旦那様』の寵愛をうまい事受けたグレイスは嫉妬の対象なのかもしれないけどさ。
 僕の――この世界での唯一の味方がそんな風にけなされるのを聞くのは、かなり気分が悪い。仕返しとかは考えていないけど、もしも何かあったとき、僕の中で彼女たちの優先順位は限りなく低いものになるだろう。
 ま、こんな僻地じゃ、『何か』なんてそう簡単に起こるものではないか。
 さてと。
 邪魔者が消えたところで、読書の続きに戻ろう。

    ×             ×                ×

 書庫の本をすべて読み終えるころには二歳になっていた。
 もう立てるし、歩けるし、喋れる。
 書庫の大半は物語で、それらは暇つぶしにこそなったが、あまり知識量の増加には貢献してくれなかった。ただ、中にはこのフランチェスカ王国の隣の国――神聖ルール帝国の書物もあり、それから簡単な神聖ルール語を学ぶことが出来た。
 ちなみに我がフランチェスカ王国の公用語であるフランチェスカ語はもう完璧に読めるし書ける。ハン〇バル・レクターも真っ青だな。いや、僕は前世の記憶があるし、精神年齢はめちゃくちゃおっさんなんだろうけどね。
「グレイスおかあさま、おかえりなさい」
 小さな部屋のドアが開いてグレイスが入ってきたのでそう挨拶する。窓の外は既に夕闇が忍び寄ってきていた。もうじき夏なのでこの時刻でもあまり寒くはない。四季があるって素晴らしい。海流に感謝である。
「ただいま、アルフォンス」
 グレイスは相変わらず疲れた、しかし今日はどこか嬉しそうな上ずった声でそう返した。彼女は汚れた使用人服を脱ぐといつもの白いワンピースに着替え始めた。
 あ、おっぱい。
 美女の生着替えはいいな。
 母親なので興奮はしないが、目の保養にはなる。
「アルフォンス、準備は出来ている?」
「はい、おかあさま」
 準備と言うのは晩餐に行く準備だ。
 僕は今日初めて父と一緒に食事するのである。グレイスはちょくちょく本館の方で飯を食っていたようなので初めてというわけではない。
 あ、この小さな部屋は本館横の別館である。
 僕はこれまで別館に軟禁状態だったわけだな。外に出たとしても別館の中庭だったし。
 何でも、僕はモーリス家の人たちからあまり良く思われていないらしい。
 まあ、そらそうか。
 アドリアン・モーリスとか言う僕の親父が下女と不倫して出来たのが僕だからな。
 むしろ妊娠が分かった時点で館を追い出されなかったのが不思議なくらいである。
 実際、アドリアンの正妻の人は激怒してグレイスを叩き出そうとしたそうな。
 しかし、アドリアンはそれを止めたらしい。
 さすがに可哀想だと。
 ここで追い出したらお腹の中の子ども共々も死んでしまうと。
 なんだ、良い奴じゃないかと思ったが、グレイスを孕ませちゃっている時点でものすごい屑野郎なんだよな……。
「よし、できた。じゃあアルフォンス、行きましょう。……って、どこ行くか分からないわよね。今から貴方はお父様と一緒にお夕飯を食べるのですよ」
「知っています」
 昨日の朝グレイスが説明していたからな。知らないわけがない。
 グレイスは目を見開いたあと、目を和ませて僕の頭を撫でた。
「そう、覚えていたのね。……アルフォンス、今日からご飯はお父様と、もう一人のお母様と、お兄様と一緒にとるのです。辛いこともあるでしょうが、我慢してね」
「はい、おかあさま。……でも、僕はテーブルマナーをまったく知りません」
 真面目くさって言うと、グレイスは苦笑した。
「テーブルマナーなんてこんな辺境の地にはないわ。王都にはそう言うマナーが流行っているらしいけれど……。適当にナイフで切り分けてフォークで口に運べばよいのです。もし難しいようならお母さんが食べさせてあげるからね」
「い、いやー……、さすがにこの歳でそれは恥ずかしいっす……」
 僕は就活経験済み以上の年齢の人間だからな。そう言うプレイなら喜んでやって貰うが、前の赤ちゃんプレイ顔射事件以来、自分からアホな事はするまいと心に決めている。
「この歳……? 貴方まだ二歳でしょうに」
 グレイスは首を傾げている。
 見た目は子供なので当然の反応だ。本当は中身おっさん(多分)だけどな。
 僕とグレイスは手を繋いで階段を下りていく。
 ぺちゃんこな赤い絨毯は、僕たちの靴音を鈍く響かせていた。
 二階は吹き抜けだから、階段の位置は別館内部の客室全てから見ることが出来る。
 僕は首筋に無数の視線を感じていた。これはメイドたちの嫉妬の視線だ。僕はメイド連中の事など虫程度にしか思っていないのでどこ吹く風。でもグレイスはそうじゃないみたいで気分の沈んだ顔をしている。
 この金髪のママさんは本当にかわいそうな人だな。これでアドリアンからも邪険にされていたら本当に報われない。どういう状況で行為に及んでしまったのかは分からないが、僕から見れば彼女はこの屋敷に働きに来て、アドリアンに犯されて運悪く孕んでしまっただけだ。
 もしレイプだったら――。
 彼女は主人の命に逆らえず、理不尽にも孕まされ、そして冷たい仕打ちを受けているということになる。
「おかあさま」
 僕はぎゅっとグレイスの右手を握った。彼女は僕の方を見下ろして無理に笑った。
「なあに、アルフォンス」
 そんなふうに笑わないでほしい。僕は少しの間言葉を探してから続きを口にした。
「――僕が一緒にいます。だから安心してください。胸を張って」
「あら……。ありがとう!」
 グレイスはそう言って笑う。さっきとは違う笑みだ。
 それを見て僕は、取りあえず一息つくのだった。
 別館から出る。いつも外に出ると言えば中庭の方の扉からだったが、今日は反対側の正面玄関の扉だ。
 ついに……。
 ついに外へ出られる……!
 いい加減この埃っぽい館にも辟易していたところだ。これで草の臭いや水の匂いを胸いっぱいに吸い込むことが出来る!
 扉の外は踏み固められた茶色の小道だった。少し向こうに敷地を囲う柵が設けられている。左手側を見てみれば、別館より二回りは大きい洋館がそびえ立っていた。
 三階建てで、縦横五十メートルくらいありそう。
 ただ城と言うにはあまりにお粗末な物だった。これでは敵が攻めてきてもまともに守れまい。こんな僻地、王都に行くにしてもわざわざ攻め落とす必要もないし無視されちゃうのかもしれないけれど。
 僕とグレイスは手を繋いで洋館へと歩いていく。洋館前には二人の兵士が立っていた。両方とも背丈は二メートル弱。かなり軽装だ。槍を片手に欠伸をしている。
「主人と夕食を共にするために参りました」
 グレイスがそう言うと兵士は無言で体を脇にどけた。不愛想な二人である。欠伸している顔はゴリラよりも不細工だ。笑えばもう少しましになると思うんだけど。
 扉を開けて中に入る。兵士は二人以外にいないみたいだ。中には忙しそうに行き来するメイドの姿しかない。
 僕たちはエントランスを突っ切り正面奥の大きな扉を開けて中に入る。するとそこは食堂だった。大きな長方形のテーブルがでんと鎮座していて、上座に景気の悪そうな顔の男、左右に金髪縦ロールの女と、同じく金髪の六、七歳くらい男の子が座っていた。
 奥の鼠みたいに貧相な男がアドリアンだな。
 で、向かって左に座っている某テニス漫画の夫人みたいなのが正妻さん。
 右が僕の異母兄ということになろう。
 お蝶夫人みたいな女の人は結構美人。僕の異母兄もお蝶夫人に似たのかイケメンの片鱗を見せている。髪はお蝶夫人同様無駄にロールしているが。
「おお……、来たか……」
 上座のお父様(?)が人の良さそうな表情を浮かべて立ち上がる。それを見てお蝶夫人が露骨に顔をしかめ「下人の子が……」と呟いた。男はびくりと身を震わせて数秒たたらを踏み、何か口にすることもなくもう一度着席した。え、お前何のために起立したんだよ。
 異母兄は氷のような視線を僕に向けている。グレイスはというとおろおろしていた。
 仕方ない。僕が動くほかないか。
 礼の仕方とか良く知らないんだけど、ここは日本男児の心を見せつけてやろうじゃないか。
「――初めまして、お父様、お義母様、お兄様。僕がアルフォンスです。今晩から食事を一緒にさせていただきます。なにぶん、このような場で食事をしたことのない人間ですので、至らぬ点が多々あるかと思われます。自分でもよく気を付けるつもりですが、粗相の際にはどうかご指導ご鞭撻のほど宜しくお願いいたします」
 僕はそう言うとゆっくりと腰を四十五度に折り曲げた。
 ククク……、必殺☆ジャパニーズOJIGIである。
 大事なのは外面ではなく、相手を敬う気持ち。日本の奥ゆかしい精神はきっと異世界においても通用するに違いない。
 というか通用してください! お願いします!
 だが、僕の祈りに反して五秒くらい超絶痛々しい沈黙が食堂に流れた。
 そして、
「はっ、なんだ、そのへんてこなお辞儀は! 作法を知らないとはやっぱり下人の子だな!」
 声変わり前のソプラノボイスが食堂に響く。顔を上げるとお義兄様が相変わらず冷たい目で僕を見ていた。
 OJIGI効かなかったかー……。
「こ、これ、ジェームズ。アルはまだ二歳なのだぞ。礼の仕方など分かるものか」
 おパパ上がお優しくもかばってくれた。この男見るからに優柔不断そうだ……。
 金髪天パの兄貴の名前はジェームズって言うんだな。
「だってパパ……」
 ああ、上座の鼠男さんは僕の父のアドリアンで間違いないみたい。よしよし。あとは貝のように口を閉ざしているお蝶夫人の名前が知りたいんだが――、最悪聞けなくても後でグレイスに教えてもらえばいいか。
「アル、礼は右胸に左手の平を当てて腰を折るんだよ。さっきみたいに深すぎるのは良くない。へりくだり過ぎになってしまうからね。半分くらいでいい」
 アドリアンがそう言って笑顔を作る。
「す、すみません、ご主人様、私が息子にしつけをしていないばっかりに」
 グレイスは恐縮していた。アドリアンが鷹揚に頷く。
「ああ、良い、良い。家族で飯を食うのに貴族の礼など必要などとは思わないだろうからなあ。それよりアル、お前難しい言葉を知っているんだな。まるで王都にいる知り合いが言うような口上だった」
 二歳の子にしては若干賢すぎたか。馬鹿だと思われていた方が都合が良いのでちょっと修正しておこう。
「ええっと……。グ……、グレイスお母さんに教えてもらったんだ。えへへー、ちゃんと言えたら後で遊んでくれるって」
「え、わ、私……!? 教えたかしら……?」
「うん、ずっと前にね、言ってたよ。キャハ☆」
 いかん……、我がことながらこれは想像以上にキモイ!
 ぶりっ子のような仕草で猛烈アピールする僕。
 期間限定で通用する技である。あと十年後には使えなくなっているに違いない。自分でやっていて腹パンしたくなってきた。
「そ、そうか、そうだよな。二歳の子が自分であんな風に言えるはずもないか」
 アドリアンは苦笑している。こいつちょろいなー。
 そうこうしていると食堂の隅から茶髪の中年女性が歩み出てきた。メイド長のチーノだ。彼女は一番下座の二席の椅子を引いた。
 いつもこの時間帯に別館で見ないと思っていたら、本館で給仕をしていたのか。メイド長って大変なんだな……。
 それはそうと座る席を決めるのはこっちだろうが。テメエが勝手に決めんなや。
「どうぞ、お座りください」
「ありがとう、チーノさん」
 グレイスは嫌な顔一つせずに腰を下ろす。僕は腹が立ったので二歳という立場を利用して反抗してやることにした。
「お母さんはそこに座るんだね! じゃあ僕はお兄様の隣に座るー!」
 チーノがひいた椅子とか無視。全席にナイフとフォークが置いてあるんだからどこ座ってもいいだろう。なら僕は上座に座るぜ! 物を食べているジェームズお兄様を観察しよう!
「は……? はぁっ!? ちょ、お、お前! こっち来るなよ!」
「え、一緒にご飯食べるのではないのですか? 僕お兄様とたくさんお話したいです! グレイスお母さんからお兄様は素晴らしい方だとお聞きしていたので!」
「お前……、俺をなめているのか! あっちいけ! この、忌み子が!」
「良いではないか、良いではないかー!」
「ひぅっ、く、来るな! ぶ、ぶぶぶ無礼者! 来るなっ! 寄るなっ! ふぐっ……。ま、ママァー! 助けてぇー!」
 ガシャン! と、長テーブル上のナイフとフォークが派手に跳ねる音が鳴り響いた。
 見ると、向かいに座るお義母様が青筋を立てて両手をテーブルに叩きつけていた。
 敵意どころか殺意すらこもった瞳で僕の方を睨んでいる。

「下郎が! わたくしの息子から手を離しなさい!」

 お義母様はヒステリー気味にそう叫ぶと、困惑するアドリアンの席の裏を回って僕とジェームズの前にやって来た。
 身の危険を感じたので僕は早々に後ろに下がっている。
 彼女はそのままジェームズを優しく立たせると、彼を連れ立って食堂から出ていった。
「お、奥様!」
 チーノが慌ててあとを追う。
 食堂に再び痛々しい沈黙が流れた。
 うわあ……。
 そうだ、そうだよな……。
 家族とは言え初対面。だのにあんなに馴れ馴れしくしてしまった。そりゃこうなるわ。
 僕だって嫌っている相手にくっつかれたら不快な思いをする。完全にそれをやっちゃった感じだ。
 くそ、顔射事件といい、こんなミスばかりだな、僕。
 生前も空気の読めない困った人間だったのだろうか。
 どうすれば良かったか。どの程度の距離感を保っていれば良かったか。
 いや、やってしまったことをうじうじ考えても仕方がない。次はもっとうまくやろう。今は悪い事をしたのだから素直に謝罪だ。
「空気を悪くしてごめんなさい」
 とりあえず、この場にいるグレイスとアドリアンに。出ていった三人は――機会があれば、努力しよう。
「い、いや……。お前が謝ることは無い、と思う」
 アドリアンが狼狽しながらもなんとかそう言う。
「でも、僕はお兄様に失礼な態度を取ってしまいました」
「初めて自分の兄に会ったのだから興奮してしまうのは当然だ。そもそも兄弟が遠慮して付き合うなんてこと自体おかしい。お前は――何も間違ったことはしていない、と思う」
 彼は自信が無さそうにそう言って疲れた顔を崩した。
「ご主人様、給仕は私が」
 グレイスが立ち上がる。アドリアンは首を振った。
「いや、別の者を呼ぼう。お前は座っていなさい。それと――私のことをご主人様なんて呼ぶのは止めなさい」
「でも……、奥様がご気分を害されます」
「あ……、そ、そうだな……。じゃあ、えっと、マーガレットがいるところではご主人様と呼んでくれ」
 お蝶夫人ことアドリアンの正妻はマーガレットさんと言うのか。
 マーガレットさん、僕の謝罪を受け取ってくれないのだろうな。あれは会話すら拒んでいる感じだ。とすると彼女とは距離を置いた方が良いか。人間の全部が全部自分の味方になってくれるわけがない。一生分かり合えない人間だっている。無駄に刺激するのは良くない。
 僕は大人しくグレイス隣の席に座った。アドリアンが鈴を鳴らして別のメイドを呼ぶ。
 その後――。
 初めての晩餐会は終始暗い雰囲気のまま幕を閉じた。
 もちろんマーガレットさんとジェームズが食堂に戻ってくることはなかった。自室にでも引っ込んでいるのだろう。
 チーノはそんな二人に付き添っているのか、やはり戻ってくることはなかった。
 そして次の朝飯の席でもマーガレットさんとジェームズは顔を見せず、昼食も、二回目の晩餐時も席には現れなかった。
 彼女たちは――完全に僕の存在を拒絶していた。
 グレイスに対する風当たりがますます強くなるかもしれない。またもや彼女に迷惑をかけてしまった。僕はとんでもなく駄目な子だ……。
 これじゃ、グレイスと僕の居場所を最低限確保するなんてお笑い草である。
 とりあえず迷惑をかけないよう頑張って生きる。
 それができて初めて、優しい母親の居場所づくりに取り掛かれるのだ。
 僕は薄い塩味の野菜スープを啜りながらそう決意するのだった。



第二章  外出許可



 三歳になった。
 父との会食は続いているが、相変わらずマーガレットさんとジェームズとは一緒にご飯を食べられない。
 彼女たちは僕とグレイスが帰ったあとに食堂に来て食べているようだった。
 ジェームズがお腹を空かせているときはチーノに給仕をさせながら自室でとるとか。
 そんなことをアドリアンから聞かされた時は、どういう顔をすれば良いか全く分からなかった。
 本館で食事をするだけで胃が痛くなりそうだったが、代わりにアドリアンから色々な話を聞くことができた。それによって今まで分からなかったモーリス家のことを知ることができた。

 モーリス家。

 家長は、辺境伯の爵位を持つアドリアン・モーリス、三十二歳。彼は二十三歳の時、父母を病気で亡くしてからこの土地の伯――領主になった。当時王都でのんびり学生生活をしていたそうだが、他に人がいなかったので呼び戻されたという。
 算術が苦手で、名主からの税収関連の書類に目を通すのがしんどいらしい。分からないならちゃんと勉強するか、いっそのこと何も考えずハンコを押してしまえば良いのに、彼は中途半端に真面目だから頑張って全部読もうとしてしまう。
 日々書類と格闘し、慣れない農作業や狩猟など領民のために粉骨砕身するうちに九年経過。最近は髪に白髪が混じり始めている。

 正室のマーガレット・モーリス、二十五歳。アドリアンの父がアドリアンのために見つけてきた名門貴族の三女さんらしい。
 非常に気位が高く、息子を溺愛している。典型的な選民思想を持っていて、領土と領民は選ばれた尊い血によって治められるべきだと強く思っている。
 多分、根は悪い人ではないのだろうけど、『しっかりとした貴族教育』を受けた結果、凝り固まった考えをするようになってしまったようだ。読み書きは一応できるらしいが、チーノに音読させたり代筆させたりすることが多いらしい。算術は全然できず、かわりに社交界のルールや作法などに通じている。

 嫡子のジェームズ・モーリス、八歳。僕より五つ年上のお兄さん。彼に関しては客観的な情報があまりない。
 野菜が嫌いで乳製品が大好物。シチューはちょっと好き。
 チーノに読み書きを教えてもらっているようだ。
 体が大きくなってきているので近々村の冒険者でも呼んで剣術を習得させようとアドリアンは考えている。

 長女のリリエット・モーリスと次女のマリエット・モーリス、ともに年齢不詳。多分……、僕と同い年だと思われる。この二人は双子で、僕が生まれた前後にマーガレットが生んだらしい。それ以外の詳しい事は分からない。グレイスは会ったことが無いと言うし、アドリアンは僕が彼女たちの事を訊くと露骨に話題を逸らそうとする。そのとき彼の顔には罪悪感のようなものと恐怖の感情が色濃く表れる。
 多分本館のどこかにいるのだと思われる。
 なんで一緒に飯を食わないのだろう?
 グレイスが会ったことが無いのは何故?
 アドリアンが彼女たちの話題になるのを嫌うのはどうして?
 このまま生活していればいずれ顔を合わせられるとは思うけど……。
 うーん……。

 側室のグレイス・モーリス、二十二歳。教会勢力下の領地出身で、小さい頃は日曜学校で学びつつ農家の父母の手伝いをしていた。成人を機に親元を離れ、地方公務員(モーリス家関連の職業)になるためモーリス家のお膝元にやって来た。試験と面接を経て見事メイドとして召し抱えられる。
 若く綺麗な容姿をしていた彼女は、マーガレットがジェームズを妊娠していた時に、禁欲生活に耐えきれなくなっていたアドリアンの寵愛を受ける。以降ずるずると関係を続けるうちに、僕を身ごもってしまった。現在はメイドだか妾だかよく分からない立場で日々雑務をこなしている。

 だいたいこんな感じだ。これが僕の愛すべき家族である。
 モーリス家は歴史こそ古いがあまり豊かではないらしい。数代前まではかなり力があったと言うが、中央で政争に敗れて左遷。現在領土は貧しく、税収は細い。
 実は貧乏なんだとアドリアンに聞かされた時はそれほど驚かなかった。
 事前に本を読んで何となく察していたし、最初の晩餐でクソまずい野菜スープをアドリアンが啜っているのを見ていたからむしろ納得した。
 領民の主食はライ麦。パンだな。基本的に副菜はスープで、飲み物は井戸水。領主と言えどもそれに変わりはなく、パンの塊がちょっと大きくて、スープの具が多いくらい。
 でもちゃんと三食食べられる。平民じゃ下手したら今日は食べる物がないなんてときもあるらしい。僕はなんだかんだ言って恵まれているのだ。
 領地は将来的にはジェームズが跡を継ぐことになっていて、僕は予備。ジェームズはお金が溜まれば王都に勉強しに行かせてもらえるらしいが、この十年段々赤字よりになってきているので難しいらしい。当然、僕が王都に留学させてもらえることなんて万に一つもない。
「お前は王都の大学で何か学びたいことでもあるのか?」
 ジェームズの学費云々の話の後、アドリアンがスープを啜りながら僕にそう訊く。三歳の子と食事の席でする話ではないと思うが今更だ。
「何を学べるのですか?」
「魔術を教える専門科が多い。それと法律と医療術――ああ、治癒魔術とは違うぞ。あれは教会が独占しているからな。教会に高い金を払うのが嫌だって連中が、独自の技術を研究しているらしい。が、基本的に体の中の悪い血を外に出すということしかしていないように思う。私が言うのもなんだが、どうもきな臭い感じだ……。学生時代の話だが、王都では何人もの貧しい患者が、彼らの医療を受けたあと、高熱を出して死んだという噂が流行っていた」
「アドリアンお父様は何を学んでいらしたのですか?」
 僕がそう尋ねると、アドリアンはスープを掬う手を止めて、こちらをじっと見てきた。その顔には悔恨の情が滲んでいた。
「私は……。私は、専門科に進む前の基礎課程――読み書きや算術等の、専門知識を勉強するために最低限必要な技術を学ぶ段階で、ここへ呼び戻された。……私は真面目な生徒ではなかった。作法に厳しい親元を離れたことで解放感を覚え、毎日遊び歩いていたのだ。何度も留年した。優れた教諭、王立図書館の素晴らしい蔵書たち――環境のあるうちにもっと勉強していればよかったと心から思うよ。ちゃんと勉強していれば、今こうして名主の作った忌々しい納税書や予算の概算表などに頭を悩ませることもなかったというのに!」
 ドンとテーブルが叩かれる。
「旦那様……」
 グレイスが辛そうな表情でアドリアンを見ている。アドリアンははっと我に返って僕に笑いかけた。
「すまん。こんなこと、お前に話すべきではなかったな」
 ほんとそうだよ――とは口が裂けても言えない。
「いえ……、心中お察しします」
 僕はそう言うと目を伏せた。
 アドリアンの話はほとんどの場合バッドエンドで終わる。
 重いぜ……。
 もっと気楽に生きようぜ、アドリアン!
「特に教会の課す十分の一税が問題なのだ。なんなのだ、あいつら。自分の勢力下だけで徴税していても食うに困らんはずなのに、どうして私の領民にまで税を課すのだ。あれのせいで領民が疲弊している。しかし、十分の一税を課すことを私が認めねば、領内の冒険者ギルドと取引している治癒魔術を引き下げるとか言うし……」
 十分の一税か……。文字通り石高の十分の一を徴収していく教会の課す税の事である。石高から計算されるため、不作だったとしても減ることは無い。
 領民は現在この十分の一税とアドリアン・モーリス辺境伯の課す税の二重の税を負担しているのだ。
 そりゃくたくたになるわ。
 頑張って働いても税金ですかんぴんに。
 自分たちが食べる分すら危うい。
 だけど、税を払うためにはさぼらず働き続けるしかない……。
 この九年、二度ほど軽い凶作になっているらしいが、その度に回復不能のダメージを受けているそうだ。今度凶作になれば生産体制の崩壊を招く危険性があるというのが村の名主の見解である。割とやばい。
 何らかの対策は取るべきだろうけど、アドリアンは書類の話をするばかりで収入アップの具体策の話をしない。あれだ、神様の恵みによって来年こそは豊作に――とか思っている感じだ。火をつけるのでも火の魔素様にお祈りするくらいだしな。火打石使うときはお祈りしてないけど。
 中央から技術者を呼ぶだけでも大きく変わると思うが、そうできない事情があるのだろう。
 で、仕方がないから手をこまねいて見ている、と。
 あれ、ここまでの話を総合してみるとウチの親父ってあんまり有能ではないんじゃ……。
 一方教会はどう考えても賢い。
 聞いている限り領民に二重の税を課していることを悟らせていない。
 あくまでアドリアンに十分の一税を課す許可を貰うという形を取り、領民にはアドリアンの税だと思わせている。不満は全部アドリアンに行くというわけだ。
 アドリアンはそのことに気が付いていない。教会に良いように利用されているようだ。指摘しようか迷ったが、言ったところでアドリアンに何かできるとは思えなかったので黙っていた。
 彼は教会と戦うよりも先に名主の繰り出す納税書相手に善戦できるようになるべきだ。これ以上彼の心労を増やしたらオーバーヒートするだけだろう。
 何か力になれたらいいが、よく考えてみれば、僕はこっちの世界に来てからまだ三年ちょっとの人間なんだよな。まだまだ知らないことがたくさんあるのだ。そりゃ計算くらいなら出来るかもしれないが、領地の経営はそれだけではないだろう。青二才がでしゃばっても邪魔になるだけ。それよりは、今のうちに様々な技術と知識を溜めこみ、未来に備えるべきだ。
 あくまでグレイスと僕自身の居場所を確保するというのが最優先の目的だしね。
 アドリアンの話を聞いて、王都かそれ近辺の領地で公務員するのが一番安定した生き方だと思った。将来的にはこのモーリス辺境伯領を出て、公務員試験を受けて国に就職する。それで母親を養いながらできればまったり生活する――人生の設計図はこれだろう。
 日本でよく読んだ異世界転生モノの主人公たちは、皆魔王を倒したり勇者になったりと凄いことをしているが、僕にそんな力や器があるとは思えないし……。だいたい、公務員になるのだってすごく大変な事なのだ。
とにかく、領地経営なんて考えてはいけない。いずれ去ることになるこの領地のためにあれこれしても無駄になる。
 僕は話題を変えることにした。
「そうだ、お父様。実はお願いがあるのです」
「ほう、言ってみなさい。私にできることならいいが……」
「明日から館の外へ出てみたいです」
 僕がそう言うとアドリアンは渋い顔をした。
「外へ? 何故だ?」
「旦那様、アルフォンスもずっと部屋にいるのはつらいのだと思います」
 グレイスが援護射撃してくれる。
 農家出身の彼女からしたら、三歳にもなって一日中何もない部屋に閉じ込められるなんてありえないことだろうからな。
「そうなのか? 私は十歳まで館の敷地外へ出たことはなかったが」
 親父は元引きこもりかよ。
 いや、この世界の貴族からしたら当然のことか。
 敷地は結構広いし、家庭教師もつくから外の世界と触れ合わなくても特に不都合はなかったのかもしれない。
 だが、僕は外見はどうあれ中身は現代日本人(しかもいい歳したおっさん)である。
 いい加減外の世界を見て回りたい。
 本によればこの世界にはエルフとかドワーフとか普通にいるみたいなのだ。呼び名は少々異なっているみたいだけど。
 ちなみに学術的には、エルフは森住族。
 ドワーフは穴住族と呼ばれている。
 エルフは地方によって呼び名がいろいろあり、このフランチェスカ王国ではアールブ、隣国の神聖ルール帝国ではエルブズと言われている。
 エルフとかドワーフとかの呼び方をしても、ニュアンス的に通じないこともない。
 グレイスはアドリアンの引きこもりカミングアウトに苦笑を浮かべた。
「旦那様は旦那様、アルフォンスはアルフォンスです。この子は奔放でやんちゃなところがありますから館にいるよりは外を走り回りたいのでしょう」
「ああ、確かにアルは活発な子だよな。マーガレットは――い、いや何でもない」
 マーガレットさんは僕の事をなんて言っていたのだろうか。落ち着きがないとか、騒がしいとか、野蛮人とか?
 マーガレットさんの評価とかどうでもいいか。
 僕はアドリアンを見つめた。
「では、外出許可を貰えるのですね?」
「う? うーむ……? しかし、危険ではないか?」
 アドリアンがグレイスを見る。グレイスは眉根を寄せた。
「そうですねえ……。森の奥へ入らなければ、この辺りには魔獣も出ませんし、大丈夫だと思いますけど」
「いや、森の奥は当然駄目だ。そうじゃなくて、私は――アルが意地悪をされることを心配しているのだ」
「はあ。喧嘩は子ども同士なら起こることではないのですか?」
 グレイスは首を傾げている。
 一方僕にはアドリアンの言いたいことがよく分かった。
 貴族の息子だからという理由で迫害を受けるかもしれない――そういうことだ。
 でもそれは僕も覚悟していること。
 別に村の子どもと仲良くなろうと思って外へ出るわけでもないし。
 僕の目的は周辺の生態系の調査と市場の調査。
 どこに何が生えているのか、住んでいるのか。
 市場ではどのような物がやり取りされているのか。
 もっとも、市場に関しては、貨幣経済はあまり浸透していないだろうけどね。元の世界の歴史でも、貨幣経済が浸透するのは余剰生産品が生まれて生活が豊かになってから。人々が嗜好品を買い始めて初めて主流になるのである。
 モーリス辺境伯領はカツカツだから、ほとんどが物々交換の現物経済だろう。
 それでも、麦一束に対してリンゴ一個とかレートのようなものは存在しているはずだ。
 それを知っておきたい。
 知ることは力になるのだから。
「お父様、村の人たちから理不尽な暴力を受けたなら、そのときは大人しく館の中に戻りますよ。だけど最初から怖がっていては何もすることが出来ません。僕は外の世界を見てみたい。どうか外出の許可を」
 断られた場合は脱出するだけだ。アドリアンは農作業の指揮や狩猟の時以外は館を出ない。行動範囲も限定されているから絶対に見つかりはしない。
 流石にグレイスには途中でばれるだろうが、そのときは彼女を説得するまで。グレイスは日中自分の子どもを放置している負い目もあるから僕を止めることはできまい。
「ふぅ……。アル、お前はグレイスの言う通り、私とは違うのだな。分かったよ。外出を認めよう。……ええっと、では、護衛に屋敷のメイドか、衛兵を二人ほどつけるか。チーノとグレイスは仕事を手伝ってもらわないと困るから、それ以外で……」
 言って、アドリアンは手元の鈴に手を伸ばした。
「お父様、お待ちください」
「なんだ、まだ何かあるのか?」
「護衛は要りません」
「何故だ? 危険だろう?」
「グレイスお母様、お父様はこうおっしゃっていますが、僕が一人でそこらの草原を歩くことは危険だと思われますか?」
「え……、そうですね……」
 グレイスはどう答えたものか迷っているようだ。しかし、しばらくして当然の回答を寄越した。
「旦那様、流石に過保護のように思えます」
「しかし貴族の息子が連れもなしに外を歩くなど……」
「お父様、嫡子である兄上ならともかく、僕に人員を割く必要はないでしょう」
「いや、お前も私の息子だ。ジェームズと扱いを別にはせん」
「では、将来兄上同様僕にも辺境伯の位を与えるおつもりで?」
「それとこれとは話しが別だ」
 そうだよな。そんなことできないから、そう返すしかないよな。
「そうです、別なのです。差別ではなく、区別。貴族の息子だから当然護衛が必要と考えるのではなく、僕の能力や周りの状況を鑑みて、足りない部分があるだろうから護衛が必要とお考えください。その上でお聞きしますが、お父様は、僕のことをあぜ道も一人で歩くことができぬ子と評価していらっしゃるので?」
「いや、そんなことは。お前は――子供とは思えないほど賢い奴だ。本当に。あぜ道どころか、街に出しても立派に前を向いて歩いていけそうなほど」
「では、許可をいただけるのですか?」
 僕がおそるおそるそう尋ねると、アドリアンは不承不承といった感じで一つ頷いた。
「外出してよし。ただし日が沈む前には館へ帰って来なさい。また森の奥や丘の下の村より先に行ってはならん。さらに、用水路と村横の川には近づくことも禁ずる。もし禁を破れば二度と外出は認めない」
「ありがとうございます! えっと、森の前の小川は近寄ってもいいですか?」
「それくらいは別にかまわん。――何かあれば大声で助けを呼ぶように。日中なら叫べば誰か来てくれるだろう」
「分かりました!」
 やった!
 やったぞ!
 これで外に出られる!
 館の中じゃもうできることはほとんどなくなっていたからな。書庫の本は繰り返し読んだせいでもう頭に入ってしまっているし、神聖ルール語もほぼマスターしてしまっている。
 家の中じゃ魔術の発動も満足にできないし。
 あと体がめちゃくちゃなまる。
 この世界じゃ現代日本以上に体が資本なのに、日に当たったことのない青白い肌ではお話にならない。野山を走り回って最低限丈夫な体は作っておかないと。
「お前は……本当に、私とは違うのだな……」
 僕がほくほくしているとアドリアンが感情の読めない顔でそう呟いた。
「え……?」
「いや、すまん。何でもない、忘れてくれ」
 会話はそれで終わった。
 アドリアンは難しい顔でスープを啜っている。
 グレイスはアドリアンの前では物静かなので口を開かない。
 時折チーノが水を注ぎ足すか訊くくらいで、食堂には微妙な沈黙が満ちた。
 僕はまずいスープを啜りながら計画を立てていく。
 まず、アドリアンが提示した禁則事項は絶対に破ってはいけない。
 その上で、プラスアルファで守っておくべきことがあるだろう。
 公序良俗に反するようなことをしないとか、そういう当たり前の事以外で。
 例えば昼食だ。
 これは屋敷に戻って食べるようにすべきだ。
 アドリアンの事だ。おそらく僕が昼食に顔を出さないようになれば苦言を呈するだろう。それは良くない。彼には常に安心感を与えておいてやらねばならない。だから昼食時には必ずこの館にいなければならない。
 他には、村人たちと一切のいさかいを起こさないこと。
 こちらが圧倒的に正しい立場にあろうとも、問題が起これば小心者のアドリアンは僕を呼び戻す。だから、そうならないためにも、村人たちには絡まれないよう最大限の注意を払う。
 あとは服を必要以上に汚さないことと派手な怪我をしないこと。
 服が泥だらけになっていれば、チーノがアドリアンに報告するだろう。怪我をしていればチーノでなくても報告される。そうなれば「やはり心配なので護衛をつける」という話になりかねない。
 護衛は邪魔だ。僕の事を考えて色々手助けしてくれるなら話は別だが、現段階でアドリアンが命令によって侍従をつければ、そいつらは監視者ということになろう。僕の行動にあれこれ制限を加えてくるだろうし、僕が何をどうやって一日を過ごしていたかを事細かにアドリアンに知らせるに違いない。
 それでは生態系や市場の調査どころではなくなるからな。
 でも逆に言えばそういった項目さえきちんと守っていれば自由に行動が出来るという事だ。
 自由と規律。
 自由と責任。
 自由と義務。
 自由にはどの世界でも相応の代償が要求されるのだ。

