『野薔薇姫』作者:バニラダヌキ / t@^W[ - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
時は現代、極貧の日雇い派遣親爺が、ふと迷いこんだ深山幽谷で出会った、不思議な少女の正体は――。逃げたい者による、逃げられない者のための、逃がしてやるお話です。
全角68524.5文字
容量137049 bytes
原稿用紙約171.31枚
 
 
『――なぜなら、わたしたちもこうして生きていると思っているが、どうしてそれを知ることができるのか。それを知るには死によるほかはないのだが、生きているかぎり死を知ることはできないのだ。かくて、わたしたちはもどき、だましの死との取り引きにおいて、もどき、だましの生を得ようとし、死もまたもどき、だましの死を得ようとして、もどき、だましの生との取り引きをしようとするのである。それでもこうして、この世も、あの世もなり立っている。深く問うて、われも人も正体を現すことはない。人は生が眠るとき、死が目覚めると思っている。しかし、その取り引きにおいて、生が眠るとき死も眠るのだ。』  ――森敦・作『初真桑』より抜粋――

     *

 その果て知れぬ、間断なく永遠に続く白閃のような炎熱の陽光の下、俺の懐中には、無慮九千九百九十九円もの大金があった。
 無慮というのは、派遣先で徹夜して帰途についた今朝、確か小銭が四百八十何円しか残っていない汚れたチノパンのポケットに、人っ子ひとり見当たらない山間の無人駅近くで拾った皺だらけの一万円札を畏れおののきながら隠し収め、それから駅前の安食堂兼乗車券委託販売所で四百九十円の切符を購って単線のディーゼル車輌に乗り、塒《ねぐら》のある峰館駅まで戻ろうとしたはずだからである。一万円という莫大な不労所得を一瞬に得て惑乱した俺は、すでに一円単位まで現実を掘り起こす意欲を失っていた。それまでは、足りない運賃を二三駅ぶんの徒歩で補う予定だった。やがて無人駅をいくつか過ぎたあたりで、ふと車窓から仰いだ夏山の稜線の、巨大化した地衣類の森のような密生した深緑に惹かれ次の無人駅で発作的に下車し、途中下車なのだから手放す必要もない終点までの切符をついうっかり粗末な木製の回収箱に捨ててきてしまったのも、やはり気が大きくなりすぎていたからなのだろう。
「♪ 野バラ咲いてる〜〜山路を〜〜二人で〜〜歩いてた〜〜〜」
 就学前に白黒テレビで六代目市川染五郎が歌っていたヒットソングを我知らず口ずさんでしまうほど、俺は現実から遊離していた。あの頃は俺も東北の片田舎の雑貨屋ながら、なんとか中流家庭の息子だった。そのうち六代目染五郎に色が着いて九代目松本幸四郎になると、俺は地元の国立大のツブシの効かない文科に滑りこみ、結局役人や教師にはなり損ね、地方の清浄な水と空気と安価な労働力を求めて進出してきた外資系電子部品製造工場の事務職にかろうじて就職し、そこで真面目に働いていれば死ぬまでそこそこ安泰と親も近所の連中も俺自身も能天気に信じ続けてウン十年、過労死寸前の超メタボが立派に仕上がった頃、リーマンがどうのこうので会社は倒産、雀の涙ほどの退職金を食いつぶしながらありもしない再就職先を探しているうちに二親は死に近所は年寄りばかりの限界集落と化し、親が残した雀の涙ほどの土地家屋を売り払ってなんとか県庁所在地・峰館市に転進したものの、そこですら無愛想なアラフィフ男には正社員どころか長期バイトの口ひとつ空いていなかった等々、そうしたろくでもない過去の経緯《いきさつ》は綺麗さっぱり脳味噌から放逐され、紅白の野薔薇に彩られた緑の山道を、なんの逡巡もなくただひたすら大汗流しながら登り続けたのである。
「♪ 夏の太陽〜〜輝いて〜〜二つの影〜〜うつ〜してた〜〜〜」
 ここ一年、俺は家賃や光熱費を除けば一日ワンコインぽっきりで生きていた。
 東京あたりでは家のない非正規労働者でもネットカフェ難民などという王侯貴族のような暮らしが可能と聞くが、このあたりの田舎だと、持ち家もなく定職を失った中年単身者が屋根のある寝床を確保し続けるには、日雇派遣会社に運良く紹介された安手間仕事の日銭を腹を減らして節約し、風呂なしトイレ共同アパートの三畳一間あたりにかろうじてしがみつくしかない。山谷や釜ヶ崎のドヤ暮らしも大都会であればこそ、ここいらには土木工事の蛸部屋すら存在しないのである。
 思い余って役所に相談しても、貧しい地方自治体のこと、五体満足であるかぎり絶対に生活保護など適用されないし、交番のお巡りに至っては、こっちが引ったくりやコンビニ強盗でもやらかさないかぎり麦飯の一杯も奢ってくれない。ただ山の緑と陽の光だけが、内税も外税も源泉徴収も国保料も年金料も要求せず、やけくそのように無償である。まあ冬場にはそれすら滞りがちだが、とりあえず今は盛夏だ。とくにこの辺りの山合いは、都市熱とは無縁のくせに風炎《フェーン》及び盆地性日射加熱という天然の暖房をめいっぱい蓄積してしまう地形のため、夏場に凍死する恐れだけはない。その代わり熱中症であの世行きになる奴は多いが、主にガテン仕事で生きている俺は、もう何年ぶら下げ続けているんだかそもそも元が旅行鞄だったのかそれとも初めから布地が剥き出しの頭陀袋だったのか忘れてしまった茶色い肩掛け鞄の中に、常時どでかいペットボトルを携帯している。中身はほとんど塒《ねぐら》か駅のホームか行きずりの公園の水道水だが、今日に限っては、山稜に向かう小径の道標の横に石積みの水場があったので、街では高価ないわゆる天然水がロハで詰まっていた。
「♪ 今はない〜〜君の面影〜〜〜求めひとり〜〜僕は行く〜〜〜」
 そこまで歌うと、真夏の納豆のように粘りきった脳味噌の奥から、昔、俺自身の怠慢で嫁にもらい損ねた娘たちの面影が、ねばねばを掻き分けてねばねばと這い出したりもする。みんなねばねばだが、あんがい清爽に笑っている。サワヤカなわけである。こんな非力な俺でも、結果的に複数の女を不幸な運命から救っていたのだ。あれらのその後の旦那たちは、今どきたかだか万札一枚で頭がトンだりはしないだろう。このままどこまでも登っていけば今の俺などという微視的な存在は地球温暖化という巨視的な流れの中でこの滝のような大汗とともに溶けて流れてしかしまた必ずしも消え去りはしないのではないか、そんな益体もない想念を抱くこともないはずだ。
「♪ ただ一人〜〜行〜く〜〜〜〜」
 あの山奥の製材所で臨時派遣の夜間作業を終えたときにはすでに朝の九時を回っていたからもうそろそろ昼飯どきなのだろうなあ腕時計は持ってないしガラケーを見てみようありゃ電池切れだわでも腹はへってないしなんでだか喉も渇かなくなってきたしああとりあえずなんかもうどうでもいいや、などと、けしてどうでもよくないはずの物事をだらだらと汗に溶かし続けながら、さほど高くないひとつの峰を越え、下り、さらに峰を越えて下り、細々とした渓流に添って遡上する粗末な木道にさしかかった頃、いったんは途切れていた野薔薇の繁茂が、また路傍に連なりはじめた。木道は崖にへばりつくようにでっこまひっこまと曲がりくねり、へばりつけないほど険しくなるとちょっと困ったなあというように渋々段差を重ねて崖上の山道まで上がったりしたが、深緑に紅と白を散らした野薔薇の群生だけは、道の片側一方になったり両側に戻ったりしながら、ただ延々と飽きもせず続いているのだった。
 こうなると染五郎の反復だけでは間がもたない。
「♪ わっらっべっはっ見ぃたぁり〜〜野っなっかっのっ薔〜ぁぁ薇〜〜〜」
 俺はポピュラーなシューベルトやウェルナーの旋律のみならずベートーベンやらシューマンやらブラームスまで総動員し、さすがにゲーテの原詩までは覚えていないので同じ近藤朔風の世話になりながら、やけくそのように旋律違いの同詞歌を口ずさみ続けた。
「♪ 紅におう〜〜野〜〜なか〜〜の薔〜ぁぁ薇〜〜〜〜〜」
 するうち木漏れ日の山道は野薔薇の藪による天然のドーム状通路と化し、いいかげん歌い飽きてきた俺を叱咤あるいは鼓舞するように、もしくは萌えキャラじみたノバラちゃんか何かの棲まうこの世ならぬどこか虹の彼方の国にでも導くように、あくまで遠く果てを失っているのである。
「……やめ」
 俺は自分が心身ともに茹で上がりつつあることに気づき、すとんと路傍に腰を落とした。熱中症の寸前までいくと、人は空腹も喉の渇きも自覚できなくなる。何人もの日雇い仲間が、毎年この時期にぶっ倒れている。しかし老人や子供はともかくアブラぎった中年男が易々と渇死できるほど日本の夏は甘くない。ぶっ倒れている間は日銭が稼げないだけだ。
「はい休憩」
 地べたにあぐらをかいた俺の顔や胸の辺りを、確かヤマキマダラヒカゲとかいう数センチほどの胡蝶が一羽ゆらゆらと飛び回っているのは、先程から俺の美しい歌声を慕ってずっとついてきているのである。というのは大嘘で、黄褐色の羽一面に黒い斑点を浮かべたこの花嫌いの蝶は、俺の汗に含まれる水分や各種ミネラルを慕っているだけだ。ひらひらではなくゆらゆらなところを見ると、こいつも枯渇しかけているのか。
 俺は末期《まつご》の幻覚としか思えない野薔薇の窟に孕まれながら、野薔薇の香りが嵩じて中の岩清水にまで溶けこんだようなペットボトルを掲げ、息も絶えよと飲み下した。

 半煮えの脳味噌は、ものの数分で猫でもなめられる程度に冷めてきたが、野薔薇の藪はあいかわらず地べた以外の俺の周囲を覆いつくしている。高さと幅は俺の塒と大差ないから、せいぜい三畳間程度か。ただし奥行きは半端ではなく、後ろも先も窺えるかぎり徹底的に野薔薇である。天の川のほんの源流のようにちらちらと天空光が漏れ続くその様は、律儀な庭師が隊列を組んで毎日毎日せっせと刈りこんでもここまで端正ではあるまいと思われるほど端正だ。闇雲に歩いているうちにどこか観光地の大庭園にでも迷いこんだのかと俺は訝ったが、ここいらにそんな景気のいい代物があるとはついぞ聞かないし、といって仮に大自然の為せる奇跡なら、俺の脚で偶然たどりつける程度の場所のこと、とうの昔にネットや旅本で喧伝しまくられ全国から暇人の群れが押し寄せているはずだ。一般世間は今しもバカンスの真っ最中なのである。
 やっぱりこれはもう死んだな俺、と俺は観念した。極楽に花はつきものだ。そして俺は最低の後半生を迎えこそすれ、他人様《ひとさま》の物に手を出したり他人様に手を上げたりしたことは一度もない。そんな度胸があったらそもそもここまで落魄していないだろう普通。まあ子供の頃に文房具屋で消しゴムを万引きしたり蛙の尻に爆竹を突っこんで木っ端微塵に吹き飛ばしたりしたことはあるが、あれしきのことで地獄に堕ちるなら地獄などネアンデルタール人やクロマニョン人だけで満杯になっているはずだ。すると、この野薔薇の路を辿っていけば噂に聞く極楽浄土、蓮の台《うてな》が浮いている雲の池あたりに出るのか。
 俺は飲みかけのペットボトルを肩掛け鞄にしまいこみ、微妙に仄暗い野薔薇天井の下、とりあえずまただらだらと歩を進めはじめた。この期に及んで先の渇きに備え、徒な疲労を避けたりするのは、無論まだ死んでいない可能性が残っているからである。観念と実相は往々にして相反する。俺もまるっきりの馬鹿ではない。
 洞窟ならぬ薔薇窟は、ときおり思い出したように緩やかなうねりを配しつつ、全体的には平坦に、ほぼまっすぐに続いていた。この山間に勾配のない地形が何キロも広がっているはずはないから、やはり俺はすでに彼岸にいるのだろう。いやしかし、吹雪の山中で道に迷ったときのようにただ大きなひとつの円をぶっ倒れるまで描いているだけだとすれば、死にかけているにせよまだ死んではいない。そのあたりを明確に判断できる指標がちっともないので、俺はいいかげん面倒になってきた。美しい光景も芳しい香りも、こうワンパターンで長々と続かれると歩きながら眠りそうになる。いや眠りながら歩きそうになる。同じだ同じ。とにかくもうかったるくて何も考えたくない。通りすがりのお百姓さんなり三途の川の奪衣婆《だつえば》なり、誰でもいいから俺より社会的アイデンティティーの確立した何者かにすべてを丸投げし、白黒つけてもらいたい。はたして俺は此岸にいるのですか彼岸にいるのですか。今年の正月に成人式を迎えたばかりのかわゆいノバラちゃんがジャッジだったりするともっといい。あらそこのおじさまスカな人生ホントにご苦労様でした。もうおじさまは苦しいだけのあっち側になんて戻らなくてもいいのよ。さあアタシといっしょにこの秘密の花園でいつまでもいつまでもダラダラ遊んで暮らしましょ。でも変なとこ触ったらトゲトゲで血まみれにしてやるかんなこのウスラデブなんちゃってウソウソ怒っちゃヤダ。ちなみにノバラちゃんというのはあくまで俺が勝手に命名した想像上の野薔薇の精だから薔薇っぽくさえあれば三十路半ばまでは許す。しかしあのような幼女ではいけない。干支でひとまわり足りないのである。あれでは下手に関わるとたとえ非実在キャラでもア●ネス・●ャンの差し向けた官憲に問答無用で別件逮捕されて誘導尋問の末に児ポ――

     *

 ――待て。
 俺はなんの話をしている。
 幼女?
 視界の右手前方に、薔薇ではない小さな異物を認め、ようやく俺は脳味噌や網膜にかかっていた幾重もの粘膜をめりめりと引きはがし、能うかぎり脚を速めた。遠目にも幼女と察せられたのは、黒々としたおかっぱ頭とつんつるてんの和服のバランスが、六頭身そこそこに見えたからだ。年の頃なら五、六歳だろうか。
 俺は生活能力に反比例して視力がいい。だからその子供が普通に地べたに立っていれば、もっと早く見つけたはずなのだが、天井と地べたの中間あたりで野薔薇の壁に張りついていたものだから、なかなか視認できなかったのである。おまけに今はっきりと見えてきた浴衣の柄が、萌葱色の地に紅白の花模様、つまりほとんど保護色になっている。そんなのがこんなところで宙に浮いていたら、誰だって野薔薇の妖精、推定名称ノバラちゃんだと思うだろう。思わないか。俺は思った。
 しかしさらに脚を速めて近づくと、なんのことはない、単に幼女は古びた木製の脚立に登って、野薔薇の枝葉を手入れしているだけなのだった。脚立のてっぺんでうんしょうんしょと背伸びをし、身の丈に似合わぬ大人用の刈込鋏を両手で器用に操るその姿は、どう見ても妖精の類ではなく、親孝行な農家の娘っぽい。そもそも、果てしないとばかり思っていた野薔薇の路が、脚立のかなり先で途切れている。目を凝らせば、出口だか入口だか定かではない外光の先には、乾いた土の地面と、木造家屋の一部が垣間見えた。
 これはもしや、ここまでの経緯そのものが、俺の茹だった脳味噌による白日夢だったのではないか。裕福な園芸農家の敷地にでも迷いこみ、堂々巡りしていただけではないのか。
 そろそろ夕方が近いらしく、澱んだ温気の中を微かに渡りはじめた山風が、そんな自問を確信へと裏打ちしていた。
 俺は脚立の数メートル前から、幼女に声をかけた。
「やあ、こんにちは」
 しかし剪定作業に夢中の幼女は、まったく気づかなかった。
 さらに脚立に近寄ると、刈込鋏の刃先を仰いでいる幼女の表情が見てとれた。柔らかそうな白い頬に自前の薄紅を浮かせたその横顔は、お手伝いというより、好きな遊びに没頭している幸福な子供の笑顔そのものだった。
 脚立は大した高さではなく、胸高に締めた子供っぽい赤帯が、俺の眼高あたりに揺れている。脚立の後ろには、負ぶい紐の付いたどでかい竹籠が置いてあり、刈られた枝葉が中程まで溜まっている。今どき草履に浴衣で農作業は、いかに片田舎でも時代錯誤な気がするが、お手伝いのあとは鎮守の森で夏祭り、あるいは公民館広場で盆踊り、そんな段取りなら不思議はない。
 俺は脚立の横に立ち、なるべく脅かさないように、軽い調子で挨拶した。
「こんにちは、お嬢ちゃん」
 刹那、刈込鋏が静止した。同時に幼女の体全体が、びしりと収斂し、凍りついたように硬直した。なんぼ予期せぬ出来事だったにしても、反応が過剰すぎる。俺は少々面食らいながら、あわてて詫びを言った。
「ごめんね、いきなりで脅かしちゃったかな」
 このあたりの田舎の子供は、見知らぬ余所者に挨拶されると、おおむね二種類の反応を見せる。やたら人なつこい笑顔で元気に挨拶を返すか、逆に銅像のようにしゃっちょこばるか。この子は金メダル級の後者なのだろう。
「えーと、おじさんね、ちょっと道に迷っちゃったみたいなんだ」
 猫撫で声でいう間にも、幼女は宙空を仰いだまま、びし、びし、びし、と二度三度収斂し、
「えーと、君のお家の人は――」
 俺が言い終わらないうちに、
「うあああああああ!」
 この世の終わりのような悲鳴をあげ、いきなり脚立の上からあっち側へ跳躍し、このまま宙空を飛び去るのではないかと思うほど滞空時間を稼いだ後、見事な着地のキメもそこそこに、野薔薇道をとととととと逃げてゆく。
 俺はさらに面食らいながら、その後を追いかけた。
「おーい」
 けして無闇に追いつめる気はないが、あの剣幕で親でも呼ばれた日には、このご時世、いきなり警察に通報されかねない。
「ちょっと待ってよー」
 せいぜい優しく声をかけ、幼女を追って薔薇園を抜ける。
 そこは、やはり鄙びた山家の縁側に面する、広々とした裏庭だった。入母屋造りの重厚な茅葺き屋根は、そこそこの旧家を思わせたが、明らかにここ何十年も葺き替えられていない。
 幼女は、物干し竿と手漕ぎポンプ井戸の間を脱兎の如く走り抜け、縁側の奥の、障子が開け放たれた座敷を目ざし、草履を脱ぎ散らそうとして踏み石に足を引っかけ、べん、と倒れこんだ。
「あうっ」
 あのイキオイでは、顔面から縁側を直撃したのではないか。
「だ、大丈――」
 夫? と訊ねかけて、俺は立ちすくんだ。
 俯せになり、縁側に半身をあずけた幼女の、肩の上には――首がない。うなだれているから見えないのではない。首が消えているのである。
 棒立ちになっている俺を尻目に、首なし娘は泡を食ってわたわたと縁側にうずくまり、こちらに背を向けたまま両手で頭を、いや推定頭のあたりを抱え、ぷるぷると震えながらつぶやいた。
「ぶたないでぶたないでぶたないで……」
 そのか細い声は、当然、どこか明後日《あさって》の方角から聞こえた。
 八畳ほどある座敷の奥、床の間の隅の暗がりで、鼻先を赤くした小さなおかっぱ頭が、ぷるぷると震えている。はずみで転がってしまったまんまだから、胴体のように俺の目を避けるわけにもいかないのだろう、いとけない黒目がちの瞳をうるうると潤ませ、
「いじめないでいじめないでいじめないで……」
 なんとも甚だしく父性本能をくすぐる哀訴の声ではある。オリコン・チャートに『護ってあげたいボイス・ランキング』があるとしたら、数年連続ベストテン入り確実な響きである。ではあるのだが――。
 俺は首だけ娘から目を離せないまま、じりじりと数歩後ずさった。
 いやだから俺は君がただの女の子でもただならぬナニの子でも殴ったり虐めたりするつもりなど端から微塵もないわけでいやむしろこちらこそお願いですからかんべんしてください――。
 するうち、首だけ娘のうるうる視線に、なにやら性質の異なる光が宿った。おや? というように、俺の顔や全身を見定めている。俺の心が通じたのだろうか。確かにある程度通じた気がする。しかし、それとは微妙に違う遠赤外線的な何かが、そこはかとなく感じられる。たとえば警戒心の強い野良猫が、ふとしたきっかけで飼い猫へと転身する直前の微妙な気配。――おや? なんかちょっと久々に懐いてみたい感じ? みたいな。
 縁側の首なし娘が、ふと身じろぎした。おずおずと振り向き、ためらいがちに立ち上がる。やがて決心したように、こちらに向かって一歩踏み出す。ただしその視覚器官は、あくまで座敷の奥にある。
 灰色のウニと化した俺の脳味噌の中で、色違いのふたりの俺が拮抗していた。
 白い俺。おいおい一歩先はまた庭の踏み石だぞ。大丈夫か、こいつ。
 黒い俺。いやいや、こんな妖物の心配をしているバヤイではない、ただちに踵を返し遁走するべきである。
 もっともどちらが黒でどちらが白かは、自分でも判然としない。
 結句、首のない花柄浴衣が縁側から足を踏み外してぐらりと傾いだ瞬間、俺の父性本能は防衛本能を踏みつぶし、前方にダッシュしてそれを抱きとめてしまった。
「…………」
「…………」
 ――うわ、ちっこくてあったかくてやーらかい。
 それ以外、思うべき事は何もない。血こそ流れていないものの生々しい首の断面などについては、何を思っても無益である。
 俺はしらばっくれて、手脚のある浴衣を、何事もなかったかのように縁側に据えつけると、
「うあああああああ!」
 この世の終わりのような悲鳴をあげ、もとの野薔薇道に向かって逸散に逃げだした。

 俺は生活能力に比例して度胸がない。背後から巨大な岩石が転がってくるインディ・ジョーンズもかくやとばかり、恐怖に帆を掛けてどどどどどと駆けに駆けた。
 野薔薇の窟はやはり無限のように続いており、逃げる先にだけは困らない。
 やがて巨大な岩石の転がる大音響の代わりに、大人の俺よりも速い子供の足音と、微かな哀訴の声が背後から追いついてきた。
「にげないでにげないでにげないで……」
 ――すまん、逃げる。現在いじめられているのはたぶん俺。
 そう自分に言い訳しながら、なぜか一抹の後ろめたさを抑えきれない。いっそ追跡者が奪衣婆や黄泉醜女《よもつしこめ》のごとき陰性根性丸出しキャラであればいいのに、などと横目で振り返ってみれば、夕暮れの蜜柑色に染まった野薔薇天井小銀河の流れの下をとととととと一所懸命に追いかけてくるのは、あくまでべそっかきの幼女なのである。首が落っこちないように自分で支えているので両手を振れず、とても走りにくそうだ。事実、ときどき地べたの凸凹に足をとられてコケかけている。
「にげないでにげないで……」
 いたいけに潤んだ上目遣いの瞳で、自分の濁りきった目玉を直撃され、俺は激しく動揺した。蚊が鳴くほどの哀訴とはうらはらに、娘の瞼からは、この小さな頭のいったいどこからこんなに流れ出てくるのかと怖くなるほど、ひっきりなしに涙が溢れている。
 いかん。子供にこんな顔をさせてはいけない。大量の涙には、地獄の鬼さえ地べたに額をこすりつけて許しを乞うほどの壮絶な泣きじゃくりを伴う、それが正しい子供である。子供がこんな歪んだ泣き方をするとしたら、それは畢竟、周囲の世間が間違っているのだ。
 俺は我ながら呆れるほどすなおに翻意し、ただちに立ち止まった。
「あう」
 ぽん、と背中にぶつかって、尻餅をつきそうになる娘の頭と肩を、振り向きざまに咄嗟に支える。あの断面図だけは二度と見たくない。
「……大丈夫か?」
 食後の河馬のように他意なく笑ったつもりだったが、娘は少々怯えた様子で、
「にげないで……」
 などとつぶやきつつ、逆に自分が逃げようとしている。
 ――どっちやねん。
 俺は苦笑してしまった。正体がなんであれ、たわいないものではないか。
「こんどは、おじさんが鬼か?」
 優しく訊ねると、娘はおずおずとその場に腰を据え、真偽を計るように俺を見上げながら、しばしぐしゅぐしゅと洟をすすったのち、
「う……」
「う?」
「……うわあああああ!」
 うん、OK。涙と大音声と地団駄と連続ボディーブローが、きっちり同調している。これが正しい子供である。首は着脱式だけど。

