『人狼【完結】』作者:ゆうら 佑 / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
中間テストの成績順に、お前らを殺す――インターネット上に突然現れた脅迫メッセージ。その通りに「惨殺」されていく生徒のアバター(分身)。いたずらかと思われたが、その魔の手は徐々に現実世界にも伸びていき……。高校受験を控えた不安な空気の中、愉快犯や模倣犯も加わって、事件は複雑さを増していく。信じられるのは誰か? 人の皮をかぶったオオカミ「人狼」は誰か? 6人の視点を通して事件の顛末を描く。(若干のミステリ・ホラー要素を含みます)
全角96360文字
容量192720 bytes
原稿用紙約240.9枚
   人狼(じんろう)


  第一章 浅倉彰人
  第二章 西田慶
  第三章 都築李緒
  第四章 福原悠一郎
  第五章 佐藤はる加
  第六章 浅倉和奏




第一章  浅倉 彰人(あさくら あきと)

 多数決で、「りこぴー」の処刑が決まった。
 パソコンの画面には、いやーな悲鳴の効果音と一緒に「りこぴー さんがゲームから退場しました」の文字が表示される。これで参加者は残り五人。ゲームは夜のフェイズに移る。村人がひっそりと寝静まる中、オオカミ人間がむくむくと起き上がり、次の標的を舌なめずりしながら選んでいる――。
 人狼ゲーム。知ってる人も多いと思う。参加者は村人陣営と人狼陣営に分かれて勝敗をあらそう。チャットの会話だけを頼りに、多数の村人側は誰が人狼かを推理して、疑わしいやつを昼のフェイズに「処刑」する。人狼側は、夜のフェイズに村人を一人ずつ「犠牲者」にしていく。昼と夜を交互に繰り返して、二人しかいない人狼を全滅させられれば村人の勝ち。全滅する前に、村人を同数まで減らせれば人狼の勝ちだ。
 誰が村人で誰が人狼か、これはネット上の「ゲームマスター」に決めてもらうから、自分以外の人間の正体は最後までわからない。村人側は疑心暗鬼におちいりながらも村人らしきやつと協力して人狼を追い詰め、人狼側は徹底的に自分たちの正体を隠して「処刑」を逃れつつ、逆に村人を「処刑」に持ち込んだりしながら、ゲームを進めていく。ウソ偽り、演技、駆け引き、何でもアリだ。そんなわくわく感に病みつきになって、ここんとこずっとパソコンに張り付いてるおれです。ダメ人間なんて言わないで。受験生? 受験生だって息抜きは必要でしょ!
 ぴこーん! という効果音とともに、「『人狼』の標的になった村人を、『狩人』が守りました!」と表示される。おっと。実は村人陣営の中には、特別な能力を持ったやつもいる。いろんなローカルルールがあるけど、今回は『狩人』と『占い師』の二つだ。狩人はいわばボディーガード。守りたい人間を一人指定して、もしそいつが人狼の標的になった場合、「犠牲者」にされるのを防ぐことができる。村人にとっては心強い役職だ。ただし自分自身を守ることはできないから、狩人だとばれた時点でそっこー人狼の餌食だけど。
 占い師は探偵役。夜のフェイズごとに一人ずつ、気になる参加者の正体を知ることができる。村人だとわかれば協力できるし、人狼だとわかれば追い詰めればいい。これも人狼にとっては厄介な役職だから、その情報をどう使うか、襲われることを覚悟の上で自分が占い師だとカミングアウトするかどうか、逆に占い師だと名乗る人間を信用するかどうか――そこらへんは駆け引きだ。
 次の昼のフェイズで「かなぶん」が処刑されて、夜のフェイズで「サト」が犠牲になった。残り三人。まだゲームが続いてるってことは、この中に村人が二人、人狼が一人ってこと。最後の昼のフェイズだ――ここで人狼を処刑できれば村人の勝ち、村人を処刑してしまえば人狼と同数になって、村人の負け。さあ、誰が人狼だ?
 チャットで話し合いは進んでいく。議論の要点は、占い師を名乗るおれが本当のことを言ってるかどうか、だ。おれが出した情報は三つ。さっき犠牲になった「サト」が狩人。生き残ったほかの二人のうち、一人はただの村人。もう一人が、人狼。
 人狼と指名された側は必死に否定してるけど、まあ正直に「はいそうです」なんて言うわけないもんね。さてもう一人が信じてくれるかどうか。おれの意見が通れば処刑に持ち込んで、ゲームを終わらせることができる。
 運命の多数決。
 処刑に決まったのは――おれ。
 画面にメッセージが表示される。
「村から『人狼』がいなくなり、平和が戻りました! 『村人』のみなさん、おめでとうございます!」
 ああくそっ、と机にげんこつを叩きつける。もうちょっとだったのに。最後、調子に乗ってウソ言いすぎた。やっぱ狩人はあいつだったか、いやもしかして占い師が――
「あー、また人狼やってるうー」
 気づくと妹の和奏(わかな)が後ろから覗き込んでいた。あ、おいそんなとこでしゃべんなって。キーボードにつば飛んじゃう。てか髪濡れてる! 水滴! 水滴こら!
「お前離れろよ。髪の毛乾かせって」と押しやると、和奏はバスタオルに半分隠れた顔で、あはは、と笑った。色白のわりに妙に赤い唇が、なんだか不気味だ。
「ゲームとかやってていいの? テストの結果悪かったんじゃないのー?」
「うるせえ」
 関係ないだろ、とまたパソコンに向き直る。今日、中間テストの結果と学年順位が出た。高校受験に必要な、大事な成績だ。それがあんまりよくなかった。それで親にいろいろ言われた。こんなんじゃ高校行けないよ、あんた西高行きたいんじゃなかったの、何でもっと頑張らなかったの――
 うるせえよ。
 マウスをかちかちかちかち、乱暴に連打する。
 精一杯頑張ったっての。こっちだって必死だっての。
 ちゃんとやってんのに。そう思うと、ちゃんとやってんのがバカバカしくなった。それで部屋に引きこもってゲームしてた。
「てか掃除してる? ほこりとかやばいんだけど」
 振り返ると、和奏がまだ部屋にいて、バスタオルをかぶったままうろうろ歩き回っている。風呂上がりのくせして相変わらずの寒がりで、足元はスリッパに靴下で完全防寒。上も何かモコモコしたの三枚ぐらい着てる。さすがに暑いだろそれ。この部屋暖房も効いてんのに。
 和奏の言葉に床を見たら、たしかにそこらじゅうに髪の毛やほこりが固まって、エアコンの風でふわふわ動いていた。放っておいたら西部劇のアレっぽくなりそう。
「きったなー。掃除機かけなよ」と和奏は顔をしかめて、つま先立ちでぴょこぴょこ歩く。さすがに失礼だろそれ。ここ毒の床かよ。
「潔癖症のくせにい」
「潔癖症ときれい好きは違うっつの。めんどくせえし。てかほこりに触るのやだし」
 妹と話してると疲れてくる。何か、母親の小型版みたいな感じ。あーもう集中力切れた。パソコンにロックをかけて部屋を出ようとして、そこでふいに思いだして座り直し――別のサイトを立ち上げる。
 学校サイト。裏サイトじゃなくて、学校公認のれっきとした情報交換の場だ。各クラスの「教室」が用意されていて、生徒はめいめい自分そっくりのアバター、つまりネット上の分身を作ってそこで交流する。急な時間割の変更とか、持ち物の連絡とかもここで確認しないといけないし、夜にはみんなログインするから、ここに来ないと何かクラスで疎外された感じになってしまう。時間を見ると、もう九時前。毎日欠かさずログインしてたのに、今日は――あんまり人狼ゲームに没頭してて、忘れるとこだった。
 「教室」には3Dのアバターがうごめいていて、あっちこっちで会話が交わされている。全員三頭身なのにその光景が妙にリアルで、何だか現実の教室にいるような気分になる。やることも教室とおんなじだ。黒板の内容を確認して、ああ明日国語二時間かよめんどくせえなあと思いつつ、いつものように友達にちょっかいを出しにいこうとして――ふと、目が画面の端にとまった。
 見慣れないアバターがいた。一人だけ黒ずくめで、黒いマスクをかぶっている。誰かがふざけて変装してんのかな、と思ったけど、そうでもないらしい。別に騒ぐわけでもなく、「教室」のすみで、ひっそりと立っている。
「へんなの」
 顔のすぐ横に和奏の顔があって、ぎょっとする。また覗いてたのかこいつ。しかも「だれこれー?」とか言いながらパソコンの画面に指を近づけようとする。やめろって。指紋付くだろバカ。だれこれーじゃねえよ。おれも知らねえよ。
 ちっと舌打ちしつつ画面を凝視する。制服も着てないし顔もわからない。ほんと、誰だこれ? 用務員のおじさん、じゃねえよなさすがに。ほかのやつらも気づき始めたみたいで、あちこちで「だれ?」「バグ?」と言葉が交わされる。でもさすがに気味悪くて、話しかけに行くやつはいない。みんな遠巻きに眺めている。こういうとき真っ先に行動するのは西田だけど、あいつは今日は来てないらしい。すると唐突に、そのアバターからメッセージが出た。

  オマエラ全員皆殺しダ…

 ぶっ。
 こらえきれずに、和奏と一緒に爆笑した。皆殺しっておい! いまどき冗談キツイ! しかもなんか謎のカタカナ表記! 皆殺しの「し」カタカナにし忘れてるし! いや待て待て、全員と皆殺しって意味かぶってる! どっから突っこんだらいいの? もー勘弁してよー。笑いが止まらない。腹がよじれる。
 クラスのほかのやつらもだいたい同じような反応だ。こわがってるやつ皆無。
 また黒いアバターからメッセージが出た。

  中間テストノ成績順ニ、オマエラ殺シテイク

 テストの成績順? とっさに、今日学校の廊下に貼りだされていた順位表を思い返す。いや、思い返すまでもなく、一位の人間はよくわかっていた。万年トップの天才、福原だ。ってことは福原が一番先に殺されるわけ? うわーこわー。
 さっと目を走らせて福原のアバターを探してみたけど、いない。黒板の「欠席者」のところに写真が表示されてるだけだ。そういえば、あいつがここにログインしてるのを見たことがない。それも、現実の教室と同じ――いや実際は毎日来てるんだけど、影うすすぎて、いるのかいないのかわかんないもん。あいつがこのメッセージ見たらどう思うかな。びびるかな。興味ねえか。いや、意外とキレちゃったりして。
 そんなことを思いながら「教室」を眺めていたら、黒いアバターはてくてく歩いていって、黒板の前に立った。そしてナイフのようなものを取り出して、黒板に押しつける。福原のアバターの写真が、赤く染まった。
 さすがに、いい気分はしない。
「あははははっ」
 はっとして振り返ると、和奏がげらげら笑っていた。赤い唇が大きく開かれて、とがった犬歯がふたつ、見えた。
 不謹慎だな、と思う。
「何お前? これ面白いか?」
「なんで?」和奏は目に涙まで浮かべている。「お兄ちゃんだって、面白いと思うでしょ?」
「思わねえよ」
「何それえ? 変なとこまじめだなーもう」
 そう言われて、なんだか無性にいらいらした。大げさにため息をついて、もう一度パソコンに目を戻す。よく見ると、黒いアバターのメッセージにはそいつの名前も表示されていた。――『人狼』。
 くっだらね。
 ログアウトして立ち上がる。和奏はまだ腹を抱えてひくひく笑っている。その足元のほこりが蹴飛ばされて、おれのほうにフヨフヨ寄ってくる。
「あんま動き回んなって。ほこり舞うだろ」
「意味わかんないんですけど。掃除してないの自分じゃん。どこ行くの?」
「ニュース見ないと」
「あっはははマジメー!」
 うっせえな。盛大に舌打ちをしてやる。時事問題対策だっつの。二年生は気楽でいいよな。部屋を出てリビングに向かいながら、さっきのアバターを思い返す。人狼、ねえ。人の皮をかぶったオオカミかい。誰か知んないけどよっぽど暇なんだな。
 でも何となく胸騒ぎがした。たぶん、今回の中間テストで二位だったあいつの顔が、いつまでも浮かんで消えなかったから――。
「彰人、はやくお風呂入りなさい!」
 母親の声に、おれは少し不機嫌そうな声を作って返事をした。

   *

 翌日の学校は、謎のアバター「人狼」の話で持ち切りだった――というわけでもない。
 当たり前だっつーの。だんだん近づいてくる受験とか、席替えで次どこに座るかとか、クラスの中の人間関係とか、昼休みに放送で流れる流行りの曲とか、マンガとかテレビとかゲームとか、話のネタなんかいくらでもある。しょーもないいたずらを、ずっと気にしてるようなやつなんかいるか? 普通。
「秘剣・龍の爪!」
 西田慶(けい)がそう叫んで、必殺の突きを繰り出した。おれは間一髪のところでかわす。尻が後ろの机に当たって派手な音を立てた。手にしたはさみを巧みに操りながら、おれは西田に反撃を開始する。
「虎狩り! 虎狩り! 虎狩り!」
「はぅ! ガードガード」
 中三にもなってチャンバラごっこである。騒ぐのは楽しいけど内心めんどくさい。つば飛んでくるし。西田は本当に楽しげに、机と椅子の間をびゅんびゅん飛び回っている。小柄で、細身で、見るからに身軽なやつだ。格ゲーでいうと、動きがすばやくて小技でダメージ削ってくるうざいやつ。まさにあれ。
 授業始まりのチャイムが鳴った。おれたちは勝負にいったんのけりをつけて、めちゃくちゃにした机をだらだらと片付ける。
「次なに?」
「数学」
「やべっ。ゴリラじゃん」
 西田は慌てて片付けのピッチを上げる。魔獣みたいな迫力の先生には、さすがにこいつもかなわないか。テストが近づこうが受験が近づこうが、いっこうにやる気を見せずに遊んでばっかりの男。我らがヒーロー西田慶。前回の中間テストの成績は、もちろん下から数えたほうが早い。っていうか一番下。たまに下から二番目。テスト期間中は何をやってるのか? もちろんゲームである。生粋のゲーマーで、学校では携帯ゲーム、家ではオンラインゲーム、外ではゲーセンに入り浸って、勉強以外のスキルを着実に上げている男なのだ。
「ちょっと、早く片付けてくれない? もうチャイム鳴ってるんだけど」
 教室の後ろから声が飛んできた。クラス委員の女子だ。あーあうっせえな。また不マジメな男子扱いか。こっちだって西田に付き合ってんだよ。遊びたくって遊んでるわけじゃないっつーの。何て言うの、スキンシップ? コミュニケーション? そういうのわかんないかなあ。
 クラス委員――クラス委員が似合いすぎて、もはやあだ名が「クラス委員」――は、授業の準備を完璧に終えた机の向こうから、こっちをにらんでくる。
 ああやって、わかりやすい正義感を見せつけてくるやつは大嫌いだ。
 な、と西田のほうを振り向くと、西田はあろうことかよそ見をしていて、手が止まっている。お前そんなことしてたらまたゴリラに叩かれるぞ。先生は何か用事でもあるのか、まだやってこない。代わりに学年トップの福原が、一人で教室に入ってきたところだった。今ごろ登校か。とっくにチャイムが鳴っていることも、おれたちが戦場となった席を急いで片付けていることも、何も気にならないような超然とした態度で、ゆっくりと窓際の席に着く。そんな福原を、西田はじっと見つめている。
「ん、福原? あいつがどうかした?」
「あ、いや」西田は我に返ったように作業を再開する。
 教室の入口で張っていたやつから、「ゴリラきたぞー」と報告が入る。やべえやべえ、とおれたちは急いで自分の席に戻り――間一髪、魔獣がドアをぬっとくぐって入ってきた。
 筋肉もりもりの背中が板書を始めるのを尻目に、おれはチャンバラで使ったはさみをティッシュで丁寧にふきふき。西田の攻撃を受けきれずに、汚い床に落としてしまった。あー最悪。
「ケッペキだねー」
 横から小さく声がした。見ると、隣の席の杉山えみが、教科書の陰からこっちを見て笑っていた。その笑顔に、何かどきっとする。
「うるせえ」
「うるさいのは彰人でしょ。あんないっつも騒いでて楽しい?」
 とがった声。でも顔は笑ってる。
「わりい、勉強のじゃまだった?」
「え? 勉強とかしてないんですけど。うち勉強きらいだし」
「でもテスト前は必死にやってんだろ」
「ぜんぜんしてない」
 杉山はそう言って白い歯を見せた。ほっぺにかかった髪が、窓から弱く差し込む陽に茶色く光っている。このつやつやでフワフワの髪が、すごく好きだ。
 ぜんぜんしてない、か。全然しないであんな点取れるんだったら、人生楽しいだろうな。
 ゴリラはまだ板書を続けている。
「昨日のあれ、見た?」
 なに? と杉山はきょとんとした顔をする。サイトのこと――とおれが言うと、ああアレね、と納得したようにうなずく。
「意味不明だよね。笑っちゃった」
「杉山さ」おれはゴリラの様子をうかがいつつ、ちょっとだけ杉山と距離を詰めて、さらに声を小さくして訊いた。
「前のテスト、学年二位じゃなかったっけ?」
 じゃなかったっけ? とは、自分でもバカバカしい言い方だ。杉山の順位なんか、貼りだされたときから知ってるのに。
「だねえ」杉山は笑うでも悩むでもない、微妙な表情でつぶやいた。
 昨日の夜、福原の写真を刺した「人狼」は、その後何もせず姿を消してしまったらしい。次いつ現れるか知らないけど、あいつの言うとおり成績順に「殺して」いくのだとすれば、次に狙われるのは当然――。
「うわー……アバターに何かされるって気分悪いなー」
 杉山は宙を見つめて顔をしかめた。杉山のアバターは、やっぱり丸いほっぺをしていて、やっぱりつやつやでフワフワの髪をしていて、本物には敵わないけど、やっぱりかわいい。
「刺されるかもな」
「やめてよもー。ま、それだけなら別にいいんだけど」
「念のために今日はログインすんなよ。そしたら写真刺されるだけで済むんじゃね」
「福原くんみたいにね」
 そうささやきあって、二人で窓際の福原に目をやる。机の上に何も出してない。さすが天才。いつも通りだ。あんなことがあったのに、別に怒ったり怖がったりしているふうでもない。てか、ずっとログインしてないからそもそも知らないのかも。
 あれ? と思う。福原の斜め後ろに座った西田も、福原のことをじっと見ている。いつもは机に突っ伏して寝てるくせに。やっぱ、あいつも昨日のことが気になるのかな。
 ゴリラがぎょろっと振り向いた。少しざわついていた教室が、一瞬にして静まりかえる。おれも姿勢を正してノートに向かう。まだ全然書いてない。やべえやべえ。
 どんぐりみたいな目で教室をねめまわしたあと、ゴリラは教壇から降りて窓際に向かった。一歩歩むごとにきしむ床板。全員が息を殺して、やつの一挙手一投足を見守っている。
「福原」
 野太い声が一言、発せられた。
 窓の外を見ていた福原が、ゆっくりと目の前のゴリラを見上げる。
「教科書とノートを出せ」
 地の底から這いあがるような、ドスのきいた声だった。全教室が震えた。さすがの天才も逆らえるはずがない。しぶしぶ、といった様子で、机の中に手を突っこんだ、そのとき――
 パン。
 乾いた音とともに、煙が上がった。女子の誰かの悲鳴。手を押さえてかがみこむ福原。ゴリラが「お前ら自習しとけ」と叫んで、福原を教室から連れ出す。ほとんど一瞬の出来事だった。
 教室は大騒ぎになった。
「爆竹?」「血出てなかった?」「うそ、マジ?」「机の中に何か入ってたってこと?」「え、俺のも?」「こわっ」「まだ煙出てる」「窓開けろー」「さむっ」「ばか、触んなよ」「危ないよー」「おい保健室行こうぜ」「やめろゴリラに殺される」「自習! みんな自習!」
 あちこちで勝手な言葉が交わされる中、おれは杉山に恐る恐る視線を移す。きれいな髪に半分隠れた横顔は、真っ白で、石像のように動かない。
 中間テストノ成績順ニ、オマエラ殺シテイク――。
 はは、まさかね。

「いつまで手洗ってんだよー」
 西田の声が狭い廊下を反響して、背中に覆いかぶさってくる。うるせーな、と返しつつ、おれは念入りにツメの間の洗浄を続ける。西田は何かとやることが早いけど、便所は特に早い。とっくに済ませて廊下のはるか向こうでおれを待っている。たぶん手も洗ってないんじゃないか。いや考えないようにしとこ。
 下駄箱に三年生の靴はほとんどなかった。放課後の校舎はしんとして、グランドからは野球部やテニス部の若々しい声が聞こえてくる。あと三か月もすればおれらは卒業。世代交代、の四文字がふと浮かぶ。この中学校から徐々に居場所はなくなって、あとは押し出されて追い出されていくだけの存在――まあそれはいい。問題は、行き先がまだ決まってないってことだ。
 そんな受験生の悩みもこいつには皆無なのか、格ゲーの話しかしない西田。うらやましいというか心配というか。さみーさみー、と二人で校舎の間を歩きながら、おれは今日のことを話題にしてみる。
「ってかやばかったよな? 福原。包帯ぐるぐる巻きにしてさ」
 午後の授業から福原は教室に戻ってきた。両手に包帯をしてはいたけど、それほど重傷でもなかったらしい。本人はぴんぴんしていて、みんなの質問攻めにも「身に覚えないし」「ただの火傷だし」とちょっといらいらしたように答えていた。あの状態で授業復帰とかマジ尊敬する。おれだったら早退してその後二日は休むような気がする。やっぱ天才でも受験は気になるか? まあ授業受けないと不安になるよなー。
 福原の机はゴリラが没収してしまったから詳しいことはわからないけど、噂では火薬を使った装置――早い話が爆弾が仕掛けられていたらしい。いや、小さい爆弾ね。本格的なものだったらみんな死んでるし。
「やっぱ、あれと関係あんのかな」
 おれはつぶやく。まわりに誰もいないのに、自然と声が小さくなる。
 ネット上に現れた「人狼」――。テストの成績順に殺していく、とかいう脅迫メッセージ。そしてナイフで刺された福原の写真。
「んーあるんじゃねえの」と、西田はあんまり興味なさそうな口調で答えた。
 ちょうど職員室の前に来たから、窓からちらっと中を覗く。何となく、いつもより先生の数が多くて慌ただしいような気がした。今日はとくに何もなかったけど、明日には全校集会とか開かれるんだろうか。
「先生もあの黒いアバターのことは知ってんのかな」
「さあ、知ってるんじゃね」
「ああいうのって技術的に可能なの?」とおれは聞いてみた。「あんな変なアバター作ったり、写真に攻撃したりって簡単にできんの? お前パソコン詳しいよな」
「んーよくわかんねえけど」西田はおでこにしわを寄せて考える。「プログラムちょっといじったらできちゃうんじゃね。オレでもできるし」
「マジ?」
「オレはやらねーぜ?」
「いや、お前ならやりそう」
「やらねえって!」
 西田がいつもの鼻声を大きくする。何ムキになってんだよ。てかつば飛ばすなよ。
「誰が犯人なんだろうなあ」とおれは口にしてみる。誰がやったのか。誰が「人狼」なのか。生徒か、もしくは外部の人間か。教室でも話題はそれに集中していた。福原の心配をしているやつは一人もいなかった。でも――
「次に狙われるとしたら、杉山かな」
 おれを含め、そのことを心配しているやつは何人かいた。
「何で?」
「は? だってあいつ、学年二位だっただろ、中間テスト」
「まあ杉山は大丈夫なんじゃね?」西田は能天気にそんなことを言う。いやお前、何か根拠でもあんのかよ。
「だってかわいいしな、なー、なー!」
「うるせっ」
 肩を組もうとしてくる西田を全力で振り払う。かわいい? はあ? 何言ってんだこいつマジで。火照る顔を天然の冷風でさましつつ、殺風景な桜並木をしばらく歩く。国道と合流する地点まで来た。いつもはここで西田と別れる。
 じゃあな、と声をかけようとしたとき――
「てか今日ひさしぶりにゲーセン行かね? もーオレ最近腕がなまっちゃってんだよね」
 さすがに呆れた。
 こんなときに、そんなことを言う西田の神経がわからない。
「一人で行けよ。今日はあんまそういう気分じゃねえし」そう言い捨てて背を向けると、西田ののっぺりした声が追いかけてきた。
「彰人はそーゆーとこマジメなんだよなー」
 マジメじゃねえよ。足にからみついてくる落ち葉を、力任せに蹴り飛ばした。

 その夜、「人狼」はまた現れて、杉山えみの写真を赤く染めた。

   *

 ごしごしごしごし。放課後の教室掃除のあと、おれは一人で手を洗っていた。みんな潔癖潔癖ってバカにするけどさ、洗ってない手から培養されたバイ菌の図あるじゃん。手の形にバイ菌がぶわってなってるやつ。あんなの見ちゃったら、もうね、だめでしょ? わかるでしょこの気持ち?
 ほこり舞うし、ぞうきんは臭いし、本当は掃除自体するのイヤ。だけど、さすがに学校の当番は逃げらんないから我慢してやってる。「やらなきゃいけない」って思うと意外と汚れるのも気になんないし。同じ班には杉山もいるし。いや、それは関係ないけどね。
 きっちり十回、手を綿密に洗って蛇口の水を止める。静かだ。もう校舎に残ってるのはおれ一人らしい。
 ――と思ったら、下駄箱のところに杉山がいた。
「あ」と、携帯から顔を上げておれを見る杉山。うす暗い空間で、液晶の光だけがぽんわりとその顔を照らしていた。
「お疲れ」
「うん」
 そんな言葉を交わしてさよなら――すればよかったんだろうけど、つい立ち止まってしまうおれ。妙な沈黙。やばい帰るタイミング逃した。ここ話すべき? 話していいシチュエーション?
「あ、まだ帰んないの?」
 うん、とうなずく杉山。誰か待ってんのかな。だれか。変な想像ばっかり頭の中を駆け巡る。だめだもう帰ろ。そうしようそうしよう。
「いつまで手洗ってんの? ケッペキすぎるっしょー」
 杉山のほうがそう言って笑ってくれた。氷がぽわーんと溶けていくように、安心で肩の力が一気に抜ける。
「うっせえなあ。てか今日大丈夫だったの?」安心した勢いで話を続ける。「昨日、サイトでいたずらされてたし……」
「うん、何にもなかったよ。心配してくれてた?」
「いやまあ、別に」
 本当は一日じゅう杉山を見てたんだけど。朝誰よりも早く来て杉山の机をチェックしたんだけど。結局なーんにもなかったけどね。
「そろそろ行こっかな」とおれの顔を見て、杉山が歩きだす。つられておれも歩きだす。校舎から出た瞬間吹きつけた風で、杉山の髪がパラシュートみたいにひらいた。「うわ、さむー」
「やっべマジでさみい」
「やばいよねー」
 そのまま、何となく帰りが一緒になる。誰か待ってたんじゃないのか。あれ、このまま一緒に帰っちゃう感じ? いいのか? でも別に嫌がってる感じじゃないし。いやむしろ喜んで……あーもう、自意識過剰。それをごまかすように話しかける。
「でもえらいよなー杉山は。ちゃんと学校に来てんだから。普通こわくて休んだりしない? おれだったら絶対来ない」
「うわー不良だ」
「だってさあ。こわくないの?」
「こわいよ」杉山はふうー、と白い息を吐いた。「だから机の中とかめっちゃ調べたし」
 それはおれもだけど。
「何にもなくてよかったよな」
「そうそう、どーせしょうもないいたずらなんだよ。あーこわがって損しちゃった」
 はは、と二人で笑う。何かいい雰囲気。誘っちゃうか? このままマックとか誘っちゃうか?
 そのとき、学校の表玄関――職員室とか校長室に近いほうの出入り口――から誰かが出てきた。同じクラスの都築(つづき)李緒だ。おれらのほうをちらっと一瞥して、そのまま手にした携帯に目を落とす。杉山も気にしていないようにどんどん歩いていってしまう。
「あれ? お前ら仲いいんじゃなかったっけ?」
 あくまでおれのイメージなんだけど、杉山と都築は大親友で、おんなじグループの中心的存在で、学校ではいっつもくっついて笑ってて、まさにあの「男一瞬ダチ一生」的な感じなんだけど……あれ違うの? え、あ、もしかして、おれに気つかってくれた? うわすげえいいやつ!
「んー、まあ最近はちょっと違うかなあ」
 杉山はそう言って、相変わらず歩きつづける。もう都築の姿が見えないところまで来てしまった。
「へ?」
 状況が飲み込めない。
「李緒ね、たぶん、うちの成績がいいことが気に入らないんだよね」
「え、何それ今さら?」
「受験も近いしさ」
 はあ、と間抜けな返事をしたきり、おれは黙り込む。マジで何それ? だってお前ら、いつもあんな楽しそうに弁当食ってんじゃん。あんなげらげら笑って。今日だって、都築言ってたよな、「こんないたずらするやつ許せない」とか、「李緒はえみの味方だから」とか。杉山だって「ありがとー!」って都築に抱きついて……。
 これが、女子――!
 でもまあ、杉山は悪くないよな。都築が勝手に恨んでるだけ、だよな。
 それで一人で下駄箱のとこにいたのか。一緒に帰るやつがいないから――とおれはひそかに合点する。おれにとってはラッキーじゃん。しかもこれ、すっごいチャンスじゃね?
 かなり不純な目で杉山を見ていたら、つやつやの髪の横のほうにごみが付いていることに気がついた。丸まったほこりみたいなやつ。風も強いのに、必死にしがみついてぷるぷる震えている。さっきの掃除で付いたのかな。ここだと鏡見ても気づきにくいもんな。
「ごみ付いてる」と自分の頭を指しながら教えてやる。
「え? どこどこ?」杉山はまったくとんちんかんな所を触って慌てていて、思わず笑ってしまう。「逆、逆」と杉山の頭を指さすと、杉山の動きが一瞬、止まる。
「ん?」きょとんとするおれ。
「取ってくれるんじゃないの?」と笑われてしまう。「いーよいーよ、ケッペキだもんね」
 ぐさっ。
 杉山が小さな鏡を片手にごみを取ろうとする。その仕草を眺めて、やっぱり、きれいだなあと思う。髪がね。髪がですよ。
 よし、とおれはひそかに息を整える。ここで勝負だ。頑張れおれ!
「あのさ、えっとさ……」ん? 急にのどの調子が。おっほん、えほえほ、と咳払いをしていると、「風邪?」と心配そうな顔をされる。
 いや違う。違うんだ。そうじゃなくて、
「今度べんきょー教えてっ」
 言った。おれ的にはけっこう勇気をふりしぼって言った。
 杉山は、いいよ、と笑ってくれる。自分の中で大きな感情がむくむくとわき起こってきて、押さえつけることで精一杯になる。不純な思い。この女の子を自分のものにしたい。好きなように扱いたい。だめだ。だめだめ。おれらまだ中学生だろ、学校もあって受験もあって――
「食べる?」
 はっと我に返る。杉山がいつの間にかお菓子の箱を持って、一口サイズのチョコをつまんで差し出していた。え、マジくれるの? 食べる!
 と言いたかった。食べる、と言いたかったのに――
「……ごめん」
 だって、お前それ、ごみ触った手で触っただろ――
 杉山はさめた笑いを浮かべた。
「あー、ケッペキだもんね」
 ぐさぐさぐさっ。

   *

 ほんっとダメダメだなおれ。
 でも距離が縮まったことは確かだ。勉強教えてもらう約束もしたし。とりあえず教室とか図書室で一緒に……それからお互いの家とか? いや、そんなうまくいくわけねーだろ。徐々に徐々にだ。問題はアドレスだな。どのタイミングで聞いたらいいんだろ。てか今さら改まって聞いたら逆に変じゃね? うーん悩ましい。
 ぼーっとしていてふと気がついたら、家の洗面所で手を洗っていた。そうか帰ってきて――あれ、いま何回目だっけ? ちくしょー最初から洗い直しか。まあいいや、最近カゼ流行ってるしな。
 ポッケの中で携帯が震える。西田からのメールだった。
「なんで先帰っちゃうんだよーオレ補習だったのにー」
 いやもう六時前だし。外もう真っ暗だし。てかこんな時間まで居残ってたのか。西田には災難だろうけど、付き合うゴリラもすげえな。適当な返事を返してリビングの前を通り過ぎると、母親がソファにもたれてテレビを見ていた。夕方のニュースらしい。聞き慣れたアナウンサーのしゃべり方。何となく立ち止まって見てしまう。時事問題対策、のはずが、何だかニュース見ないと落ち着かない体質になってしまった。あーやだやだ。
 緊迫した雰囲気で伝えられているのは、ありふれた殺人事件。そしてありふれた友人知人のインタビュー。あんなにおとなしい人が――ってそれ毎回言ってないか。てか逆に殺人起こしそうな人とかいたらこわいんですけど。
 母親がきっと振り向いて、おれをにらみつける。
「彰人、晩ごはんの前にちょっとでも勉強しないと」
 はいはい。必死でいらいらを抑え、拳をぎゅっと握りしめながら階段を上る。うぜえうぜえ。またネットの人狼ゲームに走っちゃいそうな気がした。人狼。そこでふと思う。
 あんなにおとなしい人が――。
 うちの成績がいいことが気に入らないんだよね――。
 李緒はえみの味方だから――。
 みんな人狼だ。杉山だって都築だって。おれだって、いろんなものを、自分の奥に押し込めている。
 部屋に入ってとりあえずパソコンを立ち上げた。いや遊ぶんじゃないからね。まず学校サイトの「教室」をチェックだ。重要な連絡とかあるかもしれないし。今日も「人狼」は現れるのかな。おととい、昨日と連続で現れてるしな。でも杉山の身には何も起こらなかったし、もうやめちゃったのかな。それはそれで、何となく寂しいような。いやいや、実際怪我人も出てるんだしな――。
 「教室」には二十人くらいがログインしていて、三頭身のアバターたちはみんな後ろの連絡板の近くに集まっていた。あれ、めずらしいな。ふつう大切な用件は前の黒板に表示されて、連絡板にはたいしたものは貼られない。本物の教室と同じく、生徒の作品とか、ちょっとした伝言とか、まあそういう類だ。誰かが落書きでもしたのかな。おいおれにも見せろ。
 クラスの連中のアバターをかき分けて近づいてみると、連絡板にピン留めされているのは無題の画像だった。ネタ画像か何かか? さっそくダウンロードする。けっこうでかい。写真だ。黒板に貼られた「欠席者」みたいなアバターの写真じゃなくて、カメラで撮った本物の写真。
 そこに写っていたのは――
 最初は誰かわからなかった。すぐにわかったのは、おれたちの中学の制服を着た女子だということ。フラッシュが使われてないのか薄暗かったし、第一、あのきれいな髪が、見る影もなく消えてしまっていて――
 そこに写っていたのは、手足を縛られ、髪を無造作に刈り取られ、眠るように目を閉じた杉山えみの姿だった。
 体の底から、震えが、来た。目の前が真っ赤になる。
「おにいちゃーん宿題教えてー。ん、何それ?」
 和奏が後ろから覗き込んでくる。とっさにウインドウを閉じようとしたが、遅かった。
「ぷっあははははっ。何これえー、マジウケるー! あはははははははははっ」
 その笑い声が、床と、壁と、天井に反響して、おれの耳の奥で何重にもなって鳴り響く。あははははっ。あははははっ。あははっ、あははっ、あははっあははっあはは――
 吐き気がした。
 頭の中が沸騰して、もう何もわからなくなって、おれは和奏の横っ面を力いっぱい殴りつけた。




第二章  西田 慶(にしだ けい)

