『木こりと“人喰い”(完結)』作者:木沢井 / ِE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
全角70294文字
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原稿用紙約175.74枚
 鬱蒼と繁る森に、咽るような血臭が漂う。流れる水の音が聞こえるのは、近くに川があるからだろう。
 木々の間から僅かに差し込む月光が、白刃を煌めかせる。
 白刃の使い手は、熟練した技量と極めて冷徹な殺意を併せ持っていた。呼気に乗せて繰り出された一撃は、確実に生命を奪うためのものだったが、
「っ!」
 今回は、その両者が幸いした。使い手が狙ったのは頚部。どのような生物であれ、容易く命を断ち切れる箇所ではあるが、躊躇なく必殺の軌道を描いた切っ先は、彼女に寸前での予測を許した。
 身を投げ出すような、文字通り捨て身の回避。地面に落下する直前で身を捻り、体勢を立て直して着地する。まるで獣のような身のこなしであった。
「っく、うぅ……っ!」
 だが、奇跡はそこまでだった。剣の間合いから遠ざかれたのはよかったが、既に右下腹部に負っていた傷口からは大量の血液が流れ出ており、呼吸は浅く小刻みに繰り返すばかり。傷の痛みよりも大量出血による影響が大きいためか、意識が薄れつつある中で、ただその目だけが徹底抗戦の意を示す。
 彼我の差は、絶望的であると言えた。彼女は闘志こそ堅持しているものの、既に右下腹部の裂傷を筆頭に大小様々な傷を負い、自らの脚で立っていることさえ信じられない状態であった。ましてや、彼女は寸鉄も帯びている様子はない。
 翻って、惨劇の主役たる男は返り血こそ浴びているが、傷らしい傷さえ見当たらない。強烈な敵意にも噎せ返るような血臭にも無表情を揺るがせずに保ち、真っ直ぐに構える様は、意思の欠落ではなく、強固な意志によるものだと容易に想像させる。
「諦めろ」
 そうした状況を踏まえてか、男が告げる。ぞっとするほど冷たく硬質で、剣を連想させる声だった。
 言葉は、それ以上続けられず、返されることもなかった。男は携えた長剣を構え、彼女は傷口を庇いながら走り出す。
 激突――それを予想していたのは、男だけだった。
「む」
 男の鋭敏な五感は、彼女の意図を素早く読み取っていた。そして直後に水音、それも人間と同程度の重量を持った物が着水した音が聞こえると、男は確信した。
 崖から覗き込むと、眼下の黒い水面に、月光が白い模様のように揺らめき、下流のほうへ流れていく。
「逃げられたか」
 男の声は、悔しさも怒りも悲しみも含まない、ただ事実を客観的に語っているだけであった。
「だが、あの深手ではそう遠くまで逃げられまい」
 長剣を鞘に収めると、男は淡々と続け、踵を返した。
 その場に残ったのは、濃厚な血の臭いと、折り重なった死体の山だけであった。


 ニチリンソウの花が咲く季節を過ぎると、この辺りはあっという間に蒸し暑くなる。だからこの村では、ニチリンソウの花を『夏を呼ぶ花』と呼ぶ者もいる。
 グニロは、そうした村の、外れの森に住む木こりだった。領主の命令の下、適当な木を伐っては材木商に呈することを生業としていた。そのためか、彼の体つきは亡父と同じように逞しく、厳めしい顔立ちや額の太い傷跡と相まって傭兵か賊徒のようにも見えたが、荒事に関わったことは殆どない。そもそも、彼は村の中には滅多に足を踏み入れないからだ。
 この日も、グニロは夕暮れの訪れが遅くなってきているのを感じながら、川沿いの道を独り歩いて帰っていた。虫や蛙の鳴き声は日増しに煩くなってきている。やはり、夏が近いのだ。
 何とはなしに、グニロが視線を川にやると、川岸の茂みに何か白い塊が引っ掛かっているのを見つけた。
「また、何か流れてきたのか?」
 この( サン)レニの川は、森を貫いて流れている。グニロは上流と下流がどうなっているのか知らないが、死んだ獣や倒木に紛れ、衣服や桶等が流れてくるのを知っていた。
 自然と、グニロの足取りは軽くなる。物や状態にもよるが、売れそうなものなら村の雑貨屋に売ろうと考えていたのだ。
 しかし、グニロの思惑は彼が斧を道に置いて川辺に下りた時、全て無駄に終わった。川岸に引っ掛かっていたのは、襤褸切れのような服を身に着けた、灰白色の髪の女だったのだ。夕暮れの森は薄暗いため確信はないが、見知った顔ではない。
(な、何だこいつ?)
 疑問はあったが、好奇心がグニロの背中を押した。繰り返される日常は、少なからず彼に真新しさを求めさせている。
 彼女の傍まで近寄ってよく見ると、その顔立ちは幼く、女と子どもの中間と言った方が相応しい。丸みのある右頬には、顎まで続く、黒っぽい刺青が施されていた。微かだが、呼吸の音は聞こえてくる。まだ、生きているのだ。
「どっかから逃げてきた、奴隷とかいうやつか?」
 グニロは話で聞いていた程度にしか知らないが、貴族の中には顔立ちのいい娘や青年を屋敷で囲い、そして彼らを逃がさないように手足に枷を取り付けたり、刺青を施すなどして厳重に取り締まっているのだという。
「奴隷ならボロっちい格好してるのも分かるが……しかもこれって、血か?」
 グニロは、恐る恐る、自分の発見を確かめようとする。
 襤褸切れは、特に右脇腹の辺りが深く裂け、そこを中心に黒く染まっている。最初は模様だと思っていたその黒い色の正体は、血のようであった。試しに指先で触れると、粘ついた黒いものが付着する。鼻を近付けると、微かに錆の臭い。
(こいつ、大怪我をしてんのか)
 助けるべきだろうか――真っ先にグニロの頭に浮かんだ考えは、それだった。
「でも、本当に奴隷だったなら……」
 まずいよな、とグニロは呟いた。奴隷とは貴族の所有物であり、それに手を出すことは厳しく罰せられるという。もし、本当に奴隷ではないとしても、貴族から因縁を付けられたらどうすることもできない。彼らの意思は、グニロごときの命を容易く左右できるのだ。
(それにこいつは、じきに死ぬんじゃないか?)
 はっきりとしたことは分からないが、少女が脇腹に負った傷はかなり深そうに見える。顔色も蒼白で、雨季に流れ着く水死体と大差ない。まだ細々と繰り返されてる呼吸も、いつ止まってもおかしくないだろう。
 とてもではないが、グニロ一人の手に負える状態とは思えなかった。
(可哀想な気もするが、関わらねえ方がいいか)
 再び少女の顔を盗み見て、グニロはそう結論を下した。万が一にでも彼女に手を出したり、手を出したと疑われるようなことがあっては困る。グニロ達のような下層民にとって、貴族とはそうした存在であった。
(……ん? 待てよ)
 ふと、グニロの頭が珍しく知恵を働かせる。
 彼女が流れ着いたここは、グニロが住んでいる小屋から程近い場所にある。殆ど森に埋もれたような場所なので、彼が取引している材木商か、狩人以外が訪れることは滅多にない。
 好都合かもしれないが、言い換えれば、この森にはグニロぐらいしかいないのだ。このまま少女を放置しておいたら、彼女をここまで連れ出し、更に殺したのが自分だと疑われてしまうのではないだろうか?
(まずい)
 貴族の平民に対する残酷さ、陰湿さは、酒場での話の種であり、また同時に憂いの種である。グニロの頭は、早急な解決を求めた。とりあえず捻り出したのが、森の奥に埋めるか、川に流すかの二択であった。
(いや、森の中は駄目だ。獣どもが掘り返すかもしれねえ)
 時期は春の終わりである。冬ほど飢えていないにしても、彼らの貪欲さが貴族にもリグニア商人にも劣らないものだというのはグニロも知っている。
(なら、川か……?)
 こちらにすべきか、とグニロは思った。森の獣に食わせるよりも魚に食わせた方が、まだ自分に疑いがかかる可能性は低いだろう。
(これも俺の暮らしのためだ。悪く思うなよ)
 グニロは胸中で少女に詫びつつも、彼女を川へ流すべく、起こさないように慎重に運ぼうとした。初めて触れた少女の身体は冷え切っていて、肌の弾力よりもそちらの方が印象に残った。
 持ち上げてみると、ひどく軽い。肌の冷たさと相俟って、人間ではないものに触れているように感じられた――その時だった。
「ん……」
「げっ」
 少女が、僅かに身じろぎした。意識を取り戻したのかもしれない。
(おいおい、勘弁しろよ)
 出かかった声を慌てて飲み込んだグニロは、急いで少女を川に流そうとするが、
「っ!」
「お、うぉ!?」
 突如少女がとった行動に、グニロは目を丸くした。
 少女は瞼を開くと同時に、突然グニロの右腕の内側、二の腕辺りに噛み付いたのだ。
「いっ、でぇ!?」
 焼けるような痛みに、思わずグニロは少女を投げ捨てようとするが、少女は四肢をグニロの肩や腰に回して抵抗し、更に歯を食い込ませようとする。小柄な身体の、それも深手を負っているらしい少女とは思えないほどの俊敏さと力強さだった。
(な、何なんだこい、つ――)
 グニロは目を瞠った。少女の眼が、紅に染まっていたのだ。夕陽の赤とは異なる、血のような色だった。
「こ、こいつは……!」
 その眼の色を見たグニロの頭は、記憶の片隅にあった言葉を引っ張り出した。
 “人喰い”――狼等の猛獣や魔物、亜人と並び『ヒトの敵』と称されるこの生き物は、名前の通りヒトを獲物とし、捕食する。そのためフェリューストでは『最もおぞましい生き物』として何よりも忌み嫌われている。
「っ放しやがれ、この“化け物”がぁ!」
 自分が今、途轍もない危機に直面しているのだと気付いたグニロは、自らの肉を食い千切られる危険性も厭わず、少女の頭に左拳を振り下ろした。屈強な肉体に相応しい、岩石のような拳である。当たり所が悪ければ、“人喰い”といえど無事では済まないはずだった。
 だが、少女は打ちのめされるよりも速く、グニロの肩に脚をかけて跳び上がって回避した。深手を負っても、“人喰い”としての能力を損なっていない、ということだろう。
 それら一連の出来事をグニロが理解できた直後、跳躍した“人喰い”の少女が大きく口を開けて頭上から襲い掛かってくる。その口には、人間では持ち得ない、非常に発達した『牙』が四本見えた。
「ちぃ!?」
 グニロは、咄嗟に腰から吊るしてあった、食べ残しの干し肉を彼女に向けて投擲した。狼や熊等に遭遇した時を想定し、森の中を歩き回る際はいつも持ち歩いていていたのだが、“人喰い”にも有効だったようだ。少女は危なげなく土手に着地すると、足元に放られていた干し肉を飢えた犬のように貪り始めた。
 それを確認したグニロは、すぐに走り出さず、ゆっくりと後ずさりながら土手を登り、走る頃合いを窺っていた。もし“人喰い”が熊と同じような、逃走するものを獲物と見做す習性があるなら、迂闊なまねはできないからである。
 少女は、獣を思わせる形相で干し肉を食い千切り、咀嚼し、次々と飲み込んでいく。紅色の視線は、もはや干し肉にしか注がれていない。
 “人喰い”の少女は干し肉に夢中。道までの距離は充分に稼いだ。ここでグニロは、遂に決断する。
(逃げるなら、今だ)
 決意は、すぐさま行動に繋がった。グニロは“人喰い”の少女に背を向けると、全速力で走り出した。恐怖に竦む身体は早くも苦痛を訴えたが、それにも構わず脚を動かし続けた。止まれば死ぬ――この単純な図式が、グニロを突き動かす。
(くそ、くそ、くそ、くそ、くそ……!!)
 背後から軽い足音が迫ってくることが嫌でも分かる。速い。人間なら満足に歩くことすら不可能なはずの状態であっても、“人喰い”ならあれだけの速度で走れるのかと、グニロは改めて彼らの恐ろしさを実感していた。
 振り向く余裕などない。体力の続く限り、グニロは走ると決めていた。
 どこをどれほど走り続けたのか、気が付くと、グニロは森の端、彼が寝起きしている小屋の傍へとたどり着いていた。
「たす、かった……?」
 声に出すと、急速に実感が湧き上がってくる。そして同時に緊張感が途切れ、膝から下が消失したかのようにグニロの身体は地面にへたり込んでいた。
 体中から、汗が流れ落ちていた。呼吸も震えも治まらない。生への喜びと死への恐怖は、未だにグニロの心身に色濃く残っていた。
 ――そんな最中に背後から聞こえた足音に、グニロの心臓が縮み上がった。
(ま、まさか……!?)
 グニロは、恐る恐る肩越しに振り返った。
 この短時間に嫌というほど目に焼き付いていた、襤褸切れのような服と、そこから伸びる健康的な脚、そして癖の強い灰白色の髪が、風に揺らめいているのが見えた。
(ここまで、か……)
 息も絶え絶えになりながら、グニロは神に祈った。熱心な信者ではなかったが、人生の最期を迎えようとしている今、彼の両手は不格好な祈りの形を作っていた。
(親父、お袋、俺も今そっちへ逝くぜ)
 固く瞼を閉じ、今は亡き両親を想うグニロだったが、いつまで待っても彼に最期の瞬間は訪れず、そればかりか、
「もっと!」
「……は?」
 背後からは、全く予想していなかった言葉が、可愛らしい声によって発された。
「もっと!!」
 些か語気が強まっている以外、何も変わった様子はない。やはり、何かを求めるような少女の声である。
 グニロが踵を返してみると、すぐ傍に口を尖らせ、こちらを見下ろしながら手を差し出す少女の姿があった。その瞳は、血のような紅色から、髪と同じ灰白色へと変わっていた。
「は、はは……」
「?」
 助かるかもしれない――そう思ったグニロは、泣きながら笑っていた。少女はそんなグニロを、不思議そうな顔で見つめる。


 結局、“人喰い”の少女はグニロに再び襲い掛かろうとはせず、グニロが立ち上がって小屋に入るように促すと素直に付いてきた。
「……う、美味いか?」
「うん!」
 グニロが死にたくない一心で机の上に並べていった干し肉を片っ端から平らげつつ、少女は元気よく答える。死人のように蒼白だった頬が鮮やかな血色を取り戻していたのは、“人喰い”ゆえなのか。
(……よく分からねぇが、俺を食うつもりはない、のか?)
 少女に愛想笑いを見せながら、グニロは対角の椅子に座る彼女の様子を観察する。
 腕に噛み付いてきた時のが嘘のように、少女は全く敵意を感じさせない。その無邪気な態度や振る舞いを何も知らない人間が見ても、“人喰い”だとは思わないだろう。
「そ、そういえば」
「う?」
 気を紛らわせるため、更には少女に取り入るため、グニロは一つの質問を切り出すことにした。少女は最後の干し肉を齧りながら、灰白色の瞳にグニロを映す。
「お前、名前は?」
「なまぇ?」
 干し肉を口に含み、指先を舐りながら少女は首を傾げる。外見以上に幼い仕草は、愛らしい印象と一つの可能性をグニロに抱かせた。
(何だこいつ、名前のこと知らないのか?)
 言葉が通じていない可能性を考慮して、グニロは身振りを交えて説明することにした。手始めに、自分を指さしてみる。
「俺は、グニロ。グー、ニー、ロ」
「ぐぅ、にぃ、ろぉ?」
 すると、少女もグニロを指さして復唱する。最初こそ舌っ足らずな発音だったが、何度も繰り返しているうちに上手く言えるようになってきた。
「グニロ?」
「おう」
「グニロ!」
「……お、おう」
 グニロが肯定してやると、少女は何が面白いのか、「グニロ、グニロ」と連呼していた。一々相槌を打つべきなのかと考え、彼女の機嫌を損ねないためにも「おう」と返し続けた。
 いつまで経っても終わりそうにないので、グニロは本題に戻すことにした。ここまでくると、少しずつ恐怖は薄らぐ。
「んで、お前は?」
「う?」
「お前の名前だよ。何かあるだろ」
「なまぇ……」
 眉根を寄せ、少女は「うー」と唸りながら首を傾げた末、
「……グニロ?」
「……そりゃ俺の名前だよ」
 素っ頓狂なことを呟いて、グニロを呆れさせた。
(自分のことなのに、覚えてねえのか?)
 おかしなこともあるものだ、とグニロは思った。人間なら年寄りになると物忘れが激しくなるというが、“人喰い”にも当てはまるのかもしれない。
(見た目はガキだが、実は婆なのか?)
 などと、少々失礼なことも考えながら、グニロは適当に思いついた名前を口にしてみた。
「お前は、ミリアムだ」
「……みりゃん?」
「ミリアム、だよ。ミリアム」
「みりあむ」
 先程と同じく、グニロを真似て復唱した少女は、首を傾げながら自分を指さし、「なまえ、ミリアム?」と尋ねた。
「んー、まあ、そうだな」
 一時的なものだが、お互いに名前を知っている方が都合がいいはず、とグニロは考えていた。親しみを持てば、家畜であっても殺すことを躊躇うと、彼の数少ない知人の雑貨商が話していたことを思い出したのだ。“人喰い”に人間の理がどこまで通じるのかは定かでないが、グニロは一縷の望みをかけることにしていた。
 そうした理由があるということを知る由もない“人喰い”の少女は、じっとグニロを見上げて彼を指さした。
「グニロ?」
「んで、お前がミリアムな」
「ミリアム」
「で、俺がグニロな」
 と、グニロは返す。お互いに名前を呼び合ったのだと理解したのか、少女は「はー」などと洩らしていた。
「分かったか?」
 少女は「うん」と頷き、途端に笑顔になる。
「グニロ!」
「で、お前が――」
「くう!」
「ミリ……は?」
「ミリアムくう! もっと!」
 笑顔のまま、少女はごく簡潔に『もっと食い物を寄越せ』と欲求を訴える。
「……分かったよ。他にも何か出してやるから待っとけよ」
「うん!」
 苦笑しつつ立ち上がるグニロに、少女――ミリアムの屈託ない返事がよこされる。
(いったい、どうなっちまうんだろうなぁ)
 すぐに殺されることはなさそうだが、いつ彼女が心変わりするのか分からないのだ。先行きの見えない状況をグニロは嘆いていたが、これまで細々と蓄えてきた保存食が今日限りで全てなくなるのだろう、ということだけは取り敢えず覚悟していた。


 川沿いを、ひたすら進んでいく。僅かな痕跡も見逃さないよう、道を外れても可能な限り川に沿う。
 連中の死骸の運搬と中間報告で時間を浪費したのは痛手だったが、この川に詳しい人間と接触できたのは幸運だった。今後の追跡において有利に働くはずである。
 対象の体格、体型、凡その年齢に負わせた傷の深さを合算すれば、身体が復調するまでに三日以上を要する。“人喰い”の性質を考慮すれば、漂着していれば確実に捕食行為の痕跡が見られるはずだが、ここまででそれらしきものを発見することはできなかった。
 情報を総合すると、対象はまだ重態のまま、この先の下流のどこかにいる可能性が高い。
 状況は、依然として絶望するには至らない。対象は幾つもの手がかりを自分に残している。それらを見つけ出し、利用するための術は心得ている。
 果たすべき目的のためにも、立ち止まることは許されない。必ず遂行するのだ。


