『なっきー奮闘記 後編』作者:神夜 / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
都筑高校新聞部の紅一点、入部三日目の天倉那月こと「なっきー」の最初の仕事は、目下のうんこ野郎『殴り屋』壮枇龍乾の化けの皮を剥ぐことだと、決めた。
全角74866文字
容量149732 bytes
原稿用紙約187.17枚




 要するに、都筑高校三年の壮枇龍乾(そうびりゅうけん)は、『殴り屋』であるらしい。
 あるらしいのだが、意味が判らない。『殴り屋』ってそもそもなんだ、『殺し屋』の下位互換か。『殺し屋』のお仕事はその名の通り人を殺すことであるからして、ならば『殴り屋』のお仕事は人を殴ることであるのか。やっぱり意味が判らない。調査して聞き込みを行なった結果、噂は簡単に「壮枇龍乾は『殴り屋』で、依頼料さえ払えばどんな人でもボコスカぶん殴る」とか平気で言う。おまけに噂とは本当に当てにならないもので、「壮枇龍乾が他校の誰それを殴り倒した」だとか、「壮枇龍乾が暴走族を単独で壊滅させた」だとか、「壮枇龍乾がヤクザの事務所に拳一つで殴り込みをかけた」だとか、「壮枇龍乾が中国マフィアを向こう側に回して拳銃の銃弾を拳で叩き潰した」だとか、嘘っぱちもいいところである。高々高校三年生の男子生徒に、ヤクザやマフィアを相手に出来るだけの力なんてある訳が無いのだ。だがしかし、噂はどこまで肥大化してこの耳に伝わってくる。気に入らない。
 悪である暴力を、下らない理由で正当化するその行為が、最低だと思った。
 だから、その壮枇龍乾の化けの皮を剥いでやろうと思った。
 化けの皮を剥いで現れるのはどうせただのチンケな一高校生であるに決まっていた。どうせ他校の誰それにボコボコに殴られたくせに格好つけて「あいつ殴ってやったぜ」とか言っているだけに決まっていた。どうせ暴走族にバイクで周りをぐるぐる回られただけで怖気づき、土下座しながら「勘弁してください」とか言っていたに決まっていた。どうせヤクザとか言いながらもその辺のパンチパーマ風の天然パーマのおっさんにイチャモンをつけて絡んだだけに決まっていた。どうせ中国マフィアとかそもそもの嘘っぱちで、公園で遊んでいた子供にエアガンを向けられてビビッた挙句、振り回した手が偶然にもBB弾を弾いただけに決まっていた。
 噂だけが一人歩きしている壮枇龍乾という男子生徒。こいつの皮を剥いで現れるのは、そんなちっぽけなうんこみたいな男だと、そう思った。
 だからこそ、新聞部としての最初の仕事は、そのうんこ野郎の化けの皮を剥ぐことだと、決めた。
 悪の暴力に対しては、正当なペンを持って、それを制すのだ。
 都筑高校に入学して僅か三週間、そしてさらに言うのであれば、都筑高校新聞部に入部して、まだ三日目であった。新聞部の紅一点として持て囃された結果、こうしていきなりやる気になっている感は少しだけ否めないが、それでもあまりやる気の感じられない新聞部の先輩連中の目を覚まさせるにはちょうど良い機会だと思った。新聞部の新入部員、おまけに唯一の女子部員が、いきなり大きな山場を抑えて記事の人気を牛耳れば、先輩連中も「とりあえず適当にやっとけばいいんじゃね?」なんて口が裂けても言えなくなるであろう。そうに決まっている。
 新聞部に入部すると渡される腕章を腕に通し、さらに自らの名前である「天倉那月(Natuki Amakura)」と書かれた新聞部特製のプラカードを首から提げる。気合十分で意気揚々と「壮枇龍乾の化けの皮を剥いできます」と言い放ったこちらに対し、漫画雑誌を読みながらジュースを飲んでいた新聞部部長の楠木(くすのき)は、「悪いことは言わねえから壮枇はやめとけ、あれに手を出しても碌なことにはならん」と釘を刺してきたが、そんな不真面目な態度で言われて「はいそうですか判りました」と納得するくらいであれば、そもそもこんないい加減な新聞部に留まってはいない。この新聞部をもっと真面目な部にする。入部僅か三日で、そう思えるくらい、この部はいい加減過ぎた。これでは正当なペンを持っての真実を記事にすることすら出来ない。だからこそ、そんな不真面目な態度で言われて、納得なんて出来るはずがない。
 壮枇龍乾の行動パターンは、ある程度下調べがついていた。放課後、壮枇龍乾はかなりの高確率で屋上にいるらしい。それはつまり、それが壮枇龍乾の『殴り屋』としての活動の一環であるからだ。放課後から一時間、壮枇龍乾は屋上で依頼者が現れるのを待っているという。ならば好都合である、そこに突撃取材して、徹底的に化けの皮を剥ぐ。ビデオカメラもボイスレコーダーも準備万端である、大げさな噂を根本から叩き潰して化けの皮を剥ぎ、報道の自由の名の下にうんこ野郎の実態を民衆の目に晒してやるのだ。
 部室棟からずんずんと歩き出し、廊下を抜け階段を上がって屋上を目指す。屋上のドアの前に着いたと同時に、安っぽいドアノブに手を掛けて深呼吸をする。
 これが、最初の仕事である。壮枇龍乾の化けの皮を、剥いでやるのだ。
 ドアを一気に押し開ける。吹き抜ける風には、春の匂いが混ざっていた。僅かに傾きかけた太陽の光に一瞬だけ視界が奪われ、無意識の内に手を目の前に持って来て影を作る。ようやっと視界が元通りになったのを切っ掛けに腕を下ろし、新聞部から持って来ていた掌サイズのビデオカメラの録画開始ボタンの位置を指先で確認し、
「――女子生徒の客とはまた珍しいな」
 その声を聞いた。
 開けた屋上のど真ん中。一体何処から持って来たのか、教室にあるような椅子が置いてあって、その上に足を組みながら踏ん反り返っている男子生徒がいる。ボサボサの頭に着崩した制服と緩々のネクタイ、下に向かって伸ばされている右手に炭酸ジュースの缶を持っている。気だるそうなその顔には、やはり見覚えが無い。だけどすぐに判った。頭のどこかが断定している。こいつが目下のうんこ野郎、壮枇龍乾だ。
 ビデオカメラの録画開始ボタンに人差し指を置きながら、逆側の腕を上げて壮枇龍乾に対して指を指し、一呼吸置いた後、たぶん人生で一番清々しく、そして堂々と、こう、言い放ってやった。
「壮枇龍乾先輩。わたしは、貴方の取材にきひゃした」
 ――噛んだ。
 たぶん人生で一番清々しく、そして堂々と言い放った結果、見事に大事なところで噛んだ。
 出鼻を挫かれたせいで、すぐさま訂正することがついに出来ず、頭の上に「?」マークを浮かべて首を傾げる壮枇龍乾から視線を外せず、五秒が過ぎて、十秒が過ぎて、そして終いには三十秒が経つであろうその時、突然に壮枇龍乾の頭の上に浮かんでいた「?」マークが電球のマークに切り替わった。
 おお、なるほど、と壮枇龍乾は笑った。
「おれを取材に来たのか。つまりお前、新聞部か」
 正直な話をしようと、思う。
 うんこ野郎なんて言ってごめんなさい。
 うんこ女はわたしでしたごめんなさい。
 正直な話、今すぐにここから、消えてしまいたかった。



     「なっきー奮闘記」



「とりあえずは飲めよ」
「あ、はい……どうも……」
 手渡された炭酸の缶ジュースをまじまじと見つめながら、思う。
 なんだろう、この状況。
 屋上のど真ん中に、自分は壮枇龍乾と対面して椅子に座り込んでいる。ちなみに今に座っているこの椅子は、壮枇龍乾がどこからか引っ張って来て用意してくれたものである。そんな椅子に座り込んで、おまけにさっき買って来たばかりであろう缶ジュースまで頂いている。
 本当に、思う。
 うんこ野郎なんて言ってホントにごめんなさい。
「――で、確認なんだが」
 対面の壮枇龍乾が足を組み直しながら、
「依頼じゃなくて、新聞部の取材として、お前はここに来たんだな?」
 そう言われて素直に頷くと、壮枇龍乾は少しだけ落胆したように「そうか」とだけ言った。
 何だかそれに対して居た堪れない気持ちになっていると、壮枇龍乾は「まぁ、だよな」と一人で勝手に納得したようにため息を吐いた後、唐突に、
「じゃあお前、今すぐ帰れ」
「……はっ?」
 いきなり過ぎて思わず間抜けな声が出た。
 その声に対して壮枇龍乾は当然とばかりに、
「取材なんておれは受けるつもりは無い。そんな金にもならんことなど一切しない。それとも何か。お前が取材料くれんのか。くれるのなら取材させてやらんでもないが高いぞ。一質問に対して一律五万、写真は一枚八万、ビデオカメラ回すんなら十秒につき十万は最低ラインだ。写真やビデオはその時の状況によって値段はこちらで決める。ちなみに値段交渉に関しては一切受け付けない。それが気に食わないならとっとと帰れ。今すぐ帰れ。依頼者じゃないなら本来は有料だが、今回はその缶ジュースはサービスだ。くれてやるからもう二度とここは来るな」
 一気に捲くし立てられ、おまけに右手でシッシッと追い払われるようなジェスチャーをされた。
 その瞬間に、一発で吹っ切れてしまった。今まで新聞部の紅一点として持て囃された反動もあったのであろうが、まさかここまでぞんざいに扱われるなんて予想すらしていなかったのだ。そのせいで沸点が瞬間的に突破され、一気にメーターを吹っ切ってしまった。心の中であるが謝ってしまった自分が酷く哀れに思えてならず、湧き上がる怒りに再度「このうんこ野郎」と本気で歯を食い縛る。
 あったまきた。そう思ってこれ以上ないくらいの啖呵を切ってやろうと口を開けた瞬間、いきなり立ち上がった壮枇龍乾に首根っこを捕まれ、何を言う間も無くあれよあれよと物事は進み、気づいた時には屋上から放り出されて扉を閉められてしまった。背後から扉の閉まる音が盛大に響き渡り、頭の中が怒りとよくわからない思考に打ちひしがれ、そして何を思うよりも早く無意識の内に立ち上がり、背後の屋上へと続く扉を力の限り開け放ってやった。
 開け放ってやったのにも関わらず、そこにはもう、壮枇龍乾はどこにもいなかった。
 まるで空へでも飛び立ったかのように、そこには、椅子と空の缶ジュースだけを残して、壮枇龍乾はどこにもいなかった。

     ◎

「なんっっっっっっっなんですかあいつはっ!!」
 力の限りに机を叩きながらそう叫んだ。叫ぶ以外にこの怒りをぶつける術を知らなかった。
 突然の理不尽な激怒にジュースを片手に雑誌を読んでいた新聞部部長の楠木は大きなため息を吐きつつ、
「だから言ったろーが。壮枇には手ぇ出すなって。あれはああいう奴なんだよ。あれがあいつの信条だ。本気であいつを取材したいって思うなら一千万はいるぞ」
 その諦めた言い草にすら腹が立つ。八つ当たりだというのは百も承知だがしかし、もう止まらない、
「何なんですかそれっ!! 報道の自由があるじゃないですかっ!! なんで取材にお金なんか取るんですかっ!! おかしいですよそんなのっ!!」
 大きな、本当に大きなため息が返ってきた。
「いいか天倉。お前の言いたいことは判る。判ってるからこそ敢えて言う。壮枇には手を出すな。知ってると思うが、ありゃマジで『殴り屋』だ。お前がたぶんデマだって思ってることの八割方、マジだぞ。金さえ出せばあいつは誰だって、何だって殴る。逮捕されても何ら不思議じゃねえくらいのことを、あいつは今まで散々してきてる。ピカピカの新入生がどうこう出来る相手じゃねえんだよ。壮枇は諦めて、大人しく今週の食堂のメニューでも調べて記事書いとけ」
「お断りしますっ!! 絶対嫌ですっ!! 絶対にあのうん――……っ」
「あ? うん、なんだって?」
「――……っ、なんっ、なんでもないですっ!!」
 心の中では散々にうんこ野郎なんて罵ってはいたが、さすがに口に出してそう言うだけの勇気はまだなかった。
 しかし、この胸に巣食った怒りはちっとも納まらない。イライラしながらも長机に並べて置いてあったパイプ椅子に座り込んでぷんすかしていると、楠木が再びのため息を吐き出しながら缶ジュースを差し出して来た。無鉄砲な後輩に対する、心ばかりの気遣いだったのだと思う。そんなことは判る。実際、新聞部の紅一点として一番持て囃し、そして一番可愛がってくれているのはこの楠木である。そんなことは判っている。判っているのだが。差し出して来た缶ジュースが、奇しくも、先ほど壮枇龍乾が差し出して来た缶ジュースと、まったく同じものであった。
 完全に、八つ当たりであった。本当に、あったまきた。
「部長は悔しくないんですかっ!? なんでああいう人の本性を暴いてやろうと思わないんですかっ!?」
 そうは言ったものの、正直な話をすると、自分も本当はそこまで壮枇龍乾に対して深入りしようなんてことはちっとも思っていなかった。むしろ少し突けばすぐにボロを出して泣き出すくらいのうんこ野郎だと思っていた。だからそれを面白おかしく記事にして、「『殴り屋』なんて大層なことをほざいているうんこ野郎は、本当はこんなにもうんこ野郎なんですよ」と、全校生徒に対して知らしめてやりたかったのだ。
 なぜそこまで壮枇龍乾を目の仇にするのか。そう問われれば、一言で返答できる。
 どんな理由があるにせよ、暴力を振るう人間が、大嫌いだからだ。
 おまけにそんな人間に、あんな扱いを受けたのである、腹の虫が納まる訳がない。
 とばっちりを食らった楠木が「勘弁してくれよ」とでも言いたげな顔で視線を手に持っていた雑誌に落とす。その雑誌をぱらぱらと捲りながらも、楠木は言う。
「あのな天倉。ひとつだけ勘違いしてるみたいだから言っとくけど。おれらは壮枇の化けの皮を剥ごうなんてこれっぽっちも思ってない。化けの皮も何も、そんなもんあいつは被っちゃいない。本当に、『あれ』が壮枇龍乾だ。だからお前がそういう目的で壮枇に関わろうとしてんのだったら、本当にやめとけ。深入りしていいところと、しちゃならんところがある」
 もしかしたら。もしかしたら楠木の話には、何か本意があったのかもしれない。
 だけど今の状況でのその言葉は、ただの諦めの言葉にしか思えなかった。お金を払うのが嫌だ、暴力を振るわれるのが怖い、だから壮枇龍乾が行うすべてのことに対して黙認する。そう、言っているように聞こえた。そんな言葉で、納得なんてできるはずがないのだ。どんな理由があろうとも、暴力を振るう奴なんてみんなうんこ野郎に決まっていた。
 だから。
「納得なんて絶対にしません。わたしは絶対に、壮枇龍乾のことを記事にします」
 捲られ続けていた雑誌が、ぱんっ、と音を立てて閉じられる。
 そして、楠木が真っ直ぐにこちらを見据えて来た。
「天倉。たぶん今のお前に何を言っても意味ねえだろうから、無理に止めることはしない。したきゃ勝手にしろ。記事にしたきゃ別にしても構わん。ただな、何を見て、何を知っても、それを捻じ曲げて記事にすることだけは、おれは許さん」
 ムッとする。普段から適当な記事ばっかり書いている部の人間にそう上から目線で言われると、何だか別のところで腹が立つ。
 そのイライラが顔に出ていたのか、楠木が何度目かのため息を吐き出しながら肩の力を抜き、
「……なぁ。何だってお前、いきなり壮枇のことなんて記事にしようと思ったんだよ?」
 言おうかどうしようか悩んだが、これは素直に白状することにする。
「……暴力を振るう人が、大嫌いだからです」
 数秒の間があった。その間が過ぎてから、楠木が長い息を吐いた。
「深くは聞かん。ただそれで大凡は理解できた。……だが、憶えておけよ。何も殴る蹴るだけが、暴力じゃねえぞ。例えばお前が一方的に壮枇を貶めるような記事を書けば、おれはそれを暴力と呼ぶ。それを、肝に銘じておけ」


 楠木にはああ言われたが、やはりそれを素直に「はい判りました」なんて納得など出来るはずもなかった。
 むしろ「したきゃ勝手に記事にしろ」とまで言われたのである、ならばいいだろう、絶対に記事にしてやる。楠木が何を伝えたかったのかなんてさっぱりわからないが、これはもはや意地である。徹底抗戦の構えを見せてやる。絶対に壮枇龍乾のことを記事にして、構内の人気を牛耳り、新聞部をもっと真面目な部として昇格させる。そして、悪の暴力に対しては正当なペンを持ってそれを制する。その志を実現させるのだ。
 取材の基本は聞き込みを含めた情報収集である。そして、大凡のことはすでに情報収集出来ていた。ならば次の段階へ進む。壮枇龍乾本人に対して突撃取材を行うのはもはや諦めた。それどころか、あのうんこ野郎と対面すれば、あの出来事が蘇って噛みついてしまうだろう。だとするのなら、壮枇龍乾には気づかれないよう、確たる証拠についての情報収集を行う必要性がある。
 ならば。ならば、張り込み調査である。
 屋上へと続く階段の踊り場。そこにちょうど人がひとり隠れられるような壁沿いの死角があることは、すでに調べがついていた。おまけにそこには小さな窓があり、好都合にも、その窓から屋上の様子が確認出来た。
 放課後になると、誰よりも先に教室を飛び出して屋上へ向かい、その死角に隠れて張り込みを行うようになった。
 普段、やはり放課後になると壮枇龍乾はかなり高い確率で屋上へ訪れ、真ん中に設置されている椅子に座り込んでジュースを片手にただ空を見ていた。本当に何もせず、ただぼーっと空を見続けていた。意味が判らない。もっと何かしらやることなんて幾らでもありそうなのに、壮枇龍乾は本当に空を見ている。そんなちっとも面白くない壮枇龍乾を観察する生活が、土日を除いた約四日、続いた。
 そして、五日目のその日に、ついに動きがあった。
 いつものように空を見続ける壮枇龍乾を観察していたその時、屋上へと続く階段を上がって来る足音が響いた。そのことに気づいた瞬間にすっと息を殺し、その何者かの来訪を待つ。屋上への入り口からこちらが死角になっているように、こちらからも屋上への入り口が死角になっている。そのため、誰が来たのかなんてまったく見えなかった。ただその何者かは歩き続け、やがて屋上へと続く扉を開けた。
 窓の方へ視線を移す。
 来客の知らせに壮枇龍乾がついに動いた。あの日と同じように、真っ直ぐに来客を見つめ、何事かをつぶやいた。さすがに窓越しのために何と言ったのかは判らなかったが、それに反応するかのように、来客がゆっくりと壮枇龍乾の元へ歩いて行く。後姿だが、ようやくその人物が確認出来た。確認出来たのだが、全然知らない生徒であった。ただ、完全に着崩した男子生徒の制服と、茶色に染めた髪だけで、その人物が「真面目な生徒」ではないことだけは、すぐに判った。
 屋上の真ん中で、椅子に踏ん反り返った壮枇龍乾と、その男が何事かを喋っている。その様子をじっと観察し続ける。
 やがて数分後、突然に窓越しでも判るレベルの怒鳴り声が響いた。
「ふざけんじゃねえッ!! 馬鹿にしてんのかッ!!」
 叫んだのは男の方であった。その叫びに対して壮枇龍乾は何事かを返答し、それに男が背中から見て取れるほどの怒りを露にしながらも踵を返し、
「死ねクソ野郎ッ!!」
 それだけ言い残して屋上を横切って行く。やがて扉が開き、乱暴に叩きつけるかのように閉めた。そのあまりの音に肩を震わせつつも、窓の外を一瞬だけ見つめる。壮枇龍乾は先ほどと変わらず、ただ空を見続けている。
 どうしよう――、一瞬だけそう思ったが、取るべき行動なんて決まっていた。
 形振りなんて構ってられないのだ。ようやくあった、「動き」なのだから。
 死角から飛び出して行く。階段を下りて廊下に消えそうになっていた後ろ姿に呼び掛ける、
「――あのっ!」
 振り返った男の顔を見て、「あ、やばい」、と素直に思った。
 本当に、怒っている人の顔であった。正直、物凄く怖かった。
 だけど。後には、引けなかった。
「……なんだ、お前?」
 目を反らしたくなるほど睨んで来るその目を、拳を握ることで耐えて真っ直ぐに見据え返す。
 勇気を振り絞り、言い放った。
「しゅっ、取材をしゃせてくだひゃいっ!」
 ――噛んだ。それも二回も。凄く、泣きたくなった。


 ビクビクしながらもその男に従って後をついて行った。
 正直、めちゃくちゃ怖かった。こんな人種の人とこれまで関わったことなど一度も無い。悪の暴力には正当なペンで、とは言ったものの、一対一で対面して喧嘩になったら負けるに決まっていた。このまま人気の無いところまで連れて行かれて乱暴されるんじゃないかと半ば本気で思った。だけど実際はそんなことはなく、途中で缶ジュースを一本奢ってくれるほど、見た目に反してその人は何だか良い人だった。
 名前は杉浦(すぎうら)だそうだ。壮枇龍乾と同じく、この学校の三年生。
 その杉浦に体育館裏まで連れて行かれて、そしてそこに屯していた杉浦と同じような連中五名を見た時、恐怖心が一気に吹き上がってきたが、その連中は杉浦同様、特に何もして来なかった。体育館裏に訪れた杉浦を見ると同時に、後ろにくっついているこちらに気づくと、心底不思議そうな顔をしながら、
「杉、その子だれ?」
 その問いに杉浦が「新聞部の一年だってさ」と返答する。
 すると連中の中の一人が「ああ」と思い出したかのように、
「あれか。楠木が言ってた紅一点。なんか随分可愛いくて頑張ってるのが入って来たって、この前自慢してたわ」
 楠木の名前が出たことに少しだけ安心する。それと同時に、楠木が他でもそう言っていてくれていることに少しだけ恥ずかしさを感じる。
 連中の中に杉浦も混ざってうんこ座りをする。その後ろに立って「どうしよう」と思っていると、杉浦の隣のモヒカン頭みたいな金髪の人が、「どうしたの。座ればいいじゃん」と促してくる。促して来てくれるのは有り難いのであるが、さすがにうんこ座りは遠慮したいし、それに落葉の広がるこんな場所ではあんまり座り込みたくもない。そう思っても言えずにさらにおろおろしていると、モヒカン頭が「おお」とつぶやき、
「さすがにスカートじゃ無理か。じゃあほれ、」
 そう言うといきなり上着を脱いで地面に広げた。
「とりあえずここ座りな」
 あ。何だろうこの人。見た目は世紀末みたいだけど凄く優しい。
 そうは思っても少しだけ遠慮したが、いつまでも立っているのも気が引けるので、素直に行為に甘えることにする。
 六人の端っこの方で座り込んでいると、モヒカンさんとは逆隣にいた杉浦が制服の胸ポケットからいきなり煙草を取り出した。ギョッとする。その視線に気づいたのか、杉浦がまるで悪戯をした子供のような顔になり、煙草のパッケージをこちらに向かって差し出しつつ、
「吸う?」
 首をぶんぶんする。すると「だよな」と杉浦はひとりで笑い、何の躊躇いもなく煙草に火を点けた。
 煙草の煙を吐き出しながら、
「これは記事に書くなよ。取材させる交換条件だ」
 悩みはしたが、素直に頷く。
 暴力であれば何が何でも記事にするが、煙草くらいは取引材料として黙認する。
 そんな杉浦に習うかのように、連中も一斉に煙草を取り出してそれぞれが火を点けた。一気に煙たくなる。煙草を頭ごなしに否定するつもりはないが、さすがにこんなに一気に吸われたのでは少し煙たい。が、連中もそれに気づいているのか、煙草の煙がこちらになるべく来ないようにさり気なく風向きなどを考えてくれているような素振りをする。見た目の割りに、本当になんか少し良い人たちである。
「で。何が聞きたいんだっけ」
 杉浦がそう聞いてくる。
 どうしよう、とは思ったが、ここまで来て後には引けない。
「……あの。さっき、壮枇先輩と、何を話してたんですか……?」
 その声に、杉浦の目つきが一瞬だけ驚くほど鋭くなった。その冷たい視線に息を飲むと同時に、杉浦が煙草の煙を盛大に吐き出しながら、
「んだよ、壮枇の話かよ。……まぁそんなこったろーと思ったけど」
 すると連中の中の一人が、
「そう言えばどうだったんだよ。壮枇はなんて言ってた?」
「どうもこうもねえよ。交渉は決裂。相変わらずふざけてんぜあのクソ野郎」
「……何の話ですか?」
 恐る恐る口を出したその問いに関しては、隣にいたモヒカンさんが、
「ちょっと他校の奴と喧嘩するんだよね。その増援に、壮枇でも呼ぼうかって話をしてて、そんで杉が言いに行ったわけ」
 喧嘩。その言葉に言い様の無い感じが湧き上がる。胸の奥がもやもやする。
 少しだけ視線を下げて悶々としていると、金色のリングピアスをした人が、
「今回は幾らだって?」
 杉浦が、煙草を咥えたまま怒りを露にした表情を浮かべた。
「二百万」
 その一言に、杉浦以外の全員が「はあっ!?」と声を揃えた。口々に「二百万って、百万二百万の二百万か!?」「馬鹿言うんじゃねえよなんだそれ!?」「ぼられるとは思ってたけど今回はすげえぼり方だなおい」「おれ全財産三百円なんだけど」「さすがに今回の件じゃ壮枇は動いてくれねえわなぁ」
 いきなりの話についていけない。二百万ってなんだろう、と少しだけ考えつつ、しかしすぐに閃いた。
 それと同時に、ワンテンポ遅れて思わず声が出た。
「二百万って、それってもしかして依頼料なんですかっ?」
「そうだよ。ふざけてるだろあのクソ野郎。死ね」
 杉浦が煙草を地面にぐりぐりと押さえつけながら忌々しくつぶやく。
 依頼料が二百万。法外もいいところである。だが、一質問に対して五万、写真一枚につき八万、動画十秒につき十万以上も請求するようなうんこ野郎である。有り得なくはない。しかし暴力を振るう時点でうんこのくせに、おまけにそこまで金に汚いなんて最低最悪のうんこ野郎だ。
 口々に文句を言う連中に混じって思わず言ってしまった。
「最低なうんこ野郎ですね」
 言ってしまってから、自分の口から「うんこ野郎」という言葉を出してしまったことに気づいて蒼白となる。慌てて回りを見渡すと、全員が狐に頬を摘まれたような顔をしてこっちを見ていた。顔から火が出るかと思った。何の訂正も言い訳もできず、あまりの恥ずかしさに俯いて「どうしようどうしようどうしよう」と慌てふためいていると、突然に隣の杉浦が笑った。
「うんこ野郎か。お前なかなか面白いこと言うな。よっしゃ、今度からあいつのことはうんこ野郎と呼ぶか」
 それに同調して回りも急に大笑いをし始めて、「うんこ野郎か、最高だなそれ」「まぁまさしくうんこだな」「むしろ下痢便だろあれ」「お前やめろよ、思わずそんなこと言ったらおれ壮枇に殺されるわ」「いいじゃんうんこ野郎。なかなか気に入ったわ」
 それが本当に面白くてそう言っているのか、あるいはこっちの気持ちを汲んで気遣ってくれているのか。それは定かではなかったが、ただ、さっきまで猛烈に感じていた恥ずかしさも少しは和らいだ。見た目は本当に世紀末みたいな人ばっかりだけど、何だか本当に良い人たちのようである。
「ところでさ。君の名前って何だっけ?」
 モヒカンさんがこっちを見ながら尋ねてきた。
 そう言えばまだ名乗っていなかったことを思い出す。
「あ、那月です。天倉那月。一年三組です」
「那月ね。じゃあそうだな…………、なっきーだな」
「? 何がですか?」
「あだ名」
 その台詞にまたしても口々に、「なっきーか。憶え易くていいな」「なっきーってあれだな、なんか猿みたいだな」「いやネッシーの親戚みたいなもんだろ」「ネッシー&なっきーってなんか変なお笑いグループみたいだな」「おいやめろよ、今度からなっきー見たら笑っちまうだろ」「あ、おれ閃いたわ。なっきーげんきー、って響きよくね?」「おお、ラップみたいだな。それ挨拶にしようぜ」「いいなそれ。面白そうだ」
 ちっとも面白くなかった。
 何の予兆も無くあだ名が決まってしまった。おまけに、まったくもって不本意なあだ名であった。
 だけど否定することがついに出来ず、その日、あだ名が「なっきー」になった。


