『Spirit World 竜人族の章(完結)』作者:ルイシャ / t@^W[ - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
忌み嫌われる妖精族の血を引く格闘家。強力な魔法が売りなギルドを追放された魔法使い。弱くはないがパーティーを組めないために雑用ばかりを受け持っていた2人の冒険者は、青い髪の少女を助けたことから事件へと巻き込まれていく。そんな冒険譚。
全角66873.5文字
容量133747 bytes
原稿用紙約167.18枚
Act1 俺たち厄介事請け負い人(トラブルシューター)です!
「冒険者…ある者は財宝のため遺跡に潜り、ある者は名声のためドラゴンに挑む」
 目の前の光景を見つめながら、碧眼黒髪の美青年が愁いを帯びた表情で小さく呟いた。顎の辺りで切りそろえられた黒髪は、繊細さが目立つ顔を綺麗に縁取っている。長身のわりに線が細いので女装が似合うだろう。その唇が動き、発せられた言葉は…。
「…が一方で、俺たちは日々の糧を得るために身を粉にして働いている、と」
 じつに情けないものだった。
「こぉらぁカイザぁ!ぼさっとしてないで援護してよー!」
 やる気なんてとうに失せたーといった感じのカイザの台詞を聞きつけて、離れていたところで戦っていた茶髪の少女が怒鳴る。凛とした雰囲気を持つ、澄んだ空色の瞳が印象的な少女だ。腰まであるだろう茶髪を束ね、バンダナを巻いている。バンダナからわずかにのぞく耳に煌めくピアスがあった。
「今日はあと数回しか魔法が使えないんだ、出来るだけ自力で頑張ってくれミズキ」
 黒髪の青年の名前はカイザ、茶髪の少女の名前はミズキ。二人は冒険者…いわゆる厄介事を請け負いながら旅をする二人組だ。
「最初に魔法を乱発するからだよ!」
「あはは、そうせざるを得ない状況にしたのは誰だ? 相手の数を確認する前に一人で突っ込んでいったのはどこの誰だ?」
 笑いながらされたカイザの指摘に、ミズキは震えながら答えるのだった。
「ごめん、あたしです! だからあたしに向かってマジックソード向けるのは止めてー!」

 今回、彼らに回されたのは害虫駆除の仕事だった。相手はなんて事はない人の頭サイズの蜂、通称ビッグビー。意味はでかい蜂と、なんとも安直なネーミングである。それだけ冒険者達にとってもたいした相手ではないという事だ。
 ハチの巣を破壊するか、群れの中心にいる女王蜂を倒せば依頼は終了なのだが、予想以上に働き蜂の数が多かったのである。
 殴ったり蹴ったりといった近接戦闘を得意とするミズキが前に出て、後ろからカイザが呪文を唱えて援護していたのだが、間には働き蜂が壁を作っているのでさっきからにらめっこ状態だ。
 ひとまず魔法に集中するのをやめたカイザが、魔法語が彫り付けられた剣でその辺の働き蜂を斬る…いや叩くと言った方が正しい。
 一応剣で戦う練習はしているのだが、構えがへっぴり腰なのだ。その上持っているマジックソードは切れ味のいい剣ではないからなかなか倒せない。まぁ、剣と言っても、魔法の杖に分類される武器だから仕方ないのかもしれないが。
 見かねたミズキが駆け寄って、手に持った松明で兵隊蜂を叩き落としながら喚いた。蜂は煙が嫌いとは常識である。
「むぅぅぅ…カイザ、魔法でなんとかなんないの!? このまんまじゃ不味いって!」
 彼女のつり気味の目は、不機嫌そうにひそめられている。自分の戦いの技で対応しきれない事が悔しいのだろう。
「んー、一理あるけどね、これだけ数が多いと働き蜂が邪魔で肝心の女王蜂にはダメージがいかないよ。やるなら働き蜂を減らしてからだ、なっ」
 ボカっとミズキが叩き落とした働き蜂を殴りながらカイザが言う。
「と、言うわけだ。ミズキ、精霊を喚んでくれ」
 女だてらに勇ましく、手近な働き蜂を蹴り飛ばしていたミズキだったカイザの言葉に顔をしかめた。
「ヤダよ! だいたい、あたしの魔法じゃ…」
 ミズキは魔術に長けたエルフ族の血を引くハーフエルフだ。カイザほどではないが魔法の心得もある。だが、ミズキはすぐには首を縦に振らない。
「多少のとばっちりは仕方ないさ。普段は使っていないんだからな…むしろ華麗に決めたら締めるぞコラ?」
 小さく笑いながら軽くミズキの頭をこづく。ミズキは少しだけ迷ったが視線を上げて小さく頷いた。
「…後始末、お願い」
「はいはい、俺に任せておきなさい」
 ミズキは息を詰めてバンダナに指をかけた。緑色のそれをするりとほどく。その下から、人間のものとは明らかに違う長くとがった耳が現れた。邪魔物を取り去り、ミズキの耳はさざめき合う精霊たちの声を拾えるようになり、つられるようにその目は空を舞う精霊達をとらえられるようになる。
 その耳はこの世の者ではない精霊たちの声を聞くことが出来るが、同時に人間社会からは受け入れられにくい彼女の出生を明らかにしてしまう。だから普段は隠しているのだ。
 ミズキが見つけたのは、大気の中にいる風の精霊たち。手のひらサイズの愛らしい女の子の姿をした彼らは、笑い合いながら空気の流れに乗ってあちらこちらを飛び回っている。
「フォン!手を貸してちょーだい!」
『ハイハーイ!』
 ミズキの前に薄緑の髪をした子どもの姿をした精霊が現れる。黄色い髪とやんちゃそうに光る瞳。他の精霊たちよりもかなり大きく、人間の赤ん坊くらいの大きさだ。他の精霊達とは明らかに違うそれを、ミズキはフォンと呼んでいる。
「頼むよ、フォン!」
『は〜い。まっかせてー!』
 精霊が見える者からすれば何とも微笑ましい光景だが、精霊使いじゃないカイザにはフォンのことは見えていない。だから、ミズキがあらぬ方を見て喋ってるようにしか見えない…かなり寒い光景である。
『いっくよー、びゅーん!』
 寒い光景だが、フォンが繰り出す風の攻撃力はバカみたいに高い。突風が働き蜂を叩き落としながら周りを荒れ狂う。
「うしっ! もういいよ…あ、あれ?」
 ミズキがいつまでも止まらないフォンに慌てて止まるよう命じるが、言う事なんて聞いていない。
『イャッホ〜!!』
 まるで体力の有り余っている子どものように暴れまわっている。どうやら制御しきれず暴走したもようだ。精霊は召還者の魔力を使って力を発揮している。そして魔力の急速な欠乏は、召還者の命を削ってしまう…このままだとミズキの命も危ういが。
「こらぁ! 止めんか、フォン!」
 命の危機の割には、緊張感のない叱り方。そしてその言葉にフォンはハタッと止まるのだった。
『あ、マスター…あ、あれ〜? なんか大変な事になってるよ! 木が倒れてる〜!』
「いやいや、お前のせいだろ!」
『あちゃ、ごめーんマスター。手加減するの忘れてたぁ』
 ごめんねぇと言うように舌を出すフォン。そしてフォンのセリフに突っ込んだミズキ。
「あほか! ちったぁあたしの…ぐぅ」
 と言おうとしたところで、ミズキの意識はぷっつりと途絶えたのだった。慌てて崩れ落ちるミズキを支えるカイザ。
 ミズキはすやすやと眠っている。命に別状はないにしても、意識は保てなかったらしい。
「ちょっ、こら! 仕事終わってないのに寝るな…まぁ、けしかけた俺も悪いか」
 カイザはやれやれと笑うと、低い声で呪文を唱え始めた。木すらなぎ倒すような激しい風で地面に落ちた働き蜂が復活するころには、カイザの手の中で赤黒い炎の玉が揺れている。
「炎よ、我が敵を飲み込み全てくらい尽くせ!」
 カイザが凛とした声で言い放つと、炎の玉は一気に蜂の方へと、女王蜂へと迫って急激に膨張する。重い爆音と燃え上がる火柱。蜂が全て燃えていくのを見届けると、カイザはミズキを背負い上げた。
「さぁてと…この惨状、なんて言い訳しようかなぁ」

 では、ミズキと愉快な仲間達が繰り広げる明朗快活な冒険譚、しばしご清聴あれ。






Act2 どこにでも、頭の上がらない上司ってのはいるよね。
「あーらあら? 今回の依頼は失敗のようね」
 からかうように笑いながら、二人の前で明るい赤毛を結い上げた美女が艶っぽく笑んでいた。ただしその目は笑っていない。
 時は依頼終了から数日後。いわゆる上司であるサブリナの前に二人はいた。サブリナはミズキとカイザに依頼を持ってくる仲介人といった立場の女性だ。彼女自身も神官の位を持っているらしい。神殿では対処しきれない事件や、とるにたらない雑用を冒険者の店に張り出し、乗って来た冒険者と依頼人を繋ぐのである。
「巣と女王蜂の駆除という内容は果たしただろう?」
 しれっと言ったカイザに、サブリナが笑いながら怒った声で叫びかえす。それでも美しさを崩さないあたり、なかなか器用だと思う。
「周りの果樹を薙ぎ倒せなんて言ってないわよ!! ど れ だ け! 迷惑料請求されたとおもってるのよ!!」
 果樹園にできたハチの巣を壊すだけのはずが、果樹園を半壊させてしまったのだ。依頼主はかなり怒っていたらしいのだから当前である。
「あれはどーしようもないよ! だいたい松明数本渡されただけで何とか出来るワケないってば!!」
 むしろ開き直ったミズキだった。なんか苦しい気がするが、そうするしかない。
「……あなた達そのうち仕事無くなるわよ」
「はっはっはっ、俺達の他にあんたの希望に沿う冒険者はいるのか?」
 じと目で睨んでくるサブリナだが、カイザが悪人風に言い返せば黙りこくる。実際に彼の言うとおりだからだ。
 大陸の半分以上が大帝国に統合されてはや数十年。それ以降は大きな戦争もなく、大戦時代に急激に発達したあらゆる魔術は最早庶民の手に届かないというような高尚なモノではなくなり、どんな小さな集落でも魔物よけの結界があるこのご時世。
 冒険者という職業は、基本的に冒険者というと、荒くれ者で遺跡に挑んだりばかりしている集団である。腕が立つ者ほど、依頼料は高くなる上、わざわざ高い金を出すほどの事件など滅多にない。冒険者達にしたって、蜂の巣やらどんどん繁茂するツタ植物やらを撃退したって自慢話にもなりはしないから受ける気なんてさらさらない。が、ミズキとカイザはその手の依頼だろうと喜んで請け負う。しかも相場と比べればかなり割安の料金である。
 人間社会からは弾かれがちなミズキと、ギルドの後ろ盾が無いカイザではまともなパーティーを組んでもらえない、つまり遺跡探索ができない。そのため来る仕事はどんな条件だろうと拒まないし手を抜かない。他にもいろいろと偶然が重なり、今や二人はちょっとした有名人だった。何でも請負人という意味合いで。ちょこっと失敗もするけれど、彼らの腕と人柄は認められているのである。
「わかったわよ、ただし仕事料の二割は迷惑料の返済で使うからね。ほらあなた達の次の依頼よ!」
 叩き付けるように置かれた紙を、二人で仲良くのぞき込む。
「えっと…フォルテ…魔物………フィールド…えっと、あとはなんて書いてあるの?」
 書かれた文字をなぞりながら、ミズキがたどたどしく呟いた。ところどころしか読めず、助けを求めるようにカイザを見るミズキ。カイザはミズキの頭をポンポンと撫でて、ゆっくりと読み上げた。
「『フォルテ郊外の魔物よけ設備の修復、及びフィールド調査』…またひたすらに面倒な依頼だな」
 普通の冒険者なら絶対に手を付けない代物だ。要はイノシシよけの柵の修理、はっきり言って雑用である。
「ふん、わざとよ。ちょっとは反省してきなさい」
 にこりと笑ってくるサブリナに、爽やかに笑ってカイザはうなずいた。
「善処はする。ひょっとしたら、ミズキが何かしでかすかもしれんが」
「そ、れ、を! 止めるのが貴方の役目でしょう!!!」
 噛み付くように言ったサブリナに、カイザは笑いながら言い返した。
「サブリナはまだ分かってないな。噛み付き亀の前に手を出す方が、暴走するミズキを止めるより簡単だぞ」
「カイザ! そりゃ、どー言う意味だ!」
「ははっ、そのままの意味だよ?」
「むきーっっっ」

 バカ騒ぎしている連中は置いておいて―――次の依頼場所は、二人が居るアンフィーンナ武帝国の中でも屈指の都、貿易都市フォルテという街の郊外にある森。
 そこに設置されている魔物避けの柵が壊れているのを直す事が内容である。いつも通りの簡単な依頼だが…今、ミズキ達の歯車はゆっくりと、だが確かに回りはじめていた。





          Act3 でっかい事件ってのはあっちから飛び込んでくるモノだよね。
「もりーはひろーい、まよったらおっしまーいだな、っと」
 妙な節を付けて歌いながらミズキはしんがりを歩いていた。
 任された範囲を歩いて回り、壊れたり補強が必要なところを直して回る。単調かつ時間のかかる作業で、朝早くから始めたのに既に日は傾いていた。木の葉で日光が遮られる森の中は既に薄暗い。
「ミズキ、次に行くぞ」
「はいはい」
 こんな調子だが、二人ともきっちりと辺りに気を配っているのだからたいしたものだ。と、ミズキが立ち止まった。素早く耳のバンダナを剥ぎ取って耳をそばだてる。
「…なぁ、なんか聞こえないか?」
「何が聞こえるって?」
 振り向いたカイザがいぶかしげに尋ねる。
「悲鳴…多分、子供だ」
 ミズキは警戒態勢をとると、高いところから様子を探ろうと周りの木に手をかけた。風の精霊のフォンに頼めば辺りを探るくらいのことはしてくれるだろうが、それくらい自分で出来る。
カイザもミズキの合図があればすぐ動けるように身構えた。
『きゃぁぁぁー! タイヘンタイヘン、タイヘンがたくさんだよマスター!』
 と、そこに森の中にはあるまじき突風が吹き込んでくる。落ち葉まみれになったカイザが、吹き付けてきた落ち葉をぱっぱと払った。一方フォンに大音量で怒鳴られたミズキはたまらずよろけた。
 何やら大慌てのフォンを見て、事件があったことを確信する。
「どうした? なにがあったの?」
『あのね、向こうがね、人がいっぱいでね、小さい子もいるけど悪い人の方がいっぱいで、襲われそうでタイヘンなの!』
 なんだか大変らしいことしか分からない。そもそも向こうってどっちだとミズキが聞くが、慌てるばかりで聞く耳を持たない。
『もう少し筋道を立てて話さんか。それではマスターにご理解いただけないではないか!』
 ミズキの足下から別の声が割り込んできた。彼女の足下に腰を下ろしている小さな老人のものだ。…いや腰を下ろすと言うより、腰から上だけ地面から生えていると言った方が正しい。
 痩せて背中は曲がっているが、なかなかかくしゃくとした様子。身長はフォンよりちょっと高いくらい。
彼もまた精霊である。大地に根ざし、植物を育む大地の精霊。ミズキは彼をアシャと呼ぶ。
「アシャか、あんたも何か感じたの?」
『いかにも。西北西の方角より、何やら不穏な輩が居る気配がいたします。…しかしこの魔力は…』
 すごくわかりやすい。フォンの報告とこの差は一体何だ。だが、何やら言いよどんでいる。ミズキは眉根を寄せて老人の姿をした精霊を見下ろした。
「なんだ?」
『いえ、おそらく賊に狙われている旅の者が居るのでしょう』
「おーい、ミズキ? 早いところ状況を教えてくれよ」
 カイザが準備体操をしながら聞いてきた。フォンやアシャの姿はカイザには見えないし、声を聞くことも出来ない。とりあえず、ミズキの様子からなにかやっかい事があることを察したらしい。
 もっとも、精霊たちに集中しているミズキにはちっとも聞こえていないようだが。
『さぁ…まだ子供でございますが。強力な魔力を持っているようです。いかがいたしましょうか』
 ミズキはアシャの言葉にちょっと首を傾げた。
「子供?」
「なんだって?」
「えと、なんかめっちゃ強い魔力を持ったガキが危ないらしいぞ。行くよカイザ!」
 結局、殆ど説明もないままにミズキは走り出した。思わず呆然と見送ってしまうカイザ。
「…ちょ、ちょっと待て、ミズキ! 現場に着いても一人で突っ込むんじゃないぞ!」
 自分たちがなおした柵を跳び越えて、森の中をひた走る。敏捷なミズキはどんどん先へと進み、軽装だが体育会系ではないカイザはあっという間に息絶え絶えだ。
 ともあれ、走り続けること数分。走り出したときと同じくらい唐突にミズキは立ち止まり、そして藪に身を潜めた。
「遅いよっ」
「も…無理…動けない…」
 不満げなミズキの言葉にカイザはぜぇぜぇと荒い息をつく。
 ミズキは顎をしゃくって静かにどこかに向かってささやき始めた。精霊に話しかけて力が借りれないか相談しているのだろう。
 ミズキが副作用にも迷わず魔法を使おうとする。つまり、相当せっぱ詰まった緊急事態と言うことだ。
――結局ミズキからの説明はなしか…ま、慣れたけどね。
 胸の中で呟きそっと木陰から覗き込むカイザ。とそこには武器を持った物騒な面構えの男達。そして、彼らの前で怯えながらナイフを構えている、旅装束の蒼い髪の少女。
 典型的な襲われかけてる旅人その1だ。
 襲われているのが少女。しかも一人だけというのが、いかにも訳ありな感じで気になるが、色々理由があるのだろう。
 もちろん、ミズキ達は見逃すつもりはない。だが、こちらは二人で敵は十人。
圧倒的にミズキ達の分が悪いが、ミズキは恐らく何にも考えていない。ひたすら、目の前の少女を助けることしか頭にないだろう。カイザは顔を引っ込めてミズキの肩を叩いた。
「ミズキ、全員を倒すのは難しいぞ」
「わかってる。アシャに頼んであいつらみんな閉じこめてもらうことにした。その隙にあの子連れて、とっとと逃げる!」
 あっさり言ったミズキだが、アバウトすぎて作戦なんて呼べない。が、ミズキに引く気がないことははっきりしている。カイザは小さく肩をすくめてミズキに言った。こうなれば出来る限りのフォローをするだけである。
――本気でやばくなったら、電撃の魔法でも使おう。炎の玉よりはまだ森が燃え出す確率は低いし。
「オーケー、それでいこう。ただし、あの子の安全が第一だからね。魔法使いたくないとか言わずに迷わずに使いまくってね。ちょっとでも躊躇したらご飯抜きにするからね?」
「し、しないよ。んなことするわけ無いじゃん…ははは」
「うんうん、判ってるなら良いよ」
 カイザに笑いながらすごまれて、ミズキはコクコクと頷いた。カイザはマジックソードを抜き、柄に刻まれた魔法語に触れた。
 やんわりと、何かをつまむようにマジックソードの柄から手を離すと、そこには小さな光の玉がある。
 カイザがミズキに目で合図すると、彼女は武器を取ると薮をわざと揺すりながら飛び出した。
 物音に反応した山賊達。カイザはすかさず呪文を唱えた。
「光よ、あまねく我が視界をてらせ!!」
 目が眩まんばかりのまばゆい閃光が、薄暗い森の広場を埋め尽くす。それが合図だった。
 呪文を言いながら目を閉じたカイザと、彼に対し背を向けていたミズキ以外の敵達は閃光に目がくらみ、動く事ができない。そこにミズキが突っ込んだ。目が眩んでいる数人を転倒させて、一旦距離をとりながら両手を大きく広げる。
「今回ばっかは手加減なしだ。行くよ、アシャ! 暴れて!」
『御意、お下がりください』
 ミズキの後ろに控えていた小さな老人は、大地の中へ潜っていった。まるで、固い地面が水面であるかのように。

ドっ ドっ ドっ

 その直後、大地を揺るがせながら無数のイバラが地面を突き破って現れる。
 足下をイバラに絡みつかれ、男達は動きを封じられた。とはいえ所詮はツタ。剣で切られればあっという間に抜けられてしまう。
 相手のチームワークはそれなりに良いようで、すぐさま手に持ったカトラスで互いのツタを切り始めていたが、そうは問屋が卸さない。
 ミズキは足下の砂を蹴り上げて盗賊達の目を眩まし、武器を奪って回った。そのとき、ミズキの目に不気味な笑いを浮かべる悪魔のマークがとまる。
――うわぁ、なにこのマーク。趣味悪ぃな。
 気にはなったが、すぐにミズキは興味を失って武器を落として回った。カイザが少女を助けるまで、なるべく時間を稼がねばならない。