 雄鶏が夜明けを告げてから一刻ほど遅れて、森の中にあるグニロの小屋にも陽が差し込んだ。小屋は村の西外れにあり、その分遅れるのだ。
 その日の朝、グニロは僅かだが鼻をくすぐる甘い匂いで目覚めた。
「……んご?」
 頭から肩にかけて、固い感触。まだ春の名残を留める朝の空気は、僅かに冷たい。
(……ったく、また落っこちてたのか?)
 分かっていても、寝相の悪さだけは昔から直らなかった。胸の内で悪態をつきながらグニロが身を起こそうとすると、何かが自分の上体を押さえていることに気付いた。
「あ?」
 グニロはまだ半ば眠っている頭で、何が自分を押さえ付けているのかを確かめようとした。
 胸の辺りに、ごわごわとした、妙に温かいものがあった。これは押さえ付けているというより、何かが乗っかっている、という方が正しいかもしれない。
 更に手探りで調べてみると、すべすべした部分もあった。凹凸があり、少し湿っているようにも思えた。恐らくだが、呼吸をしている。
(……生き物、か?)
 グニロは犬も猫も飼ってはいない。また村の人間が飼っている犬が迷い込んだのか、とグニロは想像しながら薄く目を開け――つかの間、硬直した。
「んぅ……」
 床に仰向けの姿で眠っていたグニロの胸に頭を乗せ、幸せそうに眠っているのは、襤褸切れを纏った、頬に刺青のある、灰白色の髪の少女。彼の掌は、彼女の左頬から唇にかけてを覆うように触れていたのである。
「あっ、ぐぉ……!?」
 叫ぶより早く、グニロは口を塞いだ。右手には少女の香りが残っている。
 グニロは、昨夜に何があったのかを思い出した。
 ありったけの干し肉を食べ尽くした“人喰い”の少女――ミリアムは、満腹になったのか、あの後すぐに眠気を訴えてきた。
 ミリアムは、名前の他にも色々と忘れてしまっていたのか、グニロが示した寝台に躊躇なく横たわると、すぐさま眠ってしまった。
 グニロは、困った。この小屋に一つしかない寝台を彼女に譲ることにではない。彼を困惑させたのは、眠るミリアムを殺す、絶好の機会が訪れたのではと思ったからであった。
 “人喰い”とはいえ、眠ってしまっている間なら無防備になるはずである。それならば、荒事に通じていない自分でも殺せるはず、とも思っていた。斧はまだミリアムを見つけた場所に放置したままだったので手元にはないが、小屋には薪を割るための鉈もあれば鋸もあったのだ。
 だが、グニロは肉体こそ屈強でも荒事に慣れていない人間なのだ。そんな男が、即座に――それも“人喰い”とはいえ、人間の少女に似た生物を殺す覚悟を持つことは難しかった。そして何よりも、敵意を察知した彼女に食われてしまうのでは、と思うだけで彼の手足と心はミリアムを殺すことを放棄してしまった。
 つまるところ、恐怖心に負けて現状に甘んじたというわけである。
「あ、ふ……」
 そうしたことなど露知らず、ミリアムは暢気に欠伸をかみ殺しながらグニロの胸の上に手をついて大きく伸びをする。どこか動物めいた仕草に見えるのは、やはり彼女が人間とは異なる生き物だからだろうか。
「……グニロ?」
 薄く目を開けたミリアムは、グニロと目が合うなり笑顔になった。花が咲いたような笑みと朝日に煌く髪とが相俟って、まるで太陽のようである。それを間近で見ていたグニロは、些か落ち着かない気分になった。
「グニロ!」
「お、おう」
 純粋無垢な子どもの笑顔に相応しい、明朗な声。夜の闇に紛れ、幾多の人間の血肉を貪り食うとされる“人喰い”――で、あるらしい少女とは思えないほど、その様子は無防備で開けっぴろげだった。
「お、おはよう、ミリアム」
「おはようグニロ!」
 グニロを真似てか、ミリアムも挨拶を返す。いつまでも間近な所にいられると左胸が破裂しそうになるので、グニロは愛想笑いを浮かべながら彼女にどいてもらった。
「グニロ、ミリアムおなかすいた!」
「分かったよ。ちょっと待っとけよ」
 早速空腹を訴えてくるミリアムに応じて、グニロは朝食に取り掛かる。母を病で失くして以来、この男は身の回りのことは一人で片付けてきた。嫁のなり手がいなかった、というのもあるが。
 グニロの小屋は、仕切りのない、一つの空間になっていた。扉を開いてすぐ横に保存食や野菜、パンを詰め込んだ雑多な台所と暖炉があり、中央にはグニロと両親の三人と来客用の、計四つの椅子が机を囲んでいる。そして扉の対角線上には、かつて両親が使っていた寝台があった。
 少々窮屈だが、グニロにとって立派な生活空間だった。
「ありゃ?」
 グニロは、間の抜けた声を発する。
 台所には、天井から四つほどの鉤が壁に沿って吊るされており、そこには干し肉や乾燥させた魚をかけてあるのだが、それらが全てなくなっていたのだ。
(昨日、全部出しちまったんだっけか)
 グニロは、横目でミリアムを盗み見る。“人喰い”の少女は既に食卓に着き、朝食を今や遅しと待っている。
 危機感が、グニロの頭の中に充満し始めていた。目覚めてから干し肉を食べるまでにミリアムが見せた凶暴さ、貪欲さは熊のそれに勝るとも劣らない。
 なるべく、飢えさせない方が賢明だろう。自然とグニロは、そう考えていた。
(……そういえば、“人喰い”もパンは食えるのか?)
 ふと、そんな考えがグニロの頭を過ぎる。
 教会の神父様は、“人喰い”を『人間の姿を真似ただけの、だがそれ故に最も罪深い生き物』と呼んでいたが、形が似ているなら食べる物も似ているのではないだろうか。
 出すだけ出してみよう、と思ったグニロは、棒状のパンを千切り、そこに乾酪(*)を乗せていく。
「これなに?」
 グニロがパンを乗せた皿を机に置くなり、まずミリアムは匂いを嗅ぎ、それからパンに乗せてあった乾酪を指で摘んだりしていた。興味はあるようだが、やはりパンが何であるのかは知らないらしい。それとも、そうしたことも忘れているのか。
「パンってんだ。まあ、食ってみろよ」
 ふぅん、と返すや否や、ミリアムは一切の躊躇いもなしに小さな口を大きく開けてパンに噛り付くと、そのまま続けて二口、三口と齧っていく。
「う、美味いか?」
「うまい!」
 グニロの不安とは裏腹に、ミリアムは嬉しそうに薄切りの乾酪を乗せたパンを齧っていた。両手で大事そうに持って、大きな口を開けて食べる様は、子どもがいないはずのグニロにも微笑ましく映った。
 “人喰い”もパンや乾酪を食べられると知って、グニロは一先ず安堵した。こんな生活がいつまで続くのか分からないのである。肉以外でも代用になると分かれば、それを活かすこともできるだろう。
「グニロ、にくない?」
「あー……すまん、今は、ないんだ」
 とはいえ、相手は“人喰い”、その主食は押して知るべきである。彼女の『食』への不満を煽らないようにするために、何より自分の身を護るためにも、急いで肉を調達する必要がある――そう思いつつ、自身も祈りを捧げて食事を始める。
(となると……あいつか)
 一応、当てがないわけではなかった。決して裕福ではないグニロだが、蓄えが全くないわけでもなかった。
 そうと決まれば、早速行動に移るべきだろう。
「な、なあミリアム?」
「う?」
「今から、ちょっと出かけてくるんだが――」
「グニロどこいく?」
 指に着いていた乾酪を舐めながら、ミリアムが訊いてくる。その口調が咎めているのではなく、『自分がどこに行くことになるのか知りたい』と訴えるものだということに、グニロは気づいていた。つまりミリアムは、ついて行く気満々なのである。
 雨戸を押し上げながら、グニロはどう説明すべきか考えた。
 ミリアムは置いていった方がいいだろう。この村には旅人など滅多に迷い込まないし、ましてやミリアムのような娘だと確実に怪しまれる。特に神父様や村長に知られると厄介である。“人喰い”を一晩泊めたと知られれば、グニロまでもが異端として処刑されかねない。
 何がなんでも、ミリアムを村の中へ行かせてはならない。
「い、いや、大したことじゃねえんだ。だからお前はここで待ってろよ」
「ミリアムいく!」
「出かけるって言っても、日暮れまでには戻って――」
「ミリアムいく!」
「それに、お前――」
「ミリアムいく!」
 この有様だった。グニロが何を何度言っても、「ミリアムいく!」の一点張りで、諦めようとしない。
「……っああ、もう! 分かったよ、お前もついてきていいよ」
「ほんと!?」
「ただし、だ」
 顔を輝かせたミリアムの眼前に、グニロは掌を突き出す。
「一緒に来てもいいのは、途中までだぞ。俺が『ここまで』って言ったら、大人しく小屋に戻るんだぞ。いいな?」
「うん!」
「それと」
 そこで一旦言葉を切ったグニロは、小屋の奥、隅に置いてある箱から一着の服を取り出した。彼の野良着である。
「こっちに着替えろよ」
 ミリアムが着ている――というより貼り付けている襤褸切れは血の染みも酷く、もはや衣服としての役割を果たせていない。もしこの姿のまま一緒にいるところを見られたら、確実にグニロが疑われる。母の服が残っていればよかったのだろうが、死後それらは全て売ってしまった。唯一残っていたのが、グニロの持っている野良着だったのだ。
 しかし、
「……いや!」
「何ィ!?」
 ミリアムは、何故か激しく拒否した。
「ミリアム!」
「いーやー!」
「嫌じゃねえ! 服を着ろ!」
 逃げ回るミリアム、服を手に彼女を追うグニロ――傍から見れば犯罪と見紛う光景だが、内容はいたって微笑ましい。
 ミリアムは声を張り上げながら小屋中を走り、時には飛び跳ねてグニロから逃げ回る。その度に椅子が倒され、暖炉の杯が四つとも床に落ち、蹴飛ばされて部屋の隅へと転がっていく。
 痺れを切らしたグニロは、奥の手を使うことにした。
「いいかげんにしろ! このまま服を着なかったら絶対に連れてかねえし、飯も食わせねえからな!?」
「えー!?」
 特に食事を盾にしたのが、ミリアムには有効だったようだ。顔中で困惑を表現したミリアムは、グニロと服とを交互に見やり、最後には「……わかった」と降参した。
「分かったならほら、さっさと脱げよ」
「うん」
 口をとがらせながら、ミリアムは襤褸切れ同然の服を脱ぐ。といっても、肩口で辛うじて繋がっているだけのそれは彼女が指をかけただけであっさりと身体から剥がれ落ちた。
 露になったもの( 、、)に、グニロは目を瞠った。薄暗い小屋で際立つミリアムの白い腹には、脇腹から臍の近くにまで達する、深い傷痕があったのである。
(でも、おかしくないか?)
 外見だけとはいえ、滅多に見かけられぬ、女になりかけた娘の、細くしなやかながらも確かに肉を帯びた裸身に胸を高鳴らせつつ、グニロは傷の具合を見る。
 ミリアムの着ていた襤褸切れは、大量の血が付着した痕が残っていた。
 だが、どう見てもミリアムの脇腹の傷は殆ど塞がっているようにしか見えない。白い腹に褐色の筋が走っているだけで、再び開きそうにない。血が出たとしても、せいぜい滲む程度だろう。
(傷の直りが早いのも……“人喰い”だから、か?)
 今はそう考えるより他ない、とグニロは早々に自問自答を諦め、不機嫌そうなミリアムに服を着せていく。下穿きは彼が身に着けている物だけなので上の部分だけしか与えられないが、彼女は小柄なため大柄なグニロの服を着せれば裾が膝丈の辺りにまで届く。少々ちぐはぐな恰好だが、襤褸切れ姿でうろつかれるよりはましだろう。
「うー」
 グニロのなすがままに袖と襟とを通され、渋々、といった表情のミリアムだったが、服の匂いを嗅ぎ始めた途端、顔を輝かせて「グニロ!」と呼びかける。
「今度は何だ?」
「これグニロのにおいする。うれしい!」
「え? お、おお、そうか」
 自分の匂いがする、と嬉しそうに言われてグニロも面映い心地にはなったが、同時に素直に喜べなかった。
(……その『いい匂い』って、まさか肉とか飯とかの匂いとかって意味じゃないだろうな?)
 どうしても訊いてみたいグニロだったが、やはり嬉しそうに匂いを嗅いでいるミリアムに訊く勇気はなかった。いつだったか、知り合いが言っていた『知らない方が幸せなことがある』という言葉の意味が分かった気がした。
「そりゃあ、まあ、よかったな」
「うん!」
 頷くミリアムの顔は、すっかり笑顔で綻んでいる。次々と表情を変えていく彼女に苦笑しながら、グニロは小屋の扉に手をかける。
「よぅし、じゃあ行くか」
「うん!」
 外に出ると、森の湿った空気と土の匂いがグニロを包んだ。慣れ親しんでいるはずなのに、いつも朝のこの匂いを嗅ぐとグニロは気持ちよくなった。思わず大きく伸びをしてみると、隣でミリアムもグニロの真似をしていた。目が合うと、彼女は「へへ」と笑い掛けてくる。そんな無邪気な様子に、見ていたグニロまで、思わずにやけてしまった。
 小屋から村へは、さほど遠くない。ミリアムが流れ着いていた川を下流に向かって歩いていけば、百と少しを数える頃には辿り着く。先に斧を拾いに行こうと思ったグニロは、村とは反対の、上流に向かう。
 川は、静かに流れている。親父の親父のそのまた親父の代より昔からあったというこの川は、グニロが切り倒した木の運搬や沐浴に利用する他、ニチリンソウの栽培や、村を開拓した聖レニの祝祭に行う漁が行われたりと、村人達の生活に関わっている。
 斧は、すぐに見つかった。小屋と作業場の中間ほどの川辺に、昨日と変わらず置いてあったままであった。
(こんなに近い場所だったのか)
 昨日の自分が如何に動転していたのかを思い返していたグニロの袖を、ミリアムが引っ張ってきた。こちらをじっと見上げる彼女の目には、今までにない光があった。
「グニロ」
「あ?」
「ミリアムここしってる。ミリアムここきた」
 胸の奥で、何かが跳ねた。重たいのに鋭い痛みを伴った、嫌な感覚だった。森の中で獣に遭遇した時のものが、彼の中では一番近い。
(まさか、こいつ……!?)
 グニロの動揺が脂汗となって流れ出ている中、ミリアムは首を傾げて問い掛けてくる。
「グニロここどこ? グニロしってる?」
「え、いや……」
 教えるべきではない、とグニロはすぐさま判断した。だが、どのような嘘を言えばいいのかまでは頭が回らない。
「……俺も、よく分かんねえよ」
 結局、グニロの口をついたのは、安直な言葉だった。
「わかんないの?」
「あ、ああ、俺も分かんねぇんだ」
 あまりにも苦しい言い訳だったが、ミリアムは「ふぅん」と返したきり、川を眺めるだけだった。その横顔から、特別な表情は読み取れない。
「い、行こうぜミリアム」
「あ、うん!」
 呼び掛けると、やや間があってから返事があった。こちらを見上げるのは、見慣れつつある笑顔のミリアムだった。


 川に沿って曲がりくねった道の向こう、家やニチリンソウの畑の柵が見え始めると、グニロは足を止めた。
「ここまでだ」
「えー!?」
 言った途端、ミリアムは不服そうな顔をする。自分も村の中まで入れると思っていたのだろうが、それは認められない。
「そういう約束だったろ? ほら、早く小屋に戻らないと飯抜きにするぞ?」
「……うん」
 グニロが再び飯の話をすると、ミリアムは悲しそうな顔で頷いた。そのまま俯き、動こうとしない。
 これでは、自分の方が悪いみたいではないか。
「だ、駄目なものは駄目なんだからな」
 芽生える気持ちとミリアムを振り切るように、グニロは足を踏み出す。「あ……」という弱々しい声が聞こえても懸命に堪える。
 途中、グニロは何度も振り返る。その度にトネリコの木の傍でじっとこちらを見つめるミリアムの姿を確認し、安堵しつつも自分が罪悪感を抱えていることを自覚していた。
(……次からは、あんまり飯を盾にしない方がいいかもな)
 今のところ有効だが、調子に乗っていると自分が飯の範疇に含まれかねないのだ。ミリアムへの接し方を考えながら、グニロはニチリンソウに囲まれた村へと入っていく。
 聖レニの村は、上から見ることができれば、教会を中心とした歪な円形をしていることだろう。その教会の敷地に流れ込む川が村を二分しているので、東西の二ヶ所に架けられている橋を渡らないと対岸には移動できない。
 そんな聖レニの村と他所との違うところとして、至る所に植えられ、咲いているニチリンソウがそう( 、、)だと雑貨屋は語っていた。麦や野菜の畑と同じくらいの広さを持ったニチリンソウの畑など、この村にしかないらしい。
 神父様が言うには、かつて貧困に喘いだこの村に神の命を受けてニチリンソウの種と栽培法を広めた人物がおり、彼の指導によってニチリンソウから油を精製し、それを近隣の町に売ることで村は貧困殻救われたのだ。だから町では、この村を『トゥルネソル』――ニチリンソウの村だと呼んでいるらしい。
 目的の雑貨屋は、西側の橋を渡った先、教会の斜向かいにある。代々の店主が少しずつ店を大きくしていったためか、所々が継ぎを当てたようになっている。グニロには、それがヤドリギの生えた木のように見えていた。
 中に入ると、更にその印象が強まる。幾度も補強した跡の見られる壁や天井、それらを隠すかのように並べ立てられた種々雑多な品々、見た目も匂いも入り混じった様子は、ここまでくると秋の森のようである。
「よォ」
 店に入ったグニロが話し掛けたのは、椅子に腰掛けて髯を扱く、若木のように細い、全く力仕事に向いていなさそうな男だった。こちらを見返す目には力がなく、体格と相俟って兎に角貧相な印象を与える。
 客がグニロだと気付くと、男の表情に明るい色が浮かぶ。
「やァ、こいつは驚いたな。誰かと思ったらグニロじゃないか。元気そうだな」
「お前もな、リシャール」
 と、グニロはこの雑貨屋の店主にして数少ない友人であるリシャールに返した。ゆったりと歩み寄ってくる彼の背丈もまた、若木のように低い。
「お前が、こんな何でもない日に来るなんて珍しいな。用件は何だい?」
「干し肉と、後は魚か。兎に角、干し肉がたくさんいるんだ」
「干し肉、ねぇ」

 髯を扱きながら、リシャールが目を細めた。力のなかった目つきに、錐のような鋭さが宿る。『仕事』に本腰を入れた時の目つきだった。この時ばかりは二回りほど大きく見える彼に、グニロは緊張する。
「蓄えてたやつに黴でも生えたのか?」
「まあ、な。お陰でお前の面を拝むはめになっちまった」
「嘘吐くなって。本当は同道と俺の顔を拝める理由が出来て嬉しいんだろ?」
「そうだったらいいがなぁ」
 軽口を叩き合いながら、その実グニロの心境は安楽とは程遠かった。
(こいつ、今度は何を企んでんだ?)
 グニロは警戒していた。リシャールがこうした顔を見せる時は、確実に何か得するものがあると睨んでいる時なのだ。
 一体、自分の何から得をしようとしているのか――グニロが構えている中、リシャールが口を開いた。
「……で、金は?」
「あ、ああ。一応、こんだけ」
 そう言ってグニロが見せたのは、材木商から得ていた金の残りだった。リシャールは「ふん」と鼻を鳴らした。
「ま、数少ない友達の誼だ、情けはかけてやるよ」
 ぶっきらぼうな言葉を寄越すと、リシャールは店の奥に「おい、袋を一つ持ってきてくれ」と声を張り上げる。
「ただし、干し肉だけだぜ」
「お、おお、充分だぜ」
 思い過ごしだったのか、とグニロが安堵している中、店の奥から布袋を持って現れたのは、髪を房状にして肩から垂らした少女だった。ほっそりとした体つきと物憂げな顔立ちは、ミリアムより幾分か大人びて見える。背丈は実際に比べないと分からないが、間違いなくリシャールよりは高い。
「袋は、これで問題ありませんか?」
「おお、大丈夫だ。ご苦労さん」
 リシャールが袋の具合を確かめている間に、少女はグニロが自分を見ていることに気付いたのか、頭を下げて黙礼した。肩にかかっていた髪が、音もなく流れ落ちる。
 来た時と同じく、音もなく奥へ戻っていく少女を見送ったグニロは、リシャールに尋ねる。
「今のって……」
「ああ、末の妹のマリーだよ」
 リシャールの声音には、我が子を誇る親にも似た、得意げな色があった。
「今年で、確か十六歳になったな。いよいよ嫁ぎ先を決めてやんなくちゃならないんで、親父も俺も大変だよ」
 そう言って肩を竦めたリシャールは、何を思い付いたのか――決してそれが碌なものではないのだと想像させる――悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「そうだ。何ならお前も立候補してみるか? お前がうちの人間になってくれたら、町の材木商どもに余計な金を落とさなくて済むだろ?」
「よせよ、心にもないことを」
 とリシャールの冗談を躱しグニロは、別の話題を楽しんだ。彼がこうして話ができるのは、教会の神父と酒場の主くらいだった。つまり、リシャールは友人として気軽に接することのできる唯一の人間と言えた。
 リシャールとの会話は、尽きなかった。彼は昔から様々な事柄に関心があり、それについて深く見ることに長けていた。その上、自分との会話を楽しみながら、手際よく干し肉を袋に詰めていた。
「っと、終わったぜ」
「おお、ありがとうよ」
 グニロは代金と引き換えに、袋詰めの干し肉を得る。
「じゃあな。また来るぜ」
「おう」
 短い挨拶を経て、グニロは雑貨屋を後にする。
(嫁、か……)
 独りごちたグニロは曇天を眺め、そしてゆっくりと村を見渡した。
 訪れた時は目に入らなかったが、村の各所にある畑では、ニチリンソウの栽培が進んでいた。親子や夫婦らが、曇天の下で懸命に水を汲んで運び、土を耕している。
(じきに、またニチリンソウが咲く季節が来るのか)
 そう思うグニロの胸裏にあったのは、同じ頃に病死した母のことだった。
 グニロの父は、領主の命を受けて西の森の木を伐ることを許された、唯一の木こりだった。他には母がいるだけで、兄弟はいない。訳を訊いても両親は答えなかったが、愛してくれていることだけは伝えてくれた。
 父が亡くなったのは、彼が十歳の時分だった。ある冬の朝に出かけ、そして二度と帰って来なかった。
 それからは、グニロが斧を手に取った。自分もそうだが、母を飢えさせるわけにはいかなかった。それに木こりでなくなれば、住む場所も、金を得る術も失ってしまう。だから母も、雑貨屋で下働きを続けていた。
 その母も、ある夏の日に流行り病で死んだ。枯れ木のようにやせ細り、水さえ受け付けなくなっても尚、グニロのことを慮りながら息を引き取った。
 葬儀を終えた日の夜、グニロは誰もいない小屋に帰って、自分が本当に独りになったのだと改めて自覚した。
 それ以来、何年経っても、グニロの中に母は残っていた。服を売り払ってもまだその影は消えることはなく、グニロに独りであることを思い出させる。グニロの中では、母の死は過ぎ去ったものではなかったのだ。
 誰かと一緒になれば、この寂しさや悲しさを埋めることもできるだろう、と思い家族を持ちたいと願ったこともあった。しかし同時に、それでは満たされない類の気持ちなのだとも分かっていた。
 それに、何よりそんな理由で自分と一緒になってくれる女などいないに決まっている。またグニロ自身も、こんな気持ちで誰かとは一緒になってはならないだろうと思っていた。
(おまけに、厄介な奴まで居着いちまってるしなぁ)
 そんな中でグニロは、ふとミリアムのことを思い出した。森の途中に置いていった時でさえ嫌そうな顔をしていたのだ、今頃とんでもなく不機嫌になっているのではないか。
(……できれば、このままいなくなってくれてた方がいいが、とりあえず、急いで帰ってやるか)
 ミリアムの機嫌をとるためにも、と結んで、グニロはニチリンソウの畑が見える橋を渡り、川沿いの道を小走りで向かうのだが、その道の先、トネリコの木の影に、どこかで見た姿が現れた。
「あ?」
「グニロ!」
 見ると、ミリアムが大きく手を振りながら飛び跳ねていた。そればかりか、何度も「グニロ」と連呼している。
 力の限り、グニロは走り出した。肩で息をしながら、笑顔のミリアムに問い掛ける。
「お、お前、何でこ……ここに、いる、んだよ?」
「グニロみる!」
 ミリアムが得意げに示す先――繁みの中を見て、グニロは言葉を失った。
 繁みの中に横たわっていたのは、なんと立派な猪だった。よく見ると、額から大量の血を流していた。おそらく、もう死んでいる。
「お前、それ」
「これとった! ミリアムとった!」
 得意げに語るミリアムの手は、よく見れば朱色に染まっている。つまり、素手でこの猪を仕留めたのかもしれない、ということになる。
(さ、流石は“人喰い”……)
 慄くグニロの本心など意に介さず、ミリアムは「ミリアムすごい?」と無邪気に訊いてくる。
「お、おお、凄いじゃねえか、ミリアム」
「えへへへ」
 どうしたらいいのか分からなかったグニロは、とりあえずミリアムの頭を撫でてみることにした。偶然にもそれが心地よかったのか、徐々にミリアムは目を細めていき、「んふー」と満足そうに息を漏らす。
 グニロにしても、ミリアムの髪は手触りがいいのと、掌に温かさが伝わってくるのとで、つい続けたくなった。
 そんな折、グニロの鼻先に何かが落ちてきた。水滴である。続けて一つ、二つと落ちてきたそれらは、遂に数え切れないほど降り注ぐ。
「やばい、雨だ!」
「あめ?」
 きょとんとしているミリアムに、グニロは急いで走るよう促す。
「家に帰るぞミリアム。それ持って走れるか!?」
「うん!」
 元気のいい返事に、グニロは頷く。猪はグニロでも抱えるのに苦労しそうなほどに大きいが、ここまで運んで来れたのなら、おそらく心配ないだろう。
「よし、走るぞミリアム!」
「はしるー!」
 雨音に混じって、ぬかるんだ地面を叩く足音が二つ、森の中へと消えていった。