 杉浦たちからはそれなりの情報を得ることが出来た。
 ただ、その弊害というか代償というか、ひとつ問題が発生している。
 あの日以来、学校の廊下などで杉浦たちと擦れ違う度、「なっきーげんきー?」と聞いてくるようになった。それ自体は仲良くしてくれているのだから有り難い話なのだが、忘れてはならないのが、杉浦たちが「真面目な生徒」ではない、おまけにその界隈では結構な名の知れた不良だったいう点だ。話してみた中ではそんなことは全然なかったのに、周りからの噂を聞く限り、世紀末な見た目に比例するかのように、杉浦たちはかなり危険な連中であったらしい。
 そのせいで同学年の生徒たちからは恐れられるようになるし、一年三組で一番の問題児であった斉藤君からは尊敬の眼差しを含めて敬語で話され、あの時にいた杉浦たち以外の見たことも無い怖い見た目の先輩方からも「お、あれが噂のなっきーか。なっきーげんきー?」と挨拶されるようになったし、教師人からも呼び出しを食らって生徒指導室にまで連行された挙句の果て、「先生たちに何でも相談しなさい」と本気で心配される始末である。余計なお世話である。
 それはともかくとして、しかし杉浦たちからはそれなりに興味深い話を聞くことができた。
 まず、壮枇龍乾は以前に、杉浦たちの喧嘩騒動に加担したことがあるらしい。その時の依頼料は千円。ただしそれ以降の依頼に関しては、壮枇龍乾はその十倍以上の金額を請求するようになったのだそうだ。今までに四回、杉浦たちは壮枇龍乾に依頼を行った。初回が千円、二回目が五万、三回目が三十万、そしてこの前の四回目が二百万。一回目は支払った杉浦たちであるが、さすがに万ともなれば早々払える金額ではなくなったため、それ以降、交渉は決裂しているらしい。
 一体何の根拠で金額を決めているのかは、まったくの不明。ただ手口を言うのであれば、詐欺に非常に似ている。初回をかなりの格安で行って上手い思いをさせた後、どんどん値段を吊り上げていく方法。下衆な手段この上ないことである。さすがうんこ野郎である、どこまでいっても本当のうんこ野郎だ。
 ただ。ただ、あれだけうんこ野郎に同調してくれた杉浦たちであったが、それでも彼らは皆、壮枇龍乾を嫌ってなどいなかった。そこが、本当に不思議であった。誰ひとりとして、本気で壮枇龍乾の悪口を言っている者がいないのだということは、杉浦たちと喋っていて何となく判った。
 楠木に関してもそうだ。あれだけ平然と暴力を振るっているという噂が蔓延る壮枇龍乾に対して、嫌悪とかそういう感情は一切感じられなかった。それどころか、そんな壮枇龍乾を取材することに関して釘まで刺してくる始末である。一体、楠木も杉浦たちも、その胸の内に何を思っているのかがまるで読めない。まるで暴力を肯定しているかのようなその言い草に対しては、やはり納得出来なかった。
 そのため、張り込み取材は続行されることが決定した。
 そして、杉浦来訪から僅か二日後に、次の依頼者が訪れた。
 今度も法外な依頼料を吹っ掛けて交渉を決裂させるのかと思いきや、しばらく様子を観察していると、どうも様子が違った。二人が何事かを話し合った結果、依頼に来ていた男子生徒が壮枇龍乾に対して何度も頭を下げる様が見て取れた。まさか交渉が成立したのか。そう思って、屋上から校舎の中へ戻って来たその生徒に、杉浦の時と同じく突撃取材を決行した。
 階段へ消えそうになっていた、丸みを帯びた背中を呼び止める。
「――あの!」
 その一声によって、丸っこい背中が見ていて気の毒になるほどビクッと動いた。本当に何者かに恐れるように怯えながら背後を振り返り、こちらと目が合ったと同時に僅かに考え、そして唐突に「ひっ」と、まるで怪物にでも遭ったかのような反応を示した。なんで急に、と思った次の瞬間、その男子生徒が視線を不自然なほど反らしながら、
「ごめ、ごめんっ、ごめんなさいっ」
 いきなり謝られて、物凄く戸惑った。意味が判らない。
「……?」
 困惑を顔を浮かべていると、その生徒は再びにゆっくり視線を上げ、随分と長い間、何事かを考え続けた結果、一世一代とでも言わんばかりの緊迫した雰囲気を漂わせながら、小刻みに震えた手を上げて、何の脈絡も無く、唐突に、
「……なっ。なっきー、さん……げ、げん……げんきー……?」
 何か知らないけど、無性に、いらっとした。
 それが顔に出ていたのか、その男子生徒は再び「ひっ」と声を出して、すぐさまその場に膝を着いて、「すみませんでした!」と大声で謝って来た。土下座なんてはじめて見た、なんて思っている場合ではなかった。はじめて見た土下座は物凄く不憫に思えてならず、おまけに大声を出したせいで、廊下を行き交っていた生徒が何事かと様子を伺い始めていた。
 慌てて男子生徒に近寄って顔を上げさせる。
 まん丸な顔をしたその生徒は、名前を田丸(たまる)といった。


 田丸なので、丸さんと呼ぶことにした。おまけにこの丸さん、壮枇龍乾や楠木、杉浦たちと同じく、三年生であった。
 運動場から少しだけ離れた場所にある、自動販売機が設置されている広場のベンチに並んで座り、丸さんと一緒に缶ジュースを飲んでいる。しかしこの丸さん、こちらの方が年下の後輩であるはずなのに、なぜかこっちを異常に恐れている節がある。どうしてそんなにびくびくしているのかと不思議に思って尋ねてみたところ、一発で原因が判った。
 杉浦たちのせいであった。杉浦たちと仲良くしていることから、どうやらこっちのことをとんでもない不良だと勘違いしているらしい。本当に勘弁して欲しい。
「それで丸さん。少し取材させて欲しいんですけど、いいですか?」
「え、あ、取材、ですか……。確か、なっきー、さん、……その、新聞部……なんです、よね……?」
「そうです。まだ入って二週間も経ってませんけどね。それと敬語じゃなくていいですよ。丸さんの方が年上なんですから」
 丸さんがその体に似合わない機敏な凄い動きで首を振る、
「いっ、いえっ!! むむむ無理ですっ、本当に無理ですっ!!」
 相当に怖がられているみたいである。少しショックを受ける。
 小さなため息を吐きつつも、
「えーっと。じゃあ丸さん、質問をしてもいいですか?」
 やはりびくびくしながらも丸さんは頷く。
「さっき壮枇先輩と話してたみたいですけど、あれは依頼ですか?」
 頷く。
「ではその依頼、壮枇先輩は受けたんですか?」
 頷く。
 ということはつまり。この丸さんはあの法外な依頼料を払ったということだろうか。
「依頼料は?」
「えっと……五百円、です……」
 聞き間違いかと思った。思わず自分の耳を疑った。二百万のさらに上をいくとは予想外であった。うんこ野郎と思っていたが、ここまでうんこ野郎だったとは思わなかった。詐欺もいいところだ。しかしこの依頼が成立したということは、丸さんは本当にそんな大金を払うのだろうか。五万とかならともかくとして、五百万なんて大金を払ってまで、……ん?
「……丸さん。いま、幾らって言いました?」
「え……? その、だから……五百円……」
 ………………ん? 五百万、じゃなくて、五百、円?
 聞き間違いかと思ったのが間違いだった。なんで、と思ったがしかし、すぐに思い出す。
 これが、壮枇龍乾の手口なのだ。つまり、丸さんはこの依頼が『初回』なのであろう。
「なるほど。丸さんって、壮枇先輩に依頼するのは初めてですよね?」
 しかし、丸さんは首を振る。
「違い、ますよ……。確か、ええっと……三回目?」
 話が食い違いつつある、
「え? じゃあ、今までの依頼は全部成立してるんですか?」
「う、うん……壮枇くん、ちゃんと依頼を受けてくれて、ます……」
「じゃあ今までの依頼料はっ?」
「全部五百円、ですけど、」
「うそ!? なんで!?」
 思わず声を上げたことに、隣の丸さんがビクビクビクビクッと震え上がる。
 状況が理解出来ない。杉浦たちの依頼に関しては依頼料が法外な額にまで達しているというのに、なぜ丸さんの依頼に関しては一律五百円なのだろう。お金が欲しい訳ではないのだろうか。どちらかと言えば、言ってしまえば悪いが、杉浦たちより、丸さんの方がお金を出してくれそうである。にも関わらず、丸さんは格安で杉浦は法外。この差は一体、何なんだろう。
 うんうんと唸りつつも悩んでいると、隣の丸さんがほんの少しだけ笑った。
「……壮枇くん、いっつも、……ぼくを、助けてくれるんです……」
 思わぬ台詞に視線を向けると、丸さんは運動場のどこか一点を見つめながら、
「ぼくって、昔から……イジメとか受けてて……。それで、カツアゲとかも……されてて……。そのことを相談、すると、……壮枇くんが、いつも助けて、くれるんです……」
 頭が混乱してくる。丸さんがイジメられていた、というのは今までの言動と雰囲気を見ていれば、失礼ながら多少は理解出来る気がする。カツアゲだってその延長線上みたいなものであろう。だが判らないのが、それを壮枇龍乾が助けてくれる、という点だ。イジメを行った奴を殴って欲しい、あるいはカツアゲした奴を殴って欲しい。丸さんは、壮枇龍乾に対して、そんな依頼をしたのであろうか。そして壮枇龍乾はその依頼を一律五百円で受け、実行しているのだろうか。
 胸がもやもやする。
 理屈は判る。イジメやカツアゲをする方が悪いのなんて当たり前の話だ。罰せられて当然の話である。だけど。だけど、その罰する方法が暴力では何も解決などしない。殴ってどうなるというのか。イジメやカツアゲをして来た奴らに仕返しをしたい、と思ってしまうのは至極当然の感情であろう。でもその力が無いから誰かにお願いをする。それも判る。理解も出来る。ただ、納得は、出来ない。暴力に暴力で対抗して、果たして何になるのか。そんなものは、何の意味も成さない。
 だから。そんなことを生業としている壮枇龍乾も、そしてそれをお願いした丸さんに対しても、憤りしか、出て来なかった。
 薄れ掛けていた怒りが再発する。
 あったまきた。
「ああもうっ!!」
 叫んで立ち上がると同時に、隣の丸さんを睨みつける。
 本当に、見ていて気の毒になるほど、丸さんが大きな丸い体を縮めた。だが、そんな程度ではもう止まらない。
 捲くし立てるように言葉を叫ぶ、
「依頼内容を詳しく話してくだひゃい今すぐにっ!!」
 噛んだけど関係なかった。泣きたくなっている場合じゃなかった。
 すべての真相の化けの皮を剥ぎ取ってやらねば、もう、納まりがつかない。


 丸さんの話を要約すると、こうなる。
 昨日の放課後、丸さんは趣味であるテレビゲームの新作ソフトを買いに繁華街へ出向いた。そこで新作ゲームを買って家に帰る途中、他校の不良に絡まれ、持っていたお金を巻き上げられた挙句、買ったばかりの新作ゲームをバキバキに叩き折られたらしい。そのことに関して、勇気が無くて警察にも相談出来ずに枕を濡らしていたであろう丸さんを思うと不憫でならないが、そこで丸さんは少し違う方向へ動くことを決意しまったのだろう。
 つまり、壮枇龍乾への依頼。
 依頼内容は至極簡潔で、取られたお金の回収と、壊されたゲームの弁償。
 依頼料は五百円。
 ひとつだけ勘違いしていたことがある。別に丸さんは、壮枇龍乾に対して、カツアゲして来た連中を殴ってくれ、と頼んだ訳では無かった。そのことが唯一の救いであったがしかし、それでもやはり方法が間違っている。壮枇龍乾は『殴り屋』である。ということは、その連中に対して話し合いで交渉する訳はないであろう。暴力を振るっての、実力行使しかないはずだ。
 それは、一番嫌いな行為であった。
 胸がもやもやする。脳裏に刻まれた記憶がズキズキする。
 もはやこの時点で、壮枇龍乾が「ただの腰抜けうんこ野郎」だとは思っていなかった。丸さんだけならともかくとして、名の知れた杉浦たちのような不良が依頼を行う相手なのである。どこまでの噂が本当なのかはさて置きとして、暴力を躊躇い無く扱う、喧嘩慣れしているであろう人物、というのは歴然としていた。つまり、「ただの腰抜けうんこ野郎」ではなく、「最低最悪な暴力うんこ野郎」であるのだ。
 壮枇龍乾を見る方向性が変わっていく。
 当初の予定では、壮枇龍乾の化けの皮を剥いで、如何に「うんこ野郎」であるのかを全校生徒に知らしめることを目的としていたが、今はすでに、「悪の暴力を振るう最低最悪のうんこ野郎の実態」をこの手に収めて記事にして、暴力を振るう人間が如何に悪であるのかを知らしめることになった。しかしそうでもしなければ、この胸に巣食うもやもやは消えない。
 だから。だから、その犯行現場を押さえてやろうと思った。
 丸さんにお礼を言って別れた後、しばらくの張り込みの末、ついに屋上から動き出した壮枇龍乾を尾行することにした。気づかれないように距離を取り、慎重に慎重に、壮枇龍乾の後を追う。学校を出て校門を抜け、ただひたすらに、壮枇龍乾は歩き続けた。丸さんの話だと、カツアゲを行った連中のことに関しては他校の生徒、ということだけで、何処の誰だかは判っていないらしい。にも関わらず、壮枇龍乾はまるで相手が誰であるのか、何処にいるのかを知っているように、まるで迷うことなく、歩き続けて行く。
 その途中、一度だけ壮枇龍乾は制服のポケットから携帯電話を取り出して、誰かと通話するような素振りを見せた。ものの一分程で通話は終わり、そこからの壮枇龍乾の行動は、さらに機械染みたものとなった。歩調が一気に早まり、住宅街を抜けて繁華街に入った頃にはすでに、こちらが壮枇龍乾の背中を見失いつつあるくらいの差が広がっていた。
 幾度目かの角を曲がった瞬間に遂に壮枇龍乾の姿を消失し、繁華街の真ん中辺りに置き去りにされてしまった。辺りをくまなく捜しても壮枇龍乾の姿は見えず、完璧に巻かれてしまったらしい。せっかくあった動きなのにも関わらず、犯行現場に居合わすことが出来なかった自分に憤りを感じ、その場でくるくると回りながらもイライラしていると、突然に遠くから声を掛けられた。
「おー、なっきーじゃん。げんきー?」
 その声に振り返ると、手を振りながら近づいて来るのはモヒカンさんだった。その周りには杉浦や、あの時に体育館裏にいた連中や、時たま廊下で声を掛けて来てくれる見た目の怖い先輩方、総勢十名くらいがいた。が、学校ならまだしも、繁華街のど真ん中では柄の悪い杉浦たちはやはり浮いていて、周りの目が物凄く痛い。おまけにそんな連中に声を掛けられているため、こちらにもその視線が及んでいた。誤解しないで、という方が無理な話である。
 その場でくるくると回るのを止め、モヒカンさんに挨拶を返す。
「こ、こんにちは……」
 近くまで寄って来た連中が口々に「なっきーげんきー?」と聞いてくる。さすがに恥ずかしいからやめて欲しい。
 そう思っていると、モヒカンさんが不思議そうに、
「なっきーこんなとこで何してんの? 買い物?」
 どうしよう、と思ったが、隠しても意味がないことに気づいて素直に答える。
「えっと、壮枇先輩の後を付けてて、それで……、」
 そう言った途端、モヒカンさんが「あー」とつぶやいて隣にいた杉浦を見やった。杉浦はいつか見たような鋭い目をしていたが、モヒカンさんと何やらアイコンタクトのような視線を交わした後、小さなため息を吐いた。そして、観念したかのようにモヒカンさんが「だよなぁ」とツンツンした自らの髪を手で触りながら、
「なっきーさ、壮枇の取材してるんだよね?」
「あ、はい。そう、ですけど……?」
「じゃあ一緒に来る? たぶん、これから行く場所に壮枇いると思うから」
「どういう意味ですか……?」
 話が見えずに混乱していると、杉浦が「とりあえず行くぞ。手遅れになる」と言い出した。その声に周りの連中が反応し、杉浦に付いて歩き始める。置いてかれそうになっていると、モヒカンさんが「なっきーも来な。ついでに説明してあげるから」と手招きしてくれた。素直に付いて行くことにする。
 一行の最後尾をモヒカンさんと並んで歩いていると、モヒカンさんが「んー」と言いながら、
「なっきーがどこまで調べてるのか知らないけど、ちょっといろいろあってね。この前さ、おれら他校の連中と喧嘩するって言ったじゃん?」
 確かそうだった。こうして普通に接してくれている杉浦やモヒカンさんたちであるが、その実、この人たちは喧嘩を進んで行う、不良であるのだ。今は壮枇龍乾に対して視点を合わせているが、果たして本当に先に記事にすべき相手は、どちらであるのだろう。もし、杉浦たちの喧嘩のことを記事にしたら、今までこうして接してくれているこの人たちは、もしかして、
「その喧嘩相手ってのがまた面倒でさ。おまけにそいつらが昨日、デブ丸――、あ。おれらの学年に田丸ってデブがいるんだけど、そいつをカツアゲしちゃったんだよね」
 いきなり丸さんの名前が出てびっくりする、
「それ自体はまぁ、デブ丸のことだからおれらはどうでもいいんだけど、でもデブ丸が、おれらが喧嘩するより早くに壮枇に依頼しちゃったらしくて。ほれ、壮枇ってうんこ野郎の下痢便野郎だけど、そういう話には必ず動くじゃん? さっき杉に壮枇から電話掛かって来てさ、ちょっと悩んだんだけど、あいつらの居場所教えちゃったわけ。したら壮枇は絶対そこ行って依頼を完遂させようとするじゃん。ならまぁ、理由は何にせよ、おれらは別に依頼料払わなくていいし、せっかくだからもういっそ、この機に便乗してあいつら潰そうかなー、って。んで、今そこに向かってるの」
 モヒカンさんの言葉を聞いていて、ある程度の話が繋がった。壮枇龍乾を尾行している際に、携帯電話を取り出して誰かと通話をしていた。その相手が、杉浦だったのだ。そして、丸さんをカツアゲした連中の居場所を聞き出し、そこへ向かっている、と。
 しかし。なんだろう、この話の節々に感じる、違和感のような、もの。モヒカンさんは、壮枇龍乾は『そういう話には必ず動く』と言った。そういう話、というのはつまり、丸さんに対する依頼のことであろうか。ではなぜ、杉浦の依頼に対しては動かなかったのか。それはつまり、『そういう話』ではなかったからか。丸さんの依頼に対しては、常に五百円で請け負う理由は、『そういう話』であったからで、杉浦の依頼に対しては法外な料金を吹っ掛けて断るのは、『そういう話』ではなかったから。
 理屈は判っている。もうすでに、頭の中で理由すらも完成はしている。
 けど、それでもやっぱり、納得は、出来なかった。
 暴力では、何も解決なんて、するはずが、
 胸が、もやもや、する。
 考え事をして歩いていたせいで、どこへ向かっていて、そして今にどこを歩いていたのかさえ憶えていなかった。ただ、一緒に歩いていた一行の先頭の一人が、「あーあ、手遅れだった」とつぶやいた声だけは、はっきり聞こえた。その声に反応するかのように、一行が口々に、「やっぱりこうなったか」「どうすんのこの消化不良感」「ほれみろ、横取りされちまった」「おまけにもう壮枇いねえし」「おれらまったく出番無しじゃん」「おい杉、これどうすんだよマジで」
 一体何のことか、果たして何が手遅れだったのか。そう思い、モヒカンさんの横から歩み出して、一行の先頭まで歩き寄った。
 たぶん、こちらと同じくして、十人くらいだったと思う。
 繁華街から少しだけ離れた路地裏に、他校の制服を来た男子生徒が、倒れ込んでいる。
 周囲の雑音が遠くに引いていく。身動きが取れなくなる。
 凄惨な光景であった。血の海、なんて大層なものではなかった。だが、逆にそれくらい現実離れしていた方が良かったのかもしれない。目の前に広がる、口や鼻から血を流して倒れ込み、僅かに呻き声を発している人間の現状は、変に現実味を帯びていて、テレビドラマで見る殺人現場なんかよりも圧倒的に生々しくて、それよりもずっと、凄惨であった。
 脳裏に刻まれた記憶が、ズキズキと痛み出す。
 吐き気が胸の奥から込み上げて来て、一気に身体の力が抜けた。
 その場に立っていられなくなる。膝を着いて倒れ込みそうになった瞬間、近くにいた杉浦に抱き止められた。ただ、もう立ち上がるだけの力はすでに無くなっていて、呼吸が出来なくなって、それで、

 視界が、真っ暗になって、
 世界の音が、飲まれて、消えた。

     ◎

 どこからともなく聞こえてくる、雑誌のページを捲る音で目が覚めた。
 ぼんやりとした意識で目を開き、目に入ってくる光景をひとつひとつ追い駆けて行く。
 黄ばんだ蛍光灯と、少し古臭い感じのする天井。昔の日本、というのが当てはまりそうな部屋の概観。それを意識して初めて、自分が仰向けの体勢であることに気づき、視線をゆっくりと落とすと、布団の上で小さなタオルケットをかぶって寝転がっている自分の姿が映った。
 ようやく、どこだろう、と思った。見覚えのない場所であった。ゆっくりと視線を動かして行って初めて、すぐそこに胡坐を書いて雑誌を読んでいる見慣れた顔が目に入って来た。その見慣れた顔がふとこちらの視線に気づき、少しばかり安心したかのような顔で小さな息を吐く。
「――起きたか、天倉」
 そう言って、楠木が雑誌を閉じた。
 どうして部長がここにいるんだろう。そう思うのも束の間、楠木の向こうに見えていた襖の奥から、がやがやと賑やかな声と足跡が近づいて来る。やがてその足音は襖の前でぴたりと止まり、本当にゆっくり、すーっと開かれて行く。そこから顔を出したのはモヒカンさんで、こちらの視線に気づくと「あ!」と声を出し、いきなり一気に襖を開け放った。
 こちらに近づいて来るなり、
「なっきー大丈夫か!?」
 大丈夫か、と問われれば、たぶん大丈夫な気がした。
「あ、はい……たぶん、大丈夫、です……」
「いやー、いきなりぶっ倒れた時はびっくりしたよ」
 安堵の息を吐き出しながら枕元に座り込んだモヒカンさんの後ろから、杉浦を含めた三人も部屋の中に入って来た。その内の一人が手にコンビニの袋を持っていて、中からスポーツドリンクのペットボトルを取り出してこちらに差し出して来た。遠慮しながらも受け取って、上半身を起こしてキャップを開けようとするが、どうしてか手に力が入らず上手く開けることが出来ない。頑張って奮闘してみてもダメで、どうしようかと思っていたら、見かねたモヒカンさんが開けてくれた。
 再び手渡されたスポーツドリンクを一口飲んで、ようやく思考が回り出す。
 ここは、本当にどこだろう。こんなところで寝て、自分は一体、何をしているのだろう。
 そう思っていると、枕元のモヒカンさんがコンビニの袋からフライドチキンを取り出して貪り食いつつ、
「さっきはさすがになっきーが死んだかと思った」
 意味が判らなかった。死んだって、何をいきなり、
 そう思ったところで、今までぼんやりしていた感覚がすべて蘇った。思い出した。何もかも。確かあの時、自分は、
 無意識の内に身体が震え出した時、急に頭に手が置かれ、それが何の遠慮も無く一気に掻き混ぜてきた。抵抗するだけの力は湧き上がらず、されるがままにされていると、頭を掻き混ぜていたであろう楠木が、唐突に、こう言った。
「……だから深入りするなって言ったろーが」
 何でもない言葉だった。何でもないはずの言葉だった。
 でも。なぜか、それだけで。それだけで、無性に安心してしまった自分がいて。気づいた時には感情がぐちゃぐちゃになっていて、どうしても堪えることが出来ず、目じりがじわりと熱くなったと思ったらもう、止めることが出来なかった。溢れ出した涙を拭うことも出来ず、ただその場で、泣いた。
 怖かった。ただ単純に、あの光景が、怖かった。
 頭の奥が、ズキズキする。
 膝を抱えて泣いていると、頭から手を離した楠木が杉浦たちに向き直り、
「お前ら勘弁しろよ。ウチの期待の新人に何かあったらどーすんだよ」
 それに答えるのはモヒカンさんで、
「ちげーって。おれらは別に何もしてねえよ。ありゃ全部壮枇のせいだ」
「こいつを連れてったのはお前らだろーが」
「いやまぁ、そうだけどさ……。まさかいきなりぶっ倒れるとは思わねえじゃん……」
 申し訳なさそうに小さくなるモヒカンさんにため息を吐きつつ、楠木がこちらに向き直り、
「……天倉。これで判っただろ。もう壮枇からは手を引け。お前がどうこう出来るモノじゃねえんだよ。こいつらだってそうだ。漫画みてーな話だがな、お前とは住む世界が違うんだ。そっちに足を踏み入れたら、もう戻れなくなるぞ。下手すりゃ怪我程度じゃ済まなくなる。こいつらだってな、普段はこんな連中だが、お前には想像も出来ないような修羅場を何度も体験してる。そんな中にちんけなペンとメモとカメラ持って飛び込んで、無事で済むわけねえだろ。それが判ったなら、もう全部忘れて、大人しく今週の食堂のメニューでも記事にしてろ」
 反論するだけの勇気はもう、すでに底を突いていたのかもしれない。
 しかしそれでも。感情の奥が最後の抵抗を見せた。
 楠木のその言葉に、頷くことだけは、しなかった。


