『妄想という名のカミガカリ』作者:海賊船 / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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 プロローグ

 五月五日、午前七時十分。任務ヲ決行セヨ。
 俺の脳内に、パトリオット軍曹からの電信が届いた。ちなみにパトリオット軍曹と言うのは、二十五歳独身、女性として完成されたスタイルの持ち主で、他人も自分にも厳しい、しかし弱い一面もある俺好みの脳内妄想である事を最初に言っておく。
 それはさておき、いよいよ作戦決行の時である。作戦内容はいたって単純だ。俺は客を装ってコンビニに入り、ターゲットである加藤さんを確認する。そして、いつものように朝飯であるサンドウィッチを加藤さんのレジへと持っていき、会計の際にメアドを書いた紙をさり気無く渡すのだ。
 無論、その際に「メール待ってるぜ」と爽やかな笑みを浮かべながら甘い言葉を囁くのも忘れてはならない。この一連の動作を速やかに終えたら、後は学校へと行けば任務完了だ。名付けて運命の朝、物語はコンビニから始まる俺と加藤さんの東京ラブストーリー作戦である。
 俺はメアドが書かれた紙を再度確認し、ポケットにねじ込んだ。コンビニの前で何回か深呼吸をして気分を落ち着かせる。大丈夫だ。今日というこの日の為に、俺は二ヶ月間コンビニに通いつめて加藤さんのシフトを完全に把握。計四十六回も加藤さんにレジ打ちをしてもらったのだ。
 購入する商品はいつも同じ、サンドウィッチにコーヒー。流石に四十六回も同じ商品をレジ打ちしていれば、加藤さんの方も俺の顔を覚えている事だろう。そして、少なからず恋愛感情を俺に抱いているに違いない。確固たる証拠はすでに掴んでいる。三十回目を越えた辺りから、加藤さんは俺のほうを絶えずチラ見していたのだ。その事実に気付いた時、俺は小さくガッツポーズを決めた。
 成功する確率は九十九パーセント。失敗する訳がない。ただ彼女との関係を、店員と客と言う立場からメル友へとステップアップさせるだけの事だ。他愛も無い任務である。
 コンビニの前で深呼吸を繰り返し、息を整える。手鏡を取り出し、笑顔の最終確認。歯茎よし、目元よし、髪型よし。素晴らしい爽やかスマイルだ。近くに女子高生がいたら、俺の笑みに一目惚れしてしまうほどのナイス笑顔だぞ俺。
 全ての確認を終えた俺は、いよいよコンビニの店内へと足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ」
 入るや否や、レジ前にいる加藤さんの声が俺の耳に届いた。やや、今日はポニーテールですか。ううむ、どんな髪型でもやっぱり可愛い……。
 俺はいつものようにサンドウィッチと紙パックのコーヒーを手に取り、タイミングを見計らってレジへと向かう。同じくこの時間帯に働いているパートのおばちゃんにレジを打たれたら、計画はその時点で失敗になるから油断出来ない。
 計画通り、加藤さんがレジカウンターへと入った。俺は商品を置き、彼女の顔を見つめる。相変わらず、美しい曇りなき瞳だ。清潔感漂う黒髪は、まるで時代劇に出てくる姫様のように清楚な雰囲気をかもし出している。雪を連想させる白い肌は、国宝級の美術的価値があるといっても過言ではない。
「二点で五百二十円になります」
「……」
 透き通るような声が小気味いい。彼女が自分の名前を呼んでくれたら、どんなに幸せだろうか?
 勇気君、だなんて呼ばれたら、俺はもう幸せすぎて失神してしまうかもしれない。
「あのぉ……」
「あ、はい」
 困ったような表情で言われ、すぐさま我に返る。落ち着け、赤道勇気。今は妄想する時間じゃない。
 俺は何とか広がっていく妄想を抑え、代金を取り出す。
「六百円お預かりいたします。こちら、お釣り八十円になります」
 よし、今だ! 俺は右手でお釣りを受け取り、左手でポケットからメアドの書かれた紙を取り出した。
 そして、彼女の手にそれを乗せる。
「こ、こ、これ、俺のメアド……! め、めめめメール待ってるぜ?」
 いかん! 噛んだ! 何てことだ。俺としたことが、こんな初歩的なミスをっ! このままでは、ただの挙動不審なストーカー男として見られてしまう!
 待て、慌てるな。落ち着け、落ち着け。まだフォローは効くはずだ。
 俺はすかさず、爽やかなスマイルを浮かべた。よし、これで俺の不審者率はだいぶ下がり、むしろ恥かしがりやな爽やか好青年として見られるはずだ。
「いえ、結構です」
「え?」
 そんな考えを打ち破るような一言を、加藤さんは口にした。そして、俺の手にメアドを書いた紙が戻される。
 いえ、結構です。なるほど。
「あ、そうデスか……こりゃ、ども」
 俺はぺこりと軽く会釈し、逃げるようにそそくさとコンビニを出た。
 ぴんぽろぱんぽろ。自動ドアが無機質な音を鳴らす。背後から、ありがとうございましたー、の声はない。
「ふう……」
 俺は現状の分析を開始する。途中までは、計画通りであった。それはもう完璧なまでにシミュレーション通りの流れであった。
 しかし、この違和感は何だ? いえ、結構です。加藤さんの声が脳内で再生される。いえ、結構です。そして手には何故か俺のメアドが書かれた紙が。これらが意味する事は――。
「そんな馬鹿なぁぁぁ――――!」
 任務失敗、という事実だった。有り得ない。何故だ。何故、受け取りを拒否されたんだ。脈アリじゃなかったのか?
 俺はあまりのショックに、頭を掻き毟る。そして、逃げるようにコンビニの前から離れていった。
 この俺が、また失恋だと? これで告白戦歴三十二戦ゼロ勝三十二敗だぞ!? 今度こそ、今度こそいけると思ったのに! 運命が動き出したと思ったのに!
「うわあああっ! 綺麗な朝日のバカヤロ――――!」
 俺は頭をガムシャラに振りながら、腕を広げつつ走る。加藤さんとの思い出が、まるで走馬灯のように瞼の裏で再生される。初めて彼女を見た時のこと。彼女の大人の雰囲気に惹かれ、恋に落ちた時の事。お釣りを受け取る時に、手と手が触れ合った時の事。
 それらが紡いだ俺の恋心は、今日、この瞬間に弾け散ったのだ。
「ちっくしょ――! もっといい男になって、俺を振ったことを後悔させてやる――!」
 叫びながら走る俺。ああ、赤道勇気、十七歳。今日も俺は、青春の風を謳歌しています……!
 直後、もの凄い轟音を立てる何かが、自分目掛けて突っ込んできた。瞬間、ドン、という音と共に俺の体が浮いた。
 目を開くと、景色がスローモーションで動いている。何だこれ? 俺もついに浮遊術をマスターしたのか?
「え?」
 気付いた時には、すでに遅かった。ゴボ、と音を立てて口から血を吐く。俺を弾き飛ばした鉄の塊が、速度を緩める事無く俺の横を走り去っていく。
 それを操る三十代と思わしきおっちゃんの目は、信じられないと言ったような感じで見開かれていた。
 おいおい、嘘だろ? 冗談きついぜ神様よ。俺はまだ十七年しか生きてないんだぜ? これで人生はいお終いと言われても、俺は全く納得する気ないですぜ。
 などとコンマ何秒の世界で文句を言っても、現実は無情だった。五月五日、午前七時十五分。俺こと赤道勇気は、無様にもトラックにはねられて死んでしまった。

第一章

「ちっくしょ――! もっといい男になって、俺を振ったことを後悔させてやる――!」
 叫びながら走る俺。ああ、赤道勇気、十七歳。今日も俺は、青春の風を謳歌しています……!
「止まれ!」
 背後から、気丈な声が聞こえた。俺はその声に驚き、思わず足を止め、声がした方向へ振り返った。
 そこには、うちの高校の制服を着た女の子が立っていた。肩で揃えたショートヘアは、いかにも運動部といった印象を受ける。はて、運動部の女子に知り合いがいただろうか。、
 気の強そうな大きい瞳は、真っ直ぐに俺のほうを見ている。というか、睨んでいる。そして、待ったと言わんばかりに手の平をこちらに向けていた。
「何とか間に合ったか……くっ」
 そう言って、女の子はその場で膝をついてしまった。
「お、おい。大丈夫か?」
 体調を崩したのだろうか? 放っておく訳にもいかず、彼女に駆け寄ろうとしたその時だった。すぐ背後を、凄い勢いでトラックが走り抜けていった。
「うおっふぅ!? あ、危ねぇ!」
 あと少しで轢かれるところだった。近頃のドライバーは何て危ない運転しやがるんだ。もっと前方に注意しろってんだばかやろーめ。俺は心の中で悪態をついた。口に出さない辺り、やっぱり俺は人間が出来ているなぁ。
 まぁ、知らず知らずのうちに車道に出てしまっていた俺が悪いとも言えなくは無いのだが……無事だったしどうでもいいや。それより、俺にとって今重要なのは、目の前で苦しそうに膝をついている女の子だ。
 体調不良か何かで苦しむ美少女、そして、偶然にも通りかかった美形の少年(俺)。このシチュエーションは、まさに少女漫画よろしくラブロマンス的展開の序章ではないか! 神は我を見放さなかった!
