『ナナシノ音楽隊  第一章〜第二章』作者:木の葉のぶ / ِE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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 希望の唄を、歌おう。


第一章

 いつもは木枯らしが吹く肌寒い森が、その日は珍しく陽が射していて明るく、暖かかった。
 あたしは小屋の窓を開けて、木以外は何もない景色を見渡した。葉がついた木が一本もなくて、地面は白い雪で覆われて、けれど晴天と陽気のおかげでいつもよりもずいぶんと綺麗な風景に見えた。
 ここに来てこんなに暖かくなったのは今日が初めてだったから、あたしの心にほんの少しだけ嬉しさが灯る。
 太陽が高く上った頃、一枚のレコードを古びた蓄音機にかけた。何もすることがない毎日だったので、いつのまにか使い方を覚えてしまっていた。

「僕には翼がないから 空は飛べないし
 僕には牙もないから 誰かの盾にはなれない」

 乾燥した部屋に、音楽が流れだす。優しいピアノと、軽快なドラムと、時々覗くトランペットの高音。あと、ギターの低くて落ち着いた響き。そこに、澄んだ歌声が混ざる。あたしと同じ女なのに、どうしてこんな気持ちの良い声で歌を歌えるのだろうと、あたしはいつも不思議に思う。

「僕には魔術が使えないから 変身もできないし」

 ただ生きているだけの白黒の日々に、少しだけ色を添えるのがこの曲だった。
 あたしも歌ってみる。理由はないけれど。窓が開いていて、外に音が流れだしていることも気付かずに。
 誰かが聴いているなんて知らずに。

「僕には妖術も使えないから 不老不死にもなれない」

 あたしはやっぱり歌が上手くない。

「じゃあ何もできないかって そんなことないさ だって」

「お前、歌うまいな!」
 その瞬間。
 窓から一人の人間が顔を出した。
 一瞬の間。突然の出来事にあたしは固まる。
 そして、ようやく事態を飲み込んだ頭があたしの顔をひきつらせた。
 ばん、と音をたてて窓を閉め、混乱した頭でレコードを外した。
「あ! おい、開けろよー」
 何なんだ。何なんだ。
 誰なの、あんた。
 この森に来てから、『誰か』が来たことは一度もなかった。だから、油断していた。
 陽気にかまけて、窓なんか開けて歌なんか歌っていたからいけないんだ。
 馬鹿だった。もっと早く気がつくべきだった。
「おーい、開けてくれよ! いきなり悪かったから、なあ!」
 何度も何度もそいつが窓に向かって喋る。
 あたしは耳を塞いでうずくまった。声はまだ続く。
 ずっと、そいつはあたしを呼んでいた。
 いくらかたって、あたしは決意を固めて玄関へ向かう。
 靴をはいて、ドアを開けて、ぐるりと回って、そいつの前に立って。
「帰って」
 それだけ告げた。
 冷静を装っていたが、ちょっと吃驚した。自分と同じくらいの年恰好の少年がそこにはいたからだ。
「やっと出て来た! あのさあ」
「帰って」
 日に焼けた肌に、髪はぼさぼさ。どういう転び方をしたのか知らないが、鼻の頭に絆創膏。背中には黒いケースに入った何か。彼の背丈は平均的な男の人間の身長よりはいくぶん小さく見えた。
 誰が来ようと、あたしの返答は変わらない。
 人間が来ようが魔女が来ようが妖が来ようが半獣が来ようが変わらない。
「あたしはあなたたちが嫌い。今すぐに消えて」
 警戒しながら、彼を遠ざけるようにそう言った。
「え? お前変な奴だなー」
 何と言われようが関係ない。あたしに関わらないで、いますぐどこかへ行って。
 皆があたしを嫌うから、あたしも皆を嫌う。
「『あなたたち』って何だよ。俺一人しかいねーだろ?」
「人間は嫌い。魔女も嫌い。妖も嫌い。半獣も嫌い。皆みんな、大っきらい」
「何で?」
 変な奴はどっちだ。初対面に向かって矢継ぎ早に質問してくる。
「皆あたしのことを嫌うから。あたしたちのことを嫌うから」
「あたしたちって……あれ? もしかしてお前吸血鬼?」
 あたしの真っ黒な髪と、真っ赤な目を見て彼はそう判断したのだろう。今頃気づくなんて、鈍感。
 虫唾が走る。「吸血鬼」と言うときの、相手のの目や、顔を見ると。恐れるか、怖がるか、罵るか、はたまた逃げ出すか。
 彼は、珍しくもそうではなかったけれど。明日の天気を尋ねるかのようにして、聞いてきたもんだから、あたしもぶっきらぼうに返した。
「だから何」
「いや、別に俺、お前が誰でもいいよ」
 こんなことを言ってくる奴は、こいつが初めてだった。普段の奴らみたいに、怪しんだり警戒しないから、あたしも拍子抜けして牙を剥いた。
「は? わかんないの、今すぐこの牙であんたの首に噛みついて血を根こそぎ吸い上げるかもしれないんだよ?」
「そんなの、簡単さ」
 あたしの威嚇をいとも簡単に彼は打ち砕いてしまった。
「お前みたいに歌を歌う奴が、悪い奴なわけないだろ」
 そう言って、彼は笑った。

***

 時間をさかのぼる。
 それは、あたしがここに来る二週間くらい前のこと。
 二月一日。
 皆既月食が起こった。

 何十年かぶりらしかったから、誰もそれについて詳しい者はいなかった。
 吸血鬼の力が乱れ、暴走する危険があるとは知られていたが、果たしてそれがどのような形で起こるのか、誰にも想像はつかなかった。
 あたしたち吸血鬼は、各地を転々と回りながら小さな集落を作って、細々と暮らしていた。
 定期的に血を吸いに他の民族の住む場所へ現れ、そこにいる者を襲わなくてはいけないから、逆に攻撃されたり逃げられたりしてしまうので、同じ場所にずっと留まる事はできない。
 たまに自分達に自らの血を提供してくれるような人々もいたが、そんなのはまれで、常にあたしたちは嫌われて生きていた。
 そして、その日。
 吸血鬼には、自分の知る場所へなら瞬時に瞬間移動をする能力がある。かなりの力を消耗するため、普段はほとんど使われていない、吸血鬼の持つ多くの能力のうちの一つだ。過去に行ったことのある場所にもう一度行っても良いことはあまりないし、敵からの回避のためにくらいにしか用途はなかった。
 その能力が、裏目にでた。
 真夜中ごろ、とある大国のそばを通ったあたしたちは、大量の奇襲兵に襲われた。近隣国から情報を聞きつけ、吸血鬼討伐のために作られたと思われる軍隊は、たった数十人のあたしたちには自らの力を使ってもとうてい太刀打ちできないほどの数だった。
 紅い月が昇る下、囲まれ、窮地に陥った吸血鬼たちはその緊急回避の力を使うことになった。
 何年も前に訪れた、比較的安全で住みやすかった土地に逃げようと、長の命令で全員が瞬間移動を使った。

 そして、着地した場所はあたしたちの誰も知らない異境の地だった。
 向こうは夜中だったのにそこは真昼で、交通量の多い巨大な街に降り立った瞬間、大混乱が起きた。
 そこの連中は人間やら魔女やら妖やら半獣やらたくさんの種族が混ざっていて、全員が全員あたしたちのことを知らないようだった。
 もちろんあたしたちも知らなかった。
「こいつらは何だ」「悪魔」「失せろ」「気味が悪い」
 瞬間移動を使ったばかりで力を消費つくしているあたしたちは、罵倒され殴られ蹴り飛ばされて、汚い路地裏に放り込まれた。そのうち警官みたいな奴らが来て、どこかへ引きずられた。
 その後、あたしは反動で高熱を出し朦朧としていたので、数日間の記憶がない。
 意識が戻り、体が回復した頃、気がつけばその賑やかな街からは離れた静かな森の中の、一件の小屋の中にいた。
 そこには父と、母と、見知らぬ女の子がいた。
 女の子は、透き通る緑色の髪に、少しとんがった耳を持つ、妖の一族と思われる可愛らしい子だった。
 しばらくその子に看病された。とても優しかったことを覚えている。
 熱が下がり、「あたしたちはどうしてここにいるの」と母に聞いた。
「もうあの街にはいられないわ」
 母は言った。
「他の皆はどうしたの」
「彼らとは縁を切った。もうあそこには戻らない」
 父は答えた。詳しくは教えてくれなかった。
「あかねは、彼らのようになってはいけないよ」
 わけがわからないままに数日が過ぎた。知らない森のなかであたしたち家族と、女の子は過ごした。
 平和な日々が、一週間ほど続いた。良く分からないけれど、父と母がいればそれでいいと思った。

