『時を越える愛と殺人』作者:美馬達也 / SF - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
真央の父、孝一は、九月十一日の夜に潮川公園で何者かに刺殺された。そして孝一の四十九日法要が行われた十月二十九日の夜に真央が床に就き、翌日目を覚ますと、真央は孝一が殺される前日の九月十日にタイムスリップしていた。真央はタイムスリップした事に最初は驚き戸惑ったが、これは孝一を殺人犯から救うチャンスだと考える。果たして真央は孝一を救えるのか!?真央は殺人犯が誰であるかを突き止める事が出来るのか!?真央の奮闘が始まる。
全角45991文字
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第一章


 十月二十九日(日曜日)

「もう、四十九日か…」
 真央は、父の四十九日法要、納骨式、会席を終え、実家の自分の部屋にあるベッドに座ると、溜め息まじりにつぶやいた。
 真央の父、孝一はM&A大手会社の社長だった。孝一は、強引なやり方で企業を買収する事で有名な人物でもあった。そんな孝一が九月十一日の夜に潮川公園で刺殺されてしまった。
「トントン」真央の部屋の扉がノックされた。
「はい、どうぞ」真央が返事をした。
「ガチャ」
 扉を開け、順二が真央の部屋に入ってきた。
 順二は孝一の弟で、孝一の経営する会社の副社長だったが、孝一が殺された後は順二が社長に就任している。
「大丈夫かい、真央ちゃん」順二が真央の隣に座りながら尋ねた。
「もう大丈夫。気分も大分落ち着いたし」
「そうか。良かった」
「うん。もう少ししたら、会社にも出勤しようと思ってる」
「そうか。そうしてもらえると助かるよ。知っての通り、経理部長の田島君が自殺してしまったから、今、ウチの経理部は結構大変な事になってるんだ。真央ちゃんが経理部に復帰してくれれば、少しは落ち着くと思うよ」
「うん。…でも、変な偶然ってあるんだね。お父さんが殺された日と田島部長が自殺した日が同じなんて」
「確かにそうだね。田島君は、会社の金を十億円も横領していた事が発覚する寸前だったから、せっぱつまって、あの日に自殺したんだろうが、同じ日に兄さんが殺されるなんて…。」
「お父さんを殺した犯人は誰なんだろね…」
「多分、仕事上でトラブルがあった人間の誰かだと思う…。兄さんは、仕事のやり方が強引なところもあったから、兄さんに対して恨みを抱いていた人間は結構居たからね。警察もその線で捜査を進めてるみたいだよ」
「そっか…」
「そういえば、真央ちゃん。龍雄君から聞いたんだけど、兄さんが殺される前日と当日に変な事があったんだって?」
「うん。お父さんが殺された事件とは何の関係もない事だけど。事件の前日の夕方には『仕事が立て込んでて、帰るのが遅くなりそうだから、シーフードカレーを作ってやるっていう約束を守れそうもないよ。だから、先にご飯を食べてて』っていう内容の電話がお父さんから私にかかってきたけど、私はお父さんにシーフードカレーを作ってもらう約束なんてしてないんだよね」
「そうなんだ」
「うん。あと事件の当日は、私は風邪を引いて会社を休んでいたのに、経理部の同僚は、私は会社に出勤して仕事をしてたって言うの」
「へー、それは不思議だね。でも、その出来事は真央ちゃんの勘違いって事はないのかな?」
「勘違いなんかじゃないよ。間違いなく、私は、お父さんにシーフードカレーを作ってもらう約束なんかしていないし、事件の当日は会社を休んでる」
「そうか…」
「トントン」真央の部屋の扉がノックされた。
「はい」真央が返事をした。
「ガチャ」
 扉を開け、龍雄が真央の部屋に入ってきた。
 龍雄は真央の夫で、孝一の経営する会社の営業部長だったが、孝一が殺された後は副社長に就任している。
「そろそろ帰ろうか?」龍雄が真央に聞いた。
「うん」
「じゃあ、私も帰るよ」順二がベッドから立ち上がりながら言った。

 真央と龍雄は、真央の実家の門の前で、順二が帰るのを見送ってから、車に乗り自宅マンションへ向かった。
「今日は、お疲れ様」車の助手席に座っている真央が、運転している龍雄に言った。
「ああ。お疲れ」
「とりあえず、一区切りついたね」
「そうだな。でも、四十九日までに、お義父さんを殺した犯人が捕まれば、もっと良かったんだけどな」
「うん……。あっ、そういえば、今日も智子が来てくれてたね」
「えっ、智子って誰?」
「えっ、憶えてないの?」
「うん、憶えてない」
「私の大学時代の友達の智子。ほら、私と龍雄さんがお付き合いし始めた頃、紹介してあげたでしょ。その後、何度か三人で遊んだじゃない」
「あー!はい、はい。智子ちゃんね。今、思い出したよ。しばらく会ってないし、名前も聞かないから、すっかり忘れてた」
「そっか。私も結婚して以来、智子と連絡が取れなくなって、全然会ってなかったんだけど、お父さんの葬式に来てくれて、久し振りに会ったんだ」
「そうなんだ」
「うん。今日の四十九日法要にも来てくれてたけど、龍雄さんは智子を見かけたりしなかったの?」
「全然見かけなかったよ」
「そっか…。実は今、智子はお腹が大分大きくなってるんだよ」
「えっ。それって智子ちゃんが妊娠してるって事?」
「そう」
「へー。じゃあ、知らぬ間に智子ちゃんも結婚してたんだな」
「……結婚はしてないみたい」
「えっ?」
「詳しくは聞いてないけど、何か訳ありらしくて、『子供は一人で産んで一人で育てる』って言ってた」
「そうか…」
「うん…」
 真央がそう言った後、数秒間、二人の間に沈黙が続いた。だが、龍雄がバックミラーを見た瞬間、大きな声で「あっ!」と言った。
「今、後ろを走っている黒い車。前に、お前が運転している車の後をつけてたっていう黒い乗用車か?」龍雄が真央に聞いた。
 真央は、後ろを振り向き、黒い車を確認した。
「うーん…。多分、違うと思う。前に、私の事をつけてた車は、もっと車の形が角ばった感じだったから」
「そうか」
「うん」
「いったい、何者なんだろな。お前の事をつけてる奴って。ストーカーなのかな?」
「うーん…」
「道を歩いている時も、つけられてる事が多いんだろ?」
「うん」
「つけてる奴の顔は見た事ないの?」
「見た事ないよ。後ろで人の気配がして、『つけられてる』って感じたら、すぐに後ろを振り返るけど、そこには誰もいないの」
「そうか」
「うん。だから、もしかたら『つけられてる』っていうのは、私の思い込みで、実際には私をつけてる人はいないのかも」
「うーん…、だと良いけどな…。でも、お前が後をつけられてるって感じるようになったのは、お義父さんが殺された直後位からなんだろ?」
「うん」
「だとすると、お前の後をつけてる奴は、お義父さんの事件に関係している人物なのかもしれないな…」
「そうかな。考え過ぎじゃない」
「いや、可能性は十分あるよ。このままだともしかすると、お前に何か危害を加える可能性だってある。一度、警察に相談した方が良いかもしれないな」
「うーん…。でも、警察は事が起こってからじゃないと動いてくれないから、相談するだけ無駄だと思うよ。私の場合、つけられてるかどうかもハッキリしてない状況だから、絶対、相手にしてくれないよ」
「あー、確かにそうかもな…。という事は、自己防衛するしか方法はないな」
「自己防衛?」
「ああ。お前は、一人で外出する事は控えるんだ。お前が外出する時は、必ず俺や友達とかと一緒に外出しろ。そしたら、お前の事をつけてる奴も、何も出来ないだろう」
「そうね…。分かった。そうする」
 真央と龍雄がそんな会話をしている内に、車は自宅マンションの駐車場に到着した。

 真央と龍雄は、自宅マンションに帰って来ると、すぐに引越しの準備を始めた。真央の実家は、父が殺され、母は真央が小学一年生の時に病死しているため、今は空き家の状態になっている。真央と龍雄は、実家を空き家にしておくのは勿体ないと思い、マンションから実家に引っ越す事に決めた。実家への引越しは、一週間後の予定になっているので、この日の引越し準備は、一部の小物の荷造りだけにとどめた。

 夜の十時になると、真央と龍雄は、就寝した。二人は、普段は十二時位まで起きているが、明日は龍雄が朝の五時に起きて出張に出なければならないため、十時に就寝した。




第二章


「う、うーん…」
 真央が身体を思いっきり上下に伸ばしながら目を覚ました。そして、すぐに枕元に置いてある目覚まし時計の時間を見た。
 ――― わっ!もう八時になってる。
 真央を焦りながら、隣の龍雄のベッドを見た。ベッドに龍雄はいない。
 ――― 龍雄さんは、ちゃんと五時に起きて、出張に行ったのかな…。でも何で私の目覚まし時計は鳴らなかったんだろ。昨夜、ちゃんとセットしといたはずなんだけどな…。
 真央はそんな事を考えながら、ベッドから起き上がり、寝室から台所へと歩いていった。台所に着くと、冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターを取り出し、少し口に含んだ。そして、ミネラルウォーターを冷蔵庫に戻し、何気なくリビングの方を見た時、真央は驚いて身体が一瞬固まった。リビングには、ソファーに座って新聞を読んでいる龍雄がいた。
「龍雄さん、何してるの?」真央は龍雄に近づいて行き、大きな声で聞いた。
「何してるって、見ての通り、新聞を読んでるんだよ」
「そんな悠長な事してていいの?」
「いいにきまってるじゃん」
「出張に行かなくていいの?」
「出張?何で俺が出張に行かなきゃいけないの?」
「だって、今日は五時に起きて出張に行かなきゃいけないって言ってたじゃない」
「そんな事言ってないよ」
「えっ。言ってたじゃない」
「言ってないよ。だって今日、日曜だぜ。出張になんか行くわけないよ」
「えっ!何言ってるの?今日は月曜じゃない」
「今日は日曜だよ。お前、何ボケてんの。ほら、テレビ観てみろよ。『モーニングサンデー』やってるだろ」
 真央はテレビを観た。すると、テレビでは日曜朝の情報番組『モーニングサンデー』が放送されていた。
「ホントだ…」真央はボソッとつぶやいた。
「な。間違いなく、今日は日曜だろ」
「……あっ!分かった」
「何が分かったんだ?」
「龍雄さん、私の事をからかってんだ」
「はぁ?」
「今、テレビで流れてる『モーニングサンデー』は、ビデオで録画していた物を再生しているだけでしょ」
 そう言った後、真央は中腰になって、ビデオデッキを覗きこんだ。
「あれ?ビデオデッキの電源が入ってない…」
「当たり前だろ。何でわざわざ『モーニングサンデー』を録画して、お前に見せなきゃいけないんだよ」
「だって、今日は月曜なんだから、『モーニングサンデー』を放送してるはずがないよ…」
「だから、今日は日曜だって。お前もしつこいな」
「……あっ!分かった」
「今度は、何が分かったんだ?」
「今、テレビで流れてる『モーニングサンデー』は、日曜に放送したものを再放送してるんでしょ」
「そんなわけないだろ。この『モーニングサンデー』は、生放送されてるものだよ」
「だったら、チャンネル変えていい?」
「チャンネル?別に変えてもいいけど、何で?」
「このチャンネルのテレビ局では、『モーニングサンデー』を再放送してるから、いかにも今日が日曜のように思えるけど、他のチャンネルのテレビ局では、ちゃんと平日の番組を放送しているはずだから」
 真央はそう言うと、リモコンを使ってテレビのチャンネルを変えだした。だが、どのチャンネルの番組を観ても、放送されているのは、日曜日の朝の番組ばかりだった。
「何で…」真央はボソッとつぶやいた。
「これで納得したか?」
「……今日はホントに日曜なの?」真央はうつむきながら聞いた。
「ああ」
 ――― 一体何がどうなっているの?私は日曜の夜に寝て、目が覚めたのが日曜の朝。つまり私は一週間、ずっと寝てたって事なの?…いや、そんな事があるはずがない。
 真央は混乱しながら、そんな事を考えていた。そして、顔を上げて、もう一度テレビの方を見た時、テレビの上に真央を更に混乱させる物がある事に気付いた。
「テレビの上の動物の置物って、昨日、荷造りしたよね?何でまた、テレビの上に置いてあるの?」真央が龍雄に聞いた。
「荷造り?荷造りなんかしてないよ」
「したよ。テレビの上の動物の置物は、龍雄さんが荷造りしてたじゃない」
「はぁ?何を言ってんの?そもそも何で荷造りなんかしなきゃいけないの?」
「私の実家に引っ越すからにきまってるじゃない」
「実家に引っ越す?何で実家に引っ越すの?」
「何でって、お父さんが死んで、実家が空き家の状態になるから引っ越すんでしょ」
「ハハッ、お義父さんが死んだ?」龍雄は少し笑いながら、真央に言った。
「何で笑ってるの?」
「だって、お義父さんは風邪を引いただけなんだろ?」
「えっ?」
「『お父さんが風邪を引いて高熱が出たから、今日は実家に泊まって看病する』って、お前が昨日、言ってたじゃないか」
「えっ?何を言ってるの?そんな事、私が言うわけないでしょ。お父さんは死んで、もういないんだから…」
「お前こそ、何言ってるんだよ。今日のお前、何か変だぞ」
「私は変じゃないよ。龍雄さんの方が変だよ」
 真央と龍雄がそんな会話をしていたら、テレビから信じられない言葉が真央に聞こえた。
『それでは、今日、九月十日のお天気をお知らせします』
「えっ…。今、このテレビのお天気キャスター、『今日、九月十日のお天気』って言ったよね?」真央はテレビを凝視しながら、龍雄に聞いた。
「ああ。言ったよ。それがどうかしたの?」
「『どうかしたの』じゃないわよ。今日は十月三十日でしょ」
「ハハッ、何言ってんだよ。今日は九月十日。この新聞の日付見てみろよ」
 龍雄はそう言って、読んでいた新聞の日付を真央に見せた。新聞の日付の所には、『九月十日 日曜日』と書かれていた。
 ――― これってどういう事?今日が九月十日なんて。そんな事ありえないよ。…でも、テレビでも言ってるし、新聞の日付も九月十日になってる。まさか…、私、タイムスリップしちゃったの?
 真央は、そんな事を考えながら、キョロキョロとリビングの中を見渡していた。すると、自分がタイムスリップしたのだと確信する物を発見した。
 ――― 棚の上に新婚旅行先のイタリアで買ったガラス花瓶が置いてある。あの花瓶は、お父さんが殺された九月十一日に、私が床に落として割ったはず。なのに今、あの花瓶があるという事は…、やっぱり九月十日にタイムスリップしたんだ。…でも、どうして私はタイムスリップしちゃったんだろ…。
「龍雄さん、私、顔を洗ってくるね」
「ああ」
 真央は、とりあえず顔を洗って、頭をスッキリさせようと思った。
 真央は、玄関のすぐ近くにある洗面所に行くと、顔を数回洗い、タオルで顔を拭いていた。すると、玄関のドアが開く音がし、そのすぐ後に「ただいま」という聞き覚えのある女性の声がした。真央は、少し開いた洗面所の扉から玄関を覗いた。すると、そこには靴を脱いで、家の中に入ろうとする真央自身がいた。
 ――― もう一人、私が居る……。そうか。もう一人の私は、今、この時間を生きてる私なんだ。そういえば、九月十日の私は、さっき龍雄さんが言ってた通り、前日に実家に泊まって、お父さんの看病をして、朝になるとお父さんの熱が下がってたから、八時半頃に家に帰って来たんだった。でも、どうしよう…。私が龍雄さんともう一人の私の前に出て行ったら、ややこしい事になるな…。やっぱり、こそっりと家を出るのが得策かな。
 そう考えた真央は、もう一人の真央がリビングに入って龍雄と会話を始めると、すぐにこっそりと家を出て行った。