     *

 さて俺は今、すっかり日の暮れた縁側に腰をかけ、あてどない旅で一夜の宿りを得た渡り鳥のように、気どった溜息なんぞをついている。
 澄んだ星空に浮かぶ上弦の月が、裏庭や薔薇園や、彼方の森と山並みを薄蒼く照らしている。やや赤みをおびた真夏の月の、その光が地に届くときなぜ蒼くなっているのか、俺はいつもながら不思議に思った。もう忘れてしまった小学校あたりの理科で習ったろうか。夜の大気が蒼いのだろうか。
 ヤマムラチヨコと名乗った幼女は、縁側の右角を折れた奥の間で、俺のために晩餉や風呂を整えてくれている。ちなみに名前以外のプロフィールは「ななつ」で「二年生」、それ以外は何を訊ねても一切合切「わすれた」そうだ。数少ない例外は、「おうちの人は?」の答が「いない」だったくらいで、「でかけてるの?」の答も、ちゃんと「わすれた」だった。そして実際、チヨコと俺以外、この家に人の気配はまったくない。それどころか、この山中一帯の静寂を些細にでも乱す生き物の気配がまったくない。山の日暮れにはつきものの鳶《とんび》や鴉《からす》さえ、ただの一度も啼かなかった。
「――ぜったいに、のぞかないでくださいね」
 チヨコがなにやら思わせぶりに、妙にませた口調で残していった謎の言葉に従って、あえて奥の間を覗く気はないが、わざわざそっちを覗かなくとも、ふつう他人に見られて困るような非常識な事態は、今も俺の眼前で平然と展開している。あの井戸の手漕ぎポンプが、無人の庭でキコキコとぎこちなく自動律動し、ぶっとい蛇口から水を吐きだし続けているのだ。その水流は不規則で低密度ながら、月光の庭の地上一メートルほどを水蛇のようにうねり、縁側の横手奥、推定勝手口方向へと勝手に流れてゆく。
 これは便利だ。非常識でも便利は便利だ。幼い体で何度も水汲みに通うのは辛かろう。俺も水物を梱包運搬する現場にしばしば通っているので、その辛さがよく解る。ミネラルウォーター2リットルボトル1ダース入り段ボール箱が、勝手に空を飛んでホームセンターの店先に山積みになってくれたら、どんなに楽だろう。もっとも勝手に飛ばないおかげで俺たちが日銭にありつけるのだから、やっぱり飛ぶべきではないのだけれど。
 当初、なぜ無人自律井戸が公開可で風呂沸かしが非公開なのか俺には理解できず、幼いがゆえの思慮足らずなのだろうと笑いそうになってしまったが、思えばこれは、むしろ幼さに似合わぬ心遣いなのではないか。チヨコが目の前で水汲みを始めたら、当然俺は助力を申し出る。チヨコにしてみれば、ようやく迎え入れたお客様に労働を強いることになるわけである。
 なんにせよ、肥溜めに沈められる心配だけはなさそうだ。だからチヨコは狐や狸ではあるまい。いでたちは座敷童っぽいが、もしや小泉八雲《ラフカディオ・ハーン》の再話文学短編集『怪談』、あれに出てくる『ろくろ首』なのではないか。つまりにょろにょろと首を伸ばさずに、すっぱり切り離すタイプ。
 八雲の話だと、ろくろ首たちは夜中に首だけで自由に飛び回り、人を食う相談をしていた。チヨコはまだ子供だから、はずれるだけで飛べないとか。もっともチヨコの首は、よほど動転しないかぎりもげないものらしく、あのとき泣きじゃくっている間にも、そしてその後も一向に、落っこちる気配はなかった。

 で、なかなか奥からお呼びがかからない。何か魚を炙る香ばしい匂いや、熱くした菜種油や甘辛い煮汁の匂いなど、炊事の状況はおおむね鼻で知れるが、仕上がりはまだ先らしい。覗くなと言われたのは今のところ奥の間だけなので、俺はぼちぼち腰を上げ、とりあえず背後の座敷まわりをこっそり検分することにした。
 座敷中央の黒光りする座卓に置かれた大ぶりのランプが、目に入るかぎり唯一の照明である。団塊親爺がカラオケ屋で『山小舎の灯』を歌いだすと必ずモニター画面に登場するような、ガラスの火屋《ほや》に金物の台座がついたオイル式で、魚油の燃える臭いが文字どおり古臭い。火屋の内側に煤がほとんど付着していないところを見ると、今日掃除したばかりでなければ、ふだんは使っていないことになる。ひとりの夜はさっさと寝てしまうか、暗いまま過ごしているのかもしれない。昔まだ祖母が生きていた頃、安価な魚油さえ貴重品だった明治の山暮らしを懐かしげに語っていた記憶が、昭和生まれの俺にも微かにある。
 蛍光灯育ちの俺には部屋中とにかく薄暗く、目が慣れるまでだいぶ往生したが、柱まわりや建具の造作を見て回ると、どれも職人仕事全盛期を感じさせる頑丈な造りだった。ただ経年の傷みは傷みのままに放置され、一体に薄黒く燻っている。
 あのとき首だけチヨコがしゃべっていた床の間も、改めて見れば、違い棚のある脇床まで備えた本格派だった。一方、そこに麗々しく飾られた掛け軸は、かなり妙ちくりんだ。骨董級の立派な表装にもかかわらず、本紙は、まるで子供が殴り描きしたような水墨画である。不審に思ってわざわざランプを近づけてみると、やはり山も川も滝も仙人も、小学校の教室の後ろに並べて貼ってあるレベルで、ただクレヨンと絵筆の違いがあるだけだった。もっとも俺は水墨画の歴史など何も知らないから、昔はそうした童画的な流派があったのかもしれない。
 床の間の斜向かいに、俺の肩高ほどもある立派な焼桐箪笥が鎮座していたので、上から順に、そっと引き出しを開けてみる。なんぼ無神経な俺でも、ふつうの他家ならとてもそんなことはできないが、たとえ妖怪変化の一種であれ、あんな子供がひとりで生きているのはおかしい。もし親がいるなら、箪笥にその衣類があるはずだ。夜中に人を襲って食い殺すようなろくろ親でも、ろくろ子供のためには、いないよりいたほうがいい。俺が遁走しなおせば済むことだ。
 同型の十段の引き出しのうち、七段までは空っぽだった。敷紙の状態から察するに、以前はどの段もきっちり使用されていたようだが、なぜか今は糸屑一本残っていない。その下の八段目と九段目には、えらく着古した男物の和服や洋服や下着類が、季節ごとにきちんと整理されて収まっていた。するとこの家には、やはりチヨコ以外の大人も、最低ひとりは住んでいるのだろうか。しかしあまりにデザインが古臭く、すっかり樟脳臭が染みついるから、ここ何年か着用されず放置されたままの可能性もある。
 そして最下段の引き出しに、チヨコの衣類。チヨコのものと推定したのは、数着あるちっこい衣類が、すべて今着ている浴衣と同じノバラちゃん仕様だったからである。替えの浴衣、冬用の丹前、綿入れ半纏、そして唯一の洋装らしいワンピースまで、もののみごとに萌葱色の地に紅白の花模様で統一されている。ただ、端っこに重ねてある肌着類だけは、さすがに白かった。
 その白い中にショーツならぬズロースを見つけ、俺は思わず手を伸ばしかけた。いや、けして不埒な考えを抱いたわけではない。純粋な懐旧を覚えたのである。俺が幼児の頃、すでにグンパンに駆逐されて滅びつつあった、提灯ブルマー状のぶかぶかズロース。パンチラすればするほど色気の失せる、無頓着な女児には理想的な下着である。もっとも、どんなに健康的な懐旧物件であれ幼女に属するかぎり、下手にいじくっているところをアグ●ス・チャ●にでも見られたら、頭のてっぺんから吹き出すようなキンキン声で官憲に射殺要請されること必至だから、俺はあわてて手を引っこめた。
 箪笥の上には、これまた古い富山の置き薬の木箱と、箪笥よりも色の薄い倹飩《けんどん》が載っていた。倹飩というと、東京者などは蕎麦屋が出前に使う岡持をまず思い浮かべるらしいが、このあたりの田舎では、左右引き戸式のちょっとした戸棚をいう。その倹飩の引き戸をずらし中を覗いて、俺は甚だ困惑した。板目の引き戸の直後が、また板目なのである。取っ手もなければ窪みもなく、ただの一枚板に見える。これでは収納具として用を足せない。試しに表面を叩いてみたら、奥まで堅い材木そのものの音がした。
 ――これは奇っ怪。
 先刻、ちょっと見しっかりしていると思った他の造作を、念のために検めなおす。すると脇床の上の天袋も、倹飩の同類であることが判明した。引き戸の直後が、すぐに白壁なのである。
 ならば他にも怪しげな奴は――。
 思い当たって桐箪笥の上から富山の薬箱を下ろし、その蓋を開けようとした俺は、意表を突かれて、つい失笑してしまった。そもそも蓋がない。文字どおり木型《モックアップ》なのである。間近に見れば、毛筆体で印刷された『越中富山御薬』のうち『越』や『御』など画数の多い文字は、線が多かったり足りなかったり妙なところでくっついていたり、遠目にそれらしく見えるだけの嘘字だった。
 目一杯とっ散らかりつつ、その一方で、ストンと腑に落ちる気もする。
 自分の目の届かない部分や、なんだかよく判らないものは、適当に省略――。
 俺は脱力して、元の縁側に戻った。縁側は長く、座敷と襖で仕切られた左隣の部屋の障子も見えているが、あえて探索する気は失せていた。まあ手動式自動井戸などというシロモノを備えた家が、どんな構造であろうと驚くには当たらないわけである。
 いつしかその井戸も自分の仕事を終え、朧気な月明かりの下、名残の雫だけをぽとりぽとりと滴らせている。
 やがて縁側の角から、元気な足音がとととととと近づいてきた。
「おじさん、おふろがわきました」
 大人びた物言いながら、いかにもあの掛け軸の作者にふさわしい舌足らずな声だった。

     *

 小ぶりのランプを携えたチヨコに案内されて縁側の角を曲がり、右を座敷の側面の障子、左を白壁に挟まれた廊下を進んで行くと、右手の座敷奥は廊下と同じ板敷きの台所になっており、左手は石畳を敷き詰めた土間――正確には石間と呼ぶべきか――と裏口になっていた。風呂場は、その土間だか石間だかの横にある。
 風呂場といっても、衝立《ついたて》も何もない石畳の延長で、ただ木製の鉄砲風呂と、洗い場にあたる一畳ほどの簀子《すのこ》が敷かれているだけだ。水捌けは、銭湯のような壁際の溝と、風呂桶の下の見えないあたりに傾斜した幅広の溝を設け、外の溝に繋げているらしい。
 これだと入浴姿が台所や廊下から丸見えなので、都会者や平成生まれの若い衆などはかなりビビるだろうが、思えば俺の母の実家がトタン屋根に変わる前、まだ茅葺きの農家だった頃は、やっぱりこんな風呂場しかなかった。幼かった俺は母の里帰りにつきあうたび、年上の従姉たちが平然と入浴している横を通って水呑みや外便所に行かねばならず、けっこう恥ずかしかったり、実はちょっぴり嬉しかったりしたものである。
 鉄砲風呂の形や構造も、当時の田舎と似たり寄ったりだった。要は人ひとり収まるほどの、どでかい小判型の蓋つき木桶である。その木桶の上面横から直接煙突が生え、薪や炭を放りこむ丸い火口も、煙突の隣でどーんと上を向いている。これまた都会者や平成生まれの若い衆などは、木桶の中で木を燃やすのかと驚きそうだが、実は内側に沈めた円筒状の鉄竈の中で薪や炭を燃やし、直接水を温める構造になっている。つまり竈といっしょに湯に浸かるわけだ。当然、入浴中に竈に触れると火傷でズルムケになってしまうから、木製の簀の子で、縦に湯の中を仕切ってある。
 ちなみにこの風呂桶様式は、遠く江戸時代に生まれ、明治・大正を跨ぎ、実に昭和中期、灯油やガスの湯沸し器が普及するまで、脈々と一般日本家庭の多数派であり続けた。もっとも細部には種々のバリエーションがあるようで、火口が桶の横下にあるタイプや、竈の大部分が達磨ストーブのように桶の横に分離し、竈から生えた楔状の鉄の筒だけが桶の中を通るタイプなども、昔近所で見たことがある。
 俺は、竈の中身がちょっと気になった。薪なら子供ひとりでもなんとか調達できないことはないが、炭を使っているとしたら、それを製造供給する誰かが近くにいなければならない。煙突の横に置いてあった鉤を使って、火口の丸い鉄蓋を上げてみると、中身は薪でも炭でもなく、何か木の枝のようなものが絡み合いながらわやわやと燃えていた。見れば土間の隅の暗がりには、乾燥した野薔薇の枝葉が山積みになっている。それで煮炊き一切を賄っているらしい。
「……おふろだも」
 後ろでチヨコがつぶやいた。
 それから妙に改まって、
「ふつうの、おふろですよ」
 俺の詮索的な挙動に不安を抱いたのか、声が途中で裏返っていた。
「うん、お風呂だ」
 俺はせいぜい目を細めて言ってやった。
「立派な風呂だな」
 まだ心配そうなチヨコに見守られながら風呂桶の木蓋を上げ、顔に湯気を受けた段階で、疲れた体にさぞ良さげな、ぬるめのお湯なのが判った。手先を沈めてみると、水質はまるで軟水の鉱泉のように柔らかい。
「おお、湯加減も完璧だ」
 俺が思わずトロけるような声を漏らすと、チヨコもようやく緊張を解き、安堵の溜息のように「かんぺき……」とひとりごちたのち、
「それではおじさん、ごゆっくりどうぞ」
 また妙にませた口をきいて深々と一礼し、ランプを廊下に残して、向かいの台所にとことこと去っていった。つくづくおもしろい奴だ。正体はちっとも判らないけれど。
 いや、判らないからおもしろいのだろう。チヨコも、この家も。
 たとえば俺が汗染みだらけのTシャツを勇んで脱ぎにかかって、ありゃ、脱衣籠か何か欲しいな、タオルも石鹸もないぞと気づき、Tシャツから首を抜いてみれば、簀の子の横の廊下には、大ぶりの丸い竹籠が最初からそこにあったようにそこにある。紺の竹縞柄の手拭いと、無骨な固形石鹸のアルマイト箱も、きちんとその籠に収まっている。しかしチヨコは台所の奥の、羽釜を乗せた竈の前にしゃがみこみ、竹筒でぷうぷうと火の粉を散らしているのである。
 ――ま、いいか。
 俺は思考を停止して、微かに野薔薇の香りのする風呂の湯に、ずぶずぶと顎まで浸かった。

 ここでしばらく、伊豆シャボテン公園の温泉カピバラを想像していただきたい。もっとも現時点の照明は、ちっこいランプと、板戸式の小窓から漏れこむ月明かりだけだから、長野の国は地獄谷、夜の露天風呂に浸かっている温泉猿をカピバラに置き換えてもらったほうが適切か。
 いずれにせよ、そのように思考停止したまま、俺が推定小一時間ほども風呂場で過ごし、やがて我に反ってぷるぷると毛皮の湯切りを、もとい体を拭いて着衣に及ぼうとすると、いつの間にか廊下の籠には、汗で湿ったTシャツやチノパンや柄パンの代わりに、紺松葉柄の浴衣がきちんと畳んで置いてあった。
 台所には、すでにチヨコの姿はない。するとこの浴衣は、手拭いや石鹸のようにどこぞから涌いて出たわけではなく、俺がカピバラ化している間に、あの座敷の箪笥からチヨコが運んできてくれたのだろう。そういえばしばらく前から、湯の香に樟脳の匂いが混じっていた気もする。
 すっかり折り癖のついた浴衣を、ぱたぱたと振り広げる。濃密な樟脳臭が辺りに広がり、俺は一瞬くらりとした。しかし化合物のナフタリンとはちがい、天然樟脳の匂い移りは、じきに風に散ってしまうのが取り柄である。だいたい、丸一日かけて濃縮発酵熟成させた体液まみれのTシャツを風呂上がりに再着用するよりは、樟脳の汁を身体中に塗りたくったほうがまだましだ。数回ぱたぱたやったら鼻も慣れてきたので、俺は、かなり着古されたぶん肌に優しいその浴衣を、ありがたく着こませてもらった。
 ところで俺は前述したように大デブである。以前、社員旅行で温泉旅館に泊まった経験から、その浴衣もてっきり身頃が窮屈だろうと思ったが、意外にも、胸や腹にまだ余裕があった。本来の持ち主は俺より大デブらしい。その代わり身丈は三寸近く足りず、縦×横で推計すると同じ重量級、組み合えば互角と見た。まあ夜中に争うことになっても、相手が首だけなら関係ないが。
 実は籠の中に越中褌《えっちゅうふんどし》も置いてあったのだが、着用法に今ひとつ自信がないので、恥ずかしながら省略させてもらった。くれぐれもアグネ●・●ャンには内緒である。

     *

 ランプを携えて、暗い廊下を座敷に戻ると、チヨコが座卓の下座にちょこんと正座して俺を待っていた。座卓の上には、もう晩飯の用意が整っていた。俺はちょっと図々しいかなと思いながらも、すなおに空気を読んで上座にあぐらをかいた。
 節約のため手持ちのランプを消し、
「いやはや、たいへんけっこうなお風呂《ぶう》でございました」
 冗談めかして丁重に頭を下げると、
「いえいえ、おきにめしまして……めしまして……」
 チヨコはまともに応じようとしたが、次の言葉が思い浮かばないらしく、
「――でございます」
 くぐもった声で、力いっぱいごまかした。
「…………」
「…………」
 互いに数瞬沈黙したのち、
「無礼講って言葉、知ってるか?」
「ぶれいこう? ……しゃあね」
 しゃあね。土地言葉で『知りません』。かなり生地が出てきた。
「しゃねくていいの。ふつうにしゃべれ」
 俺が破顔すると、チヨコもにっこり笑った。
「お前も入ってこいよ、風呂」
 大デブが入った後でも、子供が入れるくらいは湯が残っている。
 チヨコはふるふると頭《かぶり》を振り、
「いい」
「でも汗かいたろ、昼間」
「かかねも」
 ふるふるふる。
 確かにチヨコは、傍に寄っても微かに甘酸っぱい子供の匂いがするだけで、汗臭さはまったくない。それも人外の特性だろうか。
 さて、目の前の座卓の両側には、蕨《わらび》の味噌汁の椀と、菊の花のおひたしの小皿。チヨコの手元に、でかい飯櫃。そして真ん中に、むくり鮒《ぶな》をふんだんに盛りつけた大皿が、どーんとひとつ。
「おお、御馳走だなあ」
 むくり鮒とは、背開きにした鮒を串に刺して軽く乾かす程度に炙り、それから素揚げにして、さらに甘辛く煮つけた郷土料理である。手間がかかるぶん、子供でも骨まで食える。まあ今どきこれをメインディッシュと納得する子供がどれだけいるか怪しいが、俺が幼稚園の頃は充分な御馳走だった。ただし中学に上がった頃には、もう誰も再現を欲しない過去の遺物になっていた。しかし今、一日ワンコインぽっきりの俺にはやっぱり御馳走だし、一般世間の尺度でも、今だからこそ伝統的郷土料理、風流な珍味といえよう。
「こりゃありがたい。むくり鮒なんて、もう何年も食ったことないぞ」
 本心から言うと、チヨコは高らかに、
「だって、お客さま!」
 少々気になるのは、この鮒の出所である。冷蔵庫のない昔の山家では、正月の、塩だかシャケだか判然としない新巻の切り身や、祝い事の席で出る『からかい』とかいう深海魚のミイラさえ、ハレの日の主役だった。新鮮な淡水魚も、それに準ずる。つまり真夏の台所で、ふだんから泳いだりパクパクしているものではない。しかしまあ、風呂がきちんと風呂であったからには鮒も鮒、まさか馬糞饅頭の類ではなかろう。
 チヨコは、俺の茶碗に飯をてんこもりにして、
「はい、おじさん」
「おお、大盛りだ」
「おおおーもり!」
 満面の笑顔とともに渡された茶碗の飯は、半分がた茶色かった。粟《あわ》飯? いや、これは稗《ひえ》飯だ。稗と白米が五分五分くらいか。
 こうなると、近頃すっかり郷愁命の俺でも、さすがに美化できない。江戸時代の飢饉までは遡るまいが、下手をすると大東亜戦争前、昭和東北大凶作あたりの救荒食なのではないか。いやいや、これも死んだ祖母が言っていた。当時は米二に稗八で上々、まるっきり稗でも食えればラッキー。やはりチヨコは最大限、俺をもてなしてくれているのである。
「じゃあ遠慮なく、いただきます」
「いただきまーす」
 ふたり揃って『おててのしわとしわをあわせて、しあわせ。なーむー』したのち、まず味噌汁をすする。蕨の灰汁《あく》抜きは申し分ない。自家製らしい味噌も滋味満点だ。正確には雑味だろうが、俺には滋味だ。
「うん、うまい!」
 感嘆する俺に、チヨコは今度は目をぱちくりさせ、小首を傾げた。スーパーで売っているパックの蕨や、大工場生産味噌の味を知らないのだろう。
 次いで菊の花。なんで真夏に菊なのかちょっと疑問ではあるが、薔薇を食わされるよりはありがたい。煮浸した花弁の仄かな苦味と甘味に、田舎醤油のコクが荷担し、法外に旨い。こんなものがそう旨いはずはないと頭では理解しつつ、舌にはやっぱり懐かしくて旨い。
 そして初体験の半稗飯。これが案外にいけるのである。かなりのモソモソ感と多少の臭いはあるが、味噌汁とじっくり噛み合わせれば、それもまた滋味に思える。
 確か祖母の話では、本来炊いてもパサパサの稗を、米に合わせて巧く炊くのは至難の技であり、姑のガチな嫁いびりに対抗する嫁力の見せどころだったそうだ。今の健康食品としての五穀米や、レトロが売りの観光地で食わせる「ちょっとだけ稗を入れて古里っぽさを演出してみましたさあ郷愁のお味っぽいのをどうぞ」な稗飯ではない。冷めた半稗飯の弁当を、うっかり風の強い野良で開けると、分離した稗の部分だけがぱらぱらと風に乗って飛んでいってしまう、そんな代物なのである。
 しかしこれは間違いなく、チヨコが台所の羽釜で炊いていた飯だ。
 俺は思わずチヨコの顔を、じっと見入ってしまった。
 ――ちっこいくせに、ずいぶん苦労してんじゃないか、お前。
 チヨコは喜色満面で、ちまちまと飯をついばんでいる。
 俺はちょっとうるうるしそうになりながら、気づかれないうちに目を逸らし、むくり鮒に箸をのばした。
「さあて、いよいよ主役の大御馳走だ」
 俺は文字どおり貧乏性なので、いちばん旨そうなおかずは最後の楽しみにとっておく。
 チヨコも、俺より先に手を付けるのを遠慮していたのだろう、神妙にうなずき、一拍遅れて大皿に取りついた。
 むしゃむしゃ、むしゃ。
 ちまちま、ちま。
「……んまいな」
 いつどこで食材を調達したかは知らず、文句なしに東北ネイティブ御用達、コテコテの甘辛さだ。
「……ん〜〜」
 チヨコは日向の猫のように目を細め、ゆらゆらと顎を泳がせた。

