『御霊を巡る冒険 其の一 「お姫様、暴れる」』作者:プリウス / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
この物語はフィクションです。生徒会長探偵天宮日巫女と深い繋がりがありますが、独立した作品なのでこれ単品でお楽しみいただけます。
全角17149文字
容量34298 bytes
原稿用紙約42.87枚
其の一 「お姫様、暴れる」

 世の中、知らないで済むことは知らない方がいいとよく思う。例えば学校の成績。もし知らないままでいられたら、高くも低くもない微妙な成績を貰って友人に「まあまあかな」なんて詰まらないことを言わずに済む。例えば気になるあの子が気になっている男の子。そういうことを知らないでいるうちは無限の可能性を描いてとても幸せな気持ちでいられる。つまり、僕らは何も知らないでいる内が一番幸せな気分に浸れる時間というわけだ。けれどやはりこのせちがらい世の中、知りませんでは済まされないことの方が多かったりする。もし自分の成績を知らないまま卒業して高校受験でもしようものなら、無闇にレベルの高い高校を受験して玉砕するか、無闇にレベルの低い高校に入り込んでしまうかのどちらかだ。もし気になるあの子に好きな人がいるのにそれを知らずにアタックすれば、うまくいかない可能性がぐっと高くなる。昔の人は言いました。敵を知り、己を知れば百戦危うからず。結局のところ僕はせっせと情報をかき集めて、百戦全敗なんてことにならないよう努力することとなる。そのおかげで僕は無難な中学生活を送れている。高校受験についてはこのままエスカレータ式に進める程度の学力があることは自認しているし(僕の通う私立八島学園は中高一貫の超エリート養成機関だ)、気になるあの子がうまく失恋するよう鋭意工作中なのだ。僕という人間はこうやって周囲の状況をきちんと把握して、何事も如才なくこなしている。それはそれで良い人生なのだと中学三年生ながらも達観してしまっている。それでも。いいや、だからこそと言うべきか。僕は自分のこんな人生に退屈しまくっていた。全く幸せから遠ざかっているような気がしていた。
 さっきから僕の前、テーブルを挟んだところで泣き続ける女の子もきっと僕と同じなのだろう。知らなければもう少しの間は幸せでいられたのに、自分の未来が心配でどうしようもなくなって、結局知ろうとしてしまった。そして知った。そして幸せではなくなった。でもまあ仕方がない。知ろうと知るまいと、いずれは辛い思いをするのだから。テーブルの上には僕が撮影した写真がいくつか並んでいる。どの写真も男と女、二人が写っている。男の方はこれがなかなかの色男で、同じ中学生とは思えないくらいフェロモンを漂わせている。何か運動でもしているのか、服の上からでも引き締まった体が想像できた。もう片方の女、これもまたなかなかの美人で、雑誌のモデルでもやっているんじゃないかと思うほどだった。女の年齢までは調べていないけれど、見た目は十代の後半といったくらい。男の方より年上だろうなと思えた。対して僕の前で泣いている女の子は背の低い普通の女の子。目がくりっとしていてチャーミングだとは思うけれど、さほど目を引くタイプでもない。これでは勝負にならないだろうなと思いつつ、少しは慰めの言葉でもかけてあげようかななんて思ってしまった。が、やめておけば良かったとすぐに後悔した。
「……なんでよ」
 女の子が泣きじゃくるのを必死でこらえて最初に練りだした言葉がそれだった。なんでよ。僕は最初、自分を裏切った写真の男に向けた言葉かと思った。そんなことは当然ながら僕にだって分からない。世の中は分からないことで満ち溢れているのだから。けれどどうやらそれは僕の思い違いで、続く彼女の言葉に僕は唖然とせざるを得なかった。
「なんで。どうしてこんな写真撮ったりなんかしたのよ!」
 女の子は机をドンと叩いて立ち上がった。怒りに燃えた瞳を僕に向かって投げつけてくる。一瞬、僕は何を言われているのか分からなかった。だってそうだろう? 僕は彼女から依頼を受けて、雨の日も風の日もせっせと対象を尾行して写真を撮りまくっていたのだから。二人が人目から逃れて公園の陰でキスするシーンを捉えた時の喜びはなかなかのものだった。依頼人の希望に副えるよう、最善を尽くしたのだ。感謝されこそすれ、そんな怒られるような筋合いは全く無い。
「だって、それが君の依頼だから。僕は依頼に対して忠実なだけだよ」
「違うわよ。私はただちょっと、彼があんまり元気無いみたいだから、その様子を調べてほしいって言っただけじゃない。誰も浮気調査しろなんて言ってないわよ。どうしてこんな酷い写真撮ったりしたの? こんなの、あんまりよ!」
 わあっと言って両手で顔を覆う女の子。僕は内心でやれやれとため息をついた。もし彼女の言う通りなのであれば、そもそも僕なんかに依頼をする必要なんかない。友達でも誰でも相談すれば良かったのだ。そうしないで僕に調査を依頼するという時点で、彼氏が何かしら疑わしいと宣言しているようなものだ。
 僕は学園内で探偵、というか情報屋をやっている。ありとあらゆる手段を使って、学園内の情報を網羅しているのだ。ただし僕という存在は基本的に秘密。別に校則で「情報屋をやってはいけない」と書かれているわけではないけれど、バレると面倒なことになりそうだなという常識的感覚は僕も持っている。そんなわけで僕という人間は学園内における一つの怪談みたいな存在となっていた。口コミだけで顧客を広げていて、秘密厳守を定めているにも関わらず、噂というものは広まるらしい。ただ秘密を破ったことが僕にバレるとどうなるか、顧客はちゃんと理解しているだろうから、それほど表立った噂にもなっていない。ちなみに依頼料は物によるけれど、平均して五万円くらい。この学園にはお金持ちの子女も沢山いるから、顧客はそれなりに確保できる。今回の彼女の場合は調査にそれなりの時間を費やしたから十万円とちょっとというところ。一般の興信所に比べたら全くリーズナブルな価格設定、だよね?