 そんなある日、あたしは母に頼まれておつかいに行った
 生物のいない森の中では生き血を吸うことができない。吸血鬼は人間が食べるような食糧でも、少しの間なら食いつないでいける。街へ行って食べ物を買ってくるように言われたあたしは、たった一人で森を出た。
 その時に気がつくべきだった。何故見知らぬ街へ私だけを追いやったのか。家族や女の子が何故街へ行かず、私だけだったのか。
 馬鹿だったんだ。何も疑わなかったんだ、あたしは。
 初めて降りた街には、たくさんの人間たちが住んでいた。どうやら『人』だけが集まる地域なのだろうとあたしは思った。
 全身を包むすすけたマントを身につけ、頭をすっぽりフードで覆ったあたしは、はたから見ればかなりの不審人物だったが、吸血鬼特有の見慣れない赤い瞳を隠すにはこうするしかなかった。
 家にいた女の子に貰った地図を頼りに、ふらふらと買い物をして、ちょっとだけ達成感を得たあたしは、調子に乗って街を少し見物することにした。だって、初めて見るものがたくさんあったから。街ゆく人々はみな洒落た格好で、かわいいドレスや素敵な帽子が目だった。あたしがいままでみたことのある人間達とは少し違った身なりをした人たちだった。道を綺麗な色の馬車がしょっちゅう通り過ぎた。大きな音をたてて線路を横切ってい行く巨大な乗り物のことを機関車だと知らなかった当時のあたしは、何か恐ろしい兵器の一種かと思ってただ眺めていた。あたしの汚い身なりを見て眉をひそめる人もいたけれど、あんまり気にならなかった。
 そうして賑やかな通りを歩いて行くと、あたしは一件の小さなお店に目を引かれた。ショーウインドウには、あたしが見たこともない器械や、円盤状の薄い板みたいなのがたくさん並んでいて、興味をそそられて中に入った。
 整理されて落ち着いた店内の中で、おじいさんが居眠りをしていた。あたしがやってくると目を覚まして、こんな小さなお客さんは珍しいと喜んだ。白髪の、目元が優しいおじいさんだった。
 あたしは彼としばらくおしゃべりした。ここは昔、楽器を直す修理専門店だったそうだが、今はお客が減り、レコード店も兼ねていると聞いた。おじいさんは置かれていた蓄音機にレコードをかけ、この曲は自分の孫が作曲したものなのだと得意げに言った。それからあたしが異邦人だと知ると、この国の仕組みをこともなげに教えてくれた。
 始めは警戒していたが、この人は稀にみる、『通常の人とは違う心の広い人』だったのだろう。こんなふうに接されたこともなかったから、ついあたしも話に聞き入ってしまった。
 帰りに、彼はかけていたレコードを自分にくれた。あなたの家にもきっと蓄音機があるから、それを聴きなさいと言われて使い方を教えられてた。まるであたしのことを昔から知っていたかのような雰囲気に、ちょっと不思議に思いながらあたしは帰った。
「ただいまー!」
 玄関を開けると、そこには

「……え?」

 血の海が広がっていた。

 椅子に血がついていた。テーブルに血がついていた。ベットに血がついていた。壁に血がついていた。床に血がついていた。
 真ん中に、ずたずたに引き裂かれた父と母が落ちていた。
 部屋には、大人数で誰かが荒らしていったような跡があった。
 女の子はいなかった。

 どうやって死体を片付けたとか、そのあとのことは覚えていない。
 ただ、何も考えずに部屋にこびりついた血を拭きとっていたことだけを覚えている。
 綺麗になった部屋には、あたし以外誰もいなかった。
 あたしのなかの感情が全部死んだ。
 それからしばらくは、一日中ただどこかに座ってぼうっと生きていた。

 しばらくたって、落ち付いて何かものを思考する能力が戻ってきた時、あのレコードのことを思い出した。
 静まりかえった部屋では息が詰まって苦しいから、何度も何度も同じ曲を繰り返しかけた。
 聴いているうちに、何となく歌詞を口ずさむようになった。そうすることで、この身体をなんとかこの世に繋ぎとめていられる気がした。 

 そして、開け放った窓から私の声が漏れだすという事態が起こってしまったのだ。

***

「俺、ジュン。アオゾラジュン。お前は?」
「帰ってって言ったの聞こえなかった? どっかいって、チビ」
 実際彼は小さい。あたしは普通の人間に比べたら背の低い方だから、それよりほんの少しだけ背の高いだけの彼はどう考えてもチビだ。チビ。
「ちょっ、お前、人がいっちっばっんっ気にしていることを……!! 俺はチビじゃねえ! ギター背負ってるからそう見えるだけだっつの!」
 なんかめっちゃ食いついてきた。変な奴。
 というか、その背中のブツはギターと言うらしい。彼の頭よりそれの先端が飛び出ているので、なんとなく背を抜かれて小さく見えるのだ。
 ……ん?
「え、ギターって、それが?」
「知らねえの? ギターだよ、この国では珍しくもなんともないぞ?」
「あ……へえ、それがギター」
 それ、そもそも楽器だったのか。
 あたしはピアノ、トランペットといった楽器それぞれの名前は知っている。『あの日』にレコードをくれたおじいさんに教えてもらったのだ。でも、実物を見たことはないので名前だけ。あたしが昔訪れた国にそういう楽器はなかったのだ。
 それを彼、ジュンに伝えると、彼は目を丸くした。
「何だ、知らなかったのか! あはは、俺の作った曲聴いてるのにな、面白れー」
 え? 
「おれのつくった……きょく?」
「そうだよ? あれ、俺がだいぶ前に音楽隊で弾いてた曲。作詞作曲は基本的に俺がやってたからな」
「てことは、あんたってあのおじいさんの孫ってこと!?」
 びっくりした。ヒトの縁とは何とやら。
「大じいのこと知ってるのか?」
 不思議そうにこっちを見ながら何故か勝手にドアを開けて家に入ろうとしているジュンはあたしに訊いた。ギターケースが狭い玄関につっかえそうになって苦戦していた。
「うん、まあ……って何勝手に不法侵入してんの」
 というか追いやったはずの彼は何故あたしと仲良く話しているんだ。
「俺道に迷っちゃってさーここまで歩き通しだったから疲れちまったんだよ。悪ぃ、ちょっと休憩さして」
「帰れっつったじゃん!」
「ちょっとくらいいいだろ。まったく吸血鬼はケチだなー」
「そんなこと」
 言いかけて、ふと思う。あたしたちの仲間はどうしているのだろうか。始めに降り立ったあのごみごみした街に今もいるのだろうか。
 あたしと同じように、見知らぬ誰かに勝手に話しかけられたりしているのだろうか。
「ない」
 何故、両親は彼らと別行動をとったのだろうか。
 しまいこんで鍵をしていた記憶を開けてしまいそうになって、慌てて蓋をする。ジュンという名の少年にあたしは尋ねてみた。
「こんな山奥まで迷い込むなんて、普通あり得ないから。どこに行こうとしてたの?」
 ジュンはゴトリ、と楽器を床に置くと、ちょっと難しい顔をして答えた。
「話せば長いから何か飲み物くれ」
 なんで命令形。
 そういうわけで、二人でテーブルを囲んでコーヒーを飲むはめになった。終始彼のペースである。私がミルクと砂糖を入れていると、彼は話を始めた。

