『群神物語?〜明鏡の巻〜1−4』作者:玉里千尋 / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
 十五歳の上木美子(かみき みこ)が、ある日出会った不思議な男、土居龍一(つちい りゅういち)。彼は自分を、古代国家ヒタカミの末裔と語り、そして、美子もその流れを汲む者だと伝えた。東北の地に、今なお受け継がれる古代国家ヒタカミの魂とは? 神と人の世がひとつに混じり合う。(六月一日第二章更新、六月十四日第三章更新、七月四日第四章更新、同日第三章中★〜★計五ヶ所加筆)
全角111881文字
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※管理者様の許可を得て、投稿者名を「千尋」から「玉里千尋(たまさと・ちひろ)」に変更しました。
一 『穴』
                         ◎◎
 宮城県遠田郡涌谷町に住む、十五歳の上木美子(かみき みこ)が、その日みた夢はこうだ。
                         ◎◎
◎◎◎◎美子は五歳くらいの子供に戻って、隣の守屋家の前をぶらぶらしていた。実は、その家の庭から道路側の塀に垂れ下がるようにして咲いている、芝桜の蜜を吸うのが目的だった。ピンクと白の、無数に咲く小さな花々を一つ一つ摘んで、つけ根の部分を吸うと、さっぱりとした甘い蜜の味がする。美子はこれを飲むのが好きだったので、人がいないのを見計らっては、花を摘んでいたのだ。
 ふと気がつくと、守屋家に人影が見えた。守屋のおばさんだ。美子は慌てて持っていた花を捨てた。
 守屋のおばさんは、美子を変な目でじっと見ていた。美子は守屋の家の前を離れて、近所を散歩しているふりをした。近所の顔見知りの人たちも、何人か出て来て、やはりじっと美子を見始めた。
 美子は分かった。この人たちは、人間のように見えるが、中身は別の化けものに入れ替わっている! そして、あたしが仲間じゃないことに、気づき始めたんだ。
 美子は急いで、自分の家に戻った。
 家に帰ると、茶の間には父と母がいた。父と母は美子をちらりとみたが、マネキンみたいに無表情だ。美子は、玄関から茶の間に入らず、別の部屋から様子を窺うことにした。
 絶対におかしい。第一、美子の母は、美子が二歳の時に交通事故で死んでいないはずなのだ。父もその事故の時に右腕をなくしているのに、あの父にはちゃんと右腕がある。化けものが父に化けた際、間違ったに違いない。
 美子はお護り代わりにして、いつも首にかけている赤い石をさわろうとして、それがないことに気づいた。茶の間の母を見ると、その赤い石を首から下げている。
 どうしよう。赤い石はもともと母の持ち物だったので、母が持っていてもおかしくないのだが、あの母は本当の母じゃない。美子が石を見ていると、母が美子に気がついてこっちを見始めた。まもなく美子が仲間じゃないことがばれるかも知れない。
 そのとき、すごい地響きが遠くから近づいて来た。
 美子が外を見ると、町外れから巨大なゴジラがこちらへ向かって、歩いて来る。ゴジラはなにかを探しているようだった。おそらく化けものの仲間ではない者を探しているのだろう。
 この辺りで、美子はこれが夢であることに気づき始めていた。問題は、どうやってこの夢から抜け出るか、だ。
 そのうちにも、ゴジラは美子の家まで近づいて来ている。
 父と母が立ち上がって、こっちへ来る。
 美子は外に飛び出した。ゴジラが美子に気がつく。
 美子は突然悟った。夢を出るには、夢の中で一番怖いところに飛びこむことだ。
 美子はゴジラに向かって走り出した。
 ゴジラは大きな口を美子に向かって開ける。美子はそのままゴジラの口の中に飛びこんだ。◎◎◎◎
                         ◎◎
 美子が目を覚ますと、そこはちゃんと現実だった。美子の思惑どおり、目を覚ますことができたらしい。
(はー、やれやれ、疲れる夢だった……)
 美子が枕もとの時計を見ると、八時だった。
 いつもなら遅刻する時間だ。しかし、今は中学の卒業式を終え、高校入学までの一ヶ月間の長い春休みが始まったばかり。別に慌てて起きる必要はない。だが、美子はすっかり目が覚めてしまったので、起きることにした。
 布団を片づけ、階段を下りて茶の間に入る。
 そこは空っぽだった。
 父は仕事で昨日から出かけていた。泊まりになるかも知れないと言って出て行ったが、やはりまだ帰ってはいなかった。
 美子の父、祥蔵の仕事は大工だ。
 事故で右腕を切断することになったときは、だいぶ困ったらしいが、祥蔵は左手で道具を使う訓練をして、今では、両手があるのと同じくらいに何でもすることができる。のこぎりも、かんなも、とんかちも使えるし、料理だってできる。左手だけで、どうやってリンゴの皮をむけるのか、父が左手でナイフを持ちながら、同時にくるくるとリンゴを回して皮をむく様子を、何度も見ている美子だが、絶対に真似できないのだった。
 美子は、台所に行き、前の晩にセットしておいた炊飯ジャーを開けてみて、ちゃんとご飯が炊けていることを確認した。
 そして、家中の神棚に毎日上げている、水とご飯の器を洗って、新しい水とご飯をお供えした。
 美子の家の中にはたくさんの神棚があった。
 家は、築百五十年は経っていようかという古い建物で、まず東側の玄関を入るとすぐに土間がある。土間には大きなかまどがあり、父が子供のころまでは、ここで煮炊きをしていたらしいが、今では使われていない。このかまどの上に神棚が一つ。次に土間のわきにある南向きの大きな部屋に一つ。玄関の正面にあって、こたつやテレビがある茶の間に一つ、最後に家の一番奥の台所にも一つある。神棚がないのは、父が寝ている一階奥の部屋と、屋根裏にある美子の小さな部屋くらいなものだ。
 四つの神棚のお供えが終わると、美子は茶の間に入った。
 茶の間の神棚の下には、和箪笥があり、その上に母の写真が飾ってある。美子はその写真の前にも同じように新しいご飯と水を供えた。
                         ◎◎
 田舎の家には、神棚のほかに(たいていは家の中で一番立派な部屋に)、仏壇が置かれてあることが普通だ。が、美子の家には仏壇がなかった。それで、友達の家に遊びに行ったとき、亡くなった人の写真や位牌が仏壇に飾られていて、そこにも毎日ご飯や水や線香を上げるのだと聞いて、驚いたことがある。
 そこで父に、
『どうしてうちにはこんなにたくさん神棚があるの? そしてどうして仏壇がないの?』
と訊くと、父はこう答えた。
『かまどの上の神棚は火の神様だ。
 お父さんが子供のころまではこのかまどで煮炊きをしていたから、ここにお祀りしていたんだ。今では使っていないけれど、かまどはちゃんとあるから、神棚もそのままにしてある。でも、今は台所でも火を使っているから、そこにも火の神様のために神棚を作ったんだ。南の部屋には、今ではほとんど畳の下に隠して出さないけれど、囲炉裏があるだろ。囲炉裏でも火を使うから、やっぱり神様のために神棚を作っている。
 この火の神様たちをカマ神様っていうんだ。人間が原始人のころから使って、一番大事にしてきたのが、火だ。だから、カマ神様は、人間にとって、一番初めの神様で、一番身近な神様なんだ。
 茶の間の神棚は、産土神(うぶすながみ)だ。この土地の神様をお祀りしてある。
 人間は、自分のもののようにしてそこの土地に住んでいるが、人間が住む前から、ここには山や、川や、木や、動物たちがずっと暮らしてきて、この土地を護る神様や精霊たちも住んでいたんだ。だから、そこに人間があとからやって来て、住まわせてもらうには、ちゃんとそこの土地の神様たちにお断りしないといけないし、住んでいるうちは、その土地の神様を敬って、自然とも仲よく暮らしていかないといけない。この土地の神様を、産土神(うぶすながみ)といったり、氏神様ともいったりしているんだ。
 昔から日本人は、こんなふうにして色んな神様とつき合ってきた。
 でもそれは、人間だけの神様じゃない。自然全体の神様なんだ。だから、人間にとっては、ときには怖いこともあるし、災いを与えることもある。
 それから人間は、色んな個人的な悩みも多くもっていた。病気のことだったり、お金のことだったり、家族のことだったり。
 それで人間は、自分だけの神様が欲しくなったんだ。それで、中国から新しい神様を輸入したんだ。それが仏様さ。
 仏様は人間が考えて、人間のために現れた神様だ。だから人間にとっては一番重要だと考えられているので、家の中でも一番奥の、立派な部屋に置くんだ。
 なんでうちには置いていないかって? うーん、代々置いていないとしかいえないなあ。たぶん、仏様の力を借りなくても、間に合ってきたんじゃないか』
『ふーん』
 美子は、どうして、うちが、仏様がいなくても間に合ってきたのかについてはよく分からなかったが、ともかく神様と仏様の違いは分かったと思った。
                         ◎◎
 父が留守をしているときは、神様のお供えものを新しくとり替えるのは、美子の役目だった。実際、父は月の半分は涌谷以外で仕事をしていて、泊まりで出かけることもしょっちゅうだった。
『やっぱり、こんな小さな町じゃ、大工の仕事も限られているからね。お父さんはこう見えても腕がいいって、県外からもお呼びがかかることがあるんだよ』
 美子は、右腕がないのに、大工として評判の高いという父が誇らしかった。涌谷の町でも父の大工の腕を褒めてくれる人が多かった。早いし、丁寧だということだった。
 母を早くに亡くして、父子家庭の美子を気の毒がる人もたまにいたけれど、美子は自分がかわいそうだとはちっとも思っていなかった。父はいつでも美子に優しかったし、怒られたこともほとんどない。出張のときはいつもお土産を買ってきてくれた。むしろ、甘やかされて育ってきたと思っているくらいだった。
 美子は、納豆と夕べの残りのしじみの味噌汁で、朝食を済ませると、今日の昼食は、しゃけのおにぎりにしようと考えて、冷凍庫にしまってあった甘塩じゃけのパックを解凍のため、出しておいた。たぶん、父も夕方までには戻って来るだろう。父が戻って来て、すぐに食べる物があるように、多めに作っておこうと思った。
 中学に入ると、食事はほとんど美子が用意するようになった。料理の方法は父の姿を見てだいたい分かっていたし、おかずのお惣菜を近所からもらうことも多い。特に隣の敷地の守屋家のおばさんは、しょっちゅうおかずを持って来てくれるので、上木家には、いつも、漬物や煮物などが常備されており、二人だけの家庭にとっては多すぎるくらいだった。だから、美子が作るといっても、ご飯を炊いて、あとは味噌汁を作ったり魚を焼く程度で、こと足りる。
 父は、美子の作ったものは、何でもうまいうまいと言って食べた。美子が茄子の味噌汁を作って待っていると、仕事から帰ってきた父は、『おっ、茄子の味噌汁か』と言い、カレーを作ると、『おっ、カレーか』と言い、肉まんを蒸かすと、『おっ、肉まんか』と言った。一度カップ麺を買ってきたときも、『おっ、カップ麺か』と言ったので、美子は笑ってしまった。おそらく今日帰って来たら、『おっ、おにぎりか』と言うに違いない。
(まったく、いつも同じことしか言わないんだから……)
 美子は、父が帰って来た時の様子を想像して、にやにやした。
                         ◎◎
 食器を洗い終わると、十時だった。美子は、茶の間でこたつに入ってお茶を飲んだ。お茶うけは、守屋のおばさんにもらった大根のぬか漬だ。
 お茶を飲みながら、美子は何となしに家の中を見わたした。見れば見るほど、古い家だ。古民家といえば聞こえはいいが、隙間風は吹くし、鼠は出るし、
(だいたい、土間があったり、茅葺きだったりする家なんて、今時うちくらいだよ)
 美子は、先日、新築された友達の家に遊びに行ったときのことを思い出した。真っ白な洋風の家で、玄関は吹き抜け、フローリングには床暖房、トイレはウォシュレット(美子は使い方が分からなくて使わなかった)。風呂場を見せてもらったとき、美子はため息をついた。
『二十四時間、いつでも温かいきれいなお湯がはってあるから、入りたいときにすぐ入れるの。お風呂の掃除も自動的にやってくれるんだよ』
 美子の家の風呂は、ほんの最近まで薪で焚いていたのだ。
《五右衛門風呂に入ったことがあるなんて、言えないよなあ》
 今では、もちろんガス風呂だが、二十四時間風呂に進化するまでには、まだまだ相当の年月が必要そうだった。
 友達の家の新築祝いに行ってきた日の晩、美子は父に、
『お父さん、大工なんだから、この家も建て替えれば?』
と言ってみた。すると父は、
『なあに言ってんだ。今この家と同じものを建てようとすれば、目玉が飛び出るほど高くつくんだぞ。この柱一本だって、今買えば、何十万もするんだ』
と、後ろの柱をぴたぴた叩きながら言うので、美子はびっくりしてしまった。
 家の柱や梁は、すべて、一抱えもあるがっしりした一本木で、長年の間に、もとの色が分からないくらい黒光りして、油を塗ったようにてかてかしている。美子は小さいころ、よく梁にぶら下がって遊んだが、梁はびくともしなかった。
『それに、お前は知らないだろうが、昔あった宮城県沖地震の時だって、この家はひび一つ入らなかったし、まだまだあと百年はもつぞ』
『でもさあ、寒いじゃん』
『寒いのが何だ。寒いのは酒を飲めば治る! 美子、お前も飲め』
『飲めるわけないでしょ、未成年なんだから』
『お前は固いなあ。じゃあしょうがない。お父さんだけ飲むぞ』
『いつも飲んでいるじゃないの』
 父は仕事から帰ると、食事をしながら、日本酒の一升瓶をかたわらに置いて、ちびりちびりと飲むのが日課となっている。冬は美子が熱燗にしてやる。父は飲むほどに鼻の頭の血管が浮き出てきて、しまいには鼻全体が真っ赤になってしまう。美子はそれを?赤鼻のトナカイ?と言ってからかった。
『ところで、お父さん、訊きたいことがあるんだけど』
 美子はある晩、父に訊ねた。
『何だ』
 父の鼻の頭は、もう真っ赤になっている。
『どうやって、お母さんと結婚できたの』
 美子は、実際それが不思議だった。母の写真は和箪笥の上にあるもの、一つきりだったが、美子が見ても女優のようにきれいな女性なのだ。
《うん、あれよ。昔の吉永小百合みたい》
 美子はいつかテレビで見た、吉永小百合が出ていた白黒映画のシーンを思い浮かべた。
 写真の母は、森のような木立を前にして、にっこり微笑んでいる。白っぽいワンピースを着て、スタイルも申し分ない。髪はワンレングスで背中まで届くロングのようだ。
 美子は実は、父が本当の女優の写真を、母と偽って飾っているのではないかとも疑ってみたが、母の首には、美子が今つけているものと同じ、赤い石が下がっている。吉永小百合と違って、カラー写真だから、間違いない。色の具合や、形も全部同じだ。
 美子の母が遺したものは、写真一枚のほかは、この赤い石だけだ。長さ四センチくらいの涙形の石で、上の細い方の部分に穴を開けて、皮の紐を通してある。何の石か、美子には分からなかった。父も分からないらしい。真紅といってもいい、深い赤で、光にかざすと、かすかに黄色の光が反射する。その輝き具合が、真珠に似ている。が、赤い真珠などあるわけがない。守屋のおばさんは、珊瑚だと言ったが、美子は、それも違うと思っていた。守屋のおばさんが持っている赤い珊瑚のブローチを見せてもらったことがあるが、重さは美子の持っているもののほうが軽いし、表面の肌触りも違う。美子の赤い石は、もっと繊細で、貝殻やガラスでできているみたいに見えた。でもとても固い。
 美子は、その母の形見の石をとても大事にして、どこへ行くにも首から下げて歩き、暇さえあれば、眺めて楽しんだ。もしかすると、本当は珍しくもないような石なのかも知れない。でも、美子にとっては世界で一番美しく、価値のある石なのだった。
 そんなわけで、肌身離さず持っているお護りのような赤い石の持ち主だった、美しい母は、美子にとって、ほとんど神秘的な存在なのだ。
《何だってまた、赤鼻のトナカイが、吉永小百合と結婚できたのか》
 美子でなくとも、訊きたくなるではないか。
 美子にそう訊かれた父は、あっさりと、
『そりゃ、お前、お父さんの男性的魅力のせいさ』
と答えたので、美子はがっくりきた。父は大工仕事をしているおかげで、日焼けをしてがっしりした体をしているが、五分刈のごま塩頭、背だってそんなに高くない。髪は、昔は黒かっただろうが、お世辞にもハンサムとはいえない。
《お母さんって、男の趣味、悪かったのかな……》
と、父に失礼なことを思う美子であった。
 美子は、鏡の前に立って、何度も自分の顔の中に母と似たところを探した。
《目はかろうじて二重、鼻はぺちゃ、唇はちょっと厚すぎ、顔もちょっと丸すぎ……》
 美子はため息をついた。美子は父にもあまり似ていないが、かといって、将来母のように美しくなる気配もないようだった。母は美子には、少なくとも顔かたちの遺伝子はあまり遺してくれなかったようだ。
 そういえば、母が美子に遺したものがもう一つあった。名前である。美子が自分の名前の由来を父に訊くと、父は、
『お母さんがつけたから、よく分からないなあ』
と答えた。
『あたしの名前はお母さんがつけたの』
 美子は嬉しくなった。
『じゃあ、やっぱりきれいになるように美子ってつけたのかな。お母さんの名前が咲子だから、咲子と美子で、並べるとなんかいいよね』
『ああ、そうそう、お母さんは、京都で巫女さんの仕事をやっていたから、だから、?みこ?って名づけたんじゃないか』
 そう言って、父は、あははと笑った。
『えっ、美子の意味って、そんな安易なことなの』
 父は、まだ、笑っている。
『もう、いい。お父さんに訊かないよ』
 美子は赤い石を回して光を反射させながら、母の写真を眺める。母はいつでも笑っている。
《まあ、何でもいいか》
 美子も笑いたくなった。
                         ◎◎
 ぬか漬を食べ、お茶を飲み終わると、美子は父が帰って来るまでの間、母の墓に行こうと思った。彼岸までにはまだ間があるが、何となく母を思い出したからだ。
 着ていた長袖Tシャツとジーンズの上に、紺の厚手のフリースのパーカーをはおる。三月中旬とはいえ、まだ寒い。
 美子は玄関を出た。鍵はかけない。別に盗られるものもないし、この近所で鍵をかけて出歩く者はあまりいない。それに墓は家の敷地内にあるのだ。
 家の玄関を出ると、北から南に向かって小さな川が流れており、それが守屋家との境界になっている。守屋家の敷地は一段高くなっているので、川向こうはちょっとした土手のようになっている。川といってもひとまたぎできるような幅の狭いものだが、一応板を渡して橋にしてある。昔はここで野菜や米を洗ったりしたそうだ。
 家の北側は畑だ。しかし今は何も作っていない。美子が春になると花を植えたりする程度で、あとは雑草や、昔植えた野菜の残りが自生しているといったような、空き地になっている。
 そこを通りすぎると裏山だ。小さな山だが、ここも上木家の地所だ。けもの道のような細い道が山頂近くまで延びている。よく見ると棒状の石が段々に埋められていて、階段状にしてあるが、磨り減っている上に、半分土に埋もれているので、あまり役にたってはいない。しかし、土は乾いているし、歩き慣れた道なので、美子はさっさと上って行く。
 山頂付近の木を丸く払った小さな場所まで道は続いていて、そこが上木家代々の墓の場所だ。上木家の者は死ぬとここに埋められるので、墓といっていいのだが、普通のような黒い御影石の墓石などはなく、二メートルほどの高さの古ぼけた石が置いてあるだけだ。『上木家代々之墓』といった文字も書かれていない、風化した単なる白っぽい石だ。しかし、母も確かに上木家の者なのだから、ここに入っているはずなのだ。
 美子は、春や秋の彼岸に墓参りをするという風習があると知ってから、母のために墓参りをするようになったのだが、父は別に行こうとしなかった。
『だって、あそこにお母さんがいるわけじゃないんだよ』
 父は言った。
『でも、お母さんの遺骨は、あのお墓の中に入っているんでしょう?』
『まあ、そうだが、それはお母さんの抜け殻であって、お母さんじゃない』
『じゃあ、お母さんはどうなっちゃったの? もうどこにもいないの? 人は死んだらどうなるの?』
『どこにもいないわけじゃない。どこかには、いる。でも、どこにいるのか分からないんだ。どこにいるか分からなくなってしまうのが、死ぬってことじゃないかな。本当はいるんだけど、生きている人には見えなくなってしまうんだ。だから、お母さんも、どこかで普通に歩いたり、しゃべったりしているんだと思うよ』
 しかし、父は、美子が墓参りをすることについては、特に何も言わなかった。
(どこにいるか分かるまで、一応ここに、お母さんがいると思うことにしよう)
 そう、美子は考えて、ときどき母のために花を持って行ったりするのだった。
 美子は途中で、家の裏の空き地に咲いていたれんげの花を摘んできたので、それを墓の前に置いた。そして、石によりかかって、何となく空を見上げた。墓の周りは木が囲んでいて、下の家は隠れて見えない。空はぼんやりと曇っていた。
 美子は、来月の自分の誕生日のことを考えた。
 誕生日と高校の入学祝を兼ねて、美子は携帯電話を買ってもらうことになっていた。中学のクラスでは、携帯電話を持っている子は、まだ数人しかいなかったが、みんな高校生になったら携帯電話を買ってもらうのだと言っていた。それで、クラス内の話題は、受験のことのほかは、どういう携帯電話を買うかで、もちきりだった。父は仕事用に一つ持っている。
 美子が、自分も高校に入ったら携帯電話が欲しいと言うと、父は、
『うん、うん、いいんじゃないか。まあ、高校に入れたらな』
と言った。
 その後、卒業式から二日後におこなわれた地もと公立高校の合格発表で、美子の合格がめでたく判明したので、それ以来、美子もみんなと同じように、携帯電話のパンフレットを見比べ、どれにしようかとあれこれ考えているのだった。
                         ◎◎
 楽しい夢想にふけっていると、下のほうで車の音が聞こえた。父の車の音だ。家の前で停まり、車のドアを開ける音、閉める音がした。そして玄関の戸をガラガラと引く音。
(お父さん、ずいぶん早かったな)
 美子は立ち上がった。
 とその時、美子の背中にぞくぞくとした悪寒が走った。かと思うと、足もとのほうから、なんともいえない気持ちの悪い気配が、ざわざわと昇ってくるような感覚に襲われた。
 その次の瞬間、ドーンッというものすごい音がして、地面が、ぐらぐらと揺れた。美子は思わずそばの石につかまった。
 美子は一、二秒の間、呆然としていたが、すぐに山の小道に出て、真っ直ぐ下を見下ろしてみて、心臓が止まりそうになった。
 そこには、直径三十メートルはあろうかという、大きな穴が開いていた。家が、なかった。美子の家は、穴に飲みこまれて跡形もなく、なくなってしまっていた。穴のそばにかろうじて、父の軽トラックが停まっていた。父の姿はなかった。
「お父さん!」
 美子は転がり落ちそうになりながら、小道を駆け下りた。
「お父さん! お父さん!」
 美子は穴の手前にたどり着き、父を呼んだ。穴の深さは、二十メートルはありそうで、蟻地獄の巣のようにすり鉢状になっている。父の姿はおろか、家の木材の一片すら見あたらなかった。
 美子は何度も父を呼んだ。
「美子ちゃん、どうしたの、これ!」
 守屋のおばさんが、音を聞きつけ隣から駆けつけてきたが、上木家の家があった場所に開いている巨大な穴を見て、息を呑んだ。
「おばちゃん、お父さんが」
「えっ、お父さんが落ちたのかい?」
 美子は泣きながら、自分が何を言っているか分からなくなっていた。ただ、穴のそばに座りこんで、お父さんが、お父さんが、と繰り返した。
「こりゃ大変だ。美子ちゃん、今警察と消防を呼んで来るから、絶対その穴に近よっちゃ駄目だよ」
 守屋のおばさんは、泣きじゃくる美子を慎重に穴のそばから立ち上がらせ、守屋家の敷地にまで上がらせて、転がっている石に座らせると、急いで電話をかけに行った。
                         ◎◎
 それから数時間、涌谷の町は大騒ぎだった。まず警察が来て、上木家の地所に開いた巨大な穴を見て、肝をつぶし、その後消防署の隊員が来て、自宅建物と一緒に穴に落ちたとみられる上木祥蔵を救出しようとした。ロープを腰に巻いた隊員の一人がすり鉢状の穴に後ろ向きで入っていこうとしたが、穴の中ほどまで下りたところで、急に土が崩れ、ずぼっと隊員の体が肩まで潜ってしまったので、慌ててロープが引き上げられた。穴の周囲のどこから降りていっても、同じことだった。
「駄目だ、これは。本当に蟻地獄だ」
 土が崩れるたびに、穴の周りの地面まで崩れそうな危険が生じたので、救出作業はいったん中止となった。
 美子は、極度の興奮状態にあったため、救急隊員が美子を病院に搬送しようとしたが、美子が絶対に行かないと言いはったので、精神安定剤の注射をうったあと、守屋のおばさんが預かることになった。
 美子は警察に、父の姿は見ていないが、父が帰って来たような音がしたこと、そのすぐあとに大きな音がして、見ると大きな穴が開いていたこと、穴のそばに停まっている車は確かに父のものであること、墓にいた時間は十五分程度であることを、話した。
 穴の中を捜索する方法はいっこうに見つからなかったが、警察は、一応、涌谷町内を中心に祥蔵を探すこともしてみた。低い確率だが、祥蔵が自宅に入らなかったということもあり得る。しかし、祥蔵はどこにもいなかった。美子は、祥蔵が誰に雇われて、どこに仕事をしに行っていたのかを知らなかった。祥蔵の携帯電話にかけてみたが、圏外だった。
 結論として、やはり祥蔵は自宅に帰って来た直後、突然開いた巨大な穴に、建物と一緒に飲みこまれてしまった、ということになった。美子にとっては、間一髪、祥蔵にとっては、最悪のタイミングだったというわけだ。
 何故、突然こんな穴がこんな場所に開いたのか、警察や学者達が調べようとしたが、誰も穴に入ることができないので、憶測の域を出ない。結局、上木宅の地下には巨大な水脈のようなものがあり、長年の間の侵食作用により、巨大な空洞ができた。これが一定の大きさになったため、上の土を支えきれなくなり、穴が開いてしまったのではないか。こんなもっともらしい説にいつの間にか落ち着き、警察のマスコミに対する発表でも、このような説明がなされるようになった。
 上木祥蔵の救出作業は、五日後、うちきられた。
                         ◎◎
 美子は、ずっと守屋家にいた。
 マスコミの取材も来たが、もちろん追い返された。守屋のおばさんは、美子にテレビも見せなかった。マスコミは、ただ騒いでいるだけだったからだ。三日もすると、宮城県の小さな町の、地盤沈下でできた穴の中に、不幸にして家と一緒に落ちてしまった大工と、とり残された娘のことは、どこにも報道されなくなった。
 守屋のおばさんは、祥蔵の葬式のことを考えたが、そんなことをすれば、一益もないとすぐに思い直した。美子がまた動揺するだろうし、マスコミも来るだろう。第一、祥蔵の遺体もないので、火葬の心配もない。守屋のおばさんは、美子にただ、穴は地盤沈下によるものであるとの警察の発表と、救出は難しいことを伝えた。そしてあとは、美子に食事や服を与えて、そっとしておいてやるのが一番だと思った。
                         ◎◎
 最初の晩、美子は、おばさんが敷いてくれた布団の中で、泣き疲れた頭でまんじりともせず、横になっていた。
 じっと、守屋家の暗い天井を見つめる。
 それが、父が落ちたという、巨大な穴に思えてくる。
 体の芯は何時間も耐えがたいほどに痛み、ガンガンとひどい頭痛が続いていた。
 そして、目の前の暗闇は、まるで美子までを飲みこもうとするかのように、丸い渦を描きながら、それと分からないほど少しずつ大きくなっていく。
(まさか……)
 しかし、闇は、ねっとりと濃く、ほんの、すぐ近くにあるように見えた。
 美子は、突然、たまらないほどの恐怖に襲われた。
 巨大な闇に対してではない。
 父がいなくなった、この世界に居続けることへの、恐怖だ。
(お父さんが、いなくなって、本当にあたしは、どうしたらいいの? あたしには、もう何もない。お父さんも、お母さんも、家も、服も、何もかも! こんなの、嘘よ。ここは、あたしのいるところじゃない。お父さん、いったいどこにいるの? あたしは、ここにいたくないの。お願い、あたしも一緒に、つれていってよ!)
 美子は、そっと布団から手を出した。
 穴は、とてもリアルで、ちょっと手を伸ばせば、ふれることができそうに思えた。
 そうだ。父は、すぐそこにいるのだ。
 父は、言ったではないか?
 世界には、目に見えるものと、目に見えないものがあると。
 穴の向こうは、目に見えない世界なのだ。それだけのことだ。
 あちらには、父も、母もいる。それならば、美子がいるべき場所も、きっとそこに違いない。
 美子は、両手をいっぱいに上げて、穴を抱きしめるようにした。穴は、なつかしい表情をたたえて、さらに美子に近づいてくる。
 もう少しで、そのふちに手がふれるという瞬間、美子は、ビクリとして、思わず手を引っこめた。
 間近で、なにかの気配が、確かにした。
 とたんに、穴は、なにものかの手で払われたように、さっと、美子の目の前から去ってしまった。
 美子は、我に帰って、天井を見つめ直した。
 自分は、いったい、何を考えていたのだろうか?
 板の木目は、小さな渦を巻いていたが、それは、ただそれだけのことだった。
 あれが、あの穴だと思うなんて。そして、その忌まわしいものに、自分も入りたいと思うなんて!
 美子は、ゆっくりと体を起こした。
 自分が感じた気配の正体は、なんだったのかを、じっくり考えてみる。そしてそれが、壁の向こうからのものだったと、思いあたった。
 しかし、ここは、北端の部屋なので、壁の外には林があるだけだ。動物だろうか。しかし、けものとは違うように感じた。
 誰かがいるように思えたので、美子は思いきって、北側の小窓を開けてみた。
 しかし、外は真っ暗で何も見えない。星明かりの中、わずかに先にある木々が分かる程度だ。人の気配もなくなっていた。
 昼間に守屋のおばさんが、テレビの取材陣の悪態をついていたので、美子はきっと、マスコミが入りこんでいるのだと考え、もう窓は開けないようにしようと思った。
 窓をきっちりしめたあと、美子は布団にもう一度入った。
 不思議に、頭痛はすっかりやんでいた。
 枕に頭をつけると、急に鉛のような重い眠りがやってきて、美子はストンと無意識の中に入っていった。それは、動物のように無心な眠りだった。
 それからも、美子は、毎日のように父を想って泣き暮らしたが、穴が美子をおとずれることは、もうなかった。
                         ◎◎
 一週間後の午後、守屋のおばさんは誰かと電話したあと、美子の部屋に入って来て、言った。
「美子ちゃん。悪いけど、留守番をお願いしていいかね。ちょっとうちの本家にまで行って来るから。いや、今日はお彼岸だから、墓参りに、本家のばあちゃんを連れて行かなくちゃいけないんだよ」
「分かりました」
 守屋のおばさんは、バケツの音をがらがらさせながら、家を出て行った。
(もう、お彼岸か……)
 美子は、穴が開いたあの日、母の墓に行きながら、お彼岸にまた来ようと考えていたことを、思い出した。そして、自分もこれから裏山のお墓に行ってみようと思いたった。
 部屋を出ると、縁側の向こうに晴れわたった明るい空が広がっていた。縁側のガラス戸を開け、陽射しに暖められた空気を思いきり吸う。美子は、この一週間、自分がまったく太陽の光を浴びていなかったことに気がついた。
 美子は、守屋のおばさんが買ってくれたうすいピンクの綿のカーディガンをはおり、玄関に置いてあるスニーカーをとって来て、縁側から出た。こちらから行けば、国道に出ずに、直接裏山まで行くことができるのだ。
 美子は守屋家の畑を突っきり、土手に沿って植えられている木の間を抜け、小川を渡って、一週間ぶりに自分のうちの土を踏んだ。
 ちらっと、穴が目に入ったが、あまり見ないようにして真っ直ぐ裏山まで行き小道を登る。
墓の周囲はいつものように静かだった。一週間前に美子が置いたれんげの花が枯れていたので、美子はそれを木立の向こうに捨てた。
(お母さん。お父さんも見えない人になっちゃったよ)
 美子は、ちょっと泣いたが、すぐに泣きやんだ。この一週間、泣き続けて、何だか涙も品ぎれになったようだった。
                         ◎◎
 裏山の小道を下りて、美子は、ちょっと迷ったあと、穴のそばまで行ってみることにした。穴は相変わらず、巨大な口を開けている。周りには杭が何本も立てられ、バラ線が厳重にはりめぐらされており、『立入禁止』という紙が貼られている。
 美子は悲しくなり、守屋家に帰ろうと思ったが、ふと、目の隅になにかを発見して、もう一度、穴の方を振り返った。穴のふちに、何だか、ふわふわした金色のものが漂っている。美子がそっと近よって見ると、それは金色の毛の丸い塊だった。美子は慎重に手を伸ばして、穴のふちからそれを拾い上げた。
 手のひらくらいの大きさで、うさぎのような柔らかい毛でできている。重さはほとんどない。美子は、土手に腰を下ろし、手に乗せたそれを、目の前に持ってきて、よく眺めてみた。すると、突然くるっと黒い目が現れ、たちまちそれは耳と尻尾をもった生きものになったので、美子は驚いて、落としそうになった。
 生きものは、美子の手の上で、きょろきょろしたあと、美子を見つめた。形は、犬のようだったが、耳が大きくぴんと立っていて、尻尾は長めの毛が申しわけ程度に生えているという程度だ。目は大きくて漆黒。体全体がふわふわした金色の毛でおおわれており、耳先と四本の足の毛の先だけに、わずかに黒が混じっている。
 美子の初めて見る生きものだった。それに、ずいぶん軽い。
「お前、どこから来たの?」
 生きものは、首をかしげて美子を見た。
「自分でも分かんないの?」
 美子は、こんな可愛い生きものは見たことがないと思った。
「あたしと一緒にいる?」
 生きものは、美子の手のひらでお座りをした。
「そっか。じゃあ、一緒にいよう! えーと、お前の名前は……、ふわふわしているから、ふーちゃん、ていうのはどう?」
 生きものが特に反対する様子も見せなかったので、美子はその生きものを『ふーちゃん』と名づけた。
 美子は、ふーちゃんをそっと撫でた。素晴らしく柔らかい毛皮だった。ふーちゃんは、眼を細めてリラックスしているみたいだった。
「お前は、なんていう生きものなんだろうねえ」
「それは、ケサランパサランだよ」
 男の声が、突然背後から聞こえたので、美子は仰天して、今度こそふーちゃんを落としてしまった。ふーちゃんは美子の膝の上で、くるっと、もとのように真ん丸くなった。
 美子が振り返ると、土手の上に、スーツを着た、見知らぬ男が立っていた。
「だ、誰っ?」
「私は、土居龍一(つちい りゅういち)」
 男は簡単にそう答えると、美子の手からふーちゃんをつまんで、光にかざした。ふーちゃんの金色の毛が、太陽の光に当たって、きらきらと輝いた。
「これは、ケサランパサランといって、昔から女性の幸運の印とされてきたんだ。おしろいを食べさせると増えると信じられて、おしろいの箱の中で飼ったりしていたようだね。でも、本当は、おしろいなんか食べないんだけどね。まあ、管狐(くだぎつね)とも似ているが、ちょっと違う。でも、幸運の印であることは、間違いない。大事に飼うといいよ」
 土屋龍一は、美子にふーちゃんを返した。美子は立ち上がって、男と並んだ。背が高い。柔らかい色合いのグレーの、仕立てのよさそうなスーツを着て、長めの髪を後ろで結んでいる。美子より十歳ほど年上だろうか。
 男は美子を見て、ちょっと微笑んだ。美子はドキッとした。笑った顔がすごくハンサムだったからだ。
 美子は少し緊張しながら、訊いた。
「ケサランパサラン……って、狐の一種ですか?」
「ケサランパサランは、精霊の一種なんだ。管狐もそうだが、種類が違う。管狐は山の中なんかにいる精霊を、修験者が捕まえて飼い慣らしたものだ。竹の筒に入れて持ち歩いたから、管狐と呼ばれるようになったんだよ。ケサランパサランは、長年生きて、妖力をもつようになった狐、つまり霊孤の尾から分かれたもので、霊孤の分身みたいなものだね」
「はあ……」
 美子は、土居龍一の言っていることが、まったく分からなかった。
 精霊の一種だから、何も食べさせる必要はない。
 ケサランパサランは、鉱脈とか水脈の近くに現れる。多分、金属や電気によってくる習性があるんだろう。昔のおしろいは鉛でできていたから、それでケサランパサランの好物だと思われたんだと思う。昔はよく飼っている人がいたらしいよ。最近ではすっかり見かけなくなったようだけれど。
 でも普通、ケサランパサランは真っ白なんだ。そんなふうに金色のものは、珍しい」
 美子は、ぽかんとして土居龍一を見上げていたが、
(何だか分からないけど、ちょっと変な人みたい)
と思い、
「あー、色々教えてくれてどうもありがとうございました。ええと、あたし、そろそろ帰りますので」
と、ふーちゃんをカーディガンのポケットに入れて、守屋家へ帰ろうとした。
 すると、土居龍一が、
「守屋さんの家に帰るのかい? じゃあ、私も一緒に行こう。ちょうど用がある」
と言ったので、美子はまたまた驚いた。
「あ、でも、守屋のおばさんは、今出かけて、いませんけど」
「そうかい? でも、もう帰っているころだと思うよ」
 土居龍一は、ちらりと腕時計を見て、言った。そうして美子を正面から見つめた。
「君は、上木祥蔵さんの娘さんだよね」
「はい……」
「私は、祥蔵さんとは古いつき合いで、仕事も色々お願いしていた間柄なんだ。今度のことは本当に残念だ。とても素晴らしい人だった……。
 私は、祥蔵さんから、祥蔵さんに万が一のことがあったら、君の面倒をみるように頼まれていたんだよ。他に身よりのない君を心配していたんだね。だから、こうして君を迎えに来たんだ。
 それに……、将来はできれば祥蔵さんの仕事を、君に継いでほしいとも思っている」
「仕事って、あたしが大工の仕事を、ですか?」
 土居龍一は、ちょっと目を丸くした。
「え? いや、大工なんかじゃないよ。もっと違う、重要な仕事さ。まあ、それはあとでゆっくり話そう。それに、仕事を君が継ぐか継がないかにかかわらず、私は祥蔵さんから君のことを頼まれていたんだから、心配しなくていい。
 どちらにしても、君は仙台に住むようになるな」
 美子は驚いた。まったく、この十分間、驚いてばかりだった。
「あたし、仙台に住むんですか?」
「いやかい? 君の家はなくなってしまったし……。ちょうど私のところに空いている家があるから、そこに住めばいいと思って。
 すぐに迎えに来たかったのだけれど、君も気持ちが落ち着いていなかっただろうし、こっちの準備もあったのでね」
 美子は、何と言っていいか分からなかったが、
「あのう、守屋のおばさんに訊いてから……」
と言ってみた。すると、土居龍一は、
「もちろん。今から行こう」
 と言うと、すたすたと守屋家のほうへ歩き始めたので、仕方なく美子もそのあとをついて行った。
(どういうことなんだろうね、ふーちゃん)
 美子は、ポケットの中に手を入れて、ふーちゃんを撫でた。ふーちゃんは、丸くなりながら、美子の手をちょっと舐めた。それで、美子は少し安心した。
(幸運の印か……)
 美子は、土居龍一の言葉を思い出した。
(もしかして、これが幸運?)