   ×               ×               ×

 翌朝、部屋でグレイスがワンピースから仕事着に着替えながら僕に水を向けてきた。
「アルフォンス、今日から外出するのね?」
 グレイスの綺麗な顔が心配げに歪んでいる。昨夜は外出許可の援護をしてくれた彼女だが、やはり今になって不安になっているのだろう。
「はい。昼には一度戻って参ります。危ない事はしませんので、どうかご安心を」
「そう……。ごめんね。アルフォンスの事だから大丈夫なんでしょうけど、どうしてもね。あ、お腹すいたらいけないからパンでも持っていく?」
「昼には帰ってきますので、大丈夫です」
「そ、そうね……。さっきそう言ったものね。ご、ごめんなさい」
「お母様、顔を上げてください。お気持ちだけでも僕はとても嬉しいです」
「ええ……」
「では――パンの代わりに、お母様が昔使っていたという茶色い風よけフードをいただけませんか? それと、農作業をするときに使っていた作業着も。作業着は一番古くて一番汚れた物がいいです。下は要りません。上だけで」
「え? ええ……、構わないけれど」
 グレイスは困惑気味にそう言うと、ベッドの下の箪笥から僕が言ったものを取り出してくれた。
 風よけのフードは僕がかぶればひざ下までのローブに。
 農作業用の服は病衣みたいな感じの服になる。
「ありがとうございます。大事にします」
「大事にしなくてもいいわよ。でも、アルフォンス、それを着るつもりなの? そんなものよりきちんとしたお洋服があるでしょう? そっちを着なさいな」
「はい、ですから、今僕はお母様からいただいたシャツとズボンを履いていますよ」
「そうなんだけど……。えっと、その服、悪い事には使わないのよね?」
「もちろん」
「そう。ならいいのかな。――じゃ、お母さんお仕事行ってくるから」
「はい、いってらっしゃいませ、お母様」
 グレイスが部屋から出ていく。階段を下りていく音がどんどん遠くへ。別館の扉が開き、閉まる。
 それから僕はたっぷり百秒数えて、フードと農作業服を引っ掴んで部屋を飛び出した。
 外だ!
 外だ!
 外だぁー!!!!
 宮沢賢治風に言うと曲がった鉄砲玉のように僕は二階の廊下を爆走する。
 途中すれ違うメイドに変な目で見られたけど構うものか。
 階段を駆け下り、正面扉を押し開け、一気に外へと躍り出た。
 瞬間、朝の日差しが僕の目を焼いた。
 草の臭いが鼻をくすぐった。
 食事に行く時にいつも味わっている感覚がとても素晴らしいもののように思えた。
 ふははは! 僕は無敵だぜ!
 茶色い小道を猛ダッシュ!
 それから僕は小高い丘を登り、森の近く小川に辿りついた。

「ヒャッハー! 水だ、水だぁー!!!」

 どこかの世紀末雑魚のような叫びとともに僕は着ている物を全て脱ぎ捨てた。
 飛び込む。
 水位は腿の下までしかない。でも冷たくて気持ちがいい。
 今まで風呂に入れなかったからな。
 体を綺麗にすると言えばお湯の張った桶に手ぬぐい付けて体を拭くだけ。
 風呂をこよなく愛するジャパニーズであった僕が、そんなもので満足出来るわけがなかった。

「ふぉっ! ふぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」

 やべえ。
 超気持ちいい。
 これは流行語大賞になりますわ。
 たっぷり十分は水を戯れた僕は、少し肌寒さを感じたので水から上がることにした。
 いかん、いかん。
 風邪ひいたらまた幽閉されてしまう。
 僕は手ぬぐいで簡単に体を拭うと、グレイスから貰った農作業服と風よけフードを体に身につけた。おお、なんか雰囲気魔術師っぽいな。
 もっとも、今からすることはその魔術師の訓練なんだけど。
 そう、魔術の練習だ。
 異世界に来たらこれをせずして何をする――という個人的な感情はさておき、まじめな話体の小さな子どもが自衛する力を手にするには魔術が一番楽である。
 腕力などもこれから積極的に鍛えていくつもりだが、とりあえずは魔術だ。
 大丈夫。『基礎魔術概説』の内容は既に頭に叩き込んである。
「えっと、大気に満ちる魔素に呼びかける感じ――だよな。呪文は僕には必要ない。川の水や空気中の水蒸気を集めるイメージで……」
 僕は目を閉じて念じる。
 部屋の中で何回か練習した水をつくり出す魔術だ。
 しばらくすると体の前でゴポリと音がした。
 おそるおそる目を開けてみると、眼前に巨大な水の塊が出現していた。塊からは水が滝のように落ちて川の水に合流している。
「おおー! 成功だ! ま、当たり前か。ちょくちょくやっていたからな」
 でもここまで大きいのは始めてだ。
 水分が多いからだろう。だから砂漠とかじゃ飲料水以上の使い方は出来なさそう。
「ふっ……、くっ……」
 おっと、維持が難しいぞ。例えるなら一輪車でバランスとっている感じ。体もなんかだんだんだるくなってくるし、これは大変だ。
 結局、一分くらいで水の塊は崩壊した。
「ふむ……、じゃあ火とか風はどうだろう?」
 あと土も。
 以前試した時は、火は割と長い時間維持することが出来た。もしかしたら属性や使う魔術によって性能が違ってくるのかもしれない。
 ちなみに『基礎魔術概説』によれば、聖と闇の魔術以外は使う労力は同じということだった。そりゃ、この世界の魔術師からしたら、魔術は魔素様にお願いして起こすものだからな。やること一緒なんだから違っているはずがない。
 で、火と風と土を試してみたのだけど、結論から言うと火は使いにくかった。
 たき火するとかならいいんだ。
 火がついて、酸素送り込めばいいだけだから。
 だけど湿っている物には火がつきにくいし、生物には火をつけることが難しい。
 この世界の生物は皆魔素に働きかける力を持っている。だから、対象に火をつけようとしたら、つけられる方からすれば無意識のうちに「止めろ」と抵抗することになる。結果、呼びかけがぶつかり合い、火はつかずに終わる。
 本によると、これがレジストという現象らしい。
 生物を燃やすには、その生物のレジストよりはるかに大きい力の呼びかけが必要で。
 体毛や服とかはまず対象のレジストの効果範囲内に入り、キャンセルされてしまう。
 魔術師なんかは呼びかける感覚を理解している分、レジストする力が特に強いという。
 試しに木に止まっている鳥に使ってみたら燃えずに逃げられた。
 生物を殺すことに抵抗があったから、ほっとする反面ちょっと失望。
 ライター代わりに使うならともかく、自衛の手段にはとても使えそうにない。
 多くの人が火の魔法と聞けば最初に思いつきそうな『火の球』なんかは、触媒(と『基礎魔術概説』にかっこよく記述されているが、要するに枯草とかの可燃物)に発火させながら相手に投げつけるという原始的な仕組みだ。
 これじゃ火矢でも放った方が強いに決まっている。
 相手の足元を発火させるのは割と有効そうだけど、普通は燃えているところからすぐに移動する。
じゃあ逃げられないようにすればいいじゃないって話になるかもしれないけど――あんまり火を大きくすると今度は術者である自分まで巻き込んでしまう。
 自分の命を犠牲に相手を殺すという事に関してはかなり優秀な魔法だとは思う。うん。
 あ、でも大気中の塵とかに連続で発火して温度を上げるのはかなり有効そう。ただ、その場合は風の魔術との併用が不可避だ。風の魔術で相手に吹き付けて『熱風』の魔法とかね。ドライヤーの上位魔法だ。
 だけど、そんなことするよりは純粋な風の魔術を使った方が強い。
 火や水に比べて風と土はマジで使いやすい。
 何せ、最初からそこにたくさんあるものだからだ。
 風を圧縮して空気の塊みたいなものを飛ばせるし、土の形をいじって槍みたいなのをつくり出せる。
 ただし、これらにも弱点があって、風の魔術は強風下では行使が難しくなるし、土の魔術は地面と連続していないと使えない。石の弾丸を相手に飛ばすのは無理ってことだ。
 だから漢のロマンの一つである岩石砲をやるなら、岩石つくり出したあと腕力で投げないといけない。それただの投石や。
 まとめると、僕は水と火の魔術は実用レベルで使えない。
 風と土はまあまあ使える。
 『基礎魔術概論』によると、風と土は魔術を一通りきちんと学んだ人間ならだいたい誰でも使えるという。だから一般的な魔術師は空気の塊や土の槍など簡単なギミックのもので攻撃する。一方水の魔術は実戦レベルでは水辺でしか使えず、火の魔術となるとほぼ実戦では使用不可能だそうだ。
 ちなみに大魔法使いは呼びかける力が強いだけでなく、水や火の魔術を実用レベルで使えるという。これは訓練すれば辿りつける境地ではなく、最初から出来る人間は出来て、出来ない人間は一生できないらしい。

 Sランク=大魔法使い:水や火を条件に関わらずどこでも使え、雪を降らせたり、真空状態(述懐から察するに真空状態で間違いないと思う)をつくり出したりできる。世界に数えるほどしかいない。
 Aランク=優魔法使い:水や火の魔術を条件無視で一応使える。ただし、実用的ではない。混合魔術を完璧に操る。
 Bランク=良魔法使い:Aランクとの間には越えられない壁がある。風と土の魔術を完璧に使いこなせる。また混合魔術により広範囲に濃霧や沼をつくり出せる。
 Cランク=魔法使いと名乗って良い:風と土の魔術を使える。
 Dランク=一般人に毛が生えた程度:大半がこのランク。ドライヤーとか生活に便利な魔術が使える。
 Eランク=Dランク未満の人々すべて。

 『基礎魔術概論』にある記述だ。
こんな感じの指標のようなものがあって、各国の王宮の魔術師はAランク相当が多いらしい。ちなみに冒険者のパーティに魔法使いとして参加させてもらえるのはCランク以上だそうだ。Cランクあれば最低限魔術を飯の種に出来るってわけだな。
 で、僕の魔術師としての才能ランクだけど、本によればBランク以下であることは間違いない。だって火や水の魔法が生活に便利なレベルでしか使えないから。
 魔術師として大成して、国の試験に合格するのは難しいってことかなあ。Bランクで試験受かった人ってどれくらいいるんだろう? あんまりいないのなら、魔術以外の道を模索してみるべきだ。公務員になる手段は他にもたくさんあるだろうから。
 魔術は――自衛の手段として利用できる程度に勉強しておくのが賢いか。
 手っ取り早く力が欲しいだけだし。
 風と土が使えれば一応合格点。それ以上を求めるのは余分なのだ。
 と、まあ、普通ならここで諦める。
 でも僕はもう少し魔術について考えてみたいと思った。
 時間はまだあるんだ。予定の昼前までは魔術の考察に時間をかけてみよう。
 えっと――どこから始めるか。
 そもそも魔術を使うのに才能の有無は関係あるのか?
 何でそこを最初に疑うのっていうと、僕が才能って言葉が嫌いだからだ。率直に言って自分に才能がないとは認めたくない。
 そうじゃなくても火をつけるのに、『火の魔素様』にお祈りするとか書いちゃっている本の言う事だぜ?
 この筆者の考えは何にも信じられない。このまま鵜呑みにしてしまって良いものじゃないだろう。
 僕は既に無言で魔術を発動できるし、魔素様とやらにお祈りすることもない。火がつくのは、燃えるものと酸素があるからだと考え、酸素を送り込むことによってメイドよりもうまく火が扱える。
 その時点で、僕はこの本の例外である。
 著者を疑わねばならない。
 この本から抜き出すのは厳然たる事実のみでなければならない。
「ふうむ」
 僕はその場に胡坐をかいて座り込んだ。
 おー、耳をすませばどこかで小鳥がピーピー鳴いているのが聞こえる。川のせせらぎの音といい、かなり気分よく集中できる場だな。しばらく活動拠点はここでいいか。後で土魔術を使って簡単な小屋を作っておこう。さっき槍が作れたし、頑張ればいけるはず。
 ……えっと、思考を戻そう。
 筆者の考えはともかく、まずは本に書いてある確定事項をピックアップしてみるか。
 例えば――大魔法使いは条件を無視して火や水の魔術を使うってところ。
 条件を無視――つまり水が無くても水を生み出せて、対象が例えば生物であっても発火させられるということになろう。
 でも理由もなしにそんなことはできまい。
 何かが起こって水ができて、何かがあって火がつくのだ。
 水は、水蒸気を一か所に集める、または水素と酸素を化合することによってつくる。でも化合によって得られる水の量は少ない。大半は水蒸気で――水蒸気がない場所では、大魔法使いは超広範囲から水素分子を集めまくっているということか。
 一応、辻褄は合うのか?
「それじゃあ、なんで僕は火を起こせるんだ?」
 僕は近くの枯葉に火をつけながら首をひねった。
 燃えるものがある、酸素がある。だから燃えた。
 だけど、火がついたのは何故だ?
「風と土は簡単だよな」
 空気を動かした=風魔術。
 土を動かした=土魔術。
 共通する点は何だ?
 異なる点は何だ?
「――――――――」
 僕は目を閉じた。
 火をつけたときどうした?
 可燃物と酸素を用意して、火よ、ついてくれと念じた――。
 あれ? これって、火の魔素様にお願いしているのと同レベルじゃないか。
 そうじゃないだろう。
 現代日本人らしく、もうちょっと科学しよう。
「火がつくのは、熱が生じたからだ」
 熱を与えられ、発火温度をこえたから、自然発火した。
「……待てよ。空気を動かすのが風魔術、土を動かすのが土魔術。水蒸気――つまり水を動かすのが水魔術。そう考えると、火は何を動かしているんだ? ――いや、『何の運動を制御している』んだ?」
 つまりこういう仮説はどうだろうか。

 この世界で言う○魔術とは、○○を動かす力である。

 ○の部分にはそれぞれの属性に対応する言葉が入る。
 呼びかける=働きかける=『魔素様』にお願いする=○○を動かす。
 そこまで考えたとき、僕の頭の中に唐突に湧き起るものがあった。

「分子を動かしている――!」

 僕は呆然と呟いた。
 大魔法使いは、雪を降らせたり、真空をつくり出したりする。
 真空は言わずもがな。雪、つまり氷は熱の操作、分子の運動を制御しているからできるのだ。
 『彼らは呼びかける力が強い』という天性の才能に加え、『分子の運動を肌で感じる』才能も持っているってわけだ。分子と言う概念は理解していないだろうが、それに変わる『天才ならではの超感覚』を持ち、それに従って魔術行使をしている。
 分子の運動を制御できるということは、分子配列を入れ替えることも出来る可能性が高い。だから、空気中の水素と酸素に限らず、あらゆる場所から材料を取り寄せ、一見何もないところから水を生成することが出来る。少なくとも水弾生成に必要な程度の水量は確保することが出来る。
 どうだろう?
 一応説明がつくのではないだろうか?
 天才を分析し、理解することができたのではないだろうか?
「大魔法使いは生まれながらにしてミクロの視点で魔素を感じることが出来る。対して普通の人は空気を動かすとか、土を動かすとか、生活の中で当たり前に触れることが出来る運動しか感じられないし制御できない。分子の運動を理解しなければならない『熱を操る魔術』等は、とてもじゃないけど普通の感覚ではまともに扱えない。結果土と風は易しく、火と水の一部の魔術は高難易度の魔術となった」
 無論、仮説に過ぎないが。
「えっと。つまり、火魔術というのは――」

 分子の運動を制御し、乱雑に動かしている。

 辻褄は合う。
 惜しむらくは、僕の前世の教養レベルか。
 エネルギー保存の法則とか、高校の授業程度の事しか分からない。これが理系の偉い先生とかだったらもっとすごい事をたくさん思いつけたのだろう。
「とりあえずやってみよう。辻褄があった今、果たして僕は火の魔術が実用レベルで使えるのかどうか――」
 火の魔術がレジストされるのは、術者が「分子よ、乱雑に動け」と命じるのに対して、対象者が「乱雑に動くな、止めろ」と念じるからだ。
 では、工程を替えてみたらどうだろうか?
 すなわち――。

 まず、どこかの座標を『分子の運動を制御する』ことで低温化させる。
 しかし、エネルギー保存の法則により、奪った熱は、急に消えたりせず、その場に残り続ける。
 このとき、その熱の位置が可燃物のある位置になるようあらかじめ設定しておく。
 可燃物が熱に触れ、発火点を超える。
 火がつく。

 このような工程で火をつけたらどうだろうか。
 レジストは「止めろ」と念じるだけだが、分子が運動し始めるのを止めるのと、既に熱が発生していて、分子が動き回っているのに「止めろ」と言うのは果たしてどちらの難易度が高いのか。
 僕は踵の横辺りをもぞもぞ動いている黒っぽい虫に目を向けた。
「ごめんなさい。君に恨みはないけど、実験台になってもらいます」
 大きく深呼吸。
 イメージするのは分子を動かすこと。
 虫のすぐ横の空間の分子の運動を制限する。動かないようにさせる。
「――――――――」

 行け!

 瞬間。
 手を向けた先の空間の温度が、急激に下がったような気がした。
「あっ――」
 燃えた。
 温度が下がった瞬間、虫が燃えた。
 ぼっと、白い火柱がさく裂し、虫の体が燃え上がった。
 黒こげになった虫がことりと体を傾かせる。
 虫は、死んでいた。
「出来た……!」
 燃えた。
 燃やした。
 生物を、焼き殺した。
 僕は震える手を自分の胸の上に重ねた。心臓は激しく肋骨の裏を殴打している。
 こんなにも簡単に生物を殺してしまった。
「…………」
 僕の中に新たな感情が芽生える。
 これは、底知れない恐怖だ。
 もし――もし、この昆虫が人間だったら?
 やはり燃えてしまったのだろうか。
 燃えていたのだろうな。魔術なんて知らない一般人はレジストすら出来ずに死んでいくだろう。
 そう考えると、ぞっとした。
 包丁を無造作に渡された子供みたいに。
 誰かに、「それでいつでも人を殺せるからね」と軽い調子で笑いかけられたみたいに。
 僕はどうしようもなく震えていた。
 使えない。
 この問答無用で人を殺してしまいそうな魔術を、僕は使えない。
「あ……」
 がくりと腕の力が抜けた。
 倒れた上体を起こそうと筋肉に力を入れ、そこで初めて全身が凄まじい倦怠感に包まれていることに気が付いた。
 これが魔術行使の代償か。
 呼びかけるだけとは言え、自身の体内の魔素は幾ばくか使用される。今の僕は、所謂MP切れの状態なのだろう。
 分子の運動を制御するというのはおそらく大魔術。
 それを今日まで引きこもっていた三歳の子どもが使用した――。
 当然の結果だ。
「はは……」
 僕は掠れた笑い声をあげた。
 他にどういう反応をしろというのだろう。
 けだるい体に鞭を入れ、服を着替えるとのろのろと館に向かって歩き出す。
 疲労のあまり気絶してしまっては昼食に間に合わなくなってしまうかもしれないから。
 気を失うにしても館の中にしておかないと大事になりかねない。
 生態系の調査と市場の調査はノータッチだが――しかたあるまい。
 その後――、体を回復させた僕は、いつものように昼食を本館の食堂でとった。午後は部屋に引きこもって分子運動の魔術の練習を再開した。
 水魔術のように濡れることもないし、気を付けていれば燃えることもない。
 発火の魔術は殺傷力が強すぎるから自衛の手段としてはいささか不適切だろう。というか、できれば使いたくない。
 だから氷の魔術を練習することにする。
 周囲を低温化させ、大気中の窒素を凍らせて剣や盾を作るのだ。
 軽いし頑丈。
 剣は宙に浮かせて風魔術で発射することが出来る。
 盾は投石程度なら難なく防ぐことが出来る。
 元が気体だから、ほっとけばすぐに全部消えてなくなる。
 便利だし、小回りが利くし、かなり心強い術だ。
 明日から毎日練習しよう。ちょっと使っただけで腰が立たなくなるとかじゃ自衛の意味をなさないからな。
「それにしても、大魔法使いっていうのはこれが最初から出来たのか……」
 僕はあくまで前世の記憶があったからできただけだ。別に天才ってわけじゃない。
 そんな僕とは違って、最初から天性の感性と物凄いパワーを持って生まれている人がいる。
 どんな人たちなんだろう?
 魔法使いと聞けばハリー・○ッターしか出てこない僕には想像もつかない。
 いずれ会えたらいいな。
 会って、色々と話を聞いてみたいものだ。



第三章  丘の下の村



 それから四か月、僕は、午前中は走り込みや腕立て伏せ、木登りなどで体を鍛え、午後は外で風と土の魔術、その後部屋で氷魔術の練習をした。
 生態系の調査と市場の調査は全くできていない。
 というのも、このアルフォンス・モーリスという子どもの体が想像以上にヘナチョコだったからだ。
 どれくらいヘボかったかというと、ダッシュで五十メートル走ったら、足が笑って半日は満足に動けなくなるくらい。
 初めて外出した時は嬉しさのあまり感覚が麻痺していたこともあり、そのようなことはなかったが(しかしあとで筋肉痛になった)、二回目は敷地を出たあたりで胸に激しい痛みを感じ走るのを止めた。おじいちゃんおばあちゃんでももう少しもつだろう。貧弱という言葉の権化である。
 あと腕立て伏せが二回しかできない。
 腹筋は一回もできない。
 最初の一週間の僕の身体スペックはこれだった。
 この有様で丘の下の村や森の浅層に入りでもしたら、行きはともかく帰りは立ち往生してしまう。
 なんでこんなに運動音痴なのか、僕は生まれ持った星が病弱の星だったのか――一時は理不尽さに嘆いたものだが、理由はすぐに分かった。
 生まれてからこれまで、僕はずっと別館の中に閉じこもっていたからだ。
 太陽の光を浴びず、運動と言っても一日六度の階段の上り下りくらい。
 で、普段食ってる飯は黒パンとチーズと塩味の野菜スープだけ。肉はアドリアンがまぐれで鳥を狩ってきたときくらい。乳が出なくなった家畜なんかも偶に食卓に上ることがあるが、これは保存食行きが多い。冬、食料の備蓄が少なくなったときに食べるのだ。
 あ、そこら辺の用水路で獲れたという泥臭いナマズも出てきたか。泥臭すぎて口に合わず遠慮させてもらっていたが。
 こんなんじゃ元気な子どもに育つわけがない。
 執務室にこもりがちなアドリアンでさえ僕よりも健康的な生活を送っていたのである。
 そんなわけで、僕は計画を変更し、しばらくは自身の肉体改造に努めることにした。
 目指すはアメコミのヒーローみたいに上半身太りのムキムキマッチョマン。
 スポーツ科学の知識があればもっと効率的に体を鍛えることが出来たのだろうが、残念ながら前世の知識にそれに該当するものはなかった。
 現代日本に住んでいた頃の僕はおそらく文系人間だった。
 歴史の知識は結構あるし、間違いないと思う。
 理系の知識の方が必要なのにね。ま、前世の自分を恨んでも仕方ない。
 で、諦めずに体を鍛えていると、一ヵ月を過ぎたあたりで急に腹が減るようになってきた。朝昼晩と三食きっちり食べているにもかかわらずだ。
 腹が減るものはしょうがない。僕は氷魔術を使って小川で魚を獲って食べた。
 最初に仕留めた魚は全長二十センチくらいで、姿形はヤマメによく似ていた。脂がのっていて予想外に美味しかった。
 次に仕留めたのはウナギのような魚。個体窒素の槍が運良くそいつの頭部を直撃したらしく、泥の中から浮かび上がってきたのだ。最初は蛇かと思ったが、よく見るとエラがあり見た目も違っていた。
 サバイバルの知識はないんだけど、内臓出してよく火を通しておけば問題ないだろう。日本の田舎の子どもなんかはよくそうしているって聞くし。
 でもちょっと心配になったので、あとでこっそりグレイスに食べた魚の事について尋ねてみた。そうしたら普通に食べられる魚だということが分かった。ヤマメのような魚は『マソ』、ウナギっぽいのは『ヌメヌメ』という俗称がついているみたいだ。
 どちらも丘の下の村で取引されているらしい。『マソ』は動きが素早く、『ヌメヌメ』は泥の奥や岩の下に隠れているため捕獲が難しい。が、味は用水路で見つかるナマズよりも良いため、祝いの席などではこちらが出されるとか。
 野山の食べられる物図鑑みたいなのがあれば良かったのだけど、書庫にはそんなものは無かった。どこかで手に入れたいけど、本なんてこの辺りじゃ手に入らない。ましてや図鑑なんて王都にでも行かないと無理だろう。
 幸いグレイスが野山の動植物に詳しかったので、分からない物があればその都度彼女に訊けば教えてくれた。ただ、彼女はちゃんとした学術的名称を知らないし、薬用や食用以外の物については説明が雑だった。出来れば毒草や染料に使えそうな植物も詳しく知っておきたいので、将来的には彼女以上に知識のある人間に教えてもらうべきだろう。
 トレーニング開始から四か月経つ頃には、ちょっとやそっと走っただけでは息切れしなくなった。肌も日に焼けて浅黒くなり、手の皮や足の皮も丈夫になった。現代日本で言うところの標準的な田舎の子どもって感じだ。
 もう少し身体能力を高めておきたいと思っていたのだけど――、ちょっとのっぴきならない事情が発生して断念せざるをえなくなった。
 七月の下旬、麦の刈入れもすっかり終わった頃、夕食の席でアドリアンがこう切り出したのだ。
「近々森を切り開こうと考えている」
「はあ、森ですか」
 グレイスがスープを口に運ぶ手を止める。アドリアンは頷いた。
「ああ。王都の友人に、そうするよう助言をもらったのでな」
「でも旦那様、畑をこれ以上増やしても人手が足りないと思うのですが……」
 グレイスは村の労働力と農地の使用状況についてよく把握しているようだった。アドリアンの仕事を手伝っているから当然か。
「友人が言うには、ここ最近の不作は土中の土の魔素が少なくなってきているから起こっているそうだ。使わない畑と使う畑、そのサイクルをもっと長期のものにすれば、土の魔素はよりたくさん回復してくれるという。正直、来年も今年と同じくらいの収穫量では厳しい。十月までに魔素が豊富な新しい畑がいるのだ」
「旦那様がそうおっしゃるなら。あ、じゃあ私、村で腕の立つ冒険者に募集かけますね」
 グレイスの言葉にアドリアンは難しい顔になって首を傾げる。
「冒険者? 何故だ?」
「森を切り開けば奥から魔獣が飛び出してくるかもしれませんので。私の小さい頃にも父が一度開拓に駆り出されまして、そのときお弁当を届けに行ったんですけど、広場にはたくさん冒険者が控えていました。もしものときのためにと」
「ほお。だが、わざわざ冒険者を雇わずともその場にいる皆で対処すればいいのではないか? 村の男連中は皆屈強だ。それに村の大半に参加させるつもりだから数も十分だと思う。必要性をあまり感じないのだが」
「それもそうですね。じゃあどうして私の故郷の司教様は冒険者を集めたのでしょう?」
 グレイスが首を傾げる。アドリアンは眉間を揉んだ。
「開拓に参加する村民が手練れではなかったのではないか? 良い案だと思うが、あまり金を使いたくない。削れるところは削りたいのでな。募集はかけないでくれ」
「はい、分かりました」
 二人は再びスープを口に運び始める。カチャカチャ食器の触れ合う音だけが響く。
「――――――――」
 僕は無言でライ麦パンを口に運んでいた。
 アドリアンが森の開拓を始めるのか……。
 と、すると森の前の拠点は引き下げねばならないだろう。あそこには土魔術で作った運動器具やアスレチックの数々が放置してある。僕が毎日野蛮な遊びをしていると知られるのはまずいし、魔術が使えるということを知られるのはもっとまずい。
 あくまでももうすぐ四歳になる貴族の息子を演じなければいけないのだから。
 早熟だと知られたら絶対面倒な事に巻き込まれる。
 主に跡継ぎ争い的な問題に。
 こんな辺境の地を巡ってジェームズと喧嘩するなんてデメリットしかないじゃないか。
 ジェームズと言えばあいつ最近見てないな。アドリアンの話じゃもうすぐ剣術の稽古始めるんだっけ。肝心の剣の先生が見つかってないらしいけど。
 僕はパンを置いた。
「お父様、ジェームズお兄様は元気ですか?」
「ん? さあ、元気なんじゃないか? 全部マーガレットに任せっきりだが、彼女ならジェームズをきちんと育ててくれるだろう。ああ、でも算術は苦手なんだったか。……算術は大切だ。今度暇を見つけて教えてやらねば」
 いつも通りらしい。ホント、本館の奥に引き籠られたら、必要以上に立ち入ることを禁じられた僕では会えないからなー。近いのに遠いこの距離感よ。
「リリエットとマリエットはどうです? 元気にしていますか?」
 僕が何気なくそう尋ねると、アドリアンはガチャンと音を立ててスープを掬った。
「……元気なんじゃないか。ところで、アル、お前最近日焼けしたな」
「え、そうでしょうか」
「旦那様もそう思われますか? 私も最近そう思っていたんです。アルフォンス、元気なのは良い事ですけど、あんまり無茶な事をしちゃ駄目よ。お日様に当たり過ぎるのも毒ですからね」
「はい、心得ています」
 グレイスはため息を吐いた。
「返事だけは一人前なんですけどねえ。本当に分かっているのかしら」
「アルは分かっているだろう。この四か月、一度も私の設けた禁を破っていない。それどころか昼食もきちんとここでとっているし、怪我をすることや服を汚すこともない。非常に素行が良い。良いが――一つだけ言っておきたいことがある」
「なんですか?」
 アドリアンはライ麦パンの最後の一かけらを口に放り込んだ。
「お前、その日焼け具合からして牧草地で毎日遊んでいるんだろう? しばらく牧草地や森では遊ぶな。理由は危険かもしれないからだ。……すまんな」
「いえ、分かりました」
 と答えたのはいいが、それって実質的に外出を禁じるって事だよな。
 僕としても、森の開拓のために丘を上ってきた村人に、魔術ショーを披露する気なんて毛頭ないからここで生活サイクルをがらりと変えるつもりだ。それはいい。
 しかし引き籠りに戻る気はない。
 体は最低限動くようになったし、そろそろ丘の下の村まで出向いても良い頃だろう。拠点を森の前の憩いの場から丘の下の村に移す。市場調査の傍ら、この辺の生態系に詳しい人を見つけて話を聞く。
 第二段階の開始である。
 それとついでに――こっそりモーリス家についての情報を集めておく。
 グレイスはどうか分からないが、少なくともアドリアンは僕に何かを隠している。一番大きな隠し事は見たことのない長女と次女だろう。流石にそれについては分からないかもしれないが、村人からモーリス家はどう思われているのか、アドリアン・モーリスとはどういう存在なのかを聞くことが出来るはずだ。
 今まで僕が得てきたモーリス家の情報は全てアドリアンからのものなんだよな。
 要するに情報に偏りがある。
 アドリアンが都合の良い情報ばかり与えているとは考えたくないが、僕は無条件で彼の言うことを信じるほど、彼を信用してはいない。
 ジェームズが成人して家を継いだあと、僕もまた成人して大人になる。そうしたらグレイスを連れてここを出ていく。だが、それまではこの小さな世界に縛り付けられるのだ。より強かに生きるためにも客観的な情報は手元においておきたい。
「本当に分かっているのかしら?」
 グレイスが笑顔で僕の頬をつんつん突いてくる。
 はは。
 やだなあ、母さん。
 分かってないから、知ろうとするに決まっているじゃないか。