「大丈夫かい、お嬢さん」
 俺は女の子に近づき、優しくそっと手を伸ばす。こういう出会いは、第一印象が肝心だ。俺は何十回と鏡の前で練習したベストスマイルを浮かべる。
 女の子は顔を上げ、腕をぐっと伸ばす。そして、女の子は俺の手に触れ――――ることなく、そのまま髪の毛をむんずと掴んだ。
「ちょ、痛い痛い痛い!」
 毛根が死ぬ! 最近ちょっと薄くなって心配なのに!
「お前、名前は?」
 女の子が、その鋭い目で俺に問いかける。うおっ! やばい、怖いぞこの人。まさか不良? そしてカツアゲ?
 俺が想像していた展開と全く違うぞ。ええい、神め。いつか生まれた事を後悔させてやる。
「あ、赤道勇気です。家は決してお金持ちじゃないし、むしろ貧乏な方で、いや、そこまでじゃないですけど、決して裕福というわけでは……」
 俺は不良と思わしき女の子を刺激しないよう、遠まわしにお金持ってないですよ、というアピールをする。
 すると、そんな意思が通じたのか、女の子は俺を掴んでいた手を離した。慌てて髪の毛を確認する。
 ああっ! 心なしか、掴まれてた部分のボリュームが少ない! 俺はちょっと泣いた。
「やはり、お前が赤道勇気か」
「うう……すいません。もう勘弁してください。土下座でも何でもしますから、髪の毛だけは抜かないで」
「手荒な事をしてすまなかった。だが、無事で何よりだ。危うくお前は死ぬところだったんだぞ?」
「へ?」
 てっきり金を要求されるかと思ったのだが、予想外の言葉に思考が固まる。
「それって、どういう……」
 女の子が、俺の頭に手の平をかざした。瞬間、脳裏に不思議な記憶が蘇ってくる。そういえば、俺はトラックにはねられて……。あれ? じゃあ、何で今生きてんだ?
 トラックにぶつかった瞬間の、骨の砕ける感触を思い出す。ぞぞ、と体全体に悪寒が走った。
「な、ななな何で俺生きてんだよぉ!?」
 俺は自分の体を触って確かめる。だが、どこにも異常は見られないし、痛みも感じない。
「思い出したか? 私が戻した三秒間の記憶を」
「三秒間の記憶ぅ?」
 さっぱり意味がわからない。
「それは後で説明するとして。私の名は桜。三神桜だ。よろしく頼む」
「ど、どうも」
 桜さんとやらは、急に友好的な微笑みを浮かべた。あれ? 彼女はお小遣い稼ぎにカツアゲをする不良少女じゃなかったのか。
 まあ、よく分からないが俺に危害を加える気は無さそうだ。ほっと胸を撫で下ろす。
「それじゃ、またいつか機会があればお会いしましょう」
 俺はきらん、と輝く白い歯を見せつけ、爽やかにその場を後にしようと踵を返した。
 彼女ほどの美少女と別れるのは惜しいが、我が身の方が大切だ。どうも彼女は言ってる事も、纏っている雰囲気も奇妙だ。
 俺の脳内危機センサーが、彼女と絡むと面倒な事に巻き込まれるぞ、と警告を発していたので、ここは戦略的撤退だ。
「待て」
「ぐえっ!」
 背後から首根っこを掴まれ、首が絞まる。
「話がある。ちょっとこっちに来い」
「い、いや! 離して! 痛いのは嫌だぁぁぁ!」
 桜さんとやらは、俺に絡む気満々のようだった。いかん、やっぱりこの人は不良だ!
 恐らく、この後人気の無い工場に行って、鎖とか振り回してそうな怖い人達と合流する気なんだろう。
「こら、暴れるな。あちら側も追っ手を出しているはず……見つかったら厄介だ。急ぐか」
 桜さんは何やら独り言を呟いている。あちら側とか追っ手とか物騒な単語が耳についた。
 その言葉から想像できる事は、どう考えても暴走族の抗争だ。でっかいバイクにまたがった柄の悪いお兄さん達が脳裏に浮かんだ。
「嫌ぁ! バイクで引きずり回される! バットで殴られるぅ! さ、ささ桜さん、悪いけど俺は漫画の主人公みたいに強くないから! 喧嘩とかになったら一目散で逃げるタイプですから! だからお願い、喧嘩に巻き込まないでぇぇぇ!」
「何を訳の分からない事を……むっ!」
 突如、桜さんは俺の首根っこを掴んだまま横に跳んだ。物理法則に従い、少し遅れて俺の体もそちらへ引っ張られる。
「ぐえっ! 首がっ、も、もげる!」
 そのまま、俺はバキバキと草木を押しつぶしながら、草むらに突っ込んだ。草の青臭い匂いが鼻をつんと刺激する。うわぁ、自然の匂いって素晴らしく臭いなぁ。
 何て事を考えている間に、さっきまで自分の居た場所にタクシーが突っ込んできた。そのタクシーは歩道に乗り上げ、停車する。
「……見つかったか」
 桜さんが、重苦しい口調でそう言った。見つかったって、まさか怖いお兄さん集団に!? そ、それはマズイ。顔を覚えられる前に早く逃げねば! つーか今のタクシー、明らかに俺をひき殺そうとしてたよなっ!?
「妄想力確認。んんっ、間違いなしっと」
 俺目掛けて突っ込んできたタクシーから、人が降りてくる。こ、殺される……。最近の暴走族は、こんなにも殺伐とした抗争をしているのか!? つーか今どきのナウなヤングメン(笑)ちょい悪風味な方々には、バイクじゃなくてタクシーなどと言う商業車が好まれているのか!?
 すぐさまこの場から逃げ出そうと、立ち上がる。だが、両足が震えて言う事を聞かない。逃げなきゃヤバイってのに、くそったれ。
「妄想主、赤道勇気。見ぃーつけた」
 タクシーの主と、目が合ってしまった。俺をひき殺そうとしたクレイジードライバーは、スーツに身を包んだ、金髪の長髪が美しい美女であった。
 瞳の色は、日本人の黒色ではなくグリーンだ。エメラルドを連想させる美しい瞳、恐らくは外人なのだろう。そして、俺は彼女の体型を見極める。
 ほどよく育っためろんのようなバスト、モデルのようなほっそりとしたウエスト、ズボン故に生では見れないのが悔やまれる、すらりと伸びた足。
 最近の暴走族には、あんな美人の外人さんもいるのか。ううむ、あんな美人になら蹴られたり、金を取られてもむしろ嬉し……って、いかん! くそ、邪念が! 煩悩が勝手に!
「貴様は怪獣帝国団ラーズベルドラゴンの団員か」
 俺が妄想に耽っていると、桜さんが敵意むき出しで外人さんに声を掛ける。ラーズベルドラゴン、ううむ、いかにも暴走族らしい団名だなぁ。でも怪獣帝国団ってのはいらないと思うんだが。
「いかにも。アタシは怪獣帝国団ラーズベルドゥっ! ……噛んじった。ごめん、やり直し」
 ごめんね、とウインクしながら謝る外人さん。その完璧なまでの美しさとのギャップに、俺はやられた。
「うおぉっ! す、すげぇ今のドキっときた!」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない。アタシも、貴方みたいな純情な人嫌いじゃないわよ」
「ほんとですか!? じゃ、じゃあ、よかったらメアドと携帯の番号を……ぶふぅっ!?」
 携帯片手に、外人さんもとへと走ろうとした時、背後からまたもや首根っこを引っ張られた。
「騙されるな、勇気。奴は怪獣だぞ」
 桜さんが恐ろしい顔つきで、外人さんを睨んでいる。おいおい、相手の事を怪獣呼ばわりするなんて、よっぽど仲が悪いらしいな、この二人は。
 というか、そろそろ逃げ出してもいいだろうか? 俺は関係無いんです。遅刻しそうなんで学校に行きますねさようなら、って言える雰囲気じゃないよなぁ。
「ひっどーい! アタシ、これでも怪獣の中じゃ『一番べっぴんさんだね』って良く褒められるんだからぁ!」
 外人さんは桜さんを指差し、ぷんぷんと怒りの声をあげる。
「いい加減、正体を現したらどうだ? どうせ私と戦うつもりなんだろう?」
「ふふ、怪我をするのはどっちかしらね? あなたが大人しくその子を引き渡すっていうなら、話は別だけど」
 え? 何で俺が人質みたいなポジションになってんの? 俺はただの通りすがりなんですけど……。
「笑止。彼の護衛が、私に課せられた使命だ。おめおめと引き渡すわけにはいかない」
 桜さんは、俺を護るように毅然と仁王立ちをする。護衛? 使命? 何のこっちゃ。
「あ、あのー。そろそろ俺、学校行っていいですか?」
「安心しろ、勇気。君は私が護ってみせる」
 桜さんはまるで聞いちゃいない。つーか、いつの間にか桜さんバーサス外人さんの抗争に俺も巻き込まれてる訳なんだが……どうしよう?
