『消えた琥珀と眠る岩』作者:バター / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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 ディオンは、とても美しかった。

 あたしがディオンに逢ったのは確か五歳になった時だったと思う。動物学者のパパに付き添って、鬱蒼と茂るジャングルの中を歩いていたときだった。ジャングルっていうのは例えで、実際に彼が居たのは高い山の中だったけれど。

 茂る木々が少しばかりはれたそこに、彼は居た。小さな泉のある、岩の上。その姿があまりにも神々しくて、私は彼から目を離せなくなってしまった。

「エイミー。あれが、最後の宝石だよ」

 パパが私にそう教えてくれた。眼鏡の似合う優しいパパ。そのパパの目が、まるで子供みたいにキラキラしてて、驚いたのを覚えてる。



 私は、毎日のように山を登った。もちろんパパも一緒に。彼は必ずしもそこに居るわけではない。常に移動し、目印を付け最終的にその岩の上で眠る。そこは彼の家のようで、何人も、どんな生き物も近付いてはいけないような、そんな雰囲気を醸し出していた。

 いつしか彼は私を意識する様になった。余りにも彼に会いに行きすぎたのかもしれない。彼は私の姿を目ざとく見つけると、木々の間へ体を移し、体の縞模様でカモフラージュして私から逃げていた。それを追いかけるのも楽しかった。

「ディオン、ディオン」
「エイミーはディオンに夢中だな」
「だってパパ、とっても綺麗なんだもの。ディオンは世界で一番美しいわ」

 私がそんなことを口にすると、パパは少しだけ寂しそうな顔をした。

「そうだね、ディオンは美しい。でも美しいから、彼は一人ぼっちなんだ」

 パパはその日、私にたくさんのお話をしてくれた。ディオンが独りぼっちになったお話とか、何でディオンがあの場所に居るのかとか。私はパパの話を聞いて、たくさん泣いてしまった。

 だってだって、余りにもディオンが可哀想なんだもの。余りにも、人間が勝手なんだもの。

 ディオンが独りぼっちになったのは、彼らが余りにも美しすぎたから。彼らの体にあらぬ噂がたったから。それを人間が勝手に利用しようとしたから。ディオンがあの場所に居るのは、あの場所でお母さんと離れ離れになったから。ディオンの目の前で、ディオンのお母さんは殺されてしまったんだって。

 ずっと一人ぼっちのディオン。お嫁さんも、お友達も居ないでずっと一人ぼっち。だからいつも悲しそうなの? 寂しそうなの?

「エイミー、ディオンのお友達になる」
「そうか。ディオンもきっと喜ぶよ」



 私はそれからもずっと彼に会いに行った。パパが居なくても一人で、毎日毎日、気付けば幾年もの年月が流れていて、私は10歳。ディオンも私と同じ、10歳になっていた。あの頃よりも、ずっと大きくなって、ずっと優しい顔をして、相変わらず美しい毛皮を持っていた。

「ディオン」

 彼は私にだいぶ慣れていた。私が近付いても、もう逃げなくなっていた。……逃げる元気も、なかったのかもしれない。彼の体に触れる事はなく、彼も私にそれ以上近付く訳でもなく、私たちはただ同じ時間を過ごしていた。彼のお気にいりの、あの岩の上で。



 その日も、いつもと同じはずだった。


 ピクッと、彼の耳が反応した。そして彼は遠くの空を見る。私もそれにつられて空を見た。山の天気は変わりやすい、なんてことよく言うけれど、本当にそんな感じで。さっきまで晴れていた空に急に暗雲が立ちこめる。それは次第に私たちの方へやって来た。

 彼はゆっくりとその体を起こし、奥にある洞穴のような彼のねぐらへと移動する。そしてちらっと私を振り返る。まるで、ついて来ないのか? とでも言うように。一気に嬉しくなって、私は彼の後を追いかける。禁断の距離を超えないように。

 すぐに嵐はやってきた。さっきまで居た岩には、たくさんの雨粒と、飛んできた木片や葉っぱが覆いかぶさっていた。泉も濁ってしまった。彼は遠くを見ている。ただただ遠くを見ている。


 私が5歳も年をとる間に、彼のいる環境は本当に変わってしまった。縄張りにしていただろうその山は、半分ほどになってしまった。彼が口にしていた動物たちも、それに合わせて減ってしまった。いくら彼が強いとしても、相手が居なければ話にならない。

 もう何日も、彼は自分にとってのご馳走を口にしていない。私がいくらそれを持ってきても決して口にはしなかった。

「ディオン」

 彼は私を見ない。私を見れば、一気に襲ってしまうだろう、そんなことをわかっているのだ。だから私も、それ以上は言わなかった。


 嵐は一向に収まらない。ついに夜が来て、朝を向かえて。それが三度繰り返した。空腹を何度通り越したかわからない。それは私も彼も同じだった。きっと今頃、救助隊やらが捜索してくれているはずだ。