     ◎


 あの日、自分は助けることが出来なかった。
 何もしてあげられなかった。何も。何も。何も。
 本当に、何ひとつとして、してあげることが、出来なかった。
 なのに。
 あの日、あの娘は。
 泣いていた。
 笑っていた。
 泣きながら、笑っていた。
 そして、言った。

 ――那月ちゃん。……今まで、ありがとう。

 瞬間的に目が覚めた。
 目に飛び込んできた光景をひとつずつ認識していく。
 見慣れた自分の部屋だった。呼吸が信じられないくらいに荒い。何とか息を整えつつ、ベットの棚に置いてある目覚まし時計を見ると、時刻はまだ早朝の五時過ぎであった。登校時間まではまだまだ余裕はあったが、それでも、今更にもう一度眠る気にはなれなかった。
 ベットの上に座り込んだまま、漠然と、思う。
 あの日のことを最後に夢に見たのは、一体、いつのことだったのだろう。
 何もしてあげることが出来なかった自分。だからこそ、自分は、あの時。
 考える。
 思い出したことがある。
 そうだ。そうだった。自分がペンとメモとカメラを持ったその本当の理由。ちんけな暴力野郎の化けの皮を剥ぐなんてことをするために、自分は新聞部に入ったのか。違う。そうじゃない。悪の暴力に対して、正当なペンを持ってそれを制すためだ。忘れてはならない。相手がどんなモノであろうとも、それでも。何も出来ずに終わるなんてことが、あっていいはずがない。
 後には退けない所にまで、自分はもう、足を踏み入れているのだ。
 楠木には申し訳ないと思うが、これだけはどうしても譲れない。
 カーテンから射し込み始めた朝日の光に顔を上げ、人生で一番大きな勇気を掻き集める。
 これが、最後だ。


 躊躇ったら負けだと思った。
 だから、何も考えずに行動に移した。
 放課後のチャイムが鳴った十分後に、屋上へと向かう。屋上の扉に手を掛けたところで少しだけ深呼吸をして、覚悟を決める。
 ドアを押し開ける。吹き抜ける風には、あの日と同じように、春の匂いが混ざっていた。そしてやはりそこに、目的の人物は悠然と座り込んでいた。
 開けた屋上のど真ん中。教室にあるような椅子の上に足を組みながら踏ん反り返っている。ボサボサの頭に着崩した制服と緩々のネクタイ、下に向かって伸ばされている右手には、やはり炭酸ジュースの缶を持っている。気だるそうなその顔には、もはや見覚えなんて死ぬほどあった。
 そして、壮枇龍乾はこちらに視線を向けて、こう、言った。
「――ここにはもう来るなと言ったはずだが」
 僅かに足が竦む。が、ここで退けるか。ここで逃げ出せるか。
 あの日の怒りを思い出せ。この無法者に対して、どうしても、聞かなくちゃならないことがある。
 一歩を踏み出す。そこから先は一気だった。屋上を横切って壮枇龍乾まですぐに距離を詰める。座り込んだままの壮枇龍乾を見下げて数秒が経過した。壮枇龍乾が不思議そうに顔を傾げた刹那、勇気を搾り出して歯を食い縛り、ずっと手に持っていた『それ』を、力いっぱいに投げつけてやった。
 突然の行動に、しかしそれでも反応した壮枇龍乾が『それ』を空中で掴み取る。
 無地の茶色の封筒だった。
 言い放ってやった。
「壮枇龍乾先輩。貴方を取材させてください。その中に五万円入ってます。わたしの質問に一つ、答えてください」
 全財産もいいところだった。諸々に使用した入学祝の余り金だったとは言え、自分が好きに使っていい財産などこの五万以外には無い。これを失えばもうしばらくは欲しいモノが何も買えなくなるし、友達とどこかに買い物に行ったり遊びに行ったりすることもできないだろう。しかしそれらを差し引いてでも、壮枇龍乾に対し、絶対に聞かなければならないことがあった。
 これを最後にするためにも、絶対に聞かなければならない。
 突然の行動にしばし沈黙していた壮枇龍乾が、掴み取ったままの封筒に視線を落としながら、不適に笑ってみせた。
「……いいだろう。言い出したのはおれだ。お前の質問に、一つだけ答えてやる」
 気づかれないように深呼吸をする。
 ここ数日の間に、頭の中で出来上がってしまった、一つの仮説。
 藪を突いて姿を現したのは、蛇どころじゃなかった。この仮説が正しければ、これは、この人は。
 だから。これだけは、はっきりさせなければならない。
 見上げてくる壮枇龍乾を真っ向から見据え返して、掌を握り込み、噛まないように、ゆっくりと、言った。

「壮枇龍乾さん。貴方は一体、――何に、なりたいんですか」

 その質問は、きっと壮枇龍乾にとっても予想外だったに違いない。
 浮かべていた不適な笑みが引っ込み、まるで異物を見るかのような表情になった。
 初めて、壮枇龍乾に対して優位に立った瞬間だった。あの日のお返しとばかりに、一気に捲くし立てた。
「人を殴るだけの暴力野郎になりたいんですか。遊ぶ金欲しさに人を殴ってる最低野郎になりたいんですか。力を誇示するためだけにやってるんですか。貴方は一体、どうしたいんですか。杉浦さんたちからの依頼を断るその理由は何ですか。断るくせに丸さんの依頼は全部引き受けるその理由は何ですか。暴力を振るうのに躊躇わないくせに、どうしてそこで線引きをするんですか。お金にならないことはしないって、あれは嘘ですよね。貴方はお金なんて本当はどうでもいいんですよね。だったら何で、貴方はこんなことをしてるんですか」
 すべてに答えて貰おうなんてこれっぽっちも思っていなかった。
 一気に並べたそれらの質問はそう、結局のところ、この一言に辿り着く。
「――もう一度だけ聞きます。壮枇龍乾さん。貴方は一体、何になりたいんですか」
 風が吹く。その風に靡いた髪を押さえることもせず、ただ、壮枇龍乾を真っ向から見据えていた。
 どれくらい時間が経っただろう、やがて壮枇龍乾は、観念したかのように、くつくつと笑った。
 それは、はじめて見る、壮枇龍乾の、素顔であるような気がした。
 握り締めたままだった封筒を掌で弄びながら、
「……参った。甘く見てた。まさか、そんなことを言われるなんて思ってもみなかったぜ。お前が最近ずっとそこの窓からこっちを見てたのには気づいていたし、おれを尾行してたことも知っていた。だがそれでもおれがお前を力で排除しなかったのは、お前を過小評価していたからだ。これは誤算だった。すまんな、天倉那月」
 やがて笑いが収まり、そして壮枇龍乾は、ゆっくりと空を見上げた。
「多少強引ではあるが、金は支払われた。これはお前とおれの契約を意味する。おれのポリシーとして、契約破棄は絶対にしちゃならんことだ。だからおれは、正直にお前の質問に答える。……これを言うのはお前が初めてだ」
 空を見上げたまま、壮枇龍乾は言った。

「――正義の味方になりたかった。……おれがそう言ったら、お前はおれを笑うか?」

 ――正義の味方。
 壮枇龍乾は、確かに今、そう言った。
 子供っぽいその物言いに、しかしそれでも、笑うなんてことが、どうして出来ようか。
 仮説はこの瞬間、確信に変わった。
 だから、敢えて、壮枇龍乾に対して言う。
「……笑いませんよ、絶対に。わたしもそう思っていた時期が、ありましたから。……ううん。今もまだ、わたしはそう思ってます。だからこうして、わたしはここにいるんです」
 そう。思い出した切っ掛け。ペンとカメラを持ったその本当の理由。
 ――だが。それとこれを、同じだとは、絶対に、認めない。
「だからわたしは貴方を笑いません。でも、……わたしは、貴方を否定します。わたしは全力で、貴方の行動を否定します」
 過程がどうであっても。暴力を振るうことが正義だとは、死んでも認めない。
 この世界に、神様なんて居ない。居ないからこそ、だから。
 ほう、と壮枇龍乾は意外そうに笑った。
「大した心意気だな。……いいだろう、受けて立ってやる。お前の全力で、おれの理想を否定してみろ。忘れるな。正義と悪は紙一重だ。どっちが正義でどっちが悪かなんて議論は不毛だ。最後に勝ったモノが正義だ。お前が自分の正義を謳うなら、おれも自分の正義を貫く。止めてみろ。お前のちっぽけな正義で、このおれの正義を否定してみろ」
 真っ向から睨み合った。
 もう後には退けない。ここで退ける訳が、あるか。
 互いに自分が正義だと謳うなら、もはや衝突は避けられない。
 全面戦争しか、もう有り得ないのだ。
 互いの正義を賭けた、一世一代の、大勝負だ。


     ◎


 全面戦争だ、と意気込んだのはいいのだが、結局のところ、それからどうなったかと言えば、特にどうにもならなかった。
 正義を賭けて勝負だ、と拳を握り込んで挑みかかったところで、それはつまるところ自分の正義を否定する行動に他ならず、おまけに壮枇龍乾は正真正銘の『殴り屋』である、喧嘩で自分が勝てる訳がない。バットを持っていたって負けるに決まっていた。だから最初から殴り合いなんて野蛮なことは論外であって、しかしかと言ってこちらの武器であるカメラを掲げて何かを記事にしようにも動きがなければ始まらない。
 そのため、結果的には張り込み取材が継続されることになった。
 ただ、これまでの張り込みとは、少々事情が変わった。
 壮枇龍乾には窓から様子を伺っていることまでバレていたのだから、今更に隠れる必要なんてない。それゆえに、もはや堂々としたものである。屋上のど真ん中、壮枇龍乾の特等席から三メートルほど離れた場所に椅子を持ち込んで勝手に陣取り、そこに座り込んでの密着取材を無許可で始めた。
 互いに大見得を切った手前、壮枇龍乾は初日こそ嫌そうな顔をしていたが、数日も経てば通常運行に戻り、まるでこちらがいないかのように振舞うようになった。そして窓から観察しようが近くで観察しようが、壮枇龍乾はこれまでと何も変わらなかった。依頼者が現れなければ、ただひたすらに空を見上げ続けていた。そんな壮枇龍乾を観察していてもちっとも面白く無くて、おまけにあんまりに暇だったために、ついに口を出してしまった。
「……何を見てるんですか」
 その質問に対し、壮枇龍乾は最初、まったくの無反応だった。
 しかし数十秒経った辺りでふと我に返ったようにちらりと視線をこちらに向け、
「……今のは何だ。質問か」
 質問。そう言われて少しだけ悩む。
「うーん……。どちらかと言えば、そうですね。暇だったので、これは雑談です」
 敢えてにっこりと笑ってみせた。
 まさかこんな質問に対して五万円も盗られていたらたまったものじゃない。ただでさえ次のお小遣いの日まで財布の中身が千円しかないのに。
 その切り返しに対して、壮枇龍乾は鼻で笑うような反応を見せてから、少しだけ表情を弛めた。
「雑談か。だったらその雑談に乗ってやる。……天倉那月。お前にこの空は、どう見える」
 いきなりの質問に首を傾げる。
「どうって……、」
 壮枇龍乾の視線に釣られるように、空を見上げた。
 暖かい陽射しと青い空、所々に白い雲が浮かんでいる。それは、春の空だった。今は四月である、日向ぼっこをするには、ちょうどいい気温だと言えた。このまま時折吹く風に身を任せたら、そのまま眠ってしまいそうだ。
 質問の答えを無意識のうちに探していた。
「……そうですね。気持ちいい空に見えますね」
「気持ちいい空、か。……つまらん返答だな」
 その台詞に思わずムッとする。食って掛かるように壮枇龍乾に向き直り、
「だったら壮枇先輩にはこの空がどう見えるんですか」
 また随分と間を置いた後、そして壮枇龍乾は、再びに鼻で笑った。
「五万」


「本当に何なんですかあいつはっ」
 体育館の裏に辿り着いての第一声がそれだった。
 その怒りの声を聞いたモヒカンさんが「まぁまぁ、落ち着きなってなっきー。ほらこれ、ババナオレあげるから」とバナナオレの紙パックをくれた。その紙パックをお礼もそこそこに受け取りながら、ストローを刺して膨れっ面になりながらちゅーちゅーと吸う。それに習うかのように、モヒカンさんや杉浦たちが揃って煙草の煙を吹かしていた。
「しかしなっきーも懲りないなぁ。前にぶっ倒れて、もうおれらに関わるのやめたんじゃなかったっけ?」
 三つ隣に居た金のリングピアスの人にそう問われる。
 バナナオレから口を離しつつ、
「……部長にもそう言われたんですけど。それでも、わたしにはやることが出来たんです。だからもう、わたしは逃げません」
 力強くそう言い放ったのに、リングピアスの人はけらけらと可笑しそうに笑い、
「いやまぁそりゃいいんだけどさ。ただもう倒れるとかはナシにしてくれよ」
 急激に恥ずかしくなる。力強く格好付けたくせに、実際はあの時、自分は何も出来ずにばたんキューだったのである。
 身体を小さくしながら俯いて謝ることしか出来なかった。
「……あの時は、その……すみませんでした……」
「おい、なっきーを苛めるなよ」とモヒカンさんが庇ってくれたのが余計に申し訳なかった。
「いや苛めてるつもりはねえけどさ。なっきーがこっちに絡んでくれると、癒されるっつーか面白れえからおれも歓迎なんだよ。でもあれだろ、さすがにもっかいなっきーがぶっ倒れたら、それこそ楠木が黙っちゃいねえだろ」
 杉浦を除き、その場に居たモヒカンさんとその他三人が揃って「あー……」と声を出した。
 その反応に違和感を覚える。どうしてここで部長の名前が出てくるんだろう。
「そう言えば皆さんって、部長と同じ三年生なんですよね。部長とは仲が良いんですか?」
 確かここに初めて訪れた時にも同じように楠木の名前が出たことを思い出す。それにあの時、正確にはモヒカンさんの家だったのだが、そこで寝かせてもらったあの時もそうだ。深くは考えなかったが、よくよく思い返せば楠木は平然と杉浦やモヒカンさんに対して文句を言っていた。普通であれば、杉浦やモヒカンさんたちのような、言ってしまえば柄の悪い人にああも平然と文句が言えるのだろうか。さらに言ってしまえば悪いが、楠木はどちらかと言うと、そういうのとは無縁であるような気もする。
 そして、こちらの質問に対して、モヒカンさんたちは目を丸くして見据え返してきた。
 予想外の反応に戸惑っていると、モヒカンさんがぽつりと、
「なっきーってさ、楠木から何も聞いてないの?」
「? なんの話ですか?」
 本当に意味が判らずにそう返すと、モヒカンさんたちは互いに目を合わせながら、「あれ、これって言っていいものなの?」「いや別にいいんじゃねえの。どうせいつか判るだろ」「でも後々面倒なことになったりしねえ?」「なったらなっただろ。そんときゃ杉が何とかしてくれるさ」「……ふざけんなよお前ら。自分で何とかしろ」と最後は杉浦で、実は今日初めてその声を聞いた。
 そして導き出された結論は、「まぁいいか」という楽観的なものであった。
 隣にいたモヒカンさんがずいっと身を寄せて来て、物凄いヒミツを打ち明ける子供のように笑う、
「いや実はねなっきー。楠木ってああ見えて、二年まではおれらとずっと一緒にいたのよ」
 一緒にいた、というのはつまり、ここでこうして楠木も煙草を吸っていたということだろうか。
「え、じゃあ部長って喫煙者なんですか?」
 そんな素振りなんて一切見せないのに意外だ、と思っていると、モヒカンさんが「いやいや」と首を振り、
「そういう話じゃなくて。昔は楠木も一緒になって、おれらと悪さしてたって話。おまけに言うと、あいつああ見えてめちゃくちゃ喧嘩強えのよ。たぶんこん中だと、杉と一緒くらい。ていうか、たぶんこの学校で楠木に勝てるのなんて、たぶん杉と壮枇くらいじゃねえのかな。現におれらじゃ勝てなかったよ。杉と殴り合って唯一平然としてた奴だから、あいつ。キレるとそらもう怖いのなんのって、普段から無口の杉とはまた違った怖さがあいってっ!」
 モヒカンさんがうんこ座りから急に地面に転がった。どうしたのかと見れば、杉浦が無言でそのお尻を蹴飛ばしたらしい。
 落ち葉の広がる地面に倒れ込みながら、モヒカンさんが杉浦を恨めし気に見つめ、
「……何すんだよ、杉」
「うるせえ。喋り過ぎだ」
 どうやら杉浦の反感を買ったみたいだった。
 モヒカンさんが体勢を立て直し、服の落ち葉を払いながら、
「……とまぁこんなもんよ。杉は大体は加減してキレるんだけど、楠木はありゃ狂犬でさ。何かスイッチ入ると止まらねえんだよね。ただなんか知らないけど、ある日急に『おれ新聞部入るわ』っつってここに来なくなって、それっきりだけど。ただまぁ、それからの腐れ縁ではあるかな。別に何か変わる訳でもねえし。ああそうそう、これは内緒話なんだけど。なっきーが倒れた日あるじゃん? あんときゃ久々に怖かったわ。楠木に連絡したらすっ飛んで来てさ、なっきーの姿見た途端に杉に掴み掛かって。おれらが何とか誤解解いて必死に止めなけりゃ、どっちか死んでたかもしんないよ。だからって訳じゃないけどさ、別になっきーがここに来るのをおれらは止めないけど、あんまり楠木に心配掛けないでね。下手するとおれらがボッコボコにされちゃうから」
 そう言って、モヒカンさんはどうしてか面白そうに笑った。


「……部長。これ、今週の記事です」
「おーう、そこ置いといてくれ」
「………………」
「? なんだよ、おれの顔に何かついてるか?」
 思わずまじまじと楠木の顔を見ていたら、そう言われた。
 その問いに対して「いえ、何でもないです」とそっぽを向いて、自分のために用意された二世代くらい前のノートPCの前に座り込む。来週のための記事の下地作成を行いつつ、横目で楠木の様子を伺う。
 いつも通り過ぎるくらいいつも通りの楠木がそこにはいる。
 缶ジュースを片手に、いつもと同じように漫画雑誌を読んでいる。時折、何か面白いギャグでも見つけたのか、少しだけ顔がニヤける時がある。失礼ながら、この楠木が、まさかあの杉浦と同じくらい喧嘩が強いなんて、これっぽっちも信じられなかった。普段からこんな気の抜けた人間なのである、キレるところなんてまるで想像出来ない。やっぱりあれはモヒカンさんの冗談だったのではないか、とも思わなくもない。ただあの場に居た杉浦が特に何も言わなかったところを見ると、どうにも本当のようでもある。杉浦はたぶんそういう冗談とかをあまり好ましく思っていない節がある。
 しかし。それでもやはり、漫画を読みながら「ふはは」と馬鹿みたいな顔で笑うだらけ切ったこの楠木が、どうしてもそうだとは思えないのだった。
 ノートPCに向き直る。キーボードに指を走らせ、日付を変えて題名の枠の色を調整する。
 『☆今週の食堂献立☆』
 デカデカとそう書いてある。
 これが、新聞部一年の紅一点に任された、本当の意味での初めての仕事であった。毎週、食堂の献立を調べて書いて、昇降口の掲示板に貼り付ける。たったそれだけの仕事である。そしてそれは、この新聞部に取っての一番の仕事でもあった。基本的にこの新聞部、何かしらの行事が無いと本当に何もしない。ただ、行事があっても気分次第では何もしない。楠木のその時の気分次第で、初めてそれらしい部活動が行われる、らしいのだが、生憎としてまだ入部して数週間、その場面には遭遇出来ていない。そのため、新聞部で定例的に続けられている仕事なんてのは、この食堂の献立のまとめ以外、何も無いのだった。
 不真面目過ぎると、一体何度思ったことだろう。
 だからこそ、革命を起こそうと思ったのだ。
 水面下では壮枇龍乾の密着取材を行いつつも、それに加え、表面からも行動を起こして変えて行こうと思った。いい加減に書かれていたこの献立記事についてもそうだ。今までは先輩連中が数分で適当に書いていたものを、徹底的に書くようにした。各週の献立詳細の紹介、及び各品のカロリー表示、オススメの組合せ等など、そして極め付けには、実際に試食までさせてもらって、その際の感想を事細かにまとめて記事に起こすようにした。
 その結果、じわじわとこの記事が人気を獲得し始めていた。
 今までは見る人なんてほとんどいなかったはずのその記事に対し、意見も数件寄せられるようになった。「こういうことが知りたい」とか、「一番健康なメニューを教えてくれ」とか、「ダイエットに良い食べ方を調べて欲しい」とか、そういう意見要望に対して、ひとつひとつ、丁寧に答えていった。そのような対応もまた、人気を獲得する要因のひとつとなるのだった。
 やがて全校生徒に対してこのことが広まってもっと人気が出たら、いよいよもって楠木や他の先輩連中も「適当にやっとけばいいんじゃね?」なんて口が裂けても言えなくなるに決まっていた。水面下での活動が結果として残らない今、こうして表面上からも正攻法で改革しようと考えたのである。
 ただ。ただ、本音を言ってしまえば。
 これは、ある種のカモフラージュも兼ねている。
 楠木には再三に渡って、もう壮枇龍乾には関わるなと釘を刺された。それに、あれだけ心配もされた。
 だから、今に行っている壮枇龍乾に対しての密着取材については、楠木には黙ったままだった。言えば止められるのは判り切っていたから敢えて何も言わなかった。しかし、あれから楠木は壮枇龍乾のことに関しては何も触れてこない。もう一度くらいは釘を刺されると思っていたのだが、不思議なくらいに何も言ってこない。それはつまるところ、楠木はもう何もかも知っていて、それでも黙って見守っていてくれているのではないかと、最近は少しだけそう思うようになっていた。
 実際に、この新聞部の紅一点として一番持て囃して可愛がってくれているのは、やっぱりこの楠木であるのだ。
 心の隅で申し訳ないとは思いながらも、それでもやはり、譲れないものが、自分の胸にはもう根付いてしまっていた。


