『幻像少女』作者:模造の冠を被ったお犬さま / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
 歌木佑介という冴えないおっさんのおはなしです。
全角2745文字
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原稿用紙約6.86枚
幻像少女



 歌木佑介。今年で三十路。窓際族。今日見たものをここに記しておこうと思う。
 俺に仕事はない。会社の組織に属している以上は、部署や係といったグループ名が俺を取り囲んでいるが、その名前は声に出して読みにくいカタカナ語の、意図の不明なバズワードのような薄っぺらい文字列で、一見はたいそうな名前に思え、聞いた人間に「へえ」と感嘆の呟きを吐き出させるものの、その先の言葉はつむがれない。言葉の終点だった。なおざりに配置され、ほかの社員との接点もなく、空っぽのデスクの前に辛抱強く定時まで座っている。このご時世で解雇されないのはありがたい限り。会社は退職金を出し渋っていて、俺が自ら辞職を言い出すのを待っている。働く意義が見えない。生きる意味も見失いかけている。漂白されてゆく。
 この時間を活用しようといろいろと考えやってみたのだが、周りにせわしく働いている人間がいるとなにも手がつかず罪悪感だけが募る。働く人間を見ていても気付かれて視線が合えば気まずいので、窓の外を見ていることが多い。表通りから一本入ったその道は、さまざまな人間の生活のサイクルを垣間見ることができた。誰が歩いているかによって、いまの時間がわかる。朝は通勤のサラリーマンや学校へ登校する学生が通る。音楽プレーヤを聴きながら自転車で通学する高校生が、遅刻間際で焦った乗用車にはねられそうになるのはいつものことだ。その時間帯が過ぎると、しばらくは人通りが少なくなる。昼が近づくと女性が数人で歩いているのを見る。揃えたような一様の化粧で行われるのは、ママ友とのランチだったり習い事だったりする。昼を過ぎたあたりからは初老の元気な人たちがウォーキングなどの活動をしている。俺なんかよりもよっぽど健脚そうだ。ふと、珍しいものを発見する。
 高校生ぐらいだろうか、最近の子供の発育は早いので、もしかしたら中学生かもしれない。平日の昼間に子供が出歩いていることはめったにない。事情があって学校に行かないのならば、ふらふら遊んでいたとしてもどこか表情に曇りがあるものだが、窓の外を歩く少女には屈託がまったくない。思い切った短髪にすらりと伸びた背筋、まっすぐやや上方を見る目は生気があふれんばかり。服装は派手でありつつも下品ではなく、活発さが強調されて周囲にもエネルギーを充填させるよう。パンプスは強くアスファルトを蹴りだして前へと進む。
 みなぎる意志に俺は惹きつけられる。事務所を飛び出し、ロビーを抜ける。俺は社内にいてももともといないものとして扱われ、アクションを起こそうとすれば嫌な顔をされる人間だ。会社からいなくなってもなんの問題もなかった。長いコンパスでタッタカと突き進む少女を追いかけて、俺は一軒の喫茶店の前にいる。電柱に隣を空けてもらいタバコをふかしてみれば待ち人来らずの図になる。小さな喫茶店の内部は窓からじゅうぶんに覗けた。
 磁器のカップを口に運び、そこでようやくくつろぎの顔を見せる。その一杯を味わうために生きているような、至福の顔だ。充実したひととき、俺は久しく感じていない。なにもしないために会社に行って、家に帰って自炊して食べて寝てまた会社に行く。俺のサイクルは単調だ。俺を通過してゆくサイクルも。スーパーで買った食材は俺を通して下水に流れてゆく。給与はいっときは俺のものとなり、スーパーのレジやらアパートの大家の長財布やらに渡ってゆく。酸素を取り込んで二酸化炭素を吐き出す。短髪少女のテーブルに、もうひとり少女が着いているのに気付く。目を離したつもりはない、いつからそこにいたのだろう。美人だ。どちらも美人であるのだが、短髪少女は生きる気力あふれる溌剌乙女であるのに対し、その少女は整いすぎた顔立ちであるがために特徴がなく、なにをとっかかりにして記憶に収めたらいいのかわからない、半透明な少女だった。かすかに茶の混じったおかっぱで、セーラー服を着こなす。平日の昼間にそんな記号的な服装をしていれば短髪少女以上に違和感を与えるはずが、風景に溶け込んでいてなにも喚起させない。おかっぱ少女は顔だけではなく放つ雰囲気から他人の注意を遮断し、強制的に脳へ「異常なし」の伝令を働かせる。圧倒的で拍子抜けする存在感。少女と少女は一杯の紅茶を交互に飲んでいる。ぺちゃくちゃとおしゃべりしながら。
「────」
「────」
「────」
「────」
「────」
「────」
「────」
「────」
 話の内容は聞こえない。会話する姿はまるで恋人同士のように仲睦まじい。短髪少女は身振り手振りを交え話し、おかっぱ少女はそれを聞いて相槌を打つ、これが基本のやりとりらしい。ときおり、中継放送のように相槌までにタイムラグがある。日常的ななんでもない対話、俺が体験したのを思い出すにはいつまでさかのぼればよいだろうか。誰かと向き合った記憶がない。その経験は俺にあったのかもしれないが、風化して消えている。馬鹿にした口調で一方的に命じられたり、相手の迷惑を省みずおしきせたり、認めた人とまっとうに一対一で話し合ったことを思い出せない。しゃべっている途中で相槌を打つ。短髪少女は気を悪くする風でもなくしゃべり続けている。また、相槌がずれる。観察を続け、確信した。短髪少女は目の前の少女に向けてしゃべっているのではない。おかっぱ少女もまた、目の前の少女の話を聞いて頷いているわけではなかった。それぞれが独立して行動している。パズルの二ピースはうまく形が繋がっているものの、絵柄はまるで違うのだ。自分の前に誰かがいることだって気付いていないのかもしれない。埋めることも空けることももできない僻絶の表裏で重なっている二人の少女を、見ることができているのは俺だけだろう。短髪少女が立ち上がる。続いておかっぱ少女も。目の前にいて互いに見ず知らずの少女がここまで共時性をもつのは、それだけの理由に足る二人の間に似たものが──あるいは正反対のものがあるのだ。俺はタバコをもみ消した。なんだかわからないが、なんだかわからない奇跡を留めておきたかった。喫茶店の扉を開けるそのとき、なにかとすれ違う感触があった。二人はまだいるだろうか。俺にあの二人を捉えることができるだろうか。二人の座っていた席には。「おひとりさまですね。こちらの席でよろしかったでしょうか」。ウェイトレスの顔から一瞬、アルバイトの仮面が剥がれる「あら」。注文された憶えのないティーカップなのだろう。「すぐに片付けますね」。一口も手を付けられた様子のない冷めた紅茶が引き取られていった。
 俺が見たものはこれで終い。


