『CHAIN 上』作者:祠堂 崇 / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
日常に感染し、汚濁するCHAIN(チェイン)。狂気の果てに、哀しき運命の歯車は咽び泣き――廻り出した。
全角97902文字
容量195804 bytes
原稿用紙約244.76枚
 


 


 ――ただ一片なる剣を携えなさい。
 ――されど汝の儚き澪を捧げなさい。
 ――答え求む者は迷うこと違わず。
 ――答ふ意味を忘れることなかれ。
 ――それこそが、真の答えでしょう。





 序幕:右の手には終わる世界を





 暗闇に染められた林道。車一台通るだけでも神経をすり減らしそうな細い砂利道を外れ、幾何分。
 鬱葱と茂る竹林を抜けた先に、幅三十メートル程の拓けた場所がある。
 竹林を伐採し、土を返して固く踏み均す事で芽吹くことのなくなったその地に、異様な風体の少女が立っていた。
 全体が黒い服装。インナーの上からシャープな形状の、動き易さを重視したローブ。長い裾は右側面に大胆なスリットが有り、ピンの短いヒールを履いた白い脚が色っぽく覗いている。腰のベルトや首飾り、カフスやピアスに指輪と彼女を飾る全ての装飾品が、いっそ感嘆しそうな程に純銀製で統一されている。さらに象徴的なのは、首まで無造作に伸ばした灰銀の髪の上に被せられた、鍔の広い尖がり帽子。
 そう。有り体に言うなれば、彼女は魔女の風体をして立っていた。今日びの日本で堂々と魔女ルックというのはいささか痛々しく見えるが、全身のプロポーションが際立つ服装だけに、有無を言わさぬ存在感を放っていた。
 翡翠色の瞳に、鼻は高めで整っている。日本に居るのが場違いに思えるその少女は、しかし流暢な日本語を呟く。
「無いようね。アリスンにしては珍しくガセを掴まされたわ……」
 ドイツ人である彼女だが、話せる言葉を使わず母国語に頼るのは御国への無礼、という尊敬する上司の御言葉を旨に、しかし脳内では別の、『あーごっめーん♪』と両手を合わせて謝る同僚の笑い顔を思い出す少女。
 額に指を当て疲弊の表情を浮かべるが、そんな事をしてまで起きて欲しい現象ではない。そもそも、全てが絶対の信頼性を持つ情報とは限らない。むしろ信用性数パーセント以下という至極曖昧な情報も統括・管理し、加えてそれがどれほど正確な情報かを調べる事に日々忙殺されている諜報部署に対し、口を付いて出る文句など欠片も有りはしない。何も無ければ世は事も無し。サービス残業で無駄足無駄銭させられるのに引き換えにするぐらいなら、生真面目な彼女にとって大目に見れない事もないのだ。
「ま、しょうがない。後は処理班に任せるぐらいで――」
 独り言がぱたりと止む。
 茂みの奥から、焦燥からの早さも高慢からの遅さもない、極自然な動きで姿を現す男が視界に入ったからだ。
「ぃよーう。こぉんな夜には狼が出るってなぁ昔のお偉いさんは良ぉく言ったもんだよなぁ。ぇえ?」
 軽口と共に傍に立つ樹の幹に腕を置き寄り掛かるのは、ジャケットとジーンズに黒いニット帽、カフスや指輪で着飾る、十代半ばの青年だった。
 ただし、その特徴の頭に『好』と付けるべきではなさそうだ。ヒョロリと長い背丈を猫背にしている点や、青白い顔に目元は寝不足に起こる?くま?が酷く、まるで病人を思わせる外見だった。
 少女は怪訝そうに眉を顰め、何と切り出すべきかと口を開いた途端、
「――、」理解に達して、一度口を噤んだ。「……そう……アンタ、契約者ね?」
「おやぁ〜? 随分とすっぱり言ってくれちゃうんだなぁオイ。ま、だぁい正解なんだけどよ」
 少女は目を細め、青年の身体を全体を通して見る。
 感じる気配を察すれば、一目瞭然だ。殺気や怒気、鬼気ともまた違う、次元の違うような気配。
 少女は疲労と吐き気を覚えた。
 ある意味、それを感じることが出来るということは、同族嫌悪に近いのだから。
「見かけない契約者ね……それで? 仕事帰りの女捕まえて何の用かしら? 酒の一杯でも酌み交わそうって言うんじゃないでしょうね、病人さん」
「あーあー、うるせぇ女だクソッタレ。オレぁ言語理解力有んのか無いのか判らねぇ人種が大っ嫌いなんだよ」
「日本語で話してやってる分有り難く思いなさいよ。じゃあドイツ語で喋っていい?」
「オーケー、前者っつぅことでとっとと本題戻ろぉや」
 手をヒラヒラと振って『聴きたくない』とばかりのジェスチャーをする青年。
「四の五の言う理由は無ぇだろ、おい。お互い契約者なんだからぶっ殺し合うのが摂理っつぅヤツなんじゃねぇの?」
 少女は、やっぱり、という風に溜息を零した。
「アンタ、?そっち?系の契約者なのね……悪いけど、お断りよ」
 付き合いきれない彼女はすぐに振り返ってもと来た道を歩き始める。
 だが、
「――」
 頭一つ分、一瞬にして横へずれた。
 同時に、視界の端から白銀の何かが飛んできて、向こうの樹の幹に鋭い音を立てて突き刺さる。
 刃渡り三十センチ程の肉厚なコンバットナイフが、衝撃の余韻でビィィィンと震えていた。
 少女はしばしそれを見ていたが、やがてゆっくりと振り向いた。
「……アンタ、――そんなにブッ殺されたいわけ?」
 常人が見入れば動くことも適わない、殺意の視線が帽子の切れ端から覗く。
 しかし、常人足り得ない青年は嘲りに笑い平然と答えた。
「売ってる喧嘩を買われないのは憐れすぎるだろぉがよ。いいからとっとと殺されやがれよ売女ぁ」
 舌なめずりをして、青年はジャケットのポケットから一枚のカードを取り出した。
 それは、タロットカードだった。
 B5サイズよりやや小さめ、しかし通常お目にかかるものよりは大きいそのタロットカードには、一人の人間の姿が映っていた。
 先端に髑髏を提げた杖を担ぐ、犬を連れた旅人の絵。
「……シリアルナンバー0。極端、熱狂、そして愚行の象徴」
  少女は、それに驚きはしなかったが、警戒心を一層に強めた。
「【愚者】の契約者――アンタ、?切り裂き魔?……っ?」
「ヒャッハ! 御名答♪」
 嘲笑と共に、手元にあったカードが紫煙めいた光に熔け、形を変える。
 紫煙の光が薄らいで、青年の手に握られていたのは、一振りのナイフだった。
 ただ、ナイフというよりも、それに形状の似た石器のようだ。深い緑の色を持つ、切れ味なんて目に見えて皆無と思えるそのナイフを、青年は逆手に持ち替えて舌なめずりをする。
 少女はそのナイフがどういった効果なのかを知らない。
 だが、名は体を表すという言葉が、脳裏を過ぎった。
「平穏? 和平!? くっだらねぇなぁオイ! そんなエゴをオレに押し付けんなよメス豚がよぉ!」
 雑言と同時に地を蹴った青年。
 長細い、どこに力が入るのかと疑いそうな体躯で、しかし十メートル以上あった距離を一跳躍で潰す。
 少女は咄嗟に後ろへ退いた。
 横へ跳躍するような牽制でも、前へ相対するような迎撃でもない。全面的な回避行動。

 故に、それは功を相したというべきか。
 振るわれた切れ味の無さそうなナイフから、凄まじい程の見えない斬撃が地面をズタズタに切り裂いた。

「――っ!?」
 少女は充分な間合いを取ってから身を低めて、彼の足元に目を瞠った。
「ハッ! いい判断力だ、生半可に避けたバーカは皆一瞬で細切れだろうなぁ」
 歓喜の暗い笑みを湛え、青年は再び腕を真横に一閃する。
 大気が震われ、虚空を正に切り裂く無数の斬撃を、少女は身体を地面スレスレまで低くして遣り過ごす。
 ピシュン! とローブの端が切り払われる音が耳に入り、前へ飛び出すようにして地面を転がり回避を続ける。
「オイオイどうしたぁ!? ファンシーな格好してんのは見掛け倒しかよ!!」
「……っく!」
 少女はローブの裏側に仕舞ってある物の感触を指で確認するが、同時に麓の村の存在を思い出し歯噛みする。
(まっずいわね……! ?切り裂き魔?の神術ならいざ知らず、アタシのは結界を張ってからじゃないと目立つっ!)
 触れる質感から指を離し、別の物を取り出した。筒状の白い棒で、中心を軸に腕を振るった直後、筒の内側から鋭利な切っ先が出現し、それは五十センチ程の短い槍となる。
 三度振るわれる無数の斬撃に対し、少女は虚空に槍を兎に角振るう。
 何も無い空間を奔る槍が、何かに辺り金属音を響かせる。
 だが、少女自身その一打二打の迎撃で何とかなるとは思っていなかった。捌き切る前にさらに青年がナイフを振るった瞬間、槍の軌道に尾いてくるかのように斬撃が奔る。
 今度は槍の方を重点的に切り裂く乱撃に、少女は手の痺れに苦悶した。
「ほらほら! テメェのはどんな神術をお使いなんだぁ!? 勿体振ってっとマジで首チョンパだぜぇ!」
「激しすぎるのも早すぎるのも女に嫌われるわよっ……!? 少しはリードさせなさいよね!」
 余裕を見せるつもりだったが、それが仇となる。一歩踏み込んだ青年に反応し後ろへ退いた瞬間、槍に青年の握るナイフが触れた。
 刹那、比べ物にならない衝撃が腕を伝った。単なる斬撃の応対ではない。爆発的な連撃が槍に集約し、それに合わせる間も無く槍が手から吹き飛んだ。
「っ!」
 驚愕する暇さえ青年は与えない。前へ出た勢いで少女の腹部を蹴倒す。
 地面に倒れ伏した少女が顔を上げた時にはもう、青年は少女の片足を踏んで逃げられなくしていた。
「さっきのは撤回だ、売女」
 ぺろり、と舌なめずりをした青年が両手で握ったナイフを少女に向け、
「やっぱテメェも雑魚だわ」
 断頭台のように振り落とした。
 一撃で無数の斬撃を引き起こす殺戮の技が、少女目掛け振り落とされ、

 届く前に別の切っ先がそれを押し留めていた。

「――あぁん!?」
「な、っ……!?」
 二つの、別種の驚愕の声が上がる。その声に呼応するように、切っ先に触れた瞬間斬断するナイフは何も起こらずにその刃にぶつかって小さな金属音だけ虚しく響かせた。
 青年が、横合いから割って入った切っ先の手元を見ようと振り向くより先に、銀の剣閃がナイフごと青年を押し返した。
 半分は吹き飛び、残りは距離を取る為にわざと後ろへバックステップを踏みながら青年はその邪魔をした相手の顔をやっと見るに至る。
 そこに居たのは、女子高校生だった。
 黒いブレザーに赤いネクタイ、灰色のチェックスカートに身を包むのは、黒髪を背中まで綺麗に伸ばした小柄な少女。
 魔女の美貌も然ることながら、剣士のそれは宝石のようだった。綺麗に整った眉目に、しかし冷めたような鋭利な視線を持つ。青年の肌とは全く違う色合いの白い肌の剣士は、腰に提げた鞘から抜き放ったらしき一振りの日本刀を握り締め、静かな動作で立ち上がって青年をじっと見つめていた。
「チィッ……豚が増えやがってマジでうぜぇ……御仲間か何かかぁ?」
 だらりと腕を揺らし、身構えているようには思えない動きで立ち上がる青年は、剣士と魔女を交互に見遣る。
 魔女は一瞬判断に困った。命を助けてくれたとはいえ、青年の言うような仲間でもなければ、覚えの無い顔だったからだ。
「アンタは……?」
 問いに答えず、剣士は一瞥さえくれずに自らが言うべき言葉を口にした。
「……逃げて」
 鈴の音を思わせる綺麗な、しかし感情の篭らない平淡な声が魔女の耳に入る。
 魔女が質問に答えなかった事への言及を繰り出すより先に、青年が走り出していた。
 合わせて剣士も走り、青年がナイフを振るうことで生じる虚空からの無数の斬撃に、刀を滑らせる。月に反射した刀身が、三日月にも似た残影を残して中空からの暗殺の連撃を打ち落とす。
 ヒィィイン……、という小気味良い音色が闇を叩く。
 青年は全てを斬り落とされて危険を察知したのか、舌打ちと共に距離を見定めた。ナイフ自体の切れ味は虚空を奔る斬撃を遥かに凌ぐが、それでも本物の名刀が相手では別の問題――武器同士の圧倒的な間合いの差が大きくなる。突き立てれば剣士の腰より高いであろう太刀に比べて、こちらの得物は刃渡り二十センチ半程度。相手の力量も判らずに打ち合えば、ストレスの膨れ上がり方は一目瞭然だ。
「! ナイス……っ、加勢するわ!」
 それを、攻勢と見た魔女は地に落ちていた槍を拾うや否や、剣士の脇を縫って青年へ走る。
「や、べっ――」
 だが、双方の焦燥と確信が絡み合う刹那に、剣士の取った行動は大きな衝撃を与えた。
 ギン! と鈍い音が耳を劈いた。
 それは、槍とナイフのぶつかる音ではなかった。
 剣士が、横から飛び出してきた槍を刀で受け止めて塞いだのだ。
 魔女は一瞬困惑に立ち止まったが、剣士が後ろに身を引き、魔女に体当たりをして後方へ吹き飛ばした。
 地に受け身を取ってすぐに立ち上がると、剣士と青年が一合二合と打ち合った末に、鍔迫り合いをしている所だった。
 魔女はそこで初めて、怒りに目くじらを立てて叫んだ。
「何すんのよ! 手を貸そうとしただけでしょ!?」
 剣士は青年の目を見つめたまま、口だけを動かして答える。
「欲しくない。私は誰の敵にも味方にもならない。私が此処に来たのは、単に戦いを止めさせる為」
「なんですって……!?」
「今この状況で私が貴女にして欲しいのは、今すぐに戦線を離脱して貰う事。この男はどうしようもないみたい。でも法王庁所属の貴女なら話の分かる人間だと思うから、貴女の方に訊いてる」
 冷静を通り越して、緊迫した空気には不似合いな言葉に、二人は再び同時に目を見開いた。
「アンタは一体……!」
「ハッ! 何だよテメェ、ローマの犬っコロかぁ!!」
 叫びと共に、青年はナイフに向かって意識を集中させる。
 それに呼応するかのようにナイフは淡い翡翠色の光を燈す。
「!」
 反射的に剣士は刀を縦にしてナイフを横へ弾く。
 途方へ向けられたナイフの前方に、幾何度か検討も付かない斬撃の風切り音が吹き荒ぶ。
 片腕で太刀を振り、小柄な体躯を捻転させて返ってくる一撃を放つが、青年は体を低めてかわす。
 近接同士の息をも吐かせぬ応酬は、しかしすぐに互いが離れて終わる。
 剣士は尚も振り向く事無く、背後の魔女に説く。
「私が割り込んだのは私の個人的な勝手。でも、このまま戦闘が続けば麓の住民に気付かれるかも知れない。すぐそこの道を誰かが通らないとも限らない。万が一を想定するなら、より確実性の有る選択をするべきだと思うけれど。貴女はどうするつもり?」
「……!」魔女は驚いて、剣士の背を見る。「まさか、アンタも……!?」
 剣士は、しかし微動だにしない。
「形は違えど勝手をしているという点は私も貴女達も同じ。お互いの私情を抜きにしていいなら、この戦闘自体にメリットが有るようには思えない。少なくともあの男も、一般人攻撃するような馬鹿な真似はしないんじゃない?」
「……」
 魔女が黙って背を見る。剣士はやっと後ろを振り返った。
 夜を思わせる黒い瞳。
 しかし、どんよりと曇った闇の色ではない。満天の星空のように、透き通った夜のような瞳。
 魔女は一瞬躊躇したが、踵を返して茂みへ走り出した。
「はぁ!? おいおいおいおいおいおいおいおいぃっ! 途中で逃げるとかそっちの方が空気読めてねぇんじゃねぇのか売女がよぉ!!」
 ナイフを握って追いかけようとするが、間に剣士が立ち塞がる。
 怒りを露わに睨みつける。奥を見るが、もう魔女の姿は宵の木立に呑まれて消えていた。
 ぶちぶちっ、と嫌な音がした。青年が自らの唇を噛み千切る音だ。口元に鮮血が滴り、病人めいた相貌に更なる戦慄の色が付け足される。
「うぜぇ……マジでうぜぇよ……! 剥いで犯して原形無くなるまで切り裂かれてぇのかクソガキぃ……っ!!」
 剣士は、無感情に刀を構える。
「貴方も逃げた方がいい」
「あ゛ぁっ!?」
「麓の交番に連絡した。あと五分もない内に来ると思う」
「……!」
 青年は瞠目して一瞬考えるが、すぐに舌打ちをして暗い笑みを浮かべた。
「だったら何なんだっつぅの、その前にテメェの腱ぶった切って別んトコで解体ショー始めりゃ良いだけじゃねぇか。つぅか、『一般人なら殺さない』? 脳みそ腐ってんのか? 邪魔なら殺すのは当たり前。見られたら殺すのも当たり前。オレともなりゃテメェ等を取り逃した鬱憤晴らしに殺すのが当たり前。何さっきから生温いこと言ってんだクソッタレが」
 その吐き捨てる物言いに、剣士は動じずに、しかし刀を握る力を強めた。彼の言うことがハッタリではないと、すぐに分かったからだ。彼は【愚者】の契約者。愚行こそが本懐。
 そして何より、【愚者】の契約者に課せられた?制約?が、彼を狂人に近い人格へと駆り立てしまっている。
 剣士は目を細めて見つめ数秒。そう、とだけ呟いた。
「でも、私も戦わないのだからそれは在り得ない」
「だぁかぁらぁ! 生温いことを言うなっつってんのが聞こえねぇのかクソ女がよぉ!!」
 地を蹴って突進する青年。
 振るわれた腕を掻い潜るようにして剣士は避ける。直後に遅れてやってきた不可視の斬撃を刀身で受け、一撃を放つ。
 だが、青年に届く直前で刀身に別の斬撃が触れてそれを弾く。
「!?」
「ハッハぁ! 神術ってのは応用すりゃこういうことも出来るモンだろうがぁ!」
 クンっ! とナイフの向きを捻るように動かす。
 咄嗟に剣士が頭を低くすると、うなじを狙った斬撃が黒髪の先端をすっぱりと切り飛ばした。
「あっははははぁ! もうお前終わりだわ! ?入っちまった?からなぁ!!」
 顔を上げると、剣士の周囲でヒュンヒュン! という風を断つ音が渦巻いて囲んでいる。
 いつの間にか、遅滞させた斬撃の渦に入り込んでしまっていた。このまま渦が内側へ進んでゆくとしたら――!
「五分も掛からなかったなぁオイ? 良い夢見れるように祈る時間は要るかよ?」
 ナイフの腹をペロリと舐める青年に、立ち尽くす剣士は、
「……ふぅ……まったく、億劫」

 刹那、剣先が天を突き、
 剣士は小さく何かを呟いた。

 バギン!! と。
 硝子の割れる音が耳朶を叩き、檻の如く取り囲む斬撃の嵐が破片のように砕かれ、地に落ちるより先に掻き消えた。
「なっ――んだとぉ!?」
 予想だにしていなかった事態に青年が怯んだ瞬間、剣士は青年を一瞥してから刀を納め逃げ出した。
 青年はそれを追おうとしたが、距離が有り過ぎて目に見えて追跡を断念した。
 少しして、夜の森らしい寂しげな静けさが蘇る。
 しばし呆然としていた青年だが、不意に吹き出すように笑った。
「は、ははっ……あっはははははははははははははははははははははぁ!!」
 細い身体を曲げて、腹を抱えて爆笑した後、口元に笑みを引きずったまま納得のゆく理解を示した。
「そうかぁ……そうかよ、今のクソッタレ……くふっ、ふ、ひゃははは……」
 噛み締めるようにして笑った後、青年は気だるげな表情に戻って現状の把握に徹した。
「あーくそ、逃げられちまった。勝ち負けがはっきりしねぇと眠れねぇってのになぁオイ」
 翡翠の石器ナイフを手中で弄び、青年は近くの岩の上に腰を下ろした。
「もぉいいや。クソ女の言う通りに事が運ぶなんざ気が気じゃねぇ」
 そう呟いて、青年はもうじき来るであろう無力な獲物を待つことにした。
 異常の世界に佇む狂人にも、分け隔ての無い月光が差してゆく。

 青年が結局、剣士が通報なんてしていなかったことに気付くのは、一時間も後のことだった。










 第一幕:邂逅 〜boy meets girl〜




 とんとんとん、と階段を上ってくる音がドア越しに聴こえる。
 もうそんな時間か、と寝覚めの脳の冷静な部分が警鐘を鳴らすが、残りの大部分は未だにまどろみの中で揺らいでいて、今も枕と布団とシーツの三位一体攻撃に負け重い瞼を閉じようとしていた。
 だが完全に闇へ取り込まれる前に、律儀なノックがされ、一息の後にドアが開けられる。
 人の気配が背後まで近付き、そっとシーツ越しの肩に手が置かれて軽く揺さぶられる。
「お兄ちゃん、起きて。もう六時半だよ?」
 心地良いソプラノの生体目覚まし時計が耳朶を優しく叩く。
 明確な時刻報告と、本人に起こされては眠る訳にいかない意志から、意識が急浮上する。
 薄っすらと瞼を上げて揺さぶっている張本人の顔を見ると、目が合った少女は満面の笑みで迎えた。
「おはよ」
「……、ん」
 喉で返事をし、姫宮伊月(ひめみや いつき)は上体を起こす。
 首までで切り揃えた亜麻色の髪に、可愛らしい藍色の髪留めをワンポイントに飾る少女、姫宮小夜(ひめみや さよ)は一歩離れて兄が起き上がるのを確認してから踵を返した。
「もうすぐ御飯できるからね」
 そう言ってセーラー服に包む身を軽やかに部屋から出てゆく妹の背中を見送り、伊月はいっぱいに背を伸ばして関節を鳴らし、ベッドから降りた。

「いただきます」
「はい、召し上がれ♪」
 顔を洗い、適当に髪を整えて制服に着替えた後、リビングのテーブルに置かれた朝餉の前で手を合わせる伊月。嬉しそうに小夜が答え、続いて「いただきます」と言ってから二人で食事を開始した。
「珍しいね、いつも私より先に起きてるのに」
 鯵の開きを箸で解しなから、小夜がそう話しかけてきた。
 味噌汁で口腔を潤わしてから、伊月は首をコキコキと鳴らしながら唸る。
「早めに寝てるんだけどな……最近、寝ても寝ても疲れが取れなくて」
「お互い、入学式からもう一週間かぁ……高等部は大変なの?」
 伊月は生返事で肯定した。二人が通っている神門学園は高等部と中等部で半々に隔てた一個の敷地に隣接して建っており、中等部は大抵そのまま繰り上がりで高等部に入る事が多い。伊月は中等部からの繰り上がりで、小夜は今年神門学園に入学した。互いの学区に出入り自由にも関わらず、高等部と中等部で制服が違うというのは是如何にとも思うが、セーラーもブレザーも共に他校より人気で、特に中等部はブレザーが着たくて編入する人間だってちらほらいるぐらいなのだそうだ。とはいえそれは女子間での話なわけで、野郎からすればいちいち買い換えなくてはいけないのが面倒で仕方が無い。
「いいなぁお兄ちゃん。友達がほとんど変わらないから気兼ねしないで済むけど、私は殆ど知らない人ばっかだからまずは友達作りからしなくちゃいけないんだもん」
「お前は人懐っこいからすぐ出来るだろ? 俺のクラスなんか、問題児が多くて大変なんだぞ」
「問題児の一人が言うかなぁ……」
 そう。伊月も実はプチ不良扱いされている。別に未成年の煙草ぐらいでギャースカ言うのは教師なのだが、それが伝播して『姫宮伊月は不良らしい』というレッテルが生徒間にも渡ってしまっているのだ。まあ実際、群を抜いた問題児が一人ウチのクラスに居るので、それほど浮いた存在ではない。友達だって、腐れ縁が二人居るのだし、挨拶や会話をする仲だってちらほらと居る。問題児と言われるのは、甚だ心外だ。
「ま、俺の方は大体落ち着いてきてるから、別に何も気にすることはないんだけどな」
「ん〜……でも心配だよ。前に秋臣君と二人で他校の人達とケンカしたって話、まだ許したわけじゃないんだからね?」
「まだ根に持ってたのか……アレは向こうが絡んで来たんだ。俺達は悪くないね」
 とはいえ、四、五発殴られた顔で帰ってきたら、泣きじゃくって説教しながら手当てする妹の物凄い剣幕を思い出して苦い顔をする伊月。小夜は頬を膨らませた。
「ダメだよ! ケンカは痴話以外はやっちゃダメなの! 分かってないなぁお兄ちゃんはっ!」
 小夜が目玉焼きの黄身のど真ん中に箸を落とす。スタァン! と鋭い音が一喝するように響く。見事に急所を捉えた一撃である、目玉焼きも苦しむ間も無く黄色い鮮血を流して御臨終していた。我が妹は暗殺家業に向いているのかも知れない。
 分かった分かった、と苦笑しながら諭し、伊月は白米をかっ込む。
 緩やかに、時間は流れていた。

 食事を終え、二人で食器を洗って時計を見ると、七時半を回った所だった。既に部活の生徒達はウォームアップを終えて、汗を流して部活動に勤しんでいることだろう。
 テレビを着け、窓を開けて縁側に腰を下ろす伊月。
 脇ではニュースがされているようで、早速物騒な話が報道されているところだった。
『十八日の夜に、都心から少し外れた場所に有る常盤町の近隣で数人による暴動が起こったようで、早朝の見回りをしていた警察官が開拓途中の場所に、数箇所に及ぶ刃物を使用した形跡を発見。現在警察が周辺で不審者が居なかったか等の情報収集を開始した模様です』
「近……隣町じゃないか」
 最近は危ない事が増えたなと思いながら、灰皿を置いて銜えた煙草に火を付けていると、後ろから叫び声が上がる。
「あーっ! お兄ちゃんまた煙草吸ってる!」
「いいじゃん別に食後の一服ぐらい……」
 嘆息して振り向くと、腰に手を当てて怒る小夜が見下ろしている。
「ダメだってば。煙草なんか良いことないんだよ!? 歯は黄色くなっちゃうし、肺は真っ黒になっちゃうし、臭いだって付いちゃうし……というより、お兄ちゃんまだ未成年!」
「えー、俺の燃料なんだけどなぁ……」
 言う間にもすっぱすっぱと長さを失ってゆく煙草。灰皿に灰を落とし、伊月は灰皿に視線を落とす。使うのを躊躇う程綺麗だ。嫌々という態度の割に、気が付いたら綺麗に掃除してある辺り、注意はしても形として止めさせる気はなさそうに見える。
 しかし、小夜は語気を弱めて呟いた。
「それに……体に悪いんだからね……? お兄ちゃんまで居なくなるなんて……一人でこの家に住むなんて、いやだよ……」
「……」
 それを聴いた伊月は、黙り込んだ。
 二階建ての立派な一軒家。
 たった二人で住むには大きすぎる、しかし二人に残された、肉親の最後の遺産。
 伊月と小夜の両親は、ここに居ない。孤児院に住んでいたが、伊月が小学生になり小父の家に住むことになる直前に、伊月名義の大金の入った通帳とこの家だけを、かつての母親の手紙と共に貰ったとき、二人はこの家を選んだ。
 もともと養子に誘ったのは小父の独断だったらしく、見知らぬ他人の子供を招く事を小母が猛反対しており、あのまま向こうに住むのは窮屈に感じていた。同性の義親に毛嫌いされることになる小夜の身を案じた伊月は、養子として親権を変えるだけにして、神凪町に移り住んだ。
 小夜は、親の顔を知らない。
 もし今伊月が居なくなったら、まだ今年で十三歳になる子供を、孤独にする事になる。
 伊月は、それだけは在り得ない、と口にして答えた。
「お前を置いて居なくなるなんて、在り得ないよ。小夜」
「……ほんと?」
 伊月は煙草を銜えたまま、微笑んでみせた。
「本当」
 少しだけ、小夜はむっとした。
「煙草吸いながら言われても説得力ない……」

 身支度を終え、薄っぺらい学生鞄を手にシューズを履いている伊月。
「そういえば、そろそろあの布団、暑くない?」
 小夜が後続で待ちながら聞いてくる。
「もう春だしなぁ……帰ってきたら換えるか。お前はいいのか?」
「女の子はカラダを冷やしちゃいけないの。分かってないなぁお兄ちゃんは」
「あ〜……もう、いいよ」
 うな垂れる伊月が玄関を開け振り向くと、革靴を履き終えた小夜が、伊月に向かって笑った。
「行って来ますで、行ってらっしゃい!」
 まるで儀式のような妹恒例の発言に、伊月は苦笑した。





 私立神門学園。
 高等部と中等部とを合わせると正方形になるよう設立されている。しかし、二つもの学校環境を一手に抱え込むことが、既に敷地の広大さを如実に現している。
 こんな怪物学校どうやって維持してるんだ? と中等部生として入学した頃の伊月は不思議でならなかったが、初代高等部生徒会長が有名な資産家の子供だったらしく、学園への出資も一生遊んで暮らせる額だったんだとか。噂が噂を呼び、『歴代生徒会長は金持ちであることが必須』だとか、『常人には理解出来ないカリスマ性が学園を支えている』だとか、一線をぶっ飛んで越える人間にしか通れない条件が待ち構えている。
 しかし、立地の良さや生徒の意思を第一に尊重した校風などから、神凪町の名物学園の一つとして栄えているのは確かだ。隣りを歩く小夜も、実は新しくなった高等部のブレザーに大人びた自分を夢見て憧憬し、この学園を選んだらしい。本人は『お兄ちゃんと一緒のほうが時間が食い違ったりしなくて安心だからだよ!?』とぬかしていたが、バレバレなので敢えて首肯してやった。
 大きな正門を通り、桃色の桜並木が迎える。維持費は……と思うが、誰もが綺麗さに見惚れて現実逃避するので、伊月はツッコみ所を失う光景だ。
 その先で、舗装された道はY字になっており、左手に中等部、右手に高等部が構えている。
「じゃあね、お兄ちゃん」
 手を大きく振って、小夜は小走りで並び歩いている女子生徒へ向かってゆく。どうやら新しく出来た友達のようで、挨拶を交わしながら列に並ぶのを見て、伊月も高等部の敷地へ歩き出した。

