『いい奴』作者:悠々 / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
いい奴と思われている主人公と、その友人の話。
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原稿用紙約9.34枚
 いつもの時間に目が覚めた僕は、いつものように朝の身支度を整えて玄関に向かった。居間にいた母親がテレビを眺めているのが見えたので「行ってきます」と言ったけれど、母にとっては芸能人の結婚より興味がないことだったらしい。振り返りもしない母に溜息を付いて、僕は家を飛び出した。
 通りに出て直ぐに、ゴミ置き場で俊之の母親に出会う。
 いつものように明るく挨拶したら、彼女は小声で返事をして逃げるように行ってしまった。
 これもいつものことなので僕は別に気にしなかったけれど。

 俊之は中学時代の同級生で、高校も一緒。しかし彼は入学式当日に高校生活に嫌気がさしたのか、それ以来、自室から出てこないらしい。
 俊之とは小学生の頃はよく遊んだのに、中学を卒業する頃には挨拶ぐらいしか交わさない間柄になっている。特に理由があったわけではないけど、強いて言えば、彼の考えることが僕には理解出来なかったからかもしれない。彼の吐き出す言葉はいつだって、“存在”だの“価値”だの“意味“だのが盛りだくさんの、口語とは思えないものだったから。

 閉じ籠もってしまったそんな俊之を、僕は一度だけ訪ねたことがある。暗い瞳をした彼は、僕の訪問をそれほど喜んでいる様子でもなく、ただ対人関係の不明瞭さだとか説明してくれた。以降三ヶ月、僕は電話もしていない。

 僕の通う高校は電車で1つ目の駅にある、ごく普通の公立高校だ。そこを選んだ理由は“近かったから”で、僕にとっては至極当たり前のことなんだけど、俊之に言ったら軽蔑した眼で見られてしまった。

 そんなわけで、僕はその朝も前から3つ目の車両を選んで乗り込んだ。本当は2つ目の方が出口に近いことは知ってるけど、そこには真嶋がいるので勘弁だ。何たって奴は筋金入りのラッパーで、クールな事ばかり話す。僕も音楽は嫌いじゃないけど、ミュージシャンを“アーティスト”とか言う真嶋には、少々引いてしまう。以前、インディーズのCDを無理矢理押しつけられ、ぜひと言われたので仕方がなく借りたら、放送禁止用語たっぷりの歌詞カードにゲッソリして、メジャーデビュー出来るんだろうかとか、見ず知らずの“アーティスト”の心配をしてしまった。返す時に、「クールだったろう?」と真嶋に尋ねられ、そんなとき僕はただ「うん」とか「まぁ」とか曖昧な苦笑いを浮かべるしかない。

 教室に着くと直ぐに佐伯がやって来て、ご自慢のカードを見せびらかしてくれた。なにやらレア物を手に入れたとかで鼻息を荒くして説明してくれたけど、僕には何の事やら全くわからない。とりあえず「へぇ」などと感心する素振りを見せつつ、“朝っぱらからなんだかなぁ”と内心では思ってはいたけれど、いつものように眉毛の端にもそんなことは浮かべなかった。

 昼休みにカウンセラーの浦壁にまた呼び出された。ビクビクしながら行くと、また俊之のことを尋ねられる。「最近会っていないので」と曖昧にお茶を濁したら、「友達じゃないの?」と言われてしまった。近所に住んでいて中学も一緒だった事が友達の条件なら、僕達は間違いなく友達だろう。けれど僕は返事に窮してしまい、「よく分かりません」と呟いた。浦壁はそんな僕の様子を不信に思ったのか、何やらしつこく聞いてくる。僕は出来るだけ当たり障りのない言葉で防戦していたら、浦壁は「君は達観しているのね」と意味深に言った。けれどそれがどういう意味なのか、僕は深く考えるつもりは全くない。そんなに簡単に心を読まれるほど、僕は薄っぺらではないはずだ。

 いつも通り午後の授業が流れていく。休み時間になるとクラスの奴が、次々に僕のところにやって来ては、女の話やら、テレビの話やら、部活の話やらを披露してくれた。だから僕も「凄いね」とか「面白そうだ」とか適当に相づちを打つ。これもまたいつもの通りだった。

 授業が終わり、僕は昨日と同じように部室に向かった。僕の所属するのは、入学して直ぐに同じクラスの大橋に誘われて、何となく入った文芸部。僕自身は物書きになりたいと思ったことはないけど、読む事のは嫌いではないので、僕は批評係のような役目になっている。今日も部室に来ると早速、大橋が飛んできて、昨日書いたという短編を見せてくれた。
 相変わらず大橋の話は、“血”だの“肉片”だの、そんな文字が躍っている。「どう?」と尋ねられ、「面白いよ」と答えたら、すかさず「どこが?」と聞き返されてしまった。困り果て、恐る恐る「主人公が死ぬところ?」と言ったら、大橋は満足そうに頷いた。奴が一番書きたかったことはそこなのかと心の中で驚いたが、もちろん尾首にも出さない。その後、大橋のスプラッタ講義を受けながら、いつかこいつは人を殺すんじゃないかと僕は変な想像をしてしまった。