 二人が小屋に戻れた頃には、すっかり本降りになっていた。
「ったく、濡れちまったな」
「ぬれちまったー!」
 傍らでは、ミリアムが真似をしていた。あの猪を小屋まで運んでいたことを密かに褒めつつ、グニロは小屋の奥にある、種々雑多な道具を詰め込んだ箱へ向かう。当然、ミリアムもついてくる。
 箱には、掃除用具だの屋根に上るための梯子だの予備の服だのが無秩序に放り込まれていた。その中をグニロの太い腕が、穴熊のように動き回る。
「取り合えず、何か拭く物……と、おお、これだ」
 目的の品を取り出したグニロは、それをミリアムに見せる。黒ずんだ布だった。毛織物の布だったらしいが、古くなっているため判別するのは難しい。
「ミリアム、あっち向いてくれ」
「あっち?」
 首を傾げるミリアムを兎に角入り口の方へ振り返らせると、グニロはその布で彼女の頭を拭いてやる。少々力を込め過ぎたせいか、「グニロいたいー!」とミリアムは抗議の声を上げるが、声音は明るかった。本当に嫌がっていないはず、と思い、グニロは続けた。
「……うし、終わったぞ」
「ミリアムやる!」
 グニロの持っていた布が、素早く引っ手繰られた。交代だ、と言いたいらしい。下手に逆らって機嫌を損ねるのも嫌なので、ミリアムの好きなようにさせるべく、腰を曲げ、濡れた頭を差し出した。
(まさかとは思うが、かじったりしないよな?)
 などと不安にも駆られたが、ミリアムは――恐らくだが、楽しそうに――グニロの頭を拭くだけであった。少々乱雑なのが玉に瑕だったが。
「い、いて……っ、も、もういいぞ、ミリアム」
「いいの?」
「おう。ありがとうな、ミリアム」
 そう言ってグニロが頭を撫でると、ミリアムは「えへへ」と笑いながら、また気持ちよさそうな顔をする。すっかり気に入っているようだ。
「もっと! グニロもっと!」
 手を離すと、ミリアムがそう要求してきたので、グニロは再び撫でてやる。興奮のあまりか、ミリアムの身体は次第に地団駄を踏むような動きを見せ始め、遂には飛び跳ねるようになった。
「あ、こら、じっとしろ!」
「いーやー!」
 グニロが止めるのも聞かず、ミリアムは「えへへ」と笑いながら飛び跳ねる。それでもグニロの掌から頭を離さなずにいるのは流石であった。
「ったく……お、そういえばお前も、服濡れちまってるよな」
「? うん」
 微笑みながら首を傾げるミリアムに、グニロは言うべきか言うまいか逡巡しつつ、こう伝えた。
「服な、まあ、濡れたままだと、気持ち悪くなっちまうだろ? だから、あー……その、服だけどよ、脱いどけよ」
「うん!」
 嫌がるのかと思われたが、意外にもミリアムは屈託なく服を脱ぎ捨てた。脇腹の傷まで露になったミリアムに布を渡し、体に巻きつけさせておく。苦笑しながらグニロは彼女が脱ぎ捨てた服を広い、自分の服と合わせて暖炉の傍にある椅子の背に掛けた。
(ん?)
 つい先刻垣間見たものに、グニロは首を捻った。ミリアムの腹にあった傷痕が、朝に見かけた時よりも小さく、薄れていたように見えたのだ。
(……まあ、見間違いかもしれねえし、こいつが“人喰い”なんだってなら全て納得もいくってもんだ)
 それ以上は考えようとせず、グニロは雨戸を押し上げて外を見る。遅れて、ミリアムも窓から身を乗り出しそうな体勢で覗こうとする。
 紗がかかったように雨が降り続いており、見慣れた景色がぼやけてしまっていた。
「しばらく、止みそうにないな」
 呟いて、グニロは寝台に倒れ込む。天井の眺めが何も変わらないことに、少し安堵した。今だけは、教会の聖堂にある天井画にも劣らないように見える。
 雨が降ってしまうと、グニロの仕事はなくなったも同然であった。多少の雨なら眼を瞑って作業に取り掛かるのだが、こう少し先を見渡せないような雨だと話は別である。こんな時分に森に分け入るのは、グニロや狩人のような、森を熟知している人間であっても危険である。狼や熊、魔物や二人目の“人喰い”に遭遇するのは御免だった。
(退屈だが、こんな日は寝るに限るかな)
 道具の手入れをすることも考えたが、聖レニの村での一件のせいでそうする気にはなれなかった。
(……別に、このままでもいいんだよ。このままでも……)
 そうした益体のない考え事をしていると、不意にミリアムまでが寝台に横たわり、身を寄せてきた。
「あ?」
 彼女と触れ合っている箇所から、服越しにじんわりとした温もりが伝わる。気のせいか、仄かに甘い匂いまで漂ってきた。
 落ち着かない気分になったグニロは、慌てて身を起こすと、彼女に行動の理由を尋ねた。
「お、おいどうした?」
「……わかんない」
 同じように身を起こし、グニロの右腕に頬を寄せながら、ミリアムは続ける。雨の音が、妙に遠い。
「でもミリアム、こうしてるのすき」
「――っ、」
 すき、とミリアムが囁くように口に出した途端、グニロの胸の奥で何かが跳ねた。恐怖とは違う、もっと熱くて切ない動きだった。それを表す言葉を、グニロは知らない。
 そんな最中に、ミリアムがグニロの顔を覗き込んでくる。その際に身を捩っていたので、ますます触れ合う場所が広く、伝わる温もりは熱くなっていく。
「グニロは? グニロこうしてるのすき?」
「え!? お、おう、そうだな……」
 最も返事に困る質問をされて、グニロは口ごもった。別に思ったことを素直に言ってしまってもいいような気はしているが、どうにも口に出したいと思えなかったのだ。
(そ、そもそも、こいつは人間じゃねえ。“人喰い”なんだ。人間の女とかなら兎も角、こいつにそんな風な、いや、確かにこいつの見てくれはいいが、でもやっぱりこいつは……)
 などとグニロが悩んでいる間も、ミリアムは何も言わずに、灰白色の瞳にグニロを映している。鏡写しのグニロは、ミリアムの瞳の中で細かく揺れていた。
 答えなければならないのだ――理屈ではなく、直感でそう思い至ったグニロは、なるべくいつもの表情を装いながら、ぶっきらぼうに答えた。
「……まあ、好き、だな」
「ほんと!?」
 突然、ミリアムはグニロの肩に手をかけ、続いて膝立ちになってグニロに全身を預けようとしてくる。
「ちょっ、おま……こら! 何でよじ登るんだよ!? っつか、服! お前、はだ、裸じゃねえか!?」
「えへへへへ」
 グニロが抵抗するのも構わず、ミリアムは上機嫌でグニロの首に跨っていた。いわゆる『肩車』の形である。
(こ、これ、は――)
 ミリアムの恰好は、粗末な布を身体に巻き付けているだけである。そしてその布は、いつ彼女の身体から剥がれ落ちてもおかしくなかった。即ち、何も身に着けていないのと同然である。
 後ろから頭にしがみつくミリアムからは、柔らかい感触、染み入るような温もり、そして独特の甘い匂いが、余すとこなく伝わってくる。
 この体勢は、よくない。非常に、よくない。
「お、お……下りろって! このバカ!」
「いーやー!」
 グニロは身体の命じるままに、ミリアムの腰を掴んで寝台から投げ飛ばそうとするが、彼女は手足をグニロの頭や首に巻きつけて頑なに抵抗しようとする。
「ふが……っ!?」
 完全に誤算であった。ミリアムはグニロが引き剥がそうとすればするほど密着してくる上に、グニロの首を締め上げてしまっている。しかも力比べはどうやらミリアムの方に分があるらしく、グニロの抵抗は意味をなしていない。
 いよいよ打つ手がなくなったグニロは、抵抗を諦めることにしたのだが、ミリアムは全く力を緩めようとしてくれず、満身の力を込めたままであった。
 呼吸が満足にできない。視界が霞み、意識が遠のきそうになっている。気のせいだろうか、死んだ父と母が瞼の裏で苦笑しているように思えた。
「み、みりゃ、む……」
「う?」
 搾り出すようにして呼び掛けると、ミリアムがグニロの顔を覗き込んだ。霞みつつある視界の中で、逆さまの彼女の顔だけが鮮明に映る。
「に、肉、ぁる、から……くぉ……!? くぉぅ、ぜ……?」
「たべるっ!」
 息も絶え絶えに持ち掛けた申し出をあさりと快諾し、ミリアムは離れた。何度も激しく咳き込みながら、グニロは呼吸ができることを両親と神に感謝した。
「グニロにく! にーくっ!」
「お、おう」
 既に食卓に着いているミリアムに急かされ、グニロは扉の傍に置いたままの袋から干し肉を取り出した。
「にくっ」
 干し肉を凝視するミリアムは、明らかに目の輝きが違う。やはり肉が好物なのだ。
「い、一気に食うなよ?」
「うん!」
 とは言うものの、ミリアムにグニロの言葉が届いていないのは間違いなかった。瞬く間に与えられた干し肉を平らげ、またもや「もっと!」と要求してくる。
(……いつまでこれが続くんだろうな)
 貪欲さが窺える食べっぷりに慄きつつ、グニロは先行きが見えないことに不安を覚えていた。
(とりあえず――)
 グニロは、視線を扉に戻した。ミリアムが素手で獲ったという猪は、濡れたまま手付かずで置かれている。
 猪のことは、明日にでも考えよう――面倒事を一つ明日の自分に押し付け、グニロは新しい干し肉と、野菜の切れっ端を机の上に並べていく。


 天候の変化は、当然だが川の流れにも影響を及ぼす。
 現在も雨量は増大している。それに伴って川の水位、水量も上昇し、流れも激しくなっていた。試しに落とした木の葉は見る間に流されていく。対象が未だ漂流しているのならば、この増水の影響を受けているのは間違いないだろう。
 しかし、その可能性は低いだろう。先日入手した、近年の測量結果によると、この川はフェリュースト教国との国境付近で川底が浅くなる場所が数ヶ所存在している。
 対象を負傷させてから現時点で三日が経過していること、あの夜以降にこの地域でこれほどの雨が降ったことはないこと、以上の二点を総合すると、この雨によって水深が増大する前にその流域のどこかへ漂着し、捕食行為に及んでいる可能性がある。
 対象がいる可能性のある場所は、確実に特定出来つつある。