 しかも、今までの会話から察するに、二人は何故か俺の事を奪い合っているようだし。何だ? もしかして、実は俺の隠れファンだった女の子二人が対立しているという夢のようなシチュエーションなのか?
「しょうがないなー。本来の姿になっちゃうと手加減できないから、死んでも恨まないでね? 怪獣帝国団ラーズベルドラゴン、略してラドンの紅一点! 人狼、ヒャダイン参る!」
 外人さんがヒーロー戦隊物のアニメよろしく、妙な二つ名を付けながら自己紹介をした。
 まるで、俺を誘拐する為に現れた怪人みたいな口ぶりだ。じゃあヒーロー役はこっちにいる桜さん? いや、普通は俺がヒーローで桜さんがヒロインであるべきだろう。
 可愛い女の子を護る正義のヒーロー、それが俺で、ヒャダインさんは怪人軍団のボスに改造された人造人間だったりして。そういう設定ならば、当然主役である俺には特殊な能力が備わっているはず……なんて、非現実的な事は有り得ないよな。
 そう思った矢先、ヒャダインさんの体が見る見る毛深くなっていき、人型の狼らしき生物へと変化してしまった。
「な、なななな……!」
 なんだあれは!? 俺の目は、いや、俺の脳みそはおかしくなっちまったのか?
「ふふ、この姿になると、すっごく食べたくなるんだぁ、お肉とか。でも、妄想主を食べたらお父様に怒られちゃうから、桜さんだけで我慢してあげるっ!」
 獣人間と化したヒャダインさんは、狼の如きスピードで桜さんに襲い掛かった。俺は恐怖で体がすくみ、呆然と見ていることしか出来ない。
「我が魔力よ、その力を炎と成し敵を焼き尽くせ――――ファイアボール!」
 桜さんが、早口で呪文めいた言葉を口にする。直後、爆音と共に狼人間ヒャダインさんが吹っ飛んだ。
「うおわっ!?」
 小規模とは言え、その謎の爆発による衝撃に思わず目を瞑る。一体、何が起こったんだ? テロか? ここは日本だぞ!?
「よし、今のうちに逃げるぞ。ついて来い」
「え、ちょ、ちょっと!」
 有無を言わさず、桜さんは俺の手を引っ張り走り出した。何が何だかさっぱり分からぬまま、あれよあれよと引っ張られていく。
 桜さんの手、柔らかいなぁとか、学校はもう完全に遅刻だなぁとかどうでもいい事を考えつつ、自分の置かれている状況に疑問を募らせた。きっとこれは夢だ。よく考えれば、俺が加藤さんに振られるって辺りからおかしいと思ったぜ。夢なら怖いもんなしだ、何でもきやがれってんだ。
 ……いや、夢にしちゃリアルすぎるだろ。どうなってんの? 誰か説明してくれよ、ほんと。


 数十分後、俺は高級感溢れる一室に突っ立っていた。目の前の社長椅子に座っているヒゲを生やした偉そうな爺さんが、俺をじっくりとなめまわすように見つめているのが気持ち悪い。
「どうやら、無事に保護出来たようだね。桜、ごくろうだった」
「ありがたきお言葉です、水戸上官」
 桜さんは、まるで軍人さながらのビシッとした敬礼をする。
「あの……あなた達は一体何者なんですか? お、おおお俺、どうしてこんな所に連れてこられたんですか?」
 麻痺していた思考をやっとこさ動かし、当然の疑問を正体不明の爺さん(偉そうなヒゲ付き)にぶつける。
「うむ。事情が飲み込めんのは当然じゃろうて。ワシが説明しよう」
「いえ、上官。ここは私が」
 桜さんがすかさず割ってはいる。しかし、水戸と呼ばれた爺さんは不機嫌そうな表情を浮かべた。
「何をいっとる、桜クン。ここは、流れ的にワシが説明する場面じゃろうて? ただでさえ日々の生活で人とのかかわりが少ない年寄りの出番を奪わんでくれ」
「も、申し訳ありません。考えが及びませんでした」
 水戸上官に叱られ、しゅん、とうな垂れる桜さん。うおっ! ちょ、ちょっとその表情にはドキっときたぜ。さっきの自称人狼ことヒャダインさんとの時といい、俺はギャップに弱いな。
 改めて、桜さんを間近で見つめる。肩に触れるか触れないかのところで切り揃えたショートヘアは、いかにも運動が出来そうな印象を受ける。キリ、とした眉毛と目つきからは、厳しさと意志の強さが見て取れた。しかし、意外と背はちっこい。俺の肩くらいの身長だ。
 何とも護ってあげたくなっちゃう様な女の子だ。って、やべー。何か意識したらいい匂いがしてきた。心臓もドキドキと高鳴ってきたし、これってまさか、こ、恋? いや、落ち着け赤道勇気。いくらなんでも、出会って数時間で見知らぬ女の子に惚れるほど俺は惚れやすくないぞ。あれだ、非現実的な光景――あれはやっぱり夢だったのだろうか――を目の当たりにして、いささか思考が混乱しているだけだ。
 ほら、あれだ。極限の状況に陥った人間は、身近にいる異性を好きになりやすくなる心理現象と言うか……って、誰に言い訳してるんだ俺は。
「勇気君、だったね。桜クンに見とれている最中すまないのだが、そろそろ喋ってもいいかな?」 
 ごほん、と咳払いをし、水戸上官がそう言った。
「え? わ、私に見とれている?」
 桜さんの顔が、一瞬で完熟トマトみたいに赤くなった。つられて、俺までドキドキしてしまう。
 何てこと言いやがるんだこの爺さんは。つーか、本人が居る前でそう言う事言われると、居心地悪いだろ! 空気を呼んでくれ!
「あ、いや、俺は、別に見とれてた訳じゃ! いや、確かに桜さんは可愛いですし、見とれてましたけど。って何ぶっちゃけてんだ俺! 違うんです、なんつーか、特殊な心理状況と言うかっ!」
 心臓の鼓動が速くなり、一気に顔が熱くなる。もはや自分が何を口走っているのかすらわからない状態だ。
「私が可愛いだと? せ、世辞はよせ勇気。褒めても何も出ないぞ」
「え、いや、だから可愛いっていうのは世辞じゃなくて! ていうか、ああもう、何と言うかっ……!」
「まあ、そんなどうでもいい事は置いといてじゃな」
 水戸上官が俺の言葉を遮る。どうでもいいって、おいこら爺さん。最初にこの話振ったのあんたでしょうが。
「あー、なんじゃったか。そうそう、現状の説明じゃったな。んじゃあ率直に言うぞい。まず、ワシらは魔法使いじゃ」
「……はい?」
 えーっと、この爺さん今なんて言ったのかな? 魔法使いって聞こえたような気がするんだけど、聞き間違いだろうか。
 水戸上官の顔を見る。真顔だ。うん、やっぱり聞き間違いだろう。こんな七十を超えてそうな爺さんが「ワシは魔法使いなのじゃ」などと言う妄言を真顔で言えるはずがない。
「そして、ワシらが所属する現代日本魔法協会は公の、つまり政府直属の正式な機関じゃ。まあ、現代人には馴染みの無い機関じゃろうて。影薄いし、給料安いし、おまけに上の連中はいけ好かない奴らばかりじゃし……」
 そのまま、水戸上官はぶつぶつと愚痴らしきものを呟き始めた。
 俺の隣にいた桜さんが静かにため息をつき、水戸上官の代わりに説明を続ける。
「すまない。水戸上官は老体ゆえ、精神が不安定になる事があるんだ。代わりに私が説明しよう。まず、私達が居るここはラーメン屋しらさぎ入り口入って左にある便所横の階段を降りた先にある、現代日本魔法協会の本部だ」
「まてまてまていっ! おかしいよね? どうして、その魔法なんとか協会とやらがラーメン屋の地下にあるわけ?」
「予算が厳しく、ここしか借りられなかったのだ。出前もすぐとれるから便利だしな」
 現実的過ぎるぞ魔法協会とやら。どんだけ少年少女の夢を壊すような回答だよ。いくらなんでも、ラーメン屋の地下はないだろ。ラーメン屋は。
「そして、私達現代日本魔法協会の目的は、人類に危害を加える『怪獣』の撃退だ。ここまでは理解出来たか?」
「あの、桜さん? 君と、その水戸上官とやらが言ってる事は凄く面白いと思うよ。でもさ、それって戦隊ヒーローモノとかのアニメ内の設定でしょ? それを真顔で言われたって……ねぇ? 反応に困るっていうか」
「私が言っている事は全て事実だ。実際に、君は怪獣を見ただろう?」
 そう言われ、ついさっきの出来事を思い出す。桜さんに襲い掛かった人狼とか、桜さんが呪文らしきものを唱えた直後に起きた爆発とか。確かに、あんな非現実的な出来事をこの目で見てしまっては、否定のしようがない。
 しかし! しかしだ! そんな魔法とか怪獣とか、世界中のお子様がよだれを垂らして喜びそうなものは現実には一切存在しないはずだ。だってそうだろう? ここは異世界でも何でもない、日本だ。凶悪犯罪とかはたまにあるけど、大型怪獣が街で暴れるなんて光景は見たことも聞いたこともない。
「わかった!桜さん、これってドッキリカメラでしょ? 新手の戦隊モノアニメのコマーシャルの企画でさ、さっきの出来事も仕組まれてたんでしょ。そうだ、きっとそうだよ。あの爆発も火薬か何かで」
 俺がまくし立てるようにそう言うと、桜さんは何やらぶつぶつと小声で喋り始めた。耳を済ませると、炎、とか、魔力、などの怪しげな単語が聞き取れる。
「さっき使用してしまったから、小さなものしか出せないが……ファイアボール!」
 瞬間、桜さんの指先にビー玉サイズの火の玉が浮かび上がった。
「て、手品?」
 指先から火の玉が発生するなんて、そんなベタな! いや、そんな馬鹿な! 目の前の不思議な光景に、俺は思わず目を擦る。どこかにライターでも仕込んでいるのか? いや、そんな様子はないし、まさかこれって本当に魔法?