「俺は、『ナナシノ音楽隊』の一員だった。ついこの前までな」
「名無しの……音楽隊?」
「ああ。ずっと名前がないまま活動してたら、いつのまにかそう呼ばれるようになっちまったんだ。俺らは、二年前にこの国の首都、心島の議会堂の前の広場で活動を始めた小さな音楽隊だった」
「ストップ。それってどこ?」
「え、ああそっか。まあいいや、じゃあまずそこから」
 ジュンはバッグの中からノートとペンを取り出し、地図を描き始めた。
「まず、これがこの国、パレット連合国の中心にある首都、心島」
 小さな丸を一つ。周りに一重、二重と線を引き、三重の円が出来上がった。
「心島を取り囲むようにぐるりと湖がある。そして、ドーナツ型のこれが、俺らが住んでる大陸さ」
 ドーナツは私も知っている。真ん中に穴のあいた美味しい揚げパン。どうやらその上にあたしたちは住んでいて、穴の部分に首都の小さな島があるらしい。
「このドーナツ方の大陸は四つに区分されている。大陸の東に位置するのが今俺らがいる『人の国』。南には『妖の国』、西には『魔の国』、北には『獣の国』があるんだ。それぞれどんな奴らが住んでるかは、名前の通りだ。ここまでは大丈夫か?」
「だいたいは。でも、首都には誰が住んでいるの?」
「様々な種族さ。人間も、魔女も、妖怪も、半獣も住んでいる。ここは四つの国の中継地点として、あと貿易の中心地として働いてるんだ。連合国の外にある国々との連絡も、ここが担っている。ただ……」
 ジュンは顔を曇らせた。
「今は吸血鬼が占拠しているから入れないんだ」
「えっ」
 息を飲む。
「二月一日、数十の吸血鬼が首都に突然現れた。混乱した者どもを襲い、有権者や政治家たちも軒並み血を抜き取られて、もう生きているかさえ不明だってさ。通信手段も全てジャックされて、心島に入ってった奴は誰も帰って来ないらしい。中心部が機能しなくなったから、この国は今大変なことになってる。そのうち吸血鬼が大陸の方に押し寄せて、国中の者を根だやしにするとか言ってる人もいるし、それにそなえて軍を準備してる国もあるって聞いた」
「そんな……っ」
 あたしたちはこの国の首都に降り立っていたのだ。そして、気がつけばそれは一国をゆるがす事態になっている。ひどいと思うと同時に、首都にいる彼らの気持ちが分からなくもなかった。虐げられ、嫌われてきた自分たちが、世界に反旗をひるがえしたのだ。
 わからなくもない、けれど。
 両親はこれを見据えて行動を起こしたのだろうか。彼らとは違うと証明したかったのだろうか。
「つーわけで、いっつも首都で演奏していた俺ら音楽隊はばらばらになったってわけ。あの日は俺達は自分たちの国で練習とか作曲とかしてたからな。もう一度集まろうと思っても、連絡すら取れないってわけ。そこで」
 ドン、とジュンが机を拳で叩いた。その目にはなんだかすごい熱意がこもっていて、考えにふけっていたあたしを現実に戻した。
「これから俺は大陸を一周して、皆を集めようと思うんだ! 俺ら全員出身国が違うから、それぞれの国まで行って一人ずつ取り戻さなくちゃならねえ」
 なんとしてでも音楽隊を再結成して見せる、と意気込む彼に、あたしはあっけにとられた。だって、たった一人で楽器背負って全国巡ろうってことでしょ。どんだけスケールのでかい旅を始めようとして……
「で、早速道に迷ったと」
「おう。自分が方向音痴だってこと忘れてた。南に向かう予定が北に行っててこの森に入り込んだらしい」
「馬鹿か」
 気合だけでこいつは体を動かしているらしい。
「それにしても、お前が俺らの曲の入ったレコード持ってるなんてな。吸血鬼でも音楽聞くんだな!」
「その、吸血鬼でもっていうのやめて」
 何となく、自分とあなたは別の存在だからと割り切られている気がして嫌だ。実際そうなのだが。
「じゃあ、いい加減名前を教えてくれよ」
「……」
 結局終始ジュンのペースである。
「あかね。闇野 あかね」
「りょーかい。よろしくな、あかね」
 そういって手を差し伸べてきたので、何をよろしくするんだとそっぽを向いた。
「あ、せっかくだからギター聴かせてやるよ! だからあかねは歌って」
「何でそうなる!」
 いや、本当、すごく意味がわからないんですけど。前の会話のどこをどうつなげればそうなるんですか。
 あきれるあたしをよそにばたばたとセッティングを始めるジュン。ケースからよいしょと取り出されたギターは、年季が入っていてところどころに傷がついていたけれど、とてもかっこよく見えた。
 低い音で少し弾いて、弦の調子を確かめると、ジュンはあたしに言った。
「あかね、俺だけだと伴奏しかできないから。俺、お前の歌が聞こえなかったら一生森で迷ってたかもしれないんだぜ? さっきの歌でいいからさ」
 窓の向こうに見える白い雪と、彼の見せた笑顔が同じように眩しかった。
「聞かせて」
「……」
 何でこんなことになったかな。
 もう。
 あたしは大きく息を吸い込んだ。

「僕には翼がないから 空は飛べないし
 僕には牙もないから 誰かの盾にはなれない」

 木の枝から雫が滴りおちる。
 柔らかい日差しが、雪を溶かしていく。
 あたしの声は陽の光と共にその真っ白な雪に吸い込まれていくような気がした。

「僕には魔術が使えないから 変身もできないし
 僕には妖術も使えないから 不老不死にもなれない」

 ジュンの弾くギターの音は、音の粒がはっきりとしていて、それでいてささやかで、それでいて優しかった。
 まるであたしの歌に寄り添ってくれているみたいだった。

「じゃあ何もできないかって そんなことないさ だって」

 歌を歌うと、こう、纏っているどろどろした全てを脱ぎ去って、自由になれる気がする。
 自分の声が自分の耳で聞こえるから、あたしはここに生きているんだなあって実感する。

「僕には肺がある だから息を吸えるんだ
 僕には声がある だから音が出せるんだ」

 ジュンがあたしより三つくらい下の音をとって、一緒に歌った。
 落ち着いた、あたしよりも低い声だった。
 さざ波のように二人の声が合わさって、小さな部屋に響く。

「僕には耳がある だから歌を聴けるんだ
 僕には両手がある だから詩を書けるんだ
 僕には心がある だから楽しくなるんだ
 僕には皆がいる だから僕は、

 生きられるんだ」

 それから、しばらくギターの音が響いて、おしまいだった。
 あたりに静けさがこもった。
「ありがとう。すごく、良かった」
 また、ジュンが笑ってそう言った。
「この歌を作ったのって、あんたなんでしょ」
「そうだよ」
 だったら教えてほしいことがあった。この歌を知っている人に、聞きたいことがあった。歌詞の意味を考えるときに、いつも考えては、寂しくなる疑問だった。
「あたしには、翼はないけれど空中に浮かぶことができる。誰かの首筋にたてるための牙がある。変身……はできないけれど、人に見えない速さで走れるし、きっとあんたの何倍も生きられる」
 この歌詞に出てくる『僕』がもっていないもののほとんどを、あたしは持ってる。肺も、耳も、両手もある。
「でも、いまのあたしに心はない。この前、今でも信じられない出来事が起こってから、あたし、何も感じなくなっちゃった。嬉しいとか、悲しいとか、楽しいとか」
 あの日より前、あたしはいったいどうやって笑って、泣いて、怒っていたのかが思い出せない。できなくなってしまった。
「どうすれば、いいと思う?」
 心があって、『皆』がいるあんたなら、それがわかるんでしょう。
「あかねに、心はあるよ」
 ジュンは答えた。
「ないよ」
「あるさ。心を持たない奴が、歌を歌ったって誰の心にも響かない。だけど、俺はお前の歌声から、何て言うか……上手く言えないけれど、何かの気持ちがこもってることを感じられたんだよ」
 何て言えばいいのかなあと首を捻るジュンを、あたしは黙って見ていた。しばらくしてジュンは遠くを見ながらぽつりと呟いた。
「あかねの声はは真っすぐなんだよな。真っすぐに、失ったなんかを探してる……つうの? そんな感じ」
 俺にも良くわかんねえけど、と言う彼に、そうなのかも知れないと思った。
 あたしは、両親を失って自分の中に空いた穴を埋められる何かを、探しているのかもしれない。
「そうなのかもしれない。探してるのかもしれない」
 誰かに、何かにこの空虚さを埋めてほしくて。
「じゃあ、そんなあかねさんに提案でーす、じゃーん」
 打って変わって明るい調子でギターケースの中からジュンが取り出して、あたしに見せたのは一枚の写真。
 そこには、五人の男女が映っていた。
 ギターを持ったジュン。ひょろっとしていて耳のとんがった、眼鏡をかけた男。短い金髪の、笑顔の可愛い女の子。たくましい体つきの、こわばった表情がちょっと怖い男。そして、翡翠色の髪をした、儚げで可憐な少女。
 写真いっぱいに肩を寄せ合って写っている。皆、いろんな顔で笑っていた。
 何だか、家族みたいだ。
「こいつら、俺の仲間なんだ。もし、俺が行かなかったら、一生会えないかもしれないんだ。そんなの俺は嫌だ。一人で探しに行こうと思ってたんだけどさ」

「あかねも、一緒に来ないか?」

「え」
「このままずっとここにいても、きっとあかねの探してるものは見つからない。あかね、会ったときに他人が嫌いだって言ったろ? でも、こいつらはお前のこと気にいると思うし、お前もこいつらのこと気にいると思うよ。探してるなんかも、もしかしたら見つかるかもしれない。だから入らないか、ナナシノ音楽隊に。俺と一緒に、皆に会いに行かないか」
 一瞬、目の前に現れた選択肢があたしの中でものすごく大きなものになるような予感がした。ここにいるか、外へ飛び出すか。彼と一緒に。
 突然の誘いにあたしは戸惑ってもう一度写真を見る。
 その中の少女の翡翠色の髪を見たとき、脳裏に何かが閃いた。
「あれ、この子……」
 優しく微笑む彼女は、今見ている写真の中だけではなく、あたしの記憶のどこかにいる。
「あ……!」
 熱でぼんやりととしていたあたしの眼に映った、心配そうな彼女の顔。父や母のことを、笑顔にさせることのできた彼女の話。歩くたびに揺れる、長くてしなやかな彼女の髪。
 閉じ込めていた記憶が一気に溢れだす。
 この家にほんの少しの間あたしたちと一緒にいた女の子は、写真に写る彼女と瓜二つ。
「あたし、この子知ってる」
「まじで!? 何で!?」
 それからあたしは、これまでの出来事をジュンに話した。頭が思い出したくないと思考を拒否するので、全てを話すのにはとても苦労した。
「……そっか。ごめんな、辛いこと話させて」
「別にいいよ。終わったことだし」
「なんか俺、気軽に一緒に行こうとか持ちかけちゃって、悪かったな。そんなことがあったなんて、知らなかったから。そりゃあ、誰もを信じられなくなるし、嫌いにもなるさ」
 悟ったように言う彼に、なんだかさっきまでの提案を諦められたような気がした。それを残念に思う自分がいて、少し驚く。
「もう少し、考える時間とか、そういうのがあかねには必要なのかもしれないし、俺は無理強いはしない。でももし、あかねが望むんだったら……」
 俺と一緒に、取り戻しに行かないか?
 互いの大切なものを。
 そんなことを言いたかったのだろう。けれど、あたしの固まった表情に、何かを感じて彼は席を立った。ギターを担いで、あたしに言った。
「やっぱそうだよな。ごめんな、いきなりこんなこと言って。俺たちの歌、大切に聞いてくれてて嬉しいよ。首都が戻ってあかねも元気になったら、聴きに来てくれよな」
 それじゃ、と告げる彼に、あたしは戸惑った。
 せっかく開かれた扉が閉じていくような気がして。彼と一緒にやってきたチャンスもいなくなってしまう気がして。もしここで留まっていたら、もう二度とあたしの失った何かは戻らない気がして。
 そして、それを嫌だと思うあたしがいて。 
「待って」
 とっさに呼びとめた。ジュンが振り向く。その目は何かを期待してるみたいで、でも不思議そうにあたしを見ていた。

