『ドラゴンは翔ぶ 【完結】』作者:ゆうら 佑 / ِE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
静かな夜に語られるのは、ある冒険のおはなし。異世界に飛ばされてしまったノノは、自分の体が半透明になっていることに気づく。ふしぎな怪物に出会い、そのおどろくべき理由をきかされたノノ。はたして、もとの世界に帰ることはできるのか。感情のない子どもとヤモリの精霊がおりなす、‘大切なもの’をさがすファンタジー。
全角91011.5文字
容量182023 bytes
原稿用紙約227.53枚
 
               ドラゴンは()  


             目次 (原稿用紙換算)

         1  風のやまない世界 …………………… 2
         2  イップの部屋 …………………… 24
         3  盲の谷 …………………… 45
         4  白い木々に囲まれて …………………… 63
         5  悲しむということ …………………… 95
         6  しずまる森 …………………… 127
         7  飛翔 …………………… 155
         8  光のなかへ …………………… 184
         9  声も思いも届かない …………………… 206
         10  もやのむこう …………………… 232

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


   1  風のやまない世界


「ママ、おはなしして」
 眠れない夜に、幼い女の子はせがむ。母親は、にっこり笑ってベッドに腰かけた。窓から差しこむ月明かりだけが、部屋をぼんやり照らしている。なにもきこえない。とても静かな夜。
「今日はどんなおはなしにしようか。空の王子様のすてきな恋、それとも大泥棒のおかしな生活?」
「そんなのつまんない。ノノのおはなしがいいの」
「あら、また?」
「ノノのおはなし、してくれないの?」
「ううん、いいけど」
 母親はゆっくりと長い黒髪をかきあげて、やさしい目で娘を見つめた。
「どこまで話したかな」
「ええと……ノノとイップが、道を歩いていて、おじいさんに会うところ。たしか、その人はノノを見ていったの、『なんなんだその坊主は! 幽霊みたいだ』って」
 女の子はくすくす笑った。
「そうだったね」
 ドアがあいて、女の子の父親が顔をのぞかせた。母親はまたにっこりした。
「あら、おかえりなさい」
「うん。なんの話をしていたんだい?」
「ノノのおはなしだよ」 女の子が答えた。
「ノノ? 変な名前だなあ」
「別の世界に飛ばされて、冒険する、かわいそうな子のおはなしなんだよ」
 娘がいうのをきいて、母親は、いたずらっぽく笑った。夫にだけにわかるように。
「そう、とってもかわいそうな子どもの話なの」 と、冗談めかしていう。
「なるほど」
 父親も意味ありげにほほえむと、ひじかけいすにゆったりと腰かけた。
「ぼくにも、きかせてくれないか」
 若い母親は、ちょっとだまった。夫にじっと見つめられると、彼女は今でも落ちつかなくなる。
「いいけど。でも、あなたには最初から話さなきゃ」
「うん、そうしてくれ」
「ねえ、はやく」
 いすに座った夫も、ベッドのなかの女の子も、彼女をじっと見つめた。キラキラした目で。ひとことも、ききもらさないように。
 いつのまにか月は隠れて、窓からは、星が見えるばかり。母親は静かに語りはじめた。
 それは、こんなおはなし。
 まさにドラゴンに乗って空をかけるような。突拍子もない、ふしぎなふしぎなおはなし……。

「むかしむかし、遠い遠いところに、ひとりの子どもがいたの。その子をノノと呼ぶことにするね。ノノは、まったく知らない別の世界で、想像もつかなかった冒険をすることになるの」
 あるとき、母親はこういって、ノノの冒険を話しはじめた。そのとき、女の子はびっくりしてきいた。
「ほかにも世界があるの?」
「昔はあったのよ」
 母親はほほえんだ。

「ノノはお母さんとふたりで暮らしていたのだけれど、貧しかったから、町から遠く離れた林のそばの、小さな家に住んでいたの。まわりを木や畑にかこまれた、そのレンガの家と、季節ごとに色を変える山々だけが、ノノのすべてだったのよ。お母さんは耳がきこえなくて、だからしゃべることもできなかった。ことばを教えてくれたお父さんは、猟師だったのだけれど、何年も前に山で行方不明になっていてね。死んだと思われていたのよ。ノノはいつのまにか、自分に声があることすら忘れてしまっていたの。
 お母さんの手伝いをする毎日。朝日が山のむこうから昇る前に起き、川の水をくんでくる。それから夏の焼けつくような太陽のもとで、お母さんと畑仕事。秋になると、リスやクマのように山で食べ物を集めて、冬に備えなければならなかったの。
 冬が来ると、ノノの仕事は、暖炉の火をおこすことだけ。山々は雪におおわれて凍りつき、ノノはなにもできなかった。だから、秋のうちに貯めておいた木の実や塩漬けの肉だけでしのぐ、つらい生活だったのよ。
 どんなに寒くても、ノノは薄い上着を着て、だぼだぼの半ズボンをはいていたの。服を買うお金もなかったから。くつは木をくりぬいただけのもので、堅くて、足には血がにじんでた。
 そうそう、ノノには宝物がふたつあったの。ひとつは、毛皮の帽子。それをいつもかぶっていたのよ。もうひとつは、飼っていた動物。ポロフといって、ヒツジみたいに毛がふわふわして、まるいつのがあるウサギなの。遊び相手といえば、その小さな友達だけだった。
 元気そうにふるまっていたお母さんも、無理が重なったのか、次の年の秋に死んでしまったの。でも、ノノにはそれがわからなかった。お母さんがいつまでも眠ったままなので、途方にくれてね。なんにも感じることのできない子どもだったから。ただいつもの仕事をしようとして、ノノはバケツをかかえて、川の水をくみにいこうとしたの。けれど、外へ出ようとドアをあけたとき、そこにはだれかが立っていた。
 そして、ノノは光の中に落ちていったの。なにが起きているのか、もちろんわからなかった。ただただ、ノノは落ちていったの――どこまでも――どこまでも」


 まばゆい光の中を、ノノはどこまでも落ちてゆく。
 なにも見えなかった。でも、なにかが見えているような気もするのだ。
 このときが永遠につづくように思えた。
 いったいどういうことなのだろう。自分はどこへ行くのだろう。ノノは薄れゆく意識の中で、もやもやとした頭で必死に考えようとしていた。けれど、うまくいかなかった。
 ほんの一瞬。
 ちらりと影が見えた。ノノ以外の、だれかがいる。
「お父さん――」
 ノノはなぜだか、そうさけびたくなった。
 けれどもその声はかき消え、影も消えていた。
 突然、ちいさな衝撃を受けて、ノノはふわりと飛ばされた。同時に、自分がなにか軽くてやわらかいものになった気がした。
 そして、
 黒い閃光が走った。

 気づくと、暗い森のなかにいた。
 黒々とした木々が立ち並び、ノノを見おろしていた。
 寒気がした。がたがたと体が震えだす。両腕でがっちりと自分を抱きしめてみても、それは止まらなかった。なにも感じられず、なにも考えられず、あるのは自分の体だけ。その体も、まるで、本当はそこにないかのような、なにかとても軽くて、不安定で、ふわふわしたものになったような気がした。自分が自分でないような。目の前に手をかざしてみると、それは透けていた。ノノは見つめるだけだった。その意味を考えることすらできずに。
 なぜだろうか、今まで感じたことのない感覚で、息がつまった。いったいどうなってしまったのだろう? 記憶をたどってみても、わからない。震えが一段とおおきくなる。ほかにはだれもいないのに、見つめられ、押しつぶされていくようだった。
 たすけて。
 心のなかでそうさけんだとき、だれかがノノの手をつかんだ。ノノは顔をあげた。
 それは、自分だった。
 ノノを力強く立ちあがらせると、そのまま手を引いて走りはじめた。
「いっしょに来い! ここから逃げるんだ!」
 その声はまちがいなく、何年も忘れていた自分の声だった。それなのに、ノノには別人がしゃべっているようにしかきこえなかった。
 そして、ノノの透けてぼんやりした手を引くのは、まちがいなく生身の人間の手だった。しっかりしていて、温かかった。
 前を走る自分は、とても力強かった。ふしぎな感覚がした。昔からよく知っているような。
 逃げなければいけないのに、走らなければいけないのに、今はどうでもよかった。ノノはいつのまにか、その手のぬくもりに、心をゆだねていた。木々は鬱蒼としげり、闇はあいかわらず重くたれこめていたけれど。もうひとりの自分が声には出さなくても、にぎりしめた手のひらが、ノノに希望をあたえていた。
 突然、ぞっとするような風がふいた。なにかが、形すらもたないなにかが、ふたりの前にあらわれていた。ノノの体は、あっけなく動かなくなった。
 黒い閃光が、もうひとりのノノをつらぬいた。
 視界がぼやけていく。なにが起こったのか、理解できなかった。さけび声と怒声。ほんの一瞬、もうひとりの自分が倒れるのを、見たような気がした。
 ノノの意識は、そこでとだえた。

 ノノは、だれかの腕のなかで眠っていた。ぼんやりとした意識のなかで、ふしぎなぬくもりを感じた。もうひとりの自分に手をにぎられていたときの感覚に、よく似ていた。
 さわやかな夜の風を、肌に感じた。それに、おおきく上下にゆれているような気もする。
 あの暗い森は夢のように、もうずっと遠くに過ぎ去ったのだ。本当に夢だったのかもしれない。自分は救われたんだ。そう思った。
 すぐそばで声がした。どこかできいたことのある、男の人の声だった。ノノを抱いた人が、だれかに話しかけている。
「礼をいわせてくれ。あなたは、また私をたすけてくれた……」
「よせ」
 返事は、すぐ下からきこえてきた。深くひびく声が、ノノの鼓膜を、いや全身を震わせた。
「おれは、さだめに従っているだけだ。さいわいなことにおれは、自分がなにをするべきなのか、ちゃんとわかっているのだ。人間とはちがってな」
 その声は笑っているみたいだった。
「それにおれは、おまえにおおきな借りがある」
「借りだって?」 男の人が、おどろいたようにいった。「なんの話だ。私はあなたを救ったことなどない。借りがあるのは、こっちのほうだ。いったい、どういうわけでそんな冗談をいうんだね」
「そのとおりだ。おかしなことをいった。忘れてくれ」
 今度は、本当に笑い声がきこえた。押し殺した笑い声だったが、それでも空気は激しく震えた。男は困惑したようにだまっていた。
「それで、その子をどうするつもりだ」
 男は答えなかった。見えない声はつづけた。
「目が覚めたら、お前のことをなにもかも話してやればいい。そうすれば、運命は動き出すはずだ――」
「いや」
 ひびくおおきな声を断ち切るかのように、男は激しい口調でいった。
「私は、この子に会うことはできない。この子のしあわせを考えるなら、最後まで会わずにいるべきなんだ」
「しあわせか。ならば、どうする」
 男は、まただまりこんでしまった。
 声がいった。「あれの手の届かないところまで、行くんだろう?」
「そうだ」 男は静かにいった。「あの丘で、おろしてくれないか」
「それからどうするつもりだ?」
「……わからない。いや、考えがないこともないが」
 そういって、肩に背負ったとてもおおきなふくろを、ちらりと見やった。
 ノノは、ふたたび眠りに落ちていった。目が覚めるころには、このことをすっかり忘れているだろう。
 吹きすさぶ風のなか、声はいうのだった。
「お前たちの旅は、長くなりそうだぞ。いくたびも、まわり道をしなくてはならんだろう。世界をまたぐことになるかもしれん。さだめは、すぐにはお前たちを、結びつけてはくれないのだから……」

 風の音で、眠りからさめた。それでもノノは、目をとじたまま、横たわっていた。照りかがやく太陽を、まぶたをとおして感じた。まぶしくて、思わず手を顔の上にかざしたけれど、光は容赦なく、ノノの目を焼こうとする。
 うっすらと目をあけた。青空がいちめんに広がっていた。どこまでも澄んでいて、かぎりなく深かった。雲がものすごい速さで流れてゆく。
 ノノはゆっくりと体を起こした。
 そこは丘だった。やわらかい草におおわれた、ちいさな山だった。ノノはそのてっぺんにいた。すぐそばに、らせん状にうずをまいてのびる一本の木が、細い体を風にゆられながら、さびしげに立っていた。そのちいさな木陰になんとか身を落ちつけてから、ノノは見おろした。まばらにはえたかざぐるまのような植物が、たえず葉をまわして、からからと音をたてていた。風向きはしきりに変わり、葉もそのたびに、いっせいに向きを変えた。
 丘の先にあるのは林だったけれど、そのむこうはかすんで見えなかった。きらめく金の地面が、ずっと広がっているようにも見えた。
 ノノはすぐには理解できなかった――どこか、自分の知らない地に来てしまったことを。

 立ちあがろうとして地面に手をついたノノは、そこでふと動きを止めた。
 最初は、右手がなくなってしまったのだと思った。よく見ると、たしかに手はあった。けれども、その下にかくれているはずの短い草も、はっきりと見えている。ノノの右手は透けていた。
 あの暗い森のできごとは、現実のものだったのだ。
 同じように、左手も、足も。つぎはぎだらけのハーフパンツも、シャツも、よごれた上着も。ノノは幽霊のように――そんなものは見たことがなかったけれど――半透明になっていた。
 ためしに上着をぬぎ、シャツをめくってみると、おなかも半透明だった。たぶん、顔も。髪も。
 これはやっぱり夢だ、と思った。でも、ほおをつねると痛いのだ。顔をしたたかなぐってみても、涙が出るほど痛いのだ。それでも、ノノの鼻はもとのまま、血も出ていなかった。
 ノノはもちろん、このようなときに、好奇心を発揮してあちこち歩きまわってみるような、そんな子どもではなかった。広い世界を知らず、多くの人間を知らず、引っこみ思案で内気だった。
 どっと疲れがおしよせてきて、動く気にもなれず、木の根元にまた座りこんだ。幹にもたれかかって目をとじたけれど、あたまはからっぽで、どうしていいのかもわからない。考えることもおっくうだった。自分の家と、ほこりまみれのポロフと、眠ったままの母親の姿が、まぶたのうらにうかんでは消えた。
 うとうとしていたようで、なにかが近づいてくる気配にも気づかなかった。空気の震えを感じて目をあけたとたん、ノノは横に飛びすさった。
 おおきな音とともに、するどいかぎづめが、木の幹にくいこんだ。
 それは半鳥半獣の怪物だった。ノノの世界にはいない、見たこともない生き物だ。グリフォンは(くちばし)をカチカチ鳴らし、黄色い目でノノをとらえると、翼をばさりとひと振りし、強靭な四本の足で跳びあがった。
 今度は近くからの攻撃だったので、ノノはよけることができなかった。強い衝撃とともに、地面に押し倒された。ライオンの体でおさえつけられ、長い首からはえたワシの足が、がっちりと刃物のようなつめを立てる。痛かった。だからといって、抵抗しようとも思わなかった。身動きが取れなかったから、というだけではない。ノノは恐怖を知らなかったのだ。ただ顔をそむけ、とがった嘴がせまってくるのを、ただ待っていることしかできなかった……。
 そのとき、なにかがぶつかったような、ゆれがあった。突然、怪物の重みが消えた。
 首をまわして見てみると、グリフォンは丘をくだり、走り去っていくところだった。遠目にも、翼が折れ曲がっているのがわかる。なにが起こったのかわからなくて、ノノはぼうっとしながらも、起きあがった。そして、見た。
 そばに、グリフォンよりもおおきな怪物が立っているのを。
 とかげのような姿。ノノの背丈の三倍はあり、全身が黒色で、まるまると太っている。
 逃げなければ。わかってはいるのに、痛みで体が動かない。それなのに、かぎづめのくいこんだ腕や押しつぶされそうになった足には、傷ひとつついていなかった。黒色の怪物は、みじかいうしろ足でどかどか歩いて――もしくは走って――ノノに近よってきた。そして、あわてたような、けれども深みのある声で、こういったのだ。
「大丈夫か」
 怪物がしゃべるとは思っていなかったので、ノノはちょっと変な気がした。
「すまない。ちょっと目をはなしたすきに……」
 ビー玉のように丸い、ふたつの茶色い目が、ノノをじっと見つめていた。そしてその怪物は、おずおずと手を差しのべた。ほそいうでの先に、吸盤のようにまるい指が三本、くっついた手を。
 たすけてくれるというのだろうか。でも、ノノはしたがわなかった。ぼんやりした目で、得体の知れない、この生き物を見ているだけだった。怪物は、手を引っこめてしまった。
 かわりに葉っぱの包みをノノに差し出しながら、いった。
「水をくんできたんだ。飲まないか?」
 どうしてこんなに、親切にしてくれるのだろう。のどはかわいていなかったけれど、ノノはとりあえず受けとった。それに、この怪物は、さっきの獣を追いはらってくれたのだ。ようやくそのことに気づいて、ノノはすこし元気になった。包みを口のそばでかたむけ、水を飲もうとした。けれど、手元がくるって、冷たい水をどっさりかぶってしまった。ノノは飛びあがった。けれど、頭ははっきりした。ふしぎなことに、半透明の体は、まったくぬれていない。
 怪物が笑ったように見えた。そして彼は、もう一度手を差し出した。
「さあ、私といっしょに来い」
 ノノはよく考える前に、ちいさくうなずいていた。
 止める間もなく、怪物はノノを軽々と持ちあげ、背中にのせた。肌はざらざらしていて、ヤスリのようだ。
「つかまっていなさい。林をぬける」
 そういうと、怪物は四本足で走りだした。ノノはあわてて腹ばいになり、しっかりと背中にしがみついた。けれども怪物は太った体ににあわず、さっと丘をくだり、あっというまに林に入り、すべるように木々をよけながら進んでいった。動きがあまりにもスマートで、ゆれもほとんどなく、しっかりつかまっている必要はなかった。伝わってくる振動のリズムが心地よいほどだ。いつしかノノは怪物の広い背中の上で、安心しきっていた。
 あざやかな黄金(こがね)色が、目にしみた。いつのまにか林をぬけ、今度は麦ばたけのようなところを突き進んでいた。その麦は緑ではなく、かがやくような黄色なのだ。若い穂は日差しをうけて、さらに美しくきらめいている。とても背が高く、前は見えない。どこまで行っても、黄色。黄色。黄色。風が彼らをなでていく音が、やむことなくきこえていた。
 ふいに目の前がひらけて、広い道に出た。かたい土の、平らで、まっすぐにつづく道だ。
 怪物は走ることをやめ、ゆっくり進みながらいった。
「あそこに見えるのが、村だ」
 道の先に、高い高い塔が立っているのが見えた。実はそれは、天まで届くような、岩山なのだった。ちいさな森にかこまれている、というよりは、ちいさな森のまんなかに突き刺さっているようだ。
 あちこちで枝分かれする道は、まわりに黄色い麦が壁のように立ちならんでいて、まるで迷路みたいだった。けれども、ノノをのせた怪物の歩く道がいちばん広く、そしてまっすぐ岩山につづいていた。
 前からだれかがやってくる。長ぐつをはいてすきをかついだその老人は、どう見ても人間だ。彼は怪物に気づいて顔を引きつらせ、足を止めた。
 怪物は老人にいった。「心配しなくていい。私はやつの手下ではない」
 老人は、うたがわしげな目をした。
「子どもをつれているのを見ると、本当らしいな。だが、なんなんだその坊主は! まさか幽霊じゃないだろうな」
「やつにおそわれたのさ。なんとか生きのびたのだが」
 老人は身を震わせた。「やつが来たのか? ここに?」
「いや、この近くにはいない」
「そうか」 老人はほっとしたようにいった。「さすがに山を越えて、ここまで来ることはないだろう。だがおそろしくて、食事ものどをとおらんよ」
 そして、やせこけた顔を、ノノにむけた。
「かわいそうに……」
 そういって、さっさと小道に入っていってしまった。ノノは、怪物と老人の会話の意味が、さっぱりわからなかった。けれどあらためて、思いださせられたのだった。自分の体が、半透明になっていることを。



   2  イップの部屋


 森のように見えたところは、怪物のいったとおり、村だった。
 おおきな葉っぱがいくつも、すっぽりと空を覆いかくし、ドームを作って日差しをやわらげている。下から見あげたノノには、それがおおきなクローバーに見えた。
 ドームの中には、葉っぱでできた、まるっこい家がたくさんならんでいる。まるでロールキャベツのようなのだが、ノノはまったく興味をもたなかった。怪物もキャベツの家には見むきもせず、どんどん歩いていく。だれもいない。まだ、村のほとんどが眠っている。
 とうとう、村のはずれまで来てしまった。一本のおおきなクローバーの根もとだ。怪物はそこでノノを背中から降ろし、いった。
「ここが私の家なのだ」
 見ると、雑草におおわれた地面には、おおきな穴があいていた。暗くて深くて、真っ黒だ。怪物はノノについて来るよういうと、巨体をむりにねじこんで――ふちの土がぼろぼろとくずれた――暗闇のなかに消えてしまった。ノノは少しためらったが、おそるおそる、足を穴に入れてみた。
 ささえるものはなにもなく、ノノはがくんと体が落ちるのを感じた。急な坂道をすべりおりていく。左へ、左へ。暗くてなにも見えず、ぐるぐるまわりながらもんどりうって転び、上も下もわからなくなった。
 かたい床に顔をぶつけて、ノノはようやく止まった。頭はぼうっとしている。暗闇の中、手をのばすこともせず、ただそこに座っていた。
 ふっ。
 と、怪物の姿がうかびあがった。ろうそくに、あたたかな灯がともされたのだ。
 オレンジ色の光は力なく、ぼんやりとゆれていたが、やがてひとつ、またひとつと、火の玉になって飛びまわりはじめた。
 ほたるのように、ゆっくりとただよっていた無数の火の玉は、つぎつぎと天井や壁に吸いこまれていく。そこにはびっしりとランプがつるされていて、あちこちであかりがつきはじめた。あるものは力強く、あるものは弱々しく美しく。長いことくすぶっているものもあったが、ほとんどが燃えだした。やっと、ノノにも、ここが部屋なのだとわかった。
 何百というランプの灯に照らされた怪物の部屋は、まるで太陽のもとにいるかのように明るくて、心地よいものだった。まんなかにちいさなテーブルがぽつんと置いてあるだけだったけれど、その上はにぎやかに、いろんな箱や、見たこともない鉄の器具や、たくさんの本であふれかえっている。ただ、どれもぶ厚いほこりをかぶっていた。
 ノノは、部屋の入り口で、じっとしていた。
 テーブルにつくようノノにすすめてから、自分も腰をおろして、太った黒色の怪物はいった。
「私はヤモリの精霊、イピリアだ。……そうだな、イップとよんでくれ」
 ノノも自分の名前をいったが、それ以上はしゃべらなかった。テーブルのそばには座らず、その場所に落ち着くことにした。せまい部屋なので、怪物はかなり近くにいたけれど。
「すまない。私がこのテーブルを独り占めしてしまっているな。そこでいいか? しりが冷えるのは、どこでも同じだが」
 そういって、イップはノノを見つめた。丸いが、するどい目だった。思わず、そっぽをむいてしまった。
「どうして、この世界に来たんだね」 彼はいった。
 ノノは首を横にふった。
「どうして隠すんだ。いったいなにがあったのか、話してくれないか……」
「ここはどこ?」 ノノはかぼそい声でいった。数年ぶりに、ことばを話した。目はふせていた。
 怪物はしばらく固まり、目をぱちくりさせていたが、ようやく口をひらいた。
「やはりきみは、知らないんだな。この世界のことを」
 ノノはうなずいた。
「そうか」 イップは腕組みをして、顔をしかめた。悲しげな表情だった。ノノにはそれが理解できなかったけれど。
 怪物は、淡々と話しはじめた。
「ここは、きみのいた世界ではないんだよ。世界は四つある。ここは『風の世界』――決して風のやまない場所だ。世界を越えることは、並大抵のことではない。すくなくとも、普通の人間にできることではないんだ。偶然など考えられない。それなのに、きみも来てしまった。いったい、どうやって?」
 ノノはまた首をふった。
「覚えていないのかい」 イップは静かにいった。
 ノノは考えた。すこしずつ、記憶がよみがえってきていた。
 暗い森を、そこからのがれるために走ったこと。どこかぼんやりした空間を落ちていったこと。でも、その前は――その前は――。
「……だれかが、家の外にいた」
「だれか?」 イップがするどくいった。「そいつが、きみをこの世界に送ったのか? どんなやつだった? 男か、それとも女か?」
 ノノはだまった。考えるまでもなく、本能でわかっているような気がした。ささやくように、こういった。
「お父さんだと思った」
 ばかな、とイップはつぶやいた。彼はしばらくだまっていたけれども、やがて、きっぱりといった。
「考えてもしかたがない。もう、どうでもいいことだ」
 そして、ノノのほうに身を乗りだし、やさしくいった。
「顔をあげなさい」
 ノノはいわれたとおりにした。怪物の顔がすぐ近くにあった。彼がなにを思っているのか、ノノにはまったくわからなかった。
 イップのまるい指が、ノノのほおにふれた。硬くざらざらしていて、思わず、体をこわばらせた。
「きみは、身体(からだ)をうしなったのだ」
 彼は、おもおもしくいった。「ただうしなったのではない。うばわれたのだ」
 ノノは、自分の右手を見おろした。その手はあいかわらず、透けていた。あかるい部屋のなかで、ますますうすぼんやりとしている。身体をうばわれた……どういうことだろう? 怪物を見て、たずねた。だれがそんなことをしたの、と。
「おどろかないのか?」 イップは目を丸くした。ノノがあまりにも平然としていたからだ。実際のところ、ノノはおどろくことも知らなかった。
 しばらく迷ったあと、ようやくイップは口をひらいた。
「妖精だよ」
 ノノはもちろん気づかなかったけれど、その声にはありありと嫌悪感がこめられていた。
「何者なのかはわからない――かつて存在した『闇の妖精』のひとりだともいわれているが。あいつのせいで、この世界は今、破滅にむかっている。あいつはな、永遠の命を得ようとしているのだよ。ほろびゆく身体に新しい肉体をとりこんで、生きながらえている。おぞましいことだ。怪物をつかって町や村をおそい、森を焼きつくし、生ける者すべての身体をうばう。闇の術で、魂から引き裂いて……」
 イップはことばを切った。ノノが無表情でいるのを悲しげに見たあと、また話しはじめた。
「みな、あの妖精から身を隠し、よりそい、細々と生きている。もうずっと昔から。それでも、だんだんと人は犠牲になり、いなくなっていく。森は消えていく。むき出しの荒地がひろがる。もはや、村はかぞえるほどしかのこっていない。
 きみも、その妖精の手下の怪物におそわれたのだ。今は、身体をうばわれた『魂』だけの状態なのだよ。運のいいことに、まだかろうじて生きてはいるが」
「身体がなくなると、どうなるの」 ノノがきいた。
「とても不安定になる」 イップがいった。
「本当のところは、よくわからないがね。魂だけがのこった例なんて、ほとんどないんだ。私はまったく知らない。身体がうばわれたあと、魂は容赦なくくだかれてしまうからな。きみはそれをまぬがれたんだ」
 ノノは思い出した。あの暗い森のできごとを。まぼろしのような光景を。そう、もうひとりの自分が――。
「たすけてくれたんだ」 ノノはいった。「それから……」
 ふいに頭の奥深くで、かすかな声がよみがえる。風のなかで、話す声。
「だれか男の人が、運んでくれて……」
 イップはうなずいた。
「私は、その男にたのまれたんだ。きみを世話するようにと。夜明けごろ、その男がきみを抱いて、さっきの、風の丘にあらわれた。そして、偶然そこにいた私にきみをあずけると、すぐに去っていってしまったのさ」
 その人は、いったいだれだったのだろう? イップも知らないようだった。
「だから私には、たのまれたとおり、きみの世話をするつとめがある。私といっしょに、ここで暮らせばいい。この村は妖精のすみかからも遠くはなれていて、安全だし……」
 彼は話しつづけた。身体がないから食べ物の心配はいらない、でも感覚はあるから、さしあたってはあたたかい毛布が必要だ、どこかからもらいうけなければならない。それにこの家はせますぎるから、新しいところを探さないといけないかもしれない……。ノノはじっとだまってきいていた。ここで生活することを考えた。それはつまり、二度と自分の世界には帰れないということだ。ちいさなレンガの家が、頭にうかんだ。母親がいるし、ポロフもいる。自分の居場所は、あそこにしかないような気がした。毎日はたらき、食べ、眠り、ちいさなポロフと遊ぶのが自分なのだから。
 帰れないの、とたずねた。
「もとの世界へか?」 イップがおどろいたようにいった。
「そりゃあ、できないこともない。それぞれの世界の『果て』へ行けば、別の世界へわたれるそうだ。それから、空間にさけ目をつくって移動することもできるが――」
 ノノは立ちあがった。
「どうすればいいの」
「ばかをいうな!」 イップが声を荒らげた。その声は部屋のなかにわんわんとひびき、ランプがいっせいにゆれた。
「身体のないまま空間を移動すれば、どうなると思う! 急激な変化と圧力にたえられずに、まちがいなく死んでしまう。それにな。空間を裂くことができるのは、魔法使いや妖精たち、かぎられた者だけだ。それに『世界の果て』など、今ではほとんど伝説になっている。とても人間の行ける場所ではないからだ」
 けれど、怪物がなんといおうと、ノノの心は決まっていた。野生の獣のように、考えることもせず、ただ本能に従って、突き進もうとしていた。
「妖精はどこにいるの?」
 ノノのことばに、イップはしばらく呆然としていた。そしてつぶやいた。
「身体を……取り戻すつもりなのか?」
 ノノはうなずいた。
「おまえは忘れたのか?」 イップが激しい口調でいった。
「相手はあの妖精だぞ! 死んでもおかしくなかったはずだ。あの暗い森を忘れたのか? あの恐怖を忘れたのか――?」
 ノノは首をかしげた。恐怖とは、いったいなんなのだろう。
「どうして、そんなに平然としていられるんだ!」
 怪物はさけんで立ちあがり、天井に思いきり頭をぶつけた。ランプがいくつか割れ、ガラスや火花が飛び散ったが、イップは顔をしかめただけだった。ノノは笑いもせず、おびえもしなかった。
「おまえには感情がないのか?」
 イップが両手でノノの肩をつかみ、ゆすった。見あげるほど大きい。彼はきばをむき出し、ほえた。
「ならば私が教えてやろうか。なんだその顔は? 私には、おまえを傷つけられないとでも思っているのか? 身体がないから? そんなことはない。たしかに傷つきはしないが、普通の人間よりもはるかにもろい! 彼らとおなじように考えたり、話したり、歩いたりできるが、実際は人間ではない。入るべき器をもたない魂は、いつこわれてもおかしくないほど、もろい存在なんだ! 今ここで、私が粉々にしてやってもいいんだぞ!」
 鬼のような形相だった。茶色の目に、ぎらりと光が走った。ノノはこのときはじめて、恐怖というものを感じた。この怪物からのがれたい――無意識のうちに、ノノはそいつの腹をけり、うでをふりはらって、部屋を飛び出していた。
 自分の道は、自分で決めるんだ。
「それほど死にたいのなら、どこへでも行け! ばかの世話などまっぴらだ!」
 背中に怪物の声をききながら、ノノはトンネルをのぼり、外に出た。そしてあてもなく、雑草の繁る村のなかを駆けていった。人や獣、怪物のようなものと何度かすれちがったけれど、目もくれなかった。
 気がつくと、あの高い岩山のそばまで来ていた。そこは村のまんなかだった。というよりも、この岩の塔を中心に、村ができたのかもしれない。まわりはいびつな形の広場になっていて、クローバーの傘はなく、日差しが直接あたっていて明るい。しきつめられた色とりどりのタイルが、光を反射してまぶしかった。だれもいない。広場に足をふみいれて、岩山の正面に立った。遠くから見たときもおおきかったけれど、まぢかで見ると、さらに巨大だった。まるで針のように天に突き刺さっていて、てっぺんは見えない。
 ノノは、岩肌にななめのしまもようがあることに気づいた。それは、階段だった。
 荒けずりで手すりもなにもない、急な階段をのぼりながら、考えた。
 自分は帰らなければならないのだと。母のためにも、いっしょに必死に守ってきた家と畑のためにも。ちいさなポロフのためにも。それは強い意志だった。
 身体を返してもらうには、妖精に会わなければいけない。けれど、どこにいるんだろう?
 岩肌を六周して、ようやくクローバーの葉をこえた。そこからは遠くの風景に目をこらしながら、さらにのぼった。葉のドームの先は、しばらく黄色い迷路がつづいているけれど、そのむこうは山か、森があるだけ。
 さらに上へ。ノノが目覚めた丘が見えた。いちばん高いところで強い風をうけて、ねじまがった木がなびいている。かざぐるまのような植物も。からからと、風の音が聞こえるような気がした。妖精がいるのは、あの丘のむこうかもしれない。
 けれども、いくらのぼってもその先は見えなかった。丘のうしろは白っぽいもやにつつまれ、吸いこまれるように消えていた。
 だんだん高くなるにつれて、階段はほそくなり、さらに荒いつくりになった。あちこち傾いているので、バランスをくずせば落ちてしまうだろう。段の高さもふぞろいになり、苦労してのりこえなければならないところもあった。一周の距離はすこしずつ短くなっていたけれど、頂上まではほど遠かった。おなじように高みをめざして昇る太陽は、あっというまにノノをつきはなし、頭上で灼熱の日差しをあびせた。熱い風がいちだんと強く吹いた。ノノはまた丘のむこうをながめたが、やはりもやにおおわれていた。
 声がした。
「なにを見ているのだね」
 ノノはびくりとしたが、だまって指さした。彼と出会った丘の、はるか先を。
 すぐとなりで、イップは静かに首をふっていた。
「妖精がいるのは、あそこではないのだよ。あそこは、世界の端なのだから」
 イップがうながすので、ノノはもう半周ほどのぼった。イップの重みで、足場は今にもくずれそうだった。
「あれを見ろ」
 ノノは彼のさすほうに目をこらした。遠くに、黄色い麦畑のもっともっと先に、暗い谷が見えた。
 あそこに妖精がいるのかとたずねると、イップはまた首をふった。
「いや。あの谷のずっとむこう、広がる荒野をこえ、山をこえ、おおきな湖をこえ、また山をいくつもこえたところ――この世界の、もう一方の端にいるのだよ」
 ノノは谷を見つめた。闇がぽっかりと口をあけていた。
「甘くはない」 イップはいった。「あらゆる危険がまちうけている。妖精のもとにたどりつける保証はない。もしたどりついたとして、やつを殺せるか? 今までだれもできなかったことを、私たちができると思うか?」
 ノノはイップを見た。そしていった。
「やってみなくちゃ、わからないよ」
 感情のない、けれども決然とした声だった。イップはほほえんだ。
「私も行く。きみといっしょに」
 ノノは表情を変えなかった。
 さっきは、あんなことをいっていたのに。自分を見捨てるつもりではなかったのだろうか。
 その顔を見て、イップはやさしく、ノノのほおをなでた。
「さっきは悪かった。私はどこまでもついていくよ。当然だろう? たのまれたんだから。私は約束は守る。でも、これだけはわかってほしい。私は、おまえに死んでほしくないんだ。だから、おまえも約束するんだ――絶対に、いつでも私のいうことをきくと。いいね」
 ノノがうなずくと、イップはさっさと降りはじめた。
 そのおおきな背中に、ノノは呼びかけた。彼はふりかえった。
「この階段は、どこまでつづいているの?」
 頂上を見あげ、イップはいった。
「何百年も昔、天上の世界をめざした男は、それきり帰ってこなかった」
「空の上にも、世界があるの?」
「さあ」
 イップは気楽にいった。「だれにもわからない。この先になにがあるのか。それを知っているのは、その男だけだ……」