「いやいやいや! 認めないぞ! 俺はもう、魔法とか異能力とか組織とかそういうのはとっくのとうに卒業したんだ!」
 ぶんぶんと頭を横に振り、一瞬、本当に桜さんは魔法使いなんじゃないか、などという考えを振り払う。
 そんな俺を見て、桜さんは悲しそうな表情を浮かべて
「これでも、信じてくれないか?」
 指先に浮かんでいる小さな火の玉を、俺の頬に押し当てた。
「熱い熱い熱い! 頬が黒こげに焼けちゃうぅぅぅ! すいませんほんとすいません信じます信じますから勘弁してください!」
「わかってくれたか、勇気」
 桜さんは嬉しそうに笑い、指先の火の玉を消した。
「って、いくら何でも力押しすぎるよ! 普通だったら、空飛んで見せたり、テレポートとかしてみせたり、もっとこう穏やかで納得の出来る方法で説得するだろ!」
 俺は焼肉のようにじゅうじゅうと音を立てる頬をさすりながら、涙目で抗議する。
「めんどくさい」
 桜さんは平然とした顔でそう言った。最悪の理由だ! ちくしょう、でも可愛いから許す!
「それに、さっきタイムループと、ファイアボールを使ってしまったから、魔法を見せようにも魔力が残り少ないんだ」
「タイムループ? ファイアボール? なんか三流のロールプレイングゲームに出てきそうな魔法名だなぁ」
「タイムループは、三秒間だけ時間を戻す魔法。ファイアボールは、さっきみたいに火の玉を生み出す魔法だ」
「ちょっと待って。時を戻すって、それってやばくないか? 世界の物理学者も真っ青じゃないか」
「私にしか出来ない魔法だ。三秒だけだから、たいした事はない。とは言え、世界中の魔法使いの中でも私にしか出来ないんだがな。世界中で時が操れるのは私だけ」
 さり気無く自慢入ってるよ。桜さん。
 そこで不意に俺はある事を思い出した。
「そういえば、俺が桜さんと最初に会った時……俺、トラックにはねられたような気がするんだけど、もしかしてあの時、そのタイムループっていう魔法を使ったの?」
 桜さんはこくりと頷く。何てこったい。じゃあ、あの時桜さんが魔法を使ってなかったら、今ごろ俺は天国への階段をせっせせっせと上っていたって事になるのか。
「オーケー、わかった。その魔法とか怪獣とかが百歩譲って事実だとしよう。でもさ、俺は一般人よ? 魔法とか、そんなファンタジーなもんには一切縁の無い普通の美少年なんだぜ? そりゃ、今回は何か危険なところを助けて頂いて、ありがとうございました。だけど、もう俺関係ないですよね。それじゃ、お仕事頑張って下さい」
 俺はバイバイと手の平を振り、桜さんとまだぶつぶつと何か呟いている水戸上官に背を向けた。彼らが言っている事が嘘だろうが事実だろうが関係ない。てか、関わったらどう考えてもやばい事に巻き込まれそうだ。君子危うきに近寄らずってやつだ。
「美少年?」
「そこ突っ込むの禁止!」
 俺は即座に振り返って叫んだ。ぐうっ、桜さんの眼差しが心に刺さる! 痛いっ! やめて、そのかわいそうな子を見るような瞳やめて!
「関係はあるぞぉぉぉい!」
「うおっ!?」
 さっきまで手元の紙に殺とか呪とか書きながら何か呟いていた水戸上官が、机を思い切り叩きながら大声を上げた。
「勇気君! はっきりいうぞい! 君は、怪獣に狙われているんじゃあぁぁぁ!」
 水戸上官は、今にもぶっ倒れそうなほど額に血管を浮かび上がらせながらそう言った。
「俺が怪獣に狙われている? ははっ、ジョークきついですよ。怪獣とやらが俺なんか狙ってどうするんですか?」
 だんだんと、この状況がやっぱりテレビ番組の企画なんじゃないかと思えてきた。何で一般人である俺が、怪獣とやらに狙われなきゃいけないんだ。理由がないだろ? まさか俺に特殊な能力があるわけでもあるまいし。
「勇気、落ち着いて聞いてくれ。お前自身が気付いているかどうかはわからないが、勇気には普通の人間とは異なる、特殊な力があるんだ」
 桜さんが真剣な顔で、半笑いの俺にそう言った。おいおい、いい加減ベタな展開にもほどがあるだろ。
 そりゃ、俺も子供の頃は、自分にすごい能力があったらなぁって思ってたよ。カメハメ波とか使えたらなぁとか、自分が伝説の勇者の子孫だったらよかったのになぁとか、たくさん妄想したもんだよ。
 だけど、俺ももう十七歳、立派な大人なわけで、そういう非現実的なことは有り得ないってもうわかるんだよ。
「悪いけどさぁ、人違いだと思うよ。だって、俺にそんな特殊能力なんてねーもん。勉強が超人的に出来るわけでもないし、運動だってあんま得意じゃない。女の子にもモテないし、クラスでも影は薄い。部活も入ってないし、そのせいか友達はあんまり多くないし……フフ、どうせ俺なんて……俺なんてぇぇぇ!」
 自分自身のあまりの情けなさに、涙が出てきた。くっそー、こんな不公平な世の中など滅べ! 滅んでしまえチクショー! 
「な、泣くな、勇気。そうだ、お前だけしか持っていない能力があるじゃないか! 人違いなどではない。お前には特殊な能力がある」
 桜さんが、俺の肩を優しく叩きながら言った。
「そうじゃそうじゃ! 男がメソメソするでない! ほれ、桜君。早く能力とやらを言ってやりなされ。このままでは陰気臭くてたまらん」
 水戸上官に促され、桜さんが俺の両肩を掴む。涙を拭って顔を上げると、目の前に桜さんの顔があった。
 思わず、心臓が高鳴った。ふ、という桜さんの吐息がかかる。そして、意を決したように桜さんは息を吸い、
「勇気、お前だけが持つ特殊な能力。それは――――」
 俺は息を呑んだ。一筋の期待が、胸を弾ませる。この十七年間、平凡に生きてきた。冴えない人生だった。だけど、今日、この瞬間、俺は自分に隠された能力を知ることになる――――。
「――――妄想だ!」
 親指を勢い良く立て、桜さんが俺に隠された能力を言い放った。
 おっと、ウェイト。ちょっと待て。俺の耳は、いよいよこんな近くでも言葉を聞き間違えるほどいかれちまったのか?