    ×             ×               ×

 翌日、僕は朝食を食べたあと早速窓から抜け出した。
 玄関から出てはメイドに見られるからだ。
 こういうこともあろうかと事前に木登りの練習もしておいた。
 風と氷の魔術を展開させながら、難なく屋敷の裏手に降り立つ。
 そこから屋敷の窓の死角になるよう大きく草原を迂回して森前の拠点へ。
 長い間お世話になった拠点ともお別れだ。僕は一抹の寂しさを覚えながらも小屋やアスレチックの数々を元の土に還していった。
 すべて終わるとローブと農作業服に着替える。着ていた服はローブの中に丸めてしまっておくことにした。夏服だから生地が薄くかさばらないのだ。
「そうだ、取引材料を獲っていくか」
 川の中を見るとヤマメに似た魚――『マソ』の影がいくつも見える。
 僕は体の周囲の大気に分子運動の魔術をかけた。
 急激な低温化。そして個体窒素の槍を五つ展開する。銃弾の回転をイメージして槍に風魔術で運動エネルギーを加えていく。
「ほっ」
 息をつめて射出。朝日を浴びてきらきらと輝く窒素の槍は、寸分違わず五匹のマソの頭を串刺しにした。
 まだまだ練習中だけど、今のところざっとこんなもんだ。
 獲ったマソは手に持って歩くのは大変なので近くに生えていた蔦を引き千切りエラに通して腰にくくりつける。
 これでよし。それじゃ、いよいよ村へ下りようか。
 僕は地を蹴り――一気に牧草地を駆け抜けていく。
 村に入るにあたって、まず素性は隠しておこうと思う。
 僕はアドリアンの館とは反対方向の南から来た農民の子――という設定でいく。
 村の様子を見に行くのに、わざわざ「僕はアドリアンの息子のアルフォンスです」と教える必要はない。アドリアンの口調からして名乗れば何か不都合が出ることは明らかだからだ。
 病気のお父さんのために川で魚を獲って他の物に交換してもらいに来たとかそんな感じで。
 でも小さな社会だから喋り過ぎればボロが出て特定される。そこら辺はうまく立ち回ってフォローかな。
 丘の下の村は、村落という扱いではあるけれども、一応アドリアン・モーリス辺境伯のお膝元であるわけで、それなりに規模は大きい。人口も千五百人程度はいる。
 また年に二度ほど東から隊商がやってきていて。
 北からの――帝国方面からの隊商は引っ切り無しにやって来ているそうだ。
 東からの隊商は今の季節は来ないから、隊商が来ていたら北からの者たちだろう。
「おっと」
 遠目に確認した村の入り口には数人の大人たちが集まって何やら会話していた。丘を下ってきたところを見られるわけにはいけないので手近な草の中に身を隠す。茶色いフードを目深にかぶり、ローブを体に巻き付ける。一目で人間だとは分からないようにする。背丈が小さいから何かの動物だと思うだろう。大人たちの議論は白熱しているようだし、こっちに気付いても近づいてくることはあるまい。
 彼らの方に気を配りながら慎重に草の中を移動する。途中、草むらの中で見つけた野草をちぎって、ポケットに突っ込んでいく。これも何かに使えるかもしれない。
 大人集団が村の柵の死角に入った。僕は一気に速度を上げた。
 分子運動の魔術で周囲を適温に保ち。
 風と土の魔術で足元を補強し、マシラのように素早く草をかき分ける。
 ザザザザザ! と周囲の景色が後ろに流れていく。
 速度はかなり出ていると思う。健康な成人男性が軽くジョギングするくらい。足の遅い人よりは速く動けているだろう。
 移動しつつ村の方を見やる。
 青々とした草、その向こうの刈入れの終わったくすんだ黄金色の麦畑。その向こうにある村の外郭。
 村はだいたい円形をしているようで、周囲を柵のようなもので囲まれている。レンガ造りの赤い尖塔がちらちら見える。
 へえ……、もっとよく燃えそうな街並みだと思っていたんだけど、結構しっかり建築しているじゃないか。
 広さは――まだよくわからないが、半径二キロ以上は確実にある。でも地平線の向こうまで続いているって感じはしない。
 街にしてもでかいと思った。でもそれは僕の主観で、他に比較対象を知らないから本当に大きいのかどうかは分からない。
 いや、多分かなり小さいのだろうな。だってモーリス辺境伯領って零細企業だし。
 やがて村の南の入り口が見えてきた。
 僕は草の大地を強く踏みしめ、土の魔術で補助しながら、砲弾のように草むらから街道に躍り出た。車がドリフトするように滑りながら、両足と右手で勢いを止める。
 と、すぐ目の前に木製の農具を担いだおっさんがいた。彼は僕を見て「ほえ!?」と「はお!?」の中間くらいの声を出し、呆気にとられたように硬直していた。ちっ、運が悪い。
 しかし周囲には彼以外人がいないようだ。ククククク……、この点は運が良かったか。
 僕はおっさんを安心させるように両手をゆっくりとローブから出しながら声をかける。
「おじさん、ここが『大きな街』?」
「えっ!? あ……、うぁ?」
 おっさんは歯の抜けたロバのような貧相な顔をしていた。茶色い髪に農作業用の服。腰には種か何かを入れた袋が見える。体は細いが結構筋肉がついている様子だ。
 どうやら状況が飲み込めていないらしく及び腰になっている。
 いかんな。フードを取って笑顔を向けるか? しかし、素顔を晒すのはあまり得策ではない。いや、コミュニケーションの基本は笑顔だろう。スマイルゼロ円。僕と君とはお友達。
 僕はフードをとると笑顔を張りつけた。
「魚、売りに来た。『大きな街』行けば交換してくれるって」
 落ち着け……、落ち着け……、現地人に警戒されてはいかん。僕は三歳の子ども。可愛らしくて無害な三歳の子どもなのだ! 必殺☆子どもスマイルが大人に通用しないはずがない!
「え、売りに来た? ……あぁ、なんだ、びっくりした。ただのガキか。新種の魔獣かと思ったぜ」
 馬面の農夫はようやく落ち着いたらしい。僕の方を見て気さくな笑みを浮かべた。
 彼は腰を少しかがめて続ける。
「坊主、何を替えことしにきたって?」
「この魚と――」
 僕はローブをめくって腰のヤマメ、もとい『マソ』を見せる。「――皆が着ているみたいな服。あと丈夫な袋」
 おっさんは顎に手を当てると「ふぅん」と唸った。
「そりゃ無理だと思うぜ。この時期マソなんていくらでも獲れる。五匹も釣ったのは偉いが、それじゃあ、全部合わせてもパンと水買う分くらいにしかならねえ。俺ならそれに布袋くらいは付けてやるけどな」
 僕は笑顔のまま首を傾げた。
「――おじさんは僕からぼったくろうとしているんですか?」
「おめえみたいなガキからボろうって思うほど人でなしじゃねえよ。しかもたかがマソ五匹とか。へっ」
 マジか……。ヤマメってそんなに価値が低いのか……。
 時代劇とかじゃ魚売っている子どもとか出てくるから、頑張れば何とかなると思っていたんだけどな。現実はそう甘くはないらしい。
 せいぜい交換してもらえて麻袋+αくらいってことか。
 僕はこくこくと頷きながらローブから黒鉛と羊皮紙片を取り出し手早くメモを残していく。あとでこいつの言うことが正しかったか裏を取ろう。
「おじさん、ありがとうございました」
「お? おお、村に入るのか? うまいこと交換できるよう、頑張れよ!」
「はい、おじさんもお元気で!」
 僕はフードをかぶりなおした。おっさんは僕に背を向けて刈入れの終わった麦畑の方へと歩いていった。僕も彼に背を向けて村の入り口の方を見た。
 入り口の部分は五メートルほど木の柵が途切れている。地面はやや粘土質だが、よく踏みならされていて歩きやすそう。うっすらと轍の跡も見える。村の中の途中までは茶色い土が露出しているが、あるところを境に石畳になっていた。その向こうには大小さまざまな石造りの建物が続いていて、道の脇には露店の準備をしている人々の影が見えた。
 アドリアンの話じゃ村民は税で疲弊しているという話だけど、一見してそうは思えない。ここが商業区画だからだろうか。暗い顔していたら売れるものも売れなくなってしまうからな。
 とりあえず村の中央まで行ってみよう。
 できるだけ人ごみに混ざって。
 本当はどこかで目立ちにくい服を調達したかったのだけど……、交換するための資本がないからしょうがない。グレイスにねだれば調達してくれるかもしれないが、その前にきっと用途について詰問を受ける。彼女も馬鹿ではないから言いくるめは失敗するだろう。その場合、僕がやっていることがばれる可能性がある。
 手持ちの黒鉛と羊皮紙片は――もしかしたら黒鉛の方は交換可能かもしれないが、こいつは大切なメモを取るためのものなのであんまり無駄には出来ない。
 しばらくは我慢するほかあるまい。
 僕はローブに身を隠すように体を丸めた。
 石畳の大通りを歩いていると、左右の露店にいる人たちがちらちらと僕の方を見ているのを感じる。……でも今のところ嫌な感じはしないな。
 この服装のままでもいけそうか?
 いや、今日だけならともかく毎日ここへ来るのだから、こうして見られている以上いつかは問題になる。服装は早めに解決すべき事だ。
 僕はまばらな人ごみを縫うように避けながら、左右の露店に並べてある物を観察していく。
 黒パン、小麦、大麦、ライ麦。
 卵、乳製品。ただし、鶏や牛からとれたものかどうかは分からない。特に卵は異様にでかい。
 干し肉のようなもの。色が紫だ。体に悪そう。
 染料。綺麗な原色の色が瓶に入れられて並んでいる。何から抽出したのだろう?
 動物の毛皮。何の動物かは分からない。もしかしたら魔獣と呼ばれるものかもしれない。黒色に少し赤みが混じったようなふさふさの毛皮だ。背中部分なのだろうけど、三メートル×二メートルくらいとめちゃくちゃでかい。毛皮の元になった奴はどれくらい大きかったのだろうか。この世界の住人はそんな途轍もない化け物と殴り合いをしているのだろうか。
 店と店との間に井戸が見える。路地裏の日陰になっているところだ。
 通りすがりの人間が時たま水をくみ上げては手持ちの桶に入れている。どうやらあの井戸から水をくみ上げるのはタダみたいだ。
 しかし飲料水として使えるのかは分からない。
 無制限に汲み上げ続けて良いのかも分からない。
 試しに僕も汲み上げてみるか? ――いや、駄目だな。会員制で商工会の人間しか使用不可という条件であったならば、水泥棒になりかねない。それはまずい。
 どんどん先に進んでいく。
 すると、珍しいものが目に入った。
 中央広場――ではないのだろうけど、ちょっと大きめの広場で、隊商の一団が馬車から荷物を下ろしていたのだ。北からの隊商で出店に向けて準備しているのだろう。こいつらも珍しかったのだけど、それ以上に目をひいたのは、彼らの前で売り子をしていたもっさりした赤毛の若い女性だった。
 その赤毛の娘さんは、珍しいものを売っていた。
「今日はこれから暑くなるよォー! 氷はいかがー? 氷はいかがスかー!?」
 女性にしては野太い声。
 彼女の周りには隊商の構成員の何人かが群がっていた。
 娘さんが氷を差し出し。
 氷を買った人は白色に光る小さな板を彼女に手渡す。
 銀でやり取りしているのか! 本当にただの銀の塊って感じで貨幣ではないだろう。娘さんは受け取った銀を歯で噛みしめ、「毎度」と言って笑っている。
 あ、金貨で支払おうとしている奴もいる。モノホンの金で出来た貨幣だな。これはお釣りが払えないから困るって断られた。
 木の札のようなものを差し出した奴には首を振った。紙幣のようなものか? こんな田舎では紙幣の信用なんてないも同然だから当たり前の反応だろう。
 まだ朝だというのに、女性の後ろの置かれた木箱のほとんどは空になっていた。
 今は七月下旬。
 ここらは海流の影響もあって、四季があり、夏は気温が上がる。
 うまいこと考えている。冬の間にたくさん氷を作って、それを冷たい洞窟か何かに保存。夏に取り出して売りさばいているんだ。
 そう言えばウチの冷蔵庫にも大きな氷が使われていた。
 あれも彼女のような氷業者から買い取ったものなのだろうか。
 僕があくせくと働く彼女を見ていると、十分もしないうちに氷は完売となった。氷を買い損ねた人たちは肩を落としながら方々へ散っていく。
「あの、すみません」
 後片付けを始めている娘さんに声をかける。彼女はこちらに振り向きもしないで答えた。
「悪いけどもう売り切れだよー。氷欲しかったら他のサーカス行くか、明日出直すんだね」
「いえ、そうではなくて――。お聞きしたいことがあるのですが」
「あん? だったら早く言いな! あたしゃ回りくどいのは好きじゃないんだよ!」
 彼女が苛々したようにそう言う。長い髪が鬱陶しいのか赤毛を乱暴に後ろに払った。僕は目を丸くした。
「あっ――」
「なんだい?」
「い、いえ……」
 僕は平静を装って首を振る。
 しかし内心はどきどきだった。
 何せ、見てしまったのだ。
 彼女の――先の尖った耳を。
 人間ではあり得ない、長い耳を。
 彼女は、エルフだ!
 ついに、この異世界でエルフに会うことが出来た!
 なるほど。この娘さん、勇ましい声をしているが、よく見ると顔の造形は綺麗だし、体もスレンダーで整っている。人間族でもこれくらい綺麗な人は何人もいるだろうけど、彼女の纏う雰囲気と言うか、空気感と言うか、とにかくそう言うものが人とは違っている気がする。
 これが森住族――エルフか。
「ふん! ハーフアールブなんぞ、今じゃ珍しくも何ともなかろうに!」
 僕の視線に気が付いたのか彼女が不愉快そうに腕を組む。
 そうなのか、珍しくないのか。というか、ハーフエルフだったのか。
 そう言えばそこらを行き来する人の中に耳のとがった人が何人も混ざっている。帽子かぶっていたり、髪を伸ばしたりしている人が多いからよく見ないと気づかないけど。
 あの人たち皆エルフの血が入っているのか。
「おら! 用が無いならもう帰るよ!」
「あ、ちょ、ちょっと待った! 訊きたいことは、ここで僕が氷売りしてもいいかってことです。どこかの偉い人の許可がいるなら――」
「氷なんてあんた持ってないじゃないか」
「今から取りに行くんです!」
「量は?」
「えっと――、そこの、木箱くらい?」
 僕は彼女が片づけている箱を指さした。
「じゃあ要らないね。もっとも、ボられても商工会の補填と回復措置を受けられないし、他の正当な業者に立ち退きを命令されたらすぐどかないといけないけど。木箱一杯くらいなら皆がそこらでやっている物々交換とそう変わらない。文句言われたら言いかえしゃいいよ。そのうるさい口を閉じないと、この氷と同じ分だけの馬のクソを口の中にぶっこむぞって!」
「は、はあ……。なるほど……」
 すげえな。
 馬のクソとかぶっこむとか。
 年頃(?)の綺麗なエルフのお姉さんがなんてお下品な。
「別に礼なんて要らないさ。こんなの誰だって知ってることだしね。それじゃ」
「あ、待った!」
「なんなんだい! もう!」
 青筋を立てるエルフのお姉さんに、僕は自分のローブをめくって見せた。
「この魚全部と、そこの木箱の中で一番古くてボロいものとを交換してください。今なら野草もつけますよ」
 ……結果。
 野草はもらってくれなかった。

    ×              ×              ×

 それから僕は何回かに分けて氷を売って路銀を集め、古着屋で処分品の町人の服とローブを二揃え買った。午前中ずっと氷を売って溜めたお金は、二組の服とローブを買ったせいでほとんど無くなってしまった。
 ボられないよう細心の注意を払っていたのだけど、残金を見るにかなり余分に持って行かれた模様。市場価格も知らずまともに商売もしたことのない男が店出すとこうなるんデスネ……。
 とは言え、元手がほぼゼロだからこれだけ詐欺られても全然損した気分にはなれなかった。
 水魔術で箱の中に水集めてそれを適当に凍らすだけ。
 これでお金が貰えるんだからぼろい商売である。
 昼にはきちんと館に戻って食事した。
 珍しくアドリアンは不在だった。グレイスも仕事だと言うので一人で食事をした。チーノにアドリアンはどうしているのか聞いたら、村の連中と開拓の打ち合わせをしているという答えが返ってきた。
 朝からずっと。昼食にも出られないくらい揉めているらしい。
 アドリアンの事だから村の連中の労働力を安く買おうと頑張っているに違いない。おそらくグレイスはその付き添いだな。チーノは非常時の連絡係として館に残っているのだろう。
 昼食を食べ終わった僕は、再び窓から外へ飛び出し、隠しておいた町人服とローブを着て丘の下の町に潜入した。
 今度はゆっくりと市場の物価を調べていく。
 やることは露店を覗いて、交換レートを探り、それをメモに書き記すという単純作業。
 時たま建物の壁に張られている求人広告で適正な労働賃金はどれくらいなのか、色々なデータサンプルを集めていく。
「ん……?」
 そうしていると中央広場の求人広告スペースに見覚えのある字を見つけた。

『剣術の家庭教師急募
 依頼人名:アドリアン・モーリス
 依頼内容:息子のジェームズに剣術を教えてほしい。出来れば経験豊富な冒険者が良い(独学、我流は不可。王都の記録機関に名前のある流派に限る)。最低でも一日三時間、一週間で十五時間の授業をしてもらう。期間は息子の技術習得具合による。我こそはと思う者はモーリス家を訪ねたし。複雑で煩わしい手続きは必要ない。家へ来てもらえればすぐにでも召し抱える。住み込みも可。ただしこれを希望する場合面接を行う。
 報酬:息子の具合による。
 その他:分からないことがあれば問い合わせてほしい。こちらは真摯に対応する用意がある。
                                                              以上』

 期間と報酬が両方とも不透明ってどういうことなの……!?
 おまけにジェームズがどれくらいの剣の腕を持っているかとか、『王都の記録機関に名前のある流派』とは例えばどんなものがあるのかとか重要そうな情報が思いっきり欠落している。
 よく分からないけど、こういうものはもっときっちりはっきりと書いた方がいいんじゃないか。
 少なくとも報酬額をちゃんと書いておかないと、メイドと同じ待遇をされるのかそれとも武人として礼を尽くされるのか判断がつかないような……。
 僕がアドリアンの出した求人広告を見て複雑な心境になっていると、ふと首筋に視線を感じて後ろを振り返った。
「え?」

 そこには、異様な格好の男が立っていた。

 黒だ。
 全身真っ黒。
 この暑いのに黒い毛皮で体をすっぽり覆い、手には手袋まで付けている。帽子はこの中世っぽい世界にはそぐわないトップハット。顔には鉤鼻のように鋭い曲線を描く鳥のくちばしの仮面。こいつも色は黒を基調としている。
 バン○イアハンターDみたいな見た目だな。
「…………」
 男は無言で僕を見ていた。
 こんなおかしな格好をしているというのに、周囲に行き交う人たちはまるでそこには誰もいないかのように通り過ぎる。
 まるで僕と男の時間だけが止まってしまったよう。
 心臓の音だけがやかましく耳の中に聞こえる。
「あ……、あの、何か……?」
 辛うじてそれだけ言うと、男は興味を失ったかのように僕から視線を外した。
 次に彼が見たのは壁に貼られたアドリアンの求人広告だった。
「――――――――」
 時間にして十秒もなかっただろう。
 男は広告を読んだあと、やはり無言で毛皮のマントを翻した。バサリと派手が音がし、夏の熱い空気が胎動する。獣臭が鼻を突くだろうと予想していたのに、あろうことか麝香のような甘い香りが鼻をくすぐった。
 男はヒタヒタと市井に紛れて消えていく。
 人ごみを器用に躱して。
 流れるような美しい動作で。
 僕はその消えゆく後ろ背を呆然と見送るしかなかった。
「なんなんだ、あいつ……」
 魔獣(?)の毛皮着ていたし、多分冒険者なんだろうけど。
 でも只者では無いような気がする。
 異様な雰囲気を纏っていたし。
 あんな変な格好している人もこの世界にはいるんだ……。
 どこの出身の人なのだろう? この辺境伯領には旅の途中で立ち寄ったってところかな?
 怖いもの見たさでちょっと話を聞いてみたいと思った。
「……っと。いけない。帰らないと」
 僕は我に返って呟いた。商品を見て回るのが楽しすぎて時間を忘れていたけど、気付けばもう日の光はオレンジ色になっている。あと二時間ほどで日も完全に沈むだろう。
 それにしても。
 僕は無意識のうちに『異様な雰囲気』とか思っちゃうくらいには異世界になじんできているみたいだ。
 嬉しいような、悲しいような。
 もしこれで日本に帰れたら立派な中二病だな。

   ×               ×               ×
 夕食の席にはアドリアンはいた。
 グレイスはまだ雑事が残っているから働いているらしい。
 アドリアンは僕が食堂に入った時、いつも以上に椅子にもたれてぐったりしていた。どうやら森の開拓についての村民との会合でどうやらうまくいかなかったようである。彼は僕の姿を見ると慌てて姿勢をただした。別にかまわないから楽にしていていいのに。
「やあ、アル」
 アドリアンは今にも死にそうな目でそう挨拶する。心なしか顔色が悪い。元から景気が悪そうな顔なのに今は輪をかけて酷い。
 なんかここまでアレだと心配になって来るな……。自殺とかしないよね?
「お父様、大丈夫ですか?」
 僕の言葉に彼は口元を引きつらせた。笑おうとしたらしい。
「ああ、どうにか森の開拓を名主に納得させられた。――一部利権を手放すことになってしまったが……。まあこれも運命だろう。開拓がうまくいって、我が領民が豊かになるならそれでいい。私が……、私が守らねば……。民を……」
 すごく大丈夫じゃなさそうです。
 青い顔をしたアドリアンに、チーノがいつも通りのポーカーフェイスで水を出す。そのあと僕の前にも置いてくれた。
「ありがとう、チーノさん」
 僕は笑顔でお礼を言う。すると彼女は僕の方をちらりと見たあと、「いいえ、仕事ですから」とだけ言って部屋の隅に戻った。
 グレイスには相変わらず偉そうだけど、僕に対しては一応敬意を払った態度を示してくれるんだよな。せめてグレイスにも普通に接してほしいものである。
 アドリアンは杯から水をあおると息を吐いて少し表情を和らげた。
「そう言えばチーノ。確かお前、ジェームズに読み書きを教えているらしいな」
「はい」
「どうだ? ジェームズの様子は」
 チーノは深くしわの刻まれた目元を少し震わせた。迷うような仕草だった。
「ジェームズ様は――頑張っておいでです」
「そうか。文字を読んだり書いたりするのは基本だからな。読めない者は貴族にもたくさんいるが――、我が子にはきちんと教養を身につけてほしい。作法の方はどうだ?」
「マーガレット奥様が教えていらっしゃいます。私からは何とも……」
「雑感でよい。ジェームズは作法の勉強ができているのか、できていないのか。お前も近くにいるのだから知らないはずはないだろう」
「それは――。ジェームズ様は授業によく取り組んでおられるように思います」
 アドリアンは「ふむ」と頷くと続けた。
「ではジェームズの生活サイクルに算術の授業も入れる。読み書きと作法の勉強に慣れてきているなら問題なかろう。算術は私が教える。夜中、少ししか時間が取れぬが、やらないよりはましだ。算術は絶対に必要だ」
 前から思っていたのだけどアドリアンって算術に殺意すら覚えているよね。何かにつけて算術、算術と親の仇のごとく口にしているし。
 まあ、分からんでもない。
 数学が好きな奴なんてごく一握りの変態だけである。
「かしこまりました。では今夜中にでも読み書きのカリキュラムを組みなおします」
「ん? 組みなおす必要があるのか?」
「はい。――大いに」
「ふむ? そうか、ならお前に任せる。機を見て剣術や魔術も仕込みたいのだが、剣術は師が見つからぬし、魔術は読み書きが完全に出来るようになってからだ。成人までに何とかするつもりだが、今は難しいのだろうな」
「それは――はい。少なくとも魔術に関しては……」
 僕は二人の会話を聞きながら水をあおっていた。何杯でも飲める。その度にチーノに注ぎ足してもらう。今日は一日中日差しの下で動き回っていたからのどが渇いているのだ。
「ジェームズお兄様は大変ですねー」
 そんなのんきな台詞を口にしたのが間違いだった。
 アドリアンが眉根を寄せて僕の方を見る。
「アル、そう言えばお前、次の冬には四歳になるよな」
「え? はい。そうですね」
「それなのに毎日外を遊び歩いているのだな」
「まあ……、そうなりますね」
 体を鍛えていたと主張したいが、あれは客観的に見て遊びの範疇の行為だろう。遊びで反復横跳びをする男、アルフォンス・モーリス。将来はオリンピック選手だな。
「仮にもモーリス家の息子が教養の一つも知らないようではいけない。アル、お前明日から読み書きをチーノに習え。いいな?」
「うえ!? そんな殺生な!」
 ここに来て教養のない野蛮人キャラが裏目に!
 どうしよう。
 他にやりたいことがたくさんあるのに!
「お言葉ですが、アドリアン様。アルフォンス様に授業は必要ないでしょう」
 チーノが静かにそう言った。
 おお!?
 思わぬところから援護が来たぞ!
「何故だ? 将来のことを考えると必要であろう」
「いいえ。授業をしたところで、私が逆に教わることになってしまうでしょうから」

 ……は?

 何言ってんの、チーノ。
「お父様、今日は暑かったから、チーノさんもお疲れになっているのだと思います」
 僕がすましてそう言うとアドリアンは胡乱な目をチーノに向けた。
「チーノ、気は確かか?」
 するとチーノはこくりと頷いた。それから僕の方を感情の読めない目でじっと見つめる。強い視線だ。敵意にも似た色を纏っている。でも多分敵意じゃない。この館のメイドたちが僕に送るものとはまた少し違っている。
 彼女はアドリアンの方に向き直るとこう言った。

「アルフォンス様は――、フランチェスカ語の読み書きはもちろん、神聖ルール語の読み書きも出来ます。それどころか魔術の教本を理解し、既にいくつかの魔術を独学で習得されています」

 おい……。
 おい。
 おい!
 ばれてるんだけど。
 うまいこと隠していたはずなのに。
 このメイド長さんにすべて知られちゃってたんだけど。
 ていうか何で知ってんの?
 お前知ってて僕を泳がせてたの?
 性格悪くない!?
「――で、あるからして、私がアルフォンス様に読み書きを教えるということは、私の能力的に不可能です」
 アドリアンの口があんぐりと開いた。
 そしてチーノを気づかわしげに見つめた。
 あ、良かった、冗談だと思ったらしい。
 僕は前世の知識があるだけで別に天才でも何でもないからな。変な期待かけられるのは御免こうむりたい。「跡継ぎはジェームズとアルフォンスのどっちが相応しいであろうな」とか言われて政争に巻き込むのはもっと止めてほしい。
 アドリアンは言葉を探すように宙に目をさまよわせて、やがて再びチーノに向き直った。
「チーノ。アルは確かに賢いが、まだ三歳――」

「――――旦那様!」

 言葉が唐突にさえぎられる。
 グレイスの声だ。
 正面廊下の方からくぐもった声が聞こえてくる。ドタドタという足音が複数近づいてくる。
 少ししてから食堂の扉が大きく開かれた。
 グレイスを先頭に屋敷のメイドたちがずらずらと入ってくる。グレイスは慌てた顔、他のメイドたちは怯えたような顔をしている。
「何事だ?」
 アドリアンが訊くと、グレイスは急き込んで言った。
「それが、玄関に異様な風体をした女が来て、ジェームズ様の家庭教師をすると」
「異様な風体?」
「ブラッディ・キラー・ベアの黒色種の毛皮を羽織り、顔を鳥のような仮面で隠しています。冒険者ギルド等の身分証も持っておらず、仮面をとるよう求めたのですがそれも断り――」
 メイドの誰かが嗚咽を漏らした。
 その家庭教師志望の女の人がそんなに怖かったのかよ。
 あれ? ちょっと待て。
 魔獣の毛皮を羽織っていて、鳥のような仮面をしているって?
「ほ、ほう……。それで、その者はどうしているのだ?」
「その場で待つようお願いしました。扉のすぐ外で待っていらっしゃるかと」
「分かった。ご苦労だったな、グレイス」
 アドリアンが腰を浮かせる。
「アドリアン様、なりません」
 チーノが口を出した。「そのような怪しい者に会うなど危険です」
「だが家庭教師の募集をしたのは私だぞ。出ないわけにはいくまい」
「なりません!」
「チーノ、お前も歳を取ったな」
「なっ――」
 チーノが愕然とした顔になる。アドリアンはそんな彼女の脇を抜けて食堂から出ていった。彼の後ろにグレイスが従っていく。
 面白そうなので僕も見に行くことにした。完全に野次馬である。
 と、食堂から出る前に――。
「チーノさん」
 僕は呆然と立ち尽くしているメイド長に声をかけた。
「…………」
 彼女は無言で僕の方を見る。
「チーノさんはまだまだ現役の人だと思いますよ。メイド長としての役目を始め、ジェームズお兄様の家庭教師まできっちり役目をこなされている素晴らしい人だと僕は思っています」
「…………。アルフォンス様…………」
「だから、ね。そんなに落ち込まないでください。それと父は配慮の足りない面もありますが、きちんと話せば聞いてくれる人です。これに懲りず彼を陰ながら支えてあげてください」
 チーノは僕の言葉を聞いて、食べ物の味を味わうかのようにそっと目を閉じた。
 それからまた目を開け、僕を正面から見つめてとても深く礼をした。
「ありがとうございます、アルフォンス様」
「いやいや」
 彼女のことは別に好きではないけど、毎回食事の時に水を注いでもらっているからな。お礼の意味も込めて声かけるくらいはしておきます。

   ×               ×               ×

 正面扉の外には夕方見た毛皮の男が立っていた。いや、グレイスは女と言っていたから女なのだろう。
 改めてそいつを見ると、なるほどでかいし良い体をしている。メイドが怖がったのも無理はない。夕闇の中でこいつが一人佇んでいたら死神か何かのように思えるだろう。
 背丈は――目算で百八十センチオーバー。毛皮のマントのせいもあり横にも広く見える。仮面をつけているため表情はうかがい知れず、言い知れない威圧感がある。
 彼女は、暴れるでも叫ぶでもなく、ただこちらを見つめていた。
 アドリアンも目の前の不吉な客に思わずぞっとしたのか及び腰になっている。気丈にもグレイスがアドリアンの前に庇うように立ち、相手を威嚇するように見上げている。なんか小動物みたいで可愛い。男ならあれで落ちるな。