「なっきーちゃん、あの記事、良く書けてたわよー」
 取材のために食堂へ訪れたら、さっそく真田(さなだ)さんに声を掛けられた。
 真田さんは都筑高校の食堂メンバーの中で一番の古株で、そして一番偉い班長さんで、献立等についての質問や取材をすべて一人で対応してくれている人である。今までは取材に来ても適当に聞いて適当に書いて適当にだらけて帰って行く新聞部に対して良い印象なんてまるで持っていなかったようだが、話をちゃんと熱心に聴いて、しっかりと身のある記事を作るようになってからは態度ががらりと変わり、随分と可愛がってもらうようになった。ただ少しだけ後ろめたいのは、食堂のメニュー料金が自分だけ半額近くまで下がっているということなのだが、この件に関しては本当に誰にも言っていない自分と食堂メンバーだけの秘密である。
「こんにちは、真田さん」
「そうだなっきーちゃん、これ、林檎あるんだけど食べない?」
 兎の形に切った林檎が並べられた皿を差し出しながら、真田さんは笑う。
 普段の見た目は少し怖そうなオバちゃんなのだが、笑った顔だけは本当に優しそうに見えるのが、真田さんの良いところだと思っている。
 せっかくなので好意に甘えることにする。
 生徒が誰も居ない食堂の一角に座り込んで真田さんと二人で林檎を突いていると、洗い物などの雑用が終わった食堂メンバーが続々と集まってくる。随分と顔が広くなったもので、もうここにいるメンバー全員の顔と名前が判る。向こうもまた全員がこちらの名前を憶えていてくれており、非常に有り難い。有り難い、のだが。
「なっきーちゃん、ほら、こっちには葡萄もあるわよ」「そうだなっきーちゃん、記事読んだわよ。すごいわねえ、綺麗にまとめちゃって」「そうそう、この前なんてあの新聞のメニューをくれって言う子がいてね、さすがなっきーちゃんだと思ったわ」「真田さんが最近ご機嫌なのもなっきーちゃんの御かげよね」「ねー。なんて言ったっけ、あの部長さん。あの人らは態度悪かったからねえ。それに引き換えなっきーちゃんはもう、可愛いくていいわぁ」
 なっきーちゃん。食堂メンバーからも、どうしてかそう呼ばれている。
 いや、理由なんて判り切っている。初めてこの食堂に訪れた時が転機だった。自分がぶすっとする真田さんと初めて対面し、緊張の中で自己紹介しようと思ったら、動揺と緊張と、そして恒例の台詞噛みが見事にリンクして、思わず言ってしまったのである。
「あま、天くりゃ、なっ、なっきー、ですっ」
 だから、食堂メンバーからもなっきーと呼ばれるようになってしまった。しかし結果的にはどうにもそれが幸を成したようで、親しみのある呼び名だったのか、こうして凄く良くして貰うようになった。ただ、ひとつだけ怖くて聞けないことがある。この人たちは、自分の本当の名前を知っているのだろうか、と。半ば本気で時折気になるのだが、今更に怖くて聞けなかったりする。
 散々に果物をごちそうになり、そしてメインの取材を終える頃にはもう、放課後から随分と時間が経ってしまっていた。「そろそろ帰らなくちゃ」と呟いた一人のパートさんの声を切っ掛けにお開きとなり、お礼を言いながら食堂を後にする。さすがに食べ過ぎてしまったのか、少し気分が優れなかったために、そのまま部室には戻らず、休憩して行こうと思って、自動販売機でジュースを買おうと小銭を投入口に入れようとしたところ、そのタイミングでばったりと丸さんに遭遇した。
 漫画のような絶妙のタイミングであったし、少し手も触れ合った。これが本当に漫画であれば恋が始まってもおかしくはないのだろうが、さすがに丸さんが相手ではそうもいかない。丸さんを侮辱するとかそういう話ではなく、こちらに気づいた丸さんが信じられない勢いで頭を下げて謝り続けるのだから、さすがに恋には発展しそうにはないのである。
 そんなことがあったにせよ、せっかくなので丸さんと並んで休憩することにした。
 いつかのように運動場から少しだけ離れた場所にある、自動販売機が設置されている広場のベンチに並んで座り、丸さんと一緒に缶ジュースを飲んでいる。
「そう言えば丸さん、どうしてこんな時間まで学校にいたんですか? 部活ですか?」
 丸さんがゆっくりと首を振りながら、
「い、いえ……、その、友達と教室で、……ゲームしてて。気づいたら、この時間だったん、です」
 少しだけ嬉しそうにそう言う丸さんを見ていると、失礼極まりない話だけれども、年下だけどどうしてかお母さんの気持ちが判るような気がした。
「な、なっきーさんは、その。取材、ですか……?」
「そうですよ。食堂の真田さんに来週の献立のことで取材してたんです」
 丸さんが笑顔になった。本当にまん丸な笑顔で、ちょっとだけこちらに視線を移しながら、
「あの、あれ。……見て、ます。凄く良く、書けてて、見るのが楽しみな、くらいです」
 新聞部の掲示物のことを言っているのだというのはすぐに判った。
 そして丸さんが見てくれていたというのが意外だったこともあり、素直に嬉しくなる。
「本当ですか丸さん! どうもありがとうございますっ」
 頭を下げてお礼を言うと、丸さんが大慌てて首と腕を振りながら、
「いっ、いえっ、お礼なんて、そんなっ」
 その反応が面白くて思わず笑ってしまう。やっぱり丸さんは丸さんなんだなぁ、と何の根拠もなくそう思う。
 それからは特に会話などすることなく、二人揃ってぼんやりと運動場で行われる運動部の部活動を見つめながら、ゆっくりとジュースを飲んでいた。やがて互いにジュースを飲み終わる頃、ふとした拍子にひとつの質問が頭の片隅から転げ落ちてきた。楠木でも杉浦でもモヒカンさんでもない、丸さんだからこそ聞けるであろうひとつの質問。どうしよう、とほんの少しだけ悩みはしたが、それでも今なら、聞けるような気がした。
 缶ジュースの縁を触りながら、ゆっくりと口を開く。
「……丸さん。ひとつ、質問をしてもいいですか」
 空に浮かぶ太陽は傾きかけ、紅が広がりつつあった。
 そして、その質問を丸さんにぶつけた。
「……壮枇先輩のしていることを、……丸さんは正しいって思いますか」
 突然な質問に、丸さんが驚いたようにこちらを見る。
 その視線を真っ向から受け止めて、敢えてもう一度だけ、言った。
「壮枇先輩のしていることは、正しいと思いますか」
 随分と間があった。丸さんが視線を外して、いつかのように、運動場を見据える。その視線の先の運動場では野球部が大声を張り上げながらノック打ちをしていて、サッカー部がグランドを永延と走り込んでいる。どこかの教室からは吹奏楽部の練習メロディが聞こえてきていて、自動販売機ではいつの間にか来ていたカップルが何のジュースを買おうか相談している。
「……僕は、正しいと思って、ます」
 何の前触れもなく、丸さんはそうつぶやく。
「……壮枇くんは、僕にとって……、」
 そして丸さんは、言った。
「――正義の味方、……みたいな、感じですから……」


 その日は朝から雨が降っていた。
 春には珍しいくらいの豪雨で、家で見たニュースでは一日中降り続く雨となり、一部では土砂崩れに注意しなくてはならないらしい。放課後になってもニュース通りに雨の気配は弱まる事無く降り続けていて、一応の確認として屋上に訪れたがやはりそこには壮枇龍乾の姿はなかった。いつもそこに置いてある椅子は壮枇龍乾が移動させてくれたのか、前に監視していたあの死角に二つ重ねて置いてあった。
 屋上へと続く入口の屋根の下に立ち竦んだまま、止むこと無く雨を落とす灰色の空を見上げていた。
 雨の音を聞きながら、思う。
 ――雨が、嫌いだった。
 雨は、あの日のことを思い出す。
 あの日も、今日と同じくらいの雨が降っていた。
 世界の声は、雨の音に飲まれて消える。
 過去に戻ることが出来ないということは、その過去を一生背負って行かなければならないことなのだと思う。過去をやり直せるのならと、一体何度考えたことだろう。しかしどれだけ考えたところで過去には戻れはしない、だからこそその過去は背負わなければならない。そう思ったからこそ、過去を背負ったまま、前を向いて歩き出した。決意を胸に抱いて過去の自分は歩き出し、現在まで辿り着き、そして今の自分がここにいる。逃げることはもうしないと、そう決めたから。
 だけど。
「――雨の日に依頼者は来ない。これはおれの今までの経験からくる結論だ」
 背後から声を聞いた。
 振り返りはしなかった。振り返る必要がなかったからだ。その声がの主が誰なのかは、すぐに判ったから。
 灰色の空を見上げたまま、小さく笑った。
「……ですね。こんな空じゃ、依頼者は来ないですよね」
 世界の声は、雨の音に飲まれて消える。
 しかしそれでも、あの娘の声だけは、今もまだ、鮮明に耳に残っていた。
 脳裏にある記憶が、ズキズキと痛む。
 雨が嫌いだった。
 雨の音が嫌いだった。
 雨の匂いが嫌いだった。
 灰色の空が、嫌いだった。
「……壮枇先輩。壮枇先輩には、この空がどう見えますか」
 背後から鼻で笑う声が聞こえた。
「五万だ」
 その台詞に、くすくすと笑い返した。
「じゃあ出世払いでお願いします。いつか出世したら、払いに来ます」
 随分といい切り返しが出来るようになったものだと、少しだけ自分自身が誇らしかった。
 壮枇龍乾からの返事は無い。ただ今は、それでもよかった。
 雨の降る空を、見上げ続けていた。
 雨の音。
 雨の匂い。
 灰色の空。
 飲み込まれた、世界の、声。
 ――那月ちゃん。……今まで、ありがとう。
 あの日のあの時、灰色の空の下、雨に濡れながら彼女はそう言った。
 だから自分は、正義を貫こうと思った。力が無くて何も出来なかった自分。何もしてあげられなかった自分。本当に何ひとつとして、してあげることが出来なかった。力さえあれば。すべてを伝える術があったのなら。真実を暴く力が、自分にあったのなら。あの時の自分に勇気と、そしてその力があったのならば。あの日、彼女は苦しまなくてよかったはずだった。彼女はきっと、救われたはずだった。
 絶望の涙を流して悲痛な笑みを浮かべるなんてことを、しなくてよかったはずだった。
 正義を貫く人がいれば。そう、
 ――正義の味方がいれば、それだけで、すべては救われたはずだった。
「……壮枇先輩。先輩は正義の味方になりたかったって言いましたよね」
 やはり返事は無い。それでも構わずに続けた。
「切っ掛けも理由も聞きません。わたしも聞かれても答えませんから。でも、あの日。先輩から正義の味方になりたかったって聞いて、正直な話をすると、……わたしは、すごく嬉しかったんです。ああ、こんな人が本当にいるんだって、すごく嬉しかった。もっと前に貴方みたいな人がいてくれたら、救われた過去は、たくさんあったんだと思います」
 神様なんてこの世界には居ない。居たら、あんな残酷な過去は作らない。
 だからそう、神様が居ないのなら。神様が救ってくれないのなら。
 自分がなるしかなかった。誰でも救えるような、そんな、――正義の、味方に。
「……白状します。わたしは貴方を、尊敬しています」
 でも。だからこそ。
「……そして、暴力を振るう貴方を、わたしは軽蔑します」
 暴力で行われる行為を正当化したものを、正義だとは言わせない。
 暴力は、ただ純粋な、悪だ。
 だから壮枇龍乾を、軽蔑する。
 だから自分は、己の正義を貫くのだ。
 暴力を振るわない、本当の正義の味方になってやるのだ。
 ――雨が、降り続いていた。
 灰色の空を見上げ続けながら、気づかれないように、手を強く握り締めた。
 あんな思いは、もう、たくさんだ。
「……泣いているのか、天倉那月」
 唐突な壮枇龍乾の台詞に、震えた声で、笑い返してやった。
「……五万円、です」


 憂鬱な雨の中から家に帰り着き、シャワーだけ浴びて夕食も摂らずにベットへ飛び込み、布団を頭から被って丸まりながらじっとしていたら携帯電話が鳴った。もぞもぞと動いてベットの棚に置いていた携帯電話を手探りで探し当て、布団の暗闇の中へと引っ張り込む。ディスプレイに表示された名前を見て、少々驚いた。
 モヒカンさんだった。いつかに番号を交換していたが、連絡が来たのはこれが初めてだった。
 少しだけ戸惑いつつも通話を開始させる。
「……もしもし」
『なっきーげんきー?』
 通話口の向こうから唐突に明るい声が聞こえた。
 もう随分と慣れたもので、そして随分と定着してしまった挨拶だった。
 だけど今は、その陽気さに少しだけ救われた気がした。
「急にどうしたんですか」
 そう問うと、モヒカンさんの声が僅かに低くなり、
『んー、どう説明したもんかと思うんだけどさ。なっきーって、まだ壮枇の取材続けてるんだよね?』
 一瞬だけ言葉に詰まりそうになったが、それでも力強く返答する。
「……そうですね。まだ続けてます」
 そう。諦めてたまるか。こんなところでへこたれていられるか。
 もう後には退けない所にまで、自分は足を踏み入れているのだ。
 一世一代の大勝負の、途中なのだ。
『だよねー……。まぁ、えーっと。言い難いんだけどさ、』
 そしてモヒカンさんは、言った。
『しばらくおれらと壮枇に近づくのやめてくれない?』
 急な台詞過ぎて、思わず変な声が出た。
「えっ? ど、どういうことですか……っ?」
 んー、とモヒカンさんは言葉を探るように、
『いやぶっちゃけるとさ。前になっきーが倒れた時あったじゃん。あの時に壮枇がぶっ倒した連中、まぁおれらが揉めてた相手なんだけど。あれがまた結構ややこしいことになってて。向こうの坂崎(さかざき)が、ああ、坂崎って向こう連中のボスね。ウチで言う杉みたいな感じの。そいでその坂崎が壮枇を血眼になって捜しててさ、ウチの連中も二人闇討ちに遭ったんだよ。こうなってくるともう手遅れでさ、メンツの問題もあって、全面戦争しかないわけよ。おまけにその坂崎って、実は頭が結構逝っちゃってる奴でね、何しでかすか判らないわけ。万が一にも無いとは思うけど、それになっきーは巻き込めないじゃん。だからさ、おれらが良いよって言うまで、おれらと壮枇には近づかないで。今回はさすがに危ないかもしんないから』
 正直な話、モヒカンさんの説明は、半分も頭に入って来なかった。
 いろいろなことがあり過ぎて、思考回路がぐちゃぐちゃになりつつあった。

 世界はとっくの昔に、灰色の空に飲み込まれていたのだと、ようやく気づいた。

     ◎

 夕羽岬(ゆうばねみさき)とは、幼馴染の関係だった。
 幼稚園から中学校二年生までずっと一緒だった。一番仲の良い友達だった。
 親友だと、思っていた。向こうも、そう思ってくれていたはずだった。
 だけど、自分は彼女を守ってあげることが出来なかった。気づいてあげることが出来なかった。世界に対して、自分はあまりにも小さくて、ちっぽけで、そして無力で。何の力も無い自分は、自分のことだけで精一杯だったのだ。彼女の笑顔の下に隠された本音に、気づいてあげることが遂に出来なかった。
 ようやく気づいた時にはもう、全部、手遅れだった。
 激しい雨の中。屋上の手摺の向こう側で。彼女は泣きながら、笑った。
 絶望の涙を流して悲痛な笑みを浮かべ、彼女は言ったのだ。
 ――那月ちゃん。……今まで、ありがとう。
 身体が宙に投げ出され、その姿が視界から消える。
 無意識に伸ばした手は、最後まで彼女の手を掴むことは無かった。

 不幸中の幸いだと言うべきか、命に別状は無かった。
 ただ、彼女のココロはもう、壊れてしまっていた。
 病院のベットの上。何の感情も宿らない瞳で虚空を見つめ、彼女は、夕羽岬という女の娘は、もう、抜け殻だけとなってしまった。
 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。気づいてあげられなくてごめんなさい。力になってあげられなくてごめんなさい。何も出来なくて、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
 謝ることしか出来なかった。ただ、どれだけ謝っても彼女のココロはもう戻って来なくて、どれだけ泣いても彼女のココロはもう治らなかった。
 彼女を見たのは、それが最後。
 誰にも何も告げず、ただ事務的に、「転校」したと聞かされて、それで終わった。

 当時の自分なりに調べて判ったことがあった。
 中学一年生の頃から、彼女は担任から体罰を受けていた。いや、体罰という表現では甘過ぎる。
 それは、正真正銘の暴力だった。
 それでも彼女は、誰にも知られないように。誰にも心配を掛けないように。ただ自分の胸の中に秘めて、ずっとずっと、我慢し続けて来たのだろう。
 だけどあの日、あの雨の日。遂にその防波堤が壊れてしまった。防波堤に亀裂が入って初めて、ちっぽけだった自分は、その異変に気づいた。
 話なんて、全体の十分の一も聞けなかったと思う。
 壊れたように泣きじゃくる彼女を宥めるだけしか出来ず、やがて亀裂はその大きさを増し、終いには完全に破壊し尽くした。
 走り出した彼女を追って屋上に辿り着き、そして、それまで泣きじゃくってほとんどまともに喋れなかった彼女は、最後に、ああ言った。
 許せなかった。全部が。そう、全部が許せなかった。
 暴力もそうだが、何よりも、最後まで何もしてあげられなかった自分自身が、一番許せなかった。
 クラスメイトにも証言を取って、いろいろな証拠も集めた。それを持って、校長先生への直談判を行った。その証拠を見た校長先生は、最初は酷く驚いていたが、揺るぎようのない証拠を前にこう言った。
 ――君の話は判った。後はわたしたちに任せておきなさい。
 救われた気がした。謝ることしか出来なかった自分が、ほんの少しでも役に立ったのだと。あの娘をあんな目に遭わせた人間に対して、これで正当な罰を与えることが出来たのだと。
 しかし、現実は非情なものだった。
 結論として、その担任は学校を去った。理由は、「一身上の都合」。
 夕羽岬への体罰の件が公になることは、遂に無かった。

 夕羽家に対して事情が説明されることは無く、世間に公表されることも無く、「学校が変わるだけ」という罰を受け、あの担任は、今もまだのうのうと教師を続けている。そのことに対しての直談判は、最後まで受け付けてもらえなかった。学校のメンツ。世間体。自分自身の内心点。自分たちの保身だけを考えた言い訳と、脅迫紛いの台詞に追い返されて終わった。
 自分は、無力だった。今にして思えば、他にもいろいろとリークする手はあったのだろう。例えば教育委員会へ訴えるだとか、学校に匿名の張り紙を残して事件の全貌を知らしめるだとか、荒行を言うならネットに事実を書き殴って炎上させるだけでも良かった。しかし当時の自分ではそんなことを思いつくだけの余裕は無く、そして何よりも、「任せておきなさい」と言った、頼れるはずだった大人に裏切られた行為が、ココロを抉るように重く辛く、もはや抗うだけの力は、残っていなかった。
 二週間、学校を休んだ。
 暗い部屋の中で、彼女へ謝り続けていた。
 そして謝り続けた中で、最後に、気づいた。
 この世界には、神様なんて居ない。
 居たら、あんな残酷な過去は作らない。
 居たら、夕羽岬を救ってくれたはずだった。
 だからそう、神様が居ないのなら。神様が救ってくれないのなら。
 自分がなるしかなかった。誰でも救えるような、そんな――、
 だから自分は、貫こうと思った。力が無くて何も出来なかった自分。何もしてあげられなかった自分。本当に何ひとつとして、してあげることが出来なかった。力さえあれば。すべてを伝える術があったのなら。真実を暴く力が、自分にあったのなら。あの時の自分に勇気と、そしてその力があったのならば。あの日、彼女は苦しまなくてよかったはずだった。彼女はきっと、救われたはずだった。
 だから、思ったのだ。
 自分がなるしかなかったのだ。誰でも救えるような、そんな、

 ――正義の、味方に。

     ◎

 灰色の世界を覆すには、自分から行動を起こす以外に無いなんてことは、もう判っていた。
 時が過ぎれば雲は流れて晴れ間は射すであろう。しかし、それでは根本的な解決になんてなっていないのだ。自分自身の手で雲を取り払わない限り、ココロを覆った灰色の空は晴れ渡りはしない。それはもう、あの時に理解していた。だからこの手には今もまだ、ペンとカメラがある。だから自分は今もまだ、正義の味方になりたいと思っている。
 だから――、
「――……杉浦たちから何も聞いていないのか」
 屋上に姿を現した壮枇龍乾の第一声がそれだった。
 その問いに対して、はっきりと宣言する。
「これがわたしの正義です。誰に何を言われても、わたしは自分の行動を変えません」
 悩み抜いた結果として、この答えに辿り着いた。
 今がどのような状況なのかなんて、正直な話をするとちっとも判らない。しかしだからと言って「はいそうですか判りましたしばらく近寄りません」などとのたまうくらいであれば、そもそも壮枇龍乾に対してあんな啖呵なんて切らないに決まっていた。今にそう言って逃げ出すことは、自分の正義を否定することだと思う。だから絶対に、逃げるなんて真似はしない。
 壮枇龍乾が僅かに鼻で笑いつつ、こちらに歩み寄って来る。
「相変わらず大層な心意気だな。だが、一つだけ忠告しておいてやる」
 すぐ傍の椅子に座り込み、手に持っていた炭酸ジュースのプルタブを開け放ちながら、壮枇龍乾は言った。
「今回の騒動は、お前が考えてる以上に厄介で大きく根が深い。ペンとカメラじゃ何も出来ない。振るわれる暴力に対して、お前はそのちっぽけなオモチャを武器に抵抗するのか。そんなものが一体何の役に立つ。写真を撮ったから殴れば停学になるぞとでも言って脅すのか。お前はこっちの世界を甘く考え過ぎている。怪我をしない内に全てから手を退け」
 真っ直ぐに見据えてくる壮枇龍乾を真っ向から見つめ返して、思う。
 言い方は直線的だが、これはおそらく、心配、してくれているのだろう。
 楠木だってモヒカンさんだってそうだ。どうして知り合った人たちは皆、こうも優しいのだろうか。そしてこんなにも優しい人たちなのに、どうして暴力を振るうのだろうか。答えが見えない。本当に辿り着くべき真実が果たして何なのかさえ理解出来ない。だけどそれでも、唯一判っていることがあるのなら、それは、神様なんて居ないということだけ。居ないからこそ、自分が全部を救わなければならない。それ相応の力をつけなければならない。誰に何と言われようとも、貫かなければならないのだ。この考えすら見失えば、きっと自分は、自分自身さえも許せなくなってしまう。
 壮枇龍乾を真っ直ぐに見据えたまま、宣言する。
「それでも。……それでもわたしは、わたしのやり方で戦います」
 壮枇龍乾が、今度は鼻ではなく、本当に笑った。
「――いい返答だ。お前がここで逃げ帰るのであれば、もう二度とこの舞台に立たすつもりは無かった。上等だ天倉那月。今回だけ特別価格で依頼を請け負ってやる。五百円で、今後のお前の身の安全を保証してやろう。どうだ」
 今度は、真っ向から笑い返してやった。
「お断りします。貴方の正義になんて、絶対に頼りません」
 そして壮枇龍乾は、本当に愉快そうに笑うのだった。


 屋上に依頼者が現れたのは、それから二日後のことだった。
 流石にプライベートなことに無神経に足を突っ込む訳にもいかないため、依頼者と壮枇龍乾が話している間は席を外した。情報は喉から手が出るほど欲しいが、何の関係も無い自分が居てはおちおち相談も出来ないだろう、という配慮の結果である。
 十分程度の会話の後、どうにも話の内容が決着したのか、屋上から去って行く依頼者と入れ替わる形で壮枇龍乾の元へ足を進める。いつものように椅子に座り込み、さて何と言って壮枇龍乾から情報を聞き出そうかと思案した時、唐突に壮枇龍乾からこう言った。
「――解せんな」
 唐突過ぎて聞き返すことすら出来なかった自分に対し、壮枇龍乾は独り言のように続ける。
「タイミングが良過ぎる。それに平静を装っていたが明らかに脅えていた。十中八九、罠だろう」
「……何の話ですか?」
 壮枇龍乾はこちらに少しだけ視線を移した後、僅かに考えるような素振りを見せた。
「……天倉那月。先日にお前の覚悟は見せて貰った。これはおれとお前の勝負でもある。だからおれは、お前をこの舞台から強制的に引き摺り下ろすことなんて考えちゃいない。だが、状況がどうもそれを許さないようだ」
 先ほどから壮枇龍乾が何を言っているのかがまったく判らない。
 そして判らないまま、壮枇龍乾はさらに、
「お前の覚悟と、お前の身の安全はまた別の話だ。言っておくが、おれがお前を守る義理は無い。お前はおれの正義には頼らないと言った。ならばお前は、自分の正義で自分の身を守らなければならない。これ以上、この件に関して足を踏み入れるのであれば、それ相応の、それこそ生死の覚悟は、出来ているんだろうな」
 あまりにも論点が見えないため、無意識的に少し尖った口調となってしまう。
「だから、さっきから何の話をしてるんですか」
 壮枇龍乾は、言った。
「――戦争が、始まる」