「……何だって?」
「だから、妄想だ。お前は常人の百倍、いや千倍は強いであろう妄想力を持っている」
 適当な感想が思い浮かばない。えー、俺の特技は妄想です。子供の頃から想像力が豊かでオリジナルのキャラクターやらストーリーやらを創作したり、理想の恋愛プランを妄想したりしていました。この特技を生かして、御社に多大なる貢献活動をしていきたいと思います……。
「って、アホかぁぁぁ! そんなん能力でも何でも無いじゃないか! 何だよ妄想力って! もっとさあ、雷を自在に操れるとか、精霊が見えるとか、そういう魅力的な能力じゃないの!?」
 いくら俺が満員電車で靴を踏みつけられても怒らない温厚な性格でも、ここまで馬鹿にされたら流石に怒る。妄想が他人よりすごい! なんて褒められても全くうれしくない。それが何の役に立つって言うんだ。
「勇気君、強力な妄想と言うのは、そういった魔法の類よりも厄介な能力なのじゃよ」
「どこがですか! 妄想なんて誰でも出来るし、妄想したってそれはただの妄想で現実世界には何の変化も無いただの愚考じゃないですか! そもそも魔法とか怪獣とか、やっぱりそれ嘘なんでしょう!? あれですか、こんな純真無垢な少年を騙して、高額な商品でも売りつけるつもりですか!? そうだ、そうに違いない! これは新種の手が込んだオカルト商法だったんで……うぐはっ!?」
 後頭部に衝撃が走る。一瞬何をされたのかわからなかったが、数秒の思考の後、頭を叩かれたのだとわかった。体から力が抜け、その場に倒れこんでしまう。
「水戸上官、そろそろ限界です。これ以上は勇気から漏れる妄想力の波動で、この場所をラドンに気付かれる可能性があります。説明は後にして、一旦彼を家に送り帰しましょう」
「うむ、仕方あるまいて。彼はまだ何も理解してないじゃろうが、桜君、十分に気をつけて、彼を護ってくれたまえ。援軍を要請するのに、まだ時間がかかりそうじゃ」
「はい」
 桜さんは俺の体を起こし、背中におんぶさせる。何がなんだかさっぱりわからない。やっぱり、これは悪徳商法なのか? それとも、まさか誘拐? だめだ、意識が遠のいていく。誰か、助け……。
「叩いてしまってすまない。話はここを出て、落ち着いてからしよう」
 桜さんに背負われ、俺はどこかに運ばれていく。心地よい振動を感じつつ、俺の意識はゆっくりと闇にのまれていった。


 小さい頃、俺は戦隊モノのドラマや漫画が大好きだった。町で暴れまわっている悪い奴らを、爽快に倒す正義のヒーローや、カリスマ性を帯びた悪の組織のボス。ヒロインとの甘い恋愛。そして、絶体絶命のピンチを切り抜けるカッコいい必殺技――――それら全てに、俺は魅せられた。もし俺が主人公だったら、もしこんな敵がいたら、なんて、寝る前に布団の中でよく妄想してたっけ。
 けれど、現実世界に町で大暴れする怪獣なんていないし、世界征服をたくらむ秘密組織も――例えあったとしても、一般人である俺は立ち向かえないだろうが――テレビの中にしか存在しなかった。
 そうだよ。魔法とか異能力とか怪獣とか、そんなものを信じるのはせいぜい小学校低学年までだ。だから俺は信じない。加藤さんに振られてトラックにはねられて時間を戻されて怪獣と戦って、そして魔法使いと出会ったなんて事は、絶対に信じないぞ。
「目が覚めたか?」
 その声で、意識が完全に覚醒する。見慣れた天井が目にはいった。上体を起こし、周囲に視線をやる。漫画が床に散らばっており、壁には謎の絵画が飾られている。俺の部屋だった。
「あれ……やっぱり、夢オチだったのか?」
 頭を掻きながら独りごちる。夢、か。安心したような、ちょっと寂しいような不思議な感覚が俺を包んだ。
「って、何でちょっとがっかりしてんだよ俺。別に何も問題ないだろ。夢だ、夢。現実にあんな事は起こらないって」
 そう自分に言い聞かせる。夢の中とはいえ、ちょっとわくわくしていた自分が情けない。夢は己の心理状態を表すというが、俺はまだ、あんな想像上の世界に憧れているのだろうか。
「夢じゃないぞ。現実を受け入れろ、勇気」
「はぁ。でも、桜さん可愛かったな。凛々しい割に初心で、そのギャップがツボだったわ。夢の中だけの存在ってのは惜しいよ。俺の理想のタイプだったのに」
「私は、さっきからここにいるんだが……」
「またまた、何言ってるんですか桜さん。いくらなんでも、夢に出てきた可愛い女の子が現実に現れるなんて、そんなうまい話があるわけえええぇぇ!?」
 声の方へ顔を向けると、そこには耳まで真っ赤にした桜さんが立っていた。
「な、ななななんで!? え、夢じゃない!? 嘘ぉ!?」
 俺の脳みそは、フル回転で現状の分析に取り掛かる。ラーメン屋の地下に連れて行かれて、変な爺さんと桜さんのトンデモ話を聞いて、何故か後頭部を叩かれて気を失って……あ、それで今に至るわけか。
「あ、あのな、勇気。その、勇気が私に好意を持ってくれるのは嬉しいんだが、あまりストレートに面と向かって言われると、こちらとしても、ドキドキしてしまって任務に支障をきたす恐れがあるから、そういう事は、プライベートの時に言ってくれないか? その、午後五時以降なら、私はいつでも空いているから」
 そう言って、桜さんは真っ赤になったまま俯いてしまった。あれ? 俺、さっき何か言ったっけ? 待て待て、記憶を巻き戻してみよう。えーっと、『桜さん可愛かったな(中略)理想のタイプだわ』とか言ったな俺。桜さんが居る事に気付かずに、本音をガンガン言ってたな、うん。
 って、おいぃぃぃっ! 俺は本人の前で理想のタイプとか言っちゃってだから桜さんが今、真っ赤になって色々と誤解をっ! いや、誤解じゃないけど非常に恥かしくもどかしい加えて気まずい状況にぃぃぃ!
「さ、桜さん! 違う! 違うんだよ! 俺はただ夢だと思って、その、つい口走っちゃったというか、とにかく変な意味は無いからっ!」
 俺は慌てて弁解をする。確かに、桜さんは可愛いし好みのタイプで好意が無いといったら嘘になるけど、俺にも恋愛プランと言うものがある。
 いきなり告白とかどこのナンパ師だよ! このままでは、軽々しい男として桜さんに軽蔑されてしまう。それ故の弁解だったのだが
「……嘘なのか?」
 桜さんは、ふっ、と顔を上げて俺に問うた。何故か、悲しそうな目つきで俺を見ている。あれ? なんで? 俺、悪者? 空気読めてない?
「いや、嘘じゃない! 嘘じゃないけど、ほら、その、いきなりそんな、ねぇ? 俺はそんな軽々しい男じゃないっていうか、まずはメル友からというか」
「……そうか。早とちりしてすまなかった。こういう事には慣れてないものでな、つい冗談を真に受けてしまった。本当にすまない」
 桜さんはどんよりとした表情で、勉強机の前に置かれている椅子に座り、一人くるくると回りはじめた。俺は何か言わなきゃと思いつつも気の聞いた言葉が何も思い浮かばず、無言のまま気まずい空気を存分に味わう。
 十七年の人生で、初めての修羅場である。こういう時はどうすればいいんですか、教えてください、サングラスの素敵なタ○リさん。
「はっ! し、しまった。私としたことが、つい任務中なのにうつらうつらと……! 勇気、今何時だ?」
 桜さんが獲物に気付いた猫のように、勢い良く顔を上げた。俺は驚きつつも壁時計を見る。
「え!? えーっと、九時十分だけど」
「いかん。九時には一通りの説明を始める予定だったのに、十分も過ぎてしまった! 勇気、時間が無い。ちょっとこそこに座ってくれ! 正座で!」
「は、はい」
 勢いに押され、俺は有無を言う暇なく布団から飛び起きて正座をした。桜さんは一度咳払いをし、早口で言葉を紡ぎ始めた。
「勇気、君の能力は超越した妄想力だ。そこまではいいな? 反論は受け付けん。それで、怪獣帝国団ラーズベルドラゴン通称ラドンたる悪の怪獣組織が、勇気を利用しようとつけ狙っている事がつい先日わかった。私の任務は君の護衛、及びラドンの殲滅だ。よって、今日から君と四六時中一緒に過ごすことになるが、世界平和の為に了承してくれ」
 早口選手権チャンピオンも真っ青のスピードで桜さんは事情説明を終える。俺の脳みそはというと、そのスピードに処理が追いつかずもはや思考をリタイアしていた。
 えーっと、つまり。
「俺は悪の組織に狙われてるってこと?」
「そうだ」
「それで、桜さんは俺の護衛をすると」
「ああ」
 頭が痛くなってきた。ここまできたら冗談やドッキリと言う事は無いだろう。桜さんは本物の魔法使いでこの世には怪獣とやらがいて、そして俺は今、悪の組織に狙われている、と言う事か。ううむ、全くもって現実感も危機感も浮かんでこない。