「――あんたが依頼主のアドリアン・モーリスかい?」

 と、鳥の仮面に熊の毛皮を着たそいつは流暢なフランチェスカ語でそう言った。声は確かに女だ。ハスキーで少し掠れているけど、とても聞き心地が良い。発音が非常に綺麗だ。言葉遣いはあんまり洗練されてないけど。
「そうだ。私がアドリアンだ」
 アドリアンが前に出る。横に控える衛兵が二人緊張したように鎧を鳴らした。欠伸しているところしか見たことなかったけど、そんな顔もできるんだな。
「――そうかい。お初にお目にかかる。あたしはスカアハ、旅の武芸者さ。昼頃に下の町に立ち寄ったのだが、冒険者ギルドの依頼板に変な依頼が貼ってあってね。面白そうだったから受けてみようと思って来たのさ。冒険者証は持っていないけど、自称冒険者だ。文句はないだろう? 誰だって名乗るのは自由だからね。フフフフフ……」
 スカアハと名乗る武芸者はすごく静かに喋る。徐々に知的なイメージが湧いてくるが、でもなんか不気味だ。
 まさかとは思うけど、いきなりアドリアンに斬りかかったりしないよね? こんな辺境の地の一領主斬ったところでいいことないよー。
 一応、魔術はいつでも発動できるようにしておくか。
 僕はこっそりと足元の空気を低温化させて小さなダークを十個ほどつくり出した。大型の獣ならともかく、人間一人制圧するにはこの程度で十分だろう。
 と、背後の本館の扉が開いて、中からマーガレットさんとジェームズ、それとチーノが出てきた。
「あなた、何事ですの?」
 マーガレットさんがスカアハの方に一瞥をくれてからアドリアンに詰め寄る。久々に聞いたマーガレットさんの声は前と全然変わっていなかった。髪も相変わらずお蝶夫人みたい。
 ジェームズ兄様もお変わりないようで。
 少し背が伸びたかな。
 彼はむすっとした顔でスカアハを見ていた。
「マーガレット、ジェームズ。前に剣術の家庭教師の募集を出したという話をしたと思うが、それを見て来てくださったスカアハ殿だ。これから簡単に面接のようなものをして、ジェームズに合っていそうなら先生になってもらう」
「剣術が習えるの!?」
 ジェームズが目を輝かせる。家の中で作法の勉強をするよりは剣を振り回していたいらしい。男の子はそんなもんだよな。僕も作法の勉強と剣術の勉強のどちらがしたいかって聞かれたら剣術を選ぶかな。殴られるのは嫌だし、殴るのも怖いけど、よく分からん社交界のルールとか覚えさせられるよりはずっといい。
「習えるかもしれない、だ。――スカアハ殿、遠路はるばる訪ねてきてくれて有難いが、まず三つほど簡単な質問をさせてもらおう。一つ目、旅の武芸者とおっしゃるが、どこの流派かね?」
 アドリアンが訊くと、スカアハは肩をすくめた。
「どの流派でも。主要なものは全て修めているつもりだよ」
「ほ、ほう……。武芸達者なのだな……」
「あんたの息子の――ジェームズと言ったかい? そいつに一番合った流派の剣術を教えよう」
「いや、できれば雇主である私の指示に従っていただきたい。希望は王都の騎士団が用いる『フランチェスカ騎士団剣術』あたりで」
「あれは儀礼用の軟弱な剣だ。あたしが好かん。だがその源流でよければ教えよう。下手したら練習中に腕がへし折れるかもしれないけどね」
「――――――――」
 どうしよう、ハズレ引いちゃった――アドリアンの顔にははっきりとそう書いてあった。当然の反応である。奇抜なファッションで現れて挑発的な回答。普通ならここで切られる。
 スカアハはジェームズの方をじっと見た。
「あんたの息子は動きが素早そうだ。暗殺剣なんてどうだい? 確かフランチェスカの記録機関に最近登録されたはずだよ。異国情緒たっぷりな、『山の翁』の術だ」
 それを聞いてマーガレットさんが眉をひそめた。
「息子に暗殺用の剣術を覚えさせるですって?」
「暗殺に向いている故『暗殺剣』と呼ばれているが、本人が暗殺に用いなければ、それは『暗殺剣』ではないよ。剣術はあくまで道具だ。使い手によって毒にも薬にもなる。例えばあたしから暗殺剣を学べば、敵からの暗殺の類はほぼ受け付けなくなるね。向こうのやり方が全部分かるから。ほら、暗殺剣が薬になった」
「どうであれ、いずれこの地を治める者が暗殺剣など学んでよいはずがない」
 アドリアンがため息交じりにそう言った。スカアハは楽しそうに笑う。
「そうかい。なら何がいいかねぇ」
「えー、あー……。流派云々に関してはもういい。十分に分かった。説明感謝する」
 アドリアンが横の二人の衛兵に合図する。二人は槍を構えながらスカアハの前に立った。「スカアハ殿は武芸達者ということだったな。ではこれからその力を見せてもらおうと思う」
「おや、三つ質問するのではなかったのかい? まだ一つしか聞かれていない気がするが」
「二人に勝つことが出来たのなら続きの質問をしよう。テストのようなものだ。準備不足で試合が難しいのならお帰りいただいて結構」
 スカアハは槍を構える衛兵二人を見つめた。
「よく訓練されている。どっちも二十年ほど冒険者をやっていた。構えからほぼ我流。北の『傭兵王』の兵法をかじっている」
 衛兵二人がたじろぐ。
 どうやら当たっていたらしい。
 アドリアンもぎょっとしたような表情になっている。

「――だがここ数年でたるんできている。鼻くそほじりながら左遷貴族の門衛してたらそうなるか。戦士としては三流以下だね。フフフフフ……」

 その一言で。
 衛兵二人の気配が変わった。
 寒々とした無機質な敵意。
 これは――殺意だ。
「ナメやがって……」
「アドリアン坊ちゃんに対する失礼な物言いの報いを受けてもらおうか」
 剣呑な雰囲気の巨漢たち。
 スカアハは油断なく二人の方を見ながらアドリアンに呼びかけた。
「で、槍を向けられているんだが、もうコトは始まっているのかい?」
 アドリアンは我に返ったようだ。
「あ、ああ。始めて良い」

「そうかい」

 次の瞬間。
 何の前触れもなくスカアハの姿がかき消えた。
 勝負は一瞬でついた。
 スカアハは衛兵二人の背後で毛皮のマントを広げていた。
 一陣の疾風が遅れてその場に舞い、麝香のような甘い香りが僕の鼻をくすぐる。
 二人の巨体から力がふっと抜け、折り重なるようにして地面に倒れ伏した。
 誰もが唖然とする中、スカアハはゆっくりとアドリアンに向き直り、こう言ったのだった。
「さて、質問の続きを言いな」



第四章  初めての友達



 館の衛兵二人の意識を一瞬で奪ったスカアハは、晴れてジェームズの家庭教師として雇われた。一日三時間が目安、週十五時間以上。給料は分からないけど、メイドよりは貰っているだろう。
 朝、僕は窓から抜け出す時に、本館の庭でジェームズが木刀を振っているのを目にするようになった。スカアハは相変わらずの黒装束で影のようにジェームズの横に寄り添っている。
 彼女はジェームズの事を気に入っているようだ。剣も普段の雑な言動からは想像もできないほど丁寧に教えている。踏み込みの仕方、剣の振り方等良くないところがあれば文字通り手とり足とりジェームズの体が覚えるまで反復させている。
 一方ジェームズもまたスカアハを父のように慕っている。僕は今までジェームズが笑っているところなど見たことなかったが、二人が訓練をし始めてからジェームズの楽しげな笑い声が館に響き渡るようになった。別館で働くメイド連中の中にも、彼のはつらつとした声に顔を緩ませる者が少なくない。
 マーガレットさんは木刀を振り回すジェームズが怪我をしないか冷や冷やしているらしく、二人のすぐそばで練習を見学していることが多い。 結果、彼女も日の光を浴びるようになり、青白い肌が健康的に日焼けするまでになっている。
 欠伸ばかりしていた衛兵二人――。彼らも生活態度を改めたようだ。これまでが館に宛がわれた部屋と館正面を往復するだけ、偶に村におりては娼館や酒屋に遊びに行くというダメ人間代表みたいな生活送っていたから、これはかなり良い変化だった。さらに二人も時たまスカアハに稽古をつけてもらっているようだ。
 で――、そのスカアハと衛兵の訓練を見て分かったことがある。

 この世界の戦士は化け物だ。

 正直僕は今まで衛兵の事を見くびっていた。
 とぼけた顔をしてやる気なさそうに突っ立っているだけ。
 槍を振ってもどうせトロ臭いに違いないと思っていた。
 だけどそれは大きな間違いだった。
 衛兵の振るう槍は恐ろしく速かった。速さだけでなく、槍が地面に叩きつけられた際に、地面が爆発して数十センチ抉れた。重いのである。信じられないくらいに。
 しかもそれは渾身の一撃などではなかった。
 衛兵の繰り出す連撃の一つ――ただの通常攻撃でそれだった。結果、連撃が終わった後はそこら中が凸凹になっていた。あとでメイド連中が何人かで魔術を使って穴を埋めていた。
 他にも衛兵は二メートルくらい垂直跳びしていた。軽装とはいえ十キロはありそうな鎧を着た状態で、である。
 僕の知っている常識ではあんなの鎧を着てなくても無理だ。だけど衛兵はそれを当然のようにやっていて、見ているマーガレットさんたちも特に騒ぐことはない。
 それで分かった。
 この世界の戦士はおかしい。
 思えば農作業しているおっさんですらいい感じで筋肉をつけているのだ。農具も木製、土を掘り返すために鉄の道具を使わない。
 何故使わないのだろう、鉄を農具に使う文化がないのかと思っていたが、そうじゃなかった。膂力が単純にすごいのである。木製で十分なほど力が強く、道具の扱い方がうまい。
 この世界の人間はデフォルトで身体能力が化け物なのである。
 ドラゴンとかグリフィンとか魔獣が普通に跋扈する世界だからな。
 人間だけ著しく能力が低ければ、いくら知恵があると言ってもここまで文明を築き上げるのは困難だっただろう。魔獣は強力な力を有するというが、人間も束になればそいつらに対抗できる程度の能力はあるという事である。
 思うに、五つの魔素の内の一つエーテルとかいう無属性のパワーが彼らの身体能力に影響しているのではないか。人は皆強力なエネルギーを体に内包し、それ効果的に扱うことが出来るのだ。念じるだけで土や風を操れるのだから、自分の体も同じ要領で扱うことが可能なのだろう。
 訓練すれば垂直跳び二メートルとかできるようになのだろうか。地面にクレーター作ったり、大きな岩を剣で両断したり。
 でもグ○ップラー刃牙のように世界最強を目指しているわけではないし……。
 というか、魔獣と戦うなんて恐ろしい真似はできればしたくない。
 人間ですら元の世界では考えられないようなすごい力持っているんだぜ?
 魔獣とか――どうなるんだ? 挨拶代わりに肩を叩かれただけでひき肉にされる自信があるぞ。死に方がバラバラ殺人事件とか悲惨過ぎる。
 君子危うきに近寄らず。
 それでいい。
 それが一番長生きできる。
 だが――、そこまで考えて、僕の脳内にこの先本当に魔獣の類と戦わずに生きていけるのかという疑問が湧き起った。
 ちょっと平和ボケしすぎではないか?
 この世界は現代日本とは違う。
 本や周囲の人間の話から、魔獣だけでなく盗賊の類も普通に出るということが分かっている。そいつらはただ目に付いたという理由だけで、街道を歩く人を襲うこともあるという。
 敵が衛兵クラスに強かったら、僕は何かする前にやられてしまう。スカアハクラスなら「やられた」と感じることさえできないだろう。相手が魔獣ならご飯にされるし、盗賊なら殺されるか奴隷商人行き。
 今のところまともに街道すら歩いたことがないから大丈夫だけど、いつそんなことになるか分からない。アドリアンの庇護下から離れたとき、僕の身を守れるのは僕自身だけだ。一応魔術は多少できるつもりだが、それだけじゃ不十分のような気がする。きちんとした戦闘技術を学んでおきたい。
 そう思ってアドリアンに相談したら、「お前は剣など習わずともよい」とすげなく返されてしまった。というのも、ジェームズが無事に領地を継ぎ僕が成人したら、僕をどこかに婿に出すつもりなんだそうだ。こんな森の多い僻地などではなく、発展した王都近辺の適当な貴族のところに。
 だからお金をかけてまで剣を仕込む必要性を感じていないのだと。
 でも――、アドリアンは僕を婿に出す先などあると本当に思っているのだろうか?
 彼は「アテはたくさんある」と言って僕を安心させるように笑う。
 だけど没落貴族の妾の子どもなんて欲しがる奴はいるのだろうか?
 もし、その『アテ』とやらが全部外れたら、彼はどうするつもりだろうか?
 今のアドリアンに将来の事を尋ねれば、きっと「アルの面倒は最後まで私が見る」と言い張るに違いない。だが後のことはそのときになってみないと分からない。
 多分だけど、どうしようもなくなったら、アドリアンは責務から逃げ出す。
 泣きながら僕に謝り、幾ばくかの支度金とともに僕とグレイスを放逐するだろう。お家騒動の種をいつまでも置いておくわけにはいかないだろうから。
 彼は別に根っこから悪い人間ってわけじゃない。むしろどちらかと言えば善人の部類に入る。
 だけど『悪い事』をしないためには一定以上の能力が必要なわけで。
 彼にはそれだけの力がないわけで。
 彼の言う通りにしていたら絶対に泣きを見ることになる。そんな予感がする。
 将来は自由に生きるつもりだということを言ってもいいが――、その場合アドリアンの機嫌を損ねる可能性がある。まだ成人までの十年ちょっとはここで暮さねばならないのだから、今彼と敵対するのは得策ではない。
 だからと言ってスカアハや衛兵たちにこっそり教わるというのは今のところ難しい。
 衛兵はメイドたちと同じく僕の事を嫌っているし、スカアハはジェームズの授業が終わるとさっさと消えてしまう。何とか彼女を捕まえて話が出来ればいいけど、館での僕の扱いは半ば軟禁状態のそれである。彼女が顔を見せる時間帯に本館近くをうろついたら、すぐにメイドか衛兵に見つかり別館に連れ戻されてしまう。
 どうすればいいか――。
 まだ三歳。
 まだ猶予はある。
 だけど、このままでは方策が見つからず猶予は尽きる。
 スカアハとコンタクトをとる試みをひたすら続けるか?
 しかし――、仮に話せたとして彼女は無償で僕に武術を教えてくれるだろうか。ジェームズにはアドリアンが正当な対価を払ったから教えているのだ。僕だけ特別扱いと言うわけにはいくまい。下手に頼んでアドリアンに報告されても面倒だ。
 それに彼女は村にいる僕を見ているからな。すごくでかい地雷だ。不用意に触るべき相手ではないと言っていい。
 モーリスの館で手段を求めるのはあまり賢いやり方ではないか……。
 僕は村に行くことが出来るのだから、村で方法を探そう。
 北の教会支配下のエリアや住宅街を探せば、何か見つかるかもしれない。

   ×               ×               ×

 八月半ば。
 いよいよ強くなってくる日差しの中、僕は行動範囲を商工会の力が強い村の南側から教会勢力の強い北側に移行させた。
 南側はさながら市場といった見た目。地面も舗装されて石畳。日中は人が多少は集まり、それなりの喧騒に包まれていた。
 対して北側は――、閑散としていた。人が全くいないというわけではないけれど、行き交う人々に覇気はなく、家の前でぼんやり座り込んでいる奴もいる。地面は石畳ではなく、茶色い土が露出していた。
 現在森の開拓が始まっており、主要な大人たちは皆それに駆り出されているとは言っても、全体的に元気がないように思える。
 僕が道を歩いていると、北の方から白いローブを着た一団が静々と歩いてくるのが見えた。先頭の人は鈴の付いた杖を持っていて、それが一歩歩くたびにチリンチリンと小気味よい音を奏でている。
 道端に座り込んでいた人はそれを聞いてパブロフの犬のように立ち上がる。道の左右の石造りの家からも女性や子供が出てきて白い一団の周りに群がる。
 何事かと思って見ていると、白いローブは小脇に持っていた籠からパンとチーズとを取り出し周りの人間に与え始めた。
 それで何となく分かった。
 これは教会の施しだ。
 白い奴らはフランチェスカ教の使徒で。
 時たまこうして村民に食べ物などを与えるのだ。
 教会の方がよっぽど領主しているな。
 アドリアンは普段は村に下りてこない。農業の技術指導の時くらいだ。地域に根付いた治政をしているとは言えまい。
 ともかく邪魔になるといけないので道の脇にどいていよう。
 パンとチーズを受け取った人たちは感謝の言葉を述べてそれぞれ家の中に戻っていく。二回目の施しを受けようなどと考えるあさましい奴はいないようだ。心なしか市井に活気が戻ったよう。
 あれだ。
 日本で言うところの神社でおにぎりと小銭配るヤツだ。
 田舎なんかじゃ子どもで相撲大会とかして優勝者には更に景品が貰えるところもあるっていう。
 秋の初めとかにやっていることが多いちょっとしたイベントね。
 僕もぼんやりとだけど小さい頃参加した記憶がある。
 あれ?
 と言うことは、僕は田舎育ちだったのか。
 死んだときは少なくとも田舎っぽい海辺の街だったからな。可能性は高いか。
 ……などと考えていると、不意に後ろから声がかけられた。

「おい! お前!」

 振り返ると、燃えるような赤毛の男の子が偉そうに腕を組んで僕を見下ろしていた。
 歳の頃は十二、三歳か? あとちょっとで成人って感じ。
 服装は、上はゆったりとした茶色のシャツ、下は膝丈くらいのややぴっちりとしたズボンだ。ズボンの方はこげ茶に近いかな。髪が真っ赤で豊かだから意外と変には見えない。あと顔がイケメンだから差し引きで普通にプラスになりそう。
 腕を組みながら時折右手に持ったパンにかぶりついてはむしゃむしゃと頬をいっぱいに動かしている。そこの教会の人たちから貰ったやつだろう。
「はい、なんでしょう?」
 僕は丁寧にそう答えた。
「お前! 見ない顔だな! どこの奴だ!?」
 声でかい……。そして掠れている。声変わりの途中なんだろう。
「……ここより南の方にある村からやって来ました」
「南!? 南ってどっちだ!?」
 僕が無言で商業区の方を指さす。すると赤毛は鼻水を垂らして驚いた。
「なにぃ!? あっちは北じゃないのか!?」
「違います」
「でもクソババアはあっちが北だって言ってたぞ! 南はあっちかこっちだろう!?」
 そう言って東と北を指す赤毛。クソババアって誰だよ。
「北は、あっち。アドリアン・モーリス辺境伯が住んでいる館の方です。方角は、北を向いて右手側が東。南は北の反対側、残りが西です」
「アド……? ヘンキョ……ハ……? そ、そうか、お前頭いいんだな! で、南はどっちだっけ!?」
 無限ループって怖いよね……。僕がもう一度商業区の方を指さすと、赤毛はようやく得心がいったらしく一つ頷いた。
「なるほど、川の横の村から来たんだな! 海の近くの!」
「ええ、まあ……。そんなところです」
「結構遠いところから来たんだな! ここには何しに来たんだ!?」
 む。どう答えたものか……。「お父さんのために魚売りに来た」と説明するか? でも父親のこととか下手に喋ったらボロが出そうな気がするし。
 変な質問を返されないうまい答えはないものか。子供がすんなり納得しそうな簡潔なやつ――あ、そうだ。
「えっと、教会が食べ物くれるって聞いたから、貰いに来ました」
「じゃあ早く取りに行けよ! 向こう行っちゃうぞ!」
「そうですね。それじゃ――」
 おお、うまいことここを離れられる口実ができた。この赤毛の子には悪いけど、このまま離脱させてもらおう。僕にはやることがあるからな。
 だけど、そんな目論見は水泡に帰した。

「あ、ギルバード発見! もぉー、どうして勝手にどっか行っちゃうかなー?」
「……ギルバード君、その子誰?」

 蜂蜜色の豪奢な髪を持つ活発そうな女の子と。
 烏の濡れ羽色の髪の落ち着いた雰囲気の女の子。
 正反対の雰囲気の少女たちが人ごみの向こうからこっちへ歩いてきた。
 うわ……。
 二人ともめちゃくちゃ綺麗で可愛い。
 って、僕が思っちゃったら犯罪になるか?
 あ、でも今の僕は三歳児だから大丈夫か。多分問題ないよな。問題ないということにしておこう。
 蜂蜜色の髪の方は十二歳くらい――目の前の赤毛の少年とそう変わらない歳だろう。ストレートの綺麗な髪。前髪は眉の辺りで切りそろえられ、後ろの髪は首の下辺りで無造作に切られている。右側頭部に一房だけ髪を三つ編みにして垂らしているのがすごく似合っている。耳がとがっているからエルフの血が入っているのだろう。眉毛は細い。目は緑で宝石みたい。鼻梁はすっと高く、口元も上品だ。
 烏の濡れ羽色の髪の方は、蜂蜜色に比べて背が二回り小さい。顔立ちもまだ幼い感じだし、歳はせいぜい僕よりちょっと上くらい――六歳かそこらだろう。ジェームズより年下なのはまず間違いない。艶やかな髪は肩の辺りまで伸び、毛先がウェーブしている。髪から露出している眉頭は濃くて太い。目は垂れ目で眠たげな印象を受ける。でも輝きはすごく強い。黒い瞳は僕の方を探るようにじっと見つめていた。
 赤毛の――ギルバードと呼ばれた目の前の男の子が、目にも止まらぬ速さで僕の腕をがっしりと掴む。
「おう、シルウィ、リリナ! 面白そうな奴見つけた! ほら、こいつ! 名前は、えーっと……、お前誰だよ!?」
 誰だよって……。
 アルフォンスです。モーリス家の妾の子です。
 蜂蜜色の子はそこで初めて僕に気が付いたようだ。膝に手をついて僕に目線を合わせる。カメラさんもうちょい上から覗き込むように。服の隙間から未熟なおっぱいが見え、見え……見えない! 畜生!
「おおー、小さくてかわいいー! ねえ僕、何て名前なの?」
「……アール、です」
 僕は咄嗟に答えた。もう少しアルフォンスと結び付けにくい名前を名乗っておくべきだったかな。でも言ってしまったのは仕方がない。これからはこいつらの前では僕はアールだ。
「へえ、アール君っていうの。ここには何しに来たの?」
 金髪のエルフちゃんはにこにこと笑っている。
 完全に抜け出すタイミングを逃したな。
 冒険者ギルドの簡易訓練所に参加可能か確かめに行くつもりだったのに。
「教会の施しを受けに来ました」
 僕がそう答えると、エルフの女の子は首を傾げた。
「アール君はこの村の子じゃないよね?」
「はい。南の方の村から」
「南って言うと――川の横の村から!? 随分と遠いところから来たんだねー!」
 偉い、偉いと頭を撫でてくれる。やばい。なんか特殊な性癖に目覚めそう。赤ちゃんプレイといい、僕はもしかしたら変態なのかもしれない。
 鼻の下を伸ばしていると、エルフちゃんの後ろで黒髪の女の子がうさん臭い人を見るように顔をしかめた。
「ギルバード君、シルウィ姉、もう行こうよ」
「えー、なんで?」
「もうすぐおとうさんの稽古始まっちゃうよ。パン貰ったんだから戻らないと」
 稽古?
 この子たち、何か習い事をしているんだろうか。
「今日こそはクソ師匠をぶっ倒してやる!」
「ギルバード君は馬鹿だから一生かかってもおとうさんには勝てないと思う」
「なんだとう!?」
「あの、三人はどういう集まりなんですか?」
 僕がそう訊くと、彼らはそろって僕の方を見た。エルフちゃんが代表して答える。
「教会の剣術教室に通っているの。学校とは別に希望者に教えてくれるんだ。痛いからやだって子が多いんだけどねー。――あ、そう言えば自己紹介がまだだった。私はシルヴァルウィ。長いから皆はシルウィって呼んでる。宜しく!」
「俺はギルバード! 二年後には世界一強くなってる男だ!」
 赤毛の少年が偉そうにふんぞり返って言う。
 確認。
 蜂蜜色の髪のエルフがシルウィで。
 赤毛の男の子がギルバードね。
 名乗られたからにはきちんと覚えておこう。
 僕は反芻した。
「シルウィさんにギルバードさんですね」
 僕たちの視線がまだ名乗っていない烏の濡れ羽色の女の子に集まる。彼女は一瞬無表情になって固まったが、観念したように僕に向き直ると、胸の前で両手を合わせて祈るようなポーズを取った。
「リリナ・カペーと申します。司祭ユーグ・カペーのむすめです。以後お見知りおきを」
「教会式のお辞儀ですか……」
 僕は思わずそう呟いた。すると彼女はぴくりと眉を上げた。
 僕を慇懃に突き放す意図でわざと三歳児相手には難しい挨拶をしたのだろうけど、まさか理解を示されるとは思っていなかったようだ。リリナと名乗った女の子の視線にはっきりと警戒の色が混じり始める。
 彼女は僕の着ている中古のローブと町服を見たあと、足に履いている愛用の革靴に視線を落とした。それからすっと目を細める。
 うっ……。しまった、革靴はアドリアンに貰った仕立ての良い奴だった。使いこんでたくさん傷がついているから、どうせ誰も気づかないだろうと油断していたのだ。
 これはちょっとまずいか?
 素性はまだばれてないと思うが、僕が何か嘘を言っているだろうことはおそらくばれた。
「…………」
 指摘されるかと思ったけど、リリナは何も言わずに一歩下がった。おおう、面倒なことにならなくてよかったぜ……。
 しかし、どうしよう。
 その道場とやらにすごく行きたい。
 許可が下りるかどうか分からない冒険者ギルドの訓練場よりも魅力的だった。
「アール君も来る?」
 僕が迷っていると、シルウィが水を向けてくれた。
 おお! ありがとう、エルフちゃん! 渡りに船とはこのことだ!
「行きます、行きます! 是非!」
「じゃ、決まりだね。レッツ・ゴー!」
「シ、シルウィ姉! どうして!?」
 リリナが咎めるように声を上げた。シルウィは僕の手を握った。
「えー? だって、せっかく知り合ったのにここでさよならするのは勿体ないよー!」
「勿体ないって、そんな得体の――」
 得体の知れない子、と言おうとしてリリナが口を噤む。さすがに失礼だと感じたのだろう。三歳児相手に失礼も何もないと思うけど。
「いやー、私アール君みたいな可愛い弟が欲しかったんだよー」
 僕もシルウィみたいなお姉さんが欲しかったです。ジェームズとチェンジしてくれたらなあ。ジェームズも悪い奴じゃないと思うけど、やっぱり敵意を向けてくる奴よりは好意を向けてくれる相手の方がいい。
 それにシルウィすごく綺麗だもん。
 イケメンの兄貴とか嫉妬の対象にしかならないけど、美人の姉ちゃんは自慢の種になるのだ。
「早く行くぞ!」
 ギルバードはそう言うや否やさっさと駆け出してしまう。シルウィは唇を尖らせた。
「あ、ちょっとギルバード! 団体行動くらいちゃんとしろー!」
 シルウィも駆け出す。僕は転ぶわけには行かないのでこっそりと風魔術と土魔術で補助しながらシルウィの後に従った。

   ×               ×               ×

 教会が無料でやっている道場とやらは、村の北西部にあるらしい。
 ちなみに冒険者ギルドは北東部。
 北西部は教会区と呼ばれているほど教会勢力が強い。見た目は普通の街だけど。
 シルウィとギルバードは北東部に住んでいるという。麦の収穫が終わって少し時間の空くこの時期は教会の日曜学校で勉強するか、司祭がボランティアでやっている道場で体を鍛えているのだそうだ。
 二人とも今は十三歳で、あと二年で成人。
 共に家を継ぐ気はないらしく、成人後は村の外へ出る。
 ギルバードは冒険者になって迷宮に潜り。
 シルウィは王都周辺の貴族の所で雇ってもらう。
 だから外の世界で最低限身を守るためにも剣術を習っているのだ。
 十三歳なのにしっかり将来の事を考えているんだな。
 現代日本で言うところの意識高い系である。もっとも、成人年齢が早いこの世界ではこのくらいが普通なのかもしれない。
「師匠はクソ強いんだ! 昔は教会騎士団にいたんだぜ!」
 ギルバードが我が事のように誇らしげにそう言う。僕は首を傾げた。
「教会騎士団?」
 するとシルウィが補足してくれる。
「あのねー、すっごく強い軍人さんなんだよ。北の『傭兵王』の軍団、中央の教会騎士団、南の『貿易王』の海軍ってね」
 北の『傭兵王』というのを耳にするのは二度目だな。確かスカアハが衛兵を見て言っていた。「『傭兵王』の兵法をかじっている」とか何とか。この場合の兵法って言うのは、軍隊を動かす術って意味ではなく、単体での武術の心得のことだな。衛兵たちは『傭兵王』、あるいはそれに近しい人のところで武術を習っていた経歴があるのだろう。
「その師匠さんと言うのは、この村の司祭様でリリナさんのお父さんなんですよね?」
 僕は後ろについてきているリリナに水を向ける。
 彼女はさっきから一言も喋っていない。
 無言で僕の背中に視線だけをぶつけてきている。
 メイドたちのせいでここ最近視線に敏感になってきている僕には嫌な拷問である。
「……うん、そう」
 リリナの答えは簡潔だ。意地でも僕と会話するつもりはないらしい。別に話に加わらなくていいから時折鋭い眼光で睨んでくるのだけは止めてくれないかなあ。
「リリナは司祭様の事を尊敬しているんだよね! 大きくなったらおとうさんと結婚するって前に言ってた」
 シルウィが要らんこと言っている。案の定リリナは顔を赤くした。
「ちょ、止めてよ、シルウィ姉!」
「でも、血はつながっていないから大丈夫だとか何とかー」
「血がつながっていないんですか?」
 僕は驚いて眉を上げた。リリナは罰の悪そうに僕の方をちらりと見ると、すぐにすました顔を作った。
「私は、おとうさんに拾われた子だから」
「そうなんですか……」
「別に貴方がどう思おうが自由だけれど、少なくとも私は自分が不幸な子だとは思っていないから。むしろおとうさんに拾ってもらって幸せなの。おとうさんは、私にたくさんのものをくれた。勉強、剣術、優しい笑顔と温かいご飯。私みたいな魔族の血が入った子なんかに」
「魔族の――血?」
 僕がおうむ返しに聞くとリリナは淡々と答える。
「父親がインキュバスなの。このご時世珍しい事じゃないけど、なかなか受け入れてもらえない」
「普通の人間と変わらないように思えますが……」
 幼いのにすごく綺麗な見た目をしているとは思ったけどね。
 リリナは表情に陰を落とす。
「髪が普通じゃない」
 ああ、確かに彼女の髪は人間のものとは思えないほど艶やかだ。黒髪なんだけど、黒髪ではない。青みがかった黒。烏の濡れ羽色。
 そこら辺の人とはちょっと違っている。
 だけど、周りの人はそういうちょっとの違いにすごく敏感なわけで……。
「魔族の血が入っている子は、生まれてもほとんど知性が無く、すぐに魔獣のようになってしまう可能性がある。特にインキュバスはその方法で個体を増やすから……。私は――その点では運が良かった。男だったら、インキュバスになっていただろうから」
 話を随分転がしてしまったけれど、白昼堂々と口にする内容じゃなかったな。
 話題を変えよう。
「皆さんは剣術習っているとのことですが、どのくらい強いんですか?」
「俺は世界で二番目に強い!」
 ギルバードがドヤ顔をしている。それを見てシルウィが笑った。
「ギルバードはときどき面白いよねー」
「なんだと!? シルウィは俺より弱いだろ!」
「むっ、脳味噌まで筋肉のギルバードと戦ったら負けても仕方ないでしょ!?」
「普通に一本の木刀振っているんですか? 槍とか棒とか、二刀流とかはしない?」
 僕が尋ねるとシルウィが苦笑した。
「教会騎士の剣術は剣一本だよ。槍や棒を使うのは――『傭兵王』の兵法、だったかな? あっちはあらゆる状況で相手を倒すことが目的だからいろんな武器を使えるようにするって司祭様が言ってた」
「教会騎士の剣術はそうじゃないんですか?」
「教会騎士の剣術は――うーん、説明が難しいなあ。徒党を組んで相手を倒す感じ? でもそれって弱い者いじめしているみたいで何か違うよね。――ねえ、リリナ。どんな感じかな、教会騎士の剣術って」
 シルウィがリリナを振り返る。リリナは前を指さして簡潔に答えた。
「私が説明するより、おとうさんに聞いた方がいい」
 見ると石造りの教会がすぐ目の前に迫っていた。
 色は全体的に白っぽい。現代日本で言う二世帯住宅くらいの大きさだ。
 教会の裏にはよく整備されている広めの運動場が見えた。あそこで剣術の稽古をやっているのだろう。
「司祭様ぁー!」
 シルウィがそう叫びながら運動場の方へ回り込んでいく。僕もそのあとについていくと、白いローブを着た壮年の男性が草むしりをしていた。
 男性は引っこ抜いた草を籠に放り込むと立ち上がった。金髪の背の高い男性だ。よく鍛えているのか体もがっしりしている。ほうれい線が深い。目が細く、常時笑っているような印象を受ける。
「シルウィ、おかえり。シスターたちからパンはもらえたかな?」
「はい、司祭様!」
「よしよし」
 男性がシルウィの頭を撫でる。
 ギルバードが遅れてやって来た。手には長さ九十センチほどの木刀を持っている。
「クソ師匠! 勝負だ!」
 ギルバードは信じられないくらいにせっかちなんだな……。歩くスピードもシルウィの二倍くらいあったし。
 司祭は口元を緩めた。
「分かった。相手をしてあげるから草を片付けさせてくれ」
「おとうさん、ただいま戻りました」
 最後にリリナがやって来て丁寧に頭を下げる。
「うむ。おかえり、リリナ」
 司祭は一つ頷いた。それから僕の方を見る。「――それで、この男の子は?」
 僕はフードを取った。名前を名乗る時くらいは顔をきちんと見せないと。
 だけど、何かを言う前に司祭が僕の顔を見て目を見開いた。
「ほう……。これは……珍しいことだ」
 なんだ、この反応。
 少なくとも僕の容姿に驚いているんじゃないということは言える。
 僕の外見はくすんだ金髪に細い体という何の変哲もない子どものものだからな。グレイスの血が入っているから、顔はそれなりなんだろうけど、別に初対面でびっくりされるほど美少年ってわけでもない。シルウィたちの反応がデフォルトである。
 では、何故こんなにこのおっさんは唖然としているんだ?
 いや……。ちょっと待て。

 この金髪のおっさん、どこかで見たことないか?