 母親は、そこで話をやめた。女の子は目を丸くした。
「つづきは?」
「もうおやすみの時間よ。つづきはまた今度にしましょうね」
 女の子はほおをふくらませて、駄々をこねた。
 父親が笑った。
「強情なところは、きみにそっくりだな」
「そうかしら」
「たまには夜更かししてもいいんじゃないか? 僕も、きみの話をもっとききたいしね」
「きかせて!」と、女の子もいった。
 母親は髪をかきあげ、夫に目をむけた。
「あなたは甘やかしすぎよ」
「きみが厳しすぎるのさ」
「そんなことない」
「あるさ」
「そうかしら?」
「そうさ。誓っていうがね」
「なににかけて誓うの?」
「もちろん、きみへの愛にかけてさ」
 母親はため息をついた。
「もう。やっぱり、あなたにはかなわない」
「だろうね」
「しょうがないなあ」
「そうこなくっちゃ!」 父親は手をたたいた。
 女の子も、つづきを待っていた。好奇心にかがやく顔を、母親にむけて。



   3  盲の谷


 その日のうちに、ふたりは黄色い麦をかきわけながら、谷をめざしていた。ノノはイップの背中には乗らず、あとについて走った。イップがおおきな荷物を背負っていたからだ。家のなかをかきまわし、近所をいくつかまわり、手当たりしだいに革の袋につめこんだものだった。
「はぐれるなよ!」
 イップが注意したけれども、長いしっぽのついたおおきなおしりを見失うことのほうがむずかしかった。谷へ直接つづく道はなかったが、そのおしりのおかげで、イップの通ったあとがそのまま道になっていた。
 黄色い植物はだんだんとまばらになり、緑の雑草に変わっていった。ほそい木々が風に押し倒され、寝そべるようにはえている山にのぼる。谷を見おろせる高台についたころには、日が暮れていた。
 ノノは、谷の暗がりを見透かそうとした。けれども、太陽の光も届かないような場所を、月が照らすはずもなかった。そこは山と山のあいだにあいた穴のように、どこまでも暗く、どこまでも深かった。
 寒気がして、ノノはくしゃみをした。風が強くなっていた。イップが袋からおおきな毛布を出してくれたので、それにくるまって眠ることにした。ノノの家にあった毛布よりもずっとよかったけれど、少しかびくさかった。
「すまないが、火をたくことはできん。虫によってこられちゃ、かなわんからな」
 そういったきり、イップはノノに背をむけ、じっと座っていた。
 ノノはいくつかのことをたずねてみた。イップの生活のこと、妖精のこと。けれど、イップはどの質問にもあいまいな返事をするだけで、答えてはくれなかった。イップは肩ごしにふりかえり、突然いった。
「きくばかりじゃなく、きみも話したらどうだ。きみの家はどうなっているんだね。ちゃんとうまくやっているのか?」
 ノノは淡々と話した。話すのは苦手だったけれど。毎日の仕事、眠ったままの母親、いなくなった父親、それに、残してきたポロフ。
 イップは後ろをむいたままだったので、その話をきいてどう思ったのかはわからなかった。ただ、長いことだまりこんでいた。なにか言葉を探しているようでもあった。
「あんまりだ」 彼はぽつりといった。
「かわいそうに。おまえはなんて不幸なんだ」
 ノノがきいた。
「不幸って何?」
「しあわせじゃないということだ」
「しあわせって何?」
 イップはおどろいたようにふりかえった。その目は――ノノにはわからなかったが――とても悲しげだった。
「すると、おまえはしあわせすら知らないのか?」
 ノノはだまってうなずいた。幸福も、不幸も、今まで一度も感じたことがなかったのだ。喜ぶことも、悲しむこともわすれてしまったのだから。耳がきこえず、話すこともできない母親と、毎日同じ仕事をする、変わりばえのない毎日。それ以上やそれ以下があるなんて、ノノは考えたこともなかった。母親が死んだことを理解できないのも、当然だった。
「しあわせか」
 イップはつぶやいた。
「手に入れることができたら、どんなにいいか」
「それは物なの?」
「さあな、たぶんちがうだろう」 イップはかすかに笑った。さびしそうな顔で。「だが、ここ何年も感じたことはないな。どうやら私も、それをわすれてしまったようだ……」
 イップはふたたび、夜の山々に目をむけた。ひと晩じゅう、見張りをするつもりだった。実際、こんなところにいれば、いつ獣におそわれてもおかしくなかったのだ。
 彼は、たえず闇に目を光らせていた。
 それでもノノはまだ、この怪物を完全には信用できなかった。けれど、眠気には勝てなかった。帽子もかぶったままで、いつのまにか寝入ってしまったらしい。
 その半透明のちいさな寝顔を、イップは気にかけるように、何度も何度も、ふりかえってはながめていた。

 明け方、ふたりはゆっくりと山をくだっていった。地面に身を横たえたような木はまばらになってきていたし、白い石ころが目立つようにもなった。朝日はさしているが、谷の暗闇はすぐそばまでしのびよっていた。
 イップはそこを「(めしい)の谷」と呼んでいた。なにかよくないうわさもあるようだったけれど、くわしいことはなにも話さなかった。イップはこわがっているにちがいないと、ノノは思った。
 なぜなら、谷が近づくにつれ、イップが何度か身震いするのを見たからだ。ノノがイップをおそれたように、イップもなにかをおそれている。けれど、やがて覚悟を決めたのか、彼の足取りはしっかりし、巨体をゆらしながら山の斜面をつきすすんでいった。
 イップは急に立ち止まった。ノノもとなりに立って見ると、その先にはなにもなかった。まるで、黒い壁のようだ。まったく動かず、じっと彼らを待ちかまえていた。
「入るぞ。こわくはないか?」
 イップがいった。ノノはうなずいた。
 ふたりはいっしょに、歩きはじめた。
 それは突然だった。
 空は消え、太陽さえもぬりつぶして、どろりとした闇があたりを覆った。なにも見えなくなった。黒一色の世界。まさしく、盲の谷だったのだ。
 ノノは感じた。イップの部屋とは、比べものにならない息苦しさを。やっとのことで手をつきだすと、なにかざらざらしたものにふれた。ノノは、それをしっかりとつかんだ。
 同時にすぐそばで、ぼんやりとした光がイップを照らすのが見えた。あかりをつけたのだ。イップが手にさげていたのは、彼の部屋の壁にかかっていたなかでも、いちばんおおきなランプだった。
「大丈夫か」
 ノノが自分のしっぽをつかんでいるのを見て、イップがささやいた。いつものまっ黒な顔が青ざめているようだった。けれどその姿も、ランプの光も、ベールがかかったようにはっきりしない。
「一度、戻ってもいいんだぞ」
 ノノはまた首をふった。イップはうなずくと、歩きだした。ノノはしっぽを両手でにぎりしめたまま、ついていった。
 バケツほどもあるおおきなランプでさえ、イップの足元を照らすのがやっとだった。ごつごつとした岩がころがっているだけで、草は一本もはえていない。空気は湿っていて、重たく、風はまったく吹かなかった。ふたりはだまって歩きつづけた。どこまで行っても闇だった。ノノは、変わりばえのしない景色をながめながら、思いはじめていた――もしかしたら、出口なんかないんじゃないか。長い道のりは終わることはなく、この暗闇のなかで、永遠にさまようことになるのかもしれない。それとも、世界そのものが、光をうしなってしまったのだろうか?
 イップは岩をさけながらも、ただまっすぐ、まっすぐすすんでいった。

 歩き疲れたころ、はじめてほかの場所から音がきこえた。とてもかすかな音だけれど、さらさらと、たえずきこえてくる。近づいてみると、川だった。ノノでも飛びこえられそうな、ほそい小川だ。それでもランプの光は底まで届かず、水はすんでいるのか、にごっているのかもわからなかった。
「外までずっとつづいているんだ。この流れをたどっていけば、谷をぬけられる」
 イップが小声でいった。
「あとどのくらい?」
 ノノもおなじようにささやいた。どうしてひそひそ話しているのだろう。そう思ったけれど、きかなかった。
「さあな。見当もつかん。なにしろひさしぶりだからな……」
 ふたたび歩きはじめようとしたとき、水の流れる音にくわえて、なにかきこえたような気がした。ノノはじっとして、耳をすませた。イップも落ちつかない様子で、あたりを見回した。たしかにきこえてくる。ぬれた地面に、硬いものが当たるような、気味の悪い音だ。
 イップは身構えた。だんだんと近づいてくる。ノノはいっそう強く、イップのしっぽをにぎりしめた。「それ」は、すぐそばまで来ているようだった。だが、姿は見えない。イップは音のする方向に、さっとランプをかざした。
 わずかな光に照らされて、長い二本のつのが、ぎらりと金色に光った。そして、徐々に姿をあらわしたのは、闇よりも濃い漆黒の獣だった。
 イップはノノに、動くなと身振りで合図した。その馬のような生き物は、ひづめを鳴らし、暗闇からゆっくりとはい出てきていた。ちいさな目は白くにごっていて、なにも見えてはいないようだ。獣は立ちどまり、なにかを探すように、左右に首を動かした。頭から背にかけてはえるたてがみは、ぴくりとも動かない。おそらく鼻もきかないのだろう。ノノたちの音と気配を感じ取ろうとしているのだ。
 ノノは身がすくんだ。ますます息苦しくなった。すこしでも体を動かせば、獣に見つかってしまうのでは? イップのほうを見ることもできずに、ただただしっぽをつかんでいた。はてしない時間が流れた……。
 やがて、漆黒の馬はふたりに背をむけ、ゆっくりと暗闇のなかに戻りはじめた。どうやら、あきらめたようだ。
 けれどノノは油断してしまった。息をはきだすと同時に、思わず声をもらしてしまったのだ。
 獣がふりむき、飛びかかってくるまでに、ほとんど間はなかった。イップが「逃げろ!」とさけんだときには、ノノはもう走りだしていた。光が遠のく。すぐになにも見えなくなった。けれど、ひづめの音で、獣が自分を追ってきているのがわかった。
 ひたいからまっすぐつきでた二本のつのを思い出し、ノノはぞっとした。あのするどいつのなら、造作もなくつらぬかれてしまうだろう。
 ノノは暗闇のなかを走りつづけた。ぼんやりした感情が、だんだんおおきく、はっきりとしてくる。恐怖だ。イップに肩をつかまれ、あの鬼のような形相を見たときのような。
 せまる足音。目は見えない。こわかった。それが行く手をはばんだ。岩にぶつかるかもしれない。地面が突然、消えるかもしれない。何度もつまずいてころびそうになったが、それでもノノは止まらなかった。止まれなかった。
 獣の足音は、いつまでもどこまでも追ってくる。
 もう体力は限界だった。足が痛んだ。息もできないほどだった。そこにないはずの心臓が、どこかで悲鳴をあげていた。
 ノノはあきらめはじめていた。心はむしばまれつつあった。やがて走ることができなくなり、二、三歩よろめいてから、体は完全に止まってしまった……。けれど本当は、動かなくなったのは、体ではない。もともと持っていないのだから。動かなくなったのは、魂のほうだったのだ。
 まとわりつく闇のなかで、ノノは考えることもできず、倒れていた。うすれゆく意識のなかで、ノノは自分にせまる影を――見た。それは獣ではなかった。
 その影はおおきくふくらみながら、ノノを包みこもうと近づいてきていた――。

 どれくらいたったのだろう。
 だれかが呼んでいた。まるで谷底から、壁を何度もはねかえってきこえてくるような、おぼろげで、奇妙な声。
 ノノはまた、暗闇のなかでじっとしていた。立っているのか寝ているのかもわからない。本当に目をあけているのかどうかもわからなかった。
「だれ?」 ノノがいった。
 声は答えた。
「この地にしばられる者だ」
 ノノはふいに、そばにだれかがいることに気づいた。けれども、あいかわらずなにも見えなかった。いったいだれなのだろう? なにをしようとしているのだろう?
「よろこべ。おれはおまえを、しあわせにできる」
 声はすぐ近く、ほとんど耳元からきこえた。
「しあわせ?」
 イップがいっていたことばだ。ノノはぼんやりと、その意味を考えていた。
「そうだ、しあわせだ。おまえはそれを知らないのだろう?」 あざ笑うような調子だった。「いや、おまえだけではない。おろかな人間たちはだれひとりとして、本当のしあわせを知らないのだ。おまえたちは、ほかの者の上に立つことがしあわせだと思っている。自分以外のだれかを見下して、幸福を得ようとしている。みにくくいがみあい、ときに争う。あわれなことだ! それが真の不幸なのだ。だがだれも気づかない。だから、今や人間は生きているかぎり不幸なのだ。必死に幸福を追い求めても、決してしあわせにはなれない」
 ノノはだまっていた。
 声がいった。
「だが、おまえはしあわせになりたいだろう?」
 なんとも思わなかったし、よくわからなかった。ノノはただ、うつろな目で闇を見ているだけだった。
「わからない」 ノノはつぶやいた。
「いや、しあわせになりたいはずだ」 声はさとすようにいった。「そうでない人間など、ありえない。お前はしあわせになりたいだろう?」
「わからない」
 ノノはくりかえした。
 本当にわからなかった。しあわせとは、どんなものなのだろう。
「すばらしいものだ。勝るもののない絶対の真理だ。だれもがあこがれ、求め、つかみとろうとするものだ……。お前はしあわせになりたいだろう?」
 そうかもしれない、とノノは思った。みんなが欲しがるもの。イップも手に入れたがるもの。それなら、なにであっても、きっといいものにちがいない。
「どうすればいいの」
 ノノは思わずいっていた。「どうすれば、手に入れられるの」
「簡単なことなのだ」
 声は満足そうにいった。そして、さらに耳元で、ささやきかけた。
「別の世界へ行くのだよ」
「別の……?」
「そうだ。別の世界といっても、この世のいくつかの世界、火や、水や、地の世界ではない。それらはばらばらにわかれているように見えて、実際はひとつのものなのだ。おれのいっているのは、もっとすばらしいところ――死の世界だ」
「どうやって行くの?」
「死ぬのだよ」
「……死ぬ?」
「そうだ。いっただろう。生きているかぎり、人間は不幸から逃れることはできない。だから死ぬのだ。いまわしいこの世を去るのだ。別の世界、死の世界がちゃんとある。すばらしい場所だよ。不幸も悲しみも苦しみもない、しあわせとよろこびと快楽だけの世界だ……」
 ノノには理解できなかった。けれども、話をきいているかぎり、そこはいいところに思えた。
 それでもノノはだまっていた。声はさらにつづけた。
「さあ、来るんだ。おれが連れて行ってやろう。おまえの母親も、そこへ行ったのだよ。しあわせに暮らしながら、おまえが来るのを待っているんだよ……」
「ほんとうに?」
 ノノはぽかんとした。信じられなかった。
 それならお母さんは、あの動かなくなってしまったお母さんは、もうこの世にはいないのだろうか?
「そうだ」
 ノノの考えを読み取ったかのように、声がいった。
「おまえも、しあわせになりたいだろう?」
 ノノはうなずこうとしていた。ひどく眠かった。
 なにかが自分におおいかぶさるのを感じた――そして、ノノは闇のなかへ引きずりこまれていった。
 すばらしい世界が、この下にあるのだろうか。ノノは恐怖すら感じなかった。
 沈んでいった。ゆっくりと。
 死と沈黙の暗闇へ。



   4  白い木々に囲まれて


 ノノは夢を見た。
 だれかに抱きかかえられている夢だった。前にも一度、同じようなことがあった気がした。
 今も、ノノを抱いているのは男の人だった。あのぬくもりを感じた。ノノは知らず知らずのうちに、身をゆだねていた。
 この人が、さっきの声の主なのだろうか。話しかけようとしたが、できなかった。体がまったく動かなかったのだ。それに、とても苦しい。
 男の人は走っていた。ノノを抱きながら、懸命に走っていた。そうしているあいだにも苦しさは増し、だんだんとはっきりしてきて、突然、体がばらばらになるような痛みを感じた。ノノはさけび声をあげた。自分が消えてゆくような気がした――。

 目を覚まし、最初に見たのは、イップの黒いおおきな顔だった。茶色い目は、おどろきで見ひらかれている。彼はノノにふれんばかりだった。
「起きたか! ……大丈夫か? 痛むところはないか?」
 ノノはゆっくりと起きあがり、体をたしかめた。半透明でぼんやりしていたけれど、自分はちゃんとそこにいた。あれはただの夢だったのだ。けれど、本当にそうだろうか。体は重く、思うように動かせない。
 ベッドに座ったまま、ぐるりとあたりを見まわした。とても明るい。ずっと暗いところにいたので、なかなか目が慣れなかった。ようやく、そこがちいさな部屋だとわかった。壁も床も天井も、すべて新しい木材でできた、落ちついた部屋だ。空気はあたたかく、心地よい。左側の窓はすこしひらいて、白い光がわずかにさしこんでいる。そのほかは、棚といすがいくつかあるだけだった。ノノはイップに目を戻した。
 イップは心配そうな顔をしていたが、ノノが元気そうなのを見て、ほっと息をはいた。
「よかった。もう安心だな」
「なにがあったの?」
 イップが答えようと口をひらきかけたとき、ドアがあいて、年取った女性がひとり、つかつかと入ってきた。清潔そうな服を着て、灰色の髪をしっかりと結っている。
「医者だ」 イップがささやいた。
 その医者はノノをちらっと見やっただけで、部屋のすみでイップと話しはじめた。彼女は早口なうえに声がちいさかったので、ノノは話の内容をききとることができなかった。
 イップはうなずいたり、顔をしかめたり、首を横にふったりしながら、なにやらいっている。声の調子から、いい話題でないことがわかった。
「すぐにここを出て行けというんだ」
 医者が出て行くと、イップはため息をつき、ベッドのそばに戻ってきた。
「きみが目を覚ましたのなら、ここにいる必要はないだろう、と。いちおう診療所だから、部屋をまっている患者はたくさんいるんだ。だが、夕方まではここにいられるように頼んでおいた。私たちは今、この風の世界の、数少ない安全な村にいる。きみは好きなだけ休むといい。死にかけたんだから。もうすこしで、体が――いや、魂がばらばらになるところだった」
 やっぱり、あのおそろしい感覚は、夢ではなかったのだ。
「どういうことなの? 何が起こったの?」
 イップは首をふった。
「そうあせるな。順を追って説明しないといけない。その前に、きかせてくれ。きみは、あの谷で、なにを見た?」
 ノノは、黒い獣に追われて、暗闇のなかを走っていたことから話しはじめた。イップはうなずいた。
「うむ。あれはバイコーン――けがれと不純の象徴といわれる二角獣だ。やつにおそわれて、生きて帰った者はいない。きみはあの獣にとらえられたのか?」
「ううん」 ノノは、強く首を横にふった。そして話した。あの、せまりくる影のことを。奇妙な声、体が引き裂かれるような苦しみ……。イップは顔を引きつらせ、目を大きく見ひらいた。
「まさか……」 と、口ごもる。
「イップがたすけてくれたんでしょ?」
 ノノがきいた。「あの影を見なかったの?」
「いや。私は、倒れてもがき苦しんでいたきみを、谷の奥で見つけただけだ」
 イップはそこで口をとざし、震える声でつぶやいた。
「ゼロメアだ」
 ノノはいぶかった。なんのことだろう?
「きみに話しておくべきだったかもしれん。いや、話したところで、さけられるはずもなかったが。
 ゼロメアというのは、はるか昔――例の、世界の終末のときだといわれているが――あの谷で死んだ魔法使いだ。魔法使いがなにか、知っているか? 邪悪な術を使う者たちのことだ。今も何人かいるが、ゼロメアは史上もっとも強大で、おそろしい男だったという。だが、なぜかはわからないが、あいつはあの谷で消えた。自分の力にのみこまれたのだとも、怪物に殺されたのだとも、あるいは、神に敗北したのだともいわれる。確かなのは、あいつが姿を消したあと、そこが朝の来ない呪われた地になったということだ。命のあるものはすべて死に絶え、かわりにバイコーンのような、おぞましい獣がすみつくようになった。あの谷に入る者のほとんどが死んだり、行方不明になったりした。もちろん、獣におそわれた者もいるだろう。だが、そうでない者もいる。昔からいわれつづけているのさ――あそこには、ゼロメアの亡霊がさまよっているんだとな」
「亡霊?」
「本当のところは、なにもわからないのだが。しかし、きみが見たのは、そいつにちがいない。あんな暗黒の地で、ほかにだれが考えられる?」
 イップはしばらくだまった。
「そいつの声をきいた、といったな。やつはなんといっていた?」
「死んだら……しあわせになれるって」
 ノノはひとつひとつ、男のことばを口に出した。
 生きているかぎり、人間は不幸から逃れることはできない。必死に幸福を追い求めても、決してしあわせにはなれない。いまわしいこの世を去るのだ。別の世界、死の世界がちゃんとある。不幸も悲しみも苦しみもない、しあわせとよろこびと快楽だけの世界……。
「ありえない」
 吐き捨てるように、イップがいった。「不幸の存在しない世界など、ありえない。それに死の世界など、とっくにほろびている。そいつがいったことは、ただのまやかしだ。きみは、魂を喰われるところだったんだ」
 そしてイップは身震いした。ノノは、イップのいったことを考えていた。しあわせとはなんなのだろう? 不幸とはなんなのだろう? ゼロメアがいったすばらしい世界など、ないのだろうか。
「全部うそだったの?」
 ノノがつぶやいた。
「そうだ。きみの魂を手中にするために、甘いことばでまどわせたにすぎない」
 イップはきっぱりいった。けれど宙を見つめ、しばらく物思いに沈んだかと思うと、考えなおしたように付け足した。
「……いや、うそだとはいいきれないかもしれん。人間は生きているかぎり不幸、か。たしかに人間は幸福を追い求め、知らず知らずのうちに悲しみをおおきくしている。つらいことだよ、とても。悲しい世のなかだ。それならいっそ、死んでしまったほうがどんなに楽か。私も、そう考えたことがある」
「ほんとう?」
「昔の話だがね」
「じゃあ、それはほんとうにしあわせなことなの?」
「さあ。わからないな」
 イップは困ったようにいって、目をそらした。
「ねえ、イップ……」
 ノノが、ちいさな声でいった。
「お母さんは、死んでしあわせだったと思う?」
 部屋はしんと静まりかえった。
 ノノの目は答えを待っていた。
 ききたがっているようだった。
 イップにはそれがわかったが、なにもいえなかった。
 いくどもいくども口をあけ、声を出そうとしたけれども、出てくるのは沈黙だけ。
 どれくらいの時間がたったのだろう。イップはようやく首を横にふり、「わからない」とだけいった。
「そう」
 ノノの声は、そっけなかった。
「すまない」
 イップはしぼりだすようにいった。ノノとは対照的に、その声は悲痛だった。
 あけはなされた窓から、やわらかな風が吹きこんできて、ふたりのあいだを早足で駆けていった。
「いいよ」
 ノノが、なんでもないようにいった。あいかわらず、ノノの幼い顔に表情はなかった。ほほえみも、悲しみもしていなかった。イップは茶色い目をくもらせ、つぶやいた。
「おまえには、感情がないのか?」
 前にも一度、いったことばだった。
「感情?」
「そうだよ。おまえはこわがることしか、しないじゃないか」
「それしか知らないから」
 イップはうなった。
「いや、忘れているだけだ」
「そうかな」 ノノは首をかしげた。
 怪物は、ノノの肩にやさしく手をおいた。
「思いだすんだ。感情は、すばらしいものだ。しあわせだって、感情がなくちゃ、心がなくちゃ、得られないんだよ」
「しあわせって――」
 ノノがいいかけた。けれど、口をつぐんだ。
 今はまだ、きかないことにした。
「感情があればいいな」
 そうつぶやいてみた。本当にそう思っているのかは、はっきりしなかったけれど。
「すぐに思いだすさ」 イップは手をノノの肩からそっとはなし、床に座りこんだ。
 風はまだ、部屋のなかでたむろしていた。おたがいにささやきあい、じゃれあい、ときにこちらをからかいにきて、おどりながら、やがて消えた。そうするとまた、新しい風がいそいでやってきて、わっとさわぐのだった。
「話がまだ、途中だったな」
 イップがつぶやく。ノノはうなずいた。