 壮枇龍乾曰く。
 先ほどの依頼者は、「罠」であるらしい。
 正確には、何者かがあの依頼者を脅迫し、壮枇龍乾を誘き出そうとしているのだという。『殴り屋』なんてものを生業にしている壮枇龍乾だからこそ、そういう感知能力は秀でているものがあるのかもしれない。現に、バレていないと思っていた密着取材や尾行も勘付かれていた。普通の人よりも、そういった気配の変化等には敏感なのだろう。
 依頼者はこの学校の二年生の男子生徒だった。依頼内容は、いつかの丸さんと同じように、昨日に他校の生徒に絡まれて恐喝され、お金を盗られたため、その回収をして欲しいというもの。今回の依頼に関して、壮枇龍乾は無料で引き受けた。それはつまり、その話が事実だったとしても、結局のところ、発端はすべて自分自身にあると判断したからなのかもしれない。
 依頼者を脅迫している何者かは、もはや検討がついていた。
 今の状況では、ひとつしか考えられなかった。
 動くなら明日だ、と壮枇龍乾は言った。
 そう言い残して、壮枇龍乾は帰って行った。その発言が実は嘘で、こっそりと今から自分に知られない所で全部のことに対して決着をつけるつもりなのではないかと危惧したが、どうにもそうではないらしい。ここ数日、ずっと壮枇龍乾を近くで観察していたからこそ判った。明日だ、と言った壮枇龍乾のその台詞に、嘘は無いと、自然と理解してしまった。
 一人取り残された放課後の屋上で、大きなため息を吐く。
 この件に関して、首を突っ込む覚悟は、しっかりと出来ているつもりだった。どんな危険なことにだって立ち向かってやるのだと、本気で思っていた。しかし。
 少し、暗雲が立ち込めてきた。
 本当に、自分の正義で、何かを守ることが出来るのだろうか。今の自分は、果たして誰かの役に立っているのだろうか。暴力を振るう悪を止めるために、自分は今、ここにいる。だが、ここまでで何か成果を挙げたのだろうか。さっきの依頼者に対してだってそうだ。例えば彼を助けるためには、自分は何をすべきなのだろう。壮枇龍乾に同行して、壮枇龍乾の悪事を暴いたところで、彼が救われるとは思えない。もっと、根本的な行動に移さないと、何も解決しないのではないか。
 壮枇龍乾に真っ向からの全面戦争を挑んだくせに、結局、「自分が何をすればいいのか」が、よく判らなくなりつつあった。仮に壮枇龍乾の正義を否定したとして、その先で自分は、――どうする、つもりなのだろう。
「……ああもうっ」
 誰もいない屋上でばたばたと暴れる。
 もう頭の中がぐちゃぐちゃだ。自分の頬を両手で叩いてキアイを入れる。
 しっかりしろ。迷っちゃダメだ。今に自分がすべきことは、壮枇龍乾の正義を否定することだ。暴力では何も解決しないのだと、判らせることだ。壮枇龍乾は確かに、誰かにとっての正義の味方なのかもしれない。自分だって、ああもはっきりと言い切れる壮枇龍乾のことを、白状すれば本気で尊敬している。しかしその方法がやはり暴力ではダメなのだ。暴力ではない方法でも、正義を貫き通せることを証明する。これがまず最初に、自分がここでしなければならないこと。
「よしっ」
 気を取り直す。
 明日だと壮枇龍乾が言うのならいいだろう、明日こそ奴の尻尾を掴んで、その正義を否定してやるのだ。
 屋上を後にする。随分と日が暮れてしまった。そろそろ帰らなければ親に心配されてしまう。
 もう人のほとんど残っていない校舎内を歩き、下駄箱で上履きを履き替える。運動部の大半ももう帰ってしまったのか、グラウンドに残っているのは後片付けをしている数人しか見受けられない。そして校門から駅へと続く帰路には、人の気配は感じられなかった。夕日が消え入りそうな空の下、明日のことを頭の中でシュミレーションしながら歩いて行く。
 それは、校門から十分ほど歩いた場所でのことだった。
 何処からとも無く、違和感が降って湧いた。足を僅かに止めて辺りの様子を伺うが、特に変わったところはなく、気のせいかな、と思い直して再びに歩を進めようとした瞬間、
 聞こえた。聞こえた、と思う。校門から駅へと続く道は、交通事故を懸念して大きな国道とは別の、民家の裏通りを通るように指定されている。遠くから耳に届く車の排気音や、近くの民家から響くテレビの音に混じって、聞こえたような気がする。その場に停止したたまま、ゆっくりと周囲の様子を伺いながら、
 また聞こえた。声。たぶん、複数人の声。どうしてか嫌な胸騒ぎがして、その微かに聞こえる声を頼りに歩を進め始める。次第に歩調は早まり、最後は駆けるような足取りになっていた。やがて見えて来たのは、小さな空き地だった。家の塀の影に身を隠すように立ち止まり、意を決して、その光景を見た。
 ただの喧嘩だったら、まだ良かったのかもしれない。
 いつか見た制服を着た複数の連中が、空き地の隅で何かを囲むように屯している。口々に何事かを怒鳴りながら、時折、激しく身体を動かしているのが見て取れた。この期に及んで、まだ脳が現実を直視していなかったのかもしれない。何が行われているのかなんてほとんど理解できず、呆然とその光景を見つめながら、
 ――丸さんだった。連中に囲まれて、怒号を浴びせられ、そして、
 無意識だった。気づいた時には、飛び出していた。
 途中、鞄の中から手探りでカメラを取り出し、慣れ染んだ動作で電源を入れながら連中の近くまで一気に突っ込んだ。走り寄る気配に連中が次々とこちらに気づき、戸惑うような素振りを見せた隙に、丸さんの前に滑り込んで、連続してカメラのシャッターを切った。突然に光ったフラッシュに、連中のほとんどが驚いて仰け反ったり手を翳したりして、そして、
 そして、そこから先のことは、まったくのノープランだった。その隙に丸さんと一緒に逃げるなんて漫画のようなことなど、絶対に不可能だった。そんなことが出来るなんて端から思っていない。ただ、しかしそれでも、こうせずにはいられなかった。
 これが、自分の覚悟だ。生半可な気持ちで、壮枇龍乾に啖呵を切った訳ではないという証明。悪の暴力を振るう連中に対し、カメラを片手に、真っ向からの勝負を挑む。
 心臓が恐ろしいほどの鼓動を打っている。呼吸が信じられないくらいに荒い。だけど、――逃げるもんか。
 後ろで倒れ込んでいた丸さんが僅かに視線を上げ、泣き声で言葉を紡ぐ、
「な゛っ、……な゛っぎー、ざん゛……っ」
 少しだけ後ろを振り返りながら、笑ってみせる。上手く笑えていたと思う。
「もう平気です丸さん。あとはわたしに任せてください」
 ただ、何を任せればいいのか、正直なところ、自分でもまったく判らない。
 恐くないと言えば、これ以上の嘘なんて無い。足ががぐがぐと震えている。脳髄の奥が今までに無いくらいズキズキと痛む。気を抜けば最後、その場で泣き出してしまいそうなほど不安定な精神状態。いつ以前のように倒れてもおかしくはあるまい。でも、ボロボロになった制服と、鮮明な鼻血と、そして懇願するように泣いているの丸さんを見てしまったら、そんなことで弱音を吐いてなんていられなかった。
 丸さんは、壮枇龍乾のことを正義の味方みたいだと言った。
 だったら。だったら、自分だって、丸さんに、
 これは、意地だ。ここで曲げたら、ここで逃げたら。
 自分はもう二度と、壮枇龍乾との戦いの舞台には上がれない予感がする。
 歯を必死に食い縛り、手に持っていたカメラを掲げて、目の前の連中に言い放つ。
「……写真は撮りました。もうこれ以上はやめてください。これ以上やるなら、この写真を警察に」
 予想外の乱入に戸惑っていた連中だったが、その言葉を理解したと同時に、急な笑い声が響く。すぐにその笑い声は大きさを増し、目の前の複数人が全員、突然に大笑いを始めた。
 唐突過ぎて、意味が判らなかった。
「なっ、何が可笑しいんですか……っ!?」
 そして連中は、ひとしきり笑った後、言った。
「何がって、いきなり出て来てお前こそ何言ってんだ? 写真撮っただぁ? だからなんだっつーんだよ?」
「だっ、だから、これを警察に渡し、――……っ?」
 一瞬過ぎて理解出来なかった。
 手に持っていたカメラの重みが消えたと思った瞬間には、無機質な破壊音と共に、それはもう、「カメラだったモノ」になってしまっていた。無残にも踏み潰されたカメラの残骸をただ見ていることだけしか出来ず、
「……あれ、うわっ。おいおい急に落とすなよ、間違って踏んじまったじゃねえか。ただワザとじゃねえんだ、悪りぃ悪りぃ。――で? 写真が、何だって?」
 視線を上げることが出来ない。破壊されたカメラから視線を外すことが出来ない。
 唯一、優位を得られるかもしれない可能性だったものを、呆気無く失ってしまった。
 この期に及んでもまだ、物事の危機性を理解出来ていなかったのかもしれない。
 壮枇龍乾の忠告が、脳裏を掠めてようやく、すべてを悟った。
 覚悟。その本当の意味を今、ようやく、理解した。
 目の前にいるモノが、人間には思えなくなりつつあった。
 その時、囲っていた連中が何かを思い出したかのようにふと首を傾げ、
「……あれ? ていうかおい、こいつ、あれじゃねえか」
 その一言に連中が次々に、「おお、間違いねえな」「そう言えばさっきそのデブも言ってたな」「マジかよ、案外簡単にいけたな」「どっちでも良かったけど、まぁ今は釣れた方でいいだろ」「坂崎さん、とりあえずこいつでいいすか?」
 最後の台詞に、意識の隅が反応する。
 ――坂崎? 坂崎って、
 僅かに視線を上げ、連中の奥にいた人物を見据え、
 人を見て寒気を覚えたのは、これが初めてだった。

 悪意の塊が、笑った。


     ◎


 勘違いしていたことがある。
 本当は判っていたはずなのに、いつの間にかそれを忘れてしまっていた。関わった者が皆、あまりにも優しかったから。だからいつしか危機感を忘れ、警戒心を完全に解いてしまっていた。根は皆、「人」なのだと心から思い込んでいた。話せばきちんと分かり合える、言葉の説得に応じる、「人」なのだと、思っていた。杉浦だってモヒカンさんだって皆だって、そして壮枇龍乾でさえ、きちんと話せば彼らは皆、根は優しい人たちだったから。
 勘違いしていた。忘れていた。
 違うんだ。この世界には、「人」の皮を被った、「人成らざるモノ」が、少なからずいる。
 あの担任だって、そういう類のモノであったはずだった。それをなぜ忘れていたのか。自分如きが行う駆け引きになんて、最初から応じるはずがなく、そして通用するはずもないのである。そのようなモノは総じて、暴力を振るってすべてを壊しながら生きてきたはずだ。思い通りにするためには、手段なんて選ばない。知っていたはずだったのに。暴力は悪であると、理解していたはずなのに。
 それを再びに、最悪の形で痛感する羽目になった。
 一切の抵抗なんて出来なかった。自分の意志を無視して身体が動かなかった。
 必死に止めようとする丸さんに対して連中は最後の暴力を行うと、蹲る丸さんを残し、運転免許を持っているのかも怪しい連中の運転するワンボックスカーに引き摺り込まれて、そのまま拉致された。
 車内は運転席と助手席以外の座席はすべて外されていて、数人が詰め込んで乗れるような構成になっていた。車内の一番端の方に乱暴に叩き込まれて、力の入らない身体を必死に動かして抵抗するが意味は無く、こういうことに慣れているかのような手際で、あっという間に手足を縛られ、口にガムテープまで貼られて身動きが取れなくなった。完全フルスモークの窓からは外内関係無く様子を伺うことも出来なくて、今にどこを走っているのかさえ、もはや検討がつかなかった。
 ものの十数分ほど走った後、車が停止したと思ったら後部座席のドアが乱暴に開けられて、身動きが取れないまま引き摺られるように引っ張り出され、埃っぽいコンクリートの床に投げ出された。受身も何も取れなくて、頬から落ちたせいで一瞬だけ視界が真っ暗になり、ようやく天地がわかった頃には、誤って噛んでしまったのか、口の中に僅かな鉄の味が広がっていた。
 投げ出された空間に視線を巡らせる。
 どこかの廃工場だろうか。大きさは大体学校の体育館くらい、天井も壁も床もボロボロの薄汚れたコンクリートで、スプレーでどこもかしこも落書きされている。大きな柱が一定間隔で天井と床を結んでおり、剥き出しにされた白熱灯が辺りを薄暗く照らしていた。その光の下に、さっきまで乗っていたワンボックスカーと、そして、人数なんてすぐには判らないくらいの人がいた。制服を着ていたり私服だったりと疎らであったが、それらが全員、やはり「真面目な生徒」、あるいは「真面目な人」であるとは、どうしても思えなかった。
 一番近くに居た連中の一人が近くにしゃがみ込み、口に貼られていたガムテープを無理矢理に剥がして来た。突然の痛みに思わず目尻が熱くなるのを必死に我慢し、ようやく口から吸い込めた息を噛みしめて状況を懸命に整理しようとする。整理しようとするが、しかし何をどうすればいいのかがまるで判らず、バラバラに散らばった欠片はついに形に成らなくて、
「手荒な真似して悪かったね、なっきーちゃん」
 呼ばれた名に、無意識に視線を移していた。
 近くに歩み寄って来る人物が一人。一歩近づかれる度、身体の芯が驚くほどの危険信号を発しているのが本能的に判る。頭が割れるくらいに痛かった。寒くて寒くて仕方が無い。人に近づかれることに対し、ここまで身体が拒否反応を示したのは、産まれて初めての経験だった。
 悪意の塊だった。笑顔を浮かべて笑ってはいるが、それは、「人」ではなかった。人の皮を被った、悪意の塊だ。そこに人の姿をして居るのだろうが、自分では今、その顔をよく認識することが出来ない。恐怖心からくる視覚的障害なのか、極度の混乱状態が引き起こす幻覚のようなものなのかは不明だが、笑っているその顔が、濁った渦にしか、見えなかった。濁った渦に白い眼が二つと、赤い三日月のような口がケタケタと笑っている。
 悪意の塊――坂崎がすぐそこに座り込んで、こちらを見下ろして言う。
「壮枇龍乾がここに来るまで、少しお話しよっか」
 言葉が出て来ない。この人外のモノに対して、果たして自分がどうすればいいのかが、まったく判らない。
 恐怖心だけが、着実に身体の奥から滲み出して来る。
「こっちだって本当はこんな真似したくないんだよ。でも壮枇龍乾が見つからなくてね。仕方が無くこういう手段を取らなくちゃならないんだ。残念でならないよ。ただ心配しないでね。別にぼくらは、君に危害を加える気はないんだよ。壮枇龍乾に来てもらおうと思ってるだけなんだ」
 人の言葉である。何を言っているのかも理解出来る。
 穏やかな、物腰の柔らかい物言いだった。
 ただ。ただ、人の言葉が、ここまで軽薄に聞こえて、ここまで嘘に塗り固めてあると確信できるなんて、たぶんもう二度と経験できないことだ。この人は一体、何なんだろう。この人は一体、何を考えているのだろう。こんな台詞を、こんなにも腹の底が冷たくなるような口調で、平然と言ってのけることが、普通出来るのだろうか。
 思った。
 きっと。きっと、これがそうなのだ。
 これがきっと、本当の『悪』なのだ。
 これがきっと、自分が戦わなくちゃならない、本当の『暴力』なのだ。
 滲み上がる恐怖心を歯を食い縛って捻じ曲げる。壮枇龍乾の正義を否定するには、この男を、自分の正義で止めるしか無い。この男を自分の手で止めてこそ、初めて自分の正義は意味を成す。こういう人種に対し、自らが暴力に頼らない正当な罰を与えることが出来るのだと証明して初めて、壮枇龍乾の正義を否定出来る。そう、思った。
 だから。
 息を吸い込む。
 眼を背けるな。意志を揺るがすな。真っ直ぐに、悪と対峙しろ。
「…………今なら、」
「ん?」
「……今なら、まだ。……最悪は、回避出来ます。わたしのことに関しては、目を瞑ります。……ただ、丸さんを殴ったことは、許しません。……貴方たちが、自分で謝罪して、ください。丸さんに謝って、一緒に警察へ行って、今回の全部を、正直に話して、」
「ごめん、意味判んないや」
 何かを言う間も無かった。
 乾いた音が鳴ったと同時に首が引っ張られたように左に傾いて、一瞬だけ遅れて耳の奥からキーンという雑音が響き渡り、状況を理解する前に自然と右目がじわりと熱くなって、涙で視界が潰れ、最後に右頬に熱湯をかけられたかのような熱さを感じる。張り手をされたのだということに気づいたのは、一体それからどれだけ経った頃だったのかは、もうまったく判らない。
 感情が湧き出て来なかった。片方が涙で潰れた視界の中で、濁った渦を呆然と見ていることしか出来なかった。
 悪意の塊は言った。
「うん。意味判んない。丸さんって何?」
 その言葉に返答を返せないでいると、坂崎の後ろにいた一人が、「あー、それたぶんさっきボコってたデブっす。なんかそいつが丸さんとか言ってた気がします」と言った。
 その言葉を受けた坂崎は「なるほど」と言って頷いた後、
「あの豚さんに謝罪って、何でぼくたちがするの? あれはあの豚さんが悪いんだよ。前にぼくの友達がお金を少し借りただけなのに、いきなり壮枇龍乾なんて訳の判んない奴が出て来て、友達をボコった。酷い話でしょ。謝罪するのはあの豚さんと壮枇龍乾の方だよ」
 何も言えない中で、漠然と悟る。
 この男は、何の疑問も持たず、今の言葉を、本気で言った。
 本気で、そう言っていた。
「そもそもなっきーちゃんのことには目を瞑るっていうのも何? おかしいじゃんそれ。言ったでしょ。別にぼくらは君に危害を加えるつもりなんてないって。壮枇龍乾を呼ぶために仕方が無くやってるの。それなのに何かぼくたちが悪いみたいに言われちゃうと、さすがに少しカチンときちゃうよ」
 そこまで聞いていて、ようやく理解する。
 ダメなんだ。まともな言葉なんて、何ひとつとしてこの男には届かない。自分がどれだけ叫ぼうとも、きっとそんなのは、ただの雑音にしか聞こえない。
 頭の奥が、ズキズキと、痛む。
 ――でも。
 最後の気力を、身体の底から搾り出す。
 こんな奴らが居るせいで、誰かが怯えなければならい。こんな奴らが野放しになっているから、誰かが不幸になる。神様なんてどこにも居ない。居ないからこそ、誰かが止めなくちゃならない。悪の暴力に対し、正当な正義を執行する。誰かが犠牲になってでもそうしなければ、何の解決にもならない。そうしなければ、壊れてしまったココロは、未来永劫、暗闇の中に閉じ込められたままだ。
 壮枇龍乾は、「覚悟は出来ているのか」と問うた。
 今なら、本当の意味で言える。
 これが、自分の覚悟だ。
 小さく息を吸い込む。涙で潰れた右目を力いっぱい閉じて邪魔なものを恐怖心と一緒に搾り出す。
 真っ直ぐに、濁った渦に浮かぶ眼を睨みつけ、震える息を押し退ける。
「――……貴方たちは、……考えたことが、ありますか」
「ん? 何を?」
「……傷つけられる人の痛みを、考えたことが、ありますか」
 真っ直ぐにそう言うと、しばしの沈黙が降り立った。
 無言の数秒が過ぎた後、唐突に、目の前の渦は笑う。
「何をいきなり言うかと思えば。あるさ。殴られるのは痛いからね。ねえ、みんな?」
 渦が後ろを振り返って問うと、周りにいた連中が「そうだそうだ」とにたにた笑う。
 再びに小さく息を吸い込みながら、
「……だったら。だったらどうして、……笑っていられるんですか。だったらどうして、人を殴るんですか」
 理解力の無いなっきーちゃんだなぁ、と渦はまた笑い、
「殴られるのが嫌だから殴るんじゃないか。やられるよりやる方がいい。殴られるより殴った方がいい。これって普通で当たり前のことだと思うんだけど、違うの?」
「違いますっ。殴るんじゃなくて、まずは話し合って、」
 かはっ、と渦が吹き出しながら、
「話し合いっ? 随分面白いことを言うねなっきーちゃん。そんなものに意味なんてないよ。人と人は分かり合えない。それはもう、今までの世界がそうだと証明しているじゃないか。考えてごらんよ。あの豚さんだって、ぼくらがお金に困ってて、だから貸して欲しいって言ったのに貸してくれなかった。だったら力でお願いするしかないじゃん」
「……っ、あれがっ。あれがお願いだなんて……っ!」
「捉え方が違うんだよ。あれは、間違いなくお願いだよ。口を使うお願いか、手を使うお願いか、たったそれだけの違い。意思疎通をすることに変わりはないよね」
「相手を暴力で捻じ伏せることを、意思疎通だと貴方は言うんですか……っ」
「この世は残酷なんだ。さっきも言ったけど、人と人は分かり合えないよ。だから戦争なんて起きるんだ。弱いモノは死んで、強いモノは生きる。世界の摂理だよ。そこに話し合いなんてモノが入る余地なんて、一欠けらだって無い。話し合いでどうにか出来るなんて考えてるのなら、それはただの夢物語だ。本当の世界を何ひとつ知らない甘えた理想主義者だ。そしてその理想を唱える奴はみんな現実を知らない。だから、あの豚さんよりなお性質が悪い」
 渦に浮かぶ眼がこちらを見下げ、三日月が裂ける。
「はっきり言おうか。話し合いで人をどうにか出来るなんて思ってるのなら、君はただ、自分の行為に酔い痴れているだけの、偽善者だ」
 偽善者。その言葉が、頭の中に落ちてくる。
 偽善。自分がやっているのは、実のところ、まさにそういう類のものなのかもしれない。ただの自己満足なのかもしれない。誰かを救ってやれなくても、「何かをやった」という達成感だけが欲しかっただけなのかもしれない。でも、それでも。
 自分の正義に誓って言える。胸の中で掲げたこの想いは、それだけでは絶対にないはずだ。
 世界中のたったひとりでもいい。暗闇の中に閉じ込められたたったひとつのココロでもいい。それらが、これからの自分の人生の中で救い出せるのであれば、それだけで、意味がある。それだけで、自分がひたすらに正義を貫く道標には、十分過ぎる。
 偽善だと言われようとも。自己満足だと言われようとも。
 この男にだけは絶対に、自分の行為を、否定されたくない。
 話し合いは平行線。やっぱりもう、問答すらも意味を成さない。
 今度は、大きく、本当に大きく、息を吸い込んだ。
 思い出せ。あの日の怒りを思い出せ。全部吐き出してしまえ。恐れるな。これが自分の持つ覚悟だ。自分にはきっと、この状況を打破する力なんて無いのだろう。話し合いでも何ひとつとして事態を好転させるには至らなかった。この男には、今に何を言っても一言も届きはしないだろう。自分は、無力だ。思い知っていたことだったはずだ。ペンとメモとカメラを持っただけで、人が強くなる訳なんてない。勘違いしていただけだ。
 本当の正義の力とは、きっと壮枇龍乾のような人のことを言うのだと、心の底では理解していた。だけど納得なんて出来るはずがない。納得なんてしてしまったら、夕羽岬に何と言えばいいのか判らない。彼女を追い込んだのは暴力だ。暴力を振るう奴らなんてみんな悪だ。だから壮枇龍乾を軽蔑する。だから壮枇龍乾の正義を否定する。だから自分は、自分の正義を貫く。格好悪くても、どれだけ不恰好でも、例えここでその道が閉ざされることになっても。心の底から、叫んでやる。
 あったまきた。あの日の怒りを、思い出せ。
 渦を真っ向から睨みつけて、力の限りに、叫んだ。
「っ、このおっ、うんこ野郎おっ!!!! ばぁあ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――かっっっ!!!!」
 陳腐でもいい。惨めでもいい。今にきっと、これ以上の啖呵なんて出て来ない。
 どうせまともな言葉なんて、一言も届きはしないのだ。
 正論を掲げても、実力が伴っていなければ意味がないことにやっと気づいた。
 突きつけられたこの現実は、今の状況では覆せない。
 ならばいっそ、度肝を抜いてやれれば、それで、いい。
 胸に掲げたこの正義が、霞んでしまわないなら、それで、いい。
 いきなりの大声に時間が停止したかのような沈黙の後、目の前の渦が僅かに動きかけた瞬間、
 どこからともなく、大きな笑い声が聞こえた。この場にいた、誰でもなかった。
 そして自分は、その笑い声を知っていた。