 伊月が教室に入ると、ふと視線が真っ直ぐと窓際一番後ろという役得な席にいった。
 そこには、黒髪の美少女が頬杖を突いて窓の向こうを眺めていた。
 彼女が、このクラス最大の問題児だ。
 和風を思わせる綺麗な髪を背中に伸ばし、引き寄せられるような整った相貌をした小柄な少女。一年生が高等部生となって一週間、新しい制服にも馴れて着崩す者ばかりの中で、未だにネクタイもボタンもきちっと閉め、スカートの丈も短くしていない。見た目は至って優等生を醸し出すのだが、問題は別の場所に有る訳で……、
「……」
 髪で隠れて見えない少女の顔をしばし見ていたが、すぐに視線を逸らして自分の席へ向かった。
 すると、既に自分の席を挟んで喋っていた生徒の一人が、こちらに気付く。
「おー伊月、おはなー」
 妹の方がまだマシな挨拶だな、と一瞬思った。最近の子供の言葉遣いが悩まされている要因を担っている男に、伊月は小さく「おう」とだけ呟いた。
 髪を薄く赤に染めている、いかにも遊んでますと言いたげな軽い男だが、最早見慣れた光景だ。三年も腐れ縁に付き合わされていれば、当然である。
 当の本人である永谷秋臣(ながや あきおみ)は、ヘラヘラした笑みを浮かべて伊月が席に座るのに合わせて隣りの空いていた椅子を占領して話しかけてくる。
「見えてたぜー伊月。今日も小夜ちゃんとラブラブ登校ですかなー?」
 相変わらずのフレーズだ。もう伊月は無視することにした。妹をそんな風に見る気は無いし、しかしそう答えたって下らない誘導尋問に饒舌になる生き物なのだから、余計な餌は与えないのが巧いかわし方だ。
 案の定、伊月のフォローに回ってくれる心優しき腐れ縁其の二は秋臣のこめかみを軽く小突く。
「こーら秋臣。伊月はどうでもいいけど、小夜ちゃんを引き合いに出してちょっかい出さない!」
 前言撤回。味方は一人も居なかった。
「お前なぁ……まあ、礼は言うけど」
 ねめつけながら言うと、活発な雰囲気を思わせるショートカットの黒髪を揺らして、藤堂千尋(とうどう ちひろ)は『それなら良し♪』というウィンクを返してきた。
「サヨ、さん? 姫宮君、彼女居たんだ……?」
 大いなる誤解をしているのは、隣りの席にきちんと座っている眼鏡の少女だった。彼女――如月姫野(きさらぎ ひめの)――は中等部の時、伊月達の隣りのクラスでありながら千尋と親友の間柄だった女子生徒だ。ある意味、このおちゃらけトリオなんかと馴染めるのかと疑ってしまう程純朴そうな子で、知り合って一週間の異性の意外な事実に少し驚いている、というようなリアクションを見せていた。
 しかし、伊月の方は特に他人行儀は無粋だと思い、千尋や秋臣にするようなねめつける視線のままげんなりとした返答をする。
「俺の妹だよ。このバカが冗談言ってるだけだって」
「え、あ……あ、そ、そうなんだっ。御免なさいっ」
 勘違いを恥ずかしがるように頬を染めてパタパタと手を振る姫野。謝る程のことでもない気がするが、伊月はさっさと自分の席に座って荷物を机の中へ移したかった。
「姫野ちゃん、こんなんで良かったら貰ってやってくんない? こいつ結構モテるんだけど断ってばっかだからさ」
 一人黙々と教科書やノートを移している伊月を肴に、秋臣は尚も要らん事を姫野へ吹き込む。
「え、えぇ!?」
「結婚したら姫宮姫野かぁ……姫姫だ、姫度が上がるね♪」
「姫度って何だ」
 秋臣の顔を手で押して黙らせる。すると、いつもはフォローに回る役柄の千尋も便乗しだす。
「最近は女性に合わせて姓を変える人も居るじゃない。そしたら如月伊月。月月ね、月度が上がるわ」
「月度って何だ」
 一体どっちをからかっているのか分からない。しかし姫野はそれを真に受けたのか、顔を真っ赤にしてあわあわと口を開閉させている。
「あはは、ごめんごめんっ……姫野は可愛いなぁ〜♪」
 謝る気ゼロの笑みで姫野の頭を撫でる千尋。
 撫でられた姫野は口元に手を当てて何かぶつぶつと呟いていた。もう耳まで赤い。
 抗議の発言を伊月はしようとするが、その前に予鈴が鳴ってしまい、担任教師が入ってくる。
 狙っていました、とばかりに意地悪な顔で秋臣と千尋が伊月を見る。呆れたように眉間に皺を寄せて溜息を吐いた。


 ◆


 陽だまりの差し込む教室で、伊月は昼食を摂っていた。
 平均的な形状のシンプルな弁当箱に、小夜御手製の色とりどりな食材が並んでいる。一度火を通したハムにレタスで包んだポテロサラダ、三分の一を占領する白米の中心周辺にはそぼろが塗してあり、昨日の晩飯で残ったアスパラガスの天ぷらも、依然ベチャベチャとしてないままだ。何一つ冷凍食品に手を借りない体に良い内容に、最初に感嘆の声を上げたのは隣りの席で弁当袋を取り出していた姫野だった。
「わぁ……姫宮君が作ったの? すっごく美味しそう……」
 姫野は羨望の眼差しで弁当箱をおずおずと眺めている。
「今日は妹の当番だけどな。ま、二人が上手く出来なきゃいけないもんなんでね」
「あ……そう、なんだ……」
 そこで姫野は一瞬、言葉を詰まらせた。思いの外察するのが早い奴なんだな、と茫洋に伊月は思う。千尋とも同じ話になった事が昔にあったが、彼女は気付かずに禁句を言ってしまい、当時他人嫌いがまだ酷かった頃の伊月が意味も判らずに辛辣な物言いで怒った事に軽い口論となり、電話口に秋臣から事情を聞かされた彼女が翌日猛烈な勢いで低頭して謝ったのをふと思い出した。
(まあ、済んだ話だけどな……それにしても小夜の奴、これはなんていうか……)
 弁当の中身を見て伊月は何となく複雑な気分になった。最近めっきり料理の腕が上がってるような気がする。恐らくこの学園で姫宮兄妹ほど料理教室要らずな人間は居ないだろう。小夜は特に吸収力が高いから尚更だ。
「姫野、ただいまーっ」
 箸を取り出し、さっそく焼いたハムを口に運んだ折に、千尋が弁当箱と購買のイチゴミルクのパックを持って姫野の前に空いていた席へ座る。
「それじゃ、姫野師匠……今日も一つ御言葉を賜りたいと思います」
 両手を合わせて姫野にそう言い、千尋が弁当の蓋を開ける。小さめの弁当箱の中身には、厚焼き玉子にサラダなどの極平凡なラインナップ。
「し、師匠っていうの止めてよ……千尋ったら」
「だってぇ、姫野があたしの師匠なんだもん。違わないでしょ?」
 もう、と小さく不満の声を上げながら、しかし自然と表情が和らぐ姫野。
 姫野も学生ながらに自作の弁当を持ってくる人間だ。趣味で作っていますと答えるが、その腕前が伊月や小夜より上手なのは火を見るより明らかで、一年程前から千尋は自分で作った弁当の出来具合を、こうして姫野に御教授受けている、という訳だ。
「……うん、美味しいよ」
「ホントにっ!?」
 厚焼き玉子を控えめに口へ運び、賞賛する姫野に千尋は目を輝かせた。
「強いて言うなら……もうちょっと内側をトロトロに出来るように、強弱をつけて溶き卵を返せると、何も言うことは無いって思う、かな……」
「うぅ〜ん、善処します」
 と言いながら、千尋はちらりと姫野の作った厚焼き玉子を見遣る。
 普通の厚焼き玉子より、オレンジ色に近い。明太子を包んで焼いたのだろう。絶対に美味い、と傍目の伊月も思った。
「あたし、絶っ対いつか姫野より料理上手になるって野望有るからなぁ。うんっ、負けない!」
「え、えぇっ?」
 握り拳で無謀なことを表明する千尋は、代わりに姫野から貰った小松菜和えを嬉しそうに食べている。
 伊月もさっさと食べて、煩い奴が戻って来る前に食事を済ませようと思った所で、

「ちょっと! 今なんて言ったのよっ!」

 不意に女子生徒の荒げた声が教室に響いた。
 程好い喧騒に包まれていた教室が、一気に静まり返る。何事かと伊月達も振り返ると、声の発生源はクラスの女子内でリーダーっぽい立場に居るらしい、品田明美(しなだ あけみ)であった。
 場所は、窓際最後尾。
 そこには、和風を思わせる黒髪の美人が机の上で薄っぺらい鞄を漁っていた。
 渦中の少女は、怒声を受けている事も自覚が無いかのように冷淡な声で返答をした。
「目障りだと言ったの。知りもしない人間と食事なんて、どうかしてるとしか思えないから」
 彼女を一瞥もせず、澄んだ瞳を手元だけに集中させたままだ。
 品田明美はわなわなと肩を震わせ、鋭く睨みつける。怒りのあまりの紅潮しているのも、忘れたように怒鳴る。
「このワタシが誘ってるんじゃない! 断るだけじゃなくて、よくそんな言い方出来るわね!? そんなだから一週間経っても友達一人出来ないんじゃないの!?」
 勢いで半分は嘲るように言うが、どこまでも落ち着いた声音で、はっきりと品田明美を見据えて答えた。
「友達……? 冗談じゃない。私は誰の味方になる気も無い。別にするなとは言わないけど、群れて個性を奪い合うような要領の悪い事を、せめて私に無理矢理押し付けないで」
「……っ!」
 それが止めの言葉となったように、押し黙る品田明美の脇をコンビニ弁当の入った袋片手に無言で通り、教室を出て行ってしまった。
 しばらくして、女子の一人に肩に手を置いて呼びかけられて我に返った品田明美は、苦虫を噛んだような顔のまま教室を出て、彼女とは逆の方向へ廊下を歩き出ていった。
「……」
 しばしの静寂。やがて、誰かが息を大きく吐くのをきっかけに、教室に僅かな安堵の空気が流れた。
 伊月達も固唾を呑んで見守っていたが、やがていつまでもそうする必要が無い事を思い出して、互いの顔を見合わせた。
「び、びっくり……した、ね……」
 はにかむように伊月に笑い掛けて、姫野が言う。千尋は机に胸を押し付けるように低めていた上体をそろーっと起こす。
「こっわー……品田さんに喧嘩吹っかけるなんて大物だなぁ。ねぇ? 伊月」
「だな。大方別の中学校からの編入合格だから知らないんだろ」
 品田明美は中等部からの繰り上がりなので、三人して知っていた。というより、有名なぐらいだ。
 彼女は権力志向が強く、顔の良さもそれに拍車を掛けて大半の女子生徒のリーダーをしたがる。要するに高飛車なのだ。少なくとも中等部時代はクラスの女子全員(と男子の半数以上も含めて)仲間内に掻き入れるような豪奢な性格だと専らの話だ。
 無論、その影では?ちょっとした?黒い噂も流れつつある。彼女の誘いを断った生徒は、何故か必ずイジメに遭う、とかそういった物騒なものだ。特に、自分より目立っている女子が気に入らないのか、千尋や姫野も顔立ちは可愛い部類に入るが、そんな二人でさえ極力目立ったりしないように凡庸に過ごすのが得策だと思うぐらいだ。
 ある意味、そんな歩く不発弾のような人間とクラスメイトの伊月達には『災難』の一言しかなく、知らないとはいえああも盛大に啖呵を切った張本人には『御愁傷様』の一言しかない。
「一年生中には噂出回り始めてるからねぇ〜、『1年B組の一匹狼』」
 うおっ!? と伊月は反射的に上体を反らして声の発生源から遠ざかった。びっくりする程に近い場所から聴こえたからだ。
 見るとそこには購買戦争から帰還した秋臣が、伊月の机に顎を乗せて頭をヤジロベエよろしくゆらゆら左右に振っている。伊月の視点からだといけ好かない半笑い生首が転がってるように見えて、頭頂部に肘を落としたい衝動に駆られた。
「……知ってる口振りだな」
 言うと、秋臣は顎を離して得意気に笑んでみせる。
「まぁね、強烈だから。出席番号36番、氷室(ひむろ)チセ。編入合格で学園に来たクールビューティー。一番の特徴は知っての通り、誰とも仲良くしないこと。いっつも校舎裏とかの人気が無い場所で食事をして、後はずっと自分の席から外を見てる。凄まじい美形にも関わらずあんな口調なおかげで問題児街道まっしぐら」
「相変わらず女に関しては情報が早いことで」
 懐から取り出した手帳サイズの小さなノートを取り出して、つらつらと情報を述べる女遊び魔人をねめつける伊月。間違ってもノートの表紙に描かれている丸で囲まれた臣の字だけは見えないことにしたいところだ。
「氷室チセ、か……」
 ぽつりと呟くと、照り焼きソーセージパン――購買の伝説的売れ筋トップ商品。予鈴と同時に行っても買えるのは奇跡級な事で有名。確実に手に入れたい生徒が裏で根回しを行なっているとの噂までされているパン――の封を開けながら秋臣が意地悪な笑みを浮かべる。
「どした? さては一目惚れしたとかじゃねぇだろうなぁ〜?」
 ニヤニヤと笑っている秋臣に、伊月は眩い笑顔を湛えて楕円状にスライスカットされているソーセージを箸でぶっこ抜く。三枚取れた。兄妹揃って暗殺家業が向いているのかも知れない。ぎゃあ!? と叫ぶ秋臣を無視して「一枚食う?」と二人に勧めると、「あ、貰うー♪」と千尋はちゃっかり一枚摘んで弁当の隅に確保。姫野はおろおろと秋臣と伊月を見比べてから、顔を真っ赤にしながらも一枚貰うことにした。腐ってもさすがは人気ナンバーワン商品だ。
 八割近くがただのパンになったそれを、涙目で食べる秋臣。「せっかく懐柔したのにぃ〜……」とか小さく愚痴った気がしたが、洒落になってない空気を察して全員スルーした。
「でもま、野郎共も氷室ちゃんにだきゃ手ぇ出さないのは確かだねぇ〜。あんなん勢いで告っても物凄ぇヘコまされ方されるのがオチですたい」
「その前に約束の時間場所を平気で無視しそうに見えたけどな……」
 伊月は苦笑ともつかない乾いた笑いを浮かべて、脳裏に浮かんだ慣用句を噛み締めた。
 触らぬ神に祟りなし。





 それでも、日常は押し流す波のように非日常を揉み消して、坦々と過ぎてゆく。
「えー、最近この辺りで通り魔事件が起きてな。警察が夜間の見回りを強化している。男子はともかく、女子生徒は絶対に一人で下校しないこと。何人かの固まりで帰るか、家族に送って貰うこと、いいな? ……だからって、女子に格好良いトコ見せようなんて息巻くなよ男子ども?」
 教師が軽口を叩くと、教室ににわかに笑い声が沸く。
「とはいえ、冗談じゃないからな? 下校は早めで一人にならず、特に……夜間の外出は極力控えろ。大丈夫だろうと思って襲われたら洒落じゃ済まないんだからな?」
 伊月は頬杖を突いて、焦点の合わないような見方で教師の話を聞く。ような、素振りをしている。正直な話、自分にとってはどうでもいい内容なので、茫然とした思考で伊月は聞き流す。やがて委員長が起立の号令を出したので、やっと終わると伊月は周囲と同じようにして、全員が纏まる気の無さそうなバラバラな一礼をした。

 鞄にノートを仕舞い、立ち上がる。すると秋臣が携帯を閉じながら伊月の前を通る。目を合わせるや否や、片手を謝るように出してくる。
「今日もデートか?」
「いやぁ〜……よ、予約制とか敷いた方がいいんですかなぁ〜……とか?」
「いーよ聴こえが悪いから」
「あはは……また今度遊ぼうな」
 シュタッ、と手を出し、秋臣はそそくさと帰ろうとする。
 気まずそうなので、一応止めを刺しておいた。信頼出来る仲にほど容赦が無い、それが姫宮伊月だ。
「いい加減、一人に絞れよ?」
「〜〜ッ……」
 背を向けているので分からないが、きっと苦い表情を浮かべているんだろうな、と伊月はほくそ笑んだ。
 秋臣が帰り、帰り支度をしていると千尋が声を掛けてくる。
「じゃね、伊月。また明日!」
「ん? 珍しいな、秋臣はまだしもお前は真っ先にゲーセンとか誘いそうだと思ったのに。まぁ無理なんだけど」
 千尋は帰宅部だ。にも関わらず、運動部員御用達のサブバックを使用している。軽い小旅行ぐらいなら使えそうな容量で中身には困らないだろうが、入れる物自体少ない帰宅部には嵩張ってしょうがない品だ。紐の付け根に、初めて出逢った頃から彼女が大事に所持している赤い色の子熊のストラップが円らな瞳で虚空を見つめている。
「ちょっと家の用事でね、また今度でいい?」
「悪いわけないだろ。じゃあな」
「うっす♪」
 ピッ、と戦闘機パイロットのような仕草でウィンクをし、短髪を揺らして小走りで教室を出てゆく。
「あ……ひ、姫宮君っ」
 伊月も支度を終えて席を立つと、控えめに声を掛けられた。
 姫野だ。彼女はどこか緊張に狼狽するような感じで、眼鏡越しに恐る恐る伊月を見る。
「おう、如月。何?」
 鞄を肩に担ぎ待つと、姫野は頬を染めながらも訊ねてきた。
「き、今日は永谷君や千尋ちゃんとは帰らないんだねっ……」
「あー、二人とも用事だってさ。まぁ、俺もそうなんだけど」
「えっ……?」
「小夜と買い出し。冷蔵庫の中身、空だったから」
 既に正門で落ち合うようメールを送っているので、そろそろ行かないと待たせる事になる。
 ちょっとでも遅れると、『レディは待っても待たせるなだよ!? 分かってないなぁお兄ちゃんはっ!』とか人目も憚らず指摘してくるので、羞恥プレイをされない為にも早足で行こうかと悩んでいた。
 そんな伊月の苦悩とは別に、姫野は赤らめていた顔を少し落ち着かせるような、落ち込むような、そんな蔭りと共に苦笑を浮かべた。
「そ、そうなんだっ……」
「?」
 きょとんとする伊月に、慌てて両手を振りながら何も無いと言い張る姫野。
「じ、じゃあっ……待たせちゃいけないよねっ……! そ、それじゃ、さようなら……っ」
 そう言いながら、駆け足で教室を出てゆこうとする。前見て歩け、と言おうとするが遅かった。誰かの机に脚をぶつけて盛大に転ぶ。ちなみに白いレースだった。というのは気付いていない姫野は紅潮して机を定位置に戻して伊月を見、あはは、と苦笑を返してから教室を出た。廊下の先で軽い悲鳴が聴こえた気がするが、大丈夫だろうか?
 嘆息とも苦笑とも吐かない溜息が零れる。そろそろ行かないと妹に視姦プレイをされると思い出し、伊月も教室を後にした。


 正門前に辿り着き、ぞろぞろと出てゆく生徒に流されないように端っこで待つ伊月。
 すると、ポケットの中で携帯電話がブルブルと震動する。
 取り出して開くと、液晶には小夜の名。通話ボタンを押して耳に当てた。
「もしもし?」
『あ、お兄ちゃん』妹の声が電子音となって耳朶を叩く。『お兄ちゃん、もしかして正門に居る?』
「おう」
 すると、電話越しに店内放送らしきものが聴こえる。学園の外の、どこかの店の中のようだった。
『ゴメンなさい。今、友達と一緒にスーパーに居るの』
「友達と? 何でまた……」
『最近通り魔事件が起きてるから、一人で下校しちゃダメだって先生に言われたでしょ? 分かってないなぁお兄ちゃんは』
 呆れるような声が聴こえてくる。
『あっ、うん、すぐ行く! ……って訳だから、今日は私友達と帰るから、お兄ちゃんも早めに帰ってきてね?』
「は? 女友達だろ? 俺遅い方がいいんじゃねぇ? 普通」
『だから夜は危ないから早めに帰ってきてってば! 友達は夜に仕事帰りのお母さんに送って貰うらしいから大丈夫。というか……』
「……というか、何?」
『な、何でもないよっ……?』慌てるように遮って、『と、とにかくっ。今日は早めに帰ってきてね? 本当に最近は物騒なんだから』
 分かった分かった、と答えて通話を切った。どちらにせよ一人で遊ぶのはつまらないし、今から買い出しの御供に行こうったって邪魔かあるいは行き違うのだから、真っ直ぐ帰るに決まってる。伊月は携帯電話をしまって、帰路を急ぐ生徒の波に紛れた。


 ◆


 四月も中旬は、夕暮れが少し長くなってくる。茜色の陽光が後を尾ってくる影も三メートルの長身となって舗装された地面に描かれていた。
 妹の切実な願いも虚しく、コンビニで立ち読みして悠長に帰路を歩く伊月は、携帯電話が震えているのに気付いてぼんやりとしていた意識を引き戻す。
 液晶を見ると、その妹のメールだ。『どうせ立ち読みしてるんだろうけど、早く帰ってきてよね!』と念を押される。本当に怒っているのだろうか、文章の最後にワンポイントで付け足された馬の絵文字がなんとも間抜けだ。
 今帰るとこ、と返信し、ポケットに仕舞う。すると、再び震える携帯電話。取り出すと、今度は秋臣からだった。
 内容は、前に借りたいって言ってた音楽CDって何だっけ? というものだ。デート中じゃないのか、と思ったが、彼の行動は予測しようがない上に、別に知りたいとも思わないので返信せずに無視した。
 すると、携帯電話が震える。今度は何だと顔をしかめて開くと、知らない宛先のメールだった。
 伊月は面倒臭そうに吐息を漏らす。どうも悪戯メールらしい。こういうのは珍しいことではあるが、知らない人間から来るというのが既にうんざりするというものだ。伊月は当然これにも無視しようとしたが、何となく内容を見ずに削除するのは気になり、ページを下へスクロールする。
 ぱたり、と。歩いていた足が自然に止まった。
 訳の分からない、内容だった。

『汝に確在る選択を。
 絶望の真実。
 虚偽の希望。
 往ける路は只一つ也。

 貴方は、どちらを選べますか?』
 YES NO

 最後のYESとNOはクリックすればURLジャンプがされる、いかにも誘っているような形式表示だった。
「……、えーっと……つまりはそういうわけで?」
 誰も聞いちゃいないのに、伊月は自然と言葉に出した。要するにYESを押せば前者で、NOを押せば後者ということになるのだろうが……。
「バカらしい」
 その一言と共に、伊月はそのメールを迷う事無く削除した。
 こういう迷惑メールは応じたらお終いだ。覚えの無い高額請求のメールが次々と届いて、解約して別の機種に買い換えないといけなくなるに決まっている。金に不自由はしていないが、だからってそんな下らない誘惑に負けて手間を掛けさせられるなんて、馬鹿げている。
 削除されたのを確認して、伊月は電源を切ってポケットにしまう。
 まるで謎かけのような内容だった。だが、性質が悪いにしては笑い種な選択肢だ。どこにでもいる一般学生に、突き付ける選択肢じゃない。
 何かが、頭の中で吹っ切れるような、そんな感覚に伊月は気付く。白けた心中で早く帰ろうとして、いつも通り過ぎる公園へ入った。
 キィ、と。
 鎖の軋む哀しげな音が耳に入った。
 視界の端に設置してある古めかしいブランコの音だと伊月は思い、何とはなしにそちらへ向いた。
 男が、立っていた。
 ニット帽を目深に被った、青白い肌を薄地のジャケットとジーンズで包む細身の男。
 立ち上がったことで軋みながら小さく揺らいでいるブランコを背に、その男はこちらに歩みだす。
 なんだ、と伊月は疑念を浮かべた。
 年頃は伊月と近い、だがその相貌は学生に感じられない。それほど、青年の目元のくまが酷かった。
 何日も眠っていないような、まるで、病人のような――、
「あーあー、何も言わなくていいっての。メンドくせぇ」
 男は言う。伊月は最初、自分に話しかけているという実感が湧かなかった。
 すると、男は笑んだ。
 ぞくり、
 伊月の背筋に、そんな悪寒に似た何かが鳥肌となって生じる。
 男のその笑みは、あまりにも暗かった。
 陰湿で、
 悪意的で、
 そして、凶暴性を孕んだ、獰猛な嘲笑。
 伊月は一歩退いた。
 何かがまずいと、頭の中で警告が発せられる。
 本能的に、この状況はまず過ぎると叫んでいる。
 しかし男はゆったりとした足取りで、確実に伊月に向かって歩いてくる。
「手っ取り早く質問だけ答えろや。テメェ今、メール来ただろ?」
 ぎくり、と伊月の心臓が早鐘を打った。携帯を弄っている姿を見られたのなら、その質問自体はさして気に掛かることじゃない。
 問題は、何故知らない人間が、今それを聞いてくるのか、ということ。
「やっぱ貰ったわけだ。じゃあ……あー、いや、気にすんな。別に悪いことじゃねぇからさ」
 男はニカッと明るく笑ってみせた。

「テメェを殺す理由がはっきりしたんだ。気にすることじゃねぇだろ?」

 え? と、
 聞き返す為に男の顔を見ようとして、
 一瞬で目の前にまで詰め寄った男が、夕日の逆光に紛れた?何か?を振り上げているところだった。
「――っ!?」
 伊月は咄嗟に薄っぺらい鞄を、男の顔めがけて投げていた。通り魔事件の話を教師や妹から聞かされていたのが、助かった。
 反射的に男は振り上げた手を伊月から飛来する鞄に標的を変えて振り下ろす。
 さくり、と何かが刺さる音。いや、『刺さる』と言うにはあまりにも抵抗の無さ過ぎる刺突音。
 空中で穿たれて停止した鞄には、翡翠色の石器みたいなナイフが覗いている。
 ぞわわっ! と全身が総毛立った伊月は、弾かれるように後ろへ下がる。
 男は一度鞄に視線を落として、それから伊月を見た。
「……反応、良すぎね?」
 ぽつりと呟いて、
 ニタァ、と。強烈な嘲笑を浮かべた。
「ハッハ! さっそくビンゴかよ、ぇえ!?」
 鞄から生えている翡翠色のナイフが、ぼう、と淡く燈る。
 瞬間、鞄が一瞬にして細切れになった。
 文字通りだ。縦横無尽に、それなりに硬度は有るはずの学生鞄はズタズタに切り裂かれて地に降る。中に入っていた教科書やノート、アルミ製の弁当箱でさえ、バラバラになって砂利の上に転がる。
「手っ取り早くいこうぜぇ!? テメェに赤の他人マジで真っ赤に染めさせたくねぇって良心が在らぁなぁ!!」
 男は歓喜にして狂喜の爆笑を放ち、変わらぬ足並みで近付いてくる。
 伊月はそこで、ようやく息を吸う事を思い出した。瞬時に乾いた口から、叫ぶ。
「ふ、ふざけんな! 訳分からねぇこと言いやがって……! お前が噂の通り魔か!?」
 その言葉に、男はピタリと止まる。
 しばし、きょとんとした表情で伊月を見ていたが、やがて呆れた顔をした。
「あのよぉ、そういう三文芝居はメンドいから止めてくんねぇ? つぅか、テメェいくらなんでも気配消すの下手過ぎだっつぅの。なに? もしかしてオレ舐めてる?」
 男はイラついた物言いで、ナイフを弄びながらさらに近付く。
「んだけCHAINの気配プンプンさせてる奴が何言ってやがる? 金払ってねぇ食いモン口に突っ込んで、『食っていませんから金を出す理由が在りません』じゃ牢屋行きって脳みそ理解してる? 常識知らないわけ? 非常識な人間に言われたかねぇってか? 路を外れたクソッタレが調子乗んじゃねぇぞ」
「……ちぇいん?」
 何を言っているんだろう。もしかしたら、薬物でもやっているのだろうか? そんな疑念も、伊月の前で振りかざされたナイフで我に返る。
「テメェみてぇな末端一人死んだくらいじゃ動かねぇかも知んねぇけど、まぁ善は急げってなぁ昔のお偉いさんは良く言ったもんだなぁ。オレって良い人だろぉオイ?」
 逆手に握り締めたナイフが、落とされる。
 一寸の躊躇が無い、なんてレベルではなかった。
 一秒一瞬でも早く殺したい。そんな、いっそ惚れ惚れするまでの、殺意無き殺戮。
 伊月は恐怖に身が竦むという最悪の状態故に、目を見開いてそれを、見ているしかなかった。

 ピタ、と。
 男のナイフが眼球に突き刺さる数センチ手前で綺麗に停まるまでは。

「――、あ?」
 男は顔を振り向かせる。
 特に何を見たというわけではない。自分の周囲を確認したかっただけの男の目に、それは異常な光景だった。
 公園と、その周囲の路地。
 数軒の民家を巻き込んだ百メートルの領域を、巨大な膜のような壁が包み込んでいた。
 夕焼けの色を不十分に遮断する紫煙色の壁に、それを知っている男はナイフを伊月から離して叫んだ。
「こいつぁ……チィッ! 『教会領域(チャペル・レプリカ)』!? ってぇことは……!」
 舌打ちと共に男が顔を上げた時、男の背後から声がした。
「随分とまぁ、やってくれるもんね」
 振り返る。伊月も声のする方を――見上げた。
 少し離れた民家の屋根に、異様な少女が立っていた。
 いや、外見的なものはもしかすると女性と呼ぶべきなのかも知れないが、その服装が醸し出すメルヘンチックさが、彼女の外見年齢を曖昧にしている。
 ローブを着た、尖がり帽子の外人。
 魔女は緑の目を、男と伊月を見下ろしていた。
 狂人は叫ぶ。
「なんだぁ!? おめおめと逃げた負け犬が今度はオレのストーカーかぁ!?」
「アンタの何処に惚れろってのよ、勘弁して欲しいわね」嘲りの雑言に、魔女は嘆息する。「穏便にって言葉を知らないのね? その子が本当に感染者だって証拠は有るの?」
 男は鼻で笑う。
「ハッ! テメェに契約者の在り方を教わる気なんざ無ぇよ売女ぁ。『人様の獲物狙う程サカってます』って泣いて言うんなら手を引いてもいいんだぜぇ?」
 単語の端々で理解できないものがあるが、伊月には狂人の物言いがあまりにも酷いことぐらいは解る。魔女は、表情の一切が無くなった。
「……アンタこそ、あんまり調子乗ってんじゃないわよ? アンタなんかと共鳴してるのだって吐き気がすんのよ。『人様に御迷惑お掛けしました』って泣いて言うんなら許してあげてもいいのよ?」
 少し、口の端を歪める魔女。
 狂人は苛烈に殺意を放ち、ナイフを右手に持ち替える。
「うぜぇよクソ売女、テメェやっぱマジで今すぐ八つ裂きだわ」
 魔女は、伊月を見て、愛嬌の在るニッコリとした笑みを浮かべて、
「君、少し……いや、出来る限り離れてくれる?」
 あまりにも無造作に言い放った。
「少なくとも公園内に居たら――君、消し炭になるわよ?」
 意味が良く、解らなかった。
 だが伊月は、こんな状況でこの場から離れろなんて、言われるまでもないことだった。
 浮ついた脚を叱責し、立ち上がって一目散に駆け出す。
 狂人が伊月の背を見て叫ぶ。
「あーあー……どいつもこいつも、逃げんなっつってんのが判らねぇのかクソッタレがあぁっ!!」
 ナイフの切っ先を、伊月へ向けた瞬間、シュボゥ、という異音が耳に入った。
 視線を戻したそこには、

