- 『ゆめはるか【完結】』作者:ゆうら 佑 / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
- 切り絵絵本作家「ゆめはるか」。年齢も経歴も異なる四人のアシスタントが織りなす日常の中に見え隠れする彼女は何者なのか? ゆめはるかがメディアの前に姿を現すとき、明かされる真実とは。
- 全角107284文字◆第一章 虎居 一真(とらい かずま)
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原稿用紙約268.21枚
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近鉄に乗って上本町に向かう。平日の夕方。えんじ色の座席には基本的に私服のおっさんやおばさんが座ってる。くたびれたスーツ姿もちらほら、でも通勤客でいっぱいになるにはまだ早い。席も空いてるけど、若いからって無駄な気を張ってつり革をつかんで立つ。そんなこと考える時点で老化が始まってんのやって田口にはいわれるし、バイト中に足が棒になって後悔するのはわかってるけど、これだけは何となく譲れない。あほの一つ覚えみたいに、席が空いてもいつまでも立ってる。少なくともまともに髪の毛のあるうちは立ってようと思う。たぶん禿げないと思うけど。ガタココココン、と小気味いい音がする。白いつり革がゆらゆら揺れる。体が平衡を失う。腕や足に力を込めてそれに耐える。ぎし、とつり革がきしむ。電車は高架を走ってるから、だいぶ遠くの景色まで見わたせる。冬は寒い上にやたらと日が沈むのが早い。ああもうあんなとこまで。まんまるのボールみたいな夕日が、高層マンションの隙間でぽつんと光っている。と思ったらもう下半分は見えなくなってしまった。町全体が霧がかかったみたいに白っぽい。遠くのビル群のシルエットは何だか並んだドミノみたいだ。目の前を建物が次々通り過ぎる。新しい建物、古い建物、どんどん近づいては遠ざかる。何となくビルやマンションの窓に目がいく。明るい電気がついてるから外からでもよく見える。あっあの女の人下着姿じゃなかったか? でもすぐに見えなくなる。誰かの家の台所でお母さんが立っていて……それもすぐに見えなくなる。特大の窓にはありふれた会社のオフィス。目に痛そうな白い蛍光灯。お疲れ気味の会社員。自分にはちょっと遠い景色だ。いったいどんな道を歩いていけば、あのビルの中で働けるんだろう。
駅近くのコンビニで黙々とレジをこなす。いろんな人が来るけどこの時間は大概疲れたおっさん達だ。たばこと酒とカップめんと弁当がよく売れる。それをぴ、ぴ、ぴって機械に通してお金をもらうだけ。わざわざ電車で通ってやるような魅力的な仕事じゃない。給料だって時給七八八円、よくわからないけど税金も引かれるみたいだからもうちょっと少なくなるはず。しかも電車賃でかなり飛ぶ。こんなところで働いてる理由は簡単だ。コンスタントに九時上がりにさせてもらえるところが、今のところここしかない。
「お疲れさまでーす」
九時、早速着替えてスタッフルームを出ていこうとすると、山さんにちょいとと呼び止められた。
「香奈ちゃんがおみやげ置いてってくれてるから、虎っちももらっていけ」
「へーどこ行ったんすか?」
見るとパソコン横に菓子箱が置いてあって、中の小さな包みはもう半分ほどなくなっている。カスタード味とチョコ味があるらしい。一つ取ってそっとジャンパーのポケットに忍ばせる。
「富士山やとさ。ええよな学生は!」
山さんはあーあーとものすごくうらやましそうな声をあげながら、しきりにパソコンのキーを叩いている。難しそうな書類を作ってるみたいだ。一応店長だから。シフトに入ってない日でもよく出勤してるし、いろいろ残業もしてる。大人って大変だなあと他人事のように思う。山さんは疲れたのか首をぐねぐねと回してから、大きな顔をこっちに向けた。
「あ、そうそう新しいポップができたからまた切っといてな」
机の上にちらっと目を走らせる。値札や販促が印刷された用紙が何枚も積まれていた。今月はとくに数が多い。かなり気合入れて新商品を押していくんやな、と思ったらバレンタイン用だった。手先が器用だからっていつも切り抜く作業を任される。
「また今度で。姫が待ってるんで」といつもの言い訳を繰り返す。
「いい加減連れてこいや。まだ三歳やろ、一人で部屋に置いとくか普通」
「そやから早く帰るんすよっ」
「保育所預けるんも親に頼むんもできへんのやったら、ここ連れて来いって」
「いやここはちょっと……衛生的に」
山さんに小突かれる前に慌ててスタッフルームを飛び出す。明るい店内の人ごみを駆けぬけて、レジ対応に追われてる原田さんと誠さんに目だけでへこへこ挨拶して、店の外に出た。イケメン茶髪の誠さんは接客中なのにあくびをして、こっちを見るとやる気のなさそうな感じで手を振った。またクレーム食らわなきゃいいけど。
今日は誠さんが珍しく遅刻せずに来てくれたから速攻で帰れる。駅までは若干距離があるし、どんなに頑張っても九時八分の準急にしか乗れないんだけど、でも居ても立ってもいられなくて、とりあえず千日前通りを全力で駆け抜けた。うちの姫が、部屋で寂しく自分の帰りを待っている。ホームで電車を待ちながら、そうかもうバレンタインの時期か、と考える。姫に何か作ってあげよう。どんなお菓子がいいだろうか。考えるだけで何だか楽しくなった。
アパートの最寄り駅に着いても、すぐには帰れない。月曜は買い出しの日と決めている。ある程度まとめ買いをして冷凍保存しておけば節約になる、ってことをバイト仲間の香奈さんに教えてもらった。一人暮らしの女子大生だからか、そのへんはやけに詳しい。いわく、スーパーの特徴を押さえて自分が一番お得に買い物できる曜日を決めておけ。それでいろいろ考えた末に月曜日にした。ただ卵が安いのは水曜だから今日は買わない。とりの胸肉も明日がセールらしいからそれまで待つ。あと少し遠いスーパーで豚肉の細切れが百グラム九十八円みたいだから、とりあえず見に行ってものが良ければ買おうと思う。先週は少し足が出たから今週は頑張ろうと思う。バイト先のみんなには主婦かよって笑われるけど、まあいってみれば本当に主婦なんだから仕方がない。すべては可愛い姫のためだ。それで上がる=退勤するのも早いし飲み会にも絶対出ないけど、まあ未成年だからどうせ酒は飲めないんだけど、付き合いが悪いのは大目に見てもらってる。苦労してるなあって自分でも思う。
エコバッグを両肩に提げて帰宅。ぼろアパートのポストを見たら電気代の請求票が来てて、金額はやっぱり厳しかった。でも冬にエアコンを切るわけにはいかない。ただでさえ隙間風が気になるのに。かじかむ手で鍵を回して、最小限の動きと時間で一〇二号室に入り込む。ほっとする暖気と甘酸っぱいような独特のにおいが顔を突いた。
「ただいまー」
すぐ「かずまちゃんおかえりー」と声がして姫がたかたかと寄ってきた。それをまだまだと遠ざけながら洗面所に駆け込み、念入りに手洗いとうがいを行う。テレビもないし新聞も読まないけど、どうやらインフルエンザが流行ってるらしいことはいろんな人の口から聞く。予防のためにマスクも欠かせない。しかしその出費もちょっと痛い。
買い込んだ食材をとりあえず冷蔵庫に詰め込んで、姫の頭をよしよしと撫でてやる。
「よっしゃお風呂入ろうなー」
姫はわーいと両手をあげて、踊るように飛びはねながらくしゃくしゃの髪を上下に振り回した。そろそろ切ってあげなくちゃいけない。でも切りすぎると風邪ひいちゃうかも? 悩ましい。お風呂に姫とつかるのがこの時期はとくに幸せに思う。むじゃきにお風呂をぴちゃぴちゃたたく姫を見ているだけで、本当に楽しい。でも、心配なのは、自分みたいなあほがこの先ずっとこの子を育てていけるのかってこと。
早く寝かせないといけないのはわかってる。でも姫は毎晩絵本をねだってくる。こっちも読ませてあげたいからついつい夜更かしをしてしまう。でもどんなに遅くても十時半が限度。姫にはたっぷり寝てちゃんと大きくなってもらいたい。
段ボールで作った本棚から一冊を取りだす。でかくて薄い絵本。「なないろのおはな」っていうやつで、たぶん大人が読めば三分もかからない。本棚にはそんな本が十冊くらい詰まっている。自分は全部気に入ってるけど、姫の好みには多少偏りがあるみたい。大きな本を布団の端に置いて、二人で眺める。ひらがなばっかりだから漢字に苦戦することもない。簡単な言葉ばっかりだから姫に意味を聞かれた時も答えやすい。頭のいい人ほどわかりやすい文章を書けるっていうのは本当かもしれない。
表紙いっぱいに七色の花びらを持つ花が描かれていて、何だかまぶしいくらいにきれいだ。姫もはじめて見た時は目を丸くしていた。表紙をめくるまでに三分ぐらいはかかった。一ページ進むのにも同じくらいかかった。とにかくすごい絵で、すごいのだ本当に。作者は「ゆめはるか」。我が家のアイドルだ。
最新作の「なないろのおはな」はめっちゃきれいな七枚の花びらを持っていた花の話だ。きれいなんだけど誰も見てくれない。何の役にも立たない。だから自分で根っこを引っこ抜いて旅に出る。いろんな草や虫に出会って花びらをあげて喜んでもらう。美しさを認めてもらえて花も満足する。そうやって旅を続けていく。最後は青とむらさきの二枚の花びらを雪だるまの目にしてあげて、花はきれいな花びらを全部なくす。
「七つの花びらをすべてあげてしまったお花さんは、寒い雪の中で枯れてしまいました。でも、お花さんはみんなを幸せにしました」
これを初めて読んであげた時、姫は泣いた。お花さんかわいそうーってずっと泣いてた。「でもお花さんはほら、みんなを幸せにしたからっ」と必死でフォローしてたらそのうち納得したのか、何度も読みたいというようになった。それで最近は泣かなくなって、雪の上にこてっと転がった裸のお花さんを見てじっと考え込んでいる。死んだのに嬉しそうな表情をしているのが不思議なんだろうか。それと雪だるまの笑顔を見比べたり、前のページを見返して花びらを渡すときのお花さんの幸せそうな様子を確認したりしている。
自分の絵本はどれも良い話だ。だから姫に自信を持って読ませてあげられる。それだけは自信を持っていえる。話の内容はどこまで理解してるのかわからないけど、色鮮やかで細かい絵には姫も夢中だし、気に入ったのは何度も何度も読んでとせがまれる。こんな絵本ができてくれて、本当に良かったと思う。だからゆめはるかは、我が家のアイドルだ。
姫を布団に寝かせたあと、机の前にそっと座る。電気をつけるわけにいかないから、蛍の光さながらに小さな卓上ライトで我慢する。大きな封筒から一枚の紙を取り出し、あらためてじっと見てみる。細い線を複雑に組み合わせたような鳥の絵で、びっくりするほど繊細だ。きっと誰が見てもびっくりする。今度の新作はきれいな鳥の話らしい。くちばしの曲線、一枚一枚の羽の細かな線を穴が開くぐらい見つめていると、がらにもなくため息が出た。
封筒に入れて送られてくるのはたいてい原画とそれを画用紙に写し取ったものの二枚一セット。たまに二セット以上の時もある。画用紙のほうを下敷きの上に置いて、そっと小型のカッターで切り取っていく。この切り紙にやがて色が付けられて切り絵になって、文章が付けられて絵本になる。それを姫も楽しみにしてる。つまり自分は、絵本作家ゆめはるかの手伝いをしてる。いってみればアシスタント。彼女のことを知ったのは、本当に奇跡みたいな偶然だった。
昔から手先だけは器用で図画工作のヒーローだったけど、それを生かす場面なんかほとんどなかったし、自分でも無駄な才能だと思っていた。誰かが入院した時や県大会シーズンには引っ張りだこだったが得なことはなかった。むしろ疲れた。それがちゃんと認められてちゃんとした絵本に協力できるっていうのは、冗談じゃないけどマジで夢みたいに感じる。カッターで切り取るだけの作業にも気合が入る。一ミリ、いやもっと細く糸みたいに紙を切り取ることだってある。でも失敗はしない。たまにするけど、ほかの画用紙を代わりに使って成功するまで繰り返す。自分が必要とされてるのはやっぱりうれしいから。
すやすや寝息を立てている姫をちらっと横目で見る。姫が起きてる時は絶対に作業をしない。カッターで怪我でもしたらたいへんだと思って、昼間は道具類もみんな片づけてある。だから夜遅くまで、たまに明け方近くまで作業をすることがある。姫の世話もあるし、とてもじゃないけど朝から晩までバイトはしてられない。それでも、食うだけで精一杯とはいえ、今は何とか生活できている。ただ姫が小学校へ行く年になったら……と考えて、最近はちょっと不安になる。授業料とか入学料とかはいらないんだろうけど、とりあえずランドセルはいる。あと給食費とか、その他の集金とか、ちゃんと払っていけるんだろうか。補助があると聞いたこともあるけど、あほだからよくわからない。また山さんとかに聞いておこうと思う。主婦は大変だ。
結局空が明るくなり始めるまでカッターを動かして、ようやく絵一枚分の切り紙を作り終わった。これを原画と一緒にまた封筒に入れて、ほかのアシスタントに送る。ゆめはるかから送られてきた茶封筒の宛名「虎居一真 様」を二重線で消して、「米子梓 様」に書き換える。封筒の口をのりづけして、百二十円分の切手を貼って完成。着色担当の米子さんは島根県の出雲市というところに住んでるらしい。でくも? 聞いたことあるような気がするけどよくわからない。会ったことも話したこともない。でも完成した絵本の絵を見て、いつもすげえなって思う。どうやったら絵具でこんなことできるんだよって思う。自分には絶対できないことも、他の人にはできちゃうんだってことを実感する。
あくびをしながら明るくなった窓の外を眺める。隣のアパートに隠れてちょっとだけ空が見えた。なかゆびにタコができていた。関係ないけどたこ焼きでも焼くか、と思った。たこは高いから買えないけど。
*
姫をお昼寝させてこっそり家を出た。いつもの上本町で降りて、田口と合流する。中学の同級生で仲も良かったし、向こうが高校に行ってからも付き合いを続けてもらってる。パンク系で固めて新歌舞伎座の下のマックの前にしゃがみこんだ田口は不良にしか見えなかったけど、おーっすと手を振ってくる様子は何かかわいい。
「ごめん遅うなって」
姫がなかなか寝付かなかったから家を出るのが遅くなってしまった。しかも人身事故か何かで微妙に電車が遅れていた。休日の繁華街なのに行き来する人の顔が険しいのはそのせいかもしれない。
ええよええよ、といいながら田口は携帯を操っている。「とりあえずどこ行く? 近鉄百貨店やっけ。おれあんまりこのあたり来たことないんやけど」
携帯でこのあたりの地理を調べてるらしい。中学時代はまじめな男だったから、あんまり遊び歩いたことがないんだろう。いわゆる高校デビューをしたみたいだけど、どんな生活をしてるのかはよく知らない。花の高校生というだけあって青春真っ盛り、なんだろうか。
「高校の友達とかとはどんなとこ遊びに行くん?」
「基本的にゲームかな」
「そんなもんか」自分には関係ないけどがっかりしてしまう。なんて不憫な男だ。
人がどんどん増えてきて、マック前はすし詰め状態になっていた。百貨店あっちか? ときょろきょろする田口を引っぱってとりあえずまた駅に入る。毎日バイトで来てるから自分にとっては庭みたいなもん。さっさと駅直結のデパートに突入する。さすがは日曜の午後できらきらした若いカップルがいっぱいいた。
「二人づれやとデートみたいに思われへんか」と田口が変なことを気にしている。
「思われるわけないやろ」
「だいたいお前のほうがこのへん詳しいやろ? わざわざおれを誘う必要あったんか?」
田口をエレベーターに誘導しながら、わざとらしくため息をつく。必要おおありだ。姫の四歳の誕生日を来月に控え、いよいよプレゼントを選ぶ時期がやって来た。ある程度のめぼしは付けてるけど、おもちゃにするか、服にするか、本にするか、それにケーキはどこで用意するか、一人では決められそうにない。
「まあプレゼントって悩むよなー」田口がいう。「とくに女の子の誕プレって。何あげたらいいんかマジでわからん」
「お前彼女いてたっけ?」
「いや姉ちゃんの……。てかお前の姫の好みなんかおれが知るわけないやろ」
「そういうなや。お前のほうが高校も行ってるし、ええもん選べるやろ」
「関係ないし。何か高校のこと勘違いしてへんか?」
エレベーターの前が人でごった返していたのでやむなくエスカレーターを使うことにした。一階から順に上っていく。フロアごとに雰囲気が変わるから、これはこれで面白い。面倒くさがっていた田口も、いざとなると子どもみたいにはしゃいでいる。
「マジでいろんな店あるな。てか婦人服多すぎへん? おもちゃは七階やっけ?」
「そう。あとで地下も見ていくけど」
「おー噂のデパチカか。憧れるわ」
「お前女子か」
「はあ? 食いもんは万民共通の憧れやろ。そや、姫ちゃんは食いもんでは何が好きなん?」
急に聞かれてちょっと考える。
「最近はひじきかな」
「おっさんかいな。抜け毛気にしてんの?」
「そんなわけあるか。味が好きなんやろ」
「しぶいな」
「外に連れ出してもひじきひじき連呼してるし。何か最近は言い間違えてヒデキに変わってきた」
「昭和か」
「そうやなこっちもちょっと恥ずかしい。何か語感が好きなんかな」
「ひでき感激ー」
「とりあえず帽子に大きく55って縫い付けてかぶらせることにした。少しはましかなと思って」
「お前天才やな」
話してるうちに七階に着いた。色とりどりの子供服やベビー服があっちこちにぶら下がっている。とりあえずエスカレーター横の案内板を確認する。
「適当に歩いて見て回ったらええやろ」と田口は面倒くさがっている。そういうわけにはいかない。計画を立てて無駄な動きを抑えなければ、プレゼント選びに十分な時間をかけることができない。
「姫が起きるまでに戻りたいし」
「ふーん。今日はさすがにバイト休み?」
「うん」
歩き始めてすぐ、壁にいっぱいぶらさがったランドセルが目に付いた。姫もいつかあれ背負う日が来るんやろな。ピンクとか水色とか似合いそう。
「お、ここかおもちゃ屋」と田口はそばの売り場を指さした。子ども用のおもちゃがずらりと並んでいる。「やっぱ誕プレっつったらおもちゃよな。おれもちっちゃいころはすっごい楽しみやったし。姫ちゃんはどんなのが好きなん? やっぱトミカとか?」
「お前とちゃうんやから」
あほなことをいいつつフロア中を歩き回って、おもちゃやら服やらを見て回って、結局パンダのクッションを買ってしまった。姫が好きそうというか自分のほうが気に入ってしまった。でも自分が気に入ったなら姫も気に入るだろうと思う。それをいったら田口に頭を叩かれた。何か悪いこといったか?
デパ地下まで回る時間はなかったから、泣く泣く帰ることにした。エスカレーターに乗っている時に電話が鳴った。誠さんからだった。
「ごめん虎っち、今日シフト代わってくれへん? 夜勤。マジで外せへん用事があるけん。虎っち、今日夕方入ってないよな」
よくあることだ。はい、はい、と適当にいって電話を切った。田口を振り向く。「バイトの人から。シフト代わってって」
「無茶やろ。行かんでええって」
「いや、行くわ」
何でや、と田口は絶望したような声をあげる。
「お互い様やしな。夜勤のほうが稼げるし、たまに入るくらいやったら悪くはあらへんかなって。姫も寝てる時間やし」
「お前そんな困窮しとんのか。あれやってるんとちゃうん? インスタントみたいな」
「アシスタントか……あれはボランティアみたいなもんやし」
それは本当だ。石田さんっていうアシスタントの人がたまに連絡をくれて、完成した絵本を送ったりしてくれるけど、ぶっちゃけそれが唯一の報酬。だから続けていくのは楽じゃない。必要な画用紙代とかカッターの替え刃代、あと切手代とかだけでもばかにならない。封筒も使いまわす。
「えっ、酷使されとんなー。まあ漫画家のアシスタントとかやったらタダでもやりたいけど、絵本はなあ。ゆめはるか、やっけ? 美人なんか? Sか?」
「さあなー、会ったことないし。基本手紙のやりとりやから」
「マジか。それはそそられるよな……でもおれもたまに本屋とか行くけど、いやほんまにほんまに。でもそのゆめさんの絵本見かけへんけど」
「本屋には売ってないからな」ちょっと考えながらいう。正直完成した絵本の行方についてはよく知らない。「そんなちゃんとしたのと違うから。自費出版ていうん? そんな感じ」
実はゆめはるかの絵本は大型書店どころかネット通販でも買えないらしい。けど、石田さんが頑張って営業して、今ではいろんな保育所とか病院の待合室に置いてもらえるようになったみたいだ。絵本の手伝いを始めた時は、ここまで活動が発展するとは思わなかった。同級生に頼まれる千羽鶴とは比べ物にならないくらい大変で、難しくて、でも楽しい。
「うらやましいわ」と、田口がこぼした。
「何で?」
「だってさ、高校に行ってても何の役にも立たへんしな」
「そんなもんか」と自分はつぶやく。高校に行ってない側としては、田口みたいな言い方は理解できない。中卒より高校に行った方が、絶対いいに決まってるやん。
*
九時、いつものように速攻で帰ろうとしたら山さんに呼び止められて、「明日おれんち来いよ、姫ちゃん連れて。シフトは他のやつに入ってもらってるから」といわれた。
「ちょっ……大胆すぎますわ店長」
「何をいうとんねん。食事会や食事会。おれの奥さんもお前らに会いたがっとんねん」
よくわからないけどごちそうしてくれるらしいし、山さんの家とか奥さんにも興味あるからお言葉に甘えることにした。いつも飲み会に出られない虎っちのため、っていうけど、何か心配されてるみたい。「あと誠も呼んでるから」と山さんは付け加えた。誠さんはこのコンビニ長いらしくて、たぶん自分より五年くらいは先輩で、中卒だけど高校卒業検定みたいなのを受けるためにいつも勉強してるとか、週何回か予備校に通ったりもしてるとかいう噂を聞く。本当かどうかは知らない。いつもの癖なのか金に対する執着なのか自分はレジ違算をめったに出さないけど、誠さんはイケメンだけどルーズで、±五百円とか千円とかをしょっちゅう出しちゃう。それでいつも山さんは怒ってる。だから誠さんも食事に呼ぶって意外だったけど、やっぱり自分と同じで、心配されてるのかもしれない、と思った。どっちも中卒でしかもフリーターで、大学出てる店長からしたらお前らこの先どうすんだよって感じなんだと思う。
急に新しい予定が入ったので、電車に乗りながら今日明日の予定を組み立て直す。明日は豆乳が安いからバイト後にそれのまとめ買いをしたかったけど、それは無しにしてあさって牛乳を買おう。あと姫の髪を切ってあげよう。家賃の支払いをしたかったけど時間ないし、それもあさってでいいか。そうすると姫の歯医者の予約を少し遅らせないといけないか。そういえば診察代を今週の予算に含めてなかった。どこかで帳尻を合わさないと。財布をひらいて中のお金を確認する。だいたいその金額が、自分の生活がリズムよく進んでいるかどうかのバロメーターになる。月曜の買い出しを終えて半分くらい残ってるならまずまず。多すぎたら何か買い忘れてる。少なすぎたら買い過ぎ。電気代ガス代通勤代のたぐいは別に用意してるから関係ないとして、ほかのいろんな消耗品、ティッシュとかシャンプーとかの出費は油断してると致命的だから週ごとに振り分けてこまめに買う。今週はトイレットペーパーだった。そういうことをしてるから財布の金額で曜日もわかる。
次の日の夕方、いつもならバイトに出かける時間に、姫と部屋を出た。ニット帽、マフラー、マスク、セーター、上着、長靴と姫には完全武装させている。
「寒ないか? 寒かったらいいなよ」
姫は外出するときいつもきょろきょろして危なっかしい。だからずっと手を握ってやる。前から歩きたばこのおっさんが来たら全力でガンを飛ばす。姫がべたべたしてるカップルの間に割り込んでいったら自分も従う。電車の中では常時まわりのやつらの動きに気を付ける。だいたい電車が揺れてバランスを崩すやつは見当がつく。あいつとかあいつとか。座席が空いてない時は体力の続く限り姫を抱き続ける。それで自分が一番しょっちゅうバランスを崩す。
「髪短いのー」
姫を見て開口一番、誠さんはそういった。
「さすがわかってますね先輩! 自分が切ってあげたんすよ」
「これは切り過ぎでいけんで」
「え? いつもこんな感じですけど」
ふーんといいながら誠さんは姫に触ろうとする。
「ちょっと手洗ってますか?」
「何、バイキン扱いかよ?」
姫は他人の家が珍しいのか、うれしそうにぺたぺた歩き回ろうとする。廊下から居間に通されると、大きな鍋が湯気を立てていた。山さんが鍋奉行みたいにふんぞり返って座っていて、自分たちに「座れ座れ」といってカラフルな座布団を指し示した。
「鍋っすか! すげー」誠さんが遠慮なくこたつに突入して、鍋をのぞきこむ。自分が誠さんの隣に座って、姫を傍らに座らせた。姫も興味あるのか立ちのぼる湯気に目を上下させている。
「姫ちゃんは苦手なもんある?」山さんが聞いてくる。
「さあ、ないと思いますけど」と首をひねる。「でもあんまり熱いんとか、のどに詰まりそうなんはパスで」
「過保護すぎちょー、なあ姫ちゃん」
誠さんがまた寄ってくるのを防いでいると、今度は山さんの奥さんがお盆を持って居間に入ってきた。玄関で迎えてくれた時も思ったけど、山さんにはもったいないくらいのきれいな人だ。都会のご婦人って感じ。けどかなりおしゃべりだった。
「娘が家を出てからはね、若い人が来るんって珍して。張り切って用意したからいっぱい食べてや。しいたけ大丈夫? 娘がこれ大嫌いで。そうよかったわ。水炊きやからポン酢に付けてね。薄くなったらゆうてちょうだい。ねぎはここ。あっ大根おろし忘れてもうた。ちょっと待っとってね」
奥さんが台所に駆け戻ってから、男三人はしばらく黙ってたけど、ただ姫だけは無頓着にテーブルをぺちゃぺちゃ叩いていた。「こぼすこぼす」と自分はコップを姫から遠ざける。
「てか急にどうしたんすか? 家に誘ってくれるとか」誠さんがいった。それに対して山さんはちゃんと答えなかった。「まあたまにはええやろ、こういうんも。飲むか? ビールあるし」
「じゃ、いただきまーす」と誠さんは遠慮なくコップを差し出す。
山さんは何もいわないし誠さんも何もわかってないふりをしてるけど、本当は何となくわかってるんだと思う。山さんはたぶん、誠さんに辞めてほしいんだと思う。店長っていったって会社員だし、偉いわけじゃないから、クレームよく食らうし遅刻も多い誠さんを働かせておくのはいろいろ大変なんだと思う。それくらいあほな自分にだってわかる。でもここにこのメンバーを集めて、どうするつもりなんだろう。
そわそわ心配してたのは自分だけみたいで、鍋パは和気あいあいと進んで、姫は妙に誠さんに懐いてしまってて、ちょっと悔しかった。気づいたら帰りの電車に乗ってて、あれ何で山さんの家でメシ食ったんだっけ? って思うくらい、本当にその日は何もなかった。結局何の変哲もない鍋パだった。と思ったのに、誠さんはその後バイトを辞めた。
*
ケーキくらい一緒に選べばええんちゃう? という田口のアドバイスを受けて、姫を連れてまた上本町に繰り出した。やっぱり年に一度の記念日だから、近所のケーキ屋とかイオンじゃだめだ。ついこの前ベビーカーを卒業したばかりのような気がするのに、姫は本当によく動く。動くのが楽しくて仕方がないっていうふうに飛んで跳ねる。狭い歩幅でちょこちょこついてくると思ったら、こっちに合わせて大股に歩きだす。周りの人や物にすぐ興味を示す。もちろん手はずっとつないでるけど、万一のことも考えて、ひもでも付けておこうかと思ってしまう。平日の朝にして正解だった。それでもアパート近くの駅や電車の中の人は少なくなくて、どこから湧いてくるんだというような人たちがあっちこっちに。何だなんだと思ってたらあべのハルカスがグランドオープンしたことを車内アナウンスで知った。けど席は空いてたし、姫に勧められてひさしぶりに座った。若い人、年とった人、子ども、カラフルなマフラーやコートが遅めの朝日に照らされている。電車は建物がごちゃごちゃ並んだ市街を一気に駆け抜けた。大阪にも雪の予報が出てるらしいけど、その気配は全くない。
近鉄百貨店につながる地下の改札を出ようとしたら、向かいから長身のイケメンが歩いてきた。と思ったら誠さんだった。
おっす、と誠さんはちょっと驚いたような顔をして、それからこっちを待つように改札の外にとどまった。姫が「まことさんまことさんー」と指さして喜んでるし、自分は仕方なくピタパで改札を通り、通行の邪魔にならないところに移動した。イヤホンを外しながら、「買い物?」と誠さんは聞いてくる。姫の手をしっかりと握りながら、「まあそんな感じですけど」と無難な答えを返す。正直、バイト辞めた人と話すのってどうしていいのかわからない。無理やり辞めさせられたんなら、自分らのことよく思ってないかも。どうしようどうしよう。そう思いつつ誠さんをよく見ると、大きなリュックとスーツケースを携えていた。
「旅行っすか?」
「いや、地元に帰るけん」
誠さんの答えはさっぱりしてて、何でもないことのように聞こえた。それでこっちも、あーそうなんすか、とだけいった。帰省ってやつか。
「夜行バスで帰るんだけど、部屋はもう引き払っちょうけん、すること無うて。店に顔出したけど店長もおらんし。バスの時間までぶらぶらしようかなって」
その言葉に、思わずえっと声をもらす。「じゃあ、もう戻ってけえへんのですか?」
おう、と誠さんは軽くうなずいた。
「地元から出てきてぶらぶらしちょっただけだけん。適当にフリーターやっちょって。で、まあ、店長にも心配されちょったし、まあ、帰る家もあるし、親にも心配かけちょるし、そろそろ帰ろうかなって」
誠さんのプライベートな話を初めて聞いたような気がする。こんなまじめな話も初めてしたような気がする。だいたいバイト業務のことかセクハラまがいの話しかしないのに。山さんが誠さんを心配してるって、それはそうなんだろうけど、誠さんの口から聞くのは何だか変な気がした。
「帰って……働くんすか?」
「実家が蕎麦屋だけん、まあ手伝えることもあるかなって。昨日家に電話したら、とりあえず帰って来えっていわれたわ」
意外過ぎて「ほー」としかいえなかった。誠さんと蕎麦は全然結びつかなかったけど、案外、こんな人でも十年くらい経てばバリバリの職人になって蕎麦打ってるかもしれない、ってちょっと想像した。
「いつか食いに来いよ。おれが打っちょるかどうかは知らんけど」誠さんは少し照れたように笑った。
「どこなんすか、地元」
「出雲」
「いずも?」聞き覚えがなかったから首をかしげた。都道府県にそんな場所はなかったはずだから、どっかの有名な都市か。そしたら誠さんに怒られた。
「知らんのか。勉強せえ勉強! お前、この子の親代わりなんだろ、ちゃんと教育できんといけんて」
誠さんが姫を指さした。姫はきらきらした目で自分と誠さんを見比べている。そうっすね、とうなずいた。親代わり。自覚はしてたけど、いざ他人にいわれてみると、重い。
「そうだ、前途有望な虎っちにこれあげるわ」
誠さんはそういって、スーツケースについていた何かをむしり取った。何だろうと思って受け取ると、赤いお守りだった。擦り切れて読みにくいけど、「えんむすび」とひらがなで書いてある。恋のお守り? こんなのもらっても……と困惑する。
「おれの使い古しでご利益はもうないかもしらんけど、まあ持っとけよ。おれには全然ご利益なかったけん、もしかしたら虎っちには効き目あるかもな」
「恋愛っすか……まあ必要じゃなくはないんですけど……」しどろもどろになる。
「はあ? あほか、縁は恋愛に限らんだろ。人との出会い、全部縁だ」
なるほど、と納得する、と同時に恥ずかしくなる。やっぱあほやな自分。
「大切だぞ縁は。地元出てきてわかったわ。いい人と出会えへんかったら何の意味もないなって。一人で何でもできるつもりで出てきたけど、全然そんなことなかったわ」
誠さんは軽口でもたたくようにしゃべっている。わかるようなわからないような気持ちでとりあえずうなずいていた。いい人と出会えなかったら意味がない。大切なのは縁。一人で何でもできるわけじゃない。その言葉の一つ一つが何となく納得できるような気がした。ここにも自分の力を発揮できない人が一人いる。成功できなくて故郷に帰ろうとしてる。でもそれは悪いことでもないような気がした。縁に巡り合えなかったんだから、また新しい縁を探しに行くだけ。
ほな、といって誠さんはスーツケースを引きずり、あっという間に改札を通って行ってしまった。手のひらのお守りをしばらく見つめた。ほつれて汚れてぼろぼろのお守りが、とりあえず自分と誠さんを結んでくれたことに不思議な縁を感じた。
「誠さんどこ行ったん?」と姫に聞かれた。この前仲良くなったばっかりなのにもうお別れ。もう会えないかもしれない。そう思うと姫が不憫でかわいそうだった。「ねえ誠さんどこ行ったん?」手を握ってぶんぶんと振ってくる。丸い目が責めるように見つめてくる。ゆっくりしゃがみこんで、お守りを姫に見せてあげた。これ、誠さんからのプレゼント。
姫の小さなカバンにお守りを結びつけてあげた。良い縁が必要なのは、自分じゃなくて姫のほうやから。
*
「ゆき! ゆき!」と姫がうれしそうに叫んでいる。はっとして窓のほうに目を向ける。昼間なのにやけに暗いと思ったら、真っ白なぼたん雪が右から左に流れていた。みるみる内に町を埋めていく。周りの乗客もぶつぶつ話している。何年ぶりかのちゃんとした雪だ。積もるかもしれない。
雪が窓をこすって散っていく。いつも見ているマンションの森が、どこか北欧の世界みたいに見えた。遠くのビル群は吹雪に隠れて見えなくて、沿線だけそっくり隔離されてしまったみたいに思えて心配になった。とりあえず電車は停まることもなく最寄り駅に着いて、姫を連れておっかなびっくり駅の外に出る。雪は少しおさまっていた。一面の銀世界、というやつだ。歩くたびに薄い雪がくつの裏に張りついた。それに足を取られて、すぐに転びそうになる。気つけえや、といった途端に姫は手を離して、駅前の広場を駆け回り始めた。
「ゆきや! ゆきや!」
雪をかぶった大きな記念碑の前で、姫は小さな体をいっぱいに使って、一心不乱に踊っているように見えた。落ちてくる氷の結晶を受けとめようとするみたいに、白い空に手を伸ばしていた。転んだら大変だ。焦りながら走り寄った矢先、姫が派手にしりもちをついた。でも姫は笑っていた。笑いながら雪をお手玉のようにして遊んでいた。
「かずまちゃん、ゆきや!」
「お、おう!」
何となくこっちも血が騒いでしまって、しばらく時間を忘れて雪だるま製作に没頭していた。くつも手袋もびしょびしょになった。ああまずい、と我に返って、慌てて姫を抱き上げる。
「風邪ひいてまう。一旦帰ろう」
姫は渋ったけど仕方がない。重くなったくつを懸命に上下させつつ駅を離れた。姫が、しきりに「おめめ、おめめ」といっている。
「ん? 目がどうした? 痛いんか」
どうやらそうじゃないらしかった。姫は腕の中でしきりに体をねじって、後ろのほうを指さしている。振り返ってみる。さっき作った顔なしの雪だるまが、駅の前にぽつんと立っているのが見えた。ああそういえば、絵本の中にも雪だるまが出てきたな。姫をあやしながらアパートに向かった。あの雪だるまに、誰かが顔を作ってくれるだろうか。駐輪場の屋根にとまったハトが、寒そうにほうと鳴いた。
着替えを終え、昼飯を食べたら姫はこてんと寝てしまった。はしゃぎ過ぎて疲れたらしい。かじかんだ指をこすりつつ、戸棚の引き出しから画用紙やカッターを取りだした。誠さんが遅刻したり、誠さんに夜勤を頼まれたりで最近はあまり仕事が進んでいない。締め切りはとくにきまってないけど、あとの作業をする人にとっては、完成した切り紙がコンスタントに届くほうがいいはずだ。姫が寝てるあいだに少しでもやっておきたい。バイトに行くまでには一時間ほど時間がある。ちょっと頑張るか。
下敷きの上に画用紙を乗せ、カッターをそっと当てる。少し切る。すぐに意識が飛んで、気づいたらとんでもないところに刃が行っていた。余白の所だったからよかったけど。まずい。眠い。でもせっかく時間があるし。気を取り直してまたカッターを当てる。視界がぼやける。
目を開けて時計を見たら、いつも家を出る時間を十五分も過ぎていた。慌てて店に電話をかけて、ちょっと遅刻することを伝える。昼のシフトに入っていたおばちゃんは気楽に「ええよええよ、ゆっくり来なあ」といってくれた。急いで準備をして、姫の寝顔を確認して、走って部屋を出た。また雪が降ったらしく、アパートの前が真っ白けだった。自分たちの足跡も消えている。電車動いてんのかな、と思いながら道を急ぐ。
やっぱり私鉄だからなのか、大雪にもめげず電車はフルで運行してるみたいだった。ちょうど急行が来た。助かった、と思いながらぎゅうぎゅう詰めの車内に乗り込む。アナウンスが流れてドアが閉まる。何かを忘れているような気がした。
電車が滑るように走っていく間、ずっと考えていた。何か大切なことを忘れているような気がした。忘れ物があるわけでもない。財布も携帯も持ってる。ふと姫の寝顔を思い出した。この時間まで寝てるってことは、よっぽど疲れてたんだろう。自分も寝ちゃったけど。そこまで考えた時、切り紙の道具を出しっぱなしにしてきたことに気がついた。
居ても立ってもいられなくなった。鶴橋で降りるまでが地獄だった。急行のたった一駅が、永遠のような長い時間に感じられた。電車を降りて階段を走って、線路を挟んだ向かいのホームに駆け込んだ。また吹雪いてきてたけど、寒さを感じる余裕もなかった。はっと思い出して店に電話をかけた。
「おう虎っちか。どうした? 大丈夫か?」
誠さんの声だった。自分では気づかなかったけど、自分はどうやら半泣きだったらしい。まともに話すことができなかった。寒さのせいもあったかもしれない。それでも誠さんは丁寧に聞いてくれて、「ほな今日はいいから、はよ行っちゃれ」といってくれた。
「すいません、シフト……」
「あほ」ときつい声が飛んできた。「そっちのほうが大事に決まっちょうが!」
はい、はい、とうなずくことしかできなかった。誠さんは山さんに挨拶するために店にいて、代理でシフトに入ってくれるそうだ。
「今日はおれにまかせとけ、何回もシフト代わってもらっちょるけん。お互いさまや」
電車を待つ間、祈るような気持ちで、どうか姫がまだ寝ていてくれますようにと思った。起きていたとしても、机の上の物には気づかないでくれますように。来た車両に飛び乗る。普通電車の二駅が長い。どうにかまたもとの駅に着く。雪の積もった道を走って帰る。必死に走りすぎて、目やのどがびりびり痛んだ。でも走らずにはいられなかった。こういうのが虫の知らせというやつらしい。アパートに帰ったら姫が泣いていて、そばには自分のカッターが転がっていて、姫の指から赤い血が流れ出しているのかもしれないのだ。姫の泣く声。苦しそうな顔。流れる涙。増えていく血だらけのティッシュ。救急車。応急処置。病院。動転し過ぎていて、ドアに鍵を差し込めない。入った。回った。どたばたと部屋に駆け込む。姫はすやすやと寝息を立てていた。
山さんの提案を受け入れて、姫をバイト先に連れていくことになった。むしろ自分から山さんに頼んだ。もちろんこの怪我未遂(?)がきっかけだ。改めて考えてみれば、ガスとか風呂場とか、危険なものは部屋にいっぱいあった。一度心配し始めたら、もう姫を一人で置いておくことは怖くてできなかった。今まで気づかなかった自分は相当のあほだ。初めて姫を連れて出勤したとき、香奈さんやおばちゃんはかわいいかわいいを連発して姫に群がってきた。もちろんそれなりに牽制をする。
「姫ちゃん、お名前何ていうの?」と香奈さんが姫に尋ねた。
「とらいしゅうじ!」
姫が元気な声で答えた。香奈さんも、おばちゃんも、山さんまで「えっ?」といって停止した。姫はぴょんぴょん飛びながら「とらいしゅうじさんさい!」と繰り返している。
「男の子?」
山さんがびっくりしたような顔で聞いてきた。はい、とうなずくと、香奈さんはえーっと大きな声を上げた。「うそっ、姫ちゃんって、何で?」
そう聞かれて、首をかしげる。「いや……かわいいし、姫って呼ぶしかないじゃないすか」
香奈さんが額に手を当てて、やられたわー、とつぶやいた。「そっかそっか、じゃあ一真ちゃんと反対やね」
「何がですか?」
「だって、一真ちゃんめっちゃボーイッシュやん!」
男勝りなところがある、ってことだろうか。確かにそれはそうかもしれない。何はともあれ、姫が店にいるようになってバイトはしんどくなった。何より気を遣うことが増える。スタッフルームにあるとがった文房具類は全部姫の手の届かないところに隠した。そうしたら山さんからすぐに苦情が来た。でも熱心に掃除をするようになったのはほめてもらえた。「ええ奥さんになるわ」だってさ。ただあれ以来、刃物を使うのが少し怖くなって、ポップ作りは香奈さんに代わってもらった。香奈さんが四苦八苦しながらカッターを使うのを見ていると、危なっかしくてしょうがなくて、やっぱり自分がやろうかな、とも思う。
いつもどおり九時に退勤して、姫を連れて帰る。上本町駅の人ごみの中を歩いていると、前を歩いていたおっさんがハンカチを落とした。拾って渡してあげる。電車の中で寝過ごしそうになっていたおやじも起こしてあげる。姫と一緒にいると、何だか心が広くなる。
風呂に入ったあと、姫を抱き上げて座り、一緒に絵本を読む。あれから一度もカッターを出していない。気をつければいいのはわかってる。けどどうしてもあれを握る気になれない。ゆめはるかのアシスタント、これからどうしようかと思う。ところでアパートに帰ってから、財布がないことに気づいた。いつもズボンのポケットに入れてあるはずなのに。どこを探しても見当たらない。そういえばハンカチを拾った時、誰かにぶつかられたような気がする。明日からの予定が全部パーだ。本当にどうしようかと思う。でも姫の体は小さいのにぽかぽか温かい。絵本のページをめくるたびに、姫は喜んだり、悲しんだり、驚いたりする。それが体から伝わってくる。それが一番うれしい。目がとろんとしてきた。気づけば姫も眠っている。携帯がどこかで鳴っている。メールか。アシスタントの石田さんかもしれない。でも何だかどうでもいいような気がしてきた。誠さんは今頃どうしてるだろう、と全然関係ないことを考えた。それより今週の予定を組み立てなおさないと。まず食費と消耗品の予算。来月の分から前借りするか。それとスーパーのチラシもまた確認しておこう。少しでも安く抑えたい。でも何だかどうでもいいような気がしてきた。明日の予定は決まってないけど、自分はここでこの子と生きてるけん。
◆第二章 功山寺 翔平(こうざんじ しょうへい)
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彼女がターナーターナーうるさいから、何それ絵の具? っていってたらイギリスの画家だった。三宮のほうで美術展が開催されてるらしい。芸術なんかわからないくせに、こういうのだけは妙に行きたがる。行きたい行きたいって連呼するから仕方なくついて行くことにした。
「土曜日はバイト入っとるし夕方までしか空いてないで」というといつものように「じゃあバイト終わったらうち来てな?」と控えめな感じでお願いされた。おれと違って、彼女は王子公園駅近くの学生マンションで一人暮らしだ。だからよく泊まりに行く。泊まってご飯食べて、翌日一緒に出かけたり部屋でだらだらしたりするのが普通になってしまっている。お互い就職の内定もらって、大学が春休みになってしまうとけっこう暇で、だから彼女は旅行だなんだって張り切ってるけど、おれはいうほどそういうの好きじゃないから、とりあえず本読んで、バイトやって、一日が終わる。
いつも通り駅のホームで待ち合わせた。三宮までは阪急ですぐだ。神戸の町は風が強い。だから寒い。彼女は寒さにめっぽう弱いらしくて、マフラーで顔を隠して、短い髪まですっぽり包むようにして、ちぢこまって「寒いわー」を連発しながら歩いてる。本人いわく「南国生まれ」だそうだから、冬は苦手らしい。その割に、紙パックのアップルジュースはずっと手放さない。
休日の三宮は、さすがに人が多い。雑多な狭い路地も広い交差点も人であふれそうだ。なぜか市街地のまんなかに神社があって、彼女が異様に食いついた。「あ、あれ三宮神社! ちょっと寄ってかん?」とかいいながら、歩きにくそうなブーツで交差点の横断歩道を危なっかしく走っていく。小さな神社だけど、木と玉垣に囲まれてて何となく厳めしい。町なかのパワースポットって感じか、とか思いながらついて行ったら、なぜか彼女はすぐに戻ってきた。「縁結びの神社かと思ったらちゃうかったー」と頭をかいている。やわらかそうな黒髪がぱさぱさ揺れる。「あっでも近くに生田さんあるやんなあ? あとで行こー」
「はあ。そんな縁結びって大事なんか?」
「大事大事! 大事やでえ」と彼女は手袋をした手をグーにして力説し始めた。「やっぱり人生、縁!」
ふうん、と気のない返事をしてしまう。ちょっと気がとがめて話をつなげる。「そういえば、おれのいとこで出雲に住んでる子おるわ。あそこって縁結びで有名やんな?」
すると彼女が素っ頓狂な声を上げた。
「ひえーっ、ええなあええなあ! うらやましいわあ」
「そうか? てか、地元のほうにもでっかい神社あるんとちゃうん? ほら、伊勢の」
「あれなあ、縁結びにはあんましご利益ないわ、たぶん。てか何か敷居高くてお願いしにくいし。やっぱし本場は出雲やで。行きたいわあ。出雲に住んでるってほんまにうらやましい。ちょっと、今度そのいとこの人に、お守り送ってもらえるようにお願いしてくれやん?」
「まあええけど」とおれは軽く返事をする。いとことは最近連絡を取ってない。今年の正月にもなんやかんやで会えなかった。たまには電話でもするか。少し、「ゆめはるか」のことで気になることもある。
「縁、縁って、何をそんなにお願いしたいねん?」
「え、そら、仕事の縁とか、友達の縁とか、まあいろいろあるじゃないですかー」
彼女はもじもじしながらそういった。
美術館は学割がきくみたいだったから、チケット売り場で彼女と一緒に学生証を差し出した。国立大の男と、女子大の女の子。典型的なカップルってとこか。入ってみたら混んでたけど年配の人ばっかで、やっぱ美術館はデートスポットじゃないよなーと思う。だって話しづらいし、とくに彼女はよくしゃべるし声がでかいから、大声で話せないのは苦痛に決まってる。目をまんまるにして、何かの絵を指さしながら、あ、あ、あ、って必死に声を抑えて何かを伝えようとしてくる。絶対しんどいと思う。まあでも、自分で行きたいっていったんだし。
おれにはターナーの良さはよくわからなかったし、彼女にも絶対わかってないんだけど、とりあえず大満足ではあったようで、絵葉書とかクリアファイルを買い込んでた。乗せられすぎんなや、って注意したけど、全然聞く耳を持ってなかった。まあ、いいんだけど。
いわゆるおしゃれなカフェで昼食をとって、雑貨屋とかをぶらぶら散策してからようやく帰る。王子公園で彼女は先に降りた。彼女は下宿に、おれは六甲駅近くの塾に向かう。
*
個別指導って楽だ。プリントやらせたりわからないとこ教えたり愚痴聞いたりしておけばそのうち終わる。今日の生徒は麻衣ちゃん一人。高校三年生で受験生。志望は神大。先月センター試験を終えてC判定。来週には二次試験、つまり本番を控えてる。学力的にちょっと厳しいかなと思うけど、去年の夏から本人は受ける気まんまんで、だから現役のおれが担当になった。マンツーマンで教えることもよくある。麻衣ちゃんからすれば、志望大の学生ってだけで、おれは憧れの存在らしい。そんなええもんと違うでっていつも言い聞かせてる。その甲斐あってか最近はフランクに話しかけてくれるようになった。でも、それがちょっと面倒くさかったりする。
「先生、髪の毛乱れてますよー。デート行っとったんですか?」
ひとこと目からこれだ。でも、何で女の子ってこう勘が鋭いんだろう。手ぐしでぱらぱらっと髪を整えてから、麻衣ちゃんの机のそばに座る。
「どこ行ってきたんですか?」
三宮、と答えながら、過去問の採点結果を麻衣ちゃんに渡す。麻衣ちゃんはさも申し訳なさそうな表情を作った。
「すみません、私のために来てもろうて。彼女さん怒ってなかったですか?」
「ええから。それこの前の数学。ちょっと点数上がっとって良かったな。この調子やったらいけると思うで。だいたいできとるし、ええんやけど、間違ったとこ確認していこか」
「あれーここ間違っとったんですね」
どうにか授業を始める。受験が迫ってるのにこの余裕は何なのか。逆に追い詰められてテンションがおかしくなってるのか。どっちにしろ扱いにくい。とりあえず問題数も少なくて計算ミスなんかの簡単な間違いが多かったから、二十分くらいで見直しは終わった。
「さあ今日はどうしとく? 直前やし、またがっつり過去問解くか、それか気分変えて問題集やってみるか」
「んーじゃあ過去問で。もうちょっと実戦形式でやりたいかなって。あの、もしかしてこのあとも彼女さんと会うとかですか?」
何でわかるん? とおれは授業のことも忘れてびっくりしてしまった。鎌をかけられたのか。いやこの子に限ってそんなはずはないし。
「えーっ、じゃあ」と麻衣ちゃんは声を低め、おれを怪しげな目でちらちら見る。「今夜はお楽しみですね」
はあ、とため息をつく。「そんな楽しみでもないわ」と、思わず本音が出ていた。
「何でですか! そんなことゆうたら彼女さん泣きますよ」
いや今のは忘れて、っていったけど麻衣ちゃんは引き下がらなかった。
「なんかなあ」おれは向かいの机に頬杖をつく。「なんかむなしいっていうか。こう、なあ、女の子の家に入り浸って、何か不純やなあ、みたいな……」
えーっと麻衣ちゃんはなぜか驚いたような、感動したような顔をした。「先生、うぶですねー」
「うるさいな、ほら、早よやりい。受験生やろ」おれは赤本を麻衣ちゃんのほうに押しつける。顔も赤くなるのが自分でもわかる。どうしておれは、こんなに女の子に弱いんだろう。「そういう麻衣ちゃんは彼氏とかおるん?」
「いませんよー。できたことないです」そういいながら赤本をぱらぱらっとめくっている。
そりゃそうだよな。不器用そうだもんな。と思ったけど口には出さない。麻衣ちゃんは目を赤本に注いだまま、つぶやくようにいう。
「なんかー、高三になったら、周りがみんなくっつき始めるんですよお。うちだけ取り残されて。ちゃんと勉強せえよ、って思うんですけど。受験生やのに」
「そやな、今は勉強やな。でも大学行ったら麻衣ちゃんにもできるんちゃう?」と無責任なことをいっておく。
ほんまですか? と聞かれた。こう見えて意外と気にしてんのかな。気にしてるよな。思春期やもんな。「ほんまほんま。大学はパラダイスやから」
「あーでも大学行けるんかなー」
「そのためには勉強」
「先生ってサークルとか入っとったんですか?」
「とりあえず過去問やりましょうね? ね?」何とか麻衣ちゃんをなだめて試験問題に向かわせてから、おれは一旦席を立つ。ペットボトルのお茶を飲んで、ほぼ無意識に携帯を確認すると、やっぱり。彼女からメールが来ていた。
晩ごはんなんやけど、パスタにしようと思ってるんやけど、アルデンテかがっつりゆでるか、どっちがいい?