 結局、依頼人の女の子はしばらく騒いだのち、こんなところで騒いでも無駄と悟って帰っていった。僕としては依頼料の十万円はすでに受け取っているから、この程度の愚痴に付き合うのはちょっとしたサービスといったところだ。依頼料は必ず現金で受け取るようにしている。銀行間振込みや小切手は一切受け付けていない。クレジットカードしか持っていない人にはキャッシングをするように伝えている。それは僕という存在を周囲に気づかれないようにするための防衛策だ。僕も馬鹿じゃない。こんな商売を続けていれば、いずれ他人から疎まれる。と言うかたった今もそんな感じだったかな。そうやって積もり積もった恨みつらみはいつか爆発して僕に襲い掛かるだろう。そうならないように色々と策を練らなければいけない。例えば今僕が付けているキツネのお面もその一つ。声もうまい具合にくぐもってくれるから、学校で僕と会っても顧客は僕が情報屋だとは気づかないだろう。僕はお面を取り外して一息つく。
「おい。仕事はもう終わったのか。そろそろ店を開きたいんじゃが」
 声の主は僕が今いる場所、古書店オモイカネの店主、思視兼良さんだ。御歳すでに七十七歳とのことだが、全く年寄りっぽくない。毎日毎日、朝から晩まで本を読んで過ごしているらしい。かなりの乱読ぶりで、兼良さんにとってジャンルなどは何の意味も成さないらしい。ついこのあいだまで『源氏物語』を読んでいたかと思うと、次の日には可愛い女の子が沢山登場する少年漫画を片手に「似ている」とかつぶやいていたりするのだ。その割りに批評眼は厳しく、売れっ子エコノミストの本を読んで「何も書かないのと同じだ」なんてつぶやいていたりする。そして僕はと言えばそんな兼良さんのつぶやきを聞くのが楽しみで、いつも読書が終わりそうなタイミングを見計らっては古書店に訪れたりしていたのだ。
「ええ。ちょっと大きめの仕事をようやく片付けたところです。おかげでけっこうな額のお金が手に入りました。これからちょっとお寿司でも食べに行こうかな、と」
「どこに行くつもりじゃ」
「駅前の回転寿司ですよ。一皿百二十円の」
 すると兼良さんはポケットに手を突っ込んでくしゃくしゃになった一万円札を取り出し、僕の前に突き出した。兼良さんは下っ端のヤクザならびびって逃げ出しそうな鋭い眼光で僕を捉えて言う。
「安物は食うな。若いうちは無理をしてでも本物を食え」
「いやいや。そんな、もったいないですよ。というか受け取れませんよこんな大金」
「これはギャラの前払いと思え。近々、倉庫の棚卸をせにゃいかんのでな。それの手伝いをしろ」
 なるほど、これはバイト代ということか。倉庫の棚卸となるとけっこうな時間がかかる。丸一日働くか、ひょっとしたら二日とか三日かかるかもしれない。そう考えると一万円は妥当、いやちょっと少ないくらいか。そこまで考えて僕は一万円を受け取ることにした。普段からこの場を使わせてもらっている恩もある。ちょっと給料の低い仕事を任されるくらい、大したことじゃない。いやむしろ無給で働くべきところを、給料が出るだけで有難いと思うべきか。
「それでは、これは預かり金ということで受け取らせてもらいます」
 そう言って僕は一万円を受け取る。兼良さんは「うむ」と一言だけ返してくれた。お店のシャッターを上げたり、簡単な手伝いをした後、僕はオモイカネ書店を後にした。
 時刻は十一時半。土曜の岩戸商店街は買い物の主婦たちで賑わっていた。八島学園の生徒もちらほらと見かける。少し歩くと長い行列が目に付いた。この商店街で行列と言えば千年万年堂に決まっている。千年万年堂は老舗の和菓子屋だけれど、実際には洋菓子も取り扱っていて、中でも焼きプリンの評判はぴか一なのだ。遠く、東京市からも客が買いに来るというからそうとうな人気なのだろう。ネット通販とかはしておらず、完全に現地限定販売なのだ。僕はその行列を横目にしながら道を歩いた。僕自身はさほど甘いものにも行列にも興味は無いけれど、後学のために一度くらいは食べておくべきかな。そんなことを思った。
 そして僕は商店街の端に位置する、小さな寿司屋の前で足を止めた。いかにもな古めかしい構えに、控えめなのれんが架かって「すし」と書いてある。陳列棚のようなものも、メニューを書いた看板も無い。どう見ても一見様お断りの寿司屋だった。ここがかなり高級な寿司屋だということは事前に情報として把握している。こんな庶民的な商店街にどうしてこんな寿司屋があるのかは謎だった。八島学園の理事長が頻繁に使っているという情報を得たが、裏は取れていない。僕はいささか緊張して引き戸に手をかける。正直なところ僕には回転寿司で十分なのだ。割と何でも美味しいと思って食べるから、はっきり言って費用対効果はかなり低くなるんじゃないかという気がした。
「何事も経験かな」
 僕は意を決して引き戸を開く。店内はカウンター席しかなく、客もほとんど居ない。と言うか一人だけだった。そして僕はその一人に大いに驚いた。彼女は僕と同じく、八島学園中等部に所属する三年の女子だったのだから。
 僕はその女子を知っている。と言うか僕は八島学園にいる人間は、最低でも顔と名前と学年まで把握している。だから彼女もそんな中の一人と言ってしまえばそれまでなのだろう。彼女の名前は悪王子御霊。学園の試験では常に上位十組に位置し、また運動神経も抜群。つまり文武両道の典型なのだ。部活は一年の時に剣道部に所属していたが、瞬く間に全国制覇を成し遂げるとすぐに退部。周囲が引き止めるのも構わずに、本人が会長となって剣術同好会を結成。しかし今のところ会員は御霊本人だけ。なんでも入会希望者には実技試験を与えられ、それがあまりにも厳しいので誰もが入会を諦めるのだとか。
 さて、そんな彼女と僕とはこれが初対面だ。だが相手は学園の超有名人。お近づきになるのも悪くないか。それともあまり有名人と親しくするのは情報屋としてマイナスにならないか。まだ親しくもなっていないうちからそんなことを悩んでいる僕はどうなのか。下らないことを悶々と考えていると、なんと驚くべきことに向こうから声をかけてきたのだ。
