『あの夏へ』作者:木の葉のぶ / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
『ほんとうのこと』を知ったとしても、きっと――。
全角30293.5文字
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原稿用紙約75.73枚
 私のおばあちゃんが住む里には、河童がいます。
 人に化けて暮らす、妖怪がいます。
 笑わないでどうか聞いて欲しいのです。私はそれ――河童を実際に見たことがあります。
 彼は、気前が良くて、いつも笑っていて、里のことは何でも知っていて、賢くて、掴みどころがなくて、そして孤独でした。
 彼は、私にとってかけがえのない大事な友達です。昔も、今も。

 これは私と、カッちゃんという、一人の河童の話。

 
八月二日
 
 ぼんやりと浮かび上がってきた意識と共に、ゆっくりと瞼をあけると、私は窓にもたれかかりながら、バスに揺られているところでした。どうやら眠ってしまっていたようです。何か夢を見ていた気がしましたが、ぼんやりとしか思い出せませんでした。外からの明るい光がまぶしくて、目を細めて窓の外を覗いてみれば、そこには青い空と、緑の田んぼが延々と広がっていました。
 それを見てはじめて、自分がおばあちゃんの家に行く途中だったということを私は思い出しました。
 足元には赤いキャリーケース。そのうえにつばの広い帽子と水筒。そう、私はいわゆる、家出というものをしてきたのです。
 本当なら私は今頃、都会の狭い塾の一部屋で静かに先生の講義を聞いているはずでした。それがどうしてこんなところにいるかというと、まあ、一言でいえば何もかも放り出してきてしまったからなのです。詳しいことはまたあとで。ほら、バスがとまります。
 聞き慣れた名前のバス停で、私は運転手さんにお礼を言いながら降りました。何気なく携帯を開いて時間を確認して見れば、もうお昼前。ついでに圏外です。新幹線で二時間、そこからバスで一時間とちょっと。ここは東京という名の灰色の都会からは遠い、遠い場所なのです。
 すなけむりをあげながら森の方へと行ってしまったバスを見ながら、あらためて私は一人で家をとびだしてきてしまったのだということを実感しました。本当は、私はこの夏、ここへは来ないつもりでいましたし、家族にもそう伝えていました。その予定をひとりでくつがえして勝手にやってきてしまったことに、多少の後悔と罪悪感もありましたが、私にとってはそれよりも開放感の方が大きいように思えてなりません。家から、学校から、あの高いビルと暗い空に囲まれた街から解放されたい。その思いだけが昨日からの私を突き動かしています。
 歩き出すと、ゴロゴロと音を立てながらキャリーケースが大人しくついてきます。どこまでも広がる真っ青な空に、一つ大きな入道雲。あの下は一体どうなっているのでしょうか。まだ青い、けれどもりっぱな稲が両脇で揺れています。蝉の鳴き声しか、音は聞こえてきません。太陽が、私を見つめているかのようにかっかと照らしてきて、首筋を汗がつたいます。服が体にぺたぺたとまとわりついてきますが、東京とはまた違った不快感のない暑さです。それでも、残り少ない水筒のお茶を飲み干してしまうくらいには、体が火照ってしまいました。おばあちゃんの家で、せんぷうきにあたりながらそうめんを食べたいなあ、とふと思いました。犬のように後を追ってくるキャリーケースと一緒に、私は夏のど真ん中を横切っていきます。
 角を曲がれば、見なれた坂道に入りました。車輪がついているくせに自分で歩こうとしない四角いやつをうんうん言いながら引っ張り上げれば、ようやくおばあちゃんの家にたどり着きました。しっかりした門、瓦の屋根、広い玄関。何年も前におじいちゃんが亡くなってから、おばあちゃんはこの大きな御屋敷のような家に一人で住んでいます。門を入ってすぐ、右に行って納戸を通り過ぎると、そこにはおばあちゃんが昔から大事にしている庭があります。季節の野菜や花で満ち溢れたそこは、私のお気に入りの場所。小さな池には、金魚もいます。
 玄関の引き戸に手をかけたとき、扉がひとりでにがらりと開きました。思わず驚いて一歩引くと、開け放たれた扉の向こうから、ひとりの青年が現れました。この家には、普段おばあちゃんしかいないはずです。しかし、ここに例外がひとりだけ。ここでお目にかかるとは思っていなかったその人は、少し目をまるくして私をじろじろ見ました。私をゆうに超える背丈、ひょろりと細長い手足。相も変わらず涼しい目元に、整っていない黒髪。シャツの合間から見える、夏だというのにやたらに白い肌は毎年のこと。
「やっぱり。誰かが来るような気がしたんだよなあ」
 さほど驚いていない様子であっさりと言う彼は、私をおいてけぼりにするみたいに言葉を投げかけます。
「あれ、でも今年は、来ない予定じゃなかったのか? まあいいや、相変わらず身長のびてないね、キヨ。ますます小さくなった気がする」
 一年ぶりに会った感想、しかもひとが喜ばないようなものを言う前に、挨拶の一つでもしてほしいと思うのも、毎年のこと。ようするに、彼は変な人です。
「久しぶりとか、まずそういうことを言うでしょ、ふつう」
「そういうのは人間のすることだからなあ」
 むすっとする私のことを、彼はちょっと嬉しそうに見下ろしていました。
 そう、私がカッちゃんと呼ぶその人は、河童なのです。
 人間のかたちをした、妖怪なのです。