「私が駆けつけるのがもうすこしおそかったら、きみは消えてしまっていただろう。あの暗い谷で、きみの魂はほとんど食い尽くされていた。いつ粉々になってもおかしくなかったんだ。私は、苦しむきみをかかえて谷をぬけた。
 その日の夜になって、やっとこの村にたどりついた。だが当然、きみを救える者がここにいるはずがなかった。魂をむしばまれた、しかも身体をもたない子どもなんて! 見たこともきいたこともない。私もあきらめかけたよ。きみはあいかわらず悪夢にうなされているみたいに、ますます苦しみ、消えかけていた。なすすべはなかったんだ。このベッドに寝かし、見守ってやること以外は……」
 ノノは話にきき入っていた。どうやら自分は、とても危険な状態だったらしい。体が消えていくような痛みも、現実のことだったのだ。
「そのときこの部屋には、私たちのほかにはだれもいなかったのだが」
 イップはつづけた。
「気づくと、男がそばに立っていた。若くはなかったが、それでいて年寄りというわけでもなかった。おどろく私を尻目に、その男はきみに手をかざし、何やらつぶやきはじめたんだ。私はだまって見ていることしかできなかった。その男の態度はうむをいわせぬものだったし、それに自信にみちあふれていたからな」
 ノノはなんとなく、もう一度部屋を見まわしてみた。けれど、もちろんだれもいなかった。
「何時間もたったころ、男は立ちあがった。消えかけていたきみの姿は――透きとおっていることに変わりはなかったが――もとのようにはっきりとして、きみは安らかな寝息をたてていた。あれほどおどろいたことはない。きみは、たすかったんだ」
「だれだったの?」
 ノノがきいた。イップは首を横にふった。
「私はやつを質問攻めにしたが、旅の医者で、今さっきこの村へ来たばかりだ、というようなことしかいわなかった。そして名前もいわず、消えるようにいなくなった」
 ノノはじっと考えこんだ。その人が、自分をたすけてくれた。いったいだれなのだろう? もうわかっているような気もした。もしかしたらその人は、夢のなかで、あたたかく抱きかかえてくれていた、あの男の人なのではないだろうか? そうだ。きっと、そうにちがいない。
「その人は、今どこにいるの?」
「きのうここに来たばかりだから、まだこの村にいるだろうが……」
「会いにいってくる」
 ノノがベッドから出ようとするのを、イップはさえぎった。
「だめだ!」
「どうして?」
「だめといったらだめだ。やめておけ。あいつはただの医者だといっていたが――」
 イップの目がつりあがり、ぎらりと光った。彼の顔に、またあのときのようなおそろしい形相がうかんでいたので、ノノはこわくなった。イップのことばをきこうともせず、そばをすりぬけると、あいたままの窓から外に飛び出した。
 とたんに、ノノは息をのんだ。
 その村は、円のかたちをした、とてつもなく広い空間だったのだ。
 ちょうど昼どき、真上から太陽の光がさしていて、村をぐるりと取り囲む大木たちの白い葉が、目もくらむばかりに輝いている。けれど、まっさきにノノの目をひいたのは、太陽をあびた畑だった。村の中心に広がる、おおきな円形の畑。あぜ道やさくでこまかくわけられていて、それぞれがよそおう色は、まったくちがう。若草色の新芽、収穫まぢかのこがね色、深緑のなかに咲く白やオレンジの花、ちいさな赤い実、おおきなむらさきの実、ふかふかとした土の色……。人の姿も見える。あちらこちらで牛が地面をつつきまわし、羊たちが牧草をはんでいる。
 そこはまさに、光の楽園だった。
 けれどもノノが見とれていたのは、ほんの一瞬だった。はやくイップからはなれたくて、走りだした。大木のかげにすきまなく並んだ家々と畑のあいだをとおる、土のふみかためられた広い道を。
 その村は要塞でもあった。まっ白な葉をつけるふしぎな木が何百本も立ち並び、林をつくり、村を守っている。枝と枝、根と根がしっかりとからみあい、バリケードのように敵の侵入をはばんでいるのだ。それだけではない。葉は太陽の光を乱反射させ、遠くからはまったく見えないようにしていた。入り口は一か所しかなく、そこには木のかわりに頑丈な門がそびえていて、見張りもいる。それは村の守りのかたさと同時に、妖精の脅威もしめしていた。ここは妖精の手をのがれた人間たちが、よりそって暮らす隠れ家のひとつだった。
 ノノはふらつき、すぐに走るのをやめた。体全体が重く感じたけれど、それでもとにかく歩いた。広大な畑で作業する人の姿や、同じような木の板を使って同じようにたてられている建物に目を走らせながら、たえず首を動かして、あの男の人をさがしていた。
 けれど、どうやって見つければいいのだろう? 一度も会ったことがないのに。どんな顔で、どんなかっこうをしているのかもわからない。
 イップにきいておけばよかった、と思った。でも、どうせ教えてくれなかっただろう。あんなに自分を止めたがっていたのだ。どうして、会ってはいけないのだろう? イップはただ、自分を思いどおりにしておきたいだけなんだ。
 ノノはこのとき、あの岩の塔での、イップとの約束をすっかり忘れていた。
 考えるのに没頭していたノノは、大勢の村人が道にひしめいているのが目に入らなかった。どよめきが起こり、ようやく人だかりが行く手をふさいでいるのに気づいた。けれど全員、ノノに背をむけている。村人たちの服は、それぞれまったくちがっていた。鮮やかに染められたはでなものもあれば、こまかい刺繍がほどこされたもの、それに地味なものもある。形もさまざまだ。ありとあらゆる場所からあつまってきて、住んでいるのだろう。男も女も、子どもも老人も、みんななにかを取り囲み、それをよく見ようとひしめきあっている。
 ノノは苦労して人々の足のあいだをとおりぬけ、高価そうな赤い服を着た、ふとった中年の男のかげから、のぞき見た。
 村人が遠巻きに囲む、その目線の先、道のまんなかに、ひとりの男が立っていた。水のように美しい青のローブを身にまとい、同じ色の、先の丸い山高帽をかぶっている。手にはステッキのようなものを持っていた。あまり若くはないが、目はするどく、顔は自信にみちあふれ、かがやいている。その男は軽やかな身のこなしで、村人たちをぐるりと見わたし、朗々といった。
「私の力、そして秘薬の力については、今、彼でしめしたとおり」 男は指さした――少しはなれたところに突っ立って、よろこびに身を震わせている老人を。「彼の目は完全に見えるようになった。私は医者だ。それも、どんな病も治せる医者だ。ほかにも病気の者がいるなら、遠慮なく、すぐに出てきてもらいたい!」
 どういうことだろう? あの人が、自分をたすけてくれた人なのだろうか。ノノはもっとよく見ようとして、前ににじりよった。赤い服のおやじは舌打ちして、ノノを足で押し戻した。
 ざわつく村人たちのなかから、女性が少女をつれて進み出た。親子らしい。ノノはなんとなく、そのふたりが自分と、自分の母親に似ているように思った。実際はまったくちがっているのだけれど。胸がうずいたような気がした。
 少女の足取りはおぼつかず、母親に抱きかかえられるようにして歩いていた。やせほそり、うつむいた顔は、ほおがこけている。
 母親が、男にむかってなにかつぶやいていた。とっくにまわりは静まりかえっていたので、声はきれぎれに、ノノの耳にも届いた。
「……生まれつきの病気で……骨は弱くなるばかりなのです……もうすぐ歩けなく……目も……耳も……たすかるでしょうか……」
 男はおおきくうなずくと、ふところから細長いガラスの容器を取り出した。銀色の液体でみたされている。男がコルク栓をぬくと、その液体はおどるようにゆれた。
「きっとたすかります」
 そういって男はにこやかに笑いかけ、少女の前にひざまずき、ガラス容器をさしだした。
「さあ。飲むんだ」
 少女はいやがったが、男はむりやり口をあけさせ、銀色の液体を流しこんでしまった。
 すると、少女の体は赤くかがやきだした。母親はちいさくあっとさけび、自分の口元を手でおさえた。彼女の娘は、今度は銀の光に包まれたかと思うと、また赤くなり、すぐにもとの姿に戻った。終わりは突然だった。
 けれども、少女は、さっきとは別人のようだった!
 青白かった肌はほのかに色づき、足はしっかりと地面をふみしめていた。おどろきの表情をしたその子は、健康そのものだった。
 見物人たちは身を乗り出し、この光景を声もなく見つめていた。信じられないような奇跡にみなうろたえ、あっけにとられていた。母親は、わが子を抱きしめて泣いた。
 ノノは確信した。
 この人が、自分を救ってくれたのだ。
 まちがいない。
 この人が、暗闇から救い出してくれたのだ。
 あの少女に手をさしのべたように。
 きっと、あのふしぎな薬を使って……。
「ありがとうございます、ほんとうに、こんなことが!」
 少女の母親はむせび泣きながら、お礼はなんでもするといった。
「では」
 男はおだやかな口調でいった。声はとてもやさしかった。
「食べ物を……肉をいくらか用意してほしい。あと、食事を世話してくれないか。腹が減っていてね。どんな粗末なものでもいいんだ」
 母親はしたがい、去っていった。
 そのとき、ノノの目の前のおやじが、威張りくさっていった。
「その薬を売ってくれんかね?」
 ローブの男が、顔をむけた。
「家族に、病気の者がいるのか?」
「いや。わしが病気になったときのためだ」
「それならやれん」
 男はにべもなくいった。「この薬はとても貴重なのでね。むやみやたらには使えないんだ」
 おやじはゆずらなかった。
「金ならいくらでもある! わしにはわかるぞ。それは永遠の命を得られるんだろう? 永遠のしあわせを得られるんだろう?」
「永遠の命の、どこがしあわせだ」
 そうつぶやくと、男はまた村人たちにむきなおり、声をはりあげた。
「ほかに患者はいないようだから、私はさっきの方の家でごちそうになることにするよ。用があるなら、宿屋をたずねてほしい。夕方にはそこに戻っているだろうから――」
「いかさまじゃないのか?」
 それまでだまっていた見物人のひとり――ノノの真向かいにいた男が、声をあげた。家のかげになっていたし、遠かったので、顔はよく見えなかった。その若者らしき男は、ばかにしたような調子でつづけた。ノノはその声をきいたことがあるような気がしたが、思いだせなかった。
「おかしいとは思わんかね。病気があんなに簡単に治るなんて。薬をちょいと飲ませれば、はい元気、そんなことがあるかね? まるで手品のようじゃないか」
 となりにいた人も、同調した。
「まったくだ、あの子どもがあんなに元気になるはずがない! おれは今までずっとあの子を見てきたんだ。あんたたちもさっき見ただろう。もう死にかけだった……」
 あちこちから賛同の声があがる。
「そうだ、どう考えてもおかしい」
「きっと目くらましだろう! ただの手品だ!」
「そうでなきゃ、暗示でまぼろしを見せているんだな。さっきのじいさんだって、頭がおかしくなったにちがいない」
 ノノは、どうして村人たちが急にこんなことをいいだすのか、理解できなかった。どうして目の前で起こったことを信じないのだろう? いかさまのはずがないのに。
 最初に声をあげた若者のほうを見たが、その男はすでにいなくなっていた。
 ノノの前にいた赤い服のおやじも、さけんだ。
「こいつは泥棒だ! うすぎたない詐欺師め!」
 男は顔色ひとつ変えずに、じっと立っていた。けれどもノノは、男の目を見て、気づいた。もうさっきまでのように、熱くいきいきとしてはいない。まるで、氷のように硬かった……。
「恥を知れ!」「すぐにここから出ていけ!」
 口々にののしる村人たちをながめていた男は、突然、手に持ったステッキをふりあげた。
 騒がしい声は、ぴたりとやんだ。
 そこにいた村人の半分が、いなくなっていた。
「なら、これも手品、目くらまし、まぼろしか?」
 男はつぶやくと、村の奥へと去っていった。
 のこりの見物人たちもあわてふためき、逃げるように立ち去りはじめていた。
 ノノは、道の上で、たくさんのカタツムリがのろのろとはいずりまわっているのに気づいた。どれもカラフルな色をしている。村人たちはみな、奇妙なカタツムリを気味悪がり、足ではらったりふんづけたりしていた。
 目の前にいた一匹に、ノノは手をふれてみた。正真正銘のカタツムリだったけれど、体の色は、赤かった。どうやら、それがもとの姿をしめしていた。
 こんな仕打ちを受けても当然だ、とノノは思った。ノノや少女の命を救ったあの人に、さんざんひどいことをいったのだから。
 そして、その場所をはなれ、男のあとを追いはじめた。体のだるさも忘れていた。あたりはさわがしく、半透明の子どもを気にとめる者など、だれもいなかった。
 今や、ノノにははっきりとわかっていた。あの青いローブを着た人、あの命の恩人こそ、夢に二度も出てきた、あの男の人なのだ。自分を抱いて、だれかと話をしていた人だ。自分を抱いて、必死に走ってくれた人だ。
 男は家と家のすきまに入っていくところだった。ノノは小走りで近づいて、男が消えたところからのぞき見た。家のむこうに、白い木の林がしげっているのが見える。あのなかにいるにちがいない。けれど、ノノはどうしたらよいのかわからなかった。
 それで木のかげにかくれ、様子をうかがうことにした。
 あの人は、なにをしているのだろう?
 不気味に白く、うす暗い林のなかに見たものは、ノノの予想もしないものだった。そこにいるのは、ひとりではなかった。男のそばに、おおきな白い動物が横たわっていたのだ。馬のように見えた。その動物は荒々しくいなないて、男におそいかかろうとした。けれど、むだなことだった。鉄の鎖で、足をつながれている。
 その馬はとてもうつくしかった。雪のような純白の毛と、額にはえた銀色の一本のつの。あきらかに、ほかの動物とはちがう。ふしぎな力を感じるのだ。けれども、それはどこかくすんだうつくしさで、かがやいてはいなかった。ノノは見た。もつれたたてがみと、どろにまみれた足を。そして、ところどころはげた毛と、首すじから流れる血――銀色の血を。
 銀色の液体が、おどるようにしたたっていた。
 ノノにはわかってしまった。男が持っていた薬は、この馬の血だったのだ。けれど、信じたくなかった。あの人が、罪のない動物を傷つけ、利用して、病気の人を救っていたなんて。そしてたぶん、自分も――その考えは、すぐにふりはらった。これはまちがいだ。なにか理由があるにちがいない。あの人が、こんなことをするはずがない。
 男のほうに目をむけると、その人は白い馬を見つめ、じっと立っていた。顔は石のように、ぴくりとも動かない。やがて馬になにかささやくと、暴れようとするその動物をあとにのこし、きびすをかえした。
 ノノはぼうっとしていたが、あわてて林を出て、もとの道まで戻った。
 思わずふりかえったとき、家のあいだから出てきた男と、目が合った。
 その目はぞっとするような冷たさで、ノノを射抜いていた。
「おまえか、身体をうしなった小僧……」
 ちがう。
 この人じゃない。
 その声に、ぬくもりなどどこにもなかった。まるで氷のように、ノノを芯から震えあがらせた。
「見たのか?」
 寒気がした。男がことばを発するごとに、空気は冷たくなっていくようだった。男の青、いや氷色のローブが、わずかにはためいたような気がした――。
 ノノは背をむけ、逃げだした。人間をカタツムリに変えてしまう男の力を思い出してもいたが、それ以上に、あの視線でつらぬかれることが、たまらなくこわかったのだ。
 あの人じゃない。ノノは思った。夢に出てきた男の人は、あんなやつなんかじゃない。
 もはや、ローブの男はノノにとって、おそるべき敵となっていた。たとえ、本当に命の恩人だったとしても。
 ふりかえりもせず走りつづけた。あいつは追ってきているだろうか? 今にも、自分がカタツムリになってしまう気さえした。夢中で逃げていたものだから、おおきな壁に正面からぶつかり、反対側にはじき飛んでひっくりかえってしまった。
 けれど、それは壁ではなかった。おおきなヤモリの精霊だった。
「どうしたんだ?」
 そういって、よたよたと近づいてくる。
 ノノはそのときはじめて、イップの足が傷だらけであることに気がついた。ところどころは、まだ血がかわききっていない。
 ようやくわかった。イップは、懸命に走ってくれたのだ。きのう一日じゅう、ノノを救うために、たすけを求めて、必死に走りつづけてくれたのだ。走る男に抱きかかえられていた夢。あれは、夢でもなんでもない。イップがこの村をめざし、ノノを運んでくれているときに見た、現実だったのだ。記憶がすこし、あいまいになっていただけで……。
 それなのに、イップはそのことをおくびにも出さなかった。今もなにくわぬ顔をして、ノノをたすけ起こそうと、手をさしだしている。
 ノノはほそい、けれども力強い腕にささえられて立ちあがり、おそるおそる、うしろをふりかえった。
 荷台を引く牛と農夫がいるだけで、男の姿はどこにも見えなかった。



   5  悲しむということ


「あの男に会ったのか? 何があったんだ?」
 イップが気づかうような目で、ノノを見つめた。
 ノノはすべて話した。とぎれとぎれではあったけれど、イップは最後まで、口をはさまずにきいてくれた。
「そうなんだよ」
 ノノが話し終えたあとも、しばらくじっと考えこんでから、イップが小声でいった。
「あの男は、医者なんかじゃない。きみも、やつの使う術を見たのなら、わかるだろう。あいつは魔法使いだ。ゼロメアと同類の者だ。殺されていても、おかしくはなかった」
 なんてばかだったんだろう。ノノは思った。イップのことばに、ちゃんと従っておけばよかったのに。絶対にいうことをきくと、約束したのに……。
 それでも、イップはノノを責めようとはしなかった。
「ただ、本当の魔法使いはこの世に数人しかいない。やつらは世界を自由に移動できるときくが――あの男は、まだ半人前かもしれない。いずれにしろ、使っているのは邪悪な術、魔法なんだ。それに、ユニコーンをとらえることなど、普通の人間にはできやしない」
「ユニコーン? あの白い馬のこと?」 ノノがたずねた。
「そうだ。純潔の象徴である、神聖な生き物だ」
「たすけてあげなきゃ……」
「たすける?」
 イップは目を丸くした。
「いや、だめだ。ユニコーンに近づいてはならない。あれはどの生き物よりも凶暴で、傲慢で、危険なんだ。たとえきみでも、引き裂かれてしまうかもしれない。それに、あの魔法使いには、絶対にかなわない。こんどこそ命を落とすことになるぞ! いいか――」
 イップはそこで深く息をすって、おちついた声でつづけた。
「関わるな。きみはまだ、魔法のおそろしさをわかっていない。その使い手のこともな。ゼロメアのように、自分の力にのみこまれた魔法使いもいる。見たのだろう? あれの成れの果てを……」
 ノノはだまりこんだ。イップのいうことは正しかった。
 あの氷のような男は、まったく思いもよらない術を使うことができる。ゼロメアは、死んでもなお、強大な力をもちつづけている。勝てるはずがない。戦うことすらできないだろう。
「これから先、もっとおそろしいことがいくらでもある」
 ノノをじっと見つめ、イップはささやいた。
「引き返すなら、今だ」
 ノノは、顔をあげた。
「イップは、帰りたいの?」
「私の意志に意味はない。決めるのは、おまえだ」
 答えはそれだけだった。
 バイコーンの漆黒の姿や、迫るゼロメアの影や、寒気のするあの男の目を思い浮かべた。
 自分の弱さはわかっている。けれど、なにもかも決めていたんだ。イップの部屋を、飛び出したときから。
 ノノは、ゆっくりと首を横にふった。引き返さない、と。
「さあ、それじゃ」
 イップは静かにいった。
「明日、すぐに村を出よう。あの男と関わると、やっかいなことになるだろうからな。だが、きみは休まなければならん。来い。宿がある……。そこでゆっくり眠るとしよう」

 イップはノノを無理やり歩かせ、道をすすんでいった。
 ふたりは道ばたの、横に細長い宿屋に入った。旅人のための粗末な宿で、からっぽの部屋がいくつかあるだけだった。イップはノノを残し、すぐに出ていった。
 ノノは部屋でじっとしていることができず、宿の前で、彼の帰りを待っていた。畑にさす光は徐々に弱まり、太陽は木にかくれて見えなくなった。白い木々がかがやきをうしなうと、かわりにあちこちで、窓にやわらかなあかりがつきはじめる。人々が仕事を終え、それぞれの家に帰ってゆく。空は黄色くそまり、やがて暗くなった。
 しばらくして、イップが戻ってきた。彼は一枚の毛布をかかえていた。
「イップ」 ノノがいった。
「荷物はどうしたの?」
 この村に来て以来、あのおおきな革の袋がどこにも見あたらなかったのだ。
「捨てたよ」 イップはこともなげにいった。「あんなものをかついでいては、速く走れなかったからね。けれど心配はいらない。ほら、毛布は借りてきた」
「イップのごはんは? もう食べたの?」
「ああ、食べた」
 彼はノノのそばを通りすぎ、窮屈そうに宿の戸をくぐった。

 いちばん広い部屋を借りていたが、それでもイップにはせますぎて、いっしょに身を押しこんだノノは息苦しいほどだった。
「すまない、先に休ませてくれ」
 イップはそういって、部屋のおくに体を落ち着けようとした。
 部屋には、外の道に面した小さな窓がひとつだけあった。外を見るともなしに見ていたノノは、急に、背中にぞくりとしたものを感じた。
 うすぐらい道に、氷のような色が、見えたような気がしたのだ。
 だがイップが座りこんだので、窓はふさがれてしまった。
 気のせいだったのだろうか?
 まさか。あの男が、自分を追ってきたのだろうか。ノノはそう思ったが、すぐに考えなおした。そんなはずない。見まちがいだ。そうでなければ、ちょっと通りかかっただけだ。
 ふいに、ノノは思いだした。あの男は村人たちに、宿のことでなにかいっていた。この村の宿は、ここしかないのでは?
 そのとき、遠くで話し声がして、だれかがやって来たことがわかった。
 ノノの頭に、おぼろげだったけれど、ある考えがうかんだ。
 しばらくの間、じっとして、耳をすましていた。もうなんの物音もきこえなかった。
 イップはうとうとしている。ノノはそっと立ちあがり、部屋を出た。だれにも気づかれないよう、せまい廊下をしのび足で歩く。結局、ほかの客に会うこともなく、カウンターの前を通って外に出た。葉巻をくゆらせていた宿の主人は、ノノを見もしなかった。
 村は暗く、白い木々の葉でまるくふちどりされた空に、まだ月は出ていなかった。歩く者もいない。ノノは宿屋をふりかえった。左右に窓がいくつもならんでいたが、あかりがついているのはわずかだった。ノノは、近いところから順番に確かめていった。窓をのぞき見るたびに、ぼんやりとしたおそれのようなものを感じた。最初は窓のそばにうずくまって、耳をそばだてる。それから頭をあげ、一瞬だけ中を見てから、すぐにひっこめる。そしてもう一度……このくりかえしだった。
 はじめの部屋にいたのは、盛りをすぎた女性で、上等な服を着て、ゆったりといすに腰かけ、本を読んでいた。その次は、年老いた夫婦。部屋の中には家具も置いてあったから、どこかから逃げてきて、ここに住んでいるようだった。そして、イップのおおきな背中。すきまから、あかりが少しもれている。ぐっすり眠りこんでいるようだ。
 ほかにも数人、客がいた。けれどそれのだれも、ノノのさがす人間ではなかった。
 急に、ノノは足がすくんだ。
 あかりがついている窓は、あとひとつしかない。
 逃げ出したくなった。けれど、確かめなければいけない。ノノは勇気を出し、一歩一歩、慎重に近づいていった。ここだろうか? そしておおきく息をはいてから、さっと窓のなかをのぞき見た。
 思ったとおりだった。ノノはぱっと口を押さえ、身をふせた。再び立ちあがるまでに、かなり時間がかかった。
 あの男が、そこにいたのだ。冷たい色のローブを着た男。村人をカタツムリに変え、あわれな生き物を鎖でしばりつけていた男が。壁にもたれかかり、組んだ手をひたいにあて、目を閉じて。
 ノノはしばらく見つめていた。男は、気づく様子もない。その青白い顔は、どこか疲れたような、ふしぎな――少なくとも、ノノにはそう思えた――顔をしていた。昼間の若々しさはそこにはなく、老人のようですらあった……。
 ノノはくるりと背をむけると、暗い村の中を駆けていった。
 今しかない。
 とくになにを考えていたわけでもないけれど、ユニコーンを救いたいという思いだけが、ずっと心のすみにあった。そして、それができるのは自分だけだとも思った。村人はだれも、あのユニコーンのことを知らない。知っていたとしても、イップのように魔法使いをおそれて、なにもしないだろう。イップのいうとおり、関わらないのがいちばん安全かもしれない。けれど、ノノは、傷ついたあの生き物を見捨てることができなかった。なぜだかわからないけれど、たすけようと思った。むかし山のなかで、生まれたばかりのポロフがわなにかかって苦しんでいるのを見つけたときと、同じような感じだった。
 きっと、たすけてあげるから。
 ノノはちいさくつぶやいた。空のはしに、まるい月が姿をあらわしていた。

 めざす場所は、思ったよりも遠かった。やっとのことで昼間の家を見つけ、あいだをとおりぬけて白い木のドームをくぐった。
 馬は、やはりそこにいた。月明かりに照らされた白い体は、いっそう美しくかがやいていたが、痛々しい姿に変わりはなかった。
 ノノが近づいていくと、ユニコーンはダークブルーの目をまっすぐにむけた。ノノはどきりとして、立ち止まる。
「きみはだれだ?」
 猛々(たけだけ)しい、しかし上品な声だった。彼はノノの体を上から下までじっと見て、さらにきいた。
「身体をうしなっているのか?」
 ノノは答えなかった。そんなことは、どうでもよかったのだ。
「あなたを……たすけに来たんだ……」
 ゆっくりと歩き、すぐそばに立った。ノノはユニコーンの首にそっと腕をまわし、身を寄せた。ユニコーンが安らぐのがわかった。けれど、白い体からはなにも感じられなかった。熱や命の音さえも。それほど彼は弱っていたのだ。四本の足はお互いに鎖でつながれていて、はずそうとして引っ張ってみても、びくともしなかった。ユニコーンはゆっくりと首をふった。
「気持ちはありがたい。だがきみには無理だ。問題は、くろがねの鎖などではない。本当なら私は、そんなもの造作もなく断ち切ることができる。だが今は、魂そのものをしばりあげられ、力を封じられている」
「あの男がやったの?」
「そうだ」
 ユニコーンは、激しい怒りにふるえた。「あの男を殺さねば、私は自由になることはできない」
「人間の病気を治すために、使われているの?」
「屈辱的なことだ」
「どうしてそんなことを――」
「この私の知ったことではない」
 白い馬はいらいらとうなった。けれど、ノノはおそるおそる、自分も彼の血でたすけられたのだといった。このことは、かくしていてはいけないような気がした。
「ごめんなさい……」
 ユニコーンは――見まちがいかもしれないが――目をきらめかせ、ほほえんだように見えた。
「心配することはない。私の毛や血が癒せるのは、肉体を持つ者だけだ」
「そう」
 なら、自分の命を救ったのは、あの男の魔法だったんだ。やっぱり、ただの人間じゃない。でも、今はそんなこと、考えているひまはない。
「ねえ、どうすれば……?」
 ノノは自分が、なんだか弱々しい声になっていることに気づいた。
「この村を立ち去ることだ」
「え……」
「きみにできることはない。あの男はずる賢く、狡猾で、この私すら出し抜かれた。ここにいれば、きみが危険にさらされるだけだ。私にかまわず、行きなさい」
 ユニコーンにそんなことをいわれるとは思っていなくて、はじめはそのことばの意味がわからないほどだった。性格はとても清らかで、イップの話と、ぜんぜんちがう。
「やさしいんだね」
 ノノは思わずいった。
「当然だ」と、ユニコーンはすましていった。
 それでも、ノノは歩きまわりながら、どうすればいいかを考えた。逃げるわけにはいかない。でも、どうやったらユニコーンをたすけてあげられるだろう。名案がうかぶはずもなかった。
「これはなに?」
 ノノが、地面に散らばった肉のかたまりを指さしてきいた。
「あの男がもってきた。私のえさらしい」
 ユニコーンは荒々しくうなった。「どこまで私をバカにする気だ。私が口にするのは、澄んだ水と、それを吸って育ったヒイラギの葉だけだ。よくもこんなけがらわしいものを――」
 「そこでなにをしている」
 ――身も凍るような、冷たい声がひびきわたった。木々たちの白い葉が震えた。
 ふりかえって、確かめるまでもなかった。ノノは、これまで、こんなにも恐怖を感じたことはなかった。イップにつめよられたときも、暗い谷を走っていたときも、どこか夢のなかにいるようで、ぼんやりとした感情だった。でも、今はちがう。本当の恐怖が、肌につきささり、骨まで達したかのように、ノノをこごえさせた。あいまいなものではない。相手に感じる、はっきりとした恐怖……。
 はたして、あの男が木の脇に立っていた。右手に持った長いステッキを、左手でささえて。氷色をしたローブは月明かりのもとでゆれもせず、はがねのように静止していた。
 その顔に表情はなく、目だけはしっかりと見ひらかれ、射るようにノノたちを見ていた。音すらしなかった。その男のまわりだけ、時が止まっているようだった。
 ユニコーンは荒々しくいなないた。ノノと話していたときのようなおだやかさは消え、まるで野獣のようにおそろしい顔をして、今にも男に飛びかからんばかりだった。けれども、立ち上がることさえできなかった。その声は、闇に吸いこまれるように消えていった。
「そこでなにをしている」
 男がくりかえした。今度は少し激しい口調で。ノノは思わず身震いした。また、あの感覚だ。彼がことばを発するごとに、まわりの温度が吸いとられていくような……。
 ノノは無意識のうちに、ユニコーンにぴったりと寄りそっていた。おそれからではなく、守るために。
 男は、ゆっくりと近づいてきた。
「ばかものめ」
 一歩進むたびに、空気が凍るパキパキという音がした。
 ユニコーンはうなり、また男に向かっていこうとしたが、無駄だった。ノノのそばで、白い馬は力なく倒れた。
 ノノはユニコーンに背中をつけ、両手を広げて、男とむきあった。自分が震えているのがわかった。
「わたさない」
 声にならない声で、そういった。
 男の目が、ノノを見おろした。今や、風すらも氷のように冷たかった。
「またおまえか、小僧」 彼は静かにつぶやいた。「さあ、すぐにそいつから離れろ。帰るんだ」
 ノノは動かなかった。
「さあ……」
 それでも首を横にふった。
「そこをどくんだ!」
 男は、ノノにステッキをつきつけた。ひたいに触れんばかりに。
 ノノは恐怖と寒さで、がたがたと震えていた。はく息は白く、あたりには霧がたちこめ、ただよう氷の粒が月の光にきらめいていた。
「離れろ。さもないと――」
 男の目が、やいばのようにぎらりと光った。
 ノノは、いっそう強く、ユニコーンに背中をくっつけた。ユニコーンは息も絶え絶えで横たわっている。
 ふいに、イップのことが頭に浮かんだ。
 イップは今度も、たすけにきてくれるだろうか?
 ありえないことだった。イップはまだ眠っているにちがいないし、もし目をさましてノノがいないことに気づいても、彼はこの場所を知らないのだから。
 けれど、ノノは信じたかった。
 グリフォンにおそわれたときも、暗闇のなかで気を失ったときも、いつもたすけてくれたのはイップだった。きっと、きっと駆けつけてくれるはずだ。
「イップ!」
 ノノはさけんだ。声は霧をつきぬけ、夜の空気いっぱいにひびきわたった。そのとき――地面がゆれた。男はふりかえった。ノノも身を乗り出し、そして見た。
 白い霧をすかして、黒いおおきな体が、そこに立っているのを。
「おい、そこにいるのか?」
 恐怖は一瞬で消え去った。それはまぎれもなく、イップの声だったのだ。
 来てくれたのだ。
 やっぱり、来てくれたのだ。
「イップ――」
 呼びかける前に、ノノはことばを失った。男がさっとステッキをふり、霧の中の黒い影が、ぐらりと傾いたからだ。
 まるで、時間がゆっくりになったようだった。ノノは、イップの影が倒れるのを、とてつもなく長いこと見ていたような気がした。おおきなにぶい音とともに、彼の姿は目の前から消えた。
 恐怖が、再びむくむくとわきおこった。あの男は、イップになにをしたのだろう? 無事なのだろうか? まさか、死んでいるはずはない……。
 ノノはイップのもとへ行きたかった。けれども、ユニコーンから離れるわけにもいかなかった。どうすればいいのだろう? ノノはどっちつかずのまま、石のように動けなくなっていた。
「お前には悪いが」
 はっとして顔をあげる。男が、ステッキをにぎる手に力をこめた。
 ノノは目をとじた。今度こそ、おしまいだと思った。イップはもう、守ってはくれない。自分は、ひとりぼっちなのだ。
 ――来い……。
 暗闇のなかで、声がした。ノノの体の奥深く、直接ひびいてくる声が。
 ――来い。私のところへ!
 ユニコーンの声だった。
 考えているひまはない。なにをすべきかは、わかっていた。
 ノノは、後ろむきに倒れこんだ。さえぎるものは、なにもなかった。

