『蒼い髪 30話 オネス復活』作者:土塔 美和 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
 平民の母を持つルカは王子とは言え王宮では身分が低かった。七歳の時、政略の道具としてボイ星へ送り込まれる。ボイに謀反を起こさせるように仕向けたネルガルは、圧倒的な軍事力でボイ王朝を倒し植民惑星とする。ルカは友人の助けを借りボイの王女である自分の妻を助け出すことはできたが、妻は戦犯としてネルガルで拘束される。妻を牢から出すためにルカは軍部と取引をする。そしてルカの指揮の下、キュリロス星の奪還に向かい成功する。その戦闘で敵の頭首であったオネスは戦死したはずなのだが。
全角63888.5文字
容量127777 bytes
原稿用紙約159.72枚

  登場人物

 ルカ  ネルガル帝国の王子
 シナカ  ボイの王女 ルカの妻 刺繍が得意
 ルイ  ボイ人 シナカの侍女 菓子作りが得意
 クリス  ルカの親衛隊 超真面目
 トリス  ルカの親衛隊 クリスと真逆の性格
 ケリン  ルカの親衛隊 元情報部

 ジェラルド  ネルガル帝国の王子 第一皇位継承者 ルカの異母兄
 ハルメンス公爵(ハル公)  ルカの従兄弟 父先代皇帝の弟 母現皇帝の姉
 クロード ハルメンスの従者 地下組織のメンバー
 シュレディンガー侯爵  ルカの義祖父
 ディーゼ  ネルガル帝国の王女 ルカの異母妹

 クリンベルク将軍  名将
 カロル  クリンベルクの三男
 シモン  カロルの姉

 アモス  マルドック人 商人 ボッタクリ号の船長

 オネス  宇宙海賊シャーの首領 キュリロス星でルカにやられる




 ここは後に宇宙海賊アヅマに対しシャーと呼ばれ、ネルガル人たちを恐怖のどん底に陥れることになる宇宙海賊の宇宙船内、何もない空間に向かって少年は話しかける。
「オネス・ゲーベル、あなたの思い通りになりました」
(そうか)と、思念が答える。
「こちらで用意した宇宙艦船も気に入ったようです。さっそく乗組員と仲間を募り、手始めにキュリロス星に総攻撃をかけるそうです」
(仕返しか、くだらん)
 そう言った後、空間は何かを考えているかのように黙り込んだ。そして、
(まだ早い、奴を怒らせるのは。奴の怒りの矛先にするにはあの男では器が小さすぎる)
「では、どういたします?」
(オネスに言え。どうせならネルガルの皇帝の座を狙ったらどうだと、私が手を貸すのだからな)
 青い髪の少年、それはネルガル人にとっては悪魔の象徴。
(夢を見せてやろう、ネルガルの皇帝になった夢を)