***

 私とカッちゃんがはじめて会ったときのことから、話をすすめましょう。
 あれは、私が七歳のとき。その年の夏、私は初めて、おばあちゃんの家でひとりで過ごすことになりました。
 私の両親はもともと共働きで、私が生まれてからは母は育児のために仕事を休んだり、減らしたりしていましたが、この年から本格的に仕事に戻ることになりました。私は、学校のある日は放課後まで遊んだり、友達の家へ遊びにいったりして両親が帰ってくるまで時間を潰していました。でもあまりに長い夏休み、父母共に忙しく、帰ってくるのは夜遅く。ずっと私を家に置いておくよりは、どこかへ預けた方が良いという結論に至り、母方の祖母の家に八月いっぱい置いてもらうことになりました。新幹線やバスに長いこと揺られて、遠足気分で母と手を繋いでわくわくしながら行った先は、田んぼと青い空が広がっていました。東京とはあまりに違うそののどかな里に、驚いたのを今でも覚えています。
 それでも一番驚いたのは、お母さんがその翌日東京に戻ることを知った日でした。私はてっきり、お母さんもずっとこの家に残ってくれるものだと信じていたのです。「じゃあね」と申し訳なさそうに去っていくお母さんを見送りながら、私はわんわん泣いていました。いつもなら夜になればお父さんもお母さんも帰ってくるのに、一ヶ月間、このがらんと広い見知らぬ家の中で暮らさなくてはならないのです。学校でできた友達と遊ぶことだってできません。寂しさで押しつぶされてしまいそうでした。小さくても暖かい三人だけの我が家に戻りたくてたまりませんでした。
 それから毎日、ひとりぼっちの日々がしばらく続きました。おばあちゃんと朝夕のご飯を食べることと、寝ること以外にすることがなく、退屈でした。テレビ番組は東京と違うし、遊び道具もこの家にはありません。おばあちゃんが編み物をしたり、庭の花や野菜に水をやるのを始めは手伝っていましたが、毎日それの繰り返しでつまらなくなりました。よくこんな退屈な場所でおばあちゃんは暮らせるな、と感心するほどでした。外に出たくても、この里のどこに何があってどんな人が住んでいるのかわからず、一度変な所へ迷い込んでしまえば帰ってこれないような気がして家にこもっていました。おばあちゃんはこの頃から足が悪く、長い間歩くことは苦手だったので、二人で遠出することもできません。宿題のプリントと日記だけが、私を現実に繋ぎとめているようでした。押し入れから昔この家の子供が遊んでいたらしい古びたおもちゃを見つけたり、物置に積んであった古本をあさったり、家探しのようなことをして暇をつぶすこともありました。時々家の外を、里の子供たちが走っていくのを見かけましたが、なんだか自分の友達とは人種が違う気がして仲間に入れてもらうには気がひけます。広い広い家の真ん中で、お母さんが迎えに来てくれる八月三十一日をひたすらに待つ日々が続きました。
 でも一つだけ、楽しみと呼べるものがありました。夕方になると、暑さの落ちついてきた縁側で、おばあちゃんが毎日ひとつ、お話を聞かせてくれるのです。それは日本の昔話でした。桃太郎、かぐや姫、一寸法師、浦島太郎といった有名なものから、この里に伝わるあまり聞かないような話まで、おばあちゃんは何でも知っていました。幼い頃、私のお母さんもこれを聞かされて育ったそうです。おばあちゃんは語り上手で、一つ一つ丁寧に語られる物語に、私はひきこまれて聞き入っていました。このことが、この家に来てよかったとその時の私は唯一感じていたことでした。
 その夏、私はおばあちゃんと共にこの家でゆっくりと進む毎日につきあわなくてはいけないのだと思っていました。一週間ほど経つと、寂しさや心細さと言った感情は私の中で麻痺してきて、ただ淡々と日々を送っていました。そんなある日、変わらないと思っていた私の日常は突然くつがえされたのです。
 その日は、いつもと同じように太陽がさんさんと降り注ぎ、入道雲がそびえたち、蝉の声がうるさく反響していました。私は太陽がだいぶ傾いてきた頃、おばあちゃんに庭の植物の水やりを頼まれました。サンダルをつっかけ、玄関から表に出ようとしま時、庭の方から何かの気配がしました。
 おや、おかしいなと私は首をかしげます。庭へ入るには必ず、この玄関の前を通っていかなくてはならないのに、誰もここを通っていないのです。しかもおばあちゃんは家の中で夕ご飯の支度をしているはずです。誰もここには入ってこれないはずなのに、あっちからは葉っぱがカサカサ揺れる音と、地面が踏まれるような音が聞こえるではありませんか。私は忍び足で壁づたいに歩いて行き、納戸の陰からそっと、庭の方をのぞきました。
 誰か、いや、何かが庭にいます。綺麗に並んだひまわりやトマトのプランターの間を、何かがこそこそと動いています。葉や植木鉢に隠れるように姿勢を低くして、ぬき足差し足で、歩いているそれは、どうやら人間のようです。しばらく観察していると、その格好がだんだんとわかってきました。ぼさぼさしているけれど、ちゃんと切れば真っすぐで綺麗であろう黒髪。手足はひょろりとしていて、きょろきょろとよく動く目は、人間というより野生の動物に近いような気がします。Tシャツに短パン、私の頭一つ分くらいの背丈、よくみれば裸足ではありませんか。
 私はどきどきしながら彼の様子をうかがいました。どこから入ってきたんだろう。何しにきたんだろう。あの子はきっと、ただの人間ではないと、私の直感が告げています。そろり、そろりとした身の運び、スローモーションのような忍び足。全てを見とおしているような目つきも、どこか奇妙な雰囲気をかもしだしています。私がじっと見ているのに、彼は気がつきません。納戸が日陰にあって、私の姿は上手く隠されているようです。男の子は庭の真ん中にあるきゅうりのプランターまで来ると、足を止めました。そして、腕をのばすと、ぱきっ、ぱきっ、と一本ずつ丁寧にきゅうりをもぎ取り始めました。
 私はあっけにとられました。突然他人の家の庭に入ってきて、しかも人の家のきゅうりをとっていく人なんて、そうそういません。彼は一体何者なのでしょうか。止めなくてはと思いつつも、彼が次々ときゅうりをもぎ取っていくのを見ているうちに、私はあることを思い出しました。
『このへんにはな、河童さんがおるんだよ』
 それは、私が昨日、おばあちゃんから聞いた『物語』でした。この村に今でも住んでいると言われる河童の話を、昨日の夕方おばあちゃんはしてくれたのです。
『河童さんはとってもいたずら好きでな、水の中から突然現れて、人を驚かせたりするんだよ。川に子供を引きずりこんだりすることもあるから、河童さんがいる池や、川では気をつけなくちゃあいけない。でも、実はきゅうりが大好きで、きゅうりをくれる人の言うことはちゃんと聞いてくれるんだ。それから、頭のお皿の中の水がなくなると、死んでしまうから、もしもお皿が乾いて困っている河童さんがいたら、水をかけてあげるんだよ』
 他にも、昔は河童は人と助け合って生きていたという話や、河童が雨乞いをしてくれたおかげで雨が降り、土地を枯らさずにすんだ村の話をおばあちゃんはしてくれました。そして、話の終わりにこう言ったのです。
『もしかしたら、河童さんが人間に化けて、うちのきゅうりを盗みにくるかもしれないねえ』
 どこからともなく現れて、きゅうりだけを盗んでいく、不思議なひと。
 もしかしたら。八歳の私の頭のなかで、おばあちゃんの話と彼とがつながっていきます。その頃の私は純粋でした。おばあちゃんの話は全て現実にあるものだと思っていました。疑うなんてことは一度もありませんでした。
 もっとよく見ようとして納戸の陰からもう一歩足を踏み出したとき、落ちていた金属のじょうろを私の足が蹴って、カン、と音をたてました。
 その音にこちらをふりむいた男の子の目と、私の目が、ぴたりとあいました。まずい、という顔をした彼は、くるりと踵を返して逃げようとします。
「待って!」
 男の子は、私に背を向けたままぴたりとたちどまりました。私は納戸の陰から走り出て、彼から五歩くらい離れたところにたちました。ふいにごおっと風が吹いて、男の子の髪の間を駆け抜けて行きます。ひまわりが男の子の行く手をはばむようにゆらゆら揺れました。
「……何?」
 こちらを向かないまま、男の子はぼそりと言いました。私は大きく息を吸い込み、思い切って尋ねました。
「あなたは、河童?」
 ぴくり、と男の子の肩が震えたような気がしました。言ってしまってから、私ははたと気がつきました。なんて馬鹿なことをしてしまったんでしょう! 彼が庭のきゅうりを盗みに来たただの泥棒少年だったら、私はとんだ笑いものです。こんな突拍子もない質問をするなんて。
 河童なんていないかもしれない。おばけなんていないかもしれない。おばあちゃんのはただのつくり話かもしれない。そう思い返して、恥をかかないための言い訳をしようとしたとき、男の子が呟きました。
「……何で知ってるんだ?」
 そして、ゆっくりとこちらを振り向いて、もう一度繰り返しました。
「何でわかったんだ、俺のこと」
 驚いていました。ただただ驚いて、こちらを見ていました。どうして見つかってしまったのだろう、あんなにこっそり動いていたのに。そんなふうに彼の表情は言っていました。
 彼はあのとき、たしかにそう言ったのです。私の質問に呆れることも、怒ることも、否定することも、嘘をつくそぶりも見せずにあっさりとそう言ったのです。自分が河童であることを肯定した上に、私がそれをつきとめたことを不審に思って怪訝そうな顔をしたのです。
 私はこのとき確信しました。彼は河童だ。にんげんにばけた河童だ。河童はほんとうにいたんだ。ほんものだ。
「きゅうりを、盗んでたから」
 男の子、いいえ、河童は、まだこちらをじっと見ていました。
「河童は、きゅうりが好きなんでしょう? おばあちゃんが、河童が人に化けて、うちのお庭のきゅうりを盗みに来るかもしれないって言ってた」
 河童は、黙ったまま私の話を聞いています。
「にんげんに化けているんでしょう? 川に住んでて、人にいたずらしたりしてるんでしょう?」
 きっと、私が河童のことを色々知っていて驚いているのだろう。そう思った私は得意げに尋ねました。
 河童はぽつりと言いました。
「あーあ。ばれちゃったなあ」
 そして、は妖しく笑いました。楽しそうに、とても楽しそうに、私を真正面から見て、こう言いました。
「そうだよ、俺は河童。この庭のきゅうりはどこのよりも特別うまそうだったから、前からねらってたのに」
 ああ、ほんものだ。ほんとうにほんとうにほんものだ。
「せっかくにんげんに化けたのにみつかっちゃうとはなあ」
 真っ赤な夕焼けに照らされた彼は、奇妙で、言葉では説明できない不思議な生き物でした。そのときの彼の笑顔が、私は今でも忘れられません。