 恐怖と、寒さが、同時に消えた。
 目をあけると、そこはぼんやりとした、けれども明るい空間だった。透明の色に満ちていて、形のあるものはなにもない。どこまでも広がっているように思えた。
 ノノはすべるように歩いていった。絶えず、ふしぎな音がきこえていた。水のおどるような、星の降るような、風の流れるような音が。
 やがて、なにかが見えてきた。はじめは、かすかなもやのようだったが、近づくにつれて、だんだんはっきり、だんだん形をなしてゆく。ノノにはそれがなにか、最初からわかっていたような気がした。
 白い毛に、一本の長いつの。まぎれもなく、ユニコーンが、そこに横たわっていた。まったく動かない。眠っているのだろうか? けれど、すぐそばまで近づいたノノは、はっとして足を止めた。
 その体は、氷漬けになっていた。目はとじられ、苦しげな表情のまま、死んだように動かなかった。けれど、それは本当の体ではなかった。透きとおっていた。ノノと同じように。
 これが、あの男に封じられた魂なのだ。冷たくまとわりつく、このいましめを断ち切らなければ、ユニコーンを救うことはできないのだ。男の魔法は、確実にユニコーンをむしばんでいた。こうしているあいだにも、彼の命のともしびが、小さくなってゆくのがわかった。
 ノノはひざをつき、ユニコーンの首にそっと手をふれた。
 金属のように冷たく、硬かった。彼はその動かない口で、とじられたままの目で、しばりつけられた心で、なにかを訴えかけてくるようだった。
「寒いでしょ」
 いま、たすけてあげるから。
 ノノが手をふれたところから、氷は少しずつとけはじめた。虹色のおびが輪のように、やがて全身にひろがって、うつくしい毛がそのかがやきを取りもどしてゆく。透きとおった体が、内側から光を放ちはじめる。
 起きて。
 ノノは呼びかけた。
 起きて。
 銀色の光が、彼らを包んだ。ユニコーンのまぶたが、ゆっくりと持ちあがった。

 つぎの瞬間、ノノは鎖につながれ、地面に横たわり、ユニコーンの目から外を見ていた。
 光りかがやくなにかが自分の――白い馬の――体から飛び出すのが見えた。
 すさまじい銀の光におびえ、おそれ、後ずさりする男にむかって。凍った空気のなか、チリチリと氷の粒が舞うなかを、それは駆けていった。ひづめは音もなく地面を蹴って。たてがみを音もなくなびかせて。
 男は、武器を使うひまもなかった。ユニコーンの魂は、白銀のつので魔法使いをひと突きにした。
 叫び声をあげ……男はひざを折った。
 霧が晴れ、寒さがやわらいでゆく。
 ノノの恐怖がうすれた。けれど、自分がユニコーンの体でいることに、とても変な感じがした。どうなっているのだろう?
「逃げるぞ!」
 突然、光りかがやく半透明のユニコーンがさけび、ものすごい勢いでノノのほうへむかってきた。
 ぶつかってしまう――逃げようとしたが、鎖で身動きがとれない。
 一瞬のうちに、ノノはユニコーンの体からはじき出されていた。勢いあまって吹き飛び、地面にたたきつけられた。
「はやく!」
 見ると、本当の魂が戻ったユニコーンが、前足を高々と持ち上げ、鎖をひきちぎるところだった。必死の顔をして、ノノを呼んでいた。ノノには、すぐにその理由がわかった――あの男が立ちあがっていたからだ。
 ユニコーンはつのでノノをひっかけ、荒々しく自分の背中に乗せた。
「どうするの――」
「あいつから逃げるのだ。この村を出る」
 そういうやいなや、ユニコーンはさらに林のおくへと駆け出した。木のバリケードを突き破り、無理やり村の外へ出ようというのだ。
「だめ!」
 密集した木の一本にもふれないうちに、ノノは声をあげた。
「イップをおいていけないよ! まだあそこに倒れてるのに!」
「連れなどほうっておけ!」
 ユニコーンは、つののひと突きで木を根もとから倒すと、すぐさまそれに駆け上がり――夜空にむかって跳んだ。
 白い林をひといきに跳び越え、そして彼は止まることなく、不毛の大地を駆けていった。その背中に、ノノを乗せて。

 イップは、自分にステッキがむけられるのがわかった。
「あの小僧のせいで、台無しだ、なにもかも……!」
 男は荒い息をしながら、憎しみのこもった目でイップを見おろしていた。
 死を覚悟した。
 体は動かず、身を守るすべはない。ここまで、だ。イップは目をとじた。先ほどのノノと同じように。
 イップはこれまでのことを思った。自分の生きてきた道を思った。まったく数奇な人生だった!
 けれども――ノノの顔が浮かんだ。あの子はうまく逃げたようだ。まだ生きている。なら、自分の役目はまだ終わっていないのではないか? あの子を残して、死ぬわけにはいかない。最後まで守り抜かなければ。ここであきらめるわけには、いかないのだ。
 イップの心に、ふたたび炎が燃えあがった。彼は気力をふりしぼり、起きあがろうとした――。
 どさり、と音がした。氷色のローブの男は、倒れるように座り込んでいた。
 イップはおどろいて、男を見つめた。胸を押さえ、前かがみになって、苦しそうにあえいでいる。男はぜいぜいと息をしながら、にやりとした。
「死ぬのは、おれかもしれんな……」
 魔法使いはすでにステッキを落とし、うつろな目をしていた。そして、自嘲気味につぶやきはじめた。
「なにをしてるんだ、おれは。……こんなはずじゃ、なかったのに。おれは、ただ……」
「あんたは、いったい、何者なんだ?」
 男は答えず、わずかに首をふっただけだった。ききとれない声でなにごとかつぶやいていたが、ようやくかすかな声が、イップの耳にとどいた。
「ふしぎだよ……」
「え?」
「ユニコーンが……あの小僧になつくなんて。とりこし苦労だった……おれは、あいつがあの小僧を、殺してしまうんじゃないかと思った……おれと会ったとき、どんなに説得しても、あいつはききいれるどころか、おれにおそいかかって……。ユニコーンは、絶対に、男には心をひらかない……ユニコーンを……しずめることができるのは……」
 ことばは消えていった。イップはやっとのことで起きあがり、男をささえようとした。だが、すでに男の息は絶え絶えで、体はぐったりとしていた。
「もう、いい。話すな」
 イップはあわれむようにいった。「あの子は、本当は――」
「行ってしまった」 男はつぶやいた。「……あいつから逃れることはできない……もはや、運命はともにある……だれにも切り離せない……だれにも、止められない……」

 ノノはユニコーンの背中でぼんやりしていた。風が容赦なく肌を刺した。
 ユニコーンの走りは、イップとちがってとても速く、とても荒々しかった。激しくゆられるうちに、毛皮の帽子はすべり落ちて、またたく間にうしろの闇に消えていった。
 銀の光に照らされて、長い黒髪が流れ、風に舞った。
「イップ……」
 少女は弱々しくつぶやいた。
 まただ。また自分は、約束を破ってしまった。関わるなといわれたのに。イップのいうとおりにしておけば、こんなことにはならなかったのに。ノノはようやくわかった。イップは、いつだって正しかった。自分は、いつもまちがっていた。
「どのみちたすからんさ」
 ユニコーンが、空を見あげながらいった。その声はあまりに落ち着いていた。
「もうここまで来やがったんだ」
 ノノも顔をあげ――そして見た。夜空にうごめく、何十、何百という黒い影を。
 不気味な音を立てながら、まっすぐ村をめざして飛んでゆく。
「闇の妖精の手下どもだ」
 ユニコーンがいった。
「ついに嗅ぎつけられたんだ。やつらはあの村を襲撃し、あらゆる生き物の身体をうばい、焼き尽くすだろう……人間の最後のとりでを。あとにはなにも残らない。魂のひとかけらさえ」
 怪物の群れは、ノノたちの頭上高くを飛び去っていった。翼をもつものに別の怪物が乗り、ぶらさがった、見るもおそろしい一団だった。赤い眼やするどいかぎづめが、ぎらりと光った……。
 ノノは目をそらし、下をむいた。くちびるを固くむすんで、じっとしていたけれど、こらえきれなくなって、ユニコーンの背につっぷした。
 声を出さずに泣いた。涙は次々にあふれでてきた。このとき、ノノは初めて悲しみを知った。胸を締めつけられるような思いを知った。体と同じように、心も痛むことを知った。
 これが気持ちなの?
 ノノは思った。心のなかで、イップに呼びかけていた。
 これが、わたしが欲しがったもの? イップが、すばらしいといっていたもの? こんなにつらいものなら、こんなに苦しいものなら、なくてもいい。一生いらない。だからイップ、お願いだから、戻ってきてよ――。
 何度も何度も、こぶしで胸をたたいた。けれども、悲しみは増すばかりだった。
 ノノはどうにもできなくて、ユニコーンにしがみついた。すがるように。なめらかな毛だった。イップのざらざらした背中を思いだして、また泣いた。自分の体が色をうしなっていくことに、気づくこともなく。
 ユニコーンはひづめの音を荒野にひびきわたらせて、風を裂くように駆けていった。うつくしい銀色のおびを、あとに残しながら。



   6  しずまる森


 山をこえ、谷をこえ、また山をこえ、もうひとつ谷をこえて、ユニコーンは夜どおし、疲れを知らずに走りつづけた。
 ノノは眠れなかった。当然だ。ユニコーンの背中は荒々しく、激しくゆれていたのだから。けれど、それだけではなかった。イップのことで頭がいっぱいで、もしふわふわの羽毛ぶとんにくるまっていたとしても、ノノは眠れなかっただろう。
 イップがいなくなってはじめて、気がついた。彼が、自分の心のなかでおおきな位置を占めていたことに。それがどういうことなのか、ノノにはよくわからなかった。胸に穴があいたような、おおきな悲しみと痛みしかなかった。イップは、本当に家族のようだった。ノノが忘れていた本当のぬくもりを、彼はくれたのだ。
 それなのに、いっしょに過ごせたのは、ほんの数日だった。
 もっと声をききたかった。もっと話したかった。もっといろんなことを教えてもらいたかった……。ノノの頭に、イップの姿がつぎつぎとうかんだ。風の丘で、ノノをたすけてくれたイップ。恐怖を教えてくれたイップ。おおきな体、ざらざらだけどここちよい背中、長くて太いしっぽ。自分のために駆けずりまわってくれたイップ。そして……悲しみを教えてくれたイップ。
 短いあいだに、彼は本当に多くのものをノノにくれた。かけがえのないものを。それなのに、突然、なんの前ぶれもなく、いなくなってしまった。
 わたしのせいで。
 ノノの涙は、もう枯れていた。
 朝日がさすころになって、ようやくユニコーンは立ちどまった。森のなかのようだった。白い馬が身をかがめたので、ノノはやっと地面におりることができた。すべり落ちるように彼から離れたノノは、そのままやわらかい草の上に横たわって、眠りに落ちていった。疲れで体はこわばり、しかもどういうわけか、力がすっかりぬけてしまったみたいだった。しっかりとした地面が、少女を受けとめてくれた。

 ノノがふたたび目をあけたとき、陽はまた沈もうとしていた。血のように赤い光が、しげった草や、みずみずしいコケにおおわれた巨木や、その根もとに見えかくれするこげ茶色の土を照らしていた。ノノのそばには、若いつる草がたくさんしげっている。あたりは静まりかえっていて、生き物の気配はまったくしない。
 巨木はどれも、何百年も生きてきたかのように太く、どっしりとし、そして古びていた。木と木のあいだに、おおきな葉と長いつるを持った植物たちが、身を寄せあっていた。それらが風でかすかにゆれるほかに、動くものはなにもなかった。
 ノノは立ちあがろうとしたが、うまく力が入らず、何度もよろけてはころんだ。
 自分のうでと足を見て、ノノは息をのんだ。
 色がなかったのだ。
 今までは、透きとおってはいても、肌にはほんのり赤みがさしていたし、服はくすんではいたけれど、茶色っぽかったり、黒っぽかったりしていた。
 それなのに今、ノノの身体は、完全に色をうしなっていた。肌はほとんど透明だったし、身につけているものは煙のようににごっていた。黒くふっくらしていた髪さえも、今はまるでガラスだった。
 手のひらを見つめたまま立ちつくしていたノノのそばに、いつのまにかユニコーンが立っていた。彼の白い体は、ノノとは対照的に、夕日で照らされ、あざやかなオレンジ色をして、生命力にみちあふれていた。
「お目覚めかな。気分はどうだ」
 ユニコーンはおだやかな声で、けれどどこか威圧するようにいった。
「あまりよくないよ」
 ノノは手のひらに視線を落としたまま、答えた。その声は冷たかった。「あなたこそ、もう大丈夫なの?」
「ああ。きみのおかげでね」
 ちらりとユニコーンに目をやると、魔法使いに痛めつけられたはずの体は、もうすっかり治っていて、よりいっそううつくしく見えた。
「ようこそ、私の森へ」
「あなたの?」
「そう、私の森、私の家だ」
「家……」
 ノノはあたりを見まわした。すると、巨木に見つめ返されたような気がした。あいかわらず、静けさにみちている。
「どうしてなにもいないの?」
 ユニコーンは答えなかった。
 森はまったく静かだった。木々は押し殺したようにだまっていて、風と木の葉がささやく音しか、きこえなかった。
 ノノはまた、色のない手をじっと見つめていた。
「ここなら安心だ」
 ユニコーンがいった。「落ち着けるだろう。ここにはおまえをおそう敵はいない。ここにいるのは、私とおまえ、ふたりだけだ」
「わたしになにをしたの?」
 ノノのガラスのような目が、ユニコーンを射るように見た。
「どうして、体がこんなふうになっているの?」
「知らないな」
 ユニコーンが、かすかに笑ったように思えた。
「あなたは知ってるはずだよ」
「なぜそんなことを――」
 そのとき、ユニコーンがさっと首を動かし、森のおくに目をむけた。ノノもつられて見たが、なにもなかった。どす黒い木と、赤い光だけだ。風がざわめいているだけだ。それでも、ユニコーンはじっとしていた。まるで、きこえない音に耳をかたむけているかのように。
 どこかでさけび声がおこった。木の葉のささやきにかき消されてしまうほどかすかな声だったが、たしかにきこえた。そしてすぐに、足音――木の根や草をふみつける足音が、速く、だんだんと近づいてくるのがわかった。
 ノノはユニコーンのほうを見た。彼は微動だにせず、音の方向に顔をむけているだけだった。
 そして突然、遠くの巨木のかげから、なにかがあらわれた。ノノは目をこらした。人間だ。よろよろと走っていたが、つまずいて倒れ、それでも必死に立ちあがろうとしている――逃げている。ノノのいるところからはかげになっている、見えない相手にむかって、なにかいっている。懇願のさけびのようだった。
 そして、人間のあとに姿をあらわしたのは、怪物だった。胴の太さが木の幹ほどもある、大蛇だった。
 人間はまた起きあがり、逃げようとしたが、コケに足をすべらせ、しりもちをついた。怪物はそのすきを見のがさなかった。ひといきに人間にかみつき、二本の白い牙を突きたてると、頭をはげしくふり――身体と魂とを引き裂いた。
 人間の悲鳴が、耳をつんざいた。
 身の毛のよだつ光景だった。怪物の口には得体の知れない、まっ黒なものがくわえられ、半透明の人間の魂は、力なく地面にくずれ落ちた。大蛇の胴体に押しつぶされて、魂は粉々に割れ、あとかたもなく消え去ってしまった。
 ノノは、吐き気がした。あのときの震えが、暗い森のなかでの震えが、突如としてノノをおそった。
 自分も、あんなふうに身体をうばわれたのだろうか? 怪物の手によって、無理やり引き裂かれて? 思いだせなかったし、思いだしたくもなかった。
 怪物がこちらをむき、ふたつの赤い眼がノノをとらえた。
 ノノは声も出なかった。姿を見るのもむずかしいぐらい、とてもはなれているのに、ノノは金縛りにあったように、動けなくなった。
 そのとき、ユニコーンがおたけびをあげた。森じゅうを震わせるほどの、すさまじいさけびだった。ここに入ってくるな、そういっている。彼は怒っている。ノノの耳がきこえなくなった。意識が遠くなる。
 怪物はおそれをなしたのか、さっと頭のむきをかえ、ずるずると体を引きずって逃げだした。黒いものをくわえた大蛇は、あっという間に姿を消した。
 あたりに静けさが戻った。木の葉と風は、変わらずささやきつづけていた。
 ノノはその場に座りこんだ。胸のなかがざわついていた。
 ユニコーンが、吐き捨てるようにいった。
「妖精に飼いならされた怪物め。この私に勝てるものか。私はあらゆる生き物のうちで最も尊く、強い。もしあの毒牙を私に突きたてたとしても、おのれが破滅するだけだろうよ」
 ノノがだまっているので、ユニコーンはいった。
「私がおまえの体のことで、なにか知っているのではないかといったな? どうしてそんなふうになったのかと? そんなことは、気にすることではない。おそらく、今はおまえの心が不安定になっているからだろう。おまえは、魂そのものなのだから。動揺が姿かたちにあらわれたとしても、ふしぎではない。おまえはこわがったり、悲しんだりしてばかりいたからな」
「それしかできないから」
 ノノはつぶやいた。
 けれど、本当にそうだろうか。別のものがあった。体の底から、いろいろなものが、少しずつわきおこってくる。いったいこれはなんだろう? 自分のなかで、なにがおこっているんだろう?
「どうしてなにもしなかったの」
 ノノはユニコーンにむかって、いった。自分の声ではないような気がした。どこか遠くできいているようだ。
「なんの話だ?」
「あの人の話。どうして見捨てたの。あなたは、あの人がおそわれていたとき、ここに立って見ているだけだった。あなたは強いんでしょ? なのに、どうして?」
「おまえがなにをいいたいのか、さっぱり――」
「たすけるべきだったんだ!」
 ノノは大声を出した。その声は、静けさのなかにむなしく消えた。
 ユニコーンは鼻で笑った。
「たすける? あの人間をか? 冗談じゃない。だれが死のうと、私には関係のないことだ」
「じゃあ、どうしてわたしをたすけたの?」
「愛しているからさ」
 ユニコーンは平然といった。その目は澄みきっていた。
「それに、あの人間も怪物と同じように、この森を侵した不届き者だ。むしろ私が行って、殺したかったほどさ! それをしなかったのは――」
 彼は一瞬、間をおいた。
「私が動かなかったのは、おまえを守るためさ。ひとりにさせたくなかったんだ。きのうの夜、私がおまえに、すぐに村を立ち去るようにといったことを覚えているか。おまえをあの憎き男から遠ざけたかったからだ。私は、おまえのしあわせだけを考えていた。今だって考えている。
 あの魔法使いが私たちの前にあらわれたときは、自分の身を犠牲にしてでも、おまえを守ろうと思った。私は、おまえに完全に支配されていた。あのときまでは」
「どういうこと?」
「おまえは私を解放しただろう――あの男のいましめから。おまえは魂だけの存在だから、私のなかに入り込むことができたのだ。私たちがたすかる道は、それしかなかった。だが……」
 ユニコーンは、口をつぐんだ。悲しんでいるのか、笑っているのか? ノノにはわからなかった。
「だが、他の者の身体に入り込み、魂どうしをふれあわせることは、特別な意味を持つ」
 ノノは思わず、あとずさりしていた。ユニコーンから離れたかった。けれども数歩も行かないうちに、足は止まってしまった。なにかが、ノノとユニコーンを結びつけていた。
 自分のなかのなにかが、彼から離れることをこばみ、彼を求めていた。
「魔法の契約なのだ」
 ユニコーンはいった。
「ひとつの身体にふたつの魂が入ったとき、決して切れることのないきずなができる。それらは永遠に運命を共にすることになる。今の私たちが、そうだ。おまえの魂が私の身体に入ったときから、私たちの運命はひとつになった」
 ユニコーンはりりしく、魅力的な声で語りかけてきていた。ノノはだまったまま、その話にきき入っていた。
「いっしょに暮らそうじゃないか、ここで! おそれることはなにもない。もう、あんなつらい冒険をする必要はないんだよ。苦しむ必要はないんだよ……。私のそばにいれば、きみはきっとしあわせになれる。さっきもいっただろう? 私は、きみのしあわせだけを考えているのだよ」
 ノノは無意識のうちに、自分の胸をしっかりとつかんでいた。ユニコーンの声が、ことばが、心が入り込み、ノノを狂わせようとする。あらゆる感情が、感じたことのない気持ちが、わきおこる。なにかが変わっていく――。
 それでも、ノノはいった。
「わたしのしあわせは、わたしが決める」
 はっきりとした声だった。
 ユニコーンの目が、怪しげに光ったような気がした。
「あなたは、まちがってる!」
 ノノはユニコーンをにらみつけた。とたんに、体が燃えるように熱くなるのを感じた。それは怒りだった。目の前にいる者に対する、激しい怒りだった。
「あなたは――自分のことしか考えてない。平気で人も見殺しにするし、わたしの気持ちもわかってない!」
 ノノは、また一歩、うしろへさがった。
「どうするつもりだ!」 ユニコーンはさけんだ。
「運命に逆らおうというのか? むだだ。おまえが私の前にあらわれたとき、おまえは私を支配したが、今は、私がおまえを支配している! その証拠に、おまえの魂のほとんどは、私のなかに流れこんでいる。そういうわけだ、色がうせたのは! 私から離れることはできない。魔法の鎖で、しっかりとつながっているのだから!」
 ノノは、いっそう強く胸をおさえた。心のなかがぐちゃぐちゃとして、なにを感じているのかもわからないほどだった。いや、これは怒りだ。今にも体のなかから飛び出そうとしている、猛獣のような感情だ。
 断ち切ってみせる。その魔法を。
 ノノとユニコーンは、十歩ほどの距離でにらみあった。夕日はさらに赤黒く、木々の葉のあいだから差してきていた。
「やめておけ! そんなことをすれば、おまえ自身がどうなるのか、わからないのか? それとも、またたすけでも待っているのか? イップとかいう怪物を? あいつは死んだんだ。仮にだれかが追いかけてくるとしても、決してここへはたどりつけない。私は一晩じゅう走りつづけたが、実際はおおきく迂回して、わざわざ通る必要のない山や谷をこえてきたんだから。邪魔が入らないようにな! 私のあとを追おうとするものは、疲れ果てて気力をうしない、そのままのたれ死ぬのがおちだろうよ!」
 ユニコーンはほえた。
「おまえはもう、私のものなのだ! その身を私にささげろ!」
「いやだ」
 ノノはさらに離れようとした。けれども、できなかった。ユニコーンに引き寄せられないようにするだけで、精いっぱいだったのだ。うたがいようもなく、ユニコーンのほうが強かった。勝ち目などなかった。
 それでも、恐怖よりも怒りがまさっていた。
 この怒りは、ユニコーンとのきずなを断ち切れるほど、強いものだろうか? ノノはそう信じていた。そして、かならずこの敵を打ち破らなければならないことも、わかっていた。絶対に、勝ってやる。
 白い馬は身じろぎもせず、ノノを見つめているだけだった。近づいてくる気もなさそうだった。森は、影をいっそう深くしていた。
 ノノは必死に戦っていた。見えない鎖を断ち切ろうと、心のなかでもがいていた。けれど、そうしているあいだにも、ユニコーンのかがやきはまして、ノノのおぼろげな姿は消えつつあった……。
 ノノは、地面にひざをつかなければならなかった。もはや、足に力が入らなくなっていたのだ。それでも歯を食いしばり、ユニコーンを見あげた。
「いつまでそうしているつもりだ!」
 雷鳴のようなさけびが、とどろいた。ユニコーンの声にはもう甘いひびきはなく、今や炎に似た激しさがうずまいていた。ノノは相手に怒りや、憎しみや、嫌悪を感じながらも、思わず身をちぢめた。ユニコーンの声は、荒れ狂うあらしのように、森全体をゆらした。
「はやく私のもとへ来い! あのときのように!!」
 そのとき、ノノは、ユニコーンのダークブルーの目に、得体の知れない、おそろしいゆらめきを見た。顔は獲物をむさぼる野獣のようにゆがみ、凶暴な性格そのものだった。魔法使いにむけた、あの顔だ。あの目だ。そして、ノノはその目のなかに、自分自身の怒りを見た――。
 ようやく、気づいた。
 体の底からわきでてくる、この怒り、そしてあらゆる感情は、自分のものではなかったのだ。
 ユニコーンの感情が流れ込み、ノノを支配していたにすぎなかったのだ。
 それなら。ノノはゆっくりと起きあがろうとする。それなら、おさえつけなければ。あふれる感情を。ユニコーンと心を共有しているかぎり、離れることはできないのだから。それが、あいつの支配を解く、たったひとつの方法なんだ。
 ノノは目をとじ、心を落ち着けようとした。どこからともなくわきおこり、ノノをのみこもうとするものを、必死におさえつけ、自分のなかから追い出そうとして。
「なにをしている?」
 ノノのしようとしていることに気づいたユニコーンが、いった。あせる気持ちが伝わってきた。
「そんなことをしてもむだだ……私のほうが強いのだからな!」
 見えない戦いがはじまった。
 ノノはあらゆる感情を押しこめようとしたが、それは簡単なことではなかった。感じることはたやすいけれど、消し去ることはむずかしい。しかも、そのほとんどが、自分のものではないのだ。
 苦しかった。あまりの苦しさに、ノノはつる草のしげる地面に手をついた。自分がこわれてしまいそうだった。それでもなにも考えずに。なにも感じずに。ユニコーンの支配から、抜けだそうとした。ノノは倒れ、それでももがきつづけた。
「どうしてそこまで、こばむ必要がある」
 ユニコーンがいった。
「おまえには不完全な感情しかないのだろう? こわがることと、悲しむことしかできないのだろう? それはつらいだけだ、そうだろう。もっとすばらしい感情があるんだよ。よろこびに楽しさに――」
 ありったけの力をこめ、ユニコーンからのがれようとしていたのに、ノノはほんの少し恐怖をおぼえた。力がぬけた。魔法のきずなを断ち切るということは、すべての感情を投げ出し、ユニコーンのもとに置いていくということだ。心は消え、自分はまた、なにも感じることのできない人間になってしまうのではないか? 人間ですらなくなってしまうかもしれない。それにもし、魂そのものが消えてしまったら?
 よろこびや楽しみ。すばらしいかもしれない。ノノの心はゆれた。
「――そして、愛だ。私なら、おまえに愛を教えてあげられる。さあ、私のもとへ来い……」
 だが。
 ノノはもう、きいていなかった。
 たとえそんな感情を得ることができたとしても、それはまがいものだ。自分のものではない。自分の心で感じるから、意味があるんだ。いつわりの心で感じるものは、結局はにせものだ。だれかが決めることじゃない。自分自身が決めることだ。
 うでに力をこめ、ゆっくりと体を持ちあげた。からをぬぎすてるように。まとわりつくものから、ぬけだした。ノノは立ちあがった。体の色はうしなわれたままだったが、力は少しずつ戻りつつあった。ノノとユニコーンの力が、逆転しつつあった。
 ノノはまた一歩。うしろへさがった。
 魔法の糸が、ぴんと張るのを感じた。
「むだだ! この私から逃げられると思うな!」
 ユニコーンは激昂してさけび、とびかかってきた。
 ノノに、なすすべはなかった。
 ここまでだろうか?