「――よく言った天倉那月。良い啖呵だ」

 本当に、いつからそこに居たのか。
 悠々堂々と、壮枇龍乾は壁に持たれ込みながらそう言って笑った。
 突然の壮枇龍乾の登場に驚いたのは、その場に居た全員がそうだったに違いない。目の前にいた坂崎だって例外ではあるまい。硬直したようにその場に固まったまま、呆然と壮枇龍乾の方を見ている。
 やがて壮枇龍乾がその一歩を踏み出しながら、
「正直な話をすれば。……天倉那月。おれはお前を気に入っている。久々にお前みたいな馬鹿な奴を見た。見ていて愉快だ。しかし、何処かでおれは、お前は口だけだと思っていた。いざ本当の修羅場に立ったら、逃げ出すんじゃないかと思っていた。……だがお前は叫んだ。良い啖呵だ、良い覚悟だ。また謝らなければならんな。お前を、過小評価していた。すまんな、天倉那月」
 本当に愉快そうに、壮枇龍乾は笑う、
「お前の正義、しかと見せて貰った。……しかし、お前の正義はそいつには届きはしない。だが恥じるな。適材適所、役割分担。お前は自分の正義を貫いた。ならば次は、おれの正義を執行する」
 数十人の不良の溜り場を、まるで自分の庭のように横切る壮枇龍乾。
 いきなりの登場に口を閉ざしていた連中だが、その口上を黙って最後まで聞き続ける訳が無い。連中には、そんな義理も無いはずだ。坂崎の指示を待たず、壮枇龍乾の一番近くの後ろに居た一人が、突然に無言で殴り掛かった。素手では無かった。鉄パイプを振り上げ、何の躊躇いも無く、その者は壮枇龍乾を狙った。殺すつもりの、壮枇龍乾にしてみたら不意打ちの攻撃に他ならなかったはず、なのに。
 まるで、後ろに眼があるかのような裏拳の一撃だった。
 鈍い音と共に鉄パイプが地面に転がり、男が仰向けに倒れ込んでいく。
 この期に及んで、ようやく状況を僅かに理解して、無意識的に言葉を紡いでいた。
「……どう、……して……?」
 なぜ壮枇龍乾がここに居るのか。壮枇龍乾は、動くなら明日だと言ったはず。あの台詞に嘘なんて無いはずだ。なのになぜ、今日にここへ来たのか。来るはずがない壮枇龍乾が、なぜ、
 壮枇龍乾は、こちらを真っ直ぐに見据えた。
「『なっきーさんを無事に助け出してください』」
「……え?」
 いきなりの台詞に戸惑うこちらを他所に、壮枇龍乾は言った。
「それが、田丸からの今回の依頼内容だ。営業時間外だったが、あいつはお得意様だからな」
 田丸。――丸さんだ。丸さんが、壮枇龍乾に依頼した。だから、ここに壮枇龍乾は来た。
 空気が、澄んでいく。
 壮枇龍乾の大きな深呼吸の後、気配が、変わる。
「……依頼通り、お前をここから助け出してやる」
 壮枇龍乾の威圧感がこの場を支配する刹那、
 しかし、すぐ傍でどす黒い感情が渦を巻いた。
 小さな拍手。やがてその拍手は盛大なる拍手に変わる。
「驚いた。素晴らしい登場だ。思わず感動しちゃったよ」
 坂崎が真っ向から壮枇龍乾に向き合う。
「初めまして、壮枇龍乾。まさかこんなに早く君がここへ来るとは思わなかった。よくここが判ったね」
 その問いに対する返答は無かった。そして坂崎もそれを待たない。
「噂は聞いてるよ。『殴り屋』なんだって? そんな大層なモノを名乗るんだ、強いんだろう? 言ったね、なっきーちゃんを無事に助け出すって。見せてよ、その自信を裏付ける強さっていうのを」
 悪意の塊が、笑った。
「お前ら。殺せ」
 屯していた連中が一斉に動き出す。素手であったり凶器を持っていたりまばらであったが、しかし連中の目的は一緒のはずだった。壮枇龍乾を叩くこと。そのひとつの目的に従って、数十人が壮枇龍乾を取り囲んで行く。あっと言う間に出来上がった人の壁に壮枇龍乾の姿が消失し、時折見える隙間からしかその姿を認識出来ない。ただ、その隙間から見える壮枇龍乾は、まるで揺らいでなどいなかった。
 切っ掛けは不明だった。怒号と共に、連中が一気に迫り、
 そこから先はもう、何がどうなっているのかはまったく判らなかった。ただ、連中の発する物凄い怒号が延々と繰り返し叫び続けられて、壁の向こうに見え隠れする壮枇龍乾の姿だけが何とか視界に捉えることが出来て、だけどすぐにその姿が消えて、それで、
 連中の動きが次第に鈍り、怒号もその勢いを失いつつあったその時、
 本当にぴたりと、全部の動きが止まった。
 静寂の降り立つ中。依然として連中の壁が出来ているその中心。
 壮枇龍乾は、やはりそこに立っていた。凶器に対して無傷。それどころか、我先にと突っ込んだ連中を、ほとんど一撃でその意識を絶っている。多勢に無勢なこの状況で、しかし進行を止めたのは連中の方であった。壁の中に倒れる十数人の人間の現状に、連中でさえどうすればいいのかが判らなくなっていたのかもしれない。
 これが、『殴り屋』壮枇龍乾。
 これが、壮枇龍乾の正義の力。
 唐突に、再び響き渡る拍手の音。すぐ傍にいた坂崎がケタケタと笑う。
「すごいね。なるほど『殴り屋』だ。いいねいいね。うん。虫唾が走るよ」
 坂崎の身体が揺れ動いたと思った時にはもう、手がこっちに伸びて来ていた。抵抗する間もなく髪を掴み上げられ、動かない身体を無理矢理に引っ張られた。不安定な状態で立ち上がったこちらの首に腕が食い込み、呼吸が出来るかどうかのギリギリの力加減で固定される。
 すぐ傍で悪意の塊は笑う。
「言ったね壮枇龍乾。正義がどうのこうのって。何なんだろう、君たちは自分が正義だとでも思っているのかな? だとしたらそれはおかしいよ。正義はぼくたちだ。ボコられた友達の敵討ち。これこそ大義名分だと思うんだけど。……まぁ今はその話はいいや。今だけは君たちの三文芝居に付き合ってあげよう。君が正義でぼくが悪。だからこそぼくはこう言う。――動くな、壮枇龍乾」
 いつからそれを持っていたのか。
 首筋に、冷たい感覚が触れた。背筋がゾッとする。首を絞められているせいで視界が上手く捉えることは出来ないが、それでもまさかこれがただの鉄板などではないだろうというのが、感覚として伝わってくる。僅かにしか出来ない呼吸が無意識の内に震え出す。心臓が破裂しそうなほど激しい鼓動を打ち始める。
 こちらを真っ向から見据え続けていた壮枇龍乾に対し、濁った渦は言った。
「さて壮枇龍乾。この状況は君に取って圧倒的不利だ。抵抗出来ない君はこのまま殴り倒されたって文句は言えない。君が言った正義の力なんて所詮この程度さ。これがその証明。この状況こそが、正義の証。ぼくたちこそが、本当の正義だ」
 首筋に伝わる冷たい感触。締め続けられる苦しさ。激しく響く心臓の音。
 怖くないなんて、嘘でも言えない。言えない。言えない、が。
 歯を食い縛る。
 正義。この男は今、自分を正義だと言った。こんなことを、正義の力だと、言い切った。これを黙って聞き逃すことなんて、出来るはずがない。自分と壮枇龍乾。果たしてどちらの正義が正しいのかは、未だに判らない。ただ自分も壮枇龍乾も、そこに確たる信念を持っている。その信念がぶつかったからこそ、今にこうして対峙している。なのに。その舞台の上に、信念すらも持たない人間が土足で上がり込ん来た。そんな侮辱行為を、見過ごせる訳が、あるか。
 感情が昂ぶる。理性が役割を放棄しつつある。
 そしてその気配を正確に感じ取ったのは、身体を押さえつけていた坂崎だった。
「……嫌な目をしているね、なっきーちゃん。気持ち悪い。吐きそうだ」
 刹那、
 身体が振り回されるかのような衝撃が来て、またしても頬を叩かれてその場に叩きつけられた。口から自分とは思えない声が漏れるがしかし、この意志だけは萎えさせはしない。意識せずとも滲み出す涙をそのままに、地面に倒れ込みながら真っ向から坂崎を睨みつける。
 濁った渦が、その濃度を増加させる。
「気持ち悪い、本当に気持ち悪い。気に入らない目だ。殺してやりたくなる」
 傍にいた不良の一人が坂崎の視線から意図を汲み取り、手に持っていたナイフを受け取ると、そのままこちらに歩み寄って来る。再びに驚くほどの恐怖心が滲み上がって来た。殺されるかもしれない、と本気で思ったが、しかしその不良はこちらでしゃがみ込んで、首筋に刃を当てるだけでそれ以上は何もして来ない。
 見下げる坂崎が吐き捨てるように、
「そこで大人しくしてろよ。あとで削ぎ落としてやるから」
 それだけ言うと、ため息混じりに壮枇龍乾に向き直り、
「……気分を変えよう。せっかく楽しくなってきたのに危うく邪魔されるところだった。ねえ壮枇龍乾、ひとつ提案があるんだけど聞いてくれないかな」
 壮枇龍乾は返事を返さない、坂崎もそれを待たない。
「このまま君を殴り倒すだけじゃ面白く無い。そこで、今回の件に関しては、正々堂々、ぼくと君だけの喧嘩でケリをつけよう。ああ、それと安心していい。後ろのあれは君が逃げないためのただの保険だから。無抵抗に殴られろなんて言うつもりはないよ」
 先ほどまでの行動をすべて棚に上げ、渦はそう提案する。
 そしてその理不尽な提案を黙って聞き、真っ向から対峙していた壮枇龍乾が、唐突に鼻で笑った。
「……何を勘違いしているのか知らないが。この期に及んで、随分的外れな台詞だな。おれと貴様でケリをつける? 寝言は寝て言えと親から教わらなかったのか。おれは貴様の茶番などに付き合っているほど暇じゃない」
「……何が言いたいの?」
 怪訝そうに問う坂崎に対し、壮枇龍乾は言い切った。
「――貴様如きでは役不足。そう言っている。全員まとめて叩き潰すのが、おれの正義だ」
 壮枇龍乾を囲っていた連中から、はっきりと判るくらいの怒気が滲み出し、
 三度目の拍手が響く。
「すごいっ、すごいね壮枇龍乾! この状況でまだそんなことが言えるのか! いい、いいね最高だ!」
 そう言いながら腹を抱えて笑う渦が、一歩を踏み出す。
「だけどつれないことを言わないでまずはぼくとやろう。正義の対決をしよう!」
 踏み出した足が突然に地面を蹴り上げた。
 悠然と立っていた壮枇龍乾に対し、真っ向から坂崎が打って出る。繰り出される拳を、壮枇龍乾は表情を一切変えずに避けた。一瞬の静止、しかし続けざまに坂崎は拳を出し続ける。
 端から見れば、それは壮枇龍乾が押されているかのような状況だった。最初は自分もそう思ってしまった。だが、現実は違うのだと気づいたのは、案外早かった。見ていて理解する。ただの一発も、壮枇龍乾は、坂崎から繰り出される拳に捕まらない。まるでどこに拳が飛んで来るのかが判っているように、壮枇龍乾は顔色ひとつ変えずに回避し続け、何発目、何十発目かの拳かは判らなかったが、それでもその瞬間はいきなりやってきた。
 坂崎の拳が再び振り抜かれるより早く、壮枇龍乾の拳が空を裂いた。
 一撃。
 殴られて人が吹き飛ぶなんて、漫画やドラマの中だけだと思っていた。
 喧嘩なんて最悪な愚行だと思う。そんなことを行う人間は、罰せられるべきなのだと思う。ずっと、そう思っていた。そう思っていたが、それでも今だけは、その考えは頭からすっぽりと消えてしまっていた。現実の喧嘩なんて初めて見た自分にだって、判った。
 初めて見た人の喧嘩は、初めて見た自分でも判るくらい、歴然とした差があった。
 強さのベクトルが、まるで違う。
 壮枇龍乾が『殴り屋』と呼ばれる由縁に、目が離せなくなっていた。
 薄汚れたコンクリートの壁まで吹き飛んだ坂崎が、うめき声と共に崩れ落ちる。
 静寂が降り立つこの場所で、壮枇龍乾は言った。
「だから貴様如きでは役不足だと言っただろう」
 そして、残りの連中に向き直り、
 向き直ろうとして、出来なかった。
 それは、滲み上がる笑い声が響いたからだった。
 壁に持たれ込んだままの坂崎が、濁った渦の回転を上げて狂ったかのようにケタケタと笑い猛る。
 空間を支配するかのような狂った笑いを呆然と見つめる中で、その笑いも冷めやらぬ内、突然に口を開いたと思ったら、
「すごい! すごいよ壮枇龍乾! こんなに強烈な一撃を貰ったのは初めてだ! すごいすごい! 期待以上だ!」
 まるで子供のように、坂崎は鼻血が流れ出る顔を歪ませて「すごい」と繰り返す。
 狂気。人の皮を被った、人成らざるモノが魅せる、狂気の空気。
 血に濡れた顔を拭うこともせず、のっそりと起き上がった坂崎は、笑顔のままでまた一歩を踏み出す。
 その光景を見ていた壮枇龍乾が、今度は不敵に笑った。
「今のを受けて平然と立ち上がるとは恐れ入った。意識諸共断ち切ったつもりだったんだがな」
「そんな勿体無いことを言うなよ壮枇龍乾。せっかくの新しい玩具なんだ、もっとぼくと遊んでくれよ」
 悪意の塊が、狂気を纏いながら壮枇龍乾に向かって近づいて行く。
 それから何度、坂崎が壮枇龍乾に殴られたのかは、もう数え切れない。二人の間にある、圧倒的な差は決して埋めらない。壮枇龍乾は、ただの一度も攻撃を食らわず、徹底的なまでに、拳を叩き込み続けた。それでも坂崎は立ち上がる。普通なら動けなくなるような一撃を何度も食らいながらも、それをまるで意に返さず、狂気の笑顔のままで、敵わないはずの壮枇龍乾へ立ち向かう。
 壊れたビデオ映像のように繰り返されるその光景を、もはや何の思考も回せずに見ていた。
 目の前で平然と繰り広げられ続ける暴力に対し、頭が空白に染まりつつあったその時、
 ――違う、と頭ではなく心が思う。
 見たかったのは、こんな光景じゃない。本当に見たかったのは、壮枇龍乾のこんな姿ではない。
 心の底では判っていたこと。
 本当に見たかったものは、壮枇龍乾の正義の力は、本当に誰かを守るためにあるのだという、その真実。
 暴力は悪だ。悪であるはずだ。しかし、壮枇龍乾の行うそれは、もしかしたらそれらとはまったくの別物なのではないか。否定し続ける心は、いつしかどこかで、そう思うようになっていた。なぜなら、壮枇龍乾は自分で、「正義の味方になりたかった」と言ったのだから。その言葉に、嘘なんてひとつもないはずだったから。
 なのに。
 今に目の前で繰り広げられるこの現状が、果たして正義の姿だと言えるのか。一方的に殴り続けるその姿が、壮枇龍乾の求める正義の在り方だと言うのか。そうであるなら。そうであるのなら、それはやはり、ただの悪に他ならない。例え相手が悪だとしても、それでもこれは、正義とは根本から違う行為だ。
 やり過ぎた正義は、悪と同意義だ。
 壮枇龍乾のこんな姿など、見たくはなかった。
 首に添えられたナイフなど、今は何も怖くない。
 感情が理性を凌駕する。気づいたら叫んでいた。
「――……それがっ! それが貴方の正義ですかっ!」
 突然に上がった叫び声に、壮枇龍乾と坂崎の動きがぴたりと止まる。
 真っ直ぐに睨みつけるそこで、壮枇龍乾がこちらを見据え返し、僅かな思案の後に口を開こうと、
「――黙れ」
 濁った渦が、振り返る。
「大人しくしていろと言ったはずだぞ。ぼくと壮枇龍乾の、邪魔をするな……ッ」
 その血塗れの顔に息を呑むのも束の間、濁った渦は黒く、黒く渦を巻き、
「……目障りだ。その女の耳を削げ」
 一瞬、坂崎が何を言ったのかが本気で理解出来なかった。
 そして理解した瞬間、首にナイフを当てていた男が一気に動き出す。身体の向きが無理矢理に変えられ、すぐ傍にしゃがみ込んでいたその男と目があった。背筋が凍りつく。それは、本気の目だった。本気で、坂崎の今の言葉を実行しようとしていた。首筋からナイフが移動し、何の躊躇いも無く刃が、
 鈍い音と共に、坂崎の身体が吹き飛ぶ。
 その状況に耳に添えられたナイフが急停止する。
 息をすることも忘れたその中で、壮枇龍乾は言った。
「……言ったはずだ天倉那月。お前の正義はこの男には届かない。……いや、違うな。この連中に、お前の正義は届かない。ならば、」
「――もう飽きた」
 コンクリートに倒れ込んでいた坂崎が、まるで何事も無かったかのように起き上がり、
「もう飽きたもう飽きたもう飽きた。やる気無くなった。つまらない。面白くない。吐き気がする。痛いのももういい。死ね。死ね。死ね死ね死ね死ね。みんな死ね」
 立ち上がりながらそうつぶやき、ゆらゆらと壮枇龍乾に近づいていく、
「もういい。玩具で遊ぶのも飽きた。クソ女のせいで全部どうでもよくなった。死ね。……そこを動くなよ壮枇龍乾。動く度にその女の顔を削ぐ。無事に助け出すのがお前の役目だろ。だったら動くな。顔のパーツ全部削ぎ落とすぞ」
 壮枇龍乾は、近づいて来る悪意の塊を見据える。
「……やっと底を見せたな」
「もういいよそういうの。気持ち悪い」
 壮枇龍乾のすぐ傍まで歩み寄った坂崎の身体が、一際大きく揺れ動き、
 誰も、予期していなかったはずだった。いや、もしかしたらここの連中は全員、最終的にそうすることを知っていたのかもしれない。予期していなかったのは、自分と、壮枇龍乾だけだったのかもしれない。自然だった。本当に、躊躇いすらなかった。坂崎の動きが、あまりにも自然体であったために、想像すら出来なかった。
 自分では無理であろうその状況で、壮枇龍乾はギリギリで悟った。
 顔のすぐ傍を通り過ぎたナイフの刃。壮枇龍乾の頬に入った一線の赤から血が吹き出す。
 坂崎は笑った。悪意の塊は肩を揺らして嗤った。
「かはっ。よく避けたね、すごいね目玉抉ったと思ったんだけど、すごいね」
 何の気後れも見せず、振り抜いたナイフを戻しながらそう言う。
 状況を理解したと同時に絶句する。
 本気だった。本気で今、坂崎は壮枇龍乾を殺そうとしていた。
 頬から流れ出る血をそのままに、壮枇龍乾は目の前の坂崎を見据え、
「……正気か、貴様」
「正気さ。まさか怖気づいたのか壮枇龍乾。今更こんなことで逃げ腰になるなよ。散々ぼくを殴ったんだ、次はこっちが好き勝手やらせてもらうよ」
 吐き捨てるかのようにそう言い、
 壮枇龍乾の身体が、衝撃音と共に揺らいだ。
 坂崎の一撃が、初めてまともに入った。一瞬の静止の後、三日月がそれまで以上に裂ける。そこから先は、もうめちゃくちゃだった。さっきまで一発も当たらなかったはずの拳や蹴りを、壮枇龍乾はすべてその身に受けた。たちまちに形勢が逆転する。壊れたビデオテープが交換されたように、今度は坂崎が一方的に壮枇龍乾を殴り続ける。
 その行為に対し、壮枇龍乾は一切の抵抗をしなかった。
 そして、抵抗をしない理由を、自分は理解してしまった。
 ナイフに怖気づいたんじゃない。壮枇龍乾はきっと、そんな程度で臆することはない。壮枇龍乾が抵抗しない理由は、この自分にあった。坂崎の忠告。その忠告のせいで、動くことが出来ないのだ。さっきのあのナイフでの一閃は、警告。自分は本気だと。自分は本気で人を殺せるのだと。それを証明させるための作業。
 自分が、壮枇龍乾の枷になっているのだと、理解してしまった。
 壮枇龍乾がついに膝を着く。姿勢の低くなったそこへ、息の根を止めることをまるで躊躇わない蹴りが叩き込まれた。
 空間を舞った鮮血に、気が遠くなる。
 何も出来ない中で、自分の愚かさを呪う。何も出来ない、足を引っ張ることしか出来ない自分自身に死にたくなる。
 押さえつけられたまま、未だに耳に添えられ続けるナイフに意識を集中させる。この状況を、どうにかしなくちゃならない。そして、その手段は今に思いつく限り、ひとつしかなかった。今日に何度、怖い体験をしたのかはもう分からない。一生分の恐怖を今日に味わった気がする。今に考えていることもそうだ。痛くない訳が無い。怖くない訳が無い。そんな訳は無いが、それでもこのまま壮枇龍乾の枷になるくらいなら。自分のせいで壮枇龍乾が殴られ続けるくらいなら。
 壮枇龍乾が、殺されてしまうくらいなら。
 自分の正義を、貫き通せるのなら。
 耳くらい、失っても、いい。
 決断したその瞬間、胸の奥がすっと冷たくなったのが自分で判った。
 その気持ちが萎えない内に、大きく息を吸い込んで歯を食い縛り、目を瞑る。
 覚悟を、決めた。
 そして、
「――よせッ!!」
 壮枇龍乾の怒号が飛んで来た。
 血に濡れた眼が、真っ直ぐにこちらを睨みつけ、
「ふざけるな天倉那月……ッ! おれはお前を無事に助け出すと言ったはずだ、そこで大人しくしていろ……ッ!」
 決めたはずの決意が揺らぐ。感情がぐちゃぐちゃになる。視界が涙でぼやけ始める。
 無意識に嗚咽が滲み出すその中で、必死に声を紡ぐ、
「でもっ……、でも、このままじゃ、先輩が……っ」
 最後まで言い切る前に、膝を着いていた壮枇龍乾の首へ、坂崎の渾身の蹴りが入った。
 鈍い音と共に壮枇龍乾の身体が一気に揺らぎ、そのままコンクリートの上に倒れ込んで行く。身動きを取らない壮枇龍乾から視線を外せず、震える喉からはもはや声すら湧き上がって来なくて、
 静寂が戻って来たその中で、どす黒い渦が振り返った。
「……また、邪魔をしたな」
 自分の血と、壮枇龍乾の血で全身を真っ赤に染めたまま、
「お前は何度、ぼくの邪魔をすれば気が済むんだ。黙ってろって言ったはずだ。後回しにしてやったぼくの優しさが分らないのか。お前のせいで全部台無しだ。もう限界だ。お前なんて生かしておくんじゃなかった」
 静寂が空間を支配する中で、悪意の塊は言った。
「――削ぎ落とせ」
 その声を引き金に、耳に添えられていたナイフに明確な悪意が篭り、
 自分でも判らない、言葉にならない声を上げようとした瞬間、
 風が吹いたと思ったと同時に、身体を押さえていた力が一気に無くなった。ナイフが床に転がる音が響き渡り、先ほどまで身体を押さえていた男が地面に倒れ込んでいく。状況がまるで理解出来ず、呆然としていたその時、声が降って来た。
「――……だから、深入りするなって言ったろーが」
 突然に現れた楠木が、ため息は吐き出しながらそう言った。
 状況が理解出来なかった。どうしてここに楠木がいるのか。まさかこの状況から湧き上がった恐怖心が、ありもしない幻を見せているのだろうか。予想外の登場過ぎて言葉すら発することが出来ず、呆然としていたその時、
 遠く離れた場所から、鉄と何かが激しくぶつかるような音が響いた。
 無意識の内に視線を移したその場所、廃工場の出入り口と思わしきそこから、ぞろぞろと何十人も人間が入って来る。
 その中から響く、聞き慣れた声。
「なっきーげんきー?」
 入り込んで来た連中の先頭で、杉浦と並んで歩きながら、モヒカンさんがそう言って手を振ってくる。
 楠木の次は、杉浦やモヒカンさんたち。本当に、現状の状況に脳の処理が一切追いつかない。
 やがて歩みを止めたモヒカンさんが辺りを見渡し、倒れ込んだままの壮枇龍乾を見つけると、
「あらら。壮枇やられてんじゃん、珍しい。……まぁ、なっきーが人質になってるならしゃあないか」
 そしてこちらに向き直って、いつものように笑い、
「遅れてごめんねなっきー。人数集めるのに手間取っちゃった。でもまだ無事そうだね。ほっぺた赤いけど。でも、……だから言ったんだけどなー、近づかないでって。これはおれらが悪いんだけど、なっきーもちょっとは反省してね。そんでまぁ、反省しながら少し待ってて。おれら今から、ゴミ掃除するから」
 そう言ったモヒカンさんから、笑顔が消えた。それは、初めて見る表情だった。
 視線がゆっくりと、中間地点に立っていた坂崎に向けられる。
「……坂崎よ。ウチのマスコットキャラに手ぇ出してくれた落とし前、つけてもらうぞ」
 突っ立っていた坂崎が、ふらふらと向きを変えながら、
「……どいつもこいつも、邪魔ばっかりしやがって。……杉浦。そいつら連れて、今すぐ消えろ。後ろのクソ女差し出して消えるなら、今までの全部チャラにしてやる。消えないなら、この場で全員殺すぞ」
 その台詞に対して、杉浦が後ろ手で頭を掻きながら、
「……面倒事は嫌いだからな、おれは別にそれでもいいんだが。ただ、ウチの連中は馬鹿ばっかりでな。その女のためになら自分のクビくらいくれてやるって聞きゃあしねえんだよ。だったらその意見酌んでやんのが、おれの役目だろ」
「……お前、何が言いたいんだ……ッ」
 杉浦が、笑った。
「――お前らを一人残さず殺すってことだよ」
「貴様……ッ!」
「ぐだぐだうるせえぞイカレ野郎が」
 二人の会話に突然に口を挟んだのは、まったくの反対方向にいた楠木だった。
 いつの間に拾っていたのか、先ほどまでこちらの首に添えられていたナイフを片手にしゃがみ込み、拘束していた手足の縄を切断してくれた。やっと開放された手足に多少の違和感を感じながらも、未だに状況が分らないまま、それでも楠木にお礼を言おうとする前に、その手が頭に置かれる。
 視線は真っ直ぐに坂崎を睨みつけながら、
「ウチの新人をキズモノにしてくれやがって、こっちゃあ腸煮えくり返ってんだよ。……なぁおいイカレ野郎ッ。お前ら全員、生きてここを出られるなんて思うんじゃねえぞッ!」
 ギリッ、と歯を食い縛る音がしたと同時に、坂崎が叫ぶ。
「――全員殺せッ!! 一人でも逃したらぼくがお前らを殺すぞッ!!」
 合図の一喝。
 戦争が、始まった。
 互いの陣営から恐ろしいまでの怒号が響き渡る中、もう何がどうなっているのかすら判らない状況で、
 それでもやるべきことがひとつだけ、明確な理由となって身体を突き動かした。果てしないような喧騒の中、もつれる足を必死で動かしながら倒れ込んだままの壮枇龍乾の下へ走り寄る。血塗れのその惨状に意識が一瞬だけ飛びそうになるが、心の奥底の気力を振り絞って繋ぎ止め、重いその身体を抱き上げた。
 血に濡れた髪が顔を覆いつくしていて、そのせいでもはや壮枇龍乾が生きているのかどうかさえ判らなくなり、混乱する頭は無意識の内にその名を叫び続けていた。抱き上げた重い身体を必死に揺らしていたその時、
 突然に、その身体が起き上がった。
 まるで何事も無かったかのように起き上がり過ぎて、一瞬だけ頭が真っ白になったその先で、意識を取り戻した壮枇龍乾はため息混じりにつぶやく。
「……聞こえている。騒ぎ過ぎだ天倉那月」
 そしてそのまま右手を首に添えながら、ゴリッゴリッとこちらが痛くなるような音を鳴らしながら首を振り、
「――いい蹴りだった。久々に意識が飛んだ。タガが外れている分、杉浦と同等かそれ以上だな。それゆえに惜しい。あんなものに頼るようなら、もうあいつの底はあれが限界だ。幕引きとしよう」
 立ち上がった壮枇龍乾が辺りを見回し、ようやっと状況を理解する。
「派手にやってるな。……杉浦と楠木か。珍しい組合せだ」
 それだけつぶやいた壮枇龍乾がゆっくりと身体の向きを変え、その一歩を踏み出す。
 空白となっていた意識がここでようやく動き出し、その背に対して言葉を掛けようとした時、
「天倉那月。……お前がおれに望む姿など、おれは知らん。それはお前の願望であって、おれの正義とは関係が無い。だが、お前の正義の在り方は理解出来た。共感は出来んがな。……だから、次はお前がおれの正義の在り方を理解しろ。目を逸らさず、この結末を見届けろ」
 そう言い残して歩き出した壮枇龍乾の先には、何もせず呆然と立ち尽くす黒い渦が居た。
 壮枇龍乾の接近に気づいた渦がゆっくりと顔を上げ、三日月を露にする。
「……いいね壮枇龍乾。いいねいいね。まだ向かって来てくれるのか。まだぼくと遊んでくれるのか。もうすべてがどうでもいい。君と遊べさえすれば、もうぼくは満足だ。最後までやろう。どちらかが死ぬまで、最期まで遊ぼう」
 ケタケタと、坂崎は嗤う。壊れた人形のように、ケタケタと嗤う。
 狂気に染まったその姿からは、もはや何の意志も汲み取れなかった。ただただ、自らが言った言葉に従うかのように、右手に握ったナイフをそのままで、ゆっくりと壮枇龍乾へと歩み出す。何をするのかがまったく読めないその風貌でも、それでもしかし、壮枇龍乾は真っ向から対峙したまま一歩も動かない。
 不敵な笑みが、血に濡れた顔に戻ってくる。
「……ここまでやったんだ、仕方が無い。貴様の茶番に最期まで付き合ってやる。――来い」
 その一言によって、漂っていた坂崎の歩みが一気にその力を増した。
 加速した足が地面を弾き、狂気の笑顔はナイフを掲げる。
 そして、状況を理解できないままでも、その光景を見ながら得た、ひとつの確信。あの時に思ったことは間違いではなかった。壮枇龍乾は、ナイフに怖気づたりしない。壮枇龍乾は、そんな程度で臆することはない。そして今に、壮枇龍乾を捉える枷は何も無い。本来の、『殴り屋』としての壮枇龍乾が、そこには居た。
 握り締めた拳から、戦慄するかのような気迫が伝わった。
 掲げられたナイフが振り抜かれるより圧倒的に速く、その拳は空を裂く。
 響き渡る大喧騒の中で、その風切り音だけは、驚くほど澄んで聞こえた。
 決着の、一撃。
 衝撃によって吹き飛んだ坂崎が地面に倒れ込む。
 世界が静寂に包まれたその中で、やがて周りの人たちも状況を理解していく。これは、抗争であった。互いの間にどのような角質があったのかなんて知りもしない。しかし、その決着がこの瞬間に、訪れた。残りの者同士で争うことも可能であろう。だが、無法者には無法者なりの掟がある。頭が倒れたいま、もう拳を振るう必要性は、見出せない。
 喧騒が収まる。中心に立っている壮枇龍乾と、倒れている坂崎。勝敗はもはや、誰の目から見ても明らかであった。
 両陣営が拳を静かに下ろし始めたその時、
 急激に、意識を失っていたはずの坂崎がその身を起こした。
 未だ消えない、黒い渦に纏う狂気の感情。ケタケタと嗤いながら、坂崎が立ち上がろうとして、しかし足が言うことを利かないのか、その場に一度は倒れ込み、それでも何とか起き上がってゆっくりと歩き出す。拳を握ることもままならないその身体を動かしながら、坂崎は再びに壮枇龍乾へ向かっていく。――が。誰の目から見ても明らかであった。もはや坂崎の意識も定かであるまい。それに、もう既に、勝負は決していた。
 対峙する壮枇龍乾と坂崎。そしてきっと、壮枇龍乾は相手が誰であろうとも、どんな状態であろうとも、向かってくるのならば手加減はしないであろう。自らの道の前に立ち塞がる相手に、容赦はしない。それはもう、判っていた。判っていて、それが、壮枇龍乾の『正義』の在り方だと理解も出来た。壮枇龍乾はいつだって弱者の味方だった。言葉にして言った訳ではない。それでも理解している。建前は丸さんからの依頼だ。だけど今に行なっているこれは、きっと自分を守ろうとしてやってくれていること。もう二度と、こちらが狙われないように、遺恨を残さないように。徹底的にやることによって、目先が壮枇龍乾だけに向くように。だから、きっと、壮枇龍乾は全力で、容赦なく、坂崎を叩くだろう。ただ、それでも。
 壮枇龍乾もそうだと言った。だったらこちらも同じことだった。
 共感なんて、出来るはずがない。
「――……もう、やめてください」
 気づいた時には、壮枇龍乾と坂崎の間に割り込んでいた。
 目の前の渦が僅かに蠢き、ここでようやく意識を取り戻したかのような反応を見せた後、目の前のこちらに気づいて息を呑むかのような冷たい不快感を出した。歪んだ三日月から紡がれる一言。
「……退け」
 背筋が凍るような響きだった。その手にナイフは持っていない。だけど、その気になればきっと、坂崎は素手ですらこちらをぐちゃぐちゃに壊してしまうだろう。そんな明確な、おぞましいほどの狂気が漂っていた。
 それでも。それでももう。逃げることはだけは、しない。
「退きません。もう、やめてください」
「退け」
「嫌です。終わったんです、もう、全部」
「貴様に何が判る。退け。殺すぞ」
「何も判りません。でも、絶対に、」
「退けッ」
 避けることなんて出来なかった。むしろ、頬を再び弾かれてようやく、殴られたことに気づいた。
 遠巻きにその様子を伺っていた楠木とモヒカンさんが感情を爆発させ、一気にこちらへ駆け出そうとしているのを視界の端で認識した途端、涙が溢れる視界も痛みを感じる頬も全部無視して、叫んでいた。
「――わたしはっ、貴方たちが嫌いですっ……!!」
 滲む視界の中で、真っ向から濁った渦を睨みつけた。
「……暴力を振るう貴方たちが、わたしは嫌いです。わたしの友達を傷つけた貴方たちが、わたしは大嫌いです……ッ」
 判ったことがある。きっとこの世界には、武力を持ってでしか解決出来ない事があるのだろう。
 世界が言葉で分かり合えるなんてことは、本当に夢物語なのかもしれない。――しかし。しかし、その夢物語を夢見て何が悪い。分かり合える努力を誰かが貫けば、きっと。いつかきっと、分かり合える時が来る。そう信じることこそが、自分の正義。暴力を振るわず、事柄を解決出来るように。それまで、自分はこのココロを失わない。それがいまようやく見出せた、自分の正義の在り方だ。
 だから。
「……否定し続けてみせます。貴方たちの行為を、わたしは否定し続けます。そしていつか、わたしのやり方ですべてを正してみせます。……だから今。これ以上の行為を、見過ごすことは出来ません。それが壮枇先輩であっても、杉浦さんたちであっても、そして、……貴方であっても。もうこれ以上のことを、絶対に、させません」
 そう言い切って、濁った渦と睨み合い続けた。
 どれくらいそうしていただろう。やがて、目前の渦が僅かに、その動きを止めた。
 何の前触れもなく、唐突に坂崎は身体を翻し、
「……気持ち悪い。反吐が出る。もう沢山だ。……二度とその姿をぼくの前に現すな」
 覚束ない足を動かしながら、何の感情も篭らない言葉を吐いた。
「……帰るぞお前ら。飽きた。こいつらのことなんてもうどうでもいい。放っておけ」
 坂崎の言葉に、争っていた連中は何か言いたそうにしていたが、それでも頭の言うことに従った。撤退していく連中を黙って見送っていた時、最後の最後で、坂崎が立ち止まる。
「……壮枇龍乾。お前だけは別だ。またぼくと遊んでもらうぞ」
 その言葉に、壮枇龍乾は即座に鼻で笑った。
「好きにしろ。ただし料金を払え。貴様はなかなか面白かった。特別料金だ。一律五百円で遊んでやる」
 それだけ聞き終えると、坂崎は何の返事も返さずにその場を後にした。
 そうしてその場に残った者たちは皆、揃ったように大きな息を吐いた後、ゆっくりと集まり始める。その中心地点は他でもない、この自分だった。楠木に杉浦、モヒカンさんやリングピアスの人、学校で挨拶してくれる怖い先輩方。それらが皆、ほとんど内を読めない表情で、ただ自分の周りに集まって、こっちを見ていた。
 ここでようやく、自分の台詞の意味に気づく。
 あの台詞は、坂崎にだけ向けて言った台詞ではなかった。暴力を振るう者全員が、自分は嫌いだった。良い人だというのは判っている。こんな自分のために、ここに集まってくれたのだって判っている。それでも、自分は自分の正義を貫くと決めた。ここであの言葉を撤回することなんて出来ない。今に言葉で分かり合えなくたって、いつかきっと、それをここにいる全員に、理解してもらう。
 その覚悟はもう、出来ていた。
 そして、自分にはまだ、やるべきことが残っていた。
 人の輪の中心で、手を力いっぱいに握り締めながら、油断すれば涙が溢れそうな意識の中で、頭を下げる。
「……皆さん。助けて頂き、ありがとうございました」
 そして、自分の正義にケジメをつけた。
「……そして、先に謝らせてください。……本当に、ごめんなさい」