 ここはネルガル星の宇宙港のホテルの一つ。宇宙から帰って来た者たちがここで検疫を済ませ、その結果が出る数日間、宿泊するところである。ホテルの内装はそこを利用する者の身分や階級によってかなり異なる。言うなればピンからキリ。そのピンの方に属するホテルのレストラン、高級な調度品で整えられた落ち着いた雰囲気の中、宇宙の星々を眺めながらゆっくりと食事を取っている三人の軍人がいた。
「まいりましたね、少尉。予定が随分狂ってしまいました」と、愚痴をこぼすのは幕僚のゲイリー・ネイワント。
「仕方ありませんね。ルカ王子の御帰還と一緒になってしまったのですから」と品よく答えたのはゲイリーの上官、エディー・オルテイラーノ・サンブラ少尉。
「しかし、親衛隊の宇宙船は着岸事故を起こしたことがないと聞きますが、あれでは事故を起こす方が不思議です。宇宙港周辺の宇宙船を全部止めて着岸するのですから、ぶつけようがない」
 その間、他の宇宙船は停止して待っていなければならない。
「ゲイリー、声が大きいですよ、不敬罪などと言われたら」
 その時、くすくすと笑う声。見れば滅多に表情を崩したことのない軍務秘書のモニカ・ガルブレイアが笑っている。オルテイラーノは不思議そうな顔をして彼女を見た。彼女はその視線に気づき、
「失礼いたしました。ただ、以前にも同じようなことを仰られた方がおりましたもので」
 停止している船の間を通り抜けるぐらい、僕にだってできるよ。そんな声が今にも聞こえてきそうだった。
 王子の旗艦とその護衛船が着岸する間、彼女は呼吸をするのも忘れたかのようにじっとその様子を映し出しているモニターを見詰めていた。まるであの中に思い人でも居るかのように。そう言えば何時でもそうだ。ルカ王子のニュースになると食い入るように見ている。特に出陣の時などは手を合わせて祈るかのようだ。あの一行の中に思い人が居るに違いない。そう思い、さり気なく恋人は? と尋ねたことがあるが、居る様子はなかった。
「やはりそう思うのは私だけではなかったのですね」とゲイリーは安心する。
「しかし、今を時めかすルカ王子の旗艦ともあればさぞ豪華な宇宙船だろうと期待しておりましたが、あれでは我々の船とたいして違いはないようですね。以前に他の王子の旗艦を拝見したことがありますが、それはそれは素晴らしいものでした」
「機能重視らしいですよ。それに他の王子のように背後で控えているのとは訳が違う。御自ら先陣を切って戦われるとか。まごまごしているとおいて行かれるなどという噂も聞きました」と、情報通を気取って言うゲイリー。
「今時珍しいですね。戦場に出向いても王族や貴族は弾の届かないところで遊戯に明け暮れていると聞きましたが」
「そういう少尉も貴族ではありませんか」
「私などやっと貴族の棒に引っかかっているようなものですから」と自嘲ぎみに笑う。
 貴族もピンからキリ。少尉にでもなっていなければこのホテルを利用する権利も与えられなかった。なにしろこのホテルの上階は王族専用である。宮廷を自由に出入りできる者たちしか入ることが許されない階である。
「ご謙遜を」などと、たわいもない会話を楽しんでいると、隣の席がにわかに賑やかになった。
「よっ、生きていたのか」
「おめぇーこそ、悪運強ぇーな」
「馬鹿言ってんな。あんな戦闘で死ぬ奴は、相当日頃の行いが悪いか、神に完全に見放されているかのどっちかだ」
「じゃ、よくお前は死ななかったな。相当日頃の行いは悪いと思ったが」
「うるせー、馬鹿野郎。俺が死ぬってことはな、おめぇーらも一緒だろうが、同じ艦に乗ってたんだからな」
 ホールは一気に煩くなった。宇宙港でもこのスペースを使えるのは将校クラス。よってあまり柄の悪い下級兵士たちは入れないはずなのだが、ルカの率いる宇宙艦隊が接岸した時からここの雰囲気は様変わりした。なにしろネルガル宇宙軍きっての極道の集まり、第10宇宙艦隊と第14宇宙艦隊のご到着なのである。兵士が兵士ならそれを率いる将校も彼らに輪をかけた極道。
「いや、あの戦いじゃ死ねなかろー。あの戦いで死ぬ奴はよほど器用かドジな奴さ。ありゃ、戦って死ぬというよりも、艦が急発進し、且つたまたま重力制御装置の異常によって後頭部をどこかにぶつけて死ぬというパターンだ。それでも名誉の戦死だからな」
「ちげぇーねぇー」と仲間が笑う。
「だいたい俺なんか、戦闘がいつ始まったかも知らなかったからな。臨戦態勢に入るっちゅーから、便所にでも行っておこうかと便所を探し、糞をしている間に戦闘が終わっていたっていう有様だ」と言いつつ、食事を取る。
「随分なげぇー糞だ。半日もしてたのかよ」と、こちらもうまそうにカレーを食べる。
「馬鹿、例えだ例え。それほど今回の遠征は楽だったと言う」
「おめぇーのことだ、臆病風吹かせて便所に隠れてたんじゃねぇーのか」
「てめぇー、何だと!」
 今にも相手の襟ぐりを掴みそうな勢い。
 あまりの下品な会話にオルテイラーノは顔をしかめた。しかし彼女は別に嫌な顔一つせず彼らの話を楽しんでいるようだ。
「出ましょう」と、いよいよ我慢できずに立ち上がったのはオルテイラーノ。
 その気取った態度が極道将校たちの鼻に付いてしまったようだ。立ち上がったオルテイラーノの前に数人の男が立ちはだかる。それに危険を感じたのか幕僚のゲイリーがオルテイラーノを庇うように立ち上がった。男たちはオルテイラーノから同席していた軍務秘書に視線を移す。
「別嬪なねぇーちゃんじゃねぇーか。今晩、俺とどうだい」
「無礼な!」と怒鳴ったのはオルテイラーノ。
「なっ、なんだ。何か文句あんのか」とねじりよる男。
 階級は同じ少尉。だがその品性は。
「行きましょう」とオルテイラーノが彼女を促すと同時ぐらいに、
「待て」と、男の一人が彼女の肩に手をかけた。
「彼女に触れるな!」
 オルテイラーノが男の手を掃う。
「貴様、やるつもりか」
 いきり立つ男。今回の戦闘では物足りず喧嘩がしたくてうずうずしていたようだ。
 だがその時、何処からか靴。軽い放物線を描きながら飛んできた靴は見事にその男の顔面に命中した。
「だっ、誰だ!」
「悪りィー悪りィー、足が滑った」
 そこに現れたのは千鳥足の酔っ払い。軍服のボタンはおろかシャツのボタンまでかけ違いになっている。おまけに胸元がはだけ、シャツの一部がズボンの中から飛び出していてどうにもならない格好だ。だが肩章はドラゴン、ルカ王子直属の親衛隊を意味している。
「トッ、トリスの旦那」
 トリスはジト目で男を下から上へと見回すと、
「俺の女に何か用か」と、脅しをかけるような声で訊く。
 モニカの肩に手を置いていた男は慌てた。
「旦那の、これでしたか」と小指を立てる。
「これは、ご無礼いたしやした、姉さん」
 いつの間にかモニカはやくざの親分の女のような存在になってしまった。
 首に巻いてあるスカーフで今自分が掴んでいたモニカの肩の当たりの塵を掃い清めると、腰を直角に折り、
「失礼いたしやした」と、大声で謝る。
「ところで旦那、この虫はどうしやす」
 トリスは男たちの視線の先に居る気取った将校を見る。
「こいつか、こいつはモニカの護衛として俺が付けておいた奴だ」
「それは、しらねぇーことで、あいすいやせん」
「わかればいい」と、トリスは鷹揚に男たちを許し、
「これから俺はいい思いをするんだ、邪魔をするなよ」
 男たちはその意味をどうとったのか、訳ありげな笑みを浮かべてトリスたちのテーブルから離れて行った。
「相変わらずですね」とモニカ。
「そっちこそ、変わらないな。いや、綺麗になったかな、だが色気がない」
「わるかったわね、色気がなくて」と、モニカは脹れてみせた。
 以前より表情が豊かになったようだ。戦場にいてもそれだけ幸せなのだろう。とトリスは彼女の態度からさっした。
「会って行くんだろー、同じホテルに居るんだから」
 モニカは暫し黙り込む。
「私のこんな姿見せたら、悲しませるだけだわ」
「そうだな、あいつは軍人が嫌いだったからな、だが不思議なものだ、今じゃ奴も立派な軍人だからな」
「私のことなど、もう覚えていないわ」
「そんなことないさ。あいつは記憶力はいいから、くだらないことでもよく覚えている。死んだ奴のことなど幾ら覚えていたって生き返るわけねぇーのに。後から後から増えて行くよ、それが戦争っていうものなのに、お前から言ってやれよ、いい加減に忘れろって、そんじゃねぇーと頭の中が墓標で一杯になっちまうぜって。もっとも俺たちの頭と違い容量がでかいから幾らでも覚えられるんだろーが、それじゃーきりがねぇーぞな」
「お辛いでしょうね」
「何よりも争いごとを嫌っていたからな。会って行ってやれ、喜ぶぞ」
 オイルテイラーノとゲイリーにはトリスとモニカが誰のことを話しているのかさっぱり解らなかった。あいつ、待っている、やはりモニカには彼氏がいたのか。
 モニカは首を振った。軍人になった姿だけは見せるつもりはなかった。あの時の悲しそうな顔が目に焼き付いているから。
「やはり、会わない」
「もう遅いぜ、さっき連絡しちまった、懐かしい顔を見かけたって」
 モニカはトリスを睨む。
「今頃、ボイ人顔負けぐらいに首を長くして待っているぜ」
 ぐずぐずしているモニカの腕をトリスは引っ張った。
「こっちだ」
「この人たちは?」
「置いてげ」
「一緒でなければ行かない」
「どうして?」 邪魔なだけだ。
「変な噂を流されたくないの」
 殿下の迷惑になるような。
 トリスはオルテイラーノの方を向くと、
「ついて来いよ、まったく。金魚の糞だな」
「トリスさん、失礼ですよ。それにその恰好」
 トリスは自分の姿を見下ろして、
「一人ぐらいピエロがいないと、艦が暗くなるんだよ。あいつは勝利を喜ばない。だが戦っている奴らは勝てば嬉しいものだ」
 そのギャップを埋めなければ何時しか兵士たちはあいつから離れて行ってしまう。
「そうだったのですか、あなたも見かけによらず苦労しているのですね」
「見かけによらずだけは余計だろう」
 モニカは笑った。そう言えばトリスさんは館でもムードメーカーだった。
「よく笑うようになったな。以前は笑わなかった」とトリス。
「そうだったかしら」
「そうだよ、笑ってもわざとらしかった」
 今は自然に笑う。こんなにきれいな女だっただろうかと思えるほど。それはオルテイラーノも感じていた。今まで彼女がこんなに素直に表情を顔に出したのを見たことがない。笑えば美しい人だろうとずっと思っていた。旧知に会い、心の緊張がほぐれたのだろうか。それとも恋人に会える喜び。でもその恋人は軍人が嫌い。
「行こうぜ、あんまりぐずぐずしていると、向こうから出向いてきそうだ。あれでわりとせっかちなんだよな」
 彼女はまた笑った。
「そうね、そんなところあったわね」
 急かされるままにオルテイラーノたちも後を付けた。一体、誰に会いに行くのだろうかと。あいつとは一体誰だ。やはり昔の恋人か。その男も彼女のことを今でも思っているのかと思うと、胸が締め付けられる思いだ。女性を呼びつけるとは、しかもこんな下品な男を使いによこすなど、会ったら一言忠告してやろう。
 トリスが案内したのは両サイドを近衛がしっかり守っているエレベーターだった。
「やぁー」とトリスは近衛に挨拶する。
「これは、トリスさん」
「客人だ、通してもらう」
「身分証明書を」と言われ、オルテイラーノたちはカードを見せた。
 トリスは顔パスらしい。身だしなみがどうであろうと軍服がものを言っているようだ、さすがはルカ王子直属の親衛隊、とオルテイラーノが感心しているとエレベーターの扉が開いた。ここからは王族専用、どんなことをしても一般の軍人が入ることは許されないのだが。
「何、ぼさっとしているんだ、早く乗れよ」
 中はエレベーターとは思えないほどの広さ、リビングかと思ったが違う。微かな重力の変化。豪華なリビングがそのまま上昇していくという感じだ。しかしそれを感じたのは最初のうちだけだった。後は重力制御装置が働き上昇しているという実感もない。
「こりエレベーター、俺の家より広いかも」とゲイリー。
 このエレベーターの向かう所はこのホテルの最上階、王族専用のフロアーだ。
 トリスはソファに仰向けになるとそのまま鼾をかいて寝てしまった。
 モニカは向かい側のソファに腰掛ける。まだ、会うべきかどうか迷っているのかじっと考え事をしているようだ。オルテイラーノたちは落ち着きなさげに彼女より少し離れて腰掛けた。
 数分後、エレベーターの扉が開いた。そこにも近衛、それともう一人、彼はトリスと同じ軍服を着ていたが、こちらはきちんとボタンをかけ直立不動で立っていた。私たちを見るとまずは敬礼、それから、
「お久しぶりです、モイカ・カルブレイア准尉、クリスです、覚えておられますか」
 モニカは少し首を傾げた。直ぐには思い出せないようだ。するとモニカの背後から、
「泣き虫クリスだ」と一言。
「トリスさん、泣き虫はひどいですよ」
 モニカははっと思った。
「あのクリスさん」
「ほらみろ、こう言った方が、直ぐにわかっただろうが」
「そんな」とクリスは怒りからか恥ずかしさからか顔を赤くした。
「随分立派になられたから解らなかったわ。大きくなったわね、まだあの頃はあどけなかったですものね」
「八年経ちましたから」とクリス。
「そうね」
「さあ、参りましょう。待ちかねておられます」
 だがモニカはエレベーターから降りようとしなかった。
「やはり」
「ここまで来てですか」
「あの時の寂しそうなお顔を」
 この館を出たら私は軍人になると言った時のあの方のお顔。ずっと忘れられなかった。でもこうするしか家族を養うことはできなかった。館を閉鎖するにあたり確かに当面の生活に困らないだけのお金はいただいた。でも、それではそれまで。自分で稼がなければ進展はない。困窮の生活からは這いだせたし弟たちを学校に上げることもできた。だがそこまでだ、今のネルガルで仕事を探そうとしても軍人以上に割の良い職種はない、特に女性では。両親に楽もさせてやりたかった。
「今のあなたのその姿を見れば、きっと喜びますよ。以前よりもきれいになったような気がします」
 クリスが冗談や嘘を言わないのは館でも有名だった。作戦案など全て筒抜け。殿下の悪戯もクリスを仲間に入れては台無しだった。
 戸惑うモニカの背を押したのはトリスだった。
「つべこべ言ってねぇーでさっさと降りろ」
 三人が降りるや否や、エレベーターの扉はさっさと閉まってしまった。
「さあ」とクリスに促されモニカは歩き出す。
 王宮専用のスペース、貴族ですらこの階に足を踏み入れられる者は限られている。ネルガルの富と権力を象徴しているかのような空間。絶対に自分たちが入ることが許されない空間。エレベーターの中でもそうだったがこの空間に立たされオルテイラーノとゲイリーは緊張のあまり体が硬直するのを感じた。それに比べ彼女は自然体のままクリスという親衛隊の後を付いて行く。王宮で働いていたことがあるとは聞いたことがあったが。
 一線を越えた彼女の足は早まっていた。もうクリスの案内もまどろっこしくてたまらないほどに。
 会いたい、一目そのお顔を拝顔したい。
 居る場所はだいたい見当が付いている。竜骨座のよく見える部屋。今ならこちらの方角だわ。ナオミ夫人がよく口にされておられた。あの星座の遥か彼方に神の住まわれる星があると。軍人になって星々の配置を詳しく知るようになって気づいた。その方向にあるのは青く輝く悪魔の星、イシュタル星だ。ナオミ夫人はその方向にある星がイシュタル星だということをご存じだったのだろうか。
 いつの間にかクリスと肩を並べて歩いていた。
 いくつかの豪華な部屋を通り越してやっとたどり着いた一間。このホテルは一体どれだけ広いのだろうかと思わせるような距離。
「こちらです」と扉をあけられたその部屋は、照明が少し落とされパノラマのような宇宙が広がっていた。
 その星々を背景に一人の青年が立っている。すらっと伸びた背丈、もう七歳の幼児ではなかった。ハルメンス公爵ですら影が薄くなるかと思わせるような美しい青年。否、青年には少し早いか、その美しい影が優雅に振り向いた。
「お連れいたしました」
「ご苦労でした」
 声変わりの始まった声。
 青年がそう言うと同時に部屋の照明が明るくなった。
 はっきりとその姿が浮かび上がる。背丈が伸び美しさにますます磨きがかかったようだ。だがそのお顔には七歳の頃の面影が残っている。懐かしい。お互いにそう思ったのか、暫くは言葉が出なかった。
「お久しぶりです」とどちらともなく。
「会いたかったです、会って母に代わって一言お礼が」とルカ。
「そのお言葉は私の方です。おかげさまで弟たちに上層教育を与えてやることができました。何とお礼を」と言う彼女の言葉をルカは遮って、
「それは弟さんたちの実力です。私の力ではありません」
「殿下」
 昔となんら変わらないルカの態度にモニカは安堵すると同時に、一気に懐かしさが込み上がり、涙が出そうになった。思わず視線を逸らすと、その先には豪華なテーブルがあり美しい食器とともに私の大好きなパイが並べられていた。はっと思いルカの顔を見る。
「今でも、好きならいいのですが」
「私がこのパイが好きだなんて、よく御存じですね」
「母から伺っておりましたから」
 そうだったわ、ナオミ夫人も殿下も館で働いている人たちの趣向はよく御存じだった。私たちのために働いてくださっているのですから、せめて名前ぐらいはと言うのが夫人の口癖だった。
「覚えていてくださったのですか」
「人の脳とは不思議なものです。トリスさんからあなたの名前を聞いた途端、あなたの顔やしぐさが思い出されて、そうしたら急に会いたくなって、あなたのご都合もかんがみず呼びつけるようなことをいたしまして申し訳ありません」
 モニカは首を横に振った。私はずっと会いたかった、あなたの出陣をスクリーンで見るたびに、無事な御帰還を祈らずにはいられなかった。
「いいえ、どのみち検疫の結果が出るまでは暇ですので」と視線をずらしたところにオルテイラーノたちの姿が視線に入った。
「そうだわ、紹介するのをすっかり忘れておりました」
 ここで初めてモニカは思い出したかのように自分の上官であるオルテイラーノとその幕僚のゲイリーをルカに紹介した。オルテイラーノたちもこの階に足を踏み入れた時から、モニカが会おうとしている人物は並々ならぬお方だと察しはしていたものの、まさかルカ王子ご本人に直接会えるとは夢にも思っていなかった。否、自分の身分では雲上人、決して会うことのない人物だ。そのお方が今目の前に、心臓は高鳴り挨拶の言葉も思うように出てこない。
 ルカも彼らの緊張を理解したのか、
「気を楽にしてください。いつもモニカが世話になっております」とルカ王子の方から声をかけて来た。
「こちらこそ、お世話になっております」と言うのがやっとだった。
 ルカは二人の緊張をどうにかほごそうと、
「どうぞ、テーブルの方に」と二人を促す。
 そしてモニカの手を取りテーブルの方へとエスコートすると、彼女のために椅子を引いた。
「殿下にそのようなことを」と言うモニカに、
「私は悪戯をしてよくあなたに叱られたルカです、殿下などではありません」
 ルカはモニカを席に着けると自分は相対して座り、二人にも空いている席にかけるように促した。その仕種の優雅さ、スクリーンで拝見していても美しい方だと思っていたが、実物はそれ以上だった。
 美しい人だ。男性だと聞いていなければ、男装した乙女だと思い込んでしまう。男の私ですらうっとり見とれてしまう。
「あの、失礼ですが、本当に殿下なのですか?」
 たまりかねてゲイリーが訊く。
「影武者だと言いたいのですか?」
「いえ、そういう意味ではなく、妃殿下では」
 最後の言葉は次第に尻つぼまりになってしまった。
 ルカは微かに笑うと、
「よく言われます。それでしたらモニカさんに聞いてください、よく御存じですから」
 モニカもほほ笑む。
「そうですね、裸でよく池で泳いでおられましたもの」
 モニカは幼少のルカの全てを知っていた。母に甘えるルカ、母に叱られた時は逃げ場にもなっていた。モニカはルカにとっては姉のような存在だった。
 オルテイラーノとゲイリーはモニカを見た。モニカはくすくすと笑うと、
「間違いなく、殿下ですよ」と断言する。
「それよりお茶が冷めてしまいます。食後でお腹もすいていないと思いますが」と、ルカは自らお茶をそそぐ。
「相変わらず、何でもご自身でやられるのですね」
「戦場は人手も時間も足りませんから、そそいでもらうのを持っていたら飲みはぐってしまいます」
「まぁ」と、モニカは笑う。
 だが案の定、
「熱い!」
 お湯をこぼしてしまったようだ。不器用なのも相変わらず。見かねてモニカが、
「私がやりましょう」と手を出す。
「はっきり、不器用だと仰ってくださってかまいませんよ」とルカ。
 モニカが訝しげにそんなルカを見ると、
「皆に言われるのです。容姿が容姿なのだからもう少し器用でもよさそうなものだと」
「まぁ、酷いことを、誰がそのようなことを」とモニカは口にしたものの、内心ではモニカもそう思っていた。
 人は見かけによらないから仕方ないけど、しかしルカ王子ほど見かけと現実のギャップの激しい方も珍しい。一見色白で線が細く乙女のように見えるが、その実力は大男でも投げ飛ばす技の持ち主で、ここぞとなると絶対自分の考えを曲げない頑固者。指はすらりと長く細いのでさぞ器用かと思えば、ボタンすらなかなかかけられない。
 全員にお茶がまわると、お茶で完敗した。
 無事な帰還を祝して、アパラ神へ感謝。
「どうぞ、召し上がってください」
 モニカは品よくパイを口に運んだ。
「おいしいわ、お腹が一杯なのに、これは別ね」
 嬉しそうなモニカの顔を見て、ルカはほっとする。食後だからいらないと言われるのではないかと心配していた。
「そう言ってもらえると、用意させたかいがあります」
「本当においしいわ」と、嬉しそうに食べるモニカ。
 それを見詰めるルカ。二人の間にオルテイラーノたちの入る隙はなかった。まるで恋人同士のよう。
「モニカさんは、以前よりきれいになられましたね」
 ルカにつくづく言われモニカは顔が赤くなるのを感じた。
「どなたか好きな方でも出来たのですか」
「いいえ」と、モニカは首を横に振る。
「それは残念です。あなたのような美しい方をどうしてこの星の男性はほっておくのでしょう」
「殿下、あまりおからかいにならないでください」
「私はからかってなどおりません。本当のことを言っているのです。結婚はなさらないのですか」
「結婚をする気はありません」
「どうしてですか」
 モニカは少し悪戯っぽい顔をすると、
「実は、私には好きな人がいるのです。ただその方には奥さんがおりまして」
 ルカは驚いたようにモニカを見た。
「それでは無理ですね」
「ええ、ですから私は結婚はしないつもりです」
「そんな、別な方を見つけになられたら」
 モニカはじっとルカを見詰めると、
「殿下らしくもないお言葉ですね」
「そうでしょうか」
「殿下は正室をお迎えにならないようですが」
「シナカは正室です」
「でもネルガル人ではありません。ネルガル人以外の方が正室になることはこの星の法律では認められておりません」
 ルカは黙り込む。
「正室をお迎えになるようにと宮内部からお話がありませんか」
 ルカはその美しい顔を歪めた。
「やはりあるのですね。ボイ人とネルガル人の間には子供はできません。形だけでも正室をお迎えになられたらいかがですか」
 ルカはきりっとした顔でモニカを睨むと、
「モニカさんでも今の言葉は許せません。子供が出来なくともシナカは私の妻です。愛しています。形だけなどと、その女性に失礼にあたります。私はその女性を愛することは」
 そこでルカは不意に言葉を切った。初めて気づいたように、
「申し訳ありません、私はあなたに失礼なことを言ったのですね」
 モニカは今までに見せたことのないような優しい目でルカを見る。
 オルテイラーノは彼女の視線で気づいた。彼女の思い人とはルカ王子なのだと。
「気づいてくださればいいのです。私も殿下と同じく他の方を愛することが出来ないのです、今のところは」
 ルカはじっとモニカを見詰める。
「奥方様が羨ましい、こんなに殿下に愛されて」
 ルカはうつむき、
「すみませんでした。あなたの心もわからず軽はずみなことを言って」
 本当にわかっていないと、オルテイラーノは思った。
「いいのですよ」
 以前と少しも変わらない。自分の非は直ぐに認める。まだまだこの方は成長していかれる。
「弟さんたちは今何を?」と、ルカは話題を変えた。
 モニカは言いづらそうに、
「二人とも軍人になりました」
「上層教育を受けたのにですか」と驚くルカに、
「あなたのお役にたちたいそうです」
「馬鹿な、それではご両親の面倒は何方が?」
 確か父親は体が不自由ではなかったのか。
「両親はナオミ夫人のおつくりになられた町で、働かせていただいております」
「どうして軍人なんかに、軍人になっても私の役にはたちません。それよりも市民のために。あなた方は戦争の悲惨さを誰よりもご存じなのですから」
 そう言うとルカは黙り込んでしまった。モニカも黙り込む。
 先に口を開いたのはモニカの方だった。
「殿下こそ、どうして戦場へ。他の王子は出陣するようなことは御座いませんのに。例え出陣なされてもそれはパホーマンス、戦うようなことはありません。それなのに殿下は先陣を切られておられる。誰よりも戦争を嫌っておられたのに」
 ルカはうつむくと、ぼそりと言う。
「ドラゴンは強くなければならないのです」
 どういう意味?
「凶暴なドラゴンには檻が必要です、美しい檻が。ドラゴンが強ければ強いほど、彼らは檻を必死で守るでしょう、壊れないように」
 モニははっと気づいた。それが殿下が戦場へ向かう理由。
「私は負けられないのです」
「でも、それでは奥方様が」
「シナカはあなたと同じ頭のよい女性です。口にしなくともわかっております。私は約束したのです。例え親指一本になっても必ず戻って来るからと。だから待っていて欲しいと」
 私の命が尽きる時、シナカの命も尽きる。彼らが用のなくなった異星人を王宮に何時までもおいておくはずがないのだから。
 モニカは黙ってしまった。あれほど争いごとを嫌っていた殿下が。
「ボイ星に帰りたい。あそこは素晴らしい星だった」
 それは既に過去。今ではボイ星もネルガル人の手で荒らされている。
「やめましょう、こんな話。せっかく久しぶりにお会いしたのですから」
「そうね」
「イシュタル人はドラゴンの扱い方をよく知っているようですね。必ずドラゴンの前に美しい玉を描く。ドラゴンはその玉と戯れている時はおとなしいそうです、その玉が壊れない限り。イシュタル人はその玉を大切にするのでしょう。ドラゴンは水の神様だそうですから、居てもらわないと困るそうです。水は万物の命の源ですから。ボイ星でもドラゴンは大切に祀っておりました、竜神として」
「ナオミ夫人も竜神を祀られておられましたね」
「母が居なくなってから暫くあの祠は放置したままになっておりましたが、今度はシナカが大事に祀ってくれております。粗末にすると罰が当たると言いまして」
「奥方様が、それはよかった」
 触らぬ神に祟りなしと言うが、ナオミ夫人があれだけ大切にしておいたものを放置したままではと、モニカは気にはかけていた。
「シナカが言うには、私が無事に帰還できるのは竜神様のお蔭だそうです。私はてっきりアパラ神のお蔭だと思っておりましたが」
 モニカは笑った。
「私、何かおかしなことでも言いましたか」と澄まして問うルカ。
 モニカはやっとの思いで笑いを止めると、
「殿下が神様を信仰なさるなんて、どのような心境の変化かと思いまして。熱でもあるのではありませんか。ここの所、某星系の風邪に症状のよく似たウイルスがはやっているそうですから」
「随分、酷いことをいいますね。時には私でも」
 ルカを知る者は、彼が神を信仰しないことぐらい百も承知。
「祈ることがおありですか」
「実を言うと、どうして存在しないものにああも感謝できるのか理解できません」
 やっぱり、という顔をするモニカ。
「そのこと、奥方様には仰らない方が」と忠告してくれたのはよいのだが、
「もう手遅れです。いつもそれで喧嘩になってしまいます」
「それで?」 どうなされておられるの? と訊くモニカに。
「ですから、そのことには触れないようにしております」
「それは賢明なご判断ですね」と、モニカは笑った。
 そこへケリンからの通信。
『お話し中申し訳ありませんが、十分後にお客様がお見えになれます』
「客人ですか? 何方ですか」
『ハルメンス公爵と他二名。一人はシュレディンガー侯爵、もう一人は会ってのお楽しみです』
「ハルメンス公爵がお見えになられるのですか、それでは私たちはこの辺で」と立ち上がろうとするモニカに、
「居てくれないか」とルカ。
「しかし」と戸惑うモニカ。
「居てくれた方がありがたい」
『お久しぶりです、モニカさん。私も、居た方がよいかと存じます』
「こちらこそ、お久しぶりです。ところでどうして私たちが居た方がよいのでしょう」
『先方は既にあなた方の存在をご承知です。それを口実に来るのですから』
 えっ?と、訳がわからず首を傾げるモニカ。
『それと護衛を。クリスとケイトをボーイ代わりに立たせておいてください』
「その必要はないと思いますが」
 ルカが断るより早くクリスとケイトが新しいお茶を用意して入って来た。
『念のためです』
 やれやれと言う感じにルカは肩をすくめる。
 ケリンとすれば、嘘の付けないクリスが居れば、公爵もあまり過激な発言はできないだろうと踏んだようだ。
「シュレディンガー侯爵、どこかで聞いたことがあるような気がするのですが」と、思い出そうとしているモニカに、
「私の祖父です」と答えたのはルカ。
 祖父って、現皇帝の父なら生きているはずがない。亡くなられたから今の皇帝が即位したのだから。会いに来られるはずないではないか。
 まだ悩み多げな顔をしているモニカを見て。
「母の父です」
「ナオミ夫人の!」
 驚きのあまり思わず声が大きくなってしまった。
「失礼ですが、ナオミ夫人は平民だと伺っておりましたが」
 ルカは苦笑する。
「母が平民では恰好が付かないと思われた方々が、私に祖父を探してくださったそうです。私も自分のプロフィールを見るまでは知りませんでした。シュレディンガー侯爵は学者肌であまり政治には興味をお持ちでないようですので、彼らには都合のよい人材だったのでしょう」
「そっ、そういうことなのですか」と、モニカは他人事のように話すルカを見て何と答えてよいか迷った。
 どこかで聞いたことがあると思ったのは、ルカ王子のプロフィールを見た時。
「それで殿下はどうお思いなのですか」
「これから会って考えます、祖父と呼べるかどうか」
 相変わらずどうでもよいことには関心の薄い方だ。とモニカは思った。
 与えられたものを素直に受け入れて行くしかない。これが身分の低い母を持った皇帝の子の宿命。玉座の一部になるように育てられる。そしてその玉座に座ることができるのは、皇帝の子の中でも一番高貴な血を引くもの。
 護衛の案内より早く、
『客人です』とケリンの声。
 それから間もなく、扉が開いた。
「元気でしたか」とハルメンス、顔を見るなり話しかけて来た。
「はい、お蔭様で。公爵もお元気そうでなによりです」と言う挨拶が済むかすまないうちに、
「トリントではありませんか。どうしてここへ」
「それは私の台詞です。姉さんこそどうして」
 二人の驚きの声が響いた。
「これは偶然。殿下が女性を連れ込んだと聞いたもので、どのような方かと見に来てみれば」
 偶然のはずはない。とルカは思ったがそれは口にしなかった。
「どなたがそのようなことを」と鋭く問うモニカ。
「もっぱらの噂ですよ」
「トリスさんね、そんな噂を流したのは」
 モニカは勝手にトリスと決めつけた。彼なら言いかねない。
「トリスさんでしたら、かなりきつい上級士官さんとしけ込んでいると聞きましたが」と、ハルメンスはさり気なくトリスを援護した。
 かなりきつい上級士官とはモニカのことのようだ。モニカは苦笑せずにはいられなかった。
「ですから一緒に来ていただきたかったのです、オルテイラーノ少尉」
 私ひとりで会っていたなら、どのような噂が広がるかしれたものではない。それだけ今の殿下は誰からも注目されている。ただ本人が気づいていないだけで。
 ルカがじっとトリントを見ているのにモニカは気づき、
「紹介が遅れて申し訳ありません。弟のトリントです」
 トリントは深く頭を下げると、
「お会いできて光栄です。お会いして一言お礼が言いたくて、この機会をずっと待っておりました。おかげさまで上層教育まで全て消化かさせていただき有難うございました。このご恩は」
 ルカは最後まで言わせなかった。
「それは私からあなたのお姉様へのささやかな感謝の気持ちです。恩に着るようなことではありません。平民からいきなり王宮に上がることになった母は右も左もわからず困っていたところを、モニカさんが親身に仕えてくださって随分と心強く思っていたようです。お礼を言わなければならないのは私のほうです」
「殿下、私の方こそ奥方様にはいろいろと教えていただき心から感謝しております。奥方様の前向きな考え方は、私の悲観的な考えをおおいに変えてくださいました。今私がこうしてあるのも奥方様のお蔭です。奥方様は強い女性です」
「確かにナオミ夫人は強い方ですね。でもモニカさん、あなたも既に十分お強い。これ以上強くなったら付いて行ける男性がいなくなってしまいますよ。女性はほどほどに弱くなければ男の出る幕がなくなってしまいます。そうですよね、オルテイラーノ少尉」
 ハルメンス公爵からいきなり同意を求められたオルテイラーノは、苦笑するしかなかった。ハルメンス公爵の言葉は、今の自分の心を完璧に代弁していた。
「まあ、そんな」とモニカは顔を赤らめた。
「殿下、それより私が紹介いたしたいのはこちら」と言って、ハルメンスはシュレディンガー侯爵を紹介した。
「初めまして、殿下」
 紳士らしく会釈するシュレディンガー。
「初めましてシュレディンガー侯爵。お爺様とお呼びした方がよろしいのでしょうか」
「シュレディンガーで結構です。ただ宮内部の方から頼まれただけですので」
 彼らしい答え方だった。彼も自分が研究していること以外には興味がない。例えそれがどんな好条件の話しでも。そこが宮内部が気に入ったところだ。研究さえ自由にできれば誰の祖父になっても。
「ただ、いきなり殿下を私の孫だと呼ぶのも心苦しいので出来ることでしたら、私には十三になる孫娘がおります。その孫娘をあなたの妃にもらっていただければ、何も正室とは申しません、側室でも。そうすれば名実ともに祖父と孫と言う関係になりますので、呼びやすくなるのですが」
 ルカは暫し黙っていたが、
「それも宮内部からの提案ですか」
「いいえ」とシュレディンガーは答えたものの、顔にはそうだと書いてある。
 この人もクリスと同じく嘘の付けない方のようだ。
「それでお孫さんが幸せになると思いますか」
 今度はシュレディンガーが黙り込んだ。
「下手な貴族に嫁ぐよりもは、あなた様のところの方が。こうしてお会いしたところ、とても誠実そうなお人柄のようですので」
「私は地上に足を付けているよりも、足が浮いている方が多いのです。寂しい思いをさせることになると思いますが」
 ルカは遠巻きに断った。だがシュレディンガーは、
「一度孫娘に会っていただけませんか」
 無理だとモニカは思った。先程の殿下の話しを聞けば、どれだけ今の奥方様を愛しておられるか一目瞭然。
 ルカが困った顔をしていると、そこへ助け船を出したのはハルメンスだった。
「いきなりそう言われても、殿下も答えに窮するでしょう。ここはとりあえず少し考えていただいて、もう一つお耳に入れたいことがありますので、そちらを先に」
「私の耳に入れたいこととは何でしょう」
 ルカは話題が変わったことにほっとする。
「オネス・ゲーベルが生きていたと言うことはご存知ですか」
「それを知らせるためにわざわざ宇宙港までお越しくださったのですか」
「いいえ、私たちは銀河旅行をしていたのです。検疫も済みそろそろ地上へと思っていたところ、あなたの帰還の知らせを受けたもので、どうせならお顔を見てからと思いまして。地上では何かと雑用が多く、なかなかこのような親密な話はできませんので」
 あくまでも偶然を装うハルメンス。彼の情報網を駆使すれば私の帰還の日取りなど直ぐにわかる。それを念頭に入れての銀河旅行だったのだろう。ケリンはそれを警戒してわざわざクリスとケイトをこの部屋に呼び出した。地下組織の話など持ち出させないように。
「驚かれないところを見ますと、やはりご存知でしたか」
「ケリンがおりますから」
「なるほど、彼の情報網は私の情報網より上ですからね」
「いいえ、あなたの情報網にはおよびません」
「では、オネスがどうやって助かったかもご存知ですか」
 ルカは頷く。
「何でも、天井から白い手が伸びて来てオネスを亜空間に引きずり込んだとか」
「詳しいことは、クロード」と彼の親友兼秘書に説明させた。
 隕石が天井をつぶすのが見えた。それと同時に白い手。オネスが隕石に押しつぶされるのに一秒とかからなかったはずだ。その一瞬にその手はオネスを助けた。
「他の身内は助かったのでしょうか」
 あそこにはオネスの一族が生活していたはずだ。
「いや、助かったのはオネスだけらしい」
 これはケリンが探った情報と同じ。
「その白い手は最初からオルスしか助けるつもりはなかったか、それともオネスしか助けられなかったか。殿下はどう思われます」
「公爵、失礼ですが、公爵はその話を本気で信じられておられるのですか」
 そう問いかけて来たのは理性の塊であるようなモニカだった。
「まるでお伽噺か魔法のような。漫画の世界でならともかく、このご時世にあるべからざることです」
 そう述べたのはクロード。自分で説明しながらクロードも信じていないようである。オネスは始めから何処かに隠れていた。あそこに居たのは影武者。そう考えるのが理性。
 ルカはいつもの癖で指の爪を噛みだした。幼少からの癖。しかしナオミ夫人は叱らなかった。ルカの前世であるレーゼとか言う老人も、考え事をするときには爪を噛んだらしい。数千年も続くあの方の癖ですから、今更言ったところで。と言うのがナオミ夫人のルカを叱らない理由。モニカには理解しがたかったが今となってはその癖が、辛い過去に会って唯一楽しい思い出を彷彿させてくれる。
「オネスは、悪魔と契約したそうですよ」
 ハルメンスのその言葉にルカは我に返った。ハルメンスをゆっくり見上げる。恐れていたことが起こった。イシュタル人が堪え兼ねていよいよ動き出したと言うことか。
 ルカはイシュタル人との和解の糸口を模索していた。だが誰と交渉してよいのか解らずにいた。イシュタルの王朝はあってないがごとき。今ではネルガル人に完全に支配されている。ルカが迷っているうちにイシュタル人はオネスを選んだ。自分の圧倒的な力を貸す代わりに、ネルガル帝国を倒せとでもそそのかしたか。彼らは自分の血を一滴も流さずにネルガル人同士を戦わせて滅ぼすつもりだ。
「理性的に考えて、イシュタル人なら出来るでしょう」
 ルカのその言葉に全員が驚いたようにルカを見た。
「前者だとしたら私に、否、私を通して私の背後にあるギルバ王朝にオネスの恨みを向けるため。後者だとしたらその者にそれだけの能力しかなかったと言うことになります。能力にはいくつか種類がありまた個人差もあるようですから」
「それでは殿下は、このようなありもしない話を信じるのですか」とクロード。
「ありもしない話でしょうか、私たちも経験しているはずです、ワームホールで。ただ彼らはそれを自分たちで自由に操ることができる」
「彼らは、ワームホールを科学的に作り出すことが出来ると、殿下はおっしゃりたいのですか」
「科学的かどうかはわかりません。もしかすると持って生まれた性質。魚が水の中を泳ぐように、鳥が空を飛ぶように、彼らは異空間を自由に移動できる」
「馬鹿な」とクロード。
 オルテイラーノたちもクロードに同意した。
「あなた方は、イシュタル人に会われたことはないのですか」
 これだけ宇宙旅行をしていて。
「残念ながら、私たちの知っているイシュタル人は奴隷として市場で売買されている人たちだけです。もしかすると旅先で会っているのかもしれませんが、向こうから名乗ってくれない限りこちらでは気づきません」
 イシュタル人はネルガル人と瓜二つ。
 気付けないのはルカも同じだった。ただルカの場合は先方から名乗りを上げてくれる。
 イシュタル人は元をただせばネルガル人と同種。そのため他の異星人より異星人という違和感がないため王宮でも下働きとして雇われてきている。雇っていると言えば聞こえがいいが、その実態は先程ハルメンスが言ったように奴隷(戦利品)である。奴隷と言う言葉は文明の未発達な時代の言葉として忌み嫌っているが、結局今のネルガル人がやっていることは戦争で勝ったことを文明的優越と思っているにすぎない。実態は暴力的優越に過ぎないのに。近代的兵器の勝利が文明の証と勘違いしている。
 ハルメンス公爵の館にもイシュタル人は数名居た。
「彼らから能力の話しは聞かれたことはありませんか」
「いいえ」と、ハルメンス。
「話したところで私たちが信じないことを彼らは知っているので話さないのでしょう」
 クロードなど頭から決めつけている。同じ人種なのだからそんなこと出来るはずがないと。では何故イシュタル人はネルガル人からこんなにも忌み嫌われるのか。
「あの。怠け者とか言うイシュタル人がおりましたよね、彼は話しませんでしたか」
「彼があなたに何を話したかはしりませんが、私たちには何も。ただあなたに会ってから彼は真面目になりましたので、その怠け者と言う名前を返上してやろうと思いましたが、その名前でいいと言うことでそのままになっておりますが」
「彼が私に話してくれたことは、今のイシュタル星には能力者はほとんどいないと言うことでした」
「では、何処に?」
「イシュタル星に居ないとなると他の星ということになりますが、能力者と呼ばれる者がどれだけ居るのか知りませんが、大量の宇宙船がイシュタル星を発ったと言う話しは聞いたことがありませんが」
「異空間を自由に移動できるのでしたら、他の星へ行くのに宇宙船はいらないでしょう」
「なるほど、私たちの感覚でものを考えてはいけないということですか。しかし殿下も、大変な恨みを買うことになりましたね」
 ハルメンスは他人事のように言う。これはイシュタル人のネルガル人に対する先制攻撃だというのに。ここから本当の戦いが始まる。
「仕方ありません、戦争なのですから。仲間を殺せば恨まれて当然。増して身内や何の罪もない子供などでしたら、今生まれたばかりの子に何の罪があるでしょう。その恨みは一層強くなるだけです。そして恨みは恨みを呼ぶ。復讐が復讐を呼ぶがごとくに。戦力によほどの、否、圧倒的な違いがない限り報復戦は永遠に繰り返されます。これが一度戦争を始めると終止符が打てなくなる要因です」
 だから戦争などやるべきではない。その修復には戦争を始める以上の精神的エネルギーを必要とする。
 ハルメンスは優雅にソファから立ち上がると窓際に近づく。雲一つない美しい星空。無論ここは大気圏外、雲などあろうはずがない。空気もない。よって星も地上で見るようにまたたかない。ただ星の澄んだ光がまっすぐに視線に入って来る。竜骨座、この星座の遥か彼方に魔の星とネルガル人から忌み嫌われているイシュタル星がある。
 ハルメンスは竜骨座を見詰めたまま、
「彼らと、どうやって戦うおつもりですか」
 もし彼らが異空間を自由に移動できるとなると。
「今のところ私には、彼らと戦うすべはありません」
 これはルカの本心だった。今戦えば必ず負ける。今の自分には成すすべがない。
「殿下、ボイ星の近郊には暗黒惑星と呼ばれる特殊な物体が存在していると聞きおよんでおりますが」と、いきなり話題を変えて来たのはシュレディンガーだった。
 彼は今までの話しには何ら興味がないという感じに話し出す。
「殿下はそこを決戦の場に選ばれたとか」
 ルカの美しい顔が苦悶でゆがむ。それに気づいたハルメンスが、
「シュレディンガー侯、その話は」と止めに入った。
 忘れたかのように振る舞っているルカだがその心の傷は一つも癒えていないようだ。あの戦いで自分の手足とも言うべき部下を失ったのだから。不思議な男だった。誰にも懐かないのにルカだけには懐いだ。
「ハルメンス公爵、殿下がお辛いのは重々承知しているつもりです。ですがそこを強いてお聞きするのは、このままでは彼らに勝てないと言う殿下のお言葉を伺ったからです。私の研究は異空間と重力。イシュタル人のようにはいかなくとも、何か太刀打ちできる方法が見つかるのではないかと」
 今までは好奇心から研究を続けて来た。だが今ここではっきりと目標が出来た。異空間の仕組みを突き止め、この方のお役にたちたい。王族の方々とは社交場でしばしばお会いすることがあるが、何時も自分の研究をからかわれる。だがこの方は違うような気がした。会った瞬間から自分と同じような匂いがする、学者としての。おそらく戦場を駆け回ることがなければ私の研究を手伝ってくれたかもしれない。そんな感じがした。
 ルカもそれを感じていたのか、
「お話しいたしましょう」
 ルカはソファに座りなおすと、
「あの場所を決戦の場に選べたのはある男が居たからです。彼は私の右腕手でした。名前をレスター・ビゴット・リメルといいます。人間魚雷と言う言葉をご存知ですか」
「話は聞いたことがあります、旧文明時代の恥とか」
 ルカは苦笑すると、
「今でもその方法は使われております。艦に大量の爆薬を積み敵空域に送り込むのです。もしくは爆薬を体内に埋め込み重要人物に近づかせるのです」
「そんな」と驚くシュレディンガー。
 彼は軍隊も戦場も知らない。
「今では自動操縦という方法があるではありませんか」
 この科学の進んだ時代に。空爆だって自分は安全な所に居てゲーム感覚でボタンをおすだけ、もしくはコンピューターがかってにやってくれるという時代なのに。
「それは妨害電波や電磁波が出ていない時に限ります。もしくはよほど相手が科学的に劣る場合に限ります。いざ戦いとなるとビーム砲だけではなくありとあらゆる電波で通信はもとより下手をすればコンピューターまで作動しなくなる時があります」
 そんな中での戦い。全ての五感を失ったような、見ることもできない聞くこともできない。だが大概そんな時は敵も同じ状況である場合が多い。後は勘に頼るしかない。先に敵を発見できた方が勝ちである。
「彼は何時でも自爆できるように洗脳されていた」
 シュレディンガーの驚きは大きかった。今でもそのような人間がいるのか。旧文明時代なら、神のためと言って自爆した人間がいるとは聞いていたが。
「彼がどうしてそのような道を歩むはめになってしまったかと言いますと、彼には私たちに見えないものが見えたようです。彼自身は脳をいじくりまわされたため見えるようになったと思っていたようですが、どうやら彼は生まれた時から見えていたようで、それを気味悪がった両親が、生活苦もあったのでしょう、その手の機関に彼を売り渡したということらしいのです」
 これはルカが後で調べてわかったこと。
 シュレディンガーは黙り込んでしまった。さすがにモニカたちは軍に籍を置いているだけのことはあり、その手の人間が居るということは知っているようだった。ただ公にはされていないが。
「彼にはあの暗黒惑星がはっきり見えていたようです。暗黒惑星は幾重にも重なるベールのようなもので覆われていて、その被膜の間を上手く通り抜けることが出来れば向こう側に行くことも可能だそうです、理論的には。ただ実際はそのベールは風になびくカーテンのように動いていますから厄介なのです。少しでもそのベールに触れれば艦は爆発して粉々になってしまいます」
「どうしてそのような危険な場所を決戦上に」
 ルカは苦笑した。
「正攻法では勝てなかったからです。どうあがいてもネルガルの軍事力にはかなわない。一か八かでした。レスターのその感覚に賭けたのです」
「あなたは理性の塊で賭け事のようなことはなさらない方だと思っておりましたが」とハルメンスはからかう。
「それはこちらに余裕がある時です。余裕がなければ何でもやりますよ、うまくいけば儲けものですから」
 ハルメンスはルカの意外な一面を見たような気がした。
「彼にはその動きもはっきりわかるようで、水先案内を買って出てくれました」
「艦隊は三つに分かれて暗黒惑星の中を進んだと聞きおよんでおりますが、他にも見える方がおられたのですか」
「後の二つの艦隊はイシュタル人が手伝ってくれたのです」
「イシュタル人が!」
 驚く一同に、
「ネルガル人と戦うと言いましたら、喜んで手を貸してくれました。彼らは不思議な球を持っておりまして」
 今思えばあれは怪剣。ルビニツキ星で出会ったコヴァックと名乗るイシュタル人からもらったものと同じ。ただ色がコヴァックがくれたものの方が美しい。
「それを空中で自由自在に操るのです。ベールの位置を確認するとその球を艦隊の前方に配置し、その球と球の間を通るように艦隊運動を訓練させました。後続の艦は前の艦よりも外側に出ないように。ボイ人が艦の操作に長けているのはその訓練のたまものです。一歩間違えば死を意味しますから。それに大事なのは時間でした。ベールはいつまでも膨らんでいる訳ではありませんから、まごまごしているとせっかく持ち上がったベールが降りてきてしまいます。通路を塞がれる前に通過しなければなりません」
 ルカはそこで言葉を切った。皆がイメージしやすいように、
「頭の中で風に揺らぐカーテンの間を飛んでいる蠅を想像していただければ解り易と思います。私たちが通ったからと言って、必ずしもその通路が使えるとはかぎりません。そしてそのベールに接触した艦は周りの艦を巻き込み自爆していきました」
 これが勝利の要因。
「暗黒惑星の隅の方を通り抜けただけで、大半の敵は自滅していきました」
 味方の艦の損傷はほとんどなかった。それがボイ人を驕らせるはめになってしまった。ネルガル人の実力を甘く見たボイ人はネルガルに第二の決戦を挑む。圧倒的な軍事力を結集したネルガルにボイは太刀打ちできなかった。これははなから解り切っていたことだ。そしてレスターの壮絶な死。
「彼は動くはずのない艦で、数万の敵艦隊の中に飛び込んで行った。どう考えても艦隊の中央にたどり着けるはずがないのに。私は見たのです。彼の艦が一瞬消え、次の瞬間、敵艦隊の真っただ中に現れたのを。否、スクリーンで見たのではない、意識で見たのかもしれない。なぜならその間レーダーにはコンマ数秒のノイズが記録されているだけです。よく見ないとレーダーが乱れたと言うことすら気づかない僅かな時間でした。彼はテレポートが出来るようでした。本人には自覚がないようですが。そもそもイシュタル人が私たちの前に現れたのは彼のその能力のせいだったのです。遠くからでもその能力は感知できるようで、彼らは仲間が居ると思ってやって来たようです。彼がネルガル人だと知って驚いていました。イシュタルへ来てきちんと訓練すればかなりの使い手になれるとも言っておりました。そんな関係で彼らが私たちに協力してくれたのです。彼が生きていれば、もっと詳しく暗黒惑星のことを話せたのでしょうが」
 そう言うとルカは黙り込んでしまった。今でも彼を失った心の傷は癒えていない。
「殿下、お辛い事を思い出させて申し訳ありません」
 ルカは微かに首を横に振り、
「友を失っただけでこれだけ悲しいのです。まして最愛の人を失ったりしたら、私ですら復讐せずにはいられないでしょう。オネスの気持ちもわからなくはありません。それを利用しようとするイシュタル人とは、ある意味私たちより恐ろしい人種なのかもしれません」
 だから悪魔と呼ばれているのかもしれない。
「ましてあの時、他の者たちも助けられるだけの能力がその者にあったとしたら、オネスをこうするためにあえて見殺しにしたと言うことになります。能力について何も知らないレスターですら艦一隻をテレポートすることが出来たのですから、その能力に長けた人物があそこからオネスだけではなくその家族を救い出すことは難しくはなかったのではないでしょうか」
「では殿下は、その者があえてしなかったとお考えなのですか」
 ルカは頷く。
 あえてしなかったと言うことは、その人物の目的は、オネスの復讐心を利用して私を殺すこと。ただそれだけだろうか。それにしては手が込み過ぎているのでは。そうまでして私を殺す意味が何処にあるというのだ。ネルガルの皇帝ならいざ知らず、皇位継承権の資格すら最下位の王子の命にどれだけの価値があるというのか。わからない。やはりその人物の目的はオネスの復讐心を駆り立て、ネルガル人同士を戦わせることにあるのではないか。
「どうしてそのようなことをそのイシュタル人はしたのでしょうか」と問うオルテイラーノに対して、
「答えは簡単です。ネルガル人同士を戦わせるのが目的です」とモニカは答えた。
 ルカと同じ結論である。
「殿下の推測が正しければ」と、モニカは付け足した。
 その時だった、ケリンからの通信。
『お話し中申し訳ありません。殿下、オネスが動き出しました』
「オネスが!」と一同、あまりのタイミングのよそに驚く。
「それで、数は?」
『宇宙戦艦と呼べるものがほぼ三百隻、残りは商船の寄せ集めのような』
「一個宇宙艦隊にも満たない数ですね」とオルテイラーノの参謀役のゲイリー。
「目標はキュリロス星ですか、私への復讐のために」とルカ。
「三百隻では無理でしょう」とゲイリー。
「私のやり方でしたら、三百隻でも十分です」
「だが、同じ手が二度使えるとは思えないが」と言ったのはハルメンス。
 彼らだって馬鹿ではない。次は敵が隕石に近づく前に艦隊戦に持ち込むだろう、まして敵の数が少なければ。
『それが』とケリンは彼らしくなく言葉を濁した。
 どう判断したらよいのか迷っているようだ。そして事実だけを伝えることにした。
『彼らの方向にあるのは、ネルガルが誇るダゴン軍事要塞です』
「馬鹿な、たった三百隻で。自殺行為だ」と怒鳴ったのは、モニカの前では紳士的に振る舞おうと努力していたオルテイラーノ少尉だった。
 ダゴン軍事要塞。ネルガルの鉄壁の砦と評価されている。今までにこの要塞を突破できたものはいない。
 イシュタル人が付いていればあのネルガルの科学の粋を集結した要塞も、ただの張子の虎とでも言いたいのか。
「ケリン、このままオネスの追跡を続行してください。どんな些細な情報でも欲しい。本当に目標がゴダンなのか、それともそう見せかけて」
『商船を近づけさせてみましょうか』
「いや、あまり近づかない方がいいでしょう。今回の戦闘、どんな方法を使うのか私には皆目見当も付きませんから」
『畏まりました。とりあえず、見張るだけ見張りましょう』
 ケリンからの通信は切れた。
 ルカはシュレディンガーを見た。
「忙しくなりそうです。また近いうちに召集がかかるでしょう。こんな私では夫になる資格はありません。もっと落ち着いて地上に足を付けている男性を選ばれたほうが、お嬢様も幸せになれると思います」
 ルカはシュレディンガーの好意を丁寧に断った。
「オネスに勝つ方法を考えなければなりませんね。せめて彼らがテレポートしてくる空間のゆがみでもキャッチできれば、どうにか対応もできるのですが」
 キャッチするだけでは駄目だ。キャッチして照準を合わせられるだけの時間がなければ。
「計算してみましょう」と言ったのはシュレディンガー。
「それではここら辺で私たちは失礼いたしますか」と言いだしたのはハルメンス。
「そろそろ地上に戻りませんと、ご婦人方がうるさいもので」
「そうですね」とトリントも立ち出すと、
「君はせっかくお姉様に会えたのですから、積もる話もあるでしょうから」と、ここに残されることになった。
 ハルメンスたちが去ると、
「私たちもそろそろお暇いたしましょう」と、モニカが立ち出すと同時に、
「殿下、差し出がましてとは思いましたが、一つ気づいたことがありますので、お耳が痛いかとは存じますが聞いていただければ有難く思います」
「何でしょう」と、ルカは首を傾げた。
「殿下はご自身の社会的お立場はよくご理解なされておられるようですが、女性の気持ちはわかっておられません」
「シナカのことですか?」
「いいえ、奥方様のことではありません。社交界のことです。そこで殿下がどのように噂されているかご存知ですか。一度ぐらいは社交界に顔を出された方がよいと存じます。それが如いては奥方様のためにもなります。女性の嫉妬は怖いですよ。奥方様が殿下を独り占めしているとか。男性の嫉妬は国全体に及びます。傾国の美人などとは男性の嫉妬から。その女性を他の男性に取られまいと一途になるから。ですが女性の嫉妬は矛先がその本人に向けられます。言うなれば奥方様に。その矛先を避けるためにも御帰還なられたら一度ぐらいは夜会に顔をお出しになられることをお勧めしておきます」
 ルカは黙って聞いていた、自分の感覚ではとらえられないものだけに。
「パートナーのお相手をお断りするときもお気を付け下さい。出来ることでしたらハルメンス公爵ではありませんが、彼のように頭の切れる娼婦を数人、お抱えになられるとよいかと存じます。全てを彼女たちのせいになされば奥方様への風当たりも弱くなりますから。彼女たちはそこら辺の駆け引きはお上手ですから、殿下の心配にはおよびません。彼女たちにしても殿下のような方がパトロンになってくださるのでしたら喜でしょう。娼婦としての格が上がり今後の客層が違ってきますから。社交界の情報は彼女たちから得ればよいかと存じます」
 ルカが驚いたようにモニカを見ると、モニカはうつむき加減に苦笑して、
「私は最下位まで落ちた身ですから。このことは義父母にも内緒でしたが、お蔭様でいろいろな知恵を身に着けることが出来ました」
 上流社会から最下位の生活まで経験した彼女のアドバイスは、ナオミにとっては完璧なものだった。
「お強いのですね、どんなところからも学び取っていかれるのですから」
 モニカは軽く首を横に振ると、
「強いのはナオミ夫人です。奥方様にお会いしていなければ今の私はなかったでしょう」
「いいえ、母はモニカさんには頭が上がらないと申しておりました。いつも適切なアドバイスをくださるのですから」
「そっ、そんな。ただ私は耳にしたことをお伝えしただけで」と、今回も出過ぎたことを口にしてしまったと反省する。
 でもルカの身は心配。たとえ嫌われようとこの方のためなら。それだけの恩を受けている。
「お忙しい御身ですから、御帰還された時ぐらい奥方様の側に居たいと言う殿下のお気持ちもよく解りますが、女性の口はうるさいものです。奥方様が焼きもちやきで殿下が外出できないなどと噂をたてられますと」
「わかりました、その忠告、しっかり心に留めておきます」
「本当に差し出がましいことを、申し訳ありません」
「いいえこちらこそ、宇宙にばかり気を取られてシナカの立場まで考えている余裕がありませんでした。有難うございます。これからも気が付かれたことがありましたら何なりと」
「殿下はナオミ夫人そっくりですね」
「良いところは見習おうと思っております」
 モニカたちは次はいつ会えるかわからないが、そんな約束をしてルカの部屋を出た。