 具体的には三年半くらい前に、グレイスに抱きかかえられながら。
「あっ……」
 僕も目を見開いた。
 いた。
 この司祭は確かにあの場にいた。
 僕がグレイスのお腹から出てきて。
 冷たい視線が交錯する中、視界の奥の方で憂いを帯びた表情で、じっとこちらを見ていた。
 あのときの男だ!
 僕の表情を見て、司祭は更に驚いたような顔になった。
「ふむ……。世の中賢い子というのは思いの他たくさんいるものなのだな」
「クソ師匠! 俺が賢いって!?」
「あはは、今日のギルバードはほんと面白いねー!」
 ギルバードとシルウィが何か言っている。
 司祭は元の柔らかな笑顔に戻ると膝をついて僕に目線を合わせた。
「元気そうだ。本当に。これもフランチェスカ神の慈悲なのか……」
「司祭様、アール君と知り合いなの?」
 シルウィが首を傾げる。司祭は目を閉じた。
「自己紹介もしたことが無い間柄だよ。――僕は、ユーグ・カペーと言う。この村で司祭をしている人間だ。よろしく、『アール君』」
「……宜しくお願いします。カペー司祭」
「大したもてなしは出来ないが、ゆっくりしていってくれ」
 僕は腰をあげようとするカペー司祭に急き込んで尋ねた。
「あのっ、あとでお時間いただいても!?」
 モーリス家の事。アドリアンの口を通して伝えられるこの村の事。それを他の人がどう思っているのか、客観的な意見を知りたい。
 何故知りたいのか――そこに論理的な理由はない。
 単なる好奇心からの事だろうと言われたら、そうかもしれないと答えよう。
 だけど、ご近所さんの情報どころか自分の家の情報も知らずに、このまま成長するのは良くないことなのではないか。
 今の僕は情報的に死んでいる。
 アドリアンに飼い殺しにされている感が拭えない。
 せめて、この辺りに住んでいる人が知っている程度の事は知っておかないと、この先絶対に後悔することになる。そんな予感がする。
「ああ、構わない。君が知りたいことがあるならできうる限り教えよう。知識を求める者にそれを授けるのも我々フランチェスカの使徒の役目だからね」
 カペー司祭はそう言うと今度こそ僕から離れていった。

   ×                ×                ×

 それから午前中いっぱい、僕はシルウィたちの剣術の稽古を見学させてもらった。
 いつものように羊皮紙片を取り出し、彼らの練習風景から『教会騎士の剣術』がどのようなものか簡単な図を描きつつ要点を書き記していく。
 教会騎士の剣術。
 基本的には、盾で受けて剣で切り返す。剣で受けて剣で切り返すという動作を行う。
 動きはやや鈍重で、防御に重点をおいている。
 基本の型はどのような攻撃にも対処できる防御の構え。左足を前にして、右足を後ろ。左手には盾かバックラーを装備しているという想定。シルウィたちは鍋蓋でやっていた。相手の一撃が最高速度に達する前に盾を自ら当てていき弾く。そんでもって返しの重い一撃で敵を叩き潰す。アクションゲームなんかで言うところのパリィに似ている。
 ただこれは、強力な鋼鉄の鎧と頑強な刃を自身が装備しているという前提で行われるものだ。装備がなければ十分な威力を発揮する剣術とは言えないだろう。資金の潤沢な教会からしたら装備不足なんて事態は起こりえないことなのだろうけど。
 おそらくモーリス家の衛兵相手なら装備さえあれば完封できるのではないかと思う。いくら一撃で地面を二、三十センチ抉れると言っても、鋼鉄の盾や鎧にははじき返されてしまうからな。鎧に一度弾かれれば、返しの一撃は防ぎきれまい。
 一方で、それ以上の攻撃力を持つ敵が相手だとどうなるか分からない。
 例えば凄まじい膂力を誇る大型の獣相手の場合。
 敵の攻撃を受けて返しの一撃で仕留めることになるわけだが、受け流しきれずに鎧ごと叩き潰される可能性がある。
 この辺りは回避に重点を置かない武術の宿命とでも言うべきか。おそらくだが、大きな敵相手には複数で連携してかかるのだろう。相手が何かする前にくびり殺す。そんな感じなのかもしれない。
 すごく簡単にまとめると対人戦では無類の強さを発揮する一撃必殺の剣ということだ。カペー司祭の口ぶりでは鍛えれば相手が強い魔獣の場合もそれなりに戦えるようになるらしい。攻撃さえ通れば巨大な両手剣辺りで魔獣の頭部を粉砕できるわけだからな。ただし「通れば」の話だが。
 魔獣は野山を縦横無尽に動き回る。空を飛ぶ相手もいる。そんな奴らに真正面から剣を当てられたとしたら、それはこの上ない幸運と言うほかない。
 剣術の特性上、三人の中ではギルバードが一番強かった。
 木刀だけの模擬試合の場合は力勝負になることが多く、力で劣るシルウィやリリナでは太刀打ちできないのだ。
 例えばギルバードとシルウィの戦いでは、シルウィの攻撃はほとんど通らず。
 逆にギルバードの力任せの一撃に対しては、シルウィはガード出来たとしても痺れてすぐに木刀を取り落すといった感じで。
 シルウィは勝てないと分かっていても必死に頑張っていた。
 諦めず、何度も何度も。
 シルウィはすごく真面目なのだ。
 僕はそんな彼女を見て少し感動を覚えていた。木刀を何度取り落しても「もう一回!」と言い続ける彼女に。
 感動を覚える一方で、模擬試合を小一時間ほど見ていると不思議なことに気が付いた。
 ギルバードはシルウィに勝てる。
 シルウィはリリナより力が強いからリリナに勝てる。
 で、リリナは――どういうわけかギルバードに偶に勝つことが出来る。
 信じられないことに、力で圧倒的に劣るはずのリリナは、五本に一本くらいの割合でギルバードに尻餅をつかせるのだ。まあ、残りの四回は一方的にボコボコにされるのだけど。
 どういう事だろうと思って注意して観察していたら、リリナはギルバードをグラウンドの足場の悪いところに誘い込んだり、太陽を背にして視界を奪ったりとうまいこと動きまくって彼をかく乱していた。
 弱者の浅知恵ではあるが――そうやってギルバードの重い一撃を緩和した上で、綺麗にパリィを決めているのだ。あとはバランスを崩したギルバードに追撃してチェックメイト。なんて言うか、戦い方がすごく賢い。少なくとも尋常な子どもが出来る立ち回りじゃない。この子、見た目は五、六歳にしか見えないけど、実は結構歳がいっていたりするのではないだろうか。
 そんなリリナの立ち回りは、どういうわけかシルウィには全く通用しない。シルウィは常に冷静だし、リリナのやり口を知っているような立ち回りをする。だから体が小さいリリナでは何もできずにやられてしまうのだ。
 模擬試合の後、へたり込むシルウィとリリナを尻目にカペー司祭とギルバードの打ち合いが始まった。当然ながらギルバードはボコボコにされていた。ボコボコって言うと殴られまくっているようで語弊があるかもしれない。正確には攻撃が全く通らずに完封されていた。そんなもんだよな。
 ギルバードが二十回くらい尻餅をついたところで剣術教室は終了した。シスターたちが帰ってきたし、午後は礼拝堂で学校があるし、ここまでにしようということだった。三人は大きな声で「ありがとうございました」と挨拶していた。
 その後、カペー司祭が僕のところに来たが、僕は昼食時には一度帰らないといけないことを説明し、その場から抜け出した。おずおずと説明する僕に、司祭は嫌な顔一つせずに「行きなさい。午後、学校の後でよければ時間を取ろう」とだけ言ってくれた。
 僕は即刻館に帰り、食堂で昼食を取った。
 アドリアンは相変わらず昼食の席には現れない。最近では夜遅くまで森の開拓地にいることが多い。
 夜は魔獣が出るのに、強行軍しているのだ。
 十月の土づくりに何が何でも間に合わせたい様子だ。
 僕はチーノに給仕をしてもらいながら手早くパンとスープを腹の中におさめると、再び自室を経由して村に戻った。
 南側から入って北側のエリアへ。
 教会に辿りつくと、礼拝堂の方から子どもたちの声が聞こえてきた。授業中らしい。
 僕はどこかで待っていようと思って運動場の方へ回り込んだ。
 そうしたら丁度礼拝堂から出てきたカペー司祭に出くわして、授業を受けるよう言われた。彼の好意を無駄にするわけにもいかず、僕は授業を受けることにした。司祭が言うには、「君さえよければこれからも学びに来なさい」とのことだ。
 まあ、タダで学べるなら学んだ方が良いか。
 フランチェスカ語の読み書きは出来るつもりだけど、全部僕が独学で手に入れたものだ。何か間違っていることがあれば将来恥をかくことになる。そうならないためにも確認作業をしておくべきだろう。
 算術の授業は割と暇なので、裏でこっそり羊皮紙メモの情報の整理をする。
 少しずつメモを増やしていって、いずれ百科事典のようなものを完成させるのだ。
 僕は完璧な人間などではないから、見聞きしたことをいずれは忘れる。
 だけど、紙に書いて残したものは消えない。忘れても、古い友人を訪ねるように本を開けば、本が教えてくれるのだ。
 学校が終わったあと、僕は改めてカペー司祭を訪ねた。礼拝堂の右手のドアから続く廊下の先に、彼の私室があるらしい。
 シスターやカペー司祭の部下の教会騎士は教会周辺の家に下宿しているという。二十年くらい前に教会がアドリアンの父から買い取った区画を村にくっつける形で住宅街にしたのが教会区で、住人の四割が教会関係者なのである。
 僕がカペー司祭の私室に入った時、彼は部屋の奥で執務机に向かって書き物をしていた。カペー司祭は僕の姿を見るなり書類を横にどかして部屋の横に置いてある木の椅子を指さした。僕は椅子を司祭の正面に持って運んで座った。なんか面接受けるみたいで緊張する。
「それで――」
 カペー司祭はゆったりと椅子に背を預けた。「僕に何を聞きたいのかな? アルフォンス・モーリス君」
 彼は僕の本名を当然のように知っているようだ。
 僕は頭の中を整理しながらゆっくりと言葉を紡いだ。
「色々あるのですが――、一番聞きたいのはモーリス家のことです。この村の人たちは、アドリアン・モーリス辺境伯のことをどう思っているか。丘の上に立つ巨大な洋館のことをどう考えているか。漠然とした質問ですみません」
「いいや、構わないよ。だけど、そのくらいの事はアドリアンに聞けば教えてくれるのではないかね?」
 僕は言葉に迷って一瞬目を伏せた。
「父は――僕に何も教えてくれません。家のことも、村のことも、多分、僕自身のことも。七月の終わりには実質的に外出禁止命令を受けました。僕を村人と接触させたくないようで――。それに、彼は他にも僕に何かを隠しています。このまま軟禁され続けた挙句成人を迎えたのでは、そのとき僕自身がとても困ることになります。だから、貴方を含め色々な人から話を聞いて、それまでに見識を広げておきたいのです」
 僕の話を聞いて司祭は苦笑した。
「つまり、アドリアンの言うことは何も信用できないと」
「い、いえ、そこまでは――」
「はは。そうかね? 別に言葉を選んだりせず、思うように言えばいい。どうせ僕は、ここ数年アドリアンとまともに世間話もしていないし、おそらくこれからもそんな状態が続くだろうから」
「どういうことですか? 父は――教会との交流を断っているということですか?」
「客観的に見ればそういうことになるだろう。それどころか彼は村との交流もほぼ断っている。――初めにアルフォンス君に忠告しておくが、これから僕が君に対して漏らす情報は、教会の司祭としての偏見がかなり入っているかもしれない。だから、丸々信じてしまうのは危険だよ。例えば、今僕の部下が森の開拓に協力しているが、この開拓事業に対しての話を求められても、僕は『教会側の人間が一般的に考えること』を君に伝えることになる。間違っても村全体の総意ではないんだ。僕の言っていることの意味、理解できるかね?」
「はい。貴方の話は一つの意見として参考にさせていただきます」
「君は本当に賢いね。三歳の子どもとはとても思えない。驚くばかりだ。こんなのは二年ぶりだよ」
「二年ぶり?」
 司祭は遠い目をした。
「王都に出張した帰りに、街道の隅で死にかけている女の子に出くわしたんだ。助けて話を聞いてみれば、その子は語彙が少ないながら、理路整然と事情を話した。その子も、当時は君と同じ三歳だった。僕は衝撃を受けたよ。世の中にはこれだけ賢い子もいるのだと」
「それ、リリナさんのことですか?」
 僕が尋ねると司祭は淡く笑いながら頷いた。
「話がそれたね。それで、僕らから見たアドリアン・モーリスだが――。君には悪いがとても有能な領主とは評価しがたい人物だ。例えば、我々は村民から頂いた税を橋の設置や街道の整備など公共物の維持に使ったり、施しや学校を経営したりと一部形を変えて還元している。冒険者ギルドとの治癒魔術の取引もそうだ。何かをするためには元手となるお金が不可欠だからね。他の村はどうか知らないが、少なくとも私はこの村でそうしている」
 司祭は机の方に前かがみになり、手の指を組み合わせると続けた。
「だが、彼は同じように税を徴収してもそんな事には使わない。本来公共物の整備は彼らの仕事で、我々はあくまで宗教的行為の範囲で住みよい村を作れるよう努力するだけだ。そのはずが、我々が彼らの仕事を代わりにやっている状態だ」
「じゃあ、父は税金をどう使っているのですか? 別段、ウチの食生活は豊かってわけじゃないのですが」
「この村より南には行ったことがあるかね?」
「いえ、行くことを禁じられているので」
「村よりずーっと南に行けば、アドリアンが数年前始めた果樹園があるんだ。正確にはそのなれの果てだが」
「は、はあ……」
 司祭はため息を吐いて続けた。
「彼は桃の果樹園を作ろうとした。この地方の名産品にするつもりでな。あわよくば桃のワインを作り、水の代わりにワインを常飲している土地と交易して儲けようとも考えていたようだ。彼は村の人間にも辺境伯命令で従事させた。――最初は良かった。事業は成功したかに見えた。二年目には桃が収穫できた。だが――、三年を超えたあたりで、桃の木が大きくなりすぎて収穫が困難になった。実の回収が遅れ、熟しきった実が地面に落ち始めた。そして、落ちた桃の甘い香りに誘われて魔獣が出没し始めたのだよ。村の男の数は限られているから、魔獣の対処と畑の面倒ばかりでとても桃の収穫どころではなくなった。――現在、果樹園には桃の木が魔獣の死骸からエーテル属性の魔力を得て魔獣化した桃トレントや、桃トレントの実を好物にしている様々な魔獣の住処と化している。いわゆる迷宮だ。森の木々で出来た、珍しいタイプのダンジョンだ。迷宮の最奥には討伐が現状ほぼ不可能な超再生力を持つ巨大トレントが生息しているという。切ってもすぐ再生するし、下手に近寄れば幹に吸収されて養分にされてしまう。強敵だ。迷宮は街道から外れたところにあるとはいえ、放置しておくわけにもいかない。川の横の村では冒険者ギルドの迷宮攻略の臨時支部が置かれているが、今のところ解決の見通しは立っていない。このように、桃の果樹園のために投資した分の収益は取れず、魔獣への対処で費用が嵩むばかり。アドリアンが予算のことで悩むとすれば、この後始末のことは一つにあるだろう」
「つまり――父は空回りでお金を無駄に使っているということですか?」
「有体に言えば。別に果樹園を作ろうという発想に文句はない。だが、事に移す前にきちんと情報を集めて、起こりうる問題を予防し、不測の事態に備えねばならない。失礼ながらアドリアンはそれができていない。桃の木の背が伸びて収穫が困難になるということは事前に僕も指摘したことなのに、彼はその場の思いつきと目先の利益だけで短絡的な行動に走った」
 眼前の事だけに囚われない。
 未来の事を予測してきちんと準備する。
 そう言うことは、とても難しい事で。
 だけど、紛いなりにも領主をするのであれば、絶対に必要不可欠な力。
 アドリアンは悪い人ではない。だけど――そういう力がない。
 だから、多分だけど、村人に良く思われていない。
 僕は呆然と呟いた。
「じゃあ――、僕がアドリアンの息子だって村の人が知ったら……」
「当然良い顔はしないだろうね。それどころか悪意ある対応をされるかもしれない。彼に雇われているだけの使用人ならともかく、彼の子どもとなれば話は別だろうから」
 アドリアンは、そうした悪意から守るために僕の自由を奪っていたのか……。
 僕は複雑な気持ちになった。
 彼が僕を守るつもりで別館に閉じ込めたのだとしたら、それは本当の意味で僕を守ることになっているのだろうか、と。
 彼のやり方が悪いとは言わない。だけど、僕の成人後、僕がきちんと生きていけるよう考えた末の行動だと、果たして言えるのだろうか。
 カペー司祭は再び椅子の背にもたれた。
「さて、他に聞きたいことはあるかね?」
 聞きたいこと。
 聞きたいこと。
 そうだな。
 司祭が知っていそうなことで、僕の聞きたいこと。加えて必要以上にこちらの情報を渡さない質問。彼は親切にしてくれるが、結局のところ部外者だ。何でもかんでもペラペラ喋って良いわけはない。
 僕は顔を上げた。
「カペー司教は、僕についてどのようなことを知っていますか? 僕が生まれた時、確か部屋にいましたよね」
「辺境伯アドリアン・モーリスとその使用人グレイスとの間に生まれた子。この冬で四歳になる。別館に軟禁状態で、姿を見ることが出来るのは使用人か、館に来たアドリアンの親戚筋の貴族達くらい。嫡子のジェームズに何かあれば、代わりにモーリス家を継ぐかもしれない。こんなところかな」
「アドリアンに親戚筋の貴族なんていたんですか!?」
「おや、知らなかったのかい? 君が生まれる時に何人か来ていたし、生まれてからも君に会いに来ている人はいたはずなんだけどね。モーリス家は非常に古い家で、昔は中央で権勢を奮っていた時代もあった。その頃増えた分家筋の貴族が王都周辺に結構いるのだよ。貴族とは名前だけの存在になっている人間ばかりだけどね」
「そ、そうなんですか……」
 知らなかった。
 でも、なるほど。これでアドリアンが僕の結婚する相手について安心するよう言った意味が分かった。彼はそうした遠い親戚のところに僕を婿に出すつもりだったんだ。
 うわぁー……。
 うまく言葉にできないけど、うわぁ……。
 僕は気を取り直して質問を続けた。
「えっと、じゃあ僕が妾の子だって、カペー司祭は知っていらっしゃるんですね?」
「ああ。その上で、君の誕生の祝いにも参加した」
「その前後に、僕の身の周りで祝儀あるいは不幸はありませんでしたか?」
 回りくどいけど、僕は腹違いの姉弟であるリリエット・モーリスとマリエット・モーリスのことについて探りを入れている。
 僕が考えた可能性は、僕が生まれた前後に彼女たちが生まれて、その後何らかののっぴきならない出来事が起きて、二人が既に死亡しているということだ。
 だから祝儀or不幸の有無について尋ねる。
 野次馬根性と言われたら仕方がないが、もし二人が死んでいたならば、同じ家に住んでいる身である僕としては看過できないことだ。
 だって、人が死んでいるかもしれないんだぜ?
 それで、その情報を家長があからさまに隠している。
 おかしいだろ。
 彼女たちに関しての情報は曖昧なことが多いし、正直気味が悪い。
 心の平穏のためにも知っておくべきだろう。
 カペー司祭は目を丸くした。
「改めて思うが、君は本当に賢いね。――君の指摘の通り、君が生まれる一ヵ月前に、事故でメイドが十人死んでいる。確か、本館で火事があったと聞いた。アドリアンはその事後処理のせいで君が生まれるところに立ち会えず――」
「は? か、火事!? メイドが、死亡!?」
「ああ、僕が聞いた話では、そんな不幸が起こったらしいね。君が生まれるころにたくさんのメイドが新しく雇われたんだ」
 なんだ、それ。
 そんなこと聞いたこともないぞ!
 アドリアンも。
 当然知っているはずのメイド長のチーノも。
 そんなこと一言も口にはしなかった。
 間違いない。意図的に隠しているんだ。
 グレイスはこのことを知っているのだろうか? 知っている可能性が高いだろうな。どこまで知っているかは分からないが。
 メイド十人ってことは全員死んだわけじゃない……よな? 一人か二人は生き残りがいるはずだよな? ああでも、そいつらは知っていても僕には話さないか。普段から会話すらないし。
 じゃあ、リリエットとマリエットもそれに巻き込まれて死んだ可能性が微粒子レベルで存在する……?
 ん?
 あれ?
 ちょっと待て。
 カペー司祭の知る祝儀or不幸って火事でメイドが死んだってだけ?
 えっと、僕が生まれた前後で祝儀はなかったのかな?
 具体的にはリリエットとマリエットの双子の姉妹の誕生祝いっていう。
 妾の子の僕の祝いに来たんだ。
 二人の祝いに行かないはずがない。行ったなら当然知っているよな?
 僕は司祭の顔を伺った。
 彼は質問には答えたという顔で僕の方を礼儀正しく注目している。
 まさか……。
 まさかとは思うけど……。
「あの、カペー司祭。つかぬ事をお聞きしますが――、僕の家族構成に関してはどこまでご存じですか?」
 司祭は苦笑した。
「さっきからおかしな質問が多いね。アドリアンに、マーガレットさん、グレイスさん、それとジェームズ君に君だろう」
「それだけです――よね? はは……」
「? ――妻二人に息子二人という少し歪な家庭だが、跡継ぎが無くて途絶えるよりはいいよ。妾の子だからといって、マーガレットさんに何か言われても、きちんと誇りをもって対応すべきだ。何も卑下することは無い。君たちは間違いなく、マーガレットさんとジェームズ君の家族なのだから」
 司祭が変な方向に勘違いしてくれている。
 だけど、僕が挙動不審なのはそう言う理由じゃないんだ。
 僕は笑顔を作った。
「モーリス家は、僕を含め、五人家族なんですよね?」
「そうだよ。妾の子だからと遠慮はしてはいけないよ」
 司祭はそう言って優しく微笑んでくれる。
 司祭は。
 司祭は。
 司祭は……。
 リリエットとマリエットの事を、欠片も、これっぽっちも、全然。
 知らなかった。



第五章  桃の迷宮(浅層)



 午後六時を過ぎた頃、僕は司祭にお礼を言って教会を後にした。
 この辺りは緯度が高いのか、日が暮れる時間が遅い。八月だと九時くらいになるまで太陽が出ていることもある。自然、僕の門限も遅くなるわけだけど、夕食には絶対に遅れないという『僕ルール』を設定しているので、七時には村を離れるようにしている。
 まだ一時間ほど猶予はあったが、司祭の部下の教会騎士団の面々が開拓現場から帰ってくると言うので切り上げることにしたのだ。
 司祭の話を悶々と反芻しながら丘を上がる。
 屋敷の別館の裏手に回り込み、僕とグレイスの小さな部屋の窓の下に辿りつく。
 まずは部屋に戻る。
 夕食時には部屋から出てきたという体を取らないといけないからな。
 ちなみに部屋には鍵をかけている。加えてドアのノブにはグレイスに書いてもらった『読み書きの勉強中、邪魔しないでください』という木の札も吊るしてある。
 メイド連中は僕の事を嫌っていることもあり、これでまず誰も入ってこない。
 チーノはチーノで僕の事を放置してくれている。
 グレイスは部屋を出れば森の開拓地で夜遅くまで従業者の世話をしているので昼間部屋には戻れない。
 だから、今のところ中が蛻の殻だとは誰も気が付いていないのだ。
 僕はいつものように速やかに熱魔術を発動させた。館の外装に個体窒素の階段をつける。

「――へえ。こりゃまた、見事なもんだねえ」

 不意に背後から掠れた女性の声が響いた。
 僕は驚いて振り返った。
 するとそこには鳥の仮面に黒装束の異形――スカアハの姿があった。彼女は背の低い庭木に腕を組んでもたれかかり、じっとこちらに視線を送ってきていた。
 僕は冷や汗をかいた。
 魔術を使うところを見られた。
 今からでも何とか誤魔化せるか?
 いや……、僕の目の前には既に窒素の階段が出来上がっている。誤魔化すのは不可能だ。ここはもう居直りを決め込むほかあるまい。
「……こんばんは、スカアハさん。ジェームズの稽古が随分と長引いたんですね」
「いや、授業はいつも通りの時間に終わったさ。ただ、アドリアンに伝えなきゃならないことがあってね。お堅いメイド長を言いくるめて待たせてもらっていたんだ。その帰りだよ」
「僕が魔術を使えること、アドリアンに報告するつもりですか?」
「聞かれたら答える。だけど、積極的に告げ口はしない。あたしにメリットはないし、アドリアンに情報を与えなければならない義理もないしね」
「そうですか」
 僕はほっと胸を撫で下ろした。
 ここでスカアハが僕に嘘を言う必要性はないだろうから、とりあえずは真実と見て良い。彼女はアドリアンに話題を振られない限り、僕の能力に関しては秘匿してくれる。
 スカアハはおもむろに木から背中を離すと、ひたひたと僕の前までやって来た。
「フフン、見れば見るほど珍妙な坊やだ。最初村で出会った時からおかしいとは思っていたが、あんた、『来訪者』だね」
「へ? 『来訪者』? って、何ですか?」
 僕は耳慣れない単語に眉根を寄せた。するとスカアハはじっと僕の方を見つめた。
「本気で分かっていないのか、はたまたとぼけているのか。後者なら相当な役者だね。でも、表情の筋肉を見るにおそらく前者か。おかしいね。『来訪者』は自分のことを『来訪者』だって初めから知っているんだけど。少なくとも今まで遭った奴は全員知っていた」
「あの……、その『来訪者』というのは何なのですか?」
 僕が訊くとスカアハはケタケタと笑った。
「あんたが知らないなら教えてやる義理はないよ。――知っていてとぼけているだけでも、安心しな。あたしには今のところあんたを『狩る』理由はないから。あたし以外の『断罪者』はどうか知らないけどね。フフ……」
「???」
「それはそうと、あたしはあんたの置かれている状況にちょっとばかし同情しているんだ」
 スカアハの雰囲気が変わる。少し口調が柔らかくなった。
 でも同情するよと言われてもあんまりピンとこない。僕とスカアハは所詮赤の他人だろう。
 僕は首を傾げた。
「はあ、そうですか……」
「分かってないのかい? 三歳の子どもを部屋に軟禁。加えてまともに構ってやらずに仕事でいっぱい、いっぱい。長男にもしもの事があったときの代わりとしてこれからも飼い殺しにしていくつもり。これじゃやっていることは児童虐待のそれとあまり変わらない」
「……そうかもしれませんけど、アドリアンはアドリアンなりに頑張って考えた結果そうしているのでしょう」
「頑張って考えたから許されるというのはちょっと違うと思うけどね。同じように、良い人だから許されるというのもおかしな話だ。あたしは、他人の利益のことを考えられない善人より、きちんと考えられる悪人を選ぶよ。あんたはどうなんだい?」
「――――――――。どうでしょうね」
「フフ。最初から答えは出ているみたいだけど。――あ。これ、食べるかい?」
 言って取り出したのは赤く熟した桃だった。僕は首を振った。
「遠慮しておきます」
「そうかい。うまいのに……」
 スカアハはしょんぼりしたようにそう言った。それから鳥のマスクを少し押し上げて桃にかぶりつく。
 マスクの下――口元だけだけど、初めて見たな。
 すごく綺麗な人っぽい。唇の形が美人を思わせる。
 でも口元美人は後ろ姿美人と同じくらい信用ならないと僕は知っている。
「なんだい。ババアの顔をじっと見ても良い事なんてないよ」
「ば、ババア?」
「歳は二千手前までは数えていたと思う。そこから先は分からない。あんたらの基準じゃババアだろう」
 ババアどころか化石だよ。人類最古の水田跡とかと一緒に出てきそう。
 いや、冗談なんだろうけど。
 あ、でも、人間族以外の血が入っているなら冗談でも何でもないのかも。
 エルフや魔族、魔獣は長大な寿命を持つと聞くからな。
 何の種族か聞きたいけど、止めた。
 もしかしたら地雷になるかもしれないし。
 スカアハがマジギレしたら一瞬で肉片に変えられそうだもん。僕はまだ死にたくないのでパスである。
 代わりに僕は予てから聞きたかった質問をした。
「スカアハさんは、僕にどんな剣術の流派が合うと思いますか?」
「さあね」
 スカアハはやる気が無さそうに桃を咀嚼している。
 教えてくれないか。
 質問を替えてみよう。
「教会騎士の剣術なんかどうでしょう?」
「ふーん。じゃあそれで」
「スカアハさんが教えてくれませんか?」
 えい! 単刀直入に訊いちゃえ!
 まどろっこしいのはもう十分なんだよ!
 スカアハは口元を嫌そうにゆがめた。
「あいにく、あたしは魔術の類を使う奴が許せなくてね。一時期は脳筋以外全員殺していた。今はそんなことないけどミスって殺しちまうかもしれない。あんたも訓練の途中に事故で死ぬのは嫌だろう? 魔術師は魔術師らしく王都の大学にでも行ってお行儀よく勉強してな」
「駄目ですか」
「悪いね。あたしは弟子のえり好みが激しいんだ」
「いえ、理由もなく好意を示されるよりはいいので」
「フッ……。あんた、いい感じに外道になる才能があるよ」
 外道……。
 僕は外道なのか?
 自分では割かしあまちゃんだと思っているんだけど。
 あまちゃんと外道って同時に存在しうるものなのかな。
 まあいいや。
「それではお疲れ様でした」
 僕は再度階段を出現させながら言う。
「待ちな」
「はい?」
「これを持っときな」
 スカアハの右手がヒュッとぶれる。
 僕が咄嗟に差し出した右手の平にパシリと何かが当たる音と感触がした。手の中のそれを見てみると、小さな犬笛だった。材質は木。何の木かは分からない。
「何ですか、これ」
 スカアハは僕に背を向けた。
「『病んだ血の殉教者』と呼ばれるケモノに効果のある笛だ。あんたがピンチになったとき、これを吹けば、相手がその眷属なら助かるかもしれない」
「『病んだ血の殉教者』? 先ほどから知らない固有名詞がたくさん出てきますね……」
「名前なんてどうでもいい。面倒ならそのまま忘れな。――その笛、あたしにはもう必要ないから。使うも、売るも、捨てるも好きにして構わない」
「いただいておきます。ありがとうございます」
 僕はズボンのポケットにしまいながら頭を下げた。
 スカアハはそれ以上何も言わず闇に融け込むように消えていった。
 うーん、武術を教えてもらえるかもしれないと実はすごく期待していたのだけど、やっぱり駄目だったかー。まあ、そんな虫の良い話はないよな。
 残った方法は司祭から教会騎士の剣術を習うか、当初の予定通り冒険者ギルドの訓練場を訪ねてみるか。
 あ、でもカペー司祭の話では、ここより南の川の横の村に桃トレントの迷宮攻略支部があるせいで過疎になっているって話だ。僕みたいなちんちくりんに教えてくれる人材が余っているとも思えない。
 教会騎士の剣術は頼めば確実に教えてもらえるんだから他を見るのはもういいか。
 重装備で重量武器振り回すというのが僕に合っているかどうか謎なんだけど。というか、多分合ってないよね。僕の性格からしてどっしり構えて相手の攻撃受けるとか無理だもん。
 とは言え、街道を安全に歩ける程度の護身術があればいいから、合う、合わないはこの際関係ないのかもしれない。敵から逃げられる程度の力があればそれでオッケーなのだから。