 二日続いた雨も上がり、森の中は噎せ返るような土と落ち葉と草木の匂いに包まれる。頭上ではカッコウがその名に相応しい鳴き声を上げている。
 そんな静かな賑わいを見せる森の中に、少女の朗らかな声が響く。
「グニロ! はやく!」
「分かってるよ」
 独りでどんどん森の奥へと進んでいくミリアムに、グニロは応じる。
(つい連れてきちまったけど、大丈夫かよ)
 木の枝を拾っては楽しそうに振り回し、それが折れ曲がるとまた新たな枝を探し回るミリアムを、グニロは心配そうに見つめていた。
 雨が上がったので仕事に取り掛かることに決めたグニロだったが、当然のようにミリアムが『いく!』と訴えてきた。
(今回は森から出るわけではないし、一応、絶対に他の人間には見られんなよ、って言ってあるがなぁ……)
 それでも、やはり心配に思ってしまうのがグニロの現状であった。
「グニロー!」
「分かってるよ。そう急ぐなって」
 また呼び掛けてくるミリアムに、応じてやる。彼女が身を翻すたびに灰白色の髪が木漏れ日を反射するのを、グニロは目を細めながら眺めた。
(いつの間にか、当たり前みたいに居着いてんだよな)
 ミリアムと出遭い、三日目が経過しようとしていた。その間にも、彼女はグニロに多くの困惑と事実をもたらしていた。グニロなりに整理すると、以下の三点である。
 第一に、川辺で目覚める以前のこと、例えば本当の名前や、自分が“人喰い”だということを本当に忘れてしまっているらしいこと。
 第二に、そのせいかグニロを敵や『獲物』として見做さず、それどころか、餌をねだる雛鳥のように懐いてきていること。目覚めた時に干し肉を与えた影響なのかもしれないが、本当のところは分からない。
 第三に、“人喰い”であることを忘れているらしくても、肉が好きだったり、雨が降るとくっ付きたがったりといった、身に染み付いた“人喰い”としての習性(と、思われる行動)や、“人喰い”ならではの運動能力をしばしば見せること。
(俺って、実はあいつの物忘れのお陰で助かってんだよな)
 苦笑しながらそう思い、グニロは改めて天に祈った。祭日以外は礼拝所に訪れない彼にも、祈りを捧げる習慣はあった。祈りは感謝の形であり、願い求める仕草だった。
 なのでグニロは、極々自然に、ある願望を神に求めようとした。見上げる先には、聖堂に射し込むそれに似た木漏れ日が、幾筋も見えた。
(できたら、あいつにゃこのまま――)
「グーニーロー!!」
「……あ? ――んぁ!?」
 グニロが素っ頓狂な声を上げたのには理由があった。いつの間にかミリアムは、グニロが向かおうとしている方角とは全く違う方へ行こうとしていたのだ。雑草や低木を押しのけながら、どんどん小さくなっていく。
「おい、ミリアム! そっちじゃないんだ、こっちだぞぉ、こっち!」
 慌ててグニロが呼び掛けると、ミリアムは行った時と同じように、道なき道をあっという間に戻ってきた。「ったく」と呟きながら、グニロはミリアムの額に軽く拳骨を当てる。
「あんまり離れんなよ? はぐれたら面倒だぞ?」
「……うん!」
 不思議そうな表情から一転、何故か嬉しそうに頷いたミリアムは、グニロの腕に自分のそれを絡ませ、ぴったりと身を寄せてくる。さっきから走り回っていたせいか、妙に体温が高い。
「……って、違う! 何でくっ付くんだよ!?」
「ミリアムちがう?」
 くっ付いたまま、ミリアムは不思議そうに見上げてくる。この表情が偽りでないことぐらい、グニロにも分かっていた。
(悪気がねえってのが、またかえって性質が悪ィ……)
 これで、離れるように言い続けて罪悪感を抱くことになるのは、グニロの方なのだ。理不尽な状況を嘆きながら「いや、何でもねェよ」とグニロは返しておいた。
「グニロへんー!」
「……へへ」
 無邪気に笑うミリアムに、グニロは愛想笑いで応えた。
(本当は、いなくなってくれた方がいいのによ)
 ミリアムへの恐怖や緊張は、変わっていないはずだった。今も彼女が傍にいることで、言葉にし難い、波立つような心地がしている。
(だって、こいつは“人喰い”なんだぞ)
 なのに、どうしても強く思えなくなってきているのも事実だった。
 原因は分かっていた。ミリアムが話に聞いていた“人喰い”とかけ離れた印象をグニロに与えているからだった。彼女が噂通りの、恐ろしい怪物として振舞っていたなら、食われはしても、このように複雑な心境で頭を痛めることはなかったのだ。
 横目で見ながら歩いていると、ミリアムが視線に気付き、無邪気に笑い掛けてくる。暗い感情など微塵も感じさせない、彼女の晴天のような笑顔から、思わずグニロは目を逸らしてしまう。
 気持ちが、揺らいでしまう。揺らいで、倒れて、そのまま戻って来れないのではという不安が、また首をもたげてくる。
(……こいつは、“人喰い”、なんだぞ)
 これ以上、頭が混乱してしまわないよう、気持ちを奥深い所に押し込めて、グニロは落ち葉の積もる木立の中を進んでいく。グニロが余計な雑草や低木を定期的に切り払っているので、歩くのには不自由しない。
 そうしてミリアムを腕にしがみ付かせたまま、グニロが歩を進めていくと、更に拓けた場所にたどり着く。ここまでの道と同様に、グニロが作業をしやすくしておいたのである。
「よーし、着いたぞ」
「ついたー?」
 おう、とグニロは返して、切り株や倒木を跨ぎながら目的の樹へと歩み寄る。
「こいつを、これから伐るんだ」
 グニロが目を付けていたのは、トネリコの樹だった。他のものに比べて立派な大きさを誇り、幹はミリアムの胴よりも太い。ミリアムは、まだグニロの腕にしがみ付いたまま見上げて「はー」と感嘆の声を漏らしていた。
「どうだ、でっかいだろ?」
「でっかーい!」
 グニロが尋ねてみると、予想通りにミリアムは楽しそうに答える。その様子にグニロ自身も自然と笑みがこぼれるが、すぐに気まずそうな面持ちになって切り出す。
「……で、まあ、倒れたりする時に危ないから、一応離れとけよ?」
「えー!?」
 これも案の定、ミリアムは途端に眉根を寄せ「いや!」と言いながら上体をグニロの腕に押し当ててくる。それまでは意識すまいと堪えていた柔らかさ、温かさを再認識させられ、落ち着かない気分になる。
「あ、危ないんだぞ? 怪我するかもしれねぇし、悪いことは言わねえから離れとけよ、な?」
「……うん」
 と口をとがらせたまま頷いたミリアムは、腕を解いて一歩だけ下がった。グニロが「ミリアム」と語気を強めて言うと、不服そうな顔で更にもう一歩だけ下がる。
「……分かったよ。それでいいから、もう動くなよ」
 苦笑いしながらそう言って、グニロが少し移動する。この程度の誤差なら、支障はない。
 斧の刃を入れる箇所に軽く切れ目を入れて目印を作ると、両足を肩幅と同じ程度に開く。何度か振り下ろす際の予行をしてから大きく身を捻り、一気に振り下ろす。硬い音が、森に響き渡る。
(硬いな)
 刃を入れてすぐ、グニロは感じ取った。十歳の時分から斧を手に働いていたのだ、今では最初に斧を入れた時の感触で伐採に要するおおよその時間まで推測できる。
 教会の正午の鐘が鳴るまでに終えられるだろう――そう推測しながら、グニロは斧を振り上げる。
 グニロの一打ち毎に、トネリコはその身を大きく揺らしていく。そして教会から鐘の音が九度聞こえる頃、遂に僅かに繋がっていた部分も裂け、トネリコは倒れた。轟音とともに地面が軽く揺れ、驚いた鳥達が鳴きながら、次々飛び立っていく。
「ま、こんなもんだな」
「はー」
 とミリアムは呟き、感嘆を露にしていた。そして、すぐに表情を輝かせ、「グニロすごい!」と訴える。
「え? お、おう、そうか」
「グニロすごい! どーんてなった!」
 どーん、というのは切り倒した様子のことを言っているのだろう。いつもは気にしたこともない仕事を『凄い』と褒められると、嬉しいような、照れくさい気分になる。そう思い、グニロが後頭部を掻いている間も、ミリアムはよほど印象に残っているのだろう、しきりに「すごい」、「どーん」と連呼していた。そして、
「ミリアムやる! どーんてやる!」
「え!?」
 唐突に、また傍迷惑なことを言い出すのだった。
「だ、駄目に決まってるだろ!」
「やだ! やる!」
 説得も空しく、結局グニロが押し切られた。暗い表情で斧を手渡し、せめてもと思い釘は刺しておく。
「……いいか、ムチャクチャやるなよ」
「うん!」
 グニロとは対照的に、斧を受け取るミリアムの表情はどこまでも明るく、嬉しそうだった。グニロの思惑などどこ吹く風、と言わんばかりである。
 そしてミリアムは、適当な樹を見つけて駆け寄ると、何の躊躇いもなく斧を持った右腕を大きく振り上げ――
「バカ、違うって!」
「う?」
 間一髪だった。ミリアムが力任せに斧を叩きつける直前のところで、グニロの制止は間に合った。ミリアムの力なら、伐採するより先に斧が使い物にならなくなってしまいそうなのである。
 斧を取り返したグニロは軽く呼吸を乱しつつも、木こりとして大切なことを伝える。
「駄目だぞミリアム、そんなんじゃあ樹は『どーん』てならないんだぜ」
「どーんならない?」
 おう、と頷き、グニロはミリアムを別の樹へと促す。この時に選んだのは、クルミの若木だった。まだ細く、伐るのに何ら問題はないだろう、と判断したのだ。
「まずは、こういう細いやつからな」
「でっかいのは?」
「後に決まってんだろ。まずは小さいのからって順番があるんだよ」
 うー、と唸るミリアムを宥めすかしながら、グニロは彼女の背後に立ち、斧の扱い方を教える。その頃にはミリアムも、懸命に真面目な顔を作って話を聞いていた。
「まずな、斧の曲がった場所をな、こーやって右手で握る」
「うん」
「で、左手は、その下ンとこを握る」
「うん」
「振り下ろす時は、だいたい肩ぐらいの高さまで持ち上げてからやる」
「うん」
「あ、だからって力いっぱいにやるなよ? ンなことしたら手が痺れっちまうからな」
「うん」
 それからも、文字通り手取り足取り構え方を教えるグニロだが、彼女の背後に密着している様子は、計らずしも、抱きすくめるような姿勢であった。
「分かったか?」
「うん!」
 と頷くミリアムは、何故か妙に楽しそうであった。最初はふてくされた顔だったのが次に真面目な顔になり、今は破顔一笑、いつもの笑顔を見せている。
「よし、んじゃやってみっか」
「やるー!」
 威勢のいい返事にグニロも歯茎を見せるようにして笑い、斧を振り下ろさせた。布を裂くような音とともに刃は樹の幹に打ち込まれ、気持ちのいい音を響かせた。初めてならば、上々の業である。
「いいぞミリアム、上手くいってるぜ」
「ミリアムすごい?」
 おう、とグニロは頷き、ミリアムの頭を撫でてやりながら「なるたけ、同じとこを狙えよ」と次の動作について教えておく。
「うん!」
 打てば響く、というのはこんな状況を表しているのだろう。ミリアムはグニロに手伝ってもらっているとはいえ、すぐに切り倒してしまった。
「ミリアムできた?」
「おう」
 後ろから頭を撫でてやると、ミリアムは得意げに「んふー」と鼻を鳴らして喜んだ。
「ミリアムやる! もっとやる!」
 と、興奮気味に意気込みを見せるミリアムとは対照的に、グニロの表情は暗く、切り出す言葉も歯切れが悪い。
「……あー、悪いが、それは出来ねぇんだ、ミリアム」
「えー!?」
 予想が外れたのだろう、ミリアムはあからさまに不満そうな顔をする。人間相手なら微笑ましさしか覚えないのだろうその表情に、グニロの額を冷たい汗が滑る。
「ミリアムやる! もっとやる!」
「い、いや、こればっかりは駄目なんだよ!」
 例によってミリアムはごねたが、こればっかりはグニロも譲れないのだ。「話を聞いてくれ」と粘り強く説得し、どうにかミリアムの態度を軟化させることに成功する。
「あのなぁ、ミリアム」
「うん」
 既に疲労の色濃いグニロは、ミリアムの機嫌に細心の注意を払いつつ、木こりとして最も大切なことを語る。
「樹は、やたらと伐っちゃいけねぇんだよ」
「なんで?」
「森がなくなっちまうからさ」
 ほら、と言って、グニロは切り株の一つを指さす。先ほどグニロが伐ったトネリコと比べて些か古めかしいそれからは、小さな枝が伸びていた。
「ああやって、樹がまたでっかくなるまでは、すっげぇ時間がかかるんだ。俺やミリアムが、何回も何回も朝と夜を繰り返さなくちゃなんないんだぜ?」
「……よくわかんない」
 ミリアムは、渋面のままで返した。それに対してグニロは「よく分かんなくてもいいさ」と笑いながら頭を撫でてやる。ミリアムは少しだけ困ったような表情を見せたが、それ以上は動かない。
「要するに、やり過ぎるのは駄目ってことだよ。それなら、分かってくれるか?」
「うー……」
 更に言葉を分かりやすくしてみても、ミリアムは不満そうだったが、グニロと斧とを交互に見やり、そして最後には彼を見上げて残念そうに「うん」と頷いた。
(分かってくれたか)
 説得できたことに安堵しつつ、グニロは「ありがとうな」と言ってミリアムの頭を撫でてやる。最初はちょっと拗ねたような表情だったが、徐々に彼女の口元がにやけていくのをグニロは見逃さなかった。
(とりあえず、ひと安心か)
 そう思いつつ、グニロの目は木こりとして見逃してはならない点に気付いていた。ミリアムの掌は、擦り剥けも肉刺も全くない、滑らかなままだったのだ。
(慣れてない奴がいきなりやると、掌や指に絶対怪我をするもんだってのに、何でこいつはどうもなってないんだ?)
 それも、“人喰い”の力なのか――そう思うグニロの中で、靄のような、形のない気持ちがまた動き出していた。それは重たく渦巻き、グニロの心も引っ張られて重く、暗くなる。
「グニロ」
「あ?」
 不意に、グニロの服が引っ張られた。ミリアムである。
「どうしたよ、ミリアム?」
「グニロ、あれなに?」
 そう尋ねて、ミリアムは来た道を指差す。木立に遮られ、グニロにはよく見えないが、不審に思い、耳を澄ますことにした。
 足音。そして微かにだが、話し声――それらを認識すると同時に、グニロは動いていた。
「隠れろ、ミリアム!」
「えー?」
「そういう約束だったろ、ほら、早く!」
 約束、という言葉が効いたのだろう。ミリアムはグニロに急かされるまま、繁みに押し込まれた。
「見つかるなよ、動くなよ、喋るなよ、それから……ええと、兎に角、見つかるんじゃないぞっ?」
「……うん」
 早口で釘を刺してくるグニロを渋い表情で見上げながらミリアムは頷いた。それを確認したグニロは繁みから離れ、近付きつつある何者かに備えた。
「――よォ、精が出るじゃないかグニロ」
「あ?」
 現れたのは、意外な人物達だった。
「お前、独りでいつもあんなに張り切ってやってるのか? そのくらい面白いんなら、俺も考えてみようか……っとと」
「兄さん、気をつけて下さい」
 ああ、と返しつつ、切り株をぎこちなく避けたり跨いだりしてやって来るのは、リシャールであった。その後ろには、彼の末の妹だという少女が、籠を提げて追従している。
「り、リシャール、それに……たしか、マリー、だっけか? どうしたんだよ、こんな所まで」
 歩み寄ってきたリシャールは「なに」と意味深な前置きをしたかと思えば、急に声量を落とす。片方の目と口角を鉤月のように歪めて笑う姿は、神父様の語る悪魔を思わせた。
「あの、例の、お前のアレな、いい値段になったんだぜ?」
「え? お、おう、そうか……」
 例のアレ、とリシャールが口に出した途端、グニロは落ち着かない様子で、彼の背後にいる妹に目をやった。
「心配するなよ。マリーも例の一件に絡んでんだ」
「微力ながら、手伝わせていただきました」
 と素早く兄妹が補足を入れてくる。
 事の始まりは、二日前だった。あの日、ミリアムが獲った猪を、グニロは持て余していたのだ。彼にとっての狼や猪や“人喰い”とは、捕獲したり餌付けするのではなく、遠巻きに眺めて逃げなくてはならない相手である。
 そこでグニロは、雨の中リシャールの雑貨屋に赴き、猪を買い取らないかと持ち掛けたのだった。
「それにしても、驚いたぜ。お前がこんなことを持ち掛けてきたことなんて一度もなかったんだからな」
「……俺だって、出来たらあんなことはしたくなかったさ」
 顎を撫でながら感慨深そうに語るリシャールへ、グニロは重たい口調で応じる。
 彼によれば、フェリューストや他の大国においては、領主の許可を得た者だけが『狩人』を名乗り、獣の肉や皮を商人に売ることを許されているという。だからグニロのような、許可を得ていない者が勝手に獣を狩り、商人等に卸した場合は『密猟』と呼ばれ、領主や貴族の財産を不当に奪ったものとして厳しく罰せられ、度を越した者には死罪が下されることも珍しくないらしい。
 そして、多く場合、この密猟行為が見逃されていることは、暗黙の了解となっているとも、リシャールは語っていた。
「ま、確かに罪だが、俺もお前も生きるためだからな、神様も笑って許して下さるだろうさ」
 その証拠に、当の本人はそんな風に嘯いて憚らない。
「……で、その祝いがてらに、一緒に昼飯でもどうだろう、っと思ってさ。そうだろう?」
「ええ」
 リシャールの背後で、マリーが頷いた。木漏れ日の下で、髪が鈍く光る。
 グニロは、驚きつつ呆れていた。先日の一件から、まだ二日しか経っていないというのに、この男は早くも妹をこんな森にまで連れてきたのだ。
(何て手回しの早い野郎だ)
 と、グニロが毒吐いていることなど知らないリシャールは、マリーの背を押して前に促す。
「それじゃ、俺は店があるから帰るが、また迎えに来るよ」
「はい」
「い、いや、はいじゃねーだろ」
 当然のようにやり取りしている兄妹の間に、慌ててグニロが割って入る。
「突然やって来たと思ったら、何だよ昼飯って? いきなりンなこと言われても――」
「ナニ言ってんだよ兄弟」
 グニロに動じることもなく、リシャールは底意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「俺達は、もう同じ秘密を共有する仲じゃないか。……それとも、お前は秘密を神父様にでも打ち明けるのか?」
「ぐ……っ」
 痛いところを衝かれているのは、グニロも分かっていた。要するにリシャールは、密猟の件を盾にして、マリーの相手をしろと言っているのだ。
(こいつ、これを見越して取引に応じたのかよ)
 苦々しい表情のグニロに「またな」と言って、リシャールは揚々と来た道を引き返していく。後には、グニロとマリー、そして幾らか気まずい空気が残った。
「――あの」
「お、おう」
 突然、マリーが話しかけてくる。
(……どうしたもんかなぁ)
 実を言うと、グニロはこの妹があまり得意ではなかった。彼女とは面識がないということもあるが、彼女の遠くの物事ばかりを見聞きしているような、心ここにあらず、といった振る舞いに馴染めないのだ。
「兄を、悪く思わないであげて下さい」
 そう言って、マリーが真っ直ぐにグニロを見上げてくる。はっきりとした感情は読み取れなかったが、どうもも怒っているわけではないようだ。
「あの人は、あの人なりに、グニロさんやわたしのことを気遣ってくれているんだと思います。だから、こういうことをさせるのは、あの……」
 マリーは、視線をグニロから外した。
「きっと、素直になれないからでしょう」
「……なるほどな」
 グニロにも、あの訳知り顔で店の内外を見渡す男が積極的に他人の世話を焼く様子は想像し難い。無理矢理に浮かべてみると、妙なおかしみが湧いてくる。
「確かに、あいつがお人好しの真似をするところなんて想像できねぇな」
 グニロが笑い混じりに相槌を打つと、マリーは少し目を見開いた。控えめな変化だったので分かり難いが、驚いているようだ。
「な、何だよ」
「やっと、笑ってくれましたね」
 そう告げるマリーは、いたって真面目な表情をしている。雀斑のある、意外にも愛嬌のある顔立ちと相俟って、背伸びした子どものようであった。
「そんなに、俺って笑ってないか?」
「はい。わたし、嫌われているのかと思っていましたから」
「い、いや、別にそういうことは……」
 懸命に言い繕おうとするグニロに、マリーは「冗談です」と言った。からかわれていたのだろう。どうもこの一族は、性格に問題がある気がする。
「優しいんですね、貴方は」
「そ、そりゃあ……」
 違う、と言いかけるグニロより先に、マリーが口を開く。
「兄が言っていました。慮ろうとする気持ちが強すぎると。だから騙したりするのは簡単だと」
「……そんなこと言ってんのかよ、あいつ」
 言っていますね、とマリーは、こころなしか弾んだ口調で相槌を打つ。そんなところは、兄の後ろを歩いている時や、店で見かけた時よりも人間らしい。
「そうでした」
 はた、とマリーが手を打つ。独り言にも、そうでないようにも聞こえるので、反応にまたも困る。
「せっかくですから、召し上がってください」
「お、おう」
 どうすべきか困ったグニロは、マリーに促されるまま近くの切り株に腰掛けさせられ、そして別の切り株に腰を下ろす彼女が、籠の蓋を開けるのを見ていた。
「……おお」
 中身を見て、グニロは素直に感嘆の音を洩らす。
 籠には、肉や野菜を挟んだパン、乾酪、そして小さな瓶が丁寧に詰め込まれていた。
「なあ」
「はい?」
「何でこんなに、干し肉が入ってるんだ?」
「以前、たくさん買っていらしたので」
「そ、そうか」
 どうやら、彼女の中では好物が干し肉ということになっているらしい。所持金で買えるだけの干し肉を買って帰れば、そんな風に思われても仕方ないだろう。
(つっても、食ってるのは殆どミリアムなんだがな……)
 とはいえ、そうした釈然としない心境で、グニロはマリーの差し出した挟みパンを手に取ると、大きく口を開けて齧り付いた。
「ん――」
 肉は、薄く味付けされていた。普段は味気のないものか、反対に塩っ気の強いものばかり食べているグニロには、こうした程よい味付けというのは新鮮味が強く、その感動と食材自体の味わいがともに舌からグニロの頭へと上ってくる。
 一言で表すと――美味い。
「美味しいですか?」
「お、おう」
 グニロが何とか答えると、マリーは「よかった」と言って表情を緩めた。初めて彼女が、年相応の少女に見えた。
「事情はどうあれ、美味しく食べて頂けると、やはり作った身としては嬉しく思います」
 作った身、という物言いに、グニロは「もしかして……」と疑問を口に出そうとする。
「ええ、独りで作りました。母も使用人達も、わたし個人の用事に関わる暇はありませんので」
 木立に視線を移し、そう答えるマリーの横顔には、明るさがなかった。差し込んでくる木漏れ日は、むしろ彼女の陰を濃くしている。
「い、忙しいん、だな?」
「いいえ、わたしはまだ兄や母の手伝いをしているだけですので」
 顔は木立に向けたまま、マリーはこちらを横目に見る。
「こうしていられるのも、あと二年ほどでしょうか」
「そうなのか?」
 たしか、リシャールも彼女を嫁に出す予定があると言っていた。もしかしたら、彼女自身の思惑とは別に、彼らだけで進められていたのかもしれない。そう思うと、グニロにも自然と同情の情が湧き、自然と言葉が口をつく。
「なんつうか、お前も大変なんだな」
「そういうものですから」
 と返すマリーの表情には、力がなく、微笑んでいるように見えるが、グニロには悲しそうに見えた。
 何か言葉をかけるべきなのか、とグニロが慣れない作業を頭に強いていると、マリーは何事もなかったかのように、籠から瓶を取り出し、グニロに渡した。
「これは?」
「お酒です。正確には、葡萄――」
「葡萄酒だと!?」
「――酒、ですが、喜んでいただけたようですね」
「そりゃそうさ。葡萄酒なんて久しぶりだぜ」
 嘘ではなかった。母の死後、教会と雑貨屋ぐらいにしか足を運ばないグニロは、酒との接点は殆どなかったのだ。その僅かな接点があったのも、精々が出来の悪い麦酒であった。葡萄酒など、今の神父様が聖レニの村にやって来た時に振舞われて以来である。
 興奮気味に語るグニロに、マリーは「どうぞ」と飲むように勧めてくる。
「お……ま、マリーは、いいのか?」
「……わたしは結構です。お酒には強くないので」
 そう言って引き下がらないので、グニロは一人で瓶の中身を呷る。久しぶりの味わいに、自然とグニロの表情も綻ぶ。そこに例のパンも加われば、祭日のご馳走にも匹敵する食事となっていた。
「美味しいですか?」
「おうっ、こんなに豪勢なメシは初めてだぜ」
 大げさですね、とマリーは微笑みながら言う。年下の少女に自分がたしなめられているように思えて、グニロは苦笑いで応じた。
 酒のせいか、グニロは硬く構えずマリーと会話ができた。先ほど自分が切り倒したのがトネリコであることや、それが武器や農具の柄に使われるらしいことを語るグニロに、彼女は嫌な顔ひとつせず、言葉の一つ一つに相槌を打つ。
「……あ?」
 村の方から、十の鐘が聞こえてきた。いつの間にか、鐘ひとつ分もの間、マリーと過ごしていたのだ。
「もう、こんな時間か」
「早いですね」
 と、マリーは同意して、グニロから空き瓶を受け取り、籠にしまって立ち上がった。
「帰ります」
 簡潔な宣言に、ついグニロは「いいのかマリー?」と声をかける。
「たしか、あいつが……」
「お仕事の、邪魔になっては悪いので」
 と返すマリー。おそらく、グニロと兄の両方に気を遣っているのだろう。
「一応、獣除けの匂い袋もあります。だからご心配なく」
「お、おう。そうか」
 マリーは腰から下げた、小さな茶色の袋をグニロに見せてくれた。微かに感じられる程度にだが、たしかに漂ってくるものがあった。
(……これって、ミリアムにも効くのか?)
 ふと気になり、グニロはミリアムの隠れている繁みに視線を向ける。先ほどから約束どおりにちゃんと隠れているようだが、もしマリーの匂い袋が彼女にも効いているなら危ないのではないだろうか?
「どうしました?」
「え? ああ、いや、何でもねェんだ」
 じっ、と見つめてくるマリーに、グニロは手を振ってごまかす。“人喰い”がすぐ近くに隠れていると知れば、流石の彼女でも平然とはしていられないはずだ。最悪の場合、ミリアムが彼女を食べることも考えられる。
 やはり、早く引き上げてもらった方がいいだろう。その方がお互いのためである。
「そ、それじゃあな、マリー。気ィつけて帰れよ」
「はい」
 最後にもう一度微笑んだマリーは、深々と一礼してから踵を返して、兄が通った道を辿っていく。その後姿が見えなくなったのを確認したグニロは繁みに目をやり、「いいぞミリアム、もう大丈夫だ」と小声で合図する。
 すると、繁みから弾き出されるような勢いで、ミリアムが姿を現した。
「グニロずるい!」
 開口一番、ミリアムが放った言葉には、グニロを非難するような響きがあった。可愛らしい顔をしかめせている様子は、どう見ても上機嫌とは言い難い。
「ミリアムおなかすいた!」
「お、おう」
 長く待たせてしまったことが理由かとも思ったが、やはり、大きな理由はそれだったらしい。悪いことをしてしまったと思う一方で、ミリアムらしい理由だとも思うグニロは、つい笑みを漏らす。
「グニロにく! いっぱい!」
「分かってる、分かってるよ」
 マリーとは違った意味で率直に要求を訴えるミリアムに、グニロは用意してあった干し肉を渡す。よほどの空腹だったらしい彼女は、干し肉を受け取るそばから口の中に押し込み、次々と平らげていく。挙句の果てには、「もっと!」などと言い出す始末だった。
「つってもなぁ、さっきので持ってきた肉はなくなっちまったぜ」
「もっと!」
 干し肉を入れていた袋の中身を見せ、空だと証明しても、ミリアムは納得しない。グニロは頭を掻きながら「あのなぁ」と切り出す。
「俺だって、食わしてやりたいんだよ」
「じゃあ――」
「で、でもな、肉は小屋まで戻らなきゃねぇし、仕事もまだ終わってねぇんだ」
 じぃっと睨みつけてくるミリアムに、グニロは誤記を弱めつつも「だ、だからな」と続ける。
「もうちっとだけ、我慢してくんねぇか?」
「……うー!」
 とミリアムは唸りながら地団太を踏んでいたが、グニロが懸命に目を逸らさずにいると、やがてうな垂れて「うん」と呟くように頷いた。安堵の息を重々しく吐きながら、グニロは「ありがとうな」と言って彼女の頭を撫でようとしたが、
「いらない」
「あ?」
 何故かミリアムは、それを拒んだのである。
(今までは嫌がってなかったのに……)
 初めての事態に戸惑うグニロを他所に、ミリアムはグニロの座っている場所から少し離れた切り株に腰を下ろした。膝を抱え、そこに頬を押し付けている姿は、いつもより小さく、話しかけ辛く見える。
(本当に、どうしちまったんだろうなぁ)
 ミリアムの様子を気にしつつも、グニロは次の作業に取り掛かることにした。ミリアムの怒りも怖いが、貴族お抱えの材木商も同じくらい怖いのである。
 まずグニロは、切倒したトネリコを運びやすくするため、余計な枝葉を落とす。こうすることで必要な幹だけを運べる上に、余った枝をこっそりと持ち帰って薪として再利用できるのだ。
「グニロまだ?」
「……あン?」
 特に太い枝を切り落とそうとしている時に背後から声をかけられ、グニロは叫びそうになった。振り返った先にいたのは、案の定、ミリアムだった。すぐ傍に立ち、表情の見えない顔でじっとこちらを見ている。
(い、いつの間に……)
 驚きと疑問が一緒くたになっているグニロは、「ど、どうしたミリアム?」と、落ち着きのない口調で尋ねる。
 しかし、ミリアムは何も答えず、俯きがちの姿勢でこちらを見ているだけであった。何がどうなっているのか分からず、グニロは首を傾げながら作業に戻る。
「グニロまだ?」
 そして再び、ミリアムの声がする。顔を上げると、今度は正面にいた。動いた音が全く聞こえなかったのは、グニロが作業に集中していたというのもあるだろうが、おそらく彼女にも理由はあるはずである。
「まだだよ」
 そう答えてグニロが作業を再開してから幾許も経たない間に、ミリアムは「グニロまだ?」と繰り返し尋ねてくるのだが、何故かその度に違う場所に立っているのだ。前に後ろ、右に左、くっ付きそうなくらい近い時もあれば、見つけるのが難しいくらい遠くにいる時もあった。
(いきなり隠れろと言ったこと、まだ根に持ってんのか?)
 あの件に関しては、たしかに自分に、というかリシャールに全ての非があると言って間違いないだろうが、それにしても尾を引き過ぎてはいないだろうか。
「グニロまだ?」
「……まだだよ」
 通算二十回目の『グニロまだ?』に応じながら、グニロは少女に思う。
(まあ、ンなことをこいつに面と向かって言えるわけがねぇけどな)
 自身の肝の小ささを再認識させられつつ、グニロが作業を終えたのは、ミリアムの『グニロまだ?』が四十回を超えた頃であった。
「さて、と」
 常の習慣で独りごちると、グニロはいよいよ幹だけのトネリコを運ぶ作業にかかる。小さい材木であればそのまま担ぐこともできるが、今回のトネリコは非常に大きなものであるため、運び方もそれに応じたものになる。
 まずグニロは、トネリコの傍らに用意してあった布を敷き、続いてそこにトネリコを転がして乗せる。この布を幹に巻き付けることで材木を運搬しやすくしたり、傷むことを防ぐのである。
 一連の準備を済ませたグニロは、最後に縄を適当な場所に掛けて、いよいよトネリコを引きずっていく。今回の材木は大きいだけでなく、その重さも半端ではない。運搬のためにも道中を整えておいたのだが、やはり重労働に変わりはない。屈強な体格を誇るグニロであっても、全身が悲鳴を上げそうであった。
「なあ、ミリアム」
 だからだろうか、自然とグニロの口が、傍らを歩く少女の名を呼ぶ。
「こいつを運ぶの、手伝ってくれねェか」
「いや」
 グニロの申し出を、ミリアムは間髪を入れず断った。だが、元々望みは薄いと思っていたグニロはそれほど残念がらず、「そっか」の一言で会話を結んで、再びトネリコを引っ張る。ミリアムは、そんなグニロの少し先を歩いていた。
 川沿いの道まで出る頃には、すっかりグニロは汗まみれであった。手の甲で額の汗を拭うグニロは、一旦川辺まで一人で降り、水で顔を洗う。火照る身体に水の冷たさが入り込む気持ちよさを感じる一方、視線は先程から全く表情に明るさのないミリアムに向けられていた。
(あいつ、まだ機嫌悪そうだな)
 トネリコを運んでいる時は気にしている暇がなかったが、さっきからミリアムとはろくに会話が成り立っていない。
(ハラ減った、って言ってたし、やっぱり飯のせいか?)
 そう考えたグニロは、服の裾で顔を拭きながら「なあ」とミリアムに声をかける。
「お前さ、ハラ減ってるなら、先に帰っててもいい――」
「いや!!」
 だがミリアムは、この申し出も、しかも力いっぱいに拒む。
(じゃあ、どうしろっていうんだよ)
 取り付く島もないというのは、こういう時を表すのだろう――グニロは内心で毒づきつつ土手を登り、トネリコを川と平行になるよう位置を調整してから「な、なあミリアム」と、恐る恐るミリアムに話し掛ける。
「これから、俺はまた、村まで行かなくちゃいけねぇんだ。だから、あー……まあ、分かるよな?」
「ミリアムわかんない」
 と返すミリアムの態度は、ひたすらに頑なだった。グニロは頭を掻きつつ、言い難そうに語る。
「だから、まあ……すまねぇんだがな、また場所で待っててくれねぇか?」
 その言葉を、ミリアムはじっと聞いていた。聞いてはいるだろうが、是とも否とも言わない。
「頼むよ。こればっかりは、ミリアムにも聞いてもらわねぇと困るんだ。ミリアムは、俺が困っちまってもいいのか?」
 グニロが懸命に頼み込むと、ミリアムは下唇を突き出し、横目で見上げながら「わかった」と頷いた。
「……おう、ありがとうな、ミリアム」
 そう言ってグニロは、ミリアムの頭に伸ばしかけた右手を引っ込め、「悪ィ」と謝ってから、川に向けて蹴落とした。父から教わった知恵の一つで、材木を川に流して運ぶのだ。こうすることによって、労力を省くことが出来るというわけである。
 道中、岸や岩石、浅瀬に引っ掛かった材木を調整しながら、グニロは聖レニの村の手前にある簡素な水門まで辿り着く。水門というのは、グニロを始めとする聖レニの村人達の名称で、リシャールの言葉を借りれば、『単なる土袋の積み上げ』になる。
 この時、グニロの腰から下はずぶ濡れだったので、もう気にせず川に入り、トネリコを岸辺に押し上げる。本来の置き場所は、ここより更に先、村の入り口の傍にあるのだが、材木商が村に来るのは十日以上先なので、今日のところはここで作業を終える。
(よし、急いで戻ってやらねぇと)
 そしてもう一つ、これ以上ミリアムを待たせるのは危険なので、十二の鐘が鳴る中、グニロは道中に残してきたミリアムの許へと急ぐ。
 果たして、ミリアムは待っていた。二日前、雑貨屋からの帰りを待っていた時と同じ場所で、二日前とは違う面持ちで。
「悪ィな、ミリアム」
「……うん」
 グニロが駆け寄って謝ると、ミリアムは下唇を突き出した表情でこちらを見上げて応じた。
(ちょっとは機嫌を直したのか?)
 彼女の態度が、少しだけ軟化していることにグニロは希望を見出す。幾らか明るい口調で「行こうぜ」と促してみると、ミリアムはこれにも「うん」と応じ、少し離れてついて来た。
(……直ってる、んだよなぁ?)
 肩越しにミリアムを見ながら、グニロは思う。先程よりは、刺々しさが和らいで見えるが、こちらとは目を合わせたがらなかったりと、まだ元通りとは言い難い。
(早く帰って、肉を食わせにゃなんねぇな)
 この不機嫌さが最悪の方向に――つまり、自分を食べる方へと向かってしまわないために、グニロは自然と早足で小屋に戻った。ここまで随分と時間が掛かってきてしまったような気がして、グニロは重たい息を吐き、そしてすぐに、既に席に着いていた少女に話し掛ける。
「待たせちまったなミリアム、すぐに食わしてやるからな」
「うん」
 ミリアムはにこりともせず、グニロが机に並べた干し肉を片っ端から平らげていく。その様子は、初めて彼女と会った時よりも恐ろしく見え、背筋には冷たいものが這い登る。
「っく、しょぅ!」
 突然、グニをは大きなくしゃみをした。寒気の原因は、他にあったのだ。
 聖レニの村は、夏の入り口とは言っても冷えることもある。ましてやグニロは、重い材木を運んで汗を掻き、何度も川に浸かっていたので服も濡れている。屈強な肉体は、今やその芯まで冷えつつあった。
 そう思ったグニロは改めて寒さを覚え、両腕を交差させて身体を擦りつつ、暖炉に火を点そうとするが、薪が残り少ないことに気付いた。
「ミリアム」
「う?」
 指先を舐めていたミリアムが、こちらを見た。
「薪がなくなりそうだから、今から割ってくる」
「……グニロどこいく?」
「この小屋の、裏ンとこだよ。すぐ戻るから、お前はここにいてていいぜ」
 ふぅん、とミリアムは返すも、動く気配はなかった。それを確かめたグニロは、小屋の奥にある道具箱から薪割に使う鉈を取り出し、外に出た。風が吹くと、濡れた服が肌に張り付き、また寒気が背筋を登る。
「は、早くやっちまわねぇと」
 小走りで小屋の裏に回り、グニロは小屋から突き出たように備え付けられた屋根の下、積み重ねられた薪の一つを掴み、近くの歪な切り株に乗せると鉈を振り下ろして真っ二つにする。薪を断ち割る時の音が森中に木霊する中、グニロは次々と薪を割っていった。動いていることで身体も温まり、作業も進む。
 二十本ほど割ったところで、グニロは一息吐いた。額には、薄く汗が滲んでいる。
「……あ?」
 汗を拭っていると、背後から足音が聞こえてくる。誰かと思って振り返ると、ミリアムだった。
「どうした、ミリアム?」
「それ、ミリアムしていい?」
「それ?」
 グニロを指差して、ミリアムは訊いてくる。どうやら、鉈を差しているらしいことに気付いたグニロは、鉈を示して「これか?」と訊き返してみた。ミリアムは頷いて、指差す手を開いた。よこせ、ということなのだろう。
(……まさか、これで斬りかかるつもりじゃねぇよな?)
 とも考えてグニロは不安を覚えたが、特に断る理由も思い浮かばず「おう」と応じて、鉈を手渡した。ミリアムは受け取った鉈を矯めつ眇めつして、いきなり振り下ろした。すぐ近くで、しかも凄まじい勢いでやるものだから、「うぉ!?」とグニロは驚きの声を上げた。
「グニロ?」
「い、いい、いや、いや、何でも、ねぇぞ」
 不思議そうにしながらまだ鉈を振り回しているミリアムに、グニロは及び腰になりながらも応じた。もしも今、ここで彼女に襲われるようなことがあれば、まず助からない。
「そ、それより、早くやってみようぜ? あと、それはそーやってやたらと振り回すもんじゃねぇからな?」
 そうなの? と尋ねるミリアムにグニロは「そうだよ」と言ってごまかし、急いで薪割りの準備を済ませる。
「よし、思いっきり……じゃあ、ねぇな。軽く振り下ろしてみな?」
「うん」
 薪の端に刃を食い込ませた鉈を振りかざしたミリアムは、大して力んだ様子もなく、軽く振り下ろした。風を切るような音がした直後に薪は真っ二つになり、鉈は切り株に深々と食い込む。ミリアムはこちらへ振り返り「ミリアムすごい?」と訊いてくる。
「お、おう、すごいぜ」
 嘘ではなかった。グニロは、ミリアムの身体能力を認め、そして恐れている。
 そんなことは億尾にも出さず、グニロはこちらを見上げるミリアムの頭に躊躇いがちに手を乗せる。嫌がっている様子はないので、試しに髪の毛を掻き混ぜるようにしてやると、ミリアムはくすぐったそうな表情で「グニロやめるー!」と言って抵抗しようとしてくるが、全く力が入っているようには思えない。本気では嫌がっていない、というか、楽しんでやっている節がある。
「グニロ!」
 久しぶりに聞いた気がする、ミリアムの明るい声。それにグニロは何故か戸惑いつつ、「お、おう」と応じた。
「ミリアムもっとやる!」
 鉈を掲げて、ミリアムは高らかに宣言する。前には断ってしまったこの申し出だが、薪割りなら断る理由など、ない。
「……おう!」
 ミリアムに応えようと、グニロも拳を握って返し、次の薪を用意する。ミリアムはそれを見事な早業で真っ二つにし、グニロに撫でられると気持ちよさそうに目を細め、「んふー」と鼻を鳴らした。
(機嫌、直ったのか?)
 グニロは、傍目には上機嫌に見えるミリアムの様子を窺う。いつぞやのように嬉しそうに飛び跳ねている少女からは、先ほどまでの硬さは感じられない。
「グニロ! もっと! もっとやる!」
「お、おう!」
 少女の不思議な変化に首を捻りつつも、グニロは次の薪を用意するのだった。


