『超人』作者:よしむら / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
 選挙カーが走る。喧騒。自称偉大な男はイライラする。 自称偉大な男は、自分を認めない世界を呪う。 自称偉大な男は、認めてもらえる術を知らない候補者を笑う。 絶対に当選しない。 人生が劇場なら? 自称偉大な男は、バットを持つ。叫ぶ。
全角3109文字
容量6218 bytes
原稿用紙約7.77枚
 選挙カーが住宅地を抜けてゆく。半日のうちに七台を超えた。アスファルトを掘り返すつもりか?。
煩い、コーヒーが不味い。古藤は、灰皿にコーヒーを吐き出す。吸殻の山から立ち上る煙が止まった。フィルターが焦げる、嫌な匂いがしていた。
 古藤は煙草を探す。紺のスウェットに浮浪者めいた鬚面の男は、ニコチンに飢えている。重い腰を上げると、少し長めのしけもくがペシャンコになっていた。火を着けて吸う。直ぐに無くなる。煩い。選挙カーが煩い。
 合併のせいだ。五つの市長村で議員が全て首になり、選挙が始まった。新市の市長選も合わせて催される。市長選は、一人が選ばれるところに三人が立つ。市議は、三十人が定数のところ、五十一人が立った。合計で五十四台の選挙カーが、馬鹿でかいスピーカーを積んで走り回っていた。
 パソコンを前にして、古藤は怒っていた。長編小説を執筆中だったのだが、筆が止まってしまった。
 偉大な思想家にしてフリーソウルの持ち主である俺。当然に文筆の才能を潜在させた俺。この俺が訓を垂れるため、ちょっくら小説を書いてやろうというのだ。しかし、文章が出てこない。
 古藤はキーボードを割りたくなる。望みもしないのに、特に興味のない人間の名前が聞こえてくる。集中力が削がれる。トイレに立つ。便器は巨大な瀬戸物だ。白い。無性に腹が立つ。便器を割りたくなる。
 パソコンの周りには菓子の屑が散らばっている。その前に古藤が座っている。何日も履き続けた靴下は、足からの分泌物で糊付けされたようにカピカピだ。ゴミ箱のティッシュから生臭い匂いがする。流しに放置された皿の上で、食べ残しにカラフルなカビが生えた。冷蔵庫の中で、かつては新鮮だったキュウリが、漬物のように汁を出した。一つだけ残ったジャガイモが芽を出している。ビールを溢した畳の上で、謎の茸がコロニーを作った。
 働いてはいない。働くよりも重要な仕事が古藤にはあった。世界を救う準備がある。そのために、キーボードを叩いていた。世界は俺の天才を受け入れねばならないと古藤は思う。そうでなければ、この世界は崩壊への道を突き進むだけだ。
 崩壊といっても、核戦争やら環境破壊等という分かり易い崩壊ではない。人間の魂が、その思考の軟弱さ故に崩壊してしまうのだ。人々は、直接的にはそれを望まないかもしれない。しかし、時代は新しい哲学を必要としている。それを具現する人間を必要としているのだ。
 古藤は腕を振り上げる。風が起きて、コンビニのビニール袋がガサモソと動く。窓枠で、ビービーと蠅の羽音がする。古藤は宣言する。
 時代が求めるのは俺。すなわち超人。新たなる世紀のツァラトゥストラなのだ。
 八台目の選挙カーが去ってゆく。世界に束の間の静寂が訪れる。
 古藤はパソコンに向かい合う。エクスプローラを起動する。掲示板に書き込む。書き溜めた小説を投稿し、詩を投稿する。そして、反応を待つ。この私の一部であり、福音であるにも関わらず、誰も理解しようとしない。
 あぁ、これが運命なのか、と古藤は思う。傑出するということは、なんと孤独なことか。
 古藤は顎を撫でる。斜に構えてパソコンの画面を見る。顎鬚が油っぽい。もみ上げが臭い。気にしない。さらに掲示板へ書き込む。怒りをぶつける。
 やれ構成だの、文体だの、目先のことばかりを気にしている奴が多すぎる。口当たりが良いだけの、飴玉みたいな小説を書く奴が多すぎる。そういう奴らが、寄って集って俺の天才を押さえつけようとする。世界は敵だらけ。悪魔は礼儀正しい振りをしている。多数決の力を使って、哲学の進化を妨げる。
 俺は戦わねばならない、と古藤は思う。勇者なのだ。絶対に諦めない。
 ハロゲンヒーターの電源を入れる。オレンジの灯で足と手を温める。体の周りに小さな上昇気流ができた。股間から臭う。自分の臭いは好きだ。
 古藤は、再び書きかけの小説に戻る。偉大な小説になることは分かっている、けれど、次の文章が浮かばない。イライラする。限界になる。
 郵便受けから、ガチャリと音がする。なんだと睨む。選挙公報が入っていた。
 古藤は、選挙公報を開いてみる。ため息と共に頭を抱える。ため息の最後に、嘲笑の息をフンと吐き出す。似たり寄ったりの顔が、似たり寄ったりの事を言っている。公約を実現できないことをものともしない、面の皮の厚い奴らだ。世の中が間違っていると言いながら、それを絶対に変えられない奴ら。脳天気な奴ら。もしくは、悪魔か?
