『ジョビネル・エリンギ3 (完結)』作者:木沢井 / t@^W[ - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
旅の傭兵ジークは、立ち寄った町で一人の少女と出会い、そこから山賊団や傭兵達、果ては謎の組織にまで命を狙われる破目になり……。
全角118687.5文字
容量237375 bytes
原稿用紙約296.72枚

 見れば満天の星――には物足りない夜空。月も雲で隠れており、半端に欠けたその姿をぼんやりと覗かせていた。
「……はあ」
 だが、彼女には大した問題ではなかった。
 窓辺に身をもたれさせ、ため息混じりに見上げる目に宿るのは憂いの光。
「今日も来なかったなぁ……」
 あの人も、見ていたりするのだろうか。
 自分のように、あの日を思い出したりしているのだろうか。
「…………」
 せめて、そうであってほしい。
「はー……っ」
「――ベス!」
 独り、物思いに耽っていた最中に、父親の声が扉の向こうから飛んできた。
「おい、ベス!」
「聞こえてるよ」
 星空から眼を離し、食堂の看板娘は煩わしげに応じる。
「……? どうしたんだよ、親父」
 娘の彼女でさえ見たことがないほど、父親の顔色は悪い。夏に川魚で食当たりを起こした時よりも酷かった。
「俺のことはいい」
 払い除けるように言って、父親はこちらを睨んでくる。眼だけが、具合の悪そうな顔の中で唯一光を放っている。
「明日も、俺は昼から出かける」
「またぁ?」
 と、少々口も言葉も尖らせてみたくもなる。
「一昨日からずっとじゃん。まだ終わらねえの? その話し合いってさ」
「終わらんから行くんだよ」
「ふぅん」
 これ以上は時間が勿体なかったので、ベスは詮索はやめて話をさっさと切り上げることにした。
「他には?」
「そんだけだ」
 じゃな、と言い終わるより早く、ベスは扉を閉めた。娘の心情を察せない父親など、この程度の応対で充分である。
「ったく、人様がしんみりしてるってェのに……」
 そっと胸に手を当て、息を漏らす。
「はぁあ……」
 この二日間、眼を閉じれば自然とあの青年の姿が浮かぶ。
 荒々しさと神秘さを併せ持った銀髪。
 世の中や物事の裏側まで見抜けそうな鋭い隻眼。
 他の人達とは明らかに一線を画す、高貴な雰囲気。
 無駄の無い言葉遣いと、実感すら伴うほどに冷たい声音。
 他にも、他にも、
「何してんだろ……」
 あの人は、格別だった。
 今までに心惹かれたどんな男達よりも強そうで、賢そうで、頼りになりそうで、特別捕らえ所のなさそうな、そんな男。
 自分が心惹かれる、最後であってほしい、人。
「明日こそ、絶対会ってやるからな」
 窓辺から、秋の夜風が吹き込んでいた。


 鈍い銀色の前髪が微かに揺れる。風が吹いたのだ。
「…………」
 月光が風を連れて窓辺から入ってくる中、ジークはベッドの上で仰向けになって考え事をしていた。
 今回の一件で、アルトパ支部での仕事が請け辛くなったのは痛いが、代わりに役人と僅かながらも繋がりが生まれた。見るからに小人物だったので、後々機会があれば思う存分に利用してやろうと、ジークは考えていた。
 それより問題なのが、前述の[バーソロミュー]との確執である。
 傭兵ギルドの責任者アーサーは、自分らに対し何がしかの報復行為に出るだろう。何せ今回は、責任者の面子へ直接泥を塗ったのだから。
(やはり明日は外出を控えよう。ランドール夫妻には多めに金を握らせ、迅速に必需品を集めさせればいい)
 と、具体的な結論には行き着くのだ。数式も問題なく複数を同時に解へ導くこともできている。
「……む……」
 だというのに、言い知れぬ感覚は決して消えなかった。
(よければ話を聞いてやるぞ)
(いらん)
 あしらうジークの言にも、声は怯まない。
(気晴らし程度とはいえだな、お前が蓄積させた内情を吐き出せる相手など俺しかいないだろう)
(……無駄だ)
 珍しく、ジークは言葉に迷った。普段と同じように「お前の知ったことか」と言いかけたのである。鏡に向かって罵るようなものだ。
(無駄、か。それを俺に言うのか? 俺は――)
(黙っていろ)
 無理矢理に声を封じて、ジークは身を起こして窓辺に立つ。
「……む」
 眺望は甚だ最悪だったが、それでも星と月さえ出ていればおおよその方角は分かる。
 東の街路の、路地裏の奥。
 とある乗合馬車の御者が、死んだ場所である。
(――「ミュレさんは……」――)
 いつ死んでもおかしくない状態で、御者は懸命に言葉を紡ごうとしていた。
(――「あの宿屋の夫婦や……町のれん、連中に利用されて……売春婦紛いのことを、やらされてます……っ」――)
 もたらされた情報は、予想外のものではあった。
(ハロルド・ランドールの言葉は、嘘だったということか)
(拙速厳禁)
(内容自体は瞠目不値)
 声が嗜めたように、ジークはミュレが売春婦のようなことをしていたということ自体にはさして心は動かなかった。
 リグニアにおいて、売春という行為自体は犯罪にならない。道徳観が徹底されている王都や都市部では減少しているが、このアルトパのような地方都市では立派な産業の一つとして一角を占めている場合は少なくない。
 そのことを御者も知っているはずだが、
(――「俺、どうしても、ミュレさん……でも、やっぱり、俺……俺、あんなの……」――)
 うわ言のように繰り返されていた言葉からジークが読み取ったのは、強い否定の感情。
(生理的拒否感と推察)
(同意)
 御者は売春行為を気持ち悪いと感じていたのだろう――声は、それだけのことだと断じた。
(――「あんたの手で、今度こそ、ミュレさんを……まっとうな、道 に――」――)
「……愚かな」
 発されたのは、冷暗なる呟き。
(俺が、ミュレを救う? ――どんな勘違いから発生したのか知らんが、何故俺がそんなことをせねばならん)
(同意)
(同意)
 以前にも御者に言ったが、アルトパにはアルトパの規律があり、暗黙の了解があるのだ。当然、禁忌とされる行為や存在も。
 旅人はそれを知っても干渉せず、ただ何事もなかったかのように立ち去るのみ。例外は認められない。
「…………」
 そう、認められない。
 何故ならば、旅人にとって町の人間は、町の人間にとって旅人は、所詮他人に過ぎないのだから。
(偽悪者で構わん。些事に囚われ自分を見失うぐらいなら、尚のことだ)
 そして当然、ジークにとっても例外ではない。
 自分には、身命を賭してでも完遂させるべき目標がある。
 どこにでも転がっているような不幸な少女の身の上話になど、付き合っている暇はないのである。
(同意)
(同意)
(同意)
(……本当に、彼女を見捨てるつもりか?)
(疑念。非論理的思考は排除すべき)
(六番意見支持。感情を優先させる教唆発言不要)
 次々と上がる、声への反論。
 その目的はただ一つ。
 『可哀そうだから』という感情的な、理に適わない意見の徹底した排除である。
(…………。分かった)
 数的優位には立てないと把握したらしく、(その時点で、この声もあくまでも論理的思考に準拠していると証明してしまっているようなものなのだが)声は他の意見に同調する。
(ただ)
(む?)
 それでも尚挑むような響きを乗せて、声は続ける。
(――それで、お前は満足するんだな?)
(…………)
 ジークは、答えなかった。
 答えられなかった、と捉えることだけは決してしなかった。


 ロイ・スミスはアルトパで二人しかいない鍛冶屋の親方である。彼を知る者の間では倹約家として通っているが、それを羨ましがる者は少ない。
(やあ、今日もいい朝だ)
 それでもロイは気にしない。無駄な出費は極力省くに越したことはないし、そもそも羨ましがられるために質素倹約を心がけているわけではないのだから尚のことである。
 そんな彼の一日は、未だ寝所で惰眠を貪る七人の徒弟らの部屋に赴き、
「――っさあ起きるんだ、君達!!」
『っっっっ!!!?』
 手にした棒で、文字通り叩き起こすところから始まる。
「いっつつつ……あ、親方おはようございます」
「いつまで眠っているつもりなんだい? 時間が勿体ないじゃないか」
「もったいな、ふぁあ〜……勿体ないって前から言ってますけど、まだまだ夜明けじゃないですか」
 日の浅い、どころの話ではない。いくら夜明けの早い夏が終わったとはいえ、まだ秋の入り口である。日によっては汗ばむ時もあったかと思えば蹈鞴の炎を連想させる夕暮れになる日もある、そんな二季の中間なのだ。
 にもかかわらず、親方の明けた窓の向こうでは未だに星の明かりが見える。
「? 何を言っているんだい、君は」
 やれやれ、とでも言いたげにロイは肩をすくめ、無謀にも反論する弟子に十数秒ほど時間を割いて講釈してやる。
「いいかい? だいたいこのぐらいの月は、後数刻もしない間に日が昇ってくる。つまりは夜と朝のちょうど間が今だ。どうせ働き始めるなら、夜が終わった直後からの方がいいに決まってるだろう?」
『…………』
 過去数年以上も言い続けてきたが、まともに理解できた者がろくにいないというのは少々悲しくなってくる。
「……えー」
 徒弟の一人が控えめに手を挙げる。
「手を挙げる時は肘まで伸ばしなさいと言っただろう? で、何かなトニー君」
「す、すみま――あ、はい、えっとですね」
 いま一つ釈然とし切れていない様子のトニー少年は、挙げかけた手で頬を掻きながら答える。
「つまり、親方は僕達が勉強するための時間をめいいっぱい使えるようにするために、夜明け手前に起こしに来ているんですか? ……えっと、季節ごとに違う、夜明けの時間に気を付けた上で」
「ああ、そういうことだ」
 やっと分かってくれたか、と言葉を結んだロイは、半眼になって徒弟らを睨む。
「まさか君達、僕がいつも決まった時間に起こしに来ているとでも思っていたのかい?」
「いえ、俺は思ってませんでした」
「うわ!? ずりぃぞ手前!」
「兄貴だけずるいっすー!」
 と、弟子兼相槌役が素知らぬ顔で取り入ろうとした途端、
「ほう、では僕に言われるまで気付かなかったのかな?」
「う……っ」
 一枚上手だった親方に揚げ足を取られて、弟分達に秘かに笑われてしまう。
「――さあ準備準備! 最後までぐずぐずしている奴らは、母さん手作りのパンが食べられなくなるよ?」
『…………っ!!』
 最後の一言は、魔法のような効果があった。
 我先にと徒弟達は各々の手拭いを引っ掴むと師匠であるロイを押しのけるようにして部屋から出ていく。
「……まったく、切り札とはいつでも効果があるものだね」
 頬を掻き掻き、ロイは愚痴や嘆息にしては楽しげに聞こえる呟きを残して徒弟らの後を追う。
 ロイ・スミスとその徒弟達の朝は、概ねこのように始まるのであった。


 頃合は早朝。日差しはあるも空気も僅かだが冷たく、冬が遠からぬことを否応なく感じさせていた。
「……む」
 ジークが食堂まで下りると、一足先に席に着いていたランドール夫妻の肩が一瞬だが動揺の動きを見せる。
「どうした」
「あ、ああいや」
 ジークからの問いかけに対し、ハロルドの対応はぎこちなかった。
「何でもねえんだ、おお、何でもな」
「…………」
 昨日、一昨日には見受けられなかった、彼の卑屈な表情。それまでの彼は、ある条件下以外の場ではもっと豪胆で快活な印象を与えていた。
「む、そうか」
 だが、そんなハロルドの態度を無視してジークは席に着く。二人して着席していた割には、木目の荒い机上にあったのは布巾と水差し、そして逆様に置かれた杯しかなかったのが気になると言えばなるが、朝食が出るのはまだ先なのだろう、とジークは勝手に推測していた。
「……む?」
 そこで、どうも釈然としない、言葉にし難い違和感が頭をもたげる。
 何かが、足りないのだ。
「そ、それよりどうだい、昨日はよく眠れたかい? ほら、昨日は雨とか降ってて布団が湿ってたんじゃねえかと心配しててな……」
 む、と一応ジークは形式的に応じておく。まだ心残りがあるのか、ハロルドはジークの気を逸らそうと当たり障りのない話題を延々と喋り出す。贔屓目に見ても、動揺しているのは明白だった。
(何事もなかったかのように振舞えばいいものを……いや、あれでそのつもりなのか)
(可能性大)
 どう解釈しても、ハロルドが自分に何か隠し事をしているようにしか見えない。
 声同士の会話は、そう物語っていたが、
(……む、どうせ俺には関係のないことだ)
 無理にでもハロルドに関する考察をやめさせると、ジークは近くに置いてあった水差しに手を伸ばす。
「……む」
 そこでジークは、釈然としない理由――言い知れぬ違和感の正体に気付いた。
 いつもの席に、ミュレがいなかったのである。
(――「ミュレさんは……」――)
「ミュレは井戸端か?」
 水を注ぐ傍ら、さりげない風を装って訊く。
「え? ……いや、そういえばまだ見てねえな、うん」
「…………」
 ジークの観察眼は、眼前で発生している情報を逐一送ってきている。
 面白いほどハロルドの反応は過敏で、しかし対応は拙い。仮にも商人であるのなら、自身の表情が相手にどのような影響を及ぼすのか知っていても当然だというのに。
(長らく遠ざかっていたのだとすれば無理もあるまい)
(同意)
(黙っていろ)
 余事に労力を割く声を戒め、ジークは話を続ける。
「む、珍しいことではないのか? 宿屋の娘だというのに」
「…………っ」
 何のことはない、日常的なはずの会話で言葉に詰まるハロルドの様子は、傍からすれば奇妙であった。
「まだ寝ているのだろうか?」
「い、いやどうだろうな? 俺は分からんが……っぉ」
「みたいだねぇ」
 夫の脇腹に肘打ちをかましたヒラリーは、何事もなかったかのように飄然と応じる。
「どれ、あたしが起こしてくるよ」
「む、それには及ばん」
 立ち上がりかけたヒラリーを制して、ジークは立ち上がる。
「お前はこれから食事を作るのだろう? ならば俺が行く方が合理的だ」
「い、いやそれにゃ及ばねえよ」
 と(またしても、不用意に)慌てた様子でハロルドが口を挿(はさ)む。
「じゃあ俺が起こしてくるよ。客のあんたが行く必要なんてないだろう? これ以上宿代が安くなるわけなんてないんだからよ」
「…………」
 ハロルドを見据え、ジークは十数秒間沈黙する。
(くそ、何でいきなりそんなこと言い出すんだこいつ?)
 人物が人物なだけにと疑心暗鬼に陥りかけるハロルドであったが、今回ばかりは杞憂と思わせるに留まった。
「む、正論だ」
 食い下がることもなく、ジークは再び席に着いた。まるで肩透かしを喰らった気分だが、とりあえずは安心である。
「はあ……」
 僅かに脱力を表情の端に垣間見せたハロルドは、机上に肘を置いて頬杖をつく。
「では任せる」
「おお……なんだか無性に腹が減るな――おおい母ちゃん、早いとこ飯作ってくれよ」
「あいよー」
 二つ返事で応じると、ヒラリーはそそくさと台所に立つ。
「…………」
「…………」
 気まずい沈黙が、暫くハロルドとジークの間に落ちる。
 そして、台所の方から食物の匂いがし始めた時、
『なあ/すまんが』
 二人の声が、重なる。前者がハロルドで、後者がジークである。
「む……」
「あ、ああいや、あんたからでいいよ」
 と眼前の青年が放つ眼光に負けたハロルドは譲り、無意味且つ不要な停滞を嫌うジークは当然の如く用件を述べる。
「一両日中にはこの町を出る。おおよそだが、昼頃を予定している」
『!』
 二人の間を、何かが走り抜けた。微妙な表情や仕草から、両者が同じ理由で緊張しているのが目に見えている。
 この場ではヒラリーを無視し、ハロルドが幾分か落着きを取り戻しかけたあたりで「そこでだ」と続ける。
「お前達夫婦に、買い出しを頼みたい」
「買い出しだって?」
 狙いすましたかのように、ヒラリーが食器を両手に戻ってきた。彼女の方が、感情を隠すのは上手そうだ。
「む。必要な品は全て調べ終え、項目も作った。金もある。残るは買いに行く人手だけというわけだ」
 一方的に話し終えたところで、漸くジークは「質問は?」と意見を促した。
「……あー、俺達に拒否権は?」
「金なら出すぞ」
 ハロルドが言うが早いが、ジークは机上に小さな、だが重たげな麻の袋を乗せる。
 その量感に、言うまでもなく夫妻の表情は一変する。
「全部で一五〇〇クランある。この内で必要な金額は昨日だと概算で九八〇クラン。余りは報酬としてお前達にやるが、その金額は『お前達次第だ』」
『…………』
 夫婦は、ジークの言葉の真意を違えることはなかった
 二人は、ジークによって『商人としての資質』を問われているのである。
 剣士の武器が剣、役人の武器が法ならば、商人の武器は口と頭――いかに損害少なく、いかに儲け大きくするかを本懐とする商人にとっては、自明の理である。
 つまり、こともあろうにジークは夫妻に対し『商人ならばこれぐらいやってみせろ』と、自尊心に火を点けたのである。依頼ではなく、挑発と解釈されるのだ。
「――――」
 叩き返すようにして返事を言ってやりたかったが、咄嗟にハロルドは口を噤む。
(――いや待て、何でこいつは、こんなことを言い出すんだ?)
 自分でさえ驚くほどに気分は激昂したが、反面では不気味なくらい冷静であった。
 近頃では満足に動かしたこともない頭の歯車が、錆の粉を吹いて回り出す。
 挑発紛いをしてでも、何故二人(そう、ジークはどちらか片方にではなく、両者に対し言っていた)を買い出しに行かせたがるのか。
(やっぱミュレと関係があるのか……? いや、だがさっき聞いた話だけでは分からねえな)
 とてもではないが、現状の情報だけではジークの言葉の真意――その奥までは窺い知ることなど出来そうにない。
(なら、できることは一つだ)
 訊くだけならば無料(ただ)である。
「確認、したいんだがな」
「む」
 ジークは頷いた。
「余った金は、俺達がもらっちまっていいんだよな?」
「む」
 またしても肯定。別の意味で安堵する。
「ところで」
 ――ここからが本番である。
 努めて緊張の情を隠し、ハロルドは一歩を踏み出さんとする。
「あんた、昼食はうちで食ってくのかい?」
「……そうだな」
 やや間を空けての返答。ジークの表情に変化は見られない。
(嘘じゃあなさそうだな……)
 即答されれば疑いは強まったが、アレぐらいなら許容範囲内であった。
「てぇことは、その間に終わるような用事があったりするのかい?」
「む」
 肯定。
(よし、こいつぁいい情報が手に入った)
 口の端にのみ内情を表出することを許可し、ハロルドは己の業績を誇らしく思う。
 ジークの行動範囲と時間は大まかながら分かった。あとは頼まれた買出しを実行する傍らに『あの連中』へと報告しておけばいい。
 それで、万事解決だ。
「――分かった。引き受けさせてもらうぜ」
「あんた」
 時間にすれば数分ほどで下された決断に、ヒラリーが異を唱えようとするが、ハロルドがそれを制する。
(まあ、ここは俺に任せといてくれ)
(……本当なんだろうね?)
 ジークに怪しまれない程度に疑念を訴える妻を夫は必死になって説得し、どうにか双方合意という形に落ち着かせることができた。
「引き受ける、ということでいいんだな?」
 夫妻が話し終えるのを見計らって、ジークが律儀にも再度確認する。
 返事は、きれいにとまではいかないまでも重なった。
 食事が終わっても、ミュレが姿を見せることはなかった。


 ロイ・スミスは妻謹製のパンとスープ、そして少々の野菜と肉を腹に詰め終えた食べ盛り達を工房へと放り込む。駆け足なのはいつものこと。時間は無駄にしてはいけないのだ。
「始め!」
『はい!』
 各々が一斉に予め割り振られた箇所の掃除や手入れへと取りかかる。八年目になる最年長の徒弟はそれなりに、預かってから三ヶ月足らずの徒弟もそれなりに、煤取りや新しい木炭を運んでくる者、火起こしを始める者と、彼らの声や物音で工房は俄かに賑やかさを増す。ロイが一日のうちで最も好きな時間の一つだ。
「ジョー、手が休んでいるぞ!」
「は、はい」
 勿論、殆ど自分が動かなくて済むからというのもある。
「親方、こっち終わりました」
「俺も!」
「僕も!」
「お、俺もっす」
「うんうん」
 随時挙げられる終了の言葉。それが全員分になった時に、漸く自分の出番である。
「ふむ……」
『…………』
 親方が工房の隅々までを舐めるように見回していくのを、徒弟らは緊張の面持ちで、一ヶ所に固まり座って見守る。
「――アル」
「!」
 名前を呼ぶと、左眉にほくろのある少年の肩がすくんだ。既に覚悟はできていると見える。
「君の今朝の当番は?」
「えー……金床の手入れです」
「そうだね」
 冷やかに、言葉短く応じると、ロイは工房の一角を占める作業台――金床に歩み寄ると、目を細めて凝視する。
 所々に、磨き残しが見える。
「アル」
「……はい」
「いい道具を長持ちさせる条件とは?」
「つ、常に手入れを欠かさないこと。常に最良の状態にしておくこと……です」
「そうだね」
 この対応が、徒弟達は最も苦手であった。
 他所の職人みたく、拳骨で殴られるのならまだいい。痛みなんていうのは、放っておけばすぐに治まってしまう。喉元過ぎれば、というものである。
 だが、こうやって言葉や態度で『殴られる』のは違う。目や耳を通して頭にずっと残ってしまう。忘れようとするほど、頭に強く焼き付いてしまう。
「今日の昼飯、覚えておくようにね」
 こうして、止(とど)めの一言まで付け加えられるのだから。
「ほかは……まあ合格かな」
 よし、と言葉を結んだロイは、長年愛用してきた年代物の金槌を手に取る。
「さてと、今日は昨日の続き――鍋の直し方をみんなに見てもらおうかな」
『…………』
 ロイが言うと、昨日店番だった、にきび面と左眉にほくろのある二人の挙措から落ち着きが抜け落ちる。他の徒弟達に昨日の内容は聞いているだろうが、師匠である自分と、まだまだ半人前の徒弟からとでは、耳にする情報の濃さが格段に違うから不安になるのも当然と言えよう。
「ジョー、アル」
 二人の徒弟に顔を向けさせると、ロイは持っていた薪で肩を叩きながら苦笑を混ぜて言う。
「緊張するのは構わない。いいことだよ。――だけどねえ、きちんと僕の話を聞いてくれないと、昨日どころか今日の時間まで無駄にして勿体ないよ?」
『……はい』
 それでもまだ表情の暗い二人。本格的に技術を学ぶようになったばかりだけあって、まだ自信のなさがはっきりと顔に出ている。
(やれやれ、世話の焼ける――)
 だがまあ、それが徒弟ものであり、そうした彼らの面倒を看るのが親方というものである。
 まだまだ課題が山積している徒弟のため、親方は一肌脱ぐことにした。
「トーマス」
「はい」
 相槌役を勤める徒弟が火加減の調整をちょうど終えたのを見計らって呼び寄せる。技術的には同年代の子達と比べて大差ないが、経験由来の知識の豊富を認めて去年から相槌役に指名した。
「少し、二人に昨日のことを教えておいてもらえるかい?」
「分かりました。――おら、ボサっとしてねえでこっち来い」
 ロイの時とは対照的な乱暴な口調で、トーマスは二人の弟分達を工房の隅へと追いやっていく。対応の仕方は兎も角として、後輩思いの弟子である。
「さて、二人はトーマスに任せるとして」
 残った徒弟らに視線を戻し、ロイは含みのある笑みを浮かべてみせる。これ以上あの二人を特別扱いする理由はない。
 徒弟の一人を示し、問いを投げかける。
「ジェームズ、金物修理の注意点は?」
「あ、はい、え〜と……」
 最初は言葉を詰まらせるも、どうにか及第点はあげられるだけの回答はできていた。
「よろしい」
 密かに誇らしげな顔をしてみせているジェームズ少年を座らせ、宿屋『トムソンの牛亭』の料理人から預かった大型の鍋を見せる。
 素人目にも相当使い込まれていると分かる鍋だった。底には大きな穴が二つ、見事に空いていた。
「鍋もここまで使ってもらえれば本望だろうね――とでも、言ってやりたいんだが」
『?』
 親方が小さく背中を丸めた意味の分かる徒弟達だけ、聞き逃すまいと前傾姿勢になる。
「実はこの鍋を持って来た料理係、前々から奥さんと激しく争っていたらしくてね、逆上して包丁で襲われそうになったからこの鍋で身を守ろうとしたんだとさ」
 方々から聞こえる忍び笑い。自身も(年甲斐もなく)悪戯っぽく笑っていたロイは、「ごほん」と咳払い一つで空気を入れ替える。
「どんな経緯があろうと、仕事の上では関係ないことだ。何せこっちはそれで金を稼いでいる訳なんだからね、きっちりとこなさないと勿体ないだろう?」
「何がですか、親方?」
「そいつを考えるのも君達の課題なんだよ、トーマス」
「う……っ」
 本日二度目の揚げ足取られに、他の徒弟達が再び忍び笑いを漏らす。
 いつの間にやら、トーマス、ジョー、アルの三人も戻って来ていたのだ。
「さあて、それじゃあまず穴を塞ぐために――」
 町の鍛冶屋は、今日も変わらぬ日々を送ろうとしていた。


 ようやく活気が見え始めた市場を眺めつつ、二人の徒弟は取るに足らない会話を交わしていた。
「暇だなー」
「ああ」
 乱雑に並べられた新品の鋤や鍬、鎌といった農具や包丁、斧や鉈に混じって小規模ながらも剣や槍、鎧が立ち並ぶ店先で、二人の徒弟達は暇を持て余していた。
「だいたいさ、時々来る常連とか行商人以外で、誰が買いに来るんだよって話だよな」
「ああ」
 面白みに欠ける反応しかしない友人を、徒弟は睨み付ける。
「どうした」
「もうちょっと何かないのかよ」
「何かって?」
「何かは何かさ。それ以外の何ものでもねえよ」
 はン、と小賢しい言い回しを好む徒弟は糸のように細い眼を持つ友人に言葉を投げかける。
「俺ばっか喋ってるのも何だし、お前も何か話題出せよ」
「ああ」
「つか、お前さっきから全部『ああ』ばっかりじゃねえかよ」
「ああ」
「ほらまた」
 どう見てもそりが合ってないようにしか見えないのだが、ロイ曰くこの状態が普通らしい。
「っだー畜生! また今夜おかず一個と交換かよー」
「そういう約束だからな」
「トーマス兄貴ってどーでもいいとこだけ親方に似てるんだよなー」
「親方に?」
「ケチ」
「ああ」
 それで納得がいくあたり、ロイの印象が知れるというものである。
「たしかに、トーマスさんも割とケチだな」
「だろ?」
 身内が近くにいないことを確認した二人は、顔を合わせて忍び笑いをする。
 と、
「――そこの二人」
『?』
 普段の彼らからは考えられない速さで振り向く。
 声の主を知っているわけではない。それほどの恐ろしい声をしているわけでもない。
 ただ、そう強制させるだけの『何か』が、声にはあった。
「この鍛冶屋の主に、用がある」
 声の主は、己の声にも劣らぬ奇妙な人物であった。


「お、親方―!」
 慌ただしい足音とともに聞こえてきたのは、店番を任されているはずの徒弟の声であった。
「どうしたんだい。工房内で騒ぐのは禁じていただろう」
「は、え、それ、が……」
 よほど急いでいたのだろう。息を弾ませている徒弟は懸命に息を整えようと努めながら言葉を繋ぐ。
「あの、変な客が、親方に話があると……」
「変な?」
 ふむ、とロイは右眉のあたりを掻きながら訝しがる。普通の客ならば諸手をあげて迎えるのだが、変なとはこれ如何に。
「どんな御人なんだい?」
「えーと、剣を持ってたから、たぶん[バーソロミュー]の傭兵か何かだと思うんですけど、髪が全部真っ白だったり顔の半分が黒だったりで……」
「……? 何だか随分と要領を得ないな。説明は簡潔に端的にでないと時間や手間が勿体ないだろう」
「兎に角、来て下さいよ。今キーンが相手してるんですけど、すっごく――」
 そこで言葉は止まり、徒弟の口は終始もごもごと不明瞭な動きを見せるだけであった。
 ロイの眼には、彼が嘘を吐いている風には見えない。即興で考えたにしてはやけに具体的である半面で、『変な客』とやらの外観が見てきたばかりであるかのように曖昧だからである。
(いずれにせよ、お客が来ているのは事実らしいな)
 どんな相手であれ、よほど危険な人物でもない限りは儲け話になり得るだろう――とロイは結論付け、行動に移る。
「分かった。今行こう」
 鎚をトーマスに手渡し、途中の作業を託したロイは店先へと足早に向かう。
 そして――
「あ、あの人です! あの人が俺らの親方っす!」
「む」
 徒弟の言葉が概ね間違っていなかったことを知る。
「――――」
 目が合ってすぐ、ロイは後ずさりした。
 目の前に泰然として立つのは長身痩躯、銀色に鈍く光る髪を乱雑に伸ばした剣士であった。
(なるほど……たしかに『変な』客ではある)
 顔の造作は若々しく整っていると言えるのだが、件の銀髪と全身から立ち昇る威圧的な雰囲気によって老成した印象を受ける。若者なのか年寄りなのか、初見では判断しかねる。
「どうも、ロイ・スミスと申します。どうぞスミスとお呼びして下さい」
「ジークだ」
 素っ気なく名前を投げ返した声は低く、明るさや張りよりも重さ深さを感じさせる。語調も冷淡さはあるが、乱雑さや荒々しさは感じない。真冬の湖面のようだ。ただ冷ややかで底知れなく、そして温かさがない。
「ここの工房を利用したい。可能か?」
「と、申しますと?」
 単刀直入に用件だけを切り出したジークなる男は、懐から黒く細い菱形の金属を取り出すと、ロイに見せる。「これを二十本、今日の昼までに急いで造ってもらいたい」
「…………」
 ジークが見せているのは、木の葉にも似た短剣であった。柄も鍔もないので、『刃』とだけ表した方が正しいかもしれない。
「残念ですが、承りかねます」
「…………」
 不快に顔を歪めていない様子から察するに、ジークとやらはこちらの対応を予想していたのかもしれない。
「貴方の依頼を果たすには、それの原型となる『型』が必要になります。もし型から造るとなれば、急いだとしても三日はかかります。今日の、それも昼までなんて不可能です」
「…………」
 真っ直ぐな視線はそのまま、「つまり」とジークは険しく結ばれていた口を開く。
「型さえあれば拒む理由はなくなるのだな?」
「そう、なりますね」
 まさか、という予感と、そんな馬鹿な、という常識がロイの頭の中で数秒もの間拮抗していた時、
「では任せた。でき具合によっては報酬は弾もう」
「――――」
 煉瓦ほどの金属の塊が、ロイの眼前に差し出された。
 ジークの肩に担がれていた袋の口は、まだ緩んでいた。


 一本につき一二五クラン。この依頼に関する全ての事柄は一切他言しない。
 両者の間で結ばれた契約は、以上の通りであった。
「じゃあ、任せたよ。場所は覚えているね?」
「分かってます。あの乾物爺の所でしょう?」
 足早に店を出て行く徒弟を見送り、ロイは小走りで工房へと戻る。どんな時でも彼は駆け足を忘れない。
「親方、必要な分は全部運び終えました」
「そうか」
 別件で用いるはずだった木炭を急遽(きゅうきょ)多めに用意することとなったが、徒弟達は驚きつつも慣れた様子で運んでいた。
「ご苦労……ん?」
 頷いたロイは、弟子の浮かべる表情に気付く。どうしたのか尋ねると妙に暗い表情で「あれ、見て下さいよ」と言って工房を指さす。
「……む、いい鉄鉱石だ」
 そこには、何故か素材となる鉄鉱石を手に取り、一つ一つ吟味しているジークの姿があった。
「……何をしてるんですか?」
「お前が来るまで暇でな、鉄鉱石の質を調べていた」
 曰く難い顔のロイなど何のその、ジークは泰然とした態度で鉄鉱石を戻し、
「バーミンガム産と見たが、どうだ?」
「ええ、まあ」
 奇矯なる来客の、勝手知ったる様子よりも自前の店を持つようになった鍛冶職人でさえ時折間違うことのある目利きを、自分がいない僅かな間に行ったことの方がロイを驚かせていた。バーミンガムといえば、リグニア王国最大の鉄鉱石採掘量を誇る土地の名前である。
 あてずっぽうで当てたにせよ、大したものだ。
「領主様からの依頼を受けた時に頂いた物の余りですがね、折角なので思い切って使おうと思いまして」
「む」
 最低限の一音で会話を終わらせたジークは、「出来上がるまで店先で待つ」と言葉を残して工房を後にする。
「…………」
 徒弟らがジークという人物のことで半ば呆然となっている中で、
(これは大仕事になりそうだ……)
 ロイだけは、これから取り組まねばならない事業の難しさを実感していた。
 内心だけでも渋面を作りたくなるというものだ。
 見本として渡された品物は、大きさも厚みも木の葉に近い――というか、殆ど木の葉そのものと言っても過言ではない出来なのである。
 認めるのは癪だったが、確実に自分を上回る技量の持ち主が造った品である。
(造れるのか、この僕に――)
 幸いにも元となる型はジークから与えられている。素材もある。金床や道具に不備はない。
 問われているのは、ロイ・スミスという職人の技量。
(――いや、それは愚問だったな)
 白髪の混じり始めた頭に手拭いを巻き、ロイは腰から紐で下げていた小鎚を手に取る。
 こんな時に思い出すのは、昔――まだ白髪が生えた自分など想像もできなかった頃に『勿体ない』と並んで聞かされてきた言葉。
(――「できるかどうかが問題なんじゃねえ。やるか、やらないか、常にこのどっちかだ」――)
「……やってやろうじゃないか……」
 自分以外の誰にも聞こえないほど小さな声で、ロイは鼓舞の言葉を呟いた。
 鍛冶職人が金槌などで金属を叩いて圧力を加えることで金属の強度を高めつつ目的の形状に整形する行為を、正式には鍛造(たんぞう)と呼ぶ。永きに亘る金属加工の歴史の中で刃物の製造技法として発生し、多くの鍛冶師らが刃物の品質向上に努力と歳月を費やすのに伴って発展した結果、近世には代表的な技法としてジィグネアル全土に定着していった。
「…………」
 これからロイが行うのは『型鍛造』と呼ばれる、鍛造用の金型を用いる鍛造法である。型と材料さえ用意できれば幾らでも生産できるため、大量生産向きの方法と言えよう。
 間違っても、神がかった人間にしかできない芸当ではない。『職人』を名乗る以上、できても不思議ではない。
「トーマス」
「はい」
 いつの間にか自分と同様に手拭いを頭に巻いていた徒弟兼相槌役の少年に「始めよう」と言って、ロイは小鎚を振り上げる。
 どんな心境であれ、これだけは手を抜きたくなかった。
 そう、贖罪の意味でも。
 金槌の音が十を超えた時には、ロイは無心であった。


 頃合は昼前。この季節特有の災害である台風が近いのか、湿り気の強く重い風が終始顔に吹きつけてくる。
 そんな空の下、ジークは店先でロイが工房から出て来るのを待っていたのだが、
「よっ」
 彼より先に顔を見せたのは、食堂の看板娘、ベスであった。手に持つ大型の籠から察するに、買出しに行かされているのかもしれない。
「三日ぶりか、元気だったか?」
「……む」
 妙に馴れ馴れしい態度をとるベスに、ジークは声に煩わしさを三割ほど滲ませて応じる。
「あ、そうだ。三日ぶりで思い出したけど、俺が教えた宿は見つかったか?」
「む、ああ」
「そっかそっか。いやさ、あそこって分かり辛い所にあったろう? ちゃんと見つけててよかったよ」
「む……」
 看板娘と呼ばれるに相応しい、魅力的な笑顔で話しかけてくるベスに、ジークは僅かだが口の端を歪める。
「それでさ――」
「俺の相手をしている暇がお前にはあるのか?」
 止め処ない言葉の奔流を遮ったのは、鋭利な切っ先を連想させる視線と、それ以上に有無を言わせぬ言葉。
「浮かれるのは結構だが、すべきことを先に済ませてはどうなんだ」
「……そりゃあまあ、そう、だけどさ……」
 ぴしゃりと放たれた温もりも気遣いもないジークの一言に声と表情が沈んだベスだったが、それでも彼女が立ち去る気配はない。
「…………」
 それどころか、何やら恨めしげにこちらを下から覗き込むようにして睨んでいるのであった。
(む……何故この女は、こうも俺に絡んでくる?)
(不明)
(要警戒)
(要警戒)
(――なあ)
 疑念に満ちた意見の中で、ふと声の一つが思い出す。
(彼女とは、たしか約束があったのではないか)
(……む)
 ――そうなのであった。
(――「本当だな!? 絶対の絶対の絶対の約束だからな!? 『後でなし』は駄目だからな!!」――)
 今の今まですっかり忘れていたが、ランドール夫妻が営む宿屋の場所を教えてもらう代わりに彼女とは約束を交わしていたのである。
 それは――
「……やあ……」
「む」
 渡りに船とはこのことであろう。
 依頼通り、ロイは昼過ぎには店先に現れた。最後に工房で見たときに比べて、幾分か顔色が悪くなっていた。
「ふう……やっと完成しましたよ」
 両手に抱えているのは、原型と木の葉に酷似した二十一本の短刀。うち一本はジークが渡していたものだ。
「わ、どしたんだよロイの旦那。見ない間に随分と老け込んじまったな」
「いや、これは……というか、いたんだねベスちゃん」
 こんにちは、と顔なじみの娘と挨拶を交わした後で、ロイは首を傾げる。
「……ジークさんは、彼女とお知り合いだったんですか?」
「前々から約束事があってな」
「!」
 ベスの表情が輝いたのを知らないのはジークだけであった。
「そうでしたか……」
 疲労の極みにありながらも、ジークの表情からあまり深く詮索するのは利口ではないと判断したロイは話題を変えるべく、本来の用件を切り出す。「こちらもお約束の品です。どうぞ……お確かめ下さい」
(何だあれ、何に使う道具なんだろ?)
 という疑問に答えを与えられることはなく、ジークは最後の一本を吟味し終えた。
「……む、悪くない」
 一つずつ裏返したりして確かめたジークに、「そりゃ……よかったです……」とロイが応じた。数刻の間に、頬がこけて見える。
「では約束の金だ。受け取れ」
「……どうも」
 金属の塊と銀貨の塊を交換して受け取るも、やはりロイの表情は優れない。身の丈を超えた作業は、予想以上に彼の心身を消耗させていたようであった。
「よ、よお」
「む?」
 ジークは、足取り重く店の奥に引っ込んでいくロイから、俯き気味の少女へと視線を移す。
「い、今から買い物に行くわけだが……あの約束、果たしてくれねえか?」
 ロイとは対照的に、彼女の顔色は何かの病気と見紛うほど赤かった。


