『あるホラー作家の出会い(掌編)』作者:TK / z[ - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
売れない小説家であった私が、いかにして突如「書ける」ようになったのか。全ては「彼」との出会いから始まった。そして、いま私は……。
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原稿用紙約13.21枚

 【序】

 あの頃、私の小説はまだ売れていなかった。その為、職業の前に「売れない」を冠することは、私の身に付いた習性となっていた。そして、酷い服装で深夜二時のコンビニをうろつく三十過ぎの女にとって、一種の鋼鉄製のカブトとして、自尊心をすっぽり護ってくれてもいた。前日に食べたカップ春雨が、袖に干乾びた寄生虫よろしくこびり付いていたこともある。それを友人に指摘されたときでさえ、私は大して動揺しなかった。
「売れない小説家でござーい」
 この一言で、皆が勝手に納得してくれたのだ。

 人気作家である父親から受け継いだものは、そのジャンルだけだった。つまり作品はどれもホラーなのだが、実際に担当者が身の毛がよだつ思いをしたのは、出版された後のことだったらしい。
 私自身もピザの割引券付きのフリーペーパーのほうが、よっぽど面白いのではないかとさえ思っていた。――忘れてはいけない。あちらさんにはカラー写真という武器がある。そして、想像してほしい。顔面を悪性のにきびみたいなピアスで満たしている、あの配達員の写真を。そう、あなたが間違って電話をしようものなら、二十分後に彼がドアの前に立っているのだ――腰に巻きつけた汚いポーチを、勃起したペニスで持ち上げて……。
 というわけで、あの手の印刷物が――少々の被害妄想で味付けをすれば――ホラーの要素を十分に兼ね備えられることは、認めないわけにはいかない。
 悔しいが、私の作品が勝っている点と言えば、紙質とページ数ぐらいだったのだ。

 だが私は、「彼」と暮らすようになってから、突然「書ける」ようになった。手垢にまみれたキーボードは、息を吹き返したように、独りでにカタカタとタイプされ始めた。私は失われた十年を取り戻すかのように、ひたすらパソコンの画面に向かっている。その結果、わずか二ヶ月(!)で『狗鬼の哭く街』を脱稿することができた。この花壇のブロック並みに分厚い作品は、驚くほどよく売れている。彼がどれほどの魔術使いなのかは知らないが、今の私はいくらでも書けるのだ。
 私はこの不思議を「愛の奇跡」と呼びたい。

 これから、彼との出会いを、私なりに書き連ねていこうと思う。職業柄、どうしてもホラー調になってしまうのは、どうかお赦し願いたい。実際にそういった側面も、大いに内包されているのだから……。

 【一】

 私はどす黒い恐怖の波に怯えていた。背後から迫り来るものは、男の激しい息遣いだった。それは徐々に近づきつつある。カーブミラーに眼をやると、男の手に握られた金属片が月に光っていた……。

 その日は、出版社の祝賀会に招かれた帰りだった。パーティーで得た物といえば、久しぶりに会った父からの小言と、この錬鉄製の文鎮だけである。長さは三十センチほどあり、<創立五十周年記念>の文字が彫られている。文鎮などに興味のない私に、その他の特徴をしいて挙げさせるならば……鉄アーレイのように重たい、ということであろうか。
――売れない作家諸氏へ。入水自殺のお供にぜひ! というわけである。

 短めのスカートに胸元を強調したカットソー。私なりの「おめかし」である。電車のクーラーは、どうしたわけか酷く効き過ぎていた。下腹部には鉛色の雲が垂れ込めつつあった。月の物が近づいている……。私は駅から出ると、コンビニで翌朝用の食料を買った。野菜ジュースにシーチキン入りのおむすび、それと例のカップ春雨を二個。肩には文鎮の入ったバッグ、右手には買い物袋をぶら下げて、帰路についた。

 辺りは薄闇に包まれている。台風の前触れのような艶かしい風が、草木を静かに揺らす。河土手の歩道は、青白い月光に照らされていた。アンバランスに磨り減ったパンプスの踵は、軟らかいアスファルトにめり込むようだった。
――コツコツ、シャカシャカ、コツコツ、シャカシャカ……。
 買い物袋の擦れ合う音と、獣の軟骨が鳴るような靴音が、展けた周囲に響く。河の流れは停滞し、そのコールタールのように黒光りする水面には、星々が浮かんでいる。河岸に沿って潅木の茂みが伸びていた。枝に絡みついたビニール片が、亡霊の掌のようにひらひらと揺らめいている。
――はあ、はあ、はあ、はあ……。
 音は何処からともなく忍び寄ってきた。生暖かい風に乗って、耳にまとわり付くようでもあった。私の放つ物音と、背後を随けてくる男の呼吸音が、数メートル後ろで不気味に共鳴している。二人で魔物を招んでいるみたいだった。