 ――― この格好で外を歩くのは、ちょっと恥ずかしいな。ちゃんと着替えてから、家を出ればよかった。
 真央は、黒のTシャツに黒のスウェットズボンという部屋着の格好をしている。
 ――― それにしても、タイムスリップして、最初は戸惑ったけど、これは凄くラッキーな事だわ。お父さんは明日、潮川公園で殺される事になってるけど、私がお父さんを潮川公園に行かせないようにすれば、お父さんは殺されずに済む。
 真央はそんな事を考えながら、実家へと急いで向かった。

 真央は実家に到着し、玄関の前に立っていた。
 ――― お父さん、ホントに生きてるのかな…。前にお父さんの死体を見た事があるだけに、信じられない気分だよ。
 真央はドキドキしながら、インターホンを押した。すると数秒後、玄関のドアが開いた。そして玄関の中には、真央の父、孝一が立っていた。
「お父さん!」
 真央を孝一に抱きつき、胸に顔を埋めた。
「おいおい、どうしたんだよ?」孝一が不思議そうに真央に聞いた。
「お父さん、会いたかったよ」
「ハハッ、何言ってんだよ?ついさっきまで、お前、ここに居たじゃないか。まるで、久し振りに再会したみたいな言い方だな」
「う、うん…。それより、お父さん、大事な話があるの」
「大事な話?」
「うん」
「そうか。じゃあ、家の中に入って話しようか?」
「うん」
 真央と孝一は、家の中は入って行き、リビングのソファーに二人並んで座った。
「大事な話って何?」孝一が真央に聞いた。
「お父さん、明日の夜、誰かと潮川公園で会う約束をしてない?」
「潮川公園?潮川公園ってウチの会社の近くにある小さな公園か?」
「そう」
「いや、潮川公園で誰かと会う約束なんてしてないよ」
「じゃあ、何かの用で、明日の夜に、潮川公園へ行く予定はない?」
「ないよ」
「本当?」
「本当だよ」
 ――― そうか。まだ、今日の時点で、お父さんが潮川公園へ行く予定はないのか…。
「どうして、そんな事を聞くんだい?」孝一が真央に尋ねた。
「…お父さんが明日の夜、潮川公園に行ったら大変な事が起きるから…」
「大変な事が起きる?何、大変な事って?」
「それは、そのー……。とにかく、大変な事だよ」
 ――― さすがに殺されるとは言いづらいな…。
「そうか。じゃあ、どうして、大変な事が起こるって分かるの?」孝一が真央に聞いた。
「それは、そのー……」
 ――― 私は未来からタイムスリップして来た人間だから分かる、なんて言っても信じてもらえないだろうな…。どう答えよう……。あっ!そうだ。いい事思いついた。
「お父さん、霊感占い師の江上京香って知ってるよね?」真央が孝一に聞いた。
「ああ、知ってるよ。よくテレビに出ててるからな」
「江上京香の占いが凄く当たる事も知ってるよね?」
「ああ、知ってる」
「実は私、江上京香に占ってもらったの。そしたら、『あなたのお父さんが、九月十一日の夜に潮川公園へ行くと、大変な事が起こる』って江上京香に言われたの」
「そうなのか」
「うん。あの江上京香が言う事だから間違いないよ。だから、絶対、明日の夜は、潮川公園へは行っちゃ駄目だよ」
「ああ、分かったよ。と言うよりも、お父さんは今迄一度も潮川公園へは行った事ないし、これからも一生、行く事はないよ」
「本当?」
「ああ」
「じゃあ、約束だよ」
「ああ、約束するよ」
「でもこれは、普通の約束じゃなくて、『絶対に破らない約束』だからね」
「ああ、分かったよ」
 ――― ヨシッ!これでお父さんは、潮川公園へ行く事はないだろうから、殺されずに済む。
 真央は、ホッと胸をなでおろした。
「ところで、大事な話って、それだけ?」孝一が真央に尋ねた。
「うん、そうだよ」
「そうか。じゃあ、お父さんは、もう出掛けていいかな?」
「えっ。どこへ行くの?」
「会社だよ」
「えっ。日曜なのに、どうして会社に行くの?」
「明日の仕事の準備を色々としておかなきゃいけないんだよ」
「そうなんだ。でも、まだ風邪は治ってないんでしょ?」
「ああ。でも、熱が下がって随分楽になったから大丈夫だよ」
「そう…。でも、あんまり無理しちゃ駄目だよ」
「ああ、分かった。ところで、真央はこれからどうする?自宅に帰る?」
「えっ」
 ――― そういや、どうしよう。ややこしい事になるから、自宅に帰るわけにもいかないしなぁ…。やっぱり、このまま実家に居させてもらおう。
「今晩も、ここに泊まっちゃ駄目かな?」真央が孝一に聞いた。
「えっ、別にいいけど。でも、龍雄君をほったらかしにしといていいのか?」
「えっ。ああ、大丈夫、大丈夫」
「そうか。じゃあ、泊まっていけよ」
「うん」
「それじゃあ、昨夜、看病してくれたお礼に、晩御飯はお父さんが作るよ」
「えっ、いいの?」
「ああ。真央は何が食べたい?」
「何でもいいよ」
「そうか。じゃあ、お父さんの得意料理のシーフードカレーでいいか?」
「うん、いいよ」
「ヨシッ。じゃあ、腕によりをかけて作るから、楽しみに待っとけ」
「うん。楽しみにしてる」
「じゃあ、会社に行ってくるよ」孝一はソファーから立ち上がって真央に言った。
「いってらっしゃい」真央もソファーから立ち上がり、孝一に言った。




第三章


 真央は孝一が会社に行った後、お腹が減っていたので、台所の棚に置いてあったインスタントラーメンを作って食べた。その後、リビングのテレビで、お昼のバラエティ番組を観ていたが、番組が終わると、真央は一気に暇になった。
 ――― ウー、暇だ。何もする事がない……。しょうがない、家の掃除でもするか。
 真央は実家の掃除を始めた。真央の実家は三階建ての豪邸で、部屋数が十五程ある。
 ――― 今はお父さん一人で住んでるのに、何でこんなに部屋がいっぱいあるのかね。
 真央は少しうんざりしながらも、各部屋の掃除を進めていった。そして、夕方五時になる頃、三階にある書斎以外の部屋の掃除は終了した。
 ――― フーッ。残るは書斎だけか。ヨシッ、ラストスパートだ、頑張るぞ。
 真央は他の部屋と同様に、書斎の床にも掃除機をかけ始めた。そして数分後、机の下に掃除機をかけようと思い、身体をかがめて机の下を覗き込んだ時、机の下に四角い白い紙が落ちているのに気付いた。
 ――― なんだろ、これ?
 真央は、四角い紙を机の下から取り出した。見てみると、その四角い紙は名刺だった。名刺には、『妻夫木探偵事務所 代表 妻夫木孝一』と書かれている。
 ――― 妻夫木孝一……。あっ!確かこの人、お父さんが殺された日の翌日に殺された人だ。間違いない。この人の事件の事は、ニュースでチラッと見た程度だったけど、苗字が妻夫木聡と同じで、名前がお父さんと同じだったから、ハッキリと憶えてる。でも何で、お父さんがこの人の名刺を持ってるんだろう…。もしかすると、お父さんの事件とこの人の事件とは、何か繋がりがあるのかな……。でも、どうしよう。この人にも「あなたは殺されてしまうから、注意した方がいいですよ」とか、忠告してあげた方がいいのかな…。でも突然、見ず知らずの人からそんな事を言われても、絶対信じてくれないだろうしな…。とりあえず、お父さんは殺される事はなくなるだろうから、それに連動して、この人も殺されなくなる事を祈るしかないかな…。
 真央はそんな事を考えた後、名刺を机の上に置き、書斎の掃除を続けた。
 掃除が終わると真央は、リビングへ移動し、ソファーに寝転がって、しばらくボーッとしていた。そして数十分後、何気なく掛け時計を見た。
 ――― あっ、もう七時になってる。お父さん帰って来るの遅いな。何時に帰って来るんだろ…。
 真央はそんな事を考えていたが、長い時間、掃除をして疲れていたので、知らぬ間にソファーで眠ってしまっていた。

「真央」孝一がソファーで眠っている真央を呼び起こした。
「ん…。あっ、お父さん」
「何でソファーで寝てんの?寝るんだったら、自分の部屋のベッドで寝なきゃ駄目じゃないか」
「うん。寝るつもりはなかったんだけど、知らぬ間に寝ちゃってたみたい」真央はそう言いながら身体をゆっくり起こした。
「そうなのか」
「うん。ところでお父さんは、いつ帰って来たの?」
「ついさっきだよ」
「そうなんだ」真央はそう言いながら、掛け時計を見た。「もう、十時なんだね。そういや私、お腹ペコペコだよ」
「えっ?晩御飯食べてないの?」
「食べてないよ。だって、お父さんが作ってくれるシーフードカレーを楽しみにしてたから」
「えっ?お父さんは、仕事が立て込んでて、帰るのが遅くなりそうだから、シーフードカレーを作ってやれないって、お前に電話をかけたじゃないか」
「えっ?」
 ――― あっ!そうか。お父さんは、この時間を生きてるもう一人の私の携帯に、電話をかけたんだ。
「あー、そうだったね。今、私、寝ぼけてた」真央が少し笑いながら孝一に言った。
「なんだ、そうなのか。じゃあ、晩御飯どうしようか?」
「そうだね…、やっぱりこういう時は、昔みたいに宅配ピザをたのもうか?」
「そうだな。そうしよう」