 だがそのとき、ふしぎなことがおこった。ユニコーンが、ノノのすぐそばで、ぴたりと止まったのだ。
 ユニコーンはおどろきの表情で、みずからの足元を見つめていた。ノノも見た。地面からのびた無数のつる草が、白い足にからみついていたのだ。
「これは――」
 あざやかな緑をしたつるは、とどまることなく生え、のびてきていた。いくら引きちぎっても、すぐにユニコーンをしばりつける。ノノは、さっと離れた。
 ノノの目の前で、つるは生き物のように踊り狂い、ユニコーンにまきつき、ついにその足は完全におおわれて、動かなくなった。
「なぜだ……これしきのもので……おまえ、いったいなにをした!」
 すでにつるは首まで達していた。ユニコーンは苦しげにあえいだ。
 ノノは一歩、また一歩と、あとずさりしていく。
「やめろ……!」
 ユニコーンはなにかに引っ張られるように、体を前にかたむけ、さけんだ。
「魔法のきずなを断ち切れば、力の弱いほうが死ぬ! 今、私たちの力は拮抗しているのだ。このままでは、両方が――」
 ノノはユニコーンに背をむけた。そして、ためらうことなく、駆けだした。
 その瞬間、ふたりを結んでいた魔法の糸は、ぷっつりと切れた。
 おそろしい苦痛のさけびが、森じゅうにひびきわたった――ノノはふりかえろうとはしなかった。ユニコーンを見る勇気がなかった。体が引きちぎれるような痛みを感じたが、ノノは走りつづけた。さけび声は遠ざかる。荒れ狂う思いは遠ざかる。ユニコーンの支配からのがれたことを知った。勝ったのだ。魔法は解けた。
 けれども、その姿は色のないままだった。それに、感情も消えていた。魂の一部は、永久にうばいとられてしまっていた。ノノはなにも考えず、ただ本能のおもむくまま、夜の迫る森を走っていった。みずみずしかった大木は音をたててしぼみ、コケは消えうせ、すべての葉が雨のように落ちていく。おいしげった草やつるもしおれていく。あるじをうしなった森は、またたく間に枯れていった。
 赤い光はにぶくなり、うすれ、消えて、ほとんどなにも見えなくなった。ノノは手探りですすまなければならなかった。それでも走っていた。枯れ枝に足を引っかけてころんでも、幹に顔を打ちつけても、走りつづけていた。どこへむかっているのかもわからずに。
 またなにかにぶつかった。木のように感じたが、そうではなかった。
 それはひっくり返りそうになったノノを、しっかりと抱きとめたのだ。
 ノノはぼんやりとして、されるがままになっていた。
「大丈夫か」 それがいった。「返事をしてくれ……」
 なつかしい声だった。
 ずっとききたかった声だった。
 二度ときけないと思った声だった。
 うつろな目はしだいに黒く、はっきりとかがやくようになり、突然、涙がこぼれ落ちた。幼い顔に、肌に色が戻り、ガラスのようだった髪は、しっとりと夜に染まっていった。
 ノノは、ぎゅっと相手に抱きついた。
 よろこびを知った。
 あたたかな気持ちを。
 おどる心を。熱くなる胸を。
 うれしい、と。思うことを知った。
 涙は、とめどなくあふれてきていた。
「イップ……」
「無事で、なによりだ」 イップがやさしくいった。
「すまないな。おまえに、つらい思いをさせた……」
 ノノは声をあげて泣いた。まるで赤ん坊のように。何年も忘れていたことだった。ただただ、イップのおおきな胸のなかで泣いていた。ずっとおさえつけていた恐怖と、彼と離ればなれだった悲しみと、ふたたび会えたよろこびで泣いていた。
「すまないな、すまない……」
 イップはそれしかいわなかった。
 ノノは、自分のおもいをつたえたかった。
 あやまる必要なんかない、生きていてくれただけでうれしいのだと。もう二度と、悲しませてほしくないのだと。ずっといっしょにいたいのだと、いいたかった。
 けれども泣くことしかできなかった。イップの胸に落ちる涙をとおして、そのおもいがつたわってくれればいいのにと思った。



   7  飛翔


「ねえ、イップ」
「なんだい」
「わたし、ずっと悲しかった」
「どうして?」
「イップが……いなくなっちゃったから」
 暗い夜のなかで、ノノはおおきなヤモリの背中に座っていた。ゆっくりとしたリズムで、静かにノノを運んでくれる背中。
「私が?」 イップはいった。「そんなことはないさ。私のほうから、一度でもきみから離れていったことがあるかな?」
 ノノはだまりこんだ。イップが、自分を責めているような気がした。
「……ごめんなさい」
「どうした?」
「怒っているんでしょ? わたしが……あなたを見捨てたから」
「怒るということを、もう知っているのか」
「うん」
「そうか」
 イップの口調はおだやかだった。
「怒ってなんかいないさ。しかたがなかったんだから。おまえはユニコーンに心をうばわれてしまったけれど、自分の力で断ち切った。よくやったな、本当に。私を見捨てたなんてありもしないこと、いうんじゃないよ」
 ノノはことばが出なくて、うなずいただけだった。イップに、つたわっただろうか。
「私は、絶対に離れない」 イップがいった。
 ノノはまた、うなずいた。
「イップ……」
「ん?」
「あのとき……うまく逃げられたの? あの魔法使いは? それに――」
 けれど、ノノが最後までいわないうちに、イップは淡々といった。
「あの男か。彼は、きみをユニコーンから救おうとしていただけさ。最初から、敵ではなかったんだよ。盲の谷でおそわれたあと、村できみの命を救ってくれたのも、もちろん彼だ」
 ノノはうつむいた。
「あの怪物たちを見たか」
「うん」
「まさか、あの村がつきとめられるとは思わなかった……村は滅んだよ。あの男も、たぶん死んでしまっただろう」
「そんな……」
「あの男は、ユニコーンに致命傷をおわされたんだ。立ちあがることさえできない状態だった。私は彼をたすけようとしたが……すでに、怪物たちが村をおそいはじめていた。私は、彼を見つからないように隠して、村を逃げ出すことしかできなかった。あの男のほうが、私にそうするようにいったのだが。これは言い訳になるかな――」
 でも、とノノはいいかけて、口をつぐんだ。
 ノノには、さっきもあの魔法使いが、自分をたすけてくれたように思えた。ユニコーンをしばりつけた、あのつる草だ。生きているとしても、死んでいるとしても。あの人は最後まで、ノノを守ろうとしたのかもしれない。
 それなのに、なんてことをしてしまったんだろう。二度も、三度もたすけようとしてくれた人を、結局は裏切ってしまった。
 ノノがだまりこんでしまったので、イップはやさしくいった。
「気にするな。たしかにあの男はきみを守ろうとしたけれど、ユニコーンだって、同じようにきみを守ろうとしたんだ。どちらも、私と変わりない。善も悪もないんだよ。きみは決して、まちがっていない……」
 イップはノノを乗せたまま、枯れ木のあいだを歩いて、どんどん森のおくへ入っていった。
「私はユニコーンの走ったあとをたどって、きみを追った。朝日がのぼってからはそれが消えて、勘だけで進まなければならなかったが。結局、丸一日かかってしまった」
 見ると、イップのうでと足には、新しい傷がいくつもできていた。歩くのもつらそうだった。ノノは彼の背中に、ぴったりと体をくっつけた。
「ありがとう」
 そういった。
「いや。待たせてすまなかった」
「イップ」
「なんだい」
「わたし、今、しあわせかもしれない」 ノノはつぶやいた。
「悲しいこともたくさんあるけど、だからこそ……」
「そう。それは、よかった」
 ノノはますます強く、イップの背中にしがみついた。抱きしめようとした。絶対にはなさないという思いをこめて。ノノは、深く息を吸った。
「ねえ」
「なんだい」
「しあわせって、心のなかにあるの?」
「そうかもしれない」
「イップはしあわせ?」
「しあわせだよ」
 どこかひらけた場所に出たみたいだったけれど、暗くてよく見えなかった。
「さあ、おりなさい。眠るところを探さないと」
「ううん」
 ノノは目をとじた。
「ここで寝ていい?」
「ああ、いいとも」
 イップはノノを落とさないように、ゆっくりと体をまるめ、横たわった。
 今夜は、よく眠れそうだ。そう思った。

 ノノは目を覚ました。
 まだ夜だった。まるい月が西の空、枯れた森のすぐ上にうかび、かわいた砂の地面をやわらかく照らしている。反対側の空は、ほんのりと明るい。
 そして目に飛びこんできたのは、地平線のむこうまでずっと広がる、おおきな湖だった。風のさざなみが、いちめんに光って見えた。ノノは湖など見たことがなかった――まして海はなおさらだった――から、ひどく心をうばわれて、起きあがることすらできなかった。鉛色の水面におどる月光は、刻一刻とその姿を変えた。風が吹きぬける以外、なにもいなかった。
 イップの背中の上で体を横にしたまま、ノノはじっと耳をすませた。
 なにか音がしたのだ。さざなみとはちがう。自分の目を覚まさせたのは、いったいなんだろう?
 音は木々のむこうからきこえてきていた。枯れ木が折れる、気味の悪い音。なにかおおきなものが、そこにいる。だんだんと森のはずれ、ノノたちのいる場所にむかってくる。
 イップを起こすことは、したくなかった。彼はぐっすりと眠っていた。ノノのために、今まで走りどおしだったのだ。盲の谷から白い木の村まで、さらにはユニコーンの森まで。ノノのために、必死で走ってきてくれたのだ。今は、寝かせていてあげたかった。
 木々が倒され、ふみつぶされる。音は、たしかに近づいてきていた。ノノは、そっとイップの背中からすべりおりた。
 まるくなったおおきな体から離れるとき、ノノの心が痛んだ。
 大丈夫。ノノは、自分にいいきかせた。少しのあいだだから。
 よろめきながら、とにかくイップから離れ、音の正体をつきとめようとした。それはすぐにわかった。イップの背後の森に、巨大な影がうかびあがったのだ。おそろしいうなり声をあげ、とてつもなくおおきな怪物が、のっそりと姿をあらわした。これまでの怪物など目ではない。イップの、ゆうに三倍はある。
 おそろしい生き物がすぐそばにいるのに、イップに起きるようすはなかった。
 危ない――ノノはさけんだ。
 怪物がノノに気づき、むきを変えて、こちらにむかってきた。赤黒い体が、月光に照らし出された。ふとい四本の足。背中にはヤマアラシのような、無数のするどい針。そしてもつれたたてがみに囲まれた顔は、獣というより、人間に近かった。凶悪な表情で、ノノを見つめながら、ゆっくりと歩いてきた。黒々とした目が、気味悪かった。
 妖精の手下なのだろうか。ノノの魂を、破壊しようというのだろうか?
 ノノはあとずさりした。足が、思うように動かない。逃げられるだろうか? イップを頼ることはできない。イップのために、この怪物を遠ざけなければならないのだから。
 人面のライオン、マンティコアは、徐々に獲物を水ぎわに追いつめていた。ノノは、足がどろにめりこむのを感じた。くつのなかに、水がしみこんでくる。
 うしろは湖。逃げ場はなかった。怪物はもうふれるほど近くにいた。右や左に逃げようとしても、そのたびに怪物の巨大な前足が、行く手をさえぎった。おおきなあごが、何百本もならんだ鋭利な牙が、ノノをとらえようと迫った。
 湖に飛びこめば、あるいは逃げられたかもしれない。けれどノノは、そんなことを考えもしなかった。その少女にとって水とは、浅い川の流れであり、バケツのなかのかたまりであり、体をつたう膜でしかなかったのだから。水のなかに入るということが、どうして想像できただろう。泳ぐことすら知らないのに?
 ノノは身がまえた――。激しく、にぶい音がした。
 けれど、怪物の牙はつきささっていなかった。
 見ると、イップが目の前で、そのおそろしいあごを体全体でうけとめていた。
 イップがうめき声をあげた。するどい牙が何本も、肩にくいこんでいる。それでも、イップは動かなかった。傷だらけの足をふんばり、自分の何倍もある怪物の巨体を止めていた。
「イップ……」
 彼はふりかえって、ノノを見た。ほんの少し、うなずいた。
「大丈夫だ!」
 巨大なライオンはおたけびをあげ、首をふってイップをなぎ倒した。彼はなすすべもなく、ぬかるんだ土の上にころがった。だが、決してうでを放そうとはしなかった。激しくふりまわされ、たたきつけられても、彼はつかまりつづけていた。どろが飛び散り、ノノの顔にびちゃびちゃと当たる。
 やがて怪物はあきらめ、ノノに背をむけた。そして獲物をくわえたまま、のそりと歩きだした……。
「待って!」
 ノノはさけんだ。よろめきながら、どろまみれの体を必死に動かし、怪物のあとを追おうとした。
「待って! つれていかないで――」
 イップが離れていく。絶対に離れないって、いったのに。
 ノノは一歩もいかないうちに、なにかに足をとられ、ぬかるんだ地面につっぷした。だれかが、ノノの左足をつかんでいる。動くことができない。怪物はどんどん遠ざかっていく。さけべばさけぶほど、イップは離れていく。絶対に離れないって、いったのに。
 ノノは水のなかに引きずりこまれた。夜が消えた。無数のあぶくが目をおおい、なにも見えなくなった。冷たい水のなかで必死にもがいたが、不気味なうでが、ノノをどんどん深みへと引きずりこんでいく。暗い、暗い、湖の底へ。
 イップが遠くなる。
 手の届かないところへ、行ってしまう。

「息が苦しいだろう、え? じっとしていろ!」
 かん高い声ととともに、毛むくじゃらの生き物が、口をノノの顔に近づけてきた。すんでのところで体をひねって逃げたが、おおきな前歯がはっきり見えた。先がぎざぎざしていて、まな板のようにぶ厚くて、なんでも簡単にかみくだいてしまいそうだった。
「どうした? 苦しくないのかい? 変わったやつだなあ」
 耳障りな声はきこえるけれど、湖の底は暗くて、姿は見えなかった。あたりいちめん、帯状の植物の影が立ちあがり、気味悪くゆらめいているだけだ。ノノは、水中をふわふわとただよっていた。
 身体がないため、苦しくはない。だが水のなかに入ることなどはじめてで、どうしていいかわからなかった。冷たい水はノノの魂をしめつけ、容赦なく押しつぶそうとする。
 なにかがすべるように近づいてきて、ノノのそばでぴたりと止まった。
「名前は!」 それはキンキン声でいった。
 ノノはあっけにとられるばかりだった。こんなところにいるのは、だれだろう?
「おれはアーヴァンクだ、ビーバーの王だ! おまえはちと変だが、それでもなかなかかわいらしい。おれの妻になれ! さあ、こっちに来い」
 アーヴァンクが迫ってくるのを、ノノはさっとふりはらった。そして手足をばたつかせ、ほのかに明るい水面めざして逃げだした。けれども、また毛むくじゃらのうでで引き戻されてしまった。
「どうして逃げる? 乱暴なんかしないよ。あっちにおれの家があるんだ。さあ……」
「いや!」
 ノノはさけんだ。心に、怒りも恐怖もこえた、強い嫌悪の感情がめばえた。
 だが、いくらもがいても、のがれることはできなかった。けれどノノは自分より、イップのことが心配だった……。彼はどうなるのだろう? 身体をうばわれるのか、それとも……。
「そのうつくしい黒髪! おれの妻にこそふさわしい!」
 アーヴァンクが耳障りな声でさけぶと、まわりからくすくすと笑い声がおこった。そのときはじめて、ノノは、ほかにもだれかが湖の底にいることに気づいた。
 あたりを見まわす。目をこらすまでもなく、ぼんやりとしたちいさな光が、いくつも水草のあいだにただよっているのが見えた。
 それはノノたちに近づいてきて、あたりをかすかに照らした。アーヴァンクの細長い体、まぬけな顔のつき出た前歯、青黒いもじゃもじゃとした毛がまともに見えた。彼は光たちの出現に、ひどく不機嫌そうな顔をした。
「なんだきみたち。邪魔をしないでくれ」
 光たちが、またくすくすと笑った。こぶしくらいの、ちいさな人間のようにも見えた。
「新しい花嫁候補かしら、アーヴァンク!」
 ひとりがいった。鈴の鳴るような声だ。
「ああそうさ」
「でも、まだ子どもよ」
 別のひとりがいった。すると彼女たちは、口々にしゃべりはじめた。
「それに、身体も持っていないわ! ただの魂よ」
「かわいいじゃない。お似合いよ」
「いやがっているし、かわいそうじゃなくて? 放してあげたら、アーヴァンク」
「私じゃだめかしら? あはは……」
 やかましくて、頭がおかしくなりそうで、ノノは耳をふさいだ。アーヴァンクはノノの足をがっちりつかんだまま、光にむかって、かみつくようにいった。
「うるさいぞ、下級の妖精のくせに! このおれさまにたてつくな!」
 妖精、ということばに、ノノはびくっとした。
 この世界を破滅にみちびく妖精、ノノやそのほかの生き物の身体をうばった妖精、自分たちが今まさにめざしている「闇の妖精」と、なにか関係があるのだろうか。
 ノノはおそるおそる、ちいさな光たちを見たけれども、どれもきゃあきゃあと笑っているだけだった。アーヴァンクに味方しているわけではないが、かといってたすけてくれる気もなさそうだ。ただ、ふたりをからかっているだけで。
 まわりを妖精にとり囲まれ、そのなかで足をつかまれ、ノノはまったく身動きがとれなかった。
 いったいどうすればいいのだろう? ノノは泣きたくなった。こうしているあいだにも、イップは死んでしまうかもしれないのに――。
「さあ結婚だ! 結婚式だ! 文句をいうな、善は急げさ!」
 青いビーバーは意気揚々とさけぶと、ノノを抱きかかえ、ものすごい速さで泳ぎだした。ぬるぬるした毛がまとわりついた。妖精は、たくさんの光となってついてくる。くすくす笑いが何重にもかさなって、ノノの気分を悪くさせた。
 もう、おしまいかもしれない。
 ノノは思った。
 イップはいなくなってしまった。それも、自分のせいで。また、わたしのせいで。
 またつかまって、支配されようとしている。ユニコーンのときは自分から断ち切ることができたけれど、もうそんな力も残ってはいなかった。ノノはされるがまま、冷たい光に囲まれて、暗い水のなかへと突き進んでいった。

 すまない。すまない。
 ノノの頭のなかで、声がする。イップは、あんなふうにあやまってばかりだった。そういえば、お父さんもよくいってたっけ。
 すまないね、ちょっと狩に行ってくるよ。お母さんの面倒を、みていてくれるかな。
 すまない、もっと楽な暮らしをさせてあげたいんだが。
 役に立たない父親と母親で、すまないね――。
 そんなことないよ。ノノは心のなかでつぶやいた。わたしだって、すまないよ。ごめんね、イップ――。

 突然、水がゆれた。まるで風が吹いたように。アーヴァンクはバランスをくずし、泳ぐのをやめた。ふりかえったノノは、なにかが、暗闇から近づいてくるのを見た。
 それは一瞬のことだった。目の前にとてつもなくおおきなものが姿をあらわしたかと思うと、妖精たちを蹴散らし、呆然としているビーバーをかぎづめの一撃で吹き飛ばした。ノノはかろうじて身をふせた。それはものすごい勢いで、ノノは平衡をたもっていることなどできなかった。水がうずまき、無数のあぶくでにごる暗い水のなかに、おおきなふたつの目が見えた。その瞳孔は、まぶしいくらい鮮やかな緑だった。そしてノノは闇の奥底へ、まるで紙のように吹き飛ばされ、のみこまれていった。音が消え、光が消え、感覚が消えた。

 体が浮きあがってゆく。ものすごい速さで。ノノはあおむけになって、せまり来る淡い色の水面を、ぼんやりと見つめていた。
 かがやくさざなみのなかを、ノノはつきぬけた。爆弾が破裂するようなすさまじい音がして、わきおこるあぶく、しぶき、水柱とともに、空中に投げだされていた。とても高い。うす桃色の空が、白い湖が、黒い森が、かわるがわる見えた。
 夜の空気を、風を、胸いっぱいに吸いこんだ。それはノノの体を通りぬけていくだけだったけれど、それだけで、自分が生まれ変わったような気がした。
 きらめくしぶきのなかに、生き物を見た。銅色の長い体、空を覆うほどおおきなつばさ。その生き物はあまりにも巨大すぎて、姿をとらえることができないほどだった。けれどもそれがノノの前を通りすぎるとき、エメラルド色の目が、ノノの目とあった。たとえこれから先、ノノがどれだけ多くの宝石を見るとしても、その目よりもうつくしいものはないだろう。
 長く、先のとがった尾がちらりと見えたかと思うと、その生き物は視界から消えていた。それがまきおこした突風にあおられ、ノノはまっさかさまに落ちていった。
 湖面はすぐそこに迫っていた。波打つ壁のように、ノノをじっと待ちうけて――。
 けれども、目はしっかりとあけたままだった。
 逃げちゃいけない。もう、目はつぶらない。最後の最後まで。
 すべてが終わるまでは。
 なにかおおきくて硬いものが、体にぶつかるのを感じた。しっかりと抱きとめた。その生き物はノノを頭の上に乗せ、長い首を持ちあげると、つばさをひとふりして上昇した。ふたたび水がはじけて飛んだ。はるか遠くの山のむこう、のぼりはじめた太陽が、舞いあがるしぶきを黄金に変えた。その生き物の、うろこにおおわれた銅色の体を――長くのびた頭を、首を、短いうでと足を、ひろげた硬いつばさを、ゆっくりと風にたなびく尾を、ますますうつくしく照らしだした。
 おおきな笑い声がきこえてきた。ノノのすぐ下から。前にも一度、この声を、空気の振動を感じたことがある。
 ノノも心がおどった。なつかしい友だちに、ようやく出会えたような気がした。
 鉄のようなつばさが、力強く空を打った。朝日にむかって、ノノを乗せて、その生き物は飛ぶ。ただ、まっすぐに。
 山の端はきらめいて、明け方の空はまたたく間に色を変えていく。淡い黄色や桃色が、夜をうしろへと押しやりながら……。
 ノノは、風の音に負けないようにさけんだ。
「あなたはだれ?」
 頭が少し動き、おおきな口がひらいて、ノノが震えるほどの大音量で声がひびいた。
「ドラゴンだ。それ以上でも、それ以下でもない」
 こんなにおおきな生き物がいるなんて。きっと、人間の数十倍はある。
「どうして、たすけてくれたの?」
「おまえが、あいつの娘だからだ」
「あいつ?」
 ノノは身を乗りだし、ドラゴンの目を見ようとした。
「わたしのお父さんのこと? お父さんを知ってるの?」
「ああ。知っている」
 答えはそれだけだった。ノノも、それ以上はきかなかった。今は、もっと大事なことがある。声のかぎりに、さけんだ。
「ねえ! イップが怪物に連れていかれたんだ! 追いかけてくれる? たすけたいんだ……大切だから……」
 ドラゴンは、ひとこといった。
「下を見ろ」
 ノノは頭のうろこの一枚につかまり、危なっかしく地上を見おろした。はるか下、いちめんに広がる枯れ木の森が、金の光をうけてかがやきながら、飛ぶように流れていた。そのなかにはっきりと、怪物の通ったあとが見えた。木が倒され、ふみつぶされてできた痛々しい傷あとが、ずっと先までつづいている。
「マンティコアは、妖精の手下ではない。ただの飢えた獣だ。場合によっては、彼はより危険な状態かもしれん」
 つばさがまた打ちふられた。ドラゴンの体がおおきくゆれた。彼は生命のエネルギーをみなぎらせて、空を()けていった。
 待ってて、イップ。
 ノノはくちびるをかみ、じっと前を見つめた。風は強く、朝日はまぶしかった。
 ふと視線を感じて顔をむけると、空中に、だれかがいた。豊かな髪をした、女性に見えた。その姿はぼんやりとしていて、光のようで、煙のようで、霧のようだった。彼女はかすかにほほえんで――溶けるようにいなくなった。
「風の精霊だ」 ドラゴンが、とどろく声でつぶやいた。「この世界の守り神だ。彼女がいるからこそ、この世界は存在しているのだ」
 ノノはふしぎな気分で、しばらく風の精霊がいたところに目をむけていたが、やがて、また前をむいた。それきり気にしなかった。
 待ってて、イップ。ノノはつぶやく。心のなかで。
 今度は、わたしがあなたを救う番。

 日は少しずつのぼり、空をふたたび青く染めはじめた。すでに森は消え、灰色の草原が、眼下にあらわれていた。岩がむき出しになった小高い丘のかげ、うす暗くじめじめとしたところに、イップの変わりはてた姿があった。マンティコアが数匹むらがり、黒っぽいものを引き裂いているのを、ノノはドラゴンの頭の上で、よく見ることもできずに、泣きさけんでいた。
 ドラゴンはゆっくりとつばさを上下させ、空中で停止していた。
 風は吹いているのに、日は差しているのに、ノノは暗闇のなかにいるようだった。自分の声すらきこえず、絶望以外、なにも感じることができなかった。実際のところ、ノノはその現実から、必死で目をそらそうとしていた。だが、それは残酷にしのびよってくる。
 イップが死んだ。今度こそ、本当に。
 もう、二度と会うことはできない。話すことも。二度とたすけてはくれない。
 やっと、自分がイップをたすけてあげられる、そう思ったのに。
 間に合わなかった。おおきな貸しをいくつも残したまま、彼は行ってしまった。
 長いこと、ノノはドラゴンに乗ったまま、泣いていた。何度も飛び降りようと、イップのもとへ行こうとしたけれど、できなかった。もう、下を見る勇気さえなかった。
 そのときドラゴンの声が、ノノの泣き声をかき消した。
「いいかげんにしろ!」
 ノノはびっくりして、泣くのをやめた。
「目をあけろ」
 いわれたとおり、ゆっくりとまぶたを持ちあげた。涙でにじみ、なにも見えなかった。
 けれども、ドラゴンはもう一度いった。
「目をあけろ!」
 ノノには、だんだんとわかってきていた。本当はなにを見るべきなのか。目ではなく、もっと別のもので――。
 ノノはまた暗闇のなかに入りこんで、今度は、暴れる心と正面からむきあった。ふりまわされ、流されるのではなく。ほんの少し前までは存在すら忘れていたものは、今やユニコーンのように荒々しく、手に負えないものになっていた。もう、流されてはいけない。
見きわめるのだ。
 わかりかけていた。見えなかったものも、見えはじめていた。感情のベールにおおわれてしまっていたものが、姿をあらわしはじめていた。
 簡単なことだったのに。信じるだけでよかったのに。イップは、いやあの人は、ちゃんと約束してくれたんだから。絶対に離れないと。いつだって、戻ってきてくれた。駆けつけてきてくれた。
 きっと、今だって。

 ノノはゆっくりとふりかえった。
 まだ、確信していたわけではない。だから、早くたしかめたかった。それなのに、少しおそろしくもあった。ノノは見た。心の目ではなく、本当の目で。
 そこに、あの人がいた。
 ノノのすぐうしろに、いつも狩に出かけるかっこうで、あぐらをかいて、くちびるをかたく結んで、ぼさぼさの髪で、やせて、少し背が低くて、それでもノノにとってはとてつもなくおおきくて――半透明の体で、風に吹かれながら、その人は座っていた。
「お父さん」
 ノノはつぶやいた。
「すまない」 その男はいった。なつかしい声だった。何度も何度もきいた声だった。イップとはまったくちがうけれど、深みとぬくもりはまったく同じだった。
「私は、おまえをだましていた」
 彼は静かにいって、目をふせた。けれど、すぐに娘と同じ黒い目で、ノノを見すえた。
 ノノは、きく必要もないと思った。もう、全部わかっていたから。それでも、きいてしまうのはこわかった。
 その人が、口をひらいた。
「イップは、私だ」