 そうは思っても、この絶望的な状況に、私は何度思いつめたことだろう。

 ふいに思い立ったのは、すぐだった。私は、ついに彼に触れた。触れたとき、彼の体は身震いを起こしたようだったけれど、撫でるうちにそれは消えた。けれど彼は剣呑とした瞳を私に向けている。そのしなやかな毛に、肌に、自分の頭をくっつける。若干の匂いはあったけれど、とても心地よかった。

 そして私は口にする。

「ディオン、食べていいよ」

 笑顔で、彼に言った。彼はきっとわかってる。私はいいんだ、だって一人の人間だもの。でもね、ディオンは違うのよ。この世に立った一つの命なのよ。もう、彼しか子の世界には存在しないんだもの。

「貴方に生きて欲しいから」

 私は彼の首に腕を回した。彼の口のすぐ横に、私の首がある。そこを思い切り噛んだら、すぐに意識は飛んで行くだろう。それで彼が満たされるなら、それでいい。

 彼の顔が首に近付くのがわかった。私は目を閉じてそのときを待った。

 けれどその感触は、痛みではなかったの。ざらりとした感触、驚いて顔をあげると、彼は優しい瞳を私に向けて……そしてその大きな舌で私の首を舐めた。何度も何度も。子供をあやすように、慈しむように。

 彼は私を食べなかった。ただただ、彼に抱きついて、私はそれから眠りについた。安心したのか、それとも他の感情か。ディオンに抱かれながら、私は深い眠りについた。

 目が覚めたのは、パパの声が聞こえたから。瞳を開けると眩い陽の光が飛び込んでくる。嵐は、いつの間にか去っていた。聴こえたと思ったらやはりパパが居た。何人か見知らぬ人もいた。きっと彼らは救助隊なんだろう。

「ディオン、ほらディオン。助かったよ、私たち、助かった……」

 抱きしめていた、その体。温かかった、その体。美しい琥珀色の瞳を閉じ、彼は冷たくなって居た。柔らかな毛の感触も、もはや失われていた。あのときに気付いていればよかった。

 初めて会った時の、輝かしいほどのその美しさ。けれど彼は今、美しい毛皮の下に骨しかないくらい痩せ細っていた。どれだけ我慢したのだろう。どれだけ耐えていたのだろう。いつから、口にして居なかったんだろう。

 ディオンは、美しいディオンは、私の胸の中で死んでいた。最後に見せたあの優しさを残して、この世界にたった一匹だけ生きて居た彼は、とうとうその命を終えてしまった。この世界にもう、彼は居ないのだ。彼と同じ血を持つものは、もう、居ないのだ。

「ディオン……苦しくは、なかったの?」

 ありがとう。私を抱きしめてくれて。ありがとう。私を許してくれて。



「大好きだよ、ディオン」



 それは変わらず、この先もずっと。





 彼の愛したその地に、彼を埋めたのはそれから2日後の事。あの岩の袂に、彼の亡骸を、埋めた。美しいあの姿を、私はもう見ることが出来ない。彼はもう、この世界に居ないのだから。

 今でも私はあの岩へ通う。毎日とまではいかないが、彼を思うたびに山を登り、あの岩に座り、彼と最後に過ごしたあの洞穴で寝ることもあった。そこには彼の姿が刻み込まれているようだったから。

 美しいディオン。最後の、ペルシャトラ。

 標本にされることもなく、彼は今……彼の愛したあの場所に、静かに眠っている。




 彼のことを私が忘れることは、私が死ぬその時までないだろう。



2007-03-27 01:24:33公開 / 作者:バター
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■作者からのメッセージ
先日、この動物ではないですが、絶滅動物の剥製が飾られるということで見に行ってきました。人間の勝手によって、剥製でしか見ることの出来ない動物の多さ、意外に多いんですよね。そんなことを思いながら書いたものです。何かありましたら、どんどん仰ってください。
この作品に対する感想 - 昇順
 「甘木さんの感想を役立てていないな」と思いました。
2007-03-27 06:00:54【☆☆☆☆☆】模造の冠を被ったお犬さま
「人間って勝手だわ」という思いの勢いだけで出来上がっているようにも思いました。もっと濃密で細やかな描写と落ち着きがあれば、さらに良かったと思います。こういう題材は嫌いではありません。最後まで読むことができました。
2007-03-27 12:04:42【☆☆☆☆☆】ゅぇ
 タイトルは非常に人目を引くものだけれども、本文の方でその言語的センスを十分に生かしてはいないように思えたのです。うん、虚構のフィールドをイメージし、構築し、表現することに対して持久力や粘着性が足りないと思います。
 瞬発力はあると思う。書きたい気持ちも伝わってくる。でもそれだけじゃ不足。ただ一瞬の歓喜をもたらすために、ものすごく長い時間と労力を蕩尽する忍耐力を求められるのは誰しも同じことで、それに苦労している同業者とすれば(笑) 展開を端折っているように見えるのですね。
 こういうのを文章の読みやすさと混同したらアカンと思うのです。瞬発力の鮮やかさがある分だけ、アカンな、オシイなとよけい感じましたね。
2007-03-28 22:13:42【☆☆☆☆☆】タカハシジュン
計:0点
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