「お嬢さん、大丈夫?」
 カイザが突然の乱入者と山賊達の戦いに震えている少女のそばへと駆け寄った。少女は思わぬ展開に呆然としていたが、カイザを見るとちょっと頭を下げた。
「ありがとうございます」
 思ったよりしっかりとした様子の少女にカイザは微笑みを見せた。少女の頬がぽっと赤く染まる。
「さ、撤退するぞ、ミズキ」
「おう!」
 ミズキが素早くカイザ達の元へと駆け寄ってくる。ユゥはミズキの耳を見てちょっと首をかしげた。
 絶対に逃がすなと、追いすがってくる山賊達にミズキはすっと手を伸ばした。
「フォン、行くよ!」
『はいはーい!! ギューン!』
 森の中という風の精霊にとっては悪条件にも関わらず、強力な風を吹かせて見せたフォン。同時にカイザは呪文を完成させた。
「闇よ、我らを包む守護となれ!」
 山賊なんて相手にするだけ損だと、魔術で作りだした闇に身を隠す。そして3人はその場を立ち去ったのだった。





          Act4 最後まで助けるよ!
 夜空に輝く一番星。それに見送られながら、くたくたになって仕事を斡旋し衣食住を提供する「冒険者の店」に帰ってきたミズキ達。
「あーらあら、とうとう誘拐にまで手を出したわけ?」
 これは夕飯にありつくミズキ達に向かって、サブリナが告げたセリフである。
 ミズキは危うく口に含んでいたスープを吹き出しかけたが、こちらを見てにっこにっこと笑っているカイザを見てなんとかそれを飲み込んだ。
 カイザは良くできましたというように、くしゃくしゃとミズキの頭をなでる。
 不満気な顔でそんなカイザを見るミズキと、どこか不安そうな顔でそんな二人を見るユゥ。
「んじゃ、気を取り直して…いったい、どこをどーみたらそうなるんだよ!?」
 そう言って突っかかるミズキを、サブリナは心底楽しそうに笑うだけ。しばらくきゃんきゃんと突っかかるミズキ。そんなミズキの息が切れた所でカイザがいきさつを説明をした。
「森の中で野盗に襲われていたところを助けたんだ。彼女はユゥちゃん。ユゥちゃん、この赤毛のお姉さんが俺達に仕事を回している仲介人のサブリナだよ」
 帰ってくるまでに簡単な自己紹介はすませていたミズキ達である。
「初めまして、ユゥ・フィレスです」
「あーら、可愛い子ね…それで保護者はどちらに?」
「あ、えっと、その…」
 口ごもるユゥをフォローするように口を突っ込むミズキ。
「ユゥは一人旅してんだって」
「あーら、それはまたどうしてかしら?」
 全部判っているのよ? と言うような笑みを、口元に浮かべながら言うサブリナ。
「話してご覧なさいな。迷子や家出なら、ちゃんとお家へ連れて行ってあげるわよ?」
「そんなんじゃないんです!」
 ユゥがテーブルを叩いて立ち上がった。その剣幕にミズキは固まり、サブリナですら目をぱちぱちとさせている。
「私が一人でここまで来たのは、友達を助けるためなんです!」
「友達?」
「フィルが…私の幼馴染みがさらわれてしまったんです。私を、守ろうとして。私のせいで……私、私はフィルを助けたくて」
 そこで口ごもってしまうユゥ。彼女の様子に、サブリナは質問を重ねていく。
「大人の人は? フィル君のご両親とか、同じ村の人でも良いわ、アナタが一人で来る必要はなかったんじゃないの?」
「やめなよ、サブリナ。あんたこわ「何か言った?」…こ、子供好きって言ってたじゃん」
 ミズキが冷や汗をたらしながらもユゥの方を見てニッと笑う。
「なにか言えないコトが在るんでしょ。言いたくないならいいさ」
「ミズキさん…あ、で、でも」
「けど、一人で探すってのもムチャだよ。そのフィル探し、あたしも手伝うからね」
「え、えぇっ!?」
 驚くユゥにミズキは、笑いながら言い切る。
「1回助けてといて、放っとけるわけないでしょーが。たとえ嫌がっても手伝うからね」
 ミズキの言い方にカイザは苦笑しながらも頷いた。ユゥの大きな目が潤む。
「フィルを助けたい…お願いです、手伝ってください!」
「おぅ!」
 元気に答えたミズキに、別の声が割り込んだ。サブリナである。
「あーらあら、だったらワタシもお手伝いしちゃおうかしら?」
 がたんっ
 ミズキが椅子から転がり墜ちた。
 かしゃんっ
 カイザが持っていたスプーンを落とした。
 ミズキは信じられないものを見たというようにサブリナを凝視すると、心配そうに聞いた。
「サブリナ、あんた熱あるんじゃないの?」
「ないわよ」
「じゃ、なにか変なモノ食べたとか?」
「食べてないわよ」
 ミズキは頭上に疑問符を大量に浮かべながら呟いた。
「ありえない! 面倒くさがりで大金絡まなきゃ自分じゃ動かないあのサブリナが、見ず知らずの女の子を助けようとか言うなんて!」
「…ちょっとミズキ、あとで宿の裏手にいらっしゃい」
 お化けでも見たような顔で呟くミズキに、サブリナはこめかみを引きつらせながら囁いた。
「それにしたって、いきなりどうしたんだ?」
 いぶかしげなカイザに、サブリナはふっと笑ってかえした。
「まさか男二人組のグループに、小さな女の子を放り込むわけにはいかないわ!」
「え! ミズキさんって実は男の人なんですか!?」
「いやいやいや、あたしは女だよ! どーいう意味だよサブリナ!」
 むっとしながらサブリナを睨むミズキだが、サブリナは鼻で笑って一言。
「ノーカウントよ」
「なんだそりゃ!」
「平気で年の近い男と同じ部屋で寝泊まりできる様なデリカシーのない人を女性とは数えないわ」
「むきーーーーっ!! ハリセン振りまわす女に言われたくなーい!!」
「待て待てミズキ、皿は駄目だ、皿は」
 サブリナに突っかかろうとするミズキを、カイザがため息をつきながらなだめる。すでに慣れているのである。
「という訳でいいわね、ユゥちゃん?」
 ずずいぃっとユゥに迫るサブリナ。
「お、おねがいしますぅ!」
 その迫力に気圧されて、思わずユゥもこくこくと頷いたのだった。
 からんっ
 カイザが動きを止めた。ふっと店の入り口を振り返ると、数人の男達が出て行くところだ。
――気のせいか、ずっと話を聞かれていた気がする…?
 だが、すぐに何事もなかったように暴れるミズキを抑えることに集中した。
 結局、彼らが部屋へと戻ったのはずっと後のことである。

 その夜。ユゥを寝かせた後にミズキは街を歩いていた。長い耳はいつものようにバンダナで隠し、暗く人気のない道を足早に進む。
 そんな彼女を追う影があった。一人、いや二人の男達が、ゆっくりとミズキとの距離を詰めていく。ミズキは気配だけでつけられている事と相手の数を悟っていた。
――盗賊かなぁ?
 二人とも顔を覆面で隠し、闇夜に紛れるような黒い衣装を身に纏っている。そして、妙な違和感もあった。覆面に黒づくめって時点であきらかに普通の冒険者ではないが。
――いち、に…取り敢えずはこんだけか…あいつらの力借りれば勝てるけど…ちっ。あまり人里で精霊魔法は使いたくないんだけどなぁ。
 ミズキは町外れの廃屋に滑り込むように駆け込んだ。尾行に気付かれた事を悟った男達は、慌てて彼女の後を追う。
 ミズキが駆け込んだのは、元はどこかの中小宗教の教会だったのだろう小さな廃屋だ。数百年前にあった大戦以来、帝国の国教は神殿宗教にほぼ統一され、その他の宗教はいつの間にか姿を消した。ちなみに神殿宗教は、サブリナが神官の資格を取っている絶対神をまつる宗教でもある。
 かつては人々の集まる賑やかな祈りの場だったのだろうが、今や外壁は朽ち果て、庭は草木が荒れ放題。窓や戸には板が打ち付けられ、人の気配は全くなかった。
 その建物の中へとミズキの細い影が消える。狭い入り口に陣取って一人ずつ相手にする気だろうか…
 敷地に入る前に男達は立ち止まった。二人は服の袖を少しまくり、手首に巻かれていた布を取った。
 そこに刻まれている悪魔をかたどった刺青…それが淡く輝き、呼応するように異様な光が二人組の瞳に宿る。
 二人はにぃっと厭らしい笑みを浮かべた。間に合わせで打ち付けられた窓など、彼らに与えられた力があれば簡単に破る事ができるのだ。一人が正面から気を引いている間に後ろからもう一人が飛び込めば終わる…この勝負、勝ったと二人は確信した。
 二人は確かめ合うように顔を見合わせて、バラバラに教会へ向かう。一人は裏から、一人はミズキの気を引くため正面から。
 正面に向かってきた男が、音も立てずに教会に入り込もうとしたその時、背後で動く気配。
「!」
 素早く振り向いた男に、風が勢いよく吹き付ける。
 驚いた男の視界がぐるりとひっくり返り、あっと思う間もなくその体は床に叩きつけられた。
 かろうじて悲鳴は上げなかったものの、男は固まった。首に突き付けられた冷たい感触、そして声。
「こんな夜遅くにごくろーさん」
 ミズキだった。彼女はフォンに起こさせた風で男の気を引き、隙をついて転倒させたのである。
「残念でした、あたしは精霊使いなんだよ。もう一人は腰まで地面に埋まってるからね」
「きっ、貴様っ…」
 男は悔しそうに顔を歪め、ニヤリと笑った。
「死ねぇ!!!」
「そんなの当たらな」
 軽く身を引こうとしたミズキに、フォンが警告の声を上げる。
『マスター! こいつの腕ヘンだよ〜!』
 ミズキはとっさにナイフを放って振り回された男の腕を床へ縫い止める。が、男の手が触れたナイフと床がひしゃげて壊れた。
 だがミズキも男が起きあがることを許すほど甘くはない。男が起きあがる前にその肩に向かって鋭い蹴りを入れる。男から油断なく距離を取りながら、わずかな攻防のあいだに目にしたものに顔をしかめた。
「ふーん、何か変な気配だと思ったら…あんた達はここじゃない宗教…よりによって悪魔崇拝してるって訳かよ…趣味悪ぃな」
「ククッ、さすがだな!」
 ミズキの夜目は、暗闇をものともしない。そして彼女の目は、男の手首に小さく刻まれた悪魔を模した刺青を捉えていた。悪魔崇拝者とは、帝国が認める国教以外を崇拝する輩の中でも特に質が悪い存在である。
 新たなナイフを構え、ミズキの目が鋭く光る。男が…いや、刺青がある手が動いた。
 手はまるで、それ自体に意志があるかのように標的へと向けられ、刺青から黒い閃光を放つ。
 ミズキは驚きに目を見張った。
 黒い光は、男の胸に突き刺さったのだ。
「な…ぜ…?……様!」
 呆然と呟きながら崩れ落ちた男を、呆然と見つめるミズキ。その体はあっという間に黒い灰になって消えた。
「…何であたしに撃ってこなかったんだ?」
 その問いかけに答えられる者は、もはや居なかった。
 盛り上がった灰が動かないことを確認すると、ミズキはナイフを納めて歩き出した。
『お見事でございました』
 足下からの声。ミズキが下を向けば、アシャが立って手に持った杖で地面をとんとんと叩いていた。
「もう一人は?」
『動けぬと分かった瞬間、自ら命を絶ちました。死体は風化し残っておりません』
「やっぱそうか」
 ミズキは予想していたように呟くと、手のひらで顔を覆った。重いため息が漏れた。
『どうかなさいましたか?』
「いや…気持ち悪ぃもんみたせいかな、なんでもない」
 ミズキはふっと動きを止めた。
「何か引っかかる。あの紋章、ほかにもどっかで……うーん、どこだっけ?」
『マスター?』
「あそっか、あの紋章、ユゥを襲ってた山賊の武器にも付いてたんだ!…っとまてよ、つまり狙いはユゥってことか!?」
 アシャは首をかしげながら答える。
『そうでしょうか、なにやらマスターを目標に定めていた様子でありましたが』
「一人ずつ邪魔なヤツを消す気だったんじゃない? でも参ったなぁ」
 今回は相手が油断していたから勝てたのである。もしも最後の閃光を受けていたらと考えると、今更ながら身の毛がよだつ。
『いかがいたしましょう?』
「…とにかくユゥは助けるよ」
 ミズキは一旦髪をほどいてぐしゃぐしゃと自分の髪を掻き回し、また乱暴にまとめ直した。覚悟を決めたようにアシャとフォンを見る。
「フォン、アシャ、改めてお願いしたい。ユゥを守るのに力を貸してほしい」
『は〜い! まっかせてよ〜!』
『御意』
「だけどあいつらがユゥを狙ってるとすれば、やっぱりあの子は人間じゃないな?」
 聞くと言うより確かめるように、ミズキはアシャを見つめた。
「あんたは最初から、あの子が人間だとは思ってなかったんでしょ?」
『はい。確証は在りませんでしたから、申し上げておりませんでしたが…おそらくあの少女、竜人族ですな』
 ミズキはしばらく考えていたが、小さく息を吐いた。
「竜人族…そっか、どーりで…」
 ミズキは再び歩き出した。宿に戻ったらすぐにカイザにこの事を話すつもりだった。だが、もう一人の連れ、赤毛の神官にこの事を言うのは避けた方がいいと心の中で思っていたのである。





         Act5 忍び寄る影
「ちょっと良いかしら?」
 出発当日。宿で朝食をとっていたミズキ達のところにサブリナが現れた。
「珍しいじゃんサブリナ。昼間っからここに居るなんて」
「えぇ、ちょっと緊急事態なの。中央から依頼が来たのよ」
 サブリナの言う中央とは、ここアメリゴルド武帝国の帝都のことだ。
 武帝国という名の通り、アメリゴルドは武勇に秀でた国である。とはいえ、魔術や神聖魔法に通じた者は必ず必要だから、帝都には彼女が仕える神殿のまとめ役とも言える大神殿があるのである。
「“岬の都ガルブ”は知ってるわよね」
「…ガルブ?街道に在る大きな街だよな?」
「実はあそこでトラブルがあったの。ユゥちゃんには悪いんだけど、こっちを優先してすぐ向かってほしいのよね」
 頼んだお茶に口付けながら軽く言ったサブリナだが、これはなかなかない事態である。
 一介の何でも屋でしかないミズキ達に帝都から依頼が来ることなんてまずない。それなら帝都を本拠地にする騎士の部隊が動くはずである。帝国最強の名を冠する彼らは、文字通りこの大陸の諸国最強でもあるのだから。
「はぁ? なんだよそれ! 中央の依頼なんて、騎士にやらせりゃいいだろうが!」
 怒り心頭に怒鳴るミズキに、サブリナは肩をすくめてかえした。
「なんたってブラックドラゴンが暴れてるんだもの。流石の騎士部隊もすぐには動けないのよね」
「…は?」
 ミズキはもとより、カイザまでも固まった。ユゥもまた、緊張感のある表情になる。
「聞き間違えだよね? 今、ドラゴンって聞こえたんだけど?」
「間違いじゃないわよ、ドラゴン、こわーい魔物ベスト1。なんでも毎晩、忽然と現れれてひとしきり暴れては、また忽然と消えるんですって」
 サブリナの言葉に、ユゥが体を震わせた。
「フィ…ル…?」
 気付かないミズキがたたみかけるようにサブリナに問いかける。
「なんだってドラゴンが暴れてんの? あれか? 誰かドラゴン族のタマゴ盗んだとか、お供え物取ったとか、しっぽに落書きしたとか」
「おい、なんかどんどんレベル下がってるぞ」
「う、うっさいなぁ! とにかく、そんなとこだろうが。こっちから手出ししたんじゃなきゃぁ、あのドラゴン族が人間族を相手になんかするもんか」
「そんなのこっちが聞きたいわよ。で、騎士部隊の到着は待てないわけだからアナタ達に代わりをね」
「おいこら、あたしらにドラゴンなんとかできる訳ないでしょうが!」
 ミズキが唸る。
「別に倒せなんて言わないわ。被害拡大をなんとか防ぐのが次のお仕事。住民の避難のお手伝いよ」
 よぉんと媚びるような響きにミズキの肌が粟立った。
「かわいく言う「やりましょう!」な…ユ、ユゥ?」
 思わぬ声にミズキが固まった。ユゥは緊張した面持ちでサブリナを見る。
「私もお手伝いします! たくさんの人が困ってるのに放っておけません!」
 あれこれ突っつき回すかと思いきや、サブリナはすぐに頷いた。
「じゃあ、お願いしようかしら?」
「な、何考えてんだよ!」
「あーらあら、言い出したのはユゥちゃんよ?」
 ニコニコと言うサブリナをミズキは不満気に睨み、乱暴に席を立った。
「ミズキさん、あの…」
「外で待ってる。サブリナ、移動はどうすんの?」
「馬車を手配してあるわ、暇なら馬を繋いでて」
「わかった」
 ミズキはぶっきらぼうに言うと、宿を出ていった。ユゥが顔を蒼白にして両手を握りしめる。
 カイザはそんなユゥの頭を軽く撫でる。顔を上げたユゥに微笑みながら言った。
「怖がらせてごめんね、ミズキはユゥちゃんを危ない目に遭わせたくないだけなんだ」
「わ、私…あの、勝手な事言ってごめんなさい」
「ううん、ユゥちゃんが謝る事じゃないよ。でも、ミズキとはちゃんと話しあって欲しいなかな。多分、今ごろ「まずいこといっちまったー!!」って、自己嫌悪に陥ってるだろうから」
 カイザは笑い、ユゥも小さく頷くとミズキを追って宿を出ていった。
 後に残されたのはカイザとサブリナだ。
「さて…説明してもらいたいな」
 サブリナに底の見えない目をむけ、カイザは続けた。
「何故、ユゥちゃんを危険な仕事に巻き込む? 神官として、あるまじき行為なんじゃないか?」
「あーらあら、決まった事を蒸し返すなんて、アナタらしくないわね」
「君との言葉遊びは嫌いじゃないが、今は屁理屈より真意が聞きたい気分だよ」
 カイザの声は淡々としている。それゆえに、底知れない恐怖を纏っていた。
「もちろん、ワタシだって好き好んで巻き込む気はなかったわ…けれど、ユゥちゃんがこの件に関わりがあるなら話は別だわ」
 サブリナは言葉を切ってカイザを見詰めた。
「あの子、人間族ではないわね」
 サブリナの言葉にカイザは首をかしげる。
「さぁ、俺は知らないな」
「うふ、ワタシ達だってドラゴン族が人間にちょっかい出すなんて思ってないわよ。くだんのブラックドラゴンらしき者は、竜人族の変身した姿と見られているわ…ユゥちゃんも竜人族ならつじつまがあうのよ。竜人族の里は帝国と相互不干渉の条約を結んでいるから成人した竜人族はこの国には入れないけれど、子供なら大丈夫だし…」
「言っただろう、俺は君の狙いが聞きたいなと。ユゥちゃんが竜人族なら、どうする気だ?」
 遮られてむっとしたように、サブリナは眉根を寄せた。
「神官としては捕らえるわね。なにせ、“もう一匹”は国を荒らしてるんだもの」
「…ふぅん、さすがは神官様、国がいちばんな御様子」
「あーらあら、嫌われてるわね。ワタシ個人としては…是非とも仲間に引き入れたいと思ってるわよ?討伐なんて愛野神の教えにそぐわないもの」
 サブリナは会計の紙幣と硬貨を数枚テーブルに置くと、優雅に立ち上がった。
「ほかに聞きたい事はあるかしら?」
 自分の髪を指に絡めながら艶っぽく微笑むサブリナに、カイザは片目を閉じながら淡々とかえす。
「そろそろ君の本当の主に会ってみたいな」
 サブリナがきょとんと音がしそうな仕草で首をかしげる。
「あーらあら、神殿の扉はいつでも開かれてるわよ」
「確かに君からの依頼には神殿からのものもあった。が、半分以上はどこからのものでもなかったよ」
 カイザの言葉に、サブリナの表情がすっとかき消えた。カイザは意地悪く笑うと続ける。
「内容はどれも合法的だったし、人助けは嫌いじゃないが、そろそろ気になってきたよ」
 サブリナの口元が、ゆるゆるとつり上がっていく。至極楽しそうな笑みを浮かべながら、サブリナはつぶやいた。
「アナタって結構腹黒いのね」
「君には言われたくないな」
 魔法使いの紺碧の瞳と、神官の菫の瞳がぶつかった。二人の間の空気がゆっくりと張りつめる。
「カイザさん、サブリナさん、こっちは準備できましたよ?」
 声がとどき、二人はふっと力を抜いてユゥを見た。
 ユゥはちょっと顔を赤くしてあさっての方をむく。そんなユゥを愉しそうにサブリナが見つめた。
「何やってんの、にらめっこ?」
 と、ミズキもやって来た。開口一番に言った言葉に、サブリナの肩がずるっと落ちる。
「あのねミズキちゃん。こんな美女と美声年が見つめあってたら、もっとあまーいシチュを連想しないのかしら?」
 あきれた様なサブリナに、ミズキはきょとんと一言。
「あまいシチュー? そんなの食べたくないよ」
「あのー、ミズキさん。シチューじゃなくて、シチュエーションって言おうとしたんだと思います」
 ユゥに言われてミズキは頷いた。
「ふーん。で、にらめっこって甘いシチュなわけ?」
「…だからね、ワタシはにらめっこをしていたつもりじゃないのよ」
 頭を抱えて溜め息をついたサブリナを見て、カイザは愉快そうに笑った。
「さ、出発しようか」