 マジぃ? こーんな大ごとになると思わなかった。
 ただのいたずらのつもりだったんだぜ。福原のことがむかついたから、ちょっといたずらしてやろうと思って。あれだって本当はあんな怪我させるつもりじゃなかったし。で、調子に乗って杉山のアバターにも攻撃しちゃったけど、けど――
「調査のために外部の人がたくさん学校の中に入ってくるかもしれないが、気にしないように。いつも言っているように、学生の本分は勉強だ。みんなには受験に向けてきちんと集中してほしい。そのために、こちらとしてもできるだけ早く解決させたい。だから――もちろん、みんなの中に犯人がいるとは先生も思ってない! 誰も思ってない。だが、もし何か知っている人がいれば、ぜひ名乗り出て教えてほしい」
 ゴリラの話が終わって、三年生がぞろぞろ体育館から出ていく。緊急の学年集会はそんな感じで終わった。オレは彰人と並んで歩きながら、頭の中を整理していた。外部の人が入ってくるって何? ケーサツ? ケーサツ来ちゃうの? そんな深刻になっちゃうとかマジかよぉ。
 でも、あの杉山の画像にはオレもびびった。あれはやべえよ、さすがに。
 杉山は学校に来てない。つまり、昨日ネットに公開されたあの写真、合成とかじゃないってことだよな。いま、本当に杉山はあんなことになってるってことだよな。てか助け出されたのか? ちゃんと家にいるのかな。そのへんの情報、先生は何も教えてくれねえ。
 オレらの前に都築李緒がいた。友達二人とじゃれ合いながら歩いてやがる。短いスカートから飛び出た白い足が、日の当たる場所を踏む。太陽光でスカート透けねえかな、と思ったけどダメだった。あいつ、杉山がいなくなってうれしいだろうなー。ここ最近、何かと杉山をグループからハミろうとしてたし。てか杉山にあんなことしたのも都築なんじゃね? 女の恨みはこわいっていうし。あーやだやだ。こえーこえー。
 隣の彰人に話しかけようとして、やめた。ものっすごい落ちこんでる感じで、さっきから一言も話さない。まあ杉山だもんなぁ。心中お察ししますわぁ。

 朝の一限目は集会でつぶれたけど、そのあとは普通に授業があった。でもこんな状況で集中できるはずがない。いやいつも集中してないんだけどさ。国語の授業で、何かよくわからない古文が黒板に書かれている。先生がいきなりオレを当てた。
「西田くん、ここにジョシの『こそ』があるから、この文の結びのカツヨウケイは何ですか?」
 はあ? ジョシ? カツヨウケイ? 全然わかんね。
「わかりませーん」
 教室のあちこちから、くすくす笑い声。
「わかりませんじゃないでしょ?」先生がちょっと怒った。「もうすぐきみも受験でしょ? 一応公立目指してるんでしょ? 勉強しなくちゃ、ちゃんと」
「勉強? それシャカイで使うのぉ? 『こそ』とか絶対必要ないっしょー」
 みんな爆笑。先生は顔を真っ赤にして、何かよくわからない理屈を並べて、そのままチャイムが鳴って授業は終わった。はは、おもしろかった。
 さてゲームゲーム……と携帯機を引っぱり出したところで、誰かがすぐそばに立っていることに気がついた。目を上げる。クラス委員の佐藤だった。
「ちょっと何なの、さっきの」佐藤はメガネの奥からオレをにらんで、半分キレたような声を浴びせてきた。さっきの?
「こんなときに――みんな受験で、ただでさえ大変じゃん、なのに、杉山さんがあんなことになって――それでもみんなちゃんと授業受けてるのにさ――」
 は? こいつ何言ってんの? オレはぽかんとしながら佐藤を見つめる。
「――何であんなふうにふざけられるの? ねえ、人の気持ち考えたことある!?」
 要はオレがさっきふざけたことが気に入らねえと。そっかそっか。人の気持ち? よくわかんねえけど。てかみんな笑ってたじゃん? 何でこいつだけキレてんの?
「ねえ考えたことある!?」
 佐藤はさらに詰め寄ってくる。すごい剣幕だった。オレは、ちょっと、こわくなった。佐藤が警官か何かみたいに見えた。まさに正義の味方っていうか。そんなやつと向きあってると、何だか自分が、本当に悪人みたいに思えてくる。え、何? 杉山をやったのもオレって言いたいわけ? オレに罪をかぶせたいわけ? こええ。こええよ。クラスの男子のやつら、誰も加勢に来ねえし。こんなときに限って近くにいねえし。オレは観念した。
「……いや、うん。すんません」
 形だけ頭を下げた。
 それで佐藤は満足したのか、それとも次の授業の予習のためか、席に戻っていった。何だろ、勇者が逃げてくれたときのモンスターの気持ちってこんな感じなのかな、と思いつつ見送っていたら、教室の端にいた都築と目が合った。すぐに目をそらされて、都築はいかにも楽しげに友達とのおしゃべりに戻る。何だあいつ、盗み聞きか? けっ。感じわるっ。

   *

 そのまま何事もなく数日経過。
 学年一位・二位が被害に遭ったわけで、となると当然次の標的は三位。そいつが超びびってるらしくて、先生の護衛まで付けてるとか、成績引き下げを願い出たとかって噂だけど、あれ以来事件が起こるどころか、ネット上に「人狼」も現れてない。当然じゃん。あれ、オレだから。冗談だから。本気で成績順に攻撃しようとか思ってないっつーの。
 でも人狼ってアバター名はカッコよくね? ってひそかに思ってる。人狼ゲームのことは、たしか彰人から教えてもらった。難しくてすぐにやめたけど、人が自分の正体隠したまま話し合うっていうのは面白えなと思った。キャラに覆面かぶせて格ゲーするようなもんだ。
 ……ばれねえ、よな。
 地味に心配になる。本当に冗談のつもりだったんだぜ。福原のことだってまあ、気の毒だと思ってる。ちょいとビックリさせて、最後は笑って終われるもんだと思ってた。なのに。もしばれたら――杉山のことも、オレのせいにされちゃうわけ?
 ゴリラの言った通り、あれから学校にもよく警察が出入りするようになった。オレも昨日見ちゃった。職員室の前で。オレと目が合って、笑って、意外と優しそうな人たちだと思ったけど、でも全部ばれてんじゃねえかと思うと不安で不安で、そっこー逃げ出して……怪しまれてたらどうしよぉ。そういえば学校に来てるのは警察だけじゃない。取材だ。生徒の中にはコメントを求められたやつもいるらしい。先生には「何もしゃべらないように」って口止めされてるけど、情報はどっからでも漏れ出して、ついに新聞記事になった。ネットでもちょいちょい続報が出てる。何か、ほんと、大ごとになってきてるよぉ。
 警察の捜査とか、どこまで進んでんだろ。オレ、容疑者とかになってない……よね? てか杉山をやったやつはまだ捕まんないのかな。
 気になって「人狼 ××市 事件」で検索してみる。
 びっくりするくらいヒットして、焦った。ニュースサイト、個人のブログ、ネット掲示板などなど、二十も三十もページが出てくる。とりあえずニュース記事をざっと眺めて、とくに新しい事実はわかってないことを確かめる。ふう、よかったよかった。でもオレらの学校がこんな注目されるって、何か変な気分。
「【狂気か】人狼事件について語るスレ【いたずらか】」と題されたネット掲示板のスレッドを見てみる。意外と書き込み多いじゃん。しかもこんなスレがいくつも立ってるんだから、ネット上での注目度も半端ないってことか。軽く読むつもりで上から目を通していって――だんだん、にやにやが止まらなくなっていった。
 何か変な気分。いやいや。正直、ちょっといい気分。

   *

「いってらっしゃい」の声で目が覚める。あったかい布団にくるまったまま、もぞもぞ手だけ伸ばしてケータイを確認。まだ七時。カーテンの隙間から入ってくる朝日もまだよわっちくて、部屋は暗い。兄貴、今日も早えなぁ。
 ケータイを放り出して、布団の中で寝返りを打つ。
 兄貴はオレより十こ年上で、もう普通に会社員だ。いつも朝早く出かけて、夜中になって帰ってくる。働くって大変そうだよなぁ。めんどくさそうだなぁ。てか、オレだったら絶対そんな会社で働きたくねーし。やっぱ就職するなら夕方五時で終わる仕事がいいなー。夜中まで働かされるんなら、いっそのこと無職のほうがマシじゃね? そんなことを思いつつ、布団が気持ちよすぎてまた目を閉じる。
 もうすぐお母さんが起こしに来る。めんどくせえ。寒い中出かけるくらいなら、学校なんか行かないほうがマシじゃね? カゼも流行ってるんだしさぁ。
 といいつつ結局いつもの時間に家を出る。国道沿いを歩く。ジャンパー来てマフラーしてても寒い。派手なランドセルを背負った小学生が、あっちこっちで走り回っている。いいよなー小学生は楽しそうで。勉強も簡単だし。桜並木に流れ込んでいくランドセルを眺めながら、オレはまっすぐ国道沿いを歩いて駅を目指す。目的地は駅前のゲーセン。今日は「タワーファイター2」で、週一回のちょっとしたイベントがあるんだよね。

 ああ、またいる。
 スタバの中に兄貴が座ってる。何もせずに、ぼーっと外を眺めながら。黒いコートを着たまま、テーブルの上にひじを立てて。最近はいつもあそこにいる。でも理由は聞けない感じ。会社どしたの? とか、聞けない感じ。もちろん家でもそういう話はしない。オレも見つかるのは嫌だから、いつも遠回りしてスタバの前を通り過ぎる。何だか、ちょっと――共犯者の気分。
 駅のトイレで制服を脱いでジャージに着替える。背の低さは髪の毛立ててカバー。こそこそゲーセンに入る。人は少ないけど、いつも通り音がガンガン響いてて、にぎやかで、なんつーか血が騒ぐ。モップを持った店員とすれ違ったけど、何も言われなかった。黙認されてるって感じ。
 指のストレッチをしつつ、いつもの台の前に立つ。「タワーファイター2」。けっこう人気のある格ゲーだけど、まだ朝早いから誰もやってない。今日学校サボってまでやりにきた理由はただ一つ! 全国のプレイヤーとオンライン対戦できて、ランキングにも関わる公式イベント日だから、だ。てか、学校でつまんねー授業受けるよりよっぽど有意義じゃね?
 ゲームは正直だ。
 画面の中ではキャラたちが、落ちてくる岩をよけながら激しくバトっている。落ちた岩はだんだん積み重なって、ものすごい勢いで積み上がっていく。もたもたしてると振り落とされてHPを三十パーセント削られる。「タワーファイター2」はその名の通り、タワーを登りながら戦うゲームだ。
 どん、どん、どん、と特大の岩が落ちてくる。どどどどどっとタワーが高くなる。対応しきれなかったヘタクソが下に落ちる。
 積み上げて、積み上げて、積み上げて。
 フィールドはどんどん高く、同時に狭くなっていく。ライバルも減っていく。
 今まで貯めてきた経験値。磨いてきた技術。何十通りも覚えたコンボ。
 積み上げて、積み上げて、積み上げて。
 必殺の十二連コンボを決めて最後の相手を吹き飛ばす。
 ああ、やっぱゲームは正直だ。
「っしゃあああ」
 ノッてきたノッてきた。何か今日調子いいぞ。もう一戦行くか――と思ったとき、ふと横からの視線を感じる。
 あ、こわそうなにーちゃんたちがこっち見てる。うわ近づいてきた。この機種二台しかないんだよなー。で、もう一台は何か臭そうなおっさんが使ってるし。うぜえー。まあいまちょうどキリいいし、ちょっと休憩すっか。
 というわけでカバン持ってさっさと退散。オレが台を離れるとすぐ、三人のにーちゃんがぞろぞろ寄っていってゲームを始めた。くそー取られた。気づかれない距離で舌打ちを連発する。何あいつら? おとなげねー。
 適当なゲームで時間をつぶしつつ、台が空くのを待つ。にーちゃんたちはウハウハ楽しそうに笑ってる。背の低いモヒカン、チェーンぶら下げた金髪ののっぽ、革ジャン着たデブ。このゲーセンで何回か見かけたことのあるやつらだ。高校生とかじゃねえよな、けっこう年とってるように見えるし。兄貴と同じくらいじゃね。じゃあ二十五くらい? 平日の朝なのに、あのにーちゃんたちが堂々とゲーセンに入り浸ってるのは不思議だ。って、オレも人のこと言えねえけど。
 またウハウハと笑い声が上がる。
 言っちゃ悪いけど、人生捨てたような人たち。
 そのとき入口の自動ドアが開いた。一目でわかる警官の制服。うわっ、マジか。
 警官が店員と何か話してる隙をねらって、そっこー店から逃げ出す。あぶねー補導されるとこだった。あのにーちゃんたち大丈夫かな。あ、あいつらは大丈夫か。おとなだし。
「ちょっときみ」と後ろから声をかけられる。
 あの警官がいた。
 とっさにパニックになって逃げようと足が動こうとするけどとりあえずこの状況どうにかしないとうわあああああ。
「学校は?」
「きょ、今日は用事で……」
「用事って?」
「あ、あっちに兄貴も待ってるんで」ほとんど何も考えずに出た言葉だった。
 警官と一緒にスタバの前に立つ。ガラスの向こうに座っていた兄貴が気づいて、びっくりした顔をして、立ち上がった。それからすぐ店から出てきてくれた。
「こちら、弟さん?」
「はい」と兄貴がかぼそい声で言う。背は警官より兄貴のほうがだんぜん高いけど、威厳では圧倒的に負けちゃってる。オレは心臓をばくばくさせながら、二人が話すのを見守っていた。
「弟さん、さっきそこのゲームセンターにいたみたいなんですが」
 キャーばれてる。すがりつく思いで兄貴を見上げる。兄貴はほとんど無表情でオレをちょっと見て、それからまた警官に向き直った。
「ああすみません、電車にはまだ時間あるんで、ちょっと時間つぶしとけって俺が言ったんですよ」落ち着いたしゃべり方だった。「こいつ、本屋にでも行ってたんじゃないですか。ゲーセンにいたところをご覧になったんですか」
「ああ、いや……」警官は意外そうな顔で口ごもる。「そういうわけじゃ。しかし」
「たぶんちょうどゲーセンの前を通りかかっただけでしょう。こっちも監督不行き届きですみません。今後は一人で歩かせないようにします。あ、そろそろ電車出るんで、もういいですか?」
「じゃあ申し訳ないんですが、あなたのお名前と連絡先、それから弟さんのお名前と学校名、よろしいですか」
 丁寧だけど、きっぱりした言い方だった。兄貴は長い髪をぽりぽりかきつつため息をついて、懐から出した名刺に何かを書きつける。「どうぞ」と警官に押しつけて、オレをうながして走り出す。
「急げ」
 駅に駆け込む。発車を知らせるベルが鳴る。改札を通ってホームに向かう。電車から降りてきたらしい人たちが、ぽつぽつ階段を下りてくる。兄貴は走るのをやめない。
「え、マジで乗んの?」
「乗る」
 滑り込みセーフ。がらがらの電車に飛び込んだ。すぐにドアが閉まって、電車はのろのろと動き出す。
「座ろうぜ」と、兄貴はそばのシートに座る。オレは電車の揺れにふらつきながら、ひょろながの体の横にちょこんとおさまった。兄貴の肩を見ながら、ほんとでこぼこ兄弟だなー、と思う。オレも大人になったら背伸びんのかな。てかそれはいまどうでもよくて。
「あ、兄貴……」何て言ったらいいのかわからない。助けてくれてありがとう? いや謝ったほうがいいのかな。てか何で電車乗ってんだろ。まだ頭が混乱ぎみ。
「お前、いっつも火曜日はゲーセンにいるよな」兄貴が前を見たまま言った。
 え、ばれてた?
「何その顔。あれで隠れてたつもりかよ。普通に見えてるっつーの。お前も気づいてただろ、俺がいっつもあそこにいるの」
 うん、とうなずく。「何やってんの?」
 聞いちゃった。ついに聞いちゃった。おそるおそる答えを待つ。しばらく答えは無いまま、電車はどこかの駅で停まって、乗客を一人も入れずにまた動き出した。窓の外、あっちこっち向いて立ち並んだアパートが、朝日で白っぽく光っている。まぶしい。
「時間つぶしてんの」
 車内放送とかぶったけど、兄貴の声ははっきり聞き取れた。
「何で?」兄貴の話はいっつもこうだ。一言ずつで、なかなか進まない。何かちょっといらいらしてきて、オレは先を急いでしまう。「会社は? サボってんの?」
「そうじゃねえよ」と兄貴は笑う。「お前と一緒にすんな」
「じゃあリストラ?」
「違うって」
 違うのか。ほっとしたけど、逆に不安になった。サボってるのでもリストラでもない?
「じゃあ何? 会社は?」
 兄貴は深く座席にもたれた。ずず、と大きな体が沈んで、兄貴の肩がオレの肩に近くなった。顔も近くなった。
「会社……会社なあ」ちょっと唇の端を上げた兄貴の顔は、口元に深いしわができていた。「会社、なくなっちったあ」
 よく晴れていた。日差しも明るかった。電車の暖房も効いていた。何だか頭がぼうっとした。そんな中で兄貴はちょっとずつ話した。取引してた企業が倒産して、ドミノ倒しみたいに兄貴の会社もつぶれたこと。従業員が全員クビになったこと。それを家族に言いだせなくて、毎日朝早く家を出て、夜中に帰る生活をずっと続けていたこと――。
「完全な経営破綻じゃないんだよ。だからまだチャンスはあるかもしれなくて。更生手続きがうまくいって、会社がまた持ち直して、そしたらまた雇ってくれるかもしれないんだよな。まあ、無理だろうけど」
 よくわかんねえけど、そんな大変なことになってたのか。そういえば、いつか家族がどっかの会社の倒産について話してたような。「あんたんとこは大丈夫?」って、お母さんが兄貴に聞いてたような。もしかしてあれか? オレ新聞もニュースも見ないからわかんねえけど。
「しょうがねえんだよな」兄貴がうつむいてつぶやく。「しょうがねえんだよ。こういうこともあるんだよ」
 自分に語りかけるような――そんな言い方だった。
「でもさあ」と、兄貴は顔を上げて、天井の吊り広告をぼんやり眺めた。
「俺、けっこう頑張ってきたと思うんだけどなぁ」
 大きな駅に着いて、たくさんの人が流れ込んできた。オレは席を空けるために、ちょっと兄貴のほうにケツを寄せる。兄貴の体はびっくりするほど細くて、思ったほど距離は縮まらない。それが何だかむなしくて、悲しい。
 知ってる。兄貴が夜遅くまで、毎日まいにち休みも取らずに、会社のために働いていたこと。何十社も面接受けてやっと就職したこと。お金ないから塾には行けねえけど、ちゃんと国公立行くから、って言って、高校のときも机にかじりついて、ずっとマジメに勉強してきたこと……積み上げて、積み上げて、積み上げて――
 これが、頑張った人間の最後なのかよ。
 頑張って頑張って頑張って頑張ってこんな結果になるんなら、努力って何のためにするんだよ。そうだゲームはやっぱり正直だ。
 現実は、嘘つきだ。

   *

 教室のドアの開く音で目が覚める。ぽーっとしたまま顔を上げて、前を見る。ああ、また遅刻してきやがった。
「おい遅刻だぞ」
 のそのそ教壇の前を横切る福原に、先生はそう声をかけた。福原は何も言わずに窓際の自分の席に着く。先生はちょっと肩をすくめただけで、「悠々としてんなぁ、悠一郎だけに」と言った。教室に微妙な笑いが起こって、そのまま何事もなかったみたいに授業は進む。黒板には意味不明の英語。もはや呪文か何かに見える。
 今日はゲーセンのことでゴリラに呼び出された。
「お兄さんと一緒だったっていうけど、どっちにしろ無断欠席だろ? 遊びたいのはわかるけどさあ、西田、お前もう三年生だろ? 大事な時期だろ?」
 怒ったような、あきれたような、悲しむような目でオレを見ながら、ゴリラはぐちぐち説教をした。そのせいで一限目の国語に遅れたら、それでまた先生に怒られた。「いい加減にしてよ」って、汚いものでも見るような目で言われた。言い訳すんのもめんどくさかった。
「リピートアフタミー、……」
 みんなが呪文を唱えるのを聞きつつ、福原の背中をじっと見る。また机の上に何も出さないで、ぼけっと座ってる。
 福原が遅刻してきても、先生は怒らない。てかギャグまで飛ばして笑ってる。あいつにはその権利がある。だってあいつは成績いいから。テストではちゃんと結果出すから。ちゃんといい高校にも受かるだろうから。あいつには遅刻する権利がある。オレにはない。
 だから、ムカつくんだ。
 しょっちゅう遅刻するし、授業もマジメに受けないし、先生にも質問しないし――やってることはオレと同じなのに。壁に貼られる順位表には、二メートルくらいの差がいつもつく。頑張らなくても結果を残せるやつは、いいよなぁ。
 才能のあるやつは努力しなくていいってか。不公平じゃねえか。
「リピートアフタミー、……」
 あーゲームしてえ。早く帰りてえ。頭の中で戦況をイメージして指を動かす。練習しないとすぐなまっちゃうんだよなぁ。
 格ゲーは公平だ。練習した分うまくなる。順位が上がる。戦略と努力しだいで誰でも勝てる。パワーバランスもきっちり考えられてて、キャラ間の差がつきすぎたときは運営側が補正まで入れてくれる。
 なのに、現実の世界はチートだらけだもんな。
「みんなここ注目ー! この名詞のあとに過去分詞が付く形、前にやったよね? このシュウショクの形を何といいますか?」
 先生が黒板にぐるぐる赤い丸をつける。
 シュウショクの形? クラス委員の佐藤が「ハイ、コウチシュウショクです」ってはきはき答えるのを聞きながら――何、就職の形って? とオレは思う。「就職先どうするの?」「どうせならいいところに就職してほしいな」「就職おめでとう」兄貴の就職活動が終わるまで、何回も何回も聞いた言葉だからよく覚えてる。
 朝、ぐちぐちオレを説教したあと、ゴリラは最後にこう付け加えた。
「あと、何だ、これも警察の人が言ってたんだが……西田のお兄さんの会社、ちょっとやばいのか?」
 思いだした瞬間、どうしようもない怒りが頭ん中突っ走って、オレは机にゲンコツを振り下ろした。ばこんっ、と大きな音が響く。教室のみんなが一斉にこっちを向く。
「おい西田、うるさいだろ」
 先生が尖った声でオレに言った。
「いやぁ虫がいたの、虫が」
 ウケなかった。何人かは小さく笑ってくれたけど。先生が無視して授業を続けると、みんなすぐ黒板に目を戻した。その間、福原は一度も、オレのほうを振り返らなかった。

 最近、クラスの中が二種類に分かれてきた。休み時間でも勉強してるやつと、遊んでるやつ。いままではどうだったっけ? みんな遊んでたような気もするけど、それも何か違うような気もする。たぶん境目がはっきりしただけだ。いままではちゃんと勉強してるやつもいなかったし、本気で遊んでるやつもいなかった。
 都築李緒が、黒板の前で友達とげらげら笑ってる。何なの? 「自分は余裕です」ってアピールしたいわけ。うっざ。顔がいいからって調子に乗りやがって。誰もお前なんか見てねえっつーの。自意識過剰。何でそんな頑張ってんのかね。
「女子って意味わかんねーよなぁ」隣にいた彰人に声をかける。「だってそうじゃん? 受験近づいてんのにヘラヘラ笑ってたりさあ。友達が襲われたのに心配しないしさあ」
 彰人はぶすっとしたまま、何も言わない。
 こいつ、こう見えてマジメだもんなー。てか杉山のこと好きだったもんなー。オレは何か意地悪な気分になって、もっと彰人を苦しめたくなった。
「てか杉山大丈夫かなぁ、あれから学校来てねえけど。人狼さんに何かされちゃったのかなぁ? バージン奪われちゃったのかなぁ」
 オレの足もとで、バチン、と何かが飛び散った。チョークの破片――反撃は意外なところから来た。
「っざけんじゃねえぞ西田!」
 黒板の前で、顔を真っ赤にした都築が叫んだ。
「はあー?」正直ビビった。でも負けたくなくて、オレはすぐ言い返す。「何でお前キレてんの? お前杉山のことハミろうとしてなかったっけぇ? いなくなって清々してんじゃね」
 今度は黒板消しが飛んできた。よけきれずに肩に当たって、制服が粉まみれになる。それでぷっつん――気づくと都築につかみかかっていた。慌てたような都築の顔。そのまま黒板に押しつける。派手な音がした。ぱらぱら落ちてくる粉とほこり。飛び出しそうなくらい大きくなった目が、引きつった口元が、すぐ目の前にあった。相手キャラをねじふせたような快感。勝者の優越感。思わず笑った。ざまあみろ――でも足りない。まだ足りない。全然気がすまない。頭の中の血管が膨れあがって、のたうち回って、必死に出口を探してる。全部ぶつけたい。もっとこの女にダメージを。もっと残酷な手で。ずたずたに引き裂いて――
 大声で、教室のみんなに聞こえるように、言ってやった。
「お前がやったんじゃねーのかよぉ?」
 都築の顔から、すっと色が抜ける。ビンゴ。教室が静かなのか騒がしいのか、それすらわからなかった。もう笑いたくて仕方なかった。とにかく楽しくて仕方なかった。
「お前が人狼なんじゃねーのかよ? だから杉山を――」
 そこまでだった。逆に教壇に押しつけられて、そのまま――後ろに倒れ込む。ゆっくり回転する教室が、一瞬だけスローモーションに見えた。頭と背中を思いきり打ちつけた。でも何が起こってどこが痛いのかよくわからない。全身の感覚があいまいだ。蛍光灯のついた天井をただ眺めながら、どこからか聞こえてくる都築の声をぼんやり聞いた。
「てめえだろ、えみをやったの……てめえしかいねえだろ! 最低だろ、死ねよ、死ねよ……」
 うわーこいつ、泣いてるよ。
 死ねよ、死ねよと繰り返される言葉が、オレの体をナイフみたいにえぐった。

 保護者も呼ばれる騒ぎになった。
 ケンカの原因だった「人狼事件」の話にもなった。というかそれが本題だったらしい。みんなオレを疑っていた。都築も、都築の親も、先生たちも――たぶんオレの親も。「オレは違う」と何回も言った。ぬれぎぬだ。杉山をやったのはオレじゃない。絶対にオレじゃない。オレがやったのは福原へのいたずらだけだ。でもそれを言ってしまったら、たぶん余計に疑われる。何でこいつら、こんなにバカなんだ? 何でみんな、杉山を襲ったやつと「人狼」を同一人物だと思ってんだ? 何やってんだよ警察は――
「警察の調査によると」
 その言葉に、校長室にいた全員が話をやめた。
「ああ失礼、三年の学年主任の堂本です。今回の件で警察の対応を任されています」といまさらな自己紹介をして、ゴリラは続けた。
「例の――杉山さんの写真が撮られたのは、四日の午後五時過ぎ。で、それがネット上に公開されたのが午後五時半頃、駅前のネットカフェからだそうです。それでね、西田くんなんですが」
 ゴリラが手帳から顔を上げて、オレのほうを見た。みんなの視線がオレに集まる。真っ赤になった都築の目が、母親の陰からこっちを見ているのもわかった。
「その日、補習で私と一緒に居残ってたんですよ。何時頃までだったか正確には覚えてないんですが、たぶん時間的に、この子があれをやるのは無理なんですよ。いや、まあ参考程度にお聞きいただければと。正確な記録も何もないので、警察にも証拠にならんと言われまして。ただ、この子と杉山さんには普段からほとんど関わりもなかったですし、動機の面でも……」
「動機なんて」と、都築の母親がヒステリックな声をあげた。「関係ないでしょう? どうせ遊び半分でしょう。成績順にいたずらしていくなんて……いえ、もうこれはいたずらの域を超えてますよね? 狂ってるんですよ……まともな考え方じゃないですよ、ねえ?」
「都築さん、まあ落ち着いて」校長がなだめにかかる。それでも都築の母親の目は――そして都築李緒の目も――ずっとこう言っていた。お前は狂っている。汚らしい。汚らしい。汚らしい……
 その日から、クラス全員がオレの敵になった。誰も近づいてこなくなったし、誰もオレのギャグに笑わなくなった。完全に「犯人」扱い。それと「キレやすいやつ」の称号がおまけでついてきた。
 校長室での話し合いが終わったあと、お母さんはゴリラに礼を言った。ほとんど唯一の、オレにとって有利な証言をしてくれたから。オレも一緒に頭を下げさせられる。もう日付が変わっていて、学校の外は真っ暗、空気は刃物みたいに冷たかった。
「いえ、力及ばずすみません」ゴリラはめずらしくしょんぼりしていた。それからオレをあきらめ顔で見下ろして、こうつぶやいたのを、いまでもよく覚えてる。
「信じてやりたいんだがなあ。もう俺にはどうにもならんよ。せめてもうちょっとマジメでいてくれたら、なんて、いまさら言っても遅いんだが……」

   *

 人狼っていうよりオオカミ少年だな。
 部屋でパソコンに向かいながら、そんなことを思う。あ、でもオオカミ少年はオオカミじゃないんだっけ。いや最後はオオカミになるんだっけ。まあ何でもいいや。
 あれから学校には行ってない。どうせオレはもう容疑者だから。どうせ誰も味方してくれねーから。大事な時期だぞって親や先生は言うけど、そもそも何で勉強ってしなくちゃいけないの。シャカイで使わねーだろ。何であんな謎のことに頑張らないといけないの。バカじゃね。
 画面にはC組の「教室」が映っていて、みんな楽しそうにうろうろしてる。現実の教室と同じで、やっぱ別のクラスは何か雰囲気が違う。入ったときに何となくこそばゆいっつーか。部外者だから? ま、いまのオレはどこでも部外者だけど。
 黒いアバターを操作して、中間テスト学年三位の花田に近づく。話したことはないけど、たしかメガネをかけたネクラな感じの男子だ。アバターは黒板の前でぼんやり立っていた。福原とおんなじタイプだな。こいつもどうせ天才君だ。でもまさかこんなに日が経ってから襲いに来るとは思わなかっただろうなぁ。花田は気づいたらしくて、教室の中を逃げ回り始める。ふふふいまさら逃げたって遅い遅い。油断は禁物だぜ?
 けどナイフを突き刺す前に、花田のアバターは「教室」を出てしまった――ログアウトだ。けっ、つまんねーの。仕方なく黒板の「欠席者」写真を攻撃する。黒いアバターが触ったところが赤く変色して、血で塗られたみたいになった。よし。第三の犠牲者、と。「教室」のやつらが遠巻きに眺めている。そのぽっかりあいた空間に、人狼はひとりぼっちで立っている。黙ってると泣いてしまいそうな気がして、はは、と声に出して笑ってみた。

「人 狼 キタ━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!」
「今度はもっとひどいことになりそうだな。成績いいやつマジ災難ww」
「天才は苦労する運命」
「昔おれの担任が『成績の順番は努力の順番だ』とか言ってたんだけどさ、成績上位のやつに限って勉強してないという」
「あるあるwwwwwwwwww」
「結局、成績の順番=才能の順番だろ?」
 ああ。
「努力とかで多少変わるだろ」
「努力できるのも才能」
「才能のあるやつは努力を努力と思わないからな。才能のあるやつがする努力と、凡人の努力ってものすごい差があるような気がする」
 ああ。
「努力して頑張ったら明るい未来が待ってるって言葉に踊らされて、勉強に打ち込んでる子どもの姿想像したらマジ涙出てくるわ。この事件で学力競争、ちょっとでも緩和されないかな…」
「最近の教育はがんばることを強要しすぎ」
「がんばるって言葉自体きもちわるい」
 ああ。
「そもそも勉強って何の意味があんの? 古典文法とか因数分解とか。ほかのことに時間使ったほうが絶対有意義だよな」
 ああ――キメぇ。
 ネット掲示板の画面をスクロールするたびに、吐き気がするほどいらいらした。「人狼」に味方するような、偉そうな、誇らしげな発言を見るたびに、顔がどんどん熱くなった。画面の向こうで、学校サボって、ドヤ顔でパソコンに向かって文句ぶちまけてるやつらの姿が、もうはっきりすぎるほどはっきり想像できた。
 どこにでもいるじゃん。
 オレみたいなやつ。

   *

 頑張らないと決めたのは、いつからだろう。いくら何でもオレだって、小学校一年や二年の頃からサボってたわけじゃないだろうし。頑張って宿題やって、先生に花マルとか動物のスタンプもらって、バカみたいに喜んでた時代だって、たぶんあったはずなのに。
「そろそろ代わってくんね?」後ろから声をかけられる。振り返ったら、タバコ臭い息がまともに顔にかかった。眉毛の薄い、白っぽい肌の顔が三つ、オレの目線より高いところにずらっと並んでる。そろいもそろってガムをくちゃくちゃ噛んで。いつかのにーちゃんたちだった。
 くそ。悔しいけどゲーム台をゆずる。ちらっと向かいの台を見たら、また例の臭そうなおっさんがプレイしてた。何だよ。あっちに代わってもらえばいいじゃん。そんな文句を心の中だけでつぶやく。
「わりいなー」
 にーちゃんたちが群がって「タワーファイター2」を始める。オレは離れたとこでぶつぶつ言いながら、気分転換でスロットに挑戦してみる。7をそろえたいのに、そろうのはサクランボばっかで、どうもうまくいかない。みるみるコインが減ってすっからかんになった。あーつまんね。あいつら早く帰んねえかなぁ。
 見るといつの間にか臭そうなおじさんがいなくなって、にーちゃんたちは対戦プレイをしていた。三人でウハウハ盛り上がっている。一戦終わったとこらしくて、モヒカンのやつが「うわっ負けたー」と大げさに頭を抱えた。はいはい勝手に楽しんどけよ。
 観戦してた革ジャンのデブと目が合う。
「何見てんだよ」
 やべえと思ったけど、すぐに残りの二人にも気づかれる。
「あ、さっきのやつか」
「何? やりたくて待ってんの?」
 逃げようとした。けど――「やる?」リーダー格らしい金髪ののっぽが、そう言ってゲーム台から離れた。こっちに近づいてきて、オレの背中をぽんと押す。
「お前いっつもここにいるもんな。中学生? どこ中? あーマジ? 俺ら東中なんだけど。そうそう。近いじゃんね」
 何か自然な雰囲気で台の前に立たされる。もしかして金巻き上げられんのかなーとか思ったけど、にーちゃんたちは普通に遊びたそうで、そんな気はないみたいだった。
「ちょっと腕前見せてくんね。たまには一緒に遊ぶのもいいっしょ」金髪はズボンのチェーンをじゃらじゃらいわせながら、デブを見て「テル、対戦してやれよ。そうだトーナメントやろうぜ」と言った。「さっきのが一回戦ね」
「ちょっ、それないわ」モヒカンが悲痛な声を上げる。みんなが笑う。オレもへらへら笑う。自分でも不思議だ。ああ、オレこの人たちと仲良くなるのかな。それでヤンキーの仲間入りすんのかな。そーやってオレの人生終わんのかな。いやもう終わってるよな、いつ警察に捕まるかわかんねえんだし。うん、もぉどーでもいいか。
 デブとの対戦が始まる。画面の上側からでかい岩が落ちてきて、どんどんタワーが積み上がっていく。相手キャラが振り落とされて落ちる。でもすぐに復活する。また落ちる。ヘタクソだなー。マジメにやってんのかよ。ゲーム台に阻まれてデブの顔は見えないけど、聞こえてくる会話から察するに、あのぶよぶよの顔ゆがませて必死にやってるらしい。
「おおっ押されてんじゃね?」
「テル、そこで一発! ああー残念っ」
「うるせっ黙って見とけよ!」
 デブ愛用のカンフー系女性キャラは、落ちてもダメージを削られるだけですぐ復活する。服だけはHPが減るごとにぼろぼろになっていくけど、別に攻撃力とかが下がるわけでもなく、おんなじ顔して、おんなじ強さで、おんなじフィールドに舞い戻ってくる。そして戦いつづける。
 でも現実は這い上がれねえもんな――とふと思った。兄貴の横顔が浮かんだ。口元の深いしわ。下がった肩。いつかの電車での出来事が、頭の奥のほうで、光みたいにぱっと光ってすぐ消えた。現実世界には、吊り上げてくれるやつなんかいないんだよな。
 対戦が終わる。結果はオレの圧勝。
「おいHP九十三パーセントも残してんじゃん。神かよ」
「あのコンボ実際に出すやつ初めて見たわ。もしかしてランキング上位だったりすんの?」
 ほめられてうれしくなる。カッコ悪いってわかってんのに、顔がにやけるのを止められない。ほめられたのなんてひさしぶりだ。いつ以来だろ? 小学校?
 そこで気づく――頑張ることをやめてしまったのが、いつだったのか。
 騒ぐ三人をぼんやり見上げる。オレにだって頑張ってた頃があるんだから、この人たちにだって、いつかは頑張ってた時代があったんじゃないか。でもどっかでつまずいて、落っこちて、いまここでこうやって遊んでるんじゃないのか。オレだって、どうせ頑張ったって、いつかはどっかで落っこちて、年取って、朝からゲーセンにいても補導されなくなって、誰からも気に掛けられないまま、死んでいくんじゃないか。
 それでもいいか、と思う。オレが悪いんじゃない。
 宿題を出してもほめられなくなったときから――オレは頑張るのをやめたんだ。
 ――ああ、また。
 心のどこかで声がする。
 ――また積み上げた。
『結局、成績の順番=才能の順番だろ?』
『努力できるのも才能』
『がんばるって言葉自体きもちわるい』
『そもそも勉強って何の意味があんの?』
『勉強? それシャカイで使うのぉ?』
 違う。違うんだよ。オレだって。
 届くもんなら、上がれるもんなら、そりゃ頑張りたいに決まってる。
 ――ほら、また。
 ずしん、と体の底に何かが落ちる。その重みで胃がきりきり痛む。口の中が気持ち悪い。吐きそうだ。
 積み上げて、積み上げて――それで高いところに行けると思った。でも結局登ってみたら、おんなじ目線に似たようなやつらがうじゃうじゃいた。恥ずかしかった。やっとわかった。マジメな人間を、本気で見くだしてたわけじゃない。本当はうらやましくて、でもそれを認めたくなくて――積み上げて、積み上げて、積み上げて――言い訳のタワーを作って見おろしてただけ。
 ばちこーん、と背中を叩かれる。
「何ぼけっとしてんだよ。お前の話してんだぞ?」
「え? あ?」完全に頭がどっか行ってて、すぐには会話に戻れない。「なんすか?」
「もういいよ。あ、俺らマック行くわ」
 金髪がそう言って、三人はぞろぞろ去っていく。
「あ、オレも――」と言いかけたら、みんな一斉に振り向いてこわい顔をした。え? 何?
「さっきのマジすごかったわ」デブが鼻をぽりぽりかく。「お前一日何時間ぐらいゲームしてんの?」
 ゲーム? そうだなとりあえず朝起きて一時間、朝ごはんのあと一時間、学校でこつこつやって二時間、帰ってから晩ごはんまでで四時間、寝る前に四時間、ぐらいか? あれ足して何時間だ?
 うはははっ、とにーちゃんたちは笑った。
「お前さあ、その努力ほかのところに向けろよ」モヒカンが笑いながら、でもちょっとあきれたように言った。「まだ若いんだからさあ」
「そうそう。ってか、全然俺らが言えることじゃねーんだけど!」
「マジそれな」
 デブとモヒカンが二人で盛り上がってるのを無視して、金髪は店の外に出ていってしまう。二人は慌てて「じゃーな」「帰って勉強しろ」とか言いながら走りだす。ゲーム台の前に残されたオレは、整理できない頭で画面を眺める。さっきの試合のデータが表示されていた。コンボ成功回数、コンボ成功ボーナス、残り時間ボーナス、獲得経験値、累積経験値、現在のレベル――
 ――その努力ほかのところに向けろよ。
 そっか。
 積み上げたものは、言い訳だけじゃなかったらしい。

 帰りにスタバをのぞいたら、もういつもの場所に兄貴はいなかった。ガラスの向こうの空っぽの席が、どこか寂しそうに、次の誰かが座ってくれるのを待っている。会社のこととか難しいことはよくわかんねえけど、もう兄貴はあそこにはいない。何かをクリアして、次のステージに進んだ――たぶん、そういうことだ。たぶん、だけど。それか、オレがそう思いたいだけなのかもしれないけど。
 平日のまっ昼間の駅前で、ケータイを出してメールを打つ。

  オレが休んでた分のノート、貸してくんね?

