『君はもういない』作者:シン / t@^W[ - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
「超能力は信じてくれたのに幽霊は信じてくれないんですか? そんなのおかしいです」
全角35962文字
容量71924 bytes
原稿用紙約89.91枚






 その時は突然やってきた。俺の妹が死んだのだ。好きだった登山の最中に遭難してしまいそのまま帰らぬ人になってしまった。
季節は冬、一人じゃ危険だからと、俺と両親は妹の雪を止めた、しかし雪は
「大丈夫、毎年みんなで登ってる山なんだから、それにお兄ちゃんと同じ学校に合格できるよう、早く願掛けしたいの」と笑って言った。
雪の言う通りいつも家族みんなで登っている山だったんだが、その日は俺も両親も都合が悪く、日を改めようと家族会議で決まったばかりだった。だが雪はどうしてもその日に登ると譲らなかったのだ。どうしてあの時もっと引き留めておかなかったのか、俺と両親は悔やんでも悔やみきれない思いを味わった。

 悲しみに浸るよりも先に、俺と両親は葬式やら何やらの行事に忙殺されていた。自分の身に降りかかってもなおこの行事は本当に必要なのかと思う、多額の金と悲しむ時間を割いてまで行う必要があるのか疑問になる。確かに悲しむ暇もないほど何かに集中したい気もするが、それはただの先延ばしでしかないと俺は思った、しばらくすれば溜った感情が爆発する時がどうせくるのだ。両親がどう思っているかは聞いていないから分からないが、きっと同じ気持ちだと思う。
 葬儀には妹の友達、そして俺の友達が沢山来てくれた。俺と妹は仲が良かった、一緒に行動する事も多かったからお互いの友達とも面識がある。雪の友達も雪の為に泣いてくれた、俺の友達も泣いてくれた、それがただただ嬉しかった。
 葬儀の記憶はあいまいだ、壇上を見ることも出来なかった。きっとそこには雪の笑っている生前の写真が飾ってあるのだろう、まだ今の俺にはそれを直視する気にはなれない、そんなぼんやりした時間の中を俺はしばらく過ごした。

 今日は雪が死んでから初めての登校になる、まだ雪の笑っているであろう写真は見れないし気持ちの整理もつかない。両親も立ち直るにはまだ時間が掛かりそうだ、二人とも居間のソファーでうなだれている。葬儀で疲れたのか悲しみにあけくれたからなのか二人の顔色は酷く悪い、鏡を見ればきっと俺も同じ顔をしているだろうと思いながら朝食も取らず学校へと向かった。

 雪と二人で毎朝歩いた道、十五分ほど歩くと分かれ道がある。右は俺が通う高校へ向かう道、左は雪が通う中学校へ向かう道、俺たちは毎日ここで「じゃあな」と言って分かれていた。数ヶ月後にはきっと二人で右の道を歩けるはずだったのかと思うと、悲しみよりも怒りのほうがこみ上げる。行き交う人間が霞んで見えた。

 沢山の生徒たちと一緒に学校の校門をくぐり、下駄箱で靴からスリッパへ履き替え教室へと向かう。教室へ入るとそこには葬式に来てくれた友達たちが沢山いた、おはようと言うべきか迷った、葬式に来てくれてありがとうと感謝するべきだと思ったが出来なかった。今は口を動かす事さえも辛くなっていた、唇が乾き上と下が張り付いているような感覚。無理に開けば血が出てくるんじゃないかと思うほどの張り付き。
 自分の席へ向かう途中小さな女の子が足早に横を通り過ぎた、あれは道草円(みちくさ まどか)、物静かで普段誰かとしゃべっている所を見た事がない、悪い言い方をするならば暗くて存在感が乏しい奴って事だ。ふと思い出す、雪の葬式の時にも彼女は来てくれた、といっても玄関門の前で覗き込んでいたというのが正しいか、結局中には入らず帰ってしまった。それでもやはりお礼するべきだと思い振り返ったがすでに彼女の姿はなかった。

 一時限目は数学だ、鞄を開けて教科書を取り出そうとしたが中には日本地図しか入っていなかった。地図には付箋が付いていて開くと×記しがあった、雪が発見された場所だ。俺は相当まいっているようだと思った。まぁいいか、どうせ授業の内容が頭に入る状態じゃない。

 一時限が終わった休み時間、幼馴染のタカシと友達数名が俺の席に集まった。
「どうして……こんな事に」
タカシは雪とも一緒によく遊んでいた、他愛もない懐かしい情景を思い出し肩が震える。
「やめろ! そういう事は言わないって決めただろ」
俺の事を気遣ったのかタカシの横にいたトオルが声を荒げて言う、いつもは物静かな奴なのに珍しい事だ。
「いいよ、気にしないかなら」
張り付いたような唇を無理に動かしたせいか痛みを感じる。
「悪い……」
タカシが謝る。
「いや俺も大きな声出しちまった、ごめん」
その後みんなで他愛もない世間話をした、友達の気遣いが嬉しかった、でもだからこそ辛かった。
「悪い、俺ちょっとトイレ行って来る」
そう言い残し俺は教室から逃げるように出た。

 トイレには行かずそのまま立ち入り禁止の屋上へと出た、そこから見える景色はいつもと何も変わらない、雪が死んでも変わらないのだ。
「こんな所で何してるんですか?」
振り返るとそこには花瓶を持った道草円が立っていた、改めてみると本当に小さいな、頭が俺の胸より少し下ってところか、ショートヘアで前髪が片目を隠している、何たらキタロウを思い出す、身体は華奢で色白でお世辞にも発育が良い健康優良児とは言えない。
「ショックです……」
肩を落とし下を向く道草円、しまった声に出ていたようだ。すぐ訂正して謝罪しなければ。
「いいです、そんな事よりも唇から血が出てますよ」
ポケットから白いハンカチを取り出し俺の唇に押し当てる、真白だったハンカチに赤い血が滲んでいる。
「大丈夫です、私はテレパシーが使えますから」
テレパシー? 確かにそう聞こえた、無口で影が薄いクラスメイトが言った言葉を頭の中で復唱する。
「はぃテレパシーです、意味は分かるりますよね?」
テレパシーってあの超能力者が使えるって奴か? でもあれは漫画や小説の中にしか存在しない、いわば作り話の中でしかできない芸当のはずだ。
「そんな事ありません、現実にそういう事ができる人が沢山いるんですよ。アナタが知らないだけで」
血が付いたハンカチを気にせずポケットへしまう。それにしたってテレパシー? 超能力? そんな話を信じられるわけがない。
「アナタは目の前で起きている事も信じられないんですか? 現に今、私はアナタの心の声を聞いているんですよ?」
確かに……でも、いやしかし、表情からそれとなく会話を繋げられると聞いたことがある、何たらという精神科医がそう言っていた。
「それでは顔に出さず心の中で何かを呟いて下さい」
威圧感すら感じさせる道草円の片目がこちらを睨んでいる、まさかこんな表情を作れるとは驚きだった。
「何でも構いませんからどうぞ呟いて下さい」
何でもって言われても……ペチャパイ。
「…………」
威圧感を出していた道草円の目がみるみる涙目になってきた、うつむき下を向いた。
「うぅ……かなりショックです、でも本当の事かも……」
急に罪悪感を覚え俺はうろたえながら戸惑った。ここは謝るべきだろう、かなり酷い事を俺は言ってしまった気がする。
「嘘、冗談です。全然気にしてませんから、オッパイなんてただの脂肪の塊ですし、あっても肩が凝るだけですから」
そう言いながら顔を上げてこちらを見る。道草……目が潤んでるぞ。
「潤んでなんかいません、ゴミが入っただけです」
目をゴシゴシとこする。まぁいいか、要するに俺は声に出さなくてもいいわけだな?
「はぃそうです、心の中で語りかけてくれれば聞こえますから」
それは助かる、どういうわけか唇が固まってるように動かないんだ。
「そういう時もあります、だから気にしないでいいと思います」
そう言うと、道草はいつもの無口で無感情な表情に戻っていた。
「それで、屋上で何をしてたんですか?」
別に理由なんてない、ただ何となく教室にいるのが辛かっただけで、あいつらが気を使ってくれるのは嬉しいんだけどさ、やっぱり辛いんだよな。それにしゃべると唇も痛いし。
「そうですか」
道草はどうしてこんな所にいるんだ? ここは立ち入り禁止だぞ。
「いつも立ち入り禁止を無視して屋上へ来ているアナタには言われたくありません。それに……私の事は円でいいです、道草って呼ばれるのは好きじゃないんです、それでよく苛められてましたから」
そっか、まぁ確かに変わった名前だしな、分かったよろしくな円。
「はぃ、こちらこそです」
それにしても無口なクラスメイトがテレパシーを使える超能力者だったとは。だがどういうわけか不思議と受け入れらた、受け入れがたい雪がいない現実よりはまだ受け入れやすいと俺自身が感じたのかもしれない。

 しばらく屋上から街の景色を眺めているとチャイムが聞こえてきた。円は二時限目出なくてもいいのか?
「二時限目なんてとっくに終わってますよ、今のチャイムは四時限目が終わって今からお昼休みです」
え? いつの間にかそんなに時間が経ってたのか、円はいいのか? 俺の事なんて気にせず授業に出ればいいのに。
「いいんです、私が好きでここにいるんですから」
好きでって。
「それよりも私ずっと考えてたんです」
景色を眺めながら円が言った、俺からは髪で隠れて円の目が見えない。
「やっぱり私さっきのアナタの発言で痛く傷つきました」
さっきの発言って……ペチャパイの事か?
「そうです、女の子に向かってその発言はヒドイと思います、だから」
だから? 土下座でもしろと言うのか?
「そんな事は望んでないです、ただ私の仕事を手伝ってもらおうかと思います」
こちらを振り返り円はそう言った、髪で隠れていた見えなかった方の目で見据えながら。
「駄目ですか?」
駄目も何も、円の仕事って何なんだ?
「人助けと悪者退治です、こう見えても私は正義のヒーローって奴なんですよ」
ヒーロー? ぷっ! アッハハハハハハ。
「あー! 笑いましたね、ヒドイです、本当なんですからね」
古い表現を使うならプンプンと怒ったような仕草を見せる円、いや参った、こんなに笑えるとは思ってなかったからつい、でも正義のヒーローってアッハハハハ。
「ムーーー! だったら証拠を見せてあげます一緒に来て下さい」
ちょっとそんな引っ張らなくても。
「いーえ引っ張ります、今すぐ証拠を見せないと私の気が収まりませんから」
午後の授業はどうするんだ? 俺は別にいいけど。
「私も構いません、優先すべき事項は見極めているつもりですから」
ヤレヤレまぁどうせ授業に出ても何一つ頭には入らないだろうし、俺は円に引っ張られるままに学校から出ることになった。しかしこの少女の怒った顔というのを初めて見たな。