2009-10-29 04:44:27公開 / 作者:模造の冠を被ったお犬さま
■この作品の著作権は模造の冠を被ったお犬さまさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 甘木さまの【不透明少女】の感想を考えているうち、ではないんですが浮かんできて一気に書いてしまいました。
この作品に対する感想 - 昇順
こんにちは! 羽堕です♪
 歩いている人で時間が分かるって、ものすごく佑介の状況が把握できるような気がして、本人が感じていないかも知れない寂しさを感じました。でもすぐに、いつもと違う通行人を発見して漲っている佑介を想像してクスッとして、その行動力から本当にやる事ないんだなって。
 短髪の少女は霊媒師か何かで、おかっぱの少女の霊の望みを叶えて浄霊でもしているのかなと思ったりもしました。けどパズルという言葉で、おかっぱの少女はフレーム近くの真っ白なピースで、下地の土台も真っ白だから、そこに無いのは分かるけど、でもいざとなったら無くてもいいような、時間が経ったら無かった事さえ忘れてしまう様な存在なのかなと。じゃ短髪の少女はと考えると、その場に合った存在でい過ぎて見えないのだろうか? と自分で書いていて分からなくなってしまいましたが、佑介が二人を見つけられたのは正に奇跡だなって思いました!
であ次回作を楽しみにしています♪
2009-10-29 11:04:16【☆☆☆☆☆】羽堕
拝読しました。水芭蕉猫です。にゃあ。
今回は中身が物凄いぎっしりとしている感じですね。前回のような透明感はありませんでしたが、代わりにジューシーな中身が詰まっていたという感じです。窓の外をみやればそこにあるのは誰のための世界なのかちょっと考えてしまったり。私の為でないのは確かでしょうが。
結局、短髪少女もおかっぱ少女も何なのかさっぱり解らないままでしたが、遠くからでも彼女らを見つけることが出来た佑介って実は何かあるんじゃなかろうか? なんて疑り深く考えてしまいました。こういうのは考えれば考えるほどドツボなのに、考えない選択をすればさらりとすり抜けてしまうので、そういうのが良いなーと思いました。
2009-10-29 20:59:07【☆☆☆☆☆】水芭蕉猫
こんばんは。
んー、よくわからない……。
それと、今年三十でおっさんなのか、と思いました。

それにしても、最近、「発育」という言葉が、思春期の少女を描写するときにばかり使われているような気がする……。

あと、「なおざり」でいいのでしょうか。意味上、ここは「おざなり」を使うところではないかと思うんだけど、どうでしょう。
2009-10-29 22:56:31【☆☆☆☆☆】中村ケイタロウ
 走るように歩く少女。