 真央が近所のピザ屋に電話をし、シーフードピザのLサイズ一枚とシーザーサラダを二つ注文した。
 ピザを注文してから約二十分後、ピザ屋が注文していた品を届けてくれた。真央は玄関先でピザとサラダを受け取ると、すぐに台所へ持って行き、テーブルの上に置いた。そして椅子に座ると、真央と孝一はピザを食べ始めた。
「真央、すまんな」
「何が?」
「シーフードカレーがシーフードピザになっちゃったからさ」
「別にいいよ。お父さんの作るシーフードカレーは大好きだけど、シーフードピザも好きだから」
「そうか」
「うん。でも何か、こうやって二人でピザを食べてると昔を思い出すね」
「そうだな」
「お父さんは、お母さんが死んじゃった後は、仕事をセーブして五時には家に帰って来て私に晩御飯を作ってくれてたけど、仕事が立て込んで帰りが遅くなった時は、今日みたいに宅配ピザをたのんで食べてたもんね」
「ああ」
「そういえばどうして、仕事大好き、仕事人間のお父さんが、仕事をセーブしてまで家事をしてくれてたの?今もそうだけど、お母さんが死ぬ前も、朝早くから夜遅くまで仕事をしてたんでしょ。だったら、お手伝いさんとかを雇って、家事とか私の世話とかをやらせとけば良かったのに」
「お父さんが仕事をセーブして家事をしてたのは、単純に、真央と出来るだけ一緒にいたかったからだよ」
「えっ?」
「実はお父さんは、貧乏な家庭に生まれ育って、子供の頃は食べる物も着る物もろくに無くて、かなり苦労をしていたんだ。だから自分の子供には、自分と同じ苦労はさせたくないと思って、ガムシャラに朝から晩まで働いて、会社を大きくして、出来るだけ大きな収入を得ようとしていたんだよ。本当なら、朝九時から夕方六時まで働いて、あとは家に帰って真央や母さんとの時間を過ごしたかったんだけど、仕事が軌道に乗るまでは、それは出来なかった」
「そうなんだ」
「ああ。それで、やっと仕事が軌道に乗って、これから裕福な暮らしが出来るって時に、母さんが死んじゃったんだ。ちょうど、この家が完成した頃だったな…。母さんが死んだ時、お父さんは思ったんだ。『真央の世話を愛情を持って出来るのは、もうお父さんしか残されていない』って。お手伝いさんとかに頼めば、家事や真央の世話をしてもらえるけど、それはお金のためにするのであって、決して愛情があるわけじゃない。愛情のない中で育った子供は、ろくな大人にならない。だから、お手伝いさんとかは雇わず、お父さんが家事や真央の世話とかをしてきたんだ」
「そうだったんだ…。確かにそうかもね。もし、お手伝いさんを雇ってたとしたら、『私の事をお手伝いさんに押し付けて、お父さんは好きな仕事ばかりしてる』って思って、私はグレたりしてたかも」真央は少し笑いながら言った。そして続けて「まあ、グレないまでも、間違いなくお父さんの事を嫌いになってただろうな」と言った。
「そうだろ。お父さんの判断は間違いじゃなかった。お前は我が娘ながら、ホントに素直で良い娘に育ってくれたよ。お前はお父さんに取って、自慢の娘だし、唯一無二の宝物だし、一番の生きがいだよ」
「そんな、大げさだよ」
「大げさなんかじゃないさ。お前が居てくれたお陰で、お父さんはどんなに救われた事か。母さんが死んだ時、お前が居なかったら、お父さんは生きがいを失い、人生に絶望していたと思うよ」
「そっか…」
「お前がお父さんの子供として生まれてきてくれて、本当に良かったよ」孝一はしみじみと言った。
「私もお父さんの子供に生まれてきて、凄く良かったと思ってるよ。」
「ホントか?」
「うん。だってお父さん程、尊敬できる人は他にはいないからね」
「そうか?」
「うん。お父さんは、仕事は出来るし、凄く真面目だし、凄く優しいし、ただ優しいだけじゃなくて私が悪い事をした時はちゃんと叱ってくれたし。そして何より凄いところは、お母さんを想う一途な気持ち。順二叔父さんから聞いたけど、お父さんは見た目も結構カッコイイし、お金持ちだから、言い寄って来る女の人は沢山いたけど、『私が愛する事が出来る女性は、死んだ妻以外にはいない』って言って、お母さんが死んで以来、二十年間、誰とも付き合った事がないんでしょ。そんな男の人は世界中探しても、そうはいないと思うよ」
「そうかな?」
「そうだよ。世の中の殆んどの男の人は、『男は浮気をして当たり前』なんて言って、奥さんや恋人がいるのに平気で浮気するでしょ。でもお父さんは、お母さんは死んで、もういないのに、今だに身も心もお母さんに捧げてるって感じじゃない。ホントお父さんは天然記念物ものだよ」
「フフッ、そうかもな」孝一は少し笑いながら言った。
「お母さんは三十歳っていう若さで死んじゃったけど、お父さんにこれだけ愛されてたんだから、凄く濃密で、幸せな人生を送れたと思う」
「だといいけどな……。ところで、真央と龍雄君は、夫婦関係は上手く行ってるのか?ケンカとかしたりしてない?」
「龍雄さんとは、上手く行ってるよ。何でそんな事聞くの?」
「だってお前、今朝、『お父さんの熱が下がったから、自宅へ帰る』って言って自宅に帰ったかと思ったら、一時間もしない間にこっちに戻って来て、『今晩も、ここに泊まる』なんて言うから、龍雄君とケンカして、自宅を飛び出して来たのかと思ってたよ」
「えっ。それはそのー……、あっ!江上京香の占いだよ。江上京香の占いをお父さんに伝える事をすっかり忘れてたから、すぐに伝えなきゃって思って、自宅に帰って、一時間もしない間にこっちに戻って来たの」
「そうか…。じゃあ、今晩ここに泊まるのは何で?」
「えっ。それはそのー……」
 ――― 駄目だ、言い訳が見つからない。とりあえず、龍雄さんとケンカした事にしておくか。
「実はお父さんの言った通り、龍雄さんとケンカして自宅を出て来たからなの…」真央は伏し目がちに言った。
「やっぱり、そうなのか。ケンカの原因は何だ?もしかして…、龍雄君の浮気か?」
「違うよ。龍雄さんもお父さんと同じで、浮気するような人じゃないよ」
「ホントか?じゃあ、ケンカの原因は何なんだ?」
「それはそのー……、あっ!プリン。プリンだよ」
「プリン?」
「そう。私がお風呂上りに食べようと思っていたプリンを、龍雄さんが勝手に食べてたの。それで私が怒って、ケンカになったの」
「お前達夫婦はプリンが原因でケンカになるのか?まるで小さな子供みたいだな」
「ハハッ、そうだね」真央は笑いながら言った。
 ――― 本当は、私と龍雄さんは、今まで一度もケンカした事はないけどね。
「真央はいつまで、こっちに居るつもりなの?」
「えっ。そうね。いつまでかは分からないけど、しばらくの間、居させてもらおうかと思ってる」
 ――― 自宅には、もう一人の私が居るから、帰れないからな…。
「そうか。じゃあ、もういっその事、離婚したらどうだ?」
「えっ!何言ってるの、お父さん。そんな大した問題じゃないんだから、離婚なんてしないよ。何でそんな事言うの?」
「お前、浩介君って憶えてるか?」
「浩介君?……あっ!お父さんがお気に入りだった人ね。確か、私が大学生の時から結婚するまでの間、お父さんは『浩介君と結婚しろ、結婚しろ』って、しつこく私に言ってたもんね。で、その浩介さんがどうかしたの?」
「最近、浩介君は付き合っていた彼女と別れてフリーになったらしいんだ。だからお前もこの機会に龍雄君とは離婚して、浩介君と結婚を前提にお付き合いをしたらどうかなって思ってな」
「何言ってんのよ、お父さん。離婚なんて、そんな簡単に出来るものじゃないでしょ?」
「確かにそうだが、お前達夫婦は子供がいないんだから、子供がいる夫婦と比べれば、簡単に別れられるよ。もし、別れる際に龍雄君が慰謝料とかを要求して来たら、お父さんが全額払ってやるから」
「駄目、駄目。離婚なんてしないよ。そもそも私は、浩介さんとは、会った事も話した事もないんだよ。そんな人といきなり結婚を前提に付き合えって言われても無理だよ」
「でも前に、浩介君の写真を見せてやった事があっただろ?お前、浩介君の写真を見て、どう思った?」
「…どんな顔だったかは、ハッキリ憶えてないけど、かなりの二枚目だったっていう印象は残ってる」
「そうだろう。でも、浩介君は顔が良いだけじゃないんだ。性格だって抜群に良い。さっきお前は、『お父さんみたいな男の人は世界中探しても、そうはいないと思う』って言ってたけど、浩介君はお父さん以上に真面目で、優しい人間だ。浮気なんて絶対しない。だから、絶対に真央を幸せにしてくれるはずだよ」
「そんな事、今更言われても困るよ…。私はもう、結婚してるんだから」
「だからお父さんは、お前が大学生の時から結婚するまで、『一度で良いから浩介君と会ってくれ』って、何度も何度も言ってただろ。何でお前は、浩介君と会ってくれなかったんだよ?」
「だって、大学生の時は彼氏がいたし、会社勤めするようになってからは、龍雄さんとお付き合いしだしたし。『浩介君と会ってくれ』って言われても、恋人がいるんだから、会う気になんてならないよ」
「そうか…。でも、今からだって遅くはない。お前が離婚すれば、事は良い方向へ向かうよ」
「だから、離婚はしないってば。私は龍雄さんを愛してるんだから。お父さんだって、龍雄さんの事を気に入ってるって言ってたじゃない。三年後にお父さんが還暦を迎えたら、お父さんは会長職に退いて、社長の座は龍雄さんに譲る事になってるんでしょ?」
「ああ、そうだ。だがな…、浩介君と比べれば、龍雄君は見劣りするからな」
「もー、そんな事言わないでよ。とにかく、お父さんが何と言おうと、私は絶対に離婚なんてしないから。これ以上、『離婚しろ』ってしつこく言うようなら、お父さんの事、嫌いになっちゃうよ」
「あー、分かった、分かった。もう言わないよ」
 真央と孝一は、そんな会話をしながら、ピザとサラダを食べていた。そして食事が終わると、真央と孝一は順番に風呂に入り、十二時位に各々の部屋で就寝した。




第四章


 九月十一日(月曜日)

「おはよう」真央が台所で料理を作っている孝一に声を掛けた。
「あっ、おはよう」孝一が一瞬振り返って返事をした。
「何を作ってるの?」
「フレンチトーストだよ。お前、好物だろ」
「うん、好きだよ」
「もうすぐ出来上がるから、座って待ってろよ」
「分かった」
真央はそう言った後、食卓の椅子に座った。
「今朝はかなり涼しいね」真央が孝一に話し掛けた。
「ああ。まさに秋って感じの気温だな」
「ホントだね」
「そういや、今年の秋も城木山へ行くか?」
「もちろんだよ。紅葉が見ごろになった城木山への登山は、我が家の欠かせない行事だからね」
「そうだな。まだ母さんが生きてた頃から、毎年行ってるからな」
「うん。今年も十一月になったら、絶対に行こうね」
「ああ」
 真央と孝一がそんな会話をしている内に、孝一が作っていたフレンチトーストが出来上がった。孝一は出来上がったフレンチトーストをフライパンから皿に移し、それを真央に差し出した。
「いただきます」
 真央はそう言って、フレンチトーストを一口食べた。
「美味しい。やっぱりお父さんの料理の腕は、相当なもんだね」真央が孝一に言った。
「ホントか?」
「うん。情けないけど、私じゃこの味は出せないよ」
「そうか。じゃあ真央は、もっと料理の修業を積まないといけないな」
「そうだね…。頑張るよ…」
「あっ!もうこんな時間だ。真央、お父さんはそろそろ出掛けるよ」孝一が腕時計を見ながら言った。
「えっ。もう出掛けるの?まだ七時半位でしょ」
「今日、行く事になってる取引先の会社が、結構遠くにあるんだ。だから、もうそろそろ出掛けないと、約束の時間に間に合わなくなる」
「そうなんだ……。ねえ、お父さん」
「何?」
「今日、仕事を休む事は出来ない?」
「何を言ってるんだ。そんな事出来るわけがないだろ。どうして、そんな事を言うんだよ?」
「昨日、話したでしょ。今夜、潮川公園へお父さんが行ったら、大変な事が起こるって。だから今日は、お父さんは仕事を休んで、私と一緒に、ずっと家に居てほしいの。そうすれば、お父さんは絶対に潮川公園へは行かなくなるから、大変な事も起こらずに済むでしょ」
「なんだ、その事か。だから、大丈夫だよ。お父さんは何が起きても、絶対に潮川公園へは行かないから」
「本当?」
「本当だよ。昨日、潮川公園へは一生行かないって、お前と『絶対に破らない約束』をしただろ。今迄、お父さんがお前と『絶対に破らない約束』をして、その約束を破った事が一度でもあったか?」
「…ないね」
「そうだろ。だから、今回の約束も必ず守るから、心配しなくていいよ」
「うん…、分かった」
「なんなら今日は、仕事が終わったら一緒に帰るか?」
「えっ…。あっ、そうだね。そうしよう」
 ――― 確か九月十一日の私は、お父さんから風邪が移って、熱が出たから会社を休んでた。つまり、この時間を生きてるもう一人の私は、今、自宅で寝込んでるはずだから、私が会社に出勤しても問題ないわね。
「ちなみにお父さんは、何時位に帰れるの?」真央が孝一に聞いた。
「ハッキリとは分からんが、多分、定時の六時には帰れると思うよ」
「分かった。じゃあ、帰れるようになったら、会社の内線で私に連絡してね」
「ああ、分かった。じゃあ、もうお父さんは出掛けるな」
「うん。いってらっしゃい」
 孝一が仕事に出掛けると、真央はフレンチトーストを食べ、歯を磨き、白いブラウスとエンジ色のタイトスカートに着替え、髪の毛をセットし、八時二十分頃に実家を出て出勤した。