 ガタガタと揺れる馬車の上、御者台に載せてもらっていたミズキは、遠くに大木の影が在るのを見つけてにっこりと笑った。
「おっさーん、あそこに樹があるよ」
 ガルブへと向かう海沿いの街道には、内陸で雨を降らしきってから海へと吹き込む乾いた風と、雲に遮られる事なく降り注ぐ強烈な日差しが相まって、木立と呼べるものがあまり無い。ごく希に生えている樹は絶好な休憩所なのだ。
「おぉおぉ、若いもんは目がえぇのぉ。あそこで休憩ですな」
「やったね。カイザ達にも教えないと」
 手綱を握る初老の小男の言葉に、ミズキは嬉しそうに後ろの幌を振り替える。
「カイザ、もうすぐ休憩だってさ。かなりでっかい樹があるよ!」
「しーっ」
 ミズキは口に手を当てて、幌の中を覗いた。カイザにもたれ掛かってユゥが小さく寝息を立てている。ミズキは柔らかく目を細めた。
「ははっ、朝は早かったもんな」
 その優しい笑いを見て、カイザも口元をほころばせる。
――ミズキも自然に笑うようになったな。
 出逢ったばかりのミズキは、周り全部を警戒してかなり荒れていた。
 人間族とエルフ族のハーフであるミズキは、何かにつけてトラブルに巻き込まれる事が多かったのである。
 そんなミズキの兄貴分を自称するカイザには、妹の成長は嬉しい。
「木の下に着いたら、何か作ってやるよ」
「本当? やったね!」
 ミズキは上機嫌で御者台に戻った。
「あーらあら、主夫は大変ね」
 からかうようなサブリナの言葉に、カイザは小さく笑みを返す。
「ミズキは食べ盛りだからな。まぁ、俺もだけど」
「それじゃ、ワタシには紅茶とお茶菓子をお願いね」
 カイザの肩がずっこけた。
「は、腹が減ってるなら素直に言えばいいのに…」
 しばらく経ってたどり着いた木の下には先客が居た。三人の旅装束の男達が、木の下で休んでいたのである。
「やぁ、いい天気だな。ご同業」
 男の一人がミズキに声をかけてきた。
「あぁ、順調で何よりだねご同業。こっちもそこに止めていい?」
 ご同業、とは冒険者の間でよく使われるあいさつだ。
「もちろんだ。ところで、そっちに癒し手は居ないか? 仲間がケガをしたんだが、ろくな薬が無くて困ってるんだ」
 確かに、男の一人が足に包帯を巻いている。髪を刈り込んでいるその男は、ミズキに向かって軽く手を振った。笑ってはいるがつらそうである。顔をちょっと歪めていた。
 ミズキは幌から出てきたサブリナを振り返った。
「サブリナ、ケガ人だってさ」
「あーらあら、ワタシの治療は高いわよ?」
 サブリナはご機嫌斜めだが、一応神官なので大きな扇子をゆっくり扇ぎながらその男の方へ向かう。
「神官様が仲間なのか、しかもスゲー美人ときた」
 ニヤッと笑った男にミズキは小さい声でかえした。
「仲間じゃない、依頼人だよ。あんなわがまま女と組んでらんないって」
「そうか…なら尚更都合がいいな」
 男の言葉にミズキは眉をひそめた。そのまま、腰の得物を引き抜き飛んで来た物を受け止める。ギチッと嫌な音がした。
 さらに横っ飛びに跳んだミズキを、大振りのナイフが掠めた。
「ミズキ、大丈夫かっ!」
「来るな!」
 慌ててマジックソードを構えたカイザを、ミズキは鋭い声で制す。軽く身構えながら男を睨みつけて唸った。
「おい、何のつもりだよ?」
「そう恨むなよ。俺達も仕事なんでなぁ」
 リーダー格の男は余裕の表情でミズキを見た。
「姉ちゃん、バンダナを取れ。一応、的かどうか調べねぇとな」
 ミズキは怪訝そうにしながらもバンダナをほどく。露になった長い耳を見て、男はわずかに緊張した面持ちを見せた。
「茶髪にエルフの耳…間違いねぇ」
「ハンッ、あたしが狙い? 怨まれそうな事はした覚えはないけど?」
「いんや、てめえらが連れてる蒼い髪のガキを寄越せ。さもなきゃ…神官様がただじゃ済まねぇぜ?」
 そう言って顎をしゃくる。見ればケガをしたとかいう刈り込み男が、サブリナの首筋に刃物を突き付ていた。ミズキの顔色が変わる。
「お、おいあんた、早くサブリナから離れろ!」
「分かんない姉ちゃんだな、さっさと武器を捨て…」

 バキャッ

 ミズキの声に刈り込み男は下品に笑うが、妙な音と共にうずくまった。
 サブリナが扇子を手にニコニコと笑みを浮かべながら立っている。
「誰が、ただじゃ済まないですって?」
 扇子を一振りして口元を隠すサブリナ。
 カイザが苦笑いをしながら呟いた。
「これは…鬼が出たな」
「くだらない事を言ってないで馬車とあの子を守りなさいな。ミズキちゃん、早く残りを片付けて」
 パタリと扇子を閉じながら、サブリナが言う。
「く、くそっ…やれ!」
 人質を失い焦ったリーダー格の男が、剣を抜きながら怒鳴る。
 サブリナは一撃では気絶させきれなかった刈り込み男を相手取り、カイザはユゥと御者の男を幌に押し込めて馬車の前に立った。
 ミズキがカイザ達を守ろうと駆け寄ろうとするが、リーダー格の男とシーフ風の男が真っ先にミズキに向かってきたためそちらを相手取ることにする。
――妙だな。狙うなら接近戦には弱い魔法使い、というのは常道なんだけどねぇ。
 ミズキは首を傾げながらも好都合かともう一つの短剣を抜く。両手に短剣を握り、ぼそっと呟いた。
「シーフか、面倒くさいな」
 戦士の丸太を一刀両断するような斬撃よりも、シーフの背後からの急所狙いの一撃の方が遥かに強烈だという。
 これは長い戦いになりそうだとミズキは思った。







          Act6 ユゥの正体
 ミズキの予感通り、戦いは長引いた。
 サブリナは優雅かつ眩惑的に扇子を揺らし、ひらひらと敵を避けていた。だが、いかんせん彼女の力では決定打にはならない。
 助けに行こうにも、ミズキは二人同時に相手取っているので思い切った攻撃に移れない。カイザが援護しようにも、味方を巻き込んでしまう事を考えると迂濶に魔術を使えない。壁役となる戦士の不在。ミズキ達のアンバランスなパーティー編成が、ここで影響していた。
 だが均衡は唐突に崩れた。それも、思いがけない事をきっかけに。

 スパっとミズキのナイフがリーダー格の男の腕をかすった。腕に巻かれていた布が外れ、見覚えのあるあの刺青が現れる。ミズキの顔に動揺が走った。
――あのマークは…!
 一瞬動きが止まったミズキ。そしてシーフはその隙を見逃さなかった。
「死ね!」
 ナイフがミズキの腹を貫き、えぐる。
「うっ…くぅ」
 かろうじて致命傷ではないが、ミズキは崩れ落ちた。
「ミズキ!」
「はっ、ははっ…しぶとい姉ちゃんだったが、どうやらここまでだな!」
 リーダー格が笑いながらカイザに向けて剣を振り上げた。
――防ぎきれないっ!
 歴戦の戦士の攻撃はカイザが防ぐには重すぎる。かといって呪文を唱えるのは間に合わない。
 妙にはっきりと見える剣に、来るであろう痛みに、カイザ思わずは目を閉じてしまう。
――ミズキ、すまない!

 ミズキは飛んでしまいそうな意識の中で、必死にその光景を睨み付けた。
――っ…、させない…させるもんか!
「フォン………?」
 呼ぶ声に風の精霊は答えない。
「アシャ…?」
 呼ぶ声に地の精霊は答えない。
「な、んでっ!?」
 悔しさと胸を抉るような絶望に、ミズキの手が握り締められた。
――ちくしょうっ、ちくしょうっ! 何で、こんな時に聴こえないんだよ! カイザを、ユゥを、護らなきゃ…あいつらを守るためなら、いくらでも魔法は使うのに!
 その時ミズキは感じた。自分が誰かに視られていることを。それがいつも身近に感じる気配と似ていることを。
 そしてそれに気づいた瞬間、彼女の耳に入った新たな声。
『なら、私をお呼びなさい。ここにおりますわ』
 なぜかミズキは、その存在の『名前』を知っていた。
「…【ウェディ】」
 人間族には見えない精霊の魔力。霧が集まるようにそれはミズキの前へと集まってきた。痛みに霞む視界に、微笑む女性が現れる。その髪は海のような蒼色だった。
『やっと見つけました。お馬鹿さんな、愛しいマスター』
 カッと目を見開き、ミズキは叫んだ。
「お願い、カイザを護って、ウェディ!」
『そんなこと、おやすいごようですわ』
 カイザに向かって、精霊は滑る様に空中を游いでいく。彼女が手を差し伸べると同時に、激しい水流が現れた。

 目を閉じて身を固くしていたカイザ。ところがいつまで経っても痛みは訪れない。おそるおそる目を開いた彼の頬に、ピシャリッと冷たい雫が当たった。
「こ、これは…?」
 カイザは驚きに言葉を失った。触れれば吹き飛ばされそうな位激しい水流が、カイザ達を守るように囲んでいたのである。
 水の壁は現れたときと同じようにすっと消えた。
 その一瞬に、見たこともない女性がこちらを見て笑っていたのは、気のせいだろうか? その女性が、どことなくミズキの面影を持っていたのは、気のせいだろうか?
 考える暇はなかった。
「カイザさん! 海が…お、大きな波が来ます!」
 少し呆然としていたカイザだが、ユゥの言葉に振り向き、息を飲んだ。
 いつの間にか穏やかだった筈の海面が立ち上がり、波が牙を剥いていたのだ。あぁ、彼女がやったんだな、とカイザは漠然と思う。
「な、なんだありゃぁ!?」
「に、逃げろ!」
 男達は武器を取り落として波から逃げようと走り出した。サブリナと戦っていた男も波に気づいて逃げ出そうとした。
「カイザさん!どうしましょう!?」
「ユゥちゃん、俺に掴まって」
 今更逃げても無駄だと判断したカイザは、一か八かユゥを抱きしめて、マジックソードを思い切り地面に突き刺した。だが、迫り来る荒波をこれだけでやり過ごすなんて到底無理だ。
 自分の無力さに歯噛みするカイザ。そんな彼の耳に届いた小さな声。
 はっとなってユゥを見れば、彼女は波を見詰めながら小さな声で何かを唱えていた。
「そは大いなる炎、そは魔を裂く翼…そは…」
 その体が小さく震えているのを感じて、さらに抱き締める腕に力を込める。
 振り向いたユゥの桃色の瞳。怯えた光を宿すそれに、大切な妹分の瞳が重なって見えた。カイザは思わず言葉を紡いでいた。
「大丈夫だよ」
 なんのひねりもない、この状況にはあまりに似合わない言葉だった。だが、ユゥは安心したようにはっきりと続ける。
「そは、山の如き姿持つ、天空の王者!」
 力強くなるユゥの声。
 ファサァッ
 音なき音とともに、ユゥの背に白い輝きを放つ美しい翼が現れた。鳥でも蝙蝠でもない、奇怪な翼。彼女のか細い体から、溢れんばかりの魔力が放出されていく。
 畏怖すら感じさせるその魔力。広げられた翼の圧倒的な存在感。
 頭を殴られたような衝撃に、ずるっとカイザの腕から力が抜けかけた。魔術師であるカイザは、その圧倒的な魔力をもろに感じてしまったのだ。
 魂を削り取られるような苦痛。それでもユゥの体を離しはしない。ユゥを見る目を背けたりはしない。
――駄目だ…今、気を失うな。ユゥちゃんを独りにするな…あの時のミズキのようにはしちゃいけない!
「偉大なる龍神様…どうかあなたに連なる者の祈りを、お聞き届けください! あなたの炎を御貸しください!」
 両手を天に向け、ユゥは高く叫んだ。
 波が二人を飲み込む直前、純白の光が二人を包み込んだ。

 それはあり得ないほど壮絶で神秘的で、美しい光景だった。
 突然現れた巨大な波が陸を抉り、ミズキ達と対峙していた男達は、なす術もなく波にさらわれている。
 そして同じく波に飲まれかけたカイザとユゥを守るように、純白の炎が現れていたのだ。
 冷たい水と灼熱の炎がぶつかり合い、大量の水蒸気を巻き上げている。
「何よ、何なのよこれ…」
 遥か上空でサブリナは呟いた。彼女の体は、人間を五人分足した身長と同じくらいの高さに浮かんでいるのである。
「恐ろしや…サブリナ様、あの娘っ子、やはり竜人族ですぞ!」
 杖を構えた御者の小男が、サブリナに向かって叫ぶ。
 魔術師だった小男が、波が来る直前にサブリナと自分に浮遊の術をかけたのだ。
 カイザとユゥには間に合わなかった。いや、かけていなかったと言うのが正しい。彼らにまで浮遊の術をかけようとしていたら、二人も助からなかったから。
「えぇ、それははいいのよ、予想はしていたから…問題は」
 サブリナの瞳には、驚きと恐怖があった。
「何でミズキちゃんが、水を操ってるのよ。ミズキちゃんが操るのは風と大地じゃないの!?」
 ミズキが精霊魔法を扱えることなど、サブリナはもちろん知っていた。長い耳が示すように、人ならざるものの血が彼女の身には流れているのだから。
 だが、エルフ族と人間族の混血児が操れる精霊は、多くて二つの属性だという。現にミズキが操れたのは、風と大地だけの筈だった。今、この瞬間までは…
 ザバァッと、波が海へと引き上げていった。まるで役目が終わったとでも言うかのように。同時に、カイザとユゥを守っていた炎も消えた。
「ちょっと待って、ミズキちゃんはどこに居るのよ?」
 サブリナは焦ったように辺りを見回す。ミズキの長身は、どこにも見当たらない。
「…御しきれず、自らの波に飲まれましたかな?」
「…とにかく、カイザ達に合流するわ」
 低く呟いた男にサブリナは短く答え、ゆっくりと大地へ降りていった。
「カイザ、ユゥちゃん! 二人とも無事?」
「サブリナさん…ち、近づかないでください!」
 ぐたりとしたカイザを必死に支えながら、ユゥは涙目でサブリナを睨み付けた。
 自分達だけ逃げていたサブリナを警戒しているのだろう、離れていても強い風に押されるような魔力の圧力を感じる。
 ユゥに支えられているカイザが激しく咳き込み、膝を着いた。サブリナの顔色が変わる。
「早くカイザから離れなさい。アナタの魔力に、人間族のカイザはダメージを受けてるのよ!」
 その圧し殺したような声にユゥは固まり、ゆっくりとカイザを寝かせて離れようとした。
 ぐっとユゥの手を握りしめ、カイザが荒い息で声を絞り出した。
「ユ…ゥちゃ…」
「カイザさん…わ、私、私のせいで…ごめんなさ「ありがとう」!?」
 謝りかけたユゥの言葉を遮り、カイザは弱々しくも笑う。
「助かったのは、ユゥちゃんのおかげだ…本当にありがとう。大丈夫、ちょっと君の魔力に酔っただけだから…泣かないでいいよ」
 カイザの言葉を聞きながら、ユゥはぽろぽろと泣いていた。背中の翼は細かい光の粒子になって彼女の体に消える。同時に触れることも出来ないような魔力の気配は消えた。
 サブリナはあきれたようにカイザを見ながら、癒しの祈りを唱える。
「天にまします我らが神よ…」
 呪文が完成すると、淡い緑色の光がカイザを包んだ。殴られたような痛みを感じていた頭が軽くなる。
 起き上がろうとしたカイザをサブリナが制した。カイザは心配そうな顔でサブリナを見る。
「…ミズキはどうした?」
「居ないわ。波にさらわれたか、反対に草原の方に流されたか…ジャックは海を探してきて、ワタシは草原を探すわ。ユゥちゃんはカイザのそばにいて、今なら平気でしょうから」
 サブリナは乱れた髪をかきあげながら御者の男に指示を出す。
 動き出そうとした面々に、別の声がかけられた。
「その必要はない」
 ユゥが聞き覚えのあるその声に勢いよく振り向いた。
「その声、フィルなの!?」
 ユゥの言葉にサブリナと御者が振り向く。カイザは頭だけを動かした。意識のないミズキを片腕で担ぎ上げ、その少年は浮かんでいた。背に広がる翼をゆっくり羽ばたかせ、浮かんでいたのである。
「無事だったのね、フィル!…どうしたの、その目?」
 ユゥは幼馴染みの無事な姿に喜びながらも、その変化に首を傾げた。澄んだ碧眼だった筈のフィルの瞳が、血を固めたような紅色になっている。更に胸元には、ユゥが見覚えのないペンダントが下がっていた。哄う悪魔を型どったペンダントだった。
「…お前、ユゥか。何しに来たんだ?」
「…な、何って決まってるじゃない! 迎えに来たんだよ!!」
 探していた幼馴染みのあんまりな言い方に、ユゥは一瞬言葉に迷う。フィルはまるでユゥの声が聞こえていないかのように低く呟いた。
「あぁそうか、お前が外との交流に選ばれたんだな。里の連中は本気で人間族と関わることにしたらしい」
 フィルは冷えきった目でユゥを一瞥すると、ゆっくりと片手を上げた。
「この、裏切り者が」
 ペンダントの鈍い光に呼応するように、フィルの瞳が紅く輝いた。その手の中に、黒い霧が渦を巻く。
「フィ…ル?」
 霧が漆黒のドラゴンの頭の形を創り、ユゥへと飛び掛かる。
「あっ…」
「伏せろ!」
 あまりの事に呆然となっているユゥをカイザが突飛ばした。霧のドラゴンの牙が、ユゥの身代わりになったカイザの肩を深々と貫く。
「っーーー!?」
 ユゥが声にならない悲鳴を上げるなか、カイザが倒れた。
 フィルはカイザの行動など目に入っていないかのように…実際かけら程も気にしていないのだろう。ミズキをそっと地面に下ろした。
「血は止めておいた。後はそこの神官がどうにかしてよ…言っておくが、見殺しにしたりしたらガルブは消すからな」
「あーらあら、人に頼み事をするなら、それなりの誠意を見せる必要があるんじゃないの?」
 笑うサブリナにフィルは冷たく一言。
「はっ、誠意? ありもしない迷信を信じて俺たちを狙う連中に誠意なんて要らないだろ?」
 刺々しいその言葉に、ユゥが口元に手を当てた。
「フィル、まさかおじさんたちの事で…」
「なんだ、覚えてるんじゃないか。覚えているくせに、お前達は奴らに里を開くんだな! 親父を殺し! お袋を殺し! 姉さんを自殺寸前まで追い込んだ奴らに!!」
 突然フィルが飛び退いた。一瞬遅れで、寸前までフィルが居た場所の地面が陥没する。
 フィルの前にゆらりと立ちはだかったのは、意識のなかった筈のミズキだった。
「なにした…?」
 立ち上がっているものの、明らかに様子が変だ。目の焦点が合っていないし足もふらついている。
 だが、ミズキは立ち上がり、フィルを威圧していた。
「答えやがれ……あたしの兄貴になにをしたぁぁぁぁぁぁ!」
 フィルは小さく笑いながら、更に後ろに下がった。胸元に下がった悪魔を型どったペンダントが揺れる。
「くっ、あははっ! 流石だよ、やっぱりあいつらとは血が違うんだ!」
「黙れ!!!!!」
 ミズキはフィルに向かってパンチを叩き込む。紙一重で躱すと、フィルはニタリと笑った。
「ユゥが人間贔屓でよかったなぁ? じゃなかったら、あの男も波に飲まれて死んでたな。あんたが精霊魔法で殺った賊みたいに、なぁ?」
「ーーーっ、黙れ…」
「それがあんたの本質だ。凄いよ、本当にすばらしい!!」
「言うなぁぁぁっ!!!」
「人間のために怒り狂ってるのが癪だけど…まぁいいか。早く来いよ、待ってるから」
 耳障りな哄笑を上げながら、フィルの姿が霧へと変わり、霧散した。
 後に残るのは、ミズキと仲間達だけだった。
 我に帰ったサブリナがミズキへ駆け寄る。カイザの傷は、見た目は派手だが致命的ではない。問題はミズキの傷だ。シーフのナイフはミズキの腹部に突き刺さっていたのだから。
「ミズキちゃん、アナタなんで立ち上がれ…る…っ」
――何、何なのこの悪寒は…
 ミズキはフィルが消えた辺りを睨みながら、ふぅふぅと息を吐いている。
「…カイザを治してよ。あたしは平気」
「平気ってアナタ、あれだけ血を流して……!」
 サブリナは強引に血まみれのシャツを捲り、固まった。腹部にあるはずの傷が無い。
「嘘…どうして…」
 呆然とするサブリナの手を、ミズキは振り払った。押し殺したような声で言葉を絞り出す。
「分かったら早くカイザを治してよ。あたしは残りが居ないか調べてくる」
 何かに取り憑かれたように歩きだすミズキを、誰も止めることは出来なかった。