その日から、静かだった毎日は一変しました。
 私はカッちゃん――里に住む子供は、彼のことをそう呼んでいました。私は、きっと河童のかの字をとってそう呼んでいるのだと思いました――と共に、里じゅうを遊びまわるようになりました。
 私が彼を河童、つまり人に化けた妖怪だと信じ込んでいたのは、何も出会った時のことからだけではありません。
 まず、彼は水辺に行くのが好きでした。一本の川が里の真ん中を横切っていて、そこは里の子供たちの遊び場となっていました。里にはおじいさんやおばあさんが多く、子供はとても少なく、偶然にも私と同い年くらいの子が集まっていました。私がカッちゃんと二人で川を訪れると、何人かの子供たちが石切りや水のかけあいっこをして遊んでいて、カッちゃんもそれにまぎれてわいわいやっていました。始めはおっかなびっくりだった私も、いつのまにか仲良くなっていて、朝から夕方まで彼らと一緒に遊ぶようになりました。カッちゃんは泳ぎも得意でした。ある子が水の深みにはまってしまい、半ばおぼれかけたときも、またある子が川底深くに大事にしているおもちゃの指輪を落としてしまった時も、私が川に靴を落として急流にそれが流されてしまったときも、助けてくれたのは全部カッちゃんでした。彼は皆よりも頭一つ分大きかったから、まるでお兄さんのように慕われていました。彼が河童だということを、里の皆は知りませんでしたが、皆も彼の名前しか知らないようで、どこに住んでいるとか、家族はいるのかとか、そういったことは謎に包まれたままでした。
 それから、彼は里のことを何でも知っていました。どこにいくと何があるか。川の深さはどこから変わっているか。蝉は鳴き声によって、種類が見分けられることも知っていたし、夜になるとカブトムシがとれる木も知っていました。誰の家の庭にはどんな果物がなっているかも知っていて、よく二人でこっそりいただいてはたまに見つかって怒られていました。彼は里のこと以外にも、知識をたくさん持っていました。算数のプリントの問題は一瞬で解いてしまうし、読書感想文を書くのにもアドバイスをくれるし、自由研究を持ちかければ里にあるそのへんの植物や、川にいる小さな生き物を使ってあっという間に仕上げてしまいます。勉強ができるのではなく、全部知っていることなのだそうです。河童として何十年も生きていれば、それくらい常識なのだそうです。
 それから、これはある意味決定的なことなのですが、彼はおばあちゃんのつくるきゅうりの漬物が大好物でした。ときどきおばあちゃんの家で二人で昼食をとることがあって、そのとき必ず、机の上にある漬物をカッちゃん一人で食べきってしまうのです。ここのは味が違うからなあ、とか何とか言って、彼はいつも嬉しそうにほおばっていました。私はというと、あの青臭さと匂いが好きではなく、いつも自分のぶんを彼にあげていました。今でも漬物は少し苦手です。
 彼は妖術、とまではいかずとも、いくつかのおまじないを知っていました。私は都会っ子でしたから、川辺や平たんではない道でよくすっ転びました。そのたびに、カッちゃんがいたいのいたいのとんでけをしてくれました。葉っぱを目の前で十円玉に変えて見せる手品も知っていました。妖怪ならこれくらいおてのもののだそうです。そして彼は、夕方子供たちがそれぞれの家に帰ると、私を家まで見送ってからどこかへ消えてしまいます。何度も後をつけていったことがありましたが、そのたびに巻かれてしまい、彼がどこに住んでいるかはわからずじまいです。
 そんなわけで、彼が人間であるという確固とした証拠はどこにもなく、詳しいこともしらないまま私は彼とともに八月を過ごしました。夏の終わりにお母さんが迎えに来ても、ずっとここにいたいと思うほどでした。次の年から、私はこの里ですごす夏休みを楽しみにするようになりました。小学校を卒業し、中学に入っても、私は毎年夏にはこの里を訪れました。
 けれども、変わっていくものもありました。私だって、体だけが大きくなって、いつまでも心が成長しないわけではありません。小学校の高学年になると、私はある疑いを持ちました。カッちゃんは小さい頃と変わらず、自分は河童であるといいます。しかし私はもう、彼の話を信じようとする気持ちが小さくなってしまっていました。サンタさんは実は両親で、映画やアニメの中のドラゴンや魔法使いは本当はいなくて、人は空を飛べないことが分かった今、誰が人間の形をした彼を河童だと信じましょう。ざしきわらしのようにいつまでも子供の姿であったならまだしも、彼の背丈はぐんぐん伸びているのです。だいたい、彼が私に、手足に水かきがついて甲羅があり、頭に皿を乗せた『河童』そのものの姿を見せたことは一度もありません。私はおばあちゃんの昔話も、今ではめっきり聞かなくなっていました。あれだってただのつくり話だ、と思い込んでいました。私はもう、大人になりつつあるのです。もう昔みたいに泣きわめいたりしない、聞きわけのよい子に育ったのです。現実と空想の区別はついている、だから私は大人なのだ、当時の私はそう思っていました。
 私はうってかわって、カッちゃんを質問攻めにしました。
「ねえ、カッちゃんは本当は人間でしょう? なんで自分は河童だなんて嘘ついたりするの? そもそも初めて会ったときになんで私に自分は河童だなんて信じ込ませたの? あなたは一体誰?」
 私の質問に対する答えは、彼はいつも同じでした。
「俺は河童だよ。キヨ、信じてないの?」
 まるで私がおかしいかのようにそう答えるのです。そして、口からまたでまかせを繰り返すのです。
 一度だけ、私が怒って喧嘩になりかけたときがありました。
「本当は河童なんていないんだよ。なんでちゃんと答えてくれないの? この嘘つき」
 彼は、一瞬だけ表情を消し、ふっと笑みを浮かべて言うのでした。
「俺はにんげんじゃないよ。まっとうなにんげんじゃ、ないんだ」
 そう言った彼に、私はふと思いました。
 もしかしたらカッちゃんは、本当のことを言いたくないのではないのだろうか。自分の素性を人に話すのが嫌なのではないだろうか。そう考えれば、とてもひどいことをしたと私は反省しました。もう、彼を困らせるのはよそう。彼が河童であるということを今ではもう信じられないけれど、本当のことを探そうとするのはやめよう。そのとき私は自分の心に誓いました。
 カッちゃんと過ごす夏は何回もやってきては、過ぎて行きました。そうして、出会ってから八回目の夏がやってきました。
 このころになって、私は生きていく上手い方法を見つけました。
 逆らわない。
 周りの望みをきちんと答えていれば、上手く生きられる。
 勉強してテストで満点をとると、母親はとても喜びました。学級委員になって雑用をこなせば、助かると言って友達は喜びました。皆が私に望んでいることを、望んでいるとおりに行えば、世界は上手くまわる。だったら、私はそれに応えればいいだけ。
 そうしていつのまにか、『私』はできあがりました。両親に反抗することも、先生に口答えすることも、友達と喧嘩をすることもなく、優しくて、人あたりのよい子。それが私でした。それに私は満足していましたし、良いことだと思っていました。
 私は中学三年になり、高校受験をすることになっていました。みんなするから、私もするもの。
 塾が忙しくなり、この夏は夏期講習で埋まっていました。八月も何週間も、塾に通って勉強する予定になっていました。私は勉強は嫌いではなかったので、何の不満も抱かず、毎日を塾と学校で過ごしていました。この夏はおばあちゃんのところへは行けないけれど、別に良いかと思いました。あの里とそこに住む人の存在は、いつの間にか私にとって小さなものへと変わっていたのです。
 しかし七月のある日、事件が起こりました。事件ともいえないようなささいなことです。
 休み時間のこと、学校の教室で、私はとある女の子たちのおしゃべりを耳にしました。他のクラスから遊びに来た、私の知らない子でした。私と同じクラスの子も混じっていました。教室はざわざわしていて、彼女たちは私が教室にいることに気付いているのかいないのか、やたら大きい声で話していました。始めはくだらない噂話で気にもとめませんでしたが、ひょんなことから私の名前が出てきました。
「このクラスのキヨ、って呼ばれてる子知ってる?」
「あー聞いたことある! 学級委員で成績良い子でしょ? ほらあの、押しつけるとなんでもやってくれるっていう」
「人の言うことにいっつも合わせてさ、成績いいのも先生にいい顔するためでしょ」
「誰かの言うとおりにしてればみんなうまくいくと思ってるんじゃないの?」
「学級委員やってるのだってそうでしょ? 皆がやりたくないことはあたしがやらなきゃーってタイプなんじゃない」
「そういう誰にでも良い顔すんの、あたしあんまり好きじゃないんだよね」
「あ、実はあたしもー」
 私は真っ青になりました。あとで聞くと、彼女たちは私がこの教室にいないと思って話していたらしく、そのうちの一人は謝りに来てくれたほどです。悪意があったというよりその場の雰囲気でつい言ってしまったという言い訳に、私は笑って気にしないそぶりを見せました。
 でも、家に帰っても彼女たちの言葉は頭から離れません。誰にでも良い顔をする。彼女たちの言うことは当たっています。だって私は、それが良いことだ、正しい生き方だと思って生きて来たのですから。では、他人の望むことに応えるのをやめたら、誰にでも良い顔をするのをやめたら、一体そのあと私はどうすればいいのでしょう。どうやって生きて行けばいいのでしょう。誰も教えてくれません。私は急に不安になりました。勉強するのも、皆と仲良くするのも、塾に行くのも、全て無意味に思えてきました。自分の生き方は、間違っていたのでしょうか。すっかり自信がなくなって、呆けた気分で残りの学校生活を過ごし、夏休みを迎えた頃には全てが嫌になっていました。どうしたらいいのかわからないのです。私は聞きわけがよくて優しい、成績の良い人あたりのよい子であって、それを否定されてしまえば自分を殺してしまうようなものなのです。これ以上どうやって生きて行けば良いのでしょうか。塾の夏期講習だって、名門校に進学してそれが何だって言うのでしょうか。それだって大人や先生が望んだことなのです。ならばいっそ、逃げてしまえばよいと思い立ちました。あれこれ色々なことを言って私に様々なものを『望む』人々がいない世界へと、逃げてしまえばよい。そう考えて、広い広いおばあちゃんの家まで逃げて来たのです。
 こうして、十五歳の夏、来るはずのなかったこの里へ、私は逃げ込むことになりました。

***

 家に着いた私に、おばあちゃんが麦茶を出してくれました。隣の家からでしょうか、風鈴の音がちりんちりんと聞こえます。カッちゃんは、まるで自分の家にいるかのように畳にごろり、と転がりました。
「今年は来ないって聞いてたんだけどなあ、どうしたの」
 カッちゃんはこういうときいつも核心をつくような質問をしてきます。
「別に……」
 本当に、たいしたことではないのです。ただほんのすこし、自分と周りのものすべてが、なんだかバランスがとれなくなってきて、上手くいかなくなってきてしまったから、捨てて来ただけなのです。
 そんなことをカッちゃんに言えるはずもなく、私は曖昧に笑いました。
「えっと……そう、花火大会! 明日、花火大会の日でしょう、やっぱりどうしても見たいなあって思っちゃって」
 今日は八月二日。明日は八月三日。私とカッちゃんは、毎年山向こうの町であがる花火を見に行っていました。
「今年も、行くよね、花火」
 私がにこにこ言うと、なんとなく歯切れの悪い返事が返ってきました。
「ああ、まあね。そんなにキヨが楽しみにしてたとは思わなかった。ていうか来た理由、それじゃないでしょ」
 どうして彼には私の心が読めるのでしょうか。
「カッちゃんには関係のないことだよ」
 そう言ってにこりとすると、彼もへらりと笑いました。彼は意味もなく、平ぺったいとした笑みをよく浮かべる人でした。その時は何を考えているのか、私には想像がつかないことが多いのです。
「キヨ、最近泣かなくなったよな」
 突然そんなことを言うので私は面くらいました。小さい頃、それこそ彼とはじめて会った頃などは、私は転んでは泣き、おばけが出るぞーといっておどかされては泣いていました。けれども今は違います。
「あたりまえでしょう。もう子供じゃないんだから」
「ちゃんと笑わなくもなったよなあ」
「え?」
 どういうことでしょうか。さっきも私は、彼に、関係ないことだから深入りするなと言って笑いかけたというのに。
「笑うよ? ほら」
 にこりと微笑んで見せても、彼は首をふるばかりでした。
 彼はおかしなことを言います。私はいつもいつも、笑っているというのに。
「それは違うなあ」
 彼は縁側の方をちらりと見ました。ちりりん、と風鈴が鳴りました。
「変なの」
 私は呟きました。麦茶は溶けた氷と混ざって少しだけ色が薄くなっていました。ガラスの表面についた水滴が流れ落ちて、コップの周りに小さな水たまりをつくっています。
(なんだか、泣いているみたい)
 次々と流れ落ちる水滴をながめながら、なんとなくそう思いました。
「何かあったんでしょ。そういうのは全部ぶちまけちゃった方が、楽になると思うけどなあ」
 呑気に笑いながら彼が言うので、私はぽつりぽつりと、事の発端から話し始めました。