「……色々細かい事は置いといて、一番の疑問なんだけど、何で悪の組織のラドンとやらは、妄想に長けてるからって別に勇者でも何でもない一般人の俺をつけ狙ってるわけ?」
 これらの衝撃的な事実の中で、唯一腑に落ちないのがそこだった。例え、俺の知らない裏世界で毎日魔法使いと怪獣のバトルが行われていたとしても、何でそこに俺が絡むんだ。俺は別に封印の鍵っぽいアイテムは何も持ってないし、妄想する力が人より強烈だからって、それが怪獣と何の関係があるっていうんだ。
「恐らく、妄想こそが怪獣を生み出す元だからだ」
 普通だったら、そんな馬鹿な、と笑って受け流せる話だが、今の俺は微塵もそんな風に思えなかった。桜さんは真剣な面持ちで続ける。
「我々、協会の調べによると、怪獣が生まれる経緯はこうだ。妄想力と呼ばれるパラメータが高い五歳から七歳までの子供による妄想が、この世にはびこる悪意や憎悪といった負の感情と何らかの経緯を経て混ざり、怪獣としてこの世に具現化される。そして、怪獣は人間の姿に化けて社会に溶け込み、悪事を働く。これが、今現在協会がわかっている怪獣の基本的生態と行動だ。この事から、恐らく、ラドンは年をとっても一向に衰えない勇気の妄想力を、何らかの悪事に利用するつもりなのだろう」
 そこまで言って、桜さんは一息つく。
 何てことだ。子供の妄想が実際に怪獣として具現化していたなんて、衝撃の事実にも程がある。おまけに、俺の妄想力とやらに利用価値を見出した悪の組織ラドンは、俺をつけ狙っていると。
 とりあえず、もう否定はしない。こんな状況でも落ち着いている辺り、俺は相当な大物である。将来は総理大臣か大蔵省だ。
 と、もう一つ気になった事を質問する。
「人間に化けるって、じゃあコンビニで働いてるパートのおばちゃんとか、バスの運転手とか、同じ教室で勉強してるクラスメイトが怪獣だったりすることもあるわけ?」
「可能性は否めない」
 マジかよ! 人間不信になりそうだ。
 全く知らなかった社会の闇部分を一気に聞かされ、脳内がオーバーヒート状態になる。
「以上で説明は終わりだ。引越し業者が来る前に一通りの状況説明をしておきたかったから、粗末な説明になってしまったが、これで状況は理解出来たか?」
「まぁ、一応は……。って、ちょっと待って。引越し業者って何の事」
 その時、ピンポーンと玄関からチャイムが聞こえた。返事をする前に、どやどやと作業服を身に纏った大柄な男達が荷物を手に家へと入ってきた。
「ちょ、ちょっと! 何ですか!?」
 嫌な予感が頭を過ぎた。隣の元姉貴の部屋(現在は空室)に手馴れた様子で荷物を運び続ける男達の一人をとっ捕まえ、問いただす。
「毎度どうも! 小暮引越しセンターです! 三神桜様に頼まれてた荷物、お届けに参りました!」
 引越しセンターの男は、太陽のような営業スマイルを浮かべる。三神桜って。俺は桜さんの方へ振り返る。
「聞き逃していたのか? 私は今日から、君と四六時中生活を共にすると言ったはずだ。いつ怪獣が襲ってくるか分からないからな。しばらくここで世話になる」
「世話になるって! いや、そりゃ嬉しいけど、そうじゃなくて! 若い男女が一つ屋根の下に暮らすっていうのは問題あるし、うちの両親は海外赴任してるから好都合だけどってそうじゃなくて!」
 いくらなんでも、そりゃまずいだろ! いくら俺がレディーファースト当たり前の紳士でも、同い年くらいの女の子と同居したら色々と間違いが起こってしまう可能性が無きにしも非ず。例えば桜さんが入浴しているとは露知らず素っ裸同士で対面してしまうとか、桜さんが着替え中とは露知らず部屋に入って下着姿を拝見してしまったり、そういう嬉しい……じゃない、不埒なイベントが起こってしまうではないか! ていうか起こす! 絶対起こす! い、いかん。妄想したら鼻血がっ!
「おい、大丈夫か?」
「す、すいません。つい鼻血が」
 桜さんがティッシュで俺の鼻を拭ってくれる。はっ! お、俺は何て事を考えていたんだ。この状況を利用して、桜さんとちょっぴりえっちなイベントを起こしちゃおうなんて、紳士の片隅にも置けない愚かな考えだ。くそっ! 俺のバカバカ! どうして、いつもいやらしい方向に妄想が進むんだ。
 やはり、ここは紳士として同居は断るべきだ。婚約前の若い男女が一緒に暮らすなんてけしからん。実にけしからん。
「桜さん」
「うん? 何だ?」
 桜さんが、あっけらかんとした表情でこちらを見る。その顔を見て、つい決意が鈍るが、ここはちゃんとしておかなければ。
 俺は頭を下げて、叫んだ。
「これから、よろしくお願いします! 炊事洗濯、特に下着は念入りに俺が洗……っとぉ! とにかく、家の事は俺がしますから、どうぞ奴隷の如く好きなように使ってください!」
 俺の突然の申し出に、桜さんは困惑した表情を浮かべる。
「そ、そうか? いや、そこまで面倒をかけるわけにはいかんと思って、家事は私がやろうと思っていたのだが……」
「いえ! 全然気にしなくていいですから! 特に洗濯は俺得意ですから! すっごい得意ですから!」
 おい! 何を言っているんだ俺は! 違うだろ、同居を断るんだろ赤道勇気ぃ!
 桜さんはうーん、と少し悩んだ後、
「それなら、お言葉に甘えるとしようかな。ただ、食事の支度は私にやらせてくれ。料理には自信がある」
 何ぃ!? 桜さんが毎日俺の為に味噌汁を作ってくれるだと!? おいおいおい、これは、もはや新婚さんみたいなもんじゃないか! ちっくしょう俺は何て幸せ者なんだ。もう怪獣とかどうでもいいから、一緒に暮らそう桜さん! 俺は君の味噌汁が毎朝飲めればそれで幸せなんだぁぁぁ!
「わかりました! それじゃ、食事の支度は桜さん、俺は洗濯や掃除担当と言う事で一緒にやっていきましょう! これからよろしくお願いします!」
「おいおい、そんなに固くならなくていいぞ。私と君は同い年だしな。堅苦しい敬語はなしにしよう。これから、しばらくの間だが、よろしくな。勇気」
 俺と桜さんは、握手を交わす。もう紳士道とかどうでもいい。俺はこうして桜さんの近くに居れば幸せなんです。もう同居というより同棲だな、こりゃ。この世に生まれて十七年。生きててほんとよかった!
 俺は神に感謝した。神様、ちょっとはいいとこあるじゃん。


 台所から、トントンと包丁の音が聞こえてくる。俺はソファーにゆったりと座りながら、適当なテレビ番組を見ていた。月曜日の正午、普段なら学校で四時間目の授業を受けている頃合だが、今日は急なトラブル(学校には風邪と言っておいた)により欠席することにした。
 台所の方へ視線を向ける。そこには、エプロンを身につけた桜さんの背中があった。そう、お察しの通り、今まさに桜さんが俺の為に手料理を作ってくれているのだ。味噌汁のいい香りと、桜さんのいい香りが俺の嗅覚を刺激する。ああ、いい匂いだなぁ。早く食べたいなぁ。
「何か手伝おうかー?」
「いや、大丈夫だ。もうすぐ出来るから、勇気はテレビでも見ながら、ゆっくりしててくれ」
 何て亭主思いのいい嫁なんだろう。おっと、間違えた。別に俺と桜さんは新婚のラブラブ夫婦ではないのである。しかし、雰囲気的にはそれに近いものがあるので、脳内ではそう言う設定に置き換えておく。
「出来たぞ」
 しばらく妄想の世界に浸っていると、いつの間にか十分ほど経っていた。桜さんの呼び声が、俺を幸せな現実へと引き戻す。
 立ち上がり、テーブルの上に並べられた料理を見る。もちろん、紳士である俺の第一声は決まっている。女の子って言うのは、料理を褒められるとすごく喜ぶからな。
「腹減ったー。どれどれ? うわっ! すっげーうまそ……う……」
 満面の笑みを浮かべたはずなのだが、思わず顔が引きってしまった。
 な、な、なんだこれは。なんだこりゃあああ! 魚から黒い煙が出てる! 飯はおかゆみたいだし、味噌汁は何故だか赤いぞ! 
「ほ、本当か? はぁー……よかった。ちょっと焦げてしまったから、文句を言われるかと思ったんだが、そう言ってくれて気が楽になったよ」
 胸に手をあて、笑みを浮かべる実に可愛らしいリアクションをする桜さん。ということは、これは冗談とかじゃなく、桜さんが丹精込めて作った手料理と言う事になる。
「……」
「朝から色々あって腹が減ってるだろう? ささ、どんどん食べてくれ」
 これは、食べても大丈夫なのか? 俺は脳内で緊急会議を開催する。ダメだ、これは食ったら死ぬ。間違いなく死ぬ。手足とか色んな神経が麻痺してぶっ倒れるぞ。いや、しかし、これは桜さんが真心込めて作ってくれた手料理だ。ここで食べなければ、桜さんは傷つくだろう。男として食べるべきだ。いや、自分の安全を最優先するべきだ。どうする、どうする俺!?