「う〜〜ん」
学校から出て市街地へと歩いた。円はさっきから何かを見つける為にキョロキョロと周りを見渡していた。悪者って奴を探してるのだろうか。
「そうです」
そもそも悪者って何だ? 強盗する奴か? 殺人しちゃう奴か? それともまさかポイ捨ても悪者か?
「それ全部普通に悪者じゃないですか。私が探してるのはそういう普通の悪者じゃないんです」
普通じゃない悪者?
「あっ、いました、アレです」
そう言って前方を歩くサラリーマン風の年配男を指差した。見たところ普通の人だ、身長は170cmくらい中肉中背、メガネをかけて髪はセンター分けのサラサラヘアー。あれのどこが普通じゃない悪者なんだ?
「私の手を握ってくれますか?」
手? あぁいいけど。そう言って円が差し出した左手を掴む。
「……」
それでどうすればいいんだ?
「あ、えっと、この状態でもう一度さっきの人を見てください、できればもっと強く握ってください」
言われたとおりに俺は円の手を強く握る。
「あっ……」
あ、悪い強く握りすぎたか? 円の手はとても小さく柔らかかった、女の子の手を握った事がなかったので力配分が難しい。
「初めてなんですか?」
妹以外の女の手は初めてかな。
「そうですか、まぁいいです。それではもう一度あの人を見てください、何かおかしいと思いませんか?」
何かって言われても……とくにおかしいところなんて、あっ!
「気付かれましたか」
あいつカツラ付けてるな、なんかちょっとずれてるし、違和感あったんだよな、歳の割には髪が黒々だし。
「え? 本当ですか? 確かに言われればそんな気も……ってそうじゃありません。足元を見てください」
足元? あっ!
「気付かれましたか?」
靴下の色が違う、左が茶色で右が黒だ。
「え? あ、本当ですね、あれは相当恥ずかしいと思います」
あぁ、あれはかなり恥ずかしいな。
「ってそーじゃありません、あの人浮いてるんです」
浮いてる? 浮いてるたってお前何言って……あ、本当だちょっと浮いてるかも。
「さらに見てください」
さらに見てみる。すると男の前から集団で歩いてきた女子高生とぶつかりそうになった瞬間……すり抜けた?
「そうなんです、彼は物体をすり抜ける事ができるんです。さらに誰からも自分の存在を知られる事がない、いわば透明人間という奴です」
それも超能力って奴か。
「そうです」
俺たちが見えてるのはどうしてなんだ?
「それは私が超能力者で、手をつなぐ事によってその力がアナタにも伝わっているからです」
なるほど、分かったような分からないような感じだが納得した。
「納得していただいて何よりです」
うんうんと首を縦に振る。それでアイツはその超能力を使って何か悪い事でもしたのか?
「あの人の前を歩く女性を見てください、女性が歩いてますよね」
ん? 確かに若い女性が歩いている。ようするにあのオッサンはストーカーって事か?
「まだ分かりません、本人に直接聞いてみたいと思います。ついて来てください」
そう言って俺の手を引っ張り男へと近づく。
「ちょっとすみませんそこのアナタ」
「え?」
カツラのずれたオッサンがゆっくりと首だけを動かし俺たちの方を向く。
「これは驚いた、君は私の事が見えるのかね?」
「えぇバッチリとスッキリと丸見えです、ちょっとこちらへ来てください」
オッサンの頭をつかんで引き摺るように移動する。背の低い円から頭を掴まれたオッサンはカツラを抑えながら中腰で後を追う形になった、大丈夫かな腰とか頭とか頭とか。
「ちょっとやめなさい、私は彼女から離れるわけには、って頭がずれるからやめて」
髪ならもうずれずれですよ。

 オッサンを引き摺り到着した場所は近くの公園だった。中央には大きな噴水がありその隣には砂場や遊具が沢山ある。学校が終わった小学生が遊び、赤ちゃんを連れた主婦の井戸端会議などがその小さな世界で行われていた。犬を連れて散歩してる老人、ダイエットか健康の為にジョギングをする人達。言い方はおかしいかもしれないが結構栄えた公園だ。その公園をぐるりと囲うようにあるベンチの一つに俺たちは座っていた。
「待って下さい」
一度はベンチに座らせるもすぐに立ち上がり歩き出そうとするオッサン。いや実際は浮いてるわけだから『歩いて』はちょっとおかしいか。
「アナタはどうしてあの人を追い回してるんですか?」
と、円が聞く。
「行かなければ、あの子が不幸になってしまう。アイツは駄目だ、アイツはろくな男じゃない」
うわ言のようにそう言ったオッサンの左頬に強烈なビンタをする。俺ではなく円が。
「……君は、誰だい?」
「私は正義の味方です、アナタのお名前を教えてください?」
小さな女の子からいきなりここに引き摺られ、さらに強烈ばビンタを受けたのに怒った様子が無い。というか今までのコイツからは想像もできなかったがこういう奴だったのか。
「私の名前は横重守(よこしげ まもる)」
「お歳はいくつですか?」
「58」
「血液型は何ですか?」
「A型」
「結婚はされてますか?」
「30歳の時に見合いで……妻の名前は洋子」
「お子さんはおられますか?」
「娘が一人」
「お名前は?」
「美樹、私の大事な美樹、美樹……あの男は駄目だ」
「それでは最後の質問です、アナタが死んだのはいつですか?」
「498日前の午後11時06分、接待の帰り道、信号無視をしたバイクに跳ねられて」
「そうですか分かりましたありがとうございます、どうやらこの方は幽霊のようです」
と、俺の方を見ながら真顔で言った。何だって? 幽霊? 
「はぃ、そのようです」
だってお前さっきこの人は超能力者だって言ってたじゃないか、それに幽霊ってお前、そんなのいるわけないだろ。
「超能力は信じてくれたのに幽霊は信じてくれないんですか? そんなのおかしいです」
まぁ確かにそうかもしれないけどさ、超能力だっていまだに信じられないけどこうしてテレパシーだっけ? それを体験してなかったら笑い話でしかなかったよ。
「同じようなものです」
そう……か? まぁいいか、それでこのオッサンをどうするんだ正義の味方的には。
「もちろん成仏してもらいます」
小さな身体の細い両腕を腰に当てて胸を張った。
「私はいかなくてはならないんだ」
そう言いながら横重守はベンチから立ち上がり移動しようとする。
「さっきアナタの前を歩いていた女性が美樹さんなんですね?」
「そう、私の大事な娘」
「ちょっと待ってください」
再度引きとめ、再度ビンタをした、今度は往復ビンタだった。
「私も手伝います、事情を詳しく話してもらえますか?」
「……手伝ってくれるのかい?」
幽霊って奴は痛覚がないのかもしれない、それに怒りの感情も失ってるようだ、普通なら怒っていいレベルだと思うぞ。
「もちろんです」
俺も何ができるか分からないが手伝ってやろう、と言おうとしたが唇に激痛が走って言葉にする事ができなかった。
「無理しないでください、大丈夫です、一緒にこの人を助けてあげましょう」
そう言いながらまた真っ白なハンカチで俺の唇を拭ってくれる円、あれ? 二枚ハンカチを持ち歩いてるのかと聞く前に円が口を開いた。
「聞かせてください、横重さんの願いを」
ベンチに腰掛け、ゆっくりとした口調で語りだす横重守。
「私の娘は……今、とある男に恋心を抱いているんです」
「年頃の娘さんなら別におかしくないんじゃないですか?」
確かにその通りだと頷いた。
「それはそうなのですが、その、娘が惚れた相手が、そのホストという奴でして」
「あ〜確かにそれはお父さんとしては心配ですね、分かります」
分かるのかよお前に。
「こう見えても知識だけは豊富ですから」
と、無い胸を張る。
「今のは聞かなかった事にします、そして、アナタはそれが心配で成仏できないと言うわけですね」
「それだけではないのですが……まぁそうです、生前も何度か忠告したのですが全く聞き入れてもらえず、毎日毎日その男がいる店に行っては借金を重ねているようなんです」
自分の口から生前なんて言葉を発するなんてどんな気持ちなんだろうかとふと思った。
「しかし反発するばかりで、私が死んでからは行かなかったようなのですが最近また通い始めたようで」
「周りから反対されればされるほど燃え上がる感情という奴ですか、まるでロミオとジュリエットのようですが、正直あの二人は馬鹿だと思います」
シェイクスピアが生み出した名作の主人公とヒロインを馬鹿呼ばわりした。まぁ正直同意だけど。
「ですがホストと言っても立派な職業だと思います、みんながみんなカスみたいな男の人ばかりではないですよ?」
カスとか。
「もちろん私もそう思います、娘が愛した男ならばと私も思いました、ですが……」
「自分なりに調べた分けですね、分かりました、では……」
急に円は横重守にアイアンクローをした、小さな手だから完全には決まってないようだ。しかし話してまだ数時間の間に円の行動は驚きの連続だ。
「なるほどカスですね」
と、円は呟いた。
「……お恥ずかしい限りです」
何がなるほど何だ?
「横重さんの娘さんが惚れているホストの事です」
どうして分かるんだろうと思った。
「さきほど横重さんから直接聞きました。というよりも、横重さんの記憶に触れて知ったわけです」
さっきのアイアンクローで?
「そうです、私にはその人の額に手を当てればその人の記憶を読み取る能力があるんです、まぁ超能力です」
そりゃ便利だな。その後、円と幽霊の横重というオッサンは二人で何か話し合っていた、俺も加わるべきかと思ったがふと足元にある自分の鞄に手を伸ばした。中には雪が見つかった場所を記した日本地図が入っている、開こうかと思ったが辞めた。右手に持った地図を鞄に戻し公園を見渡す。まだ寒い季節だと言うのに子供たちは元気に走り回る、仲の良さそうな兄弟がいた、その二人の子供を俺は黙って見ていた。
「それでは行きましょう」
気がつくと目の前に円の顔があった、ほんの数センチ顔を円の方へと向ければ唇かもしくは額がくっつきそうなほど近い。別にそういう行為がしたいというわけではなく例えだ。
「どういう事ですか?」
なんでもない。それよりも行くってどこに?
「えっとですね、横重さんの娘さんのところへです」
と、横重さんの方を向いて円が言う。横重さんはこちらを向いて会釈をする、とても丁寧な会釈だと思った。
「それでは行きましょう」
ちょっと待て、行くたってその……美樹さんだっけ? どこにいるのか分かるのかよ。
「大丈夫です、横重さんなら娘さんの場所が分かりますから、それでは行きましょう」
「宜しくお願いします」
横重さんは深々と頭を下げ公園の出口へと向かった。優秀な営業マンのような動きとは裏腹に、顔には生気が感じられない、まぁ死んでいるのだから生気があるわけもないわけだが。