(なんだ、キヨはそんなものに囚われてたの)
 夜、布団の中で、私はカッちゃんに言われた言葉を繰り返し思いだしていました。
(上手く、正しく生きて行くのは、そんなに大切なことじゃあないんじゃないの?)
 あのあとカッちゃんは、私がどれだけ苦労しているかを知りもせず、ぽんぽんと調子良く助言してきたのです。 
(別の誰かの顔色うかがって、誰かの言うとおりにして、それじゃあまるで人形だ)
 彼はいつも以上にへらへらと、馬鹿にしているかのように私に言いました。 
(そんなくだらないことしてたら、いつか人間じゃなくなっちゃうよ)
 人間じゃないのは、わたしじゃなくてあなたではないのか。
 私は、こんなのどかな里でのほほんと暮らしているあの背の高い河童とは違うのです。毎日を川にぷかぷかつかって暮らしている彼とは違うのです。勉強して、親の言うことを聞いて、友達と上手くやって、塾で良い成績をとって初めて、あの息苦しい都会で生きて行くことができるのです。私のその努力をまるでどうでも良いことのように言われ、虚しさがつのるばかりでした。上手く生きて行くためには、周囲の流れに逆らわず、うまく溶け込むことが最重要なのに。それが難しいから大変なのに。
(人間は、正しく生きるために生まれて来た生き物じゃないと、俺は思うけどなあ。妖怪や神様と違って、たったの数十年しかこの世にいられない、無力で、ちっぽけなものなんだよ、人間は。だったら、誰かの望みや考えにのっとって生きて行くのは、あんまりにもったいないんじゃないのかなあ)
 途中から何だか私の相談とは少しずれているような気がして、私は尋ねました。
(じゃあ一体どうしたらいいの?)
 その問いに、彼はうーんとしばらく考え込むと、やがてぽんと手を叩きました。
(空を、見ればいいと思う)
(空?)
(夜になったら、空を見ればいいと思うよ。そうしたら、自分がどんだけちいさいかわかるから)
 なぜ私の背が小さいことを最後にからかわれなくてはいけないのでしょうか。憤慨して私はそこで話を終わらせてしまいました。今思い出してみると、彼が最後に言った言葉の意味が、私には一番わかりませんでした。このまま食い下がるわけにもいかないので、私は起き上がり、縁側へと向かいました。涼しい風が、髪の間を縫うように吹いています。蛙の鳴き声以外何も聞こえない、静かな夜でした。私はサンダルをつっかけ、地面に降りました。そして見上げた瞬間、
 言葉を失いました。
 目に飛び込んできたのは満天の星空でした。
 真っ黒い夜空の上に、無数の星がまたたいています。数なんて数え切れたものではありません。綺麗とか、美しいとか、そういう言葉で表現するにはもったいないくらいです。東京のかすんだ空では、こんなにたくさんの星を見られることはありません。そもそも、空を見上げるなんてことをするのは何年ぶりでしょうか。星座の知識がないから、この季節に何が見えるとか、どの星を結べば何の形になるとかは、一つもわかりません。それでも、私の心は見上げているだけで洗われていくようでした。
(自分がどんだけちいさいかわかるから)
 あの言葉はほんとうでした。こんなにたくさんの星があって、その中のたった一つの上に立っている私は、なんて小さいんでしょう。なんてちっぽけなんでしょう。
 あの星は全て、私がいようがいまいが、生きていようが死んでいようが、遥か彼方に存在し続けているのです。私が見上げる前から静かにまたたいていて、たとえ私が今地面を見つめていても、またたき続けているのです。
(あ)
 ふいに、頭の奥で何かがはじけました。それはあっという間に全身にいきわたり、ものすごい早さで私のなかに浸透しました。
 私が何をしようが、あの星ぼしはずっとあそこにいます。私のことなんか気にも止めないのです。私が何をしようが、世界はずっとそこにあり続けるのです。当たり前のことなのに、それをはじめて知った気がしました。世間から悪く思われないように行動しようがしまいが、人にあわせようがあわせまいが、それを気にしていたのは自分自身なのです。
(気にしていたのは、私だ)
 ルールから外れたら、そこで終わってしまうのではないか。その恐怖が、いつまでも鎖となって体に巻きついていただけなのです。私は、カッちゃんの言いたかったことをようやく理解しました。こんなちっぽけな身体なんだ、なにをしようが自分の勝手ではないか。私は自分のやりたいことをすればいいんだ。誰かの言うとおりに生きなくてもいいんだ。こんなに簡単なことにどうしていままで気付かなかったのでしょう。
 私は長いこと、充実感にひたりながら星を見ていました。首が痛くなるまで、ずっと見ていました。

八月三日

 満たされた気分で私は目を覚ましました。こんなにすがすがしい朝は久しぶりです。世界の見え方が昨日と違うような気さえします。昨夜、星空のもと、私は一つの決断をしました。自分と向き合って考えた結果、おのずと答えはでてきました。これからどうやって「私」としてやっていくか。その指針は、カッちゃんから教わったことであり、星空の下に取り残された結果生まれたものであり、自分で考えたものでした。このことをカッちゃんにも伝えようと、私は手早く着替えて食卓へ向かいました。
 朝ごはんをおばあちゃんと済ませても、カッちゃんはやってきません。しかも今日は、楽しみにしていた花火大会の日です。例年なら、昼前からカッちゃんと一緒に、花火の見える山の向こうの町へ出かけます。だから、この日は朝からいつもカッちゃんがやってきて、二人で花火を心待ちにするのですが、今日は珍しく来ていません。昨日は明日は早く来ると言っていたのに、何かあったのだろうかと私は少し心配になりました。でも、連絡をとる手段があるわけではないので、家でしばらく待つことにしました。
 せんぷうきにあたりながら、私は去年までの花火大会の日のことを思い出していました。はじめて行ったのは、私がこの里で二回目の夏を過ごした時でした。長いことバスに揺られて、たどりついた山向こうの町は、里よりは少し人や建物が多かったけれど、それでも東京に比べればまったくの田舎でした。道には屋台が並び、近所の人が浴衣を着て集まって、にぎやかに話に花を咲かせていました。わたあめを買ったことを覚えています。やがて花火があがり、あたりは歓声に包まれ、次々とあがる一瞬の光の輪に私は見入りました。どん、という大きな音が少し怖くて、確かカッちゃんとずっと手を繋いでいました。お父さんやお母さん、おばあちゃんにも、この輝きをわけてあげたいと思いました。目に焼き付いてははかなく消えていく花々は、夏休みのたった一日の記憶になり、思い出となりました。
 もう少ししたら、カッちゃんがやってきて、またあの大輪を見に行くんだ。町に着いたら、今年は屋台で何を買おう。どこからが一番良く見えるだろう。昔遊んだ里の子たちも見に行くのかな。カッちゃん、どうしていつも私を連れていくんだろう。何で、私のこと、面倒見てくれるんだろう。もう子供じゃないのに。
 畳の上に寝転がって、風に当たっているうちに、私の考えはまとまりをなくし、いつの間にかうとうとと眠ってしまいました。

***

 気がつくと私は、縁側に座っていました。くるぶしまで水がきています。おばあちゃんの庭はとっくに水没してしまったみたいです。空の色がとても薄くて、カッちゃんは隣で喋っています。
「俺、嘘ついてたんだ」
 カッちゃんは、にこにこ笑いながら縁側からざぶん、と水に落ちました。いつもの笑みがなんだか歪んで見えて、私はぞっとしました。もう、私の腹のあたりまで水がきています。淀んでいて、あまり綺麗ではない水でした。
「キヨに、ずっと嘘ついてた。ほんとうは、こうなんだよ」
 そう言ったカッちゃんの顔は、肌色から暗い緑へと変わり、くちばしのような口が生え、目はぎょろりとして、なんだか気持ち悪い皿が頭にできました。水かさが、ざぶんと一気に増して、私は一気に水の中に沈められました。
(あ、あ、あ)
 気がつくともう、目の前のカッちゃんの腕にはうろこが生え、背中に亀の甲羅のようなものがついていて、手にも、足にも水かきがついていました。水の中なのに、苦しくなくて、異形の彼の姿しか目に入りませんでした。音がこもって良く聞こえなくて、息を吐くと口から泡が出てきて、縁側も庭ももう足元に沈んでしまって、私という人間と彼という河童しかいませんでした。河童になってしまったカッちゃんは、私より一回りもふたまわりも小さな姿でした。河童は黄色い小さな目でこちらを見ながら、へらへら言いました。
「でも、知らないんだもんなあ。信じてくれないしなあ。俺のほんとうの姿なんて、誰も知らないもんなあ」
 知ってるよ、と私はもがきながら叫びました。里のことなんでも知ってて、川辺でくつろぐのが好きで、おばあちゃんの作るきゅうりの漬物が好きで、おまじないも使えて、ときどき何を考えてるかわからないけど、優しくて、彼はわたしの――。
「それは、ほんとうの俺じゃあないだろうな」
 まるで他人のことのように河童はへらへら笑いました。私には彼が、笑っているのにとても寂しそうに見えました。
「俺さあ、ほんとうはさあ」
 音がどんどん遠くなって、彼の声は私の耳に届く前に消えてしまいました。やがて彼の姿は、泡と一緒に溶けるように見えなくなってしまい、私の視界もぐちゃぐちゃになりました。

***

 目を覚まして飛び込んできたのは投げ出された自分の手でした。起き上がって、時計を確認すると、お昼前です。三時間近く眠りこけてしまったようです。私は何度か、河童の夢を見たことがありますが、今回のは特別はっきりしていました。生々しい化け物は、縁側に目をやってもいませんでしたし、庭も水没していませんでした。空は濃い青色で、白い入道雲がもくもくしています。何かを伝えようとして消えた河童の、最後の言葉が気になりました。
 昼食を食べ終わっても、カッちゃんは姿を見せませんでした。私はかなり焦り始めました。夕方になる前にバスに乗らないと、花火の見える山向こうの町には行けません。彼になにかあったのではないか。私は彼を探しに外へ出ました。
 いるとしたら、川のはずです。彼が用もないのに私をひきつれて行く場所と言えば、あの川の岸辺か、小さな滝のあるところでした。私は川沿いに、カッちゃんを探して歩きました。
 滝のある手前、ところどころに家が並ぶ道を歩いていると、私は見覚えのある顔に出くわしました。
「あれーもしかしてキヨ? 久しぶりー!」
「ふうちゃん!」
 ふうちゃんは、私と同い年くらいのこの里に住む女の子です。何年か前には、カッちゃんとふうちゃん達里の子と一緒に、よくおにごっこや川遊びをしていたものですが、小学校を卒業したあたりからいつもの遊び仲間もめっきり集まらなくなりました。もともと里にいる子供の数が少ないので、顔ぶれはいつも同じで、ふうちゃんとは特に仲が良かったのです。彼女は背もすっかりのび、皆で遊びまわっていた頃とは別人のように大人っぽくなってました。
 私は彼女としばらく思い出話で盛り上がりました。明るい彼女は、昔一緒にあそんだ皆がいまどうしているかを楽しげに教えてくれました。私は東京の、別段楽しくないような話を少ししましたが、彼女はとても興味深げでした。
「いいなー。私も一度は東京行ってみたいなあ。ところで、キヨはどうしてひとりでこんなとこ歩いてんの? カッちゃんは?」
 私とカッちゃんはひとまとまりとして考えられているのかと思うと何だか笑えてきました。
「そうだった! 私、今カッちゃんを探してるの。今日、花火大会なのにうちの方にまだ来てないから、どこに行っちゃったのかと思って」
「ああ、そういえばそうだったね。もうすぐバスに乗らないと、山向こうまで行けないのに、あいつってばキヨほっぽり出して何やってるんだ? この辺探してもいないんだったら、多分川のほとりの『お化け屋敷』だと思うけど」
 ぽんとふうちゃんの口から出た単語に私はどきりとしました。
「まさか! あそこなわけないよ」
 お化け屋敷。そう私たちが呼んでいるそれが立つところにだけは、私は数回だけしか行ったことがありません。この川をどんどん登っていくと、うっそうとした森につきあたります。森と呼ぶには少し小さめの、木々がこんもりした場所ですが、皆そう呼んでいました。そこは昼間は明るく、木漏れ日がとても気持ちいいのですが、夜になると真っ暗になり、とても薄気味悪い場所へと変わります。そしてその奥には、お化け屋敷と呼ぶにふさわしい、古びた家があります。垣根にはつたが絡まり放題で、扉には鍵がかかっていて入れません。ところどころ壁がひび割れていたり、窓ガラスがくもっていて中が良く見えなかったりと、近寄りがたい雰囲気を醸し出しているのです。その上カッちゃんはいつも、その家のことを話す時はこう言っていました。
「あの中には怖い妖怪女が住んでいる。悪い子がいると、夜、そいつは鍵をあけてあのお化け屋敷から出て、その子の家までやってくるんだよ……」
 あまりにおどろおどろしい声だったので、幼い私はそれを聞いて夜ひとりで眠れなくなったほどでした。そういうわけで、彼におどされた私たちは、川のふもとでは決して遊ばないようになりました。
 そのことをふうちゃんに話すと、彼女は腹をかかえて笑いだしました。
「あんたまだそんなこと信じてたの?」
「だって、ふうちゃんも怖がってたじゃない!」
「それは昔の話。人が普段住んでないからだよ、あの家が不気味な感じに見えるのは。でも、カッちゃんがあそこにいるっていうのを聞いたことがあってさ」
 それは初耳でした。私は更にふうちゃんに詳しいことを聞きました。
「カッちゃんってさ、ここの里に住んでる人じゃないでしょ? 夏休みだけここに来て、あのお化け屋敷みたいな家で暮らしてるって話だよ。あの家に入っていくところを見たことがあるっていう友達もいるし」
 カッちゃんはこの里の住人ではない。そこからして私は大きな思い違いをしていました。この里のことに詳しいから、てっきりどこかに家があって、家族と共に暮らしているのだと思っていたのです。そして何か特殊な事情があって、身元を私には明かさないのだと。ふうちゃんでさえ知っている噂話を私は知らなかったということにショックを受けました。
「でもびっくりしたなあ。あんなにキヨと仲いいのに、そういうことは全然話してくれないんだね」
「うん、いっつもはぐらかされてばっかり」
 さすがに自分のことを河童だと偽っているなどと言うことは黙っていました。
「うーん、もしかしたら、大事に思ってるからこそ、言わないのかもね」
「え?」
「なんでもないよ。ほら、行って来なよ、川のほとりまではすぐでしょ」
 頑張りなよー、という謎の励ましを受けながら、私はふうちゃんと別れました。