     *

 もし、時計のない世界があるとすれば、時は俺の生活感覚に忠実に、緩急を変えながら移ろうものと思っていた。つまらない単純作業を繰り返す一時間は正味二時間、それなりに達成感のある作業をして過ごす一時間は正味三十分、ぶっちゃけそんな流れである。
 しかしそれは、やはり物心つく前から時計や時報の存在を生活感に焼き付けてしまった俺の勘違いで、時計のないこの家の夜は、無数の刹那刹那という分子で構成されたある種の気体が充満するひとつの風船であり、連続する事象としては、まったく機能していないようだ。
「♪ いっちばんはっじめの、いっちのっみや〜〜、に〜いは、にっこの、と〜しょおぐ〜〜」
 台所で洗い物を手伝ってから座敷に戻り、チヨコの倦くことのないせっせっせや綾取りやお手玉遊びにつきあって、ふと縁側の外に目をやれば、夜空を移ろう星や月は、すでに夜半の天文図を描いている。本来あれが絶対的な時のはずだ。
 しかし今、チヨコのちっこい両の掌を、ひょいひょいと宙を舞って行き来する三個だか四個だかの赤いお手玉は、どうも一時間前と同じ瞬間を過ぎっているような気がしてならないし、ときとして百年も前に、見ている俺をひっくるめて同じ軌跡を描いていたような気がする。
「♪ む〜っつ、む〜らむ〜ら、ちんじゅさま〜〜、な〜なつ、なりたの、ふど〜さま〜〜」
 いや、この時の不連続感そのものが、現時点の俺の生活感に過ぎないのか。いやいや、それでは、ちっとも給油しないのに晩飯前から座卓の上でゆらゆらと揺らぎつづけているランプの炎、これはなんなのだ。冥府の炎か。
「♪ ここのつ、こ〜やの、こ〜ぼ〜さん〜〜、と〜おは、と〜きょ〜、しょ〜こんしゃ〜〜」
 チヨコのお手玉歌は、何べん何十ぺん繰り返されても、変わらず耳に心地よい。座敷にたゆたう暖色の光の波が、声の波にまで干渉しているようだ。これで庭から幽《かそ》けき虫の音でも加われば完全無欠な気もするが、残念ながら今は真夏だし、そもそもこの家では蚊の一匹も鳴かない。
「♪ これだけ、しんがん、かけたなら〜〜 なみこの、やまいも、なおるだろ〜〜」
 なんで十の次になると突然お手玉歌に徳富蘆花の『不如帰《ほととぎす》』が参入してくるのか、昔から抱いているそんな疑問は今はちょっとこっちに置いといて、ずいぶん前から何度も何度もすすっているのにまだ何度でもすすれそうな茶碗の白湯《さゆ》などもちょっとこっちに置いといて、どんだけ心願かけたら浪子さんの病気は治るんだよとか、どんだけ大量に血を吐いたら鳴き飽きるんだよホトトギスとか、ガキの頃、近所のお手玉好きな女朋輩にツッコんだ俺は、いかばかり野暮であったか。
「♪ いっちばんはっじめの、いっちのっみや〜〜、に〜いは、にっこの、と〜しょおぐ〜〜」
 いいではないか。時など曖昧な無限ループで。
 たとえノバラちゃんが永遠に二十歳《はたち》にならず七つであっても、正直ここ何年と朝立ちさえ経験していない俺の貧乏糖尿気味な寝たきり息子は、ちっとも困らないのである――

 ――などと完璧に現実逃避しながら、また茶碗の白湯をすすったとたん、俺の腹が、ぐう、と鳴った。残念ながら俺の消化器官は、未だ現世で星や月の仲間をやっているらしい。
 チヨコはお手玉を手に収め、俺を見上げてつぶやいた。
「……おおめしぐらい?」
 いきなり痛いところを突きやがりますなあこのノバラガキは、と俺は首をすくめかけたが、飯櫃いっぱいの半稗飯をほとんど平らげたのは確かに俺だし、見ればチヨコは実に嬉しそうな顔をしている。自分がさほど食わないからか、大食漢を好む質らしい。
「なにか、つくる」
 台所に立とうとするチヨコの袖を、俺は引き止めた。
「ちょと待て」
 それが蕎麦掻き程度の簡略な間食で、仮に台所のどこかから勝手に涌いて出るにしても、この夜中、わざわざ都合させるのは気の毒だ。
 俺は、ちょうどいいものを持っているのを思い出し、横に置いてあった頭陀袋をたぐり寄せた。
「お土産がある」
 今朝、製材所を出るとき、余った夜食をもらってきたのである。
「じゃーん。餡パンだぞ」
 おっかなびっくりビニール袋を受け取ったチヨコは、不審そうにカサカサといじくり回し、
「あんぱん。……これが、あんぱん?」
 食ったことはないらしいが、中身の名前には心当たりがあるようだった。
 餡パン自体は、確か明治時代からあるはずだ。当然この辺りでも、県庁所在地や古くからの商業地では、明治の内に売り出されただろう。ただし昔の日本は、情報も物流も地域格差がハンパではなかったから、山間の僻村だと、長いこと風の噂に聞くだけの新商品も多々あった。
 たとえば昭和三十年代中期から出回っていたはずの即席ラーメン、あれを俺が初めてこの目で見たのは大阪万博の前年、つまり昭和四十四年になってからだった。しかもそれから何年もの間、『即席ラーメン』イコール『国分ラーメン』、そう思いこんでいた。大手食品卸会社『国分』のブランド商品しか、俺の村まで届かなかったからである。余談になるが、元祖チキンラーメンなどという鍋要らずのスグレ物がこの世にあるのを知ったのは、実にカップヌードルを知った後だったりもする。さらに余談になるが、俺は小学校に上がるまで、海に棲む烏賊《イカ》はバリバリに硬い生物だと信じていた。スルメしか食ったことがなかったからである。
 チヨコがいつまでも悩ましそうにビニール袋をいじくっているので、俺は代わりに破いてやった。
 中身を半分こにして、
「ほい、お前も食え」
 チヨコは両手で受け取った半かけのパンを鼻の下に持っていき、くんくんと小犬のように嗅いでいる。
「饅頭みたいなもんだ。甘いぞ」
 ……ぱくり。
 ひと口頬ばって、にっこり笑うかと思いきや、チヨコはいったんまん丸になった目を、なぜか懐疑的に、うにい、と歪め、それから一拍置いて、残り全部をいきなり口に詰めこんだ。
「ばくっ」
 しばしもぐもぐともぐもぐしたのち、
「うああ、うあうああお、うあうあ」
 声だけ聞くと錯乱してしまったようだが、激しくうなずきながら俺に向けた感動のまなざしは、確かにこう言っていた。うわあ、ふかふかだよ、ふかふか。
 チヨコは中身のアンコより、ガワの食感にインパクトを受けたようだ。なるほど、ただの小豆餡なら、大昔の片田舎でも年に何度か食っていただろう。対してイースト発酵の純洋風パンは、町にしかなかった可能性が高い。それに平成のパンの柔らかさ滑らかさは、俺の幼時と比べても文字どおり雲泥の差がある。
 口いっぱいのパンを喉に詰めそうになっているチヨコに、俺は適宜、白湯を補填してやった。
「……ぷはあ」
「こっちも食うか?」
 もう半分も勧めると、チヨコは笑って頭を振った。
「はんぶんこ」
 そうか、そっちのほうが嬉しいか。ええ子や、ええ子やでぇ、こん子は。
 俺はなぜか関西弁で感慨に耽りながら、日雇い仕事の合間に食い飽きている餡パンを、せいぜい旨そうに頬ばってみせた。
 そのとき、にこにこと俺を見守っているチヨコの顔を、ふと、なにやら小さな影が揺れながら過ぎった。
「え?」
 俺は思わず声を出して訝しんだ。
 チヨコも驚愕し、きょときょととあたりを見回した。
「……ちょうちょ!」
 俺はてっきり、夏宵につきものの蛾かと思ったが、それにしても、ここでは初めて見る俺たち以外の生き物である。
「ちょうちょ、ちょうちょ!」
 チヨコは不規則に飛び回る小さな影を追いかけ、部屋中を踊って回った。それほど影がすばしっこかったわけではない。むしろ、あまり活溌ではないため、かえってチヨコの掌が起こす風に煽られ、捕まりにくかったのである。
 俺がもそもそとパンを食い終わった頃、
「つーかまーえたっ!」
 チヨコは丸く合わせた両の掌を俺の前に差し出し、そっと隙間を空けてみせた。
 掌中の小さな影は、観念したのか羽ばたきを止めて、黒い糸のような二本の触覚を緩慢に揺らしていた。
「……お前かよ」
 俺が昼間、山道で迷っている間に見た、あのヤマキマダラヒカゲなのである。片羽の先端にある苦労傷で、同じ個体と判った。どうやらペットボトルをしまいこむときに、頭陀袋に紛れこんだらしい。
 チヨコは頬を上気させ、
「この子も、おみやげ?」
「おう」
 俺は他人を喜ばせる嘘なら、なんぼでも平気で吐く。
 チヨコはよほど嬉しかったらしく、お手玉も綾取りも忘れたげに、掌の蝶を倦くことなく眺め続けた。
「……あんまり、げんきない。ちょうちょ、ねむい?」
「夜だしな。腹が減ったのかも」
「香水製造場で、くたびれた?」
 こうすいせいぞうじょう、という言葉の字面をつかめず、俺は首を傾げた。
「ちょうちょ、町で、はたらいてるも」
 チヨコは、こほん、と咳払いすると、なにやら学芸会っぽい口調で、
「――『私は、町の香水製造場にやとわれています。毎日、毎日、白ばらの花からとった香水をびんにつめています。そして、夜、おそく家に帰ります。』――」
「あ、あれか」
 小川未明の童話『月夜とめがね』の一節である。ちなみに、こんな話だ。
 ある月夜の晩、町はずれに住むひとり暮らしの老婆を、旅の眼鏡売りが訪ねてくる。老眼で夜の針仕事に難渋していた老婆は、ぴったりの眼鏡を見せられて喜び、さっそく購う。男が帰ったあと、こんどは十二三の少女が訪ねてくる。少女が指を怪我して痛いというので、老婆は傷を診てやるため、買ったばかりの眼鏡をかける。
「――『すると、おばあさんはたまげてしまいました。それは、娘ではなく、きれいな一つのこちょうでありました。』――」
 チヨコは一語一句なぞるように、甘酒のようにとろりとした抑揚で語り続けた。
「――『おばあさんは、こんなおだやかな月夜の晩には、よくこちょうが人間にばけて、夜おそくまで起きている家を、たずねることがあるものだという話を思いだしました。』――」
 そういえば俺も子供の頃『11ぴきのねこ』とか、大好きな絵本の文章を一語一句諳んじていたものだ。俺のCPUは当時から型落ち機種同等だったが、その頃はまだメモリーやハードディスクに空きがあったし、データも断片化していなかったのである。しかし昔の俺の棒読みとは違い、チヨコの暗唱には、さっきのお手玉歌のような深い情感があった。
「――『ただ水のように月の青白い光が流れていました。あちらのかきねには、白い野ばらの花が、こんもりとかたまって、雪のように咲いています。』――」
 ボーカロイドとセリーヌ・ディオンの差を感じて、俺は思わずぱちぱちと拍手した。
 賞賛に慣れないのか、途中でやめて照れまくるチヨコに、
「でもまあ、この蝶は、たぶん腹減らしだな」
 ずっと頭陀袋に閉じこめられていたなら、餓死寸前かもしれない。その前から弱っていた気もする。
 せっかくウケたお土産に、即行ダウンされては困るので、
「ちょと待て」
 俺は縁側から庭に降り、ヤマキマダラヒカゲむきの飯を探した。
 あれの仲間が花から吸蜜するのは、一度も見たことがない。とりあえず俺の汗でもいいのだろうが、あいにく今は引いている。それ以外で思い当たるのは、えーと、動物の糞とか、他の虫の死骸とか――思えばネクラな蝶である。
 どのみちここには野薔薇しかないので、俺はその白い奴をひと枝、失敬して手折り、座敷に持ち帰った。
 チヨコはさっそく、俺が差し出した白薔薇の花に蝶を移した。
「……たべない」
「うーん、こいつはね、こっちのほうかも」
 手折った枝の根元側に指で追いやると、蝶はおずおずと口吻を伸ばし、折れ口から滲み出ている樹液に取りついた。
「……のんでる、のんでる」
「たぶん甘いのは苦手なんだな」
「へんな、ちょうちょ」
「変なほうが面白いだろう」
 つい俺は、チヨコのおでこを突っついた。
「お前も変だしな」
「チヨコ、へん?」
「おう。だから面白い」
 気を悪くするかと思ったら、チヨコはけっこう楽しそうに、
「おもしろいの、すき?」
「おう。大好きだぞ」
「チヨコも、へんなのがすき。おみやげ、へん。おじさんも、へん」
 変仲間のヤマキマダラヒカゲは、満腹したのか野薔薇の葉の下に移動し、そこで動かなくなった。眠ったのだろう。定かではないが、とうに夜半も過ぎたはずだ。俺だって眠い。
 俺は、未明作の老婆を真似て言った。
『みんなおやすみ、どれ私もねよう。』

     *

 座敷の隣の四畳半が、仏間兼寝室になっていた。
 いっしょに押し入れから出した夏蒲団を部屋の真ん中に敷き、蒲団はひと組しかなかったので、当然のようにチヨコも俺の横に潜りこんだ。
 扉の閉じたどでかい唐木仏壇が、頭側の右角、方角でいえば西南の角に東を向いて黒々と鎮座しているが、俺も山家育ちなので、さほど陰気には感じない。むしろ仏様だか御先祖様だかに庇護されている感があり、仏間の隅々まで染みついた線香の匂いも、なかなか悪くない。
 枕元には、あの白薔薇の枝を生けた湯飲み茶碗がひとつ、蝶の寝床になっている。蒲団はやや黴臭く、同時に日向臭く、当然のように子供の匂いと温もりがあった。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
 昨夜、二時間程度仮眠をとっただけの俺は、仰向けになって目を閉じたとたん、「俺もよくこんななんだか訳の解らない家であっさり眠れるなあ」の内の「俺もよくこんななん」くらいの段階で、もう眠りに落ちた。
 それはまあ、●グネスにさえ見つからなければなんの問題もないのだが、
「……ねちゃった?」
 見りゃ判るだろう眠ってたよ、などと反論しても、久しぶりに遊び相手を見つけた子供が、すなおに寝付くものではない。
「いんや、起きてる」
 実際「だか訳の解らない家であっさり眠れるなあ」と思考する間くらいの眠りでも、完全にオチた失神級の眠りだと、無駄に惰眠を貪った後より、かえって頭が冴えたりする。
「――おじさんが、お話をしてやろう」
「うん。お話」
 異議なし、の声である。
「昔々、あるところに、お爺さんとお婆さんが住んでおりました。ある日のこと、お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に――」
 適当に話しはじめて十数秒、俺は、今さら桃太郎始めてどーすんだ俺、と自分にツッコんだ。横目でチヨコの顔を窺うと、大時代な環境相応けして大人を馬鹿にする目つきではないが、ここが平成の建売住宅だったら間違いなく「今どき何のべてんだよこのオッサンは」に変換されるであろう、不興の表情だった。
「――やっぱり別の話をしよう」
 俺は転調することにした。
「昔々、南太平洋に浮かぶゾルゲル島で、ゴジラとミニラとクモンガが――」
「ごじら……ごりら?」
 あかん。冴えているのは脳幹からせいぜい大脳辺縁系あたりまで、肝腎の大脳新皮質が熟睡している。
 絶句する俺を残し、チヨコはごそごそと蒲団から這い出した。
 仏壇の扉を開けて、なにか四角くて平べったいものを抱えて戻り、
「ご本、よんで」
 俺はもっけの幸いと、位牌でも遺影でもない、その立派なA5の箱入り本を受け取った。
 タイトルは『未明童話集1』だから予想内として、箱の表裏を飾る上品な童画に、俺は目を見張った。大学時代、ちょっと児童文学を囓ったとき、教授から現物を見せられたことがある。確か昭和初期、丸善から出版された五巻本の第一巻だ。装丁は、『童画』という芸術ジャンルの創始者である武井武雄。中身の挿画も、これまた同クラスの大御所、初山滋。年代相応の色褪せやヤケはあるが、大学の蔵書よりも美本といってよい。
「すごい本、持ってるなあ」
 チヨコは、えっへんと胸を張って、
「おじちゃんの、おみやげ」
「ん? おじさん?」
「おじさんじゃない、おじちゃんだも。えーと、おとうちゃんの、おとうとの、おとうと」
「なんだ、みんな忘れたんじゃなかったのか」
 チヨコは、はっとして黙りこんだ。消え入るような沈黙だった。どうも俺は、触れてはいけないものに触れてしまったらしい。
「そうか、叔父ちゃんしか覚えてないのか」
 俺は、自分から誤魔化されることにした。
「しょうがないなあ。お前みたいなのを、ニワトリ頭っていうんだ」
 つくづく呆れたように言うと、チヨコも安心したように笑った。
「にわとりあたま!」
「喜ぶな。馬鹿にしてんだぞ」
「ばかでけっこう、りこうじゃこまる」
「馬鹿で困れよ」
 お互い無事に誤魔化されたようだ。
「でも、ほんとにいい本だ。いい叔父ちゃんだったんだな」
「うん!」
 俺は箱から本体を引き出し、目次より先に、まず最終ページあたりを覗いてみた。奥付を確かめたかったのだが、なぜかその一枚だけ、きれいになくなっていた。子供がうっかり破ったようには見えず、最初から存在しなかったように切り取られている。その叔父さんが切り取ったとすれば、そこにもまた、なにか触れてはいけない複雑微妙な背景があるのかもしれない。
 目次に羅列された表題の数々は、俺自身どれも読み返したいほど愛着があった。『水車のした話』『風の寒い世の中へ』『親木と若木』――。ただ、俺にとっての『月夜とめがね』は『月夜と眼鏡《めがね》』、『野ばら』は『野薔薇《のばら》』、『赤いろうそくと人魚』は『赤い蝋燭《ろうそく》と人魚』、そんな時代の変遷が見えた。子供向けの書物でも、きちんと漢字を使ってルビをふる。識字率云々の思惑を越えて、やはり正しい日本語の時代だったのだ。
「じゃあ、どれを読む?」
 チヨコは、迷わず『野薔薇《のばら》』を指さした。なんて解りやすい奴だ、と苦笑しながら、俺は昔入れあげた紙芝居の親爺のように、いや、思い直して幼稚園の女先生のように、猫撫で声で読み聞かせはじめた。

「――『大きな国と、それよりはすこし小さな国とが隣り合っていました。当座、その二つの国の間には、なにごとも起こらず平和でありました。
 ここは都から遠い、国境であります。そこには両方の国から、ただ一人ずつの兵隊が派遣されて、国境を定めた石碑を守っていました。大きな国の兵士は老人でありました。そうして、小さな国の兵士は青年でありました。
 二人は、石碑の建っている右と左に番をしていました。いたってさびしい山でありました。そして、まれにしかその辺を旅する人影は見られなかったのです。
 初め、たがいに顔を知り合わない間は、二人は敵か味方かというような感じがして、ろくろくものもいいませんでしたけれど、いつしか二人は仲よしになってしまいました。二人は、ほかに話をする相手もなく退屈であったからであります。そして、春の日は長く、うららかに、頭の上に照り輝いているからでありました。
 ちょうど、国境のところには、だれが植えたということもなく、一株の野薔薇がしげっていました。その花には、朝早くからみつばちが飛んできて集まっていました。その快い羽音が、まだ二人の眠っているうちから、夢心地に耳に聞こえました。』――」

 そうして穏やかな日々を送る二人に、やがて哀しい別れが訪れる。北方の遠隔地で、両国が戦闘状態に陥ったのだ。先の短い老兵は「私はこれでも少佐だから、君は私を討って出世しなさい」と青年に申し出る。青年は「何をおっしゃいます。私の敵はあなたではありません」と、北の戦線に去ってゆく。ひとり残された老兵は、戦争の気配など少しも伝わってこない野薔薇の地で、青年の身を案じながら、巡る季節を過ごし――。

「――『ある日のこと、そこを旅人が通りました。老人は戦争について、どうなったかとたずねました。すると、旅人は、小さな国が負けて、その国の兵士はみなごろしになって、戦争は終わったということを告げました。
 老人は、そんなら青年も死んだのではないかと思いました。そんなことを気にかけながら石碑の礎に腰をかけて、うつむいていますと、いつか知らず、うとうとと居眠りをしました。かなたから、おおぜいの人のくるけはいがしました。見ると、一列の軍隊でありました。そして馬に乗ってそれを指揮するのは、かの青年でありました。その軍隊はきわめて静粛で声ひとつたてません。やがて老人の前を通るときに、青年は黙礼をして、薔薇の花をかいだのでありました。
 老人は、なにかものをいおうとすると目がさめました。それはまったく夢であったのです。それから一月ばかりしますと、野薔薇が枯れてしまいました。その年の秋、老人は南の方へ暇をもらって帰りました。』――」

 俺が初めてこの話を読んだのは、確か小学四年だったか五年だったか、梅雨の明けた午後の教室と記憶している。国語の教科書に載っている話など、えてして「ケッ」とか軽視しがちな年頃だったが、これには泣いた。今日の昼間のような厭わしい夏の光をさえひたすら待ち望む、夏休み前の能天気なガキだった俺も、沈黙の慟哭ともいうべきこの詩情には、理屈抜きでただ涙するしかなかったのである。
 ――ああ、なんて静謐で深い話だ。
 俺は、半分あの頃の俺のままで、隣のチヨコに目をやった。
 チヨコは、いつの間に寝入ったのか、口元に和やかな微笑を浮かべ、心做し満ち足りた夢の眠りを眠っていた。

     *

 闇の中、自分ではない身じろぎを感じて目が覚めた。
 いや、身じろぎを感じてからまた眠ってしまい、しばらくたって、ようやく目を開いたような気もする。
 朦朧とする視界には、寝る前に縁側の雨戸を閉めてランプを消したあとの漆黒ではなく、ランプほどには明るくないが、微かな光の揺らぎが感じられた。
 隣にチヨコがいなかった。
 横になったまま首を回すと、開かれた仏壇の扉から蜜柑色の燈明が漏れており、チヨコはその前の座布団にちょこんと正座して、一心に仏壇の奥を見つめていた。
 俺は声をかけようとしたが、蝋燭の炎に浮かぶチヨコの横顔に、なにがなし、例の触れてはいけないものを感じて、寝ているふりをしながら薄目で様子を窺いつづけた。
 といってチヨコは、泣いているとか哀しそうであるとか、悩んでいるとか困っているとか、そんな様子ではなかった。むしろ外観を排した『気』だけなら、まるで末期の老婆、あるいは倒木寸前の枯れ木としか思えないような、乾ききった諦念を感じさせた。それは、やはり外貌とは無縁に、あの野薔薇の路で追いかけられたときの、子供としてあってはならない姿に思えた。
 やがてチヨコは悄然と立ち上がり、こちらに戻ってきた。俺は目を閉じ、寝たふりを続けた。チヨコが俺の頭のすぐ横に座り、屈みこむ気配がした。息を殺し、すれすれまで顔を近づけ、俺の寝息を窺っているようだ。
 小泉八雲が再話した中の『ろくろ首』ではない話――確か『雪女』だったか、こんな場面があったのを思い出す。妖物が夜中に雪煙を吐いて、寝ている老人を凍死させる場面である。
 チヨコはいよいよ本性を現し、首だけになって俺の喉笛に喰らいつくのだろうか。
 それならそれでもいい、と俺は思った。
 どうせ、なんのために生きているんだか解らない、ただ死んでいないから生き続けているだけの俺である。チヨコの糧になって時を越え、あの野薔薇の窟やこの面白屋敷の存続に貢献するなら、それはそれで立派な廃物利用、いや廃人利用ではないか。
 まあちっこいお前には無理かもしんないけど、なるべく急所の頸動脈あたりをイッキをナニして、即死キボンヌ南無阿弥陀仏――。
 などと、本心はビクビクもののくせに大脳新皮質だけで余裕をかましていると、
「……ほ」
 鼻先にチヨコの息を感じた。癒し系の溜息だった。チヨコは俺の寝顔を見つめることで、確かに安らいでいる。俺は、粗大ゴミのトラックからリサイクルショップの店頭に回された大人サイズの信楽焼の狸のような、ありがたい腰の落ち着きを覚えた。
 それからチヨコは、そっと立ち上がり、そっと障子を開けて部屋を出、縁側の奥に遠ざかっていった。
 耳を澄まして行方を窺うと、あの風呂のある土間から、外に離れた便所に向かって、石畳を踏んでゆく下駄の音が微かに聞こえた。