 こんにちは羽堕さん、模造の冠を被ったお犬さまだ。
 窓の外を見ていると、飛び出したくなるぐらい変なものが通ること、ある。昼間の女生徒で飛び出すようでは、佑介はまだまだだな。霊媒師と霊と読んだか。やはり羽堕さんは面白いことを考えるな。感想を読むと書きたいものがきちんと書けているようで安心した。

 水芭蕉猫さんにゃーお。
 水芭蕉猫さんの見ている世界は水芭蕉猫さんのものだ。一人称視点の小説は語り手が変わるたびにスタイルを変えるべき。窓の外の世界は、きっと佑介の希望だ。希望であって希望に過ぎない。精神的な成長があるとは考えないが、考えることは考えないことよりよいものだ。

 こんばんは中村ケイタロウさん。
 登竜門規格では二十代からおっさんおばさん枠だ。ケイタロウのおっさん、肩を落とすな。【最近の子供の発育は早い】までがひとつの慣用句になっているな。おもに、おっさんが使用する。なおざりかおざなりかで悩んだ末に選んだのに、判断が適切ではなかったというのか。会社からしてみれば辞めるまでほったらかしなのでなおざりで合っている気がする。
2009-10-30 04:31:19【☆☆☆☆☆】模造の冠を被ったお犬さま
 んー、なんやこんらんしてきた。こんらんして、なにがただしいにほんごかわからんようになったから、しらべてみたわ。
 そしたらな、「なおざり」は、「ほったらかしで、なんもしやへん」いういみやねんて。
 そやから、「なおざりにする」いうつかいかたがただしいねん。「なおざりに○○する」いうつかいかたはできひんねんて。国営放送もそないいうてはるわ。どやろ。
http://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/kotoba_qa_03120101.html
2009-10-30 06:21:51【☆☆☆☆☆】中村ケイタロウ
どうも、鋏屋でございます。ここでは初めましてでしょうか?
作品を読ませていただきました。
私の読んだ印象は何というか、「正解のないなぞなぞを仕掛けられている」感じでした。
「あなたならコレをどう読み解く?」ってな感じのお犬様の声が聞こえてきそうです。
なんというかテーゼとアンチテーゼがあるのにアウフヘーベンだけが取り残されちゃって、それは読み手にお任せします……みたいな感じ? ああ、うまくいえません(汗
少し距離をとって客観的に見れば、人生さえないおっさんが町行く少女に興味を抱いてそれとなく後の行動を眺めてる…… 普通にそれだけのことなのに、こうも悶々とさせられるのが悔しいというか……非常に興味深く、また面白い作品でした。
鋏屋でした。
2009-10-30 11:32:38【★★★★☆】鋏屋
 少女地獄。

 中村ケイタロウさま。
 わるほど、おれが間違ってた。ありがとありがと。

 鋏屋さま。
 見たものを見たまま書いている歌木おっさんなので、それがなんなのかは、確かに読み手任せなのかもしれませんね。でも、そんな深読みするほどの正体はないような気もします。鋏屋さんの言うように、ふつうのことですし。
2009-11-01 10:33:59【☆☆☆☆☆】模造の冠を被ったお犬さま
おう、なかなか好みの幻像っぷりでした。
しかしこの幻像は、お犬様の一人称文体だと、即物的というか硬いというか、幻像というより構造物を描写しているように感じてしまったり。
モチーフに合わせて文体を柔らかめに練ってみるとか、こなれた風合いで語られていたほうが、この幻像を立派なひとつの文学作品にできそうな気がします。
2009-11-02 05:58:19【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
作品を読ませていただきました。なんか速球派投手が投げるチェンジアップみたいな作品ですね。速球の残像に捕られて気がついたら三振していたぜ。こういうチェンジアップ的な作品はどのようにも解釈できるから面白いけど、脳内での処理に困るんだよ。この作品の正しい解は何なんだろう……
2009-11-02 20:18:58【☆☆☆☆☆】甘木
 おっさん。

 バニラダヌキさん。
 そうなのか、文学作品か。そうなのか。もちっとやわっこく書くことはできると思うけれど、そっち方面は苦手だなあ。精神がそっちに向かって飛んでないと書けない。

 甘木さん。
 チェンジアップってのは、【透明少女】よりも【幻像少女】のほうがゆるいってことなのかな。それとも小説の速度が段階になってるのかな。構造物を書くおれが幻想を書いたからかな。魔球なので消えてみました。
2009-11-05 03:56:06【☆☆☆☆☆】模造の冠を被ったお犬さま
計:4点
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