「口癖のように姉さんは言っていましたが、本当に庶民的な人なのですね、ルカ王子は」と、エレベーターに乗り出すなりトリントが言う。
「王子らしくないと言ってはなんですが」とオルテイラーノまで。
 彼は以前某王子の傘下に入りえらい目にあったことがある。
「しかし、美しい人だ」とため息交じりに言ったのはゲイリー。
「スクリーン上で何度かそのお姿は拝見して美しい方だと思っていましたが、実物はそれ以上だ。まさに動く宝石、否、彫刻か。美の女神の降臨としか思えない。まてよ、確か男性でしたよね、殿下は」
 三人三様の感想をもらす。そんな中独り考え事をしていたのはモニカ。
「それよりトリント」
「何ですか姉さん」
「ハルメンス公爵とは何時からのお付き合いなのですか」
「何時からのお付き合いと言われましても、ロビーでたまたま出会ったのです。ああいう方々とはゲートが違うのでお会するようなことはないと聞いておりましたが、私の方が驚いたぐらいです。しかも公爵は私のことを知っていて、声をかけてくださったのです。姉さんに会われましたかと。ですから私がこのホテルに居るのですかと尋ねると、まだ会っていないのなら一緒に会いに行きませんかと誘われたのです」
「そうだったのですか。殿下に会う口実に使われたのですね」
「どういう意味ですか」
「殿下が会いたがらなかった時、あなたが居ると言えば殿下のことですから必ず扉を開けるでしょうから。でも来る人拒まずというのが殿下の性格ですから、そういうことはないでしょうが」
「姉さん、それ、どういう意味ですか。殿下とハルメンス公爵は友達ではないのですか」
 姉の話しの中にも社交界の婦人を二分すると言うハルメンス公爵しハルガン曹長はよく出て来た。私はてっきりこの二人は殿下のよき親友なのかとばかり思っていたのだが。
「親友です。でもネルガルの未来に対するお考えが違うのです」
 えっ!と言う顔をするトリントに、
「詳しいことは後で話します。ただ今は、公爵とはあまり付き合わない方がよいとだけ言っておきます、殿下を敵にまわしたくなければ。今はお互い相手を説得しようと努力なされておられますが、公爵が折れない限り何時か二人はぶつかることになります。殿下はああ見えても一度こうだと決めたことを曲げるお方ではありませんから」
 ぶつからなければよいのですが。