 で、安心すると、たちまち困った奴へと増長するのが俺の本性である。
 俺は蒲団を抜け出し、燈明が点いたままの仏壇に這い寄った。
 立派な唐木仏壇の中には、外見にふさわしく、仏具がほとんど揃っていた。下段には花立てと香炉と蝋燭立て、中段の真ん中に半稗飯の御仏餉《おぶっしょう》、その隣に茶湯器。両脇にあるふたつの高坏《たかつき》の内、左の高坏に餡パンの欠片が乗っていたのには驚いた。いつの間に供えたのだろう。もう片方の高坏が果物ではなく、花立てと同じ野薔薇の花なのは御愛敬か。
 とまあ、今どき大人でも適当こきがちなお供え物をきっちり揃えているのには感心したが、肝心要の主役である仏様関係だけは、大いに間違っていた。まず、ふつう御仏餉の後ろにあるはずの精霊簿がない。そして上段、ど真ん中の一等地にあるべき御本尊の仏様や、それに並ぶ御先祖様一同の位牌、これが綺麗にない。上段には、ただひとつ、手札版ほどの小さな写真立てが置いてあるだけだった。
 昨今のアバウト仏壇ではない、これだけ大時代な正調仏壇に、写真は置かないはずだ。これはこの家の本来の当主が、その写真の人物こそ我が一族の御本尊と信じていたのだろうか。いや、そうではあるまい。ただチヨコが毎日拝みたい人物を、いちばん目立つところに勝手に置いただけなのではないか。
 なるほど大デブだった。
 やはり大東亜戦争あたり、出征記念にわざわざ写真館で撮った写真だろうか。単色の布を背景に、俺よりずいぶん若い、しかし俺によく似た丸い目の、まだ二十代後半と思われる青年が、戦争映画の出征シーンなどで見かける粗末な軍服だかなんだかをぱっつんぱっつんに脹らませ、誇らしげに胸を張っている。
 俺は生活能力に反比例して、余計な想像力に富む。特に夜中など、妄想に歯止めが効かない。
 チヨコが漏らしたひと言『お父ちゃんの、おとうとの、おとうと』から想えば、この青年にとって、あの頃の農村の三男暮らしは、なかなか気苦労があったのではないか。これだけ太っているからには、余人の倍以上、飯を食わねば生きられなかったはずだ。家を継げる長男なら、まだいい。次男でも、労働力のサブとして少しは大きな顔ができるし、そこそこ田畑があれば分家もできるだろう。しかし三男だったりしたら、目も当てられない。なんらかの形で家を出ない限り、生涯無駄飯喰らい扱いである。ゆえに、なんぼか写真館の修正が入っているとはいえ、輝くばかりの希望に満ちたその出征姿は、軍人勅諭の成果だけではなく、むしろ今の境遇から誰恥じることなく転進できることを心から喜んでいるように見えた。
 ただ、その写真が仏壇でチヨコに拝まれている以上、この青年は、結局この家に帰ってこなかったことになる。敗戦後、戦地の民に紛れた兵士もいたと聞くが、それはきわめて稀である。十中八九、水漬く屍か草生す屍だろう。俺は同じ大デブとして、この青年が、あのガダルカナルやニューギニアに送られなかったことを祈るばかりだった。餓死は人間にとって最も残酷な死だと、未だ飢餓の蔓延する地の人々は言う。とすれば俺やこの青年は、飢餓に際して余人の幾倍も長く、残酷な死を死に続けなければならない。
 しかし、この叔父さんが、兵役の務まる正常な人間だったなら――今のチヨコは、いったいなんなのだろう。
 なんらかの事故で首がもげて死んだ姪の亡魂?
 ならば、その父親や母親は?
 俺はちょっと恐縮しながら、なんでもいいからなにか手掛かりが出てこないかと、仏壇の各所にある引き出しを探ってみた。
 中段のいわゆる猫戸や、その横の引き出しは空で、下段の引き出しからは蝋燭と線香とマッチしか出てこなかった。他に収納はなさそうだが――いや、近頃の仏壇だと、台座の部分がまるまる隠しの引き出しになっていることがある。昔はそんな気の利いた収納はほとんどなかったものだが、独自の注文生産品ならば――。
 読みが当たって、一見台座の表の飾り板にしか見えない木彫部分が外れる構造になっており、その中には、一冊の古びたアルバムが収まっていた。当時は写真機そのものが大変高価だったから、無論、一介の農家のアルバムにファミリー写真が溢れかえっているはずもない。しかし上の出征写真のように、冠婚葬祭など折々の節目で誰かに撮ってもらった写真は、それなりに溜まるものだ。昔の俺の家のアルバムにも、水呑み百姓だった曾祖父たちの野良仕事写真が、けっこう残っていた。庄屋の息子が趣味で村中を撮って回ったのだそうだ。
 期待して、黒々と持ち重りのする糊付け式の立派なアルバムを開き、俺は、驚愕かつ落胆した。少なからぬページに、かつて大小の写真が貼付されていた跡はあった。しかしそのほとんどが、ケバだけ残して無造作に引き剥がされている。残された写真は、安物のベスト判で撮ったと覚しい小さな密着焼きが、後寄りの同じページに、たったの三枚。一枚は、今も変わらぬあの井戸の横で、今と同じ顔をしたモンペ姿のチヨコが、はにかんだように笑っている。背景はピントが合っていないので判然としないが、野薔薇ではなく畑のようだ。もう一枚は、上で主役を張っているチヨコの叔父さん。こちらも同じ場所、筒袖の野良着姿である。そして三枚目、やはり同じ背景、チヨコと叔父さんのツーショット。
 ……こんだけかよ。
 俺は憮然としていた。
 一般に家庭アルバムは、その家族全体の変遷の公的縮図である。
 チヨコと叔父さんだけが残っている以上、他の家族の写真を引き剥がしたのは、チヨコか叔父さんのどちらかだろう。今のこの家の具合から見れば、チヨコである確率が高い。
 じゃあ他の家族は、チヨコにとってなんだったのか。
 また他の家族にとって、チヨコや叔父さんはなんだったのか。
 チヨコにだって、生まれたときがあったはずだ。まあ小学校への入学は、当時の農家だと、義務教育なんて余計なお世話、そんなふうに軽んじられたかもしれない。しかし古い田舎だからこそ大切な、七五三もあったはずだ。桃の節句もあったはずだ。思えば学校側が撮った記念写真だって一枚もない。
 あの本に奥付が無かった意味が、解る気がした。
 無駄飯喰らいの余計者が、おそらく何年もかかって貯めた金、あるいは招集後の給金で、おそらく彼同様の余計者だった姪っ子に、贈り物をする。当時としては高価な書物である。今なら二〜三万にも匹敵するだろう。あえてその値を秘したのは、姪への気遣いもあったろうが、おそらくは他の家人の冷たい目に配慮したのだ。
 俺は生活能力に反比例して涙もろい。憶測外の事実は知らず、胸の奥を締めつけ、さらに逆流してこみあげてくる負の情動を、俺は抑えきれなかった。さっき仏壇の前のチヨコから漂っていた、やるせない、逃れようのない諦念。あれは、俺が毎晩のように塒《ねぐら》の鏡で見ているものと、同じものなのではないか。
 俺は震える手でアルバムを元に戻し、這うように寝床に戻った。
 夏蒲団を頭から被って、いい歳の親爺が何やってんだかと自嘲しながら、えぐえぐと嗚咽した。
 するうち蒲団の端が、そっと持ち上がった。
「……ないてるの?」
 チヨコが、きょとんとして俺を見ていた。
 泣いてなんかないやい、と強がれる有様ではないので、俺は顔を背け、やむをえずこくこくとうなずいた。
「こわいゆめ、みた?」
 大ハズレだが、それが子供にとって一番妥当な答だろうと思い、俺はまたこくこくとうなずいた。
「だいじょぶだも」
 チヨコは、くすっと頬笑んで、俺の頭を軽くぽんぽんと叩いた。
「だいじょうぶ。ここは、チヨコだけのうちだも。こわいの、なんにもこない。ごりらも、くまも、こない」
 チヨコは子守歌のように優しく囁きながら、俺の後ろ頭を撫でさすった。
「こわいひと、だあれも、こない。……おとうちゃんもおかあちゃんも……せんせいも……がっこうのみんなも……だあれも、こない」
 そうか。お前は、そいつらがみんな怖かったのか。
「きていいの、おじちゃんだけ」
 そうか。だからお前は、あの野薔薇の路を守りつづけているのか。
「……あと、おじさんも」
 そうか。俺もいいのか。
 わあわあ泣くっきゃないだろう、この場合。
 俺はとりあえず、涙枯れるまで泣きつづけることにした。

     *

 翌朝――障子越しの陽ざしの加減だと、もう昼に近かったが――目覚めた俺は、充分な睡眠で疲労こそ和らいだものの、完璧シャリバテで重たい図体をもてあまし、あーうー、などと呻きながら寝床に半身を起こした。昨夜あれだけ食ったはずなのに、異常なほど空腹を覚えた。
 そんな目覚めは、過去に何度か経験している。金が一文もなくなって、次の日雇いにありつくまで、しばらく絶食を余儀なくされたときだ。チヨコにとっては確かな糧でも、常人の身になるとは限らない。俺は昨日から丸一日、実は餡パン半分と水しか腹に収めていないのかもしれない。
 しかし、そんなことより、俺はこの手の怪異談にありがちな【夢オチ】が怖かった。辺りにチヨコの姿がないのである。たとえば小泉八雲の『和解』、あるいはその原話である上田秋成の『浅茅が宿』――それらはいずれも【目覚めれば廃屋】パターンである。間が悪いと、昨夜親しんだ女性のダシガラが添い寝していたりもする。
 仏間の様子は、寝る前とほとんど変わっていなかった。枕元に、あの本も置いてあった。違うのは、湯飲み茶碗の白薔薇に蝶がとまっていないくらいか。半分開け放たれた障子から裏庭に目をやって、俺はようやく安堵した。井戸の横の物干し竿に、他の衣類と並んでチヨコの花柄浴衣が干してある。
「おーい、チヨコー」
 俺はぼりぼりと背中を掻きながら、大声で呼んでみた。
「チヨさん、チーヨコさん、チヨぽんぽん」
 昨夜あれだけ情けない姿を見られたからには、もはや身内感覚である。
 しばらく待っても返事がないので、よたよた起き出して隣の座敷を覗くと、座卓の上に、水差しや茶碗といっしょに被せ式の蠅帳《はいちょう》が置いてあり、その端には添え手紙らしい紙っぺらが挟まれていた。

  はいけい おじさんえ
  ちよこわ おそとに おしごとに いきます
  これは あさごはんです けいぐ

 極めて難読物件ながら、いちおう平仮名だった。チヨコは今日も野薔薇の手入れに出たのだろう。
 わざわざ残していってくれた朝飯に感謝兼脱力しながら蠅帳を上げると、なんと朝飯は餡パンだった。ビニールっぽい謎の素材の袋まで再現されている。ただし、印刷された商品名のうち正しいのは平仮名の『あん』だけで、あとは全部、謎の幾何学模様になっていた。
 俺は長いことくつくつと笑い続けてから、まずは勝手口の外の便所で鼻をつまみながら目覚めの小水を済ませ、仏間の蒲団を片づけ、座敷に戻って、ありがたくチヨコの気持ちを頬ばらせてもらった。
 ――う、うめえ。
 花のパリーは三つ星レストラン、それすら凌駕するであろう至高の食感と味覚である。北大路魯山人も海原雄山も舌を巻きそうだ。あんなものがチヨコにはそんなに旨かったのかと、俺はまたホロリときた。同時に、すぐにも猫車を押せそうな力が湧いた。
 しかし、いつもながら不思議に思うのは、人間の口と脳味噌と筋肉の関係である。ガテン作業の途中でシャリバテになったとき、握り飯や菓子パンを咀嚼するだけで、とたんに活動可能になるのはなぜだろう。東大出の偉い医学者は「それは単に血糖値が上がるからですね」などと講釈するが、そもそもこっちはまだ餌を飲みこんでいないのである。
 この世の森羅万象が、そんな心ひとつのものであるなら、人間、死んでから歩き回ったって、ちっとも不思議ではない。ならば俺も、こうしてチヨコの心づくしを受けているうちに、いずれ膨大な皮下脂肪や体脂肪を消費しつくし、チヨコの同類になれるはずだ。ここにいるのは俺でもいいんだからな。
 俺は餡パンもどきを食い終えると、心機一転、庭に出た。庭先の物干し棹には、チヨコが朝に洗ってくれたらしい俺のTシャツやチノパンも、すっかり乾いて、爽快な夏風に翻っていた。野薔薇の園も、きっちりその向こうにあった。
 俺は妙に張りきって、キコキコ井戸の水をがぶがぶと飲んだ。習慣で、自前のペットボトルにも清水を補給する。人間、水さえあれば、とうぶんは根性で生きられる。ここは一宿二飯の恩義、チヨコの手伝いをしてやらねばなるまい。
 ついでに顔を洗い、髭も当たる。俺は頭陀袋の中に、常時百均のカミソリとシェービングクリームを用意している。これがあれば夜勤の次の日勤にも、無精髭なしで出られるからだ。他人の無精髭は俺のせいではないから別に気にならないが、俺のせいで自分がむさ苦しいのは厭なのだ。
 そんな益体もない自尊心を今朝も満たし、座敷に戻って着替えていると――なにやら小刻みな雑音が、俺の鼓膜を震わせはじめた。
 微かではあるが、俺の鼓膜のみならず障子の桟までぴりぴり揺るがしているところを見ると、大気そのものをひっぱたく性質の、破裂音の連打である。仮にオノマトペで表現すれば、だばだばだばだばだばだばだばだば。念のため、人声のスキャットではない。あれだ。映画でいえば『地獄の黙示録』。古いか。それでは『ブルーサンダー』。やっぱり古いか。つまりどっちにしても、とことんこの場に似つかわしくない、ヘリコプターの接近を思わせたのである。
 接近――そう、音は少しずつ大きくなっている。
「おじさん、おじさん!」
 雑音に混じって、庭の外からチヨコの声が届いた。めいっぱい焦っているようだ。
「おじさん! へんなの、くる!」
 その三語を発するだけの間に、チヨコは野薔薇窟の出口から井戸の横をすり抜け、昨日の推定三倍速のイキオイで縁側に達そうとしていた。
「お、おい、気をつけ――」
 俺は即座に縁側に駆け出ようとしたが、こんなときに限って、履きかけのチノパンが脚に絡まったりする。
「うおっと」
 俺は畳にすっ転び、
「あうっ」
 チヨコは例によって踏み石に足を引っかけ、顔面から縁側に激突した。
 べん。
 しかし粗忽な俺とて、その後の軌跡は昨日すでに学習済みである。
「ていっ」
 俺は脚にチノパンを絡めたまんま横様に跳ね、床の間方向にぽーんと飛んだチヨコの首を、からくも捕捉した。
「ないすきゃっち!」
 鼻の頭を赤くした首だけチヨコが、腕の中から俺のプレイを賞賛した。ちなみに念のため、ナイスキャッチという言葉は、明治の早慶戦あたりでもう普及していたし、六大学野球はまだプロ野球の広まらない昭和戦前のラジオで大人気だったから、チヨコが叫んでも不思議はないのである。
 首なしチヨコが錯乱して俺たちの周りをとたぱたと駆け回っているので、俺はそっちもひっつかまえ、畳に抑えこんだ。
「えーい、こら動くな!」
 元どおりくっつけようとしても、首が焦っているのか胴がパニクっているのか、ぽろぽろ落っこちてしまう。
「あうあう、あう」
 例のヤマキマダラヒカゲまで泡を食ったように手元を飛び回り、邪魔になってしかたがない。
「えーい、らちあかん!」
 俺は即行チノパンを履き直して、横の頭陀袋を掻き回した。こないだ町場の引っ越しを手伝ったとき、確か布ガムを入れたまま帰ったはずだ。
 俺が、び、とガムテープを引くと、チヨコはびくりと身を震わせた。
「……いじめる?」
「人聞きの悪いことを言うな。これは特大の絆創膏だ」
 実際、素手で縦横自在に千切れる布ガムは、人体にも有用である。幸いチヨコのおかっぱ頭は昔風に刈り上げてあるので、襟足の髪もほとんど邪魔にならない。
「どうだ?」
 首輪を付けた猫のようで少々気の毒だが、
「……ばんそーこ、つやつや」
 チヨコはあんがい気に入ったようだ。
 例のだばだば音は、ますます大きくなっている。
 ふたりして恐る恐る障子の陰から空を窺うと、薔薇園の彼方の山上を、なにやらどでかい青白ツートンカラーのオタマジャクシのような妖物が、こちらに向かってくるのが見えた。
「……ばたばた虫?」
「なんじゃ、そりゃ」
「しゃあね。でも、ばたばたうなってる」
 確かに面妖な怪物である。しかしその唸り声は、俺にはどうしてもヘリの爆音に聞こえる。
 もしや――俺は思い当たった。このチヨコの世界に、チヨコの知るべくもない戦後のデカ物が闖入してきたら、チヨコの目にはどう映るか。飛行中のヘリのローターは、遠目にはほとんど見えない。ローターを省略したヘリは、どでかいオタマである。
「とにかく、お前は隠れてろ」
「やだ。おじさんといるも」
「ばたばた虫が、怒ってたら怖いぞ」
「……こわい?」
「心配するな。おじさんが相撲で追い返してやる」
 力いっぱいハッタリをかますと、チヨコはこくりとうなずいた。あの叔父さんも、相撲だけは強かっただろう。俺も得意だ。闇雲に押し倒すだけなのでヘリには通用しまいが、ヘリを操縦する奴には効くかもしれない。
 俺は、あの本を抱えたチヨコを、蝶といっしょに仏間の押し入れにもぐりこませ、縁側に出て空を仰いだ。
 空の妖物は、ますます野薔薇の園に近づき、しだいに高度を落としはじめた。
 絡み合い繁茂した野薔薇の蔓という奴は、そう簡単にはほぐれないはずだが、妖物の巻き起こす突風を受けると、なぜかドライフラワーの寄せ集めのように脆くも吹き飛ばされていった。だけではない。きれぎれの渦となって宙に流れる端から、大気に溶けるように消え去ってしまうのである。
 端正な野薔薇の園が、雑多な潅木の藪に変貌するにつれて、宙空の妖物もまた、やはり一機の小型ヘリコプターへと姿を変えた。その様は俺にとって、もはや現実への回帰ではなく、うそ寒い冬の幻日《げんじつ》へと俺を引っ立てる、機械仕掛けの妖物に見えた。
 不安が募り、四股を踏む気力も失せた。
 爆音の渦巻く中、自分の背中の陰までが幻日に晒された気がして、はっと仏間を振り返ると――そこには、もう家屋そのものがなかった。

     *

 いっそあの家がきれいさっぱり消えてくれていたら、すべては俺の一夜の夢と、むりやり頭を切り換えられたのかもしれない。しかし一面の草叢のそこかしこには、朽ち果てた木材や腐った畳が、思い当たらないでもない配置で顔を覗かせ、茅葺き屋根の末路と覚しい汚物の堆積も散見された。風呂と勝手口があったあたりのちょっと向こうには、外便所らしい小さな屋根が、辛うじて屋根の形を残したまま地に傾いでいた。そもそも俺自身、ただの地べたではなく、根太の落ちた廊下の残骸の上に立っている。
 ――結局【目覚めれば廃屋】パターンかよ、おい。
 たった今まで非現実的なりに生々しい、ある意味充実した【翌朝イベント】をこなしていただけに、俺は突然純白のウニになってしまった脳味噌をもてあまし、木偶人形のようにその場に突っ立っていた。
 数分後――あるいは十数分後なのか、
「あ、あんた誰?」
 ちょっとイッセー尾形の声に似た、真面目なんだか軽薄なんだか判別しがたい抑揚で誰何され、俺は何も答えられないまま機械的に裏庭を振り返った。裏庭も、お約束どおり、無節操に雑草が茂る空き地と化していた。空き地の向こうには、さっきの成り行きどおり、野薔薇ではなく無節操な潅木の藪が広がっている。彼方に連なる森と夏山だけが、無神経な書き割りのように厳然と揺るぎない。
 その空き地のど真ん中に、いつの間にか着陸していた小型ヘリコプターを見て、俺はますます脱力し、木偶人形どころか穴の開いた空気人形になってしまった。こんなチンケなシロモノが、あの纏綿《てんめん》たる夢を一瞬に吹き飛ばしてしまったのか。尻尾こそ長いものの、胴体などせいぜいワンボックスカーを一回り脹らませた程度ではないか。空飛ぶオタマジャクシがあれほど大きく見えたのは、あくまでチヨコの警戒心がそう見せていただけなのか。
 ヘリコプターの前には三人の男が、水戸黄門のクライマックスのような配置で立っていた。ご老公スポットに位置しているのは、見るからに恰幅のいい初老の男である。俺ほどではないがやや過剰な腹の膨らみを、フルオーダーらしい麻のスーツで自然な豊饒に見せている。その前にいる助さん相当は、俺よりも少々年輩か、痩せ型で、濃青色の半袖作業着姿。作業着の胸には『奥羽電力』とオレンジ色の縫い取りがあった。そして格さんスポットにいるのが中肉中背、ゴルフ場の小金持ちっぽい茶系のニッカボッカ。こちらは俺と同年輩らしく、声ほどではないが、やはりイッセー尾形に似ている。
「あ、あんた、なんで、どーやってこんなとこに――」
 ニッカボッカが俺に詰め寄った。
 俺は彼らの姿や声をしっかり認識しつつ、まだ反応できずにいた。
 結果的に彼らを無視する形で、頭の芯が虚《うろ》のまま緩慢に裏庭を見渡すと、あのギコギコ井戸のあったあたりには、土台の丸い石積みだけが残っていた。鋳物製の本体は、それを支える木製の蓋ごと、井戸の中に落ちてしまったのだろう。物乾し場などは無論残っていない。
 いつまでもウスラボケっとしている俺を見て、後ろの二人は、あからさまな不審の色を浮かべた。するとイッセー尾形、いやニッカボッカの男は、なぜか俺よりもそっちの二人の顔色のほうが問題らしく、焦った様子で、俺にわざとらしい笑顔を向けた。
「――あ、なんだなんだ! えーと、そうそう田中さん! 田中さんじゃないですか。いやお久しぶり。そんなラフなお姿なんで、ついお見それしちゃった」
 馴れ馴れしく挨拶されて面食らった拍子に、俺の脳味噌の中で、対人反応シナプスがようやく再起動した。
「え? えーと――」
 いや田中じゃないです初対面です、と正直に応じかけると、ニッカボッカは、後ろの二人に気づかれないよう懸命に目配せしながら、
「あ、そうだそうだ田中さん! こないだ峰館の千歳館で遊んだとき、お勘定、お借りしたまんまじゃないですか。忘れないうちに、お返ししとかなきゃ」
 いきなり懐から分厚い革財布を取り出し、あっけにとられている俺の手に万札を握らせた。
 ついでに俺の耳に口を寄せ、
「お願い。ここは僕に調子合わせて。ね。何も訊かないで。お願い」
 万札は少なくとも二枚以上重なっている。ふだんなら無条件で即刻うなずくところだが、シナプスが半分しか繋がっていない俺は、まだ途惑っていた。峰館の千歳館は、明治以来の擬洋風建築を誇る高級料亭、通称プチ鹿鳴館である。俺など上がれるはずがない。
 ニッカボッカは、さらに声をひそめ、
「……おたく、見たんでしょ? バラ園とか……女の子」
 俺は目を丸くした。一言も返せない。
 相手はじれったそうに、
「……千代子関係の人でしょ?」
 俺は反射的にぶんぶんとうなずいた。
「委細は、また後で。ね?」
 交渉成立と見たのか、ニッカボッカは何事もなかったように、後ろの二人の相手に戻った。
「いやあ、失礼しました。あの方、田中さんといって、私の知り合いの山屋さんなんですよ。もう人跡未踏の山奥まで年中無休の神出鬼没。山の道は俺の後にできる、みたいな人。あははははははは」
 俺はめいっぱい当惑したまま、おそらくこの世にいもしない田中さんの笑顔を創っていた。