          Act7 仮面の男
「かーさん、かーさん!」
「あらっ、ミズキったらケガしたの?」
「ぅ…ころんだのぉ」
「嘘おっしゃい。…またケンカしたのね」
「だって、となりのこが、あたしのみみがおばけのみみっていうんだよ!」
 ぷくぅと小さな頬を目一杯膨らませてミズキは言った。
「ケンカはだめよ、あなたはケガしたら痛いでしょ? 相手の子も痛いのよ?」
「…ごめんなさい。もうしません」
「うん」
「あ、そだ! ねぇねぇかーさん、‘ハーフエルフ’ってなぁに?」
 無邪気な茶色い髪の娘の問いに、黒い髪の母親ははっと目を見開き、悲しそうにうつむいた。
 ‘ハーフエルフ’…人間族とエルフ族との混血児を指す言葉だ。柔らかな茶色の髪から覗くとがった耳が、何よりの証。
「ハーフエルフって言うのはね、ミズキみたいに人間族とエルフ族の血が半分ずつ流れている人のことを言うのよ」
「…だからおばけの耳なの?」
 哀しそうにうつむいた娘を、母親はしっかりと抱きしめた。
「お化けじゃないわ! ミズキの耳はね、あなたのお父さんとおそろいなのよ。ミズキの髪はね、本当のお母さんとおそろいなのよ。それでも嫌?」
「ん〜、やじゃない。でもおばけなんていわれるのはヤダ!」
 プンプンとむくれるミズキに、母親は励ますように強く言う。
「大丈夫よ、いつかミズキの耳を見てもおばけなんて言わない友達が出来るわ!」
「うん!」
「だから笑っていなさい。笑っていれば、妖精さんが力を貸してくれるのよ」

 ミズキははっと目を開いた。夕暮れの町を足早に進む人間族。湾岸の街ガルブの神殿、その階段にミズキは座り込んでいた。
「…あぁ、寝ちゃったんだ」
 ずいぶんと懐かしい夢を見た。もう夢の中でしか会えない母の言葉を思い出して、ミズキは悲しげに笑う。
「でもさ、母さん…これじゃおばけって言われても仕方ないよ」
 ミズキは、夫に先立たれた未亡人に拾われた子だったのである。母親は人間族、父親がエルフ族だったそうだ。
 捨て子を引き取るのは珍しい話ではない。だが、妖精族の血を引く子供となれば話は別。近所の人々は、婦人は心が変になったのだとか、妖精が騙したのだとか、色々と良くない噂を立てていた。
 育ててくれた母親が必死にかばってくれなければ、ミズキは街を飛び出してのたれ死んでいただろう。だがその母親も、ミズキが12になる頃に流行病でこの世を去ってしまった。
 その後いろいろあってミズキは冒険者になり、カイザと出逢った。それから四年、ようやく笑顔を取り戻していたミズキだったのだが…。
「カイザ、大丈夫かな…」
 呟きは誰に聞かれる事もなく、宙に溶けた。ユゥを庇って負った肩の傷は、致命傷ではないものの相当に深かった。高位神官のサブリナをもってしても完全には治らず、ガルブに着いたとたんに医療所に担ぎ込まれたのだ。
 何もできないミズキは狭い医療所では邪魔になるので、となりに建つ神殿の前にいたのである。

「ミズキさん」
 ためらいがちにかけられた声に、ミズキはふっと顔を上げた。
「…ユゥ」
 癒しの魔術を知っていたユゥも、カイザの治療を手伝っていたのだ。
「カイザさんの治療、終わりました。今は眠ってますけど、もう少ししたら目を覚ますってお医者さんは…」
「ありがと…あたしは治療は出来ないから…」
 静かな、いや静かすぎる声で言うミズキを見て、ユゥの顔が変わった。
「でも、カイザさんの傍に居る事は出来たと思います!」
「…あたしがいたら、邪魔になるだろ。それに、半妖精(あたし)が居たらカイザの治療だってちゃんとしてくれるか分かんないし」
 ミズキの言葉にユゥは理解できないというように首を振った。彼女は知らないのだ。どれほどミズキに対する人間族達からの風当たりが強いのか、無垢な彼女はまだ知らない。
「そ、それでも、ミズキさんがいればカイザさんは心強かったと思います! それに、それに…どうして“癒しの手”は使えないんですか…」
 “癒しの手”精霊魔法の一種で、体を流れる精霊の力のバランスを整えて、傷の治りを早める魔法だ。神聖魔法ほど強力ではないが、体にかかる負担を取り除くため回復は格段に早くなる。
「ごめんな…あたしは使えないんだ」
 小さな声で言ったミズキに、ユゥは怒鳴り返した。
「あんなに大きな波も操れるのに、どうして“癒しの手”が使えないんですか!」
 ずっと我慢していたのだろう文句が、口をついて溢れていく。
「あの後すぐ居なくなっちゃうし、戻ってきてからもずっとぼんやりしてるばかりで…」
 握りしめたユゥの手が、ぶるぶると震えている。
「ミズキさんは、カイザさんの事が心配じゃないんですか!!」
 お腹の底から絞り出すように、ユゥは怒鳴った。大きく息をつきながら、泣きそうな表情で医療所へ駆け戻るユゥ。
 その背中に、ミズキは小さく返した。
「操れる、か…自分が死にかけた挙げ句、仲間を巻き込むような魔法だけどね」
 水を操ってから、ミズキはずっとバンダナを外していなかった。

「ほら、これを付けていれば、多少はマシだろう?」

 カイザがくれた、魔力を封じる呪文を織り込んだバンダナ。ミズキには、それを握り締めてカイザが早く目覚める事を祈る事しか出来なかった。
「…ん?」
 視線を感じて、ミズキははっと振り向いた。背の高い男が、広場の向こうからミズキを見ていた。頭からマントを被り、妙にのっぺりとした仮面で目鼻を隠している。
「…」
 そいつはミズキが気付いて警戒態勢を取った事を見てとると、ゆっくりと口を動かした。
「今夜、鐘が九つなる迄に街の入り口へ来い」
「!?」
 横切るには、走っても十秒はかかるだろう広場。その距離を越えて、男の声はミズキの耳元で囁いているかのように聞こえた。
「―――っ、…!?」
 ミズキは叫ぶが、その声は吸い込まれているかのように響かない。まるで水中でしゃべっているかのようだ。こころなしか、息も苦しい。
 ミズキの膝がガクリと折れる。驚きと苦痛に口をパクパクとさせるミズキを、男はしばらく観察するように見詰め、また唇を動かした。
 ハラリと耳に感じる解放感。ミズキのバンダナが地面に落ちたのだ。とっさに落とさない様掴んだが、一気に水面から出たように息がしやすくなったので驚く。
「邪魔物(バンダナ)がない、本来の姿の方が楽だろう? 落ち着いて数回、深呼吸しろ」
 言われたとおりにミズキは呼吸を繰り返す。軽く咳き込みながら呟いた。
「ど、どうなってんの?」
「判らないか? ここがどこなのか」
 驚くほど近くで聞こえた声。ミズキははっと顔を上げた。目の前に仮面の男が立っていた。
――い、いつの間に!?
 ぎょっとして身を引こうとするミズキを、仮面の奥に覗く緋い瞳が射抜いた。フィルのそれとは違う、もっと深く昏い光を放つ瞳だ。だが、どこかすがるような光を放っているのは、ミズキの気のせいかだろうか。
「ここが、どこか…判るか?」
 言われてミズキはゆっくりと周りを見回した。
「どこって、ふつうに神殿の前じゃ……ない?」
  ミズキは自分が神殿の前とは【別の場所】に居ることに気付いた。神殿の前に居ることは居るのだが、まるで分厚い水の壁の向こうにあるように現実感がない。ミズキと男だけがズレた場所にいるのだ。 「ちょっ、どこなんだよここは!」
 ミズキは目の前の男につかみかかるが、彼はくつくつと笑うだけだ。緋色の瞳がどこかやわらかく細められているのを見て、ミズキはちょっとドキリとする。
「ふっ、俺ばかり頼らず自分で感じ取ってみたらどうだ?」
――む、むちゃくちゃなヤツだな。
 ミズキは改めて周りを見た。そしてあんぐりと口を開けた。
 遥か大空を舞う風の子供達。大地をゆっくりと動かす小人達。空に浮かぶ雲の中に眠る水の乙女達。町中だからその数はとても少ないが、普段ミズキの視点で見る精霊たちよりも、もっとずっとくっきりと見えるのだ。
「ここって、これってまるで精霊界!」
「くっくっ、俺が言わずとも判るじゃないか」
「へー、ここが精霊界か…え?」
「正確には精霊界と現世の狭間だ。よく戻ってきたな、輝きの民の末裔よ」
 ミズキの髪の毛を一房指に絡め、彼は妖しく口元を歪めた。
「輝きの民って…なんだよそれ?」
 だが呆然と返したミズキに、男の目がまたもや昏い光を放ち出した。
「…まさか、その精霊魔法の才がエルフの血を引くからだとは思っておるまいな」
 怒りすら孕んだその声に、ミズキは何も言えない。逃げようとするミズキの腕を掴み、男は一言ずつ言い聞かせるように囁いた。
「忘れるな、類い稀なその血の誇り。拒絶された民の怒りをな」
「い、意味分かんないよ! 輝きの民だかなんだか知らないけど、仲間を傷つけるなら精霊を操る力なんていらない!」
 男の腕を振り払って、ミズキは叫んだ。震える腕で、バンダナを強く握り締める。
「…なら今夜、一人で来い。仲間とやらを助けたければ、な」
 仮面の男はそれだけ言うと音もなく遠ざかっていた。後には真っ黒な羽根が数枚、宙に舞う。
 何故かその羽根が気になりミズキは手を伸ばすが、羽根はミズキの手から逃がれるように高い空へと昇っていく。気が付けばミズキはフォンを目で探していた。
「フォ…ッッ!」
 だが、フォンを呼ぼうとした口が固まった。
 波を操ったときの闇へと堕ちるような感覚。
 それは、ウェディの力を初めて使った時に死の狭間を覗きかけた恐怖。
 ミズキは自分の肩を強く抱く、壁を無理矢理通り抜けるような圧迫感に彼女は固く目を閉じた。

 カーン、カーン、カーン…

 カーン、カーン、カーン… 

 遠くで鐘が六つ鳴る。どれくらい立ち尽くしていたのか、ミズキが我に帰れば辺りは暗くなっていた。人通りは消え、神殿に灯った明かりだけが、広場に影を投げかける。
「戻ってきた…かな」
 ゆっくりと深呼吸を繰り返し、先ほどの男の言葉を頭の中で繰り返す。
「一人で来い…仲間を助けたきゃ、協力しろってか」
 ミズキはギリッと歯を食いしばった。空色の瞳には、怒りの炎が燃えている。
「行ってやろうじゃん…だけど、協力はしない…仲間に手ぇ出したこと、後悔させてやるっ!」
 仲間を喪うのは嫌だった。それはミズキの本心である。しかし、真に彼女が恐れていたのは別の事である。彼女は、自分が、仲間を、手にかける事を最も恐れていた。
 怒りに身を任せた自分が、何をするか分からない。そんな自分にどこまでも忠実に従ってしまう精霊達が何をするか分からない。とてもではないが、精霊を呼べる精神状態ではなかった。
 この状況で精霊達を操れないことは、ミズキの死を意味するだろう。一対一の勝負ならばともかく、団体戦となると、相手の懐に入って戦うミズキの格闘技では分が悪い。ましてや向かうは、フィルやあの得体の知れない男の元である。
「絶対守る…絶対に!!」
 だけどそれ以上に、仲間を失う事は怖かったのだ。





          Act8 兄と妹
 仮面の男に指定された時間までには、少し余裕があった。
 ミズキは神殿に入る。もちろんバンダナでしっかり耳を隠して。ミズキが半妖精であることは、神殿にも秘密なのである。その辺はサブリナの人徳、というか脅しとかでなんとかなっているのだが、今は彼女に会う気はない。
 だが、こんな時に限って、あの赤毛の神官は現れるのである。
「あーらあら、遅かったわねミズキちゃん」
 後ろから聞こえた声に、ミズキはギクッと肩を強張らせた。
「うわぁ…何でこんな時に限って」
「何か問題でも?」
「べ、べーつにー」
 じと目で睨んでくるサブリナにミズキは慌ててそっぽを向いた。
「ちょうど良かったわ、カイザの目が覚めたわよ。早く行ってあげなさいな」
「あ、うん…その、ありがと」
「…ねぇ、ミズキちゃん」
「な、なんだよ」
「アナタのお母様って、高位の魔導師だったの?」
 唐突なサブリナの問いに、ミズキは少し面食らったようだ。
「さぁ、父親がエルフだってのは知ってるけど、母親の事はほとんど知らない」
「あらそう…お母様のお名前、聞いていいかしら?」
「…レーナだったかな。赤ん坊のあたしを母さんに預けたんだって。追われてたとかなんとか…ま、エルフと結婚したんだから当たり前だけどね…」
 人間族とエルフ族は種族的に近いのか、間に子を作る事もできる。ただその結婚は周囲からは受け入れられる事はない。
「探そうにも、名前と茶髪だって事しか知らないしさ。今更会ってなんだってのもあるし、まぁいっかって思ってるんだけど…もう行っていい?」
「えぇ、ありがとう。カイザが居るのは、一番向こうの突き当たりの部屋よ」
 ミズキはうなずいて、歩き出した。その背中を見つめながらサブリナは爪を噛む。
「レーナ…ねぇ」

「…」
 ミズキはためらいがちにカイザの部屋のドアを叩いた。
「はい」
 中から聞こえたユゥの声。きっと付きっきりでカイザのそばに居たのだろう。
「あたしなんだけど…カイザ、起きてる?」
 ドアの向こうでユゥが固まったのが気配でわかった。
「ね、寝てるならいいや! また後で」
「入れよ、ミズキ」
 背を向けようとしたミズキに、カイザの声が聞こえた。変わらない声に、不覚にも泣き出しそうになる。
 ミズキはゆっくりとドアを開けた。ユゥがミズキと入れ違いになるように、部屋から出ていった。
「っ…ユゥ!」
 呼び止めてから、ミズキは迷った。何を言えばいいのだろう。何か言わなくちゃ、いけないのに。感謝を、謝罪を、伝えなきゃいけないのに。言葉が出ない。
「ごめんなさい、ミズキさん…今はお話ししたくないんです」
 それだけ言って歩き去ったユゥ。
 拒絶された…それだけが彼女の頭を支配し、やりきれなさが厚い雲のように胸を覆う。
 だから、ユゥの頬に光っていた跡には気付かなかった。
「ミズキ」
 再び呼んだカイザの声に、ようやく部屋に入る。
「き、気分はどう?」
「ああ、もう大丈夫だ。心配かけてごめんな」
 そう言って笑うカイザだが、左肩に巻かれた包帯は痛々しい。ミズキはぐっと唇を噛み締めた。
「なんて顔してるんだよ」
「ごめん…ごめんなさい」
「ミズキ」
「よ、呼ばれてるからもう行くな! 早く治してよ!」
「ミズキ!」
 初めてカイザが声を荒げた。
 びくびくとしているミズキの腕を掴み、引き寄せる。
 カイザは見た瞬間から気付いていた。彼女は怯えているのだ。何に?
 巨大すぎる自分の力故に仲間を喪うこと、再び独りになることだ。
 力が制御しきれないなら、できるように努力すればいい。だがミズキはそれもしない。
 それも、怖いからだ。
 より強い力を手に入れ、制御できるようになったその時。ミズキは否が応でも認めなくてはならない。
 彼女が人間族ではないことを、人間族からもエルフ族からも受け入れられない存在であることを。
 喪失を恐れるミズキの気持ち…分からない訳ではないが非常に腹立たしい。
「いつまでそんな態度をとる気だ」
 ミズキの目を正面からとらえ、カイザは低く言う。
「いつまで自分から逃げる気だ?」
「っ…」
「はっきり言うが、他人を信じないくせに、他人から信頼されるなんて思うな」
――俺のことも信じてはくれないのか? お前のことを妹同然に思っている俺の気持ちは信用できないのか?
「別、に…そんな事…」
「思ってないか? ならどうして力を使う事を怖がる?」
「こんな仲間を殺しかけるような力、要らないよ!」
 叫んだミズキに対し、カイザは淡々と言葉を返した。
「仲間を殺しかねない力と知っているのに、何故コントロールしようとしない?」
「…」
 黙り込んだミズキに、カイザはどんどんとたたみかける。
「怖いんだろう? 自分が人間族でないと実感するのが。人間族が…俺がお前を怖れて遠ざけるのが」
「こ、怖くなんか…」
 カイザは包帯を巻いていない手で優しくミズキを引き寄せた。
「俺と出会った時を覚えているか? あのときお前に言われた言葉、あれは俺を救ってくれた」
 よくわからず目を瞬かせているミズキを見て、カイザはふっと笑った。
「今度は俺が言ってやる。怖くても、見たくなくても、向き合わないといけない事実がある」
「…うん」
「それから逃げるのは楽で、逃げたところで死にはしない。だがそれで、お前は良いのか?」
 カイザは自分の肩にミズキの額を押しつけた。
「お前は人間族とは違う。俺とも違う。それは動かない事実だ。だがそれがどうした? 俺達は仲間だ。そうだろう?」
 ミズキの頭が小さく揺れた。
「その力で仲間を傷つけるのが怖いなら、きっちり操ってみろ。分からないなら俺が手伝ってやる。お前が力を手にする事を俺が厭う事はない。絶対だ」
「怖い…怖いんだ。いつかまた、独りになるんじゃないかって」
 くぐもった囁きに、カイザはふっと笑った。
「当たり前だ。俺だって怖い」
「…あたしが居なくなっても、あんたは独りにゃならないでしょうが」
「あのな、“一人”と“独り”は違うぞ。いつか、自分の力不足で仲間を、お前を失うんじゃないかと考えると、怖くてたまらない」
 カイザはミズキを抱きしめる腕に力を込めた。
「家族を失うのは、耐え難い痛みだ…それはミズキが一番分かるだろ? 例え、血のつながりがないのだとしても」
 ミズキは養母の顔を思い出して、うなずいた。
「…うん」
「それがわかってても…行くんだな?」
 どこに、とは言わなかったが、それが敵に呼ばれた事を指しているのは明らかだ。
「うん…一人で来いとさ」
「大方、俺達を助けたいなら一人で来いって言ったんだろ」
「ははっ、流石腹黒いだけあって、悪人心理がよくわかってるね」
 いまだ震えるミズキの軽口。これが彼女の精一杯の強がりだという事は、よくわかっている。だから…
「腹黒いじゃないだろ、人の心理を読むのが他人より上手いだけだ」
 カイザもにっこり笑って軽口をかえした。
「自分で言うな」
 ミズキは笑うと立ち上がった。
「ミズキ」
「ん?」
「わかってるよな、何を守るべきで、何を超えるべきか」
「…とりあえずは、笑ってみるよ。母さんいわく、笑ってると妖精が力を貸してくれるんだって」
「ふっふっ…それは、心強いな」
 カイザはミズキの手首に、自分の手首を軽くぶつけた。
「必ず戻ってこいよ、俺の大事な義妹(いもうと)」
「分かったよ、大好きな義兄さん(にいさん)」
 二人は笑いあった。大好き、短い言葉なのにこれほど胸が温かくなるのは何故なのだろう? ふとミズキはそう思った。
「お前は一人じゃないからだろ」
 カイザが笑ってそういった。…どうやら口に出ていたらしい。ミズキは真っ赤になってカイザの頭をはたいた。