   ×                ×                ×

 夕食はいつもと同じように一人飯。アドリアンはさっきまた開拓場へ出ていったところらしい。
 給仕もやはりいつものようにチーノがしてくれた。
 僕はまずいスープを啜りながら、チーノにメイドが死んだ事件について訊こうかどうか迷っていた。
 今日になっていきなり事件について尋ねれば絶対に不審に思われる。
 まず、チーノは部屋から抜け出して村に行って誰かに話を聞いたと考えるだろう。
 部屋で瞑想していて何の脈絡もなく「思い……出した……!」ってなるわけがないから。
 三歳児が二階の窓から抜け出すということもにわかには信じがたいだろうが、部下のメイドたちの話を総合すれば裏が取れる。
 一度もトイレに部屋を出ることが無く、隣の部屋を掃除している時も物音一つ聞かないなんてことが明らかになれば言い訳はできない。
 僕がこっそり村に行っていると知ったら――チーノはアドリアンに報告し、僕は今度こそ幽閉されてしまうだろう。それは嫌だ。リスクは避けなければ。
 結局チーノに問い質すのは止めにして、夜にこっそりグレイスに尋ねることにした。グレイスになら「急に思いだしたんです」戦法が通用するんじゃないかと思う。グレイスはメイドたちに嫌われているから、僕が昼間抜け出していることにはまず気づけないだろうしね。
 で、夜中に帰ってきたグレイスに話をしてみたら、彼女は僕の言葉を疑おうともしなかった。
「そうねえ。お母さんもよくは分からないんだけどね」
 グレイスは寝間着に着替えて僕の隣のベッドに潜り込みながら続ける。
「お母さんの同僚がたくさん死んだ事件は確かにあったわ。そのときアドリアン様とチーノさんに他言無用と念入りに言われた。漏らすも何も、私はその頃お腹が大きくなっていて別館のこの部屋にずっと閉じ込められていたから、漏らすほどの情報を持っていなかったけど」
「変だとは思わなかったんですか? メイドが――火事で十人も死んだなんて」
 僕は自分のベッドの上に正座した状態でそう尋ねた。グレイスは天井を真面目な顔で見つめながら答えた。
「当然思ったわよ。だけど、炊事場は確かに燃えていたし、火事と言われたらそれまでだった。とても薄情な話だけど、私は死んだ十人とは仲が悪かったから特に悲しいとは思わなかった。死んだ彼女たちのことを可愛そうだなって思ったけど、それだけだったの。だからアドリアン様がそう言うならと納得しちゃったわ。でも――」
 グレイスは体を横向きにして僕の方を見た。「アドリアン様とチーノさんが何か隠していることは確かでしょうね」
「お母様もそう思われますか?」
 グレイスはこくりと頷いた。
「ええ。――だけど、世の中知らない方が良いということもあるのだと思うわ。アルフォンス。貴方が頭と体を切り離して何も考えずに生きることができないのは知っています。でも、時には知って損することもあるってこと、知っておいてほしい」
「……お母様は、盲目すぎるように思います」
 僕がそう言うと、グレイスは「そうね」と呟いた。
「アルフォンス、私の知っている重要そうな情報を渡しておくわね。その頃本館には開かずの間って言われていた部屋があったの。メイドはそこに入るのを皆禁止されていた。開かずの間には産気づいたマーガレット奥様がしばらくの間収容されていたわ。アドリアン様は、マーガレット奥様は新種の病気にかかっているかもしれないから、隔離する必要があるとおっしゃっていた。で、その開かずの間なんだけど、メイドが十人焼死した事件の時、炊事場と一緒に焼けていたのよ」
「――――――――」
 僕は目を細めた。グレイスは続けた。
「マーガレット奥様はその後何事もなかったかのようにジェームズ様と一緒の部屋で生活し始めたわ。アドリアン様も、チーノさんも。館内が依然の雰囲気に戻り始めた頃、また侵入禁止の開かずの間が指定された。今度は地下で、かつての開かずの間の真下だった。封鎖の理由は、悪い瘴気が地下に溜まっているから、だったかな。そこは貴方がハイハイし始める直前くらいに侵入禁止ではなくなったわ」
「開かずの間は、いずれもマーガレットお義母様のご病気と関連して作られたということですか?」
「アドリアン様の説明によればそう言うことになるわね。ただ――」
 グレイスの表情が曇る。
「ただ、何ですか?」
「いいえ。これは私の想像だけど、リリエット様とマリエット様は、マーガレット奥様が病気に罹患していた前後に生まれていたのなら――もうこの世にはいないのだろうなって」
「――――――――」
 死産か。
 あるいは母の病気を貰って死亡したか。
 それならいまだに一度も姿を見ないというのも頷ける。
 僕が難しい顔で考え込んでいると、グレイスが自分のベッドから出てきて僕のベッドに上がり、優しく僕を抱きしめた。
「お、お母様」
 おっぱい!
 おっぱい!
 おっぱい!!
 って、そんな場合じゃない!
「アルフォンス。アドリアン様は私たちに黙っていることがあるかもしれない。何か人には言えない秘密を持っているのかもしれない。だけど、理解してあげてほしいの。あの人は一生懸命な良い人なんです。ジェームズ様もそう。良い人なんです。アルフォンスは成人する頃にはこの辺に住んでいる誰よりも賢くなると思います。それはお母さんが保証するわ。そのときに、少しでいいからアドリアン様やジェームズ様に力を貸してあげてほしいの。支えてあげてほしいの」
 グレイスの言葉に、僕は興奮していた気持ちが萎えていくのが分かった。
「お母様。お父様を大切に思うのは素晴らしいですが、それはさすがにお人よしすぎます。お父様は成人とともに僕を地方の貴族とは名ばかりの家に送り出すつもりです。きっとグレイスお母様も一緒に、です。そうしてくれたらまだ良い方で、場合によっては、彼は僕たちにわずかな支度金を持たせて放逐することもあるでしょう。そんな相手にそこまで尽くすのですか?」
「…………」
 グレイスは無言で僕を抱きしめる腕に力を入れた。
 僕はため息を吐いた。
「お母様は、本当に、男にとって都合の良すぎる女です」
「そうね……。ごめんなさい……。じゃあ、貴方だけは好きなようにできるよう、お母さん頑張るわ。それで好きに生きなさい。お母さんは、アドリアン様と最後までともにいます。見捨てられても、ずっと支えになり続けます」
 僕は言葉が出なかった。
 アドリアンとグレイス。
 昔、彼らの間にどんなことがあったのか、僕は知らない。
 グレイスに聞いてもきっと教えてはくれない。空気の読めない僕でもそれくらいは分かる。
 でも――、そんなラブロマンスに僕まで巻き込んでもらっちゃ困る。
 正直アドリアンの面倒なんて見きれない。
 力がなく、人を信用せず、本当の意味で愚か。
 僕はアドリアンを助ける気なんてこれっぽっちもない。
 僕はただ平穏に生きたいだけ。
 アドリアンなんてどうでもいいのである。
 なので、グレイスの気持ちをかなえる気も全くない。
 グレイスは助けるが、アドリアンは見殺しにする。僕に対して何も与えてくれず、自由を奪うばかりだったんだ。当然だろう?
 僕の中を冷たい血が駆け巡っていく。
 そして確信した。
 僕はやっぱり外道であると。

  ×                ×                ×

 翌日から、僕は教会で司祭に剣術を教わることになった。
 彼は僕の申し出に二つ返事で応えてくれた。で、早速僕に小人族(ルビ:ホビット)用の短い木刀を与え、基本の型を丁寧に教えてくれた。
「仕事が忙しい時は相手が出来ないけど、それ以外は言ってくれたら教えよう」
 司祭はそう言うって優しく笑う。
 フランチェスカ教の教義に則り僕に色々教えてくれているだけなのかもしれない。だけど、僕は久々に誰かから物を教えてもらえることの喜びを味わえて嬉しかった。
 これまで何を学ぶにも自分一人でやっていたからな。
 人間が最終的に行きつくところはそこなのだろう。最後は自分でやらなければならない。誰かから教えてもらうのを待っているようじゃ甘いのだと思う。
 だけど、甘いかどうかと楽しい楽しくないは別だ。
 僕は司祭に深く感謝した。彼にはいずれきちんと恩返しをしたい。僕はあまり良い人間ではないのかもしれないけれど、受けた恩くらいはきちんと返す。それくらいはできる人間でありたい。
 一ヵ月ほど経った頃から、僕はギルバードたちの合同練習に参加するようになった。皆と同じように素振りなどの基礎訓練から入り、最後は模擬試合で〆る。ちなみに魔術を使うつもりはない。土魔術や風の魔術で身体を補助すれば一般的な大人くらいの身体能力は確保できるが、それをすると剣の訓練にならないから。
 単純な身体能力と剣の腕だけでの勝負。
 だから、模擬戦では僕が一番弱かった。
 冬になって四歳になってもめちゃくちゃ弱かった。
 リリナよりも僕はもう一回り小さいから、特にギルバード相手だとロードローラーに押しつぶされるみたいに一瞬で制圧されてしまう。
 四人の中で一番強いギルバードは天狗になっていた。
 それが気に入らなかったので、僕は年初めに冒険者ギルドの訓練場を訪ね、小人族の冒険者を見つけて戦い方を見学させてもらった。
 教会騎士の剣術を裏切るような行為かもしれないけど、僕としては別に良心は痛まなかった。司祭も「良いとこ取りでいい」と言っていたし。
 小人族の立ち回りを見て分かったのは、彼らは体の小ささを利用して攻撃を回避しているということだった。これを剣術の動きに組み入れることにした。
 僕は人間族だからあと十年もすれば身長はかなり伸びる。
 だからいずれこの立ち回りは、対人戦では使えなくなる。
 だけど、対魔獣戦では一生有効な手段であり続けるはずだ。
 小人族の動きは、基本的に軸足一本で立ち、踏み込む足はどの方向にでも瞬時に出せるように少し浮かせる。体を揺らしながら相手の剣先を避け、一瞬で間合いを詰める。
 背丈が小さい故、間合いの差が最大の敵となるようだが、これは懐に飛び込んでしまいさえすれば関係なくなる。
 懐に飛び込むために、相手の攻撃は躱すか、パリィする。
 そのあと、教会騎士の剣術の強力な一撃を相手の急所に叩き込む。これだ。
 そういうわけで、僕は庭木の枝を一本拝借して、パリイングダガー(木製)を自作した。これは攻撃を受ける盾や、弾く目的のバックラーよりも、更にカウンターを狙うことに特化した左手用短剣の一種である。相手の剣を受けるガードの部分をかなり広くとっていて、手首のスナップを利かせることで相手の剣を素早く弾き、体勢を崩させる。元の世界の中世ヨーロッパで実際に使われていた武器だな。
 同じように右手用の木刀も庭木から作成。こちらも鍔広の木刀で、相手の得物をうまく絡めとれる仕組みになっている。
 数日前まで元気だった庭木が一本丸々消失することになったが、今のアドリアンじゃ報告を受けても原因究明をしようとは思うまい。
 森の開拓は予想以上に遅れていた。
 いや、彼にとっては予想以上で、周りの人間にとっては予想通りだった。アドリアンは百平方メートルの範囲の森を綺麗に整備する時間から凡その期間を割り出していた。だけど、奥から魔獣が結構出てくるし、木の根っこが強い場合はその除去だけで半日使うこともあった。
 その度にどんどん時間はずれていったのだ。
 開墾は遅々として進まず。
 年初めになっても完成予定範囲の半分も整備できていなかった。
 十月あたりから土づくりなどで開拓従業者の男たちがなかなか参加できなくなったから更に遅れてしまったのだという。
 麦の価値も上がっているようだし、アドリアンは今まで以上の無理をさせられず、その分をメイドや衛兵、自分自身まで駆り出して埋め合わせようとしている。
 庭木が消えるよりも、計画を中絶させないようにする方が千倍は大切だろう。コンコルドの過ちである。
 話を戻すと、パリイングダガーを模擬戦に投入した僕は、ギルバードから一本取れるようになった。もっとも、うまくいくのは五回に一回くらいで残りはだいたいボコボコにされる。冒険者ギルドで見た小人族みたいに鋭く動き回れたら良いのだけど、僕にはそこまでの技術がないので仕方がない。
 同じようにシルウィやリリナからも一本取れた。
 突き詰めていけば、いずれ彼らの斬撃全てを躱すかパリィするかできるようになると思う。
 街道で盗賊などに襲われた時も攻撃を弾いて、追撃して、相手が怯んだところで逃げる方向でいこう。距離を取って弓などで狙われた場合は魔術で応戦する。これで何とかなる、と思う。
 もちろん今のままではいけない。
 手首のスナップのタイミングをミスってパリイングダガーを弾き飛ばされることや、痺れて動けなくなってしまうことが多々ある。むろん実戦でこうなったらすぐに死ぬことになる。
 ちなみに、ギルバードの渾身の一撃をパリィしてやった時、彼は鼻水を垂らして驚いていた。マジで驚いたとき、彼が鼻水を垂らすのはデフォルトのようだ。
「なにぃ!? 俺の超絶最強最悪暗黒神聖必殺技を弾いただとぉ!?」
 と叫んだあと、余程悔しかったのか顔を真っ赤にして出鱈目に殴ってきた。もちろん僕はボコボコにされた。
 ギルバードが言う『超絶何とか必殺技』はいわゆる溜め攻撃である。攻撃する前に大きく振りかぶる教会騎士の剣術の止めの技の一つ。
 熟練の騎士だと話は変わってくるのだろうけど、ギルバードの場合は技の発生のタイミングがめちゃくちゃ分かりやすい。だから、僕にとっては格好の餌食である。逆に怒って技もクソもない出鱈目な殴りつけをしてくるときは読み切れずにやられてしまう。でもこれは慣れたらパリィは簡単だと思う。感情のまま殴ってきているわけだから、フェイントも何もなく、しかもやや大振り気味だからな。今は勢いにびっくりして縮こまってしまうけど。
 シルウィに初めて勝った時は、彼女は少し目を見開いた後、僕の頭を優しく撫でてくれた。「強くなったねー」と。僕は鼻の下を伸ばしながらシルウィの汗の臭いを嗅いでいた。あの時の僕は傍目から見ても変態だったと思う。実際リリナはそれ以来僕の事を汚物を見るような目で見てくる。態度も、司祭の前では最低限受け答えは丁寧だけど、常時氷点下の冷気を纏っている。司祭がいないときは基本的に無視である。これは男の性なのに、酷いよね。
 そのリリナは、僕に負けた時も淡々としていた。
 淡々と分析されていた。
 一度目は斬撃の威力が他の二人に比べて格段に弱いため簡単に弾くことができた。だけどそれ以降は微妙にタイミングをずらすなど、僕にパリィをさせないように細心の注意を払ってくるようになった。そのせいで全然パリィできなかった。一応、躱すことは可能なのでそれで間合いを詰めるが、リリナが一番一本取りにくい。
 タイミングをずらすようになっただけでなく、二週間くらいしたら、彼女も僕と同じように自作の木刀を持って練習場に現れた。見た目はあくまで教会騎士の使う剣の範疇。だけど刀身の背がなんか凸凹していた。いわゆるソードブレイカーに似ている。
 彼女はこれでギルバードとシルウィの武器を絡め取り、反動を利用して手首から弾き飛ばしていた。相変わらずシルウィには押され気味だが、ギルバードの力技に屈することはもうほとんどない。
 口には出さないけど、僕は技術を盗まれた気分になり面白くなかった。これがシルウィなら素直に尊敬していたのだけど、僕はリリナの事が苦手なのでマイナス方向に作用してしまったのだ。
 対リリナ戦では。
 僕はリリナの攻撃をパリィしようとし。
 一方のリリナは僕のパリィを警戒しつつ、こちらの武器破壊を狙ってくる。
 結果、司祭の「始め」の合図がかかっても、お互い構えながら間合いを測ることから始まり、攻撃する一瞬の隙を狙ってぐるぐる回り運動場を回り続けることになった。シルウィを早々に負かしたギルバードが面白くなさそうに「早く打ち合え!」と声を張り上げるまでがいつもの流れになっている。なんだ、これ。

   ×               ×                ×

 一月下旬、カペー司祭が多忙になってきたため、稽古は四人で自主練をすることが多くなった。
 なんでもアドリアンから協力要請が来たらしく、森の開拓に司祭まで参加することになったのだ。
 司祭がいない自主練でも、僕は淡々とやることをこなしていたが、他の三人はやる気が起きないらしかった。
 ギルバードとシルウィは家の手伝い。
 リリナは教会の手伝いで稽古に来ないことが多くなった。もっとも彼女は僕が帰った後に自主練をしているらしい。ギルバードとシルウィのように手伝いが忙しいというよりは、僕と二人でいたくないようだ。
 二月中旬のある日、珍しく運動場へギルバードとシルウィがやって来た。

「桃の迷宮に行くぞ!」

 開口一番ギルバードはそう宣言した。僕は眉をひそめた。
「桃の迷宮って――この村から南に行ったところにある?」
「そうだ!」
「アール君は川の横の村の子だから知ってるよねー。説明の手間が省けてよかった」
 シルウィはいつもの町服ではなく、丈夫そうな動物の革の服を着ていた。腰には一本の剣を差している。ロングソードだ。女性用で短いが、鉄で出来たモノホンの武器である。
 見ればギルバードも腰に片刃の重そうな鉄の剣――ファルシオンを差している。僕は凶器を持つ二人に若干怯えながら尋ねた。
「本当に行くんですか? 戦うなんて、危なくないですか?」
「奥まで行かなければ大丈夫だよ。桃の迷宮の浅層は桃トレントの小さい奴しか出ないから、初心者の冒険者たちの練習場所にもなっているんだ。リリナくらいの歳の子も親御さんと一緒によくトレント倒して薪にしているよ。――ね、リリナ」
 シルウィが僕の後ろに呼びかける。僕が振り返ると、そこには教会のシスター服を着たリリナが立っていた。
 びっくりした。
 音もなく忍び寄らないでほしい。
 本人にそんな気はなかったのだろうけど。
「シルウィ姉、ギルバード君、今から行くの?」
 リリナがそう尋ねる。
「ああ! 俺、昨日冒険者になったんだぜ!」
 ギルバードがそう言ってズボンのポケットから鉄製の冒険者証を取り出して見せてきた。冒険者証にはギルバードの名前と加入日付、現在のランクが彫られている。
 彼はEランクらしい。
 一番下がEランクなんだな。
「ギルバード、冒険者になって早速『トレント狩って薪を集める依頼』受けたんだけど、重さの単位を知らなくてさー。ちゃんと計算できるのかって聞いたら、適当に狩ってたくさん持って行けば文句は言われないだろうって。……はあ。見てられないから、私も手を貸すことにしたの。それで、リリナとアール君も一緒に来るかなって」
「私は構わないわ」
 リリナがそう言う。「すぐに着替えてくるから、待ってて」
 マジかよ。
 なんか皆迷宮に行く雰囲気になっちゃってるんですけど……。
 僕は怖いから行きたくない。でも断ったらノリが悪い奴って思われちゃうかな。思われちゃってもいいか。
「すみません。僕は行きません」
「えー!? なんで!?」
 シルウィが僕に詰め寄ってくる。それから僕の頭を胸に押し付けて体をくねくねさせる。おほ、おほ! 柔らかい! シルウィの匂い! 体臭に微妙に混ざる森の香り!
 くそ、おっぱいなんかに負けないんだからね!
 僕はまごまごと言い訳を口にした。
「だ、だって、怖いし……」
「なにぃ!? アール、お前それでも男か!」
「そうだぞー、かっこ悪いぞー。シルウィお姉ちゃんはかっこいい子の方が好きだな」
 シルウィは将来魔性の女になりそうですね。
 僕はシルウィのおっぱいに顔を圧迫されながら何とか抵抗を試みる。
「し、シルウィさん、胸、押し付けるのを止めてください!」
「んー? ふふ、じゃあ一緒に来てくれる?」
「えっ……」
「ねー。行こうよ。ねー! アール君が来てくれないと、お姉ちゃん寂しいなー」
「くっ……。わ、分かりました。行きます。行けばいいんでしょう」
 金髪美少女エルフのおっぱいには勝てなかったよ……。
 僕は諦めて脱力した。
 まあ、この辺りで実戦を体感してみるのもいいか。
 最終的には何かあったときもパニックに陥らず的確な対処が出来るまでになりたいからな。
「おまたせ」
 そうこうしていると、教会の中からリリナが出てきた。
 白いシスター服を改造した感じで、スカートの左右両端に深いスリットが入っている。下にはズボンを履いているようだ。
 腰の左にはポーチ。
 腰の右にはファルシオンを差している。
 更に右手には動物の胃をゴムで加工して作ったらしい袋をひっさげていた。あの袋、何に使うんだろう?
「リリナ、薪集めの袋なら私が持ってるよ」
 シルウィがポケットから折りたたんだ布の袋をいくつか取り出して見せる。リリナは首を振った。
「それとは別。薪集めの袋はシルウィ姉から借りるから。それと――、アール」
 言って彼女は僕に向き直った。
 おお!?
 初めてリリナに名前を呼んでもらえたぞ!
 僕の名前ちゃんと知っていたんだな。
「木刀で戦わせるわけにもいかないから。これ、使ってください」
 リリナが袋から取り出したのは一振りの短剣だった。リリナの持っている奴とは微妙に違うが、多分同じ教会産の短剣だ。
 彼女の気持ちはありがたかったけど、僕はぞっとした。
「い、いえ……、刃物は、ちょっと……」
 調理用のナイフは使うけど、こんな相手を殺すための武器なんて怖くて使えない。
 でも、窒素で作る槍とかナイフとかは扱えているから、日本時代の一般的感覚の名残なのだろうな。
 こういうのは慣れだと思うから、もう少し時間をかけてゆっくりと抵抗を失くす方向でいきたい。少なくとも、今急に渡されても困惑するしかない。
 迷宮では後ろに下がっているつもりだし、本当に危なくなったら土魔術あたりで相手を殴りつけて対処すればいいし。
「いいから、持っていて」
 しかしリリナはそう言うと僕の手を掴み短剣を握らせた。
 冷たい……。
 短剣って、こんなに冷たいんだ。
「ありがとう、ございます、リリナさん……」
「迷宮から帰ってきたら返して。刃こぼれとかは気にしないでいいから。使わないといけないときは遠慮なく使って」
「はい」
「そっか、そう言えばアール君用の武器持ってくるのを忘れてたなー。失敗、失敗」
 シルウィがのん気にそう言う。リリナは無言で僕から離れた。
「よし! じゃあ皆準備はいいな!? 行くぞ!」
 ギルバードは言うが早いか駆け出した。彼は止まっていたら死んでしまう病気にでもかかっているのだろうか……。
 シルウィも駆け出す。手伝うとか言って彼女も実は楽しみにしていたらしい。
 リリナもその後に続いた。
 僕も走り出す。
 と、そこで自身の心臓がドクドクと大きな音を立てていることに気が付いた。
 なんだ。
 怖いだけじゃなかった。
 僕もちょっとは期待していたらしい。

   ×               ×               ×

 桃の迷宮は丘の下の村から三キロほど南に下ったところにあった。
 遠目にはただの森にしか見えないが、よく見ると森全体がうごめいているのが分かる。
 おそらく生えている木のほとんどがトレントなのだろう。
 群体という言葉があるが、まさにそれ。
 森全体が魔獣なのだ。魔獣は基本的にテリトリーから抜け出さないとは言え、あれだけ大きいと周辺の冒険者ギルドも対策しないといけないわな。
 アドリアンはマジで何やってんだろう……。
 森目指して街道を歩いていると、大きさ五十センチくらいの木の切り株のようなものに出くわした。
 僕はシルウィに尋ねた。
「あれは何――」

「しゃああああ!!! ぶっ倒すぅぅぅぅ!!!」

 ギルバードがロングソードを抜いて切り株に飛びかかった。
 断頭の刃のような一振り。
 切り株は唐竹割りにされて動かなくなった。
「トレントだよ」
 ギルバードのテンションに苦笑しながらシルウィが答える。「森からはぐれたんだろうねー」
「なあ、シルウィ! 袋くれ! 袋!」
 トレントの残骸を拾いながらギルバードがシルウィに手を出す。シルウィは手を腰に当てた。
「ギルバード、依頼ちゃんと読んだ? 薪になる奴じゃないと駄目なんだよ? こんな根っこの部分の硬い奴じゃ粗悪品って言われて受け取ってもらえないよ」
「なにぃ!? 燃えればいいんじゃないのか!?」
「木の根っこの部分を好んで薪にする人がどこにいるのよ……」
「クソババアはちゃんと根っこのトレントまで使えって言ってたぞ!」
「家で使う分にはいいかもしれないけど、納品用に持っていけるわけないでしょー? あと自分のお母さんのことクソババアって言わない!」
「じゃあ、なんて言えばいいんだ!? クソおかん!?」
「クソから離れなよ!」
 シルウィとギルバードがいつものように漫才をやっている。
 僕は道端にしゃがみこんでいるリリナに目を向けた。
「リリナさんは何をしているんですか?」
「……スズーロの新芽を摘んでいます。辛味の強い調味料になるので」
 彼女は敬語交じりの硬い口調で答えた。僕に対するリリナの態度はだいたいこれである。まあ、僕も朗らかに話をしたいってわけじゃないし構わない。
 今も単純な興味で尋ねているだけだ。
「へえ。そう言えばさっきも何かの木の実をちぎっていましたね」
「リリナはこうやってちまちま集めるのが好きなんだよねー」
 シルウィがリリナに抱き付く。「最初は私が食べられる野草を教える側だったのに、いつの間にか師匠よりも詳しくなりおって! この、このー!」
「ちょ、止めてよ、シルウィ姉。くすぐったい……」
 くんずほぐれつの絡み合いを繰り広げる二人の美少女。
 いいですね。
 眼福です。
 僕は鼻の下を伸ばして、この上なくいやらしい視線を二人に送った。
 リリナがゴミを見るような目で僕を見て、シルウィから離れた。
 ああ、もう少し観察していたかったんだけど。
「おら、早く行くぞ!」
 ギルバードがまた駆け出した。三キロ歩いているはずなのにまるで疲れた様子がない。やっぱりこの世界の人間って化け物だわ。
 かく言う僕も四歳の男の子にしてはめちゃくちゃ体力がある。
 ギルバードたちと同じような体質なのかどうかはさておき、日々のトレーニングのおかげだということは確実に言える。
 今まで鍛えていて良かった。
 館から出たばかりの頃の僕ならとっくの昔に行き倒れていただろうから。
 僕たちはギルバードを先頭に街道の残りをどんどん走り抜けていく。
 すると三叉路に出た。
 道は東と南に分岐していて、南の方には集落の影が見えた。あれが川の横の村だろう。
 東を見ればうっそうと草木が生い茂る巨大な森。元が桃の果樹園とはとてもじゃないけど思えない。森の入り口には南北に川が流れているようで、川は南の村の横を通ってはるか向こうまで流れているようだった。
 南の村からはぽつぽつと断続的にいくつもの集団がこちらへ歩いてきているのが見える。
 大人の集団。
 子供連れの大人。
 子供だけの集団などなど。
 装備の具合も様々だ。
 見える範囲では、僕らと同じくらいの軽装の人たち、鉄の鎧をしっかり着込んだ重装備の人たち、ローブを着た魔術師と思しき人影なんかがいる。
 重装備の人は奥まで行くのだろうか?
 迷宮の中央にいるという巨大トレントを倒しに。
 もしそうなら切っても死なない相手をどう倒すのだろう?
 火か何かで森ごと焼き払うのが一番良さそうだけど――、それじゃ下手したら川の横の村まで燃えてしまうのか。
 村まで行かなくても、周囲の草原や森に火の粉が散ったらそれだけで大事だ。雨でも降らなければ確実に山火事になる。そうしたら住処を奪われた魔獣たちが森から出てきて暴れる。
 単純に燃やすというのは良くないのかも。
 僕ならピンポイントで巨大トレントだけ狙えるかもしれない。
 でも果たして熱魔術は通用するのだろうか。
 燃えきる前にレジストされてしまうかもしれない。
 そうなったらやばいよな。
 ボスは倒せず、そのあとは猛追撃を受けながらの撤退戦だ。生きて帰れるとは思えない。
 ……迷宮はやはり危険なところだな。
 できれば必要以上に近寄りたくないものだ。
 今必要以上に近寄っちゃってるけどな!
「はい、皆注目!」
 シルウィがパンパンと手を叩いた。「今から桃の迷宮に入るけど、その前に注意事項を確認しようね」
「ヒャッハー! ダンジョンだー!」
 赤毛の馬鹿野郎が我先にと駆け出した。動きを読んでいたのか、リリナが回り込んで馬鹿の頭をひっぱたいた。
「ギルバード君、ちゃんと聞いた方がいいよ」
「分かった! じゃあ、早く言え、シルウィ!」
 ギルバードが腕を組んでふんぞり返ったところで、シルウィが何事もなかったかのように話を続ける。
「注意事項は三つ。一つ目、絶対に森の中層に入らない。今日の私たちは浅層でも一番浅いところで薪を集めます」
「なにぃ!? それじゃ全然面白くないだろう!? 俺は巨大トレントぶっ倒したい!」
「今のギルバードじゃ中層の突破も無理だよ。浅層はトレントしかいないけど、中層は麻痺毒を持ったビック・モスキートとか致死性の猛毒を持ったビッグ・スパイダーとかが出るんだよ? ときどき指定危険種のブラッディ・ベアも出るらしいし」
「全員俺がぶっ倒す!」
「ビッグ・モスキートに空中から麻痺液振りかけられたらどうするの? 剣は届かないし、解毒薬もすぐには効かないけど」
「やられる前に剣を投げる! 剣が当たる! 相手は死ぬ!」
「じゃあ、たくさんのビッグ・モスキートに囲まれたら?」
「気合いでぶっ倒す!」
「できるわけがないでしょ!」
 シルウィが切れた。
 彼女でも怒ることがあるんだな。
「ギルバード君」
 リリナが静かな声で淡々と語りかける。「貴方が勝手に突っ込んで勝手に死ぬならそれで構わないわ。でも、今は私たちが一緒に居るの。貴方のピンチは私たちのピンチでもあるの」
「俺はピンチにならない!」
「じゃあ、おとうさんの半分くらいの力を持った敵が出てきたら、ギルバード君はぶっ倒せるの?」
「ぶっ倒……、ぶっ……、あれ? ぶっ倒せない……!?」
「貴方がピンチになったら、私たちは必死に貴方を助ける。どんなに危険な状況でも、どんなに絶望的な状況でも。だって、友達だから。でも、そうやって私たちが助けに入ってもどうにもならないことがある。ビッグ・モスキートの群れなんかに出会ったら今の私たちじゃ戦うこともできずに戦闘不能になるわ。そうなったら、勝手に突っ込んでいった貴方のせいで私たちまで死ぬことになるの」
「む……、う……?」
「ビッグ・モスキートは麻痺させた相手を巣に連れ帰り、卵を産み付ける。私たちは死ぬことも許されず、生まれた幼虫に生きながらに体を食べられることになる。自分のみならず、私たちもそんなふうに死んでいいって思うなら、どうぞ勝手に行動して。その場合私はギルバード君のことすごく軽蔑するけれど」
 完全論破……!
 いや、単なる言いくるめだけど。
 巧みな弁舌だったな。リリナって今何歳なんだよ……。賢すぎだろう。小学校一年生くらいの女の子とか、かわいいお洋服のことしか考えられないんじゃないのか。
「ごめんなさい」
 ギルバードが謝った。
 多分リリナの話の三分の一くらいしか分かっていないのだろうけど、雰囲気的に自分がいけないことをしようとしたことは察したらしい。
「リリナ、ありがとう。頼りになるよ」
 シルウィが微笑む。リリナは頬を染めた。
「別に……、いつものことだし」
 百合の花が咲き乱れそう。
「注意事項の続き行くよー。二つ目、周りで戦っている人に近づかない。危ないし、相手が狙っていた獲物を横取りしちゃって、喧嘩になることがあるから。また剣を振り回す時は周りに人がいないかよく確認して。回復薬があるから指先が飛んだくらいなら何とかなるけど、手首から先の場合は処置する前に死んじゃう可能性が高いから」
「指先飛んでも治るんですか?」
 僕が訝しげにそう尋ねると、シルウィがこくりと頷いた。
「二、三日かかるけど、元通りになるよ」
 マジかよ。
 この世界の治癒すげえな。
 どういう原理で治るんだ?
 すごく知りたい。
 僕の世界ではあり得ないことだけど……。
 あー、でもそうか。僕が『二十一世紀の人間』だからそう思うだけなのかもしれない。
 もし僕が平安時代からこの異世界に来た場合、熱魔術の仕組みは逆立ちしたって理解できない。分子なんてもの知らないわけだから、火をつける魔術を使うのでも仕組みはブラックボックスの状態でやることになる。
 回復薬も同じ。
 例えば僕が三十一世紀の日本から転生して来ていたとしたら?
 回復薬とやらを使用したことで部位欠損が治ることについてもきちんと科学的な説明ができるかもしれない。
 でも二十一世紀の、科学(医学)が未発達の段階では、分からない。
 ブラックボックスというわけだ。
 成分とか分かれば今後の生活に大きなアドバンテージを得られるかもしれないけど、専門的な知識が無い僕には難しいだろうな。
 とは言え、研究しない手はないか。
 あとで司祭から購入して現物を確認してみよう。今ここでシルウィに見せてもらうだけでは不十分だろうし。
「注意事項三つ目。今午後二時を回ったところだけど、六時になる前には切り上げること。森の日暮れは早いから、大事を取って五時半にはここを離れます」
 これは僕にとって僥倖かな。
 五時半に出れば十分夕食には間に合う。三叉路でシルウィたちと別れて、大きく村を西側に迂回する形で別館に戻る。魔術で補助すれば楽勝だろう。
「よし、いいかなー?」
 シルウィが僕たちの顔を見回す。僕たちも彼女の顔を見つめ返した。僕はついでウィンクもしておいた。リリナがドン引きしたような顔になっていた。
「じゃあ、出発!」
 かくして僕たちは、桃の迷宮浅層へと駒を進めたのだった。