「あたしも、行く」  
 
 森の雪はもう、溶け始めていた。

***

「えーまもなく三番線、三番線に寝台特急カシオペア号が参ります。黄色い線の内側にお並び下さーい」
 間延びした鼻声の駅員さんのアナウンスがホームに響く。
「つかれた」
 人ごみに慣れていないあたしはここまで来るのにかなり無駄な何かを消費してしまった。
「何だよ弱っちぃなー!」
「精神的にって意味! こんなに生き物がいっぱいいる場所あんまり来ないから……」
 森を出るまでに一時間ほど、そこからバスでさらに数時間でやっと大きな街にたどり着いた。ちなみに、ジュンは地図が読めないレベルの方向音痴だったので先導したのはほぼあたしだった。この役立たず。列車代を払ってくれる以外は役立たず。
 駅の改札は人間でごった返していて、ジュンと離れ離れになりかけたのも一度や二度ではない。そのたびに彼の頭の後ろから飛び出たギターケースを目印に追いついた。普段からこんな人ごみを使って暮らしているここの人たちの神経がわからない。何でもいいから早く列車に乗って一息つきたかった。
 あたしは肩からかけたポシェット一つにいつもの灰色のマントを頭からかぶっている。吸血鬼とばれないでいた方が行動しやすいし、気が楽だ。荷物は必要最低限しか持っていなくて身軽である。
 ジュンはといえばカジュアルな格好に背中にギター、さらにはかなり大きな鞄を肩から提げているので、腕がもげないかと冗談半分で聞いたらお前ならもげるな確実にと返された。心配して損した。
 もうすぐ春が近いとはいえ、まだまだ寒いプラットホームの真ん中でぽつぽつと会話を呟く。
「なんか、あっさり決めちまったけど本当にいいのか?」
「何が」
「俺と一緒に来るってこと。もうしばらくはあそこに戻れないぜ?」
「いいよ。あたしが決めたことだし。それにジュン一人じゃぜっっっっっったいに皆をみつけらんないと思うよ、方向音痴的な意味で」
「うるっせ!」
 もちろんそんなのは建前で、あの小さな家でぼんやり過ごすより、何かきっと手に入れられるものがあると思ったから。まだ心の整理はついていないけれど、そんなものいつまで閉じこもっていたって変わらないと思う。それとあとは久しぶりに湧いた好奇心という感情だった。
 今まで、吸血鬼の仲間たち以外の者と行動したことはなかった。初めてできた人間の友達をそっと見上げる。
 ジュンがあたしを見つけてくれた。
 孤独の中から助けてくれた。暗闇の中から救い出してくれた。
 それが、どんな意味をもつかはわからないけれど、今はただ、彼と一緒に前に進むだけだ。

 ゴーッという風と共に列車が入ってくる。つい先日これが乗り物だと知ったようなあたしが、これに乗って新しい土地を訪ねるのだ。隣でジュンがあくびをした。
「この車両ってなかにベッドついてんだろ? 乗ったらさっさと寝ようぜ」
「まだ夕方じゃん」
「俺は早寝早起きの健康児なんですー」
「嘘ばっか」
 
 列車のドアが開く。足を踏み入れる直前、後ろを振り向く。
 何の変哲もない、けれどあたしにとっては前よりも少しだけ綺麗な世界が後ろには広がっていて、これから行く場所はきっと、もっと鮮やかにあたしの目に映るだろう。そんなことをざわつくプラットホームに思う。
「どうした?」
 後ろからの問いに、返す答えはあいまいだ。
「べつに」
 あたしの旅はここから始まる。 


第二章

 夕暮れが窓から射しこんで眩しい。揺れが心地よい車内であたしとジュンは向かい合って地図を広げ、目的地の確認をする。
「まず、向かうのは妖の国だな」
 人の国を出て、最初に目指すのは妖の国。ドーナツ型の大陸を、中心の湖に沿うようにして時計回りに回っていく予定だ。今は三時から六時の方向に向かっているというところか。
「うん。あたしたちは東から南下してるってことになるんだね。朝方にはつくらしいよ」
「出だしは順調だな。あとは全員と合流できるか、ってとこだな」
 ふと、あたしは音楽隊のメンバーの名前や担当楽器を知らないことに気付いた。尋ねると、ジュンは家で見せてくれた写真をあたしに見せて説明をくれた。
「まず俺、ギターのジュン。残りの四人はこんな感じだ。
 打楽器使いのエルフ、チョンボ。
 鍵盤弾きの魔女、マーシャ。
 ラッパ吹きの半狼、ヴァル。
 そして翡翠の歌姫、カナタ。
 まずは妖の国に住むエルフのチョンボとカナタ。チョンボはバチがあればどんな種類の打楽器でもお手のものだ。カナタはボーカルで、あかねも知ってると思うけど、あいつの歌声はホントにすげえ。次に、魔の国に住む魔女のマーシャ。キーボードの腕はぴか一で、魔女じゃなかったら絶対ピアニストになってる奴だ。それから、獣の国に住む狼族のヴァル。国の軍隊の楽隊長も務めているくらい、トランペットが上手い。みんな、出身地も性別も年齢も違うけど、何でか気があうんだよなあ」
「ふーん。本当にばらばらなんだね」
「そうだな。でも、どっか全員同じ部分があるっつうか……まあ、あかねも会えばわかると思うぞ」
 それから、彼ら『ナナシノ音楽隊』が結成された時の話や首都での演奏の話、メンバーの笑い話や面白かった出来事なんかを聞いた。聞けば聞くほど素っ頓狂でおかしな人たちだったけれど、会うのが楽しみになってきた。
「……初めてその写真を見たときに、家族みたいって思った」
「家族かあ。確かにそうかもしれないな。会える時間はそんなに多くないけど、それだけ会ったときは嬉しいし、会えなくても皆どこかでつながってる気がするよ。でも、今日から一人増えたもんな」
「え?」
「あかねだよ。あかねは六人目のナナシノ音楽隊のメンバーだ」
「え、あたし、いつの間にか入っちゃってるの?」
「ボーカルが二人いたっていいだろ? 俺はお前の歌声に惚れたからな。勝手に入れた」
「なっ……」
 いきなりそんなことを言われて、慌てて目をそらす。
「顔赤いぞ?」
「うるさいな! 夕日のせいだよ、夕日」
 ジュンは心臓に悪いことを突然言うという。

***

 この列車にはなんとシャワー室までついていて驚いた。さっぱりして席に戻ると、ジュンが二人分の客席をベットに作り変えていてくれた。不思議な構造だなあと感心しつつ、窓のカーテンを閉める。列車の旅は新鮮で、寝台列車はジュンもあまり乗らないらしく、楽しそうだった。
 くだらない話をして、トランプをやってお菓子を食べてと過ごすうちにあっという間に夜は更け、そろそろ寝ることにした。あたしは基本夜行性なので起きていても大丈夫だが、ここに来てからは人間の生活スタイルに合わせて眠ることにしている。
「おやすみー」
「おやすみ」
 ジュンが電気を消す。
 真っ暗になった。