「おはよう」
真央が職場の自分の席に到着すると、隣の席の典子に声を掛けた。
「えっ!あんた、何で会社に出て来てるの?ついさっき、『風邪を引いて、熱が出たから会社を休む』って、私に電話してきたじゃない」典子が驚いた顔で真央に言った。
「えっ…。あっ、さっきの電話は冗談」真央は少し焦りながら言った。
「冗談?もう、訳の分からない事しないでよ」
「ごめん、ごめん」
「おはよう」
 経理部長の田島が、自分の席に向かって歩きながら、真央と典子に声を掛けた。
「おはようございます」
真央と典子が後ろを振り向き、同時に挨拶を返した。
――― そういえば、田島部長は今夜の八時五十分頃、会社の近くにあるビルの屋上から飛び降り自殺するんだ。どうしよう…。私が力になってあげられる事があればいいけど、自殺の原因が原因だけに、何もしてあげられないな…。何も変わらないかもしれないけど、とりあえず、励ましの言葉を掛けておこう。
そう考えた真央は、田島の席の所へ行き、田島に声を掛けた。
「田島部長」
「何ですか」
「人生って色々ありますよね?」
「は?」
「何かに追い詰められて、目の前が真っ暗になる時もあると思いますけど、人生を投げ出しちゃいけないと思うんです。止まない雨はないですから、我慢をしていればきっと、明るい未来がやって来ると思います」
「はあ」
「それでは、失礼します」
 真央はそう言うと、自分の席へ帰っていった。
 ――― 田島部長、私が喋ってる時、ずっとキョトンとした表情をしてたけど、私が言わんとした事が伝わったかな…。これで田島部長が自殺しなくなれば良いけど…。
 真央がそんな事を考えていると、始業のチャイムが鳴ったので、真央は仕事を始めた。

 真央は孝一の事を気に掛けながらも、この日も通常通り、経理部の仕事をこなして行った。そして昼休みになり、真央はコンビニで買ってきた弁当を食べ終わると、社長室に内線電話を掛けてみた。だが、社長秘書の田中によると、孝一はまだ取引先の会社から戻っていないとの事だった。その後真央は、一時間置きに社長室に電話を掛けていたが、孝一は依然として、取引先の会社から戻っていなかった。
 ――― お父さん、遅いな。もうすぐ、六時になるのに…。とりあえずもう一度、電話を掛けてみるか。
そう考えた真央は、社長室に電話を掛けた。
「はい、社長室です」田中が電話に出た。
「もしもし、田中さん。お父さん、まだ戻ってない?」真央が田中に聞いた。
「あっ、つい先程社長から電話がありまして、取引先の会社での打ち合わせが、まだしばらく終わりそうにないから、真央さんには、先に帰るように伝えてほしいとおっしゃっていました」
「えっ!そうなの」
「はい。真央さんとの約束は必ず守るから、安心して家に帰って待っててほしいとの事です」
「そうなんだ……。ちなみにお父さんは、取引先の会社での打ち合わせが終わったら、直帰する事になってるの?」
「いいえ。一度こちらに戻ってから、帰宅するそうです」
「そっか。じゃあ、田中さん。私、もうしばらく会社で待ってるから、お父さんが会社に戻ったら、私に内線を掛けるように伝えてもらえる?」
「はい、分かりました。では、そのように、社長に伝えておきます」
「じゃあ、お願いします」
「はい、失礼します」
「ガチャ」真央は電話を切った。
 ――― お父さん、何してんのよ。早く戻って来てよ…。確か、お父さんの死亡推定時刻は、八時から九時の間だったから、遅くても八時までには戻って来てほしいな…。
 真央がそんな事を考えていると、田島が真央の席の所にやって来た。
「武田さん」田島が真央を呼んだ。
「はい、何でしょう」
「今日、このあと、残業する事は可能ですか?」
「えっ。はい、出来ますけど」
「じゃあ、書類の整理を手伝ってほしいんですが、お願いして良いですか?」
「あっ、はい、良いですよ」
「そうですか。では、お願いします」
「分かりました」
 ――― 何もしないでお父さんを待つのは落ち着かないだろうから、残業の仕事が入って来たのは、ちょうど良かったかも。
 真央はそんな事を思った。

 真央は孝一が会社に戻って来る事を待ちながら、田島と共に書類の整理をしていた。だが、孝一が戻る事なく、午後八時を迎えてしまった。
 ――― お父さん、遅いよ。もう八時じゃない…。本当に潮川公園へは、行ってないのかな…。あー、駄目だ。凄く心配になってきた。とりあえず、潮川公園へ様子を見に行ってみよう。
 そう考えた真央は、田島に、「今日はもう、仕事を止めて帰宅して良いですか?」と訪ねた。すると田島が、「今日はもう、良いですよ」と言ったので、真央は急いで帰宅の準備をし、会社を出て、潮川公園へと向かった。

 会社を出てから約五分後に、真央は潮川公園に到着した。だが、潮川公園には誰も居なかった。
 ――― 良かった。お父さん、潮川公園には来てないんだ。でもまだ、八時十五分だから、このあとに来る可能性もあるわね。とりあえず、九時まではここに居て、様子を見てみよう。
 真央がそんな事を考えていると、真央の背後で、「何をするんだ!」と言う男の大声が聞こえた。真央はその大声に驚き、後ろを振り向いた。するとそこには、孝一と田島がもみ合っている姿があった。よく見ると田島の右手にはナイフが握られていて、孝一はその右手を両手で必死に掴んでいた。だが次の瞬間、田島が掴まれている右手を振り解こうとして、右腕を右横に思いっ切り振ると、孝一はバランスを崩して地面に仰向けに倒れ、それと共に右手を掴まれたままの田島も、孝一の上に覆いかぶさる様に倒れた。二人は三秒程、その体勢のまま動かなかったが、田島が四つん這いになって身体を起こし、孝一の身体を見た瞬間、「うわぁー!」と言って後ろに尻餅を付き、その後、走って潮川公園から逃げて行った。真央は突然の事に呆然としていたが、田島が逃げて行った後、我に返り、倒れている孝一の所に駆け寄って行った。そして孝一の身体を見た真央は、余りにも悲惨な現実に背筋が凍りつき、涙が溢れ出してきた。孝一の左胸には、田島が持っていたナイフが刺さっていたのだ。
「お父さん!大丈夫?」
 真央は孝一の右横に膝を付き、孝一の両肩を揺すりながら大声で聞いた。
「だ、大丈夫だ」孝一は顔を歪め、苦しそうに答えた。
「どうして、潮川公園に来たのよ?あれ程、潮川公園には行っちゃ駄目って言っておいたじゃない。『潮川公園へは行かない』って、私と『絶対に破らない約束』をしてたじゃない」
「す、すまん…。お前との『絶対に破らない約束』‥、初めて‥破っちゃったな…。だが‥潮川公園に‥来て…良かったよ」
「えっ、何言ってるのよ。こんな事になったんだから、来て良かった訳ないじゃない」
「いや‥良かったよ…。実はさっき‥会社に戻る‥車の中から‥、お前が走って‥潮川公園へ‥入って行く姿が‥見えたんだ…。そして‥そのすぐ後に‥、田島がお前を追いかける様に走って来て‥、キョロキョロと周りを気にしながら‥潮川公園へ‥入って行くのを見たんだ…。お父さんは‥、直感的に‥、真央の身に何か悪い事が起きると感じて‥、車を飛び出して‥、走って潮川公園に‥入って行ったんだ…。そしたら田島が‥、ナイフを手に持ち‥、忍び足で‥お前の背後に近付いて‥、お前の事を襲おうと‥していた…。それでお父さんは‥、田島の事を止めようとしたんだが‥、この様だ…。でも‥、真央の事を‥守れたから‥良かったよ」
「そうだったんだ…。田島部長から私を守るために、お父さんはこんな目に遭ったんだね…。ごめんね、お父さん」
「謝らなくて‥いいよ…。お父さんは‥、親として‥当然の行動を‥したまでだ…。お前が無事で‥、本当に‥良かった」
「お父さん…」
「でも真央‥、気を‥付けるんだぞ…。またいつ‥、お前の命を‥狙って来るか‥分からんからな…。お前が警察に‥通報すれば‥、田島は‥逮捕される事に‥なるだろう…。だが‥、田島が捕まっても‥、安心しちゃ‥駄目だ」
「えっ?どうして?」
「おそらく‥、田島が‥お前を殺そうとしたのは‥、田島自身の‥意思じゃないと‥思うんだ」
「田島部長自身の意思じゃない?」
「ああ…。多分‥、アイツが‥黒幕で‥、アイツが‥田島を操って‥、お前を‥殺すように‥仕向け‥たんだ」
「アイツ?アイツって誰?」
「……」
 孝一は何かを言おうとしたが、力尽き、ぐったりとした。
「お父さん!しっかりして!お父さん!」
 真央が孝一の両肩を揺すりながら呼び起こそうとしたが、孝一はピクリともしない。
「お父さん、お願いだから死なないで。お父さん!」
 真央は号泣しながら、何度も何度も孝一の両肩を揺すっていたが、やはり孝一はピクリともしない。
「お父ーさーーーん!」
 真央は絶叫した。すると突然、真央の意識が遠のいて行き、目の前が真っ暗になって、何も見えなくなった。だがそれは一瞬の出来事で、真央はすぐに意識を取り戻し、目も見えるようになった。しかし、目に見えてきた景色に、真央は驚き、戸惑った。
 ――― 天井だ。私は潮川公園に居るのに、どうして天井が見えてるの?
 仰向けに寝ていた真央は、上体を起こし、周りを見渡した。するとすぐに、自分がどこに居るのか気付いた。
 ――― 何で?何で私は、自宅マンションの寝室に居るの?
 真央はしばらく、悩み、考えた。そして、ある答えが真央の頭の中に浮かび、思わず「あっ!」という大きな声を出した。
 ――― もしかすると、私、元の時間に戻って来たのかも。
 真央がそんな事を考えていると、隣のベッドで寝ている龍雄が目を覚まし、真央に声を掛けてきた。
「おい、どうしたんだよ、大きな声を出して」
 龍雄はそう言いながら、肘を立てて、ゆっくり身体を起こした。
「龍雄さん、今日って、何月何日?」
「えっ?今日は十月二十九日だろ。何でこんな夜中にそんな事聞くんだよ?」
 ――― やっぱりそうだ。私は元の時間に戻って来たんだ。
「龍雄さん、実は私、タイムスリップして過去に行ってたの」真央が龍雄に言った。
「タイムスリップ?お前、何馬鹿げた事を言ってんだよ」
「信じられないかもしれないけど、ホントの話なの。私はお父さんが殺される前日の九月十日にタイムスリップして、お父さんが胸を刺されて息を引き取るまで、過去の世界に居たの。でも…、お父さんが殺されたのは、私がタイムスリップした事が原因だったみたい」
 真央はそう話すと、涙を流し始めた。
「お義父さんが殺されたのは、お前がタイムスリップした事が原因?それってどういう意味だよ?」
「お父さんが殺された夜、タイムスリップした私が潮川公園へ行かなければ、お父さんは殺されずに済んで、別の日、別の場所で、私が殺されてたんだと思うの」
「えっ?何でお前が殺されなきゃならないの?」
「お父さんを殺した犯人の本当の標的は、私だったの」
「えっ!ホントかよ?」
「うん。お父さんは、潮川公園で犯人に襲われそうになった私をかばって殺されたの」
「そうなのか。じゃあ、お前は犯人の顔を見たのか?」
「うん。犯人は田島部長だった」
「えっ!田島部長って、経理部長の田島さんの事か?」
「うん。でも田島部長は、黒幕の人間に、私を殺すように仕向けられたんだ、ってお父さんが言ってた」
「黒幕の人間?黒幕の人間って誰?」
「それは分からないの。それを言おうとした時に、お父さんは息を引き取ったから」
「そうなのか……。って俺、すっかりお前の話に乗ってたな」龍雄がノリツッコミする感じで言った。
「えっ?」
「絶対ありえないって、タイムスリップなんて」龍雄は少し笑みを浮かべながら言った。
「ううん。ホントに私はタイムスリップしてたよ」
「いや、絶対にしてないよ。お前はただ、夢を見てただけだよ」
「夢?」
「ああ。そう考える方が自然だろ。現実にタイムスリップなんて起こるはずがないよ」
「確かにそうだけど…。でも、夢って感じじゃなくて、凄く現実感があったんだけどな…」
「それは単に、現実感のある夢を見たから、そう感じてるんだよ。たまにあるだろ、妙に現実感がある夢を見る事って」
「…そうだね」
「なっ。だからお前は、タイムスリップしたんじゃなくて、夢を見てただけなんだよ」
「…うーん…」
 ――― 龍雄さんの言ってる事は正論だ。やっぱり私は、龍雄さんの言ってる通り、夢を見てただけなのかな…。
 真央は目を閉じ、しばらく悩んでいた。
「ところでさあ、さっきから気になってたんだけど、どうしてお前、そんな格好してるの?」龍雄が真央に聞いた。
「えっ?」
 真央は下を向いて、自分が着ている服を確認した。
 ――― 私、白いブラウスを着てる……。という事は…。
 真央は掛け布団をめくり、下半身を確認した。
 ――― 思った通りだ。エンジ色のタイトスカートを穿いてる。
「龍雄さん、聞いて」真央が龍雄に言った。
「何?」
「やっぱり、夢じゃないよ。私、間違いなくタイムスリップしてたんだよ」
「お前もしつこいな。だからタイムスリップなんてありえないよ」
「でも、証拠があるの。私がタイムスリップしてたっていう」
「証拠?」
「うん。私、今、白いブラウスを着て、エンジ色のタイトスカートを穿いてるでしょ?」
「ああ」
「この格好は、タイムスリップした日の翌日の朝に、会社に出勤するために実家で着替えたままの格好なの。勿論、過去の世界からこっちに戻る直前もこの格好をしてた。つまり、私が今、この格好をしている事が、私がタイムスリップをしてた証拠なの」
「へー。じゃあ、お前曰く、タイムスリップするのは意識や人体だけじゃなく、身に付けている服とかも一緒にタイムスリップするって事?」
「うん。私、今晩寝る時、黒のTシャツに黒のスウェットズボンっていう格好だったけど、過去にタイムスリップした時も、黒のTシャツに黒のスウェットズボンっていう格好のままだった」
「ふーん。そうなんだ」
「うん。だから間違いないよ。私はタイムスリップしてたんだよ」
「…いや、してないよ」
「えっ?じゃあ、私の今の格好はどう説明するの?」
「それは単純に、俺が寝ている間に、お前がその格好に着替えたんだろ?」
「えっ?違うよ」
「いーや、違わないね」
「違うってば。何で私が、龍雄さんが寝てる間に、こんな格好に着替えなきゃいけないの?」
「それはお前が、俺の事をからかってやろうと思ったからだろ?」
「えっ?」
「お前の目的が何かは分かんないけど、それ以外考えられないからな」
「私は龍雄さんの事をからかってなんかいないよ。私はただ、自分の身に起きた事をそのまま言ってるだけだよ」
「いや、嘘だね」
「嘘じゃないよ」
「いや、絶対に嘘だ。タイムスリップなんて絶対にありえない」
「だから、嘘じゃないってば。私が今着ているブラウスとスカートは、実家に置いてあった物なんだよ。つまり、龍雄さんが寝てる間に、私がこの格好に着替えようと思ったら、こんな夜中に、わざわざ実家まで帰って着替えて来なきゃなんないんだよ」
「でもあらかじめ、実家からこっちに、その服とスカートを持って来ておけば、簡単に着替えられるじゃないか」
「確かにそうだけど…。でも、私はそんな事してないよ」
「いや、してるはずだ」
「してないよ」
「してるよ」
「もう…、してないってば…」
「とにかく、もういいよ。明日は五時に起きなきゃなんないんだから、もう寝るぞ」
 龍雄はそう言うと、真央に背を向けベッドに寝た。
「うん、分かった…」
 ――― やっぱり、タイムスリップしたなんて言っても信じてもらえないか…。当然警察も、私がタイムスリップして、事件現場に居たと言っても信じてくれないだろうな…。でも警察は、お父さんが殺されたのは、仕事上のトラブルが原因という方向で捜査しているから、このままだと、事件の黒幕に辿り着く事はないだろうな…。となると、タイムスリップして色んな情報を得た私が、事件の黒幕を捜し出すしかないよね。ヨシッ!お父さんのためにも、私自身のためにも、必ず事件の黒幕を捜し出してやる。
 真央をそんな事を考えた後、眠ろうとしたが、孝一が自分をかばって殺された事を何度も思い出し、その度に自責の念に囚われ、涙を流し、結局、朝の五時まで一睡もする事が出来なかった。