「その目が、堪らないの」
 喘ぐようにして、女が告白する。対する男は、超然とした佇まいを崩すことなく、そこに立っていた。
「わたしの全てを切り裂いて、丸裸にしてしまいそうな眼光、素敵だわ。冷たくて、鋭くて、ぞくぞくするの。貴方には、何もかも差し出さなくちゃいけないような気がして、怖いのに、逃げ出したいのに、そんなの全く許してもらえないような、そんな気分に……ああ、最高だわ。こんな気分、初めてよ……」
「知ったことか」
 という言葉にさえ、女は「ああ」と感極まった声を上げ、ますます媚びるような目で男を見上げる。
「それよ。そのナイフのような言葉。冷たく光る眼差し……こんな悦びが、この世にあったなんて……ふふ、神様は意地悪ね」
 女は視線にますます熱を孕ませ、蕩けた乾酪が這い寄り、縋るような声で「お願い」と懇願する。
「今夜だけ、今夜だけでいいの。わたしにできる限りのもてなしをするし、この身も心も差し上げるわ。だから――」
「いいだろう」
 その言葉に、女は艶やかさと初々しさの同居する、極めて稀な笑みを浮かべた。その笑みを花に譬えるなら、夜にだけ咲く、原色の花だった。
「ああ、神よ……」
 女は、胸の前で十字を切ると、地面に膝を着いた。背徳への恐怖すら、今の彼女には興奮の一材料であった。


 朝のひやりとした空気の中、グニロは久しぶりに寝台の上で目覚める。とはいえ、眠気が完全に消えたわけではなく、まだ半分以上、心地よい眠りの中にあった。そのまま沈んでしまってもおかしくない状態である。
「……ろ……」
 そんな彼の耳に、微かだが音が聞こえた。随分昔に聞いたような気もするし、つい最近になって聞いたような気もするが、どうしても思い出せない。
(……じゃあ、いい、よな……別に)
 眠気の強い頭では深く考えることもできず、グニロは毛布を手繰り寄せて頭からかぶり、朝日から背を向けて眠ろうとする。
「……き……す……」
 暫くして、また聞こえてきた。今度は、幾らかはっきりと聞こえてくる。女の、声だった。
(……女ァ?)
 そんなはずはない。母が死んで以来、この小屋にはもう女はいなくなったのだ。
(ああ……夢か)
 他に理由は思い当たらなかった。すぐにそれで納得し、枕の位置を調整してもう一度眠ろうとする。今朝は、どうにも瞼が重い。
「る……いた……! にろ……る!」
 そうこうしている間にも、また女の声が聞こえてくる。何かに呼び掛けているような、何かを訴えているような声だが、何のことだかさっぱり分からない。
(うっせぇなぁ……)
 再び眠ろうとしているというのに、こんな夢を見ていては寝覚めも悪かろう――そう思ったグニロは、やむをえず身を起こすことにしたのだが、何故だか身体が動かない。何かが上から押さえているようだった。
(……ん?)
 未だ働きの鈍いグニロの頭だが、以前にも似たような状況があったことを思い出す。そしてそれが、つい最近の出来事だったということも。
(あれは……いつの、何だったか……)
「グニロ……!」
 今度は、自分を呼ぶ少女の声が、より鮮明に聞こえてきた。懸命に何かを訴えるようなその声に、グニロは否応なしに瞼を開いた。
「……んご? ――っげぇ!?」
 重い瞼を上げた直後に、グニロは目を丸くした。何しろ、視界の全てが、ミリアムのふくれっ面で占められていたのだから。
 目が覚めるにつれて、グニロの頭は事態を飲み込み始めた。ミリアムは、グニロの胸に手をつき、腿の辺りを両脚で挟むという、見る者が見れば大いに誤解を招きそうな体勢で覆い被さっていたのである。それも、下穿きを身に着けていない状態で。
「グニロおきる! ミリアムおなかすいた!」
 一方のミリアムはお構いなしである。自分が今とっている体勢が、そして恰好が、グニロにどんな影響を与えているのかという自覚もなく、ただ自らの欲求を真っ直ぐにグニロへと訴え続ける。
「待て! 落ち着けミリアム!」
「ミリアムまった! でもグニロおきない! ミリアムおこる!」
「悪かった! 悪かったから離れろこのバカ!」
「ミリアムバカちがう! グニロのがバカ!」
「何だとこいつ!?」
 全く会話がかみ合わない。それどこか、グニロまで彼女に引っ張られていた。
「っあーもう! 離れろっつってるだろーが!?」
「きゃぅ!?」
 グニロが突き飛ばすようにして離れさせると、ミリアムは「うー」と唸りながら、恨めしそうにグニロを睨む。
「ミリアムわるくないのに!」
「やっていいことと悪いことがあるだろーが!?」
「ミリアムわるくない!」
 売り言葉に買い言葉――というには稚拙なやり取りではあったが、二人の間に流れる空気を冷ややかなものへ変えるのには充分であった。
「機嫌直せよ」
「ミリアムおこってない。グニロバカ」
 グニロが話し掛けても、ミリアムは寝台の上で膝を抱えて蹲り、こちらを見ようとしないまま非難してくる。
「おい」
「グニロバカ」
 今度は、話し掛ける前に打ち切られてしまい、グニロは物も言えなかった。いつぞやとは違い、今のミリアムは完全に機嫌を損ねているようだった。
(そんな臍を曲げるほどのことでもねぇだろ……)
 ミリアムの食い気については、この数日間で嫌というほど理解させられたつもりでいたが、まだ上があったようだ。
(……なんて、のんびり考えてらんねぇか)
 相手は、こちらの常識や理解が及ばないかもしれない生物なのだ、その怒りが、どのような形でこちらに及ぶのか予想もつかない。そう考えたグニロは、急いで干し肉を机の上に並べて声をかける。
「ミリアム、飯は――」
「くう!」
 と、ミリアムは吠えるように応えた。そこは変わらないのか、と妙な安堵を覚えつつ、彼女の小さな背中に確かな拒絶を見たグニロは、言葉にし辛い痛みを胸に覚えるたのだが、今は直視しないようにしていた。
(どうすっかなぁ)
 一番の問題は、ミリアムである。『食う』とは言ったが、こちらに来る様子はないし、かといって近寄ってもいいようには思えない。このまま、自分がここにいたら手を付けないのでは、と思えるのだ。
「なあ、ミリアム」
 返事を得られないまま、グニロは「俺、今から村に行ってくるから、ここにいててくれよ」と続け、扉の脇に横たわる猪――先日、またミリアムが獲ったものである――を担いで小屋を出た。
 扉を閉めてもすぐには小屋を離れず、グニロは扉に片耳を押し付けて、中の――厳密にはミリアムの様子を窺った。
 最初は、これといって何も聞こえなかったが、ある時を境に床を踏む音、ゆっくりと歩く音、椅子を引きずる音などが聞こえてきた。
(食ってるな)
 そのことを確かめたグニロは、猪を担ぎ直して聖レニの村まで歩いていく。
 日が高くなるにつれて、冷ややかだった空気が夏の始まりを思わせる、熱を帯びたものへと変わっていく。いつしか額に浮かんでいた汗を拭きつつ、グニロは聖レニ村を囲むように植えられたニチリンソウを見た。五日ほど前とは違って、少しずつだが咲いてきている。
 ミリアムと遭遇してから六日しか経っていないことに気付き、「長いようで、短いもんだよな」とグニロは笑う。
(そりゃまあ、“人喰い”と一緒に住んでりゃ六日でも長いよなぁ)
 グニロも、最初はいつ死んでもおかしくないと思っていた。しかし、ミリアムといる時間が一日、二日と長くなるにつれ、そうした危機感が薄れていき、今朝にいたっては“人喰い”の少女相手に喧嘩をしているのだ。慣れとは恐ろしいものである。
(平民で、こんな生活をしてるのは俺ぐらいのもんだ)
 そう思い、こみ上げるおかしさをかみ殺すグニロだったが、そのミリアムがまだ不機嫌な状態にあるかもしれないことを思い、気持ちを改める。
 まだ、どれだけこの生活が続くのか分からないのだ。このままでいるというのは、非常によくないだろう。
(……早めに機嫌取っといてやらねぇとな)
 そのためにもと、グニロは足早に雑貨屋へと向かう。他の村人達は各々の仕事に従事しており、猪を担ぐグニロの姿など見ていない。
「よう、リシャール」
「……またか。精が出るねぇお前さんも」
 グニロの担いだ猪を見て、リシャールはため息混じりに出迎える。
「一応、忠告しとくが、あんまり派手にやるなよ。真っ先に目ぇ付けられるのは俺とお前なんだぞ」
「分かってるよ」
 いくら密猟を見逃すことが暗黙の了解になっているとはいえ、神父や狩人も馬鹿ではないことをグニロも知っている。度が過ぎれば、必ず目を付けられるだろう。
(つっても、ミリアムが獲ってくるんだからなぁ……)
 最初に獲ってきたのを褒めたせいか、昨日ミリアムはまた猪を獲ってきた。先の理由もあって『もう獲らなくていい』と彼女には言ったのだが、『なんで?』に始まり、説明しても『わかんない』と返され、最後には『いや?』と少し悲しそうに言ってくるので断りきれず、結局昨日は三頭目の猪を獲ってきたミリアムを褒めることになった。
 そんなことを告げられるわけもなく、「だけどまあ、この頃は何かと物入りでよォ」と、事前に用意しておいた言い訳を返しておく。
「ほほぅ?」
 リシャールの目が、光った。
「な、何だよ?」
「お前、女でも出来たか?」
「っ!? はぁ!?」
 いきなり核心に近いところをつかれて焦るグニロを見て、リシャールは「やっぱりな」と得心顔で頷いた。
「あんなに物欲のなかったお前が、近頃は何かと売りに来る。物入りになってる理由となれば当然、女か厄介事のどっちかが出来たってことだろうけど、お前絡みの揉め事なんて俺の耳には入ってきてねえ。ってなれば、残ってんのは一つだ。そうだろ?」
「あ、あのな……」
 と反論を試みるグニロだったが、あながち間違っていないので何も言い返せず、口をもごもごと動かすだけであった。
(だいたい、あいつは、別にそんなんじゃ、ねえんだ)
 その内心で思うのは、ミリアムのこと。
(そりゃあ、いつの間にか当然のように一緒にいるし、何故だかやたらとくっ付いてくるし、最近は一緒に寝てるけど、でも別に、だからって、あいつが俺の女ってわけじゃねぇし……まあ、そもそもあいつだってどう思ってるか、知らねぇわけだし……)
「――で」
 取り留めのない思考に耽るグニロに、リシャールは得心顔のまま、一歩詰め寄ってくる。
「相手は誰なんだ? 向かいンとこの婆さんの孫か? それともジャックの姉貴は……ありゃ駄目か、もう旬を過ぎてる。あ、肉屋のエレーヌはやめとけよ? あそこの親父は心底娘を溺愛してっからな、いつぞやなんかは、教会の神父様まで睨まれてたぐらいだからな」
 それとも、とリシャールは相好を崩す。
「うちの、マリーかい?」
「何言ってんだよ」
 予想通りの冗談に、グニロは歯を剥き出しにして笑った。友人の性格は、よく心得ているつもりだった。
「何って……まあいい」
 食い下がるかと思われたリシャールは、しかし淡白な言葉で打ち消し、「猪はそこに置いとけ」と告げるだけだった。グニロがそれに従って床に下ろすとそれを一瞥し、そのまま視線だけをこちらに向ける。
「……ま、この前のよりは小さいが、傷は頭だけみたいだし、前と同じ勘定でやってやるよ。支払いは、また半分は干し肉でいいのか?」
「おう、頼むぜ」
 分かった、とリシャールは返して、店の奥に「おい、袋だ」と声を張り上げる。今日はマリーではなく、枯れ木のように老いた男が袋を抱えてやって来た。彼はリシャールと、それから気付かなかったかのように遅れてグニロに一礼すると、黙々と袋に干し肉を詰め始める。兄妹の話に時々出てくる、使用人の一人なのだろう。
「――お、そういえばな」
「あ?」
 使用人の作業を横目に見ながら、リシャールが両手を膝で打ち鳴らし、「一つ、凄い話を聞いたんだ」と告げる。
「お前、“人喰い”って知ってるよな?」
 “人喰い”――突然放られたその言葉に、グニロの身体が跳ねた。声が震えるのも構わず、「ああ」と答えた。
「おいおい、そんなに構えるなよ。怯えすぎだぜ」
「あ、ああ」
 そう言われても、今のグニロには無理な相談である。幸いにして、リシャールはグニロにとって都合のいい解釈をしたらしく、意地の悪い表情を崩さず話を続けた。
「この前、町まで出た時に聞いたんだが……奴らが出たんだってよ」
「お、おう」
 グニロはまだ動揺を隠せないまま、それでも何とか相槌を打とうとする。そんな様子をリシャールは「そう怯えるなよ」と笑う。
「奴さんが出たのはこの辺じゃなくて隣の――ヴァンダルの方らしいぜ?」
「お、おう……そう、なのか」
 隣、と言われても、グニロには分からなかった。彼は友人とは違い、生まれてから一度も聖レニの村と西の森から出たことがないのだ。
(それより、“人喰い”のことだ)
 今のグニロは、そのことに集中して耳を傾けていた。
「で、その“人喰い”が群れで暴れ回っていたもんだから、随分と被害が出たらしいな。村だか町だかは食い散らされた人間や家畜の死体の山、家が壊されたって噂も聞いてるね」
「おう、おう……」
 そのせいだろうか、一つ一つを真面目な表情で頷いていると、リシャールは「そう心配するなよ」と、今度は心配そうに言ってくる。どちらかというと、人を小ばかにしたような言い回しであった。
「聞くところによるとな、その“人喰い”の群れはもう退治されちまってんだとよ」
「退治された?」
「そうさ。流石の“化け物”も、あのヴァンダル帝国軍には敵わなかったってことかねぇ」
 と、楽しそうに語るリシャールの言葉は、もうグニロの耳に届いていなかった。
 最近に退治されたという“人喰い”。そして、やはり最近、川上から流れてきたミリアム――細かい理屈は分からないが、この二つはくっ付けて考えてもいいような気がしてならない。
(やっぱりあいつ、“人喰い”だったのか?)
 そうだとして、もしリシャールの話が本当なら、ミリアムの仲間はその殆どか、もしくは全員が死んでしまったことになる。
(……それじゃあ、あいつ()、殆ど独りぼっちになったんだな)
 ふと、そんな考えがグニロの頭を過ぎる。そして同時に、あの少女がそれを知った時、どうなるのかとも――
「だんなさん」
「ん? おお、ご苦労」
 使用人の男が、もぞもぞと喋りながら差し出す袋をリシャールは受け取ると、懐から取り出した硬貨と一緒にそれらをグニロへと渡した。
「おう、ありがとよ」
「今度は、マリーがいる時にでも来てくれよ」
 飽きもせずに同じ冗談を繰り返すリシャールに「バーカ」と返して、グニロは雑貨屋を後にする。
 日が高くなりつつあると、ニチリンソウの手入れに勤しむ農夫とその家族もその手を休め、川に足を浸したりして身を休ませていた。聖レニの祝祭が近いので、全員熱心に働いているのだ、ああして休みたくなる気持ちも分かる。
(もし、あの連中までいなくなったら……)
 と、グニロは想像してみた。その中では、まず衝撃が、次に深い悲しみが押し寄せてくる。
(あいつは、それよりもっと辛いんだろう)
 そう思うと、今のミリアムにリシャールから聞いたことを教えない方がいいだろう――と、結論を出した。そもそも、昔のことを覚えていないのなら、伝えても分からないはずだ。
(ま、今のあいつが俺の話を聞いてくれるとは思えねぇけどな)
 そう自嘲気味に呟いたグニロは、川沿いの道を、森の中の小屋へと向かって歩いていくのだが、
「あ?」
 その道中、グニロは妙なものに気付いて立ち止まる。進む先、道端の繁みに、灰白色の塊が垣間見えるのだ。
(あれって……)
 その塊が何なのか、グニロには察しが付いていたが、とりあえず無視して通り過ぎた。それに続くように、繁みで何かが動いた。
 暫く進み、川から離れて森の中へ入ってから立ち止まり、周囲に視線を巡らせる。今度はトチの木の陰から、灰白色の髪が覗いて見えた。
(やっぱりミリアムか)
 その正体を確信しつつ、グニロは敢えて触れずに先へ進む。「あ」という声も聞こえてきたが、ちょっとした意地の悪さが彼に脚を止めさせなかった。
(何してんだろうなぁ……あいつも、俺も)
 そして小屋まで戻ってきて、グニロは振り返る。ミリアムは、一番近くの木の陰から身を半分以上覗かせて、こちらを窺っていた。最も忌み嫌われている生き物とは思えないほど、その様子は小さく、弱々しい。
「……あー」
 グニロが声を発した途端、びくっとミリアムは身体をすくめる。その様子は、罪悪感と怯えが一緒くたになっていて、とにかく気まずそうに見えた。その様子に奇妙なおかしみと、微かな安堵を覚えつつ、グニロは袋を足元に置き、干し肉を取り出す。
「ほら、やるよ」
「にくっ!」
 食欲には勝てないのか、干し肉を見たミリアムは、つんのめりそうになりながら駆け寄ってくる。
「なあ、ミリアム」
「う? ……あ」
 嬉しそうに干し肉を受け取ったミリアムは、グニロに声をかけられると、また気まずそうな表情になって俯いた。その様子がまたおかしみを生んで、グニロもばつが悪そうに笑いながら彼女の頭に手を乗せた。嫌がっている様子は、ない。
「今朝は……まあ、ごめんな?」
「……うん」
 干し肉を齧ろうとせず、ミリアムはグニロを上目遣いに見ながら、小さく応じた。
「ミリアムあやまる。グニロごめん」
「おう」
 笑みを深めて返すグニロに、まだ弱々しい表情のミリアムは「グニロおこってない?」と尋ねてきた。もう一度グニロは「おう」と頷き、髪を掻き回してやる。
 撫で始めた時は、まだ変化がなかった。しかし、ミリアムは雪解けのように表情を綻ばせていき、「グニロいたい」と訴える頃には、だいぶ和らいでいた。
(一応、あれから気にしてくれてたんだな)
 そう思うグニロの表情も、自然と和らいだ、力の入らないものになった。
(……まあ、この先どうなるかは分かんねぇが、仲がいいに越したこたねぇもんな)
 そうやってグニロが内心で整理をつけていると、ぎゅう、という音がミリアムから聞こえてきた。腹の虫である。
「……飯にすっか」
「うん!」
 ミリアムは恥ずかしがる様子もなく頷くと、いきなり背後からグニロの首に飛び付いてきた。例によって、柔らかさや温もりよりも、重さの加算された衝撃の方が強烈であった。堪らず、グニロは呻いた。
「お、おい! だからくっ付くんじゃねぇ!」
「えへへ」
 しかしグニロの苦情は届かず、首筋に柔らかい何かが押し付けられるだけであった。どうやらミリアムは、負ぶさろうとしているらしい。
(で、でもまあ、これでいいんだよな)
 いつも通りの関係に戻れたことを安堵したグニロは、ミリアムの脚を支え、ちゃんと背負ってから小屋に帰る。
「ただいま」
「たでーまー!」
 と言葉を拙く真似るミリアムに「ただいま、だっての」とグニロは訂正し、手に入れた干し肉の幾つかを袋から出す。
「にくっ!」
 早速、ミリアムが食欲を発揮する。グニロの背中から飛び下りると、席に着いて干し肉に齧り付く。
「ぜ、全部食うなよ。パンも出すんだからな」
 グニロが慌てて注意するも、ミリアムは「うん!」と返しながら平らげていく。勢いの衰えない食べっぷりに、早くもグニロは諦めることにした。
「グニロ、もっと!」
「だから、慌てて食うなって言ったろ? もうそれでお前の分は終わりだからな」
 相変わらずの尽きない食欲に苦笑しつつも、グニロはそれ以上の干し肉を与えなかった。「えー!?」というミリアムの非難を何とか聞き流して、暖炉の前に屈む。
「待ってろよ。火が点いたら、すぐにあったかいパンを食わせてやっからな」
「……うん」
 不満そうな声だが、ミリアムは頷いた。それに安心して、火打石で火を熾そうとしているグニロの背後から「えい」とミリアムの声が聞こえた直後、何かが肩に圧し掛かかってきた。
「ミリアム?」
「えいっていったもん」
 やはり、ミリアムであった。押し付けるように身体を預け、グニロの肩越しに手元を覗き込んでいる。右頬には、彼女の肌や髪が、鼻には、彼女の匂いが、それぞれ感じられた。
(ったく、ノンキなもんだぜ)
 よく見えていなくても、グニロにはミリアムの動作や状態が、何となく分かっていた。伝わってくる、という表現の方が正しいかもしれない、とグニロは考えている。
(……まあ、今まで必死になって見てきたからな)
 と自嘲気味に苦笑しながら、グニロは火種を薪に移した。火が燃え移ると、薪は小さく爆ぜる。
「で、ここにパンを乗っける」
「のっける」
 予め用意してあった二つのパンを、暖炉の上部にある鉄板に乗せた。煙突に続く穴が暖炉の奥にあり、煙はそちらへと流れていくようになっているのだ。理由はグニロにも分からないが、暖炉はその役目を確かに果たし続けてきた。
「あとは、パンが温かくなったら乾酪を乗っけて、そいつが蕩けるのを待ってから食うんだ。美味いぞ」
「うまい?」
 ミリアムがグニロの肩から更に身を乗り出して、顔を覗き込み、尋ねてくる。「おう、美味いぞ」と繰り返してやると、ミリアムは「はー」と感嘆の息を漏らし、暖炉のパンを楽しそうに見つめていた。
「まだかなー」
(……本当に、ノンキなもんだよ)
 時折、屈託のない呟きを洩らすミリアムを見て、グニロが思い返すのは、友人から聞いた話。
(やっぱり、今のこいつにゃ教えらんねぇ)
 グニロは、望んでいた。何よりもおぞましく、危険な存在であるはずの少女が、悲しみや辛さで傷つかずに済むことを。
(そうできるなら、何でもやってやるよ)
 ミリアムをすぐ傍に感じている今、その感情はグニロの中で、今までにないほど熱く、強く、激しくなっている。
 だからだろうか。ついグニロは、こんなことを言う。
「なあ、ミリアム」
「う?」
「お前は、ずっとここにいていいんだぞ」
「ずっと?」
「ああ、ずっとだ」
 ミリアムが聞き逃してしまわないよう、グニロはもう一度、ゆっくりと伝えたつもりだったが、今度は返事も相槌もないまま、時間が過ぎていった。薪の爆ぜる音が、やけに大きく聞こえる。
 この沈黙は、耐え難い。
(もしかして)
 少しずつ、井戸の底に投げ込まれたような、暗くて冷たい気持ちが、足元からゆっくりと上ってくる。
(ああ畜生、いきなり俺は何を言ってるんだよ!?)
 我に返ると、急に恥ずかしさがこみ上げてくる。「お、お前さえ、そう、お前さえよけりゃ、ってぇ話なんだけどな?」と、取って付けたように告げるも、直後にそれが無用だったと気付かされる。
「……うん!!」
 という返事以上に、ミリアムの行動は雄弁だった。ぎっ、と今まで以上の力でグニロの首を締め上げ――もとい、抱き締めてくる。その強力な締め上げで堪らずグニロは仰け反り、火打石を取り落とした。今度は自分の方が彼女に身を預ける形になり、容赦なく抱きかかえられる。
「ミリアムうれしい! いっぱい、いっぱいうれしい!!」
「ぁ、が……っ!?」
 呼吸が満足にできず、視界が暗くなっていく。以前、ミリアムに「好きだよ」と言って以来の、久しぶりに覚える生命の危機だった。しかも、感じる腕力はあの時の比ではない。遠慮なく発揮される腕力の前に、グニロの首はいつ砕けてもおかしくなかった。
 それを配慮してくれたのか、ミリアムはグニロを開放する。やっと呼吸できたグニロに、しかし休まる時はない。
「グニロ!」
「はあ、はあ……あン?」
「ん」
 グニロは、戸惑った。何とか身を起こす彼の前にミリアムは回ってくると、顔を差し出すように軽く顎を上げて、瞼を閉じる。
(こ、これって……)
 接吻――そんな単語が、グニロの脳裏に閃いた途端、顔を暖炉に突っ込まれたかのような、猛烈な熱さに包まれる。
(い、いや、別に、いや、そう、別に、そうって、決まって、いる、わけ、じゃ)
 当然、その熱でグニロは平静さを保つことなどできない。ミリアムが求めていることはおろか、自分が何を考えているのかも分からなくなっている。
「グニロやるの!」
「お、おう」
 そんな中で、ミリアムに急かされるのだから堪ったものではない。半ば自棄になりながら、グニロはミリアムの瑞々しい唇に、自分のそれを重ねた。
 温かさ、しっとりとした感触までは感じたグニロだったが、耐え切れずにすぐ顔を離す。甘い匂いと味が、グニロの口に残っていた。
「はぅ……」
 ずっと呼吸を止めていたせいか、深々と息を吐いていると、ミリアムも悩ましい息を吐く。僅かに目が細められ、脱力した様子を見せたが、それも束の間、
「ちがう!」
「は?」
 何故かミリアムは、不満を露わにしていた。
「くちとくちちがう! はなとはな!」
「鼻ァ?」
 と思わず、素っ頓狂な声で訊き返す。その一方、内心では接吻されたことを嫌がっているわけではないのかと、密かに安堵していた。
 しかし、ミリアムの不満は消えていない。接吻の直後に垣間見せた艶っぽさは完全になりをひそめ、駄々をこねる幼子のようにグニロの巨躯を激しく揺さぶる。
「グニロやるの! やーるーの!」
「……分かったよ」
 言っても聞ききそうにないので、仕方なくグニロは自分の鼻先をミリアムのそれに押し当てた。接吻とは違い、些細で幼稚な行為のはずなのに、妙に気恥ずかしかった。ましてや、相手は人間ではない。“人喰い”のミリアムだというのに。
「……えへへ」
「な、何だよ」
 まさしく目と鼻の先で、ミリアムが微笑んだ。いつもの無邪気な、子どもっぽい笑みとは違うように見えるのは、錯覚なのだろうか。
「グニロ、かおあかいね」
「は――」
 顔から火が出る――この言葉の意味を、グニロは体感する。痛みを伴わない、純粋な熱が頬に、額に噴出し、熱した炭のように留まっていた。
 思わず、グニロは突き放すような言葉を吐き出した。
「ば、バカ! 何言い出すんだお前!?」
「ミリアムうそいわない。グニロかおあかいよ?」
 くすくすと、やはりミリアムはこれまでの彼女らしからぬ笑い方をしながら、流れるような視線をグニロに向けてくる。
 どうにも、様子がおかしい。接吻の時とは違い、落ち着きがないというか、今のミリアムは、初めて飲んだ酒で酔った人間に似ていた。彼女も、鼻先を触れ合わせて浮かれているのだろうか。
(――っは!?)
 ごく自然に『彼女も』と思っていたことに、グニロは愕然となった。
(お、俺は……)
 いつの間にか抱いていた気持ちを振り払おうと、グニロはミリアムを引き剥がした。首を傾げるミリアムの表情には、怒りも悲しみもなく、ただ純粋な疑問だけが感じ取れる。
「グニロ?」
「な、何でもねぇよ」
 嘘だった。何でもあるからこそ、ミリアムから離れたのである。
(ったく、さっきから馬鹿か俺は!?)
 グニロは、ミリアムに邪な気持ちを抱いてしまったことを激しく自責していた。
 今の彼にとって、ミリアムとは護ってやりたい存在であると同時に、根底においては、やはり“人喰い”という一線を超えてはならない――ように思える――相手なのだ。
 少女としてのミリアム。“人喰い”としてのミリアム。その二つを前に、彼女を護ろうとするグニロの気持ちは、揺れ動いていた。
(……このままじゃ、ダメだ)
 気持ちが一つ所に留まらないというのは、自分としても、何よりミリアムにとってもよくない。
「グニロ? グーニーロー?」
「……あ?」
 ミリアムが、心配そうにこちらを見ている。グニロをどうにかしたいが、どうしたらいいのか分からない――そういう、顔だった。
「あ……悪ィ、大丈夫だ」
 何とかごまかし、「乾酪を用意しとかないとな」と言って立ち上がると、グニロは机の上に置きっ放しだった乾酪を手に取り、そのまま手の上で乾酪を切り分けようとした。
(だいたい、今の俺が……ミリアムを、どうこう思う、ってのは、間違ってるんだ。今の俺には、まだ、そういうことってのは……)
 揺れる心を、グニロは懸命に静めようとするが、どうしても駄目だった。彼がそうしようとすればするほど、頭の中をミリアムの、鼻と鼻とを触れ合わせた時の微笑みが過ぎっていくのだ。回を重ねる毎に鮮明さを増していくその微笑みは、遂にグニロの手元を狂わせるに至る。
「っ」
 親指の根元に生じる、薄く鋭い痛み。それが乾酪を切ろうとしていたナイフだと気付く前に、手が勝手に引いていた。そのお陰で大事には至らず、線状に血が滲んだのと、乾酪を床に落としただけで済んだ。
「どしたのグニロ!?」
 すぐさま、ミリアムがグニロに飛びつき、心配そうに手元を覗き込もうとしてくる。怪我よりも、その強靭な力で服を引っ張られることの方がグニロには辛かったが、そんなことを口には出さない。
「いや、大丈夫だ……いてて、ちょっと指を切っただけだ」
 と応えても、ミリアムは「どしたの」と何度も繰り返してやめない。仕方なく、グニロは傷口を見せてやることにした。
「ほら、何ともないだろ?」
 と、少々おどけた口調で言うも、ミリアムは聞いていない。少なくともグニロの目には、そう見えていた。
「……ミリアム?」
 何やら、様子がおかしい。ミリアムは、じっと――まさに『食い入るように』グニロの傷口と血を凝視している。その瞳は灰白色のままだったが、かつて見た紅色の瞳に通じる、危険な色彩を帯びている。
「ミリアム……おい、ミリアム!?」
 理屈は分からなくとも、危険は分かった。グニロが大声でミリアムの名を呼び続けると、やっとミリアムは「……う?」と洩らしてこちらを見る。寝ぼけたような眼だったが、先程までの恐ろしさは感じなかった。脱力し、一息吐くグニロを、ミリアムは寝ぼけ眼のまま見上げ、首を傾げる。
「グニロ?」
「何でもねぇよ……ああ、何にもな」
 ミリアムが再び傷口を見てしまわないように隠しながら、グニロは頭を撫でてやる。どうして自分が撫でられているのか、分かっていない様子のミリアムだったが、それでも気分はいいらしく、「んふー」と息を漏らす。
「へへ……ん?」
 そんなミリアムにグニロは愛想笑いを浮かべかけるが、今度は漂ってくる異臭に顔をしかめた。何というか、焦げ臭いのだ。
「……っああ!?」
「う?」
 ここでグニロは、自分が温め直していたパンが、ぶすぶすと煙を噴いているのに漸く気付いた。
「いけねぇ、やっちまった!」
「やっちまったー?」
 慌てて暖炉からパンを取り出すも、二つのパンはすっかり焦げて縮まり、おまけに硬くなっていた。
「美味いパンを食わしてやりたかったのに……」
 と言ってうな垂れるグニロを見たミリアムは、「グニロへんー!」と、それまでの一件などなかったかのように、無邪気に笑う。