 十五分後。
 寝れない。
 吸血鬼だから睡眠はあまりとる必要がないとかそういうの抜きにして寝れない。あたしは布団に入ると家族の誰よりも早く寝いる質だったので、理由はすぐわかった。
 隣にジュンがいるから、寝れない。
 ずっと一人だったから分からなかったが、隣に人の気配がするだけでこんなに気になるとは思いもしなかった。がさごそいう音からして、どうやらジュンも起きているようだ。
「……ジュン、起きてる?」
「……おう」
 さて、どうしたもんか。
「なんか……寝れないんだけど」
「俺も」
 沈黙。列車の走る音だけが聞こえる。
「あーあのさ、吸血鬼って夜行性じゃなかったっけ?」
 気まずさを解消するために無理やり振られた話題にあたしも乗っかる。
「うん、基本的にはそうなんだけど、最近から人間の生活スタイルにあわせてるよ。昼間寝てたらジュンも迷惑でしょ?」
「じゃあ、お前が寝れないのはもともとの習慣のせいか。俺はまあ、なんとなく目がさえちまってるだけだ」
 そわそわと目を泳がせるジュンに、彼もあたしと同じような気持ちなのかなと思う。
 いやだって、年頃の男の子と女の子が狭い部屋の中一緒に寝るって……っ
「いやいや何考えてんのあたし!!」
「うわあいきなり何だよ!」
 突然頭を自分の拳で殴り出すあたしをジュンは呆れて見ていた。
 こんなんじゃ絶対朝まで寝れそうにない! 何かいい方法は……
「そういえばさあ、あかねは血とか吸わなくて大丈夫なのか?」
「へ?」
「いやあ、吸血鬼って人の血吸わないと生きていけない生き物だろ?」
 確かに言われてみれば、高熱を出して以来、一滴も血を飲んでいない。人間の食糧だけでなんとか食いつないできたが、おそらく一週間経ってしまえばそれでは通用しなくなるだろう。吸血鬼たるもの、やはり血を吸わなくてはいずれ死んでしまう。
「確かに最近吸ってないかも。そろそろまずいかなー」
「じゃあ俺の血飲むか?」
「えええ!?」
 突然の提案に戸惑う。
「だって、することもないし、あかねがそれでおなかいっぱいになったら眠れるかもしれないだろ」
 なるほど。それにこのあたりで血を貰っておかないと、飢えて周りの生物がみんな食いもんに見えてきてしまうかもしれない。
「でも、いいの? 貧血になるまでは飲まないけど、少しは体に負担がかかるよ?」
「そんな心配までしてもらっちゃって、あかねは優しいなぁ」
 冷やかすように言われてむかついたので、さっさとその提案を飲むことにした。
「はいはい飲みますよ!! 血吸わせてもらいますよ!」
 やけくそだか照れ隠しだかでむきになりながらもジュンのベッドに乗り移り、さっそく彼に接近する。
 なんだか急激に血が吸いたくなってきた。目の前に無造作に座っている彼の首筋に歯を立てれば、深紅の液体が流れ出てくるに違いない。想像したら涎が出そうになった。
 ぱん、と両手をあわせ、食事の時のあいさつをする。
「いただきます」
 たじろぐジュンの首筋にそっと指を這わせ、脈打つ部分を探す。夜目は利く方だが、この場合は触感で探した方が早い。
「ちょ……近っ……」
 ジュンの呟きに顔を上げれば、すぐ目の前に顔があった。途端に身体を彼に寄せていたのを思い切り意識してしまい、鼓動が早まる。ジュンがとても焦ったような、慌てたような、恥ずかしがっているような顔をしていたのがちょっと気になった。
(ただの吸血行為なのに、何を意識してるんだか……)
 それは自分に対してでもあり、彼に対してでもあり。
「あ、あった」
 鎖骨の少し上あたりにジュンの脈を感じる。思っていたよりも早い。どくどくと流れているものに、こくりと唾を飲みこむ。
 少し口を開け、八重歯で皮膚を少し傷つけて、そこからジュンの血を吸った。
「っう」
 驚いて呻いている彼を無視して思い切り吸い上げる。
(おいしい)
 まろやかで、鉄の味がして、しょっぱくて、何故か少し甘い気がした。
「ごちそうさまでした」
 喉を潤したところで口を離す。吸血鬼の唾液には止血効果があるので、傷をつけた場所を丹念に舐める。ジュンがびくっと身体を震わせた気がした。本当はもう少し飲みたかったが、彼の具合が悪くなっては困るのでやめる。口元についた血を拭っていると、ようやくジュンがあたしに言った。
「な、なんかさ……」
「あ、大丈夫? ふらふらしたりしない?」
「いや、俺は大丈夫なんだけど、その……」
「?」
 その後の彼の言葉に、あたしは枕を投げつけ罵倒した後、「こっから先入ってきたらコロス!!」と荷物でベッドとベッドの間の通路に境界線を作った上で、頭から布団をかぶって寝た。ちなみに血を吸ったせいで逆に目がさえてしまい、逆効果でなかなか寝付けなかった。
 ちなみにジュンがあたしに言った台詞はこんな感じだったと思う。
「血吸ってるときのあかね、エロいんだけど」
 変態。しね。

 列車は翌朝、妖の国と人の国の国境付近にある駅に無事到着した。

***

「うわあ……」
 初めて見る妖の国の景色に、あたしはただあんぐり口を開けて首をあっちこっちに回す。
 列車を降りたあたしたちを迎えていたのは、こんもりとした巨大な森だった。この駅からでさえものすごく大きく見える、濃い緑色のかたまり。こんなに一つの場所に木々が広い範囲で密生しているのは今まで見たことがない。それ自体が一つの国になっているという事実にあたしは驚きを隠せなかった。でも、妖の国に入っての方がさらに信じられなかった。
 どんだけ見上げてもてっぺんが見えないくらい高い木々が空の青を葉っぱで覆い隠しているのだ。それでも日光だけは綺麗に黄緑色になって降り注いでいる。空気は澄んでいて、すっきりとした匂いがした。足元のコケは柔らかくて気持ち良く、可愛らしいキノコ達があたしたちを出迎えていた。
 門番や関所と言ったものは見当たらず、不思議に思ってジュンに尋ねる。まるで、探検をしに未開の地へ入ったようだと。すると、その必要はないのだとジュンが教えてくれた。敵意を持ってこの森に何者かが入れば、木々がざわめいて教えてくれるというおとぎ話のような答えだった。それに、ここに住む妖たちはあまり「国」という意識がなく、同じ地域に住むただの仲間たちの集合体くらいにしかとっていないらしい。なんとも適当な話だ。
「ここで探さなくちゃいけないのって誰だっけ?」
 一度の説明では覚えきれなかったあたしに、ジュンは答えた。後ろのギターがぴょこぴょこ揺れる。
「チョンボとカナタだ。二人はエルフの兄妹だから、この国に住んでるのは間違いないんだけど、家の場所とかぜんぜんわかんねーからなあ……」
 ジュンは自分の住む人の国と首都である心島以外を訪れるのは初めてだそうだ。そんなんで良く無計画に飛び出せるなあ。
「とりあえず、誰か道を知ってる人……じゃなくて妖を探さないとね」
「そうだな!」
 地図を見つつ(主にあたしが)、四苦八苦しながら進んだ。出会った豆粒ほどの妖精たちに道を間違えていることを教えてもらったり、ユニコーンらしき影を見かけて騒いだり。途中の巨大な湖でセイレンと呼ばれる鳥人間のような妖に向こう岸へ運んでもらいもした。彼らは神話にも出てくる、歌が大好きな妖のようで、異国の国の『エンカ』と呼ばれる歌を延々聞かされた。美人な妖たちの妙な歌い回しに二人で笑った。
 湖を越えると、妖が集まっているところに出くわした。大小さまざまな妖たちが飛んだり跳ねたりしている。あたしは顔をフードで隠しながらも、面白い姿をした彼らを見まわした。小さな三角帽子をかぶり、並んで歩くひげの生えたノーム。陽気にジュンに話しかけてくるのは、頭は人間で身体は馬のケンタウロス。ちょっと目つきの悪い小鬼に、木の間から顔を出すニンフ。ここからだと膝までしか見えないくらい大きな巨人までいる。皆そろってあたしたちに興味を示していた。きっと森があたしたちを受け入れたからだろう、彼らの視線はとても好意的だった。
 皆一様に、切りだした木材を運んだり、やぐらを組みたてたりと何かの準備をしている。どうやらお祭りか何かが行われるらしい。大きさも姿も違う妖たちがそろって何かをしている様子は何だか変で、見ていて面白い。
「へえー、そのうち祭りでも始めんのかな、あかね?」
 と、あたしの方を向こうとしたジュンの顔面にすごい勢いで飛んできた何かがぶつかってきた。まばゆく光る、大きめの鞠くらいのわさわさした変なもの。
「い!?」
「ぬわあ!? 痛ってえええ何だこれ!!」
 ジュンがひっぺがすと、それは孔雀くらいの大きさの鳥だった。羽の色は赤、橙、黄色と光にあたるたびに変わり、日光を跳ね返してキラキラ光る。鳥の表情なんて知らないけれど、その顔はとても焦っていた。ジュンの手元でばたばた暴れている。
「あああどうしたらいいんだもう火祭りまであと三日しかいないのに歌姫が見つからない上にチョンボ君は出てくれる様子がないし変わりは見つからないしもうどうしたら」
「おい、何言ってるかわかんねえぞ! とりあえず落ちつけ」
 早口でまくしたてるその鳥は、はっとしてあたしたちの方を向いた。ようやくぶつかったことに気がついたらしい。
「おっとこれは失礼、前を見ていなかったね、私の不注意だ。しかし時間がないのでこれにて失礼するよ」
 飛び立とうとするのを押さえつけると半ば呆れてジュンが言った。
「お前、さっきチョンボって言ったよな? チョンボの家はこの近くって聞いたんだけど、どの辺か教えてくれないか?」
 ジュンの質問にさっきよりはいくぶん落ちついた、でもまだやっと聴きとれるくらいの早口で鳥は返事をした。
「おお、もしや君たちが森の言っていた来訪者かね? しかもチョンボ君を知っている……ちょうどいい、君たちを見こんで頼みがあるんだ」
「人の話聞けよ!」
 めずらしくジュンがつっこみ、自分を火の鳥と名乗った眩しい姿の鳥は、あたしたちに事情を話し始めた。