 夕方になってやっと彰人から「いいよ」と返事が来た。最近は疎遠になってたから、そう言ってくれたのはありがたかった。チャリで彰人の家を目指す。もうとっくに日は沈んでいて、真っ暗でもなく明るくもない微妙な暗さ。景色が全部うすい紫色に見えて、歩き慣れた国道でも何だか別世界に感じる。目に痛い車のライトが次々オレの横を通り過ぎて、そのたびに目の前がちかちかした。
「お兄ちゃんいまどっか行ってるんだけど、でも、これ渡しといてくれって」
 玄関から出てきた和奏ちゃんが、ノートを三冊ほど渡してくれた。何だよいねえのかよ。でもちゃんと貸してくれたことに感謝する。持つべきものは友達だよなぁ。あざっす、と頭を下げると、和奏ちゃんは「勉強頑張ってー」と尖った犬歯を見せて笑った。
 停めておいたチャリのかごにノートを放り込んで、よし帰るか、と漕ぎだそうとした――そのとき違和感を感じた。あれ? と思って降りて確認。
 マジか。
 後輪がパンクしていた。さっきまではどうもなかったのに。
 いたずらか? うぜえー。いらいらしながらチャリを押して歩きだす。歩いたら何分かかるんだよ? けっこう距離あるぞ。ツイてねえなぁ、もう。
 目の前に誰かが現れた。いやずっとそこにいたのかもしれないけど、オレは自転車のタイヤ見てたし、それに薄暗かったし、かなり近づくまで全然気づかなかった。そいつは向かい側からまっすぐオレのほうに歩いてくる。こっちはチャリ押してんだから道空けろよ、とか思ったけど、向こうは方向転換する気ゼロらしい。舌打ちしながらハンドルを左に傾ける。
 だけど――そいつはオレのほうに向かってきた。はあ? と思ってにらみつけてやる。そこでやっと気づいた。
 顔がない。
 いや、覆面で顔を隠していた。街灯の明かりで、そいつが手に持った何かがきらりと光った。
 自転車を放り投げるようにして後ずさりする。でも足がからまって尻もちをつく。暗い道に、オレのチャリが倒れる音が派手に響いた。とっさにあたりに目を走らせる。誰か気づいてくれ。誰か来てくれ。誰でもいいから――でも通行人はいない。塀の向こうの家には電気がついてるけど、こっちに気づいてる様子はない。
 そいつはゆっくりチャリをまたいで、オレに近づいてくる。
「う、ああ」叫びたいのに、声が出せない。
 黒いのっぺらぼうが、オレを見おろして。
 にっと笑った。
 こいつだ。瞬間、あの杉山えみの写真がフラッシュバックする。薄暗い場所で縛られて、髪を刈り取られた杉山の――。
 こいつだ、こいつがやったんだ! こいつが本物の人狼だ。
「や、あ」
 やめろ、来るなと言いたいのに、それができない。ゲームの世界ではあんだけ無双しておきながら、現実のオレは――。立ち上がることもできない。尻もちをついたまま、必死でそいつから離れようと手足を動かす。手のひらに当たるアスファルトの感触だけが生々しい。あとはふわふわ宙に浮いてるみたいだ。
 何でだよ。
 オレ、成績もよくないのに。
 あんないたずらしたからか? それでお前、オレを襲うわけ? 何で? お前誰? オレが作ったあのアバター? 画面から出てきたの? 違うよな? 人間だよな? お前、誰? オレ?
 もうわけがわからなかった。赤むらさきの空の色と、オレンジの街灯と、家の窓の光と、黒いそいつの顔と、そういうのが全部ごちゃまぜになってオレの目の前でぐるぐる回った。ああ、そっか。
 オレは本当に、オオカミ少年だ。




第三章  都築 李緒(つづき りお)

 一人で歩くには工夫がいる。ひとりぼっちに見えないように。背すじを伸ばして。堂々と。友達がいなくて一人でいるんじゃない。何か理由があって一人でいるんだ。そう見えるように。
 坂道を早足で下りる。遠くの高架を電車が横切るのが、白っぽい空気の向こうに見えた。朝日が建物に反射して、きれいなオレンジ色に光って、見る角度が変わるとふっと消える。自然と耳をすませている。子どもの無邪気な声、お店のシャッターを上げる音、洗濯物を干す音、ランニングする人の呼吸と足音。聞こえるたびに目を走らせる。誰かを見かけるたびに、知ってる人じゃないかってびくびくする。
 細い道が交差した、小さな横断歩道のとこで立ち止まる。ここまで来ればもう安心。ここにいれば李緒は「一人」じゃなくて、「誰かを待っている人」だから。ひん曲がったカーブミラーのそばに立って、細い道の先をじっと見つめる。どんどん体が冷えていく。たくさんの人に追い越される。誰とも目を合わせないようにして、「誰かを待っている人」のまま立ちつづける。待ちくたびれてるようには見えないように。いま来たばっかのスタイルで。細い道に人影が見えるたびにあっと思って、それからすぐにがっかりして――そんなことを何回か続けてるうちに、目的の子はやってきた。
「おはよー」と笑って声をかけると、はる加も自然な感じでおはようを返してくれる。
「ごめん、待ったかな?」
「ううん大丈夫。でも今日寒いよねーっ」
 にこにこ顔のままそう言った。はる加の顔がほんのちょっとこわばって、それからすぐ笑顔に戻る。この子はカンが鋭いから、きっと明日からはもっと早く来てくれるだろう。
 二人で並んで通学路を歩きだす。さっきまでのびくびくが消えて、肩の力が一気に抜ける。マフラーの中でほっと息を吐く。これで「一人」じゃない。
 二人で歩くにも工夫がいる。はる加とは最近仲良くなったばっかで、まだそのカンジがつかめない。歩く速さとか、歩き方のクセとか、しゃべりだすタイミングとか。ぴったり横に並んで仲良く歩くためには、まだまだ気をつかわないといけない。
 どうでもいいことを話しながら、無意識にはる加のことを観察している。背はふつうくらい、色が白くて、肌がきれいで、ポニーテールにした髪もまっすぐで整ってる。ルックスは悪くない。メガネ取ったら、けっこういい線いくと思うんだけどな。
 佐藤はる加。クラス委員のマジメキャラ。李緒とは正反対の子。だから、いままではまともにしゃべったこともなかった――きっかけは西田だ。二人とも西田を嫌ってた。敵の敵は味方。とりあえずそんな感じで、自然な成り行きで、李緒とはる加は友達になった。
 そういう設定。
 でも本当は、それだけの理由じゃない。
 校舎の前まで来た。向かいからも生徒がたくさん歩いてくる。
 千絵とひよりも歩いてくる。
 李緒の友達――。
「あ、じゃあわたしここで」
 はる加が唐突にそんなことを言って、さっと離れていこうとする。
 とっさに袖をつかむ。
 二人が近づいてきて――そのまま李緒たちの横を通り過ぎて、校舎に入っていった。
 それを目の端で確認して、ゆっくりとはる加の腕から手を離す。
 李緒の友達――正確には、李緒の友達、「だった」。
 余計なことしないでよ。
「いいじゃん、教室まで一緒に行こうよっ」
 精一杯明るい声を出して、はる加の背中を押して歩きだす。
「そうだね」と、はる加もうれしそうに笑った。

 教室までの廊下でも、楽しそうに会話することが必要だ。だって黙って歩いてると、本当は仲良くないんだってわかっちゃうから。友達二人じゃなくて、ひとりぼっちがくっついてるだけなんだってバレちゃうから。
「知ってる? あの新曲のタイトル、発音しにくくてヤバいんだけどー」
「そうなんだ。何ていうの?」
「えっと、アイー何とか? だっから発音しにくいんだってー」
「あ、そっかー」
 二人で笑う。話が終わる。A組の教室は廊下の端だ。そこにたどりつくまでには、C組とB組の教室の前を通って行かないといけない。「ねーねっ、最近何か面白いことあった? 最近のおすすめとかっ」
「そうだなあ、最近かあ。あ、都築さんは本とか読むのかな」
「んーたまに! えっと『心霊探偵』とか昔読んで、あれすっごいおもしろかった!」
 はる加の反応は微妙だ。
 しょうがないじゃん、本の話なんかできないよ。全然読んでないもん。はる加もそれを察知してくれたみたいで、自然と話題が変わる。意外とお弁当の話が楽しかった。「えーマジ?」とか言いながら教室に入る。
 すっと空気が変わるのが、李緒にもわかった。
 はる加と別れて自分の席に着く。誰も近づいてこない。
 おととい、西田が襲われた。髪を半分だけ中途半端に刈り取られた写真が、またサイトの伝言板にアップされていた。自作自演じゃないことはすぐわかった。顔はゆがんで、縛られた腕が痛々しく曲がって――えみのときと同じ。「人狼」のしわざだ。
 だから、西田は「人狼」じゃなかった。
 いったん落ち着いてた犯人探しが、また始まった。クラスの連中はひそひそひそひそ、その話ばっかり。一番怪しいやつが容疑者からはずれた。じゃあ次に怪しいのは――?
 杉山えみに恨みがあって、西田慶にも恨みがあるのは――?
 みんな、李緒を見ている。
 机の下で、ぎゅ、と拳を握りしめる。
 千絵とひよりは教室にはいない。どっかで李緒の悪口でも言って笑ってるんだろう。李緒とえみが最近ぎくしゃくしてたこと、あいつらが一番よく知ってるから。
 一人でいるとやることがない。水筒のお茶飲んで、お菓子つまんで、鏡でまつ毛のチェックして、それでも時間が余った。授業の準備でもしようかな、と思ってカバンに手を伸ばして――気づく。これ、はる加と一緒じゃん。
 マジメっ子マジメっ子って、いままでは心の中で笑ってたけど、いまならはる加の気持ちがよくわかる。この瞬間も教室の後ろのほうの席で、はる加はきっちり一限目の準備を終えて待機してるんだろう。授業の準備をしようとする李緒を、どんな目で見てるんだろう。
 始業のチャイムが鳴ってすぐに先生が入ってくる。いつもなら「早いーうぜえー」と声を上げるとこだけど、李緒は黙ったまま、ひそかに感謝する。みんなもふざける気分じゃないみたい。教室はお葬式みたいに静かになった。事件がだんだん大きくなってきて、先生たちの雰囲気もぴりぴりしてる。こんな状況でふざけて、目立って――犯人扱いされたら困るもんね。
 李緒みたいに。
 ――わたしは都築さんのこと信じてるよ。
 昨日、そう言ってくれたのははる加だった。何で? と意地悪く返したら、はる加はちょっと眉を下げて「だって西田くんのこと、本気で怒ってたから」と答えた。西田がえみのことで、最低なことを言ったときの話だ。
「だから、都築さんが杉山さんにあんなことするはずないと思う」
 そうだよ。そうなんだけど。
 えみのために怒ったのは本当。西田のことが本気でむかついたのも本当だし、えみのために泣いたのも本当。だけど、どうしてそんなことをしたのか、自分でもよくわからない。苦いような、後ろめたいような気持ちで胸がいっぱいになる。だって――別のところでは、西田の言った通り、えみに対してひどいことをしてたのも本当だから。
 罪悪感。
 たぶんそれだ。いまさら後悔してる。えみとちゃんと仲良くできてれば、こんなことにはならなかったんじゃないか、なんて。あの日えみをひとりぼっちにしなかったら、えみが「人狼」に襲われることもなかったんじゃないか、なんて――。
 えみがいなくなって、千絵とひよりにも裏切られて、李緒はひとりぼっちだよ。
 早く戻ってきてよ、えみ。
 机の上で顔を伏せて、こぼれてきそうな涙を隠す。先生の話が耳に入って、そのまま頭をすり抜けていく。
 ――わたしは都築さんのこと信じてるよ。
 はる加がいてくれてよかった。何とか命綱をつかんだ。そんな気がする。
 こんなときでも「人狼」は、まともな人間のフリして、にやにやしながら李緒のこと見てんのかな。

   *

 いつからかは思いだせない。
「は?」と小さくつぶやいて、できるだけのろのろと立ち上がって、やる気のなさそうな声で、ぼそぼそ教科書を読む。
 ただ、気づいたら嫌いになっていた。
「都築さん、もうちょっと大きな声で」
 新川が生優しい言い方で注意してくる。ほんのちょっとだけ、ほんのちょびっとだけボリュームを上げたら、「ありがとう」とやけに丁寧にお礼を言われる。
 そのこびへつらうような態度が気に入らないんだ。
 一度嫌いになると、どんどん嫌いになっていった。お嬢様みたいなしゃべり方も、ちょろちょろした歩き方も、甲高い声も、化粧の濃い顔も。とにかく、あいつの全てが、ムカつくようになった。
 だらだら読みつづけていたら「そこまででいいよ」と止められる。舌打ちをして椅子に座る。ぎこちない雰囲気のまま授業が進む。新川の話なんか完全に無視して、立てた教科書でムカつく顔をシャットダウンして、机の上に寝そべって、その下で携帯をいじる。
 向こうだってわかってるんだろう、李緒に嫌われてることは。だったらもう授業で当てんな。ていうか授業に来んな。李緒の視界に入んな。お前なんか見たくもないんだよ。もう教師辞めたら? 向いてないと思うし。みんなお前のこと嫌ってるよ。
 こうやって誰かを拒んで、下に見ていると、ふしぎと心の中が落ち着いた。ちょっとだけ自分が強くなったような気もした。

「ごめん、今日は一緒に帰れないんだ」
 はる加が申し訳なさそうな顔をして言った。必死に何でもないような感じを取り繕って「えー何で?」と聞く。
「委員の仕事で……集まりがあって」
 なるべくぶすっとしないように、がっかりしたことを悟られないように、嫌味な感じにならないように。「へー。クラス委員ってそんな忙しいんだ。放課後の仕事もあるんだねー」
「クラス委員の仕事っていうか、そういうのでもないんだけど」
 はる加の言い方は歯切れが悪い。「何かあんの?」と聞いてみる。
「えっと、環境委員の仕事があって。その、わたしたちのクラス、環境委員の人がいま休んでるから、それで……」
 環境委員って誰だっけ? って思ったけど思いだせない。まあ自分の係すら覚えてないのに、人のことまで覚えてるわけないか。
「誰その休んでるやつ? てか、えっ、それではる加が代わりに、ってこと? 何で?」
「クラス委員だから」
 だから、って。小さく鼻で笑ってしまう。
 はる加はこういうところがある。クラス委員っていう肩書きにこだわりすぎてるっていうか、引っぱられてるっていうか、そういうところが。
 バカだ。
「そこまでしなくてもよくない? クラス委員ってさあ、忙しいんじゃないの? よくわかんないけど。ほかの暇そうな人に頼んだらよくない?」
「でもみんな受験で忙しいし、余計な仕事増やしたら悪いから」
 はる加はそう言って、きれいな歯を見せて笑った。
 このはなしはここでおしまい。そんな笑顔だった。
 受験。でもはる加は? ああそっか、推薦で合格確実だから、別にいいんだ――
 あんまり言い返す気にもなれなくて、「そっか、じゃあ頑張って」とただ笑う。「あ、でも本当に忙しかったら言ってよ。よかったら李緒も手伝うし」
「ありがとう。でも大丈夫だよ、環境委員の仕事は代理でよくやってたから、もう慣れてるし」
 じゃあね、と手を振って別れる。カバンを肩に掛けたはる加の後ろ姿が、廊下を進んでだんだん小さくなる。角を曲がって見えなくなる。
 教室には居残りの人がいるだけで、あたりは静かだ。「人狼」のせいで、生徒は夕方四時までに帰らないといけなくなった。時計を見上げる。あと三十分か。まだ通学路には人が多いだろうな。どうやって時間つぶそうかな。
 ふと考える。
 ――よかったら李緒も手伝うし。
 もし、はる加に本当に「手伝って」って言われたら、李緒は手伝ったかな。
 それはちょっと、微妙だな。
 男子トイレのドアが開く。
 ほんの一瞬だけ目が合った。
 福原はカバンを乱暴に持ち上げると、ふんぞり返って廊下を歩いていく。
 ほんの一瞬だったけど、わかってしまった。目をそらす前、福原の視線が刺すように鋭くなったこと。
 理由なんか考えなくてもわかる。手の包帯はだいぶ小さくなったけど、それでもまだ完全には治ってないみたいで、指にくるくる巻かれたマカロニみたいな物体を見るたびに――まだあの日の、パン、っていう爆発音を思いだしてしまう。
 あいつも李緒を疑ってるんだ。
 変な噂が、嫌でも耳に入ってくる。「人狼」はえみに恨みのある人間で、本当の標的はえみなんだって。でも単純に襲うだけじゃ自分が疑われちゃうかもしれないから、ほかの人も襲ってカモフラージュしたんだって。『ナントカ殺人事件』っていう推理小説でも犯人が使った方法なんだって。はる加が教えてくれた。
 えみを狙うために、福原をカモフラージュで傷つけた――?
 だとしたら、「人狼」はすごく頭がいい。
 李緒は、そんなの思いつくほど、頭よくない。
 みんな間違ってる。
 福原、お前その頭、何のためについてんだよ。
 廊下の先をにらみつける。もう福原の姿は消えていた。被害者じゃなかったら、あいつが真っ先に疑われたはずだ。頭だけ良くてコミュ力ゼロだし、全然しゃべんないし、存在感もないし、何考えてるのかわかんない。一番怪しいくせに、あんな堂々としやがって。しかも李緒を、あんな目で見やがって――。

 ふわふわした考えをまとめられないまま、自然と足が職員室に向かう。ちょっと前までは、えみと一緒によく出入りしていた。職員室って何か入りにくい雰囲気あったけど、慣れちゃえば平気だし、先生との話も楽しいし、それに、ほかの生徒のあんまりしないことをしてるっていうことに、ちょっとだけ気分がよくなったりする。
 ノックもせずに引き戸を開けて中に入ると、さっそく社会科担当のエロじじいがキモい顔で声をかけてくる。スカート? 短くないっつうの。適当にあしらいつつ奥へ進む。教頭いなくてラッキー。あいつうるさいんだよなあ。一番奥の窓際の席にでっかい体を見つけて、てててっと走り寄る。
「せんせえー、今日寒いー」
「足出してるからだろうが」ゴリラがわざと怖い顔をする。「おいもうすぐ四時だぞ。早く帰りなさい」
 てへへ、と笑いながらゴリラの机を覗き込む。「何ー? お仕事ー?」
「これはダメ。大事な仕事だから」
 でっかい手が李緒の顔を払いにくる。ちょ、マジでぶつかりそうだったじゃんいまの。マジ凶器なんですけど。そのままどうでもいい話を続ける。
 ちょっと離れた席に、あの先生が座ってるのには気づいてた。ゴリラとしゃべりながら、ちらちら様子をうかがう。細い背中は微動だにしない。こっちを見ることもない。たぶんこっちの声は聞こえてるんだろうけど。何、気づかないふり? まあいいけどさ。
「あー写真変わってるー! かわいー!」
 ゴリラの机の写真立てを見つけて声を上げる。ゴリラの一人息子の写真だ。定期的に更新されてて、そのたびにどんどんでっかくなっている。
「いま何歳だっけ?」
「もうすぐ二歳だな」
「えーマジ? え、何かしゃべる?」
「いろいろしゃべるぞ。パパおーい、とか、ごはんたべる、とか」
 かわいいー! と楽しそうな声を出す。わざと、新川の耳に入るように。見せつけてやるんだ。李緒がほかの先生と楽しくしゃべってるところ。あいつのこと、とことん嫌ってやるんだ。それでつらい思いをさせてやるんだ。ざまあみろ。
 ぽつんと座る新川の背中。
 そっか。
 李緒はあいつをひとりぼっちにさせたいんだ。
 ひとりぼっちがどんなにつらいか、知ってるから。

李緒☆@riorio0830 10分前
今日も職員室でだべる♪ ゴリラの子どもの写真かわいー。でっかくな
ってた!

りぉ☆ぅら★@negatiburio 10分前
やぱ新川無理。できるだけ我慢しようとは思うけどー。でも生理的にダ
メだー笑 てか職員室行ったらいたし。どこにでもいるなあいつ笑

りぉ☆ぅら★@negatiburio 8分前
そういえばF原ににらまれた。理不尽

りぉ☆ぅら★@negatiburio 30秒前
何気に受験近づいてきてて焦る。李緒的にはめっちゃがんばったつもり
だけど、今度のテストもあんま良くなかったし。あーいろんなことで頭
いっぱい。しんどいー

 ツイッターではできるだけポジティブなことを書きたいと思うのに。ついつい裏アカウントに手が行っちゃう。裏でつぶやく頻度が、最近、どんどんどんどん増えてきた。
「都築さん?」
 名前を呼ばれて顔を上げる。すぐそばに誰かがいた。一瞬遅れて、はる加だとわかる。慌てて携帯を下ろした。
「あ、もう委員の仕事終わった感じ?」とっさにそう聞いて、はる加の格好を見てびっくりする。「えーっ泥だらけじゃん。何してたの」
「中庭の掃除だよ」
 はる加は何でもないように笑った。でも体操服は土でべとべとになってるし、まくり上げた腕は――たぶんいま洗ってきたばっかりなんだ――痛々しいくらい真っ赤だった。
「早く着替えてきたら? 風邪ひいちゃうよ」
 そうだね、とはる加はうなずく。
「でもここに都築さんがいるの見えたから」
 ああ。何となくあたりに目を泳がせる。
 学校の表玄関。突き出たひさしと、古くさい電話ボックス。いつの間にかここが李緒の放課後の定位置になっていた。堂々と一人でいられる場所。職員室に呼ばれてたから。迎えを待ってるから。いくらでも言い訳のできる場所。だから、こそこそ隠れてるよりずっといいと思った。隠れてるのを見つかってしまったら――もう、言い訳できないから。
「李緒、さっきまで先生と話しててさあ、職員室で。もうこんな時間になっちゃってて。――いっしょに帰る?」
 着替えてきたはる加はいつも通りのきれいなはる加で、髪形も制服も地味だけど非の打ちどころがなくて、メガネに飛んだ泥もきれいになくなっていた。環境委員の仕事はかなりキツイ仕事だったはずなのに、グチ一つこぼさない。普通の一日が終わったような顔で、何でもない話をしながら、はる加は李緒の隣を歩いてる。
 桜並木の遊歩道には誰もいない。話が途切れて、ふっと上を見上げたら、枝の間から灰色の空が見えた。寒そうだなあ、重そうだなあ、と思う。
 はる加が、あ、とつぶやいた。「ん?」とその視線をたどって――しまった、と思う。
 誰もいないと思って油断した。
 千絵とひよりだ。
 遊歩道の途中の小さな公園。コンビニも近くて中学生のたまり場になることもある。そこのアスレチック遊具に座って、二人はこっちを見ていた。こんな寒いのに、くっついて、携帯の画面を二人で覗き込んでたらしい。その楽しい雰囲気の跡だけ残して、妙によそよそしい目がこっちを見ていた。
 はる加と黙って歩いてるところ、見られちゃった。最悪。
 千絵とひよりはまた携帯に目を戻して、いかにも楽しそうに笑い合う。その甲高い声が、人のいない道に大きく響く。何それ。李緒を仲間はずれにして、そんなに面白いわけ。
「あのさあ――」
 そう言いながら、はる加が二人に近づいていく。
 何をしようとしているのか、李緒にもわかった。慌ててはる加の肩をつかむ。
「ちょっと、やめてよ……」
 はる加は振り返って、メガネの奥の目を驚きで少し大きくしたあと、不満そうに唇をゆがませた。
「だっておかしいよ、こういうの」
「いいから」
 乱暴にはる加を引っぱって歩きだす。後ろから、千絵とひよりのくすくす笑いが追いかけてくる。恥ずかしさで、顔が熱い。

りぉ☆ぅら★@negatiburio 10秒前
何であいつ、あんないい子ぶってんの? 文句もいわないし、いいとこ
ろしか見せないし、なんかロボットみたいで気味悪いんだけど

 正直、はる加と付き合ってると、疲れちゃう。友達って、ちょっと黒いところとか、自分の弱いところとか、そういうのも見せるもんじゃない? あの子には、それが全然、ないんだもん。
 ――わたしは都築さんのこと信じてるよ。
 そんな優等生みたいなこと言われたってさ、重いだけなんだけど。
 あの子は、世の中のやつが全員、真っ白な人間だって思ってんのかな。
 ――わたしは都築さんのこと信じてるよ。
 やめてよ。信頼されるような人間じゃないから。
 えみをハミろうとしたのも本当だし。自分が悪いってわかってるし。
 ――わたしは都築さんのこと信じてるよ。
 赤くなった腕。泥だらけで笑った顔。公園に向かっていく後ろ姿。
 何でそんなにいい子なの? 何でそんなに強いの?
 ――わたしは都築さんのこと信じてるよ。
 そんな白さ、見せないで。そんな強さ、見せないで。
 こっちが、つぶれちゃう。

すぎやまえみのぅらアカウントでーす@emi_uraaka 11月23日
みんなに心配かけまくりのえみですが、これからもどうぞよろしく。ぷ
\(゜ロ\)(/ロ゜)/ でゎまた明日! テストがんばりましょー

すぎやまえみのぅらアカウントでーす@emi_uraaka 11月22日
親とケンカ。うざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざ
いうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいう
ざい 今日はもぅ寝ましょー。ぷ

すぎやまえみのぅらアカウントでーす@emi_uraaka 11月20日
みんなぁりがとぅ! ちょっと元気出ました。えみはぃつもみんなに助
けられてます_(._.)_

すぎやまえみのぅらアカウントでーす@emi_uraaka 11月20日
何か最近クラスの雰囲気悪くなってきたなぁ。えみのせぃもぁるのかな


すぎやまえみのぅらアカウントでーす@emi_uraaka 11月19日
ぁのセクハラ教師死ねょー
でも李緒がぃてくれてほんと助かった!(*´∇`*)

 日付をさかのぼっていくと、たまに自分の名前が出てきて、どうしようもなく胸がきりきりして、息が詰まったみたいに苦しくなった。それでもスクロールをやめられなかった。えみのツイッターはオモテのほうも裏のほうも、もう何日も更新されてない。連絡も取れない。LINEも電話も返ってこない。
 家にいることは知ってる。えみのお母さんに聞いた。部屋にこもりっきりでふさぎ込んでるから、一度会いに来てほしいとも言われた。そうだよね。あんなひどいことされて、元気でいられるはずない。
 李緒だって会いたい。
 でも、会えるわけない。
 どんな顔して行けばいいの。行ってどうしたらいいの。謝ればいいの? 泣けばいいの? もう何をやっても、えみとの関係はもとに戻らないような気がする。返ってこない電話や返信が、その証拠。
 どんな気持ちでいるの? こわがってる? 悲しんでる? 李緒のこと怒ってる?
 スクロールを続けても、何もわからない。こんな機械の更新が止まっただけで、えみのことが、何もわからない。

   *

りぉ☆ぅら★@negatiburio 16分前
浩紀くんとお出かけ…だけど、ケンカしてしまったー(-_-;)

りぉ☆ぅら★@negatiburio 15分前
こっちは受験生なんだから、もうちょい気つかってくれてもいいのに

 受験生っていう言葉は、とりあえず便利だ。「受験生」の一言が、まるでヨロイみたいに自分を守ってくれる。ついこの間までは嫌で嫌で仕方なかった言葉。なのに、使ってみると意外と便利なことに気づく。

りぉ☆ぅら★@negatiburio 11分前
てか家の中うるさすぎ! 勉強してるのにー あーもうストレスたまる

りぉ☆ぅら★@negatiburio 3分前
はあー もっと配慮してよ。しょうもないことでガミガミ言わないでほ
しい。受験生なんだしさ…

 いろんなことにいらいらする。ちょっとした物音とか、誰かのちょっとした態度とか、そういうのがめちゃくちゃ憎らしく感じるときがある。自分でもびっくりするぐらい。それでケンカして、余計にギクシャクして。受験生のヨロイの中に立てこもって。ますますひとりぼっちになる。本当は、そんなの、いやなのに。
 でも、どうしようもない。
 彼氏の態度に怒って。家族の配慮のなさに怒って。勉強のできる人をうらやましがって。いやな先生の悪口言って。――何だか人を嫌うことが、当たり前になって、そんな自分もいやになって、でもやっぱりぼんやりした将来が不安で、こわくて、でっかいヨロイ着て自分のこと守って、でもそれが逆に重すぎて、押しつぶされそうになって、動けなくなって、必死に出口を探して、

りぉ☆ぅら★@negatiburio 1分前
「受験てそんな大変?」とか。はあ? もー浩紀くんのこと嫌いになっ
たかも。別れようかな

りぉ☆ぅら★@negatiburio 45秒前
弟うざい。いつまでゲームしてんの。泣かすぞ

 ぐちぐちぐちぐち。

りぉ☆ぅら★@negatiburio 17秒前
こんなときに手伝い言いつけるとかマジ意味不明。李緒の人生はどーで
もいいんかな。落ちたらあいつのせいだ

 ぐちぐちぐちぐち。
 ここには味方がいるから。
 不満を聞いてくれる人がいるから。

りぉ☆ぅら★@negatiburio 3秒前
マジで落ちたらどうしよ? ほんとどうしよ? 落ちたら李緒どうした
らいい? 高校行けないとか絶対いやだ

 ここは、鍵かけて、本当の友達だけに弱みを見せる場所だから。
 友達。
 ――友達?
 うす暗い部屋の中で、いくつもいくつも吐き出されたグチを表示して画面は光る。えみや、千絵や、ひよりの顔が浮かんで――そしてすぐ消えた。
 あれ。考えてみたら。
 これを見てくれる人、もういないんだ。

   *

 はる加の第一声は「トイレ壊れてるよ」だった。教室の隣の女子トイレが、いまは使えなくなってるらしい。そんなのわざわざ教えてくれなくても。ふーん、と聞き流してカバンを机の横に掛ける。今日ははる加と一緒に登校しなかった。ナントカ委員の仕事があって、はる加は朝早くから来ないといけなかったから。忙しいんだなあ。はる加は申し訳なさそうにしてたけど、どっかでほっとしてる自分がいる。
「もうチャイム鳴るね」と言って、はる加はチャイムの鳴らないうちに席に戻っていった。一人で頬杖をついて、何も書かれてない黒板をぼーっと見つめる。騒がしい教室が、全然別世界に感じる。おかしいな。つい最近まで、李緒、あの中にいたのにな。
 受験生のヨロイが便利なのは、教室の外だけだ。ここじゃ通用しない。だって、みんなそれを着てるから。だから教室の中では味方が必要なんだ。固まって、慰め合う。ひとりぼっちにならないように。自分の身を守れるように。
 昼休みになって、はる加と机をくっつけて、一緒にお弁当を食べる。
 しばらく興味のあることを話す。
 会話が止まる。
 どうでもいいことを少し話す。
 また止まる。
 昨日も話したことを少し話す。
 また止まる。
 しばらく沈黙がつづく――
 ああ、もう、どうでもいいや。
 戻りたい。千絵やひよりのところに戻りたい。話していても黙っていても、ううん教室にいるときはいつでも、目を泳がせて、気づけば二人を探してた。昼休みの教室に、二人はいない。購買のあたりで食べてるんだろう。それか、別のクラスに友達作ったのかな。
 お弁当を半分以上残して、「ごちそうさま」と席を立つ。はる加が何か言ってくるけど、適当に流して教室を出る。少し気分が悪い。保健室行こうかな。そう思いながら廊下を歩く。階段に通じる角を曲がったところで――ちょうど階段を上がってきた二人と出くわした。
 千絵もひよりも、しまった、という顔をした。
 二人はすぐ顔をそむけて、李緒の横を通り過ぎていこうとする。
「何で?」
 ひよりの前に立ちふさがって、色白の顔に問いかけていた。「ねえ何で?」
 何が、何でなのか。どうしてこんなことをしてるのか。自分でもよくわからないまま、小さなひよりを見おろす。ひよりの目が恐怖で揺れるのが、見えた。
「李緒、ごめん」千絵が甲高い声で言った。まるで守ろうとでもするように、ひよりの腕をぎゅっと握って。「でも、もう、ごめん、うちらにもわかんなくて……」
 千絵はうつむいたまま、丸っこい顔を左右に振る。
 意味わかんない。
「何でよ」李緒の口からは、そんなか細い声しか出てこない。「李緒のこと信じてないの?」
「信じてるよ」
 千絵が、今度は李緒に抱きついてきた。反動でよろけて、二、三歩あとずさる。
「李緒があんなことするわけないって、わかってるよ!」
「じゃあ……」
 小刻みに震えだした千絵の背中を、ぎこちなく触る。あったかくて、湿っぽい。あれ、泣いてくれてる。ちゃんと信じてくれてる。何だ、大丈夫そうじゃん。そもそも何で仲悪くなってたんだっけ。
 二人がこっちに戻ってきてくれるような気が、一瞬だけ、した。
「でもみんな疑ってるから」そう言ったのはひよりだった。「李緒ちゃんがやったんだって、もう、そういう雰囲気だから」
 そして千絵の体を支えて、ゆっくり李緒から引き離す。赤くなったひよりの目が、こっちを見上げる。「ごめんね」
 ごめんね。
 何で?
 二人は寄り添い合ったまま廊下を歩いていく。どんどん李緒から離れていく。
 何で?
 その後ろ姿が、急にゆがむ。ぼやけて、見えなくなる。
 何で?
 やばい、と思って、ダッシュして、「故障中」の張り紙も無視してトイレに駆け込んで――
 それに気がついたのは、ハンカチで必死に涙をぬぐい終わったあとだ。
 壁いっぱいに何か書かれてあった。かすむ目を何度かまばたきして、それが油性マジックの落書きだと気づく。昨日までこんなのなかったのに、と思いながら、でかでかと書かれた文字を何気なく読む。
 自分の名前が、まっ先に目に入った。

