『彼の努力、彼女の努力』作者: / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
美佳は卒業前の寂しさから校内を歩いて回った。帰宅しようと自分の教室に戻ると、そこには友人であり一つ年下の明が居た。
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 彼女は惜しむように夕暮れの校舎を歩いて回った。教室にはそれぞれ数人の生徒が課題や雑談や自習をする為に残っているのが開いた窓から見える。この景色を見られるのはあと一週間なのだろう、そう考えるとありきたりながらも寂寥感が胸に詰まる。
多目的室、美術室の前を通り過ぎ、時折凍える指先を摩りながら吹奏楽部の合奏が響く廊下を渡る。もうすぐこの学校を卒業し、この慣れ親しんだ景色とは疎遠になるのだ。
 彼女、佐々木美佳は既に学校推薦で進路を決めており、この時期の同級生に比べて幾分も余裕があった。長い付き合いの聡などは美佳の行く私立大学を滑り止めに合格しているのに、国立の後期試験を狙って猛勉強している。試験が明けるまで遊ぶこともできないだろう、不満はあれど必死に将来と向き合う姿は素直に応援したい。今日も早々に予備校へと行ってしまったので、美佳は一人で校内をふらふらしていた。時間を持て余したからとはいえ、突如訪れたノスタルジックに浸って校舎を回っていたがそろそろ飽きてきた。頃合いだろうと、ちらりと見えた時計に美佳は思う。踵を返して教室へ向かう。鞄を取りに行かなければ家へ帰れない。
 三年生の一番端の教室は窓も扉も閉まっており、電灯も消えていた。誰もいないだろうと踏んで引き戸を開けると、その音に大仰に驚く人影を見つける。美佳も釣られて身を竦めた。夕暮れ色に染まった窓際に立っていた男が美佳を確認し、肩を下ろす。美佳も相手が知合いだったので呑み込んだ息を吐きだした。
「明くん、どうしたの」
 美佳の声に彼は軽くくせのついた黒髪を指で撫でつけながら、少しきつめの瞳を細めて曖昧に笑う。
「兄さんからまだ学校にいるならついでに自分の忘れ物持って帰ってくれって、メールがきまして」
 人使い荒いんですようちの兄さん、と明は視線を彷徨わせた。細いフレームの眼鏡を指で擦り上げ、塩梅を直す。美佳はそんな明の癖を見ながら御苦労さま、と軽く笑って風が入らないように戸を閉めた。
「聡の机ならそれだよ」
「ああ、先輩と隣の席なんですね」
「そうなの。最近は休み時間もあんまり構ってくんないから楽しくないんだけどね」
 他の机を避けて明の方へ歩いて行くと、彼は机の中を漁ってケースに入った電子辞書を抜き取った。聡の机上に置いた鞄へ押し込む。
「でも、もう卒業なんですよね」
「うん、そうだね」
 美佳は腰をかがめて床に置きっぱなしにしていた鞄を自分の机に置く。財布と携帯電話を内ポケットへ滑り込ませた。
「もうすぐで女子高生でなくなって、制服も着なくなって高校にも来なくなってって、そんな生活になるんだろうけどあんまり想像できないなぁ」
 椅子にかかったままだったコートを着込みながら中学生の頃を思い出す。あの時も同じように高校生の自分を思い描くことできずにいたが、気がつけば当たり前のようにブレザーに身を包んで高校へと通っていた。だからきっと気がつけば卒業していて、気がつけば大学生をしているのだろう。
「明くんは」
 進路決めてるの、そう聞こうとして顔を上げるが先輩、と静かに遮られる。
「好きです」
 美佳にとっては唐突に、しかし明は落ち着き払った様子で簡潔に述べた。その表情は真面目なもので、美佳は冗談だろうと軽口で逃げることも忘れて固まった。
「授業中にふと窓の外を見て体育中の先輩を見つけることができないのも、部室に行って先輩に会えないのも、想像するだけで寂しい」
 淡々とした明の声に一瞬告白ではない別の話題かと美佳は錯覚しかけるが、言葉の意味を理解して、やはりぽかんとしたまま明を見上げる。濃い燈色と紺をグラデーションにした空が彼の向こうに見えた。
「中学校の頃、やっぱり先輩が先に卒業して寂しかったんです。先輩が兄さんと一緒に遠くに行ってしまったみたいで、嫌だった。あの頃と同じ感覚はもう味わいたくない」
 好きです。念を押すように言ってから明はじっと黙りこむ。彼が自分の言葉を待っているのだと美佳はわかっていたが声に詰まって少しの間呼吸のような呻きのような息を繰り返した。
「あ、あ、あき、あき……あの、あ」
 なんとか言葉を出そうとするものの、考えが纏まらず上手く何かを発言するに至らなかった。明はその様子に「ゆっくりでいいですよ」と宥める。
 思考が散乱したように、美佳の脳内で色々な感情や疑問や怒りや現状確認の言葉が噴き出しては消えて行った。告白された、何故、聡は、いつから、どう返答すれば、明くんは、どうして、今まで、聡は、気付かなかった、……散らかった言葉がどれ一つとして拾えずに雪崩れ落ちる。同時に誰かが胸の内でだめだ、と囁いた気がした。
「ごめん」