 土居龍一の真っ直ぐな背中を見ながら、美子は考えた。
(お父さんは、本当に、この人にあたしのことを頼んでいたのかな。この人に頼まれて、お父さんがやっていた仕事って、何なんだろう)
 美子は、平凡な大工だと思っていた父のことが、急に分からなくなった。
                         ◎◎
 土居龍一と美子が、守屋家に着くと、本家に行くと言って出かけていた守屋のおばさんは、土居龍一が言ったとおり、ちゃんと家の中にいた。
「初めまして、守屋君江さん。私が土居龍一です」
 土居龍一は、丁寧に守屋のおばさんに挨拶した。美子は、守屋のおばさんの名前が、君江というのだと、初めて知った。
「あなたが、土居さんですか」
 二人は、初めて会ったという割には、以前からお互いを知っていたみたいな言い方をしている、と美子は思った。
「電話でお話しましたとおり、上木美子さんを迎えに来ました。今まで大変お世話になりました」
「いいえ、こちらこそ。美子ちゃんをよろしくお願いします」
 守屋のおばさんがそう言って、土居龍一に頭を下げたので、美子は、唖然としてしまった。
「あの、おばさん、あたし……」
「美子ちゃん。土居さんのことは、私も祥蔵さんから、前々から聞いて知っていたんだよ。自分に何かあったら、土居さんに美子ちゃんのことを全部お願いしているからって。
 だから、一週間前のあの事故の日の晩、土居さんから電話があった時には、ああ、この人が、祥蔵さんが言っていた人かって、すぐ分かったんだよ。ま、こんなに若い人だとは、今の今まで思わなかったけどさ。
 土居さんは、すぐにでも美子ちゃんを迎えに行きたいって、言ったんだけどね、その時はまだ祥蔵さんを捜索している最中だったし、美子ちゃんも涌谷を離れたくないだろうからって、答えたんだよ。土居さんも、じゃあ一週間様子をみます、それまでに自分のところも準備しておきます、とおっしゃってね。
 それで、またさっき土居さんから電話があって、今涌谷に着いたから、って言うんでね」
「守屋さんから君に話をしてもらう前に、最初に直接君と話をしたかったので、守屋さんには理由をつけて、少しの間家を出てもらうようにお願いしたんだ。行ったら君が家にいなかったので、ちょっとびっくりしたけれどね」
 土居龍一が、美子に言った。
 守屋のおばさんが美子に紙袋をさし出しながら、言った。
「さ、美子ちゃん。別にこの人は怪しい人じゃない。祥蔵さんは、土居さんはちゃんとした人で、自分が一番信頼している人だって、常日ごろ、私に言っていたからね。お父さんがそう言うんなら、そうなんだろうさ。
ここにとりあえずの着替えとか、洗面用具とかは入れておいたから、使っておくれ。寂しくなったら、いつでも帰って来ていいからね」
 美子は、紙袋を受けとった。紙袋の中には、事故の日に美子が着ていたパーカーが一番上に入っていた。美子の持ち物は、いつも首からかけている母の形見の赤い石以外は、すべて穴の中に落ちてしまったので、そのほかの着替えや歯ブラシなどは、全部守屋のおばさんが新しく買ってくれたものだ。
 土居龍一が、心配そうに美子をのぞきこんだ。
「大丈夫かい? 一緒に来られるかな?」
 美子は、土居龍一を見た。そして、ふーちゃんのことを考えた。
 真っ暗な穴のそばに、ふいに現れた、金色の光……。
(あたしはもう、一人じゃない)
「はい、行きます」
 美子は、自分でも驚くくらい、はっきりと答えた。

二 『躑躅岡天満宮(つつじがおかてんまんぐう)』
                         ◎◎
 守屋家から国道へ下りて行くと、土居龍一の黒いBMWが停めてあった。助手席に乗りこんだとたん、美子は、自分が四月から、涌谷高校に通うことになっていたのを思い出した。
「土居さん。あたし、来月から涌谷高校に通わなくちゃいけないんです。仙台から通うことになるんでしょうか」
 仙台から涌谷へ電車で行くには、小牛田駅で乗り換えながら、二時間程度かかる。
 土居龍一は、エンジンをかけようとしていた手をとめて、美子のほうを向くと言った。
「いや。それはあんまり大変だろうから、勝手だけれど、仙台の萩英学園高校に入学手続をしておいたので、そこに通ってほしい。そこなら、家からすぐ近くだから」
 萩英学園高校というのは、仙台市内にある私立高校で、偏差値は涌谷高校より少し高い。
「えっ。でも、あたし、萩英学園は受験していませんけど」
「大丈夫、私が理事長だから」
 土居龍一は、あっさり答えた。美子は、この日、驚くことが多すぎたので、もうこれ以上あれこれ驚いたりせず、
「ああ、そうですか……」
と、答えたきり、簡単に納得してしまった。そんなわけで、美子の萩英学園高校入学が決まった。
 その後、土居龍一は、エンジンをかけないまま、ハンドルに片手を乗せて、ちょっと考えていたが、
「それから、私のことは、龍一と呼び捨てにして構わない。私も君のことを、美子って呼ぼう。これから同じ敷地内に住むんだから、友達になろう。敬語もなしだ」
と言った。
「えっ、りゅういち、ですか……」
 美子は、赤くなった。
「敬語もなし」
「う、うん、分かり……分かった」
「よし。美子。これからよろしくな」
「うん」
 龍一は、にっこりした。それで美子はまた赤くなった。真顔だと厳しささえ感じられる端正な龍一の顔が、笑うと一変して、優しくなる。
(ううん、目がもともと、すごくきれいで優しい感じなんだ)
 龍一の深く澄んだ目は、まるでふーちゃんのようだ、と思ったところで、美子はふーちゃんをポケットに入れたままだったことを思い出した。
「り、龍一。ふーちゃんを出しても構わない?」
 美子は、つっかえながら、龍一に言った。
「ふーちゃん? ああ、あのケサランパサランか。いいよ。出たがっているだろう」
 美子はポケットからふーちゃんを出してやった。ふーちゃんは、美子の膝の上で伸びをすると、ぴょんと、助手席の前のダッシュボードの上に乗って、辺りを見回した。
「さあ、出発するぞ」
 龍一は、エンジンをかけて、車を発進させた。
                         ◎◎
 涌谷町から仙台市内へ通じる国道三四六号線は、彼岸というせいもあってか混んでいた。龍一は車を走らせながら、自分や祥蔵の仕事のことを、美子に説明した。それは、美子が思ってもみない不思議な話だった。
「私は、仙台市躑躅岡にある、躑躅岡天満宮という神社の宮司をしている」
「へえ」
「しかし、それは私の仕事の半分でしかない」
「萩英学園の理事長なんでしょ?」
「それもあるけれど、世間には私が本当の理事長だとは言っていないんだ。何かとわずらわしいのでね。だから、別な人の名前を借りてある。どちらにしても、萩英学園は、教育熱心だった先代の土居家当主が、趣味で創立したようなもので、それを私が引き継いだだけなんだ。本来の土居家の仕事じゃない」
「じゃあ、龍一の本当の仕事って、何なの?」
「それを説明するには、時代を千年以上さかのぼって、土居家の歴史から話さなければならない。
……現在東北と呼ばれている地域は、三千年以上前から西暦一〇〇〇年ごろまでの間、ヒタカミという大きな国が治めていた。
 ヒタカミには、もちろん軍隊もあったけれど、ヒタカミがもっとも重要視したのは、魂の力だった。
 我々が生きているこの世界には、人間のほかに、太陽や月、山や海や川、植物や動物など様々なものたちが暮らしている。これらには全部、魂がある。魂は見えないけれど、確実に存在し、強い力をもっている。人々は、この魂の力を、神と呼んだり、精霊と呼んだりした。
 人間は、多くの自然の魂に囲まれて生きている。もし、この魂の力を、感じることができたり、操ることができたりしたら、それは、人間にとって、大きな力となるだろう。
 ヒタカミだけではなく、古代から人間は、何とかこの力を自分達の味方につけようとしてきたんだ。その考え方は現代でも、一般的に民間信仰や神道などのかたちで残っている」
 美子は、父が、家の神棚の神様について話したことを思い出して、うなずいた。
「ヒタカミが東北の地を治めていた当時の、古代の日本には、ほかに大きな国が二つあった。
 九州地方のクマソ、山陰地方のイヅモだ。この三国は、互いの領土を認め合っていたので、国々の間に争いはなく、平和が保たれていた。そして、三国とも、魂の力である、神々や精霊たちを敬っていた。
 また彼らは、長い時間をかけて、自分たちの魂の力を磨き強め自由自在にこれを操ったり、さらに自然界の魂に語りかけ、ときにはそれを利用する方法などを編み出していったんだ。
 ところが、二千年ほど前、天孫族と名のる一族が、海の向こうの大陸からやって来て、圧倒的な武力であっという間に、クマソとイヅモを滅ぼしてしまった。
 三国間には、長い間平和な状態が続いていたので、軍隊や武器というものはないも同然だったし、魂の力の使い方についても、豊作を祈るとか、病気を治すといったようなことに特化していたので、侵略者に対しては、ほとんど無力だった。
 天孫族は、この二国を手に入れたあと、近畿地方に本拠地をおき、ヤマト朝廷を開いて、今の天皇家の始祖となった。
 次に天孫族が狙ったのは、当然北のヒタカミだったが、ヒタカミは、三国のうちで、もっとも強大で、領土も広かったので、簡単に攻めることはできなかった。
 それで、とりあえず、日本唯一の統治者として自分たちを宣言し、天皇家を創立して、政治を始めた。
 しかし、本当に自分たちが、日本で唯一無二の支配者となるためには、ヒタカミを滅ぼさなければいけないことは、よく分かっていた。だから、それから千年以上もの間、ヤマトはことあるごとに、ヒタカミの領地を侵略しようとしてきたんだ。そして、それは徐々に成功していった。
 ヒタカミの国はあんまり広すぎて、ヒタカミはヤマトとの境界を管理しきれず、それにもともと、ヒタカミには国境や領土をちゃんと線引きして侵略者から守るという概念もうすかった。
 それから、ヒタカミの都は、ヤマトとの境界から遠く離れたツガルにあったので、これが致命的だった。もちろん、ヒタカミもヤマトと戦ったが、段々と国境は北へ後退していって、今から千年ほど前になると、ほとんどヒタカミとしての国のかたちはなくなってしまった。
 しかし、ヒタカミという国がなくなっても、ヒタカミの流れを汲む者たちは、密かに東北の各地に散らばり、根をはっていった。
 彼らは、ヤマトのように、領土や国民を治める、政治的な支配者になろうとはしなかった。ヒタカミがもっとも重視した、魂に語りかけ、この力を磨くこと、この方法を絶やさずに受け継いでいくことを、誓ったんだ。
 ヒタカミの国主(くにぬし)の直系は、ツガルを南下していって、今から六百年前ころまでには、現在の躑躅岡の地にたどり着き、以後、ここを本拠地として、土居家と名のった。
 土居一族が、躑躅岡の地を選んだ理由は、色々ある。
 たとえば、この地にほど近い多賀城は、昔からヤマトのヒタカミ攻略の軍事的拠点で、以後もずっと、ヤマトの政治的な重要地の一つだった。だから、ヤマトの動向を探るのに、多賀城に近い躑躅岡の地は都合がよかった。
 また、躑躅岡は東北の地のほぼ中央に位置し、小高い丘を中心として平野が広がり、近くには廣瀬川が流れ、東の太平洋まで通じていて、陸と海の交通の便もいい。のちに、伊達政宗が仙台で築城しようと考えた、最初の場所も躑躅岡だったし、今の仙台駅の候補地としても挙がっていたと聞いている。
 しかし、土居一族が躑躅岡を選んだ一番の理由は、躑躅岡に湧いていた一つの泉だ。それは、竜泉(りょうせん)と呼ばれて、現在も躑躅岡天満宮の本殿内にある。
 土居一族が躑躅岡の地でしようとしていたこと、それは、東北の、つまりもとヒタカミの地の、魂の力を、清浄で強いものに保つことだった。
 自然界の魂の力は、本来それだけで浄化作用をもち、うまく循環していく。しかし、そこになんらかの不自然な力、多くは人間の、自然への冒涜や、様々な欲望、怨念によって、自然の魂の力が歪められたり、不浄なものになったりしてしまう。これは、結局は人間へ跳ね返ってくるんだ。
 これをなるべく早くに感じとり、初期の段階で適切な処置をすること。この方法を、土居一族はヒタカミから受け継いでいた。
 自然界には、無数の魂が存在しているが、それらはバラバラに独立して存在しているのではなく、互いに関連し合い、つながりをもっている。それを、我々は『霊場』と呼んでいる。
 土居一族は東北中を歩き回り、東北の霊場を感じとるのに、もっとも適した地を探しているうち、この躑躅岡に湧く泉を発見した。
 水は、天、地上、地下、あらゆる空間を満たし、流れているので、泉はもともと霊場を感じる場所として適している。そして、この躑躅岡の泉は、東北全体の霊場につながっており、そこにいながらにして東北をみることができることを、土居一族は発見した。
 土居一族は、その泉を『竜泉』と名づけ、この泉を一族として守っていくこととした。
 土居家は、自分たちのほか、ヒタカミの流れを汲む四つの一族に、それぞれ東北の霊場の要地を守らせることにした。
 すなわち、津軽には初島家、北上には沢見家、出羽には蜂谷家、白河には中ノ目家を、おいた。
 そうして彼らに、土居家が竜泉を通じて感じとった霊場の異常の対処にあたらせた。
 土居家の当主は『守護主(しゅごぬし)』と呼ばれ、その他の四家は『守護家』、守護家の当主は『守護者』と呼ばれるようになった。また、守護家が本拠をおくそれぞれの場所は、その守護家にとっての『守護地』とされる。この体制は、現在でも変わっていない。
 ただ、しばらくしてから、土居家は、自分たちの代わりに、宮城の地で祓いや退魔にあたらせるため、涌谷に上木家を創設した。上木家は、もともと土居家から分かれた一族で、いわば本家と分家の関係にあるんだ。上木家が土居家から分かれたのは、だいたい、四百年前だ。
 それで、今では東北に守護家は五つあって、まとめて守護五家と言ったりもしている」
「つまり、あたしと龍一は親戚っていうこと?」
 龍一は、ちょっと黙ったあと、答えた。
「そうともいえるけれど、四百年前に同じ一族だったっていうだけだからね。そんなことをいったら、日本人は全部親戚だよ」
「そっか」
 龍一は、ちらりと美子のほうを見て、
「ここまでの話は分かったかい?」
と訊いた。
 美子は、しばらく黙って、龍一の話を思い返してみた。
 ヒタカミ? 魂の力? 竜泉? 守護主と守護者?
 おとぎ話だって、これほど荒唐無稽ではないだろう。しかもそれを、今日初めて会ったばかりのこの人は、歴史の教科書を読むみたいに、淡々と話しているのだ。
 美子は、笑いそうになった。
(龍一。あなた、本気でそんなことを言っているの?)
 そして、隣の生真面目な横顔を、見た。
 龍一は、真っ直ぐに前を見て、ハンドルを操っている。そのすぐよこで、ふーちゃんが、ダッシュボードの上で、エアコンの風に吹かれ、気持ちよさそうに目をつむっている。
 その瞬間。
 美子の心の中に、ざあっと、不思議な感覚が流れこんできた。
 実在感。
 一言でいうなら、それは、そうだった。
 ふーちゃん。
 龍一。
 すべてが、間違いなく、存在している。穴が、確かに今もあるように。美子の父も母も、家も、かつて、ふれられるほど、すぐそばにあったことが、本当だったように。
 記憶は真実を伝えているだろうか。目に見えるものは、果たしてそこにあるものだろうか。でも、きっと、それは信じていくしかないものなのだ。
『自分の感覚を信じろ』
 だれかが、そういった気がした。そうだ、そして、あると信じられること、それこそが今の美子にとって一番重要なことなのだ。
 美子は、大きく息を吸って、そうして龍一に言った。
「ヒタカミっていう国が東北にあって、その子孫が、龍一やあたしたち。龍一は守護主で、上木の家は守護家。お父さんも守護者、だったっていうこと?」
「そうだ」
 ぽうんと、ふーちゃんが、美子の膝に飛び乗り、美子を見上げた。美子は、ふーちゃんと目を合わせて、にっこりした。ふっと肩の力がぬけた。すべてが、ふーちゃんの目の中で、ぴたりとあてはまった。
「お父さんが、龍一に頼まれてしていたっていう仕事は、守護者の仕事だったのね」
「そう……」
 急に龍一の口調が、暗くなった気がした。
 それで、美子は、思いあたった。
「龍一は、あたしに、守護者を継いでもらいたいって思っているんだ……」
「上木家の血を引く者は、今では美子以外にいないからね。でも、もちろん今すぐじゃない。しばらくは上木家の当主は不在でもいいんだよ。美子には、まず一番に高校生活をちゃんと送ってもらいたいんだから」
 美子は、また落ち着かない気持ちになった。不安が、雲のように別なところから湧き上がってくる。自分のいる場所も、行こうとしている場所も、やっぱり全部が間違っている気がした。
 それで、恐る恐る、言った。
「でも、あたしに、守護者なんて、やろうったって、できるわけないわ。今まで幽霊だって一度も見たことがないし。龍一はそれを心配しているんじゃないの?」
 すると、龍一は、きっぱりと言った。
「いや。私が心配しているのは、そういうことじゃない。もっと別のことなんだ。
 それから、上木家が代々守護者の一族だからといって、美子がそれにしばられる必要はない。いやならまったく別な道を歩んでもいいんだ。少なくとも私はそう思うよ。
 だから、このことで悩んだり、重荷に感じたりしないでほしい。
 それに私がみるところ、君は祥蔵さんと遜色ないくらいの霊力をもっていると思う。ただ、君はそれを自分で気がついていないだけだ。幽霊を見たことがない、なんて関係ないよ。
 それは、そのケサランパサランを見ても分かる」
「どういうこと?」
「言わなかったかな。ケサランパサランは、自分で自分の飼い主を選ぶんだ。自分にふさわしいものをね。
 普通、ケサランパサランは単に真っ白な毛の塊だよ。そんな金色をしていないし、動物の形にもならない。
 ところが、それは、小さいながらも霊孤の姿をしている。たぶん、もともと相当な霊力を持つ霊孤の尾から分かれたのだと思う。だから、そのケサランパサラン自身にも、普通のものよりもずっと大きな霊力が備わっているはずだ。
 そういうケサランパサランが、美子を選んだんだ。美子にまったく霊力がないなんてことは、ないよ」
 美子は、難しい顔をしてふーちゃんを見つめた。
「ふーちゃんは、本当に精霊なの?」
 龍一は、少し笑った。
「信じられないかい? じゃあ、ちょっとそのケサランパサランを光に透かして見てごらん。さっき私がやったように」
 美子は、そっとふーちゃんの尻尾をつまんだ。ふーちゃんはすぐに真ん丸になった。
 それを太陽の光に透かして見てみる。ふーちゃんの金色の毛の一本一本がきらきらと輝く。
 見続けていると、美子はそれが太陽の光なのか、ふーちゃんの毛なのか区別がつかなくなってきた。毛は光に溶けこんで、消えたり現れたりした。
 ふーちゃんの体は驚くほど軽いので、美子は自分の指がただ光線をつまんでいるだけのような気がした。
 美子は目をしばたたかせた。龍一が訊いた。
「どうだい?」
「ふーちゃんが透明になったみたいに見えたわ」
「第一、そんなに軽い生き物がいるかな?」
 美子は納得した。ふーちゃんには、骨や肉なんてないように思えた。それなのに、撫でると確かに温かい体を感じることができる。
(ふーちゃんは、あたしを選んでくれたんだ……)
 美子は、ふーちゃんをそっと抱きしめた。
 ふーちゃんは、その美しい目で、美子をじっと見つめた。その目には知性が宿り、優しさにあふれていた。美子は自分の中が愛情でいっぱいになるのを感じた。
「分かったかい?」
「うん……。ところで、さっき言っていた、龍一が心配しているほかのことって、いったい何なの?」
 龍一は、厳しい顔つきに戻ると、ゆっくりと話し始めた。
「上木家は四百年前に創設されてから、土居家の指示を受けて、ほかの守護家と同じように退魔や祓いの仕事に従事してきた。
 しかし、上木家がほかの守護四家と違うところが二つある。
 一つは、さっきも話したとおり、土居家の分家だということ。
 もう一つは、上木家は、涌谷の地の守護者であると同時に、飛月(ひつき)という霊刀の『使い手』でもあるということだ。
 飛月というのは、三百年以上前に土居家が、仙台藩伊達家から託された霊力をもつ刀のことだ。怨霊などを祓う強い力がある、退魔の刀なんだ。
 飛月は普段は土居家が管理しているが、飛月を使って退魔をする場合は、上木家のみにその使用を許可している。他の守護四家には許されないことになっているんだ。
 上木家が飛月の使い手と言ったのは、そういう意味だ。ところが……」
 龍一は、ため息を小さく一つついたあと、
「今、その飛月は、行方不明となっている。祥蔵さんの事故と時を同じくして、どこかにいってしまったんだ」
と言った。美子は、一瞬言葉を失ったが、
「お父さんと一緒に、穴の中に落ちちゃったんじゃない?」
と言ってみた。
「ところが、話はそう簡単じゃない。飛月は土居家が管理していると言ったね。ある場所に保管しているんだが、その場所は、上木家にも知らされていない。
 そして、飛月は二重三重の守護秘文に守られていて、それを解除する秘文は土居家当主しか知らないんだ。土居家当主以外の者がその場所を探しても、飛月を手に入れるどころか、飛月を見ることさえできないようになっているんだ。
 あの事故の前日、確かに私はある調査を祥蔵さんに依頼した。祥蔵さんは仙台に来ていた。しかし、この時、私は祥蔵さんに飛月を渡していない。祥蔵さんは調査を終えて、そのまま翌朝涌谷に帰っていったんだ。
 そして祥蔵さんは事故にあった。だから祥蔵さんが飛月を持っていたはずはない」
「…………」
「祥蔵さんが調査に来た日の夕方に、私は飛月を一度確認している。実は、祥蔵さんに飛月を持たせようと思ってね。でも、そのあとに祥蔵さんから連絡が入って、もう調査は終わったから大丈夫だと言うので、また飛月をしまったんだ。
 あくる日、祥蔵さんの事故のニュースを聞いて、私はまた飛月を確認しに行った」
「どうして?」
「……祥蔵さんに頼んだ調査というのは、私が霊場視で感じた霊場異常の調査だった。わずかだが怨霊の気配があったのでね。その程度の気配の怨霊であれば、祥蔵さんなら飛月なしでも、調査くらいは問題ないはずだった。私が飛月を渡そうとしたのは、単に万全を期すつもりだったのだ」
「でも結局、飛月なしでお父さんは大丈夫だったんでしょ?」
「そうなんだが、その直後の、あの事故。あの巨大な穴……。どうも気になってね。それで一応、飛月を確認しに行ったら、飛月は消え失せていた」
 美子と龍一は、しばらく押し黙った。ようやく美子が口を開いた。
「つまり、あの穴は、その怨霊に何か関係があるっていうこと?」
「正直言って、分からない。
 あの穴を、私も丹念に調べてみたが、霊場の異常は、まったく感じられなかった。警察のいうとおり、地盤沈下によるものなのかも知れない。でも、祥蔵さんほどの霊力のもち主が、あんな事故で亡くなるなんてことも、何だか腑に落ちないんだ。しかも、飛月の紛失の件もある。
 私が君をできるだけ早く、仙台に連れて来たかったというのも、あの穴のそばに、余り長く君をおいておきたくなかったからなんだ。私のそばにいれば、君を守りやすくなるからね」
「そうだったの……」
「当の怨霊について、祥蔵さんの調査結果の報告は、『特に問題ありません』というものだった。その後の竜泉の霊場視によっても、確かにその気配は消えていたし、事故のあとに、私も実際現地に行ってみたが、やはりなにも感じられなかった。
 私はそれを、最初、その場所がらのせいで、自分が勘違いをしたのだと思った」
「場所がら?」
「ああ。そこは、瑞鳳殿(ずいほうでん)といって、伊達家の墓所になっている場所だ。伊達政宗もそこに眠っている。もともとお墓だから、色々な霊の気配があるのは、当然なんだ。
 そのうちの一つを竜泉でみたとき、それが通常の霊とは違う色のように感じたんだが、一瞬で消えてしまった」
「霊に色があるの?」
「いや、それはたとえだよ。竜泉でみるといっても、目で見るような映像が見えるわけじゃない。ただ言葉では表現しにくいので、色と言ったまでだ。
 竜泉で感じるものは……、そうだな、音に色がついて聞こえ、色は形があるように見え、そして多くのものが同時に重なり合っているが、すべてを同時にみることができる、というか……。やっぱり、うまく言えないな」
「ふうん」
 美子には、そんな龍一の世界とつながっていたという父が、まだうまく想像できなかった。
「あのう、お父さんは、すごい霊能力者だったの?」
「そうだね。特に退魔の腕に関しては、素晴らしかった。飛月の使い手としては、上木家代々の守護者の中でも、一番だと思う。それに人格的にも申し分ない。頼んだ仕事は、綿密に調査した上で、確実にこなす。
 祥蔵さんに任せれば安心なので、私は、宮城以外の地へも、ほかの守護者で不安があるときは、祥蔵さんに行ってもらったりしていたんだ」
 父が頼まれて他県にも仕事に行くと言っていたのは、このことだったのか、と美子は思った。
 龍一が言った。
「このことも、ちょっと引っかかっているんだ」
「えっ、何が?」
「祥蔵さんが退魔の仕事をするときは、まず躑躅岡天満宮の私のところに来て、打ち合わせをしてから、現地へ行く、というのがいつものやり方だった。だから私も、当然祥蔵さんが来るのだと思って、飛月を用意しておいたんだ。
 ところが、夕方遅くに祥蔵さんから電話が来て、もう調査が終わって問題ないことを確認した、と言うので、びっくりしてしまったんだ。確かに調査依頼をした時に、瑞鳳殿という場所は言っておいたのだが。祥蔵さんらしくない。
 しかし、もう一度竜泉で確認してみると、確かに異常はないので、私も、何もそれ以上言うことはなかった。
 これから涌谷に帰るのか、と訊いたら、祥蔵さんは、仙台に一泊してから帰る、と言った。私が、娘さんが待っているのではないか、と訊いたら、ちょっと仙台に用があるから、とのことだった。
 その時は、納得したのだが、今考えると、その用事は何だったんだろうと思うんだ。祥蔵さんは帰れるときは、遅くなっても必ずその日のうちに涌谷に帰っていたんだからね。娘が待っているからって」
 美子は、父のことを想って、胸がいっぱいになった。
「じゃあ、龍一は、お父さんのは単なる事故じゃないって、思うの?」
 龍一は、しばらく黙ったあと、きっぱりと言った。
「私は、祥蔵さんは殺されたのだ、と思っている」
 美子は、息を呑んだ。ふーちゃんが、美子の手に体をすりよせた。美子は無意識にふーちゃんの背中を撫でた。
「こんな言い方をして、悪かった。でも、もし本当に祥蔵さんが殺されたのだとしたら、私の依頼した仕事と無関係ではないはずだ。
 そうならば、それは私の責任でもある。必ず祥蔵さんを殺したものの正体をみつけ出すよ。
 しかし、それにはまず、飛月がどこにあるかを探し出さなければならない。祥蔵さんの死が事故ではないとしたら、飛月の紛失もそれに当然関係があるはずだ」
 美子は、ふーちゃんを抱き上げて、そのほんのりと甘い匂いをかいだ。少し気持ちが和らぎ、ほっと息をつく。
 そうして、また顔を上げた。
「どうやって、飛月を探すの?」
「飛月は、強い霊気を発散している。普通なら竜泉で在りかが分かるはずだ。しかし何度霊場視をしても、はっきりと飛月をみることができないんだ。
 となると、誰かがつくった結界の中に隠されているとしか思えない。だれが、どこに隠しているのか……。
 だれか、というのは、それが祥蔵さんを殺したものである可能性は高い。どこか、というのは、はっきりしないが、おおよその場所は感じることができた」
「どこなの?」
「まあ、こうなったら、君に言っても構わないと思うが、新寺だ。躑躅岡のすぐ隣の地区だよ。
おかしいんだ。もともと飛月の保管場所というも、新寺の中なんだから。
 しかし、保管場所には確かにない。だが同時に、飛月の霊気は今でも新寺の地区内に感じられる。
 飛月は新寺のほかの場所に移動され、隠されていると考えるしかない」
「じゃあ、丹念にそこを探せば、飛月が見つかるかも知れないのね」
 龍一は、鋭くちらりと美子を見て、言った。
「それは、私が必ずする。美子は、間違っても探そうとなんてするなよ。そこにいるのが、祥蔵さんを殺した犯人かも知れないんだからな」
 美子は、龍一に自分の心の中をよまれたような気がして、ドキッとした。
「分かったか?」
「う、うん」
「とりあえず、君は来月からの高校生活の準備をすること。制服や学用品なんかは、だいたい用意させているが、足りない物もたくさんあるだろうから、入学式までに買い足しておくといい」
 美子は、不安に思っていたことのもう一つを、龍一に言った。
「あ、あの、あたし、あんまりお金を持っていないんだけど……」
 あんまりどころか、美子は、守屋のおばさんがくれた、五千円しか持っていなかった。
 美子が先ほど涌谷を出る時におばさんにもらった紙袋の中の、パーカーの下に『入学祝』と書かれたぽち袋があって、その中に五千円札が入っていたのだった。
 上木家の銀行口座の通帳や印鑑は、穴の中に落ちてしまっていた。銀行にいえば再発行してくれるはずだが、美子はその通帳の中身も見ていたので、たいして残高がないことも知っていた。
 高校の入学金や、学費の心配を美子がすると、祥蔵は『何とかなる』と言っていたが、その父はもういない。
(お父さん、どうするつもりだったんだろう。どこかにへそくりでもしていたのかな。それも家と一緒になくなっちゃたのかも……。萩英は私立だから入学金も高いだろうし)
 美子の心配を聞くと、龍一は、前の信号を見ながら、表情をゆるめた。車はすでに、仙台市内に入っている。
「お金の心配はいらないと思うよ。といっても、私が出すわけじゃない。祥蔵さんは、退魔で稼いだお金は、全部君の名義で預金していたからね。今では相当な額になっているはずだ。美子が高校生活を送るくらい、充分まかなえるよ」
「退魔って、お金をもらえるの?」
「もちろん。仕事だって言っただろう? 今回祥蔵さんに頼んだ調査にも、私は報酬を払っている。
それから、私のところには、色々な人が退魔や祓いの仕事を頼みに来るんだ。報酬はその時々によって違うけれど、まったくの無報酬というのはまれだ。