 公園を出た俺たちは駅に到着した。電車に乗るのか?
「はぃ、これから歌武伎町に行きます」
なるほど、あそこのホストクラブにいるのか。
「そうみたいですね、私は歌武伎町に行くの初めてです」
俺も初めてかな……いや一度だけ映画を見に行った事があるけど、あまり治安が良いとはお世辞にも言えない街だったな、風俗店なんかの呼び込みも多かったし。
「ひょっとして行った事があるんですか?」
んなわけないだろ、それに妹も一緒だったんだから、一緒じゃなくても学生は入れないし、入れたとしても俺はそんな店に入るつもりはない。
「本当に妹さんと仲が良かったんですね」 
まぁな、仲は良いほうだったんじゃないかな。
「……すいません無神経でした」
髪に隠れていない目を細め謝る円。いいよお前が謝る必要なんてない、それより寒くないか? 雪が降ってきたけど。
「え? ……あ、はぃ、私は大丈夫です、寒いのには慣れてますから、ドンと来いです。それよりもアナタは大丈夫ですか?」
俺も寒さにはそんなに弱くないから大丈夫だ、と言いながらも俺の身体がガクガクと震えていた。あれ? どうしてだろ。
「……」
震えている俺の身体を見た円は無言で俺の右手を握った。それと同時に身体が少し暖かくなった気がした、これも超能力の一種なのかもしれない。
「どうですか? まだ震えてますか?」
あぁ、ありがとうダイブ楽になったよ。
「それは何よりです」
そう言い微笑む。横重は改札を素通りする、なんという特権。
「はぃ、切符です」
定期が適用されない区域だったので切符を買おうかと思っていたら円が買ってくれていたようだ、料金を払い礼を言う。

 快速を使い二十分程で目的地である歌武伎町駅に到着した。
「それでは案内お願いします」
横重はコクリと頷き歩き出す。以前きた時もそうだったがまさに人ゴミである、歩くのにも一苦労だが横重は幽霊という特権を使い行き交う人々をすり抜けて前へと進む。
「私から離れない下さい」
普段なら恥ずかしくて拒んでいたかもしれない円の手を握り締め人混みの中を進む。

 歌武伎町駅に到着した俺たちは横重さんの後を追って繁華街にあるホストクラブの前についた。なんともいかがわしい雰囲気の店だ。
「それでは美樹さんが出てくるのを待ちましょう」
と、円が言った。正直すぐにも店の中へ突撃するんじゃないかと思っていたから安心した、どう考えても俺たちは場違いだ。
「美樹……」
横重のオッサンはフラフラと扉をすり抜けて中に入ってしまった。いいのか? ほっといて。
「誰にも見えないんですから問題ありません、それに私と横重さんはリンクしていますから中の様子もバッチです」
円は色々すごい能力を持ってるんだな。
「ありがとうございます」
無表情で素直に受け取る円、よく考えればこれって周りからは円の激しい独り言だったりするんじゃないのかと心配になった。やはり俺はしゃべるべきだろうか。
「気にしないで下さい、慣れっ子ですから」
そう言いながらホストクラブの扉をジッと見ている、円にはホストクラブの扉とオッサンの視界が両方見えている事になる。

 どれくらい時間が経っただろうか、陽は完全に落ち周りは暗くなった、ようするに夜になったわけだ。というか陽が登ってるうちからホストクラブに来るってどうなんだ?
「あれから三時間経ちました。それにこういうお店に来る人は陽があろうがなかろうが関係ないんじゃないでしょうか、私にはよく分かりませんけど」
確かにそうかもな。円はこういう店に行きたいとか思ったりしないのか?
「私は好きでもない男性にチヤホヤされたいとか優しくされたいとか思いませんし、話しかけるのも話かけられるのも苦手ですから縁がない世界だと思います」
なるほど、人それぞれって事か。
「アナタはどうなんですか? その……女性が相手をしてくれるようなお店に行きたいと思ったりしますか?」
そうだなぁ、まぁ興味はあるんじゃないかな年頃の男ならさ。
「ちょっとショックです……」
冗談だよ、少なくとも今の俺には興味なんてない。
「本当ですか?」
天地天命にかけて。
「信じます。あ、出てくるみたいです」
ホストクラブの扉が開き、中から若い男と女が並んで出てきた。俺と円は少し離れた場所に移動した。
「ありがとうございましたーーー!」
店の中からは元気の良い感謝の言葉が聞こえてきた、テンション高いなぁ。
「それじゃまた来るねシュン、ちゃんとメールしてくれなくちゃ許さないからね」
「分かってるって、絶対メールするから、俺を信じてよ美樹ちゃん一筋なんだからさ俺」
「調子のいい事ばっかり言って、この前だって私がメールしたのに返信してくれなかったじゃない」
「だからあの時は風邪でダウンしてたんだってさっき説明したじゃない、俺だって本当は美樹ちゃんに会いたくて会いたくて死にそうだったんだよ?」
「どうかしら、他の女のご機嫌を取ってたんじゃないの?」
「そんなわけないじゃない、俺には美樹ちゃんしかいないってホントこれマジで、ホントって証拠に……ね」
と、ホストが美樹と思われる女性の腰に腕を回して人目を気にせず熱いキスをした。俺は今、人生で最高のイライラ感を味わっているのかもしれないと思った。
「…………」
そんなやりとりを無言で見つめる円、横重のオッサンはさぞ怒り心頭だろうと思い顔をのぞいてみたがそうでもなかった、娘の背後で寂しそうな目をしていただけだった。
「彼に感情はありません、死んだ人にはないんです、あるのは思い出と未練だけですから」
なるほど、確かに未練がある顔かもしれないな。そうこうしているうちにホストと美樹が分かれ、俺たちは美樹の後を追う。
「いらっしゃいませ〜」
と、愛想の良い声がする店へと入る、ここは。
「……消費者ローンのお店ですね」
消費者ローン、ようするに借金をする店って事だな。昼間っからホストに行って、終わったら即借金か。
「末期という奴でしょうか、当の本人はまったく気にしてないような顔でいるのがちょっとした恐怖ですね」
確かに今の美樹の顔に悪ぶれたというか罪悪感というかそういう物はない、むしろ借金が出来る事を喜んでいるかのような表情だ。
「ちょっとそこのアナタ」
と、大きな声で円が美樹を呼び止める。驚いたような表情で後ろを振り返りこちらを見る。
「……アンタ誰?」
率直に簡潔に的を得た反応だ。こんな人通りの多い場所で、見知らぬ小さな女の子からアナタ呼ばわりされたのだから当然である。そして街灯の真下という事もあり美樹の容姿がよく見て取れた。歳は二十代前半、髪は腰まで伸びたロングストレートヘアー、色は濃い茶髪ツヤあり。化粧は濃い目のアイシャドーと真赤な口紅、両耳には福耳にしたいのかと思うほど重そうな真珠のイヤリング。赤いブラウスに超ミニスカートで足元は真赤なハイヒール、アクセサリージャラジャラでまんまキャバクラ嬢見たいな印象を受けた。
「私の事?」
円の視線から間違いなく自分の事をアナタと呼び止めたんだろうと思いながらも一応確認する美樹。
「そうです。アナタの事です」
ビシッ! と美樹に右手の人差し指を突き刺す円。人様を指差しちゃいけませんって親から教育を受けなかったのかお前は。
「いえ、時と場合をわきまえているだけですからご心配なく」
「何をぶつくさ言ってるのか分からないけど、何か用があるのかしら? 私これから仕事に行かなくちゃいけないんだけど」
今から仕事? 普通の会社員なら仕事が終わって軽く飲みに行く時間だぞ。
「普通の会社員ではないと言う事です。それにこれから働かれる人たちだって沢山いると思います」
確かにそうだな。見た目通りのご職業ってわけか。それにしたってこの美樹という女性、俺たちなんて無視してその仕事とやらに行けばいいのにそういう感じではない。
「私の魅力という奴ですね」
言うほどないぞ。
「……ショックですが、その通りですね」
「ちょっと、本当に何なの? 用がないなら行くわよ」
と、イライラしたご様子の美樹嬢。俺たちなんて無視してさっさと行けばいいものをと思った。
「用はあります、それにアナタはそこから動けないはずです」
「はぁっ? 何を馬鹿らしい……」
後ろを振り返りここから離れようとする美樹。しかし反応したのは上半身だけだった、上半身だけを後ろに回し、下半身はガクガク震えながらこちらを向いている。なんとも不気味な光景だが、酔っ払ってるのか?
「何これ、どうなってるの……」
困惑している美樹。
「どうか私の話を、そしてアナタのお父様の話を聞いてください……美樹さん」
初めて名前で呼ぶ円。
「どうして私の名前を、それにお父さんって、アンタ何を……」
「約一年半前に交通事故で亡くなられたアナタのお父様の事です」
顔は青ざめ両足はガクガクと振るえ右手で口を押さえながら困惑する美樹。まぁ当然の反応だろう、それにそんな服装では寒いはずだ。
「アンタ何なの? 変な宗教の勧誘ならお断りよ!」
「安心してください別に宗教の勧誘なんかじゃありませんから」
「いや近寄らないで、警察呼ぶわよ」
円は美樹にゆっくりと近づき、美樹の手を掴もうとしていた。
「いや……やめて……」
異様な恐怖を感じ涙目になる美樹。足はまだ震えている、いや全身が震えていた。
「大丈夫です」
優しく美樹の右手を掴む円。美樹は恐怖のあまり目を堅く閉じてしまっていた。
「ゆっくりと目を開けてください、そして後ろを向いてください」
「…………」
催眠術が掛かった人のように、そして小さな子供のように美樹は円の指示に従いゆっくりと後ろを向いた。今度は下半身も動いたようだ。
「そんな……どうして」
心臓が口から飛び出すのを押さえるように口に手を当てる。
「美樹……」
悲しそうな視線を娘に向けながら、静かに娘の名前を呼ぶ横重のオッサン。
「何なの、何なのよこれは! 何の冗談なのよ!」
恐怖でパニックになったのかヒステリックに叫び始めた。しかしこの反応も当然だと思う。
「落ち着いて下さい、周りの人たちが驚いています」
それでも冷静に言葉を発する円。
「私について来てください」
静かに、それでいて威圧感のある言葉を残して歩き出す。俺もその後に続く、美樹と横重のオッサンも黙ってついて来ていた。