「さっさと閉めてよ。雑音が煩いわ」
「え。あ。うん」
 とっさのことで、僕はほとんどあ行だけで答えてしまった。さぞかし御霊さんからは間抜けに映っただろう、と思うと正直泣けてくる。僕は慌てて中に入って引き戸を閉めた。すると不思議なことに、部屋の中が一気に静けさを持った。ごく普通のガラス張りの引き戸を閉めただけで、商店街の騒がしさがあっという間に消え去ったのだ。カウンターの向こう側に店主と思しき人が立っていて、お茶を注いでいた。そのお茶を注ぐ音が部屋の中に響く。それくらい静かだった。
「何をぼけっとしているの。あなた、寿司を食べに来たんでしょう。とっとと座りなさい」
「あ、はい」
 また間抜けな答え方をしたものだと思う。僕はいそいそと一番近くの椅子に座った。するとまた御霊さんがこちらを見て言った。
「あなたひょっとして馬鹿なの? そんなところに座ったら大将があっちこっち移動しなきゃならないでしょ。今は私とあなたの二人しか客がいないんだから、こっちに座りなさい。そしたら大将は寿司を握ることだけに専念できる。私たちは心行くまで美味しい寿司を堪能できる。ほら、早くこっち来なさい」
 な、なんという無茶な女の子だろう。僕はさすがに呆れていた。だが有無を言わせぬ空気に圧され、結局従うことにした。ごめんなさい、僕は日和見主義者です。ちょっと使い方違うかな。
「あなたその格好、八島の生徒よね。どうして休日なのに制服なんか着てるの。何か部活でもやってるの?」
 傍に座ると御霊さんはすぐそう尋ねてきた。もちろん本当のことは言わず、文芸部の打ち合わせがあってその帰りなのだと伝えた。
「御霊さんこそ、どうして制服姿なの。やっぱり部活の帰り?」
 僕がそう聞くと御霊さんはすっと目を細くした。少し警戒しているような顔つきだ。
「私とあなたは初対面のはずよね。どうして私の名前を知っているのかしら」
 しまった。僕は慌てて言いつくろう。
「八島学園にいて御霊さんを知らない人はいないよ。なんせ一年の頃に剣道で全国制覇だもんね。ほんと、どうして剣道やめちゃったんだろうって僕も思ってたんだ。それで校内新聞も読んで、写真を見たから。だから店に入ったとき、あ、御霊さんだって分かったんだよ。聞いてもいいかな。どうして剣道部やめちゃったの?」
 とりあえずてきとうに言葉をつなげて、質問する形で話をまとめた。実際のところ校内新聞で御霊さんの顔写真は掲載されなかった。それはすでに確認済みだ。けれど御霊さんはそんなこと確認していないだろう。二年前のことでもあるから、確認していたとしても記憶は曖昧なはずだ。とにかく嘘でもいいから理由を付けて、最後には別の話にすりかえる。これは僕が話を濁したい時の常套テクニックだったりする。御霊さんもしっかりひっかかってくれた。
「剣道部を辞めた理由なんて単純よ。全国制覇したからに決まってるじゃない。それ以降はどんなに頑張っても上というものが無い。三年連続全国制覇というものにも興味無かったわ。それが前人未到だと言われても、結局はただの全国制覇に過ぎないのよ。それに剣道は所詮スポーツだから、実戦ではあまり使えないのよ。面、胴、篭手、突きしか相手を倒せないなんてことないでしょ。実際の戦いでは相手の足を切り裂いて動きを封じる。その後にとどめを刺す。そういうことがよくあるわ」
 なんだかとんでもない話を引き出してしまった気がする。
「それで剣術同好会ってわけ?」
「ええ。よく知ってるわね。そういうわけで私は剣道部を退部して、剣術同好会を作ったの。己の腕を磨くために。でも期待はずれだったわ。同好会を作れば強い奴が来るかと思ったけれど、来るのは剣術かぶれのオタクか、剣道でうだつの上がらなかったへっぽこ野郎ばかり。簡単な入会テストもクリアできない雑魚に用は無いの」
「簡単な入会テストってどんなの?」
「たいしたことじゃないわ。三十分で三百本の薪を割るとか、三十分で十キロメートル分の階段往復とか、その程度。でもそれで皆脱落したわ。日本の基礎体力低下もかなり深刻になっていると言わざるを得ないわね」
 それだと中学生の基礎体力ではなくトップアスリートの超体力です。僕はようやく傍にいる女の子がとんでもない変人だということに気づき始めた。どうしよう。とりあえず寿司を食べよう。
「えっと、すいません。メニューはどちらでしょうか」
「はあ? そんなものあるわけないじゃない。ねえ、大将。今日はどんなネタが入ってるの」
 すると店主、大将は奥からいくつかのネタを持ってきた。というか今気づいたけれど、目の前にネタが展示されてない。
 大将のお薦めはイワシだった。それも特に近年漁獲高が減っているというマイワシだ。イワシというと未だに大衆魚のイメージが強い。特にマイワシなんかは食用以外、例えば畑の肥料なんかに使われたりする。そんなマイワシも大量に獲り続けた結果、希少魚となり、今では高級魚扱いなのだ。
「キラキラ光ってて、綺麗な体してるわね。いいわ、これ頂戴。あなたも同じのでいいわよね。ああ、あとシメサバとヒラメ、それからウニを二貫ずつよろしく」
 どうやら御霊さんは僕の分も注文してくれているらしい。勝手に注文されることに僅かな抵抗はあったけれど、特にこれが食べたいというものも無いのでお任せすることにした。
「それにしても御霊さん、いつもこんなところに来てるの? ここってすごく高いんでしょ。御霊さんとこってやっぱりお金持ち?」
 さりげない風を装って聞いてみたが、実はこれは僕にとって最も聞いておきたい事項の一つでもあった。お金持ちの近くには当然ながらお金がある。そしてそのお金には人を引き寄せる力がある。僕はお金それ自体ももちろん好きだけれど、それ以上にそこに生まれる人脈に関心を寄せているのだ。人脈があれば、そこから派生して儲け話も生まれるというもの。個人のお金は簡単に無くなるけれど、集団の資金はそうそう消えたりしないもので、その繋がりを把握することが僕のような人間にとっては非常に大事なことなのだ。
 けれど御霊さんの答えは僕の期待をあっさり裏切った。それは決して彼女が金持ちではないという意味ではなく、まったくそれ以外の情報を引き出せなかったことによる。
