『リトルクライ』作者:バター / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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 ……ああ、君は今日もそこに居るのか。




 互いに向き合う男女一組。丸いテーブルを挟み、それぞれ隣りにもう一人の人間を置いていた。女は着物を来て美しく笑い、男はきっちりとスーツを着こなし、眼鏡をクイっと上に上げる。彼ら二人を残し、そそくさと隣りに居た人間は立ち去って行く。後は若い二人で、とはお決まりの台詞だ。

「あら、嫌だ。子供が居るわ」

 女はそう言って、テーブルの下を覗き込む。数人の子供が、彼女の足元、テーブルの下で遊んでいるようだった。だが男は、怪訝な顔をして彼女に言う。

「子供なんていませんよ?」

 そんな事はないと、女はもう一度テーブルを見る。そこには、自分の足を掴んで、恐ろしく笑う子供の「ような」ものがいた。それは明らかに、生きているものの感触ではなかった。

 悲鳴を上げ、途端に気を失った女を男は静かに見つめた。助けるわけでも、心配するわけでもなく、ただじっと見つめていた。そして前を向く。彼には、一人の女の姿が見えていた。悲しげに、その女は男を見ていた。


「また……君かい? ……香澄」






 男には、恋人がいた。自分の働いていた部署にやってきた、パソコンの得意な「仕事の出来る」女であった。男と同じように眼鏡をかけ、軽くウェーブのかかった髪を揺らしながら仕事をする彼女に、いつしか男は惹かれていった。

 そしてついに男は女に告白する。最初はたんに食事に誘い、それが積み重なってようやく「恋人」になった。お互いに適齢期であったから、二人は結婚することを約束したのだ。

 ある日その女は、愛する男に一つの秘密を告げた。彼女は聴覚障害者だったのだ。両耳はほとんど聞こえず、唇の動きで話を理解するのだと、彼女は言った。そう言えば彼女は電話が嫌いだと言っていた。連絡もいつもメールだった。それはそうした事実があったからか。

 彼女にそんなことを言われた男は、少し動転し……「考えさせてくれ」と彼女に言った。

 その2日後の事だった。男は初めて花を買い、彼女の住む家へと向かった。正式にプロポーズをするために。だが男が見たのは、愛する彼女の告別式であった。


 あの日、彼女が秘密を打ち開けた日。彼は彼女を一人で家へ帰した。その途中、彼女は走ってくるトラックに突っ込み、自殺したのだと言う。男は自分の愚かさを呪った。



 それからのこと、その男に関わる女性には全て不幸が襲った。死んだ者もいた。いつしか周りも、男の事を恐れ始めた。男も……それでいいと思っていた。そうした噂がたてば、自分のせいで不幸が降りかかる人間が減るのだから。

 きっと彼女が怒っているのだ。自分だけ幸せになるのは許さないとでも言うように、男が女と関わるとき、彼女は男の目に映る。男はずっと、彼女に縛られ続けていた。

 

 春、新入社員が彼の部署にもやってきた。今季入ってきたのは、明るく笑う、まだあどけなさの残る女だった。聞けば自分よりも6つも年下だった。彼女は仕事をするとき、眼鏡をかけ、ヘアピンで前髪を固定する。その時の顔が、男の愛した女によく似ていた。

 だからこそ男はその女に関わる事を極端に拒んだ。けれどその女はこと在る毎にかまってくる。明るく笑いながら、男に好意を持っている事を、毎日のようにアピールした。それは男にとって一種の癒しでもあった。そんなことをしている間も、男の目には「彼女」が映っていた。

 そしてついに、女は男に気持ちを伝える。会社の屋上へ、人知れず呼び出して。だが男はそれを断った。悲しげな顔で「すまない」と一言言った。けれど女は引き下がらなかった。


「私、知ってます。児島さんが、同じ部署に勤務してた彼女が死んでから変わったって。貴方の周りには不幸が多すぎるって。でも私貴方が好きなんです! ずっと昔から、好きなんです!」

 目に一杯の涙を浮かべて、彼女は男を見つめた。けれど男は悲しげに笑った。

「……駄目なんだ。俺は幸せにはなれないんだ。彼女が見てる……今も、君の後ろで」

 そう、男の目には映っていた。悲しそうに自分を見つめる「彼女」の姿が。そして、男は屋上の柵に寄りかかる。ミシっと音がしたのは、気のせいだったか。

「俺は彼女を残して生きてしまった。だから、彼女の元へ行こうと思う。それを彼女も望んでいるんだ」

 涙を浮かべながら、女は彼を見ていた。嫌々、首を横に振り、男の元へ駆け寄ろうとした、


 その時。


 信じられないほどあっさりと、屋上の柵が壊れた。それに体を預けていた男は地面へ落ちて行く。そして彼は見た。彼女の姿を。それは、いつも自分を見ていた「彼女」と、それによくにたもう一人の女性。