 井戸から水を汲みながら、ユゥは泣いていた。
 手にしていた桶を力任せに放り込む。桶が遥か下の水面を叩く音が、むなしく響いた。
「フィルのバカ…」
 信じられないし、信じたくなかった。だが、じっとしていると思い浮かんでくるあの時の光景。
 赤いフィルの目、魔法で生まれた黒いドラゴンの顎、倒れたカイザ。
 探していた幼馴染みからの“裏切り者”という言葉は、彼女の心をじくじくと抉っていた。
「私…どうすれば良いの?」
「ユゥっ!」
「ミズキさん…」
 ユゥが振り返ると、ミズキが神殿の裏口から走り寄ってくるところだった。ミズキはユゥの前に立つと、突然頭を下げた。
「ごめんな、ユゥ」
「ミ、ミズキさん!?」
「今まで心配かけてごめん。…カイザの事、ホントにありがとな」
「ミズキさん」
 突然の事におろおろとするユゥを、ミズキはまっすぐ見詰めた。
「自分の事で手一杯で、ユゥには迷惑かけちゃったな…フィルの事は、ユゥが一番キツかったのにさ」
 ミズキの言葉に、またユゥの目から涙が零れる。
「ミズキさん、私…どうしたら良いんですか?」
 しゃくりあげるユゥの肩を、ミズキはゆっくりとやさしく叩いた。
「…ごめん、あたしに答えは分かんない。でもさ、フィルはユゥの事が嫌いってワケじゃないと思う」
 どういう事か分からない様子のユゥに、ミズキは髪をいじりながら答えた。
「カイザに聞いたんだけどさ、フィルが使ったっていう魔法、未完成なんだろ? 本気の一撃だったら、もっとヤバかったって言ってた」
 頭ぐらい千切れててもおかしくなかったよー。とは、カイザの言葉である。
「は、はい」
「つまりさ、本気の攻撃じゃなかったんでしょ? もちろん冗談じゃ済まさないけど…なんか、説得できる気はすんだよね」
「説得って言っても…」
「探しにいきゃ良いじゃん。んで、一発かましてやれ」
「…はい」
 冗談めかして言うミズキに、ユゥもつられるように笑った。
「じゃ、ちょっと出かけるな」
「ど、どこに行くんですか?」
「んー、ちょっと謝んなきゃいけない連中が居るんだよね」
 ミズキはバンダナをいじった。
「謝る?」
「精霊の声をずっと無視しちゃったからさ、謝んなきゃ」
「え、精霊に謝るんですか?」
「うん」
「でも、精霊にはそういうのって分からないと思いますけど…」
 魂というものを持たない精霊に、感情は無いはずなのだ。傷つく事はないとユゥは思う。ミズキは首を横に振った。
「いや、んなことない。ま、そんなワケだから帰るのは遅くなるね」
 精霊により近いミズキの方がよく知っているだろう。ユゥはそう思ったから、そんなものかと頷いた。
 ミズキは、膝を曲げてユゥと視線を合わせた。
「ユゥ…カイザの事、お願いしていい?」
「もちろんです! 気をつけてくださいね」
 ユゥの答えに、ミズキはニッと笑う。
「あぁ、行ってくるね」
 去っていくミズキの背中を見て、ユゥは笑った。
「ミズキさん、元気になってよかったぁ」
 頬を緩ませながら汲んだ水を運ぶユゥは気付いていなかった。ミズキが街の中なのに武器と鎧を着けていた事には。


「…アシャ、フォン、ウェディ。お願い、みんな来て!」
 震える声を抑えながら、ミズキは精霊達を喚んだ。
――みんなは来てくれるかな? ずっと無視してたくせにって思ってるかな…
 ミズキの不安はすぐに吹き払われる。
『うわ〜んマスター! 寂しかったよ〜!』
 風を司る黄緑の髪の子供がミズキに飛び付いた。ミズキは声もなく宙を舞う羽目になる。
『こらっ、何をしておるフォン!』
 吹っ飛ばされたミズキを、大地を司る白い髪の老人が地面を隆起させて受け止める。が、勢い余ってごんっと頭をぶつけるミズキ。
『ここにおりますわ。お加減はよろしくて?』
 そして水を司る青い髪の女性が、ミズキに出来たたんこぶに冷たい水をかけた。頭からびちょびちょである。
「あんた達、さりげにひどい…」
 ミズキは半泣きになりながら呻いたが、精霊達はわざとじゃないのだ。
 その証拠に、みんなミズキを心配そうな顔で見ている。
「頼みたい事があるんだ…今まで無視してたくせになんだよって、思うかもしれないけど」
 アシャは黙ってミズキの言葉を聞いていた。が、ふっふっと愉快そうに笑う。
「ア、アシャ?」
『いやいや、やはりあの御仁には驚かされますな。我等には叶わぬ事を容易くやってのけてしまわれる』
「…ごめんな。でもやっぱり怖いんだ。
 ウェディを初めて喚んだときに、カイザ達を殺すところだったのが怖かったんだって、ずっと思ってたけど…」
 ミズキはいったん言葉を切った。意を決したように、続ける。
「けど本当は、心のどっかであんた達の力はいらないと思ってた。自分と人間族は違うんだってのを、認めたくなかったから。そのくせ心のどっかで、あんた達の力が無きゃ、仲間と一緒にいられないと思ってた。…ずっと一緒に居てもらってたのに、カイザの事も、あんた達の事も、心のどっかで疑ってたんだ!」
 涙に視界が歪む。ミズキは乱暴に涙を拭うと、小さな老人と子供、そして女性に向かって頭を下げた。
「みんな、本当にごめんっ!」
 精霊達は顔を見合せた。
 始めにフォンがミズキの目の前にプカプカと浮かぶ。
『マスター、ボクらが嫌いになったんじゃないんだね?』
 不安そうな光を小さな瞳に宿して、確かめるように聞く子供。ミズキはニッと笑うと包み込むように手を伸ばした。
「もちろん! あんた達の事は大好きだよ!」
『ん〜! ボクもマスター大好き〜!』
 フォンが起こす風に髪の毛をぐしゃぐしゃにされながら、ミズキは笑う。吹けば消えそうな笑みじゃない、覚悟を決めた力強い笑みだ。
「もっとあんた達の力を、使いこなせる様になりたいんだ」
『ならば、持てる力の全てを尽くして、マスターと共に在りましょう』
 厳めしい顔立ちの老人は柔らかに笑った。
『やっぱり貴女はおバカさんですわね』
 小馬鹿にしたように笑うウェディには言葉に詰まった。考えてみれば、一番怒っているのは彼女の筈なのだ。初めて呼び出されて、お礼も言われず無視されれば怒るのも無理はない。
「ウェディ…あんたには一番謝んなきゃ…本当にごめんな」
『もっと自覚と自信をお持ちなさい。貴女はわたくし達のマスターなのですから』
 謝るミズキに女性は驚くほど穏やかに、そして気高い声で告げた。
「あぁ、ちょっとでもあんた達のマスターらしくなれるように頑張るよ」
『そうなさいませ。わたくし達は力をお貸し出来ますが、それを操るのはマスターなのですから』
「…あぁ。肝に命じとく」
 ミズキはうなずいた。
「行こう。フィルが何する気か分かんないけど、絶対止めなきゃな」
『は〜い!』『御意』『えぇ』
 彼らはふっと姿を消した。だが気配はある。受け入れようとしてしまえば、それはとても心強いものだった。
 そしてミズキは歩き出す。もうすぐ九つ、鐘が鳴る。





         Act9 憧れと憎しみと
「待ってたぜ」
 街の入り口にふらりと現れたミズキを見て、壁に寄りかかっていたフィルが小さく笑う。
 見たところ一人だが、仮面の男のような仲間が近くにいるはずだ。
「へぇ……本当に一人で来たのか」
「一人で来いって言ったのはそっちでしょうが」
「あぁ、仲間を連れて来てたら殺す気だった…嬉しいよ、あんたは思ってた通りの人だ」
 さらりと殺すと口にしたフィルを見て、ミズキは少し不機嫌そうな顔になった。
「で、こんなところで何する気?…暴れるってなら張り倒すよ」
「まさか。別に、こんな街はどうでもいい」
――こんな街つっても、ここ潰れたら国の南側と北側が両断されるのにな…
 巨大なこの国が強いのは、主要な街々を街道がしっかり繋いでいるからだ。街道沿いの大きな町を突っつけば、この大国はかなりの混乱に陥るだろう。ちなみにミズキの知識は、カイザからの受け売りである。
 納得いかんという顔をしているミズキに、フィルは言う。
「黙ってても仕方ないから先に言っておく。俺の目的はこの街の地下にある遺跡の宝だ」
「宝だぁ? こんな街のそばにある遺跡なんて、とっくに発掘されつくしてんじゃないの?」
「されないさ。人間族には…というか人類には開けられないからな」
「? どういう意味だよ」
「あんたにしか開けられない。そういう事だ」
 フィルは初めて明るい顔でミズキを見た。憧れに満ちた、年相応の顔だ。
「輝きの民の血を引く、あんたじゃないとな」
――まただ、輝きの民。さっきの仮面男といい、フィルといい、あたしに何を期待してんだかなぁ…
「さ、行くか」
 寄りかかっていた壁から体を起こし、買い物に行こうかみたいな軽いノリでフィルが言う。
「行くって、どうやって街の外に出るの? 城門はとっくに閉まってるよ」
「こうやって」
 フィルがまた口元だけで笑った。先ほどまでもたれていた壁を軽く押しながら何やら唱える。ミズキには分からない言葉だった。多分、古代語だと思われる。
 フィルが言葉を紡ぎ終わると同時に、音もなく城門に風穴が空いた。さすがに言葉を失うミズキ。
「さっさと行こうぜ。見回りが来ると面倒だ」
「あ、んた…城門に大穴空けるなんて何考えてんの!」
「いいだろ別に。…早くしてくれ、俺はずっと待ってたんだ」
――おいおい、末恐ろしいガキだな…竜人族の子供がかんしゃく起こしたら、どうなんのかね? まぁ、親の方が強いか。
 少し考える事がズレているミズキだった。

 てくてくと歩く事数刻。フィルは街のそばにある崖に近づいた。そこで振り返ってミズキを待っている。
「おーい、そっちは行き止まりだよ」
「いいから、早く来いよ」
 フィルは渋々近づいたミズキの腕を掴むと、何を思ったか目の前の絶壁に向かって足を踏み出した。
 当然、ミズキも引きずられるように虚空に足を踏み出す事になる訳で。
「えっ、ちょっ…うひゃぁぁぁぁっ!?」
 ミズキは自分の夜目がきく事を大変恨んだ。
 僅かな月明かりにも、轟音を立てて砕ける波が見えるのだ。まさに紐無しバンジージャンプである。下に激突するまで後何秒もかかるまい。
「ほら、さっさと風を呼んで飛べよ」
 けらけらと笑いながらフィルがミズキを見た。
「む、むちゃくちゃ言うなこのアホぉぉぉ!」
 ミズキは目を閉じると、守るようにフィルの体を抱きしめた。フィルは一瞬固まるが、ミズキの腕を抜け出し、逆に掴み直した。
「な、なんだよ……仕方がないな」
 フィルがそう言うと同時にガクンと落下が止まった。
 バサッバサッと巨大な羽ばたきの音がミズキの耳に届く。ミズキは足元の光景に慌てて視線を上にあげ、そして思わず叫んだ。
「…うっわぁ、カッコいい!」
「か、カッコいい? 怖いじゃないのかこの場合?」
 拍子抜けしたように言うフィルだが、ミズキは聞いてない。
「あそっか、竜人族って飛べるんだ。スゴいな……って待てよ。飛べるなら最初からそう言え。一瞬本当に死ぬかと思ったよ!」
「ああ……輝きの民は飛べるって聞いたもんだから、つい試してみたくて」
「つい、じゃない!!…ま、いっか、何はともあれ生きてるし…んで、目当ての遺跡とやらはどこなんだ?」
 ミズキの問いに、フィルは目を下に向けた。
「あれだよ。あの横穴が遺跡への入り口だ」
 小さな岩棚に降り立つ二人。目の前には、夜の闇よりさらに黒い洞窟が口を開いていた。

 岩棚に降り立ったミズキ達を出迎えたのはいかにも怪しい男達…ではなく、どこかの貴族に仕えている騎士達だった。
 てっきり山賊みたいな連中が出てくると思っていただけに、拍子抜けするミズキである。
「やぁ、ご苦労だったね」
 その中に一人だけ魔術師の杖を携えた男が居た。育ちの良さそうな貴族の次男坊や三男坊といったところか。
「早く案内してくれ」
「あぁ、すぐに着くよ」
「…なぁフィル、このおっさん誰?」
 いきなりおっさん呼ばわりに、周りの男達が色めき立った。無礼者と叫んで武器を抜こうとする者も居る。
 男達の中でも特に若い騎士だった。ミズキと同い年かちょっと年上くらいだろう。一気に間合いを詰めてきた。
「よ、よさんか」
 焦ったようにたしなめる魔術師だが、もともと騎士の方にも当てる気はなかったようである。ミズキは顔色一つ変えずに、突き付けられたまま揺らがない切っ先を見詰めた。
――…ちぇっ、一番若いのでこの腕前かよ。出し抜くのは大変だなこりゃ。
「貴様、すぐに子爵に謝罪しろ!」
「悪いけど、敵の頭に頭下げる気はないんだ」
 いけしゃあしゃあと言ったミズキに、騎士の剣が震える。
「この…この流れ者が!」
「仲間を人質にとる卑怯者に、あれこれ言われたかぁないね!」
 カチンと来たらしい騎士は、予備動作を見せずに切っ先を斬り上げた。ミズキは軽く首を傾けて避けたが、バンダナが引っ掛かり、外れる。ミズキはちっと舌打ちをした。素早く拾い上げ、距離を取る。暗がりにまぎれ、他の騎士にはハッキリとは見えなかっただろう。だが目の前の若い騎士は、彼女の耳をはっきりと見たようだ。
「!? 貴様、まさかハーフ…」
「そ、そこまでだ、カイル・S・パルフィード!」
 驚きに止まった騎士に、魔術師が甲高い声をかけた。
「しかし、子爵!」
「命令だ。は、はよう剣を収めろ」
 魔術師はバンダナを拾い上げたミズキに向き直る。
「…自己紹介が遅れてすまないね。私はザコワ・キヤク、子爵を努めている。
 私の部下が失礼をしたが、こちらも卑怯者呼ばわりされるのは不本意。然るべき処置を取らざるをえないぞ」
 暗に脅している。ミズキはカッとなって怒鳴った。
「人質の次は脅迫か? 子爵サマよ!」
 ボッと火がつく音。フィルが手のひらに青白い光を放つ火の玉を作っていた。呆然としているザコワの喉元に突きつけている。
「き、貴様、何を」
「ごちゃごちゃとうるさい……。それにしても、どんな力にも縛られない……凄いな、輝きの民って」
 フィルは心底愉しそうに笑っていた。ミズキは照れ臭いやらなんやら、咳払いして言い返す。
「あたしの名前は輝きの民じゃない、ミズキだよ」
「悪いな。じゃあ行こうか、ミズキ姉さん?」
 眼中にないという風に突き飛ばされたザコワを、カイルと呼ばれた騎士が支える。
「いいか、お前ら……ん?」
 ミズキは騎士達を睨みながら何かを言おうとしたが、洞窟の奥を見詰め固まった。そしてギョッとしたように叫ぶ。
「フィル、火を消せ!」
「なに、ミズキ姉?」
「とにかく一旦、この洞窟から出ろ! あんた達もだ、急げ!」
 言うが早いかフィルの腕を掴んで出口へ駆け戻った。
「なっ……! だめだ、まだ宝を見つけてない!」
「バカか、這いずってくる音聞こえないのかよ! ここはシーウォームの巣穴だ! さっさとその火を消せ、襲って来るぞ!」
 果たして、フィルが振り返れば洞窟の奥からズリズリと這って来る影があった。

「まったく誰だよ、こんな所に宝があるなんてデマ言ったのは!」
 ミズキはフィルにつかまりながら再び上空に居た。ザコワと騎士達は、なんとか岩棚の上の出っ張りに逃げていた。
 洞窟からは次から次へとシーウォーム達が這い出ていく。
 シーウォームは、海岸に現れる芋虫みたいな生き物だ。邪悪な魔物という訳ではないが、空腹時にはエサと思って人間を襲ってきたりする。また連中は明かりを極端に嫌うため、フィルの作った炎の光に機嫌を悪くしたのだろう。シーウォームは強い生物ではないため、他の生物との衝突を避けて岸壁に自力で巣穴を掘る。つまりシーゥオームの巣には人の手が加わる事はないのだ。遺跡など存在する訳もない。
「ザコワだっけ? あいつ、シーウォームの巣だって知ってたのかな」
「そりゃ知ってたんだろうな。洞窟の中なのに明かりを持ち込んでいなかったし……力は弱いくせに調子に乗りやがって。あの魔術師、後で殺す」
 上でフィルが不穏な事を呟いていたが、ミズキは聞かなかった事にした。
「にしては凄い慌てぶり。あっ、ザコワ落ちかけてる。へん、ざまみろ」
「へぇ……輝きの民って夜目も利くのか」
「いや、これはエルフの血だよ。んで、どうすんの? いつまでも飛んでらんないでしょうが」
「大まかな場所は合ってるハズ…くそっ、やっとここまで来たのに!」
 ぎりぎりと歯を食いしばっているフィルにミズキは聞いた。
「なぁフィル、その宝って何なの?」
「竜石(ドラゴンストーン)は知ってるか?」
 ミズキは首をひねった。
「なにそれ?」
「俺達竜人が竜としての力を引き出すのに必要なものだ。中でも特に大きなものが、ガルブの下に安置されている」
「へぇー?」
「一ヶ月くらい前に、俺達の里を人間族が訪れた。奴らは交流を開きたいとか言ってるらしいが本当は違う…奴らは竜石を狙ってるんだ! 自分たちでは開けられない遺跡の鍵を、俺達に開けさせる腹づもりだ!!」
――それって本当なのか?
 と言おうとしたが、ミズキは口をつぐんだ。フィルの目が再び燃えるような赤色になってる上、ギラギラと光っていたからである。
 仕組みはわからないが、どうやらフィルの感情によって瞳の色は変わるらしい。それを目安にしながら、ペンダントを外すまでは、下手な事を言ってぶちギレさせるな…というのがカイザの入れ知恵だった。
――なんか騙してるっぽくて、ヤだけどね。
「人間族なんかに竜石は渡さない!! その前に俺が竜石を手に入れて、里を守る……それが俺の目的だ!」
「…そっか」
「止めないのか?」
「今止めたら心中しちゃうでしょうが…てな冗談はさておき。あたしも人間族がいい連中ばっかりだとは思ってない。今回のクエスト、あたしも協力する。でもなぁ、お互いに牙向き合ってたら仲直りも何もできないよ?」
「迫害される者の気持ちが、分かんないはずないだろ!」
 確かにとミズキはうなずいた。だが、小さく笑ってフィルを見上げる。
「信用されたいなら、相手を信用しろ。何があっても、まずはいっぺん笑ってみろ…アニキと母さんの受け売りだけどね」
「…きれい事だ」
「でも、信頼もぬくもりも、あたしが欲しくてたまらなかったものだ…なぁフィル」
「うるさい…」
「無理に人間族と仲良くしろなんて言わない。けどさ、せめてユゥとはちゃんと話せよな」
「うるさい! 黙れ!」
「ユゥ、泣いてたよ。どうしたら良いのって、泣いてた」
「黙れっつってるだろ!」
 カッとなったフィルは、ミズキの腕を思い切り振り払った。
 ミズキは驚きに目を見開きながら、暗い海へと落ちていく。
「っ!…俺は…ミズキ姉!!」
 フィルの瞳が赤色と青色をいったりきたりする。動揺しているのだ。
「ミズキ姉!……ミズキ姉!」
 竜人の目は人間より鋭いが、暗い場所では人間並みだ。
 かといって明かりを作れば、海中にいるはずのシーウォームが暴れるだろう。
「くそっ、何やってるんだ俺は! なぜ力を引き出せない……!?」
(ナラバ求メヨ…更ナル力ヲ求メヨ)
「力…力さえあれば…」
 フィルの目が熱に浮かされるように、虚ろになっていく。力が欲しいと叫ぶその直前、蒼白い朧気な輝きがフィルの目を捉えた。フィルの瞳がふっと青くなる。
「なんの光だ?」
 フィルが下を見れば、海中に淡い光があった。それはかなりの速さで崖に移動すると、ある一点で消える。一瞬だが、その中に人影が見えた。
「ミズキ姉!」
 フィルは夢中で光を追い、虚空を駆けた。







          Act10 遺跡
 古い伝承の一つに、魔を封じ込めた勇者の話がある。勇者はいくつかの玉に魔を封じ込め、人の手の届かない場所へと隠したのだという。

 その遺跡は眠っていた。その中に想いを溶かし、永い時を眠っていた。
 一つは魔なる想い。滅びを信じ、悪夢を願う魔王の執念。
 いま一つは勇者の想い。人を信じ、妖精を信じ、未来を願う命の輝き。
 二つを溶かしこむのは、たゆたう水。悠久の流れの中に、ただただ想いを溶かしこむ。
 そして遺跡は待っていた、新たな勇者の訪れる日を…
 いずれ訪れる決壊の日を予感しながら…