 手漕ぎポンプの本体は、やはり井戸の底に落ち、錆びた頭の部分だけを濁った水の上に晒していた。
 俺は井戸の名残の石積みにひとりで腰を下ろし、ニッカボッカ、いや新庄と名のった男の体が空くのを待った。新庄は他のふたりを案内し、屋敷跡や、この付近一帯のなにやらを多弁に説明している。もう一人、ヘリのパイロットもいるわけだが、これはヘリの運行以外ノータッチらしく操縦席で待機したままである。
 新庄たちの話を漏れ聞くうち、チヨコとは無縁なこの場の現状だけは、どうやら解ってきた。
 たとえば作業着姿の助さんが、
「いいんじゃないでしょうか。地盤もしっかりしてますし、地の利もなかなかです」
 とか言うと、スーツの黄門様は、
「しかし他とのバランスも考えて、隣の山も今一度――」
 などと、しかつめらしくつぶやいたりする。
 すると新庄は、明朗快活な小金持ちを演じる売れない脇役、そんな感じで一気にまくしたてる。
「はい隣山。斉藤さんの山ですね。確かにあそこもいいですねえ地盤。でもあそこだとですねえ、私もその後ちょっと勉強したりしてみたんですけど、あそこは県道から上がる途中に渓谷がありますでしょう。あれは広いです。それに深い。そりゃもう広い深い。架空索道でも張らないと運べませんよ鉄骨とか重機とか。作業員の方々だって、下手すりゃ県道脇からモノレール新設だ。その点ここ、うちの山ならなんの苦労もないです。目と鼻の先のこの廃墟に、宿舎だってすぐ建ちますでしょ」
 黄門様と助さんは微妙な苦笑を交わすが、それから助さん、やや襟を正して黄門様に、
「なんの苦労もないというわけにはまいりませんが、確かにここは県道から村道が繋がっております。今はすっかり藪に隠れてますが、元々トラックが入れる路幅なのも確認済みでして」
 黄門様、腹蔵は見せず鷹揚にうなずく――。
 そんなこんなの視察を続けるうち、黄門様と助さんは廃屋を前にちょっと内輪の話に入ったようで、格さんならぬうっかり八兵衛だったらしい新庄だけ、二人から離れて、ようやく俺のほうにやってきた。
「いや、お待たせお待たせ」
「……新しい県北幹線の話ですか?」
 この不景気、こんな山奥に新しいバイパスや鉄道ができるわけではない。例の大震災の余波で、老朽化していた高圧線鉄塔のあちこちに不具合が生じ、やむをえず将来を見越した迂回が計画されているのである。
「そう。あれの鉄塔、どこに通すか決めてるの」
 俺と内緒の金銭授受を済ませた後だからか、新庄はすっかりタメ口になって、しげしげと俺のガタイを見やり、
「しかし失礼だけど、ほんとにデブ専なのねえ、その千代子って子は」
「というと……俺みたいなのが、他にも?」
 三万も貰ってしまった俺は、何を言われても腹が立たない。それよりチヨコの話が聞きたい。そもそも大デブは、可不可ではなく単なる形である。
 新庄は懐からマルボロを取り出し、目顔で俺に吸っていいかと訊ねた。思ったより良識があるようだ。俺がうなずくと、俺にも一本勧めてくれてから、
「――今んとこ、確かなのは二人だけかな。僕が生まれる前と、あと僕が中学の頃にひとり。どっちも翌朝、自力で下山してきたって。ここはもう戦後すぐから空き家だったけど、あの頃は、まだ村道が生きてたからね」
「失礼ですが、あなたは、この家の――」
「うん。ここはね、うちの分家だったの。曾祖父の代に枝分かれして、僕は本家。本家の現当主ってとこ。まあ分家っつっても色々あって、土地の名義は、ずうっとうちなんだけどね」
「はい……で、あの女の子は」
「……おたく、どこまで見たの?」
「えーと、どこまでというか……昨日の晩いっしょに夕飯食って、泊めてもらって、朝はあなたがたのヘリが着くちょっと前まで、ここでいっしょに」
 新庄は目を見張って、
「へえ。そりゃすごいなあ。怖くなかった? だって、その……」
 自分の首を切る仕草をしながら、
「いきなり首ポロリとか、ね、あるんでしょ?」
「あ、はい、ありました。けど……なんか、とっても寂しそうだったもんで」
「いい度胸してるじゃない、おたく」
「はい。いやまあ、なんつーか……まあ正直、俺なんか首のない子供より、首のある世間様のほうが結構キツいというか……」
 新庄は改めて俺の風体を見定め、察したようにうなずいた。
「僕が聞いた話じゃ、最初の人は、もうバラ園にいるうちにポロリを見ちゃって、すぐ逃げだしたって。もう一人は家に上がってからポロリで、そのまんま気絶しちゃって、気がついたらあの廃屋でゴロ寝してたとか」
 おお、やっぱりそのパターンもありか。
「どっちみち、まだ心霊スポットとか騒ぐ時代じゃなかったし、その後はもう何十年も道が塞がってたわけだし、うち以外、もう気にする人もいない話なんだけど……まさか今どき、また出るなんてねえ」
 新庄は悩ましげに頭を垂れ、電力会社の二人に目をやった。
「あの業界の人、ああ見えてずいぶん縁起かつぐのよ。原発みたいに何千億ってこたないけど、それでも一本何億かけて、何十本も建てて、何十年かかって元とるわけじゃない」
 それから、すがるように俺を見て、
「お願い。ここはすっぱり忘れて。誰にもなんにもしゃべらないで。ツイートしないでブログもやめて。今どきド田舎の山なんて持ってたって、一文にもならないの。かえって税金が大変なの。この契約流れると、うちのアホ娘が峰女に行けないの。ド田舎の中卒で終わっちゃうの。そうなったら死ぬとか言ってんの。千代子のお仲間になっちゃうの」
 峰女――峰館女子学園は、いちおう字が読めて九九を諳んじられる程度の女子であれば、五年がかりで一般常識から家政関係、お茶お花おピアノお追従等を刷りこませ、形だけでも良家の花嫁候補に仕立て上げてしまうという私立の全寮制高大一貫校である。ただし当然、目の玉の飛び出るような金がかかる。
 新庄は裕福に見えて、あんがい苦労しているらしい。まあ立派な皮財布にこれ見よがしのキャッシュを持ち歩く時点で、まともな金持ちでないことは判る。かなり賭博的な人生と見た。そしてここまで口が軽いと、博奕は巧くない。
「他人《ひと》にしゃべる気はありません。ただ、あの子の――チヨコの話だけ、詳しく聞かせてもらえますか」
 俺は生活能力に反比例して、至誠の塊のような顔ができる。新庄も納得したようで、懐から折り畳みの携帯灰皿を取り出し、お互いの一本目を始末してから、二本目に火をつけた。
「――僕もおふくろから聞いただけだから、ほんの話だけね」
「はい」
「千代子ってのは分家のひとり娘で、詳しい繋がりは省くけど、僕のおふくろの又従妹《またいとこ》だったの。同じ小学校に通ってて、ふつうここらへんの分校じゃ、生徒全員兄弟姉妹みたいなもんだったらしいんだけど、千代子って子だけは、なぜだかみんなにいじめられてたらしいのね。さすがにおふくろは、自分ではいじめなかったって言ってるけど、親戚の子だからなんとかしてあげたいとは思いつつ、ここは見て見ぬふりをするしかない、そうしないと自分までヤバい――みたいな」
「……はい」
「それというのも、どうもその分家の跡継ぎ夫婦ってのが、なんていうか、二人とも昔から妙に陰険で小ずるいとこがあって、親戚中が嫌ってたし、それから村中でもとことん嫌われてたわけ。まあ小ずるいだけなら別にほっときゃいいんだろうけど、ちょっと精神的に、ふつうじゃないとこもあって――ほら、今でもあるでしょ、ほら、なんつーか、児童虐待っつーか」
「はい」
「僕なんか解んないんだよねえ。なんで実の子を殴ったり蹴ったりできるわけ? かわいいじゃない。かしこきゃ当然かわいいだろうし、アホならアホで、なんか余計かわいいじゃない。まあ憎ったらしい不良娘とかなら仕方ないけど、まだちっちゃい子供だよ?」
 俺も解らない。東大出の偉い心理学者先生の講釈は解るが、そうなる当人たちの脳味噌が理解できない。
「そんな家で生まれ育って、明るいすなおな子供になれったって、そりゃ無理な話でしょう。いきおい陰気で引っ込み思案で、ビクビク人の目ばっかり気にするみたいな子供になっちゃう。で、昔のここいらの、男のガキどもなんてのは、そりゃもう情け容赦ない悪ガキぞろいだったらしくて。――アレよ、蛙のお尻に爆竹突っこんでナニしたりする、そんなノリで、しょっちゅう弱い者いじめとか」
 いや、それは違う。子供が蛙を木っ端微塵にするのは、子供が子供である由縁だ。しかし人間をいたぶってはいけない。蛙と人間の区別がつかない子供がいるとすれば、それは畢竟、周囲の世間が間違っているのである。
「身内をかばうわけじゃないけど、ほんとにおふくろは気に病んでたらしいのよ。でも、多勢に無勢って奴もあるし、何よりこの分家そのものが村八分みたいなもんで、大人もシカトしてた有様だし」
「……よその大人もいたわけでしょう、学校の先生とか」
「うん。でもねえ――重ね重ね間が悪いことに、その頃の分校の教師ってのが、これがまたなんつーか、体育会系で脳味噌が筋肉っつーか、あの頃だと――軍国バカ?」
「……はい」
「今もいるでしょ。イジメられないように強くなれ、とか言いだす、ガタイだけのウスラバカが。じゃあ強くなれない子供は一生イジメられてろってことかよ――そうでしょ?」
 そのとおり。
「そんなこんなで、その千代子って子、なんか昔の少女漫画みたく、毎日が不幸のオンパレードだったらしいんだけど……ただ、そんな千代子にも、ひとりだけ仲のいい家族がいたらしいのね。泣いて帰ると優しく慰めてやったり、いろいろかわいがってやったり。でも、その仲のよかった叔父さんが、これまた昔の少女漫画みたく、あの戦争にとられちゃって――」
 俺は続きを聞くのがいたたまれず、新庄を遮った。
「叔父さんの話は結構です」
「いいの?」
「おおむね解ります。昨日の夜、仏壇に飾ってありました。その叔父さんの写真と、あとアルバムとかも」
 俺がなにげなく言うと、
「うわ」
 新庄の顔が、幽霊でも見たように蒼白になった。
「そうか……泊まったんだもんねえ、おたく」
「はい」
 古い因縁話が昨日今日の怪異となってしまい、改めて怖くなったのか、新庄がそれっきり口を開かないので、俺は残った疑問を質してみた。
「あと、その、チヨコの……首の件なんですが」
「……うん」
「なんで、あんな具合なんでしょうか」
 新庄は、心底厭そうな顔をしながら、それでも渋々答えてくれた。
「……おふくろの話だと、叔父さんの戦死が伝わってきたのが、終戦直前の八月はじめ」
「はい」
「千代子がいなくなったのは、その晩すぐ」
「はい」
「で、これまたひどい親なんだ。娘が見えなくなったってのに、近所にも駐在にも言わないで、それっきりほっといた。そのうち帰ってくるだろうと思ったとか、あとで言ってたらしいけど、おふくろの考えじゃ、たぶん帰ってこなくてもいいと思ってたんだろう、と」
「……はい」
「十日もたってから、近所の雑木林で見つかったんだって。……木の枝で首吊ってるの」
「…………」
「真夏でしょ」
「……はい」
「冬場だって、あの死に方って、ちょっと見つかるのが遅いと、あの、なんかこう、首がぐにゃっと伸びたり……」
「……もういいです。解りました」
「……うん」
 不思議に涙は出なかった。ただ真冬の枯れ野に立っている気がした。
「で、まあ、さすがにそうなると村中から輪をかけて白い目で見られるし、駐在だって色々つっつくしで、残った分家の連中は、敗戦のどさくさに夜逃げ同然で村を出て、それっきり音信不通。――以上。ま、そんな話なのよ」
 それでもチヨコは、まだ生きている。いや、生きているつもりでいる。ことによったら今の俺には見えないだけで、今もすぐそこの押し入れの中、どでかいばたばた虫や知らない大人たちがいなくなるのを待って、蝶といっしょに息をひそめているのかもしれない。
 俺は、そう信じたかった。

 やがて検分が済んだのか、電力会社の二人が新庄を呼んだ。あの助さん、もとい作業着の男は、俺にも声をかけた。
「田中さん、よろしければ、あと一人乗れますよ」
「いえ、私は歩いて帰りますから」
 きっぱり断ると、あの黄門様、じゃない推定ちょっと偉い人も、俺に話しかけた。
「さすがは現役の山屋さんですなあ。ここまでも、その脚でいらしたわけだ」
「はい。私の歩くところが道ですから」
「私も若い頃は、けっこう山をやっていたんですが、さすがにこの歳になると、こんな乗り物に頼ってしまいます」
「歳は関係ありません。気持ちひとつです。三浦雄一郎氏の例もあります」
 俺は生活能力に反比例して大言壮語が好きだ。そもそも今は登山家の田中さんである。
「じゃあ田中さん、例の件、なにとぞよろしく」
 新庄は片手で俺を拝むようにして、ヘリに乗りこんでいった。
 後々のために名刺はもらったし、俺の携帯番号も伝えてある。下山ルートも、こっそり聞いておいたから問題ない。今は廃道だそうだが、難渋は覚悟の上である。
 ――いや、ちょと待て。
 俺は重大なことを忘れていたのに気づき、閉まりかけの扉に近寄った。
「あの、すみません。実は手持ちの食糧が、ちょっと心細くて」
 大嘘である。備蓄は水だけだ。
「どなたか、何かお持ちじゃないですか、食べる物ならなんでもいいんですが」
 さすがに昨日から餡パン半分だけでは、じきにまたシャリバテがくる。
 中でしばらくごそごそした後、新庄が何やら小綺麗な、手提げの紙袋を渡してくれた。こんなちっこい袋にわざわざ高そうな紐つけてどーすんだ、みたいな角袋に、峰館でも有名な高級ホテルのレストラン名が金文字で印刷してある。そしてパイロットの青年も、コワモテ顔を愉快そうに崩し、何やら小ぶりの赤いプラスチック箱を一箱わけてくれた。
 丁重に礼を言って、土埃を避けるため待避すると、ヘリは小柄な図体に似合わず常軌を逸した大風を巻き起こしながら離陸し、音だけでも力いっぱい自然破壊できそうな勢いで、だばだばだばだば唸りながら山の彼方に去っていった。一生乗らなくていいなアレは、と俺は思った。基地周辺の住民などが大騒ぎするわけである。あれの何倍もある奴が夜中に家の上を飛んだりしたら、俺なら大砲で撃ち落とすだろう。
 持ってないけど大砲。

     *

 昼下がりの太陽が、中天で猛り狂っている。風炎《フェーン》もいよいよ根性を入れてきたようだ。
 かんかんと加熱する井戸の石積みに耐えかねて、俺は廃屋に避難した。茅葺き屋根はすでにないが、ひとつだけ陽射しを遮るものが残っている。外便所の屋根である。それとて半ば草に埋もれ、今にも倒れそうに傾いでいるわけだが、少なくとも日陰はある。さぞかし鼻が曲がるだろうと覚悟してその下に潜りこむと、数十年前の大小は穴の底で土に還っていた。
 新庄にもらった手提げ袋には、高級ホテル直営レストラン謹製の、見るからに福々しいカツサンドが入っていた。実地検分が長引いたときのことを考えて、黄門様たちのために買いこんでおいたのだろう。
「おーい、チヨコー」
 俺は、幅より厚みのあるカツサンドの一切れを、箱から摘んで宙に掲げ、あたりに見せびらかしてみた。
「餡パンより、すごいのがあるぞー」
 残念ながら返事はない。
「早くこないと、おじさんが全部食べちゃうぞー」
 しばらく待っても気配がないので、俺はとりあえずカツサンドを日陰にしまい、パイロットのくれた非常用食料っぽい小箱に手を付けた。自衛隊ではないから、携帯口糧《レーション》、いわゆるミリメシとは違うのだろうが、なんじゃらアルミ包装された無愛想な四角い小物が半ダースほど詰まっており、袋を破くと一見ビスケットのような代物が出てきた。カロリーメイトの親戚だろうか。ためしに一口囓って俺は唸った。旨いのである。カロリーメイトの親戚扱いしたのが申し訳なくなるほどで、むしろここ何年も食っていない高級洋菓子の風味だ。しかも口当たりがいいから水なしでガンガン食える。
「おーい、チヨコー」
 俺は思わずまた呼んだ。
「この世には、まだまだうまいもんがあるぞー」
 なんだか野生の狸を餌付けしているようだ。狸もチヨコも寄ってこないが、俺の血糖値は確実に上がり、もうひと晩くらい野営できそうな塩梅になってきた。納豆御飯や玉子かけ御飯を常食としている身には、大名野宿といってよい。俺は間近な空に湧き上がる入道雲を眺めながら、案外に安らいでいた。
 こんなに先々を望める心境は、いったい何年ぶりだろう。ここでこうしていれば、きっとまたチヨコに会える。たとえ今日明日に会えなくとも、アブレた日には、またこの山に入ろう。運賃は、拾ったりもらったりした金がある。あまり長引くようだったら、適宜ダイエットして日銭から捻出すればいい。問題は、例の鉄塔建設予定をどうするかだが――新庄には申し訳ないが、いざとなったら金は送り返し、電力会社にチクる手もある。
 しかし今どきの大企業が、こんな浮世離れした怪談話を本当に問題視するだろうか。破談を恐れる新庄の杞憂なのではないか。俺だってチヨコと知り合う前だったら、胡乱な噂話を信じて法外に建設費を増やすより、安上がりな土地を選び、地鎮祭の神主に祝詞《のりと》の特盛りを追加注文するくらいで済ませる。そうして実際に鉄塔が建つことになっても、案外、問題ない気がするのだ。今まで潅木や廃墟と共存していた超自然物件なら、鉄塔やプレハブ宿舎とだって共存できるのではないか。それが見えるか見えないかは、たぶんこっちの体格や、チヨコの気持ちしだいなのだ。
 仮にチヨコがばたばた虫に圧倒されて、もうこの世を見限っていたとしても――それならそれで、結構なことではないか。行った先は極楽に決まっている。あの娘が行けない極楽など、この世に、いや、あの世にあるはずがない。俺も極楽に行けるかどうかは正直怪しいが、いずれ地獄に堕ちたって、そこにチヨコがいなかったら、かえって万々歳だ。会えても会えなくても、どのみち万歳なのである。
 あの大デブ仲間の叔父さんも、できれば極楽に行っていて、チヨコを歓迎してほしいものだ。いや、行っているはずだ。正規軍の侵攻や殺戮行為は、娑婆《シャバ》の悪事と別勘定になるのが大人の常識である。そもそも娑婆で物を盗み家を焼き人を殺しまくったカンダタのような奴でさえ、生前ちっこい蜘蛛の一匹も助けておけば、地獄に堕ちたって極楽から一条の糸が垂れてきたりする。ならば生前、唯一チヨコに優しかった叔父さんなど、力いっぱい救われる資格があるではないか。同じ蜘蛛の糸を他の亡者たちが後からわらわらとよじ登ってきても、あの大らかそうな叔父さんなら、たぶん気にしないだろう。糸だってもともと大デブ対応だから、そう簡単には切れない。
 ――等々、しばしの便所長考、能天気すぎてちっとも理屈になっていない気がするが、俺は生活能力に反比例して、暗い理屈より明るい屁理屈が好きだ。杓子定規な理屈なんぞを尊重していたら、この夏の極悪非道な惨暑さえ、東大出の偉い気象学者の講釈に従って、ごもっともごもっともと得心しなければならない。
 とはいえ今現在、屋根の上で猛り狂っているお天道様を、まるっきりシカトするわけにもいかない。
「おーい、チヨコー」
 俺はしつこく呼んでみた。
「早く出てこないと、カツサンドが腐るぞー」
 カツサンドと言っても判らないだろうか。
「早く出てこないと、トンカツが腐るぞー」
 これなら判るだろう。餡パン同様、食ったことはなくとも名前だけは聞いたことがあるはずだ。
 そうしてしばらく待ってみたが、残念ながら出てくる気配はない。チヨコが夜しか出ないタイプの幽霊でないことは明らかなのだが。すると、やはりこの世を見限って成仏してしまったのだろうか。いやいや、気が小さい奴だから、いったん怯えると、石の下かどこかに潜りこんでそのまま夜まで丸くなっている、そんな可能性もある。って、チヨコはダンゴ虫か。
 なんにせよ食える物を腐らせると、チヨコの代わりにもったいないお化けが出るので、俺は仕方なくカツサンドにかぶりついた。けして自分が食いたかったからではない。本当だ。
 一口頬ばって、一驚、俺はつくづく呆れてしまった。キャベツもレタスも入っていない、茶色いソースと黄色いマスタードを塗ったトンカツだけのサンドイッチが、なんだか無慮数の超美味の複合体に思える。するとビンボな俺が月イチの楽しみとしている『かつや』のトンカツ、あれはなんなのだ。同じ動物の肉か。いやいや、これはきっと先入観によるまやかしに違いない。手提げ袋のシックにして華麗なロゴや、サンドイッチの紙箱のシンプルにして極限まで洗練されたデザインが、俺の舌を誑《たぶら》かしているのだ。そう考えてしつっこく味わってみたが、やはり紛れもなく旨い。
 たちまち一切れ食い終え、あんまり旨すぎて腹が立ったので、思わず俺はそこいらの宙空に向け、怒声を発してしまった。
「おいチヨコ! いるならすぐ来てここに座れ!」
 成仏したなら仕方ないが、これはもう絶対に、石の下で震えているバヤイではない。あいつもこれを食うべきである。
 と、いきなり耳元で声がした。
「……いじめる?」
 傾いだ屋根の横から、チヨコが顔を覗かせ、ぷるぷる震えていた。
「は?」
 まさか、こうすなおに出現するとは怒鳴った当人も思っていなかったので、俺は少々たじろいだ。
「……いつからいた?」
「……ずうっと」
 俺は思わず、チヨコのおかっぱ頭をゲンコで小突きそうになった。腹の底では踊りだしたいほど嬉しいのに、なぜか無性にむかついたのである。しかし、例のヤマキマダラヒカゲがチヨコの頭にまとわりついていたおかげで、そのままゲンコを振り下ろさずに済んだ。そう、俺はチヨコの親でもなければ叔父さんでもない。ご近所の頑固親爺くらいなら務まるだろうが、残念ながら、まだその任ではない。
 俺は、ふう、と安堵の吐息を漏らすにとどめ、
「どこにいた」
 チヨコはおずおずと、廃墟のあちこちに指を泳がせた。どうやら俺たちに姿が見えなかっただけで、実は好き勝手にうろついていたらしい。
「なんで隠れてた」
「……ばたばた虫、こわいも」
「とっくに行っちゃっただろう」
「でも……」
 チヨコは、なぜかジト目で俺の顔色を窺い、
「……ばたばた虫の、スパイ?」
「は?」
 俺がぽかんとしていると、チヨコは今にも逃げ出しそうに腰を引きながら、
「だって……わるものと、なかよし」
 なるほど、そうだったのか――俺は思わず笑ってしまった。
 チヨコが一部始終を窺っていたのなら、ばたばた虫を相撲で追い返すはずの俺が、それに乗ってきた連中と親しげに話しはじめたら、実はそっちの仲間と勘違いするのも無理はない。しつこいようだが念のため、『間諜』を意味する『スパイ』という英語も、けっこう昔から日本語化している。原則英語禁止の戦中でも、軍人自身が「きさまは鬼畜米英のスパイだな」などと、うっかり怒鳴っていたらしい。
「大丈夫。ばたばた虫にも色々あるんだ。犬だって怖い野良犬も、おとなしい飼い犬もいるだろう。野良のばたばた虫は、言葉が解らないから相撲でやっつけるしかない。でも、あれにはちゃんと人が乗っていただろう。あれは、ばたばた虫の飼い主たちだ。悪者じゃなくて、ふつうの人だ。だから話せばちゃんとわかる」
 俺は生活能力に反比例して至誠の――しつこいので以下は省略する。
 チヨコは、ようやく納得して、俺の隣に座りこんだ。
「ばたばた虫、もうこない?」
「うーん。まだそこまでは話してないんだが――お前がそんなに怖いなら、あの飼い主に相談してみるぞ」
 チヨコは、浮かない顔で家の跡を見渡した。
「でも……おうち、もうない」
 するとあの家は、チヨコ自身とは違い、ただ見えなくなっただけではないらしい。
「そうか、壊れちゃったもんなあ」
「……うん」
 思えばあの野薔薇の園も、自発的に姿を隠したというより、他動的に粉砕されていた気がする。
「また家を建てればいいんじゃないか?」
「……もう、いい」
 チヨコは、ゆるゆると頭を振った。
「ここ、もう、こわい」
「……そうか」
 なまじ心ひとつのものだけに、しょせん夢は現実に勝てないのか。
 しかし、俺まで滅入っていては埒があかない。
「ま、あとのことは、ゆっくり考えればいいさ。それより――じゃーん!」
 ぶ厚いカツサンドが、まだ三切れも残っている。
「サンドイッチって知らないか?」
 ふるふるふる。
 チヨコが紙箱の異物に注ぐ視線は、餡パンのときよりも遙かに疑わしげだった。
「じゃあ、トンカツは?」
「しってる。けど……」
「食ったこと、ないか」
 こくこく。
「これはな、トンカツをパンに挟んで、四つに切ったもんだ。カツサンドという。俺が食ってるの、見てただろう」
 ふるふる。
「顔は見てなかったか」
 こくり。
「それは残念だ。これを食ったら、あんまり旨くてほっぺたが落ちた」
「おじさん、ほっぺた、あるも」
「拾ってくっつけた」
 本気にしたわけでもあるまいが、旨い物であることは納得したようだ。俺が一切れ差し出すと、恐る恐るつまみ取り、例によってくんくんと嗅いだ後――ぱくり。
 そして二三度もぐもぐするかしないかの内に、
「ん〜〜〜〜〜」
 チヨコはほとんど恍惚の呻きを漏らし、片手に食いかけのカツサンドを持ったまま、両の頬を押さえた。それが恍惚を体現する仕草なのか、ほっぺたが首のように落ちると困ると思ったのか、俺の知るところではない。
「全部食っていいぞ」
 激しくこくこくとうなずいて、がふがふと食い続けるチヨコに、俺は適宜、ペットボトルの水を補填してやった。