 どこにそんな力があるのか、細い腕で男の手首を掴み、必死で支える。

 そして言葉を紡いだ。

「……っ。どうして、そんなに自分を責めるんですか! 彼女が死んだのは貴方のせいじゃないでしょう!? どうして貴方が苦しむんですか!」
「俺が、死なせたようなものだから。あの時、小さなことに縛られないで、すぐに迎えに行けばよかったんだ……彼女を、幸せに出来なかっ」



「幸せだったわよ!!」



 言葉を遮って、叫んだ。女はまだ泣いていた。大粒の涙が、男へと降り注ぐ。

「幸せだったわよ! あの人は……私のたった一人の姉さんは、貴方と会えて幸せだったわよ! 今まで一度も恋なんてしたことなくて、それでも貴方と出会って、結婚するんだって笑って私に言ったのよ!」
「姉さん……?」
「そうよ、貴方の愛した松本香澄は私の姉よ! 聞いて児島さん! あの事故は、自殺なんかじゃなかったの!」


 え……? 

 半ば狂乱的に言う女を、男は見つめた。


「あれは、運転手の信号無視が原因だったの! 自殺に疑惑が出て、現場検証やり直してそういう証言が出たの! 本当はただの事故だったのよ……っ!」

 彼女は言葉を続けた。段々と、腕にこめた力が緩まっていく。

「姉さんは、運転手の鳴らしたクラクションが聞こえなかったの! その瞬間まであたしとメールしてて……貴方と結婚するんだって、嬉しそうに話してきたんだ! 姉さんは誰よりも貴方を愛していたの! だから姉さんが貴方を苦しめるはずないのよ……っ!!」

 でも、確かにそこに「彼女」は居る。今でも悲しそうに、男を見つめながら。

 「彼女」が不幸を振りまく原因じゃないのなら、一体何が?

 ふっ……と男は笑った。ああ、何だ。全ては自分が引き寄せたことだ。いつも付きまとう影。身に降りかかる不幸を、「彼女」のせいにしてそれで自分を追い詰めて。何もかも自分のせいじゃないか。

 男は右手を、彼女の指に当てる。

「そうか。ありがとう……教えてくれて。そうか、香澄の妹だったんだな……」
「姉さんから貴方のことをずっと聞いていたの。姉さんと貴方が幸せそうで私も嬉しかった……でも、私貴方のこと好きになってた。だからこの会社に入ったの。そしたら、変な噂たってて。私悔しくて……!?」

 一本一本、彼女の指を解いて行く。

「やめて!!」
「じゃあなおさら、君は生きないと。ありがとう、俺を好きだと言ってくれて」

 三本目の指を、外そうとしたその時。彼女はとうとう支えきれずに、指を離した。体が宙に舞う。ああ、これで愛する人は満足だろう。けれど目に飛び込んできたのは、そんな彼女の「妹」。

 追いかけてきたのか、バランスを崩してしまったのか。どちらにせよ彼女もまた落ちてきた。男は必死で彼女の手を取り、抱きしめる。自分を下にして、彼女だけは助かるようにと。守れなかった愛する人、それを償うかのように。


 ああ、地面が迫ってくる。










「……っ! ……んっ!! ……じまさん!!」

 声が、聞こえてきた。涙声だ。うっすら瞳を開けると、眩しいほどの太陽の光が飛び込んできた。そして、次に飛び込んできたのは、先ほど自分が抱きしめた女。

「……生きてる?」
「生きてますっ! 私も貴方も! 心配、したんだからぁ……」

 そう言って泣きだす彼女を、今度こそ優しく抱きしめた。いつか、彼女の姉を抱きしめたのと同じように。生きていてよかった。この子が、生きていてよかった。

 落ちていたあの時、最後の最後で男は何かに抱きしめられた。それはいつかの懐かしい感触。温かく愛しい彼女のものだった。生きているのは、彼女のおかげなんだろう。あの高さから落ちて、二人とも無事なのだから。

「……児島さん、私、貴方のことが好きなんです。姉さんのことが大好きだった貴方が、大好きなんです」
「うん……ありがとう」

 そう言ってまた前を向く。そこにはやはり「彼女」がいた。けれどその顔は、いつもの悲しそうな顔ではなく、安心したような顔だった。


 「彼女」がいつも悲しそうな顔をしていたのは、そんな男が、心配だったからなのだろう。


 後日二人は、松本香澄の墓を訪れた。花を手向け、二人が正式に付き合うことを報告するために。線香を置き、彼女の好きだったカスミソウを挿し、二人は墓を後にした。



 そっと男は後ろを振り返る。そこには、優しく笑う「彼女」が居た。そして静かに、手を振り、姿を消した。男も柔らかく笑って、それを見送った。心の中で、ありがとう、と言いながら。





 その日から「彼女」が、男の前に現れる事はなかった。


 




 男を縛るものはもう、なくなったのだから。

2007-03-22 02:21:54公開 / 作者:バター
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■作者からのメッセージ
SSにしては少し長めですが、初めて恋愛ものに挑戦してみました。如何でしょうか? 何分不備があるかと思いますので、気になった点などありましたらアドバイスくださると嬉しいです。
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