「さあ、知らないわ。ここの寿司だって、請求書を実家に送ってもらってるだけで、私はいくらか聞いたこともないの。大将に聞いてみればいいじゃない」
「ははは、そうなんだ、すごいね」
 少し笑い声が乾いていたかな。
 それからしばらく僕たちは大将の握る寿司を堪能した。大将お薦めのイワシは驚くほど美味しかった。僕はイワシそのものに対する認識を変えなければならなかった。シャリの部分がとても小さくて、よくこんなものが握れるものだと関心した。こんな少ない量のお米をぎゅうぎゅうにしないで固められるのはもはや神業だ。そのほか、マグロやアイナメ、それにイクラを注文してお腹一杯食べた。締めに注文した赤だしは鯛のお頭が入った贅沢な一品で、身体が震えるほどに感動した。
 そして同時に内心どきどきしていた。まさかこんなにも美味しいだなんて思っていなかった。きっとかなりの金額が吸い取られる。昼だけど、一万円で足りるのかな。
 そんな小市民的迷いを吹き飛ばすように御霊さんが言った。
「今日の寿司代は私がもつわ。大将、お勘定、いつも通りによろしくね」
「そんな。悪いよ」
「いいのいいの。どうせ親の金よ。気にすることないわ。じゃあ私、ちょっと用事があるから先に出るわね。あなたはゆっくりしてっていいわよ」
 そう言って御霊さんは外に出ようとする。そして直前になって何かを思い出したように振り返って言った。
「そういえば私、まだあなたの名前聞いてなかったわね」
 ああ、そういえば確かに言ってなかったな。僕が相手のことを知っていたせいで、互いに自己紹介するということを忘れてしまっていたのだ。もちろん僕の場合、そういうことはわりと頻繁に起こるので注意が必要なのだ。
「僕は時雨。北条時雨。時雨って呼んでくれていいよ」
「そう。なんだか湿っぽい名前ね」
 さらりとひどいことを言う人だ。
「もう知ってるみたいだけど改めて自己紹介するわ。私は悪王子御霊。タマちゃんって呼んだら殺すからね」
 さらりと怖いことを言う人だ。そして御霊さんはさっさと外へ出てしまった。僕もとくに長居するつもりは無かったのだけれど、ゆっくりしていいと言われたのでそうすることにした。そして大将に寿司の値段を尋ねると、大将はにっこり笑って首を横に振った。なるほど、知らない方が幸せでいられるということなのだろう。
 これが僕と御霊さんとの最初の出会いだった。正直なところ、僕は特にこれ以上御霊さんと関わることは無いだろうと思っていた。彼女とはクラスも異なるし、今まで接点らしきものは一つも無かった。今回はたまたま寿司屋で偶然ばったり出くわしたけれど、こんな寿司屋に僕は頻繁に来ることなど無い。今後一生来ないかもしれない。だから御霊さんとはこれっきり。そう思っていた。けれど縁は異なもの。次の月曜には意外な形で御霊さんと接点を結ばれることになったのだ。
 僕は学校の図書準備室で新しい依頼主と相対していた。もちろん、キツネのお面を被っている。依頼主のことはきちんと事前に調べておいた。僕は全校生徒を把握しているが、依頼主に限ってはより詳細を調べるようにしていた。依頼主の名前は櫛名田天理。中等部三年の男子。なんというか見るからに女子受けしそうな顔立ちで、実際に女子の人気は高いらしい。なんとも羨ましい話だ。美人で知られる英語教師と禁断の愛的な関係を持っているという噂も流れていたが、そちらはガセであることを確認済み。意外にも女性遍歴は全く無く、浮いた話もあまり無い。成績はそれなりに良く、クラスでは男子の中心的存在。僕にとって何よりも重要なのは彼の家だった。櫛名田は日本全国に知られる清酒スサノオの販売元、出雲清酒株式会社の創業者一族なのだ。ここは単なる酒造メーカーと異なり、戦前から主要神社にお神酒を献上した由緒ある会社だった。それ故に皇族との付き合いも深く、様々な神事のスポンサーとなっている。それほどの力を持った家の子息が僕の元に訪れるというのは願っても無いことだった。
「さて、櫛名田天理さんでしたね。今回はどういったご用向きでしょうか」
 僕と天理くんは軽く挨拶をし、互いに自己紹介をした。僕は天理くんのことをすでに詳しく知っているけれど、もちろんそんなことは言わない。下手なことを言って警戒されるわけにはいかないからね。
 天理くんはすこし緊張している様子だった。無理も無い。口コミでしか出会えない怪しい男が、キツネ面というますます怪しい格好で現れるのだから。次からはキツネ面はやめてひょっとこにしようかな。そんなことを考えていると、天理くんがおずおずと口を開いた。
「あの。僕があなたと会っているということは、他言無用にお願いします。それから依頼の中身についても他言無用に……」
「もちろんですとも。依頼内容は絶対に秘密とします。これは僕の信用にも関わりますので。そして櫛名田さんにもそのようにお願いいたします。僕の存在は原則秘密としております。依頼を望む声があった場合にのみ、連絡先を教えて差し上げてください。よろしいですね」
 そう聞くと天理くんはぶんぶんと首を縦に振った。なんだか色男だけれど憎めないな。ちょっと動きが可愛らしい。
「分かりました。もちろん、妲己さんのことは秘密にします」
 妲己とは僕のことで、もちろん偽名だ。中国に伝わる『封神演義』というお話に登場する悪女の名前で、キツネの妖怪がその正体とされている。そしてそのキツネはインドや日本へと広まり、姿を変えて現れたという。僕がキツネのお面を選んだのはたまたまだけれど、名前の由来はお面から考えてみた、というわけなのだ。決して僕が実は悪女的キャラクタだった、などということはない。
「それで、依頼の件ですが……」
 と言って促すと、天理くんは続けて話し始める。
「はい。実はちょっと恥ずかしいことなのですが、今、好きな人がいるんです」
 下らない依頼と思うなかれ。天理くんにとっては重大な問題なのだ。僕はため息が出るのをぐっとこらえて、「それで?」と先を促した。ため息をこらえることで逆に緊迫感が生み出され、むしろ相手にこちらが真剣であると思わせることが出来る。