  犯 人 は
  ツ ヅ キ リ オ

 誰が書いたのかもわからない、乱暴な、下手くそな字。

  人 狼 死 ね
  転 校 し ろ
  自 殺 し ろ

 書いた人の感情も何もわからない、ただ悪意だけが伝わってくるような字。
 ――もう、そういう雰囲気だから。
 何で?
『人狼』の文字が、目の前でちらちら揺れる。壁に近づいて、それに手を触れる。爪を立てる。がりり、と音を立てて、壁の塗装が少しはがれる。がり、がり、がり、と、何度も何度も『人狼』の文字を引っ掻く。
 何で? 何で? 何で?
 離れていった千絵とひよりの後ろ姿が。ひどい姿にされたえみの写真が。頭の中をぐるぐる回る。何で? 李緒はやってないのに、何で? 何でこんなことに? 意味わかんない、何で?
 ぽたぽた落ちる涙をそのままにして、『人狼』の文字に拳を叩きつける。
 全部こいつのせいだ。
 殺してやりたいと、本気で思った。

「彰人」
 机に座っていた彰人はぼんやりと李緒を見上げて、「何?」とふてくされたように言った。空いていた隣の席に座って、彰人と向き合う。そこで気づいたけど、彰人の目の下には大きなクマができていた。
「クマできてんじゃん」
「ん? ああ、最近よく眠れてないっつーか」
 彰人はごしごし目をこする。無理もないか。こいつ西田と仲良かったし……そういえば、西田はこいつの家のそばで襲われたんだっけ。
「お前も何か目赤くない?」
 その言葉は無視して、「彰人は、その、『人狼』とか見てないわけ」と聞いてみる。
「見てねえよ」
 雑な答えが返ってきた。彰人は机にひじをついて、どこかよくわからない方向をじっと見ている。「おれずっと部屋にいたし」
「そっか」
「で何か用?」
 ちらっとまわりを見回す。もうすぐ昼休みの終わる教室は、外に出ていた連中が戻ってきて騒がしい。椅子ごと彰人に近づく。誰にも聞かれないように、声を低めて、ささやいた。
「西田の連絡先、教えて」
 彰人はちょっとびっくりしたような顔をした。何で? と聞かれる。
「まあ、心配っていうか。電話とかして声聞きたいし。ほら、李緒あいつとケンカもしちゃったし、謝りたいかなって」
 ふーん、と彰人はつぶやいて、携帯を取りだして操作しはじめた。信じてもらえたらしい。男子って単純。
「西田西田、っと……はいよ」
 携帯の電話帳を見せてくれる。
「赤外線できるって」と教えてあげたけど、彰人は「あそうなの? どうやんの」と顔をしかめている。「これか? あ、違うか……」
 めんどくさいな、と思って手を突き出す。
「貸して。李緒がやる」
 あからさまにいやな顔をされた。そういやケッペキ。こいつほんとにめんどくさいな。
 結局手動でやるはめになったけど、何とか西田の電話番号とアドレスを手に入れる。頭の中には、『人狼』の二文字しかなかった。
 チャイムが鳴って授業が始まっても、ずっと考えていた。誰が人狼だ? あいつか? それともあいつ? じろじろとまわりを見てしまう。もしかしたら同じ教室で授業を受けてるかもしれないんだ。寒気がした。握った手のひらに汗がにじむ。できればいますぐにでも殴ってやりたい。ボコボコにしてやりたい。でもどうやって突き止めよう? 西田から何か聞きだせるかな。何か手がかりがほしい。何でもいい。
 いままでに聞いた噂を、頭の中でひとつひとつ思い返してみる。手がかりになりそうなことを、ノートの端に書き出してみる。そういえば西田が襲われた場所には、壊れたはさみが落ちてたらしい。人狼が使ったはさみ。たぶん、それでえみの髪も切ったんだ――そう思うと顔がかっと熱くなる。体が震える。そうだ、人狼も同じ目にあわせてやろう。ううん、もっともっとひどい目に。
「はさみなんかどこでも買えるよね」
 帰り道、はる加はじっと考え込みながらつぶやいた。「手がかりになるのかな」
「わかんない。西田にも何か聞けるといいんだけど」
 手に持った携帯を見つめる。画面には西田の番号。でも、何て言って連絡しよう? 人狼の被害者になってかわいそうだとは思う。疑って申し訳なかったなとは思う。でも、まだあのときのことを許したわけじゃない。えみや李緒への悪口も最低だし、あいつのせいで親まで呼ぶ騒ぎになって、みんなに人狼扱いまでされて、なのに協力してもらおうなんて。てかあいつもまだ李緒のこと疑ってたりするのかな? 何かもう、全部、バカみたい。そんなのわかってる。でも、どうしても手がかりがほしかった。
「あんまり変なことしないほうがいいと思う。先生とか警察の人に任せようよ」と、はる加は心配そうな顔で言ってくる。そうだね、と笑顔を見せながら、でも心の中では全然そうは思ってない。
 心配してくれるのはうれしい。でもその心配が、すごく計算されつくした心配に思えていやになる。今朝だってそう。はる加はトイレの中がどうなってるか知ってて、わざと李緒に「故障してるよ」なんて言ったんだ。傷付けないための配慮? ごまかされたってこっちはうれしくない。カワイソウな子扱いしないでよ。
「そういえば西田くん」
 はる加が思いだしたように言った。
「すっごくパソコンに詳しいんだよ。去年だったかな、広報委員で一緒になったとき、新聞作ったりとかでけっこう活躍してくれて」
 へえー、と相槌を打ったけど、そんなに重要な情報とは思えなかった。

 夜、西田にメールを送ってみた。李緒の考えてることとか、聞いておきたいことを全部ちゃんと書いて。でも返事は来なかった。別にたいして期待もしてなかったし、まあいっか。そう思って半分忘れかけてたのに。
 いきなり電話がかかってきたのは、次の日の夕方だ。

   *

「ダイジョーブか?」
 その一言に、涙が出そうになる。思わず憎まれ口を叩いてしまう。
「てめえこそ何、無事だったの? 死んだかと思ってた」
「はぁ? ちょっとは心配しろよぉ」
 携帯から聞こえてくる西田の声は元気そうで、ほっとしたというか、拍子抜けしたというか。これだから男って意味わかんない。いざ話してみると不思議で、あんなにこわばってた肩の力がだんだん抜けていく。何こいつ、こんな素直だったっけ? 何か、普通だ。すごくすごく、普通だ。嫌悪感は消えたわけじゃないけど。許したわけじゃないけど。少なくとも西田の声には、疑いも、トゲも、計算もない。
 ここに味方がいる。とりあえずそれが救いだった。
「……見たの? 人狼」
 あたりに誰もいないことを確認して、そう聞いてみる。遊歩道の小さな公園には、いまは李緒しかいない。冷たい風の中に雨のにおいがした。
「顔はわかんねえよ、マスクしてたし。でもまあ、何となく男っぽい感じはしたかなぁ」
 そっか、とつぶやく。考えてみれば当然だ。人狼が同学年にいたとして――えみや西田をあんなふうにできるのは、腕力のあるやつに決まってる。李緒にできるわけないのに。また怒りがわき上がってきて、冷えた手をぎゅっと握る。おでこのあたりだけがカッカして熱い。
 目の前の遊歩道を、彰人が歩いていくのが見えた。そういえば帰り道、同じ方向だっけ。ベンチに座った李緒には気づかずに、そのまま通り過ぎていく。
「もしかしたら犯人さあ……オレとか杉山に個人的な恨みがあるやつかもしんない」
 電話の向こうで西田が言った。
 思わず鼻で笑ってしまう。いまさらかよ。情報遅いって。
「学校でもそういう噂になってるよ。えみを狙うために、わざと福原を先に狙った、みたいな。で、成績関係なく西田を襲ったのは単にウザかったから。それで李緒が犯人なんだってさ」
「お前じゃねえだろ」
 当たり前のことみたいに、西田は言ってくれた。
「どう考えてもお前じゃなかったから。腕の感じとか……雰囲気っていうか?」
 西田の声が、そこで少し震えたような気がした。
 そっか、実際に襲われたからわかるんだ。そういえば西田とは一回つかみ合いのケンカもしたし。西田が学校に来てくれてたらよかったのに。そしたら李緒の疑いも晴れてたかもしれない。まあ、いまさらどうでもいいけどさ。
「もっとちゃんとした理由のあるやつだと思うんだよなぁ。少なくとも杉山に関しては」
 どことなく確信があるような言い方だった。
「心当たりあんの?」
「いや、心当たりっつうか……」西田はそれだけ言って黙ってしまう。
 何だか思わせぶりな態度をとられて腹が立つ。
「何? 何かわかってんなら教えてよ。李緒もいま、調べようとしてるんだけど。誰が人狼なのか。もう、マジ、ボコボコにしてやりたいっていうか。こう、こう、――」
 感情があふれてきて、口がうまく回らない。言葉が出てこない。ああもう、何て表現したらいいのかな、この気持ち。
「落ち着けよ」と西田に言われてしまった。「いや、実はオレもちょっと調べてさ。で、とりあえず杉山に恨みのあるやついないかなぁって、杉山のこと調べてみたんだよね」
 予想してなかった言葉に、ちょっぴり頭が冷静になる。そっか、そういうやり方もあるんだ。そういえば刑事ドラマとかでよく見る手かも。西田、意外と頭いいな。
「何かわかった?」
「ん、とりあえずツイッターとかのSNSはチェックしてみてさあ。それで――」西田が急に声を小さくする。「あ、これ誰にも言うなよ」
「何?」
「裏アカウントも見っけたんだよね」
 はあ? ストーカーレベルじゃん。
「……そんなこと言うなよぉ。何か手がかりになるかもしんねえじゃん」
「裏アカウントなら李緒も知ってるよ」
 更新は先月で止まってて、たいしたことは書かれてないことも知ってる。だってここ最近、ひまさえあればあのアカウントを眺めてたんだから。西田には悪いけど、別に手がかりになんかならない。てかそんな簡単に見つけられちゃうんだ、裏アカウントって。パソコンに詳しいってはる加が言ってたけど、こんなことまでできるとは思わなかった。
「それって『すぎやまえみのぅらアカウントでーす』っていうやつ?」西田が聞いてくる。
「そ。残念でした」
「ほかは?」
 そう聞かれて「は?」ってなる。
「ほかって何?」
「あ、いや、その」なぜか西田は口ごもる。「やっぱそうだよなぁ、うん」
「だから何?」
 早く言えよ。こいつののっぺりした話し方が、こういうときはめちゃくちゃムカつく。
 西田はええっと、とうなるような声を出して、そして、言いにくそうに続けた。
「何かもう一個あるんだよね、杉山の裏アカ」
 言葉が切れたあとの無音が、ツ――――と耳の中を流れる。
 え? いま何て言った――?
「やっぱ知らなかった? 都築のアカウントは閲覧承認されてなかったから、あれ? って思ったんだけど。うん、何て言うの、裏裏アカウント、みたいな?」
 意味がよくわからない。
「いや、まあ、たいしたもんじゃないけどさあ。まあ別にそんな」
「――それ見れる?」
 自分でもびっくりするぐらい、静かで冷たい声が出ていた。
「み。み……?」西田が困ったようにやたらと「み」を繰り返す。「み、見れるっつうか……見たい?」
「うん。教えて」
 それでも西田は渋る。「……友達の裏アカウントとか見て楽しいかぁ?」
 友達だから見るんだろ。
 ――友達?
 思わず大声を出していた。
「ああもううっざ! 早く教えろよ!」
 言ってから後悔する。また西田に反発されると思った。でも、そうならなかった。李緒の知らないうちに、西田が変わったのか。それとも西田にまでカワイソウな子だと思われてるのか。わからないけど、返ってきた声は普通だった。
「じゃあ、まあ、URL送るからざっと見てみろよ。あ、お前のアカウントでも見れるようにしとくからさあ。こうチョチョイのチョイ、とね」西田は一人でしゃべりつづける。やけに普通な口調が、どんどん李緒を置き去りにしていく。「あー杉山のアカウント、気分悪いとこもあるかもしんねえけどさあ、何が手がかりになるかわかんねえじゃん? とりあえずざっと見たら、何かわかるかも。うん。また何かあったらオレからも連絡すっから。うん、じゃあ、よろしく」
 電話が終わってしばらくして、メールでURLが送られてきた。
 一行だけの無意味な文字列を、ただぼんやりと見つめていたら、画面の上に――雨が一滴、落ちた。
 にゃあ、にゃあ。
 見ると、茶色い猫がベンチの下から顔を出して、李緒の足にまとわりついている。
「にゃーにゃ、にゃーにゃ」そう言ってなでてやったら、猫はくすぐったそうに身をくねらせた。ほら、雨降ってきたよ。早くおうちに帰らないと、風邪ひいちゃうよ。ノラ猫かな。おなかすいてるのかな。ああ、何か李緒もおなかすいてきたなあ。
「にゃーにゃ、にゃーにゃ……」

   *

 李緒は、本当の友達じゃなかったんだ。

Emi@emi_himitsu 12月4日
悔しかったら勉強したらぃぃのに
 ☆千絵☆のほんね@xyz923_tie_taka
 @emi_himitsu だね♪

Emi@emi_himitsu 12月4日
てかぁいつ、そこまでしてハミりたぃ? 意味不明ー
 ひより3@piyopiyopiyo
 @emi_himitsu だぃじょぶ!! ぅちらはえみの味方だょ
 ☆千絵☆のほんね@xyz923_tie_taka
 @emi_himitsu 全然気にしなくていいって。あの子が勝手にやってるだけだし。
 受験近づいてストレスたまってるんじゃないかな?? えみは自信持っていいよv

Emi@emi_himitsu 12月4日
あきとに勉強教ぇてってぃゎれた( ´艸`)
 ひより3@piyopiyopiyo
 @emi_himitsu ぇーほんと!!?? それぜったぃえみのこと好きじゃん!!
 ☆千絵☆のほんね@xyz923_tie_taka
 @emi_himitsu おめでとっ笑 応援するぞv

 アカウントをさかのぼって見て行くと、人狼に襲われた日のえみの行動が、気持ちが、手に取るようにわかった。そしてそれを知らなかったのが、李緒だけだったってことも。画面を見つめながら、誰もいない道を歩く。いつの間にかあたりは暗くなっていて、雨に濡れた画面が変にまぶしい。

Emi@emi_himitsu 12月4日
自習自習!!ぷ
 ひより3@piyopiyopiyo
 @emi_himitsu ゎかった!
 ひより3@piyopiyopiyo
 @emi_himitsu 自習、みんな自習! せんせーに言ゎれたでしょ!!!!!
 ☆千絵☆のほんね@xyz923_tie_taka
 @emi_himitsu いじめじゃん笑

Emi@emi_himitsu 12月4日
まじめちゃんのことどぉ思ぅ? ぁの声聞くと頭キンキンするー
 ☆千絵☆のほんね@xyz923_tie_taka
 @emi_himitsu 耳をふさぐのだ笑
 ひより3@piyopiyopiyo
 @emi_himitsu ぇ?だれのこと?

Emi@emi_himitsu 12月4日
なんか委員の集まりぁったけど、またまじめちゃんに代理たのんだった
♪ぷ ぁの子は使ぇる子

 何となく読み流そうとして、あれ? と思う。泥だらけになった服が、赤くなった腕が、頭の奥からふいによみがえる。
 ――えっと、環境委員の仕事があって。その、わたしたちのクラス、環境委員の人がいま休んでるから、それで……。でも大丈夫だよ、環境委員の仕事は代理でよくやってたから、もう慣れてるし。
 暗くなってたからだろうか。雨が降ってたからだろうか。後ろから誰かが近づいてきたことに、そのときまで全然気づかなかった。気配がして、水を蹴る小さな足音が聞こえて――振り返ろうとしたときには、もう遅かった。
 首の後ろに何かが当たる。景色がぐらっと揺れて、それきり何もわからなくなった。




第四章  福原 悠一郎(ふくはら ゆういちろう)

 じいっ。じいいっ。
 小さな僕が、歩行者信号を見上げる。横断歩道の端に立って。首が痛くなる。それでも目は赤い四角形から離さない。じいっ、じいいっと、まばたきもせずに、信号が変わるのを待っている。まだ変わらない。まだ青にならない。まだ渡れない。
 じいっ。じいいっ。
 たぶん、ぶかぶかの黄色い帽子をかぶって、背中より大きいランドセルを背負っていた頃だ。いつしか歩行者信号が車道の信号と連動していることに気づいて――車道のほうが赤になれば横断歩道が青になるんだと知って――赤信号をじっと見つめるようなことはしなくなった。
 でもあの感覚は、ずっとしみついている。赤色の四角を、直立不動の人の絵を、目が痛くなるくらい見つめていた感覚が、ふとした拍子によみがえってくる。それはたとえば、こうやって電車に乗って、とりとめのない思い出にあてもなく頭をさまよわせているときだったりする。それなりに混んだ日曜日の電車が、僕をどこか知らない場所に連れていく。窓の景色はゆっくり流れて、町とか、白い橋とか、一年の仕事を終えた田んぼだとかを次々に映す。目についた風景から順番に、手元のスケッチブックに写し取っていく。絵なんて呼べるようなもんじゃない。たぶんあとから見ても、僕以外の人は何が何なのかよくわからないだろう。でもいい。見たことのない、でもどこかで見たことのあるような風景をスケッチブックに収めていくときだけ、僕はいろんなことを忘れることができる。
 携帯を触るおっさんの頭の向こうで、ギザギザ屋根の建物が窓の外を通り過ぎていく。絵とかでよく見る工場の形、そのままだ。本当にあんな形の工場ってあったんだ。しばらく鉛筆を止めて、流れていく白い建物に見入った。工場の屋根って、どうしてギザギザしてるんだろう――窓がついてたから、採光とか換気とかの関係かもしれない。
 それから田んぼの向こうにちらっと見えた白いのぼり。お堂があるみたいだったけど何だろう。あと小さな墓地をあちこちで見かける。畑の中だったり住宅地の中だったり。何であんな普通の場所にお墓をたてるんだ? 気になることがいっぱい見つかる。まあググったら一発でわかることかもしれない。でも、それを自分の頭で考えるのが楽しいんだ。
 スケッチブックの上で手を動かす。
 あ。
 忘れているはずなのに、ときどき思いだす違和感。思わず鉛筆を持った手を止めてしまう。傷はふさがったけど、まだ皮ふが突っ張るような、関節が固いような、いやな感じが残っている。どうせすぐ治る。気にすることじゃない。でももしかしたらずっとこのままなんじゃないかと、不安になって、焦って、いらいらする。
 目を上げると、描きたいと思った景色はとっくに通り過ぎていた。

 陽が傾いてきたところで電車を降りる。知らない駅を歩いて、反対側のホームに向かう。折り返しだ。一駅分の切符――たった百円ちょっとで知らない町に行って、知らない風景を見て、いままで知らなかったことを知ることができる。一度始めたらやめられなくなった。月に一回くらいは必ずやる、自分だけの恒例行事。誰にも邪魔されない、ひとりだけの時間。
 ちょうど滑り込んできた電車に乗りこむ。アナウンスが聞いたことのある駅の名前を目的地に告げる。いろんな人の住むいろんな景色を、電車はまっすぐに駆け抜けていく。夕日がまつ毛に反射してまぶしい。田んぼのじゅうたんが遠ざかって、光の中に消えていく。帰りはあっという間だ。すぐにひとりだけの時間は終わってしまう。そしてまた、自由のない生活に戻る。
 自分の町が近づいてきたところでスケッチブックを閉じて、筒型の包帯を指にはめた。本当はもう必要ない。ただの気休め。でもこうしていたほうが、早くもとの手に戻ってくれそうな気がする。電車は揺れて、またひとつ、知っている駅を通り過ぎる。少しずつ暗くなる窓の外に、見慣れた道路や看板が顔を出す。
 自然と舌打ちが出ていた。
 包帯をした指を、意味もなく曲げ伸ばしする。
 こんな。
 こんな小さな自由さえ、あいつは奪おうとしてきやがった。

 信号は青だった。
 思わず足を速めようとして、渡る必要のない横断歩道だと気づく。ばかばかしさにひとりで笑いながら、スケッチブックを抱えて駅前の歩道を突き進む。青信号を見ると、何となく焦ってしまうのはなぜだろう。渡らなくていい横断歩道も、早く渡らなくちゃと思ってしまうのはなぜだろう。

   *

 玄関に父親の靴があった。血流が一気にスピードを上げる。今日は、遅くまで帰ってこないって言ってたのに。慌てて指の包帯を取ってポケットに入れた。
 足音を忍ばせて、電気の付いていない廊下を横切る。リビングの前を通ったとき、雑誌を読んでいた父親が目を上げた。とっさにスケッチブックを体の反対側に隠す。別に見られてもいいはずなのに。
「遅かったな、悠一郎」
「うん……」
 それだけを、答える。早く立ち去りたくて、体を父親のほうには向けないでいたら、「こっちを向きなさい」と言われてしまう。
「また、絵か」
 たぶん会社の部下にもこんな話し方をしてるんだろう。事務的な、たいして感情もこもってないような口調。父はスケッチブックに向けていた視線をすっと上げて、僕の顔を見据えた。リビングのテーブル越しに目が合う。微動だにしない目。微動だにしない顔。まるで、石像みたいだ。
「近ごろ物騒だからな。暗くなる前には帰るように」
 心配ないよ。僕はもう襲われてるから。心の中でつぶやきながら、「はい」と返事をした。
 ようやく自分の部屋に入る。ドアを閉めると、無意識に安堵のため息がもれた。机に座って、明日の塾の宿題に取りかかる。模擬テストも近いから、ついでに気になる問題を見直していく。解き方がわからない問題は、解答をじっくり見て理解する。そして自分の力で解けるようになるまで練習する。中学に入ってからずっと続けてきた、小さな積み重ね。
 みんなが言うほどの天才じゃない。強いていえば――ただの、カンペキ主義者だ。
 勉強に意味があるかどうかは知らない。やれと言われるから、やるだけ。目の前にあるから、やるだけ。頑張らないといけないから、頑張るだけ。宿題、定期テスト、受験。目標はあとからあとから現れて、僕の前に立ちはだかる。とりあえずはそれをこなしていく。でもいつかは――信号が赤から青に変わるみたいに、自分の好きなことをやれる日が来るはずだ。そんな未来を漠然と思い描きながら、いまは大人の言いなりになる。
 勉強に区切りがついて、スケッチブックを開いてみた。
 上手くもないデッサン。めちゃくちゃな走り書き。笑えてくるぐらい、センスがない。神さま。勉強の才能を、ちょっとでもこっちにくれたらよかったのに。
 こんなに、好きなんだから。

「どうした、悠一郎」
 箸を持った右手を何となく見つめていたら、父親に目ざとく気づかれた。ごまかすときっと追及されるだろう。仕方なく答えた。
「いや、治りが遅いような気がして……まだ何か違和感あるし」
「痛むのか」
 ううん、と首を横に振る。母は心配そうにこっちを見ていたけど、父親は関心がなくなったように、再び料理に視線を戻した。
「なら心配ない。お医者さんも問題ないと言ってただろう。そのままにしておけば治る。もう包帯も取れたし、日常生活にも不便はないだろう」
 でも。何も答えられないでいると、また正面から見据えられる。「何かあるのか?」
「細かい作業とか……」
「例えば何だ?」
 父親の声は頑丈で、冷たくて、自分の体がどんどん縮こまっていくのがわかる。ダメだ。この人の前では、自分は何もできない。
「……作図とかさ。定規とかコンパスとか使うし」
「それは入試に出ない。学年末テストのときは、先生に配慮してもらえるよう頼みなさい。あれは結果じゃなく解法を問うものだ。いざとなったら余白にでも書いて説明すればいい」
「……うん」
「他には何かあるか?」
 別に、と答えようとして、微動だにしない視線がじっと自分に注がれていることに気づく。脇の下に、いやな汗が出る。
「絵か?」
 答えられずに黙り込む。
「何か言いなさい」
 できるだけ声を震えさせないようにしながら、何とか平静を保って、口を動かす。「もし、リハビリとか……そういうのしたほうがいいなら、したいなって……」
「絵を描くためか」
 ううん、と嘘をつく前に――父の声が突き刺さった。
「それは必要か?」
 体中を血が駆け巡って、息が詰まって、手に持った箸をじっと見つめることしか、できない。部屋の空気は重く凍り付いて、自分の心臓の音が、いやに大きく聞こえた。
「言っとくが」父が箸を置いた。「絵画教室に通わせたのは、そういう道に進んでもらいたいと思ったからじゃないからな。何か趣味を見つけて、感性をみがいて、人間として豊かになれるようにだ。それにもし特技として身につけば、将来の受験や就職に少しでも有利になるかもしれない。そうだろう?」
 知らない。
「おおもとの目的を忘れるなよ」
 赤信号。
 変わることのない、赤信号。
 それが自分を、じいっ、じいいっと見おろしている。

   *

「あ、福原くーん」
 歩いていると名前を呼ばれた。声の主も、その子がどこにいるのかもすぐにわかった。並木道沿いの公園の奥、公衆トイレのすぐそばで、かわいい手袋をした手を振っている。それに応えて自分も手を上げて――ちょっと迷ってから、公園に入っていく。枯れた芝生が、足元でさく、と音を立てる。いつもなら適当に素通りしただろう。でも今日は、あんまり家に帰りたい気分じゃなかった。
「何してんの?」近くまで行って、そう尋ねてみた。「また猫?」
 毛糸の帽子、チェックのマフラー、子どもっぽいピンクのジャンパー。カラフルな服で着ぶくれた和奏ちゃんは、しゃがみ込んで一匹を抱き上げた。その猫の腕をお人形みたいに動かして、「にゃあにゃあにゃあ」と笑う。トラ柄の猫はふてくされたような顔をして、でもされるがままだ。地面に置いたお皿には、まだ何匹かの猫が群がっていた。
 そばにはちゃんと『ネコにエサをあげないでください』の看板がある。でもたぶん気づいてて、わざとやってるんだろう。放課後、和奏ちゃんはよくこうして猫と遊んでる。ああまたやってるな――と遠くから眺めることが多かったけど、和奏ちゃんのほうが気づいて、通りかかった僕に声をかけてくることもあった。家が近所だし、同じ地区で、小学校の頃は集団下校とか「地区会」とかでも一緒だった。
「きみ首のとこタプタプだねー。ダイエットしなきゃあ」
 猫と遊んでいる、というより猫で遊んでいる和奏ちゃんを見おろしながら、何となく周りに目をやる。少し離れたところに男子小学生のグループがいて、携帯ゲームか何かで盛り上がっていた。何となく、ちょっと、そわそわした。カラフルな和奏ちゃんから、少しだけ離れて関係ない場所を眺める。ストレッチ遊具の説明書きなんかを意味もなく読む。小学校まではよく一緒に遊んでいたし、よく話もしたけれど。最近はもう、そういうことはできなくなった。
「何かすごいことになってるねー」
 振り返ると、和奏ちゃんがしゃがんだままでこっちを見ていた。笑っているわけじゃないけど、どこか笑いをこらえているような顔で。
「え?」と聞き返す。
 答えは一言だけだった。
「人狼」
 その言葉と同時に赤いくちびるがつり上がって、とがった犬歯が覗く。あははっ、と、小さな笑い声がその口から漏れた。こっちが黙っていると、「手大丈夫?」と視線を手の包帯に向けられる。
「まあ……治りかけ」それだけ言った。
 和奏ちゃんはふーんとつぶやいたあと、また笑いをこらえるような顔になった。
「スリリングだよねえ」心底うらやましそうな声だった。「何で三年生だけなのかなあ。二年にも出てこないかなあ、人狼」
 あはははっ、と、また笑い声が漏れる。「そうだな」ととりあえず合わせておく。その考え方が異常だとは思わない。そりゃあ毎日変わり映えのしない生活の中で、ときどきスリルだって必要になるだろう。だからテーマパークとか、絶叫マシンなんかが存在するわけで。
 まあでも――と、包帯をした指を軽く握る。欲しいのはあくまで「安全なスリル」だろうけど。
「そういえば、お兄ちゃん最近どう?」
 いきなり聞かれて、答えに詰まった。同じクラスの浅倉彰人のことだ。どうって言われても、中学入ってからは全然関わりないし。話したことすらないかもしれない。小さい頃はよくお互いの家にも遊びに行ってたけど、あいつは何だかんだいってクラスの人気者で、活発で、スポーツもできて、女の子にもそれなりにモテて――
「ま、どうでもいいんだけどさ」
 和奏ちゃんの興味のなさそうな声で、考えをぷっつり切断される。正直、ほっとした。「別に普通っていうか、いつも通りだけど」ようやくそんな適当な答えを返すと、和奏ちゃんは立ち上がって、ふーんと言いながらひざのあたりをパンパンと払う。いつの間にか、群がっていた猫は一匹残らず姿を消していた。
「そろそろ帰ろっかなー。福原くんも帰る?」
「ああ」とうなずいて、カバンを肩に掛けなおす。和奏ちゃんに「カバン軽そー」と言われて、あらためて自分の肩を見おろした。学校指定の青い通学カバンはぺったんこで、中に何も入ってないみたいに見える。
 当たり前だ。本当に何にも入ってないんだから。
「置き勉? あーダメなのにー」
 和奏ちゃんは子どもっぽく追及してくる。何となくうれしくなるのをごまかして、「いいんだよ、別に」と突き放すように言った。ずっと塾で勉強してきたから、学校の授業でやるような内容は、応用も含めて全部頭に入ってる。家での勉強も、塾のテキストや参考書があるからそれで事足りる。教科書やノートなんか、重いだけで、何の意味もない。
「だから人狼に目つけられるんじゃないの?」
 和奏ちゃんが笑いながら、くちびるを尖らせた。「だから机の中に爆弾仕掛けられたんだー」
 もう噂は学校中に広まってるらしい。それか彰人に聞いたのかな。まあニュースにもなったし、知ってて当たり前か。否定も肯定もできないまま、とりあえず歩きだす。和奏ちゃんの言うことは、たぶん正しい。確かに自分は狙いやすかった。机に爆弾を仕掛けやすかった。でも、だから何だ? それで人狼のやったことが正当化されるのか? されるわけがない。
「ねえ置き勉とかしてたらさあ、先生とか親に怒られない?」
 うつむいた自分の顔を、和奏ちゃんが覗き込んでくる。すぐに顔を上げて背すじを伸ばす。
「さあ……ゴリラはいつもうるさいかな。ゴリラ知ってる?」
「知ってる知ってる! あのでっかい人! ゴリラとか、マジウケるんだけどっ」
 和奏ちゃんは目を細めて笑い声をあげる。ひとしきり笑ったあとで、今度は愚痴を言う口調になった。「うちはさあ、親がうるさいんだよねえ。何で教科書持って帰ってきてないのって、そればっか。一教科で何冊もあるのにさあ、あんなの全部持って帰れるわけないじゃん。福原くんとこはどうなの? あ、でもおばさんもおじさんも優しそうだもんね」
「全然」
 ほぼ無意識に口走っていた。
「そうなの?」
 ちょうど公園から遊歩道に出たところだった。学校の方角をちらっと見ると、女子が二人歩いてくるのが遠目にわかった。何となく、気持ちが焦る。早く話を終わらせてしまいたい。この子と離れてしまいたい。
「理解がないんだよ、あの人たち」
 焦っているからか。言わなくてもいいことを言ってしまう。
 和奏ちゃんが意外そうな顔をする。
「えーっ。福原くん勉強できるんでしょ? 何で?」
「さあ、勉強はできて当たり前ってことなんだろ。将来将来ってうるさいし……」
「将来?」
「だから、まあ、自分たちの都合しか考えてないっていうか」
「子どもの気持ちをわかってくれない、みたいな?」
 その通りだ。でも正直に言いたくもなかった。ごまかす言葉を探した。
「まあ、気持ちっていうか、何て言うの――」
 そのときだ。
 す、と和奏ちゃんが体を寄せてきた。たまたまだったのかもしれない。でも確かに、和奏ちゃんのカラフルな体が自分に触れた。やわらかい、もちっとした感触。どくん、と心臓が音を立てる。
「あんまりそういうの、溜めこんじゃダメだと思うなあ」
 わざとなのか。和奏ちゃんは離れない。後ろからは、女子の楽しそうな話し声が近づいてくる。ほとんど自分の顔のそばで、和奏ちゃんはささやいた。
「自分の思ってること、ちゃんと伝えてみたら?」
「はあ……?」
 そんなことできるわけない。この前の父親の態度を思いだす。何を言っても無駄に決まってる。何にも知らないくせに、何でこんなこと言ってくるんだ。できるだけ和奏ちゃんの顔を見ないようにして、前を向いて歩きつづけようとして――
 腕をつかまれるのがわかった。そのまま引っぱられて、歩くのを止められてしまう。
「何?」いらいらした。でも振り払うこともできなかった。後ろの話し声が気になって、ちらりと横目で確認する。いやな予感が的中した。同じクラスの女子だ。でも手元の携帯を二人で覗き込んでいるみたいで、こっちには気づいてなさそうだ。でも、もう顔がはっきりわかるところまで近づいてきてる。全身が火照っていくのがわかった。何よりつかまれて、やわらかい体にぎゅっと押しつけられた腕が熱かった。
「ちゃんと話してみたほうがいいよ」和奏ちゃんはほとんどこの状況を楽しんでいるように、顔に薄い笑みを浮かべて、腕を握る力をますます強めた。
「何で……」
「だって、福原くん、うまく溜めこめないタイプでしょ。お兄ちゃんに似てる」
 え――?
「爆発しないうちに、ね?」
 そう言うが早いか、和奏ちゃんは僕を離して、たたたたっと遊歩道を駆けていった。
 横断歩道の信号は赤だったけど、それを当たり前のように無視して。

   *

「内申点のためだから」と、やりたくもないクラブ活動をさせられる。挙げたくもない手を挙げさせられる。「人間に必要な能力だから」と、グループ活動や話し合いをさせられる。関わりたくもない人との関係に気をつかう。「将来のためだから」と、「受験生だから」と、「高校に行くためだから」と、宿題や課題が山ほど出る。「高校に入ったらもっと自由になる」という言葉をとりあえず信じて、本当にやりたいことには目を伏せて、目の前の勉強をとりあえずこなす。そんな三年間が、もうすぐ終わる。
 でもたぶん、何も変わらない。高校に行っても何も変わらない。やりたくもないことを、人に言われてやりつづけるだけ。道路の向こうの景色は見えているのに、赤信号で渡れない。しかも、横断歩道はとてつもなく長い。
 長い、長い、長い横断歩道の前に立って、僕は、ずっと赤信号を見つめている。
 じいっ。じいいっ。
 早く、早く青になってくれ。
 赤信号はそんな僕を見つめて、にいっ、と笑う――
 玄関のドアが開く音で目が覚める。スケッチブックに突っ伏して眠っていた。ああ、父親が帰ってきたらしい。廊下を歩く気配がする。同時に、台所の食器の音。これから晩ごはんを食べるんだろう。自分はもう食べたから、今日は父親と顔を合わせなくて済む。
 顔を上げると、湿っぽくなった紙の上に、相変わらず下手くそな絵が描かれていた。包帯を巻いていない、かさかさした指を見つめる。まだ違和感は消えない。もう二週間たつのに。
 ずっと、このままなんだろうか。
 また顔を伏せようとしたときだ。父親の声がした。
「悠一郎、下りてきなさい」
 どきっとした。瞬時に寒気がして体が震えた。返事をして、机から立ち上がる。呼び出されるなんて何だろう。何もしてないはずなのに。
 リビングに行くと、いつもの席に着いた父親に目だけで「座りなさい」と指示された。ゆっくりとテーブルの椅子を引いて、父親と向き合うように座る。並べられた食事に、父親はまだ手を付けていない。何の話が始まるのか、まったく予想できなかった。
「さっき、浅倉さんのところの女の子と会ってな」
 その一言で――父親が何を考えているのか、これからどんな話が始まるのか、理解することができた。
「悠一郎、お前、お父さんに何か言いたいことがあるんじゃないのか」
 体が硬直して、返事をすることができない。和奏ちゃんだ。きっと、和奏ちゃんが、何かしゃべったんだ。何を話したんだろう。どこまで、話したんだろう――
「お父さんも、あれから少し考えてみてな」
 穏やかな口調に目を上げると、父親はテーブルの向こうでかすかにうなずいていた。
「やりたいことがあるということは、悪いことじゃない。むしろ良いことだ。いまどき、たいした目標も持たずに生きていくやつらばっかりなんだから。ああ、何が言いたいかわかるか」
 ゆっくりと首を縦に振る。自分と絵のことを言っているのは、聞かれるまでもなくわかっていた。でもどうして。どうして急にそんなこと。和奏ちゃんにだって、絵のことは話してないのに。振った首をまた上げると、父親とまともに目が合った。いつもの険しい表情、ではなかった。
「何か目標があるのなら、それに向かって進みなさい」
 まったく何の前触れもなしに――赤信号が、青に変わる。
 直立不動の人の絵が、一歩、歩みだす人の絵に変わる。
 ああ、これで。
 ほっとするような気持ち。認められた安心感。少しずつ速くなる鼓動。青信号が、優しい顔で、僕を見おろしていた。
「ただし、大学は出なさい」
 父親が発した言葉は唐突で、すぐには受けとめることができなかった。
 大学? 大学って、高校の次の? 遠い将来のことすぎて、現実味がない。
「もちろん美大とかじゃなくて、ちゃんとした大学だ」
 でも、それじゃ――何も変わらない。声がのどの奥まで出かかった。でも何も言えなかった。死にかけの魚みたいに口をぱくぱくさせて、ただただ父親の顔を見上げて。
「こういう時代でも、学歴は絶対必要だ。あとから後悔しても遅いんだ、やりなおしがきかないからな。どうしたって若いほうが有利になる」もっともらしい言い方で、もっともらしい言葉が続く。「お前は偉いぞ。その年で将来の目標を決められたんだから。ちゃんとそれに向けて頑張らないとな。だからまずは勉強だ。いま絵だけ描いてても、将来仕事が得られる保証はないだろう? まずは高校受験突破、それからすぐに大学受験だ」
 渡れない。
 青信号の前で、僕は肩をつかまれて動けない。ずっと赤信号を見つめつづけて、「渡っていいよ」のしるしが出るのを、今か今かと待ちつづけていたのに。僕は絵を描きたいのに。将来じゃなくて、いま、スケッチブックに向かっていたいのに。青信号はすぐに点滅して、そして――
「ほら、そんなふうに手が使えなくなったら絵は描けなくなるが、キャリアは一生消えないからな」
 満足げな父親の声が、どこか遠いところから聞こえた。