 市場に通じる路地裏で、いかめしい風貌の面々が肩を寄せ合うようにして立っていた。
「――全員、揃っているな?」
 甲冑や盾で身を固めた屈強な男達が野太い声で肯定すると、彼らの前で上半身のみを鎧で保護し、槍を手に持つ男が「よろしい」と頷く。
「えー、今回、我々が駆り出された理由が分かる者ー、手を挙げーぃ」
「ほい。えー、アーサーの旦那からギルドの金を騙し盗った奴をふん捕まえることっす」
「よろしい」
 と若々しい外見の割に強者特有の余裕を漂わせている男――[バーソロミュー]アルトパ支部第一の実力を誇る傭兵、ビリー・ロングフェローは、不意にその瞳を不敵に輝かせる。
「いいか? 俺達が戦う相手は只者じゃあない。分かるな? 戦う相手だぞ。その辺の盗人や泥棒猫なんぞと一緒くたには考えるな。ダレン山賊団の頭や、あの死にかけの鼠みたいな面の奴を相手にするぐらいの気持ちでかかれ。ああ、この際殺しても構わん。俺が責任取るから」
「そ、そんな奴がすぐ近くに……」
「つーか、ビリーの個人的な部分が強くねえか?」
「そんなことはな――」
「……あー、すまんがの」
 ビリーによる演説は、彼の背後から断ち切られた。
「兄ちゃん達が邪魔で、通れないんじゃがのぉ」
『…………』
 農具を担いだ、少々耳が遠そうな老人によって。
「……どうぞ」
「おお、すまんのぅ」
 老人を通す傍ら、ビリーは固く拳を握り締める。
 こっそりと笑っている連中は、ジークとやらを仕留めた後で必ず締め上げてやる、と決意も新たに。


 ベスがジークに求めた見返り。それはジークからすれば、本当に瑣末で、取るに足らないものであった。
 昼過ぎともなると、市場は早朝とは別種の活気で満ちる。特にアルトパは、リグニアの第二王都セント・リグーノへと通じる重要な主都ということもあって逗留する者もしない者も皆同じように品物を売り買いし、食堂や宿を探し求めて歩き回っている。
 そんな彼らが、ふと表情を二種に変えていた。
 初々しさを祝福する笑みと、嫉妬に燃える憤怒の二種に。
「お、おい、そんなに速く歩かないでくれよな……?」
 とベスが、マント越しに腕を引っ張ると、可愛らしく口を尖らせ抗議する。勝気な印象を見る者に与える少女が俯く理由とは、いかなるものであろうか。
「む……」
 抗議の的ことジークは、『特に意識しているわけではない』という弁解じみた言葉や『、それよりもその右腕はどうにかならんのか』と、むしろ逆に非難がましい言も頭に浮かぶのだが、彼女の性格を考えた場合、途中で感情が大きく介入し、完全に的外れで無意味な論争(というか稚拙な口喧嘩)に発展してしまう可能性が極めて高いため、やむを得ず歩調を緩める。
「へへ、ありがとな」
 そう言って、今度は顔全体で笑ってみせる。
「む……」
 どこぞの宿屋の娘と比べれば万華鏡のように表情を転じさせる食堂の娘に対し、ジークはどこまでも無愛想であった。
(こんなことをして、こいつは何が楽しいのだろうな)
(不可解)
 ベスに対し嫌悪感を抱いているからではなく、純粋に彼女が求めた現状を理解し納得できるだけの解答が得られていないからであった。
(奴はこれでいいと言うが、どう考えても不便なだけにしか思えん)
(同意)
(同意。各種の行動に移る際、機能性が七割減少する)
 約束は約束である。どんな形にせよ、完遂だけはしておかないと気分が悪い上に面倒事が生じる可能性もある。
 意外にもジークは、内容そのものに関して異存も不平不満もなかった。
 その代わり、
「おっ! なあなあジーク……さんよ、ちっとあっちの方に行ってくんねえか」
「む」
 どうして他人の腕に絡み付きたがるのか、ジークには全く理解できなかった。
(機能性を欠いてまで密着したがる以上、何がしかの目的があるはずだが)
(不可解)
(む)
(同意)
 こうした状況が続くのは好ましくない。不測の事態に遭遇した際に迅速な対応がし辛くなる上に、自分の回りで不可解な事象が放置されているという事実は不快感さえ与える。端的に表すと、首筋の辺りに何かが引っかかっているような気がして気持ち悪くなるのだ。
「ベスよ」
 熱心に野菜の品定めをしている最中だったベスが、不思議そうにこちらを見上げる。
「ずっと俺の腕に密着しているが、疲れないのか?」
「は?」
 唐突な質問だったために応答しかねたようだったが、言葉の意味を理解し始めた頃には彼女の顔色がより強い赤みを帯び始めた。
(対象の体温上昇)
(過去の傾向から緊張、興奮状態にあると推察)
(む、そのまま調査を継続しておけ)
(了解)
 という血も涙もないやりとりがジークの頭の中で行われていることなど知る由もないベスは、まだ赤い頬を秋野菜で隠すようにしながら「あ、ああいいんだよ」と返答する。
「不便になるかもって想像はしてたさ。してたけど……俺、昔っからこうするのに憧れてたんだよ」
「む」
「こ、これ以上は、流石に恥ずかしいからさ、その……もうちょっと、別ン所で喋っていいか?」
「お前が問題なければな」
 本心を暗幕で覆い隠したジークの言葉にまたもや赤面しかけるベスは、慌ててジークを路地の隙間へと誘う。
「……ここなら、誰も聞かねえよな」
(知らん)
 しきりに市場の方を気にしていたベスは、安心した様子でジークの左腕に自分の両腕をしっかりと絡める。幾重もの布を通して彼女の温かさ、柔らかさが感じられる。
「さ、さっきの続きなんだけどよ」
 予想とは裏腹に、ベスは饒舌に語りだした。
「いや、そんな大した話じゃねえんだけどよ、たまーにこうやってる奴らを見てっとさ、俺羨ましいんだよ」
「そうか」
「うん。でな、いつも夜とかに思ったりするわけよ。ああ、俺もいつかあんな風に……な人と、まあ、こうやって組んで歩きながら適当に買い物したり、話したりしてみたりしたいなってさ」
「…………」
「へへっ、笑っちまうだろ。でもな、俺はそれが羨ましくて仕方なかったんだ。だから俺……まあ、あれだよ、兎に角手当たり次第に、色んな奴と付き合ってみたりしたんだけどよ……何ていうか、しっくりこなかったんだよなぁ」
 と、ベスが秋野菜を胸に抱えて遠くを見つめている横で、
(よく分からん話だ)
 全くと言っていいほど、ベスの話に興味を示していなかった。
「で、でもな」
「む?」
 そんな折、ベスがジークの腕を弱く引く。
「やっと、それももう終わると思うんだよ」
 彼女の眼はあの日と同じ、眩しそうな、夢を見ているようだった。


 ――獲物を発見する。
 思わず握る手に力がこもるが、今は抑える。焦ってはならない。
 獲物は別の女と親しげに喋っている。
 せいぜい楽しんでいればいい。
 貴様の人生は、じきに終わるのだから。


 言いたいことの三割ぐらいを伝えたところで、この人は「抽象的過ぎて何が言いたいのか分からん」と返した。
(俺を試してるんだ……)
 この人も随分と憎い真似をする。
 だが、分かっている。
(そうだよな、俺から声かけといて返事はそっち待ちってのはおかしいもんな)
 回りくどいのは、やはり性に合わない。
(――こういう時は、やっぱビシっと言わねえと!)
 気合を入れろベス。ここからが正念場だ。
「で、その……」
 バカ、何をしてる。視線を下げるな、真っ直ぐ前を見ろ。ジークから目を逸らすんじゃない。
「俺と、その――」
「ベス」
 一世一代の告白は、無残にもその相手によって遮られた。
 無理矢理ベスの腕を引き剥がしたジークは、真っ直ぐ正面――彼女がいる方――を凝視する。
「…………」
(お、俺のことを、じっと見てる……?)
 悲喜交々のベスだったが、それにも増して不可解さが頭をもたげる。
(でも、何か変だぞ……)
 それが何か分かれば苦労はしないが、分からないことへのむず痒さは残り続ける。
「聞け」
 ひそめられた低い声が、ベスの耳元で木霊する。
「――許せ」
「っが――」
 残響が消えるよりも早く、ベスの視界からジークが急速に遠ざかる。
 ジークがベスの下腹部に打ち込んだ、一発の掌底によって。
「ひょ!?」
「あぐ!? ……な??」
 意外にもジークの掌底による痛みは殆どなかったが、強く打ち付けた背中の方が痛んだ。
(え、今何が、え? さっき俺、こいつと……?)
 背を擦りつつ見ると、薄汚れた風体の男が仰向けになって気絶していた。どうやら先ほどぶつかった『何か』の正体は、この男らしい。
 唐突に放り込まれた事態を把握しようと、ベスの頭はそれまで山積していた情報を泡沫のように消してしまったため、ジークへの怒りを失念していた。
「む」
 それさえも見越していたジークは、眼前の男達に一つしかない視線を投げかける。
「やぁ、こんにちは」
 なよなよとした仕草で、数人の男の先頭に立っていたのは過日の集団――ダレン山賊団の一人、マイクであった。
「だ、誰だよ――ってこいつら!?」
 彼らの悪名と悪行を知るベスは、当然の対応としてすくみ上がったのだが、
「ベス」
 それさえ彼女に許さない、別人かとも思うジークの声。
「…………?」
 彼女が立ち上がるのを待って、ジークは口を開く。
「約束は果たされた。俺とはもう関わるな」
「っな……!?」
 反論は泉水のように湧き出たが、今度はジークの一瞥だけで堰き止められる。
「二度は言わん。死にたくなくば俺と関わるのはやめろ。俺のことも全て忘れろ」
 鍔鳴りの根が、ベスの耳に冷たく響く。
「口が横に開くようになるのはご免だろう?」
「――――」
 彼女の鼻面に向けられたのは持ち主と同じ、一切の温もりを持たぬ金属の――剣の切っ先。
「いやいや、怖いねぇえ?」
 絶叫を上げて走り去る少女の背を眺め、マイクはおどけた調子で仲間達に話しかける。
(……ま、それで動けなかったのも本当だけどね)
「それにしても、随分と楽しくシケ込んでたもんだね。色男は大変だ」
「…………」
 長剣を鞘に収めたジークは、「何を訊きに来た」と問う。
「あんな寸劇を見ていたぐらいだ。俺に訊きたいことがあるのだろう」
「……何を?」
 両の眼を細めたマイクは、次の瞬間には極限にまで広げつつ、不気味なまでに落ち着いた語調で言い直す。
「な・に・を――だってぇえ?」
「手前、分かってるくせにスカしてんじゃねえよ!?」
 口々に男達が上げる罵詈雑言を、マイクは片手で制する。
「まあ、とぼけたくなるのは分かるけど、それされると兄貴や頭に怒られるからねぇ」
 肩をすくめたマイクは、「単刀直入に訊くよ?」と前置きすると、
「あの“化け物”は、どこにいるんだい?」
 手に持つナイフを弄繰り回しながら、そう投げかけた




 ある聖職者の最後は、次のようであった。
「っがぁああアアアアあぁああぁっぁああああァアああああアアアァアアアぁあ―――――――――ッっッ!!!?」
「…………?」
 手に持つ、千切れたそれの意味も分からない少女は、ただ慕っていた神父の上げる、獣じみた叫び声にただ呆然としていた。
 目の前の惨状を理解するには、少女は幼過ぎた。
「せん、せい――」
 背後から、強烈な力で押さえつけられる。
「……丸ごと捻じ切りやがった。なんつう“化け物”だよ」
 少女を押さえつける男の一人が、戦慄を隠さず洩らした。
「…………!」
「暴れんなよクソガキィ……! っおいお前、急いで拘束具持ってこい!」
「はい!」
 と、部下らしき男が応じて、部屋から飛び出していった。
「せんせい、せんせい……」
 背中で捻り上げられている腕の痛みすら忘れ、少女は眼前で蹲る神父に呼びかける。彼の傍らでは男の部下が、応急処置として傷口を僧衣の袖で固く縛っていた。
「グ、ぅ……みゅ、レ……!!」
「せん――」
 苦痛に呻く神父はやおら立ち上がると、捻じ伏せられ、床に這い蹲(つくば)る少女の――ミュレの顔を渾身の力で蹴り飛ばす。
「おい!?」
「よくもっ! やって! くれたなぁ!!?」
 男が制止しようとするが、構わず神父はミュレの顔を思うさま蹴り、踏み躙った。
「…………」
 口や鼻から血を流し、紫色に腫れた顔で、それでもミュレは縋るような視線を神父を見上げる。元々潰れていた右目どころか、左目も腫れ上がって塞がっているように見える。
「っ――!」
「おいおい、落ち着けよ!?」
 再び狂乱の光を眼に宿す商売相手を、男は慌てて宥める。
「これ以上興奮すっと血がなくなっちまいますよ」
「だいたい、一応そいつも『商品』だろ? それ以上派手に痛め付けちまったら、流石の俺でも引き取れねえよ」
「……はっ、はあっ、ああ、そうっだ……な」
 荒れた息を整えつつ、神父は応じる。狂気の光は、しかしまだ消えていない。
 神父による一連の狂騒から程なくして、部下達が一着の拘束具を運んできた。
「…………」
 不気味なほどの無表情で、神父は一人の少女に用いるには不自然な拘束具を宛がう様子を見守っていた。
 ――あまりにも、惨い光景であった。
 黒革と鎖を用いた頑丈な拘束具はミュレの四肢の自由を完全に奪い、念には念をと口には猿轡が施された。
「ふん……っ」
 男の一人に腕の治療を任せながら、神父は残った腕で、拘束されたミュレの前髪を掴んで視線を合わさせる。
「…………っ」
「く、くひっ、くひゃひゃはっ、私の腕を奪った代償は高くつくぞ、“化け物”ぉ……」
 焦点の合わぬ、狂気を感じさせる視線は、言葉は、苦痛に歪む少女に更なる恐怖を与える。
「楽に死ねると思うなよ。お前には生きながらにしてこの世の地獄を味わい尽くさせてやる。肉の一切れ、骨の一片髪の一筋に至るまで苦痛で染め抜かせてやる……」
 その顔色は、既に死者のものであった。




10
 まだジークが、師匠と呼ぶ人物の許にいた頃のことだった。
 本を片手に、師匠は言う。
「人の頭にゃ、まだまだ分かってねえ部分がある」
「?」
 まだ幼き日のジークは、師匠が何を言い出したのか分からず、「どういうことですか?」と訊いた。
「そうさな……まず前置き程度に言っとくと、この頭ン中にはでっかくて薄っぺらいのがしわくちゃになって入ってるわけだ」
「でっかくてうすっぺらいのが?」
「そ。俺もお前も、皆な。で、だ。そいつはこーやってものを考えたり覚えたりするだけじゃあなく、果ては体の中枢を司り、成長とかを管理したりしてるわけだが……あー、まあこの辺までにしとこうか」
「むぅ……」
 渋面を作るジークには一切触れず、師匠は講釈を続ける。
「この薄っぺらいの、名前を『脳』っていうんだが、こいつが実に厄介でな、要はヒトが生きる上でかなり重要な部分だとは分かってるんだが、それ以外にゃなーんにも分かっちゃいねえわけだ」
「師匠もですか?」
「俺は別」
 軽く鼻で笑うと、師匠はわざとらしく頁を捲ってみせる。適当な所で手を止め、
「お前、平均的な能力を持った人間一人が一生の間に脳全体の何割を使っていると思う?」
 そんな質問を投げてよこした。
「む……半分の五割ですか?」
「残念、外れだ」
 若干馬鹿にしたような口調で師匠に言われ、ムキになったのだろう。「じゃあ四、いや三割です。む、もしかして六割ですか?」とジークは言うが、
「大外れ」
 師匠はただ、やはりどこか馬鹿にした口調で返すのだった。
「おいおい、別に俺が悪いんじゃねえんだからそう睨むなよ。正解しなかったお前が悪い」
「む……」
 端的且つ簡潔に言い切られたジークは、反論できずに顔だけを俯けた。視線はまだ、真っ直ぐに師匠へと向けられている。
「正解は諸説あるが、せいぜい高く見積もっても二割、低けりゃ一割未満てところで意見はまとまっている」
「人間は、ちっとも自分の頭を使えてないんですか?」
 もたらされた、曖昧な情報自体への感想ではなく、ジークは自分なりの解釈を加えた意見を述べた。
「そう解釈できなくもないが、ちいとばかし視点を変えにゃならんな」
 ついて来い、と師匠は手招きし、ジークを黒い鉄板が埋め込まれた鉄板がある壁まで呼び寄せた。歩み寄る間に、手にした白墨で大きく歪な丸を描く。「この円が、ヒトが一生の間に使うことのできる最大容量だとする」と補足してから、更に内側の一部分だけを塗り潰すと師匠は本題に入った。
「さっき俺が言ったことも含めて考えてみな」
「む……」
 変えるべき視点の鍵は、眼前の円と師匠の言葉のみ。
(俺はさっき、『ちっとも使えてない』って言った。これは間違っていないなら、何だ変えるべき視点って……あの師匠がわざわざ円を描いて視覚的な情報を増やそうとする意図って何だ?)
 同年代の子ども達からすれば想像もつかないほどの複雑な思考を巡らせるも、ジークには師匠の言論の真意を汲み取ることができない。
「やれやれ、何で気付かんのかねぇ」
 白墨を戻して肩をすくめた師匠は、「お前はバカじゃねえが、ちっと頭が固過ぎんだよ。最近は表情まで硬くなってきやがって」と毒づいた。
「最後のは別にどうでもいいでしょう」
 とジークは言い返す。その口調も、変声期前の甲高い声には不釣合いな、硬い響きを含んでいた。
「だからそーいうのが……いやまあいい、兎に角、俺の言う視点を変えろってのは、つまり発想の転換だ。長短は表裏の仲とも言うしな」
「む?」
「お前はこう考えられんか? ヒトの頭にゃ、まだ五倍以上も未使用の部分がある、とよ」
 想像さえしていなかった答えを告げられたジークは、納得するよりも先に驚愕した。震えた喉が自然に「五倍……」と言葉を紡ぐ。
「そう。誰一人として漏れなく、人間は頭ン中に、チャチな想像を遥かに超えた力と可能性を持っているってぇわけだ」
 武骨な顔を歪めて笑う師匠の姿は、邪教の司祭か、無垢な少年を惑わす悪魔のようであった。いずれにしても、善良な存在には見えない。
「お前が持ってきたこの本にゃ、そんな桁外れの力を意地でも全てを使ってやろうと考えてた連中の研究の、ほぼ全てが詰まっている。『俺ら』はその性質上、脳の容量は際限なく必要だからな」
「ですが師匠」
「最初に言っただろ、俺を除けば、脳の仕組みの全てを知る奴なんぞいねえって。それに『俺ら』は、手前の研究は絶対に公開しねえ。成功なら言わずもがな、失敗なら尚のことな」
 眼光紙背とはまさにこのことだろう。
「ま、その辺はどうでもいい。確かに、今のお前からすりゃ魅力的な話なんだろうが、俺はお勧めしねえ」
「何が危険なんですか?」
 ジークは単刀直入に尋ねる。師匠は少年の硬質な表情の奥に見える感情を見抜き、それに見合った声音を選ぶ。
「実験はその殆どが失敗に終わっている。しかもその結果、脳が二度と使い物にならなくなった、とかなぁ」
 それも底意地悪く、どこか道化めいた口調で。
「…………」
「生半可な知識や覚悟しかないならやめとけ。何事においても、半端な奴は長生きしねえ」
 ジークの心理を読んだ上で、師匠は本をジークに返した。
「やるならどこまでも、自分で選んだ道をやり通してみな」
 んじゃ、ちょっくら俺は寝てくるわ、と言い残し、師匠はジークの脇を通って立ち去る。
「……あとは俺しだい、か」
 幼き日のジークは本を開いて考える。
 諦めるという選択だけは、絶対にしたくなかった。


「何のことだ?」
 状況把握を兼ねて、ジークはシラを切ることを選択した。無論、眼前の男達の片言隻語から性格や性質を見抜くことも目的として。
「知らんぷりはよしてくれるかい、色男クン?」
 先刻までの奇行はなりを潜め、マイクは器用に口の端だけ持ち上げて、含み笑いをしてみせる。周囲の男に比べれば、粘り強さと頭を切り替える力を持ち合わせているらしい。
「隠したってロクな目には遭わないよ?」
「そしてまた返り討ちに遭いたいか?」
 感情と本音を引き出すための挑発。
 少なくとも、背後の連中には効き目があったようだ。
「ふざけんのも大概にしろや手前!?」
「闇討ちじゃねえと満足に戦えねえクセによぉ!!」
「殺すぞ腰抜け白髪野郎!?」
 などなど、表通りを歩く者達が不審がって歩を止めるほどの大音声で怒鳴ってくる。
「……まあまあ、ここは兄貴の顔に免じて抑えなよ」
 額を押さえながら、マイクはあくまでも理知的に振舞おうとしている。
「分かってるだろ? 僕らは兄貴の命令で来てるんだ、ここでしくじってたら、兄貴の面に泥を塗っちゃうだろ?」
 ジークの隻眼が、一瞬光った。
 それか。
「ね? だから兄貴に免じて――」
「貴様の言う兄貴とやら、大した男ではないな」
「……はぁん?」
 突然のジークの言に、部下――というか弟分が片眉を吊り上げる。
「お前がさ、アナバの兄貴の何を知ってるってんだよ?」
「知っている」
 一歩ごとにナイフをちらつかせて接近するマイクに表情を崩すこともなく、ジークは平然と言い返す。
「あれは取るに足らん男だ。以前見かけたが、俺にしてみればただの禿げ鼠に過ぎん。せいぜい、どこぞの路地裏で頭の悪い部下どもに囲まれて鼠らしく怯えているのだろう? 俺に構っている暇があったら保護しに行ってやれ。というか、そもそも俺の発言が理解できたか? できていないのならもう一度最初から言ってやる」
(おいおい)
 と声が呆れるほどの内容だが、それを無表情に近い仏頂面で言ってのけるのだからジークも怖い。
「……は、はは……。なか、中々オモシロイこと言うね」
 明らかに不自然な笑みを貼り付けたマイクは、ジークの目と鼻の先にまで接近しようとする。相手に恐怖を植え付けることで、自信の精神に余裕を持たせようとしているのだろう。
 面倒臭いことに、まだ持ち堪えるらしい。
(だが時間の問題だろうな)
「だ、だけど僕は……」
「禿げ鼠の狗だから真実を見れんか。いや、お前は狂犬だ。愚かなことに、犬の分際で付き従うべき人間さえも満足に見極められん」
 ジークの声と表情は、どこまでも冷えきっていた。
「…………」
 急にマイクは、どこぞの宿屋の娘みたく表情を欠落させる。
(そろそろか)
「では」
 と言って、ジークが背を向けた瞬間、
「……ぃっぃいいい言わせておキャぁあああああああ!??」
「マイク!?」「怖!?」「え、何あれ!?」「うわやべ、マジギレしやがった!」
 髪を振り乱し、逆手に持ったナイフを振りかざしたマイクの姿は、まさにジークが言った『狂犬』そのものであった。
(――二番以下、優先順位を『外敵排除』に変更)
(了解)
 突如として、ジークには全てのモノの動きが緩慢になったかのように感じられた。
 マイクの踏み出す足の一歩一歩が、
(対象、極度の興奮状態にあり)
(動作に虚偽が含まれている確率、零)
(単純なる前進運動)
 振り翳されていくナイフが、
(四番の意見踏襲。目標が胴体である可能性、八割。心臓である可能性、二割)
(狙いは胴体か)
(対処容易)
 それらに対する、自身の動きが、
「遅いな」
「――――!?」
 振り下ろされかけた右手の手首を掴む。マイクの顔が怪訝なものに変わっていくよりも速く、更にマイクの懐へと前進する。
 残った手で襟を掴む。ここの時点で表情は驚愕へと更に変化しつつあり、慌ててこちらを振り払おうとしているようだったが、逆にその勢いを利用してやることにした。
 襟は掴んだまま、絶妙な呼吸でマイクが左腕も伸ばそうとするのと全く同時に彼の左膝頭に曲げた状態の右脚の踵を密着させ、
「っひぃぎゃぁあああぁ――――――――――!!??」
 襟を引っ張る力、マイクが前進しようとする方向の逆――即ち脚を伸びきらせる方向へと一気に体重を乗せた蹴りを放ち、両者が激突する際の衝撃をもって膝を踏み砕いた。
『…………』
 男達は、何が起きていたのか殆ど理解していなかった。
 飛びかかった姿はたしかに見た。問題はその次である。
 気が付けば、マイクが仰向けに倒されていたのだ。しかも、どういうわけか左膝からは血と一緒に骨と思しい、白いものが見える。
 いつ? どうやって?
「…………」
 彼らが混乱しているその目の前で、
「ぁあがああああああああああああああああああ!!?」
 またしても聞こえた、耳に残る、不快な音。硬いナニカが砕ける音。
『!!』
 ジークが一寸の躊躇いもなく、マイクの利き腕の肘を踏み砕いたのだ。
 不愉快な声を上げて転がり回るマイクの姿は、どこか滑稽で笑いを誘わなくもなかった。
 もっとも、そんな余裕のある者など一人もいない。
「あぁあああぁ――」
 ジークが、再び片足を上げる。
「お、おい待――」
 男達が止めようとするも虚しく、左膝と右肘に続いて反対側の肘が同じ運命を辿る。再びマイクは絶叫しかけるが、先ほどの一声で喉が潰れかかっているのか、その声は掠れていた。
「お前達もこうなりたいか?」
 無表情で問いかける銀髪の生年。足元ではよく見慣れた男が苦痛に歪んだ顔で呻きながらのた打ち回っている。マイクの両肘の先があらぬ方向に曲がっている様子は、男達に得体の知れない感覚を植え付ける。
「…………っ」
 思わず、最後列にいた男が後ずさりかけたその時、
「ォお前らぁ! なぁにをしているゥぅう!?」
 マイクが、裏返った奇声で男達を怒鳴りつける。
「あに、兄貴からの命令だぁろぉ!?? 特にぃこいつにはァ何したっていい!! んなぁにしたっていいんだッ!! いいなぁっ!? ぶっ殺してもいいから“化け物”のこと喋らせろぉおお!!」
『お……おおー!!』
 マイクの甲高い怒声に押されるかのように、男達がジークへと猛進する。


 不意に上がった怒声や奇声を不審に思う者達の中に、当然[バーソロミュー]の傭兵達もいた。
「……奥に見える白い頭のやつって、ビリーさんが言ってた奴じゃないのか?」
「みたいだな」
「どうするマーロウ?」
 そこにいた五人分の視線が、マーロウと呼ばれた片目眇めの男の前で交わる。傭兵なのに武器の扱いが苦手で目立った実績こそないためビリーに劣るが、判断力と決断力、それと先を読む力に定評のある傭兵である。盤上では強い男なのだ。
「とりあえずロングフェロー(のっぽ野郎)に伝えに行かにゃならんだろ。アンダーソン、お前足に自身あったろう」
「まあ、な」
「じゃあお前行ってくれ。あとウォルター」
「?」
 泥鰌髭(どじょうひげ)を扱いていた男が「何だよ」と視線で訴える。
「この近くをスコット達がうろついてたはずだから、連中に声かけといてくれ」
「そりゃ何でまた?」
 と尋ねるウォルターに、マーロウはにやりと笑ってみせる。
「あのやせっぽっちに、また手柄を全部持って行かれるのは癪だろ?」
 またか――そう思わなかったのは、マーロウ自身だけだ。彼の、武力という負い目からくるビリー・ロングフェローへの強烈な対抗心を知らぬ者は[バーソロミュー]に二人しかいない。
(てことは、俺を指名した理由は『急いでる』っつう建前か)
 無論、アンダーソンも例に漏れず知っている。
「……了解。じゃあ行ってくるよ」
 だから、彼もマーロウに加担する。本心としては雄飛する者に嫉妬し、その落ち目を見たがるのは人の性(さが)である。
「ああ」
 既に姿の見えない同僚にかける声は気も漫ろ。関心が薄いどころか完全に離れていることが見て取れた。
「動いたぞ、マーロウ」
 その証拠に、マーロウは彼の言葉に声もなく笑った。
 人を殺す前の殺人鬼に、少しだけ似ていた。


 大小無数の音が、隘路に溢れる。
 音源は全て同じ。むき出しの、踏み固められた黒土を踏み鳴らす男達の足音である。
「む……」
 ジークは素早く自身の周囲及び進行先に警戒の視線を向ける。
 視覚を始めとする五感から与えられる情報を、声は各々の観点から分析し、ジークに報告する。
(敵性集団検知不能)
(挟撃の可能性二割未満)
(警戒不要)
 今のところ、敵は背後の連中だけらしい。
(だが油断はできんぞ。連中は少なくとも目的をもって我々に接触してきた)
(伏兵警戒)
(む)
 この界隈ではまだ使っていない。頭の中に作り上げていた地図も、この近辺の部分は空白だ。
(だが、文句は言えん)
(同意)
 伏兵が隠れられそうな箇所はおおよそながら見当はつく。“疾風の猟犬(ゲイル・ハウンド)”が使えずとも、致命的な問題にはならない。
(三番から五番は遮蔽物への警戒を)
(了解)
(了解)
(了解)
 そのためのものなのだし、油断を招くような余裕であればいっそ不要と切り捨てる。
 後ろからは、依然として耳障りな足音と罵声が飛んでくる。いずれも数は六。速度は今のところ落ちていないようだが、声の調子がジークに疲弊していることを伝えていた。
(マイクとかいう奴は脱落させておいたが……)
(あの調子では、まだ頭は機能していそうだな)
 左膝と両腕は潰したのでしばらくは使い物にならないかと予測されるが、もしかすると伝令役に回った可能性がある。だとすれば厄介だった。
(やはり、完全に意識を飛ばしておくべきだったか)
(意見支持)
 マイクの話が出たところで、先ほど彼が言っていた言葉が頭の中で蘇る。行為そのものへの疑問は一切存在しない。
(“化け物”とは、やはりミュレのことと思うか?)
(可能性有)
 大ではないらしい。
(可能性の論拠としては、彼女がこの町において一定以上の知名度を有している、嫌悪感を抱かれている、平均的な日常生活下における“化け物”という単語の使用頻度と傾向などが挙げられる)
(む……)
 “化け物”と呼ばれる人間は、ミュレ以外に浮かばない、ということなのだろう。
(可能性六割)
(余剰思考禁物)
(分かっている)
 判断を鈍らせるような思考を一時排し、具体的な行動指針について頭を働かせる。
 一旦ランドール夫婦の所へ戻ろう、とジークは決断した。走った時間と距離を逆算し、更に方角も計測すれば行くこと自体は不可能ではない。
(警告)
 問題となるのは、今まさに背後から猛追する見上げた根性の面々と、
(残存体力から考慮するに、遁走完遂の可能性は七割未満)
(む)
 他ならぬジークの体力であった。表情一つ変えずに走っていはいるが、ジークとて体力は有限なのだ。
(遁走開始からの移動距離は?)
(約二里半(約一キロ))
 中心街から充分に離れた。おそらく住宅街で、しかも昼間のここでならば人目を気にする必要はそうあるまい。
(やるか)
(む)
 満場一致の選択は躊躇いのない、迅速な行動を生む。
「? 何だァ?」
 男の一人が、不思議そうに声を上げる。当然の反応と言えた。
 ジークは、それまで見せていた背中を翻し、彼らと真っ向から対峙していたのである。息は、驚くほど乱れていない。
「急に立ち止まりやがって、何のつもりだァ?」
 あのアナバとかいう鼠そっくりの男の手下が吠える。たしか、金的を蹴り上げられた男だ。
「まさか、お前みてぇな卑怯者が俺らと真正面からやり合おうってのか? えぇ?」
 男の仕草が面白かったのか、背後の連中も理性の箍が外れたようにげらげらと品のない笑い声を上げる。
「――おら、殴ってみろよ?」
 そんな連中を他所に、全身に凄みを漂わせ始めた男がジークの前に立つ。雰囲気が違った。野卑で蛮勇しかない賊徒のではなく、自分が傷を負うことも辞さぬ、覚悟を決めた人間のそれだった。
「自信があるんだろ? この俺らを、真昼間に叩きのめせるっつう自信がよ」
「…………」
 無言で男を睨むジーク。その様子を見て、また他の男達が笑う。
「――ならば、受けてみろ」
 ジークの右半身だけが一歩後退する。
「――――」
「は――」
 風を切る音だけが、男の耳には残った。
 ジークの下半身は捻りを加えることで上半身を加速させ、当然その影響を受けた上半身は力むこともなく右腕を、更に前へ前へと押し出す。
 呼気に乗せて、極々自然な動作で繰り出された、真っ直ぐの上段突き。
 会心の一撃と呼んでもおかしくないその一撃は、違わず男の人中――金的と並ぶ人体の弱点の一つで、鼻の下にある溝――へと正確に撃ち込まれ、いっそ清々しいくらいの快音を生んだ。
「っけ、はぁ……」
 反撃も躱すこともできずに、たった一撃で血と折れた前歯を口から吐いた男は、仰向けに倒れた。
「――それで」
『!』
 ジークの発した言葉に、男達は身をすくませる。
「お前達は、どうする?」
 男達が気圧されているのが手に取るように分かった。
(もう一押しだな)
(む)
 ここで逃げるような真似をしてはいけない。こちらに戦いを挑むことがいかに愚かしいかを叩き込むまで油断は禁物である。
 ゆっくり、わざと時間をかけて前に一歩出る。男達はみな揃って怯えを顔に刻み、今にも逃げ出しそうになっている。
「もう一度だけ訊く。お前達は、どうする?」
 次はない。
 言外にそうした意味合いを込めて放ち、いよいよ彼らから余裕を削ぎ落とす。
「一人、お前達の中から選べ」
『?』
 考える隙はまだ与えない。すぐさま続ける。
「誰でも構わん。お前達の中で一人選んでここに残せ。そうすれば残りの奴は見逃してやる」
『…………』
 男達はジークを警戒しつつ、何ごとか話し始めている。既に抗おうという意思はなくなっているらしい。
(せいぜい、揉めて溝でも作っておけ)
 時折聞こえてくる抗議や恫喝の声を記憶に収めつつ、ジークは弾かれるように眼前に突き出された男を隻眼に映す。既に走り去った仲間らに見捨てられたことを自覚しているのか、表情が欠落していた。
 その男は、他の男達と比べ、幾分か肩幅が狭く、腕や足も準じて細い。全体から漂う卑屈な雰囲気から察するに、彼らの中では格下扱いされていると見た。
「そこから動くな」
「ひ……ッ」
 靴音を鳴らして歩み寄るジークに、男は裏返った悲鳴を上げて後退ろうとする。
「お前達は“化け物”を追っているらしいが、何があった?」
「……え?」
 両腕で必死に頭を保護しようとしていた男は、腕の隙間からジークを仰ぎ見る。
「答えろ。そうすればこの場は見逃してやる」
 疑うことさえ失念しているのか、男は腕越しに呆けた表情を作り「本当か?」と訊いた。救いを求める信者の目であった。
「む」
 僅かに顎を引き、頷いてやると男の目に希望の光が浮かぶ。そしてすぐさま声をひそめ、「あのな」と口を開いた。
「俺の――いや、もう『あいつらの』か? まあいいや、どうせ俺にはもう関係ない」
 自嘲気味に笑って「“化け物”が人を殺したんだよ」と男は放り捨てるような口調で続けた。
「人殺し?」
「そ。砦にいた連中が殆ど殺られてて大頭はブチギレ、禿げ鼠のアナバはセキニンがどーとかで、俺らを連れてあんたを探しに来たってわけ」
 何かが男の中で吹っ切れたのだろう。訊いてもいないのに次から次へと喋り出す。
「何故そこで、俺が出る?」
「さァ? 俺は知らないね。あの禿げ鼠でもとっ捕まえて吐かせたらどうだ。あんたならできんだろ?」
 ケラケラと笑いながら、男は問いかける。隠しきれないほどの不快感ではなかったので、ジークは表情には出さず「そうか」とだけ返す。
 そろそろ切り捨てるか。
 そうジークが思った時であった。
「――残念だが、あの鼠野郎は尻尾巻いて逃げたよ」
「!」
 言葉と同時に背後から通り過ぎていったのは、一本の矢。
 身を屈めて逃げ出そうとする男は無視し、ジークは素早く背後を振り返る。
「いやはや、ビリーも大したことがない」
 油断なく弓使いに次の矢を番えさせつつ、眉の薄い、片目眇めで小柄な男が横柄な口調で「さて」と前置きを述べる。「私の名は、マーロウ。エリック・マーロウだ」
 眇められた片目にジークの姿を映したマーロウは、「君がジークで、間違いないかね?」と尋ねるが、
「違う」
 真顔でジークは否定する。
「俺の名はアナバ。完全に人違いだ」
「ほう?」
 躊躇いもなく偽名を口にするジークに、小柄な男――エリック・マーロウは肩をすくめただけであった。
「それは失礼した。君があまりにも我々が探している罪人と似ていたものでねぇ」
 マーロウの右手首から先が、跳ね上げるように動いた。
(合図である可能性八割)
(警戒)
「――――」
 声が危険だと報せた時には、既にジークの体は動いていた。
「手が、うっかり滑ってしまったよ!」
 放たれる二本の矢。弾道を読み取り、最適な位置へと動く。
 風切る音をのみ残し、矢は背後で地面に突き立っていた。
「ちィ!?」
 自分の思惑通りに事が運ばず、マーロウは舌打ちしつつ、冷静に次の指示を背後の三人に下す。
「お前はそのまま後ろから弓を射掛けろ。おいトム、遠慮はいらん、捻じ伏せてやれ!」
「俺は?」
「俺の護衛頼む」
 了解、と三人目が答えている間に、ジークと二人の姿が遠ざかり始めている。
「追うぞ」
 逃走劇の第二幕が、騒々しく始まった。