 どちらにしても、私が祥蔵さんに頼む場合は、きちんとお金を支払っているからね。
 口座の今の残高は……、ええと、天満宮に着いたら、築山という者がいるから、調べさせるよ。事務的なことは、築山が詳しいから」
 美子は、ほっと、ため息をついた。『へそくり』どころか、美子の名義で預金がされているなどとは、思いもよらなかった。
(お父さん、あたしのことを、ちゃんと考えていてくれたんだなあ)
「だから、美子は何も心配する必要はないんだ。飛月や怨霊のことも、私に任せてくれ」
 龍一は、重ねて美子に言った。
「はい、はい」
                         ◎◎
 龍一は、ウィンカーを出し、ハンドルを左にきった。
「もうすぐ、天満宮だ」
 美子がきょろきょろしていると、車は細い道に入った。
 突然、道の左手、視界いっぱいに森が現れた。周りにビルやマンションが建ち並ぶ中、そこだけが、別世界のようにうっそうとした樹木でおおわれている。
 森は、まるで緑の入道雲のように、道路から高々と立ち上がっていた。
 森の正面に、石段が急斜面に沿って作られている。
 龍一は、石段の前で車を停めた。美子は、車を降りて、坂の上を見上げ、歓声をあげた。
「きれい!」
 入り口には、真っ白な狛犬が右と左に一匹ずつ鎮座している。石段は見上げるほど高く延びており、その両側には、白と赤の梅の木が交互に植えられ、ちょうど満開となっていた。
 石段を登りきった場所には、朱色の大きな鳥居が見える。
「ここが、一番きれいな時に、美子は来たね。上から見る景色は、もっと美しいよ。駐車場はこの上なんだ。もう一度車に乗ってくれ」
 龍一は、車を神社の入り口右手にある小道に乗り入れ、急な坂道を上っていった。
 道の神社側には背の高い生垣が続き、上のほうから先ほどの梅の木が垣間見える。
 道の反対側からは、湿った陰を投げかけるように森が迫っていた。
 坂の上には平らなスペースがあって、砂利が敷かれた駐車場になっており、『関係者専用駐車場』と書かれた看板が立っている。駐車場には、深緑色のジープが一台停まっていた。
 龍一はその車のわきに、BMWを停めると、美子について来るように言った。
 美子はふーちゃんをまたポケットに入れ、紙袋を持って、龍一のあとをついて行った。
 高い板塀に沿って歩くと、赤い木の扉があり、龍一はそれを開けて、美子を中に入れた。
                         ◎◎
 そこは、神社の建物のすぐわきだった。
 床が高く、割合大きな建物で、がっしりとはり出した屋根が印象深い。建物の周りは、朱色に塗られた腰の高さほどの瑞垣でぐるっと囲まれていた。
 美子は、同じく朱色の大きな四足門を通って、瑞垣の外にちょっと出てみた。入口の両わきには、石段の下にいたものとはちょっと違う狛犬がいた。大きさも小さく、黒っぽい石でできており、頭に角のようなでっぱりがある。
 参道の向こう側に、先ほど見上げた鳥居がある。本来は、あそこを通って、境内に入るのだろう。
 境内には、何人もの参拝客がいた。瑞垣の中には、入口付近に飾られたたくさんの絵馬を見ている大学生ふうのカップル、そして親子らしき中年の女性と高校生くらいの男の子がいる。
 親子が神社建物の正面につけられている太い麻縄を引っぱった。がらがらと大きな鈴の音が響く。
 門の外側には四、五人おり、これは盛りの梅の花を観に来た人たちのようだった。
「ここは、拝殿だよ。一般の人が参拝しに来るところだ。本殿はもっと上にあるんだ」
 龍一が手招きしたので、美子はまた門をくぐり、龍一のあとについていこうとした。
 すると、絵馬のそばにいたカップルのうち女性のほうが、龍一に声をかけてきた。
「あのう、この神社の方ですか」
 龍一は、足をとめて振り返った。
「はい、そうですが」
「この絵馬に値段が書いていないんですが、おいくらですか」
「あ、それは、ただです」
 女性は驚いたような顔をした。
「え、ただって、お金はまったく払わなくてもいいんですか?」
「はい。いくらでもご自由にお使いください。もし、なくなれば、ここに予備が入っていますから」
 龍一は、絵馬が飾られている板のわきに置かれている、テーブルの下から、大きな木の箱をちょっと引き出して見せた。そこには、数種類の絵馬が、ぎっしりとつまっている。
「どうも、ありがとうございました」
 そして女性は、連れの男性と顔を見合わせ、ちょっと笑った。
 龍一がきびすを返して、歩き出そうとすると、今度は親子で来ていた母親のほうが、近よって来た。
「躑躅岡天満宮の方なんですね」
「はい」
「まあ、このたびは、本当にどうもありがとうございました」
 そう言って母親が深々と頭を下げたので、龍一は面食らったように、
「と、いいますと?」
と訊いた。
「いえね、ここの神社が、合格祈願の霊験あらたかというので、うちの息子のために、三回参拝させていただきましたら、見事、難関の第一志望校に受かることができたんですよ。大河原からわざわざ通ったかいがありましたわ。それで今日、息子を連れてお礼参りに伺ったんです。
 さあ、のぼるも、お礼を申し上げなさい」
 母親は、息子を呼びよせ、頭を下げさせた。龍一は苦笑して、言った。
「それは、おめでとうございました。しかし、難関に合格したのは、一にも二にも、息子さんの努力の賜物でしょう。息子さんを褒めてあげてください」
 母親は、龍一の言葉を聞いているのか、いないのか、
「あの、それで失礼かとは存じますが、ぜひお礼の気持ちをこめまして、ご寄付をさせていただきたいんですが。受付はどこでしょうか」
「寄付は、どなたからも遠慮申し上げていますので、お気持ちだけで結構です。では、ちょっと用事がありますので失礼します」
 龍一は、ぽかんと立っている母親を尻目に、美子をうながして、拝殿の裏に回った。
 そこには、駐車場から入って来たのと同じような朱色の大きな木の扉があった。
 その中に入り、扉を閉めると、境内に満ちていた人々の気配が、一瞬にして消えた。
 扉の向こうは、坂の下と同じような石段になっていた。紅白の梅が立ち並んでいるところや、一番上に朱色の鳥居があるところなど、そっくりである。美子は、また最初の場所に戻ったような感覚に襲われた。
 美子は、龍一のあとについて石段を上りながら訊いた。
「ねえ、龍一。この神社では、お金をもらわないの?」
「別に神社の参拝客からもうけようとは思わないからね。第一、ご利益なんてあるのか、ないのかも、私には分からないし」
と龍一が言うので、美子は驚いた。
「神社の宮司さんが、そんなこと言っていいの?」
「しかし、本当だからねえ。たまにああやって、合格できたとか、恋愛成就したとか、いってくる人がいるけれどね。本人がそう考えたいなら、別にいいけれど、それでお金をもらう気にはなれないね。私も神社も何もしていないんだから。
 拝殿の前に置いてある賽銭箱も、そう思って、一度とり外したら、参拝客から苦情がきたので、仕方なくまた置いたんだ。
 ここ躑躅岡天満宮の祭神は菅原道真だから、学問の神様というので、受験生の参拝客も多い。それで、合格祈願をするときに、賽銭箱がないと困るっていうのさ。菅原道真は、もうお金なんかいらないと思うけれどね」
 龍一は、くすりと笑った。
「しかし、これで私が、萩英学園の理事長だというのを、表だっていわない理由が分かっただろう? 理事長が宮司をしている躑躅岡天満宮にたくさん寄付をしたら、萩英に合格した、なんて噂がたってはたまらないからね」
 美子もくすくす笑った。
 石段の一番上まで上ると、龍一は美子に言った。
「美子、振り返って、下を見てごらん」
 美子は、言われたとおり、下を見下ろし、息を止めた。
 今まで上ってきた石段の下に、先ほどの拝殿、朱色の四足門が見える。
 門の向こうは石畳の参道が、下の鳥居まで続いている。その先は最初に見た坂の下までの石段だ。
 これらが一直線につながっており、石段と石畳の両側には、すべて紅白の梅の木が植えられ、満開に咲き誇っていた。
 春分の太陽は傾き始め、辺りを金色の光で染め上げていた。その中で光を照り返すように輝く赤と白の梅の花々は幻想的ですらあった。
 その時、さっと一陣の風が吹き、梅の花の香りが甘ったるいほどの重たさで、美子たちを包んだ。美子は、梅の花がこんなにも香るのだと、初めて知った。
「こんなにきれいな神社は、初めて見たわ」
「気に入ってもらえて、嬉しいよ」
 美子は、ふーちゃんをポケットから出して、自分の肩の上に乗せてやった。ふーちゃんは、さかんに辺りの匂いをかいでいるようだった。
 二人が立っている場所からは、眼下に平野が一望できた。躑躅岡という場所は小高い丘を中心として平野が広がっている、と龍一が言ったとおり、ここがその丘なのだ。
 丘の下には、住宅や、ビルなど多くの建物がぎっしりと建っているのが見え、美子は、思ったよりもここが仙台の中心部に近いのだと感じた。躑躅岡天満宮の周囲がこんなにも樹木に囲まれていることのほうが、逆に不思議なくらいだ。
 そして、正面の太い通りの向こう側には、瓦葺の屋根をもった大きな寺が、たくさんより集まって建っていた。その数は、何十にもなるだろうか。
「あの大通りの向こう側が、新寺だ」
 龍一が説明した。
(あそこのどこかに、飛月があるんだ)
 美子は、自然に胸が高鳴るのを覚え、飛月がどこかに見えないかを探すように、重なる寺の屋根の間に目を凝らした。
「あの大通りを右に曲がって、十分ほど歩いて行った先が、仙台駅だよ」
「えっ、そんなに近いの?」
 美子は、驚いて声をあげた。
 仙台市は、東北で一番大きな都市で、仙台駅はもちろん、その玄関口であり、中心地だ。
「駅のすぐそばじゃない」
「我々が駅の近くに来たんじゃない。我々のあとに、駅が作られたのさ」
 龍一は、腕時計をちょっと見ると、美子に言った。
「そろそろ行こう。築山も待っている」
                         ◎◎
 鳥居をくぐると、そこは、下の拝殿とはまったく別の雰囲気をもつ場所だった。
 地面には真っ白な玉砂利が一面に敷きつめられ、梅の木もない。
 真正面には、何かをぐるっと囲んでいるような瑞垣があったが、拝殿のもののように朱には塗られておらず、背もずっと高くて、一本一本が板のようにつまっているため、中に何があるのかは見ることができない。
 その瑞垣の左側から屋根のついた渡り廊下が延びており、黒い板葺きの屋根をもつ建物につながっている。渡り廊下には壁がないので、後ろの木立がよく見える。
 鳥居の近く左側には、大きな白い一枚岩でできた、四角いテーブルがあり、四方に同じような石で作られたベンチが置かれている。
 テーブルの上にかぶさるように枝を伸ばしている立派な木は、まだ花も葉もつけていないが、黒い幹の感じから、桜のようだった。
「君の住まいは、こちらだ」
 龍一は、鳥居から見て右側に建っている、同じような造りの二つの建物のうち、手前にある建物を示した。
 どちらも平家建で、屋根瓦は灰色がかった青、壁は白い漆喰で塗られており、戸や窓枠は木製だった。
 手前の建物は東西に長く、北東に玄関があり、奥の建物は、南北に長く、西側に玄関がある。つまりかぎ字状に並んで、二つの建物は建っていた。
 奥の建物の中から、六十歳前後の、小柄だが肩幅の広い、がっしりした男が、手ぬぐいで手をふきながら出て来た。頭はもじゃもじゃの白髪で、眉毛だけが黒い。日に焼け、愛想のいい顔をしている。
「龍一様、おかえりなさいませ」
「うん、築山。連れて来たよ。美子、これが、築山四郎だ」
「上木美子様ですね。私は、躑躅岡天満宮の庭師をさせていただいております、築山四郎と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
 築山は、にこにこして、美子に頭を下げた。美子も慌てて、頭を下げる。
「上木美子です。こちらこそよろしくお願いします」
「築山。美子に家の中を案内してやってくれ。私はちょっと着替えてくる」
 龍一は、築山にそう言うと、黒い屋根の建物のほうへ歩いて行った。
                         ◎◎
 築山が、美子に向き直った。
「さ、美子様。こちらでございます」
 築山は、美子を手前の建物の玄関へ案内した。
 古風な木の格子戸を引き開けると、中はひんやりとうす暗い。築山は壁のスイッチを押し、明かりを点けた。
「ここは、遠方から来るお客様をお泊めする宿舎でしたが、たまにしか使っておりませんでした。今回美子様がいらっしゃるというので、慌てて掃除しまして、体裁を整えましたが、ゆき届かない部分もだいぶあると思います」
「すみません」
 美子は恐縮して言った。
「いえいえ」
 築山は玄関を上がって、美子に家の中を案内した。
 玄関を入ってすぐの部屋は、美子の寝室兼勉強部屋としてあるらしく、真新しい机と本棚が入れられていた。広さは十畳くらいだろうか、これまでは布団部屋として使っていたという。本棚には高校で使う教科書や辞書が並んでおり、壁には萩英学園の制服がかかっている。萩英学園の女子の制服は、紺のブレザーと、紺のチェックのスカートだ。
「時間がなかったので、失礼ですが、守屋さんに美子様のだいたいのサイズを訊いて、用意いたしました。もし合わないようでしたら、服屋に直させますので、お申しつけください」
「ありがとうございます」
 廊下の片側には、トイレ、風呂、台所が並んでおり、もう一方には、閉めきられた部屋が二つ、三つ。これは、現在、物置となっているらしい。
 一番奥の部屋は二十畳ほどの板ばりの広い部屋だった。中央に洒落たテーブルと椅子が四つ、壁際のリビングボードには、テレビやオーディオ機器が置かれてある。すべて新品のようだった。
「と、まあ、これだけの中身なんですが、一応、食器やタオル類なんかも新しくそろえさせました。だいたいは、娘に選ばせたんですがね。私は若い女性の好みがよく分からないので。娘は、建築設計士なんです。しかし、建物がもともと古いものですから、ご不便をおかけするとは思います。もちろんガスも水道もきておりますが」
 築山と美子は、ひととおり家の中を見終わると、リビングの椅子に腰をかけて話をした。築山が台所でお茶を淹れて出してくれた。
「築山さんは、この隣の家に住んでいらっしゃるんですか?」
「いいえ。私は、ここから車で五分程度の場所に自宅がありますので、そこから毎日通っております。
 だいたい、朝八時に来て、夜の六時か七時まではおります。その間は、隣の庭師小屋で作業をしているか、天満宮の敷地内で掃除や庭木の手入れをしていますので、何か用事がありましたら、声をかけてください」
「龍一は、向こう側の建物に住んでいるんですか? ほかに一緒に住んでいる人はいないんですか?」
「龍一様は、お一人であの宮司舎に住んでいらっしゃいます。ほかにここに住んでいる方はありません」
 そう言ったあと、築山は、美子が心配すると思ってか、つけ加えた。
「ここら辺はあまり物騒ではないですし、この上社まで上がってくる人も、お客様以外ありませんが、何か不審なことがあれば、夜中でも結構ですので、私にご連絡ください。龍一様は、夜はほとんど本殿内に籠もってしまいますので。
 あ、そうそう、ちょっとお待ちください」
 築山はリビングを出ると、廊下を歩いて行ったが、小さな紙袋を持ってすぐに戻って来た。袋の中身は、新しい携帯電話と、その付属品や説明書だった。
「美子様用の携帯電話も用意しておきました。この宿舎には電話がついていないので、すぐに電話がないと不便でしょう。もし気に入らなければ、買い替えていただければと思います」
 携帯電話は、金と黒のツートンカラーで、二つ折りの薄型のものだった。美子も、パンフレットで見たことがある最新のタイプだ。
「何から何まで、ありがとうございます」
「一応、庭師小屋の電話番号と、私の自宅、私の携帯電話の番号を登録しておきましたので」
 美子は携帯電話を開いて、電源を入れ、中身をチェックした。父の携帯電話をいじったことがあるので、だいたいの使い方は分かる。
 電話帳には、『築山四郎(携帯)』、『築山四郎(自宅)』、『躑躅岡天満宮(庭師小屋)』とあり、それぞれの電話番号が登録されている。
「龍一の電話番号はないんですか?」
「宮司舎には電話がついておりませんし、龍一様も携帯電話は持っていらっしゃいません。外部から天満宮に連絡がくるときは、すべて庭師小屋の電話にかかってきまして、それを私が龍一様にとり次ぐようになっております」
 美子が携帯電話を見ていると、美子の肩に乗っていたふーちゃんがテーブルの上に飛び降りて、携帯電話の匂いを盛んにかぎ出した。
「ふーちゃん、ケータイが気になるの?」
 築山は、ふーちゃんをじっと観察すると、言った。
「確かに、このケサランパサランは、珍しいですな。私もこんな色のものは初めて見ました。しかし、その携帯電話の色とそっくりじゃ、ありませんか?」
 言われてみると、本当に、色合いといい、光にあたった時の輝き具合といい、ふーちゃんと携帯電話はそっくりだった。美子は築山に訊いた。
「築山さんは、ケサランパサランを見たことがあるんですか?」
「何回か。私の小さいころには、ケサランパサランを飼っている人が周りに何人もありましたよ。しかし、ケサランパサランは女の人のものだと思っていましたので、自分で飼いはしませんでしたが」
「ケサランパサランは、女性の幸運の印って聞きましたけど」
「そう言われていますね。不思議と男にはよって来ないようです。本当にケサランパサランが、女性に幸運を運んでくるかどうかは、分かりません。しかし、精霊が自分のところに訪れること自体が、めったにない幸運だと思いますよ」
 美子は、築山の言葉に強くうなずいた。
「本当にそうですね。あたし、ふーちゃんに会えて、本当によかったと思います」
 そして、ちょっと首をかしげて築山に言った。
「ふーちゃんは、どこから来たのかしら。涌谷のあの穴のそばにいたんだけど、まさかあの穴から出て来たとも思えないし。
 龍一は、ケサランパサランは自分の飼い主を自分で選ぶって言っていたけど、あたしに会いにわざわざ出て来たのかな?」
 築山は、優しく眼を細めながら言った。
「さあ。しかし、どこから出て来たにしろ、そのケサランパサランがはっきりとそう自覚して行動したわけでもないでしょう。
 それは人と人との関係も同じじゃないですか。たとえ偶然にみえても、惹かれ合う者同士は、いつかどこかで必ず出会うものです」
(惹かれ合う者同士、か)
 美子は、ふーちゃんの温かい背中を優しく撫でた。ふーちゃんは、携帯電話の横に寝転んで、気持ちよさそうに目を細めている。
 今日、初めてふーちゃんに会ったばかりなのに、美子は、ふーちゃんがいない自分を、もう考えることができなかった。
                         ◎◎
 美子はこの機会に、築山にほかにも訊きたいことがあった。
「……龍一って、何歳なんですか?」
「龍一様は、今年で満二十五歳になられます」
 美子は、龍一の誕生日も訊きたかったが、それは思いとどまった。
「築山さんは、龍一様って、呼んでいるんですね」
「それは、そうです。龍一様は、土居家のご当主ですし、東北すべての守護家の上に立つ守護主様ですからね。私は土居家の庭師にすぎないんですから」
 美子は、もじもじした。
「あのう、すると、あたしも呼び捨てになんてするのは、やっぱりまずいんでしょうか。龍一がそうしろって言ったんですが、うちは守護家なわけだし……」
 すると、築山がきっぱりと言った。
「龍一様がそうしろと言ったのなら、美子様はそうすべきです」
 美子は、築山のあまりにはっきりした言葉に、ちょっとたじろいだ。
「そ、そうですか。でも、築山さん。あたしのことを、『美子様』なんて言うのはよしてもらえませんか。築山さんは、あたしよりもずっと年上ですし。何だか落ち着かなくて」
「申しわけありません。しかし、やはりそう呼ばせてください。私は何度も言うように、ただの庭師。ほかの守護家の方々へも、私は敬語で接しております。年齢は関係ありません。そして、ほかの守護家の方は、たいてい、私のことを『築山』と呼び捨てになさいますよ。
 まあ、祥蔵様は、さんづけでお呼びになりましたが、私のことをどう呼ぶかは、その方のご自由ですからね」
 美子は、父も、築山を、さんづけで呼んでいたことが分かり、少しほっとした。
「じゃあ、あたしも今までどおり、築山さんと呼んでいいですか」
「どうぞ、どうぞ」
 美子は、ちょっと気が楽になった。
「龍一は、ずいぶん若いのに当主なんですね。前の当主というのは、もう亡くなられたんですか?」
「先代の、土居菖之進(しょうのしん)様は、七年前にお亡くなりになりました。龍一様はその時から当主になられましたので、十八歳で土居家を継がれたことになります」
「十八歳!」
「しかし、菖之進様はお亡くなりになる一年ほど前から、寝たり起きたりになっておりましたので、龍一様は、そのころから、実質的に当主の役目を代行されておりましたけれどね」
「はあー。じゃあ、龍一は、かなり優秀だったってことですね」
 築山は、若干むきになった様子で、言った。
「龍一様の才能は、『ずばぬけて』おります。霊力に関していえば、幼いころからすでに菖之進様を越えておられました。 菖之進様もそれを見こまれて、龍一様を早くから次期当主とすることを宣言しておられたのです。
 今では、日本でも一、二を争う霊能力者といってよろしいでしょう。それでここには、全国から、龍一様に霊視を依頼するお客様方が、ひっきりなしに訪れるのです」
 そう言って、築山は自分のことのように胸をはった。
 その時、西側に面したガラス戸が、こつこつと鳴った。
 築山が障子を開けると、ガラスの向こうに、龍一が立っていた。
 西日がさあっと部屋の中に流れこむ。築山がガラス戸を開ける。
 龍一は、宮司の装束に着替えていた。白い狩衣の下に、春の空を映したような浅葱色の袴を着けている。
「築山。次の客は何時だったかな」
「金谷様は、六時半というお約束です。あと二時間ございます。
 今から美子様にお食事をお出ししますが、龍一様もお食べになりませんか。外のテーブルに用意しようと思っているのですが。
 梅の花に合わせて、去年漬けた梅酒もお出しする趣向です」
「いや、客の前には、食べない。しかし、せっかくだから、梅酒は一杯だけもらおう。美子も初日に一人の食事では、つまらないだろうから。
用意ができたら呼んでくれ」
 龍一はそう言うと、宮司舎に帰って行った。
 築山は、美子のほうに振り返ると、
「では、私は食事の用意をして参りますので、ちょっとお待ちいただいてよろしいでしょうか。準備が整いましたら、お呼びしますので」
と言った。美子は立ち上がった
「あたしも、手伝っていいですか」
「そんな……、結構ですよ」
 美子は引き下がらなかった。
「だって、あたしはもうここに住むって決めたんですから、お客さんじゃないんです。あたしもここで何かしたいんです」
 築山は、目をみはって美子を見ていたが、しまいに微笑んだ。
「分かりました。では、お願いしましょう」
 美子は、築山のあとについて部屋を出た。ふーちゃんも、もちろん一緒だ。美子の肩に飛び乗った。
                         ◎◎
 隣の庭師小屋は、外見は、宿舎と似ているが、中身はまったく違っていた。
 西の入り口から入ると、中はほとんど土間で、右側に、ステンレス製の大きなシステムキッチンが備えつけてあり、壁の棚には、ありとあらゆる形の鍋がいくつも並んでいる。奥の一角だけが床を上げてあり、八畳ほどの畳が敷かれ、真ん中に囲炉裏が切ってあって、布団袋が片隅に置かれてある。左側には木の引き戸がつけられた部屋があった。
「こちらは、食料庫になっているんです」
 築山は、引き戸を開けながら言った。
 中には、壁いっぱいに棚が置かれ、食料がつまった保存瓶や缶などがぎっしりと置かれている。業務用の大きな冷蔵庫もあった。
 美子は、呆れて家の中を見回した。
「何だか、庭師小屋って感じじゃないですね」
 築山は、頭をかいた。
「これは、ほとんど私の趣味でして。料理をするのが好きなものですから。龍一様に食事を用意するのも私の役目なんですが、龍一様は、もともとあまり召し上がらないんです。いつも量が多すぎると叱られましてね。一人前は作るのが難しいですよ。これからは美子様がいらっしゃるので、腕の振いがいがあります。
……庭仕事用の道具は、隣の物置に置いてあるんです」
 築山は、土鍋に火をかけながら言った。
「もう、準備はほとんど済ませてあります。これで米を炊いて、あとは揚げ物と魚を焼いて、盛りつけをするだけです」
 美子は、築山のいうとおり、ボウルに作ってあったしどけのおひたしを二つの器に盛りつけた。築山は串に刺した大きめのメバルを一匹、囲炉裏端に刺して焼き始めると、今度は天ぷらの種を用意し始めた。
「美子様、ちょっと魚を見ていてください。片面が焼けたら、ひっくり返してくれませんか」
 美子がメバルを見ている間、じゅうという音がたって、築山が次々と天ぷらを揚げていく。
 家の中はたちまち、ごま油で揚げた天ぷらの香ばしい香り、魚が炭火で焼けていく匂い、土鍋から吹き上がる飯の蒸気などで、いっぱいになり、美子は猛烈にお腹が減ってきた。
「おっと、美子様、魚はもういいですよ」
 美子は慌てて、魚をひっくり返した。
 そうして、築山が美子に頼んだ。
「魚は私が見ていますから、そろそろ、龍一様を呼んでいただけますか。だいたい、呼んだあと、十分は来ませんから」
 美子が庭師小屋を出る時、築山がぶつぶつと独り言を言っているのが聞こえた。
「天ぷらと魚は揚げたて焼きたてがいいに決まっているから、龍一様の分はあとで作るとして。しかし、天ぷらはつまみに少し多めに揚げておこう。飯は炊きこみご飯だから、冷めても何とか食べられる。しかし、せっかくタイミングを計ってお出ししても、龍一様はどうかすると、一時間も放っておいたりするんだから、困ったもんだよ……」
 美子は、黒い屋根の宮司舎に行き、玄関先から、龍一を呼んだ。
「龍一、食事ができたよ!」
「……今、行く」
 龍一の声が、奥の部屋から聞こえた。
 美子は、しばらく待ってみたが、龍一が出て来る気配はない。美子は、築山の言葉を思い出して、笑いをこらえながら、宮司舎を出た。
                         ◎◎
 十分後、龍一がようやく宮司舎から出て来たころ、築山が外のテーブルに、二人の膳を運んで来た。
 黒い漆塗りの半月膳の上に、龍一には、江戸切子のグラスに注いだ冷の梅酒と、つまみにしどけのおひたしと天ぷらをそえてある。天ぷらは、たらの芽、こごみ、ふきのとうなどの山菜と、桜えびの盛り合わせだった。
 美子には、そのほかに、焼いたメバル、生ワカメの味噌汁、そら豆の炊きこみご飯がついた。
「美子様の梅酒は、お湯でうすく割ってありますので」
と、築山は、美子に梅酒を注いだあと、かたわらに湯気を出している切子の徳利を置きながら言った。
 築山が石のベンチに敷いてくれた、藍色のつやつやした絹地をはった分厚い座布団の上に腰を下ろすと、足もとがほんのりと暖かい。
 美子がテーブルの下を見ると、上に網がかぶせてある大きな石の入れ物の中に、たくさんの炭が真っ赤になって燃えていた。
「春の夜は冷えますのでね」
 築山は、言った。
 美子は、くつろいだ気持ちになって、熱い梅酒をすすった。梅の甘く上品な香りが口いっぱいに広がる。
 美子は、思わず言った。
「美味しい!」
 築山は、嬉しそうに、にこにこした。美子は、訊いた。
「この梅酒の梅は、天満宮の梅の木から採ったものなんですか?」
「いえ、いえ。ここの梅は観賞用の花梅ですからね。梅酒用のものは、去年私が市場で買ってきた、紀州の南高梅です」
 龍一が、冷たい梅酒を一口飲みながら、美子の膳を見て言った。
「今日は、築山はずいぶんはりきったな」
 築山は、龍一に冷えた梅酒の徳利を差し出しながら、てきぱきとした口調で言った。
「お言葉ですがね、龍一様。私は毎日、龍一様に、これぐらいのものはお出ししておりますよ。
 だいたい、本を読みながらとか、書きものをしながらとか、食事なさっているから、何を食べているかも分からないんですよ。もっと言わせてもらえば、龍一様はまだお若いんですから、私が出す分くらいは、残さず食べていただきたいですね」
 龍一は、苦笑して、
「分かった、分かった」
と答えた。龍一の何となく上の空なその調子から、美子は、同じような会話が二人の間に何回もされているんだな、と感じた。築山も特に気にする様子もない。
 龍一は、ふと思い出したように、言った。
「そうだ、築山。美子の預金は、今いくらあったかな?」
 築山が、ちょっと考えてから、ゆっくりと、
「そうですね……。端数は銀行に問い合わせないと分かりませんが、だいたい八千万円ちょっとかと思いますが」
と答えたので、美子は、びっくりしてしまった。
「は、はっせんまんえん?」
 龍一が、ちょっと眉をよせて、築山に訊く。
「それで、美子のこれからの学費や生活費が足りるのか?」
「大丈夫ですとも」
 築山が、答える。
「ふうん」
 龍一が、半信半疑な様子でうなる。
「で、当座、入学式までに美子に必要な金額だが……」
「はい」
「百万円くらいかな?」
 美子は思わず叫んだ。
「ちょっと、多すぎるよ!」
 築山は、落ち着いて龍一に言った。
「家具などはだいたいそろっておりますので、あとは着替えなど細かいものをお買いになる分でしょうから、そうですね、三十万円ほどお渡しすれば、とりあえずよろしいのではないでしょうか」
「少なくないか?」
と、龍一が言うので、美子は急いで言った。
「龍一、充分よ」
 築山は、微笑んで言った。
「もし、足りないときは、いっていただければ、すぐ追加でお渡ししますので」
「じゃあ、明日にでも美子に渡してやってくれ」
「かしこまりました」
 そして、築山は、二人に
「では、ごゆっくり」
と言って、庭師小屋へ入っていった。
 美子は、何だか手のひらに汗をかいてしまった。そうして、そっと龍一を盗み見た。
(龍一って、あんまり金銭感覚ないんじゃないの?)