   8  光のなかへ


「どうしてだろう」
 ノノはつぶやいた。その声は、風にさらわれて消えていった。
「どうして、気づかなかったんだろう。こんなに近くにいたのに……」
「感情だ」
 とどろくような声が、すぐ下からきこえた。
「感情が生まれることで、おまえの心はにごり、見えるものもだんだんと見えなくなっていったのだ」
 ノノはあらためて男を見つめた。少女は今、これまでで一番おどろいていた。いや、はじめておどろいたのかもしれない。今までずっといっしょにいたイップが、何年も前にいなくなったお父さんだったなんて。
 お父さん。
 耳のきこえない母親のかわりに、ノノにことばを教えてくれた。今はもうないけれど、毛皮の帽子を作ってくれたのも、赤ちゃんだったポロフを飼うことをゆるしてくれたのも、お父さんだ。十分な食事ができたのも、猟師だったお父さんのおかげだ。それなのに、あるとき山に入っていったまま、帰ってこなかった。日が暮れても、次の日の朝が来ても。母とふたりで必死になってさがしても、どこにもいなかった。
 それからの生活は、たいへんなものだった。まず、食べ物がなくなった。男手がなければ畑を耕すこともままならないので、収穫できるのはほんのわずか。わなをしかけて動物をとることもあった。話し相手のいなくなったノノは、だんだん無口になっていった。そのうちことばを忘れ、いそがしく決まりきった仕事のなかで、感情もうすれていった。それでも実は、本当に苦労していたのは、母親のほうだったのだ。最後まで自分の気持ちをあらわすこともできず、彼女は死んでしまった。お父さんが、いなくなったせいで。そのときはなにも感じなかったけれど、今こうやって顔をあわせ、恨まないかと問われれば、ノノはきっと迷うだろう。
 ドラゴンは、音もなくつばさを上下させていた。わずかに浮きあがり、わずかに沈むという動きを、単調にくりかえしていた。風が、ノノの透きとおった髪をなびかせている。
 ノノと男は、じっと見つめあっていた。
「どうしてここにいるの?」
 ノノがきいた。「どうして隠してたの?」
 少女の父親は、困ったようにだまっていた。イップのおおきな体を捨てて、まるで裸になったかのような、そんなはずかしさを感じていたのだ。彼はなにもいわなかった。
「煮えきらんやつだ」
 ドラゴンがいった。その大声は怒っているようでも、笑っているようでもあった。そして、ノノに語りかけた。
「ここ十数年のあいだに、世界を分かつ壁がくずれてきている。こいつはな、その割れ目のひとつに入りこんでしまった。それでこの世界に来た――」
「やめてくれ」
 男が、苦しげにさえぎった。
「私が、話す。だまっていてくれ」
 ドラゴンは口をとざし、静かにはばたきつづけた。彼がその場から動くことはなかったけれど、吹きつける風はますます強くなっていた。
「そう、私はこの世界に来てしまった」
 長いことだまってから、男はようやく、淡々と話しはじめた。娘の質問に、なんとか答えようとして。その口調は、ノノがつっかえながら話すのとそっくりだった。
「――おまえとお母さんを残して。私はいつもの狩の途中、空間の裂け目を通ってしまった。偶然ではない。それが、のがれられない運命だったらしい。……私が死んだと思っただろうね。それでもしかたがない。でも私は、決しておまえたちを見捨てたわけではなかった。私は懸命に、もとの世界に帰る方法をさがしたんだ。空間の裂け目を通ってしまったことを知ったのは、しばらくあとだったが……結局、それを見つけだすことは不可能だった。裂け目はたえず移動するし、あらわれるのも消えるのも、一瞬なのだからね。
 私はあの、クローバーの村に身を寄せた。覚えているだろう? 高い岩山がつきささったような村だ。あそこのおおきな穴は、そのとき寝床にしていたものだ」
 わずかに数日前だが、ノノには遠い昔のことのように思えた。何百というランプの灯に照らされた怪物の部屋、ぶ厚いほこりをかぶったテーブル……。
「世界を移動する方法なんてだれも知らなかった。だから私はおまえたちのことを思いながらも、そこでむだな毎日を過ごすしかなかったのだよ。だがそんなとき、闇の妖精の話をきいたんだ。村々をおそうおそろしい妖精らしかったが、そいつはとんでもなく長生きしているというじゃないか。私は思った。そんなやつなら、世界の境界を越えるすべを知っているんじゃないか、と。これはあとでわかったことだが、私の考えはまちがっていなかった。たしかに妖精のなかには、世界を移動できる者がいる。力のある魔法使いと同じように。
 私は闇の妖精に会いに行こうとした。だが、村人たちに止められた。危険すぎる、ばかげているとね。けれども私はきかなかった。そう、あのときのおまえのように……」
 ノノは、イップの部屋を飛び出したときのことを思いだした。そしてそのとき、イップが激怒していたことにも、ようやく気づいた。
「私の旅がはじまったのだよ。それは想像を絶するものだった。おまえはもうわかっているだろうね? あのとき、どうして私が、あんなに必死になっておまえを止めようとしたのか。
 私は何度も死にかけた。あの盲の谷にはじまり……いや、話してもしかたがないな。とにかく、私はあの妖精の住む、暗い森にたどりついたのだ。奇跡としか、いいようがなかった。執念の力、とでもいおうか」
 そういって彼は、きびしい表情をかすかにゆるめた。けれどもすぐ、その顔には険しさが戻った。
「私は森に乗りこみ、闇の妖精と会った」
 ノノは思わず身震いした。彼のはなつことばから、彼がそのとき感じた恐怖が、ありありと伝わってきたからだ……。
「自分がいかにおろかなことをしたのか、私はそのときまで気づかなかったんだ。あの妖精は、私をただの敵、いや獲物としか見なさなかった……やつにとって人間は、地面をはいずりまわる虫と、なんら変わりない存在だったのさ。話など、きいてくれるはずもなかった。私はすぐに逃げだした。闇の妖精は森から出ることができなかったが、怪物のほうはどこまでも追ってきた。私は力つきた。身体はうばわれた」
 ノノは、彼の姿を見た。ノノと同じように透きとおっていて、ぼんやりしていて、頼りなかった。
 それほどまでに家族のことを思い、みずからの危険をかえりみずに旅をつづけ、妖精のもとへ乗りこんだのだ。ノノは心があたたかくなるのを感じた。おどろき、そしてうれしさが、少女のなかにわきおこった。
 けれど、彼が話を進めるにつれ、しだいにその表情に暗い影がさしていくことにも気づいていた。朝日が正面から照らしているのにもかかわらず。彼は、とても苦しんでいるようだった。その暗い影がノノの心を乱し、とまどわせていた。ノノはまだ、その男に近づけないでいた。三歩と離れていないところに、こうしてむきあって座っているのに。彼の顔のおくにひそむなにかが、ノノを遠ざけていた。こばんでいた。だからノノのなかで、その男と父親はまだ、完全には重なっていなかった。目の前の彼と、父親の思い出とが、ぶれて二重に見えていた。
「私は死を覚悟した。だが、怪物の牙が私の魂をつらぬこうとした、まさにそのとき、このドラゴンがあらわれたんだ」
 そういって、男はおおきなうろこをなでた。
「そうだ、おれがたすけた」
 声がとどろいた。ノノはすっかりドラゴンのことを忘れていたから、その振動で思わず飛びあがった。
 男は、話をつづけた。「けれども私は、それ以上の手助けをこばんだ。たしかに私にはなにもなかったが……命だけはあった。もちろん、村に帰って安全に暮らすことも考えた。そのほうが良かったし、賢明だったな。けれどね……私はおろかにも、あきらめなかったのだよ。どうしても、おまえたちのもとに帰りたかったからだ。だから私は――」
「来るぞ」
 ドラゴンが声をあげた。男の顔色が変わった。
 ノノもあわててふりかえり、はっとした。
 前方、左にそびえる裸の山を背に、黒い霧がただよっているのが見えた。いや、それは霧ではなかった。それは何百匹もの、怪物の群れだったのだ。ゆっくりとうずをまきながら、まっすぐこちらにむかって飛んでくる。
「ぐずぐずしてはいられん。急げ、おまえたち」
 ドラゴンはそういうと、つばさをひとふりして旋回した。激しいゆれにノノたちは、うろこにしっかりとつかまっていなくてはならなかった。ドラゴンは怪物たちに背をむけると、力強く、鮮やかな青空のなかを飛びはじめた。
「急げ!」 と、とどろく大声でもう一度いった。
 ノノはふしぎに思った。自分たちが、なにを急ぐ必要があるのだろう? いったいなにをすればいいんだろう?
 男はまだ暗い顔をして、ノノにむかってつぶやいた。
「……こんなことを話せば、おまえはもう二度と、私を父とは呼んでくれないだろうね。だが、話さなければ。おまえと顔をあわせた以上、逃げるわけにはいかない……」
 ノノはうろこにつかまりながら、また男の顔をじっと見つめた。ノノはこわかった。
 いったいなんだろう? この人は、まだなにを隠しているんだろう?
 ごうごうと鳴る風のなかで、彼はいった。
「私はね、闇の妖精の下についたのだよ」

 ノノの口から、おどろきの声がもれた。それでもちゃんと理解するまでに、しばらくかかった。この人が、妖精の手下? まさか。イップが……? 自分のお父さんが……? もう、わけがわからなかった。
 男は投げやりにいった。
「私を軽蔑するだろうね? けれど、身体を取り戻すには、そうするしかなかったんだ。ほかに方法はなかったんだよ。首尾よく怪物の身体を手に入れ、妖精のもとにもぐりこんで、じっと機会をうかがっていた。何年も。そのあいだに私が、やつの手下のひとりとしてなにをしたか、わかるだろう……。おまえは怪物たちのすることを見てきただろう。村をおそい……人を殺し……ほら、今だって……」
 ノノは呆然としていた。男のはるかうしろには、まだ黒い霧がちらついていた。それどころか、おおきく、はっきりとしてきてさえいる。ノノのなかで、男と、イップと、怪物の群れが、少しずつ重なろうとしていた。
 彼が話すことばも、ノノにはほとんどきこえていなかった。
「――そんなときにあらわれたのが、おまえだ。私がどんなにおどろいたことか。ずいぶんおおきくなっていたが、すぐにわかった。片時も忘れたことはなかったのだから。おまえは、暗い森のまんなかで、半分眠ったような状態だった。それを、私が最初に見つけた。もちろん、おまえを守りたかったさ。だが仲間の怪物たちの手前、不自然な行動はできなかった。そんなことをすれば、正体がばれてしまう。それまでのことが全部パーだ。だから、私は――しかたなく――おまえの身体を――」
「うそだ!」
 ノノはさけんだ。信じたくなかった。
 わたしのお父さんは、そんな人じゃない。悪い妖精の仲間になったり、人を殺したり、わたしの身体をうばったりするような人じゃない。この人は、お父さんなんかじゃない。
 ノノのなかで、ピントがずれたようにぼけて二重になっていたものは、完全にふたつにわかれてしまった。
 本当のお父さんは、やさしくことばを教えてくれて、山でたくさん食べ物をとってきてくれて、毎日毎日、わたしのほおをなでてくれた人だ。こんなやつなんかじゃない――。
「きいてくれ――」
 男はいった。懇願していた。
「許してくれとはいわない。ただ、きいてほしい――」
「まずいぞ!」
 ドラゴンがさけんだ。その声だけで、ノノは吹き飛ばされてしまいそうだった。
「逃げきれない。追いつかれる……」
 ノノには、はっきりと見えた。ドラゴンの尾のむこう、霧のようだった怪物の群れは、もう一匹ずつ姿が見わけられるほど、近づいてきていた。ドラゴンは、ノノと男を乗せた状態では、それほど速く飛ぶことができなかったのだ。もし全力で飛んだとしたら、ふたりは耐えられずに吹き飛ばされてしまう。怪物との差は、みるみる縮まってきていた。無数の羽がはばたく気味の悪い音さえ、きこえてきそうだった。
 とてつもなくおおきな声が、空を震わせた。
「もう間にあわん! 空間を裂く! おまえたちを送ってやる!」
「なんだって?」
 男は立ちあがってさけんだ。
 ノノはドラゴンの大音響で、ほとんど耳がきこえなくなっていたが、それでも男のことばが、わずかに届いた。
「私たちに、空間を移動しろというのか? そんなことをすれば、身体のない私たちは粉々になってしまう! あなただって、知らないはずはないだろう――」
「いや、できる」
 ドラゴンは、きっぱりといった。「おたがいに強く結びついた魂なら、くだけることはない」
「どういう意味だ?」
 きしむような鳴き声が、はっきりときこえるまでになった。怪物たちの耳障りな羽音が、空気をとおして伝わってくる。
「魂は、ひとつではもろい」 ドラゴンはいった。「だがおまえたちのあいだに深いきずながあれば、ふたりで空間を渡ることができる。急げ!」
 それをきいて、男はノノを見た。
 ノノも見返した。憎しみのこもった目で。そんな目でだれかを見たことは、これまで一度もなかった。
「だめだ――」
 男は顔をそむけた。
「私は、もうこの子の親ではない。イップとなってこの子を世話しようと決めたとき、すべて捨てたんだ。きずなも、過去もなにもかも」
「たわごとを」
 ドラゴンははき捨てるようにいった。「親ではないだと? おまえは今までずっと、その娘のことをいちばんに考えてきただろうが! 傷ついたその子をかかえて、休むことなく走りつづけたのはだれだ? その子を守るために、丸一日ユニコーンを追いかけたのはだれだ? その子を命がけでかばったのはだれだ? その子を暗い森から救い出したのは、だれだ!」
「それは――」 男は口ごもった。
 ノノははっとした。
 暗い森で見た、もうひとりの自分。あのふしぎなぬくもり。あれは――。
「おまえだ!」 ドラゴンの声がとどろいた。
 男は微動だにしなかった。
「娘の身体に入りこみ、彼女の魂をこっそり逃がそうとしたのは、ほかでもないおまえだ! 娘をかばい、あいつの攻撃を受けて倒れたのはおまえだ!」
 ノノは口がきけなかった。近づいてくる怪物たちも、目に入らなかった。
『いっしょに来い! ここから逃げるんだ!』
 あの力強い声がよみがえる。もうひとりの自分は、この人だったんだ――。
「どうして……」
 ノノの声はかすれていた。
「それしか、おまえを救う方法はなかった」 彼はつぶやいた。「だが、失敗した。ドラゴンが来てくれなかったら、死んでいただろう。おまえの身体も、結局は妖精にうばわれてしまった」
 怪物たちは、ドラゴンの尾にかみつかんばかりに迫ってきていた。飢えた眼をぎらつかせ、汚い牙をがちがち鳴らして。一匹が、ドラゴンに飛びうつった。そしてまた一匹……。
 けれどもふたりは、じっと見つめあっていた。ノノの澄んだ黒い目に、もう、憎しみはなかった。
「お父さん」
 少女は、ちいさな声で呼びかけた。
 男は目をまるくして、棒のように突っ立っていた。そして、ささやいた。
「私を、許してくれるのか?」
「ううん」
 ノノは首を横にふった……。
「でも、あなたはわたしのお父さんだよ」
 ドラゴンのひたいが裂け、ノノの座っているあたりから、まばゆい光があふれでてきた。ノノはおどろいて立ちあがり、足元を見つめた。銅色のうろこが、みるみるうちに黄金の光に変わってゆく。
 突如としてはなたれた光に、怪物たちはおびえ、しりぞいた。何匹かはドラゴンからころげ落ち、見えなくなった。
「さあ、行け」
 光のなかから、声がとどろいた。「道は、おれのなかにある」
「行こう」
 ノノの父親が、手を差しのべた。ノノはその手をにぎろうとしたが、うつむいて、ドラゴンに呼びかけた。
「ひとつだけ、いい?」
「ああ」 声がこたえた。
「湖のちいさな妖精たち……あれはなんだったの? 闇の妖精ではないの?」
「闇の妖精も、昔はあんなふうにちいさかったのだろう。生まれたときから闇の妖精だったが、善も悪も知らなかったはずだ。もっとも、やつが生まれたのは世界の終末よりも前……おれにはなにもわからないがな」
「そう。ありがとう」 ノノはいった。
「あなたは大丈夫? 怪物たちがまだ――」
「心配にはおよばん」 おおきな声が返ってきた。「おれはドラゴンだぞ。さあ、さっさと行け」
「うん」
 そしてノノは、父親の手をとった。
 とてもあたたかかった。
 父は、ノノをしっかりと抱きしめた。あのぬくもりが、ノノを満たした。
 ふたりは、見えないきずなでしっかりと結びついた。もう、決して離れない。まばゆい光のなかへ、ゆっくりとおりていく。なにも見えなくなった。けれども、ぬくもりはそのままだった。
 ノノはつぶやいた。「どこへ行くの?」
 やさしい声だけがきこえた。
「暗い森だよ」
 ノノは、よりいっそう、しっかりと抱きついた。
 この人といっしょなら、なにも心配することなんかない。たとえ相手が、不死身の妖精でも。



   9  声も思いも届かない


 父親は、ノノをそっとおろした。音はまったくしなかった。むき出しの土は、石のように硬かったのに。
 ノノは、父親の体が離れ、ぬくもりが消えるのを感じた。それでも見えないきずなは、しっかりとつながっていた。ふりかえって父を見る。彼は深いよろこびと悲しみのまじった表情で、かすかにほほえみ、うなずいた。引き締まった顔立ちに硬そうな髪、そしてやさしい目は、半透明であっても、ノノの心をほぐし、ほっとさせた。
 そこは、あの森だった。とても暗く、真っ黒な木々がそこらじゅうに立ち並び、おそろしいうめき声をあげている。それなのに、紫色の葉はそよとも動かない。黒い霧がかかったようで、先はほとんど見とおせない。あのときとまったく同じ――ただひとつちがうのは、うしろからかすかな、ほんのかすかな光が、ぼんやりと差しこんできていることだった。あたたかな太陽は懸命に森に入りこもうとしているけれど、葉のすきまからもれる光は、それ以上進むことができなかった。ただ、星のように、遠くできらめいているだけだった。
「ここはまだ、森の入り口に近い」
 あたりを見まわしながら、ノノの父は静かにいった。
「妖精は、もっとずっとおくにいる」
 だが、彼は真っ暗な森のおくを見やったまま、歩きだそうとはしなかった。ノノも動かなかった。理由は明らかだった。妖精がこの先にいる。ノノや父、さらには風の世界じゅうの生き物の身体をうばった「闇の妖精」が、この先にいる。どうして、ためらわずにいられるだろうか。
「怪物は、もうここにはいないはずだ。だが、気をつけるんだ。危なくなったら、すぐに逃げろ」
 父はぎこちなくいった。
 彼らはなかなか、一歩がふみだせなかった。ひどく空気がねばついているような気がして、進みたくても進めなかった。まわりの黒い木々が、突然おそいかかってくるような気さえした。それほど、ねじまがった木は、まるで生き物のように生々しく、そして不気味だったのだ。
 ノノはぽつりといった。「どうすれば、身体を取り戻せるの?」
「妖精を倒すんだ」
「どうやって――」
 そのときだった。森のおくの暗がりに、ちいさな光が見えた。父はすばやく前にふみだし、ノノもそのうしろで、とっさに身構えた。
 それは本当にちいさな、白くてまるい光だった。ノノはそれを見て、湖の底で見た妖精たちの光を思いだした。よく似ている。けれども、今ふわふわとただよっている光は、それらよりはるかに弱々しく、ちいさかった。イップのろうそくの灯のようで、森の闇にのみこまれてしまいそうなほど、透きとおっていた。
 光はちょうど、ノノの目の高さのあたりに浮かび、ゆっくり近づいてきた。
「なんだ?」 ノノの父は、困惑したようにつぶやいた。「この森で、こんなものは見たことがない……気をつけろ」
 けれど、ノノはもう、光にむかって歩いていた。受けとめてあげなければいけない、そう思えるほど、光はかよわかったから。今にも、消えてしまいそうだったから。
「おい……」
 父が心配そうに呼び、あとにつづこうとしたけれど、ノノは歩調をゆるめなかった。
 ノノがそっと差しのべた両手に、光はふわりと乗った。少女の手にすっぽりと包まれてしまうくらい、ちいさかった。あたたかくも冷たくもなく、もちろん重さも感じない。ノノは、じっと見つめた。
 光のなかから、ちいさなだれかが見つめ返していた。
 妖精――ノノはそう思った。でも、湖の妖精とは、ずいぶんちがう。彼女たちは明るくて元気な女性だったけれど、目の前にいるのは、ノノと同じくらいの少女……それに、もっとぼんやりとしていた。
「あなたはだれ?」 ノノはそっときいた。
 白い光のなかの妖精は、なにか必死にうったえようとしているようだった。けれど、声はまったくきこえてこない。その幼い顔は、悲しみに満ちていた。
 この子は、とってもつらいんだ。
 ノノは、さらに顔を近づけた。妖精は、声のかぎりにさけんでいた。やっとかすかな音が耳に届いたけれど、ことばはききとれなかった。
「なあに? なにをいおうとしてるの?」
 ノノも必死になって、声をきこうとした。けれど、だめだった。
「どうしたの? どうしたの――?」
 そこで、はっと口をつぐんだ。ノノが声を出すだけで、光は弱々しくゆれ、消えそうになっていたのだ。今や光は光でなくて、煙のようだった。
 ノノは話しかけるのをやめて、一心に妖精を見つめ、かすかな声に耳をかたむけた。ちいさな妖精は苦しそうにあえぎ、それでもさけびつづけながら、散るように消えた。
 しばらくのあいだ、ノノはからっぽになった手を見つめたまま、だまりこんでいた。
 父がとなりに立って、顔をのぞきこんできた。「大丈夫か?」
「うん」
 ノノはうなずいた。「今のが、闇の妖精なのかな」
「いや」 父はいった。「闇の妖精はもっとおおきいし、もっとおそろしい。今の妖精は、どこかから迷いこんできたのだろう。この森の空気にたえられず、死んでしまったようだ。かわいそうに」
 ノノはたずねた。
「どうすれば、闇の妖精を倒せるの?」
 父はちょっとためらったあと、答えた。
「やつの身体と魂を、引き裂くんだ。やつが今まで、ありとあらゆる生き物に対してしてきたように……」
 そういって、彼はノノから少し離れ、一本の木の前に立った。黒い幹は大人の胴ほどの太さで、ぐにゃぐにゃ曲がっていて、気味の悪いしわがきざまれている。彼はそれに手を当てて、つかみ、一気に引っぱった――枝が何本もちぎれるような、身の毛のよだつ音がした。黒々としていた幹は、紫だった葉は、半透明になった。
「これが、やつが私に与えた、いまわしい闇の術だ」
 彼は自分の手のなかを見つめ、いった。人の頭ぐらいのおおきさの黒いかたまりが、その手ににぎられていた。
「この術で、今度はあの妖精自身が死ぬことになる。やつにふさわしい最期だ。ようやくやつは痛みを知り、行くべき場所へ、土のなかにかえる。そして私は、ようやくこの術とおさらばできる……」
 彼は話しながら、黒いかたまりを半透明の木に押しこんだ。そこから、まるで水面に絵の具がひろがるように、少しずつ色が戻り、質感が戻り、木はもとの姿を取り戻した。
「樹木の身体は弱すぎて、やつは取りこむことができないんだ。だが結局、人や動物をおそう際に、焼き尽くされることになる。……身勝手だろう、やつらは?」
 彼は、娘のほうへ顔をむけることができなかった。彼は苦しんでいた。この術が、今まで何人もの人間を殺してきたのだ。そして、ずっと想いつづけたわが子の身体さえも、うばってしまったのだ。ノノのほうは、そんな父の姿を、おぞましい怪物たちと重ねあわせないではいられなかった。恐怖と怒りと悲しみを目に浮かべ、うなだれる男をじっと見つめていた。これから先も、決して彼を許すことはないだろう。
 それでも、信頼のほうがおおきかった。きずなのほうが強かった。
「勝てるよね」 ノノはいった。
「もちろんだ」
 父親は力強くいって、ノノのそばに戻ってきた。
「さあ、行こうか――」
「本当にそうかね?」
 どこからか、奇妙な声がした。
 ノノも彼女の父も、はっとして顔をむけた。そこに、なにかがいた。もやもやした、黒っぽい影だ。それほど離れてはいない。木の四、五本むこう。
 そのなにかはいった。まるで、洞窟のおく深くからきこえてくるような声だった。
「おまえは知っているはずだ。その術では、妖精に勝つことはできない。ばかな怪物どもの反逆を、何度も見ているはずだ……すべて失敗に終わっただろう?」
「気をつけろ」
 父親は激しい口調でいって、ノノをわきへ押しやった。
「妖精なの?」
「いや、ちがう」 父はするどい目を、その影にむけた。
「おまえだな?」 彼はそれにむかっていった。「私がこの子を連れて、この森から逃げるとき……おそってきたのは、おまえだな?」
 ノノの脳裏に、あの光景がよみがえる。もうひとりの自分にうでを引かれ、走っていたとき。突如目の前にあらわれ、黒い閃光をはなった、形すら持たない「なにか」――。
 影は答えなかった。
 ノノの父が、それをにらみつけながらいった。
「いったい何者だ? 身体を持っていないようだが、かといって魂でもないし、実体もない。おまえはだれだ? 人間なのか?」
 その影は、すべるように歩いてきた。はじめは輪郭もはっきりしなかったが、近づくにつれて、人間の男――若者の姿になった。背が高く、ととのった顔立ちではあるけれど、口はゆがみ、目は意地悪く光っていた。
「やあ、やあ」 その男はうすら笑いを浮かべ、いった。頭に巻いた汚いバンダナに、肩までのびるもつれた髪。身なりはみすぼらしく、まるでぼろきれでできているような衣服をまとっている。
「あんたは、あの太ったヤモリだろう? ひさしぶりだな。なにをおどろいている。おれはなんでも知っているんだぜ」
 ノノの父はただ呆然として、微動だにしなかった。
「なぜ私のことを……。おまえはだれだ?」 彼はまたいった。
「おれがだれかって? そこのお嬢さんにきいてみるといいさ」
「なんだと?」
 父は、ノノのほうをむいた。ノノは困惑して、若者の顔を見た。いったいどういうことだろう? わからない。声は、どこかできいたような気がするけれど……。
「この人――」
 ノノは急に思い当たって、声をあげた。その目は、おどろきで見ひらかれている。
「村にいた……白い木の村に……」
 そうだ。魔法使いが、村の少女の病気を治したとき。突然口をはさんできたのは、この人だ。そのときは姿はよく見えなかったけれど、この、人をばかにしたような口調は、まちがえようがない。
「あの村に?」 ノノの父は、怪訝そうな顔をした。そしてすぐに、はっとして若者のほうを見た。
「妖精にあの村を売ったのは、おまえなのか? おまえが場所を教えたのか?」
 男はにやりとした。なにもいわずに。
 ノノは身震いした。まちがいない。この男のしわざだったんだ――。
 激しい口調で、ノノの父がいった。
「おまえは人間だろう? ならどうして、妖精の味方をしているんだ?」
「おやおや、自分のことを棚にあげて」
 若者はねちっこくいって、あざ笑った。ノノの父は、だまりこんだ。
「そうじゃないか、え? 怪物のイップよ。あんたにおれが責められるか? 今まで大勢の人間を殺してきたくせに。おれが村をひとつ売ったぐらいがなんだ。それにあんた、あの村に怪物たちが押し寄せたときのことを覚えてるか? あんたは怪物の皮をかぶっていておそわれる心配がないのをいいことに、まっ先にしっぽを巻いて逃げだした! 村人をたすけようともせずに。結局は自分がかわいいんだろう? そうだろう?」
 ノノの父は頭をかかえ、地面にくずおれた。半透明の体が、いっそうぼんやりとしてきていた。ノノは父のもとに駆け寄り、その体をささえた。おどろくほど軽かった。彼はまるで悪夢でも見ているかのように、うめき、うなされ、苦しんでいた。
「やめろ!」
 ノノはさけんだ。若者はまったく動じず、ますます嫌なにやにや笑いを浮かべた。
 ようやくわかった。こいつが、何者なのか。
 男はノノを見つめ――ゆっくりと口をひらいた。
「おまえは、しあわせになりたいだろう?」
 あの声だ。暗闇のなか、甘いことばで語りかけてきた声だ。
 けれど、もうまどわされなかった。ノノは勢いよく立ちあがり、男にむかって突進した――が、なんの抵抗もなくその体をつきぬけ、硬い地面にぶつかってしまった。
 若者はけたたましく笑いだした。ぞっとするような笑い声だった。彼はふたたび影となって散り、消えた。声は何度も何度も見えない壁をはねかえって鳴りひびき、いつまでもやまなかった……。
 影がまた集まり、男はもとの姿に戻った。あざ笑うようにゆがんだ口もとも、意地悪く光る目も、まったく同じだった。
 ノノはあとずさりした。殺される。そう感じた。そのときあたたかいうでが、ノノをうしろから抱きかかえた。
「ありがとう」
 父だった。ノノのおかげで、男の呪縛から解きはなたれたのだ。
「おまえは、ゼロメアだな?」 彼は震える声でいった。
 暗い森のなかに立つ若者の姿は、この上もなく不気味だった。そして、この上もなくおそろしかった。若々しい顔の影に、深い狂気が秘められていた。ノノと、その父は身を寄せあい、そのおそるべき敵から、おたがいを守ろうとしていた。
 だが、その男と対峙するには、ふたりの力はあまりにちいさすぎた。彼らはじっとしたまま、しばらく動かなかった。動けなかった。
 若者はおもしろそうにいった。
「そうそう、思いだした。おれはゼロメアだ。だれがつけた名か知らないが、そう呼ばれている。盲の谷のゼロメアだよ!」
 ノノは身震いした。何百年も前に死んだはずの男、史上最凶の魔法使いが、今、目の前にいるのだ。
 ノノの父親も同じようにおそれおののきながら、こういった。
「ゼロメアよ……どうして死んだはずの人間が、そんなふうに肉体を持っているんだ?」
 若者は、不敵な笑みを浮かべた。
「おれは死んでなんかいないんだ。力をうしなって、ずっとあの谷で眠っていただけさ」
「眠っていた?」
「そう。長いあいだ暗闇のなかでしばりつけられ、封じこめられていたんだ。だがおれは、人間の魂をえさにして、少しずつ力を取り戻していった。何百年もかけてな。身体がほろびても、意識のようなものだけは残り、一部は谷から抜けだせるようになった。それが今の、あんたたちと話しているおれというわけさ。残りのおれはまだ、あの暗闇のなかでさまよっているんだがね」
 ノノは、盲の谷で、ふくらみながら近づいてきた影を思いだした。あれは、ゼロメアの片割れだったのだ。いやそれとも、ここにいるゼロメアだろうか? ノノにはわからなかったが、どちらでも同じことだった。結局はただひとり、一心同体なのだから。
「だが、ゼロメア」
 ノノの父は、またいった。慎重に、この風変わりな男のねらいをさぐろうとしていた。
「おまえほどの男が、どうして闇の妖精なんかの下についている?」
「おれがあの妖精の手下だって? ばかをいうな。あいつは、おれの操り人形にすぎない」
「なに?」
 ノノもおどろいて、ゼロメアの顔を見やった。不気味な笑いが、まだはりついていた。
「あいつは死の世界がほろぼされたとき、唯一生き残った黒エルフなのさ。先頭に立ってやつらを殺したのは、風の精霊だ。だからあの妖精は、今でもあの女に相当の恨みを持っている。とっくに死んでいてもおかしくないのに、その恨みだけで生きながらえてきた。なんと世界のはじまりから! ご苦労なことだ」
「そんなに昔から……」 ノノはつぶやいた。
「おれが見つけたときには、あいつはもう死にかけだった。そこでおれは、少しばかり力を与えてやった。そして助言したんだ。この世界のすべての生き物の身体を取り込めば、永久に生きつづけられる、と。しかもこの風の世界もほろび、憎き風の精霊に復讐することができる、と――」
「じゃあ――」 ノノがいった。体ががたがたと震え、止められなかった。「あなたなの? 全部、あなたがたくらんだことなの?」
「そうさ」
 男は平然として、にやりと笑った。
「どうして?」
 ノノは泣きそうになっていた。「どうしてそんなことをするの? もうやめて……もう殺さないで。妖精に、あんなひどいことをさせないで――」
 頭のなかで、さまざまな記憶が爆発する。村をおそおうと飛んでいく、妖精の手下たち。ユニコーンの森で、身体をうばわれて死んだ人。ドラゴンに迫り来る怪物の群れ。そして――。
「闇の妖精は老いぼれて、もう理性なんか残っていない。おれの思いどおりに動く人形さ。だが、それのどこが悪い? おれは、あいつの望みをかなえてやってるんだぜ?」
 ノノは口を固くむすび、ゼロメアを見あげ、憎しみをこめてにらんだ。
「そうこわい顔をするな、お嬢さん。きみの魂は格別だったぞ。少しかじっただけで、おれはふたたび、こうして肉体を得るまでになったんだ。きみのおかげさ。すべてがうまくいっている。ここに来る途中、怪物たちを見かけたかね? 最後の遠征に行ったんだ。もうすぐ、この世界に生き物はいなくなる」
「ドラゴンも?」
 ノノの頭に、おそろしい考えが浮かんだ。怪物におそわれ、苦痛にさけびながら落ちてゆくドラゴン……。
「当然だ」
 ノノは、またゼロメアに飛びかかろうとした。許せない。許せない。許せない!
 だが、父がすさまじい力で止めた。「やめろ――」
「はなせ!」 ノノはさけんだ。必死にもがいた。けれど、父ははなしてくれなかった。
「やめろ、むだだ……! それに、今度はなにをされるかわからない……相手はゼロメアだぞ!」
「おう、かかってくるがいいさ。どうやって戦う? 競走でもするかね?」
 ゼロメアはふたりにかまわず、しゃべりつづけた。
「そろそろ終わるころだろうな、なにもかも。だれも生き残らない。この世界も、風の精霊とともにほろぶだろう。その証拠に、世界の境界はますます崩れつつある――」
 ノノは顔をあげた。幼い顔が、激しい怒りに燃えていた。
 こいつが悪いんだ。
 お父さんがこの世界に来てしまったのも。そのせいでお母さんが死んでしまったのも。自分がなにも知らずに生きてきたのも。妖精がよこしまな考えを持つのも、怪物が村をおそうのも、人が死ぬのも、森が焼かれるのも、あんなにつらい冒険をしなきゃならなかったのも、お父さんとのきずなが断ち切れそうになったのも、全部、こいつが悪いんだ。
 ノノは、その怒りをぶつけたかった。けれども父のうでは、いくらふりほどこうとしても、ノノをおさえつけて離さなかった。
 彼は息を切らしながら、ゼロメアにむかって、いった。
「おまえの――目的は、なんだ?」
「この世界をほろぼすことだ」
「それがなんになる?」
「さあな」
 ノノの父親の我慢も、もはや限界だった。
「私たちをさんざんからかって、いったいどういうつもりだ?」 彼はさけんだ。「殺したいなら、さっさと殺せばいいだろう!」
「からかっている?」 ゼロメアはきょとんとした。
「そんなことはない。せっかくこうして、わざわざあいさつに来たのに、そのいいかたは失礼じゃないかね。いいか、あんたたちはおれをおそれているようだが、おれだってあんたたちをおそれているんだぜ」
「もううんざりだ。おまえの冗談など、ききたくもない」
 ゼロメアは、ますます気味悪く笑った。
「普通の人間の魂が、自分の身体から離れて、どれだけ生きていられると思う?」
「なんだと……」
「何年も生きていられると思うか? たとえば、あんたのように? むりだ。
 おれが食いきれないほどの魂を持った人間が、これまでにいたか? たとえばあんたや、あんたの娘のように? いない!」
 男の目は、いっそう意地悪く光った。ノノたちは、一瞬だけ顔を見合わせた。
「あんたたちは、普通の人間とはちがうのさ。わずかなちがいだがね」
「どういうことだ?」 ノノの父は、まゆをひそめた。
「おれの知ったことか。まあせいぜい、命を大切にするんだな」
 そういって、ゼロメアは彼らに背をむけた。
「なぜなにもしない?」
 ノノの父は、おどろいていった。「私たちは、妖精を殺そうとしているのだぞ。おまえにとっても敵だろう? 見のがすのか?」
「もう、あいつは用済みなんでね」
 ゼロメアは面倒くさそうにふりかえって、それから思いだしたようにつけくわえた。「ああ、もし生きたいと思うのなら、『風の果て』からこの世界を脱出することだな。いつかまた会おう。気がむいたら、おれのところに来るといい。おれの仕事を手伝ってくれるとうれしいね……」
 いい終わらないうちに、男の姿は遠ざかっていった。
「だれが!」
 ノノが怒り狂ってさけぶと、彼はまた声をあげて笑った。その姿は、だんだんとぼやけていった。
「待て!」
 ノノは追おうとしたけれど、父親のうでをふりほどくことはできなかった。
「やめろ――あいつにはかなわない――」
 ゼロメアは不気味な笑い声を残したまま、暗い空気のなかへ消えていった。そしてすぐ、あたりを静寂が支配した。
 ノノはぐったりと横たわった。あらゆる感情が心のなかでうずまき、はじけ、ぶつかりあって、やがてしぼんだ。
「どうして?」 顔だけを父にむけて、ささやいた。
「こんなの、おかしいよ」
 父はだまっていた。
「どうして、なにもできないの?」
 しゃがみこんでノノの体をゆっくり起こすと、父親はそのほおにやさしくふれた。そして、娘の顔をまっすぐに見て、淡々といった。
「こんなこともある」
 黒い木々はなにもいわず、星のように見え隠れしていた太陽の光も、いつしか姿を消していた。
「生きていれば、理不尽なことなんていくらでもある」
 彼の目は、苦しみに満ちていた。
「どうしようもできないことが、この世にはあるんだ。たとえ自分が正しくて、相手がまちがっていると思ったとしても、勝てるとは限らないし、こちらがつらい思いをしなきゃいけないことだってある。そういうものなんだ」
「そうなの?」
 地面が、とても冷たく感じる。てのひらから、なにかが逃げていく。自分は、なにもできない。
「そうだよ。子どもには、まだわからないだろうがね」
 父がいったことばが、ノノにはなんだか、とても嫌だった。
「ううん、わかる。わたしもう、子どもじゃないから」
 ノノの父はゆっくりと首を横にふると、立ちあがり、暗い森のおくに目をむけた。先はほとんど見えなかった。
「私たちが今やらなければいけないことは、妖精に会って、自分の身体を取り戻すことだ。迷ってはいけない。最初から、そう決めていたんだろう?」
「でも」 ノノは、ゼロメアがはじめにいったことを思いだしていた。
「妖精を倒すことは、できないんでしょ?」
「やってみなくちゃ、わからんよ」
 ノノはうなずくと、立ちあがった。ほおにはまだ、父の手のぬくもりが残っている。
「全部終わったら、またいっしょに暮らそう」
 父はいった。ノノはもう一度、うなずいた。