「好きな人、とは。よろしければお相手の名前を聞かせてもらえますか」
「はい……」
 天理くんは急に恥ずかしそうに下をむいてもじもじし始めた。彼のファンならきっと喜ぶだろう、その仕草は僕にとってはため息百回分のぐったり感があった。いいから早く言え。すると僕の思いが通じたのか、天理くんはがばっと顔を上げて、こちらを見て言った。
「実は僕、悪王子さんのことがすごく気になっているんです」
「ご冗談を」
「え?」
「あ、いえ失礼。なんでもありません。ちょっとこちらの勘違いでして、お気になさらず続けてください」
 思わず本音が出てしまった。自分で言い訳しながら、いったい何の勘違いなのかと。悪王子という変な名前の持ち主は、八島学園ではあの悪王子御霊しかいない。つまりこの依頼主はどういう気の迷いかは知らないが御霊さんに恋をしているということらしい。
 御霊さんの容姿を思い浮かべる。確かに悪くはない。中学三年生の割りにまだ少年の雰囲気を持ってはいるが、決して器量が悪いということはない。むしろ中性的な感じがして、魅力的と言えるかもしれない。髪は短く切りそろえてあるし、胸もほとんど無い。ズボンを穿かせて遠目から見ればきっと男子に見えるだろう。ひょっとして天理くんは、そういう趣味の人なんじゃないだろうか。
「あれは一目惚れでした」
 天理くんがどこか恍惚とした表情で話し始める。恋は盲目とよく言ったもの。彼にはきっと世界の何も見えていない。ただただ恋する自分とその相手だけが世界に存在するのだろう。
「ある夜のことでした。僕はちょっとランニングでもと思って近くの河原を走っていたんです。そしたら運の悪いことに、珍走団グループのオロチのメンバーと出くわしてしまって。お金を巻き上げられそうになったんです」
 珍走団とは昔で言うところの暴走族のことだ。最近は新聞などでもこの呼称が使われることが一般的になっていた。ただし珍走団たち自身は未だに「暴走族」もしくは「ゾク」と自称している。まったく時代の最先端に付いて来れない保守的な人たちなのだ。
「するとそこに悪王子さんが颯爽と現れて。五人ほどいた彼らをあっという間に叩きのめしたんです。それは本当に華麗な姿でした。まるで舞いを舞っているかのような軽やかさで、一人、また一人と。ひじで突く、蹴り上げる、そのままかかとを落とす、両手で喉を潰す、右足で脚払いをかけて相手を倒してから左足で顔面を踏み潰す。惚れ惚れするほどの美しさでした。パンツの色は水色でした」
 要するにそういうことだ。夜中にふらついていると不良に絡まれ、その窮地を御霊さんに助けてもらったと。それ以来、御霊さんのことが気になって仕方ないということらしい。
「なるほど、櫛名田さんが悪王子さんをどれだけ好いているかはよく分かりました。しかしそれで僕の方はいったい何をすればよろしいのでしょうか。悪王子さんのどういった情報をご希望でいらっしゃる」
「彼氏がいるかどうか、教えてほしいんです」
 ため息千回でも足りないかな。僕はなんだかひどく馬鹿にされているような気分になった。でもここはぐっと我慢だ。今回の依頼主にはそれをするだけの価値がある。今はまだ中学生でも、十年後の彼を考えるとしっかり友好関係を結んでおくことはとても有益だ。
 そんなわけで僕は天理くんのお願いを笑顔で(と言ってもお面で隠れて見えないけれど)快諾し、その場を去った。悪王子御霊に彼氏がいるかどうか。そんなの、どう考えてもいないだろ。
 とは言え可能性はゼロではない。学校でそういう気配が無くても、家に帰って電話しているということもある。遠距離恋愛で、インターネットを使った交際をしているということも考えられる。最近はスカイプみたいに無料のテレビ電話も発達しているから、十分あり得る話なのだ。さてどうやって調べるか。僕はまず御霊さんを徹底的に尾行することにした。遠距離恋愛となると盗聴機を用意しなければならないので時間がかかるのだ。天理くんには事前に一、二ヶ月程度はかかると言っておいたが、了解してもらえた。だから知り合いの宿禰陽太郎さんに盗聴機の用意をお願いしている。陽太郎さんは数少ない、僕の仕事を知る人間の一人で、たまに仕事を手伝ってもらっている。彼はどこで勉強したのか、そういう技術のエキスパートだった。そんな高校生嫌過ぎると思いつつ、自分も同じ穴の狢であることに苦笑するしかなかった。
 御霊さんの生活は模範的中学生とはこういうものだと思うほどにきちんとしていた。毎朝六時には家を出て、近くの公園で走りこみをする。そして八時に学園に着くと、自分の席で何かしらの勉強を始めた。クラスの中では少し浮いた存在のようだ。あまり誰かから話しかけられる姿は確認できなかった。特に疎まれているというわけでもなく、関わりを薄いままに保っているような印象を受けた。放課後にはグラウンドの隅で木刀を持ち、打ち込みの練習を行っていた。剣道部の打ち込み練習とは異なり、四方八方に剣を振り回していて、僕は中国の剣の演舞を思い起こした。そして日が暮れる頃には学園を出て、そのまま帰宅した。御霊さんは意外にもごく普通の一般家庭的な家屋に住んでいた。高級寿司屋で会ったものだから、てっきり大金持ちのお嬢様かと思ったけれどそうでもないらしい。僕は家の前でしばらく張っていたが、十一時を過ぎる頃に御霊さんの部屋と思われる二階の明かりが消えるのを確認して帰宅した。そんなことの繰り返しが数日続き、これはもう近距離での恋愛は無いなと判断しかけた頃に動きがあった。金曜の夜九時頃に御霊さんが外出したのだ。そういえば天理くんが御霊さんと会ったのも夜中のことだった。今まで何も動きが無かった分、僕は少し心が躍った。別に御霊さんに彼氏がいるかどうかは問題じゃない。何でもいいから動きが欲しかったのだ。僕だって退屈くらいする。