 龍一は、何事もなかったように、梅酒を飲んでいる。美子も、自分が空腹だったことを思い出し、
「いただきます」
と言って、膳に箸をつけた。龍一は、つまみには手を出さず、ゆっくりと口に杯を運んでいる。ふーちゃんは、食べ物の匂いにはまったく興味を示さず、そばの桜の木の枝に登って、尻尾をゆらゆら揺らしていた。
 日が沈み始め、空は桃色から次第に夕方の群青色に染まってきた。
 その時、テーブルの近くに立つ灯篭が、ぱっと点いた。それだけでなく、下の石段や石畳の脇にずらりと設置された灯篭にも一斉に明かりが点り、とたんに夕闇が濃くなる。
 美子の席からは、下の景色が見渡せるので、ライトアップされた梅の花と拝殿の様子は、何ともいえず美しかった。
 空の高いところには、氷砂糖のかけらのような半月が白く光っている。
 美子は、うっとりとそれらを眺めた。
                         ◎◎
 新寺の方角から、寺の鐘が鳴るのが聞こえた。
「六時だな」
 龍一が言った。
 美子は、夢から覚めたようにはっとすると、龍一に向き直った。
「ねえ、龍一。飛月のことをもっと詳しく教えて。伊達家が土居家に飛月を預けたって言っていたよね。そうしたら、もともと飛月は伊達家のものだったんでしょ? どうして飛月を手放しちゃったの?」
 龍一の目を見て、美子は慌てて加えた。
「別に、飛月を自分で探そうっていう気じゃないよ。でも、あたし、お父さんのことも、上木家のことも、本当のことを今まで何にも知らなかったんだもの。教えてくれるのは、龍一しかいないのよ」

三 『飛月』
                         ◎◎
 美子の言葉を聞いて、龍一はちょっと考えるふうだったが、しまいに言った。
「そうだな。美子が飛月について知りたいと思うのは当然だ。
……飛月は、確かにもともと伊達家の家宝だった。飛月がどのように生まれ、どのような歴史をもっているか、それを話そう。
 四百年前、伊達政宗は奥州の覇者として、宮城の地に新しく城を造ろうとした。当初政宗は、ここ躑躅岡を新城の候補地に考えていた。すでに戦国時代は終わり、今までのような山城ではなく、交通の便のいい平地がいいと思ったからだ。
 しかし、結局、躑躅岡ではなく、青葉山に築城することになったのは、周りの家臣たちから躑躅岡を避けるようにさとされたからだと言われている」
「どうして?」
「躑躅岡がすでに、土居家の守護地となっていたからさ。政宗より二百年も前から、土居家は、躑躅岡に根を下ろし、竜泉を守りながら、守護家の頂点に立って、奥州の霊場の監視者として、人々の畏敬を集めていた。それはけして表に出ることはないけれど、やはりもう一つの事実、歴史なんだ。
 守護者はその守護地から力を得ている。それは土居家も同じだ。竜泉のある躑躅岡という地が、土居家の力の源なんだ。
家臣たちは政宗に、土居家を躑躅岡から排除してその力を削ぐことは適当ではなく、むしろ土居家の力を生かしておいたほうが、仙台の政治も安定すると、上申した。なにせ、政宗とて仙台の地では新参者だったからね。地もとで尊敬を受けている土居家を無理やり除こうとすれば、民の反発もあるだろう。それに土居家には、政治的野心はまったくなかったので、伊達家の仙台統治に邪魔になるわけでもない。
 そのような政治的判断があって、政宗は結局、第二候補地だった青葉山に、築城することを決めたんだ。
政宗は、それから土居家を筆頭とする守護者たちに関心をもつようになり、土居家を何度も青葉城に呼んで話を聞いたりするようにもなった。
 そのうち、土居家のいう、霊場や、魂の力の話に強く魅了されるようになっていった。
 そして、自分のもとにも、そのような力をおきたくなったんだ。しかし、守護者たちのように、自分の中に強い霊力をもつようにすることは、難しい。そこで、霊力がその物の中に秘められた霊具を作って、手もとに置くことを思いついた。
そうして政宗は、当時仙台城下で随一と言われた国包(くにかね)という刀鍛冶師を、霊宝作りに関して歴史の深い、京の都に派遣し、霊刀の作り方を学ばせた。
 国包は、もともともっていた才能に加え、非常な努力をして、五年かけてついにひと振りの霊刀を鍛え上げた。これが飛月だ。
 飛月という名前は、政宗が命名したのだが、その美しい銀色の刀身が、冴えた月の光のようで、刀で宙を斬ると月が流れるように見えることから名づけたのだそうだ。
 刀身そのものは短くて、三十センチ程度。名匠国包が魂を注ぎこんで作った飛月は、当時の土居家当主もその出来栄えに驚いたという。
 政宗も、もちろん満足して、国包に山城大掾(やましろだいてん)という官位を与え、以後、飛月を伊達家の家宝とした。
 しかし、当時の土居家当主が書いた記録を読むと、飛月は、そのあまりに見事な出来ゆえに、かえって伊達家に災いを及ぼすだろうと書いてある」
「どういうこと? 飛月はすごい力をもっているんじゃないの?」
「力は、それが大きければ大きいほど、使う者を選ぶ。能力のない者には、その力を引き出すことはできないし、使い方を誤れば、同じくらい大きな負の力が跳ね返ってくる。道具というのは、元来そういうものだ。
 道具それ自体に意志はない。いい道具であればあるほど、使う者の技量や目的に左右されるんだ。
 そして、飛月は第一級の道具だった。
 大きな霊力を秘めた飛月だったが、その霊力を引き出して使うことは、政宗にも、伊達家の誰にもできなかった。
 しかし、むしろ使いこなせなかったからかも知れないが、飛月を手にとった者は、その妖しいまでの美しさに魅入られ、飛月を所有したいという気持ちを抑えられなくなる。そのため、飛月は門外不出の家宝として、伊達家代々の藩主のみ手にとることができることとされた。
 そうすると飛月には別の性格が加わるようになる。つまり、飛月を手に入れた者が、伊達家仙台藩主となることができる、という権力の象徴としての性格だ。
 仙台藩の第三代藩主は、伊達綱宗だったが、綱宗の叔父の宗勝は、自分こそ藩主になるべき者だと考える野心家だった。そして、当然飛月の正当な所有権も自分にあると考えていた。
 宗勝は、国老の原田甲斐宗輔を自分の味方に引き入れ、綱宗は暗愚で藩主としての器がないなどと讒言したり、家臣間の対立を煽ったりして、綱宗を藩主から引きずり下ろそうとした。しかも、宗勝は政宗の実子で、血統もよく、もともと強い政治的基盤をもっていたんだ。
 綱宗は、宗勝に対抗するため、飛月の霊力を利用しようとした、と言われている。それがどの程度成果が上がったかは分からない。
 しかし、まもなく、綱宗が乱心したという噂がたった。実際、綱宗は女や酒に溺れるようになり、藩政をかえりみなくなっていった。
 土居家の記録では、この綱宗の乱心を、飛月の使い方を誤ったため、としている。
 ついに家臣らが幕府に綱宗の隠居と、綱宗の嫡子である亀千代の家督相続を願い出て、綱宗は二十一歳の若さで強制隠居させられた。そして、その後綱宗は、江戸屋敷内から一歩も出られない、事実上の軟禁状態で、死ぬまで暮らすことになった。
 第四代藩主となった亀千代は、わずか二歳だったので、宗勝がその後見人となり、藩の実権を握った。
 宗勝は、本来は藩主が持つべき飛月も、その地位をいいことに自分の手もとに置くことに成功した。仙台藩は、宗勝の思うままとなった。
 しかし、亀千代が成人すれば、後見人としての宗勝の権力も失われてしまう。宗勝は自分が藩主となることをまだあきらめていなかった。亀千代は何度か毒殺されかけており、その首謀者は、宗勝といわれている。
 ここから起こる一連の事件が、いわゆる伊達騒動と呼ばれているんだ」
 龍一は、ここでひと息つき、梅酒を一口飲んだ。食事膳は下げられ、美子は、築山お手製の梅酒梅のゼリーを、食べていた。
「伊達家にそんなことが起こっていたなんて、全然知らなかったわ」
「中学の歴史の授業では、そこまで教えないだろうからね。しかし、伊達騒動には、涌谷の地も大きく関わっているんだよ」
 そうして、龍一は話を続けた。
「亀千代の母親は、三沢初子といった。
 初子は、宗勝らから、亀千代の地位と命を守るため、日夜身を挺して闘っていた。
 当時の土居家当主は、二十三代目の土居麻輔(ますけ)だったが、初子は麻輔からたびたび教えを請うていた。
 麻輔は、土居家の記録を紐解きながら、伊達家家宝である飛月の弊害を、初子に説いた。初子は、わが子を、ひいては伊達家を守るため、飛月と伊達家とを切り離す必要性を感じるようになった。
 そして、飛月をほかに託すとすれば、土居家以外にないと考え、その布石として、当時仙台東照宮隣にあった天神社を躑躅岡の地に遷宮して、躑躅岡天満宮とし、この宮司に土居家代々当主を、伊達家から任命することで、土居家とのつながりを強めようとした。初代宮司には麻輔が就任し、この時から、土居家は、躑躅岡天満宮の宮司も務めるようになったんだ。
 当時、涌谷の領主は、伊達安芸宗重といったが、安芸は宗勝らの専横を憂えている一人だった。涌谷には、今と同じように守護家の一つである上木家があったので、自然に、安芸も、土居家と親しかった。そのせいもあって、安芸は、初子と亀千代側につくようになったんだ。
 安芸が公然と、宗勝らを非難し、亀千代の味方をするようになると、宗勝はありとあらゆる嫌がらせを、安芸にするようになった。このころ、安芸と宗勝の甥との間に、所領争いの裁判があったが、宗勝の裁量によって案の定、安芸に不利な結果となった。
 安芸はこの裁判の結果を利用して、幕府に宗勝らの横暴を訴え出ようと考えついた。
 安芸の訴えを受けて、幕府は、国老の原田甲斐や安芸ら関係者を、江戸に召喚した。
 土居麻輔は、警護のため、当時の上木家当主、上木亥八(いはち)を、安芸につけてやった。
 実は亥八には、安芸の警護のほか、もう一つ重要な任務があった。飛月の奪還だ。当時飛月は、宗勝が自分の江戸屋敷内に保管していたんだ。それをとり返して、亀千代のもとに届けること、これが土居家を通じて初子が命じた、亥八の使命だった。
 江戸城下での幕府による尋問は何回かに及んだが、次第に、安芸の主張が全面的に認められる雲行きとなってきた。
 飛月を宗勝が不当に所持していることを初子から聞いていた安芸は、裁判とは別に、原田甲斐を通じて宗勝に対して、飛月を亀千代に返すよう要求もしていた。
 幕府による最後の尋問が終わったあと、原田甲斐は、安芸に対し、飛月を宗勝から預かったので、その受渡しのためといって、安芸を別室に呼び出した。
 当然上木亥八も同行したが、伊達家の家臣ではない亥八に、入室は許されなかったので、亥八は部屋の外で控えていた。
 原田甲斐は、確かに飛月を持参していたが、それを安芸に渡す代わりに、飛月で安芸に斬りかかった。亥八が異変を感じて、部屋に飛びこんだ時には、安芸は既に絶命していた。
 亥八は甲斐から飛月を奪い返すと、安芸の敵を討つことを考えたが、その時、屋敷内のあちこちから、人が集まってくる 足音が聞こえてきたので、まずは飛月を守ることが最優先だと考えた亥八は、誰にも見られないうちに屋敷を飛び出し、そのまま昼夜を問わず走り通し、躑躅岡の土居家まで真っ直ぐに帰って来た。
 甲斐は、亥八が部屋を出た直後、駆けつけた安芸派の者に斬り殺された。
……これらはすべて、土居麻輔が、その当主記録に書き残していることだ」
「それで、飛月はどうなったの?」
「飛月は、土居麻輔がいったん亀千代に返したが、初子の意向で、あらためて、亀千代から土居家に下賜された。
 しかし、それは表だっては明らかにできないことだ。何せ飛月は、政宗から伝わる伊達家の家宝だ。それを、身分上は、一神社の宮司にすぎない土居家が所持していると分かれば、当然、伊達家内外が騒ぎ出すだろうし、土居家も無事では済まない。このことはあくまで、亀千代、初子、土居麻輔との間で。秘密裏に運ばれたことだ。
 飛月は、伊達騒動のどさくさで紛失したということにされた。また、飛月の保管場所も、この時決められ、その場所は、現在まで受け継がれている。
 そのほか、飛月の使用方法は土居家に任されたので、土居家は、飛月を祓いや退魔に使うようになった。しかし、飛月の秘密を守る意味もあって。その使用は、飛月奪還に功績のあった上木家のみに許すこととされたんだ」
 美子には、一つの疑問があった。
「どうして、飛月は、わざわざ躑躅岡と別なところに隠されたの? この天満宮の中に置いておけば、もっと安全なんじゃないの?」
 龍一は、美子の問いに、にっこりした。
「いい質問だ。確かに麻輔が預かった当初、飛月は躑躅岡天満宮内にあった。しかし、初子の死後は、別な場所が保管場所となり、飛月はそこに移動された。そこのほうが、より飛月が安全に護られるという理由でね。それは、初子の生前から、麻輔が初子と約束していたことらしい」
「ふーん」
 美子は、龍一の顔色を窺いながら、訊いてみた。
「で、その場所って新寺のどこなの?」
 龍一の顔が、すっと真顔に戻る。美子は、慌てて言った。
「あ、それは秘密だったね」
「分かってもらえて、ありがたいよ」
 龍一は、皮肉っぽく言った。
                         ◎◎
 その時、庭師小屋の電話が鳴った。ジリジリジリという、昔の黒電話みたいな音だ。築山が受話器をとって、話す声が洩れ聞こえる。
「……はい。……はい。分かりました。今開けに参りますので、下でお待ちください」
 築山が電話を切り、庭師小屋から出て来た。
「龍一様。金谷様が下にお着きとのことですので、迎えに行って参ります」
「分かった。あとは宮司舎にお通ししてくれ」
「かしこまりました」
 そう言って、築山は、石段を下りて行った。
 龍一は、立ち上がりながら、美子に言った。
「美子。私はこれから客だから、先に失礼するよ」
「うん……。色々ありがとう、龍一」
 龍一は、じっと美子を見て、言った。
「今日は、疲れただろう。早く休むといいよ」
 一瞬、龍一の顔が何だか悲しそうに見えた、と思ったが、龍一はすぐにくるりと後ろを向き、宮司舎のほうへ歩いて行ったので、美子はたぶん自分の見間違いだと考え直した。
                         ◎◎
 龍一が宮司舎に入るのとほぼ同時に、築山が客を連れて石段を上がって来た。客は、鮮やかな緑色の着物を着た女性と、痩せて頭のうすいスーツ姿の男性で、どちらも四十歳代だろうか。両方ともひどく顔色が悪く、疲れきっている様子だった。
 美子は、立ち上がって会釈をしたが、二人はそれをまったく無視した。
 女が言う。
「築山さん。先生は本当にいらっしゃるんでしょうね。私ども、秋田からはるばる参りましたんですよ」
「もちろん、いらっしゃいます。さっきからお待ちですから」
 築山が、二人を宮司舎へ案内しながら、言った。男が力のない声で言った。
「私らは、二ヶ月も待ったんですからね。しかし、これであれがすぐにも解決するなんて、あんまり期待しすぎないほういいよ、お前」
「あなた、失礼ですよ。それに、ここの先生は、日本で一番の霊能力者だって、間木の奥様もいってらっしゃったんですから。ここで駄目なら、どこでも駄目ですわ」
 築山と夫婦が、宮司舎の中に入り、玄関の戸が閉められたので、境内はしんと静まりかえった。
 美子は、寒さを覚えた。テーブルの下の炭も、燃えつきようとしている。
 日はすっかり落ちて、夜が始まろうとしていた。
 石段から下は、並んだ灯篭の灯りで明るく照らされていたが、上社には、桜の木のそばにある灯篭が一つきりしかないので、暗さを余計に感じる。
 美子は、ふーちゃんをそばに呼ぶと、テーブルの二つのグラスを庭師小屋に持って行き、洗って片づけたあと、自分の家となった宿舎に戻った。
 急激に眠気を感じる。
 美子は、簡単にシャワーを浴びると、寝室に布団を敷いて、すぐに潜りこんだ。一瞬で眠りにつき、朝まで一度も目が覚めなかった。夢もみなかった。
                         ◎◎
 翌朝、美子は眠りから覚めても、まぶたを開けなかった。とても満ち足りた気持ちだったからだ。
(あれ、あたしどうしてこんな気分なんだろう。お父さんが死んじゃったのに)
 美子は、そっと目を開けた。
 見慣れない天井が目に入る。
 とたんに昨日のことが、よみがえる。ふーちゃん、龍一、躑躅岡天満宮……。
(そうか、ここは、躑躅岡天満宮だった)
 美子は、はっきりと目が覚めた。
 東の窓から、障子を通して朝日が射しこんでいる。
 時間を確かめようとして、枕もとに置いた携帯電話をとり、目の前に持ってくると、電話が二重写しになっているように見えた。
 よく見ると、電話のストラップ穴に、ふーちゃんが尻尾の毛をからませ、丸くなってぶら下がっている。美子は笑い出してしまった。
「何やっているの? ふーちゃん」
 ふーちゃんは、丸くなったままちょっと眼を開けて美子を見たが、すぐにまた目を閉じた。ふーちゃんは、携帯電話とほとんど同じ大きさだが、とても軽いので、電話を持つには支障がない。
「よっぽど、ケータイが気に入ったのね」
 ふーちゃんをぶら下げたまま、美子が携帯電話の時計を確認すると、七時五分だった。
 美子は、手早く身支度を整えると、宿舎の外に出てみた。
 日はすっかり高く昇って、境内を照らしている。築山はまだ来ていないらしく、庭師小屋は人気がない。龍一がいるはずの宮司舎も、しんとしている。
 美子は、玉砂利の上をしゃりしゃりと音をたてさせながら、上社内を歩き回った。
 庭師小屋には、築山が言ったとおり、物置が併設されており、わきには、緑のペンキで塗られたポンプがある。その先に、木が少し切り開かれた場所があって、様々な植物が植えられていた。
 美子は、境内の一番奥にある背の高い瑞垣に沿って少し歩いてみた。これが本殿部分なのだろう。この中に、土居家が六百年間守り続けたという竜泉があるらしいが、耳を澄ましても水音一つ聞こえない。
 本殿と渡り廊下でつながっている宮司舎は、東側に縁側があるが、雨戸がすべて閉められている。
(龍一、まだ寝ているのかな?)
 美子はあまり足音をたてないようにして、宮司舎を離れた。
 上社から眺める下の景色は、相変わらず素晴らしかった。朝日を浴び、しっとりと露を含んだ梅の花は、夕べとはまた違った美しさだった。
 拝殿にまだ参拝客の姿はない。
 美子は、もちろん今まで、自分が神社で暮らすようになるとは、思ってもみなかったが、こうして天満宮の中にいると、ひどく安らかで落ち着いた気持ちになっているのを感じるのだった。
 一週間前に美子が失った、あのなつかしい古い家の中にいるのとは、少し違う。あの家は、美子の一部だった。
 ここは、龍一と同じだった。清浄で、静かで、その奥深くに力と神秘を隠している。そういう場所に、自分は護られている、そんな安心感だった。
 こうして、美子の躑躅岡天満宮での生活が始まった。
                         ◎◎
 八時になると、築山が石段を上がって来た。
 築山がおにぎりを作って持ってきてくれたので、美子はそれを朝食として食べたあと、築山がする境内の掃除や、庭仕事を手伝った。龍一は、真夜中から明け方にかけて、ずっと本殿内につめていなければいけないため、午前中は休んでいるのだという。
 十時に信託銀行の行員がやって来て、美子に三十万円を渡した。美子の日常用の口座も新たに開設してくれており、もし余りが出れば、そこにお金を入れておけば、いいとのことで、そのカードも渡された。
 春休みの後半、美子はなくした服の代わりを買いに行ったり、築山の手伝いをしたり、ふーちゃんと遊んだりしてすごした。
 ふーちゃんは、どちらかというと夜行性のようで、暗くなると活発に動き回る。昼間は、たいがい美子の携帯電話につながって丸くなっているので、本物のストラップみたいだった。そうしていると、ふーちゃんを他人に見られても気にされないので、美子も外では、ふーちゃんをストラップとして扱うことにした。
 美子の食事は、築山が作ってくれた。美子は最初、自分の分は自分で用意するつもりだったが、築山は、どうせ龍一の分も作らなくてはいけないからと、言うのだった。
「お互いに一人前ずつ作るのは、無駄ですよ」
 築山は、料理の腕もプロ級だが、庭師としても一流のようだった。築山は、天満宮敷地内に生えている木の一本一本を知りつくしており、一目見ただけで、その状態が分かるらしかった。
 躑躅岡天満宮がある小高い丘は、狛犬がおかれてある入り口部分が一番急斜面で、本殿の後ろ側は比較的なだらかになっている。そして丘全体は、境内部分を除いて、こんもりとした樹木におおわれた、鎮守の森となっているのだった。
 美子は、仙台には何回か遊びに来たことがあったが、天満宮のある仙台駅の東側にはほとんど来たことがなかった。デパートや飲食店がある繁華街は、駅の西側に集中しているからである。
 仙台駅の東側は、西側とはまったく雰囲気を異にしていた。道路は再開発されたばかりで広々としており、オフィスビルやマンションは多いが、飲食店などは少ない。緑も全体的に多く、天満宮の丘は緑の島のような姿で浮かんでいるし、近くには大きな躑躅岡公園もある。新寺地区には大きな寺院が二十以上もあり、その光景は、そこが仙台駅から歩いてすぐの場所だとは信じられないくらいだった。
                         ◎◎
 躑躅岡天満宮の森の円周は、一キロメートルほどもあるだろうか。境内部分も含めて、築山がその管理・掃除などを全部一人でおこなっているのだった。
「築山さん。こんな広いところを全部一人で管理しているなんて、すごく大変じゃないですか?」
 ある日、美子は築山に訊いてみた。
 その日二人は、午前中いっぱいかけて、駐車場に通じている坂道沿いに植えられた生垣の下を掃除していたのだった。熊手で落ちている葉やゴミを掻き出したあと、雑草を一つ一つ手でむしっていく。日に日に気温も高くなり、梅はもう盛りをすぎて、代わりに上社に植えられた桜の蕾がだんだんとふくらんできていた。
 大きなゴミ袋がいっぱいになると、築山は、坂道の一番上に腰を下ろしてひと息ついた。
「ここでの庭師の仕事は、見かけほど大変ではないんですよ」
 築山は汗ばんだ顔を手ぬぐいでぬぐったあと、言った。
「実際に手入れが必要な場所は、境内の中だけなんです。周りの森は、ほとんど何もしなくてもいいのですよ」
 築山は、目線を左側にやって、天満宮の鎮守の森を眺めた。美子も築山の隣に並んで座った。
「そういうものですか?」
「ええ。ここの森は、人間の手を借りなくとも独りでに循環していってくれるんです。自然の森と同じですよ。
 この天満宮に限らず、よく神社の周りにあるような、いわゆる鎮守の森というのは、ほとんど人が管理しなくてもよいようになっているのです。人がそうしたというのではないですな。何百年もの間に、自然にそうなっていったのでしょう。
 私たちは、ただそれを、壊さずに守っていけばよいのです」
 美子は、頬杖をついて、森を見上げた。むくむくとした濃い緑色の木々が、道路にはみ出さんばかりに高くそびえ立っている。
「前から不思議に思っていたんですが、神社の周りの森って、どうしてこんなにうっそうとした感じなんでしょうか。
涌谷にも山はたくさんあったけど、山の中に入っても、もっと明るかったわ。涌谷のうちにあった裏山の木も、冬になると葉っぱが落ちて枯れ木になるものが多かったし。まだ、葉をつける時期じゃないですよね」
 築山は、美子の質問が嬉しかったらしく、にこにこしながら、答えた。
「何故かといいますと、鎮守の森には、冬になっても葉を落とさない木が多いからなんです。こういう木の種類を、常緑広葉樹と言います。
 北海道や東北の北部、山岳地帯など、特に寒い地方以外は、日本はもともと常緑広葉樹林が多い地帯なんですよ。
 今、山によく生えているスギやヒノキ、マツなどの針葉樹林は、人間が材木にするために人工的に植林したものです。
 美子様の涌谷のご実家にある山の木が、冬になると葉を落とすと言われましたが、そういう木は、落葉広葉樹と言います。落葉広葉樹は、人間が住む場所のそばにある山や林によく見られる木の種類なんです」
「じゃあ、落葉広葉樹も、人間が植えたものということですか?」
「そういう場合もあるでしょうが、人間との関わりの中で、山の木の種類も自然に変わっていった部分が多いと思います。
 昔から人間は、燃料や肥料にするために、自分たちが住む周りに生えている木を定期的に伐採したり、柴や下草を刈ったり、落葉をかき集めたりしてきたんです。すると、その土地本来の木である常緑広葉樹に代わって、落葉広葉樹が、だんだんと多く生えてくるようになったんですね。
 つまり、そういう人間の定期的な伐採という環境に適応できたのが、落葉広葉樹だったんでしょう。そのような落葉広葉樹の多い、人間に近い自然のことを、里山と言ったり、雑木林といったりしています。
 しかし、里山や雑木林は、人間との関わりの中で保たれてきた、いわば二次的な自然ですから、いったん人が放置するようになると、たちまちバランスが崩れてしまいます。今は、化石燃料や化学肥料が一般的ですからね。昔話みたいに、山へ柴刈りに行く人もいなくなりましたよね。ですから、里山も徐々に以前のようではなくなってきています。
 これは、スギ林などもそうなんです。針葉樹は、本来は広葉樹林のすき間に生えるような木なんですが、木材として価値があるために、人間が大量に植林してきました。こういう人工林は、植林後も、下草刈りや枝打ちなど、人の管理が不可欠なんです。現在、針葉樹林の山が荒れてきているというのも、外国から安い建材が輸入されてきて、国内の人工林の手入れがされなくなってきたからなんですよ」
「そうすると、里山やスギ林は、これからどうなっていってしまうんですか?」
「何百年かかけて、徐々に本来の樹種である、常緑広葉樹林に戻っていくのでしょうね。
 自然は人間が思うよりも強いものですよ。
 今、環境破壊とよくいわれていますがね。その環境というのは、人間にとっての環境でしょう。人間は、自分にとって有利な環境を、自ら壊してしまって、今さらのように慌てているんですな。
 里山だって、スギの人工林だって、本来の自然状態からいえば、環境破壊には違いないんですがね。人の手が入らなくなって、里山がもとの森に戻っていく姿を、逆に自然が壊れていっているなどと、おかしなことをいったりする人もいますよ。
 自然というのは、人間よりもずっと大きく偉大な存在なんです。我々は、そんな大きな存在に寄宿しているノミよりもちっぽけな存在なんですよ」
 そう言って、築山は、美子と一緒に天満宮の森を見上げた。美子はさらに訊いた。
「では、どうして鎮守の森は、こんなに人の近くにあるのに、里山みたいにならなかったんですか?」
 築山は、丁寧に美子の質問に答えた。
「つまり、簡単にいうと、人が鎮守の森に干渉してこなかったせいでしょう。
 確かに、鎮守の森の周囲には、人間が植えたスギやマツがある場合もありますよ。
 しかし、森の中には、その土地古来の種類の樹木がそのまま残っています。宗教的な畏れから、鎮守の森の木を伐採したりすることをしてこなかったせいでしょうな。
 先ほど言いましたとおり、日本のほとんどの地域の潜在的な樹種は、常緑広葉樹です。鎮守の森が、里山のように明るくなく、常にうっそうとしているのは、そのためです。その土地本来の木々で構成されている森ですから、人間の手を必要としなくてもいいわけです。
 だから、私も、天満宮の周りの森については、ほとんど管理をしておりません。たまに中を見回って、ゴミなどを拾うぐらいですね。
 ここの森は、やはりアラカシやマテバシイ、タブノキなどの常緑広葉樹が多いですが、そのほかにも、色々な木が生えております。そのうちご案内しましょう。
 私は、森には、管理のために入るというより、木の実を採りに行ったりするためのほうが多いんですよ。例えば夏にはキイチゴがなりますし、秋にはクリを拾いに行きます。ドングリ類もたくさん落ちていますよ。マテバシイの実などは、そのままでも美味しく食べられるんです。
 天満宮の森は、ご覧のとおり、森というには、ずいぶん小さいですが、それでもこの中は一つの宇宙みたいなもんです。森と道路の境をよく見てみてください」
 そう言って、築山は森の縁を指さした。美子は言われたとおり森と道路を交互ににらんでみた。築山が続ける。
「大きな木にからみつくようにして、ツル草や小さい木がたくさん生えていますでしょう」
「ええ」
「森の中に入ると、ああいう低木やツル植物はあまり多くないんです。森と外との堺に密集して生えているんです。こういう植物があることによって、森の中に直接外部の光や風が入りこんで、森の土が乾いたり荒らされたりするのが防がれているんです。
 いわば、森を護る自然の結界みたいなものですな。そういう緻密なシステムが、自然とでき上がっているんです。
 ところが、境内に植えられている植物たちには、人の世話が必要です。住居と同じですね。常に手入れをしてやらないと、どんどん朽ちていってしまうんです。まあ、朽ちるというのは、人間側の見方であって、自然の姿に戻っていってしまうということですな。
 だから、庭師の仕事というのは、人間と自然との戦いでもあるんです」
 そうして、築山は、抜いたばかりの雑草でいっぱいになったゴミ袋をちょっと叩き、美しく清掃された生垣を嬉しげに眺めて、美子にあらためて紹介するように、手を振った。
「この生垣は、ヒサカキという種類です。坂の下にはヤマツツジが植えられています。梅雨の少し前の時期になると、ツツジがきれいに咲きますよ。
 庭師小屋にそばには、私が食用にちょっとしたものを植えております。ハーブ類のほかは、アンズとイチジクの木がありまして、これは果実酒やデザート用です。この間お出しした天ぷらに使ったタラノメもここの畑で採ったものなんですよ。そのほかは、龍一様が神事でお使いになるサカキの木があります。
 まあ、私が実際に手入れをしなければいけないのは、そんなものです」
 築山は、にこにこしながら、そう話した。美子は、その顔を見、その話を聞いて、築山は本当に天満宮のすべてを愛しているんだなと、感じた。
                         ◎◎
 美子は、自分が新しく住むことになった躑躅岡周辺を、色々歩き回ったが、龍一に怒られると思い、新寺には行かないようにしていた。しかし、飛月のことは任せろと言った肝心の龍一が、新寺に行っている様子はない。
(いったい、龍一は、飛月をちゃんと探す気があるのかしら)
 美子は、疑った。
 確かに、龍一はなかなか忙しいようだった。
 二日に一度は、客の訪問日となっていて、霊視などの依頼者が、たいてい夕方以降に訪れる。予約はいっぱいのようで、築山は依頼の電話に対し、三ヶ月先になることを伝えていた。昼の早い時間帯や訪問日以外の日中は、天満宮宮司として、地鎮祭や祈祷のため、出かけることも多い。そして、毎日、真夜中から明け方にかけては、竜泉のある本殿内に籠もり、土居家当主の義務として霊場視をおこなっているという。
 これでは、飛月を探している暇などないだろう。
(龍一が、自分が探すと言ったのは、あたしを新寺に近よらせないためだったのかも)
 美子は、がっかりして思った。
 龍一は、最初の日以来、用事で出かけるほかは、宮司舎や本殿内に籠もりきりになっているので、美子は龍一の顔すら見ない日も多かった。
 龍一の食事は、築山が昼すぎと夜の一日二度、宮司舎に持って行く。美子はたいてい、朝食と夕食は宿舎で食べ、昼は庭師小屋で築山と食べた。築山は、夕食は自宅で食べるからといって、天満宮ではとらないのだった。
                         ◎◎
 そんなふうにして、天満宮で十日以上が経った。
 萩英学園高校の入学式まであと一週間と迫った四月二日の朝、築山はいつものように石段を上ってくると、宿舎のリビングのガラス戸を叩いた。
 宿舎の玄関は、奥まった場所にあるので、龍一が最初の日にしたように、築山も美子に用があるときは、たいがいリビングの外からこうして合図することが多い。
 美子はちょうどリビングにいたので、すぐガラス戸を開けた。
「築山さん。おはようございます」
 築山は、階段を上ってきたあとの血色のいい顔色をしていた。
「おはようございます、美子様。ところで、ちょっと下まで来ていただけませんか。お見せしたいものがあるので」
 美子は、ガラス戸からサンダルを履いてすぐに外へ出た。
 築山は石段を下り、拝殿裏から赤い扉を二つぬけ、駐車場に美子を招いた。
 そこには、銀色の真新しい自転車があった。
「今日は、美子様の誕生日でしたね。萩英学園は歩いてもそんなに遠くありませんが、自転車で行かれたほうが、便利かと思いまして、ささやかですが、入学祝とお誕生日祝いを兼ねて用意いたしました。よろしければ、お使いください」
 美子は、びっくりした。まず、今日が自分の誕生日だということをすっかり忘れていたからである。誕生日を忘れるなんて、今までなかったことなのだが。
 そして、ちょうど自転車を買うことも考えていたのだった。それで、築山の心遣いが、素直に嬉しかった。
「ありがとうございます! 本当にちょうど自転車のことを考えていたんですよ」
 美子は、涌谷の家の土間に置いてあって、家と一緒に穴の中に落ちてしまった、自分の昔の赤い自転車のことを思い出しながら、新しい自転車を撫でた。シンプルだが、カゴやサドルのデザインは美しく、アルミ製の車体は軽くて乗り心地もよさそうだった。
「これで、さっそく萩英に行ってみようかな」
「そうですね。入学式の前に一度通学路の確認をされるのも、いいかも知れません」
 築山が言った。美子はまだ、地図上でしか、萩英学園の場所を確認してなかったのだ。歩いても二十分程度のようだが、自転車なら十分もかからずに行けるだろう。
 美子は、靴を履き替えに築山と一緒に上社へ戻った。
 宮司舎は相変わらずしんとしている。築山がいうには、竜泉での霊場視はとても疲れる仕事で、夜が明けると、龍一は口も聞けないくらいぐったりとしてしまうらしい。
「築山さんは、竜泉を見たことがあるんですか?」
 美子が訊くと、築山は、
「いいえ。本殿内には、龍一様しか入ることはできませんので」
と答えた。
 美子は、龍一と会えないのが寂しかったが、仕方がないとあきらめた。そして、スニーカーに履き替えると、ふーちゃんのついた携帯電話を持って、天満宮から自転車を漕ぎ出した。
                         ◎◎
 萩英学園は、天満宮からとても分かりやすい場所にあって、自転車だと五分ほどで着くことができた。
赤レンガ造りで、あまり大きくない校舎だ。実際、学校の規模も小さくて、一学年に男女合わせても四クラスしかない。一応共学だが、クラスは男女別々だ。
 萩英学園の特徴は、推薦入学が多いことで、生徒の半分は、奨学金つきの推薦入学者とのことだった。美子は、萩英学園の一般入学試験は受けていないので、おそらくこの推薦枠の中に入っているのだろう。
 美子は、自転車で校舎をひと回りしてみた。
春休みにもかかわらず、制服を着た上級生らしき生徒がけっこう出入りしているのは、クラブ活動だろうか。野球のユニホームを着ている男子生徒もいる。萩英学園は、野球で全国的に有名で、甲子園出場の常連校だった。野球部員は、ほとんどが推薦入学者らしい。
 美子は、頭の中で、通学路を再確認しながら、もと来た道を自転車で戻った。
 すっかり春の陽気だった。今年は、例年より桜の開花も早いだろう、築山はそう言っていた。
 天満宮の近くにある躑躅岡公園は、県内有数の桜の名所で、毎年花見客で賑わう。天満宮には、桜の木は上社にある一本しかないが、大きな古木で、満開となった姿はさぞ見事だろう。
 美子は、春風を感じながら、軽くペダルを踏み続けた。あっという間に天満宮近くの交差点に着く。
 ここで右に曲がれば、天満宮だが、美子はまだ戻りたくなかった。そこでちょっと迷ったあと、真っ直ぐ行った先の交差点で左に曲がった。左側は新寺である。
(明るいうちに、ちょっと散歩するくらい、いいよね)
 心の中で言いわけをしながら、しかし美子は、もし今が、龍一が寝ている午前中でなかったら、新寺に来なかっただろうと、思わないわけにはいかなかった。
 美子は、新寺内の道路をひととおり走ってみた。
 新寺の寺院はどれも大きくて、きれいなものばかりだった。敷地内に木立も多く、天満宮と雰囲気は違うが、界隈はやはり静寂さにおおわれている。
 美子は、だいたい新寺の全体を把握すると、もとの交差点近くに戻った。やはり道路を走ってみただけでは、飛月のことなど何も分からない。
 美子は、自転車から降りて、何気なく携帯電話を手にとり、ぎょっとした。ふーちゃんがいない。
 慌てて辺りを見回すと、歩道をふーちゃんが一目散に走って行くのが見えた。
「ふーちゃん、どこへ行くの!」
 ふーちゃんは、振り返りもせず、どんどん走り去っていく。遠くから見ると、金色の毛の塊が風で吹き飛ばされていくみたいだった。
 美子は急いで自転車に乗って、あとを追いかけた。
「待ってよ!」
 ふーちゃんは、大きな駐車場内に入ると、その向こうの壁によじ登って、ある寺院の敷地内に姿を消した。美子にその壁は登れない。
「ふーちゃん、ふーちゃん」
 美子は、壁の下で何回か呼んでみたが、ふーちゃんは戻って来ない。あまり大声を出すわけにもいかず、美子は困ってしまった。
 寺院の敷地内をのぞきこんで、美子は、
(あれ?)
と思った。明らかに寺院の敷地内なのに、赤い鳥居と神社の祠らしきものがあるのだ。といっても、寺と神社が同じ敷地内にあるのは、一般的にも珍しいことではない。涌谷にあった寺の中にも、お稲荷様が祀ってあったりした。
 それにしても、ここの寺には、ずいぶん大きくて立派な鳥居が、しかも三つ四つ並んで建っている。新寺のほかの寺院には、そのようなものは、見かけなかった。
 ふーちゃんが戻って来ないので、美子は、その寺の入り口を探そうとしたが、駐車場と寺の敷地はつながっていない。仕方なく、いったん駐車場を出て、寺を囲む塀沿いに自転車を引いて歩き、入り口を探すことにした。
 その寺は、新寺の中でも特段に大きな寺のようで、一区画のほとんどを占めており、延々と塀が続いている。
 美子が、果たして入り口が見つかるのかと危ぶみ始めたとき、ようやく門が見つかった。
 寺の名前は、『孝勝寺』とある。中をのぞくと、正面に巨大な本堂がある。人気はまったくない。
(入っちゃって、いいのかな)
 美子は、入り口に自転車を置くと、おそるおそる寺の敷地内に足を踏み入れた。
 境内にはいくつかのお堂が建てられている。本堂の左手前にあるお堂のそばには、何故か赤ん坊を抱いた女性の石像が建てられている。
(あった!)