  ×                ×                ×

 森の浅層には冒険者たちの姿が散見された。
 彼らは木の影からひょっこり出てくる木の幹の形をしたトレントを狩っていた。
 剣で切ったり槍で突いたり魔術でつくり出した土の棒で殴りつけたり。
 トレントは数回攻撃を受ければすぐにただの木材になった。一応、枝の部分や頭の草の部分から蔦を伸ばして相手を絡め取るような動きをしてくるが、大した脅威にはならない。
 試しに捕まってみたらきつくロープで締め上げられる程度。骨が折れるとか肉がちぎれるとかはまずありえない。長時間捕まっていたら呼吸困難か何かで死ぬかもしれないけど、その前に刃物で切ればいい。
 まあ、刃物がない場合は割と絶望的か。
 魔獣と言うには弱すぎる。だからシルウィが僕らを連れてきたのだろうけど。
 最初は見ているだけだったけど、途中からは僕も参加してトレントを倒した。切っても血が出ないから、今のところ気分が悪くなることは無い。代わりに罪悪感みたいなものが込み上げてきた。
 でも――トレントたちを放置していたらこの森のボスみたいな巨大トレントに育つんだよな。
 巨大トレントが跋扈し始めたら生活の場を追われるのは僕たちなのだ。で、そうなったとき、トレントは僕たちに手心を加えてくれるだろうかと言うと、そんなことはない。彼らは当たり前のように僕たちを触手でからめとり、栄養満点の苗床にするだけだ。つまり対話や共存の余地はない。
 それを免罪符にするわけじゃないけど、やっぱりこうした害獣は駆除しなければならない。
「でも、森の木じゃなくてわざわざトレントを倒して薪にする必要があるんでしょうか」
 今まで考えた戦術を一つ一つ試しながら、横で同じくトレントを狩っているシルウィにそう尋ねる。シルウィは答えた。
「繁殖力の強いトレントを駆除するのと一石二鳥なるからね。最初からいい感じの大きさで現れるっていうのもあるかな」
「なるほど」
「あと――、必要以上にたくさん木を切るのは、アールブからすごく非難されるんだよ。私は平地で生まれて平地で育ったからあまり思い入れはないんだけど、何百年っていう時間を森と一緒に過ごしてきた人もいるの。そういう人は共生相手の森を神様みたいに敬っているからね。私のお父さんとお母さんもそう。今、辺境伯様が森を開拓しているでしょ? 二人とも他のアールブの何人かと一緒に最後まで反対していたよ」
「へんきょうはくって何だ!?」
 ギルバードがトレントの残骸を袋に入れながら尋ねる。シルウィは頬のあたりに汗で張り付いた蜂蜜色の髪を、右手の指ですっと耳にかけた。彼女の細い首筋が露わになる。
「司祭様がお祈りとか聖誕祭とかの行事を取り仕切る偉い人っていうのは分かるよね。それとは別に、私たちが住みやすい村を作るために色々考えてくれる偉い人がいるの。それが辺境伯様。この土地を治める、小さな王様だよ」
「分かんねえ! シルウィ説明下手だな!」
「あはは。そうかもね。少なくともギルバードが分かるよう説明するのは私じゃ無理だなー」
 他愛もない会話を続けていたら、いつの間にか剣術のみの動作確認は終了していた。
「シルウィさん、僕、あっちの原っぱで狩ってきます」
 僕はそう言って薪の入った袋を持ち上げた。
「え? じゃあ、私も行くよ」
「一人で大丈夫です! 周りにたくさん人がいますし」
「そう? まあ、アール君ならギルバードよりは大丈夫か」
「どういう意味だ! シルウィ!」
 青筋をたてるギルバードを無視してシルウィは僕に声を張り上げる。
「他の冒険者さんたちの邪魔しちゃ駄目だよー?」
「分かってます! しばらくしたら、またここに戻ってきますので」
 それだけ言い残して駆け出す。
 僕は土魔術と風魔術の補助を起動させた。景色が流れる。
 体は信じられないほどに軽かった。
「……さてと、動作確認だ」
 僕はフードを目深にかぶる。これで周囲の人からは僕が小人族の冒険者にでも見えるだろう。間違っても四歳の子どもとは思うまい。
 念のため二つ向こうの原っぱまで移動。
 奥の方でひょこひょこと動いているトレントに照準をつける。
 薪にする気はない。全力で行く。
 僕は獣のように前傾姿勢を取り、いきなり飛び上がって風の魔素に呼びかけた。
 空気砲。
 空気の塊を圧縮して相手にぶつける技だ。威力は成人男性が吹っ飛ぶほど。トレントは空気砲を受けて大きく態勢を崩した。
 今だ。
 僕は着地と同時に今度は土魔術を発動させる。
 土の槍。
 地面から飛び出した土の塊が棒状になってトレントを下から突き上げる。
 トレントは粉々に砕け散った。
「初級の風魔術と土魔術は大丈夫そうだな」
 呟きながら更に奥の大きめのトレントに狙いを定めた。
 氷のダーツを展開。
 熱魔術によって僕の周囲が極度に低温化し始める。息が白くなった。僕の緊張を伝えるように白い靄は震えながら大気に霧散していく。
 十個の氷のダーツに風魔術を作用させ、自在に動かす。
 これはコツが要る動作で、非常にコントロールが難しい。
 僕はダーツに回転を加えながら、ジャグラーのように体の周囲にダーツを浮遊させる。
「――行け!」
 ダーツが発射される。
 時間差や全包囲攻撃はお手の物。
 トレントはやはり粉々になった。流石は窒素と言ったところか。個体がでかい分強度や威力が強い。だが発射まで二秒近くかかる。相手との距離を計算しながらじゃないと厳しい。今後の課題と言えよう。
 個体窒素の盾を展開させながら森の奥にステップ。
 更に見つけた相手に僕は指先を向けた。
 低温化。
 残った熱を、トレントの座標に。
「燃えろ」
 トレントの体からジュッ音を立てて水蒸気が立ち上る。体内の水分が沸騰したのだ。しかし燃えることは無く、トレントはもがきながら炎熱の座標から退避する。
「っ!?」
 マジか。
 レジストされるのか。
 急いで氷のダーツでトレントに止めを刺してやる。
「燃えるどころか死にもしなかった……」
 トレントはレジストする力がさほど強くない。
 トレントでこれだから、でかい魔獣じゃ体の一部を火傷するくらいか。呼びかけの特性上、体が大きければ皮膚の表面くらいにしか位置を設定できないし、これでは……。
 そもそも、発動前の低温化の時点で座標から逃げられるか。
 炎熱は特定状況下以外ではなかなか使えそうにないな。
 でも使いにくいということが分かっただけでも良かった。
 僕はその後、二セットほど魔術行使時の動きの確認を繰り返した。
 結果、土と風の魔術はほぼゼロ秒で発動を連続させられるが。
 熱魔術による攻撃は氷魔術のみ実用的で、しかも魔術の成立に二秒から三秒のタイムラグがあるという事が確認できた。
 展開して、発射するまで。
 その時間を稼がなければならない。
 剣術を使うのはここだ。
 魔法剣士、アルフォンス・モーリス。
 中二っぽくていいね。
「そろそろ戻るか」
 呟いて僕はその場に背を向ける。
 同時に周囲からたくさんの拍手が上がった。はっと我に返って周囲を見回すと大勢のギャラリーが僕の方を見て賞賛の念を送っていた。
 うえ、いつの間にこんなたくさんの人が集まっていたんだ?
 いくら素顔を隠しているとは言え、こんなに注目されるのはまずい。
 僕は慌てて風魔術と土魔術を発動させて群衆の合間を抜けた。

   ×                ×                ×

 遠回りして元の広場に戻ってくると、シルウィが一人で僕の事を待っていた。
「シルウィさん!」
 僕が呼びかけながらフードとローブを脱ぐと、彼女は僕に気付いてこっちに駆け寄ってくる。
「アール君、おかえり! 向こうの冒険者ギルドの拠点で二人が待っているから行こう」
「あ、もう薪集めは終わったんですか? まだ四時前ですけど」
「うん。リリナが森の前の川から魚を獲ってきてくれてね。今から皆で食べようって話になったんだ。行こう!」
 シルウィが僕の手を引いて駆け出す。
「え、ちょっ……」
 シルウィってやっぱりどこか強引。
 僕はまたもや慌てて土魔術と風魔術を発動させることになった。
 原っぱを元に戻って、森の入り口とは反対方向に曲がる。
 するとその先は細い上り坂。大型の獣が簡単に入って来にくい地形になっていた。
 道なりに進んでいく。
 冒険者ギルドの拠点とやらにはすぐ着いた。
 自然公園とかにあるキャンプ場に似ている。
 小学校の運動場くらいの広さで、周囲には白い幕舎がいくつも張られていた。入り口にはいかつい顔のおっさんが何人も立っている。
 僕とシルウィは広場の一番奥のスペースに歩いていく。
 ギルバードとリリナはトレントの柔らかい外皮を使ってたき火の準備をしている最中だった。二人に声をかけ、僕たちも一緒になって手伝う。
 その後皆でバーベキューした。
 焼く材料はリリナが川から獲ってきた魚とシルウィが森で集めてきた野草である。味付けはリリナが道中に集めていたよく分からん新芽や木の実だ。
 調味料はリリナが乳鉢に入れてすり潰して即席で作られた。皆でそれに魚や野草をつけて食べた。つんと鼻にくる辛味に微妙なしょっぱさ。醤油をつけた大根おろしに似ている。
 僕はそれを口にして――無意識のうちに目から涙を出していた。
 泣く気なんて全然なかったのに、どういうわけか涙が止まらなかった。
 嗚咽すら漏らさず涙を流す僕に、シルウィが「どうしたの?」と冗談交じりに抱き付き、ギルバードが「俺も飯がうまくて泣いたことある!」と言って笑った。
 僕は――不思議な感情が胸の内に宿るのを感じた。
 グレイスに抱きしめられたときに湧き起る感情に似ている。
「……すみません。急に泣いてしまって。どういうわけかは分かりませんが、僕の体にしみる味だったようです」
「なにそれー?」
 シルウィがケラケラと笑う。
 僕は無言でうつむいた。
 これ、多分、僕のお袋の味なんだ。
 本物とは微妙に違っているのかもしれないけど、というか、多分違っているのだろうけど、魚を使って、大根と醤油に似た物をつけてってしたことで、脳味噌の深いところが反応したんだ。
 僕が袖で目元を拭っていると、目の前に焼けた魚がずいと差し出された。
「え……?」
「食え! アルフォンス!」
 ギルバードだった。
 赤毛の少年はにっと歯を見せて笑いながら手に持った魚を振る。「男は飯を食って強くならないと駄目だ! 泣くのはお前が弱いからだ! だから、食え!」
「あ、ありがとう、ございます……」
 僕は受け取って魚にかぶりついた。
 おいしい。
 この世界に来て口にしたどの料理よりもおいしい。
「うまいか!?」
「はい」
「そうか!」
「アール君、何か悲しい事があっても、お姉ちゃんたちが味方だからね!」
 シルウィはそう言って僕にふんわり笑う。
 そんな事言ったって、人間は究極的には一人だ。シルウィだって――僕を、見捨てるのだろうか?
 分からない。
 分からないけど、温かかった。
 涙が一向に止まらないくらい、温かかった。

   ×                ×               ×

 バーベキューが終わると、僕たちは集めた薪から質の良いものとそうでないものとを分けた。質の良い物はギルバードの納品用に。質のあまり良くない物は冒険者ギルドに買い取ってもらうことにする。買い取りも拒否された根っこの部分などは四人で分けて家にお持ち帰りだ。
 それが終わることにはちょうど予定の五時半になっていた。
 僕たちは荷物をまとめ、ギルドの拠点を後にした。
「皆、忘れ物はないよね?」
 森の入り口に向かって歩きながらシルウィが最後の確認をする。
 僕はリリナから貸してもらった短剣が腰に差さっているのを確認し、一つ頷いた。
「大丈夫です」
「よしよし。ま、忘れ物しててもここならすぐに取りに来れるから――」
「待って」
「リリナ、何か忘れ物をしたの?」
「ううん、違うわ、シルウィ姉。――あれ」
 言ってリリナが指さした先――高い空には白い鳥の影が旋回していた。不意にリリナが駆け出し、丈夫な布で包まれた右腕を空に向かって突き出す。
 鳥は高度を下げて彼女の腕に止まった。
 僕らも駆け寄る。鳥はフクロウに似ている。真っ白くて大きい。ただし立派なとさかが頭にあった。
「おとうさんからの伝言だ」
 リリナが鳥の足にくくりつけられている紙を取り外す。
 アドリアンは羊皮紙を使っているけど、教会では連絡用に紙を使っているのか。まあ、紙の方が何かと都合が良いだろうな。アドリアンも使えばいいのに。
 紙に何かを書くという行為も長らくやっていないな。
 ボールペンで紙を引っ掻く感覚――何となくだけど大好きだった気がする。
 ああ――僕は前世から物を書くのが大好きだったのか。
 それもパソコンで打つんじゃなくて手で書くことが。
 今のように事ある毎にメモ帳に書き記していたのかもしれない。
 もしそうなら、我ながら変な趣味を持っていたものだ。
 僕がのん気にそんな事を考えている間に、文面に目を走らせるリリナの顔がどんどん険しくなっていく。シルウィが不審に思ったのか、手紙を上から覗き込んだ。そして同じように彼女の顔も険しくなる。
 それを見て僕も妄想から帰ってきた。
 どうしたんだろう?
「あの、何が書いてあったんですか?」
 僕が尋ねると、リリナは紙を丁寧にしまいながら言った。

「森の開拓場に異形の魔獣が出たらしいわ。護衛に派遣していた教会騎士は五人全員死亡。開拓従業者の人たちの中には、何人か食われた人がいるらしい。――街道は危ないかもしれないから、すぐに帰って来なさいって」

「え……?」
 僕は思わず目を見開いた。思考が一瞬停止する。
「ここで解散しよう」
 シルウィが僕たちの顔を順番に見ながら言う。「荷物は冒険者ギルドの小屋に預けて。武器だけ持って速やかに退避するよ。アール君は他の冒険者の人と混ざって村に帰って。絶対に寄り道しちゃ駄目だよ」
「は、はい……」
「ギルバードも薪の依頼は諦めて。リリナ、司祭様への返事に私たちは無事だって書いて」
「分かったわ」
「じゃ、取りあえず荷物からだね。できるだけ急いで!」
 シルウィの号令とともに皆は慌ただしく動き出す。
 僕は突然の報告に酷く動揺していた。
 森の開拓場に、魔獣?
 あそこにはグレイスとアドリアンがいる。
 二人は大丈夫なのだろうか?
 魔獣に食べられてなんていないよな?
 一瞬嫌な光景が脳裏によぎる。
 止めてくれよ。今日は楽しかったんだから、それを全部叩き壊すようなことは止めてくれ。
「アール君! 何してるの!? 早く!」
 シルウィの叱責が飛ぶ。僕は我に返った。
「あ、す、すみません! 今行きます!」
 荷物を引っ掴んで駆け出す。
 僕は神様なんて信じない人間だけど、この時ばかりは神に祈らざるをえなかった。

 グレイス――どうか無事でいてくれ、と。



第六章  出来損ないの双子?



 ――――東の空が明るい。
 僕は村を西側に迂回しながら開拓場の方へ目をやる。森の前の草原にはいくつもの松明が揺らめいていた。その代わりに、いつもは明かりがちらついている開拓場の位置には暗闇があるばかりだ。
 従業者たちの避難は済み、現在は異形の魔獣とやらが森から出てこないよう牽制しているらしかった。
 魔獣――というかだいたいの生物は火に弱い。
 森に防波堤を巡らせるようなあの松明の海があれば、普通の魔獣ならばまず近寄っては来るまい。しかし教会騎士五人を葬ったという件の魔獣に普通の獣と同様の手段が通じるかどうかは甚だ疑問だ。
 もしかすると魔獣を刺激するだけかもしれない。
 そうなったら丘の下の村は危うい。
 まずは今夜を無事に乗り越えられるか……。
「いや、村の心配よりまず自分の事だな」
 早く戻らないと、部屋が空っぽということに誰かが気付いて大騒ぎになる。凶悪な魔獣が出たのだから、軟禁状態とは言え、メイド連中が暇を見つけ次第僕に注意を喚起しに来るだろうから。
 身につけている服とリリナから借りっぱなしの短剣はどうしようか。
 僕の服も東の草原に埋めっぱなしだ。
 部屋に帰って、着替えて、朝来ていた服のことについて訊かれたら――誤魔化すより他ないか。
 僕は草原を獣のように駆け抜け、丘を上ってモーリス家の敷地に入った。

 と、そこで本館の方で明かりが揺れているのが目に付いた。

 気づかれるといけないのでスピードを落として忍び足になる。
 丘の上の牧草地(ただし今は冬なのでほぼ枯野)から慎重に本館の方を窺う。
 粗末な町服を着た男と女が十人ずつくらい。
 松明を持って何かを叫んでいる。僕の位置には微かに声が響く程度で会話の内容は拾えない。
 それに対するのはアドリアンのメイド連中だ。
 メイドたちはチーノを先頭に詰め寄る村人たちに冷静に対応している。グレイスの姿は見えない……。
 雰囲気的に、何か揉め事が起きているらしいことが分かる。
 おそらく魔獣絡み。
 なんでアドリアンが対応していないんだ?
 そう言えば衛兵二人の姿も見えないな。
 まさかとは思うけど――いや、やめよう。
 僕は庭木の合間に体を滑り込ませる。
 別館の外壁が熱魔術の射程に入った。
 低温化。
 個体窒素の階段の創造。
 二段飛ばしで駆け上がり、予め細工をしておいた窓から音もなく部屋に入る。
 それとほぼ同時に部屋をノックする音が響いた。
「アル、いるか? 私だ、アドリアンだ」
 アドリアン!?
 危なかった。
 あと一分でも遅れていたら大事だった。
 僕は荒ぶる心臓を落ち着けながら眠たげな声を装った。
「お父様……?」
「む……、鍵をかけているのか。開けなさい」
「あ、はい……」
 鍵を外すと同時にアドリアンが部屋に踏み込んでくる。彼は有無を言わさぬ勢いで僕に抱き付いてきた。
「お、お父様!?」
「すまん。私は……本当に不甲斐ない男だ……」
 アドリアンからは少し汗の臭いがした。魔獣が出るまで開拓作業していたのだから当然か。
 僕が目を白黒させていると、部屋に武装した衛兵二人が入ってきた。
「アドリアン坊ちゃん!」
「もうすぐ名主連中や司祭が来ますぜ。事情を話すなら早く話した方がいいですよ」
 アドリアンは僕から顔を離すと立ち上がった。
「アル、この部屋から絶対に出るな。食事は、悪いがしばらく我慢してくれ。パンを持ってきてやるつもりだったのだが、忘れていた。すまん」
「それは構いませんが、お父様、何が起きたのか事情を話してくださいませんか?」
「お前は知らなくていい。――別に大事ではないんだ。少し、その、外が騒がしいと思うがすぐに落ち着く。何も考えず今日はもう寝てしまいなさい」
 僕は言葉を噛みしめるように目を閉じた。
「お父様、東の森が明るいようですが。それに本館の方から聞こえてくる怒声はなんでしょう? とてもただ事とは思えないのですが」
「お前は知らなくていい。――質問は許さない。朝まで静かに寝ていなさい。これは私からの命令だ」
「分かりました」
 四歳児相手じゃこんなもんか。
 アドリアンから話を聞くのは無理だな。
 僕は諦めてベッドに潜り込んだ。
 うお、汗のせいでべたべたする……。
「それでいい」
 アドリアンはどうにか笑みを浮かべると衛兵二人を連れて嵐のように部屋から出ていった。
 そのあとすぐに階段の方で彼が「食堂のテーブルクロスを替えろ! 会議の準備だ!」と叫ぶのが聞こえてくる。
 会議、ね。
 さしずめ、魔獣対策の話し合いってところだろう。
 さて……、これから子どもらしく朝までぐっすり眠ると言うのが一番無難な選択肢なのだが――どうするか。
 いいや、どうするかも何もないか。
 グレイスの安否も分からぬまま眠るなんてできるわけがない。
 僕はベッドの下の引き出しから手ぬぐいを取り出すと、水魔術と熱魔術で熱いおしぼりを作った。
 粗末なローブと町服を脱ぎ捨てて体を綺麗にしていく。
 ある程度汚れを拭いたところで室内着に着替え――、部屋にまた鍵をかけて準備完了。
 僕は窓をそっと押し開け、窒素の階段を作って音もなく庭に着地した。
 闇にまぎれて本館正面へと回り込む。
 人だかりはさらに増えていた。

「領主を出せ!」
「うちの……うちの主人を返してください!」
「あんな危険な魔獣が出るのに俺たちに開拓させていたのか!? おい、どうなんだ!」
「どうして何の説明もないんだ!」

「皆様、落ち着いて下さい」
 チーノが声を張り上げている。村人たちは武器こそ持っていないが今にも彼女に殴り掛かりそうな勢いである。チーノの後ろでメイドたちが両手を前に構えて魔術の詠唱の準備をしている。牽制のつもりだろう。
「これが落ち着いていられるか! 俺の兄貴が死んでるんだぞ!?」
 先頭の若者が涙声でそう訴える。チーノは頭を下げた。
「お気持ち、お察しいたします」
「そんな言葉いいから領主を出せって言ってるんだ! お前らのボスだよ!」
「……アドリアン様がいらしたところで、何をされるおつもりで?」
「ちゃんと謝ってもらう! それから納得の行く説明と、兄貴の嫁の面倒を見るって約束を取り付ける! 兄貴の嫁は――ローラさんは、春にも子どもを産む予定なんだ。それが、こんな……! このまま引き下がっていられるか!」
「あとで必ずお見舞いに伺いますので、どうか今は」
「ふざけんな!」
 男がチーノを殴る。僕は慌てて飛び出しかけた。チーノ、大丈夫かよ。手加減無しの男女平等パンチだったぞ……!
 メイドたちが悲鳴を上げてチーノを助け起こす。男はそれに怯んだのかよろめきながら後ろに下がった。チーノは――メイドたちに支えられながら立ち上がる。鼻の辺りが変な感じに曲がっている。顎から鼻血がぼたぼたと滴り落ちていた。
「皆様、本当に申し訳ありませんでした」
 ぼろぼろになりながらも頭を下げるチーノに、また別の男が声をかけた。今度は感情に任せた声ではなく、落ち着いた理性的な声だった。
「――メイド長さん、あんたが謝ったって仕方がない。俺らが謝罪と賠償を求めているのは、あんたの雇主のアドリアン・モーリスだ。このように危険な魔獣が出るなど、彼はきちんと事前に調査していたのか? 予測不能だったとしても、何故冒険者ギルドから護衛を雇わなかった? 我々はあくまで開拓従業者。魔物と戦う心得くらいはあるが、魔物と戦うことを仕事に森に行ったわけではないんだよ。被害者が冒険者ギルドの者だった場合、ここまで暴動は起きなかったはずだけど、その辺りどう考えられていたのかな?」
 チーノはメイドたちに下がるよう手で指示を出しながらまた前に出た。
「それは――高度に政治的な判断をアドリアン様がされたからです」
「『高度に政治的な判断』とは具体的にどういうものだね? まさかとは思うが、予算をケチったというだけじゃないだろうね?」
「そのようなことはありません。判断の詳細につきましては――後日、アドリアン様より説明があります」
「なら、ちゃんと説明したあと、きちんと補填までしてくれよ? 俺はそこで泣いているシャルルみたいに兄貴が死んだわけでも何でもないが――、魔獣を追い払うに当たって、大事な道具をいくつか駄目にしているんだ。領主様にはすることしてもらわないと困る」
「はい、必ずや」
「夫を返してください!」
 冷静な男を弾き飛ばすようにして女が飛び出してくる。彼女はチーノにしがみついて言葉を繰り返した。「うちの主人を返してください!」
 チーノが沈痛な目になった。
「申し訳ありません」
「返して! ねえ、返してよぉ! あんたらのせいでしょうが! 開拓して、畑が増えたらたくさんマンマ食べられるって言ったから主人は参加したんです! 返して!」
「――――――――」
 さすがにチーノも言葉がないのか沈黙している。女性は狂ったように「返して! 返して!」と叫び続ける。見かねた周囲の村人が彼女の肩に手を置くが、女性は虫を払うように乱暴に振り払い――、最後にはその場に崩れ落ちて血を吐くような勢いで号泣し始めた。
 僕は、そんな壮絶な光景を見て、その場で呆然とするしかなかった。
 グレイスの安否確認もしたいが――、自分たちの安全だけ小賢しく確保していられる状況ではなくなっているのではないか? 暴動一歩手前だ。
 僕は恐怖を感じた。
 同時に――、そこで泣き崩れている女性や奥で嗚咽を上げるシャルルという男に言い知れない罪悪感を抱いていた。
 我が父の所業ながら、ここまで大変なことになってしまったなんて……。

「皆さん、そこまでにしなさい!」

 蜂のようにざわめく村人たちの声を割って、深いバリトンボイスが響き渡る。群衆が二つに割れる。そこから白い法服を着た壮年の男性が歩み出てきた。
 カペー司祭だ。
 群衆が一気に静かになる。
 カペー司祭は後ろを振り返って合図すると、今にも倒れそうなチーノを庇うように前に出る。司祭の後ろには白いひげを蓄えた老人や恰幅の良い中年の男性など五名がぞろぞろと続く。
 あいつらがこの辺りの有力な名主たちか。
「今から魔獣対策の会議を行う。皆、帰るんだ!」
「色々思うことはあろうが、皆の者、ここは抑えてくれ」
「さあ、帰るんだ! 散れ! 散れ!」
 司祭と名主たちの命令に、村人はしぶしぶといった感じで館に背を向ける。
一、二分ほどで館の前には誰もいなくなった。
「司祭様、名主の皆様、ありがとうございます」
 チーノが頭を下げる。
 太った中年の名主が鼻を鳴らした。体は『くまのプー○ん』のようだけど、顔つきはとてもいかつい。頬に傷が何本も走っている。
「はっ、別に俺たちはあんたらを助けに来たわけじゃない。責任追及よりまずは現状への対策が必要だから奴らを追い払ったにすぎん」
 カペー司祭はチーノに向き直った。
「アドリアンはどこに?」
「一回の食堂で皆様を待っておられます」
「よし、皆さん、行きましょう」
 司祭の号令とともに一団が館の中へ入っていく。チーノもメイドに抱えられながら館の中へ撤退した。
 僕はほっと息を吐くと庭木の影から這い出て裏口へと回った。

   ×                ×                ×

 食堂への扉はたくさんある。
 ちょっとした多目的ホールのような扱いの部屋だから、屋敷のどの廊下からもすぐに中へ入れるよう設計されているのだ。
 僕は奥の廊下の一番目立たないドアを開けて中を窺った。
 まず目に入ったのは白いテーブルクロス。
 手前にアドリアンが座り、その横にグレイスが侍っている。
 よかった……。グレイスは生きている。怪我もしていないようだし、どうやらうまく難を逃れたらしい。僕はそれで満足して立ち上がった。
 だが、そこで先ほど泣き崩れていた女性の姿が想起される。
 僕は四歳の子ども。
 何の力も責任もない。
 だけど――、ここでまたもや見て見ぬ振りをするのはいかがなものだろうか。
 今までは青二才が余計な事をするまいとアドリアンたちの事情には不干渉でいた。
 だが、ここまで深刻な事態が発生した今、本当にちっぽけかもしれないけど、僕にもできることを何かするべきではないだろうか。
 例えば、今回のことだって、アドリアンに開拓計画の詳細をきちんと聞いて僕が意見していれば何か変わっていたかもしれないのだ。
 それはうぬぼれかもしれない。
 出しゃばりかもしれない。
 だけど、そうしなかったせいで――僕の怠慢のせいでこのような事態が起こったと、言えなくもない。
 僕は一瞬の逡巡の後、再びその場に座り込んだ。
 話を聞こう。
 僕だって魔術くらい使えるんだ。何もできないってことはないはずだ。
「アドリアン!」
 食堂の扉が開いてメイドに案内された司祭たちが入ってきた。チーノは手当を受けているのか姿が見えない。
 アドリアンは弾かれたように立ち上がると司祭たちに歩み寄った。
「カペー司祭、それに名主の皆さん、わざわざ集まってもらってすまない」
「挨拶はいいから本題に入ろうぜ、領主様」
 先ほどの荒々しい『くまのプーさ○』のような名主がぶっきらぼうにそう言う。アドリアンは委縮した。
「あ……、そ、そうだな……。すまない」
「アドリアン、地図はあるかい? ここら一帯の」
 カペー司祭の言葉に、グレイスが後ろから大きな布を取り出した。あれにこの周辺の地図が書いてあるらしい。
「司祭様、地図ならここに。壁に貼りますか?」
「いや、テーブルの上に広げてくれたらそれでいい。皆さんもそれでよろしいですか?」
「まあ、問題なく見えるだろ。ほら、お嬢さん、それを貸しな」
 太った荒々しい名主がグレイスから布を引っ手繰ってテーブルの上に広げた。彼はせかせかと指を走らせる。「んで、防衛の状況だが、取りあえず、ここからここまで急造の柵を立てている。高さは二メートルちょいくらいだ。その後ろに若くて力の強い奴に火を持たせて見張らせている。三時間ごとに交代だ。明日には冒険者ギルドに言って人員を派遣させるつもりだ」
 それを受けて、白いひげの名主が口を出した。
「それで防げるかの? そもそも魔獣はどんな奴なんじゃ? わしもさっき報告受けたばかりじゃから、詳しくは知らんのでな」
 カペー司祭はアドリアンを見た。
「アドリアン、魔獣について説明を」
 アドリアンは驚いて顔を上げた。
「え、わ、私が説明するのか? しかし、よく見てなかったというか……」
「アドリアン様、私が説明いたします」
 グレイスが前に出る。彼女は続けた。
「魔獣は、高さ三メートル、体長十メートルほどの、犬のような恰好の奴です。ただし、肌は赤黒く艶があり、顔は二つ、手足は八本あります。手足は強靭で、森の木を一足で飛び越えるほどの脚力があります」
「……二メートルの柵では何にもならんのではないじゃろうか?」
「うるせえ、くそジジイ! 無いよりマシだろうが! ええ!?」
「即刻、柵をつぎ足すよう指示しましょう」
 そこで中性的な声が割り込んだ。声の主は蜂蜜色の髪のエルフの男だった。顔立ちがどこかシルウィに似ている。男なのにとても美人だ。
「では俺が行く」
「私も行きましょう」
 それまで黙っていた二人の名主が手を挙げる。エルフの男は二人に頭を下げた。
「宜しくお願いします」
「柵の長さは十メートルくらいか? それ以上は蓄えてある木材の都合上厳しいと思うが」
 名乗り出た二人の内一人が尋ねる。
 それに対して今度はカペー司祭が答えた。
「体長十メートルですし、もう二、三メートルは欲しいです。土魔術で地面に凹凸を作り、その上に設置してください。どうせ体当たりされたら崩されます。多少土台があれでも、大きく見せて威圧した方がいい」
「了解」
「それでは早速行ってまいります。あとは任せましたよ」
 二人が出ていく。
 会議は再開された。
 エルフの男が面々を見回した。
「それで、明日以降は張り子の柵を補強していく方向でよいですかな? 火を絶やさぬようにして――」
 アドリアンが手を挙げる。
「グラヴァルウィ殿、これから魔獣を討伐する作戦を立てるのではないのか?」
 心底不思議そうな顔だ。アドリアンのその言葉に、ホール内の人間の顔が曇る。
 カペー司祭が皆を代表して答えた。
「アドリアン、ここは王都の援軍を待つべきだ。下手に魔獣を刺激して、村まで襲ってきたらどうする? 大変なことになるぞ」
 荒々しい名主がその後に続く。
「そうでなくても、あんな巨大な魔獣と俺の小作農たちを戦わせるわけにはいかねえ。この前、冬を迎えるにあたってウチは大量に家畜を殺したばかりなんだ。人間まで減っちまったら経営ができなくなる」
 アドリアンは慌てた。
「し、しかし、魔獣を放置していては民に途轍もない危険が――」
「魔獣を不用意に刺激する方が危険じゃと思うが。それとも、モーリス辺境伯は魔獣を確実に倒せる算段があるのかの?」
 白ひげの名主の言葉に、エルフの男がはっとして手を叩いた。
「それです! アドリアン殿、確か貴殿は強い用心棒を雇ったから魔獣の心配はないと夏頃におっしゃっていませんでしたか? 名前は――スカアハ殿とか。彼女はどうしておられる?」
 その言葉に、今度はアドリアンが顔を曇らせる番だった。
 アドリアンは一瞬俯いたあと、ぼそぼそと言葉を紡いだ。