 夕焼けよりも紅い壁が、押し寄せていた。
「聴こえなかったの? 消し炭にするって」

 空気を呑み込み膨れ上がる、特大の炎。
 紅蓮の息吹が公園の中心に灯火のように燈り、そこに居た一人の姿を焼き払う。
 だが一秒としない内に、炎の中から顔を両腕で覆った狂人が飛び出してくる。
 地面を転がり、どこも燃えていないことを確認した狂人は、今までとは違う視線を魔女に向けて舌打ちした。
「がっ……くそっ! おいおい、まさかテメェのアルカナ……!」
 薄っすらと嘲笑を返し、魔女は屋根の上から飛び降りる。
 平屋の屋根とて数メートル有る高さを、音も立てずに着地した魔女は、タロットカードを狂人に見せた。
 木製机の上に剣、杖、杯、護符の四つを置き、聖杖を天へかざした、頭上に『∞(無限大)』の記号を浮かべた者の絵姿。
 意志、手腕、そして外交の象徴。
「一応名乗っとくわ。ローマ法王庁外界調査委員会所属兼、『五賢者戒壇』第二席補佐官」
 紫煙に消えるカードが、細い鎖に繋がれた四つの武装へと姿を変える。
「シリアルナンバー?、【魔術師】の契約者――?賢しき四法?グレーテル=D・T=フローエ」
 その鎖は腰のベルトをなぞるように巻かれ、四つの武装を繋ぐ。
 魔女が手にしていたのは、その内の一つ。全長三十センチ程の木製に見える杖だった。杖の先端にはルビーの宝石が嵌めこまれていて、そこからまるで吹き出るようにして炎が渦巻いている。
 杖の先端を突き付けて、魔女は狂人を見遣った。
「悪いけど、こっちも仕事なのよ。容赦無く征かせて貰うわ、?切り裂き魔?」


 伊月は無我夢中で逃げていた。
 鞄とその中身の請求代とか、言いたいことは色々有ったが、正直それどころじゃない。
 必死、という言葉が似合う程の意気込みで走っていた。体育の授業で短距離走を測らせたら、大概の奴には負けないんじゃないかと自負出来たかも知れない。
 息も辛くなってきた伊月は、家の塀に手を付けて歩き出す。
「はぁ……は、はあっ……! な、何なんだよ、これ!?」
 天を仰ぐ。
 薄い紫煙色の膜が、今も頭上を覆っている。
 伊月は、何か不思議な感覚を覚えて振り返った。
 膜に包まれた家々を、じっと見遣る。
(厭に……静か過ぎねぇか?)
 公園を含むここら一帯は民家が密集する、いわば居住区だ。深夜ならまだしも、夕方に人っ子一人通らないなんてこと、今まであっただろうか。
「ちゃぺる何とかっつってたな、今の奴等」
 目の前から惨事が無くなったことで、ある程度落ち着いてきた頭で伊月は考える。
 何かの撮影にしては性質が悪い。それに、あの男の方の眼は、本気で伊月を殺そうとする眼だった。生半可な遊びではないものを感じた。
「訳が判らない……くそっ! どうなってんだよ……!?」
 塀伝いに呼吸を取り戻した伊月は、大通りの辺りで立ち止まる。
 あと一歩というところで、紫煙色の膜が行く手を遮っていたからだ。
 伊月は一瞬躊躇したが、ゆっくり、恐々とした手つきで膜を突いてみる。
 硬質な壁とも、粘着な液体ともつかない、微妙な感触が指先に伝わる。試しに手でぐっと押してみたが、形状を変えることを否とする如く、膜はびくともしなかった。
 出られない、と理解した伊月は疲労とは別で早鐘を打つ心臓を抑え込む。
「どうすりゃいいんだよ……何か無いのか? あいつが何とかするまで待てってのか……?」
 膜から手を離して、伊月は振り向く。
 遥か彼方の小さな公園では、何が起きているのか。伊月にとってみればそれすらも想像出来ないし、想像なんてしたくもなかった。
 これは夢だ。
 そんな瑣末な願望が叶って欲しいと、伊月は眼を瞑って大きく息を吐いた。

 その時だった。
 ズバン!! と、空気が軽度爆発したような鼓膜に良くない音が、伊月の背後に響いたのは。

「――っ!?」
 反射で振り返る。
 紫煙色の膜に、異様なモノが生えていた。
 それは、今では郷土資料館か剣術道具販売のパンフレットぐらいでしかお目にかかれないような、反りを持った白銀の刀身。
 バヂバヂと電流にも似た音と共に火花を散らす膜の亀裂から、一気に飛び出す黒い影。
 一連の動作は伊月が思考するよりも迅速で、故に無防備なまま伊月は口元を無造作に掴まれて倒された。
「ぐっ……!」
 背と腹に二種の衝撃。仰向けに倒された伊月の体に膝で乗りながら、奇襲を起こした者は眼前に切っ先を突きつけた。
 目を開けた伊月は、顔に長い黒髪をくすぐらせる者の顔を見て、
 言葉を、失った。
 知っていたから。
 在り得なかった。
 最も、驚く人間。
 魔女や狂人より、
 その者は――、
 その少女は――、
「動かないで」
 切っ先を突きつけ直し、少女は言う。
「……法王庁御得意の結界の内側に居るのに、人払いの影響を受けない」
 鈴のような声で、
「ただの人じゃないとして……貴方から感じる気配は一体どう説明する?」
 無機質な声で、
「貴方は何者? 特異的な一般人? アルカナの契約者? それとも――」

 非日常な、声で。
「――貴方は、CHAINの感染者?」

 夕暮れから外れた色の世界で、歯車は軋んでいた。










 第二幕:瓦解 〜You get to know〜





 玄関を潜ると、真っ先に小夜が出迎えた。
 妹は少し頬を膨らませていて、怒ってると安易に想像がつく。
「もう! お兄ちゃんってばいっつも私の言うこと聞いてくれないから困る!」
 立ち読みしていたことを怒っている小夜を見て、伊月は心からほっと出来る。少なくとも、?彼女?の言う事が偽りではないことに安堵が持てた。
 玄関先でそんな伊月の姿に首を傾げる小夜の背から、一人の少女が現れる。
「お帰りなさい、姫宮先輩」
 中等部のセーラー服を着ている、八重歯が愛嬌の感じる子。
 見覚えがある。今朝登校した際に小夜が追いかけていた友達の一人だ。
「ああ、電話で言ってた小夜の……」
「百瀬司(ももせ つかさ)です。小夜にはよぉいつもお世話に……って、出会ぉてまだ一週間ですけどね」
 二人してエプロンを着けている事に気付く。
「料理でも作ってたのか?」
 鼻を利かせると、バターの焼ける香ばしい匂い。司は微笑んで答えた。
「ハイ♪ 小夜の持ってくるお弁当がめっちゃ美味しいんで、手解きをと思いまして。ま、本音を言えばお母さんが帰ってくぅまで外は出歩かへん方がえぇってのもあるんですけどね」
「ああ……そう」
 一瞬、伊月は自分の顔が引き攣るのを感じた。司は途端に申し訳無さそうに口を手で押えた。
「ごっ、御免なさい! あの、そのウチ、そんなつもり……!」
 慌てぶりからして、小夜から聞いたようだ。
 伊月は年上としての威厳を示そうと、柄にもなく微笑を浮かべる。
「いや、気にしてないから。晩飯、期待しとくからな」
 司はそんな気遣いを察してか、はにかむように苦笑しながら頷いた。
「あ……ハイ、もちろん! 腕によりをかけて作らせて貰いますんで♪」
 二の腕に手を当てて鼻息強く意気込む司を傍目に、伊月は小夜を見る。
「悪ぃ、ちょっと二階で勉強すっから」
「あ、うん。って……お兄ちゃんが勉強なんて珍しい」
 意外そうに驚き半分で小夜は言う。兄としての何かが痛かった。
「飯出来たら呼んでくれ。それまで集中してぇから部屋入んなよ?」
「分かった。じゃあ司ちゃん、続きやろうか」
「任しとき!」
 二人でリビングの方へ向かう仲の良さそうな背を伊月は眺めて、階段を上る。

 既に心臓が、嫌な鼓動を始めている。
 階段を上って突き当たりの、伊月の部屋。
 まるで、悪戯をして家の玄関前に立つような、祈る気持ち。
 ドアノブを落とし、ドアを開ける。
 入って、ゆっくりと締めて鍵を掛けた。

「……遅い」
 抑揚の無い声が、伊月の部屋に染みた。

 見ると、そこには一人の少女が勉強机の椅子に腰掛けてこちらを真っ直ぐ見つめていた。
 窓が半開きになっている。道路から、ベランダまで登ってきたのだろう。あの、一分にも満たない時間に。
 黒いブレザーを羽織り、第一ボタンまで閉めたシャツの首元には紅いネクタイがきちっと締めてある。灰色のチェックスカートは卸したてのままで、丈が膝下まである。
 一日でも手入れを怠れば光沢を失いそうな程に艶やかな黒髪は背中で切り揃えてある。
 肌は日焼けを知らない、夜の闇に立てば雪のように光を持ちそうな白。
 顔立ちは、失礼にも感じるかも知れないが、今まで伊月が見てきた女性達が場末のホステス扱いになりそうなほど、整っている。まるでこの世に一体しかないほど高価な、等身大の人形だ。
 人形だと感じてしまう程に感情を湛えぬ少女。
 伊月のクラスメイト。
 神門学園の問題児。
 他人嫌いの麗人。
「氷室、チセ……」
 チセは自分の意思を即答する。
「名前の方は気安く呼ばないで」
 端的で、機械を思わせる冷徹な物言い。
 彼女は手ぶらだ。ただ静かに椅子に腰掛けている。
 それだけでも威圧感を覚えながら、伊月はごくりと喉を鳴らしてから口を開いた。
「……これで、いいだろ?」
「うん」

 出来事は十数分前。
 結界と呼ばれる巨大な膜の端で組み倒された伊月は殺されると察したが、不意にチセは伊月をじっと見た後ですぐに刀を離し、代わりに交換条件を突きつけてきた。
 『話を聞く気があるならここから出す。聞く気が無いなら法王庁の者に身柄を引き渡す』、と。
 前置きも何も無い選択肢に戸惑ったが、何も判らずにこんな場所に居たんじゃ気が気じゃないと考えた伊月は、前者を選んだ。意思に応じたチセが入ってきた時と同じ要領で刀で亀裂を創り、伊月ごと外へ出る。膜の外で伊月が何処で話をするのかと訊ねると、寄りにも寄ってチセが指定してきたのが、姫宮宅だった。
 伊月は拒んだ。状況をまだ理解出来ていないが、自分の命が狙われたというのは分かる。家に帰ったりして、小夜や司が巻き込まれるのを恐れた。
 しかしチセはそれを意に介さず、『教えてあげるのだからそっちの都合なんて知らない』と冷たく却下する。
 そして、今に至る。

「……俺が、一体何をしたってんだよ?」
 牽制にも似た質問に、チセは声色を変えることもなく答える。
「別に。貴方は何もしていない。単に貴方は運が悪かっただけ」
「どういう……」
「おかしなメールが来なかった? 何か誘うような、宛先の無い悪戯メール」
 的確に意表を衝く質問に驚きながら、伊月は首肯する。
「ああ、ふざけた内容だった気がしたから削除しちまったけど……」
「やっぱり……まあ、そうでなきゃ狙われる理由なんて無いから」
「何なんだ、あのメールは? あれが、俺が襲われた原因だっていうのか? あいつ等が言ってた『ちぇいん』ってのが、あのメールだってのか?」
 捲くし立てるように訊く伊月に、チセは嫌そうに顔をしかめる。
「一気に訊かないで、しつこい。一つずつ説明してあげるんだからいちいち煩いの、貴方は」
 心からの非難に、伊月は黙り込んで俯く。
 チセはその様子に罪悪感の欠片も表情に浮かべず、まずは、と口火を切った。
「この世界は二つの顔を持っている。日常と、非日常。そう……言ってしまえば貴方の居る、どこにでもあるような何気無い日常を送っている人間も居れば、その裏で何かしらをしている非日常な人間が居る」
「何かしら、って……」
「暗躍、支配、戦争……まず貴方の送ってきた日々の中では決して起こり得ない、常軌を逸した遣り取り。私や、さっき貴方が見た連中もそういった世界の人間」
 伊月は、あまりにもチセが平然とそう口にすることに足元が覚束無く、ベッドの上に腰掛けた。
「そういった闇の中に生きる連中にはね、敵が存在したの。和上の結託なんて話はとうに捨て去られた、絶対の敵」
 それが、と顔を向ける伊月に、チセははっきりと答えた。
「CHAIN。日常に潜み、日常を歩く人間の心に近寄って人間を悪意に貶める、力」
「力? 人間じゃないのか?」
 チセは首を横に振る。
「人為的なものなら誰もが気楽に相対したでしょうね。でも違う。CHAINは何処とも判らない場所から唐突に現れて、人の光を食い潰して姿を消す。唯一CHAINが行う干渉といえば、大概がメールだったりする。送信先を追ったって無意味。法王庁の情報網を最大限に駆使して、尻尾すら掴めずにいるぐらいだから」
 一種の思念みたいなものと考えた方が楽、とチセはぞんざいに説明する。
 伊月は追いつくので精一杯で、理解不理解に問わずとにかく頷いてから意味を脳内で咀嚼していく。
「CHAINの闇に引きずり込まれ、日常を捨てた人間を私たちは『感染者』と呼んでいる。CHAINという名の狂気に感染した、人間」
「そんなに危険なのか?」
「日常から逸脱した感染者は、神力という誰もが生まれ持つ特殊なエネルギーを強制的に増幅させられる。簡単に言ってしまえば……本来は人に無いはずの力が備わる」
「炎を操ったり、訳の判らない壁を創り出したり、とかか?」
 そう、とチセは言う。
「まあ、信じろってのが度台無理に聴こえる話だけど」
「いや、信じる。あんなもん見せつけられたらな」
「別に信用して貰いたいとは一言も言ってない」辛辣にチセは好意を無碍する。「CHAINの恐ろしい所は、無差別過ぎるということ。本当の意味で、誰にでも感染する。干渉(メール)をあっさりと削除した貴方が、むしろ珍しいぐらい。CHAINは闇に堕ちつつある人間を区別して干渉するから、余程自我が強くないと普通は応じてしまう」
「でも、削除したってことは感染しなかったんだろ? 何で襲われたんだよ……」
 殺戮の刹那を思い出し、身震いする伊月。
「そこで問題が起きた」チセは答える。「メールを削除した時点でCHAINの因果律干渉は起きない。今もあの時も、貴方は紛れもなく感染していなかった」
「じゃあ何で……」
「CHAINの気配を、貴方が引き連れてしまったから」
 ……え? と伊月は言葉を詰まらせた。
「一般人の中で、神力の高い人間はCHAINの気配を感知したり、それを呼び寄せてしまうことがある。感染していないにも関わらずCHAINの気配をさせてるなんて異端な存在なら、CHAINが干渉しようとする可能性は高い」
「どういうことだ?」
「つまり、メールが来る前から貴方は、付近に居た感染者にCHAINの気配を……例えば、残り香みたいなふうに体に纏わせていたのよ。感染者と呼ばれる所以が判らない? 文字通りCHAINは感染者から他者へと?感染ってしまう?ものだから」
「それじゃあ、あいつが襲ってきたのは」
「勘違い」きっぱりとチセが言う。いかにも素っ気無さそうに、どうでもよさそうに。「まあ、仕方が無いと思うけど。CHAINの気配させてる人間が携帯弄ってたら、勘違いもする。私もあれだけ近付いてやっと違和感を覚えたぐらいだから」
 伊月はそれを聞いて、安堵というより脱力した。勘違いで殺されかけたなんてそれはそれで伊月には大事だが、異常の住人が平然と答えるあまりに力が抜けてしまった。
「けど、どうして俺を助けようとしたんだ?」
 自然と生まれた疑問に、チセは少し機嫌を悪くしたように眼を細める。
「慈善で助けたわけじゃない。そういうのは本来法王庁の仕事なんだけど、問題が有るから」
「どうして?」

「神佑地は下手に手を出せないから、この町はウチの管轄下じゃないのよ」
 チセが口を開いた瞬間、割り込んで答える声が部屋に聴こえた。

「――、」
「……っ!?」
 二人の視線が窓へ向く。
 窓を開けて入って来たのは、魔女の風体をした灰銀の髪の外人。
 伊月がベッドから腰を浮かす。魔女はすぐさま手でチセを制した。目鼻立ちが東洋のものではないにも関わらず、流暢な日本語だった。
「待ちなさいな。アタシは話に混ぜて欲しいだけ、話の分かる人間だと評してくれたのは誰だったかしら?」
 ポケットに指を忍ばせたチセは、ゆっくりと離す。代わりに冷静なまま訊ねる。
「さっきの契約者は?」
 魔女はパタパタと手で自分を仰ぐジェスチャーをして溜息混じりに答えた。
「撒いたわよ。誰かさんが二度も結界ぶち抜いて彼を連れてくもんだから戦う理由が無くなっちゃったんだしね。しかし……肝を冷やしたわ。試しに十字遠征軍(クルセイダリス)が来るってカマ掛けたら、『マジでか!? そいつぁ愉しくなってきた!!』とか言って嬉しそうに突っ込んでくるんだもの。歴代【愚者】の契約者でもあそこまで頭のネジぶっ飛んでる奴は居ないわね……」
 魔女は言いながらベランダでヒールを脱ぎ、部屋に入る。
「大所帯で喋ってたら下に気付かれる」
「伊達に契約者じゃないわ。この家の二階部分に簡易結界張ってるから、叫んでも気付かれない」
 チセはそれを聞いて、そう、と短く答える。魔女はようやっと伊月と視線を合わせる。
「初めまして、と言っておくべきかしら? 運が悪い言うか何と言うか……」
 伊月はゆっくりとベッドに腰掛け直し、二人を見比べる。
「仲間、なのか?」
 すると、チセが今までにない程に刺々しい声で否定した。
「違う、私は誰の味方にもならない。今度一緒くたにしたら赦さない」
 尋常じゃない威圧感に圧倒され、伊月はぐっと身を硬直させる。魔女が苦笑してチセの眼光を遮る。
「まぁまぁ、喧嘩は揉め事が終わってからにして頂戴。君も、軽はずみでそういう事は言っちゃ駄目。組織ってのにはそういったデリケートな部分ってのが在るのよ」
「組織……?」
「そ。CHAINに対抗する組織」
 魔女は口元に薄っすらを笑みを作って頷いた。
「感染者は強大であったり、異質であったりする神術……ああ、神力を用いて発動出来る能力ね、それを行使する。加えて、CHAINは場合によっては感染拡大(アウトブレイク)のような現象さえ引き起こす。放って置けば鼠算式に増える上、最悪の場合組織だったりしたら正に日常と非日常の境界線が壊れて、世界は大事になる」
「なん……っ」
「驚愕する必要は無いわ。それに対抗する存在が居るからね」
 ピッ、と人差し指を立てて伊月を制し、魔女は今度は自分と、チセを指差した。
「それがアタシ達――アルカナの契約者」
 魔女は懐からタロットカードを取り出して見せる。
「アルカナの契約を成した者もまた多大な神力と共に神術を得る事が出来る。まあ常人の中には尋常じゃない神力を持つ人間も居るみたいだけど、CHAINそのものに対抗できるのは契約者のみ」
「契約者……」
「CHAINに対するワクチンみたいなもんね。契約者はCHAINの狂気を緩和し、中和して消し去る波動を持つらしい。ま、感染者自体をどうこうする事は無理なんだけどね」
 魔女は帽子の端を指で摘み、伊月を一瞥する。
「アタシ達や彼女はそうやって、溢れ出るCHAINを抑えて陰ながら日常を護っているってわけ」
 分かった? と魔女は言う。
 伊月は一度チセを見てから、ゆっくりと顔を俯かせる。
 瑣末ながらの考えを纏めてから、顔を上げた。
「……マジ、なんだよな?」
 チセは今更、と言いたげな顔をし、魔女はもちろん大マジよ、と返答した。
 伊月はもう一度自分の手元に視線を落とす。
 信じられない。そんなものを突きつけられても、ただの高校生である伊月に、簡単に現実だと認識出来る余裕など有るはずがなかった。
 魔女はそんな伊月をしばし見ていたが、窓に手を掛けて声を掛ける。
「何はともあれ、今起きてる揉め事に関しては時間と場所を変えましょう。ここじゃ君の御家族に迷惑になる。時間を止めてるわけじゃないからそろそろ降りないと怪しまれるわよ?」
「なんだって……?」
「君が引き連れていたCHAINの気配の持ち主を捜し出して何とかしないといけない。それが契約者の宿命であり、本来の役目だからね」
「……」
 話す必要性の無くなったチセはずっと黙り込んでいたが、魔女に気付かれない程度にちらりと彼女を見遣った。
「何にせよ、君は一般人でありながらこの世の裏の出来事を見てしまった。本当なら身柄を拘束して記憶の改変をしたいところなんだけど……アレ、あんまりお勧めしたくないし、むしろ手伝って貰える方がこっちも助かるのよね」
「手伝う、って……」
「言葉の通りよ。今、君には二つの選択肢が在る。非日常の理を忘れて生きるか、協力する事で身の安全を保障されるか。どちらを選ぶかはここに来るまでにじっくり考えるといいわ」
 そう言って、魔女は伊月の勉強机の上に一枚の紙切れを指で弾いて放る。ついでにもう一枚を取り出してチセに渡した。
「無いとは思うけど仕事上、念の為に言っておくわ。この事は一切他言無用。聞かせてしまったら、その相手も騒動に巻き込むということを忘れないで。以上」
 魔女は窓を開けヒールを履き、爪先をトントンと合わせながら、
「……どちらを選ぶかは君の自由。ただし、どちらを選んでも遅かれ早かれリスクが生じるという覚悟だけはしておくことね」
 その言葉を最後に、魔女はローブを翻して颯爽とベランダから飛び降りて姿を消す。
 チセも紙切れの内容にざっと目を通し、静かに立ち上がると窓へ向かう。
「おい、氷室っ……!」
「……何?」
 視線を寄越すが、情緒の欠片も無い鋭利な目つき。
 伊月は口を噤みそうになるが、ゆっくりと訊ねた。
「どうして、お前はこんなことを……」
 チセは動じることもなく、虚空を見つめながらぽつりと答えた。
「それが、私の選んだ路だから」
 伊月がそれを言及するより先に、チセもベランダの欄干に足を掛けて音も無く飛び降りていた。
 取り残された伊月は、開け放たれた窓の奥を、ただ呆然と見つめていることしか出来なかった。
 既に空の色は、深い深い藍色に染まっている。


 ◆


 昼下がりの廃墟に、グレーテル=D・T=フローエは居た。
 居住区から少し離れた場所に、長らく使われていないビルが建っている。看板は煤けて読めず、外壁には蔦が鬱蒼とこびり付いてる。中も裸足では到底歩けない程に硝子や資材の破片が散乱しており、空気もどこか淀んでいる気がする。
 陽光が斜に切り取られて床を照らす、そんな場所。グレーテルはTシャツにハーフコート、下はジーンズと比較的ラフな格好で古びたデスクの上に腰を落ち着かせてのんびりと時間が過ぎるのを待っていた。
 すると、廊下の向こうから瓦礫を踏む音が聴こえる。
 念には念を入れるのがこの世界においての長生きの秘訣。グレーテルは懐からタロットカードを取り出して待ち構えると、姿を現したのは黒いブレザーの男子高校生だった。
「Ach, Sie...(なんだ、君か……)」
 彼は重圧的な雰囲気を放つグレーテルに若干驚くように一歩後ずさる。グレーテルは悪びれたように苦笑してタロットカードをしまった。
「あぁ、御免御免。てっきり?切り裂き魔?に居場所がバレたのかと思って」
「切り裂き魔……?」
「君も遭ったでしょう? ニット帽のナイフ使い。あれは【愚者】のアルカナに契約した人間。?切り裂き魔?というのは歴代【愚者】の契約者に与えられる忌み名……通り名みたいなもんね」
 学生は倒れている戸棚を跨ぎながら、思い出したように頷いた。
「契約者なのに、お互いが戦い合うのかよ」
 グレーテルは遠い地平を見つめるように天井を仰いで嘆息する。
「契約者の出自は各々違うもの。アタシのように組織に加盟している契約者も居れば、?切り裂き魔?やあのサムライメッチエン(侍少女)のように徒党を組まず自分のやりたいように生き、悪性と思うなら対峙するって輩も居る。その対象が必ずしもCHAINだけとは限らないってわけ」
 そこで、学生はふとグレーテルの言葉に気付き辺りを見回す。
「氷室は来てねぇのか?」
「勿論よ。君と彼女とで予定時刻を一時間程ずらしておいたから」
 怪訝な顔をする学生に、グレーテルは指を差す。
「ここに来るってことは、どちらを選ぶか決心がついたってことでしょう? どちらを選んでも一応は法王庁の手が加わるんだから、あの娘抜きで決めた方がやりやすいんじゃない?」
「……」
 学生は少し黙っていたが、顔を上げた。
「一つ、約束してくんないか?」
「どんな?」
「妹を巻き込まないで欲しい。小夜だけをじゃない、小夜を取り巻く日常はまず保障して欲しい」
 グレーテルはじっと学生の目を見た後、口を開いた。
「それはつまり、アタシに協力するって意味でいいのね?」
「それしかねぇだろ? 記憶を消すってのが今一信用できねぇし……だからってお前を信用してるわけじゃないからな。あくまでどちらがまだ信じられるかで考えるなら、協力して身の安全を護ってくれる方がいいと思ったからだ」
 グレーテルは何一つ嫌な素振りを見せず、ウィンクをした。
「分かった、妹さんに危害が加わるような事は絶対にさせないと約束するわ」
「……どうも」
「どういたしまして。君みたいな賢い子は結構好きよ?」
 学生はどこか居心地が悪そうにそっぽを向いた。
「なぁ、その『君』っての止めてくんねぇか? 俺には姫宮伊月って名前があるんだよ」
 グレーテルははっとした風に、済まなさそうな顔をした。
「ああ、そういえば自己紹介がまだだったわね。グレーテル=D・T=フローエ。気軽にグレーテルと呼んでくれていいわ」
「じゃあ、グレーテル……ついでに質問してもいいか?」
「勿論。御姉さんに答えられる範囲でなら幾らでも」
「昨日言ってた組織ってのは、何なんだ? 氷室は確か『法王庁』とか言ってたけど」
 グレーテルは頷き、デスクから飛び降りる。ガシャン、とブーツが硝子を踏み砕く音が部屋に木霊した。
「ローマ法王庁。総数億単位の信者を抱える、世界的規模を持つ巨大な宗教団体」
 というのは表の顔、とグレーテルは付け加える。
「裏の顔はCHAINの根絶と敵対勢力に成り得る存在の平定が活動の、戦闘組織ね。アタシはそこで外界調査委員会に所属してる。CHAINの発生を聞きつけて直行し、揉め事処理をするのが仕事。一応契約者ってこともあって、それなりに偉い方だったりするのよ?」
 灰銀の髪を手櫛で払い、グレーテルは説明する。
 学生――姫宮伊月は知識を纏めるように口元に手を当てて考え込む。
「……安心して頂戴」グレーテルは言う。「イツキが思ってる程、マフィアみたいなもんじゃないわ。少なくともアタシは君を捨て駒として利用するつもりは欠片も無い。悪いようには、決してしないから」
「……分かってる」
「ありがとう」
 目を閉じて、微笑むようにして礼を口にするグレーテルに、伊月は憮然とした表情を壁へ向けた。