 私はすぐさま、郵便受けに投げ込まれていた「ファンレター」を思い出した。内容はこうだった。
<親の七光りでクソみたいな小説を書きやがって。罰として、ケツの穴に俺のウンコをねじ込んでやる。せいぜい、「後ろ」には気をつけな>
 ただそれだけ。ブルーブラックのインクで殴り書きされた、恐ろしく下手糞な文字だった。それに良く見ると、「罰」という字が「罫」になっている。また、便箋の端にはウスターソースのようなしみが滲んでいる。
 それでも私は、背中に冷たいものを感じずにはいられなかった。切手も消印もない封筒は、差出人が切手代も払えないほど困窮していることだけでなく、彼が私のマンションの部屋番号まで知っていることを示していたからだ。この事実は私を大いに震え上がらせた。
 日常の世界は、ガラス製のスノーボールでしかない。そのことに気付くのは、それを誰かが激しく振ったときか、机の上から落っことして粉々にしてしまったときだけだろう。男は今まさに、私のささやかな平和を、地面に叩きつけようとしている。
 対岸を走るパトカーの赤色灯が、私をいっそう震え上がらせた。

――はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……。
 男の息遣いはさらに激しくなっている。
 よりによってこんなときに……。私は下腹部に鉄球を詰め込まれたような鈍痛を覚え、女であることを呪った。辺りには、駆け込める人家も見当たらない。私は人気の途絶えたコンクリート橋を渡り、手摺りに寄りかかりたい衝動を断ち切りながら、前へ前へと突き進んだ。それでも男は後を追ってくる。
 そして、カーブミラーに一瞬映ったその光る物を見たとき、憐れみにも似た恐怖が空から降ってきた。黒い男の影が握っているものは……恐らくナイフだ。
 脚が思うように前へと動かない。いっそのこと、地面にへたり込んでしまいたい。身体中の筋が、一本一本引き抜かれていくような脱力感を覚えた。それでも私は、辛うじてバッグから文鎮を取り出すことができた。まさかこの作家殺しの鉄アーレイで、身を護ることになろうとは……。
 再び歩き始めた土手の遊歩道では、にわかに草木がざわめきだし、生暖かい風が頬をなでた。心臓の鼓動は発動機みたいにけたたましく鳴っている。私はどくどくと波打つ血管が、千切れそうなほどの力で文鎮を握った。
――その刹那、
「おい、またクソをするつもりか!」
 突然、背後で男が怒鳴る。そして、何かが私のふくらはぎに触れた。
 私は振り向くと、男のこめかみに向かって、文鎮を斜めに打ち込んだ。ひるむ男の側後頭部に向かって、さらにもう一度強烈な一撃を喰らわせる。
 手ごたえ十分。すりこぎでキャベツを殴ったような鈍い感触が伝わってきた。やや遅れて、視界が男の黒い血潮に煙り、口中に釘を舐めたような味が転がった。私は完全に勝利したのだ。わずか数秒の出来事だった。
 歩道に崩れ落ちた男は、二度激しく痙攣すると、動かなくなった。

 想像していたのとは、まったく別の男だった。むしろ、誰もが口を揃えて「善良な市民」と呼びたくなるような、気の弱そうな老人だった。右手には小さな園芸用スコップが握られている。左手には……紐、いやリード?

――ハア、ハア、ハア、ハア……。
 一匹のシベリアンハスキーが、赤い舌を垂らして私を見据えていた。月光を湛えた青灰色の瞳は、なぜか私を嘲笑っていた。激しい息遣いが、私の足許に充満している。路面では老人の補聴器が、小さな肉の塊みたいに、鈍く光っている。
 私は堪らなくなり、わなわなと地面に両膝をついた。小石が皮膚にジリジリとめり込み、生暖かい液体が膝頭を濡らした。
「彼」の食い入るような眼には、批難めいた色など微塵もなかった。だが、逃れがたい視線であった。彼は私を支配しようとしている。そんな、恐るべき意思が感じられた。
 彼は赤い舌をぴちゃぴちゃと鳴らせ、私の股間から滴る小便臭い血液を舐めだした。彼の尻尾は、メトロノームのように、一定のリズムを刻んでいる。私の住む小さなスノーボールの世界も、同じリズムで揺さぶられているみたいだった。
――ハア、ハア……。ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ……。
 私は恐怖と一種の性的陶酔が綯い交ぜになった感覚に溺れていた。
 これが彼、つまり一匹の不思議なハスキー犬との最初の出会いだった。

【二】

 あの老人の死は、昼間のニュースで知った。犯人はもちろん逮捕されていない。ここでこうやって、せっせと部屋の掃除に励んでいるのだ。別に証拠隠滅というわけでもない。少しでも「清廉潔白」な人間でありたいという、自責の念に対する浅ましい自衛本能の為せる業である。

 ゴミを出すために、チェーンをはずしてドアを開けたときだった。全身に稲妻のような戦慄が走り、私はその場に釘付けになってしまった。
――彼がいた。
 彼は通路の日陰――つまり、隣室の小学生が並べている朝顔鉢のすぐ横――で、静かに横たわっていた。そして、昨夜と変わらぬ青灰色の瞳で、じっと私を見据えている。半分開いた口からは、鮮血のように赤い舌が覗いている……。
 しばらく金縛り状態が続いた後、私はサンダルを引き剥がすようにして後退さった。背中からは脂汗がどっと噴き出し、シャツが皮膚に貼りついた。