 住宅街から更に北上したジークは、ちょうど宿場街の裏にあたる路地を走っていた。
(まさか、[バーソロミュー]の人間まで現れるとはな)
 予定外といえば、予定外の状況であった。山賊の時と同様、うんざりしていることには何の変わりもないが。
(先日の傭兵どもの一人か?)
(可能性有)
(同意)
(金を騙し取ったことへの報復とも考えられる)
 現状とは全く無縁の場所で、集まった情報の分析に努める声。
(まったく、何故このようなことになったのだか)
(三日前)
 内心で愚痴をこぼしたジークに、声の一つが淡白に告げる。
 全ての原因は、三日前にあの二人と遭遇してしまったことであると。
(……愚痴にまで、無駄な時間を浪費するな)
(了承)
 反論する声を抑制し、ジークは本格的に具体案を捻り出しにかかる。
(あの連中と同じ策が通じる確率は?)
(二割強)
(味方がやられても動じん、ということか?)
(それもある)
(波及効果が予想値を――)
「――おーっ、とお!」
「む」
 二つ奥の十字路から現れる男ら。数は三。
(近接不要)
 声への返答は行動をもって行う。
 男達がこちらに近付くより先に、一区画分近くにあった角へと素早く、身を滑り込ませるように入る。
(いやはや、大した用兵術だ)
(む)
 ジークの目から見て、三人一組で構成された小隊の動きには無駄がない。自分達がどのような役目を担い、どのように動くべきを知悉しているかのような迷いのなさと、整然たる動きだった。実によく訓練されている。
 あの山賊達に比べれば、充分厄介な部類に入ると言えよう。
(だが、そこにこそ付け入る隙がある)
(肯定)
 全部隊の指揮を執っているあの男は、それなりに優れた頭脳を持っているのだろう。それが仇となることに気付けない程度に。
(あの男は、部下を盤上の駒としか扱っておらん)
(同意)
 将棋なら、駒の能力は常に限られている。負傷することもなければ自分の意思で勝手な行動をとることもない。能力を出し切れないなどということもなく、全ては将棋を指す人間の手に委ねられている。
(だが人間は、駒にはなりきれん)
 ましてや、ここは盤上ではない。煩雑たる隘路である。
(そして、彼らが相手をしているのもただの駒などではなく――だろう?)
(む)
 背後から聞こえる足音が、更に増える。
(誘導の可能性四割)
 それはジークも危惧していたことだった。彼ら[バーソロミュー]は二百人もの傭兵を抱える戦闘集団であり、地の利に関してもこちらより先んじている。用兵に長けた者がいると仮定すれば、より具体的な危険が見えてくる。
(攻囲されると厄介。至急離脱すべき)
(同意)
(同意)
(否定。根拠論述、既に包囲されていると仮定した場合、離脱困難)
(同意)
 今回は、意見が分かれる。
(提案、行動選択肢『離脱』排除。『抗戦』及び『打破』推奨)
(排除案指示。だが別種の選択肢推奨)
(言ってみろ)
 聞かされた内容に、ジークは僅かに――ほんの僅かにだが渋面を作る。
(行動選択『殲滅』。“転輪の舞と大気の歌(TReLL)”使用許可を)
(ならん)
 ジークが拒否すると、他の声も一斉に反対する。
(あれは長期戦には不向きだ。後々の行動を考えれば控えるべきだろう)
(同意)
(同意)
(同意)
 次々と上がる否定の声。
(だが、状況が状況だ。“世界を見渡す秘匿の鳥(スパルナ・アディアーヤ)”ぐらいならば已むを得まい?)
(む)
 不本意ではあるが、現状ではそれが最善の選択である以上、行うべきだった。
(使用認可)
(了承)
(準備完了)
 停滞なく行われる確認作業。いつでも実行可能だった。
(さて、残るは使い所だ)


 全てが、自分の想定に沿って動いている――その事実が、エリック・マーロウの表情をにやつかせていた。
「ビリーの部隊はどうしている?」
「まだ市場の方にいるそうです。ビリーにジークとやらがまだあの界隈にいるのだと、ウォルターに虚偽の報告をさせたのが効きましたな」
 片腕に相当する弓手からの言葉で、表情が顕著なものになる。
「獲物は今?」
「確認します」
 と言って、弓手は折り畳んだ紙を結わえた矢を番え、一点の方角へと、風切る音も鋭く放つ。
 程なくして、自分達から見て右手の塀に矢が刺さる。矢羽の辺りには、やはり紙が結ばれている。
「路地裏を北上し、現在は宿場街の方を迷走している、とのことです」
「そうか。ご苦労」
 矢文を用いての迅速な情報の伝達も好調であった。これもまた、マーロウの気分をよくさせる。
(――「矢文ィ? ああ、あれね、うん。知っている。元気いっぱいに言ってくれんのは結構だけどさ、あんたは自分が、どこで何をやるのか分かってるのかい?」――)
 とは、先月の中頃に開かれた[バーソロミュー]幹部会でのビリー・ロングフェローの発言だったが、それをマーロウは内心で嘲笑う。あの時は結局ビリーの意見が理由で矢文を広めることは廃案になったが、有用であるのは現状を見れば一目瞭然ではないか。
(のっぽ野郎め……どちらがギルド一級の戦士に相応しいのか、今日こそ分からせてやる)
 昏い情炎に身を焦がしつつ、マーロウは素早く次の命令書を書き上げる。想定外の行動を起こされぬよう、最低限の注意書きも添えておく。
「アンダーソンとジョナサンに矢文だ。『獲物の逃走方向を北東に修正させろ。返信不要』とな」
「はい」
 二枚、弓手に渡す。立て続けに二本の矢が、隘路を抜け薄曇の空に吸い込まれていったのを確認すると、マーロウは部下達に『行くぞ』と視線で告げる。
「どちらへ?」
「北東だ。追い詰められた獲物を先回りして、この手で仕留めてやる」
 言いつつ、駆ける。体力、脚力ともに自信はないが、それでも並の人間と比べれば速い。眼前を走る部下達との距離も、さほど広がっていない。
「見えました。ウォルターです」
 弓手が示した隘路の先に、マーロウは彼の姿を見出せなかった。弓手の素質とは、弓の腕と目である。
「マーロウ」
 走ってきたウォルターは、軽く息を弾ませながら「向こうの角にいる」と告げた。
「包囲に抜かりは?」
「お前の指示通りだ。通路には均等に人員を配置してある」
 得意げに説明するウォルターに、しかしマーロウは難色を示す。
「均等に? 俺が指示したようにではなくか?」
「い、いや、そうではなくて、だな」
 神経質な人間特有の、痛いほどに張り詰めた空気を引きつれて、エリック・マーロウはウォルターを睨み上げる。
「答えろ、ウォルター・アライアス」
「だ、大丈夫、そう大丈夫だ! そこもお前の言った範囲内だ!」
 部下の面前であるにも拘らず、大声を張り上げるウォルターに釘を刺しておくと、部下を率いて傭兵達の集まる地点へと足を運ぶ。
「――ふむ」
 彼らが封鎖している丁字路の一端は、突き当りしかない横道と宿場街へと通じる道しかない。宿場街の方は北部に向かわせておいたスコットら別働隊が封鎖すべく動いているのだから、今頃あの男はまさしく『袋の鼠』といった状況であろう。
 配置に多少誤差があるのは気に食わないが、一応は自分の指示に従って、上手い具合に追い詰めているようだ。
「本当に、奴はあそこの突き当たりにいるのか?」
「はい。姿までは確認していませんが、そちらに向かうのを何人もが見ていますので」
 適当に相槌を打つ傍ら、マーロウは己の算段が何の滞りもなく進行していることにほくそ笑む。
 宿場街の路地裏は構造上、北と南を押さえれば全く自由が利かなくなる。その点だけ心得させておけば、いかに愚かな田舎の傭兵であってもそれなりの働きはさせられる。
 優れた将とは、このように合理と堅策をもって戦える者を指すのである。
「マーロウ、スコットから連絡だ」
 ウォルターが言った。彼の持つ矢を受け取ると、括り付けられてあった手紙に目を通す。自然と笑みが深くなっていたらしく、「どうした?」とウォルターが尋ねてきた。
「封鎖が完了したそうだ」
「じゃあ、いよいよ……」
 頷く。弓手とウォルターを伴って、
「あー、うん。君は中々に粘り、我々[バーソロミュー]を散々てこずらせてくれた。その点については評価しよう」
 誰も見ていないのに、ましてやジークには絶対見えているはずがないにも拘らず、マーロウは両腕を広げると高揚した口調で口上を述べる。将棋を指す時の悪癖が、こちらでも出始めていた。
「だがね、世の中には君の上を行く人間がごまんと存在している。――それを知らなかったことこそが君の欠点であり、また最大の敗因であったというわけさ」
 得意げな弁舌は尚も続き、果ては先日のアーサー・ニュートンとの将棋の一局にまで話題が及んだ時、マーロウの姿はジークが隠れているという、角の目と鼻の先にあった。
「なに、殺されるわけではない。少々ギルドで取調べを受けてもらった後、しかるべき処罰を受けてもらうだけだ」
 わざとらしく、ゆったりとした声音に靴音を刻むようにして、マーロウは角に手をかける。向こうでは今頃、急に手が生えたような錯覚に陥っていることだろう。
 それではあまりにも哀れなので、引導を渡す際は速やかに行うことにした。
「さて! 大人しく投降してもらおう――」
 マーロウの語気は急速に萎み、表情も同等の速度で曇り始めた。
「っ馬鹿な!?」
 『ジークの眼前で』、マーロウが素っ頓狂な声を上げる。
「ウォルター!!」
 マーロウは、まず背後にいたウォルターに怒りの矛先を向ける。
「奴をこの行き止まりに追い込んだのだろう!? なのに『どこにもいない』とはどういうことなんだ!??」
 この近辺を徹底的に探せ、と部下達へと怒鳴りつけるマーロウの頬に、涼やかな秋風が吹きつけていった。


「――という次第なので、隊長には是が非でも支援に向かっていただきたいそうですが」
「ああ、別に構わん」
 マーロウ達の部隊に付けておいた部下からの求めに応じてやると、ビリー・ロングフェローは声音にも笑気を滲ませ、
「そうか、やはりマーロウは出し抜かれたか」
 と呟き、口に咥えていた鶏の骨を吐き出して笑う。どうもビリーは、マーロウらによる逃走劇が繰り広げられている間中、ずっと露店の前に根を張っていたらしい。彼の足元には、骨の小山が築かれていた。
「驚かれませんね」
「まあ、最初からあの頭でっかちに捕らえられる相手じゃあないと分かっていたからな、ニュートン支部長と俺の意見の真偽を確かめるためにも泳がせてみたのだ」
 と言って、ビリーは次の骨付き肉を口に放り込む。「お前も食うか?」と言ってきたので、一言礼を述べて受け取る。口に運ぶ前に「では、騙されたふりをしていたと?」と尋ねてみる。
「……そ。その通りだ」
 鶏肉を齧り取りながら平然と言ってのけるビリーからは、余裕さえ感じられる。
(……これが、うちの頂点に立つ人……)
 人知れず、ビリーの部下は慄くと同時に、名酒に酔ったかのような気分に浸る。学者が言うところの『栄光浴』というものだ。
「そのおかげでじっくり観察できた。マーロウの奴には、後で報酬から幾らか分けてやらんとな」
「それはまた意地の悪い」
 と言いつつ、部下も笑う。彼のことだ、ビリーから何かを受け取らざるを得ないとなれば、相当な屈辱の念に駆られることだろう。その時はその時で、また今回のように、当て馬なり陽動役なりを、本人が気付かぬよう宛がってやればいい。手柄は全て、ロングフェロー隊が獲得するのだ。
「奴のお堅い策で確信が持てた。常識を打ち破れるのはこの世にただ一つ、非常識だけだ」
「と、言いますと?」
 控えめに、部下は尋ねる。彼は、生まれてから一度もアルトパ地方から出たことがなかった。

「やはり奴は、魔導師だよ」

「……は?」
 自信満々にビリーが言うので気付くのに遅れたが、彼の言葉には一つ、未知の単語が含まれていた。
「ビリー。その、魔導師というのは?」
「ん? なんだ、知らんのかお前」
 そう言って、ビリーは口に含んでいた鶏の腿の骨を、忌々しげに勢いよく噛み潰した。
「魔導師ってのは、正真正銘の“化け物”どもさ。それこそ姿を晦ませたり、一軍をぶっ潰してしまえるほどにな」


 頃合は既に昼過ぎ。日輪は既に天頂を逸し、西の山へと誰にも気付かれることなく傾いていく。
 ジークの姿は、ランドール家の営む宿屋の前にあった。
(よもや、このような辺鄙な土地で三種も魔術を使う破目になるとはな)
(回数としては四度だ。世界を見渡す秘匿の鳥(スパルナ・アディアーヤ)”を二度使用している)
 という指摘を受けて、ジークは余計に陰鬱な気分になる。傭兵の家を襲撃した時の方は兎も角として、先刻の一件は不本意以外の何ものでもなかった。
(下らん)
 その一言で瑣末な感情も思考も廃棄して、ジークは素早く宿屋に入った。
「お、おかえり……」
 食堂に赴くと、食事中だったらしい夫妻がいた。
 ミュレの姿は、やはりない。
「頼んでおいた買い物は?」
 速やかに、ジークは用件を突き付ける。ハロルドはどこか及び腰ながら、それに応じた。
「あ、ああ、終わってるよ。部屋に置いてある。後で確認しといてもらえるか?」
「む」
 頷いたジークが食卓に着くと、ハロルドが水差しから自分の杯に注いで彼に渡し、ヒラリーがいそいそと台所へと向かった。
 香ばしい、川魚の焼ける匂いが立ち込めるまでの間、ハロルドが何かにつけて話しかけてきたが、全てジークは無視していた。意図的にミュレを避けていたのが丸分かりであった。
「ほい、お待ちどうさん」
 野菜が少々、小さな川魚が二尾、それに硬いパンが一つがジークの前に並べられた。
 一言も発さず、淡々と全て平らげるのかと思ったが、何故かジークは野菜とパンだけを腹に収め、
「偏りがあるな」
 と意味の分からないことを呟くや、
「ミュレに話がある」
「!」
 ランドール夫妻の顔色を、絵筆でもって刷いたかのように変じさせたのだった。
「今朝も姿を見なかったが、ミュレはどうした?」
「いや――」
「ああ、そーいや言ってなかったね。あの子ったら夕べから風邪ひいちゃってたんだよ」
 悪びれた風もなく、ヒラリーは「あまりにも熱が酷いもんだから、あんたにゃ内緒にしといてくれって言われてたけどね……うんまあ、あんたの熱心さにあたしゃ負けたよ」と、立て板に水をかけるかの如く言ってのける。
「……む、そうか」
 僅かに間を空けたジークは、先刻の問いかけと寸分違わぬ語調で、

「そうしてミュレを売春婦に仕立て上げてきたことを隠してきたか」

 聞き洩らしのないよう、そう言ったのだった。
「……は?」
 まずハロルドが、口をもごもごさとさせ始め、
「やれやれ、藪から棒に何を言い出すかと思ったら」
 続いてヒラリーが、夫を庇うようにしつつ、呆れた様子で訊き返す。
「どこの誰だい? あんたにそんな突飛な与太話吹き込んだのって」
「奴は俺に全てを話して死んだ」
 全く間を空けずに、ジークはヒラリーへの返答ではなく、己の発言を続けた。ヒラリーの口の端が微妙に歪んでいるのをジークは見逃さなかった。
「殺したのはこの町の傭兵達だった。幸いにしてその一人と接触できた俺は、そいつからも話を聞き出すことができた」
「ほ、ほぅ……?」
 顎を上げ、若干震えた声でハロルドが言った。無理にでも余裕を感じさせようとした彼の思惑は、妻に鳩尾を肘で鋭く突かれた時点で完全にご破算となっていた。
 真綿で首を絞めるよう、外堀から埋めていくよう、ジークは淡々と言葉を並べていく。
「『旧アルトパ役人会』――この名に、覚えがあるはずだ」
「さて、ね。どこぞで聞いたようなきもするけど」
 情けない夫に押し付けた肘もそのままに、ヒラリーは顎へ指を沿え、大真面目に考えているように見えた。
 ハロルドの肩が、アケビが爆ぜるように震え、ヒラリーの眉が僅かに動いていたことを確認していたジークは「そうか」と簡潔に述べて、先を紡ぐ。
「自国を奪ったと、リグニア王国に根深い恨みを抱いている連中とどのような接点があったかまでは知らんが、売春紛いの隠れ蓑に選んだ目は正しかったな」
「い! 言いがか――」
 り、という言葉は、隻眼の光に射竦められた。
 淡々と続けられる言葉は一切の反論を許さず、ただ一方的に続けられる。
「そうした人間と結び付かざるを得なかった理由は、お前達のみで行うには集客や建物の維持に限界があったから。特に『旧アルトパ役人会』と手を組んでいる[バーソロミュー]は顧客口としても邪魔者を排除する際の道具としても有用だったから。違うか?」
 今度こそ言葉もなく、ただ肩を震わせてハロルドは俯いていた。ジークは、完全に止めを刺したのだった。
「……あれぐらいしか、あの子にゃ使い道がなかったもんでね」
「おまえ!?」
 驚愕するハロルドに「ここまでバレてんだ、今更隠してても仕方がない」とヒラリーは諦観の笑みを浮かべて言う。
「さっきの言葉に穴でもありゃ、そこをつついて騙くらかしてやろうかとも思ったけど、全部暴かれたんじゃどうしようもないさね」
 ぐう、と呻いて項垂れる夫を他所に、ヒラリーはジークを見据えると、その笑みを深くする。
「あんたの言う通りさ。あたしらは宿屋じゃあなく、あの子を、自分の義理の娘を食い物にして生活している」
 嫌な笑みだった。どこかで自分の勝利を信じて疑わない者が浮かべる種類の笑みだった。
「こんなにボロッちい建物なんかが、まさか娼館じみたことをしてるなんざ誰も思わないから人目を憚らず、しかも最後まで愉しめるって寸法さ――どうだい? 中々うまいことになってるだろ? 『旧アルトパ役人会』にゃ上納金とかも含めて格安でヤらせてるし、誰からも文句は出ない」
 卑猥な身振り手振りも交え、ヒラリーは心底からおかしげに笑ってみせる。

「――それで?」

 夫とは違い、微塵も平静さを失わずにヒラリーは「それで、あんたはどうだってんだい? 仲間が殺されたからって、あたしら相手に復讐しようってかい?」と僅かに緊張の混じった声音で問う。ジークの腰では、長剣の鍔が鈍い光を放っていた。
「仲間ではない」
 これにもジークは即答する。
「歳の割に向こう見ずで先見性がなく、無知で経験浅く、目先の利に囚われやすく、非力にも拘(かかわ)らず独善に浸りきった、一言で言えば愚か者だったが――」
 酷評の果てに、ジークは「だが」と逆説の語を口にする。
(――「あんたの手で、今度こそ、ミュレさんを……まっとうな、道 に――」――)
 最期の瞬間まで己の選んだ道を――人間を信じて逝った男の顔が、再びジークの頭を過る。
「――遺志を汲んでやってもいいぐらいには、敬意を払うに値する人間だった」
 それまで抑えられていた声達が、一斉に意見を発する。
(疑問)
(疑義)
(非論理的思考は排除すべき)
(六番に同意)
(同意)
(同意)
(同意)
 頭が割れんばかりに奔出する声を、
(黙れ)
 ジークは、その一言で沈黙させる。
 ここまで来ておいて踏み止まるのも業腹。やるのならば徹底的に、最後までやり通す。
 それが、ジークが最良ではなく、最善のものとして選択した道であった。
「故に俺は、お前達に真相を問う」
「ふぅん」
 鼻を鳴らすと、ヒラリーは「ま、あたしらにはどの道もう関係のない話さ」と返す。開き直ってしまえば、何も恐れることはないと考える人間の態度である。
「あたしら、何だかんだでもう充分儲けたし、危ない橋を渡るのは最後にするって決めたのさ」
「お、おまえ」
 制肘せんとするハロルドを無視し、ヒラリーは平然と放言する。
「さっきミュレを、市場で質草として売ってきたのさ」
 あの御者ならば、己が耳を疑いたくなるような内容を。
「おい! それは喋ったら――」
 言葉が途切れる。己の愚かさを、ようやくハロルドは自覚したらしかった。
「我が夫ながら情けないね。まあ、本業から遠ざかって怠けてたんだから当然か――いや、まあどうでもいいかね」
 ハロルドにつられてか、ヒラリーも愚痴をこぼす。
「何でそんなことをしてきたかと言うとね、正直、あの子はあたしらの手にゃ負えないんだよ。何せ多くの人を殺した罪に問われ、果ては義理の親まで真っ二つに捻り殺しちまった正真正銘の“化け物”だ。二万クランぽっちであの子を引き取ったことを今でも後悔してるよ」
 もっとも、あれで今の宿が建ったんだがね、と皮肉を交えるヒラリーの言を無言で聞き取っていたジークは、静かに口を開いた。
「――それについて一つ、分からんことがあった」
「何だい?」
 立場も言葉もない夫の横で、どうでもよさそうにヒラリーが応じる。
「商売上不利な情報であるはずの、ミュレの過去の代名詞とでも言うべき“化け物”という単語や人殺しであるという噂を町に広めるばかりか、手枷を付けて町中を歩かせる必要があった? そうせざるを得なかった理由とは何だ?」
「ああ」
 鼻で笑うように、ヒラリーは相槌を打つ。
「あの子は、あたしらと連中の楔だっただからねぇ」
 曖昧な言葉だった。情報を小出しにして相手を誘い、主導権を握ろうとする商人のやり方であった。
「どうする? この先を聞くかどうかはあんた次第だけど」
 余裕が生まれているのだろう。ヒラリーの表情からは緊張が薄れつつある。それにおそらくだが、調子付いている。
「……言え」
 内にざわめく声を黙らせ、ジークは平坦な声で促す。ヒラリーは肩をすくめてジークを見据え、平然と言い切った。
「考えてもごらんよ。そもそも『旧アルトパ役人会』の連中が、何であたしらみたいな取るに足らない行商人と対等な関係を許したと思ってんだい?」
 この時点で、ジークには想像がついていた。
「ミュレを、まずそこで利用したのか」
「正確には『味見させた』のさ。あの子ってば何考えてるかさっぱりだけど、顔とカラダに関しちゃどんな田舎娘も敵いっこないからねぇ。全員一発で首を縦に振ってくれたよ」
 ほんと、男ってやつは枯れかけてても変わんないねぇ、と揶揄するヒラリーは、夫の方に視線を流す。視線を逸らしたハロルドも、どうやら彼女の言う『男』の一人であるらしい。
「で、こっからが肝なわけさ。そんな極上の一品であるミュレを、どうやって連中に奪われないようにするのか、そしてどうやって連中相手に強気に出るのか――あんたなら、もう分かってんじゃないのかい?」
「それが俺への答えか」
 ミュレが“化け物”だという噂を利用し、『旧アルトパ役人会』を脅したのだろう。ミュレが“化け物”として有名になって一番困るのは、『旧アルトパ役人会』に他ならないからである。
 その最たる理由として、『旧アルトパ役人会』が地下組織であることが挙げられる。たとえ暗黙の了解で守られている売春行為とはいえ、倫理的観点などから彼らを摘発する口実を領主に与えてしまうことになる。
 しかし、かといってミュレの行動を制限しようにも、彼女はランドール夫妻の言うことにしか反応を示さない。となれば、必然的に粉なり圧力なりをかける相手はこの夫妻だけになってくる。
 しかも、更にたちの悪いことに、もしも夫妻が死んだ時、ミュレがどんな行動に出るのか全く予想もつかないのだ。町の経済を裏で操る怪物たちでさえもが、親殺しの業を背負い、、小国一つ滅ぼしたという大袈裟な噂さえ耳にすることもある“化け物”ミュレが怖いのだ。
 それらを知ってる夫妻は、だからこそ“化け物”の象徴でもある手枷を嵌めたミュレを歩き回らせていたのである。。彼女の行動一切を握っているのはこちらであるという、夫妻からの暗黙の主張である。
 ――そして何より、手放すには、殺してしまうには、ミュレという少女のカラダは非常に勿体ないのである。高級娼婦としてではなく、極上の人形として。
 何度でも使える魅力的な商品にして恐怖の対象たる“化け物”少女ミュレをコントロールするには、彼女の親である夫妻の言うなりになる他ない。その苦しい板ばさみに、『旧アルトパ役人会』は陥っていたのである。

「相手はこの町の裏を知り尽くした『旧アルトパ役人会』、あたしらにしてみりゃ本当の“化け物”どもの巣だ。そんな奴らをちっとでも牽制できる切り札は、あるに越したことはないだろう?」
「利用できるものは、家族であれば全て利用すると――そう言っているのか?」
「察しがいいねぇ。あんた、うちのより商人に向いてんじゃないのかい?」
 ジークの発した一言に機嫌をよくしたのか、ヒラリーは気安く歩み寄ってくる。自分は殺されないという根拠のない、ふてぶてしい考えが露骨に表れていた。
「…………」
 溢れ出そうな声を抑え、ジークは重々しく口を開く。
「最後に問おう」
 隻眼に商人だった夫妻を映し、ジークは言葉を紡ぐ。
「ミュレは、自ら望んで売春婦となったのか?」
 最後の最後で、彼にとっては最も重要である、この問いを。
「さあ? 考えたこともなかったねえ」
 しかし、そんなことなど歯牙にもかけないヒラリーは、やはり平然と答えるのであった。
「さっきも言ったろ? あの子が何考えてるかなんて全く分かんないけど、こっちの言うことだけはちゃんと聞くんだ、利用できるだけ利用し尽さないでどうするって――」
 不意に、ヒラリーの体が真横に突き飛ばされ、
「っごぇ!?」
「あんた!?」
 彼女の眼前に、ちょうどジークとの間に身を割り込ませたハロルドがジークに殴られていたのだった。
「――違う」
 去り際にそんなジークの言葉が聞こえたような気もするが、夫婦にはそんなことに感けている余裕など微塵もなかった。
 振り抜いていた右拳を下ろすジークの顔は、過去に夫婦が見てきた、どのような人間のものとも合致しなかった。
 冷厳たる眼差しと声音の奥に垣間見る、全てを焼き尽くしかねない激情――言うなれば、冷たく燃え上がる憤怒が存在することを、ランドール夫妻は初めて理解した。


 陽は傾き、涼しさの中に秋の夕暮れが遠からぬうちに到来することを予感させていた。
 頃合は昼過ぎ。食事をとらんとする商人達で賑わう市場の一角たる路地裏に、異質なざわめきが再び起こる。

「――冗談は大概にしろっっ!!」

 ビリー・ロングフェローは、彼女の唐突な発言に部下の面前であることも忘れて激怒した。
「いいえ。わたしは至って真面目ですし、それに正常です」
 ふざけるな、という彼の怒声を表情一つ変えずに受け流し、長大な布包みを抱く、軽装の甲冑姿の彼女――レオーネは、三つ編みにされた薄紫の髪を手櫛で丁寧に梳いていた。
「いきなり現れるなり、『全傭兵はわたしの指揮下に入れ』などと言い出す奴が、果たしてまともだと言えるのか?」
 これは、ビリーと同じく召集令がかけられていたエリック・マーロウのものである。レオーネの言葉は、彼にも向けられていたのである。
「頑迷な方々ですねぇ」
 鈴を転がしたかのような声に呆れた響きと――僅かに嘲笑を込めたレオーネに、アルトパでも一、二を争う傭兵二人がそれぞれ拳を握り締める。
「納得がいかないのでしたら、どうぞ何度でもご覧になって下さい」
 そう言ってレオーネが見せる一枚の上等な紙には、二人分の署名と印、そして先刻の彼女の言い回しを難解にした上で長々と書き連ねられた一文があった。
「傭兵ギルド[バーソロミュー]アルトパ支部の管理責任者、アーサー・ニュートン氏と『旧アルトパ役人会』代表であるロバート・マーティン様の両名より、今のわたしは[バーソロミュー]アルトパ支部に所属する全傭兵を指揮下に置ける権限を頂いています。……よもやそのお二方に、貴方がたは噛み付かれるつもりですか?」
 レオーネの笑みは複雑であった。彼女の主が思い描く通りに物事が進む様を見たい反面、どこかで彼らに期待しているのであった。
「……ふざ、けるな」
 反骨の光を眼に宿し、ビリーが忌々しげに吐き捨てる横で、マーロウが始めて彼の言葉に同意する。
「お二方の言葉が真実だとしても、我々を差し置いて外地の人間を――それも女を重く見るなど不可解極まりない。いずれにせよ、貴様の言など信じる価値はない」
 そうした旨を受けたレオーネは「なるほど」と呟く。
「それでは、貴方がたはあくまでも抗われると、わたしの下で働かれることを拒むのだと仰るのですね?」
『当然だ』
 そして、ビリーとマーロウは、そんな彼女の期待に応えてしまう。
「……分かりました」
 俯いたレオーネは、誰にも気付かれないほど僅かにだが、笑みを深くする。
「では、至極単純な方法で決着をつけましょう」
『?』
 怪訝な顔の男二人を前に、レオーネは手に持つ長大な包みの封を解く。
 はらりと宙に舞う布の下から現れ出たのは、武骨な拵えの、三叉に枝分かれした穂先を有する槍であった。
 唐突でさえあったかもしれない状況に、しかし男達は脊髄反射で歴戦の傭兵に戻る。
「どちらでも構いません。わたしと戦い、打ち負かすことができれば前言は全て撤回いたしましょう」
 にっこりと浮かべた微笑みを、レオーネは二人に向けるのであった。
『…………』
 一切の合図もなく、ビリーとマーロウの視線が重なる。
 どちらが先に挑むか――構図を考えれば腹立たしいことこの上ない話であったが、その辺はきっぱりと削ぎ落とし、二人は頭を巡らせる。
(さて、どうしてやろう)
 マーロウは、自慢の頭脳を働かせる。
 部下の面前である以上、そして自尊心に懸けて、ビリーの二番手に甘んじるのは憚られた。
 ここは、多少の危険に目を瞑ってでも一番手に名乗り出るべき――という考えが、まず一方。
 しかし、『多少の危険』に見落としてはならない要素があるのも、また事実。
 マーロウがそうした考えを抱くに至った原因とは、『完全武装した女性』という、まず彼の人生を振り返って見たとしても出現することのない人物像であった。
(はったりにしては、あの貫禄は……いや、まさにそれこそが演技では――)
 エリック・マーロウの思考は長い。彼の堅策はこのように時間を費やして練るのだが、同時に禍を為す場合も少なくはない。
「――まずはこの俺、ビリー・ロングフェローが出よう」
「!」
 意外だった。純粋にマーロウは、予期せぬ出来事に目を見開いた。
 およそ間違いなく、自分と似たような思惑を巡らせているはずのビリー・ロングフェローが、目の前に立っているのである。
「お前……」
「ん? どうしたマーロウ。男の声援なぞ気持ち悪いから俺はいらんぞ」
 などと茶化すビリー。彼と親しい傭兵達も、口の端に笑みを滲ませている。
 どう返答したものかとマーロウが頭を捻り始めた矢先に「何でもないなら話しかけるな」とビリーは切り捨て、彼に背を向けた。
(そうそう、そのままでいてくれよ、マーロウ君?)
 ――そう、ビリーにはビリーの思惑があったのである。
 長らく各地を転戦してきたビリーの経歴は伊達ではない。彼女がただ者ではないことも、直感的に見抜いていた。食堂の娘にできて彼にできない道理はない。
(そんな奴を相手に、俺が退く理由はないよなぁ)
 腹筋に力を込め、ビリーは真っ直ぐにレオーネを見据えて思う。
(何せ俺は、支部第一の戦士だ。その俺が、他の誰にも後れをとってなるものか)
 思うのは、何よりの矜持と自尊心。ただ、それだけ。
「まずは貴方ですか」
「ああ」
 頷き、ビリーは高らかに名乗りを上げる。
「傭兵ギルド[バーソロミュー]アルトパ支部第一が第一の戦士! ビリー・ロングフェロー、参る!!」
 裂帛の一声は路地裏を通り抜けて、その場に居合わせる者達全員を震わせる。
「……ご大層な名乗り、ありがとうございます」
 無論、彼女も。
「では、わたしも騎士道に則りまして――」
 ビリーの背筋を、何かが滅茶苦茶に走り抜けた。
(違う)
 自信を持って断言できた。体は右肩が前になるよう開き、いつでも必殺の刺突を放てるよう、体に力を溜める。
 目の前にいるのは、全くの別人であった。
 外見は変わらない。口調も変わらない。浮かべている微笑も、全く変わらない。
 ただ、身にまとう雰囲気だけが、変わっていた。
 何ものにも揺らぐことのない剛の存在感と、何ものさえも包んでしまいそうな柔の存在感。
 それら二つを漂わせ、レオーネは初対面の人間が必ずそうするように、和やかな声音で告げる。
「私はレオーネ・ガリバルディ。【翻る剣の軍勢(レ・コンキスタ)】が一角を担う者です」
「っな――」
 息を呑むマーロウの面前で、戦いは始まった。


 すれ違う者、出くわした者全てを退ける雰囲気を全身にまとい、ジークは宿場街の通りを歩いていた。
(……何故俺は、奴を殴ろうとした?)
 胸中に一つ、輪郭さえ捉えられない黒々とした感情を抱えたまま。
 ヒラリー・ランドールを殴らんとしたことについて、皮相的な原因が直情にあることは、既に突き止めてあった。
 どうしても分からなかったのは、何故理性が、不利益しか生まないはずの直情を抑制できなかったのではなく、抑制しなかったのか、という点である。
(不快感が一定値を超えたことに起因すると推測)
(同意)
 試しに解答させてみるが、全てが予想内の、期待外れのものばかりであった。
(内情を露見させる必要性は皆無だったはず。釈明要求)
 それどころか、こうした非難までが湧出する始末である。
(素直に認めてしまえばどうだ)
(…………)
 例外たる、この声を除けば。
(認める、だと?)
(そうだ)
 余計な飾りなど省き、声は一直線に伝える。
(お前がヒラリー・ランドールを殴ろうとした理由があるとすれば一つ。それは自己嫌悪だ)
 歩みが止まる。肩から下げたずだ袋を持つ手に、力が篭る。
(自己嫌悪……)
 ジークは、他ならぬ己より与えられた言葉を復唱してみる。
(奴に、己の嫌な部分でも見たか?)
(何を馬鹿な)
 ジークは反論しかけたが止める。黙らせることはできても、取り繕える相手ではない。
(自己嫌悪、か)
 再び――だが今度は明確さを伴わせて――ジークは胸中で呟いた。
 紛れもなく、自己嫌悪で殴った。――そう認めてしまうのは何故か癪だったが、他に名付けるべき状況や感情が浮かばなかった。
 ヒラリー・ランドールの言葉は、全てジークの信条とするものに符合すると言って過言ではなかった。一部に至っては、肯んじることさえあったかもしれないほどに。
(――「利用できるものは、家族であっても全て利用すると――そう言っているのか?」――)
 考え抜いて選んだ言葉ではなかった。あれは他でもない、ジークが独り旅の中で自然と身に付けてきた考え方の一つだったのである。
 利用すれども寄らず、利用されども寄らせずという、孤立にして孤独の道。必要とあれば金品をばら巻き、虚言を弄し、脅迫も暴力も躊躇せず行使し、外道の呼び声も辞さぬ修羅の道――それが、ジークの選んだ道なのである。
(自己嫌悪の念が発生する理由不明)
(同意)
 何があっても本懐だけは遂げねばと覚悟を決めて臨んだのだ。嫌悪や後悔の念など浮かぼうはずがない。
(我らが選択は最良ならずとも世俗通念の理非をも包含して『最優』。故に真の合理に徹し、最善たる選択を可能とす)
(待て七番、それは――)
(七番の供述に同意。彼の者らも近似した思考形態を有しているに過ぎない。嫌悪の念など湧出する理由皆無)
(同意)
(同意)
(同意)
 黒々とした感情を合理の下に圧殺せんと、頭は無数の言葉を紡ぐ。
「…………」
 歩みは止まず、されど行く先は定まらぬジークの足取りは、重くも不安定。
(分からん。……いや)
 原因は、分かっていた。分からないのは、何故『それ』が生じているのかということ。
 声の多くが言うように、理屈で考えれば自己『嫌悪』の情など湧くはずがない。仮に不快だと思ったとしても、適当に聞き流し、後は一切関わらないようにすればいいだけのことである。
(……何故俺は、ミュレのことを考えている? 何故ミュレを気にせずにはいられん?)
 透明な黒色とでも表すべき感情は未だ収まる気色なく、尚も暗雲のごとく立ち込めている。
(――まだ、そんな下らんことに懊悩しているのか)
(む?)
 声が、無数の意見を押しのけて言った。
(考えてもみろ、我々は何のために存在する?)
 その声に含まれているのは、焦燥と怒り。
(我らは、八割強を超える脳の未使用領域を十全に――)
 遮る声を、更に切り捨てる。
(ごまかしはいらん、答えろ)
(二番……)
 思わず指先をこめかみに宛がい、ジークは追及する声――二番に答えた。
(常に最良ならずとも、最善の選択を見極めるべく、俺が創造した)
(では、『最善の選択』とは何だ? 誰が決めるのだ?)
 間髪入れずに、二番は追求してくる。