   10  もやのむこう


 ひとあしごとに、森は暗く、ひっそりと静まりかえっていった。ユニコーンの森も静かだったけれど、とても比べ物にならない。もう、木々のうなり声もきこえなかった。彼らはじっと、ふたりの人間を見えない目で追うだけだった。硬い土の上を歩く足音さえ、闇のなかへ消えていくようだ。
 ふたりは並んで歩きながら、ひとこともしゃべらなかった。森の空気にのまれていたわけではない。むしろ、心はいっそう激しく燃えあがっていた。今までにない強い感情が、ふたりをむすびつけていた。
 ノノにはわかっていた。ことばなんかいらない。ことばなんかなくても、ちゃんとつながっている。ちゃんと通じあえる。だまっているからこそ、きずなは深まる。口をひらけば、なにもかもこわれてしまう、そんな気さえした。父親は、話すことと――話さないことを教えてくれた。ノノはじっと前を見すえたまま、一歩一歩、しっかりと歩いていた。
 森は徐々に姿を変え、黒い木がより密集して立ち並ぶようになり、息苦しさも増した。やがて歩くのもむずかしいほど、木々の間隔はせまくなり、侵入者をはばむように、ものもいわず立ちふさがるようになった。それでもノノは、父親のとなりを歩こうとした。ふたりは苦労しながらも、少しずつ、せまいすきまをくぐりぬけていった。
 ついに、行き止まりになった。太い木々が壁のように立ち並び、それ以上は進めそうになかった。
 ノノは父親を見あげた。せま苦しい空間で、ふたりはぴったりと身を寄せあっていた。
「ここだ」 父親は静かにいった。
 ノノはほんの少し、息がつまった。
「ここにいるの?」 と、ささやいた。
「そう、このむこうが森の最奥……闇の妖精のすみかだ。そして、そこでこの世界は終わっている」
「世界の『果て』なの?」
「おそらくな。さあ……」
 彼はほんの少しのあいだ、ノノを抱きしめた。
「ついてくるんだ。やつに気づかれないよう、静かに」
 父親は木の壁に片手をあてると、そのまま、それに沿って移動しはじめた。ノノは、父親のうしろを歩かなければならなかった。
 彼は慎重に、音をたてないようにしながら進んだ。ごつごつした壁はまっすぐ、ときに曲がりくねりながら、どこまでもつづいているようだった。突然、父親はささやいた。
「あった」
 ノノが見てみると、そこにだけ、木と木のあいだに細いすきまがあった。
「妖精は、いつもここから出入りしていたはずだ。最近はほとんど姿を見せていなかったが……」
 ノノの父はそういいながら、ちらりとすきまのなかをのぞき見た。すぐに頭を引っこめる。もう一度。それを何度かくりかえしてから、
「いない」 とつぶやいた。
「もっとおくにいるのだろう」
 彼は入り口のおおきさを確かめるように、木のふちを手でなぞっていった。けれども、どうやら彼が通りぬけるには、幅がせますぎるようだった。ためしに体を押しこんでみたが、むだだった。
 ノノの父は少しうろたえ、ぶつぶつとつぶやいた。
「広げることはできるだろうか……いや、どうだろう……あるいは木の身体をぬきとれば……」
 彼は木の幹を手の甲でたたき、硬さをしらべた。黒くいびつな形の幹は、まるで鋼鉄のようだった。
「だめだ」 そういって、ノノの顔を見た。その声と表情には、今度ははっきりと、困惑の表情が浮かんでいた。
「私たちだって、魂だけの存在だ……たとえ身体をぬきとったとしても、こんなおおきな物を壊す力なんかない。私たちでは、入れない。いったいどうすればいいんだ?」
 ノノはいった。
「わたしなら、入れるよ」
 たしかにそうだった。妖精の通り道は、子どもがぎりぎり通れるくらいの幅があった。だがそのすきまに入りこもうとしたノノを、父親がうでを乱暴につかみ、引き戻した。
「だめだ! おまえひとりでは、危険すぎる……」
「でも――」
「だめといったらだめだ。わたしたちが入れないのなら、やつのほうから出てきてもらえばいい。呼ぶぞ。いいか?」
 ノノはうなずいた。どくんと、心臓がはねるような気がした。ノノの身体が、どこかで、ノノの心の動きを感じとっているのだろうか?
 父親もうなずき、じっとすきまのむこうを見すえ――ノノには、そのなかは見えなかった――そしてさけんだ。
「出てこい、闇の妖精! うばわれた身体を、取り戻しに来たぞ!」
 その堂々とした声は暗い森にひびきわたったが、やがてまわりに立つ黒い木々や、どんよりした空気のなかに吸いこまれていった。
 ふたりは待った。けれども、いつまでたっても、反応はなかった。森はひっそりとしたままだった。ノノの父はもう一度呼んだが、結果は同じだった。声がむなしくひびくだけだった。
「わたしが行く」
 ノノが静かに、はっきりといった。
「だめといっているだろう!」 父は激しい口調でいった。「これはわなかもしれない……妖精がどこかに隠れていないともかぎらないんだぞ! 今もすぐ近くで、私たちの様子をうかがっているかもしれないんだ」
「でも――」
 ノノはいいかけて、口をつぐんだ。そして、父親の顔をじっと見つめた。
 まちがっているだろうか? ノノは思った。わたしは今度も、まちがっているのだろうか?
 父はきびしい顔をして、だまっていた。
「じゃあ、どうすればいいの?」 ノノはつぶやいた。
 このままここでじっとしていても、妖精には会えないよ。このままここにいても、なにもできないよ。身体を取り戻すんでしょ? そのために来たんでしょ?
 父は無言で、ノノの手をにぎった。しぼりだすように、こういった。
「私は……おまえに死んでほしくないのだよ」
「死なないよ」
 ノノは、かすかに口の端を持ちあげた。
「お父さんといっしょだから」
 ふたりは、しっかりと手をにぎりあった。とてもあたたかかった。父と手をつないだまま、ノノは、木と木のすきまをくぐりぬけた。

 そのなかは、少し様子がちがっていた。木々はいくらか間隔をあけて立っていたし、その一本一本が、見たこともないくらい高かった。見あげてみても頭上は暗く、しげっているはずの葉はまったく見えなかった。
 ノノは、とてつもなく天井の高い、広々とした部屋にいるような気がした。あたりをゆっくり見まわしたが、妖精の姿はどこにもなかった。先は、やはり暗くて見とおせなかった。
「もっと行ってみる」
 ノノはいった。父の手の力が強くなり、ぎゅっとにぎられたけれど、すぐにゆるまった。ノノは、そっと手をふりほどいた。父はなにもいわなかった。
 ゆっくりと歩きだす。数歩進んではふりかえり、父親がちゃんと見守ってくれているか、たしかめながら。そのたびに彼は木のむこうで、うなずいた。
 ジグザグに歩きながら、たえずまわりに目を走らせる。立ちどまって、耳もすます。なにも見えない。なにもきこえない。黒い木々に枝はないけれど、幹が妙な形にはりだしている。その影になにかが潜んでいるのだろうか。ノノにはわからなかった。
「上だ!」
 父の声に、ノノははっとして顔をあげた。
 暗い闇を背景に、なにかが落ちてきた。ゆっくり、ゆっくりと。
「もどれ!」
 ノノは動けなかった。落ちてくるそれに、目が釘づけになっていた。ちいさな人間――いや、妖精だ。たしかに、今まで見た妖精よりずっとおおきい。それでも、ノノの背丈の半分もない……。
 森は暗く、姿をはっきりととらえることはできない。だが目と鼻の先まで迫ったとき、ノノは見た。
 みにくくゆがんだ、表情のない顔。ノノを見つめる、生き物とはかけ離れた顔――。
 ノノははじかれたように駆けだした。自分を必死に呼んでいる、父の声めざして。木々が行く手をはばむ。背後でにぶい音がきこえた。そしてしゅっというかすかな羽音とともに、それはものすごい勢いで迫ってきた。
 木のすきまから、父がうでを差しのべ、さけんでいた。ことばもきこえない。ノノはもう無我夢中で、そのうでのなかに飛びこんだ。
 父がノノの体を抱きとめるのと、闇の妖精がノノの服をつかむのとは、まったく同時だった。
「あっ……」
 ノノはふりむいた。妖精は、ちいさな体からは想像もできないほどすさまじい力で、獲物を引っぱっていた。光に包まれてはいない。薄い羽のはえた、赤紫色の生々しい体。もつれた長い髪。肌は、たえずぽこぽこと波うっている――。
 ノノの父親も、負けてはいなかった。娘の背中に片うでをまわし、さらに引き寄せると、あいたほうの手を妖精に押しあてた。
 彼は、力のかぎり、その身体を引きちぎった。
 なにかがはじけるように、バチンとおおきな音がした。彼は手に、黒いかたまりをつかんでいた。だがそれは、妖精がその身に取りこんだ、何万という身体のひとつにすぎなかった。妖精は気にするふうもなく、今度は石像のような顔を、ノノの父にむけた。
「こいつめ……」
 彼は何度も、かつての主人の身体をうばおうとした。まさに、その妖精からあたえられた力で。だが、むだだった。黒いかたまりをいくら引きはがされても、妖精は平然としていた。
 彼女――闇の妖精は、やはり女性に見えた――はノノをはなし、父親の鼻先にちいさな手を持っていった。
 ノノの父の顔は、恐怖に引きつっていた。目の前にいるのは、彼が何年もつかえていた主人。圧倒的な力で怪物たちをしたがえた帝王。この世のはじまりから生きながらえている、ばけもの。ゼロメアに利用されたあわれな妖精を、そこに見いだすことはできなかった。彼や娘や、生きる者たちの身体をうばいつくし、そして風の世界を破滅にみちびく、悪魔の化身でしかなかった。
 巨木が根元からかたむき、倒れ、すさまじい音とともに、黒い土煙がまきおこった。ノノは目が見えなくなった。ノノを抱きしめていた、父親の感覚が消えた。いったいどうなったのだろう? 妖精はなにをしたのだろう? お父さんは――?
 煙がおさまったとき、折れた木のむこうに、父の姿はなかった。
「お父さ――」
 地震のような衝撃とともに、土がまたはねあがった。ノノは横っ飛びにころがって、なんとか妖精のこぶしをよけた。
 もうもうと立ちのぼる煙のなかに、妖精が立っていた。巨大にふくれた体が、しゅるしゅるともとのおおきさに戻るところだった。
 彼女はとてもちいさく、弱々しく見えた。それなのに、その顔はみにくく、おそろしかった。まるで仮面のようで、生きているとは到底思えなかった……。
 ノノと妖精は、ほんのしばらくのあいだ、見つめあった。
「返して」
 ノノがいった。
「わたしたちの身体を、返して!」
 ――おまえがさがしているのは、これだろう?
 声なき声がきこえた。ノノはおどろいて妖精を見た。闇の妖精の体は今、沸騰でもしているみたいにわきあがり、あぶくがあらわれては消え、徐々にその姿を変えていった。
 そこにいたのは、ノノだった。
「これを取り戻しにきたんだろう?」
 ノノの身体が、ノノの声でいった。
 父親が入っていたときのぬくもりもなければ、力強さもない。それは生身の身体ではなく、人形にすぎなかった。
 待ってて。今、いくから。
 ノノの魂に、迷いはなかった。いきなり走りだすと、自分の身体にむかって飛びこんだ。
 どちらがただいまと抱きしめ、どちらがおかえりと迎えたのだろう。身体と魂は磁石のようにくっつき、そして溶けあった。ノノは本当のノノになった。自分を抱きしめる。しっかりとして、強くて、あたたかかった。
 その瞬間、妖精の魂ははじきだされ、同時にかぞえきれないほどの黒いかたまりが、四方八方に吹き飛んだ。だが、もはや出会うべき魂のない身体たちは、またたく間に霧となって消えていった。
 器をうしなった妖精は、目にもとまらぬ速さで、次々とまわりの木々に乗り移ってゆく。木々は腐り、死んでゆく。激しく森が震えた。黒い巨木たちが悲鳴をあげた。
「もどれ!」
 ノノのうしろで、声がした。見ると、男が倒れた木をどけようとしながら、さけんでいた。彼は生きていた。身体も戻っていた。
 けれどもノノは、その場にじっとしたままだった。うなり声をあげて飛びまわる、妖精の魂を見ていた。
 父親が、今度は妖精にむかってさけんだ。
「身体をうしなったおまえに力などない! もうやめろ!」
 だが、妖精はますます激しく動き、目で追うことすらできなくなった。それが入りこんだ黒い木々は、生気をうばわれ、悪臭をはなちながら崩れ落ちる。少しずつ、光の筋が差しこんできた――かすかな光は徐々に闇を裂き、森をほのかに照らしはじめた。ノノはまぶしさに目を細めながらも、じっと妖精の姿を見きわめようとしていた。
 ふっと影が動き、それがノノのそばの木に消えたような気がした――。
 ノノの魂はもう一度、自分の身体に別れを告げて、その木にむかって飛びだした。父が呼ぶ声がきこえた。それでもノノはためらわず、妖精めざして突っ込んだ。
 ごめんね、お父さん。
 音が消えた。逃げようとするちいさな体を、ぎゅっとつかんだ。もがく生き物を、ノノはゆっくりと、自分の顔の高さまで持ちあげた。
 こうして見ると、闇の妖精は本当にちいさかった。ノノの手のひらに、すっぽりとおさまってしまうほど。本当にちいさく、かよわく、はかなく見えた。
「はなせ!」 妖精はさけんだ。
 父親のうでのなか、もがいていた自分の姿と重なって、ノノの手はゆるみそうになった。けれど、どうにかさらに力をこめる。
「だめだよ……」
 妖精のちいさな姿は、たえず変化していた。ちぢんだかと思うとふくらみ、若返ったかと思うとまた老いた。
「あたしはまだ、死ぬわけにはいかないんだ! 風の精霊に復讐するまでは! あいつより先に、死ぬわけにはいかないんだ――」
「いいえ」 ノノはささやいた。「あなたはもう、終わりにしたいはずだよ」
 妖精の顔から、みにくさが消えてゆく。その姿は、幼い少女に戻ってゆく……。
「だって、わたしにたすけてほしかったんでしょ? あのちいさな妖精は、あなただったんでしょ?」
「ちがう!」 妖精はわめいた。
「うそをいうな! そんなものは、あたしじゃない! あたしは永遠に生きたいんだよ! 永遠に――」
「それが、あなたのしあわせ?」 ノノはつぶやくようにいった。
「そうだ!」
 妖精は、ノノの手を離れた。
 ノノはもう、なにもしなかった。追おうとも、つかまえようともしなかった。一瞬にも満たない時間が、永遠に思えた。
 妖精は離れていく。ノノのほうをむいたまま。ノノはただ、見ているだけ。そのとき妖精の目に浮かんでいたものを、ノノは一生忘れない。ちいさくて、弱々しい手が、ゆっくりと、ゆっくりとのばされた。なにかを求めるように。ノノは両手を差しのべて、そのかよわい体を包みこんだ。
 妖精は震えていた。
「もう、終わりにしなきゃ」
 ノノの手のなかから――妖精の体から――白い光がほとばしった。ふたりがいた黒い木は吹き飛び、もとの森が姿をあらわした。今や暗くはなく、あちこちで太陽の光がおどっている。
 だが、妖精の光はますます強くなり、やがて空間をむしばみ、おおきな亀裂をつくった。
「『空間の裂け目』だ!」
 ノノの父親が、黒いかたまりをかかえて走ってきた。その顔に、おどろきと恐怖が浮かんでいた。
「ドラゴンと、同じ力だ――」
 ノノの魂は空中で、今にも光のなかに吸いこまれそうだった。妖精の姿は、もう見えなかった。
 父が、娘の名を呼んだ。ノノはふりむいた。むかってくる父親に、半透明の手をのばす。彼がかかえていた自分の身体に、ふたたび入りこんだ。そして、しっかりと彼に抱きついた。魂だけでは感じることのできなかった、父の本当のぬくもり。力強さ。本当のきずなを感じた。ふたりは抱きあい――白い光にのみこまれていった。
「今度はどこへ行くの?」
「帰るんだ」 父はいった。「帰るんだ。私たちの世界に。私たちの、ちいさなレンガの家に」
 帰るんだ。ノノは心のなかでつぶやいた。終わるんだ。なにもかも。そして、はじまるんだ。
 ノノは、ゆっくりと目をとじた。


「――そうして、ふたりはもとの世界に戻って、しあわせに暮らしたの。めでたしめでたし」
 女の子は本当にうれしそうな顔をして、そのまま眠りに落ちていった。しばらく、部屋にはちいさな寝息だけがきこえていた。
 もう夜が明けようとしていた。母親は重たいまぶたと戦いながら、立ちあがった。
 ずっといすにかけていた夫がそっとベッドに近づきながら、ふと、いった。
「もちろん、それで終わりじゃないんだろうね」
「うん」
 母親はうなずき、それから窓をそっとあけて、外の空気を吸いこんだ。産声をあげたばかりの世界が、沈みゆく月明かりのもとで、昇ろうとする太陽のもとで、横たわっていた。
 まるでだれかを見つめるかのように……空を見あげ、彼女はつぶやいた。
「わたしたち、その子をしあわせにできるかな」
 返事はなかった。夫は、娘と顔をくっつけるようにして眠っていた。とても静かだった。彼女は、ほほえんだ。


 とじた目のむこうに、ノノは照りかがやく太陽を感じた。まぶしくて、思わず手を顔の上にかざす。光はさえぎられ、かげがひんやりと気持ちよかった。
 うっすらと目をあけた。いちめんに広がる青空は、どこまでも澄んでいて、かぎりなく深かった。雲たちは、時が止まってしまったみたいに動かない。
 ノノはゆっくりと体を起こした。少しだけ、重かった。
 そこは森だった。黒い木々たちの残骸が、あたりにちらばっている。まちがいなく、あの暗い森だ。まわりには、だれもいない。
 すさまじい風が吹き荒れ、ノノは目をつぶった。突風はすぐにおさまった。見ると、銅色の巨体が、目の前に降り立っていた。ドラゴンだった。
 彼は四つんばいになり、おおきな頭をノノにむけた。はじめてまともに見る、ドラゴンの顔。緑色の目のあたりにしわがあり、鼻の先までうろこでおおわれていた。長い口の端は、わずかに持ちあがっているように見えた。
「無事だったの?」 ノノがおどろいてきいた。
「いっただろう。おれはドラゴンなんだ」
 彼は空気を震わせるほどの声でいって、低く笑った。鉄のようなにおいがした。
「わたしたち、どうなったの?」
 ノノがいった。「お父さんはどこ? あの光のなかで……離れちゃった……」
「おまえは戻ってきた」
 ドラゴンの声がとどろいた。
「だが、おまえの父親は行ってしまった」
「そんな……」
 ノノはことばをうしなった。目の前がまっくらになる。やっと会えたのに? やっと、いっしょに暮らせると思ったのに?
「お父さんは……どこへ行ったの?」
 やっとのことで、ノノはきいた。目は涙でいっぱいだった。
「わたしたちの世界に、帰ったの?」
「それはわからん。空間の裂け目がどこにつながるかは、それをつくりだした者だけが知ることだ」
「妖精は?」 ノノの声はかぼそかった。「闇の妖精は、どうなったの?」
「死んだ」 ドラゴンは短く答えた。
「そう……」
 もうなにもいえなかった。あふれてくる涙を、止められなかった。
「この世界はもう、長くない。人間も怪物もみな死んだ。風の精霊も姿を消した。残っているのは、おれたちだけだ。おまえも、ここにいてはいけない――すぐに行かなければならん」
「それなら、つれてってよ!」 ノノは泣きながらさけんだ。
「あなたには、空間を切る力があるんでしょう?」
 お父さんに会いたい。その一心だった。
「悪いが、おれには世界を越える力などない」
「じゃあ、どうすればいいの?」
 ノノは打ちひしがれてきいた。
「『世界の果て』だ」 と、ドラゴンがいった。
「そこにおまえをつれていくことならできる。そこから別の世界へ行ける」
「どこにあるの?」
「もやのむこうだ」
 ドラゴンは、空をふりあおいだ。さっきまで森があったはずの場所、木々が生い茂っていたはずの場所――その先は、もやがすべてを包みこんでいた。
「もうひとつある」
 彼は反対の方角に頭をむけた。
 そして、またノノのほうを見た。彼の声に、倒れた木の残骸はびりびりと震えた。
「それぞれ、まったくちがう世界に通じている。さあ、どちらか選べ。おまえが決めるんだ」

 さわやかな風を、肌に感じた。ドラゴンの頭が、おおきく上下にゆれる。それがとても心地よかった。ノノは安心しきっていた。あの暗い森は夢のように、もうずっと遠くに過ぎ去ったのだ。青空の下を飛んでいることをのぞけば、あの夜となにもかも同じだった。
 けれども、今は、ノノはひとりだった。だれもノノを抱きかかえてはいなかったし、だれかがドラゴンに話しかけることもなかった。
「あなたは――」
 ノノは大声で呼びかけた。
「どうしてわたしたちをたすけてくれたの? お父さんに、なにか恩があるの?」
「知らなくともよい」
 ノノの真下で、とどろくような声は答えた。
 ちょうど、巨大な岩の塔のそばを通り過ぎるところだった。ドラゴンに乗っていても、その岩山の頂上を見ることはできなかった。あらけずりの階段は、はるか空のむこうまでつづいていた。
「見ろ」 ドラゴンがいった。
 前方に、黄緑の丘が姿をあらわした。風の丘だ。ノノは、さらにその先を見やった。岩の塔にのぼり、イップとともにながめたときと同じように、そこは白っぽいもやでおおわれていた。
「あのむこうが、『風の果て』だ」
「あなたも、いっしょに来てくれるの?」 ノノがきいた。
「いや、おれはおまえをつれていくだけだ。おれは出ていかない……この世界の、風の世界のドラゴンだからな。ここで生まれ、ここで死ぬのだ」
「でも――」
 ノノは不安げにいった。「この世界は、もうすぐほろぶんでしょ? あなたは生きられるの?」
「おれも、ともにほろぶのだ」
 ドラゴンは笑った。おおきく、すがすがしい笑いだった。
「一度はあきらめた命。今さら惜しくはない。しかし命の恩人に、感謝しないといかんな。なにより、おまえたちに出会えたのだから」
 ノノはうなだれた。ドラゴンと別れることは、とてもつらかった。死んでほしくなかった。けれども、それを口にだせなかった。
 いっしょに行きたい。わたしといっしょに行こうよ――。
 だが、彼は知らんぷりをしていた。
 吹きつける風に目を細めながら、ノノはもやのむこうを見すかそうとした。けれども、先はにごった白一色だった。
 きっとまた、お父さんに会うんだ。
「おまえの父親がいる世界と、これからおまえが行こうとしている世界が、同じとはかぎらんぞ」 ドラゴンの声がひびいた。
「それでもいい」
 ノノはただ、迫るもやだけを見つめていた。
「そのときはまた、別の世界に行けばいいんだから」
 いつかは会える。ずっとさがしつづける。たとえ、一生かかっても。
「そうだ、きっと会える。おまえたちには、力があるんだ」
「力?」
 ノノは思いだした。たしかゼロメアも、そんなことをいっていた。
「わたしたちは、普通の人とはちがうの?」
「たいしたことではない」
 ドラゴンはいった。彼はたぶん、笑いをこらえている。
「本当にささいなことだ。ゼロメアは何百年も生きてきて、いまだにそれを知らない。おまえ自身も、まだ気づいていないだけだ」
 ノノはだまりこむ。
 そして想う。父親のことを。そうすれば、ずっとつながっていられるから。
 もしかしたら今までだって――わたしとお父さんは、いつでもいっしょにいたのかもしれない。おたがいを想いあうことで。
 お父さんを想っている。お父さんも、わたしを想っている。そんな単純なこと。
 そんな、あたりまえのこと。
「おまえ、変わったな」 ドラゴンがしみじみといった。「はじめて乗せたときは、もっと幼かったのに。もう少し、子どもでいてもいいのだぞ」
「ううん」
 ノノは首をふった。
「それじゃ、だめだから」
 ノノは、顔にかかった黒髪をかきあげる。風は舞い、空気はおどる。未来はベールにおおわれたまま、けれどもたしかにその先に……。
「だめか!」
 ドラゴンは笑い、いっそう強く、つばさで空を打った。彼らの姿は、もやのなかに消えていった。