 彼は次の日も、そしてその次の日も、そこにいた。さらに四日が過ぎ、五日が過ぎ、一週間が過ぎた。不思議なことに、マンションの住人は彼の存在にまったく気付いていない。苦情もなければ、捕獲器具を手にした保健所員がやってくるわけでもない。
深まる恐怖に加え、飼い主を失った彼への憐れみが芽生え始めた。そもそも、彼からあの老人を奪ったのはこの私ではないか。
 私は殻をむいて潰したゆで卵と、細かく刻んだ食パンを混ぜ合わせた。それを食パンのシールを集めてもらった無地の皿に載せて、ドアの前に置いた。全部平らげたのを確認すると、次は皿に水を満たしてやった。彼は水を少しだけ飲むと、嬉しそうに私の顔を舐めた。

 結局、私は彼を部屋に招き入れた。私は彼を温めの風呂に入れ、犬用のシャンプーでダニを取ってあげた。ずっと外で飼われていたのだろう。バスタブの底に細かな土砂が堆積した。

 それからというもの、元来ショートスリーパーであった私は、なぜか一日に十五時間近く眠っている。恐ろしい夢は、その間ずっと展開され続け、死から死へとバトンがリレーされていく。
 昼過ぎに起きると、枕元に彼がいる。彼は眼醒めを確認すると、私の顔をくんくんと嗅ぐ。そして、目ヤニに覆われた眼球を、旨そうに舐めまわすのだ。それから彼は、満足したかのように眠り始める。ベッドの下に沈んでいくような彼の寝息を背にして、私はひたすらキーボードを叩き続けている。いくらでも書けるのだ。そう、いくらでも! まぶたの裏から、言葉が洪水のように溢れてくる。ただその文字の奔流に身を任せるだけでいい。

 死の街を後にして、一匹のシベリアンハスキーが、この街にやってきた。彼の周りで次々と奇怪な死を遂げる飼い主たち……。
――申し訳ない。詳しい内容については、拙著『狗鬼の哭く街』をご覧頂きたい。
 とにかく、枕元からぞろぞろと這い上がってきた恐怖は、それが文字となって現れるまで、私の頭から決して離れない。こうやってタイプし続けることが、唯一の逃げ道なのだ。
 だが、今日……。
 ある売れないホラー作家が、彼と出会う夢を見てしまった……。その小説家は、彼の主人を文鎮で殴り殺して……。

 私は半ば放心状態で一気に書き上げた。それは異常なスピードだった。物語の展開に、タイプが追いつけないほどだった。しかし読み返す段階になって、はっと我に返った。彼がまだ眠っていることを確認すると、私は慌てて結末を書き換えた。
 その為か、夢の恐怖は一向に消え去らない。あの女の悲鳴は、こびり付いた錆のように、いつまでも頭の中に残り続けている。
――いや、それどころか女の絶叫はどんどん大きくなって、そして今まさに、私が張り上げようとする金切り声と……。 





 【了】

2009-11-17 20:45:39公開 / 作者:TK
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■作者からのメッセージ
皆様の率直なご感想以外にも、技術的な面での手厳しいご意見もお待ちしております。上手く書けるようになりたいので、ビシバシお願いします。
この作品に対する感想 - 昇順
こんにちは! 羽堕です♪
 シベリアンハスキーには、本当に何か特別な力があったのだろうか? それとも彼女の人を殺した経験が文章に活きていただけなのか、そして多分、最後にみたであろう夢の結末はと面白く読めました。ただ何故だろう? それほど怖さは感じなかったです。彼女が人を殺してしまった時の感情などが、もっとあっても良かったかなと思います。
であ次回作を楽しみにしています♪
2009-11-18 17:16:02【☆☆☆☆☆】羽堕
羽堕様。
いつも本当にありがとうございます。
一応、シベリアンハスキーにはその方面の「力」があるものとして書きましたが、なぞめかしたほうが良いだろうと思いぼかしました。
それほど怖くなかったですか。もっと頑張ります!
ありがとうございました。
2009-11-18 23:15:59【☆☆☆☆☆】TK
作品を読ませていただきました。字面だけで「怖い」「怖い」と言っている感が否めませんでした。羽堕さんも指摘されていましたが、主人公が人を殺めてしまった時の感情をもっと読みたかったです。前半で不平というか負の感情を強く書いていたため、後半の感情が弱く感じられました。またハスキーに対する疑念や恐怖や悔悟の感情をもっと書いても面白かったと思います。では、次回作品を期待しています。
2009-11-23 10:17:24【☆☆☆☆☆】甘木
甘木様。
ご感想ありがとうございます。
もう一度読み返してみましたが、やはりあまり怖くないですね。
仰るように、「怖い」表現に囚われている感じがします。
精進いたします!
ありがとうございました!
2009-11-23 13:10:30【☆☆☆☆☆】TK
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