第五章


 十月三十日(月曜日)

 真央と龍雄は、午前五時過ぎに朝食を摂り、午前五時半頃に龍雄は出張に出掛けた。真央は龍雄を見送ると、食器洗い、掃除、洗濯などの家事をしていた。そして家事を全て終え、午前八時になった頃、真央は田島の自宅に電話を掛けた。
「はい、田島です」電話に田島の妻、春子が出た。
「もしもし、春子さん。私、真央だけど」
「あら、真央ちゃん。お久し振りね」
「うん、お久し振りです」
 田島の妻、春子は、田島の横領が発覚するまでは、真央と同じ経理部で働いていたので、真央と春子は気心の知れた仲だった。
「春子さん、ちょっとお願いがあるんだけど」真央が春子に言った。
「何?」
「今、私、調べてる事があって、その事に田島部長が係わりがあるみたいなの。だから、田島部長のパソコンや携帯電話を見せてほしいんだけど、駄目かな?」
「別にいいけど、真央ちゃんの調べてる事って、やっぱり主人の横領事件に関係している事なの?」
「ううん、違うよ。横領事件とは別件の事」
「えっ!じゃあ主人は、横領事件以外にも何か悪い事をしてたって事?」
「えっ」
 ――― どうしよう。タイムスリップの事を言っても、信じてもらえないだろうし、ましてや、田島部長が私の事を殺そうとしていたなんて事は、とてもじゃないけど言えないな。
「春子さん、ごめん。色々あって、今は詳しい事は言えないの」真央が春子に言った。
「そうなの?」
「うん。でも真相が分かったら、ちゃんと全部話すから」
「そう…、分かった」
「それで春子さん、出来たら早くそっちに行って、田島部長の持ち物を見せてほしいんだけど、いつだったら大丈夫?」
「そうね。今日は就職の面接が二件あるから、今日は無理なのよ。明日も午前はちょっと用事があるからね…。だから、明日の午後からだったら大丈夫なんだけど」
「そう。じゃあ、明日の二時位にそっちに行っても良い?」
「うん、良いよ」
「じゃあ、明日の二時位にそっちに行くね」
「うん、分かった」
「じゃあね」
「はーい」
「ガチャッ」真央は電話を切った。
 ――― 田島部長は何らかの形で、事件の黒幕と連絡を取っていただろうから、パソコンや携帯電話を見せてもらえれば、何か手掛かりが見つかる可能性はある。でも、今日は無理なのか…。じゃあ今日は、何をしよう…。
 真央は腕組みをし、しばらく考えていた。そして考え始めてから十数秒後、真央はある事を思い出した。
 ――― そうだ!妻夫木孝一。妻夫木孝一の事件を調べてみよう。妻夫木孝一はお父さんが殺された日の翌日に殺されてる。しかも、何故かお父さんは、妻夫木孝一の名刺を持ってた。もしかすると、妻夫木孝一の事件もお父さんの事件の黒幕が係わっているのかもしれない。
 そう考えた真央は、電話帳を開き、妻夫木探偵事務所の電話番号と住所を調べ、それをメモに書いた。そしてすぐに、妻夫木探偵事務所へと出掛けて行った。

 自宅を出てから約一時間後、真央は妻夫木探偵事務所があるマンションの部屋の前に到着した。そして真央が部屋のインターホンを押すと、数秒後にパジャマ姿の四十歳位の女性が部屋の中から出て来た。
「何でしょう?」部屋の中から出て来た女性が真央に聞いた。
「あの、ここって妻夫木探偵事務所ですか?」
「そうですけど。でも、今は探偵業務はやってないですよ」
「えっ、そうなんですか?」
「ええ。ウチは探偵事務所と言っても、私が電話番で、主人が一人で調査員をしている個人探偵だったんです。でも主人が先月、亡くなったものですから、今はもう探偵業務は出来ないんですよ。ですから当然、調査依頼もお断りしているんで、申し訳ないですがお引取りください」
「あっ、いえ、私は調査依頼に来た訳じゃないんですよ」
「えっ?じゃあ、どういったご用件なんですか?」
「実はお亡くなりになったご主人の事をお聞きしたいと思いまして」
「主人の事?」
「はい」
「何故あなたが、亡くなった主人の事を聞きたいんですか?」
「確かな事ではないんですが、私の父が殺された事件と、ご主人が殺された事件に、何か関係があるんじゃないかと思いまして」
「えっ!それってどういう事ですか?」
「私の父は九月十一日に殺されました。そしてその翌日にご主人が殺されてます。尚且つ、私の父はご主人の名刺を持っていたので、私の父はご主人に、何かの調査を依頼していたと思うんです。その依頼していた調査の内容が分かれば、事件の犯人に繋がる何かが見つかるんじゃないかと思ってるんです」
「そうなんですか…。もしかして、殺されたあなたのお父さんって、M&Aの会社の社長さんだった人ですか?」
「そうです!」
「なるほど…。じゃあ、ここで話するのも何なんで、中に入って下さい」
「はい、失礼します」
 真央は玄関で靴を脱ぎ、妻夫木探偵事務所の中へ入って行った。だが、事務所の中には台所があり、冷蔵庫や電子レンジなどが置かれていて、とても事務所と言える様な雰囲気ではなかった。
 ――― このマンション、外から見た時も思ったけど、やっぱり住居用のマンションなんだ。まあ、調査員が妻夫木孝一しかいなかったんだから、わざわざ他に事務所を借りる必要もなかったんだろうけど…。でも、お父さんはどうして、大手の探偵事務所じゃなく、こんな所に調査を依頼したんだろ?
 真央はそんな事を考えながら、妻夫木孝一の妻の後を付いて行ってると、妻夫木孝一が仕事部屋として使っていた部屋に案内された。そしてその部屋で、真央と妻夫木孝一の妻が、机を挟んで向かい合って椅子に座った。
「じゃあ、改めて自己紹介させて頂きます。私、探偵をやっていた妻夫木孝一の妻の静江と申します。よろしくお願いします」
「私は、ご主人に調査を依頼していた柏木孝一の娘の武田真央と申します。よろしくお願いします」
「では早速、本題に入りたいと思うんですけど、実は武田さんのお父さんが私の主人に依頼していた調査内容は、どういう内容だったか、今となっては全く何も分からないんですよ」
「えっ!そうなんですか?」
「はい。調査内容を知っていたのは主人だけだったんで、その主人が殺されて居なくなった今となっては…」
「でも、調査をすれば、その調査資料を作りますよね?お父さんが依頼していた件の調査資料は残ってないんですか?」
「それが残ってないんですよ」
「そうなんですか…」
「はい…。でもおそらく調査資料は、主人を殺した後に犯人が持ち去ったんじゃないかと、私は考えているんです」
「えっ!そうなんですか?」
「はい…。とりあえず分かりやすい様に、武田さんのお父さんの事と主人の事件の事を、最初から順を追ってお話しますね」
「はい、お願いします」
「まず、武田さんのお父さんがウチの探偵事務所に来たのは、九月三日の午後でした。武田さんのお父さんは、自分の身分を一切明かしたくなかったらしくて、自分の名前、住所、電話番号、職業などの情報を教えないという条件で調査依頼をしてきました。通常は、その様などこの誰かも分からない人からの依頼は受けないのですが、武田さんのお父さんが『通常の調査料金の三倍の料金を払う』と言ったので、主人はお金に目が眩んで依頼を受ける事にしました。その後、この部屋で三十分程、武田さんのお父さんと主人が二人きりで調査に関する打ち合わせをしていました。そして武田さんのお父さんが帰った後に、主人にどんな依頼をされたのか聞いたんですが、主人は『依頼内容は一切他の人には話してはいけない』という誓約書を武田さんのお父さんから書かされたらしくて、妻の私にも依頼内容は話してはくれませんでした。ただ、誓約書を書いた際に通常の調査料金の三百万円を払ってもらった事と、二週間後に調査結果を聞きに来た時に残りの六百万円を払ってもらえる、という事は言っていました。でも、それから九日後の九月十二日の早朝、私と主人が朝食を食べながらテレビのニュース番組を見ていると、M&A大手会社の社長が前夜に殺されたというニュースが流れてて、その被害者の顔がテレビに映された時、九日前にウチに調査依頼をしてきた人だったから凄く驚いたんです。それと同時にこの時初めて、依頼者の名前が柏木孝一さんで、会社社長をしている人なんだという事を知りました。そして私が主人に、『依頼者が死んじゃったから、残りの調査料金の六百万円がもらえなくなったね』と言うと、主人は『いや、分からんぞ…。とりあえず、調べたい事があるから、俺、すぐに出掛けるわ』と言って家を出て行きました。その後主人は、午後六時頃に家に帰って来たんですが、仕事部屋から大きな封筒を持ち出すと、またすぐに出掛けていきました。その時持っていた大きな封筒は、依頼者に調査資料を入れて渡す時に使っている封筒なので、おそらくあの中には、武田さんのお父さんが依頼していた調査の資料が入っていたんだと思います。そして翌日の早朝に、主人は京海港に停めてあった車の中で刺殺体となって発見されました。ですが刑事さんの話だと、仕事部屋から持ち出した大きな封筒は、車の中には残ってなかったそうです。なのでおそらく、犯人が主人を殺した後、調査資料の入った大きな封筒を持ち去ったと思うんです」
「なるほど。という事は、犯人は静江さんのご主人を殺さなければならない程、重要な事を調査されてしまっていた、という事ですね?」
「ええ。ですから、武田さんのお父さんから依頼された調査対象の人物が犯人だと思うんですけど、今となっては知りようがないんですよね…」
「そうですね……。あっ、そういえば、ご主人の死亡推定時刻って何時位なんですか?」
「九月十二日の午後七時半から午後八時半の間だそうです」
「そうですか…。でも、ご主人の遺体が発見されたのは、九月十三日の早朝なんですよね?九月十二日の午後七時半から午後八時半の間に殺されて、翌日の早朝まで誰にも発見されなかったんですか?」
「はい。京海港は夜になると全く人けがなくなるらしくて、翌日の早朝に、漁に出ようとしていた漁師さんが発見するまで、誰一人主人の車を見た人はいないそうです」
「そうですか。じゃあ当然、事件の目撃者もいないって事ですよね」
「ええ。ですから残念ながら、主人の事件の手掛かりは全く残ってないんですよ……。武田さんのお父さんの事件も、目撃者はいなかったんですか?」
「いえ、私の父の事件は目撃者がいます」
「えっ、そうなんですか?」
「はい。実は父が殺された時、私は事件現場に居たんです。と言うよりも、犯人は私を殺そうとしていたんですけど、父が私の事をかばって殺されてしまったんです」
「えっ!そうだったんですか?じゃあ武田さんは、犯人の顔も見たんですか?」
「はい。犯人は私の上司にあたる田島という人物でした。でも田島は、父を殺したその日に自殺しています」
「えっ?という事は、武田さんのお父さんを殺した犯人と、私の主人を殺した犯人は別人って事ですよね?」
「はい。でも父が息を引き取る直前に、この事件には黒幕が居るという事を言っていました。ですからその黒幕が、静江さんのご主人の事件にも係わってるんじゃないかと、私は思ってるんですよ」
「黒幕‥ですか?」
「はい。今はまだ黒幕が誰かは分からないんですが、明日の午後に田島の家に行って、田島の持ち物を見せてもらう事になっているので、もしかすると黒幕に繋がる何かが見つかるかもしれません。もし何か分かったら、静江さんにも連絡しますね」
「あっ、是非、お願いします」
「それじゃあ、私はこの辺で失礼します」
「あっ、そうですか。すみませんね、わざわざ来てもらったのに、大した情報を提供出来なくて」
「いえ、いえ、とんでもないです」
 真央と静江はそんな会話をした後、仕事部屋を出て玄関の所に来た。
「それじゃあ、気を付けて帰ってくださいね」静江が真央に言った。
「はい。じゃあ、失礼します」
 真央は頭を下げてそう言うと、妻夫木探偵事務所を後にした。