 氷室チセは廃屋の中を歩きながら、ふと会話が耳に入ってそちらを向く。
 両方とも、聞き覚えのある声。チセは部屋へ入る。
「うっそ、イツキって煙草吸ってんの? 顔に似合わず問題児ねぇ〜……」
「氷室の方が問題児だっての。あいつ昨日とんでもねぇ啖呵切って女子怒らせたかんな」
「……人を肴にした悪口ほど耳障りな会話は無いんだけど?」
 出入り口からそう刺々しく言うと、白煙を燻らせていた伊月はびくっ! と肩を竦めて振り返った。
「ひ、氷室……っ」
「あら、少し早かったわね。イツキがアンタとクラスメイトだって聞いて驚いたわよ、世間ってのは狭いわ」
「……どうでもいい」
 そう言いながらも、チセは伊月をじろりと睨みつけ、低めた声で釘を刺す。
「今度下らない話してたら、貴方が煙草吸ってること教師に言うから」
 氷柱のように突き刺さる言葉に、伊月は思わず踏鞴を踏む。それを尻目にチセは部屋の中へ歩き、丁度足元に薙ぎ倒されていた椅子を起こして埃を叩き、そこに座った。
 少しの沈黙の後、チセはもう一度伊月を睨む。
「話し合いするんだから消して、ヤニ臭い」
 伊月は頬を引き攣らせながら、殆ど減っていない吸い殻を携帯灰皿に捩じ込んだ。
 グレーテルは容赦の無いチセの態度に呆れながら、二人を見回す。
「さて、揃ったわね。というか……こんな時間に呼び出して悪かったわね、二人とも授業とか大丈夫だったりするの?」
「……今まで平均点より下回るテストを出した事が無いってのを、ささやかな自慢にしていいんなら」
「あら優秀♪ ……、」
 伊月とグレーテルの視線がチセに向く。
 視線に気付いたチセは、不満そうにぷいっと顔を背けた。
「私だって、赤点は二教科までしか出した事は無い」
「……本当に、ささやかな自慢なことで」
 グレーテルが嫌味には感じない軽口で言うが、チセはまだ不満そうに彼女を睨んで黙らせた。
「本題に入る気が無いの? だったら私は一人で勝手にする」
 椅子から立ち上がろうとするチセをグレーテルが止める。
「分かった分かった。お互い共通の敵を前に協力するんだから、そうやってすぐ諦めるの止めた方がいいわよ?」
「……」
 納得がいかなさそうな顔をしたが、チセは黙ったまま椅子に座り直す。
 グレーテルは伊月に振り返った。
「さぁて、早速アタシ達の行動方針を決めてしまいましょう? 彼女の御機嫌が悪くなる前にね」
 そういうことをいちいち言うからいけないんだ、という目で伊月は意思表示するが、口に出して悪化させるのが馬鹿馬鹿しいので頷くだけにした。
「具体的にはどうやって捜すつもりなんだ? 神凪町だって結構デカいんだぞ」
 神凪町は居住区とオフィス街の二つで構成された、かなりの規模がある町だ。居住区だけでもこの三人で歩き回るには、一日二日では回り切れない。
 グレーテルは首を横に振った。
「大体の場所はもう特定出来てるのよ。イツキの御蔭でね」
「は?」
 伊月は不思議そうな顔をした。
「CHAINの感染ってのは、何も通りすがりやちょっと触れたぐらいで感染するってもんじゃないのよ。万人が感染する可能性があるって言っても、結局はCHAINが干渉するのは心に深い闇を持つ人間だけだから」
 グレーテルはつらつらと説明をし、伊月を指差した。
「でも、中には人よりも神力の高い人間に、感染者の狂気の気配ってのは纏わりつく事が稀に有る」
「ああ、氷室から聞いてる」
「それも同じ。度合いによる例外も在るんだろうけど、ちょっと近付いたぐらいで感染の兆しが起こることってないの」
「……おいおい、それって」
「察した? そう。日頃からイツキが……日常の子供達が当然のように集まる場所」
「神門学園……!?」
 伊月は心底驚いた。
 そんな近しい場所に、彼女達の敵が紛れ込んでいるだなんて、想像してもいなかった。
「可能性程度だけどね。でも近接した場所に半日も同伴してなければ、CHAINに感染していないイツキに気配が移るような事はまずないから。ほぼ確定的と見ていいでしょうね」
 チセがそこで無感動に口を挟む。
「喜ばしい事ではないけれど」
「そうね。場所が一気に狭まったと言えば聞こえは良いけど、学園っていうからには数百人が一箇所に集まってるんでしょう? そんな中からたった一人を探し出すなんて、ね……」
「木を隠すなら森の中。自分の立場を良く理解してんな」
「向こうも馬鹿じゃないってこと」
「「……、」」
 同時に二人が言葉を詰まらせた。チセが無言で懐からタロットカードを出そうとするのを伊月が慌てて止めに入る。
 ぐぐぐっ、とポケットに突っ込もうとする手を抑えられてチセは睨みつけてくる。
「気安く触らないで……っ。それに私は貴方達が思っている程頭が悪い訳じゃない……っ」
「そ、そうだよなっ! 成績と頭脳が必ずしも比例するわけじゃないもんな! 分かってる。非常ぉ〜っに分かってるので頼むから刀は出さないでくれ! な!?」
「真面目な話の最中だから夫婦漫才は程々にね」
「冗談じゃない!」
 チセが凄い剣幕で伊月の手を振りほどく。
「……とにかく、学園周辺とまで割れているのならやる事は分かってるでしょ? どうして私を……それに、彼を手の内に巻き込むようなことを?」
 何となくショックそうな顔だった伊月も、それに同意した。場所が割れているのなら、伊月に協力する必要性は無いように思える。まさか戦闘に参加させるつもりなのかと勘繰ると、まさかとばかりにグレーテルは首を横に振る。
「イツキに協力を仰いだ理由は、契約者にCHAINの気配が感知出来るように、逆に感染者もアルカナの気配が感知出来ること」
「なんだって?」
「例えば契約者がCHAINを中和するという行動。これは契約者から発せられる特別な波動によって自動的に中和されるってのが大まかな構造なんだけど……」
「良いことなんじゃねぇのか?」
「ところがどっこい、難有りなのよね」本当に外人なのかと疑う単語を使うグレーテル。「とどのつまり、常時波動がダダ漏れなワケ。なまじ自動的にCHAINの中和を行うもんだから、契約者同士の波動のぶつかり合いが起きる……契約者内ではこれを『共鳴』と呼んでるわ。磁石の同じ極同士を近づけ合う時に生じる、斥力による反発感ってのが分かりやすいニュアンスかしら。たとえそれが相対する波動同士でも結局は同じこと。『CHAINの存在を消してゆく』波動と『CHAINの存在を増やしてゆく』波動。因果律を捻じ曲げられる程の性質を持つ力である以上、共鳴に似た影響が起きてしまう。今度は違う極同士の磁石を近付けたら引力が働くワケだからね。?第三者的な力?ってのはイツキが思ってる以上に感知しやすいのよ」
「要するに、感染者側からも契約者は一目で丸分かりって訳か」
「そういうこと」
 そこで君の出番、とグレーテルは指差す。
「契約者が堂々と感染者を捜せば、危険度は明白ね。あちらさんも同じ考えだと思う」
「成る程、?だからこその俺?って事か」
「そ。木を隠すには森の中作戦も、森の一部が敵だなんて予想がつかないでしょ」
 伊月は合点がいったようだが、チセは今に憮然としたまま。
「彼の必要性は分かった。でも私が呼ばれたのは何故? ただ手数が欲しかっただけなら帰らせて貰うけど」
「待ちなさい。アンタも重要なのよ、イツキの為にもね」
「俺の為?」
 首を傾げる二人にグレーテルは嘆息しながら頷いた。
「もし感染者が見つかった際に、万が一向こうが動き出した時。人目を気にして活動時間は夜になるからよ」
「それがどうして私を必要とする――」
 チセは言葉を切り、やがて納得したように頷く。
 グレーテルはまたも吐息を零して、言った。
「?切り裂き魔?が居るからね」
 伊月もチセ同様に理解していた。あの狂人の存在を。
「完全には人気の無くなっていない夕方にさえイツキを襲うような奴よ? 夜間に外をうろつけばまず間違いなく鉢合わせになる。それがイツキだった場合為す術が無いでしょう? かといって、下手にアタシが神術を使えば感染者を取り逃してしまう可能性は高い」
「つまり私が【愚者】のを戦闘不能、良くて足止めしておけと」
「何なら、アタシがそっちを受け持ってもいいけど?」
 チセは首を横に振る。余計な気遣いをされなくても簡単には負けない、と顔が言っていた。
 グレーテルは二人の顔を見回してから、
「とにかく、まずは感染者を見つけ出さないと話にならない。それも出来ることなら、こちらが一方的に特定したいとこだけれど、顔さえ割れればどうってことはないわ」
「人員を増やすって事は出来ないのか? 組織でも偉い方なんだろ?」
 グレーテルは肩を竦めて苦笑した。
「この町はね、イツキ。神佑地なのよ」
「シンユウチ?」
「つまり土地そのものの保有する神力が、周りより桁違いに高いってこと。神力は謂わば火薬。神佑地内で絶大な神術を行使するということは、核弾頭クラスの神力という火薬に火を付けるようなもの。迂闊に手を出せば何が起きるか分からない地は、基本的に未開保護……有り体に言うのなら『手出し無用』が法王庁の原則。無理に管轄下に敷いた時、法王庁にスパイが居たら大事でしょう? 考えて御覧なさい、神佑地を丸ごと乗っ取られる事の恐ろしさを。大陸間弾道ミサイルを相手国に突きつけた、和平という名で誤魔化した支配が、裏の世界で起きることになる。本物のミサイルより性質が悪い兵器を、ね……最大の利用法は、誰の目にもフェアに見せること。手を付けず、他者にも付けさせないこと。だから下手に人員を呼べない。法王庁もさすがに、難癖を付けられるのが怖くて庇護保管も出来やしない。大変なもんよ」
「そうか……つまり、俺達三人でやらなきゃならないんだな……」
「怖いかしら?」
 グレーテルは嘲笑とも心配ともつかない笑みを湛えて訊ねる。
 伊月は曖昧な表情にどんな顔で返せばいいか分からず、眉根を寄せて視線を落とした。
「そりゃあ怖ぇさ、命まで奪われかけたんだ。でも、やらなきゃならないだろ。俺はともかく、妹の安全ぐらいは保障して貰う為にも、人捜しだろうが何だろうがやってやろうじゃねぇか」
 ぐっと顔を上げて、しっかりと見据えて言う伊月に、グレーテルはそれ以上の責め立てはすべきではないという風に瞼を閉じて頷いた。
「さて。じゃあ、明日からやって貰うわ。イツキが何をするかについては、もう少し下準備をしてから教えるわね。念の為にメールアドレスを教えて頂戴」
 携帯を取り出し電源を付けると、メールが一件、未読フォルダに入っているのに気付いた。
 チセが少し警戒する。
「CHAIN……?」
「……いや、小夜……妹から」
 それを聞いたチセは、あからさまに肩透かしを受けたと溜息を吐いた。
 どうやら放課後の買い物に付き合って欲しいらしい。メールを読んだ伊月が仕方が無さそうに苦笑する様を見て、グレーテルは破顔した。
「いい妹さんね」
 少し余裕を取り戻した伊月は、それを聞いて軽口めいた返答をした。
「そう思うなら安全の保障をしっかり守ってくれよ?」
 グレーテルは吹き出すように苦笑して、「もう」と呟いた。
 アドレスをグレーテルに教え、空メールを返された伊月はそれをアドレス帳に保存してポケットにしまう。
「とりあえず返事待ちってとこか」
「何日もしないわ。明日には必ず来ると思ってね」
 グレーテルは携帯電話をチラつかせてチセを見遣る。視線に気付いたチセは首を横に振った。
「私は味方になった訳じゃない、敵じゃないだけ。第一、携帯持ってないから」
「なっ……ええい、この御時勢になんて不憫な……」
 グレーテルは頬が引き攣るのを感じながら、澄まし顔で拒絶する少女を睨んでやった。
 そこでふと、グレーテルは思い出したように口を開く。
「ねえ、ヒムロ、だったわね。一つ訊いてもいいかしら?」
「何?」
「アンタはどのアルカナと契約してるの?」
「……!」
 一瞬、チセの表情が強張ったような気がして、伊月は不思議に思った。
「アタシ一人で展開したとはいえ『教会領域(チャペル・レプリカ)』を貫通するようなトンデモ人間の割に、イツキの家に顔を合わせた時も今も、さっきからアタシのアルカナと共鳴してないのよね。それが気になって」
 伊月は首を傾げる。
「契約者同士って近くに居るだけで共鳴するんじゃなかったのか?」
 普通はね、とグレーテルは否定した。
「アルカナの中には性質上、神術の行使や人為的な因果律修正を施す場合以外は波動を出さずに済む契約者も居るの。【月】や【隠者】がそれだったような気がするけど……アンタのアルカナは何なの?」
「……」
 チセは黙り込んだまま、足元をじっと見下ろしている。黒髪に隠れて表情が読み取れず、氷室? と伊月が呼んでみた。
 だがチセは椅子から立ち上がると、そのまま部屋の出入り口へ歩いていってしまう。
「あ、おい……氷室!?」
 チセは立ち止まり、少しだけ振り返ってぽつりと言った。
「貴女に言う必要は無い。私は私のやりたいようにやるだけ」
 そう言うとすぐさまチセは出入り口を潜り、姿を消してしまった。
「……別に気になっただけじゃない。扱い難い娘だこと」
 取り残された伊月の背後で、どこかイジけるような愚痴が聴こえた。


 ◆


 放課後。
 何食わぬ顔をして小夜を待っていた伊月は、呼び掛けられて顔を上げた。
 千尋だった。
「やっぱり伊月じゃん。風邪で休みなんじゃなかったの? 秋臣からそう聞いてたけど……」
 伊月は相手が相手だけに返答に困った。
 秋臣にメールで頼んで授業をサボタージュするのは今に始まったことじゃないだけに、伊月を知らない人間ならまだしも千尋ではすぐに仮病だとバレてしまう。
「ちょっと病院行ってから来ようと思ったら、こんな時間になっちまった」
 当たり障りの無い言い訳をする。無論見透かされると思ってあまり期待はしていなかったが、千尋の反応は意外なものだった。
「そうなんだ……やっぱ最近風邪が流行ってるみたいだね、怖いなぁ〜」
「は?」
 伊月はきょとんとした顔をした。
「姫野も風邪を拗らせたらしくてね、休みの電話があたしに来たのよ。それと、氷室さんだっけ、噂の。他のクラスでも風邪が流行ってるみたいだし……季節の変わり目も過ぎたってのに、厄介だよねまったく……」
 溜息を混じらせる千尋に、伊月はそこはかとなく話を合わせた。相手が付き合いの長い人間だけに良心が痛むというものだが、そこまでチクリとは感じないのが伊月である。
「そういや、小夜もまだ冬用の布団のままだしな」
「小夜ちゃんにまでうつすんじゃないよ? あのコにばっか家事させてたら燃える闘魂、キャメルクラッチから逆十字腕拉ぎ式千尋ちゃんスペシャル炸裂させるかんね」
「キャメルクラッチから連続技出せる奴なんてプロレスラーでもそうそう居ねぇよ」
 あはは、と快活に笑う千尋は、伊月の肩をトンと叩いて心配する表情で耳打ちした。
「ま、本気で体は大事にしなよ? 伊月が来なくなるなんて、あたし嫌だかんね」
「何言ってんだ」伊月は呆れたように即答した。「当たり前だろ」
「ん、なら良し♪ 早く帰って寝なよ?」
 千尋は微笑んで、ステップを踏むかのように軽い足取りで雑踏に紛れていった。
 伊月はその姿が見えなくなるまで見てから、やがて視線を、正門を通る人の波に向ける。
(――この中に、感染者が居る)
 じっと一人一人の横顔を眺めながら、伊月は思う。
 日常の、今の千尋のような安穏とした人間が歩くこの目の前の世界に紛れ込んで、悪事を働く異形の存在。
 限りなく人に近い形を成す、限りなく人に成り得ない存在。
(必ず見つけ出す。こんな危ない橋さっさと渡り終えて、小夜や千尋達は絶対に護ってみせる)
 腕を組む手に自然と力が入る。
 ふと、視界の端に妹の姿を捉えた伊月は、やっぱり何食わぬ顔をして正門に預けていた背を離した。


「あ、これ良いかも……」
「高くねぇか? 同じ価格なら日持ちするモンのほうが良いと思うけどよ」
 惣菜コーナーでハムの良し悪しについて語り合う兄妹。
「でも冷蔵庫にもう弁当に入れられる肉っ気が無かったから丁度いいでしょ? そういえば、こないだ唐揚げ作った時に小麦粉も切らしてたんだっけ」
「あ、小麦粉ならもうじきタイムセールで安くなるんじゃなかったっけな」
「じゃあ、後で買おっか」
 買い物籠にハムを一パック入れる小夜。
 伊月は他に何を買うべきかと陳列されている商品を見定めていると、不意に小夜が話しかけてきた。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「んー?」
「お兄ちゃん、なんか最近悩み事でもあるの?」
 え? と伊月は半分は驚きからくる声を上げた。
「あ、ううん。何となく、ね……なんか、昨日帰ってきた時とか、なんだか深く考え込んでるような気がしたから」
「……」
 伊月は小夜を見つめたまま、動けなかった。
 アルカナの契約者とCHAINの感染者という、戦闘という非日常の世界を、よもや妹に感付かれるのが、怖かった。
 小夜は上目遣いに、兄を純粋に気遣う。
 殺戮と狂気に満ちた世界を知らないが故に、どこかが的外れで、どこかが的確な心配の視線。
「……お兄ちゃん?」
「あ、ああ……ちょっとな」
 伊月は目を逸らして、きっぱりと言った。
「実は秋臣が……特定の彼女と付き合いだしたらしくて」
「……、えー!?」
 露骨に驚く小夜。哀れ親友も信用無しだ、当然だと思うけれど。
「気色悪く頬染めちゃってさ、なんか相談してくるわけよ。一人を好きになるのって複雑な気分だとか要らん感想言ってくるし……すっごく気分が悪くてさぁ……」
「そ、そこは応援してあげようよぉ。分かってないなぁお兄ちゃんは」
「秋臣だぞ? 長続きするのかって疑問以前に一人だけにしか振り向かないあいつとか何さ、殴りたくなる」
 苦笑混じりに小夜が秋臣をフォローするが、他の女はどうでもいいが妹が秋臣の心配をするのは何だか無性に腹立ってくる。嘘を吐いてることへの良心の呵責とか考えるのが面倒になってきた。明日一発殴っておこう。
「ま、そんなもんだよ。俺の悩みなんて」伊月は小夜の頭を撫で、兄として笑む。「気にすんな。大丈夫だからよ」
「……本当?」
「本当」
 それを聞いた小夜は、頬を赤らめて安心したように微笑んだ。
 小夜の頭から手を離し、伊月は畏怖を噛み締めて覚悟する。
 死んでも護る、なんて後先を考えない覚悟では駄目だ。必ず妹を護って、日常へ帰らないといけない。
 理不尽を批難するのは、とうの昔にさんざんやった。彼自身のエゴに、妹や周りの人間を振り回したことも、決して忘れてはいない。
(戦うんだ。あいつ等みたいな明確な敵意とじゃなくて、俺は俺の日常を取り戻す為に)
 いつまでも考えに耽ると小夜に感付かれると悟った伊月は、先導するように歩き出した。


「だからさぁ、肉類にも弁当に入れちゃいけねぇのがあるじゃん。肉汁が出やすいのとか、そういうのはラップで隔離してだな」
「水気を出さないものを隣りに置けばいいんだよぉ。例えばフライドポテトとか」
「……フライドポテト無駄にジューシーにしてどうすんの?」
 夕暮れの帰路で、何だか今時の子供らしからぬ討論に饒舌になる二人。
 塀を曲がった所で、ふと前を向いた小夜が人影に気付いた。
 伊月も見る。
 そして、内心で冷えた汗が出そうになるのを感じた。
 門の前で二人に気付いた異国の少女が、
「Hallo♪(やあ♪)」
 サングラスを外してこちらへやって来る所だった。
(グレっ――!)
 何でぇぇええ!? と心のどこかから悲鳴が上がる。先程と変わらぬ格好のグレーテルはサングラスをシャツの襟に引っ掛け、フレンドリーに声を掛けてきた。闇の奥深くを知る一人とは思えない軽さだ。
「前にも通り過ぎたけれど、良い物件よねぇここ。立地も良さそうだし。母国にも中々無いわ」
「なんっ……! お、ま……っ」
「お兄ちゃん?」
 さしもの伊月も動揺を隠せず、小夜が不思議そうに見上げてくるのをどうするべきかとあれこれ思考していると、グレーテルが小夜を見て微笑んだ。
「君がサヨね、イツキから聞いてるわ」
「えっ、あ……えっと……」
 グレーテルは何食わぬ顔のまま、さらりと自己紹介した。
 非日常とはかけ離れた、自己紹介を。
「グレーテルっていうの。ちょっとした用事でイツキと知り合った、まあ友達みたいなもんね」
「そう、なんですか……兄がお世話になっております」
 人を疑うことを滅多にしない小夜は、礼儀正しく頭を下げる。グレーテルは気軽に接してくれていいと諭しながら、伊月に向き直った。
「御免なさいね。電話で話してもいいと思ったんだけど、近くまで来たもんだからつい、ね」
「あ、ああ……そうか」
 あまりにも大っぴらに言うもんだからどうしたもんかと迷ったが、『ここは話を合わして頂戴』とばかりに視線を送ってくるので、門を開けて迎えることにした。
「まあ、入れよ」
「そうさせて貰うわ」
 気が動転しそうになるのを抑えながら、伊月はグレーテルを連れて家へ入った。
 一体、何を考えているのだか。
「うん、ますます好みの内装だわ。下手な宿よか住み心地良さそうね」
 リビングに通されたグレーテルは、家の中を物珍しそうに見回している。
 とりあえず着替えてくるね、と小夜が二階へ上がるのを待ってから、あまり張り上げない程度の声で伊月が迫った。
「おい……! お前どういうつもりなんだよっ……急に押しかけやがって……っ」
 グレーテルはその剣幕に対しても、さらりと返してきた。
「あら、御挨拶ね。イツキに渡しておかなくちゃならない物が有るの思い出して、メールより家を訪ねた方がいいと思ったのよ。それに、出来ることなら妹さんに顔を覚えて貰っておいた方が、いざという時に護りやすいでしょう。何か遭った時にいきなり姿を見せた見知らぬ人間に『助けにきた』なんて言われて、信じられる?」
「う……っ」
 ぐうの音も出ない伊月が黙り込むと、グレーテルはさらに耳打ちをしてくる。
「君には悪いと思ってる。けど、何かしらの理由を付けてこの家を出入りしやすくしといた方が、君も動きやすいんじゃない? 大丈夫よ、誤魔化すのは結構得意分野だったりするから」
 ウィンクをしながら余裕を見せる笑みを浮かべるグレーテルに、疑心より信用が勝った伊月は盛大に溜息を吐いて肩を竦めた。


「探偵さん、ですか……?」
 テーブルに並ぶ料理の頭数がいつもより一人増えた晩餐の最中で、小夜が聞き返したのをグレーテルは首肯した。
「そ。ドイツの方から来た折に私立探偵を始めたのよ」
「へぇ、格好良いですね」
 愛想笑いや皮肉の無い、羨望の眼差しで小夜が言う。兄は複雑だった。とりあえず余計な事を言って嘘が露見しないように、一人黙々と白米を噛み締めている。むしろ、グレーテルの奴意外と箸の使い方上手いんだな、とか考えてるぐらいだった。
「何かお仕事で来られたんですか?」
「うん、ちょっとね。といっても、守秘義務が有るんで詳しくは言えないのよ、御免なさいね」
「いいえっ、良いんですよ! 大変なんですね」
「まあね。でもま、こんな美味しい御飯にありつけただけでも何よりの前報酬よ」
「日本語、お上手なんですね。羨ましいなぁ……」
「何言ってんのよ、サヨの料理に比べたら大したことじゃないわ。そっちの方が女の子らしくて羨ましいわ」
「そんな……」
 照れる小夜を傍目に、伊月は鯖の味噌煮を口に運びながら茶々を入れる。
「飯たかりに来ただけなら食ったら帰れよグレーテル。用件だって大した事でも無いくせに」
「もう! お兄ちゃんったら……!」
 妹の批難を浴びる兄を、グレーテルはさも憮然と答える。
「いいじゃない、ちょっとぐらい。和食なんて全然食べた事無いから興味在ったのよ」
 はぐらかす気が有るのか無いのか判らない奴だ。野郎で特に意味も無く飯をたかりにきたなら問答無用で蹴り出してるもんだが、伊月は横合いから突き刺さる『お客さんに悪態つくな』的な視線を感じ取って、それ以上は言わなかった。
「これだけ料理も上手なら、親御さん達も大助かりでしょうね」
 ……、と二人とも一気に沈黙した。同時に箸を止めた兄妹を見て、グレーテルはきょとんとする。
「どうしたの?」
「えっと……」
 どう言えばいいか。そんな風に口篭る小夜を見て、内心でイラついた伊月は思っていた以上の刺々しさで口を挟んだ。
「グレーテル。この家は、俺と小夜しか住んでねぇよ」
「え?」
「……親は、居ない」
 それを聞いて、数秒の後に深く理解したグレーテルは黙り込んだ。
 小夜は俯いたまま。伊月も視線を逸らしていたのを、
「……そっか、親が居ないんだ」
 噛み締めるように言うグレーテル。物を入れていた胃に、吐き気を伊月は感じた。小夜の前で何度もそんな事を言うなと視線を送ろうとした時、
「なんだ、アタシと同じなんだ……」
 二人は、今度は別種の沈黙を起こしてしまった。
「……グレーテルさん、も……ですか?」
 ゆっくりと小夜が言うと、グレーテルは失笑じみた表情で目を逸らした。
「まあね。孤児だったからのを拾われた身なのよ、あまり言い触らすことは無いんだけど……」
「……」
 伊月はグレーテルを凝視したまま、動けなかった。
 それも嘘なんだろうか。もしそうなら後で平手打ちの一発ぐらいは本気でしようかとも考えたが、グレーテルのような反応は、今まで伊月にも小夜にもなかった、初めてのものだった。
 同情心からくる遠慮でもなく、
 無関心からくる無視でもなく、
 同じ痛みの持ち主としての純粋な労いと、安堵を与える為に己の傷痕を晒す行為。
 それまで嘘だとは、思えなかった。
 グレーテルは二人のそんな別々の表情を見て、明るく笑んで見せた。
「なんだか食事中に辛気臭い話聞かせちゃったわね! というより嫌な事思い出させて御免なさいね、二人とも」
 黙りこんだままの伊月。小夜はまだぎこちない笑みで返して、
「いえ、大丈夫です……」
 伊月は、今度は別の苛立ちを覚えた。こんな時に、他人であるグレーテルに気を利かさせる自分の無力感に、吐き気がした。
 そんな自責による自嘲を噛み締めて、まったくだ、と口に出した。
「如月だってもっと空気読んだぞ、この無一文」
「ぅえ!? む、無一文なワケじゃないわよっ、前の仕事から直で来たから、ちょっと財布から小銭の音しかしないだけよ!」
「無一文まっしぐらじゃねぇか、そんなんでどうやって探偵の仕事する気だよ」
「ふーんだ。見てなさい、鶴の恩返し作戦で巧く食い繋いでみせるわよ」
「前払いで飯食わせて貰ってる時点で繋げてなくね?」
「……」
 言い合いを見事伊月が制した時、隣りでくすくすと笑い声が聴こえた。
 二人の視線が小夜に向く。
「あ……ごめんなさい。なんだか、楽しいなぁって思って」小夜は伊月とグレーテルを見比べて、そう言う。「やっぱり、食卓をこんな風に笑って過ごすのは、嬉しいなって思っちゃって」
 小さく笑う小夜を、伊月が苦笑する。グレーテルは満面の笑顔で答えた。
 すると小夜が、とんでもないことを言い出した。
「あ、そうだ、グレーテルさん。良かったらウチに泊まっていきませんか?」
「は?」
「え、いいわよそんな……悪いわ」
「いえ、構いませんよ。部屋は余ってるぐらいですし……グレーテルさんなら全然問題ありませんよ。いいでしょ? お兄ちゃん」
「なんで急に……!」
「だって持ち合わせが少ないなら放っておけないよ。グレーテルさんだって女性なんだよ? 分かってないなぁお兄ちゃんは」
 伊月はひくひくと頬をひくつかせた。
 断るにしても、きっと『だって秋臣君や千尋さんだってたまに泊まるじゃない』とか言い出すに決まってる。
「もういいよ、好きにしてくれ……」
「本当っ? じゃあ決まりだね。グレーテルさん、自分の家だと思ってくつろいで下さいね」
 輝かしい笑みで喜ぶ妹をしばし見て、伊月ははっとした。視線を移す。
 グレーテルが一瞬、伊月にだけ笑みを見せた。
 暗い、したり顔の笑みだった。
(こ、こいつっ……端から泊まる気で押しかけやがったのか……!)
 女狐だ……っ、と引く伊月を尻目に、グレーテルは少女じみた良い笑顔で小夜へ振り向いた。
「じゃあ、御言葉に甘えさせて貰うわね。有り難う」
 『どうよ、これがアタシ流の遠方滞在法よ』
 副音声が聴こえた気がした。


 夜の帳が舞い踊る、暗闇の公園。
 大通り沿いから細い路地を抜けた先にあるこじんまりとしたマンションの足元。
 と言っても、街路樹が覆うように茂るため、街灯一つではあまりにも薄暗い。古くから設置されている遊具が余計に不気味な雰囲気を醸し出すせいで、夕方以降になると全くと言っていい程に人気が無い。
 故に、その行為は終始誰の目にも付かなかった。
 男の荒い吐息と、幾重にも続く乱雑な刺突音。
 鉄と塩を混ぜたような、吐き気を催す粘着質の異臭が、風に浚われる事も無く公園に充満している。
 象の絵が描かれた腰の低い滑り台も、
 少し体重を加えたら千切れてしまいそうに錆びついたブランコも、
 二歩三歩で端へ辿り着ける程小さな砂場も、

 赤い色に染まっていた。

 その紅い雫は、新たな刺突の為に振り上げた腕から飛散して、周囲を殴り書きするように汚してゆく。
 どぷり、
 ぐちゅり、
 べちゃん、
 不快過ぎる音色。
 闇に呑まれつつある街灯の弱々しい光が、ゆらゆらと踊る影を地に伸ばす。
「はぁ……はぁ……はっ、……はぁ……」
 興奮した粘つく呼吸音。高揚に全身を震わせる男が、弾けるように振り返った。
 血の池の中で、未だに鮮血が飛び散ってはいない場所に佇む、黒衣の存在。
 全身を黒いレインコートで包み、フードで顔を隠したその存在に、男は安堵の息を零した。
「な、なんだ、あんたか……お、驚かすなよ」
 引き攣って歪んだ笑みを貼り付けて、男は包丁をその肢体から無造作に引き抜いた。
「す、凄いなっ……ははっ、こんな……僕にこんな力が眠っていたなんて……!」
 返り血の付いた眼鏡の奥で、血走った眼が己の両手を見下ろす。
 染まっていない箇所なんて無い、紅蓮の両手が小刻みに震えている。
 恐怖ではなく、歓喜に。
 覚悟ではなく、狂気に。
 見たいテレビがもうじき始まるからと、いつもは通らないはずの公園をショートカットしようとした、仕事でのストレスをビールで解消しようと家路を急いでいただけの妙齢のOL?だった?モノが、身に収めていた総てを撒き散らして絶命している。
 死すらも快楽感に押し潰されて、
 何度も何度もグチャグチャにされて、
 なのに、理不尽に日常ごと命を奪われた成れの果てには目もくれず、男は爛々とした視線をレインコートに向ける。
「これさえ有れば……! これさえ有れば僕はもう誰にも馬鹿にされずに済むんだ!」
「……」
 レインコートは返答する気も起きなかった。代わりにフードの奥から、殺意の眼光を覗かせる。
 調子に乗るな、という意を汲み取った男はビクリと竦む。
「な、なんだよっ……!? 適当に死人を作って敵を誘き寄せるって言ったのはあんただろ!?」
 怯えた目で弁明を図る男を、レインコートは溜息を零して踵を返した。
「な、なぁ……その敵ってのは一体何なんだっ? いい加減教えてくれてもいいだろ?」
 恐る恐ると訊ねる男に、レインコートは立ち止まって一瞥し、しかし何も言わずにその場を立ち去った。
 言うべきことなど何も無い、とばかりに。
 男は聴かれないように小さく舌打ちをした。だが、その背を見つめ、暗い笑みも浮かべる。
(へへっ……いいよ。どうせいつかは僕の方があんたも従えて、最強になってやるんだから)
 頬に付いた血を拭いながら、男は血溜まりの上に革靴を踏みしめてその場を去った。