どっちでもええよ、と毒づきながら携帯を閉じ、麻衣ちゃんの席に戻る。麻衣ちゃんは黙々と問題に向かっている。この時間が暇だ。家でやってきてもらったらいいんだけど、それじゃ集中できないっていうからここでやらせる。それで結構時間を食うから、授業時間中にできることはほとんどない。今日もこの過去問を解いて終わりになるだろう。麻衣ちゃんが解いたのを持って帰って採点して、次回フィードバックして、また問題やらせて、その繰り返し。これで時給千八百円なんだから楽なもんやな、と思う。
九時になって授業を終えた。麻衣ちゃんから解答用紙を預かって「じゃあまた次回」といって席から離れる。本当はもうちょっと会話したりとか、塾が入ってるビルの外まで送って行ったりとかしたほうがいいんだろうけど、何かそこまでする気になれない。でも麻衣ちゃんは容赦なく話しかけてきた。
「この前親戚の子の結婚式あったんですけど、めっちゃ感動したんですよ。で、引き出物、ってゆうんですか? 何か球根くれて。春になったらめっちゃかわいい花咲くらしくて」
「へーおもしろいな。何の花?」
「あ、ヒヤシンスです。すごい楽しみで、毎日水替えてます。日課です」
「そうか、春になるん楽しみやな」って何気なくいったら、麻衣ちゃんが何か思い出したみたいにこっちを見た。「ん? どうした?」
「先生ってこの春で辞めるんですか?」
「そうやな、就職するしな」
ふーん、と麻衣ちゃんはいったきり、帰り支度を始めた。何なんだよ。
*
ドアを開けると、彼女がキッチンに向かっていた。しゅうしゅうという音と、トマトのあまい香りが部屋いっぱいに広がっている。彼女はおれのほうにちらっと目を向けて、上機嫌におかえり〜といった。おかえりか。おかえりでいいのか。細かいことは突っこまずに、うん、と返事してくつを脱ぎ、洗面台で手を洗う。寒い中を歩いてきたから肌がぴりぴりする。顔を上げて鏡を見たら、やっぱり、逆パンダみたいに真っ赤になってた。
「ねえー何でメール返してくれやんかったん? 忙しかった?」
「ん? パスタ? まあどっちでもええかなって」
「そんなことないしー! ゆで加減の好みでソースも変わってくるやん! まあうちの好みで作ってるけど、ええ?」
そういうものなのか。市販のソース使えばいいのに。奥の部屋に入って、勝手にコートをハンガーにつるす。七畳くらいのリビング。家賃はどんなものなのか知らないけど、たぶんいい部屋なんだろう。きれいに整えられたベッドと、小物であふれた本棚。中央には低いテーブル。おれはカーペットが敷かれた床に座って、早速麻衣ちゃんの答案を取りだした。テーブルの上のノートパソコンやらお菓子やらをどけて、採点に取りかかる。神戸大の過去問。自分も受験生の時にやった覚えがある。苦い記憶をかみつぶしながら、一問ずつ、解答解説とにらめっこして進めていく。数学の丸付けは難しい。計算問題はともかく文章問題には解き方が何パターンかあって、どれが最善ともいいがたい。ふつうは「定石」といわれる解法を教えておくし、それに沿って採点もするけど、もちろん他の解き方も許容して、時にはそれを勧めないといけないこともある。結局は解く側との相性、ってことになるかもしれない。麻衣ちゃんはそこそこできるほうだから、簡単な問題ならまず間違えない。定石を使ってすいすい解いている。おれも三色ボールペンの赤芯ですいすい丸をつける。まる、まる、まる。けどボリュームの大きな難しい問題になるとつまずく。こういう問題は入り組んでて、簡単には定石が見つからないから仕方ない。用紙には消しゴムのあとが汚く残っていて、麻衣ちゃんが頭を絞って取り組んだのがよくわかる。でも残念ながら解けてない。時間がなかったのか尻切れトンボになっている。けど、正解を導くプロセスに少しでもマッチしていないかどうか、定石から少しトリッキーな別解まで考慮して、小さい丸を付ける余地がないかどうか考えてみる。「部分点」ってやつだ。どうしてもそれをあげたい。甘やかすためじゃなくて、少しでも丸を付けられないとおれのほうが落ち着かないから。丸を付けるのが妙に楽しくて、それで塾講アルバイトも始めたみたいなもんだから、問題に×しか付かないのは、どうにも気持ち悪くてやってられない。さあ、どっかに赤丸をつけられないかどうか。
麻衣ちゃんの書いた数式の上に、ぱちん、とフォークが置かれた。おれはしぶしぶテーブルの上を片付けて、「あ、もうできたん? ありがとー」と彼女にいった。少し不機嫌そうな顔をした彼女が二枚の皿を持ってくる。湯気の立つミートソース。結局、いつもの十八番。
風呂に入ろうとして、歯ブラシを忘れたことに気づいた。彼女の部屋に泊まる時はいつも持参するようにしてた。歯ブラシを常備させておくのは、何かこう、いかにもただれた関係っぽくていやだ。仕方ない、買いに行くか。このへんにはコンビニあったっけ。大学から少し遠い立地だから、このへんの地理にはうとい。彼女は洗い物をしてる。カチャカチャと小気味いい音がする。
「パソコン借りるわ」と声をかけると、「うん」という声がすぐ返ってきた。テーブルの上にあったWindowsのノートパソコンを開いてIEを立ち上げる。他人にパソコン使われるのなんか、おれだったら絶対いやだけど、彼女はそうでもないらしい。理解できない。助かるからいいんだけど。「灘区 コンビニ」って打とうとしてコンまで打ったら、予測変換で「灘区 婚姻届」になってしまった。
「何調べてんの?」
いきなり彼女がのぞきこんできた。おれは反射的にブラウザを閉じる。何やってんだおれ。「コンビニ調べようと思って」
「何か買いに行くん?」と彼女は聞いてきた。とくに気にしている様子はない。たぶん、絶対、今の見たと思うけど。
「うん」おれはうなずく。「どのへんにあんの?」
「何買うん?」
歯ブラシ、としぶしぶ答えると、それやったらあるー、といってすぐに新しい歯ブラシを持ってきた。はい、と渡されて仕方ないから受け取った。ちょっと納得できないような気がする。これだと常備してるのと同じじゃないか。苦しい抵抗を試みる。
「あー、歯磨き粉は? いつものやつ使いたいし、ちょっと買いに行っていい?」
そういって何とか部屋を出た。彼女は付いてくるっていったけど振り切った。急傾斜の道路を何回も上る。コンビニはなかなか見つからない。すぐにコートの中が火照ってくる。息もあがる。神戸は山の町だ。山にそのまま街を貼り付けたみたいに見える。下り坂を見下ろせば、規則正しく並んだ丸い街灯がどこまでも続いてきらめいている。
彼女の歯磨き粉を使いたくないわけじゃない。別に使ってもいい。でも、使うと一線を越えるような気がしていやなだけだ。何が一線なんだよ、って自分でも思う。結婚したらそんなのどうでもよくなる。結婚。夜空にぶらさがるオリオン座に白い息を吐きかけながら、その近い将来のことを考えた。たぶん結婚はするんだと思う。けどお互いに別々の場所で就職するし、すぐにっていうわけにはいかない。じゃあいったいどうするのか。彼女はどうしたいのか。今のところ、全然わからない。いや、自分が真面目に考えてないだけなのかもしれない。
歯ブラシと歯磨き粉を買って彼女のマンションに戻る。オートロックの玄関を合鍵で開けて、部屋のドアも自分で開けて、また彼女の声がお帰り〜って迎えてくれる。この関係をどう定義すればいいのか、いまだに、よくわからない。
彼女は部屋で携帯をいじっていた。右手で操作しながら、左手の指を短い髪にくるくる巻きつけている。まだ着替えてない。
「先に風呂入っとったらええのに」っていってみたけど、彼女は「先入ってよ」っていってきかない。いつものことだからそのまま洗面所に入って、慣れない歯ブラシで歯を磨く。鏡をぼんやりと見つめる。彼女の今の髪形はおれが勧めた。初めて会った時はもっと長くて茶色かったけど変えてもらった。黒のショート。初恋の人の髪形。それが今でもおれの好みになっている。
交代で彼女が風呂に入ってる間、また麻衣ちゃんの採点に取りかかった。どうにかこうにか小さな丸を付けていく。ここまで苦労してする必要がないのはわかってる。どうせただのバイトだ。それなりに採点して、それなりに○と×を付けておけばいい。麻衣ちゃんが過去問で部分点を取ろうが、模試で上位になろうが、入試に受かろうが落ちようが、おれの時給は変わらない。でも。そんなんで割り切れるわけがない。
彼女が風呂から上がって、おれの手もとをのぞきこんできた。「熱心やね。そんなかわいいんや、その山本麻衣ってゆう子」
「かわいい?」おれは手を止めて宙を眺める。「見る人にもよると思うけど、まあ、普通かなあ」
ちゃうって、と腕をはたかれた。
「ちょ、ずれるって」
「それまだやってるん?」
「もうちょっと。もうすぐ終わる」
ふうん、とつぶやいて、彼女はまた携帯をいじりだした。ワンセグでも見てるらしい。そのまましばらく時間が過ぎる。おれは頭を抱えながら、三色ボールペンを指の間で回しながら、えんえんと丸付けをする。自分の家なら徹夜することもある。でも今日は彼女がいるから、そういうわけにもいかない。
ついに彼女が携帯を放り出して、一人でベッドに入った。「おやすみ」といって、おれに背を向けてしまう。時間を見る。二時を過ぎていた。まだ終わってなかったけど軽く片付けて、電気を消して、おれは彼女の布団にもぐりこむ。
次の日は昼まで寝ていた。ひどく頭が重い。午後から高校時代の友達と遊ぶ約束をしてたのに、行く気にならなかった。ベッドから出る気も起きない。携帯を操作して、ドタキャンを伝える。彼女はもう起きていて、キッチンで何か作っている。テーブルの上にはパンとかサラダとか、朝、じゃなくて昼ごはんの準備ができはじめている。彼女がじゅうじゅう鳴るフライパンを持って部屋に入ってきた。香ばしいベーコンの香り。
「あ、やっと起きたん?」
誰のせいやねん、と思いながら重い体を起こす。ここに泊まるといっつもこうだ。一日が昼から始まるっていうのは、すごく気持ち悪い。とりあえず着替えて、テーブルのそばにぐったりと座る。眠い。頭が自然と垂れてくる感じ。生活リズムがめちゃくちゃだ。
かばんからスケジュール帳を取りだして開く。先週の「追いコン」に青色の×をつけているのが目に入った。福祉系サークルの卒業コンパで、三回生が対象だけど、四回生のOBもよく出席する。自分も出ようと思ってたけど、何となくだるくてやめた。数日前の「見積り」にも×。これは引っ越し業者の都合が合わなかった。増税前で引っ越しもラッシュなんだそうだ。三色ボールペンをペンケースから引っぱりだして、青い芯をかちっと出して、今日、二月二十三日(日)「14時〜遊び」にも、×。
二月二十五日(火)には、「まいちゃん入試」。
「今日遊びに行くんとちがったっけ」彼女があっけらかんとしていう。
「やめた。何かしんどいし」
大丈夫? と彼女は心配そうな様子をする。無駄な心配も掛けたくないから、大丈夫大丈夫、といって手を振る。そしたら安心したのか、彼女は無心に目玉焼きをつっつき始めた。ふと、彼女がこっちを見る。
「今日なあ」上目づかいにちらちらとおれの顔を見る。「保育所行くんやけど、一緒に行かん?」
「何で?」
「研修までに一回来てっていわれてるし。行っとかなあかんの。今日ちょうどお遊戯会やし」
彼女は四月から保育所職員だ。つまり保母さん。地元を離れて大学に通って、資格を取って、結局就職もこっちですることにした。その保育所はそう遠くなくて、このマンションから歩いて行けるようなとこらしい。
「そんなん、一人で行ったらええやん。おれがついていく必要ないし」と至極当然の意見を口にすると、彼女はおれの袖をつかんで「何でー? 行こらよー」を連発し始めた。何でおれが行かないといけないのか、全然理解できないけど、こうなるとどうしようもない。おれはしばらく拒んでたけど、やがてあきらめて折れた。一人じゃ不安なんだろうか。そんなんで春からやっていけんのか、と思いつつ、傷つくだろうから口にはしなかった。
二月も終わりに近いけど、寒さが和らぐ気配はまったくない。五分ほど駅近くの住宅街を歩いていたらすぐに着いた。急な坂道の途中にある、こぢんまりしたビルの一階だ。「ここやー」とちょっと憂鬱そうに彼女はつぶやいて、おれを従えて敷地に入っていく。門には子どもが作ったらしいかわいいプレートがいくつもぶら下がっている。看板とかは出てないけど、中からにぎやかな声が聞こえていて、なるほどお祭りっぽい感じがする。
雪がちらついてきた。どうりで寒いはずだ。コートに付いた白い粒をささっと払う。髪の毛も気になった。玄関から職員さんらしき人が出てきて、笑顔で応対してくれて、案内してくれるというようなことをいった。彼女がおれを紹介した。「彼氏です」
そんなこというか普通、と思いながら、「功山寺翔平です」と軽く会釈する。女性はおれの存在にちょっとびっくりしたような顔をしたけど、快く「どうぞ」とにっこりしてくれた。迷惑じゃなかったらいいけど。中はよく暖房が効いていて、奥から子どもの声や音楽が聞こえてくる。手にアルコール消毒をしたあと事務所らしきところに通されて、「訪問願い」なる書類に記入するよう求められた。しっかりしてるんだな。まあこのご時世じゃ当たり前だけど。手がかじかんで、鉛筆を持つ手が震えた。隣に座った彼女はいつになく緊張した様子で、真剣な顔をして用紙に向かっている。名前と住所をどうにか書きつけて、職員さんに渡す。
「功山寺さんって、めずらしい苗字ですね」
よくいわれる。「下関にある、有名なお寺らしいんですけど。本貫はそっちらしいです。今は夙川に住んでますけど」二十二年の人生で何度も繰り返してきた説明をまた繰り返す。「日本史にも出てこなかったですか、功山寺って」っていったら職員さんは微妙な表情で首をかしげた。不発。田中とか山田だったらどんなに楽だったかと思う。
彼女はもうしばらく事務所に残されるみたいで、おれだけ「先にいらっしゃいますか?」と勧められてしまった。何かそうしないといけないような気がして「はい」と答える。彼女に手を振って事務所を出た。不安そうな目がおれを追った。吹きさらしの廊下を歩き、奥に進んでいく。何と小さな運動場もあって、粉雪が舞っていた。「子どもらが喜びそうですね」っていったら、職員さんは振り返って「ああ、雪ですか」と納得したように笑った。「もう、うわーってはしゃぐと思います」
「でも風邪ひかれたら大変ですし、遊ばせるかどうかちょっと考えますよね。ああいうときってどうしたらええんか……」
そうですねえ、と職員さんはうなずいて、笑顔のまま、少し不審そうな目でおれの顔を見た。「よく遊ばれるんですか、子どもさんと」
余計なことをしゃべったな、と思いながら、大学の福祉系サークルに所属していたことを説明した。公園に出向いて子どもと遊んだり、公民館でイベントを開催したりしていた。それがきっかけで彼女とも出会った。就活でもその「経験」をめいっぱい活用した。ただ終わってみて思えば、その経験がどう自分の役に立ったのかはわからない。
奥の部屋は大きな広間のようになっていた。パイプ椅子が並べられて、たくさんの人が座っている。何やら派手な衣装を着た子どもが大声でしゃべっている。どうやら劇の最中らしい。
「すずめさん、すずめさん、どうしたの?」
「えーんえーん。わたしもきれいなはねがほしいの。ちょうちょさんや、インコさんみたいな、きれいなきれいなはねがほしいの!」
「じゃあ、わたしのはなびらをいちまいあげる。わたしのオレンジのはなびら、きれいでしょ?」
「ほんとうに? ありがとう!」
座ることも忘れて突っ立っていた。職員さんに「どうぞ、まだ始まったとこです」とうながされて後ろのほうに進み、空いていた席に腰かける。舞台では、すずめの絵を頭に付けた女の子が、オレンジ色の板みたいなものを腕にくっつけて、わーいわーいと喜んでいる。その子が退場して、今度はよつんばいになった男の子が「くねくねくね」といいながら登場する……。
「あ、あの」と、立ち去ろうとしていた職員さんに声をかける。「これ、この劇って、誰が考えて……?」
職員さんはちょっと不思議そうな顔をしてから、ああ、といって、体をかがめて教えてくれた。「絵本を劇にしたんです。子どもたちが好きで、どうしてもこれがやりたいっていうんで。もしかしてお読みになったことあるんですか? 『なないろのおはな』っていう」
しばらく声が出なかった。何か聞いたことあるような気します、と適当な返事をして、また舞台に目を戻した。さっき出てきたよつんばいの子は、黒いビニール袋みたいなものをかぶっている。あれは確か、いもむしだ。
「えーんえーん。こわいカラスがおそってくるんだ。こわいカラスにたべられちゃう」
「じゃあ、わたしのきいろいはなびら、いちまいあげる。ハチさんみたいにつよくみえるよ。これでカラスはおそってこない」
体じゅうに色とりどりの板を装着した女の子が、その中の黄色いのをはずしていもむし君に渡した。いもむし君はそれを背中に乗せて、喜びながら退場する。そのあとも虫や葉っぱが出てきて、女の子の「花びら」は減っていく。観客たちは、たぶん園児の保護者や近所の人たちだろう、ときに笑い、ときに拍手しながら、子どもたちの演技を見守っている。女の子が最後の二枚を雪だるまに渡したところでアイドルグループの曲が流れてきて、唐突に全員でのダンスが始まった。思わず苦笑いする。
発表会は三時ごろに終わり、彼女と一緒に部屋に帰った。あんなにいやがってたくせに、彼女は春からの仕事に対しておおいにモチベーションを上げたらしい。その日は始終ダンスがどうの、なになにちゃんがどうの、という話ばかりしていた。よかった、と思う。最近どこかノイローゼ気味に見えてたから。自分もそうだけど、やっぱり社会に出るってちょっとあれだ。
「翔平君がいてくれてよかったあ」帰り道で、彼女はそういった。保育所についてきてくれたことがよっぽど心強かったらしい。
「おるだけでええん?」
おれの質問は、ちょっといじわるだったかもしれない。でも彼女はうれしそうな声で「ええよー!」と答えた。
次の日もとくに予定はなかったし、成り行きでまた彼女の部屋に泊まることになる。暗くなった頃、「ちょっと電話してくる」といって一旦マンションを出た。
白い光を発している自販機の前に立って、携帯の電話帳を開く。発信。たぶんこの時間なら出るだろう。一、二回のコールの後、かちゃりと音がした。「はい?」とけだるそうな声。
「あー梓? ひさしぶり」といったらすぐ「うん。何?」と返ってきた。いまどきの中学生はこんなに愛想が悪いのか。顔をしかめながらも、何だかテンションが高くなっていた。「ほらあれ、あの絵本。保育所の劇になっとった」
「あー、あの絵本? それ著作権とか大丈夫?」
「そうゆう問題か?」どうも話が合わない。せっかくこの喜びを共有しようと思って電話してやってるのに。「あの新しいやつな。『なないろのおはな』」
「あのくっさいやつか」
思わずちっと舌打ちする。何なんだこいつ。
「あれってでも、最後にお花さん死ぬよね?」
それはおれも気にしていた。子ども用にしてはちょっと暗すぎるんじゃないかと今さらながら思った。「だから最後はダンスしとったわ」
「てか、神戸の保育園? そこまで手広げとるんか」
「石田さんが頑張っとるみたいやわ」職員さんに聞いたら、やっぱりゆめはるかのアシスタントの人が何度か来たとのことだった。大阪や京都を中心に活動していると聞いてたから、神戸まで来てるのはちょっと意外だった。
「まあそりゃ、お抱え脚本家の地元ですもんねー」
「脚本家って」おれはちょっとふいをつかれる。「おれはただのお手伝いで」
「でもお花のやつは全部書いたがね?」
そういえばそうだ。梓に誘われて、というか強制的に動員されてゆめはるかのアシスタントをするようになった。初めのうちは誤字脱字のチェックとか単語の検討とか、よりおもしろいストーリーの提案とかその程度のものだったのに、だんだん比重が大きくなってきて、『なないろのおはな』ではついにおれの文章がそのまま絵本になってしまった。
「天職だが」
「何て?」
「天職じゃないのって」
なっ、と言葉に詰まる。梓は続ける。「国公立で頭いいし、文才もあるし、子どもも好いちょうしね?」
それはアシスタントに誘われた時もいわれた。そんなことだけで手伝えるなら、おんなじような人間は全国にいっぱいいる。ただ、梓の周りにはいとこの翔平君しかいなかったってだけだ。中学生の狭い人脈で選んでもらっても、こっちが迷惑する。
「もう就職も決まっとるし」
「でも手伝いは続けるんだが?」
おれは黙った。就職は決まってる。文筆活動なんてたいして興味ない。自信もない。それでも、お花やいもむしを演じていた子どもの笑顔はまだまぶたの裏に残っている。
「ちゃんと書いとう? 途中までしかできとらんって聞いたけど」という梓の言葉に、どきっとする。また新しい絵本の話を作ってくれと頼まれていたのに、就活とか卒論で忙しくて、さわりだけとりあえず書いて、続きはまた送ります、って石田さんにいってあった。
「そういや最近、ゆめはるかさんと連絡取っとらんのやけど、あの人元気なんかな?」
話をそらす。でも、これが一番話したかったことだった。初めの頃は彼女自身とメールのやり取りをしていたのに、いつからか全部石田さんを通して手伝うようになっていた。何となく気味の悪さというか、妙な心配をしてしまう。
「そんなことより、こっちはもう作り始めとるけん、急ぎない」
「作るって、絵のほう?」
マジか。そんなに話が進んでるのか。正直続きを書くつもりはあんまりなかったし、もうそろそろ辞めさせてもらおうとも思ってたのに。仕方ない。これで最後にしよう。
「わかった、すぐ書いて送るから。で、おれもう大学卒業するし、もう手伝いも辞めたいんやけど、って今のうちに、それとなくいっといてくれへん?」
「知らんし。何であたしが」という言葉を残して電話は切れた。
部屋に戻ったら「誰と電話?」って彼女に聞かれた。疑り深いんだから。「いとこ」とそっけなく答える。「ふうん」と彼女。それ以上は聞いてこない。こういうやりとりが、二人の溝を深めていく。それは気づいてる。気づいてるけど、どうしようもない。どうしてうまくいかないんだろう。
晩ごはんを食べてから、また麻衣ちゃんの答案と格闘し始める。また明日の夜には麻衣ちゃんとの授業がある。何とか間に合わせたい。だってバイトなんやから仕方ないし。彼女もそれがわかってるのか、おれのことは放っておいてパソコンで何やら作業をしてる。
「終わった」とおれがペンを置くと、「よかったね」と彼女はにっこり笑ってくれた。
日付が変わったあたりで、二人でベッドにもぐりこんだ。暗やみの中、お互いに動きもせず話しもせずにしばらく寝転がっている。布団がやけに重たく感じる。彼女が寄ってきた。おれは微動だにしない。絵本のこととか、麻衣ちゃんのこととか、明日の予定とか、何かいろいろなことを考えていた。彼女がキスを求めているのがわかった。でもしんどくて、それに応じることができなくて、何度か無意味に寝返りを打っていた。やがて彼女が背を向けてしまった。おれが寄っていくと、「したないんやったらええよ」っていわれた。するかしないかの二択には、してほしくないのに。
おるだけでええなんて、嘘やないか。
おれは器の小さい人間やな、とつくづく思う。何も支えられない。何も受けとめられない。
翌日の午前中には出かけるはずにしてたのに、結局昼前まで寝ていて、二人でご飯を食べて、気づいたらバイトに行く時間だった。彼女が駅まで見送りに来てくれた。下校途中の高校生にまじって、阪急で一駅先の六甲に向かう。電車の中でスケジュール帳を開いて、二月二十四日(月)「ホワイトデー下見」に、×。スケジュール帳に、また×が増えた。
*
「いよいよ明日やな。いつも通りやったら大丈夫やって」
授業のはじめに、麻衣ちゃんに声をかける。こんなありきたりなことしかいえない。逆にプレッシャーをかけてたらどうしようかとも思う。でも麻衣ちゃんはいつも通り「そうですねー」なんていってる。時間をかけて採点した答案を渡して、丁寧に解説する。なんてったって明日が本番だ。自然とこっちにも力が入ってしまう。そしたらそれを見抜かれて「先生、張り切りすぎ」って笑われた。
サークルに入りたい、いろんな勉強したい、広い人脈を作りたい、つらい経験も積みたい。麻衣ちゃんは大学に入ったあとの夢をたくさん語る。大学での四年間を過ごして、すっかり擦り切れてしまったおれにとっては眩しすぎる。頑張ってほしいと思う。おれみたいにどうでもいい四年間を過ごしてほしくないと思う。人並みに頑張って、高校、大学と順調に進学してきた。テストの点もそれなりに取ってきた。けど就職が決まって、あらためて振り返ってみた時、今までの「勉強」に何の意味があったのかと思ってしまう。頑張る麻衣ちゃんを見ても、その頑張りに何の意味があるのか、満足のいく答えを自分自身に与えられないでいる。入試を勝ち抜いても、論文を書いても、塾講をして勉強を教えていても、おれには大義名分なんかどこにもない。形だけの勉強を重ねて、吸い込まれるように社会に出ていくだけだ。
授業のあと、駐輪場の近くまで麻衣ちゃんを送っていく。麻衣ちゃんが電車じゃなくて自転車を使って塾に通っていたことを初めて知った。毎回心臓破りの坂を上って帰ることや、お母さんとは仲がいいけどお父さんとは微妙らしいことも初めて知った。「それじゃあ」と麻衣ちゃんは手を振った。かける言葉を用意しとけばよかったと後悔したけど、遅かった。街灯のない線路沿いの歩道を、麻衣ちゃんは走り去っていった。
数日ぶりに夙川の自宅に帰る。母親に声をかけて、すぐに二階の自分の部屋に入って、勉強机にぐったりと座りこんだ。とりあえず終わった、と思う。麻衣ちゃんに関しては、自分がやるべきことはやった。とりあえず結果だけは出てほしいと願う。くせのようにMacのノートパソコンを立ち上げる。「なないろのおはな」と題されたファイルを開く。お花が死ぬ話。本当に、どうしてこんな話を書いたのか、いまだにうまく説明できない。今度は「たびするとり」を開く。冒頭だけ書いて放り出していたものだ。ゆめはるかや、彼女のアシスタントたちがこれを待ってるというのなら、書くしかない。物語はこうだ。南国の鳥がくちばしに木の実をくわえて飛び立つ。以上。この先どうなるのか。わからない。書き始めた時はもう少し考えがまとまっていた気がするのに、今となっては、何も思い出せない。おれは何をいいたいんだ。どんなものを子どもに読ませたいんだ。麻衣ちゃんにかける言葉すら、思いつかないっていうのに。
メールソフトを開く。履歴をさかのぼってみると、ゆめはるかからのメールは何か月も前から途絶えている。ほんの二、三通しか連絡を交わしてないことになる。最後のメールは去年の五月で、ちょうど就活でばたばたしてたときだ。だからあまり気にする余裕もなかった。彼女はいったいどうしちゃったのか。ただ仕事の体制が変わっただけなのか。石田さんからの説明は何もない。ぴこん、と音がして新しいメールが届く。就職予定の会社からだった。「【要返信】新入社員研修についての日程アンケート」。いよいよか。頭に変な血がのぼる。胸がしめつけられるように痛くなる。社会に出るって、やっぱりしんどい。必死で就活をしてたときには、こんなこと思いもしなかった。
*
「まあまあかな」っていうのが麻衣ちゃんの感想だった。多少の手ごたえがあるってことか。いや虚勢を張ってるのかもしれない。合格発表は二週間後だ。
「受かったらお祝いやな」
「え、先生お祝いしてくれるんですか?」
そんなことを期待されると思ってなかったから、ちょっと困ったけど、「どっか食べに行く?」といってみた。麻衣ちゃんはうれしそうに「じゃあいつにしますか?」と携帯を取り出す。かなり焦った。
「今授業中。てかまだ受かっとるかどうかわからんし、後期日程のためにまだ勉強せなあかんし……」そこまでいって、麻衣ちゃんの顔が少し曇ったのに気づく。やっちまった。本人はともかく、周りがこれをいっちゃいけない。「よし、じゃあ日決めるか」とこっちもスケジュール帳を取りだす。「日曜の夕方からやったら基本的に空いとるけど」
「じゃあ三月九日でいいですか?」
「うん。じゃあとりあえず五時くらいで。店探しとくわ」とんとん拍子に予定が決まる。合格発表の翌日だ。黒のインクで「17時〜まいちゃん合格祝い」と書き込む。書き終わってから、これにも×がつくかもしれない、と怖くなった。
「楽しみー」って、麻衣ちゃんは本当に楽しそうにしている。こっちも悪い気持ちじゃない。でも、もし落ちてたら、今度はどんな言葉をかければいいんだろう。本人は気楽なもんだ。何とか試験を終えて結果を待っているこの期間が、何だかんだで一番楽だったりするらしい。前期で落ちても後期試験が残ってるし。
「じゃあ発表まで時間あるし、とりあえず後期の対策でも始めときますか」そういってまた赤本を渡す。「小論文もあるさかい、そっちは別の先生に教えてもらって」
「えっ、先生とちゃうんですか」
「おれは一応理系やから。小論文とかやったことないし」
「えー教えてくださいよ」
じゃあ考えとくから、といって何とか赤本の問題に向かわせる。ずいぶん懐かれてしまった。めんどくさいな、と思いつつ、どこかで喜んでいる自分がいる。
何と、彼女がまたターナーを見に行きたいといいだした。二回も行くか普通、と思いながらも、機嫌を損ねたくないし文句もいえず、また三宮までお供する。うす暗い照明の中、価値もよくわからないくすんだ色の抽象的な油彩画を眺める。二回目なのに彼女は熱心に見て回っていて、絵に顔を近づけて「水彩もええけど、こうゆうぶあーってした油彩もええなあ」と独り言のようにつぶやいた。
「何の話?」
彼女は振り返っておれに聞く。「子どもって、こういうダイナミックな絵のほうが好きやと思う?」明るく照らされた額縁を背景にして、彼女のやわらかそうな髪は端だけ金色に光って見えた。さあ、と答えてからゆめはるかの絵本を思い出して、「細かくてきれいなのも人気やと思うけど」といってみた。彼女はふんふんと納得したみたいだった。
神戸三宮駅のホームで帰りの電車を待っていると、ふいにのどが渇いた。彼女を置いて人ごみをかきわけ、自販機を探す。見つからないうちに電車が来てしまった。たぶん彼女もこれに乗るだろう、と思って乗り込む。車内は満員で、とても車両を移って彼女と合流することはできそうになかった。王子公園で降りる。彼女の姿は見えない。あれ、と思ったけど、どうせあとから来るだろう、と先に彼女の部屋に入って待っていた。
しばらくして帰ってきた彼女の機嫌は悪かった。コップの置き方も何か雑だ。お茶がこぼれてもふこうとしない。足音もいつもより大きい。何だ。何があった。気楽な風をよそおって「どうしたん?」と聞いてみる。テーブルの一辺に座った彼女はむっつりした顔で部屋の隅を見つめていて、そのまま小さな声でいった。「翔平くんさあ」
「うん」何だ。何が来る。
「うちのことどう思ってるん?」
「どうって?」と反射的に聞き返す。落ち着け。たぶんいつもの気まぐれだ。
別に、と彼女は両手でコップをにぎり、紅茶に口を付ける。「うちより大事な人がいるんかな、ってゆう話」
「そんなことないて」と反論した声は情けないほど小さかった。
「普通待つよね?」
え? と聞き返す。
「うちは待ってたのに。先乗るとか、意味わからんし」
彼女が充血した目をおれに向けた。おれはしどろもどろになりながら、「ごめん、ごめん」ととりあえず彼女の肩に手を伸ばす。けどその手はあっけなく払われた。まずい。怒ってる。「ごめんって。さっきのは悪かったけど、でも、ほかの人が好きとかそういうことと違って」
「じゃあなんでかまってくれやんの?」
おれは答えに詰まる。否定したかった。今までできる限り彼女に尽くしてきたつもりだ。世間的な尺度で見たら足りないのかもしれない。かもしれないけど、おれなりに精一杯やってきたつもりだ。「かまうっていうか、そういう問題と違うと思うけど」
「じゃあどうゆう問題なん? おかしいやん、うちより塾の子のほうが大切? うちってそんな魅力ない?」
「ないことないって。塾はまた別の話で」
「意味わからん!」彼女が激しく首を横に振った。「髪形変えさせて、好みの服着させて、うちのことお人形か何かみたいに思ってんのちゃうん? もう最低や」
痛いところをつかれてしまう。でもそうじゃない。そうじゃないけど、それを言い表わす方法が見つからない。焦っていた。このまま、彼女が離れていってしまうような気がした。おれが、この人無しで生きていけるはずがないのに。
「全然好きっていってくれやんし。メールでもいってくれやんし」
「いや、三番のボタン壊れてて、さ行打てへん状態なんやって。好きやから。ほんまに好きやから」
「ほんまに?」
おれはうなずく。彼女はしばらく黙った。そのままキッチンに立って晩ごはんの用意を始めた。ひとまず危機は去った。頭がきりきりと痛んで、テーブルに突っ伏す。まぶたの裏に光が飛ぶ。出会った時は、初めて素で接していられる人に出会えたと思っていた。でも現実はそう甘くはなかった。女の子は人形じゃなくて人間だ。
たぶん、おれはまだ、この年になっても、女性に夢を持ってるんだろう。どっかで理想的な、きれいな関係ってやつを、まだ信じちゃってるんだろう。
油の跳ねる音を聞きながらスケジュール帳を開く。三月八日(土)「合格発表」、三月九日(日)「まいちゃん合格祝い」。受かってるだろうか。こんな時でも、どうしてもそわそわしてしまう。自分のあほさ加減に腹が立つ。とりあえず、発表までは忘れていようと心に決めた。
*
麻衣ちゃんは合格していた。電話してみたら、まだ夢の中にいるような口ぶりで「本当に受かったんですかねえ」なんていってる。こっちでも受験番号をネットで確認してみた。ちゃんとある。思わずパソコンの前で小さくガッツポーズをした。麻衣ちゃんもネットで結果を見たらしく、これから大学の掲示板を記念に写メってくるといっていた。
翌日、日曜の朝、自宅近くのホームセンターに一人で出向く。農家の直売所にもなっていて、この時期でもたくさんの花がバケツの中に並んでる。お祝いの花束でも用意しようかと考えていた。もちろん小さいやつ。夕方の食事は大学近くの洋食店に決めた。サークルの先輩に教えてもらったところだ。大学に通っててよかった、と初めて思った。
棚に並んだ小さな鉢植えが目にとまった。球根から太いねぎみたいなのがにょきっと突き出ている。名札を見ると、ヒヤシンス。そういえばいつか麻衣ちゃんが話してたか。よく見ると先っぽが少しふくらんでる。どんな花が咲くんだろう。花束と一緒に、その鉢植えも買ってみた。
待ち合わせの三十分も前に六甲駅に着いてしまう。彼女以外の女性と食事するのはひさしぶりだ。いや女性って思ったらだめなのかもしれない。生徒生徒。ゆっくりと日が落ちてきた。春休みだから大学生は少ないし、休日だから通勤客もいない。駅や書店や歩道橋の明かりが、どこか寂しげに道路に差す。駐輪場のほうから歩いてやってきた麻衣ちゃんに、まず「おめでとう」と声をかける。麻衣ちゃんはにこにこ笑ってて、「ほんま先生のおかげです」っていわれてしまう。おれ何もしてないから、といいながら、駅の照明から遠ざかるように歩き出す。坂道をどんどん上って、少し高台にある店に入って席に着いた。落ち着いた雰囲気の洋食屋で、店内はちょっと暗い。テーブルの上におしゃれなランプが掛かってたりして学生には場違いなようにも思えるけど、大学に近いこともあって客は若い人が多い。大学生と高校生が来るなら、このくらいが相場だろうと思う。二回しか来たことのないおれの「おすすめ」を二人で注文して、ようやく肩の力を抜く。
「先生、コート脱がないんですか?」
「ああ忘れてた。あ、そうそうこれ、まあ一応お祝いってことで。合格おめでとう」できるだけもったいぶらないようにして、小さな花束を渡す。麻衣ちゃんは喜ぶっていうよりびっくりしたみたいだった。やっぱ花はちょっと変だったか。彼女にでも相談しとけばよかった。いや、それは無理か。今日のことも彼女には中途半端にしか伝えてない。
「先生、おしゃれなお店知っとるんですねー」麻衣ちゃんがきょろきょろする。
「サークルの人に教えてもろて。麻衣ちゃんも大学入ったらよう来るかもな」
そのあと一通り福祉系サークルの話をして、それから会話が途切れた。注文した料理はまだ来ない。うしろの席の連中が震災の話をしている。
「そういえばもうすぐ三年ですね」と麻衣ちゃんがいった。
「麻衣ちゃんはその時、中三か」
「そうですね、卒業式終わったばっかりで……びっくりしました。でも、友達と相談して、募金とか始めて」
おれは何をしてたっけ。大学一年の時だ。サークル活動に追われて、たいして気にも留めてなかったんじゃないか。あれから三年、おれは何をしてきたんだろう。話の方向を変えた。「まあ、こっちで地震っていうたら阪神淡路よな。自分は三歳ぐらいやったんやけど、さすがに覚えてるわ。親戚も何人か亡くなったしな」
その時、そのあと、おれは何を思って生きてきたんだろう。子ども時代はあまりに早く過ぎ去ってしまって、記憶のかたまりをすくい出すことは簡単じゃない。気づけば、自分が昔子どもだったことまで忘れようとしていた。
「うちはまだ生まれてなかったんですけど」麻衣ちゃんが神妙な顔をする。「学校とか、社会見学とかで、話いっぱい聞くんですよ、それで、いつも泣きそうになってまいます」
そうなんや、といったところでドリアが運ばれてきた。「ご注文は以上で……ってあれ、翔ちゃん先輩?」
見ると、店員はサークルの後輩だった。うるさいけど憎めない男で、小柄だからか子どもからの人気も高かった。頭に巻いたバンダナの下で目をキラキラさせている。ここでバイトしてたのか。思わず舌打ちしてしまう。「デートと違うぞ」先手を打つ。「塾の生徒の合格祝い。神大入るから、何かあったらよろしくな。あ、無理な勧誘はすんなよ」
「了解っす! ごゆっくりどうぞー」と彼はよく通る声でいって、伝票を置いてさっさと仕事に戻っていった。これがどんなふうに仲間内に知らされるか、わかったもんじゃない。でもああいう性格だったら、おれももっと絵本をうまく書けたんだろうか、とふと思った。
ごめんやで、と麻衣ちゃんに向き直る。
「なんか……すいません」麻衣ちゃんはなぜか頭を下げた。
一瞬、ぽかんとする。
「彼女さんもおるのに」
どうやら気にさせてしまったらしい。別にいいのに、変なとこだけ真面目なんだから。浮気してるわけでも何でもないんだから、彼女だって怒ったりしない。