***

「本当にこんなんで、大丈夫なの……?」
「おう、絶対成功するさ!」
 小さな妖精たちに道案内をしてもらいながら、あたしたちはチョンボとカナタの住む家へと向かう。
 現在絶賛ひきこもり中(らしい)のチョンボを家から連れ出し、三日後の火祭りに参加してもらうよう頼むこと。カナタの姿を見かけないので、彼女も探してくること。彼女は行方不明という噂もあるので、真相を確かめてくること。
 これが、あたしたちが火の鳥と火祭り実行委員の妖たちから頼まれたことだ。
 この国では年に何回も、国民たちを森の中心部に集めて盛大に祭りを開催するらしい。ただ飲んで騒いで踊るだけのお祭り騒ぎだが、国民たちのつながりや一体感を保つためには重要な行事で、毎年脈々と受け継がれているそうだ。四季がなく、一定して暖かい気候のこの国では、祭りが季節を感じさせる役割も果たしているらしい。今回は火の鳥やフェニックスたちが主催する、火をテーマにした祭りだそうで、開催を知らせる歌を、カナタに歌ってもらうことに、演奏の指揮をチョンボにとってもらうことにしていた。
 しかし、あの吸血鬼事件以降、チョンボは家から出てこず、カナタに至ってはどこにいるのかさえ不明らしい。以前の祭りでも二人は快く歌や演奏を提供してくれていたらしいので、こんなことは初めてだそうだ。そして困り果てた火の鳥たちが、最後に頼ったのがあたしたちだということだ。
 で、ジュンはチョンボを連れ出すある作戦を考え付いたのだが、それがどうにもへんちくりんなもので、あたしには理解できない。
「ジュンの話聞いたところじゃ、チョンボさんって相当変人みたいじゃん」
「見た目は博識で優しいお兄さんって感じだけどなー」
 そうこうするうちに、妖精たちが一軒のツリーハウスを指差した。大きなブナの木にかかっている小さな家がそれのようだ。さっそく二人ではしごを上って、ドアをノックする。
「おーい、チョンボ、いるかー?」
 だいぶ長い沈黙。しばらくして、鍵の開く音が聞こえ、中から一人の男が顔を出した。
 天然パーマらしい茶髪はからまりのび放題、顔は青白くやつれ、神聖なエルフとは思えない死んだ魚のような目であたしたちを見た。ジュンやあたしよりずっと背が高く、ひょろりとしている。水玉模様のパジャマが似合っていない。ずり落ちた黒縁めがねを直そうともせずに、その人、チョンボはちょっとだけ驚きの表情を浮かべて言った。
「ジュン……? なんでここに」
「お前を連れ出しに来たぜ! とりあえず中入れろ」
「嫌だ。帰ってくれ。俺は外に出る気はない」
「連れねーなあ、せっかく会いに来てやったのにー!」
 しばらくの押し問答のあと、チョンボが根負けしてあたしたちを中に入れた。ジュンは他人の家に侵入する才能があるらしい。
 部屋の中は、とにかく汚かった。食べ終わった後の片付けていない皿、床に散らばる(かなりいかがわしい)雑誌、ゴミが散らかるベッド、閉めっぱなしのカーテン。椅子や机やらが可愛らしい木や葉でできていてとても雰囲気がいいのに、色々と残念だった。
 どっかの国で聞いたことある。こういう生活環境にいる人のこと、ニートとか言うんじゃなかったっけ。
「きったね! おい、掃除するぞ、あかね」
「ええー今から!?」
「俺の部屋より汚いのは、やばい」
 どんな判断基準だ。
 で、初対面のチョンボの家を掃除する羽目になった。あたしも家事全般は一応できるので、皿洗いやゴミの掃除から始める。チョンボはぼけーっとベッドに腰掛けたまま、時折ため息をつくだけだった。
「おい、カナタはどうした?」
 ジュンが掃除をしながら尋ねると、チョンボはぼそぼそ答えた。
「いなくなったよ……吸血鬼がやってきた時に」
「どういうことだ?」
「俺にもわからないね。出て行く前、真剣に新聞の緊急報道の欄を読んでいたのは知ってる。俺が見たのはそれが最後だよ。次の日の朝、あいつは家からも、たぶんこの国からもいなくなった」
 そうして出て行ってあたしたち吸血鬼に囚われたか、あるいはさらわれたのか。どっちにせよ、あたしたち家族と一緒にいたあの少女は、カナタで間違いないようだった。
「こいつ、あかねっていうんだけど、吸血鬼だからなんか知ってると思うぜ?」
 突然ジュンに話題を振られてびびる。その途端、チョンボが壁際まで思い切り後ずさって叫んだ。
「き、きっききききき吸血鬼いいいいい!!?? お、お、おまえ何でそんなのとつるんでるんだよ!! あ、あれだろ、あいつらって人でも妖でも魔女でも血とか体液根こそぎ吸って引き裂いて捨てるとか、吸われた奴も吸血鬼にするとか……っ!」
 ぷははははとジュンが笑いだした。いや、そこ笑う所じゃない。彼の反応が普通だ。
「あかねはそんな奴じゃねえよ。俺の友達だ。ナナシノ音楽隊の新メンバーだぜ?」
 チョンボが青ざめて喚く。
「はあ!? 何言ってんだ、こんな化け物みたいな奴と仲良くしろってか? こいつらはカナタを連れ去って、食っちまってるかもしれないんだぞ!?」
「だーかーらー、それを今から俺らで確かめに行けばいいじゃないか!」
「俺は絶対に嫌だ、そいつらと一緒にいるくらいなら俺音楽隊やめる!」
 ひとしきり騒いで口が終わると、チョンボはうなだれて言った。
「俺だって、カナタがさらわれたらどこへだって助けに行くよ……どんなことがあっても、必ず迎えに行くって決めてたよ……けどよ、相手はあの吸血鬼だぜ? どうやったって俺一人じゃ勝てっこないんだ。首都にいた俺の知り合いで帰ってこない奴もいるし、無理なんだよ……もう、何もかも」
 そう言って落ち込むチョンボを、あたしは申し訳ないような、否定したいような気持ちにかられると同時に、改めて思う。
 普通の人から見れば、吸血鬼なんてそんなふうにしか認識されていないのだ。
 害をなす存在。恐怖をもたらす存在。実際そうなのだからしかたがない。
 きっと、ジュンは特別なのだ。あたしを受け入れてくれる人なんて、世の中にそういない。チョンボもまた、大半のそれ以外の人々の一人でしかないということに気づいて、むなしくなる。
 ほら、やっぱりあたしは、『皆と仲良くする』なんて無理なんだよ。
 と、あれこれ思っていたとき、ジュンが厳かな口調であたしに言った。
「あかね……あれを出すんだ。さっき話しただろ、それを出せば全て丸く収まるって」
「え、ええー……」
 コケが生えそうにじめじめしているチョンボと、シリアスを気取るジュンを交互に見つめ、あたしはしぶしぶポシェットの中から「それ」を取りだす。
 その瞬間、チョンボを取り巻いていた暗いオーラが一気に消えた。
「そ……それは……」
 靴下である。
 ただの靴下ではない。あたしの家に残されてあった、カナタの靴下である。
 たったそれだけでだ。レースがついていて可愛らしいこと以外に、取り立てて注目するところはない。
 でも、あたしから神からの授かりものか何かのようにそれを受け取るチョンボの顔は、輝きに満ちていた。プチっと、彼の中の何かのスイッチの入る音がした気がした。
「カ……カナタの靴下……カナタの、く、つ、し、たぁ……っっ」
 ばっ、とガッツポーズをすると、途端に靴下を抱きしめてベッドを縦横無尽に転がり回り叫び出すチョンボがそこにいた。
「ヒャッホーーーーーーーイ!!! うわぁあぁあカナタあああぁぁああ!! カナタ!! カナタ!! カナタの靴下ああぁあぁあぁあぁああぁぁぁあん!! パンツとか盗むのはさすがにまずいと思って自重していたのがこんなところで報われるとは……っ!! スーハースーハー……クンカクンカあああああカナタの匂いがするー!! これ履いたカナタに踏んでもらいたい! 罵ってもらいたい! いやむしろ踏んでくださいおねがいしますうううう!! うわあああああああ!! もう俺死んでもいい!!」
 えーっと、本当はこれの五倍くらい叫んでいたのだけれど省略させていただく。というより、最後の方はもうこの世界に通用する言葉ではなかったようなのでよくわからない。
 よくわからないけど、とにかく相当気持ち悪いのがそこにのたまっていた。
「あたしは、何かの手がかりになるかなーと思ってこれを持ってきたんだけどなー……」
 変態紳士に渡すためではない。決して。
「良かったじゃねえか、役に立って!」 
 これは役に立ったと言えるのだろうか。むしろ持ち主のカナタに対して全力でお詫びしたくなってきた。
「だから言ったろ、チョンボは見た目は博識で優しいお兄さんって感じだけど、ただの極度のシスコンだって」
「それは聞いてない」
 