 俺たちは歌武伎町の中央にある大きな公園に到着した。横重美樹はうな垂れるようにベンチへ座り込んでいる。その前に円が立っていた、横重のオッサンは円の横に立っていた、美樹はそれを見ないように足元を見ている。
「どうしてこんな事が」
一度だけチラリと目の前にいる父親を見て、それでも信じられないという感じで呟く。きっと悪い夢、もしくは幻覚でも見ていると思っているかもしれない。
「これは現実ですよ美樹さん。どうかお気を確かに」
それは無理な話だろ、きっと普通の人には無理だと思う、目の前にいる小さな女の子の気が触れていると考えるほうがよっぽど簡単だ、そっちの方がまだ現実的だろう。しかし目の前に立っている男はまぎれもなく自分の父親だ、それも既に他界したはずのでる。
「こんな事なら宗教の勧誘の方が百万倍マシだったわ」
「私は宗教なんて全く興味がありません、人によるかもしれませんが私にはハンバーガーのピクルスと同じくらい不必要な物です。しかし一つ断っておきますが、別に神様の存在を否定するつもりはありません、神様は存在しますから。ただ神様が私達を、誰かを救う事はありえません、神様はそんな事には興味がないのです」
続けて円は言う。
「宗教的な考え方で、私たち人間に必要なのは故人を敬い弔う気持ちだけです。それ以外は無駄と言っても過言ではありません」
「それは……私へのお叱りなのかしら?」
「そうです」
「……っ!」
美樹は強い憎しみの感情を表に出し円を睨みつけた。
「アナタは、アナタのお父様が死んでしまったというのにまったくその気持ちを持っていません、これは人間が最低限持たなくてはならない感情なのにです」
「ハッ!? こんな男が死んで私に悲しめって言うの? 面白いけどまったく笑えないわね」
急に立ち上がり円に掴みかからんとする勢いで言う。真赤な口紅を塗った唇の端がひきつっていた、円に手を出すようなら俺が出ようと思った。
「コイツはね、アンタ知ってる? コイツは、コイツにとって私なんていてもいなくてもどうでもいい存在だったのよ。朝は私が起きる前に出かけて、夜は私が熟睡してる時に帰ってくるような仕事人間よ。入学式も卒業式も運動会も音楽会も学園祭も誕生日も何もかもの記念日にも、一度だって来てくれた事もないし顔も見せてくれなかった」
まくしたてるように、叫び上げるように続ける。
「しかもコイツは、何百万も借金を残して死んだのよ? ありえなくない? そんな奴が死んだから悲しめって? 敬え弔え? ふざけんな!!」
「……」
悲しそうな眼差しで自分の娘を見つめる横重のオッサン、その表情は懺悔のつもりなのか?
「とりあえず、心底どうでもよい事ですがアナタのお父様の言葉を代弁させて頂きます。あの男はやめておけ、あいつは複数の女から金を巻き上げている」
「ハァ? 何それ、そんな事を言いに来たの? アッハハハハハ! 当たり前じゃないアイツはホストなのよ? それが仕事なんだからどうだっていいじゃない、私が稼いだ金をどう使おうが私の勝手よ」
「自分を、自分の身体をもっと大事にして欲しいという事です」
「お金と一緒よ、私の身体をどう使おうが私の勝手……っ!?」
円が横重美樹を思いっきりグーで殴った。
「何も知らないアナタを殴るのはどうかと思ったのですが。すいません我慢できませんでした」
「アンタ……何をしてんのよ、訴えるわよ?」
「どうぞご自由に、私も我慢できなかった自分にガッカリしているところですから」
横重美樹はバックから携帯電話を取り出した、知り合いの弁護士にでも電話をするつもりかもしれない。携帯電話を耳に当てようとする美樹の腕を取り円が言う。
「人は忘れる生き物です、何もかもを覚えておく事はできません。悲しい事ですが嬉しかったり楽しかったりする記憶から先に忘れていきます、でも完全に忘れているわけではなく、いつでも引き出せるように大切に心の宝箱に閉まっているのです。それは大事な物を金庫に保管する行為に似ています」
宙ぶらりんになっている携帯から誰かの声が聞こえる。だが美樹は円の言葉を黙って聞いていた。
「ですが嫌な思い出や、忘れてしまいたい記憶は乱雑に放置されています、それはまるで誰かに取り払って欲しいという願望からそうしているのかもしれません。そして嬉しかった気持ちや幸せだった時間は掛替えの無い宝物。誰にも盗まれないように宝箱に隠します、鍵もかけます、誰にも見つからないように隠します、奥へ奥へと隠します」
美樹は携帯電話を重力に任せ地面へと落とす。
「時が経つにつれ悲しい記憶や辛い記憶が沢山増えます、忘れてしまいたい記憶もあります、その記憶の欠片は隠していた宝箱を覆い隠すほどになります。美樹さんの宝箱はどこにありますか? 鍵はまだ持っていますか? それは大切な物だったはずです」
「分からない、分からない……どこにも無い、見つからない……」
身体の震えは治まっている、だが美樹の顔は青ざめていた、汗を大量に掻いていた。何かを探しているようだ、自分のバックに手を入れてガサガサと動かしている。しゃがみ込みバックをひっくり返し中の物を地面にぶちまけた。
「ない、ない、ない……ないよぉ」
ついに泣き出してしまった。化粧は落ち、涙でアイシャドーが溶け出し真っ黒な涙を流しているように見えた。公園を行き交う人たちがこちらを見ていた。こちらというよりも美樹を見ていた、その目には好奇心と無関心が入り混じっていた。だが声を掛ける人間は存在しない。
「無くしてしまったのですか? 大切な鍵だったはずです、大事な宝箱の鍵だったはずです。そうですよね?」
「ウン……ウンウン」
まるで催眠術で子供に回帰させられた大人のように泣きじゃくっている。
「無くしてしまったのですか。でも大丈夫です、鍵にはスペアキーという物がありますから」
「スペアキー? どこに……」
「ここです」
そう言う円の視線の先には横重の手があった。横重の悲しそうな目、それは泣きじゃくる自分の娘に向けられた物だ。でもどこか優しさを含んでいるような眼差し。
「お父さん……」
あれほど罵しみ拒んでいた自分の父親の手を握り締めた。いや実際には美樹の右手と横重の左手はすり抜けた。
「う……うぅ」
ボロボロと大粒の涙を流し続ける美樹。せっかく鍵が見つかったのにこれでは箱を開ける事が出来ない。
「アナタのお父様はアナタが先ほど言われていたようなひどい父親ではありません。ちゃんと入学式にも卒業式にもその他の行事にもちゃんと出席されていますし誕生日だってちゃんと心からお祝いをしてくれていました」
「あぁ……あうぅ……」
美樹は父親の手を掴もうと何度も手を動かす、しかしそれら全てがすり抜けてしまう。
「ですがアナタに大きな病気が見つかります、難病と言ってもよいでしょう」
「あぁ……」
美樹はボロボロと涙を流す。
「その治療を行うには膨大なお金が必要でした。それはとてもとても沢山のお金が必要でした」
横重は変わらず悲しそうな目をしていた。
「アナタのお父様が沢山沢山仕事をしなくてはならない程に沢山のお金が必要でした。それこそ朝早く出て夜遅く帰宅しなければならない程にです」
円は横重の腕を掴んだ。
「先に謝らなくてはなりません、先ほどのあのホストはやめておけという言葉は本当に伝えたかった事ではありません」
円は目を閉じた。
「アナタのお父様が本当に伝えたかった事を聞いて下さい、直接聞いて下さい」
空を切っていた美樹の右手がしっかりと父親の手を握る。
「お父さん……」
「すまない美樹、駄目なお父さんでごめんな、もっとちゃんとお父さんをしてやれなくてごめんな」
謝りながら娘を優しく抱きしめる。
「あ……あぁ……」
涙を流しながら、父親に抱かれながら首を横に振る美樹。
「どうしてもお前に謝りたくて、母さんの所にも行ったんだけど気付いてもらえなかったんだ、母さんにも苦労を掛けてしまった。美樹……どうか母さんを助けて上げて欲しい、母さんは今とっても疲れてしまってるんだ、私にはもうどうする事もできなくて。本当にごめんな情けない父親で……父さん一生懸命頑張ったんだけど、ごめんな、駄目だったんだ」
驚いた。幽霊が泣くのかと思った。横重の目から大粒の涙がボロボロと流れ始めた。
「違う、父さんは悪くない。お母さんが疲れてるのは私のせいだもん、お母さんに苦労させてるのは私なの。お父さんが成仏できなかったのだって私のせいなんでしょ? 私がちゃんとしっかりしていればこんな事にならなかったはずだもの」
「約束してくれるね?」
「うん、うんうん」
「良かった……これで私は消える事ができる、ありがとう、本当にありがとう」
「お父さん」
横重が上空へと消えていくのが見えた、最後に俺たちの方を見ながら『アリガトウ』と言っているように見えたが気のせいかもしれない。
「あの……そろそろ離れて頂けないでしょうか?」
俺も今気付いたが、美樹が抱きしめているのは円だった。行き交う人たちの視線が痛くなってきたので円がそうお願いした形だ、それにしても結構長い時間我慢してたんだなお前。
「え……あ、あれ? ご、ごめんなさい」
「いえ、かまいません。むしろこういう行動を取ってくれたのを嬉しく思いました」
コホンと咳払いをした後。
「別にそういう趣味があるわけじゃありませんよ? アナタがまだ人としてのまともな感情を持ち合わせていた事に対してです」
「そうね、アナタには感謝しなくちゃいけないわね。お名前を聞いてもいいかしら」
「円と言います、道草円です」
「ありがとう円さん、何だかスッキリしたわ、何かこうずっともやもやしてたのよねー」
大きく背伸びをする美樹、憑き物が落ちたという奴なのだろうか、彼女が言う通りスッキリした顔になっていた。
「それで、これからどうなさるのですか?」
「私? そうね、まずはお母さんの所に行こうかしらね、そして二人で一緒にお父さんのお墓参りに行ってくる」
「その前に借金をちゃんと返してくださいね」
「分かってますって、それじゃね」
ベーーと舌をちょっと出して微笑み夜の街へと溶け込んで行った。年上好きというわけではないのだが、ちょっとドキっとした、そんな微笑みだった。
「あぁいう仕草にグッと来るわけですね、勉強になりますがちょっとイラっとしました」
気にするな、円にそんな仕草を期待してないから。多分無理だと思ったのは内緒だ。
「き……聞こえなかった、事にします」

 それにしても不思議な体験をしたものだ、大事な妹が死んですぐに今まで口も聞いた事がない超能力者だと言うクラスメイトと知り合った。そして幽霊なんてのも見た、本当に衝撃的だった。ほんの数時間の出来事だ、受け入れがたい事実と体験で普通ならパニックになりそうな所だが、不思議な事に俺はそれらを冷静に受け止める事ができた。よく分からないが……何かホッとしたような嬉しいような、そんな感情を覚えたのだ。

 さて、もう遅いしそろそろ帰ろっか。
「そうですね、今日は私の用事に付き合ってもらってありがとうございました」
別にいいって、俺も何だか楽しかったし、いい気分転換になった気がする。
「そうですか、それは良かったです」
微笑みこそしなかったが少し柔らかい表情でそう言う円、続けて。
「では明日もお願いします、丁度よく明日は祝日で学校もお休みですし」
え? 明日も? 
「何かご予定があるんですか?」
いや、特に何か用事があるわけじゃないんだけど……でもなぁ二日続けてこういう体験をするのは。
「お願いします」
円の小さな手が俺の服の裾を掴む。小さな顔の割りに大きな瞳が俺を凝視している。
「駄目ですか?」
こんな状況で断れる男がいるのならそいつを尊敬してやってもいい。
「それは了解を頂いたと解釈してもいいんでしょうか」
あぁ分かった、明日も付き合うよ。
「ありがとうございます、明日の朝、迎えに行きますので。それでは失礼します」
そう言って円も夜の街へと消えて行った。なんとも不思議な一日だった、それに不思議なクラスメイトだと思った。超能力者で幽霊と話せる人物、そんなクラスメイトを持っている人間は世界広しと言えども数えるくらいしかいないだろう。いやクラスメイトなら沢山いるかもしれない、だがその存在を認識している人間は、やはり少ないだろうと思った。

