『髪の長いあの子』作者:ゆうら 佑 / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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髪の長いあの子


 抜け始めてわかる、髪はながーい友だち。
 そんなCMが一昔前にあったの、みなさんご存知ですか。私が一昔前、というと研究室の学生たちは先史時代かとばかにするけど、本当に一昔前、私が子どもだったころの話です、中学生でした。たしかに「髪」という字を分解すると……「長」い「友」だちになるんですね。
 私は当時偶然にも、同じように「髪は長い友達」という漢字の覚え方を発見していて得意になっていたもんですから、そのCMを見たとき、私の怒りと失望はすさまじかった、といったら言い過ぎですけど、その覚え方をあっちこっちで触れ回っていたものだから、学校のやつらには盗作呼ばわりされたし、まあ何より、抜けて長い友達だったことがわかる、なんて考え方は到底許容できるものではなかったんですよ。
 わかります? 当時のうぶな私の中ではですね、髪といえば長くてきれいな、まあいわゆる「黒髪ストレート」であってですね、中年男性の薄くなり始めた頭などでは断じてなかった。みなさんもそう思うでしょ。私がイメージしていたのは、女性の優雅な長い髪の毛で……中学のとき隣のクラスにきれいな髪の子がいて、まあ、その子のことを多少意識していたから、かもしれませんけど。ああそう、その子の名前がなんと、カミノさんだったんですよ! ……失礼。だから、長い友達っていうのは長年の人生のツレっていう意味なんかじゃないと思うんですね。文字通りこう細長い、ロングな友達なんだと思うんですよ。
 私の髪の毛はご覧のとおり、まだ大部分が頭に残ってくれているんですが、やっぱり親父の頭や先祖の遺影を見ると気が気じゃないですねえ。
 
 教室は爆笑の渦というか失笑の渦で、中には私の頭を同情したように見てくる女子学生もいる。学生はまじめな話よりこんなくだらないことのほうが好きだ。うけがいいから私もつい余計なことをしゃべってしまう。脱毛、もとい脱線もはなはだしいし、授業料返せと訴えられたらどうしようもないが……いちおう「中国文化」の授業なんだから、漢字の話をして問題はないはずだ。
 もちろん学生たちには「髪」の本当の成り立ちを教えておく。脱線話なら彼らの集中力は強くて、へえー、という顔で聞いてくる。
「先生、ここなんですけどお」
 講義が終わったあと、学生が前に来て私に質問する。こういうといかにもまじめな学生みたいだけれど、メールの上向き矢印そのままの上がり調子語尾にはまじめさ皆無。
 毎回講義の終わりに「何か質問はありませんか」とわざわざ聞いてやってるのに、そこで質問してくる学生は一人もいなくて、結局帰る間際にこうして寄ってくる。こういうのは、苦手だ。人と面と向かって話をするのは好きじゃないし、とくに若い子と目を合わせるのは……照れくさい。それに次の講義があるから早く出ていきたいんだが、そこもわかってないのか、この新成人たちは。大学教員は暇ではないのだ。
 心の中ではため息をつきながら、指示されたレジュメの部分を丁寧に教える。その学生も長い髪をしているけど、染めているうえにぱさぱさしている。うーん、もったいない。
「あーっそうなんですかあ。ありがとうございますう」
 げんなりするような語尾を残して、その学生は友達と連れ立って教室を出ていった。
 私はどうやら学生に人気がある。学生サークルが発行するフリーペーパーで「単位の取りやすい講義」堂々の第三位に輝いていたせいもあるのだろうが、私に対して学生は好意的だ。たまに、尊敬のまなざしらしきものも感じる。
でも、学生とはできるだけ目を合わさない。合ってもすぐそらす。できるだけ距離を置く。絶妙な距離感、じゃなくて。できるだけ、最大限。
 そうしないと、私の正体がばれる。
 もちろんスパイとかそういう類ではない。私は一般人だ。ただ、彼らの中で私はえらい教授で、有名大学で教鞭をとる尊敬すべき人生の先輩で、しかも単位をくれるやさしい先生なのだ。そのイメージを崩したくない。だって、私もそのほうが楽だから。
 でも本当は。
 次の教室にむかいながら、私は思う。
 本当は、そんないいもんじゃない。教授だと思われているけど本当は助教だし、年増に見られてるけどたぶん学生たちのお父さんよりは若いし、金持ちで大きな家に幸せな家庭を築いてるんだろっていうまなざしを受けることもあるが離婚して独身だし、結局のところくだらない話を学生に吹きこんで金をもらっている。私なんて、しょせんそんな人間だ。
 だから、学生とは仲良くしない。
 たぶん、私は怖いんだ。好かれた後には、必ず嫌われることを知っているから。いつか必ず切られてしまうことを知っているから。