「気にせんでええから。食べよ食べよ」といいながら、おれは麻衣ちゃんにスプーンを手渡す。麻衣ちゃんは黙ったまま、口もとにちょっと笑みを浮かべてそれを受け取った。
店の外に出る。刺すような冷気が顔にまともに当たる。三月とはいっても、春はまだまだ遠い。ガラス張りの壁からもれるオレンジ色の明かりの中に立って、少しのつもりで立ち話をする。
「もう大学も受かったし、塾も辞めるんよなあ」
そうですねえ、と、麻衣ちゃんがこっくりとうなずく。
「あれ、じゃあもう会うん最後か?」
「あ、でも塾にはまだ何回か行くんで……挨拶してない先生もおるし」
そうか、と答えたら白い息がふわりと舞った。「寒いし、歩くか」
車も人の数も普段より少ない。静かだ。立ち並ぶ街灯をたどるようにして、二人で歩道を歩いた。駅の駐輪場までは、坂を下って五分くらい。
「いよいよ大学生やなあ」もう何度も話題にした、ありきたりな話を繰り返す。
「そうですねえ。一人暮らしとかもちょっと憧れとったんですけど」
地元の大学に通うんだから、麻衣ちゃんはもちろん、実家暮らしだ。自分もこの四年間はそうだった。「まあ確かに憧れるよなあ、一人暮らし。おれは春からはせなあかんけど」
「東京で一人暮らしって、すごいですね」
「すごくはないと思うけど。あ、でも彼女のこととか見とったら、一人暮らし大変そうやわ」
「彼女さんはどうするんですか? 春から」
「こっちの保育園で保母さんやって」
「それって……」麻衣ちゃんが黙った。ふしぎに思って顔を向ける。「何?」
何でもないです、と麻衣ちゃんはいった。そして唐突にいった。
「彼女さんとうまくいってますか」
びっくりして声が裏返る。「へ? まあ、そりゃあ、ぼちぼち」
先生、といいながら、麻衣ちゃんはいきなりおれの腕をにぎった。「あの、ほんまにありがとうございました、うちのためにいろいろしてくれて、ほんまに感謝してます、ありがとうございます」
周りの人の目が気になった。麻衣ちゃんをさりげなく誘導して、少し坂を上って、目立たないところに移動する。麻衣ちゃんはまだ離れない。
「先生、うちにも彼氏できるってゆうてくれたん、あれほんまですか」
顔が熱くなった。何か、感じてはいけないような感情が体の奥から出てきそうな気がした。「ほんまやって。大丈夫やって。麻衣ちゃんはええ子やと思うし」
麻衣ちゃんのやわらかな手が、指に触れた。若い手だ。熱い手だ。思わず握り返していた。はるか下の踏切を、三宮行きの特急が暴力的な速さで駆けぬけていった。遠くに見える港のビルは、夜空を隠して赤い光を点滅させていた。街灯の光の帯が、天の川のように急斜面を下っていた。「麻衣ちゃん」麻衣ちゃんの髪のきれいな分け目を見下ろして、つぶやいた。自分でも驚くくらい、弱々しい声だった。
「おれ、何か役に立ったか?」
麻衣ちゃんがはっとしたように顔を上げた。目が合った。
この子は大学生になって、恋をするだろう。素敵かどうかは知らないが男も現れるだろう。勉強もするだろう。就活もするだろう。いろんなことを頑張るだろう。でも。
麻衣ちゃんの手を、ゆっくり振りほどこうとする。「もし、もしな」寒さに震える唇で、おれはたどたどしい言葉をつなぐ。「将来、こんな大学入らんかったらよかった、って思っても、おれは責任取れんから」
「何ゆってるんですか先生」
自分でも何をいっているのかわからなかった。明るい未来に目を輝かせている高校生に対して、何をいってるんだと思った。取り消せ。撤回しろ。ごまかして笑ってやれ。頭の中で声がする。でも、できなかった。
受け持った生徒の将来にさえ、おれは明るい光を投げかけてやれない。役に立つかどうかもわからない勉強をさせて、答案に丸つけて、大学に受からせて、お祝いして、あとはさよなら。麻衣ちゃんがこのあとどこで何をしようが、おれには関わる気はないし、そんな資格もないし、そんな義務もないし、そんな余裕もない。こんな、こんな無責任なことがあるか。
「先生は、ちゃんとやってくれたやないですか」麻衣ちゃんが、おれの手を、一層強く握った。おれの胸もとで、うつむいて、言葉を続ける。「うちに、ちゃんと勉強教えてくれたやないですか、先生は意味ないと思っとるかもしれんけど、先生のやってきたこと、ちゃんと分けてくれたやないですか」
「分けてくれた?」
おれは惚けたように繰り返す。
「そうですよ」麻衣ちゃんが力強くいった。「いっぱい分けてもらいました。うちは……うちはそれだけでめっちゃうれしいです」
おれは、聞こえるか聞こえないかくらいの声で、ありがとう、とつぶやいた。救われた気がした。分ける。そうか、そういうことなのかもしれない、と思った。
自宅でパソコンに向かう。部屋の電気もつけず、「たびするとり」のファイルを開いて、ぱちぱちとキーを叩いた。頭の中から、ちょっとずつだけれども、伝えたいことが溢れだしてきた。やがて指が追いつかなくなった。それでも必死に書きとめようとして、この思いが消えてしまわないうちにと、急ぐようにして打ち込んでいった。南国の木の実をくわえた鳥は、おそらく北国に向かうだろう。食べ物が無くて困っている動物たちに、その木の実を分け与えてあげるんだろう。それが何になるのかは知らない。鳥は慣れない北国で死ぬかもしれない。そこの動物だって、一時の命を長らえるだけだ。それでも、鳥は分け与えてあげられて幸せだろう。自分ひとり恵まれた場所でぬくぬくと暮らしてるより、他人の笑顔をたくさん見れたほうが幸せなんじゃないか。あのお花だって、最後は笑ってたじゃないか。
机の上には、彼女のために買ったヒヤシンスが乗っている。ふくらんだ葉の間から、今にも白い花がこぼれてきそうだ。とりあえずこれで、仲直りしよう。できないかもしれない。できなくても頑張ろう。だっておれにはあの人が必要だから。おれにだって、彼女に分けてあげられるものが、何かあると思うから。
携帯が鳴った。無視しようと思ったけど、会社からだったので急いで出る。標準語アクセントの女性の声だった。「夜分遅く失礼いたします。東京本社の春川と申します。今月の新人研修についてのアンケートについて、まだご回答をいただいておりませんので、お電話させていただいたのですが……」
まずい、と思いながらスケジュール帳を片手でめくる。「すいません。えっと、B日程でしたよね、二十二日。はい、大丈夫です。はい、はい。すいません、遅くなってしまいまして」三月二十二日(土)に「研修」と書き込もうとして、ふと今日の日付に書かれた予定が目にとまった。これに×がつかなくて本当に良かった、と思った。絵本のことも、彼女のことも、将来のことも、いろんなことが、少しずつ、うまくいき始めるような気がした。いや、うまくいかなくても、今日が何かのスタートになるような気がした。よし、今日は記念日だ。ボールペンの芯を赤に変える。「まいちゃん合格祝い」に、まる。
◆第三章 米子 梓(よなご あずさ)
――――――――――――――――――
胸がドキドキするのは、たぶん、先週よりペースを上げたから。
朝日が顔を出した。家の屋根の赤瓦が一枚ずつ照らされて光る。まったいらな刈田の向こうの地平線に、ピンクの雲が壁みたいにそびえてる。前を走る美希 の髪が、パサパサパサパサ、一歩ごとにはねあがる。バス停をいくつか過ぎて、ひとっこ一人いない神門通 りを駆け上がる。喫茶店もそば屋も勾玉 のお店も、まだ眠りの中。大きな鳥居をくぐったら、いつもみたいに、松の木に群がるすずめの声が迎えてくれた。境内に差す金色の光がまぶしくて、目を細めた。
だいこく様の像を過ぎて、拝殿の前に来たあたりでスピードをゆるめる。美希が早足で歩くようにしながら、こっちを振り返った。ちょっとほっぺたを赤くしてるけど、あんまり息が上がってるようには見えない。笑いながらあたしにいう。
「お疲れー。大丈夫?」
「つかれたあー」
あたしはもうへとへとで、蒸気機関車みたいに白い息を吐き続けながら、がくがく震えそうになる足をどうにか動かして、クールダウンのために砂利の上を歩き回った。この時間はまだ参拝客も観光客もいない。どっかから笛の音だけが聞こえてくる。ばくばく鳴る心臓は、なかなかおさまってくれない。でも走り切った、っていう喜びに、空に向かってうわーって叫んでみたくなる。
「今日どうだった?」屈伸しながら美希がいう。「二百メートル当たり二秒縮めるくらいのペースで走ってみたんだけど、これで大丈夫そう? でも週初めだけん、きつかった?」
「きつかった!」まだ口の中は血の味がする。のどがひりひりする。冷たい空気に目がちかちかする。「でも大丈夫そう」ってうなずく。
「じゃあ本番もこのくらいで行けたらいいね。今日から合同練も始まるけんがんばろ! あ、でも無理せんでいいが。梓が走ってくれるだけでうれしいけん」
大丈夫、ってまたうなずく。それでも次の一言は出た。「しんどいけど」
にやっと笑う。美希もにこっとした。駅伝大会に向けて、二人で始めた朝練。本当にしんどくて、いやになる。ふとんを出る時になって、いっつも後悔する。でも走りはじめたら関係ない。走り終わった時には、いやだと思ってたことも忘れてる。
いっしょに体操しながら、こっそり美希の様子をチラ見してみる。去年に比べて、背も伸びて大人っぽくなってる。足も速くなってる。あたしも運動してたらこういうふうになってたのかなって思うと、ちょっと悔しくなる。一年前、中学一年生の時のマラソン大会を思い出す。あの時はまだ食らいついて行けた(最後の四百メートルで悠々と置いてかれちゃったけど)。今はもうだめだ。美希にはもう追いつけない。当たり前だ。冬でも日焼けの跡が消えないくらい、美希はこの一年間、ずっと走ってきたんだから。
美希ちゃーん、と呼ぶ声がした。見ると制服姿の女の子が、拝殿の巨大しめ縄の下で手を振ってる。誰だっけ? と思ってたら、美希が大声で「わかなセンパイ!」っていいながら走り寄って行った。そっか、陸上部の先輩だ。
「二人で朝練? すごいなあ。梓ちゃん、今度の大会出てくれるんだ! 私もすごいうれしい」わかなセンパイに手を握られる。
「あっ、はい。ありがとうございます」
入部してすぐ辞めちゃったあたしのことも、センパイがちゃんと覚えててくれたことにびっくりする。背は低いほうだけど、肌が白くて目がぱっちりしててかわいい。細い。しかも部活やってたときは中長距離のエースだった。完璧すぎてやばいと思う。
「センパイ何しとるんですか?」美希が聞く。
「ん、お参り」とセンパイはにっこりした。「もうすぐ受験とかもあるけん」
「受験と縁結び、関係なくないですか?」
「だって合格するには高校との縁も大切だけん」
ふうーん、と、美希は意味ありげにうなずいてから、「じゃああたしもお参りしよっ」と拝殿に近寄る。「梓もどう? えーと、そうだ、勝利との縁結び、みたいな」
「あたしはいい」って断って、美希とセンパイがお参りするのを後ろから見てた。神様とか仏様とか、そういうのは信じてないから。そんな都合のいい存在が、あたしらの願いをかなえてくれるなんて思えない。
センパイはかなり長い時間お祈りしてた。それからみんなでおみくじを引く。あたしも一応引いた。美希がセンパイのおみくじをのぞきこんで、「あっ、願望かなうって書いてますよ! 恋も成就するんじゃないですか?」っていった。センパイはちょっと困った顔をする。
「からかわんでって。もおー」
じゃあね、とセンパイは先に学校に向かった。「ちょっこ急ご」美希は走り出した。「やば、今日は遅刻かも」
「まじで。やばっ」
松並木の参道を引き返す。鳥居の向こうに見える空と街は、誰かに金色の絵の具で色を付けられたみたいに見えた。神門通りを走り下りる間、いつもみたいに雑談を交わす。「明日は海のほうから回ってこよっか。ちょっこ距離は長くなるけど、風が気持ちいいから意外と楽だが。あたしのおすすめコース!」ゆっくり走ってるけど、走りながら普通にしゃべれる美希はやっぱすごい。ななめ後ろをついていきながら、ちょっと気になったことを聞いてみる。
「あのさあ、わかなセンパイって、好きな人おるん?」
「そうそう! 梓も気づいた? かばんに縁結びのお守りも付けとるけんね。恋力アップの勾玉も買っとるみたい。でも相手が誰かは教えてくれんー」
「へえー意外。彼氏、おってもおかしくないのに」っていいつつ、何だかほっとしてる自分に気づく。あんなにかわいい人でも彼氏いないんだなあ、みたいな。
「けっこう恥ずかしがり屋さんだけんねー。そこがまたかわいいんだけど」
そこで美希は振り向く。「で、梓はどげなの? 松浦と何か進展あったか?」
「ちょ」こんなとこで。顔がかあっと熱くなる。「そんな大声でいわんでって。あとで話すけん」
「期待しとるから! 昼休み!」美希はあたしに向かって親指を立てる。
胸がドキドキするのは、きっと、先週よりペースを上げたから。
*
用具室でジャージから制服に着替える。大好きなミネラルウォーターで水分補給してたら、美希に何かを投げ渡された。市販のあんぱんだ。「何これ?」
「栄養補給しとき!」
「えーいいよ。朝ごはんも食べたけん。太る」
「だめだめ健康第一!」美希は白い歯を見せて笑って、「行こ」と用具室を出た。
始業のチャイムが鳴った。二人で教室に向かって走る。美希と友達になったのは、二年生になって同じクラスになってからだ。それまで仲が良かった子たちとは分かれてしまって、何となく美希といっしょに行動するようになった。声をかけてくれたのは美希のほう。一時期陸上部でいっしょだったってこともあるけど、たぶん去年のマラソン大会がきっかけなんだと思う。身の程知らずにも、現・中長距離のエースに意地張ってくっついてったんだから。
冬の駅伝大会に向けて結成される駅伝チーム、通称「駅伝部」に誘ってくれたのも、もちろん美希だ。お母さんにはまた反対されたけど、この冬だけだから、って必死に頼んで許してもらった。陸上部に入ってた頃、熱中症で倒れたことをまだ気にしてる。過保護すぎるし。
廊下の向こうからだらだら歩いてきた男子たちとすれ違う。反射的に美希の陰に隠れる。
「今の松浦じゃなかった?」立ち止まろうとする美希を引っぱって教室に入る。
ホームルームと美術の時間が、卒業式の飾り作りでつぶれることになった。当分はあいつの授業を受けなくて済みそうだ。みんな思い思いの人と机をくっつけて、色紙の花を折り始める。今日も美希たちといっしょ。思った通り、美希は先週金曜日のことを聞いてきた。
「で、その後は何もないの?」
うん、とピンクの紙をじゃばらに折りながら答える。顔が熱くなるのがわかる。
「あっちの反応は? 渡した時どげな顔しとったとか」
そんなの覚えてるわけない。チョコ渡すだけで精一杯だ。ていうかもう自分のドジなとこばっか思い出して腹が立つし恥ずかしくて死にたくなる。
「朝もすれ違ったけど」と美希。「あっちも照れとんのかな? スルーされたね」
「中に手紙とか入れたの? メッセージみたいな」とほかの子に聞かれる。
美希が芝居がかった感じで、大声で、
「『松浦くん、好きですっ!』――とか?」
「アホ――!」美希につかみかかる。声でかいって。「そげなの入れれるわけないし……」
あはははは、って美希はひととおり笑ってから、また真面目な顔に戻る。
「そっかでも、ただチョコ渡されても、向こうも困るよ。最悪、お互いに連絡ないまま自然消滅、とかありえるし。そういうとこ、男子って子どもだけん。こっちから、がーっ! ていったほうがいいが」
何かもう経験豊富な人はいうことが違う。美希には、追いつけないことばっかりだ。「てかバスケ部でイケメンって松浦ぐらいだね。この中学イケメン少なくない? あ、でも二中のほうは多いらしくてー」なんて話を平気でし始める。
「ヨネコ、松浦にチョコあげたかいね?」教室の向こう端から、バスケ部の藤田がちょっかいをかけてきた。坊主頭のサルみたいなやつだ。
「盗み聞きすんな! ヨネコじゃないし!」
怒鳴ると、藤田は「こわっ」とかいいながらのけぞった。こういうおちゃらけた反応をいつもされる。うざい。藤田はにやっとしてから、「松浦、ほかの子からもチョコもらっちょったが」といった。一瞬、思考が停止する。
うそ。
「え、何その重要情報! 詳しく詳しく!」美希が食いつく。
「部活の後に女の子からもらっちょった。おれ見たけん」
「それ、誰?」
「さあ。一年かなあ? 顔に見覚えなかったし」
「年下!」美希が両手を口もとに当てる。「誰だろ? 陸部の一年に聞いてみよっか。あたしが直接松浦に聞いてもいいけど」
「そこまでせんでもいいが」慌てて美希を制した。応援してくれるのはうれしいけど、そこまで大がかりにされたら逆に迷惑だ。藤田をにらみつける。「余計なこといわんでいい! 黙っとれ!」
何事もなかったように花作りを再開する。
「ライバル登場かも。どうする梓?」
「知らん」
「もっとアピールせんと取られてしまうが。思い切って誘っちゃえば? あ、そうだ駅伝見に来てもらうとか」
「それだけは絶対ないけん」
走ってる姿を見られるのだけは絶対いや。
「梓、花ぐちゃぐちゃになっとるって。落ち着け落ち着け」
落ち着いてる。手がうまく動いてくれないだけ。昔から不器用なんだから仕方ない。何でこう、指って思うように動かないもんかな? 何回も折り直してたら美希の手がすっと伸びてきて、無惨な姿になった紙をきれいに整えてくれた。細い指。長い指。
「梓って本当に 手ニブだねー。美術部なのに」
何気なくいったんだと思う。でもそれは体のかなり深くまで突き刺さってきて、あたしの頭の血管をずきずきさせた。
「この前もさー、ジュースの缶開ける時にねえ」と美希がいうのを、すぐ「そうそうぶしゅうって!」とジェスチャー付きで合わせて笑う。教室の隅から来る、美術部員の視線をうすうす感じながら。
*
「今日から駅伝部の合同連なので、クラブは休ませてもらいます」
あたしの報告に、錦織 は顔を上げようともしないで、机に向かったまま「はい」と答えた。メガネの奥の目は書類みたいなものから動かない。いもくさいポニーテールも微動だにしない。黒いスーツの肩のあたりにくっついた長い髪の毛まで、あたしを馬鹿にしてるみたいに思えてくる。どうせあたしがいなくたって美術部は何にも変わらないし、わざわざ「休ませてもら」わなくても勝手に休むつもりだった。錦織がたまたま職員室にいたから報告しただけ。もうジャージにも着替えてる。放課後の職員室は人が少なくて静かな代わりに、グランドからはにぎやかな声が聞こえてくる。おーいおーいっていう野球部の声、準備体操するテニス部の声。その声に呼ばれるような感じで、錦織に背を向けて職員室を出た。今日は美術室に行かなくていい。いつもと違う服、いつもと違う時間。廊下の鏡で顔をチェック。ピンでまとめた髪、オッケー。目元の軽いメイク、オッケー。リップもオッケー。上靴からスニーカーに履き替えて、冷たい風の吹くグランドに飛び出した。
スーツぐらい手入れしとけ。職員室の窓に向かってベッと舌を出す。あたしは何でも全力でやってやる。やるからにはとことんやってやる。
ほかのクラブの連中と並んで、陸上部の先生、兼駅伝部コーチの話を聞く。やっぱり陸上部のメンバーが多くて、もちろんその中に美希もいる。試合の近いバスケ部は参加しないから、松浦くんはいない。体育館から聞こえてくるバスケ部の声に耳をすませてたら、いきなりみんなが「はい!」。先生の話が終わったらしい。あたしも遅れて、小さくはい。だめだめ。集中。
男女に分かれて柔軟したりジョグしたり、しっかりしたアップで体を温めていく。ジャージの中が火照ってきて、こわばってた足や腕がだんだん軽くなる。さっきまでつらかった風も、逆に気持ちいいくらいだ。
いよいよタイム走に入る。ペースを決めた本格的な練習。みんなジャージを脱ぎ出すから、あたしも仕方なく脱ぎ始める。駅伝のユニフォームはかわいくない。っていうか恥ずかしい。薄いし露出多いしセンスないし、練習の時から着るとか、先生の趣味が悪いとしか思えない。他の部活の人もじろじろ見てる。松浦くんが体育館にいてよかった。
女子のメンバーで固まって、二キロを走ることになった。区によるけど本番と同じくらいの距離だ。トラックが一周二百メートルだから、二キロってことは十周。今日の目標は一周五十秒らしい。先頭つまりペースメーカーは、美希。あたしはそのすぐ後ろ。
先生のスタートの合図で走り出す。一歩目でいきなり美希に置いて行かれた。ギアが違う、って直感的に思う。気を取り直してついていく。やっぱり美希は速い。
「佐々木、最初っから飛ばし過ぎだが!」
先生の声が飛んできて、美希はちょっとスピードを落とした。パサパサ跳ねる髪の向こうで、どんな顔して走ってるんだろう。グランドはせまいから、野球部とテニス部の間を縫うみたいにして窮屈に走る。それでも美希に遠慮はない。隙あらば飛ばそうとしてるのがよくわかる。一周してストップウォッチを構えた先生のところに戻ってくる。「四十六秒!」目標より四秒も早い。美希は気にも留めず駆けぬけていく。四十八秒、四十八秒、四十七秒、……。意外と早く息が上がってきて、あごが上がりそうになる。つらい。一周五十秒のペースなら朝練でも練習済みだけど、このままじゃついていけなくなる。でもあたしが遅れたら、後ろを走る人に迷惑がかかる。美希の背中が遠くならないように、必死で腕を振って足を前に出す。だめだ口が完全に開いてる。目もかすんできた。まずいまずいまずい。美希、待って。
「五十秒!」
あれ、ペース落ちてる? そう思うと何だか楽になってきた。もう完全にばててるけど、まだいけそうだ。あと二周。もう握った手の感覚がない。でも最後まで走ってやる。
「五十秒! ラスト一周、自分のペースで行け!」先生の合図と同時に、列が一気にくずれた。みんなにどんどん追い抜かれる。美希は見る見るうちに遠ざかっていく。これだけ走って、まだあんなスパートを掛けられる。予想はしてたけど、こんなはっきり見せつけられるなんて。
手洗い場でげほげほやってたら、美希にぽんと背中を叩かれた。「大丈夫?」
口を手でぬぐいながらうなずく。涙目になりながら、ちょっと恨みがましく美希をにらむ。あれだけ飛ばしたのに、顔は全然変わってない。「ごめん今日ちょっこ飛ばし過ぎた! 先生にも怒られたし。何かつい熱くなるんだよねー」そういってあたしを見てにこっと笑う。「梓に追い抜かれんようにせんと! って思って」
「あたし全然相手にならんかったが。最後、全然ついて行けんかったし」といいつつ、美希の言葉は冗談でもうれしい。
合同連は早めに終わって、美希は陸上部のほうに行っちゃったけど、あたしはそのまま帰ることにした。家とは逆方向の公園に向かう。ベンチに座る。カーディガンをしっかり体に巻きつけて、手袋をした手をぎゅっと握りしめて、ちぢこまってじっとする。どんどん暗くなっていく。遊んでた小学生もいなくなる。体が冷えてくる。ときどき、携帯で時間を確認する。もうすぐだ。しばらくして声が聞こえてきた。練習を終えたバスケ部員が歩いてくる。公園の中から、そっと様子をうかがう。松浦くんの顔が、一瞬、見えた。それだけで満足だった。会いたいから遠回り。アホみたいだけど、幸せな時間。走ってる時より、胸がずっと熱くなる。
人の少なくなり始めた神門通りを下りていって、道路に面した小さな喫茶店に入る。カウンターで新聞を読んでた吉田のおっちゃんが「お帰り」っていってくれた。少し遅れて、奥のお父さんからも「お帰り」。テーブル席には観光客らしい若い人が二人いて、ガイドマップみたいなのを広げて何やら話してた。おっちゃんの隣に座る。
「今日は遅かったが」
「うん。駅伝の練習だったけん」
「ええ? 駅伝? 梓ちゃん、そんな足早かったが?」
お父さんが湯飲みに入ったお茶を出してくれた。それをがぶ飲みする。
「もっとおしとやかに飲まんといけん」おっちゃんにいわれる。
「だって寒て仕方ないもん。あと甘いもん食べたいー。お父さん、ぜんざいちょうだい」
はいはい、ってお父さんはすぐに準備してくれる。お母さんみたいに、晩ごはんが食べられなくなるとか、糖分の取りすぎは良くないとか、うるさいことはいわない。
さっきまでガイドを見てぶつぶつ話し合ってたお客さんが、えーっとか、うわーとかいい出した。たぶん恋人どうしなんだろう。荷物が多いから、遠くから来たのかもしれない。「これやったら行かれへんなあ」「えー温泉行きたかったー」っていう話し声が聞こえてくる。
「どうしました? 電車なくなった?」お父さんがカウンターから声をかけた。
女の人のほうがちょっと慌てた感じで答える。「あの、今から電車で行こうとしてたんですけど、でも次のに乗っても、松江しんじ湖温泉、っていう駅から出るバスには間に合わへんみたいで。玉造 温泉のほうに行きたかったんですけど」
「一畑電車 は本数少ないけんのう」気の毒そうにおっちゃんがいう。
「JRで行ったら間に合うんじゃないか? 出雲市駅まで送ろうか?」っていいながら、お父さんはすでに上着を羽織ろうとしていた。これにはお客さんもびっくりしてたけど、お父さんは遠慮する二人を急いで立たせる。「遠慮せんでいいって。この店来てくれたのも何かの縁だけん」
そして「梓、晩ごはん遅くなるってお母さんにいっておいてな」っていう言葉を残して出ていってしまった。車の走り去る音。店の中にはおっちゃんとあたしだけが残された。あたしは扉の札を「閉店」に変える。もう日が落ちていて、店もほとんど閉まってて、通りは真っ暗だった。
「お前のおとうちゃん、お人よしにもほどがある がん」おっちゃんが笑う。本当本当 、ってうなずきつつ、あたしはちょっと誇らしかった。
*
二日目の合同連のあと、くったくたの足を引きずって美術室をのぞきに行ってみた。まだそんなに遅い時間でもないのに、もうほとんどの子が帰ってしまってる。机に座って作業してるのはたったふたり。またマンガみたいなイラストでも描いてるんだろう。そのうちのひとりに気づかれる。「あ、梓ちゃん」
こっそり見に来ただけだったのに。気まずいけど逃げるわけにもいかないから、美術室に顔だけ入れる。「おつかれ。もうふたりだけ?」
「そうだね、もうみんな帰ってしまって。梓ちゃんは駅伝?」
うん、と答えると、長谷川 は丸っこい顔をちょっとくもらせた。「そうかあ。あのね、もうすぐ卒業式でしょ、だけん、梓ちゃんが去年いっとった卒業式の飾りつけ、今年はあれできたらいいねって、みんなで話しとるんだけど」
「は?」思わずきつい声が出てた。何、今さら。
入ったばかりの時から、あたしは美術部で浮いてた。マンガ絵ばっかり描いてる部員に嫌気がさしてたのもある。けど、決定的になったのは去年のこの時期だ。卒業式に向けて、美術部で式場の飾りつけを何か作れないか。みんなの力を合わせて、何かすごいものを作って三年生の先輩を喜ばせてあげられないか。あたしの提案は、ほとんど無視という形で片付けられた。馬鹿じゃないの? って、みんなの目がいってるような気がした。
「やるのはいいけど、あたしは協力できない けん」自分ののどから、自分のじゃないみたいな冷たい声が出た。「卒業式の直前まで駅伝で忙しいけん」
そうかあ、と長谷川は残念そうにうつむいた。ごめん、とあたしが出ていこうとしたら、長谷川は何かいいたそうに口をひらいた。
「何? まだ何かああが?」つい声が乱暴になる。長谷川はおどおどして、またうつむいてしまった。「ほら、何かあるんだったらいって」
「えっと。じゃあ、寄せ書きは書いてもらえる? ひまな時でいいし、離任式まではまだ日にちあるし」
「何の話?」
長谷川はびっくりしたような顔をあたしに向ける。「え、だって、錦織先生、辞めるけん……」
聞いてない。何で突然? 何でそんな勝手なことするの? 野暮ったいポニーテールが一瞬、目に浮かんで消えた。
「あいつ、今日も来てないが?」受け持ちのクラブにも顔を出さない。授業もまじめにやろうとしない。「そんな教師に、何で寄せ書きとか書かんといけんの」
美術室をあとにして廊下を走る。ほとんど誰もいない職員室に駆け込む。錦織の机はやっぱり無人だった。当たり前だ。あいつがこの時間まで残ってるはずがない。
「梓ちゃん?」
「うわああっ」
うしろから声をかけられて、相当びびりながら振り返った。制服を着た女子。背が低い。かわいい。どっかで見たことある。肩にかけたスクールバッグには赤いお守り。あ。「わかなセンパイ……」
人の顔と名前を覚えないことには定評があるけど、つい昨日会った人の顔もわからなかったのは、センパイの雰囲気がかなり変わってたからだ。ってことにしとく。
「遅くまでお疲れさまー。練習は順調? あと三週間しかないけど、梓ちゃんなら絶対大丈夫だけん、ファイト! 応援にも行くね」
「うわーありがとうございます。あのう、髪形変えました?」
「あ、わかるー?」センパイはちょっと照れたように笑った。「ゆるくパーマかけてもらって。初パーマ。似合っとる?」
「似合ってますよー」そこで、美希の言葉を思い出す。「それって、やっぱり、好きな人にアピールするため、とかですか?」
あっ、とセンパイは苦笑い。「美希ちゃんがいったが? もお。でも、実はそうかも。これ内緒にしてね! 美希ちゃんにからかわれるのいやだけん」
かわいいな、きらきらしてるな、と思う。よっぽど好きな人がいるんだろうな。あたしにもよくわかる。うわ、あたしまでドキドキしてきた。センパイの恋も、うまくいったらいいな。
「お守りつけとるんですね」って話を振ってみる。
うん、とセンパイは体をひねってそれを見せてくれてから、首のペンダントを取りだした。「これもね、勾玉なんだけど、ローズクオーツっていう石で、恋愛運アップなんだって。いっつも身に付けとるんだー」
親指のつめくらいの大きさの、きれいなピンクの勾玉だ。鎖もおしゃれ。いいなあ、とは思うけど、恋愛運アップっていうのはどうせ迷信。
「そうゆうグッズとかいっぱい持っとるんですか?」
「うん。もうあとは神頼みくらいしかできることないなあーって。でもこういうお守りとかがあるおかげで勇気も出るし、すごい心強い。梓ちゃんも持っとう?」
「あ、あたしは持ってないんですけど」
「もしかしてこういうの信じんタイプ?」
図星。けど、「そんなことないですよ」っていって笑っておいた。
センパイと別れて下駄箱に向かう。誰もいない。もう外も真っ暗だけど、体育館からはまだ声が聞こえてる。バスケ部の練習が終わるのはもうちょっとあとだ。学校を出てゆっくり歩きだす。落ち葉がからから音を立てて転がっていく。寒いけど、今日もあそこで待とう。
神様なんか信じない。大切なのは自分の努力だ。センパイと違って、あたしは自分でがんばってる。
*
錦織は勝手な人間だ。自分のことしか考えてない。教師の仕事もまじめにやらない。がんばればできるのに、それをしない。いつも適当なとこで満足してる。それが許せなかった。どうせ美術部は人数も少ない。美術の時間がつぶれたって誰も困らない。でも、だからってがんばらない理由にはならない。何で教師を辞めるのか、それは知らないし、知りたくもないけど、また自分勝手な理由に決まってる。
放課後、職員室に寄ってみたら錦織はいなくて、代わりにはげの教頭と目が合った。あたしが一年の時はまだ英語の先生だったし、学年主任でもあったから、話しやすい人だ。
「先生、錦織先生のあとに来る人ってもう決まっとるんですか?」
眉間にしわを寄せる教頭。「誰から聞いた? まだ正式に決まったわけでもないんだけどな」
そうなのか。
「美術部の人がいってましたけど。てか何で辞めるんですか」
「錦織先生は何かおっしゃってたか?」
別に、っていいながら、教頭の目線につられて錦織の机を見る。気味悪いくらい整理整頓されてて、ゴミひとつない。いつものことだけど。
「ぼくも詳しいことはまだ知らんからな。時期が来たら、先生の口から直接話してくれるんじゃないかな」
あいつが話すわけないのに。あたしは職員室を出てグランドに向かった。合同練習の三日目。さすがに疲れがたまってくる。でも昨日も、今朝も、美希はいつもどおり元気だった。陸上部の練習にも出て、あたしより何倍も走ってるはずなのに。
校舎を回り込む。げ、と思う。見覚えのあるスーツ姿が前を歩いてた。あたしが立ち止まると、足音に気づいたのか、錦織は振り向いた。メガネの奥からあたしを見る。無言。
グランドを横切った先は駐車場だ。「もう帰るんですか」ちょっとけんか腰で声をかけた。
そうですけど、と錦織が答えた。そうですけど、と違うが!
「何で辞めるんですか」今聞くことでもないけど、何だか今聞いておかないと腹の虫がおさまらないような気がした。どうせたいした答えは返ってこないんだろうけど。でも錦織は無表情のまま、全然関係ない話を始めた。
「そういえば、米子さんはいつもがんばってますね。勉強も専門部の活動もそうだけど、最近は駅伝も始めて。職員室でもけっこう話題になってますよ」
何だいきなり。きもちわるい。
「米子さんは、がんばることが、いつもいい結果につながるって思いますか」
は? と思う。がんばることがいい結果につながる? そんなの当たり前だ。
あたしの答えは聞かずに、「こういうこともあると思うんです」と錦織は続けた。ふだんと変わらない、抑揚のない声。「がんばりすぎて、一人で何でもできる人だと思われて、誰にも助けてもらえない。誰かを頼りたいのに、それがいえない。そういう人もいると思うんです」
よくわからない。がんばりすぎて助けてもらえない? 意味がわからない。
「米子さんも、がんばるのはいいことだけど、誰かを頼るってことも大切なんですよ。先生方はそういうこと教えてくれないかもしれないけど」錦織はそれだけいって、また背中を向けた。何それ。何がいいたいの? いいたいことだけいって帰るわけ? はっきりいえよ! 「それでがんばるのやめるの?」自然と口走ってた。「いい結果にならんけんやめるの?」
錦織は答えずに、歩き出した。あたしは足元の石ころを錦織に蹴りつけた。石は溝っこに落ちて、カタカタむなしい音を立てた。
*
練習に明け暮れた一週間はあっという間に過ぎた。タイムはなかなか伸びないけど、持久力は確実に上がってきてるような気がする。走りのコツもつかめてきた。でも、まだまだだ。大会まであと二週間。とにかくやれるだけのことはやる。
せっかくの日曜なのに、宿題やれってお母さんに軟禁された。心配するのはわかるけど、勉強ぐらい自分で計画立ててやれるって。ほんとに過保護。仕方なく部屋にこもって国語の作文の残りとか、数学のワークブックを黙々とこなしていく、はずだったのに、気づいたら寝てて全然進まなかった。結局晩ごはんを食べたあとも机に向かうはめになった。数学の先生のx の発音が頭から離れなくて笑えてくる。だめだ終わらない。
玄関で「こんばんは」って声がする。お客さんだ。でもお母さんは洗い物してて気づいてない。出てみると吉田のおっちゃんだった。うす暗い玄関で、ぶ厚いジャンパーを着て寒そうに立っていた。こんな晩に来るのはめずらしい。店もとっくに閉まってるのに。おっちゃんはどこか暗い顔で「おとうちゃん、呼んできてくれるか?」という。お父さんを連れて行ったら、なぜかあたしは追い払われてしまった。二人でこそこそ話してるのを廊下の陰で盗み聞きする。
「そば屋の大将、今日倒れてな」
えっ、というお父さんの声。あたしも心臓が止まりそうになる。昔からよく知ってる、近所のおそば屋さんのおじさんだ。
「心配せんでいい、命に別状はないが。とりあえず一日だけ入院。奥さんには口止めされたども、これはいっておいたほうがいいと思ったけん」おっちゃんの声はぼそぼそして聞き取りづらい。
「何かの病気かいね?」
「過労ではないかって。まあ、年もあるだら」
カロウ。こわい病気なのかな。お父さんがため息をつくのが聞こえた。「やっぱりがんばりすぎちょったが。一人で。無理するな ってあれだけいったに」
「休んだら元気にはなるらしい、だども、もう今までみたいにはいかんだろな。ああ、せがれも久しぶりに見た。血相変えて駆けつけてきちょったわ。あれがこっちに帰ってきたら、大将も楽だろけど、息子は息子でやりたいこともあるだろうけん……」
おっちゃんの言葉はもう耳に入ってなかった。がんばりすぎたから、倒れた? 錦織にいわれたことを思い出す。がんばることがいい結果にならないって、そういうこと? よくわからない。頭がぐるぐるする。
部屋のふとんに寝転がって携帯をいじる。美希からメールが来た。
今日はゆっくりできたあ? 明日からも朝練、合同連、がんばっていこ〜
がんばっていこー。うん、がんばろ。ぼんやりと画面を見つめる。液晶の細かい粒を見つめる。赤とか緑でできてるのに、何で白く見えるんだろう。画面はやがて暗くなって、スリープモードに入る。
ぶぶぶぶ、って携帯が震えた。びっくりしてとっさに通話ボタンを押す。翔平くんからか。何だろ、めずらしい、と思いながら耳に当てる。「はい?」
「あー梓? ひさしぶり」
何かテンション高そう。と思ったら絵本の話をしだした。ゆめはるか、か。あいつのことは話したくない。でも、神戸の保育園にも絵本が配られてるって聞いて驚いた。「そこまで手広げとるんか」
「石田さんが頑張っとるみたいやわ」
そっか。やっぱり石田さんががんばってくれてるんだ。うれしい、という気持ちと、ゆめはるかに対するイライラが同時に起こる。まあでも、そんなことを翔平くんにグチっても仕方ない。とりあえず翔平くんにもがんばってもらわないと。はたち過ぎてまで中二っぽい話書いてて笑っちゃうけど、あたしはそんなに嫌いじゃないけん。「天職じゃないの?」ってちょっとおだててみる。
「……もう就職も決まっとるし」
あれ、喜んでない。何か歯切れが悪い。「でも手伝いは続けるんだが?」答えがなかなか返ってこない。はっきりいえよ。「ちゃんと書いとう? 途中までしかできとらんって聞いたけど」
「そういや最近、ゆめはるかさんと連絡取っとらんのやけど、あの人元気なんかな?」
ゆめはるかのことなんか、知るか。がんばってるのは石田さんだ。
「そんなことより、こっちはもう作り始めとるけん、急ぎない」
「作るって、絵のほう? ……わかった、すぐ書いて送るから。で、おれもう大学卒業するし、もう手伝いも辞めたいんやけど、って今のうちに、それとなくいっといてくれへん?」
辞める? 卒業するから? 就職するから? それって辞めんといけんぐらい大変なことか? 何で、全部がんばってみようって、ちょっとでも思わんの?