 ――― フーッ。特に収穫なしか。こうなったら、明日、田島部長の家で何か見つかる事を期待するしかないな。
 真央はそんな事を考えながら、妻夫木探偵事務所から最寄駅に向かって住宅街を歩いていた。すると突然、真央は背後に人の気配を感じた。
 ――― 私、つけられてるかも。
 そう思った真央は、すぐに後ろを振り向いた。すると十五メートル位後方に黒のスーツを着た男が真央と同じ方向に歩いてきていたが、真央が後ろを振り向いた事に気付くと一瞬驚いた顔をし、すぐに脇道へ逃げる様に入って行った。
 ――― やっぱり、思い込みじゃなかったんだ。私の後をつけてる人はいたんだ。でも、あのスーツを着た男の人は何者なんだろ……。ん、待てよ。そういえばあの男の人の顔、どっかで見た覚えがあるな…。誰だっけ?
 真央は必死に、自分の後をつけていた男が誰であったかを思い出そうとした。だが、どんなに考えても、男が誰であったかを思い出す事は出来なかった。

 午後十時になり、龍雄が出張から自宅に帰って来ると、真央は龍雄に今日の出来事を報告した。
「今日さ、妻夫木探偵事務所って所に行って来たの」真央が龍雄に言った。
「探偵事務所?何でそんな所に行ったんだ?」
「お父さんが妻夫木探偵事務所に調査を依頼していたらしいの」
「調査?調査ってどんな調査?」
「それは分からないの。調査員の妻夫木孝一が殺されて、その上、調査資料も犯人が持ち去ったらしいから」
「そうなのか」
「うん。でも、ただ一つ言える事は、調査員を殺し、調査資料を持ち去らなければならない程、犯人にとっては重要な事をお父さんは調査依頼してたって事ね」
「なるほど」
「それでね、この話を妻夫木孝一の奥さんから聞いた後、妻夫木探偵事務所から自宅に向かって帰ってたんだけど、その途中で背後に人の気配を感じたから後ろを振り向いたの。そしたら黒いスーツを着た男の人が私の後をつけてたの」
「えっ!本当か?」
「うん。その男の人は、私が後ろを振り向くと一瞬驚いた顔をして、すぐに逃げる様に脇道に入って行ったの。だから間違いなく、あの男の人は私の事をつけてたと思う」
「そうか。やっぱりお前の事をつけてる奴は実際にいたんだな」
「うん。それと気になるのは、私、以前にその男の人と会った事があるみたいなの」
「そうなのか?」
「うん。でも、どこで会ったのか、どんなに考えても思い出せないんだよね」
「そうか…。まあとにかく、気を付けなきゃ駄目だな。お義父さんが殺され、お義父さんが調査を依頼していた探偵まで殺されてるんだから、お前の身にも何か起こる可能性は十分にある。だから、昨日も言ったけど、お前の事をつけてる奴が何も出来ない様にするために、お前が外出する時は、必ず誰かと一緒に外出するんだ」
「うん…、分かった」
 ――― でも、誰かと一緒じゃなきゃ外出しちゃ駄目だって言われても、そんな事してたら外出したい時に外出出来ないよ。夜の一人歩きとかだったら危ないだろうけど、昼に人通りの多い所を歩いたり、車で移動したりする分には、問題ないでしょ。
 真央は本音ではそう考えていた。




第六章


 十月三十一日(火曜日)

 この日も真央は、龍雄が会社に出勤すると、掃除や洗濯などの家事をしていた。そして一通り家事が終わると、真央はテレビを観ようと思い、リビングに来てソファーに座ろうとした。するとソファーの端の方に、黒いセカンドバッグが置かれている事に真央は気付いた。
 ――― このセカンドバッグ、龍雄さんが会社へ行く時にいつも持っていってる物だ。そういや龍雄さんは今朝、お腹を壊して何度もトイレに行って、出勤時間がいつもより遅くなって、遅刻しそうになったから慌てて家を出たんだった。だからこのバッグ忘れて行っちゃったんだね。このバッグの中に何が入っているのか知らないけど、仕事で使う大事な物とか入っているかもしれないから、会社に届けてあげよう。
 そう考えた真央は、龍雄のセカンドバッグを持ち、車で会社へ向かった。

 そして午前十時過ぎに、真央は会社に到着した。真央は孝一が生前使っていた会社の前にある駐車スペースに車を停めると、会社の中へ入って行き、受付で龍雄を呼び出してもらうように頼んだ。だが龍雄は外出しており、会社に戻るのは正午位との事だった。
 ――― 何だ、龍雄さん外出してるのか。じゃあ、このバッグどうしよう…。大事な物が入ってるといけないから、誰かに預けて渡してもらう訳にもいかないしな…。しょうがない。一度家に帰って、また昼過ぎ位に来てみよう。
 そう考えた真央は、自宅に帰って行った。

 そして正午になると真央は、昼食を食べ、その後すぐに車で会社へ行った。会社に到着すると、時間は午後一時前だったが、龍雄はまだ外出先から帰って来ていなかった。
 ――― 龍雄さん遅いな、もうすぐ一時だよ…。どうしよう、このあと田島部長の家に行かなきゃいけないのに…。うーん……、やっぱりセカンドバッグを渡すのは、もう、いっか。多分このバッグは、今日は必要ないんだろうな。必要だったら、『セカンドバッグを会社まで持って来てくれ』って龍雄さんが電話を掛けてくるだろうし。それに昨日、『一人で外出するな』って言われたばかりなのに、忘れ物を届けに来たとはいえ、一人で外出しているんだから怒られる可能性もあるしな。
 そう考えた真央は、龍雄にセカンドバッグを渡すのを諦め、田島の家に行く事にした。

 ちょうど午後二時になった頃、真央は田島の家の付近に到着し、車を近くにあるコインパーキングに停め、田島の家へ行った。
「こんにちはー」
 真央は田島の家の玄関を開け、大きな声で言った。
「はーい」
 春子が大きな声で返事をし、家の奥から歩いて出て来た。
「真央ちゃん、いらっしゃい。さあ、上がって、上がって」春子が真央に言った。
「はーい、失礼します」
 真央は靴を脱いで、田島の家の中へ入って行った。そして春子に居間に案内され、居間に置かれてある座布団に正座して座ると、春子と会話を始めた。
「春子さん、ごめんね。忙しいのに、時間割いてくれて」真央が春子に言った。
「ううん、いいのよ。しばらく真央ちゃんとは会ってなかったから、久し振りに会えて嬉しいよ。でも、良かった。真央ちゃん、元気そうで」
「うん。おかげ様で元気にしてる。春子さんも凄く元気そうだね?」
「そりゃそうよ、私は元気だけが取り柄の人間なんだから。それにこれからは、私一人で三人の子供を養っていかなきゃなんないんだから、元気じゃなきゃやっていけないよ」
「そうだね。そういや、新しい就職先は、もう決まりそう?」
「ううん、全然駄目。やっぱり、五十歳を過ぎたおばさんをそれなりの給料で雇ってくれる所なんて、そうそうないわね」
「そっか…。じゃあやっぱり、ウチの会社、辞めなきゃ良かったのに」
「そういう訳にはいかないよ。なんせウチのバカ亭主が十億円ものお金を横領しちゃったんだから」
「でも春子さんは、田島部長が横領したお金を一円も貰ってないんでしょ?」
「うん。横領したお金は全部、十数人居た愛人に貢いだらしいからね」
「だったら春子さんには責任も何もないんだから、会社を辞める必要はなかったと思うよ」
「いや、私には責任があるよ。私が主人に愛人が居るっていう事に気付いていれば、愛人とは別れさせていたから、愛人にお金を貢ぐ事はなかった。そしたら会社のお金を横領する事もなかったと思うの。だから主人の横領事件は、私の妻としての監督責任能力のなさが生んだ結果だと思う…」
「うーん…、そうかな?」
「そうだよ…」
 春子がそう言った後、二人の間に沈黙が続いた。だが数秒後、春子が何かを思い出し、真央に話し掛けた。
「そういや真央ちゃん、今日は主人の持ち物を見に来たんだったね。じゃあすぐに持って来るから、ちょっと待ってて」
「うん、分かった」
 春子は立ち上がり、居間を出て行った。そしてそれから約一分後、春子は大きな黒い鞄を持って戻って来た。
「主人の持ち物はこの鞄の中に大体入ってるから、ゆっくり見ていって」
 春子はそう言って、鞄を真央に渡した。
「ありがとう」
 真央はそう言うと、鞄を開け、中に何が入っているのか調べだした。
 ――― 携帯電話…、ノートパソコン…、スケジュール帳…。色々と入ってるな。これだけあれば、きっと黒幕に繋がる何かが見つかるはず。ヨシッ。とりあえず、スケジュール帳を見てみよう。
 真央はスケジュール帳を開き、一ページ、一ページ、舐める様に見ていった。だがスケジュール帳には、特に気になる事は書かれていなかった。
 ――― スケジュール帳には黒幕に関する事は書かれてないみたいね…。ヨシッ。次はノートパソコンだ。
 真央はノートパソコンを開き、メーラーを立ち上げ、メールをチェックし始めた。そして送受信全てのメールをチェックしたが、これといって怪しい内容のメールはなかった。
 ――― ノートパソコンも駄目か…。じゃあ次は携帯電話ね。…ん。一台…、二台…、三台…。田島部長は携帯電話を三台も持ってたんだ。じゃあとりあえず、この銀色のヤツから調べてみよう。
 真央は銀色の携帯電話の電話帳、発着信履歴、メールの送受信履歴、メールの内容などを見た。
 ――― この銀色の携帯電話は、電話帳や履歴を見る限り、家族や仕事関係の人との連絡用に使っていたみたいね。特に怪しいところはないから、次の携帯電話を調べてみよう。次は…、この赤色のヤツを調べてみよう。…ん。この赤色の携帯電話、プリペイド式みたいね。
 真央は赤色のプリペイド式携帯電話の電話帳、発着信履歴、メールの送受信履歴、メールの内容などを見た。
 ――― どうやらこの赤色の携帯電話は、愛人との連絡用に使っていたみたいね。電話帳も履歴も、女の人の名前ばかりだし、メールの内容から推測しても間違いなくそうだろう。でも一つ気になるのは、電話帳と履歴に『智子』って名前があった事ね。私の大学時代の友達の智子は、今、妊娠してるけど、『訳があって結婚はしてない』って言ってたから、もしかすると智子のお腹の子供の父親は田島部長かも……。いや、それは絶対にないか。智子は、田島部長みたいに頭のハゲてる人を凄く嫌ってたから、田島部長とそういう関係になるはずがない。だから、この電話帳と履歴にある『智子』っていうのは、大学時代の友達の智子とは別人だろう…。じゃあこの携帯電話も特に怪しいところはないから、最後の黒色の携帯電話を調べてみよう。…ん。この黒色の携帯電話もプリペイド式みたいね。
 真央は黒色のプリペイド式携帯電話の電話帳、発着信履歴、メールの送受信履歴などを見た。
 ――― この黒色の携帯電話は、ちょっと変ね。電話帳には何も登録されていないし、メールの送受信は一切行われていない。しかも、電話の発信履歴も着信履歴も、残っているのは全て同じ電話番号だ。つまりこの携帯電話は、発着信履歴に残っている電話番号の人との連絡専用に使っていた物なんだ。もしかすると、発着信履歴に残っている電話番号の人は黒幕?…うん、間違いない。絶対にそうだ。田島部長は、発着信履歴に残っている電話番号の人とは、九月八日から一日、一、二回のペースで連絡を取ってるけど、お父さんの事件のあった九月十一日は頻繁に連絡を取ってる。しかも、お父さんが殺された直後の時間である午後八時二十五分から八時三十五分の十分間に、田島部長は十五回もこの人に電話を掛けてる…。これは推測するに、田島部長は黒幕に指示され、私の事を殺そうとしていたが、誤ってお父さんを殺してしまい、しかもそれを私に目撃されていたので、田島部長は、この後自分はどうしたら良いかを聞こうと思い、黒幕に電話を掛けた。だが黒幕に何度電話を掛けても黒幕が電話に出なかったから、田島部長はどうしたら良いか分からなくなり、精神的に追い詰められて自殺をした…。ってとこかな。
 真央はそんな事を考えた後、黒色のプリペイド式携帯電話の発着信履歴に残っている電話番号をメモ帳に控えた。そして田島の持ち物の片付けをし、春子に礼を言うと、真央は急いで田島の家を出て行った。そしてその後すぐに、近所にある警察署に駆け込み、事情を説明し、メモ帳に控えた電話番号の電話の持ち主が誰であるかを調べてくれないかと頼んだ。だが警察は、真央が『タイムスリップして事件現場に居た』と言う事を全く信じてくれず、尚且つメモ帳に控えてある電話番号は080から始まる携帯の電話番号だったので、警察は、『犯罪で使われる携帯電話は大体、身分証不要の店とかで買ったプリペイド携帯を使う事が多いから、調べても持ち主を特定出来ない』と言って、メモ帳に控えた電話番号の電話の持ち主が誰であるかを調べてはくれなかった。そして真央は意気消沈し、警察を後にした。
 ――― はぁ…、調べてはもらえないのか…。でも間違いなく、この電話番号の電話の持ち主が黒幕なんだけどな…。どうにかして、この電話番号の電話の持ち主を調べる方法はないかな…。うーん……、やっぱり、ないか。
 真央はそんな事を考えながら、自宅へ帰って行った。