「スカアハは――先日ここを去った」

「は?」
 僕は思わず声を出してしまった。慌てて自分の口を塞ぐ。
 え、なんで?
 確か昨日はいたよな。
 僕に笛を渡してくれたし。
 あれ、でも。
 そう言えば、今朝は剣の稽古をする声が聞こえてこなかったような……。
「……えっと、ジェームズ君の教師をしていたのでは?」
 ホールの方でも皆は僕と同じような反応になっていた。エルフの男が訝しげにアドリアンにそう尋ねている。
 アドリアンは唇を噛みしめると、「失敗した」という気持ちを滲ませて喋り始めた。
「実は、数日前から彼女に森の開拓をやめるよう言われていたのだ。奥に凶悪な魔獣が潜んでいるからと。しかし、ここまで金を使った計画を途絶させるわけにはいかず、『魔獣が出たらお前が倒してくれ』と私は言った。そうしたら、彼女は『その魔獣とは戦いたくない。戦えば皆が不幸になる。一生触れることなく放っておくのが良い』と言い返してきた。私は――、スカアハの言っていることが信じられなかった。そのあと口論に発展して、彼女は旅に出てしまった」
 そんなことがあったのか……。
 じゃあ、彼女が僕のところに来たのは最後のあいさつだったわけなんだな。
 ホールの方では、荒々しい男が青筋をたてていた。
「領主様よぉ。あんた……魔獣のこと知ってたのか?」
「す、スカアハから聞かされてはいた。しかし、到底本当の事とは信じられず――」
「だから一存で握りつぶしたのか? せめて俺らには話を通せよ! こっちは開墾に協力してやってるんだぞ!」
「ダイモン、その辺にしておきなさい」
 エルフの男がアドリアンを庇う。「責任追及するにしても後にしましょう。これは貴方も最初に言ったことでしょう?」
「チッ」
 荒々しい名主が顔を背ける。代わって白ひげの名主が手を挙げた。
「その武芸者を呼び戻すことは可能じゃろうか? 魔獣についてそやつに色々訊きたいのじゃが」
 アドリアンは暗い表情で答えた。
「メイドを何人か向かわせたが――望みは薄い」
「あんた、そんな状態で魔獣を討伐しようなんて言い出したのか!?」
「ダイモン! やめなさい!」
「しかし、グラヴァルウィ! こいつは――!」
「すまない。――本当に、すまない」
 アドリアンが沈痛な面持ちでテーブルに両手を付き、腰を折った。
 ホールに居心地の悪い沈黙が流れる。
 カペー司祭がため息交じりに口を開いた。
「アドリアン。確認するが、王都に早馬は出したんだね?」
「ああ、冒険者ギルドに辺境伯命令で出させた。三通同じ手紙を出している。もう出発しているはずだ」
「なら待っていれば王都の強力な討伐隊が来るだろう。問題は派遣されるまでどのように防衛するかだ。これから防衛法の詳細をある程度詰めて、その後、冒険者ギルドへ行って魔獣の情報を募ろう」
 カペー司祭の言葉に、エルフの男は眉根を寄せた。
「下手にギルドの情報網を使えば旅の冒険者が勝手に討伐しに森に入ってしまうのでは?」
 白ひげの名主が目を瞑る。
「勝手に討伐した場合は金も魔獣の素材も手に入らんと流布すればよい。我こそはと思う者がいたなら、わしらのところにまず話を通せと。逆にきちんと言いに来た者には追加の報酬を約束すると。これでどうじゃ?」
 カペー司祭が顎に手を当てた。
「なるほど。それで現地の迎撃隊編成と利己的な冒険者の抑え込みの両方ができます。さすがは白髭翁だ」
「ジジイも偶には役立つじゃろう? ダイモン、戦士の選抜はお主に任せるぞい」
「いいけど、報酬はどうするんだ? 俺は麦一束出すつもりはねえぞ」
「わ、私が出そう」
 アドリアンが手を挙げる。「領主として、出させてくれ」
「あんたなあ。簡単にそう言っているが、本当に払えんのかよ……」
「わしらが出そう」
 白ひげのじいさんがきっぱりと言う。「商工会が六割を負担する。カペー司祭、グラヴァルウィ、ダイモン、それと外に出ていったトールとグラスで残りを分担せい。支払いを拒否する者がおれば、その分はモーリス辺境伯が払う。どうじゃろう?」
 白ひげの爺さんは名主じゃなくて商工会の偉い人だったのか……。しかし、六割負担とは太っ腹だな。商工会は大丈夫なのかな。
「四割も私が負担するのですか!?」
 アドリアンが目を剥いた。
 エルフの男――おそらくグラヴァルウィという名前――がアドリアンの肩を叩く。
「何も皆が払わぬというわけではありません。私は払います。ご安心を」
「俺は! 払わねえぞ!」
 太った中年の荒々しい名主――ダイモンは払う気はないらしい。
 カペー司祭も首を振った。
「申し訳ないが、僕も払えない。済まないね、アドリアン」
「か、カペー司祭……」
「僕は今回の件で部下の教会騎士五名を殉職させている。教会としては、これ以上の支援はできかねる」
「………くっ………」
「はっ! そこのくそジジイとお人好しアールブが払ってくれるだけ有難く思っとけ!」
 ダイモンの言葉に、アドリアンは「そうだな……」と呟き、白ひげの爺さんに向き直る。
「ガランティウス翁、ありがとうございます。グラヴァルウィ殿も、なんとお礼を言えばいいか」
 白ひげはガランティウスと言うのか。
 ガランティウスは好々爺めいた笑みを浮かべた。
「いやいや。代わりに、討伐後、魔獣の素材の六割を優先的に商工会に譲り渡してほしい。それと、討伐依頼を出した筆頭依頼主は商工会ということに。どうかの?」
「は? はあ。そのくらいお安いご用ですが」
「それで十分じゃ」
 ガランティウスはそう言うと下がった。かわってカペー司祭が皆を見渡す。
「話はそれたが、柵の補強について何か案を」
「まず柵の周りに土嚢を積む」
 ダイモンが即座に答える。「んで、そこに水をかける。繰り返せば、今は冬だから氷の城壁を急造できる」
 ガランティウスがダイモンを見た。
「春になったらどうするのじゃ?」
「その頃には王都からの討伐隊が着いているだろ。さすがに王都からの討伐隊が来れば如何に強力な魔獣でも勝てまい。つーか、討伐隊で無理なら誰も討伐不可能だ」
 カペー司祭が懐から紙と羽ペンを出した。
「土嚢の合間に内側から操作可能な槍を設置したい。魔獣が近寄れば槍を勢いよく突き出して撃退する――図に描くとこんな感じの」
 グラヴァルウィが身を乗り出す。
「いいですな。加えて固定した弓も設置できれば、アールブの弓術も活かせそうですが」
「おい、氷の城塞だぞ? あんまり器用なことはできねえぞ」
「しかし、迎撃兵器は万が一の時のためにもほしいじゃろう。城塞自体は短期間でできるのじゃから、このくらいは腐心しようぞ」
 土嚢と氷か。
 柵を作るのは無理かもしれないけど、そのくらいなら僕でもできそうだ。
 早速明日からでも手伝おう。問題はどのようにして素性を隠すかだけど……。
 能力が大々的にばれるのは、マズイよな。
 どんな悪いモノが引き寄せられてくるか分からないし。
 何より後々ジェームズと変な争いはしたくないし。
 様子を見つつ、現場監督者に小人族の魔術師とでも言えば何とかなるか。
 僕はそう決めるとそっと扉から離れた。
 少なくとも土嚢を積むことが分かったのだからもういいだろう。あとは彼らが冒険者ギルドに行くだけだ。僕がここに長居する必要はない。早く寝て明日に備えよう。

「おい、何事だ!?」

 僕が扉に背を向けた時、ホールの中からダイモンの大きな声が響いた。
「外が騒がしいですな」
 グラヴァルウィの訝しげな声が続く。
 僕は耳を澄ませた。
 すると――、確かに、声が聞こえた。
 怒声、罵声……。
 遠いな。
 一緒に地響きのようなものも伝わってくるような……。
 カペー司祭が目をすっと細くして言った。
「僕が見に行ってきます」
「わしも行こうかの。中にずっとおっては息が詰まる。外の空気が吸いたいわい」
 ガランティウスののほほんとした声が続く。

 次の瞬間、爆弾でも爆ぜたような轟音が鳴り響いた。

 遅れて、立っている床が硬いトランポリンのように上下する。
 ダイモンの怒声が再び響いた。
 今度はホール内でのん気な会話を交わす人物はいなかった。
 誰もが顔を厳しくして、正面扉の方から無言で出ていく。
 僕も彼らのあとを追った。

   ×               ×                ×

 館の外は地獄絵図だった。

 僕が裏口から正面に回った時、衛兵二人と松明を持った村人が空に向かって武器を突き上げていた。最初は何をしているのか理解できなかったが、闇の中、彼らの足元に人の体がいくつも転がっているのを見て、何か大変な事が起こっていることに気が付いた。
 転がっている人たちは皆体のどこかが潰れていた。
 彼らの中からあふれ出た赤い血が、池のような水たまりを作っていた。
 死んでいる……!
 僕は戦慄した。

 不意に、耳慣れない、鼻息のような唸り声が闇の中に響く。

 僕は目を瞬かせた。
 何かいる。
 衛兵たちが槍を向ける闇の向こうに、巨大な何かが!
「後ろだ!」
 誰かが叫んだ。
 瞬間、僕は「あっ」と短く悲鳴を上げた。
 闇を切り裂くように、更に真っ黒な何かが館の前の平地に、地響きとともに着地したのだ。
 その黒い塊は大きかった。
 衛兵の二倍以上の高さがあり、胴は縦にとても長い。
 風に乗って腐臭のような不快な臭いが漂ってくる。
 魔獣は犬のようだった。
 しかし犬にしては大きい。仕草は確かに犬なのだが、犬ではあり得ない大きさだ。
 加えてシルエットも歪だった。頭部は二つに分かれており、犬のように鼻づらが突き出ているかと言えば、そうではない。まるで人の頭のようにつるりとした卵形だ。
 そして手足は八本あった。蜘蛛のようにがさがさと動き、犬のように飛び跳ね、息をする。
 見ているだけで怖気立つ――そんな異形の怪物だった。
「怯むんじゃねえ! 火だ! 火を焚け! 追い払うんだ!」
 館から出てきたダイモンが大きな声で叫んでいる。彼の方を見ると、カペー司祭とグラヴァルウィがそれぞれ剣と弓で武装していた。ガランティウスとアドリアンは後ろに下がっている。二人の前にはグレイス他館にいる全メイドが並び、魔術の詠唱の準備に入っている。
 しかし、メイドたちの中には魔獣の大きさに恐れをなして腰を抜かしている者もいる。あれでは多重詠唱はできまい。カペー司祭たちがやられたら為す術もなく魔獣の胃袋行きだ。
「くそ……!」
 僕は震える足を押さえつけた。歯の根が合わない。手がおかしいくらいに痙攣している。
 魔獣が怖いからそうなっているわけではない。
 僕は自分の中に芽生えた愚かな考えに恐怖していた。
 すなわち、自分もここで加勢しようと。
 でも、四歳児の僕にこの場で何ができる? 魔術は使えるけど、相手は家よりもでかい化け物だぞ? 指先に踏まれただけで僕は肉片だ。
 馬鹿な事は止めろ、アルフォンス・モーリス――僕はそう自分に言い聞かせる。
 ここで出ていったら死ぬ。
 異世界に転生して、たった四年でまた死ぬんだ。そんな馬鹿な話はない。
 僕が動けないでいるうちに視界の向こうでは刻一刻と事態は悪化していた。
 まず、巨獣の腕の一振りを弾こうとしたカペー司祭が吹き飛ばされた。パリィのタイミングは完璧だったが、巨獣と司祭では膂力に差があり過ぎる。技巧を凝らしたカウンターは単純な腕力だけで上から潰されてしまったのだ。
 司祭の体が棒切れのように弾き飛ばされる。彼の体は僕の隠れている庭木の二十メートルほど前で止まった。あまりの衝撃に気を失ってしまったのか倒れたまま全く動かない。
 次にグラヴァルウィの矢が尽きた。彼は荒れ狂う魔獣からじりじりと後退を始める。
 村人も戦意を喪失し松明を取り落して逃げていく。
 前線に残っているのは衛兵二人とダイモンだけ……。
 僕は再度メイドたちの方を見た。
 彼女たちの先頭には、アドリアンを守ろうと前に出るグレイスの姿があった。

 僕の覚悟はそれで決まった。

「――違う。死ぬために行くんじゃない。冷静に状況を分析し、勝ち筋を拾うんだ……!」
 僕は少年漫画のヒーローじゃない。
 都合よく覚醒なんてしない。
 だから何も考えずに行動するのでは駄目だ。
 僕は庭木の影から飛び出し、倒れているカペー司祭に駆け寄った。
 屈んで彼に呼びかける。
「カペー司祭」
「う……。アル、フォンス君……?」
 司祭が薄目を開ける。ぱっと見大事はなさそうだ。強い衝撃を受けたせいで全身が痺れているだけだろう。だが、回復にしばらくかかりそうだ。
「カペー司祭。貴方の着ているローブをいただきますね」
「え……? あ……」
 返事は待たない。
 僕は抵抗のできないカペー司祭を土魔術で転がしながらローブを剥ぎ取った。続けて土魔術で顔の上部を覆う仮面を作る。同時に司祭のローブに犬歯を当てた。端っこを破いて、そこから指で横に引き裂いていく。
 仮面をつけて、ローブをはおる。フードを目深に被りながら、僕は戦場に素早く視線を巡らせた。
 衛兵とダイモンが必死で槍を奮って魔獣を追い払おうとしている。魔獣はまとわりつく三人をうるさい蠅のように腕を振って追い払おうとしている。
 衛兵二人はモーリス家の門衛だけあって速いし巧い。鋭く立ち回って魔獣の攻撃を躱している。しかしメインアタッカーのダイモンは体の鈍重さが仇となっているのか、魔獣の攻撃がかする回数が増えてきている。彼が魔獣の腕を回避し損なって武器でフォローする度に、頑丈なハルバードが少しずつひしゃげていく。もう幾ばくももたないだろう。
 僕は魔獣の黒い影を目線で追う。
 巨体の割によく動く。瞬発力があって速い。
 近寄るのは危険だ。僕一人じゃ絶対に勝てない。
「よし……」
 地を蹴る。
 風魔術と土魔術を起動させて、一気に暗がりから飛び出る。
 館の前では、ついにダイモンが大きく態勢を崩していた。ハルバードが音を立てて二つに折れ、彼は二、三歩バランスを取るように後ろに下がったものの、土に踵を引っかけて尻餅をついた。
「ダイモン様!」
「ダイモン様ァ!」
 衛兵の絶望に満ちた悲鳴が響き渡る。
 歯を食いしばるダイモンに、巨獣の鉤爪が容赦なく振り下ろされた。
「――――っ」
 僕は右手を前に出した。
 ダイモンの位置は僕の『呼びかけ』の射程範囲に入っている。
 熱魔術を起動。
 巨大な窒素の盾をダイモンの前に展開。更に土魔術も起動させて盾をダイモン側から押し上げる。
 魔獣の剛腕と僕の盾とが激突する。押し負けまいと盾を支える土の柱に魔力を込めるが、しかし魔獣は膂力を発揮することもなくすぐに後ろに飛び退いた。
 そして、直に感じた強烈な冷たさに混乱したように、自らの前足の臭いを嗅ぎ始めた。
 まるで――氷に初めて触れた赤子のような反応。
 まず臭い。
 そして味。
 魔獣は前足を舌と思しき触手でペロペロと舐め始めた。
 ヒトのように地面に尻をつけて座り込んで。
「な、な、な……」
 一方ダイモンの方は目の前で起きたことが信じられないらしく、急に出現した土の柱と個体窒素の盾にせわしなく視線を走らせている。
 僕は声を張り上げた。できるだけ野太く。
「立ってください! ダイモンさん!」
「!? う? おお?」
 彼が身を起こす。
 僕は魔獣の側面からゆっくりとダイモンたちの後方に向かって移動を始める。早く動けば魔獣が反応するかもしれない。それはまずい。
 慎重に動きつつ、再び土魔術を起動。今度はアドリアンたちと前衛三人の間に高さ三メートルくらいの土の壁を出現させる。
 体当たり一発で砕けるだろうが、『見えない』ということはそれだけで大きな壁になる。少なくともグレイスが優先的に狙われることは無いだろう。
「衛兵のお二人も呆けてないで構えてください!」
 個体窒素の盾が融点を通過し沸点に達し、大気中に紛れて消えていく。土の柱も邪魔になるといけないので引っ込めておく。
「ぼ、冒険者ギルドの魔術師か!?」
「どこだ!? どこにいる!?」
 二人は槍を構えながらも周囲をきょろきょろと見回している。
「貴方がたから見て北西方向にいます」
 僕は簡潔に答える。衛兵たちがこちらを見る。二人は目を見開いた。
「こ、子供!?」
「馬鹿、小人族だろう。教会のローブを着ているところを見るに、教会の術者か!?」
「そんなことはどうでもいいです。今からそこの魔獣を撃退します。協力してください! ダイモンさんも動けるなら『それ』を手に取ってください」
 ダイモンの足元から斧付きの槍――ハルバード紛いの武器を錬成する。見様見真似だし、成分が成分なので硬さはともかくとても脆い。だが、ダイモンが攻撃的な立ち回りをしなければ何とかなる。
 衛兵二人の武器が壊れた場合も同じように対処しよう。
 ダイモンは躊躇いもなく出現したハルバードを手に取る。そして声を張り上げた。
「分かった! こっちはお前の指示に従う! どう動けばいい!?」
「僕がメインアタッカーを務めます! 魔術の発動には二秒から五秒の間隔が空きます。その間、魔獣の気を散らしてください」
 衛兵が素っ頓狂な声を上げた。
「魔術師が攻撃役だと!?」
「馬鹿な! 魔術師は地形効果を操ってサポートに徹するものだ! あのデカ物に風や土が効くものか!」
「お前ら黙れぇ!」
 ダイモンの大声が響く。彼は目前の巨獣を睨みつけていた。異形の魔獣は個体窒素に触れた精神的ショックから立ち直ったのか、再び八本の足で立って、こちらを窺うようにゆっくりと反時計回りに動き始めていた。
 土の壁の向こうに回り込ませるわけにはいかない。
 僕は即座に熱魔術を起動させた。
 低温化。
 空気結晶の巨大な塊をつくり出す。
 大きさは直径二メートルほど。
 銃の弾丸をイメージして回転を加える。
 ここまで二秒。
 僕は左手に力を込め、風魔術で結晶を打ち出しだ。結晶は異様な音を上げながら東から周り込もうとする魔獣めがけて飛んでいく。
 魔獣は地面にクレーターを作りながら背後に跳んだ。遅れて結晶が地面に着弾。抉れた地面を更に大きく破壊する。
 衛兵たちは水しぶきのごとく空中にはじけ飛ぶ土に驚きの声を上げた。
 魔獣の顔が僕の方を向く。
 標的が僕になった!
 僕は体中の血液が沸騰するような感覚に陥った。

「おらああ!」

 刹那。
 ダイモンが大声を上げながら魔獣の前足をハルバードで強打する。魔獣の注意が僕から逸れた。
 助かった……!
 チャンスは逃さない。
 助かったのなら反撃だ。
 僕は盾の展開を中断し、再び空気結晶の生成に入る。
 次は逃がさない。
 見てろよ、今度は十個同じ大きさのものを打ち込んでやる!
「お前ら! 援護だ!」
「は、はい!」
「了解っ!」
 衛兵二人が魔獣のヘイト誘導に加わる。
 上手い……!
 魔獣の気が完全に三人の方に向いている。
 これならいける!
 十個とは言わない!
 もっとたくさんだ!
「あああああああ! ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
 吠えた。
 呼びかける。
 気体よ、固まれ!
 巨岩と化せ!
 大地さえも殺しきる雪崩となれ!
 いつしか周囲には断続的に紫電が散っていた。分子と原子が強引に配列を変えられていく。願うことはない。祈ることもない。ただ命ずるだけ。
 僕の力は大気全てを支配する――!
「あああああああああああああああああああああああああああ! ああああああああああああああああAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!」
 声はもはや意味をなさず、ただの記号となっていた。
 風に命じる。
 三十七の空に浮かぶ弾丸に命じる。
「来るぞ! お前ら、散れ! 散れ!」
「は、はいっ!」
「なんて野郎だ……! 化け物かよ……!」
 ダイモンたちが何か言っている。だけど関係ない。
 結晶の塊たちが震える。
 風の奔流に弾丸がうなりを上げて回転する。
 魔獣は退避した三人に気を取られて反応が遅れていた。二つの顔が、今更のように天を仰いだ。空には既に狙いを定め終わった無数の弾丸。
 魔獣には、あるいはそれらが空に輝く月のように見えたかもしれない。

「消えろぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」

 両手を広げる。
 瞬間、空気結晶の巨大な弾丸が魔獣の頭上に流星群のように降り注いだ。
 土が爆発する。
 衝撃に地軸が揺らぐ。
 雷鳴を数十束ねたような轟音が空間を蹂躙する。
 魔獣の体がひき肉のように千切れ飛んでいく。
 一斉掃射は数秒の内に終わった。
「はあ、はあ、はあ――――」
 僕は肩で息をしながら土煙の向こうを睨みつけた。

 土埃の向こうには――――、地面に沈む魔獣の残骸があった。

 上半身が潰れている。
 頭は完全に破壊。
 背中は肉がはじけ飛んで、骨が露出している。その下で内臓と思しき肉塊が不気味に痙攣していた。どす黒い血がどくどくと湧き出て地面を汚している。
 これは死んだ。
 さすがにこれでは生きていられない。
「やりやがった……!」
「なんだ、さっきの魔術……!?」
 衛兵二人が恐る恐る魔獣の死体に近寄っていく。
 僕はその場に膝をついた。
 すさまじい疲労感。
 はは。
 全身がだるいぜ。
 最近魔術の修行を疎かにしていたからな。こりゃまた鍛えなおさないといけない。
 だけど、何とかなってよかった。
 絶対に無理だと思っていたけど、前衛三人が思いの他手練れていたおかげで最大威力の攻撃を当てることができた。
 グレイスは――無事だよな。
 ずっと壁の向こうにいたはずだし。

「馬鹿野郎! 下がれ、お前ら!」

 僕が完全に気を抜いた時、不意打ちのようにダイモンのドラ声が響いた。
「は?」
「え?」
 衛兵二人がハルバードを構えるダイモンの方を呆けたように見る。
 そして――何の前触れもなく黒色の風が二人を薙ぎ払っていった。
 僕は膝をついたまま目を見開いてその光景を見ていた。

 二人を枯葉のように吹き飛ばしたのは、死んだはずの魔獣の腕だった。

「なっ――――」
 あろうことか、魔獣の体は再生を始めていた。
 まず腕。
 腕の先から青い電気をまき散らしながら、DVD映像を巻き戻すように肉片が集合していく。
 衛兵二人はこの腕にやられたのだ。
 僕は彼らが飛ばされた方を見た。
 二人は僕が創り出していた土の壁の下に倒れていた。
 土の壁がクッションになったらしい。震えながら身を起こそうとしている。
 だけど――、あの様子じゃ直ぐには戦線に復帰できまい。
 僕が混乱している間に魔獣は完全に再生を終えていた。
 流れ出た血が体内に戻り、トマトのように潰れていた二つの頭が再び雄々しく天にそびえ立つ。

 そのとき、上空の雲が切れた。

 深い闇の中、白い月の光が丘の上を照らし、魔獣の風貌を明らかにする。
「なんだぁ、こいつ……!」
 ダイモンがじりじりと後退しながら唖然とした声を出した。

 魔獣は、人間の赤ん坊のような顔をしていた。

 二つともだ。
 髪はなく、四つの目は光を知らぬかのように細い。瞼の下からはわずかに黄色い瞳が見えていた。白目の存在しない、獣の眼だ。
 いや、魔獣の見た目なんて今はどうでもいい!
 それより問題は今の状況だ!
 魔獣は完全回復。
 体に動きにくそうなところはなく、血も十分足りているのか数分前と変わらない様子でこちらを窺っている。
 僕の魔術を受けたダメージが残っているようには見えない。
 嘘だろ!?
 あの巨大な弾丸の嵐を受けてぴんぴんしているっていうのか!?
「まずい……」
 対してこっちは衛兵が二人戦闘不能になった。ダイモン一人ではヘイトを稼ぎきれず、僕の方に攻撃が飛んでくる。そうしたら攻撃魔術どころではなくなる。
 それ以前に、こっちにまともな攻撃手段がない。
 次は全身を押し潰すくらいたくさん展開するか?
 でも――次再生されたら、僕は確実に魔力切れで気絶するぞ!
「いや! 行ける!」
 ダイモンが叫んだ。「おい、グラヴァルウィ! 火だ! 松明をたくさん持ってこい!」
 松明?
 今更それで何ができるっていうんだ?
 僕はダイモンの気が変になったのかと思った。
 だけど、すぐに僕も事態に気付いた。

 魔獣が、じりじりと後退している。

 奴の息遣いは荒い。
 荒くて――震えている。
 呼吸に混じる唸り声にもか細いものが混じっている。

 怯えているんだ。

 未知の冷たさに触れ。
 体を半壊させられるような威力の攻撃を受けて。
 魔獣は、明らかに戦意を喪失させていた。
 土の壁の裏から松明を持ったエルフの男――グラヴァルウィが出てくる。その後ろからおっかなびっくりメイド連中も続く。
「追い払え! 奴は怯えているぞ! 火で脅すんだ!」
 グラヴァルウィから松明を受け取ったダイモンが怒鳴る。彼はハルバードの先に松明を突き刺し、魔獣に向かって勢いよく突き入れた。
 魔獣の鳴き声に恐怖の色が混ざった。
「帰れ! 森へ帰れぇ!」
「化け物が!」
「村の皆を殺しやがって!」
「二度と出てくるな!」
「気持ち悪いんだよ!」
 ダイモンを筆頭にメイドたちも声を張り上げる。
 行ける!
 これなら魔獣は撤退してくれる!
 メイドたちの後ろからアドリアンとグレイス、ガランティウス、そしていつの間に外へ出てきたのか、マーガレットさんも姿を現した。
 皆銀の燭台の先に炎を灯して魔獣の方へ向けている。

 魔獣が――アドリアンたちの方を見た。

 黄色い眼が、悲しげに揺れる。

「MAAA…………!」

 鳴き声。
 奇妙に震える、祈るような『泣き声』だった。

「MA……、M……」

「あ……」
 誰もが炎を突き出す中、一人だけカランと燭台を取り落す人影があった。
 マーガレットさんだ。
 彼女は、綺麗にカールさせた金髪の合間から異形の魔獣を呆けたように見上げていた。
 そして、夢遊病者のようにメイドたちをかき分けて前に出ていく。
「マーガレット!」
「奥様! 何を!?」
 アドリアンとグレイスが叫ぶ。
 瞬間、魔獣の瞳に熱が宿った。

「MAAAAAAAAAAAAA!!!!!」

 魔獣が吠える。
 メイドを弾き飛ばしてマーガレットの細い腰を鷲掴みする。
「クソが!」
 ダイモンがハルバードを振るう。
 魔獣はうるさそうに腕を振ってダイモンを弾いた。
「マーガレットさん!!」
 僕は駆け出していた。無我夢中で熱魔術を起動。空気結晶の弾丸をつくり出す。
 狙いは腕だ。
 マーガレットさんを捕えている腕を根こそぎ吹き飛ばす。
 手加減は出来ない。下手に威力を抑えれば即座に再生されてしまうから。
 しかし魔獣は低温化にいち早く気付き、八本の足に力を込めた。地面にビキリと亀裂が走る。ダイモンたちが悲鳴を上げてその場から飛び退いた。
 魔獣の筋肉が軋む。
 魔獣は爆風をまき散らしながら跳躍した。
 僕たちから大きく距離を取り、そのまま東の森の方へ逃げていく。
「マーガレット!!」
 アドリアンの悲痛な叫びが響くころには、魔獣の巨体は暗い木々の向こうに消えていってしまっていた。



――――更新履歴――――
4月3日 プロローグ・第一章投稿。
4月4日 第二章投稿。
4月5日 第三章投稿。
4月11日 第四章投稿。
4月12日 第五章投稿。
4月14日 加筆修正。
4月18日 第六章投稿。
2015-04-25 04:18:24公開 / 作者:レインボー忍者
■この作品の著作権はレインボー忍者さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
読んでいただきありがとうございました。
この作品に対する感想 - 昇順
レインボー忍者さんはじめまして、作品読ませていただきました。
ラノベ系小説をほとんど読まない僕としては、最近のラノベにおける流行そのまんまと思えるタイトルを見て、これはさすがにいかがなものかと思って試しに読んでみたのですが、これが予想を裏切って面白かったです。
下ネタ寄りすぎるんじゃないか、というのはともかく、アホなノリと意外に真面目に考えてあると思える設定の組み合わせで、どんどん読めてしまう感じです。お母さんにまつわる部分だけがシリアスな雰囲気なのも、悪くありませんね。
異世界とか魔法とか言うのは新味はなさそうですが、なかなかうまく書かれた作品だと思いました。
2015-04-03 22:49:13【☆☆☆☆☆】天野橋立
 天野橋立様。
 感想ありがとうございます。タイトルに問題があるかもしれないという点について、ちょっとうまい題名が思いつかなかったので、話の内容を簡略化したものをぶち込みました。ここの住人の方は皆よく考えられたタイトルをつけられますよね。どうしてこんなにぽんぽん出てくるのだろう。毎回苦心している人間からしたらとてもうらやましいです。
 いずれ良いタイトルが浮かびましたら改変しようと考えています。それまでは仮題を使わせていただきます。
 アホなノリ――は今後続くかどうかは分かりませんが、ガチでファンタジーします。かなりの長編になります。冒険心をくすぐるようなストーリー構成を目指します。名前の通り、こっそりこっそり忍びながら、地味ぃ〜に更新していきますので、ちょっとした暇な時間にでもお付き合いいただけたら幸いです。不定期更新なので、投稿間隔はまちまちです。ゆったり書いていこうと思います。一ヵ月くらいのスパンでガーッと書き上げるのもいいですが、こういうのも良いものです。
 読んでいただきありがとうございました。レインボー忍者でした。次回も良ければお付き合いください。
2015-04-04 20:26:39【☆☆☆☆☆】レインボー忍者
 レインボー忍者さんはじめまして。
 更新早いですね。なんとか追いつけました。普通に読んでいておもしろいのですが、何というか物語のエンジンがかかるのが遅い気がしました。序盤に説明が多くなるのは仕方のないことですが……。それはともかく、部屋を抜け出して町に出て、いろんな人と交流していく展開、いいですね。ファンタジーらしい「冒険」ではないのですが、子どもにとってはこれも立派な冒険で。なぜかゲームの『ぼくのなつやすみ』を思いだしてしまいました。田舎で夏休みを過ごすだけのゲームでしたが、思えばあれも立派な冒険ファンタジーだったのかな……。
 説明が多いと書きましたが、いくらかの説明は後半に持っていっても良かった気がします。たとえば魔法の理論的な説明はこの作品のかなりおもしろい点ですし、主人公が気づくまでにもう少し時間をかけるのもアリだったのでは。ボス戦で覚醒して氷の刃出す、みたいな展開だったら読むほうももっと熱くなれたかなあと。魔法を分子の動きで説明されただけでも「すげえ!」って思ったので。まあ、ここからさらにおもしろい展開が待っているのでしょうし、聞き流してくださいね。続きをお待ちしています。
2015-04-15 18:31:20【★★★★☆】ゆうら 佑
 ゆうら 佑様、感想ありがとうございます。
 自分は仮にも忍者ですので動きは全般的に素早いですよ〜(笑)。更新速度も当然早めです。多分僕の更新速度が一番早いと思います!(フラグ)
 『ぼくのなつやすみ』はグラフィックが『キレイキレイ』だったので食わず嫌いしちゃっています。でも雰囲気は分かりますヨ。そうなんです、冒険なんです。未知のところに足を踏み入れるって言うのは、それだけでドキドキなんですよね! 僕は小学校の頃友達がいなかったので(中学の時もいませんでした(´;ω:`))、一人で山や川に行って遊んでいました。もう大冒険です。林の合間を抜けて、森の中にため池を見つけたときなんか、自分の頭の中の地図の空白が埋まったようですごく興奮しました。俺だけが知っている秘境なんだって(※近所のおじさんは皆知っていました)。このわくわく感を読んでいる人に伝えたいと思って序盤を書いていました。
 説明が多いというご指摘について、まさにその通りで耳が痛いです。隙を見てちょいちょい説明部分を削っていこうかと思いますが、構成は変える勇気がありません……。これだけ書いてしまっていますから、変に崩れちゃうのがめちゃくちゃ怖い……。
 後半に説明を持ってきても良かったのですが、戦闘のテンポが悪くなるかなーと思ったんですよねー……。やっぱりファンタジーですから、中二全開で動き回って「超! エキサイティン!」しないと嘘でしょ!(何)
 でも、あとでゆうら 佑様の案を丸パクリして改稿した奴を上げているかもしれません。先に謝っておきます、アイデアを丸パクリして申し訳ありませんでした……!!
 予定では四千〜六千枚くらいで完結ですので、失踪しないように頑張ります。感想が無くても、いつか誰かの目に触れることを信じ書き続けます!
 読んでいただきありがとうございました。レインボー忍者でした!
2015-04-18 09:20:46【☆☆☆☆☆】レインボー忍者
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2015-07-28 14:00:45【☆☆☆☆☆】ktsietob
Добрый день!
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2015-08-03 05:35:13【☆☆☆☆☆】purepolazeb61
計:4点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。