 そんな事実があろうがなかろうが地球は回っている、目の前を行き交う人々には何の関係もない話だろう。昨日までは俺もそっち側の人間だった、何の因果か知り合ってしまったものはしょうがない、明日もきっと不思議な体験をする事になるのだろう。それもまた人生なんだと思い、俺も夜の街へと消えていった。

 雪が降っている。吹雪にならなければいいんだが。

 俺は公園に居た。気がついたらここに居た。空から雪が降っている、でも雪はもういない……いやさすがにこの発想は情けないな。
「そんな事ないと思います」
振り返ると円が立っていた。小さくて無表情な女の子、同じクラスメイトなのに昨日はじめて知り合った女の子だ。円の私服姿を始めて見た気がする、真っ白なTシャツの上にピンク色のブラウス、下は水色のスカートだった。意外に可愛らしい服装だな。
「意外という言葉は余計だと思います」
すまん悪気は無いんだ、ただ……。
「皆まで言うなです。それに情けない発想なんかじゃありませんよ、大事な人がこの世からいなくなってしまうという現実を受け入れるには時間が必要になります。後はそうですね……後はキッカケでしょうか」
キッカケか、そうだな、何かやらなくちゃいけない事があるような気がするんだ。それが分かればもう少しは普通に戻れるのかもしれないな。
「そうです、普通が一番ですから。ってそんな事より、今日は迎えに行くと昨日の別れ際に言ったじゃないですか」
無表情なので表情からは感情が読み取れないが、言動で今は怒っているという事が分かった。円という女の子、無表情ではあるが無感情ではない、さらに無口でもなかった。
「当たり前です。私だって生きてる人間なんですから」
俺が悪かった、でもどうしてかここに居たんだ。それだけ円の印象が強かったのかもしれない。
「そうですか。それは悪い気はしませんが、とりあえず行くとしましょう」
行くってどこへ?
「昨日も言いましたが、用事です」
用事……ね、まぁいいか付き合うとするよ。
「お願いします」
スカートをヒラリと舞わせ出口へと歩き出す円。健康的とはお世辞にも言えない白い肌の太ももがチラリと見える、これは不可抗力だと自分に言い聞かせながら俺は円の後を追って公園の出口へと歩いた。今日も俺の唇はカサカサに乾いて開きそうにない、テレパシーとやらの便利さに救われた思いになっているのは、まだ精神的に不安定なところがあるからかもしれない。

 公園と高校の丁度真ん中にアーケードがある、別の言い方をすれば商店街だ。世間では大型ショッピングセンターの出現によって廃退したとも言われるアーケードが俺の街にはまだ健在している。以前、近くの埋立地に誘致する動きがあったんだが、商店組合と住民による強い反発で御破算となった。複合的なショッピングモールは移動時間も短縮でき合理性を求めればこの上ない施設だと思う。ただそれを受け入れる根回し不足と、昔ながらの人と人との繋がりを大事にしたいと思う人が多かった結果なんだろう。俺はどちらでもよかったが、妹の雪が猛反対していたのは意外だった、TVで流れる廃退したアーケードを見たとき強い悲しみの表情をしていたのを今でも覚えている。
「私もこのアーケードが好きです、市長は賢明な判断をしたと褒めてもいいくらいです」
確かに俺も同意だが。ちょっと聞いてもいいか?
「なんでしょうか」
そのテレパシーとやらは、俺が発信したいと思うこと以外に、心で思ったことが全て聞こえてるのか?
「その通りです、つつぬけですから注意してください」
なるほど、プライバシーは完全にないってことか。それじゃ俺がすれ違う女性の足に見とれていてもバレバレ?
「年頃の男子なら仕方がないと聞きます、そんな事は気にしなくてもよいと思います……私の貧相な足なんかより素敵な女性は沢山いるでしょうし」
おおぅ、本当につつぬけだったようだ。まぁ冗談はコレくらいにして、円の用事って何なんだ?
「そうですね、まずはここへ入りましょう」
円が指差した店は、店? まぁいいか店は映画館だった。懐かしいなぁ、まだあったんだなこの映画館。子供の頃に何度か来た事がある古い映画館、春夏秋にやっていた子供向けのアニメ映画を雪と見に来てたっけ。
「嘆かわしい事に今では全国の映画館は衰退の一途を辿っていると言っても過言ではありません」
まぁ昔は今ほど娯楽が少なかったって言うしな、少ない娯楽の中にあった映画館は結構貴重だったんだと思うぞ。
「娯楽の多い少ないというのはあるかもしれません、ですが映画館には定番という言葉があります」
定番とは?
「こ、こここ恋人同士が行く定番です」
すごくどもりながら円が言う。しかし恋人同士の定番なら別に映画じゃなくても遊園地とかドライブとか……あれ? 意外と少ないな。
「好きな人と一緒ならどこでもよいという気持ちは分かりますが、やはり映画館は大事です」
というか? 今日の用事って映画を見る事だったのか。
「ち、ちち違います、私は今日も困っている人を助ける為に、そう、街を巡回しているんです。映画館はそのひとつです」
分かった、分かったからそんなに無表情でどもらないでくれ。
「はぃ、すいません」
ヤレヤレ、それで何を見るんだ? 映画館の入り口には上映しているであろう映画のポスターが二枚貼られていた。ひとつは季節外れのホラー映画と、いつの映画だよと言いたくなるほど古そうな純愛映画だった。これは正直どっちも気乗りしないな。
「では入りましょう、チケットは私が用意しています」
そう言って受付を通り過ぎる。シアター2、純愛映画の方だ。
「たまたま新聞屋さんがくれただけです」
円はそう言ってパンフレットを胸に抱き席に着く。他に客は両手の指で数えるくらいしかいない、どう考えても上映する映画のチョイスが悪すぎると思った。というかもう寝てる奴までいるぞ。
「始まります」
円の言葉の後に開始のブザーが鳴り、照明が消え部屋は真暗になる。その後、目の前にある大型スクリーンが眩しく光り、提供と上映中の注意、それから数年前の映画の予告編が流れる。この映画館は趣味でやってんのか? いや間違いなく趣味だと思った、きっとこの映画は何年もやってるとみた。
「正解です。この映画は十七年前に放映された物らしいのですが、五年前から毎日欠かさず上映しているとの事です」
それどこ情報なんだ?
「一番後ろの席で眠っているここのオーナーです。理由は好きだからと言っていました、吐いて捨てるほど金があるのでただの道楽だそうです」
それマジで?
「えらくマジです、始まりますよ」
あ、あぁ……仕方ない黙って見るとするか、五年も流してる映画という奴にちょっと興味が出てきた。

「どうでしたか?」
映画が終わり俺と円は映画館の外に出ていた。円は呆然としている俺にさっき見た映画の感想を聞いているらしい。円はこれ見た事あったのか?
「はぃ、今回で二十七回目の視聴でした」
二十七回……アレを……二十七回も見たのか。
「そうです、何か?」
二十七回もコレを見て泣いてたのか、このベッタベタを通り越してベトベトな純愛? の映画を。
「別に泣いてません」
と、無表情ながらも目を赤くしながら言った。円の視聴回数もさることながら五年も上映し続けている事にも驚く。
「それで、感想はどうでしたか?」
すまん、もう少し整理する必要がありそうだ、後でまとめてから言うよ。
「分かりました。では次の目的の場所に行くとしましょう」
そう言って歩いていく円。
次はどこに行くんだ?
「到着すれば分かります」
まぁそりゃそうだろうけどさ。

 ここか?
「はぃ、ここでジャンボデラックスチョコレートイチゴパフェを食べます」
俺たちがやってきたのはアーケード内にある喫茶店だった、というかこんな所にこんな店があったのかと思った。アーケードには何度か遊びに来ていたけど、こんな脇道に喫茶店があるなんて知らなかった。
「穴場という奴ですね」
エッヘンと胸を張る円。というか困ってる人を探してるんじゃなかったのか?
「まずは腹ごしらえをしなければなりませんから」

 カランカランと小さな鐘の音がなる。来客の知らせでカウンターに居るアゴヒゲの渋いオッサンが「いらっしゃいませ」と低い声で俺たちを迎えてくれる。
「いつものを」
席に着くなりそう注文する。それを聞いたダンディなマスターは無言で頷いた。いつもので通じるくらいの常連なのか、どんな高校生だよと思いながらメニューを見て珈琲を注文しようかと思ったが円から制止された。……何?
「一緒に食べましょう」
お待たせしました、とテーブルの真ん中にジャンボデラックスチョコレートイチゴパフェがドンッと置かれた、超デカイ。円の顔の倍はあるんじゃないかこれ。
「いつ食べてもモグモグおいしいですモグモグ」
パクパクと柄の長いスプーンで食べる円。
「はぃ、どうぞ」
チョコが沢山かかっているバニラアイスの上にイチゴを乗せたスプーンを俺に向けた、要するにアーンだアーン。そんな恥ずかしい事できるわけないだろ、見てるだけでお腹一杯というか胸焼け起こしそうだ、俺は水だけでいいよ……ってコップが一個しかない。
「あ、私はいらないんです、せっかくの味が洗い流される気がして」
それで常連の円には水を出していないわけか、しかしパフェなんかで腹ごしらえになるのか? 
「カロリーは充分です。というかこれが私の巡回ルートなんです」
巡回ルートって、困っている人を探したり悪い奴を見つけたりする為のか?
「そうです」
なるほどね、俺はてっきりデートでもしてるのかと思ったよ。
「…………」
返事はなく、ひょいパクひょいパクとパフェを黙々と食べ続ける円。ちょっと失言だったかもしれないと反省した。
「ごちそうさまでした」
自分の顔の倍ほどの高さがあったジャンボデラックスチョコレートイチゴパフェを綺麗に平らげ、御代をテーブルに置いて席を立つ。三千円とか高っ。
「むしろ安いくらいです、それでは次へ行きましょう」
カランカランと鐘を鳴らし円は店を出て行く。御代をテーブルに置くとかどこの欧米だよと思いながら俺も店を出た。