     *   *   *


 その事件の翌日の放課後、都筑高校の連絡掲示板に一枚の掲示が行なわれた。
 それはあっという間に噂として広がり、さまざまな憶測を生んだ。

 その掲示には、簡潔にまとめると、こう記載されている。

    *
    
 一年三組 天倉那月
 三年一組 壮枇龍乾
 三年二組 楠木怜吾
 三年四組 杉浦龍一

 上記四名を含めた計十八名を、一週間の停学処分に処す。

    *


     *   *   *


 結局のところ、自分はやっぱり、自分自身を許せなかった。
 自分は被害者であって、暴力に関与した訳でない。だからと言って、あの事件に対して自分だけが何のお咎めも無しで過ごせるかと言えば、そうじゃなかった。自分は何も止めることが出来なかった。何ひとつとして事態を収束させることが出来なかった。ここで自分に罰が無く、そしてそれを受け入れていたら、自分はきっと、何も変われない。このことを戒めに、自分はもっと強くならなければならない。だからこそ、同等の処分を望んだ。
 坂崎に言わせれば、本当にそれは偽善だろう。自分のエゴだと吐き捨てられる行為だ。
 しかし。それでも、こうしなければ、自分はいつまでたっても、前に進めないと思った。
 こうしなければ、いつまでたっても、壮枇龍乾の正義に追いつけないと思った。

 あの日の夜、徹夜で事の顛末をすべて、『新聞部の活動』として新聞にまとめ上げた。
 それを持っての翌日、校長室に乗り込んで大立ち回りをやらかした。
 これが昨日に起こったすべてであり、この件に関与した全員に、学校として然るべき対処が成されない場合、PTAや教育委員会、警察やマスコミにすべてを告発し、インターネットにだって拡散させてやると啖呵を切った。大混乱の内に緊急早朝会議が開かれ、事実確認を取った後、例の掲示へと繋がった。
 母親からは大目玉を食らった。散々に怒鳴られて、停学中の外出は勿論のこと、お小遣いを半年間停止されてしまった。ただそれくらいで済んだのは、陰ながら父親が頑張ってくれたからであり、後で部屋に母親に隠れてこそこそとやって来て、「お前にはお前の考えがあるんだろ。判ってる。お小遣いは任せない、へそくりがあるんだ。そこから工面してやる」と助け舟まで出してくれた。ただ、母親が激怒したのはやっぱり娘の将来が心配であるがゆえであって、その気持ちも十分に理解していた。停学が明けると同時に、二人には本気で謝罪をした。
 停学中、自宅に訪ねて来た友人が何人か居た。学校の友達はどうして停学になったのかの真相を知りたがっていたが、そこに関してはごまかして終わらせた。一週間の停学処分。これが妥当かどうかはさて置きとして、罰は下ったのである。ここで話を蒸し返しても、良い事はひとつもないと思ったからだ。
 ただ、どうやら停学騒動は学校で相当な噂になっているらしく、現在の主流は以下である。
 学校の不良を手篭めにした一年女子が、連中を率いて他校のチンピラを叩き潰した。
 本当に勘弁して欲しかったが、これもひとつの罰だとして、甘んじて噂を受けれることにした。
 そして友人以外に一人だけ、訪ねて来た人がいる。
 丸さんである。意外な人物の訪問に驚きながらも、しかしよくよく思い返してみれば、あの事件で自分がこうして無事でいられるのは、丸さんが壮枇龍乾に依頼してくれたからだった。そしてそれだけではなく、実は杉浦たちに知らせてくれたのも、この丸さんだった。緊急事態とは言え、あの丸さんが杉浦たちへ自ら話しかけるなんて、相当の勇気が必要だったのではないか。そう考えると、丸さんはやはり自分の恩人なのである。そのことにやっと気づいて、深く頭を下げながらお礼を言うと、丸さんは相変わらずの丸さんでぶんぶんと首を激しく振りながら、「いっ、いえっ、そ、そんなことっ。たす、助けてくれたの、はっ、な、なっきーさん、じゃない、ですかっ」と大慌てで言いつつ、そして最後に、ぎこちなく笑った後、こう言った。
「それに、あの時のなっきーさんは、その……。壮枇くんと同じ、……正義の、味方、……みたいでした」
 思った。
 たったひとつでも良いのだ。誰かひとりでも良いのだ。
 自分が歩む正義の道の中で、ひとつひとりでも助けられるのであれば。
 やっぱり道標としては、十分過ぎる。
 だから、丸さんにそう言われて、泣くほど嬉しかった。


 停学明けの初日。
 マジかっけーっすなっきーさん、あの噂ってマジなんすか、あのすげえ先輩方と肩並べて戦ったってマジっすか、パネえっす、マジパネえっす。おれぜってーなっきーさんに付いていきますっ。一年三組で一番の問題児であった斉藤君にひたすら質問攻めに合いながらも、愛想笑いだけで何とか切り抜け、放課後になると同時に、勇気を掻き集めてまず最初の場所へ向かった。
 体育館の裏手に差し掛かると同時に足が僅かに竦むが、それでも決意を頑なに、真っ直ぐに自分の道へその一歩を進めた。
 相変わらず、体育館裏にはいつもの連中が屯していて、雑談をしながらタバコを吹かしていた。そして、リングピアスの人がふと歩み寄って来るこちらに気づき、全員に対して合図を出す。皆の視線がこちらを捉えた中、杉浦を除いて、モヒカンさんを筆頭にすっと立ち上がってこちらへ歩み寄って来る。
 目の前に並んだモヒカンさんを含めた六人が、あの時と同じように、内を読めない表情でこちらを見下ろしていた。
 勇気を振り絞る。震える口を必死に開き、言葉を絞り出す。
「……あの、皆さ――」
 突然、全員が頭を下げ、
「「「「「姐さん! お努めご苦労さまです!」」」」」
 いきなりにそう叫ばれて言葉に詰まったこちらを他所に、頭を下げていたモヒカンさんたちが急に笑い出して、「いやおれ一回これやってみたかったんだわ」「やってみると案外爽快だなこれ」「見てみなっきーの顔、面白いことになってんぞ」「おいカメラ回せカメラ、この顔おれの待ち受けにする」「やめてやれよ、それはさすがに可愛そうだろ」と言いたい放題で、杉浦に至ってはタバコを咥えながら呆れ返っている。
 予想外の反応に面食らっていた。
 言葉は自然と口から転げ落ちてしまった。
「……皆さん、あの。……怒って、ないんですか……?」
 そう言うと、大笑いしていた連中が急にきょとんとして、
「怒る? なんで?」
「えっ? だ、だってその、わたしのせいで、その、停学に……」
 再びに全員が沈黙して、互いに顔を見合わせた後、「なに言ってるんだなっきーは?」「いや知らん」「あ。わかった」「なにが?」「なっきーが謝った理由。なっきー知らないんじゃね?」「知らないって何が」「おれらの件」と、その台詞に他のメンバーが「おお」と納得したように頷く。
 混乱しながらもその様子を伺っていると、モヒカンさんがいつもの悪戯をした子供のように笑い、
「あれねなっきー。実はおれら、なっきーに助けられたんだよ」
 さらに意味が判らず、
「助けるって……え?」
「いやー、ぶっちゃけるとおれらってあと一回何か問題起こしたら、この学校クビになってたの」
「……クビ?」
「そ。退学」
「たい……退学っ!?」
「そうそう。まぁ別にそうなったらそうなったで仕方なかったんだけど。デブ丸からなっきーのこと聞いた時に全員で決めたの。くだんねー喧嘩でアウトになるくらいなら、なっきー助け出してクビになろうって。ほら、理由としてはすげえカッケーじゃん」
 ますます事態を飲み込めないまま、モヒカンさんはさらに、
「そんでまぁ覚悟はしてたんだよ。なっきーがあん時、この件を全部ぶっちゃけるって言った時、やっぱりなって。クビんなるのもしゃーないなって。ただ、なっきーが校長に啖呵切ったらしいじゃん。同じ処罰じゃなきゃ暴動起こすって。そんでさすがになっきーを一発退学には出来ないからさ、仕方がなしに全員一週間の停学。教頭の馬鹿に言われたよ、『あの一年の女子に感謝しろ』って。だからおれらはなっきーに対して怒ってないし、それどころか感謝してるくらいなんだよ」
 それだけ言って、モヒカンさんはニッと笑った。
 周りの連中も皆、誰も怒った顔などしておらず、笑っていた。
 そんな状況なんてまったく知らなかった。自分の暴走気味な行動が、結果的にモヒカンさんたちを助けていたと言われてもピンと来ない。ただ、怒っていないことと、こちらの事情のことはまた別問題である。
 あの時と同じように、その場でまた頭を下げた。
「それでももう一度。もう一度だけ言わせてください。助けて頂き、ありがとうございました」
 律儀だねなっきー、とモヒカンさんは感心したようにつぶやき、少しだけ悩みながら「うーん」と言った後、
「……それはまぁいいんだけど。じゃあひとつだけ、おれらからも言わせてもらうわ」
 顔を上げると、こちらを真っ直ぐに見据えながら、モヒカンさんは言った。
「なっきーが喧嘩とか嫌いなのは知ってる。理由もまぁ大体は納得した。詳しくは知らないし聞かない。でもね、おれらはやっぱり馬鹿だから。なっきーみたいに皆と仲良くってのは出来ないんだよやっぱり。でも、だからってなっきーを遠ざけたりはしないし、なっきーが自分からまだおれらと関わるのなら、おれらは歓迎する。そしてなっきーがまだおれらと関わるのなら、そうだね。助けて貰ったクビだし、少しは大人しく過ごしてみるよ」
 それだけ言って、モヒカンさんは笑ってタバコを吹かした。


「……お疲れ様です」
「おーう」
 恐る恐る部室へ顔を出すと、こちらに視線さえも向けずに楠木は挨拶を返した。
 いつも通りの楠木である。缶ジュースを片手に、いつもと同じように漫画雑誌を読んでいる。いつもと変わらな過ぎて、切っ掛けを失ってしまったというのが正直な所であった。ゆっくりと部室を横切っていつもの定位置に着きつつも、だらけきった顔をしながら漫画を読み続ける楠木の様子を伺っていると、唐突に雑誌がパンっと閉じられた。
 びくっと身体を反応させたこちらに対し、楠木は苦笑した。
「……遠慮し過ぎだ馬鹿め。言いたいことがあんなら言え。お前らしくもない」
 そう言われてようやく、胸の奥にある言葉を吐くことが出来た。
 その場で姿勢を正し、頭を下げた。
「部長。――すみませんでした」
 たった一言だった。そしてそのたった一言に、いろいろな意味を込めた。
 楠木の忠告を聞かずにずっと壮枇龍乾や杉浦たちに関わり続けたこと。無茶ばっかりしてその度に助けられたこと。助けてくれただけの楠木を停学にしてしまったこと。いつまで経っても、自己中心的な後輩であったこと。それらをすべて含めて、心からそう謝罪した。
 そして楠木は、一呼吸置いた後、いつも通りにため息を吐いた。
「……天倉。お前、例の記事のデータ持ってるか」
 そう言われてすぐに何のことを言っているのかを理解した。
 鞄に入れていたUSBメモリーを取り出す。楠木にはこれを提出しなければならないと思って、ちゃんとデータは持って来ていた。
 USBメモリーを受け取った楠木は、それを二回ほど掌の上でもてあそんだ後、
「……これがお前の魂込めた記事な訳だな。あとで推敲させて貰う。ただしその前にひとつだけ聞かせてくれ」
 真っ直ぐに、こちらを見据えて楠木は言った。
「お前がこれまでに聞いて、見たすべての事に対して、これは、正直に書いたか?」
 いつか楠木が言ったこと。
 殴る蹴るだけが、暴力ではない。そして、ここ数週間で知った全部から導き出されたひとつの結論。
 あの記事には、嘘などひとつも書いていない。自分の主観すらも、そこには存在しない。
 ただの事実を、ただの真実として記載した。自分の、本当の意味での新聞部としての、正しい仕事だった。
 だから、真っ向から見据え返して、言った。
「――はい」
 そうか、と楠木は満足そうに笑って、USBメモリーをポケットにしまい込み、再びに漫画雑誌を開き、ぺらぺらとページを捲っていく。
 これで、楠木に対する礼儀は果たした。
 残すは、これでひとり。そう決意して、楠木にお礼を言って席を立ち、そのまま部室を後にしようと思った時、出て行く瞬間に声を掛けられた。
「天倉」
 振り返る。楠木は漫画雑誌を読み続けたまま、言った。
「……おれがいる内は、新人のケツくれー持ってやる。ただ、来年からはお前だけの力で切り抜けろ。それだけの力を得ろ。それだけの経験をしろ。そのための一年間で、それが今のお前の仕事だ」
 返事は返さなかった。ただその場で、静かに深く、頭を下げた。


 屋上へと続く扉の前で、大きく深呼吸をする。
 思い返せば、ここからすべてが始まった。たった数週間の間に、いろいろなことがあった。いろいろなことがあり過ぎて、ここに初めて訪れたのが随分と昔に思えてしまう。ここから一歩を踏み出した結果、自分の狭い世界は、急速に広がった。今まで見えなかったものが、少しは見えるようになった。ようやく、明確な自分の生き方を見出すことが出来た。
 そして、一世一代の勝負はまだ、決着していない。
 深呼吸の後、ドアを一気に押し開ける。吹き抜ける風には、あの時と同じような春の匂いが混ざっていた。僅かに傾きかけた太陽の光に一瞬だけ視界が奪われ、無意識の内に手を目の前に持って来て影を作る。ようやっと視界が元通りになったのを切っ掛けに腕を下ろし、真っ直ぐに前を見据える。
 開けた屋上のど真ん中。いつもと同じ光景。教室にあるような椅子が二つ置いてあって、その片方の上に足を組みながら踏ん反り返っている男子生徒がいる。ボサボサの頭に着崩した制服と緩々のネクタイ、下に向かって伸ばされている右手に炭酸ジュースの缶を持っている。気だるそうなその顔の頬には、薄っすらと切り傷が今も残っていた。
 壮枇龍乾は、いつものように、ただ、空を見上げていた。
 決意を固める。屋上へと続くその一歩を踏み出して行く。
 やがてその歩みに気づいた壮枇龍乾は、視線を空から落として、こちらに向けた。
 一メートルの距離を隔てて対峙した後、こちらが頭を下げるより早く、壮枇龍乾は『何か』を制服の胸ポケットから取り出すと同時に、無造作にこちらへ放り投げた。
 反射的に慌ててそれを受け取ろうとして、数回のお手玉を経て落ち着く。
 掴み取ったそれは、ボロボロになった無地の茶色の封筒だった。その封筒に、見覚えがあった。
 状況が理解出来ずに壮枇龍乾へ視線を移すと、真っ直ぐに見据える視線とぶつかった。
 壮枇龍乾は言った。
「おれはお前を無事に助け出せなかった。それは契約違反に対する謝罪だ。黙って受け取れ」
 壮枇龍乾が何を言っているのかが理解出来なかった。
 無事に助け出せなかった? 無事に助け出されたからこそ、自分は今、ここにこうして無傷でいるのではないか。なのにどうして。
 封筒の中身を確認すると、あの時と同じだけのお札が、手付かずのまま残っていた。
「……無事に助け出せなかったって、どういう意味ですか」
 そう問うたこちらに対し、壮枇龍乾は空を仰いだ。
「そのままの意味だ。依頼内容は、お前を無事に助け出すことだった。だが結果として、お前は二発、奴に殴られた。これはおれの過失だ。それに対する謝罪。慰謝料だとでも思え。納得出来ないのならば捨てろ」
 それだけ聞いて、ああ、と納得してしまった。
 理由なんてこじつけだ。あの時に坂崎に殴られたことに関して、壮枇龍乾に過失なんてひとつもなかった。あれは自分が前に出過ぎたがゆえの結果である。だから壮枇龍乾は、何も悪くない。しかしそこに壮枇龍乾は強引に理由を持たせ、前に叩きつけたこのお金を都合よく処分したのだ。
 前に自分自身で言ったことだった。壮枇龍乾は、本当はお金なんてどうでも良かったのだ。丸さんから受け取ったであろう五百円の行方さえ、想像するに難しくない。結局この人は、本当にどこまで行っても、自分の中で貫く正義にただ正直なのだ。だからこそ、正直過ぎて、逆に、腹が立った。
 これでは自分がさらに惨めになるではないか。
 どうしてこの人は、こう――
 拳を握り締める。やっぱり、この人は、
 あったまきた。
 胸の奥から湧き上がる感情に従って、そのまま思いっきり頭を下げてやった。
「助けて頂きありがとうごひゃいましたっ!」
 頭を下げたまま、噛んでしまったことさえも無視して、気持ちを抑えつける。
 今は無理だった。それは理解してしまった。でも、いつかきっと。いつかきっと、自分はこの人を超えてみせる。この人の正義を否定し、自分の正義の正しさを理解させてみせる。夢物語を実現させ、壮枇龍乾の正義を否定し、――自分の正義で、世界を正してみせる。
 今のお礼は、そのための第一歩。
 壮枇龍乾に対する、二回目の宣戦布告。
 勝負はまだ、終わっていないという主張。
 壮枇龍乾は、空を見上げたままだった。
 そしていつかのように、こう言った。
「天倉那月。お前にこの空は、どう見える」
 壮枇龍乾に釣られて空を見る。
 あの日と同じように、暖かい陽射しと青い空、所々に白い雲が浮かんでいる。蒼く澄んだ、春の空。
 きっとこの質問に、明確な答えなんてないのだろう。いや、もしかしたら壮枇龍乾には他意があるのかもしれない。しかし自分にとってのそれは、ただの壮枇龍乾からの――質問だ。
 だからこそ、今度は先回りして、満面の笑みでこう言ってやった。
「――五万円です」
 その言葉に、壮枇龍乾は一瞬だけ意外そうな顔をした後、小さく、笑った。









2014-07-16 21:50:12公開 / 作者:神夜
■この作品の著作権は神夜さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
初めましての方は初めまして、お久しぶりの方はお久しぶり、いつもお付き合いしてくれる方はどうもどうも、実はまだ生きている神夜です。
中編を書いた去年の12月、2013年中に何とかしたいなぁ、などとのたまっていたのは遥か昔となりまして、気づけばGWも終わった今頃に最後まで書き終わった。杉浦とかが参戦した辺りで年末に入り、そこから「一度止まると書けない病」が発症して放置し続け、そしてもう夏まで書けそうな時間が取れないことに気づいたから、無理矢理にでも頑張った。頑張った結果、こうなったけど後悔しない。今に全部を読み返してみると、結局、主張が一貫してねえんじゃねえかと物凄く思うんだけど、後悔しない。こうしないと前に進めへんのや。そうなんや。ホンマすんませんや。
当初の予定では最後になっきーが平手打ちを食らわして、だからこそ停学なんだ――、とかそういう展開だったけど、よくよく考えてみるとそれをしてしまうとなっきーちゃんの正義が根本から崩れてしまうからこうした。こうした結果、ラストを本当にその場その場で書かなければならなくなった訳ですけれども、神夜の小説なんてそんなもんだ。
実はこれ、派生ストーリーが幾つかある。壮枇龍乾、楠木の昔話とか諸々。書きたかったけど書ける元気が無い。残念でならない。
さてはて、そういえば近々雑談版の方に「残骸置き場」等などを作ろうと思ってる。暇な人がいたら便乗してくれると助かります。
それでは誰か一人でも楽しんでくれることを願い、神夜でした。