 海面に叩きつけられた時に意識を失ったミズキは、ぐったりと波打ち際に倒れていた。まだ波に浸かっている足元では、蒼白い燐光が揺らめいている。
 彼女が打ち上げられていたのは、水位が変わる事で現れた洞窟の入り口。金色に光る苔に覆われた、小さな空間だった。
 ふいに空間が揺らめいた。ピシリ、ピシリと大気がひび割れ、大きな裂け目となる。その中から、ぬっと一人の男が現れた。
 仮面で目鼻を隠した男…神殿の前でミズキを現世と精霊界の狭間へと誘った人物だ。
「来たな、最後の輝きの民」
 仮面の男は呟きながら、ミズキの体を抱き上げ、柔らかく乾いた砂の上に横たえた。
 そしておもむろにミズキとくちびるを重ねると、強く息を吹き込んだ。
 息を吹き込み、胸を圧し、人工呼吸を繰り返して水を吐き出させる。
「…ごほっ、げほっ」
「気付いたか」
 ミズキはぼんやりとあちこちを見回し、やがて男に視線を向けて呟いた。
「カ…イザ?」
 男は口元を歪めてミズキの目を片手で覆った。
「ティワズ・イングワズ…少し眠れ」
 ゆるゆると眠りに誘われていったミズキをまた砂浜に横たえ、立ち上がる。
「…よりによって人間と勘違いされるとはな。そんなに人間が好きか…レーナといい、お前といい…理解できんな、俺には」
 愛おしげにミズキの濡れた髪を梳き、一房からめとって唇を押し当てる。男の口が小さく動いた。
「ミズキ姉ー! どこだ、ミズキ姉!」
 洞窟の入り口の方から、少年の声が入ってきた。
「あの竜人か…ちょうどいい、この娘を海に突き落とした罰を…」
《いけません、計画に支障が出ます》
 背後から聞こえた声に、勢い良く男は振り向いた。
 まるで死人が着るような白いローブに身を包んだ男がいた。肌も髪も、開かれた瞳すら白い。その姿は頼りなくゆらゆらと揺らいでいる。幻を送り込んでいるのだろう。
「…覗いていたのか、悪趣味な事だ」
 圧し殺してもなお立ち上る殺気。それに気付いているのかいないのか、白い男は淡々と告げた。
《ここまで誘導すれば、もはや手を出す必要はない。戻りなさい、ヘイトリッド》
 憎悪(ヘイトリッド)と呼ばれた男は舌打ちをすると、ミズキに手を翳した。
「ラグズ・エフワズ」
 その言葉とともに、びしょ濡れだったミズキの服は完全に乾いた。
 幻の男は呆れた様に笑うと、グニャリと歪んで姿を消す。
 仮面の男もまた、カーテンでも開けるかの様に空間をねじ曲げ、歪みの向こうへ消えていく。
 最後までその視線を、ミズキに向けながら。

 竜の翼で羽ばたきながら洞窟へ来たフィルが見たのは、砂浜の上で気を失っているミズキだけだった。
「ミズキ姉!」
 フィルは狭い入り口を器用に飛んだまま潜り抜け、素早くミズキのそばに降りた。
 倒れているミズキの肩を掴み、必死に揺する。ミズキのまぶたがぴくっと動いて、空色の瞳がフィルを映した。
「ぅ…フィルか?」
――よかった、生きてた…
「どうした?」
 不思議そうに聞き返したミズキに、フィルは顔を赤くしてそっぽを向いた。
「……な、なんでもない! ひやひやさせやがって……」
 心情と言葉は一致しないものである。口ではこう言ってるが、内心はほっとしまくりのフィル。だが、ミズキはそれを察せるほど器用ではなく。
「ハッハッハ、黙って聞いてりゃ上から突き落としといて、ひやひやさせやがってだぁ?」
 彼女はガバッと起きると、フィルのほっぺたをぎゅむ〜と引っ張った。
「悪いコトしたらあやまる、カッとしたからって誰かを危ない目にあわすな、当たり前だろうが!」
「ヴぁ……!? ご、ごヴぇ、ごヴぇん! おふぇがわうかっか!」
「ま、分かればいい」
 ミズキはフィルのほっぺたを放すと立ち上がる、大きく伸びをした。赤くなったほほを摩りながら、フィルが呟く。
「…ぴんぴんしてるな。溺れるぐらいしてたと思った」
「ははは、あたしは日頃の行いってヤツが良いんだよ」
「自分で言うなよ」
 互いに軽口をたたきながら、洞窟を見渡す。落とされたことをミズキは忘れた訳じゃない。だけど、これは引きずる事じゃない。
「ヒカリゴケか?いやちょっと違うか…誰かが作ったのかな、ここ」
「俺が妙な光を見るまで、ここに洞窟は無かった」
「妙な光?」
「覚えてないのか?」
「うん、海面に叩きつけられて、意識飛んでた」
 特にミズキに他意はなかったが、フィルはばつが悪そうに頭をかいた。
「わ、悪かった。ミズキ姉が落ちたとき、海の中で蒼白い光が崖に向かって走ったんだ。その中にミズキ姉っぽい人影が見えて、追ってきたんだけど…」
「追って来たら?」
「いつのまにか、海の中から洞窟が現れていた。シーウォームを刺激させるから明かりは点けなかったけど、確かに海の水が下がっていたぞ」
「まっさかぁ!」
「確かに見た!」
「海の中にあったなら、ここも水浸しのはずじゃん」
『あーもー、本当におバカさんですわ!』
「あ、ウェディだ」
『いいですか、この洞窟は海面に斜めに突き立つように掘られているのですわ。
 そしてこの砂浜は水がいっぱいの時にくる海面よりも高い位置にありますの、お分かり?』
 ミズキはウェディの言うままに砂浜に図を書き、ぽむっと手を叩いた。
「おぉ、納得」
「…いきなり黙り込んだと思ったら、砂浜に絵を描いて、しかも俺の話を納得している…?」
 フィルが首をひねる。
「おし、ここの仕組みは分かった! さ、進むか」
「はぁっ?」
「宝探しすんでしょ、付き合うよ。その代わりこれ終わったらユゥに謝れ。カワイイ彼女泣かすんじゃないよ」
「か……! べ、別にユゥと俺はそんなんじゃ」
「こんだけ明るいならシーウォームも寄り付かないし明かりもいらないし」
「おいっ!聞けよ!!ユゥは幼なじみであって、か、かか、かのじょじゃねぇ!」
「何より…道はあるしね」
 そう言ってミズキが指した壁には、いつの間にか新たな通路が現れていた。その上には文字がある。
「げ、古代語か。えっと……善…水…通る」
「善たらんと望む者、たゆたう水の如く通るがいい。悪意のある者、死にたくなかったらさっさと帰りやがれクソがここはテメーの来るとこじゃねーんだよバーカ」
 ミズキが頭を捻りながら単語を拾っていると、横でフィルがスラスラと読み上げた。
「…読めるの?」
「暗号だと無理だけど、こういう基礎的な文法と単語しかない文ならなんとかなる。後半は意訳だけどな」
 フィルはミズキよりも年下のはずである。ミズキはがっくりと地面に手をついた。
――あ、あたしの立場っていったい…
「よし、行こう」
 フィルは落ち込むミズキの腕を引っ張った。
「待て待て待て! 罠があるよ絶対!」
「大丈夫。輝きの民のミズキ姉が通ったら、罠があっても作動しない!」
「それってなんか根拠あるの!?」
「根拠もなにも、そういうものだ」
 きっぱりと言うフィル。込み上げる不安を無理矢理抑えて、ミズキはフィルを掴んだ。
「分かった分かった! あたしが先に行くから、ちょっと待て!」
 ミズキは通路の入り口に立つと、一応罠がないかチェックしてみた。
 トレジャーハンターでもないミズキに詳しい事は分かるはずもない。小さくため息をついた。
「さっぱり分かんない。こんなときにカイザが居ればなぁ…」
「……あの人間がどうしたって?」
「カイザはトレジャーハンターの技も知ってるの。簡単な仕掛けなら解除も出来るし」
「? 魔法使いがトレジャーハンターの技も知ってるのか?」
「魔術の先生やってるお袋さんから、もしもの為にって教わったんだって」
「…変な親子だな」
「ははっ、確かに…誰だ!」
 背後の気配にミズキは素早く振り返った。
「変な親子で悪かったな」
「カイザ!?」
 居たのはカイザとユゥ…だけじゃなかった。
「ははははは、ご苦労だったね君たち」
 弩を構えた騎士達と、貧相な魔術師も居たのである。
「悪い、捕まっちゃった」
 へらりとカイザが笑う。
「ミズキさん、ごめんなさい……」
「…なんのつもり?」
 ミズキの顔が、初めて怒りに歪んだ。
「ケガ人と子供を連れて来て、なんのつもりだ!」
 ミズキの怒鳴り声に若干竦み上がる子爵だが、自分の優位を思いだしてすぐにニタニタと笑った。
「ここが真の入り口だったのか! 泳がせておいた甲斐があったな。流れ者もガキも使いようだ」
「この人間どもが……!」
 フィルは怒りに顔を歪めながら手を振り上げるが、ミズキが止めた。
「離せ!」
「やめろフィル、魔術を使ったらユゥ達も蜂の巣だ!」
「ははははは、分をわきまえていて結構な事だ。こちらとて、無益な殺生はしたくない」
 ザコワはミズキ達を横にどけさせると、数人の騎士を連れて通路の前に立った。
 ユゥに目立った怪我は無いようだが、カイザは時たま顔をしかめている。痛めた肩は動かしてはいけないのだが、連中は後ろ手にカイザとユゥを縛っていた。
 ミズキとフィルも背中合わせに縛られてしまう。
――やっぱりフィルのヤツ、ユゥは心配なんだな。
 とミズキはちょっとほっとしていた。
 子爵は懐から青く光る紋章を取り出し、堂々と足を踏み出した。
「なぁフィル、遺跡の扉を開ける鍵ってアレなんじゃないの?」
「な……輝きの民が鍵だとあいつは」
「ははははは、輝きの民等、お伽噺の蛮族ではないか。鍵とはこの紋章よ!」
――…うわ、ムッかつくなぁ。
 ザコワは笑いながら、入り口を潜り抜けた。べつに何も起こらない。
「やっぱりあっちが正解…ん?」
 ミズキは子爵の足元に目を凝らした。
「貴様、何をしている?」
 ミズキに武器を向けたあの騎士の声だ。ミズキは顔を上げ、真正面から騎士の顔を見て…目を見開いた。
「…カイザ?」
 夜のような黒い髪、海のような青い瞳。そして見る者を惹き付けるスラリとした目鼻立ち。声からして先ほど対峙した騎士なのだろうが、明るい所で見るとカイザそっくりだ。
「どうした、ミズキ?」
 不思議そうなカイザと騎士を見比べる。
「うわぁ、なにこいつ!? カイザとそっくり!」
「女顔の流れ者と似ているなんて言われたくない!」
 カイルがそう言えば、
「ぞろぞろ髪の堅物に似ているなんて、言われたくないな」
 カイザは黒く笑った。
 しかしカイルとカイザ。名前までよく似ている。
――あれかな、世の中には似た顔のヤツが三人は居るっていう…
「ギャァァァァァァァ!」
「なんだなんだ?」
「子爵!?」
 悲鳴とともにザコワが通路から駆け戻ってきた。お付きの騎士は居ない。
 あと一歩で入り口、というところで倒れたザコワ。ミズキ達を囲んでいた騎士が数人、慌てて彼に手を伸ばす。
 恐怖に口をパクパクとさせながら、這ってでも入り口へ行こうとするザコワ。その指先が急に色を失った。
「っ、見るな!」
 咄嗟にミズキは体をひねり、その光景からフィルの目を反らさせる。だが彼女自身はそれを見てしまった。
 ザコワの体が色を失い、バシャッという音を残して水溜まりとなる光景を…
「し、子爵ー!?」
「アルド殿達はどうなった?」
「見ろ、奥に隊服がある!」
「そんな、まさか」
 口々に騒ぐ騎士達。ザコワがくぐった入り口に目を向けたミズキは、文字が変わっていることに気付いた。
「おい、あの文字が変わってる!」
「少し待ってろ…ふむ」
 素早く文字列を読み取ったカイザの顔が、ひきつった。
「うーむ、これはこれは…」
「ちょっとカイザ! なんて書いてあるんだよ!」

 ザバーンッ!

 背後からの轟音。ミズキがギョッとなって振り返れば、あの入り口から水が押し寄せて来ていた。
「悪意ある者通りし時、遺跡を閉ざそう…何人たりとも戻れぬように、悪しき者と共に永遠に」
 迫り来る水の恐怖とカイザの言葉は、その場に居た全員をパニックに陥れた。
「は、早く脱出しろ! 今ならまだ入り口は水面より上だ!」
 騎士達は我先に入り口へ駆け戻ろうとする。ミズキ達の事は完全に忘れているようだ。
「あ、あいつらぁ…! フォン、あたしに構わず縄を切れ! フィル、ケガさせたらごめん」
「べつにいい」
 小さく答えるフォンの声が聴こえ、風の刃がミズキとフィルの戒めを切り裂く。ミズキはバンダナを外した。
 自由になったミズキは、耳元でウェディの声を聞いた。
『水の流れが速すぎますわ。外に出られても溺れますわね』
 振り向くと、ウェディはぞっとするほど美しい笑みを浮かべた。
『そもそもここは悪しき者を封ずるための聖域…不届きものが逃れられる訳はありませんわ』
「だからって、あっちの通路を通ったら死ぬよ!?」
『悪しき者を退ける事が結界の役目。善たらんと望むなら、水の様に進めばいいのですわ』
 ウェディの言葉にミズキははっと目を見開くと、駆け出そうとする騎士に向かって声を張り上げた。
「お前ら待て! 水はこっちに流れ込んでるんだ。流れが強くて溺れるぞ!」
「ならどうしろというんだ!?」
 一人だけ残ってカイザとユゥの縄を解いていたカイルが、真っ青な顔で振り返った。
 そんな彼をちょっぴり見直しながら、ミズキは答える。
「先へ行く。この通路が上に伸びてれば助かるかもしれない! 最初の言葉通り、水みたいに通れば平気だ。だからお前ら、止まれ!」
 ミズキは声を張り上げるが、騎士達はその言葉を聞きはしない。水をけたて、押し合いながら我先にと洞窟の出口を目指している。
「人間なんて放っておけばいい!」
 フィルの叫びに、ミズキは渋々頷いた。他人の心配より自分の心配だ。ましてここにはユゥとフィルもいる。
「…あぁ、そうだな。カイザ、ユゥ、だいじょぶ?」
 ミズキは二人の様子を確認し、ほっと息をついた。
「心配かけたな」
 ぽんぽんとミズキの頭を撫でるカイザ。ミズキは照れくさそうにそっぽを向く。
「ったくもう、ユゥを危ない目にあわせて…でも無事で良かった」
「何をしているんだ、早く進まないと死ぬぞ」
 と言ったカイル。正直、こいつは来ないだろうと思っていただけに、意外だった。
「信じてくれるんだ?」
「お前達を信じた訳じゃない。あの流れを泳ぐよりは、助かる可能性があると思っただけだ」
 水から思いっきり顔を背けながら言うカイル。
「なんだ、単に泳げないんだな」
 カイザはニヤリと笑った。
「言うな!」
 図星だったようだ。
 噛み付くようにほえるカイルを笑いながら、カイザはミズキの方を向く。
「さて、俺の妹は謎を解く糸口を見付けてるんだろう。聞かせてくれ」
 落ち着いたカイザの声を聞きながら、ミズキはザコワだったもののそばに膝を着き、短く弔いの言葉を呟きながら言った。
「何か妙だなぁとは思ってたんだ。鍵を持って通れなんて、何処にも書いてなかったし。だからきっと、進み方が問題なんじゃないかなって思ってさ」
 水が落ちて固まった砂を払うと粗造りなタイルが現れる。
「…ビンゴ」
「魔法陣によく描く、水を司る模様だな」
「よし、もっと見てみる」
 そばにきたカイザは子爵が握っていたのだろう、あの紋章を拾い上げた。
「となると、この“鍵”とやらは何の意味があったのかな」
 輝きを失っていた紋章をカイザが持つと、それは紺色の光を放ち出した。カイザが小さく首をひねっていたが、何かに納得したようだ。
「…ふむ。ユゥちゃん、ちょっと持ってみてくれる?」
「は、はい…きゃっ!」
 それはユゥが持ったとたんに、それは眩く輝きだした。光の色は、白だ。
「…やっぱりな。それは“鍵”でも何でもない。単に魔力に反応する道具だよ。強い魔力の持ち主が持つと光るんだ。まぁ普通の魔力測定器と違って見事な意匠だけどね」
「ま、待て! つまり子爵は」
 カイルの言葉にカイザはうなずいた。
「さぁて、誰かに騙されていたんだろうね。ミズキ、そっちはどうだ?」
 ミズキは更に先のタイルから、砂を注意深く払い落としていた。
「これは最初のと同じ…あっ、これはなんか違うな」
「分かったか?」
 不安気なフィルに笑いかける。
「だいたい分かった! 水の様に歩く…多分、正しいタイルを踏めばいいんだ。なんか、砂を吹き飛ばせるようなもの無いかな。手じゃ大変なんだ」
 そんなミズキのそばに、カイルが立った。
「どけ、俺が砂を払う、お前は正しい模様を教えろ」
 カイルがマントをはずしながら前に立ち、ミズキの指示を待った。
「分かった。えっと、あんたが今居るのから、右に一つ、前に二つ進んで……次は、左斜め前…あっ、それは違う」
 ユゥは紋章を高く掲げてミズキ達の足元を照らした。ヒカリゴケの光だけでは、歩くのに支障は無くても、模様を見分けるのは難しいからだ。だったら光の呪文を使えばいいと思ったユゥが、何があるか分からない以上魔力は温存しておくべきだとカイザが言ったのである。
「俺はいま、マジックソードが無くて魔術が仕えないから、ユゥちゃんとフィル君に頼るしかないんだ…いやぁ、本当にごめんね」
 カイザはそう言って、すまなそうに頭を下げた。人間族の魔法使いは、杖やマジックソードがないと魔術が使えないのだ。ちなみに竜人の二人は、首から下げた竜石があれば良いのだと言う。
「あっ、ここはちょっと間がある。ユゥ、気をつけて」
「は、はいっ…えいっ!」
 反動をつけて跳んだユゥだが、つるっと足を滑らせる。
「きゃっ、きゃぁぁっ」
 倒れかけたユゥを、がしっと支えた手があった。
「気をつけろよ」
 ぶっきらぼうにそう言って、フィルがユゥをおろした。
「あ、ありがとう、フィル…」
「なっ、何で泣くんだ!? まさか、どこか怪我したとか」
 ぽろぽろと泣き出したユゥを見て、慌てるフィル。ユゥは首を振って言った。
「フィルは、もう私の事なんか嫌いなんじゃないかって」
「…っ」
「裏切り者って言われて、どうしたらいいか分かんなくて、だから…よかった…」
 フィルは、そっとユゥを自分から離した。
「…悪かった」
 それだけ言うと、フィルは前へ足を踏み出す。きょとんとなったユゥの肩をカイザが叩いた。振り向いたユゥに囁くように教える。
「フィルくんのあれはね、照れてるんだよ」
「えっ、どうしてですか?」
「そういう年頃なのさ。俺もあんな時期があったよ」
 としみじみとした口調で言うカイザ。その目がとても優しい色をしていたのを見て、ユゥが安心したように笑う。
「何やってんのさ、さっさとおいでよ!」
「あぁ、すぐ行く」
 という和やかな場面がありつつ、一つ間違えば水と化す廊下を、全員が慎重に進んだ。
 やがてタイルの床は終わり、道は二手に分かれた。左手にはかなり上に傾斜がある通路。右手には…。
「…扉だね」
「また古代語だ。…時は来たり。善たらんと望む、輝きを宿す者、我らが愛した子らよ…」
 フィルの声が尻すぼみになり消えた。その後をカイザが引き継ぐ。
「今ここに、我らが役目を引き継ごう」  読み上げた二人の言葉にミズキはにやっと笑った。
「ここがゴールってコトかな」
「よし、開けるぞ」
 カイルがガシリと扉に手をつく。
「あれ、あんたも行くの?」
「今さら何も見ずに戻れるか!」
 カイルがぶっきらぼうに言う。
「あ、その扉触ってると溶けるよ?」
「な、なにぃぃぃ!?」
「…くくっ、冗談だよ」
 からかわれて顔を真っ赤にしたカイルが扉を押す。一人では動かないと見てとったミズキとカイザが隣へ立ち、フィルとユゥも一緒に押した。
「せーのっ!」
 そして、扉は開かれた。