(――お前が、全て決めることだろうが)

 ジークの歩みが、初めて止まった。
(我々『分割思考』は、その性質の側面上『主観による善悪』を自動的に判断基準から排除する。だがお前にはそんな真似はできない。合理性や理屈を何よりも尊重し優先しようとも、お前という人間は己の根源的な感情だけは動かし難い――こんなこと、他ならぬお前自身ならば分かりきっていることだろうに?)
 ジークは、何も言わないことで二番に頷いてしまった。
 ――本当は、分かっていた。
 道理や理屈から目を逸らし、感情に走れば理非を見落としてしまうが、逆に感情を排せば軋轢に身を苛むこととなる。
 それこそ、今の己のように。
(……だが、それに何のことがある)
 だとしても、歩んだ道を悔いることなどしない。
 自身が決して万能ではないことなど――どこまでも研鑽を積み練磨しようとも、できることに限りがあることなど重々承知している。そこを超えようとするのは愚者の行いである。
 ならば、その限られた範囲内においてでき得ることにのみ全力を費やすことこそが『最善』の選択であると、ジークは決めていた。
(あれしきのことで惑いの感情が湧くとは……まだ未熟だということか)
(同意)
(同意)
(お前……)
 二番が何か言いかけた矢先、『彼ら』に一人の男が声をかける。
「ま、待ってくれ!」
「む」
 声の主は、今後一切の関わりがないであろうとジークが無意識に断じていた、ある夫妻の片割れ。
「待ってくれよ、なあジーク!」
 天下の往来で名前まで大音声で喚かれては困る。仕方なしにジークは、追い縋るハロルド・ランドールへと振り返った。
「……何の用だ」
「いや、あのよ……」
 言い辛そうに口をもごもごさせて、ハロルドは打ち明ける。
「あいつを、俺の嫁を……許してやっちゃくれねえでしょうか?」
 何故か途中から敬語になっていたので不思議に思っていたが、どうも目つきが悪くなっていたらしい。努めて無表情を装い「どう意味だ」と追求すると、ハロルドはごまかすかのように頭を掻き掻き口を開いた。
「いや、腹立つのは分かるよ。うん、あいつが、ああいや俺らがミュレやあの男にしちまったことを考えりゃ、当然のことだからな、うん」
 こいつは俺にすり寄ろうとしているのか? ならばどういうつもりだ――無表情の下で勘ぐりつつ、ジークは先を促す。
「……あいつがあんな風になっちまったのは、全部俺のせいだったんだよ」
 そう語るハロルドの表情は、暗い。
「俺は行商人の頃からずっとヘマばっかしてからな、あいつはそんな俺の甲斐性に心の底じゃ嫌気がさしてたんだろう」
 どこか陰のある表情のまま、ハロルドはここではない遠くを見た。
「いつも俺の尻拭いばっかりさせられてたあいつは、いつの間にか形振(なりふ)りさえ構わねえような、金の鬼になっちまっていた。儲かりさえすれば拾った子どもが助平な男どもの手で汚されたって心が痛まねえ、銭の亡者に」
 ミュレを手放したことで口が軽くなっていたのは、どうやらヒラリーだけではないらしい。
「だ、だからよ? あいつぁ何にも悪くねえんだ。当然の帰結っつうか何つうか……兎に角――」
「それで、お前はどうするというのだ?」
 要領を得ないハロルドの言に、ジークは苛立ちも露に口を開く。
「あの女を庇い立て、この場で俺に斬り捨てられるつもりか?」
「違うっ!」
 それまでとは違う、力の篭った視線と言葉に、ジークは僅かに意外さを覚えた。
「そうしたいのならしてくれたって構わねえ! だがその前に、少しだけ俺の話を聞いてくれ!」
「む……」
 鬱陶しいと思うジークの目の前で、ハロルドは腰から身を折り曲げ、深々と頭を下げた。
「ミュレを、救ってやってほしい……!」
 雑踏のざわめきを貫き、ハロルドの言葉は確かにジークの耳には届いた。
「無茶苦茶なこと言ってるのは分かってる。だが仕方ねえんだよ。嫁の目が光ってる以上、家の金を持ち出してミュレを買い戻すことはできねえ! 俺一人が力づくで取り返そうととすりゃあ、それこそ返り討ちだ!」
 ざわめきが広がりかける中、「分かるだろ!?」とジークにハロルドは理解を求めた。
「俺ぁ非力なんだ! 俺なんかじゃあミュレの力になってやれねえんだ! なあ! 分かってくれよ!?」
「断る」
 搾り出すような声を切り返したのは、冷徹なジークの声。
「は……?」
「以前、貴様の言ったようなことを俺に求める輩がいたが、何故俺が、そのようなことをせねばならん?」
 そう答えたジークの姿を見るハロルドの表情は、驚愕に満ちたものであった。
「助けたければ、貴様が自力で助けてやればいいだろう」
「え、いやだって、だから――」
「選択の余地があるだけ、貴様はまだ恵まれた状況下にあると思うが?」
 余計な意見は挿ませず、ジークは質問で相手の思考を限定させる。
「そ、そりゃあ……」
 ハロルドは、見事に術中に嵌まっていた。ジークへと真っ直ぐに視線を向けようとしていたが、どうしても上手くいかないようであった。
 あと一押しである。
「そうだな」
 そう確信していたジークは、考える素振りをしてみせつつ言葉を繰る。
「貴様がこの場で俺に土下座しながら先ほどの言葉を再度言えば、考えてやらんでもない」
 ざわめきが、人から人へと波及していくのがハロルドにも理解できた。
 ジークが出した案は、皮相的な屈辱しかないわけではない。自ら行った土下座と、他人に強制された土下座では、屈辱の度合いが天と地ほども違うのだ。
 それを承知の上で、ジークはハロルドに土下座を命じたのである。周囲から非難の視線が向けられるのも無理はなかった。
「やらんのなら別に構わん。俺の返答はいずれにせよ、一つだからな」
 お前次第だ――ジークが暗に含むこの言葉が、ハロルドに火を点ける。
「――分かった」
「む」
 ジークの眼前で――いや、道行く町の人間や行商人達までもがこちらを見ていることも意に介さず、ハロルドは両膝と両手を地に付けると、寸刻の躊躇いもなく頭も擦り付けた。
 天下の往来で、ハロルドはジークに土下座したのである。
「これで、いいんだな」
 同じ土下座でも能動と受動では屈辱の度合いが大きく違うというのに――その差を踏み越えて、男は額に土を付けたのである。
「ミュレを、救ってやってほしい」
 土下座の姿勢を一切崩すことなく、ハロルドはもう一度、同じ内容をジークに懇願するのであった。
(む)
 所々で行商人らによる小さな拍手が聞こえる中、ジークはハロルドが予想通りに動いていることを確認し終えた。
「――分かった」
 地面に弾かれるようにして立ち上がった男の顔は、泥と鼻水で汚れてはいたが、紛れもなく希望に満ちた笑顔であった。
「貴様の熱意には負けた。契約を結ぼう」
 そう述べるジークの手を樵のような逞しい両手で握り締め、ハロルドは何度も「ありがとう」と繰り返した。
「ただし、条件がある」
「?」
 ジークに促されるまま、ハロルドは人目につきにくい、店の脇にある隘路へと入った。
「条件は二つだ」
 ハロルドの前に、ジークは突き出した右拳から、二本の指を立てた。
 まず、人さし指を折り曲げる。
「一つは、俺がどのような手段を講じようとも一切の口出しをせんこと。後々に問題があったと騒がれては敵わん」
「わ、分かった。約束しよう」
 念押しを済ませたジークは、中指を折り曲げる。
「二つ目は、ミュレを人買いから奪還した後、俺は奴の面倒の一切を看ないということだ」
「――え?」
 完全に予想すらしていなかったらしいジークの条件に、ハロルドは間抜けにも口を半開きにしたままであった。
「貴様が求めたのは、あの娘の身柄の安全だ。その後のことなど気にかける義務がないのは当然のことだ。――無論、義理もな」
 無常にもジークが付け加えた一言に、またしてもハロルドは表情を曇らせた。
「だ、だがよっ、それじゃあミュレの安全――」
「『ミュレを救ってやってほしい』――そう言ったのは貴様だ。ミュレの奪還は確約する。だが、その後奴がどうするかは奴自身が選択することだ。俺は一切口出しせん」
「が……ぐぅ」
 間髪入れぬジークの反論に、ハロルドは言葉を詰まらせる以外に何もできなかった。
「嫌なら俺に頼るのは諦めろ」
 ジークは、頑として聞き入れる気配はない。かといって、
「……分かった。それで構わない」
 ハロルドはポケットへ手を突っ込むと、何か書き込まれてある、しわだらけの紙片を取り出した。
「ミュレはここにいる。連中の話じゃ、取引相手が来るのは三日先だからまだ間に合うはずだ」
「む」
 渡された紙に書き殴られた内容を素早く記憶に刻み付けたジークは紙片を返す際に気紛れから「お前はどうする?」と訊いた。
「どの道、『旧アルトパ役人会』を裏切った時点でこの町にはいられんからな。今日か明日にでも荷物をまとめてどっか別の町か村へ逃げるさ」
「む、そうか」
 妥当と言える案だった。一介の商人が、あれだけの組織を相手に回して無事で済むはずがない。楽な道のりではないが、生きていれば先はあろう。
「だから女房は、今頃荷造りに追われてる真っ最中だ。目を盗んであんたを探すのには困らんかったよ」
 自分の妻を出し抜いたことに何を思っていたのか、暫し顔に笑みを刻んでいたハロルドは、すぐさま真剣な表情に切り替える。自身の表情が相手に与える影響を忘れかけていないところを見るに、まだ商人としては腐りきっていない。
「ジークさんよ」
「む?」
 岩のような手が、再びジークの手を握った。
「俺達夫婦があんたやミュレに会うことは、もうないはずだ。……ミュレだって、自分を捨てた奴らなんかとはもう会いたくないだろうしな」
 自身を卑下しながらも、ジークを見据えるハロルドの視線は揺るがない。「だ、だからよ」
「あいつを今助けてやれるのは、あんたしかいねえ。あんただけが、あいつの力になってやれるんだよ。身勝手なことを言ってるのは承知の上だが、頼む、必ずミュレを救ってやってくれ」
 そう言葉を残し、何度も何度もこちらを振り返りつつ男が立ち去った直後、二番がジークにだけ聞こえる声で言った。
(――それで、お前はどうするね?)
(已むを得まい)
 鼻を鳴らし、ジークも宿場街に出た。。
(土下座までさせて無視するのは寝覚めが悪い。それだけのことだ)
(そうか)
 風が、吹いてきた。
 乱れる銀髪を撫で付けつつ、ジークが向かった先は、西。


 [バーソロミュー]の傭兵達の中で、言葉を失わずにいられる者は誰一人としていなかった。
「納得していただけましたか?」
 地面に倒れ伏すビリーへ、勝者たる女性は悠然と語りかけた。息一つ乱さずに、額に薄く浮かんでいた汗を指先で拭い取る。
「グぅ……っ!」
 満身創痍の体に鞭を打つかのように、ビリーは立ち上がろうとするのだが、歪に捩れた右膝は彼の思うように動いてはくれず、結果としてビリーは鎧を軋ませながら再び崩れ落ちた。
「もういい、もう止めろビリー!」
「マ、ロゥ……」
 駆け寄り、抱き起こそうとしてきた好敵手にビリーが向けた視線の種類は、お気に入りの玩具を取られそうになった子どもの怒りに似たものであった。
「邪魔を、するんじゃあ……ねえ」
「は?」
 困惑するマーロウを押しのけるように片膝をついて身を起こすと、ビリーは槍を杖代わりにしてそこから立ち上がろうとしていた。
「今は、まだお前の番じゃねえ。……っ俺が、このビリー、ロングフェローが今、あの女と戦ってるんだ」
 俺が、の辺りでビリーの顔がひきつった。本人は笑ってみせているつもりなのだろうが、青紫色に腫れた顔では判別に苦しむ。
 物理的には左脚と槍だけを支えに、精神的にはたった一つの誇りを支えに、ビリー・ロングフェローは尚も立ち上がった。
「よォ、悪ぃな。待たせちまって、よ……」
 開いているのかも判別し難い目の奥に不敵な闘志を輝かせたビリーは、どうにか槍を構えようとする。
「本番は、こっから、だ――」
 その直後、横殴りの一撃が彼の槍に縋る左腕を粉砕した。
「か……ッ」
 片脚に力が入らず、衝撃に対して踏ん張ることさえもできないビリーは、自身を襲う慮外に近い一撃を受けて無様に壁へ打ちつけられ、そのまま倒れてしまった。
「ビリー!」
 他の部下や同僚を押しのけて、真っ先にビリーを介抱しようとしたのはマーロウであった。
「……降参だ!」
 右膝と左腕があらぬ方向に捻じ曲がったビリーを抱えて、マーロウは敗北宣言をする。
「我々二人の負けだ。[バーソロミュー]アルトパ支部の全傭兵を代表して、お前への全権委任を認める! だからもう止めてくれ!」
「そうですか。なら腕試しは終わりですね」
 柔和な微笑を浮かべたまま振り抜いていた槍を戻すと、レオーネはそれだけ言った。ただし、口調は残念そうであった。
「これから作戦会議を始めたく思います。ここにいる各部隊代表の皆様は、アルトパ支部へ急いで下さい」
 意見する者は、今度は現れなかった。


 ある剣士の最期は、次のようであった。
 シルバーオークが、牙を剥いて襲いかかる。
「…………っ!!」
 間に合わない。走って逃げろと言おうにも、シルバーオークは既に目と鼻の先にまで迫っている。
 カーロフは目を閉じる。痛いほどに強く閉じて、少女が貪り食われる瞬間から目を背けようとした。
 だが、
《グルォオオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――!!》
 聞こえたのは、魔獣の断末魔と、大地を打つ轟音。
「馬鹿な……」
 目を開いたカーロフが洩らした呟きがこれであった。
 信じられなかった。
 散々自分を苦しめたあの“化け物”が、
 銀の体毛に身を包んだ巨獣が、
 胸と口から血を吐き、うつ伏せになって倒れていたのである。
 そして、
「…………」
 死んでいたはずの、十にも満たない少女が生きていた。
 ただし、その姿は二目と見れないものであった。
 歪な右腕は暗赤一色になり、元々潰れていた右目の傷と対を成すかのように左頬には太い三筋の傷跡があり、血肉に混じり見える白っぽいそれは――ああ、骨だ。しかも傷口は顔ばかりか胸にまで達しており、そこでも少女の血が裂けた衣服や肌に紅い花を咲かせていた。
 にもかかわらず、少女はしっかりと自分の足で立っているようであった。
「…………」
 腰が抜けて、背中から地面に倒れた。
 カーロフは、悟った。
「まさか……」
 “化け物”というのは、あの白銀の魔獣などではなく、
「お前が“化け物”だというのか!?」
「…………?」
 カーロフの言葉が理解できず、首を傾げる少女は彼に歩み寄る。倒れ伏した巨獣の血で汚れた手もそのままに。抉れて皮の下が露になった顔もそのままに。
「……これ」
「!」
 傷だらけの幼い少女がカーロフへと差し出したのは、血塗れの右手――そこに握られていた、小さな首飾り。
 無残にも、潰れていた。
「へや、あった。これカーロフ、の?」
 だが、悪意の感じられない少女への返答は、それにも増して惨(むご)い。
「っ寄るな!」
「…………、」
 少女に言葉を発する間さえ与えず、歴戦の傭兵は脇に落ちていた剣を無我夢中で拾い上げ、
「この“化け物”がぁああ――――――っ!!」
 彼の手首ほどもない少女の首を剛剣一閃、横に薙ぐ。振り抜く勢いで、派手に転倒してしまうほどに。
「…………!?」
 その手応えに、倒れゆくカーロフの恐怖は加速する。
 何だ、これは――
「…………」
 首から下を更に朱に染めた少女の顔が、悲しげなものから仮面のような無表情に変わり、
「……!! や、やめ――」
 ゆっくりと、その小さな手でカーロフの視界を覆っていく。
 何度も聞いた、骨の軋む音。
 悲鳴を上げることさえ、できなかった。




11
 アルトパの北、人知れず外壁に空けられていた穴の傍には、誰も近寄らない一軒家があった。水回りも悪く、治安が悪いことで有名な地帯なため、誰にも気付かれることなく佇んでいるこの廃屋へ、街中を新たに探りに行かせていたダレン山賊団の手下達が駆け足で戻ってきた。
 手下達が中に入るや、廃屋の広間に所狭しと並んだ男達が一斉に彼らを見た。ダレン山賊団だけの人数ではない。昨晩からダレンの一声で集められた、この付近一帯を塒(ねぐら)としている山賊団や盗賊団の頭目達である。
「見つけやした、大頭!」
「何ィ!?」
 机を挟んだ部屋の奥、古びた椅子に座って腕組みしながらふんぞり返っていた壮年の巨漢――ダレン山賊団の首領ダレンは、両脇に侍らせていた十数人もの手下達を吹き飛ばしかねない勢いで詰め寄った。
「どっちだ!? “化け物”女か!? 銀髪か!?」
「い、今から言います、言いますって! だから離して下さい!」
 大の男一人を浮き上がらせかねないほどの腕力で襟元を締め上げられ、手下は苦しげに呻きながら懇願する。
 ダレンから解放された手下は、咳き込みながらも報告しようとするが、結局できずにもう一人の手下に報告を任せた。
「俺らが見つけたのは“化け物”の方っす! 町の西っ側でした! 何でか分かんなかったけど、[バーソロミュー]の連中と一緒でしたぜ」
「あ? ――手前らは黙ってろィ!!」
 席に戻るなりざわめく手下達を黙らせたダレンは、参謀役である、鼠似の男に意見を求めた。
「どう見る、アナバ」
「そーですねぇ、とりあえずは地図見せてもらっていいですか?」
 そう言って机上にアルトパの大まかな地図を広げさせたアナバは、偵察に行かせていた手下達に「奴(やっこ)さん、西側のどこら辺にいたよ?」と尋ねた。
「えっと、宿場街の方っす。だいたい本通りの間くらいの」
 まず一人目が、町を東西南北に貫く本通りと、その西側と交差する形で北に伸びた宿場街を指した。続いて二人目が、「それと傭兵どもも、変に固まってうろついていやした」と補足する。
「変にィ?」
『へい』
 アナバからの質問を半ば予想していた手下達は、それぞれの覚えている範囲内で答えようとする。
「はい、十人かそこらで固まってて、それが地図だとこことかこことかに」
「前と同じで、なんか張ってるようにも見えやす」
 その他、大なり小なりを聞き終えたアナバは、垢に塗(まみ)れた汚い鼻をこすりながら古ぼけた地図を十数秒ばかり一睨みすると神妙な口調で喋り出す。
「どうした、何か分かったか」
「――そういえば、[バーソロミュー]の連中に」
 噛み合わぬアナバの言葉に、ダレン以下全員が首を傾げる。
「マーロウとかいう、頭の回る奴がいましよね」
「お、おお」
 得体の知れないものを見るような目つきでダレンは頷く。平気で自分を慕う手下を見捨てるような正真正銘の屑ではあったが、頭脳ばかりは認めざるをえないのだ。
「奴さんが好んで使う策ってな、大体頭に入ってますけれど、その中の一つに獲物を包囲するやつがありましてね、それが連中の配置が似てるんですよ。こう、三人で一組の小さな塊をたくさん作るんですがね」
 机上に薄く積もる埃と指先で、アナバは幾つもの小さな輪を描いた。「まあこんな感じですかね」
「するってェと、こいつは――」
「マーロウの策と同じように見えるんですが、それはそれで怪しいんですわ」
 先走りかけるダレンや手下達を牽制しつつ、アナバは自説を再度語り出す。
「あいつは知恵とか策を拵える能力が抜きん出てますけど、変に拘りの強い奴でしてね。自分が考えた策を使われたり、弄られんのを何より嫌ってるんですよ」
 過去幾度となく[バーソロミュー]と矛を交えてきた山賊の参謀役は、己の記憶から掘り出した傭兵の情報を詳(つまび)らかに語った。
「本当かい、ダレンよ?」
「おお、間違いねえ」
 訝しがる頭目らに、ダレンは簡潔に肯定する。
「奴らが張り巡らしてんのは、明らかにマーロウの策に手を加えたやつです」
 だーからおかしんですよねぇ、と首を捻るアナバに「考えぐれえコロコロ変わったっておかしかねーだろ」と別の山賊の頭目が鼻を穿りつつぼやいた。
「そのコロコロが滅多にないから臭うんですよ」
 内心で思った三割程度に留めつつ、アナバは軽率な発言に釘を刺す。
「少なくとも、この布陣について俺は初見です。これまでのやり方が通じるのかも分からないってのが俺の意見です」
「ま、ようは何が起きるか分からんから全員気ィつけとけやって話だ」
 というダレンの大雑把なまとめに、頭目らが一斉に頷く。本当はダレンの言葉にも物足りない箇所は多々あるのだが、言っても仕方がないとアナバは半ば投げやりに諦める。
「――で、俺らダレン山賊団としては、連中の張ってる『網』にかからんよう、最初はなるべく少人数で動きたいと思うんですわ」
「さっきから黙って聞いてりゃ、まどろっこしいことこの上ねえな」
 そう真っ向から反論するのは、ダレンと肩を並べるとまで言われている盗賊団の頭目であった。荒々しく丸められた頭が、凄みを醸し出している。
「なあダレン、そんなに“化け物”とかが気に食わんのなら、とっととブチ殺しに行った方がいいんじゃねえの? こーやってごちゃごちゃとくっちゃべってる前によォ」
 そうだそうだと、その頭目の肩を持つ頭目らが、一斉に声を揃えて後押しする。誼(よしみ)で集まってはいるが、彼らの結束はさほど強くない。平生は縄張り争いを繰広げる者同士だということを考えれば止むを得ない話である。
「…………」
 大頭、とアナバは視線だけでダレンに訴えかける。横目でそれを見ていたダレンは一つ頷き、「おう」と反応せずにはいられないほどの大音声を張り上げる。
「キースお前、うちの若頭にケチ付ける気か?」
「だったらどうだってんだ、殺り合おうってのか、おォ!?」
 席を立ち、キースと呼ばれた頭目は座したままのダレンへと悠然たる足取りで詰め寄る。長年賊徒の頭目をやっているだけあって、巨躯からの威圧感は半端ではない。
「別に俺は構わねえんだぜ? 手前たぁ、いつか決着(ケリ)を付けたかったしよぉ」
 そう言って、ダレンの肩を掴んだキースの上体が、大きく揺らいだ。その側頭部に添えられているのは常人のそれよりも一回り大きいダレンの右手、その足元にアナバが置いていたのは程よい滑らかさを有した麺棒があった。
 足を引っ掛けられて重心が崩れた矢先にダレンの怪力である。キースは満足な受身一つ取れずに顔面から埃だらけの床へと叩き付けられたのであった。
「……アナバ」
「あ、別に支障はねーです。最初っから戦力として見込んでませんし、もともとあいつだけ最小限の人数で来るようにって言っときましたし、はい」
 床の上で泡を吹いて倒れているキースに若干表情を引き攣らせつつ、アナバは努めて平静さを保った声音で答える。
「油断してっからこうなるわけだ。お前ら、相手が女だからって油断すんじゃねえぞ。勿論、もう一人の銀髪野郎もだ」
 ダレンの手下達によって二階へと担がれていくキースを見送りながら、他の頭目らは慌てて首肯した。ダレンによる統率を確固たるものにすべく、手頃な生贄として役割を果たしてくれたキースに胸中で礼を述べつつ、アナバはもう一つの黒々とした思惑を頭に描く。
(キヒヒっ! 銀髪野郎、これでようやく手前を葬る下準備が整ったってぇわけだ!)
 思い出すだけでも腹立たしかった銀髪に隻眼の剣士――あの男を“化け物”抹殺の陰で始末できると思うだけで、女を無理矢理犯す時のそれと似た興奮が湧き上がってくる。
(俺様の敵になった奴は絶対生かしちゃおけねえ! たとえそれが“化け物”だろうと、大頭だろうとなぁ……!)
 野望と妄想が自己陶酔の中で激しく入り混じっている中、アナバは邪魔者がいなくなって円滑になった作戦会議を滞りなく進めたのであった。


 陽はいよいよ傾き出し、涼しくも燃え上がるような夕暮れが迫りつつあった。
 頃合は正午。昼には遅く夕餉には早いこの時間帯を、行商人達が儲けを求めて足早に歩き回り、町商人がそうした彼らの相手をしていた。
 そうした中、
(――不審)
 妙な空気がアルトパに浸透し始めていることを、ジークは鋭敏に感じ取っていた。
(注視)
(む)
 街路同士が交わる地点の中ほどでジークは立ち止まる。
 分割された意識からの報告を受けたジークは眼球だけを器用に動かし、宿場街と大通りが交わる十字路を素早く見渡す。
 十秒と経ずして、ジークの隻眼は視線の主を見定めた。
 広く街路を見渡せる交差路の一角、人ごみに紛れているのは、明らかに武器を帯びた者の動きをしている人間。昼前に見た顔も幾つかあった。
(間違いない。[バーソロミュー]の連中だ)
(む)
 二番が告げる前に、ジークは彼ら一人一人の顔を記憶から掘り起こし、照らし合わせていた。
(しつこい奴らだ。まだ金のことを恨んでいるのか)
(可能性有)
(狭量無比)
 などと自分のことを棚に上げ、悠長に毒づいただけで終わるほど、ジークは抜けていない。
(それにしても、奇妙だ)
(む)
 二番が疑問から発した呟きに、ジークも同意する。
(視線が二種類あるように思える)
(同意)
(同意)
 これには、他の分割思考も同意していた。
 敵対存在からの悪意はよく分かる。分からなければ、生き残ることができなかった。
 だからこその知覚と言えた。同じ感情でも状況によって差異が生じるように、悪意にも差異は生じる。その僅かな違いが原因となって、ジークに視線が二種類あるように感じさせるのだ。
(分析完了)
 五秒と待たず、分割思考が次々と導き出した結論を述べていく。
(視線一種は[バーソロミュー]に属する集団のものであると推測)
(確率七割九分)
(二種、特定不可)
(む?)
 意外といえば意外であった。原因を追究すると、その原因に納得する。
(微弱)
(方々)
 [バーソロミュー]のような比較的固まって行動している集団ではなく、街路に点在している者達による視線だったのである。
(……何者だ?)
(捕らえて吐かせてみるか?)
(軽挙禁物)
(同意。不用意な接触は避けるべき)
 即座に挙げられる幾らかの反対意見。ジークもそれに同意する。
(今は無駄に動く必要はない。それよりも早急に特定を終わらせろ)
(了承)
(了承)
(了承)
(――完遂済み)
(む)
 立て続けに頷き、考察を始めかけていた分割思考の中で、三番だけが異彩を放った。
(三日前に遭遇した暴力団である可能性、六割三分)
(……ああ)
(反転算出完了)
 ジークは、何故三番だけが異様に早く答えを出せたのか、すぐさま理解できた。
 三番は、他の分割思考と比べて、少々特殊な役割を担っている。
 それこそが『想像からの真実の創造』――即ち仮説の領域を出ない、殆ど空想に近い可能性を、最も高い可能性として認識し、それらの発生する状況や理由などを常に想像しておくことで不測の事態に備えるべく与えられた役割である。
 要するに、三番の算出が最も早かった理由とは[バーソロミュー]であると割り出した際に撥ねらた可能性の使い回しだったのである。
(だが、充分に考え得る選択肢だ)
(同意)
 評価すべきは結果のみと、二番と反転算出を終えていた六番が三番の意見を支持する。
(覚えているだろう? 二度目に連中が姿を見せた時、何と言っていたかを)
(無意味なことを訊くな)
 記憶を共有している二番が言い出した時点で、既にジークを含む分割思考は思い出している。
(――「あの“化け物”は、どこにいるんだい?」――)
 あの場では“化け物”という単語の使用頻度やこの町での知名度などからミュレではと推理していたが、改めて考えてみるとその結論には綻びがあった。
 何故あの連中は、最初からミュレのいるランドール家ではなく、明らかに繋がりの弱い自分を狙ったのか、ということである。
(俺が奴らから、形だけとはいえミュレを護ったからか?)
 それも考えられる話ではあるが、あの男達が付け狙う理由としては弱いように思える。報復が目的で接触してきたのであれば、その場合ミュレを持ち出す必要はない。
(あれだけの強い敵意を発するには、それ相応の理由があると見ていいのだが……む、三番)
(了承)
 相応しいと思われる理由を捻出させるべく、ジークは命じておく。もっともらしいことを言わせれば、経験上、三番の右に出る者はまずいない。
(過去の接触の内、連中の恨みを買う原因に繋がると思われるものはあるか?)
(不明)
(情報不足。特定不可)
(むぅ……)
 三日分の記憶を洗いざらい調べてみても、特定できるだけの情報はでなかった。
 そうなると、いよいよもって気味の悪い可能性が持ち上がってくることになる。
(我々の与(あずか)り知らぬ所で、何者かが奴らを俺にけしかけているかもしれんな)
(ああ)
 こうしている間にも、他の分割思考が検証を始めていた。
(第三者の存在を疑うことは容易。しかしそれだけに安直とも言える)
(肯定)
(否定。現状のように情報が著しく不足している状況下では、あらゆる可能性を考慮しておくべき)
(三番の意見支持。第三者の存在は数値的にも可能性として充分考慮し得る)
(同意)
 第三者の存在を疑うジークの意見に対し、分割思考の出した結論は『看過できぬ可能性』というものであった。
(だとするならば、その第三者とやらが何者なのか、いるとするなら気になるところだな)
(む)
 その点に関してはジークも考えていたので、既に分割思考に指示を出してあった。
(いずれにせよ、[バーソロミュー]同様邪魔者に過ぎん。まとめて振り切るとしよう)
(同意)
(同意)
(同意)
 そろそろ、行動に移るべき時であった。
(悪いが、誰であろうと邪魔はさせん)
 そう胸中で呟いたジークは腰から下げてあった小袋から、何故か鶏の卵を取り出した。
 色も大きさも、極ありふれた卵である。ただし、それには横一直線に切れ目が生じており、そこを膠で接着するという細工が施されていた。
 ジークは取り出した卵に何更なる細工を施したかと思うと、それをなるべく多くの人間が重なる瞬間を見計らって、自然に下ろされた右腕の指先で地面に弾き飛ばした。
(常に相手が予想通りになると思うなよ、マーロウとやら)
 狂騒は、卵が破裂して煙を吐き出した直後から始まった。
 煙は図ったかのように吹いてきた風によって運ばれ、着々と広がり続けるのに伴い、次々と上がる女性の叫び声。そこから混乱が伝染して、暴れ出す荷馬車などの馬。それらに気を取られつつも、各々の商品や荷物を守ろうとする男達が、互いに混乱を増長し合い、その輪を遠くへ遠くへと広げ始めていた。
「危険だ、逃げろ! 早くしないと死ぬぞ! 逃げろ! 煙を吸うと死ぬぞ!」
 でき得る限りに作った声音で腹の底から叫びながら、ジークは人込みを縫うようにして通り抜けていく。理由を確かめる暇もなく、人や馬、果ては犬や猫までもが恐怖に駆られて滅茶苦茶に逃げ回っていた。


 それら一連の流れを、屋上から俯瞰していたレオーネは、静かに呟いた。
「やってくれますね、彼」
「それどころでは済まないだろう」
 彼女の背後に控えていたマーロウは、僅かに上擦りかけた声音で釘を刺す。
「あんな無茶な方法では、この区画にいる人間達を無闇に混乱に陥れさせるだけだ。今すぐにでも作戦を中断し、奴の蛮行を止めるべきだ」
「そうですねえ」
 話を聞いているともいないとも解釈できる呟きを洩らしたレオーネは、マーロウに向き直るなりこう続けた。
「それならば、少し予定を変えましょう」
 怪訝な表情を作るマーロウへ、レオーネは簡潔に説明する。
「[バーソロミュー]の傭兵全員で、この区画一帯にいる方々を退去させていただきましょう。老いも若きも、一人残らず」
「…………」
 眼を剥いたマーロウは、手足を小刻みに震わせながら彼女を見る。空いた口が塞がらないとはこのことである。
 マーロウでなくとも、レオーネの提案が暴挙以前の代物であると理解するのは容易なことである。
 この地方の主都であるアルトパは、在住する市民や傭兵、逗留している商人や旅人などを合わせれば人口三〇〇〇人にも及ぶ一大都市である。ましてや、そんな都市の一角の、それも夕暮れ前の宿場街となれば自ずと人が密集することは明白。
 そんな地区にいる全ての人間を丸ごと退去させろと言っているのである。端的に言えばマーロウの言うように、無茶以外の何ものでもない。
「む、無茶を言うな! そんな大胆過ぎる策――いや、愚挙など隠し通せるわけがない。領主に何と言い訳するのだ!?」
「ダレン山賊団が他の山賊を率いてアルトパ内に侵入した模様、半数で侵入を食い止めておくので残り半数と連携し、至急市民の保護をされたし――とでもアーサー・ニュートン氏がごまかすでしょう」
 剣幕に怯むこともなく平然と言い返され、マーロウは言葉に詰まる。
「彼も『旧アルトパ役人会』の迎合に甘んじた身です。それ相応に努力するでしょう」
 マーロウは、歯噛みしたい想いに駆られる。無責任な発言にも聞こえるが、おそらく彼女の予想した通りの結果に落ち着くだろう。所詮あの男も、利権に囚われた人間だ。
「納得していただけたのなら、早く実行していただけますか?」
「……分かった」
 憎々しげに頷き、マーロウは一足先に屋内へと戻るべく踵を返す。
「万が一の場合に備えて、お前も言い訳の内容を考えておくがいいさ」
「ええ、そのうちにでも」
 去り際の憎まれ口も軽くいなし、
「それでは、地上は彼らに任せるとしましょうか」
 誰にともなく呟いたレオーネは、何気ない動作で天を仰ぐ。
「――――」
 初めて口元から笑みを消したレオーネは、首から下げた細長い金属の筒を咥(くわ)えると息を軽く吹き込んだ。
 夕暮れ目前の秋空に響いた音色を聞けた人間は、その場にいない。