 御霊さんは制服姿で、何か長い荷物を抱えて歩いている。けっこうな速さで歩くので、途中何度か見失いそうになった。尾行というのは基本、二人一組で行う。それを僕一人でいつもこなしているのだから、自分で自分を褒めてやりたい。御霊さんの歩く方向はどうやら近くの公園のようだ。彼女がいつも走りこみに利用する公園で、それなりに広い敷地を有している。またトレーニングに向かうのだろうかと思ったが、すぐに否定する。なぜならこの時間は。
 御霊さんを見失ってしまった。
「あれ。おかしいな、そんな細かい道でもないのに。見失うだなんて」
 僕は少し焦って先を急いだ。どこかの曲がり道で見失ったのだろうか。とにかく公園に向かう可能性が高いのだから、そちらの方向へ急いだ。
 そうこうするうちに公園の敷地内に入ってしまった。御霊さんがどこにいるか、完全に見失ってしまった。公園内に来ているのかどうかも分からない。さて、どうしたものかと周囲を見回していると、彼らの姿が目に入った。僕はうかつに公園の奥へと踏み入ったことを後悔した。ここは珍走団が定期的に集会を行う場所でもあったのだ。住民は夜中に決して近づかない。そういう公園だということを知っていたのに。
 なんとか気づかれないようにここを出よう。そう思って珍走団を見つめると、どこか様子がおかしいことに気づいた。よく見えないけれど、何かを中心に円を描いているような。ひょっとしたら僕は間違っていたのかもしれない。そのまま無視して逃げていれば平穏無事な毎日を過ごせたはずなのだ。けれど僕の生来の気質というか、知りたいという衝動が身体を動かしていた。すぐに珍走団が目と鼻の先というところまで来て、中心が何なのか理解した。
「み、御霊さん!」
 思わず叫んでしまい、慌てて口をつぐむ。けれど珍走団はバイクで御霊さんを取り囲み騒音を鳴らしていたので、僕の声は届かずに済んだようだ。
 どうしよう、このままだと御霊さんが酷い目に遭わされてしまう。警察を呼ぶべきか。くそっ、こんな時に携帯を忘れるなんて。とにかくなんとかしなきゃ。でもどうやって? どうすれば彼女を助けることが出来る?
 そうこう考えていると、バイクに乗った一人が鉄パイプを持って御霊さんに向かっていくのが見えた。どうする、なんて逡巡する時間さえ惜しい。ええい、ままよ。さらば我が人生!
「御霊さん、逃げるんだ!」
 僕は円の中心に躍り出て御霊さんに向かってきた男に突進する。突然の乱入に相手の男も驚いたようだ。バイクを制止して僕を見る。けれどすぐに弱い子供だと認識した途端、凶暴な顔つきになって鉄パイプを振り回した。僕はと言えばもう頭が真っ白の状態で何がなんだか。とにかくこの場は戦わなきゃいけないという使命感だけで腕をぶんぶん振り回して、うわあああんと叫びながら男に向かっていって、案の定吹っ飛ばされた。
「いっ、痛……」
 左腕がじんじんと痺れている。まさか、折れてないよな。
 使命感はそこそこに、僕はすでに後悔の真っ只中にいた。まったく僕は情報屋だろ。世の中を要領よく渡っていくことが得意なはずじゃなかったのか。こんな馬鹿みたいなことに巻き込まれないように日ごろから情報を仕入れていたはずなのに。いったいどうしてこんな馬鹿なことをしようと思い立ったのか。僕はもっと自分を賢い人間だと思っていたのだけれど、残念ながら認識を改める必要があるみたいだな。全く僕は大馬鹿者だよ。
 御霊さんを逃がそうとしたけれど、それだって全然うまくいってない。こんな囲まれた中に突っ走ってくだけで、助けられるわけがない。もっと頭を使った方法があったはずなのに、これじゃミイラ取りがミイラだ。そう思って目を開けた。これからどんな酷い目に遭うのか想像したくなくても、しないわけにいかなかった。けれど目を開けたとき、そこに広がる光景はそんな僕の想像を打ち消した。踊り子がそこにいた。
 現実感の無い光景。周囲は真っ二つに切り裂かれたバイクの山が転がる。あ、あれってドゥカティじゃないか! くそ、珍走団のくせになんていいバイクに乗ってるんだ。いや今はそんな場合じゃない。とにかく目の前の光景は全く信じられないものだった。剣を構えた御霊さんが次々とバイクを切り刻み、お釈迦にしていく。珍走団たちは怯えて逃げ始めていた。逃げ遅れた何人かが御霊さんの蹴りの餌食にされた。僕を鉄パイプで殴った男も真ん中で仰向けになって気絶していた。て言うか、あれ、死んでないよね。
 僕はさらに二重の驚きを味わうことになった。あれ。あの剣。見覚えがある。社会の教科書で必ず載っている国民の必須知識。日本に伝わる三大国宝。月の光に青く輝く美しい剣。間違いない、あれは。
「神剣、草薙!」
 あらかた目の前の敵を叩きのめした御霊さんは怪しく輝く剣を右手に持ち、息ひとつ乱さずに立っていた。そして僕の顔を見て、ずんずんと近づいてくる。まずい。なんだか知らないけれど怒っているようにしか見えない。
「ちょっとあなた、どういうつもりよ」
 御霊さんは神剣をざくりと僕の目の前の地面に突き刺し、僕を睨み付けた。けっこう怖い。
「いや、御霊さんを助けようと思って……」
「はあ? ふざけないで。助けようというならそれなりの力を持っていないと話にならないわ。助けるどころか自分が打ちのめされるなんて、馬鹿でしかないわ。ただの馬鹿よ、馬鹿。あなたひょっとしてあれ? 恵まれない子供たちに愛の手をとか真面目に語っちゃう人? そういうことはね、自分で稼ぐようになってから言うものなのよ。親の金で暮らしている身分のくせに、その金で誰かを助けようだなんてちゃんちゃら可笑しいわ」
 そういうことは考えたこともないし、僕は実際に自力でお金を稼いでいる。いや、そうじゃない。僕は彼女の言うことを、ちゃんと本質を受け止めなければいけない。全く情けない気分だ。
「て言うかあなたでしょう。ここ最近、ずっと私のことを付け回して。いったい何が目的なの。まさかカグヤ姉さんの手のもの。日巫女姉さんがこんな回りくどいことするわけないもの。こんなことするなんてカグヤ姉さん以外にあり得ないわ。許せない。絶対に許せない」
 御霊さんが今度は僕以外の誰かに怒りの炎を燃やしていた。日巫女という名前には覚えがあった。というか誰でも知っている。我が八島学園きっての俊才、天宮日巫女生徒会長は中等部においても超が付くほどの有名人だ。カグヤという名前には聞き覚えが無かった。それにしても日巫女先輩と御霊さんが姉妹とは驚きだった。二人の接点など、公開されている情報では全く存在しないというのに。何か事情があるのかもしれない。