 検疫の結果も異状なし、ルカたちはやっと地上に足を着けることが出来た。そんなルカを待っていたのはお祭りモードの館。ルカの帰還を知りスラムから大勢の仲間が詰めかけて来たのである。シナカとゆっくり話ができないほどに。スラムの教育水準も上がったようだ。今ではルカに負けず劣らず屁理屈をこねるものまで現れた。
「戦争のような破壊行為は他国でしかも戦費が国内総生産で賄える範囲でやるなら、需要を生み景気がよくなるんだよな」
「まったくだ、壊すものを作るのだから工場はフル活動だからな」などと、ホールでアルコールを浴びながら話をしている。
 既に豪華な絨毯には空の酒瓶がゴロゴロ、おまけに人までゴロ寝、瓶を踏み足でも挫かなければよいがと思っている矢先に、どこかで倒れる音とうめき声。どうやら骨折には至らなかったようだが、その近くで寝ていた者はもろにひじ打ちを食らったようだ。
「しかし、まかなえる以上の戦費を出すようになると国は滅ぶ。国民がその重税に耐えられなくなり反乱を起こすからな。得てして戦争に負けるのは敵に攻められるより国内で反乱が起きて自滅するケースの方が多いぞな」
 うんうんと頷く仲間たち。彼らはネルガルがそうなりつつあることを知っているのだろうか。ついこの間までこのスラムへ来るまでは食うか食わずの彼らも、腹が満ちて来ると今までの苦労は他人事になってしまう。人間とはある意味便利な生き物だ。苦しいことも今が満ちればすぐに忘れてしまう。
「だったらそうならないように計画立ててやればいいじゃん。戦争は儲かるんだろう」と、戦争を知らない奴が言う。
 要は利益の分配だ。国民から吸い上げた税金を福祉に使うか兵器に使うかの違い。資金を回転させれば経済は潤う。預金として固定しては経済は衰退する。回転の速度が早ければ早いほど経済は潤う。よって国民生活の福祉に充てるより銃の玉にあてた方がより速く資金は回転する。なにしろ銃の玉なら撃てば直、作らなければならないから。
「馬鹿、そういかねぇーから苦労してんじゃねぇーか。誰だって最初は計画立てて始まるさ、計画も立てずにドンパチ始まるのはおめぇーぐらいなものだ」
「なんで、俺なんだよ」
「計画的にいっているうちはいいさ、物資も食料も十分間に合う。だが敵がこっちの計画通りに動くとは限らない、一人将棋じゃあるまいし、それに敵にはこっちの計画通り動く義理もない。いくらこっちが計画ではここで終わりだと言っても、敵がやりたきゃ続けなきゃならないだろう。だから戦場は次第に迷走して行き、戦況は泥沼化していく、そして止めるに止められなくなるのさ。それが戦争っていうものだ。そうすると物資や食料は不足し軍規は乱れる。軍人は自分が食うために略奪を始める。最終的には軍隊ではなくただの盗賊と成り果てるということさ。兵器と国家権力を持っているだけただの盗賊より始末が悪い」
「そして、国が負けると言うことか」
「まあな、例え負けなくとも国は疲弊しきり立ち直るには時間がかかる。下手をすれば政権がかわる」
 ギルバ王朝から次の支配者へ。とは口にはしなかった。
 ルカは彼らの話を黙って聞いていた。ほんの少し教育しただけで彼らはここまで考える。戦争がいかに無益か。儲かるのはほんの一握りの人たちなのだ。だがここが矛盾。ルカも戦費は戦場で得ている、勝ち取った特権を売ることによって。でなければあれだけの軍隊を維持することは不可能だ。軍部からの支給だけでは到底まかなえきれない。得てして軍隊が略奪行為を容認されているのはそのせいである。略奪をさせないためには彼らにそれだけのものを支払わなければならない。その軍資金を稼ぐのにルカはマルドックの商人を使っている。彼らは全ての物を貨幣の単位で表現する。路上の小石から惑星、はたまた人の愛や命まで、この銀河に存在するもので貨幣で表せないものは無い。彼らの銀河図はどのようになっているのだろうか。よくその惑星を国民総生産で表した銀河図を目にすることがあるが。
「でもよ、生産がフル活動しているってことは俺たちの就職口も増えるってことだよな」
「それにしちゃ、これだけ戦争しているのに就職口は増えないな」
 戦費による増税はそれによってもたらされる利益を上回り、企業の経営を圧迫し始めて来ていた。企業が生き残るにはコストを削減しなければならない。真っ先に削られるのが人員と給料。賃金の高い従業員は雇わない。結局、いくら資金の流れがよくなるといっても兵器では作っても作っても国民の生活は向上しない。ただ壊すだけの道具では後に何も残らない。否、何も残らないどころかその地は荒れ果て草ですら生えなくなる。これでは当然のことながら人も住めない。
「そりゃ、最低賃金などと言うくだらない決まりがあるからさ。それがなければ」
「そうだ、幾らでもいいと言えば、結構雇ってくれる企業はあるもんだぜ」
「そうだろうか」と彼らの話しに割り込んできたのは別のグループ。
 彼らは日雇い労働者のようだ。その日その日を食いつなぐため何でもしてきた人々。このスラムに来てやっと安住の地を得たようだ。
「俺たちは最低賃金以下で働いていたのさ、ここへ来るまでは」
「働いても働いてもその日食うのがやっとだった」
「病気や怪我などしたら、お先真っ暗だ」
「そうですね」と話に入り込んできたのはルカだった。
「水は低いところに流れるように、金(マネー)は高いところに流れる。そして雇用は低いところに流れます。最低賃金を決めておかないと止めどもなくなります。いくら働いても生活できなくなりますからね。ですから幾らでもいいから雇ってくれとは言わない方がいいですよ」
「あのな殿下、そんなこと言うけど雇ってもらえないことには」
「生活できないのでしたら働く意味がありません」
「だからって雇ってもらえなけりゃ、あした食うおまんますらなくなるんだぜ」
「そうだよ。それにせっかく高い給料で雇ってもらったって、その会社が倒産しちまったら元の木阿弥だからな」
 皆は頷く。
「それでは何のために働くのですか」
「食うためさ、人間らしい生活をするためではない」と、誰かがばさっと言ってのけた。
「とにかく、仕事がねぇーことには食えねぇー」
「そうそう最低賃金などどうでもいい、とにかく今夜の飯代ぐらいくれってな」
 周りの者たちが頷く。ルカは黙り込む。今のネルガルがそうだ。働いても人間らしい生活が送れるのは極一部の人々。
「殿下、こう言っちゃなんだが、あんたらトップがちゃんと政治をやらないから」と、彼らはネルガルの今の現状を最終的にルカたちのせいにした。
 ルカはそれには抗議した。
「あなた方がそうやって自分たちの権利を放棄したからこうなってしまったのではないのですか。ギルバ王朝も最初は一介の実業家に過ぎなかった」
「殿下、あんたなら何とでも言える。王子なんだからな。だが俺たちが言ったら、即刻、これさ」と、その男は自分の首を手で切るまねをした。
 こんな状態で反乱が起きないのは密告の制度が整っているため。
「よっ、もうよそーぜ」と割って入ったのはトリス。
「どうせ明日生きているかわからない命だ。今が楽しければそれでいいじゃねぇーか」
 これがトリスが宵越しの金を持たない理由。
「自由だの平等だのと言うが、それは所詮貴族たちのもの。その日暮らしの俺たちには関係ない」
「そういうことだな。貴族以外の者は他の惑星に自由や平等を求めなければならなかった。だがネルガル人が住めるような惑星には既に任住民がいた。俺たちにとっての自由は先住民にとっては侵略のなにものでもない」
「つまり貴族に迫害されたネルガル市民は他の惑星に自由を求めた。結果、ネルガル人にとっての自由はその惑星の先住民の犠牲の上に成り立つことになった。彼らが自分の惑星を取り返すために戦うのは当然だ。それを蛮族の襲撃だと言って攻撃してきたのが俺たちの歴史。そんな彼らの血によって土台が作られた自由や平等などと言う思想は、砂上の楼閣に過ぎない。長く続くはずがない、いつかは。近年そのほころびが目立ってきているのではないのか」
 今まで食うだけの生活だった彼らに母の築いた町は書物を読む時間を与えた。
「では、どうしたらよいのでしょう」とルカ。
「それは、おめぇーが考えることだろう、頭がいいんだから」と、丸投げされてしまった。
「そういう風に他人に全てを任せるから、世の中がおかしくなっていってしまうのです」
 トリスはチッチッチとばかりに人差し指を目の前で振る、もうこんなくだらない話はよそうとばかりに。酒が不味くなる。
「それより殿下、奥方様が寂しそうだぜ。俺たちのことはいいから、地上に足が付いている時ぐらい奥方様の傍に居てやれよ」
 シナカもスラムの女性たちと楽しく話をしているようだが、時折ルイがこちらを見る。ルカもやっとその視線に気づいたようだ。
「早く、行ってやれ」と、トリスがルカの背を押す。
 トリスはルカの姿が遠ざかったのを確認すると、男たちに話しかけた。
「おい、お前ら。あいつに当たったってしょがねぇーだろう。あいつはやるだけのことはやっている」
 男はふてくされたようにそっぽを向くと、
「わかっている。わかっているがつい当たりたくなるんだ」と、先程の態度を反省するかのように口ごもる。
「なっ」と割って入ったのは別な男。
「ハルメンス公爵の噂を知っているか」と、声を潜めて訊いてきた。
「あいつ、地下組織の」と男が言いかけた時、
「お前、今頃知ったのか」
「やっぱり、知っていたのか」
「この館の親衛隊で奴のことを知らない奴はいないぜ」
「じゃ、やっぱり兄貴たちも公爵に付くのか」と言いかけた時、
「俺はハル公の仲間にはならねぇー」
「どうして?」
「奴が嫌いだから。と言うよりも、俺は殿下の側に付く」
「殿下の側に付くって、殿下は公爵の仲間では?」
「違う!」と、トリスは強く否定した。
「じゃ何かい。このままギルバ王朝を存続させるつもりか」と、別な男が口を出してきた。
 他の惑星に自由や平等を求めるのが悪なら、この惑星に求めるしかない。
 皆が一斉にしぃー。とその男の口を塞いだ。あまり物騒なことを大声で言わない方がいい。いくら殿下の館の中とはいえ、盗聴器が仕掛けられていないとも限らない。
「王朝を倒したところで同じ繰り返しだろう。次の支配者が同じことをする」
「そうとも限らないだろう」
「いや、必ず繰り返す」と、トリスは確信を持って言った。
「今までの歴史がそうなんだからな」
「じゃ、お前はこのままでいいと言うのか」
 人として生まれて教育どころか食うのもやっとなどと。病気になっても医者にもかかれない。動物の方が温かいねぐらと空腹を満たせるだけの狩場を持っている。
「このままでいいはずねぇーだろー。だから俺は言っただろう、殿下に付いて行くと。ハル公でもなく第一皇位継承者のジェラルドでもなく、ルカにな。あいつが行く方へ俺も行く」
「殿下は何をお考えなのだ」
「雲上人の考えは俺たちのような地べたを這いつくばっている蛆虫にはわからない。だが少なくともこのままでいいとは考えていないことだけはわかる。それにハル公のやり方にも賛成していないことも」
 男たちは黙り込んでしまった。自由と平等、別なやり方で築けるものなのだろうか。俺たちの世界の自由と平等は根本的にどこかが違っているのだ。だから同じ過ちを繰り返す。
「おいおいどうしたんだよ、しけた面して」と千鳥足で寄ってくるロン。
 今宵はトリスよりロンの方が出来上がっていた。
「それより殿下と奥方の姿が見えないのだが」
「もう休まれたのだろう」
 トリスにしてはやたら丁寧な言葉だ。
「へぇー」とにやけるロン。
「今宵こそはいよいよ奥方を撃沈できるかな」
「逆だったりしてよ」とトリス。
「なんせこの館は、戦艦より空母の方が強いからな」