   *

 幼稚園の頃だったか小学校の頃だったか、交通安全教室というものがあった。わざわざ警察の人がやってきて、子ども相手に横断歩道の渡り方なんかを教えてくれた。もちろん歩行者信号の見方も、だ。赤は止まれで、青は渡れ。
「じゃあ、青の信号はゼッタイ渡らないといけないんですかーっ」
 誰かは忘れたけど、ふざけたやつがそんなことを質問して場の失笑を買った。言いたいことはわかる。命令形での「渡れ」は、確かに、絶対渡らなくちゃいけないように聞こえる。青信号を見ると、何となく焦ってしまうのは、たぶんそのせい――「渡れ」のしるしだからだ。「渡っていいよ」じゃなくて。
 ずっと赤信号を見つめていた自分は。
 誰かに「渡れ」と言ってもらえるのを、ただひたすら待っていた。
 結局、人に言われるのを待っていただけで。
 言われないと、何もできない人間だった。
「ええっと、青信号のときは、無理に渡らなくてもいいんだよー。青でも車が走ってくることがあるから、ちゃんと右見て、左見て――」
 ふざけたやつに対して、警察のお姉さんがちょっと困ったように答えていた。
 どうしてこんなことを思いだすんだろう。
 遊歩道と車道が交差するところまで来て、歩行者横断用の押しボタンを押す。いつの間にか手がかじかんでいた。そろそろ手袋しないとな、と思う。いつもは面倒くさいから、手袋もマフラーも本当に寒くなってからしか使わない。でも今年は。この傷ついた手を、しっかり守ってやりたい気がする。使えない手かもしれない。それでも好きなことができなくなるのは、つらい。にせの包帯をした両手を、胸の前でぎゅっと組み合わせた。
 ふいに、こんなことで悩んでいる自分がバカバカしくなる。
 人狼にとって、自分は標的の一人でしかなかったはずだ。
 それなのにどうして、こっちはこんなに悩まないといけない?
 僕の人生は――お前には関係ないんだろ?
 歩行者信号が青に変わる。そしてすぐに点滅を始める。何だか「渡れ」「渡れ」と急かされているようで、気分が悪かった。もともと車の少ない道だ。いまだって一台も通ってない。
 律儀に青になるのを待つ必要なんて、最初からないんだ。
 焦って渡る必要も、別にないんだ。
 ちかちかしていた信号が赤に変わって、直立不動の絵が僕を見おろす。でも通りはじめる車もない。遊歩道を歩いてくる人もいない。どんよりした雲の下に、自分、一人だけ。
 青が「絶対渡らなくちゃいけない」ものではないとしたら。赤も、「絶対止まらなくちゃいけない」ものではないんじゃないか――
 一歩、横断歩道に足を踏み出した。
 何となく気になって、後ろを振り返ってみる。誰もいない――と一瞬、思う。でもそうじゃなかった。遊歩道沿いの公園から、見覚えのある目が二つ、こっちを見ていた。
「あははっ」
 澄んだ笑い声がその赤い口から漏れて、あたりに小さくこだました。

 しゃがんで猫にえさをやりながら、和奏ちゃんはずっと鼻歌を歌っている。ふと思いだしたように、「そーいえば、お父さんとお話しした?」と聞かれる。
「ああ」
「どうだった? 解決した?」
「いや……」と言葉少なに答えると、すぐに「そっか、残念だね」と返ってきた。その言い方に少し怒りを感じたけれど、和奏ちゃんに怒っても仕方ない。これは僕の家の問題で。もともとこの子が首を突っこんでくることじゃないんだ。
 まだ何か聞かれるかと思ったけど、その話はそれで終わった。だから自分も余計なことは言わずに、猫と遊ぶ和奏ちゃんを黙って見ていた。和奏ちゃんが振り返る。ちょいちょい、と手招きしてきたので、何かと思って近づく。まだ手招きは続く。こっちもしゃがんで目線を合わせると、ようやく和奏ちゃんは小さな声で言った。
「前も聞いたけどさあ、お兄ちゃん最近どう?」
 どうと聞かれても、やっぱりわからないから答えられない。そういえばこの前の別れぎわ、彰人に似てるとか言われたっけ。溜めこむのが何とか。正直、意味がわからない。彰人と自分が似てるなんて、これっぽっちも思ったことはなかった。
「何なの? あいつ、どうかしたの」逆に尋ねてみる。
 うーん、と和奏ちゃんは宙を見つめて、いかにも不思議そうにつぶやいた。
「お兄ちゃん、最近おかしいんだー。ちょっと前にあったこともすぐ忘れちゃったり」
 どうでもいい話だと思ったけど、「たとえば?」と聞く。和奏ちゃんはこの反応を待っていたんだろう。とがった犬歯を覗かせて、うれしそうに話しはじめた。
「この前なんかね、散歩して帰ってきてね、どこ行ってたの? って聞いても『さあ』って。おかしいよねー」
「それは……めんどくさくて答えなかっただけじゃないの」
 今日は公園に誰もいない。二人で話をするのも悪くない気がした。
「でもあたし見ちゃったんだー」
 和奏ちゃんがいたずらっぽく笑う。
「何を?」
「お兄ちゃんが黒い覆面かぶって、はさみ持って、西田くん襲うの」
 息が止まった。そんな僕を、和奏ちゃんはただにやにやしながら見つめている。
「――ほんとに?」
 思わずもたらされた情報に、声がかすれる。和奏ちゃんはうんうん、とうなずいて、さらに顔を近づけてきた。「たぶんね、杉山さんのかたき討ち」
 杉山。彰人とそんな仲良かったっけ? 
「えーっ知らないの」素っ頓狂な声を上げられる。「お兄ちゃん、杉山さんのこと好きだったんだよ。もー、クラス同じなんだからそのくらいチェックしとかなきゃあ。あ、福原くんそういうの興味ないか。ごめんごめん」
 一方的にしゃべりつづける和奏ちゃんを見つめながら、頭の中を整理する。確かに西田は人狼じゃないかと疑われていた。クラスでは完全に犯人扱いだった。彰人もそう思ったんだろう。それで杉山の件を恨んで、西田を襲った。
 筋は通る。でも――
「でも西田くんは人狼じゃないと思う」
 和奏ちゃんがつぶやいた。
 自分もうなずいていた。
 あの西田なら、机に爆弾を仕掛けるくらいのいたずらはやりそうな気がする。でも、さすがに杉山に対する仕打ちは、ひどすぎだ。あんなことをする理由がない。彰人、ちょっと早まりすぎじゃないか。何か証拠でもあったのか。
 考え込んでいたら、まるでこっちの考えを見透かしたように、和奏ちゃんが言った。
「お兄ちゃん、ただ西田くんのことがムカついたから襲っただけかも」
 は? と声が漏れる。
「人狼事件のどさくさにまぎれてさ。お兄ちゃんが西田くんのことあんまり好きじゃなかったの知ってた? その日、ノート貸してくれとか言われたらしくてさあ。ぷっつんしちゃったのかも。でもいい考えだよねー。みんな、犯人は人狼だって思うじゃん?」
 驚いて和奏ちゃんを見つめると、どこから持ってきたのか、大きめの石を手袋の中で転がしている。そのくちびるの端が、どんどん持ち上がっていく。
「いいよねえ。責任は全部人狼さんが取ってくれるんだもんねー」
 猫の声だけが、にゃあ、にゃあと公園に響きわたる。
 和奏ちゃんの顔がゆっくり動いて、首をかしげるようにして、僕の手元に目をやる。
「人狼さんのこと、ムカつかない?」
 もう治ったはずの傷が、じくり、と痛んだような気がした。
「ムカつくでしょ?」
 和奏ちゃんは本当に楽しそうに笑いながら、手の中で石をもてあそんでいる。湿気を含んだ重い空気が、肌にまとわりついて、肺に入り込んで、息苦しい。雨でも降りそうだ。
「襲いたいと思わない?」
 おぞましい叫び声が上がって、思わず立ち上がる。さっきまで群がっていた猫たちが、散り散りになって逃げていく。赤ん坊が泣くような悲鳴に、和奏ちゃんの笑い声が覆いかぶさった。手に持っていた石が、いつの間にか消えている。
「あはははははっ。おっかしー。びっくりしてるびっくりしてる。えさだと思ったら石なんだもんねー。あはははははっ。ねえ、あれ見て、あれ」
 和奏ちゃんが指さす先を、一匹の猫がよたよたと歩いていく。足が不自然な方向に曲がっていて、白い毛が、うっすら赤い色に――
「ねえねえ、福原くんもやってみたら? あ、そうだ!」そう言って駆けだした和奏ちゃんは、すぐに何かを持って戻ってきた。誰かが捨てたものだろう。べこべこに凹んだ金属バットだった。「これで殴ったらイチコロだよっ」
 黙っていたら、和奏ちゃんが「あ」と何かに気づいた顔をした。
「ごめん、手怪我してるんだった」
 別にいいよ、と包帯を取って見せてやる。自分でも驚くほど自然な動きだった。
「もう治ってるし」
「なーんだ、じゃあ殴り放題だねっ」
「おう」
 二人で顔を見合わせて、ふふっと笑う。冗談、冗談。何もかも悪い冗談だ。
 そう思いたかった。
 和奏ちゃんが手のひらを空に向けながら、「降ってきそうだね」とつぶやく。「あたし傘持ってないし、もう帰ろっと」
 カラフルな服をふわふわ揺らして、和奏ちゃんは行ってしまう。公園が急に静かになる。車の走る音や、にぎやかな話し声がたまに遠くから聞こえたけれど、それもだんだん少なくなっていく。雲はさらにぶ厚くなって、あたりはみるみる薄暗くなる。
 公衆トイレの壁に一人でもたれかかって、金属バットで地面を軽く叩いてみた。カン、カン、と乾いた音がした。意外と丈夫そうだ。これで殴ったら、本当にイチコロだろう。
 誰かの声が、すぐ近くから聞こえてきた。公衆トイレを隔てているから姿は見えないけど、ベンチに座って電話でもしてるらしい。聞き覚えのある声だった。教室で黙って座っていると、いつも聞こえてきた耳障りな声。
 ――ムカつかない?
 話の内容までは聞き取れない。どこにいるのかも正確にはわからない。それでも、向こうも一人でいるということはわかった。
 ――ムカつくでしょ?
 電話が終わったようで、話し声がやむ。公衆トイレの屋根を、ぽつ、ぽつと雨が打った。ああ、降りだした。あいつももう帰るだろう。陰からそっと覗いてみたら、その後ろ姿がちょうどベンチから立ち上がって、歩きだすところだった。傘も差さずに携帯をいじっていて、あたりにはまったく注意を払っていない。
 ――襲いたいと思わない?
 遊歩道には誰もいない。もうとっくに日は暮れて、その上雨まで降っていて、視界は極端に悪い。そんな中を、あいつは一人で歩いている。ここで何かが起こったとしても、きっと誰も気づかない。
 青か赤かと聞かれたら、もちろん赤だ。
 でも誰も僕がやったとは思わない。罪をかぶるのは――「人狼」だ。それが、あいつであろうとなかろうと。
 雨に濡れたバットを、滑らないようにしっかりと握り直す。
 自分の中で、ぽつんと青信号が灯った。




第五章  佐藤 はる加(さとう はるか)

 わたしから受け取ったプリントに目を通して、堂本先生は感心したように言った。
「よく考えたなあ。担任の先生も喜んでただろう」
 プリントには三年A組の「卒業記念制作案」がまとめられている。話し合いの時間で出たクラスの意見をもとに作ったもの。概要、スケジュール、気をつける点まで細かく書いた。制作するのは一枚の大きなモザイク画。小さな切り紙で作るから全員が平等に参加できるし、失敗しても直しやすい。そう思って、わたしもこの案には最初から賛成していた。
「こりゃ、A組はすごいのができるな」
 堂本先生は太い腕を組んで、机に置いたプリントを満足そうに覗き込む。
「じゃあちょっとだけ意見言わせてもらうけど、いいか」
「はい」
「作業は教室でやることになるから、あんまり大きいと体育館まで運ぶのが大変だぞ。あと、折り畳んでも大丈夫なように強度には気をつけてな。それとまあ、これはどのクラスにも言ってるんだが、余裕を持って進めたほうがいい。しっかりスケジュール立ててくれてるから問題ないとは思うが、念のために……」
 優しく、でも妥協はせずに、堂本先生はきちんと先を見越したアドバイスをくれる。完璧だと思った計画に指摘を受けるのはちょっとつらいけど、でも、先生がマジメに伝えてくれるから、わたしも素直に聞くことができる。先生のパソコンを使わせてもらって、案を最終調整した。
「じゃあ印刷するか。ちょっとごめんな」
 わたしの後ろから手を伸ばして、先生がマウスを操作する。顔が近くにあって、でっかい体に覆いかぶさられたような感じ。やっぱり大きいなあ、と思う。わたしの何倍くらいあるんだろう。職員室のプリンタで出てきたものを、「ほい」と渡してくれる。刷り上がったばかりのプリントが、指先にほっこり温かい。
「よっし完成!」先生がそう言って笑う。
 わたしも笑い返したけど、うまく笑えているのかどうかはわからない。
「月曜日の学活で作業始めるんだよな。いまのうちに準備しとくか。紙とか、道具とか」
「あっ、はい」返事をした声が、微妙にうわずる。「あ、はさみはみんな使うので、来週持って来てほしいって、みんなには伝えてます」
「おおさすが、仕事早いなあ」
 ほめてもらえた。
 でも絶対忘れてくるやついるだろ、と堂本先生は苦笑する。「学校の備品、使っていいからな。場所教えとこう」
 先生のあとに付いて廊下を歩いて、『用具室』と書かれた小さな部屋に入る。暗くて、ほこりっぽいにおいがした。あんまり使われてない部屋なのかもしれない。壁一面に置かれた棚に、段ボール箱がぎっしり詰まっていた。先生が奥のほうで何かを探している。わたしは入り口の近くに立ったまま、その盛り上がった背中をぼんやり見つめた。やっぱり、少しやせたんじゃないかと思う。
 小さな箱をいくつか抱えて、先生が戻ってくる。
「これ、はさみな。すぐ使えるようにこのへんに置いとこう。もっと新しいのがあったと思うんだけど……」段ボール箱に入ったはさみは、錆びていたりほこりをかぶっていたりして、いかにも汚い。「まあ誰も気にしないか」
「あ、でも浅倉くんは……」
 クラスの潔癖症の人を思いだして、名前を口にする。たしか小学校の頃、消しゴムを貸してあげようとしたら、「いや!」って言われてしまった覚えがある。
「あいつなら自分のは持ってくるだろ」堂本先生は笑った。「佐藤はほんとにクラスの人間思いだな」
 その言葉に、少し胸がちくりとした。
「それから画用紙だな、いろんな色があったほうがいいよな?」
 また部屋の奥に戻ろうとする先生。
「はい。あの――」
 わたしの言葉に、先生は「ん?」と言って振り返る。「どうした?」
 迷ったけど、やっぱり聞いてみることにした。
「あの、こういうときにはさみ使うのって、やっぱり、ダメ、なのかなって……」
 こういうときに――クラスの人が何人も「人狼」の被害に遭っているときに。はさみを使うことが、みんなにいやな連想を起こしてしまわないかどうか。
「誰かがそう言ったのか?」
 その口調に、先生の怒りを感じた。わたしへの怒りじゃない。その「誰か」に対する怒り。だから、その「誰か」が担任の先生だったり、クラスの一部の女子であったりすることは黙っておいた。
「そういうわけじゃないんですけど」
 わたしが口ごもっていると、堂本先生の大きな手が肩に置かれる。重みで体が沈んでしまう、ようなことはなくて、その手はただただ優しくわたしの肩に置かれていた。
「気にするな。気にしてたら何もできなくなる」
 わたしは先生の顔を見あげて、こくんとうなずく。先生もうなずいた。その顔がずいぶんやつれていることに、誰か気づいてあげてるんだろうか。先生自身、わかってくれてるんだろうか。あんまり無理はしないでほしい。今週初めには西田くんまで襲われて、もう、誰が被害に遭ってもおかしくない状況になった。学年主任の堂本先生がどれだけ忙しくて、どれだけ大変か、そんなの生徒から見てもわかる。
「じゃあ、月曜から作業開始だな。冬休み前なのに頑張るなあ」
 それは先生だって。
 来週月曜日が二学期最後の日。冬休みになれば、たぶん先生の仕事もちょっとは楽になるんだろう。先生が内心ほっとしているのが、その話しぶりからも伝わってきた。
「ああ、もうこんな時間か」
 先生が腕時計を見て驚く。生徒が帰らなければいけない時刻をとっくに過ぎていた。窓の外はもう暗くなっていて、おまけに雨まで降りだしている。
「申し訳なかった」先生が渋い表情で、頭をぽりぽりかく。「家まで送ろう。おれの車で悪いけど」
「あ、ありがとうございます」
「うん。忘れ物ないか?」
 二人で学校から出て、先生みたいに大きな車に乗せてもらう。知らない車に乗るのは何だかどきどきする。お母さんの車と違って、機械がいろいろ複雑だしかっこいい。エンジンがかかって、小刻みな振動が体に伝わってくる。
「シートベルト」と言われて、慌てて自分の左のほうを手で探る。シートベルトは見つかったけど、うまく引きだせない。焦って何度も引っぱっていたら、先生に「落ちつけよ」と笑われてしまった。どんくさい自分が、すごく、恥ずかしい。
 太い手が伸びてきて、いとも簡単にシートベルトを引きだしてわたしの体を固定する。
「家どこだったっけ。国道のほうか?」
「……はい」
「近くまで行ったら案内頼む」
「……はい」
 ヘッドライトが点灯して、学校の前の道路をぱっと照らす。車がゆっくり走りだす。行ったり来たりするワイパーが、落ちてくる雨をせっせと払う。桜並木の遊歩道に沿った車道を、先生はぐんぐん進んでいく。
「よくまとめられたな」
 先生がこっちを見ずに、ぽつりとつぶやいた。
「え?」と聞き返す。先生はほっとため息をついたあと、静かな声で話しだした。
「福原に、杉山に、それから西田か。被害に遭ったのはA組の生徒ばっかりだろう。みんな不安だろうし、クラスがばらばらになるんじゃないかって、正直ひやひやしてた。佐藤のおかげだよ、A組がまだクラスとして成り立ってるのは……」
 そうなのかな。思わず疑問の言葉を、心の中でつぶやいていた。
「わたし、別に何にも……」
「謙遜するな。あの問題児だらけのクラスで、しっかり案まとめてきたのは感心した。まあ西田や杉山がいなかったから、逆にまとまりやすかったか――ああ、いや、何でもない」
 先生は最後の言葉を、笑ってごまかした。
「ちなみに福原はどうだ? 協力してるか?」
 声は普通の声だったけど。その言葉の裏にある嫌悪感を、わたしはどうしても感じ取ってしまう。
「えっと、あんまり発言してくれなくて……ずっと窓の外見てる感じです」
「だろうな」先生はため息をついた。「あいつをどうにかしたいんだけどな」
 そのとき、どこからかサイレンの音が聞こえてきた。胸がざわつくような音。先生が車のスピードを落とす。強くなった雨のせいで、それがどこで鳴っているのかはよくわからなかった。
「救急車だな」
 先生の言葉に、とりあえずこくんとうなずく。前を見ていると、国道のほうに赤い光が見えて、それがどんどん近づいてくるのがわかった。
「こっちに来る――あれか?」
 先生の視線は遊歩道のほうに向いていた。ちょうど、小さな公園を少し過ぎたあたり。暗くてよく見えないけど、街灯の下で人が集まっているように見える。先生は道端に車を停めて、「様子を見てくる」と言って出ていった。サイレンの音がどんどん大きくなって、耳よりも胸を圧迫する。いやな予感がした。夕暮れ、通学路、救急車――これで何も連想しないほうがおかしい。シートベルトに手間取りながらどうにか車を降りて、先生のあとを追う。叩きつけるように降る雨の中、ひときわ大きな体が人だかりに突っこんでいって、そこでしゃがみ込んだのか視界から消えた。同時に救急車も到着する。サイレンの音がぷつりとやんだ。気味の悪い静けさの中で、赤いランプがくるくるとあたりを照らし出す。
 担架に乗せられた女の子が、救急車に運び込まれる。髪に隠れて顔は見えなかったけど、それが都築さんだということはすぐにわかった。
「うちの生徒です。家庭への連絡は私が……」
 先生が救急隊員の人に向かって大声を出している。わたしは人だかりの中で呆然としながらも、二、三歩救急車に近づいた。かちゃん、と足元で音がして、自分が何かを蹴飛ばしたことに気づく。何気なく見おろしてみると、街灯と赤いランプの光の中で、それは奇妙にてらてらと輝いていた。
「先生……」
 救急車を見送り、電話をかけようとしていた先生の袖を、そっと引っぱる。先生はわたしに気づくと、太い腕でわたしの頭を抱えてきた。ちょっと乱暴だったけど、一瞬、雨に濡れた冷たさも忘れるくらい温かくて。
「先生、あれ……」
 地面に落ちていたはさみを指さす。先生はそれを見ると、小さくうなずいた。その顔はこわばっていて、影が深くて、一気に何十歳も老けてしまったように見えた。
「触るな。じきに警察も来る」
 サイレンが遠ざかって、人の数も徐々に減っていく。携帯に向かって話す先生の腕の中で、わたしはずっと小刻みに震えていた。

   *

 雨の音が、耳の奥でざあざあと鳴り響く。
 びしょ濡れで倒れた都築さん。てらてら光るはさみ。救急車のサイレン――
 ざあざあと降りつづける雨が、すべてを包み込んでいく。電波の入らないラジオみたいに、声を、景色を、温もりを、ざあざあという音の向こうに消していく。手が冷たい。まとわりつく雨が、どんどん自分を凍えさせていく。寒い。動けない。何も聞こえない。ざあざあ、ざあざあ、ざあざあ――
 携帯の着信音にびっくりして、我に返った。
 洗いかけのお皿の上に、出しっぱなしになった蛇口の水がざあざあと流れつづけていた。
 水を止めて、手を拭いてから携帯を取りだす。思った通り、いとこの謙太くんからのメールだった。
『今から行って大丈夫?』
 もう家の前まで来てるんだろうな。そう思いながら、「大丈夫だよ」と返信する。
 数分後にチャイムが鳴った。
 玄関のドアを開けると、昨日の雨がウソみたいに明るい日差しが差し込んでくる。そこにいつものように謙太くんが立っていて、「お邪魔します」と上目づかいにわたしを見た。

 お母さんはパートの仕事で忙しいから、休みの日はいつも一人でお留守番。もう何年も続けてきたことだから、寂しくはない。炊事も洗濯も、ちゃんと一人でできるようになった。電話が来ても宅配便が来ても大丈夫。できるだけお母さんに迷惑がかからないように、お母さんが安心して仕事をしていられるように、わたしは家のことを完璧にこなしたい。「おかえり、今日も何もなかったよ」――そう言えるように。
「どっか分からないとこない?」
「えっと、じゃあ、この問題……」
 わたしがそう言って参考書を指さすと、謙太くんはじっと覗き込んできて、「あーはいはい」と解説を始めてくれる。
 今年から大学生になった謙太くんは、最近よくうちに来るようになった。受験を控えたわたしのために、家庭教師をしてくれるようになったから。わたしもお母さんも最初は遠慮した。でも「お金はいらないから」の言葉にお母さんが折れちゃった。うちはそんなにお金持ちじゃないし、塾にも通ってないわたしがちゃんと高校に行けるのかどうか、親としては心配なとこもあったんだと思う。心配しなくても、わたしはちゃんと頑張ってるのにね。
 だぼだぼのパーカーを着た謙太くんの腕が、ノートと参考書の上を行ったり来たりする。長めの髪が、わたしの顔のすぐ横で行ったり来たりする。大学生になって、謙太くんはちょっと雰囲気が変わった。どう変わったとはうまく言えないけど、とにかく、ちょっと変わった。こんな服着てなかったと思うし、髪もこんなに伸びてなかった。
「そろそろ休憩したりする?」謙太くんが聞いてくる。
 わたしはすぐに立ち上がって、「じゃあお茶いれてくる」と部屋を出る。でも謙太くんもついてきて、結局二人でおやつの用意をすることになった。
 広い台所に、湯沸かし器がこぽこぽいう音だけが大きく響く。
「はる加の学校さあ、いよいよすごいことになってきたっていうか」
 何か話題がほしいと思ったんだろう。謙太くんが、テーブルに置かれた調味料をいじりながら話しかけてきた。
「昨日も誰か襲われたんだよね?」
 わたしは声を出さずに、ただうなずく。お菓子を準備するふりをしながら、なるべく謙太くんの顔を見ないようにして。
「これで三人目だっけ? 四人目? 犯人、頭おかしいよね。中二病ってレベルじゃないっていうか」
 謙太くんはふふっと笑う。
「そうだね」
「はる加も気をつけたほうがいいよ?」
「うん」
「でも、意外とこういうのってさあ」謙太くんは持っていた食卓塩から目を離して、何気なくこっちを見た。目が合う。「身近に犯人がいたりするんだよね――あ、沸いた」
 大量の湯気を出していた湯沸かし器がカチッと鳴って、お湯が沸いたことを知らせた。わたしはそれを手に取って、ティーバッグを入れたコップの中にお湯を注いでいく。気づくと手が震えていて、テーブルの上にびちゃびちゃとこぼしてしまう。
 あ、という顔をする謙太くん。
「大丈夫」とわたしは笑って、ふきんを手に取る。話はそれきりになった。

 心なしか、謙太くんの体がさっきより近い。
「この問題は図形的な考え方をしないと解けないんだけど――」
 その声に混じって、ノイズが聞こえる。
 隣の人が何をしたがっているのか、わたしにはわかる。
 ひざが触れ合う。下ろした髪に、謙太くんの手が触れるのがわかった。初めはそっと。だんだん、撫でるように。後ろから肩を抱かれる。ノートに置いた左手に、謙太くんの骨ばった手が重なる。湿った、生温かい手。それがせわしなく動いて、わたしの胸元に移動する。少し体をひねって振り向いたら、謙太くんの顔がすぐそばにあって――メガネをはずされる。唇を重ねられる。その数秒間が、長く、とても長く感じた。
 終わってしまったあと、謙太くんは逃げるように帰っていく。
「月曜日、また一人だよね? 夕方から来てもいい?」
 そんな言葉を残して。
 来たい、来たい、どうしても来たい――。そんな心の声が聞こえる。
「いいよ」
 反射的に返してしまう。
 断るのがつらいから。謙太くんに悲しい思いをされるのが、つらいから。
 その日の晩、いつも通りお母さんは帰ってきて、いつも通りお仏壇に手を合わせてから、わたしを振り返って「今日は何もなかった?」と聞いてきた。疑うことなんてこれっぽっちもしてない、優しい、おだやかな顔で。
「何もなかったよ」と、わたしは笑った。

   *

 日曜日の学校はしんとして、まるで死んでしまっているみたいに見えた。本当は来ちゃいけない。余計な外出はしないように、と昨日連絡網でも伝えられたばっかり。部活動も全部お休みだ。でももし見つかっても、環境委員の仕事が口実になると思った。コイの餌やりとか、熱帯魚の水槽の掃除とか。家でじっとなんかしていられなかった。都築さんがどうなったのか、これから学校はどうなるのか、一刻も早く情報がほしかった。堂本先生と、話がしたかった。
 誰もいない廊下に、ぺた、ぺた、と自分の足音だけが響く。職員室に近づくにつれて、中から話し声が聞こえてきた。雑談とかそういうのじゃない。静かな、落ち着いた声で、何人かが順番に話をしている。
 ドアのそばで立ち止まって、様子をうかがう。きっと会議中なんだ。入るわけにもいかない。終わるまで待っていようか――
「警察からの連絡では、生徒への捜査も――」
「やっぱり三年生の中に――」
「生徒の個人情報を提供してほしいと――」
 盗み聞きするつもりはないのに、言葉は耳に入ってくる。自然と鼓動が速くなって、息もうまくできなくなった。落ち着かなきゃ、と胸に手を当てる。ちょっとでも動けば物音を立ててしまうかもしれない。そうしたら先生たちに気づかれる。それだけは絶対ダメだ。上履きの裏をべったり地面につけたまま、気づけば話し声に耳をすませている自分がいる。
「では地域の防犯・パトロールの件に移りますが、まず先生方には最大限の協力をお願いしたく――」
 会議はなかなか終わらない。二十分、三十分が過ぎても、先生たちの話は続く。それなのに。都築さんの話題は、全然出てこない。まるで金曜日のことは、どこか別世界で起こった出来事だったみたいに。ときおり出てくる「四人の被害者」という言葉だけが、あれが現実だったと教えてくれていた。
 トゥルルルル、という大きな音が職員室に響く。電話――さっきから問い合わせや欠席の連絡が何回か来てたから、今度もそれかもしれない。会議が中断される気配もなくて、若い先生が応対する声が聞こえてくる。
「はい、え? えっと、もう一度言っていただけますか?」
 すぐにその先生の様子がおかしいことに気づく。いつの間にか会議の声もやんで、みんなその電話に耳をそばだてているみたいだった。
 少し間を置いて、若い先生の戸惑ったような声が聞こえてきた。
「あの……都築李緒が襲われるところを見たっていう人が……それで、犯人は三Aの福原悠一郎だとか何とか――」
 大きな足音と一緒に、「代われ」という声がした。堂本先生だ。
「もしもし? もしもし?」
 先生はしばらく「もしもし」を繰り返していたけれど、やがて乱暴に電話を切った。というより、電話はもう切れていたのかもしれない。
「いたずらだろ」
 受話器を置いたときと同じ乱暴さで、先生がそう言うのが聞こえた。別の先生が何か言った。でも、もうその言葉も、その声すらも、耳にはほとんど入ってこなかった。さっき聞いてしまった言葉が、頭の中をくるくる回って、何度も何度も繰り返し再生されていた。
 ――都築李緒が襲われるところを見たっていう人が……――犯人は三Aの福原悠一郎だとか何とか……――都築李緒が襲われるところを見たっていう人が……――犯人は三Aの福原悠一郎だとか何とか……
 どのくらい考え込んでいたんだろう。完全に意識はどこかに飛んでしまっていて、職員室のドアが開いて、誰かが出てきて初めて、自分が廊下に突っ立っていたことを思いだしたほどだった。
「佐藤、どうした」
「あの」言葉に詰まったまま、首をぐっと上に向けて、堂本先生を見あげる。そのせいか息が苦しくなって、声がうまく出てこない。言うことはたくさんあったはずだ。聞きたいことが何かあったはずだ。でもそのときには全部すっかり抜けてしまっていて、わたしは空っぽのままつぶやいてしまう。
「福原くんなんですか……?」
 堂本先生の目に一瞬迷いが走ったのを、わたしは見てしまった。
「違う」と一言。
 違わない――と、先生の心の声は言っていた。
 そうだ。
 福原くんだったら、全部つじつまが合うんだ。
 クラスの中で一人浮いていて。誰ともしゃべらずに、いつも何事にも無関心で。成績が良いからって真面目に授業も受けずに、平気でみんなの神経を逆なでするようなことばっかりして、先生からも疎まれていて、「学校が嫌いだ」「クラスが嫌いだ」って、いつもそんな空気ばっかり教室にばらまいていて――
 福原くんが「人狼」だったら、全部つじつまが合うんだ――。
「帰りなさい」
 苦々しい顔で、堂本先生がわたしに命じる。昼の日差しの中で、先生のこけたほおがくっきり影を作っていた。
 この人はいつまで、こんな苦しい思いをしつづけるんだろう――
 熱くなっていく顔をさっと伏せて、そのまま回れ右をして歩きだす。一歩踏み出すごとに、自分の中で何かがふくれて、大きくなっていく。
 終わらせなきゃ。
 終わらせなきゃ。
 先生にできないのなら、わたしが――。

   *

 くしゃくしゃに丸められた紙が、ごみ箱のふちに当たって跳ね返った。
 拾わずに遊びつづける男子。教室の前のほうに固まって、たまに乾いた笑い声を立てている。妙にテンションが低いのは、やっぱり都築さんのことがあったからだろう。手持ちぶさたそうに、いつのものかわからないプリント類を何枚も丸めて、ガムテープをぐるぐる巻きつけている。
 また紙がごみ箱に投げられて、今度は入らないどころか、ガムテープのせいで黒板にくっついてしまう。それを見た男子たちが白々しく笑う。ほかの人たちはそれを遠巻きに眺めながら、ときどきちょっかいを出したり、自分たちの話を続けたりしている。男子たちがうるさくなると一緒に盛り上がって、静かになると気にするような視線を送る。まるであの人たちを中心に、クラスが回っているみたい。
 いままであの位置にいたのは、浅倉くんと西田くんだったのに。
 西田くんが不登校になって、浅倉くんがおとなしくなってから、学ランのボタンを一つ多くはずす人が増えた。髪を少し大きく立たせる人も増えた。女子の人間関係みたいな大きな変化はないけれど、男子社会もちょっとずつ変わってるんだということに気づく。何となく、大学に入って雰囲気の変わった謙太くんを思いだした。そういえば、今日も会う約束をしてたんだっけ。
 浅倉くんは後ろの席に座ってほおづえをついたまま、じっと動かない。居眠りでもしてるんだろうか。
「ねえ、ごみ箱に入ってないよ。ちゃんと捨ててよ」
 男子たちに注意しても、「うっせえ」と一人がつぶやいただけ。ほかのメンバーも不機嫌そうな顔をしたまま、誰も拾いには行かない。仕方ないか。立ち上がって前のほうに歩いていって、黒板にくっついた紙をまず剥がす。
 ばこん、と後ろで大きな音がした。
 振り返ると、教室の真ん中で机が倒れて、また大きな音を立てたところだった。一瞬遅れて、山岡くんが机を蹴ったのだと気づく。男子の中心にいた山岡くんは、だぼだぼのスラックスをぐいと引きあげながら、鋭くとがった目をこっちに向けた。
 ああうっぜ、と声がした。
 それが山岡くんの口から出たものなのか、心の中の声だったのか、よくわからない。どっちでも同じだ。もう慣れっこだった。いままであんな視線を、何回返されてきただろう。
 わかるよ、わたしにだって。
 山岡くんの目を見つめ返しながら、わたしはぎゅっと唇を結ぶ。
 友達関係に勉強に受験に、それに「人狼」――ああでもしないと、やってられないのもわかる。
 突っ立ったままのわたしを無視して、男子たちは解散する。始業のチャイムがちょうど鳴ったところだった。それぞれに自由な時間を過ごしていたほかの人たちも、だんだん席に着きはじめる。蹴られた机の持ち主だった女の子が、友達に手伝ってもらってそれを直しながら、わたしをちらりと見た。責めるような目で。
 わかってるよ。
 自分が疎まれてることもわかってる。
 でも、見逃すことだってできない。
 ――佐藤のおかげだよ、A組がまだクラスとして成り立ってるのは……
 すっかり席に着いてしまったみんなに向かって、わたしは口を開く。
「こんなときだけどさ、こんなときだからさ、みんなで頑張ろうよ」
 声がむなしく教室に響く。意味不明なきれいごと。中身のない空虚な言葉。わかってる。わかってる。わかってる。でも、言わずにはいられない。
 クラス委員だから。「まとめ役」だから。
 これが、わたしの役目だから――
 静寂を破って教室のドアが開いた。先生かと思ったけど、違った。その顔を見た瞬間息が止まりそうになって、でもどうにか平静をよそおって見つめる。そんなに動揺してるのはわたしだけで、クラスのみんなは興味なさそうに眺めるだけ。仕方ない。でも悔しい。昨日職員室にかかってきた電話を、みんなも聞いてくれていたら。
 福原くんはのそのそと歩いてきて、わたしの目の前を通っていく。真新しい指の包帯が、場違いなほど清潔そうに光る。
「遅刻だよ」
 うんともすんとも答えはなかった。まるで空気に話しかけたみたいに。

