『ば ら』作者:河鳥亭 / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
『グリム童話集』「児童の読む聖者物語」中「ばら」を近代小説風に再話した小品です。手元にあるかたは原案となったお話をご参照ください。
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原稿用紙約5.07枚

   ば ら



 私は山間の貧しい家に育った。父は私のだいぶ幼い頃に出ていったので、記憶はほとんどない。私にとって家は母のいるところであり、大きな箪笥やふすまや棚やソファに囲まれていて、いつもやわらかな光に包まれた場所だった。そこへときどき男の人が入ってきて、ニコニコしながら私をだっこした。それが父だった。

 物心ついたときには、父はいなかった。あとで大人たちからきいた話をまとめると、戦争が終わって帰還したあと、人が変わったようになり、仕事もせず、なけなしの金で酒ばかり飲んでいたが、二年も経たないうちに姿を消して、二度と帰らなかったという。なかには別の女をつくって出ていったという大人もいたが、いずれにしても父にほとんど愛着のなかった私にはあまり関係のないことだった。

 弟はまだ生まれたばかりで、手がかかったから、私は生活のために必要な仕事はすべてこなさなければならなかった。母の苦しみがどんなものだったか私には察するにあまりあるが、あの頃、母の泣いている姿などは一度も見ていない。私たちに隠れてひとり泣いていたこともあったかもしれないが、私はそうは思わない。母は父の出征していた頃からそうしていたように、茣蓙を編む仕事を続けたし、小さな畑で作物を育てたり、家の軒下には「旅の宿」などと書かれた看板を出して、たまに通りかかる商人や旅行者を相手に細々と宿屋を営んだりして働いた。暮らし向きは少しも良くなることはなかったが、それ以上悪くなることもなかった。

 弟が一人であちこちへ走り回れるようになると、母は彼にも仕事をさせた。体の弱い私のかわりに、明るいうちは森にたきぎをとりにいかせ、日が暮れてからは家の手伝いもさせた。姉の私もそうだったように、弟も働くことをとても楽しんだ。毎日森へ行ったり谷で遊んだりできるのだから、楽しいはずなのだ。

 夏のある日、弟もたきぎ集めにだいぶ慣れてきた頃だったが、いつになくたくさんのたきぎを集めて帰ってきたことがある。その量は普段の倍以上で、それぞれの束は藁縄できちんと結わえられており、ろくに縄を結ぶこともできない弟が一人でやったとはとうてい思われなかった。それで、どうしたのかと母がきいた。弟は嬉しそうに話した。
「森のなかでね、小さい子に会ったよ。とっても感心ないい子でね、たきぎを拾うのを手伝ってくれたの。縄の結び方も知っていて、教えてくれたんだよ」
 母はあまり感心しなかったらしく、働いているときのいつもどおりの堅い顔をしたままだった。
「どこの子なんだい」
「わからない。さよならをしたら森の奥のほうへ歩いていったよ」
「森に子どもなんかいやしないよ。誰か大人の人に手伝ってもらったんだろう」
「ちがうよ、小さい子だったよ」
 母は、そう、と言って軽くうなずき、弟を家に入れたが、本当にしてはいなかった。

 次の日も、その次の日も、弟はその「小さい子」に会ったといい、きれいに束ねられたたくさんのたきぎをもってきた。私もその子どもに会ってみたくて仕方がなかったが、母が行かせてくれるはずもなかった。それどころか、母はまだ弟が子どもに会ったということを本当にしず、あまりその子と遊ばないようにと弟にいってきかせた。弟が言った。
「だけどね、お母さん、その子はね、しばらく来ないのだって。それでね、これが咲いたらまた来るよって、ぼくにこいつをくれたのだよ」

 弟はつぼみになっているバラを一枝とりだして母と私に見せた。母はそれを小さな花瓶にさして、弟の寝ているところの窓辺に置いた。

 それから何日かたったが、弟はやはり小さい子には会わなかったらしい。拾ってくるたきぎの量は減った。けれどもせっかく教わった藁縄の結い方は心得ていて、いつもしっかり結わえて持ってかえってきた。

 ある朝、弟が起きてこないので私が呼びにいくことになった。私は弟の肩をゆすって起こそうとしたが、だめだった。私は母を呼んだ。母は私と同じように弟の肩をゆすったあと、額や頬や首をさすり、それから聞いたことのないような声で、おお、おおと泣き始めた。私はよくわからずに彼の顔をのぞきこんだが、それはとても優しそうな、楽しそうな、かわいらしい顔だった。弟は二度と目を覚まさなかった。私が母の泣いているのを見たのはこのときが初めてだった。

 そのとき、私は何かとてもいい匂いを感じた。ふと窓辺を見ると、花瓶にさしておいたバラのつぼみが、元気よく咲いていた。
「あ、お母さん、バラが咲いている」
 思わず私は叫んだ。母はいったん顔を上げて、やわらかな朝の光をまるで自分自身が出しているかのように咲いているそのバラを見た。見て、また、おお、おおと言いながら、泣いた。ずっと泣いていた。