 あれ? 円はどこに行ったんだ? 店を出た俺はキョロキョロと辺りを見渡した。
「こっちです」
喫茶店から斜向かいにあるブティック……と言えばオシャレだが、ただの古い洋服屋の前に円がいた。何だ洋服でも買うのか?
「そういうわけではないのですが、これも巡回ルートの一つなので仕方がないんです」
なるほど、仕方がないのか。
「では入りましょう」
円の後に続いて店の中に入る。自動ドアが開き音楽が鳴る、客が来たぞー帰ったぞーを店員に知らせる音楽なのに反応がない、店員が居眠りでもしてるのかと思ったが奥に置物の様な婆さんが座っていた。
「置物じゃありません、れっきとしたこのお店の店主様です。齢104歳で生涯現役のヨネさんです、品揃えは最高です」
確かにお世辞にも大きな店とは言えないが、和服からチャイナドレスからモンローばりに派手なドレスなど様々な衣装が展示されていた。よく見ると客も多かった、それこそ老若男女問わず客がところせましとし品定めをしている……ヨネさんが幽霊とかじゃないよな?
「違います」
そうか、ホッとしようとした瞬間。
「ヒャー! ッハッハッハ!!」
といきなり笑い出す齢104歳のヨネさん、心臓が止まるかと思った。
「今の発言がツボったようです、かなりご機嫌のようです」
幽霊発言がか? というか俺の心の声聞こえてた?
「ヨネさんならお手の物です」
なるほど、その能力を活かしての品揃えだったりするのかもしれないな、客のニーズを掴みまくりか。
「ひょひょひょ、お前さん面白い連れを持っておるのぉ、気に入った、どれでも好きな物を持っていきな」
「ありがとうございます」
え? 何を言ってるのヨネさん。
「ヨネさんは最高にご機嫌なので服を一着プレゼントしてくれるようです」
コクリコクリと頷くヨネさん。プレゼントっていいのか?
「店主がそう言ってくれているのですから構わないと思います」
そう……言うものなんだろか。
「それでは選んでください」
何を?
「私がプレゼントしてもらう服です」
何で俺が、円が好きな服を選べばいいじゃないか。
「残念ながら私に服のセンスは全くと言っていいほどありません、ですのでここは一つ客観的なセンスを取り入れてみようかと思ったわけです」
なるほど、でも今の服もそんなに悪くないと思うけどな。
「お、お世辞はいいです。選んでください、どれが私に似合うか」
う〜ん、選べって言われてもなぁ、俺だって服のセンスが良いってわけじゃないんだし……っと三体並んで展示されているマネキンのコーディネートに目が止まった。上は黒いノースリーブに白の半袖ブラウス、下は黒のミニに、そして白と黒の縞模様のハイニーソックス。実に素晴らしいツートンカラーである。
「さすがにソレは色々とアレなのでお断りしたいところです。それに色が違うだけで今の私の服装と大差ないような気もします、スカートはここまで短くありませんが」
ニーソではないじゃないか。
「そこそんなに重要なんですか?」
もちろんだ、このスカートとニーソの間にある肌色がどれだけの魔力を持っているのか分からないだろうけど、とっても凄いんだよ。
「……」
嘘、今の全部嘘です、というか冗談ですから、そんな可哀想な人を見るような目で見るのを止めて下さい。
「…………」
ひゃーっひゃひゃひゃと店の奥から笑い声が聞こえてきた。
「それの良さが分かるなんて大したアレだよ、それにしなお嬢ちゃん、セットでプレゼントしてやるよ」
なんて男前な婆さんだ、本当に百歳を越えた哺乳類とは思えない、というか大したアレって何だアレって。
「そうですか……でもこれはさすがに恥ずかしくて着れる勇気が今の私には1%もありません」
そうか? 確かに明るいのか暗いのかよく分からない色合いではあるけど、俺は好きだぞ? 俺は円がこれを着た姿を想像してみた……うむ悪くない。
「何ですかその上から目線は、とりあえずしょうがないのでコレにします」
どこから現れたのか女店員がマネキンから服を剥ぎ取った。そして綺麗にたたみビニール袋に入れそれを円に渡す。
「本当にいいんですか?」
「構わんよ、愉快な連れに感謝するんじゃな」
愉快な連れってのは俺の事らしい。居心地が悪くなった俺は先に店を出ることにした。店を出た俺は上を見上げた、アーケードにはドームのように大きな屋根が付けられている、だから空を見ることは出来ない。雨の日でも快適に買い物ができるわけだから当時は画期的な発想だった事だろう。今も雪は降っているのだろうか、俺の妹と同じ名前の雪、降っているなら今は見て掴みたいと思った。
「お待たせしました」
円は胸に服が入っているビニール袋を大事そうに抱えながら出てきた。
「ヨネさんがコレを」
そう言って小さなお守りを俺に渡す。俺に?
「はぃ、大事に持っていろという事でした」
何のお守りだろ? 縁結び? 厄除け? 確かに幽霊なんて見ちまったからな厄除けだと助かるかもしれない、それにあの婆さんなら凄い御利益がありそうだ
。俺はポケットにお守りを入れる。それで次はどこに行くんだ?
「そうですね、本当なら他にも色々とお店を回りたかったのですが、予定を変更します」
変更とは?
「困っている人を発見してしまいました、そちらへ行きます」
どこ? キョロキョロと周りを見渡すがそれらしき人間は見つからない。今日は祝日とあって行き交う人は多い、荷物を沢山抱えた主婦だったり旦那さん、小学生から大学生までの人間、ぜんまいが切れ掛けそうなご老人、後は幸せそうな恋人達であろうか。
「ここではありません、この先にある交差点の辺りです」
この先の交差点って、アーケードを出たところにある交差点か? よく見つけたな、ここから随分先の所なのに。
「超能力者ですからエッヘン」
と無い胸を張る円。
「いちいち何かが余計な気がします」
悪い悪い、それじゃさくっと行こうぜ。
「はぃ、そうしましょう」

 さすがに休日だけあって交差点は人だらけだった。右から左へとせわしなく人が行き交うこの街で一番大きいスクランブル交差点だ。横断歩道で四角形を作り、その中に交差するように横断歩道がある交差点なわけだが、車を使っている人間にはすこぶる評判が悪い、常に渋滞している状態だからだ。こんな人混みの中から困ってる奴や悪者を見つけるなんて無理があるんじゃないか? まぁ超能力ってのがあるなら簡単なんだろうけど、俺みたいな普通の人間には……
「……」
円が俺の手を掴んだ、そしてその視線の先には……なるほどアレが困ってる人か。
「そうです」
円は目を細めていた。確かにアレを見てしまってはそうなるかもしれない、いや凝視するのも俺にはきつい。ソレは俺たちから向かって奥の方にある横断歩道を右から左へと渡ろうとする男性、信号が赤から青になり歩き出す男。すれ違う人たちをすり抜け横断歩道を渡りきる前に……何かにぶつかりそのまま引きずられて行く、大量の血の跡が道路にぶちまけられていた。もちろん誰の目にも見えていないようだ。そして引きずられている男が見えなくなり、横断歩道に目を戻すとまた信号が青になるのを待っている男が立っている。何度も何度もそれを繰り返していた、それだけでも異様なのにもっと異様なのがその男の姿だった。会社員風で服は淡いグレーのスーツ……だったのだろう、ビリビリに破れている上に血だらけで赤黒く染まっていた。そして露出した右半身の皮膚がめくれて真赤に鮮血していて、右目は今にも重力に任せて落ちてしまいそうになっている、右耳は無く歯茎もむき出しになっている。右足と右腕は向いてはいけない方向に折れ曲がって、まるで子供の頃にみた人形劇の紐で操られているピノキオみたいに曲がった手足を動かしていた。この人は何回これを繰り返してるんだ?
「分かりません、しかしこのままではいつまでも繰り返す事になります。ですから行きましょう」
信号が青になり男の所へ向かう、接触するにはもうひとつ信号を待たなければならない。その間も俺の横を何かに引き摺られる男の姿があった。正直きつい映像だ。信号を渡り、次の目的地に目を向けるとさっき引き摺られていた男がまた信号待ちをしていた。次の信号が青になったら接触する事ができそうだ。
「行きましょう」
信号が青になった事を確認した俺たちは人混みの中を歩き出した、前からは男がフラフラとすれ違う人間にぶつかる事なくこちらへと歩いてきた。
「ここで立ち止まるわけにはいかないので連れて行きましょう」
と、円が言った……のだが俺の耳には届いていなかった。先に述べたような容姿をしている男を目の前にして俺はその違和感に吐き気を我慢するのに必死だった。
「それが当然の反応です、特殊なご職業の方で無い限りこういう場面を見ることに慣れる人はいないでしょうから」
警察関係、医療関係、後は円みたいな超能力者って事か、超能力っていうよりは霊能力者みたいだけどな。
「身近ではそうでしょうか。私は別にお給料をもらっているわけではないので職業とは違いますが」
そして男と交差点の中央ですれ違う瞬間、円は男の喉元を掴みそのままさっきまで男が信号待ちをしていた場所へと押し進んだ。男は無言でされるがままになっている、しかし足はバタバタと前に進もうとしているし、急に何かに飛ばされる仕草をみせたが円がそれを押さえ込んだ。細い腕のどこにそんな力があるのか疑問だったがきっと超能力という奴なのだろう。
「その通りです。ここでは人目につきすぎますね、ちょっと移動するとしましょう」
男の喉元に手を当てたまま人混みから逃げるように建物の影へと移動する。男が見えない人たちには円が右手を不自然に上げた状態で歩いているように見えている事だろう。
「もう慣れていますので気にしていません」
いつのも無表情でそう答える。