 ネルガル星より数光年離れた空域にその艦隊は停泊していた。数五百、宇宙海賊シャー、これがこの宇宙艦隊の呼び名である。その旗艦の展望室でオネスはこれから自分が手に入れて行く銀河を眺めていた。そしてその手始めがネルガルの誇る難攻不落のダゴン軍事要塞。
「目の前の敵ぐらい撃てるのだろうな」
 話しかけてきたのは青い髪の少年。
「俺たちを甘く見るなよ。これでも元はネルガル宇宙正規軍の軍人だ」
 少年はにやりとした。
「最初の標的には申し分ない。あそこを落とせれば俺の名は銀河に轟く。だがあそこには要塞砲がある。艦隊砲では太刀打ちできないぞ、どうするつもりだ」
 少年は進行方向を眺めたまま、
「要塞砲は外から攻めるのは困難だが、内側からは脆いものだ」
「諜報でも使って寝返らせるつもりか」
 少年はオネスの方に振り向くと、
「そんな面倒なことはしない。一気に攻め込む」
「俺たちの艦隊は、戦艦と呼べるような艦は三百しかないのだ。後は」
「怖いのか」と少年は冷ややかな笑みを浮かべた。
 オネスはむすっと黙り込む。
「私の力を見たいと言ったのはお前だろう」
 オネスはじっと少年を睨みつけた。青い髪、悪魔の象徴。こんなひ弱な子供に何ができると言うのだ。だが自分がこの少年を恐れていることは事実だ。そう言えばルカ王子も線の細いひ弱そうな少年だった、スクリーンで見た限りは。
「お前たちが目の前の敵をきちんと撃ち取ることができれば、勝敗が決するのに十分とかからない」
 そう言うと少年は消えた。テレポーテーションだ。好きな時に現れ好きな時に消える。何度も経験しているがオネスはどうにもあれが気に入らない。常に自分の居場所が知られているようだ、まるで見張られているように。
 忌々しいガキだとオネスは紳士のたしなみとも言える手袋を床に叩き付けた。それを足で踏みつけながら、
「おもしろい、その実力、如何ほどの物かじっくり見せてもらおう」





 ルカとシナカは池の畔のベンチに腰掛け朝からずっと話をしている。
「よくも飽きずに話をしているわね」とルイが感心する。
「話題が尽きると言うことがないのかしら」
「そりゃ、一年近くも会わなかったんだ、その間の三度三度の食事のメニューを話しただけだって一日じゃ語りつくせまい」とトリス。
 ルイは呆れたような顔をトリスに向けると、大きな溜息を吐いた。ルカにシナカを取られてしまったルイは少し寂しそう。
「妬くな、だから俺と付き合わないかと言っているだろう」
「誰があなたのような酔っ払いと、あなたと付き合うぐらいなら、まだホルヘさんの方がましだわ」
 それを聞いたホルヘは、
「まだ、ましな程度ですか」と少しがっかりしたように言う。
「やだ、居たの」とルイは顔を赤くしたものの、
「私の恋人は妃様ですから、妃様と比べれば皆、月とスッポンよ」
「だけど奥方は女だろう、お前も女じゃないか」
「女同士が愛し合ってどこが悪いのよ」
「奥方にはルカがいるだろーが」
「そっ、そのぐらい言われなくともわかっているわよ」
 ここになるとルイは口ごもる。認めたくないが認めなければならない、それがルカ。これが他の男ならとっくに張り倒してこの館から追い出しているのに。
「妃様とルイは小さな頃からずっと一緒でしたからね、まるで姉妹のように」とホルヘ。
「そうよ、後から来て私たちの仲を」
「結局、寂しいんだろ、だから俺が癒してやるって、さっきっから言っているじゃねぇーか」
「寂しくなどありません!」
 ルイは思わず大声を張り上げていた。
 その声に驚くシナカ。振り向きルイの姿を見つけるとルカと一緒にやって来た。
「どうしたのですか、大きな声を出して」
「何でもありません、ただトリスさんが」
「トリスが何か?」と、ルカが心配そうに訊く。
 酔った勢いで何かしでかしたのではないかと。
「誘っただけだよ、ダンスに」
「その千鳥足でですか?」
「お前だって、びっこひいているだろーが」
 変な所にとばっちりが来てしまった。
「トリスさん、残念ながらルイは駄目よ」と言ったのはシナカ。
「ルイには既に心に秘めた人がいるのですから」
 心に秘めた人と言うので誰もがルイの顔を見た。
「妃様、なっ、何と言うことを言うのですか。私にはそのような方は」
「もうそろそろいいのではありませんか、告白しても。もし何でしたら私が」
「だめ!」と大声を張り上げたのはルイ。
「妃様でも、それだけは絶対許しませんからね。例え殿下にでも、絶対ゆるしません」
 今の言葉で心に秘めた人がいることを宣言したようなものである。
「そんな、夫婦間で秘密事など」と言うルカに対し、
「夫婦間でも秘密があって当然。夫より旧友の方が大事な時もあります」とルイ。
「ボイ星ではそうなのですか?」とルカがホルヘに尋ねる。
 ホルヘが答えに窮した。
「少し辛抱していただければ、近いうちに秘密ではなくなりますよ、ねっ、ルイ」
 強引にシナカから同意を求められたルイ。自分が告白しない限り秘密は続く。


 その晩のことだった。シナカは隣に寝ているルカに囁く。
「ルイの好きな人はね、ホルヘなの」
「いいのですか、私に話してしまって。友情だったのでしょう」
「いいのよ、あなただけには。ただし聞かなかったことにしてくれれば」
「そうやって噂は広がるのですよ」
 そんな屁理屈をこね始めたルカの唇を自分の唇で塞ぐと、
「あなた以前仰られたでしょう、あなたと私の間には子供が出来ないから、ホルヘさんとの間にと。私がそれを断ったのは、ボイ人は一生一人の人と連れ添うということもありますが、それよりなによりルイがホルヘを好きだから」
「そうだったのですか。あなたもホルヘさんが好きだったのかと思っておりました」
「ええ、夫婦間で秘密は禁物ね。あなたを愛するまではね、ホルヘの妻になりたかった。ルイには悪いと思いながらも。でもホルヘはルイが好きなのよ。ルイもそれは知っていたわ、でも私に遠慮してずっと告白していないのよ」
「ホルヘさんはルイさんが好きだったのですか」と、ルカは驚いたように聞き返した。
「あら、知らなかったの」
 ホルヘに以前頼んだことがある。シナカとの間に子供をもうけて欲しいと。ボイ王朝の血を絶やさないために。だがホルヘに言われた。それであなたは我慢できるのですかと。そんなことをしたらあなたは私を絶対に許さないだろうと。ホルヘなら許すと私は言ったのだが、あなたに嫌われたくないからとホルヘは承諾してくれなかった。だが本当は別な理由があるのではないか。ケリンがボイ人たちの遺伝子を分析したところ、シナカとホルヘの遺伝子はあまりにもよく似ている。おそらく兄妹ではないだろうか。と言うのがケリンの結論だった。おそらくボイの国王はこうなることを察して、ホルヘを宰相の子として育てたのではないか。私の提案を頑なに拒否したホルヘはこのことを知っている。だがシナカは、おそらく知らないのだろう。では他に誰が知っているのだろうか。キネラオは、サミランは? ケリンはこのことは知らなかったことにしようと全てのデーターを消去した。
「私はどうやら、そういうことには疎いようです」
「そうみたいですね、ネルガルのご令嬢たちが随分思い詰めていると言うのに、時には夜会にお出かけになられたらいかがですか」
「いいのですか、そんなこと言って、本当に夜会に行くかもしれませんよ」
「ええ、私以上にあなたを愛している人がこのネルガルに居るとは思えませんから」
「それは確かですね。私もあなた以上の女性がこのネルガルに居るとは思えません」



 それから数日のことだった、シュレディンガー家から当主の誕生会の招待状が届いたのは。
「どうするんだ?」と言うトリスの問いに、
「義理とはいえ祖父なのです。伺わないわけにはまいりません」
「罠ですよ、宮内部の仕組んだ。おそらくその場を借りてあなたのお妃候補を」と忠告したのはケリン。
「私もそう思います。ですからハルメンス公爵からお一人貸していただこうかと思っております」
「娼婦をか」とトリス。
「ご婦人をです」とルカは言い返した。
「うまくやらないとシュレディンガー候の御孫娘の心を傷つけることになりますよ」
「わかっております」
「お前にそんな器用なことできるとは思えないがな」とトリスはルカを心配する。
「ですから気の利いたご婦人を同行するのです。彼女にそれをやってもらいます」
「なっ、なるほど」とトリスは納得した。
「お前にしては上出来だ」
 こいつは意外に自分の性格をよくしっているようだ。自分の興味のないものは全て丸投げしてくる。人のことは言えないだろうがと思いつつも、まあ、出来ないのに出来るふりをするよりましか。
 ルカがパーティーに出席すると言うのを聞いて、慌てて飛んで来たのはルカの教育係兼、身の回りの世話係りのナンシーだった。今まで幾度もパーティーに参加するように勧めたが、一度も首を縦に振ったことのない殿下が、どのような風の吹き回しで。まあ、それはどうでもいいことだわ。これで少しは上流社会との繋がりが。いくら王子とは言え、門閥貴族たちから孤立していては。
「何時なのですか、そのパーティーは? それまでに急いで服を新調しなければ。それに贈答品も用意しなければ」
「ナンシーさん、服はいいです。まだ袖を通していない服がいくらでもありますから」
「型が古くなっております」
「そんな、まだ一年もたっていないのにもったいないです」
 これがネルガル王子の言う言葉か。まるで貧乏人じゃないか。とトリスは思うのだが、ここがルカが庶民受けするところでもある。
「ナンシーさん、服は本当にいいです。それより贈物を、何か気の利いたものを用意していただけますか」
 ここはナンシーのセンスに任せるしかない。



「ご出席のご返答をいただいたのですが、本当にお越しいただけるとは思いもよりませんでした」と、当主自らがエントランスまで出迎えに来ていた。
 今までどんなパーティーにも出席したことのない王子である。シュレディンガーも宮内部に言われ招待状を出すには出したものの、期待はしていなかった。
 出迎えに駆け寄る義祖父を見て、
「これではどちらが今日の主役かわかりませんね」とルカ。
 それからおもむろに祝辞を述べた。
 パーティーはルカにとってはとても有意義なものになった。さすがは当主が著名な学者だけのことはあって、招待された人たちもその道では名の通った学者ばかりである。いつもネットで情報を集めている人たちの生の声が一堂に聴けるなどと、夢にも思わなかった。これならケリンも連れてきてやればよかった。身辺護衛としてリンネルを始め数名の者が付いて来たのだが、そこにケリンの姿はなかった。彼は今、オネスの動向を探るのに必死。
 ネルガル星では何時しか政治はパーティー会場で決まると言われるようになって久しい、議会は形だけになっている。だが研究もパーティー会場で進展するようだ。お互い研究の行き詰まりを分野の違った者たちに話すことによって名案が浮かぶようだ。これは唯一パーティーが良い方向に動いている実例である。政治も本来倫理的、哲学的な観点から話し合いがなされればよい方向に動くのだろうが、政治だけは不思議と利己的な方向でしか話しが進まない。
 腹もほどほどにくちくなり、慣れないアルコールにほろ酔いしながら、ルカは少し夜風を浴びようと庭に出られる通路へと出た。そしてそこで見たものは。
「無礼者!」
 通路内に響き渡る声。見れば、床に手を付いて謝っている下女を殴ろうとしている貴公子。
 ルカは娼婦が止めるのも聞かずに、その青年の前に立ちはだかった。そして床に這いつくばっている下女の髪を鷲掴みにしている青年の手首を握る、
「いっ、痛い」
 青年は思わず下女の髪を放す。よろめくように床に突っ伏す下女をルカが受け止め、
「お怪我はありませんか」と尋ねた。
 下女が答えるより早く、
「貴様は!」 誰何の声。
 ルカは侍女を床に座らせたまま立ち上がると、
「こんなに謝っているのです、許してさしあげたらいかがですか」
「これを見ろ」
 飲み物をかけられたようだ、豪華な服には染みが出来ていた。
「クリーニングにかければきれいになりますよ。クリーニング代は私の方で持たせていただきますので」
「クリーニングだと、みっともない。こんな服、二度と着られるか!」
 その声を聞きつけて来たのだろう、リンネルと護衛の者が数名駆けつけて来た。
 青年も護衛たちの肩章を見て相手が何者か悟ったようだ。一瞬躊躇したものの、ここまで来てはもう後には戻れない。
「それでは後日、同じ服を用意させましょう。それで」とルカは足元の下女を許してもらおうとした。
 そこへハルメンスが現れた。彼も招待されていたようだ。今まで何処にいたのかその姿を見かけなかったが。
「大きな声がするかと思えば、ヘーリンゲ家の坊ちゃんではありませんか」
「ハルメンス公爵」と驚いたように坊ちゃんと呼ばれた青年はハルメンスを見る。
「また、下女にちょっかいを出しているのですか。その下女は侯爵のお気に入りですから、なんぼちょっかいを出しても無理ですよ」
 ハルメンスにそう言われると、青年はそそくさとその場を去って行った。
「まったく困ったものです、美しい下女を見ると直ぐに手を出したがる。下女は逆らいませんからね」
 ハルメンスのその言葉を聞いたルカは黙り込んでしまった。
 そこへ数人の下僕が駆け込んできた。その中の一人が、
「妹が、大変ご無礼なことをいたしまして申し訳ありません」と謝る。
「妹は目が」と言いかけた時、下女はイシュタル式に両膝で立ちまるで神に祈るかのように手を組み合わせると、
「紫竜様、有難うございました」と礼を述べた。
 それを聞いた下僕たちが驚く。目をぱちくりさせながらルカを見ると、
「紫竜様?」と疑念の声を出した。
 彼女がルカに対して言っているのだと言うことは、誰の目にも明らかだった。ルカは慌てた。
「申し訳ありません、私はルカです。紫竜などという名前ではありません。人違いでしょう」
 こう言って彼女の言葉を否定するのが精一杯だった。
「いいえ、紫竜とは人の名前ではありません。紫竜様にも白竜様からいただいたお名前がおありでしょうが、あいにく私はそのお名を存じ上げませんので紫竜様とお呼びいたしました」
「白竜がくれた名前?」
 ルカは暫し考え込むと、
「では、エルシアと言う名前に心当たりがありますか?」
 下女は微笑む、
「それも名前ではありません。エルシアとは小言の多い煩い人の代名詞です」
 下女のその言葉に周囲にいるネルガル人たちは納得した。もしここにトリスが居たら、笑い出していただろう、さもあらんと。ルカにはそんなところがあった。小言まではいかないが、時に細かいことがある。
 ルカと下女の会話に割って入ったのは一人の下僕。
「クシナ、この方はネルガル人だ。紫竜様ではない」
「イシュタル人ではないのですか」と疑問を持つ下女。
「でも」と、言い張ろうとする下女を下僕はいたわるように抱え、
「それに髪だって紫ではない。お前は目が見えないからわからないが」
 それでもクシナと呼ばれた下女は大きく首を左右に振った。
「兄さん、でもこの方は」
「普通の人と同じに見えるが、私には」ともう一人の下僕が口を挿む。
 彼も魂が見える。ただクシナよりその能力は洗練されていない。
「それは、魂一つ一つの輝きが大きいから、でも確かに数は」と下女が言いかけた時、
「何かあったのか!」と駆けつけてきた青年がいた。
 今日は王族の方が見えられると言うことで、特別に宮内部の方から軍部に要請がありこの館の守備を預かっている者だ。数名の部下を引き連れたその将校は、
「今日はあまりもめ事を起こさないでくれ、それじゃなくとも厄介な奴が来ることになっているんだからな」
 王子ほど始末に悪い者はいない。自分が一番偉いと思っているから、こっちの忠告を聞こうとはしない。そのあげく何かあればこっちの責任になる。王族の護衛を一番嫌うカロルだった。クリンベルク将軍(親父)から命令されたから仕方なく引き受けたものの乗る気のない仕事である。こんな守備の任に付くぐらいならまだ、ジェラルドの館の池の掃除でもしていた方がよっぽどましだ。
 暗い廊下、月明かりでもめ事の中心人物であるらしき者の影を見る。線の細い見覚えのある影。
「お、王族って、まっさか、お前のことだったのか?」
 あまりの驚きに素っ頓狂な声を張り上げるカロル。
「あなたは、誰を護衛するかも確認せずに来たのですか?」と、ハルメンスは呆れたように言う。
「だってよ、こいつがうすらうすらするとは思ってもみなかったからな」
「なんなのですか、そのうすらうすらとは」とルカ。
「おめぇー、今までパーティーなどに一度も顔をだしたことなかっただろうが」
 その時である、カロルの服を引っ張る者がいる。ルカ王子と言えば今や軍人の憧れ。そのルカ王子をおめぇー呼ばわり、否、王子をおめぇー呼ばわりすること自体、不敬罪である。誰かに聞かれでもしていたらと、自分たちの司令官の安否を気遣う部下としては、忠告せずにはいられなかった。
「あのー、司令官。ルカ王子をおめぇー呼ばわりするのは」
「誰が、おめぇー呼ばわりしたって」と、カロルはその忠告してくれた部下に問う。
 自分がそんなことしているなど眼中にない。これはカロルの自然な姿であった。そもそも言葉はきれいな方ではない。上流社会で育ちながら言葉と態度に関してはその恩恵を一つも受けていないカロルである。
「司令官がですよ」
「おい、お前。誰かが聞いているかもしれないんだ、言葉はつつしめ」
「言葉はつつしめって、司令官が」
「俺がそんな言葉使うはずなかろーが、なっ、ルカ」
 今度はダチ関係になっている。
「そうですね」と、ルカもカロルに同意すると、
「相変わらず元気ですね」と笑った。
「おめぇーこそ、背が呼びたじゃねぇーか。奥方は元気か?」
「ええ、お蔭様で」
「そうか。おめぇーのことだ、下にも置かない騒ぎだろうな」
 部下の忠告は無になっていた。
「ところでよ、少し面貸してくれねぇーか」
「何か、私に用ですか?」
「忙しいか?」
「いいえ」
「じゃ。ハル公、ちょっとこいつ借りるぜ」と言う感じにルカを庭に連れ出そうとすると、部下たちが付いて来た。
 カロルは振り向くと、
「おい、おめぇーら。三歩下がって師の影を踏まずだからな」
 要は離れていろという意味だ。
 リンネルはルカの指示を仰ぐ。ルカは静かに頷いただけである。
「リンネル、心配するな。俺が付いているんだ」
「私の方があなたより強いですけどね」とルカ。
「うるさい、今は俺の方が強い。否、強いと思う」
 あれからカロルはまじめに鍛練はしている。七歳も年下のルカにだけは負けたくないと。
 月明かりの庭を散策しながら、
「ところで何の話ですか」と、何時まで経っても話を切り出さないカロルにルカは問う。
 カロルは大きな溜息を吐くと、
「おめぇーが余計なことを言うから、ジェラルドの奴、姉貴に結婚申し込んできやがった」
「それはよかったではありませんか」
 ルカがキュリロス星へ出陣する準備をしていた時、そんな噂を聞いていた。たがあの時は出陣の準備で忙しくて、これと言った言葉もかけていない。ただ戦闘開始前に結納が決まったと言う連絡を受け、祝電だけは打っておいたのだが。
「何がいいものか。俺はな、側室でもいいからおめぇーがもらってくれれば」
 ルカは、ほーとため息を吐くと、
「では、あなたは私を兄と呼びたいと」
「ば、馬鹿な。なんで俺が。舌が腐ったっておめぇーのことなど兄と呼べるか」
「シモンさんが私の妻になれば、あなたは私の義弟ではありませんか。私のことを兄上として敬うのは当然のなりゆきです」
 ウウウーとカロルは唸った。いくら姉貴のためとはいえ、自分より年下でしかも超が付くほど小生意気なこいつを、兄と敬うなど死んでもできない。そこでふと、何時もの親父との喧嘩を思い出す。そうだ、俺は勘当されているのだから。ここぞとばかりにそれを強調した。
「何時の話しですか」と、ルカは呆れたように訊く。
「親父からまだ、勘当を解くという話しは聞いていない」
 それでいて、いつの間にかクリンベルク家に戻りのらりくらりと生活している。
 ルカはカロルの苦し紛れの言い訳を微笑みながら聞き流すと、
「ところで何時、式を挙げられるのですか」
「お前、俺の話し聞いていたか」
「全て過去の事です。いまさら騒いだところでどうにもなりません」
「そりゃ、そうだけど」
 カロルはまた大きな溜息を吐くと歯切れ悪く相槌を打った。
「ジェラルドお兄様は素晴らしい人です」
「あの白痴の何処が?」
「お兄様は白痴などではありません」
「あのな、誰がどう見たって」
 ルカはあれは芝居だと言うが、俺にはどう見ても芝居には見えない。幾度となく繰り返された暗殺未遂、あいつは毒で頭がどうにかなっちまったんだ。あんな白痴のところへ嫁に行ったのでは姉貴の苦労が目に見えている。だったらこの小生意気な奴の方が、例え側室でも。
 ルカはそれ以上ジェラルドを庇うことはしなかった。ただ、
「式は何時ですか。何かプレゼントをしなければ。できればシモンさんの身を守れるようなものを」
「姉貴の身?」
「そうですよ、兄のところにお嫁に行くということは、世継ぎを儲けるということです。皇位継承争いの渦中に飛び込むということですから。例え兄が狂人でも、その子は」
「お前、やっぱりジェラルドのこと、狂人だと思っているだろーが」
「いえ、思っておりません」
「嘘付け、今、言っただろう」
「例えばの話しです」
「例えばって」
「例えは例えです。事実ではありません」
「貴様、俺をおちょくる気か」
「私はシモンさんの幸せを願ってのことです。ただ私が案ずるのは」
 皇位継承のことである。それさえなければジェラルドはシモンさんには最適な人だ。
「その内、招待状が届くだろう。お前のことは絶対に呼ぶと言っていたから」
 カロルはつまらなそうに庭の小石を蹴る。
「寂しそうですね、シモンさんがジェラルドお兄様に取られて」
 カロルはルカを睨みつけると、
「馬鹿なことを言うな。俺はせいせいしているんだ。これで俺が何をしでもいちいち小言を言って、挙句の果て平手を振り回す奴がいなくなるとな」
 兄弟の中の落ちこぼれで破天荒なカロルを庇ってくれたのは姉のシモンだった。三つ子の魂百まで。幼かった頃の記憶はそのままカロルの人格を形成し、姉より体が大きくなり力が付いた今でも、姉には逆らえないようになっていた。一番怖いのも姉であり一番やさしいのも姉である。カロルにとって姉は誰を置いてもこの銀河で一番に守るべき存在になっていた。
「やせ我慢しないほうがいいですよ、体に毒です。私の胸を貸してさしあげますから、おおいに泣きましょう」
「馬鹿なこと、言ってんじゃねぇー!」
 図星を刺されたカロルは、憤慨して大声を張り上げた。