 川のほとりの、木々の生い茂る一角には、ものの数分でたどり着きました。太陽はいつのまにか陰ってきて、青空はだんだんと雲に覆われてゆきます。私は草をかき分けながら進みました。足首に植物がまとわりついてきて、汗が冷えて身体がひやりとしてきます。私が『お化け屋敷』の前に立った時には、空には厚い雲が垂れこめていました。嫌な天気がこの家には似合います。手入れされていない外観、古びた屋根。手紙の来ないポスト。ふうちゃんの言っていたことがほんとうなら、この中にカッちゃんがいるはずです。私は恐る恐る、インターホンを押しました。
 ピーンポーンという間延びした音が、私の恐怖を増幅させます。誰もいないのならそれで良いのです。
 扉の向こうから人の気配がして、私はぞわりと背筋が凍りました。がらり、と戸が開けながら、家の主はのんきに尋ねました。
「はーい、誰ですか」
 ぼさぼさの黒髪にひょろりとした手足。私よりずっと背が高くて肌のほの白い、カッちゃんがいました。
 ほっとして体中の力が抜けると、私は急に腹が立ってきました。
「もう、今日は花火大会だって昨日言ったじゃない! 私ずっと家で待ってたのに来ないし、こんなところにいるし、ていうかどうしてカッちゃんはここにいつの」
 文句と質問を一度に浴びても、カッちゃんは一度驚いたように目を丸くしてから、はははと笑いました。
「ああ、そうだったなあ。そういや今日だった」
 頭から花火のことなどすっかり抜けていたと言わんばかりの返事に、私は落胆さえしました。こんなぼろ屋敷の方が、彼にとっては大事だったのです。
「まあいいや、良かったら入るかい」
 彼が言うので、私はこわごわお化け屋敷の中に足を踏み入れました。
 家の中は、私が思っていたのと全く違いました。きちんと片づけられ、ほこり一つないのです。薄汚いふうに見えるのは外観だけで、中は手入れが行きわたり、人が住むのに適している環境でした。
 私はぐるりとあたりを見回しました。ぽた、ぽたと蛇口から水の垂れる音。湿った空気。ブラウン管のテレビ。壁に掛けられたカレンダーは茶色く変色していて、もう何年も前のもののようでした。ここは誰かが住んでいる家ではなく、誰かが住んでいた家なのだと、ふいにそんな気がしました。
 私たちは、食卓を挟んで立っていました。壁の時計が秒針をかち、かちと打つ音だけが聞こえます。静かでした。机の上のつまようじや、胡椒は、誰も使っていないのにそこにおいてある気がしました。風がざわめく音も、蝉の声もこの家の中までは届かないようでした。
「カッちゃん、ずっとここに住んでたの?」
「違うよ」
 読めない表情で彼は答えました。
「どうして、ここにいたの? カッちゃんはこの家と何か、関係があるの?」
「この家は明日、取り壊されるんだ。これで見納めだからね、一応入っておこうと思って」
 私の問いに返す気はないとでも言うように、口元を釣りあげながら彼は言いました。私はこういうときの彼の表情が嫌いでした。
「質問に答えてよ。カッちゃんはこの里のひとじゃないの? ならどうしてこの里を良く知ってるの? どうして私に何も教えてくれないの?」
 どうして、どうしてと溢れてくる疑問に、カッちゃんは無表情で私を見下ろしていました。
「あれを見なよ」
 カッちゃんが指差した先は、壁でした。壁に、一枚の紙が画鋲でとめてありました。
 近づいてよく見ると、それは画用紙でした。画用紙の中には、クレヨンで絵が描かれていました。
 幼稚園児が描いたような、曲がった線と雑な色塗りでできた絵でした。人間が三人いて、二人は大きい男の人と女の人で、一人は小さい男の子でした。顔には、三人とも満面の笑みが描かれていました。繋がれた手は、決して離れないように、離さないように結ばれていました。
「……『かぞく』?」
「そうだよ」
 カッちゃんは絵のなかの人を順番に指差しました。
「これはかつてこの家に住んでいた人たちの絵だよ。これは、お父さん。これは、お母さん」
 たったそれだけでした。誰の? と聞くことはためらわれるように思えました。
 真ん中の男の子を指差すカッちゃんの手は、少し震えているような気がしました。
「こいつは、もうお父さんとお母さんのことを覚えちゃいないよ」
 他人のことを話すようにカッちゃんは言いました。うすく笑って、冷たい目で絵のなかの男の子を見ていました。
「こいつがこの絵を描いてすぐに、お父さんとお母さんは死んでしまったから」
 ざああああという音が突然耳に入ってきて、外で雨が降っていることを私は認識しました。みしり、と軋んだような音をたて、光の差さない家がいっそう暗くなりました。
「こいつは一人ぼっちになったから、この家から出た。東京で、親戚の家に引き取られて、そのまま育った。こいつは、父と母のことを覚えておきたかったけれど、何年かすると顔さえ思い出せなくなってしまった。アルバムも写真も全部、焼いてしまったから」
 私はカッちゃんを見上げました。口元は笑っているのに、目が笑っていませんでした。
「父と母とこいつが住んでいた家は、親戚の意向でそのまま壊されずにここに残った。こいつは、学校がない夏休み、毎年この家に来た。まだここには、何か残ってる気がしたから」
 急に彼はこちらを向くと、私を見ました。その目は、いつか夢の中で見た、黄色くてぎょろりとしたあの河童の眼に似ていました。
「あーあ。ばれちゃったなあ」
 その言葉は、昔どこかで聞いたような気がしましたが、今の私の心には冷たく冷えた釘のように刺さるだけでした。
 絵の中の男の子を指差したまま彼は続けました。
「俺はずっと恨んでたんだよ。家族や、帰る場所がある人を。そして憎んでいた。大切な誰かが生きていることを、当り前だと思って暮らしている人を。大嫌いだった。俺のことを憐れんだ目で見つめたり、かわいそうだと言って遠くから見ている人たちのことが」
 すっと目を細めて彼が放った一言に、頭を殴られたような衝撃を受けました。
「そう、今のキヨみたいにね」
 ごめんなさい、という言葉が口からこぼれましたが、今それを言っても何の意味もないことはわかっていました。
「俺がこういうどろどろしたもの、キヨには知られたくなかったのになあ。ぜんぶぜんぶ、隠してたのになあ」
 彼の言う言葉ひとつひとつが私を足元から砕いて、崩していくようでした。
「キヨにとっては当たり前でも、他の誰かにとっては当たり前じゃないことがあるんだよ」
 鋭い稲光と共に雷鳴が響き、一瞬あたりがかっと明るくなりました。私は彼の感情をこれ以上受け止められませんでした。笑わない彼は、もう以前の彼とは違う生き物に見えました。私はよろよろと玄関まで歩き、逃げるようにこの家を出ました。
 夕立が、叩きつけるように降っていました。私は半ば走るように足を動かして、土砂降りの中を進みました。振り返ると、あの家は雨に打たれながら静かにそこにありました。雨が、顔に、身体に張り付くようにまとわりついてきます。私はひたすらに逃げました。あの重たく黒い感情を持った化け物と、それを包む静かな家から、一刻も早く離れようとしました。カッちゃんがあんなものを背負いこんでいたなんて信じられませんでした。今まで何も知らずに彼と共に過ごした八月は、一体なんだったのでしょうか。八月三十一日に、私のお母さんが迎えに来て、笑顔で手を引かれて東京に帰る幼い私のことを、彼はいつも手を振りながら見送ってくれました。その瞳にぬぐえない寂しさと、ひとかけらの憎しみを、今思い返せば彼はとどめたいたような気がしました。髪から雫が垂れ、頬を濡らします。次々と零れていく雫は、おそらく涙ではなく雨粒です。私の心を占めていたのは、彼を気遣う気持ちよりも、彼に嫌われてしまったことへの悲しさでした。そんなことしか考えられない自分はあまりにも自己中心的で、小さい人間でした。おばあちゃんの家に着くまで、ごめんなさいと繰り返し繰り返し心の中で叫びながら歩きました。