 本堂の左わきに、美子が駐車場から見た鳥居と祠が、あった。数えると鳥居は全部で四つもある。れっきとした神社のようで、『光明稲荷大善神社』という立て札がある。
(やっぱり、お稲荷さんか……)
 美子は、ふーちゃんの姿を探しながら、鳥居をくぐって、奥の祠の前まで行ってみた。祠は、正面に鈴の紐と注連縄がつけられた、ごく普通の神社だった。しかし、稲荷神社という割に、稲荷狐の像がどこにも見あたらない。
(おかしいな、普通、お稲荷さんには、狐の像が置かれているんだけど)
 よく見ると、祠の両わきに、大小二つの石の台がそれぞれある。台の前には、花も飾られている。
 しかし、その台の上には何もないのだ。まるで、そこにいた稲荷狐が、どこかに行ってしまったかのようだった。
 その時、美子の後ろで音がした。美子が振り返ると、祠に一番近い鳥居の柱の下を、ふーちゃんが盛んに掘り返しているのだった。
「ふーちゃん、駄目だよ!」
 美子は慌てて駆けよった。見ると、ちょうどふーちゃんが掘り返している場所の、鳥居の根本部分が、虫食いのようにささくれ立った白木がむき出しになっており、そばに『白蟻被害により倒壊注意』の注意書まであるではないか。
「ふーちゃん、危ないよ」
 美子は、周りに聞こえないように、小声で言って、ふーちゃんを地面から引き離した。ふーちゃんは、美子に抱かれると、あきらめたようにおとなしくなったが、まだ鳥居のほうを見ている。
 その時、
「もし、もし」
という、女の声が、近くで聞こえたので、美子は、てっきり寺の人に見つかったのだと思い、きょろきょろした。
「もし、もし」
「は、はい。すいませんでした。勝手に入りこんでしまって……」
 美子は答えながら、声の主を探して、鳥居の列をもとに戻った。
「こちらに来てください」
 姿の見えない女性の声が、美子を呼ぶ。美子は声のするほうへ歩いて、母子像の前まで来た。
「あの、どこですか」
「ここです」
 ★声は、母親の像の中からしていた、ような気がした。美子は、ぽかんと口を開けた。
「わたくしは、三沢初子と申します」
 美子は、像の後ろ側をのぞいてみたが、誰もいない。
「ははは……。まさか、ね」
 美子は、ふーちゃんに笑いかけて、像のそばを去ろうとした。しかし、また、声が、ひきとめた。しかも、さっきよりも、ずっと強く、鋭いものだった。
「お待ちなさい!」
 美子は、びくりと立ちどまって、恐る恐る振り返った。
「あなたには、わたくしの言葉を聞く義務と権利があります。……上木の一人娘よ」
『上木の一人娘』
 その言葉を聞いたとたん、美子の体が、催眠術にでもかかかったかのように、ひとりでに像の前に戻った。
「わたくしは、伊達綱村の母です」
「伊達綱村……」
 龍一から聞いた様々な話、様々な名前が、頭の中で断片的に浮き沈みしたが、すべてぼんやりしていて、どれも明確な輪郭でよみがえらない。
 美子は、頭を振った。
 記憶をはっきりさせるためではない。このまま、石像との話を進めるべきかどうか、判断がつかなかったのだ。
(ここに龍一がいたらいいのに)
 美子は思ったが、ふーちゃんの目を見下ろして、そうではない、と思い返した。
 この場にこうしているのは、ふーちゃんや、龍一に導かれたのだと、思っていた。しかし、本当は、そうではないのだ。
 そもそも、美子が、故郷の涌谷を離れて、見ず知らずの土居龍一という人について来たのは、いったいどうしてだろうか。
 龍一のする不可思議な話を、すんなり受けとめることができたのは、なぜだろうか。ふーちゃんの目の中の光を、この世にあるどんなものよりも、正しいものと信じている根拠はなんなのだろうか。
 美子の目の前には、相変わらず、あの巨大な穴が口を開いている。
 それは、涌谷の地からどんなに離れても、遠ざかることはない。
 穴は、脈うつように、問い続けている。
 なぜ、なぜ、なぜ。
 なぜ、父は、穴に落ちなければならなかったのか、あの穴は、いったいなんなのか、父は、そして、自分はいったいなにものなのか。
 穴と、自分の周り、そのねっとりと濃い霧がおおいつくしているような無明の中に、ただ『上木』という名前だけが、くっきりと立ち上がっている。
 そして、龍一と、ふーちゃんは、その名を照らす光だった。だから、美子は信じた。美子が、すべてを選び、そして、今、ここにいる。
 美子は、決心した。
(進まなければ知ることができないのなら、あたしは、そうしよう)
 美子は、一歩前に出て、像の顔を見上げた。心なしか、さっきよりも表情があるように見えた。
 像の声は、さっきよりも少し柔らかな口調となっていた。
「驚かせてしまったようですね。しかし、どうしても、あなたとお話しせねばならなかったのです。わたくしは、先ほども名のりましたとおり、三沢初子と申します。
この釈迦堂で長年、飛月を護り続けて参りました」
 とたんに美子の胸が、高く跳ね上がった。
「飛月? 飛月って言ったんですか?」★
「そうです。土居家二十三代当主の麻輔に、わたくしの死後は、飛月をこの釈迦堂に納めるよう頼んだのです」
「どうして、ここに?」
「わたくしの死後も、飛月から、わが子綱村や伊達一族を護るためです。
 そのため、わたくしは生前に麻輔から方法を教わり、わたくしの魂の一部を、小さな釈迦像に封じこめました」
「釈迦像?」
「ええ。わたくしは生前、その像を髪の毛の中に隠し、常に身につけていたのです。そして、わたくしの死後は、釈迦像を納める堂を建てるよう、綱村に遺言いたしました。綱村には釈迦像にわたくしの魂を封じたことまでは知らせませんでしたが、綱村はわたくしの遺言どおり、この釈迦堂を建ててくれました。
 わたくしは、心配だったのです。飛月がまた人々に災いをもたらすのではないかと。それを麻輔に相談すると、麻輔が、死後もわたくしが飛月を護る方法を教えてくれたのです」
 ★龍一の言葉の断片が、急に晴れたように目の前に現れた。★
「あなたの子供の綱村って、亀千代のことね!」
「そうです。亀千代は、飛月に狂った叔父の宗勝や、家臣の原田に何度も殺されそうになりました。
 飛月は、正しき心をもつ者が持てば大きな善の力をもたらしますが、邪な心をもつ者が持てばさらにその悪しき魂を肥えさせます。土居家を信用しないわけではありませんでしたが、長い年月の間にはどうでしょうか。
 わたくしは麻輔と話し合い、麻輔は飛月にふれることができるのは、未来にわたって土居家と守護家の者に限るという秘文をかけるとともに、保管場所には、土居家しか解くことのできない守護秘文をかけると約束しました。
 そして普段、飛月をこの釈迦堂に納めてもらうことで、もし邪な心をもつ者が飛月を手に入れようとした場合は、それが土居家であろうと守護家であろうと、わたくしがその者から飛月を隠すことができるようにしたのです」
 美子は、そこが寺の境内であることも忘れて、思わず声を高めた。
「じゃあ、飛月を隠したのは、あなただったの?」
「はい。ひと月前の闇夜の晩、ひとりの男がこの釈迦堂にやって来ました。それはいつもの土居家の当主ではありませんでした。
 しかし、男は明らかに飛月を探していました。
 男は結界を解く秘文を知らないようでしたが、かなり大きな霊力をもっており、無理やりに結界を破ろうとしたのです。
 結局かろうじて結界は護られ、男は去りましたが、わたくしはこの場所がもう安全なものではないと判断し、飛月を別な場所に密かに移したのです」
「飛月は今、どこにあるんですか」
「わたくしと志を同じくするもののところです。ですが、あなたにはその場所をお教えしましょう。
 今夜、亥の刻にわたくしの使いのものを天満宮に迎えに行かせます。
 しかし、あなただけ来てください。あなたの霊孤も一緒で構いません。ただし、このことは、ほかの誰にも知らせてはいけません」
「龍一にも?」
「土居家の当主にも、です」
「どうして? どうしてあたしなの?」
「それが飛月の意志だからです」
 美子は、何か言おうと思ったが、言葉が浮かばなかった。
(飛月の意志って?)
 初子の声が徐々に小さくなる。
「では、今宵……」
「待ってください! 飛月を狙った男って、どんな奴だったんですか? そいつがあたしのお父さんを殺したんですか?」
 石像はもう何も答えなかった。
 美子はあきらめきれず、しばらく像の周りをうろうろしていたが、その時本堂のほうから、今度は本当の寺の住職がやって来て、
「何か御用ですか」
と美子に訊ねてきた。美子は、慌てて愛想笑いをしながら、
「あの、ちょっと見学を……」
と誤魔化した。住職は親切そうな表情を浮かべ、
「そうですか。お若いのに感心ですな」
と答えてくれたので、美子は、
「あの、この像って、初子さん、ですか?」
と訊いてみた。
「ええ。その像は、伊達綱村の母、三沢初子様のお姿を偲んで造ったものです。その後ろにあるのが、伊達綱村公が初子様の菩提を弔うため建てたと言われる釈迦堂で、初子様の持仏を祀るためのものだったので、釈迦堂と申します。
もとは躑躅岡に建てられておりましたが、整地のためにこちらに移転されました」
「もとは、躑躅岡にあったんですか!」
「はい。躑躅岡公園は、その跡地ですよ」
 釈迦堂は、天満宮のすぐ隣にあったということだ。やはり、天満宮と釈迦堂は密接な関係にあったようだ。
「初子さんのお墓も、ここにあるんですか?」
「いいえ。墓所はあちらの大通りの向こうにあります。一般に政岡墓所、と呼んでおりますがね」
 そう言って、住職は、美子がさっきいた駐車場のほうを指さした。
「政岡墓所?」
「ははは。初子様をモデルにした『先代萩』という歌舞伎がありまして、その主人公の名前が『政岡』というのですよ」
 美子は、政岡墓所の詳しい場所を聞くと、住職にお礼を言って、孝勝寺を出た。自転車のカゴにふーちゃんを入れて、走りながら訊いた。
「ふーちゃん。あそこに釈迦堂があるって、知っていて入りこんだの?」
ふーちゃんは澄ました顔で風に吹かれている。
(不思議な子だなあ)
 美子は、少なからず興奮していた。龍一にも探せなかった飛月の場所が、今夜判明するかも知れないのだ。
(初子さんは、あたしに飛月の場所を教えるって言っていた。なんであたしなのかは、分からないけど。『飛月の意志』って、何だろう。龍一は道具に意志なんてないって、言っていたのに)
 そして、飛月を奪おうと釈迦堂にやって来た謎の男のこと。
(その男が、お父さんを殺した犯人なのかしら)
 かえすがえすも、その男について先ほど初子から詳しく聞けなかったことが悔やまれる。
 美子は、ここで龍一の言葉を思い出した。
 龍一は、飛月を隠しているものが、祥蔵を殺した犯人かも知れない、と言っていた。片や、先ほどの初子は、龍一にはこのことは内緒にしておけと言う。
(龍一に、本当に黙っていていいのかな……)
 もし、龍一に話したら、美子に一人で行くなと言うだろう。でもそうしたら、飛月は見つからなくなってしまうかも知れない。
(龍一が邪な心をもっているわけはないのに、どうして龍一に飛月を渡さずに、あたしにだけ教えるんだろう)
 住職に教えてもらったとおりに行くと、間もなく政岡墓所にたどり着いた。
が、墓所は固く門が閉じられ、中に入ることはできない。
 美子は隣の敷地の公園から回って、鉄の柵越しに、かろうじて初子の墓らしきものを見ることができた。
「初子さん、初子さん。さっき訊けなかったことを訊きたいんですけど」
 美子は、何度も墓に向かって呼びかけてみたが、墓所はしんとしたままだ。
「ふーちゃんも、初子さんを呼んでみてよ」
 美子はふーちゃんにも頼んでみたが、ふーちゃんは知らん顔をして、また携帯電話のストラップになりきっている。
 美子はあきらめて自転車に乗り、天満宮に一度帰ることにした。
                         ◎◎
 天満宮の駐車場に自転車をとめ、上社に戻ると、奥で庭仕事をしていた築山が近づいて来て、言った。
「おかえりなさいませ、美子様。ところで、もしよろしければ、今夜外庭で食事なさいませんか。美子様のお誕生日でもありますし、桜はまだですが、花待ちの宴ということで。
 龍一様も、今日のお客様がちょうどキャンセルとなったので、ご一緒できるということです」
「龍一が一緒に?」
「はい」
 美子は、慌てて言った。
「ご、ごめんなさい、築山さん。あたし、何だか熱っぽくて。風邪をひいたみたいなんです」
「え、大丈夫ですか? 医者を呼びましょうか」
「いえ、あの、寝ていれば治ると思いますけど、でも、食欲はないし、寒気もするので、ちょっと今夜は……」
 築山は、心配そうな表情を浮かべて言った。
「分かりました。今夜は外での食事は無理ですね。ゆっくりお休みください。龍一様には私から伝えておきます」
「すみません」
 美子は逃げるように宿舎に戻った。
 築山に嘘をついた手前、美子は、まったく眠くもないのに布団に入る羽目になった。
(築山さん、ごめんなさい)
 しかし、美子は、今は、とても龍一とさし向かいで食事などできそうもなかった。
(飛月や初子さんのことを龍一に話せたらいいんだけど。こんな状態じゃ、龍一の顔もまともに見られないよ。変なことを口走っちゃいそう……。絶対、龍一に怪しまれる)
 しばらくすると、築山が寝ている美子に、おかゆを作ってきてくれた。美子はますます恐縮してしまった。
「具合はどうですか、美子様」
 美子は、できるだけ具合の悪そうな表情を作りながら、ちょっと咳をしてみせた。その咳は、美子の耳には、ひどくわざとらしく響いた。しかし、築山は気づかなかったようだ。
「おや、咳も出てきましたね。やはり医者を呼んだほうがいいのでは」
「大丈夫です、大丈夫です」
 美子は、急いで言おうとして、逆に、本当に咳きこんでしまった。携帯電話のわきで寝ていたふーちゃんが、ちらっと美子のほうを見た。
「おかゆをいただいたら、あとは寝ていますので、お構いなく」
 築山は、不満そうな顔をしていたが、
「では、ここに風邪薬も置いておきますから。具合が悪くなったら、すぐに呼んでくださいね」
と言った。美子はふと思い出して、築山に聞いた。
「あの、ところで、亥の刻って、何時ですか?」
 築山は、ますます不審な表情になりながら、言った。
「亥の刻? 午後十時のことですが。それがどうかされたんですか?」
「あ、何でもないんですが、ちょっと本で読んだもので……」
 美子は、だんだん自分の言葉が苦しくなってくるのを感じて、急いで布団に潜りこんだ。築山はそれを、美子の体調が悪いのだと思った。そして、
「何かあったら、すぐ電話してくださいね」
と、念を押して帰って行った。
 築山が完全に宿舎を出たらしいことを確認すると、美子は起き上がって、おかゆを食べ始めた。今は午後一時。食欲がないと築山には言ってしまったが、実はお腹がぺこぺこだった。
 あっという間に完食してしまう。
 食べ終わってから、少し残したほうがよかったかとも思ったが、もう遅い。
(まあ、いいや。残したら残したで、築山さんはまた心配するだろうし)
 美子は、また布団にごろりと横になりがら、ふーちゃんに話しかける。
「午後十時だって……。あと九時間も仮病を使わなくちゃいけないなんてね」
 考えは自然と初子との話のことに向かう。半分独り言のように、ふーちゃんに話し続ける。
「初子さんは、使いのものが迎えに行くって言っていたけど、誰が来るんだろうね。十時なら築山さんは帰っているし、龍一は宮司舎だろうから、家を出るのは問題ないだろうけどさ。でも、いったいどこに連れて行かれるんだろう……」
 美子は、自分が若干無謀なことをしようとしていると、思わずにはいられなかった。
「ねえ、ふーちゃん。あの初子さんの言うことを、本当に信用していいと思う?」
 ふーちゃんは、美子に背中を撫でられて、気持ちよさそうにしている。
「もしかして、何かの罠だったりして」
 美子は、自分で言って、ドキリとした。ふーちゃんが、ちょっと目を開けて美子を見る。
 美子はその目の中に答えがあるかのように、のぞきこんだ。ふーちゃんの目は、意味ありげに輝いているが、美子にはその内容をよみとることはできなかった。
「あーあ。ふーちゃんがしゃべれたらいいのに」
 ふーちゃんが、美子の首すじに潜りこんできた。ふーちゃんの温かい毛皮が美子の顔をくすぐる。美子はいつの間にか、本当に眠ってしまった。
                         ◎◎
「美子様、美子様」
 だれかが遠くから呼んでいる。
「美子様、起きてくださいよ」
 美子は、はっとして目を開けた。だれかが自分をのぞきこんでいる。
「ふーちゃん?」
 美子は、起き上がって、目をこすった。
 部屋の中は妙にうすぼんやりとしている。美子の周りを、大小四つの白い影が囲んでいる。
 美子は、ぎょっとした。それがきちんと正座をした狐の姿だったからだ。
「夢?」
 美子が思わず言うと、大きい狐のうち一匹が答えた。
「まだ、寝ぼけているんですか。もうとっくに亥の刻なのに、のん気な方ですね」
 美子が言葉を失っているのに構わず、狐は急かすように言った。
「ささ、皆様お待ちですよ。早く参りましょう」
「行くって、どこに?」
 狐は、舌うちをした。
「飛月の隠し場所に決まっているじゃ、ありませんか。あなた、本当に初子様とお話したんですか」
 狐は、立ち上がって、そばに置いてあった提灯を持った。
 ★うながされるまま、美子も立ち上がったが、狐は大きいほうでも、美子の腿くらいまでしかない。小さい狐の背丈は、大きい狐のさらに半分ほどだ。
提灯のぼうっとした明かりで照らされながら、四匹の後足立ちの白い狐たちに囲まれているのは、夢よりもあり得ない光景のように思えたが、美子が何度腕をつねってみても、現実は、やっぱりこちら側のようだった。
そんな美子の心中に関係なく、狐はいよいよきびきびとした口調で、言った。★
「おっと、お待ちください。私が先頭に立ちます。この小さい二匹があなたの後ろにつきます。これであなたの周りに結界をはれますので、この中から絶対に出ないようにしてくださいよ」
「結界? 何のために?」
「龍一様がもうすぐ霊場視を始めます。すると竜泉であなたの居場所がすぐ分かってしまいますので、こうして結界をはって、あなたを龍一様の目から隠すのです」
「へえ」
 美子は言ったあと、ちょっと考えてから、狐に訊いた。
「でも、あたしがここにいないことが分かれば、どっちにしても龍一はおかしいと思うんじゃないの?」
 狐は、得たりと胸をはった。
「その点はご心配なく。身代わりをおきますから」
 狐が指さしたほうを振り返ってみて、美子は、あっと言った。
 『自分』が布団の上に、正座をしている。『その美子』は、にやりとしてみせた。
 美子が唖然としているのを見て、最初の大きい狐が口を耳まで裂くほどに開いて、笑い顔を作った。
「もう一匹の大白狐に化けさせました。『その美子様』は、あなた様と姿かたちはおろか、霊気まで一緒にしてありますから、龍一様にばれる気遣いはありません。これで安心して出かけられるでしょう」
 美子は、まだ布団の上の自分から目を離せなかったが、狐は美子をうながして、宿舎を出た。
 ふーちゃんは、美子の肩に乗っている。三匹の狐は、美子の周りを囲みながら、当然のように二本足ですたすたと歩き続ける。太い尻尾は地面につかないように、ぴんと水平に跳ね上げられていた。
 美子は、前を歩く大きな狐が持つ提灯の、ゆらゆらした灯りを追って歩いた。
 狐は、ずいぶん早足で、美子はついて行くのがやっとだった。あっという間に天満宮の石段を一番下まで下り、さらに新寺に向かう。
 午後十時といえば、まだ人通りはあるはずなのに、不思議に誰ともすれ違うことはない。街全体は妙に静まりかえり、街灯も心なしかずいぶん暗い気がした。狐の持つ提灯だけが、煌煌とした光を放っている。
 美子たちは、孝勝寺裏の駐車場のそばを通りすぎ、わき道をぬけて、一つの寺に入った。
 狐は美子を、その寺の本堂のわきに建てられている墓石の前に案内した。
「国包様の墓所です」
 提灯を持った狐はそう言ったが、美子の顔を見て、言葉をきるようにしてつけ加えた。
「飛月をお作りになった、刀鍛冶の、国包様です」
 美子は、ようやく思い出した。どうも狐に馬鹿にされているようだったが、仕方がない。
 狐の紹介を受けるようにして、墓石の前の空気が揺らいだかと思うと、男の霊が現れた。七十歳前後だろうか、袖と裾が短くつまった装束を着ていて、頭に小さな烏帽子をかぶっている。そして手に黒い鞘に入った短刀を携えていた。
「上木美子様でいらっしゃいますね」
 男は片膝をついて、言った。
「はい」
 ★明らかな霊の出現を目のあたりにしても、美子は、さざ波ほども驚かなかった。それどころか、自分の落ち着きさ加減に奇妙な満足感すら、覚える。
(ここまできたら、驚くべきことも、あまり残っていない気がするわ……)★
 男は美子に短刀をさし出した。
「私は刀鍛冶の国包と申すものです。今までこの善導寺で眠っておりましたが、初子様のお頼みで、しばらくの間この飛月をお預かりしておりました。何でもなにものかが飛月を狙っているそうで。私にはこの霊刀を鍛え上げたという縁があるので、初子様は私をお選びになったのでしょう。しかし、それは真に飛月を持つべき方が現れるまでのこと。
 初子様から先ほど、そのお方がいらっしゃると聞きまして、お待ちしておりました。
 さあ、美子様、飛月をお受けとりください。そしてこれからは、あなた様が飛月をお守りください」
 美子は、戸惑いながら、飛月を国包から受けとった。鞘の根本には、太い紫色の紐が巻きつけてある。
「あの、では、あたしが、これを釈迦堂に戻しに行けばいいんでしょうか」
「そうではありません」
 初子がいつの間にか、国包の横に現れた。釈迦堂前の石像としてではなく、山吹色の裾の長い着物をまとった、生前の姿だ。思ったよりも若く美しい。
 初子が国包に向かって言った。
「国包、今まで飛月を預かってくれて、ご苦労様でした。あとはわたくしに任せてください」
 国包は、初子に平伏しながら、
「それでは、私はこれで……」
と言って、すうっと姿を消した。
 初子は美子に向き直った。
「美子。今後はいっさい、飛月を釈迦堂に戻す必要はありません。飛月の保管場所は、これからは釈迦堂ではなく、あなたです」
 ★前言をあっさり撤回し、美子は、心底、驚いてしまった。★
「あ、あたし? そうじゃなくて、天満宮の、龍一のところのことですよね」
「土居家の当主ではなく、あなたに守っていってもらいたいのです。土居家が飛月にふさわしくないというのではく、飛月にはあなたが必要だということです。
 わたくしは長年にわたり飛月のことをみ護り続けて参りました。土居家の当主たちは、わたくしとの約束どおり、普段は釈迦堂に飛月を保管し、必要なときだけとり出していました。近年になり伊達家を護る必要がなくなってからも、わたくしは飛月を護ってきました。それが、飛月を生み出した伊達家の者としての役目だと思ったからです。
 そして、その役目を本当に果たすときがやって来たのです。釈迦像にこめたわたくしの魂の力を使い、戦う相手が、現れたのです」
 美子は、はっとした。
「それは、釈迦堂にやって来たという男のことですね」
 初子は、うなずいて続けた。
「わたくしは、あれ以来、男の正体を色々考えてきました。どこかで会ったことがあるような気がしていたからです。
 そして、ようやく思いあたりました。顔は似ても似つかぬものでしたが、わたくしには、男の本当の中身を感じることができたのです。
 男は、伊達兵部宗勝です」
 すると、そばに控えていた狐が美子に宗勝の説明をしようとしたので、美子はそれを遮った。
「伊達騒動の首謀者といわれる、伊達宗勝ですね」
「ええ。宗勝はどうやってか、黄泉の国からよみがえり、肉体までも手に入れて地上を歩き回っていたのです」
 美子は、勢いこんで、初子に訊いた。
「じゃあ、その宗勝が、あたしのお父さんを殺したんでしょうか」
 初子は、首をひねった。
「あなたのお父上とは、上木家の前当主のことですね。宗勝がお父上を殺したというのですか?
 さあ、わたくしには、分かりません。
 釈迦堂に来るのは、代々の土居家当主のみで、わたくしは上木家の者は、一度も見たことすらありませんし。亡くなったというのは、お気の毒ですが……」
 美子は、がっかりした。初子は続けた。
「宗勝は生前より飛月に執着していました。あれから姿を見せませんが、けして簡単にあきらめるような男ではありません。必ずやまた飛月を狙って現れるでしょう。
 そのときのために、飛月のほかに、これをあなたに託します」
 そう言って、初子は懐から小さな木像をとり出した。
「わたくしの魂を封じた釈迦像です。宗勝が現れたら、この釈迦像を使ってください。
 わたくしが必ず、あの男の魂を黄泉の国に引き戻してみせます」
 美子は、釈迦像を受けとった。想像していたよりもずいぶん小さい。
「これを使ってしまったら、あなたはどうなるんですか?」
 初子は、微笑んで言った。
「この魂の力を使いきったら、わたくしの地上での役目も終わりです。あとは、ほかの魂たちと一緒に、静かな眠りにつくだけです。ですから、もう釈迦堂で飛月を護ることもできなくなります。
 それで、あなたに飛月をお願いするのです」
 美子は、同じ質問をまた繰り返した。
「なぜ、龍一でなく、あたしなんですか?」
「飛月には、『色』が必要です。それが、わたくしが飛月をみ続けてきて、分かったことです。
 飛月はそのあまりに大きな霊力のため、人はそれに振り回されるか、逆に飛月を力で押さえつけようとします。土居家の当主は、飛月を押さえるだけの充分な霊力はもっているでしょう。
 しかしそれだけでは、飛月の力を存分に発揮させることはできません。飛月を常に身につけ、飛月に自分の魂の色を映す人間が必要です。飛月は、人の魂を映し、その魂を糧としてこそ、本来の姿となるのです。
 それには、あの土居家の当主は……、あまりに強すぎます。魂の力も、魂の壁も。
 飛月は、あの当主から、なにも得ることはできないでしょう」
「あたしは、飛月に何をすればいいんですか?」
「ただ、そばに置いておきさえすればいいのです。
 そうですね、あなたの霊孤のように、飛月を可愛がってやってください。そうすれば、飛月もあなたに応えてくれるでしょう。
 不安に思うことはありませんよ。飛月があなたに害を及ぼすことはないのですから。飛月のほうが、あなたを必要としているのです」
 提灯を持った狐が、墓所の片隅の地面を、とんと足で叩いた。すると、ぽっかりと長いトンネルが、地面の中に開いた。
「では、頼みましたよ」
 初子は、そのトンネルの中に足を踏み入れた。美子は、その後ろから訊ねた。
「このことは、もう龍一に話をしてもいいですか?」
 初子が答える。
「ええ、構いませんよ。どちらにしても、宗勝を倒すためには、土居家の当主の力を借りなくてはならないでしょう。当主にわたくしがよろしくと申していたことを、伝えてください」
 そうして、初子はしずしずとトンネルの中に入って行った。そのあとから、三匹の狐もついて行く。美子は、慌てて声をかけた。
「ちょっと、あんたたちも一緒に行っちゃうの?」
 大きいほうの狐が、振り返った。
「帰り道は、お分かりでしょう。あとは天満宮にいる狐と入れ替わってやってください」
 そうして、にいっと笑った。
「では、ごきげんよう」
 狐の提灯が見えなくなると同時に、トンネルも消えた。
地面には、ちょうど孝勝寺の鳥居の下にあったような、くぼみだけが、わずかに残った。ふーちゃんが、美子の肩から飛び降りて、そのくぼみの匂いをかぐ。
 美子は、ふーちゃんに声をかけた。
「ふーちゃん。あそこにも、同じトンネルがあったってことなの?」
 美子は、急に真っ暗な寺の境内にとり残されて、途方にくれた。右手には飛月を持ち、左手には釈迦像を持っている。しかし、いつまでもここにいるわけにはいかない。
 美子は、転ばないように気をつけながら、ゆっくりと寺の敷地を抜け出した。ふーちゃんも美子の肩に戻る。
 道路の街灯がまぶしい。
 大通りをのぞくと、車や人が盛んに通っている。あの通りをぬけないと、天満宮に帰ることができないが、短刀とはいえ、明らかに刀を持ち歩いているところを、人に見られたらどう思われるだろうか。
 美子は冷や汗をかいた。
(下手したら、警察に通報されるかも……)
 美子は、飛月をトレーナーの中に入れて上から手で押さえ、釈迦像はできるだけ手の中に隠れるようにして持った。
 そして、なるべく暗がりを選びながら大通りまで行くと、信号が青になったところを見計らって、いっきに駆けぬけた。
                         ◎◎
 ようやく、天満宮にたどり着き、トレーナーの中から飛月をとり出すと、美子は心の底からほっとした。
が、最初の石段を上りながら、次の心配ごとが襲ってきた。
(初子さんは、龍一にもう話してもいいと言ったけど、どうやって話そう。あれほど飛月を探すなって言われていたのさ)
 しかし、飛月の重みを確かめて、美子はちょっと元気が出た。
(でも、結果的にこうして飛月は無事とり戻せたし、釈迦像もあるし。話せば龍一も分かってくれるよね)
 そう思いつつ、美子は、拝殿の裏の扉をできるだけ音をたてないように開けた。
(でも、今夜はもう遅いし、明日の午後にでも、話すことにしよう)
 そうして、美子は、上社への最後の石段を上りきったが、そこでぴたっととまってしまった。
 龍一が、桜の木の下の、テーブルの向こうに座って、美子を待っていたのだ。
 そばには、美子に化けたままの狐が、うなだれてそばのベンチに同じく座っている。
 龍一が、軽い調子で言った。
「やあ、おかえり」
 美子は、自分の声がしわがれるのを感じながら、言った。
「龍一……。いたの」
「ご挨拶だな。まあ、座れよ」
 龍一が、狐の向かいの席をさす。美子はのろのろとそこに座った。テーブルの上に飛月と釈迦像を置く。
「あのう、龍一……」
 龍一は、美子の言葉を遮った。
「だいたいは、この狐から聞いたよ。昼間、釈迦堂で初子の霊に会ったあと、狐の案内で天満宮をぬけ出して、初子から飛月を渡されてきたんだろう?」
「そ、そうなの。
 初子さんは、釈迦堂に飛月を狙う怪しい男が来たので、国包さんのところに飛月を避難させたんだって。その男っていうのは、伊達宗勝の霊だと分かったので、あたしにこの釈迦像を預けてくれたの。
 宗勝がまた飛月を狙ってきたら、この釈迦像を使って、龍一と協力して、宗勝を倒してほしいって」
 龍一は、釈迦像を手にとった。
「初子は、その男を、宗勝だと言ったのかい?」
「うん。顔は違っていたけど、初子さんは宗勝に間違いないって」
「ふうん」
 龍一は、それきり、釈迦像を置いた。
 美子の『向かいの美子』が、もじもじし出した。美子は、それを見て、肩を落とした。
 狐の美子は、今やふさふさした尻尾が尻から飛び出し、顔にひげまで生えている。
 美子は、恐る恐る龍一に訊いた。
「ところで、どうしてこの狐のことが分かったの?」
 龍一は、肩をすくめた。
「この天満宮にも結界くらいはってある。だから、ここに出入りするものがあれば、竜泉なんか使わなくても、私にはすぐ分かるんだよ。
 この狐は、孝勝寺にある光明稲荷神社の稲荷狐で、私も顔見知りだ。狐は夜に出歩くものだし、ここにも何度も遊びに来ている。別に怪しいものじゃない。
 しかし、四匹入って来たのに、三匹しか出て行かないのは、おかしいだろう? それで分かったのさ」
 美子狐が、泣きそうになりながら龍一に言った。
「龍一様、もう許してください。ほんと、龍一様を騙すつもりなんか、なかったんです」
「よしよし。お前たちは、初子に頼まれたことをやっただけだ。別に責めるつもりはないよ」
 龍一が、パチンと指を鳴らすと、狐は飛び上がってもとの姿に戻り、放たれたように、一目散に石段を駆け下りて行った。
                         ◎◎
 狐が去ったあと、龍一は片肘をついてこめかみを指で押さえながら、じっと宙を見つめ、黙ったままだった。龍一の長い指の間から見えるその横顔が、怒っているというより、ひどく疲れているように思えたので、美子は胸の中が悲しみでいっぱいになってしまった。
「龍一、本当にごめんなさい」
 龍一は、ぼんやりとしたまま、訊き返した。
「何がだい?」
「だから、飛月や初子さんのことを、龍一に黙っていたこと」
 龍一は、初めて気がついたように、美子のほうを向くと、言った。
「そのことか。いや、謝ることなんてない」
 そして、テーブルの上の飛月を見ながら、あとは独り言のように続けた。
「美子は、ちゃんとこうして飛月をとり戻したんだからね。私は、何でも一人で解決しようとする。それが、私の欠点なんだ……」
 龍一は、飛月をじっと見ていたが、そのうち、身を乗り出して、まじまじと凝視し出した。
かと思うと、立ち上がって鞘をつかむなり、柄を握って、さっと引き抜いた。
 とたんに、灯篭の明かりが飛月にあたって、まぶしいほどに反射した。
 初めて飛月の刀身を目にした美子は、その輝きに驚いた。飛月はまるでそれ自体が光を発しているかのようだった。
「どうしたの? 龍一」
 美子が訊くが、龍一は、無言のまま、ひどく真剣な表情で、飛月を裏返したりしながら、なおも見ている。
 やがて、片手で柄を持って構えると、そのまま飛月で宙を一度斬った。ひょうっという鋭い空気を裂く音がした。
「何か、おかしいところでもあるの?」
(まさか、偽物なんじゃ……)
 龍一の様子に、美子は不安になった。
 しばらくして龍一は、一つ大きなため息をつくと、飛月を鞘の中にしまい、また座って美子のほうを向いた。
 龍一の目は、さっきとはうって変わって、飛月の光が宿ったかのようにきらきらと輝いている。
「美子。初子が君に話してくれたことを、もう一度詳しく話してくれないか」
「えっ。やっぱり、その飛月に変なところがあったの?」
 龍一は、力のこもった口調で言った。
「いや、そんなことはない。これは確かに本物の飛月だよ。間違いない。
 でも、これを美子がとり戻した経緯を、余さず知っておきたいんだ。だから、今朝のことから全部私に話してくれ」
 美子は戸惑いながらも、今日の午前中にふーちゃんが孝勝寺に迷いこんだところから、一つ一つ龍一に話した。
 龍一は特に、釈迦堂に男が飛月を探しに来た時の様子を、美子に何度も確認した。
「その男は、宗勝だったが、顔が違っていたと初子は言ったのかい?」
 美子は、一生懸命、初子の言葉を思い出しながら、答えた。
「うん。宗勝は体を手に入れることができて、黄泉の国からよみがえったんだって。初子さんは宗勝に会ったことがあったから、顔が違っていても、それが宗勝だと分かったんだって、言っていた」
 美子は、はっとした。
「宗勝が、生まれ変わってこの世に現れたってことも、あるのかな?」
 龍一は、あいまいに答えた。
「うん。そういうこともあるだろう。ないとはいえない」
 龍一が、それきり黙ってしまったので、美子はさらに訊ねた。
「初子さんは分からないと言っていたけど、お父さんを殺したのは、宗勝なんだと思う?」
 すると、龍一は、思いのほか、はっきりと答えた。
「祥蔵さんの死に、宗勝が関係しているのは、確かだろう」
 それを聞いて、美子は決心が固まった。
「龍一、宗勝を倒すんでしょう?」
 龍一は、美子をちらりと見た。美子はその目を見返した。龍一が、短く答える。
「いずれは」
 美子は、宣言するように、龍一に言った。
「じゃあ、そのときは、私にも手伝わせて」
 龍一がしぶると美子は思っていたが、龍一は、こう言った。
「美子に、宗勝に立ち向かう覚悟があるのか?」
 美子は、龍一の言葉に負けないように、答えた。