 で、親が死んでも食休みである。
 あの非常用食料もあらかた食いつくし、俺とチヨコは並んで入道雲を見上げながら、炎天の午後の、時の流れに身を任せていた。ただウスラボケっと座っているだけなら、しょっちゅう仕事先で「こんなに大量の汗を流せる人間は生まれて初めて見た」と感心される俺も、さほどシケらない。もとよりチヨコは、いつもカラリとしている。
 俺はチヨコに訊いてみた。
「……いっしょに来るか?」
 激怒したア●ネス・●ャンに青龍刀で「アチョー!」とぶった切られるようなことを考えたわけでは断じてない。ここで「じゃあまたな」と別れても、チヨコの命に別状はないわけだが、こんな山奥に一人で放置するのは、いかにも不憫だ。そして行動を起こすなら陽のある内がいい。
 チヨコは黙って、長いこと考えこんでいた。生まれてからずっと、この家と山を離れたことがないのかもしれない。そうでなくとも、悩む気持ちはよく解る。少しは世間の広い俺だって、生家を売り飛ばし集落を捨てるときには、ずいぶん躊躇した。辛い思い出も多々あったわけだが、そんなものは過去の記憶になってしまえば、いずれ幸せな思い出の底に沈んでゆく。やがて上澄みだけが残ったとき、生まれ故郷は人肌の羊水に他ならない。
「――ま、おじさんの家だと、ちょっと遠すぎるかもな」
 山を下る途中に、無人の集落跡があると聞いていたので、
「あんがい近所で、お前が住めそうな空き家が見つかるかもしれないぞ。そしたら俺も、休みの日に遊びに寄れるし」
 チヨコは一瞬顔を輝かせたが、
「……こわいの、こない?」
 そうだった。今は廃道でも、いずれガテン系満載のトラックが行き来する恐れがある。仮に今回の送電幹線を釈迦力でねじ曲げたところで、チヨコは下手をすれば地球が終わるまでこの山に住んでいるのだ。
 俺が答えられずにいると、チヨコも膝を抱えて黙りこんだ。
 俺は半煮えの脳味噌を、騙し騙しフル稼働させた。
 俺がチヨコを心配してやれるのは、俺が生きている間だけだ。その間になんとかチヨコを成仏させる手段を見つけてやる。あるいは俺が死ぬときに、いっしょに連れて成仏してやる。俺だけ地獄に堕ちそうになったら、力いっぱい極楽方向に放り投げてやる。もし俺まで貧乏鬱が嵩じてこの世で迷うことになったら、地球が終わるまでいっしょに迷ってやる。――そのくらいしかないだろう、この際。
「……峰館って知ってるか?」
「みねだて?」
 チヨコは、きょとんとして俺を見上げた。
「汽車に乗ってく、おっきいおっきい町?」
「おう。そこに、おじさんの家がある」
 一両か二両のディーゼルカーだって立派に汽車の仲間だし、三畳一間でも家は家だ。
 チヨコの顔が、ちょっと精気を帯びた。
「……でぱーと、ある?」
「あるぞ」
「えいがかん、ある?」
「あるある」
「ゆうえんち? てぃーるーむ? にこらいのかね? むかしこいしいぎんざのやなぎ? こいのまるびるあのまどあたり?」
 いきなりノリノリになるのはかまわないが、途中から『東京ラプソディー』と『東京行進曲』が混ざっている。だいたい意味が解って言ってるのか、こいつは。
「ニコライの鐘はない。銀座と丸ビルも峰館じゃないな。でも遊園地や喫茶店は、峰館にもちゃんとあるぞ」
「みねだて……」
 チヨコは陶然とつぶやいた。
「汽車……」
 どうやら、まだ汽車に乗ったことがないらしい。
「のろう、汽車ぽっぽ!」
 チヨコは俄然やる気を発揮し、「しゅっぽ、しゅっぽ」などと口ずさみながら、浴衣とまったく同じ柄の風呂敷を奇術のように懐から引っぱりだすと、どこに置いてあったやら、あの『未明童話集』を包みこんで、自分の首に括りつけた。
 あの写真は、と訊ねかけて、俺は口をつぐんだ。仏壇といっしょに消えてしまったのなら、今わざわざ思い出させることはない。
 およそ七十年この世にありながら、七歳児はやっぱり七歳児――俺はありがたく思うと同時に、かなり脱力していた。

     *

 新庄に聞いた話だと、この山は、昨日俺が降りた無人駅から東の峰館に向かって三つ先の駅、その一里ほど北に位置している。新庄の住む村はさらに一里ばかり北だそうだが、そこまでは逆の北側から立派な市道が通じており、車を使って楽に峰館に出られるらしい。問題は、分家跡からそっちに繋がるルートが、道が荒れているばかりでなく、途中の渓谷の橋が落ちてまったく通れないことだ。結句、俺たちが無事に峰館に帰り着くには、南の無人駅を目ざして、駅近くの県道に出るまでひたすら村道の藪をこぐしかないのである。
 間の悪いことに、村道はほとんどブナの林間を通っていた。山のブナ林という奴は、天然の生態系を保つためにも、桁外れな水害などを防ぐためにも、極力伐採するべきではない。しかしその中の林床は、地球に優しいぶんだけ人にキツい。笹の類が密に繁りやすいのである。いきおい何十年前の砂利道も、両脇から出張ってきた丈高い藪にすっかり覆われていた。
 俺もまんざら馬鹿ではないから、なんでもアリの日替わり仕事に備えて、真夏でも長袖のサマースウェットを頭陀袋に入れている。おかげで藪こぎの擦過傷や虫害は避けられるが、いかにも糞暑い。四半里も下らない内に、全身びしょ濡れのぽたぽたになった。
 それに比べてチヨコは、
「♪ 汽車 汽車 ぽっぽ ぽっぽ しゅっぽしゅっぽ しゅっぽっぽ〜〜」
 常に俺の背後にくっついているとはいえ、枝傷ひとつ負わず、草履も浴衣もちっとも汚れない。明らかに生身ならぬ身のズルをしている。無論それは喜ばしいことだが、あのヤマキマダラヒカゲなどは、ちゃっかりチヨコの頭にとまってズルをしている。まあ元々くたびれた奴だったから、あえて「お前は自分で飛べ!」とも言わないけれど。
 俺はヤケクソ級の藪に対抗するため、ヤケクソで歌うしかなかった。
「♪ なんだ坂こんな坂 なんだ坂こんな坂!」
 膝もとっくに大笑いである。
 それでも上りに比べれば、なんぼか万有引力が荷担してくれ、膝が笑い死にしないかぎり胴体は勝手に先に下る。
 半里ほど進んだ藪の脇に、大小の廃屋が数軒わだかまる集落跡を見つけ、俺たちは、いや俺は、かろうじて原型を保っている二階家の、雨戸も障子戸も失われた縁側にぺたりと腰を下ろした。あたりを見回す余力もなく、ただただぺットボトルが仏様である。
 チヨコは俺の隣で大人しくしていたが、そのうち家の中に興味を抱いたようで、
「ちょっと、たんけん」
「おう。――あ、草履は脱ぐな。かえって足が汚れるぞ」
「……ぜったいに、のぞかないでくださいね」
「はいはい」
 ここに住む気はないまでも、家を失った直後の身、修復可能かどうか試したいのだろう。もとより俺は、蝶といっしょに奥に入っていくチヨコを尻目に、げんなりと縁側で垂れたままだった。
 やがて、俺が薄汚いタオルをじゃあじゃあ絞っていると、チヨコはなにやら腑に落ちない顔で戻ってきた。
「へんな家」
「なにか変なのがいたか」
「いないけど、へん」
 改めて見れば、縁側の外に倒れ朽ちている雨戸はトタン張りである。
 俺はようやく立ち上がる気になって、軒先に出、かなり傾いている二階部分を見上げてみた。やはり二階の窓も、高度経済成長以後の量産造作であり、チヨコの手に負えそうな普請ではなかった。
「……そろそろ行くか」
 俺の住む木造モルタルアパートも似たようなお手軽物件だが、少なくともまだまっつぐ建っている。
「うん」
 チヨコは案外あっさりうなずいた。

 集落跡から先の村道は、昔の車輛の往来で地固めがしっかりしており、藪のヤケクソ加減が違ったおかげで、俺たちはなんとか日が暮れきる前に、麓の県道にたどりついた。おぼつかない残照にかろうじて浮かぶ、ろくに車も通らない山合いの県道が、ただアスファルト舗装されているだけで、ずいぶん文明開花なアウトバーンに見えた。それに沿って、ちょっと東のちっぽけな無人駅まで細々と伸びている単線の鉄路も、きっちり峰館まで続いているという点では、立派に奥羽新幹線の弟分である。
「ほわあ……」
 チヨコが感嘆した。
「もう、みねだて?」
「いや、まだ山の麓だぞ」
「だって、えーと、でんしんばしら」
 チヨコはすっかり魅せられたように、うら寂しい県道の、まばらな街路灯を目で追っていた。
「きらきら、きれい。明るいねえ……」
 これで峰館の夜のビル街を目の当たりにしたら、眩しすぎて卒倒するのではないか。うっかり人前で首を落っことさないように、いっぺん補強しておいたほうがいいかもしれない。
 そのとき西の山陰から、地鳴りのような轟音が急速に近づいてきた。どこぞの2トントラックが、この辺りは対向車も警官もネズミ捕り機も心配無用とばかり、見えてきたと思ったときにはもう行き過ぎ、あっという間に街路灯の彼方に消え去った。
「うあ……」
 いかん。チヨコの黒目がなくなっている。風呂敷をしょった首も、絆創膏、いや布ガムが剥がれかけて斜めはすかいだ。
「おい、大丈夫か!」
 泡を食って頭を支えると、
「……でっかい、じどうしゃ」
 幸い恐怖の目差しではなく、感極まっただけのようだ。ヘリとは違いトラックなら、型や大きさの違いはあれ、昔も目にしていたのだろう。
 とりあえず布ガムを替えてやり、ついでになにかカモフラージュの手を考える。これから先は、どうしたって他人様の目が生じる。時節柄、浴衣姿は問題ないが、首一周に布ガムを巻いている幼女というのは、なんぼ絆創膏だと主張しても疑惑の視線を免れない。
「おっきい町に行くんだから、ちょっとオシャレしたほうがいいな」
「おしゃれ?」
 俺はチヨコの風呂敷包みに着目し、
「この風呂敷、ちょっとちょん切っていいか? この本は、こっちの袋に入れとこう。心配するな。新しい風呂敷、あとでちゃんと買ってやるから」
 時代や育ちに関わらず『おしゃれ』に気を惹かれない幼女はいない。きょとんとされつつもOKが出たので、俺は頭陀袋からカッターを取り出し、街路灯の光を頼りに風呂敷を細工した。
 二四幅《にしはば》の風呂敷は婦人用の大型スカーフに近いから、そのまんま幅広に折ったり捻ったりしてぐるりと一周巻きにする手もあるが、あれはラフに弛めて鎖骨をちょっと覗かせたりしてこそ夏場でも恰好いいのであって、首全部を隠したら暑苦しくてしょうがない。ここは薄く一枚で絆創膏を覆い隠し、それを誤魔化すために軽やかなオシャレ部分を設けたい。薄汚れた中年チョンガーがなにを五月蠅《うるさ》く、と眉を顰める向きもあろうが、俺は女性に五月蠅く自分に大らかだからこそチョンガーなのだ。
「――よし。完璧」
 こっそり首輪付きコレット巻き、と名づけよう。浴衣と同じ柄だから、立派なトータル・ファッションである。なぜかあのヤマキマダラヒカゲも、チヨコの頭よりこっちのほうが蝶として相応しいと思ったのか、ラフに仕立てた胸元の襞に潜りこもうとしている。
「……えりまき?」
「いんや、これはスカーフというな」
「す、すかーふ」
「外国の襟巻きだ。フランスは花のパリーのお嬢様なんかも、余った綺麗な端布とか、捨てないでスカーフにするというな」
「おじょーさま……」
 チヨコはご満悦で、首の花柄スカーフをいじくっていた。今は知らず『幼年倶楽部』の時代に『花のパリー』や『お嬢様』を拒める幼女はいない。
 するうち、すっかり暮れた西の山陰から、さっきのトラックよりもずいぶん遠慮がちな地響きが、ごとんごとんと近づいてきた。
「汽車が来る。駅まで走るぞ」
「えき? どこどこ?」
「あすこのちっこい青い屋根だ」
「えき? ……ものおき?」
 確かに駅というより掘っ立て小屋である。通勤通学の時間帯でも一時間に一〜二本しか列車が来ないから、この路線の駅は一日二十四時間の内の二十三時間半、実質ただの小屋なのである。ただし同じような小屋でも松・竹・梅と三階級あり、窓口に駅員がいるのが『松』、無人でも外に乗車券委託販売所があれば『竹』、屋根と柱と三方の壁以外は何もないので乗車時の整理券を頼りに到着駅で清算するのが『梅』となっている。しかしそんな超ローカル線だからこそ、場所によっては人間の脚で列車に勝てる。
「わーい、きょうそう、きょうそう」
 チヨコは、あっという間に俺を引き離し、とととととと薄暗い県道を駆けていった。その人間離れした走りっぷりに必死で追随しながら、俺は思った。昔から噂される『六甲山のターボ婆さん』なども、きっと生前は、さんざん人に言えないような苦労をして、今も何かと含むところがあるからこそ、夜ごと孤独な暴走に耽っているのだろう。

     *

 屋根と柱と三方の壁以外は何もない『梅』駅舎を走り抜け、国鉄全盛期の名残である無駄に長いホームの端っこに立ち止まると、二両編成の色違い車両も、ちょうどそのあたりに「どっこいしょ」と停車しつつあった。色がベージュだったり黄緑だったりするのは、あっちこっちの地方の車輛を使い回しているからである。
「……汽車ぽっぽじゃ、ない」
 チヨコは、疑わしげに眉根を寄せた。
「しゅっぽしゅっぽ、ない」
 なるほど、昔の教科書や絵本と比較すれば、確かにSL抜きの客車がふたつ並んでいるだけにも見える。
「これは特別製の新しい汽車だ。いいか、見てろよ」
 この型のワンマン車両は、いわゆる半自動ドアで、横にある赤と緑の手動開閉ボタンを使って客自身が開け閉めする。たまに都会からの観光客が驚いたり笑ったりするのを見かけるが、日本全国、ローカル線ではさして珍しくない。
「ほら、赤が光った」
「おぉ……」
「今だ。赤いのを押せ!」
「ぐいっ」
「開けごま!」
「ごま!」
「ほら開くぞ。――ごごごごご」
「おおぉぉぉ……」
「どうだ、すごかろう」
「すごいねえ、すごいねえ」
 すなおでノリのいい幼児は、扱いやすいから好きだ。
 乗りこんだ前の車両には、里山歩き帰りの老夫婦と覚しい二人連れが座っていた。向かい合わせ式のシートのどこにも他の人影はない。いや、最前部の囲いの中に運転手がひとり。この時間の上り列車は、一般的な通勤通学と逆方向なので、宵の口でもこんなものである。
 ふと、もし今のチヨコが、昼のヘリ登場時のように他人の目には見えない状態だったら、俺はひとりで騒いでいる電車馬鹿に見えただろうと危惧したが、上品な老夫婦は、いかにも孫娘を見るように目を細めてチヨコを眺め、俺にも笑顔で軽く会釈してくれた。俺は会釈を返し、チヨコもちょっとしゃっちょこばりながら、ぺこりと老夫婦にお辞儀した。それから俺がチヨコに緑の『閉』ボタンを押させたり、整理券を取らせたりする間にも、老夫婦とチヨコは、「おうおう、かしこいねえ」「えへへへへー」、そんな視線だけの会話を交わしていた。
 このぶんなら、チヨコは街に出てもやっていけるだろう、と俺は楽観した。長くひとりきりで山に籠もっていたわりに、チヨコの社交性には、ほとんど歪みが見られない。実の親や村社会にとことん辛酸を嘗めさせられたからこそ、腹蔵のない善意には、かえって敏感なのかもしれない。それに今は、厭な奴が来たら透明化するという手がある。
 後ろの車両には誰も乗っていなかったので、俺は老夫婦に再度笑顔で会釈し、チヨコの手を引いてそちらに移った。
「ほら、貸し切りだぞ」
「おぉ」
 チヨコはさっそく、窓の外を眺める幼児の態勢に入った。
「こら、椅子に上がるときは草履を脱ぐんだ」
「はーい」
 列車はすでに「どっこいしょどっこいしょ」と動き出していたが、窓外の景色は、とうぶん変わり映えしない、ただの暗い山間である。それでもチヨコは、瞬く間に過ぎてゆく線路際の樹木や、間近な山と遠い山の重なりの移ろいや、彼方をゆっくりと後ずさる小さな山家の火影、あるいは慌てて後ろにすっ飛んでゆく大窓の明かりなどを、「ほぉ」とか「おぉ」とかつぶやきながら、倦くことなく眺め続けた。
「……汽車ぽっぽじゃなくて、汽車ごうごう」
「おう、新型だからな」
 そこそこの集落にさしかかり、踏切通過の警笛が鳴ると、
「汽車かんかんで、汽車ぴっぴ」
 ぽっぽでなくとも、充分お気に召したようだ。
 やがて驚き疲れたのか、単調な列車の振動のせいか、チヨコは大きなあくびをして窓を離れ、前を向いてごそごそと座りこんだ。
「眠くなったか」
「うん」
「眠れ。着いたら起こしてやる」
「……うん」
 一分もしない内に、チヨコは俺の腕にもたれ、小さな寝息をたてはじめた。俺は向かいの窓ガラスに映る俺たち、なんら違和感のない確かなふたつの鏡像を、いっときしみじみと眺め続けた。
 さて、峰館に着いたら、とりあえずどう行動するか。今回は思いがけない臨時収入――一部はネコババだけど――があり、二ヶ月分の家賃がいきなり確保できてしまった。さらに峰館駅のすぐ傍の派遣会社には、直前の夜勤を含め二日分の日銭が貯まっている。あれを今夜中に受け取れば、当分はチヨコをひとりにしないで済む。派遣会社の事務所は夜の九時まで開いているから、今からでもぎりぎり間に合うだろう。そうやって懐を脹らませ、久しぶりにちょっと贅沢して、ファミレスあたりでチヨコになにか旨い物を――いや、いっそ数年ぶりに天然鰻――いやいやそれはあまりに無謀――でも今日は、いわば記念日である。なんの記念日なんだか、言った当人が知らないことを訊いてくる野暮もいるまい。
 そんなことを考えているうちに、俺もうとうとしてしまい、次の駅のアナウンスが始まったあたりで、なんだか様子がおかしいのに気づいた。腕にチヨコの感触がない。慌てて目を開くと、チヨコの姿自体がなかった。
 咄嗟に俺は、チヨコがヘリのときのように『逃げた』のかと思った。たとえば俺が眠っている間に、途中駅からゴリラ級の巨漢が乗ってきたりしたら、怖がって透明化しても不思議はない。しかし車内を見渡しても、相変わらず他に客はいなかった。そもそもアナウンスは、ちゃんと次の駅名を告げている。それではあの老夫婦に懐いているのかと、前の車輛を窺ってみたが、そっちにも行った様子はない。
 これは――もしや、寝ている間に成仏してしまったのだろうか。カツサンドや汽車に満足して、すっかり思い残すことがなくなって。
 ならば喜ばしいはずなのに、俺は、とてつもない虚無感に襲われそうになった。
 そのとき、
「……汽車ぴっぴ……」
 頭上から、間の抜けた寝言が聞こえてきた。チヨコは網棚を逆さの寝床にして、下向きに浮いて寝ていたのである。途中に網棚がなかったら、天井で寝ていたはずだ。
「……器用な奴だ」
 俺はくつくつ笑いながら、チヨコをそっと引っぱり下げた。しかし考えてみれば、安穏と笑っている場合ではない。もし気づくのが遅れ、あのまんま次の駅で他の客が乗りこんできたら、ターボ婆さんに並ぶ新たな都市伝説、いや田舎伝説『峰館線の逆さ幼女』が生まれただろう。
 元どおり座席に据えてもチヨコは目を覚まさず、座ったまんまの形で、また浮き上がろうとした。試しに俺の頭陀袋を膝に乗せてみると、確かに浮きは治まったが、荷物がでかすぎて、いかにも児童虐待っぽく見える。俺は頭陀袋から例の『未明童話集』を取り出し、それだけチヨコの膝に乗せてみた。チヨコはむにゃむにゃ言いながら本を抱えこんで、つつがなく座席に定着した。直後、列車が次の駅に停まり、半袖ジャージ姿の少年が数人、わいわいと騒ぎながら奥の座席に腰を下ろした。まさに危機一髪だったのである。

 峰館に着くまで、俺はチヨコが本を落っことさないように、さりげなく注意しつづけた。
 昨夜、俺は寝ついた後も何度か目を覚まし、チヨコの寝姿を見ている。同じ寝床で俺がやたら幅をとっていたせいもあろうが、チヨコ自身の寝相も悪く、すっかり蒲団からはみだして畳で寝ていたこともあった。あくまで畳の上、天井ではない。それを蒲団に戻してやったときも、俺の腕はちゃんと重さを感じていた。とすればチヨコは、昨日今日の騒動の内に種々のしがらみから解き放たれて、本当に成仏しかけているのではないか。そして先程、そのことに祝福ではなく虚しさを覚えてしまった俺は、不埒な考えこそ抱いていないにしろ、かつてニュースで見かけた児童連れ回し犯と同じ次元の存在なのではないか。生活に疲れた孤独な中年男が、文字どおりただ連れ回すだけにしても、人間として駄目であることに変わりはない。
 もっともチヨコの場合、すでに故人なので連れ回されても将来に禍根は残るまいが、あの●グネス・チ●ンあたりになると、実在児童のみならず非実在二次元児童まで断固護るべしと叫び回るくらいだから、もしあの手の狂信者にバレたら、俺は確実に吊されてしまう。
 ――あれ? 別にかまわんのじゃないか、吊されても。
 だいたい俺なんか吊されたって、俺自身を含めて誰も困りゃせんのだからな。いっそ早めにお陀仏になったほうが、かえってチヨコの面倒を見やすくなったり――。
 俺は生活能力に比例して、何事も深く悩めない質なのである。
 やがて終点、峰館駅のアナウンスが聞こえてきた。
「おい、着いたぞ」
 起こしてやるついでに、重しの本をちょっとどけてみると、
「……うー」
 チヨコはもう浮き上がらず、きっちり座席に座ったまんま、こしこしと目をこすった。