 交差点から十メートルほど離れたコンビニの裏へとやってきた。男はまだ腕と足を動かしながら、ときおり何かに飛ばされる仕草を見せる。
「アナタはどこへ行こうとしているのですか?」
と円が男に問いかける。しかし男は何も反応せずに同じ動作を繰り返す。
「アナタは」
バシッ! と左頬をビンタする。
「どこへ」
バシッ! と右頬をビンタする。
「行こうとしているのですか?」
両手で両頬を掴む円、右手は血で赤く染まっている。
「取引先へ……仕事、仕事で」
ボソボソと呟きはじめる男。
「あの先に取引先の会社があるのですね?」
首をカクンカクンと縦に振る男、右目が本当に落ちてしまいそうになっている。
「自己紹介が遅れました、私の名前は道草円と言います。アナタのお名前を教えてください」
「加藤……壮太……です」
「加藤さんですか、宜しくお願いします」
「こ……こちらこそ宜しくお願いします」
とても丁寧なお辞儀だった。
「さっそくですが加藤さん、貴方はさっきの交差点で交通事故に遭われましたね」
「そう……俺は車にはねられた、それで俺は……」
「そうです、貴方は車にはねられて、そして救急車に運ばれ今は病院にいるんです」
「病院?」
「病院です」
「身体が痛い……熱い、痛い」
「痛くて当たり前です、貴方はかなり重症、いえ重体ですから」
「俺は死ぬのか? 嫌だ、まだ死にたくない」
「どうしてですか?」
「子供が産まれたんだ、俺とアイツの子供、まだ何もしてやれてない、子供の為に俺は何もしてやれていないんだ」
急に男は涙した、左眼からは大粒の涙を、右目からは血の涙を。俺は目を背けた、駄目だ無理だ俺には無理だ、この人の感情を受け止める事ができない。
「そうですが、それはとても残念な事です」
円は続けて言う。
「ですが貴方がこのままここへ居ても奥様もお子様も誰も救われません、このままこの交差点に縛られ、他の犠牲者を出してしまいます」
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、死にたくない俺は死ねない、まだ何もしていない、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」
気が触れたように発狂した加藤という男は円に掴みかかりそうになる、俺はとっさに円を守ろうとする。
「ありがとうございます、でも大丈夫です」
と右手を上げて俺の動きを制止する。その結果、男の動きをそのまま受け入れる形になった。
「嫌だ嫌だ嫌だ死ぬのは嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」
男は円の華奢な両肩を掴み揺さぶるように叫ぶ。心の底からの悲痛な叫びは腹部に響いた、耳を覆いたくなる。
「…………」
表情を変えず、何も言わず、揺らされるがままに揺らされている円。
「加藤壮太さん、今アナタは死にました」
と、静かに円は言った。死んだって……もう死んでいるからこうして幽霊になっているんじゃないのか?
「いえ、さっきまで加藤さんは生きていました。きっと病院の集中治療室というところにいるんだと思います」
生き霊?
「俺は……何を……」
円の両肩を掴んでいる男がそう呟く。見るとメガネを掛け淡いグレーが良く似合う男がそこに立っていた。これは一体どういう事なんだ?
「まだ死んでいない、でも死なない可能性は極めて低い、そういう現実を受け入れられない、日常に戻りたいと思う気持ちが、こういう現象を起こします」
無表情のままそう答える円。頭が混乱してるけど、とりあえずどうしてこの人は……その、なんていうかいきなり普通の人というか格好というか……なったんだ?
「完全に死んだからです、中途半端だった魂が一箇所に集まり、自分が死んだという事を認識したんです、さっきまでここにいた加藤さんは、まだ死にたくない、いつも通りの日常を過ごしたいという魂だけがさまよっていたわけです。ひょっとしたら交通事故に遭わなければいつも通りに戻れるんじゃないかという思いだけで何度も何度もあの交差点を渡っていたのです。もちろん何度やっても結果は同じですが」
それじゃ
「はぃ、今ここにいらっしゃる加藤さんが本来の加藤さん霊です。まさにフレッシュな霊という奴です」
「すまない、何か、俺は君に迷惑をかけてしまったようだね」
そういうと円の両肩から手を離す男、意外に冷静だった。
「いえ構いません。もう少し時間があります、できる限り奥様とお子様の所へ居てあげてください、それは決して無駄な事ではありませんから」
「あぁ、そうするよ。本当にありがとう……」
悲しそうな、でも微笑んでいるような、そんな表情でスーッと消えていく。一体どういう事なんだ? 加藤って奴はその……家族の所へ行けたのか?
「行けます、それは間違いありません」
でもさ、あの人が死んで、死んだらあんな風に普通……って言ったら何か変だけど、あの状態になるんだったら、特に俺たちが何かしなくてもよかったんじゃないのか?
「それはありません、そもそも霊……魂が分離する事はあってはならないのです、何故かと言うと成仏できないからです。もしも私たちが見つけられなければ、彼の魂はずっと分離したままの状態でした。奥様とお子様を心配する魂と日常に戻りたいと思う不毛な魂です」
途中で発狂したのは、事実を受け入れたくないって魂の方が強くなったからなのか。でもどうして完全にって言っていいのかわからないけど、死んだって分かったんだ?
「……分かってしまうから仕方がないとしか言えませんが、見えるんです」
見える?
「私にはその人の寿命がロウソクのように見えるんです、最後の眩しく光る灯火までもが見えるんです」
寿命が見える……
「もちろん生きている人の寿命は見えません、生き霊の寿命だけです。寿命だったら最後の蝋がユックリとユックリと溶けてなくなっていく姿、不慮の事故だった場合は大きなロウソクが時限爆弾の導火線のようにバチバチと一気に燃え尽きていく姿が」
無表情な顔にある瞳はどこは切なそうだった、お前はいままでもこんな事をやってきたのか?
「はぃ、それが私の役目ですから」
辛いと思った事は無いのか?
「子供の頃からそう教えられてきた事ですから、特に辛いと思った事はありませんでした……今までは」
今までは?
「…………」
返答はなく、変わらず無表情のままこちらを見据える。空から降り続いている雪が少し強くなってきた、今夜は吹雪くかもしれないな、と思った。
「これから……ちょっと付き合って頂けませんか?」
そう言い俺の返事を待たずに歩き出す円、俺はその後を黙って歩く。

 俺たちは中央公園に来た。円について歩いた結果そうなった。時刻は……何時くらいだろうか、陽が落ち暗くなった公園に子供達が遊ぶ姿はない、それを見守る主婦の姿もない。愛を語らう恋人たちもいない。人がいない公園って奴はとても寂しく感じられた、降り続ける雪がそれをより強く感じさせる演出をしていた。
「今日は色々と付き合って頂いてありがとうございました」
円は背中を向けたままそう言った。別に構わないさ、いい気分転換になったしな、色々と初めての体験もできたし。
「初めてというのは、幽霊を見たことですか?」
あぁ、俺は幽霊なんてオカルトチックな存在を信じてなかったし。でも目の当りにしたら信じないわけにもいかないだろ?
「昨日の事を覚えてますか?」
昨日の事? 昨日は円と初めて話して、それで円が自分の事をテレパシーが使える超能力者だって聞いた事か? まぁ今日見た感じだと超能力者っていうよりも霊能力者みたいだったけどな。
「そうですね、確かに霊能力者のようですね」
背中を向けたまま円が空を見上げた。俺も同じように空を見上げた、どんよりとした厚い雪雲、全てを覆いつくしているような黒い闇。空を占領している闇からは相反する真っ白な雪が静かに振り続けていた、吹雪くかと思われた雪は静かに静かに、そして優しく俺の顔に降り注いでいた。
「雲ひとつない……沢山の星が見える……快晴の夜空ですね」
雲ひとつない、沢山の星が見える、快晴の夜空?
「質問があります」
公園についてから初めて円が俺の方を見た。どうしてそんなに悲しそうな顔をしてるんだ?
「アナタのお名前を教えてください」
名前?
「もう一度聞きます、アナタのお名前を教えてくださいませんか?」
「私は……藤川……雪です」
っ…………!? 振り返ると一人の少女が俺の後ろに立っていた。雪……俺の妹だ。
「お歳はいくつですか?」
「15歳です」
「血液型は何ですか?」
「AB型です」
それは雪の声だった、悲しそうな目で円を見ながら問いに答える。
「ご家族はいらっしゃいますか?」
「両親と兄がいます」
「そうですか、それでは雪さん、いつ死んだのですか?」
俺は睨むように円を見る、が円は真っ直ぐ雪を見ていた。
「山で足をくじいて、その後吹雪きになってしまい、そのまま眠るように。雪解け後に発見されました」
遺体で、と付け加える。
「分かりましたありがとうございます。それで成仏できずにここにいるわけですね、それは何故ですか? 理由は分かりますか?」
「兄が……お兄ちゃんが心配だったんだと思います」
そう言うと俺の方を見る雪。
「そうですか、お兄様がお好きだったんですね」
「はぃ、とても優しい人でした。でも今は私のせいで苦しんでいます」
「それは悲しい事ですね」
「はぃ」
「それでお兄様は今どちらにいらっしゃるのですか?」
「私の部屋で倒れてしまい、今は意識不明で入院しています」
「そうですか……そういう事です」
公園に入ってから初めて俺の目を見る円、そういう事ですって……どういう事だ。俺が病院にいる? 俺はここにいるじゃないか。いや今はそんなことどうだっていい、雪がいる、俺の目の前にいるんだ。会いたかった雪がいる、伝えたかった事があるんだ。どうすればいい円、俺はどうやって伝えればいい? 唇が引っ付いたように開かないんだ。
「問題ありません、そのまま伝えてください。ちゃんと聞こえるはずですから」
……雪?
「何? お兄ちゃん」
悲しそうな、切なそうな顔だった雪が少し微笑んでいるように見えた。あぁ……本当に雪だ、雪の声だ。
「あのねお兄ちゃん、私も伝えたい事があったの」
雪が言う、俺も言う
「ごめんねお兄ちゃん、私のせいでこんな事になっちゃって」
ごめんな。お前一人で行かせちまって。
「お兄ちゃんから天候が悪くなるからって止められたのに」
ごめんな。本当ならもっとちゃんと止めるべきだったんだ。
「でも私がどうしてもって無理やり行っちゃたから」
ごめん。俺もついて行けばよかったんだ、いやそうするべきだったんだ。
「お兄ちゃん、もう謝らないで、お兄ちゃんは何も悪くない、悪いのは私なの。このままじゃ……離れられないよ」
雪、雪……雪の顔に触れたいのに触れられない、何度試しても素通りしてしまう。
「あのね。お兄ちゃん、一つ聞きたい事があったんだけど、聞いてもいい?」
あぁいいよ、何だ?
「私ね……お兄ちゃんの学校に合格できてたかな?」
微笑み涙を流しながら聞く。
「あぁ。合格だったよ、おめでとう、本当におめでとう」
俺は雪を強く抱きしめた。
「お兄ちゃん」
「何だ?」
「今までありがとう、お父さんとお母さんにもそう伝えて欲しいの。私の分まで幸せになってね……大好きだよお兄ちゃん」
「雪……」
俺はみっともなく号泣していた、ありえないくらいの涙を流していたかもしれない。でも今この腕には雪の温もりがあった。
「残念ながらそれは私の温もりです……って聞こえてませんね」
「ありがとう、円」
「聞こえてましたか」
「悪かった、もう離れるよ」
「いえ構いません、気が済むまで抱きしめてもらっても構いません」
大事な事だから二回言ったようだ、お言葉に甘えてしばらくこのままでいることにした。