※一部致命的な誤字脱字があったため修正。
この作品に対する感想 - 昇順
さっそく読ませていただきましたよ。
うん、いかにも神夜さんらしくて面白い。特に、最初に取材を宣言する場面でいきなり噛んだのには吹きました。杉浦たちとか、楠木部長のキャラクターもいいですね。
ただ、神夜さんらしく手慣れた感じではあるけど、まだ何か突き抜けた物がなくて少々物足りない気もします。この辺りは、後半で壮枇がどんなことをやらかしてくれるかというところに期待、という感じです。
ですから、どんなに忙しくても、必ずちゃんと後半を書いて投稿してください。お待ちしています。
ところで……ロリコンさんじゃない!
2013-11-21 22:44:24【☆☆☆☆☆】天野橋立
はっはっは、そうだよ神夜君。ロリコンは天野様じゃない。何を隠そうこのワタシだ! ……ちっとも隠してないけどな。
閑話休題。
なにもかもが正気な話って、今どき貴重だと思うのですね。ラノベにしろアニメにしろ一般小説にしろ、近頃の創作物の多くが、キ●ガ●が主観的にどこまで社会を歪ませて捉えられるか、そんなことを競っているように思われてならないのですよ、昭和中期生まれのイケイケ爺いとしては。
などと言いつつ、自分だって色々●チ●イじみた話を書いているわけだし、猟奇お耽美グロいエロ、トンデモ伝奇に鬱展開、面白かったらなんでもこいの狸ではありますが、やっぱり正気なければ狂気も成立しないわけでして。
てなわけで、正義の味方の鉄拳小僧、大歓迎です。ちょっぴりドジな正論お嬢様も大歓迎です。見た目の割りに正気な悪童たちも大歓迎です。ですのでパーッと続きをお願いします。
ところで、『隠れれる』にはさすがに引っかかりました。いえ、いわゆる『ら抜き言葉』そのものは、「食べれる」とか「見れる」とか、もう明治の昔から大衆小説内では使われまくりなので今さら一々突っつく気もないのですが、ここは社会の木鐸を自認しようという新聞部代表(?)なっきー嬢の視点部分、やっぱりオジサンとしては、ふつうに『隠れられる』と記してほしかった。
2013-11-24 16:56:52【★★★★☆】バニラダヌキ
天野橋立さん>
読んで頂き誠にありがとうございます。
突き抜けた感じが無いのは、きっとそれは主人公が女の子だからなのだろう。女の子をどこまで落としていいのかは、正直よく判らない。女の子主観だと、いつものようにノリだけで走り抜けることが難しい。だって女の子が「ハァハァ、ニーソマジ可愛いハァハァ」とか「ふとももやべえマジやーらかい」とか言い出したら嫌だもん。女の子はそんなこと言わないもん。天使の羽のように軽くて尻からは何も出さないんだもん。いいじゃないか。小説の中でくらい可愛い女の子書いてもいいじゃないか。いいじゃないか!!……八つ当たりだな、うん。
とりあえず頑張ってる。頑張ってる結果、中編が出来た。ポコポコと書き続けてたらこうなった。これはまるでそう、「遠のき」と同じパターンの奴や。ここから一気に方向性誤って「なんでここからこうしたんだ……」って言われるパターンや。でもめげない。めげないぞ。
また続きを読んで頂ければ光栄です。
ところで、――あれれ〜?ロリコンさんとは言ったけど、それが天野さんだとは言ってn(ry

バニラダヌキさん>
あかん。狸さんはガチやからあかん。狸さん弄繰り回したら神夜は叩き潰されてしまうからあかんのや。それに神夜は二次限定のSっ娘ロリコンだから、似非や。三次の子供なんて実は嫌いなんや。だから天野さんを弄くるくらいしか出来ないんや。狸さん弄くったら食い殺されてしまうんや。
そんな話はまぁ置いておいて、読んで頂き誠にありがとうございます。
おー……本質はともかくとして、狸さんの言うことは判る。近頃ラノベやら何やらはめっきり読んでいない訳ですが、アニメなら電車の中で毎日見る。アニメならまぁ割り切って見れるんだけど、その原作小説を読もうとは、これっぽっちも思えない。何なんだろう、昔に――って言っても十年くらい前の話だけれども、あの頃好きだったラノベたちとは、今は丸っきり別物だと思えて、購入意欲も読む意欲も湧いて来ない。これは悲しいことであ――……10年前て……登竜門来てマジで10年くらい経ってるじゃん……マジか……。
このまま狸さんが楽しんで頂けるような物語を提供出来ればいいのですが、うむどうしたものか、やりたいことはあるし方向性も完璧に決まっているんだけれども、突っ切れない分、何か方向性が誤りつつある気がする。繋ぎ部分を考えて書くのがそれは辛くて辛くて……。
『隠れれる』に関してはすみません、まったくそのようなことを気にしておりませんでした。修正致しまする。自分では「隠れられる」と書いていたつもりだったのですが、思い込みってダメだ、すみませんすみません。
また続きを読んで頂ければ光栄です。
2013-12-11 16:39:50【☆☆☆☆☆】神夜
続きを読ませていただきましたよ。
うん、今回は良かったです。特に良かったのが、雨の屋上の場面で「……泣いているのか、天倉那月」と壮枇龍乾が口にする箇所で、この二人のやりとりは渋い。何だか、情景が目に浮かぶような気がしました。神夜さんの作品は、勢いがある部分もいいのだけど、こうやって要所要所に決めカットみたいなのがしっかり入るのがいいんですよね。
部長が実は、というのもありがちとはいえ、今後の展開にどう絡んでくるのか期待大です。
ただ、自分なりの戦い方というのが「写真を撮って通報します」ってのはちょっと無茶じゃないかねお嬢さん、と突っ込んでしまったのも事実で、ここはもうちょっと工夫が欲しい気がしました。

ところで…ロリコンさんの部分に反論をしようと思ったが、元のメッセージが消されているので反証ができない!
卑怯なり神夜と、この部分には抗議しときます。
2013-12-14 19:03:04【★★★★☆】天野橋立
ガーッと盛り上げて終わるのかと思ったら、次回に続くかよ。ナメんじゃねえぞオラぁ!
……延々引き伸ばし常習犯の狸が、何を吠えるやら。
まあ今回の感想はほぼ天野様と同様でして、特に今回のラストにおけるなっきー嬢の修羅場参入には、脳味噌の小さい狸も「…………………………」などと不自然な「……」を何度もコピペし続けてしまいました。過去に充分なトラウマがあるなっきー嬢のこと、理屈ではなくプッツンしてしまい、敵の掌中に落ちるのではないかと想像していたものですから。
ともあれ次回推定最終回、壮絶なる体罰希望。体罰と暴力は違うぞなっきー。
2013-12-15 20:21:17【★★★★☆】バニラダヌキ
お二人とも、返信が非常に遅れて申し訳ありません。
もはや生きているのかどうなのか定かではありませんが、いまさらながらに返信を。

天野橋立様>
基本的に「決めカット」を書きたいがために、そこに辿り着くまでの肉付けをするのが神夜の小説です。だからこそそう言って頂けると有難い限り。こういう細かいエピソードを入れる場合、必ずどっかにそういうのがある。そこだけを書くために、その他の数十行を詰め込む。途方も無い作業だと思うけど、結局作品を作るってそういうことなんだろうなぁ。
狸さんにも書かれたがマジか。そこってそんなに違和感バリバリなのか。ぷっつんして思わず突っ込んで「やべえこれからどうしよう」みたいな心理状況の果て、と思ったんだけど、ダメなのかこれ。……工夫と言っても、正直なところ、神夜ではどうすることも出来ない。どうしよう。勘弁してくだせえ。
神夜は作者メッセージにだらだらと要らないことばかり書くから、更新する度に消します。それはつまり、言い逃げだ! だからこんなところに証拠は残さないぜひゃっはー!
読んで頂き、ありがとうございました。

バニラダヌキさん>
すんませんすんません、続きにしたんです容量的にも内容的にもここで引っ張った方がそらもう続きが気になるだろう!とか思ってたらこのザマでした。半年後に更新するとか、神夜にしては有り得ない偉業である。半年前の作品も頑張れば書けるんだなぁ。継ぎ接ぎだらけになってしまってるけど。
そしてひとつ謝るのと、質問(マジでいまさらですけど。)
>過去に充分なトラウマがあるなっきー嬢のこと、理屈ではなくプッツンしてしまい、敵の掌中に落ちるのではないかと想像していたものですから
バニラダヌキさんが仰るここの部分が自分には理解出来ない。どういうことだ? 物理的になっきーが殴ってー、とかそういうイメージ? 神夜のクソみたいな脳みそではどうにも解読出来ない。どういうことだ! まだご存命であれば、そして覚えておいでなら、教えて頂けると助かります。
読んで頂き、ありがとうございました。
2014-05-12 22:50:56【☆☆☆☆☆】神夜
 こんばんは、神夜様。
 お久しぶりです、上野文です。
 御作を読みました。
 改めて、神夜様は上手いなと感嘆しました。
 主張が一貫していないなんてことはないんじゃないかと思います。
 正義や信念やキャラクターの数だけあっていいし、どれが一番正しいなんてことはない。龍乾君の言うところの役割分担、なのでしょう。
 なっきーは、言葉の通じない相手を知って、悪を知って、無力を知って、自らも傷を負って、それでも胸の中で燃やした熱情のままに走り続けた。彼女が抱いたものは本物の信念です。
 なっきーが、もし平手打ちをやってしまったら、何もかもが台無しでした。龍乾君に頭を下げたことで、きっと同じ立場で彼には出来ないことであるがゆえに、見事な宣戦布告になったと思います。
 中盤を引き継ぐ締めのセリフが洒落ていますね。粋な終わりとは、きっとこういう締めなんだろう、と息を吐きました。脇を固めたモヒカンや丸さんもそれぞれ魅力を発揮して、素敵な作品になったと思います。たいへん面白かったです!
2014-05-13 21:05:01【★★★★★】上野文
どうも、こんにちは。続きを読ませていただきました。
……つーか、あれからどんだけ経ってんだよ! 前の内容覚えてねーよ! と思いっきり突っ込みを入れそうになりましたが、いや待てよく考えたら僕のほうのも半年くらい進んでないぞ、と思い出したのでやめておきます。
いや、しかしお久しぶりですね。そろそろまた感想でも書こうかと思ってのぞいたら、ちょうど更新されてたとはラッキーでした。

前半まででは色々微妙な感想を書いたわけですが、まさかなっきーさんがここまでの根性で非暴力の正義を貫き通すとは恐れ入りました。二つの正義のありかたという展開、見事でした。とにかく、今回のバトルシーンは今まで僕が読んだ神夜さん作品のバトル展開の中でも、1、2を争うくらい格好良かったと思います。決着後、終盤でのみんなとのやりとり読んでて、正直何だか感動してしまいましたわ。いいものを読ませてもらいました。もうシステムなんか作るのやめて、小説だけ書いて暮らしてくださいとリクエストしておきます。
2014-05-14 16:54:12【★★★★★】天野橋立
上野文さん>
おお、お久しぶりです。すみませんすみません、実は今日に上野文さんの作品を読もうとしてたらトラブルで断念する羽目になってしまった。本当に申し訳ない。来週中には感想突っ込ませて頂きます。すんませんすんません。
神夜は真面目にお調子者で、上野文さんやらロリ、じゃなかった天野さんやらが誉めてくれた後、改めて作品を読み返すと、「あれ、なんだしっかり書けてんじゃん」とか思ってしまうのである。ただ実際、心の中の一部では、神夜自身が納得していない箇所があったりする訳だけれども、まぁ楽しんで頂けたのであれば万事OKだ。
>なっきーが、もし平手打ちをやってしまったら、何もかもが台無しでした。
あっぶねー。あの時に方向転換した神夜を誉めてあげたいくらいだ。半ば最後までどうするか迷ってた箇所だった。だってそうしないと、なっきーまで停学になる理由としては弱いんじゃねえのとかそう思ってたから。だがやっぱりすべては万事OKや、結果オーライなんや。
なんやかんやでモヒカンさんは書いてて非常に便利キャラだった。最後に杉浦で締めずにモヒカンさんで締めたのはそういう理由があったからです。各人の魅力があったと感じて頂ければそれだけで満足です。
読んで頂き、ありがとうございました。

天野橋立さん>
へいへいへーい、神夜は投稿したぜー超したぜー、次はロリ、じゃない天野さんの番だぜー、へいへいへーい。そして、何でこうなったかは知らないが、重度の天野ファンと言わせて貰う。投稿された貴様の作品はすべてマジで読破し続けてる。仕事の息抜きにぴったり過ぎる。今に『全体』の続きが投稿されても速攻で内容が繋がる。しかし、読み返し続けた中で、最近のお気に入りは大沢さんである。あのシリーズも続編はよ。雲の彼方で虹を見るって表現ももう一回見たいからはよ。
しかしマジか。このバトル展開が1,2を争うのか。バトルの面だけで言えば、神夜は「壮枇龍乾の『殴り屋』としての強さ」、そして「その迫力」を伝え切れてないと思ってた。最後の一撃を決めるところももっと手直ししたいくらいだったんだけれども、マジか。いや、もしかしたら天野さんは「展開が良い」のであって、バトルそのものは求めてないかもしれない。ふむ。でも気に入って貰えたのなら嬉しい限り。
前回の感想レスにも書いたけど、このエピローグはモヒカンさんたちがなっきーに「姐さん」と言う場面を書きたくて書いてた。それだけを表現するために肉付けし続けてた。はずだったのに、神夜もいつの間にか「おいいつの間にか皆すげえ格好良いこと言い始めたぞ」とか思ってた。そしてそれで感動してくれたらもうすべてOkだろ。うん。
神夜もシステムなんて作りたくない。仕事やめたい。でも結婚式が来週にあるからやめられない。死ぬ。助けてロリ、じゃなかった天野さん。
読んで頂き、ありがとうございました。


ところでこの小説、200ページ超えてたのかよ……マジかよ。短編だったはずなのに、頑張り過ぎだろ神夜。
そしてついでに。雑談版の方に『残骸置き場』を作った。
よければ皆様、また遊んでもらえればと思います。
2014-05-16 21:51:24【☆☆☆☆☆】神夜
はじめまして、木の葉のぶと申します。御作を読ませていただきました。
すごく、すごくすごく面白かったです。何故今まで神夜さんの作品を読んでこなかったのだろうか、と今激しく後悔しております(一応、三年前くらいから時折ここに出没しているのですが、いままでごあいさつもしてなかったのに今になっていきなりとか、本当にすみません……)
序盤から「うんこ野郎」「見た目が世紀末」「なっきーげんきー?」など諸々がツボに入ってしまって、ずっと笑いながら読んでいました。あとは、ひたすらはらはらどきどきで、途中何度も泣きそうになって、感動できて。なっきーも壮枇龍乾も、かっこよくて大好きです。個人的には、楠木さんのキャラがとてもいいなと思いました。龍乾と楠木さんの過去話、めちゃくちゃ気になります。
「正義の味方」という言葉は、とてもかっこいいなと思います。こんな人たちが本当にいたらいいな、と思ってしまいます。なっきーは、自分に力がないのを自覚していて、だからこそ、文字や言葉の力に頼ろうとしたのだなあと、そしてそれは決して間違った方法ではないと、信じ続けていくのだろうと。彼女の考えに共感して、どこか自己投影しながら読んでしまいました。
稚拙な感想でごめんなさい。自分はまだまだ未熟者だなということと、「面白い物語」とは何かということに、読んでいて気づかされた感じでした。
最後に、お名前の読み方は「かみよる」さんで合っていますか? 間違っていたらすみません。
それでは、失礼いたします。ありがとうございました。
2014-05-18 20:04:56【★★★★☆】木の葉のぶ
バニラダヌキさん>
やったー、またしても狸さんに褒めて貰ったぜひゃっはー。拙い所は多々あるにせよ、これは今までも類を見ないくらいのお褒めレベルじゃないか。後編をちゃんと投稿できてよかったよかったうひひ。
しかし神夜に至ってもジュブナイルに該当するモノなんて、もうここ以外では久しく読んでいない。普通の小説は昔からあまり読まなかったし、そして今のラノベなんてクソみてえなもんで読む気力すら湧かない。主に会話だけで成り立つラノベが今は主流なのでしょうが、そんなもんに価値は無い。クソ食らえや。話が反れた。
なんかもう狸さんにこれくらい褒められるともういいやってなる。満足である。書いた意味は大いにあった。よかったよかった。
しかしそうか、前回質問に関して、そう書かれてようやっと納得出来た。「そうであることの書き込みが足りないため」、なるほど、これか。神夜としては案外書いたつもりだったのだが、そこがまだ少なかったのか。天野さんもそう思ってああ書いていたのであれば、まさしく神夜の過失である。謝らせて申し訳――いや、神夜のクソみたいな脳みそでも判るように丁寧に書かなかった狸さんのせいだな、神夜は謝らな――嘘ですすんませんごめんなさい許してください。
読んで頂き、ありがとうございました。

木の葉のぶさん>
初めまして、神夜です。読み方は正直、何でもいいです、はい。時に自分でも「かみよる」であったり「ゴッドナイト」であったり、適当なことを言ってます。ただ最初は「しんや」でした。今も変換の時は「しんや」です。従って「しんや」なのでしょうが、「かみよる」でも間違いはなく。そして十年以上前の中学校時代につけた厨二的な名前でもあります。もうここの板以外、この名前を使っていない。他で使う時は全部まったく違うもので統一されている。でも今更ここでの名前を変えられない。困ったもんや。……どうでもいい話でした、すみません。
いや謝らないでください。神夜こそ貴方様の作品どころか、ほとんど新しい方の小説を読んでいない。申し訳ない。そしてご挨拶なんてとんでもない、神夜なんてうんこみたいに時折現れて流れて行くゴミ屑野郎なので、汚いモノには蓋をするのが実は吉なのです。
時に木の葉のぶさん。貴方にひとつ言わなければならないことがある。――なんで『残骸置き場』の投稿削除したんや!!夜に読んで感想書こうと思ってたのに無くなってるやないか!!どういうことや!!便乗してくれ!!寂しいじゃないか!!
壮枇龍乾と楠木の過去話。書きたいんだけれども書く時間も気力も無いのが現状。壮枇龍乾が「正義の味方」を目指そうと思ったある事件。楠木が新聞部へ入部することになった切っ掛け。ついでに壮枇龍乾と楠木と杉浦の三つ巴の喧嘩話とか。頭の中で大枠はあるんだが時間が無い。
きっと、「力」があれば誰でも正義の味方になれるんだろう。腕力じゃなくても、それを真っ直ぐに貫き通す「意志」でもいい。そんなことを昔に思っていた。今はもう折れてしまって、脳内でこうして妄想して、物語として書くことしか出来なくなってしまったけれども。
「面白い物語」とは何かということに、……こんなこと言われるとケツが痒くなります。しかし、最上級のお褒めのお言葉として、有難く頂戴致します。
読んで頂き、ありがとうございました。
2014-05-19 15:29:10【☆☆☆☆☆】神夜
 こんにちは。感想をいただいたので、この機会に神夜さんの作品に初挑戦です。いやー不良たちかっこいいですね。最後のほうはどうしても龍乾を仲間由紀恵さん(ごくせん)のイメージと重ねてしまったのですが、そのマンガ的な状況をかっこよく小説にしてしまえるのはすごいです。ただ、ぼくは喧嘩をあまりしないのでよくわからなかったのですが、龍乾のとどめの一撃ってそれまでの拳骨とは何か違っていたんでしょうか? 必殺技的なものだったのでしょうか。どうして坂崎を倒せたのかよくわからなくて……。そういう細かいところはともかく、それぞれの登場人物がいい味を出していて、またなっきーの主張という太い背骨があって、一つの物語としてとても完成度の高いものだったと思います。
 そのなっきーの考えは途中でいくらかふらふらしてはいますが、そこがまた人間味があって良いのではないでしょうか。そもそも正義を「暴力」と「非暴力」できっちり分けられるわけがないですし。それを暗示してくれていたのが楠木だったと思うのですが、このあたりは非常にさりげなく書かれていたので、ぼくにとってはちょっと物足りない気がしました。でも、やはりなっきーの揺れる心情、とくに龍乾との対決が読ませどころだと思うので、「殴る蹴るだけが暴力ではない」なんて、大人びたことを言ってまとめてしまうともったいないですよね。とりあえず楠木への義理だけは果たして、でも胸には自分の正義を燃やし続けて、という終り方がすがすがしかったです。うん、神夜さんの意図とは違うかもしれませんが、少なくともぼくはこう思いました。とても面白かったです。そして構成や文章については、小説ってこうも書けるのか、とたいへん勉強させていただきました。では、次回作も(お忙しいとは思いますが)楽しみにしています。
2014-05-21 22:19:37【★★★★★】ゆうら 佑
ゆうら 佑さん>
返信が遅くなって申し訳ありません。
おぉ、いやまぁこの機会にいろんな人の作品読んで交友深めようとかいう下心はあったんですが、まさか本当に読んで頂けるとはありがたやありがたや。
個人的にごくせんって、実は嫌いだったりします。ただ不良モノで、こういう場面ではやっぱり被ってしまうのは仕方が無く。ただそこをドラマでもなく漫画でもなく、小説として如何に頑張れるかを目指しているので、そう言って頂ければ嬉しい限りです。
神夜も喧嘩なんてしたことがないです。そらもう、無垢で純情な天使みたいな神夜です。いやそんな話はどうでもよくて。本作中に埋め込み切れなかった神夜の責任なのですが、補足をひとつ。
 >そして今に、壮枇龍乾を捉える枷は何も無い。本来の、『殴り屋』としての壮枇龍乾が、そこには居た。
 >握り締めた拳から、戦慄するかのような気迫が伝わった。
つまるところ、それまでの壮枇龍乾というのは、「なっきーを人質に取られているため、下手に動けなかった」=枷があったため、本来の壮枇龍乾の力を出せていなかった。 そして、楠木によってなっきーが助け出されたため、枷が無くなる=「本来の『殴り屋』としての壮枇龍乾が戻ってきた」 ――つまり、最後の一撃は「必殺技」とか「覚醒状態」とかではなく、坂崎の意識を断ち切る一撃を普通に繰り出すのが、「本来の『殴り屋』壮枇龍乾」なのです。 書き方弱いよなぁ、と思っていたのですが、まさにそこを指摘されました。すんませんすんません。
ところでゆうら 佑さんの感想を読んで思ったんだけど。実は前からずーっと思ってたんだけど。例えば、「こういう物語を書こう」と思って小説を書き始める時って、何か「テーマ」というか「伝えたいこと」というか、皆様はちゃんと決めたりするのだろうか。率直に言えば、「神夜さんの意図とは違うかもしれませんが」――神夜の意図なんて、ぶっちゃけ何も無いんです実は。キャラが好き勝手動くから、それに合わせて描写を練り込んでいるのが神夜の小説。無意識的に「意図」があるのかもしれないのですが、神夜としては本当に何も考えいない。だからゆうら 佑さんであったり上野文さんであったり、感想として、「こういう意図があるんだろう」と言われる度、「おお、なるほど」とか思ってしまうんだけれども。皆様はそういうことを考えながら小説を書いてるんだろうか。漫画家のインタビューとかでよく、「この作品を通して、こういうことを伝えたい」とか言うけど、神夜はその考えがまったく判らないんだ。だから間違いとかそういうのは一切無くですね、「なるほど、そういう考え方も出来るのか」と思ってしまう。不思議なものです。
読んで頂き、ありがとうございました。
2014-05-27 18:36:38【☆☆☆☆☆】神夜
初めまして。
繊細な描写の数々、バランス良くスムーズな構成等、学ばせて頂きたく読ませていただきました。ただ、するすると読ませる文章力と反して、正義云々には、正直、当初乗れない違和感を感じていました。しかし、悪の権化、坂崎の登場、そして彼の言い放つ言葉こそ、世界の全てと、正義は我に有り、……それが爽快でした。坂崎にはもっとキレて貰いたかったですね。けれど、学園抗争を中心に描いていないので、死人のでない解決は必然かと思います。でも、少し残念でした。坂崎には笑いながら死んで貰いたかったです。(物語の趣旨が違うので、どうでも言い感想です。無視してください)
所で質問ですが、ナッキーだけ、容姿の描写が無いのは意図的ですか? そのせいか、最初の彼女のイメージはうんこ野郎発言連発なので、男勝りのつり目のショートカットでしたが、途中、弱々しい内面描写が続いた辺りでセミロングの眼鏡っ子になってました。
とても面白く、この長さでも一気に読了出来る読み易さがありました。読ませていただき有り難うございました。
2014-07-12 13:56:19【★★★★★】半獣
半獣さん>
初めまして、返信が遅くなって申し訳ないです、神夜です。
学ばせて頂きたく読ませていただきました、なんて言葉を見ると「マジか、学ぶとこなんてあるのか」などと思ってしまう訳ですが、学べたかはどうかはあっちの方へ置いておいて、しかしほんのちょっとは楽しんで頂けたようで何よりです。とりあえずこの物語も基本的にはその場のノリで書いているので、正義云々に乗れなかった、というのも当然かもしれません。丁寧に何かを埋め込んで違和感を失くそうとした、等々も行なった記憶が神夜には無いもので。
しかし坂崎のキレ具合はこれが限界でした。死んでしまったらきっと崩壊してしまう。でも学園抗争モノで死人が出るって、それは結構難しいのではないだろうか。ファンタジー要素の入ってない喧嘩モノで悪役が死ぬって、事故死等々は置いておいて滅多に無いと思うんだけどどうなんだろう。
容姿に関しては意図的です。一応、似非ではありますが一人称風味で書いているが故、なっきーの容姿は一切描写しておりません。神夜の中でも正直、なっきーの姿形は「可愛い」以外は定まっていない。それが作者として良いか悪いかはさて置きとして、そこはもう読者の想像にお任せしてます。読者の中で形作って頂ければ満足です。……などと言いながら無責任なだけなんですけど、うん。
読んで頂き、誠にありがとうございました。
2014-07-16 21:52:05【☆☆☆☆☆】神夜
計:36点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。