 宿場街での騒ぎを、路地裏から眺める一団があった。
「見えますかい、兄貴」
「おう」
 叫び声を挙げて狂奔する人々――その中に呑まれて何処へともなく流されていく手下や他の山賊団や盗賊団の面々を目にしながら、アナバは汚らしい鼻の頭を擦る。
「奴ですかね」
「かもしれん」
 手下の言う『奴』とは、あの銀髪の男か、あの“化け物”かは分りかねた。あの野郎なら、と即答したかったのだが、このような大胆不敵極まる手法をあの男が取るのだろうか、という疑問もや、“化け物”女の行動が全くの未知数であることから、広く解釈のできる「かもしれん」に留めておいた。
(それより、今は現状に見合った策だ)
 大掛かりというか、少々乱暴な人払いに違和感を覚えつつも、アナバは己の講じた策を遂行すべく、念には念をと手下にジークの行動を更に近くで見張るよう指示を出した。仮にやったのがジークであれば、そこからあの男の目論見、人物としての特徴や特性も窺い知ることができるからだ。
 一人、アナバと同じくらい小柄だが俊足と評判の手下が去ると同時に、通りを見させておいた手下が口を開く。
「あの様子じゃ、何人かは役に立ちそうにありませんぜ」
「構やしねえよ。どうせ連中は斥候、物見役だ」
 最初から割り振られた役割にのみ徹底させるべく、彼らもまた、キースとは違った意味で策そのものの頭数には入れていない。
(それにしても、あんな騒ぎを起こして、一体何をしでかす腹づもりなんだ?)
 自分達や、もしかすれば[バーソロミュー]の連中を出し抜くために行ったのだとすれば、やはり大雑把なようにアナバは感じる。直接対峙したことは一度しかないが、手下からの報告などにも耳を傾けてみると、恐ろしく抜け目のない奴だということが分かる。それだけに現在進行形での暴動に違和感を覚えてしまうのだが、いつまでも引きずってはいられないので今は当初の目的と目先の対応の両方を優先する。
「どうします?」
「大頭に伝言してくる。お前らはここで銀髪と物見どもが何やってるか見張っとけ」
 そう言ってアナバは手下達に背を向けると、不格好な姿勢で路地裏を駆ける。
 当然のように、アナバは嘘を吐いていた。
 確かに、ダレンへの報告もあった。だがそれ以前に、あの場に留まるべきではないとアナバは感じていた。
 情報が足りない分、あらゆる可能性が考えられる。
 もしも、現在起こっている暴動じみた騒ぎの原因がジークとかいう銀髪男にあるのだとしたら、行うに至る理由は兎も角として、何か目的があるはずなのである。
(はっきり言って、奴は何をしでかすか分らん。兎に角、今は大頭ン所へ戻った方が賢明だ!)
 自分が辿り着くまでの時間稼ぎとして、捨て駒役は何ケ所かに分けて置いてきた。いずれにせよ大して役に立ちはしないだろうが、ないよりは気休めになるだろう。
(せいぜい、あの“化け物”どもを相手に粘っとけよ……ん、何だありゃ?)
 だらしなく息を乱しながら走っていたアナバは、素早く路地の陰に身をひそめて様子を窺う。
(んー??)
 表通りのものとは毛色の違った、慌ただしい足音と話し声。会話の断片を拾って繋ぎ合わせていくと、すぐさま何者なのか突き止めることができた。
(ありゃ[バーソロミュー]の傭兵どもじゃねえか。こんな所で何やってんだ? 町の連中を黙らせに来たか?)
 アナバの調べでは、[バーソロミュー]は全傭兵の三分の一ほどを割いて宿場街を張っていたのであったし、この近辺には誰も配置されていないはずであった。
 小動物的直感で怪しいと感じたアナバは、今この場ででき得る限り記憶を掘り返し、それらと現状を照らし合わせていく。
 ああした布陣を用いるのはマーロウしかいないが、それだと腑に落ちない部分が発生する。己の知略にこの上ない矜持を持つマーロウは、何があろうとも、最初に配置した人員を絶対に変更しようとしないからだ。
(それが何で、今になって頭数増やしてんだ?)
 すぐさま思い浮かんだのが、今まさに表通りで起きている騒動の鎮圧に充てられたのでは、というものであったが、
(いやいや待てよ、そーいうのって軍隊の方の仕事だろ? いくら傭兵だからっつっても、対応が早過ぎだろ)
 更に捻りを加えると、やはり不自然さが目立ってくる。
(ええいくそっ! 何で俺がこんな下らんことに頭を使わにゃならんのだ)
 不平をこぼしつつも、最終的にアナバはこう結論付ける。
 考えられる可能性は一つ、『何らかの事情で、人数が足りなくなった』ということだと。
(ったく、いらん時間使っちまったぜ。やっぱり面倒クセーことになる前に、とっとと大頭ン所に戻った方が賢明だな)
 傭兵達の気配が遠ざかるのを待って、アナバは再びダレンの許へ向かおうとするのだが、
「んげぇ!?」
「……む」
 そこで何故か、銀髪の青年と遭遇してしまうのだった。


 滑稽な姿で固まる小男を見下しつつ、ジークはこの不測の事態について思索を巡らせる。
(何故奴がこんな所に?)
(不明)
(いずれにせよ、尋問こそ得策)
(そうだな。我々が考え回すよりは、その方が望ましいだろう)
 穏便に事を運ぶという選択肢は最初からないらしい。
(む)
 出会い頭から三秒ほどで方向性をまとめ上げたジークは、この手の人種が最も恐れるであろう、低い、威圧的な声を発する。
「何故、貴様がここにいる」
「ヒィ!?」
 案の定、アナバは過剰なまでに震え上がり、腰など今にも抜けそうになっていた。ジークは、これまでに収集した情報から、こうした状況ではアナバが嘘を吐くことなどできないと見抜いていた。
「あ、いや……」
「答えなくとも構わんが――」
 駄目押しの意味も含めて、長剣の柄に右手をかける。鍔と鞘が擦れ合って、小さな音を立てる。
「少なくとも腕や足の一本は、覚悟してもらおうか」
 より低い声音で脅迫めいた言葉を付け加えただけで、アナバは何でもかんでも話したそうな顔になった。答えるものか、と言い返せる道理などあるはずもなく、結局アナバは自分達の企てている計画を洗いざらい自白させられたのであった。
「こ、これで全部だ! 他には何もねーぞ!?」
「む……」
 アナバが話した内容は、先刻山賊の手下から吐かせた内容と概ね一致していた。幾つかの微妙な違いは、おそらく立場の差によるものだろうとジークは推測していた。
 まず概要を耳に入れたジークは、枝葉末節に至るまで掘り尽くすことにした。
「目的は理解した。では何故、その報復の対象に俺が含まれるのだ?」
「!」
 アナバの表情が強張った。この質問が『当たり』であると察し、しかし同時に演技であることも疑いつつ、ジークは用心深く続きを待った。
「な、なあ?」
「む?」
 間違っても好きにはなれない必死すぎる笑顔を貼り付けたアナバは、「一個だけ、これだけ守ってほしいんだよ」と言い出した。
「どんな内容だろーと、話し終わるまでは俺に手を出さねぇ――こ、これだけだ! これだけ守ってくれりゃあ嘘は吐かねえから! なあ、頼むって!?」
 五体を地面に擲った、情けないことこの上ない土下座も躊躇なくやってのけるアナバに、ジークはただ一言、こう言った。
「俺に嘘を吐いて、二度と立って歩けると思わんことだ」
 アナバのような、半端に頭の切れる小人物ほど扱いやすいものはない。広義に解釈できる脅し文句を聞かせてやるだけで、勝手にあれこれと想像し、結局自分から絡め取られていくのだから。
「答えるな?」
「……分かったよ」
 視線を落としたアナバが、全てを諦めたような青褪めた表情で喋り出したのは、それからのことであった。
「お前だきゃあ、どーしても俺の手で殺したかったんだよ」
 一瞬、右手が動きかけたのを推し留め、ジークは先へ促す。
「そこで俺は、宿屋の“化け物”を攫って、お前を俺らの塒におびき出そうとしたんだ。あのヤローよりか、まだ人質として使えそうだったんでな」
 新たな情報の追加に、ジークの中で分割思考が活動を始める。
「それは、いつのことだ?」
「昨日だよ。昨日の昼前に、雨が降ってただろ? そん時にあんたが出て行ったのを見計らって一発よ」
 一応、辻褄は合っていた。もしも事実であったなら、ミュレの手枷が解けていたことも理解できるし、数時間前に聞き出した話とも繋がる。
 だが、それでもジークは念には念をと疑念は保ちつつ「続けろ」と命じた。
「奴を連れてくのはマジで簡単だったぜ。何せ全く抵抗しないんだからな。あ、いやでも、別にやらしーマネはしてねーぜ? いやマジ、マジの話だから」
「……そうか」
 おそらくだが、アナバは回答の端々にこちらの内面を探る小細工を織り交ぜている。ジークは小賢しい真似を、と思いつつ、核心に踏み込む。
「では次だ。貴様らの仲間を襲い、殺した“化け物”というのはミュレ――髪の長い娘だったのか?」
「……そりゃあ、気になるよなァ?」
 急にアナバは、口の端に下卑た笑みを乗せる。先刻の質問でこちらの弱みを握った気になっているのだろう。どこまでも唾棄すべき男であった。
「隠さなくたっていいぜ。『あっち』の“化け物”は、少なくとも見てくれは一級品だから――」
 風が、アナバの頬を打った。
「は……?」
「壁に投げた。お前に手は出していない」
 石壁にめり込んだ短刀を凝視するアナバに、ジークからの追及がくる。
「今の発言は、“化け物”がもう一種類いたということか?」
 欺けば次はない――言葉にせずとも全身から感じさせるジークを前に、アナバは今度こそ抜けてしまった腰を擦りながら「そうだよ」と答えた。
「そのことを知ったのは、俺らが宿屋の“化け物”を囲って――い、いやだから何もしてねぇんだってば! どうやったら信じてくれンだよ!?」
「先へ進めろ。信じるか否かはそれからだ」
 一切の反論を認めず、ジークは命令する。
「……先に言っとくぜ。ありゃ正真正銘の“化け物”だったよ」
 怯えや恐れを含んだ遠い目をすると、アナバは続けた。
「俺も全てを見たわけじゃねえ。俺らがその“化け物”ン所に行った時にゃ、奴は塒にいた連中の殆どを殺してやがったんだからな。それもとびっきりの、俺らでもやんねえような惨いやり方でよぉ」
 喋らなければ落ち着かないとでも言わんばかりに垂れ流されるアナバの言葉から、ジークは情報を引き出そうと試みる。
「その“化け物”の姿、覚えているか?」
「そうさなぁ……」
 と、妙な間を作ろうとするアナバの胸倉を、ジークが掴む。アナバの目脂で汚れた眼だけが、別の生き物のように忙しなく蠢いた。
「そろそろ自分の立場を弁えたらどうだ」
「はいごめんなさい! もうしませんから許して下さい!」
 泣き出しそうな声で懇願し、解放されたアナバは息を整えてから「女だよ、紫の髪で、鎧を着てた」と金切り声に近い声音で答える。
「む?」
「嘘だと思うだろ? だがこりゃ嘘じゃねーぜ」
 汚い鼻を擦り擦り、アナバはジークの予想の一部を裏切る。
「鎧っつっても、あんまゴチャゴチャしてねえ型だ。馬とかに乗る奴が着てるよーな、軽そうなのだったな」
「む……」
 随分と具体的な説明だった。あまりにも饒舌過ぎると逆に怪しくなってくるが、先ほど程度ならば信用できる範疇にある。
 もっとも、それはアナバという人間そのものへの信憑性を度外視した場合の話であるが。
「偽りではないと断言できるな?」
「ああ、何なら誓ってやっても――いやじゃなくて、誓ってもいいですぜ?」
 ジークから何を感じ取ったのか、アナバは卑屈な笑みを浮かべる。この男は、いつもこうやって生きてきたのだろう。
(まあ、奴の人生などどうでもいい)
(む)
(同意)
(同意)
 かなり酷い扱いをしているという自覚もなく、ジークは「では、その誓いを行動で示してみろ」と言った。
「貴様の言う大頭とやらの所に、俺も連れて行け」
「……へ?」
 小心者のアナバが、ここにきてジークへの即答を躊躇った。
(いや、待て待て待て。何で? 何でここで大頭が出るんだよ?? さっきまでずっと“化け物”の話だったじゃねえか)
 脈絡が感じられない。だから怖い。分からないものほど怖いものはない。
 ましてや、相手はジーク――あの二人の“化け物”と同様に、底知れない人間である。警戒を怠るべきではないと、小動物的直感が訴える。
(……やっぱここは、ヤバイの承――)
「早くしろ」
 時間切れ。アナバの思考は、隻眼に縫い止められる。
「……おう」
 嫌な予感が消えない中、アナバにできたのは頷き、大人しくジークを導くことだけであった。


 宿場街で騒ぎが起きているという話は、既にアルトパ中の人間達の耳に届いていた。
「おい、聞いたかよキーン!?」
「ああ」
 勝手に店番を抜け出していた友人に、口数の少ない鍛冶屋の徒弟はいつものように応じた。
「ああって、そんなこと言ってる場合か!? 宿屋街で大火事だぜ? きっと[バーソロミュー]のビリーとかが来るぜ!」
「そうか」
 わざわざ聞いて回らなくとも、目の前の道行く大人達の話し声を拾えばおおよそ分かるのに――そう思いつつも口には出さない賢い徒弟は、おそらく友人にとって最も重要であろう一言を次げることにした。
「なあ」
「あ?」
「後ろ」
「後ろォ? 後ろがどうし――」
 キーンの目の前で、友人は滑稽な表情で固まった。
 二人の目の前で腕組みしながら立っているのは、優しくて腕もいいが、倹約家で怒らせると怖い親方であった。
「僕の記憶に間違いがなければ、君に店番をしているようにって頼んだはずだったんだが……記憶違いだったかな?」
 静かな口調で問いかけてくる親方相手に屁理屈や言い訳で挑むような真似はせず、徒弟はすぐさま謝った。ふむ、と親方は顎に手を添えると「ならいいんだよ」と言って、
「後で母さんの所へ行きなさい。ちょうど野菜の皮を剥いてくれって頼まれてたんだよ」
「……はぁい」
 口は尖らせつつも素直に応じた徒弟は、小走りで台所へと走る。親方の教育の賜物であった。
「ところで、キース」
「何ですか?」
「ぼんやりと道を眺めてばかりいるのは勿体ないな」
 笑顔で台所を指差す親方に、キースは頬を掻いて友人の後を追う。
 慌しい町の喧騒は、やがて彼の耳に届かなくなった。


 ダレン達山賊一派の本隊は、北のスラム街でアナバと斥候役の帰りを今や遅しと待っていた。
「あンのクソネズミ、どんだけ待たせりゃ気が済むんだか」
 ダレンは愚痴をこぼしつつ、重い腰を上げた。場合によっては、その場で殴り倒すこともダレンは考えに入れていた。
「それが、ちょっと様子がおかしいんすよ」
「アァ?」
 それだけに、連絡役の手下が付け加えた内容が不審でならなかった。
「様子が変ってな、どーいうことでぇ?」
「いや、アナバの兄貴なんすけど、手下を一人も連れてなくって、代わりに変な男? 爺さん? あれ?? まあ兎に角、違う奴連れてました」
 要領が悪いのかおちょくっているのか、何ともまとまりのない手下の説明から適当な部分だけを拾い集めて要約して、やっとダレンは内容を理解した。
「で、当のアナバは何してやがるよ?」
「兄貴っすか? 兄貴でしたらこの家の前の方で『大頭に準備しろと言え』って、しきりに合図送ってましたけど――」
「それを先に言えっての!」
 どこまでも頭の悪い手下を殴り倒すと、ダレンは目の前にいる、満足に状況を把握できていない面々の疑問に答えを提供することにした。
 いよいよ、彼らの――正しくは彼らの抱える人員の――力が必要になる時が来たのである。
「手下どもに伝えてきな。『出番だ』とよ」
 返事を聞く前に、ダレンは腹心の手下を数人伴なって二階に上る。
 階下と同じく薄汚れた部屋の南側には、板が打ち付けられている大きな窓があった。ダレンはその板の隙間から覗き込み、アナバの姿を探す。
 この家の前、というよりは広場の中心から市街寄りの地点にアナバはいた。その背後には肩に袋を担いだ、銀髪で長身の青年の姿がある。
(あの野郎、捕まってやがんのかよ)
 ある意味で相応しい姿ではあるが、その不甲斐ない様子にダレンは幼児の頭ほどもある拳を握り締める。アナバの生死に関係なく、後でその顔を殴り飛ばすつもりであった。
「――用意、終わったぜ」
 背後から、アルトパ西部を根城とする盗賊団の頭目が声をかけてきた。昔から懇ろにしていた男で、今回の作戦においてはそれなりに重要な役に就かせる予定であった。
「おう、そうか。しっかりやってくれよ」
 言うが早いが、ダレンは図抜けて大きな握り拳を振り翳し、一撃で板を破壊する。先に仕掛けて相手を威圧し、主導権を握ろうとしているのだ。
 粉砕した板の向こうから、ひやりとした赤い夕陽がダレン達の部屋に入り込んでくる。
 そうした思惑を秘めたダレンの視線の先に、アナバを後ろ手で拘束している青年は変わらず立っていた。むしろアナバの方が、驚愕に目を見開いていた。
 改めて見ると、大した面構えだとダレンは思った。先ほどの牽制や自分の置かれている状況から考えれば多少怯むかと考えていたのだが、青年は全く揺らいだ様子はない。よほどの大人物か、さもなければ熱心な死にたがりだ。
「俺の名はダレン! 手前がひっ捕まえてるネズミ野郎の頭だ! かく言う貴様は何者か!? 早々に答えよ!」
 何人も男や女を震え上がらせてきた怒声もアナバにしか効果はなく、青年は射抜くような視線をこちらに向けていた。
「俺の名は、ジーク。貴様らとの禍根を断ちに来た」
 アナバの首根っこを掴んだまま残りの手で袋を背後に投げ捨てるなり、ジークと名乗る青年は冷厳な表情や雰囲気に相応しい声音で告げる。背中を冷やしたのが秋風なのかは、分からない。
「禍根? “化け物”の片割れごときが、小難しい言葉を使ってんじゃねえよ」
 悪寒を振り払うためにも、ダレンは取り巻きの手下を無理矢理に笑わせる。ぎこちない笑い声が、赤く染まりかけたスラム街に木霊する。
 それに対し、肝を冷やしているアナバの背後で、
「言いたいことはそれで終わりか?」
 やはりジークは、冷厳なる様子を崩さなかった。
「悪いが俺は、一度でも牙を剥いた相手に手心を加えてやる趣味はないのでな」
 ち、と擦れ合う音を立てて、鈍い銀の輝きがアナバの眼前を通り過ぎる。
「お前ら全員、覚悟してもらおう」
 抜き放たれた長剣が、真っ直ぐにダレンを指していた。
「……っははははは!! おい聞いたか!? 剣士様がたった一人で! 俺達に覚悟しろとよ!?」
 ダレンが手を打ち鳴らすと、それに呼応して建物の陰や路地の置くから、次々と強面の男達が現れた。目算できるだけでも五、六十人はいるであろう彼らは、ダレンとアナバが対[バーソロミュー]戦に備えて配置しておいた伏兵である。先刻の頭目が率いる盗賊団の人数を足せば、七十人近くにもなる。
「覚悟しろってのはよォ、こーやって圧倒的に有利な立場にある奴が言う台詞だぜ? まさかそれすら分からんか!?」
 高々と掲げられるダレンの右手に、アナバの汚い鼻先から冷や汗が滴り落ちた。
(あ、ヤベ、これ下手したら俺あいつらに巻き込まれるわ)
 ジークの言葉から、人質として交渉の材料にされることはないらしく、つまるところ言葉による和平など毛筋たりとも考えていないということで、早い話は大頭達がもっともやり慣れている手段を採択したというわけで、要するに、
「ってなわけで俺が言うぜ――殺られた仲間の恨みだ! 覚悟しやがれ銀髪野郎!!」
「げぇ!??」
 血気お盛んな殿方総勢六十四名が、すぐ後ろに立つジークに向かって襲いかかってきているのである。
(ちょ、あの大頭!? やっぱし俺がいることを忘れてやがんのかよ!?)
 慌てて異議を申し立てようとするのだが、小賢しいアナバの頭脳はダレンが申し出を理解するよりも先に眼前の山賊連合がこちらに到達するとの見解を出していた。生憎ながら彼らは他所の山賊団や盗賊団の面々であって、アナバの言葉は全くと言っていいほど効果に期待できない。
(ああくそ、伏兵全部出しやがって、この調子じゃあいつら俺ごと殺りかねん! と、ということはだ――)
 おそるおそる、アナバは背後に立っているジークの顔を見上げる。憎(にっく)き敵だったはずの男の相貌は夕陽を受けていて、むしろ神々しく見えた。
(マジでこいつの手腕だけが頼りってかよ!?)
「――下がっていろ」
 その言葉を理解する前に、アナバは自分の拘束が解かれていることに気付いた。
「…………!」
 反射的にジークから遠ざかったアナバは、足元に落ちているジークのずだ袋に手を伸ばすこともなく、一目散にその場から逃げた。
 一方のジークはというと、押し寄せる人の波を前にして顔色一つ変えることなく分割思考に命じていた。
(三、五、七番は優先項目を『外敵感知』に変更せよ)
(了承)
 全く同時に返された返答には耳を傾けず、ジークは残りの分割思考にも指示を出す。
 与えられた指示に沿って、分割思考が各々の受け持つ分野の知識を最大限に活用し始める。
 猛進する山賊の群れ。脇に隠れた増援。立体的に見た場合の陣形。そこから推測できる作戦など。
 ジークには、それらがはっきりと見えた。
(予測動作、算出完了)
 まず四番が、山賊らの動作から、それぞれの大まかな配置を計測し、
(最適動作、構成完了)
 次に六番が、理想的とされる動作手順を導き出し、
(いつでも構わんぞ)
 二番は、いつでもジークを補助できるよう待機している。
(む)
 平時と変わらず、十全に機能を発揮できてている分割思考にジークが胸中で頷いたのが戦闘開始から三秒後。その身は既に、迫り来る賊徒に備え右半身を引き、構える。
(来る)
 まずは一人目と二人目。前者が三秒後、後者が五秒後に間合いに入ることは既に予測済み。躊躇うことなく前に進み、
「ぎぇ!?」
「っが!?」
 眼前をナイフの切っ先が過ぎることも厭わずに一人目を切り伏せ、その際に剣の遠心力に身を委ねて移動することで間合いに入ってきた二人目の、でたらめ極まる大振りの一撃をすり抜け、三人目と向かい合う前にはその右腕を斬り落としていた。
(は、はは! ちったァやるようだがよ、それもこれまでだぜ!?)
 奇妙な面具のような顔つきになったダレンの眼前で、青年は寸刻の躊躇も見せずに自ら前へと進む。
 三人目は利き腕の肘を剣を持った肩の手で押さえて出鼻を挫かれ、間抜け面を晒している間にがら空きの腹部を貫手(ぬきて)で気絶に追い込まれる。その直後には四人目の短刀を防ぐ盾にすると、青年は三人目を引き倒し、四人目が勢い余ってうつ伏せに倒れるとその延髄を蹴り飛ばす。その際に五人目の胸倉を片手で掴むなり遠心力と梃子の原理で重心を崩すと同時に、音が聞こえてきそうな勢いで膝蹴りを叩き込んだ。
「そんな馬鹿な……」
 鮮やか過ぎる青年の体捌きと剣術を、ダレンと腹心の手下達は呆然と眺めていた。
 六人目、背後から仕掛けたまではよかったのだが、青年による振り向きざまの裏拳で昏倒させられる。
 十二人目、十三人目とまとめて擦れ違い様に斬り斃される。
 十八人目、突進してくる勢いを青年に利用されたことまでは分かったのだが、どのような技を使ったのか、十九人目が間合いに入る前には窒息させられてしまった。
 二十四人目――
 次々と倒れ付す男達を前に、ダレンは呆然と呟いた。
「……何だ、あいつは」
 あり得ない――それ以外にダレンが思いつく言葉はなかった。
 駆け寄る手下が、武器を振りかざす他所の盗賊が、銀髪の男が剣を片手に通り抜けるだけで次々と倒れていった。
 刀身に血糊は見える。間違いなくあの男は、並み居る一団を薙ぎ払ってこちらに向かっているのだ。
「なんであんなことが、できるんだ」
 大国からの侵略を被る以前、ダレンはアルトパ王国の兵士長として新兵を鍛えていた時期があった。
 それだけに、体で分かる。眼前の、こちらに迫っている、自分の半分ほども生きてはいないであろう若造が苦もなく行っている芸当の凄まじさを。
 一つ一つの動作の中に次の段階への予備動作が含まれているから、動きにまるで無駄がない。全ての準備が動きの中で整えられ続けているのだから、ここに並外れた体力が加わると、止まることが、というよりも止まる必要がなくなる。内的意思か外的干渉でもない限りは、少なくとも今の時点で止める手段はない。
 口で言ってしまえばどうということでもないように聞こえるだろうが、今ダレンが目の当たりにしているのは寸劇でも演舞でも、ましてや調練でもない、紛れもない実戦、殺し合いの真っ只中でのもの。より状況は複雑さを増し、目の前の情報だけでは全てを把握することすら難しいはずなのである。
(だってのに、あの小僧は――)
 ダレンは、己の両掌がいつの間にか握り拳を作っており、そしてその内側が汗で湿っていることに驚いた。
(クソ、緊張してるだと? この俺様が!?)
 認めたくはなかった。俺は手下や他の山賊団をもまとめるダレンだぞと内心で己に発破をかけても全く効果がない。
 また一人が、銀髪の青年によって斬り伏せられる。全てが予め決められていたかのように、次々と男達は銀色の輝きに飛び込み、そして斃されていく。
 青年は止まらない。進む速度こそ決して速くはないが、確実にこちらへ向かってくるその様子は、むしろこちらの精神を蝕む。
 急遽ダレンは、打開策をとることにした。
(撃て!)
(無茶ですって!)
(この位置からじゃ、ヘタすりゃ俺らが殺られます!)
 両脇の建物、その屋上に配置しておいた弓取り役に視線と僅かな手の動作だけで合図を送るも、両側から拒否の合図が返される。
(今ここで止めねえでどうする!? 今ならまだバレん! さっさと仕留めちまえ!!)
 苛立ち混じりに再度指示を送り、今度は反論が返されなかったことにダレンは鼻を鳴らす。彼らの様子を見ていると、どうやらやっと了承したようであった。
「お前らも弓を持ってきとけ。それと鐘だ」
「へい」
 そう言って手下達が姿を消すと、ダレンは露骨に苦虫を噛み潰したような表情を作る。いつの間にか、ジークと戦っている伏兵の数は半数にまで減っている。
 悔しいが、陣形の転換をしなくてはならないようだ。
「大頭、鐘です」
「おう」
 急いで腹心の一人に矢を番えさせる傍らに、ダレンは一発、後退の合図たる鐘を打ち鳴らす。アナバとの入念な打ち合わせの甲斐もあって、部隊の後方から前線へと、ぎこちないが波打つように効果は現れていく。
(あの野郎と直接戦うのは……ムカつくが、やめといた方が賢そうだ。となれば弓矢だが、それだけで安心したものか、ってことになるわけだが……)
 肝心な時にいない頭脳役への処分をより重いものに変更しつつ、ダレンは距離をとりつつ囲むよう手早く指示を下す。その際に被害を目算で弾き出しておくことと、敵の様子を窺っておくことも忘れない。
(ざっと三十人、か。結構殺りやがったがよ、あれだけ派手に動き回ってりゃ流石に疲れは溜まるだろ)
 半ば希望的観測の入り混じった推測であった。外見からの情報が得られない以上、過去の経験に現状を当てはめてようという選択はあながち間違ってはいないが、得策とも言いかねる。
 そうした助言をし、総大将を理論的な部分で補足、補強ができる唯一の人材を、ダレンは欠いていた。
(手前は大した奴だったよ。――だがまあ、相手が悪かったってこった!)
 急ごしらえの策を実行に移すべく、ダレンは再び合図を送った。


 伏兵のいる場所はなるべく避けて、アナバは路地裏を走る。
(早まんねーでくれよ、大頭!)
 祈りに近い気持ちで思うのは、ダレンが手下達にジークとの距離を広げさせ、囲いながら間接的に攻撃をしかけようとしているのでは、という危惧。
(考えてみりゃおかしいんだよ! 何であの野郎が、分かりやすく正面から戦おうとしてんだよ!?)
 あの男の性質を考えれば、考えなしに真正面から戦うなどあり得ない。堂々と現れたからには、それなりの思惑や目的があると見るのが妥当である。
 そうだと仮定するなら、とアナバは頭の中の将棋盤に駒を配置する。圧倒的な強さを持った単体の駒を相手に数で挑むが旗色が悪い。となれば極力距離をとって直接矛を交えるのは避けようとするのは当然と言えた。
 あの男なら、相手方がそうした戦法に切り替えるよう誘導することも不可能ではないはず。
(絶対何か隠してるんだよ! 正面からっ、それなりの人数を打ち負かせるよーなっ、何かを!)
 悪寒が止まない。彼特有の小動物的直感と小賢しい頭脳は、絶えず危険を叫ぶ。ややもすれば、このまま逃げ出したい衝動にも駆られるが、
(……いや、流石にそれだけきゃァできねーからな)
 アナバの人生で数えるほどもない、ある男への恩義が衝動を推し留めるのだった。
 建物の向こうから合図の音が打ち鳴らされるのを聞いて、アナバは転びそうになりながらも必死になって走る。


 どこかの小動物的な山賊の直感は、奇しくも当たっていた。
(やはり距離をとったか)
(想定範囲内)
(証明完了済み)
 掌から一度も漏れずに動き続ける山賊達を、ジークは冷淡な隻眼で観察してきた。
 その結果と分割思考の演算によって形作られた『限りなく現実味のある推測』は、今回も一分の狂いもない。
(あの鼠男がいれば多少の差異はあったやもしれんが、時既に遅し、というものだ)
(む)
 あの男が足掻いたところで最早どうにもならない。
 地形の把握は三日前――ジークがアルトパに訪れた初日――に完了している。そこから彼らが狙撃しようとしている位置を割り出すことなど造作もなかった。
 立っている場から遠く離れた位置に数本、矢が突き刺さる。全ては計測通りであって、動揺する理由足り得ない。
(まずは予定通り、目の前の連中を蹴散らす)
(了承)
 感覚を、研ぎ澄ます。
 風は絶えず吹き続ける。強かろうと弱かろうと風は風だ。常に変わらず、ジークを満たし続けている。
 その流れを一つ、ジークはこちらに引き寄せた。
 次に、頭の中で描き出される図面に従い、流れを理想的な形へと整える。
 ここまでの基本工程を数秒で終わらせたジークは、最後の段階に至る。
(範囲設定最大値)
(了解。復唱、魔術“風の刃(ウインド・エッジ)”有効範囲最大値に設定)
(設定完了)
(威力設定最小値)
(――疑念)
 分割思考の一つが異を唱えるも、構わずジークは推し進めた。
(異存は認めん。威力は最小値だ)
(……了承。復唱、魔術“風の刃(ウインド・エッジ)”威力最低値に設定)
(設定完了)
 淡々と分割思考はジークからの申し渡しを実行に移す。
(さて、後は頼むぞ)
(む)
 正真正銘の最後は、ジークによって結ばれる。
 頭に描いたのは、翠緑の刀身。柄も鍔も鞘もない、剥き身の刀身を空想する。
 その空想を形にすべく、ジークは言葉を紡ぐ。
『風よ・翠緑の刃を紡げ――“風の刃(ウインド・エッジ)”』
ジークから見て左側に向かい、手刀の形にした右手を薙ぎ払うような動作を添えて。
『!』
 緑色の強い光に視界を奪われ、山賊達は一瞬は驚くのだが、それ以上のことが何も起きていないことに気味が悪そうな様子であった。少し強い風が吹いた――彼らにしてみれば、その程度の認識であっただろう。
 だが、彼らはその直後に現実を思い知る。
「っぎゃぁあぁぁあああぁあぁあぁ!??」
 次々と上がる絶叫。その原因は、彼らの全身に刻まれた無数の斬線と出血、そしてそれらによる激痛であった。酷い者ともなれば、手足が断たれた者や千切れかかった者までいる。夕日を受けて朱に染まっていた彼らや古びた路面の舗装が、別種の赤を混ぜて凄まじい様相を呈している。
 ――この場にビリー・ロングフェローとアーサー・ニュートンがいれば、間違いなく確信したことだろう。
 ジークという傭兵が、彼らの遠く及ばない存在――魔導師(まどうし)であることを。
 魔導師。火を生み出し水を操り、大地を動かし風を束ねるとされる者の名は、時に理不尽なまでに強大な力の代名詞として扱われ、戦争においては最強最悪の兵種として内外から畏敬の念を送られる。
 その最も恐るべき点こそが、弓や投槍、投石機といった武具や兵器をも凌ぐ、彼らが『魔術』と呼ぶ超常の業。僅かな言葉によって用いられるその威力は、ことによれば一軍をも壊滅させるという伝説じみた『実話』は、無知無学な辺境の人々の耳にも轟いている。
 そうした絶大な力の一端をまざまざと見せつけられたダレンの顔色は、ジークの立っている場所からも蒼白に見えた。
(詰み、だな)
(肯定)
 まだ伏兵が隠されている可能性を警戒しながら、ジークはアナバと遭遇した時に練り上げた計画――その最終段階に臨む。
「聞け、ダレンとやら」
 軽く、だが深く息を吸ったジークの声が、本拠地前の広場に響いた。
「貴様らに選択肢をくれてやる。今から俺が言うことに従うか、拒むかの二択だ」
 反応はなかった。しかしジークは気に留めず、推し進めた。
「部下をまとめ、大人しくこの町から去れ」
 魔術の余波で吹き荒れる風に銀髪を幽鬼の如くなびかせながら、凛とジークは言い放つ。
「さらば命までは取らん。だが――」
 風に乗り、ジークの声は朗々とダレンらの耳に響き渡る。
「もしも貴様らが再び俺と見(まみ)えることがあれば、あの連中が感じている以上の苦痛を味あわせてやろう」
 右手には朱(あけ)に染まった長剣を握り締め、
 左手は何かを掻き切らんとしているかのように緩く折り曲げられ、
 夕陽をその身に受けて立つ姿は、遥か西方の果てから現れた悪鬼に見えなくもない。
「さあ、選べ」
「…………!」
 憑き物が落ちたような顔で、ダレンは悔しそうに歯を食いしばっていた。この期に及んで、まだ反骨精神を捨てきっていないらしい。
 視線が交わったまま、時間が流れる。ダレンの下、彼らの本拠地の周囲では、ジークの魔術によって致命傷を負わされながらも未だに死にきれない男達が蠢き、言葉にならない声を延々と吐き続けていた。
 ここまでくれば、直接手を下す必要もないとジークは考えていた。
 全滅させること自体は不可能ではない。だが伏兵の数から推測される敵の総数や表通りに集まっているであろう[バーソロミュー]のことを考えるなら、最低限の手間で済ませておく必要があった。
(早々に折れてくれると面倒が減って助かるんだがな)
(同意)
 狙うのは頭だけでいい。組織というものは中核がなくなるだけで脆くなる。
「――大頭!」
「む?」
 意外なところから援軍が来た。
「悪いことは言わないっす。大人しくアルトパから逃げた方が賢明っす」
 いつの間にか辿り着いていたらしいアナバが、ダレン達と話し合う声が聞こえてきた。
「あの男が相手じゃ、全戦力傾けたって結果は見えてやす。大頭なら分かったでしょ?」
「ここで退いたら俺らダレン山賊団の名折れだろうが! 手前はゴチャゴチャ言ってねえで、とっとと町に出てる連中を呼び戻してこい!!」
「そうすりゃ被害が増えるだけっすよ」
「黙ってろっつっただろーが!!?」
 勢いはダレンの方にあるようだが、実際のところ主導権はアナバが握っている。感情的になっているダレンでは、冷静さを維持したアナバに口論では勝てまい。生き延びるためなら、いくら臆病者だとしても――いや、臆病者だからこそ、ジークという最大の脅威から逃げるためなら、多少の犠牲も厭わないだろう。
「名折れったって、今だけのことっす。この場を生き延びれたら、また力を蓄え直すことは充分できやす。あの銀髪野郎に一矢報いんのはそっからでも――いや、本当に報いたいんでしたら、そっちのが絶対確実っす」
 今度は、アナバの言葉に沈黙が続いた。感情的な反論すら返さなかったところを見るに、少なからずダレンも内心では納得してしまっているのだろう。
「後は大頭だけっす。大頭さえ頷けば、他の連中もきちっと従いやす」
 本心からか焦燥からかは兎も角、うわずったアナバの声は真剣みを帯びていた。
「……マジで言ってんだな?」
「勿論マジっすよ」
 呻き声が減っていく中で、決着が近いことをジークは予感する。
「その言葉に責任(ケツ)持てんだな?」
 返事は聞き取れなかったが、ダレンがジークにとっても望ましい選択を取ったのだと推測するのは難しくなかった。
「おい銀髪野郎」
 おもむろにダレンが、窓辺に姿を見せたからである。
「次はないんだってな?」
「む」
 ジークが頷いた直後、ダレンは声高に宣言する。
「さっきの台詞、絶対ェ後悔させてやっからな! 忘れるんじゃねーぞ!?」
 誰がどう聞いても捨て台詞にしか聞こえない台詞を残し、ダレン以下数名は窓から姿を消した。よく見れば、いつの間にか倒れている男の数が減っていた。奇跡的にも軽傷で済んでいた者が何人かいたようだ。
(まさかとは思うが、時間稼ぎも兼ねていたというのか?)
(可能性有)
 と分割思考は告げるのだが、幾つもの気配が遠ざかる今となっては無意味と、ジークは感じていた。
(何はともあれ、これで一つは片付いたわけだ)
(む)
 ハロルドからの情報によると、ミュレの居場所はここからそう遠くない。[バーソロミュー]を遠ざけておいた今なら、人目につかずに行動することも難しくないはずである。
(……しかし、妙だな)
(む)
 戦い――と呼ぶには一方的過ぎたやり取りの最中に、分割思考の一つがこう言っていた。
 我らがこれだけ派手に戦っているにも拘(かかわ)らず、[バーソロミュー]はおろか一般市民すら気付かないことは不自然、と。
(むぅ……)
 思い出すと、途端に気になってきた。そうしたジークの心情を表すかのように、分割思考が慌しく
(一体、誰が――)
「いやはや、見事なお手際」
 どこかで聞いた覚えのある、柔らかな女声がジークの耳の奥にまで響いた。
「――まったく、あの人も詰めが甘いと言わざるを得ませんね」
 理知的だが硬さのない、理想的とも言える女性の声であった。声だけで表情までも容易く想像できてしまいそうなほど、控えめながら豊かに彩られていた。
「いかに彼らの頭領が旧アルトパ王国の兵士長だったからといっても、今やただの賊徒、最初から戦力として期待すること自体が間違いなんですよ」
 愚痴とも不平ともつかない言葉は続けられる。
「あの方の流儀に則らんとする姿勢は構いませんが、やはり物事とは柔軟に推し進めるべきだと思いませんか?」
「…………」
 返事がなくとも、声の主は続けた。
「ですから、わたしは直々に彼らを処分しに赴いたのです。不安材料は消え、ついでに拘束されていた少女も救出できて一挙両得の日――で終わるはずでした」
 清々しかった声音が、一気に色合いを変える。
「わたしの知人――と呼ぶには少々日の浅い方から警戒を怠らぬようにと釘を刺されていた相手が、別件において問題を起こされたそうでしてね」
 一瞬、声の主は間を作り、