          Act11 悪夢の眠る湖
 開かれた扉のその先には、黒々とした地面が静かに横たわっていた。
 暗く冷たい空気だけが満ちている常闇の空間だった。
 前の通路にあった輝く石も、ここにはまったく無い。
――…なんか気味悪いな。
 ミズキは背筋を走った寒気に、思わず腕をこすった。
 ミズキがそっと様子を見れば、カイザやユゥ、そしてフィルもあまり気分が良いようではないらしい。
 特にフィルは息が荒く、眉間にしわが寄っていた。
――くそっ、なんで力が入らない?…それに竜石はどこにあるんだ!?
 いくら湖を見回しても、今までの行動の根底、望んだ力の象徴だった竜石はどこにもない。
 フィルの胸を冷たいものが滑り落ちた。
――はじめから、意味などなかったのか…? 俺も、あの子爵のように…利 用 さ れ た?
(求メヨ…力、求メヨ)
 フィルはカッと目を見開き、闇の中を睨み付けた。誰かに見られているような気がする。
 カイザが呪文を唱えようとして、らしくない舌打ちをした。
「…しまった、マジックソードは無いんだった」
「あっはっは、なーにやってんだよ。らしくないよ、カイザ!」
 ミズキとカイザは軽口を叩き合う。押し潰すような闇に、気圧されないように。
「にしてもどうしようか? 何も見えないし」
「私がやります!」
 妙に大きな声でユゥが呪文を唱えて光の玉を生み出す。松明を数本立てたくらいの明かりが生まれた。暗闇の中にきらめく壁が現れる。
「なんだこりゃ!?」
「鏡…いや、水晶か。この部屋の壁は全部水晶なんだ」
 ユゥが出来るだけ明かりを遠くへ動かすが、それでも、この空間の先は見えない。周りから察するに、白い磐の壁と黒い地面が続いているのだろう。
 上に目を向けても、壁と同じような水晶が、槍のように垂れ下がっている事が見えるだけだ。
 目映い明かりの外は、闇の中へ消えている。ミズキの夜目ですら、その闇の終わりは分からなかった。
「うーん……お前ら、余り大声出すなよ。下手するとつららみたいに尖った水晶が落ちてくるぞ」
「あぁ」
 真っ黒な地面はまるで磨き上げられた水晶盤のようになだらかで、ミズキは違和感に目をひそめる。
『マスター』
「ん、どうしたのアシャ?」
『お気をつけください。あれは大地ではございません』
「それってつまり…」
「まさか街の地下に、こんな空間があったとは…」
 カイルが足を踏み出しかけたとき、ミズキはその服をぐっと掴んだ。
「ぐぇ…な、何をする!」
 軽く首がしまったらしく、勢いよく振り返ったカイル。その拍子に足元の小石が黒い地面に落ちた。

 ぽちゃん…

 黒い地面に広がる波紋。ミズキは、なぜか胸の奥からふつふつと沸き上がる恐怖に、小さく震えながら言った。
「これ、地面じゃない…黒いところ全部が水なんだ」
 ミズキの言葉にカイルが固まった。

 ゆらゆらとたゆたう水
 その中で、魔王の欠片は眠っていた
 封印されてもなお、膨大な魔力は溢れ出し、悪夢の欠片となってはすり抜けていく
 たとえるなら、封印とは言わば猛獣を捕らえる檻
 悪夢とは言わば小さな鼠
 どんなに強固な獅子を閉じ込める檻も、鼠はすり抜けてしまう
 ただの鼠が逃げたところで対した事はない
 だが、
 この鼠(強大な魔王の夢)は
 それだけで生きる者を歪めてしまう

 だから、勇者は考えた
 封印では捕らえきれない悪夢を、膨大な水の中に溶かして外に漏れないようにしようと
 だが、悪夢の欠片は待っていた
 誘き寄せられた餌が、その中に落ちることを

――何なんだろう、ここ? まるで…牢屋。よく分かんないけど、何かいる。
「戻れよ、泳げないのに危ないぞ?」
 からかうように言ったカイザの言葉に、カイルはぴくっと肩を揺らすと、さらに水面ギリギリまで近づいた。
「ちょっとカイザ!」
「やれやれ、意地っ張りだねぇ」
 今のはまずいんじゃないのとカイザのわき腹を突っつくミズキだが、カイザは愉快そうに笑うだけだ。
「な、なるほど、地底湖というわけ…」
 カイルの声が途切れた。ふらふらと立ち上がると、誘われるように足を踏み出そうとする。
「ちょ、カイル!」
 ミズキが彼を羽交い締めにする。が、カイルはものすごい力で進もうとするのだ。
「…怖くない、怖くないぞ…は、ははっ、誰が怖いものか!」
「おいこら落ち着け!」
「怖くないー、怖く無いったらこ〜わ〜くないー!!」
 途中から口調まで変わっているカイルである。恐怖の余り、頭のねじを飛ばしてしまったのだろうか。
「…これはまずいかな?」
 カイザが助太刀しようとしたとき、翼を広げて回り込んだフィルが、カイルの顎をおもいっきり蹴り上げた。
 ばったりとミズキとカイルが明るい方に倒れる。
「ぁだっ!」
「ナイスだフィル君…ぐっ!?」
 ミズキを助け起こそうとしたカイザの頸を、フィルの手が掴んだ。
 凄まじい力で頸を絞められ、カイザの顔色がどんどん悪くなる。
「っ…かっ、は…」
 苦しげに呻くカイザ。細い少年の手のどこから、自分より背の高い青年を宙吊りにする程の力が出るのだろう。
「…………」
 フィルがあまりに無表情なので、まるで人形が動いているようだ。
「フィル! なにするの!?」
 ユゥの声にフィルの瞳が一瞬だけ青に戻る。
「ユゥ…俺…から…逃げ…」
(力ヲ!! 災ヲ!! 悪夢ヲ!!)
 フィルはぐったりとなったカイザを放り出し、頭を抱えて叫んだ。
「ぐっ、ぅあ゛っ…がぁぁぁぁあっ!」
 ようやく気を失った騎士の下から脱出したミズキ。赤い光を宿す瞳とかちあって、体が強ばった。
「フィル!フィルしっかりして!!!」
「おい、フィル! どうしたってんだ!?」
 ユゥとミズキの声にも、フィルは応えない。
「ちっ!」
 ミズキは素早く短剣を引き抜くと、フィルに投げつけた。
 鋭い短剣を素手で難なく弾くフィル。だが、ミズキの狙いは十分果たせた。
「やぁっ!」
 掛け声と共にミズキの体が宙を舞う。彼女の手が、フィルの胸元に揺れるペンダントをしっかりと掴んだ。
 カイザいわく、人を操るマジックアイテムだというペンダント。ミズキがフィルに会ったのは、これを外すためだった。
 何とかフィルを説得して、カイザが解呪の手筈を整えてる場所に連れていくつもりだったのである…まぁ、こんな事になってしまったが。
 きちんとした手順を踏まずにこういう物を外すのは危険らしいが、四の五の言ってはいられない。
 ミズキは悪い事が起きないことを祈りながら動いた。
「いい加減、目ぇ覚ませー!」
 叫んだミズキの手の中で、悪魔のペンダントは砕け散った。
 その時、砕けたペンダントから、ミズキは確かに何かの哄笑を聞いた。
 フィルの動きが止まる。
(サァ、闇ノ中ヘ来ルガイイ)
――ユゥ…ミズキ姉…
 空中でよろめいたフィルの体躯が、黒い湖に吸い込まれるように落ちていった。
「フィルーー!」
 ユゥの声と共にバシャリと水が跳ねる音。
「くっ…ユゥ、明かりをちょうだい、フィルを引き上げなきゃ」
 ミズキが言った、次の瞬間。

 ごぁぁぁぁああん!

 湖が鳴動した。

 とんでもない罪を犯したのだという、恐怖。
 愚かにも騙され、幼馴染みを傷つけた自分への、怒り。
 自分を騙した男への、憎悪。
 フィルは根はまっすぐな少年だ。だからこそ、綯い交ぜになった負の感情はこの上無い糧になる。
 フィルの竜人としての魔力は悪夢にすら形を与えるのだ。
 鳴動は最高潮に達していた。天井の白い岩の槍がぐらぐらと揺れては、危ういところで折れずにくっついている。
「ウェディ! 水を操ってフィルを引き上げらんないの!?」
『無理ですわ、この場所にはスピリットが既に居ますもの。私にこの湖を操る権限はありませんわ』
「スピリットぉ? 何の事だ!?」
 なんとか揺れに耐えたミズキとユゥの前で、黒い湖が盛り上がる。
 黒い水から現れたのは、どす黒い体色のドラゴンだった。ユゥは白い顔をさらに蒼白にして叫ぶ。
「フィル! フィルでしょ! 返事してよ、フィルぅぅぅぅ!」
 ユゥの声にドラゴンが哄った様に見えた。バシャッと尾を使って何かを弾き飛ばしてくる。避けようとしたミズキだが、ハッと目を見開いた。
「…! フィルだ!」

 どかぁぁん!

 ミズキは飛んできたフィルの体を抱き止めようとし、いっしょくたに吹き飛ばされる。
「いやぁぁぁっ、フィルーーーー!」
 フィルを吹き飛ばして来たドラゴンはのっそりと下を見下ろし、爪を振った。恐怖に動けないユゥがそこに居た。
「きゃぁっ!」
 鋭い爪がユゥを引き裂こうとするその瞬間、横から現れた騎士がユゥを庇って爪を剣で弾く。重い一撃にその剣は形がゆがんだ。爪を受け止めた剣の持ち主、カイルは顔をしかめると、ユゥを引っぱり立ち上がらせる。
「か、カイルさん…」
「逃げるぞ、動けるか?」
「あ、足が、震えて…」
 カイルはユゥを抱えると、出口の扉に向かって逃げる。だが、二人が扉を潜る前に天井の水晶の槍が落ちて出口を塞いだ。
「くっ、閉じ込められたか!」
 カイルはユゥを後ろに庇って、ひしゃげた剣を上に構えた。

 るぐぁぁあぁぁあっ!

「させるか!」
 ドラゴンの爪を避けて、カイルがその爪と指の境に剣を振り下ろす。
 思わぬ痛みにドラゴンは暴れ、カイルをその太い尾で吹き飛ばす。ユゥがカイルに駆け寄れば、気絶こそしていないものの、鎧が激しく歪んでいた。
 ドラゴンは二人にその尾を打ち付けようとする。
「竜神様! その炎をお貸しください!」
 なんとかユゥが作り出した白焔の壁が、ドラゴンの尾を弾く。魔法を使うときにユゥの背に現れた翼に、カイルが一瞬ぎょっとなっていた。

 ゴァァァァァァァッ!

 ドラゴンは怒りに満ちた咆哮と共に黒い炎を吐き出した。二色の炎は一瞬拮抗したが、すぐに白焔の壁が打ち消されてしまった。
「きゃぁぁぁぁっ!」
 灼熱の黒に二人が飲まれかけた、そのとき…
「アシャ! ユゥ達を頼む!」
 ミズキの声と共に、ユゥ達とドラゴンの間に土の壁が出来上がる。
「何だこれは!?」
「きっとミズキさんの精霊魔法です!!」
 アシャが造り出した土の壁は、ドラゴンの鋭い一撃を吸収し、熱を遮断した。
「やはり人外の力だな…なんておぞましい」
 小揺るぎもしない壁を見て、ぼそっとカイルは言った。ムッとして振り返ったユゥだが、騎士の顔に恐怖がありありと浮かんでいることに言葉を失う。

「あたしが居たんじゃ、カイザの手当てしてくれるかも分かんないし」

 神殿の前で聞いた、ミズキの言葉がよみがえる。
――ミズキさんの言葉の意味って…こういう事? ハーフエルフを、異種族を、見るときの人間族の目って、こんなに冷たいものなの?
 ユゥは何も知らずに神殿に入ろうとしなかったミズキを責めた悔しさに、くちびるを噛んで土の壁を見つめた。ふと恐怖が胸をよぎる。
 これ程強力な魔法を使っては、ミズキ自身は無防備のはずだ。それにカイザやフィルはどうなっているのか。
「フィル、皆さん…」
 バキンと壁が砕け散る。ドラゴンの攻撃に破られたのかと、身を強張らせるユゥとカイルに温かい声がかけられた。
「こっちだ、二人とも!」
「カイザさん、無事だったんですね!」
 少し服が破れているが、カイザにケガは無いようだ。その背中には気を失ったフィルを背負っている。
「フィル! フィル、大丈夫? しっかりして、ねぇ!!」
「気を失っているだけだ…今のところはね。さてとカイル君、立てるかい?」
「立てる、が…あのドラゴンは何だ?」
 カイルの問いにカイザはふっと目を反らした。
「とにかく結界の中へ…今はミズキが引き付けてる」
 二人が見やれば、ミズキは軽やかにドラゴンの攻撃を避けていた。
 カイザは背負っていたフィルを下に下ろし、小さなカードを取り出す。
 それを地面に投げ付ければ、白い光が動き回り、五芒陣を描きあげる。カイザに促されるまま、二人はそこへと逃げ込んだ。
「魔術の行使には、杖とやらがいるんじゃないのか?」
「これは魔術師じゃない素人にも使えるインスタントの結界だよ。君達に捕まったとき、これだけは持ってこれたからね」
 これだけは、を強調して言ったカイザに、カイルは黙り込む。
「次にあのドラゴンだが…まぁ、あれは幻みたいなもんさ」
「馬鹿な! 爪の一撃も尾の一撃も、現実だったぞ!」
「誰も幻だとは言ってない。あれはデモンシャドー。単体ならどうってことない中級の魔物だが、フィル君の竜石を核に集まってあんな化け物になってる…らしい」
 最後の方だけ歯切れ悪く、カイザは言った。
「…竜石?」
「カイル君は黙ってろ」
 いぶかしげに呟くカイルを黙殺し、カイザはフィルの体の下に上着を敷いて寝かせた。
「厄介な事に、竜石を通した魔術的な繋がりで、ドラゴンもといデモンシャドーを傷つけるとフィル君も傷ついてしまうらしい…フィル君の爪からも血が出てるだろ?」
 場に沈黙が落ちた。ユゥの表情は固まり、カイルが剣を握りしめ、カイザは…そっとフィルの頭を撫でた。
「ここはミズキに任せよう。大丈夫、フィル君を死なせたりはしない」
「混ざり者に何ができる! 逃げる方が…」
 ばんっ
 初めてカイザが手を上げた。カイルの顔を殴り飛ばし、胸ぐらを掴む。
「な…何を」
 呆然と言ったカイル…自分と同じ顔の男を、カイザは冷たい目で見下ろした。
「二度とあいつを…ミズキを侮辱するな」
 低い声で淡々と言ったカイザ。黙ったカイルを乱暴に突き放す。
――まるで、自分を見ているみたいだ…見るだけで嫌気がする。
「…あいつは俺の義妹だ」
 殴ったときに袖が捲れ、露になったカイザの左手には、薄くともしっかりと残る傷痕があった。

 一方そのころ、圧倒的なドラゴンの、いやデモンシャドーの力にミズキは焦っていた。
 フィルとデモンシャドーは繋がっているというのは、アシャが教えてくれた。
 迂濶に攻撃出来なくなった彼女は、対処法も思い付かないままに、狭い岩棚をひたすら逃げる事になったのだ。
 鉄板すら裂くような爪が、丸太より太い尾が、骨も溶かすような炎が、立て続けにミズキに襲い掛かる。
 致命的な一撃こそ受けないものの、彼女の体は傷だらけである。
「くそっ、あたしをなぶり殺しにする気か、イヤなヤツだよホント!」
『どうなさいますの? あの竜人の少年を殺せば、他の方々は助かりますわ』
「んなこと出来るか! 一瞬でいい、あいつの動きを止められればあの首の竜石をはずせる!」
 頭のどこかで、フィルを殺す事が一番確実だと、ユゥだけでも助けるべきだと考えている自分がいる。
「ミズキ姉…俺を殺して。ユゥだけでも…助けて」
 受け止めたフィルが気を失う寸前に言った言葉が何度も頭をめぐる。
 だが、ミズキは歯を食いしばって頭を振った。
 最善策など頭では分かってる。だが、ミズキの心は激しくさわぐのだ。フィルを殺すなと。
「湖の水さえ操れれば…一瞬でいいのに」
『…本当にお馬鹿さんですわね。竜石を外したからと言って、あれが消える確証は在りませんわよ?』
「バカで悪かったな。だけど、譲らないからね。やれることは全部やる…いいや、絶対にフィルを死なせやしない!」
 ミズキの言葉に、ウェディは何を難しい事を考えているのだと返した。
『そんなにあの少年を助けたいなら、先達にお伺いなさればいいじゃないですか』
「訊いてみるって…スピリットに? スピリットって精霊? 話し合えるの?」
『ええ、ただ問えばいいのですわ。マスターには、その資格はあるのですもの』
 デモンシャドーが、いきなり天井に向かって吼えた。ミズキはいつの間にか、暗かった筈の湖の周りが、青い燐光に包まれている事を知る。唐突にミズキは納得していた。
「…目を醒ましたんだ」
 何が? 答えは自然と浮かんでくる。スピリット…この湖の主が目を醒ましたのだ。
『やっぱり、マスターにはお分かりにはなるようですわね』
 嬉しそうなウェディの声。ミズキは天井にきらめく水晶の槍が、雨の様に落ちてくる様を呆然と見つめていた。
 だが、ドラゴンが傷つけられると同時にカイザの結界の中に居るフィルからも血が出ているのに気付き、声を出す。
「止めろスピリット! フィルを殺すなぁぁぁっ!」
 轟音と共に落ちてくる水晶の雨。ミズキはきつく目を閉じ…痛みを感じないことにはっと目を見開いた。素早く辺りを見渡すが、ただ青い光が満ちているだけだ。ドラゴンもどきも、カイザ達も、何も見えない。ウェディも見えない。
『我に語りかけるは何者だ』
「!?」
 魂をねこそぎ持っていかれるような威圧感、いや存在感。ミズキは押しつぶされそうなプレッシャーを感じながら、必死で顔を上げた。何かが居る。
『我が使命を妨げるは何者だ』
「…あたしはミズキ。あんたがここのスピリットか?」
 ミズキはとにかく声を上げた。そうでなければすぐに気圧され、飲まれてしまうと思ったのだ。自分の声が耳に入り、とりあえずは安心できる。
『いかにも、我がこの地の守護を任されしモノ、大いなる水である』
「大いなる水に聞きたいんだ! 湖にいた黒いモノに竜人族の少年が飲み込まれちまった! あれを引き剥がすための方法を教えて欲しい! 黒いモノを溶かしてたあんたになら、方法がわかるでしょう!?」
 青い光の中から溶け出すように一人の人影が現れた。
『あれは、魔の想いである。我が内に闇をとかし、ある一族の者達が少しずつ浄化していた』
「ある一族…」
『汝は一族の資格を持つ者か? 資格を示してみよ』
「資格ったって、そんなもん…」
 言いよどむミズキの傍らに、ウェディが現れた。
『はい、水の御方。この方こそ輝ける民の血を引く後継でございます』
「ウェディ?」
 彼女は恭しく頭を下げ、首をひねったミズキに笑いかける。
『マスターが名付けの才を持っていらっしゃること、私の存在を持って証明いたしますわ』
 人影は納得したのか鷹揚にうなずいて見せた。
『汝が資格を認めよう。さて、後継者となる以上、汝に覚悟はありや?』
「かく…ご?」
『魔を滅する戦いを続ける覚悟。命ある限り進み続ける覚悟。例え魔の申し子と呼ばれても最後まで汝が意志を貫く覚悟』
 それが意味する事は、正確にはミズキには分からない、だが、とても重い言葉だということはよくわかった。ソレは、それ以上何かを言うわけでもなく、ミズキの返答を待っている。
「…乗り越えなきゃいけない壁がある。何かをするには諦めなきゃいけない事がある…か」
 何が自分に起きるのか、ミズキには分からない。言い様のない何かがミズキの内を駆け巡る。
『して、汝が意思はいかに?』
 それはミズキを見ていた。圧倒的な重圧が彼女を襲う。
 ミズキは目をとじ、息を詰めた。
「大き過ぎる力は要らない。使いたくない…化け物なんて呼ばれんのはイヤだ」
 これがミズキの正直な気持ち。そして、超えるべきはこの思いだ。
「でも、あたしはフィルを止めたい」
 大切な人を失う苦しみも、何もできない自分に歯噛みする悔しさも、ミズキは知っている。
「だから……あたしはあんたの力を望む! スピリット、あんたの力を貸してくれ!」
『愚かな…だが、その想いこそが後継者の素養とも言える。娘よ…我が祝福と呪いを受けるがいい』

 どっくん…どっくん…どくん!