 そのうち部員が集まり始め、僕は次々と作品を読まされた。ありがちなミステリーや、安っぽい天使や胡散臭い悪魔が出てくるファンタジーや、僕には理解出来ない心理を持つ主人公の話。それら全てに「面白い」「感動した」「読み易い」と、本当にどうでもいい感想を述べ続ける。こんなありきたりの感想でみんなは満足しているのか、僕としては本当に疑問だった。部長の田島優香なら、辛辣だけど文章構成の間違いなどの適切で専門的なアドバイスが出来るのに。もっとも他人の批評が大好きな彼女の文章は、綺麗な描写がてんこ盛りのほのぼの系だが、大橋のスプラッタほど心には残らないけれど。

 一通り読み終わったところで僕はお役後免になった。
 やる事の無くなり先に帰ろうと部室から出たら、なぜか隣のクラスの木下奈々という女子が廊下の端に立っている。眼と眼が合ったので、僕は心にもない愛想笑いをつい浮かべてしまった。すると彼女はいきなり僕を階段の下まで連れて行き、唐突に「好きだから付き合ってくれ」と告白した。
 顔と名前は知っているけど話したことのない女と明日から恋人同士になるは、僕としてはどうかと思う。長澤あたりなら大喜びでこのまま手を握って帰るんだろうけど、僕はそこまで節操なしじゃない。とりあえず彼女が僕を好きな理由を尋ねたら、「優しそうだから」と答えてくれた。
 ああ、僕って他人にそういうふうに思われてるワケか…。
 それが好きな理由になるかどうかは別として、顔もスタイルもソコソコの木下の告白を突っぱねるのも、僕だって男だから勿体ないとは思う。だから「友達からなら」などと自分でもよく分からない返事をすると、木下は面白くなさそうな顔をした。もちろん僕も「明日から友達」というのがどういうことか全然分かってはいない。けれどこんな場所で「友達についての、考え方の相違点と共通点」を話し合うわけにもいかず、結局「じゃあ、明日」と、微妙な挨拶をして別れることになった。
 立ち去っていく木下を見ながら、僕は思わず「友達からか」と呟いた。階段を下りていく木下もきっとそう思ったことだろう。

 夕方、相変わらず僕は、コンビニと本屋とゲーム屋を覗き、ゲーセンで1時間ほど過ごしてから、帰路についた。夕日になりきれない金色の陽光が、見慣れた街を現実から切り離していく。俊之ではないけれど、僕がここにいることが何となく不自然に感じられ、不安と焦燥をかき立てた。
 家までの道をトボトボと歩き、やがて僕はふと立ち止まった。見上げると薄暗い俊之の部屋の窓が静かに閉まっていくところだった。彼はいつも僕をそうして見下ろしている。いったい何を思って帰ってくる僕をこうして監視するのか。

 あの日、僕達はつまらない喧嘩をしてしまった。
 “存在”だの“価値”だのとうわごとのように繰り返す俊之に、僕がいつものように「へぇ」などと適当に相づちを打っていたら、彼は突然「お前はいつだっていい奴だよな」と怒り出したんだ。
 そんな彼に、僕は「ああそうだよ、僕は世界一の“どうでもいい奴”を目指している」と冗談めかして言ってみた。僕らしい言葉だったはずなのに、俊之は悲しそうに僕を見て「俺は唯一無二の存在になりたい」と呟く。
 あの時、僕はなぜあんなにムカツいたんだろう…。“どうでもいい奴”の半分は本気だったから? 同じ歳の奴らとは全く正反対の生き方を目指している僕を、俊之のセリフが真っ向から否定したような気がしたからかもしれない。
 だからいつもは心の奥に隠しているような言葉が、僕の口から飛び出してしまっていた。

 「お前が存在できるのは、お前だけの世界だけだよ」と。

 あれ以来、僕達は会っていない。未だに僕は俊之の考えがよく分からないでいる。もしかしたら僕達は永久に平行した線の上を歩いていくのかもしれない。
 今のところ僕の方が巧く生きていると思う。本当は誰も好きじゃない僕を、誰も嫌ってはいないし、むしろ「いい奴」で「優しい人」だと誉めてくれる。だけど十年後、二十年後、僕達の道はどこに向かっているんだろうか。そんなことを思いながら、僕はもう一度俊之のいる部屋の窓を見上げていた。
2007-05-14 01:59:40公開 / 作者:悠々
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