「あるわ。龍一が駄目と言っても、ついて行くんだから。だって、宗勝は、あたしのもっていたものを、全部壊してしまったのよ」
 美子は、泣かないように、目をみひらいて、一生懸命言った。
 龍一が、少し表情をゆるめた。
「宗勝を倒すときに、美子をおいて行ったりしないよ。それに宗勝を倒すには、飛月と釈迦像が必ず必要になる。その二つを初子から託されたのは、美子じゃないか。
 だから、宗勝と戦わなければいけないのは、私ではなく、本当は美子のほうなんだ。
 私は今まで、君をなるべく飛月や守護者の役割から、遠ざけることを考えてきた。祥蔵さんがそうしてきたように。
 祥蔵さんと私の関係を理解してもらうために、土居家や守護家のことは話したけれど、少なくとも高校を卒業するまでは、守護家のことなど、あまり気にせず生活してもらいたいと思っていたんだ。普通の女の子としてね。
 でも、それを美子が望まないのなら、少なくとも宗勝のことに関して、君を遠ざける権利なんて、私にはないと、考え直したよ」
 美子は、龍一がここまで自分のことを考えてくれていたのだと、初めて知った。
「ありがとう、龍一」
「でも、もちろん、美子を宗勝と一人で戦わせるようなことはしない。私がついている。安心してくれ。
 さあ、もう遅いから、寝たほうがいいんじゃないか」
 龍一は、そこで、笑みを浮かべた。
「今度こそ本当に、風邪をひくぞ」
 美子は、顔を赤らめながら、言った。
「この飛月と釈迦像は、龍一が預かってくれるでしょう?」
 龍一は、眉を上げた。
「初子から、飛月をずっと手もとに置いておくように頼まれたんだろう? 釈迦像だって、美子が預かってきたんだ。二つとも宿舎に持ち帰っていいよ」
「でも、危険じゃない?」
 龍一は、夜空を見上げた。月はまだ昇っていない。星が天満宮に降るように光っている。龍一の声は、遠くから響いてくるように聞こえた。
「天満宮には結界がはってあると言っただろう? 宗勝なんて、ここに入ることもできないよ。それに万が一飛月を手に入れたところで、宗勝にその力を使いこなすことなんて、なおさら無理だろうしね」
 美子は、訊いた。
「初子さんは、あたしに飛月を渡すのは、飛月の意志だって言ったけど、それは本当かな?」
「前にも言ったけれど、物に意志なんか、もともとないんだ。物に意志があるようにみえたとしたら、それは、本当は、その物に思いをよせた人間の意志が反映されているだけだ。
だから、そのときは、その人間が、どんな人物で、どんな思いをもっていたのかを、考えなければいけない」
 そう言いながら、龍一は、星星の中になにかがみえるかのように、きらめく夜空を見つめていた。美子は、そばにいながら、龍一をひどく遠くに感じた。
美子は、飛月と釈迦像を持って、立ち上がった。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
 美子が宿舎に向かって歩きかけると、龍一が後ろから声をかけた。
「美子」
「なあに」
 美子が振り返る。龍一が微笑んで、言った。
「誕生日おめでとう」
 美子は、ちょっとびっくりしたが、
「ありがとう」
と答えた。龍一はまた空へ向き直った。
 美子が最後に振り返った時も、龍一は、じっと夜空を見上げていた。

四 『瑞鳳殿』
                         ◎◎
 萩英学園高校の入学式当日の朝、いつもより早くやって来た築山が、美子の制服姿を、三分咲となった天満宮上社の桜の木の下で、記念撮影をしてくれた。
「よくお似合いですよ」
 築山が褒めてくれる。美子は、制服のサイズ直しをしなくて済んだので、内心ほっとしていた。築山が、
「入学式には、あとから私も行きますから」
と言うので、美子は、驚いた。
「別に、そんな、いいですよ」
 築山は手を振って言った。
「いえいえ、やはり行かなくては。それに学校にちょっと用事もありますので」
 築山に見送られながら、美子は石段を下り、自転車で萩英学園に向かった。
                         ◎◎
 入学式会場である萩英学園高校の体育館内は、新入生とその親たちの熱気でむっとしていた。
 美子は、一年三組と書かれている列の、前のほうの椅子に座った。席の指定は別にない。一組、二組は男子だ。
 急に体育館の入り口付近がざわつき始めた。女の子の興奮したような声も聞こえる。美子は、どうしたのかと伸び上がって見てみたが、人だかりが多すぎて、よく見えない。同じく背伸びをしていた美子のすぐ後ろの席にいた女の子が、我慢できなくなったのか、椅子の上に乗っかった。
 そうして、あっ、と言うと、すぐに降りて、美子に甲高い声で話しかけた。
「あれ、大沼翔太よ」
「大沼翔太って誰? 有名人?」
 美子が訊ねると、女の子は、大きな目をくるくると動かして、教えてくれた。
「去年の中学野球の全国大会で優勝した松山中学の、エースで四番だった人よ。スポーツ推薦で、萩英にきたんだって」
 そして、声を低くして、つけ加えた。
「超かっこいいの!」
「へえ」
 美子は、大沼翔太よりも、その女の子のよく動く表情のほうが、面白くて、楽しくなってしまった。女の子は、人なつこく、自己紹介した。
「あたし、結城アカネ。よろしくね」
「あたし、上木美子。こちらこそよろしく」
「美子。ケータイ持っている? 番号交換しようよ」
 二人は、すぐに友達になって、携帯電話の番号とアドレスを交換した。
 大沼翔太は、ざわめきの中を歩いて、後ろのほうの席に座ったようだ。一組のようで、二人の席からは、はっきりその姿を確認することはできない。
 アカネは残念そうに、
「あーあ、よく見えないや」
とつぶやいた。美子は、アカネに訊いた。
「大沼翔太のファンなの?」
「うん。お兄ちゃんが高校野球をやっていて、うちに野球雑誌とか沢山あるから、それで知るようになったの。でも今じゃ、普通の雑誌でも結構話題になっているよ。中学卒業後は、アメリカに留学するって噂もあったけど、萩英にくるって分かったときは、興奮したよお! でも、萩英って、何で男女別々のクラスなんだろ」
 美子は、うなずいて、
「でもさ、同じ学年なら話す機会もたくさんあるよ」
と、アカネをなぐさめた。
 教員たちが入場し、司会が式の開会を宣言した。
 つるつるに頭の禿げた、やせっぽっちな校長の、退屈で長い話がようやく終わると、司会が、
「次は、当校の理事長、築山四郎より挨拶を申し上げます」
と言ったので、美子は耳を疑った。
 美子が目をみはっている中、天満宮で美子を見送った築山本人が、壇上の上に堂々と現れた。美子が見たこともない、縞模様のスーツ姿だった。
「なかなか、貫禄のある理事長じゃない? 少なくとも、さっきの校長よりは、さ」
 アカネが美子の耳にささやいたので、美子は、とりあえず、うなずいた。
 築山は、ちらっと美子を見て、少し微笑んだあと、全生徒に向かって話し始めた。
「皆さん、高校入学、おめでとうございます。当校は、前理事長の土居菖之進が創立してから、今年で四十四年となります。
 萩英学園は、創立当初より、一貫して『少人数教育』、そして『多彩な能力開発』を、教育理念として掲げて参りました。そのため、一般入試受験者以外の、スポーツ、芸術など各推薦入学者が、全生徒の約半数を占めております。しかし、クラスは、一般入学者、推薦入学者関係なく編成されております。
 この中には、大学進学を考えている方も、当然たくさんいらっしゃると思いますが、一方、将来、スポーツ選手、音楽家などを目指している方もいるでしょう。皆さんの未来はけして画一的ではなく、皆さんの意志と努力で獲得していくものなのです。
 皆さんは、松の木を見たことがあるでしょうか。日本を代表する木の一つですが、日本の松は、外国のものと違って、たいてい真っ直ぐではなく、幹が曲がっているものが多いですね。これは、日本にはシンクイムシなどの害虫が多く、松の先端が枯れてしまい、その代わりに別の横枝が伸びたり、また、日当たりを求めて幹の伸びる方向を変えたりするためです。
 外国人が見ると、日本の松は、ずいぶん不恰好と思えるでしょうが、日本人は、逆にその姿に美を見出してきたのです。盆栽の松などは、わざと幹を曲げて育てたりします。
 木が、例え種類は同じであっても、一本一本、その形、大きさが異なるように、人間も同じ人は誰もいません。しかし、一生懸命生きている人は、それぞれ輝きをもっていますし、美しいものです。
 今ここに一緒にいる新入生の皆さんも、三年後には、それぞれまったく違う道を歩んでいくことでしょう。しかし、それまでの間培った、楽しい思い出や友情は、一生消えない宝物となるに違いありません。皆さんの高校生活が、充実した素晴らしいものになることをお祈りしまして、祝辞とさせていただきます」
 会場から、大きな拍手が起こった。美子も盛んに拍手を送った。アカネがまたささやいた。
「理事長の話、けっこうよかったじゃない? 短いし」
「うん、うん」
 美子は、嬉しくて、何度もうなずいた。と同時に、
(龍一が名前を借りている人って、築山さんだったのか)
と思って、おかしかった。
 その後、各教員の紹介や、学年主任からの注意事項などが終わると、新入生たちは、それぞれのクラス担任に引率されて、体育館を出て、自分たちの教室に入って行った。
                         ◎◎
 美子の高校生活は、こうして、ごく平穏に始まった。クラス内の空気はほとんど女子高のようで、のんびりしたものだった。
 美子は、結城アカネのほか、田中麻里という子とも親しくなった。
 麻里は音楽推薦で入学してきており、将来はバイオリニストを目指していた。髪が長く、大人っぽい雰囲気をもっている。麻里の家は、仙台市郊外にある有名な旅館を経営していたが、二代目の麻里の父親が、他人の保証人となって、多額の債務を背負う羽目になり、旅館も何もかも失ってしまったとのことだった。今は、仙台市内のアパートに父親と母親、それに弟と四人で住んでいるという。
 麻里は淡々と言った。
「バイオリンを続けるのって、すごくお金がかかるの。先生への月謝代とか、練習場のレンタル料とか、コンサートのチケット代とか。私は去年、音楽大会の年少部門で準優勝していたから、中学の先生が萩英へ推薦してくれたの。萩英は、学費のほかに、レッスン費用の面倒もみてくれるというので、すごく助かっているわ」
 美子とアカネが、しきりに感心したので、麻里は、ちょっと照れた。
「別に……。好きなことをやっているだけだから」
「好きといえば、みんな、彼氏いるの?」
 アカネが訊く。どうしたって、女子高生の話題の中心は、これだ。
 二人がいないと言うと、アカネは、
「そっかあ」
と、残念そうにつぶやく。麻里が、
「アカネは、いるの?」
と、興味しんしんで訊いた。美子が、にやにやしながら、
「片思いの君がね」
と、すっぱぬく。アカネは、
「こら」
と言ったが、話をしたくてうずうずしていたらしく、携帯電話の待受け画面を二人に開いて見せた。
「あ、大沼翔太じゃない」
 麻里は、大沼翔太を知っていた。それは、雑誌の写真を写したものだった。目がぱっちりとしていて、確かになかなかのハンサムだ。アカネの当面の目標は、大沼翔太の生写真を待受け画面にすること、らしい。
「それにしても、同じ学校なのに、さっぱり彼に会えないんだよなあ」
 アカネが不満をもらす。
 確かに、男子クラスと女子クラスは、教科でも一緒の授業になることはない。しかも大沼翔太は、特別なカリキュラムで、通常の授業時間帯にも野球の練習に行っているようで、校内にいないことも多い。
 大沼翔太の写真をじっと見ていた麻里が、
「ふーん」
と軽く言ったあと、ふふっと笑って、自分の携帯電話を開いて、二人に見せた。そして、
「大沼翔太も悪くないと思うけど、私の憧れの君のほうが、数段上ね」
と言ったので、美子とアカネは、争って麻里の携帯電話をのぞきこんだ。そこには、三十歳位の整った顔立ちの男性が写っている。どちらかといえば細面で、繊細な感じがする、色白の男性だった。
「誰なの?」
 麻里が説明する。
「佐山東児(さやま とうじ)っていうの。仙台出身のピアニストだけど、今はウィーンに住んでいるわ。世界的なピアニストよ。五年前、なんとあの、ショパン国際ピアノコンクールで、日本人で初めて優勝したんだから!」
 麻里が珍しく興奮して言うので、アカネは少し気圧されたように、訊いた。
「そのコンクールに優勝するのって、そんなにすごいことなの?」
「あったり前よ。ピアノ部門では、世界で一番権威のあるコンクールなんだから。ここで優勝したら、世界の頂点だって、お墨つきをもらったようなものよ」
「はあー。でも、そんなすごい人なんか、会うことすら難しいんじゃないの?」
 アカネは、大沼翔太より数段上と言われたのが、気に入らないらしく、麻里に食い下がる。麻里は、笑みを浮かべながら、言った。
「そうでもないわ。だって、これは直接私が撮った写真だもの」
「うそ!」
「本当よ。佐山東児は、私が通っている教室の出身なの。その縁で、毎年、うちの教室で主催している東京でのコンサートに特別出演してくれているの。だから、私も何回も東児に会ったことがあるのよ」
 麻里は、遠くを見て言った。
「いつか、私も東児と同じ舞台に立つんだ」
「いいもん。あたしだって、この三年の間に、翔太にアタックして、彼女の座を勝ちとるんだから」
 アカネが、同じく遠くを見る。
「うーん、二人とも乙女だね」
 美子が、笑って言った。アカネが、すかさず美子を突っこんだ。
「さあ、次は、美子が白状する番だぞ」
「えっ」
 麻里も、アカネに加勢する。
「そうよ。私たちは自分の好きな人を告白したんだから、美子の好きな人も教えなさいよ」
 美子は、真っ赤になりながら、言う。
「だって、誰もいないもん」
「うそ! じゃ、何でそんなに赤くなっているのよ」
「怪しいよ」
「ケータイ見せなさい!」
「駄目だってば」
 アカネと麻里は、美子の携帯電話を無理やり奪って、開いた。
 が、次の瞬間、二人とも何ともいえない妙な表情をして、お互いに顔を見合わせた。
「美子」
 アカネが、おごそかに言う。
「あんた、ちょっと変なんじゃない?」
 麻里も笑いをこらえながら、言う。
「なんで、ストラップを待受けにしているの?」
「えっ」
 美子は、ふーちゃんを待受け画面にしていた。美子の目から見ると、画面には、耳をピンと立て、大きな目を見開いたふーちゃんが、愛くるしい様子で写っているのだが、アカネと麻里には、それが、単なる金色の毛の固まりに見えるらしい。
 現に今、二人が持っている美子の携帯電話にも、ふーちゃんは、ストラップのようにしてぶら下がっている。美子は、ふーちゃんがたまにちょっとあくびをしたり、体勢を変えたりしているのが分かるのだが、二人はそれを目の前にしても、まったく気がつかないようだった。
 美子は、半笑いをした。
「いやあ、何にも写すものがなくてさ」
「それにしても、もうちょっと、マシなものにしなよ」
 二人の美子に対する追及は、それでたち消えとなったので、美子はほっとした。
                         ◎◎
 ある日、美子が学校から帰って来ると、拝殿裏の上社への扉をはさんで、築山と一人の男が押し問答をしていた。
「申しわけありませんが、お帰りください。本日は面会日ではありませんし、ご予約なさってからお越しください」
「だから、私はそういう客じゃないの。それに予約するといっても、三ヶ月も先になるんだろ? ちょっと宮司さんとお話したいだけなんだって。いるんでしょ。だったらここを開けてくださいよ」
 男は、朱の扉を押したり引いたりしているが、扉はまったく動かない。美子は、普段から不思議に思っているのだが、この扉には鍵もかんぬきもついていない。美子や築山が出入りするときは、もちろんいつでもすんなり開け閉めできるのだが、どうもほかの者が開けようとすると、鍵がかかっているかのように動かなくなるようなのだ。それで、龍一を訪れる客が上社に上がろうとする場合は、わざわざ築山が扉のところまで下りて行って、開けてやらなくてはいけないのだった。
 美子は、男の背後から、扉の向こうの築山に声をかけた。
「築山さん。あたし、帰って来たんですが」
「美子様ですか、おかえりなさいませ」
 扉がちょっと開いたので、美子がその隙間から入ろうとすると、男もするりとそこへ足をさし入れようとした。築山が慌ててそれを押しとどめる。
「ちょっと、あなた困りますよ」
「築山。いいから、お通ししなさい」
 石段の上から、龍一の声が聞こえた。築山が、上を見上げる。
「よろしいんですか」
「いいよ」
 と龍一が言うので、築山はしぶしぶ男を通した。男は背が低く小太りで、紫色のダブルのスーツとべっ甲でできた眼鏡を着けている。左手の小指には太い金の指輪をしていた。男は、美子に向かって、
「やあ、ここのお譲ちゃんかい」
と言って、にっと笑った。やけに並びのいい黄色い歯がぎっしりとつまっているのが見えた。顔は浅黒く焼けているが、美子は、築山の日に焼け方とは何だか違っているように思った。
 美子と築山と男は、一緒になって石段を上がった。鳥居の向こうでは、装束を来た龍一が、袂の中で腕組みをした格好で立っていた。
 龍一が、笑みを浮かべて男に挨拶をする。
「やあ、和光(わこう)さん。三年ぶりですね」
 男は、ハンカチで脂ぎった額をふきながら、言った。
「おや、私の名前を覚えていてくれましたか。いや、あの時は失礼しました。ところで、この子は、あなたの娘さんですか?」
 和光という男が、美子を親指でさしながら訊いた。
「いえ、この子は事情があってしばらくお預かりしているだけです」
 龍一が答える。
「ほう! 確かに、宮司さんのお子さんとしては、大きすぎますからね。三年前も、ずいぶんお若い宮司さんだと思いましたが、その後ご結婚はされましたか。いや、宮司さんは結婚できないんでしたっけ?」
 龍一は、それには答えず、そっけなく訊いた。
「今日は、何の御用ですか?」
 和光は、その場に一緒にいたままの築山と美子を気にするふうで、ちょっと声を落とした。
「まあ、立話もなんですから、ちょっと中でお話させてくれませんかね。悪い話じゃないんですよ」
「ここの土地は売りませんよ」
 龍一が、そう言ったので、美子は、びっくりして和光の顔を振り返った。
 和光は、愛想笑いを浮かべた。
「まあ、そう頭から決めつけないでください。三年前とは事情が違ってきているんですよ。またビッグマネーが戻ってきていますからね。首都圏の大規模再開発がひととおり完了して、今は地方への投資熱が再燃してきております。
 私も午前中、仙台の中心部をぐるっと回ってきてみましたがね、建設ラッシュのようですな。あれらのビルの七割以上が中央や海外からの投資マネーによるものと、ご存知でしたか。行政もそれをあと押ししているんですよ。自分たちの街にお金が流れるのは、いいことですからね。地方振興ってやつですよ。駅のこちら側もだいぶ昔とは変わりましたね」
 和光は、天満宮の周囲を振り返りながら、言う。
「しかし、駅の向こう側に比べると、若干遅れておりますな。手をつけられない土地が多すぎるんですよ。ですから細ぎれにならざるを得ない。駅のすぐ近くなのに、実にもったいない。
 土居さん、私はこの仕事を、理念をもってやっておるんですよ。土地を生かすことは、その地域を生かすこと、ひいては、そこに住んでいる人を生かすことなんだってね。人間は、どうしても自分の立場からしかものをみませんが、百年、二百年先のことをみすえれば、もっと広い視野で物事を考える必要があると思いませんか」
 龍一は、まったく変わらない口調で言った。
「当家は、六百年前から、この地におりますのでね」
 和光は、腕を振り上げて、話し続けた。
「それ、それ。伝統や既成事実にあぐらをかいて、未来永劫このままでいいという考え方が、日本を世界からたち遅らせている原因なんですよ。
 しかし、これは話が大上段になりすぎましたな。私は、この神社を守っていってさしあげたいのです。しかし、それには、時代や地域との協調が不可欠です。宗教だって、その時々の民衆の要望に応えていかなければ、いずれは見捨てられてしまいますよ。
 ともかく、ここの土地を全部売ってくれというんじゃあ、ありません。神社のスペースは充分確保させていただいて、今活用されていない土地だけを、一部お譲りいただきたいということなんです。これには、ちょっと今、具体的な名前は出せませんが、ある大企業が乗り出している確実な話なんです。後ろにはメガバンクもついていますから、資金については潤沢です。三年前のころとは事情が違うというのが、ここなんです。桁が違いますよ」
 腕組みをしたまま、龍一が、言う。
「額が変わろうが、土地の一部だろうが、お売りする気はまったくありませんので」
 和光は、上目使いで龍一を見た。
「相変わらず、かたくなですなあ。……ここの登記簿を調べましたよ。この丘一帯は、ごく一部分を除いて、宗教法人名義ではなく、土居龍一さん、あなた個人の所有になっておられますね」
「そうです」
「ここじゃあ、ずいぶん固定資産税も高いでしょう」
「そうでもありませんよ」
 和光は、ちょっと、舌で唇を湿した。
「これは、あるすじから聞きこんだんですがね。あなた、一部ではずいぶん高名な霊能力者ということで、通っているそうですね。そして、霊視とか何とかいって、客をとっておられるとか」
「別に、それは秘密でも何でもありませんよ」
 龍一は、表情を変えずに言った。和光もひるまない。
「はっは。しかし、そのお礼ということで結構な金額を受けとっているそうですなあ。まあ、別にそれが悪いというわけじゃありませんがね。何だかずいぶんぼろ儲けをしているようにお聞きしていますので。そういったことは神社としてどうなのかとも思いましてね」
 龍一は、淡々と答える。
「私が霊視でいただくお金は、神社の会計とは別になっています。個人の所得として、税金の申告もしていますよ」
 和光は、ちょっと目をむいた。
「宗教法人として受けとっているんじゃないと、いうんですか?」
「ええ。お客様には、領収書もお出ししています。それには、土居龍一と個人名で記載されていますよ。ちょっと調べていただければ、分かることですが」
 和光は、しばらく言葉を失っていたが、頭を振った。
「土居さん。もう少し、うまくおやりになったほうがいいんじゃないですか。よければ、優秀なコンサルタントをご紹介しますよ」
「結構です」
 そして龍一は、築山を向いた。
「築山。和光さんがお帰りだ。お見送りしてくれ」
「かしこまりました」
 築山は、和光をさっそくうながす。和光は、苦笑いをしながら、龍一に言った。
「分かりましたよ。今日のところはこれで帰らせていただきます。また、いつかお会いしましょう、土居龍一さん」
「当神社の門は、いつでも開いていますよ、和光さん」
 龍一の言葉に、和光は何か言いたげだったが、築山に押されるようにして、結局何も言わずに、石段を下りて行った。
                         ◎◎
 和光が見えなくなると、美子は、少しためらったが、龍一に訊いた。
「ねえ、龍一。宗教法人として、お金を受けとる、受けとらないって、どういう意味なの?」
「宗教法人の収入には、基本的に税金がかからないんだ。躑躅岡天満宮は、宗教法人として登録しているので、天満宮としてお金を受けとれば、税金はかからないけれど、私個人として受けとれば、税金がかかる。だから、和光は、天満宮としての収入にすれば、税金を払わなくていいのに、と言ったのさ」
「なぜ龍一はそうしないの?」
「私がする霊視は、天満宮の宮司としてではなく、あくまで土居家当主としておこなっていると思っているからだ。天満宮の祭神は菅原道真だが、土居家が長年守ってきたものは、竜泉であり、霊視も竜泉を通してしている。それで、神社ではなく、土居龍一個人の所得として申告しているんだが、しかし、顧問税理士からも、そんなふうに厳密に分ける必要はないと、再三言われているよ。和光じゃないが、皆さん、もっとうまくやっていますってね」
 龍一は、そう言いながら、楽しげに笑った。美子は、ちょっと首をかしげた。
「税金を払ったら、その分、損なわけでしょう?」
「そうかも知れないね。しかし、まあ、たまには得をすることもあるようだよ」
 美子は、和光のみっしりと並んだ黄色い歯を思い浮かべて、うなずいた。
「ところで、美子。今月の二十五日の夜は空いているかい?」
「二十五日? 別に何もないけど」
「じゃあ、空けておいてくれ」
 龍一は、一度、言葉をきってから、言った。
「その晩に、瑞鳳殿に行ってもらう」
 美子は、はっとした。
「それは、宗勝を倒しに行くということ?」
「そうだ。色々なことを考え合わせると、やはりひと月前に瑞鳳殿に現れた怨霊は宗勝だろう。そして、どうにかして飛月の保管場所を知り、釈迦堂に来て結界を破ろうとしているところを初子に目撃された。初子の言うとおり、わざわざ黄泉の国から出て来た宗勝がこのままあきらめるとは思えない。瑞鳳殿には、宗勝が利用している黄泉からの出入り口があるはずだ。その場所も、霊視でほぼ特定できた。
 四月二十五日の真夜中に満月が正中、つまり真南の位置を通り、そしてもっとも高い位置に昇る。飛月の力も私の霊力も、その時が一番大きくなるんだ。その時を見計らって、君に飛月と釈迦像を持って、瑞鳳殿にある黄泉への出入り口に行ってもらい、そこで宗勝を退魔、つまり封印する」
「龍一は、どうするの?」
「私は、天満宮にいて、君を援護する」
 美子の不安そうな表情を見て、龍一が、言葉を強めた。
「大丈夫だ。美子の様子は、竜泉を通じて逐一分かる。それに、私は宗勝を倒すのに、釈迦像だけではなく、雷神を使おうと思っているんだ」
「雷神?」
「稲荷大神秘文(いなりおおかみのひもん)で呼ぶことができる、雷だ。しかし、これは非常に大きな霊力を必要とするので、私自身が竜泉のすぐ近くにいることが必要なんだ。雷神を、飛月に降ろすことによって、退魔の力が倍増される。以前にも、やっかいな怨霊退治のときに、この合わせ技で、祥蔵さんと協力して退魔をしたことが何回かあったよ。
美子、飛月を持ってきてみてくれないか」
 美子はうなずいて、宿舎に行き、リビングのガラス戸から中へ入った。美子は、飛月と釈迦像を、リビングの棚の上に置いていた。美子が飛月を持って外庭の龍一のところに戻ると、龍一は、美子に飛月を鞘から抜くように言った。
「最近、飛月の様子はどうだい?」
 美子は、戸惑った。
「どうって……。別に何も。初子さんから飛月を可愛がれって言われたけど、どうしていいのか分からないから、ただ、前を通るたびに飛月に声をかけたりしていたわ」
「なるほどね」
 龍一は、飛月の刀身の上に手をかざし、すっと横に滑らせた。
「よし、いいようだ」
 龍一は、満足したように微笑むと、美子に、
「じゃあ、飛月を真っ直ぐ構えてみてくれ」
 と言った。美子は、鞘をテーブルの上に置くと、飛月を両手で持って、構えた。
「これから美子に、簡単な祓いの秘文を教える。私のあとに繰り返して言うんだよ」
「分かったわ」
 美子は、龍一がゆっくりと唱える秘文を、繰り返した。
「とふかみえみため」
「とふかみえみため」
「かんごんしんそんりこんだけん」
「かんごんしんそんりこんだけん」
「はらいたまひきよめいたまう」
「はらいたまひきよめいたまう」
 龍一は、美子が秘文を覚えるまで、何回も繰り返させた。美子は、あんまり力を入れて飛月を握っていたので、手のひらにじっとりと汗をかいてきた。
「この秘文って、どういう意味なの?」
「この秘文は、三種大祓(みくさおおはらい)の秘文という。
 最初の『とふかみえみため』というのは、遠い先祖の神よ、笑みを垂れたまえといった意味で、天津祓いの秘文といわれている。
 次の『かんごんしんそんりこんだけん』は、八卦のこと。つまり、坎、艮、震、巽、離、坤、兌、乾の八つを並べたものだ。八卦とは、古代中国から伝わる世界観で、八つの卦によって、この世のあらゆる事象を表すことができるという考え方なんだ。だからこの言葉は具体的には、今私たちが住んでいるこの国土をさしているので、この世界全体を清めるという、国津祓いの意味がこめられている。
 最後の『はらいたまひきよめいたまう』は蒼生(あおくさ)祓いの秘文。『蒼生』とは人民のこと、それから、秘文の中にある『たま』という言葉は、魂を表している。つまりこの部分は、あらゆる生き物の魂、特に人間の魂を祓い清めるという意味をもつ。
 だから、三種大祓とは、時、空間、魂という、この世のすべてを構成しているものを、清浄にしようとする祈りの言葉なんだ」
 美子は、感心した。
「こんな短い言葉の中に、そんなに深い意味があるんだ」
「だから、言葉の意味に負けないように、こちらも、全身全霊をこめて唱えなければいけない。ゆっくりでいいから、気持ちをこめて、唱えるんだ。秘文が自分のものになって、言葉の力を得られるように。そしてその力を、飛月に集中させるイメージを繰り返す。
 二十五日までにあと十日以上ある。その間に毎日この練習を繰り返しておいてくれ。もちろん、釈迦像も、私の雷神もあるけれど、さらに美子に祓いの秘文の力が加われば、心強いからね」
「宗勝は、飛月を見たら、きっと手に入れようと向かって来るよね」
 美子は、飛月を手に入れた晩に決意した、宗勝に立ち向かう気持ちを忘れてはいなかったが、ついつい、真夜中の墓所に現われる、父を殺したという怨霊を、おどろおどろしく想像してしまうのだった。
 龍一は、宗勝のことを、生きているかのように話した。
「そりゃ、そうだろうな。それこそが、こっちの狙い目さ。夢中で欲しがるものがあるっていうことは、それがそいつの弱点ということだ。だから飛月に祓いの力を集中させる作戦をとることができる。そして、相手が飛月に気をとられている隙に、釈迦像を宗勝にかざすんだ。あとは、初子が宗勝を黄泉の国に引き戻してくれるよ」
 美子は、とにかく、龍一や初子、そして飛月の力を信じるしかないと、腹を決めた。
「分かったわ。二十五日まで、一生懸命練習する」
が、言ったとたん、
「あっ」
と声を上げた。龍一が、怪訝な顔で美子を見る。
「どうした?」
 美子は、慌てて言った。
「ううん。何でもない。じゃあ、あたし、家の中で練習してくるね」
「まあ、あまり根をつめるなよ」
「分かった」
 美子は、宿舎に戻りながら、密かにため息をついた。
(二十五日の夜中か……。次の日実力テストなことを忘れていたよ。仕方ないけど)
 そして、龍一は、どんな学生だったのかな、と、ちらりと思った。                        
                         ◎◎
 その晩、宮司舎の書斎で、地図をじっとにらんでいる龍一のもとに、築山がやって来た。
「龍一様。西の間にご夕食の用意をしておきました」
「ありがとう」
「冷めないうちに、お早くどうぞ」
 龍一は、それには答えず、卓上の地図をしばらく見つめていたあと、築山のほうを振り返った。
「築山。瑞鳳殿の管理人の丹野さんに、今月二十五日の晩に、伺いますからと、伝えておいてくれないか」
 築山の目が光った。
「いよいよ、美子様の初陣ですね。緊張されていることでしょう」
 龍一は、口もとに笑みを浮かべた。
「まあ、何とかなるだろう。二十五日は、午後十一時すぎに美子を行かせる。丹野さんには、あの泉をふさいでいる金網を外しておいてほしいと言っておいてくれ。それから、人払いもだ」
「かしこまりました」
「当日は、築山、お前が美子を瑞鳳殿へ送り迎えをしてやってくれ。だが、中に入るのは、あくまで美子だけだぞ」
「龍一様は?」
 龍一は、澄まして言った。
「私は、ここにいることになっているからな」
「それは、美子様は、不安でしょうね」
「多少、不安なほうが、実力を発揮できるものさ」
「しかし、丹野さんは、安心されるでしょう。何せ、この一週間もの間、得体の知れない幽霊が、夜中ばかりでなく、昼間にもひっきりなしに現れて、観光客をまでも脅かしていたんですからね。そろそろマスコミもかぎつけそうだと、昨日も私のところに電話がありましたよ」
 龍一は、考えにふけりながら、言った。
「以前、私が感じた瑞鳳殿の霊は、先月一晩だけ、しかも一瞬しか気配を感じさせなかった。それから一ヶ月も経って、今度は昼日中からの幽霊騒ぎか。そして、それと時を同じくして、今度はこれだ」
 龍一は、机の地図をとり上げ築山に示した。地図は、東北全体を描いた大きな地図で、ところどころに赤い印をつけてある。印は、特に福島県南部と、宮城県全体に多くつけられている。
「ここ一週間で、東北中の道祖神が数十箇所にわたって、破壊されている。それも、土居の結界に関係の深い、古くからある道祖神がほとんどだ。ただの悪戯とも思えない。私は、瑞鳳殿の怨霊なんかよりも、こちらのほうが気にかかるんだ」
 築山は、膝を進めて、龍一が広げた地図をじっと見ていたが、
「なるほど。確かに、各守護家の所在地や沿岸部のものに集中しているようですね。しかし、福島が一番ひどいですな。白河の中ノ目様に連絡いたしますか?」
「中ノ目には、もう連絡してみたが、この一週間、ひどい風邪を引きこんでいるので、しばらく動けないそうだ。具合が悪くて道祖神のことも、まったく分からなかったとさ」
 築山は、一呼吸おいてから、
「ほう!」
と、言った。築山と龍一は、お互いに気がかりな表情で顔を見合わせた。
 龍一は、築山に言った。
「だから、悪いが、築山。お前にこれらの場所を回ってもらいたい。私が用意する新しい道祖神を、代わりに埋める作業をしてほしいんだ。中ノ目以外の守護家には、事前に連絡しておいたほうがいいと思うが、道祖神の交換は、必ずお前自身の手でやってくれ。ほかの者にはさわらせないことだ」
「かしこまりました」
「新しい道祖神は、数日もあればいくつか作ることができると思う。しかし、慌ててすることはない。お前が作業をするときは、時間と場所を必ず事前に私に知らせてくれ。その時間帯には、私は竜泉の前にいるようにするから」
「はい」
 そして、築山は、目を上げて、龍一に訊いた。
「これから、何が起こるのでしょうか」
 龍一は、書斎の窓から外を眺めた。障子が開け放してあり、月が木立の向こうに見える。今夜は三日月だ。窓は西向きなので、ここから見る月は、いつも沈んでいく月である。
「それは、たぶん二十五日になったら分かるよ」
 龍一は、まるで月に向かって言うように、話した。築山は、何かに気がついたように、はっとすると、
「では、私は、今日はこれでおいとまいたします」
と、龍一に頭を下げて、書斎の障子を閉め、去って行った。
 龍一は、その後もしばらく月を見ていたが、やがて地図をくるくると丸めると、書斎の四方の壁に作りつけられた書棚の一つにしまった。そして、書斎から内廊下へ出て、自分の私室へと向かった。
                         ◎◎
 四月二十四日、美子は、昼間に一度、瑞鳳殿に行った。美子は今まで瑞鳳殿に行ったことがなかったので、翌晩の下見を兼ねた見学のためである。
 学校が終わったあと、そのまま自転車で瑞鳳殿へ向かう。
 仙台駅を通りすぎ、東北大学のわきをぬけ、霊屋橋(おたまやばし)を渡ると、瑞鳳殿入り口にたどり着く。
 瑞鳳殿は、観光地スポットらしく、ゴールデンウィーク前の平日だというのに、二、三台の観光バスが駐車場に停まっていた。美子は、駐車場の片隅に自転車を停めた。
 瑞鳳殿は、伊達政宗が築城した青葉城から、廣瀬川をはさんだ経ヶ峰(きょうがみね)いう丘陵地に造られた、政宗の霊廟である。経ヶ峰に墓所を造ることは、政宗の遺言であったという。
 美子は駐車場から瑞鳳殿へ続く参道を見上げた。