 一方ハルメンスは、頭を下げて去ろうとした下僕たちを呼び止めた。
「先ほどの話しだが、教えてもらえないだろうか」
「何をですか?」と、警戒しながら問う下僕。
「ルカ王子の正体ですよ、魂の数がどうとか」
 シュレディンガー侯爵がこの下女を手放さない理由。目の不自由なこの下女は、三次元の光を失った替わりに四次元を見ることができる。
「話したところであなた方は私たちの話を信じないでしょう」
 そう言って話そうとしない彼らにハルメンスは言う。
「この娘さん以外にも、彼が紫竜ではないかと言う人たちがいるのです」
 これには下僕たちが反応を示した。
「それは何方ですか?」
「ボイ人ですよ」
「ボイ人?」
 あまり聞いたことのない星人である。彼らは銀河の覇を唱えることもなく自星の中で慎ましく暮らしていた。その星の資源がネルガル人の目に留まるまでは。
「そのボイの方々が先程のお方を紫竜様だと?」
「否、紫竜だとは言っていない。紫竜かもしれないと言っている。彼らも水神を祀っていてね、やはり紫竜は髪の色が紫で瞳は黒だそうだ。だから少し違うと」
 紫の髪に黒い瞳、これはイシュタル人が言う紫竜と同じ。
「実を言うと、彼は本来、紫の髪に黒い瞳で生まれるはずだったのです。彼の母親の故郷では、神と契りを交わした女性が産む第一子はそういう姿らしいのですが、生まれて来た彼は朱い髪に緑の瞳。これはネルガルでは高貴とされている容姿ですが、その村では彼女は神と契りを結ばなかったのではないかと疑われた次第です。ですが決定打になりましたのは胸の痣で」
「少しお待ちください」
 ハルメンスの話しを止めたのは下女の兄イホウだった。
「痣があるのですか」
 ハルメンスは頷く。
「ではやはり紫竜様ではありません。紫竜様でしたら痣や傷はありません。それにびっこをひかれておられるのもおかしい」
「そうだ、紫竜様ならお怪我をするようなことはないはずだ、何時も白竜様が守っておられますから。例え怪我をされても直ぐになおります。白竜様から生体エネルギーを常備受け取っておりますから」
「生体エネルギー?」
 そう言えばルカは確かに怪我をしても病気になっても人より治りが早い。本人は特異体質だと言っていたが、医学的には細胞の分裂速度が普通の人より早いようだ。普通の人も怪我などすればその傷口の細胞分裂は早くなるが、ルカのその速度は尋常ではないらしい。
「では紫竜のことは少し脇に置いて、君たちの言う白竜とはどのような存在なのですか。髪が青いということは私たちも知っておりますが」
「白竜様ですか。私たちも実際白竜様にも紫竜様にもお会いしたことは御座いませんのでよく存じませんが、ただ子供の頃から聞かされている話では、白竜様は三次元で生活しながら四次元で生きておられると聞いております」
「それは、どういう意味ですか」と今まで黙って聞いていたクロードが思わず会話に入って来た。
「どうと言われましても」とイホウは暫し考え込むと。
「妹の目のようなものです。妹は目を四次元に置いてきてしまいましたから、三次元の私たちの姿は見ることができませんが、四次元の存在である魂の塊となった私たちを見ることはできるのです。私たちも百個近い魂の集合体なのですが白竜様はそんな数ではないそうです」
「少し、待ってくれませんか」とクロードは片手を挙げた。そして頭を抱え込む。
 イシュタル人とネルガル人の生命に対する考え方の違いを、どうにか理解しようと苦戦しているようだ。
 ハルメンスはそのまま話の続きを促した。理解しようとしても無理だ。まずは最後まで話を聞いてみよう。
「わかりました。白竜は妹さんの目のようなものなのですね。四次元は見えても三次元は見えない」
「目だけではないのです。全ての感覚が四次元にあるのです。ですから三次元を感知するためにご自身の魂の一部を削って紫竜様をお創りになられるのです。紫竜様を通してこの世を体感されるのです」
 ハルメンスもクロードも理解しがたい顔をした。クロードに至ってはやはりイシュタル人の話しは聞くべきではなかったのではないかと後悔すらしている。
「では紫竜がいないと白竜はどうなるのですか」
「白竜様はこの世のことは何もおわかりになりませんから何の反応もできません。傍目には白痴のように見えます」
「白痴」 それで思い出されるのはジェラルド。
「でも、紫竜様が白竜様のお傍におられないと言うことはありえません。兄が何時も私の傍にいて手を引いてくれるように、紫竜様が何時も白竜様のお世話をされておられます」
「まあ、紫竜様はそのために白竜様がお創りになられたのですから当然でしょう」
「なるほど」
 それでハルメンスにはジェラルドが気になった。彼は白痴である。そしてそんな彼をルカは不思議と面倒をみている。
「それで少し気になる人物がいるのだが」とハルメンスは切り出した。
 ジェラルドのことをどう訊こうかと迷う。
「彼の髪も青くはないのですが、白痴で」と言いかけた時、
「そのお方の年齢は?」と下女が訊いてきた。
「確か、二十五ですか」
「先ほどのお方はそんなになりませんよね」と下女。
 目の見えない者は見えないなりに別なもので判断する。彼の声は若い。
「そうですね、確か十五だと思いましたが」
「では違うな」と言ったのは下僕の方だった。
「どうしてそうはっきりと断定できるのですか」とクロード。
「それは紫竜様が白竜様より後から生まれると言うことはありえないからです」
「絶対に?」
「絶対にです」と下僕たちは断定した。
「しかも、もしあのお方が紫竜様でしたら、あのお方を創られた白竜様は相当な力の持ち主です」
「どうして?」
「あれだけ完璧に近い魂の数を自分の魂から削り取ることができるのですから。ほぼあのお方は私たちに近い魂の数を持っておられる。ですから皆さん、あのお方が普通の人と違うのに気づかないのです」
 これがもしあまり力のない(力がないといっても普通の人と比べようがない力を持っているが)白竜なら、その紫竜もわかりやすい。
 下僕の一人は昔を思い出すかのように天井を仰ぎ、
「そう言えば婆ちゃんが言っていたよ。星が動いたと。かなりのエネルギーが地上に降臨したと」
 巨大なエネルギーが四次元から三次元に移行するとき、空間が歪む。それに伴い恒星の位置がぶれる。
「もしあのエネルギーが白竜様なら、その白竜様は竜の中の王であろうと」
「つまり私たちは、竜の中の王を降臨させてしまったということなのか」
「やっと私たちの願いが白竜様に届いたのですね」
「これでイシュタルの民は救われる」
「それはどうかな。彼が紫竜なら、紫竜様はネルガル人ということになる」
「では白竜様も」
「ネルガル人かもしれないな。ネルガル星は私たちの発祥の星なのだから、ネルガル人に転生してもおかしくはない」
「ネルガル人が白竜様を降臨させたと。彼らは白竜様がどのような方かも知らないのに」
「白竜様は心の清い方の傍に降臨なさるのです。おそらくイシュタル人よりネルガル人の中に心の清い方がおられたのでしょう」
「ネルガル人が心が清いだって!」と非難するように言う下僕。
「今のイシュタル人は白竜様に何を望むと思います?」
 クシナのその問いに下僕たちは黙り込む。
「おそらくネルガル星への襲撃」
 クシナの言葉に誰もが黙り込んでしまった。
「白竜様はそのような願いはお聞き届けにはならないわ、きっと。白竜様は守ってはくださっても攻撃はしたがらないもの、お優しい方だから。だからそんなイシュタル人の所に降臨するはずがないわ」
「そうだな、お前の言うとおりだ」とイホウ。
「ネルガル人の中にも今のネルガルのあり方がよいとは思っていない人もいるだろう。現にここのご当主も嘆いておられる。このままではネルガル人は銀河の嫌われ者になってしまうと。そんなネルガル人に呼ばれたのかもしれない」
「そうよ、きっと。白竜様も人間ですから人殺しなどしたくないもの」
 白竜が人間? この言葉にはハルメンスたちは驚いた。
「白竜とは、あなた方にとっては神ではないのですか」 ネルガル人にとっては悪魔だが。
「神?」 違うとばかりに下僕は片手を顔の前で軽く振ると、
「敬意ははらいますが、崇めたりはしません」
「どうしてですか」
「子供と同じです。甘やかすとろくな者にはなりません」
 はぁ? と言う顔をしているハルメンスたちに。
「白竜様は人間です。ただその能力が桁が違うというだけのことで。ですから子供の頃に善悪をきちんと教えておかなければなりません。善も悪もわからずにあの能力を使われたらこの銀河は破滅してしまいます。そのためにも紫竜様が必要なのです」
 銀河が破滅する? ハルメンスたちにはその力がわからない。そんなことが本当にできるのだろうか。
「あのお方が紫竜様ならば白竜様もネルガルにおられるはずです。あのお方が親身になってお仕えする方が白竜様です」
 ルカが親身になって仕える人物と言えばジェラルドぐらいしかいない。しかし彼はルカより十歳も年上だ。年上は違うと言うならば、今のところ心当たりはない。
「それでは、もうよろしいですか。パーティーの後片付けをそろそろしなければなりませんので」
「ああ、すまなかった」
 下僕たちは目の見えない妹を庇いながら去って行く。そんな彼らの後姿を見ながらハルメンスは思う。我々の文明は本当にこの銀河で最上のものなのかと。我々から見ればイシュタル人の暮らしはあまりにも慎ましすぎる。だが彼らの時間はゆったりと流れ幸せそうに見えるのはどうしてなのだろうか。そう言えばルカがよく口にしていた。裸で平和に暮らしている人々と、綺麗な服を纏い銃を持ち歩っている人々とでは、どちらが野蛮なのだろうかと。
「おもしろいですね、ボイ人もイシュタル人も同じ白竜のことを言っているのでしょうが、片や神で片や人間」と言ったのはクロード。
「それはおそらく白竜の力の源を知っているか知らないかの違いなのでしょう」
「と、申されますと」
「イシュタル人は異次元のエネルギーを利用することが出来るようです。それたに対してボイ人や私たちネルガル人はそのエネルギーをまだ把握しきっていない。だからその未知のエネルギーを扱う白竜は、ボイ人にとっては神であり私たちネルガル人とっては悪魔で、イシュタル人にとっては人間なのでしょう」
「つまりイシュタル人はそのエネルギーを科学的に証明していると」
「そうとしか思えません」
 どう見ても我々より文明が進んでいるようには思えない。使う言葉も古代ネルガル語だし、衣食住も何千年も前のネルガルとたいして変わらない。彼らの時間がゆっくり流れすぎるのか、それても我々の時間が早すぎるのか。
「そのような者たちとまともに戦争をして、私たちネルガル人は勝てるのでしょうか」
 ルカはオネスに勝てる方法が見つからないと言っていた。オネスがイシュタル人と手を組んだとなるとこの銀河を手中に収めるのも時間の問題だろうと。では何故今までイシュタル人はそうしなかったのだろうか。それだけの力があるのならイシュタル人が私たちネルガル人に替わってこの銀河に覇を唱えたらよかったのに。
「どうしてしなかったのでしょうね」
「何がですか?」
「イシュタル人ですよ、この銀河をどうして支配しなかったのかと思いまして」
 まるでそんなことに興味はないと言う感じに、彼らは彼らの生活を楽しんでいる。