 ヴァンダルとフェリュースト、両国を結ぶ北の町、トラスに拠点を構え、聴取と調査を繰り返し、遂に遂に有力な情報を掴んだ。
 この辺りのフェリュースト人が『トゥルネソル』――即ちヒマワリソウの村と呼ぶ集落の傍を、あの川が流れているという。そこは例の浅瀬がある流域とも重複している。現段階では“人喰い”に関係のある情報は得られていないが、調査に赴く価値は十二分にある。
「どうしても、行くのね」
「む」
 未練がましい女に、誤解を生じさせないよう簡潔に伝えてやると、彼女は「ああ……」と喘ぐような声を上げて跪き、祈りの仕草を始める。男の知識が正しければ、それは赦しを乞うための仕草だった。
「御赦し下さい」
 誰にともなく、女は呟いた。男の知識は正しかったのだ。
「……何を言っても、貴方はそう返すのね」
「約は既に果たしている。留まる理由はない」
 男は、刃物のような言葉で女の希望を切り捨てると、踵を返した。
「……そう。理由が、ないのね」
 背後に聞こえる女の言葉に、一つの意思が浮かぶ。
「なら――」
「忠告してやると」
 男は振り返らず、儀式の文言でも述べるように淡々と女へ告げる。
「お前が袖に隠しているそれ( 、、)では、俺を止める理由にはなり得ん」
 息を呑む気配が伝わると同時に、女の深々としたため息が聞こえる。それは熱を帯び、色づいているようだった。
「……最後に、いいものを頂けたわね」
 金属音。涼やかなものと、鈍いものとの二種類。音がほぼ同時に聞こえたのは、床と敷物との境目に落ちたからだろう。
「ねえ」
 またも、背後から女の声。熱を帯びていながらも、哀切な響きを含んでいる。
「貴方の名前、教えて下さる?」
 応えず、教会の扉を閉ざした。


 夏が近づくにつれて、夜の森や川では虫や蛙等の鳴き声が大きくなり、賑やかさを増していく。
 それに比べれば、グニロ達の寝起きする小屋の中は寝台の上で大小二つの寝息が聞こえる以外に物音はなく、静かだと言えた。
 時折、雨戸の隙間からは青白い光が射し込んでくる。今宵は雲が厚いのか、光はすぐに薄れ、暫く経つと再び射し込む。
 そうした光の中、グニロの腕を枕に眠っていたミリアムは、静かに瞼を開くと、そのまま音をたてずに寝台を降り、小屋を出た。
 今宵は、満月だった。彼女が仰いだ天の真上には、金色に光る、丸盆のような月が顔を出している。小屋の中にいても聞こえてきた虫達の鳴き声は、今は聞こえない。青白い光に照らされる森の中で聞こえる音は、ミリアムが草や土を踏み分ける音だけだった。
 向かった先は、川辺。今の彼女の記憶の中では、一番古い場所――すなわち、初めてグニロと出会った場所だった。
 ミリアムは黙って、川面を覗き込む。ちょうど空には雲がなく、月光は川面を照らして鏡のようにしていた。そこで朧に映るのは、表情を曇らせた、灰白色の髪の少女。
「あなた、だれ?」
 誰にともなく、呟いた。
 自分には、ミリアムという名前があった。グニロがつけてくれた名前。グニロがくれたから、自分はミリアムなのだ、と強く思っていた。
 それなのに、近頃は何かがおかしかった。何がおかしいのかも分かっていないのにそうだと思えてしまう、二重のおかしさだった。
 目の前のものが、全て本当のものに思えない時があった。何か、大事なものが不足しているように思えて仕方ないのだ。
「グニロ……」
 知らず知らずのうちに、ミリアムはすがるような気持ちで、グニロの名を読んでいた。
 グニロのことは好きだった。それは、はっきりと分かっていたことだった。一緒にいると、お腹がいっぱいになるのに似ていたが、それとは違った、もっと大きくて温かな気分になれたのだ。今では、それをグニロにも一緒に感じてほしいとさえ思っている。
 だが、
(グニロ、ほしい……)
 この『ほしい』は、全く別の気持ちなのだ。何故なのかは分からなくとも、彼女はグニロを好きだという気持ちと同じくらいはっきりと分かった。
 全てのきっかけは、この『ほしい』という気持ちだった。この気持ちが生まれたのを境に、『何かがおかしい』という気持ちも彼女の中で生まれていた。
 前までは、この気持ちを抑えようともしていた。怖かったのだ。いつか、この気持ちをどうすることもできなくなってしまうのではないかと思うと、怖くて仕方なかったのだ。
 そのせいで、先日は苛立ったような振る舞いをしてしまい、グニロを怒らせてしまった。嫌われたかと心配していたが、グニロは許してくれた。やっぱり、グニロは優しい。
(……グニロ、やさしい)
 そんなグニロを、失いたくない。離れたくない。ずっと傍にいたい。いてほしい。
(グニロ……)
 ぎゅう、という音がした。出所は分かっている。自分の、お腹からだ。
(おなかすいた)
 ぎゅうぅ、とまた聞こえてくる、お腹の音。今度は、さっきよりも大きい。まるでお腹の中には別のものがいて、それが寄越せと急き立てているようだった。
(おなかすいた)
 お腹の中の『ソレ』が、何を求めているのか分かっていた。考える必要もない。
 雲が月を隠す頃、その姿はあの小屋の、眠りこけるグニロの前にあった。グニロを見つめるミリアムの心は、二つの意味で彼に飛びつくことを促していた。
 再び月光が小屋を照らす。その中で彼女の瞳は、血を連想させる、見事な紅色をしていた。
 ゆっくりと、音をたてずにミリアムはグニロの胸に手をつき、もう片方の手を――
「……んご?」
 ミリアムが、グニロの胸に手をついていたからだろう。グニロは目を閉じたまま、「……ミリアムか?」と問い掛ける。彼が目を閉じていると分かっていても、思わずミリアムは目を伏せて「うん」と頷いた。
「早く寝ろよ? 起きてても腹が減るだけだぞ」
「……うん」
 ミリアムは頷いて、グニロが空けた場所に横たわる。だが、さっきまでのように、グニロの腕や胸を枕代わりにしようとはしなかった。



「グニロどこいく?」
 席を立ったグニロに、ミリアムの追求がくる。既に彼女も席を立ち、ついて行こうとしている。
「あ? いや、村まで買い物にな」
「かいもの!? じゃあにく! グニロにくかって!」
「言うと思ったよ」
 どこまでも自らの欲求に正直なミリアムに苦笑しながら、グニロは彼女の頭に手を置き、くしゃくしゃになるまで掻き回してやる。ミリアムは「グニロやめるー!」と言って抵抗してみせるが、それが嫌がってやっているわけではないのだとグニロには分かっていた。
「悪い悪い」
 掻き回す手を止め、グニロは扉に手をかける。
「じゃ、大人しくしてろよ?」
「うん!」
 というミリアムの朗らかな声に見送られ、グニロは小屋を後にする。
 空は、三日ぶりの快晴だった。雲は遠く、東へと向かって流れていく。空の上でも風が吹いているのだと、改めて感じ取る。
(もう、十日目か)
 そうした中で、グニロは過ぎていった日にちと、自分達のことを思う。
 ミリアムはグニロを圧倒するほど元気で、呆れるほど食い意地が張っていた。そして相変わらず、雨が降るとグニロに身を寄せてくるのだが、やっと慎みを覚えたのか、この頃はやたらと密着してこようとはしない。
(……まあ、普通の人間に近づいてンのはいいことだよな)
 そんなことを振り返りながら、グニロは平和が続いていることを感謝し、天に祈ろうとして――その手を、止めた。
(どうせ、神様は許しちゃくんねぇもんな)
 何しろグニロは、異端中の異端である“人喰い”を庇うと決めているのだ。そんな者の祈りなど、如何に神様だろうと受け付けてはくれないだろう。
(あいつのことは、俺がどうにかしてやればいい)
 言葉こそ軽くとも、グニロの決意は固かった。
 心細くても、今のミリアムにはグニロしかいないのだ――そう思うだけで、グニロは自分の内側から力が湧き上がってくる。今の彼にとって、ミリアムは避けるべき脅威ではなく、護るべき対象へと変わってきていた。
(だからまあ、たまには干し肉以外の肉でも買ってみるか)
 そして同時に、相変わらず手のかかる存在、という風にも思っていた。そんなことを一緒に考えている自分に気付いて、グニロは笑みを漏らす。
(っと、いけねぇ。早く帰ってやんねぇとな)
 自分の右頬を軽く叩いて、グニロは朝靄の残る森を抜けて川沿いの道に出る。川を覗くと、何匹かの魚が泳いでいる。聖レニの祝祭も、そんなに遠くないだろう。
 その祭りを執り行う、聖レニの教会が見えてくるのと同時に、ニチリンソウの黄色も見えてくる。これが真夏の頃には村中を埋め尽くし、村全体が、まるで黄色い一つの花のようになるのだ。
 そうした景色を眺めながら、グニロは村の西側に架かった橋を渡ろうとしたのだが、
「――おい、そこのお前」
「あ?」
 無愛想な声に呼び止められたグニロは、村の出入り口からこちらへと歩いてくる、マントに身を包んだ男に息を呑んだ。
(な、何だこいつ?)
 凛々しい、と言うには鋭すぎる容貌だった。銀色の髪と、顔の左半分を覆う黒い眼帯の印象が強いためか、若々しくも、年老いているようにも見えた。大柄なグニロに並ぶほどの長身だが、比べると体つきは細く、こちらが屈強なら、あちらは精悍という言葉が相応しい。
 男は、グニロの無遠慮な視線を気にした様子もなく、淡々と用件を切り出した。
「灰白色の髪を持ち、頬に刺青のある娘を知らないか?」
 途端、心臓が跳ねるのをグニロは感じ取った。
 ミリアムの横腹には、大きな裂傷があった。“人喰い”である彼女にあれだけの深手を負わそうと思ったら、並の腕前では不可能だろう。
(もしかして、こいつが?)
 眼前に立つ男の、全身から漂う剣呑な空気が、不可能ではないと肯定していたように思えた。マントの間から見える長剣の柄も、グニロが愛用していた斧のそれと同じく、長期にわたって使い込まれた痕が見られる。
(……やっぱり、こいつなのか?)
 だとしたら、記憶を失っている今のミリアムが、この男に抵抗するのは難しいかもしれない。それどころか、あっさりと殺されてしまうかもしれない。
「知っているのか、知らないのか、答えてもらおうか」
 ずっとこちらを凝視している男は、焦った様子もなく、氷のように冷たい口調で再び問いかけてくる。
(それにしてもこいつ、なんて嫌な目をしてやがるんだ)
 男の隻眼は、こちらの考えを全て読み取ってしまいそうな光を秘めていた。蛙を睨む蛇というのは、こうした目をしているのかもしれない。
 何か、言わなくては――懸命に意志を動員したグニロは平静を装いながら知らないふりをしようとする。
「さ、さあな? そんな奴なんて見たら忘れねえとは思うが、いや、知らねえなぁ」
「む、そうか」
 あからさまに怪しく見えるグニロの態度を追及しようという素振りさえも見せず、男はグニロが出てきた雑貨屋へと消えた。
 安堵の息を漏らしかけて、しかしグニロはまだ事態が解していないことを思い出す。
(そ、そうだ。こうしちゃいられねえっ。早くこのことを、ミリアムに知らせねえと!)
 そう思ったグニロは、一目散に小屋へと駆け出していた。