 ぴぴっと鳴った体温計の表示を見てみたら、三十六.七度。やっぱり平熱よりちょっと高かった。
「また無理しちゃった?」
 保健室の先生がそう言いながら、わたしのおでこに冷却シートを貼ってくれる。ひんやり冷たい感触が、火照った頭に気持ちいい。わたしが何も答えずにいると、先生は優しく背中を叩いてくれて、「ちょっと横になってなさい」とだけ言った。
「カーテンしよっか?」
「大丈夫です」
 重たい頭を枕に乗せて、先生の仕事をぼんやり眺める。じゅうぶんおばさんの歳なんだろうけど、カルテにペンを走らせたり、きびきび歩き回ったりしている姿はすごく若く見える。壁の時計に目を移すと、九時五十五分を指していた。二時間目の真っ最中で、いまごろはみんな体育館にいるはずだ。
「先生?」
 小さく声をかけると、先生はすぐに振り返ってやって来てくれた。
「どうかした?」
「あの」ベッドに横になったまま、少し目をそらして聞いてみる。「保健室に来た生徒のことって、ちゃんと記録とか、してあるんですか」
 そばの丸椅子に腰かけた先生は、ふしぎそうに首をひねった。
「うーんそうだね、お仕事だから。どうして?」
「わたしがいつここに来て、いつ帰ったとかも、全部わかるんですか」
「わかるよー」先生は笑った。「ぜーんぶ記録してありますから。はる加ちゃんは常連さんだから、もしかしたら一番多いかもね」
 そうですか、と一緒に笑う。それから息を整えて、できるだけ何でもなさそうに本題に入った。
「あの、福原くん、三Aの福原くんなんですけど、まだ手に包帯してるんですよ」
「え?」
「そんなにひどい怪我だったのかな、って……」
 先生はああ、とつぶやいたあと、頬に手を当てて何か考えているみたいだった。
「心配なんだ?」
「え、まあ……」
「私は最近みてないからわかんないけど、確か軽いやけどだったでしょ。そんなに長引かないと思うよ。とっくに治っててもおかしくないと思う、普通は」
「やっぱり治ってますか」
 先生は妙に強く「普通はね」と念を押した。組んだ足を組み替えて、じっとわたしの顔を見つめる。
「でもそれは人それぞれだから。生まれつき治りの遅い子っていうのもいるから、何とも言えないかな」
「はい」
「本人に聞いてみるのが一番じゃない? もし福原くんが何か悩んでるみたいだったら、はる加ちゃんにも協力できることがあるかもしれないしね」
 はい、と小さく答える。先生は仕事に戻る。ちょっと誤解されたみたいだけど、とりあえず聞きたいことは聞くことができた。ゆっくりベッドから起き上がって、靴を履く。
「もういいの?」先生が驚いたように聞いてくる。
「はい、授業に行きます」
「無理しないでね」
 ありがとうございました、と言って保健室を出ていこうとしたら、先生に「ちょっと待ち」と止められる。何だろうと思っていたら、先生はにやにやしながら自分のおでこを指さしている。――あ。
 貼ったままだった冷却シートを両手ではがす。また熱が上がったかもしれない。

 しんとして何も聞こえない。三年生は全員体育館で合唱の練習をしているから、いまこの階にいるのはわたしだけだ。誰もいない教室は静かで、寂しくて、どこか不気味で、できればすぐに出て行きたかった。かばん、机の中、後ろのロッカーと順番に探していって、やっと福原くんのはさみを見つけた。ずっと置きっぱなしにされていたような、ほこりをかぶった古びたはさみ。
 てっきり新品のはさみを持って来ているものだと思ってた。はさみは都築さんを襲った場所に落としたはずだから。でもよく考えてみれば、犯行現場に証拠を残すことほど危険なことはない。きっとあそこに落ちていたのは、どこかで買った新品のはさみだったんだ。そう納得して、はさみを自分のかばんの中に滑り込ませる。
 これで準備は整った。

「では学活を始めます。席に着いてください」
 チャイムが鳴ってすぐ、黒板の前でそう呼びかけた。早すぎとか先生がまだ来てないとか文句を言う人もいたけど、わたしはさっそくプリントを配り始める。卒業記念制作の進め方を書いたプリントだ。
 担任の先生がやってきて、教室がようやく落ち着きはじめる。わたしの指示通りにみんながグループになって、それぞれの担当や役割を決めていく。
「佐藤に任せとけば大丈夫だな。しっかり頼む」
 先生にそう声をかけられて、わたしはにっこり笑う。その言葉の裏にあるものを、なるべく読み取らないようにしながら。
 教壇の上から、騒がしい教室に向かって大声を出す。
「はさみを使って作業するので、みんな準備してください! 忘れた人には学校のを貸します!」
 あちこちでかちゃかちゃと音が鳴って、みんながはさみを取り出した。思ったとおり、忘れている人はいなさそうだ。都築さんが襲われたばかりのこの状況で、はさみを持っていなかったら――「人狼」だと疑われるかもしれないから。
 みんなの視線が、徐々に一人に集まりはじめる。窓際の席に座って、グループにもならず、はさみも出していない人。ひそひそというささやき声が、教室のあちこちから聞こえだす。
「福原くん」
 わたしが呼ぶと、福原くんは面倒くさそうに目だけこっちに向けた。
「はさみ、持ってますか?」
 うなずきだけが返ってきた。
「じゃあ出してください」
 福原くんは動かない。教室の中から「持ってねえのかよー」というヤジが飛んだ。今朝も男子の中心にいた、山岡くんだった。福原くんは小さく舌打ちしたあと、ゆっくりと立ち上がって後ろのロッカーに向かう。しばらくごそごそと探しているみたいだった。いつの間にか教室は静まりかえって、全員が福原くんの行動をじっと見守っていた。
 福原くんが探すのをやめて、振り返った。その表情に、初めて焦りの色が見えた。
「やっぱ持ってねえのかよー」
 またヤジ。福原くんはそれを無視して、自分の席に戻ろうとする。
「持ってないんですか?」わたしの追い討ちにも、福原くんは答えない。
 ちらりと担任の先生の様子を見る。先生は教室の一番後ろで、椅子に座って目を閉じていた。それを確認してから、さらに言葉をかける。
「どうして持ってないんですか?」
 福原くんは棒立ちになったまま、しきりに首をかしげている。そんな福原くんを見つめるみんなの目が、次第に疑惑の色を帯びていく。みんなの心の声が聞こえるみたいだった。
 あいつなんじゃないの?
 やっぱりあいつだったんだ?
 ああそっか、あいつだったんだ――。
 教壇の上から福原くんを見おろしながら、わたしは小さく深呼吸した。
「昨日、学校に匿名の電話がかかってきました」
 また静まりかえった教室に、わたしの声が響く。今度は空虚じゃない、しっかりとした力を持って。
「目撃情報でした。福原くんが、都築さんを襲うのを見たっていう――」
 教室がどっと騒がしくなった。でも、これにはさすがに先生も黙ってなかった。ぱっと立ち上がって、「おい、佐藤」と鋭い声を浴びせてくる。お前、何てことをしてくれるんだ――悲痛な心の叫びに一瞬ひるみそうになる。それでも精いっぱいの力をふりしぼって、先生から目をそらす。どっちにしろ、もう遅いんだ。
 福原くんが口を開いた。けれど騒音にかき消されて聞こえない。それでも何かをしゃべろうとする。みんなもそれに気づきはじめて、だんだん話し声が小さくなっていって、最後に福原くん一人の声だけが残った。
「今日のニュースで見たけど」
 福原くんは相当焦っていて、おびえていて、どうにか普通の声を出そうと必死なように見えた。「都築、何か重いもので殴られたんだろ。バットだっけ。だったら、手怪我してる人間には、そんなことできない」
 白い包帯を巻いた手を、これ見よがしに振り回す。みじめな抵抗だった。憐れにも思えた。そんなことをしても、自分の首を絞めるだけなのに。わたしは福原くんの手を指さして、最後の一撃を放とうとした。
「それ、本当は――」
「本当はもう治ってんじゃねえの?」
 教室の後ろのほうから声がした。
 全員が一斉に振り向いて、その声の主を見つめる。浅倉くんが楽しそうに笑いながら、わたしと同じように福原くんを指さしていた。
「その包帯、ニセモノだろ?」
 ――人狼さん。
 にやりとくちびるをゆがめて付け足した言葉が、何かのスイッチを入れてしまったみたいだった。福原くんが急に暴れだして、それを止めようとしたのか、男子が何人か飛びかかった。悲鳴と叫び声がこだまする中で、「やっぱり治ってんぞ!」という、山岡くんの勝ち誇った声がかすかに聞こえた――
「これ使っていいの?」
 気づくと浅倉くんがすぐそばに立っていて、教壇の上に置いてあった段ボール箱を指さしていた。まるで、教室の騒ぎなんか全然聞こえていないかのように。
「え、うん……」
 わたしが答えると、浅倉くんは乱暴に手を突っこんで、ほこりだらけのはさみを一つ引っぱり出す。
「おれのはさみ調子悪くてさあ。マジ助かった」
 そう言いながら誰もいない席に座って、手近にあった画用紙を切りはじめる。悲鳴がいっそう大きくなって、先生が大声で叫びつづける中、浅倉くんは一人、黙々と作業を進める。じゃき、じゃき、じゃきというはさみの音が、規則正しくいつまでも響いていた。

   *

 にぎやかな声。廊下の窓に近づいてみたら、校舎から出ていくたくさんの人たちが見おろせた。冬休みに向かって一目散に、学校から流れ出していく人たち。そこだけ切り取れば、平和な、本当に平和な光景。
 段ボール箱を胸に抱えて階段を下りる。一段一段踏みしめるごとに、終わったんだ、という実感がわいてくる。学校と世間を騒がせた「人狼」事件は、これで終わり。冬休みが明ければ、誰も何も心配することのない、普通の生活が戻ってくる。
 職員室のドアをノックして開ける。入り口の近くに堂本先生が立っていて、わたしを見るとすぐに声をかけてくれた。
「ああ、それ返しに来たのか」
 はい、と答えて、段ボール箱を少し持ち上げる。中に入ったはさみがガチャ、と音を立てて、錆びたような、ほこりっぽいようなにおいがツンと鼻をついた。
「じゃあ戻しに行くか」
 堂本先生はわたしを押し出すようにして職員室を出る。そのまま無言で廊下を歩いていく。用具室についてからも、わたしから箱を受け取って、奥の棚に戻すあいだも、先生は一度もわたしの顔を見なかった。
「うまくいったか?」
 棚をごそごそいわせながら、堂本先生が聞いてくる。
「え?」
 今日一日、ずっと聞かれたかった、そしてずっと話したかったことなのに、わたしは一応聞き返す。何気ないふりをしていて、実際は先生にどう言ってもらえるのか、すごく楽しみでどきどきして、顔が少しずつ熱を持ってくるのが自分でもわかった。
 けれど、先生の答えはそっけなかった。
「卒業記念制作だよ。今日学活あっただろう」
 ああ、はい、と答えながら、内心で首をかしげる。先生はまだ知らないんだろうか。学年主任の先生なら、今日のあの出来事も知っているはずなのに。それとも、わざと当たり障りのない話をしてるんだろうか。
「みんな協力してくれたか」
 はい、としっかりうなずいた。
 嘘じゃない。いろんな意味で、みんなはしっかりわたしに協力してくれたから。
 先生は棚から手を離して、それから初めてわたしのほうを向いた。笑ってもいなければ喜んでもいない。仏頂面。まさにそういう顔をしていた。
「本当に福原だと思うのか」
 その一言に、冷たい水を浴びせかけられたような気がした。
「でも、証拠がたくさん……昨日の電話も……」
 どぎまぎしながら答えると、先生はすっと肩をすくめた。
「『状況証拠』ってやつじゃないのか? 物証は一つも出てない」
 それは、そうかもしれない。でもすぐに出る。警察の捜査が始まれば、凶器とか、指紋とか、きっといろいろ出てくるはずだ。だって「人狼」は福原くん以外にありえない。それは、先生だって知ってるはずで――
「本当に福原か?」
 何も言えないわたしを、先生は用具室の奥から、じっと見つめていた。
「杉山を襲ったのも?」
 もうほとんどの生徒が下校してしまったのか、さっきまでのにぎやかさはどこにもなかった。廊下を冷たい風が通り抜けて、部屋の入り口に立ったわたしの背中を撫でていった。手とつま先はかじかんで感覚がない。それなのに、おでこは痛みのある熱を持ったまま、真冬の空気に対抗するように火照っていた。
「佐藤、お前、杉山に変なことされたりしてなかったか」
 先生の言葉に、わたしはゆっくり首を横に振る。
「隠さなくていい。委員の仕事を押しつけられたり、陰で悪口を言われたりしてただろう。それくらい、先生たちだって気づいてた」
 わたしは唇をぎゅっと結んで、顔を伏せた。
「そうだろう? 先生の言ってること、間違ってないよな?」
 わたしはただただ、首を横に振る。
 足音で、先生が近づいてくるのがわかった。
「何となくおかしいなとは思ってたんだ。こんなときなのに、はさみを使うような案を持ってくるし……。今日の福原のことだって、まるで……クラスを壊そうとしてるみたいっていうか」
 先生がしゃがんで、わたしの顔を見あげた。ただ先生が大きすぎて、しゃがんでも顔の高さはほとんど変わらなかった。
「佐藤、正直に話してくれ。これだけは答えてくれ」まるで懇願するような口調で、先生は言った。「――お前、杉山にいじめられてたんじゃないのか?」
 しばらく、わたしも先生も黙っていた。先生はわたしが口を開くのを待っているのか、じっとわたしの顔を見あげたまま動かなかった。
「いじめじゃないです」
 ぽつりとつぶやく。
「委員の仕事は自分で引き受けたものだし、悪口は言われてたかもしれないけど、それだけです。全然、いじめとかじゃないです」
 一瞬、先生と目が合う。暗い中で光る先生の目は、確かにわたしを疑っていた。
「そうか」先生はほっとため息をつく。そして微笑みながら、わたしの肩を優しく叩いた。「わかった」
 わかってない。
「よし、じゃあ、また遅くならないうちに帰らないとな。お疲れさん。休み中は家でゆっくり休んでくれよ」
 先生がわたしの背中を押しながら、用具室を出ようとする。その大きな手に、いままでみたいな温かみは、もうなかった。されるがままに足を動かす。悔しくて目の奥が熱かった。油断すれば目の前がぼやけて、声が出なくなってしまいそうだった。
 杉山をやったのは、お前なんだろう――?
 先生の思ってることは、こんなにもはっきりわかるのに。
 わたしの思いは、こんなにも伝わらないものなんだ。
「先生」
「ん? どうした?」
「もしよかったら、保健室の記録、見せてもらってください」
 先生は怪訝そうな顔をして立ち止まる。
「あの日もわたし――保健室に行ったので」
「あの日?」
「杉山さんが、襲われた日」先生の顔を見あげて、精いっぱい、何でもないような顔をして言った。「放課後、環境委員の仕事中に、熱出しちゃって。だから、何時から何時までわたしが保健室にいたか、調べたらわかると思います」
 ちゃんとアリバイがあるってことも――。
 立ち止まったままの先生を置き去りにして、早足で歩きだす。
 廊下を突っ切って、階段の前で振り返ったら、頭を抱える堂本先生の姿が小さく見えた。

『故障中』の張り紙が付いたドアを、静かに開ける。
 誰もいないトイレはひんやりとして、独特のにおいが鼻をついた。洗面台のそばに立って、壁に書かれた落書きを眺める。先週からずっと続けた甲斐があって、もう三分の二ほどは消すことができている。たぶん今日のうちには、全部消し終えることができるだろう。
 洗剤をつけたぞうきんで、壁の文字をごしごしこする。力を入れてこすっても、油性ペンで書かれた字はなかなか消えない。一生懸命手を動かしていると、あの救急車の音が、倒れた都築さんの姿が、頭によみがえってくる。無実だったのに、「人狼」だと疑われて、居場所のなくなった都築さん。こんな落書きまでされた都築さん。せめて知らないうちに消してあげて、「なかったこと」にしたかった。早く事件が解決して、もとの楽しい学校生活を送ってもらいたかった。何か手がかりを見つけたくて、みんなにはさみを持ってきてもらうようにもした。
 でも――結局、救ってあげることができなかった。
 救急車に運び込まれる都築さんを見たときの、あの絶望感。自分には何もできないんだという、あの無力感。
 額ににじんだ汗を袖でぬぐう。赤くなった手にさらに力をこめて、最後の文字にとりかかる。
 それでも、「人狼」事件はもう終わった。都築さんには早く戻ってきて、またクラスの中心でいてほしい。受験とか、つらいこともたくさんあるだろうけど、でももうすぐ卒業だから。残りの時間を、友達とめいっぱい楽しんでほしい。
 トイレから出て、自分で貼った『故障中』の紙を静かにはずす。
 歩きだそうとして、くしゃみが出た。続けて二回。気づけば熱っぽさがひどくなっていて、何だか頭もぼんやりする。早く帰らなきゃ。でも、帰ったら謙太くんと会わなきゃ。
 もう日が暮れかけていて、まがまがしいほどに赤い夕陽が、窓の外の景色を一色に染め上げていた。

 暗くなっていく道をゆっくり歩いていたら、遠くのほうに人が集まっていることに気がついた。蛍光色のゼッケンを付けたパトロールの人たちだ。たぶん地域のおじさんやおばさんがやってくれてるんだろう。もう事件は終わって危険もないのに、ちょっと気の毒だなあと思う。見つかったら向こうの手を煩わせてしまいそうな気がして、わざと人通りの少ない裏道に入った。もちろん遠回りになる。けど、何となく時間をつぶしたい気もした。
 かばんから携帯を出して電源をつけてみたら、謙太くんからの『今から行って大丈夫?』メールが三件も来ていた。たぶんずっと待ってくれてるんだろう。返事しなきゃ――そう思ったとき、ふと後ろに気配を感じた。振り返っても誰もいない。そばの草むらでがさがさと音がした。たぶん猫か何かだ。あまり気にはならなかったけど、携帯をしまってまた歩きだす。自然と足が速まっていた。
 学校からある程度離れると、パトロールの人たちは全然いなくなってしまった。時間も遅いからだろう。今日は終業式で、本当なら生徒は昼過ぎに下校してるはずだから。人のいない住宅街の道路を早足で歩く。さっきから誰かにあとをつけられているような気がして仕方なかった。
 ――いる。確かに、電柱の陰に隠れて誰かがいる。
 足を止めて、その暗い陰をじっと見つめた。するとその人はゆっくり出てきて、わたしのほうに近づいてきた。黒い覆面をかぶっていた。
「福原くん?」
 とっさにそう尋ねる。
 答えはなかった。
 いきなり飛びかかってきたその人に押し倒されて、尻もちをつく。痛みで一瞬動けなくなって、気づいたときには、顔にはさみを突きつけられていた。必死に頭をのけぞらせる。今度はもう一方の手が首に伸びてきて、ぎゅっと締め付けられた。息が詰まった。
 消えてほしい――と、その人の心の声は言っていた。覆いかぶさる体が、肌に食い込んだ爪が、はさみをもてあそぶ指がすべて、悪意に満ちた声でわたしを飲み込む。
 お前は嫌いだ。
 いなくなればいい。
 息ができなくて、意識が薄れていく。目に涙が浮かぶ。何も見えなくなる。ああそっか、これが代償なんだ。クラスをまとめて、事件を終わらせて、わたしだけ死ぬんだ。殺されちゃうんだ、福原くんに。こんな最後なんだ。最後まで人の思い通りになって、こんな、こんな――
 顔のない黒い顔が、わたしの顔のすぐそばで、かすかに笑った。
 ――いなくなればいい。
 どうして?
 涙があふれて、止まらない。
 ――いなくなればいい。
 いやだ。
 胸の奥から何か大きなものが湧き上がってきて、突然、はじけた。
「いやだあ――――っ!」
 誰かが叫んだ。誰でもない、自分の声だった。
 ばたばたと足音がして、人が近づいてくるのがわかった。首をつかんでいた腕が引き離される。しばらくは呼吸がうまくできなくて、咳き込みながら地面に転がっていた。やがて誰かに助け起こされて、「大丈夫か」と聞かれる。
 助かったんだ。ふらふらする頭でも、それだけはわかった。たくさんの大人に手足を押さえつけられた「人狼」は、とても小さく見えた。黒いマスクが無造作に剥ぎ取られる。福原くんの顔が出てくる、と思った。
 でも違った。
 少しまぶしそうな顔をした浅倉くんは、あたりを見回しながら笑みを浮かべた。誰かに何かを聞かれても、何も答えない。抵抗しようともしない。まるで自分のまわりで何が起こっているのか、少しも理解できていないような様子だった。そのへらへらした顔を見ていると、さっきまでの出来事が夢のようにも思えてくる。そうか。もしかしたら、これは全部、夢なのかもしれない――
 浅倉くんの首が、カクンと前に傾く。それきりぴくりとも動かなくなってしまった。
「おい、どうした?」
「大丈夫だ、息はしてる」
「警察呼んだか? ちゃんと押さえとけよ」
 騒ぎを聞きつけたのか、まわりの家からもどんどん人が出てきていた。大人たちが言葉を交わすのをぼんやり聞きながら、さっき浅倉くんが出てきた暗がりを何となく振り返る。電柱の陰にまた誰かがいた。目が合う。とがった歯を見せて、その女の子はにっこり笑った。




第六章  浅倉 和奏(あさくら わかな)

 お兄ちゃんの机の引き出しは、髪の毛でいっぱいだった。つやつやした長めの毛が、ところどころでは山になって、ところどころでは一本ずつ散らばって、引き出しの中を覆い尽くしている。シャンプーのいいにおいがした。ちょっとつまんで持ち上げてみる。カーテン越しの白い光を受けて、それは透きとおるようにきらきら光った。本当にきれいな髪の毛。お兄ちゃんがほしがるのも、わからないことはない。
 ほこりだらけの部屋を横切って、窓から外を見おろす。ごみも葉っぱも落ちてないツルツルの道路は、もう見ただけで寒そうだ。いまは誰もいない。冬休みに入って一週間、だいぶ落ち着きが戻ってきた気がする。最初の頃は、電話とかインターフォンがずっと鳴ってにぎやかだったのに。そう思うと、何だかつまんないなあとも思えてくる。
 家の前を誰かが通るのが見えた。あれ、また引き返してきた。この家に用事があるんだろうけど、迷ってる感じ。ニット帽をかぶった、背の低い男の子――よく見ると、お兄ちゃんの友達の西田くんだった。
 ちょっとおどかしてやろうかな。
 お兄ちゃんのまねをして、黒い覆面を頭からすっぽりかぶる。
 絶対びっくりするぞ。我ながらいい思いつきに、にやにや笑いが止まらない。
 お気に入りのピンクのジャンパーを着る。マフラーも巻く。手袋も。体がもこもこっと大きくなると、自分がちょっと強くなった気分。
 忍び足で二階から下りる。覆面で顔を隠していても、意外と視界良好。自分の体温で、すぐにマスクの中がぽかぽかしてくる。あ、これいいかも。けっこうあったかいし。乾燥も防げるし。
 足音を聞かれたんだろうか。お母さんがリビングから出てきた。やばっと思ったときにはもう遅くて、お母さんはあたしを見て、すごい顔で怒鳴りはじめた。
「あんた何やってるの! そんなの、取りなさい! 早く、早く!」
 あははっ。怖がってる怖がってる。思わぬところでいたずら成功。
 お母さんが何か言いながら詰め寄ってくる。めんどくさいからとりあえず覆面を脱ぐ。バチン、とほっぺたを叩かれた。涙目で見つめられる。「もう、やめてよ、もう……」
 この一週間で、お母さんはだいぶ疲れたみたい。目の下にクマができてるし、髪の毛もぺったんこ。お化粧もまともにできてない。
「西田くん来てるから行ってくるねー」
 笑いながらそう言って、玄関に走る。
 叩かれたほっぺがずきずき痛む。こういうときって、考えること自体めんどくさい。深く考えない。感情をシャットアウトして、とりあえず突っ走って、わーって何かやって、忘れちゃう。叩かれたってあたしは傷ついてないし、悲しんでもない。気にしてもいない。
 また覆面をすっぽりかぶる。
 玄関から外に出ると、ちょうど家の前にいた西田くんがこっちを向いた。
 その瞬間、西田くんはヒッと叫んで、バランスを崩して転びそうになった。顔はおもしろいくらい引きつっている。やった、成功、成功。
「……何のつもりだよ」
 西田くんが目を吊り上げて、こっちをにらんできた。あたしは覆面を脱いで、にっこり笑う。
「何のって、お仕置きだよ? 西田くん、学校サイトのアバターにいたずらした犯人だったんでしょ?」
 言葉を詰まらせた西田くんの顔が、みるみる真っ赤になる。「うるせえよっ」と叫ぶと、手に持っていたノートを地面に叩きつけた。できそこないの紙鉄砲みたいな音が、誰もいない道路に響きわたる。
「関係ねえだろ」
「あれ、逆ギレ? ダメだよー。ちゃんと反省しなきゃ。警察の人とかにもちゃんと怒られた?」
「黙れよ!」西田くんがノートを蹴り飛ばす。アスファルトの上を、それがばさばさ広がりながら転がっていく。
「お前の兄貴のせいでこっちはよぉ、ひどい目にあわされてんだぞ?」
 そう言って西田くんは、ずれてしまったニット帽を手で直した。ちらっと見えたのは、中途半端に切られた髪の毛。
「何がお仕置きだよ、ふざっけんなよ……」
 まっすぐあたしに向かってきた西田くんは、でも途中で足を止めた。歯ぎしりしながらあたしをもう一度にらみつけると、くるっと背を向けて歩きだす。早足で遠ざかっていく背中を見送りながら、自然と笑いがこみあげてきた。何であたしにキレてんだろ。受験生なのに、「自業自得」っていう言葉、知らないのかなあ。
 蹴られてぐしゃぐしゃになったノートを拾い上げる。いつか、お兄ちゃんが西田くんに貸してあげたノートだった。
 ぱんぱん、と手袋をした手で砂を払う。あーあこんな汚しちゃって。潔癖のお兄ちゃんは怒るだろうなあ。
 潔癖じゃないほうのお兄ちゃんなら、怒らないだろうけど。

   *

 三学期の始業式が終わって、白くけぶる雨の中を、色とりどりの傘が校舎から出ていく。その中のひとつに、あたしは走って飛び込んだ。
「えいっ!」
 福原くんのぎょっとした顔が、すぐ近くに現れる。ふつうなら、恥ずかしくて近づけないような距離に。その顔を見あげて笑う。
「急に降ってきたねー。さむーい。てか湿気きもちわるー」
 ぎゅっと体を寄せて、二人でひとつの傘に入ったまま歩きだす。煙のような雨が、福原くんの黒い傘をぱらぱら叩く。歩調を合わせるのが意外と難しくて、すぐに肩とつま先が濡れていく。
「冷たっ! もー、水たまり踏んじゃったんだけどー」
 無反応。
「福原くん、最近どう? 元気?」
 何も答えてくれない。
「疑われて大変だったよねー。お兄ちゃんが捕まってくれてよかったね?」
 福原くんの顔色がさっと変わった。あたしの腕をつかんで、ぐいと引っぱる。そのまま道ばたの植木の陰に引っぱりこまれた。福原くんは体をかがめるようにして、傘の向こうにじっと視線を送ったまま。女の子が二人、目の前を通り過ぎていった。静かに、でも楽しげに、何かを話しながら歩いていく。派手めな傘をさしたほうの子には見覚えがある。こんな雨の日に、福原くんが襲った子。金属バットで殴られて、猫みたいに倒れた子――
「――落ちてた」
 声をかけられた気がして振り向くと、福原くんの目があたしを見ていた。怒っているような、怖れているような、迷っているような目。でもすぐにそらされた。
「え? 何?」
「都築が襲われた場所にも、はさみが落ちてた」
 福原くんの声は小さい。通り過ぎていく人の話し声のほうが、よく聞こえる。
「うん」
「だから都築を襲ったのも、『人狼』だったってことになってる」
「うんうん」
 うなずきながら、必死で笑いをこらえる。福原くんが何を言いたいのか、よくわかった。
「はさみを置いたの、和奏ちゃんだよね?」
 我慢できずに吹き出してしまう。やっぱばれてた。「そだよ。だって福原くん、ツメが甘いんだもん。ちゃんと証拠残しとかないと、誰も『人狼』のしわざだって思ってくれないよ?」
 雨が傘の向こう側を叩く。その黒い傘の中で見る福原くんの顔は、病気の人みたいに白っぽく見えた。
「……助けてくれたってこと?」
「何言ってんのー?」にっこりしてあげる。「あたし、そんないい人に見える? てかちゃんとチクッといたよ。知らないと思うけど、『犯人は福原くんでーす』って学校に電話かけたの、あたし」
 福原くんの目が見ひらかれて、口がぽかんと開く。あははっ、変な顔。
「そんなことしたら……僕が『人狼』みたいだろ」声が震えている。「全部……僕のせいになるとこだった」
 雨粒が植木の枝に当たって、ぴちゃん、ぴちゃん、とジャンパーのそでに跳ねた。きれいなピンク色が、じわ、と濁った色に変わる。
「何がしたかったの?」
 いまにも泣きだしそうな顔で、福原くんはかすれた声を出した。
「彰人を嵌めたかったの? ……僕を嵌めたかったの?」
 言ってる意味がわからない。嵌めるとか嵌めないとか。まるで、あたしが黒幕みたいじゃん。
「あたしは何にもしてないよ。お兄ちゃんと福原くんが勝手にやっただけじゃん。すっごい面白かったよ、見てるほうとしては。でもびっくりしたなー。あたし、確かに福原くんにバット渡して『ストレス発散してね』みたいなこと言ったけどさあ、まさか人間殴るとは思わなかった。あははははっ」
 福原くんは息をのんで、それからがっくりと肩を落とした。傾いた傘から、ぼたぼたと水滴が落ちる。あーあ、ショック受けちゃった。
「でも福原くん、今回散々だったよね。西田くんに爆弾で手吹っ飛ばされたり、無実なのに疑われたりさあ。もうじゅうぶん罰受けたと思うよ?」
 耳元に顔を近づけて、そっとささやく。
「だから、福原くんがあの女の子を襲ったことは、もう黙っといてあげる。ってか、いまさら言ったって誰も信じないだろうし。全部お兄ちゃんのしわざってことになったもんね。――その代わり、あたしからのお仕置き!」
 福原くんのほっぺを思いっきりつねる。
「……っ!」
「あははっ。ごめん痛かった?」
 怒るかなと思ったのに、全然反応がない。赤くなったほっぺに手を当てて、福原くんはつぶやいた。
「和奏ちゃん……大丈夫?」
「何が?」
「何がって……」目を伏せる福原くん。「何でそんな、楽しそうなの」
 自分の口から笑い声が漏れた。そんなに、楽しそうに見える?
「だって楽しいんだもん。人狼事件だけでも楽しいのにさ、その犯人があたしのお兄ちゃんなんだもん! ウケるー」
 沈黙。
 強い風が吹いて、傘を叩く雨の音が一瞬大きくなった。はきだす息で温まりかけていた傘の中も、すぐにもとの冷たさを取り戻す。
「あいつ、いま入院してるって聞いたけど」
「うん、精神病院」
 セイシンビョウイン。自分で言った言葉なのに、その聞き慣れない響きが、湿った空気の中にぽっかり浮かぶ。
「……最初から知ってたの?」
「何を?」
「あいつが『人狼』だって」
 首を横に振る。
「全っ然。お兄ちゃんが西田くんを襲った話、したっけ? 『杉山さんのかたきうちかな?』とか話したじゃん。あの頃まだ知らなかったよ」
 お兄ちゃんが本物の『人狼』――最初の被害者、杉山さんを襲った犯人だと知ったのは、実際もっとあと。
 よくわからない、というように、福原くんは首を振った。
「結局、あいつ、何で西田なんか襲ったの。杉山を襲ったのは自分だろ。あいつが西田を狙う理由なんか何もなかったんじゃないの。あの二人、仲良かったし……」
「嫌ってたんだよ、心の底では」
「え?」
 福原くんが顔を上げてあたしを見た。
「前も言わなかったっけ? お兄ちゃん、すっごいマジメなとこあるじゃん。だから本当は西田くんみたいな子苦手なんだよね。なのに本心隠して、無理やり不真面目なふりして、一緒にふざけて……それである日、どかーん! みたいな」
 あたしは笑ったけど、福原くんは肩をすくめただけだった。もう少し説明をしてあげる。
「最近ね、お兄ちゃん、変になることが多かったんだ。だいたい夕方の時間だったかな。あっそうだ、おもしろいんだけど、お兄ちゃんって普段ケッペキなのに、そういうときのお兄ちゃんって全然潔癖じゃなくて」
 それが起こりはじめたのが、ちょうど人狼事件の始まったころから。あたしの顔を素手で殴ったり、誰かにノートを貸したり――そんなの、いままでのお兄ちゃんにはありえないことだった。
「でもその代わりっていうか、性格のほうが超マジメになっちゃって! 一回そういうお兄ちゃんと話したことあるんだけど、もうすっごいの。不真面目な人の悪口ばっかり言ってて。『西田は性格が腐ってる』とか、『誰々は偽善者だ』とか、『本心を隠すやつは嫌いだ』とかね」
 福原くんは何か言いかけたけど、そのまま黙り込んでしまった。
 そうだ。福原くんに聞いておきたいことがあったんだ。
「質問なんだけどさあ。最後に襲われた佐藤さんって、どういう人だった?」
「え?」
「何でもいいから、イメージで言ってみてよ」
「イメージって……」
「もう、何でもいいからさ」
 福原くんはちょっと考えてから、ようやくぼそぼそと話しはじめた。
「まじめ。型にはまってるっていうか……正義感が強そう。でも何ていうの、これ見よがしな感じ。どっか嘘くさいっていうか……」
「それ、一言で言うと?」
 福原くんは答えない。でもあたしと同じことを考えているのがわかった。
 ――偽善者。きっと、お兄ちゃんにはそう見えたんだ。
「じゃあ杉山さんは?」と続けて聞いてみる。
「よく知らない。話したことないし」
 そっけないなあもう。お兄ちゃんがどうして『人狼』になっちゃったのか、一緒に考えようよ。そもそものきっかけは、杉山さんだったはずだから。
「何でもいいからさあ。ねーねー、どんな人だった?」
 福原くんはそっぽを向いて、あきらめたようにつぶやいた。
「ぶりっ子……っていうの? 人によってすごい態度変わる」
「あっちゃー。そういう人に合わせるのって苦痛だったと思うよー、マジメなほうのお兄ちゃんにとっては。あ、そうだ見て見てっ」
 ジャンパーのポッケから取り出したものを、福原くんの鼻先に突きつけた。さっと顔をそむけられる。その仕草がかわいい。
「杉山さんの」
 黒々とした髪の毛が、あたしの指の間からするするとこぼれ落ちていく。
「ほしかったのかなあ? それとも奪いたかったのかなあ?」
 ズボンにくっついた髪の毛を払いながら、福原くんは「ゆがんでる」とつぶやいた。
 同意はしないでおく。寒さのせいか福原くんは身震いして、きゅっと体を縮めた。
「やっぱり……病気だろ。統合失調症? それか、解離性同一性障害とか……」
 あたしは首を振る。
「違うよ、違う違う。病気なんかじゃない」
「何で。病気だろ、明らかに」
 ため息をつく。頭いいくせに、全然わかってないんだからなあ、もう。
「いろんなお兄ちゃんがいるっていうだけの話。お医者さんもそう言ってた」
「いろんな……?」
「福原くんの中にも、いろんな福原くんがいるでしょ? 勉強をがんばる福原くんがいて、絵が大好きな福原くんがいて、女の子を襲っちゃう福原くんがいるんでしょ? じゃあ聞くけど、福原くんは病気?」
「…………」
「あははっ。言い返せないよねー」
 福原くんはあたしのほうをちらっと見て、「じゃあ」とささやく。
「和奏ちゃんの中にも、いろんな和奏ちゃんがいるの?」
「いるよ、もちろん」
 そりゃああたしの中にだって、いろんなあたしがいる。いたずら好きなあたしがいて、マジメなあたしがいて、気の強いあたしもいて、もしかしたら、人を殺しちゃうあたしだって――
「じゃあその中には」福原くんは、不安そうな顔をあたしに向けた。
「優しい和奏ちゃんもいるの?」
 思わず吹き出してしまう。その質問は予想外だった。「ちゃんといるよ」
「どこに?」
「ここっ」ジャンパーの隙間から自分の胸を指さして、笑う。
「それ信じていいの」失礼なことに、福原くんは半信半疑みたいだった。
「何でー? 信用できないー?」
「じゃあ、それなら、もっと普通にしようよ……だって、こんなときに笑ってるのって、変だろ? いつか大変なことになるかもしんないよ。……もう十分、まずいことになってるし……」
「あははっ、心配性ー!」
 福原くんの言葉を、思いっきり笑い飛ばす。
 こんなふうに笑えるのも、優しいあたしを隠しているから。
 傘を持った福原くんの手をぎゅっとつかんで、乱暴にゆさぶる。冷たくて、ガサガサで、でも頼もしい手。もう怪我は大丈夫なんだろうか。お父さんとは、あれからうまくいってるんだろうか。
「あたしの心配より自分の心配したら? 受験生なんだからさー」
 胸がどきどきしているのをごまかすように、あたしの口から笑い声が漏れる。
 こうやって好きな人の手をにぎっていられるのも――気弱で臆病なあたしを、ちゃんと隠しているから。