「その方を、秘密裏に処分せよと頼まれました」

 聞き漏らしのないよう、はっきりと告げた。
「以上で前置きと謝罪は終えます。ご清聴ありがとうございました」
 直後、声の主は間違いなく表情をそのままにこう言い切った。
「特に恨みはありませんが、死んで下さい」
「断る」
 そして、ジークも即応する。
「あら、困りましたね」
「知らん」
 柔らかい声音に、苦笑の響きが混ざる。
「口には出せない事情があるのですがね」
「奇遇だな、俺もだ」
 ジークからは目に見えない相手との不毛な会話は、終わりを見せない。
 突然、意外な質問がきた。
「貴方は、どのくらい人を殺したことがありますか?」
「それなりにだ」
「では、どのくらい人に殺されかけたことがありますか?」
「それもだ」
 そう、と凄惨を極める場には相応しくない、柔らかな女性の声がジークの耳朶を優しく打つ。
「恥ずかしながら、わたしはどちらも忘れてしまいました」
「――――」
 背筋を、言葉では表すことのできないモノが走る。この場に独特の、張りつめた空気が充満していき、それに触れた肌が粟立つ感覚さえ覚える。
 何ものにも揺らぐことのない剛の存在感と、何ものさえも包んでしまいそうな柔の存在感――未だかつてない、これらの異質な要素を加えて。
(殺気……!)
(いや、それよりも何だこの気配は)
(接近警戒!!)
「わたしの名は、レオーネ」
 息苦しささえ覚える殺気のただ中で、柔らかな女性の声が名乗る。その声にすら、真綿のような実体を持って首に巻きついてくるような苦しさを覚える。
「それでは、よき黄泉路(よみじ)を」
 反射的にジークは視線を上げた。
 ――薄紫の髪をたなびかせた、槍を持つ女騎士が上空から襲いかかってくる。
「――――っ!」
 時間はあった。ジークは即座に長剣で迎撃する。
 夕闇迫る中、死者の血と夕陽で朱に染まる広場で、白銀の剣士と紫紺の騎士の戦いが幕を開けた。


 足元で踏み潰された手足や頭が爆ぜて、気味の悪い内容物をまき散らす。
 長尺の刃と、穂先の両脇に返しの付いた獰猛な槍の柄が噛み合い、耳障りな悲鳴を上げた直後、両者は弾かれたように距離を空けていた。
 いや――
「…………っ!」
 更に直後、着地すると同時に猛烈な勢いで踏み出したレオーネに対しジークは仰け反り気味という、あまりにも不利な体勢であった。
 先刻の鍔迫り合いで、ジークは押し切られていたのである。
「はっ!」
 体勢整える間もなく、レオーネの追撃がくる。鳩尾の辺りから呼気とともに撃ち出された一突きは、深めに握られた槍に、矢と同等の速度を加える。
(短めに持ち、速度増加を図ったものと推測)
(伸長注意)
 余った分を伸ばされる可能性があった。そうでなくとも、短めに柄を持っているということは、この後に動作を繋げる可能性も臭う。
 いずれにせよ、即座に対策を打ち出すべくジークは分析を始める。
 敵に主導権が渡ることを考えれば、後退は望ましくない。狙うのであれば反撃か、そこへ繋ぐための回避。
(前進や反撃は意表を衝けるという点では望ましいが、現状では実行不可能)
 故にこの場は、左右のどちらかに動いて回避し、そこから攻めに転じるべき。
(左右への回避。五割二分)
(前方への回避。三割三分)
 瞬く間に分割思考が状況を把握し、最適な行動を算出する。既にレオーネの槍が、こちらの正中線を貫かんと迫っている。
 重心を大きく左に倒し、そこから流れるように斜め後方左へ側転。足が地に着けば、更に距離を開けてから魔術を放てるよう、分割思考に指示を与えておくことも忘れない。
 秒にも満たない判断から停滞なく実行できたのは、奇跡ではなく、長年の鍛錬と経験と直感の結果である。
「む……!?」
 石突に添えられていたレオーネの左手が、素早く動いた。
(警戒!)
 赤から青みがかった黒に染まりかけた視界の中で、細長い牙が急激に軌道を変えて襲いかかる。
(回避する。情報を集めろ)
(了解!)
 側転の途中。折り曲げられた体は空中にある。四番は既に、見えていない左半分の視界を作っていた。旋回された槍の穂先はすぐ目の前にあると推測される。
 身を捻る。まだかと焦りかける矢先に右脚の爪先が地面に触れた。そこを力点に全身を捻る。穂先が通り過ぎた。
(回避成功)
 しかし油断はできない。この身の殆どはまだ、空中にあるのだ。更にそこへ予想通りに、一周した穂先が再度牙を剥く。
(已むを得ん、“風の刃”だ!)
 二番が叫ぶ。反論頭を費やすことも厭ったジークは、即座に“風の刃”を発動する。
『“風の刃”!』
「!」
 レオーネが、後ろ向きに跳ぶ。そうした光景も埋め尽くす、翠緑の風。触れればただ、無残に斬り刻まれるだけである。
「これが――」
 短く呟いたレオーネは、やおら傍らに転がっている大柄な男の死骸を盾代りに用いた。翠緑の風が通り過ぎた後に見える、細切れになって血をまき散らす死骸の向こう側に、レオーネの姿はない。
(どこへ――)
 思考を中断し、ジークは迷わず。長剣を上段に構え、真っ直ぐに振り下ろした。獣のように低い姿勢から、レオーネが横薙ぎに振り抜かんとしていた槍と、長剣が再び噛み合う。鍔迫り合いの手応えは、微塵も変わっていない。
(外敵、損傷軽微)
(魔術が急造であったこと、遺骸を盾に使われたことが威力減退の原因と推察)
(やはり、あの速度での構成にはまだ無理があったか)
 いかに魔術が並外れた力を秘めているとはいえ、瞬間的に物体を切断できるほどの威力を生み出すことは容易でない。だからレオーネは、威力も範囲も不充分なままに発動された“風の刃”が死体を寸断する間に逃げ切れたのである。
 無論、“風の刃”の性質を熟知しているジークは分かっていた。だからこそ、最初から目晦ましとして使うべく、威力を削ってでも迅速に魔術を発動させたのである。
「油断ならん奴だ」
 そうした意図など腹から出すこともなく、ジークは眼前の敵に『魔術を失敗させてしまった魔導師』として憎まれ口を叩く。
「ふふ、光栄ですね――」
 レオーネが返しかける刹那、緊張が緩む。ジークが長剣の角度と踏ん張る力を微調整し、彼女を己の得意とする間合いへと更に引き込めるように仕掛けたのだ。
「こうやって、貴方自らが罠に陥ろうとは」
「!?」
 拮抗による均衡は崩壊し、噛み合わされていた両者の得物の使い手は距離を密にするどころか、別れを惜しむ間もなく離れていく。直後に槍は大きく弧を描き、ジークの上着の襟の端を食い破った。
(こいつ、石突にも何か仕込んでいるな)
(同意)
(鉤の一種であると推察)
 ジークが死角から放たれる練達の一撃を回避し続けられたのは、積み上げ続けてきたものの結果に過ぎない。
 奇跡であれば、数瞬の間に、大きく旋回したレオーネの槍に上着の襟を『喰われる』はずがないのだから。
(む……!)
 再び強引な横転で距離をとりつつ、ジークは倹約家の鍛冶屋に作らせた暗器で牽制する。
「ふふ」
 不安定な体勢での投擲がまずかったか、槍を腰溜めに構えた状態で、レオーネは至近距離から放たれた小刀を苦労した様子もなく躱してのける。反撃を予想していたのだが、意外にも彼女はそれ以上動かない。
 ジークは直感的に悟る。レオーネは、次にこちらが出そうとしている手を読もうとしている。今まさに、自分が次なる彼女の動きを読み取らんとしているように。
(先刻は油断したか……!)
 ――槍使いとの戦いは、あれがあるから特に厄介なのだ。
 剣や斧の場合、柄や柄頭に仕掛けを施すことは無きにしも非ず。とはいえ、そうした工夫を考えるものは少ない上に余程の熟練者でなければ不自然さが出てしまうため、使う者は少ない。結局は刀身にのみ気を払えば、危険は減る。
 それに比べ、槍は違う。持ち運びの不便さ故ジークは携帯こそしないが、ある程度の技量がある者ならば穂先から石突までを最大限に利用し、対人戦や小数相手なら広範囲を柔軟に戦うことも不可能ではない。
(以上のことを踏まえての回避行動だったが……それさえ見越した上での選択とは驚きだ)
(む)
 明らかに先刻の動きは、こちらの動作を見切った上で切り替えたものである。偽装された行為にしては、一瞬の停滞は不自然過ぎた。不意の出来事に、急遽体を合わせて動かした――そう見えるのである。
(だとすれば、相当な手練れだぞ)
(分かっている)
 先を読んだこちらの対応を、何の苦もなく打破したのだ。並の者ではないことぐらい理解している。
 両者前進。再び噛み合う互いの得物。ジークが狙うのは、近接戦闘によって相手の手を封じての短期決戦。
「もしかして、わたしを凡百の槍使いと同一視していませんか?」
「む――」
 分割思考が常時大量に送りつけてくる情報の一部を、ジークは高速で処理させる。
(体勢不自ぜ――)
(軸足の準備段階である可能性六割き――)
(偽装である可能性二割き――)
(反転確率列き――)
 送りつけられてきた情報が、つかの間だけ全て途切れる。
 全身が、宙に浮いていた。遅れて直撃した部位が、燃えるような激痛を訴えてくる。
「近接格闘ぐらい、常に想定してますよ」
 原因は、脇腹を抉り上げるようにして撃ち込まれた膝蹴り。
「っが……!」
 遠退きかけた意識を鋼鉄の自制心で手繰り寄せたジークは全ての分割思考を動員し、姿勢の制御に専念すると同時に飛び退きながら、一切の躊躇なく切り札を切った。
(各項目、測定完了)
(魔術発現、証明完了)
(次は抜かるなよ)
(一撃で仕留める!)
 両足で大地を踏み締めて半身に構え、左腕を鋭く伸ばす。
 頭に描いたのは、長大な馬上槍と軍馬。
『“疾風(シュトゥルム)――』
「甘いですねぇ」
 二度目の激痛。反射的に現行の作業全てを中断しなくてはならなくなった。
 魔術をも、レオーネは容易く打ち破った。長剣と槍の隙間を縫って接近した彼女は、装甲に覆われた細くしなやかな脚で再びジークの腹めがけて中段蹴りを撃っていた。
 咄嗟に後方へ跳んで威力を殺しつつ、ジークは舌打ちする。その際に足元に落ちていた腕を拾い、レオーネへと投擲する。彼女の方も無理のある動きをしていたからなのか、払い落としただけに留まった。
(内臓諸器官への被害は軽微)
(だが、数本の肋骨にひびが生じている可能性がある。今はそれほどでもないが……折れてしまえば、戦闘続行は不可能に近いぞ)
 二番が告げたように、蹴りを受けた左脇腹が熱い。呼吸をするたびに、鋭い痛みと、僅かな不快感がこみ上げる。
(虎の子である魔術――わたしの前で晒してしまったのが運の尽きでしたね)
(魔術の使用を読まれていたか……!)
 認識が甘かった。“風の刃”を防がれた時点で疑っておくべきだったのである。
 レオーネは、魔導師の弱点を知っていたのだ。
 魔術は、三つの段階を経ることで完成される。
 一段階目では、『魔術という現象が起きて然るべき理由』を自己の内にて計測し証明を重ね、必要な条件を揃える。
 二段階目では、『魔術という現象を起こせる力』――魔力を獲得すべく、自身の魔力によって外界から導き、魔術そのものたる『器』の輪郭を作る。
 三段階目では、未だ空想の域を出ない魔術に実体を与えるべく、魔術言語と呼ばれる特殊な言語を用いる行為、『詠唱』によって『器』を作り、二段階目において集積された魔力で満たし、最後の仕上げに全てのモノが持つものである名前を与えて完成とする。
 自らの小なる魔力を用いて、外界に満ちる強大な魔力――その一部を『導く』からこそ、彼らは『魔導師』と呼ばれるのである。
 言い換えてしまえば、これら三つの条件――特に三段階目を阻止されてしまうだけで、感嘆に魔術は発動されなくなる。これが、一つ目の弱点。
 二つ目の弱点――それは、最も肝心な三段階目こそが、最も無防備になってしまうことである。複雑精緻を極める魔術を発現させるには、当然かなりの集中を要する。発現させる前だけではない。万が一の暴走に備え、発現させた後も気を抜くことはできないのだ。
 また、より致命的な弱点として、自らの放った魔術に巻き込まれる可能性も存在する。安全性を考えれば、自然と距離をとりつつの使用を念頭に置かねばならなくなる。
 単純だが、それ故に如何ともし難く、それ故に致命的な欠陥。
 隙が生まれやすく、そして自身が巻き込まれてしまう可能性があるために、近距離戦用の魔術は実質上存在しない――それを知り尽くしているが故にこそ、先ほど彼女は捨て身に近い一撃を放てたのだろう。
 槍を封じんとすればその槍の餌食となり、距離をとらんとすれば槍による刺突すらも超える、神速の足技が襲いかかる。
(……つくづくよくできた槍使い殿だ)
(同意)
 “風の刃”によって生じていた瓦礫を跳ね上げ、再び前進するレオーネ。ジークは対応の構えをとる。
 瓦礫の破片が、垂直落下する。
「ふふ……っ」
「――――」
 一呼吸の間に繰り出される、四つの刺突。虚偽の一撃目と、正中線を狙った怒涛の三段突き。
 余裕の笑みに乗せて放たれた熟練者の四連撃を辛くも潜り抜けたジークは、同じく刺突の構えをとった長剣を呼吸に合わせて撃ち出す。
 瓦礫の破片が、垂直落下している。
「あら」
 呟かれたのは、料理の手順を間違えた程度の、軽いもの。
 意表を衝かれて眼前に迫ったジークの一撃など、レオーネにしてみればその程度の認識でしかなかった。
「む――」
 だからといって、僅かな片腕の動きのみで軌道を逸らすのは如何なものか。
(この距離では詠唱は間に合わんぞ)
(分かっている!)
 長剣を槍と交差させる。素早く腕を捻り、絡めて弾かんとするも、時間がそれを許さなかった。
 ひやりとした何かが通り過ぎると、途端に熱が内側から膨張し肌を突き破った。
「お見事」
 視界の端で瓦礫の破片が微かに音を立てる中、頬に裂傷が生じていたレオーネは、しかし殆ど息を乱さず告げる。
「……には、幾分か届きませんね」
「む」
 自ら認めたジークは、左腕に生じた裂傷を庇っている。左の腹全体にまで、熱は及びかけていた。
(……強い)
 ただ純粋に、彼女の実力を評価する。
 先刻の山賊や傭兵達とは比べようもない。踏み込みの動作から刺突を躱してのけた技術までの全てが、洗練された一流の戦士のものであった。
「元とはいえ、これでも竜騎将(ゲネラール・ド・ドラケン)の一人に数えられた身――そう易々と組み敷ける相手ではありませんよ?」
 虚勢のように聞こえるレオーネの言葉を、皮肉にもジークの知識は裏打ちしてしまう。
「……ヴァンダルの者が、何故リグニアにいる」
 隻眼が、薄く削り取られた鎧の胸元を映す。
 本来ならば、そこには王冠に重なる、翼の大きな竜が刻印されているはずであった。
 ――ヴァンダル帝国。リグニアの隣国にして、五大国筆頭たる軍事国家。徹底した実力至上主義で知られる彼の国では歴戦の将軍から一兵卒に至るまでが練磨されており、他国がヴァンダルの一軍と矛を交える際は最低でも三倍からの数を以って臨めと吟遊詩人に謡われるほどの精強さを誇っている。
 その最たる例こそが、かつて彼女が身を置いていたという竜騎士部隊[ファブニル]である。虎の子として帝都守護の任しか与えられない彼らだが、幾多の素養を要し、同数以上もの試練を耐え抜いてきた者達の実力は、ヴァンダル軍において頂点を競うとされる。
「――いや、違ったな」
「?」
 絶対的な実力を持つ者としての余裕――傲慢さから、女性は黙って続きを促す。
「お前はヴァンダル軍の人間だったろうが、今は違うはずだ。そうだろう、レオーネ・ガリバルディ――五大国に牙剥く【翻る剣の軍勢(レ・コンキスタ)】の三幹部よ」
「あら、知っていましたか」
 お恥ずかしい、と笑みを濃くする女――かつて女性の身でありながらも、一級の実力を持った騎士のみに贈られる称号の一つ『竜騎将』を与えられた女傑は、顔色一つ変えることなく「ところで」と続ける。
「それが真実だとすれば、どうだというんですか?」
「どうもせん」
 傷口から手を離し、ジークは長剣の柄を握り直す。脇腹の熱も、今だけは無視する。
 小手調べは、そろそろ終わりにしなくてはならない。
「お前を、俺の眼前から退ける以外にはな」
 それを聞いたレオーネの口元が、彼女自身も気付けないほどに小さくつり上がった。


「ふ〜ん」
 激戦を繰り広げる二人を屋根の上から見ていたスミスは、小さく「やるじゃん」と呟いた。その足元には、首を掻き斬られた弓使いの死体――先ほどまでいたダレン一派の伏兵の成れの果てが転がっている。見物に最適な客席に居座っていたので、どいてもらうよう『注意』しただけのことであるとスミスは割り切っていた。
「レオーネさんと互角にやり合える奴なんて、ディノンさんと俺と……あと誰がいましたっけ?」
「スミスは違うと思うんだけどなー」
 真面目に質問していたスミスに、ヴィルが横から茶々を入れる。
「最後にやってた訓練だって、結局ボロボロになってたじゃん」
「あ、あれは本気出してなかっただけだっ! 俺が本気出してたら、もっと、こう……い、色々だぞ色々!!」
「ねーディノンさん、あの銀髪の人って魔導師なんでしょ? だったらどうしてもっと魔術使わないのかなー?」
「……おい、無視かよ」
「そうさなぁ」
 口の端だけをつり上げるという独特の笑みを浮かべつつ、ディノンは答えを探しているかのように間を空ける。
「ヴィル」
「?」
「お前は、魔導師っていったら真っ先にどう思う?」
「どうって……凄い力をもってたり、ミュカレーさんみたいに、頭いいけど体力があんまなくて、いつも本読んでて暗い感じ」
「それに気難しくて口やかましい」
 はン、とスミスが鼻を鳴らして付け加える。拗ねているのだろうが、どちらも相手にはしない。
「まあ、概ね合っちゃいるが、それはちと穿ち過ぎだ」
 首を傾げる二人に、ディノンは説明をしてやる。
「魔導師ってのはその性質上、時間の殆どを自分の研究や実験に費やさねばならんから体を動かしている時間などない。だから普通の人間に比べて体力が低い奴が多いってのは事実だ」
「じゃあ、間違ってないじゃん」
 と口を尖らせるヴィルに、ディノンは苦笑する。
「俺が言いたいのは、お前の認識じゃ狭過ぎだってことだ」
 ――刺突。反転する石突。硬軟織り交ぜた彼女の動きに、辛くも身を合わせる銀髪の青年。
「……ほう」
 ぎしりと響く、耳障りな音がスミスとヴィルの顔をしかめさせる。
「ディノンさん、流石に『それ』だけはどーにかなんないっすかね?」
「ああ」
 気のない返事を放ると、ディノンは「さて」と脱線させかけた話題を戻す。
「ヴィルが言うように、魔導師ってのは『凄い力』を持っている――が、こいつが結構な曲者でな」
『?』
 所々の分からない部分は端折りつつ、スミスとヴィルは耳を傾ける。
「お前らも知っているように、魔術ってのは普通にやるだけでもあれこれと制限が多いらしい」
 ましてや、と続けたところでディノンは口の端から鋭利な牙――を連想させる前歯を見せる。
「レオーネほどの手練れを相手にしなけりゃならん奴に、果たしてそれだけの余裕があるのか? ってえ話だ」
「……あー、ボク分かった気がする」
「え、マジ!?」
 ヴィルに先を越されたような気がして、スミスは青褪めた。
「難しい料理の最中に、片手間でレオーネさんと戦えるわけないもんね」
「……まあ、そういうこったな」
 ざっくばらんな解答ではあったが、概ね合格していた。
「現状だけで判断するなら、奴は切り札の一つを封じられているわけだ。他にも何かを隠し持っている可能性も考慮できるが――」
 ディノンの眼下で、再びレオーネが攻勢に出た。
 彼の目から見て、打ち込める隙は数ヶ所に散見しているが、その全てか、あるいは殆どが囮である。案の定、銀髪の青年は手痛い斬り返しを喰らい、左腕から朱色の花を幾つも路面に咲かせる。
「――調子付いているレオーネを相手に、持てる全てを発揮させられる可能性は低い」
 調子が出ると『遊び』も出てしまうのが彼女の悪癖であるが、しかしそこには一流とそれ以下の明確な差が現れている。
 レオーネ・ガリバルディという女は一騎打ちの際、わざと最初に多くの隙を作り、そこから徐々に減らしていくという、一風変わった戦法を好む。彼女の隙に反撃の光明を見出していた者の心理を追い詰めていくというのが趣旨らしい。
 また、彼女は勝者たり得る必須条件である、有利に戦いの展開を運ぶ秘訣も心得ている。
 ――相手の望みを、悉く破綻させることである。
 自分の思い通りにことが運ばないと、程度の差こそあれ、人は心に綻びを生じさせてしまう。要は、焦ってしまうのである。
 レオーネは、決してそこを見逃さない。優位だったはずの状況を逆転され、焦燥感に支配され始めた相手の隙を衝き、
最終的には完膚なきまでに叩き潰す。言ってしまえば、相手が一切の手出しができぬように封じてしまった上で勝利しようとするのだ。
「さて、あの兄ちゃんがレオーネ相手にどう戦うか、じっくりと見物してやろうじゃねえか」
 ディノンは眼前の『舞台』に対し、『観客』として理想的な姿勢を維持する。
 野暮なことはあまり考えず、ただ楽しもうと。


 陽は傾いて影が静々と伸びて互いに重なり、刻限の移り変わりを暗に物語る。
 互いに睨み合ったまま、ジークとレオーネは静止していた。
 先刻までとは様相を一転しているが、これもまた戦い――言うなれば、実際に矛を交えて命を削り合う『動』の戦いに対する、互いの腹は隠しつつ手の内を読み合う『静』の戦いである。
(さて、どうしたものか)
 己を取り巻く現状に、ジークは眩暈すら覚えていた。
 レオーネ・ガリバルディと言えば、巷間に生きる者の間では知らぬ者など殆どいないだろう。
 国々を股にかける革命『支援』組織【翻る剣の軍勢(レ・コンキスタ)】の中でも屈指の実力を誇る英雄として。
 軍事大国ヴァンダルに矛を向けた、重罪人として。
(まともな打ち合い組み合いで勝てるとは思えん。かといって魔術の効果も望み薄……となれば、いよいよ我らは勝利はおろか命も諦めねばならなくなるが?)
(真っ平だ)
 二番の軽口めかした激励に応じてやる傍ら、ジークは冷静沈着且つ気取られぬようにレオーネや彼女の武器について観察していた。
(槍の尺は思ったよりも短いな。穂先も槍というより矛だ)
(だが、その分だけ取り回しが容易になっているから刺突の速度が異常に速い上に、用途の幅も広い)
(判断速度もこれまでに交戦経験のある者らを遥かに凌駕していることが理由の一つと推察)
(流石は元ヴァンダル軍人。経験も半端ではないのだろう)
(む……)
 詳(つまび)らかにしていく過程で、唸らざるを得なかった。
 経験――ジークを悩ませる最大の原因はこれに尽きる。
 先刻、山賊らを相手にジークが大立ち回りを演じてのけられたのは、分割思考によって極限までの思考の高速化を達成することで限りなく迅速且つ多角的且つ洗練された思考の展開を可能とし、一度に他者の数倍以上の情報を取得、処理する能力を有していたからである。どれほどの不規則な動きをする集団であろうとも瞬時に数秒先までを見抜き、最適な動作をもって対応しさえすれば、一切の脅威足り得なくなる。
 しかし、レオーネにはそうしたジークの必勝法が殆ど望めなくなる。
 どのような過程を経てか、おそらく脊髄反射と同等の速度で対応できるほどに頭と体へ各種の攻撃法を叩き込まれているのだろう。レオーネがこちらの攻撃へ対処し、反撃へと転じるまでの速度は半端ではない。いくら推測して対応策を実行したところで、彼女は苦もなく打ち破ってしまう。
(後の先どころか後の後の先か。厄介なのも無理はない)
(対処法算出)
 と分割思考が示す内容に、ジークは僅かに渋面を露呈する。
 彼女の経験則を超える攻撃――即ち彼女のあらゆる能力を上回る圧倒的な力で正面から捻じ伏せるか、全く経験したことのない手段で攻撃するかの二択である。
(前者はまず不可能に近い)
 とジークは切り捨てる。満場一致に近い意見が出揃う。
(彼我の身体能力差は皆無。しかし、技量はこちらが劣る)
 現状を維持したままでは勝ちは拾えぬということである。
(となれば、残りは後者)
 百戦錬磨のレオーネですら経験したことのない――言い換えれば即応性の低い攻撃により、一撃で斃す。
(以上の条件を満たすのは、魔術を置いて他になし)
(だが、魔術の効果はさほど望めんぞ)
(同意)
(四番は現状が見えていない)
(対象が詠唱段階を狙う可能性大。不用意に隙を作るような行為は現状において不適)
(四番に同意。六番の意見は可能性の幅を狭めている)
 分割思考の一部にはそのまま議論を続行させつつ、ジークと二番、七番はレオーネの状態からより具体的な作戦を算出せんとする。
(奴も伏兵を用意していると思うか?)
(否定。根拠供述、レオーネ・ガリバルディという人物が噂通りのものであるのならば、あくまでも彼女の精神的指針に則り行動するものと思われる)
(付け入る隙があるとするなら、そこしかないな)
 話をまとめていくと、レオーネという女は、あくまでも己を騎士として認識している節があった。それも階級的な意味ではなく、忠義を重んじ、正々堂々と全力を尽くす、武人としての騎士である。
(では、奴さえ退ければ、残るは[バーソロミュー]の連中だけだということになるな)
 レオーネがほぼ掌握に近い形で[バーソロミュー]と結びついていることを知らないながらも、ジークは彼女から真実の一端を掴み取る。
(同意。しかし対象を一過程として認識するのは危険)
 七番が嗜める。ジークも分かっていたつもりであったが、やはりどこか焦燥を捨て切れなかったようだった。
(改めて分かっただろう。あれは常人の域に括れん。雲霞のごとく犇(ひし)めき異彩を放つ猛者どもの中でも一際群を抜いた、正真正銘の“化け物”だ)
 噂など一参考程度に過ぎないほどの情報が、ジークの手足に、五感に、熱く感じる吐息の中にまでも残っている。
 論議を重ねていた、三番から五番までの分割思考が終了を伝える。
(どうやら、腹は決まったようだな)
(む)
 他ならぬ自分からの激励に対し、珍しくジークは己の口元に弛緩を許した。
 僅かに上弦の線を歪めるそれは、笑み。
(悪いが、俺は生き延びねばならん)
(収集開始)
(三番と四番、証明にかかれ)
(了承)
「残念ですが、素晴らしい時間をありがとうございました」
 決着をつけよう――笑顔の奥で、レオーネはそう言っていた。
「む」
 下げていた長剣を、肩と水平になるよう構える。


(魔術を主軸にした奇襲戦法をどこかで用いますね)
 当然、ジークが行き着いたと予想される結論をレオーネが予測できぬはずがなかった。
(わたしが過去に戦った経験が最も乏しそうなものを考えればそれぐらいしか浮かばないでしょうから……ふふ、苦肉の策ですか)
 彼の者の苦慮に満ちた内心を想像し、思わず、笑う。
 しかしレオーネは、そうした渾身の思いで己を討ち果たさんとしているジークへの表情を、より冷たく、より鋭いものへ変える。一対一においてのみ、個と個の戦いにおいてのみ、己は常に正々堂々と、正面から全力を以って打ち破らなければならないのだ。
(となれば、彼がどういった状況下で切り札を切るのか、その種類は何なのか、といった点を読み通せるのかというのが、現時点でのわたしの課題ですね)
 二度に亘り魔術を無効化して見せたが、そうした些細な事実など一切の誇りにも思わない。誰が呼吸できることを自慢しよう。
(それにまだ、彼の全てを見たわけでもありません)
 意図的にか無意識にかはさて置き、ジークは自分の『手』を隠して戦うのが上手い。先刻の魔術や刺突にしても、警戒こそしていたが、いざ放たれた瞬間には僅かに対応が遅れた。実戦の中で肝を冷やしたのは数年振りである。
「ふふ……」
 口の端が緩む。これは歓喜だ。組織の人間以外では久しく目にしていない、強者との出会いに打ち震える喜びだ。
 そして同時に、打ち倒せる喜びでもある。
(剣術、体術への警戒と対応は現状維持でも構わないとして……さあ、どう来るんですか、若い銀髪の魔導師)
 彼の姿を見た。笑っている。こちらと同じ思惑かとも考えたが、やはりそうではないのだろう。
「残念ですが、素晴らしい時間、ありがとうございました」
 様子見の段階は終わった。ここで遠慮などしては、最早彼に対する侮辱であろう。
「む」
 青年は、下げていた長剣を肩と水平になるよう構えた。
 意思は伝わっていた。冷たく鋭く、何者をも寄せ付けさせまいとする眼差しには、先刻の言葉を成し遂げんとする意志が感じられた。
 ――両者の出した結論は、奇妙なほど一致していた。


 まず動いたのは、ジークであった。
 身を低く構え、地面と水平に滑空する燕か猛禽のように、速く駆ける。レオーネの間合いに入った。同時に斜め上から振り下ろさた槍を振り払う。長剣の刃が槍の穂の脇で左右対称に並ぶ鉤と触れ合い、火花が散った。
 先刻とは逆の立ち位置。だが結果も同じとは言えなかった。
「む……!」
 一瞬は堪えられるが、すぐ膝が曲がってしまう。
 自然落下の勢いも加わり、レオーネの槍による一撃は先刻に比べ格段に重みを増している。
(いや、これは――)
(停滞禁物)
 警告。僅かに身を捻り、槍を後方に流す。旋回される柄を掻い潜り、尚も前へ。
 ――と、見せかけての、
「読めていますよ」
 魔術への予備動作が、強烈無比な斬り返しにより、いとも容易く潰された。防具を仕込んである、利き腕の逆で咄嗟に防いでいなければ、昏倒は確実であった。
 分割思考による予測は、常に三手先からを読むことが可能である。それでも捌ききれない一撃があるのは、悲しいかな技量の、ひいては実力の差である。
 もう一歩下がらんと踏み込んだ直後に、足元を柄によって払われる。体勢を整えつつ、魔術を放つ最上の瞬間を生み出さんと長剣を振るって槍の穂先を打ち払った。弾かれた槍は、大きく弧を描いて遠ざかる。
(威力設定完了)
(範囲設定完了)
 時間に換算すれば二秒もないその隙を、決してジークは見逃さない。
 動作の中で分割思考が織り成した、一分の狂いもない証明と設計図が、ジークの言霊を経て現実のものへと昇華する。
『“風のや(ウインド・エッ)――』
 詠唱さえ、果たすことができたなら。
「させませんよ」
 レオーネの全身が、迫る。至近距離で魔術を受けることの危険性を分かっている人間として、あり得ない行為である。
 そうした一瞬の隙が、レオーネに逆転を許してしまったのだろう。已むなく魔術を中断し、迎撃態勢に移らねばならなかった。
 長剣が二合、三合と風を切り裂いて唸る穂先と交わる。足の運びから蹴りが来ると予測し、巧みな踏み込み方で膝蹴りをやり過ごした。
 すれ違いざま、互いの動きの中へと挿し込むように寝かせた長剣を振るってレオーネの片腕を斬り落とさんとするが、上半身と槍を強引に動かされ、捌かれてしまった。
 一時の停滞。互いに軽く息を弾ませるも、肉体への外傷や武具の損耗はない。
(情報は集まっているか?)
(肯定)
(だがそれより重大な問題があるだろう)
 さりげなく二番が、己の見抜いたものを挿し込んでくる。
(あとどのくらい、その調子で動けそうだ?)
 回避。追撃として放たれる槍を、即座に全身の筋肉を躍動させ、呼吸に合わせ下段から垂直に長剣で跳ね上げる。
 そこで、動きに空隙が生じてしまった。
(残存体力低下。尚も続行中)
(運動能力低下。平均値を二割三分下回る)
 ジークの身に起きているのは、奇怪な現象でも何でもない。
 体力に、限界が見え始めているのである。
「どうしました」
 分割思考が警鐘を鳴らす。容赦なく隙を狙うレオーネの槍。動けるのか。躱せるのか。できるのか。
 ――セネアリス。
「ぉおっ!!?」
 動いた。ただがむしゃらに、分割思考の指示した回避法とは無関係に、直感が命じるまま。
 肩から地面にぶつかった。いや、これはさっき投げた腕か。兎に角何でもいいから不安定な姿勢も厭わず投擲する。レオーネが気を取られてくれればという甘い考えはない。顔の横を通り過ぎた腕など意に介さず、身を翻して動きの中に力を蓄えているのが見て分かる。軌道も予測できる。対処法の算出も不可能ではない。
 だが、それを捌ききれるという確証はなかった。
 ジークとて、無尽蔵の体力を持っているわけではない。分割思考によって割り出された動きの中に最小限の力で効率よく動きを挿し込めばいとも容易くあしらえるが、それでも少なからず消費するのである。
 ましてや、相手は【翻る剣の軍勢(レ・コンキスタ)】を代表する烈女こと、レオーネ・ガリバルディである。生半な攻撃が通じるはずもなく、神業に等しい練達の一撃を対応すべく一方的に全力に近い運動を強いられ続けていては、遠からぬ枯渇は目に見えている。
(目に見えて隙が減ってきているな……これはいよいよ、奴も本腰を入れ始めているぞ)
(むぅ……)
 呼吸が荒くなり始めるジークに対し、レオーネは未だ衰えを見せない。
 元々感じていた実力の差が、徐々に浮き彫りになってきていた。体力の差という、どうしようもない一面からも。
「まさかとは思いますが、もう疲れてきましたか?」
 やはり名うての兵(つわもの)だけあって、レオーネは鋭く見抜いてくる。
 真正面からの突き。鮮やかに翻って前髪を斬り落とす。一転して石突が迫る。通り過ぎた直後に反転、僅かに伸張された柄が脾腹を打ち抜かんと迫る。
 体力の低下を確かめる意味も込めて、手数を増やしてきたと分割思考も彼女の思惑を看破するのだが、それらを捌けても反撃に転じることは難しくなっていた。
(無理に反撃する必要はない)
 相手の狙いはそこにある。不用意に隙を作るような真似をしてしまえば、それこそ最期である。
 故にジークは衣服の損傷や軽い裂傷などに頓着せず、無理矢理に近い形でレオーネを薙ぎ払わんとした。
「あら」
 またしても軽い呟き。ただそれだけで渾身の斬撃への感想を終わらせたレオーネは軽く柄を長剣と交えたかと思うと、
「っむ――!?」
 素人目にはあたかも重量が消えうせてしまったかのように重心を操作し、ジークを宙に弾き飛ばしたのである。
(まずい)
(姿勢制御不可)
 レオーネの追撃は予測できた。踏ん張りなど一切利かない空中でジークにできたのは、既に構成を終えている数種の魔術――その仕上げにかからんとするが、
(対象は魔術を警戒している。発動を臭わせた場合、こちらにとって不利をもたらす可能性大)
 といった分割思考の意見から、短刀の投擲を実行する。距離は目と鼻の先である。外すことはあるまいかとも思われたが、全てが一撃の下に叩き落されるという驚愕の結果が待っていた。
(だがそれで構わん。所詮は時間稼ぎだ)
 追撃がジークのすぐ脇を通り抜けたのは、彼の両足が血と夕陽で染まった地面を踏み締めてからであった。
(徹底して魔術を使わせんつもりか)
(どうやらそうらしい)
 レオーネでも先刻の連続攻撃には無理があったのか、息を整えているようであった。それでも隙を見つけるのは困難なままであり、挑みかかるのは躊躇われた。
 そのまま、動かない。敢えて攻めの主導権をこちらに渡し、先刻と同じようにこちらの体力を削るつもりなのだろう。癪ではあるが、この時間を体力の回復に充てる。
(提言)
(む?)
 三番であった。役割が役割なので不安はあったが、同時に期待もあった。
(そこまで過剰に反応するということは、対象が魔術を警戒している何よりの証左。やはり魔術は決め手としておくべきと考えられる)
(む……)
 後半部分は兎も角として、レオーネの警戒が虚偽のものであると仮定した場合、幾つかの動作に疑問が残るのである。改めて考えれば、魔術を警戒しているという仮説には信憑性が認められる。
(いずれにせよ、問題となるのは魔術の発動を潰しにかかるレオーネをどうするかだ)
 情報は一つ増えたが、まだ状況を動かすには足りていない。不足分を補うべく、ジークは頭を巡らせる。
(新たな選択肢を、考慮せねばならんか)
(同意)
 状況は刻々と変化し続けている。選択肢の数と内容は一定ではないのだ。
 現時点での手持ちの情報からでも、実行可能な選択肢は無数に作り出すことはできる。
(俺はまだ死なんぞ、セネアリス)
 諦めるような真似はしない。果たすべきものを成し遂げるその時まで、この身は決して立ち止まりはしない。
(立ち止まらせもせんさ)
(同意)
 気力は残っている。魔力も潤沢とは呼べないまでも充分にある。ただ少し、疲れ始めているだけである。
 レオーネが、身構える。踏み込みなどの細かな動作から、前進を察していたようだ。
 放たれる一直線の突き。『点』の攻撃だと侮りはしない。ここからの熟成された連撃こそが、レオーネの恐るべき要素の一つである。
 長剣を振るえない間合いに詰め、膝蹴りを打ち込んでくる。やはり来た。
「――――っ」
 レオーネが一歩分、下がった。
「その袖の下、何か隠していますね」
「さてな」
 仕込んであった手甲を見抜かれていたようだ。レオーネの膝も脚甲に具(よろ)われていたので大した効き目は期待していなかったが、レオーネの『眼』の精確さを確かめるくらいにはなったようだ。
「ふふ、油断のならない方ですね」
 再び口元に浮かぶ笑み。挑発ではない。丹念に吟味し、その上で出された感想に他ならない。
(楽しんでいるというのか、この状況を)
(驚嘆)
 片や息が上がり始めているのに対し、片や笑みを浮かべる余裕がある。心底恐るべき“化け物”であると言える。
(……斃すのは、無理かもしれんな)
(疑義)
(同意)
 五番と六番の間で意見は真っ二つに分かれていたが、今のジークには気に停めている暇はない。
 強弓から放たれた矢の如く、レオーネが襲いかかってきたのである。
「む」
 初手は右肩から左脇までを結ぶ中段斬り。長剣による防御は行わず、身を翻しやり過ごす。無理し辛くなってきている今、最小限の動作で凌ぎ、第二、第三撃に備えねばならない。
 二手目に腰の辺りから鳩尾へと放たれたものは、槍という武具の原点とも言える、一点に威力も殺意も凝縮された必殺の刺突。
 回避は例によって困難。疲労が堆積し始めたジークだが、槍の伸張が限界を迎えるよう計算しながら身を傾けてやり過ごす。
(む)
 そんな時、天啓が舞い降りた。
 ジークの隻眼か、あるいは脳のいずことも言えない場所が、見落としてはならぬであろうことに気付いた。
(もしや)
(記録提示完了)
 ジークの意思を受け、分割思考が神速で必要な記憶を選出する。
「っ!」
 旋廻。紙一重での回避。
(……間違いないな)
(同意)
(誤認である可能性四割)
 三番でさえ、六割を超える反転確率を算出できずにいる。
(もう一度確かめるべきだな)
(いや)
 異存はなかった。分割思考全体で算出しても八割を超える数値が出ているのである。だからこそ、
(俺は、直ちに実行に移すべきだと考えている)
(焦燥禁物)
(七番に同意)
 七番を筆頭に、分割思考の大半から反論が上がる。だが、そんなことに構っている暇はない。
(レオーネほどの傑物なら、時間の経過とともに目論見を見抜く可能性が高い。実行するのであれば可能な限り早期にすべきだ)
(異議有)
 最小限の動きで槍の軌道を逸らしながら、ジークは己との、もう一つの戦いにも気を配る。
(状況は変わり続けている。今手にしている好機が意味を成さなくなる時が必ず来るはずだ)
 肩当のない右肩を、遂に穂先が食い千切った。体力の損耗は、同時にジークから集中力も削ぎ落としている。
(――四番)
(既に完了済み)
 最初からジークに同意していた四番は、複雑精緻な設計図を描き終えていた。
 空気が唸る。石突が鼻先を掠める。まだ時は来ない。
 襟が裂ける。穂先が首筋を狙った。まだ時は来ない。
(む)
 波のうねりを感じる。引いた潮がその直後にどうなるかが分かるのと同じく、ジークには己に迫るものを感じ取った。
(来たか)
 仕損じてはならない。レオーネほどの使い手に同じ奇策が通じると考えるべきではないのだ。