 どれくらい抱きしめていただろうか、数分かもしれないし、ひょっとしたら数時間かもしれない。俺はそのままの状態で空を見た。
「あぁ本当だな、星が沢山見るな」
俺が今見ている夜空はさっきまで見た分厚い雪雲から一転して雲ひとつない星空だった、もちろん雪も降っていない。
「そうですか」
円も夜空に目を向ける。
「なぁ、俺は今どうなってんだ?」
「さきほど雪さんは言った通りです、今アナタは病院のベットの上にいます」
「そうか、まだ死んではいないんだな」
「死んでません」
「なるほど、俺の今の状況は生霊って奴なんだな」
「意外と冷静に分析できているんですね、まぁその通りですけど」
俺は円を見た、今は夏……なのか?
「初夏ですね」
そっか、それじゃ結構寝てるわけだな俺は。
「もう大丈夫ですか?」
「あぁもう大丈夫だ、それより何か悪かったな、かなり迷惑かけちまったみたいだし。要するにあれなんだろ? 俺が情けないばっかりに雪が成仏できなくて、生霊みたいな存在になってる俺に雪の霊が憑いてしまったと、それで俺の生霊がこんな状態でうろうろしてたわけか、吹雪や唇の乾きはそのせいだったんだな」
「本当に冷静な分析ですね、その通りです」
「そしてお前は超能力者じゃなくて霊能力者だったと、どうして最初っから霊能力者だって言わなかったんだ?」
「アナタが死んでしまうからです、これでも私は頑張ったんですよ、生まれてこの方こんなに頑張ったのは初めてじゃないかってくらいに……」
俺の胸に顔を埋めたまま円が言う。
「貴方の質問に答える前にひとつ教えてもらっていいですか?」
「ん? 何か分からないけどいいよ、あっ、名前を教えてくださいって奴か?」
「そんなこと聞かなくても分かってますっ!!」
ドンッ! 円は俺を突き放した。今までの無表情、冷静沈着のイメージを払拭するほどの大声で怒鳴る。
「お名前は藤川篤さん、年齢は私と同じ十七歳、血液型は雪さんと同じAB型、バスケット部で部員から慕われて、友達も多くて私みたいな存在自体が暗くて影も薄い子にだってみんなと同じように挨拶をしてくる優しい人。かなりシスコン入っていますが……」
シスコンとは何事かと突っ込もうかと思ったができなかった、円がボロボロと泣き崩れていたからだ。
「どうしたんだ?」
「私の大好きな人です」
え?
「アナタに分かりますか? 大好きな人が生霊となっているのを目撃してしまった人間の気持ちが。しかもその人は今にも妹さんの後を追って自分も死んでしまおうとしているのが分かってしまった人間の気持ちが」
「円?」
「私だって迷いましたよ、どうしようどうしようって生まれて初めてうろたえました。大好きな人が望む事なら叶えてあげたい、でもその望みが死ぬ事なんですよ? 一万歩譲ってそれもまぁ分からなくもないかなぁって思ったりもしました。でもやっぱり嫌なんです、好きな人が死んでしまうなんて、おかしいですか? 普通そうですよね、突発的なら諦めもつきますよ? でもそうじゃないじゃないですか。それに死なせない方法が私ならあったんです」
「えっと、円さん? ちょっと落ち着かない?」
「生霊に落ち着けなんて言われたくありません!」
「ちょっと傷ついたけどすいません」
「いいですか? これは正直ありえないくらいの衝撃でした、悩んで悩んで悩みました、実はさっきまで悩んでいました。雪さんの気持ちを聞くまではです、雪さんはアナタに生きて欲しいと言いました、それで決断を下しました……私は雪さんを成仏させました……これは私の独断でした。アナタの気持ちを確認する前に成仏させてしまいました……私は、私は酷い事を……余計な事をしてしまったのでしょうか。教えてください……私にはもう分からなくなりました」
両目を覆いボロボロと泣き崩れる円、まるで小さな子供が悪い事をして母親に許しを請う姿に見えた。
「ごめんな、本当にごめん」
謝りながら俺はその小さな泣きじゃくる女の子を再び抱きしめた。俺にはそれしか出来なかった。
「それと、ありがとな。雪もそう言ってた気がする、ありがとうございましたってさ」
大きな声で、俺の胸で泣く円を俺は円の気がすむまで抱きしめようと思った。

 どれくらい時間が経っただろうか、この公園には大きな時計が五個と小さな時計が十個ある、むかし雪と一緒に数えた事があるから間違いないはずだ。残念ながらそのどれもここからは見えなかった。今、俺は不思議な状態だ、生霊らしい、しかも自覚がある。それでも何故か頭はスッキリ思考はハッキリとしていた。もちろん雪がもうこの世にいない事実は変わっていないし、そのことに対して悲しくならなくなったわけじゃない。それでも、ひとつの区切りをつけられたような、そんな気分。円はもう泣きやんだようだ。
「覚えてますか? 生霊であるアナタと幽霊である雪さんが今まで仲良く彷徨っていたことを」
「俺と雪が? いやまったく記憶にないな」
「記憶がないのは当然です、記憶をとどめて置く肉体がないのですから。魂だけが繋がっている状態でした、とても楽しそうで幸せそうでした」
「そっか、そりゃシスコンと言われても仕方ないかな」
少し恥ずかしくなり頭を掻く、そういうつもりはないのだが周りからはやはりそう見えていたか。
「それで、俺が死んでしまうからってのはどういう事なんだ?」
円がそう言っていた事を思い出す、霊能力者だと言ったら俺が死んでしまうからと。
「言葉どおりの意味ですが……その前に教えて下さい。もう雪さんの後を追いたいなんて思ってませんよね?」
俺の胸の中で、上目遣いでそう聞いてくる円。不覚にも萌えた。
「あ、あぁ思ってないよ、そもそも自覚してたわけじゃないからな俺は」
「そうですか安心しました。それではご説明させてもらいます、詳細を話せば長くなってしまうのですが……」


 俺はベットの上から窓の外を見ていた。大きな桜の木が見える、春はきっと満開だったのだろう、意識不明だったのが悔やまれる。看護士による定期健診が終わり病室で俺は一人だった。両親は俺が目覚めた当初こそ泣きながら喜んでくれていたのものの、意識不明だっただけで身体は健康そのものだという医師からのお墨付きをもらってからは、一日に一回一時間ほど顔を見せる程度になっていた。聞けば今までずっと隣のベットで両親が交代で付きっきりだったようだ、それだけ疲れもたまっていたのだと思えば薄情だとは微塵も思えない。まぁ他にも理由がありそうだ、例えば俺のせいで雪のことでの心の整理がつけられなかったとか、例えば毎日見舞いに来てくれていたという一人の少女への子憎たらしい配慮があるのかもしれない、毎度ニヤニヤしながら「あの子にもよろしく言っておいてね」と口に手を当てて病室から出て行く母親の姿を思い出しながらそう思う。念の為の検査入院もあと三日で終わる、さてあの少女は今日こそ約束を果たしてくれるのだろうか。
「コンコン」
と病室のドアからノックが聞こえてくる。どうぞー、と入室を促すと道草円がちょこんと顔だけだしてこちらを見る。
「どうしたんだ? 遠慮せずに入って来いよ」
「いえ今日はここからで失礼させてもらおうかと思います」
ふふん、どうやら約束を守ってくれたようだ。しかしこのままでは意味がない。
「あ! あいたたたっ、痛い! 腹とか頭とか色々と痛いっ! 歯も痛くなったかもしれない!」
「え? だ、大丈夫ですか?」
「駄目だっ! すまないがこのナースコールを押してくれないか?」
「わ、分かりました」
慌てたように俺の枕元にあるボタンを押しに走ってくる。
「捕まえた」
ボタンを掴んでいる円の腕を掴む。円は見る見る顔を赤くしていき、抗議の声を上げる。
「ず、ずるいです、どうしてそういう事をするんですか!」
「ずるいのはお前の方だろ、顔だけじゃ約束を果たしたとは言えないぞ?」
「だって……さすがにこれは恥ずかしすぎます……」
短いスカートを両手で下に押さえ込んでいる円。あの時ヨネさんからプレゼントしてもらった服を着て見舞いに来てもらったのだ。絶対領域はあると思います。
「何かそれ変態っぽいです」
「あれ? まだ聞こえてるの心の声」
「声に出してました、自覚症状がないなんて重症だと思います」
「だって約束したのに全然着て来てくれないんだもんさ」
「当たり前です、だいたい失礼じゃないですか、説明しろと言うから説明したのに途中で『そんじゃ俺もう戻るからお見舞いよろしくな、あ、そうそう、今日プレゼントしてもらった服着て着てね』ってあんまりです」
「だって本当に長かったんだもんさ、要するに自覚していない生霊にお前は霊だと認識させてしまうと、その時に強く思っていたことを実行されてしまうって事だろ? 俺の場合は、自覚してなかったけど雪の後を追いたかったと思ってたわけで」
「まぁそうなんですけど、だからっていきなりいなくなるなんてひどいです、一人だけポツンと残された私の気持ちも考えて下さい。だいたい……」
まだまだ続きそうだった円の抗議を全て受け止めるつもりで俺は抱きしめた。

「ごめんな、ありがとう。……その服すごく似合ってるぞ」

2011-05-09 23:36:04公開 / 作者:シン
■この作品の著作権はシンさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
どうしてもカテゴリー「ホラー」がクリックできない、でも読みたい作品がある、どうしよう。
ならばホラーを書いてみれば少しは免疫ができるかもと思い書き始めました。
結果、読んだことがないので書けませんでした。でも幽霊を出せたから少しは……少しくらいは。

心情描写に力を入れすぎるのは私の悪い癖だと思います、そこが少しでも改善されていれば良いなと思います。
この作品に対する感想 - 昇順
 こんにちは。作品読ませていただきました。
 主人公と円のやりとりが大変面白かったです。主人公の失礼な言葉に一々落ち込む円というパターンは、ありがちな会話と言えばそうなのかもしれないですが、しかしこの円のかわいらしさが良く表現されていると思いました。特に、後半の「デート」のシーンはいいですね。
 最後に雪が登場するのはもちろん予想通りの展開ではあるのですが、主人公がそういうことになっていたのかと言う点で意外性があったのと、円が想いをぶつける部分が良く書けていたのとで、この部分も良いなと思いました。
 全般に、うまく書けてると思います。ラノベ系の人にも読みやすそうだし、ニーソ好きの人もここにはいるはずなんだし、感想がついてなかったのが正直不思議でした。読んでみて良かったです。
2011-05-15 15:33:31【★★★★☆】天野橋立
天野橋立さまご感想ありがとうございました。

数日反応がなかったので一人反省会を行い。何が悪かったのか、テーマが悪かったのかグダグダと長かったのが悪いのか、そもそもお話にもなっていなかったんじゃないだろうかと思い。もっと沢山読んで勉強をしなければならないと戻ってきたところにまさかの1ptを頂いていてとても嬉しかったです。

貴重なお時間を割いて頂き本当にありがとうございました。
「読んでみて良かったです。」という言葉は
嬉しいと共にどこか救われた気持ちにもなりました。
2011-05-16 22:11:40【☆☆☆☆☆】シン
拝読しました。水芭蕉猫ですにゃーん。
これは、ものの見事な王道パターンというやつですね。最初から最後まで予想通りの展開となっておりましたが、だからこそ王道は素晴らしいのです。天野さんもおっしゃってますが、円がとても可愛らしく書かれているなと思いました。あと、何気に婆さんも良いですね。齢104歳って相当だろうなぁ。とか。デートしたり、いちゃいちゃしたり、そんで最後にほろりとくるのは中々良いですね。感想がつかなかった理由としては、やっぱり微妙な長さじゃないかしら。100枚超えてると、中々読む決心がつかないんですよね;
2011-05-18 22:11:38【★★★★☆】水芭蕉猫
水芭蕉猫さま、ご感想ありがとうございます。

 私はネタの引き出しが乏しいため、どうしても王道になりがちになってしまうのですが。私も王道が好きなので褒められたと解釈してとても嬉しいです。当初あのお婆さんは設定にいなかったのですが、どこの引き出しから出てきたのか齢104歳のヨネさん。気に入ってもらえて本人も喜んでいると思います。

 いつかは水芭蕉猫さまや他のみなさまの様に、続きが気になる作品が書けるように頑張りたいと思います。
読んでいただき本当にありがとうございました。
2011-05-19 22:33:02【☆☆☆☆☆】シン
計:8点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。