 小屋へ戻るなり、グニロは声を張り上げる。
「ミリアム!」
「う?」
 寝台に腰掛けていたミリアムは、笑顔のまま首を傾げた。グニロが帰ってきて嬉しいが、彼がどうしたのか分からないのだろう。
 そうした彼女の状態を察する余裕もなく、気持ちばかりが先走ったまま、グニロは自分が見聞きしたことを喋る。
「ぎ、銀髪の、顔の半分が、半分に黒い布を巻いてる男を、知ってるか!?」
「ぎん?」
「白い色だ。お前の髪と似たようなヤツ」
 と説明しながら、グニロはミリアムへと急いで歩み寄る。彼女の髪で例を示そうとしているのだ。
「っ」
「ミリアム!?」
 しかし、それはできなかった。ミリアムの表情に険しさが満ち溢れ、壁際に素早く飛び退る。その身のこなし、両手が床に触れそうなほど低く構えるその姿は、まるで人間の姿をした獣のようである。
「あいつだ……!」
「ミリアム、お前……?」
 彼女の行動、そして燃えるような敵意を宿した視線を前に、グニロはその場に縫い止められた。軽々に動くことは許されないと悟りつつ、それでも恐る恐る尋ねた。
 ミリアム、とグニロが口にした途端、眼前の少女から敵意が消える。彼女はゆっくりと構えを解いて「ごめんね」と、今にも泣き出しそうな表情で謝る。
「お前、まさか……思い、出したのか?」
「……うん」
 と、ミリアムは頷いた。先刻までの激しさが嘘のように弱々しく、消え入りそうな声だった。
「ミリアム、グニロのナカマ……たべた。いっぱい、たべた」
 唐突に明かされた、最大の疑問への答え。今まで訊きたくても、恐ろしくて訊けなかった問いに答えを得たはずなのに、グニロの胸中は中身を抜き取られたかのように、空洞だった。
(そうか、お前……やっぱり……)
 とるべき態度も、掛けるべき言葉も思い浮かばないまま、徒に時間が過ぎていく。
(……“人喰い”?)
 ここでグニロは、大事なことを思い出す。
 ミリアムが――恐らく、匂いだろう――強い反応を示したということは、ミリアムに傷を負わせ、更には彼女の仲間を退治したというのは、やはりあの男か、その仲間ではないのだろうか。
「……やべぇ!」
 こんな村では、すぐに見つかってしまう。それにあの男が独りで来ているとも限らないのだ。もし他に仲間がいれば、間違いなくグニロではどうすることもできない。
 逃げなくては――そうグニロが決断するのに、殆ど時間を要さなかった。
「お、おいミリアム、ボサっとしてる場合じゃ――」
「いいの」
 慌てふためくグニロとは対照的に、ミリアムは静かだった。落ち着いている、という感じではなかった。もっとよくない、例えば、何かを諦めたような、そうした――
「いいの……ってお前、どういうつもりなんだよ?」
「グニロはだいじょぶ」
 堪らず問い掛けたグニロにそう言って、ミリアムは微笑む。笑っているはずなのに、その表情はどこまでも痛ましい。
「俺の話じゃねぇ。お前のことだぞ、ミリアム」
 僅かに怒気を込めても、ミリアムは答えず、微笑んだままだった。その姿に不安が高まれど、安心などできない。どうして何も言おうとしないんだ。何を考えているんだ。
 やがて、ミリアムが口を開いた。ついさっき、「ごめんね」と謝った時に似た、しかしもっと重たい口調で。
「……ミリアムいく。グニロさよなら」
「っおい――」
 言葉は間に合わなかった。ミリアムは前に向かって倒れるような姿勢を見せた直後、グニロの脇を走り抜けようとしたのだ。
 間一髪、グニロの大きな手が、殆ど抜き去ろうとしているミリアムの腕を掴んだ。彼女が小屋の奥――扉から最も遠い位置にいたのが幸いした。
「はなして!」
「離すかこのバカ!」
 ミリアムはグニロの手を振り解こうと身を捻ったが、それ以上の激しい動きはしなかった。
 一歩も退かず、二人は睨み合う。ミリアムの灰白色の瞳には、厳めしいグニロの顔が映っていた。一時もそこから姿を消すまいとして、グニロは真っ直ぐに見据え続けた。
 根負けしたのは、ミリアムだった。細い腕からは力が抜け、代わりに「あいつ、こわい」と小さな声で告げる。
「あいつ、にがさない。あいつ、みんなころす。おとうさんも、おかあさんも、ナカマも」
「……じゃあ、その腹の傷をつけたのも、あいつか?」
 思わず、訊いていた。答えなくてもいいんだぞ、とグニロが言い出す前に、ミリアムは「うん」と頷いていた。服越しに右脇腹を撫でる表情は、暗い。
(あいつが、それを全部やったってのかよ)
 聖レニの村で見かけたあの男が独りで“人喰い”の群れを追い詰めて滅ぼし、更にはミリアムに深手を負わせた張本人なのだと知ると、改めてグニロは恐怖した。
 そしてその一方、
「……やっぱり、お前を行かせられねぇ」
 そんな恐ろしい男の許へミリアムを行かせてはならないと、決意を固めるのだった。
「っだめ!」
 ミリアムが、悲鳴に近い声を上げる。そして振り解こうとした手を、今度は彼女が掴んだ。その力は握り潰されそうなくらいに強く、痛みは骨にまで響いたが、グニロは耐えた。
「あいつこわい! グニロあぶない! ミリアムいや!」
「俺だって嫌だ!」
 ミリアムにも負けない大声で、怒鳴るようにグニロは返す。
「俺だって、お前をなくしたくねぇんだ! 大事な奴をもうなくさずに済むなら、俺は何だってやるぜ!」
 そう語るグニロの胸中にあるのは、病死した母だった。
 母の時は、まだ仕方ないと思えた。病とは、神に愛され、その御膝元に来ることを望まれた証なのだからと、神父様が教えてくれたからだ。
 だが、あの男は病ではない。忌み嫌われ続ける“人喰い”という生物を、神がその膝元にと求めるはずもない。ただ他の獣と同様に、殺そうとしているだけの、そういう男だ。
「あんな奴なんかに、絶対お前を殺させねぇ!」
「グニロ……ありがとう」
 意気込むグニロを前に、しかしミリアムはいっそう悲痛な表情を作る。その言葉にも、説得力はない。
「グニロ……でも……」
 掴んだ手の力が弱まり、ミリアムは目を伏せる。痛ましい微笑みさえ、今は浮かべていない。
「どうしたんだよ、ミリアム?」
 グニロが問い掛けてもミリアムは応えようとせず、俯いたまま「でも」と何度か繰り返した末に、何かを堪え切れなくなったのか、静かに口を開く。
「ミリアム、いっぱいたべた」
「おう」
 目を合わせようとせず、抑揚のない声でミリアムが告げる言葉を、グニロは正面から受け止める。
「……ミリアム、いっぱいころした、よ?」
「おう」
 その告白もグニロが同じように受け止めると、ミリアムは顔を上げた。何かを求めているようだが、しかしそれだけではないような、複雑な表情だった。
「ミリアム、ミリアム……」
 今にも泣き出しそうな表情で、今にも消え入りそうな声で、ミリアムは訴えた。
 グニロをたべたい、と。
「ミリアム、グニロすき。でもグニロたべたい。どっちも、いっぱい……!」
 最初の一言から、止め処なくミリアムは言葉を吐き出し続ける。
「ミリアム、でもグニロといたい。ずっといたい」
「おう」
「ミリアム、グニロたべたい。でもずっといたい」
「おう」
 泣きながらに、しかもムチャクチャで、まさにミリアムの気持ちがそのまま現れ出ている言葉に、グニロは一つひとつ応じてやる。
「……なあ、ミリアム」
 ミリアムの告白が途切れ、嗚咽ばかりが続くようになると、グニロはゆっくりと話し掛けた。ミリアムの身体が、震えて強張った。緊張にか、あるいは――恐怖にか。
「それでも、構わねぇよ」
「ぅ……?」
 戸惑うミリアムを、グニロは自分の懐に抱き寄せた。触れ合う箇所からは、柔らかな体温と、小さな震えが伝わる。
「お前が何者だろうと、俺にとってお前はミリアムだ。食い意地が張ってて、ちょっと我がままな困った奴で……俺が、何をしてでも護り通してぇ奴に変わりねぇ」
 静かに、しかし力強い言葉の後には、「それに」とどこかおどけた語調が続いた。
「どの道、お前を助けた時点で、俺ももうお前と同じになってたんだ」
「おんなじ?」
 ミリアムが顔を上げ、濡れた目でじっとグニロを見つめる。彼女の瞳には、口角を上げているグニロの顔が映っていた。
「ミリアムとグニロ、おんなじ?」
「そう。おんなじだ」
 グニロは、迷いなく告げる。
 ミリアムは知らないことだろうが、この国の教義において、異端を護ったり助けれたりすれば、異端と同罪に扱われる。彼女が“人喰い”という許されない存在ならば、自分もまた同じ罪を背負った存在になっているのだ。
「だから……ええと」
 それらを語ろうかとグニロは逡巡するも、結局「だから、もう俺を突き放していこうとしないでくれ」とだけ語ることにした。
「俺達は、もうずっと一緒――同じ、なんだからな」
「……うん」
 この返事よりも先に、ミリアムの両腕は控えめに、しかし確かにグニロの胴に回され、グニロの抱擁に応えていた。先程よりも強く伝わる彼女の温もりに、自然とグニロの腕にも力がこもる。
「ミリアム、必ず二人で暮らそう」
「うん」
「そのためにも、何が何でも生き延びような」
「……うん!」
 それ以上の、言葉はいらなかった。二人が交わす抱擁は、言葉にも劣らない、固い繋がりを互いに感じさせる。


 二人が採った行動は、共通して『逃げる』だった。
 逃げるといっても、二人して一緒に逃げてもグニロが足を引っ張ることになるのは目に見えていた。だからグニロは、自分がこの場に留まり、追っ手を足止めすることを提案した。
 当然、ミリアムはこれに強く反対した。しかし、グニロも流石に考えなしでこんな提案をしているわけではなかった。
 追手はグニロのことなど知らないのだ。他の村人達のように、ミリアム――“人喰い”など知らないと言えば、彼女と繋がりがあることなど分からないはず。それに上手くいけば、嘘の情報で追っ手を騙すこともできる、と考えていた。
 そうした説明を聞かせても、追手の男をひどく恐れている様子のミリアムは、不安そうな顔をやめようとしない。だが、グニロ自身には大きな危険はないと言葉を重ねて説得し、遂にミリアムは頷いた。
「悪ィな、ミリアム」
「いい。グニロしんじる」
 意見が噛み合うと、二人はすぐさま小屋を出た。聖レニの村は小さいのだ。追手がここへ訪れるのも時間の問題だろう。
「じゃあ、約束どおりにな」
「うん」
 示し合わせた二人は、それもその一つであるかのように、抱擁を交わす。
「グニロ、すぐきて」
「ああ」
 交わされた言葉も、抱擁の時間も、ごく短いものだった。しかし、それで充分だった。
 ミリアムが、ひどく名残惜しそうに身を離すと、そのまま風のように森の中へと駆けていった。時折、木漏れ日が彼女の灰白色の髪を煌めかせたが、それもすぐに見えなくなる。
「……さて、と」
 ミリアムの姿が見えなくなったことを確かめたグニロは、小屋を見上げた。
 今日中にはこの小屋や聖レニの村から離れることを思うと、グニロの胸中に締め付けられたような痛みが生まれた。それが失うことへの寂しさだということを、グニロは知っていた。
(悪ィな、親父、母さん)
 しかしグニロは、その気持ちをすぐに振り切った。
(俺、護ってやりてェ奴ができちまったんだ。……そいつは、人間の娘じゃなかったけどな)
 今のグニロにとって、それらは瑣末な問題だった。苦笑いを交えて、今は亡き両親に語れるほどに。
(来るなら来やがれ、銀髪野郎)
 そう意気込みつつ、グニロは小屋の中に戻って寝台に背中から倒れ込んだ。あの男が遠くないうちにここへ来るなら、下手に動き回らずに待っていた方が早く出会い、長く足止めできるだろう、と考えたからである。
(ミリアムは……ちゃんと逃げてっかな)
 じっと動かずにいると、頭はどうしてもミリアムのことを考えてしまう。
 約束通りならば、今頃ミリアムは北に向かって進み続けているはずだ。聖レニの村にはグニロ以外にも木こりはいるが、北西部の森にはあまり人手が割かれていないので、身を隠すのに向いているとグニロが判断したからだった。
(暫くは、猪だとか野草を食えばいいよな。で、東か西かに向かってって、どっかの村とか町に、行けば……)
 少しずつ、瞼が重くなってきた。いつの間にか、グニロはどことも知れない村の、どこかで見た小屋にミリアムと一緒に住んでいた。そこではミリアムも人並みの服装で着飾り、幸せそうに寄り添って――
「……んご?」
 気が付くと、グニロは聖レニの教会から聞こえる鐘の音と、誰かが小屋の扉を叩く音で眼を覚ます。
(き、来たか)
 動揺を悟られないように深呼吸してから、グニロは「おう」と応じて小屋の扉を開く。
「む、やはりここにいたか」
 嫌というくらい印象を植え付けていった声に、グニロは身構える。
 銀色の髪、顔の左半分を覆い隠す黒い眼帯。そして何より、この超然とした佇まいを忘れるはずがない。ミリアムを追っているという、あの男である。
「お、おう、あんたか。何の――」
「あの“人喰い”は、どこに隠れている?」
 グニロの言葉を遮って、男は冷然とした口調で問い詰めてきた。尋ねているような響きはない。確信の下に、隠し事を暴かんとしている者の口調である。
(ま、まさかこいつ――)
「それとも」
 射抜くような視線が、はっきりとグニロを捉える。
「お前が逃がしたのか?」
「っ」
 刃物を思わせる眼光が、言葉が、例えそのままにグニロの胸へ深々と突き刺さる。背中から噴き上がってきた冷たい汗は、すぐ全身に及び始める。
 それらを決して気取られまいと、グニロは努めて平静な声を出そうとする。
「な、何でンなことを……」
「俺が奴を探していると言った時、お前は明らかに『何かを隠している人間』の顔を見せた。それも、誰かに知られては困るような秘密だ」
 男は、グニロが聞いたこともないほどの冷淡な口調で語り出した。まるでそうすることが、グニロを苦しめる最適な手段であると理解しているように。
「あの場で吐かせるのは容易いが、俺は目立つのが嫌いだ。だからお前が去るのを待って、あの村でお前に関する情報を集めることにした。そこでこの森の話が出た時に、俺は確信した」
 男の言葉は、一つひとつが鋭い刃物のようにグニロへ突き刺さっていく。
 淡々と語り続けていた男は、そこで言葉を切る。そして、グニロを射抜いていた視線を、川に続く道へと移した。
「俺が奴を追い詰めた時、奴が飛び込んだ川はこの土地へと続いている。あの夜から三日以内に川の増水に繋がる降雨は一度しかなかった。となると、奴に負わせた傷の具合、奴らが再生に要する凡その時間、川の流れから総合して考えると、最も川底が浅くなる、この森の辺りに漂着すると見ていい。そして、奴らが空腹に耐えられ得る時間も合算すれば、近隣に村落があり、身を隠すのに適した森があるこの土地に奴がいると俺は考えていた。そこにお前の話が加わったのだ」
 男が何を言っているのか、グニロには殆ど分からなかった。ただ、最後の言葉だけは、確実に理解した。
「お前は、あの“人喰い”の娘と接点を持っている可能性が非常に高い。……違うか?」
 問いかけているように聞こえるが、そんなものは表面上に過ぎないことはグニロにも分かった。やはりこの男は、全てを把握した上で発言している。
 ごまかすことはできない――そう判断したグニロの体は、既に戸口に伏していた。
「頼む! ミリアムの、奴のことは見逃してやってくれねえか!?」
 荒事になっても、おそらくこの男には敵わない。グニロにできることは、ただひたすら平伏して、男の情に訴えるだけであった。
「あいつが“人喰い”なのは俺も知ってる! だがあいつは悪い“人喰い”じゃねぇんだ! ちょいと食い意地が張っててワガママなとこもあるが、根は明るくていい奴なんだ! 頼む、あいつには二度と人を食わないように言って聞かせる。俺が頼んだら、あいつだって分かってくれるはずだ! 俺があいつと森か山ン中でずっといるって言えば、きっと、いや、間違いなくそうしてくれる!」
 普段使わない頭を総動員し、グニロはつっかえつっかえ男に訴えるが、
「俺の知ったことか」
 頭上から降ってきたのは、先刻と何も変わらぬ、冷たい刃のような男の声。
「俺の目的は、お前を納得させることではない」
「そこを何とか! なあ、頼むよ!?」
 だが、グニロも引き下がるわけにはいかない。何度も床に頭を打ちつけ、次第に痛みが無視できないものに変わりつつあったが、それでも続ける。
「“人喰い”が人を食うのは本能だ。夏の虫が炎へ引き寄せられるように、奴ら自身さえ止められん」
「俺ならできるんだ! 奴なら……ミリアムなら分かってくれるはずだ!」
 亀のような姿勢で、グニロは顔を上げて男を見据える。剣のような冷たさと鋭さを持った隻眼に彼の決意は折れそうになったが、懸命に言葉と視線で訴える。
 どれ程、沈黙の時間が流れただろうか。膠着状態に倦んだかのように、男が口を開いた。
「お前の覚悟と、奴への信頼が紛れもない本物であることは、理解した」
 希望を感じさせる言葉に、グニロは表情を輝かせた。
「じゃ、じゃあ……!?」
「だが、あの娘が“人喰い”である以上、お前が努力したとしても何の解決にもならん」
 どこまでも冷え冷えとした男の声に、グニロは自分の説得が何の効果も持たないことを悟った。
 この男の意志は、おそらく何者にも屈しないのだ。殺すと決めれば、躊躇なく殺す。殺さないなら、そもそも最初から仕事を請けない。鉄の柱のように揺るがないでい続けられる男なのだろう。
(……やるしか、ねえのか)
 相討ちを覚悟し、岩のような拳を握ったグニロの心境を見抜いたかのように、男が口を開いた。
「いずれにせよ、お前が“人喰い”の知り合いだというなら、それは好都合だ」
 風を切る音、手の甲に生じた違和感、激痛、
「あ、がぁ!?」
 ここで漸くグニロは、呻き声を上げ、苦痛に満ちた表情で転がり回った。分厚い掌を貫いて深々と突き刺さっているのは、木の葉程度の大きさの、黒い鏃のような物体であった。
「どうだ、痛いか?」
 男は冷淡な眼差しをグニロに向け、手元では鏃を思わせる小刀を弄りながら声をかける。
「て、めぇ……っ!」
「む、それでいい」
 立ち上がりかけた直後、右脚にも黒い小刀が突き刺さる。いつ放たれたのか、痛みで頭が麻痺しかけたグニロには見当もつかない。
「殺しはせん。奴を呼び戻すのに利用させてもらうだけだ」
「んだ、と……!?」
 痛みが薄れようとした直前、また脚に小刀が突き刺さる。薄暗い森の中で、隻眼であるはずの男は極めて正確に小刀を放ってくる。声が漏れそうになったが歯を食いしばり、懸命に激痛を堪える。
(こいつ、俺をダシに、ミリアムを呼ぶつもりか……!)
「む、堪える必要はない」
 涼やかな顔面に大穴を空けてやるぐらいのつもりで睨みつけても、男は平然とした様子を崩さない。
「お前はただ叫べ。必死になって俺に命を乞い、奴に助けを求めるだけでいい」
「ふざ、けんな」
 グニロの身体にも、力が戻る。小刀にはどのような細工が施されているのか、突き刺さった箇所が痺れて力が入らず、立ち上がれなかったが、長年木こりとして鍛え続けた肉体が倍ほどに膨れ上がって見える。
「てめ、なんかの……っ、思いどぉ、に、なるかよ……あきらめ、やがれ、っこの――」
「む、そうか」
 グニロ渾身の罵倒に眉筋ひとつ動かさず、男は「残念だ」と告げる。
「その強情さは、捨てるべきだったな」
「は――」
 グニロは、一つ大きな勘違いをしていた。
 彼の眼前に聳える男は、この上なく冷酷になれるのだ。


 彼女は、懸命に駆けた。呼吸の続くかぎり走り続けて、時々背後を振り返る。
(……グニロ……)
 迫りつつあった男のことを思うと、彼女の胸が軋む。立ち止まり、激しく脈打つ胸に手を当てた。
 グニロのことは信じていた。必ずグニロは自分の後を追い駆けてきてくれて、また今までのように一緒にいてくれると、彼女は信じていた。
(でも)
 それでも、心配だった。あの男がどれほど強くて危険なのかを、彼女は身をもって理解していたからだ。
 そして何より、自分が“人喰い”であることを思い出してしまったことを、彼女は心配していた。
「グニロ、いたいよぉ……っ」
 “人喰い”――自ら胸中で洩らした言葉に、胸が軋んだ。
 自分が“人喰い”であることを思い出した時、彼女は真っ先にグニロのことを心配した。
 自分達がヒトの間でひどく恐れられ、忌み嫌われているというのは知っていた。そして、何と呼ばれているのかも。
 おぞましい、“化け物”。
 そう呼ばれていることを、一度も気にしたことはなかった。獣も草木も、皆食べたり食べられたりの輪の中で生きている。自分達もその輪の中で生きているに過ぎない――父は、そう語った。彼女自身も、その通りだと思っていた。生きるために食べることの、何が悪いのだと。
 だが、そうもいかなくなった。
 記憶を失ってからの、グニロと過ごした日々は、既に彼女の中で大きな存在となっていた。
 その日々が、グニロ本人の拒絶によって壊されることを、彼女は何よりも恐れていた。
 だからこそ、グニロが受けれ入てくれた時は泣いてしまいたいぐらいに嬉しく、そして辛かった。
 “人喰い”であることを思い出してしまった今の彼女は、本能による『渇き』を抑えることは殆ど不可能に近かった。これまでのように、他の獣の血肉で補うことも無理だろう。
(でもミリアム、約束する。グニロいてくれたら、絶対ヒト食べない)
 ミリアム――名前を忘れてしまっていた彼女に、グニロが付けてくれた名前。記憶が蘇り、本当の名前を思い出せた今でも、彼女にはこちらの方が大切になっていた。
 何故なら、この名前こそがグニロとの絆であり、確かに自分が彼と一緒にいた証なのだから。
(グニロ、早くこっちに来て)
 そして早く、また『ミリアム』と呼んでほしい。たくさん頭を撫でてほしい。そしてできたら、また抱き締めてほしい。今度はもっと長く、もっと強く。
 今の彼女が出来ることは、ただ必死になって祈り、そして出来るかぎり走り続けるだけだった。それだけしか出来ない自分が悔しかったが、その気持ちは飲み込んでしまうことでごまかした。
 と、風が、背中から吹き抜けていった。
「!」
 彼女は、愕然として立ち止まり、振り返った。
 風に乗って微かに漂ってきたのは、嗅ぎ慣れた血の匂いと、彼の匂い。
「グニロ……!?」
 彼に何かあったことを、彼女は本能的に悟っていた。
「あいつだ」
 呟きに漏れた感情は、強烈な敵意。
 忘れもしない、満月の夜。自分の脇腹に深い傷を負わせ、一族のみんなを殺した、憎い憎い憎い男。
 その男が、今度はグニロまでも奪おうとしている。
「っ!」
 自然と、彼女は自分が来た道へと走り出していた。
 嫌な気分が、どんどん彼女の中で堆積していった。左胸はずっと走り続けていた時よりも痛み、手足は重たく、痺れたような感覚だったが、頭はそうしたものとは無関係に、ただ早く、ただ速く、と訴え続ける。
 血の匂いは、正確な方角を彼女に示し続けた。“人喰い”は、獲物であるヒトの、特に血の匂いには敏感なのだ。
「うぅ……っ!」
 どうあっても自分が“人喰い”であるという事実に彼女の胸はまたしても痛んだが、今は耐えた。
 最悪でも、グニロに背を向けられてしまってもいい。だが、あの男のせいで彼を死なせてしまうことだけは、絶対に避けなくてはならない。
「あれだ!」
 行く時には徐々に小さくなっていた小屋が、どんどん大きく見える。来た道を、半分の時間で戻っている計算だった。
 血の匂いが、濃くなってきている。もう距離や、正確な位置さえ分かる。
 場所は、小屋の前。
(グニロ、いて……!)
 むき出しの地面を蹴って小屋を回り、匂いの示す場所へと急いだ。
「む、やはり来たか」
「――っ!」
 彼女の心臓が跳ねた。
 長剣を携えた、銀髪に黒い眼帯の男。臭いで確かめるまでもない。奴だ。
 そして、その傍らに倒れ伏しているのは――
「ぐに、ろ……?」
 彼女の身に流れる血が、冷酷な事実を伝えていた。
 彼女をここへ呼び戻した血の匂い――それを発している『肉』が、もはや動くことがないと。
「グニ、ロ……?」
 物言わなくなった『肉』を前に、彼女は呆然と呟いた。
 もう、これはグニロではなかった。形はグニロに似ていたが、これはただの『肉』だった。彼女や、その家族が食べてきたものと同じ、単なる『肉』になっていた。
「どれだけ痛めつけても、悲鳴だけは上げようとしない。見上げたものだ」
 男の言葉など、彼女には全く届いていなかった。彼女の目は、どこも見ていない。
 何で。どうして。まだ二回しか抱き締めてくれてないのに。もっとたくさん言いたいことがあったのに。もっと聞きたいことがあったのに。ずっと一緒だって言ってくれたのに。嘘。違うよね。早く起きて。ミリアムを見て。またミリアムって呼んで。何でもないから、大丈夫だからって言って。ずっと一緒にいようって言って。
 彼女の頭の中で、幾つもの感情と言葉とが嵐のように駆け抜けていった。そして直後、『ミリアム』は顔を上げた。
 剣を構え、泰然と立つ男を視界に収める眼は、彼女の激情をそのまま表したかのような、紅。
「……ゆるさない……」
 ゆらりと、ミリアムは前傾姿勢をとった。腰を深く落とし、上体は半身になって腕を真っ直ぐ下げる。ヒトとも、獣ともつかない、“人喰い”だけが見せる、戦いの構え。
「おまえは! くってやる!」
「む、そうか」
 それに対して、男は恐怖も油断も感じさせない。鉄の意志を宿した隻眼はただ彼女を見据え、長剣は彼女を指して微動だにしない。
 激情と無情、二つの感情が激突した直後、風が吹いた。突風としか言い様のないそれに色を見ることができたのたら、それは鮮やかな翠緑に煌めいたことだろう。