(何かありますね)
 ジークがこちらを警戒する気配が伝わってくるのと同時に、『やってやろう』という決意が仄かながらに感じられた。
(確かめさせてもらいますよ)
 分かった上で、敢えて乗る。『逃げ』という選択を考えるような者は、騎士ではない。
 左足を軸に、レオーネが全体重を乗せて突きを放つ。これまでとは比べようもない、渾身にして会心の刺突。
 その、ジークを仕留めるべく繰り出された必殺の一突きが、
「!?」
 あらぬ先へと逸れて、僅差でジークが走り抜けた後の空を貫いた。
(外れた? このわたしの突きが!?)
 驚愕は一瞬で去り、レオーネは直後に分析を終えていた。
(違う、今のは外れたのではなく、わたしが外した)
 軌道が、狙っていたものよりも僅かにだが彼女から見て右にずれていたのだ。
 その原因も、彼女は知悉している。
 遊び癖とは別に、彼女にはもう一つの悪癖があった。左足を軸に踏み込んだ場合、槍の軌道が僅かにだが右へと逸れてしまうのである。
(この短時間でわたしの癖を……)
 事実確認に遅れて、感情がレオーネに辿り着く。
 だが、
「!」
 それよりも、ジークが接近する方が速かったようだ。
(――魔術……!)
 直感的に悟る。だが何が来るかまでは分からない。しかし攻撃性のものであることは状況から鑑みるに明白。阻止せんと伸ばしきった槍を横に振るう。
「む――」
 重い手応え。骨にまでは達していないだろうが、しばらく思考を遮るには申し分のない一撃である。
 はず、だったのだが、
『“――――”!!』
「!?」
 早口で呟かれた、正体不明の言語。眼前に迸る、目を開いていることができないほどの、翠緑の光。
(馬鹿な、至近距離で魔術は――いえ、現に今――)
 思考が現状に追いつかない。長年培ってきた感覚が、振り抜かれた腕も、蹴りも間に合わないと告げていた。
 ――ここまでか。
 そう受け容れかけたレオーネだったが、十秒、二十秒と時が経過していくことに違和感を覚える。
「っ……?」
 目を開けると、ジークの姿はどこにもなかった。右手に目を移すと、槍の柄が中ほどで折れていた――というか、滑らかな切断面を晒して斬られていた。
 先刻まで時々視界に入っていたずだ袋がなくなっていた時点で、レオーネは確信する。
(……なるほど)
 どうやら先刻の魔術は自分ではなく、この場から逃れるためのものだったらしい。槍を切断していったのは、恐らく追撃の手を封じるためなのだろう。
 つまりジークは、最初からあの魔術で自分を斃すつもりなどなかったのだ。
(勝ちを捨て、逃げに徹したと……直前まで魔術に対し危機感があまり感じられなかった理由はそれでしたか)
 頭では分かっていても、やはり不満は隠せない。あれほどの獲物など、ここ数年では五指にも満たない。
(仮に、わたしが最初から全力を尽くしていれば……いえ、その先は愚か者の想像ですね)
 いずれにせよ――
「――どうだった?」
 背後から聞こえてきたのは、よくよく聞き慣れた男の声。苦笑を浮かべて、それに応じる。
「……してやられましたね」
「ほう? それは珍しいな」
 手首を抑えて呟くレオーネへと、ディノンはこれといった感情を交えず応じた。
「わたしを斃せない難敵と看做すや否や、彼は明らかに途中から目的を『戦闘からの離脱』に切り替えていました。中々に危険な選択であったと推測できますが、結果はご覧の有様です。互いの隠していた切り札の読み違いに差があり過ぎましたね」
 滑らかに己の敗因を語ってのけるレオーネに、ディノンは初めて声に笑いを混ぜる。
「元・竜騎将(ゲネラール・ド・ドラケン)ともあろう御方が、剣士一人をあっさりと取り逃がすとは思えんがな」
「ご冗談を。分かり切ったことを仰らないで下さいな」
 瓦礫の果てに目をやっていた、かつての女騎士は、初めて先刻の己以上に獰猛な光を宿した男にも苦笑を投げかける。
「騎士として武人として、彼とは是非決着を付けてみたかったのですが……そんなことをしてしまえば、貴方に怒られてしまいますからね。かつて我が祖国ヴァンダルにおいて最強と目された傭兵たる、元『戦鬼』の貴方に」
「まあな」
 何枚もの鉄板を複雑に組み合わせて構成された、無骨だが頑丈なはずの手甲が、握られる強さで軋む。
「獲物を前にして、二度と手の届かん場所に行かれては困る。俺はあの世なぞ信じておらんからな」
「死ねばただ骸、でしたか」
 ディノンの信条を口にし、レオーネは「たしかに」と笑みを交えて同意する。
「死んでしまったら、それこそわたし達の思惑通りにはなりませんものね」
「当然だ。あれほどの人材は、【翻る剣の軍勢(レ・コンキスタ)】ではたまにしか見かけん」
 断言するディノンの目は、今も尚獰猛に輝いている。獲物を目の当たりにした虎の笑みである。
「では、当面の処置は」
「観察を兼ねた監察、とでもなるか」
 レオーネとは対照的に口元から笑みを消したディノンは、先刻まで自分がいた建物――その屋上に向かって怒鳴る。
「ヴィル!」
「はぁい」
 二階建てだということを感じさせずに死体の散乱する広場に飛び降りてきたのは、赤茶けた前髪以外を隠すかのように黄色い布を頭に巻いている、十歳ほどの小柄な子ども。
「仕事だ」
「さっきの銀髪の人を追うの?」
 という幼いながらも利発な確認に対し、返されたのは肯定。
「ただし、追うのはお前だけだ」
「……へ?」
 呆然としているヴィルに、ディノンは補足してやる。
「俺やレオーネは一月ほど逗留する」
「じゃあ、スミスは?」
「スミスには補佐役として、わたし達の力になっていただきます」
「え、でも――」
「それに、この国には【翻る剣の軍勢】の人間は殆どいませんもの。他所から人を呼ぶ余裕はありませんよ、ヴィル」
 逃げ口は塞がれていた。
「む〜〜……」
 渋面を作って二人を睨むヴィルだったが、やがて「分かったよ」と諦めに似た決意を示す。
「何でもいい、兎に角頑張るよって行く時最初に言ったのはボクだもんね。分かってる、ちゃんとバレずに追いかけるよ」
 それに、とヴィルは続ける。
「ここで嫌がってたら、スミスに笑われちゃうし」
「あら」
 と口元に手を当て、レオーネは笑う。兄弟喧嘩を呆れながらも見守る母の眼差しで。
「だそうですよ、スミス?」
「――へぇへぇ、アンタにかかっちゃ俺も形なしっすよ」
 更にヴィルの背後から現れた筋肉質な童顔男が、頭の後ろで手を組みながらぼやいた。
 聞かれていた――そう思うと、一気に顔が赤くなる。
「す、スミス!? いつから聞いてやがったのさ!??」
「じゃーすんませんディノンさんレオーネさん! ちょっくらこのドチビを奴さんとこに送り届けてきまーっす!」
 片手を挙げて挨拶したスミスは、文句を言って暴れるヴィルを肩に担ぐと、常人では考えられないような跳躍で建物の壁を階段のように駆け上がっていく。屋上にまで上りきった時には、その姿はすっかり見えなくなっていた。
「くれぐれも見つからぬよう、気を付けるんですよー」
 間延びした口調でスミスらを見送ったレオーネは、傍らのディノンにも声をかける。
「行きましょうか、ディノン」
「おお」
 先刻の死闘の余韻など、そこには一切感じられない。


 燃えるような夕焼けの紅色も、路地裏に入れば薄闇に飲まれてなくなっていた。ここだけが一足先に、夜が訪れているのである。
 そうした路地裏を脇腹に鈍痛を抱えて、ジークはひたすら走っていた。
(流石に、ここまで逃げれば心配はあるまい)
(む)
 重たげに一息吐くと、ジークは壁に背をもたれさせた。体の数ヶ所は、未だに火のように熱い。見上げれば、赤と青と紫の入り混じった空に星が点在していた。
 もう一つ、ジークは息を吐いた。
 危なかった。
 魔術は発動までに少なくとも三秒かかる。その間だけ意識が保てれば充分であった。発動にさえ持ち込めれば、よほどの損傷ではない限り動ける自信があった。
(しかし、あの一撃は半端ではなかった)
「同意」
(肋骨破損)
(右肩に裂傷有)
 次々と挙げられていく損傷の内容にすら意識を傾けるのは億劫であった。
 ――レオーネの癖を見抜く前後で、ジークは対レオーネ戦での勝利を既に『駆逐』から『生存』に切り替えていた。
 “風の刃(ウインド・エッジ)”を放って分かったが、勝利を前提とする場合、あれほどの手練(てだれ)を一発二発の魔術で仕留めることは現時点でのジークの技量では実質不可能に近い。命中させる以前に、発動を阻止される可能性があるからだ。
 だが、逃亡を前提としているのであれば話は別。使う魔術はたった一つで済む。
 “世界を見渡す秘匿の鳥(スパルナ・アディアーヤ)”――対象を不可視の箱で覆ってしまう、隠蔽の魔術さえあれば。
(しかし、随分と的外れな位置に来てしまったな)
(“疾風の猟犬(ゲイル・ハウンド)”で作成しておいた図面があるだろう)
(提示)
 図形や図面といった情報の管理を担う四番が、すぐさま開示する。
(む……)
 頭に浮かんだ事細かな宿場街裏通りの地図から、ジークは己の現在位置と目的の商会がある場所までの距離を割り出した。
(完了)
 と告げる分割思考に何も応じず、ジークは肺の下、左の肋骨にあたる箇所を押さえる。
 今尚残響する鈍痛が、レオーネの実力を物語っていた。右肩からは未だに呼吸に合わせて血が流出している。
(ミュレの許に行く前に、治療しておかねばならんな)
(同意)
 時折薄れる意識の中で周囲に人がいないことを確認すると、ジークは早急に魔術の基礎を組み立てる。
(損傷箇所、左株の肋骨が二本骨折。右肩鎖骨脇に裂傷。他腕部と脚部に軽傷多数。疲労の蓄積が散見するものの、生命維持に必要な諸器官に悪影響は見られず)
 まず六番が、蓄積された知識とジークのもたらした触診の結果から具体的な状況を算出し、
(接骨作用、及び破損した細胞と欠陥の再生促進)
 続いて三番が、求められる内容を骨子に魔術の基盤に該当する設計図を構成し、証明していく。
 これからジークが行うのは、通常の魔術と原理のみを共有する、最も異質な魔術であった。
 頭に描いたのは、柔らかな春の風。
『“安らぎの微風(レスト・ウインド)”』
 発動に伴い実体を得た魔力が、翠緑の粒子という形をとってジークの頭上から降り注ぎ、触れた所から消えるように入り込んでいく。その光景は幻想的でもあったが、とある人物らの、奇しくも重なっていた思惑によって見ることのできた者はいない。
 痛みが、少しずつ引き潮のように和らいでいく。
「む……」
 具合をたしかめる。内出血がどの程度回復したかは分からないが、過去の経験から完治するまで遠くないことは分かる。
(だが、三日ほどは激しい運動は控えるべきだな)
(要栄養補填)
(む)
 ジークが使ったのは、対象となる人体の内部を弄るという、極めて特殊な魔術であった。
 優れた魔術である反面、体の状態を正確に把握しておく必要性があることや即効性に欠けることから戦闘には全く不向きであるといった欠点もあるが、応急処置として重宝しているのは事実である。
「東、か」
 誰にともなく呟いたジークは、先刻に比べて幾分か安定した足取りで呟いた先へと向かう。
 分割思考に導かれるままに無心で走り続けたからか、辿り着くまでそれほど時間はかからなかったと思っていたが、既に空は殆どが青味がかった黒色になっていた。
 息を殺し、ジークは角から建物周辺の様子を探る。
 ハロルドから知らされた商会は、一目で扱っている『商品』が想像できそうな、廃屋に偽装された建物であった。
(む)
 薄闇の中に、明かりが散見している。それらを頼りに隻眼を凝らせば、表通りの喧騒とは裏腹に、その一帯だけは強面の男達が固まっているのが見えた。彼らもまた、身形や松明以外の持ち物から、どのような『職種』なのかを推測するのは難しくなかった。
(どこへ行っても、『裏』はさほど変わらんな)
(む)
 頷きつつ、ジークは“世界を見渡す秘匿の鳥”の効果を持続させてある間に行動へ移った。
 守衛の男らと接触しないよう慎重に歩きながら、敷地内に足を踏み入れる。玄関の扉は閉じられていて、正面から入ることは望めそうになかった。
(なんだ、裏口がないのか)
 二番が洩らしたように、この建物には勝手口に当たる部分がなく、代わりに真新しい漆喰で埋められた場所があった。
(已むを得まい。彼らから出てきてもらおうか)
(む)
 建物の脇へと移動すると、ジークは肩から下げたずだ袋の中から奇妙な代物を取り出した。
 ジークの掌に収まってしまえるほどの、壷に似た小さな器である。
 蓋を開けたジークは、躊躇なく人さし指を入れると、掬い取った中身を画材のようにして壁に丸と三角を組み合わせた紋様に加え、更に文字を書き加えていく。
 これを反対側の壁と裏側、つまり玄関を除く三箇所に描いたジークは、建物の正面で待った。
 その様子を、頭上で大小二つの人影が見ていることも知らずに。
 十数秒後、突如三方から立ち昇り始めた煙と火に、男達は血相を変えることとなった。


 明かりのない、最低限の清潔さを保っているだけの殺風景な部屋の片隅に、ミュレはいた。
「…………」
 力なく壁にもたれるミュレの姿は、持ち主に捨てられた人形のようだった。
 いや、ようだったではない。真実彼女は、義理の両親から捨てられたのだから。
「…………」
 ミュレの表情は、一切変わらない。悲嘆に暮れて落涙することもない。
 ――ある意味、当然のことであった。
 一体誰が、毎日出会う者に対し、慣習に対し、延々と繰り返され続ける日常に対し感情を動かすのだろう。全ては時が経つごとに心の起伏は磨り減り、やがて感覚は麻痺していくばかりだ。
 半ば閉じられ、半ば開かれた黒目がちの瞳は、飽きもせずに虚空を映していた。まるで、それだけしか知らないかのように、ただ、虚空を見つめていた。
「…………」
 まさしくこのように繰り返されたミュレの日常とは、全てが拒絶へと通じる道であった。
「っ寄るな!」
 “化け物”と罵られて剣を振るわれ、
「――私が、お前なんかを愛していたと思っているのか?」
 “化け物”と嘲(わら)われて偽りの愛だと知らされ、
「ほほぅ、これは上々の品ですな」
 “化け物”と看做されて情欲の捌け口にさせられ、
「まあ、なんと醜い生き物なんでしょう――」
 “化け物”と称されて哀れみと侮蔑の視線に晒され、
「お前は、『外』から我らに滅亡をもたらす災いだ」
 “化け物”と告げられて無数の殺意を放たれ、
「お前は“化け物”だ!! それ以外に何の価値もない!!」
 “化け物”と閉ざされて素材にされかけ、
「早く一緒に逝って、謝りに行こうね?」
 “化け物”と聞かされて自分が死ぬべきだと考え、
「これで我らも、大国に迎合してもらえますな」
 “化け物”と利用されてモノのように扱われ、
「わたしは、貴女が怖いの」
 “化け物”と恐れられて拒絶され、
(――「お前みたいな“化け物”とは決別するよ」――)
 そして、また――
「…………」
 常人であれば、確実に何度も絶命していたはずの道程に、彼女が残していったものは無数の屍による山。遺されたものは憎悪と末期の絶叫。
 そうした記憶でさえも、薄れて千々に裂け、やがて溶けてなくなった。
 “化け物”――この単語は、常に彼女の影の如く付きまとってきた。それこそ、思い出すこともできないほど、星の数ほど言われ続けてきた。
「…………」
 何もない。
 人の気配など微塵も感じられない薄闇の空間は、ミュレの微かな呼吸音すら吸い取ってどこかへ消し去ってしまいそうだった。
 誰もいない。
 彼女の記憶には、今や像を結べるほど鮮明な人の顔の記憶など最早五人もいない。
 何もしない。
 ただ壁にもたれて虚空を見つめて、微かに呼吸を繰り返すばかり。瞬きすら、しているのかも疑わしい。
 その結果が、『ミュレ』という少女であった。
「…………」
 そんな少女を、ジークは黙って見下ろしていた。本来ならば不法侵入と余罪で刑罰に処されてもおかしくないのだが、彼を咎められる者はここにいない。商会の外では、従業員らによって無駄な――もとい懸命な消火活動が行われている最中である。
「…………」
 物言わぬ少女は、たった一つの視線に反応すら見せずに壁にもたれていた。両手足に施されている戒めは、以前ジークが見た物よりも更に物々しい作りとなっている。
 外せないこともないと、ジークは一目で判断する。
 ただ、その前にどうしてもやっておかねば、と思うことがジークにはあったのだ。
「ミュレ」
 僅か一単語。それで虚ろな眼が初めて動いた。続いて顎がゆっくりと持ち上がり、顔全体でジークをじっと見つめた。
「今から俺は、お前を解放する」
 宣誓。しかし反応も返事もない。
 慣れた手つきでジークが拘束具を破壊し終えた時、階段を駆け上がる音が聞こえてきた。
「む」
 急いでミュレを脇に抱えたジークは、“世界を見渡す秘匿の鳥”を発動させる。
「――んな!? 馬鹿な、あの“化け物”、どこ行きやがったんだ!??」
 間抜けた顔で男が部屋中を見回している隙に、ジークは素早く部屋を出た。
 彼らにとっては想像以上の、ジークにしてみれば想定内の勢いで火の手は回っている。風の力を得て爆発的に膨れ上がった炎は、最早人の手に余る。
(出た後に、少々打ち払っておくか)
(同意)
 延焼のことだけは気に病みつつ、ジークはどこからか水を汲んできている男らのために少しだけ“風の刃”で炎を吹き払うと、適当と思われる距離まで逃げた。
 いつまでも重荷を抱えている趣味はないと言わんばかりに、ジークはミュレを地面に下ろした。いつの間にか降り注ぐ月光の下、うつ伏せに寝転ぶミュレの姿は神秘的とも言えなくもないが、ジークにはそうした感性はない。
「さて……む」
 喋りだそうとしているのにも拘(かか)わらず、まだ寝転んだままのミュレの腕を掴んで起こし、ジークは仕切り直す。
「さて、お前には質問したいことがある」
 ミュレの目の前に、真っ直ぐ指が突きつけられる。
「この後、お前はどうする?」
 与えられたのは、進退への問いかけ。それ以上の、選択肢を与えかねない発言はしない。
「…………」
 問われる少女は一言も発さず、身動(じろ)ぎもせず石像のように座っていた。首を傾げる動作すら、ない。
(……やはり、か)
 回答の内容は、既に分割思考によって導き出されていた。
 無回答と。
 驚きは少なからずあったように記憶していたが、それでも各種反応と比較すれば限りなく『無』に近い。
 おそらくミュレは、ずっとこうやって生きてきたのだろう――そうした考えが、ジークの根底にあった。それが驚きの矮小さに繋がっていた。
 だから何だというのだと、分割思考が一斉に訴える。
 そうした道を選んで生きてきたのであれば、ジークが脇から何か言う必要は一切ないと。
(だというのに、何故ミュレが気になる)
 ランドール夫妻に感じた、自己嫌悪による苛立ちとも違った。
 哀れみや憐憫、同情による憤慨ではない。そうした感情を捨て去ることに専念してきたジークが、今更ミュレに対して取り戻す道理はない。
(――などと、お前は思っているのだろう?)
 脇から二番が、語りかけてくる。
(ミュレが全ての道を自ら選んできたのだとしたら、お前の抱える疑問は正しいよ)
(何が言いたい)
 視線を向けたまま固まっているミュレはひとまず無視して、ジークは二番に発言の意図を訊く。
(考えてみろ。この三日間、そこの娘はお前の目の前でどういった選択をしてきた? 何を望んでいた?)
 返されたのは、更なる質問への誘い。
(何を、か……)
 ここ三日ほどの記録を調べてみて、ジークは眉を顰めた。ミュレが自発的に行動した場面は、比率にして二割もない。殆どが誰かに命じられるか、促されるかしての行動であった。
(む……)
 何故ここまでミュレが気になるのか、何故ここまでミュレという存在を無視できないのか。
(……そうか)
 どうしても解けなかった疑問が、氷解する。
 自己嫌悪や同情から答えが見出せないのは当然のことであったのだ。
「ミュレ」
 ミュレが意識を向けているのかも構わず、ジークは言った。
「ようやく合点がいった。お前という存在を、どうして一々ここまで気になねばならんのかな」
 聞き漏らしのないよう、ジークははっきりと告げた。
「俺はお前を見ていると、苛々して敵わん。端的に表せば、お前のその在り様が気に食わん」
「…………」
 もしもミュレが一般的な意味での普通な人物であったら、きっと驚いたに違いないのだろうが、彼女は変わらず眠たげな目をジークに向けるばかりであった。
「お前が“化け物”であろうがなかろうが、そんな些事はこの際どうでもよかった。問題はそれ以前、より根本的な次元にあった」
 言葉は益々勢いを得て止まらない。
「ああ、虫唾が走る。自らでは考えもせず、選びもしない。人に言われるがまま、されるがままに生き、周囲に流されているばかりで疑問すら持たない。そんな奴を見ていると、俺は――」
「…………」
 ミュレと、目が合った。ジークの言葉が全く理解できないのか、ミュレはじっと光のない瞳で見つめているだけであった。
「……む」
 咳払いをし、その場の空気を変えようとするのだが、相手がミュレとあっては効き目などあってないようなものだ。
(ミュレ相手に何をほざいているんだ、俺は)
 空しい行為であるという自覚はあった。それでもジークは、内在していた感情を一欠片でいいから吐き出しておきたかったのだ。
「ミュレ」
 沈黙を許さぬ、剣の切っ先のような一声。
「お前は、どうしたい?」
「…………」
「このまま誰かの道具として一生使われ続けるのか、それとも自らの意思でそこから抜け出て、自らの意思で生きるのか――それを決めるのは、お前だ」
「…………」
 口を半開きにしたまま、ミュレは茫然とした様子でこちらを見上げている。
 言葉を理解するまでに時間がかかっているのか、はたまた聞いていなかったのか。
 珍しく、ジークはそうした判断を欠いていた。
「答えろ、ミュレ。答えるんだ」
 鬱積した感情の一部が、言葉に乗って流れ出ていく。
 自ら他人を救う義理はない。自ら他人を救う余裕はない。
 ならば、残された手段は一つきりしかない。
 だというのに、
「…………」
 何十秒待っても、ミュレは光のない眼に自分を睨むジークの姿を映しているばかりであった。
 失望、無念、そんな言葉ばかりが頭に浮かぶが、ジークはそれらの一切を無表情の下で抹殺する。
「そうか」
 口から出たのは、未だ煙を噴いていたが、すっかり冷えて固まってしまった鉄のような声音。
「つまりお前は、そのままで在ることを選ぶんだな?」
 冷厳な言葉にも返事はなかったが、最早その事実にジークの心情を揺らめかせる効力はなかった。
 躊躇なく、踵を返す。マントを翻し颯爽と歩き出そうとしたのだが、そのマントに違和感が生じ、立ち止まらねばならなくなった。
「……む」
 ジークは、自らの行動を遮った原因を見る。
「…………」
 マントの裾を緩く握っているのは、やはりミュレ。
「ミ――」
「ありがとう」
 紡がれたのは、出会って二日目に時間をかけて仕込んでやった、あの言葉。
「ジーク、いった、から、ありがとう」
 はっきり言って、無茶苦茶で支離滅裂な台詞であった。初対面の人間なら、何を言っているのかさえ分からなかっただろうが、
「む……」
 ジークは、一般人でも初対面の人間でもなかった。
 頼んでもいないのに、分割思考が勝手にミュレの言葉を意訳していく。
「…………」
 ミュレはマントの裾を掴んだきり口を閉ざし、じっと空虚な視線を向けている。
「む……」
 ジークの直感と、観察によって蓄積されてきた情報に間違いがなければ、この沈黙は決して無意味なものではない。
(まさかとは思うが)
 自分が告げた内容に対するジークからの返答を、内心推し量り難きこの少女は無言のままに待っているのだろうか。
(……いずれにせよ、問わねばならんのか)
(可能性大)
 ミュレに積極的な発言を求めるのは不可能に等しい難事である。従って、またしてもジーク側が主導となって会話を進めねばならない。
「ミュレ」
 憶測の域を完全に出ていないまま、ジークは問う。
「それは、俺と一緒に行くということか?」
「……ん」
 返答はあった。首が縦に振られる。
「……いい?」
「むぅ……」
 拒むという選択肢は、当然ジークの中にある。何一つ損をすることはない。選ぶことは何ら困難なことではないのだ。
(だがそうしてみろ、確実にミュレは元に戻るぞ)
(意義有。それによって生じる損害皆無)
(同意)
 二番は、三番以下の分割思考と論争の真っ最中であった。見え透いた手を、と毒吐きつつ、ジークは溜息混じりにこう言った。
「……立て。まずはそれからだ」
「ん」
 呟き未満の声量で答えたミュレは、のろのろと立ち上がる。
 二つの影が、ダレン山賊団が使っていた用水路脇の侵入用の通路からアルトパを出て行ったのはそれからのことだった。




エピローグ


 一台の大型馬車が、追い縋る人々を尻目に勢いよく町から飛び出した。
 頃合は昼前。雲はそれなり、風もそれなりの、晴天の下での出来事であった。
「やーれやれ、あんた達もご苦労なこったねぇ」
 御者役の少年が一際大柄な馬車馬の手綱を操る横で、一風変わった服装の女がからかい混じりに声をかける。歳はジークより一回りほど上のようだが、妙な貫禄があった。
 ジークは雑貨や衣類、食料品などで埋め尽くされた馬車を胡散臭そうに見回しつつ「む」とだけ返した。
「…………」
 そのすぐ傍には、人形のような少女がいた。
「とりあえず、どこまで行こうかね?」
「あの丘を越えた辺りで頼む」
 そう言ってジークは、遠くに点のように見える丘を指差す。
「あいよっ! 聞いたかいねルーカス、あそこの丘まで全速力だよ!?」
「おう!」
 女に負けず劣らずの威勢で返し、男は巨大な馬車馬の手綱を打つ。その馬までもが、彼らに応じるかのように一声高く嘶(いなな)いた。
「ま、すぐに着くだろーしさ、それまで楽にしときなよ?」
「む」
 頷いたジークは、丈夫そうな木箱らしきものを選んでそこに腰掛ける。少し遅れて、ミュレが隣に座った。小柄なために脚が床に届かないのか、時折揺れる脚が、ジークの脛に触れる。
「…………」
「…………」
 二人しかいない馬車の中に、会話はない。ただ地面の凹凸等に合わせて山のような物品が軽く危うく揺られるばかりである。
「…………」
 光のない少女の瞳は、先程からじっとジークの姿を映している。
(たしかに、あの時の俺はミュレを救出すると言ったが……む、まさかこのようになるとはな)
(憂慮)
 常の習慣で隣に感付かれぬよう溜息を吐いたジークは、つい先日、とある街角で起こった出来事を思い出す。


 頃合いは夜更け。日増しに冷たくなる夜風の無効では、銀月が冴え冴えと光を放っていた。
「…………」
 宿屋の一室、二つある寝台の一つで膝を抱えるようにして眠るミュレの姿を、ジークは窓側の寝台から無言で見つめていた。
 不本意だらけの紆余曲折を経て、残ったものは未だに抜けきらない疲労感とそれなりの儲け、そしてこの少女である。ジークからすれば、見事に負の要素の方が勝っている。
(だがそれも、明日で終わる)
 影のように付きまとうミュレのことを思い出し、ジークは苦々しい表情を作る。
 実のところ、ジークにはこのままミュレを伴って旅をするつもりなど、一欠片もなかったのだ。
 一般的見地からすれば、ミュレの過ごした日々は哀れだとしか言いようがないが、それだけの話に過ぎない。
 この時代、ジィグネアルにおいて幸福のみを甘受している人間など五大国の王族か上級貴族ぐらいである。ただの町娘――それもとびきりの曰く付きの――が、一般論の示すような幸せを手に入れられる方があり得ないのだ。
「…………」
 寝返りどころか身動ぎ一つしないミュレを寸刻ばかり見つめていたジークは、視線を窓の向こうに戻す。
(これでも都合はつけてやったんだ。文句は言わせんぞ)
 今は遠くになってしまったアルトパの方角に目をやると、本当の意味でミュレを救ったことになる人物へ胸中で告げた。
 ジークの中では、ミュレを助けるというのは、ランドール夫妻やアルトパの人間らから遠ざけた後に、誰も彼女の過去を知らぬ土地で人並みの生活を送れるように手配してやること――ここまでである。
「…………」
 そうした条件を聞いた上で、ミュレに求められたから引き受けたのだ。そこから先は、完全にミュレだけの問題である。
(……契約終了以降も、他人に寄りかかられても困るだけだ。俺の旅に、足手まといはいらん)
 そうした意向を証明するかのように、ジークは例によって犯罪寸前の交渉術を駆使してミュレをパン工房に住み込みで働かせる約束を取り付けたのだった。かなりの厚遇にも思えるが、今後の関係を一切断ち切るにはこれぐらい徹底しておく必要があるのである。
(さて、これで今日中にすべきことは全て終えた。もう就寝するとしよう)
(む)
 寝る前に用を足しておこうと扉の取っ手に手をかけた時、不意にジークは振り向いた。
「……む」
 微かに感じた視線の先、下着姿のミュレがより眠たげな眼を向けていた。何かの拍子に目が覚めてしまったのだろう。その証拠に、宵闇の向こうに見えるミュレの頭は風に揺れる蝋燭の灯のように頼りなく揺れている。
「ミュレ、どうした」
「……ど こ……」
 寝起きであるからか、言葉もはっきりしない。疑問系だとか云々以前に、何と言おうとしているのかを判断するのも難しかった。
「すぐに戻る。心配いらん」
「……ん」
 頭の糸が切れた操り人形のようにミュレは頷いたのだが、何故かそのままベッドから下りるなり危なっかしい足取りでこちらに寄ってくる。それも、あられもない姿のままで。
「…………」
 じっと真っ直ぐに見上げてくるミュレの目は、闇夜の中ということもあって、洞のように見えた。
「ミュレ、すぐ戻ると言っただろう」
「……ん」
 応じるのだが、ミュレは動かない。
「むぅ……」
 表情に出ない程度に、ジークは嘆息する。
 アルトパを発って数日経つが、その間少女――ミュレは、こんな調子であった。ジークの後に付いて離れようとせず、まるで影のように佇むのだ。
 どうやれば動くのか、ジークは知っていたがそれをやるのは躊躇われた。やってしまうということはつまり、ミュレの行為を容認してしまうこととなる。
(とはいえ、これではな)
 洞のようなミュレの瞳に、自分の顔が映って見える。主張も意思も感じられない、ある意味で最も無垢な視線。
(……時間の無駄だ)
 踵を返し、ジークはこう言った。
「勝手にしろ。だが、せめて服は着てこい」
「ん」
 ミュレが頷いたのは、ジークの後を追って三歩ほど歩いてからだった。
 余談だが、当然のようにミュレはジークが出てくるのを出入り口で待っていた。
 そして、その翌日――


 別の二人連れが品目のことで騒いでいたために少々遅めの朝食になったが、どうにか約束の時間に間に合った。
 人通りも疎らな通りに店舗を構えるパン工房の主人は、店内から現れるなりこう尋ねた。
「……こちらのお嬢さんが?」
「む」
 傍らで大人しく佇むミュレを、仏頂面で店主に突き出す。
 視線をジークに向けながら歩くミュレを見て、
「へえ……なかなか可愛らしいですね」
 と店主は、感想を洩らす。表情を見る分には、昨日のものとは雲泥の差である。
(これでいい)
 ミュレに話しかける店主を見ながら、ジークは思う。
 この店主ならば、よほどのことが起きない限りはミュレを捨てるような真似はすまい。無理をして捻じ込むだけの価値は充分にあったのだ。
「後のことは任せる。一人前になるよう育ててやってくれ」
「ええ。それはもう」
 誇るように胸を叩いて、店主は頷いた。その綻んだ表情は、決して働き手の獲得によるものではあるまいが、ジークには最早どうでもいいことであった。
「では――」
「――次は、いつ頃いらっしゃるのですか?」
 はたと、踵を返しかけたジークの足が止まる。
「……何だと?」
「ですから、次にお迎えにいらっしゃるのはいつ頃になるんですか?」
「…………」
 質問の意味がまるで分からない――と、ジークの表情からそうした情報を汲み取ったらしい店主は、怪訝な顔をしつつ尋ねる。
「私は、住み込みで徒弟を働かせていますが、収穫期や祭りの日には親御さんの許(もと)へと帰らせているんですよ。一応貴方、この子の後見人なんでしょう? でしたら最後に、それだけ教えていただけませんか?」
「…………」
 向き直ろうともせず、ジークは続ける。
「そんな話は聞いていないが」
「ええ、今話しましたからね」
 ジークの眉間が、僅かにしわを深める。
「……迎えには、来ん」
「え?」
「俺とその娘は無関係だ。多少の貸し借りはあったが、それは既に解消されている。監督の義務は、お前に移った」
 目を見開いている店主がこれ以上いらぬことを口走る前に、ジークは今度こそ踵を返す。
「異論は認めん。さらばだ」
 また、独りだけの旅に戻るために。
 また、己の全てをかけて続ける旅に戻るために。
「…………」
 また――
「……何故、付いてくる」
「…………」
 山賊や傭兵、レオーネに向けた時より、冷たく鋭利な声音。
 振り向いてみると、無言でミュレは、ジークの顔をじっと見つめている。先刻の話を聞いていなかったのだろうか。
「…………」
(む……)
 ミュレのことを考えれば、充分あり得る話である。
「……ミュレ」
「…………」
 ジークの言葉に微かながら反応し、人形じみた相貌が顎を上げる。
「確かに俺はお前を見届けた。――そこに、何の不満があるというんだ?」
 真顔で、ジークは問いかける。
 ジークは、既に御者やランドール夫妻と取り交わされた契約は完遂されているにも拘らず、ミュレの付いてくるという行動が理解できていなかった。彼女の行動律から規則性が見出せていないというのもあるだろうが、いずれにせよジークには理解ができなかったことに変わりはない。
「お前は、そこで働くんだ」
「…………」
「既に契約は完了している。働き口を与えた時点で、俺からお前を伴う理由は消えた。分かるな?」
「…………」
 返事はない。即答されなかったのは好都合であった。
 ミュレが問いかけに返答するまでの平均時間は約十一秒。それまでに畳み掛ければ問題ない。
「む、だから――」
「……ジーク、は?」
 微かな、言葉にしてはあまりに拙い声が、形として遮った。
「……ミュレ、何と言った?」
「ジーク、わたし、ない?」
 ミュレは首を傾げ、声と音の中間のような口調で問いかける。
「ない?」
 無機質な問いかけは、まだ少しだけ続いた。
「わたし……」
「む?」
 ジークは、訝しむ。
 一人称を口にしたところで、ミュレが硬直してしまったのであった。
(――いや)
 硬直という表現は、厳密には間違っていた。
 傍目にはそうであると分からないかもしれないが、ジークの隻眼は確かに捉えていた。
「…………」
 ミュレは、非常に緩慢に、且つ微小にだが、何度も何度も口を動かしていた。昼夜を境に開閉を繰り返す花のように、開いては閉じ、また思い出したかのように開くといった具合に。