「いただきます!」
 俺は口の中一杯に、飯と味噌汁と魚を放り込む。恐らく一秒でも味わったら吐き出してしまうので、一気に飲み込む。そして体に異変が起きる前に、桜さんの分の食事も平らげる。ものの数十秒で、俺は食事を終えた。桜さんが、ぽかんと口を開いて俺を見つめている。
「す、すすすすすっごくおい、おいしい。さ、ささ桜さんの分まで食べちゃったたたた」
「まったく、凄い食欲だな勇気は。でも、喜んでもらえて嬉しいぞ。作った甲斐があった」
 桜さんの笑顔を見たら、急に体から力が抜けた。そのまま、ふらふらと覚束ない足取りでソファーまで歩き、倒れこむ。体の震えが止まらない。赤道勇気、享年十七歳。死ぬ前に桜さんの笑顔が見れて良かったです。もう思い残す事はありません。
「おいおい、食べた後、すぐに寝ると牛になるぞ」
「つ、つつつつ疲れちゃったから、す、すすす少し休むわわ、わわわ」
 やれやれ、と言った様子で、桜さんは鼻歌を歌いながら食器を片付け始めた。俺の意識は、本日二回目の闇への片道旅行へと出かけていった。



 とまあ、一般人ならそのまま永眠してもおかしくない危険な状況ではあったが、俺は愛の力と持ち前の生命力で、何とか近寄ってくる死神共を撃退し現世に舞い戻ってきた。まだお風呂場でばったりイベントも着替えを覗いちゃったイベントも発生してないんだ。こんな所でゲームオーバーになってたまるか! ラノベなら誰もが挿絵を期待するシーンを体感すること無く死んでしまっては、先祖様に顔向けできないぜ。
「勇気、起きろ。朝だぞ」
「う……」
 桜さんに体を揺さぶられ、俺はゆっくりとまぶたを開く。朝の日差しが眩しい。……朝?
「ええ!? 何で朝の日差しがっ!」
 俺は思わず上体を起こし、壁時計を見る。現在の時刻は八時十分だった。
「おはよう。昨日はよく眠れたか?」
「お、おはようッス。……あれ、昨日って」
 不意に、俺は今寝転がっているこの場所がソファーである事に気付いた。これらの事から推測される事実は一つ。
「俺は丸一日、意識を失っ……! いや、眠っていたのか!」
「ああ。まるで死んでるみたいにぐっすり眠っていたぞ」
 恐らく、死んでるみたい、じゃなくて実際に仮死状態だったんだろう。背筋にぞくりと悪寒が走る。なんて事だ。桜さんの手料理は、うまいとかまずいとかそういうレベルじゃなく、致死量とかで測るようなレベルであるという事なのか。
「それで、今日の朝ご飯なんだが」
 桜さんが、やっぱりご機嫌な様子でぽつりと呟く。
「ま、まままま待った! ほら、俺、もう時間がやばいから朝ご飯は適当に食パンでもかじりながらいくよ! 遅刻寸前の人は、パンをかじりながら通学路を走るのが今の流行なんだ、うん」
 俺は必死で、桜さんの手作り朝ご飯フラグを回避する。桜さんは首をかしげながら、なんとなく納得しているようだった。
「そうなのか? 最近の流行に関しては詳しくないが……。しかし、すまない。私がもう少し早く勇気を起こすべきだった。そうすれば、ゆっくり朝食も取れたのだがな。あまりにも気持ちよさそうに寝てるものだから、つい寝顔に見とれてしまったんだ」
「え? み、見とれてたって」
 俺の寝顔に?
「ごほんっ! な、何でもない! それより、早く学校に行こう。遅刻してしまうぞ」
「う、うん」
 桜さんは慌てて玄関へと走っていってしまった。あれ? そう言えば、何で桜さんはうちの学校の制服を着てるんだろう。まあいいか。それより、急がないとまた遅刻だ。筋肉先生こと赤坂先生に怒られちゃうよ。
 俺はパンをくわえて、玄関に向かう。同じくパンをくわえて俺を待っていた桜さんは、街角で美少年と偶然ぶつかっちゃいそうな様だった。


「今日から、このクラスで一緒に過ごす事となった三神桜だ。よろしく頼む」
 ぱちぱちぱち! と、拍手喝采が教室に巻き起こる。男子なんかは手が赤くなるくらい強く手を叩いていた。というか、うちの学校は男子校だから、男子しかいない訳なんだけれど。
 皆につられて拍手していた俺も、流石に違和感を感じざるを得ない。
「って、何で桜さんがうちの学校に!?」
 思わず、立ち上がって叫んでしまう。いくらなんでも急展開過ぎるぞ。しかし、皆はごくごく自然にこの展開を受け入れているようで、むしろ可愛い子が転校してきて浮かれているような様子であった。
 一人、納得のいかない表情を浮かべる俺を見て、担任の赤坂先生が説明をする。
「桜さんはご両親の都合で、うちの学校にしか通えないとの事だ。本来、男子校に女子が転入するという事は禁止されているのだが、事情が事情と言う事で特別に校長が許可をしてくださったそうだ」
「で、でも、男子校に女子一人ってマズイんじゃ……」
「大丈夫だ。先生は皆を信じてるぞ!」
 笑顔を浮かべる赤坂先生のポケットから、札束がひょっこりとはみ出ていた。ば、買収だ! この学校の大人は全員買収されてるぅぅぅ!
「それじゃ、三神。お前の席は指定通り赤道の後ろだ」
「はい。ありがとうございます、先生」
 明らかに、何か仕組まれている空気が漂っているにも関わらず、その不自然さに誰一人突っ込まないまま桜さんは自分の席へと座る。
「桜さん、こ、これってどういう」
「全ては勇気を護る為だ。これで、いつ怪獣が襲ってきても君を護る事が出来るぞ」
 桜さんは目を輝かせながら、グっと親指を立てる。いや、そういう問題じゃなくて、もっとこう根本的なところからおかしいというか……。
「おいおい、何か三神さんと赤道が妙に親しげだぞ。どう言う事だよ」
「くっそー、三神さんにお近付きになりたいのに! 赤道の奴どっかいけ! しっしっ!」
 クラスメイトからの嫉妬の声と視線が痛い。流石、男子校だけあってみんな餓えている。おお、怖い怖い。でも、ちょっと優越感を感じてしまうな。いやー、すまんねお前ら。ま、そう妬むなよ。いくら俺の嫁が可愛いからって、男の嫉妬は見苦しいぜ? え? 夫婦なら、ここでキスしてみろって? しょうがないなー。桜、ほら、見せ付けてやろうぜ。俺達のレマン湖より深い愛を……。
「はーい、静かにしろー。それじゃ、ホームルームはこれで終わ――」
 先生が教壇を叩いて、皆を静めようとしたその時。
「勇気、伏せろ!」
「へ?」
 突然の呼び掛けに、間の抜けた返事をしてしまう。桜さんに頭を押さえつけられ、俺は教室の床と思い切りキスをしてしまう。ああっ! 俺のファーストキスが!
 ドガシャァァン!
「うおっ! な、何だ何だ何だ!? 俺に嫉妬したクラスメイトが暴徒と化したのか!?」
 俺は顔を上げる。何者かが窓を突き破り、教室に進入したようだ。見覚えのある顔が、机や椅子を蹴り飛ばし、教室の中央に立っている
「妄想主さん、はろはろー♪ アタシの事、覚えてるかな? またまた登場、ヒャダインちゃん、なんてね」
 煌びやかな金髪を右手で押さえ、ビシっとスーツを着こなした彼女は、まるでアメリカの女優さんみたいな風貌であった。忘れられる訳が無い。
「あ、あんたは昨日、俺をひき殺そうとしたクレイジードライバーの金髪美人さんじゃないか!」
「あったりー。覚えてくれてて嬉しいな、妄想主さん」
 金髪のグラマーなお姉さんことヒャダインは、胸の谷間を強調するようなポーズを取り、俺にウインクを飛ばす。そのポーズから発せられるフェロモンに毒されたクラスメイト達が、次々に悩殺されその場に倒れこんだ。幸せそうな笑顔を浮かべて。
「悩殺ウインクだとぉ!? くっ! お、俺にそんな色仕掛けには通用しないぞ!」
「そう? でも、鼻の下は正直ねぇ。だらしなく伸びてるわよ?」
「なっ!」
 俺は慌てて鼻の下を手で隠す。落ち着け、相手は美人に見えるが、本当の正体は人狼だ。妖怪っぽい怪獣なんだ。惑わされたら負けだぞ赤道勇気。
「人狼ヒャダイン。怪獣帝国団ラーズベルドラゴン通称ラドンの一員として、悪行を企む怪獣め。現代魔法協会の名の下に、お前をあるべき世界へ送り返してやる」
 桜さんが俺を護る様に、一歩前へと出た。
「あらら? 貴方は昨日、私の顔に火の玉をぶつけてくれやがった小娘じゃない。……へーえ、やっぱり協会の人間だったんだぁ。丁度いいや、昨日の借り、万倍にして返してあげる」
 瞬間、ヒャダインの姿は見る見るうちに人狼へと変貌した。腕と足は茶色い体毛に覆われ、頭には獣の耳が生える。
「あ、あ……」
 あまりに非現実的かつ衝撃的な光景に、俺は言葉をなくす。さっきのフェロモン攻撃で気を失い、横たわるクラスメイト達。俺を狙う、狼人間の金髪お姉さん。そして、指先からサッカーボールほどの火の玉を浮かべている魔法使いの桜さん。
 もはや、これは夢だなどと自分に言い訳をする気にもなれない。これは――――現実だ。
「まずは、その可愛い顔をグーで殴ってやるわっ!」
 ヒャダインが地を蹴り、人間離れしたスピードで桜さんに突進する。桜さんは、俺の襟を掴んで横っ飛びをし、回避を――――ぐえっ! 昨日と同じく、またもや首がぁっ!