 シュレディンガー家のパーティーに味を占めたルカは、モニカの忠告もありあれから幾度かパーティーに出席するようになったが、シュレディンガー家のパーティーのような知的欲求を満たしてくれるようなパーティーはなかった。
「最初がよかったもので、次はもっと良いものをと期待するせいでしょうか」
 だが収穫はあった。ネルガルの政治は議会よりパーティーで決まると聞いてはいたが、これほどまでに露骨だとは思いもよらなかった。まだまだ自分の未熟さを思い知らされた。これではコネのない者は何もできない。だから皆、パイプを作るためにパーティー、パーティーと足蹴に通うのである。
 ルカがつまらなそうに愚痴をこぼすのを聞いたルイは。
「つまらないのでしたら行かなければよろしいのに。その分、妃様の傍に居てくださったほうが」
「皆が行く意味がわかったのです。少しは顔を出しておかないと」
 ルカが気乗りのしない社交ダンスの練習をしているぐらいだから、当然宇宙艦隊の方も暇である。ここの所ルカの下で目覚ましい働きをしていた第10宇宙艦隊と第14宇宙艦隊、彼らを是非我が指揮の下へと数人の元帥に声をかけられたが、結局彼らにこの荒くれ艦隊を使いこなすことは出来なかった。かえって指揮系統の乱れを起こし、これが戦場であれば勝てる戦も勝てなくなるありさまである。
「あんな馬鹿どもを指揮下に入れるから」と言うのが他の提督からの苦情だった。
「特にあの第14艦隊は、ろくに字も読めないではないか」
「いくらコンピューターが音読してくれるからと言って、話にならん。それにあの品のなさは何だ、奴らと同じ空気を吸っているだけでも吐き気がする」
「あんな者たちと親しくなさるとは、お育ちが知れるというものです」
 わざとルカ王子の名前はださなかった。
「あんな品のよい顔をしていて、その実態は彼らと大差ないのでは」
「そもそも母親が母親だからな、平民だそうじゃないか」
「平民の子は平民、所詮どんなに背伸びしたところで貴族にはなれない」
 将校たちは笑う。
「皇帝も皇帝だ、どうしてあのような娼婦の子など。何故、堕胎させなかったのでしょう」
 いつの間にかルカの母親は娼婦と言うことになっていた。
 声を疎秘めて話していても聞こえるものである。それを聞いていたのは第14宇宙艦隊の司令官バルガスだった。人とは自分の悪口は意外と我慢が出来るものである。だが自分が尊敬している人の悪口となると。
「あいつら、俺たちのことならまだしも、よりによりって殿下のことを」
 拳を振り挙げて殴りかかろうとするバルガスを、満身の力を込めて抑え込んだのは彼の幕僚ダニールだった。
「こら、放せ!」
 ダニールの腕を振りほどこうとしても、がっしりと組まれた腕はなかなか離れない。
「司令官、落ち着いてください。ここでもめ事を起こしたら、それころ殿下に迷惑がかかります」
「しかし、これが黙って聞いていられるか」
「聞いているから悪いのです。外へ出ましょう」
 ダニールはバルガスを抱えるようにして酒保から出て行った。少し行ったところでバルガスを放す。
「なっ、なんちゅう馬鹿力だ」
 バルガスは組まれた腕をさすりながら悪態をつく。
「あなたを止めるには、こうするのが一番だと悟りましたから」
 経験がものを言うようになって来ていた。
「少し頭を冷やしてください。こうも我々が他の将官から笑われるのは、我々に原因があるからです。将官ともあろう者たちがろくに学を持っていないからです」
 今更学歴とは言えない。だが最低限の知識は持っていないと、他の将官に笑われるのは当然。
「では、どうすればよい」
「皆で勉強するしかないでしょう。せめて中等教育、できれば高等教育の知識まで持てればよいのですが」
「高等教育!」と、バルガスは目を剥く。
 バルガスですら中等教育しか受けていない。後は腕力と実力でのし上がってきたのだ。
「俺たちに教育など」
「殿下が笑われることになるのです。司令官は何時も言っていたではありませんか。第14宇宙艦隊はルカ王子の艦隊だと。その艦隊の将校たちが中等教育の知識もないとは」
 バルガスは唸った。どこの艦隊の将校もりっぱだ。それも当然だ、将校の大半は貴族なのだから。ダニールですら下級とはいえ貴族だ。第14艦隊の将校に平民が多いのは、貴族たちがこの艦隊を指揮したがらないからだ。
「勉強か。俺は世の中でこれほど嫌いなものはない。勉強するぐらいならまだ独房に入れられた方が。学校の成績も下から数えた方が早かったからな。否、最下位であることを鼻にかけていたな」
 ダニールはやれやれと思いながらも。
「殿下の名誉のためです」
「殿下のためか」と、歯切れの悪いバルガスの前で喧嘩が始まった。
「なんだとー、もう一度言ってみろ」
 見れば自分の部下である。
「分数の足し算も出来ない奴が、よく将校が務まるものだ。ルカ王子は常勝将軍だともてはやされているが、結局喧嘩が得意なだけなのだろう。お前らを見ればわかる」
 言うが早いか、その兵士は鼻血を出して仰向けに倒れていた。
「いいか、よく覚えておけ。俺の悪口はなんぼ言ってもいい、どうせ俺は学校もでてないし、喧嘩しか能がない。だが喧嘩が強かったおかげで今こうやって少佐でいられる。しかし殿下は違う。俺たちとはここが違うんだ」と、自分の頭を差しながら怒鳴っている。
 それを見たバルガスはやっとダニールの言うことを納得した。
「やるか、殿下のために」


 善は急げ、次の日、ルカの館、クリスを呼び出す者がいた。行ってみれば第14宇宙艦隊の司令官ガルバス。
「何のご用ですか?」
「奴らに、字を教えてくれないか」
「字?」
 クリスは意味がわからず首を傾げる。見ればそこには第14宇宙艦隊の主な将校たちがいる。
「なっ! こいつら字も読めずに将校、やっていたのか? 今までどうやって命令を伝えていたのだ?」
 余計な者まで付いてきていた。トリスはクリスの身を案じ、護衛と称して付いて来たのだ。なにしろかの有名な14宇宙艦隊からの呼び出しなのだからタイマンなどと言うことにもなりかねない。それはそれで面白い。実を言うと何か面白いことがあるのではないかと付いて来たのが本音。
「命令は言葉だし、いくら字が読めないとはいえ、そのぐらいの文字は読めますよ」
「今まで不自由しなかったんなら何も今更字など習わなくとも」と言うトリスに対し、
「実は先日、他の艦隊に馬鹿にされましてね、それで一大発起したと言うことで」
「遅すぎるとは思ったのだが、やらないよりましかと思って」
 馬鹿にされて当然と内心は思いつつもそれはおくびにも出さず、
「今更とは思うが、まあ、長続きすることを祈るぜ」
 からかうつもりだったトリスも、奴らの真剣さに応援の言葉を投げかけた。

 教えて見ればさすがに極道、根性だけはある。強化訓練でもするかのように勉強を始めた。
「こんなのも解らないのか、腕立て伏せ二十回」
 どうやら一問間違えるごとに腕立て伏せをやるようだ。
「司令官、もう勘弁してくださいよ、俺、もう千回ちかいんだ」
 へとへとになった将校の一人が哀願する。
「だったら間違えるな馬鹿野郎。つべこべ言わずにさっさとやれ」
「おいおい、脳みそも筋トレで鍛えられるのか?」と、クリスに耳打ちするトリス。
 どうりで頭が硬てぇーはずだ。
「お前ら、誰のために勉強していると思っているんだ!」
 無論常識はずれのトリスですら、自分のためと答えると思っていたのだが、彼らはその上を行った。
「殿下のためだ。これ以上、殿下に恥をかかせるな。俺たちは殿下の準親衛隊なんだからな」
 何時の間に、そこまで昇格したのだ? とクリスは首を傾げる。





 宮内部からジェラルドとシモンの結婚式の日時の知らせが来たのは、カロルから話を聞いた数日後のことであった。
「シモン様、いよいよ結婚なさるのねジェラルドお兄様と」と、感慨深げに言ったのはディーゼ。
 ディーゼも十歳、花嫁に憧れる年頃だ。だがこの話、クリンベルク将軍が猛反対したのは有名。娘の力量ではジェラルド様のお妃は到底務まらないと。本音を言えば皇位継承争いに娘を巻き込みたくない。だがジェラルド王子自らに乗り込まれたのでは、さすがのクリンベルク将軍も手も足も出なかったようだ。
「ご本望ではなかったでしょうね、子煩悩な方だと聞きおよんでおりますが」とディーゼの母、ルクテンバウロ夫人。
 クリンベルク将軍の心中を思っての発言なのだろうが、聞くものが聞けば不敬罪にあたるとも言いかねない。
 ここはルカの館の客間、ディーゼ母子が今回のジェラルド王子の結婚式のことで相談にやって来た。
「心配にはおよびません。シモン様でしたらきっと立派な王妃になります。そしてあの二人でしたら今後のネルガルの在り様を変えて行ってくれます」
 ルカの確信的な言葉に、ディーゼは疑問を投げる。
「どうしてお兄様はそんなに、ジェラルドお兄様を信じるのですか。私は月に一度の食事会で数度お会いしただけで、ジェラルドお兄様のことをよく知りませんが、あのご様子を見ては」
 正常な人間には見えなかった。さすがにこの言葉はルカお兄様の前では憚れる。誰もがジェラルドお兄様を狂人だと言っているのにルカお兄様だけは。
「ディーゼは話されたことがないから」
「話すもなにも、何時も侍従の影に隠れていて。どのように言葉をかけてよいやら」
「あれはお兄様の芝居です。こちらから言葉をかければ、聞いていないふりをして聞いていてくれます」
「そうには見えないわ。声はかけたことがあるのよ、でも怖がって逃げて行ってしまったのよ」と、ディーゼは首を傾げる。
「ディーゼは男勝りだから」
「私のどこが!」と憤慨したように頬を膨らませる。
 ルカは笑った。ディーゼは女だてらに馬にも乗れば剣も振り回す。ルカの悪口を言ったということで、同じ年頃の王子を殴って泣かしたこともあるらしい。王宮でのルカの弱い立場を見ているうちに、自分がルカお兄様を守ってやらなければと思うようになったようだ。ルカにしては有難迷惑なのだが。下手に自分とかかわりあってディーゼの将来まで台無しにしてしまっては。この屈託のない性格が何時までも変わらないようにと祈るしかなかった。そういえばシナカも、最初に会ったときはディーゼのようだった。周りの人々に大事に育てられ大輪の花のように周りを明るくしてくれた。そこに影を作ってしまったのは私。
「もう、何がおかしいのよ」
 そこへシナカがレイと大きな箱を持って現れた。
「あら、どうなさいましたディーゼちゃん」
 大きな声が廊下の方まで聞こえた。
「シナカお姉様、聞いて。ルカお兄様ったら、私のこと男勝りだって言うのよ、失礼でしょ」
「そうね、それでは見返して差し上げなさいませ、これで」と、シナカは箱をテーブルの上に乗せた。
「これって、何?」
「ディーゼちゃんへのプレゼントです」
「私に? 何かしら。開けてもいい?」
 そこは子供、プレゼントなどと言われると今までの話しはどこかに飛んで行ってしまった。
 蓋を開けると中には、青いドレスが納まっていた。胸元や裾にはレースと刺繍がふんだんに施され、豪華ではあるが決して華美ではないボイ人特有の上品さが出ている。
「本当はピンクにしょうかと思いましたが、ピンクは他の姫様がお使いになられるかと思いまして、あえて青にしてみました。この色でしたら御髪も映えますし」
 ディーゼの髪もルカ同様、朱かった。
「ありがとうございます、素敵なドレスだわ」
 ディーゼはそれを抱え込む。今まで作ったドレスのどれよりも、このドレスは素晴らしい。
「私、羨ましかったのです。いつもルカお兄様はきれいな刺繍のはいった服を着ているのが」
 それでシナカに教えてもらったのだが、なかなか彼女のようには刺せない。
「来てみてください。サイズが合わないようでしたら直しますので」
 ルイに手伝ってもらい別室で着替えて来たディーゼを見て、ルカは驚いた。いつもこの館へ来ては親衛隊にからかわれ、棒切れを振り回して泥だらけになって彼らを追い回していたディーゼである。
「女の子は十歳にもなれば、もう立派なお嬢様なのですね」
「何処のご令嬢かと思いきや、これはこれは鼻水たれのディーゼ嬢」などと言いながら入って来たのはトリス。
 機嫌よく笑っていたディーゼの顔は一瞬にして脹れた。
「トリスさん、何ですって? この服抜いたら、ただじゃおかないから」
「あれ、聞こえなかったのか、じゃ、もう一度」
 だがトリスは二度は言えなかった。
「トリス、ご令嬢に失礼ですよ」と言うルカの言葉も終わらないうちに、小さなかわいらしいヒールがトリスの顔面めがけて飛んで来た。
「いっ、痛っー」
 まさかヒールが飛んでくるとは想像だにしていなかったトリスは、それをもろに顔面で受けてしまった。
「ディ、ディーゼ!」
 驚くディーゼの母親。慌ててトリスに駆け寄ると、
「お怪我は?」と尋ねる。
「お母様、いいのよ。トリスさんが悪いのだから」
 この館の風習である。手の届かない相手には靴をぶつける。この慣習を作った張本人は今この館にはいない。靴をぶつける相手を間違い辺境星系へと飛ばされてしまった。だがその慣習が風習となってこの館に彼の代わりに居残ったのである。
 ルカは大きな溜息を吐いた。
「女の子なのですから、そのようなことは」
「あら、女の子が靴を投げてはいけないなどと言う法律、何方がお作りになられたのでしょう」
 ここら辺のやり取りはルカから学んだようだ。
 ルカはまたもや大きな溜息を吐き、このじゃじゃ馬の将来はと父親(皇帝)に代わって心配した。
「そうですわよね、男性だけの特権なんてずるいわ、こんな便利な飛び道具」とシナカ。
 そこへルイまで加わっては男性陣の出る幕はない。やはりこの館は女の園である。男性はただただ下を向いて従うのみ。下手に顔など挙げた暁には、地震と雷と台風が一挙に上陸したようなありさまだ。





 ジェラルドとシモンの結婚式は、それは盛大なものだった。白痴と言う噂はありつつも、なにしろこの銀河を支配するネルガル帝国の皇太子の結婚式である、周辺の星々から祝いの品を携えた使者が後を絶たない。
「よろしいですか、ジェラルド様。何事にも返事をせず、ただ頷けばよろしいのです」とジェラルド付き侍従のクラークス。
 喋らせては正気でないことがばれてしまうので黙らせておくという作戦のようだ。黙って次期皇帝の椅子に座っているジェラルドには、品格もありそれなりの風格も備えている。
「見た目は素晴らしいのですがね」と侍女の一人。
 シモンに聴かれたと知り頭を下げて慌てて去って行く。
「一度練習をいたしましょう」
「大丈夫、一度やったことがあるから」
「ジェラルド様は二度目ですが、シモン様は初めてですので」
 ジェラルドの先妻は身ごもって間もなく毒殺された。世間的には病死と言うことになっているが。よってシモンは二度目の奥さんということになる。
 クラークスはジェラルドとシモンを椅子に並べて座らせると、自分が某惑星の使者になって、幾度となく練習させた。
 そして本番。式も滞りなく終わり謁見が始まる。その行列を王宮の控えの間からうっとりと眺めながらディーゼは言う。まだ、挙式の余韻が残っているようだ。
「結婚式、素晴らしかったですね。やっぱり憧れるな、ああいう結婚式。シモンお姉様、一段と美しかったですよね、それにジェラルドお兄様も、話しさえしなければ見た目は素晴らしいのに」と、小さな溜息を吐く。
 ディーゼはどうあがいてもあのような式は挙げてはもらえない。王子や王女の身分はその母親の家柄で決まる。ディーゼの母親は貴族とは名ばかり、その美しさ故にルクテンパウロ家の養女となり後宮へ上がったのである。
「ディーゼも女の子だったのですね、ほっとしました」とルカ。
「それ、どういう意味?」と目くじらを立てて問いただすディーゼ。
「あれだけの結婚式を見て、何も感じなかったらどうしようと心配しておりました」
「よけいな心配です」
「そうみたかったですね」
「もう。ルカお兄様は」
「実は、ディーゼは本当は男ではないのかと、前々から」まで言った瞬間、つま先に急激な痛みを感じた。
 見れば思いっきりディーゼがヒールでルカの足先を踏んでいる。
「ディーゼ、私は左足が不自由なのです。この上、右足まで悪くなったら」
「あら失礼、気が付きませんで」ととぼけるディーゼ。
「あの行列、何時になったら終わるのでしょうね、シモンお姉様大変そう」と、ディーゼは話を変えた。
 ディーゼのその言葉の中には、王宮ではあまり異星人を見かけないためか、その姿かたちの多様性に対する驚きも含まれていた。
「そうですね、同盟星から始まり友好星、そして属星と続きますからね、ネルガルの力の象徴とでも言うのでしょうか」
「力の象徴ですか。でもそれにしてはルカお兄様に対する王宮の人たちの態度は」
 シュレディンガー家なら私の家柄より格が上なのに、それでもルカに用意された席は末席だった。
「あのような隅、国民的英雄が座るような所ではないわ」
 今ではルカを知らないネルガル人はいない。出陣すれば必ず勝って来る。まだ年が若く未知数の多いルカは、クリンベルク将軍より上ではないか、とまで噂されるようになって来ていた。
「王宮の人たちは、もっとお兄様の活躍を認めるべきです」
 ルカは苦笑した。
「所詮戦争は人殺しですから。常勝将軍とは人殺しのうまい将軍のことです」
「そっ、そんな」
 ルカは謁見待ちの人々の行列を眺めながら、
「今はまだいいのです、敵がおりますから。昔から言うでしょ、狡兎死して良狗煮らると」
 ディーゼはルカの言葉に唖然としてしまった。
「冗談ですよ」とルカはディーゼの方に振り向く。
「もう、お兄様だって言っていいことと悪いことがあるわ」
「そうですね、驚かしてすみません。でもこの銀河に敵がいなくなって平和になったら、ネルガル皇帝は、今の軍隊を次は何処に向けると思いますか」
 いきなりそう聞かれてもディーゼには答えようがなかった。この銀河から戦争がなくなることなどディーゼは想像したこともない。生まれた時から戦争戦争で明け暮れ平和の意味を知らない。もっともディーゼの知っている戦争は明るく暖かいリビングで母と一緒に雑談しながらスクリーンで見るだけ。シミュレーションゲームと何ら変わりない。自分は痛くもなければかゆくもないのである。現実味がない。ただ、ルカが出陣した時だけ、もしかするとこれが最後なのかもしれないという漠然とした不安に駆りたてられるだけ。
 ディーゼが首を傾げているのを見て、ルカは答える。
「外が平和になればそれは必然的に内に向けられるものです。あるからには使いたがるのが人の性ですから」
「内に向けるって、国民に?」
 ルカは頷く。
「歴史が物語っています。皇帝に逆らう国民に、これは民主政でも同じです。政府に逆らう国民に。そう言えば何時の話しでしょうか、ある国では国民の反乱に軍を出動させると内閣で決まったのですが、肝心の国防大臣が首を縦に振らなかったため軍が出動しなかったそうです」
「それはよかったですね、政府が国民を殺さずにすみましたもの」と、ディーゼはほっとした顔をした。
「そうですね、ですがその大臣は格下げになったそうですよ。政府の決定に逆らったとかで」
「そっ、そんな、国民の命を守ったのに。軍は国民の命を守るためにあるのでしょう」
「一応、条文上はね」と、ルカは笑う。
 だからルカはボイ星で軍隊を作るのには反対した。あくまでも作るなら災害救助隊。これで十分。これなら天災に対しても人災に対しても国民に害を及ぼすものに対して出動できる。
「国民もかわいそうですよね、自分たちが汗水たらして収めた税金で養われている軍が、その国民に銃を向けるのですから」
 銃ぐらいならまだいい、装甲車やジェット戦闘機まで動員してしまっては無抵抗の者たちの大量殺戮以外のなにものでもない。
 ディーゼは黙り込んでしまった。
「すみません、子供の前で話すような内容ではありませんでしたね」
 ディーゼはむっとする。せめてレディーの前と言って欲しかった。
「お兄様、私はもう子供ではありません。れっきとしたレディーです」と、シナカが作ってくれたドレスを広げ、軽く膝を曲げてお辞儀をして見せる。
 ルカから何時までも子ども扱いされるのは嫌だった。