   *

「来た来た」
「やべっ、避難避難」
 教室に入ると、みんながばたばたとあたしから離れた。冬休みが終わってから、ずっとこうだ。
「わたしこの前見たんだけど、あいつ猫いじめたりしてんの。石投げたり」
「ウソ、かわいそー」
「やっぱ一家で頭おかしいんじゃない?」
 大声でささやかれる言葉が、いやでも耳に入ってくる。でも、聞こえないふり。感じないふり。そうやっていれば、一日はあっという間に過ぎていく。
 トイレに行って戻ってきたら、何だか教室の中が騒がしい。見ると軍手をした男の子があたしの机を押して、笑いながら走り回っていた。
「きたねー!」
「狂人エキスつけんなよお」
「うつるうつる」
 きゃあきゃあ、オーバーなリアクションでみんなは避ける。
 机の中に入れていた教科書やノートは床に落ちて、いくつもの足跡がつけられている。椅子はもうどこに行ったかもわからない。わざとらしい悲鳴と、うれしそうな笑い声が、教室いっぱいにこだまする。
「あははははっ」
 あたしも一緒に笑ってやる。へいき、へいき。あたしは傷ついてない。悲しんでない。
 ダッシュして、いろんな人にぶつかりに行ってやる。みんなの怖がる顔がおもしろい。そのまま軍手の男の子に突撃する。「うわあ」って間抜けな声を出して、その子は汚い床の上に尻もちをついた。
「あははははっ」
 楽しい、楽しい。
 強い自分が、ちゃんと自分の中身を守ってくれている。

 並木道を一人で歩く。ひゅう、と風が背中を押した。思わず首をすくめる。
 もこもこのジャンパー、ふわふわの帽子、ぶ厚いマフラーに手袋。制服の下には、さらに何枚も重ね着してる。これだけ完全武装してても寒い。昨日ニュースでやってたけど、この冬いちばんの寒波らしい。しかもまだまだ寒くなるとか。あーやだやだ。
 並木の枝が風でしなる。はだかんぼの桜は、いつ見てもおかしいなあと思う。ずっと葉っぱ付けとけばいいのに。冬になったら服を脱いじゃうなんて、変な感じ。
 公園のそばまで来たとき、植え込みのあたりでがさがさ音がした。何だろう。覗き込んでみたら、その中で丸まっている白いものが見えた。手を伸ばすと、慌てて逃げようとする。足を引きずっていた。ああ、あのときの猫ちゃんだ。その子は植え込みから飛びだして、よたよたと不格好に走りはじめる。
「待て待てー」
 追いかけると悲鳴をあげてさらに逃げる。でも転ぶ。あははっ、おっかしい。
 どうして逃げるんだろう。心配しなくても、今日は石なんか投げないよ。ちゃんとエサも持ってきてるんだ。おいしいよ? おなかいっぱいになれるよ?
「捕まえたっ」
 暴れて引っかこうとするけど、完全武装のあたしには通じない。腕をつかんで仰向けにしてみる。白いおなかが丸見えになった。体をむにむにと揉んでみる。
 むにむにむに。
 どうしてこんなに柔らかいんだろう? 強くにぎったら、すぐにつぶれてしまいそう。
 むにむにむに。
 今日は何して遊ぶ? そうだ、ダンスしようダンス。せーの、いち、に、いち、に……あたしの手の動きに合わせて、猫ちゃんがかわいく踊りだす。
 むにっむにっむにっ。
 小さな小さな、よわっちい命が、あたしの手の中で踊ってる。ねーねー、あたし、強いでしょ? その気になったら、きみなんかどうにでもできちゃうんだよ?
 赤ちゃんが泣くような声で、猫は叫びつづける。うるさいなあ。ちょっと静かにしてよ。ああ、首もこんなに柔らかい。鳴き声が振動になって、指にぷるぷる伝わってくる。
 むにっむにっむにっむにっ。
 自分の唇が吊り上がっていくのがわかる。楽しくて笑い声が漏れる。
 あれあれ、どうしたの?
 きみ、何だか苦しそうだね。
 むにっむにっむにっむにっ
 むにっむにっむにっむにっ……

   *

 がこん。
 缶の落ちる音が、暗い廊下に大きく響いた。もう電気はほとんど消えていて、「非常口」の緑色のランプだけが強く光っている。窓から外を見ようとしても、自販機の明かりに照らされた自分の姿しか映らない。
 この病院は、大きな山のふもとにある。意外と交通の便もよくて、車で来れば家から一時間もかからない。今日はお兄ちゃんのために、家族で泊まりこみ。入院してもう二か月。早く退院するには周りの人のケアが欠かせないんだって、お医者さんも言ってた。でもケアって、何をすればいいんだろう。お父さんやお母さんは何も教えてくれない。ただ「大人しくしていなさい」って、あたしに言いつけるだけ。
 アツアツの缶を手の中で転がしながら、静まりかえった病棟を歩く。やっぱりジャンパー持ってきて正解。夜はまだまだ寒いのに、「もう春なんだからいらないでしょ!」なんて、お母さん頭おかしいんじゃないの。
 病室に戻ると、お兄ちゃんのベッドのそばには誰もいなかった。あれ、お父さんもお母さんもどっか行っちゃったのかな。よく見ると、ほかのベッドにも誰もいない。部屋にはあたしと、眠っているお兄ちゃんの、二人だけ。
 椅子に座って、買ってきた缶入りコーンスープをちょびちょび飲む。シーツから顔だけ出して、お兄ちゃんはのんきに寝息を立てている。
 病院に送られる前のことを思いだして、ちょっと思いだし笑い。夕方になると人が変わって、それまでの性格が全部裏返ってしまったみたいになったっけ。たぶん、それまで押さえつけられていたお兄ちゃんの裏側が、表に出てきてしまったんだと思う。最近はけっこう落ち着いてきたみたいだけど。
 お兄ちゃんが退院するとき、あのマジメなお兄ちゃんはいなくなってしまうんだろうか。それはそれで、何だかさびしい気がする。あのお兄ちゃんのほうが楽しかったのにな。
 無理して押さえつけるから、こんなことになるんだよ。
 コーンスープで温まった息をほっと吐く。
 押さえつけるんじゃなくて――皮をかぶればよかったのに。マジメに思われたくないなら、不真面目な衣装を着ればよかったんだ。あたしみたいに。そしたらちゃんと、自分の中身は守れたのに。
 缶が床に落ちて、生温かい液体が足にかかる。
「あははっ」
 オオカミの皮をかぶった人間が、いちばん強いんだぞ。
 ねえ聞いてる? お兄ちゃん。
 平和そのものという様子で眠るお兄ちゃんの顔を、そっと撫でる。
 気づくと首に手を伸ばしていた。
 そういえばお兄ちゃん、こんなふうに女の子の首絞めてたよね。佐藤さんだっけ? こうやって、ぎゅううって。ぎゅううーって。もうちょっとで殺人犯になるとこだったよねえ。こうやったらお兄ちゃんも死んじゃうのかな?
 残酷な想像が膨らむ。お兄ちゃんの顔が苦しそうにゆがむ。
 でもあたしは大丈夫。オオカミの皮で、本当の自分をちゃんと守ったから。お兄ちゃんみたいなことには、なりませんよ、と。
 首から手を離そうとする。
 あれ、おかしいな。
 手の力が、抜けない。
 どんどん強くなる指の力。吊り上がっていく口の端。
 演じていたはずなのに。本当の自分じゃなかったはずなのに。
 あたし、いま、楽しんでる――?
 お兄ちゃんの目がかっと見ひらかれた、その瞬間。
 自分のじゃない自分の笑い声が、どこかで響いた。






 窓から光が差していた。気づくと汗びっしょりになって、ベッドの上に横たわっていた。
 震えが止まらない。
 いつものように着替えて一階に下りると、お母さんが大声で叫んだ。
「まだそんなジャンパー着ていく気? 暑苦しいから、脱ぎなさい! 早く!」
 その声もあまり耳に入らない。夢に見たあの笑い声が、耳にこびりついて離れない。まだ体が小刻みに震えている。
 玄関から外に出ると、ランドセルを背負った小学生が目の前を走り抜けていった。半そでの子もいる。何で? まだ冬なのに。
 何も感じないまま、何も考えられないまま、遊歩道をとにかく歩く。あれ、今日の学校の準備してきたっけ。あ、そっか今日は修了式だから、別に持っていく物ないのかな。そういえば今日で学校行くの最後なんだ。三年生からは別の学校に行くから……。
 横断歩道のそばで、さっきの小学生たちが集まっていた。地面の何かを棒で突っついている。あたしがじっと見ていると、そのうち皆いなくなってしまった。
 近づいてみてわかった。
 地面に落ちていたのは、あの白い猫だった。体はやせ細って、足はまだ妙な方向に折れ曲がっている。満足に動けないまま、車にでも轢かれたんだろうか。それとも、エサを食べられずに餓死してしまったんだろうか。
 ひざをついて、そっと触ってみる。骨と皮だけになった体は、ごつごつして気味が悪かった。信じられなかった。あんなに――柔らかかったのに。
 風が吹いてきた。
 首をすくめた瞬間、視界の中に白いものが舞った。
 あれ?
 明るい日差しに照らされて、桜並木が花びらをひらひらと散らしていた。しばらく、それをぽかんと見つめていた。何だかふしぎだ。いつも歩いてた道なのに。気づかなかった。いつの間に咲いていたんだろう。いつの間に、冬は終わっていたんだろう。そういえば空気が暖かい。日差しも強い。いつの間に? まぶたの裏側が、じんわりと熱くなっていく。こんな簡単なことも、あたしは感じなくなってたんだろうか。
 にぃ、と小さな声がした。
 はっとして見おろす。
 倒れた猫が、茶色い目をあたしに向けていた。かすかに揺れる、透きとおるように潤んだ目。生きてる。生気のない体の中で、その目だけが力を持って動いていた。
 もうあの笑い声も聞こえない。寒くもない。暑苦しいジャンパーを脱ぎ捨てて、小さな体をそっと抱き上げる。
 ぎゅっと抱きしめた。
 その温もりを、確かに感じた。






   おわり




 
2015-04-15 19:21:52公開 / 作者:ゆうら 佑
■この作品の著作権はゆうら 佑さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 こんにちは。今回は「人狼ゲーム(汝は人狼なりや)」に着想を得て、ちょっとこわめの話を書いていきたいと思います。章は時系列順に並べ、視点を変えて物語が進むごとに、少しずつ謎が明らかになっていく――というような構成にする予定です。ご意見ご感想等、よろしくお願いします。(1月18日)

 第二章を更新しました。西田くんみたいなキャラは感情移入しにくいかもしれませんが、彼の物語をちょっとでも楽しんでいただければ幸いです。少しは作品の流れが見えてきたでしょうか……。ご指摘のあったジャンルについては、いろいろ考えた末に作品説明に加筆してみました。(2月2日)

 第三章を更新しました。ようやく半分。いや、もう半分、でしょうか。最近はだいたい半年くらいのスパンで長編一本を書いていたので、今回みたいな頻度で更新するのはひさしぶりです。できれば年度内に書き上げたいのですが……あまり焦らずに行きたいと思います。(2月18日)

 第四章を更新しました。前回から二週間でアップできましたが、枚数はちょっと少なめです。それにしても、何だか悲しい話ばっかり書いてる気が……。(3月4日)

 時間がかかりましたが第五章を更新しました。前の章をせっせと書いた分、今度はじっくり作ってみたつもりです。長かった……。やっぱりこの章が大きなヤマ場になったかなと思います。ご意見ご感想等、いただけるとうれしいです。(3月25日)

 気づくと四月も半ばですね。すっかり春になってしまいました。つい最近まで一月か二月だったような気がするのですが……。さて、和奏の章を更新しました。当初思い描いていた筋書きからそれほど変更もなく、ぼくとしては書き切った気でいるのですが、どう受け取っていただけるのか不安もあります。長編のラストってこんな感じでいいんでしょうか。いまだに感覚がつかめません。ご意見ご感想等、いただけるとうれしいです。(4月15日)

1月18日 第一章投稿。
2月 2日 第二章更新。ジャンルについて作品説明に加筆。
2月18日 第三章更新。
3月 4日 第四章更新。
3月25日 第五章更新。ご指摘を受けた箇所や第四章の冒頭を少し修正。
4月15日 第六章更新。
この作品に対する感想 - 昇順
読ませて頂きました。
ところで『人狼ゲーム』って、元ネタ何なんだ?実は神夜、つい2ヶ月くらいまでこのゲーム知らなかったんだけど。ニコニコだったかユーチューブだったか、それで見て初めて知った。神夜が知らないだけで、これは普通に有名なゲームなのだろうか。最初の素朴な疑問だった。
そしてゆうら 佑さんは何や。あれか。一人の視点で物語を書いたら死んでしまう病か何かを発祥しているのか。あるいはそういう書き方の長編しか書けない病か何かか。もはやこれがゆうら 佑さんの書き方なのだと認識してしまっているからあれだけど、この書き方の問題点が毎回言っているかもしれせんがひとつある。あれ言ったことなかったっけ。まあいいや。
つまりは「感情移入が難しい」こと。今回で彰人が終わり、もうきっと、この視点でこの物語が描かれることはないのだろう。そうなってくるとやっぱり都度都度、新しい登場人物に感情移入することが難しい。ようやく移入できた、と思ったらその章が終わってしまうからである。そうなると、読んでいる側はやっぱり最後まで「傍観者」として見ていることになって、そのまま完結してしまう結果、「置いて行かれた感」であったり、「肩透かし感」なんてものを感じるんだと思ってる。
それがゆうら 佑さんの求めるべき書き方なのか、あるいはそれを狙っているのか。しかしそれでも「傍観者」としてでも楽しませて頂ければ、神夜としてはそらもうすげえ満足なので、とりあえず全部あっちこっちに置いておくとして、最初の章の終わりでいきなりブラックな方へズイズイと進んで行って正直驚いている。ここまで来るともう「遊び」の範疇を超えているから、この後にどう物語を展開させるのかが素直に気になります。
続きを楽しみにお待ちしております。
2015-01-19 17:31:16【☆☆☆☆☆】神夜
>神夜さん
 さっそくお読みいただきありがとうございます。
 人狼ゲームは、かなりマイナーだと思います。作中に「知ってる人も多いと思う」とか書いてますけど、あれは彰人の考えですから。ぼくも二年ほど前に一度やったきりで、たぶん二度とやることはないでしょう(笑) だからこのゲームの説明は丁寧にするよう心がけました。元ネタはよくわかりません。ごくごく最近広まってきたゲームのようです。
 そういう病気は、たぶん発症してますね……次回作は一人視点で行こう、と新年の誓いを立てたにもかかわらず、先にこっちのネタが浮かんでしまったのでこっちに手を付けてしまいました。そしてなるほど、感情移入ですか。これまでにも神夜さんには「置いて行かれた感」や「肩透かし感」を感じると指摘されてきましたが、この構成自体に原因があったとは……正直気づきませんでした。理想としては章ごとに感情移入していただければ、もう願ったり叶ったりなんですけれど、そううまくはいきませんよね。枚数を増やせばまた違ってくるのかもしれませんが。うーん。ところどころは傍観者で構わないのですが、でもところどころでは感情移入してほしい……というのが正直な気持ちです。ただ今回はちゃんとすべての話が連続して、最終章を読み終えたときに「ああ終わった」と感じてもらえるものを書こうと思っています。
 そして内容ですが、おっしゃるとおり今回はかなりブラックなんです。自分でもこわいなーと思いながら書いていて……というのも、ぼくはホラーとかがすごく苦手なので。
 感想ありがとうございました。来月の頭には第二章をアップできるよう頑張ります。
2015-01-19 22:54:35【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
 作品を読ませていただきました。
 人狼――大学時代に頻繁にやっていた(比喩でなく百回は確実にやっている)僕にとっては非常に興味深い題材です。ゼミの飲み会とかでやっていたのですが、これやっていると本当にお酒の席なのかってくらいに剣呑な雰囲気になるのですよね(笑)。こう、生を飲みながら周りの人の顔を皆ねっとりと窺っている、みたいな(笑)。でもですね、雰囲気はともかくすごく楽しかった。とあるゼミの教授が供述から情報を引き出したり、論理的に嘘を見破ったりするのが得意でめちゃくちゃ強かったなあ(だけど嘘は下手でした)。友人宅で飲むときなど人数が足りないときはワンナイト人狼なんかをやっていました。ワンナイト人狼は頭の体操みたいで普通の人狼とはまた違った楽しさがありましたね。
 本題。お話の感想。
 思ったのですが、これ、ミステリでもサイコホラーでも何でもないのですよね? ジャンルにミステリともホラーとも表記がなくリアル・現代なのでおそらくそうなのだと思います。でも、これを最初に読む人はだいたいミステリとかホラーとかを期待して読むんじゃないかな。登場人物と一緒にスリルや謎解きをしてのめり込もうとする方はびっくりするかも。僕としてはどのような展開であっても最後まで読むつもりですが(貴方の文章が好きなので)、もし、視点を変えつつ、本当に顛末だけをひたすら描くというなら、そういうのを期待していた人は「思っていたのと違う」ってなる可能性はあると思います。ああ、でも、これはあくまで僕の私見なので気にしないでください!(笑) 映画の『11:14』みたいな作品を目指すなら、それはそれで非常に刺激的でしょうから! お節介かもしれませんが、現段階で無理な路線変更をされるよりは初期の構想を貫かれた方が良いように感じます。
 ここまで読んで抱いた印象としては、題材が題材だけに人を選ぶかなというものです。こういう遊びで悪趣味なことをすることに激しい嫌悪感を抱く方や、作中に出てくる妹さんを始め一部キャラが受け付けないという方には辛い内容なのかもしれません。でもこの二つは作品の味にもつながってきますので、変に迎合してはいけないと思います。
 次の章を読めば全体的なノリと言いますか、ストーリーの流れも見えてきそうです。個人的には続きがとても気になります。
 次回更新をお待ちしています。ピンク色伯爵でした。
2015-01-23 19:10:03【★★★★☆】ピンク色伯爵
主人公、いい感じでした。
中学生の視点、のようなものが「実際にありそう」で、それでいながら「ステレオタイプ」に陥っていないバランスの良さ。
そういうのがところどころの文からも滲んできます。


>はは、と二人で笑う。何かいい雰囲気。誘っちゃうか? このままマックとか誘っちゃうか?

この誘っちゃうのがマック。ってところだけで、恋愛に不慣れな如何にもな感じが出て、更に中学生の限られた行動範囲の狭さのようなものを感じました。
ほんとう、さり気なく置いているのですが、そのさり気なさが好きです。

>夕方のニュースらしい。聞き慣れたアナウンサーのしゃべり方。何となく立ち止まって見てしまう。
>時事問題対策、のはずが、何だかニュース見ないと落ち着かない体質になってしまった。あーやだやだ。

ここなんて、ニュースをチェックすることは良いこと、とありきたりな説教や目線にはいかず、この主人公の素直な息遣いに、それすら覆う受験のプレッシャーとか伝わってきます。

若い、とか、中学生とは、とか。
そういう「解説」じゃなくて、一人称でその出来事の見方、見え方の中に、さりげなく入れて、一緒に実感させる。
うう、上手い。

ちょっと心配なのが、こうした中学生を、次の章からオムニバス形式(?)で進めるとのことで、ゆうらさんが捉えている「中学生像」からどうそれを克服して、
「西田慶」「都築李緒」といったひとりひとりの人物の個性をこうした語りの中で差異を作れるか。
難関だと思います。
お年頃の女子学生ってだけで難易度高いじゃないですか。これで書き分けまで出来たら、とんでもない作品になると思います。

その「とんでもない」傑作が生まれるかも知れない、そんな予感を感じさせる主人公の造形、描写でした。ほんと上手いなー。

ここまでで、犯人が匂っているのが、担任のゴリラ先生でしょうか。
受験生同士のいざこざに見えて、実は大人から見たら。的なそういうのはちょっと何処かで見た感じがあるので、うーん、でも、ミスリードにはまってるのかな。
「犯人は?」的な推理や答え合わせよりも、展開、描写、見せ方、説得力のある犯行動機とかを楽しみたいな。そっちよりの作品が、自分は好きなんです。
2015-01-24 09:43:30【★★★★☆】えんがわ
>ピンク色伯爵さん
 今回も感想ありがとうございます!
 おお、人狼をやったことがおありなんですね。ぼくもやったのは大学のときの合宿の夜なんです。やろうと言いだした一人以外は全員初めてで、しかも合宿の疲れと酒の力でさんざんなゲーム内容だったことを覚えています。でもたしかに、あのときのみんなの目は尋常ではなかった(笑)
 ジャンルをリアル・現代だけにしたのは、「ミステリ」や「ホラー」を書こうという意思がぼくになかったためで……読む人に謎を解いてもらったり、こわがってもらったりするのを狙ったわけではないので、意図的にジャンルからは外しました。これまでさんざんミステリやホラーは専門外、と言ってきたクチですし、実際ちゃんと書ける気もしませんし、この作品もそういう系統ではない(つもり)ですし……。だからスリルとか謎解きを期待されると困ってしまうのです。「思っていたのと違う」って思われないためにジャンルからは外したのですが(笑) 作品紹介の下に「これはミステリでもホラーでもありません」って書いておこうかな……。あの作品紹介もまぎらわしいんですよね。ごめんなさい。
 とにかく次の章ですね。まだうまく説明できないのですが、おっしゃるとおり、次でかなり流れは見えてくると思います。
 >>ここまで読んで抱いた印象としては、題材が題材だけに人を選ぶかなというものです。こういう遊びで悪趣味なことをすることに激しい嫌悪感を抱く方や、作中に出てくる妹さんを始め一部キャラが受け付けないという方には辛い内容なのかもしれません。
 ううむ。いや、もちろん、こういうのを好きになってくれとは思いません。むしろこの章では彰人と一緒に怒ったり嫌悪したりしてほしいんです。ぼくも好きで書いているわけではありませんし……。あ、「妹さんを始め一部キャラが」の表現に、妹以外にも嫌なやつがいるのかな、と思って登場人物を眺めてみたのですが……見事にいけ好かない人物で固められていて、自分でびっくりしてしまいました。ぼくはこれまで自分が好意を持てる人間や、自分に似た性格の人間を書いてきたので、その反動なのか、もしくは未開拓の領域に切り込んだということなのか……その分ぼくとしては楽しみもあるのですが。
 いろいろとご指摘ありがとうございました。まずは次の章の完成に力を注ぎたいと思います。