 次の教室にむかう途中、購買の自販機で飲み物を買う。いつのまにかラインナップがかなり変わっている。好きだったつぶみかんジュースがない。人気がなかったんだろうか。速いサイクルだ。飽きられたものは、どんどん捨てられていく。
「こんにちは」
 あいさつされてはっとする。ショートヘアの若い女性が目の前に立っているのを見て、こっちを見ていることを確認して、ああやっぱり私にあいさつしたんだと確認する。大学ではあいさつされることなんてほとんどない。大学教員は、孤独だ。
 学生らしき女性はすぐ私から目をそらして、そばの教室に入った。これから私の授業を受けるらしい。そういえば見覚えがあるな、と思うが、もちろん名前なんか覚えてない。
「では今日のグループ、模擬授業をはじめてください」
 私は言う。
 教員免許を取るために受ける必要がある講義、教科教育法。なぜか私が、その「国語科」の担当になってしまった。一応教員免許は持っているけど、それも学生時代に友人諸氏の多大な協力のもとに手に入れたものだし、中学高校の教職に就いたこともないし、そもそも専門は中国文化なのだから自信をもって教えられるのは漢文くらい。
 でも教える。
「先生」
 呼びかけられて、一瞬体が固まる。
 教えなくちゃいけない。私は先生なんだから。
「このプリント、配布してもよろしいでしょうか」
 話しかけてきたのはさっきの女子学生だった。そうか今日、この子の班が授業発表か。わざわざレジメまで作るとは、熱心なもんだ。ちょっと感心しながらそれにざっと目を通して、「いいよ」と言った。ちゃんと見なかったが、ワークシートのようだ。
「じゃあ、始めて」私は言った。席に着きながら、名簿で名前を確認する。
 あの学生は、斎川というらしい。
 違和感がある。斎川君って――なんとなく印象には残ってるが――あんな人だったか。
「ではこれより模擬授業をはじめます。担当は斎川班です」
 背が高くて、顔だちがきりっとしていて、たぶんいまどきの男子学生にはちょっと敬遠されそうな斎川君――どことなく、娘に似ている――は、はきはきした声で授業を開始した。

 ふう、と私は息をつく。
 前期のうちは必死で付け焼刃の教育論を教えていたけど、それが限界になってしまった。私なんかが教えられることはない。立派なことなんか言えない。だから、とりあえず模擬授業で時間をつぶすことにした。私が何も言わなくても、生徒が勝手にやってくれる。我ながらすばらしいアイデアだ。
 講義の最後にちょろっとコメントをいえば、今日の仕事はおしまい。早く研究室に帰りたい。このキャンパスで学生に囲まれていると、どんどん若さが吸い取られていく気がする。若さをもらっているという教員もいるが、あれは何らかの幻覚にちがいない。
 窓からは秋の明るい陽射しが差し込んでいて、カエデの木が色づいた葉を落としているのが見える。

 子どもの頃、あこがれていたのは父だった。小学校の先生も好きだった。大学の教員を尊敬した。そうやって私も年を取って、今、あの人たちと同じ年になろうとしている。だけど、私は子供のころと何一つ変わっていなくて、昔あこがれた人は、昔と同じ距離のまま私の前を歩いている。追いつくことも、距離を縮めることもできない。
 ふと、アキレスと亀の話を思い出す。どんなにアキレスの足が速くても、先に出発した亀に追いつくことはできない。アキレスが亀のいた地点に到着したとき、亀はつねにその先に進んでいるから。距離は限りなく縮まっていくけど、アキレスは永遠に、先にいる亀を追い越せない。
 アキレスですらそうなんだから、私が追い越せるわけないじゃないか。