 第三幕:追跡 〜Hide-and-seek〜





 姫宮伊月は、三時限目の終了と共に廊下を溢れ出る生徒達を一人一人目で追いながら、何処へともなく歩いていた。
 ――『契約者ではないイツキに、感染者を判別することは出来ない』
 グレーテルの言葉が、リフレインする。
 廊下で次の授業の小テストに関して喋くっている男子達を尻目に、通り過ぎる。
 ――『そもそもね、感染者がそこに居ても契約者にも判らないのよ。契約者が感知出来る機会は二つ。感染者が他者と接触してCHAINの干渉を始めた時と、神術を行使した時』
 ブレザーの胸ポケットに納めてある感触を、指でなぞる。
 木製の軽くて硬い触感が、そこにあった。
 ――『イツキにして貰いたいのは情報を集めること』
 移動教室なのか、脇から生徒が理科の教科書やノートを持って出てくるのが眼に入る。
 ――『違うわ。情報の内容に狙いが有るんじゃないの、言っちゃ難だけど素人が収集した情報に期待はしてないわ』
「えー、なにコレ」
「なになに?」
「岬がさぁ、今日カレシとデートとかって」
「うっそぉ〜! てか別にアタシ等に言わなくてよくね?」
「だよねぇ〜」
 耳に入る、あまり行儀が良いとは思えない座り方で廊下に屯する女子達の会話を拾う。
 ――『アタシの狙いは、CHAINに関する情報を探して回っている人間が居るということを、あえて知らせて揺さぶること』
 三階を一周し、特に収穫の無かった伊月は階段を下りる。
 ――『感染者にとって、CHAINの存在が露見するということは大きな足枷になる。何でもかんでも局地的な因果律修正を行えば、学園自体の因果律そのものに亀裂が生じかねない。学園の制服を着て家を出た時に、「私はどこの学校に行ってるのか判らない」、なんて矛盾が起こるような亀裂がね。些細な矛盾はさらに連鎖を引き起こして因果律に多大な損傷を生む。しかもそれは神凪町に限って、神佑地の影響もあって尚更のこと』
 二階に辿り着いた伊月は自分の教室を目指す。
 ――『今回の鍵は、いかに相手に気付かれずに正体を割り出すか。いかにして相手に先に手を出させるか。イツキが契約者の仲間内だと悟られたらアウトよ。学園を隠れ蓑にするぐらいには頭の回る相手なら、確実に手薬煉引いて待ってるはず。絶対にバレちゃ駄目よ? それとね、』
 教室に入る。
 今朝のグレーテルの言葉が、今も根深く突き刺さっている。

 ――『昨晩も感染者が動いていたらしいわ……女性を一人虐殺して、ね』

 視界の端に、窓の奥を眺めている一人の少女の姿が映っていた。


「姫宮君、今日はどうかしたの?」
 唐揚げを口に運んでいた伊月に、姫野がそう尋ねてきた。
「え?」
 姫野は春巻を切り分けていた箸を置く。弁当箱の脇にはマスクが置かれている。風邪がまだ治らず本調子じゃないのだろうか、若干鼻声に聴こえる。
「何だか、授業が終わる度に教室を出てって、授業が始まるギリギリに戻ってくるのが気になったから」
 伊月は少し返答に困った。
 情報収集している姿を感染者に見せ付けるという名分があるが、身近な人間を巻き込むのは気が引けた。
 適当にはぐらかしていると、購買から戻ってきた千尋が二人の輪に加わる。
「ん……? 二人してどしたの?」
「別に」
「そ? 姫野先生、今回は喉に良い料理を取り揃えましたので御一つ」
「え……そんな、もう普通のものも食べられるのに」
「なーに言ってんのさ、昨日電話した時まだ咳してたじゃんか」
 弁当を開き、水餃子と春雨炒めを食べて貰う千尋を傍目に、伊月は視線を後方に移す。
 コンビニのおにぎりを鞄から出そうとしていた氷室チセと、視線が合う。
 だがチセは特になんの動きも見せず、静かに教室を出て行ってしまった。
 伊月は胸ポケットにある、手に収まる程度の小ささの護符を確認した。
 木製の丸い円盤状の木札に、マジックで五芒星が描かれた代物。
 グレーテル曰く、神力を通した簡易的な結界の役割を果たしているらしい。周囲でCHAINの気配が感知されると、薄く熱を持って震えるんだとか。あくまで感染者との接触はグレーテルかチセが行うので、感知したら相手の顔だけ覚えてすぐに連絡だけして、深追いはするなと釘を刺されている。
 伊月は教室に居る生徒を見回す。
 購買のパンを食べながら、昨日のサッカー見た? と談笑する男子生徒達。
 簡単なネイルアートの仕方を教えているのか、一人の女子が噂の核弾頭の指をじっと見つめている。
 中には四時限目で提出するよう宿題が出されたはずのプリントを紙飛行機にして遊ぶ輩まで居る。
 何一つ変わらぬ、極普通の光景。
 伊月は視線を戻した。
 目の前に秋臣の顔面。
「ぶふぅっ!?」
「うわ汚っ! 咀嚼した唐揚げぶちまけるんじゃねぇよ!!」
「だったら至近距離に汚ぇモンを近づけるんじゃねぇよ!!」
 汚くないもんビューティーフェイスだもん! と路上手渡しで貰える安物ティッシュを取り出して自分の顔を拭く秋臣。
 秋臣は購買で買い占めた(と思わざるを得ない)照り焼きソーセージパンの袋を開け、ふといつもの軽い口調ではなく、どことなく真面目な物言いで口火を切った。
「そういや聞いた? こないだ郊外の公園でまた出たらしいね、通り魔」
「――ッ、」
 心臓が跳ね上がりそうになった。伊月は精一杯に無関心そうな顔を徹した。
 何故、つい半日前の、突き詰めれば警察が動き出したのは朝方のはずの出来事を、彼が知っているのか。
 いや、冷静に考えろ。彼の情報網は一般学生のそれを明らかに逸脱してないかと疑う程広い。
 教師が話していたのを聞いたのか、あるいはたまたまその公園をを通ったのか。そんなものだろう。
 いけない。なまじ、バレてはならないという緊迫感から、神経が変に磨り減るような感覚がする。
 違う。少なくとも、この三人――秋臣、千尋、姫野――が、感染者の可能性はない。
 そう、信じたい。
 チャイムが鳴る。
 美味さは極上の弁当も、殆ど味が判らなかった。





 家に帰ってきた兄妹。小夜は先に着替える為に二階へ向かったが、伊月はリビングへ向かう。
 そこには、勝手に自分で淹れたコーヒーを飲みながら新聞を読んでいるグレーテルがいた。
「あら、お帰りなさい」
「お帰りなさいじゃねぇよ、知り合って三日しか経ってない人間の家で思いっきり寛ぐな」
「大丈夫よ、迷惑が掛からない程度にするから」
「もう既に迷惑掛けてるだろ」
「耳が痛いわね……」苦笑しながらコーヒーを胃腑へ流し込むグレーテル。「妹さんのことも含めて、しばしの辛抱よ」
「つまりそれは俺の働きによると?」
「いい性格してるわね君、長生きしないタイプよ?」
 空になったカップを流し台へ持ってゆくグレーテル。家着に替えた小夜が戻ってくると、伊月は溜息混じりに自分の部屋へ向かった。


 夕食を済ませ、小夜を一番風呂に勧めた伊月は、ソファでテレビを観ていたグレーテルの隣りに座る。
「どうでもいいんだけど、もうコタツって遅くない?」
 姫宮家のリビングには、常にソファとテレビを挟んだスペースに炬燵が設置されてある。
「しまわねぇもん。年中置いてあるよ」
「ちょっ……」
 当然とばかりにさらっと答える伊月にグレーテルが何か言おうとしたが、ニュースの内容が変わって二人は画面に無言で食いついた。
 それは、とある町のとある公園で、女性OLの惨殺死体が発見されたという、あまりにも反吐の出る話。
「……感染者も多々居るもんだけど、ここまでふざけた奴は珍しいわ」
 グレーテルが、ぽつりと呟く。
 一刻も早く見つけ出さなければならない。伊月もそれは同意見だった。
「収穫は?」
 伊月は首を横に振る。
「何人かにはそれとなく触れ回ってみたけど、動く気配無し」
「そう……」
 グレーテルはチャンネルを変えて、バラエティ番組にする。
 それでも、部屋を包む空気はなんら変わらない。
「どうしたもんかしら……下手に感知系の結界を張っても危険過ぎるし」
「……なぁ」
 伊月はふと思い出したように疑問を訊ねる。
「ん?」
「感染ってのは、結局どういう経緯でなるんだ? 一口に感染っつっても、接触感染に空気感染、血液感染とかあるし」
 ああ、とグレーテルは振り向く。
「CHAINってのは波動……気体に浮く物質とかそういったものじゃないの。エネルギー波って言えばいいのかしら。まあでも、一番感染しやすいのは確かに在るわね」
「何が?」
「接触感染」グレーテルは答える。「CHAIN自体の干渉感染は、本人の総意が伴う。けど、感染者が新たな感染を促す場合、総意なんて無くたって触れるだけで一時的な感染は可能なのよね」
 伊月はさらりと答えるグレーテルに面食らう。
「何だよそれ、じゃあ場合によっちゃ学園中が感染者だらけになることもあるってことじゃ……」
「忘れたの? ただの人間が易々と感染はしないわ。ある程度高い神力を保有する人間にのみCHAINの波動は反応する。イツキに気配が移ったのも、イツキの神力が他より高いってことと、長時間同じ場所に居たからって条件が、運悪く重なってしまっただけだから」
「ふぅん……じゃあさ、その接触感染ってのは、外から触れただけで他人を感染者に成りすまさせる事も出来るってこと?」
 それには、不可能よ、とグレーテルは即答したが、
「ん? あ、でも、事実上は出来るのかしら……外側からの接触で残り香程度しか出来ないのなら、内側から接触すればいいって理屈だろうし」
「内側、って……」
「無論、体の内側」嫌な予感を覚えた伊月に、グレーテルは答える。「要は口に腕突っ込んで体の内側を触れば、はいどっから見ても本物に見える感染者の出来上がり、ってワケ」
 ね、無理でしょ? とグレーテルは嘆息した。
「ま、一部の化け物じみた思考の持ち主は、肢体を解体して内側に感染をさせてから縫い留めるってなことを実験にしてるっていう噂は聞くけどね」
「う、げ……考えらんねぇ……」
「狂気の沙汰よね。でも、そんな事でさえ力が在れば罷り通るのがこっちの世界なのよ」
 うんざりというように言うグレーテル。
 それから、テレビを見ているようで、しかしどこか遠くを見つめるように、滔々と話し出した。
「契約者だの感染者だの、組織だ何だと言い包めようったって、無理よね。アタシ達だって一応は人間なんだし。?切り裂き魔?みたいなおめでたい頭してるのはどうあれ、出来ることなら殺すのも殺されるのも無しでいきたいワケよ、少なくともアタシは」
「……やっぱりアレか? 契約者ってのはこう……選ばれた人間がー、とかじゃないのか?」
 まさか、とグレーテルは噛み締めるように失笑する。
「神力の有無はやっぱり左右される要因なんだろうけどね。でも、突き詰めれば結局は、生きたいと願った者、強くなりたいと願った者にしか手を差し伸べないもんよ、神様ってのは……たとえそれが契約者であろうと、感染者であろうと……神様か邪神か。その違いがどうあれ、人は本気で何かを渇望した時、力を得る」
「……、」伊月は一度口を開けて、それから、噤んだ。「悪い……訊くべきじゃなかった」
 軽はずみで他人を詮索するべきではない。それは一昨日の、伊月が裏の世界の顔を知ったあの夕暮れの時に、グレーテルに言われたはずのことだ。
 殺すのも殺されるのも出来ることならしたくない。
 そんな言葉、まず伊月の居る世界では到底使わない。
 もしかしたら、裏の世界を理解するということは、そんな殺意で満たされた場所で、何かを奪う行為があって初めて出来ることなんじゃないかと、伊月は考える。
 グレーテルでさえ、
 チセでさえ――、
「グレーテルさん、お風呂空きましたよ」
 不意に意識を戻させたのは、バスタオルで濡れた髪を拭くパジャマ姿の妹の声。
 グレーテルはテレビをそのままに、頂くわね、とソファから立ち上がる。
「っておい、俺が最後なんかよ……」
「あら御言葉。別に気にしてないし、いっそ役得だと思えば――、失礼」
 口に手を当てて自分を黙らせるグレーテル。
 言葉の意味を理解した小夜が、湯上りで紅潮していた顔をさらに紅くして、叫んだ。
「お、お兄ちゃん! 今日はシャワーだけにしてっ!!」
 厄日だ。





 翌日。
 いつもより早めに登校した伊月が教室に入ると、机に突っ伏している赤い髪の男が居た。
 伊月は自分の机を目指して通り過ぎる時にその後頭部をノックよろしく軽く小突いた。
「よう、お前が早いなんて珍しいな」
 ゆっくりと頭を起こす秋臣。本当に眠るつもりだったのだろうか、少しとろんとした目つきで伊月へ向いて「はよっス……」と短く答えた。
「昨日さぁ……通り魔事件の事話したじゃん?」
「……、おう」
 伊月は思わず、普段なら心からどうでもいいと感じるはずの秋臣のトークを、椅子に座って聞き入る。内容が内容だけに、新情報が得られると期待をしたのだが、
「それでさぁ……後藤ちゃんってコに、毎日の送り迎いをせがまれちゃって……」
 凄く裏切られた気分になった。しかし本人にとっては大真面目な話題らしく、殴って黙らすのもどうかなと躊躇う。
 机に頭を置いてうつ伏せのまま、顔を腕で囲って鼻声みたいな喋り方をしてくる始末。腹立ってきた。
「ねぇどうしたらいいと思う? リアルに通り魔危ないからエスコートした方がいいのかな。でもそこで送り迎いしちゃったら、俺っちセンサー的にすっげぇフラグが立ちそうな気がすんのよ」
「……」
「つかね、何かこう……独占欲? みたいな? 強いんだよねぇ〜そのコ、後藤ちゃん。こないだも用事で他のコ達と遊ぶってのバレて、女の子の方に行ったんだってさ、殴り込み」
「……」
「どうするべきなんだろうなぁ……でもさ、悩むとしたってさ、両方を手放したらアウトじゃん? 二枚目キャラ貫くつもりならさ……けど片一方に集中してってのは美学に反するわけさ」
「……」
「伊月はどうしたらいいと思う? お前からも何か一言おくれやすー。てか伊月が持てる全てのモテパワーから知恵を一つ分けてくれっ。そう……二人をより円滑に手玉もとい仲良くなる最善の」
「一時限目小テスト有んだからそっち頭使えボケ」
 途中から無視して理科のノートにペンを走らせていた伊月が斬り伏した。





 完全下校時刻を告げる、今日最後のチャイムが響き渡る。
 屋上前の踊り場でずっと考え事をしていた伊月は、そろそろ帰らないといけないなと立ち上がった。
 小夜を一人で帰すのはまだ危険だと察してくれたのか、グレーテルが正門の前で待って小夜を迎えるとメールで教えてくれた。授業中に送ってくるせいで教師に携帯電話を没収されかけたのは、まあ大目に見よう。事が事だ。
 階段を下りてゆき、一階に辿り着いた伊月はそこで見知った顔とばったり出遭った。
 氷室チセだ。
 彼女は学生鞄を片手に、廊下の中心を颯爽としたふうに歩いていた。
 入学式の日に初めて彼女を知った時から徐々に感じてはいたが、突っぱねた雰囲気というよりはこう、貫禄のようなものを放っている少女だと思った。訊ねても答えないから近寄らないのではなく、黙ってじっとしているだけなのに威圧感を覚えて近寄れない、といった空気を纏わせている。現に今もこうして顔を合わせただけで、伊月はぎくりとした風な顔をした。
「……その嫌そうな顔は何?」
 目を細めてじっと睨んでくるチセに、伊月は咳払いで誤魔化して話を切り出す。
「そっちも感染者探しか?」
「……別に」
 答えるのも億劫そうにチセは言い、昇降口へ向かう。
 丁度帰るつもりだったようで、伊月も並んで歩き出すと、更にチセは顔をしかめる。
「何?」
「何、って……俺も帰るんだよ」
「……あっそ」
 誰かと一緒に居るのを毛嫌いするという意思表示を隠そうともしないチセ。もう少し愛想良くしてもいいんじゃないかと思ったが、そんな簡単な仲間意識で善処しようとしてくれるのなら初めからしているだろうし、そもそも伊月に言われるのもどうだろう。
 昇降口で二人は外履きに履き替え、校舎を出る。
 正門を出ても、まるで会話はなかった。彼女がしないのもあるが、何となく『話しかけないで欲しい』というな空気を醸し出し続けるせいで、口を開けるタイミングが掴めなかった。
 少しして三叉路に行き着いた所で、二人の帰路が分かれることを知った伊月は、そこでようやっと声を絞り出した。
「なあ、氷室」
「……何?」
 一応は立ち止まり、振り返るチセ。
 伊月はその美貌を真っ直ぐと見つめ、問いかけた。
「お前、こないだ言ったよな。『それが自分の選んだ路だ』って」
「だったら、何なの?」
「……いや、一体何が、そこまでしてお前を強くしてるんだろ、って思ってさ……」
「……」
 チセは少し視線を逸らし、考える素振りをしてから、もう一度視線を合わせてきっぱりと拒絶した。
「貴方には関係ない」
「お前なぁ……もう少し協力する仲としての――」
 さすがにムッとした伊月が噛み付こうとした直後、
「――、っ!?」
 胸ポケットから、仄かな熱と共に震動が伝わる。
 取り出した伊月の手の中で、木製の安っぽい護符がカタカタと震えていた。
 伊月の表情が緊迫したものに変わった。チセも目を細める。
「CHAIN……」
 呟いて、チセは目を閉じて精神を研ぎ澄ます。
 瞑目はほんの数秒。チセは夕日に染まる茜色の街並みの彼方を見上げ、唐突に走り出した。伊月が不意を衝かれる程の早足だ。
「ちょっ……! 待てよ氷室!!」
「ついて来ないで。貴方は索敵が目的であって、感染者を見つけたら御役御免。というより、邪魔」
 そう言って走り去ろうとするチセの小柄な背中を、伊月は舌打ちと共に追い始めた。
「冗談じゃねぇ! こっちだって俺一人の身が安全なら良いって訳じゃねぇんだよ……!!」
 学生鞄をラグビーボールのように腋に抱え込み、伊月は見えなくなりそうになるブレザー姿を全力疾走で追った。
 二人の向かう先は――居住区郊外。


 ◆


 紫の空色。夕と夜の境界が織り成すマジカルアワーの世界を、チセは疾駆した。
「早かったわね」
 不意に民家の塀を飛び越えて舗装された道路へ舞い降りたのは、いつかの魔女風体に戻ったグレーテルであった。チセ同様にCHAINの気配を察知したのだろう。
 二人並んで郊外を走る抜ける。郊外といっても実質民家やマンションもちらほらと見えており、人の通り自体は過疎的ではないだろう。人っ子一人いないのは、恐らく噂の通り魔事件が多発したために出たがらないからだろう。
 それでも、誰にとも出会うとも知れないことを危惧したグレーテルはタロットカードを取り出す。
 ボゥ、と紫煙を燈らせて形を崩すカード。それは霞のようにグレーテルのベルトに繋がっている四つの金具に提げるようにして、四つの武装へと変わる。
「とりあえず捕獲して、事情ぐらいは訊かないとね。神佑地だと狙ってやらかしたのならもっと大事になりかねないから」
「そう……私にはどうでもいい。無意味な戦いを止めさせるだけだから」
「……」
 傍目にチセの背を見るグレーテルは、その物言いを不思議に思った。
 戦いを止めさせる、などという言い回しを、どこかで聴いた気がしたからだ。
 それが何かを考えている内にも、チセはさらに足を速めて走り去ろうとする。
(まあ、それは追々探ればいいことね。今は仕事に専念しなくちゃ……)
 グレーテルは立ち止まり、腰に提げている神器の内、杯を手に取った。
 台座を取り付けられた銀装飾のカップだ。優勝トロフィーのような形状だが、大きさは付け根を掴むというより摘むようにして持つあたり、かなり小さい。
 それを静かに路上に置き、小さく深呼吸して瞑目する。
 紡ぐ。
「『Eine Arie wird angefangen.(水のリゾーマタを形成)』」
 【魔術師】の名のように。
 詠う。
 それに呼応するように、地に置かれた杯は静かに燈る。翡翠色の色を放つその杯の中へ、グレーテルは人差し指の腹を噛み千切って血を滴らせ、そこへ落とす。
「Die Wasseroberfläche schläft ruhig.(外界神気との接続同調完了)」
 杯とグレーテルを囲む地面に、水色の六芒星が浮かび上がる。
 ローブに隠れた彼女の腕が横に払われた瞬間、一瞬にして六芒星は見えざる巨大な直径となって郊外の地面を侵食する。
 水とは、静まるもの。
 故にあらゆる流れは一つの個となる。
「『Heilig, Heilig, Heilig…(聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな……)』」
 周囲の気の流れを同一にし、杯を中心に総ての揺らぎは掻き消える。
「『Es ist vor einer langen Zeit.(昔いまし)』」
 詠唱が何処までも響くように、グレーテルは歌う。
「『Es ist jetzt.(今いまし)』」
 その声が伝わると同時に中空を舞う気配は一気に切り替わる。
「『Es kommt hinten.(後来たりたもう)』」
 異質の気配に、切り替わる。
「『Haupt-allmächtiger Gott.(主たる全能の神)』」

 そして、神凪町郊外は紫煙の世界に舞い降りた。
「『Die Welt von Gott,――Einsatz,(教会領域、展開)』」


 終わる夕暮れを紫煙の膜が包み込む。
 異端だけを取り囲む絶壁の中で、チセは塀に足を掛けて跳び、平屋の屋根へ乗る。
 妖しい静けさに呑まれた世界で、すっと目を閉じて気を巡らせるチセは、一方の方角に微かに感じる違和へ、澄んだ瞳を細める。
 ダン! と瓦を踏み壊して跳躍し、家々を伝う小柄な肢体は、飛び越した公園手前の細い路地へ視界を弾けるように向ける。
 黒い服の姿はこちらに気付き、死角となる路地へ駆け込む。
(甘い)
 頭の中で短く告げたチセは、空中で体を捻転させて屋根へ着地し、二階建ての安そうなアパートへ跳び返る。上体を低めて素早く飛び降りた先に、路地から抜けた黒服が視界の端に映る。
 至近距離に舞い降りた少女に驚いた風な黒い人影が咄嗟に腕を振るう。暗闇から奔った銀閃が喉を狙う。
 だが、チセの表情は変わらなかった。視線さえ地面に向いている。
 ガギン! と鉄の弾かれる音が爆ぜた。手元のタロットカードが一瞬にして、簡素でありながら威圧を放つ黒塗りの日本刀へ姿を変え、滑り込んでくる包丁を鞘で防いだのだ。
「……っ!?」
 突然の武器の出現と攻撃の失敗に怯んだ相手へ、チセは刀の柄尻を鳩尾へぶち込んだ。咄嗟の勢いなんてものじゃない。一切の躊躇のない、全身を使った重い一撃だ。
「ご、ふっ……!」
 くの字に曲がる体躯。声から男だと悟ったチセは、しかし何の関係も無いとばかりに抜いていない刀を振り回し、手首を返して鞘で男の顔を穿つ。
 流れる攻撃に路地から引きずり出され、二車線の少し大きい道へ出た男は、帽子に隠した顔を苦悶の色に染めた。
 チセは再び手首を返して刀を左腰に当てる。
 紫煙の霞が彼女の腰周りを奔ると、鞘を提げる皮製のベルトが現れた。
 手ぶらになったチセは尻餅を突いている男を冷徹に見下ろす。
「話して貰いましょうか。どうしてこんな馬鹿な真似をしたのかを……」
 三間。相手が動くより先に斬り払うには充分な間合いを保ったチセを、知ってか知らずか男は睨んだまま動かない。
「言っとくけど、早めに喋った方がいいと思う。法王庁の尋問に比べたら全然マシだから。食前に神に祈りを捧げるような顔で、必要な情報を喋るまでずっと黙ったまま手足の指に五寸釘を打ち込んでゆくような連中だもの。そっちの方がお好みなら別に構わないけどね」
 すらりと刀を抜き、切っ先を突き付けると男が息を呑む気配が伝わる。
 何も感じないような顔で、一瞬たりとも隙を見せないチセの元に、グレーテルが姿を現した。
 四つもの神器をぶら下げた豪勢な契約者は、二人を見比べてつまらなそうに言う。
「あら、もう決着がついちゃった?」
 何もしてない癖に、とチセは思ったが、よくよく考えれば人払いにそれなりの神力を浪費した筈だ。わざわざ喧嘩腰になることもない。そもそも敵を前に口論なんて馬鹿げてる。
「なんだって? 何か言ってたりするの?」
 グレーテルが尋ねる。チセは首を振った。
 しばしグレーテルは無言だったが、なんてことはないかのように告げた。
「ならアタシの出番か。先に言っとくわね、マゾじゃないなら早めに吐くことよ」
 言いながら刃渡り三十センチ程度の細剣を手に取るグレーテルに、男は怯んだ。
 チセが、男には聴こえないように耳打ちする。
(……拷問も名物だと聴いてはいたけど、貴女もそうなのね)
(まさか。拷問はさすがに部署が違う。でもギリギリまで脅せば大概が吐くもんよ。コレが死ぬまで喋らないような輩に見えるとでも?)
(……あっそ)
 どうでもよさそうに答えるチセを尻目に、グレーテルは詰め寄る。
 暗闇のせいであまり全体が見えない男を、平然といった顔で見下ろす。一応は、演技だ。
「さぁて……基本は足からなんだけど、治療道具が無いのが難点よね」
「ち、治療……?」
「ええ、治療道具」
 男が思わず聞き返すと、グレーテルはにっこりと笑んでみせた。
 笑んだまま、
「限界まで痛めつける為に、怪我を強引に手当てして別の箇所を壊すの。で、壊す所が無くなってきたら、治療した場所から再度壊す。拷問ってのはね、?致死と痛覚の麻痺を与えない?のが基本なの」
 それを聞いた男が、恐怖に後ずさりするのを見たグレーテルは、簡単なもんだと思った。思いながら、こんな醜い真似を本気の当然でやってのける連中に吐き気を催した。
「とっりあっえず〜。爪からいきましょうか。あ、言いたくなったら御自由に。尋問慣れしてる人間は『話すから待ってくれ』って単語は聴こえないから」
 言いながら足首を踏んで靴を脱がそうとしたグレーテル。
 その瞬間だった。
 横合いで猿芝居を観ていたはずのチセが、グレーテルに体当たりをしてきた。
 すんでの所で転ばずに居られたグレーテルが怒りに叫ぼうとしたが、その理由を知って言葉は出なかった。
 ナイフ。
 肉厚なコンバットナイフが、グレーテルの立っていた場所を真上から飛来し、舗装されている路地に喰い付いていた。
 チセが見上げ、グレーテルが釣られて視線を追った先。
 アパートの縁に片足を掛けた、ニット帽の狂人は歪んだ笑みと共に見下ろしていた。
 アルカナ、【愚者】の契約者。
「?切り裂き魔?!」
「あーあ、オレも嫌われたもんだねぇ、ぇえ? んな楽しそうな事に仲間外れか? 売女」
 軽口を叩く?切り裂き魔?は、既にタロットカードを神器に変えて手の内で遊ばせていた。翡翠の石器ナイフを逆手に持ち、
「オレも混ぜてくれねぇのかなぁ……女二人を相手にするにゃ、いかにも保ちそうになそうな野郎一匹じゃ欲求不満じゃねぇの?」
 耳障りなまでの雑言を唱える狂人に、チセはグレーテルを見て冷徹に告げた。
「厄介事を持ってこないで」
「うっさいわね。こっちだって好きであんなん連れ込んだ覚えは無いわよ」
 でもま、とグレーテルは短剣の切っ先を?切り裂き魔?に変えて、薄く暗く笑う。
「火遊びが怖くて逃げ出した負け犬の処理ぐらいはしないといけないわよね」
「ハッ! 調子乗ってんじゃねぇぞクソッタレが!!」
 それ以上の邪悪な嘲笑と共に、一気に屋根を飛び降りる?切り裂き魔?。
「その余裕ですってなぁ顔をズタズタに切り裂いてやったら、もぉっと造詣が深まるんじゃねぇかぁ!? ?賢しき四法?!!」
 着地点目掛けて、?切り裂き魔?はナイフを振るう。
 ボゥ、と淡く煌いた刀身から無数の視得ざる斬撃が、左右に跳んだチセとグレーテルの居た場所へ襲い掛かる。
 着地したと同時にバネのように跳んでグレーテルを襲う?切り裂き魔?に、彼女は剣を振るって返す。
「『Eine Arie wird angefangen!!(風のリゾーマタを形成!!)』」
 叫び、短剣を水平に構えた途端、突風が吹き荒れた。
 ?切り裂き魔?は腕で顔を覆い、踏ん張る。
 その隙に、追い風を背に猛進したグレーテルが短剣で刺突する。
 ?切り裂き魔?がナイフでそれを迎撃する。刀身に触れた刹那、幾重もの斬撃が短剣を弾き返すが、二人の合間を通過した強風が?切り裂き魔?の足元を掬い、前へ出るのを遮る。
「しゃらくせぇ!! 炎の次は風……やりてぇことは目眩ましだけか!!」
 荒れ狂う風の中で、強引に?切り裂き魔?は腕を横に振る。
 グレーテルが頭を下げると、合わせるように風を切り裂く抵抗感が頭上を掠めた。
「Wird eine Hand außer Betrieb durch einen Wind sein? Es genügt!(風で手元が狂うでしょう? 充分でしょうが!)」
「うるっせぇんだよ売女! ここは日本だっつぅの!!」
 一喝と怒号が、それぞれ風に掻き消えるその外側で一人状況を見極めていたチセは、好機と立ち上がる男を一瞥する。
「……本当なら、目の前で戦わせるのも嫌なんだけど」
 包丁を握り締めて睨んでくる男に刀を構え、
「この町は私が守る。誰の手に渡らせたりはしない」
 宵の下で、チセは男へ突進した。
 包丁を握り締めた男は、帽子の奥でブツブツと呟いている。
 チセは怪訝に思ったが、傍らで暴風が荒れ狂っているせいで全く聴こえない。
 元より、聴きたいなどと考えてはいなかった。
 低く構えて間合いに入り込んだチセが、刀を滑らせる。
 帽子を斬り飛ばすつもりで放たれた一撃を男は後ろへ避け、なおも突っ込んでくるチセの整った顔を壊すように腕を振り落とす。
 チセは刀の鍔元でそれを受ける。鈍い音が微かに響き、チセは押された反動で身を翻して足払いを打つ。
 素早すぎる機転に追いつけない男は足首を蹴られて倒れ込むが、多少は格上に攻められる事を知っているのか、ごろごろと転がる。肩のあった場所を刀が貫いたのはその直後だった。
 立ち上がった男は包丁を強く握り締めて振り回す。
 まさに、振り回すのだ。的確に急所を狙うわけでもなく、まして死角を奔るわけでもない。明らかに素人が持ち慣れた武器を使用しているだけの、喧嘩のような攻撃だ。
 薄っすらと呆れるようにチセは幾重にも身を切ろうとする包丁を避けながら退いてゆく。
「くそっ、避けんなっ! 避けるなよ畜生!!」
 涼しい顔でかわされることに苛立ったのか、男は焦りの声を上げるが、チセはあくまで冷静に包丁の届く一歩手前をキープし続ける。
 横合いから飛んでくる包丁に狙いを定めたチセは刀の腹で上へと包丁をかち上げる。
 性別の差を無に帰す武器の重量から、包丁が男の手から零れる。
 返す刀で上段から振り下ろすのを間一髪でかわした男は、懐からナイフを取り出す。
 安物のバタフライナイフだ。しかも取り出したはいいものの、グリップを固定しているロックを外すのに苦戦している。
 チセはある程度予測していたことを確信に切り替えた。
 この男は素人なんじゃない。元々そういった物の取り扱いを知らない、争いとは無縁の生涯を歩んでいたんだと。
「……長い間、戦ってきたけれど……ここまで目も当てられないのはあまり見ない」
 ぽつりと呟いたチセに、ようやっと刃を取り出せた男はそれを突き付けてくる。よく注視すれば、構えからして舐めてるとしか思えない程に酷い。無意味に中腰で、なのに踵をべったりと地に付けている。おまけにナイフを持つ方の腕を前に出していて、また叩き落として下さいと言っているようなものだ。
 溜息が横合いからの強風に紛れる。
 充分に殺傷能力を発揮する角度から石器ナイフを振るう?切り裂き魔?も、風を味方に決定打を狙い短剣を振るう?賢しき四法?も、付け入る隙さえ見せない攻防を見せている。こちらの二人の方がまだ断然に恐ろしい連中だ。
 しかし、この目の前の男の、なんたる体たらく。
 本当に、こんな奴が通り魔を装って幾人もの犠牲者を出してきたのか、不思議でならない。
「――、」
 そこで、チセはその不思議さに疑念を抱いた。
 まさか、と思い、口を開く。
「貴方は……」
 その先の質問に目敏く気付いた男は、歯軋りしながら突っ込んできた。
 無言が肯定と理解したチセはナイフを避ける為に再びバックステップをする。
 が、不意に後ろに気配を感じ取った。
 背後からの殺気が、こちらに感付くと同時に鋭く空を裂く一撃を放ってくる。振り返ることもなく、頭を下げた。
「ハッ! やっぱりド素人じゃあ持て余しちまうかぁ!?」
 ?切り裂き魔?の雑言が飛ぶ。いつの間にか二人の戦場に踏み込んでしまっていたらしい。
 しかし彼の言うように、玄人のナイフ捌きは背筋を凍らせる速度でチセに第二打を放つが、グレーテルが短剣で心臓を狙う。
 舌打ちした?切り裂き魔?は横に体を捻ってギリギリかわす。
「さっさとそっちを倒しなさいよ! 楽な方譲ったんだからっ」
 叱責のような声がチセの耳に届くが、それを右から左に無視し、グレーテルの首を狙う石器ナイフを打ち払う。
 グレーテルは短剣をかざして突風で?切り裂き魔?の細身を吹き飛ばす。
 背後に立っていた男に気付いたグレーテルが、上から振り落とされるバタフライナイフを一歩退いて避ける。ナイフの切っ先は、舗装された地面にほんの少しだけ突き立った。
「ふふ、甘い甘い。その程度で相手を変えられる余裕はアンタには――」
 途端、言葉を失った。
 はっとしたグレーテルを下から見上げ、男の口元が嘲う。
 手に持った短剣を振り被ろうとしたが、それが出来ない。
 いや、そんなものじゃなかった。
(う、動けない……っ!?)
 頭頂部から足の爪先まで、ぴくりとも動かせない。まるで、金縛りに遭ったように。
 男はさらにバタフライナイフをもう一本取り出して、今度はすんなりと刃を取り出す。
 チセはグレーテルの様子が変だと気付くが、一足遅い。
 振るわれたナイフがグレーテルの顔目掛けて飛ぶ。
 まずい、と二人が同時に悟った瞬間、路地から人影が突っ込んできて、男に体当たりをした。
 グレーテルはその人影の顔を正面から見て、少し驚く。
「イツキ!?」
 チセと同様に制服姿のままの伊月は、汗を拭って息を整える。
「や、やっと見つけた……氷室、お前足速すぎなんだよ……っ」
 ぜぇぜぇと肩で息をする伊月をチセはつまらなそうに一瞥し、グレーテルは何とか動く視線をチセに向けて苦い顔をした。
「ちょっと、アンタこそ一般人を連れてくるんじゃないわよ! 危険過ぎるじゃない!」
「今まさに命を助けられた人間が言う事じゃない」
 きっぱりと言い放つチセの態度に、グレーテルは溜息を零したくなったが、視界の端からもう一人の存在が飛び出した。
 伊月は咄嗟に両腕で顔をかばうが、見当外れの回し蹴りが鳩尾に突き刺さり、伊月が塀にぶち当たる。
 何かを言おうとしたグレーテルを黙らせるように、?切り裂き魔?は足元のバタフライナイフを勢い良く踏んで更に地にめり込ませる。
 グレーテルもチセも、?切り裂き魔?も既に悟っていた。
「ナルホドねぇ。影を縫って動きを封じる、それがテメェの神術かよ」
 くまの酷い目で、身を起こそうとしている男を見た?切り裂き魔?はあっさりとそのトリックをばらす。
 夜の帳に下ろされた影を縫い止める事で、相手の動きを封じる能力。この能力を用いて一連の通り魔を行っていたのだろう。人気の無い場所という条件さえ在れば、いくら叫ばれようと好きに甚振れる。ましてや喉を掻っ切ってしまえば、そいつは助けを求めることさえ出来なくなる。
 しかし、ネタをばらされた男の反応なんて?切り裂き魔?にはどうでもよかった。
 目の前のいけ好かない女が身動きが取れないという事実だけで、彼には充分だった。
「気分はどうだぁ? 術者が離れても金縛りが健在って事は、そいつが意図するか死ぬか、あるいはコレが抜けない限りテメェは動けないってぇワケだ?」
 下卑た笑みを浮かべる狂人にグレーテルは歯噛みする。
「卑怯な男ね。正々堂々と自分の力で捻じ伏せる気もしないの? だらしがない」
 男は嘲笑で返した。状況を打開する為の、精一杯の強がりだと分かっていたから。
「結果なんていいんだよ、売女。過程を愉しめりゃオレはそれでいい。つぅか、正々堂々? オレは【愚者】だぜ? テメェ馬鹿?」
 愚行こそが正道。ある意味それは戦場では強い力を発揮する。
「安心しとけよ。そっちの黒髪も相手にしなきゃなんねぇから、一撃で済ましてやんよ」
 神器を顔の前でチラつかせ、
「なぁに、五秒ぐらいは忘れないでやるからさぁ!!」
 狂気にも似た殺意に吼える。
 チセが刀を構えて割り込もうとするが、そちらを見もせず唐突に振るわれたナイフから、視えない一撃が放たれる。
 虚空を裂く斬撃をチセが受け止めるが、そのせいで今から突っ込んでも間に合わない。
 無論、グレーテルの安否なんて気にしちゃいない。しかしこれ以上の死人はチセも望むことじゃない。
 それでも、かざされたナイフがグレーテルに刺さるより先に?切り裂き魔?を斬るのは不可能。
 だから、
 チセは逆手に刀を持ち替え、槍のように投擲した。
 しかし、その切っ先は?切り裂き魔?にもグレーテルにも向いていない。
「あっははははははぁ!! バッカじゃねぇの!?」
 刀が二人の合間に突き立った瞬間に、石器ナイフが振り下ろされた。
 絶望を謡う爆笑が轟いた。