>えんがわさん
 こんにちは。感想ありがとうございます!
 主人公いい感じでしたか。よかった。一人称は最近よく書いているので、そう言っていただけてうれしいです。別にリアルさを追求しているわけでもないのですが、自分がこんな中学生だったら……とか考えながら、できるだけ素直に書こうと四苦八苦しています。少なくとも、大人が中学生の口を借りてしゃべっているような感じにはならないように……と思うのですが、どうでしょうか。
 人物の書き分けについては、改めてそう言われると緊張してしまいますね。「中学生像」の克服ですか……ただそういう漠然としたイメージを意識したことはあまりなくて、一人一人の登場人物をしっかり書こうといつも努めているので、たぶん差異も出せると思います。ほんとですか、傑作になりますか。……じゃあやっぱり難しいのかなあ(笑) 女の子はおっしゃるとおり難関ですね。でも実は第一章と第二章の、男二人の書き分けが心配だったりします。
 とりあえず犯人については、まだまだノーコメントで行かせていただきますね。
 >>「犯人は?」的な推理や答え合わせよりも、展開、描写、見せ方、説得力のある犯行動機とかを楽しみたいな。
 よかった。この作品はミステリとかではない(と自分では思っている)ので、そういう方向に興味を持っていただけると非常に助かります。すべて――とはいかないかもしれませんが、いくつかの期待には応えられるよう、頑張りたいと思います。
2015-01-25 14:59:27【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
おうおう、今回はなかなかいい感じの視点だった。最初は違和感ありまくりでしたが、最後の方では綺麗に感情移入が出来ていた。心情描写間での誘導が素晴らしい。展開も合わせて拍手、素直に加点します。……貶すとかそういう意図ではなく、敢えて言うのですが、今までのゆうらさんの作品で、これほど感情移入したことはたぶんないと思う。何だろう、唯一人間臭かったからだろうか。あるいはこのキャラが、何処となく神夜寄りだったからだろうか。普段のゆうらさんが書くキャラって、神夜の書くキャラとどっかベクトルが違うんだよなあ。ただ悪い意味じゃないよ。感性が違うんだと思ってる。興味深くいつも追っているんだけど、「そこでそう思うのか」と考えてしまうんだけど、今回のキャラはは素直に納得できた、っていうことである。
次回のキャラがどうなるか、あるいは最後まで通してどうなるかはさて置きとして、この作品で某カフェオレのように謎解き云々にはならないと思ってるから、今後の展開が「なるほどそうきたか」と思わせてくれることを、楽しみにお待ちしております。
2015-02-03 11:21:37【★★★★☆】神夜
>神夜さん
 感想ありがとうございます。前回ご意見をいただいて、「感情移入」ということを強く意識して書いていたので、そう言っていただけて何よりです。こういう書き方で良かったんですね。最初はただの変な子として書きはじめたのですが、次第にぼくのほうも西田くんに入れ込んでしまったというか。人間臭さ……そうかもしれないですね。いつもは自分の理想像を含めて書いてしまいがちなんですが、今回はまったく飾り気なしに、嫌な部分全開でしたから。西田くんみたいなタイプは正直よくわからなくて、でもそれじゃ書けないのでいろいろ考えながらの作業でした。その過程で神夜さんの感性とシンクロするところもあったのかも……言われてみると、神夜さんのキャラとどこか通じるところがありそうですね。
 次回はぼくにとっても、西田くん以上によくわからんキャラクターです。でも何とかその心情をトレースして、感情移入してもらえるよう書いてみます。また「そこでそう思うのか」って思われてしまうかもしれませんが(笑)
 最近はコーヒーCUPさんも投稿されていて、いよいよ「ミステリ」とは名乗れなくなってきました(笑) 謎解きは置いておきましょう。とりあえず各章の展開を楽しんでいただければぼくとしては満足です。次もご期待に添えるものを書けるよう頑張ります。
2015-02-04 17:48:28【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
 面白かったです。西田君やられるやろうなあと思いながら読んでいたらやっぱりやられましたね(笑)。予定調和ですが、盛り上がってまいりました! しかし相変わらずうまいなあ〜。貴方はどんな人間でもなりきって書かれますね。うらやましいねたましい。
 唐突ですが、僕、渡辺淳一の言葉で『特殊を描いて普遍に至るのが文学』という言葉好きなんです。特殊なものを特殊な感性で描く、所謂天才と呼ばれる人間もいるが、彼らが皆広く読者に受け入れられるわけではない。かといって普通の物を普通に描くだけでは文学足り得ない。だから、目指すべきはその中庸で、特殊なことを世間に広く共感されるよう書ききるというのが到達点だという意味です。僕はラノベ物書きで、ラノベは文学と比較できるものではありません。だけど、やっぱりラノベでも目指すべき場所は一緒なんじゃないかと思うのですよね。 
 この作品で貴方は特殊を普遍的に描こうとされています。おそらく無意識に。すごいなあって思います。僕もその心を忘れぬよう精進しなければならないと感じました。
 なんか堅苦しい話になり始めたので、この辺で筆を置きます(笑)。それにしても西田君を襲ったのは誰だろう? 彼のストーカーでないかぎり、ノート取りに行くことを知っていた人物……ですよね? 動機は多分クラスの人間なら全員あるでしょう。彼は人狼だと疑われていますし。
 次回更新を心待ちにしています。ピンク色伯爵でした。
2015-02-04 21:39:03【★★★★☆】ピンク色伯爵
>ピンク色伯爵さん
 こんにちは。感想ありがとうございます。
 お決まりの展開ですみません(笑) ちょっと西田くんはやられ役の雰囲気醸し出しすぎでしたね。
『特殊を描いて普遍に至るのが文学』……びっくりしてしまいました。実はぼくもどこかでその言葉を聞いたことがあって、何となく意識の隅には置いていたんです。最終目標は普遍なんだぞ、みたいな。でもいまはこんな小技を駆使したような(?)ものばかり書いているので、これが普遍に通じるなんて思ってもみませんでした。でも言われてみると……無意識に普遍を目指していたのかもしれません。作品を書くのもたぶん誰かの共感を求めるためですし、それは登場人物の造形にも影響してくるでしょうし。もちろんこの作品のどのあたりが普遍でどのあたりが特殊なのか、そんなのは全然わかってないのですが。そんな器用なこと考えて書けませんよ(笑) でも、なるほどなあ。目からウロコでした。
 これ、たしかに難しい話になりそうですね(笑) とりあえずぼくはいままで通り書きつづけてみます。さて西田くんを襲った犯人ですが、おっしゃるとおりあの場に偶然いたわけではないでしょうね。そういう都合のいい話はナシにしたいと思っています。……あんまりしゃべるとうっかり口を滑らしそうなので、この辺で。ありがとうございました。
2015-02-07 00:18:16【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
ゆうら 佑様
御作、読ませていただきました。まだ第二章までですが、一気に読んでしまい、とても面白かったです! 二章からぐいぐいとストーリーに引き込まれるので、これから本当に面白くなりそうだな、と思って今から本当に楽しみです。
第一章については、最後のラストがとにかく衝撃でした! 人狼の仕打ちがとにかくひどいので、フィクションだとわかっていても、ショックでした(笑)それがインパクトとなって、第二章へ引き込む要素になっているのではないかと思いました。第二章に私は特に引き込まれて、西田の心の変化が直接ストレートに描かれているので、最後のラストまで休まず読んでしまいました。
久しぶりにのめり込んで読ませていただきました。第三章もとても楽しみにしています。ぐいぐい読者を引き込ませる描き方がこの作品の魅力になっていると思います。次回の更新を楽しみに待っています。
2015-02-09 22:11:55【★★★★☆】遥 彼方
>遥 彼方さん
 感想ありがとうございます! のめり込んで読んだというお言葉、うれしい限りです。
 人狼の仕打ちがあんな感じなのは、エロ・グロ方向に行きたくなかったというのが理由の一つではあります。でも年頃の女の子にとっては殺されるより残酷なことかも……。第二章に引き込むことを意図したわけではないのですが、それぞれの章のラストでヤマ場を作って、読者の方を驚かせたいとは思っています。
 西田くんの心の変化、わかりやすく書けていたようでよかったです。登場人物の心境の変化とそれにともなう行動、みたいなものを丁寧に書いていけたらなあと思っています。第三章もうまくいけばいいのですが。早めにアップできるよう頑張ります。ありがとうございました。
2015-02-14 00:27:04【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
つまるところあれや。「第五章 佐藤はる加」が犯人で、「第六章 浅倉和奏 」で最終伏線回収、つまりはそういう構成やな。おう、そうに違いないやろ。ドヤァ。
しかし人がガンガン死んでいって、読んでいる神夜は飽きないから面白いのである。いや死んではないんだろうけど。
不満を言っていいのであれば、今回の「李緒」編で、一人称が「李緒」であることが違和感としてあったことくらいだろうか。最初、これはなんだ、三人称か??と首をかしげながら読んでましたが、途中でようやく一人称であり、「わたし」等ではなく、「李緒」と記載されているのだと気づいた。自分のことを自分の名前で呼ぶ人間に馴染めない神夜にはなかなか難しい回だった。そして登場人物が多いことで、神夜の脳みそがついていかなくなる。今回のはる加はともかくとして、友達二人とかもう、前の章で出て来ていたのかそれすら判らなくて混乱してしまった。すまぬすまぬ。
それでも心情描写の書き方はやはり見易く面白かったです。折り返し地点に行ったこの物語がどう転がって着地するのか、続きを楽しみにお待ちしております。
2015-02-20 10:49:23【☆☆☆☆☆】神夜
>神夜さん
 感想ありがとうございます。いや決めつけないでください(笑) まだわかりません。そして死んでないです。退場してるだけです。でも飽きられていないようで何より、ですね。まあ、さすがにこれを何回も続けるわけにはいかないと思いますが……。
 一人称を名前にするのは、ぼくとしてもチャレンジでした。ぼくも最初は違和感あったんですけど、書いてるうちに何だか慣れてきてしまって、「意外と大丈夫かも」と思ってたんですが。やっぱりダメでしたか。
 友達二人は初登場でした。それ以外にも登場人物が多いんですよね。嫌いな先生とか、(お気づきになったかどうかはわかりませんが)関係がぎくしゃくしてる彼氏や家族の存在とかもありましたし。本当はこの人たちとのかかわりを中心に書くつもりだったのですが、結局友達の裏切りというものに焦点を当てたので、こういう結果になってしまいました。一部のエピソードはすっぱり切ってしまったほうがよかったかもしれません。でもそれだと重要なことを書き落とすような気もして……。心情描写を評価していただけて、それは満足なのですが、ううむ。やっぱりぼくには難しかったんでしょうか。
 あと半分、楽しんでいただけるようにもう少し転がしてみます(そして着地が大切ですね)。ありがとうございました。
2015-02-22 19:04:13【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
 続きを読ませていただきました。
 ゆうら 佑様の描かれる女の子って僕の琴線に触れる人物が多い気がします。李緒もその一人。多分大半の人は彼女にあまり良い印象を持たないと思うのですが、そして僕も良い印象は抱いていないのですが、とても心惹かれます。李緒さんとは、会話する人見知りくらいになりたい。そして毎日お話ししたいです。
 謎の前置きは置いておいて、感想を。自分の事を名前で呼ぶ女の子ですが、これを地の文にするのは確かに挑戦的な試みでしたね。僕は最初ちょっと違和感を覚えたくらいであとは「そういうものか」と無視できたのですが、引っかかる人は引っかかりそう。神夜様のおっしゃることがすごくよく分かるのですよね。読む上でごちゃごちゃするという点も、自分がこういう子を受け入れられるかどうかという点も。
 自分の事を名前呼びするのを矯正するというのは、親御さんがするべきしつけの範疇に入るかどうかは分かりませんが、まあ、一般的にあまり良い評価はされないと思います。僕、数年前何回か合コンしたことがあって、その頃は自分の事を名前呼びする幼い感じの女の子が好きだったんですよ。でも、帰りにそういう女の子とバス乗ったのですが、運賃をカードで払おうとしていて……(笑)、ちょっとびっくりしてしまいました。運転手さんのマイク通して「えー! ウソ、払えないんですかぁー!?」という台詞が大音量でバス内にアナウンスされていました(笑)。その場は助けましたけど、以降、名前呼びする子は、自分の彼女か二次元だけにして、関わらないようにしています(彼女いたことないけどね!)。彼女にしてもやんわり矯正していくと思います(彼女は多分一生できないだろうけどね!)。
 李緒さんはそんな困った子ではないと思いますが、お話の内容からも精神的な幼さというのは隠し切れないと思います。貴方が描きたかった人物像がこのように未成熟な女性であるなら、それは成功していると言わざるをえません。あとは合うか合わないか、なのかも。
 次に感動したのは、ツイッター部分の完成度。これどうやって再現されたのですか? それっぽさを残しながら、うまいこと読者に伝わるようぎりぎりのラインを弁えて書かれている。すごいな。これは僕じゃ絶対に書けない。書けないじゃ駄目なんだろうけど、書けません。貴方の筆の力もあって、杉山さんの裏の顔を暴いていくシーンはどきどきしました。女性の私生活をのぞき見するシーンがあれば、貴方の『女性』を使わせていただくかもしれません。いや、使わせてください、お願いします。
 ここまで読んで、出てくる登場人物たちを眺めているのが、純粋に面白いです。なんなんだろう、この魅力は。理解できない魅力に僕は良いように弄ばれてるぅ! 理解できないけどそれでもいいかと思っちゃってる自分がいるぅ!
 お話もどんどん面白くなっていきますね。次回更新がとても楽しみです。肩の力を抜いて、思うようにお書きになって下さい! ピンク色伯爵でした。
2015-02-22 20:43:04【★★★★☆】ピンク色伯爵
連投失礼します。↑『李緒さんとは出会えば会話する知り合いくらいになりたい』ですね。会話する人見知りってなんやねん……。
2015-02-22 20:51:15【☆☆☆☆☆】ピンク色伯爵
>ピンク色伯爵さん
 感想ありがとうございます。そこまで李緒を気に入っていただけるとは。まあ良い印象は抱けませんよね……そもそも書いたぼく自身が良い印象を持っていないので……。でも毎日お話ししたいというお言葉は、書いた人間としてはすごくうれしいです。よかったなあ李緒ちゃん、と、何だか保護者的な気持ちになってしまいました。
 さて、李緒の一人称に関して。「ごちゃごちゃする」というのは正直、ぼくも思いました。とくに友達二人とからむ場面。「李緒」「千絵」「ひより」といっぱい名前が出てきてしまって、あれ誰が語り手だったっけ? みたいな。やっぱり神夜さんが気にされたのもそこでしょうか。三人称ならあまり気にならないはずなのに、一人称だとどうもゴチャゴチャ感が出てしまうようですね……。
 自分を名前呼びする人って、高校生にもけっこう多いですし、大学生でもちらほら見かけました。少数派だと思うんですが、たいていそういう子ってよくしゃべるので目立つんですよね。そしてピンク色伯爵さんのエピソードのように、口調や性格にも幼い印象があって……名前呼びと幼さって関係してるんでしょうか。いわゆる「マジメな子」「大人しい子」は、自分で気づいて矯正するんでしょうか。でも、たぶん名前呼びの子でも何度か矯正は受けていて、時と場合によって使い分けはしてると思うんです。小学校に勤める知人の話だと、名前呼びの子には公の場でそんな言葉づかいをしないよう指導するそうですし。名前と「わたし」が交じるような過渡期の人もいるでしょうし、公私で完璧に使い分けてる人もたぶんいるのでしょう。そうすると一概に幼いとも言えないのかな……と。すみません、自分の中でも少しホットなテーマだったので語ってしまいました。李緒について言えば、そういう「使い分け」をするあざとさは持っていると思いますが、一方精神的な幼さはたしかにあって。それを名前呼びという要素でも表現してみたということですね、はい。
 ……ごめんなさい、正直言いますと、なんとなーくで名前呼びさせてました。別に「あたし」とかでもよかったかなと思っているので、合わないという意見が多いようなら変えてみます。
 ツイッターをどうやって再現したかとのことで、ちょっと真面目に答えますと、ぼくが高校生の頃に流行っていた携帯(当時はガラケー)用のミニブログを参考にしました。何人かで自分たちのサイトを作って、そこで日記みたいなのを書くんですよね。今回のツイッターの文面は、その日記の内容を記憶の中から掘り起こしながら書きました。逆にツイッター自体はほとんど参考にしていません。だから形式に流れすぎず、読者の方にぎりぎり伝わるよう書けたのかもしれないですね。
 鍵かけて本当の友達に云々というのも、女の子の日記にときたまロックがかかっていて、「見たい人はメールしてくれたらパス教えます♪」みたいなことが書かれていたところから着想を得ました。でもぼくはその鍵付きの日記を見たことはありませんから(さすがにパス聞く勇気はなかった)、杉山さんの裏裏アカウント、あれは完全に想像です。というか創作ですね。同級生の女の子があんな黒い人間だったとは思っていませんし、そもそもあんな裏の顔を持った人間が実在するかどうかすら知りません。そして最近の女子中学生が裏アカウントなるものを持っているかどうかも知りません。だからこれ、もちろん使っていただいて構わないのですが、ぼくは責任取れませんよ(笑) とはいえ、現実にありえる話だと思っているから書くわけですが……。
 登場人物、言ってしまえば問題児だらけなんですけど、けっこういろんなことを書かせてくれるのでぼくも面白いんです。次回からの後半戦、より面白くできるように頑張ります。肩に力は入ってないと思うんですが、頭は使いすぎて痛いです(笑) ぼちぼちと書いていきますね。ありがとうございました。
(わざわざ訂正ありがとうございます。顔見知りかな? と思いましたが…)
2015-02-23 21:20:20【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
 続きを読ませていただきました。
 三島由紀夫の作品に『午後の曳航』というものがあるのですが、この話の中に少年たちが遊びで猫をなぶり殺しにするシーンがあります。そこにあったのは目を背けたくなるような凄惨な光景と子供特有の残虐性でした。おかしな話ですが、文章を読んだだけでこれらを『目の当たりにした』僕はすさまじいショックを受けました。少年たちは「成長による腐敗(一般的に、夢や希望を抱かない存在であるとされる大人になること)」を恐れ、日々募る漠然とした不安から逃れるために猫を殺したり、善良な海の男を処刑したりするのですが(そのように僕は解釈しています)、三島はそれを否定する気が無いように感じたのですね。この天才的な頭脳を持つ作者は未来の自分に絶望するまいといささか過激に抵抗する少年たちを肯定しているのだと――。
 貴方が今回の話を意識的に書かれているのなら、僕は二点を入れざるを得ないと思いました。しかしながら、この『人狼』という作品がそういう少年少女たちを克明に描き出す趣旨のものであるかどうか、僕には判断が付きませんでした。貴方の語り口がとても客観的で、無機質で俯瞰的なものであるため、キャラクターが勝手に動いてこうなったのか、貴方がきっちりコントロールしたうえでこうなっているのか分からなかったのです。が、しかし、確かに三島の描く少年たちと同質の何か――エッセンスは、時をこえて和奏や悠一郎の中に息づいているように感じました。最終章が和奏の章ですから、ここで明らかになるのだろうなと思っております。
 惜しむらくは悠一郎の思考があまりに傍観者に徹しすぎていたこと。事実を淡々と描き出していくのは貴方の作風であり、強みであり、特徴ですから、否定はできないのですが、筋道だった彼の心境の変化を描写して欲しかったかな。おそらく作者である貴方が常識人だから、最後の一線を踏み越えて分析は出来ず、一歩引いた立場になってしまったのだと思う。最後悠一郎がこれから事件を起こすことを暗示する表現で終わっていますが、読む人が読めばやや唐突感があるように感じるか、あるいは彼にうまくシンクロできずに終わってしまうかも。これは非常に難易度が高い『普遍化』であると思います。三島の場合はこれをきっちり描き切っているのですね。だから『午後の曳航』は素晴らしいのだと思います。作者である貴方を縛るつもりはありませんが、貴方もこの『人狼』を使って、逸脱者である和奏たち少年少女を描き切ってほしいと思っております。
 人狼の正体ですけど、暫定犯人は予想通りかな。意外性は確かにあると思いますし、読者の驚きを十分誘えると思います。ただ、西田を傷つけた犯人に関してはもう彼以外ほとんどありえませんでしたからね。その辺りを運よく意識できていた人間にとっては驚きより納得の方が大きいかもしれません。
 以上です――おっ、今回はすげえ真面目に感想書けたな(笑)。多分次は反動ですごくアホな感想になるに違いない(おい)。次回更新をお待ちしています。ピンク色伯爵でした。
2015-03-06 20:05:06【★★★★☆】ピンク色伯爵
>ピンク色伯爵さん
 こんにちは。感想ありがとうございます。
「キャラクターが勝手に動いてこうなったのか、貴方がきっちりコントロールしたうえでこうなっているのか分からなかったのです」――いやあ、何だかいろいろとばれているようですね。おっしゃる通りコントロール云々といえるほど、登場人物の行動をかっちり決めているわけではないんです。この第四章についていえば――『人狼』の当初のプロットで決まっていたのは「福原が犯行に走ること」「和奏が猫をいじめる女の子であること」くらいでした。二人が接触することも早い段階で決まっていたのですが、二人がこれほど深く関わることは第四章を書きながら決めた、というか、ほとんど予定外でした。福原の犯行のきっかけだって、お父さんの言動、これ一本で行こうとしてたんです。でも書き上げてみると和奏の存在感がものすごいことになっていて。あとから考えると、和奏にバットもらわなかったら福原は犯行に走らなかっただろうな、と思えてくる。ふしぎです。ピンク色伯爵さんのおっしゃっているのはこの二人が絡む部分でしょうから、そこに関しては「キャラクターが勝手に動いてこうなった」ということになるのかもしれません。
 でもまあ、福原の犯行だけを目標に書いた章なので、この筋書きのほうが犯行に説得力が出る、と思っての方向転換でもありました。三島の『午後の曳航』要素が出てしまったのはその副産物で。でも和奏という存在がもともとそういう要素を含んでいたことは確かだし……うーん。『午後の曳航』は恥ずかしながら読んでいないので、ぼんやりしたお答えしかできずすみません。残虐な子どもが猫をいじめる、というのはお話の一種のテンプレートだと思っていたんですが、これも三島がルーツだったりするんでしょうか。ともかく、そんな感じで完成した第四章でした。和奏の内面については第六章をお待ちください(ハードル上がったなあ…)。
 犯行の説得力と言っておきながら、これもおっしゃる通り、心境の変化はほとんど投げてしまいました。ぼくが常識人かどうかはともかく、その描写から逃げてしまったことは事実なんですね。正直書きたいとは思わないし、書いて感情移入してほしいとも思えませんでした。福原にシンクロすることが単純にこわかったというのもありますし、とりあえずの「動機」で読者の方に納得していただきたくなかったというのもありますし。だからピンク色伯爵さんのおっしゃるような描き切り方はできないかもしれませんが、しかし普遍化はめざしたい、そんなことを思っています。そして西田を襲った暫定?犯人、やっぱり予想されていましたか。ここはぱらぱらと伏線を散らしていたので、納得していただけてむしろ良かったかなと思います。
 真面目な感想を書いていただいたのに、漠然とした返信ですみません(笑) 次回もご期待に添えるよう、しっかりと書いていきたいと思います。ありがとうございました。
2015-03-09 23:33:46【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
読ませていただきました。
ここまで読んでまず最初に感じたのは、登場人物それぞれの生徒の気持ちが繊細にリアルに表現されているなということでした。なかなか複数の人物の感情を、現実味がありまた読者を惹きつけるように表現をすることは難しいと感じていますが、物語を作成するにあたって非常に大切なことだと感じています。
特に二章の西田に至っては、学生生活を送る上での彼の苦悩(勉強ができないことの劣等感、努力しても報われないことへの苛立ち)がひしひしと伝わってきました。失礼ながら、もしかしたら作者様も過去に同じような心境になり、悩み苦しんでいた時期があったのかな……と想像してしまいました。

ストーリーの展開も、次が気になるように作られているように感じました。第一章の浅倉 彰人まで読んで感じていたのですが、妹の和奏には一種の病的な感覚を持った人のように感じました。何が彼女をそうさせたのか気になります。また彰人本人にも異常と思えるほどの潔癖性を持っており、物語のキーになってくるのかなあ、と感じています。4章まで読むと少し不気味な感じがしましたが、私個人的には楽しく読むことができています。

気になった点を一つ。参考までにしていただけたら幸いです。

・物語の背景
この物語は登場人物それぞれの視点で書かれていますが、少し違和感を感じたのは、一連の事件と、現場である教室の空気感が所々合致していないように感じられました。具体的には……ネットで最初に「人狼」が現れ、クラスメートの写真が赤く染まった事件に対して、「しょーもないいたずらを、ずっと気にしているようなやつなんて一人もいなかった」という部分。実際彰人はチャンバラをしていて、気にも留めていない様子。いたずらとはいえ悪意を感じるような出来事、もっと混乱も出てくるはずでは? と感じてしまいました。それぞれの章の語り手の心情を忠実に繊細に表現することにこだわっているように感じたので、もう少し教室内の全体の雰囲気等をよりリアルに描かれていると、語り手の心境がより現実味を帯びて伝わるのかな……と感じました。

ここまで本当に楽しませていただきました。次回も楽しみにしております。
2015-03-12 00:01:19【★★★★☆】手塚 広詩
>手塚 広詩さん
 こんにちは。感想ありがとうございます。
 繊細でリアルな表現というお言葉、うれしいかぎりです。実際ぼくが力を入れているのはストーリーよりも心情面なので、今のところ成功しているようで何よりでした。西田の章を読んでそういう感想をいただけたことも励みになります。正直に言いますと、ぼくは勉強ではあまり悩んだことがないのです。しかしそれ以外では常にコンプレックスを抱え、ばかでかい劣等感とともに生きてきましたから(今でもそうです)、西田の心境を描くのはそれほど難しくはありませんでした。
 次の章が気になるように……という意図はあまりなく、単に盛り上がったところで切る癖があるだけなのかな、と。短編連作ではいい感じに作用しているようですが、よく最終章でもこれをやっちゃうので、「終わりが中途半端」だとご指摘を受けることが多いです。今回は気をつけないと……。彰人や和奏はおっしゃる通り重要な役回りなので、これからの展開を楽しみにしていただければと思います。和奏、不気味ですよね。ぼくもそう思います。第四章は自分で書きながらびびってました。
「一連の事件と、現場である教室の空気感が所々合致していないように感じられました」――ご指摘ありがとうございます。痛いところを突かれてしまいました。正直個々の人物の心情を書くのに精いっぱいで、第三者のことには注意を払えていないんですよね。「主人公の日常」と「まわりの日常」をベースに「『人狼』によって変化した主人公の日常」を書いているわけですが、「『人狼』によって変化したまわりの日常」はうまく書き切れていない部分があるというか。教室の風景なんかはまさにその一つでした。語り手の心境に説得力を持たせるためには、手抜きはできないということですね……参考になるご意見、本当にありがとうございます。
 次回もお付き合いいただければ幸いです。ありがとうございました。
2015-03-15 01:30:37【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
ゆうら 佑様
お初です。
作品を読ませていただきました。

・西田を襲った犯人
ここが非常に考えさせられました。和奏ちゃんは、お兄ちゃんが犯人といっていますが、そのあとの和奏ちゃんの行動によって、もしかしたらこっちが…と思うようになってしまいました。

・猫で遊んでいるの表現の仕方
結構、猫が可哀想に思えましたね…。最初の一話から見ていけば、犯人はおおよその確率で判断できる筈です。ですが、『人狼』のゲームについて笑みを浮かべたり、人の心を読み取るあの人ならやりかねませんね。『猫に餌をやってはいけない』。そう表記されてるのに餌を与えたり、金属バットを持ってきて猫を殺そうとした子のことです。あと、福原に金属バットを持たせたあの時の和奏ちゃんが福原の心に何か暗示をかけたのではないかと、恐ろしくみえました。

・第六章の名前の覧に
『浅倉和奏』という名前がありましたので、この件では納得しました。もしかしたら人狼の黒幕は、この女が関係あるんじゃないか。とかそんなことを考えさせられました。

第五章、楽しみにしています。
2015-03-15 11:29:21【☆☆☆☆☆】11月の男
>11月の男さん
 はじめまして。感想ありがとうございます。
 >>和奏ちゃんは、お兄ちゃんが犯人といっていますが、そのあとの和奏ちゃんの行動によって、もしかしたらこっちが…と思うようになってしまいました。
 これについてはネタバレになるため、今のところは何も言えないのですが、確かにそう思われても不思議ではない描写ではありますよね。「彼女ならやりかねない」。まさにそんな雰囲気の子です。和奏が福原の心に暗示をかけた、というのはぼくも少し意識して書きました。別に超能力者とかそういうのではないんですが、福原が犯行に走る理由の一つに、和奏の存在があったことは事実かなと。
 >>もしかしたら人狼の黒幕は、この女が関係あるんじゃないか。とかそんなことを考えさせられました。
 最終章の主人公ということで黒幕オーラが出まくっているかと思いますが、これも続きを楽しみにしてくださいとしか言えないですね……。でも章タイトルを見てそんなふうに予想していただけるのはうれしいです。第一章から第六章までのタイトル(主人公の名前)を最初から明らかにしているのは、そういう読み方をしてもらいたかったからなので。余談ですが、目次を見て物語の展開を想像しつつ本やマンガを読むのが、ぼくはけっこう好きなんです。
 次回も楽しんでいただければ幸いです。ありがとうございました。
2015-03-16 21:01:27【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
 作品を読ませていただきました。
 面白かったです。この佐藤はる加というキャラクター良いですね。危うい真面目さがあって、妙に色気がありました。残念ながら、こういう委員長タイプの女の子は周りにいなかったので、彼女がリアリティ溢れる人物なのかどうかは僕には分かりませんでしたが、創作物の登場人物としては素晴らしい出来なのではないかと思いました(五章執筆に苦労されたのはこの佐藤はる加のキャラクター作りなのかな?)。
 物語の方は、探偵不在のミステリがあればこういうことになるよな、という感じのお話ですね(笑)。犯人は止まらないし、止められないという(笑)。和奏ちゃんはハンニバル・レクターみたいに敵なし状態で暗躍しまくってますしね。これはもう行きつくところまで行くしかないというか、どう考えても次章バッドエンドするしかない気がしますが、一応何事もなく皆が元の日常に戻れることを願っておきます(笑)。
 最終章で描かれることは事件の終幕部分と黒幕(本人はちょっと人間関係のピタゴラスイッチしただけのつもりかもしれませんが)の動機ですね。今回五章でうまいことおぜん立てができたように思います。あとはきっちり〆るだけでしょう。むろん、それとて非常に難易度の高いタスクでしょうから、ゆうら 佑さんとしては最後まで気は抜けないのでしょうが。小説を読むという行為は非常に楽で何気ない行為なのですが、読者にそうさせるために作者が頑張ってこそそのような作品が生まれるのですよね。
 ところで、浅倉家が魔境と化しているような気がするのですが、これ大丈夫なんですかね。二人の父親と母親、こいつらがまともとはもう到底思えないです……。
 以上です。次回更新をお待ちしています。ピンク色伯爵でした。
2015-03-27 20:16:12【★★★★☆】ピンク色伯爵
ゆうら 佑様
作品を読ませていただきました。

ついにラストが近いですねぇ。
物語が進展した気がします。

それにしても、浅倉家は恐ろしいなぁ…。
ホラー系はあまり好きでは無いのですが、五章まで読んだからには読み切りたいものですな。

・最後に出た女の子
敢えて伏せますが、まるで全てを支配するようで。
とても、怖い。そんな感じです。

今回は短いですが、次回に全体的な感想を書かせていただきたいと思っております。

次の章も、期待しております。
2015-03-28 03:39:10【★★★★☆】11月の男
>ピンク色伯爵さん
 こんにちは。感想ありがとうございます。
 はる加のことはぼくも気に入っているので、そう言っていただけてうれしかったです。リアリティがあるかどうかはぼくにも分かりません。ただ、日本のどこかにはいるだろう、もしくははる加のような部分が、どんな人の中にも存在するだろう、そう思いつつ書いています。これまでの章にもちょくちょく登場していたので、キャラクターはすでに固まっていました。五章に苦労したのは単純にボリュームが多かったのと、最終章での着地の仕方も同時に考えていたから、ですね……やっぱり最後から二番目の章がいちばん難しいなあと思います。
 最終章、もちろん気が抜けません。ピンク色伯爵さんは「非常に楽で何気ない行為」と書かれていますが、ぼくはけっこう体力使ってじっくり小説を読むんですね。そしてできれば、ぼくの作品もそうやって読んでもらいたい。だから手を抜かず頑張ろうという思いはけっこうあるんですねー。
 ともかくラストの展開を見届けていただければ幸いです。おっしゃる通り探偵不在なので、真相を暴いてくれるヒーローはいないんですけども……だからこそ最終章に彼女を持ってきたわけですが。ピタゴラスイッチっておもしろいですね(笑) たしかに、和奏ちゃんはドミノの最初のピースを倒しただけなのかもしれません。
 本当にきっちり〆ることができるのかどうか、ぼく自身不安に思っていますが、とりあえずしっかり書き切ろうと思います。浅倉家のことも書こうと思うので、楽しみにしていてください(笑) ありがとうございました。 

>11月の男さん
 こんにちは。第五章もお読みいただきありがとうございます。ようやく終わりが見えてきたな、という感じです。
 やっぱりホラーっぽいでしょうか。でもぼくにはホラーを書いているという意識はなくて、あくまで普通の人間の普通の話を書いているつもりなんですね。ぼくもホラーは嫌いですから(笑) 次の章もそんなには怖くならないかなと思うので、お読みいただけると幸いです。
 いえいえ、短くてもありがたいです。感想や批評をいただくことはモチベーションにも繋がりますし。ご期待に添えるよう、最後まで頑張りたいと思います。ありがとうございました。
2015-03-31 22:54:14【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
読ませていただきました。
初めに、ここまで楽しく読ませていただきました。読者に感情移入させるような表現や、ミステリアスな展開など、同じ小説を書く自分にも勉強になることも多かったです。ネットの掲示板ではあるけれど、このような仲間とあえてうれしい限りです。

この章までくると、次の章がこの物語の「核」のようなものになりますね。犯人はもうわかっている状況で、一体この人狼事件はなぜ起こったのか、浅倉彰人と和奏はなぜこのような犯行に至ったのか、非常に気になります。もう一つ大どんでん返しがあるような気がして、今から楽しみです。

全部投稿されたら、もう一度最初から読みかえそうかと思っています。次回楽しみにしております。
2015-04-03 23:31:12【★★★★☆】手塚 広詩
>手塚 広詩さん
 感想ありがとうございます。読者に感情移入させるような表現、ミステリアスな展開……まだまだ拙いかとは思いますが、一応そういうものを意識して書いていたので、評価していただけてうれしいです。
 はい、次の章がいちばん大事かもしれません。大どんでん返し……うーんどうでしょう(笑) 和奏の視点からこの世界を見るということが、すでに一種の反転というか、転回ではあると思いますけれど。それをどう受け取ってもらえるのか、ぼくもひやひやしながら書いています。再読に堪えるような話にできればいいのですが。伏線もきっちり回収しておかないといけませんね。完成までもう少し時間がかかりそうですが、最後までお付き合いいただけると幸いです。ありがとうございました。
2015-04-09 23:48:45【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
こんばんは、ゆうら 佑さん。
作品を早速読ませていただきました。
下からは私的意見ですので、さらっと読んでいただいて構いません。

結構怖かったです、はい。
怖い系は苦手だったんですが、一回読むとやはり、ゆうら 佑さんの作品は止められなくなりますな。続きが気になる。神夜さんのように、はっきりとは伝えられないので少し悔しいのですが、ゆうら 佑さんのその書き方は自分にとってはおもしろい書き方だと思ってます。メインの六人の心の中が読めて、物語の真相を一緒に考えさせられる。そんな感じです。

そして余談でもないんですが、卒業シーズンが過ぎて、入学シーズンも終わり?ですかね。とうとう、27年度にも春がやってきました。今年度もゆうら 佑さんの作品が読めるとなるとまた楽しくやっていけそうです。本当にありがたい。

そして御作に、感動致しました。怖かったんですがね。ですけど最後の和奏ちゃんの姿。やっと本来の人間の姿に戻れたって感じがします。

人狼というものをやったことのない私ですが、ルールですかね。最初の冒頭に載っていて、これからどんな小説になるのだろうか。とわくわくが溜まりませんでした。
コメントはしていませんが、実は浅倉(兄)くんの章から見させていただいておりました。

そしてまた神夜さんの最初の意見を読んで、思ったことです。

やっぱりゆうら 佑さんの多人数の書き方は本当に見習いたいぐらいです。なんといつても、「おいていかれた感」がなく、非常にわかりやすかった。
また、自分は子供の頃のことなんて全く覚えてなかったので、こういう感情を持った書き方が出来なかったんですが、本当に勉強になった。

次回作も出ましたら、楽しみに待ってます。
今回は素敵な作品をありがとうございました。
そしてお疲れ様です!また書く際は頑張ってくださいね。
2015-04-15 20:39:34【★★★★★】11月の男
 完結おめでとうございます。非常に面白かったです。
 毎回思いますが三百枚弱の長編をきちんと終わらせられるゆうら 佑様はすごいです。最後まで書き切るというのは本当に体力のいることで、並の人は途中で息切れして雑になってしまうのですよね。盛大にブーメランしている気がしますが、気にしない方向で(笑)。あ、僕も頑張って完結させますよ。多分……。
 このお話の何が面白いかって言うと、『主人公?視点で見える主人公?像』と『主人公?視点で見える主人公?像』が違っていて、それがめちゃくちゃうまいこと表現されているという点なんです。びっくりするような大きな違いであったり、驚くほどではない微細な違いであったりと『差異の度合い』が様々。それが全部読んでいて伝わってくるのです。
 小説はある意味登場人物を描き出す行為だと言えなくもないと思います。その具合によって読み手側がその小説に対して思うことも大きく変わってくるとも考えられるでしょう。
 で、登場人物の描写について、普通は主人公視点だけで描かれるから、「この人はこういう人だ」と平面で表現されてしまう。だけど、この作品では、「こいつはAさんから見たらこうだけど、Bさんから見たらこう写って、こいつ自身の視点ではこういう奴なんだ」と極めて立体的に人物を表すことに成功しているんですよね。一人固定視点だとなかなかこうはいかない。別の側面を見せるシチュエーションをつくり出さないといけなくて、そのためには紙幅が足りなかったり、物語の進行が冗長になったりしてしまう。結果、説明臭くなってしまう。物語の体裁を保っているか微妙になってしまう。
 だけど、この『人狼』は構成をうまく利用してこの点を物語進行に無理なく取り入れ、読者がのめり込めるようになっているのです。だから面白い。素晴らしいと思いました。
 また、ストーリーラインの方もうまくまとめられた作品だと思いました。最後に進むにつれて登場人物の描写も多重的になっていき、それに伴って事件の全容も見えてくる。最後は和奏ちゃんも理解できない宇宙的生物なんかではなく、人間なのだということが分かりましたね。結末に関しては題材が題材なので、多少後味が悪くても仕方がないでしょう。この後味の悪さを味わいに読みにきている読者もきっといることでしょうし。変に完全なハッピーエンドにしなくて良かったと僕は思います。
 最初から読ませていただいていましたが、毎回引き込まれる内容で飽きが来ませんでした。更新しているのを見つけたらその場で読んでいました。楽しい時間をありがとうございました。
 ゆうら 佑様のお話は主人公一本でお話が進んでいくタイプではないから、ラストの〆は難しいですよね。僕の考える貴方の小説っていうのは、最初に完成図の下書きがあって、そこに絵の具の色を徐々にのせていき、色鮮やかな一枚の絵画をつくり出すって感じなんです。だから、全ての色でそこにあるものをカラーリングし終わったときが小説の終わりなのだと思います。色の塗り終わった絵画を見つめて、「ああ、読み終わった」とため息を漏らすイメージ。「勇者が魔王を倒してハッピーエンド!」みたいな形式的なカタルシスとかそういうものとは無縁の小説なのです(わかりにくくてすみません)。
 次回作を心待ちにしています! ピンク色伯爵でした。
2015-04-18 09:19:55【★★★★★】ピンク色伯爵
>11月の男さん
 最後までお読みいただきありがとうございます。
 >>メインの六人の心の中が読めて、物語の真相を一緒に考えさせられる。
 そうですね。まさにそういう話を作ろうと思っていました。別に探偵がいるわけじゃないのに、視点が変わるだけで徐々に謎が明らかになっていく……っていうのはおもしろいかなあと。ミステリではないので謎解きには重点を置きませんでしたが、六人と一緒に真相を考えていただけたのはうれしいです。
 受験シーズンの話だったのに、入学シーズンまでもつれこんでしまってすみません。これでも頑張ったほうですが……。最後のシーンがああなったのは、暖かくなってきたせいもあると思います。極寒の中で書いていたら、もっと凄惨なラストだったかもしれないですね(笑)
 神夜さんの最初のコメントは、ぼくにとっても大きかったです。あれのおかげで良い方向に舵を切ることができたと思いますし。まあ、でもやっぱりこの構成で感情移入してもらうのは難しいですね。しかも、感情移入してもらうためにはまず書き手がその人物になりきっていないといけませんし……それを六人分ですからね。けっこう体力を消耗しました(笑) 次回作は一人視点でいこうかなあと考えています。お暇ならまたお読みいただけると幸いです。ありがとうございました。


>ピンク色伯爵さん
 ありがとうございます。毎回ボリュームのある感想をいただけてうれしかったです。
 いや、何回も息切れしかけました(笑) 長編といっても枚数的にはそれほどでもないのですが、構成が構成だけに余計に体力がいったような気がします。でも無事に完結させることができてほっとしています。ピンク色伯爵さんも頑張って完結……あれ、何のことだろう。
 >>このお話の何が面白いかって言うと、『主人公?視点で見える主人公?像』と『主人公?視点で見える主人公?像』が違っていて、それがめちゃくちゃうまいこと表現されているという点なんです。
 なるほど、その点を楽しんでいただけましたか。そういう「差異」って面白いですよね。マンガやアニメの「あいつが実は……」展開に近いものがあるでしょうか。いろんな側面が見えると人物に深みが出るし、それだけ読んでいて面白くもなりますよね。振り返ってみると確かに、このお話は全体として登場人物を立体的に描きだしていく内容だったなと思います。
 ただ、それは結果的にそうなったというだけで、ぼく自身が強く意図していたわけではなかったです。『人狼』というタイトルを付け、人間の表裏、あるいは多面性というものに焦点を置いてはいましたが、それとこれとは別の話で。視点が変わればイメージも変わるよね、くらいの軽い気持ちで書いていたような気がします。ぼくは最近リアルに「こいつはぼくから見たらこうだけど、Bさんから見たらこう写って、こいつ自身の視点ではこういう奴なんだ」とか考えながら人と接することが多かったので、そういう「差異」を自然と描くことになったのかなあと思います。無意識だからこそストーリーの流れを壊さずに済んだのでしょうね。実際重視していたのはあくまでストーリーですし、そちらのほうもうまく書けていたようで良かったです。
 >>僕の考える貴方の小説っていうのは、最初に完成図の下書きがあって、そこに絵の具の色を徐々にのせていき、色鮮やかな一枚の絵画をつくり出すって感じなんです。
 ……やっぱりピンク色伯爵さんはすごいですね。おっしゃる通りだと思います。実際そういうふうに書いているんだと思います。最初に画材を決めて、構図を決めて、少しずつ色を塗りはじめて……。キャンバスの大きさ自体最初から決めているから、そこからはどうしたってはみ出せないんですね。主人公が一人か複数かにかかわらず、ぼくの書くものは全部そうなっているような気がします。長所でもあるのでしょうが、当然短所でもあるのでしょうね(笑)
 結末の後味の悪さについては、ぼく自身そんなに気にしていません。そういう小説もたくさん読んできましたし。これ以上のハッピーエンドはさすがに考えられなかったですし、むしろ完全なバッドエンドもありえたかなと。ともかく今回、もしピンク色伯爵さんに「ああ、読み終わった」とため息を漏らしていただけたのだとしたら、それ以上にうれしいことはありません。
 最初から最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。次回は毛色の違うものを書くかもしれませんが、またお付き合いいただけると幸いです。
2015-04-20 20:39:23【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
 読ませていただきました。
 まず初めに物語完結おめでとうございます。これだけの短期間でこの量を書きあげらることは本当に大変だと思います。自分にはできないと思いました。

 内容に関してですが……一章一章が作品になるのではと思うくらいのものになっていて、最終章を除いては、各章の主人公の気持ちが伝わってきました。
 勉強ができないコンプレックスを抱えた状態で受験を控え、ゲームに逃げる西田の心境、クラスの微妙な人間関係に翻弄される都築の葛藤、親の助言に矛盾を感じながらもそれに従わなければならない福原の苦悩、周囲から煙たがられながらも自分なりの正義感を貫くことに努めようとする佐藤の生き様……それらの人物像が別の人の視点によって描かれることでより具体的に表現されているように感じました。きっとこういう登場人物の心境を描くことで、現実の世界で生きていくことの困難さや素晴らしさを作者は伝えたかったのかな、と同じ小説を書く立場の自分には感じられました。
 全体を通して、この物語の「人狼」―現実社会の中で、人は仮面の皮をかぶって生きなければならないーというテーマがはっきりと表れているなあと感じました。

 浅倉家のことだけでも一冊の小説になりそうですね。今回は彰人のことも和奏のことも精神的に異常な感覚をもった人物であることは書かれているけれども、そういうふうに至った経緯(彼らの生い立ちや具体的な家庭事情等)などは触れられていない。おそらく「人狼」のストーリー上あえて描写しないようにしたのではと読んでいて感じられましたが、私としてはもう少し彼らのことを知りたかったな。

 表現に関して、同じ文章が繰り返されている箇所が数か所あり(3章ではる加を煙たく感じている都築等)、完結的に描いたほうがいいのかなと感じました。繰り替えし表現していることに目的があるように感じましたが、いかがでしょうか?

本当にお疲れ様でした。お互い切磋琢磨できればと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
2015-04-26 02:14:00【★★★★☆】手塚 広詩
>手塚 広詩さん
 最後までお読みいただきありがとうございます。
 実質三か月半くらいで書き上げたことになりますね。本当はもうちょっと早く書けるはずだったのですが、そこは疲れというか、妥協というか、そのいろいろ……。
 内容に関しては、短編連作のようなものを意識して、一章一章でまとまりのある話を書こうと思っていました。各章の主人公の気持ちを受け取っていただけたのはうれしい……のですが、和奏は難しかったですか。本当は彼女のことを一番理解してほしいと思っていたのですが……正直なところ、和奏の内面については最後まで迷っていたので、一人の人間として作り込めなかったのかもしれません。最終章は枚数も少なかったですし。
 というわけで、浅倉家のことについてですが。実は描写しなかった、触れなかったというわけではなく、最初から「無かった」のです。特別なことは何もなかったんです。母親も常識ある人のように書いたつもりですし、父親も(登場しませんでしたが)やっぱり普通です。何かおかしなことが起こったとすれば、彰人と和奏の心の中のことであって、それは彰人と和奏の章で書いた……つもりだったのですが、やはり、説明不足であることは否めないかなと思います。それでも、できれば……誰にでも起こりうることだと考えて、彰人や和奏のことを見ていただければ幸いです。
「同じ文章が繰り返されている箇所」といいますと、例えば「――わたしは都築さんのこと信じてるよ。」の繰り返しなどでしょうか? ここはあからさまな繰り返しでしたが、ほかにも彰人が杉山と話す場面、西田がネット掲示板を見る場面、福原が信号を連想する場面、佐藤が人狼に襲われる場面などで、同じような表現の仕方をしたような気がします。これはもはやクセのようなものかもしれません。一応、どれも語り手の内面が盛り上がっていく(いい意味でも悪い意味でも)ことを表わそうとしたものです。でもクドくなってしまったところもありそうですね。ご意見ありがとうございます。
 こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。ありがとうございました。
2015-04-30 23:29:24【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
計:58点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。