     *

 峰館市全域を睥睨する、一介の地方都市には極めて分不相応な高層駅舎を見上げ、チヨコはしばし呆然とホームにそっくりかえった。
「……えんぱいあ、すてーとびる」
「いや、それは日本じゃないな」
 チヨコがイナバウアーをしくじって失点しないよう、背中を支えてやりながら俺は言った。
「これはただの峰館駅だ」
「……ほぉ」
 チヨコは妙に婆くさい声でつぶやいた。
「これはこれは、なまんだぶなまんだぶ」
 御大層な駅舎のわりに、冬の蔵王のスキーシーズン以外、夜ともなると駅ナカの賑わいは寂しい限りである。それでも奥羽新幹線の発着駅だから、コンコースにはそこそこ人手があり、シャンデリア紛いの煌びやかな照明もあれば、華やかな浴衣姿のおねいさん人形たちが花笠を振りかざして立ち並ぶ、花笠祭のパレードを模した観光用の飾り付けもある。
 チヨコは憑かれたような目差しを、あっちこっちきょろきょろとフル回転させながら、あんがい大人しく、俺に手を引かれるまま歩を進めた。いささかの怯えもあろうが、途惑うよりも驚異自体を遠目に楽しんでいる、そんな風情だった。あの時代の山から一歩も出ず、教科書や絵本、ラジオや人の噂だけで大都会を夢想していたのが、かえって幸いしたのかもしれない。想像を絶する光景という奴は、いったんメーターを振り切ってしまえば、どこまでトンだって想像を絶しているだけである。
 もっとも、バスやタクシーの廻遊するロータリーからちょっと離れると、しょせん田舎の駅前は田舎の駅前、たちまち馬脚を現す。せいぜい数階建てのビルが、昭和と見紛うケバいネオンだけを彩りに建ち並ぶ、発展よりも沈滞の色が濃い街だ。都市としての商業的な中心は、地代の安い郊外のバイパス沿いに集結する全国展開巨大チェーン群方面に、とっくに移ってしまっている。
 それでも俺は、こんな裏街じみた通りが好きだ。数年前の駅舎新築に伴う駅前再開発で、いったんは妙によそよそしくなってしまった峰館駅界隈だが、近頃はここいらの路地あたりから、ようやく猥雑な生活臭が滲みだしてきている。酔っぱらって管を巻くおっさん、イッキ飲みで死にかける学生、様々な生活の澱《おり》が少しずつ混ざり合った得体の知れない饐えたような臭い、俺はそんな人肌の混沌に馴染めるのだ。あちこちのエアコンの室外機から吹き出す熱風だって、熱帯夜、近所の団地の何百戸から漏れなく排気される風下の安アパートに比べれば、まだましである。
 チヨコも高層物件よりは数階建てのほうが安心できるらしく、道端の焼鳥屋の煙に惹かれて立ち止まったり、舗道でなんだかよくわからない装飾雑貨を広げている外人さんのシートを覗きこんだり、手を引く俺をしばしば立ち止まらせた。
「おい、見物は、あとでゆっくりな」
「はーい」
 俺が登録している日雇派遣会社の事務所は、そんな雑駁な通りの中程、くすんだ雑居ビルの二階にあった。通りに面する一階は、いちおう堅実な地元の洋品店だが、他の階は、CMで社名だけは全国に浸透している各種虚業の地方支店、つまり消費者金融や居酒屋や英会話スクールなどが虚業相応に年中出たり入ったりしている。
 無駄にスタイリッシュな社名プレートを張りつけた、味も素っ気もないドアの前で、
「おじさん、ちょっと用事があるから、チヨコはここで待ってろ」
「はーい」
「いろんな人が通ると思うけど、ついてっちゃ駄目だぞ。しゃべっても駄目だ。曲馬団に売られて、毎日お酢ばっかり飲まされるからな」
「お酢、おいしいも」
「毎日ライオンに嘗められるぞ」
「……やだ」
 冗談のような脅しをかける間にも、二十歳前から人生に疲れきったような少年や、家計に追われる主婦らしい女性が、ドアから出たり入ったりした。実のところ日雇派遣で糊口をしのぐ人間に、そうそう性根の腐った奴はいない。今の世の中、多少腐った奴のほうが要領よく贅沢していたりするものだ。サラ金や居酒屋の客には色々混ざっていそうだが、基本この階はエレベーターでスルーしてくれる。
「すぐ来るからな」
 俺は急いで事務所に入った。セコい一室を横切る役場じみた受付には、遅い時間が幸いし、さっきの主婦がひとり会計を待っているだけだった。社員も奥にふたりしか残っていない。俺は受付の紙箱に、市内の引越屋と例の製材所でサインをもらった、ちっこい就業管理票の複写を二枚納めた。ほどなく主婦は会計を終えて退室し、ほとんど入れ替わりで俺の名が呼ばれた。スマイル無料のお姐さんから受け取った金は、手取り一万九千四百円。二日とも力仕事で、一日は夜勤プラス残業二時間でも、この辺りではこんなものだ。
「明日からの予約はお済みですか?」
 お姐さんが、そつなく訊いてきた。
「あ、いや、ちょっと用事があって、次の予定はこちらから連絡入れます」
 ふだんの俺なら、口があったら毎日連絡をくれと頼むところである。こっちが一年三百六十五日応募したところで、働けるか働けないかは先様の都合しだい、下手をすれば週に二〜三回しか口がかからない時期もあるし、割のいい仕事がない日には、ここいらの最低賃金・時給六六五円で、日がな一日ひたすら口紅の容器を組み立てたりもする。
 ともあれ今、俺の懐には六万近い福沢先生や樋口女史や野口博士が集結した。昨日の朝の四百八十何円と比べたら、これはもう平成維新といっていいだろう。世間の尺度とは無縁の多幸感を味わいながら、俺はそそくさと事務所を出た。
 チヨコは廊下の隅にしゃがんで、あのヤマキマダラヒカゲを掌に乗せ、こちょこちょ遊んでいた。
「……しかし、よく懐いたもんだなあ」
 山を下りる間はしばしば姿を消し、てっきり逃げたと思っていると、どこかで飯でも食ってきたのかまた舞い戻り、結局チヨコの風呂敷スカーフに潜りこんだまんま、こんな街まで出張ってきている。
「だって、おじさんのおみやげ!」
 いや、俺が調教したわけではないから、そう笑顔で賞賛されても困るのだが。だいたいあっちの叔父さんの土産と違って、こっちの土産はいかにも保ちが悪い。羽化してからの蝶の寿命は、せいぜい一〜二週間ではなかったか。しかしチヨコがこれだけ気に入っているのだから、餌でも工夫して、なんとか長生きさせてやらねばなるまい。
 その前に、まずはチヨコの餌である。
「夕飯、なんか食いたい物あるか?」
「かつさんど!」
 即答されてしまった。まあ今なら食わせてやれないことはないが、小腹を満たす程度でいきなり樋口女史がお亡くなりになってしまうし、そもそもあのホテルは駅から何キロも先である。といって近くの『かつや』で誤魔化すほど、俺も厚顔ではない。
「……他には?」
「むくりぶな!」
「……それは鮒を釣ってからだな」
 今のチヨコに、材料調達能力があるとは思えない。
「鰻なんてどうだ?」
「……うなぎ」
 チヨコは、なにやら遠い目を宙に彷徨わせた。
「食ったことないか?」
 チヨコはふるふると頭を振って、
「いっぺん、たべた。おじちゃんの、おみやげ」
「ほう」
「……チヨコにだけって、かくれて、たべた」
 涙と涎《よだれ》をいっしょに垂らしそうな、せつないんだかいやしいんだか判らない顔だった。このあたりの川で鰻は釣れないから、あの本同様、叔父さんが町場でこっそり調達したのだろう。
「……うまかったろ」
「うん!」
 鰻なら、峰館でも名高い老舗がこの近くに支店を出している。あそこで腹一杯食って酒も飲んで――ここはもう福沢先生ひとり、名誉の戦死ということで。
「よし、決まりだな」

 地方都市では馬脚すら短足とでも言おうか、数階建てのビル街をさらに進むと、道筋には古い神社や屋敷の庭の樹木が点在しはじめ、部分的に郊外の様相を呈する。そして、そんな道筋から奥まった一見ただの弊屋っぽい瓦屋根が、いわゆる庶民の認知を必要としない老舗の鰻割烹だったりもする。
 いつもなら一歩踏みこむのも面映ゆいその石畳を、俺はせいぜい臆せずに、チヨコの手を引いて玄関に進んだ。もっともチヨコのほうは、この表層の鄙びこそが現代の上層の韜晦であり、ひと皮むけば中身はとんでもねー造作であることなど知るべくもなく、やっとふつうのお家のお庭に入ったも、そんな余裕の足取りだった。
「いらっしゃいませ」
 黒光りする上がり框の向こうで、ネクタイ姿に半纏を羽織った、番頭さんなのか下足番なのか俺には判別できない老人が頭を下げた。
「失礼ですが、お名前は――」
 慇懃無礼を額装したような顔と声だった。
「いえ、予約はしておりません」
 相手がなんであれ第一関門、ここでビビったら負けである。
「こちらの鰻は峰館一だと、評判を伺ったものですから」
 俺は生活能力に反比例して以下略。
 幸い老人は柔和な微笑を浮かべてうなずき、すぐに仲居さんを呼んでくれた。
 上出来の箱庭のような日本庭園を臨む、青い畳表の小座敷に案内され、ちんとんしゃん、などという粋な調べが流れる中、俺はアブラ中年らしく、おしぼりで顔や首筋のみならず二の腕まで拭きまくった。俺と一緒に山を下ったのにちっとも汚れず、子供らしいツヤツヤ顔を保っているチヨコも、俺の真似をしてあちこち拭きまくった。
 清楚な和服姿の仲居さんは、俺の風体を怪しむよりチヨコの無邪気な挙動のほうに気を惹かれたようで、なんの懐疑も顕さず微笑ましげにお茶を置き、先にお銚子二本とサイダー、それから鰻重の松の大盛りと小盛りプラス鰻巻きの注文を、すんなり受けてくれた。
 格差拡大がどうのこうのと自虐的に騒がれつつ、今の日本は本当にいい国だ。一見さん断固拒否の老舗でもない限り、安物のTシャツによれよれチノパンの土方焼け親爺を、ちゃんと座敷に上げてくれる。まあ子連れへのお目こぼしがあったにせよ、これほど下層階級に懐が深い国は、世界的にも珍しいのではないか。
 常夜灯に浮かぶ庭園の、涼やかな竹の音を響かせる添水《そうず》や、池の面に映える御影石の石灯籠を、チヨコはうっとりと見渡しながら言った。
「……おしろみたいだも」
「じゃあ、お前はお姫様だな」
 照れまくるかと思ったら、チヨコはかなりその気になって居住まいを正し、お淑やかに襟元のスカーフを整えたりした。確かに俺ブランドの風呂敷スカーフは会心の出来といってよく、あの仲居さんさえ、明らかに夏の和風チャイルド・ファッションの一種として眺めていたほどである。
 さて、このクラスの老舗になると、注文を受けてから初めて鰻を裂く。今はお手玉も綾取りの紐も持ち合わせがないので、お銚子とサイダーでお杯のやりとりごっこをしたり、せっせっせや尻取りをしながら待つこと小一時間、
「お待たせいたしました」
 粛々と、マジ漆塗りの重箱が卓に並んだ。
「お茶をお注ぎいたしましょうか」
「はい、お願いします」
 俺はややしゃっちょこばりつつ、鷹揚にうなずいた。
 仲居さんが下がったあとの食事風景に関しては、あえて詳述を控えたい。
 まあ平たくいえば、最初の一分弱は重箱やお椀の蓋を上げながら余裕で「ほう」とか「へえ」とか視覚的味覚を楽しみ、さらにまた一分ほどは「むむ」とか「ふむ」とか借りてきた猫状態で嗅覚的味覚を嘆賞し、それからおもむろに阿吽の呼吸で用意ドン、以降双方無言のままがつがつぐびぐびがつがつぐび――下僕もお姫様も、等しく舌や腹に負けたのである。
 ちなみに、福沢先生ひとりでは足が出るにも関わらず鰻巻きまで頼んでしまったのは、無論チヨコに食わせてやりたかったからだが、あの叔父さんに対抗心を燃やさなかったといえば嘘になる。俺は生活能力に反比例して嫉妬深い。
 鰻の蒲焼きを芯にしたフワフワトロトロの巻き卵をひと口ほおばり、ほとんど悶絶しているチヨコを眺めながら、俺は内心、勝利の凱歌を奏していた。

     *

 チヨコは心身共に満腹したらしく、店を出るときから目をしょぼしょぼさせており、線路沿いの道に戻って十数分、奥羽本線を跨ぐ人気《ひとけ》のない陸橋を渡るころには、大きなあくびを連発しはじめた。
 俺はしゃがんで、チヨコを背中に迎えた。
「ほい」
「……うん」
 チヨコは例の蝶をスカーフから頭に移し、ちょっと恥ずかしそうに負ぶさってきた。
 この陸橋の近辺には、ほとんど高い建物がない。街の灯は、みな漁り火のように眼下で瞬き、あの高層駅舎も細やかな光の塔となって星空に和んでいる。
 いきなり目線が高くなったチヨコは、そんな夜景に感心するのに忙しく、ときおり大あくびを繰り返しながらも、なかなか眠るどころではなかった。あっちこっちにずりずりと体を伸ばしたり捻ったりするので、負ぶい直すのになかなか骨が折れたが、背中にへばりつく子供の重さという奴は、なぜかちっとも苦にならない。重たすぎる寸前の重さであるがゆえに、かえっていつまでも支えていたいような充実感がある。
 思うに俺が人を背負って歩くのは、いったい何年ぶりだろう。それこそ小学校の頃、朋輩同士、冗談で乗っかり合ったとき以来ではないか。いや、妙齢の女性の餅のように酔った尻たぶなども、いっとき確かに支えた記憶がある。まあ酔いが醒めた後は、重たすぎて一年と支えきれなかったのだけれど。
 陸橋の下を、田舎にはあまり似合わない銀色の新幹線が、田舎相応の徐行運転で、北を目ざして走りすぎてゆく。
「おぅ……」
 背中のチヨコが感嘆した。
「汽車ぽっぽじゃなくて、汽車ぎゅんぎゅん」
 確かに峰館線と比べれば、これでも立派な夢の超特急である。
「乗りたいか?」
「うん」
「じゃあ、今度あれに乗って、どこかに行こう」
「うん!」
「どこに行きたい」
「はわい!」
 チヨコの出自を知っている俺は、一瞬ぎくりとした。まさか叔父さんの復讐のため、真珠湾に再突撃したいわけではないだろう。口調から察するに、あくまで明治以来の日本人の南洋楽園志向と見たが、どうもチヨコは全世界を過小評価しているようだ。
「……あそこは汽車が通ってないな。でもハワイっぽいとこなら、汽車で行けるぞ」
「うん!」
 隣県福島の常磐ハワイアンセンター、もといスパリゾートハワイアンズが果たしてどこまでハワイっぽいか、それは東北に生きる貧民の心ひとつである。

 陸橋の歩道の途中から、枝分かれする階段を下りると、道は閑静な住宅街を抜けて緩やかな上り坂に続く。ほどなく坂は古風な円弧状の木橋となって、桜並木に縁取られた城跡の堀を渡り、石垣の間を抜け、広々とした城址公園に入る。駅から遠い俺の塒《ねぐら》に帰り着くには、この公園の散策路を通るのが十分以上も節約になるのである。
 やがて街の喧噪は石垣の彼方に遠ざかり、まばらに路灯が点る散策路は、昼のヤケクソな蝉の合唱も、野球場の歓声も、郷土資料館の横の市民プールに集うチビたちの喚き声も忘れたげに、ただ木暗い静寂に包まれた。
 辺りの景色が、水銀灯を芯とする球状の群葉をぽつりぽつりと闇に浮かすだけの夜一色に染まるにつれ、それまで俺の腕や心を楽しませてくれていた背中の手応えも、綿のように軽くなっていった。このまま寝入ったら、また風船のように浮き上がってしまうのだろうか。そのほうが楽といえば楽だが、やっぱりなんだか物足りない。
 そうして歩を進めるうち、俺の胸元に垂れた花柄浴衣の袖を伝わって、なにか枯葉のような影が足元に落ちていくのが見えた。
「あ……」
 小さく息を呑む声がして、背中に子供の重みが戻った。
 チヨコはあわてて背中から飛び下り、落ち葉ならぬ地面の蝶に手を伸ばした。
「……ちょうちょも、ねちゃった?」
 仰向けに羽を広げて寝る蝶はいないだろう。
「……寿命みたいだな」
 今さら言葉を繕っても仕方がない。それにチヨコだって、生きとし生けるものにはいずれ逝って戻らないときがくることを、望まずして悟っているはずだ。
「……死んじゃった?」
 チヨコの声は、ちりちりと震えていた。
「……泣くなよ」
 俺の声も、少し擦《かす》れていた。
「たぶんこいつは、もうこれまで、ずいぶん長生きしてたんだ。卵で生まれて、芋虫になって、それから蝶々になって、あの山を飛んで回って――きっと、最後にチヨコにかわいがられて、満足して、安心して天国に行ったんだ」
 チヨコは泣かなかった。昨夜俺が盗み見たときのように、ただ儚い諦念を浮かべているだけなのが、俺は無性に哀しかった。
「……お墓、作ってやろうな」
「……うん」
 どこからか、あの野薔薇の路のような馥郁たる香りが流れてきていた。流れを追って脇道に入ると、散策路の少し奥に、色とりどりの薔薇園が設えてあった。形ばかりの迷路風で、さほど広い花園でもあるまいが、夜の闇はその果てを眩ませる。
「ここがいいかな」
「……うん」
 かろうじて路灯の光が届く、なるべく人にいじられなさそうな地面を、ふたりして掘り起こす。小さな穴の底に蝶を横たえ、ふたりしてさらさらと土をかける。ふたりして、ぽんぽんと表を均す。それから並んで瞑目し、両手を合わせ、
「おんあぼきゃーべーろしゃのーまかぼだらーまにはんどまじんばらはらばりたやうーん」
「なまんだぶなまんだぶなまんだぶ……」
 ちょっと宗旨が違うが、ヤマキマダラヒカゲはそこまで気にしないだろう。いや、二倍ありがたかったのかもしれない。なんとなれば、
「……ありゃ」
 俺より先に目を開けたらしいチヨコが、ちょっとおまぬけな声をあげた。
 どうした、と訊ねかける俺の目の前で、一羽の蝶が地面から這い上がりつつあった。
 蝶を数える単位は『羽』ではなく『頭』だろう、などと自分にツッコんでいる場合ではない。さっきの蝶が実はまだ仮死状態で、おいおいなんてことするんだ、と根性で這いだしたわけでもない。土の存在を無視して、いや、自前の薄青い光で周囲の土を朧に照らしながら、半透明の羽をぱたぱたと健気に羽ばたかせる様は、やはり『頭』という風情ではなく、あの一羽のヤマキマダラヒカゲだった。
 ――ほう、これはなかなか綺麗なもんだ。
 俺は阿呆のように感心していた。一介の虫が化けたり迷ったりするとは思ってもいなかったので、頭に虚《うろ》がきていたのである。
「ちょうちょ! ちょうちょ!」
 チヨコはすなおに歓喜し、翔びたつ蝶を掌で追った。
 蝶は夜の闇に、青い水彩絵の具のような極薄の光跡を引きながら、俺たちの頭上二〜三メートルまで舞い上がった。
 そうか、と俺は得心した。
 こいつは化けたのでも迷ったのでもなく、単に死んだのだ。
 虫には心がない。いやあるのかもしれないが、どのみちただ本能のままに生きて食って繁殖して、その過程のどこかに多少の不都合があろうとなんの未練も残さず、善意も悪意も無縁のまま、ただ生を生き生を終えてゆく。
 そんな生き物が死んでから行く先は、もう極楽しかないではないか。
「おい、チヨコ」
 俺は咄嗟に口走っていた。
「お前、あいつに、ついてけ」
 言ってしまってから、それがすべての潮時であることを悟り、腑《はらわた》全体が心臓に向かって捻《よじ》れるような悔恨を覚えたが、もう遅かった。どうせ俺はいつだって、なにもかも遅いのだ。潮時を計る理性も、先に送る策略もない。
 きょとんとして俺を見つめるチヨコに、
「ちょっと試しに、ついてってみろ」
 苦渋をこらえてなお言うと、チヨコは地べたの俺と宙の蝶、交互にきょろきょろしながら、
「……ちよこ、とべないも」
「飛べるぞ」
 俺は心を鬼にして、チヨコを抱え上げた。
「ひゃあ」
 じたばたもがくのをあえて無視し、力の限り、蝶方向に投擲する。
「どっせーい!」
 万一、俺の判断が誤っていたとしても、こいつに怪我はないはずだ。
「うひゃあ!」
 チヨコはかなりおまぬけな声とともに、ひゅん、と、蝶の先まで上昇した。
 それから緩やかな放物線を描いて下降し、いったん薔薇園の少し離れた辺りに落っこちそうになったが、地べたに届く前にからくもカーブ、ほぼ水平に軌道修正すると、あんがい機敏な飛びっぷりで俺の鼻先に鼻を突きつけた。
「なにをする!」
 我を忘れて小鬼のように怒っているが、それでいい。
 もともとチヨコは、この世のものではない。自ら断ったはずの生、いや、望みつつ叶わなかった生への未練が、この世に碇《いかり》を下ろしていただけなのだ。生きている俺が、生きている限り同じ碇に甘んじるのはお約束であっても、チヨコがそれに囚われる謂れはない。
「浮いてるぞ」
「――あ」
 気づいたとたんに落っこちる、そんなオチもなかった。
「な、飛べるだろ」
 チヨコはまだ半信半疑らしく、平泳ぎだかバタ足だか判然としないフォームで、俺の頭周りをおずおずと泳ぎ回った。
 あのヤマキマダラヒカゲは、チヨコの挙動が気になるのか、ちょっと上の同じあたりをひらひら周回している。
「あいつについていけば、叔父ちゃんに会えるぞ」
 チヨコは、天と地を秤にかけるように、微妙に浮き沈みしていた。
「……………………」
 そんなに悩んでくれるなら、俺も本望というべきだろう。
「いつまでも待たしといたら、叔父ちゃんがかわいそうだろ。お前が待ってたみたいに、叔父ちゃんだって、ずっと待ってるんだからな」
「……ほんとに、待ってる?」
「待ってるさ」
 俺は請け合った。目の細い大デブはえてして気が短いが、丸い目の大デブは、しばしば気が長すぎて人生を誤る。
「もし見つからなかったら、帰ってくりゃいいじゃないか。俺は毎日、この時間ここで散歩してる」
 チヨコはようやく、こくりとうなずいた。
 嬉しいんだか悲しいんだか判らない声で、つぶやくように、
「……ばいばい」
「またね、だな」
「?」
 小首を傾げるチヨコに、俺はめいっぱいの笑顔で言った。
「俺もそのうち、そっちに行くから」
 ぴんとこないのか、チヨコは目を丸くして俺を見ていたが、
「――あ」
「そう。行きたくなくとも行っちゃうぞ」
 チヨコが叔父さんを待たせたほど、長い先の話ではないだろう。このままの暮らしぶりなら、思ったより早く、ぽっくり逝けそうな気もする。まあ上下どっちに行くかは五分五分にしても。
「だからお前は、あっちで叔父ちゃんといっしょに待ってろ」
「うん!」
 咲き初めた夏薔薇のようなチヨコの笑顔に、冬薔薇の翳りが少しだけひそんでいるのを、俺は心底、愛しいと思った。
「またね、おじさん」
「おう、またな」
 チヨコは空を見上げ、すい、と夜気を掻いた。
 あの蝶が、待ち人を得て天を目ざしはじめた。
 スイミング・スクールの赤ん坊のように夜空を泳ぎながら、何度もこちらに手を振るチヨコに、俺は何度も手を振り返しながら、チヨコが星の界《よ》のひとつの星に紛れるまで、天を仰ぎつづけた。

     *

 肩から下げた頭陀袋には、あの童話集の角張った重みが確かに残っている。
 これで当分、生きる理由ができた。俺は毎晩ここを散歩しなければならない。
 寸刻忘れていた暑気が蘇り、たちまち額や鼻に汗の粒が浮いたが、俺は頭の中の白い俺や黒い俺といっしょになって、ただ岩清水のように笑っていた。





                    〈了〉




  文中に、下記の諸作の一部を引用させていただきました(作者敬称略)
  森敦・作『初真桑』
  市川染五郎・作詞『野バラ咲く路』
  ゲーテ・原詩 近藤朔風・訳詞『野ばら』
  作詞者未詳・童歌『一番はじめの一の宮』
  小川未明・作『月夜と眼鏡』『野薔薇』
  西条八十・作詞『東京行進曲』
  富原薫・作詞『汽車ポッポ』
  本居長世・作詞『汽車ぽっぽ』
 
 
2013-12-31 02:59:52公開 / 作者:バニラダヌキ
■この作品の著作権はバニラダヌキさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
お久しぶりです。知っている方は知っている、あいかわらずの狸です。
で、いつもの狸印『広義のファンタジー』――いえ、いつもよりかなりクドい気もしますが、たかちゃん・くにこちゃん・ゆうこちゃんとはまたタイプ違いの幼女キャラ・チヨコを、『よいこのお話ルーム』の変種として、どうかかわいがってやってください。
『よいこのお話ルーム』なんて知らないよ、とおっしゃる方も、独立した寓話として楽しんでいただければ……でもクドいんだよなあ、部分的に、常軌を逸して。

2013年11月16日、投稿。
11月19日、少々修正。
11月22日、さらに修正。
12月2日、最終章に梃入れ。
12月10日、全体に梃入れ。これで少しでも、ひとつの『短編』らしくなっていればいいのですが……。
12月31日、大晦日なので最終修正。ああ、やっと気が済んだ。
この作品に対する感想 - 昇順
久々に時間が出来たからここをふらふらと覗きにきたら、まさか狸さんが投稿しているとは驚いた。否応無く読むことになった。解読に時間が掛かるような例のあれだったらどうしよう――、なんて思いながらも、今回はそうじゃないようで良かった。
しかし最初に読んでて思ったのが、おいおいなんかどっかで見たことあるような主人公と展開じゃないか、などと考えると、まあ狸さんの自己投影はさて置きとして、そう、展開のノリが神夜と一緒だ。一緒だ、なんて言うと狸さんにぶっ殺されそうですが、「狸さんもこんなノリを普通にこういうので書くのか」と感心しつつ、所々に見え隠れするちゃんと考えて書いているんだろうなぁ、と思わせる描写に自分の甘さを感じる神夜。
ばたばた虫が出て来た辺りで夢落ち――、といういつもの狸さんの物語で締め括ると思いきや、そこから展開した。これは意外だった。なんか狸さんの物語はそこで一回終わらせてエピローグにいく感じが強い。だからこれは意外だと驚きながら――そうや、こうや、物語はこうじゃなきゃいかんのや!!人によってはばたばた虫のところで終わらせるいつもの狸流が良いと言うかもしれんが、違うんや!!ここまでやって物語はハッピーエンドなんや!!哀愁漂う準ハッピーエンドなんてクソ食らえや!!ひゃっふー!!
いや久々にすっきりする物語を読めた気がする。どうもありがとうございます。
2013-11-18 18:33:09【★★★★★】神夜
 拝読しました。
 読み始めるなり「大傑作や!」と叫びたくなるのを抑えつつ、時にはハラハラドキドキしつつ、時には見も知らぬ古き東北の農山村への郷愁に身悶えしつつ、また時には胸が痛んでページを伏せたりもしつつ、まさに一読巻をおく能わず、仕事嫌だ嫌だと思いつつ通勤電車の中で最後まで一気に読んでしまった、ということを大前提として知っていただいた上でいくつか申し上げますと――