 ◆


 暗転しかけた世界で、狂人の嘲笑が響いていて、伊月は顔を上げる。
 何かが危険なんだ、という率直な不安から顔を上げた伊月は、その光景に一瞬言葉を失っていた。
 狂人の持つ、切れ味なんて全く無さそうに見える翡翠色の石器ナイフは、

 腕を前に出した魔女の短剣に遮られていた。

「――、え?」
 場違いな戸惑いの声を上げたのは、ナイフを防いだはずの魔女だ。
 伊月ですらいまいち要領を得ない硬直を、一番に解いたのは狂人だった。視界だけがぐるんと下へ落ち、足元を見る。
 二人の合間に、狙いを外した刀が斜めに突き立っている。
 神術の媒体となっているバタフライナイフは、狂人が強く踏んでいる。まず間違いなく、魔女が自力で動くのは不可能のはずだ。仮に自分の意思で呪縛を解いたのなら、彼女のこんな表情は在り得ない。
 そこで、その刀が魔女の影を貫いている理由を唯一理解している狂人が、舌打ちとして距離を離した。
 魔女は自分の体の異常が無くなったことを確かめてから、バタフライナイフを見下ろす。
 ナイフは、淡い静電気にも似た現象を起こして、パチパチと乾いた音を立てている。
 狂人が追撃するかも知れないという危惧も忘れ、原理を考えてしまう。
(今の神術の捕縛性は完璧だった。喰らったアタシでさえ、一人で解くのは無理だと思ってた。条件を無視して媒介を破壊出来た? しかも、媒介を直接じゃなくて、介している影を刺して?)
 影そのものを補強するなんて能力は、在るにしても出し惜しみするべきでない。出し惜しみというのは、そこの黒服の男のように策が無いと思わせておいて奇襲を成功させる際に発揮する類のものだ。
(補強じゃない。介するものを含んで、影縫いの神術を直接――)
 そこで、気付いてしまった。
 顔を上げる魔女の視線が、剣士に向く。
「直接、神術を抵抗(レジスト)……違う! 無効化(キャンセル)したですって!?」
 まさかと驚愕する魔女の顔を見て、剣士は思わず目を逸らしてしまった。
 伊月はその遣り取りの意味がよく分からなかった。何らかの神術を用いて助けられたというのに、何故魔女は徐々に怒りに表情を染め出しているのか。
「ハッ! そうだよ、そうだった。テメェの能力を忘れちまってたなぁ。こいつぁうっかりしてたぜ」
 妖しげに身を揺らめかせる狂人が、剣士を見る。
「そうかぁ。売女は知らされてねぇみてぇだなぁオイ。ま、そりゃそうだろうけどな」
 卑しく嘲笑する狂人が、剣士が遮るより先に魔女に言ってしまった。
「そいつが契約してるアルカナはなぁ……あの【塔】なんだよ、売女」
 硬直していた魔女の表情が、確信を得て完全な怒りに染まる。
「やっぱり……! 共鳴もしないワケだわ! アンタっ、どうして黙ってたのよ!!」
 まるでそれがいけないかのように魔女は叫ぶ。剣士は何も言わずに居た。
 狂人はくつくつと込み上げる笑みを抑えられずにいるように、答える。
「まぁ、そう言ってやんなよ。ハナから『私は【塔】の契約者です』なんて言ってたら、良い顔したんか? ぇえ? ローマの犬なら尚更そうやって噛み付くのが分かってたから、黙って良い顔しときゃ話がこじれる事も無ぇって思ったんじゃねぇの?」
 自分は関係無いからとばかりにかばってやる狂人だが、その嘲笑は無くならない。
 二人して、表情は違えど、その眼が侮蔑を剣士に向けていた。
 伊月はとうとうその目つきの意味を知りたくなって、口を挟んだ。
「どういう、ことだよ……? 氷室がなんだってんだ!?」
 狂人はそこでやっと伊月を見やる。
「あん? あぁ、テメェは契約者じゃねぇみてぇだが、感染者でもねぇんだな。どちらにも振り切れちゃいねぇ奴を法王庁が巻き込むたぁ珍しいもんだが、知らねぇのか」楽しそうに言う狂人が、「教えてやるよ。今ぁ気分が良い方なんでよ。出血大サービスで暴露ってやんよ……こいつが、どれほど契約者に忌まれている存在なのかを」
 剣士が血相を変える。あの冷徹の限りを尽くす、人形のようだった顔を、焦らせて。
「誰が言っていいと――」
「誰が遮っていいと言ったぁ!?」
 一喝してナイフを剣士に向ける。剣士は黙り込んだ。
 腕を突き出したまま、視線をもう一度伊月に向けて笑う。
「一から説明するべきなのか知らねぇけどよ、端折るぜ、素人。オレ達契約者は根本的に感染者をぶっ殺すのが目的だ。その為に契約者になるって言ってもいい」狂人は続ける。「つまり契約者は、感染者をぶっ殺すのが正解で、それ以外の事は不正解ってわけだ」
 狂人は自分ですら、CHAINを滅することに一役買っていると言う。それ以外の事はあくまで?ついで?。出自が違えばその行動原理も違うのだから、それは悪くは無い、と。
 けどな、と狂人は剣士を否定する。
「たった一人だけ、違ぇんだよ。そのたった一人だけは、出自が契約者として在り得なかった。異端と扱われざるを得ねぇ力を手にしちまったのさ」
 それが、氷室チセ。
 伊月は、危機感を覚えながらも詮索を止めなかった。
「どういう、力なんだ……?」
「知りてぇか?」
 肩を震わせて、堪えるように、噛み締めるように笑う。
 少しして、
 ばあ、と。狂人は舌を出し、今までで最も邪悪に笑った。
「その力の名は――?調停者?」
 剣士の顔が、歪んだ。
「つまり歴代【塔】の契約者は眼前での戦闘を是としねぇ契約者なのさ! 例えそれが国同士の戦争であっても! 例えそれが子供の他愛も無い喧嘩であっても! 例えそれが、?契約者と感染者の抗争であっても、そいつは停める事が契約者としての存在意義?なんだよ!!」
「……」
 伊月は言葉を失った。それでも狂人は哂い続ける。
「契約者同士で戦うのも厭わねぇオレも充分悪だけどなぁ、そいつは最悪だ!! 口では感染者を許せないとか言ってても、本当は捕まえる気も無かったんじゃねぇの!? 初めからテメェ等なんざに協力するつもりもなかったんじゃねぇのかぁ!?」
「……っ! それは、違――」
「今更否定したって誰も信じねぇよ、テメェが?調停者?で在り続ける限りなぁ!!」
 口を開いた剣士は、噤んでしまう。
 伊月は不安になってしまった。どうして黙る? 違うなら違うと言い張ればいい。
 本当に? 本当に、協力するつもりはなかったのか? 嘘だったというのか?
 俯く剣士を、呆然と見続ける伊月は、ふと狂人が辺りをキョロキョロと見ているのに気付く。
 次いで、魔女も気付いたように顔を上げた。
「……感染者が、消えた?」
 伊月も周りを見るが、そこには帽子が落ちているだけで、黒服の男は姿を消していた。
 魔女は更に杯に指を触れて目を閉じるが、やがて小さく吐息を零した。
「Fuck!  war fähig, zu entkommen...!!(くそ! 逃げられた……!!)」
 苦い顔をする魔女を一瞥して、狂人は踵を返す。
「目当てに逃げられちまったんなら、この結界も解除すんだろ? あーあ、やってられねぇなぁ……戦意喪失したクソを切り裂くんじゃつまんねぇ。今日はもう帰るぜ」
 そのまま上体だけ、振り返る。
 嘲りに暗く笑んで、
「ハッ! これでもう互いに傷の舐め合いも出来ねぇなぁ? 次は愉しませろよ、売女?」
 そう言い残して、狂人はまるで帰路に着くようにゆったりとした足取りで闇に紛れてしまった。
 魔女はその背が見えなくなった途端に、剣士を睨む。
「……傷の舐め合いですって? 冗談じゃない!」苛立った口調で吐き捨てる。「知らずに?調停者?と組んでたなんて、いい笑い者だわ! イツキ、一緒にあのビルへ来なさい。対策を考えるわ」
「私は……」
 何かを言おうとした剣士を、魔女は遮る。
「黙りなさい! 異端の分際で……っ」
 剣幕に黙る剣士をしばし睨み続けたが、バツが悪そうに魔女は短剣を提げて杯を手に取る。
「丁度良いわ。アンタがどういうつもりなのかも、教えて貰おうじゃないの」
 狂人ほどではないが、侮蔑の嘲笑を浮かべて魔女が杯をかざす。
 ただ一人、呆然と二人を見ることしか出来なかった伊月の頭上で異質の力は掻き消える。
 満天の星空の下で、しかし誰も喋ろうとはしなかった。


 ◆


 薄暗い廃屋の中を、三人の姿が歩く。
 昼間でも危なっかしかった機材の成れの果ては更に鋭利に思え、覚束無い足取りで最後尾を歩いていた伊月は、部屋に入った瞬間にチセの胸倉を掴むグレーテルに息を呑んだ。
「率直に訊くわ。どうするつもりだったの?」
 さしものチセも乱雑な詰問に、少し冷静を取り戻したのだろう。変わらぬ冷めた表情で訊き返す。
「どういうつもりって、何を」
「決まってるじゃない! アタシの味方をするつもりじゃなかったんでしょ!?」
 誰も近寄らない場所なのを良い事に、大声を張り上げるグレーテル。
「私は……誰の味方にもならない」
「でしょうね! 今に聞けばいかにも?調停者?らしい御言葉だわ!」
 夜の路上で見せたのと同じ、嘲笑を滲ませた顔をグレーテルはする。
「そんな上っ面の返答なんて繰り返されても困るのよ。アタシが訊いてんのは、今回の事件を解決しようとしているアタシを、邪魔するつもりなのかって事よ!」
「それは……」
「落ち着けよグレーテルっ、一体どういうことなんだよ」伊月は二人を引き剥がす。「どうして氷室が?調停者?ってのだと、邪魔になるってことに繋がるんだよ?」
 一般人として無知を承知の上で尋ねる伊月の方がまだ冷静なことに、グレーテルは少しだけ声音を抑えて答える。
「決まってるわ。癪だけど、?切り裂き魔?の言うように?調停者?は誰かの力になるこをが出来ない……いえ、しようとしない人種だからよ」
 あまりに断定的な物言いに、伊月は顔をしかめた。
 そんなはっきりと決まったことではないんじゃないかとチセを弁明するが、グレーテルは伊月にさえ鼻で笑った。
「契約者ってのは、なろうと思ってなれるものじゃない。でも一定以上の神力さえ持っていれば誰でもなれる。確かに言ったわ。でもね、それはあくまで既存しない契約者にはなれるって意味。契約者になれる資質を持つ人間でも、既に席を取られているアルカナとは契約出来ないし、出自の合わないアルカナとも契約することは出来ない。アタシの【魔術師】みたいな、強く振り切れた精神を必要としないアルカナも在れば、?切り裂き魔?の【愚者】のように、出自の適性が合い難いアルカナもあるのよ」
 【塔】のアルカナはその後者の最たるモノの一つだ、とグレーテルはチセを睨む。
「?調停者?はあらゆる戦を拒み、拒ませ、血で贖わない平定を望む心が絶対的な出自。聞こえは良いわね。でも、それが理に叶わない世界では総ての存在にとって悪意的にしか映らない。アタシ達が居るのはそういう世界よ。何かを犠牲にしてでも、誰かを死人にしてでも、目的の為に次の戦いを強いられる世界。それを?調停者?は! 底の視えない悪であるCHAINを滅する為に必要不可欠な力を持つ者達を! 否定してるのよ!!」
 抑えようとしても、徐々にその声は苛烈になってゆく。
「だから【塔】のアルカナの象徴は『災害』なのよ! 彼女はまさに、アタシ達にっての災害……! 契約者の人格から相容れない存在になる者も居るけれど、?調停者?は?調停者?になった瞬間から忌み嫌われる存在になるってことよ!!」
「そん……っ」伊月はその怒りに、反発した。「そんなの、決まったことじゃねぇじゃんか!」
「いいえ、決まってることよ」
 きっぱりと言い放つグレーテル。
 そこで初めて、チセは視線を上げた。
 無表情に、苛立ちを浮かべて。
「黙って聞いてれば……」
「何よ、本当の事でしょ? なら証明してみなさいよ。口ではいくらでも言えるわ」
 自分が有利だとばかりに笑うグレーテルを、チセは冷たく言い放った。
「彼の妹を疑っていた癖に」
「な――!」
「……っ!? どういうことだグレーテル!」
 思わぬ言葉に、伊月の声が荒げる。グレーテルはすぐにそれを否定した。
「そんなワケないでしょ!? 自分が追い詰められたら白々しい嘘を吐くの!?」
 しかしチセは確実にその虚を突く。
「ならどうして自分の姿を見せてまで、彼の家に住み込んだの? それって、初めは彼の感染の発生源は彼の妹だと疑っていたからでしょう?」
「違うわっ……!」
「口ではいくらでも言える。そちらこそ、確証を見せて欲しいものだけど?」
「罪を擦り付けようとしないで!」
 どん、と胸を突き飛ばされた伊月を置き去りにして、二人は詰め寄って口論を始める。
 伊月は、この二人は何をしているんだろう、と不思議に思った。
 一体、どうするつもりなんだろう。
(何なんだ……?)
 誰が悪いとか、
 何が悪いとか、
 それは、今知らないといけないことなのか?
 遠く、声が聞こえる。
 貴女こそ不必要なものを犠牲にしようとしている、とか。
 他人の平和を護る為に自分の手を染めているだけ、とか。
 やっぱり本当は彼の妹を疑っていたんだ! と。
 サヨは違うと判ったんだからいいでしょ! と。
 頭痛がする。
 耳鳴りが酷い。
 眩暈がしだした。
 心が張り裂けそう。
 喉が干上がってゆく。
 なんにも考えられない。
 なんにも、
(何なんだよ、それ……っ)
 でも、
 何もかもが信じられない世界で、
 アルカナだの、CHAINだの、契約者だの、感染者だの、組織だの、神力だの、摂理だの、世界だの、敵味方だの、
 何も分からない世界で、
 それでも、
 一つだけが確かな事が、在った。
 この二人は、
 こいつ等は、

 どこまで俺を馬鹿にしているんだと!

 ガン!!
 鈍い、音がした。
 今にも爆発しそうなほどに膨れ上がっていた感情が、二人の中から消えた。
 音さえ、呑み込む程に。
 伊月は、傍らに屹立していた、錆びた鉄柱を殴りつけていた。
 何の躊躇も無く、
 何の加減も無く、
 何の後悔も無く、
 強く、殴った。
「イツ、キ……?」
 まだ遠い世界から、不審そうな声が小さく届く。
 その場違いな声が、果てし無く腹立たしかった。
「何なんだよお前達!! そんなに誰かが悪くなくちゃいけないのかよ!!」
 二人を出し抜いて、爆発した。
 感情が、止められない。
「誰かが悪くなくちゃ助からないのかよ!? 何かが悪くなきゃ救われないのかよ!?」
 感情が、抑えられない。
 泣きそうな程に悲しい、怒りが。
「そっちの世界がどうかなんて知ったことじゃねぇよ!! 俺には分からないことばかりだし! 知っても理解出来るかなんて分からない!」
 けどな、と。
 叫ぶ。
 壊れてしまってもいい。
 それでもいっそ、そんな下らない世界も壊してしまいたくて。
「今それは大事なのか!? 必要な事なのか!?」
 二人は何も言えなかった。
 ただ瞠目して伊月を見つめるしかなかった。
 古びた鉄骨は、攻撃した者に容赦無く喰らい付き、赤い雫を薄く滴らせる。
「違ぇんだろ!? 違ぇだろっ!! 大切なのは……忘れちゃならないのは!」
 だけど、痛みなんてどうでもよかった。
「護ることなんじゃねぇのかよ!!」
「「……!」」
 二人して、目を剥いた。
 驚いてしまっていた。
 でも、それもどうだっていい。
 くそ喰らえなんだ。
「俺は小夜を護りてぇ!!」
 叫ぶ。
 壊した先で、破滅しか残っていなくたって。
「千尋もそうだ! 秋臣も! 如月も!!」
 帰れない世界が待っていたって。
 自分の中の何を犠牲にしたって。
「眼に映る総てを護ろうなんて、スーパーマンみてぇな事は言わない! けどな、この手が届く場所に居る奴等だけでも、護りたいんだよ!!」
 これは、偽善だろうか?
 浅はかな事を、言っているだろうか?
「そうして誰かを護る為に犠牲が必要だってんなら、俺は誰かの悪でもいい!!」
「イツキ……」
「何なんだよお前達はっ! どうして俺達を見ない!? どうして自分のことばかり考えてるっ!? 護るって言ったくせに! 俺の世界を護ってみせるって言ったくせに!!」
 泣いていたかもしれない。
 それでもいいと、思った。
「やる気がないなら帰れよ!! 小夜を護りたいって思ってないんなら、それが俺の敵だ!! 自分から手を出さなきゃ悪くないってのがお前の言い分だろうと、力は在るくせに俺の大切なモノを見殺しにしようとするお前は悪だ! グレーテル!! 氷室!!」
 いつしか、始まりのような声は出ていなかった。
 掠れた声はもう続かなくて、息は切れていた。
 腕がだらりと揺れる。殴った左手からはズキズキとした痛みが波となって襲う。
 それでも、萎んだ感情はまだ燻っていた。
 悲しみの声で、
「頼むよ……護ってくれよ。自分の世界も護れやしない非力な俺にも、手を差し伸べる力が在るのなら……哀れんでくれてもいいから、蔑んでくれてもいいから、」
 だから伊月は、きっと泣いていた。
「俺は、その犠牲として消えてしまっても……いいから」


 二人の心を散々に掻き乱した青年は、もう帰っていた。
 不気味な沈黙の中で、ぽつりと呟いて静けさを破ったのはグレーテルだった。
「……アタシは、グレーテル=D・T=フローエ」
 本当に、静寂に近い声で、
「対CHAIN特務機関、俗称ローマ法王庁の外界調査委員会所属者」
 声音が戻ってくる。
 ゆっくりと、沈んでいった感情を取り戻すように。
「アルカナ【魔術師】の契約者……?賢しき四法?グレーテル=D・T=フローエ!」
 目の前に落ちていた小さなドラム缶を、蹴り飛ばした。
 中身の入っていない金属の容器は、壁にぶち当たって鈍くも甲高い音を響かせた。
「何が契約者よ! 何が法王庁の修道女よ!!」
 怒りと笑いの混じった、空回りの自嘲で、己を呪う。
「イツキに! 一般人にっ! 護ってくれって言わせた人間が!! 何を言ってるのよ!! 何を言わせてんのよ!!」
 チセは答えない。
 ただ無言のまま、俯いていた。
「その通りじゃないっ! イツキの言う通り! アタシは、何をしたっての!」
 まるで伊月のように、ゆっくりと感情が萎んでゆく。
「何も……してないじゃないっ……」
 ?調停者?がどうした。
 【塔】の契約者がどうした。
 敵は、感染者のはずだったのに。
「……最悪だわ……」
 顔を覆い、歪んだ顔を隠す。
 床の一点を見つめていたチセは、なんの表情も浮かべることなく、やがて静かに歩き出した。
「……そう」
 出口の前で、小さく、呟く。
「少なくとも彼は、私達より悪ではなかった……」
 静寂が助けて、あまりにも大きくグレーテルの耳に突き刺さった。


 家に帰った伊月の手に気付いた小夜が、慌てて救急箱を探すその背を、伊月はぼーっとした頭で見つめていた。
 何も、考えたくなくなる。
 のろのろとした思考で、しかし、この想いだけはまだ、決して揺るがなかった。
 絶対に、何も、失いたくない。










 第四幕:絶望 〜The gear creaks〜





 朝の登校時間。
 傍らで、昨日司ちゃんが勧めてくれた番組が面白くてね、と笑顔で話しかけてくる小夜に相槌を打つ。
 昨日の今日でけろっと忘れているのか、余計な事を詮索して嫌だと思われたくないのか定かではないが、今も伊月の左手には包帯が巻かれている。
 気が、重かった。
 よくよく思えば、二人は協力してくれている側の立場。助けてもらっている伊月の方が、あんな事を言うべきじゃなかった。なんて偉そうに文句を言ったものだと一晩立った頭で考えるが、後の祭りだ。土下座してでももう一度助けを請うのは簡単だが、愛想をつかされて無視されるかも知れない。それぐらいの事を、言ったのだ。
 でも、それは瑣末な問題だ。状況は殆ど変わっていない。
 感染者は捕まえられず、夜を襲う脅威は消えてはいない。
 どうするべきかを、助けてくれる人間を、伊月は自分から突き放した。
(一人でも、どうにかするしかない。いつまでも仲違いを続ける奴等じゃないだろうけど、じっとしてても誰も護れない)
「……お兄ちゃん?」
 横から、不審そうな声が掛かる。知らずに顔が厳しくなっていたのを、悟られたのだろうか。
「ねぇ……最近のお兄ちゃん、本当に……変だよ?」
 能天気なくせに、触れて欲しくない事にはこうも鋭い。伊月にとって一番誤魔化すのが大変な奴だ。
「そうか? 普通なんだけどな……」
「でも、最近変なことが多いし……グレーテルさんは帰ってこなかったし……ねぇ、何か私に隠してない?」
「隠す程のことじゃねぇよ。お前気にしすぎ」
 頭を撫でて苦笑する伊月に、気にするよ! と小夜は噛み付くが、結局は兄にいい様にはぐらかされる妹であった。
「……大丈夫だよ、小夜」
 正門に入る時に、伊月は言う。
「もうグレーテルも来ないみたいなこと言ってたし、じきに外も歩けるようになる」
「そうなの……!?」
 小夜は驚いたように見上げてくる。きっと前者に驚いたのだろう。それが小夜だ。
 そっか、と呟いてから、見上げる。
「グレーテルさんに、もう一度会いたかったな。あまり話せなかったし、帰っちゃう前に何か言いたかった」
 闇の世界の住人に?
 反吐が出る。
 そんな世界に、知らないからといって足を踏み入れようとする妹を、叱って止めたくなる自分に。


 今日という時間は、緩やかに過ぎてゆく。
 通り魔事件の相次ぐ町とは思えない安穏とした世界で、伊月は椅子にもたれ掛かってぼーっとした顔で黒板に広がる白い文字を見つめる。
 チセは着ていなかった。教室の端にぽっかりと空いた席を、歩く核弾頭が何かしたんじゃないかと囁かれたのは昼休みの時だ。
 無論、当の品田明美は関係の無い場所で、感染者探しをしているのかも知れない。
 それでなくとも、無断欠席ぐらいはしそうな人間なので誰も気に留めないのは哀しい事実か。
 しかしどちらにせよ、今となっては伊月にとってもどうでもよかった。
 今はただ、自分が何をするべきなのかを考えることしかなかった。
 実際、伊月に何かが出来る訳がない。喧嘩だって四、五人ぐらいになったら逃げるし、ましてや命の遣り取りなんて出来るはずがない。足手纏いになるとチセに言われたのは、あの時も今も充分に分かっていることだった。
(せめて正体を突き止めるぐらいのことはしときたいな)
 胸ポケットに入れっぱなしだった木製の護符を思い出す。
 神力を用いた動向が周囲に在れば分かるのだが、問題はどうやって焚き付けるかだ。
 考え事に耽っていた伊月のポケットで、マナーモードの携帯電話が震える。
 黒板に向いて熱弁を振るう教師に気付かれないように携帯を取り出すと、メールは秋臣からだった。
『お前最近夜に出歩いてるみたいだけど、危ない真似すんなよ? 小夜ちゃんのために』
 その小夜の為に奔走してるんだっつの、と伊月は返信する気も失せた。というか、授業中にわざわざメールにしたためて話しかけるなと言いたい。大体そんな情報をどっから仕入れてるんだと少し横を見ると、保護者面のアホと視線が合った。親指を立て、首の前で小さく横一閃。『余計な世話だバカ野郎』とお金も手間も掛からない方法で返信する伊月に、秋臣は顔を引き攣らせた。
 向き直る伊月は、携帯を閉じて仕舞おうとしたのを見て、
(――、あ)
 ふと、簡単な事に気付いた。
 あるじゃないか。感染者を動かせるかもしれないやり方が。
「……」
 じっと携帯を見下ろしていた伊月は、開いてメールフォームに移る。
 宛先は、魔女へのアドレス。
 形振り構っていられない。もう、伊月は恥も外聞もなく、音がしないように慎重に文面を作って送信した。
 携帯を閉じて前を向く伊月の眼には、覚悟の光が宿っていた。