 ただ、この誤解は解いておくべきという気がした。どういうわけか、その方がはるかに安全だと僕の本能が告げていた。もしこのまま放置すればとんでもないことになるぞと虫が知らせまくっていた。
「えっと、御霊さん。その、カグヤさんって誰のことかな。僕はそんな人、名前も聞いたことないよ」
 そう言うと御霊さんはきょとんとした顔で僕を見て言う。
「なんだ、カグヤ姉さんは関係無かったんだ」
 ほっと安心した表情を見せる御霊さん。それを見て安堵する僕。安心もつかの間に鬼の形相になる御霊さん。それを見て恐怖する僕。さて、どうしたものだろう。
「じゃあ、いったいどういう理由があって私を尾行してたってわけかしら。事と次第によってはあなたもあの赤いポンコツと同じ末路を辿るわよ」
 赤いポンコツとはドゥカティのことか!
 僕の一瞬の怒りは虚しく消え去り、目の前に御霊さんの怖い顔がぐんと近づいてきた。その顔は何か変なこと言ったら国宝で三枚におろすわよと明確に告げていた。
 しかし僕には守秘義務がある。依頼主のことを喋るわけにはいかない。けれど今のこの状況。下手な嘘をついて御霊さんの不興を買うのは得策ではない。
「実は、御霊さんに聞きたいことがあるんだ」
「へえ、何よ聞きたいことって。学校で直接聞けばいいじゃない。それとも、何か他の人に知られでもしたら困ることなのかしら。でも私を一日中付け回しておきながら、全くその機会がなかったなんておかしな話よね」
「ちょっと恥ずかしくてね。聞きづらいことだったから、うまく言い出せなくてさ」
 僕は冷や汗たらたら、なんとか言葉を紡いでいた。御霊さんの右手はしっかりと草薙を握っている。いつでも素振り事故発生の用意が出来ています、という感じ。て言うか国宝を振り回す女の子っていったいどういうことだ。御霊さんっていったい何者なんだ。聞きたいことが浮かんでは消えたが、どの質問も危険極まりないという気がした。世の中、知らない方がいいこともある。
「あらそう。で、もう覚悟は出来たのかしらね。質問して恥ずかしい思いをするか、質問しないで痛い目に遭うか」
「御霊さん、彼氏いますか」
 聞いた。聞いてしまった。これから入念に調べ上げる予定だったことをあっさり聞いてしまった。御霊さんはと言えば目を丸くしてこっちを見ている。ダメ、見ないで、恥ずかしすぎる。
 御霊さんはなんだか顔を赤くして、完全にうろたえまくっている様子だった。こういう質問は御霊さんにとっても恥ずかしいものだったのかもしれない。彼氏はいないな。
「ど、ど、どどど、どうしてそんなことを聞くの」
「えっと実は……」
 ここはある程度正直に話してしまうことが正しいだろう。別に依頼主の名前まで明かす必要はない。素直に「友人で御霊さんのことが気になっている奴がいて、そいつの為に知りたかったんです」と言えば良いのだ。そう言おうとしたところで、御霊さんに両腕をがっしりと掴まれて、僕は押し倒されてしまった。
「ううん。何も言わないで。全部、分かったから」
 えっと、何をでしょうか。
「そうよね。女の子を毎日付け回すってことは、普通はそういう動機になるわよね。私ったらつい勘違いして、危うく大事なお友達を二階級特進させてしまうところだったわ。十五歳なのに高校二年生? とても優秀なお子さんなのね。いいえ実は……、的な会話が繰り広げられるところだったわ。でも、そう、私のこと。うん。全部分かった。そうね、私の勘違いだったのね」
 何だか物凄い勢いで勘違いされている空気をびしばし感じます。いかん。早く言わねば。僕は友達のために一肌脱ごうとして御霊さんを付け回していたのだと。決してストーカー野郎とは違うのですよ、と。けれど言えなかった。何も言わせてくれなかった。と言うか口を封じられた。唇で。マウストゥマウスで。ただ何も考えずに唇を押し当てるだけのキス。
 しばらく経ったあと、御霊さんはゆっくりと僕から離れた。僕はと言えば自分の口臭が気になって仕方なかった。晩御飯何食べたっけ。ラーメンと餃子のセット。最悪だ。御霊さんが口を開く。
「彼氏は、今出来ました」
 こうして僕の、御霊さんを巡る冒険の日々が始まったのだった。
2010-01-12 08:37:27公開 / 作者:プリウス
■この作品の著作権はプリウスさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
2010/1/12 其の一 「お姫様、暴れる」
(これまでの二倍以上のボリュームを一話として盛り込みました。今までは展開が早すぎる感じがあったので、しっかりと書き込むぞということです。プロットもがちがちに作りこまず、書きながら考える“遊び”の部分を残しました。今まで以上にキャラの個性を作りこんでいけたらと思います。それではご意見ご感想お待ちしております)
この作品に対する感想 - 昇順
千尋です。
 おぉ、待望の八島学園もの(勝手に命名)! 相変わらずのテンポの良さで、しかもじっくり楽しめそうな雰囲気にワクワクです。でも、この学校って、ほんと変人ばっかりですね〜^^。東京市ですか。もっとこの世界のことが出てくるといいなあ。
 草薙の剣すっご; っていうか、ちょっとずっこくない? 御霊さん。それにしても、ドゥカティ真っ二つはいけませんよ〜、しかも赤! コラッww
 御霊さんが、なんでお姫様なのかな、と思ったら、そういうことでしたか。みなさん武闘派なんですね。カグヤさんもこれから出てくるのでしょうか。
 強い女の子に振り回される男の子って構図は、前と同じですが、この姉妹なら仕方ないかな。
 私はいつも「書きながら考える派」なんですけど、そうするとなかなか予定枚数に収まらないんですよね。時に話が思わぬ方向に広がって、収拾つかなくなることもしばしば……。ああ、また修正作業に戻らなきゃ(独り言)。
 続きも楽しみにしています!