 真央は自宅に到着してからも、電話番号の電話の持ち主が誰であるかを調べる方法はないものかと、ずっと考えていた。そしてしばらくして、真央の頭にある事が浮かんだ。
 ――― そうだ。とりあえず、この電話番号に一度電話を掛けてみよう。
 そう考えた真央は携帯電話を取り出し、メモ帳を見ながら、黒幕と思われる人物の携帯電話に電話を掛けた。
「ピリリリリリリ…、ピリリリリリリ…」
 真央が電話を掛けて、呼び出し音が鳴るのとほぼ同時に、どこかで携帯電話の着信音らしき音が聞こえてきた。
 ――― えっ?この着信音、どこで鳴ってるの?
 真央は周りを見回した。そして着信音が聞こえてきている所を特定した。
 ――― このセカンドバッグの中で鳴ってる。
 真央は急いで龍雄のセカンドバッグを開けた。すると、田島が持っていた物と全く同じ型と色のプリペイド式携帯電話が出てきた。そしてその携帯電話は着信音を発しながら、ディスプレイに真央の携帯の電話番号を表示していた。
 ――― これってどういう事?まさか…、龍雄さんが黒幕?
 真央がそんな事を考え、愕然としていると、玄関のドアを開ける音がし、その後、「ただいま」と言う声が聞こえた。そして数秒後、真央が居るリビングに龍雄が入って来た。
「龍雄さん、どうしてあなたがこの携帯電話を持ってるの?」
 真央は、龍雄のセカンドバッグに入っていた携帯電話を龍雄に見せ、悲しげな表情で尋ねた。
「お前、何勝手に人のバッグを開けてんだよ」
 龍雄は威嚇する様な感じで、大きな声で真央に言った。
「いいから、答えてよ。何であなたがこの携帯電話を持ってるの?」
 真央は涙で目を潤ませながら、大きな声で龍雄に聞いた。
「べ、別に良いじゃないか。俺がどんな携帯を持ってても」
 龍雄は少し、動揺したような感じで答えた。
「良くないよ。この携帯電話はお父さんの事件の黒幕が持ってるはずの物なんだよ」
「く、黒幕?お前、何言ってんだよ。もしかして、お前、まだ、自分がタイムスリップしてたと思ってるのか?」
「思ってるよ」
「あのなぁ、お前はタイムスリップなんかしてないよ」
「してたよ」
「だから、してないって」
「してたってば」
「してないよ」
「してた」
「…じゃあさ、百歩譲って、お前がタイムスリップしてたとしよう。それでも何で、その携帯電話を持ってたら、お義父さんの事件の黒幕になる訳?」
「今日、田島部長の家に行って、田島部長の持ち物を見せてもらったけど、田島部長はこの携帯と全く同じ型と色のプリペイド携帯を持ってた。田島部長はその携帯で、お父さんの事件があった日の数日前から、『ある電話番号』の人とだけ連絡を取り合ってた。その『ある電話番号』の電話が、この携帯電話。つまり龍雄さんは、この携帯電話で田島部長と連絡を取って、私を殺す打ち合わせや指示を出していたんじゃないの?」
「な、何を言ってるんだよ、お前。そんな訳ないだろ」
「じゃあ、この携帯電話はどう説明するの?」
「その携帯は、そのー、あれだ…、あっ、田島さんから渡されたんだよ」
「田島部長から渡された?」
「ああ。田島さんは、自分が会社の金を横領している事が発覚しそうになってる事を悩んでて、その事を俺に相談してきたんだ。その相談の連絡用にって言って、その携帯電話を俺に渡してきたんだよ。だからその携帯電話で、俺は田島さんの相談に乗ってただけなんだ」
「嘘!そんなの嘘だよ」
「本当だよ。それにそもそも、俺がお前を殺そうとする訳がないだろ。何で俺がお前を殺さなきゃいけないだ?」
「それは私には分からない…。でもお父さんは知ってた。以前お父さんは、龍雄さんの事を気に入ってるって言ってたのに、私が過去にタイムスリップしてお父さんと話した時、お父さんはしつこく龍雄さんとは離婚しろって言ってた。あれは今にして思えば、『私が知らない龍雄さんの秘密』をお父さんは知っていたからだと思う。そしてその『私が知らない龍雄さんの秘密』の確証を得るために、お父さんは探偵に調査依頼したんだよ」
「フッ、何だよ、『私が知らない龍雄さんの秘密』って?俺はお前に隠し事なんてしてないよ」
「ううん、きっと何かしてるはず」
「してないよ」
「ううん、絶対にしてるはず」
「だから、してないって。これだけ言ってるのに、お前、俺の事、信じられないの?」
「信じたいよ。信じたいけど…」
 真央はそう言った後、言葉を詰まらせ、目から大粒の涙を流し始めた。
「お前、もう俺の事、愛してないのか?」
 龍雄は真央の目をジッと見つめて聞いた。
「愛してるよ。愛してるに決まってるじゃない」
「だったら俺の事を信じてくれよ。俺もお前の事を愛してる。だからお前には嘘はつかないよ」
 龍雄はそう言った後、真央を抱きしめようとした。だが真央はそれを避ける様に後ずさりした。
「ごめん…。やっぱり、信じられないよ」
 真央はうつむいて、小さな声で言った。
「何でだよ?」
 龍雄は大きな声で真央に聞いた。
「龍雄さんがこの携帯電話を持ってた事が、龍雄さんが黒幕であるという揺るぎない証拠だから」
「だから俺は黒幕なんかじゃないって。そもそもお義父さんの事件に黒幕なんていないし、お前はタイムスリップなんてしてないんだよ」
「ううん。私は間違いなくタイムスリップしてたよ」
「してないって」
「してたよ」
「してない」
「してた」
「あー!もういいよ。そんなに俺の事が信じられないなら、出て行けよ」
「…分かった」
 真央はそう言った後、龍雄の横を通り過ぎ、自宅を出て行こうとした。すると龍雄が真央を呼び止める様に声を掛けた。
「なぁ、分かってると思うけど、警察に行っても無駄だぞ。警察はお義父さんを殺したのが田島さんだとは考えていないし、黒幕が居るなんて事も考えていない。つまり俺が田島さんと、プリペイド携帯を使って秘かに連絡を取り合っていた事を警察が知っても、警察が俺に疑いの目を向ける事はない。無論、お前がタイムスリップしてお義父さんの事件現場に居たから事件の真相を知っている、なんて事を警察に言っても、絶対に信じてもらえないぞ」
「うん、分かってるよ…」
 真央はそう言って、足早に自宅を出て行った。




第七章


 真央は自宅を出ると、実家へと歩いて向かった。真央はその道中、心から愛し、信じていた龍雄の裏切りに、怒りと悲しみが入り混じった感情が込み上げ、瞳からは涙が溢れるばかりだった。そして実家に着くと真央は自分の部屋へ行き、ベッドに横になりしばらく泣いていたが、やがて泣き疲れ、真央は知らぬ間に眠ってしまった。

 ――― ん…。あ、私、寝ちゃってたんだ。
 真央は目を覚ました。そしてすぐに、枕元に置いてある時計を見た。
 ――― もう八時半なんだ……。あー、のどが渇いたな。ちょっと水を飲みに行ってこよう。
 真央は起き上がり、自分の部屋を出て台所へ向かった。だが、階段を下りて一階に着いた時、家に異変が起こっている事に気付いた。
 ――― 玄関と廊下の電気が点いてる…。何で?私は点けた覚えはないよ。
 真央は驚き、そんな事を考えながら、玄関へ行った。すると玄関には、沢山の靴が並べられていた。
 ――― 何でこんなに沢山、靴が置いてあるの?訳が分かんない。
 真央はそんな事を考えながら戸惑っていると、突然背後から声が聞こえた。
「真央、私、帰るね」
 真央は驚き、すぐに後ろを振り返った。するとそこには典子が立っていた。
「典子、どうしてあなたがここに居るの?」真央が典子に聞いた。
「どうしてって、そりゃ社長のお通夜に参列してたからに決まってるじゃない」
「社長のお通夜?えっ?社長って誰の事?」
「何言ってんのよ、真央。あんたのお父さんに決まってるじゃない」
「えっ?」
 真央は大きな声でそう言うと、余りの驚きに、身体が固まってしまった。だが数秒後、ある事が頭に浮かび、それを確認するために典子に質問した。
「ねえ典子、今日って何月何日だっけ?」
「えっ、今日は九月十二日でしょ」
 ――― やっぱりそうだ。私、またタイムスリップしちゃったんだ。…でも、どうしてまたタイムスリップしちゃったんだろう?
 真央はそんな事を考え、しばらく悩んでいた。すると典子が真央に声を掛けてきた。
「真央、こんな事になっちゃったけど、あんまり気を落とさないでね」
「えっ、うん、ありがとう」
「じゃあ、私、帰るね」
「うん、じゃあね」
 典子は靴を履き、玄関を出て行った。
 ――― フー。私、これからどうしよう。確か九月十二日は実家でお父さんのお通夜が行われて、この時間は通夜ぶるまいをしている時間だったはず。多分、通夜ぶるまいの席には、この時間を生きてるもう一人の私が居るだろうから、私は実家を出て行った方が良いかな。
 そう考えた真央は、実家を出て行く事にした。