 大きな石かもしくは窪みでもあったのだろう。上下に馬車が大きく揺れた。
「ルーカス! もちっと安全にゃできんのかいね!?」
「む、無茶言うなよ。兎に角走らせろって言ったのは姉ちゃ――んが!?」
「うるっさいよ!?」
 二人して騒がしく盛り上がる姉弟――会話の内容を拾っていくと、どうやらそうらしい――を無視し、ジークは己の肩に目をやる。
「…………」
 先ほどの衝撃でか、ミュレが寄りかかっているような姿勢になっていた。
「……む」
 一息吐き、ジークは元に戻す。自分で戻りそうになかったからだ。
「…………」
 数秒ほどミュレはこちらを見つめていたが、すぐにその瞳から意思の光が消える。
(相変わらず、読めん奴だ)
(肯定)
 あの時と変わらんな、とジークは声に出さずにまた呟いた。


 ――この時も、ジークはミュレが何をしようとしていたのか、すぐには理解できなかった。
「…………」
「む……」
 突然ミュレが、ジークのマントの端を握るまでは。
「……ミュレ」
「…………」
 陽光の下でも輝きに欠ける瞳が、ジークの仏頂面を映す。
「つまり、お前は」
 停滞は退廃への直通路だ。行動は変化への直通路だ。
 ジークは、薄々ながらも感づいていていた内容を問わずにいられなかった。
「俺から離れたくないと……そう言いたいのか?」
「…………」
 どうか間違いであってくれ――無意識に、ジークは願っていたが、
「……ジーク、いった」
 ミュレは、そんなジークの願いを無自覚に打ち砕いた。
「えらぶ、しろ、て。たら、いい、て」
「――――」
 ようやく発された、たどたどしく紡がれる声。しかしそれを言葉と呼ぶには、あまりにも拙かった。
「から、わたし、えらぶ、した」
 ――だが、これがミュレの限界なのだ。
 言葉遣いがたどたどしいのは満足に教えてもらうこともできなかったから。語彙が乏しいのは、それらに関心を抱く暇さえ与えてもらえなかったから。
「ジーク」
 そのような少女が、どうして虚言を弄せよう。
「ジーク、いった……ち、がう?」
 こうやって、自分の意見を言うだけでも精一杯なのに。
「…………」
「むぅ……」
 ミュレを前に、ジークは初めて言葉に詰まる。
(――理解不能)
 無機質な分割思考の声が、ジークをこれまで採られてきた選択肢――即ち最も正しいであろうと思われる選択肢へと促す。
「…………」
 躊躇う必要性など、ないはずだった。
 果たすべき一つの結果が為に、これまで全てを切り捨ててきたのだ。諦めるという選択も、時には人命さえも。
 自分は自分、他人は他人。この境界線は決して破らず破らせず、常に周囲との距離を一定に保ち続けねばならない。
 それが童話の主人公のような人間ではない、普遍的な人間である自分に課せられた、最低限の課題。入ってくる情報の種類を意図的に規制することによって成立し得る、確固たる意思の力。
 つまり、逆に言い換えれば――
(っ、下らん)
(同意)
 無機質な声が、告げる。
(当些事(さじ)に時間を空費する必要性皆無。早々に出立すべし)
(言いたいことは多々あるが、ひとまず同意しよう)
(む?)
 明らかな含みを持たせて、二番がジークの疑問に答える。
(何より、衆人犇(ひし)めく往来での我らのやり取りは非常に目を惹く――そういうことだ)
(肯定)
(…………?)
 ここで初めて、ジークは周囲に目をやる。
「ほら、あれよあれ」
「んん、どしたんだい?」
「よく分かんないけどね、男の方が別れ話を持ちかけているみたいなのよ」
「え? 親子じゃなかったのかい?」
「いや、流石にそこまで――ぉぐ!?」
「お、親子じゃあないとは思うわ」
「いつつ……」
 他にも、
「借金のカタに?」
「だから住み込みで……」
「それで……」
「まあ……」
「男は押し付けるつもり満々らしいわよ」
「なんて可哀そうな……」
「ねえ……」
 他にも、色々と。
「……むぅ」
 しかめ面に脂汗を滲ませつつ、ジークは低く唸る。
(停滞が得策であるとは思わないが?)
(ならばお前も考えろ)
(さて、どうしたものやら)
 本気とも冗談ともとれる声に、ジークは本気で殺意を覚えそうになる。
「……俺がお前を連れ歩く理由など、ない」
 そうした諸々の感情を水面下で不完全ながらも圧殺したジークは真っ直ぐにミュレを見据え、「分かりやすく言うと」と続ける。
「お前が何を願おうと、俺は駄目としか言わん」
「…………」
 じっと見つめたまま、ミュレは固まっていた。
 ――これでいい。
 安堵にも似た気持ちの中で、ジークは思う。
 ここまで言えば、いかにミュレとて自分に対し嫌悪の念を抱き、自ら諦めるだろう。
「…………」
 そう思っていたのだが、
「…………」
 ミュレは、ジークの袖を握ったまま動こうとしない。
「ミュレ」
「…………」
 きつく咎めるように言っても、結果は変わらない。
「ミュレ。いい加減にしろ」
 今度はそこに、僅かな怒りが混じった。
「俺は既に約束を果たしている。この時点で、もうお前と俺は他人なんだ。だというのに、まだお前は俺に同行しようとする。何故だ、何故そこまでしようとするか答えろ。それができんのなら……っ」
 捲くし立てるような勢いで溢れたジークの言葉は、そこで止まってしまう。
 ――俺は、お前を斬ってでも行くぞ。
 とは、言えなかったのだ。
「…………」
「…………」
『…………』
 長い沈黙の時が、両者のみならず、周囲までを包む。
「……む」
 衆人環視からとは違う意味で、ジークの額を脂汗が流れる。
 いつの間にか、ジークは無意識の内に理解してしまっていた。
 ミュレの頭の中では、あの時放たれた一言と自身が選んだ選択肢は矛盾していないらしい。あくまでもあれは、あまりにも受動的で何もしようとしない少女に半ば憤慨していたために口から出てしまったものだというのに。
(……それは違う、と言ってやりたいところだが……)
(望めんだろうな、まず間違いなく)
 この点に関して、ジークと二番の意見は一致していた。
 ミュレは理解力こそさほど欠落していないようだったが、語彙と文法に関しては致命的に乏しい。端的に言ってしまうと、ジークお得意の理屈攻めにして丸めこもうにも、そこで用いられる言葉がまるで通じないのだ。
 ジークは、ミュレをパン屋に預けて旅立ちたい。
 ミュレは、どうやらジークの旅に同行したい。
 両者の希望は完全に平行線。しかも話し合いで決着を付けようにも会話が殆ど成立しない。
「むぅ……」
 進退ここに窮(きわ)まれリ、である。
 と、その時、
「――聞いて下さい皆さん!!」
「む」
 それまで苦笑しながらこちらを見ていたパン屋の店主が、唐突に大音声を張り上げる。
「こちらの銀髪の方は、人攫いです! 遠くの町で拐(かどわか)した少女を私に口では言えぬ恐ろしい手段をもって、しかも法外な金額で売り付けました! そして今、この男は何食わぬ顔をして町から出ようとしています!! 聞いて下さい皆さん!! こちらの……」
 黙らせている余裕はない。
「む――」
 不穏な気配があちこちで漂い始める。娯楽の少ない田舎町では痴情の縺れさえ娯楽となり得るようで、老若男女が周囲を取り囲んでいた。
「やっぱり……!」
「見るからにとは思ってたけど……」
「まさか人攫いだなんて」
「お、おいどこ行くんだよ姉ちゃん」
「噂にゃ聞いてたがなぁ……」
「門へさね」
「あんな可愛い娘を……許せん!!」
「男衆は農具を。あたしらは麺棒とか包丁とかを持ってくるんだよ!」
「おかあさん、ぼくは?」
「お前は家ン中にいな。――奴ァ剣を持ってるからね」
 店主が声を張り上げる度に、町中(まちじゅう)から人が集まってくる。
「…………」
 声が危険を促す発言をするまでもなかった。
「……ミュレ、担ぐぞ」
「……ん」
 か細い同意が返される前に、ジークはミュレを片手で抱きかかえ、風のように走り出す。この時点では、特に理由など思いついていなかった。
 周囲に見えるのは百人近い人の山。言うまでもなく、あの山賊どもや傭兵より数は多い。
 だが、それがどうしたというのだ。
 昔、この数の倍ほどもある集団と戦ったこともある。それも平凡な町民ではない。傭兵団や山賊、それに魔物である。
 そうした連中を相手に、これまで独りで戦い、護り、生き抜いてきた。
 ――だから、一人ぐらいなら暫くはどうとでもなろう。
(む……)
(つくづく厄介な性分だな、我々は)
(同意)
(先憂)
(言うな。悲しくなってくる)
 分割思考を黙らせたジークは、またしても脇に抱えられている少女に声をかける。
「ミュレ」
「ん」
 意外にも、ミュレはすぐさま反応した。
「俺に掴まっていろ」
 そして、
「飛ぶぞ」
 と続ける。
「……ん」
 今度は、ややあっての返事。だがそれで充分である。
「人攫いを逃がすんじゃねーぞ!!」
 四方から人が集まってくるが、そんなもの大した障害にはならない。
 懐から、卵ほどの球を取り出す。ジークがそれを地面へと投げ付けると、
「っぷぉ!?」
 狭い範囲ながら、濃い白煙がその場に立ち上る。煙玉だ。
「ち、畜生……何だこれ??」
「それより奴は!?」
「あーっ!!?」
 どこからか聞こえる子どもの声に、大人達は、一斉に同じ方角を見る。
「…………」
 細く小さな手でジークの上着の一部を掴むミュレの目に、呆気にとられた人々の顔が映る。
 ジークは、宙を舞っていた。
 いや、正しくは舞っているように見えた。
「ぐぇ!?」
 煙に咽び、身を屈める者達の背を踏みつけ、風で渦巻く白煙を率いているかのように、ジークは高々と跳躍していたのである。
「悪く思うな」
 という、あまりにも無茶な台詞を残してジークは走る。脇目も振らず走り続ける。
「――――」
 人の波の向こう、もう随分と遠くなった場所から、パン屋の店主が笑顔で手を振っていた。
『いい旅を』
 パン屋の口は、たしかにそう言っていた。
 知っていれば余計なお世話だと答えたのだろうが、生憎と天に目を持たないジークが知ることはなく、ただ町の出入り口目指して走った。いつかの[バーソロミュー]の傭兵達との逃亡戦と違って戦術的に追い詰められる心配はないだろうが、ミュレを抱えたまま走るのは流石に億劫だったようだ。
(かといって、ミュレの脚力に期待はできん)
(同意)
(無理禁物)
 どうしたものか、とジークが悩みながら大通りに出た時のことであった。
「ちょいとちょいと! そこの逃避行中の銀髪さんよ!」
 突然、威勢のいい女の声が飛んできた。
「あんただよあんた! 人攫いみたく女の子抱えて走ってるあんた! 凶悪犯を裏で束ねて踏ん反り返ってそーなあんただよ!!」
「……人聞きの悪いことを言うな」
 かなり失礼なことまで平然と言ってのける女に、ジークは立ち止まると肉切り包丁のような視線を向けた。
 ジークが走る道に対して垂直に交わる道の向こうに、本体も馬も標準の規格を二回りほど上回る馬車があった。その御者台に、声の主と思しい、髪を後頭部で大雑把な団子にまとめた女の姿があった。傍らには、御者役と思しい少年が手綱を握っていた。
 その二人組みに、ジークは覚えがあった。揉め事を起こして朝食の時間を遅らせた者達である。
 女はレオーネに比べて若そうだったが、少なくともジークよりは一回り年上に見えた。一繋がりのゆったりとした長衣を身に纏っており、それがまた貫禄を感じさせている。少年は弟分にあたるらしく、終始腰の低い態度を見せていたが、それ以外に特徴的な部分は思い出せなかった。
「あんた――つかあんたらかい? まあいいや、兎に角この町の連中に追われてんだろ? よかったら、こいつに乗ってかないかい?」
 女の態度は、初対面の割にかなりあけすけで馴れ馴れしいものであったが、それにも増して気になる点がある。
「何が目的だ」
「んん? そんなこと言ってる暇があるのかい?」
 意地の悪い笑みを浮かべた女が、ジークの背後を指さした。
 わざわざ算出するまでもない。この女と時間を浪費している間に、追いつかれてきたのだ。
「あんた、捕まったら面倒なことになるんじゃないかい?」
「む……」
 喉の奥で唸ったジークは「前金で銀貨五枚だ」と言った。
「俺達をこの町から東に離れた所まで連れて行け。そうすれば上乗せする」
「話が早くて結構なこった。――さ、急いで乗った乗った」
 そう言って、女が促す。地面に下ろされたミュレが馬車に乗り込んでいる間に、ジークは女に銀貨を握らせ、ミュレに続く。
「姉ちゃん、あの人らもう来てるぞ!」
「出しな!」
 二人は、僅かな会話だけで通じていた。少年が手綱を一打ちするだけえ大柄な馬車馬は高く嘶き、剥き出しの地面を踏み砕きかねない勢いで駆け出した。
 声や物音が凄まじい速さで遠くなっていく中、女が御者台から馬車の中にいるジークとミュレに喋りかける。
「ちょいとばかし揺れるけど、あんましベタベタと触りまくんのだけはやめとくれよ」
「む」
 頷いたジークの眼前に、出入り口である門が近付いてくる。背後からの声を聞きつけてか、門番役の男達が道を塞ぐように並んでいた。よく見れば、閉じようとしている者達もいる。
(いつの間に、こんな大騒動になっていたんだ……)
 田舎町という外部からの刺激が少ない地域の恐ろしさを垣間見たような気になっていたジークは、とりあえず女に尋ねる。
「どうするつもりだ」
「んん? まあ、こっちに任しときなよ」
 余裕を絶やさぬ笑みを浮かべて、女は弟分に怒鳴るような声量で告げる。
「ルーカス! ギデオの勢いそのまんまで、ブチ破るよ!」
「……おう!」
 ルーカスなる弟分の方では内心に葛藤があったようだが、姉貴分に応じた頃には全く迷いは感じられなかった。
 唸る手綱。応える馬車馬。徐々に加速していく巨体に恐怖を覚え始めた門番達は一歩二歩と後ずさりし始めたかと思うと、直後には蜘蛛の子のように散ってしまう。
 残っているのは、閉じられかけた門だけ。
「いっけぇ―――――――――ぃっ!!!」
 高らかに女の叫び声が上がったのと、馬が門を弾き飛ばすようにして抉じ開けたのは、全くの同時であった。


 そうした破天荒な経緯を経て、ジークは現在に至る。
「む……」
 結局のところ、半ばなりゆき、半ば自業自得でミュレを連れて行くことになったのである。
(最早、何も言うまい)
 重たげな溜息を吐いた時、女が声をかけてくる。指定しておいた場所に着いたのだ。
「……世話になった」
「毎度あり」
 料金に関して二、三揉めたが、とりあえず銀貨で支払うとジークは腰を上げる。
 こうなってしまったのも全ては自分の責任――自ら選択した道なのだ。
「ミュレ」
「…………」
 収穫が終わって閑散とした平原に降り立ち、ジークは隣に立つミュレに声をかける。
(今のミュレを託せそうな場所など、あるとは思えん)
 それに関しては、現在までの七日間で嫌というほど認識させられている。彼女とまともに会話できた人間は、自分以外には誰一人としていなかった。
 ならば、とジークは続ける。
(せめてどこに預けても問題ないよう、暫く面倒を看るのが俺の罪滅ぼしとなるのか)
(かもな)
 問いかけに、明確な答えはなかった。
 何故なら、まだ答えは出ていないのだから。
 何故なら、まだ答えは作られている最中なのだから。
「行くか」
「……ん」
 少女に与えられた言葉は、たった一言。
 だがそこには、あらゆる意味が込められている。
 頃合は昼。天気はそれなり。周囲四方を見渡したとしても、他には誰もいない。
「……む」
 青年は、歩き出した。どこまでも広がる平原を貫く、細い筋のような道を。これまでと同じく自分の選んだ道として。
「…………」
 その道を同じくすることを選んだ、一人の少女を伴って。


 その頃、別の道を進んでいる最中の馬車の下では、
(あ……!?)
 ヴィルが、特徴的な二つの人影を見た瞬間に己の不覚を悟っていた。
(やば、二人とも降りてるじゃん……!!)
 気合と度胸で馬車の底部に張り付いていたまではいいが、二人がどこで降りるのかまでは頭が回っていなかった。
(……くっ付いてるのに必死で、分かんなかった)
 遠ざかる観察対象。遠ざかっていく自分と馬車。
 相対的にどんどん広がっていく距離に、ヴィルは精神的に追い詰められる。
(どど、どうしよ!?)
 止まっている時ならばいざ知らず、走行中とあっては流石に命に係わる。
(でも、迷ってるヒマなんてない)
 覚悟を決めたヴィルは、手を離すと同時に身を捻り、その勢いで車輪に轢かれてしまう前に馬車の底部から抜け出そうとする。
(ボクだって、男どぁあ――――ぁい!!!)
 がむしゃらな心の叫び。だがそれは心の叫びであるがために、誰の耳にも届かないまま秋空の向こうに消えた。
 知らない所で起きていることなど、その程度のものである。



第二話【その力は何のために】につづく


2009-05-26 23:31:11公開 / 作者:木沢井
■この作品の著作権は木沢井さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
はじめましてかTPOに則った挨拶をば。三流物書きの木沢井です。
 あまりにも多過ぎるとの苦情もあり、少なからず私自身も面倒に思っていたので上下編の二つに分けさせていただきました。今後とも幅広いご意見ご感想をお待ちしております。
 さて、長らく続いたジョビネル・エリンギ3(以下エリンギ)ですが、今回をもちまして一時幕となります。政策に一年余、投稿に延べ四ヶ月を費やした拙作ですが、多くのものを学べたり獲得できた気がします。エリンギが万人受けしない部類であるというのもその一つですが、まあその辺は追々考えておきます。
 兎に角、諸々の障害を乗り越えるにあたり、直接的にも間接的にも力になって下さった方々に、この場を借りて感謝の意を表したく思います。
 ありがとうございました。

5/10 続きを更新しました。
5/12 続きを更新しました。
5/15 続きを更新しました。それと、僅かに修正しました。
5/21 続きを更新しました。
5/22 エピローグを更新しました。
5/26 目に余る誤字などがありましたので一部修正しました。
この作品に対する感想 - 昇順
こんにちは! 続き読ませて頂きました♪
 アナバとの会話に出て来た紫の髪に鎧を着た女って、やっぱりそういう事なのか? どういう事か楽しみです。それとアナバが途中で、この場を乗り切るにはジーク頼りなんて、なってしまう所は、ちょっとクスッときました。
 ダレンの焦りなんかは上手く出ていたと思います。それとアナバがいないと意外に困る存在だったという事に、やっぱり適材適所ってあるんだなとか面白かったです。
 今回は、少し視点が変わり過ぎてスピード感よりは、読みづらく感じました。ジークが本気で一対一で誰かと戦う所が読んでみたいけど、今回の話では出てこないのかな?
 前回の返信で聞かれた事について「アクション」でも作者様の思った通りで良いと思います。よく「異世界」「ファンタジー」とする人もいますよ。
では続きも期待しています♪
2009-05-10 19:23:33【☆☆☆☆☆】羽堕
>羽堕様
 ご感想及びご指摘ありがとうございます。……ううむ、戦闘となるとどうしても幾つもの視点を入れたがる癖が治りませんね。人様に読んでいただく以上、善処します。
 軍師や参謀みたいな頭脳役が一人いるだけでも変わってくるのでしょうし、山賊だのといった集団のことを考えるとやはり貴重な人材なのでしょうね。人としては屑の部類に入りますが。
 先にお答えしますと、ジークによる本気の対人戦は『あります』。羽堕様ならば既に見当がついていらっしゃるかもしれませんが、いよいよその時が近付いて参りました。
2009-05-11 00:03:07【☆☆☆☆☆】木沢井
 こんばんは、木沢井様。上野文です。
 御作を読みました。
 カメラワークは難しいですよね。書き手と読み手で、どうしても観る点が変わってきて…。
 今回アナバが、かなりイイキャラに見えました。悪党なんだけど、妙に憎めないというか、人情があるというか。三枚目の持つ魅力があって楽しく読めました。
 面白かったです! 続きを楽しみにしています。
2009-05-12 22:33:23【☆☆☆☆☆】上野文
>上野文様
 ご感想ありがとうございます。ああそうか、また独り相撲か……暫くは今回のようなノリで進める予定ですので、上野様の作品なども参考にしつつカメラワークの研究をしてみたく思います。
 そうなんですよ、ここ暫くの間に私の中のアナバ株が急騰していまして、ついついあんな感じにしてみました。三枚目の魅力、今後とも出していきたいですね。
2009-05-12 23:32:45【☆☆☆☆☆】木沢井
こんばんわ、流雲です。拝読させていただきました。
ジークがバッサバッサと盗賊達を倒していく最中、脳裏に水戸黄門と暴れん坊将軍のアクションシーンが過りました。幾ら何でも圧倒的すぎる。
しかし、羽堕様も視点の変更によりスピード感がどうのと仰っていますが、自分は分割思考の台詞やジークの台詞が多いと思い、戦闘の場面だなぁ、という実感をあまり持てませんでした。
動きのある場面では、自分の読んでる本は殆ど描写のみで済ませてあるので、単に自分の感覚が片寄ってるだけなのかもしれませんが。すいません、気になさらないで下さい。
ジークの魔術師としての力が炸裂しましたなぁ。ダレンには悪いけど、これは龍と蟻の戦だ。
しかし、アナバが意外と冷静だったのには、どういう訳か笑ってしまいました。実は、やれば出来る人なんだろうか。
レオーネ、襲来。その手腕はジークを越えるものなのか。騎士と魔術師の勝負なら、勝敗は明白の筈ですが、レオーネが【翻る剣の軍勢】という要素がどう関わってくるのか……。
次回が楽しみです! それでは、また!
2009-05-13 23:38:17【☆☆☆☆☆】流雲
こんにちは! 続き読ませて頂きました♪
 アナバとダレンには、またいつか会えそうだなと、ちょっと楽しみにしてしまっている自分がいたりします。ジークが魔法を使う所も、やっと読めて嬉しかったなぁw
 今回のレオーネの登場の仕方は、すごく良かったです! これから始まる戦闘の幕開けとしては、期待感が膨らみました。
では続きも期待しています♪
2009-05-14 18:00:27【☆☆☆☆☆】羽堕
>流雲様
 ご感想及びご指摘ありがとうございます。一度ならず二度もこうした指摘を受けてしまうということは、やはりある程度は考え直す必要があるのかもしれませんね。
 龍と蟻――なるほど、彼らの役割を考えれば何ともぴったりな表現ですね。ジークや魔術の強さを強調させてみようかと思いやってみましたが、今にして思えば露骨過ぎましたか。
 少しだけ弁明めいたことを述べさせてもらうと、ダレン達を退かせる場面で、どうしても穏便に解決させられる奴が必要だったので、アナバにやらせてみました。一応やればできる人間に分類していますが、不自然でしたらまた考慮させていただきます。
 [翻る剣の軍勢]、仰るようにこれって実は結構重要な単語なのですが、詳しくは近日中にでも。

>羽堕様
 ご感想ありがとうございます。臭わせに臭わせといてからはや二ヶ月ほど、遂に日の目を見ましたねぇ。全て私の遅筆が悪いんです。ごめんなさい。
 アナバとダレンには、後々に別の形で出番があるのですが……その頃にはもう忘れてしまわれているかもしれません。ですが、もしも覚えていてくださってたのなら、きっと驚かれるかと思われます。
 彼女の登場シーンはそこそこ苦労させられました。台詞が唐突ではないかとか、台詞に間違いはないかとか、台詞の前後に矛盾はないかとか、台詞が……まあ、実際には他のことも悩みました。良かったの上に「すごく」も頂けて嬉しく思います。
 遂にゴングが鳴りました。両選手が気合充分な中、一番逃げたがっているのがレフェリー(私)とは……次回もまた、続きを楽しみにしていただけるよう努めたく思います。


*詳しくは本編中にも記載してありますが、正式には『魔導師』、『魔術』です。面倒かと思われますが、ご了承下さい。 
2009-05-14 23:48:14【☆☆☆☆☆】木沢井
 こんにちは、木沢井様。上野文です。
 御作を読みました。
 ジーグ無双wと思っていたら、刺客の乱入で一気に事態が緊迫化しましたね。
 緊迫感への導入の流れが上手く綴られていて、息を飲みました。
 山賊団という一つの困難を乗り越えたわけですが、私が思っていたより、ずっと穏便で、良い形で終えられたかな、と。序盤のイメージだと、屍山血河を築きそうでしたから。
 アナバは憶病でダメなところもありますが、個人的にはかなりお気に入りのキャラになりました。面白かったです! 続きを楽しみにしています。
2009-05-17 13:12:24【★★★★☆】上野文
>上野文様
 ご感想ありがとうございます。よもやポイントが頂けるとは夢にも思っておらず、むしろ驚嘆してしまいました。
 ええ、山賊らはそうした効果を狙ったもので……と言ったら半分くらい嘘になってしまいますね。仰るような効果があると気付いたのは投稿直前くらいでした。
 少しだけ裏話をしますと、序盤の山賊も似たような方法で追い払っています。あんな乱闘みたいな場面を書いてて今更のような気もしますが、ジークだって三桁前後の人数相手にして楽に戦えるわけではありませんからね。あそこで戦ったのは伏兵で、実際は倍近い山賊盗賊が街中を徘徊していたわけですし。最低限の手間(と言っていいのか分かりませんが)で決着を付けてしまいたいという、作者とキャラクターの気持ちがシンクロした瞬間とでもお思い下さい。
 それでこそアナバなんですよ。臆病で口先だけで非力で、だけど妙に義理堅かったりと憎めない一面もある……この話を書くにあたり、最初はただの『狡賢い』というだけのキャラクターでしたが、話の進行にしたがって掘り下げていき、最後にはちょっと美味しい瞬間もあるような三枚目キャラになってしまいました。読んで下さった方からもそれなりに好評のようでかなり驚いています。……しかし、主人公やヒロインよりも好評な脇役ってどうなんだろう。アナバにしてもビリーやマーロウにしても、あとはゲンさんにしても。
 あ、書き損じの可能性もありますが、『ジーク』です。鋼鉄の方ではございませんので。
 何やら長々となってしまいましたが、できればその内にでも、ジークのイメージだとかを聞かせていただければ幸いです、という脈絡のないところで筆を置かせていただきます。今月末か来月の頭には終わらせられるよう、努力します。
2009-05-17 23:42:51【☆☆☆☆☆】木沢井
こんにちは! 続き読ませて頂きました♪
 レオーネとの戦闘の序盤から中盤は、互いにどこか様子見のような所もありましたが、ディノン達の会話後ぐらいから本番と言った感じなのかなと思いました。
 ジークの頭の中では一瞬のやり取りなのかも知れないけど、やっぱり長く感じて、その間レオーネも思案をしていたかもしれないのですが、ジーク側は長いと思ってしまいます。
 レオーネもディノン(会話から)も、どちらかと言えば冷静に状況を見て自分の実力を最大限に活かす様なタイプなので、もっと別のタイプ、ジークは存在的に分析する事が多くなるので、対照的な本能や天才のような強者も、いずれは出てきたら嬉しいなと思いました。
 二人の戦闘は、常にレオーネが一枚上手のように進んでいましたが、その中でも一進一退の攻防があり緊迫感はあったように感じて、どんどんと読めました。
 結末としてはレオーネは、生き残るなと思っていたので嬉しくもあります。レオーネ程の人物が二十秒もの時間を無駄に目を瞑っているだろうか? と思っていたら魔術だったのですね。
 その後のミュレとジークのやり取りは良かったです。ジークの吐露とでも言うのか、そんな事を考えてたのかとか、色々と思えました。ミュレの初めての意志なんだろうか? ジークと一緒に行きたいと示した所は、ホロっとくる所でもありました。
 次で、この幕は一旦降りるとの事で、とても楽しみです!
では続きも期待しています♪
2009-05-21 19:03:02【☆☆☆☆☆】羽堕
>羽堕様
 ご感想及びご指摘ありがとうございます。やはり読者側から見ると長くなってしまうようですね。今後は戦闘時に関してはカットの方向でやっていきたく思います。
 レオーネは、ジークと似たようなタイプの人間ですので、やはり直感よりも過去の経験を重視します。ディノンに関しては今回は秘密なのでご勘弁を。代わりに申させていただきますと、直感、本能重視の強者は次回出ます。
 ジークはとことん本音を出したがらない面倒なキャラクターで扱いに困っていたので、そんな『色々と思えました』などと仰られるとありがたいです。私の中で今作一番の苦労人は二番ですから。
 はい、とうとう一時閉幕となります。次回に向けて複線まがいがチラホラとあるかもしれませんし、ないかもしれません。そんな感じのエピローグになる予定です。
2009-05-21 23:46:01【☆☆☆☆☆】木沢井
こんにちは! 続き読ませて頂きました♪
 完結お疲れ様です! これだけの文量をしっかりと書きこめている事に、すごいなと思います。
 今回はジークとミュレの旅の始まりの物語だったから、まだ大きな謎などは残ったままなのは、少し物足りなを感じましたが、次の物語が楽しみにもなりました。
 ジークもミュレの精一杯を受け止めてあげない所とかヤキモキさせられましたが、落ち着く所に落ち付いた感じで良かったです。それと御者をしている姉弟も、なかなかに良い味が出ていて今後の出番が楽しみだったりします。それとヴィルの追跡根性は感心してしまいました。町人達が騒ぎだしたりする所は、少し浮いてる気がしました。
 面白かったです!
では次回作も期待しています♪
2009-05-22 20:22:10【★★★★☆】羽堕
 こんにちは、木沢井様。上野文です。
 御作を読みました。
 完結お疲れ様です。
 この物語で積み上げられていた大筋にかかる伏線がいくつか未回収だったのが気にかかりましたが、パン屋のおっちゃんが色々吹き飛ばしてくれました。凄いぞパン屋!
 前回の質問についてですが、木沢井様は、アナバにせよ、鍛冶屋にせよ、脇キャラは肩の力抜いて楽しく読めるのに、主役格や強いとされるキャラは凝り過ぎている印象がありました。格好よくしようとしすぎ、みたいな。(……私は基本、隙があってツッコミ万歳みたいなキャラに愛着をもつので、そこは割り引いて受け取ってください)
 だから、正直に申し上げますと、ジークには最初、感情移入し難かった。でも、徐々に変わっていって、終盤苦戦したり、ミュレ相手にわたわたしているのを見ると、とても微笑ましくて良かったです。
 面白かったです。次回作も期待しています。
2009-05-23 10:16:29【★★★★☆】上野文
>羽堕様 上野文様
 最後の最後までご感想及びご指摘ありがとうございました。むしろ私の方がお疲れ様という言葉をお贈りしたいくらいでして。
 そうなんですよ、一年がかりで私は彼らが旅立つまでをひたすら書いていました。ちなみにこの第一話、は既にある程度、というか二十一話を書いていた時ぐらいにリメイクし始めていたものでして、どうせならと色々盛り込んでしまいました。嫌な言い方をしますと、最初から回収するつもりのない伏線もありました。ですのでパン屋には感謝しています。
 そのためでしょうか、兎に角ジークやレオーネといった、強くて作中に度々登場するキャラクターは上野文様が仰るように懲り過ぎていて、何だか恥ずかしく思いました。レオーネらはどうにかするとして、次回からは、少しは人間らしいジークをお届けできるかもしれません。何せ彼の影には、あの子がいるわけですから。
 脇役は、だいたいその場その場で考えたキャラクターでして、逆にその分だけ「遊び」があるのでしょうね。鍛冶屋のロイやパン屋みたく、ある程度は好きなように肉付けできますし、アナバのように出世できたりするのでしょう。今にして思えば、今作はそうした面々に救われていますね。
 書き足りないことは多くございますが、これ以上は次回か別の拙作で申したく思います。
 最後に蛇足ですが、思えばこの数ヶ月間、ずっとお二方のお世話になってきました。当方の拙作を少しでも面白いと思っていただけたのでしたら、それはお二方のお蔭だと思います。第二話以降やユーレイ噺も、そう思っていただけるよう精進します。
2009-05-24 00:53:06【☆☆☆☆☆】木沢井
拝読しました。えぇもう一週間くらいかけまして、なので感想書くまでメチャ時間がかかりまして申し訳ありません。ジークとミュレが旅立つまでのお話、大変面白かったです。最初のほうはやや空白が目立っておりまして、いささか描写不足かと思ったのですが、最後のほうになるにかけてだんだんと読みやすくなってきているのに成長を感じられました、しかしそれでもなお飽き性の私がここまで読めた木沢井様の文章力を素直に凄いと思いました。
人物に関しましては、銀髪隻眼青年(少年?)というのは私のドツボストライクゾーンなので、大変燃えて萌えさせていただきましたありがとうございます。あぁでもジークは男に興味が無いのか。もの凄く残念だなぁ(おい)ミュレに関しましては、これもまた萌えポイント高いなぁと思いました。無口お人形少女。良いですねぇ。そそられます。妙な感想になってしまいましたが、面白かったです。ごちそうさまでした。
2009-05-24 14:17:23【★★★★☆】水芭蕉猫
>水芭蕉猫様
 ご感想ありがとうございます。てっきり、行くとしても『ユーレイ噺』の方だろうなぁと思っていましたが、まさか一週間かけてキノコ狩りとは。頭が下がる思いです。
 ジークが男に興味がないって、よくご覧になられていましたね。私自身も忘れかけていましたよ。ですが、そうした方に『成長を感じられた』と仰って頂けて嬉しく思います。あ、ジークに関しましては『青年』で統一願います。
 ヒロインなのに殆どスポットライトの当たらなかったミュレですが、次回からはもう少し出番を増やす予定ですので、それまでに忘れられぬよう努めたく思います。
 
2009-05-24 18:55:10【☆☆☆☆☆】木沢井
読了しました! 後半になって、テンポもアップし、キャラクターもより生き生きとし始めて、大変面白く読ませていただきました。
特に、ジークとレオーネとの対決シーンは、スピード感・緊張感があって、わくわくしました。分割思考は、やっぱりこういうときに最大に威力を発するのだなあと、感心。
あと、鍛冶屋のシーンも好きです。鍛冶屋の仕事ぶりが具体的で、作者もこういう職人さんが好きなのかな、と思いました。それから徒弟が「髪の毛真っ白、顔半分黒」と言ってきた時は、すわ、ブラックジャック登場か?と、勝手に楽しんでおりました(すみません、マンガっ子なもので……(^^;)
ジークがなけなしの金貨を払ってアルトパに来たのは、セネアリスの噂でもあったのか、それとも単なる順番だったのかとか、だいたい、セネアリスってジークのなに?とか、体力がないのが普通の魔導師なのにジークは何でムキムキ?とか、ミュレの出生の秘密は?、などという疑問も、これから少しずつ解消されていくのでしょうねえ。
最後に質問です。立待月とは陰暦17日、望月は15日ですが、作中では、立待月の2日後(?)に望月となっていますが、ジークの世界では、月の満ち欠けが普通と逆なのでしょうか。
それと……、そもそも「ジョビネル・エリンギ」って、なんですか?(作中に出てきていたらすみません)
ともかく、次作を楽しみにしています!
それにしても、大食らいの扶養家族をかかえて、ジークも大変ですね。食べ盛りの二人が、次はせめて「白鯨」のイシューメルのように、美味しいものをたっぷり出す格安宿屋にめぐり合えることを祈っています。



2009-05-25 20:51:27【★★★★☆】千尋
>千尋様
 ご感想及びご指摘ありがとうございます。月の満ち欠けは完璧に私のミスでしたので、修正しておきました。
 タイトル自体に深い意味はないこともないですが、詳しく説明すると長くなってしまうので、今のところは『そういうタイトル』ということにしておいて下さい。
 扶養家族……言い得て妙ですね。どちらも所謂『食べ盛り』のはずなんですが、あの二人を見ていると、親子とかそうした言葉が浮かんでしまいますねぇ。次回にはそうした部分も描いていきたいです。
 分割思考やジークがムキムキである理由は、いずれセネアリス絡みの時にでも明かす予定です。ミュレの出生は……申し訳ありませんが、当分先のこととなるかと思われます。
 ではもう一度、ありがとうございます。
2009-05-26 09:55:29【☆☆☆☆☆】木沢井
計:20点
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