「知らんし。何であたしが」衝動的に電話を切る。ふとんに携帯を叩きつける。天井の木目をしばらくにらみつけていた。
起き上がる。もう宿題はいっか、明日の休憩時間でもできるし。そう思いながらぐちゃぐちゃになった机の上を片付けて、広いスペースを作る。筆洗にペットボトルの水をどばっと入れる。パレットに水彩絵の具を一色ずつしぼり出していく。かばんから大きな茶封筒を取りだす。お母さんはこのことをよく思ってない。届いた封筒をこっそりあたしに渡してくれるのはお父さんだ。お父さんはいつも協力してくれる。すごい高価なターナーの絵の具を買ってくれるのもお父さん。チョコの作り方を教えてくれたのもお父さん。
いつものことだけど、封筒の宛名を見てちょっと笑ってしまう。前のを消して「米子梓」に書き換えられた宛名。不器用だけどしっかりした字。あたしに似てるかも。もう何十回もこれを送ってもらってるのに、虎居さんとはまだ一度も会ったことがない。ふしぎな関係だと思う。封筒を裏返す。もとの送り主は、京都市右京区、石田真帆。
切り紙をパズルみたいに原画に合わせて位置を確認する。それから色のイメージを頭の中でふくらませてく。この鳥は、どんな色だろう。冷たい色? それともあったかい色? シャボン玉みたいな悲しそうな目は? くしみたいなきれいな羽は? 濡らした筆で絵の具を混ぜる。パレットの中で、いろんな色が踊り出す。
深呼吸してから、一気に紙に色をのせていく。切り紙だからはみ出す心配はない。たいして手先が器用じゃないあたしでも、これなら大丈夫。錦織にも、色の付け方だけはうまいってほめてもらったことがある……。
頭を振って雑念を追い出す。あたしはやれることをやるだけ。ゆめはるかはどうでもいい。がんばってる石田さんのためにがんばるんだ。
*
予定より早く目が覚めて、暗い部屋の中でしばらくぼーっとしてた。島根は日照時間が短いらしい。だからか三月に入っても寒い。ふとんの上に座ったまま、冷たくなってきた肩をさすりながら、今日のことを考える。本番。大丈夫だ、コースは頭に入ってる。走るペースもちゃんと練習してきた。何回も走ってきた。体育座りをして、そろそろとふくらはぎをさする。練習を重ねてきた分の痛みはたまってるけど、これくらいなら大丈夫だ。がんばれあたしの足、とひざ小僧におでこをくっつける。ちょっと頭がずきずきする。気のせい気のせい。身震いしてから、えいっと立ち上がった。
家の中はしんとして誰の物音もしない。お父さんはお店。お母さんも仕事。土曜日でもこんなに早く家を出るんだ、って今さらながら知る。台所のテーブルの上にはお父さんが作ってくれた朝ごはんと、それから、見慣れない紙袋。のぞいてみたら、トレーが二つ入っていた。中身は、のりが巻かれた大きなおむすび。メモがついてある。「お昼、用意しておきました」。お母さんの字。お母さんのおむすび。
頭のずきずきが大きくなった気がした。これも、気のせい気のせい。
神門通りの大社前駅で美希と待ち合わせた。一駅先の浜山公園まで一畑電車 で行く。会場は陸上競技場の周辺だ。駅長さんにパチンと切符を切ってもらって、二両だけの小さな電車に乗る。ほとんど誰もいない。座席に飛びこんで、荷物も横に置いて、二人でひとつのシートを占領した。
「昨日はちゃんと寝た? 朝ちゃんと食べた?」って、美希は保護者みたいなことを聞いてくる。こんな日でも美希は変わらない。いつものジャージ、いつものヘアゴム、いつもの声、いつもの目。「あっ女の人」と美希がつぶやいた。本当だ。車内アナウンスが女性の声だった。運転席をのぞいてみたら、やっぱり座ってるのは女の人で、そのそばに男の人が立っていた。指導係かな。「新人さんだが」って美希はいって、「たいへんそう」と口をすぼめた。
「何か新人だと不安」とあたしはいう。「事故ったりしそう」
美希はちょっと笑った。「たしかにー。でも誰でもみんなはじめは初めてだよね。応援しなよお」
そっか。よくわかんないけどそうなのかも。また席に座って、のろのろ流れていくビニールハウスを眺める。その向こうのぶ厚い雲がだんだん晴れていく。あと数時間でレースが始まる。朝、ふとんの上で感じた緊張がまたよみがえってくる。頭の血管がずきずきし出した。と、何か黄色いものが目の前に現れた。美希が隣から差し出していた。
「バナナ持っとう? これ、走る前に食べておいたらいいよ。すぐエネルギーになるけん」
「あんま好きじゃないけど。ありがとう」って一本受け取る。
「あたしがタスキ渡しにいくまでに、万全の態勢で待っとってね!」
美希の笑顔に、了解、って車掌さんのポーズで答える。そうだ。美希がタスキを渡してくれる。あたしはそれを受け取って、走ればいい。簡単なことだ。
陸上競技場にはジャージを着た中学生があふれるくらいイッパイいた。「中学生いっぱいおる!」っていったら「あたしらもだし」って美希にいわれて、ほかのメンバーに笑われた。競技場の入り口のあたりで、最後のミーティング。それから円陣。第一走者だけがここに残って、あとの四人は先生の車に乗ってそれぞれの中継地点に向かう。いつもと違う車って、なんかどきどき。みんなあんまりしゃべらない。中継所に着いて一人ずつ降りていく。美希も降りた。お互いガッツポーズで別れる。何度目かで「はい女子四区」っていう先生の声がした。おっかなびっくり降りる。先生の車はそのまま走っていった。意外とあっけなかった。こんな簡単に一人ぼっちにされちゃうんだ、と思った。芝生のはえた広場みたいな場所だった。ここにもたくさんのジャージが集まっていた。ざわざわざわざわ、にぎやかな声の中で、あたしは完全に一人だった。どこに行けばいいのかもわからない。しばらく呆然と突っ立ってたけど、ほかの人がアップを始めてるのを見て、慌てて準備体操に取りかかる。
お昼が近づいて、だんだん寒さが和らいできた。おなかもすいてきた。植込みのそばに座って、美希にもらったバナナを食べる。バナナ臭いけどおいしかった。まだおなかがすく。お母さんのおむすびを出してみた。大きな、ぶさいくなおむすび。てのひらぐらいある。一口食べてみたら、湿ったのりがくちびるにくっついた。潮臭さとごはんの甘味が口の中で溶けた。中身は大好きな鮭フレークだった。お母さんは優しい。お母さんはあたしの味方。そんなの、始めからわかってる。
十一時。スタートの時間。でも四区の中継所には何も変化がない。相変わらず蛍光色の服を着た役員の人がうろうろしてたり、選手がアップしたりしてるだけ。広場の時計を見る。あと三十分くらいで美希が来る。いや、もっと早いかも。あえて三区にエースを当てて順位を上げて、四区と五区で逃げ切る作戦らしい。だから、あたしも責任重大だ。自然と緊張してきて、足の関節がうまく動かなくなる。初めてなのにそんな責任追わされても。そういえばあたしも今日は「初めて」だった。新人乗務員さんを笑えない。
時間が近づく。そろそろだ。みんなユニフォーム姿になって準備してる。あたしもジャージを脱ぐ。寒いのか暑いのかよくわからない。どこかで歓声が聞こえる。スピーカーから放送が流れてきた。
「502番――285番――180番――370番――」
チェックポイントを通過した走者の番号だ。改めて、自分の胸に付けたゼッケン番号を確認する。250番。250番だ。
「――番――50番――240番――」
あれ? 今何番っていった? やばい聞き逃したかも。心配になってコースに近づいてみる。歓声が大きくなる。人が多くてなかなか進めない。何人かのタスキリレーが終わったらしい。走っていく選手にコーチらしい人が声をかける。みんな大声で応援している。
「――番――番――番――」
もう何も頭に入ってこない。美希、来てる? 来てるのかな? 泣きそうになる。
人垣をかきわけてコースに出た。たくさんの選手が走ってくる。ぶつかりそうになる。美希、来てる? まだ? 美希、来てる――?
「梓! どこにおったが!」
突然、美希の顔が現れた。その顔は、笑ってた。ほっぺたを赤くして、目を大きくして、口をちょっと開けて、「もう心配したがね」ってタスキを渡された。「ほら。行きない」
ごめん、と声にならない声でつぶやいて、タスキをつかんで、無我夢中で走り出した。目の前がにじんでよく見えない。もうあたしだめだめだ。美希のがんばり、何分無駄にした? 取り返せる? わからない。もうだめだ。でも走らないと。それで謝らないと。美希に、それからみんなにも。美希のがんばり、あたしどれだけ無駄にした?
何人かを抜いた。何人かに抜かれた。順位はわからない。気づいたらまた歓声が聞こえてきて、アンカーの人が待っていた。タスキを渡す。顔を見ることもできなかった。あたしのせいで、もう何もかもだめだ。役員の人に道路わきに引っぱられる。邪魔だったらしい。もう何でもいいや。
「米子」、と誰かに呼ばれた。ぐちゃぐちゃの顔を上げる。涙をぬぐってその人を見る。
うそ。
「お疲れ。これ、米子の服預かっちょったけん……」
ちょっと。ちょっと顔、顔、顔、顔! 差し出された手からジャージをひったくって、その中に顔をうずめる。あーこんな顔見られるとかもうさいあくー。来てくれとったのかー。美希が呼んだの? もう、美希のアホー! 何か一言くらいいえよー。でも何で松浦くんがあたしのジャージ持っとるん?
「梓ちゃん、大丈夫?」今度は女の人の声。肩を触られる。横目で見てみたら、わかなセンパイだった。「ちょっこタスキ渡し失敗しとったけど、全然気にする事ないって。あたしも一回したことあるし。初めてなんだけん、しょうがないしょうがない!」
また泣けてきた。ごめんなさい、ってぶさいくな声でつぶやく。センパイが松浦くんと何か話してる。センパイに連れられて歩く。松浦くんはどっかに行ったみたい。「ほら、ジャージ来て、それからクールダウンしよっか。そのままじゃ風邪ひくよ」
そういえばまだユニフォーム姿だった。これも松浦くんに見られた。恥ずかしすぎる。何でこうなっちゃうかな。何で、何もかもうまくいかないかな。こんなにがんばってるのに。あんなにがんばって練習したのに。
センパイが肩から提げたバッグで、赤いものがぶらぶら揺れてる。ぼーっと見つめてたら、センパイが気づいて「ん、これどうかした?」っていった。縁結びのお守り、普段使うかばんにも付けてるんだ。何個持ってるんだろ。「神頼みですか」って、気づいたら口に出してた。センパイの動きが、一瞬、止まる。
「だって」センパイの声は明るい。「できるだけの努力はしたいけん」
神さまに頼むことは、努力じゃない。また口に出そうとして、こらえた。センパイが話し続けてたから。「だって自分でできることは全部やったもん。チョコとかもさ、丸一年ぐらい研究してさ。料理教室まで通って。アホみたいだよね? でもそれくらいせんとって思ったけん。お母さんとかお姉ちゃんとか友達にもアドバイスもらって、どうにかしてメアドとかも聞いてさ、恥ずかしかったけどこっちからメールとかも送ってさ。めちゃめちゃがんばって一緒に出かける約束もしてさ。髪形もかわいくしてさ。そしたら、あとはもう、神さまにお願いするしかないよね?」
もうあとは神頼みくらいしかできることないなあーって。
この前だってセンパイはそういってた。自分がどれだけ調子に乗ってたか、やっと気づいた。あたしは何もしてなかった。メアドも聞いてない。話すらまともにしてない。チョコだって、準備を始めたのは二月に入ってから。いざ作る時も失敗して何回もやりなおして、結局うまくできなくて、形はぐちゃぐちゃだし、味も自信なかったし、手紙も入れてないし、それなのに渡せただけで満足しちゃってて――。
また涙があふれてきて、センパイの肩に顔をうずめる。必死に声をこらえる。あたし、全然がんばってなかった。努力してるって思いこんでただけ。あたしのほうこそ、とんでもないアホだった。
*
がんばるのはいいことだけど、誰かを頼るってことも大切。
錦織のいってたことが、何となくわかったような気がした。難しい言葉を使うと、あたしはイノナカノカワズだったってことだ。一人でがんばってたって、何の意味もなかった。朝日が差しはじめた境内には、まだ誰もいない。大きなしめ縄を真下から見上げる。たしかに、こんな太い縄で結んでもらえたら、きっと一生切れないだろうな。どうして縁結びの神さまなのか、わかったような気がした。拝殿に向かって五円玉を投げる。二礼、四拍手、一礼。目をつぶると、世界がしん、と静まりかえって、神さまがどこかで聞いてくれてるような気がした。神さま、どうか。松浦くんに嫌われませんように。これからもっと、もっともっと努力するから。
真新しいお守りをぶらさげたスクールバッグを肩に引っかけて、参道を歩く。もう美希との朝練はない。でも、美希にはまだまだ頼らなくちゃ。いっぱいアドバイスもらわなきゃ。鳥居の向こうの町なみが朝日で輝いている。白くにじむ世界に、あたしは駆けだした。
美術部のみんなと放課後遅くまで作業を続けてるうちに、あっという間に一週間が過ぎて、卒業式の日を迎えた。体育館の壁は一面、桜の花びらをイメージした壁画で覆われた。当日、体育館に入った美希が「これやば!」って叫ぶのを聞いて、あたしは長谷川とこっそり顔を見合わせて、にんまりした。
式が終わって、教室や体育館のまわりは記念撮影とかプレゼント渡しでにぎやかになる。一応、陸上部の送別式にも参加してみた。卒業する先輩たちの中で、わかなセンパイは特別にきらきらして見えた。センパイにお礼をいいたいと思った。きちんと謝りたいとも思った。センパイのおかげで、あたしはちょっと成長できたような気がするから。だからセンパイの恋にも、何か協力できるならしたい。でも高校に行ってしまったら、もう二度と会えないかも。そういえば連絡先も聞いてなかった。このまま別れちゃうのは後味が悪い。もっと話したい。それなのに、ちょっと目を離したすきにセンパイは教室から消えていた。
「わかなセンパイ、どこ行ったんだろ?」美希に聞いてみる。
「あれ、おらん?」美希は意外そうな顔をして、それからにやっとして、「それってもしやもしや、じゃない?」ってうれしそうにいった。何いってんだろ。
学校中をうろうろして探してみたら、センパイが、一人で校庭を歩いていくのを見つけた。どこに行くんだろう。センパイは防球ネットをくぐって、体育館の後ろに消えた。あとを追って体育館を回りこむ。息が止まるかと思った。反射的に体を隠す。
「すいません、呼び出したりして」
うそだ。
「いいよ、大丈夫」ちょっと緊張したような、センパイの声。
「あの、えっと、これお返しです。チョコすごいうまかったです」
はっとする。卒業式の準備に追われて、そんなことすっかり忘れてた。今日は三月十四日。ホワイトデーだ。
「ありがとう」と、センパイが明るい声でいう。聞いたこともない幸せそうな声。
うそだ、うそだ。
「それであの。この前いっしょに駅伝の応援に行って、先輩、すごい真剣に応援してたじゃないですか、それから、米子のこともちゃんとフォローしちょって、優しいなって思って」
顔が熱くなる。くちびるを噛んで必死にこらえる。
うそだ、うそだ、うそだうそだうそだ!
「それでおれ、先輩のこと、何ていうかな、前から気になっちょったんですけど……好きになっ――」
ぷつん、と頭の中で何かが切れた。校庭を駆けぬけて、学校を出て、神門通りを駆け上がって、そのまま町の中をめちゃくちゃに突っ走った。何も考えたくなかった。なかったことにしたかった。今聞いたことを、今あそこで起こっていることを、全部なかったことにしたかった。時間を巻き戻せればいいのに。センパイが好きなのが松浦くんだって最初から知ってたら、松浦くんがチョコもらった相手がセンパイだって知ってたら、あたしはできる限り妨害したのに。協力したいとか、お礼いうとか、思わなかったのに。何考えてんだろ。ずるい人間だな、あたし。でも、センパイのほうが、もっとずるいよ。
ぐねぐねした車道の脇を走り続ける。顔を潮風がまともに打つ。青みがかった海が見える。遠い空の向こうから、静かに砂浜に波を運んでいる。砂に足を取られて転びそうになる。それでも波打ち際まで走っていって、ローファーを濡らして、海に向かって大声で叫んだ。
センパイのほうがいっぱい努力しとったかもしれん、いっぱいお願いしとったかもしれん、
けど、けど、けど、けど!
神さまの、
神さまのアホ――っ!!
◆第四章 石田 真帆(いしだ まほ)
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朝からなつかしい夢を見た。二年前の就活中、面接に遅刻しそうになった時のこと、それがそのまま夢に出てきた。初めて行く場所だったから用心してビジネスホテルに泊まったし、目覚ましも念入りにセットしたはずなのに、結局寝坊して、しかも道に迷って頭の中ぐちゃぐちゃになって、タクシー代もなかったからコンビニに駆け込んで、そこで財布を出そうとした拍子にカバンの中身ひっくり返して。その面接には当たり前だけど落ちた。いろいろあって地元の会社に入ったけど、あの頃は他府県の企業も視野に入れてたっけ。せっかく芸大を卒業したんだから、できればデザインの仕事をしたかった。でもそんな夢物語、叶わないのはわかってた。寝ている時に見るものも、未来への願いも、おんなじように夢って書く。そのはかない字を、机の上に指で書く。胸が小さくずきずきした。
肩を叩かれて振り返ったら、社長が立ってて、「まほちゃん、これ頼んます」って口の形だけで伝えてくれた。青い絵の具の付いた手には、刷り上がった版画。私はうなずいて受け取る。今年四十五歳の若社長。版画職人の三代目。お公家さんっぽい上品な顔、なのに、あご髭のそり残しが惜しい。作業着にも絵の具をいっぱいくっつけた社長は、重そうなおなかを揺らしながら、すぐに二階の仕事場に戻っていった。事務所にもあのツンとしたにおいがただよってくる。今日も職人さんたちは忙しそうだ。
パソコンが四台並ぶだけの小さな部屋で、先輩たちがそれぞれの仕事をしてる。二十代から四十代の女性が五人。完璧なメイクで決めたアラフォーのミカコさんが、にこやかに電話を受けている。私はもらった絵をスキャナにかけて、自分のノートパソコンの画面で映り具合を確認する。それから専用のソフトを使って修正をかけていく。大学で勉強した経験を買われて、任されたウェブページ作り。お得意さん相手にやってきた会社だから、外の人に向けてアピールしていくのはまだ手探り状態だ。その分やりがいはあるし、何より楽しい。社長からも期待されてるのがわかる。入社のときには、将来有望な人材ですって紹介してもらった。本当にいい社長さんで、いつも親切に接してくれるし、行き詰まったときはとことん相談に乗ってくれる。事務の先輩たちも優しい。職人さんたちも優しい。これ以上の職場はないと思う。でも、そんなちやほやされることに、少し申し訳なくもなる。だって、いつまでもここで働くつもりはないから。
新着メールの表示が画面に現れた。一瞬胸がおどった。でも、違った。知らない人からだ。また迷惑メールかな、とか思いながら、何気なく開いて目を通す。とたんに、びっくりして声を上げそうになった。こっちを見たミカコさんにごまかし笑いをして、メールを最初から、慎重に読みなおす。
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ゆめはるか 先生
突然のメールで申し訳ございません。
繁学社出版で雑誌編集をしております、高野昭二と申します。
さて、唐突なお願いで恐縮でございますが、弊社の雑誌「おやこの友」上において先生の著書を特集させていただきたいと考えております。
「おやこの友」は子育て世代の方々を対象とした会員制の雑誌で、関西圏を中心に発行しております。取材を進めていましたところ、先生の著書(絵本)が若い母親の方々の間でたいへん好評であるという情報を得、また、読者の方からぜひ著書を特集してほしいという要望も少なからずいただいております。
つきましては、時節柄お忙しい折と存じますが、以下の概要に目をお通しいただきまして、御諾否のお返事を御一報いただければ幸いでございます。
本来であればお電話を差し上げますところ、メール連絡のみとなってしまい誠に申し訳ございません。著書巻末に掲載されていたこちらの連絡先のほか、お電話番号等もお教えいただけると幸いでございます。
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読み進めるにつれて、心臓のどきどきが大きくなって止まらなかった。雑誌の取材。私の絵本が記事になる。やった。すごい。最近の売り込み活動で手ごたえは感じてたし、口コミで広がってることも薄々気づいてた。頑張ってきたかいがあった。努力してきたかいがあった。これで雑誌に載ったら、ますますファンが増えて、有名になって、もっともっと取材の依頼が来たりして――。
詳細に目を通して、そんな妄想がすっとしぼんだ。
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■企画・取材内容
・著書紹介
・インタビュー(ゆめはるか先生の絵本への思い、絵本作りの動機など)
・写真撮影
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インタビューと写真撮影。ゆめはるかが語る思い? ゆめはるかの写真? そんなの無理だ。だって、ゆめはるかは……。気づくと、自分の話や自分の顔写真が載った記事を想像してた。あほ。胸のどきどきが、ずきずきに変わる。私はあくまで、アシスタントの一人でしかない。私の絵が評価されたわけでもない。そう自分に言い聞かせた。メールソフトを閉じる。画面いっぱいに、編集中の絵が映し出される。着物を着て花を手折る女性の絵。一工程一工程、手作業で刷り上げた絵。一気に現実に引き戻されたような気がした。私の仕事は、こっち。パソコンからそっと目を離す。ミカコさんは真剣な目で書類に向かってる。長屋の一角で、みんな、自分の作業に没頭してる。一つの目標に向かって、一致団結してる。私だけ、妄想に沈んでる場合じゃない。
断ろう。
でも、あの人にだけは、知らせておかないと。
*
たくさんの人と並んでバスに揺られる。どこで停まっても人が乗ってくる。運転手さんが何かいって、みんな前のほうに詰めてきて、ますますぎゅうぎゅう詰めになった。バスは小刻みに震えながら、まっすぐな道を淡々と進んでいく。フロントガラスの上の液晶画面が、おなじみの地名を次々表示する。誰も降りない。銀閣寺までずっとこんな感じかな。絵本を詰め込んだかばんは、肩がちょっと痛むぐらいずっしり重い。表紙はハードカバー、中はコート紙で全ページカラー刷り。知り合いの印刷屋さんにだいぶお勉強してもらった。その確かな感触をうでと胸に感じながら、暖かそうな日差しの降る歩道を眺める。背の低いビルやお店が、窮屈そうに並んでる。買い物袋を持ったおばさんとか、自転車で走る大学生が行き来する。絵本の営業活動は、今まで大阪とか神戸とか、とにかくちょっと遠い街に出てすることが多かった。京都は人や自転車が多いわりに道が狭くて、あんまり安心して歩けないから。でもそれは言い訳で。本当は、自分の地元で絵本を売り込むのがちょっと恥ずかしかったから。けど、もう気にならない。ゆめはるかは、雑誌の取材が来るほどの人気作家になったんだから。
人通りの少なそうな場所で紫色のボタンを押した。バスが止まる。人を押し分けて前の出口に向かう。けど、かばんがつっかえてなかなか進めない。早くしろよって他のお客さんから思われてるような気がして、なるべく早くしようと思うんだけど、そういう時ってたいがいうまくいかない。何とか抜け出して、乗車証を見せて急いで降りる。歩道を走ってきた自転車とぶつかりそうになった。血管が一気に縮む。あぶないあぶない。ていうか、もっと気をつけて走ってくれてもいいのに。
なるべく歩道の端を歩くようにしつつ、めぼしい建物を探して北大路通りを進む。高野橋を渡る。高野、っていう地名からあのメールを思い出して、ちょっとしゅんとしながら渡った。短い橋だけど車道も歩道も広くて、きれいに舗装されてるから歩きやすい。他の道もこうだったらいいのに。何気なく欄干のむこうを眺めたら、ぽつぽつつぼみを付け始めた桜が、川沿いにずうっと並んでいた。冷たい風が急に吹いてきて、顔と首もとが刺されたみたいに痛んだ。勝手に巻き上げられた髪をさっと直す。マフラーして来ればよかった、と思う。暖かいと思って油断した。でもみんな考えることはおんなじらしい。気の早いビニールシートが、水鳥と一緒に川の上を舞っていた。
営業っていっても大したことはしてない。休みの日を使って幼稚園とか保育所、小さな病院を回るだけ。でも精神的に疲れるから、一日にせいぜい四、五軒が限度かな。初めのうちは、知らない土地に行くのが不安だった。自分を受け入れてくれるのかな、っていう不安もあった。
でも、あの人は、それを乗り越えた先の新しい世界を見せてくれた。あの人がいなかったら、こんな絵本は生まれなかったし、私の絵をたくさんの人に見てもらえることもなかった。だから満足してる。あの人のためなら、私は人気作家じゃなくて、一人のアシスタントでいい。茶色くくすんだ大文字山が、背の低いビルの合間からちらっと見えた。もう京都の東の端だ。
最初に訪ねたクリニックは、三階建てビルの二階にある、おしゃれで明るい病院だった。自動ドアが開いた瞬間、棚に並べられた絵本とか、隅のスペースに置かれた色とりどりのおもちゃに目を奪われる。同年代くらいの若い看護師さんがすぐに近づいてきて、親切に応対してくれた。絵本を置いてもらえませんか、と依頼するA4版一枚の書類と、自分の名刺をまず差し出す。待合室にいたお母さんたちも絵本に興味を持ってくれた。話がはずんで、それで三冊も置いてもらえることになった。かばんが一気に軽くなる。幸先のいいスタートに、自然と顔がにやける。足取りも軽くなる。
その勢いで、今度はとなりの産婦人科に入ってみた。民家を改築したような、古そうな建物だった。誰もいなくて、電気も付いていない薄暗い玄関できょろきょろしてたら、受付のガラス窓が開いた。険しい目をしたおじいさんが顔を出す。白衣を着ている。院長さんかな。そう思いながらまた例の書類を取りだして、名刺を添えて渡した。おじいさんはむっつりしたまま、何回も眼鏡を上下させて、しばらくそれに目を通していた。私は絵本を手に持って、いつでも渡せるように準備する。おじいさんが書類を置いた。それからじろっと私を見上げて、名刺に何か書きつけて突き返してきた。ボールペンの走り書きだった。
お願いするなら
紹介状 持ってくるのがマナーと
ちがいます?
その達筆な字とおじいさんの顔を、何度も見比べて、そうしているうちに、首から上が熱くなって、息もできずに突っ立っていた。
おじいさんが口を開いた。「それ誰や?」よく聞こえなかったけど、私の持った絵本を指さしてそういったみたいだった。
「きみか?」
血がのぼった頭はうまく動いてくれなかった。わけのわからない思いばっかりぐるぐる回った。それからほんの少しだけ、人形みたいに、首を縦に振った。私が作った絵本。そういっても嘘じゃない。その瞬間、自分の体が少し大きくなったような気がした。でもおじいさんはちょっと表情をゆるめて、ほんの一瞬だけ私の目を見て、ガラス窓を閉めてしまった。肌寒い玄関に、ぽつん。もう誰も出てこない。何も動かない。挨拶もせずに、逃げるようにそこを去った。
淡い日の照りつける道を歩きながら、突き返された名刺を握りしめる。「石田真帆」の文字がぐにゃぐにゃになる。歯を食いしばって、必死にまばたきを我慢した。あの人が好きで、あの人と一緒にいたくて、私はアシスタントになったのに。胸の奥がねじれるような、苦みのある感覚が体を襲った。
私はまだ、自分がゆめはるかだと思ってる。
*
ほとんど誰も乗ってない電車が、嵐山駅のほうに走っていった。踏切の遮断機が上がると、降りたばかりの会社帰りのおじさんたちが一斉に歩きはじめる。坂をのぼってJRの駅に向かう人、暗い道を通って渡月橋のほうに向かう人、それぞれ別れて足早に歩いていく。私はすぐ右に折れて小路に入る。建物が両側にせまって、空が狭くなった。左手の壁の向こうは昔お店だったらしい。でも錆びきった看板の文字は読めない。マフラーを慎重に巻き直しながら、道の端っこをそろそろ歩く。あ、車のライト。さっと体を縮める。白いバンが私の後ろで、マンションの駐車場に入っていった。
おじいちゃんの名前が大きく書かれた表札が、常夜灯にぼんやり浮かんで見える。戸を開けると、ビーフシチューのいいにおい。手洗いうがいをして台所に入る。テーブルの上にシチュー皿が二つ置かれていた。私とお父さんの分。お父さんは、いつも日付が変わらないと帰ってこない。おじいちゃんとおばあちゃんはたぶんもう寝てる。お皿をレンジで温めながら、椅子に座ってノートパソコンを開いた。
パソコンの画面に「新着メール」の文字。あ。胸が高鳴る。やっと来た。顔を画面にぐっと近づけて、さっそく読みはじめる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
石田さん
ごぶさたしています。功山寺です。
お願いされていたプロットが完成したので、送らせていただきます。
(テキストファイルを添付しています。)
遅くなってしまい申し訳ありません。何かご意見がありましたらお知らせください。
さて、私もこの四月から社会人となり、東京の企業に就職することとなっています。
ゆめはるかさんのアシスタントも、今回限りでしばらくお休みさせていただきたいと考えております。
急なお願いで申し訳ございません。
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しばらくお休み。すぐには意味がわからなかった。今までそんなこと、一言もいってくれなかったのに。どうして? そんなの嫌だ。だって翔平くんがいなくなったら――。ほとんど無意識に「返信」ボタンを押して、キーボードを叩いていた。
「しばらくお休みしたいということだけど、どのくらいの期間になりそう? 今みたいにお手伝いするのが負担なら、もっとゆっくりなペースでも大丈夫だし、仕事がたいへんになるかとは思うけど、もちろん翔平くんの負担にならない程度で、これからもお手伝いしてほしいです――」
そこで手を止める。のぼせてきた頭を軽く振る。これじゃだめだ。こんな、一方的にいったって。もう一度翔平くんのメールに目をやると、まだ続きがあった。落ち着け、私。
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ところで、ゆめはるかさんはお元気ですか?
最近は石田さんがおもに連絡をくださいますね。
お体にお気を付けください。失礼いたします。
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最近はもう、ゆめはるかの名前でメールを送ることもしてない。
元気かって聞かれても、どう答えていいのかよくわからない。いつもの胸のずきずき。そんなことより、と自分をごまかして、添付されたテキストファイルを開く。一気に読む。読み終わって、ほっと息をついた。少し涙が出た。私はこの鳥みたいになれるかな、なんて考えた。だって私がアシスタントをやってるのは、こんなふうになりたいから。
さっきよりだいぶ落ち着いた気持ちで、翔平くんのメールの本文にもう一度目を通す。ゆめはるかさんのアシスタントも、今回限りでしばらくお休みさせていただきたいと考えております。そっけない言葉。もっといろいろ聞かせてよ。長いこと考えたあげく、結局こういうメールを書いて送信ボタンを押した。電子レンジに入れたままだったシチューは、もうとっくに冷めていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
功山寺くん
プロットありがとう。本当に本当に、素敵なお話でした。次回作はこれで進めていきたいと思います。原稿・原画が完成したらまた送ります。
来月から社会人ということで、忙しくなりますね。しばらくはお仕事のほうを頑張ってください。時間ができたら、また絵本の脚本を書いてもらえるかな。それとも、ゆめはるかのお手伝い自体が少したいへんに感じられるのかな。私でよかったら相談にも乗るし、またお返事もらえると嬉しいです。
それから、ゆめはるかは元気なのですが、仕事に集中して取り組めるよう、私がほとんどの事務を受け持つことになりました。せっかくお手伝いしてもらっているのに、申し訳ありません。もちろんゆめはるかも、功山寺くんにはとても感謝しています。今後のことについては、ぜひまたお話をしましょう。
石田
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
文章は多少きれいになった。言葉も長くした。読みやすくなったはずだ。伝わりやすくなったはずだ。でも、伝えたいことの半分も、ううん、三分の一も書けてない。雑誌の取材のことは、書こうか少し迷ったけど、結局、まだいわないことにした。
*
翔平くんから返事が来たのは、それから一週間くらい経ってからだった。亀より遅い言葉のキャッチボール。メールって本当にもどかしい。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
石田さん
功山寺です。お気づかいありがとうございます。
そうですね、会社の仕事が始まれば、ゆめはるかさんのお手伝いは少したいへんになるかと思います。時間ができればまたお手伝いしたいのですが、しばらくは仕事に集中したいという思いがあります。
もちろん今の作品の完成までは協力させていただきます。
よろしくお願いします。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
やっぱりそっけない返事。当たり障りのない言葉。仕事に集中したいっていうのはわかる。翔平くんがまじめに頑張りたいって思ってるのもわかる。実際、大学生の頃とは比べ物にならないくらい忙しくなると思う。でも、本当にそれだけなのかな。全然何の理由もなしに、一生懸命働きたいと思うのかな。少なくとも私は――そこまで考えて、自嘲気味の笑いが自然と出てしまう。あーあ、ってため息ついて机に突っ伏す。真っ黒なまぶたの裏で、蛍光灯のなごりがちらちら揺れる。翔平くんには、アシスタントを辞めたい理由が何かあるのかな。翼を手に入れて、空に飛び立って、したいことが何かあるのかな。
せめて顔が見られたら。もっと速く、言葉のやり取りができたら。悔しい思いをかみつぶしながら、梓ちゃんの携帯にSOSを送る。すぐ返事が来た。それを確認してから、チャットの画面を立ち上げる。ネット掲示板での知り合いだったころから使ってる、なじみのサイト。
[あずさ さんが入室されました。](2014.3.17 22:03:55)
[石田 さんが入室されました。](2014.3.17 22:04:03)
あずさ > 石田さん、こんばんわ!
石田 > こんばんは。遅くにごめんね。
あずさ > あっこんばんわじゃなくてこんばんはだった笑
あずさ > 大丈夫ですよ〜〜
あずさ > 絵本のことですか?こっちは順調です。
石田 > ありがとう。おつかれさま。虎居さんからは、原稿、ちゃんと届いてますか?
あずさ > はいっっ あ、でも最近はあんまり。。
あずさ > てか石田さんもお疲れさまです! いろんなところで絵本広めてるんですね!!
翔平くんから聞いたけど、神戸とかでも。すごいですね(^^)
石田 > うん。もっと頑張らないと。
あずさ > 頑張って下さい!
石田 > それより、今日翔平くんからプロットをもらったよ! いい話だと思うし、どん
どん作業を進めていきたいなって思います。
あずさ > そうですか! 楽しみですー(^ω^) どんなお話しなんですか?
石田 > それはまた今度。たのしみにしててね。今日は、ちょっと翔平くんのことで相談
があるんだけど。
あずさ > 何ですか?
石田 > 翔平くん、アシスタントをやめちゃうかもしれないんだけど、そういう話聞いて
る?
あずさ > この前電話で話した時、そんなかんじのこといってました。東京で働くからとか。
ありえなくないですか?? マジ無責任
石田 > うーん。そうかな
あずさ > まあ、翔平くんがそういうならしょうがないのかな、っとも思うんですけど。。
石田 > あれ、なんかめずらしいね、梓ちゃんがそういうこと言うの。
あずさ > まあいろいろあって笑
あずさ > 石田さんはどう思いますか?
石田 > ちょっと気になってるんだけど、翔平くんがお手伝いをやめたい理由って、ほか
にあるんじゃないかな?
あずさ > ほか??
石田 > 何か隠してるような気がして…何か心当たりとか、ない?
あずさ > さあーちょっと考えてみます
あずさ > あたしと話した時も、大学卒業するから、就職するから、みたいなことしかいっ
てませんでしたけど。別に手伝いがいやってわけじゃないと思います
あずさ > 子ども好きだけん
石田 > そっか。考え過ぎかな…
あずさ > 石田さんは、翔平くんが何か隠してるって、思いますか??
石田 > なんとなく。メール見てそう思っただけだけど。
あずさ > じゃああたし、聞いてみます!
石田 > 何を?
あずさ > 翔平くんに、どうしてやめるのか、って
石田 > えっ、本当?
あずさ > はい!
石田 > そっか、うれしいんだけど、でもそんなことお願いして大丈夫かな…?
あずさ > あたしにどんどん頼ってください! 頑張ってる石田さんのためですから!
あっでもがんばり過ぎには注意ですよ笑
あずさ > 人に頼ることも大切らしいです。ある先生がいってました
石田 > ありがとう! いいこと言う先生だね(笑)
あずさ > その先生、もう辞めちゃうけど。。
石田 > えーそうなんだ。定年退職かな?
あずさ > ううん、入って何年目かの新入り
石田 > 新入りって(笑) どうして? 女性なら結婚退職とか?
石田 > じゃあ私と同年代ぐらいかなぁ
あずさ > 女性だけど結婚じゃないと思う。急に辞めるっていいだしたらしくて。よくわか
んない
石田 > 何か事情があるんだね……
あずさ > 気になりますか??
石田 > いやいや、そんなことないよ。でも同年代の女の人のことって、やっぱりちょっ
と気になるかな…
あずさ > 大人の人でもそう思うんですねー
石田 > うそうそ、じゃあ遅くまでごめんね。とりあえず翔平くんのことだけど、本当に
お願いして大丈夫?
あずさ > はい!
石田 > あ、できるだけさりげなく聞いてもらえるとうれしいんだけど。私が気にしてる
っていうのも、言っちゃうとプレッシャーになると思うし、ほんとにさりげなく
って感じで。
あずさ > 任せてください!
石田 > ありがとう。じゃあ、今度はいつが都合いい?
あずさ > いつでもOKですよ〜〜
石田 > ありがとう。私が都合いいのは来週の月曜かなあ…また連絡します。本当に、遅
くまでごめんね
あずさ > いえいえ、楽しかったです!(^O^)
石田 > おやすみなさい
あずさ > おやすみなさいzz
[あずさ さんが退室されました。](2014.3.17 22:51:02)
*
梓ちゃんにはああいったのに、それからずっと絵本の営業活動はさぼってた。あの産婦人科でのこと、忘れたかったわけじゃない。けどしばらく仕事に没頭してるふりをした。休みの日に家にいる時間が長くなった。それで昼も夜も、ろくに寝もしないでパソコンとにらめっこしてたら、いつの間にか会社のウェブページは出来上がってた。最後に何回も動作をチェックして、こまかい修正をする。繊細な版画がつぎつぎ画面に映し出される。静物、風景、モダンな美人画まで。液晶表示には不安もあったけど、いい色が出てる。背景とか文字の風合いもイメージ通り。うん、われながら、上出来。
会社でのお披露目では、社長や職人さんたちの反応も上々だった。マウスを操作して画面を変えるたびに、みんなから歓声が上がっておかしかった。長屋の一角が、この日は特ににぎやかになった。ひさしぶりにほめられた。悪い気分じゃなかった。
今日も完璧なメイクのミカコさんが、「新HP、開設は四月一日!!」ってホワイトボードに大きく書く。また歓声。そういえばもうすぐ新年度だった、と、この時ふと思った。働き始めてちょうど一年。新しい社員さんも一人入ってくるみたい。でも出ていく人はいない。この一階の事務室が、もっと狭くなる。誰かが抜けない限り。そんなことを考えてた。
社長に肩を叩かれた。満面の笑顔だった。私も笑い返した。社長が何かしゃべって、みんながどっと笑った。
3/21
今日も仕事。会社のHP完成したよ。
あとお昼ごはんおいしかったー。カレーだった。会社でミカコさんが作ってくれた。
台所に置かれたノートに、ボールペンで思いついたまま書きなぐる。罫線を荒っぽい文字で埋めていく。当たり前だけど、会社のことくらいしか書くことがない。でもそのほうがお母さんも喜ぶし。ペンを止める。誰もいない台所で、使いこんだノートを適当にめくる。何年も継ぎ足し継ぎ足し使ってきた大学ノート。ぬれた手で触ったり、お醤油をこぼしたりして、表紙はごわごわ。最初のほうのページは黄色っぽく変色してる。何となく目にとまったところを読み返す。
2/18
夢を追うのは大切! でも人生にはチャンスっていうのもあるから。
この機会をのがしたら、もう一生つかめないかもしれない。
そういう岐路に、真帆は立ってると思うなあ。
お母さんの字は、硬くてさばさばしたきれいな字。二年前の「会話」が、つい昨日のことみたいによみがえってくる。
3/7
ちょっと先の将来を想像してみて。
このまま三十代、四十代になってもちゃんとした仕事がなかったら?
保険っていうわけじゃないけど、とりあえず堅実な仕事に就いて、
自分の好きなことはそれからでもできるんじゃないかな?
5/26
面接お疲れさま。今度こそ合格していることを祈っています。
まずは安定した生活を手に入れて、それからどんどん人生を充実させていこ!
くっついたページを一枚ずつ、ぺりぺりはがす。気のせいかな。夢、堅実、そんな言葉ばっかり目に入る。私が欲しかった言葉は、どこにもない。
ノートを放り出して画用紙を持ってくる。描きかけの絵が、蛍光灯の下にぼんやり浮かぶ。紙にかじりつくみたいにして、何も考えずに鉛筆だけ動かし続けた。一回やり始めたら、時間なんか忘れてる。
描き上がったモノトーンの大樹を眺めて、ふうーって一息つく。画用紙いっぱい、緻密に線を描き入れたけど、全体的にはおおらかに仕上がった。消しゴムのかすを払って、手で持ち上げて顔の前にかざす。翔平くんがいなかったら、きっとこんな絵は描けなかった。想像力のない私の想像が、ここまで膨らむのは、翔平くんの書く物語のおかげ。またゆめはるかの名前で、良い絵本が作れる。そう思うとうれしかった。
でも、私の思いは、いつも一方通行。こんなに強い気持ちがあるのに、それを伝える言葉がない。
あの人とずっと一緒にいられたら、なんて、ありえないことを考える。
あの人には、私なんかよりずうっと大切な人がいる。
叶わない想いだってことは、最初から知ってる。
*
[あずさ さんが入室されました。](2014.3.24 22:32:23)
あずさ > ごめんなさいおふろ入ってましたーー;;;
思わず笑ってしまう。梓ちゃんおもしろいなあ。若いなあ。って、私だってまだまだ若いのに。そうは思うし、本当にその通り若いんだけど、でも年下の人が多くなると、自分が年取ったことを感じちゃう。それはしょうがないよね。
あずさ > えと、翔平くんのことなんですけど
どきどきしながら身構える。何かわかったのかな。画面の中に新しい文字が追加されるのを、今か今かと待つ。台所の中は寒いくらいなのに、にぎった手のひらがしっとりしてくる。梓ちゃんも少し考えてたのか、しばらく経ってから続きが現れる。
あずさ > いろいろ聞いてみたらわかったんですけど、東京行ったら、彼女と遠距離になる
らしくて
冷めたお茶を一口飲んだ。そうだよね。彼女がいる。好きな人と一緒にいる。当たり前のこと。それでも、胸のずきずきは大きくなった。
あずさ > そうなんですよーそれでちゃんと働いて、将来のことも考えて、とかいってて。
それでアシスタントもできれば辞めたいっていうんですよ
将来のことって、どういうこと。一人で考えこんでて、梓ちゃんへの返事を忘れてた。慌ててキーボードを叩く。
あずさ > あーすみませんわかりにくくて; ちょっと整理します
あずさ > えっと、翔平くんは春から東京に行くじゃないですか。彼女は神戸で働くので、
遠距離になるそうです。で、翔平くんは、いつか結婚することも考えてるから、
今はがんばって働いて、いつか彼女を呼んで一緒に暮らす、みたいなことを考え
てて。何かあたしもよくわかんないんですけど
つまり、今は働くことに専念して、彼女と結婚する準備をしたいってことかな。翔平くんらしいといえば、翔平くんらしい。真面目で、でもやっぱり何かずれてる。もし私が翔平くんの彼女だったら、絶対に離れたくないって思うよ。就職なんかしなくてもいいし、専業主婦でもいいし、今すぐいっしょになりたいって思うと思う。いつかとか、待てないよ。というか何で東京に行っちゃうのかな、何でそういうこと事前にちゃんと話し合わないんだろ。彼女さんがかわいそうだよね。って、思ったことが、気づいたらそのまま文字になってた。あちゃー、と思うけどもう遅い。
あずさ > そうですよね!! てか結婚するなら今すぐしたらよくないですか? まあそれ
は無理かもしれんけど、お金もないし。でも彼女が神戸にいるんなら神戸で働け
ばいいのに。何か彼女の方は三重県の人で、大学が神戸の大学で、そのまま神戸
で働くらしいんですけど、それで翔平くんは東京に行くとかありえなくないです
か?