 ずぶ濡れで帰って来た私を、おばあちゃんは酷く心配しました。おばあちゃんはお風呂をわかしてくれました。私が暖まって出て来た頃には、もう雨はやんでいました。
 太陽はゆっくりと沈んで行きました。黙ったまま私はおばあちゃんと夕食を食べました。ご飯もおかずも今は味が良く分からなくて、きゅうりの漬物なんかいまは見たくもありませんでした。食欲の進まない私に、おばあちゃんは何も言いませんでした。食事の後、私はぽつりと尋ねました。
「友達が隠していたほんとうのことを、全部知っちゃったの。ほんとうのことを、知るのは、良くないことかな。友達のほんとうの姿を知ってしまったら、もう元には戻れないのかな」
 何のことを言っているのかわからないはずなのに、おばあちゃんは優しく答えてくれました。
「ほんとうのことを知らないまま生きることもできるし、知って生きることもできるよ。でも、一番大切なのは、そのほんとうのことを抱えるその人と、ちゃんと向き合うかどうかなんじゃないかねえ」
「私に向き合う資格なんかないよ。もう逃げてきちゃったもの」
「なら、きっとその人はキヨにもう一度会いに来るさ。きっとね」
 私は玄関から家の前に出ました。太陽はもう山の向こうに沈み、暗くなった夜道を、誰かがこちらへ歩いてきます。その人は私を見つけると、黙ったまま立ち止りました。私は彼が今、あの黒い感情を抱えた化け物なのか、人間なのか区別がつきませんでした。小さな電燈の下で、カッちゃん頭をかきながら困ったように言いました。
「ごめん、ちょっといいかな」

 おばあちゃんの家の縁側に、私とカッちゃんは並んで座りました。向こうの田んぼで、カエルが鳴いています。静かな夜でした。風もなく、雨雲は吹き払われ、澄み渡った夜空が広がっていました。そういえば、今日は花火大会の日でした。この後この空に、赤や黄色の大輪が咲くのでしょう。でも、この里からは見えません。向こうの山が、花火を隠して見えなくするからです。毎年見に行ってたのに、それも今年で途絶えてしまいました。また胸の中に後悔と罪悪感だけが広がり、喉元までこみあげてきてなんとなく口の中が苦くなりました。
「ごめんなさい」
 どう切りだせばよいのかわからなくて、私は謝りました。あの家に入ったこと。あの絵を見たこと。彼にいろいろ尋ねてしまったこと。彼の過去を聞いたこと。勝手に家をとびだしたこと。全て、許してもらえることではないとわかっていたけれど、私には他にどうして良いのかわかりませんでした。
「いやいや、なんでキヨが謝るの。あんなわけわからんこといきなり聞かされたって、困るもんな。ごめん、ほんと、さっきの自分どうかしてたなあ」
 怒りも叱りもせずに、カッちゃんは申し訳なさそうに言いました。寂しさのような諦めのような、どこか陰のある顔でした。ああ、私が彼にこんな顔をさせているのだ、と思うといたたまれなくなりました。私はこんなふうに、優しくしてもらう資格はないのです。人が触れてほしくない場所に土足で踏みいって荒らした揚句去っていくような、そんな私に、彼の隣に座る資格なんてない。本当なら、私がこちらから謝りに行くべきなのに。
「話、してもいいかなあ」
 カッちゃんがそう言うので私は黙ってうなずきました。
「俺は生まれた時から、あのぼろいお化け屋敷みたいな家に住んでたんだよ。昔はもっと綺麗で、外観もぴしっとしてたんだよ? あそこには、俺と、父と、母の三人で暮らしてた。そんなに裕福じゃなかったけど、皆幸せだったと思うよ? 俺は小さかったから、そのときのことはほとんど覚えていない。記憶じゃなくて、事実しか語れないんだ」
 彼は遠くの山を見ているようで、頭の中をめぐる昔の思い出を手繰り寄せているようにも見えました。
「五才のとき、父が夏休みをとって、東京に出かけることになった。父と母の親戚は、東京に住んでる人が多かったから、久々に会いに行くことになったんだ。俺らは田舎の人だからね、物見遊山って感じでこの里を出た。父が車を運転して、高速道路に乗って行ったんだ。その時のことは、断片的にだけど覚えてる。あまりに衝撃的だったからね。東京に向かう途中、俺たち家族は交通事故に巻き込まれたんだ」
 そこからの話は、私の想像を超えるものでした。血とか、死とか、そう言う単語が飛び散って、私は頭の中でその現場を再現することができませんでした。
「病院に運ばれて、どうしてか、俺だけ助かった。どうして俺だけだったんだろうね。神様は、俺はまだ天国なんぞにはいけない、地上で苦しめって言ったんだね、きっと」
 そんなことあるわけないでしょう、と口をついて出てきそうな言葉を、ぐっと飲み込んで私は聞き続けました。
「そのあと、葬儀とか相続とか、よくわかんないことが大人たちの間で起こって、俺は東京で父方のおじさんとおばさんのところで育ててもらうことになった。二人には子供がいなくてね、今でも嫌になるくらい可愛がってもらってるよ」
そして三人で暮らしたあの家は、人が住まないからどんどん朽ちて行った。でも、あの家は俺に所有権があるみたいでさ、おじさんとおばさんが気を使って残しておいてくれたんだ。だから、学校が休みになると、俺はいつも一人で新幹線に乗って、この里まで来た。最初は家の人に内緒で。カップめんとか、冷凍食品とかつめこんでね。家じゅうを掃除したり、何をするでもなく食べたり寝たりする日もあった。俺が里に来ると、かわいそうに思って世話をしてくれる人もいたし、ひそひそ何か言っている人もいた。何か、『特別扱い』されてる気分で、俺はそれがすごく嫌いだった。俺はただ、覚えていなくても両親との時間をもう一度共有しているような、そんな気分に浸っていたいだけなのに、邪魔するなって感じで。里の子供だけが、俺によくちょっかい出しに来たよ。子供って何も知らないから、気楽でいいよね。まあ、俺もそのうちの一人だったけど。帰ると、おじさんとおばさんにひどく怒られた。でも、俺の気持ちを知ってか知らずか、翌年からは放っておいてくれた。
 で、俺が九才のとき、面白いことが起こったんだ。
 おばさんは父の妹だから、子供のころはこの里で暮らしてた。結婚して東京に来たんだ。だからこの里のことも良く知ってるし、知り合いも多い。その中の一人が、キヨのおばあちゃん、シゲさんなんだ」
「え?」
 何故ここでおばあちゃんの名前が出てくるのかと、私は驚くと同時に首をかしげました。
「キヨのおばあちゃん、シゲさんが、この里から少し離れたところの中学校で昔教師をやってたのは知ってる? そのときの教え子が、おばさんだった。おばさんは、昔シゲさんにすごく世話になってて、今でも恩師として慕っているそうなんだ。よく手紙をやりとりしてる。おばさんはある日、シゲさんからの手紙で、夏休みに孫娘が里へやってくることを知った。そこには、おばあさん一人では孫娘も退屈してしまうだろうし、始めは里に慣れるのも難しいだろうから、孫娘にはつまらない思いをさせてしまうだろうという趣旨のことが書いてあった。そこで、おばさんは俺に、この夏も里に行くなら、様子を見てきてほしいと頼んだ。始めは嫌だったよ、ちっちゃいガキの面倒なんてさらさら見る気はなかったね。
 俺はしぶしぶ東京を出て、ここに着いて、シゲさんの家を訪ねた。するといるじゃあないか、垣根から覗くと、縁側で楽しそうにおばあちゃんからおはなしを聞くちっちゃいガキが。第一印象は、こいつ騙されやすそうだなあ、だった」
「ちょっとそれひどくない?」
 思わず口を挟むと、カッちゃんはまたへらへらと笑うのでした。その笑顔にこれほど安心したことは前にも後にもないでしょう。
「おばあちゃんは孫娘に、『河童の雨乞い』の話をしてた。孫娘はそれはそれは楽しそうに、河童は空想から生まれた生き物だということをまるでわからずに信じ切って話を聞いていた。俺は馬鹿馬鹿しくなって帰ろうとした。なんだ、楽しそうじゃないか、俺がどうこうしなくてもあのガキは勝手に生きていくんだろうって。その時、ちょうどこの庭が目に入った。トマトとかひまわりとか、そのなかにきゅうりがあって、俺はふと、つまらない悪戯をしようと考えた。次の日の昼下がり、垣根の間に無理やり道をこじあけて、この家の庭に忍び込んだ。それからは上々だったよ。ちっちゃいガキはまんまと俺に騙されて、俺のことを河童だと思い込んだ。俺は一芝居打っていい気分だった。ちょっとからかってやろうって、それだけの話だったんだ。馬鹿だなあって、あとで笑い飛ばしてやるつもりだった。
 で、俺が帰ろうとすると、そのちっちゃいガキが『また来てね』って言ったんだよなあ。もう二度と来ないはずだったのに。それで気がついたらその夏中ずっとその子は俺にくっついてて、俺もなんでかその子と里の子供と遊んでて、もうどっちが相手してもらってるのかわからない感じになった。次の年の夏、俺は花火にその子や里の子を連れて行ったら、喜ばれちゃって。いつの間にか、毎年この里に来るのが楽しみになってたなあ」
 私は初めて会ったとき、彼に『また来てね』と言ったのでしょうか。彼の印象が強すぎて覚えていませんでした。
 目の前でからくりが次々に開かされていく様子を、私は茫然と見ていました。全ての謎がほどけていき、頭のなかのもやもやがすべて払われてゆきます。
「その子は会うたびにちょびっとずつ大きくなって、気がつけば中学生になっていた。俺はもう高校生で、受験だなんだって忙しいのに、のうのうとその子に会うために里へやってきた。もう最初の目的なんてとっくのとうに忘れてて、里に住む子たちと遊ぶこともなくなったのになあ。俺はその子に何かとちょっかい出して、一緒にご飯食べたり、花火見たり、宿題手伝ったりして毎年の八月を過ごした。その子は俺と違って、すぐ泣いたり笑ったり、ころころ表情が変わって、一緒にいると嫌なこととか忘れて、ただ楽しかった。
 でもその子は中学二年の夏に、来年はここには来ないと言った。やっぱり彼女も勉強とか、そういう大事なものを捨ててはいけない年頃になったんだろう。そう思って、俺も来年からはここに来るのをやめようかと思った。
 でも、その次の年の夏、七月くらいに一本の連絡が入った。あの『お化け屋敷』の土地を、買い取ってあの場所に住みたいと言う人が現れたんだ。話を聞けば悪い人でもなさそうだったし、そういう話はいずれ出るだろうと覚悟してたから、俺はあの家を手放すことに決めた。でもやっぱり、最後に一目見ておきたかったから、俺は八月になってすぐ、里に出かけた。それで、シゲさんとちょっと茶飲み話をしていたら、来るはずのないその子がやってきたんだよ。彼女にも彼女の理由があって、悩みがあって、それを聞いてるうちにいつの間にか、今年も花火を見に行く約束をしていた。家が取り壊されるのは八月四日。花火大会の翌日だった。八月三日、俺はちょっとだけあの古い家に立ち寄った。そして、さあそろそろ戻ろう、と思ったとき、彼女が向こうから訪ねてきてしまった」
あとは知っているだろう、と言うように、カッちゃんはこちらを見ました。
「ここまでは種明かし。ここから話すのはどうでもいいことだ。俺は、できればずっと、ここまで話したことを、隠してたかった。もしばらしてしまえば、俺はキヨにとって『河童』じゃなくなっちゃうから。嘘つきで、ほんとうのことを言わないただの妖怪でいた方が、面倒臭い過去を背負った人間でいるよりずっと楽だったんだ。『河童』でいれば、俺はキヨから深入りされずにすむ。俺のことなんて、里に住んでるちょっと変な奴くらいに思ってくれてればいいなあ、って。それを壊したくなくて、ずっと隠してた」
 気がつけば、遠くのほうで、どん、どん、という太鼓を打つような音が聞こえてきました。同時に、真っ暗な夜空がほんのすこし明るくなったり、また暗くなったりするようになりました。山向こうの町で、花火が上がり始めたのです。
「でも、キヨだっていつまでも子供じゃあないからなあ。いつか全部ばれたら、そのときキヨがどんなふうになるか、それだけが怖かった。もう、元のようには戻れないと思ったし、俺のほんとうのことを知ったら、キヨは遠ざかっていくんじゃないかと思った」
 そう言って、私を見て笑いました。そしてふいに手をのばすと、私の頭を撫でました。
「だからといって、まさか泣かれるとは思わなかったなあ」
 話の途中から、目から水が勝手に出てきて止まりませんでした。さまざまな感情がごちゃまぜになって、それが全部水になって目からぼたぼた溢れました。視界がゆらゆら揺れて、カッちゃんの笑顔がゆがんで見えます。
「キヨは『河童』が好きで、『俺』は嫌いなのかと思ったよ」
 違うよ。表にある顔も裏に隠した顔も、全部あわせてカッちゃんなんだよ。だから、どっちも大切にしなくちゃいけないんだよ。隠さなくていいんだよ。なんにもなかったふりして、笑わなくていいんだよ。私の前で陽気な河童を演じなくてもいいんだよ。カッちゃんは誰かを恨んでたり、憎んでたかもしれない。ほんとうは、きっと、寂しかったんだよ。その気持ちを、嫌な感情なんかにまぎれこませたら駄目だよ。話してくれてありがとう。ごめんなさい。でも、一人ぼっちじゃない。カッちゃんは一人ぼっちなんかじゃない。私がずっと一緒にいる。夏しか会わないけど、離れててもずっとずっと、一緒にいる。
 このなかのどれか、いやもしかしたらほとんどは、言葉にして彼に伝えることができなかったかもしれません。全て彼に伝えたかったけれど、
ぐしゃぐしゃになってしまった私の声では、どこまで彼に届けることができたのかわかりませんでした。
「そうか。俺は、寂しかったのかなあ」
 また、他人事のようにそう言うカッちゃんの顔は、なんだか安心しきっていて、普段のからかうような笑みを浮かべた顔よりもずっと好きでした。
「キヨは優しいなあ」
私が泣きやむまで、彼はずっと私の頭を撫でていました。気持ちの波がおさまると、どん、どんという大きな花火の音が、はっきりと聞こえるようになりました。空はかすかに明るくなったり、暗くなったりします。闇に咲く花は一つも見えません。それでもいいと思えました。花火なんかよりもっと大切なものがここにはありました。
 私とカッちゃんはずっと、音だけを聞きながら縁側に座っていました。