 次の日、ドレスのお礼にと母お手製のパイを携えディーゼがやって来た。何時ものようにシナカが優しく迎え入れる。
「どうでした、ジェラルド様とシモン様の結婚式は?」
 ボイ人の声はその声帯の作りのせいかネルガル人より少しキーが高い。それでもゆっくりと話す彼らの会話は聞いていて心地よい。結婚式、本来結婚している者は夫婦で参加するのだが、シナカは異星人、王宮ではルカの正式な妻とは認められていない。そのため式にも列席できなかった。
「とても素晴らしかったわ」と、ディーゼは結婚式を思い出したのか夢見心地になって答えた。
「シモンお姉様は美の女神の降臨かと思えるほど、それにジェラルドお兄様も凛々しかった。あれでもう少しお頭が凛々しければ申し分ないのにね」と舌を出すディーゼ。
 こんなあどけない仕種がまだまだ似合うディーゼである。
「まぁ、ディーゼちゃんたら」
「でも、似ているわよね、ルカお兄様とジェラルドお兄様。髪も朱いし瞳はグリーンだし、顔の輪郭も背格好も。ただルカお兄様の方がまだ小さいけど」
「それはそうよ、兄弟ですもの」
「そうよね」
「ディーゼちゃんも、お二人によく似ていますよ、髪は朱いし」
「そう、私、父親似だから最悪なのよ。母親に似れば美しくなったのに」
「まぁ」とシナカは微笑む。
「せっかくきれいなドレス作ってもらったのに台無し。誰も私がきれいとは言わないのよ。そのドレスどうしたのとか、どこで買ったのとか、素敵ねとか。皆が私に声をかけてくれたのですけど、皆が興味があったのはあのドレスで私ではないの」と、ディーゼは寂しそうに言う。
「そっ、それはご免なさいね」とシナカ。
「シナカお姉様が謝ることではないわ、私が美しくないから。どうしてお母様に似なかったのかしら」
「ディーゼちゃん、女の子はお父様に似た方が幸せになれると言うのよ」
「ぜんぜん幸せじゃいなもの」と、ディーゼは仏頂面をした。
 同じ年頃の友達にはボーイフレンドがいると言うのに、ディーゼにはいなかった。それにはディーゼにも責任がある。何時しかディーゼは男友達の中にルカを見るようになっていた。ルカが理想の男性では他の男は子供に見える。
「ディーゼちゃんはきれいですよ」と言いながら入って来たのはルイだった。
 お盆の上にはディーゼが持って来たパイの他にクッキーがのっている。それにボイ製のお茶、とてもいい香りがする。ルイはそれらをテーブルの上に並べながら、
「ディーゼちゃんはまだ蕾なのよ、これから美しく咲くのですから。女性には必ず美しくなる時が来るものなのよ、誰にも」
「誰にもって、私にも?」
「ええ」とルイは頷く。
「それは何時?」
「それはね、ディーゼちゃんが心から好きだと思える人が現れた時」
「私が? そんな人、現れるかしら」
「現れますよ、ルカお兄様みたいな方が、きっと」
「どっ、どうしてルカお兄様なの?」
「あら、ディーゼちゃんの理想は殿下のような方かと思っておりましたが」
 ルイに図星をさされて、ディーゼは何も答えられなくなった。
「さっ、お茶がさめないうちに。ディーゼちゃんのお母様が焼いてくださるパイはとてもおいしいですものね、今度教わりに伺おうかしら」
「ご免なさい」
 何故かディーゼはシナカに謝った。気まずい。
「謝る必要はありませんよ、妹が兄を好きになるのは当然です。まずは兄弟や従兄弟など身近な人から好きになっていくものです」とシナカ。
「そうよ、殿下は素晴らしい方ですもの好きになって当然。それに殿下を好きな人はディーゼちゃんばかりではなくてよ、ネルガル中の娘さんが」
 そう、今や一番売れるブロマイドである。
「でもね、殿下がこの銀河で一番好きな方は妃様なのです」とルイは胸を張って言う。
「そうよね、私のことなど子ども扱いなのですもの」と投げ捨てるように言うディーゼに、
「何かあったの」と優しく尋ねるシナカ。
「実はね、結婚式の後」
 ディーゼはあの時のことを話した。
「常勝将軍は人殺しの名人だと言うのよ。私、何て言っていいのかわからなくなって」
「殿下らしいわ」とルイは言う。
「本当は嫌いなのです戦争が」
 シナカは思い出していた。ときどき夜中に魘されているルカの姿を。
「すまない」と。
 あれは私に謝っていたのか、それとも死んでいった者たちに謝っていたのか。
「すまない。あなたのためだとでも自分に言い聞かせなければ、人は殺せない。人殺しの口実に使って、本当にすまない」
 そう言って私の腕の中で泣く。
「シナカお姉様、どうかなさいました?」
「いいえ。せっかくのお茶が冷めてしまいますね」





 ここは某商業惑星。ここにオネス率いる宇宙海賊シャーが停泊していた。
「ダゴン軍事要塞を攻めるなどと言っておいて、こんな所で祝宴だと、どういうつもりだ。まさか今になって怖気づいたのではあるまいな」
 美しい少年の顔に冷笑が浮かぶ。それはぞっとするほどの美しさであり、恐怖でもあった。
 オネスは一瞬、躊躇する。
「私が怖気づくとでも」
 オネスは少年の冷ややかな声に怯みながらも、
「では何故出陣しない。既に機は熟している」
 味方の戦機は盛り上がっている。
「敵も今か今かと我々が来るのを待ち望んでいる」
「だから出撃しないのだ」と少年は冷ややかに答えた。
「知っておるのか、戦争とは防衛より攻撃の方が有利だということを。防衛は何時攻められるのか、何処を攻められるのかと四六時中気を張っていなければならない。それに対し攻撃は準備さえ整えば、好きな時に出撃し好きな所を攻撃できる。彼らが何時までその緊張を保てるか。私はそれを待っているのだ。今攻撃してもよいが、何もみすみす敵が待ち構えている所に出向く必要もあるまい」





「ダゴン軍事要塞への出撃、やはりこちらの考えすぎでしたか」
 あれからずっとオネスの動向を追っていたケリン、オネスの艦隊が某商業惑星で止まったきり動かないのを見て答えた。
 ルカは首を傾げる。
「待っているのではありませんか、彼らの緊張の糸が切れるのを」


 軍部の方でも楽観的な見通しを立てていた。
「ダゴン襲撃だと、何を考えているのだあの愚か者は」
「まったくだ。あんな数でダゴンが落とせると思っているのか。ダゴンは自給自足のできる要塞だ、食料も兵器も。例え一年や二年封鎖されたところで何の支障もない」
「まったくだ」と頷く将軍たち。
 だがクリンベルク将軍だけは頷かなかった。
「どうなさいました将軍」
「オネスという男、張ったりでこのような挑戦状を叩き付けてくるような人物だっただろうかと思いまして」
「では将軍は、オネスが本当にダゴンを襲撃すると」
「それは」と、クリンベルク将軍は口ごもる。
 もし自分があの軍事要塞を落とすとなると、落とせないことはない。だがそれには相当な資金と犠牲が必要となる。それだけの犠牲を払って落とすほど価値のある要塞なのだろうか。何もあの空域を通らなくともネルガル星を攻撃する手段は幾らでもある。それだけの犠牲を払うつもりなら、直接ネルガル星を襲撃した方が、私ならそうする。
 結局、三百そこそこの艦船ではどうにもなるまい。と言うのが軍部の最終結論になった。
「ところでご結婚、おめでとうございます。とても素晴らしい式でしたな」
 オネスよりこちらの方が軍部にとっては重要。これで皇帝との太いパイプが出来たということになる。もっともジェラルドが次期皇帝の座に付けばだが。だが誰もそのようなことは口にしない。そのようなことを口にすれば。
「これでいちいち宮内部から指図されることも少なくなる」
 やはりいつの時代でも武官と文官は対立しがちだ。特に戦場に行ったことのない者ほど、戦場の悲惨さを知らないが故に戦争を美化しがちだ。勝利すれば次の戦場を選びたがる。
 クリンベルク将軍は苦笑する。
「あのじゃじゃ馬に後宮が務まるかどうか。三日もしない内に追い出されて来るのではないかと思っております」
 今まで門閥貴族の僻みを買わぬようにと私生活は目立たぬように心掛けて来たクリンベルクだったが、娘が第一位皇位継承者の妻となっては権勢を欲しているのではと思われてもしかたない。だがクリンベルクは権勢など欲してはいなかった。これが天職だと思っていた、艦隊を率いて敵と戦うことが。これしか自分にはできない。だからこの才能を認めてくれるのなら、その人に一生仕えてよいと思っていた。
「それよりカロルがやっと落ち着いてくれたことの方が私は嬉しい」
 子煩悩なクリンベルクの疎直な感想だ。
 カロルはジャラルドの親衛隊隊長としてジャラルドの館に仕えることになった。王族を嫌っていたカロルからの申し出だった。これには将軍も我が耳を疑った。どうやらカロルの本音はシモン(姉)を守るためのようだ。そこにはルカの言葉が効いた。
「危険なのはジェラルドお兄様よりシモン様の方です。特にお腹の中にお子が出来た時は」 
 毒殺など、させない。





 ここはダゴン軍事要塞から離れること五光年、この空域は不思議と恒星らしい星がない。よってあたりは深い穴にでも落ちたかのように真っ暗である。星とは不思議なものである。惑星から見上げた限り夜空に満遍なくあるように見えるが、実際は葡萄の房のように幾つもの弧を描いた線上に連なって存在している。ちょうどシャボンの液の中にストローをさし息を吹き入れるとぶくぶく泡が出て来るように、宇宙のどこかから未知のエネルギーが湧き出し、それによって星々が縁の方に押しやられたように見える。おそらくそこが、三次元と四次元を繋いでいる所なのだろう。
「俺たちを、こんな所に連れて来てどうするつもりだ」
 オネスは食って掛かるように青い髪の少年に言う。せっかくのいいところ、ダゴン襲撃のことなどすっかり忘れ娼館で遊ぶ毎日。それをいきなり召集がかかり、もっとも召集をかけたのは自分なのだが、召集をかけるように命令されと言った方が正しい。来てみれば宇宙の穴と言ってもいいほどに何もない所。文句が言いたいのはオネスだけではなかった。オネスの部下たちのブーイングときたらオネスも手を焼くほどだった。
「出撃だ」
「出撃って、もう少し前もって言ってもらえないかね、準備もあることだし」
 少年はゆっくりオネスの方に振り向くと、
「準備? 何の準備がいるのだ」
 心の準備と言いたいところだが、この悪魔には理解できまい。
「ネルガルに復讐し、次期皇帝になるのがお前の目的ではないのか。私はただそれを手伝うだけ。やりたくないのなら止めてもよいが」
 オネスは一瞬黙り込んだが、実践的な方へと話題を移した。透明なスクリーン上にダゴンまでの星図を出すと、
「五光年か、少し距離があるな。まずはダゴン軍事要塞近辺とこの空域を結ぶワームホールを見つけなければならないな」
 ほれみろ、準備がいるではないか。とオネスは言いたげに少年を睨んだ。
 少年はオネスの視線を無視しスクリーンを見つめると、そのオネスの心を見透かしたように、
「その必要はない」と冷ややかに答える。
「必要ないって、ではどうする気だ?」
「今から五分後にワームホールに入る」
「なっ! 何処にワームホールがあると言うのだ」
 五分後と言うなら既に時空の歪みがあっていいはずだ。
「見えないのか、目の前だ」
 そう言われてもレーダーには何の反応もない。
「哀れだな、この歪みが見えないとは。敵がテレポートしてきたらどうやって防ぐ気だ」
 はっきり言って今のネルガル人にはテレポートを実際に見たものもいなければ現実に出来るとも思っていない。どういう現象かはSFの世界で遥か昔から語り継がれてはいるが。彼らにとっては自然にできるワームホールを利用するのが関の山。
「全艦に伝えろ」
「進行方向は?」
「目の前だと言ったはずだ」
「全艦、ワームホールへ入る準備をしろ。時間は後五分もない」
 準備といっても何もすることはない。ただ自分たちの心の準備をするだけで。大概ワームホールから抜けると敵空間だ。抜けるや否や戦闘が始まるのが通常。
 通報が鳴り響き艦内が一気にせわしなくなった。
 見る間に周りの時空が歪み、気が付くと艦はダゴン軍事要塞から五千万キロの地点にいた。
「なっ、何!」
 オネスは恐る恐る少年を見た。時空を自由に操れるのか、これが悪魔の力なのか。
 少年は新たに書き換わったスクリーンの星図を眺めながら、
「一気にダゴンまで行ってもよかったのだが、それではお前たちの心の準備が出来なかろうと、一旦この空域へテレポートした」
 どうやらこの悪魔は我々に気を使ってくれたようだ。案の定、艦内はてんやわんやの騒ぎである。このような瞬間移動、やったことがない。否、ネルガル人の今の科学力ではまだ不可能だ。
「お礼を言うべきなのだろうか、気を使っていただいて」
 少年は冷ややかに笑うと、
「お前たちのような下等な生き物にも、礼という単語はインストールされているのか」
 むかつくような言い方だが今は逆らえない。この悪魔の力、どれほどのものか。
「礼には及ぶぬ。こうなることを予測しての行動だ。この騒ぎでは戦闘にはなるまい、早く鎮めろ。次はダゴン軍事要塞な内部へ移動する」
「内部?」
「外側から攻めづらい物は、内側から攻めるに限るだろう」と、少年はいとも簡単に言ってのけた。





 話は少し戻るがその頃、儲かる臭いがすれば銀河の果てまで行くというボッタクリ号の船長アモスは、今その臭いのぷんぷんする真っただ中、ダゴス軍事要塞の近くにいた。ここなら決戦が見られる。今回はルカからの忠告もあり高みの見物と洒落込んでいた。戦争が終われば必ず日常品は高騰する。だが待てど暮らせどそれらしき艦影がない。
「船長、オネスの艦影はどこにも見当たりませんぜ」
「おかしいな、盗聴によれば今日あたりが襲撃予定なのに、変更でもしたのかな」
「それならそれで、そういう話があっても」
「盗聴されているのが、ばれたか?」
 某惑星で娼館に入りびたりのオネスの部下に、娼婦に頼んで盗聴器を持たせた。その娼婦の言葉が、
「これ、お守り。私だと思って大事にしてね。必ず生きて戻って来て、私、ここで待っているから、あなたがいないと寂しい」
 在り来たりの言葉だが鼻の下の長い男にはてき面。そのお守りの中に盗聴器が入っているとも知らずに。
 いよいよもって諦めていた時である。
「艦影発見、数五百、おそらくオネスの艦隊だろう」
「五百でどうやって戦うのだ?」
「さあな、それはこれから見ての楽しみだろう」
「しかし、どっから現れたのだ?」
 接近して来た気配がない。
「それがいきなり空間から」
「ワームホールか?」
「まさか、ワームホールなら前もってわかりますぜ」
 今回は事前の時空の歪みがなく、突然艦が現れたという感じだ。
「テレポートか」
「五百隻一度にか?」
「船長、聞いてくださいよ。奴らも混乱しているようです」
 盗聴器に耳を傾けていたダンがその音声を船内に流した。盗聴器からとぎれとぎれに聞こえてくる会話も混乱している。
「もう少し接近しますか、そうすれば盗聴の感度もよくなる」
「いや、今回はやめておこう」
「殿下から警告されていますからね」
「いや、俺の勘が、これ以上近づくなと言っている」
 アモスの動物的な護身本能。これがあるからこそ、彼らは今まで生きて来られた。





 ここはダゴン軍事要塞。宇宙海賊シャーからの挑戦状を受けてから、何時襲撃されても大丈夫なように臨戦態勢を取っている。その休憩室で、
「本当に奴ら、襲撃してくるのだろうか」
「張ったりじゃないのか、名を上げるための」
「たかだか五百たらずの船で、正気とは思えん」
「首領はオネスとか言う元第14宇宙艦隊の提督だったとか」
「ああ、あの屑の集まりの14宇宙艦隊か、じゃ、さもあらん。あいつらまともじゃないからな、この要塞を攻撃するかもしれないぜ」
 だれもが第14宇宙艦隊の兵隊崩れと聞いて納得した。あの馬鹿な連中ならやりかねない。
「まあ、目に物見せてやろうではないか。こんな馬鹿な考え二度とおこさないように」
「死んでしまったら、二度おこすもおこさないもなかろう」と、要塞の守備兵たちは笑う。
「さっさと片付けちまおうぜ、これじゃ家にも帰れねぇー。子供と約束しているんだよ、この週末には遊園地へ連れて行くって」
 ダゴン軍事要塞と言うがそもそも浮遊していた小惑星を要塞化したものである。その大きさは直径約三千キロ、軍事部門だけではなく一般の人々の居住空間もある。
「さっさと攻めて来ないかな」
 待ちくたびれた守備兵の中にはこのような不謹慎なことを言う者まで現れていた。
 その時、警報が鳴り響いた。
『敵艦影、発見。三角座方面。距離約五千万キロ、数五百』
「ほんとに襲撃してきやがったぜ」
「返り討ちだ」
「早く持ち場に付け」
 だがその十分後、
「敵艦影が」
 レーダー上からすっかり消えていた。それと同時に要塞上空に現れる。





 そして十分後、艦内が冷静さを取り戻したのを見届け最後のテレポートに入る。
「次はダゴン軍事要塞上空だ。主砲を何時でも発砲できるように用意させておけ。移動後すぐさま発砲しないとやられるぞ」
「全艦、射撃用意。テレポート後、一斉斉射」
 各艦から了解という声がこだましてくる。オネスは少年を見た。
「用意はできた」
 青い髪の少年は冷ややかに笑う。だがその笑みが消えない内にオネスの率いる五百の艦隊はダゴン軍事要塞の上空に現れた。そしてオネスは旗艦の艦橋、指揮シートの上に座っていた。そこに少年の姿はない。
「逃げたのか。まあ、よい。後は我々だけでやれということか」
 オネスは独りごちる。既に艦隊はダゴン軍事要塞のバリアの内側、本来ここまで来るのにかなりの犠牲を必要とするはずなのに、まだ一隻の船もかけてはいない。これが悪魔の力か。眼下に広がる軍事基地と軍需工場。
「射撃用意、目標ダゴン軍事基地。撃て!」

 幾重にも張り巡らした防備をあっさりと潜り抜けられてしまった要塞にはなすすべがなかった。応戦するにも要塞砲は使えない。地対空ミサイルではたかが知れていた。バリア内に入る前にある程度の打撃をあたえておかなければ。
「お母さん、あれ、なに?」
 頭上に宇宙船の船影を見たこのないこの星の市民たちは、艦影を見るのはこれが最初で最後となった。宇宙船からシャワーのように降り注がれた光の雨は、地上のあらゆるものを破壊焼き尽くしていった。ものの数時間でダゴン軍事要塞は死の星と化した。
「なるほどな、この星も我々の星と同じ過ちを犯していたということか」
「と申されますと、提督」
「我々は隕石粉砕砲に過大な期待をかけていた、それが使えなくなることなど考えられないとばかりに。そしてこの星の奴らは要塞砲の攻撃力に。どちらもその力を出さずに終わった」
「楽勝でしたな」
 艦橋に歓喜の声。



 ダゴン軍事要塞が落ちたと言うニュースは銀河中を駆け回った。

2013-01-28 23:58:12公開 / 作者:土塔 美和
■この作品の著作権は土塔 美和さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 今日は、またこりずに続き書いてみました。皆さんもこりずに読んでくださると幸いです。では、コメントお待ちしております。
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