きっと、彼女さんは待ってたんだ。でも翔平くんの考えてることも、少しわかった。やっぱりだ。ただ仕事をがんばりたいなんて、やっぱり嘘だった。
あずさ > そうですか? あたしは全然わかりませんけど
あずさ > てか絶対、関係冷え込んでますよね
あずさ > でも彼女のほうも、もっと積極的にいかんとだめじゃないですか? 男の人って、
そういうことにはほんと頼りないから
最近の中学生はませてるなあ、なんて、またおばさんみたいなことを考えてしまう。積極的に、か。難しいよ。アイラブユーが「ありがとう」とか「月がきれいですね」になる国だもん。愛してるとか好きとか、なかなか言えないよ。愛されたいなんて、なおさら。
あずさ > まあ、言葉にするのは恥ずかしいですね〜
彼女さんの気持ち、うまく翔平くんに伝えられないかな。翔平くんの気持ちも、彼女さんに伝えられないかな。梓ちゃんに相談してみる。二人がこのまますれ違ったままなのは、悲しすぎる。私は翔平くんの彼女じゃないけど、彼女の気持ちはよくわかるから。
あずさ > えーーっと。石田さんには何か名案ありますか??
名案なんか何もない。結局、翔平くんにそれとなく教えてあげるしかないのかな。翔平くんの気持ちは、自分で伝えてもらうとして。
あずさ > あ、でも、早く結婚しろみたいなことは、もういってやりました
あずさ > 彼女は結婚したがってるのかなー、みたいなこと聞かれて、当たり前だろって答
えました。で、何かまだうじうじ考え込んでるみたいでした。で、まあ、そんな
感じです
最近の中学生は、と思いかけてやめる。
あずさ > え、なんか変でしたか(**; でも結婚の話とかは友達ともたまにしますよ。
だってあと二年で結婚できるんですよ! すごくないですか??
あずさ > でも本当は、あの先生のことがあったからなんですけど…
ん、前に話してた先生かな。たしか、もうすぐ辞めるっていう。
あずさ > はい、実はその先生、結婚が決まって
やっぱりそうなんだ。結婚退職だ。私の会社でもたまにある、らしい。職人さんと事務の人が、とか。ミカコさんはそれを狙って入社したらしいけど、もう来年でウン十年目とか何とか。バリバリ働く女はモテないとか何とか。いつも愚痴を聞かされてる。
あずさ > いや、何か、仕事辞める決心してよかったっていってました。それで結婚できる
ようになったって。何があったのか全然わかんないんですけど、よく考えたら、
その先生も、翔平くんの彼女と同じなのかなって…ずっと前にもいわれたんです
よ、一人で生きていけると思われるのがつらいみたいな
半透明の色セロハンみたいに、その先生と、翔平くんの彼女さんと、ついでにミカコさんがちょっとずつ重なって、頭の中に一つの像がぼんやり現れた。見覚えがある。誰だろう、これは。
あずさ > 石田さん?
あずさ > おーい
我に返って、梓ちゃんにお礼をする。とにかく、翔平くんの話が聞けてよかった。あとは、彼が戻ってきてくれるのを待つしかない。
あずさ > あの、一個聞いていいですか?
何だろう。
あずさ > 石田さんは、好きな人いますか?
*
南の国で、毎日ぽかぽか、おいしいものをいっぱい食べて、楽しく暮らしていた鳥がいました。代わり映えのしない生活に飽きて、ほかの国を見てみたいと思っていました。そこで鳥は旅の準備をはじめました。口にあまい木の実をいっぱい詰め込んで、ふかふかの木の葉の服を着て、北に向かって飛び立ちました。
空をただよっていた八本足のクモが、こんなことを教えてくれました。
「北の国は毎日ぶるぶる、食べ物もちょっとしかないんだって」
それはたいへんだ、と鳥は思いました。
雪が降ってきました。冷たい風も吹いてきました。鳥は体がぶるぶる震えました。そして地面に落ちて、寒さで死んでしまいました。
そこに、おなかをすかせた北の国の鳥がやってきました。見ると、周りにはたくさんの木の実が落ちています。見たこともない南の国の木の実でした。北の国の鳥はそれを喜んで食べて、死んでしまった鳥にたくさんの感謝をしました。残りの木の実は仲間にあげました。そして、みんなで南の国の鳥のお墓を作りました。
北の国にも夏がやってきて、雪がやみ、少しだけ暖かくなりました。
ある日、北の国の鳥がお墓にやってくると、小さな木の芽がぴょこんと出ています。鳥は考えました。
「これはあの鳥のおなかにあった種が、芽を出したに違いない。でも、またすぐに冬がやってきて、枯れてしまうだろう」
北の国の鳥は悲しくなりました。だって、その芽が南の鳥の生まれ変わりのように感じられたからです。寒さで枯れてしまわないように、昼はおいしい水をあげ、夜は自分の体でやさしく包み込んで一緒に眠りました。
でも厳しい冬には勝てません。すくすく育っていた芽も、どんどん元気がなくなっていきました。北の国の鳥は仲間に相談しました。みんなはこういいました。
「南の国の鳥に、恩返しをしよう」
みんなは風や雪から芽を守るために、協力して小屋を作りました。そして冬のあいだはずっと、かわりばんこで温めました。
何年も何十年もそんなことが続いて、やがて元気な、丈夫な木が育ちました。それが今では毎年たくさんの実をつけて、北の国の子どもたちを喜ばせています。
+++
桜のシーズンが終わって、会社にも新しい子が入ってきて、気づかないうちに季節が変わろうとしてた。翔平くんは、ようやく彼女さんの気持ちと正面から向き合うことにしたみたい。二週間ぶりに来たメールはごくごく簡単なものだったけど、彼が真剣に考えてることは伝わってきた。来年か再来年か、できるだけ早いうちに彼女さんを東京に呼びたいと書いてあった。「彼女にも、そういってみます」。そう書いてあった。
そうだね。翔平くんにはことばがある。こんな、もどかしいメールなんかに頼らなくていい。自分の声で、彼女に思いを伝えられる。それってすごく強い。メールの文字よりずっと強い。早いし簡単だし便利だし、しかも強い。
でも私には、文字と絵しかなかった。それだけじゃ伝えられなかった思いが、たくさんあった。愛されたいのに、それがいえないのは、「愛されたい」って言葉じゃ伝わらないことを知ってるから。
みんな南の鳥だ。翔平くんも、翔平くんの彼女さんも、梓ちゃんの先生も、みんな一人で頑張る人だ。それでいて、あの小さな芽みたいに誰かに守られることを、願ってたんだ。でも守られるときにはもう昔の体はなくて、やっと与えてあげられるようになったときには相手はもういなくて。あのお話みたいに、思いは悲しいほどすれ違うね。
翔平くんへの返事を考えながら、思う。もっともっと言葉が欲しい。自分の気持ちをそのまま伝えられるような。けどそんな都合のいい言葉、辞書にも字典にも載ってない。ならせめて、北の国の鳥になりたい。すれ違ったっていいから、脇役のままでいいから、小さな芽に寄り添っていたい。
だから交渉は続けてくよ、脚本家さん。何回でもお願いするよ。あきらめないよ。翔平くんがいなくなったら、あの人ががっかりしちゃうから。そしたら私、あの人に嫌われちゃうかもしれないから。
翔平くんたち二人の人生が、できるだけ早く交差しますように。
けれど私とあの人の人生は、もう離れていくばっかりなんだ。
キーボードから指を放して、熱くなった目頭を押さえた。他人の幸せが、こんなにねたましかったことはなかった。頭の中で、翔平くんと想像上の彼女さんが手をつないで笑ってる。スーツを脱いだ梓ちゃんの先生が、純白のドレスでバージンロードを歩いてる。
もうとっくに気づいてた。夢を追ってた、わけじゃなかった。働きたかった、わけでもなかった。生きがいなんていらない。栄光なんかもっといらない。一人の人間として、当たり前に生きて、当たり前の世界を持てたらそれでよかった。仕事をするためだけに大人になったんじゃない。普通の幸せがほしかった。それだけでよかった。好きな人の隣にずっといたかった。本当にそれだけだった。
だから私には、会社でみんなと笑う資格もない。絵本作家として生きる資格もない。取材を断る資格もない。翔平くんを引き留める資格もない。梓ちゃんに尊敬される資格もない。
あの人と、対等でいる資格もない。
梓ちゃんの先生と、翔平くんの彼女さんと、ついでにミカコさんを重ねて浮かび上がったのは、誰でもない、自分自身だった。
*
出勤したら、机の上に二つ折りの紙が置かれていた。始業時間にはまだだいぶあるけど、二階からはたくさんの職人さんの気配がする。新人の女の子は、さっそくミカコさんに指導を受けている。かばんを椅子に置いて、立ったまま、何気なく紙を開いてみた。便箋に並んだ丸い文字。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
まほちゃん
こんな形でしかぼくの気持ちを伝えられなくて、申し訳ない。もっとまほちゃんと話をしたいと思っているのですが、ぼくの勉強が足らなくてすみません。
先日作ってくれたホームページ、大大大成功でした。お客さんの評判も良くて、今まで全然知らなかった人や企業さんからも注文が来ています。ぼくは本当にうれしいです。
まほちゃん、最近ずっと浮かない顔をしていますが、大丈夫ですか? もし具合が悪いのなら相談してください。まほちゃんはうちにとってかけがいのない人だから、できるだけ大切にするけど、配慮が足らなかったらごめんなさい。また、ゆっくりお話しできるとうれしいです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
社長の字は下手だけど、几帳面で、温かくて、気づくと私は、くちびるを噛みしめていた。ちょっと目の奥がじんわりした。たまに優しくされると、自分のダメさがよくわかる。はっとして顔を上げたら、ミカコさんが大きな目で私にウインクして、にこっと笑った。
ため息をつく。もう少しだけ、ここで頑張る理由もあるかもしれない、と思った。
いつもの台所で、パソコンの前に座って手をこすりあわせた。ひさびさに寒い夜になった。スリッパを履いても、靴下を二枚履いても、足が冷えて困った。床に霜でも降りてきそう。灯油のないストーブに恨みの視線を送りつつ、メールソフトを開いて宛先をアドレス帳から選ぶ。手が震えてる。寒さのせいだ、と思いながら、タイトル欄に「取材依頼」と打ち込む。書き出しにまず迷った。何度も書いたり消したりして、結局こうした。
こんにちは。
ちょっと重要なお話があります。長くなるけど、ごめんなさい。
この前も連絡したけど、ゆめはるかの絵本を取材したいという依頼が、
雑誌の人から来ました。
先月送ったメールには、まだ返信がない。こんなこと今までなかったのに。忙しいのかな、それとも、何か事情があるのかな。あの人がどう思っているのか、全然わからない。しばらく手が止まる。でも、自分の中の気持ちには勝てなかった。ゆっくり指を動かして、一文字一文字、刻むように言葉を打った。
その取材を、
ゆめはるかとして受けてもらえませんか。
最後の句点を入力したとたん、一気に胸のずきずきが大きくなった。けれど、どこかすがすがしい気もした。そこからはもう、迷いはなかった。
私が行くべきかもしれないけど、最近は会社の仕事が忙しくて、
取材を受けられそうにありません。
話したり聞いたりするのが苦手だから、たぶんインタビューでも迷惑をかけるでしょう。
あなたも仕事で忙しいと思うし、もしかしたら取材とかはいやですか?
でも、雑誌に載れば、もっとたくさんの人が読んでくれると思うんです。
私たちの絵本をもっと広めていきたいという思いが、私の中でも強くなっています。
ゆめはるかは私のペンネームだったけど、それはもう、ずっと昔のことです。
初めて声をかけてくれた時のこと、今でも覚えています。
もしあの瞬間がなかったら、ゆめはるかはいつまでも、夢見る少女のままだったと思います。
本当に、奇跡みたいな出会いでした。
そのおかげで素敵な絵本が生まれました。
私以外のアシスタントも、あなたがゆめはるかとして取材を受けることに
賛成してくれると思います。
無理なお願いだとはわかってます。いきなりでびっくりしたと思います。
でも、少なくとも私にとってのゆめはるかは、あなたです。
ずっとあなたでした。
読み返すこともしないで、送信ボタンを押した。目を閉じて、そっと両耳の補聴器を外す。音のない世界に沈みこんだまま、暗い台所の真ん中で、いつまでもじっとしてた。半分は本当のことを書いた。あとの半分は嘘を書いた。書けなかったことがこの二倍くらいあった。でも、これでよかった。こうでもしないと、ゆめはるかは飛び立てないから。彼女はもう、私が捕まえておけるような人じゃないから。冷えていく指先と一緒に、胸のずきずきが少しずつ消えていく。
バイバイ、私のゆめはるか。
◆第五章 高野 昭二(たかの しょうじ)
――――――――――――――――――
ずり落ちてきた重たい眼鏡を、舌打ちしながら親指で持ち上げる。今朝もコンタクトが入らなかった。数年前に買った安物の眼鏡は、レンズがぶ厚いせいで使い心地がはなはだ悪い。視界が狭くなるし、重みで鼻っ柱がじんじん痛む。それだけじゃねえ。眼鏡をかけた自分のさえない顔を想像して胸くそが悪くなる。とにかく調子は最悪だ。体質のせいか、これまでもコンタクトが入らないことはたまにあった。けど、ここ数日はほぼ毎日だ。いったいどうなってんだ、畜生。
「あっちが大島編集長のデスクっす、上がった原稿とかはこのへん置いといたらええと思います。あ、あと電話鳴ったら出てくださいね。電話大丈夫っすよね? いやーおれもここ入って二年目で大変なんすけど、まあ、えっと高田さんでしたっけ、高田さんもじきに慣れますって」
高野です、となるべく普通の声色でいう。聞こえなかったのか、前髪を妙な形に垂らした男は編集室の案内を続けている。二年目っていったか。たぶん大卒だろう。じゃあおれより二十も年下だ。そんなやつに教えてもらうこと自体いらいらするのに、何なんだこの態度は。それでも平静を装って相槌をうつ。入社して早々、トラブルを起こす気はない。これでも大人になったつもりだ。
帰ってきた大島編集長に挨拶をする。雑誌の内容から予想はしてたが、やっぱり女だ。おれと同年代か少し下、ってとこか。化粧は濃いし、いかにも高慢ちきな顔をしてやがる。
「きみが高野くん? 編集長の大島です。これからよろしく」大島はデスクに座って、手元の書類にペンを走らせはじめる。「『リード』の編集者やったこともあるんやってね? 期待してるから」
忙しいのか知らないが、話すときくらいおれの顔を見ろ。
「その経験をここでも十分に生かしてちょうだい。わからんことは梶原くんに聞いて。あと最初の仕事はこれ」乱暴にクリアファイルを手渡される。「五月号の記事。とりあえず目通して、先方にアポとってちょうだい。締切厳守やから、ちゃんとそれに間に合うように。まあ経験あるし大丈夫か」
そういうが早いか、どこかに電話をかけて猫なで声で話しはじめる。ファイルの中にちらっと目を通す。どうやら記事を任されたらしい。雑誌『おやこの友』云々。何がおやこの友だ。
振り返ると、前髪の野郎がにこやかにおれを見ていた。何か聞きたいことはありませんか? そんな顔だ。そんなもんあるか。便所、と一言だけいって脇を通り過ぎる。とにかく外の空気が吸いたかった。
「あっ、トイレは廊下の突き当たりを」
「それくらいわかる」思わずでかい声を出していた。
編集室の連中が全員こっちを見た。
「高野くん、お茶お願いしていい?」大島の声。
一瞬、呆気にとられたが、平静を装って返事をし、部屋を出る。煮えあがった頭を冷ますように、早足で廊下を歩く。何でおれがこんなこと。女性向け雑誌に嫌気がさして転職したのに、またこんな仕事だ。何が経験だ。何が経歴だ。やりたくてやってたわけじゃねえ。
前髪が給湯室の場所を教えてくれた。
「いやー何か申し訳ないっすわー、本当はおれの仕事なんすけど、一応、高田さんが後輩ってことになるんで……すいません」
もう黙れお前。急須にティーバッグを二、三個ぶち込んで、ポットの湯をどばどば注ぐ。前髪が何かいいたそうにうろちょろしてたが、面倒くさいから完全無視して用意を進める。何年振りだ、こんなこと。ある程度覚悟はしてた。仕事だと割り切ることもできる。ただ、体がついて行かない。自分が年をくってしまったことを、感じずにはいられなかった。
どうにか初日の勤務を終えてビルを出る。異様に肩が凝っていた。ジャケットを脱いで、ネクタイもはずす。まだ二月なのに、都会の夜は暑苦しい。気温じゃなくて雰囲気だ。田舎から出てきた自分には特にそう思える。スーツの男たちが働きアリみたいに歩道に群れている。大阪は嫌いだ。こんなよどんだ空気の中で、よくもまあ働いてられるもんだ。
満員の環状線でもみくちゃにされて、家に帰ったのは八時を過ぎていた。残業なしで帰ってきた割には遅くなった。居間をのぞくと、明美が一人でテレビを見ていた。
「希は?」
おれがそう聞くと、明美はびくっと肩を震わせて振り返り、「何や、帰ってたん」とそっけなくいった。「早く着替えてご飯食べて」
「希は?」もう一度娘のことを尋ねる。
「塾」
そうか、今日は塾の日だったか。確かそろそろ迎えに行く時間のはず。「迎えに行こうか?」
「あんたは何もせんでええ!」ヒステリー気味の声が返ってきた。
それきり、明美はもうこっちを見ようとしなかった。舌打ちして、奥の部屋に引っ込む。何なんだあいつは。自分ひとりで希を育ててるつもりか。収入もないくせに。おれの金で食ってるくせに。塾の金だっておれの給料から出してやってんだろう。なのに何だ、あの態度は。脱いだシャツと靴下を洗濯機に投げ入れる。希には、あんなふうに育ってほしくないとつくづく思う。
飯を食ったあと、ぼんやりする頭でラジオを聞く。本当はテレビを見たいが、居間に入れば明美にゴキブリでも見るような目で見られる。テレビ、もう一台買うか。今の仕事が落ち着くまでは無理だが。そこで、今日大島から任された仕事を思い出した。アポ取れとかいってたか。あの女の話し方、思い出すだけで虫唾が走る。そう思いながら、気乗りしないまま腕を伸ばして、クリアファイルをかばんから引っぱり出す。
机の上の写真が視界の端に入って、しばらく動きを止めてそれを眺める。小さな額に入れて並べてあるのは、どれも娘の写真だ。生まれたばかりの時から小学校低学年くらいまで、一枚一枚、大切に撮ってきた中の、さらに自信作だ。どの写真の希も、ほんのうっすらと笑みを浮かべて、カメラの向こうを見つめている。
希はこの春で中学生になる。おれも職場を変えるなら今だと思った。去年の夏ごろから転職活動を始めて、首尾よく年度内にあの出版社に入ることができた。けど、ふたを開けてみればこのざまだ。いずれ希望の部署に異動させてやるとはいわれたが、実際はどうだか。
ファイルの中身は簡単なものだった。記事の概要を書きつけたものと、若干の資料が入ってるだけ。まあこんなもんだろう。あとは足で稼げ、ってか。
絵本の取材。思わず鼻で笑ってしまう。おれも落ちぶれたもんだ。ずり落ちてきた眼鏡を、机に叩きつけるように置いた。
*
一人で寝て、一人で朝飯を食うようになってからもう何年になるだろう。おれがそうしたかったわけでもないし、娘がそう頼んだわけでもないんだろうが、ある日ベッドが狭い部屋に押し込められていて、ラップのかかった朝飯が部屋の外に置かれるようになって、いつの間にかそれが普通になった。たまに居間や台所に入れば明美がヒステリックに怒りだす。小さな自室と風呂と玄関を往復するだけの毎日で、気づけば家族の会話も皆無に近い。世にいう家庭内別居ってやつだとはわかったが、わかったところでどうしようもない。
台所のほうから、明美と希の話し声が聞こえてくる。
「お父さん、転職できたん?」
パンをかじる手を休めて耳をすます。おいおい、転職先が決まったのはとっくの昔だぞ。おれはいい忘れてたかもしれないが、父親の仕事のことくらい、いくらでも話す機会はあるだろうに――。明美がどんなふうに答えたのかは聞こえなかった。希の声も聞こえなくなった。何なんだ畜生。
ピーピーうるさい電子音が響いて、肌があわ立つ。明美のスリッパがぱたぱた駆けていく。洗濯が終わったらしい。ゆっくり頭を振った。あの音はどうも苦手だ。昔から耳が敏感すぎて、不快な周波数まで拾っちまう。四十過ぎてから多少ましになったが、それでも音によっては今でも頭が痛くなる。馬鹿げた例えだが、頭の中にたくさんの小人がいて、そいつらが騒ぎだして頭蓋骨を殴ったり蹴ったりするような感覚に近い。
希がかちゃんと箸を置いて、席を立ったのがわかった。おれの耳はまだまだ健在らしい。一人で舌打ちする。さっきの明美の答えは、聞こえなかったんじゃない。あいつはそもそも答えてねえんだ。
かなり周波数の高い悲鳴が、おれの耳を突き破った。あまりの衝撃に視界が揺らぐ。小人たちが相当激しいステップを踏みやがった。床に手をついて荒い息をしながら、また舌打ちをする。しまった。洗濯物だ。
近づいてくるスリッパの音。開かれるドア。
「あんた! あんたの服はかごに入れといてって、何回いったらわかるんよ! いっしょに洗ってもたやないの。また洗濯し直さな……」
半泣きで部屋の前に立つ明美。濡れたままのシャツや下着が投げ込まれる。恨みのこもった視線を残して、乱暴にドアが閉まった。おれはそのドアをまた開けて、廊下に出る。
「ちょっと間違えちまっただけだろうが!」
目の前にいたのは希だった。ちょうど洗面所に向かうところだったらしい。おびえた目でおれを見上げる。言葉に詰まって、しばらく立ち尽くしていた。「ごめんな」と、一言だけ声をかける。
「希!」針のような明美の声。
希は無言でおれの脇を通り過ぎていった。
こんな生活が普通のはずはない。どこかで歯車が狂ったらしい。それはわかる。でもどうしてだ? 全部おれのせいか。だとしたら、どうすればいい。このままでいいはずがない。明美だってそう思ってるはずだ。
「いつまでそこに立ってんのよ!」
明美が台所からこっちを見ている。畜生。このままじゃだめなんだ。希がかわいそうじゃねえか。
「何よその目は!」
手に持った何かを投げつけてくる。廊下に派手な金属音が響きわたる。部屋に戻って書類とネクタイをかばんに詰め込んだ。玄関に向かう。革靴に足を突っこむ。朝日を受けて、眼鏡の汚れが白く光って視界をふさぐ。今日も、コンタクトを入れられなかった。
*
出勤早々、例の前髪がおれに声をかけてきた。
「あ、高田さん? これどーぞ」手には大判の本のようなものを持っている。何だこれ。絵本か。よくわからないまま受け取った。
「本当はもうちょっと早く渡さんとだめだったんですけど〜。すいません」
おれの視線に気づいたのか、前髪は説明を始めた。「あ、これあれです。高田さんが受け持ってる記事の。五月号で特集する絵本っす。ほら、昨日編集長にアポ取ってっていわれてたじゃないっすか」
落ち着きのないやつだ。何かいうたびに手や体がくねくね動く。そして声が大きくて耳障りだ。若いやつ特有の真面目くさった感じがないのがまだ救いだが。ほかの人間に聞かれたくない話題なのか、だんだん声が小さくなっていく。それでもやっと人並みくらい。つまりうるさい。
「すいません、おれがこの絵本取り寄せて、高田さんに渡すことになってたんですけど。昨日まで忘れてて。はは。昨日走り回って探してきました。ははは。あ、これ一応借り物なんで、できればすぐ返してくださいね」
呆れながら本を裏返すと、油性マジックででかでかと病院名が書かれていた。
「自費出版だったか」資料の内容を思い起こす。
「そうっすね」
「よくできてるな」とつぶやきながらページをめくる。触れた瞬間わかった。いい紙を使ってやがる。
ハイヒールをかつかつ鳴らして、大島が部屋に入ってきた。入って来るなり周りのやつらに指示を飛ばしている。前髪はおびえたような仕草をして、「じゃそういうことで」と自分の席に戻っていった。その様子が、どこか今朝の娘に似ていた。
慌ただしい朝の編集室を尻目に、絵本に目を通す。インクの発色がいい。誤字脱字、表記の揺れもない。職業柄そういうところばかり気になるが、それでも、鮮やかな絵や柔らかな文章には心を引かれずにいられなかった。たしかに才能はある。それは素人目にもわかる。だが、だからこそ、気に食わない。
インテリのお嬢様、ってとこか。表紙の名前を眺めながら、ぼんやり考える。そこそこの教育を受けた、肌の白い、親の金で生活できる身分の若い女だろう。人当たりはいいが、わがままで、一皮むけば何が隠れてるかわからねえ。どこにでもいる、めんどくさい女。
それでも仕事だ。仕方ない。気乗りしないまま、連絡先を探す。たしか大島に渡された資料の中にはなかった。この絵本には? そう思って奥付を確認する。あった。著者連絡先、とあってメールアドレスだけが印刷されていた。舌打ちする。住所か電話番号くらい載せとくもんだろ。最近の若いやつは、メールだけで何でも済ますのか?
何にせよ、電話くらい入れないとこっちの義理も立たない。本当にめんどくさいお嬢様だ。編集室を見回して、前髪を探す。少し離れたところで、ほかの同僚と何か話していた。
「おい!」あいつの名前何だったか。わからないから数回「おい」を繰り返したら、ようやく目が合った。
「この病院どこだ?」絵本を振りかざして聞く。
「あ、いいっすよ、おれが返しとくんで……」
わかんねえやつだな。いらいらしながらも手短に説明する。ようやく病院の場所を聞き出したころには、大声の会話が全員の視線を集めていた。大島が無言の圧力を送ってきやがる。お茶、といわれる前に急いで編集室を出た。外に出る用事ができて好都合だった。
前髪に絵本を貸した看護婦は非番だったらしく、いきなり絵本を持って現れたおれを、変なものでも見るような目でじろじろ見るやつが多かった。それでも根気よく聞いているうちに、ようやく、絵本を売り込みに来た人間を知ってる看護婦が見つかった。高校を出たばかりだろと思うような若い女だったが、要領よく丁寧に話してくれた。こういう時は若いやつのほうが話が分かる。
数か月前に営業に来たという女の名刺を持って来てもらう。遠目に見た瞬間妙だなとは思った。その原因はすぐにわかった。名前のすぐ上に、大きく「聞こえません。筆談でお願いします」と印刷されてあった。
「耳の不自由な人だったんですか」さすがに驚いて、看護婦に聞いてみる。
「はい、でもすごい話しやすい人で、普通な感じでした。あ、話すっていっても、筆談ですけど」
住所は京都。京都からここまで? 信じられないまま、名刺の裏表を確認する。電話番号は当然、ない。
名刺を預かって病院を出る。喫茶店のソファにもたれながら、考えを巡らせた。住所はわかったから、番号を調べることもできるだろう。ただそれでも、相手と話せないんじゃ意味がない。第一、この石田って女が、ゆめはるかとどういう関係があるのかもわからない。まさか本人じゃねえだろう。
自然と耳に入ってくる周りの会話を、聞くともなしに聞く。なるほど今まで意識したこともなかったが、この世界には、電話のできない人間もいるわけか。
それから市内のいくつかの病院を回ってみたが、最初の病院で得た以上の情報は得られなかった。少なくともこの周辺で、営業してるのは石田っていう女一人らしい。むなしく数日が過ぎた。仕方ない。お嬢様相手に、あんまり気をつかうのも馬鹿馬鹿しい。連絡先にアドレスしか書いてねえんだ。あっちもそれで問題ないと思ってんだろ。半ば捨て鉢になって、とりあえずメールを送った。三月の初め、ちょうど季節外れの大雪が降って、ビルの森が真っ白に染まった日だった。
*
積もった雪も翌日には消えて、一気に春が近づいたように暖かくなった。休日の公園には人が群れている。きらきらした水をふき上げる噴水をファインダーに収めつつ、いい構図を探して動き回る。よその子どもが間に入り込んだところでシャッターを押した。確かな手ごたえ。何ともいえない満足感が胸の中に広がる。望遠でも撮ってみるか、と思ってレンズを替えようとしていたら、そばを通りかかった男がこっちを見ているのが目の端に映った。何だ、早くどっか行け。
たぶん何百分の一ミリ単位の精確さなんだろう、かちりと微かな音を立ててレンズがはまる。目を上げたら、男はまだそこにいた。
「あ、えっと、高田さん?」
見覚えのある前髪。
「あーやっぱり! 今日は眼鏡ちゃうんですね?」
瞬間、嫌なやつに見つかったなと思った。会社の若いやつだ。いつもの前髪をぶらぶら揺らしながら近づいてくる。ギターケースらしい、黒くて大きなものを背負っている。服装もラフだ。こいつも今日は休みか。軽く手をあげて応じる。あれ、こいつの名前何だったか。
「うわ、何か高そうなカメラっすね。取材っすか?」
さっきレンズ交換に熱中してたのを見られたか。いやその前から見られてたか。気まずく思いながら、若いやつの手前、それなりの威厳を取り繕って答える。「いや、まあ趣味だな。今日は仕事は関係ない」
「まじっすか。え、でも仕事でも使うんすよね? おれもこういうの持ってるんですけどー」といいながら、ポケットからコンデジを取り出す。休みでもカメラは持ってるんだな。意外と感心なやつだ。
「安物っす」とへらへら笑う。
確かに見たところ、おれのカメラのほうが二十倍はするな。いや最近のデジカメは安くなってるから、もっとかもしれない。レンズも含めたら、それこそ目の回るような値段になる。ほかの人間から見たら馬鹿馬鹿しいのかもしれないが、自分ではいい金の使い方だと思ってる。
「何か、カメラマンさんが持ってるみたいなカメラっすね」
当たらずとも遠からず。まあ、普通の雑誌カメラマンとは方向性が全然違うわけだが。
「撮ってやろうか」といいながらさっさとレンズを替える。
「まじっすか。いいんすか」
カメラを構え、ちょっと緊張している前髪の顔をファインダーの中に収める。
「えっと、どうしたらいいっすか。ポーズとか」
「そのままでいい」
ぶっきらぼうに命じる。
人の顔を撮るのは何年振りだろう、とふと思った。希の笑顔を撮れなくなって、もうどれくらいになる? あの魔法のおまじないで、希はいつも少しだけ笑ってくれた。泣いてる時も怒った時も、いつもファインダーの中でちょっぴりの笑顔を向けてくれた。あの笑顔を、あの目を、もう何年見てないだろう。あのおまじないは、まだ効くんだろうか。
「撮れましたか?」
そう聞かれて、急に現実に引き戻されたような気がした。ああ、と生返事をする。
「現像できたら渡す。今、時間あるか?」
前髪を誘って、公園の端にある自販機に向かう。別にそうしたいわけじゃなかったが、成り行き上仕方がない。千円札を入れて、いつもの缶コーヒーのボタンを押した。それからわずかに首を動かして、前髪に聞く。「何がいい?」
「あっ、じゃあ、同じので。ありがとうございます」
缶コーヒーが好きとは珍しいな。遠慮して同じものにしただけか? いや、さすがにそこまでの考えはねえか。
「いやー苦いっすねー」前髪は一口飲んで顔をしかめている。
「好きなんじゃねえのか」
「いや、たまには新しいのに挑戦しよっかなと」
じゃあ普段は何飲んでんだ、と聞いたら、炭酸系っすね、という答えが返ってきた。挑戦か。手に持った缶を見下ろす。ここ十年くらい、自販機ではこれしか買ってないような気がする。
「高田さん」前髪に袖を引かれる。何かと思えば、自分たちの後ろに女が一人立っていた。順番待ちをしていたらしい。全然気づかなかった。前髪が愛想よく笑いかけ、「すいませんどうぞ」といいながら場所を譲る。女もにこにこしながら応じる。
「知り合いか?」
「え? いや、違いますけど」
知らない奴にへらへらしてどうする。舌打ちしながら、缶の中身をぐいとあおった。
*
「ありがとうございました。高田さんがあんなズバって頭下げてくれへんかったら、おれ、ちゃんと謝れてなかったっすわ……」
隣の席で、前髪が神妙にうなだれている。夜も更けてきて、店の中は背広姿のサラリーマンでごった返していた。よくあるミスだった。連絡の不備で先方に迷惑をかけた。責任者は前髪だったが、おれも関与していた仕事だったから謝罪に付き合わされるはめになった。その先方というのがまた面倒なやつで、なかなか納得しようとしない。こっちに非があるとはいえ腹立たしい限りだった。世の中には良心のかけらもないようなのがいる。嫌な日だった。重たい眼鏡をかけずに済んだのが、せめてもの救いだった。
帰り際に大島からハッパをかけられた。特に例の絵本作家の特集について。受け持った仕事は不備なくこなせ、とのことだ。前髪がミスして焦ってやがるな。心の中では笑ってやったが、正直、絵本の仕事については少し不安になった。メールを送ってからいまだに返信がない。ちゃんと届いているはずだが。まだアポすら取れてないのは、かなりよろしくない状況ではある。やっぱり電話番号調べて、無理にでも連絡取ってみるか。
前髪はひどい落ち込みようで、さっきからしきりに反省の弁を口にしている。案外真面目なやつだなと思った。おれが若い頃は、そこまで仕事に気をつかわなかった気もするが。
「形だけでいいんだからよ。頭ぐらい、いくらでも下げてやれ」
惣菜をつつきながら妙なアドバイスをする。
「はい」
「土下座の練習くらいしとけよ」
「……やったことあるんすか?」
「さあな」
ビール瓶を持ち上げて、ほとんど減っていなかった前髪のグラスに注いでやる。おれだってまだ、そこまで大人になれたわけじゃない。もしクレームを受けたのが自分で、前髪がいなくて自分一人で謝罪に行っていたとしたら、どうなってたことか。また転職するはめになってたかもしれない。それは冗談だが、四十過ぎても、四十五を過ぎても、年を取ったという感覚はあまりない。
それでも、年を取って変わったことも確かにある。
「まあ子どものこと考えたら」酒のせいか、普段より舌が回る。「たいがい何でもできるよな」
「子どものためなら何でもできる、的な?」
おう、とうなずくと、前髪はヤバとかパネとかを連発した。
今回の転職は、最後のチャンスだと思っている。希ももう中学生だ。高校、大学、これからどんどん金がかかるようになる。おれが腰を落ち着けて、しっかり稼いでいかないと駄目だ。女の子だ。精神的には父親から離れていくんだろうが、せめて経済的な面での援助はできるだけしてやりたい。
「そういえば高田さんって、こっちの人と違いますよね」ふいに聞かれる。
「わかるか」
「わかりますよ」前髪は笑う。「標準語しゃべってますやん」
「こっちに来て一番驚いたのはそれだよな。まさか、標準語しゃべってて馬鹿にされるとは思わなかった」
「はは。関西っすからね。いただきまーす」前髪は皿に箸を伸ばして、タルタルソースのたっぷりかかった唐揚げを小皿に取った。ようやく元気が出てきたらしい。「東京っすか?」
「生まれは埼玉。こっちに異動になったのが、もう十五年ぐらい前になるか」
「えー。単身赴任っすか」唐揚げで口の中をいっぱいにしながら、前髪は目をむく。
「いや、その時はまだ結婚してなかった」
「え、じゃあ奥さんこっちの人なんすか?」
「そうだな。職場結婚だな。前の会社で会った」
オレンジ色の照明の中で、小皿のへりがつやつや光る。コンタクトが乾いてきて、目の前がかすむ。意識的にまばたきをした。こんな男に、おれは何を話してるんだ。
「いやー意外っす。てか、高田さんが結婚してたこと自体意外っすね」
「何でだよ」
「なんか風来坊って感じじゃないっすか、高田さん」
ふっ、と鼻で笑う。おれは色んなしがらみに縛られた人間だぞ、という言葉が、のど元まで出かかった。ビールを一口飲む。何が風来坊だ。ずっと同じような仕事を続けてきた。飲むものといえばビールとコーヒー。歳だけは律儀に毎年変わりやがる。それでも、そういわれて、子どもみたいに喜んでいる自分がいた。
「奥さんはまだ仕事されてるんすか?」
「結婚して退職した」手短に答える。
「へえー。どうなんすかね、今どき、働いてる女の人も多いっすけど」
「おれの若いころから多かった」
「そうっすか。でもしんどいっすよね、働くって」皿に盛られた唐揚げを、前髪はもうほとんど制覇しかけていた。しなびたレタスにじっと視線を注ぎながら、前髪はよくわからないことをうだうだいった。酔ってやがるな。仕事が大変か。笑わせんな。
「新卒で出版社に入ってんだ、お前もその意味じゃエリートだろ。自覚持てよ」
二十年前の自分に説教しているような気がした。
いや、今の自分にも。
帰ると家は真っ暗だった。明美も希ももう寝ているみたいだった。ひさしぶりに飲んで帰った。熱でもあるのか、疲れもあるのか、頭がくらくらする。脱いだ服を洗濯機に投げ入れて、さっとシャワーを浴びる。布団に倒れ込んだ瞬間、もう眠っていた。
*
明美の怒声が家の中に響きわたった。何事かと思って部屋を出てみると、なぜか洗濯機の前で地団太を踏んでいた。泣きながら、拳で何度も洗濯機を叩いている。
「おい、どうした」さすがに心配になって尋ねる。
「何回いったらわかるんよ!」
針金のような声に、耳の奥がキーンとする。小人が一列になって走り回る。
「何回いったらわかるんよ!」
明美は洗濯機を叩き続けている。大きな音が響く。近所に聞こえはしないかとひやひやした。「おい、やめろ。何してんだよ」
「早く取ってよ!」明美が洗濯機の中を指さしながらわめく。「は、や、く!」
見てみると、そこには昨日投げ入れたおれの服が、しわくちゃになってほかの衣類とからまっていた。ああ、またやっちまった。急いで取ろうとするが、かたくなにからまった洗濯物はなかなかほどけない。
「もうええわ、もうええ!」明美に怒鳴られる。
大人しく退散して、部屋に戻る。のろのろと会社に行く準備を始める。
ネクタイが一本、ない。明美に聞くか。いや、今はやめとくか。そっとドアから顔を出してのぞいてみた。台所にはいない。寝室の中か。さっきのこと、ちゃんと謝ったほうがいいのかもしれない。親がこんな状態だと、希もかわいそうだろう。明美には、それがわかってるのか。子どものことを第一に考えるのが親だろうが。
寝室のドアをノックする。声もかけてみる。返事がない。ここでもないか。首をかしげながら開けてみた。耳をつんざく悲鳴。意識が飛びそうになる。小人がぶっ放したファンファーレが、頭の中でいつまでも鳴り響く。痛みに耐えて顔を上げると、明美が立っていた。はさみをおれのほうに向けていた。
「何よ!」明美が声の限りに叫ぶ。
「いや……ネクタイ」
「それが何なんよ!」
「そんな大声出すなよ。希も聞いてるだろ……」頭を抱えながら説得を試みる。だが、逆効果だった。
「あの子のこと、口にせんといて!」
明美の目の色が変わった。はじめて恐怖を感じた。獣のような目だ。殺されるかもしれない、と思った。明美が手に持ったはさみをふりかざす。とっさに身構える。はさみがベッドに突き立てられた。何度も、何度も。朝日の光線の中で、ほこりがもうもうと舞う。
「気づいてないんやったら、いうといたるけどねえ」荒い息の下で、明美がいう。「あんたのこと、父親とは認めてないんよ。一回も認めたことないんよ! あんたのせいで、あたしがどれだけ、苦労してると思ってんのよ!」
「苦労って……」
絶句した。意味がわからなかった。だって、家に生活費入れてるのはおれじゃねえか。お前や希が生きていけるのはおれのお蔭じゃねえか。
「何が気に入らねえんだよ」呆然としてつぶやいた。帰りが遅いことか。洗濯機に服を入れることか。ほかには? それだけか? それだけのことか?
「あんたといてたら息がつまりそうで、生きていけへんのよ!」
何がいけないんだ?