2010-01-14 12:15:50【☆☆☆☆☆】千尋
>千尋さん
 毎度コメントありがとうございます。今回もミステリ要素を用意してはいますが、超が付くほど簡単な謎になるので、ジャンルを「ミステリ」とはしませんでした。そうですね。もっと世界観が分かる描写を増やしていくべきだなと思います。ただ、出来るだけそういうのはキャラの会話で明らかにしていきたいのですよね。説明っぽくならないようにするのが考えどころです。
 三姉妹の立ち居地としては、日巫女=王者、カグヤ=策士、御霊=戦士、というイメージです。ただ今回、日巫女やカグヤは本筋ではないので、どこかで出すかどうかは考え中。
 「書きながら考える」を実践すると僕の場合、本当に終われないという事態になってしまうので^^; 収拾付かなくなって、どうしようもなくなる感じ。なのでプロットは必須なのですね。でもプロットでがちがちにすると、制限が多すぎて物語を殺してしまう。そういうのを痛感しつつ、じゃあ真ん中で行こうと考えたわけです。
 それではまた。ボリューム多めなので更新頻度は落ちますが、末永くお付き合いください。
2010-01-14 18:56:32【☆☆☆☆☆】プリウス
最後まで一人でニヤニヤしながら読んでました。気持ちの悪いサル道です。
いやはや、主人公の情報屋という職業、中学二年生でその副業をもっているのかよ!という時点でなぜか笑みがこみ上げてきて、それからずっとニヤニヤしてましたねw
純粋な腹黒さといいますか。なんというか、とりあえず、腹黒い奴だなあ。と思いながら時雨をみてましたw
でも、こういう情報を探るための、探偵モノ、とても面白かったです。
依頼をしてきた櫛名田くんが、妙に乙女チックで、なぜか可愛く見えてしかたありませんでした。(俺にそっちのけはないぞよ!
にししても、タイトルどおり御霊さんは暴走してますね。もちろん、いい意味あいでw
キスのところ、もう少し主人公の戸惑う心理描写みたいなのを入れても良かったんじゃないのかな。なんて、思ったりもします。
続きを期待して待ってますw
2010-01-16 15:21:42【☆☆☆☆☆】サル道
こんにちは! 羽堕です♪
 御霊さんは、もの凄く合理主義というのか口調も才能も含めて好きです。そして自分の考えが正しいと疑わない勘違いぷりもよくて、最後の「彼氏は、今出来ました」には思わず笑ってしまいました。
であ続きを楽しみにしています♪
2010-01-16 15:23:42【☆☆☆☆☆】羽堕
 こんばんは、プリウス様。上野文です。
 御作を読みました。
 プロット(あらすじ)は大切です。でも、機械の設計図じゃない。物語が、登場人物が成長すれば、行動も変わるし、予定も変わります。だから、書きながら考える“遊び”の部分を残すのは、いいことだと、そう思います。
 しかし、御霊さん、人の話聞きゃしないw 「彼氏は、今出来ました」に吹きました。てゆうか、初キスはギョーザの香りって、懐広っ。かなりイイキャラだと思います。面白かったです。
2010-01-16 23:54:07【☆☆☆☆☆】上野文
>サル道さん
 コメントありがとうございます。主人公は中学二年ではなく三年です(汗) おそらく二階級特進⇒高校二年生のあたりを読み間違えたのではないかと。そうですね、時雨くんは腹黒いです。そのへんのところを今後、もう少し明らかにしていきたいです。あと、確かにキスでもっと戸惑いを感じるべきでしたね。そういう感情を僕が忘れてしまったのがダメなんです、きっと(哀愁) 実を言うと櫛名田くんのキャラがまだ定まっていません。どういう性格にしようか、書きながら考えるつもりです。

>羽堕さん
 コメントありがとうございます。御霊さんは馬鹿ではないけれど猪突猛進、そんな感じ。それが僕の中でのスサノオのイメージなんですね(笑) 最後のセリフで笑ってもらえて良かったです。僕自身が少し笑いながら書いていたのでw

>上野文さん
 コメントありがとうございます。何事もバランスが大事ですね。僕の場合はかつて、プロット曖昧なままで書いて半端な終わり方をするということがしばしばだったので、プロットがちがち作戦に変更したんです。それはそれで問題が見えたので、中間点を探ろうというところですね。初キスがギョーザの香り、やっぱ嫌ですよねw
2010-01-17 02:27:55【☆☆☆☆☆】プリウス
作品を読ませていただきました。キャラは個性があって非現実的な舞台設定ながら「こいつがこうならそうなんだろう」と思わず納得させてくれました。物語自体はこれから稀有壮大な状況になりそうな予感がしますが、キャラがしっかりと地面に足をつけて活躍してくれることを願っています。では、次回更新を期待しています。
2010-01-31 22:05:36【☆☆☆☆☆】甘木
計:0点
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