***
 
 そんなこんなで。
 あたしは今、大舞台のそでに緊張と吐き気を抱えて待機している。
 いや、待った。何がそんなこんなだ。話が飛びすぎた。
 結局、チョンボと謎の和解をしたあたしたちは、火祭りをどうするかという問題に移った。チョンボは演奏を引き受けてくれると言ったが、問題は歌姫の役であったカナタの消失だ。こればかりは本当に誰も行方を知らず、祭りまであと三日となった今、代役を探してくるしかなかった。そんなときに、またもやジュンの放った一言によって、あたしの立場は大変なものとなってしまう。
「じゃあ、あかねが歌姫やるっていうのは?」
「はあ!?」
 で、切羽詰まった火の鳥にそれを話すと、判断能力が鈍っているのか知らないが、歌が得意なものなら化け物だろうが異邦人だろうが誰でも良いらしく、勝手にあたしが歌うことにされてしまった。
「え、え、ちょっと待ってよ! あたし吸血鬼だし、歌下手だし、大勢の前で歌うとか無理! 無理だから!!」
 そもそも、顔を隠した謎の来客なんぞがそんな大役を担っては確実に怪しまれる。普通ありえない。
 思い切り反対したのにも関わらず、事態はどんどん進行してしまい、気がつけば小人たちに衣装の寸法を測られ、チョンボに曲調とリズムを教わっていた。おいおいおい。 
 拍子抜けしたのは、あたしが吸血鬼だということが案外あっさりと受け入れられてしまったことだ。これの原因はきっとチョンボとカナタのエルフ兄妹が、皆に信頼されているおかげである。エルフは古くからこの森の守り主の一族として栄えていたそうで、チョンボもその血筋と楽器の腕から一目置かれていた。この国で吸血鬼が恐れられているのは、あくまで伝承やおとぎ話の中の悪役だからだ。むしろ首都での事件はあまり知られていないらしい。それもあって、先入観だけ取り払われれば、あとはただの少し目の色の珍しい奴としてとらえられたようだ。彼の友人とあらば、我々の友人とも同然。そう言う者もいて、不思議と安心できた。
 そして三日後の夜、満を持して、いよいよ祭りが始まろうとしていた。
 あたしはフェニックスの羽で作られたといわれる燃えるように赤い民族衣装に、頭には鳥の頭をかたどった仮面をつけている。これのおかげで吸血鬼とばれることはない。万が一、大衆の前で吸血鬼であることが知られてしまったらきっと大混乱になる。それだけは避けたかった。
 舞台の下は大小さまざまな妖で溢れていた。皆一応に、歌姫の現れるのを待っている。どの祭りでも必ず、その祭りごとに仕立てられた歌を歌う歌姫が最初に登場するのだそうだ。ここ数年はカナタがそれを担っていたというから、あたしは尊敬する。だって、こんな大勢の前で歌うなんて、緊張で頭がどうにかなりそうだ。
「さあさあ、皆さまお静かに! 歌姫様が来られますぞ!」
 舞台の上を飛び回る火の鳥の合図で、厳かに音楽が奏でられ始める。いよいよだ。
 この国の楽器はみんな木やその皮でできていて、とても珍妙な形のものが多い。今はケンタウロスたちが大きな角笛を吹きならしている。チョンボが中心となって並べてある打楽器は、色も形も様々で、中にはどこを叩くかわからないものまである。
 ふと彼と目があった。にま、と笑われた。頑張れ、ということだと受け取って頷く。
 舞台の中心に進み出る。歩くたび、踵の高い靴がかっ、かっと音を立てて皆の注目を集める。一斉に注がれる視線。何これ怖い。
 思っていたよりも奥まで妖たちがつめかけているのが仮面の下からでもわかる。どこからこんなにわいてでたのだ。それだけ皆、この年に数回の祭りを楽しみにしているということか。
「おや、今日はカナタじゃないのか?」「カナタ嬢はいないのか」「あの黒髪の娘は誰ぞ」「見たことがないな」
 すこしざわめきだして、辺りが騒がしくなる。これ、おさまってから歌いだした方がいいのかなあ。何せ独唱だから、歌い出しのタイミングがつかめない。
 と、ざわめきの中に、あたしは一瞬違うものを感じた。
 
 祭りの高揚感。群衆の一番後ろのほう。その中に、ほんの少しだけ感じた違和感……あれは、敵意?
 それが何かを確かめる前にあたしが聞いたのは、チョンボが後ろで「あっ」と息を飲む音と、ヒュウっと言う何かが飛ぶ音。
 そして、頭を襲う衝撃。
 あっという間に、仮面が砕け散って、あたしの顔がさらけ出された。
「!?」
 カツンと一瞬遅れて足元に転がったのは、ただの小さな石ころ。でも、早さをつけて投げられたのなら、それは武器になる。
 誰かが、あたしめがけて投げたものだった。
 瞬間、一気に妖たちに衝撃と動揺が走る。悲鳴と怒号。
「吸血鬼!?」「黒い髪に赤い目だ!」「きゃあああああ!!」「吸血鬼だ!」「どうしてこんなところに」「襲われたのは首都だけじゃなかったのか!?」「逃げろ、逃げろ! 食われるぞ!」
 一目散に舞台から遠ざかろうとする者、こちらに向けて何か投げつけてくる者、腰が抜けて動けなくなってしまう者。
 どうしよう。どうしたらいい。こんなことになるなんて。
 あたしやジュンやチョンボの周りの妖たちはあたしを怖がらないでいてくれた。あたしを「普通」だと認めてくれた。でもそんなのは、あくまで一部の人たちだけ。あとの人たちから見たら、あたしは災厄をもたらす悪魔であり、物語の悪役であり。
 忌み嫌われる存在に違いない。
 三日前はチョンボだけだった。でも、こんな大勢をどうやって収めようというのか。このまま混乱の中祭りは駄目になってしまうのか。
 その時、一人の少年が舞台に駆けあがった。大きく息を吸い込み、叫んだ。
「おまえらああああああああああああああ、聞けえええええええええええええええええええええええ!!!!!!」
 思わず耳を塞ぐ。一瞬にして場が静まりかえる。
「こいつは確かに吸血鬼だ、でもお前らが思ってるような酷い奴じゃねえよ!!」
 ジュンは、訴えるというより怒鳴るように言った。
「こいつが何をしたっていうんだよ。お前らが何されたっていうんだよ。悪いのは、昔話の中の吸血鬼や首都にいる吸血鬼で、こいつじゃ、あかねじゃねえだろ!? あかねはなあ、どたんばでカナタの代わりを引き受けてくれて、一生懸命やってたんだ、この日のために! たった三日間の練習で、この大役をやってのけようとしてくれたんだよ!! それをお前らはごちゃごちゃと、噂だか何だかに流されて、何なんだよ! こいつの気持ちを考えたことがあんのか!!」
「……ジュン」
 何で。
 どうして。
「あたしなんかのために、どうしてそこまで声を張り上げてくれるの」
 思わず声に出してしまった。
「またあかねは変なこと聞くなあ」
 叫びすぎで少しかすれた声で、彼は答えた。
「友達だからに決まってんだろ」
 そうやって、彼はいつも言うのだ。あたりまえだと言うように。そんなこと、とうの昔から知っていたと言うように。
 ああ。
 あたしは彼を信じてもいいのだ。
 割れた仮面がパキ、と地面で音をたてた。
「ジュンの言うとおりだね」
 チョンボがあたしの脇にやってきて言った。
「彼女は何もしていない。悪いのは彼女じゃないよ。君たちのそれはただの思い込みだろう? あかねちゃんはいい子だよ。そもそも」
 ひょい、と掲げたのはあたしが持って来た、カナタの靴下。いや、あんたなんで今持ってんの。
「カナタの靴下を届けてくれるような人なんだ、悪者のわけがない!」
 これまでにないほど晴れやかな笑顔で微笑む、若干気持ち悪い妹馬鹿がそこにいた。
 静まりかえった中に、くすくすと笑い声が聞こえる。だんだん広がって、大笑いになった。
「また始まったよ、チョンボの妹好き」「靴下って……」「チョンボ、妹愛しすぎだろ」「まったく、これだからあいつはー」「究極の妹馬鹿だな」
 チョンボの妹好きは、皆に知れ渡っているようで。
 笑いに包まれてしまった会場に、ジュンと二人で顔を見合わせて苦笑した。
「そうだな、坊っちゃんとチョンボの言うとおりだ、こいつは俺らが悪かったよ」
 ドワーフが頭を掻きながらしゃがれた声で笑った。
「わしらは本当は吸血鬼のことなんぞ良く知らんのじゃ。悪だと決めつけてしまうのは良くないの」
 ひげの生えた小人たちが頷いた。
「さあ、歌を披露してもらおうじゃねえか、可愛い吸血鬼さん」
 ケンタウロスに言われてようやく、何故あたしがここにいるのかを思い出した。
 騒ぎが徐々に収まり、皆があたしを見つめる。
 チョンボがあたしの肩をぽんと叩いて打楽器の方へと下がる。
「あかね」
 ジュンが舞台を降りながらあたしに何か言おうとして、しばらく考えて、これだけ言い残して消えた。
「頑張れ!」
 