八月四日

 蒸されるような暑さの昼下がり、私とカッちゃんは見慣れたバス停の前に立っていました。私は帽子に水筒、手には赤いキャリーケース。結論から言えば、今日、自分の住む東京へ帰るのです。
「私、カッちゃんに言われて気付いたんだ。誰かの言うことや、皆がやってることにのっかって生きていくよりも、自分が正しいと思った、好きだと思ったことをちゃんと見つけて生きていく方が、いいと思うって。でも、私は自分が今何がしたいのか、何を目指してるのか、何が好きなのかわからない。結局、それを見つけるには、ちゃんと勉強して、学校に通って、色んな事を学ばなくちゃいけないと思う。そのための受験とか、勉強なら、私は嫌だと思わないし、むしろやるべきことだと思うの。だから私は今日帰ります」
「戻ったらまた毎日夏期講習なのに?」
「それくらい、たいしたことじゃあないわ」
 私がきっぱりと笑って言うと、カッちゃんはぶつぶつ言いました。
「なんだ、勝手に大きくなって勝手にかっこよくなっちゃうんだもんなあ、河童はもうついていけないよ」
「人間に戻ったんじゃないの」
「そうだったっけ?」
 カッちゃんはとぼけて笑いました。昨日の夜で、彼は確かに、ほんのすこしだけ変わったような気がしました。本心を隠して笑う河童は、いつしかどこかへ姿をひそめて消えてゆく気もしますし、そのまま彼の中に残り続けるのかもしれません。どちらにせよ、彼は人間に一歩近づいたような気がしました。
 今日で、彼の住んでいたあの古い家は取り壊されるそうです。カッちゃんはその様子をもう少し見てから、東京のおじさんとおばさんのもとへ帰ると言っていました。あの場所から、彼とそのお父さん、お母さんの住んだ証は消えてしまいます。ひとつだけ、あの壁に貼ってあったクレヨンの絵を、彼は手元に残すそうです。それだけで十分だと彼は満足げに言いました。
「おばあちゃんちのきゅうり、全部食べちゃ駄目だからね」
 そう言っているうちに、向こうからバスがすなけむりをあげてやってきました。カッちゃんは慌ててズボンのポケットをごそごそやって、小さな紙きれを私に渡しました。
「それ、東京の俺が住んでる住所とか書いといたから。なんかあったら連絡してなあ」
 バスがとまり、ドアが軋みながら開きました。タラップに乗った私が紙きれの中身を確認する前に、ドアが閉まってゆきました。
「キヨ、」
完全に閉まる直前、彼が言いました。
「俺はキヨに出会えてよかったよ」
 彼は笑っていました。その笑顔は、今まで見た中で、一番素敵でした。
(あ)
 ぷしゅうという間抜けな音とともにドアが閉まって発車音がなり、バスが動き出しました。固まってしまった私を乗せて、ゆっくりとスピードをあげようとしています。紙きれに目を落とすと、そこには住所と電話番号と、カッちゃんの名字と名前が書いてありました。
 彼の名前は、ほんとうはカズキというのだということを、私は初めて知りました。ああ、カズキだから『カッちゃん』なのか。
 私は彼からもらってばかりで何も返していないな。
 そう思ったとき、私の体はすでに動いていました。人の少ないバスの中を、私は走りました。座っていた老夫婦が、驚いて私を見ます。私は後列の座席の窓まで転がるように走り、窓の鍵を開け、あらん限りの声で叫びました。
「カッちゃん!」
 彼は私が窓から突然顔を出したのに気付き、バスを追って走ってきました。もうかなり離れていたから、今から私が叫んでもその言葉は届かないんだろうと思いました。
「ちいさいとき、いつも遊んでくれてありがとう! 勉強みてくれたり、一緒にご飯食べたり、ぜんぶ、楽しかった! 今年は行けなかったから、花火いつか、絶対行こうね! ほんとうのこと、知ってても知らなくても、私はずっとカッちゃん――カズキ、カズキのこと、」
 好きだよ。
 そのことばは、その最後の言葉だけは、私の口から出る前に、喉を逆流して、私の胸の中へすとんと落ちてしまいました。
 落ちたそのかたまりは、じわじわと体の中へ浸透していき、そして確かな思いへと変わりました。
 ああ、私はあの人が好きだ。
 八回目の夏になって、ようやく私は気付いたのでした。
 もう豆粒のようになってしまった彼は、大きく手を振っていました。私も笑顔で振り返しました。やがて彼は見えなくなって、青い空と、緑の田んぼと、白い入道雲だけが私を見送っていました。
 きっとこの思いは、何年後かの夏に、私が伝えるのでしょう。また来年こられるかはわからないけれど、いつか必ず、また会えると私は信じていました。次にここで会ったときは、闇に咲く大輪の花を、二人で見ることができたらといいと、私は小さく願いました。
 私は一人東京に帰ります。でも、また来たくなったら何度でも、心の中で思い返せばよいのです。どんなに離れていても、彼と過ごした夏へ、私は何度でも帰ることができるのです。

 これは私と、カッちゃんという、私の大切な人の話。

 おしまい
2013-01-09 16:42:34公開 / 作者:木の葉のぶ
■この作品の著作権は木の葉のぶさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
はじめまして、もしかしたらお久しぶりです。
何か小説を書きたい、投稿したいと思いつつ、なかなかできない木の葉です。
勉強やらなんやらで、次にまともに書けるのは一年後くらいになりそうでして……もしまた機会があったらここでお世話になります。