 何かがミズキに重なるように入ってくる。彼女の細い体の中を、莫大な力が容赦なく駆け巡る。ミズキは声にならない叫びを上げた。
『我が名を呼び、受け取るがいい…我が名はオーディン』
 オーディン。心でミズキは繰り返す。たったそれだけでも、とてつもなく強い力を感じる。
 溢れんばかりに押し寄せてくる力への畏敬、胸をよぎるのは…やっぱり不安だ。
 果たして、こんな代物を使いこなせるのか?
 明らかにスピリットよりも弱いウェディの力ですら、暴走させてしまったばかりだというのに…
 ミズキの膝が震えた。
「いたっ」
 固く握りしめられていた左手、その手首の傷痕がまるで叱る様に疼いている。
 薄くとも確かに残るそれは、兄妹の誓いの証だ。
「ありがと、だいじょうぶ。誰も死なせやしない」
 ミズキはふっと笑うと、語りかけるように呟いた。傷痕にくちびるを寄せ、いたずらっぽくニッと笑う。
「もちろん、あたしもな!」
 一際強い脈動。ミズキは心も身体もその力の流れに任せた。
『その力の行使に、呪文など要らない。必要なのは願う心。汝は願いの言葉を届かせる手段は知っている』
 オーディンの導きのままに、ミズキは願う。
「力を貸して、オーディン!」
 名を呼び、ただ助力を願う。それがミズキの魔法。未だその出自さえも分からなくなった輝きの民の魔法。
「仲間を助けんのに代償が必要なら…あんたのいう使命とやら、継いでやるさ!!」
『汝が覚悟、しかと受け取った…今ここに、新たなる継承者現れり!』
 青い光がミズキに向かい、収束した。

 結界の中でユゥはフィルの手を強く握りしめていた。
 フィルの体からは止めどなく、命の色が流れ出ている。癒しの魔法を使いたくとも、強い魔力に取り憑かれている今は、フィルのケガは治せない。
 ユゥは、ただ祈る事しか出来ないのだ。
「ミズキさん、お願い…フィルを助けて…! 死んじゃやだよ、フィル!」
 カイルはイライラと外を伺っている。彼らがいる結界の近くにも、水晶の槍が落ちてきているのだ。
「おい、ここも危ないぞ!」
「インスタント結界は一個しかないんだ。どこにも逃げられないよ」
 カイザは淡々と答え、さっきから疼いている傷痕をそっとなぞった。
――ミズキ、思う存分暴れてこい。そして…頼むから無事に戻れ。
 想いを込めて、ミズキがいるだろう方向を見る。
 悔しさに歯噛みする事しか、見届ける事しか出来ない自分が、とても歯痒い。
 そんな魔術師を騎士は異質な者でも見るような目で見詰めていた。

 ゆっくりとミズキは目を開いて、仄かに青く光る自分の体を見詰めた。
「…あははっ、なんかリアリティがないな。今にも溶けちゃいそうだ」
『気を確かになさいませ。溶けてしまわれたら、私にもどうしようもありませんわ』
「分かってるよ」
 ミズキは右手をゆっくり上げた。
「オーディンの名において命じる。湖よ、もう一度、悪夢を縛る戒めとなってくれ!」
 湖が渦を巻いて立ち上る。何本もの水流がデモンシャドーの手足を縛り上げ、動きを封じる。
『後はマスターの仕事ですわ。湖の水の統率は、私にお任せなさいませ』
「あぁ!」
 ミズキは力の限り跳んだ。澄んだ水を蹴り、一直線に迷いなく、突き進む。
 動きを封じられたデモンシャドーが、唯一動く首を巡らせ、怒りに満ちた炎を吐いた。
 ミズキは左手を翳した。水が槍のようにドラゴンの炎を迎え撃ち、かき消す。所詮は紛い物の炎なのだ。
「フィルから離れろ! 悪夢の欠片ども!」
 ミズキの手が、ドラゴンの首に輝く竜石を掴み、むしり取った。
 デモンシャドーが叫んだ。いきどころのなくなった魔力が渦巻き爆発し、ミズキは弾き飛ばされる。だが竜石は離さない。
 みるみるうちに、地面が近づいてくる。こんなスピードで叩き付けられたらぺしゃんこだ。
――まずいな。どうしよ?
 頭は不思議に冴えていて、冷静に考えている。だからといって手があるわけではないのだが。
――アシャとウェディが何か言ってるような気がする。いや、カイザかな?
 ミズキには分からない。彼女の視界が黒で塗りつぶされる。やわらかな温かさがミズキを抱き留める。黒い翼が宙を舞った。
「無茶をする…血は争えないな」
「あんた、なんで…」
 仮面の男は、ミズキの体を横たえると何事か呟きながら姿を消した。おそらく呪文の類いだろう。
「待てっ…って痛ー、さすがに痛ぇぞ、コノヤロウ」
 あくたいをつきながら起き上がるミズキ。そんな彼女にカイザが駆け寄る。
「この大バカ! 死ぬような無茶はするなと言っただろう!」
 言いながら、ミズキの頭をべしっと叩いた。
「あだっ、これ以上叩かれたらホントに逝っちゃ…」
「よく生きてた…本当に、よく帰ったな…」
 カイザがミズキを抱きしめた。その腕が震えているのが分かって、ミズキは決まり悪そうに目を閉じる。
「カイザ、あたし…」

 ギャアアアァオァォォン!

「嘘だろ!? なんで消えないんだ!」
「…フィル君からの魔力供給が消えただけだから、まだドラゴン形態を維持できるのかもな。長くは持たないだろうが」
 カイザの言葉に、ミズキは真っ青になって起き上がろうとするが、体に力が入らない。
「…くそっ! こんな時に」
「落ち着け、とにかく水の檻は…あれはお前のだろ?維持できるな?」
 カイザは言いながらミズキを抱き上げ…ようとして失敗した。傷ついている肩に鈍い痛みが走ったのである。
「わ、悪い。力が上手く入らなかった」
「うん、いいよ別に」
 ミズキを背負い、改めてカイザは言う。
「とりあえず、フィル君が傷つく心配はなくなったんだ。後は偽ドラゴンを地道に削ればいい。お前は結界から水檻を維持してくれ。そのくらいなら、俺達でもなんとかなる」
 ミズキは小さく頷いたが、そんなに簡単にいくわけがない。二人は結界に滑り込んだ。
 ミズキはなんとかカイザの背から降りると、フィルのそばに膝をつく。
「…ミズキ姉」
 フィルは気がついたのか、薄く目を開けていた。ユゥがミズキの手の中にある澄んだ黒い石を見ると、癒しの魔術を唱えはじめた。
「ほら、あんたの竜石、取り返したよ」
「…なんでだ?」
「なんでもコンブもないよ。受け取んな」
「ふざけるな! また暴れ出したらどうす…」
 ごすっ
 騒ぐカイルに裏拳をいれ、ミズキは竜石をフィルの手に押し付けた。
「これはあたしのもんじゃない。早くしてよ、あたしじゃ持ってるだけで手が痺れるんだ」
 その言葉は嘘じゃなかった。ビリビリとした奇妙な感触がミズキの腕を這い回っている。強力な魔力だとミズキは本能的に悟っていた。
 フィルはゆっくりと石を受け取り、握り締めた。
 ほぼ同時にユゥの呪文が完成した。フィルの傷はふさがり血色も良くなっていく。
 フィルは緩慢な動きで首を巡らせ、水牢の中で暴れるデモンシャドーを見据えた。
「…ユゥ、ミズキ姉達を頼む」
「えっ、フィル?」
 フィルは体を起こすと、きっぱりと言った。
「あれは、俺の中の憎悪、俺の魔力の塊だ…俺が始末をつける」
 立ち上がろうとするフィルの服をユゥが掴んだ。
「ダメだよ! 魔法で治したといっても、まだ全部は治ってないのに…」
 ユゥの手をフィルの手が掴む。その力の強さに、ユゥは言葉を失った。
「ミズキ姉は俺を正気に戻してくれた。この上、あれを倒してもらったら……俺はいつまでも自分を赦せない」
「フィル…」
 なおも言おうとするユゥを、ミズキが止めた。
「他に言いたい事があるんじゃない?」
「悪かった。ユゥもミズキ姉も…そこの二人も」
 フィルは口ごもった。
「騎士にはユゥが助けられたし、魔術師には俺が助けられた…借りを返させてもらおうか」
 ぶっきらぼうなそれは、フィルなりの謝罪と感謝だった。
「ユゥはミズキ姉達を頼む。またケガしたら…お前が治してくれるよな?」
 ユゥは黙ったまま手を握り締めていた。きっと顔を上げ、涙の溜まった目でフィルを睨む。
「フィルのバカ! 帰ったらおもいっきり滲みる薬を塗るからね!」
「それはイヤだな」
 フィルは笑いながら竜石を首にかけると、結界から踏み出した。
「行くぞ、俺の憎しみの欠片よ…一度は飲まれたが、二度はない! 俺はフィル・ヒュース。遥かな昔、魔王を滅した龍族の血を継ぐものだ!」
 ぽぉっと、フィルの竜石から夜の闇のようなゆらめきが立ち上る。
 それは瞬く間に黒い炎となり、爆発的に広がってフィルの体を飲み込んだ。
――まがいモノ…だが確かに俺の中にあったモノ、俺の弱さそのものだ。だからこそ…二度と負けない! 負けられない!
 炎が弾けるように消え、フィルが竜化した姿が洞窟に現れた。
 圧倒的な存在感。まさにこの一言に尽きる。シャドーが寄り集まったあのドラゴンとは比べ物になどなりはしない。
 人間の大人を五人、縦に並べたよりも大きな体躯。
 その鱗は、一枚一枚が黒真珠のような光沢を放ち、サファイアのように青い目は、気高さと強い意思を持って敵を見詰めている。
 フィルが変化した竜はミズキ達を振り返り、一声上げた。低く響きながらも高揚感が沸き上がる…そんな声だ。
「あれが竜人族に伝わるという竜化…いやー、まさかこの目で見る日が来るとはね」
「ははっ、なんつー威圧感だよ…やっぱりスゴイや」
 どこか楽しげなカイザとミズキである。カイザの肩を借り、ミズキは立ち上がった。身体中をはしる痛みも、最早気にならなかった。
「フィル、友達としてあんたに協力するよ! どうすればいい?」
 フィルは頭をシャドーに向け、吼えた。ユゥが通訳する。
「タイミングをみて水を湖に戻して欲しいって言ってます! ケリは自分でつけるって」
 ミズキはにやっと笑ってうなずいた。
 漆黒の夜の竜が息を吸い込む。その口のなかに紫色の光がふつふつと集まっていく。
 どす黒い悪夢のドラゴンも、赤い目をギラつかせ、口のなかに炎をためる。ミズキはすかさず水の戒めをしめあげ、それを妨害する。カイザがとユゥが、崩れ落ちそうなミズキを支えた。
 頃合いを見計らい、ミズキは水牢の戒めを一気に解いた。思わぬ事にデモンシャドーの体勢が崩れる。
「今だ、一発かましてやれフィル!」
 フィルが変化した竜は、紫色の光を吐き出した。
――ノクターナル・ブレス!!!
 紫紺の炎とどす黒い炎がぶつかった。
 ユゥが己の竜石に手をかけ、龍の翼を顕現させた。純白の炎の壁が、炎の余波からミズキ達を守る。
 白い焔に守られて、ミズキ達は見た。
 夜の訪れのような紫紺と、どす黒い黒。二つの炎は最初こそ拮抗した。だがすぐに、紫紺の炎がどす黒い炎を打ち破る。
 そして、立つことが出来ないほどの衝撃が湖を揺らした。
散り散りになった悪夢の欠片達が、湖へと散らばっていく。
夜の力が暗黒を眠らせ浄化するのだ。赤子を眠りに導く夕闇のように。
スピリットによって澄んだ湖はそれを受け入れ、一瞬だけ黒ずみ、やがて澄んだ色に戻った。
赤子を抱き止めるゆりかごのように。
長年に渡り積もった憎悪にはち切れんばかりだった遺跡は、再び眠りにつこうとしているのだった。

 全て見届けたその瞬間、がくんっとミズキの体から力が抜けた。
「ミズキ?……ミズキ!」
「くー…すぴー……」
 ミズキが自分の腕の中で安らかな寝息を立てているのを見て、カイザは笑った。
「疲れたんだな…本当に、お疲れ様」

 夢の中に湖のスピリットを…オーディンを見た。彼の形は今、はっきりとしていた。
『見事だった』
 短い言葉だったが、それは何より雄弁に湖の主の気持ちをミズキに伝えた。
「ありがとうございました!」
『ふむ、ひとまず第一段階は超えたようだな』
 意味ありげに言葉を紡ぐオーディンに、ミズキはぎょっとした顔を向ける。
「まだ何かあるの?」
『魔の欠片はここにあるので全てというわけではないのだ』
 オーディンの言葉にミズキの身体が強張る。
「それってまさか…」
 嫌な予感がミズキの胸をよぎる。口を開こうとしたミズキをオーディンが制した。
『いずれ知る日が来よう。知るには汝は幼く、汝のスピリットは弱い。それまで…我はしばらく眠る』
 汝のスピリットという言葉に、ミズキは首を捻った。誰の事を指しているのやらわからないのだ。
「あっ、ちょっと!」
 水のスピリットの気配は、あっという間に遠ざかっていく。ミズキは最後に笑って言った。
「ありがとう! ゆっくり眠っててよ!」
 世界が全て蒼に染まり、まぶたがどんどん重くなってくる。
――どーしよ、なんか夢みたいだ。これが夢で、起きたらデモンシャドーが居た、とかいったらヤだな…このままがいい、このまま…
 少しだけ眠ることが怖いとミズキは思った。
ぎゅっ
――…カイザ?
 寄り添ってくれる人の暖かさ。抱きしめてくれる腕の温もり。
 ミズキは小さく息を吐き、空色の瞳を閉ざす。そして温もりと眠気に身をゆだねた。





          Act12 エピローグ
 眠るミズキを抱えながら、カイザは湖に目を向けた。
 湖の間に足を踏み入れた時に感じた、あの気味の悪さはしない。とても清浄な雰囲気が満ちていた。
 だが、悪夢の欠片は消えた訳ではないのだと、今のカイザには分かった。おそらくは湖に溶け、たゆたっているだけなのだと、漠然とそう感じる。
「不思議だ…まだ知らないことは在りすぎる。俺にとってもミズキにとっても」
 今回はフィルが飲まれた。けれど、そもそも誰が飲まれてもおかしくはないのだ。憎しみや不安など、実にありふれた感情なのだから。
 人の姿に戻ったフィルに、ユゥが駆け寄ってよかたっという言葉を繰り返している。少し離れたところでは、不機嫌そうなカイルが壁にもたれていた。
「さて、そろそろ帰ろうか。フィル君、悪いんだけど、ふさがった通路を適当な魔法で繋げてくれないかい?」
「あぁ、そんなの訳ない」
 フィルは言葉通り、あっという間に入り口を塞いでいた水晶の固まりを粉々に砕いてしまった。ミズキを背負おうとしたカイザだが、左肩に痛みが走る。思わず呻いたカイザの前に、カイルが立った。
「おやおや、どうかしたのかい?」
「お前、肩を痛めてるだろう。そいつを貸せ、俺が連れて行く」
 カイルはそれ以上は言わずに、軽々とミズキを抱きかかえて歩き出した。
 自分とそっくりな顔なのに、腕力のない自分とは違いたくましいカイル。少し嫉妬を覚えながらも、カイザは礼を言った。

 人一人が通るのがやっとという広さの遺跡の路を辿ること数時間、カイザはけほけほと咳き込んだ。
「…なんだが埃っぽくなってきたな」
 不思議なことに、遺跡の中心から離れれば離れるほど埃っぽくなってくる。
「外と繋がっているから、ゴミの類が入りやすいのかも…いや、奥の方が遺跡の魔力で封印された当時の状態が保たれていたというのが自然かな…」
「おい、行き止まりだぞ」
 先頭を歩いていたフィルが立ち止まった。目の前には固そうな岩壁がある。
「道は一本だったし、ここが出口で違いない。おそらくどこかに仕掛けがあるはず…」
 カイザが壁にそっと手を這わせ、ちいさな出っ張りを見つけた。彼がそれを押し込むと、目の前の壁がぐらぐらと揺らぎ…ゆっくりと透明になっていく。どこかの神殿の内装が見えてきた。カイザが出っ張りから手を離すと、またゆっくりと元の岩壁に戻ってしまう。もっとも、その前に向こう側へと出る事はできそうだった。
「みんな、向こう側が見えたら急いで通り抜けて!…よし、今だ!」
 カイザの言葉に全員が弾かれたように走り出す。砂ぼこりに咳き込みながら外に出れば、そこは古い神殿の跡地だった。
「…ここは何処だろうな?」
 カイザの問いにカイルが答える。
「おそらく、ガルブの旧市街地だろう、向こうに時計塔が見える…まさかこんな街中に繋がっているとは思わなかったがな」
 カイルが埃まみれの床を軽く払って、ミズキを寝かせた。
「そうかそうか、じゃあカイル君とはここでお別れだね」
「…は?」
 カイザはどからともなく瓶を取り出すと、中身をカイルめがけてかけた。予想外の一撃にカイルは避けられない。
「き、貴様!? なに…を…がくっ」
 液体はあっという間に気化し、辺りに甘ったるい香りを漂わせる。まともにそれを吸ったカイルは、へにゃへにゃと崩れ落ちると、動かなくなった。
「えぇぇぇ!? ちょっ、カイザさぁぁぁん!?」
「眠らせただけさ。カイル君はミズキがハーフエルフだと知ってるからね。騎士団に連絡されると面倒なんだよ」
 カイザは苦笑いしながらミズキを下ろすと、ぺちぺちと頬を叩いた。
「だからっていきなり眠り薬かけるか!?」
「そうでもしなきゃ、いつまでも出発できないからね。お忘れみたいだけど、フィル君は街を破壊したって事で捕まってもおかしくないんだよ。操られていたことを証明しようにも、あのペンダントは砕けちゃったしね」
 フィルの言葉にカイザはいっそ爽やかな声で答える。フィルは絶句し、やがて声を絞り出した。
「やっぱり……あんたみたいなヤツは敵にしたくないな」
「お褒めにいただき恐悦しごく、ってね。ほら起きろ、ミズキ」
「うん…おきた、おき…あれ? ここドコだ?」
 唸りながら目を開けたミズキ。まぶしさに目を細め、きょろきょろと辺りを見回した。
「おはよう。お疲れ様と言いたいが、早いとこ神殿に戻るぞ。荷物をとってサブリナに見つかる前に街を離れるからな」
「それって夜逃げ?」
 ミズキが聞けば、
「いいや……朝逃げ?」
 カイザが答え、
「どうしてそこで疑問系になる!?」
 そこにフィルが突っ込んだ。
「はははっ、いい切り返しだね、フィル君」
 カイザはユゥとフィルに笑いかけた。
「行き先は竜人族の里だ。帰り着くまで護衛するよ。な、ミズキ?」
「もっちろん!」
 勢いよくうなずいたミズキのお腹がぐぅぅっと鳴った。
「…ごめん、やっぱりその前に朝ごはん」
 廃れた神殿の中に、明るい笑い声が響いた。
 ミズキもけらけらと笑っていたが、ふと感じた違和感に手のひらをかざす。
 朝焼けに照らされる手のひらは、オーディンの力を受け入れる前と何ら変わりはない。だが、彼女はオーディンの力が自分を変えた事を何となく感じていた。
「ミズキ、カイル君が騒ぎだす前に行くぞ?」
「ん、すぐ行く!」
 ミズキは考える事を止めた。変わったものは仕方がない。変わらないものなんてないのだから。
 大事なものを守りきれた。その充足感とともに、ミズキは歩き出した。

 仲間達の元へ。









 語られる事はまだ多い。
 冒険者達の、二人の竜人族の、あらゆる人物達の物語はまだ続く。
 だが今は、ハッピーエンドをもってこの物語を締めくくろう。しばし安らぎ、また次の物語が紡がれる時をまとう。
 おしまい。
2011-02-28 02:10:01公開 / 作者:ルイシャ
■この作品の著作権はルイシャさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
はじめまして、ルイシャといいます。
このたびSpirit Worldを読んでくださり、ありがとうございました。
つたない作品ですが、楽しんでいただければ幸いです。

中学生時代に友達と描いたものに加筆修正した作品です。

王道の世界設定でキャラクターを出し合い物語を作るという試みでした。
見切り発車をしては完結しなかった物語の欠片達の中で、唯一区切りをつけられた作品でもあります。

とはいえ伏線が山の様です。仮面の男は誰なのか、フィルにペンダントを渡し、ザコワをけしかけたのは誰だったのか。
友達が考えてくれた二人のキャラクター、ユゥとフィルの関係もあまり書けてません。
いずれ続編を書きたいと思っています。

作家は見るだけの夢となってしまいましたが、何かを作る楽しみは忘れないでいきたいと思います。

では、またお会いできる事を夢見て。
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