 息を吸って、吐いて。祭りの前の高揚感と、何となく漂う大雑把で騒がしい空気。そこに、あたしの歌が割って入る隙間くらいはある。たったの三日間だったが、精一杯練習した通りに歌を紡ぎ出した。
 あたしが習ったこの歌には、メロディだけがあって具体的な歌詞がない。全ての者が美しいと思えるような調べを、昔の妖たちが残したからだと言われている。言葉はなくとも、皆の心に響けばそれで良い。そういうことなのだろう。
 時には高く、時には低く、あたしの声だけが通る。あたしの口から出た音だけが、妖たちの耳に入ってゆく。意味を持たないその歌は、彼らにどのように聞こえるのだろう。
 何も考えずに覚えた通りに曲を紡ぐうち、ふと思う。
 きっと、この風景は大昔と変わらないのだ。
 大きな者も、小さな者も、力のある者もない者も、男も女も老人も子供も皆集まって、祭りの前のひとときに歌姫の歌に耳を傾けたのだ。静かに、静かに。
 よくわからないけれど、ここには不思議な一体感があった。
 歌い手も、聴き手も一つになる。一つになって、歌によって皆で手を繋ぐ。誰もが繋がっていく。そんな感じだった。
 この空間を、繋がりを、きっと昔の人は忘れないでいて欲しかったのではないか。後世まで残したかったんじゃないか。
 そういう願いが、祈りが、この歌にはこめられているのではないか。
 それが伝わるかどうかは分からないけれど、あたしは精一杯声を張り上げた。

 口を閉じたあとにやってきたのは大歓声だった。
 拍手喝采にあたしは戸惑い、おたおたしているうちに角笛が鳴り響く。
 振り返ると、チョンボとその仲間の妖たちが演奏を始めた。さっきのあたしの厳かな感じの曲調とは打って変わって、明るい軽快な音楽を作りだし、あっという間に会場をわかす。
「みんな、盛り上がってるかぁー?」
 チョンボのへなっとした掛け声に観衆がわく。思わず身体を動かしたくなるような音だった。チョンボたちが次々に叩いていく打楽器たちから楽しそうな音がどんどん飛び出す。めちゃくちゃに叩いているように見えるのに、一定のテンポで一つのリズムを作り出している。妖精たちのピーヒョロ笛も加わって、祭りがいよいよ始まった。
 舞台の周りの松明に一斉に火がつけられる。一気に燃えがったのは広場の中心に供えられたキャンプファイア。その前で火の鳥たちが踊り出すと、きらきらと火の粉が舞った。妖たちが互いにペアを組んで、リズムに合わせてステップを踏み、炎の周りをぐるぐる回る。
 いつの間にかどんちゃん騒ぎになっていた広場を下に、あたしは満たされた気分になった。
 良かった、アクシデントはあったけれど、何とかなった。
 そういえば、と割れ落ちた仮面の破片を見て思い出す。あたしに石を投げつけたのは一体誰なのだろう。妖の仕業だろうか。そして、あの時感じた敵意に何か覚えがあるのは何故だろう……?
 ふと気がつけば、チョンボが演奏をやめて隣に来ていた。不思議な笑みを浮かべて、突然左手を指をパチン、と鳴らす。
 その瞬間、木でできた舞台の床から突然太い枝が生え、何重にも絡み合ってあたしの背後に厚い壁を作った。
「え」
 カカッという音が耳に届く。
 振り返れば、壁の向こうに二本のクナイが刺さっていた。その位置は、あたしの後頭部と首筋に真っすぐ突き刺さる場所。
「……!?」
 一気に血の気が引く。もしチョンボが術で防いでくれなかったら、吸血鬼といえども危なかったはずだ。
 二つのクナイは、舞台の背後の森の奥から、柱や打楽器を縫うようにして無音で飛ばされていた。演奏しているチョンボの仲間たちはあまりの早さに気付いていない。
 冷や汗が流れる。チョンボが振り返って茂みに向かって言った。
「誰だか知らないし、君が何をするのも勝手だけど……さっきあかねちゃんの仮面を割ったのも君だろう。何の恨みか知らないけど、祭りの邪魔をするのと友達を傷つけるのだけはやめてもらわないとね」
 抜いたクナイをぎらりときらめかせ、眼鏡の奥のチョンボの目も妖しく光った。
「今度そういう真似をしたらこっちから出向かせてもらうよ」
 はったりか、はたまた本気か。飄々とした態度で彼が言い放つと、森の奥の気配が消えていくのを感じた。
 あたしは気配にはすぐ気がつく方だと思っていたが、背後をとられてまでここまで分からなかったのは初めてだ。あの謎の襲撃者の気配をチョンボは先に察知していたということか。
 家ではあんな言動をしていたくせに、この人、いやこの妖、ただものじゃない。
 驚きと敬意の目でチョンボを見ると、にひひと笑われた。
「おーい、あかねー、チョンボー、あっちに屋台が出てるぜ!」
 綿菓子を持ったジュンが舞台の下から呼んでいる。チビだから頭しか見えない。
「あー俺、りんご飴食べたい!」
 さっきのシリアスオーラはどこへやら、チョンボが返事をした。楽器を仲間たちに任せ、ぴょんと舞台を飛び降りる。
「あ、待ってよ! あたしも行くー!」
 床まであるきらきらした衣装のせいで上手く走れず、転びそうになりながらあたしも追いかける。ついさっき命の危険にさらされたことなんて、頭の隅においてきてしまった。
 あたしとジュンがそのあと屋台や踊りを十分堪能したのは、また別の話。
 お祭り騒ぎは夜明けまで続く。
  
2012-03-16 12:27:12公開 / 作者:木の葉のぶ
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■作者からのメッセージ
 三月一日 第一章まで
 三月十五日 第二章まで

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この作品に対する感想 - 昇順
 初めまして、みのると申します。作品拝見しました。
 ファンタジー大好きな人間が、心惹かれる設定ですね。ふたりのキャラクターも可愛いです。
 気になった点と言えば、一つ目は何故「いくらかたって」あかねが扉を開けたのかということ。ここまで彼女の生い立ちを考えると、おいそれと扉を開ける気分にはならない気がするのです。もう少し心理描写がほしかったかなと。
 もうひとつは、あかねが吸血鬼だと知った時の、ジュンの反応。彼は人好きのする明るい性格のようですが、吸血鬼騒動が原因で大切な仲間とはぐれる羽目になったのですから、もう少し説明が必要ではないかと感じました。
 続きをお待ちしています。ぜひ完成させてくださいねw
2012-03-05 20:12:44【☆☆☆☆☆】みのる
 はじめまして、みのる様。感想ありがとうございます!
 設定はみのる様にすんなり受け入れられたようでほっとしています。結構説明のないまま序盤が展開してしまっているので不安でしたが、良かったです。二人は今後主人公として活躍していく予定なので、可愛がっていただければ幸いですw
 一つ目のご指摘、読み返すと確かに描写が足りずにあっさりした感じになってますね。直させていただきます。
 二つ目はご指摘されるまで気がつきませんでした。確かに、仲間がばらばらになってしまった元凶ともいえる吸血鬼にあったジュンが、嫌悪感を感じないわけがないですよね。「説明が必要」とはジュンがもうすこし、疑いや嫌悪を感じるはずだということですよね? すみません、読解力がないうえにコミュ障なので……そういう意味だと受け取らせていただきます。
 感想いただけてとてもモチベーションがあがりました。良ければしばらくあかね達の旅にお付き合いください。ありがとうございました。
2012-03-06 13:10:22【☆☆☆☆☆】木の葉のぶ
こちらでははじめまして。三文物書きの木沢井です。
 こういう世界観もいいものだなぁ、と思いつつ拝読していました。希望の唄を歌おう――いい言葉だと思います。この世界における音楽の役割がどのようなものかは把握し切れていませんが、やはり音楽が大きなメッセージ性を持つのはどこでも共通なのかもしれない…… などとも思っています。
 何か、木の葉様のお役に立てそうなことを申し上げようとは思いますが、何分その方面は小学校の読書感想文以来苦手なので、語弊を生まないよう、なるべく、簡潔に申し上げさせていただきます。
 おそらく、この作品は木の葉様次第で、もっと世界観や個々人の魅力を深めることが可能です。その要素があると私は思っています。それを実現するためには、今はまだ、描写や展開を過分に省略されない方がよろしいのではないのでしょうか。疲労は倍増されるでしょうが、得られるものも多いかと思われます。
 生意気なことを延々垂れ流していますが、要はコイツハカッテニキタイシテンダナ、ぐらいに認識するだけで問題ありません。
以上、カーペンターズを聴きつつの木沢井でした。古くても本物は本物ですよ、ええ。
2012-03-23 11:32:59【☆☆☆☆☆】木沢井
 こんにちは、木沢井様。感想ありがとうございます!
 世界観を気に入っていただけたようで嬉しいです。でも自分ではこの世界をまだ完璧には把握できていません……(自分で作ったくせに)頑張ります。冒頭の言葉は、ラストにつながる……はずなので気長に待ってもらえると嬉しいです。まだここまでだと物語における音楽の重要性が表せてないと思いますので、それももう少し待っていただけるとありがたいです^^;
 私次第で良くなる、と言っていただけると何やら嬉しいです。今はとにかく「話を先に進めよう」ということばかりを考えていて、描写や細かい部分に全く注意を払わず書いているので、もう少し丁寧に書いていこうと思います。あと、木沢井様のおっしゃる通り、疲れるし面倒だからと言って省略している部分も多々ありますし。見直そうと思います。
 貴重なアドバイスをありがとうございました。期待していただけたのならそれだけで幸せものです。
 では、久々の感想に舞い上がっている木の葉でした。
2012-03-23 13:16:06【☆☆☆☆☆】木の葉のぶ
計:0点
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