 放課後。ショートホームルームが終わり、皆が一斉に帰り支度を始める。
 横の席に座る姫野は、さっさと教室を出てしまった伊月の姿にしゅんとなる。
 そこへ、千尋が陰から現れた。凄く良い笑顔で。
「残念無念って感じだねぇ〜姫野」
 不意の呼び掛けと唐突な核心を突く言葉に、姫野の肩がぎくりと揺れる。
「ち、千尋っ……ざ、残念って何を……っ」
 慌てふためく姫野の肩に男らしく掴まり、オヤジ臭いせせら笑いをする千尋。
「まぁたまた惚けちゃって。本当は一緒に帰りたいなぁ〜とか、思ってたんじゃないのぉ?」
「そ、そんなことは……!」
「うんうん。分かるよぉ? すっごく分かる。おいちゃんはそんな奥手な姫野ちゃんを、応援してるからね!」
「も、もう!」
 顔を真っ赤にして抗議の声を荒げる姫野に、ひゃあ〜♪ とか言いながら逃げる千尋。
 背を向けて走り去ったから、千尋は気付かなかった。
 どこか、思いつめたような表情で自分を見つめている、姫野の顔を。


 教室を出た伊月は、周りに特に知っている顔が無いのを確認してから、階段を上ってゆく。
 そこには小さな紐で出入り禁止にしている場所で、紐を跨いでこっそりと上った伊月は、途中の踊り場で立ち止まって、そこから屋上へと続く扉の前に腰掛ける彼女を見上げた。
 向こうは思わぬ闖入者に少しだけ驚いた表情をしていた。
 伊月は、特に顔色を変えることをしなかった。
 真剣に、食い入るように見つめる表情を、変える必要なんてなかったのだから。
「そのままで聞いて欲しい」
 立ち上がろうとしたチセを、伊月は宥める。
「今日、グレーテルと昨日のビルで逢うことになってる」
 それを聞いたチセは少しして、つまらなそうな顔をした。
「……そう。好きにすれば?」
「お前の手も貸して欲しいんだ」
 チセは黙り込んだ。
「約束をしたわけじゃない。一方的に話があるって時間と場所だけ書いた。返信も着ていない。もしかすると、来ないかもしれない」
 それでも、と伊月は言う。
「手掛かりを見つけた。でもその為には、戦える奴が要る。俺だけじゃ無理なのは、昨日知ったから」
 一言一言を区切るように、ゆっくりと述べてゆく。
「お前達が、相容れないのは……理解はしたくないけど分かった。でも、それでも俺は護りたい奴が要る。こんな俺でも、力になるなら何でもするつもりだ」
 程よい喧騒が足元から聴こえる。
「六時に、あのビルで待ってる。頼む、俺に力を貸してくれ」
「……」
 ただ黙って、伊月を見下ろすチセの表情は、変わらぬ無表情のまま。
 でも、いい。
 彼女には彼女の立場が在る。伊月の我が侭に付き合わせるわけにはいかない。
 後は、信じるだけ。
「話はそれだけ。じゃあな」
 軽く手を振って階段を下りようとするのを、立ち上がったチセが止めた。
「……どうして?」
「?」
「怖くはないの? どうしてそこまでして、自分の命を投げ出せるの?」
「どうして、って……」
「分からない。私には分からない……他人の為にそこまで貴方を覚悟させるのは、何?」
 それを聞いた伊月は、少しだけ考え、やがて苦笑した。
「決まってるだろ」
 それだけは、譲れないから。
「失うのは……もう、御免なんだよ」
「……」
 何も言わないチセを一瞥して、伊月は階段を下りていった。
 残されたチセは、立ち竦んだまま誰も居なくなった踊り場をじっと見つめていた。
 もうじき、夕暮れが訪れる。
 既に空は、色を変え始めていた。


 ◆


 伊月は一人、夜の訪れた薄暗い廃屋に佇んでいた。
 グレーテルが使うつもりだったのだろうか。オイルを燃やして燈る古めかしいランプがマッチ箱と共に仕事机の上に置いてあったので、それを点けている。暖色系の光がゆらゆらと燃えるのを食い入るように見つめていた伊月は、人の気配を感じて顔を上げた。
「……」
 彼女は挨拶もせず、机に腰を下ろして座っていた伊月をじっと見ていた。
 Tシャツにハーフコート、下はジーンズの、しかしスタイルの良さを如実に見せ付けているような風体。
 表情は無い。怒り、笑い、子供のようにとまではいかないが豊かであった顔色は一切浮かべず、ただ伊月の言葉を待っていた。自分から口を開いたら、何かが壊れてしまうように思えたのだろう。
 伊月は薄く笑った。来てくれたことに安堵する。
 そんな態度だから、グレーテルは視線を合わせるのも気まずくて、逸らしてしまう。
「アタシは……イツキの事も考えずに、バカみたいに焦ってたのよ? 怒らないの?」
 何をいまさら、と伊月は思った。
 だから即答する。
「怒ってねぇよ。言いたい事は昨日さんざん言った。これに懲りたらもう少しは俺達の事も考えてくれりゃいい」
「御免なさい……」
「謝るな。違うだろ、それは」
「……そうね」
 グレーテルはそこでやっと、はにかむように笑った。
「Danke…(ありがとう……)」
 意外と茶目っ気があるのかも知れない、と伊月も穏やかに苦笑した。
 すると、制服姿のままの少女が部屋に入ってくる。
 グレーテルは少し驚いたが、伊月は驚かなかった。
 待っていた。きっと来てくれると。
 チセは相変わらず何を考えているのか分からない表情で、二人を見遣る。
「ここに来るってことは、俺に手を貸してくれるってことでいいんだな?」
 伊月は問う。
 チセは瞑目して、頷いた。
「……結果的に町を護れるのなら」
「充分だ」
 そう答える伊月に、チセは罪悪感を覚えた。
 そういうことだ。
 チセやグレーテルにとっては過程に過ぎないモノこそ、伊月にとっては大事な存在。
 それを見落としていたチセが、昨晩のように叱責されるのは、当然のことなんだ。
「勘違いしないで、私は誰の敵にも味方にもならない。ただ……」
 一度区切って、伊月を見る。
「貴方の家族を護る事だけは、絶対に違えないと誓う」
 真摯な面持ちでそう宣言するチセに、伊月は意地悪く釘を刺した。
「もう喧嘩なんかすんなよ?」
 二人は視線を合わせ、すぐにぷいっと顔を背けた。
「貴方の妹の為にやるだけで、保障は出来ない」
「イツキの為にやるんだから、度台無理かもね」
 同時に言う。
 良いんだか悪いんだか、伊月は判らずに吹き出すように笑った。


「で、本題に入りましょうか。これからの事を」
 グレーテルが仕切りの言葉を口にして、伊月は机から降りる。
「昨日ので敵が居るってはっきりバレちまったからな」
「そうよねぇ……あそこで逃がしちゃったのは痛手だわ。まさか結界を出るなんて思わなかったし」
 頭を掻くグレーテルに、黙っていたチセが軽く手を挙げる。
「実は、昨日の件で判った事が二つ」
「何だ?」
「……」チセはそのままで少し考え、「……良い話と悪い話、どちらから聞きたい?」
「じゃあ……悪い話から」
「イツキ、好きなおかずは後に取っとくタイプでしょ」
「うるせぇ」
 どうでもいいが図星なだけに伊月は遮った。
 チセはにこりともせずに、悪い話とやらから簡潔に報告した。
「あの黒い服の男……インフィクションだった」
 その内容に血相を変えたのはグレーテルだった。
「インフィクションですって!?」
 チセは頷く。
 よく分からない伊月は尋ねる。
「そのインフィクションって何だ?」
 知ってて当たり前のことだが、伊月には未知の単語だということを思い出したグレーテルが説明してくれる。
「二次感染の事よ。つまりCHAIN本体からの感染じゃなくて、感染者から常人に伝染する現象。どうりで『教会領域(チャペル・レプリカ)』をすり抜けられたワケだわ」
 苦い顔をするグレーテルに、伊月も釣られる。
「じゃあ、もう感染の拡大は始まってるってことか!?」
「違うと思う」チセが首を振った。「圧倒的に狂気を孕んでいるCHAINと違って、感染者には人間性が大きく占めている。そう易々と感染を広めるのは不可能」
「? なら、なんで焦ってんだよお前達」
 二人は初めてそこで、意思を疎通させるように視線を合わせた。
 やがてグレーテルがゆっくりと言う。
「感染してすぐの人間に二次感染(インフィクション)はまず出来ないのよ。出来る人間も居るでしょうけど、そんな危険人物なら法王庁ももっと早く動く」
「……つまり」
「潜伏している黒幕はつい最近の感染者じゃないってこと。少なくとも五年十年は感染者なのを隠し通していたんだわ。相当の手練れでしょうね」
 なるほど、と伊月は頷く。忌々しき事態だ。昨日の男ですら伊月には敵わないかもしれないのに、それ以上なんて相手にもならない。
「確かに悪い話だな……」
「それで? 良い話ってのは?」
 グレーテルがせめてもの希望は欲しいものだと尋ねる。
 こちらの話も、チセは簡潔に答えた。

「あの黒服の男、見覚えがある」


 ◆


 四時限目は体育だった。
 男子はサッカー、女子はその観戦。女子は本来バレーボールなのだが、女子の体育を受け持つ迫水先生が自習扱いにした為、勝手にグラウンドに集まったのだ。二クラス合同の人数は馬鹿にはならず、結構な大所帯になっていた。
 二チームに分かれてのクラス対抗試合みたいなもので、前後半で入れ替える折に休むことになった伊月は、試合自体を見ているようには思えない顔のチセの隣りに素知らぬ振りで座る。
 といっても、チセは女子の固まりに混じらずに少し離れた所で三角座りをしているもんだから、素知らぬも何も目立ってしまうのだが。
「……まさか、あいつだなんてな」
 ぽつりと呟く伊月に、チセは向く。
「知っているの?」
「知り合いって訳じゃねぇけどな。俺や秋臣と違って目立たない感じだろうけど、逆にそういう奴の方が浮き立つもんだよ」
 まるで自分がいい例だと言いたげな伊月をねめつけて、チセは諦めるように件の男子生徒を見た。
 樋口和彦(ひぐち かずひこ)。ジャージ姿に眼鏡を掛けた、いかにもグラウンドより机に座っている方が似合いますと言わんばかりの優等生な外見の、素朴そうな男だ。彼は隣りのクラスの生徒で、合同授業の際にはちょくちょく見かける生徒だった。
 だが、他人と一緒の勉強なんて真っ平御免だという態度が鼻に掛かった生徒によってイジメを受けているという噂が在る。
 そんな感想を裏切る事無く、樋口和彦は頼りなくグラウンドを駆けているが、さっきから全くパスされていない。位置的にパスしにくいポジションに居るのに気付いていないのもそうだが、仲間内にも『こいつにパスしたって取られるのがオチ』と明らかに見限られているのが見て取れた。
「悪く言う気はないんだけどよ、本当に?アレ?が一昨日の奴なのか?」
 チセは視線を真っ直ぐと樋口和彦に向けたまま少し声を小さくして答える。
「CHAINは外見で判断する訳じゃない。むしろ内に秘めているモノが分かりにくい人間の方が感染されたくない部類に入る」
 そうやって二人の隙を衝いてグレーテルの動きを封じるのに成功したんだ、とチセは抑揚の無い声で続ける。
「イジメだって、感情を狂わせるには充分な兆しになる。抑圧されている精神を解き放たせ、悪意的な暴走を促すのもCHAINの怖い所だから」
「そうか……」
 自分なんかより遥かにCHAINの危険性を知っているチセの言葉に伊月は頷いた。
「……それより、例の作戦っていうのはどうなの?」
 珍しくチセから話を切り出してきた。伊月は再度頷く。
「ああ。朝方グレーテルに送らせて、俺から秋臣に。あいつのメル友はうざいぐらいに多いから、割かし広まってるはずだ」
「……そう」
 呟いたチセが、秋臣を見る。彼は伊月と交代でグラウンドに入り、今ボールを取って独走状態だ。身体能力は伊月とどっこいどっこいだが、そもそもの二人の数値が周りより抜きん出ている為に誰も追いつけない。二人とも伊達に喧嘩慣れしていない。
「氷室って携帯持たねぇの? 連絡取りづらくて面倒だな」
 ふと伊月は思い出すように言うが、チセは憮然とした表情をした。
「……携帯なんて嫌い。CHAINからの誘いが来るかも知れないって思うだけで吐き気がする」
「……」
 思わず黙り込む伊月の耳に、本当に小さく零した声は聞き漏らさなかった。
「……使い方、良く分からないし……」
「ああ、そっちが本音か」
 単に機械音痴なだけだったらしい。
 ぱたぱたと服の胸元を摘んで風を送り込む伊月をチセが軽く睨むと、ふと人影が二人の合間に映し出される。
 振り向くと、千尋だった。
「やっほ、伊月。どこに居るのかと思ったら、氷室さんと話してたんだ」
「あ、いや……」
 返答に困った。聞かれないと思って公衆の面前だということも気にせずに話していたが、他人に介入されてまで言えるかといったら、勿論NGだ。
 どうすればいいかを考えていると、チセはすっと立ち上がって芝生を払いながら、冷静に答えた。
「別に……急に話しかけられただけ」
 それだけ言うと、チセは蛇口の連なっている水飲み場へと歩いていってしまう。
 取り残された千尋は、膝に手を突いて中腰の体勢のまま、神妙な面持ちで伊月を諭した。
「……伊月、ナンパはもう少し巧くしなさい」
「スパッと『相手を選べ』と言え水差し人間」
 何が? とキョトンとする千尋に、脱力した伊月は立ち上がる。
「伊月も度胸あるねぇ〜。氷室さんにアプローチするなんて」
「だから違……はぁ、もういいよそれで」
「取って付けた感の有る言い方だね。本当に何話してたの?」
「何でもねぇよ」
 伊月は試合を見ながら、樋口和彦の動きも注視した。彼は特にこちらを見てくる事は無いが、恐らく朝方から?動揺しているに違いない?。
(これで黒幕ってのも、動かせるはずだ)
 それは、一つの賭け。
 朝方にグレーテルに送らせたというのは、メールだ。
 宛先不明の悪戯メールを。
 かつての言葉を思い出す。感染者を無理に創れば、因果律に不自然過ぎる歪みが生じてしまうと。
 ならば、もし樋口和彦を感染者にした黒幕とは?別口で学園内で感染を広めようとしている輩が居ると思わせれば?、黒幕とやらは動かないわけにもいかなくなる。罠かも知れないと疑われる可能性もあるが、アルカナの契約者が町に潜伏しているのも本当はそちらを討伐に来たのだと思わせるには、充分に信憑性を持つに足る。事実、樋口和彦を感染者にした人間の正体は割り出せていないのだから。二人もの感染者が拡大を目論んでいたとしたら、徒党を組むどころか、急いで芽を潰す必要がある。
 確実性は無い。だが、妙策だとグレーテルもチセもその案に乗った。
 後は、願うだけだ。
 樋口和彦の前にボールが転がる。
 だが彼が取ろうとした時、脇から突っ込んできた生徒が彼を肩で突き飛ばして掻っ攫っていった。
 あろうことか、同じクラス、同じチームの生徒にだ。
 樋口和彦は、まるで憎しみのような視線で男子生徒の背を睨んでいた。
 自分もまた、黒幕を引きずり出す為の罠を前に、伊月に睨まれている事も知らず。


 授業が終わり、昼休みの昼食を取る為に教室へ戻る最中の伊月。
 秋臣はダッシュで購買へ向かった。校舎の外に居ては人気商品を買える希望は非常に薄いのだが、きっとまた照り焼きソーセージパンを持って帰ってくる姿を予想出来る。
「あ、姫宮君」
 呼び掛けられて振り返ると、姫野と千尋だ。
 何とはなしに二言三言話して、三人は教室へ向かう。
「あ、その前に水飲んでっていいか?」
 チセが水飲み場の方へ行くせいで飲み損ねた喉はカラカラで、二人を連れて蛇口へ向かうが、男子達が水を飲んだり泥を落としたりして並んでいるので、なかなか空きそうになかった。我慢するのも手だが、この様子だと校舎の蛇口も使えないかもしれない。
「あっちの蛇口の飲んだら?」
 千尋の提案した場所は校舎をぐるりと回った先に有る蛇口だ。少し遠回りだが、どうせ昇降口に行く途中の場所にあるのだし、待ってるよりはいい。
 というか、わざわざ遠回りするのに二人を連れてく必要は無いかと思いそう言ったが、何故か姫野がしゅんとしてしまい、千尋が無言で脇腹を肘でどついてきた。なんなんだ。
 校舎を曲がるところに差し掛かった時、ふと会話が聞こえた。
 穴場の水飲み場だと思っていたが、ここでも待つのかと伊月が何とはなしに曲がった先で、
 伊月は咄嗟に二人を立ち止まらせた。
 そこには、数人の男子生徒と一人の男が居た。
 樋口和彦が、胸倉を掴まれて壁に押し付けられていた。
「なぁ? 聞いてんのかよ?」
 掴み掛かっている男子は彼のクラスメイトのはずだ。染めた茶髪をワックスで掻き上げている少し体格の良い生徒は、樋口和彦を睨みつけてこう口走る。
「お前が居たせいで逆転されちまったじゃねぇかよ。どうしてくれんだっつってんの」
 握力が増すと、樋口和彦は苦悶の表情を浮かべる。
 何だこいつら、と顔をしかめた伊月は二人にいいって言うまで出てくんな、と言い聞かせて前へ出る。
「あん?」伊月の存在に気付いた生徒がこちらを見る。「なんだよお前」
 ドスを利かせた声で凄むが、伊月はまるで臆する事無く話しかける。
「水を飲みに来た暇人だよ。つかそんなんどうでもいいけどよ、一人のせいにすんのっておかしくねぇか?」
 正当な理由を述べたつもりだが、生徒の表情は曇ってゆく。
「勝った奴がいい気になってんじゃねぇよ。目障りだから消えろ」
「その手を離してやったら水飲んで勝手に消えるよ」
 生徒は鼻で笑った。
「お前なに? こんなキモ男助けんの? 大した事もしてないゴミクズを処理して何かおかしいんですかぁ?」
 酷い物言いだが、周囲の男子生徒達はクスクスと哂っている。
 伊月は、もうめんどくせぇや、と諦めの吐息を零してから、真っ直ぐと睨んだ。
「ゴミクズかどうかを他人が決めんなや。うぜぇからテメェが消えろ」
 それを聞いた生徒の表情が、無に染まる。
 樋口和彦を掴んでいた手を離し、ゆっくりと伊月に歩み寄る。
「っへぇ〜……カッコいいねぇ」
 噛み締めるように笑っていた生徒が、いきなり腕を振るった。
「ナメてんじゃ――ね、えっ!?」
 唐突に語尾から覇気が消えた。
 不意を衝いて殴ろうとした生徒の脚を無造作に蹴って、転ばせたのだ。
「別に俺格好悪くていいからさ、もう一度聞け。いいから消えろバカ」
「う、っせぇよクソ野郎っ!!」
 前のめりに倒れる生徒が、怒りに顔を真っ赤にして掴み掛かってくる。
 だが伊月はそれを後ろにステップを踏んでかわす。
 続けて殴りかかろうとするが、上体を巧く捻ってそれを避ける。
 意表を衝いたつもりの蹴りだが、伊月は何も怖くなかった。
(こんな蹴り――)
 下から振り上げられてくる脚の膝に右足を乗っけて、
(――?切り裂き魔?のに比べりゃ全然大したことねぇよ!)
 踏みつけるように体重を加えた。
 素人の脚力が人間の半分以上の重みに耐えられるわけがない。
 なまじ軸足だの体移動だの考えない蹴りを潰された生徒は、またも前のめりになる。
 瞬間、合わせるように振り抜いたアッパーカットが鼻っ柱に突き刺さった。
 鈍い音を立てて生徒が後ろに吹き飛ぶ。
 体勢が悪かったので意識を刈り取る程の一撃ではなかった。それでも殴られ慣れてない人間は鼻血塗れの鼻を押さえて痛みに悶絶する。
 それを見下ろしていた伊月は、視線だけを周囲の生徒達に向ける。
 ビクッ、と皆が皆肩を竦めた。
「これ以上やるのはお互いメリットは無ぇだろ。忘れてやるからいい加減教室に戻れ」
 口だけではない、圧倒的な暴力の片鱗を見せ付けた後での睨みに、誰も異論を唱えなかった。
 殴られた生徒に肩を貸し、渋々と離れてゆく背中を見て、伊月は溜息を漏らした。
(はぁ〜……こりゃ秋臣に情報操作でもして貰うしかないな……ジュースぐらいは奢ってやるか)
「終わったの……?」
 覗きスタイルで曲がり角から頭を出していた千尋の声がそろそろと聴こえる。
 もういい、と言うと二人は出てくる。姫野は喧嘩を見るのは初めてか、少し顔を青ざめさせていた。
 伊月は壁に背を預けて座り込んでいる樋口和彦に、声を掛けるべきか迷った。
 目の前の男は、連続殺人の犯人である可能性があるからだ。
 それが本当なら、今すぐにでも殴ってやりたいところだが。
 じっと黙っていると、姫野が樋口和彦の傍に寄ってしゃがみ込んだ。
「あのっ……傷、を」
 掴み掛かられる前に既に殴られていたのだろう。頬は赤く腫れていて、口の端からは血が滲んでいる。眼鏡も地面に転がっていた。
「……くせに」
 白い綺麗なハンカチを取り出す姫野の耳に、声が聴こえた。
 何かと顔を上げた瞬間、樋口和彦は姫野を睨んで吼えた。
「そんなつもりも無いくせに! 良い顔して点数稼ぎかっ!」
 伊月も千尋も、驚きのあまりに動けなかった。声を荒げて叫ぶような場面では、全くなかったから。
 姫野は突然の大声を、怒られていると思って身を竦ませる。
「ご、ごめんなさいっ……そ、そんなつもりは……!」
「うるさいっ!」
 一喝して、目の前でチラついているハンカチが気に入らなかったのか、それを叩き落とす。
「そうやって見下して楽しいか!? どいつもこいつも、頭は悪いくせに力だけ鍛えれば一番だと思って。気持ち悪いんだよ!!」
 地面に落ちたハンカチを慌てて取ろうとした姫野を、突き飛ばして立ち上がる樋口和彦。
 突き飛ばされた姫野の眼鏡が地面に落ちる。
 それを見た樋口和彦は、姫野の眼鏡を蹴り飛ばした。
「なっ……!」
 それを見た千尋が怒りに前へ出ようとした時、
 伊月は迷わずに詰め寄って樋口和彦の顔を殴りつけた。
「ぃ、ぎ……っ!?」
 そのままの勢いで胸倉を掴んで壁に押し付ける伊月。
「テメェ、何様のつもりだ!? 俺はどうあれ、如月は手当てしようとしただけじゃねぇか!!」
 怒号を放たれた樋口和彦は一瞬怯えたが、歪んだ笑みを引き攣らせる。
「な、殴った……? 何だよ、結局お前だってあいつ等と同じか!」
 的外れな返答に、伊月はさらに握力を強くして黙らせ眼前で睨む。
「だからって周りの奴等に八つ当たりしてるテメェはどうなんだ!? 如月に謝れよ!!」
「……っ」
「ひ、姫宮君っ……大丈夫だからっ」
 眼鏡を掛けて立ち上がった姫野が仲裁に入る。
 樋口和彦はさらに笑った。
「ほらみろっ! 自分は善人だから暴力はいけませんって顔して! 本当はお前だって自分の良い所を売って良い人に見られたいだけだろ!?」
 伊月の頭に血が昇った。
 もう一発殴りつけようとしたのを、今度は千尋が止めた。
「伊月っ!」
「……」
 数秒睨みつけていたが、やがて手から力が抜けてゆく。
 樋口和彦はそこから抜け出て眼鏡を拾うと、伊月を睨んで言った。
「僕はなっ、お前みたいな偽善者が一番嫌いだ。そういう奴が一番、自分の事しか考えてないんだからな!」
 指を差して吼える男に、伊月は頭の冷静な部分ではっきりと答えた。
「それでもいいさ。それでバカを殴れるんなら、不良でも悪人でもなんだってやってやる」
 千尋と姫野が息を呑む。
 それ程にはっきりと言い切った。
 苦い顔をしていた樋口和彦は、やがて笑いながら去っていた。
「ふ、ふんっ……そうなった方が、世界のタメになると思うさっ」
 まるで捨て台詞だ。潔さなど欠片も無い罵詈雑言を吐き捨ててゆく背中を見ていた伊月は、心の中で言い返した。
(……覚悟は決まった)
 睨んで、ぐっと口元をジャージの袖で拭いながら、
(テメェが感染者だったとしたら、絶対に赦さねぇぞ……)
 道理も矜持も無い悪意を、じっと睨み続けた。


 ◆


 日々を平穏に生きていた伊月にとって、チセやグレーテルの住む世界がどれ程のモノであるのかなど、簡単に理解出来るはずがなかった。
 五時限目の数学はかったるくて、でも居眠りをしようものなら黒板の前に連れ出されて起きぬけの頭でいきなり数式を解かされるようなもので。
 だから、もうじき六時限目のチャイムが鳴る廊下で、