                  了

2008-10-24 00:50:13公開 / 作者:河鳥亭
■この作品の著作権は河鳥亭さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
「〜しず」や「本当にしない(信じない)」など、古い言い回しを使ってみたくて使いました。どんな印象を受けるかは、読んでくだすった(「くだすった」も古い用法)方々からのご意見ご感想をお待ちします。
この作品に対する感想 - 昇順
一読、かなりの感銘に心が波打ったのですが、このジャンルは、感想を記すのが難しいですね。肝腎の原典、グリムの『ばら』を読んでいないので、その情動がグリムによるものか河鳥亭様の筆力によるものか、すぐには判別できないのです。文章的に整った掌編にもかかわらず、まだ感想が少ないのも、そのせいではないかと。今度図書館に行ったとき、原典を確認しようと思います。
とりあえず、内容そのものではなく文章的な部分のみで、僭越ながら私見をば。
まず、語り手が女性であることを、できれば最初の段落、少なくとも第二段落までに、なんらかの単語で補填したほうがいいと思います。第四段落の『姉』が出るまで、把握できませんでした。
そして、そのこととも少々カブるのですが、『私は生活のために必要な仕事はすべてこなさなければならなかった』という第三段落の記述から、私はてっきり語り手を元気な男の子なのかと思っていたところ、第四段落で『体の弱い私』と記述されており、これにも少々引っかかりました。
童話、あるいは寓話というものは、ファンタジックだったり寓意的であったりすればするほど、基本的な『語り』の流れは、把握しやすいほうがベターです。もし児童相手の読み聞かせならば、児童からのツッコミに随時対応していけばいいわけですが、文章作品の場合は特に、ですね。もちろん狙ってするシュール芸やドンデンのショート芸ならば、確信犯的に『隠す』『乱す』のもアリなのですが、この含蓄に満ちた一幅の叙情画のような作品では、やっぱり引っかかりなくするすると語りたい、そんな気がします。
以上、細々と指摘いたしましたが、この作品全体には、最初に述べましたように、しみじみと心をうたれました。すなおに感謝いたします。
2008-10-24 22:00:33【☆☆☆☆☆】バニラダヌキ
【作者】何年か前に書いたものですが、投稿する前に読み返してみて、自分でも「あれ、これは男の子だったっけ、ああ、女の子なんだ」と気づきました。冒頭の文体の堅さからして、男性的にすぎたと思います。ご指摘の通り「姉」がほとんど唯一の手がかりになりますが、これは投稿直前、苦し紛れに加筆したものでした。1段落2段落あたりでも工夫のしようはあったかと思います。
2008-10-25 01:00:11【☆☆☆☆☆】河鳥亭
 初めまして。夢幻花と申します。
 Kinderlegendenですね。幼稚園のとき、教室で読んだ覚えがあります。グリム童話集には収録されてないせいか、知ってる人が少なくて淋しかったり。懐かしいなぁ、という思いと共に拝読しました。
 手元に原文が無いので、はっきりとしたことは申せませんが、原文ではもう少し文体がやわらかだったような気がします。それで、読んですぐに語り手が女性であることが解ったような。
「こういう小説」として読むぶんにはとても読みやすいし、素敵だと思うのです。ただ、グリム童話のアレンジとしては少し、首を捻ってしまうところがありました。
 もともとグリム童話って、フランス、ドイツ周辺で、口頭によって伝えられる御伽噺だったんですよね。近所に住むおばあさんが、小さい子供に話して聞かせるような。より宗教的な観点を交えたものの、ヤーコプはできるだけ口承に近い形になることを意識し、第一版グリム童話集を完成させます(まぁ、もともとがブレンターノという人に依頼されて調べた資料としてのメルヘンだったため、子供に読ませるのに相応しくないという評価を受け、たびたび改編しますけれど〉
 長くなりましたけど、そんな訳で、グリムやシャルルの童話は、たとえ近代小説風であろうと、「聞き手」を意識した形であってほしかったように思いました。
 それともう一つ、「本当にしてはいなかった」は、「本当にはしていなかった」の方が自然だと思いました。(そうそう、コメント欄で古風な言い回しと仰ってましたが、これ、古風ですか……?)また、弟が「ぼくにこいつをくれたのだよ」と言うところがありますが、少々古風に拘りすぎたような、不自然な印象を受けてしまいました。「ぼくにこいつをくれたんだ」くらいで充分なのではないかな、と。
 失礼なこといろいろ申しましたが、全体的にはとても綺麗な文章で、素敵だと思いました。多分、私が童話オタクじゃなければ気にならなかったのでしょうけど(笑)
 次回作も期待してお待ちしたいと思います。長々、大変失礼致しました。
2008-10-27 18:01:46【☆☆☆☆☆】夢幻花 彩
 こんにちは。はじめまして。
 僕も原典を読んでいないので、なんとも言いがたいのですが。
 近代小説として仕立て直すのならば、もう少しまとまった長さが必要だったのではないかという感じがするのですが、いかがでしょうか。情景や生活などの具体的な描写がほとんどないため、舞台が近代なのか前近代なのか、西洋なのか東洋なのかも判然とせず、近代小説と言うよりもやはり「童話」「寓話」という印象を受けました。近代的な小説であるなら、そこらへんの描写が欲しかった気がします。いっそのこと、たとえば1940年代の日本を舞台にしたりしても面白かったかもしれません。

 さて「本当にする」は古風か? えーと、彩さんには悪いけど、現代語としてはやや古風だと僕も思います。でも、今でも使いますよね。解説が必要なほど古い言い方とは思えません。それから「くだすった」は、僕の印象では、古い用法と言うよりも東京方言のような気がするんだけど、どんなもんでしょうか?
2008-10-27 19:18:55【☆☆☆☆☆】中村ケイタロウ
【作者】次はですね、「フリーデルとカーテルリースヒェン」です。
2008-10-27 22:17:44【☆☆☆☆☆】河鳥亭
計:0点
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