 古藤は、選挙公報のページを捲る。ある候補者に注目する。そして、思わず噴出す。えっ、これって、バウネタとかじゃないよね?
 選挙公報だというのに、自分が何を成そうというのか全く書いていない。「人間への旅」と題して、論語と史記を引用しながら、政治の理想を語っている。正義の実現に努力して正しい世の中にする、それが政治に求められる緊急の課題だという。だからさあ、それを具体的にするのが議員の仕事なんじゃねえの?
 本物の馬鹿だ、と古藤は思った。趣味で物申したいのなら、ローカル新聞の読者欄に投稿してろ。お前なんか絶対当選しねえよ。供託金は没収だな。政は正なり? だから何だよ。お前って、自分の素敵な理想とかにしか興味がないんじゃねえの? 世の中にどうあって欲しいとか、誰かを助けたいとか、そんなこと考えたことないだろ。誰かに伝えたいとか思ってねえんだよ。俺の理想の高さに皆が共感すべき、とか、思ってんじゃねえの? それ、キモイ。はっきり言ってキモイ。最悪にキモイ。
 急に気分が悪くなり、古藤は冷や汗をかいた。嫌な予感がする。
 見てはいけないという警告が、頭の中で鳴り響く。しかし、「人間への旅」と、それを書いた候補者から目を離せない。鈍い頭痛。目が霞む。候補者の顔写真が歪む。
 古藤は、激しく首を振った。天才といえども、偉大な小説のために頭を使い過ぎたということか。
 目を擦って、開ける。見えてきたものが古藤の正気を崩壊させた。
 キモイ候補者の顔が、自分の顔に見えた。
 二台なのか、三台なのか。選挙カーが近づいてきて、ハモる。不況和音。自分の言いたい事を言う事しか考えていない奴ばかりの世界。
 古藤は、押入れからバットを出す。パソコンの前に立ち、振り下ろす。素っ裸になる。着ているものを全て洗濯機に放り込む。袋にゴミを詰める。畳に茸が生えているのを見つける。フルスイングで茸を狙う。ビンゴ? 三度目で一本だけ倒す。窓を開ける。
 巨大スピーカーには悪意も良心もない。候補者の名前が辺りの空気を支配する。耳が痛い。立て付けの悪い扉が音波でビリビリと震える。古藤の家に面した道路で、選挙カー同士がすれ違う。八台目、九台目。十台目?
「ご健闘を、お祈りいたします」
 すれ違いざまに、選挙カー同士が言葉を投げ合う。
 古藤は家を飛び出す。そして、バッドを構える。
「健闘しろ! 票を削りあえ」古藤は叫ぶ。「お前等! 共倒れすれー」
 語尾が「すれ」になった。素っ裸であることが哲学的根拠を失う。存在が、ただの張りぼてに格下げされる。
「元気の良い応援、ありがとうございます」鶯が言う。「頑張ります。ありがとうございます。皆様の期待に答えます」
「共倒れすれ」古藤は呟く。
 人生が劇場なら、と古藤は思う。俺は生涯、役不足だ。
 このフレーズ、どう?
 いや、そんな事はどうでも良い。何もかも、もう、どうでも良かった。
 
2008-04-26 03:54:42公開 / 作者:よしむら
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■作者からのメッセージ
合併後の最初の選挙戦が、煩いのです。
変な候補者がいたのです。
この作品に対する感想 - 昇順
作品を読ませていただきました。主人公の自意識肥大部分をもっと書いて暑苦しくして欲しかったなぁ。主人公の置かれた状況をもっと鮮明にして下さると、よりおかしみが出てきたと思います。でも、ラストの主人公の勢いが妙におかしくて、なんとなく本当にありそうで思わずニヤリとしていました。では、次回作品を期待しています。
2008-05-03 22:19:14【☆☆☆☆☆】甘木
計:0点
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