*ある旅人の手記より抜粋。
 以前、ヴァンダル帝国からフェリュースト教国領に入った折、国境都市の北東部に小さな村があると聞き及び、好奇心から立ち寄ったことがある。
 その村には、小さな教会と雑貨屋があるばかりで、他には物珍しい花を育てているということ以外、特別なものなど何一つなかったが、西側にある、今では殆ど人の寄らぬという小さな森には興味を覚え、足を運ぶことにした。
 小さい森とはいえ、川が流れ込んでいるため豊かで、最近まで木こりが足を踏み入れていた痕跡があちこちに見られた。
 その森の中に、誰が建てたとも知れぬ、崩れかけた小屋があった。いつ完全に崩壊するかも分からないため近寄るのは躊躇われたが、恐れを捨てて接近、調べることにした。
 一見するに、小屋は昔ここで木を伐っていた木こりのものだろう。似たような食器が幾つかあったのは、もしかすると家族で住んでいたからかもしれない。
 屋内の探索はほどほどに留め、小屋の裏手に回る。すると、そこで興味深いものを発見した。
 薪でも割っていたと思われる切り株の傍に、誰が造ったとも知れぬ墓があった。盛り土の上に岩を置いただけの簡素なものだったが、『二人、ここに眠る』という一文が深く岩に刻まれてあるのが印象深い。
 もしかして、この墓に埋葬されているのは――そう思い、彼らの住処に無断で足を踏み入れたことを詫びるためにもとフェリュースト式の祈りを行い、その後黙祷を捧げることにした。
 結局、彼らが何者かは定かでないが、墓碑にもあるように、安らかな眠りを続けられるように。


おわり
2012-04-10 15:49:37公開 / 作者:木沢井
■この作品の著作権は木沢井さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
初対面の方には、はじめまして。そうでない方には、TPOに即した挨拶をば。三文物書きの木沢井です。
 まずはじめに、お読み下さった方々に感謝を。ありがとうございます。
 この拙作は、現在こちらの隅っこで投稿させていただいている【ジョビネル・エリンギ】と共通の世界での物語です。なので、あちらの拙作をご存じない方でもお楽しみ頂けるかと思われます。
 二度の投稿で完結させる予定でしたが、想像以上の加筆と難産のため、前中後の三編となりました。誰だよ90枚程度に収めるって言ってた奴は…… そう、私ですorz
 最初は短編集の一つとして作っていこうと、グニロが逃走中の殺人鬼だとかいう面倒くさい設定を削ったりしていたはずなのに、気が付けばミリアムのあんな場面やこんな場面、あとついでにグニロをちょこっと、なんてしていたら現在の形に落ち着きました。そのせいでこの二か月余は寝ても覚めても“人喰い”、ミリアム、ついでにグニロ(ついでかよ!?)ばっかりでした。
 物語の最後に関しましては、何かしら思うところのある方も多々…… いるのかな? いや、いるということにして置きましょうか――ええ、いらっしゃるかと存じますが、私も随分と乏しい頭を捻りました。少なくともこの後書きに費やす時間の四倍くらいは考えました。二人とも生き残る、という選択肢も勿論ございましたが、それでは当初の目論見や登場人物とに致命的なズレを生んでしまいかねないと思い、結局当初の予定通りの結末を迎えさせました。特にハッピーエンドを望まれた方々、申し訳ございません。彼らには、また別の舞台でも用意しておきます。
幅広い感想、苦言、お待ちしております。
この作品に対する感想 - 昇順
どうも、鋏屋でございます。御作読ませていただきました。
素直に面白い、そう思いますw
最初少し読んだら止まらなくて一気読みです。安定した文章で余計なこと考えずに読むことができました。
冒頭の戦闘シーンからしてレベルが違うって思います。スピード感があるのに繊細な描写でとても良い感じです。この戦闘シーンは最近読んだ物ではピカイチな気がする。
それにしてもあっちのミュレといい、こちらのミリアムといい、流石は、うまくしゃべらない女の子を書かせたら門じゃ右に出るものはいないと言われる木沢井殿だ。キャラが生き生きしてました。
この作品に感想が付かないのが、今の門の現状なんだろうなぁ…… 読み手が少ないというね。
続きが凄い気になります。ハッピーエンド至上主義の私なので、ハッピーエンドを期待してますが、はたして……
なんか以前もラストで谷底に突き落とされた記憶が…… あれって木沢井殿の作品じゃなかったかなぁ……?
次回更新も楽しみにしてます。
鋏屋でした。
2012-03-22 07:02:45【★★★★☆】鋏屋
はじめまして、のはずですが間違っていたらすみません。木の葉です。御作を読ませていただきました。感想を書かさせていただきます。
冒頭の戦闘シーンからぐぐっとひきこまれてあっというまに読んでしまいました。わかりやすい描写といい、ミリアムちゃんの可愛さといい、さすがだなあと感服してしまいます。慣れている人はやっぱり違いますね。木沢井様のジョビネル・エリンギの方はまだ読んでいないのですが、こちらだけでも十分楽しめました。
私はこういった人間と人外の男女関係がすごく好きなので、続きを楽しみにしています。鋏屋様と同様、ハッピーエンドを期待しております。
それでは、失礼いたします。
2012-03-22 18:00:03【☆☆☆☆☆】木の葉のぶ
拝読しました。水芭蕉猫ですにゃんにゃん。
ジョビネルの方まだ読めてなくて申し訳ないのですが、こっちを読ませていただいたので感想をば……。ミリアムちゃんにミュレの影を見たぞ!!! こういう子が木沢井さんのストライクキャラなのかな? と無粋なことを考えつつ読んでおりました。文章の安定感は流石。ものすごく見習いたい次第であります。で、ミリアムちゃんはほんとに人食いなの? ねぇどうなの? と問い詰めたいこといくばく。多分後編でネタ晴らしがあるはずなので期待しております。にゃふふ。
2012-03-23 22:57:35【★★★★☆】水芭蕉猫
 こんばんは、木沢井様。上野文です。
 御作を読みました。
 私も最初ミュレとミリアムがかぶってる!? と思ったのですが、何度か読み返してみると、ミリアムの方がアクティブで陽気ですね。
 グニロはなんだかんだいって気さくなアンチャンで魅力的でした。
 ジョピネルの弟さんもそうですが、こう味のある描写が上手いなあ、と惚れ惚れしました。
 面白かったです! 続きを楽しみにしています♪
2012-03-24 21:06:59【☆☆☆☆☆】上野文
>鋏屋様
御感想および加点、ありがとうございます。
 おおう、これはまた身に余る評価をいただけて恐悦至極にございます。それにしても、『うまくしゃべらない女の子を書かせたら門じゃ右に出るものはいない』とは…… 私にとってこの上ない賞賛なので嬉しく思う反面、私の知らないところでそんなことが語られているのか、と思うと複雑な心境ですねぇ…… そして勿論、右に出る方がいらっしゃらなくとも、左に出る方がいるのだと私は信じています。具体的には●田様あたりなどかな、と……
 ハッピーエンドは、いいですよねぇ。近頃だと、メリー・ポピンズを観てほっこりしたりしています。別れの中に、でも確かな幸せが感じ取れる、いい作品ですよ。
 ちなみにですが、私が過去に鋏屋様を突き落とした記憶は…… すみませんが、思い当たりませんねぇ。私が完結させた拙作で非ハッピーエンドを迎えたものは二つか三つほどございますが、いずれも鋏屋様の御目に留まってはいなかったはずでしたから。
 閑話休題。続きを楽しみにして下さっているとのことなので、現在もやる気倍増で取り組んでおります。次回も鋏屋様のお眼鏡に適うよう、頑張ります。

>木の葉のぶ様
御感想、ありがとうございます。そしてようこそ、エリンギワールドへ。
 以前、『分かりやすい冒頭を』という貴重な御意見を頂きまして、それを今回は活かしてみようかと思っていましたので、そうした御感想を頂けて光栄です。エリンギに関してですが、あちらは滅多矢鱈に長いので、無理して読まれずとも結構です。
 慣れている、のか否かは私自身には何とも言い難いものですが、特別なものは何もないかと思われます。見て、感じて、書いて、時々ボキャブラリーを増やす。こんなぐらいです。こんなぐらいなので、私は三文物書きに留まっているのです、きっと。他の諸賢は、きっとこれらを長く、上手く積んでいらっしゃるのか、プラスαがあるのでしょう、間違いなく。
 それはさて置き、異類婚姻譚(別に彼らは結婚してませんが)は私も好きです。ええ、大好きです。神話や空想上の生物のそうした話に触れるたびににやけています。何やら非常に気持ち悪い告白をしてしまったような気もしますが、この際包み隠さずに申し上げますと、大好きです。とても大事なので何度でも繰り返しますが、大好きです。ハッピーエンドになるのかどうかは…… すみませんが、次回以降をお確かめになっていただくということで、一つ。

>水芭蕉猫様
御感想、及び加点、ありがとうございますわんわん。……すみません。本当にすみません。
 貴女が私ごときに謝られることなど何もございませんので、私は気にしていません。なので御感想への返答をば…… ストライクかと問われましたら、おそらく“YES”になるのでしょう。今の私の技量では、好きになれないものを描くことは困難でしょうから。そして文章の安定性、これはおそらく私にとって死活問題です。ええ、ぶっ飛んだことの出来ない私にとって、破綻が少ないことが三文物書きのレベルを維持する条件の一つだと思っております。なので猫様が私から何かしら吸収されますと、ますます私の存在価値が薄まるのですが…… いえ、この件に関しましては、私も何らかの形で成長すればいいだけの話ですね。
 ネタバラシは、必ずやります。というか、それこそ破綻のないよう――は、無理でも、最小限に止めて御提供できるよう頑張ります。

>上野文様
御感想、ありがとうございます。
 そうですねぇ。確かにミュレとミリアムには共通点が多いというか、相違点が少ないんですよ。試しに数えてみましたら、五つぐらいがやっとでした。それでいいのか三文物書き、という御叱りを頂いてしまいそうですが、ここまできたら貫徹させていただきます。
 まさかグニロについて言及されるとは思ってもみませんでした。改めて御礼申し上げます。
 味のある描写……! 私も遂にそうした御感想を頂けるようになれましたか。となると、今度は様々な味わいを出すという課題が増えるわけですが、それらもクリアできるよう、また精進させていただきます。
2012-04-08 15:16:52【☆☆☆☆☆】木沢井
 こんばんは、木沢井様。上野文です。
 御作の続きを読みました。
 ミリアム、色気より食い気と思いきや、好意をもっていても本能的な「食べたい」という衝動は燻るのか…
 今作、冗長な部分がまったくなく、見事だなあと惚れ惚れしています。
 グニロの凡人ぶりかつ、人のよさ、うまく表現できない強さが実に魅力的に描かれていて、素敵でした。今まで読んできた木沢井様が描かれるキャラの中でも、トップクラスにお気に入りのキャラかもしれません。面白かったです!
2012-04-09 22:11:42【★★★★☆】上野文
>上野文様
御感想および加点、ありがとうございます。
 基本的に、ミリアムは色気より食い気です。色気もないわけではないのですが、それでも食欲には勝てないのが、彼女らの辛いところです。
 ミリアムに関する御意見が多く寄せられる中、グニロへのアナバさん並みの高評価を頂けて幸いです。ちなみに彼、ミリアムに沿う形で作っていったらこうなりました。最初はお人よしだったり腰の引けてる兄ちゃんでしたが、いつの間にかそれなりの肉付きが出来ていたのでまず私自身がびっくりしています。絵を含めて作り込んだ比率は2:8ぐらいだったのになぁ……。
 彼が物語の最後まで魅力を保てているのか自信はありませんが、最後までお付き合いいただければ無上の幸いでございます。
2012-04-10 15:46:49【☆☆☆☆☆】木沢井
 こんにちは、木沢井様。最後まで読ませていただきましたので、感想を。
 ハッピーエンドじゃなかった……! というのがとりあえず切ないです。戦って、二人とも生き残るのかなあと思っていたのでショックが大きかったです。木沢井様が考え抜いたうえでの結末だとお見受けしますので、私がとやかく言える立場ではないのですが、やっぱり悲しいものは悲しいです。二人には幸せになって欲しかったです……すみません、単なるハッピーエンド大好き人間の戯言ですので聞き流してくださいw
 ミリアムの人喰いならではの葛藤とか、グニロがミリアムに「ずっとここにいていいんだぞ」って言うシーンとか、ラストの別れの場面とか、本当に情景が目に浮かんでくるようでした。御作から色々と学ばせていただけるものがあったように思えます。面白かったです! ありがとうございました。
2012-04-14 16:09:35【☆☆☆☆☆】木の葉のぶ
拝読しました。水芭蕉猫ですにゃん。
うおおおぉぉ!! ミリアムー!! と叫んで木の葉様と同じように机をバンバン叩いてやりきれない切なさを開放したい今日この頃。でも落ち着くところに落ち着いたのかなぁとも思います。だって人食いは人食ってナンボの仕事(?)だものね。むしろ一週間も我慢してたミリアムえらいよ。グニロも男を見せた!! でも人食いに人食うなってのも無理な話なので、あのまま二人の逃亡が成功したらグニロはどうしてたのかなーと思うとオラ何だかわくわくします(おい)てきとーに旅人襲って食らうか、はたまたグニロがちょびっとずつ自分の肉を食わせたのか。まぁ、今となっては解らない話ですけどね。
 ところで追手のあの人はジョビネルのあの人で良いのでしょうか?

 それでは、面白かったです!!
2012-04-14 23:06:24【★★★★☆】水芭蕉猫
 こんばんは、木沢井様。上野文です。
 御作を読みました。
 感想の第一声は、「ジークはん何やってんの?」でしたw
 このシリーズは、ある意味で達観したシビアな世界観が魅力ですし(むしろ非力なのにジークと何度もやり合えてるアナバさんが凄い)、ミリアムの生物本能がグニロを裏切ってしまう可能性があった以上、これはこれで幸せな結末だとも思います。
 が、やはり決着を急いだんじゃないかなあ、とも思うのです。エピローグをこういったカタチで二人の幸せを祈って〆るなら、もうちょっと村人と交流を描いても良かったし、なんというかグニロが生き足掻く手段を模索する前に、災厄的なデウスエクスマキナに刈り取られたなあ、と。ただ、命断ち切られるその時まで、グニロは実に魅力的な、いい男でした。面白かったです!
2012-04-15 00:03:55【☆☆☆☆☆】上野文
どうも、鋏屋でございます。
完結お疲れさまでございました。
うん、面白かった。かなり面白かったッスw  ラストは正直私の望んだものではなかったのだけれど、猫殿と同じ理由で仕方なかったのかな? と、考えてます。
それにしても、シーンの描写がとてもうまかったように思いまさす。悔しい妬ましい羨ましい溶ければいいのに……w
これは私の今期の課題でもありますので見習いたいところでした。
読んでいて、アレ? って思ってたんですが、猫殿と文殿のコメ読んで、ああ、やっぱりそうかと納得しちゃったのですけど、ほんとにその解釈で良いのかな?
とにかく、とても面白かったです。前半一気読み、中、後編一気読みの2回とも一気と、ストレスなく読めてしまいました。流石だなぁ……
次回作も期待して待っております。
鋏屋でした。
2012-04-16 07:59:15【★★★★★】鋏屋
愛、覚えてますか?お久しぶりな頼家です。
作品読ませていただきました。
いや〜、ミリアム。良いミリアム。頭を撫でて、『んふー』ってしてもらいたいところですが、萌え死んでしまいそうなので、妄想はこの辺で……。
若干の誤字は見られましたが肝心のストーリーが大変面白く、また読みやすかったのでちょっと覗くつもりが、いつの間にやら読み終えてましたww
準主役においたグニロ(主役はミリアムです。ここはゆずれません)も超人的な能力を持つスーパーマンや、卓越した技能を持つヒーローではなく、最後まで『一般人』である事に徹したところも素敵ですね♪
ラストは悲しいですが、この二人の物語が大きな世界の中の何処か、誰も知らない、誰にも知られない世界でひっそりと佇み終わった独りごとといったテイストで、ドンピシャ私好みです(^^)読者だけはその『その世界では誰にも知られる事のない』はずの二人の紡いだ悲しくも温かい物語を知る事ができた……なんだか得をした気分ですなぁ〜♪

それでは、次回作をおまちしております
            頼家
2012-05-15 00:38:45【☆☆☆☆☆】頼家
まず、返信が遅れてしまったこと、この場を借りてお詫び申し上げます。
>木の葉のぶ様
御感想、ありがとうございます。
 ええ、ハッピーエンドではございませんでした。二人には生き残る未来も考えましたが、そうすると本編の…… いえ、何でもございません。兎に角、木の葉様に何らかのご印象が与えられただけでも、当拙作には価値があったと言って過言ではございますまい。
 本当に優れた方は、どんなに些細な物事からも学び取られるといいます。このような拙作でよろしければ、またお付き合い下さいませ。次の短編は、なるたけ御期待に沿ったものになるよう精進いたしますので。
>水芭蕉猫様
御感想と加点、ありがとうございますワン。……すみません、でも性分なんです。
 妙な発言かもしれませんが、やりきれなくなって頂けたのかと思うと嬉しく思います。これでやっと四文物書きくらいには…… でも語感が悪いかなぁ。
 本編の補足(というか蛇足)としましては、“人喰い”はその能力と引き換えに、人間の血肉を『補充』し続ける必要がございました。他の肉でも空腹は満たせるでしょうが、必須栄養素は摂取できていないので、そのままだと遠からぬうちに体組織が崩れて死んでいったでしょうから、やっぱり少なからずグニロは人肉を与えることになったかと思われます。
 ちなみに、追っ手のあの人は、本編の『例のあの人』に相違ありません。

>上野文様
御感想と御指摘、ありがとうございます。
 やったっ、一番ほしかった感想だ! ……いえ、何でもございません。
 当拙作は、偶発的に誕生したキャラクターの運用と、『例のあの人』の初期人格を再現、というか再確認のために作りました。御感想を頂いてから彼の行いを振り返ってみますと、まさにデウス・エクスマキナ。まあ本編でも似たようなことはしていましたが、今回は露骨に過ぎる点もあったことは認めます。
 当拙作シリーズにそのような魅力が!? あ、いえ、失礼、私の拙作から『魅力』などという言葉を抜き出されたのはおそらく初めてのことだったので、少々舞い上がっています。
 本来なら、猫様が触れていらっしゃったような場面か、それを予感させる場面を入れるべきでした。
 それにしても、ここまでアナバさんをプッシュされているとは…… 彼にはこの先も理不尽さに立ち向かってもらわなくてはなりませんねぇ。

>鋏屋様
御感想と加点、ありがとうございます。
 まさかの二枚座布団、そして望んだものではないというのにこのコメント、むしろこちらが平身低頭したいぐらいでございます。
 他の方々の御意見から愚考を凝らしますに、場面の描写は私にとっての生命線みたいですねぇ。大事にしなくては。
秘密とか秘訣とか呼べるような高等なものはないので
当拙作で気を付けていたこととしましては、
・舞台の位置、地形、歴史等の設定
・一度状況を頭から取り出すため、私の場合は紙に書き出す。この時、簡単な注釈や変更はするが本格的な推敲はワードに打ち込んでから
・入力後、本格的推敲。奥行きを持たせるため、それがどういう状況で、どういう風にして起きたのだから、どういう事態が予想されるかを考慮して書き出したものに手を加えていく。
・大まかな物語の流れ、その後人物の心情を考慮して情景にそれらを反映させたりさせなかったり
・細かな推敲。誤字脱字の確認
でしょうか。何らかの栄養にでもなれば幸いかと思っていますので、溶けろとか願わないで下さい。これ以上溶けると無性に海が恋しくなるので。

>頼家様
御感想ありがとうございます。
 青天の霹靂とでも言うのでしょうか。もしくは『まさかって感じだがグッときたぜ!』とでも言えばいいのでしょうか、兎に角そんな気持ちです。
 お褒めの言葉いたみいります。私めには過分なような気もしますが、この場は有難く受け取らせていただきます。
 ミリアムは妙に思い入れの深まった…… といいますか、妙にあれこれと付け加えたキャラクターでして、今でも適当な紙とペンがあればミュレの次ぐらいに描いてしまいますねぇ。
 そんな彼女の添え物のようなものとして作ったグニロは、御賢察の通り、特別なものは何も持たせないようにした…… つもりです。私にはその方が性に合っているようですし。
 得した気分、ですか。これはまた嬉しいお言葉ですねぇ。そうしたお言葉を頂けますと、拙いなりに書いてよかったと思えて、また新しい意欲も湧いてきそうです。


 ううむ…… 『一気読み』が多かったということだけども、それはつまり、今回の拙作がはっきりとした色合いを持っていた、ということなんだろうか。それとも網を広げている方々に恵まれただけなのだろうか。
2012-06-09 00:49:01【☆☆☆☆☆】木沢井
[簡易感想]しんみりしました。良かったです。
2012-10-15 14:22:10【☆☆☆☆☆】ただふみ
計:21点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。