 まず、190枚もあるとはとても思えないほど短く感じました。極端な話、60枚くらいしか読んでないような気がします。たまたま字数行数の表示されないビュワーで読んでいたのですが、「190枚もあるならまだまだ楽めるゾ」などと思ってるうちに終わってしまったんです。
 それが何のせいなのか、それが何を意味しているのか、うまく説明できなくて申し訳ないのですが、小説としてやはり短編なのだということでしょうか。一読者としては十二分に楽しませていただいたにも関わらず、ひとつの小説として見ると、分量に比して何かが満たされなかったような気がします。

 おそらくそのことと関係していると思うのですが、前半と後半、つまり「ばたばた虫」登場の前と後のある種の落差が僕としては少し気になりました。前半があまりに濃密である故のことであるのは確かですが、前半の盛り上がりと比べると、ラストに向かっては、下降線とまでは言わないまでも、緩やかに滑空してゆくような印象で、物語を結末に向かってドライブしてゆく駆動力のようなものをあまり感じませんでした。(バニラダヌキ様ご自身が、物語を終わらせたくないとお思いだったからかもしれません)

 しかしながら――偉そうな言いようで恐縮ではありますが――思うに、ひょっとしてこの小説、バニラダヌキ様の本当の本心からすれば、「小説として」どうであるかというのは、重要でないとは言わぬまでも、二の次のことだったのではありませんか?
 もしそうだとすれば、それでいいのだろうとも思うのです。バニラダヌキ様の中に、確固とした、リアルこの上ない、切実な幻想としてこの世界があり、その世界が余すところなく描かれているという、何よりそのことが僕をひきつけ心を打ったのに違いありませんから、それ以外のことはさして重要ではないのでしょう。

 ともあれ、良いものを読ませていただきました。ありがとうございました。
2013-11-18 20:55:15【★★★★★】中村ケイタロウ
少し遅れましたが、読ませていただきました。
これは傑作だと思います。確かに傑作かどうかはあまり問題ではない小説、ということなのかも知れないとは思いつつ、やはりそう思います。

ただ、みなさんの感想ともかぶりますが、僕も短いと感じてしまいました。まだまだ読めると思いながら読んでいて、ふとビューアのページ残量を確認したらもう終わりかけで驚いた、というのも全く同じでした。
峰館についてから、ラストまでがちょっとあっけなさすぎるかな、と僕には感じられました。「俺」がチヨコを手放すに至るまでの心の動きがあっさりしすぎている気もします。

しかし山家にしても、駅にしても、特に峰館の町についての部分が好きなのですが、描写が素晴らしいと思いました。描写というのはそれだけうまくても仕方ない、とも言えるわけですが、優れた物語や設定を支えるためには描写力というのは必須のわけで、これはもう僕には一つのお手本だと思えます。

「たかちゃんシリーズ」もそうなのですが、商売物にはならないと割り切って書いておられるのは承知していますが、どうにも惜しくて…。「純度」は少し落ちるかも知れませんが、世に出せないものかと思ってしまいます。余計なことで、申し訳ないのですけれども。
2013-11-19 20:59:35【★★★★★】天野橋立
>神夜様
やっほー! かみよるのおにーちゃん、おひさしぶりのたかちゃんだよー!
……違う。
ところで狸自身、この前半ノリノリの言語決壊状態は、なんかに似てるなあ似てるなあと首を傾げながら打っておりましたが、そうか、神夜印の言霊に憑依されていたのか。すると、この後半の狸らしくない展開も、実は神夜印のハッピー光線による萌え上がりで……。
いや正味の話、ばたばた虫以降の展開は、ただチヨコを無事に昇天させてやれれば、主人公なんぞ孤独のどん底に落ちようが、熱中症で死のうが、ばたばた虫のローターで首をちょん切られてチヨコの代わりに首なし狸屋敷を建てようがどーでも良かったのですが、そこはそれ自己投影キャラ、少しでもチヨコといっしょに遊び続けたくて、後半戦に突入してしまいました。
そのあたりを神夜様にも充分楽しんでいただけたのなら――もしかして神夜様もア●ネスの標的ですね。青竜刀でまっぷたつにされるタイプの萌え野郎ですね。うん、きっと仲間だ。

>中村ケイタロウ様
いやもう、おっしゃるとおり、いつもの狸印の小説構造云々はどこへやら、ひたすら自分が猛暑と切り結んで、チヨコとの濃密な夢に逃げきるために打ち始めた次第です。ちなみに打鍵開始は8月下旬でした。
したがって、後半、いきなり夏が終わって涼しくなると、いやいや逃げてはいけない現実と対峙しなければ、などという理性が蘇り、なおかつそれまであまりにチヨコずっぷしで生きてきた未練も生じ、なんじゃやら分裂気味の後半戦に突入してしまった次第です。
しかしまあ、今さら全体のトーンを整えるために流れそのものを変えてしまうと、ストーリー自体もトーンに見合った展開に変えねばならず、自分の中での『俺』や『チヨコ』が、多少なりとも変質せざるをえません。特に後半のチヨコに関しては、打鍵中に考えついた様々な読者寄りのエンタメ的趣向をバッサバッサと切り落としてここまで無垢になってもらった、そんな経緯がありまして、もう自分の中では綺麗に昇天しまっており……。
などと言いつつ、やっぱり後半、会話中心の白っぽい感じだけは、その後、ほんの少し手を入れてみたりも……。
とまあ、本作に関しましては言い訳ばっかりになってしまいますが、ここはひとつ、お気に入りのサブキャラ・新庄パパの言葉で、お茶を濁したいと思います。
「アホならアホで、なんか余計かわいいじゃない」

>天野橋立様
あう、やっぱり後半、物足りないですか。中村様へのお返しにもちょっと記したのですが、たとえば峰館に着いてからの俺とチヨコの道中など、まあ色々と面白げなシークエンスを考えたのですが、正直、俺のチヨコをこれ以上見世物にしたくない、そんな気持ちでボツにしてしまいました。それはたぶん、天野様のおっしゃる『商売物にはならない』ことによる逃げでもあり、同時に一介のアマとしての攻撃でもあるのでしょう。
しかし、『「俺」がチヨコを手放すに至るまでの心の動きがあっさりしすぎている気もします。』、その天野様のひと言は――ガッチャ!
そうです。チヨコとの別れがつらいあまり、自分の気持ちすら深く見まいとしておりました。まったく困った狸だ。
あわてて今し方、補填させていただきました。いつもいつも貴重な御意見、感謝です。
2013-11-20 00:46:07【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
正直、読了直後の感想は「うーん?」でした。
まず、チヨコがいかにも理想的な幼女像であり、かつ話しぶりが七歳にしてはずいぶんと幼いこと(訥々というより片言、言うなれば行動はサツキなのに口調はメイ)や、時折現れる作者視点での語り口調に違和感を覚え、特に山から下りてからの場面は本当に必要なのか、これはチヨコのためというより、単にチヨコと長くいたいおじさんのためだけじゃないか、やだこれ結局単なる幼女趣味? ……などと思えてしまったのです。

しかし、しばらくして突然気がつきました。あ、これは本当にチヨコのためじゃないのかも。
つまり○○○は単なる○○○○ではなく、むしろ○○○○というべき存在ではないか。
いやいやちょっと待て、そうするとそもそものアレこそ実はナニなのではないか。そうか、だからアノ時アレをアア表現していたのか、そうかそうか。
――と伏せ字だらけで申し訳ありませんが、本文を読み切る前に感想を読んでしまう私のような人が他にもいると困りますのでご容赦願います。ええ、けして自分の解釈に自信がないからではありませんとも。
さてそうしてみると上のようなつっかかりが一気に氷解し、さらにカツやら鰻やらの脂で飛んでしまったと思っていた野薔薇の馥郁たる香りがまた立ち昇り全編を覆い尽くすのをまざまざと感じて慄然とした次第です。
まったく、読了直後にこれを感じ取れなかったのも、一瞬でも(キャー! ロリ●ン! ア●ネスに通報しなくちゃ!)と思ってしまったのも、ひとえに私の不明の致すところであります、心からお詫び申し上げます。

そうしてまた今日、仕事をさぼって再読し、そうすると表現のいちいちに納得することができ、ああやはり山から下りた場面は必要だったのだ、つまずいたのも疑問を感じたのも単なる自分の読み違いのせいだったのだ、これは初めに思っていたのよりもずっと優しく大きな慈愛の話なのだ、とあらためて得心いたしました。

文章の素晴らしさはあらためて言うまでもありませんね。
私のお気に入りは冒頭の「無慮九千九百九十九円」以下のくだりと、峰館駅を見たチヨコの「これはこれは、なまんだぶなまんだぶ」です。特に「無慮〜」の(二回転半と思いきやもう一回転あった〜!)という起伏に富んだ文章は、もうこれだけでお金を出してもいいくらいです。
ですが、「その代わり熱中症であの世行きになる奴は多いが」の「が」は本当に「が」でよろしいのかしらん、また「ないすきゃっち」のところ、「これはけして時代考証をないがしろにしたウケ狙いではない。」という一文は本当に必要であろうか、などと思ったりもいたしますが、しかしまた色々勘違いしている可能性が大なので軽く流してやってくださいませ。

それにしても、確かに現世で感じられるもののうち子供から与えられる愛情ほど純粋で完ぺきなものはない、と思います。
ともあれ、汗すら香水に変化させてしまう、文学の力を感じさせていただき、
大変勉強になりました。ありがとうございました!
2013-11-20 15:19:36【★★★★★】狐ママン
ああっ、ママン、ごめんねごめんね。実はボク、ママンに産んでもらう前から、じゃねーや、ママンが生まれる前からロリ●ンだったんだ――って、母親の倍も生きてる息子って、どうよ。いや問題は、そこではなくロ●コンなんだけども。
閑話休題。
行動はサツキなのに口調はメイ(実年齢はその中間)――言い得て妙な違和感ですが、そこがまたいかにも実社会でイジメられそうなキャラに思われたりして、やっぱりこれはもう狸が護ってやらねばなあ、うん。
再閑話休題。
近頃若年性アルツ気味の狸としては、○○○と○○○○と○○○○の伏せ字がどうしても埋められず、ちょっと頭を掻きむしったりしておりますが、『そもそものアレこそ実はナニ』や『アノ時アレをアア表現』あたりは正にドンピシャ、暗喩を汲み取っていただけたと信じます。そうなんだよママン。ママンなら、この大きな愛に気づいてくれると信じていたよママン。
さらに、冒頭からしばらくのクドい言い回しを気に入っていただいた由、ああやっぱり持つべきものは自分より若いノン・アルツな母親であるなあ、などと、感謝の念を新たにしている狸です。
ところで、あそこのところの『が』は、確かに文法上では『から』のほうが正しいわけですが、ここでは、論理的文章では本来極力控えるべき、単純接続としての『が』だと思ってやってください。この話の『俺』は、狸に輪をかけていいかげんな奴で、しかも脳味噌が煮えているもので。
しかし一方、『これはけして時代考証をないがしろにしたウケ狙いではない』は――誰だ、こんなアホな文言を垂れ流した奴は。『俺』か? ……いやこれは狸の脳味噌が煮えて……すみません。イキオイで、ついついやっちゃいました。あわてて修正させていただきます。どうか忘れてやってください。
2013-11-22 02:17:09【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
 遅ればせながら読ませていただきました。
 生きるとは何なのか、人は死ぬとどこへ行くのか、みたいなことがさらっと書かれていて、というか根底に流れているように感じられて勝手に戦慄していました。地獄だ成仏だと冗談のようにかましておきながら、一方ではこの世に居残ってしまった女の子があっちへ行ったりこっちへ行ったり。陳腐だとは思いつつ上記のようなことを考えてしまいました。
 読後に喪失感が残るのは、まさかウン十代のおじさまに感情移入しているわけではないと思うのですが、やっぱりあの子があれしてしまった寂しさなのでしょう。めでたしめでたしに見えても、昭和前期を知る怪奇っ子が現代社会から姿を消すというのは重大な損失であると思われます。このあたり、チヨコが地方都市に下りてくるのも含め、科学の及ばないもの・よくわからないものも時代の波に流されて消えていってしまうんだなあと感じられ、これも勝手に悔しい思いをしていました。黄門様め……。
 山に分け入って異類と出会うという一種の型を踏まえつつ、そこからロマンチックなラストにまで引っぱっていく展開はおもしろく読ませていただきました。チヨコもかーいー。あ、ご飯食べる時、二人でなーむーするより「おあがりやす」みたいな丁寧な応じ方をしてもらったほうがかーいかったかなと。もてなしてるんですし。東北の言葉でどう言うのかはわからないんですけれど。
 寒い日が続きますが、おじさんには頑張ってチヨコを待ち続けてもらいたい……。失礼いたしました。
2013-12-14 10:17:35【★★★★☆】ゆうら 佑
『生きるとは何なのか』も『人は死ぬとどこへ行くのか』も、ちっとも深く考えないままなりゆきで生きているオヤジが、『山に分け入って異類と出会うという一種の型』の中で、人間としてどう変わって行くのか――それが本作の大きなテーマでした。
……すみません。大嘘です。ただ、あんまり今年の残暑がキビしかったんで、『山に分け入って異類と出会うという一種の型』の中、かーいー異類相手に思うさま遊んでみたくなっただけなんです。
しかしその『型』に遊ぶ以上、泉鏡花大先生の『高野聖』とか幸田露伴大先生の『対髑髏』を意識しないわけにはいかず、つまり迷いこむ奴という自分の同類の頭の中(および現実社会)から、その出会う異類をどこまでハイパーに昇華させてやるかが問題なんだ、みたいな意識も常にあり……。
てなわけで、ゆうら様の『喪失感』『重大な損失』『悔しい思い』、そして何より『かーいー』、そのあたりが、チヨコにとって何よりありがたいご感想だったりします。
ところで『二人でなーむー』と『おあがりやす』の件、ここはアレです。って、どれやねん。つまりチヨコは自分ではこの大デブを「お客様」と表現しておりますが、実は一心同体のように委ね会える叔父さん級の存在を切望しているのでありまして……。たぶんその前のお風呂でも、もしチヨコが料理中じゃなかったら、それはもうア●ネス乱入必至、大デブ誅殺必至の混浴シーンがごにょごにょごにょ……。
ちなみにこの大デブは、ヨボヨボのホームレスになってからも、夜ごとこの公園をうろつき続けていたとゆーことです。めでたしめでたし。
2013-12-15 19:42:01【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
 拝見しました!
 主人公の現状、もしこれが街中の雑踏での心の呟きだとしたら、耐えられないような苦しい気持ちの方が先行してしまったかもしれません。でも自然の中と一万円、少し条件が変わっただけで、何故だかピクニックのような爽やかさを感じれました。丁度良く入ってくる風景が、そうしてくれるのだろうなと。出だしでは、やはりここの「……やめ」「はい休憩」汗ダラダラの中年男性だと文章で理解していても、可愛いなって思ってしまうのですよね。主人公もうギリギリだなって伝わってくるのに、読んでいて何故だかメルヘンな気持ちにさせて頂きました。
 チヨコが主人公に初めて気づいて逃げるところは、ちょっと微笑ましくて心の中でクフフフと笑いながらも、一回逃げ出す主人公に喝を入れたいですね。あの瞬間に逃げなかったくせに、その後に何逃げ出してるのだと! チヨコの家で大人の存在を確認するために家探しして一応の納得をするところ、他の場面よりも少しですが風景というかイメージが入りずらかった気がします。ただ単に私の知識不足なのかもですが。
 風呂に入り食事のあたりまでは、主人公の過去や思い出もしくは望むものから成り立ってる空間なのかと思っていたのですが、チヨコの独立した存在感が強くあってチヨコ自信の母親をまねしようとしているようにも(最後まで読むとこれはないのかな? 憧れか……)、主人公の母親を記憶からまねしているようにも。ただあの場面でのやり取りは、暖かく幸せですね。主人公の思い出す風景とは違うけど、私も子供の頃に泊まった家のことを思い出しました。
 独り占めするよりも半分こと分け合う方がいいって、純粋に言えるのってどれくらいまでなのかなぁとか、それを本心でいえるチヨコの可愛さや愛おしさが、じんわり沁み込んできます。主人公をあやすチヨコの言葉と仕草に泣きたくなる気持ち分かりますね。あと翌朝の餡パンから、チヨコの感じた美味しさが、もう一回り伝わってきて溜め息が洩れる感じでした。
 ここまで書いて、どうしても私はこういう感想になっちゃうんだよなぁと思いつつ後半を。「ぱたぱた虫」から、読みやすいではないのですが(その前が読みにくいとかではなく)、すらすらどんどんと読めてしまいました。これはチヨコの世界から、例えチヨコがいても、そこは現実だからなのかなぁと。スカーフをして焼き鳥屋の匂いに誘われるチヨコと、手を引く主人公を頭の中に浮かんできて凄く良い風景だなって思いました。
 最後まで‘なん’であっても、少女は少女として扱う主人公さすがです。誰かが待っててくれたら、しっかり生きないとですね。それと読み終えて、実はヤマキマダラヒカゲは叔父ちゃんだったのではないかなと、主人公に一瞬でも勝利を味わせつつ、待たせに待たせたチヨコに対してしっかり美味しいところを持っていったんじゃないかな、なんて。
 遅ればせながら読ませて頂きましたが、大変に面白かったです!
2013-12-27 19:57:33【★★★★☆】羽付
ギリギリの人生もゆとりの人生も、酷暑で脳味噌が茹だってしまえば同じウニ。茹だったウニはおいしいのです。……なんの話をしている俺。
いや、あそこで逃げだしてすみませんすみません。でも逃げるでしょう、ふつう。ロリの生首がしゃべったくらいでは逃げない筋金入りのロリコンでも、いざその首なしロリがジワジワ迫ってきたりしたら、いかにロリコンでも……なんでロリコンの話をしている俺。
ところでチヨコが住んでいたあの家は、あくまでチヨコの生家を、チヨコ自身が記憶や願望によって再構築した世界、そんなもんだと思ってやってください。主人公も同じ地方の田舎に育っているので、家屋構造や調度には共通点が多く、すっかりノスタルジーの虜状態という。
文体も描写もクドさ全開の前半と、いきなり軽快にトントンと話が進む後半の差違は、羽付様のおっしゃるとおり、『チヨコの夢想世界にいる主人公』と『主人公といっしょに現世にいるチヨコ』の差違と思われます。他の皆様にも違和感バリバリとのご指摘を受け、後半の描写を若干増やしたりもしてみたのですが、結局「キャラはおんなじでも世界が違うんだから文体だって描写だって違って当然」と、胸を張って居直ることにしました。えっへん。
で、蝶々と叔父さんの件ですが、きわめて曖昧ながら、どうもこれも羽付様のおっしゃるとおりなのではないか、と思われます。もっとも狸自身、蝶々でも叔父さんでもないただの筆記係にすぎないわけで、これは戦地で死んだ叔父さんが蝶に変身して何十年かけて故郷に舞い戻ってきたもののすでに村はなくチヨコの気配がする幻想エリアにも入るに入れずウロウロしていたのを通りすがりの大デブの頭陀袋を借りてやっと潜入したのかな、とか、いやいやこれはきっといっぺん成仏してから蝶に生まれ変わって前世の記憶なども失ってただ漠然としたチヨコへの思いに導かれ大デブの頭陀袋を借りて以下省略、とか、まあなんかいろいろ想像を巡らすしかないわけで、なんぼなんでもそりゃ無責任だろう、といった一般世間の良識などは綺麗さっぱり脳味噌から放逐され、紅白の野薔薇に彩られた緑の山道を、なんの逡巡もなくただひたすら大汗流しながら登り続けたのである、まる、と。
2013-12-31 02:51:50【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
どうもお久しぶりです。久々にわいたはさみ虫……じゃなかった、鋏屋でございます。
遅ればせながら、御作読ませていただきました。
いや〜面白かったです。久々にすっきりさっぱり、洗い→すすぎ→洗い→すすぎ(柔軟剤投入)→脱水って感じですw(何の話だ?)
おまけに糊までまで効いてて…… ってもう良いかw

夢落ちパターンかと思いきや、え? 素直についてくるのかよオイ!? って感じで、次の展開が気になり一気読みでした。お話しを読みながら初めは御大ご自身の回想記なのかとちょっぴり心配になりましたがw
幽霊や妖怪などと一杯やるのが夢である私にとっては、この主人公がうらやましくて仕方ないですよ。
私的には峰館の町の描写の部分がお気に入りです。ホント、頭の中に情景が浮かんでくるようです。毎度毎度の事だけど、御大のお話しはやっぱりこの描写力が半端ないですね。
あと『11匹のねこ』は懐かしかったw 私も子供の頃大好きで、幼い頃に舞台も見に行きました。私が幼稚園時代に買って貰った絵本がお袋が取っていて、未だに手元にあります。上の子と下の子が小さい頃に読んであげましたよ。どーでもいいですけどねw
たかちゃん以外の御大の話は『迷い込み』が多い気がします。まあ素で狸さんなので、化かして迷わせるのはお手の物なのかと納得して読んでますけどw
楽しい時間は過ぎるのも早いって昔ユダヤ人のおっさんが言ってましたが、本当にそうですね。あっという間に読んでしまって少々物足りなさを感じました。それだけ夢中になって読んだ証拠でしょう。楽しい一時をありがとうございました。
鋏屋でした。 
2014-02-26 18:59:55【★★★★★】鋏屋
いやいや、まだ乾燥が残っております。今日は雨なので、近所のコインランドリーのドラムに放り込み、くるくるくるくると。ほんとは閑静な田舎に引っ越して、溢れる日差しの庭先、ひらひらと爽風にさらし、よりふんわりと心地よい肌触りの洗濯物に――何の話でしたっけ。洗濯小説?

ともあれ、鋏屋様にも、しばし楽しんで化かされていただけたようで、なによりです。『11匹のねこ』のような、既成概念をすっとばしたえもいわれぬ開放感とは、無縁のサミしい話になってしまいましたが、年寄りなりに「どこかにヌケたい!」という願望だけは表現できたのかな、と。
しかし言われてみれば、ほんとに狸の芸は『迷い込み』多いですね。今、過去の自作をつらつらと鑑み、「ああなんだ、俺って、迷ったりヌケたりする話ばっかしじゃん」と、呆れかえっている次第です。というか、鋏屋様のおっしゃるとおり、読者を化かして迷わせて、どこかとんでもねーところにいっしょにヌケさせてしまうのが、狸の生き甲斐なのですね。もっとも今回は、ヌケたのはチヨコだけで、主人公はついにどこにもヌケていないわけですが、読者の方々はヌケてくれたかどうか――たぶん皆さんおっしゃる『物足りなさ』は、そこいらの押しの弱さにあるのかも。

ところで、『御大』と呼ばれると、思わず市川右太衛門さんや片岡千恵蔵さんのように顔面を巨大化させて派手に見得を切らねば、などと焦ってしまうチャンバラ世代の狸ですので、できればただの『狸』、あるいは『信楽焼』とか、なるべく精神的な負荷をかけないでやってください。正体は、冒頭部の回想を当社比2倍くらいにつまんなくした奴です。
2014-03-02 22:38:14【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
[簡易感想]おもしろかったです。完結したら細かい感想を書きたいです。
2014-05-30 06:03:56【☆☆☆☆☆】Thierno
ああっ、五ヶ月以上も、Thierno様のご感想に気づかなかった……すみませんすみません。
もひとつおまけに、すみません。このお話は、とりあえずこれでおしまいなんです。
まあ腹の底では、チヨコにまた下界に舞い戻ってもらって、俺といっしょに長々と珍騒動を繰り広げてもらいたい……そんな欲求もあったりするのですが……やっぱりチヨコには早めに成仏してもらいたいし……ぶつぶつぶつ。
2014-10-22 00:56:52【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
計:33点
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