明美のゆがんだ目が、おれの背後の何かをとらえた。はっとして振り返る。ドアの隙間からのぞく、小さな目。その目は――希、と叫んで明美が駆け寄る。人形のようになった希の顔が、明美の体に隠れる。明美は泣きだした。
「行こう、もう行こう、こんなとこ出て行こう……」
二人は寄り添いながら廊下を歩いていった。角を曲がって視界から消えた。ほどなく、玄関のドアが開き、閉まる音がした。二人分の足音が遠ざかっていった。
*
家で何が起ころうと、目の前に仕事はあった。とりあえずこなした。意外と問題なくできるもんだな、と最初は思った。ただ、やっぱりというか、そんな状態は長く続かなかった。こういうのは遅効性の毒みたいに、じわじわ効いてくるもんらしい。明らかにミスが増えた。作業も遅くなった。前髪にも心配されるようになった。仕事は仕事と割り切ったつもりだったが、体のほうは正直だった。
桜前線が日本列島を駆けぬけて、世の中がしばらく浮かれ気分で騒ぎまくり、年度末と年度初めのごたごたも過ぎ去ったあと、アシスタントの石田、と名乗るやつからメールが届いたのは、四月も中旬になったころだった。ちょうど明美から離婚届が郵送されてきた日だった。ゆめはるか、ああ、例の絵本作家か。アシスタントがいるのか。結構なご身分だ。そんなことを考える。メールに目を通して、取材を了承する旨を確認して、返信しようとして、そこではっと動きを止める。妙な寒気が、頭の先からすっと背中を伝っていった。編集室のざわめきが、どこか別世界の出来事のように思えた。確かこれ、来月号の記事じゃなかったか? 締切はいつだ? 慌ててかばんの中を引っかき回し、角の折れたクリアファイルを取り出す。おそるおそる書類をめくっていく。締切は。今度は胸のあたりから、相当な量の血液が体の中を駆け巡っていった。「四月十四日(月)」。何度見ても間違いじゃなかった。四月十四日。今日は……絶望に似た気持ちで、腕時計の日付表示に目をやる。十二日、金曜日。
高野くん、と声をかけられて、反射的に振り返る。大島が立っていた。じっとりした目で、こっちを見下ろしている。
「週明けには原稿上げてもらうけど、来月号の特集、大丈夫そう?」
すぐには言葉が出てこない。あ、えっと、としどろもどろでつぶやきながら、何とか取り繕えないかと頭をフル回転させていた。顔が熱を持ってくる。眼鏡が、ず、とずり落ちる。無意識にそれに手をやりながら、できるだけ落ち着いた声で答えた。
「大丈夫です」
「原稿は出来てんの? もうだいたいは終わってるん?」
「はい、絵本のブツ撮りとか、紹介文とか」
「インタビューは?」
絶句した。ここはどうするか。こめかみのあたりを汗が伝う。いつもならこんなミス、あるはずがない。まともな精神状況なら――。
「高野くん?」まるで教師が詰問するみたいに、大島がじっと見つめてくる。
「申し訳ありません」早口で話す。「先方との連絡がうまくいかなかったので、それで、インタビュー記事はまだできてません」
「どういうこと? 取材自体は終わってる? まさかまだアポも取ってないわけと違うでしょ?」大島の口調も尖ってくる。
アポは取れました、とさりげなく嘘をつく。「インタビューはこの週末に終わらせます」
はあ、と大島が息を吐く。「あっそう。ああ、カメラマンの手配はできてるわよね? 大きく写真も載せるって、企画書に書いてあったでしょ」
「はい」
「誰に頼んだの?」
心の中で舌打ちをする。「あ、いや、急に日取りが決まったので、まだ頼めてません」
大島が爆発した。
「何やってんのよ! 間に合うわけないやないの!」
怒声が矢のように浴びせかけられる。深刻そうな顔でうなずきつつ、嵐が去るのを待つ。きいんとした金属音が頭の内側を反響し続ける。小人のやつら、フライパンでも叩いてやがるな。聞いてたまるか。努めて耳の感度を下げようとする。辛抱だ辛抱だ辛抱だ。もうすぐ終わる。もうすぐ。もうすぐ。
「あの、写真のことやったら、大丈夫やと思いますよ」
声が割り込んだ。大島と同時に、そばに立っていた男に目をやる。思わずぽかんと口が開いた。あろうことか、フォローに入ってきたのは前髪だった。ひょろっとした体を少しかがめて、おずおずという感じでおれたちを見ている。やめろ! 来るな。あっち行け。目で必死に訴えるが、前髪はまったく気づかない。
「大丈夫って、どういうこと?」大島が冷たい声で尋ねる。
もしかしてこいつが手配してくれたのか? 一瞬、馬鹿みたいな淡い期待を持ってしまった。
「いや、高田さん、カメラ得意なんで、高田さんが撮ったら大丈夫なんちゃうかなって」
唯一幸いだったのは、先方が思いのほか好意的で、取材日程がスムーズに決まったことだった。一か月も返信しなかったくせに。そんな愚痴をこぼしても仕方ない。とにかくインタビューは翌々日の日曜、午前中ということになった。それから記事を書けば何とか間に合う。できるだけポイントを絞った質問をして、さっさと切り上げれば文字起こしの負担も少ない。過密スケジュールの最たるものだが、とりあえずの目途はついた。
「本当におれが撮るのか」
喫煙室から戻る途中、ぼそりとつぶやいた。一応休日だから、ビルの中はいつもより静かだ。
「今さら何いってんすか」隣を歩く前髪が能天気な答えを返して、炭酸の缶をぷしゅう、と開ける。こいつのせいで、大島の説教が二倍の長さになったことは確実だ。あげくの果てには「勝手にしろ」と、半ば見放された形になった。
「仕事はバリバリできる人なんですけどねえ」前髪がつぶやく。その会話はそれきりになった。手に持った冷たい缶が、しずくをぽたぽたと落としていた。前髪が買ったのと同じ、エナジー何とかとかいう炭酸飲料だった。もう失うものは何もない気がした。
小さな会議室に陣取って、しばらく二人で黙りこむ。エアコンの音だけが静かに響いていた。カメラを調整しつつ、手持ちぶさたに携帯をいじっている前髪を盗み見る。別に頼んだわけでもないのに、インタビューの準備を手伝うといって聞かなかった。罪滅ぼしのつもりか。それとも懐かれたか。どっちでもいいが迷惑だ。
「あとはおれの仕事だし、もう帰っていいぞ」
「あー、はい」前髪が目を上げる。「ゆめはるか先生が来たら帰りますんで」
「何でそれまでいるんだよ」
前髪は遠慮がちに笑った。めずらしく、若い人間に特有の、おどおどした弱さみたいなものが垣間見えた。「いや、何か気になるんで。ちょっと会ってみたいなって」
ふんと鼻を鳴らす。「どうせ写真が載るだろ」
「まあ、そうなんすけど。どうなんですかねー、美人なんですかねー。若い人なんですよね?」
こいつ、一体何を期待してやがる。
「知らねえよ。ばばあかもしれねえぞ。まあ、若くても面倒くさいお嬢さんだろうよ」
「何でそんなことわかるんですか?」
答えるのもおっくうで、黙ったまま眼鏡をずり上げた。ちょっとエレベーターのほう見に行ってきます、といって前髪は部屋を出ていった。時計を見る。十時十五分前。そろそろ時間か。インタビューの場所、つまりこの会議室の場所は伝えてあるから、早ければもう来るかもしれない。出迎えに行くか、と思いながら腰を上げた。そのとき、ドアが開いて前髪が顔をのぞかせた。
「ゆめはるか先生、いらっしゃいました」
早いな。そう思ったが、それより前髪の明らかに困惑した声音が気になった。その顔もすぐに引っ込んで、こちらです、という声とともにドアが大きく開けられる。前髪に案内されて客が入ってくる。
はじめは何かの間違いだと思った。
小さなガキが入ってきたようにしか見えなかった。
整然とした会議室に、Tシャツにジーンズという服装がちぐはぐだった。野球帽を脱いで、額にかかった髪を申し訳程度に整えてから、そいつはおっかなびっくりといった様子で頭を下げた。前髪とさっと視線を交わす。本当にこれが作家先生か? 前髪はうなずくような、首をかしげるような微妙な反応をした。おいどっちだ。
視線を戻すと、そいつがまともにおれの顔を見上げていた。目が合った。強い目だなと、直感的に思った。どこかで見た目だなとも思った。その口から出てきた声は、妙に高かった。
「ゆめはるかです。よろしくお願いします」
*
前髪が廊下を去っていく足音を聞きながら、向かいに座ったそいつをそれとなく観察した。背が低く、華奢で、全体的に体の線が細い。だが、少し赤みの差したほおのせいか、黒目の大きな目のせいか、顔だちはいきいきとして見えた。
用意していた紙袋をそばの椅子から持ち上げ、机越しに相手に差し出す。白い机に袋の紫色が映える。
「今日は、こちらの勝手な都合に対応していただき、誠にありがとうございました。今後はこのようなことがないよう努めますので、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします」
丁寧な口上を並べ立てると、相手はふいをつかれたようにぽかんとなった。ぎこちなく頭を下げて、紙袋を手に取る。途端に「うわーこれ高いやつ」と唐突な言葉を発する。
女みたいな男だな。紙袋を持つ細い指を眺めながら、そんなことを考えた。しかし、まさか男が来るとは思わなかった。ゆめはるか、というペンネームだから、てっきり女だと思ってた。かなり気をつかって菓子を選んだのに、拍子抜けというか何というか。まあいいか。こいつも見たところ、あっち系か何かかもしんねえし。
ドアが開いて、盆を持った前髪が入ってきた。レストランのウェイターさながらの動作で、机の上に椀と茶菓子とを並べていく。人は見かけによらない。何とおれにも用意してくれていた。今日はこいつ、いったいどうした。まじまじと見つめていたら、前髪はおれに意味ありげな目配せをして、向かいのゆめはるかにニコニコ笑いかけた。「どうぞごゆっくり。ぼくはこれで失礼します」ゆめはるかもおずおずと会釈を返す。前髪は盆を小脇に抱えて部屋を出て行った。
しばらく沈黙が戻った。とりあえず茶を勧めてから、用意していた書類とICレコーダーを取り出す。「インタビューを録音させていただいてもよろしいですか?」
えっ、と相手は意外そうな顔をして、「何でですか?」と聞いてきた。これには面食らう。何だ、そんなこともわからないのか。あとで文字に起こすことを説明すると、ゆめはるかは感心したようにへーを連発した。「そうやってやるんですね。何かこう、手帳に書くんと違うんですね」
そんなこと今どきの記者はやらないだろ。どうも話がかみ合わない。馬鹿なのか。こいつ、どう見ても未成年だ。学校は通ってるのか。素性は? 本名は? 気になることは山ほどあるが、とにかく仕事を進めないといけない。もう大島の雷を食らうのはごめんだ。レコーダーのスイッチを入れる。
「では、さっそくお話をうかがいたいんですけれども、まずこちらの絵本ですね」
茶菓子を横にずらして、インタビューのために手に入れてきた絵本を並べていく。「こわがりなおひさま」、「たびするとり」、「なないろのおはな」、どれも表紙が鮮やかな絵でいろどられていて、瞬時に空間が明るくなったような気がする。こんなものをこいつが描くのか。相手の洗いざらしたTシャツに目をやる。紺屋の袴じゃあるまいし。本当に人は見かけによらない。
「こちらの絵本、自費出版ということですが、今たいへんな人気ですよね。一部で幻の絵本ともいわれてるとか。口コミでどんどん広まっているようですね」
おだてたつもりが、相手はきょとんとした。「あ、そうなんですか。……知らなかったです」
知らなかった。心の中で首をかしげる。何だ、ほとんどアシスタント任せにしてるのか? 参った、どうもペースがつかめない。どうする。ここで相手の舌をなめらかにしておくつもりだったのに、失敗した。頭の中で計画を練り直す。
「ではゆめはるかさんは、描くの一筋というか、絵本の人気にはあまり興味がないんですか?」
「いや、まあそういう難しいことはほかのアシスタントの人に任せてるんで、自分はよくわからなくて。でも人気が出てるのはうれしいです」
照れているのか、語尾がくぐもった。よしよし、この調子だ。
「すごいことですよね。自費出版でここまでって。絵本をご自分で作ろうと思ったきっかけは何だったんでしょうか」
「きっかけ、ですか」
ぽつりとつぶやいて、そこで相手の動きは止まった。何か考えているのか、視線をじっと絵本に注ぎながら、何度か首を動かしていた。そしてついに、相手の口から言葉が漏れた。息が漏れるような小さな音だったが、幸いなことに、おれの耳はそれをとらえた。
「奇跡みたいな出会いやったんですよ」
とらえたものの、言葉の意味を測りかねて、今度はこっちが動きを止める。「……というと?」
「いや、だから、石田さんがたまたま店に来て、そのときたまたま自分があそこで働いてて、でたまたま話して、ってすごい偶然で。じゃなかったら絵本なんか作れへんかったから、すごい、奇跡みたいな偶然やなあ、って」
話が見えてこない。石田? 聞いたことがあるような気がするが、誰だったか。
「すみません、石田さんというのは、どなたですか? その方と出会ったことが、何かのきっかけだったわけですか」
「あーうまく話せなくてすみません。自分あほなんで」相手は頭を掻く。「これそのまま記事になるんですか?」
そのままなるわけないだろ。ちゃんと編集するんだ。湧き上がってくる苛立ちをこらえながら、優しい声を取り繕う。「大丈夫ですよ。それでそのきっかけというのは?」
ええと、と相手は眉間にしわを寄せてから、たどたどしく話し始めた。
「もう二年以上前になるんですよね、自分があの店で、えっと、上本町のほうのコンビニで働きはじめたころなんで。石田さん、何かの面接があったみたいで、えっと石田さんっていうのはアシスタントの一人なんですけど、その時はまだ大学に通ってて。とにかく上本町のあたりで面接あったんですよ。本当は京都の人なんですけど。で、すごい慌ててて、お金を下ろしにコンビニに入ってきて、えっと、たぶん地図見ようとしてたんやと思うんですけど、かばんの中探してて、そしたら中身がばーって床に散らばってしまって。夜勤の誠さんが掃除サボってたから床めっちゃ汚くて、やばいなーと思って。あ、自分はまだ研修期間やったんで、朝の時間に入ってたんですよね、その日。今は夕勤だけですけど」
石田は例のアシスタントだったか。愛想よくうなずきながら、話を誘導する。「それで、石田さんとの出会いが絵本作りのきっかけになったんですね」
「あの、自分には弟がいるんですけど」
おい石田はどこいった。思わず突っ込みを入れそうになるのをこらえて、うなずく。相手は視線をまた絵本に落としていた。心なしか、声色が曇る。どうやら、ふざけて話してるんじゃないらしい。
「まだ四歳になったばっかりで、その時はまだ二歳で、自分が育てていかんといけなかったんで、いろいろ大変で。自分、中卒なんですよね。ほんまにあほで。金もないし。だからその弟をちゃんと育てていけるんか、めっちゃ不安で、教えれることなんか何もないし、本もないし、金もないし、どうしようって思ってた時で」
その話に違和感を持つ。こいつだってまだ十代だろう。親はどうした。気になるが、聞いていいことなのかどうか、しばらく迷う。そのうちに話は続く。
「自分は何も教えられへんけど、世の中にはいっぱい賢い人がおるから、そういう人の書いたものをいっぱい読ませたいと思ってたんで、それで、いろいろ探してたんですよ。頭がよくなるような、姫でも読めるような、いい絵本ないかなーって。でも自分、あほすぎてどれがええんかもわからなくて。そういう時に石田さんと会って。石田さんがいろいろ落としたんで、自分が拾うの手伝いに行ったんですけど、その時にきれいな絵が入ってるのが見えて。これお姉さんが描いたんですか? って聞いたんですけど、石田さん、耳が悪いから聞こえなかったんですよね。それで紙に書いて話して。紙に書くのってふしぎですよね。何か、普通はいわんようなこと書いてしまうっていうか。自分、何て書いたかなあ。これで絵本とか作ったらおもしろそうですよね? 違ったかなあ。このきれいな絵で絵本作ってくれませんか? とか、そういう感じやったかも。それで、自分と石田さんがアシスタントとして、ゆめはるかの絵本を作り始めて」
「え?」間抜けな声を出してしまう。おかしくないか。どこからゆめはるかが出てきたんだ。どうして二人ともアシスタントなんだ。「あの、あなたは……あなたが、ゆめはるかさんじゃないんですか?」
「一応、ゆめはるかとして来たんですけど、今日は」相手はいいにくそうに、もごもご口を動かす。「でもゆめはるかって石田さんのペンネーム、あ、今は違いますけど元はそうやったんで、どっちかというと石田さんなんですよ、ゆめはるかは」
共同ペンネーム、という言葉が頭に浮かんで、一気に話が見えてきた。なるほどそういうことか。「つまり、あなたと石田さんが協力して、ゆめはるかという名前で、絵本を作り始めたと。いや、でも、じゃあ二人ともアシスタントじゃない……ですよね?」
そうだ。二人の共同ペンネームなら二人ともゆめはるかで、アシスタントはいないということになって、でもそれなら……。頭がこんがらがってきた。無意識に茶碗に手を伸ばし、中身を一口飲む。即座に舌が反応した。甘い。うまい。思わず椀の中を見つめる。表面に映った蛍光灯の光が、わずかな手の震えに合わせてくねくね曲がる。何でこんなにうまいんだ。いつもの給湯室のお茶っぱだろ?
「めっちゃおいしいですね、このお茶」
はっと顔を上げると、相手に見つめられていた。
「自分もお茶とか全然知らないんですけど、何か、淹れる方法変えるだけで味が全然違うんですよ。店長の奥さんに教えてもらって。温度とか蒸らす時間とかいろいろ。ちゃんと淹れたら、お茶ってめちゃめちゃ甘くなるんですよね」
嫌味っ気のない口調で楽しそうに語る。自分の知らない知識をこんなやつが持っていることに、少し腹が立つ。そして前髪に出し抜かれたような気になって、一段と腹立たしかった。この年で、若いやつに負けるのはつらい。
「あの、二人ともアシスタントですよ」相手は思い出したようにいった。「ほかにもアシスタントの人、いますし。きれいな色を塗る人と、すごいいい話を作る人と。初めのうちは石田さんが絵も描いて話も作ってたんですけど、何か、ネットの知り合いやったっていう米子さんっていう人もアシスタントになって。そのいとこの人が頭のいい大学に行ってて、話を作ってもらうことになって。読みましたか? これ。やっぱり頭のいい人は違うなーって」
絵本をめくって興奮気味にしゃべる相手を眺めながら、必死に頭の中を整理する。やっぱりよくわからない。アシスタントが四人。じゃあゆめはるかはどうなる? こいつと石田の共同ペンネームじゃないのか?
「じゃあゆめはるかさんは、結局、いるってことですか? あなた以外に? だって作家のいないアシスタントはおかしいわけですし」
そういうと、相手は黙って何度かまばたきをした。えーと、といいながらまた頭を掻く。「すみません、あほなんでそういうのよくわからないんですけど、アシスタントって、チームの仲間、みたいな意味と違うんですか? ほら、あの、漫画家のアシスタントって漫画家のチームですよね? そのチームで漫画作ってて」
その言葉を理解するのに数秒かかった。思わず鼻で笑ってしまって、慌てて咳払いをして取り繕う。まったく、知識があるのか、ないのか、わからないやつだ。つまり「アシスタント」を、単なるユニットメンバーのことだと勘違いしてたってか。だから作家のいないアシスタントも生まれるわけだ。
「いえ、まあみんなで手伝いをするという意味では、そういう意味でしょうかね、はい」
相手は納得していなさそうだったが、とりあえず先に進むことにした。だがどう進める? 「ゆめはるか」が実在しないとわかった以上、こいつを代表者として取材すればいいわけか。そうなると記事の構成も少し変わってくる。また面倒なことになった。どうにか収束させねえと。
「えーそれで、絵本作りには、あなたの、弟さんでしたか、弟さんへの思いがあったと。それにほかの方も共感されたわけですね?」
「違います」
あっけなく首を横に振られた。
「自分の弟が、っていうのは、自分だけの問題で。石田さんは昔からの夢やったからやってるんやし、ほかの人にはほかの人なりの目的があるんやと思います。姫のことは、石田さんには少し話したことはあるけど、別にそれは自分だけの都合やから、ほかの人にもそう思って作ってほしいとかはあんまりなくて。それに、自分も、何か絵本作ること自体楽しなってきて。自分が絵本作りに関わってて、必要とされてるんやなあって思ったら、そのことだけに満足してて」
また違和感を感じた。けど、今度は話の内容じゃない。何だ? 少し考えて思い当たる。音だ。周波数が変わった、と直感的に思う。いや科学的な数値は全然わからないが、声の感じが変わったことは確かだ。何かこう、鼻にかかっているというか。うわずっているというか。この感覚を、いつかほかの場面でも感じたことがある。家か。明美の顔が浮かぶ。ヒステリックだった声が、ほんの少しずつトーンダウンしていく。そして最後には床に崩れ落ちる。あれと、同じだ。
泣いてるのか?
*
インタビューが進んでいるのかいないのか、とにかく時間だけが過ぎていくうちに、何かが変わり始めた。初めはただのガキだと思った。でももうそんな思いは消えていた。凛とした、とでもいうのか、その態度と表情に、なぜか背筋を伸ばさずにはいられなかった。体自体は細くて頼りなくて、言葉も薄っぺらで、声も安定せずふらふらしてるのに、それでも、おれを見つめるその目には、訴えかける何かがあるような気がした。今まで何度も、こんな目を向けられてきたような気がした。
「自分にはたいして才能もなくて」蛇口から水がぽたぽた落ちるように、相手は話し続ける。「でもゆめはるかのおかげで、自分も役に立てるんですよ。自分のやってる仕事、紙切るだけなんですけど、それが絵本作りのちゃんとした一部になってて、それがすごいうれしくて。生きる意味を見つけたとか、そういう大げさなもんと違うんですけど。でも、そのせいで」
鼻にかかった声が空気を震わせた。はっとして相手の顔を見る。
「そのせいで、たまにですけど、姫のこと忘れてるんですよ」
洪水のような感情が、ほんの一瞬だけ垣間見えたような気がした。だがそれはやっぱり一瞬だけで、相手の顔はすぐ平静さを取り戻した。ぎゅっと結んでいた唇が、少し白くなっているだけだった。
ゆめはるかが生きる意味を与えてくれた。でもそのせいで弟のことを忘れつつある。
「高望みやとはわかってますよ。でも、認められたいっていう気持ちがどっかにあって。結局、自分のことしか考えてないんですよ、自分」
あざけるような、捨て鉢な声だった。小さな体を椅子の背にもたせかけて、すっと天井を見上げる。白い首筋に照明が当たって、さらに白く透きとおった。ぴんと張ったTシャツの下に、わずかなふくらみがあるのに気づく。とたんに全てを悟って、取材が始まってから今までの自分の行動を思い返す。何かおかしなことはいわなかったかどうか。しなかったかどうか。
気づくと相手はもとの体勢に戻っていた。手を膝の上に置いて、同じ目でおれを見ていた。意見を求められているような気がして、慌てて口を開く。
「でも、弟さんのために絵本を作ってるんだから、自分のことしか考えてない、ってことはないんじゃないですか」
「この前、すごい雪の降った日があったじゃないですか」
いきなり話題が飛ぶのにももう慣れた。宙を眺めて記憶をたどる。そういえば三月の初めごろ、雪が降ったか。思い出した。ちょうど、ゆめはるかにメールを送った日だ。そうですね、と応じたら、相手は少しうつむき加減に話し続けた。声の震えはややおさまったが、ツンと張ってうわずった感じは変わらない。
「朝の間、姫と上本町のデパートに行って、それから雪だるまとか作って遊んで。部屋に戻ったら、疲れたんやと思うんですけどすぐ寝てもて。自分も疲れてたんですけど、時間があったから絵本の仕事しようと思って、でもカッターほったらかしたまま寝てて。起きたら、もう、寝坊してて。姫ほったらかして、家出たんですよ。カッター置いたまんま。あほですよね。一個まちがえたら大怪我してたかもしれんのに」
相手の首の角度がますます下がって、もうこっちからは表情が確認できなかった。それにしても、話がよくわからない。確かに大惨事につながったかもしれないが、小さなミスじゃないか。実際は怪我もしてないんだろう。これから気をつければいいだけの話で、それで自分のことしか考えてないとか、自己嫌悪に陥るのは飛躍しすぎじゃないか?
だが、そもそも、どうしてこんな子どもみたいなやつが、弟と二人で暮らしてるんだ。親はどうしてる。さっき浮かんだ疑問がまた頭をもたげた。今なら聞けるような気がした、いや、聞いておかないといけないような気がした。
「……ご両親は?」
光のように、明美の姿が脳裏に浮かんで消えた。
あいつ、今ごろ何してるだろう。
思考が飛んでいたようで、はっと我に返ったが、向かいのゆめはるかは椅子にもたれ、手元をじっと見つめていて、こっちを見てはいなかった。
「親は、いてません」
一言だけが返ってきた。
いない。そうか。つまり孤児。世の中には、こういう不幸な子どももいるわけか。家族に囲まれて暮らすことのできない子どももいるわけか。そう思うと切なくなった。テレビで見たことのある孤児院のイメージがだぶる。事情はさまざまだが、身寄りのないかわいそうな子どもが、こんなふうに、世界のあちこちで生きている。それに比べれば――
「――捨てましたから」
「え?」
意味がわからず、首をかしげた。相手の様子をうかがってはみたが、相変わらず椅子にもたれて目線を下げたままだった。まさか、姨捨山じゃあるまいし、本当に親を捨てたってことはないだろう。この年なら親もまだ若いはずだ。たぶん、自分とそう変わらないくらい。捨てたって、何のことだ。
おじさんは、と、相手がふいにおれを見た。笑っているのでもなく泣いているのでもなく、無表情でもなく、何かを問いかけるような視線。その目が誰に似ているのか、わかったような気がした。
「自分のこと、いい大人やと思いますか」
絶句する。
相手は構わず続けた。「うちの親とか、姫がもっとちっちゃいころから喧嘩ばっかりで、ろくに働きもせんし、パチンコとか、たばことか、酒とか、そんなんばっかりで。毎日怒鳴り合う声がしてて。近所の人にも文句いわれるし。金なくて、自分も高校行けなくて、このままやったら、姫の将来もどうなるかわからんと思って。でも、そんなことで、誰も助けてくれるわけないじゃないですか。だから、姫連れて家出ました。自分で何とかしよう思って。それっきりです、親とは」
淡々と、水が流れるように相手は話す。
「そういうどうしようもない大人もいるじゃないですか。だから自分はできるだけまともな大人になりたいし、姫も、悪い方向に行かせたらあかんって。だから、自分には責任あるんですよ。親の代わりに、姫の将来に責任持たんとだめなんですよ。だから……」
聞いているうちに、否定的な感情が芽生える。何が責任だ。こんな年で。いくら親が嫌いだからって、家出してまともな暮らしができるはずがない。世の中そこまで甘くない。仮に、本当に駄目な親たちだったとして、どうして我慢できないんだ。あと数年耐えればいい話じゃないか? 成人すりゃ自由の身だ。できることも増える。どうしてそれがわからない。こういうやつらが、ニュースで見るような妙な事件を起こすんだ。我慢することを知らない。どうして、そこで、我慢できない? つらいことから逃げていたら、人間、いつまでたっても駄目なままだ――
相手は、まっすぐな目でおれを見つめていた。胸が騒ぐ。今考えていたことを、何もかも見透かされたような気分になった。
「家出するのは、あかんことやと思いますか?」
小さくうなずく。相手はほんのわずかに唇の端を下げて、その感情を表した。
「でも」
高ぶった周波数が、おれの耳を打った。
「もう限界やと思ったから。あのままやったら生きていかれへんと思ったから」
――あんたといてたら息がつまりそうで、生きていけへんのよ!
ふいに明美の声がよみがえってきて、耳の中の小人をうろたえさせた。がんがんと響く頭の中で、おれはこの子を責められない、と思った。自分だってその「駄目な親」じゃねえか。明美にしがみついて家を出て行った、小さな娘の顔を思い浮かべる。何度も見た顔。何度もファインダーでとらえた目。上目づかいに、不安におびえて、何かを訴えてくる目。それが今、おれの目の前にあった。おれの答えを待っていた。
文句もいわず、大島に茶を淹れてやるのはどうしてだ。厚かましい野郎にも、へこへこ頭を下げたのはどうしてだ。この転職を最後にしようとしたのは、どうしてだ。改めて考えるまでもない。全部、あの子のためだったじゃねえか。
「生きるために逃げたんだろ?」
口からこぼれた声が、どうやら自分の出した答えだった。
「それでいいじゃねえか」
*
すっかり冷めた茶を、二人ですすった。さっきの甘味は飛んでしまって、舌触りの悪さだけが残る。
「だから、自分」相手がぽつぽつ話す。「正直、アシスタントを続けるかどうか、迷ってて。このままやったら、肝心の姫のこと、忘れてしまいそうでこわくて。自分がいなくても、絵本は作れるし。石田さんからメール来てびっくりしたんですよ、ゆめはるかとして取材受けてくださいって。でもそんな、自分のことゆめはるかやなんて思ったことなかったし、自分がここに来てるのも、まだ変な感じなんですよ」
もじもじしながら、所在無げに菓子に手を伸ばす。その様子だけ見れば、ただの中学生か高校生にも見える。けどその声には、やっぱり一本の芯が通っている。迷いながら、手探りで進みながら、それでも自分が迷っているということだけはちゃんと見つめている。おれはもう、迷うことに慣れてしまったのに。
机の上に広げていた絵本を集めて、きれいに積み重ねた。表紙には、糸で縫ったかと思うような繊細な切り絵が印刷されている。それが一冊、二冊、三冊。これだけ作ってきたんだから、たいしたもんだ。
「しばらくは、弟の面倒をちゃんと見てやってもいいんじゃねえか」ぼそりとつぶやく。「お前しか親はいねえんだから」
相手はまごついたようだったが、はい、と小さくうなずいた。納得したという感じでは全然ない。これからもきっと迷うんだろう。それでいいと思った。
時計を見ると、十二時を回っていた。秒針の動く音を忘れるほど、真剣に話していたらしかった。「このあとの用事とかは? 時間大丈夫か」
自分がくだけた口調になってしまっていることに気づいたが、今さら直すのも不自然だ。それに、このほうがしっくりくるような気がした。もうインタビューも終わったんだ。別にいいだろう。
「大丈夫です。夕方からバイトあるだけなんで。姫は店長に預かってもらってますし」
そうか、とうなずいて片付けを始めながら、姫太郎とかいう名前なんだろうか、変わってるな、と思う。名前といえば。ふと、気になったことを聞いてみる。
「その、ゆめはるかっていうペンネーム、どういう由来があるんだ」
よく考えたら、これはインタビューで聞いておくべき事柄だったかもしれない。記事のネタになることは間違いないのに。あまりにばたばたしてたもんで、完全に意識の外だった。
相手も立ち上がりかけていたが、その状態で少し首をかしげる。
「いや、自分もよく知らないんですけど。はるかって、『遠い』いう意味ですよね。だから夢が遠いっていうことなんかなって。でも、ゆめはるか、ゆめはるかってずっというてたら、何か、『夢はあるか?』って聞かれてるような気になってきたりもして。たぶんそんなん、自分だけですけど」
大阪人なら、なんでやねん、と突っ込む所なんだろうか。あいまいに笑いながら、ICレコーダーの停止ボタンを押す。長い話になった。今日は徹夜だな。
それじゃ、と相手を送り出す。ドアの前まで来たとき、そいつは立ち止まって、何か考える素振りをしていたが、やがておれの顔を見た。
「あの、写真とかって……」
「え?」
「写真撮らないんですか? 一応髪切ってきたんですけど」
そういって髪に手を伸ばし、不安そうにおれを見上げる。
ああ、と思う。完全に忘れていた。また大島に大目玉を食らうところだった。机に引き返し、椅子の上に置いてあった一眼レフを手に取る。たぶん、この子は立ち姿のほうが映えるだろう。そう思ったから窓際に立ってもらった。大きな窓の向こうには、大阪のビル街がずっと遠くまで続いている。空も青い。逆光になって難しいが、うまく撮れれば――最高の構図を探して位置を変え、カメラの微調整を繰り返す。ファインダー越しに見える彼女の顔は、緊張で少し引きつっているように見えた。少し速くなった息づかいまで聞こえてきそうだった。
その顔は、やっぱりあの顔だった。あの目だった。たぶん、おれがもう二度とファインダー越しに見ることのできない顔だった。今頃どこにいるんだろうか。この広いビルの森の、どこかにいるんだろうか。いつかまた、他の誰かのカメラに向かって、あの顔を向ける時が来るんだろうか。だがもうそれも関係ない。紙切れ一枚、書いて送り返せば、それでさよならだ。重い眼鏡を放り投げて、ファインダーに目を押しつける。彼女はじっとこちらを見つめる。
そんな暗い顔、すんなよ。
何度もやってきたように、少し咳払いをして、あの子のいちばん好きな周波数で声をかけた。いつもちょっぴりの笑顔を連れてきてくれた、あの魔法のおまじないを。たぶん、これで最後になるであろう言葉を。
ほら、笑って。
おわり
※作中の駅伝大会は三月に行われる「島根県高等学校新人駅伝競走大会」をモデルにした架空のものです。中学生の大会としては実在しません。 - 2014-08-14 20:42:10公開 / 作者:ゆうら 佑
■この作品の著作権はゆうら 佑さんにあります。無断転載は禁止です。 - ■作者からのメッセージ
こんにちは。
よくある形式ですが、章ごとに主人公を変え、連作短編のような感じで書いていこうと思います。ぼくとしては初めて「実在の地域」を舞台にして小説を書いてみました。これが意外と難しい……現地をぶらぶら歩きまわって、あーこれじゃあの展開無理だなとがっかりしたり、逆に新しい展開を思いついたりと、楽しく「取材」させていただきました(それでもいくらかフィクションが入っていますが)。
また今回少し出しました「出雲方言」ですが、あまり自信がありません。松江出身の人との会話を思い出したり、ネットで情報をあさってみたりと努力してみましたが、完璧なものではないと思います。むしろひどい出来かもしれません。ご教示いただけると幸いです。このあと出雲が舞台になる章もありますので……。また、大阪弁も不自然なところがあれば指摘していただければ、と思っています。同じ関西圏(和歌山。いちおう関西です)出身とはいえ、やはりネイティブ並みに書くことはできていないと思われます。
一回の更新分が少し長くなりましたが、感想いただけるとうれしいです。(3月9日)
引き続き関西圏を舞台に書いてみました。町って歩くだけで楽しいですね。何度も観光で行った場所でも、「人の住む場所」と思って歩くとまた新たな発見がありました。方言もだいたい合ってるだろうと思うのですが、おかしいところ、わかりにくいところなどご意見いただけるとうれしいです。よろしくお願いします。(3月27日)
今回は舞台をさらに西に移し、出雲のお話にしてみました。うまく地域性を生かして書けているか不安です。とくに話し言葉はそれっぽいものにしてはいますが、実際お住まいの方にはおかしいと思われる箇所もあるかと思います。ご指摘いただけると幸いです。次回は再び近畿地方となり、満を持して(?)京都に挑戦いたします。四年間住んだ土地ですが、なかなか難しそうだなあと今から緊張しています。
しかし、気づけば五月……。どの章も二月〜三月あたりのつもりで話を組み立てているのですが、だんだん現実の季節と食い違ってきました。書き始めたときの季節を採用しちゃうと、書き上がるころには真逆の季節になっているという、よくある失敗ですね。
ともあれ今回も感想やご意見等、よろしくお願いします。(5月3日)
第四章を書くのに二か月もかかってしまいました。いくつか理由はあったのですが、何よりこの章をどんな物語に仕上げるか、ということにかなり悩んでしまいました。ご意見をいただけるとうれしいです。何だかんだで若い人の話ばかり書いてきましたが、次回はおじさんの話を書いて、この作品を完結させたいと思います。(7月6日)
書き上がりました。いったいどういうふうに受け止められるのか、ひやひやしています。
ここ最近はあまりネタも浮かばず、これで小説書くの最後かなあ、とか思いながら書いていたのに、終盤になると次の作品の構想が浮かんでくるのは不思議です。とはいえ、まだこっちに手を入れる必要もあるかと思いますので、ご意見・ご感想等よろしくお願いいたします。今までお付き合いいただき、ありがとうございました。(8月14日)
3月 9日 第一章を投稿。
3月27日 第二章を投稿。ご指摘いただいたところを一部修正。
5月 3日 第三章を投稿。ご指摘いただいたところを一部修正。
7月 6日 第四章を投稿。ご指摘いただいたところを一部修正。
8月14日 第五章を投稿、完結。
- この作品に対する感想 - 昇順
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作品を読ませていただきました。
面白そうですね。続きが気になります。この作品で描きたいのは、日常の中で生きている「人」なのではないでしょうか。だから、読み手もそこを楽しむべきなのだと僕個人としては思いました。あくまで個人的にそう思っただけで、楽しみ方は読み手さん次第なのでしょうけれどもね(笑い)。この章の主人公である一真がとても丁寧に描写されていて、すごく自然に物語に入っていけました。キーボードを打っている時、ゆうら 佑様は一真なのでしょう。だけど、どこか客観的だ。だからか、一真は年齢設定の割に老成した人物のように感じることができました。
主題が大人しめであることや、これから少しずつ各章の登場人物が交わっていく(のでしょうか?)こともあって、お話自体の感想というものは書きづらいというのが本音です。まだ第一章ですし、明示的なものはないみたいですし。ただ個人的には「ゆめはるか」についてもう少し見せても良かったのではないかと思いました。「ゆめはるか」は主人公たちを繋ぐしっかりとした幹でなければならず、一真は彼女に対してただの傍観者的関係者で終わってはいけない。彼女の存在をほのめかす、と言ってしまえばものすごく行き過ぎた表現になってしまうのですが、やはり、一真なりの「ゆめはるか」の人物像が、もう少し欲しかったかなと思いました。この章で描くべきなのは一真なのですが、単に一真視点の日常を描くのでは足りないのではないかと思いました。また、隠されていそうな情報が多いことも感想が書きにくい要因かなと思いました。しゅうじが保護者である一真のことを「かずまちゃん」と呼ぶのが気になりました。個人的に結構大きな引っ掛かりだったのですが、これは何かの伏線でしょうか。
とは言え、ずっと彼女の視点で二百枚くらい読んでいたいと思うほどにこの作品の雰囲気は大好きです。「ゆめはるか」のことも気になりますが、そんなことは脇に置いておいて、ずっと一真としゅうじの日常を眺めていたいくらいです(笑い)。『いつも見ているマンションの森が、どこか北欧の世界みたいに見えた』これは貴方個人の感性が表れた部分ですかね。とても美しいと思いました。情景描写もたくさん見たいところですが、主に描かれるのは人間ですから、アクセントとして楽しむべきなのでしょう。
個人的にはめちゃくちゃ出雲が気になるなあ。誠君も出雲行っちゃうみたいだし、出雲の情景も読んでみたいし。以前出雲大社に行ったことがあるのですが、予想外に小ぢんまりしていて驚いた記憶があります。あー、こんなものなのかあって。巫女さんも好みじゃなくて勝手にがっかりして(失礼)、すぐに燃料費の計算とかしちゃって、ほんと、我ながらすごく残念な奴でした。今思えばもっと他に感じるべきところがあったろうに、もったいないことをしました……。何の話をしているのでしょうね(笑い)。
次回更新、心待ちにしています。ピンク色伯爵でした。2014-03-09 10:47:02【★★★★☆】ピンク色伯爵こんにちは。作品読ませていただきました。
日常の風景が緻密に書かれていて、すらすらと読むことができました。優しいメロディのピアノの曲をBGMに読んでいたのですが(こういった読み方は失礼に値するかもしれませんね、すみません)、あたたかくてどこか懐かしいような、そんな雰囲気を随所に感じました。現代のお話なのに懐かしいというのはちょっと変かもしれませんが、一真の姫に対する、母の愛情のようなそのひとつひとつが、そのように感じられた原因なのかもしれません。
改札で誠さんと会って、縁結びのお守りを渡されるシーンがとても好きでした。人との縁の大切さを改めて実感させられた気がします。
気になったところといえば、一真と姫の性別と二人の関係です。読みはじめは二人の性別を真逆にとらえて読んでいて、途中でそれが間違っていたのだと気付きました。そこで今まで作り上げて来た一真と姫のイメージ像(主に外見)をまた一から構築し直すのに少し苦労しました。また、二人の関係も私にはよくわかりませんでした。親子なのでしょうか、そうではないのでしょうか、そしてそれはこの先あかされるのでしょうか。この二点は、私の読解力が足りないがために、私がひっかかったり疑問に思ったりしているだけかのしれないのですが……
私にとって非日常な世界が書かれていたのも、この作品が魅力的に思えた要因の一つです。東京生まれ東京育ち、大阪と京都の違いも良く分からないような人間なので、関西のお話を読めるのはとても嬉しく、わくわくします。関東とは流れる空気が違うのかな、なんて。そして、一真が家計をやりくりして自分自身の力で生きて行っている様子を見ていると、彼女は私にはないたくましさをもっているのだなと思い、キャラクターながら尊敬してしまいます。「あほ」な部分は私と変わらないかもしれませんが(笑)
伯爵様の言うとおり、この章からゆめはるかの存在をもう少し前に押し出すにする必要はあるかと思われます。でも、それが気にならないくらいに、一真の日常を楽しく読むことができました。『なないろのおはな』、もし実際に存在したら読んでみたいものです。
自分の思ったことをつらつら並べただけの感想になってしまい申し訳ありません。やっぱり感想を書くのって難しい……
それでは、続きを楽しみにしています。ありがとうございました。
2014-03-09 21:32:09【☆☆☆☆☆】木の葉のぶ>ピンク色伯爵さん
早速の感想ありがとうございます!
>>この作品で描きたいのは、日常の中で生きている「人」なのではないでしょうか。
ああ、いきなりばれちゃいましたね。その通りです(笑) いまそこに生きている人を丁寧に書いてみよう、という意図があり、それでひさしぶりに一人称で書いてみました。一人称って主人公の外見描写が全然いらないのに対して、内面はどんどん深めていけるのがおもしろいですね。またぼくが書く小説はいわゆる「キャラ」が薄くなるきらいがあったので、それを克服したいなあ……という意図も実はありました。平凡な人生も、切り口次第でどうにか小説になるんじゃないかと思っています。
でも根幹は一応「ゆめはるか」ですから、そのあたりをうまく書き込めなかったのは反省点です。難しいところですね……おっしゃる通りこの時点ではいろいろ隠しています。その物足りなさを作品全体として埋めていければいいのですが。
>>「ゆめはるか」は主人公たちを繋ぐしっかりとした幹でなければならず、一真は彼女に対してただの傍観者的関係者で終わってはいけない。
そうですね……たしか横山秀夫さんの『半落ち』では、一人の人間の周囲を五人くらいの主人公が行き来する(すれ違う)ような構成だったように思います。主人公同士のからみは薄かったように思いますが、ぼくのこの小説でも基本的には主人公が交代していきますし、各登場人物の関わりは薄くなります。ただ同じようなことをしても書く意味があまりないですし、ちょっとオリジナリティのある「幹」を構成できればなあと思っています。
>>しゅうじが保護者である一真のことを「かずまちゃん」と呼ぶのが気になりました。個人的に結構大きな引っ掛かりだったのですが、これは何かの伏線でしょうか。
伏線でもなんでもなく、一真の性別をごまかしたかったが為の苦肉の策です……あくまで彼女は中性的な存在で、「お姉ちゃん」とかいう言葉は使うわけにはいきませんでした。二人はきょうだいという設定ですので、お互いに名前を呼び合うことはありえなくはないと思うのですが、引っ掛かりを与えてしまったということで、再考の必要がありそうですね。
そのあたりのストーリーはともかく、雰囲気のほうをおほめいただきありがとうございます。何だかぼくには一人称でつらつらっと書いていくのが性に合っているような気もします。三人称はどうも硬くなってしまって。その人物になりきって書いているのかどうかは自覚できていませんが、その世界に没入して感情を共有しながら書いているのは事実かもしれません。
出雲……うまく書けるかどうか。ぼくも先日初めて行きました。早朝だったからか境内は静かで、けっこう荘重な雰囲気で楽しめました。巫女さんには残念ながら会えませんでしたが……。いろいろ資料を集めてきましたが、もう一回行ってみようかなあ。情景よりも出雲弁のほうが気になって仕方ありません(笑)
お読みいただきありがとうございました。よければ次回もお付き合いください。
>木の葉のぶさん
感想ありがとうございます! どう読んでいただいても、読んでいただけるだけでうれしいです。懐かしさですか……そういえば他の作品にもそのような感想をもらったことがあるような気がします。ぼく自身、そういう懐かしさが好きなんだと思います。
>>気になったところといえば、一真と姫の性別と二人の関係です。読みはじめは二人の性別を真逆にとらえて読んでいて、途中でそれが間違っていたのだと気付きました。
これについては本当に申し訳ありません。わざと逆に読まれるように書いてました。「性別誤認もの」なんていうジャンル名までできているような、よくある手らしいです(プロの作品で代表的なものは……って、ここで書いてしまうとネタバレになっちゃいますね)。ただしただ「誤認」させるだけでは意味がなく、誤認させる必然性がないと作品として成り立ちません。ぼくのこの小説の場合は……無骨な割にまめに家計のやりくりをする中性的な若者と、かわいらしい三歳児。性別なんてどっちでもいいよね、というメッセージです。と書くともっともらしいのですが、正直いって、ぼくの中では本当にどちらでもよかったのです。ですからイメージ像を混乱させてしまったことはぼくの意図するところではなく、これについてはお詫びします……。
二人の関係は実のきょうだいでした。わかりにくくてすみません。姫に一真のことを「お姉ちゃん」とも呼ばせたくなかったですし……。ヒントになりそうなのが冒頭の山さんの台詞「保育所預けるんも親に頼むんもできへんのやったら、ここ連れて来いって」くらいで、どこにも明示されてないんですよね……どこかに書き足そうかと思います。
>>私にとって非日常な世界が書かれていたのも、この作品が魅力的に思えた要因の一つです。
極端なことをいえば町ごとに異なる空気が流れていると思うのですが、それでもおおまかに見ると関東・関西の違いはぼくも大きいと思います。その「空気」をうまくつかんで書くことができるかどうか、ちょっと自信がないのですが……大阪、京都、神戸、このあたりの気風はそれぞれ全然違うんだろうなあと思いつつ、ぼくもまだうまく理解できていなかったりします。そういえばむかし浅田次郎さんの『霞町物語』を読んで、これは東京の話だったかと思いますが、まさに「空気」の違いを感じました。下町方言(だと思うんですが)が全然わかりませんでしたし(笑) 一真のたくましさにはぼくも敵いませんし、ぼくにとっても半分別世界です。でも電車の窓から町なみを眺める時、そういう人生があちこちにたくさん転がってるんだろうなあ、と思えて、ちょっと感慨深くなったりします。
>>この章からゆめはるかの存在をもう少し前に押し出すにする必要はあるかと思われます。
「ゆめはるか」の存在は本当に見え隠れ程度になってしまいました。ちょっと手加減をしすぎたかもしれません。でもこの時点では前に出しにくいのです……次章以降で頑張らせてください。あ、『なないろのおはな』はぼくも読んでみたいです。ぼくには絵の才能がないので、誰か描いてくれないかなあ。
感想、たくさん書いていただけてありがたかったです。それでは。2014-03-09 23:46:13【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑拝見しました!