 教職科目を担当することになってから、参考に見学してみた英語科教育法の講義。今年の春のことだ。
 衝撃だった。教員はテレビや雑誌にもよく出ている有名な人らしいが、なるほど、まさにその人はカリスマだった。巧みな話におもしろい身ぶり、学生を笑わせるユーモア。しかも教育法もしっかりと教える。こうすれば生徒は楽しむ、こうすれば飽きる――たぶん、実際の教師経験にも裏打ちされた話なんだろう。その人の本はどこの書店にも並んでいて、読んでみたらやっぱりおもしろかった。どこで売っているのかわからない私の本とは大違いだった。
 しばらくは自分の授業に自信をなくした。国語科教育法にも、自分の専門の講義にも。
 とくに国語科教育法はひどかった。熱心な目でに私の話を聞く学生たちがかわいそうだった。こう言ってやりたかった。私には、君たちに教えられる資格なんてないのですよ。

 斎川君の授業は、まだ続いている。学生とは思えないくらい落ち着いて話す。もういちど名簿を確認したら、大学院生だとわかった。教育学研究科、修士課程一年生。大人びているわけか。
 斎川君の指示に従って、私もワークシートに記入したりして、中学一年生として授業に参加してみる。扱っているのは漢字の部首の話。私の専門分野だから、なんとなくうれしくなる。はいはい、紛らわしい部首ね……
  朝 部首( 月 ) 読み方( つき   )部首のもとの字( 月 )
  胸 部首( 月 ) 読み方( にくづき )部首のもとの字( 月 )
 へたくそな字で書きこんでいく。楽勝楽勝……ん、あまり自信がない。まずい、一応漢字の専門家のはずなのに。文化審議会の委員もやってるのに。
 とりあえず教室を歩き回って、生徒役の学生を観察。といっても、どう観察すればいいのかわからない。私は、私が学生だった頃受けた(ろくに出席もしていない)教科教育法の授業の様子をなぞっているだけだ。
 あれ、と思う。
 いつも見かける、髪の長い学生がいない。
 今日は休みか。
 別居中の娘を思い出させる、髪の長い女の子。
 昔憧れていたあの子に似た、気の強そうな顔だちの女子学生……
 そう思って振り返ったとき、教壇の斎川君と目があった。
 彼女はすぐに目をそらした。
 あ。
 髪、切ったんだ。
 背中まで垂れていた長い髪が、首筋のところできれいに切りそろえられている。
 もとが美人だからそれでも十分似合ってるんだけど、なんとなくさびしい気持ちになる。

 中学生のころの、髪の長いあの子。隣のクラスのあの子を、私は遠くから眺めているだけだったかもしれないし、もしかしたら付き合っていたのかもしれない。そんなことすら、もう記憶から抜け落ちている。記憶の細い糸なんて、髪の毛よりも抜けやすい。
 長い髪をばっさり切ったあの子は、私に、
 もういらないんだ、邪魔になっちゃったから、といって、首までの髪をもてあそんでいた。
 そんなことない、と私は思った。その子の長い髪が、私は好きだったから。
 邪魔なんていうなよ、とか、私はもしかしたらそう言ったのかもしれない。彼女の言葉が、記憶の底から聞こえてくる。
 あたしの髪なんだから、あたしの勝手でしょ。
 