 いきなり校舎が結界に包まれ、あれだけ居た人間達が姿を消す光景など。

 簡単に理解出来るはずがなかった。


「……なっ!?」
 一瞬にして程好い喧騒が消え、置き去りにされた伊月は当惑する。
 窓の奥には、校舎だけではなく学園そのものをドーム状に丸ごと包む紫煙色の膜。
 『教会領域(チャペル・レプリカ)』。
 任意の者と異能を行使した者だけを異界へ弾き飛ばす監獄が発露された。
「グレーテルか!?」
 携帯を弄りながら呆然と闊歩していた伊月が叫ぶと、廊下の角からチセが姿を現す。既にその手には簡素にして威圧的な黒鞘に納まる日本刀が握られていた。
 チセは伊月を見るや、静かに、しかし克明に言う。
「動いた。極小規模の簡易結界を感知したから、恐らく魔女がその上から塗り潰すつもりで結界を張ったんだと思う」
 そして、目星を付けていた男の名を発する。
「樋口和彦が教室に居なかった。今度こそ絶対に見つけ出す」
「くそ……っ、あの野郎なんて場所でやらかそうとしてやがんだっ!!」
 焦燥に憤怒する伊月は懐から木片を取り出す。CHAINの気配を感知する簡単な探知機を握り締め、走り出した。
 足に神力を込め、常人の数倍の脚力で疾走するチセが伊月を追い越す瞬間に言う。
「外に出れば魔女の目に留まる。この校舎の中に居るはず」
「五階から虱潰しに探す! 氷室は一階から頼む!!」
 こくりと頷いたチセは、階段で伊月と進路を分かつ時に鋭く言った。
「二次感染(インフィクション)はまだしも、もし本命と当たった際はすぐに逃げて。絶対に勝てない。私ですら勝てる見込みは不明瞭だから」
「分かった……!」
 その姿が手摺り代わりの壁に遮られて見えなくなるのを確認してから、三段飛ばしで駆け上がる伊月。
 五階に上がってから左右を見回すが、それらしい人影は見当たらない。
 この校舎の階段は左右端と中央にあり、伊月が使ったのは中央階段だ。右か左、どちらかに行くかを少し悩んでいるとき、視界の端に教室から飛び出した制服姿を捉える。
 後ろを向いているが、その姿は見間違うはずがない。
 伊月は咄嗟に叫んで止めていた。
「樋口ぃぃいいいいいいいいいい――っ!!」
 廊下の突き当たりにまで届く程の怒号が、後ろ姿を貫いた。
 ぴたりと立ち止まった男は、ゆっくりとこちらを見た。
 眼鏡を掛けた、凡庸な出で立ちの男子生徒は、歪んだ笑みを引き攣らせていた。
「なんだぁ……お前か、姫宮。驚かすなよ……」
 彼我の距離は十五メートル程。だが間に誰も居らず、ましてや夜のように静まり返った世界には二人の会話はよく響く。
「ふひひ……あの侍や魔女のイカれた女どもだと思って逃げ出しかけたけど、お前なら怖くもないな」
 嘲りの声にも、その手に握られているカッターナイフも、伊月は臆する事無く叫んだ。
「テメェを二次感染(インフィクション)にした奴は何処だ!? 近くに居るんだろ!」
 樋口和彦は眉をしかめた。
「イン……? ああ、僕を感染者にした人のことか」
 空いている手で眼鏡を掛け直し、紳士的な雰囲気を醸し出した風情で哂う。
「居ないさ。僕が結界を張ったんだからね、少なくともお前にどうこう出来る程弱い僕じゃないんだよ。低能な頭じゃ理解出来ないかな」
 くつくつと哂う樋口和彦に、伊月はゆっくりと笑んだ。
 侮蔑の笑みだ。
 だが、それだけだ。
 こいつの嘲笑など、?切り裂き魔?やグレーテルの時折り見せるものに比べて、なんと怖くないことか。
「嘘だろ?」
「……何?」
「テメェみたいな小物が、飼い主無しに動く訳が無ぇ。そう言ってんだよ。氷室やグレーテルだったら、そんなふうに悠長に構えて話すことも出来ない癖によ」
「何だと……!?」
 青筋を立てて睨む樋口和彦に、伊月は哂い返した。
「いや、そうだとしてもテメェなんか怖くもねぇな」
「……もう一度言ってみろ、姫宮」
「何度だって言ってやるよ! 嘘メールに引っ掛かって焦るような奴の、何処が怖いってんだよ!!」
 咆哮が迸った。
「姫宮ぁぁあああっ!!」
 工作用の分厚いカッターナイフを迫り上げ、樋口和彦が走り出す。
 典型的な文系に見えるが、目を瞠る程の速さで距離を潰してきた樋口和彦に対し、伊月は少し下がって廊下に立っていた掃除用ロッカーを開け、そこに指を引っ掛けて倒す。
 凄まじい音が廊下に響き渡る。前への突進を一瞬躊躇した樋口和彦は、それを飛び越えるように跳躍して虎のようにカッターを伸ばす。
 だが、遮る物が地面に落ちた直後に、伊月の両手にはそれぞれロッカーから掴み取った物があった。
 右手にはモップ。左手には――、
「ぅおりゃあ――!」
 取っ手を引いて振るわれた軽い金属製のバケツが、樋口和彦の手首を穿つ。手元に注視していなかったが為にカッターが離れ、突っ込んでくるその顔目掛けてモップを振り回した。
「っが……!」
 足場の悪さも助長して無様に倒れ込む樋口和彦。軽く距離を開けてからモップの左右を踏んで一気に捻り上げ、止め具を壊す。ただの一本の棒きれになったが、振り回しやすさは上がる。
「神力の使い方を知ってるってか? ざけんな、喧嘩の定石も知らねぇド素人が。馬鹿正直に振り回すにゃ得物が短過ぎんだよ」
「舐め、るなぁ……!!」
 立ち上がりロッカーを踏み台に迫ろうとするが、足元のモップの残骸を蹴って顔に当てる。眼鏡にヒットして目を瞑った瞬間、今度はロッカーを思いっきり蹴り飛ばした。
「うおっ!?」
 足場を崩されて前に倒れ込む樋口和彦の顔面に、飛び膝蹴りが炸裂する。眼鏡が歪み、破片が顔を容赦無く裂く。
 悲鳴を上げて顔を覆い床を転げ回る樋口和彦に、伊月は棒を肩に担いで唾を吐いた。
「こんなもんかよ。人より上の立場になったつもりか? 違ぇな、人の在り方ってヤツを忘れただけだよテメェは。それ以外はなんっにも変わっちゃねぇ。巧く立ち回る事が出来るんなら、そうやって転がってんのは俺の方だろ」
「くそっ! くそぉおお!」
 落ちていたカッターを拾い立ち上がった樋口和彦は血走った眼で睨み上げる。
 棒の先で突きを放つ伊月。
 それを避けた樋口和彦は、そこで予想外の行動に出た。
 前へ倒れ込むように突っ込み、カッターを床に落としたのだ。
 何を、と思った伊月が回避する必要性を欠いた時点で間違いだった。
 ガキッ、とタイル張りの床に薄く突き刺さった瞬間、伊月の体がビキリ! と止まる。
「なっ……!?」
 今度は伊月が驚愕の表情を浮かべた。
 懸念し損ねていた。感染者なら多少なりとも神術を行使出来るだろうと。そうやってグレーテルの隙を衝いたことも。
「や、べ……!」
 急いでその場を離れようとするよりむしろ、体の一部、何処でもいいから動けないかと身じろぎするが、カッターは正確に伊月の影を縫い止めている。
 樋口和彦はゆっくりと立ち上がり、至近距離で舌を出した。
「ははっ、低能はこれだから呆れるね。ほら、もっと足掻けよ。どうせ動けやしないけどなぁ!!」
 握り締めた拳が、棒きれを持つ手をすり抜けて腹に突き刺さった。
「ご、ふっ!」
 深々と抉る一撃に、嘔吐を催しかける。どうやらこの神術は『相手の動きを止める』というだけで、発声や呼吸などを止めることは出来ないようだ。腹部に力を入れる事も出来たのが幸いだが、筋力でカバーしようがない顔は例外だった。
「虫けらの分際で誰を馬鹿にしたんだ!? 姫宮ぁ!?」
 痛みに耐えようとしているのに気付いた樋口和彦の殴打が顔を狙う。
 避けようもない伊月は頬を打たれ、口の中に鉄の味を感じた。
 熱を帯び始めた顔を歪ませるが、伊月は気丈に振るった。
「殴り方下手くそ過ぎ。腕じゃなくて全身使って殴れボケナス」
 辛辣な物言いに、怒りに染めた顔で樋口和彦が吼えた。
「なら僕が覚えられるようになるまで殴られてみろよ!」
 その陳腐な振り被りに、伊月は笑った。
「いや、それは無理なんじゃね?」
 言った瞬間、ふっと窓から影が差した。
 窓の縁に手を掛けて落下を横に逸らし、
 樋口和彦が振り向く直前に窓が蹴破られ、
「がはっ……!?」
 振り向いた直後に全体重を乗せた拳がその顔面を殴り飛ばしていた。
 吹き飛ぶ姿を一瞥し、魔女の風体の能力者はウィンクをした。
「こんな感じかしら?」
 聴こえてたんなら早く助けろよ、と伊月は憮然と答える。
「いいけど、もうちょい顎先を掠めるように殴れ。手ぇ壊れんぞ」
 ちろりと舌を出して茶目っ気たっぷりにおどけるグレーテルは、突き立っているカッターを蹴り飛ばす。カラン、と軽い音を立てて床に転がった。
 操り糸が切れた人形のようにその場に屈み込む伊月の肩に手を添えて傷の具合を確認するグレーテルだが、さして重傷というわけではないことに薄く安堵の吐息を零した。
「ナイスファイトよ、イツキ。後は任せて頂戴」
 頷く伊月から離れ、グレーテルはタロットカードを取り出す。
「もう油断はしないわよ。足腰立たなくなるまでボコボコにしたげる」
 出現する四つの神器を腰に、杖を取る。
 それが炎を吐き出すことを知らないが、それだけに何が起こるか分からない凶悪性に樋口和彦は尻餅をついたまま慄く。
「くそっ! ちくしょう!! 卑怯だぞ姫宮っ、弱者を甚振って楽しむのがお前の本性か!? 高みの見物とはいい御身分――ぐぶっ!?」
 言い様にいきなり顔を蹴られて中断される。グレーテルは一切の迷いも無い睥睨を称える。
「動けない人間を滅多刺しにしてきたクズに言われたくないわね。同じセリフを言ってくる一般人に、アンタはなんて答えるのよ」
 御注文通りに顎先を蹴られた樋口和彦は、必要以上に床を転がる。口元から血が見えた。喋ってるところを蹴り上げられたもんだから、舌を噛んだのだろう。
「言いなさい! 一連の通り魔めいた行動の理由を! 知り得ることの総てを!!」
 杖を突き出し、樋口和彦を脅かす。
「何もありませんでした、ただの衝動です、なんて言うならこの場で殺すわ。言っとくけど、今度は芝居じゃないわよ? 法王庁の思い切りの良さを舐めないことね!」
「ひっ……!」
 形成を逆転され、言葉を失う樋口和彦に、伊月は戸惑った。
「お、おい……マジで殺すつもりなのか!?」
 グレーテルは片時も目を逸らさずに答える。
「総てを吐かないならね。イツキ、アタシはキミが思ってるよりも相当頭にキてんのよ。感染者云々じゃなしに、こんなクズに殺された人々はあまりにも不憫過ぎるわ。そんなに裏の世界がお好みなら、こっちも裏の世界流に対処させて貰う。止めないで頂戴、イツキ」
 杖をさらに突きつけ、叫ぶ。
「さあ話しなさい! 十秒ごとに指を一本ずつ焼き落とすわよ!?」
「や、待っ……!」
 焼き落とす、と聞いてその杖の意味を深く理解した樋口和彦が制止を促すが、カウントを口に出して始めるグレーテル。話す気が在るなら話せばいい。待てと言われて待つ必要などないからだ。
 ドイツ語でカウントを続けるグレーテル。「フュンフ!」と叫ぶとともに杖に力が篭る。回数からして五を意味するだろうその数字が述べられたとき、階段を上ってきたチセに伊月は目が行く。
「氷む、っ!?」
 絶句した。
 グレーテルも伊月の瞠目につい振り返り、驚愕する。

 チセは全身を傷だらけにして、壁に寄りかかるように苦しげな顔を向けていたから。
 抜いた刀を床に引きずり、
 空いた手で肩を押さえて、
 冷静の塊であるはずの彼女が、肩で息をしながらよろめいていたから。

「アンタっ……その傷は――」
 問い質そうとした時だった。
 チセが今まで見たことも無いほどの焦りを込めた声で遮ったのは。
「感染者が! ――危ないっ!!」
 言葉は少し、遅かった。
 反対側の廊下に人の気配を感じたグレーテルが振り向く瞬間に、
 トスン、と。
 小さなナイフが、グレーテルの腹部に突き刺さっていた。
 総てを壊すタイミングだった。
 伊月は、言葉も発せられなかった。
 ただ、その刹那の光景を目に焼き付けるしかなかった。


 ◆


 ギシギシと。
 錆びた鉄の擦れる音が、
 頭の何処かで軋んでいた。
 だが、
 それが何であるかを、
 伊月が気付く事は出来なかった。
 極限まで張り詰められた空気の中で、
 全ての流れを歪に壊す、
 何て事の無い一振りの刃物。
 それが、グレーテルの腹部に突き立つ光景が眼に焼き付き、
 気付けなかった。
 最悪に最悪の重なるこの状況下で、
 この世界で、
 ただ一つの綻びを、
 忘れてしまった小さな欠片(ピース)を、
 見落としてしまった。
 後に伊月は述懐する。

 ああ、思えば。
 どうしてこんな事になったのだろう、と。





 空白は一瞬だった。
 小さな、それこそ本来物を切るのには使えないペーパーナイフのような細く小さな銀の刃は、グレーテルの衣服を噛み千切り、皮膚を裂いて喰い付いていた。
「こ、ふっ……!」
 一息の呼気。
 だがグレーテルは顔が歪み崩れ落ちる寸前に、杖をかざしていた。
 目の前を遮る誰かは居ない。居るとすれば、それは地面に座り込んでいる樋口和彦ただ一人だ。
 刹那の判断は無意識に近い形で手に力を入れさせ、叫ばせていた。
「『Eine Arie wird angefangen...!(火のリゾーマタを形成……!)』」
 杖の先端に散りばめられた真紅の宝珠がカッ! と淡い光を一瞬放ち、火花を種火にして一気に膨れ上がる。
 酸素を呑み込んで肥大化した紅蓮の波は丁度、頭を庇ってうつ伏せに倒れる樋口和彦の少し先で更なる酸素を吸い廊下一面を埋め尽くす。
 今から横の部屋に入るには、早すぎる灼熱の突風に、黒いマントを目深に被ったその者は微動だにせずに手に握る得物を振り上げた。
 そこでグレーテルはやっと気付いた。その両手に握る得物の、大きさに。
「ツヴァイハンダー!?」
 全長二メートルに達しようとする黒々とした西洋両刃大剣。
 所々に赤いラインの奔る禍々しい色合いの大剣は、小柄な体躯が振り上げたにも関わらず切っ先が天井を掠め、ガリガリと削る。
 体の後ろまで振り被られた大剣が、凶悪な勢いを付けて返ってきた。
 ズドゥ……ン!!
 轟々と迫る炎の壁を砕くように落ちる大剣を、グレーテルは薄く笑んだ。避けるならいざ知らず、そんなことで相殺出来る攻撃じゃ

 スパン、と。
 まるで物体を斬ったように紅蓮の波が左右に一刀両断された。

「……、え?」
 地面に倒れ込むと同時に直撃を確信していたグレーテルが、疑問符を浮かべてしまった。
 左右に切り開かれた炎はそのまま襲撃者を避けるように両の壁をなぞり、プリントの貼られた掲示板や木製の引き戸を黒く焦がしてゆく。
 直後、爆風が弾けた。
 圧倒的な熱量が発せられる力の余波に、伊月もチセも顔を覆いそれをやり過ごす。
 肌をチクチクと刺す風が止み、三人の視線が集約するが、そこには焼け焦げた廊下しか見えず、二人の姿は何処にも無い。
「何なの今のっ……! まるで――」
 グレーテルがチセを仰ぐ。
 全身に薄い切り傷を拵えて立っているチセは、縦にも横にも首を振りづらい返答を即座に口にした。
「抵抗(レジスト)だと思う、……っ。やられた、神術を使わない手練れだと思わなかった」
 あらゆる新術を看破する?調停者?にとって、その神術を使わない戦法を得意とする相手は天敵だ。
 歯噛みするグレーテルが、ビシリ、という破砕音を耳にして顔を上げる。
 それは、廊下の何も無い虚空に亀裂が奔っている。
 グレーテルが瞠目した。
「まずいっ! 今の衝撃で『教会領域(チャペル・レプリカ)』が……!」
 そうこうしている内にも、亀裂は伝播して大きくなる。
 伊月がどうすべきかを考える余地も与えず、殆ど同時にチセとグレーテルが動いていた。この状況を一般人に見られる事だけは絶対にならないことを、熟知している二人だからだ。
 グレーテルはタックルも同然に伊月を部屋に突っ込ませ、チセがドアを閉める。
 瞬間、窓の向こうに逆さまに移る紫煙色の膜が壊れるのが見えた。
 グレーテルは伊月の上に覆い被さって吐息を零し、チセは引き戸に背もたれてずるずると座り込む。幸い三人が入り込んだのは資材置きに使われている小さな部屋だった。
 程好い喧騒が聴こえる。何一つ異常に驚く声が聴こえないが、どうやら『教会領域(チャペル・レプリカ)』は人の有無だけでなく、中で起きた出来事を無かった事に出来るようだ。そうでなければ使う意味があまり無い。
 と、そこで伊月は間近に伝わるグレーテルの息遣いがか細いのに気付いて思い出した。
 そうだ、彼女は腹部を刺されている。
「グレ――」
「追って、イツキ!」
 目の前で顔をばっと上げたグレーテルは、伊月には見えない位置にあるナイフを抜いて傷口を手で押さえて叫ぶ。
「『教会領域(チャペル・レプリカ)』は中に居る人間そのものの因果律は修正しないの……っ! 今出て行ったら大事になるから、キミが行って……!」
「でも……っ」
「向こうも人の居る中で反撃なんてしてこないわ! 顔を見るだけでいいからっ!」
「違ぇよ!!」伊月は廊下に聴こえない程度に怒鳴る。「傷は大丈夫なのかって訊きたいんだよっ! 腹ぁ刺されたんだろ!? 氷室だって怪我をっ……!」
 青ざめる伊月を見て、グレーテルはチセを一瞥する。
 チセは簡潔に答えた。
「致命傷は受けてない。戦闘は無理でも人目の付かない場所に退避するのは充分に可能」
 伊月に向き直り、グレーテルは優しく微笑んだ。
「だってさ。アタシも、大丈夫だから……」
「んな顔色で言われたって説得力無ぇよ!」
 尚も渋る伊月に、グレーテルは一気に怒気を込めて一喝した。
「いいから行きなさい! サヨの為でしょうが!!」
「……っ!」
 自分の大きな発声に、苦悶の表情を浮かべるグレーテル。
「くそっ!」
 ポケットに入れていた木製の護符を握り締め、 だが伊月は、己の本分を、ここに居る理由を思い出し、立ち上がった。
「恐らく簡易結界を張ったのはマントの方。近付けば必ず反応すると思う」
「ああ、俺もそう思いたいねっ」
 ドアを少しだけ開け、人が居ないのを確認する伊月にチセは補足した。
「女子生徒を探して」
「……なんだって?」
 伊月は驚きに目を瞠る。
 チセは座りながら答えた。
「あの動きとマントの脚の部分が素足だったのを見ると、恐らく黒幕は女子生徒だから。背丈も少し低め」
「くっ……分かった」
 女が感染者だとは俄かに信じ難い伊月であったが、今は一刻を争う。ドアを開けて閉め、一気に走り出した。
 残されたチセは、グレーテルがじっと見ているのに気付いた。
「……何?」
 少し鬱陶しそうに尋ねると、グレーテルは視線を伏せて小さく笑んだ。
「いいえ。感染者と対峙するなんて、?調停者?としては形無しだと思ってね」
「勘違いしないで、私は誰の敵にも味方にもならない」
 チセは憮然と答えた。
「単なる口約束を、律儀に守る性分なだけ」
 そう、と意味深に微笑むグレーテルを完全無視し、どうやって校舎から出るか考えるチセであった。


 伊月は階段を下りた所で左右を見渡す。
 さっきとは打って変わって、授業が始まる五分前という多くの生徒が混み合う光景になってしまっている。
 どうする、と迷う伊月は、とにかく自分のクラスの隣り教室へ向かう。明確に顔が割れている樋口和彦をアテにする事にした。まさかこの期に及んで次の授業の仕度を悠々としているとは思えなかったが、行かないよりはマシだ。
 何人もの生徒と擦れ違っても、握り締める護符に反応は無い。
「よぉ伊月。連れション行かね?」
 不意に秋臣と会うが、護符に反応が無いので断りながら突き進む。
 今度は品田明美と擦れ違うが、これも反応無し。
(誰だ? 黒幕は……首謀者は、何処に……!)
 殆ど小走りに近い速さで歩きながら、あちこちに視線を飛ばす伊月は、自分のクラスを横切る時に教室から出てきた生徒にぶつかりそうになって、

 ――絶望にも似た感情が芽生えた。

「あっ、ごめんなさい」
 その女子生徒は、相手が伊月であることに何故か頬を染めながら、少しおどおどと謝る。
 ――信じたくはなかった。
 伊月は特に気にすることもなく、首を振る。
「いや、悪ぃ急いでて……大丈夫か?」
 ――駆け引きも何も無い言葉が出る。
「はい、平気です」
 はにかみながら、彼女は答えた。
 ――そんなものは必要無かったから。
「そっか、ならいいけどよ」
「そう、ですか……? あ、す、すみません。ちょっと……」
 手洗いに行きたかったのだろう。恥ずかしそうに先を急ぐ彼女を、伊月は退いてやる。
 ――証拠は、手に握る護符が、火傷しそうな程に、熱かったから。
「それじゃあ、六時限目も頑張ろうね」
 そう言って廊下を歩く姿に、
 張り裂けそうなまでに鼓動する心臓を感じて、
 それでも、
 この世界に無い真実を得て、
 伊月は本当に、
 本当に、無念というふうに、
 喧騒に掻き消えるぐらいの声で、
 疑問符を、呟いていた。
「なんで……………なんで、お前なんだよ……」
 やがて人の波に揉まれて消える、如月姫野の背をずっと見つめていた。


 ◆


 今まで積み上げてきたモノを壊されるような、そんな絶望にも似た虚脱感があった。
 六時限目は現代国語だが、教室に行く事も伊月には出来なかった。
 授業中の静か過ぎる校内に、伊月はぽつんと虚空を見つめ続ける。
 メールをグレーテルに送り、屋上手前の踊り場に座り込んで項垂れていたのを、少ししてやって来たチセとグレーテルは怪訝な顔で出迎えた。保健室に忍び込んだのか予め用意していたのか、彼女達は包帯やガーゼで応急手当をしていた。しかし、それでも本調子じゃないのは顔色で分かったが、土色気の顔色なのは伊月の方だった。
「……誰だか分かったの?」
 意外にもそう訪ねてきたのはチセだった。伊月のあまりの表情に、口を開かずには居られなかったのだろう。
 伊月は二人の顔を横目に見てから、頭を深く下げて俯き、気重に答えた。
「…………………………如月だ」
 その名前に先にチセが瞠目した。一瞬誰の事か分からなかったグレーテルも、以前に伊月の口から出た名前と同じであることを思い出し、驚いた。
「そん、な……」
 グレーテルは言葉に詰まる。
「冗談、でしょう?」
 思わず零される。伊月は力無く笑んだ。それを言いたいのは伊月だ。
 頭を振って、強く握り締めていた護符を放る。
「如月と擦れ違う時に、それが反応した。誰よりも強く、だ。間違いねぇ、結界を張ったのは……如月だ」
「……」
 二人は互いを見合わせ、伊月を見下ろす。
「畜生……なんでだよ……なんで、如月が……っ」
 頭を掻き乱して深い悔恨に苦しむ伊月に、チセは静かに口を開いた。
「……理由はどうあれ、如月姫野が感染者だというのなら、討伐はしなければならない」
 冷徹に現実を突きつけるチセに、グレーテルは曖昧な表情で向く。酷い言い草だと思ってはいても、本来それを言うべきなのは自分の方なのだから。
 伊月は、チセを睨む。
「……殺すってのか?」
「それしかない」
「それ以外を探しもしねぇでか!」
 立ち上がり、相手が負傷している事も忘れて胸倉を掴んだ。
 凄みを利かせる伊月を至近距離に、それでもチセの表情は変わらない。
「それ以外……? 『それ』っていうのは何? はっきり言っておく。私達の居る世界は貴方の言う?『それ』をしなければ誰も救えない?場所。一滴の血も流れずに済むのなら、契約者だの感染者だのと分類されて呼ばれる人間なんて要らない。それでは済まない世界が、私達が必要とされる場所」
「……っ」
「それとも、人が違えば貴方の態度も違ったの? 『そんなつもりはなかった』と泣いて許しを請ったところで結局は殺人を起こした相手が、如月姫野でなかったのなら、容赦無く殺せと私に言うつもり?」
 正論を言われた伊月は、手に込めていた力をゆっくりと緩める。
「……答えてくれ、氷室。本当に、本当に……殺すしかねぇんだな?」
「無い。貴方の為。貴方の妹の為。この学園の人間達の為。この町の住人の為……正義だの秩序だの、上辺だけの倫理をじゃない。目の前に、確かに在るモノを護る為に」
「……………」やがて伊月は、「……分かった」
 手を離す。
 欄干に手を置き、目を瞑り自分に言い聞かせる。
 姫野は、殺人鬼と化している。情状酌量の余地さえないことを、した。
 今でこそ表の顔があるものの、学園の人間を虐殺することだって、無いとは言い切れない。
 一刻も早く手を打たなければならない。
 ならない、というのに。
「……クソっ……」
「……それにしても、厄介なのはそれだけじゃないわね」
 グレーテルが話を切り替える。それでも姫野の事であることに、変わりはない訳だが。
「あそこまで手馴れてるのは想定外だわ」口元に手を当てて考え込むグレーテルは、一つの疑問を口にする。「だとすると、妙なのよね。あれだけ強いなら、通り魔をして回る理由に見当がつかないわ」
 チセは眉をひそめる。
「樋口和彦に戦い慣れさせる為という可能性は?」
「そんなの、在り得ないじゃない。単に強くなる為に、どうして姿を晦ませながら一般人を襲うような回りくどい事をするの? 法王庁級の相手はどうあれ、他になら張り合える組織は沢山居るもの。特定の人間を相手にするにしても、やる事で得してる行為とは思えないし。結果として法王庁の人間が来ちゃってるのも、釣られて二人の契約者が集ってるのも、向こうには誤算だったんじゃないのかしら」
「なら、何らかの目的が有ると?」
「そう考えるのもいいけれど、はっきりしない内に動くのは危険よ」
「一体、何の為に……」
 二人して知恵を絞り合っている沈黙の中で、その声は聞こえた。
「自分の為に、だとしたら?」
「え?」
 発した方へ向く。
「キーワードは、『公園』だ……」
 ずっと黙り込んでいた伊月が、ゆっくりと顔を上げて口を開いていた。
「目的ってのは、一つ一つに有るか無いかしかねぇんだ。姿を隠し続けていたのも、通り魔じみた行動も、樋口を勢力下に抱え込んだのも……全部、理由が有るとして……」
 二人を見て、
 しっかりと見据えて、
「自分の為だとしたら? 五年も十年も動かなかったのは、機を狙ってたんだとしたら? 時間や……場所」
 グレーテルは、その意図に気付いて目を剥いた。
 そう、神凪町は、ただの町ではないことを、思い出して。
「そうか! ここは神佑地……! 通常では考えられない程の神力が集まる場所っ」
「お前らが言ってた通りだ。他人の為、って割には組織だった行動じゃねぇ。得をしねぇ。なら、全部自分の為の行動だったなら。神佑地で、何かをやらかすつもりだとしたら」
「何をやろうとしているか、見当は付いているの?」
 チセの問いに、伊月は頷いた。
「さっき実践済みだったじゃねぇか。簡易結界。バレる可能性が高いと分かっててどうして張る必要があった? 答えは簡単だ、?敵が居る居ないに関わらず張らなきゃいけなかったから?じゃねぇのか?」
「……? 言っている事の意味が良く分からない」
「だから、あいつの目的が殺人じゃなくて、殺人を伴う結界造りだとしたらって話だよ」
「「――、」」
 二人は黙り込んだ。
 もう、その先の答えを悟ったから。
「神力は火薬。特定の領域で連鎖的に共鳴して何らかの影響を与える事があるっていうのなら?意図的に結界を数珠繋ぎに創って、より火薬の威力と範囲を広める?としたら――」
 欠片(ピース)が、ことりと嵌った音がした。
 キーワードは、『公園』。

「如月の狙いは人間じゃねぇ、――神凪町そのものだ」

2008-04-30 18:12:56公開 / 作者:祠堂 崇
■この作品の著作権は祠堂 崇さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
お久しぶり、ではあります。
以前書かせて頂いていたのですが、流されたようで……。
おまけにデータ残してなかったので書くに書けず。
新作です。
ジャンルに「アクション」も付け加えてくれると嬉しいです。
勢いでだぁーっと書いて、その都度アップしてゆくつもりなので、生温かく見守ってやって下さい。
シビアな物言いをして下さっても構いません。凹み易いんですけどね……。


この作品に対する感想 - 昇順
こんにちわw
始めまして、ダラァ〜と日々小説を書いている呪炎と申します。
まだ途中まで読んでいないので上手く評論することも、展開的にも序章を読んだ限りでは予測できません。
ですが、最初の魔女と青年、剣士の立ち回りはとても爽快でカッコイイ。おまけに落ちまでちゃんとあり、思わず笑いが込み上げてきました。
とても面白い、そして配置されたキーワードがとても興味をそそられます。
頑張ってくださいw応援しています。

自分は三人称は冷たい感じがして、あまり使うのに抵抗があったのですが……祠堂 崇さんの作品は、なんというかその……綺麗ですよねw
2008-02-17 14:22:32【☆☆☆☆☆】呪炎
作品を読ませていただきました。序章の戦闘シーンは勢いと臨場感があってよかったです。読んでいて場面がイメージしやすく一気に読み進めました。また序章から第一章へのギアチェンジもスムーズに行っていたと感じました。ただ、第一章は会話が軽妙なのに対して地の文が序章と同じような感じで書かれていたのでやや温度差のようなものを感じました。では、次回更新を楽しみにしています。
2008-02-18 23:58:01【☆☆☆☆☆】甘木
返信遅れました。祠堂です。

》呪炎さん
読んで頂けてありがとうございます。
祠堂の中では『戦闘シーンは愛と勢い』がモットーなので、すんなり行けたと思います。
まあプロローグと本編は切り離したいという願望(モットー?)が有るので、正に勢いで主要キャラを描いた次第です。不明瞭な点多くてすいません(汗)。
色々と描いてきたのですが、『綺麗だ』と言われたのは初めてです。素で照れますね、なんか(笑)。

》甘木さん
御賞賛と御指摘、感謝致します。アメとムチですね?
ストーリー構成は殆ど大まかな部分だけで繋ぎは勢いなので、こじ付けじみた場面移動にならないか気になったのですが、巧くいけていたようで何より。
地の文に関する指摘ははっと気付かされましたね。ふんむ……(考)。
もう少し軽妙な部分は軽快な地文でも大丈夫なんですかね。長く真面目な話ばっか描いてたので中々戻らないかも知れませんが、善処させて頂きます。
2008-02-20 09:46:25【☆☆☆☆☆】祠堂 崇
初めまして、こんにちは気まぐれ猫です。
作品を読ませていただきました。描写がしっかりとしていて場面、場面をイメージしやすかったです。隠喩の使い方も上手かったです。内容的にも面白く、楽しく読ませていただきました。
しかし、文章の中に難しい漢字や表現があり理解しづらかったように思えます。(私の理解力が足りないだけかもしれませんけど)
それと、おこがましいですが少し修正を
『家に帰ったりして、小夜や司が巻き込まれるのを恐れた。』と書かれていますがこの時点ではまだ伊月は家に司がいるのは知らないのではないでしょうか?
もう一つ『残り香みたいな風に体に纏わせていたのよ』は『残り香みたいな風を体に纏わせていたのよ』では無いでしょうか?
乱文失礼しました。引き続き頑張ってください。次回更新を期待しています
2008-03-01 13:29:09【★★★★☆】気まぐれ猫
続きを読ませていただきました。往々にして冗長になりやすい解説シーンをテンポの良い会話で表現することですんなりと読めました。全貌は無理としても、この世界の一端がすんなりと頭に入ってきましたよ。また、シーンごとのギヤチェンジの上手さと共に地の文の使い分けがスムーズで非常に良かったです。ただ、登場人物の魅力と物語の勢いの良さのせいか、やや背景に鮮明さが無かったように感じられました。では、次回更新を楽しみにしています。
2008-03-02 23:00:43【★★★★☆】甘木
祠堂です。

》気まぐれ猫さん
お褒めの言葉ありがとう御座います。
注意点二つについての話ですが、

・『家に帰ったりして、小夜や司が巻き込まれるのを恐れた。』
これに関しては、あらかじめ電話口で小夜が友達と家に居るということを伊月は知っていて、
↑の文章の出た場面では既に司の名前も知っていることから、『小夜や友達が巻き込まれて』と書くのは不自然だと思ってのことでした。
・『残り香みたいな風に体に纏わせていたのよ』
すみません、これはもう普通に変換ミスしました。
『みたいなふうに』を変換した時に直さなかったのが誤解を生んだようで。以後気をつけます(汗)

》甘木さん
シーン運びはなかなか上手いと言われるのがとても嬉しいです。勢いで書いてるだけに。
しかしその分、視界が狭まるのが悪い癖のようで。書いてる最中にも『あれ? こいつら今どこに居るの?』ってなることは多々あります(汗)
御指摘感謝致します。改善の見込みは有ると思いますが、気楽に見て、また悪い癖出てたら突いてあげて下さい。懲りない奴なんで、自分。
2008-03-04 12:27:49【☆☆☆☆☆】祠堂 崇
続きを読ませていただきました。秋臣との掛け合いが程良い緩衝材となっていてシーンのメリハリを上手くつけていますね。素人探偵の捜査で相手を動揺させるというのもリアル感があっていいです。ただ、変な言い方かもしれませんが学園内の空気をもう少し感じたかったです。学園内に違和感を感じるとか、平穏すぎて逆に息苦しいような心理的な空気のようなものをもっと伝えても良かったと思います。では、次回更新を期待しています。
2008-03-10 07:38:05【☆☆☆☆☆】甘木
祠堂です。
PC大破によって恐ろしく更新速度低下&更新分量激減に陥っております。
ごめんなさい。でも続けてます。さすがネカフェ、煙草三箱分ぐらいの価値は在る……と思う。いや思いたい。思っていたいね。

》甘木さん
いまだに背景については改善の余地無しという……。ごめんなさい、もう癖なんだと思います。こっちが泣きたい。
行き当たりばったりでよくもまぁこうポンポンと話が進められるもんだと自分でも不思議です。
全体を通して読んでも今一はっきりしない空気は、何とか考えていきたいものです。
御指摘、ありがとうございます。
2008-03-20 14:46:20【☆☆☆☆☆】祠堂 崇
計:8点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。