すごく魅力的な人間関係を書かれてるなぁと、登場人物一人ひとりの視点での話も読みたくなりました。一真の凄く一生懸命なところも伝わってきて、姫を本当に大事にしていて、また姫がいるから頑張れると感じました。漢字が読めるなど勉強が出来るのと生活能力は別なんだよなと頷きつつ、使える制度などあれば使って欲しいし、山さんや周りの人に良いアドバイス貰えたらいいな。私的には田口がお気に入りで、きっと中学時代に浮いていたであろう一真とも平気(周りを気にせず)に付き合えた良い奴なんじゃないかと勝手に想像してしまったり♪ 姫と作った雪だるまにも、花びらじゃないとしても、誰か目をつけてくれたら良いなって思います。「ゆめはるか」をアシスタントでさえ見たことがないといのうがヒントなのかなと、今回の登場人物これからの登場人物を要チェックなどと思いつつ、石田さんは声くらいは聴いた事があるのだろうか? などとまた勝手に妄想させて頂いております。三章は梓と誠の恋愛絡みなら嬉しいなぁと先走りつつ、続きも楽しみにしております! どうでもいいことなのですが、「ゆめはるか」って読むと一瞬だけお米の「ゆめぴりか」を思い出します。ごめんなさい、本当にどうでもいいことでした。
少し気になった所を、『自分にはちょっと遠い景色だ。中卒の自分にはちょっと遠い景色だ。』ここは繰り返す必要なく、どちらか一つでいいかなと。それと、この文章の前に『お疲れ気味のサラリーマン』は、会社員とかのがいいかなと思いました。性別の情報は隠すとしても、最初の方は何だか視点が男性ぽく感じます。姫の登場あたりからは、性別の情報はなくとも視点は女性になってたように思います。山さん家の鍋の所で『男三人はしばらく黙っていた』となっていました。誠さんの「また食いにこいよ。」の『また』は方言で、もう一回とかとは違う意味なのかな? 普通にまただと、ちょっと変かなと思いました。細かいことを、すいません。2014-03-13 18:26:31【☆☆☆☆☆】羽付>羽付さん
こんにちは。感想ありがとうございます!
>>登場人物一人ひとりの視点での話も読みたくなりました。
一真や田口のことをかなり読み込んでいただいたようで、うれしい限りです。これはもうぼくの筆力というより、羽付さんの想像力に負うところが大きいんじゃないかと(笑) 本当にありがとうございます。さまざまな想像、妄想(?)については今のところノーコメントとさせてください。ご期待に添えるように努力いたします。
>>どうでもいいことなのですが、「ゆめはるか」って読むと一瞬だけお米の「ゆめぴりか」を思い出します。
た、確かに、字面だけ見ると似てますね……ちなみに発音は「ゆめぴりか(高高低低低?)」とは違って「ゆめ はるか(高低 高低低)」です。どうでもいい話ですみません。
>>『自分にはちょっと遠い景色だ。中卒の自分にはちょっと遠い景色だ。』ここは繰り返す必要なく、どちらか一つでいいかなと。
ありがとうございます。検討します。
>>『お疲れ気味のサラリーマン』は、会社員とかのがいいかなと思いました。
む、どうしてでしょうか。最近は会社員のほうが一般的なんでしょうか……? 考えてみれば性差別的な呼称ですね。
>>最初の方は何だか視点が男性ぽく感じます。姫の登場あたりからは、性別の情報はなくとも視点は女性になってたように思います。
最初のほうは行き過ぎたミスリードだったかもしれません。一真のキャラクターについてはぼくの中でぶれていないつもりなのですが……難しいですね。ちなみに「男三人」もこれまたミスリードで、(少し苦しいかもしれませんが)山さん、誠さん、姫の三人のことです。
>>誠さんの「また食いにこいよ。」の『また』は方言で、もう一回とかとは違う意味なのかな? 普通にまただと、ちょっと変かなと思いました。
この場合の「また」は「またいつか」の略で、もう一回かどうかにかかわらず「ぼんやりした将来」を表わすと思うのですが……確認してみると辞書には載っていないようですね。もし羽付さんの周りでは使わないとしたら、一種の方言になるのかもしれません。いやどうなんでしょう。ちょっと自信がなくなってきましたが、用例としては「(一度も食事に行ったことが無いけど)また食事にでも行こう」「(一度も助けてもらってないけど)また何かあったときはよろしく」のように使います。「また」自体にはたいした意味はないのかもしれません。ちょっと調べてみて、おかしければ修正しようと思います。
もしほかにもよくわからない、変だな、などと思われることがありましたら、遠慮なく指摘していただけると助かります。いつもありがとうございます。2014-03-13 23:24:05【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑こんにちは、ゆうら 佑様。
お久しぶりです。上野文です。御作を読みました。
姫ちゃん、男なの!?
うん、これは騙されました。すごく丁寧に日々の営みを書かれてたから、まさかひっかけが仕込まれていたなんて。
とても丁寧で落ち着いた日々の営みが魅力的です。まだ始まったばかりだと思いますが、この一本だけでも素敵な小話だと思いました。面白かったです。
2014-03-23 09:40:54【☆☆☆☆☆】上野文>上野文さん
おひさしぶりです! 読んでいただきありがとうございます。
男でしたねー。いえ、丁寧に書けているとおっしゃっていただき、うれしいのですが、ぼくとしては単調にならないかと心配で心配で、こういう趣向を入れたくなってしまった次第です。でも騙したからといって、そこにたいした意味が込められているわけではないのですが……。本当は一話一話もっと盛り上げたいのですが、まだ始まったばかりですし(笑)ぼちぼちと頑張っていこうと思います。そろそろ次の章も書き上がりそうです。よければまたお付き合いください。ありがとうございました。2014-03-24 21:36:10【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑こんにちは、ゆうら 佑様。
翔平君のEPを読みました。
穏やかな日常を過ごしながら、どこか虚ろで、ままならない感情が鮮やかに描かれて、引き込まれしました。
ただ、その、翔平君には言いたいことが――あるんです。
彼女さんが翔平君を好きなのはわかります。が、本当に翔平君は彼女さんのことが好きなのでしょうか?
ラスト近いシーン、ヒヤシンスを手に決意する場面なのですが、
>> とりあえずこれで、仲直りしよう。できないかもしれない。できなくても頑張ろう。だっておれにはあの人が必要だから。おれにだって、彼女に分けてあげられるものが、何かあると思うから。
ちょっと待ってよ。このEP中、キミは”彼女”を必要としたことなんてなかったじゃないか!
翔平君にとって、麻衣ちゃんの家庭教師を務めたことは、教えたことは、特別でもなんでもなかった。”特別な価値”を見出したのは、授業という二人の時間の中で努力したのは麻衣ちゃんです。
彼女もまた、翔平君の”特別”であろうとした。同じ時間を過ごし、”特別な関係”でいつづけたくて、色んなアプローチを試みた。
それなのに、翔平君は彼女から差し出された手をスルーして、麻衣ちゃんとの会話をきっかけに、「食べ物が無くて困っている動物たちに、その木の実を分け与えてあげる鳥」として振舞いたいなんて考えた。
翔平君にとって、彼女は、木の実を分けあたえてもらえないと困る動物ですか?
翔平君は、彼女を「一緒に食べ物を探すパートナー」でもなく「一緒に飢えてなお励ましあうともがら」でもなく、「一方的に憐憫を、愛情を与えてあげないといけない相手」として見ていないか?
……そんな風に映ってしまったのです。
お恥ずかしい。ちょっと彼女さんの方に感情移入しすぎてしまったかも。
このEPも、とても丁寧に描かれた、素晴らしい日常の一節だったと思います。
面白かったです!2014-03-30 09:03:56【☆☆☆☆☆】上野文続きを読ませていただきました。
やはり作品全体に漂う空気感が良いですね。描写が丁寧で飽きが来ませんでした。ストーリーに関しても純粋に読者として楽しむことができました。彼女さんとても良い子だなあ。でも翔平の気持ちもよく分かるのですよね……。自然体で付き合える女性っていうのはある種幻想なのではないかと思います。やっぱりいくらかは努力をしないといけない。相手の望む自分を演じるというわけではありませんが、いつまでも『ステキな男性(もしくは女性)』でいられるように磨いていくべきなのかもしれないです。そうしてお互いを高め合える関係と言うのが、一つの理想の形なのかもしれません。めちゃくちゃ難しいですけどね(笑)。面倒くさいし(笑)。その点麻衣は輝いて見えます。この作品において、翔平と彼女さんが進化を遂げた結果として描かれている一方で、麻衣はこれから恋愛して自分を磨いていくのだから、何ものにでもなれる、どんなふうにも形を変えていけるという可能性を秘めているように描写されています。可能性ほど眩しいものはないです。……でも、翔平と彼女さんだってこれからだと思いますよ。二人がこのまま彼氏彼女の関係でいられるかどうかは別にしてですが。
ゆめはるかについて、この作品は彼女という軸を中心に見るというよりは短編集として見た方が良いのかもしれないと思いました。作者様もどうやらそのつもりっぽい(?)ですし。僕個人としては、どのような作品であれ最後まで楽しむつもりです。やっぱり書きたいことを好きなように書かないと楽しくないですものね。
ところで、彼女さんは和歌山の人なのかな?
「じゃあなんでかまってくれやんの?」
「全然好きっていってくれやんし。メールでもいってくれやんし」
『〜やんの』『〜やんし』という表現は和歌山の友人がよく使っているのを聞きます。播州弁なら『〜へんの?』『〜へんし』というふうに言うのではないでしょうか。
また、麻衣の合格祝いにご飯を食べに行くシーンがありますが、場面に出てきた洋食屋さんって実在のものなのでしょうか。王子公園駅、六甲駅ということは、おそらく阪急電車の駅なのでしょうが、阪急六甲駅から坂を上がっていくとすぐに大きな交差点に出て、それから上は大学と住宅街しかないと思うのですよ。交差点を右か左に行けば美味しいお店はありますけどね。大学の近くの洋食屋とありますから、文学部とかあっちの方なのかな?
あと六甲駅付近に書店ってあったかなあ。駅の中ならあったと思いますけど、あそこら辺は飲み屋と銀行と学習塾、それとファミマしかなかった気がする。あ、マジックショーをしてくれるバーなんかもありますよね。歩道橋は多分あれなんだろうな。神社の鎮守の森の方からケーニヒスクローネまでの。神戸・三宮・六甲道は本当に良い町です。大阪のようにごみごみしていないし、川が汚くないし(大阪人に謝れ)。特に六甲台から望む夜景は素晴らしいの一言です。翔平も彼女さんを連れて一度見に行ってみれば良いと思います(笑)。今なら夜桜も一緒に見られてとても風流だと思いますよ。
次回更新を心待ちにしています。ピンク色伯爵でした。2014-03-30 18:41:36【★★★★☆】ピンク色伯爵>上野文さん
今回も感想ありがとうございます。
>>彼女さんが翔平君を好きなのはわかります。が、本当に翔平君は彼女さんのことが好きなのでしょうか?
>>翔平君は、彼女を「一緒に食べ物を探すパートナー」でもなく「一緒に飢えてなお励ましあうともがら」でもなく、「一方的に憐憫を、愛情を与えてあげないといけない相手」として見ていないか?
はい。えー、そうですね……。このエピソードは男性と女性の葛藤を描こうとしたものなので、男性目線のこの話は女性には「??」と感じられてしまうのかもしれません(もちろんそんな簡単に類型化できるとも思いませんが……)。少なくとも、「彼女」に感情移入された上野さんから見ると、翔平ってほんとダメ人間ですよね。ただ、彼の気持ちは「この人無しで生きていけるはずがない云々」「おれは器の小さい人間云々」という言い訳みたいな心境から読みとっていただければ幸いで、あくまで彼女への愛を十分表せないことの“ふがいなさ”であり、哀れみとか憐憫とかではないはずなのです。他人から見ればひどい人間なのですが、本人は一応がんばってるつもりなのです。
しかし、彼女に対する翔平の「愛」を十分書けなかった、ぼくにも責任があるのだと思います。そのせいで終盤のシーンが余計にわかりにくくなったのかもしれません。
>>翔平君は彼女から差し出された手をスルーして、麻衣ちゃんとの会話をきっかけに、「食べ物が無くて困っている動物たちに、その木の実を分け与えてあげる鳥」として振舞いたいなんて考えた。
翔平がかなりの悪者になっちゃいましたね……確かに翔平のスルースキルはかなり高いです。ある部分では、読者にはわかってることが肝心の主人公にはわかってない、みたいな状況を書こうとしたので、読んでいてちょっといらいらされたかもしれません。そしてこの麻衣ちゃんとの会話からのラストは、鳥とか翔平自身とか彼女とかいろんなものをオーバーラップさせているので、うまく書くことができなかったかもと反省しています。ぼくとしては分け与えることより“受け身から能動へ”という転換自体を重視したのですが、それをもっとこう、うまく収束させて、ズバッと書けなかったものかなと思っています。それでも翔平がちょっと図に乗ってることに変わりはないですし、彼のズレっぷりに言い訳はございません。何はともあれ、率直な感想をいただけて、たいへん参考になりました。これに懲りず(笑)よければまた、お付き合いください。
>ピンク色伯爵さん
感想と評価、ありがとうございます!
>>自然体で付き合える女性っていうのはある種幻想なのではないかと思います。やっぱりいくらかは努力をしないといけない。相手の望む自分を演じるというわけではありませんが、いつまでも『ステキな男性(もしくは女性)』でいられるように磨いていくべきなのかもしれないです。
翔平と彼女の関係をどこまで一般化できるのかわかりませんが、「自然体」と「努力」のはざまで揺れるのは男女関係によくあることだと思いますし、その他の人間関係にもいえることなのかもしれません。難しいですよね……でも面倒くさいっていっちゃったら怒られますよ(笑)
>>その点麻衣は輝いて見えます。この作品において、翔平と彼女さんが進化を遂げた結果として描かれている一方で……
「進化を遂げた結果」って(笑) 悲しいからそんなこといわないでください! でも麻衣ちゃんはきらきらしてますよねー。今回、学校教育とか男女関係を否定的に書いてしまったので、次は学生のきらっきらな恋愛を書こうとしているのですが……いずれ頽廃していく進化の過程でしかないんでしょうかね……。
>>ゆめはるかについて、この作品は彼女という軸を中心に見るというよりは短編集として見た方が良いのかもしれないと思いました。
うーん、各章ごとのエピソードに力を入れている分、全体のつながりはまだ薄いですよね。章が進むごとにゆめはるかの輪郭がはっきりしてくるように書きたいとは思っています。
>>『〜やんの』『〜やんし』という表現は和歌山の友人がよく使っているのを聞きます。
はい、ぼくも普段使っている和歌山の言い方です。ただ三重でも使うらしいです。作中ではちゃんと書いていないのですが、彼女は三重県南部出身という設定にしています。この「やん」、和歌山を出て四年経っても抜けないんですよね。ふしぎです。
>>麻衣の合格祝いにご飯を食べに行くシーンがありますが、場面に出てきた洋食屋さんって実在のものなのでしょうか。
わわ、六甲の地理にお詳しいんですね。もしやあのあたりに住まれたことが……? すみません、洋食屋さんは架空のものです。どのへんの店と考えることもなく書いてしまったので、あとで確認したらおっしゃる通り全然お店のない場所だったんですけど、そこはフィクションとしました。「書店」は駅の中のブックファーストをイメージしてうろ覚えで書いたのですが、そうすると齟齬が出てくるかもしれませんね。実在の地域を舞台にするって難しいですね。やっぱり適当なことは書けないなあ……。あ、川のきれいさはぼくも思います(笑) 山が近いからでしょうか。そのおかげで夜景もいいですよね。といいつつまだちゃんと見に行ったことがないので、今度行ってみたいと思います。2014-04-01 22:28:03【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑拝見しました!
一人称の難しい所の一つだと思うのですが、やっぱり主人公を受け入れづらくて、なかなか乗って読めなかったです。それでも最後まで続きが気になる話でした。実は最初の『ターナー=絵の具?』自分の中にない発想で、どうしてだろう? という所から躓いてしまい。『アップルジュースを手放さい』好きなんだから良いでしょうよ! とかツッコみツツッコみ、出だしのデート中の彼女の気持ちを全く理解してないのか、わざとしないのかイライラしっぱなしでした。「おかえり」と言われたら、自問自答するのは勝手だけど「ただいま」くらい言え! とか思っちゃうし、「ええ?」て聞かれても返事しないし・・・・・・。本気で苛立つくらいに、主人公を上手く表現されていたなぁと。
でも翔平が『なないろのおはな』を書いたと分かって、少しですが好きになれたかも。だけど、こうなると「ゆめはるか」って今はもうサークル名みたいなもので、石田さんが取りまとめているだけなのかな? と単純な私は思ってしまうのですが、ここはこれからですね♪ そして梓は中学生でしたか・・・・・・誠とは歳の差があるなぁ。でもプラトニックならと、諦め悪く妄想してみたり。
それにしても翔平は、好きだという気持ちが言葉にも行動にも出なさすぎですね。だからか『この人無しで生きていけるはずがないのに』が突然出てきて浮いてるように感じて、逆に別れたいくらいの勢いじゃなかったの? と思ってしまいました。麻衣に手を握られた所を彼女に見られて、拗れてた方が翔平には丁度いいじゃないかなと意地悪に思ったり。彼女のズルさも何となくは見え隠れするのですが、それはあくまで翔平が好きであるからというのが分かるのに、翔平には伝わらないんだろうなぁ。あと麻衣は翔平の事を好きだったのかな? それとも純粋に心配や好奇心だったのか、どっちだろう。でも先ずは「たびするとり」を完成させて欲しいです。次回は梓ですね! 今回ちょっとだけ電話での登場でしたがツンな所が見えて、三章とても楽しみです♪
気になった所を少し、前回の『男三人』は最後まで読んで姫も含めてかな? と思ったのですが、一真にとって性別を超えて姫と呼ぶくらいに特別な存在なのに、他人の男性と一緒くたに『男三人』などと思うだろうか? と、ちょっと引っかかりました。それと『また』については、「また今度」や「またいつか」まで入ると聞きなれたものだったので、それと同じような意味合いで使うのですね。
保育所のシーンで、職員さんが不審そうな目で「よく遊ばれるんですか」と訊いた所なのですが、私は流れ的に笑顔で会話するような内容だと思ったのですが、主人公が勝手に不審そうな目で見られたと感じただけなのかな? 『笑顔だけど目はどこか不審そう』などあれば分かるのですが、『不審そうな目』だけだと表情が分からなくて、少し険しい顔しているのかなと感じました。翔平は言いたい事したい事があるけど出来ないみたいのが、もっと全面に出ていたら好きになれたかなと思います。食事の後の手を握られての麻衣との会話で、どうしてそこまで気持ちが動いたのか、もっと書き込まれてあっても良かったかなぁ。あと希望としてはスケジュールに○をつける瞬間は、『彼女との仲直り』だったら嬉しかったです。2014-04-05 18:30:25【☆☆☆☆☆】羽付>羽付さん
感想ありがとうございます!
>>一人称の難しい所の一つだと思うのですが、やっぱり主人公を受け入れづらくて、なかなか乗って読めなかったです。
やはりそうですよね……。ダメ男を書こう! という意図はもともとあったのですが、なぜこんな男を主人公にしてしまったのか、と自分でも思います。イライラさせてしまってすみません。不器用なだけで、彼にも悪気はないのです。
>>翔平は、好きだという気持ちが言葉にも行動にも出なさすぎですね。だからか『この人無しで生きていけるはずがないのに』が突然出てきて浮いてるように感じて、逆に別れたいくらいの勢いじゃなかったの? と思ってしまいました。
これはぼくの描写不足、ということもあると思います。翔平の中では彼女の存在がめちゃくちゃ大きくて、それゆえに自分に対してふがいなさを感じたり、逆に彼女に甘え過ぎたり(部屋で採点するとか、無関心でいるとか)、といったことをもっと詳しく書いておけばよかったかもしれません。
>>あと麻衣は翔平の事を好きだったのかな? それとも純粋に心配や好奇心だったのか、どっちだろう。
ご想像にお任せします!(笑) どっちにしろ翔平はにぶいので、何とも思ってないようですね。
>>「ゆめはるか」って今はもうサークル名みたいなもので、石田さんが取りまとめているだけなのかな? と単純な私は思ってしまうのですが
これについてはまだコメントできませんが、推理しつつ読んでいただけるのはうれしいです! 次章以降、徐々に「ゆめはるか」の輪郭を明らかにしていければなと思っています。
>>次回は梓ですね! 今回ちょっとだけ電話での登場でしたがツンな所が見えて、三章とても楽しみです♪
ありがとうございます! でもいざ女子中学生の一人称を書こうとすると、なかなか筆が進まなくて……あまり気負わず、ぼちぼち書いていこうと思います。梓と誠は……ううんどうでしょう……。
「男三人」については考えさせていただきます。確かにそう考えると不自然かもしれないですね。「また(いつか)」はぼくも自信がなくなったので「いつか」に変えておきました。
>>保育所のシーンで、職員さんが不審そうな目で「よく遊ばれるんですか」と訊いた所なのですが、私は流れ的に笑顔で会話するような内容だと思ったのですが、主人公が勝手に不審そうな目で見られたと感じただけなのかな?
そうですね。顔自体は普通ですが、目に不審そうな色が浮かんだという意味でした。翔平がよく子どもと遊ぶということが、彼の身分や外見からは思いもよらなかったためと思われます。このへんはわかりにくいので修正しておきます。
>>翔平は言いたい事したい事があるけど出来ないみたいのが、もっと全面に出ていたら好きになれたかなと思います。
上に書いた通り、やはり描写不足でしたね……精進します。
>>食事の後の手を握られての麻衣との会話で、どうしてそこまで気持ちが動いたのか、もっと書き込まれてあっても良かったかなぁ。
ラストのスピード感は落としたくなかったので……すみません。もしくはそれまでの描写を充実させて、もっとラストをわかりよいものにできたらよかったですね。翔平の気持ちを動かしたのは麻衣からの「思いがけない肯定」なのですが、それがなぜ翔平の心にすとんと入ったのか……ふがいない自分を責める彼の気持ちと関わってくるのですが、ラストに上手く収束させるためには、もうちょっとエピソードを足すべきなのかもしれません。
>>あと希望としてはスケジュールに○をつける瞬間は、『彼女との仲直り』だったら嬉しかったです。
何となくハッピーエンドがいやだったので、この章では彼女との関係は中途半端なままになってしまいました。さすがにこのままでは後味が悪いですし、次章以降で解決させることも少し考えています。
いろいろなご指摘、ありがとうございました!2014-04-08 21:51:40【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑続きを読ませていただきました。
四章・五章の前の助走が今回の三章でしょうか。名前だけ出てすぐに退場してしまう錦織先生や長谷川さんが気になります。梓ちゃん、また違うところで同じような失敗をしそう……。周りの友達は皆良い人ばかりだったなあ。でも梓の性格的になんか嘘の友情みたいに感じてしまいました。駅伝のシーンとか、やらかしたのが梓だったから皆がかばってくれたのであって、長谷川さんみたいな子だったら皆はどんな顔をしただろうとか良くない妄想をしてしまいました。
ところでこの章の終わりですが、なんか唐突にぶった切られたような違和感がありました。神様のアホ――って、失恋して終わり……? ちょっと不自然な気がしました。次回に続く話なのでしょうか。いや、まあ一章も二章も途中で切れていたからどこかで全部が一つにまとまるのかな。とにかく最後まで読まないと、ですね。
あと梓の良さがいまいち伝わってこなかったところが少々残念でした。僕が彼女と相性が悪いだけなのかもしれませんが、特に共感できることもなく、良い子だなあって思うこともなく……。確かにこういう子いそうですけどね。中学時代に出会っていたら、僕の方から近寄らないようにしていたかも。それ以前に向こうから避けられそうです。僕は基本的にボッチで無口なミステリアスボーイだったので、梓からしたら「ピンク色伯爵っていう奴、なんかちょっときもちわるい」っていうのがありそうな反応でしょうね。あ、でも梓ちゃんが美少女で、僕がラノベの主人公だったら燃えるシチュエーションですな(謎)。ヒロインを支配する喜びっていうのは、いくつかのラノベの根底にある(と僕が勝手に思っている)もので、執筆の動機の一つになっているのかもしれません。
よく分からない感想になってしまいました。次回更新をお待ちしています。ピンク色伯爵でした。2014-05-04 20:59:23【☆☆☆☆☆】ピンク色伯爵こんにちは、ゆうら 佑様。上野文です。
御作を読みました。
梓編、青春してますね!
最後の台詞、神様カンケーネー! ヽ(´Д`;)ノ
とツッコミを入れたくなりましたが、だからこそ味があります。
『大切なのは自分の努力だ。あたしは自分でがんばってる』
梓ちゃんの努力は恋愛面に関しては見当違いだったかもしれないけど、もっと頑張ってた人に叶わなかったけど、それでもそんな一生懸命になれる女の子だから、周りの友人たちにも恵まれたのかなと思いました。
面白かったです! 続きを楽しみにしています。2014-05-05 07:30:14【☆☆☆☆☆】上野文>ピンク色伯爵さん
今回もありがとうございます! 一応各章は読み切りの形になってしまうのですが、さすがに不自然だったでしょうか。もちろん次回以降である程度回収することは予定しています。ただ、個々の人間の生活を切り取ろうという意図で書いており、すべてめでたしめでたしとはいかない……かもしれません。いや、そもそも切り取り方が下手なのかもしれませんね。うーん。
>>周りの友達は皆良い人ばかりだったなあ。でも梓の性格的になんか嘘の友情みたいに感じてしまいました。駅伝のシーンとか、やらかしたのが梓だったから皆がかばってくれたのであって、長谷川さんみたいな子だったら皆はどんな顔をしただろうとか良くない妄想をしてしまいました。
梓の性格的に、というのはつまり、「怒らせたら面倒だしちやほやしとくか」とみんなが思っているということでしょうか? なるほど……そういうこともあるんでしょうかね……。書いてる時は完全に梓の気持ちになろうとしていたので、周りの人の感情はほぼ無視していました(笑) 嘘の友情ではない、と少なくとも梓は思っています。でもそうなのかもしれません。
>>梓の良さがいまいち伝わってこなかったところが少々残念でした。
>>特に共感できることもなく、良い子だなあって思うこともなく……
これはつらいところですね。上に書いたこととも関連するのですが、ぼくは梓を「聡明な子」としては書きたくなかったのです。だから梓は友達の真意をはかったりすることもないですし、基本的に自分のことしか考えてません。思考もうすっぺらです。そういうところが負のイメージを与えてしまったのかもしれません。また、一真や翔平、次の石田さんとのバランスも考えると、ちょっと雰囲気を変えてこういう子にせざるを得ませんでした(という気がしました)。同じような性格にしてしまうと単調になってしまいますし。しかし主人公を好いてもらえないとお話になりませんし、ここは考えどころですね。(ぼくは好きなのですが……)
今回はピンク色伯爵さんの支持を得られませんでしたね(笑) 少なくとも前の章の二人とは違う人間が書けたのでしょうが、もっと研究が必要ですね。でも梓を主人公から外してヒロインにすることはできませんし……。感想、本当にありがとうございました。
>上野文さん
>>梓編、青春してますね!
やったあ(笑) とにかく青春らしいものを書いてみたかったので、その点だけでも認めていただけたのなら嬉しいです。最後の台詞なんて本当にばかみたいなんですが、でも、梓は絶対こう叫ぶだろうという確信のようなものがありました(笑) 味があるとおっしゃっていただけてよかったです。
>>そんな一生懸命になれる女の子だから、周りの友人たちにも恵まれたのかなと思いました。
結局は周りが優しいんですよね。でも、やっぱり一生懸命だからこそ助けてくれる人も現れるんでしょうね。冷めた女の子ならこうはいかなかっただろうなあと思います。
今回も感想ありがとうございました。続きもがんばります。2014-05-05 16:47:08【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑こんにちは。遅くなってしまい申し訳ありません、更新分を読ませていただきました。
二章も三章も、それぞれ違った良さがあるなと思いました。翔平さんを見ながら、なるほど男の人はこういう考え方をするのかと納得したり、梓ちゃんを応援したくなったりと、主人公目線で読みすすめて行くことができました。
(おそらくどちらかといえば)自分と年が近い梓ちゃんの方に、とても感情移入してしまいました。梓ちゃん、真っすぐでとても好きです。美希に対する羨ましさとか嫉妬とかには、すごく共感できました。梓ちゃんは「いい子」ではないかもしれないけれど、それゆえに人間味がある気がします。途中から「わかな先輩が松浦君を好きじゃありませんように」と祈りながら読んでしまいました、まあ結局そうだったわけですが(笑)ラストシーンは
まさに青春だなーと思ったのですが、これで終わりなのは少し残念というか、別のところでもいいから彼女には報われて欲しいなと思ったり……
このあと物語がどういう展開になっていくのか、とても気になります。錦織先生のこともありますし。
それと、ゆうらさんは男性だとうかがったのですが、章が変わるごとに変更される主人公が、それぞれ全くの「別人」として書き分けられていることが本当にすごいと思います。いえ、別の人間なんだから当たり前ではないかと思われるかもしれませんが、それぞれの主人公がまるで生身の人間そのもののように、性別、年齢、職業、立場にあった思考をしているというのが私には驚きなのです。私はいつも、どこか自分のコピーみたいな、同じようなキャラクターしか書けないし、自分とかけ離れた立場にいる人間の心情をリアルに描写することは無理だろうなと感じているので……
続きを楽しみにしています。ありがとうございました。2014-05-07 10:28:59【☆☆☆☆☆】木の葉のぶ>木の葉のぶさん
感想ありがとうございます! 二章と三章を続けて読んでくださったんですね。
翔平の考え方については、中にはそういう男性もいるんだなあ、というくらいに思っておいてください(笑) きっとそうでない男性もいるはずなので……。コメントしづらいですね。でも「納得」していただけたというのは、ぼくにとって励みになります。
>>(おそらくどちらかといえば)自分と年が近い梓ちゃんの方に、とても感情移入してしまいました。梓ちゃん、真っすぐでとても好きです。美希に対する羨ましさとか嫉妬とかには、すごく共感できました。
このお言葉を頂けてとても嬉しいです。女子中学生なんか書けるんだろうかと自分でも不安だったので、年の近い方のお墨付き(?)がもらえて本当によかったです。しかも好きとまでいっていただけるとは……。がんばって書いた甲斐がありました。
>>このあと物語がどういう展開になっていくのか、とても気になります。錦織先生のこともありますし。
やっぱりこの章だけでは短編として不完全ですよね。連作短編としては、この章だけでもう少し話をまとめたほうがよかったかもしれません。といいつつ、梓や錦織先生のお話は次の章に持ち越すことにします。
今回梓は残念な結果になってしまいました。でも、ぼくはけっこう明るい気持ちでこのラストを書きました。だって梓はまだまだ若いですから。これからたくさん失敗をして、やがて素敵な恋をするんだと思います。
>>ゆうらさんは男性だとうかがったのですが、章が変わるごとに変更される主人公が、それぞれ全くの「別人」として書き分けられていることが本当にすごいと思います。
ありがとうございます。ちょっと無駄話をしますと、ぼくは昔、この掲示板を利用されていたある方に対して「どうしてそんなに多くの人を書き分けられるんですか? 取材などをなさってるんですか?」と質問したことがあります。その答えは「ただ自分が多趣味なだけです」というものでした。その時はそんなばかな、と思っていましたが、実際主人公を変えつつ書いてみると、自分の経験や価値観の外に出られないことを痛感します。つまり全然知らないことは書けないんですね。梓の心情は、本物の女子中学生と接したわずかな経験をもとに、メディア等に出てくる女の子も意識に入れつつ類推しました。ただ、想像にも限界があります。たとえばぼくは塾講師をしたことがなかったので、第二章ではリアルな塾講師を描くことができませんでした(いろいろ無理な設定があるように思います)。だからこういう小説を書くにはいろんな経験を積んでいくことが大切ですし、いろんな人と出会っておくことも大切なんだと思います。そしていざ書く時は無私の状態にならないといけない……。ぼくもすごく難しいと思って書いています。ネタもたくさん集めないといけません。おそらくぼくはこの作品でネタ切れになります(笑) いや、残りの二章を書けるかどうかも心もとないです。そのある方というのは現在プロとして活躍されている朝井リョウさんなのですが、朝井さんが専業作家の道を選ばず企業でも働かれているのは、そういうことが理由のようです。
とりあえず、何とかそれぞれの人物を書き分けることはできている気がするので、あとはストーリーをおもしろくしたり、もっと気のきいた言葉を使ったり、描写を洗練させたりできればいいなあ、というのが今の目標です。残り二章、がんばってみます。木の葉のぶさんの次回作も楽しみにしています。こちらこそ、貴重なご意見をありがとうございました。2014-05-09 01:17:00【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑遅くなりましたが拝見しました!
最初は美希が主人公で青春ラブストーリーみたいな展開のが面白いかもと思ったのですが、読み進めると梓が主人公なのがしっくりきてどんどんと読み進められました。どこか独りよがりな中学生らしい可愛さもあって、梓いい子だなって思います。わかな先輩のような元がある上に積極的な努力をする人の方が、眩し過ぎて苦手かもですw(でも三浦くんが好きになるのは分かります) 所で美希は、本当にわかな先輩の好きな人を知らなかったのだろうか? とか、美術部で上手くいってないのを知ってての授業中の言葉なのでは? とか、負けたくないというのも色々な意味で取れるよなぁと、ダークに考えてしまったり。まぁでも、これは考え過ぎですかね。
あと気になる存在が美術部顧問の錦織先生でしょうか。辞める理由が明かされてないのも気になるし、きっと最初から、そんなやる気なさそうな先生ではなくて、どちらかと言えば生徒に寄り添う先生だったのが、過去に教え子との間に何かあったんじゃないかなと勝手に想像してしまいます。読み逃してるかもですが、もう少し年齢が分かる情報があったらなと。
梓は常連のお客さんと仲良くできて、父親を自慢に思っているし、母親の優しさにもちゃんと気付けてて。駅伝の失敗からも学べてたから、失恋しても気持ちの良い終わり方になるかなと思っていたのですが、どこか恨み節なのが私は残念でした。
「ゆめはるか」や石田さんは、無作為にアシスタントを選んでいるというよりは、それが必要な人に与えているみたいな感じなのかなと、この章を読んで少し思いました。これからの4章、5章で前の章を補間するような部分も描かれるのかなと楽しみに続きをお待ちします。
本当に細かいことなのですが、練習から本番のユニフォームでやるのかな? と思いました。あと『一年の時から、あたしが美術部で浮いていた。……決定的になったのが去年の』という所なのですが、流れで読むとじゃあ今は中三かなと私だけかもですが勘違いしそうに、でも今は中学二年生なので『一年の時から』ではなくて『最初から』という表現のがしっくりくる気がします。2014-05-17 20:41:00【☆☆☆☆☆】羽付作品を拝見させて頂きました。
ゆうら 佑さんの作品を読むのは初めてだったか。ということは初めましてか? いやどっかの作品の感想欄で交わったことがある記憶が少しだけあるようなないような。まぁ細かいことは置いておいて(オイ)、改めて読ませて頂きました。
いいな、うん。いい。素直に面白い。一章毎に主人公が変わり、それがそれぞれ繋がっていて、最終的にひとつの完成を迎える。よくある構成パターンだけれども、自分では書けない分野である。そこを綺麗にまとめている点が素晴らしい。物語の最終結末が現状ではまったく読めないけど、面白いからいいや。
ストーリーに関しては指摘等々は特になし、神夜に書けない物語を存分に見せて頂ければ満足です。
指摘があるとすれば描写か。ひとつに、人物描写が少なく、物語分量に対して登場人物が多いこと。1章で3人くらいまでなら許容範囲なのですが、それ以上多くなる場合、少し人物を印象付ける描写が少ないと思います。2、3章はまぁ問題は無かったのですが、とっかかりの1章はそれが結構キツかった。むしろ2、3章は1章で慣れてしまったから大丈夫だったかどうかは判りませんが。
もうひとつに、通常描写がイマイチ流れていないこと。いやこれに関して神夜が人様にとやかく言えたことはないんですけれども。描写が多い物語は大いに結構、会話主体の昨今のラノベクソ食らえとか思っており、だからこそ描写は大切で、そしてその「多い描写を如何に読み易く研ぎ澄ますか」が自分の掲げる目標でして、そこに当てはめると、読む中で「綺麗に流れていない」と思ってしまう。いやお前の目標なんて知らねえよクソ野郎と言われたら「すんませんすんません」と土下座するのですが、もう少しなんだろう、的確なことが言えなくて申し訳ないのですが、「読み易い(流れ易い)描写」が反映されれば、個人的に格段に物語全体の勢いも含めて良くなるんじゃないか、というのが素直な感想でした。
しかし何はともあれ、小説として非常に面白いです。続きを楽しみにお待ちしております。2014-05-19 15:28:31【★★★★☆】神夜>羽付さん
今回も感想ありがとうございます!
>>どこか独りよがりな中学生らしい可愛さもあって、梓いい子だなって思います。
なるほど、確かにわかな先輩は完璧すぎますし、それに比べたら梓にはかわいさがありますよね。美希が主人公だったらどうだったろう……少なくともぼくには書きにくいジャンルになりそうです(笑) 美希って何となくこわいと思いますし。だから美希をダークな視点で見ていただいても全然かまいません。あれ、書いたときは良い友達のつもりだったのに、だんだん美希が悪者に思えてきた……。
>>あと気になる存在が美術部顧問の錦織先生でしょうか。
>>読み逃してるかもですが、もう少し年齢が分かる情報があったらなと。
年齢に関しては完全に書き落としてしまいました。ぼくの中では若い女性のイメージだったのですが、もしかして違うふうに映ってしまったでしょうか。野暮な感じとスーツ姿だということで伝わったらいいなと思ったのですが、これは描写が足りなかったですね。彼女の境遇についていろいろと想像していただけるのは嬉しいので、やっぱり年齢の情報は重要ですよね。修正しようと思います。
>>失恋しても気持ちの良い終わり方になるかなと思っていたのですが、どこか恨み節なのが私は残念でした。
うーん、そこまで梓を大人には描けませんでした。でも確かにいい子ではあるんですよね。難しいですね。しかし、失恋したのに気持ちよく終わっても……という気もします。次章以降でゆめはるか、石田さん、梓、錦織先生などをうまくからませていければと思っているので、そこで梓を少し成長させることができるかもしれません。ただ羽付さんもおっしゃるように、幼いからこそかわいい、という面があると思いますし、うーん、難しいですね。
>>練習から本番のユニフォームでやるのかな? と思いました。
うっ、あまりやらないですね。でも本番と同じウェアで練習するメリットはあるので、学校によっては着ることもあるかと思います。そのあたりの説明を入れれば違和感を少なくできるでしょうか? 学年がややこしいところも修正してみますね。細かいことでもご指摘いただけると嬉しいです。ありがとうございました!
>神夜さん
はじめまして……でしょうか? もちろんお名前はよく存じているのですが、ぼくも神夜さんの作品には感想を入れたことがなかったような気がします。どっかの作品の感想欄というのも記憶にないのですが、とにかく、お読みいただきありがとうございます。神夜さんに書けない物語って……なかなかプレッシャーですね(笑)
ご指摘もありがとうございます。
>>人物描写が少なく、物語分量に対して登場人物が多いこと。
第一章は一真、姫、誠さん、山さん……ああこの時点で四人いますね。一人称なので主人公を人数に含めるのかどうかよくわかりませんが、ほかに同級生とかバイト仲間とかも出てきてましたし、確かに多すぎますね。そしてそれぞれの描写が少なかったというのは本当にその通りだと思います。もうちょっと書き込み方を勉強しないと……ですね。二章は翔平、彼女、麻衣ちゃん、主要な人はこのくらいですが他にサークルの後輩と電話の梓。……どうも人数を多くして華やかにしようとする癖があるみたいで、結局少人数で内容を深めていくことが苦手なんですよね。
>>通常描写がイマイチ流れていないこと。
はい。実は自覚していました。自分で読んでいても詰まるんですよね(笑) 詰まるというか、文章の中に妙な凸凹ができているというか、あと話題の転換が急だとか、たぶん神夜さんが感じているのもそういうことではないでしょうか。がんばって推敲して流そうとしてるんですが、なかなか流れてくれません(この返事もいろいろ考えつつこねくりまわして書いているのですが、なかなかきれいにまとまりません。考えすぎなのか、それともこねくりまわしてようやくこのレベルなのか……)。これからも意識してより良くしていくしかないですね。そこはぼくも目標にしたいと思います。
感想と評価、本当にありがとうございました。正直これ本当におもしろいんだろうかと思いながら書いていたので、励みになります。次回もどうにか良いものをお届けできるようにしたいと思います。2014-05-21 00:28:57【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑[簡易感想]短すぎです。短すぎっ!2014-05-30 06:35:07【☆☆☆☆☆】Michelleゆうら佑様、ご無沙汰してます。ゆめはるか、読ませていただきました。読み始めてから、一気に終わりまで読んでしまいました。とても楽しませていただきました。
第一章では、姫ちゃんが時折見せる仕草などが目に浮かぶようで、少しほんわかしながら読ませていただきました。冒頭の部分から改めて読み返してみても、性別を隠す試みが、細かな伏線で表れていて、考えながら書かれたのがよくわかりました。
第二章では、実は翔平君は麻衣ちゃんと何かあるんじゃないだろうかとか、色々な可能性を考えながら読んでいきましたが、最後に翔平君の心の変化があり、胸にストンと降りるような感じがして良かったです。
今までの更新分の中では、第三章が一番気に入っています!(笑)心情描写がストレートに心に伝わってくるようで、とても物語に惹きこまれました。松浦君との恋は叶わなかったけれど、梓にも何か掴み取ったことがあるのではないかと思います。
第二章に入ったあたりから、人物関係や心情描写が深く描かれている作風にグイグイ惹きこまれていきました。文章からほのぼのとしたものを感じる反面、人物が深く描かれているので深みを感じることができました。
気になった点は、他の方が書かれているので特に書くことはないのですが、人物描写、情景描写をもう少し書きこまれたら、イメージしやすくてさらに良くなるのではないかと思いました。私も何度も言われていることで、未だに挑戦し続けているのですが……(汗)。
心にグッと迫る物語、面白かったです。更新分も、また読ませていただきます! ありがとうございました!