 
2009-03-26 16:19:19公開 / 作者:ゆうら 佑
■この作品の著作権はゆうら 佑さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 こんにちは。ゆうら 佑です。
 これで第一部『ドラゴンは翔ぶ』、また「ノノのおはなし」は終わりです。つづきません。
 王道・異世界ファンタジーという名目でしたが、いかがだったでしょう。じつはぼくは、「ものすごいファンタジーを書いてやろう!」という野望をもっているんですが(笑)、この三部作はそのための練習、と位置づけています。とはいいつつ、かなりこだわってはいるので、まあなんとか皆さんに読んでもらえるレベルには達しているんじゃないかなあ、と希望を持っているしだいです。
 第二部では、まったく違う舞台と登場人物、さらにまったく違うテイストで物語が展開されると思います。作風を変えてみるのはこわさもありますが、そもそも、ぼくの能力全体の底上げをねらって書いているので、同じようなことをやっても意味がないわけで……。新しいことに挑戦しませんとね。
 ご意見・ご感想をおまちしています。厳しいものでも大歓迎です。
 
この作品に対する感想 - 昇順
はじめまして。ムラヤマと申します。

面白いですね!ファンタジーは普段全然読まないので、最初のほうは話の中に入り込むのに苦労しましたが、後半を過ぎてから面白くなってきました。ゆうらさんは文章が丁寧で、場面の展開も自然なため、非常に読みやすくて良いと思います。まだ序盤のようですし、これからどんどん話が盛り上がっていくのでしょう。期待しています。
面白かったのが、肉体を奪われて魂だけとなった人間はもろくて不安定、という設定でした。古代の哲学などを見てみると、むしろ肉体から抜け出て魂だけとなったほうが安定する、という思想もあるので、この小説の場合は逆の発想ですね。心身共にあってこその人間ということでしょうか。この設定が今後どのように活かされるのかも楽しみです。
2009-02-22 23:36:19【☆☆☆☆☆】ムラヤマ
こんにちは!読ませて頂きました♪
母親の読む物語という始まり方は好きです。単純な私なんかだと現実と、どこかで繋がるのかなとか思ってしまいますw出だしとしては、とてもいい流れだったと思います。ノノとイップは、とてもいいコンビって感じで、これからが楽しみです。それと続きが楽しみになる謎の部分もあって、女の子ではないですが「つづきは?」と言いたくなる感じでした。
では続きも期待しています♪
2009-02-23 17:16:18【☆☆☆☆☆】羽堕
>ムラヤマさん
 はじめまして。もしかしたら最初のほうはわかりにくいかもしれませんね。それでも後半まで読んでいただき、ありがとうございます。文章を時間をかけてじっくり書いているので、丁寧などといっていただけるのはとてもうれしいです。
 身体と魂の設定のことですが。ぼくは、それらはふたつでひとつ、お互いに補いあうものだと考えてみました。心身共にあってこそ、そのとおりです。もちろん、身体をうしなったという設定は、たぶんアホほど活かされますので。感想ありがとうございました。

>羽堕さん
 いつも感想ありがとうございます。この書き出しはぼくも好きです。どこかで繋がるのか……さあどうでしょう(笑) 出だし、よかったですか。このへんはかなり考えました。
 続きが楽しみといっていただけて、ますます意欲がわいてきました。できるだけ早く更新しようと思います。とはいっても、下書きのほとんどはできているのですが。推敲が終わるまで、しばらくおまちください。また感想よろしくお願いします。それでは。
2009-02-24 21:47:29【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
作品を読ませていただきました。ノノとノノを取り巻く不思議な世界は魅力的ですね。また、寝物語風の始まりは、この作品世界に入りやすくしていていいと思います。ただ、既存の情報に頼りすぎている印象を受けました。黒エルフやグリフォンなど基本的に読者は知っているだろうと決めつけている。例えばこの世界の黒エルフは普通のエルフとどう違うのか、いや黒エルフの存在自体もノノは知らないのだから、ノノの視点に立って描写をするべきだと思います。では、次回更新を期待しています。
2009-02-26 00:47:43【☆☆☆☆☆】甘木
>甘木さん
 いえいえ、そんなことはありませんよ。グリフォンについては、流れを切らないようにしつつ、できるだけ描写をしたつもりです。かなりマイナーですからね、こいつは(笑)  既存の情報に頼ろうなどと、はなから考えていませんよ。ですが、わかりにくかったでしょうか? それなら、改善の必要があるかもしれません。
 それから闇の妖精については、この時点ではまだ、「謎の生き物」という位置づけなんです。でも固有名詞のように『黒エルフ』とはっきり出してしまったので、よく知られているもの、という印象をあたえてしまいました。実際はこの作品中の世界でも、闇の妖精は特殊なんです。そのへんがややこしくなってしまいましたので、今回の更新で『黒エルフ』という表記を削除し、妖精像をぼかしました。まあ黒エルフ=闇の妖精ですし、あとあと説明されると思うので、何ら影響はありません。ご指摘、ありがとうございました。
2009-02-26 23:22:28【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
こんにちは!続き読ませて頂きました♪
幸せという言葉を知らないノノにとっての幸せってなんだろう?と考えてしまいました。でも、この話題は考え出すとキリがないので置いときます。「盲の谷」のような場所へ足を踏み入れるのは相当、勇気がいるだろうなと思って、更にその中で馬の獣に追われたりしたら怖すぎます。そういうのがよく出ていたと思いました。それとノノを死へと誘う言葉も巧みに感じました。
では続きも期待しています♪
2009-02-27 17:07:49【☆☆☆☆☆】羽堕
続きを読ませていただきました。「幸せ」という言葉を上手く使っていますね。幸せを知らないノノと幸せを覚えなくなったイップの存在が対照的で面白い。この地にしばられる者の死こそが幸せというのもひとつの真理だろうなぁ。今回の「幸せ」の使い分けは面白かったですよ。では、次回更新を期待しています。
2009-03-02 00:30:46【☆☆☆☆☆】甘木
>羽堕さん
 たしかにしあわせというのは考えだすとキリがないですね……。ですが作品のなかではもう少し、深めて考えてみたいと思います。こわさがうまく伝わったでしょうか? それに巧みさ、感じられましたか。気をつかったところなので、そういっていただけてうれしいです。ああよかった。感想ありがとうございました。

>甘木さん
 ひとつの真理、そうでしょうね。ぼくも書いてて、妙にリアルなのでこわかったです(笑) 短い章のなかでやたらと「しあわせ」ということばを使ったのは、やはりそれがテーマのひとつになっていく(かもしれない)からなのですが、目をつけてもらえてよかったです。お読みいただき、ありがとうございました。
2009-03-03 18:23:36【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
こんにちは!続き読ませて頂きました♪
4.面白かったです。まずノノが無事で良かったですし、それにイップの優しさが効いてました。あと青いローブのユニコーンの血で病気を治す男の得体の知れない怖さみたいのがあって楽しかったです。街の様子なども、しっかりとあって物語の中に入り込み易かったです。
5.でユニコーンと触れあい、そして氷色のローブの男と対峙する中で、ノノがイップの名を呼ぶ所などグッときました。その中で起きた不思議な現象や、氷色のローブの男が最期に言った言葉など予想外で、すごく気になります。ノノが感情を取り戻しつつあるけど、それが泣いてしまうほどの悲しみだという事も、やるせない感じだなと思いました。面白かったです。
では続きも期待しています♪
2009-03-04 17:32:58【★★★★☆】羽堕
はじめましてとこんばんは、同じくファンタジーと感情のない少女を扱っている木沢井です。
一言で感想を申しますと、インスピレーションを(特にイップに)刺激される作品でした。いいですね、こうした王道のファンタジーも。練習だと仰っておられましたが、既存の作品に劣らぬいい雰囲気を持っているように感じられて羨ましいです。続きも楽しみにしています。
以上、感情のない人間の描写と扱い方に悩む木沢井でした。
2009-03-06 00:30:29【☆☆☆☆☆】木沢井
>羽堕さん
 いつもありがとうございます。
 イップのやさしさ、ローブの男のこわさなどは、とくに丁寧に書いたところなので、そういっていただけてうれしいです。それからこの作品では、ビジュアル面、といっていいのかどうかわかりませんが、情景描写にもすこしばかりこだわっています。とくに、色ですね。情景が目の前にうかべばいいな、という気持ちで書きました。
 そしてノノの悲しみ。本当にやるせないですよね。かわいそうでなりません。どうかしあわせになってもらいたいものです。感想、そしてポイントまで、どうもありがとうございました。


>木沢井さん
 はじめまして。おはようございます。まことに失礼なのですが、お名前はどう読むのでしょう? キザワイなどと読んでいるのですが。それとももっと特別な読みでしょうか。自己紹介版や作品のあとがきにでも載せてもらえればいいなあと思います。

 そうですか、同じ題材を……。まだ木沢井さんの作品は読ませてもらっていないので、ちょっとわかりませんが。たしかに、感情のない人間ってむずかしいですね。さらにその視点で書くとなると。しかしおわかりのように、この作品では「感情がない」こと自体がいちばんのテーマではありません。そこからいかに感情を取り戻すか、という展開になっていくのではなかろうかと思います。
 インスピレーションを刺激される、といっていただき光栄です。なるほどイップは変わったキャラかもしれませんね。感想、どうもありがとうございました。
2009-03-07 07:32:23【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
 こんばんは、ゆうら 佑様。上野文です。
 御作を読みました。
 大変興味深かったです。
 ファンタジーで、絵本のような幻想世界なんだけど、要と重石はそこじゃない、というか。ノノちゃんは、感情がない、というより、知らなかったことを知って、ちょっとずつ成長してゆく女の子に感じられました。面白かったです。
 続きを楽しみにしています。
2009-03-07 22:20:57【☆☆☆☆☆】上野文
続きを読ませていただきました。人の成長譚を読むのは楽しい。寓話的な世界では往々にして人の成長は簡単に書かれてしまうけど、この作品では丁寧に書かれているし、周りを固める登場人物たちが魅力的なことも手伝って心地良く読めました。今回は特にイップの格好良さに惚れましたよ(笑。ノノは感情を知ることによって辛い場面に遭遇するかもしれませんが、ノノならそれをすべて寛容して乗り越えるのだろうなぁ。繰り返しますが人の成長する姿は面白い。では、次回更新を期待しています。
2009-03-09 00:49:43【☆☆☆☆☆】甘木
>上野文さん
 お読みいただき、ありがとうございます。
 重石ですか、なるほど。そのとおりですね。王道王道といいつつ、結局ぼくの小説は、どこかひねくれてしまう。ですが、やはり人気ファンタジーというのは、なにか読者に訴えかけるものがあるから、愛されるんでしょうねえ。そのくらいのものを書きたいのですが……。
 成長、これがひとつのテーマです。ノノにはまだまだ試練が待ちうけていると思いますから、温かく見守ってあげてください。

>甘木さん
 必ずしも成長譚ではないのですが、やはりノノの成長の物語、といえますね。丁寧に書いているのは、ぼく自身がノノを成長させてあげたいから、でしょう。だから思い入れもあるわけですが、一筋縄ではいきません。
 確かに読みかえしてみると、イップは渋い(笑) 登場人物は少ないですが、魅力的、といっていただけるのはうれしいです。
 ノノはつらいこともすべて乗り越える……そうあってほしいものです。感想ありがとうございました。
2009-03-09 18:48:09【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
こんにちは!続き読ませて頂きました♪
今回の冒頭から森の中の描写などを読んでいると外国のファンタジー小説(それほど多くは読んだ事ないのですが)のような雰囲気が出ていたと思います。ユニコーンとの対決で、ノノが自分の中の感情を理解し、そしてどうすればいいか、どうしたいのかを選んでいく所など良かったです。魔法の糸を断ち切り、また多くの物を失くしたかもしれないけど、暗い森の中でイップと再会して何度でも取り戻せるし、より強い感情を抱けたのではないかなと思いました。
では続きも期待しています♪
2009-03-10 16:58:36【☆☆☆☆☆】羽堕
こんにちは、木沢井と書いてキサワイと読む者です。
続きを読ませていただきました。ユニコーンとの絆云々のくだりなどはまさしく『ファンタジーっ!』といった展開で、読んでいて興味深くも楽しかったです。イップとの再会までに多くのものを失ったり取り戻したりと、短い間に上手くノノの成長が凝縮されていてよかったと思います。
ちなみに、私が扱っているヒロインはノノとはほぼ別モノです。
そんな余談を挿みつつの、木沢井でした。
2009-03-10 17:31:24【☆☆☆☆☆】木沢井
>羽堕さん
 感想ありがとうございます。この作品の舞台、たしかにイメージしているのは外国です。森はぼくの想像で書いたのですが、どこか外国ファンタジーに影響されているようですね。ただ、なんとなく夕暮れの雑木林を参考にしたところもあります。全然ちがいますけど。
 いつもこまかく感想をいただけるのは本当にうれしいことです。お読みいただき、ありがとうございました。

>木沢井さん
 キサワイさんでしたか。わざわざありがとうございます。
 なるほど、今回はファンタジー色が濃かったですねえ。ユニコーンとの対決ですからね。ある意味正統といったところでしょうか。ここはノノの心情がくるくる変わって、書きにくかったです。書ききれなかったかもしれません。
 では、いずれ木沢井さんの作品も読ませていただきます。ありがとうございました。
2009-03-12 06:36:39【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
 こんにちは、ゆうら 佑様。上野文です。
 御作の続きを読みました。
 ユニコーンとの対決、心情描写と展開の緊迫感が大変よく噛み合って、はらはらしました。
 面白かったです!
2009-03-14 09:38:07【☆☆☆☆☆】上野文
続きを読ませていただきました。うわぁユニコーン傲慢。でもある意味己の感情に忠実なヤツだ。感情をほとんど持っていないノノと見事に対比になっていましたね。そして醜悪とも言える直裁的な感情の主から決別することによって歓びを知ることができたという展開がよかった。ユニコーンとの掛け合いのシーンも重苦しさがあり、読者の感情を同期させやすかったと思います。今回はラストの心地良さもあり素直に楽しめました。では、次回更新を期待しています。
2009-03-15 22:04:49【★★★★☆】甘木
>上野文さん
 そういっていただけて、とてもうれしいです。この対決は、初期の(本当に初期の)段階では考えていませんでしたけど、こういうのは必要だなと思い、書いてみました。結果的に、ヤマ場のひとつになりましたね。感想ありがとうございました!

>甘木さん
 展開について、お褒めいただきありがとうございます。そしてユニコーンはたしかに傲慢、醜悪。しかし自分の感情に忠実、そうです。つまり自分の正義に忠実。明らかに「敵」で嫌なやつなのですが、ぼくのなかでは、悪ではなかったりします。ま、倒されてよかったですけど。感想、そしてポイントまで、ありがとうございました。
2009-03-16 18:39:16【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
こんにちは!続き読ませて頂きました♪
 面白かったです。ノノがイップの事を愛おしく大事に思う心が伝わってくるような所からの、マンティコアによって引き離されてしまったり、アーヴァンクとの御伽話のような展開、そしてドラゴンの登場と次々と展開していく物語に飽きることなく楽しめました。それとやはりイップの正体は衝撃的で、でもなるほどなって思える部分で良かったです。
 父親の告白と、それを聞いていたノノの感情の変化もいいなと、今までのイップとの物語があるからこその気持ちの流れなんだろうなと思いました。感情を取り戻した事で母親の死を受け入れ、受け止める事がノノは出来たのだろうか? と少し思いました。闇の妖精を相手に、どう対峙するのか楽しみです。
では続きも期待しています♪
2009-03-17 16:51:37【★★★★☆】羽堕
 こんにちは、ゆうら 佑様。上野文です。
 御作の続きを読みました。
「おまえだ!」
 で、いい感じに全部ひっくり返した、と感じました。
 イップの積み重ね、ノノの経験、全部がこの一言で衝撃に上乗せされ、上手い! と息を呑みました。とても面白かったです。
2009-03-18 12:37:05【☆☆☆☆☆】上野文
>羽堕さん
 作品全体で、ジェットコースター展開?にしようと思っていたのですが……よく考えると速すぎるかなあ。でも7章の展開は、いいテンポで進ませることができました。おほめいただき、ありがとうございます。それに、なるほど、と思っていただけてよかったです。今までずっと正体を意識して書いてきたので、ばれてるかも、という気はしていましたが。母親の死については、感情を取り戻す前ですけど、盲の谷あたりで感覚的に理解したようですね。では、感想とポイント、ありがとうございました。

>上野文さん
 なるほど、ひっくり返りましたか。やっぱりあれは迫力あることばでしたね。バーン、っと。ぼくとしては、波のようなイメージでした。いや衝撃波かなあ。まあなんにせよ、あそこに目をつけていただけたことはうれしいです。しかも上手いとは! 光栄です。またひとつヤマ場をこえて、もうこの話も終わりに近づいてきた感があります。できれば最後までお付き合いください。感想ありがとうございました。
2009-03-20 07:42:21【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
こんにちは! 続き読ませて頂きました♪
 ゼロメアだったんだ本当の黒幕は、それに谷で出会った後も、村人を扇動するような事を言ったりして登場していたのか。闇の妖精も恨む心を利用されていただけの存在だったのか、でも体を取り戻すためには対峙をしなければならいし、この後どうなってしまうのか楽しみです。ゼロメアの言うようにノノ親子は特別な何かがあるのだろうか? また元の世界に戻れるのだろうか、父親の言葉通りに一緒に暮らす事はとラストへと向けて、とても気になります。きっとゼロメアはシリーズを通しての敵役なんだろうなと思えるほどに、強大な感じが出ていたと思いました。
では続きも期待しています♪
2009-03-21 14:43:26【☆☆☆☆☆】羽堕
>羽堕さん
 さっそくの感想ありがとうございます。ゼロメアについては、ちゃっかりと伏線はありましたね(笑) なるほど強大な感じ、ですか。なかなか鋭い。
 あとはラストにむけて突っ走ります。さていったいどうなるんでしょうねえ……。あ、ノノ親子の特別な何か、ですか。いえいえ、たいしたものではありません。では最終章に力をそそぎたいと思います。ありがとうございました。
2009-03-21 23:51:07【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
こんにちは、早くも人生ロスタイム突入の頼家です。
 作品を読ませていただきました^^なんだか『ネバーエンディングストリー』のような印象を受け、大変面白く読ませていただいております(内容は全く別物ですが)!
 冒頭の親子の会話……なにやら伏線の匂いを感じずには居られませんね^^;ファンタジーの王道……確かにおっしゃる通りかもしれませんが、主流になりつつあるライトノベル的現代ファンタジーとは明らかに一線をかくした、(良い意味で古典的な)メッセージ性の強い美しいファンタジーですね^^こういった作品は大大好物です!
 どんな手段を使ってでも娘(家族)を守りたいと思う、イップのような父親……理想ですね^^現実の『父親』と言う者も、多分彼のように家族を愛しているモノでしょう(少なくともそう信じて居たいものです)。しかし『手段』の面で当初嫌悪感を覚えたノノの幼い正義感、判る気がします(現実、思春期における親への反発って云うのも、こういうところから来ているのかもしれませんね^^)。しかし、そう云ったモノは失いたくは無いですが、悲しいかな大きくなるにつれ失っていくモノです(遠い目)。
 創り込まれた登場人物や設定、伏線もさり気なく入れられているため、読み進めるのに全く苦になりませんでした^^私とは大違いです……(涙)
 『感情』を取り扱っているためか、非常に哲学的な内容も見受けられ、ノノ成長する冒険談として子供に、そして精巧な物語として大人も読める作品だと感じました^^
 ただ、一つ気になった点としては、ノノの性別が(私の読みが甘いためか)二転三転しているような気がいたしました^^;……『女の子』で大丈夫ですよね^^;?
ではでは、続きをお待ちしております!
     (友人が旅行土産に買ってくれた木靴の処分に苦慮する)頼家
2009-03-22 13:01:29【★★★★☆】有馬 頼家
 こんばんは、 ゆうら 佑様。上野文です。
 御作の続きを読みました。
 個人的に悪役が好きなので、ゼロメアの「俺は悪だ!」と言わんばかりの振る舞いが素敵でした。
 願わくば、彼にはこのまま強大な悪としての道を走って欲しいです。
 彼の登場からの一連のシーン、非常に緊迫感があり、面白かったです!
2009-03-23 20:07:44【☆☆☆☆☆】上野文
>頼家さん
 こんにちは。感想ありがとうございます!
 ネバーエンディングストーリーは読んだことないですねえ。しかしあれは名作中の名作だと思うので、ぼくの作品とは比べないでください(笑) 古典的、美しいなどのお言葉、とてもうれしいです。まさにそういうものをめざしていたんです。
 ノノと父親のことについても、そこまで深く感じてくださるとは……良くも悪くも、幼さというのは消えていくものなんですよね。
 感情について書くのはむずかしかったですけど、かといって哲学的でもありませんよ。あくまでぼくのテキトーな思想ですから。「しあわせ」のくだりも、ぼくもノノといっしょに考えてみただけです。
 さて、ご指摘のほうですね。いえ、一転しかしておりません^^ おおざっぱにいうと、前半は男の子と思わせ、後半はちゃんと女の子として書いています。しかし口調はそのまんまなので、ややこしかったかもしれませんね。すみません。ノノが男の子っぽいしゃべりかたをするのは、お父さんにことばを教えてもらったからです。一人称が「わたし」なのはお父さんの「私」のマネです。
 それで、わざわざ性別のことで読者をだます必要があったのか、ときかれると、「ない」と答えざるをえません(笑) むだにややこしいだけですもんね。ただ最初に構想を練っていたときは、主人公は少年でした。それで書きはじめたんですが、でもユニコーンを出すとなると……と思い、なんやかんやで女の子のノノができました。そういう経緯のなごりで、前半は男の子っぽく書かれているんです。
 長々と書いてすみません。ではこれで。木靴! ぜひ履いてあげてください(笑)

>上野文さん
 やっぱりファンタジーには悪役が不可欠ですよねえ。この作品にはなかなかハッキリした「悪役」がいなかったので、ようやくといった感じです。しかし悪なのに倒されませんでしたね。なんてひどい小説だ。ともかく、やつは今後もかかわってくると思いますので、気長に待っていてください。
 では、感想ありがとうございました。
2009-03-24 16:05:46【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
こんにちは! 続き読ませて頂きました♪
 ノノの話は、これで終わりなのですね。この後に、どうなってしまうのかとても気になるので残念です。でも面白かったです。
 イップとは違い父親という立場だからか、子供が親の言う事を少し疎ましく思うような雰囲気があって同一人物だと分かっていてもイップの方が好きだったかもと思っていたのですが、父親のノノへの愛情は、しっかり出ていて良かったです。
 闇の妖精との決着で、またノノは成長したように感じられ、どんな世界に行ったとしても、父親とすれ違ってしまう事もあったとしても、きっと最後には幸せになっているんじゃないかなと思いました。
では第二部も期待しています♪
2009-03-27 11:48:22【★★★★☆】羽堕
 こんにちは、ドクトルマンボウ頼家です。最後まで読ませていただきました!
始めに前回、私が物語り冒頭から幼い女の子とノノを幾らか混同していた&子供独特の言い回しに惑わされてしまった事もあり、下らぬご指摘をしてしまい、真に申し訳ございませんでした。平にご容赦を(陳謝)一転しかしていなかったようですね^^;
 終に物語りも終焉を迎えましたか……描かれる事は無い『ノノ(自身)の冒険』は、ドラゴンと別れた後も続くようですが一先ず本当にごお疲れ様でした^^素晴らしい作品だったと思います!
 ノノは父親とは出会えたのだろうか?幼い女の子はやはり物語の当初私が抱いた通り、ノノなのだろうか?なにやら知っていそうな幼い女の子のご両親は一ったい……(もしかして裏をかいて母親がノノ??)いろいろな疑問が浮かんで消えますね^^しかし、最近よく見る『問題(疑問)だけ散りばめて、後は投げっ放し』といった作品ではなく、所々ヒントのような物も見え隠れしてて、こういった終わり方は、私は素敵だと思います^^(確かに、私の読解力が薄いためか何人か必然性が読み取れなかったが人物(?)も僅かばかりいましたが……)
 ああ……ノノはあれからどんな運命に出会っていったのだろう……魅力的な、どこか愛すべき登場人物達を前に、やはりそのことが唯々気になる、春先の出来事……。
 ではでは、語りたい事は山ほどございますが、一先ず我慢して次回作をお待ちしております^^
                 ノノは俺が嫁に貰う!頼家
2009-03-27 16:58:21【★★★★☆】有馬 頼家
 こんばんは、ゆうら 佑様。上野文です。
 御作の続きを読みました。
 第一部完結おめでとうございます!
 勝利はしていないけれど、納得のゆく終わり方でした。
 きれいにまとまった童話のような読後感で、余韻に浸れました。
 第二部も頑張ってください!
2009-03-28 18:59:27【★★★★☆】上野文
 皆さん、お読みいただきありがとうございました! 感想・評価をいただけて光栄です。

 「ノノ」はあくまで「おはなし」のなかの登場人物でした。ですから、「ノノ」はもう出てきません。ぼくにいえるのは、これだけです。

>羽堕さん
 そうですか、イップのほうが好きでしたか……。父親には暗い影がありましたしね。ちょっと取っ付きにくい人間だったのかもしれません。しかし愛情が出ていたとのお言葉、とてもうれしいです。ぼくはとくに意識したわけではないのですが、なんか知らず知らずのうちに表現されていましたね。それだけ、ぼくが父親になりきっていたのかなあ。それとも、ぼくのノノへの愛情なのかなあ。では、また次の作品で。

>頼家さん
 いえ、指摘については感謝しております。ちょっとわかりにくいところがあったかもしれませんし。女の子やその両親について考えていただけるのも、うれしいですね。冒頭(ノノ視点に切り替わるまで)を読み返していただければ、なんとなくわかるかもしれません^^ それと必然性のない人物……ぜひご指摘ください; いろいろ語ってくださって結構ですよ!(笑) いくつか謎は残ったかと思いますが、いずれはすべて明らかになるかと。それでは、また。ノノはあげません!

>上野文さん
 ありがとうございます! 「勝利しない」ファンタジー。そういうのを書こうとした、というのも少しあります。まあ有名作品の足元にも及びませんが。もちろん、勝利しないのが良いといっているわけではありません。でも納得していただけてほっとしました。それに、余韻に浸れたなんていってもらえるとは。第二部も頑張ります。もう書きはじめてますし^^
2009-03-28 22:04:44【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
全て拝読しました。初めまして。水芭蕉猫と申します。これは、確かに王道異世界ファンタジー!!久しぶりに正統派を読んでほんのりと暖かい気持ちになれました。欲を言うなればドラゴンさんにはもうちょい活躍してほしかったかな。ドラゴンさん大好きです。ヤモリの精霊とか、ハチュ好きには堪らない設定でした。短い感想で申し訳ありません。
2009-04-06 22:28:41【★★★★☆】水芭蕉猫
 はじめまして。短くても、もちろんひとことだけでも、感想をもらえるのはとてもうれしいです。
 そうですか、ハチュ好きでいらっしゃいますか……それならイップやドラゴンの描写をもっと増やしても良かったかなあ。ちょっと意識がノノのほうに向いていたものですから。しかし最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。正統派、またいつか書いてみたいと思います。
2009-04-11 22:31:23【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
続きを読ませていただきました。完結御苦労さまでした。まさに王道と言った終わり方は読後に余韻が残り非常に良かったです。ラストに向けての物語の展開も急ぎすぎることなく、文章にしっかり溜があって良かったです。では、次回作品を期待しています。
2009-04-26 22:33:43【★★★★☆】甘木
あっ、前の返信で、水芭蕉猫さんのお名前を忘れてますね。すみません。

>甘木さん
 感想ありがとうございます。余韻というのはぼくも意識したことなので、そういっていただけると嬉しいです。ぼくは展開を急ぐ、というか、肉付けをあまりしないクセがあるので、書くときは付け足してばかりでした。功を奏したようで、よかったです。それでは、また。

2009-04-30 21:44:13【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
計:36点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。