 まさに、見上げるという表現がぴったりで、石畳の参道は、急な坂道となっており、両わきには背の高い杉の木が延々とそびえ立ち並んでいる。杉並木の下の空気は、初夏にもかかわらずひんやりと湿っていて、学校からずっと自転車をこいできた美子は、ほっとして汗をぬぐった。
 参道は途中から幅広い石段に変わり、左と真っ直ぐの二手に分かれている。順路としては左が最初らしい。
 美子は、左の石段を上り始めて、すぐに緊張して立ちどまった。宗勝の霊が黄泉から出入りしている場所だと龍一から聞いていた、手水所跡がすぐ右側にあったからだ。
 説明書を読むと、現在泉は枯れているとある。泉の周りは石組みで囲ってあり、その上は金網で厳重にふさがれているが、明日の晩までには、築山が手を回して金網をとり外しておいてくれるとのことだった。
 美子は、枯れ泉の周囲を確認した。石段はゆるやかで、両側はスロープになっている。しかし、照明はないので、夜は真っ暗だろう。美子は、懐中電灯の必要性を心にとどめた。
 石段を上りきったところに、瑞鳳殿への入場券購入口があり、観光客の人だかりがあった。
 美子が券を購入するために並んでいると、近くにいた団体客の中にいた中年の女性が話しかけてきた。
「あら、あんた、高校生? 修学旅行かなんかで来たの?」
 制服姿の美子を珍しそうに見て、ほかの生徒があとから来るのかと、石段の下を眺める。美子はとっさに、
「あ、いいえ。えーと、あたし、最近仙台に引っ越して来たんですが、あの、住むところをよく知ろうと思いまして、見学に……」
と、つかえながら答えたが、なんだかつい最近も同じようなことを言った気がした。
 女性は、ひどく感心したような顔になった。
「まあ、今時えらい子もいたもんだ。あたしらは、埼玉県から観光ツアーで来たんだけど、仙台はあんまり観るところがないね。明日は松島に行くから、これはちょっと楽しみにしているんだよ。
 あんた、一人だったら、一緒にガイドさんの説明を聞きなさいよ。なあに、知らんふりして近くに立っていれば、誰も文句を言いやしないから」
「はあ」
 瑞鳳殿内の敷地は、その門をくぐったあとは、ごく狭かったので、その女性客に言われずとも、ガイドが声高に言う説明は、自然に美子の耳にも入ってきた。
「……瑞鳳殿は、伊達政宗公の遺言により、ここ経ヶ峰に二代目忠宗公によって造営されました。桃山様式の豪華絢爛な建築物で、国宝にも指定されておりましたが、惜しくも昭和二十年の戦災で焼失してしまいました。
 こちらの建物は、昭和五十四年に再建されたもので、創建当時の姿をよみがえらせております」
 これを聞いて、美子の近くにいた、団体客の中年男性が、
「何だ、本物じゃないのか。青葉城も石垣しかなかったしなあ」
とつぶやいた。ガイドが客をうながす。
「皆様、ごゆっくりとご覧くださいませ。それから、左側の建物は、資料館となっています。
 経ヶ峰には、この瑞鳳殿のほか、二代目藩主忠宗公の霊屋である感仙殿、三代目藩主綱宗公が眠る善応殿がありますが、一般に経ヶ峰全体の墓所群をさして、瑞鳳殿と呼び慣わしております。感仙殿と善応殿も、瑞鳳殿と同じく空襲で焼け落ちましたが、これらの再建の際に発掘調査をしたところ、三代藩主のそれぞれの完全な遺骨や、数々の副葬品が発見されました。こちらの資料館では、その副葬品の一部や、三人の藩主の容貌を復元した像などを展示しております。
 えー、それでは、瑞鳳殿のあとは、向こうの感仙殿と善応殿に参りますので、最初に通って来た門の前に、十五分後にお集まりください。次の予定もございますので、時間厳守でお願いします」
 美子に最初に話しかけてきた女性がぶつぶつ言うのが聞こえる。
「十五分で、ごゆっくりもないもんだ」
 美子は、観光客の団体から離れ、資料館の中に入った。
 ガイドが言った、三代目藩主の綱宗公とは、今回の怨霊騒ぎの元凶である伊達宗勝の画策によって、強制隠居をさせられたという、伊達騒動の発端となった、あの綱宗のことだ。
 資料館入り口には、いきなり、伊達騒動の説明文があって、美子はどきりとした。内容は、だいたい、龍一から聞いたものと同じである。しかし、もちろん、伊達騒動の裏に飛月の存在があったなどいう記事はない。土居家や上木家のこともなかったが、涌谷領主の伊達安芸宗重が、宗勝派の原田甲斐宗輔に斬り殺されたことは、書かれてある。
 資料館の内部は、気がぬけるほど狭い。
 美子は、三代の藩主の復元像をじっくりと見た。乱心して強制隠居させられたという、綱宗の顔は、他の藩主よりもふっくらとしていて、貴族的でさえある。七十二歳まで生き、隠居後は好きな書や絵にうちこんで、風流人としてすごしたという。権力闘争から離れることができ、逆に幸せな生涯を送ることができたのかも知れない、と美子は思った。
 瑞鳳殿を出て、感仙殿や善応殿へ通じる杉木立に囲まれた石畳を、美子はゆっくりと歩いた。
 経ヶ峰に霊屋があるのは、仙台藩伊達家の三代藩主までだ。美子が飛月を託された初子の子、四代藩主綱村の墓は、仙台市茂ヶ崎の大年寺(だいねんじ)にある。
 美子は、ここに来る前に自分で調べたメモを見ながら、考えた。
(宗勝のお墓は、伊達騒動で流罪になった先の、高知県にあるそうだわ。何で宗勝の霊は、わざわざここ瑞鳳殿に現れたのかしら)
 感仙殿や善応殿も、瑞鳳殿と同じく華やかな色彩に彩られた、凝った造りだった。四代藩主の綱村は、このような豪華な霊屋を建てることを禁じたため、綱村以下の藩主の墓は、どれも非常に簡素なものであるという。
 美子は、綱宗の霊廟である善応殿を見上げて、ぞくっとした。宗勝が、大年寺の綱村の墓などではなく、ここ経ヶ峰に現れたわけが分かった気がしたからだ。
(宗勝は、こんな立派な墓に自分も入りたかったんだわ……)
 死んでからのちも、仙台藩主の地位と飛月に対する異常な執念をもち続ける宗勝。ついに怨霊となり、瑞鳳殿の片隅にある、あの枯れ泉の中からこの世に現れる、その心の内はどんなものだろうか。その魂は、けして平穏を感じることはないだろう。美子は、宗勝に対して、何だか哀れみを感じた。
                         ◎◎
 翌、四月二十五日の晩は、よく晴れ、美子がリュックの中に入れた飛月と釈迦像を持ち、ふーちゃんを連れて、躑躅岡天満宮を出発した時は、頭上に満月が、大きく光を放っていた。
 いつも駐車場に停めてあった深緑色のジープは、築山のものだった。築山は夕方に一度自分の家へ帰ったあと、午後十時半に天満宮の石段下に車をつけ、美子を待っていてくれた。
 龍一は、午後十時には本殿内に入っていたため、美子が出るときには、姿を見せなかった。
 美子は、神経質になっている自分を感じていたが、築山のいつもと変わらない笑顔を見て、少し落ち着いた。
「美子様。リラックス、リラックス。大丈夫ですよ。龍一様がついています。私も瑞鳳殿の入り口で待っていますからね」
「はい」
 美子は、唾を飲みこみながら、短く答えた。
 三種大祓の秘文は、この十日の間、何回も練習した。最初は言葉を口に出すだけだったが、だんだんと秘文に隠されている力を感じることができるようになった気がした。
 龍一は秘文の意味を教えてくれたが、こうも言った。
「しかし、秘文の意味と力には、二種類ある。一つは、秘文固有のもの、もう一つは、唱える者に隠されているもの。この両方が合わさることで、秘文の本当の力が発揮されるんだ。同じ秘文でも、唱える者が異なれば、まったく同じではない。秘文は人に左右され、人もまた秘文に影響される。この相互関係がうまくいったとき、人は秘文の力を引き出すことができるんだ。だから、美子も、自分の三種大祓の秘文をみつけ出さなければいけないんだよ。それは、美子自身の中に隠されているんだ」
(あたしの中に隠されている、秘文の力……)
 それをみつけ出して、飛月に与えてやらなくてはいけない。美子は、三種大祓の秘文の意味を考えた。
(この世のすべてのものを、清めること)
 そして、宗勝の怨霊のことを考えた。父を殺した宗勝は、確かに憎かった。でも、その気持ちは、三種大祓の秘文の意味にそぐわない気がした。
 父の死は悲しかった。美子はまだ、父の死を受け入れることが完全にできていなかった。
 美子は、父の言った言葉を心の中で繰り返した。
(人が死ぬということは、完全に消えてなくなることではなく、単に生きている人からは見えなくなってしまうこと。お父さんも、きっとどこかから、あたしを見ている。そして、今ごろ、お母さんと一緒に話をしたり、笑ったりしているのかも知れない)
 快活だった父は、死んだあとも、冗談ばかり言っているだろう。父と比べると、怨霊となってまで、この世に現れる宗勝は、ひどく哀れな存在だった。
(あたしのもっているものは、憎しみと悲しみだけじゃない。お父さんとお母さん、そしてふーちゃんや龍一からもらった愛情もある。これが力になるかどうかは分からないけど、あたしは、あたしのもっているものでしか、戦えないんだから、あたしの中にあるものを全部秘文にこめるしかない)
 美子は、そう思った。
                         ◎◎
 築山のジープはあっという間に、瑞鳳殿へ続く参道の下に着いた。
 美子が車を降りて、懐中電灯で行き先を照らしながら石畳を歩いている時、胸ポケットの中の携帯電話が鳴った。美子が着信番号を見ると築山の携帯電話からとなっていたが、出てみると、龍一からだった。
「瑞鳳殿に着いたかい?」
「うん」
「築山の携帯電話を借りてかけているんだ。この電話からの声を、外からも聞こえるようにできるか?」
「できるわ」
 美子は、ハンズフリーのボタンを押して、電話を胸ポケットに入れると、龍一に話しかけた。
「聞こえる?」
 龍一の声が、ポケットから響いた。
「ああ。これで、美子も飛月を持ちながら、私の声を聞くことができるだろう。今、どの辺りまで来た?」
「もう石段の手前まで来たわ」
「じゃあ、枯れ泉の前まで行ったら、飛月と釈迦像を出して、三種大祓の秘文を唱え始めてくれ。それに合わせて私も稲荷大神秘文を唱える」
「分かった」
「私は、美子の秘文に邪魔にならないように、暗言葉(くらことは)を使うが、ちゃんとこちらでも秘文は唱えているから」
「暗言葉って?」
「声に出さないで、秘文を唱えることだ」
 美子は、枯れ泉の前に立った。辺りはしんと静まり返っている。明かりといえば、美子の懐中電灯と、真上に輝く満月だけだ。
 懐中電灯を石段の上に置き、リュックの中から釈迦像と飛月をとり出す。ちょっと考えてから、釈迦像は、自分の足もとに置いた。飛月を両手で持って構えるには、仕方がない。
 美子は、飛月を抜き、泉に向かって構えると、大きく息を吸って、三種大祓の秘文をゆっくりと唱え始めた。思ったよりも、自分の声が響きわたる。
「とふかみえみため かんごんしんそんりこんだけん はらいたまひきよめいたまう」
 何回も秘文を繰り返すうち、自分の声の響きも気にならなくなってきた。飛月の刀身は、満月の光に照らされ、銀色に輝いている。
 秘文を唱えながら、自分の中に沸き起こる力を、両手を通して、飛月に流すイメージを頭の中に描く。心なしか、飛月の輝きが大きくなり、柄を通して、飛月全体が震えてきた感じがした。
 飛月の光が増すと同時に、泉の周りの影が濃くなった。
 そして突然、その影が凝縮され、一つの塊となって、美子の前に姿を現した。人間と見えなくもないが、初子や国包のはっきりした姿とは、ほど遠い、黒い煙のような姿だ。しかし、確実に意志をもった存在だった。
「宗勝ね」
 美子は、自分の声が震えないように気をつけながら、言った。
 影が言う。
「いかにも、わしは伊達兵部宗勝だ。お前は、上木の娘だな」
 美子は、ドキリとした。
「だから、どうだっていうの?」
 影が、しわがれた声で笑う。
「どうともないがね……。わしの生涯には、何かと上木家の者がつきまとうと思っただけよ。飛月と上木、これはわしの宿命かも知れんな。しかしいずれは、どちらもわしに征服されるべきもののようだ。お前の父親も、わしの目の前で、あえなく命を落としていったよ」
 美子は、かっとして叫んだ。
「お父さんは、あんたなんかに負けたりしないわ!」
 宗勝は、面白そうに笑った。もやのようだった宗勝の輪郭が、月光の中、次第にはっきりしてくる。
「哀れな娘よ。お前がそう信じたいのは、分かる。しかしあの宵、上木の当主は、まさにこの場所で、死んでいったのだよ。わしの腕のひと振りで、あの者の魂は飛んでいってしまった。飛月の使い手としては、ちと簡単すぎたな」
 美子は、頭の中が真っ赤になる気がした。涙で宗勝の姿がゆがみ、大きくにじんだ。
「嘘! そんなの嘘よ! お父さんは、今までで一番強い飛月の使い手だったんだから」
「美子! そいつの話を聞くな!」
 龍一の声が、美子を鋭く打った。
 美子は、はっとした。
 龍一の落ち着いた声が、美子の耳に届く。龍一の声は、不思議に遠くから響くように聞こえた。
「亡霊の声になど惑わされるな。もう一度心を静めて、秘文を唱えろ。飛月だけをみているんだ」
 美子は、飛月を両手でしっかり握り直し、宗勝に真っ直ぐ向けて構えた。
 そして、飛月の切っ先を見つめながら、三種大祓の秘文を唱える。
(秘文よ、あたしの中の力を教えて)
 宗勝が、泉から、ゆっくりと歩を進め、美子のほうへ向かってきた。
「その声は、土居の当主だな。ひと月前にお前と話をしたぞ。お前は、わしを上木の当主だと思って話をしていたがな。残念ながら、その時には、あの男はすでにわしに殺されていたのだ。土居の当主ともあろう者が、自分の部下の声も判別がつかないとはな」
(涌谷のあの家を思い出そう。お父さんがあたしを守ってくれて、お母さんが微笑んでいたあの家を)
 美子の唱える秘文が、澄みきった宙に響きわたる。
宗勝は、今や、生きていたころと同じ姿で美子の目の前に立っていた。宗勝が、ゆっくりと飛月に手を伸ばす。
「飛月はお前ら下賎の者が持ってよい物ではない。わしの父、政宗公より伝わる伊達家の家宝ぞ。飛月で身を滅ぼしたのは、上木家のほうではないか」
 ふーちゃんが美子の首すじに体をすりよせる。美子は、自分の中から温かく強い力が湧き上がり、秘文の力と交わるのを感じた。美子はもう宗勝の言葉を聞いていなかった。
(みつけたわ、あたしの力。上木祥蔵の娘としての力よ)
「上木の当主も愚か者よ。そもそも、うかうかと、闇夜の逢魔が刻、この場所に一人で来たのは、あの男の妻の幻影を見させられたからなのだ。わしらの罠にかかったのだよ」
 龍一の声が、飛んだ。
「美子! 飛月を高くかかげろ!」
 美子は、飛月を空へ向かって振り上げた。
 美子の秘文の力が、両手から柄を伝わり、飛月に大きく流れる。と、ひとすじの赤い光の線が、銀色の刀身をさっと貫き、飛月は、天空の満月よりもさらに強く輝き始めた。
 次の瞬間、晴れわたった夜空に、突如、目もくらむような強烈な雷光が閃いたかと思うと、らせんを描きながら、飛月に落ちた。
 激しい衝撃が美子に伝わる。雷光はそのまま飛月の刀身にとどまり、飛月は金色の燃えるような光に包まれた。
 飛月に手を伸ばしかけていた宗勝は、驚愕の表情を浮かべ、飛月の雷光を避けるように目をおおった。
 龍一の声が空の向こうから届くように、美子に語りかける。
「美子。宗勝を泉に戻して、釈迦像をそいつの体にふれさせるんだ」
 美子は、宗勝に飛月を向け、歩を進める。宗勝は、じりじりと泉へ後退した。
 美子は足もとの釈迦像を拾い上げると、宗勝の方へかかげた。宗勝の顔がゆがむ。
「何だ、それは。何をしようというのだ。……それは、初子か?」
 宗勝がついに泉にまで下がったのを見計らって、美子は、思いきり釈迦像を投げつけた。
 釈迦像は、宗勝の右目にあたり、真っ二つに割れ、半分は宗勝の顔を焼きながら燃え上がり、もう半分は、音をたてて地面に転がった。
 宗勝は、うめき声を上げて、顔をおさえた。
 顔の炎は、宗勝の右半身全体に広がり、その部分を以前の黒い煙に戻していく。しかし、左半分の体はまだ無事だ。
 宗勝は、左目で美子をにらんだ。
「よくもやってくれたな。しかし、まだ左半分が残っているぞ。わしには、もう失うものは何もない。あるのは、お前ら上木家への憎しみと、飛月への執念だけよ。それだけが、わしをこの世にとどめる力だ。その二つを目の前にして、わし自身の力はかつてないほどに高まっておる。釈迦像はもうない。初子の力はもう借りることはできないぞ。さて、お前と飛月でわしをとめられるかな」
 そう言って、宗勝は、また美子のほうへ近づいてきた。
 美子は、龍一に叫んだ。
「失敗したわ!」
「どうした?」
「釈迦像はあたったんだけど、宗勝の半分しか消すことができなかったの。あとの半分は、まだ生きている」
「そうか、仕方がない。じゃあ飛月で宗勝にとどめをさすんだ」
「待って! そうか、もう半分よ」
 美子は、きょろきょろと足もとを見わたした。
 その時、宗勝が美子の顔に手を伸ばしてきた。
 美子は、さっと飛月を振った。宗勝は、熱さに耐えきれないように、左の顔をゆがめ、手を引っこめた。
「あったわ!」
 美子は、石段を二、三段駆け下りて、割れた釈迦像の片割れを拾い上げた。そして、それを振り向きざまに、宗勝の左半身に強く押しつけた。
「ぎゃああっ」
 宗勝の叫び声が、辺りに大きく響きわたった。急速に宗勝の体は溶けていき、渦を巻きながらもとの黒いもやへと戻っていった。
 美子は、飛月を両手で構え、そのまま宗勝を泉へ押し戻す。そして、泉にたどり着くと、飛月を逆手に持って振りかぶった。
 宗勝は、下半分を泉の中に埋めながら、美子を見上げた。
「わしを本当に消すことはできんぞ。わしの怨念は、こんなものでは消えない。またいつか、地上に舞い戻って来てやる」
 美子は、飛月をかかげたまま、宗勝を見下ろして言った。
「宗勝さん。あたしはあなたが憎いけれど、憎しみだけでは生きていけないわ。あたしは色んなものを失ったけど、そのあとに手に入れたものもあるのよ。そうやって、人間は生きていくんじゃないかしら。あなただって、生きているとき、つらいことだけじゃ、なかったはずよ。素敵な思い出や、温かい気持ちももっていたんじゃないの? それは、きっとまだ、あなたの中にあるはずよ。そうでしょ?」
 宗勝の影が一瞬ゆらぎ、その中から、みひらいた目が現れた。
 美子は、その目をじっと見つめ返した。そして、静かに言った。
「あなたを消そうというんじゃないわ。あなたの魂がいるべき場所に帰してあげるのよ」
 そうして、ゆっくりと飛月を宗勝に突き刺した。
 飛月の金色の光が大きく燃え上がり、宗勝の体全体を包みこむ。パリパリという大きな音がして、花火のように火花が飛び散り、宗勝と美子の周囲の空気すべてが、明るい光で満たされた。
 宗勝はその目を閉じ、やがて泉の深みの中へ吸いこまれていった。
 美子は、飛月から、金色の炎が失われるまで、同じ姿勢のまま、じっとしていた。
 そして、刀身から最後の光が、粒となって消えたのを見届けると、大きく息をついて、飛月を鞘に戻した。
                         ◎◎
 瑞鳳殿は、また、もとの静けさをとり戻した。美子は、龍一に報告した。
「終わったわ」
「よくやったな、美子」
 龍一の声は、またもとどおりに戻っていた。
「これから、どうしたらいいの?」
「天満宮に戻っていいよ。明日は、実力考査だろう? 早く寝ることだ」
「えっ。龍一、知っていたの?」
「一応、萩英学園の理事長だからね。学校行事の報告くらいくるよ」
 美子は、いっきに現実に引き戻された。
 リュックに飛月をしまい、胸ポケットから携帯電話をとり出す。ずっとつなぎっぱなしにしていたので、熱くなっている。
 ふーちゃんが、ぴょんと近よって来て、いつものように携帯電話に尻尾を巻きつけた。美子が、頓狂な声をあげた。
「あれっ?」
「何だい?」
 龍一が、訊ねた。
「何だか、ふーちゃんが大きくなっているみたい」
 美子は、携帯電話にぶら下げたまま、ふーちゃんを満月の光で確かめた。以前は、携帯電話とほぼ同じ大きさだったのに、確かに今は、ふーちゃんのほうが若干大きい。
「いつの間に、成長したんだろ……」
 美子のそんな独り言に構わず、龍一は、
「あとは、築山に送ってもらえるな。私も今夜は疲れたから、早く寝るよ。じゃあ、お休み」
と言って、電話を切った。
 美子は、携帯電話を閉じると、懐中電灯を拾って、足もとに光をあてながら、築山のジープが停まっている場所まで、ゆっくりと歩いた。ひどく体が重い。体だけではなく、気も重かった。
(宗勝の退魔は、あれでたぶん成功したんだから、それは嬉しいんだけど……。龍一も、何もこんなときにテストのことを思い出させなくてもいいのにさ)
 ジープへ戻ると、気をもんでいたらしい築山が、ぱっと顔を輝かせて、急いで車から降り、美子を出迎えた。
「美子様、お疲れ様でした! 大丈夫ですか、怪我はございませんか?」
 美子は、微笑を作った。
「うん、大丈夫。でも、とっても疲れたわ。龍一も疲れたから、今夜はもう寝るって」
 築山は、一瞬、変な顔をしたが、
「そうですね。では、早く天満宮へ戻りましょう」
と言って、美子のために助手席のドアを開けてくれた。
 美子が、ジープへ体をよじ登らせたのを確認すると、築山は、エンジンをかけ、天満宮へ向かって、車を走らせた。
                         ◎◎
 エンジン音が遠ざかり、やがて聞こえなくなったころ、経ヶ峰内にある伊達家公子公女の墓所内で、一つの影が動いた。公子公女墓所は、瑞鳳殿への参道が左に折れる箇所の、右側にある。
 満月に照らされ、しんとする墓所の中央に、装束姿の龍一が立っていた。藤色の袴が月光を浴びて、鮮やかに浮かび上がる。首には、菖蒲の葉を編んで作った輪をかけていた。
 龍一は、参道へ向かって歩きながらつぶやいた。
「釈迦像が割れたときには、どうなるかと思ったが、美子もなかなかやるな。何とか出て行かなくても済んだ」
                         ◎◎
 やがて、先ほどまで美子が宗勝と対峙していた、枯れ泉の前まで来ると、龍一は、装束の袖の中で手を組み、一礼をしたのち、朗々と秘文を唱え始めた。
「恐(かしこ)みも この地を領(うしは)き座(ま)す弥都波能売大神(みずはのめおほかみ)に白(まを)さく
 願はくは この地より去りたる清き水を呼び戻し給ひ 今ふたたびこの泉を満たし給へ
 御身のうちに隠れたる 根の国に座す 荒魂親(あらみたまおや)に白したきことあれば その姿を御前の水面に映し給へ
 ここに参るは 日高見の魂を継ぐ土居の者なり
 今より御前(みまえ)に 古(いにしへ)の布留部(ふるへ)の神祝(かんほぎ)の詞(ことば)をもちて 我が魂のうちなる宝を捧げ奉り この地を祓い清め奉る状(さま)を聞こし食(め)せ
 曰く
 天下萬物聚類化出大元(あめがした よろづのもののたぐい なりいでん おおもと)の神宝(かんたからは)は
 所謂瀛都鏡邊都邊八握生剣(いはゆる おきつかがみへつかがみ やつかのつるぎ)
 生玉死反玉足玉道反玉(いくたま まかるがえしのたま たるたま みちかえしのたま)
 蛇比禮蜂禮品品物比禮(おろちのひれ はちのひれ くさぐさもののひれ)
 更に十種神(とくさのかみ)
 甲乙丙丁戊己庚辛壬癸(きのえきのと ひのえひのと つちのえつちのと かのえかのと みづのえみづのと) 
 一二三四五六七八九十瓊音(ひふみよいむなやことにのおと)
 布瑠部由良由良(ふるへゆらゆら) 布瑠部由良由良 甲乙丙丁戊己庚辛壬癸 一二三四五六七八九十瓊音 布瑠部由良由良と由良加之(ゆらかし)奉る
 如此祈所為婆(かくいのりせば)
 死共(まかるとも)更に蘇生(いき)なんと誨(おしえ)へ給ふ」
 龍一は、深々と再礼をした。
 すると、一瞬の静けさののち、地の底からごぼごぼと湧き上がる水音がしたかと思うと、枯れていた泉が満々とした水で満たされた。満月がその水面にゆらゆらとした影を映す。
 龍一は、首にかけていた菖蒲の輪を、泉の中に投げこんだ。
 輪はしばらく水面に浮かんでいたが、次第に泉の水が円を描くように渦を巻き始め、それとともに輪もくるくると回る。と、すうっと、水底に引きこまれていった。
 輪が消えたのと入れ替わるように、水面に一つの影が浮かび上がった。
 泉の上には満月の明るい光が射しこんでいたが、その姿が現れたとたん、急にその力を失ったかのように、その場が暗くなった。
 その人影は、生きているようでもなく、しかし、宗勝が最初に現れたときのようなぼんやりした煙のようでもない。輪郭は明瞭だが、その周りにゆらゆらとした闇をまとっている。それは、まるで黒い炎のように燃えたっていた。裾が長い上着に腰に幅広い帯を巻き、ゆったりとしたズボンをはいている。
                         ◎◎
 その霊は、泉の上に腕組みをして立ち、傲然と龍一を見下ろしながら、言った。
「俺を呼び出したのは、お前か」
 龍一は、真っ直ぐに相手を見て、答えた。
「そうだ」
「ふん。人間ごときが、俺に何用だ」
「宗勝を操っていた親玉と、直接話をしたいと思ってな」
 龍一が、言うと、霊は、腕組みをといた。
「俺が、宗勝を操っていただと?」
 今度は、龍一が、装束の中で腕を組んだ。
「お互いに下手な探り合いはいい加減にしようではないか、ニニギよ」
 霊の周りの黒い炎が、ぐらりと揺れた。少しの沈黙のあと、霊が再び口を開いた。
「俺の名を知るお前は、いったい何者だ?」
「私は、ヒタカミ国の流れを汲む一族、土居家の第三十九代当主、土居龍一だ。先ほど、この泉に出現した宗勝の怨霊を退魔した者は、土居の下につく上木家前当主、上木祥蔵の娘だ」
「ふむ。退魔の様子は、俺もだいたいみていた。あの娘は祥蔵とは霊気のありようが異なるな。そうして、お前が土居家の現当主というわけか。しかし、いったいお前は、どこにいたのだ。霊気を感じなかったが」
「気配を消すことぐらい、できる」
 龍一の答えに、ニニギは、にやりと笑った。
「なるほど」
「宗勝は、もう使えないぞ」
 ニニギは、苦笑するように言った。
「あやつめ。どうしても飛月を手に入れたいからと懇願するので、もう一度機会を作ってやったのに、あっさり祓われおって。しかし、確かにあの娘は優秀なようだ。お前も祥蔵のよい代わりを見つけたな」
 龍一は、鋭い目をニニギに向けた。
「ニニギよ。お前は、ひと月前、この瑞鳳殿に黄泉の国からの出口を作り、上木祥蔵にその妻の幻影を見せ、闇夜の逢魔が刻を選んで、祥蔵をこの場に呼びよせると、祥蔵の命を奪った。その後、飛月を探しに釈迦堂に来たのは、祥蔵の体に入りこんだ、宗勝の霊だと、私は考えているが、違うか?」
 ニニギは、快活といっていいほどな様子で、高らかに笑った。
「お前は、なかなかに頭がいい。だてに土居家当主を名のってはいないようだ。
いかにも、あの晩、釈迦堂に行ったのは、宗勝だ。あやつは、生前からすでに、飛月の保管場所についての密約が、土居家と綱村の母である初子との間で交わされていることを知っていたようだ。おそらく、流罪となってからも、飛月の動向を密かに探っていたのだろう。それで、飛月が、初子と所縁の深い釈迦堂にあると確信しておった。
 あまり強く釈迦堂に行くことを望むので、祥蔵の体の中に宗勝を入らせて、行かせてやったのだ。肉体がなければ、飛月を探しあてても、それを持ち帰ることもできんのでな。
 それに、飛月には、土居家の者か、守護家の者以外、触れることができないような秘文がかけられているという噂も聞いていたしな」
「何故、祥蔵の命までも奪ったのだ? お前の力なら、祥蔵を生きたまま操ることもできただろう」
「俺も初めはそうするつもりで、ここに祥蔵を呼びよせたのだ。しかし、宗勝に祥蔵の相手を任せたのがまずかった。時、場所ともにこちらに有利とはいえ、宗勝のみの力では、まだ祥蔵に及ばない。そのため、俺の力の一部を与えてやっていたのだが、宗勝め、長年の敵と思いこんでいる上木家の者を目の前にしたとたん、分別を失って、闇雲に祥蔵に襲いかかったのよ。己に分不相応な力がついているためもあったのだろうな。気がつけば、祥蔵の魂は、天外に飛んでしまっておった。
 本来は、祥蔵の意識のみを操り、あわよくば、知らぬふりをして、土居家から飛月を直接受けとろうという作戦だったのだが、宗勝の愚か者のせいで、それもできなくなってしまった。祥蔵自身の魂が失われてしまっては、祥蔵の体だけを操っても、お前を騙すことはできない。何故か、分かるかな?」
 龍一は、平坦な声で答えた。
「魂が飛んでしまった者の目には、瞳がない」
「そのとおり。さすがに瞳のない顔で、お前の前に現れるわけにはいかんだろう。すでに俺がここに、黄泉からの出口を作った一瞬の気配は、お前に感じとられてしまっていた。祥蔵に妻の幻影を見せた時、祥蔵はお前の命を受け、ここの退魔のため天満宮に向かっている途中のようだったしな。
 ここで祥蔵の消息が途絶えれば、必ずお前が出てくると思ったので、時間稼ぎのために、宗勝に、祥蔵の体の中から声色を使って、お前に連絡させたのよ。これは、何とか成功したようだな。しかし、お前を騙すのは、ひと苦労だったよ」
 ここで、ニニギはちょっと首をかしげた。
「ところで、俺が祥蔵に妻の幻影を見せたことまで、何故分かった?」
「さっき、宗勝が口を滑らせたのだ」
 ニニギは舌うちをした。
「宗勝め。役たたずの上に、口まで軽いとは。かえすがえすも、あやつを使ったのは俺の失策だったよ。まあ、所詮、仙台藩主の地位に死後まで執着しているような、小者だったのだが。そして、また、そういう妄執を俺が利用してきたのも事実。この場所も伊達家の豪奢な霊廟がある地らしいな。ここに出現できると知って、宗勝は勇んでおったよ」
 ニニギは、馬鹿にしたように、笑った。龍一は、冷ややかな声で、ニニギに言った。
「そういうお前は、どうなのだ? 宗勝同様、飛月を手に入れようと画策してきたのではないか?」
 ニニギは、ふん、と鼻で笑った。
「俺は、飛月など欲しくもない。あんな霊刀などでは、俺の髪ひとすじすら傷つけることもできんよ」
「では、お前は何をしようとしているのだ?」
 ニニギは、真顔を龍一に向けた。その目は、傲慢ではあったが、怨霊のそれとは異なり、むしろ誇り高く輝いているようだった。
「その前に、何故俺の名を知ったのか、教えてもらおう」
 龍一は、うなずいた。
「お前の名はニニギ。日本神話においては、太陽神、天照大神の子、天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)の子、つまり天孫とされ、古事記の中では、『天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命(あめにきしくににきしあまつひこひこほのににぎのみこと)』、日本書紀では、『天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)』などと呼ばれている。現在の天皇家の始祖として崇められている、日本の神の一人だ」
 ニニギは、龍一をうながした。
「俺をこの国の神と分かっては、いるようだな。それにしては、お前の態度はずいぶんと無礼だが、まあ、それは、今のところは不問としよう。して、俺の正体を知ったのは、どういうわけだ」
 龍一は、ちょっと肩をすくめた。
「何、たいそうな理由があるわけではない。ただ、私はお前の霊気をもともと知っており、その霊気のもち主は『ニニギ』という名であると、前々より人から教えられていたのだ。
 だから、ひと月前に、お前が瑞鳳殿に現れた時、どうも通常の霊とは違うと気にかかっていたのだが、最近ようやく思い出したというわけだ」
 それを聞いて、ニニギは、驚きを隠せないようだった。
「お前が以前にも俺の霊気を感じたことがあるだと? いったいそれはいつのことだ?」
「十四年前。場所は京都だ」
 ニニギは、一瞬、息を呑んだあと、言った。
「十四年前の京だと? まさか。あの時お前はあの場に居もしなかったではないか。それに、十四年前といえば、お前はまだ幼い子供だったのではないか」
 ニニギは、龍一を値踏みするように、じろじろと見た。龍一が答える。
「確かに、あの当時、私は、まだ十一歳で、この仙台の地にいたが、それでもお前の霊気は、遠く離れていても、感じとることができた。めったにない、巨大なもので、非常にあからさまだったからな。まるで、日本中に自分を誇示するような霊気だったよ」
 ニニギは、呆れたように言った。
「お前は、十一歳の時に感じた霊気と、今回、一瞬感じた俺の気配とを、つなぎ合わせて、それが同じものだと分かったというのか?」
「そうだ」
「して、俺の名を教えたというのは、何者だ?」
「先代の土居家当主、土居菖之進だ。菖之進は、祥蔵から聞いたのだ」
「そうか! 祥蔵は、土居が使う守護者。すると、あの時、あの場に祥蔵が現れたのは、偶然ではなかったのだな」
 ニニギは、あらためて、龍一を眺めた。
「あの時、私はお前の霊気のほかに、お前の意志も感じとることができた。お前の、祥蔵の妻に対する強い執着心を。それで、祥蔵に、京都にいる妻が危ないと知らせてやったのだ」
 ニニギが、いらいらしたように、言った。
「執着心だと? ふん。お前に何が分かる。あの女は、もともと俺のものなのだ。あの男こそ、横から割りこんできた簒奪者なのだ」
 龍一が、静かに言う。
「だから、十四年前、祥蔵の妻と、祥蔵の右腕を奪い、さらに今回、また祥蔵を狙ったのか?」
 ニニギは、さっと腕を振った。黒い炎が空気を揺らす
「はっ。あの男を使ったのは、たまたまよ。宗勝と同じ、目的のための手段にすぎない」
 龍一の口調は、問いつめるようになった。
「そうかな? しかし、祥蔵の魂を飛ばしたあとも、涌谷の地に穴を開け、祥蔵の体を自宅と共に黄泉の国に引きずりこんだのは、お前ではないか。祥蔵に執拗にこだわっているとしかみえないが」
 ニニギは、笑いを浮かべた。
「あの穴か? あれは、俺が開けたものではない。むろん、宗勝がやったのでもない。
 宗勝は、釈迦堂で飛月を見つけられないと分かると、祥蔵の自宅に飛月の在りかの手がかりがあるのではないかと、祥蔵の体に入ったまま、涌谷に向かったのだが、家に着いたとたんに穴に飲みこまれてしまったのだ。穴は確かに黄泉の国につながっていたがな。
 穴に落ちた衝撃で、宗勝は祥蔵の体の中から弾き飛ばされ、呆然としていたよ。そして何故か宗勝は、二度と祥蔵の体に入ることができなくなっていた。
 俺は、お前があの穴を開けたのだと思っていたが、違うのか?」
 ニニギの言葉に、龍一は、じっと考えこんだ。
                         ◎◎
 ニニギは、また腕組みをすると、言った。
「龍一よ。俺の計画した運びとは、ちと違うが、このようにお前と話し合う場ができたことは、かえって俺にも都合がいい。
 お前が先ほども認めたとおり、俺はこの日本国の礎を築いた神だ。その神が、お前に命令する。
 土居家にヒタカミより伝わる霊鏡があるはず。それは、本来、神である俺の持ち物だ。それをヒタカミが天皇家から奪ったのだ。土居家がヒタカミの正当な継承者というならば、その霊鏡も継いでいるはず。
 それを、俺に返してもらおう。いや、献上を命ずる。ないとは言わせんぞ」
 龍一は、顔を上げた。
「霊鏡だと? それがお前の目的なのか?」
「そうよ。三種の神器のうちの一つ、八咫鏡(やたのかがみ)と呼ばれるものだ」
 龍一は、ニニギの燃えるような目を見つめた。
「三種の神器? あれらは、今は伊勢神宮と熱田神宮にそれぞれ奉納されているはずだが」
 ニニギは、目を怒らせた。