2014-06-28 22:44:55【☆☆☆☆☆】遥 彼方>遥 彼方さん
おひさしぶりです! ぼくもここ一か月ほど顔を出しておらず、感想をいただくのもひさしぶりだからか、何だか自分の作品を読んでもらうことが恥ずかしいというか、くすぐったく感じられます(笑) 一、二章はおっしゃる通り、いろいろ考えながら書いていたので、ラストを違和感なく読んでいただけたというのはすごく嬉しいです。
第三章、気に入っていただけましたか! 人によって好みのわかれる話かなあとも思いましたが、支持者が増えてきていてほっとしています。
たしかに情景とか人物の描写にも課題ありですよね……自分でもあいまいなイメージのまま書いている部分が多く、きっちり描写するのはしんどいのですが、それを言っていては良くなりませんよね。がんばります(笑) 正直、描写の配分がよくわからないので、余計に書いてあとで削るようにしていこうかなと思います。思うのですが、やっぱりすごくつらいですよね。がんばります……。
さてようやく第四章が仕上がりつつあるのですが、こうほめられますと「これでいいのかなあ」と不安にもなってきます。あとご指摘された点が改善されているかどうかも心もとないので、もうしばらく推敲したいと思います。
貴重なご意見、本当にありがとうございます。遥さんもひさしぶりに投稿されてますね! 近々読ませていただきます。2014-06-30 18:03:40【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑続きを読ませていただきました。
そうかぁ。ゆめはるかの正体――実体(実態?)がようやく分かりましたね。見事だと思いました。そうかぁ、ゆめはるかはそういう存在なのですね。この章、個人的に今までで一番好きです。真帆にとってゆめはるかとは居場所なのだと思います。翔平とはその辺りで既にすれ違ってしまっているんだろうな。翔平には自分のリアルがまずあって、何よりそれを優先している。だけど、真帆はそうじゃない。彼女にもリアルはあるけれども、それよりもゆめはるかというコミュニティを拠り所にしている。意識が違うのですよね。翔平はゆめはるかという場所からやがて出ていく人。真帆は、ゆめはるかという仮宿の大家さんといったところでしょうか。うわ……、次の文章を考えている間にスクリーンセーバーが起動したのですが、切なそうな表情をした僕の顔が黒い画面いっぱいに映し出されました。これは酷いグロ面。顔面偏差値17は伊達ではなかった。これは女性も逃げていくわ――アホなこと書くのは止めよう。
そうそう、女性が逃げていく云々と言えば――翔平くんは僕と違ってすごくモテますね。いや、まあモテそうなスペックしているからモテて当然なんだけど。でも僕が女性だったら翔平は避けちゃうかなあ。やっぱり自分の隣にいてくれる人が良いと思うのですよ。作中でも何回か言及されていますが、翔平は大切な人の隣にいない人間なので、付き合う方は大変だろうなと思います。彼にまず合わせられる人間じゃないとお互い無理をしあって窮屈な思いをしそうです。個人的な考えですが、翔平には横に居てくれる女性よりも翔平自身が隣に居られるよう頑張れるような女性の方が合っているような気がします。東京で美人で彼が憧れるような女性と出会えたら文庫本一冊分の恋愛小説が始まりますね。村山由佳のようなどろどろ展開になるのだろうけれども。
さて、ここまで感想を書いたけど、なんだろう、何かもやもやしますね。貴方の小説はとても心にしみるのですよ。もちろん良い意味で。この気持ちの正体が分かりません。だけど、なんかもやもやして切なくなります。切なくなっちゃうんです(画面に顔を寄せて強調)。梓もこの章ではとても良い味を出していました。前回の章で彼女にあまり良いイメージを持っていなかったのですが、この章で彼女を好きになれました。中学生らしい真っ直ぐさが眩しかったです。あと、真帆の職場の社長さん。彼の手紙の部分を読んでゆうら 佑さんは本当にうまいなあと改めて思いました。彼に対してすごく失礼な表現になりますが、彼の不器用さが如実に表れているのですよ、文章に。一読して、「ああ、この人は小賢しさが一切ないのだ」と感じ取ることができるのです。ちょっと鈍いところもあるけど、優しくてとてもいい人という彼の人柄がにじみ出ているのです。非常にうまく書かれているなと思いました。こういう何気ない演出が僕の胸をもやもやさせる原因なのかもしれません(電波なこと言ってすみません)。
思いついたことをつらつらと書き連ねただけのとりとめのない感想になってしまいました。良い物語を読むと脱力感に襲われるのですが、まさに今脱力している状態です。うーむ……。あ、前回の僕の感想に対する貴方の返信を読んで「聡明じゃない子」を描いてみたいと思いました。前から書こうと思っていたのですが、結局先延ばしにしていたのですよね。「聡明じゃない子」に負の感情を抱いている――どきりとしました。これは物書きである僕自身を次の段階にグレードアップさせる絶好の機会です。今度挑戦してみたいと思います。
この作品を読んでたくさんのことを学べました。次回最終章ですかね? 更新を心からお待ちしています。ピンク色伯爵でした。2014-07-06 15:55:49【★★★★☆】ピンク色伯爵こんにちは。四章を読ませていただきました。
前回、「自分は梓と年齢が近いと思う」というようなことを書かせていただきましたが、気持ちの面では完璧に真帆寄りですね……「普通の幸せ」が欲しい。自分は何者にもなる資格がない。自分には絵と文字しかない。わかるなあと思ってしまいました。そして、真帆のお母さんが大学ノートに書き綴っている言葉がぐさっときました。ごもっともなんだけど聞きたくない言葉たちです……。
今回の更新分、一回読んで、いままでと少し違った雰囲気だなと思いました。失礼を承知で言わせていただくと、なんだか、全体的に薄いような感じがしたのです。真帆の気持ちは自分にもよくわかるけど、なぜか感情移入できない気がして、読み返してみました。そして思ったのですが、私がそう感じたのは、物語の中で主人公と登場人物たちとの会話がほとんど無いせいかもしれないということです。読み始めたときは(読解力がないので)真帆が耳が不自由だということに気がつきませんでした。最後の補聴器の一文を読んで、頭の中で全てが繋がったのですが。
他にも、前の三章分よりも描写が少ないように思えてしまったり、「ゆめはるか」の正体(翔平くんが脚本→真帆が下絵→一真が切り絵→梓ちゃんが色塗り、で合っていますか?)はわかったけれど、結局真帆にとっての「ゆめはるか」とは一体何だったのだろうかと考えてしまったり……うまくまとめられなくて申し訳ないです。
梓ちゃんや翔平くんのその後が書かれていたのはとてもいいなと思いました。チャットの中に出てくる絵文字が中学生らしくて可愛かったです。真帆が一途に思っている「あの人」の存在もとても気になるところです。
それでは、次回の更新も楽しみにしています。2014-07-06 17:53:41【☆☆☆☆☆】木の葉のぶこんばんは、ゆうら 佑様。上野文です。
御作を読みました。
なにやら色々と衝撃的で、愕然としています。
最初に、実は私の中では株価が底値を割っていた翔平君の評価が爆上げしました。
「たびするとり」もなかなか良かったし、彼女のこと、自分の生活のこと、真剣に取り組み始めたのが今回の章で伺えて、「やるやない!」と見直しました。
梓ちゃんは、別視点から見ると本当に可愛いですね♪ ええ子ええ子♪
さて、今回主役の真帆さんですが、ようやく、「ゆめはるか」の真相に近づいたのですが、非常に感情を揺さぶられました。
一真君の章で、叙述トリックが使われていたことから、「ゆめはるか」自身が一人二役か、あるいは作られた架空の人物である可能性は考慮していました。
なのに、何故だろう? 真相が発覚したとき、すごくショックだったんです。
それはきっと、いままでの積み重ねと、真帆さんの思い入れが、胸を打ったから。
4章に至って、見事に前章までを昇華されたなあと感動しました。
とても面白かったです!2014-07-06 21:31:49【★★★★☆】上野文>ピンク色伯爵さん
こんにちは。ありがとうございます。思った以上の高評価をいただけて、ちょっと感激しています。
>>意識が違うのですよね。翔平はゆめはるかという場所からやがて出ていく人。真帆は、ゆめはるかという仮宿の大家さんといったところでしょうか。
なるほど……意図して翔平と真帆を対比させたわけではないのですが、結果的にそうなったようですね。そう考えると本当に切ないですね。まあ彼女たちもある意味「組織」である以上、それぞれに違う方向性を持ってしまうのはやむをえないというか……うーむ、アシスタント同士の対立(?)なんて最初は書くつもりなかったのですが。スクリーンセーバー云々で笑ってしまいました。すみません。そこまで考えていただけると、いろいろ悩んで書いた甲斐があったと思います。
>>個人的な考えですが、翔平には横に居てくれる女性よりも翔平自身が隣に居られるよう頑張れるような女性の方が合っているような気がします。
……!! その発想はなかったです。でも確かにそうなのかも。って、せっかくハッピーエンド方向に誘導したのに、これ以上引っかき回さないでください(笑) この作品ではモテモテの翔平ですが、実際の女性から見たら果たして魅力的に感じるのかなあ。これは女性の読者の方に聞いてみたいところですね。
>>梓もこの章ではとても良い味を出していました。前回の章で彼女にあまり良いイメージを持っていなかったのですが、この章で彼女を好きになれました。
本当ですか! 別に好感度を上げようと意識したわけではないのですが……翔平も上野文さんの中で株を上げてますし、今回梓も翔平もどうしちゃったんだろう……。二人とも文字だけの登場で、ちょっと浮いてないかなあと心配だったのですが、うまく物語に溶け込めていたようで良かったです。社長さんの手紙も、そういっていただけるとほっとします。彼ってあんまり登場しませんし、取ってつけたようになるのがいやで、正直この手紙を出すかどうかも若干迷ったので。
いやもう、そこまでほめられるとは思いませんでした。でもピンク色伯爵さんのおかげもあるんです。本当は各章ある程度独立した短編を五本並べるつもりにしていたのですが、前回、第三章の終わり方が唐突との感想をいただいて、さっと方向転換しました。当初の予定のまま行けば、これだけ登場人物たちが絡むこともなかったでしょうし、そしたらこんな話も書けなかったと思います。
>>前回の僕の感想に対する貴方の返信を読んで「聡明じゃない子」を描いてみたいと思いました。前から書こうと思っていたのですが、結局先延ばしにしていたのですよね。
そうだったんですか。何かのきっかけになれたのならうれしいです。ぜひぜひ書いてみてください! きっといろんな意味でおもしろい作品になると思います。
お読みいただきありがとうございました! 最終章も全力で仕上げます。
>木の葉のぶさん
こんにちは。感想ありがとうございます!
>>前回、「自分は梓と年齢が近いと思う」というようなことを書かせていただきましたが、気持ちの面では完璧に真帆寄りですね……
うれしいです。いやうれしいっていうのも変なのですが、真帆はもちろん架空の人物であって、ぼくの中で「こんな人間、本当にいるのかな?」という不安も少しあったんです。だから共感していただけたのはすごくうれしかったです。お母さんの言葉はぼくも聞きたくありません(笑)
>>なんだか、全体的に薄いような感じがしたのです。真帆の気持ちは自分にもよくわかるけど、なぜか感情移入できない気がして、読み返してみました。そして思ったのですが、私がそう感じたのは、物語の中で主人公と登場人物たちとの会話がほとんど無いせいかもしれないということです。
たぶん、そうなのだと思います。今までは方言を前面に押し出し、いきいきした自然な会話にすることを心がけてきたので、文章語一辺倒になるとどうしても薄くなってしまうようです。また、メールやチャットで物語を進めたので、出来事が少ないことが「描写が少ない」と思われた原因ではないかと(描写自体は増やすようがんばったのですが……)。真帆の聴力については、最後までわからないように書いたのでそれでいいのですが、それで物語の印象が薄くなってしまってはだめですよね……。声の会話なしで小説を書く、という一種の挑戦だったのですが、やはり、難しかったです。今まで方言で書いてきて、ふとそれが話し言葉に偏していることに気づき、話せない人、聞けない人はその言語体系から除外されてしまうんだろうか? と思ったことがきっかけでした。その答えは作品中に示したつもりですが、しょせん想像なので、これからも考えていきたいと思います。話が長くなってしまいました。すみません。
ゆめはるかの正体はそれでOKです。それに加えて真帆が編集・製本・営業をしているという感じですね。真帆にとっての「ゆめはるか」は、ぼくもめちゃめちゃ考えながら書いたので、たぶんめちゃめちゃわかりにくいと思います。つまり、読んだ方の考え次第でいいんです(ごめんなさい、うまく説明できません)。
>>梓ちゃんや翔平くんのその後が書かれていたのはとてもいいなと思いました。
よかった! でも、本当に絵文字は中学生らしかったですか? ちょっとうれしいです(笑)
読んでいただきありがとうございました。次回、きちんとまとめられるよう頑張ります。
>上野文さん
こんばんは。今回もお読みいただきありがとうございます!
>>なにやら色々と衝撃的で、愕然としています。
>>最初に、実は私の中では株価が底値を割っていた翔平君の評価が爆上げしました。
そこですか(笑) 「たびするとり」をほめられたことは、普通にぼくが喜んでいます。それはともかく、そうなんです、翔平はこういう男だったのです! 翔平も梓も、文字だけの登場で存在感うすいかなあと心配だったのですが、杞憂でしたね。まあ、ほかの場面が淡白すぎたともいえますが……。
>>一真君の章で、叙述トリックが使われていたことから、「ゆめはるか」自身が一人二役か、あるいは作られた架空の人物である可能性は考慮していました。
見破られていましたか。さすが目の付け所が違いますね……。上野文さんの予想と比べて、真相はどうだったでしょうか。やっぱりほとんど予想されてたかなあ。
この第四章は、直前になって当初の予定からだいぶ変えましたが、それでもゆめはるかの正体については最初から決めて書いていました。それほど驚かせようという意図があったわけではないのですが、何かしらインパクトを与えられたのなら良かったなあと思います(適当な書き方ですみません。ぼくの中ではゆめはるかの正体はすでに当たり前の事実となっているので、みなさんとは反応のギャップがありますね)。でもまだ全てが明かされたわけではありませんので……あれ、でも上野文さんにはもう全部ばれてるのかなあ。
これまでで一番苦労した章でしたが、そういっていただけて何よりです。正直なところ、五章構成で三章まで書いたから、四章でこけても最後まで読んでもらえるかな……と失敗覚悟でアップしました(笑) 評価をいただけて本当にうれしいです。ありがとうございました。2014-07-08 02:02:02【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑遅くなりましたが読ませて頂きました。
相変わらず自分の書けない、そして書くことのないであろう物語を堪能させてもらってます。しかし何だろう、楽しい、楽しいんだけど正直、これといった感想が出て来ない不思議。何度も言うけど面白い。面白いんだけど感想が出て来ない。とりあえず最後まで更新されてからもう一回読み直して、そこでちゃんとした感想を書くことにしよう。
ところで、メッセージを見る限りあと2回で終わるんだろうか?なんかここまで見てると、むしろここまでが「プロローグ」で、各個人の深堀が出来たところで、ここから先に物語が大きく展開しそうな雰囲気が漂っているんだけれども。この物語がどういう着地をするのか、次回更新を楽しみにしております。2014-07-16 21:52:32【☆☆☆☆☆】神夜>神夜さん
こんにちは。引き続きお読みいただきありがとうございます。
楽しい、面白いという感想はすごくうれしいんですが、それだけだとぼくもどう返していいかわからないというか……(笑) しかし、この話の中で神夜さんに面白いと思ってもらえた部分って何なんでしょう。自分の書けない、そして書くことのないであろう物語、とおっしゃいますが、具体的にどのあたりがそうなのか、いまいちピンときません。正直、たった今ぼくが書いているのも、ざっくり言ってしまえば『恩返し』と似たような話です。それはともかく、もう一回読み直していただけるのはとても助かります。読み直さないと、なんのこっちゃ、というような話になっているかもしれないので。
あと二回というか、次でラストです。言われてみれば、ここから物語が大きく動いていく雰囲気がないこともないですね。たいした結論もなく書いているので、どうも尻切れトンボで終わってしまうような気もします。この前、『なっきー』の感想欄でおっしゃっていたこと、少し考えてみたのですが、少なくともここ数年、「伝えたいこと」があって小説を書いたことはなかったです。ただ方言や電車や男女関係に関心があったからそれを書いてみただけです。だからどうということはありません。適当ですね(笑)
うまく着地できるように頑張ります。ありがとうございました。2014-07-20 00:04:56【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑感想を書くのがとんでもなく遅くなってしまってすみません。御作、楽しみに読ませていただきました。やはり一気に読んでしまう文章・ストーリーは前章と変わっていないなと思いました。
今回は「ゆめはるか」について深く迫るストーリーとなっていて、最終章への伏線があるようでドキドキする展開になってきましたね。ストーリーがどう展開していくのか早く読みたくなってきます。
第四章を読みながら、人物がよく描かれていると改めて感じました。ここまで読んできて、登場人物の苦悩や心の変化が伝わってくる描き方に惹きこまれました。
気になったことは、第四章の終わり方も、先が気になるものとなっているのですが、もう少しラストまで真帆ちゃんのストーリーを掘り下げて描いていたらさらによりよい作品になるのではないかと思いました。
あまり参考になる感想も書けずにすみません。次の章も楽しみに読ませていただきます! それでは、ありがとうございました!
2014-07-20 22:37:20【☆☆☆☆☆】遥 彼方>遥 彼方さん
お読みいただきありがとうございます!
登場人物の心境についてはいろいろ考えつつ書いていたので、そういう感想をもらえるのはすごくうれしいです。たった五十枚の中で心の変化を描くのは難しいかなと思ったのですが、けっこううまくいったのでしょうか……。内容については、ラストに向けてさらに密度を大きくしていきたいと思います。
>>第四章の終わり方も、先が気になるものとなっているのですが、もう少しラストまで真帆ちゃんのストーリーを掘り下げて描いていたらさらによりよい作品になるのではないかと思いました。
そうですね。最終章への「つなぎ」のような位置づけになってしまい、真帆の物語のけじめをつけられなかったような気がします。短編としてのおもしろさというか、一つの作品としてのまとまりも欲しかったのかなとは思います。難しいですね。各章の連絡をさほど重要視せず書いていたせいで、結局長編でもなく、連作短編でもなくという感じになっちゃいました。
貴重なご意見、ありがとうございます。では、次回もよろしくお願いいたします。2014-07-24 00:11:06【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑こんばんは!「ゆめはるか」、続きを心待ちにしていました。完結おめでとうございます。最後まで読ませていただきました。
まず、前回の感想で「描写が少ないと思う」という軽はずみな発言をしていたことをお詫びします。あのときは(まあ今もといえばそうなのですが)描写、という言葉が具体的に何を指しているのかが自分でもわかっておらず、なんとなくのニュアンスで使ってしまっていたので……もう一度読み返してみて、自分には到底書ききれないであろう量の描写でこの物語が構成されているのだな、ということが今になってわかり、反省しています。すみません、でもこれだけは言わなくてはと思っていたので……自分のその時の体調や気持ちによって、同じ文章を読んでも受け取り方が異なってくるというのが本当に困りものです……話がそれました、では、遅くなりましたが改めて、作品の感想に入らせていただきます。
最終章の語り手である高野さんは、今までの四つの章の主人公とは違い、ゆめはるかを外から眺める傍観者のような立ち位置でしょうか。読む前は彼もまた、ゆめはるかと深い関わりがある人なのかなと思っていたので、ちょっと意外でした。あーこんなおじさんいそうだなー、前髪さんもいい味出してるなと思いながら読み進めて、一真が再び登場したところでまたびっくりしました。一章の時から好きだったので、もう一度彼女に会えて嬉しかったです。一番すごいなと思ったところは、高野さんが一真にインタビューをしている最中の「また違和感を感じた。」から始まる一節です。「周波数が変わった」という表現、秀逸だなと思います。感傷的になる瞬間みたいなものが、この一節に凝縮されている感じがして、一真の表情や声が、こちらまではっきり見えるような気がしました。私もこんな風に、人の感情を表現できるようになりたいです。
高野さんは、この物語のまとめとして「ゆめはるかとは何か」を聞き出す役割をも持った人物として描かれているのだなと思いました。そして、その答えが、一真の視点から出されたのですね。きっと、翔平くんや梓ちゃん、真帆さんなら、それぞれ別のことを答えていたのではないかなと思います。「ゆめはるか」は、ある人にとっては心の支えであったり、ある人にとっては誰かの役に立つことができる機会であったりと、人によって違うのではないでしょうか。
前にも書きましたが、つくりものでなく、人が人としてリアルの中に書かれているということが、この物語の魅力の一つではないかと思います。一真と真帆さんのこと、翔平君と彼女さんのこと、高野さんとその家族も心配ですし(どうして家庭崩壊してしまったのでしょうか……)、彼らの「その後」あるいは「その前」を、もっと聞かせて欲しいくらいです(笑)
現実はいつもハッピーエンドじゃない。それでも、みんなちゃんとやっていける。それぞれのお話は、そういう終わり方をしているように見えました。そして、だからこそ、気がつくと涙が出ているような、胸が締め付けられるような、そういう切なさがこの物語にあるんじゃないでしょうか。最終章のしめくくりの一言、すごく素敵でした。
最後に。今回の更新された分で、迷いつつ、それでもしっかりしている一真に、勇気をもらえた気がします。最近なかなか小説を書けないのですが、もう一度頑張ってみようと思いました。
まとまりのない感想ですみません……これほどまでに綿密なものを、コンスタントに書き続けてこられたゆうらさんを尊敬します。最初から最後まで面白くて、楽しく読ませていただきました。この物語が、小さい文庫本とかにまとまっていたらすごく良いなあと素直に思ってしまいます。そういう装丁が、とても似合うと思うので。
次回作も楽しみにしています。ありがとうございました。2014-08-15 19:58:09【★★★★☆】木の葉のぶこんにちは、ゆうら 佑様。上野文です。
完結おめでとうございます。お疲れ様でした。
感想を書きたいのですが、どうにも座りが悪いというか、上手く書けなくて困ってしまいます。
物語は終わっても、現実の日々は続いてゆく。
という意味で非常に「らしい」物語の決着なんですが、語られなかった部分が気になって、おいて行かれた気分になったのです。絵本だけでなく「ゆめはるか」そのものが、関係者によって作られていた物語だったのかもしれません。
重要なのは物語を読み手がどう受け止めるかであり、物語自身ではない、のかもしれませんが……、個人的にはこういう締め方をするのか、と悔しくなりました。
めでたしめでたしは、必ずしもその後の幸せをすべて保証したものではないでしょう。
でも、悲しみも苦しみもひっくるめて、「物語を終えた」彼らは皆幸せだったのだ、と納得するための「ピリオド」です。幻想を幻想のまま閉じ込めたことで、画竜点睛を欠いたような印象を受けてしまいました。
それでも、この作品が素晴らしいものであることは間違いありません。たいへん面白かったです。2014-08-16 13:58:56【★★★★☆】上野文完結おめでとうございます! これだけの枚数、そしてこの投稿ペース、執筆お疲れ様でした! 一話からずっと追いかけてここまで来ました。毎回更新分を読み終わるたびに、自分も何か作品を書かなくてはと思わされるお話ばかりで、僕が文章を書こうと思う原動力にもなった作品でした。
以下三点がこの作品に対する僕の熱い想いッ!
いくぜッ! うおおおおおおおおおッ!!!! ゆうら 佑さんッ!! 俺の煮えたぎるようなハートを受け取れええええええええええッ!!!!! ←なんか必殺技を出す前に叫ぶ文句みたいで自分で書いていて燃えますね。これ読んでいるゆうら 佑さんはきっと「このピンク色って奴は毎日が楽しいんだろうな」って考えていると思います。実際僕は毎日が楽しいです。ていうか僕の脳味噌の中身が楽しくてお花畑です(唐突な自虐)。
・人物が非常に丁寧に描かれていて感動した。
人物もそうですが、舞台となる街の描写もしっかりしているのですよね。写実的な絵画を見て、そのリアルさに感動するのと似ていた気がします。返信コメなどから推測するに、きちんと現地に行ってから書かれているご様子。これは作品に対するすごい熱量があると思いました。貴方自身は趣味で行っただけで、取材はそのついでと考えられているのかもしれませんが、なかなかできることではないんじゃないかと思います。尊敬します。
舞台描写の話が続きますが、ただ取材して、ただ書いただけではなく、きちんと空気感を作り出すことに成功されています。読んでいて、これはこの書き手さんの武器なんだろうなと思うと同時に、果たして僕がこれと同じレベルの物を求められたとき、オーダー通りの品を出すことができるかと自問してしまいました。できないんじゃないかと思います。正直に言いますと、激しく嫉妬しました。
人物の描写もとてもユニークで、楽しませていただきました。今回なんかは前髪君がすごくいい味を出していて、
『前髪はうなずくような、首をかしげるような微妙な反応をした。』
この一文を読んだ時、変な声が出ちゃいました。笑ってしまったんですね、僕。多分この部分を読んで笑ったのは僕だけだと思います(謎の確信)。この絶妙な仕草がたまりませんでした。うわあ、こういう人いるわー、というか僕もしているかもしれんわーって――そう思うと自然に笑いが噴き出してしまったのです。
日常の情景を面白く描けるのはある種の才能なのだと思います。ゆうら 佑さんのお話の面白さの一つは、間違いなくこの日常なんだと思います。
・この作品は美しい一枚の静止画のように思えた。
何を言っているのかとおっしゃられるかもしれませんが、そのままの意味です。読みながら思っていたのです。この話の中で、何か明確に『変化』したことがあったかと。
私見になりますが、こういう群像劇風の物語って、たくさんの主人公たちが誰かと出会い(例えばそれは各話ごとに異なる主人公たちであるかもしれない)、変わっていく様を描くと思うのです。この作品に登場した主人公たちが明確に変化したかと問われたならば、必ずしも変わったとは言い切れないのではないでしょうか。本人の内面も周囲の人間関係も、多少の変化はありますが、基本的にそのままです。一話然り、二話も根本的には人間関係に変化はなく、三話も、四話も、最終話も変化が描かれ結果が読者に暗示される前に話が終わってしまっていると感じました。
変化を描写しないことが悪いことではないのですが、変化は時に読み手にカタルシスを与え、書き手の主張を伝え、物語のテーマを明示すると思うのです。例えば一匹狼の勇者が協調性のある魔法使いと出会い、打ち解けて魔王を倒すという話なら、テーマが友情と勝利になるように、ですね。
そういう意味で、このお話は日常に生きる人たちを丁寧に描写しただけで終わっていて、読み手に積極的に働きかけるものが少ないように感じました。この作品はとても味があって面白いと思うのですが、そういう『分かりやすい面白さ』は無かったように思えました。人を選ぶ作品、なのかもしれません。貴方の狙い通りなのかどうかは分かりません。ただ、僕はそう感じましたという話です。非常に個人的な考えを述べてしまい申し訳ありません。
・こいつらの話はこれで終わりなのか。
いや、これ、一話一話が原稿用紙百二十枚以上の中編にできますよね。それくらい登場人物もいましたし、掘り下げられる余地があるように思えました。これをコンパクトにまとめられたのはすごいことなのですが、僕としてはどうももったいないなと思ってしまって。一話はともかく、二話から五話までは絶対に膨らませることができそう。人間関係がもつれて絡み合って、別の形でつながって、という展開を期待していたところがあったので、この点、もうちょっと描写があってほしかったなと思いました。
また、このお話を読み始めたきっかけというのが、ゆめはるかという『人物』は誰なのかという問いかけに、興味をひかれたからでした。実態を知ったときはいい意味でショックを受けました。それだけに、この話はこれで終わっていいはずがないと思ってしまい、彼らがこれからどうなるのか、ゆめはるかはどう変わるのかが気になってしまいます。やっぱり明確な結論がほしかったというのが本音でしょうか。ゆめはるかの関係者たちの日常をただ見つめているだけというのは生殺しですよぅ!!(※続きを書けと急かしているわけではありません。一読者としてそう感じたという趣旨の感想です)
色々書きましたが、あくまでピンク色はこう思ったというだけのことです。何か参考になるものがあればいいですが、なければ読み飛ばしてもらって結構です(でも全部読み飛ばされたら泣きます)。最後まで読めて良かったお話でした。ありがとうございました。次回作、お待ちしていますよ!! ピンク色伯爵でした。2014-08-17 08:18:21【★★★★☆】ピンク色伯爵>木の葉のぶさん
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
描写……といいますか書き込みといいますか、そういうものについては他の方からも少ないといわれていますし、実際足りないところもあるんだと思います。どこに重点を置くか、また置くべきだと考えるかは人によってそれぞれだと思うので、難しい問題ですよね。今回の章ではある程度意識して多くしたつもりなんですが、自分でもどの部分を強化したのかあいまいだったりします。とりあえず漠然と「増やそう」と思っちゃってました(笑) 今回感想をいただいて、ちゃんとした意識を持って書くことも必要だなあ、と思いました。
>>最終章の語り手である高野さんは、今までの四つの章の主人公とは違い、ゆめはるかを外から眺める傍観者のような立ち位置でしょうか。
はい、そうです。ずっと当事者の物語を続けていって、最後に外からの目線というか、相対的・客観的な視点を持ち込もうというのが当初からの目的でした。「アシスタント」はあくまで四人ですし、ゆめはるかの真相を暴くには外からの接触が不可欠ですし、ということでこういう構成になりました。まさに、おっしゃる通り「この物語のまとめとして『ゆめはるかとは何か』を聞き出す役割をも持った人物」ですね。
>>「周波数が変わった」という表現、秀逸だなと思います。感傷的になる瞬間みたいなものが、この一節に凝縮されている感じがして、一真の表情や声が、こちらまではっきり見えるような気がしました。
ここは一種のターニングポイントというか、自分でも重要な場面と位置づけて書いていたので(高野の耳が良いのもこの場面を書くためだったりします)、そう評価していただけて本当にうれしいです。
>>つくりものでなく、人が人としてリアルの中に書かれているということが、この物語の魅力の一つではないかと思います。
>>現実はいつもハッピーエンドじゃない。それでも、みんなちゃんとやっていける。それぞれのお話は、そういう終わり方をしているように見えました。
そうですね。リアルなものを書こう、と強く思っていたわけではないのですが、あくまで自然に、流れるように書いていこうと思っていました。だからきれいに始まってきれいに終わるわけじゃないんですよね。その後、その前を書いていないことは本当に申し訳ないというか、自分でも無責任だと思ってはいるのですが……。かといって全部書くとなるととんでもない長さになりますし、たぶん面白味もなくなっちゃいますし、このあたりの手加減がまだぼくは苦手のようです。
家庭崩壊については、たぶん、ぼくたち若い人にはわからない何かがあるんでしょうね(笑) まじめに答えますと、初めは小さなきっかけがあって、それがだんだん積み重なって険悪な仲に……という夫婦が少なくないとテレビで見たことがあるので、高野もそんな感じなのだと思います。
毎回ラスト一行には気をつかっているんですが、今回はどうかなあ、と気になっていたので、素敵といっていただけてうれしいです。思い返してみると、各章のラストっていつもこんな感じでしたね。この作品の全体を通して、ぼくも書きながら切なさを感じていたような気がします。
この章の一真はどう受け止められるだろう? とひやひやしていたので、木の葉のぶさんの感想には本当にほっとさせられました。もったいないお言葉ばかりです。ぼくもつらいときはこの感想を読み返そうと思います(笑) これまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
>上野文さん
最後までありがとうございます。
>>絵本だけでなく「ゆめはるか」そのものが、関係者によって作られていた物語だったのかもしれません。
>>幻想を幻想のまま閉じ込めたことで、画竜点睛を欠いたような印象を受けてしまいました。
こうした感想をいただいて思ったのですが……ぼくはリアルな人間を書いてきたつもりでいて、実は登場人物たちを架空の世界に置き去りにしちゃったのではないかと。それぞれの日常をさくっと切り取ることはある意味ではリアルなんですけども、物語をきちんと終わらせないことによって、彼ら彼女の存在自体は宙に浮いてしまうというか……。ちょっと惜しいことをしたのかもしれません。
ただ、今のぼくにはこれ以外のラストを書けなかったことは事実でして、正直なところ、他の展開やラストシーンがまったく思い浮かばないのです。ハッピーエンドでもバッドエンドでもない、自分の中では「頑張って生きてるよエンド」などと呼んでいるんですが、そういうたいして主張も目的もないラストにしたい、という願望が強いのかもしれません。そもそも瞳を描き入れる気が最初からなかったという……これはぼくの現時点での限界というか、これからの課題となるものだと思います。今まで書いてきたものも、中途半端な終わり方をするものばっかりです。
それでもお褒めいただけて幸いでした。たいへん参考になる感想をありがとうございます。今後もよろしくお願いします。
>ピンク色伯爵さん
こ、これはきちんと受け止めて返さなければ……
まず舞台描写なんですが、舞台をきちんと書くという目標があったことは事実で、できる限り現地の状況に忠実に、もちろん空気感もそれなりに意識はしたのですが、実際は「それっぽく」書くことでいっぱいいっぱいで、技巧をはさむ余裕なんかなかったんです。おそらく、現実の場所を舞台にするというある種のプレッシャー、下手なことは書けねえなという意識が、良いほうに働いてくれたんだと思います。その証拠に舞台をあいまいにした第五章は、それほど良い描写になっていないのではないかと。
上本町と神戸は本当に取材に出かけまして(笑)、出雲は旅行のついでに資料を集めてきました。歩く趣味は全然なかったのですが、取材自体はとても楽しかったので、機会があればまたやってみたいなあと思います。
そして人物描写ですね。前髪さん人気あるなあ。彼のモデルは高校のときの同級生で、彼が就職したらこんな感じだろう、と想像して書きました。たぶん想像で書くから面白くなるんでしょうね。人間観察が得意ではないので、いつも記憶の中から印象深いところだけ抜き出して書いてるんです。しかし、『前髪はうなずくような、首をかしげるような微妙な反応をした。』、ここで笑ってもらえたのは予想外でした(笑) でも確かに画を思い浮かべると面白いですね。
>>私見になりますが、こういう群像劇風の物語って、たくさんの主人公たちが誰かと出会い(例えばそれは各話ごとに異なる主人公たちであるかもしれない)、変わっていく様を描くと思うのです。この作品に登場した主人公たちが明確に変化したかと問われたならば、必ずしも変わったとは言い切れないのではないでしょうか。
変わっていく様を描く。その発想がそもそもありませんでしたorz そうか、確かに変わっていくものですよね……。なぜ変化が乏しいのかというと、(ピンク色伯爵さんの言葉の裏返しになるんですが)ぼくには読み手にカタルシスを与えたり、主張を伝えたり、物語のテーマを明示したり、という意図がまったくなかったからだと思います。神夜さんと少しコメントのやり取りをしたことなんですが、この作品は明確なテーマを設定せずに書いていました。だから主人公たちがどう変わっても、変わらなくても、ぼくは全然気にしていませんでした。ただ、ぼくが小説を書くのは、やっぱり読者の方の何かしらの反応が欲しいからなんです。ぼくのほうに答えは用意してないですけども。だから読み手に働きかけるものが少ないとなると、これはぼくの意図とも違いますし、改善の余地があるかと思います。
>>一話はともかく、二話から五話までは絶対に膨らませることができそう。人間関係がもつれて絡み合って、別の形でつながって、という展開を期待していたところがあったので、この点、もうちょっと描写があってほしかったなと思いました。
うーん難しいですね。というのはぼくの中で一つルールを決めていて、それは「偶然によるアシスタント同士の接触は厳禁」というものでした。誠さんという存在で一真と梓がつながりかけましたが、そこも最小限に、すれ違うともいえない程度にとどめました。あんまりご都合主義的になって、話が嘘くさくなるのがいやだったんです。すみません。で、そういう展開なしに膨らませることはもちろんできたと思うのですが、まあ、そこは力不足ということになるかと思われます。ということについて以下で考えてみます。
>>本人の内面も周囲の人間関係も、多少の変化はありますが、基本的にそのままです。一話然り、二話も根本的には人間関係に変化はなく、三話も、四話も、最終話も変化が描かれ結果が読者に暗示される前に話が終わってしまっていると感じました。
>>彼らがこれからどうなるのか、ゆめはるかはどう変わるのかが気になってしまいます。
この感想を実はいちばん恐れていまして、案の定ほかのお二方からもぶつけられてしまったわけなんですが……どうしてこんな中途半端なところで物語を終わらせたのか、自分でも考えてみました。どうして大きな変化を前にして終わらせちゃうかということですね。結局、変化を書くというのはすごく高いハードルなわけでして、そのハードルから逃げているだけなのかもしれません。これはぼくが乗り越えなきゃいけないものの一つかなと、今回、みなさんから感想をいただいて思いました。この作品というか、この物語はこの後が重要なんですよね、絶対。ゆめはるか最大の危機がこの後に待ち受けているわけですし。でもそれを最後まで書いたら、たとえば「危機を乗り越えたアシスタントたちの話」とかになってしまって、日常とかリアルとかではなくなるわけですし。と、とりあえずゆめはるかの実態はちゃんと明らかになったので、その意味で結論は出た――ということにしていただければ幸いです。せっかく最後まで読んでいただいたのに、肩すかしを食らわせたようで申し訳ないのですが。課題は課題として、今後の作品に生かしていこうと思います。最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。2014-08-19 00:32:30【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑遅れて申し訳ありません。最終話、読ませて頂きました。完結、お疲れ様です。完結したら最初から全部読み返させてもらう、とのたまったのに、少々プライベートが立て込んでおりまして、とりあえず取り急ぎの感想とさせて頂きます。
さて。正直な話をすると、――これで終わり、だと……? に尽きてしまう。他の方々のゆうら 佑さんの返答を見る限り、いろいろ思うところがあり、いろいろなルールや決まりを設けて物語を作っていることはわかるのですが、読者としては「え、おい、待て! こっから、こっからだろ!」と思わず突っ込みを入れてしまったりします。
自分個人としてはここまでがあくまで「前編」で、これからの、「危機を乗り越えたアシスタントたちの話」等などに期待をしてしまっていたから、肩透かしで終わったというのがひとつの本音。日常やリアルとしては合格点に達していると思います。思いますが、物語としての完成度という意味では、申し訳ありませんが未完なのではないかと。起承転結の承、あるいは転の最初で終わってしまっていると思わざるを得ない。
いや誤解されるとあれなんでぶっちゃけると、正直特に楽しみでもない、惰性で読んでる作品に関しては、こういう場合は適当な言葉を並べて感想を終わらせたりするのですが、これは素直に楽しみにしていたので、その反動で突っついていると思ってください。楽しみにしてたんだ。だから突っついてる。突っつき倒してやろうと思ってる。
が、自分たちがどれだけ足掻いたところで、この物語はゆうら 佑さんの中では「完結」しているはずで、これ以上を求めてもきっと、自分の読みたかった「ゆめはるか」は出て来ないのだろう。だから今回はグッと我慢する。グッと我慢しながら、ゆうら 佑さんの次回作でこの思いを解き放ってくれると信じています。
完結、お疲れ様でした。時間が出来たら、また最初から読み直させて頂きます。次回作、楽しみにしております。2014-08-31 16:23:20【★★★★☆】神夜>神夜さん
こんにちは。お読みいただきありがとうございます。
……以下、言い訳を並べることをお許しください。
この作品を書き始めた当初の意図というのが、どこかのコメントにも書いた通り「日常を切り取ろう」というものでした。それだけじゃ面白くないから、とりあえず謎の絵本作家を軸にして――くらいの気持ちだったんです、最初は。アシスタントたちの日常をつらつらと続けていき、最終章でゆめはるかの正体とか、ユニットが結成されるに至った経緯とか、そういうものを全部バタバタと明かして終わりにするつもりでした。
でも第四章で方向性が変わってきてしまいました。第一章から第三章までは話の内容も決めていて、最終章も今いったような感じで進めるつもりでいたのですが、第四章、石田さんの話については完全にノープランでした。第三章を書き終えた時点で「各章の終わり方が唐突すぎ」というご指摘を方々からいただきまして、第四章はそれまでの章の登場人物をからめた内容で構成しました(最初は単純に石田さん個人のストーリーにする予定でした)。となってくるとゆめはるかの正体を隠したままで進めるのは難しく、その真相を第四章に繰り上げることになりました。
もし最終章でバタバタと明かしていれば、その勢いで物語の幕を下ろすこともできたのかなあ、と今になって思います。でもそれ以上に問題だったのは、第四章で登場人物がからんで、ゆめはるかに不穏な空気がただよってきたことです。姫の怪我とか翔平の就職とか、各章でそういう伏線を入れたぼくも悪いのですが、第四章ではそれに加えて石田さんに変化が起こり、最終章でも一真の迷いが顕在化され……。確かに、これはもう、「未完」といわれても仕方のないものです。ぼくが当初考えていたワクの中に、物語が収まってくれませんでした。ただもう最初にワクを設定してしまっていた以上、この続きを書くのはすごく難しそうです。翔平、梓、石田さん個々人については第四章で一応の区切りをつけたつもりですし、この人たちの続きを想像することが、今のぼくにはまだできません。たいへん中途半端な結末になってしまい、申し訳ない限りです。
以上言い訳でした。いやまあここは「これで完結なんだ!」と開き直ったほうがいいのかもしれませんけれど、ぼくの中でも満足と後悔が7:3くらいでしょうか。ともかく楽しみにしていただいたことは大変うれしいので、次回こそは失望されないよう、きちんと「完結」する話を書こうと思います。あ、こちらにもまた改めて感想をいただけるのを、気長にお待ちしております。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。2014-09-04 01:08:49【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑こんにちは、夏海です。遅くなりましたが御作拝読いたしました。長編を一気に読んだ為に感想が混乱してしまっていたらすみません。
各章毎に主人公を代えて舞台を代えるという手法はよく見るものでしたが、ここまで綿密にやった作品はそう無いのではないかと思います。その土地土地の方言など(私は標準語圏なので適切なのかわかりませんが)を使用するなど、凝った表現は作者様の熱意を読者に伝えるのに大きく寄与していると強く感じました。取材の強みというのもありますね。西日本にはほとんど行った事のない私にしてみれば、まるで現地で暮らしている人のように地に足の付いた文章を書けるゆうら佑様の筆力に脱帽です。
一気読みをしたので主人公がコロコロ変わるストーリーは読みにくいかと最初思ったのですが、雑感の使い方が巧みで、各主人公のもっている世界観にすぐに引き込まれたというのが実際です。これほど読みやすさと雰囲気を演出できる作者様とは久々に出会った気がします。もっと早く読んでおけばよかった。軽く後悔です。
『ゆめはるか』という絵本作家の存在を通して沿革を描きながら、それぞれの主人公がそれぞれの物語の中でドラマを演じていくという難題を、こともなげに(少なくとも文章上はそう感じられる)こなしていくゆうら佑様の小説に魅せられてしまいました。巧いを通り越して、感嘆の一語に尽きます。
ただ一つだけケチ(?)を無理やりにつけようとするなら、それまで発揮していた展開力と比べて、結末が弱すぎる感じがしました。全ての伏線を集約していったら「こういうラストしかないだろう」という読者の読み通りの結末で、安心感を感じると同時に少しの驚きが欲しかった、といった感想も少しだけ持ちました。
なんにせよ、ここ数年来の良作と出会えて、感慨無量です。
今後の活躍を陰ながら期待させて頂きます。失礼しました。2014-10-07 14:52:45【★★★★★】夏海>夏海さん
こんにちは。お読みいただきありがとうございます!
>>各章毎に主人公を代えて舞台を代えるという手法はよく見るものでしたが、ここまで綿密にやった作品はそう無いのではないかと思います。
なるほどいわれて気がつきましたが、各章で舞台も変えているということが他の作品ではあまりない特徴かもしれませんね。この作品を書いている当時、方言とか地域性とかに興味を持っていたので、自然とそういう色が強いものになったようです。ただ書いているうちにぼくの興味も移ってしまい、最終章ではかなりあいまいな舞台設定に甘んじています(笑) 第一章から第三章くらいまでは足やネットを駆使して一生懸命取材していたので、評価していただけてとても嬉しいです。ただぼくが住んだことのあるのは第四章の京都市のみ、それも数年ですので、誤謬はないまでも適切でない表現があるかもしれません。そのあたりは割り引いて読んでいただければと思います。
>>一気読みをしたので主人公がコロコロ変わるストーリーは読みにくいかと最初思ったのですが、雑感の使い方が巧みで、各主人公のもっている世界観にすぐに引き込まれたというのが実際です。
……! 一章ずつ投稿していたため、通して読む場合のことは全く考えていませんでした。それでも、できるだけリアルに主人公の生活を作り上げるよう徹したのが功を奏したようです。なるべく無私の状態で、自分を主人公に没入させるようにして書いていました。かなり疲れる作業でしたが、いろいろな分野を開拓できたような気がします。
構成としては「ゆめはるかを軸にしたアシスタントの話」になっていますけど、種明かしをすれば本当は逆で、個々の話が先にあり、それらをゆめはるかという軸を中心にまとめたという面もあるんです。だから各主人公がいきいきとドラマを演じることができたんですね。そのせいか、途中までゆめはるかの存在感が紙同然でした。
>>ただ一つだけケチ(?)を無理やりにつけようとするなら、それまで発揮していた展開力と比べて、結末が弱すぎる感じがしました。
うーん、やっぱり最終章が収束に終始していたからでしょうか? 各章には山があり、第四章にはゆめはるかの正体という大きな山があったわけで、それに比べると最終章は落ち着きすぎていましたね。ラストは始めから決めていたので、そこに至るまでの展開を思わせぶりに膨らませすぎたことが原因かと思われます。ラストでもう一ひねりできれば、もっと良いものになったのだろうとは思うのですが。
もったいないほどのお言葉をたくさんいただき、うろたえているところです。ぼくもちょっとは上手くなってきたのかなあ。これからもより良い作品を書いていけるよう頑張ります。よければまたお付き合いください。ありがとうございました。2014-10-09 00:07:25【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑計:41点 - お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。