「先生」
 授業後、ほっとして後片付けをしていた私は、だれかに呼ばれた。
 またか、と思う。マジメな学生はこれだから困る。
 しぶしぶ、その学生のほうを向く。斎川君だった。
「先生、今お時間よろしいですか?」
「まあ」
 私はついそっけない言い方をする。
「教育学研究科の斎川です。あの、わたし来週から教育実習に行くことになっておりまして、来週から三回、講義を欠席させていただかなくてはならないんです」
「そう」私は答えた。よくあることだ。「じゃあ、欠席を認めましょう。減点にはしません」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「うん」
 話が終わっても、斎川君は動こうとしない。
 私は首をかしげる。
「あの、先生はこちらのご出身ですか?」と聞かれた。
「はあ」
 何だこの急な質問は。「そう、地元の人間だが」
「わたしの母もなんですけど、旧姓は神谷なんです。神谷慶子。……もしかして、ご存じないですか。母は、先生のお名前を聞いて、もしかしたら昔のお友達かもしれないって……」
「ああ」
 私はあまりのことにぽかんとしてしまって、しばらく口をあけたまま黙っていた。
 あの子だ。
「そうか、たしか中学が一緒だった。いや、高校かな……」私はやっとのことでそういうと、斎川君をじっと見た。あの人の娘か。どうりで似ていると思った。
「お母さんは……その、元気ですか」
「はい」
「結婚、されたんですね」
「はい、でも、父はもう亡くなっています」
「そうか。それは……」
 私の中に、何か表現できない感情が生まれる。早くこの話を切り上げたくて、かばんを閉じて、手に提げた。
「すまないんだけど、忙しいから今日はこれで。じゃあ、お母さんによろしくお伝えください。機会があればまた……」
「母は、一度先生に会ってみたいと申してるんですが」
 私は斎川君を振りかえる。夕日の差す、だだっ広い教室には、もう私たち二人だけしかいない。
 私は目をそむけ、彼女に背をむける。
「光栄ですが……またいつか、と伝えてください」
 それだけつぶやくように言って、私は教室を出た。
 こわかった。
 あの子の――今は大学院生の母親になっているあの子の――長い髪が。たとえ今は短くしていたとしても、私の記憶の中で彼女はいつも長い髪をしていて、その髪をいつも輝かせて、私を引き寄せようとしていた。あの子の長い髪に、また絡み取られてしまうのがこわかった。
 ――母は、先生のお名前を聞いて、もしかしたら昔のお友達かもしれないって……
 私たちは、本当に友達だったんだろうか。
 ながいともだち、というフレーズが頭に浮かんできて、にやっとしてしまう。
 「髪」という字の下の部分は、本当は「友」じゃない。もとは「犮」だ。はさみのことだ。
 長くなったら、切って捨てるもの。それが「髪」だ。
 自分はあの子の髪のようだと思った。昔は親しかった。けれどいつの日だったか、切られてしまった。あの子の髪は、切ろうと伸ばそうと、あの子の勝手なのだ。
 髪は、何もできない。
 だから髪は、あのCMがいうような、長い友達なんかじゃない。
 はやく「髪」が常用漢字表から削除されればいい。いや、その漢字自体が消えてしまえばいい。
 「髪」は「かみ」になる。ただの「かみ」という音になる。長くなると切られるものじゃなくて、
 人の頭上にある、美しいものになるんだから。



おわり
2012-10-08 23:33:00公開 / 作者:ゆうら 佑
■この作品の著作権はゆうら 佑さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
半年ほどいじり続けていたものですが、とりあえずまとまったような気がするので投稿させていただきます。
ご感想等いただけると幸いです。
この作品に対する感想 - 昇順
作品を読ませていただきました。
ワンシーンとしては面白いけど単体だとインパクトに欠けるなぁ。長い物語のワンシーンとしてなら主人公の心情が面白く感じられると思いますが、これだけ切り取られると唐突感が否めません。
失礼な書き方になりますが、物語中にイベントらしいイベントがないのに最後まで読ませてしまう文体は面白い。
では、戯れ言失礼しました。
2012-10-14 16:11:36【☆☆☆☆☆】甘木
>甘木さん
感想ありがとうございます。長い物語を書いてみたいとは思うのですが、最近は気力と体力が……という感じで怠けてしまっています。すみません。
お褒めの言葉(?)、ありがとうございます。次は内容のおもしろさでも読んでもらえるものを目指します。
2012-10-18 10:06:15【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
お久しぶりです。
あまりにも唐突にすとん、と終わって思わず「あれっ」と口に出してしまいました。
欲を言えばもう少しだけ先の展開も読みたかったです。話自体は面白かったので、残念。

しかしこのすらすらと頭に入ってくる読ませ方は、やはり参考にさせられます。
2012-12-03 14:51:43【☆☆☆☆☆】らじかる
>らじかるさん
お久しぶりです。読んでいただきありがとうございます。
唐突であるというのは、自分でも感じます。ラストを意識して書くことができす、いくぶん行き当たりばったりになってしまいました。
それでも文章を評価していただけてうれしいです。
感想ありがとうございました。
2012-12-04 21:43:48【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
計:0点
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