「龍一、俺をたばかろうとするのではないぞ。あんなものは、後世に作られた偽物にすぎないことは、お前とて知っておろう。むろん、今の天皇家にも神器はない。
 本物の神器は遠い昔に散逸し、または焼失したと思われておる。俺ですら、その行方をついこの間まで知らなんだ。
 しかし、あることで、少なくとも八咫鏡が、ヒタカミに伝わっていることをつかんだのだ。ヒタカミのもつ霊宝を受け継いでいる者がいるとすれば、お前ら土居の者しかいないではないか」
 龍一は、ゆっくりと答えた。
「確かに、土居家に、ヒタカミより伝わる霊鏡はある」
「それだ!」
「しかし、それは、八咫鏡という名ではない」
 ニニギは、目をぎらぎらとさせた。
「それは、長い年月の間に、伝えられたお前たちですら本当の名を忘れてしまったからだ。しかし、ヒタカミから伝わる霊鏡といえば、八咫鏡以外にない。
 さあ、龍一。それをおとなしく献上すれば、お前の無礼な態度も許してやらなくもないぞ。土居家やほかの守護家の存続も考えてやってもよい」
「それを手に入れて、どうしようというのだ?」
 ニニギは、尊大に言い放った。
「神にその目的を訊くなど、分をわきまえよ。そして、土居家が持つその鏡は、もとは、この俺の正当な所有物と言ったはずだ。それを、我が子孫、天皇家に伝えたのだが、それをヒタカミなぞに奪われおったのだ」
 ニニギの奥歯がぎりぎりと鳴った。
「馬鹿者どもめ。俺の血を引きながら、神器の本当の価値も知らず、ましてそれを使う能力もない奴らばかりよ。俺がこの国を平定した苦労も恩も忘れ、己のことのみに汲々とし、権力にしがみついて、争いばかり繰り返す。あげくの果てに、神器までも、ヒタカミの残党に奪われるとは、何たることだ。
 俺は、それでも黄泉の国から、しばらくじっと我慢してみていたが、もう今の天皇家に、この国を統治する意志も力もない。この国は、今や民の心はばらばらになり、国土は荒れ放題。
 そうだ、俺の国は、まさに失われようとしているのだ。
 神器はこの国の力の源。使うものが使えば、国をまとめることなど、造作もないことなのだ。俺は、二千年前この国を作ったときと同じように、神器を携え、お前たち民草を救ってやろうと、黄泉の国から現れた神なのだ」
 龍一は、淡々とニニギに向かって言う。
「確かに、お前はこの国の神の一人であり、今の日本の建国の祖といってもいい。しかし、そうだとしても、お前が、神器の正当な所有者であると、果たしていえるかな」
「何だと?」
 ニニギが、かっと目をむいた。
 龍一は、静かに目を閉じた。
「土居家には、霊鏡とともに、三種の神器にまつわる話も伝えられている。
 それによれば、現在、天皇家がその皇位を示す宝物としている、三種の神器、つまり八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、そして、八咫鏡は、もともと大和朝廷とはまったく別な三つの国がそれぞれ一つずつもっていた、霊宝であったという」
 龍一は、ちょっと言葉をきったが、ニニギは口を閉じたままだった。
「古代、この国を治めていた三つの国が、自国の産土神、そして、三国の平和と繁栄を嘉する象徴として、自らの霊力を結集させそれぞれ作り上げたのが、現在、三種の神器といわれるものだ。
 すなわち、八尺瓊勾玉はクマソが、天叢雲剣はイヅモが、八咫鏡はヒタカミが、作ったのだ。
 八尺瓊勾玉は、赤い八つの勾玉がついた首飾りで、振れば魂を癒す霊音を奏で、清水に浸せば命を癒す霊水を生ずる。
 天叢雲剣は、両刃の大剣で、一振りすれば雲を呼び、二振りすれば突風が吹き、三振りすれば雷を落とす。
 八咫鏡は円形の大鏡で、現世常世、天地全ての森羅万象を映し出し、未来をものぞきみることができるという。
 これら霊宝は、支配者の証しとして作られたのではない。ましてや人民を統治する力をある特定の者に与えるものではない。この国土に住まう、あらゆる自然、生き物、人、精霊、神々の魂の象徴として作られたのだ。よって、神器とは、そもそも何かに使うものではないのだ。
 ニニギよ。お前は三国を滅ぼして、三種の神器をその手にした。日本の統治者の祖とも呼ばれるようになった。しかし、三種の神器の意味と力を、お前も本当に知っているといえるのだろうか?」
 ニニギは、その大きな口をくわっと開けると、黒い火のような息を吐いた。
「おのれ、小童め。黙って聞いておればいい気になりおって。それでは、お前ら土居家は、神器の使い方など知っているというのか!」
 龍一は、平然と答えた。
「少なくとも、お前よりは知っているつもりだ」
 ニニギは、恐ろしい目をして、龍一をにらんでいたが、
「それでは、この俺にどうしても神器を渡さないというのだな?」
と言うと、龍一は、目を上げ、
「条件によっては、渡さないでもない」
と答えたので、ニニギは、ちょっと驚いたような表情になった。
「ほう。して、その条件とは何だ?」
「お前と取引したいものがある」
「だから、何だ」
「まず、東北の道祖神の破壊をやめること」
 ニニギは、愉快そうに笑った。
「ばれたか。まず外堀を埋めようと思ってな。土居の結界を多少崩させてもらった。しかし、あまり効果はないようだったな。まあ、俺もお前らの結界の強固さに多少うんざりしてきたところだ。どうももっと別なところから攻めないといけないらしい」
「次に、白河の中ノ目を解放してもらおう」
 ニニギは、一瞬言葉につまったようだったが、うなずいた。
「中ノ目は、魂はそのままにしてあるので、お前には分からぬと思っていたが。まあ、よい。あやつは霊力も小さいので、道祖神を壊す程度しか、使い道がなかったからな。お前の希望をきいてやろう」
「最後に、祥蔵の体を返してもらおうか」
 ニニギは、不審そうに龍一を見た。
「あの男の体だと?」
 龍一は、きっとニニギをにらんだ。
「まだ、お前の手もとにおいてあるだろう。霊鏡は、祥蔵の体と引き換えだ」
 ニニギは、ちょっと龍一を見つめたあと、言った。
「あの男の体を地上に戻して、どうしようというのだ。あやつの魂は、とっくに飛び去ってしまって、今さら生き返らせることなどできないぞ」
 龍一は、目を伏せた。
「祥蔵の娘に、父親の体だけでも返してやりたいのだ」
 ニニギは、しばらく考えていたが、やがて答えた。
「何となく、無駄な気もするがな。感傷というやつか。確かに、あの男の体は霊力が強いので、今後も利用しようと、俺が黄泉の国においてある。惜しいが、八咫鏡には代えられん。体は、ほかでも手に入れられよう。
お前の条件というのは、それだけか?」
 龍一は、ニニギの目を真っ直ぐに見て、答えた。
「それだけだ」
 ニニギは、満足げに笑った。
「取引成立だな。いつ霊鏡を持ってくるのだ? 俺のほうは、いつでもよい。場所はここでよいか」
「悪いが、この場所はこのあとすぐに封印させてもらう。ここは土居家の結界の中なので、黄泉の国からの出口など、このまま放置しておくわけにはいかない。それが私の仕事なのだ。
 取引の日時は、来月二十五日の夜、日付が変わるその時。場所は、白河の南湖だ」
 ニニギは、あごひげをしごいた。
「白河の南湖か。土居の結界の境界だな。あくまで俺を結界の中に入れないというわけか。まあ、よかろう。土居家の当主としては、それも当然だ。
 しかし、来月二十五日といえば、ひと月後ではないか。何故そんなに先延ばしにする?」
「土居家が何百年にもわたってヒタカミから受け継いできた霊宝を渡すのだ。色々と準備もある」
 ニニギは、
「ふーむ」
とうなって、龍一を疑るように、ぎょろぎょろと目をやっていたが、やがて言った。
「思うにその日その時は、今と同じ満月。それが、その時を選んだお前の理由か?」
「そうだ」
 そして、龍一は、ちょっと笑みを浮かべた。
「月が満ちる時が、我が力がもっとも高まる時。通常の怨霊を退魔する場合でも、満月の日、月が正中の位置にあり、かつ最高位に昇る時を選ぶのが定石だ。
 ましてや、お前はこの国の神の一人。気づかぬかも知れないが、お前と対峙しているだけで、私の霊力は刻一刻と削がれていっているのだ。これが、月が欠けているときであれば、私はとっくに倒れてしまっていただろう。
 お前と会うときは、できればまた満月の力を借りたい。私はただの人間なのだ」
 ニニギは、にやにやとした。
「これはまた突然、ずいぶんと謙虚ぶるではないか。まあ、よい。時についても、お前の望みどおりにしてやろう。
 しかし、どうもお前は一筋縄ではいかないようだ。お前が、ひと月の間、何をするのか知らないが、どちらにしても、鏡と引き換えでなければ、祥蔵の体は戻らんことを忘れるな。
 ……ひと月か。それでは、その間に俺も準備をしておこう。もともとの俺の計画通りにな」
 龍一が、目を上げた。ニニギが、言葉を続ける。
「当初は、宗勝を使って、飛月と祥蔵を手に入れ、その力をもってお前から霊鏡を奪うという算段だったが、祥蔵の魂が飛んでしまったのと、あの忌々しい穴のせいで、無理となった。
 そもそも飛月を手に入れることに固執していたのは、宗勝だ。俺は、土居家に近づく方法の一つとしてしか、考えていなかったが。宗勝はその後も地上に行くことを、俺に懇願した。今度は、瑞鳳殿の怨霊としてな。たびたび瑞鳳殿に怨霊が現れれば、必ずやお前たちが飛月を持って退魔に来る、その機会に飛月を奪おうというのだ。
 俺はその時は飛月のことなど、もうどうでもよかった。もっと、別な計画をたてていたのでな。しかし、お前たちの目を引きつけるくらいの役目はするだろうと思い、宗勝に地上に現れる許可を出してやったのだ。もっとも、今度は俺の力をあやつに分けてやることなどはしなかったが。
 その間、俺は俺で、動いておった。白河の守護者、中ノ目の意識を奪い、東北の結界に綻びを作らんと、各地の道祖神を破壊させたのも、その一つ。
 と同時に、関東の地下で大量の黄泉鬼(よみおに)を作った」
「何だって?」
 龍一の驚いたような顔を見て、ニニギは、得意そうに笑った。
「黄泉の国には、宗勝のように死んでからも、その妄執を断ち切れず、彷徨っている魂が数多くある。妄執に凝り固まった魂は、操るのも容易なのだ。そんなやつらに、地上に出られるような形を与えてやると、喜んで俺のいうがままになるのよ。それが黄泉鬼だ。
 お前らの結界の中では、あまり多くの黄泉鬼はそろえることができないので、俺は関東でそれを作っている。すでにその数は、数千を数えるまでになっておる。あとひと月あれば、数万の黄泉鬼どもをそろえることができるだろう。
 そやつらを、次の満月の晩、お前と会うときには、白河の結界の外にすべて集結させる。いくら土居の結界が強固だといっても、数万の黄泉鬼の襲撃に、果たして耐えられるかな? 
 もしお前が、俺を騙して鏡を渡さない場合は、数を頼んで、境界を侵し、力ずくで奪うまでだ。そのときは、お前も、ほかの守護者どもも、命はないと思え。そうすれば、俺は、神器とともに、ヒタカミの地をも手に入れることができるわけだ」
 ニニギは、ここで高らかに笑った。
「どうだ? 今夜お前が、俺に取引をもち出さなければ、いずれは、俺は数万の黄泉鬼で東北を蹂躙する計画だったのだぞ。そう考えると、お前が俺を呼び出したのは、まったくこの地にとって、僥倖だったようだな。
 おう、そうよ。白河にある結界の境界地の名は、まさしく『鬼越道(おにごえみち)』であったな。さて、鬼越道を鬼が越えるかどうか、それは、龍一、お前にかかっておる。俺はどちらでもよいのだからな」
 月が傾き始めた。ニニギは、話しながら次第にその影をうすくしていった。
「土居家の若き当主よ。お前と話ができて、楽しかったぞ。では、ひと月後に、また会おう……」
 ニニギが完全に消えたのを見ると、龍一は、かたわらの木の枝を折り、泉の水に浸したあと、それで泉の石組の周りを撫でた。
 そして、ちょっと考えたあと、美子に教えたものと同じ、三種大祓の秘文を唱えた。
「吐普加美依身多女(とふかみえみため)、寒言神尊利根陀見(かんごんしんそんりこんだけん)、波羅伊玉意喜餘目出玉(はらいたまひきよめいたまう)」
 木の枝を左右上下に払いながら、これを三回繰り返す。そして、最後に一礼し、龍一は泉をあとにした。
 泉は、再び静けさをとり戻し、その水面は月の光を映し出して、瞬くように輝いていた。
                         ◎◎
 龍一は、瑞鳳殿の参道を下りると、駐車場の影のほうに停めてあった自分の車に乗った。エンジンをかけて発車させ、そのまま瑞鳳殿を出る。
 途中、霊屋橋で一度停車し、車から降りると、橋の上から廣瀬川へ、先ほど、祓いで使った木の枝を投げ捨てる。
 枝は、暗い流れの中に吸いこまれるように落ちていった。それを見届けると、龍一は再び乗車し、夜道の中、車を天満宮へ向かって走らせた。
                         ◎◎
 躑躅岡天満宮は、しんとしていた。
 上社への石段を上りながら、龍一は月を仰ぎ見た。月の傾き具合からすると、午前二時ころだろう。宿舎は真っ暗だ。美子はもう寝ているらしい。
 龍一は、真っ直ぐ、宮司舎と本殿をつないでいる、渡り廊下に向かった。そして、廊下の太い柱にもたれかかり、月を見上げながら、しばらくぼんやりとした。
 体と神経の両方がくたくたに疲れているのだ。今すぐにでも横になりたいという誘惑にかられたが、龍一にはまだやるべきことがあった。毎晩欠かさずにおこなっている、竜泉での霊場視である。土居家が六百年間続けてきた霊場監視は、天満宮にいる限り、一晩とて怠ることのできない龍一の勤めなのだ。
 龍一は、自分を奮いたたせると、霊場視に必要な着替えのため、宮司舎の中へ入って行った。
2012-03-04 09:14:24公開 / 作者:玉里千尋
■この作品の著作権は玉里千尋さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 例によって、第三章に美子の心境部分を加筆してみました。
 これで、群神物語に、美子がなじんできてくれるとよいのですが。
 話も折り返し地点をすぎ、いい加減長くもなってきましたので、次回更新は新規投稿とさせていただく予定です。

 今回もお読みいただき、誠にありがとうございます。
この作品に対する感想 - 昇順
こんにちは! 読ませて頂きました♪
 美子と大工の父親の二人暮らしが、どんな物だったのか伝わってきました。そして亡くなってしまっている母と、その形見の赤い石と美子という名前など、キーポイントも分かり易くて良かったと思います。
 父親が穴の中に落ちてしまったかも知れず、周りは死んだものと判断され、美子の悲しみなどは相当だったろうなと思います。
 それからしばらくして、ふーちゃんと出会い、龍一と出会って父親のもう一つの仕事などについても、これから出てくるんだろうなと楽しみです。少し美子が龍一について行こうとする心の中の過程が見えたら良かったかなと思います。
 前半の『 』は「 」でも問題ないと思いました。私は後半になるほど文章は読み易くなったかなと思います。
では続きも期待しています♪
2009-05-23 18:09:41【☆☆☆☆☆】羽堕
≫羽堕様。コメントありがとうございます。とても参考になりました。
二重括弧は、一応、現在の時とはずれた過去を表すつもりで、使っていますが、
どうも小説のルールが分からないので、分かりにくくなってしまったかも知れません。
そうですね〜。今現状だと、龍一は若干あやしい人間ですよね。
その辺、もう少し、考えてみたいと思います。
これからも、よろしくお願いします。
2009-05-23 18:55:45【☆☆☆☆☆】千尋
はじめまして、三流物書きの木沢井です。以後お見知りおきを。
 父娘のやり取りから各々の様子がよく分かりました。ですので、実際に美子が感じているものはもっと大きかったんだろうなと、勝手に想像したりしていました。
 火の神様や氏神の説明については大変興味深く思いましたが、そこだけが伸びきっているように感じました。長々と喋らせるのでしたら、その前後で何かしらの説明を入れるとか、幾つかに分けて動作と一緒にするとかした方が自然に混ざるのではと思うのですが、どうでしょう? 
 私もやったら長ったらしい小説を書いています。現段階で、四百字詰め換算で二千枚弱でした。まあそんなことはどうでもよろしいですね。兎に角、これからどのようにして話が広がっていくのか楽しみです。
 以上、何事も畳んだりまとめたりが苦手の木沢井でした。暇がありましたら読んでみて下さい。
2009-05-24 00:01:12【☆☆☆☆☆】木沢井
≫木沢井様。コメントありがとうございました。
ご指摘の部分、確かに自分でも説明口調だなあ、と思ってはいました。
そして、次回投稿予定のものは、ますますその傾向が……。(冷や汗)
最初の三章までは、世界観の説明という言いわけで、それを自分に許していましたが、やはり再考すべきですね〜。といいつつ、とりあえず掲載してみますので、またのご意見よろしくお願いします。
木沢井様の「ジョビネル・エリンギ3第一話」を、今朝から読み始め、ようやく一読完了しました。感想は、作品のほうにコメントします。
やはり、小説の難しさは、書くだけではなく、読んでもらい感想をいただいて初めて分かるものですね。これからもよろしくお願いします。
2009-05-24 10:25:58【☆☆☆☆☆】千尋
 はじめまして、千尋様。上野文と申します。
 御作を読みました。
 美子ちゃんと親父さんの会話、世界観を説明しつつ、ちゃんと神学的な基礎に基づいていて興味深かったです。ただ氏神は血族守護、産土神は領域守護の側面が大きいですし、『仏様は人間の考えた神様なんだよ!』ですっとばされたのは、……こう、わびしいものが。
 土居さんとケセランパサランから始まるちょっとした非日常が、非常に良い雰囲気で上手いなあと思いました。面白かったです。続きを楽しみにしています。
2009-05-25 12:53:22【☆☆☆☆☆】上野文
≫上野文様。コメントありがとうございます。
確かに! 氏神と産土神の件は、ご指摘のとおりです。通常言いやすい氏神を基本にしてしまいましたが、やっぱり違和感があるので、訂正しました。仏様は……、まあ、こういう考え方をしてる人なんだな、と思ってください(^^;。とはいえ、私は仏教否定論者ではありませんし、もっというと、神道を信仰しているわけでもなんでもないのですが。
今後も、ご指摘、アドバイス、よろしくお願いします!
2009-05-25 14:33:59【☆☆☆☆☆】千尋
拝読しました。まず物語の序章という形で、今後とても楽しみそうな複線がワラワラ張られていてとても興味を覚えました。ペンダントとか土地神にケサランパサラン。謎の男・土居さん。その間のお父さんとの日常がまったりと描かれていて、素敵でした。
指摘点などは既に他の皆様が書かれているのでここではあえて書きません。しかし、楽しそうな複線や設定を出し過ぎている感もややあるような感じもしますね。もうちょっと小出しに、ネタを小出しにしながら複線を張っていくのも良いと思いますよ。ひっそりと土居さんが大変好みなので今後どう展開していくか期待しております。
2009-05-29 22:05:20【☆☆☆☆☆】水芭蕉猫
≫水芭蕉猫様。コメントありがとうございます。
ネタが多すぎるとのご指摘、直したほうがいいとのアドバイスなのだと思いますが、正直、私的には、してやったり(=^^=)と、つい嬉しくなってしまいました。
今後も、惜しみなく様々な伏線を出していく予定です。回収に時間がかかるものもありますが、最終的には全部回収しきるつもり、ですので、長い目でみてやってくださいませ。
今後とも、よろしくお願いします。
2009-05-29 23:17:17【☆☆☆☆☆】千尋
拝読しました。龍一よ。車の中の話が長くて私なら寝るぞ(おい)というわけで、美子はちゃんと人のお話を聞いていてえらいなぁと思いました。龍一と築山と美子とふーちゃんと、家系のお話でしたね。描写が細かくて凄かったですが、やっぱり設定が細かくて後々最後まで覚えていられるか本気で心配であります。今後微妙に注釈を入れてくれると個人的にありがたいなぁと思いました。とりあえず、ふーちゃん可愛い。ふーちゃんもふりたいもふもふしたい。というのが本音であります。
2009-06-01 21:57:10【☆☆☆☆☆】水芭蕉猫
こんばんは。悪夢の週末が迫りつつある木沢井です。
 たしかに、見事に長々とした説明でした。いえ、人のことは言えませんがね。興味深い内容でしたが、霊力だとかそうした聞き慣れないであろう単語を耳にしながらも驚かない美子ちゃんにむしろ私が驚きました。私でしたら他事をうっかり考えていたかもしれません。
 躑躅岡天満宮からは精密に作られていてよかったです。超人的な龍一が金銭感覚はちょっと変なことに少し安心しました。こういう一面があると馴染みやすくなりますね。勉強になりました。
 以上、小動物でも何でもいいから癒しを求めたい木沢井でした。続きも楽しみです。
2009-06-02 01:02:49【☆☆☆☆☆】木沢井
 龍一の長話で、みなさまに大変ご迷惑をおかけしております、千尋です。

≫水芭蕉猫様。寝るなら途中で寝たっていっこう、構いません。私でさえ、書いている最中に、(あれ、ここ、どういう設定になっていたっけ)と確認するくらいですから……。あ〜、なんだか遠い昔の話から始まっとったな、くらいで結構です。重要じゃないとはいいませんが、あとからまた出てきます。

≫木沢井様。そうなんです。私の性格として、全部説明しないと気が済まないという欠点がありまして、ほかの小説を読んでいても、これは、左手で持っているのか右手なのか、という点まで気になってしまうのでした。
 現実の中に非現実が入りこむ過程は難しいですね。一応、ふーちゃんがターニングポイントとなっている、という設定ですが、まあ、あまり言いわけはしません。読みづらい話におつき合いいただき、みなさまには本当に感謝しております。
 次章以降を読んでも、「アドバイスがちっとも生かされとらんじゃないか!」とあまりお怒りにならないでください……。ここでいただいた意見は、全部貴重なものとして、あとの手直しのときに生かしたいと思っておりますので。

 今後とも、よろしくお願いします。
2009-06-02 07:30:54【☆☆☆☆☆】千尋
 こんばんは、千尋様。上野文です。
 御作を読みました。
 せ、セレブだ…。
 それはそれとして、細やかな情景描写が物語を生き生きと彩って良かったです。
 龍一さんの話は、ここで出し惜しみをしなかったのが、結果として全体の流れを滞らせたかもって印象を受けました。まだ始まったばかりなんですから、根幹にかかわる設定は少しずつ馴染ませていけばいいんじゃないかなって。
 ちょっとずれた美子と龍一さんのやりとりが微笑ましかったです。
 続きを楽しみにしています。
2009-06-02 21:58:38【☆☆☆☆☆】上野文
≫上野文様。コメントありがとうございます。
 そして、細やかな描写などと、望外のおほめの言葉、ありがとうございます。
 そうですね。書きたいことを全部書くってのも、問題ですよね。
 とはいえ、もう100枚越えなんですが……。でも、美子と龍一は会ってからまだ数時間しか経っていないし。
 人に読んでもらう話を書くって難しいなあ。でも、次回も読んでいただくことを期待して、また投稿いたしますので、よろしくお願いします!!(あと、めんどくさいのは、次章の最初の部分だけと思います、たぶん……)
2009-06-03 07:06:07【☆☆☆☆☆】千尋
こんにちは! 羽堕です♪
 美子は、どちらかと言うと受け入れる所から入るから、物分かりの良すぎる子という印象を、ちょっと持ってしまいます。
 龍一は美子には普通に高校に通って欲しいと言いつつ、すごい色々と喋ってるなと思い龍一の本心(狙い)は別にあるのかなと疑ってしまいました。あと遺体の見つかっていない父親を、どこかで生きてると思ってはいないのかな? 龍一が「殺された」と言いきったような台詞の時の反応が、もっとあっても良かったかもです。
 神社の描写などは、とても良かったです!(ちょっと参拝客がタイミングが良すぎる気がしましたw)
 龍一のリッチな感覚を一度でいいから味わってみたいですよ。
であ続きも楽しみにしています!
2009-06-09 17:14:53【☆☆☆☆☆】羽堕
>羽堕様。コメントありがとうございます。
 「美子は受け入れるところから入る」……う―む、鋭いご指摘。実のところ、全編を通して美子の役割はそれなのです。しかし一番初めに出てくる主要登場人物がそれでは、読む側の感情移入がしづらいというのも事実ですよね。私でさえ、(あ〜、美子に感情移入できん!)と思って、美子の容姿を自分にちょいと似せてみせたりとか、小細工したくらいですので……。もうちょっと、美子にはがんばってもらうよう、工夫したいと思います。
 龍一が本当は何を考えているのかは、この巻中に一部が明らかになる予定ですので、よろしければ、引き続きおつき合いいただけますと、大変嬉しいです! ありがとうございました。
2009-06-10 06:49:38【☆☆☆☆☆】千尋
こんにちは! 羽堕です♪
 ★のついている部分は、私は以前よりよくなったと思います。
 伊達家の話は、すんなりと読めました。‘龍一は、皮肉っぽく言った。’とありますが、龍一のイメージとも違くて、少しだけ違和感がありました。
 築山と美子の話は、神社の日々の生活や周りの森についてなど、龍一の会話とは違う日常的な部分が出ていて良かったです。
 誕生日(+入学祝いかな)の自転車に乗っての帰り道に、ふーちゃんに案内されるように迷い込んだ釈迦堂での初子との突然の会話から、物語の動きがあって読む方としては嬉しかったです。とんとん拍子で飛月が美子の手に渡ってしまい、ちょっと拍子抜けな部分もありましたが、敵もしかしたら仇かもしれない宗勝の存在なども出てきて、盛り上がってきたように感じます。美子に手渡すまで龍一に秘密にする必要があった理由が、イマイチ分からなかったです。
であ続きを楽しみにしています♪
2009-06-14 16:12:52【☆☆☆☆☆】羽堕
>羽堕様。コメントありがとうございます。
 正直、心理描写は苦手なので、★部分は、もう少し推敲が必要と感じながらの投稿でしたが、「よくなった」といって頂けて、少しホッとしました。
 伊達家や築山の、第二段長話も、おつきあい頂き、幸いです。
 龍一に関する違和感は、そのままもって頂いてよろしいかと思います。
 飛月にまつわる疑問は、この巻の終わりになれば、あぁそういうことだったのかなと、もしかしたら思って頂けるかも、知れません。
 この物語も「承」の流れに入ってきましたので、いい加減、動きぐらいないと、でございます。ありがとうございました!
2009-06-14 19:52:45【☆☆☆☆☆】千尋
拝読しました。★の部分は羽堕さんと同意見。良くなってると思いました。うおぉぉぉ!!怒涛の長話第二段だぜ!!築山氏の長話は結構好きだったりします。ほら、私、歴史の授業寝てた方なので。どっちかといえば理科が大好きだった人間ですから(おい)ちょっと思ったところは、初子との対話で美子の動揺が少なかったところかな。普通石像に話しかけられたらもっとビックリすると思うのですよ……。驚かないなら、驚かないなりの描写がもう少しあっても良いような気がします。それから狐さん。かわいいですねぇ。私狐も好きなので、生意気な狐の登場に結構キュンときました。千尋さんは可愛い生き物を書くのがお上手ですね。
最後に、龍一がどんどんラスボス臭を漂わせ始めてる気がするのですが、気のせいでしょうか?;ちょっと心配です。
2009-06-16 22:04:30【☆☆☆☆☆】水芭蕉猫
>水芭蕉猫様。コメントありがとうございます。
 なるほど。相変わらず、美子は反応うすい奴ってことですね。きっと美子と自分の目線が一緒になってしまっているせいでしょう。了解です。ちょっと考えます!
 猫様は、狐たちを気に入って頂けると思いましたよ〜。私もこの巻の中では、一番気に入っている奴らです##。
 龍一にラスボス臭を感じるとは、なかなかの御仁ですな。私もこいつには相当苦労させられました。特にこの巻の後半。まったく思い通りに動かないもんで……。
 お読み頂き、本当にありがとうございました!
2009-06-17 08:56:56【☆☆☆☆☆】千尋
こんばんは、飲んでも酔わない木沢井です。
 いやはや、大変心躍る展開ですねぇ。相変わらず美子が理解力あり過ぎやしないかとも思いますが、喋る石像や狐、遠からぬ先に待つ敵……和風のファンタジーもいいものですねぇ。お蔵入りのネタから何か引っ張って来ましょうかしら、と言っては嘘になりますね。これ以上自分で忙しくしては楽しめませんし。
 他方では怪しまれている龍一も気がかりですが、今は美子(と、ふーちゃん)に何が起きるのかと楽しみにしています。
 以上、就寝直前の木沢井でした。睡眠は大事ですとも、ええ……。
2009-06-18 00:50:50【☆☆☆☆☆】木沢井
>おはようございます、木沢井様。睡眠時間はきっちり八時間はとっている千尋です。
 コメントありがとうございます。
 心躍る展開と言って頂けて、大変嬉しいです。反面、踊ろうとしたら、途中でずっこけやしないかと、ドキドキです。
 お忙しそうな中、このような長ーい話にお付き合い頂け、心より感謝しております。木沢井様の和風ファンタジーもだいぶ気になりますが、まああまりせつくのはよしましょう^^。
 今後も、がっつり更新させて頂きますが、睡眠時間を削らない程度に、ぜひのぞいてみてくださいませ。ありがとうございました!
2009-06-18 07:21:52【☆☆☆☆☆】千尋
拝読しました。うぅぅ……どんどん難しい物語になってるようななってないような……。物語の端々から千尋様が物凄く沢山資料を集めて勉強しているのだなぁという雰囲気がびしばし伝わってきました。そういえば、この話、何か思い出すなーと思ってたのですが、そういえばコレを見ていると雷神ライディーンを思い出すんだなぁと思いました。まぁ下らない戯言はこれくらいとしまして、今回の見所は美子ちゃんの退魔シーンかな。随分あっさり宗勝がやられてしまったと思ったら今度はニニギさん登場ですか。こっちもボス臭さが……そんで成長しつつある(?)ふーちゃん。ふーちゃんって一体何者なんだろうと思わせるシーンでした。それから学校のことかな。いろんな物とのつながりの複線がモリモリ張られていますね。これからどうなっていくのか楽しみですが、多分、私は千尋様の提示される物語の半分くらいしかしっかりと理解出来ない気がしますorz
2009-07-04 23:42:38【☆☆☆☆☆】水芭蕉猫
こんばんは、何故かスーパー銭湯で露天風呂に浸かっていると哲学的なことばかり考えてしまう木沢井です。
 宗勝、色々と哀しい男ですね。特に最後の辺りなどが。美子が祓う場面はアクション性がない分それらしい雰囲気が出ていてよかったです。
 ただ、ちょっと欲を申しますと、封印されるあたりの宗勝の台詞に今一つ盛り上がりが薄いように感じました。こう、淡白と申しましょうか……いえまあ、そうした使用でしたなら、それはそれで参考にさせていただくまでですが。
 折り返しを過ぎたということもあってか、話のスケールが二回りくらいは大きくなっているようで、今後の美子と龍一、そして何故か大きくなったふーちゃんに注目していきたいと思います。
 以上、ニニギのことは金曜日に始めて知った木沢井でした。それにしても、つくづく日本神話に興味を持たせる作品だなぁ……。
2009-07-05 00:54:33【☆☆☆☆☆】木沢井
>水芭蕉猫様。コメントありがとうございます。
 『雷神ライディーン』。ロボットのほうじゃないヤツですよね。読んだことないですけど、濃い絵の人のですよねー。でも、おっしゃりたいことは、なんとなく分かります!
 ニニギは、確実にボスの一人です。えっ、ふーちゃんも怪しい? ははは。どーなんでしょう。
 一番初めに上野様のご指摘がありましたとおり、私の知識はホント付け焼刃で、お恥ずかしいです。その上、たくさん盛り込みすぎて、自分でも収拾つけるの大変です。
 実は、今、重要なまとめの段階を考えている最中ですが、それが行き詰ってました。それで、公表したということもあるんです。ここで皆さんに色々ご指摘を受け、自分でも物語を読み返したり、書き直したりしているうちに、なんだか光明がみえてきた気がします。ですから、皆さんのコメントは、単なる励み以上の意味があります。本当にありがとうございます!

>木沢井様。コメントありがとうございます。
 確かに、宗勝の祓いの場面は、自分でもこれでいいのかな、という迷いはあるのです。
 ただ一つには、美子の経験値が少なくて、宗勝ときちんと向き合うまでに至らず、祓うのに精いっぱい、ということがあります。ともかく、秘文、飛月、釈迦像、龍一、ふーちゃんの力を借りまくって、ようやく成し遂げたわけです。これら助力を極力廃した祓いのバージョンは、実は次巻に用意してあります。
 それでも、宗勝にとって、短いながら、美子とのやり取りが最終的な救いになった……ということが、表現できていればいいのですが、どうも自分でも自信がないですね。ご指摘ごもっともです。これからも熟考したいと思います。
 あー、それにしても、アクションシーンは苦手です。(苦手ばっか)木沢井様の才能がうらやましい……。  
2009-07-05 09:28:01【☆☆☆☆☆】千尋
こんにちは! 羽堕です♪
 さっそくアカネや麻里という友達も出来たようで、良かったなって思います。理事長の話って、確かにリアルな長さだと短いのだけど、私だけか文章で読むと少しだけ長く感じたりしました。でも松の話は、それらしくて良かったなって思います。ストラップを待ち受けにするのは、確かに変ですねw
 税金の話は、そうなんだよなぁなんて思いながら読みつつ、宗勝を倒してしまおうって話が、なんだか流れているよう気がしました。あと築山って、結構すごいんだなと改めて思ったり。
 宗勝の抵抗のような物が少なかったので、少しすんなりと行きすぎているように感じました。私は龍一が宗勝本人か、宗勝に乗り移られていると思っていた自分の単純さが恥ずかしいです。
 神と対等に話している龍一が凄すぎるのか、ちょっとニニギの威厳というか風格のような物が弱い気がします。細かいのですが、人の年齢を気にしたりとか、時間の感覚が人に近いとか。でもやり取りの中で、龍一の優しさなども見えて良かったです。
 鏡は誰の手に渡るのか? 龍一はどうするのか、その時に美子は! など、この後の展開に期待しています。
であ続きを楽しみにしています♪
2009-07-09 17:22:02【☆☆☆☆☆】羽堕
>羽堕様。コメントありがとうございます。
 そうですよね。せっかくの美子のハリキリ場面なので、宗勝との対決シーンは、もうちょっと盛り上がりをプラスしてあげたいですよね。
 龍一が、宗勝! いやあ、そうだとすると、またすごい展開になりましたね〜。私の想像力の範囲外でした!
 ニニギは、人間くさい神様を描きたかったので、こんなんなりましたが、お前、ホントに天孫かい! と突っ込まれるのも致し方ない感じではあります……;
 このあと、皆様の評価がどうなりますか、分かりませんが、よろしければお付き合い頂けますと、嬉しいです。ありがとうございました!
2009-07-09 21:11:26【☆☆☆☆☆】千尋
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