 床を見つめる。思考の氾濫が止まって声が出るようになっていた。
「明くんのこと、そういう風に、見たことない。だって、友達だから」
 疑問に乱されつつも美佳の心は告白されたその時から決まっていた。明は聡同様長い付き合いのある男友達で、稀有な友情で、しかし不変の関係で、それが一番心地の良いものだと美佳は信じていた。異性間の友情を体現したような彼らとの関係が自慢でもあった。だからお門違いにも明に対して裏切られたような些かばかりの怒りを感じたのも事実だ。泣き出したいのを我慢して明の言葉を待った。
「友達、ですか」
 明が繰り返す。しかし声の調子が変わっていないことに気付いて美佳は視線を上げた。明は眼鏡を何度か指でいじり前髪を払う仕草をした。
「じゃぁ、友達をやめるにはどうすればいいですか」
「え?」
 余りに突拍子の無い言葉に思わず美佳が聞き返す。
「僕は友達だから付き合えないなんて、そんな理不尽には我慢ならない。でも、先輩がそういう確固とした区分けを持っているのなら僕はまず友達の枠から出ないといけない」
 美佳は理路整然として見える明の説明を全く理解できなかった。友達をやめる、そういう選択肢が存在しているなど考えたこともなかったのだ。それに、友達をやめたところでそれは恋愛対象にイコールで繋がらない筈だ。反論しようと口を開くが乾いた空気が喉にへばりつくだけだった。
「先輩、僕達はどうすれば友達でなくなりますか」
 真剣な面持ちで、明が真面目に考え込んでいる。
「暴力を振るえばいいですか、それともあらん限りの中傷や罵詈雑言を浴びせれば?」
 変わらず抑揚のない声に美佳は頭の先から体内に冷水を注ぎ込まれるように感じた。今まで金縛りにはあったことはないが実際はこんな感覚なのかもしれない。下がれと命令する脳に反して足は床に吸いついたように反応しなかった。
「それとも、あなたをレイプでもすればいいですか。今、ここで」
 間合いを詰められていたことに気付いた時には、手首を掴まれていた。普段のパーソナルスペースを侵した位置で明はにこりともせず美佳を見下ろしている。逃げたい、逃げないと、心臓が警鐘のように胸を打つのだが美佳はまだ動けずに明の言葉を聞いていた。
「僕、本当は嫌です。先輩に乱暴なことなんてしたくない。……でも、こうでもしないと、このぐらいのインパクトがないと、友達をやめてくれないでしょう?」
 掴んだ手首を一瞥して明が呟く。しかし決心したように唇を結んで続けた。
「だから、努力します」
 掴まれた手首が引っ張られるのを感じて美佳は咄嗟に「待って」と懇願した。半分涙声が混じって不明瞭な言葉だったが明は動きを止める。
「お願い……やめて……付き合うから、私、明くんと付き合う。今はまだ友達にしか見えないけど、その内きっと……好きになるよ。私が、努力するから、だから」
 背筋を虫のように這う悪寒を感じながら美佳はやっとのことで声を絞る。体が震えだすのも止められずにただ唇を噛んだ。暖房が効き過ぎる部屋に居る時のように頭が鈍重になっているのに、体の芯は熱を出した時のように寒い。
 美佳をじっと見下ろしていた明だったが、「本当ですか」と小さく呟いて手を緩める。
 見上げると明は顔を紅潮させていた。シャープな顔立ちに反して柔らかく微笑み、はたと空いた手で口元を押さえる。暫くの間視線を泳がせて瞳を揺らす。掴んだ手首を解いて今度は美佳の手をぎゅっと握った。
「嬉しいです、先輩。すごく嬉しい……」
 明の反応に、美佳は逆にそれが異様な、気味の悪いものに見えて、腹に石でも詰められたような気持ちで言葉を呑み込んだ。握られた手がやけに温かくて手を引っ込めそうになるのをこらえる。
「先輩のこと、大切にします」
 ついに涙腺から溢れた涙が静かに頬を伝って落ちた。それは安堵か、それとも今後の不安の為のものか混乱のせいなのか美佳にもよくわからなかったが、明が続ける愛の言葉を聞き続けた。

2013-02-14 03:19:04公開 / 作者:万
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■作者からのメッセージ
はじめましてこんにちは、万と申します。初投稿です。
昔書いたものを焼き直したものですが、誤字脱字表現など至らない箇所があるかと思われます。
何かお気づきになられた点、ご感想、ご批評等頂ければ嬉しいです。

私的には地の文について
「一文が長い」「でもテンポが読みやすいから大丈夫」など言われることがあるのですが、一般的に如何な塩梅かを知りたく思っています。
よろしくお願いいたします。
この作品に対する感想 - 昇順
 はじめまして万様。上野文と申します。
 明くんに「それは告白やなくて脅迫や!」と思わずツッコミを入れたくなりました。
 美佳ちゃんわかってそうですしね。警察へGO!
 テンポがよく面白かったです。
2013-02-20 21:06:57【☆☆☆☆☆】上野文
計:0点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。