「ふうん。アタシの拳を避けるなんて、人間の癖に意外と身軽なのね。でも、そう何度もアタシの拳が避けられるかしら?」
 間髪居れずに、ヒャダインがこちらに向かって駆けて来る。桜さんは指先の火の玉を、まるで野球のピッチャーのように振りかぶって投げ飛ばした。
「きゃあああっ!」
 火の玉は、ヒャダインに直撃し、爆発を起こす。うわっ!ば、爆発しやがったよおい!
 もくもくとあがる白煙に、ヒャダインの姿が覆われる。
「や、やったか? 殺っちゃったのか?」
 俺はあまりの惨劇に、目を両手で覆う。いくら何でも、爆死とかグロすぎるだろう。魔法使いのイメージが、現在進行形でどんどん壊れているぞチクショウ。現実は非情だ。
「ありったけの魔力を詰め込んだファイアボールだ。ダメージは大きいとは思うが……」
 桜さんは、身構えたまま煙が晴れるのを待つ。その凛々しい横顔を見て、俺は場違いにも綺麗だなぁ、と思いつつ机の足をぎゅっと掴む。
「さ、桜さん。やっぱり、怪獣とは言え殺しちゃったらマズイんじゃないの?」
「怪獣を殺す? それは違うぞ、勇気。怪獣は妄想から生まれた幻想のような存在だ。妄想力が尽きれば、再び幻想の世界へと送り返されるだけだ」
「幻想の世界? よく分かんないけど、それじゃ殺してはいないんだね。オーケー。それならたぶん、全国の魔法使いに憧れる小学生の夢は壊れずにすむと思うよ」
 俺は胸を撫で下ろす。流石に、目の前で爆死されては後味が悪い。
「うふふ、アタシの心配をしてくれるなんて優しいのね。妄想主さんは。ますます気に入っちゃった」
「いやー、それほどでも……」
 って、あれ? 今の声は、さっき爆死したヒャダインの声だよな。
 俺は声のした方へと顔を向ける。白煙の中から現れたのは、まるで応えていない様子のヒャダインだった。
「今ので全力なんだ? ぜーんぜん大した事ないね。あんな魔力でアタシを倒せると思っちゃった? あははっ!」
 嘘だろ。あんな爆発まともに受けてかすり傷一つ無しかよ。
「く……まさか、ここまで強いとは」
 桜さんは、冷や汗を垂らしながら一歩後ずさる。何か、こーゆーピンチの場面ってアニメとか漫画とかによくあるよなー。だけど、大抵は主人公サイドにとっておきの必殺技があって、逆転勝利するのがお約束だ。
「さっきの特大ファイアボールは、私の持ち得る最強の魔法だと言うのにッ!」
「えええ!? 早くも万事休す!?」
 あのファイアボールとかいう魔法、名前からして初歩的な魔法だと思ってたのに!
「桜さん、諦めちゃダメだ! もっと凄い魔法、無いの!? サンダーストームとか、エクスプロージョンとかさっ!」
 俺はロールプレイングゲームでしばしば見かける上級魔法を提案してみた。しかし、桜さんは首を横に振った。
「無い。私が使える魔法は、タイムループとファイアボールだけだ」
「ええ!? に、二種類しか使えないの!? それって魔法使いとしてどうなのさっ!」
「う、うるさいなっ! そんな超強力な魔法が使えたら、私だって苦労しない!」
「どうすんのさ! このままじゃとって食われちゃうよ! 俺、そんなの嫌だよ! まだ十七年しか生きてないのにぃぃぃ! 死にたくないよぉぉぉ!」
「やかましい! 男なら泣くな!」
「男女差別反対!」
 俺は机の下で泣きべそをかきながら、桜さんと言い争いをする。もはや形振りなんて構っていられない。このまま怪獣に捕まって食べられて終わり、なんてバッドエンドはごめんだ。
「あのさー、そろそろ攻撃してもいいかな? アタシ、午後からタクシー会社に出勤しなきゃいけないから時間無いんだけど」
 ヒャダインが腕を組みながら、俺と桜さんの口論に口を挟む。
 はっ! し、しまった。味方同士で争ってる場合じゃない。桜さんの魔法は、ヒャダインには通用しなかった。このままでは確実にバッドエンド直行である。
 ヒロインのピンチとなれば、ここはやはりヒーローの出番だろう。
「よし! 桜さん、選手交代だ。人狼ヒャダイン! 次は俺が相手だ!」
 俺は机の下から這い出て、ファイティングポーズをとる。構え方や殴り方は、ボクシング漫画などを読んでいたので心得てある。まさか、こんな場面で役に立つとは思わなかったぜ。
「よせ、勇気。素人である君に戦闘は無理だ」
 心配そうな声でそう言う桜さん。うーん、こういう台詞が聞きたかった。今の俺の立ち居地は、まさにヒーローだ。
「安心して。君は俺が護る。……さあ、来い!」
「あー、妄想主は生け捕りにしろってボスから言われてるんだけどなぁ」
 ヒャダインは、まいったなぁ、と呟く。ふ、俺も舐められたもんだぜ。
「ちなみに、アタシの左ジャブはボクシングヘビー級チャンピオンの右ストレート並の威力だけど、それでもいい? 顔へこむよ?」
「桜さん! 選手交代! きゅ、急に腹が痛くなっちゃった。あいててて……」
 くそう、体調さえ万全なら俺だって戦えたのに! 急病じゃしょうがないよな、うん。
「勇気、大丈夫だ。私の魔法が効かないとわかった以上、こちらにも考えがある」
 桜さんが俺を押しのけ、前に出る。
 考えってまさか、ここぞと言う時の為に隠していた必殺技でもあるのだろうか?
「魔法が効かないなら、格闘で戦うしかあるまい」
 桜さんは膝を曲げ、拳を構えた。つま先を軽く上げ、トントンと軽いステップを踏む。
「格闘って、ちょっと桜さん! いくらなんでも無茶すぎるよ!」
「大丈夫だ。武の心得はある」
 いやいやいや、相手は爆発をまともに受けてもまるで応えなかった怪獣だよ? どう考えても、素手で戦えるような相手じゃない。それに、魔法使いが格闘なんて、あまりにも似合わない。ゲームとかだと、魔法使いって魔法は強力だけど腕っ節は弱いのがよくあるタイプだし。
「アタシと拳でやり合おうっての? はっ! いい度胸じゃない。そのうぬぼれっぷり、すぐにぶっ壊してあげるっ!」
 ヒャダインが、再び桜さんへと飛び掛ってくる。まるで熊のような豪腕を振り上げ、桜さん目掛けて振り下ろす。
「危ない!」
 やられる! そう思った瞬間。
「ふっ!」
 ガシィ! と言う音と共に、桜さんの顔面目掛けて放たれたヒャダインの拳が、受け流された。
「嘘っ!?」
 防御されると思わなかったのか、ヒャダインが驚きの声をあげる。
「ボディーががら空きだ! せぁぁぁっ!」
 間髪居れず、桜さんは腰を落とし――――しっかりとタメを込めた正拳を、ヒャダインの腹部にぶち込んだ。
 骨が砕けるような音が、教室に響き渡る。桜さんの拳を受けたヒャダインは、そのまま数メートルほど吹っ飛ばされ机の山に突っ込んだ。
 な、なんつー突きだ。武の心得とかそういう次元じゃない。人を殺せるレベルの打撃だ、あれは。
「さ、さささ桜さん?」
 恐る恐る、胸の前で腕を交差させている桜さんに声を掛ける。
「勇気、今のは手ごたえがあったぞ。恐らくアバラ三本は折れたに違いない」
「いや、あの、おかしいですよね? 何ですか今の人間離れした突きは! あんた魔法使いじゃなかったんですか!?」
2008-06-15 15:47:02公開 / 作者:海賊船
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■作者からのメッセージ
えーっと、初心者です。皆さん、初めまして!
自分の小説が面白いのか面白くないのか知りたくて、ここに投稿する事にしました。よろしくお願いします
この作品に対する感想 - 昇順
これは面白いですね
2008-06-19 20:11:43【★★★★★】ななし
続きが気になります
2008-06-19 20:12:12【★★★★★】ななし
ごめんなさい、一言だけ。

肩でそろえているのはショートヘアじゃないと思います。セミロングでは?
2008-06-19 21:17:37【☆☆☆☆☆】中村ケイタロウ
作品を読ませていただきました。文章のテンポが良く肩肘張らずに一気に読めるのが良いですね。楽しかったです。登場人物もしっかり作られていましたね。ただ、ここまでは状況とセリフの面白さが前面に出すぎて赤道勇気の心情がやや弱く感じられました。突飛もない状況の世界設定と言うのもあるだろうけど、心情面がやや伝わり辛いため主人公に同期して慌てふためくことができなかったのが残念かな。でも、面白かったですよ。では、続きを楽しみにしています。
2008-06-29 15:45:42【★★★★☆】甘木
計:14点
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