感想・批評などいただければ幸いです。
この作品に対する感想 - 昇順
 木の葉のぶ様。
 御作を読ませていただきました。ピンク色伯爵です。
 とても丁寧な文章を書かれていますね(丁寧語で書いてあるだけに)。文章自体に読みにくさを感じることがありませんでした。そう言えば貴女は最初から文章がお上手でしたね。さらに磨きがかかったといったところでしょうか。ストーリーもありふれた話をきちんとなぞられた(褒め言葉です)感じで、オチの予想はだいたいついてしまうものの、その分安定感がありました。
 特に印象深かったシーンはカズキ君との出会いの場面です。「なんで俺がカッパだとわかった?」と訊くカッパ君ことカズキ君に対して返した、「きゅうりを、盗んでたから」という台詞、秀逸でした。主人公の子供らしさがにじみ出てキラキラと輝いているような一言でした。
 一方で、全体的にやや味気ない印象を受けました。雰囲気が良いだけにこれはもったいないと思います。無難に仕上がりすぎているということを指摘しているのではなく(これは意図的に無難に仕上げようとしている小説でしょう)、舞台の設定、田舎という特殊な環境の考察、そして何より人物の考察がやや足りていないのではないかと思いました。ストーリーはありふれた物で、起承転結が無くても良いのですが、その分書くべきものがあるはずです。たとえば、カズキが田舎に一人で帰ってきていて、幽霊屋敷に住んでいるのなら、村と言う閉鎖的な社会ではその噂が少なからず伝わっているはずで、主人公の短期滞在中にもその影響が及んでいるはずなんですよね。大人達だって、普通とは違うカズキと自分の子供が一緒に遊ぶのに良い顔をしなかったでしょうし、主人公の祖母も何らかのアクションを起こしているはずで、しかしそれについての描写が作中に一切ない(ハズ; あったらごめんなさい)。大人がかかわるべきシーンで大人が登場していないのです。特に祖母はストーリーの駒で終わってしまっています。これは本当にもったいない。彼女には彼女のストーリーがあるはずで、それが主人公のストーリーと交錯すべきところを交わらずにねじれの位置よろしくへんなところをくぐりぬけちゃったって感じです。
 カズキにしても暗い過去があるから、人を傷つけてやろうという黒い感情を持っていた、というだけでは一面的過ぎる気がします。主人公をたぶらかしてやろうと考えついても、主人公と過ごすうちに心情の微細な変化はあるわけで、そこをきちんと考察しなければ、?主人公に暗い感情をぶつけて→?悪かった、仲良くしようでは、味が薄すぎるのではないでしょうか。ここは十分に考察したのち、主人公たちに長々と過去話をしゃべらせるのではなく、具体的なイベントを発生させて、その過程で過去をあらわにさせるようにした方が良かったのではないでしょうか。というか、物語のキモを会話文で、ありきたりな要約文として全て説明してしまっているのは非常にもったいない。設定の羅列のようになってしまっている。しかもこれはストーリーの設定を読者にアピールする小説ではなく、ありきたりな話の中で、きらりと光る人物たちを描く小説だ。カテエラのような気がします。本当にもったいないです。彼は親を亡くして何か思うことは他になかったのでしょうか? 健全な家庭に妬みを抱くしかなかったのでしょうか? 悲しいことがあってもそれを乗り越える力はなかった? 田舎に一人帰ってくるガッツはあった、だのにやることは何故子供じみているのでしょうか? もっと達観しているところはなかったのか、敢えて子供を演じているのなら作中でもっと他のみせ方があったのではないでしょうか? 村人から奇異の目で見られて、「嫌だなあ、でもかつての住まいに帰ってきたい」と何故思えるのか? おじさんとおばさんが良い人なら、彼らのためにも、都会での暮らしになれるべきだとは考えなかったのか? お父さんとお母さんに固執する理由はなんなのか? 一人で生き残ってしまった罪悪感? でも罪悪感から田舎に戻っているのではなく、お父さんとお母さんを偲んで帰ってきているだけだと描写されているわけですし、そこは不自然だ。それらを考察し、解答を考えたのちに作中でイベント等を用いてインプライするべきではなかったのでしょうか。
 主人公のキヨも、内向的で排他的な初期の人格から、田舎にいきなりやってきてしまうほど自由気ままで活動的な人格にクラスチェンジしてしまっています。人は変化するものですから、変化あってしかるべきものなのでしょうが、そこの描写が欲しかった。この人物が、勉強の重圧から解放されるために本当にキャリーケース一つを持って田舎にやってくるのだろうかと疑問に思ってしまいました。彼女自身田舎に逃避する妄想を勉強の合間にするのかもしれませんが、塾を放り出してまで田舎に行こうとまでは思わないのではないでしょうか。それこそ誰かに強く促されたりしない限りはです。カズキがいるから? 毎年恒例だから? でも、彼女の人格は果たしてそれをよしのとするのでしょうか。主人公にブレが生じているのではないでしょうか。
 また、これは個人的な意見になりますが、田舎という素敵な舞台設定があるのですから、そこに詳細な言及が欲しかったです。読んでいるだけで懐かしくなるような、田舎に行きたくなるような、そんな描写が欲しかった。メインディッシュはカズキと主人公の話なのでしょうが、副菜となるべき田舎の絵がないのではやはり彩りに欠けるのではないかと思ったのです。川や山、近くの田んぼのあぜ道でもいい、とにかく、それを背景に人物を動かしてほしかったと思いました。
 細かい指摘になりますが、『歩き出すと、ゴロゴロと音を立てながらキャリーケースが大人しくついてきます。』という序盤の一文について、ゴロゴロと音を立てながら、というフレーズがちょっと合っていないような気がします……。ここは『懐いた子犬のように』とか『まるで私の体の一部であるかのように』等、後ろの『大人しくついてきます。』にかかるフレーズの方が良いかと。
 また、物語は終始ですます調で書かれているのですが、これには深い意味があるのでしょうか。個人的には、少し冗長かな……と思いました。うーん、好みなのでしょうか。どうなんだろう。
 色々と書いてしまいましたが、これが僕の素直な感想です。それでは次回の投稿を首を長くしてお待ちしています。駄文長文失礼しました。
2013-01-16 13:43:21【☆☆☆☆☆】ピンク色伯爵
木の葉のぶ様。こんにちは、この名前では始めまして。登竜門にひっそり戻りつつ皆様の作品を拝見させて頂いております格ゲーマーと申します。御作拝読させて頂きました。時の流れを上手く使い、主人公の心情の変化とどうしても通る苦悩をしっかりと書かれております。木の葉さんのみずみずしい文章は情景をしっかり書かれ読者に想像させるに十分な力を感じました。テーマは「自分を受け止め、前を向く」でいいのかな? 主人公だけでなく、相手側にも相対的な深い悩みを持たせ色を付けられているのが良かったです。ラスト前にしっかりと人間として描かれている感じがして温かさを感じました。
個人的に、方向は見えた。でもまだどうすれば良いか分からないから色々と頑張るって感じに答えを導き出した主人公ちゃんは本当等身大で共感できます。ってか、それでいいですもん本当。一生それでもいいくらい(笑) 見つけたと信じれる何かが得られたときに爆発させれば良いですもんね!
さて、最後に少しだけ気になった点を。一人称の中でも相当メタ的な感じで書かれたが為に主人公の折角の心理描写もただただ淡々と流れてしまっている気がします。本当ならもっと盛り上がっても良かったカッチャンとのシーンも、
2013-01-16 15:18:55【☆☆☆☆☆】も、から始まる格ゲーマー
ぎゃあああ。途中で書き込んでしまいました。すみません。
えっとカッチャンのラスト前の心情吐露のシーンも、だからこそ薄味になっちゃってるんですよね。この文章の書き方では致し方無いとは思うのですけどね。どう読者に読ませたかったかの意図として自分はそこまで今回の話でキャラクターを持ってきていないと思ったのでそういう描写はそんなに無くても良いと思ってたり。ただ「もっと、その時どう感じたか?」をしっかりと書けば淡々としたなかでも厚みがでるような気がしております。

とかまぁ、好き勝手書いてすみません。以前から木の葉さんの作品を読ませていただいており、テーマをしっかりもった書き手さんとして楽しく読ませて頂いてます。また宜しくお願いします。いじょ、もから始まる格ゲーマーでした
2013-01-16 15:29:52【☆☆☆☆☆】も、から始まる格ゲーマー
お返事が遅くなってしまい申し訳ありません!

ピンク色伯爵様
 お久しぶりです。読んでくださってありがとうございます。
 最近ほとんどまともに小説を書いていない(読んですらいない……)ので、読みにくい文章をつらつら書いているような気がして心配でしたが、褒めていただけて光栄です。出会いの場面は私も気に入っています。子供っぽさをうまく出せるように頑張りました。
 ストーリーのほうは、もう少し「カズキは人間なのか、河童なのか」というところを読者の方にわからせないように書きたかったのですが、あっさりばれてしまったようで(汗)自分としては、「ありふれていない、少し変わった」話を書きたかったのです。書き手と読み手では作品に対する印象が変わってしまうものだなあと痛感しました。もっとも、私にそれを一致させる力が足りないだけの話なのですが。意図的に無難に仕上げようとしたいうより、とにかく完結させようと躍起になって書いたものなので……
 この話は、「自分を河童と偽る人間を書こう」という一つの思いつきから、なぜ彼は自分を偽っているのかという理由を考え、パズルのピースを埋め合わせるように書いていった作品です。ストーリーが先にできて、あとから付け足すように主人公やカズキの性格を考えました。これでは物語がうまくすすまない、だからこの人にはここでこういう行動を取らせようという感じで。そこが二人の性格にねじれ、不自然さが生じてしまった原因な気がします。ストーリー上の都合をあわせるためにわざわざ祖母を登場させたのも事実。結局、私はこの作品を「人物ではなく、ストーリーの設定を読者にアピールさせる」方に重点をおいて書いてしまっていたのだと気がつきました。全体的に登場人物の考察が足りていなかったです。自分の小説のアピールポイントというのをあまり意識していなかったので、今後注意していきたいです。
 また、自分が都会生まれ都会育ちのため、実は「田舎」をうまく想像できないまま書いていました。田舎いいなあ、という憧れだけは持っているのですが、それだけではそれを舞台として生かすことは難しいというのが書いていて自分でも分かりました。
 序盤の一文、読み返すと確かに微妙ですね。改稿する際に直させて頂きます。
 ですます調なのは「なんか書きやすそうだしやってみるか」という安直な考えです……やっぱり普通に書けばよかったかなあ。
 感想を頂けた事でこの作品の問題点がはっきりしました。今後に生かせたらと思います。
 またここへひょっこり現れたら、そのときはまたよろしくお願いします。ありがととうございました。

も、から始まる格ゲーマー様
 はじめまして(?)。読んでくださってありがとうございます。二人の心情や苦悩、情景がうまく伝わってくれたみたいでほっとしております。そうですね、テーマを改めて考えてみれば、格ゲーマーさんのおっしゃるとおりのものだと思います。「人間として描かれている感じがした」とのコメント、とても嬉しいです。人間を人間らしく書くのってなんて難しいんだろうと日々思っていたので。
 主人公の決断は、考えられる中では一番前向きな未来の選び方だろうなと思います。自分も彼女を見習わなくてはいけないなあと思ったりw共感できていただけて良かったです。
 淡々としているというのは、書いていて自分でも感じました。どうしたら改善できるのかなあと思いつつも最後まで同じテンションで突き通してしまった感じです。その時その時の心理描写を大事に書いていけばよいとのこと、参考にさせていただきます。
 いつも駄作を読んでくださってありがとうございます……!(感激)読んでくださる方がいらっしゃるというだけで、とてつもない励みになります。ただ、格ゲーマーさんが(この物語ではありませんが)「誰」なのかわからず悶々としております。私の想像であっているのかはたまた間違っているのかwもしよければこれからもおつきあいください。またいつ作品を仕上げられるかはわかりませんが、頑張らせていただきます。ありがとうございました。
2013-01-20 11:22:28【☆☆☆☆☆】木の葉のぶ
計:0点
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