 実家を出て行った真央は、何となく西の方角に歩いて行っていた。すると遠くに車のヘッドライトが見えたので、真央は車を避けるため、道の右端に寄った。そして車が真央に近付いて来て、真央の横を通り過ぎた。だがその直後、その車は停車し、左側のドアの窓を開けて、その窓から人が顔を出した。よく見ると、窓から顔を出しているのは龍雄だった。
「真央、どこに行ってんだよ?」龍雄が真央に聞いた。
「えっ。あっ、ちょっとコンビニに」
「そうか。じゃあ、早く戻って来いよ」
 龍雄はそう言うと、窓から顔を引っ込め、再び車を走らせて行った。
 ――― あー、ビックリした。まさか、龍雄さんの車だとは思わなかったよ。そういえば龍雄さんは、通夜ぶるまいが始まってすぐの午後七時十分頃に、『仕事で重大なトラブルが発生したから、ちょっと会社へ行って来る』って言って実家を出て行って、それから約一時間半後の八時四十分頃に実家に戻って来たんだった。…ん、でも待てよ。さっき龍雄さんの車は、会社とは反対方向から走って来たな。何でだろ?……あっ!そうか、そういう事か。龍雄さんは、会社になんか行ってないんだ。龍雄さんは、妻夫木孝一を殺すために京海港に行ってたんだ。確か妻夫木孝一の死亡推定時刻は、九月十二日の午後七時半から午後八時半の間だった。そして実家から京海港へは、車なら四十分位で行ける。つまり、午後七時十分頃に実家を出た龍雄さんは、四十分後の午後七時五十分頃に京海港に到着し、午後八時頃までに妻夫木孝一を殺害して、京海港から実家に戻って来た…。間違いない。龍雄さんは京海港で妻夫木孝一を殺して来たんだ。…じゃあもしかすると、今なら、龍雄さんの車の中に、妻夫木孝一を殺した証拠が何か残っているかもしれない…。ヨシッ、とりあえず、龍雄さんの車の中を調べてみよう。
 そう考えた真央は、通夜と葬儀の時、駐車場として使わせてもらっていた実家近くの空き地へと走って行った。そして空き地に到着すると、二十数台停められている車の中から、龍雄が乗っている赤いフェラーリを見つけた。真央は早速、龍雄の車の運転席側のドアを開けようとしたが、鍵が掛かっていてドアは開かなかった。
 ――― やっぱり、鍵を掛けてるか。うーん、どうしよう……。あっ!でも、もしかすると…。
 真央はズボンのポケットに手を突っ込んだ。
 ――― やっぱり、あった。やっぱり、ポケットに入っている物も、身体や衣服と一緒にタイムスリップするんだ。
 真央はズボンのポケットに入っていたキーホルダーを取り出した。キーホルダーには、自宅の鍵、実家の鍵、車の鍵などが付けられていて、龍雄の車の合鍵も付いている。真央はその龍雄の車の合鍵を使って、龍雄の車のドアを開けた。そして真央は、龍雄の車の中を隅々まで調べた。だが、妻夫木孝一を殺した証拠になる様な物は、何も見つからなかった。
 ――― これといって何もなしか…。あっ!でもまだ、トランクが残ってる。
 真央は龍雄の車のトランクを開けた。するとトランクの中には、黒色のリュックサックが入っていた。真央はそのリュックサックを開けて、中身を確認した。するとリュックサックの中には、血の付いた大きな封筒、ナイフ、黒革の手袋、衣服、などが入っていた。
 ――― ヨシッ!これだ!これは龍雄さんが妻夫木孝一を殺した証拠になる。この大きな封筒は、龍雄さんが妻夫木孝一を殺した後、奪い去った物で、ナイフ、手袋、衣服は犯行の際に使用した物だろう。ヨシッ!じゃあこれを警察に持って行こう。
 そう考えた真央は、トランクからリュックサックを取り出し、右手に持つと、近くの警察署に向かって走り出した。すると突然、真央の意識が遠のいて行き、目の前が真っ暗になって、何も見えなくなった。だがそれは一瞬の出来事で、真央はすぐに意識を取り戻し、目も見えるようになった。
 ――― あれ?天井だ。
 仰向けに寝ていた真央は、上体を起こし、周りを見渡した。
 ――― 私、実家の自分の部屋のベッドの上に居る…。という事は、私は元の時間に戻って来たのかも。
 真央はそんな事を考えていると、右手に何か持っている事に気付いた。
 ――― あっ!私、黒色のリュックサックを持ってる…。そうか、過去からこっちの時間に戻る時、このリュックサックを手に持ってたから、こっちの時間に持って来る事が出来たんだ。良かったぁ、せっかく見つけた証拠を失わずに済んだよ。ヨシッ!じゃあこれを警察に持って行こう。
 真央は急いで自分の部屋を出て、階段を下り、玄関を出た。だが真央は玄関を出た瞬間、凄く驚き、身体が固まった。何故なら、玄関を出た所に龍雄が立っていたのだ。
「さっきはゴメン。ちょっと言い過ぎたよ。俺、反省してるから、帰って…」龍雄はそう言い掛けた時、真央が黒色のリュックサックを持っている事に気付いた。「何で、お前がそのリュックサックを持ってるんだ?」
 龍雄がそう言った後、真央はすぐに走って逃げようとした。
「待てっ!」
 龍雄が真央の左腕を掴んだ。
「離して!離してよ!」
 真央は必死に掴まれた左腕を振り解いて逃げようとした。だがその時、龍雄が玄関先に置いてあった植木鉢を手に取り、真央の後頭部を殴りつけた。すると真央はその場に倒れ込み、意識を失った。


「う…、痛っ…」
 真央は意識を取り戻した。
 ――― あー、頭が凄く痛い…。でも、まだ私、生きてるんだ…。ん、でも、ここどこだろ。真っ暗で何も見えないな。…ん。床が微妙に揺れてて、車のエンジン音が聞こえる…。もしかして私、車のトランクに入れられてるのかな…。
 真央がそんな事を考えていると、床の揺れが止まり、その後「ガチャッ…、バタンッ」という、車のドアを開閉する音が聞こえた。そして人の歩く足音が真央の居る所に近付いて来て、その後、真央が入れられているトランクが開けられた。
「何だお前、まだ生きてたのか?」
 龍雄がトランクの中で横になっている真央に言った。
「やっぱり、龍雄さんが黒幕だったんだね」
 真央はトランクの中で上体を起こしながら龍雄に言った。
「ああ、そうだよ」
 龍雄は悪びれる様子もなく言った。
「酷いよ…。私は龍雄さんの事を愛していたのに…。龍雄さんの事を心から信頼していたのに…」
「あっ、そう。俺はお前の事を愛しているなんて思った事は一度もないよ」
「えっ?どういう事?じゃあ、何で私と結婚したの?」
「それはただ単に出世したかったからだよ」
「えっ…、そうなの?」
「ああ。昔、会社のリフレッシュルームでお前の親父が、『娘の旦那になる男に会社を継がせたい』って言う話を会社の重役の連中としてて、俺はそれを小耳に挟んだんだ。だから、お前が会社に入社して来るとすぐに、俺はお前に近付いていって、好きでもないのに交際をし、結婚したんだ」
「…そうだったんだ」
「ああ。騙して悪かったな。でも、俺との結婚生活は幸せだったろ?」
「……」真央は何も答えなかった。
「ハハッ、何とか言えよ」龍雄は笑いながら真央に言った。
「最低だね…」真央はボソッと呟いた。
「えっ?何だって?聞こえないよ」龍雄は笑いながら、耳に手を当て、真央に聞いた。
「龍雄さん、最低だよ!」真央は大きな声で叫んだ。
「ハハッ、俺は最低か?いや、そうでもないぞ。俺は凄く優しい男だ。真央、お前、ここがどこだか分かるか?」
「分んないよ。分かるはずがないでしょ」
「ハハッ、そうか。じゃあ、教えてやる。ここは城木山だよ」
「えっ、城木山?」
「ああ。毎年、お前とお前の親父は、紅葉が見ごろになると、馬鹿みたいにこの山に登山してただろ。だから俺は、お前が死んだ後も毎年この山の紅葉が見れる様に、お前の死体をこの山に埋めてやろうとしているんだ。どうだ、俺は優しいだろ?」
「フン、そんなの嘘だよ。ここは一番近場の山で、夜なら誰にも目撃される事なく、安心して死体を埋める事が出来るから、ここを選んだんでしょ?」
「ハハッ、その通りだよ。よく分かったな。でも俺はホントに優しい男だ。だからお前の冥土の土産に、お前が知らない俺の秘密を教えてやるよ」
「えっ?」
「オイッ!出て来いよ!」
 龍雄は大きな声で誰かを呼んだ。すると、「ガチャッ…、バタンッ」という、車のドアを開閉する音が聞こえ、その後、人の歩く足音が真央の居るトランクの所に近付いて来た。そして一人の女が真央の前に現れた。
「と、智子…」真央はボソッと呟いた。
 真央の前に現れたのは、真央の大学時代の友人の智子だった。
「何であなたがここに居るの?」真央が智子に聞いた。
「さあ、何でだろーね」智子は笑みを浮かべながら言った。
「ハハッ、それは俺が答えてやるよ」龍雄が笑いながら話に割り込んできた。「俺と智子は結婚するんだ」
「えっ?……」真央は絶句した。
「ハハッ、驚いたか?お前は馬鹿だから、俺と智子が付き合ってるなんて夢にも思わなかっただろ」
「…二人はいつから付き合ってるの?」
「お前が俺に智子を紹介してくれた直後からだよ。智子はお前と違って美人だし、会話をしてても楽しい。だから俺はすぐに智子に惹かれ、智子も俺の事がタイプだったから、俺達はすぐに付き合いだしたんだ」
「…だったら初めから私じゃなく、智子と結婚しとけば良かったじゃない」
「だからさっき言っただろ。俺が出世して社長になるには、嫌でもお前と結婚しなけりゃならなかったんだ。それに智子が出来た女だから、『私は一生、影の女で良いから、真央と結婚して出世して』って言ってくれたんだよ。だから俺は、その智子の言葉に甘えて、お前と愛のない結婚生活を一生続けて行くつもりだったんだ。だが、予定外の事が起こって、急にお前の存在が邪魔に感じる様になった」
「予定外の事?」
「ああ。智子の妊娠だよ。俺は元々結婚願望なんてものはなかったから、智子の事を愛していながらも、このままの関係で一生やっていければ良いと思ってた。だが智子から『妊娠した』って聞いた時、俺は『自分も愛のある幸せな家庭を築きたい』って急に思う様になったんだ。だからお前の存在が邪魔になった。普通なら離婚をすれば良いんだろうが、そうすれば俺の出世の道は閉ざされてしまう。だからお前を殺し、智子と結婚する事にした。だがお前が死んですぐに智子と結婚したら怪しまれそうだから、三年後にお前の親父が還暦を迎え、俺に社長の座を譲ってくれた時、俺と智子は結婚するっていうシナリオだったんだ」
「…そうだったんだ」
「ああ。だが、田島の馬鹿がお前じゃなく、お前の親父を殺したせいで、事態は思わぬ方向へ行ったけどな。でもあとで考えれば、田島がお前の親父を殺してくれた事は、俺に取っては凄くラッキーだったよ」
「えっ?どうして?」
「お前の親父は俺に女の影がある事を感づいていて、その確証を得るために探偵に調査依頼をしていたからな。もし最初の計画通り、田島がお前を殺していたら、間違いなく俺に疑いがかかっていたよ。でも、田島がお前の親父を殺し、俺が探偵を殺したから、もう今じゃ俺と智子の関係を知っている人間は誰も居ない」
「…なるほど。でも妻夫木孝一は自らの手で殺したのに、何で私の時はわざわざ田島部長に殺させようとしたの?」
「それは単純に、お前が殺された時のアリバイが欲しかったからだよ。だから俺は智子が妊娠してるって知った時から、お前を殺してくれる人間を、インターネットを使ったりして探していたが、なかなか見つからなかった。そんな時、智子がホステスをしているスナックに田島は毎晩の様にやって来て、智子に大金を貢ぎ、交際を迫っていたんだ。だが、田島が智子に貢いだ金の総額は一億円を超えていたから、俺は不審に思い、会社で色々と調べていたら、田島が会社の金を十億円も横領している事をつきとめた。そして俺は田島に『真央を殺してくれるなら、横領の事は見逃してやる。尚且つ、俺が社長になった際には、今よりも良い役職に就かせてやる』って言ったら、田島は二つ返事でOKしたよ。そして九月十一日にお前を殺すのを実行に移す事にした。お前が会社から帰宅する際に最寄駅まで歩いて行ってる道は、昼間も人通りは少ないが、夜になると全く人通りがなくなる。だから田島には、『真央を八時位まで残業させてから帰らせ、その帰り道に、通り魔の犯行に見せかけて殺せ』と指示を出していた。そして俺は、七時から九時までの間、居酒屋で営業部の部下と共に酒を飲んで、アリバイを作っていたって訳だ」
「…なるほど」
「本当なら妻夫木孝一も他の誰かに殺してもらいたかったが、時間的に殺してくれる人間を探す余裕はなかった。九月十二日にお前の実家の外で、お前の親父の通夜の準備をしていたら、突然、妻夫木孝一が俺の所にやって来て、調査して知った俺と智子の関係の事をネタに、俺の事をゆすってきた。しかも俺がお前の親父を殺した事に関係しているのを感づいていやがった。だから早急に殺してやろうと思って、『金を渡すから、調査資料を持って夜の八時に京海港へ来てくれ』って言って、ひと気のない京海港へ呼び出して殺したんだ。でも、その時奪った調査資料と犯行に使ったナイフや手袋を入れていたリュックサックが知らぬ間に車のトランクの中から消えてたんだ。あの時は驚いたよ。でもさっき、何故かお前がそのリュックサックを持ってた。もしかして、あれか?お前はタイムスリップして過去の世界で俺の車のトランクからリュックサックを取り出し、そしてこっちの時間にそのリュックサックを持って戻って来たのか?」
「…そうだよ」
「ハハッ、やっぱりそうか。だからリュックサックは、知らぬ間に車のトランクの中から消えてたんだな。でもすげーな、現実にタイムスリップなんて事が起こるなんて。そんな貴重な体験が出来たお前が羨ましいよ」
「…別に私はタイムスリップしたくてした訳じゃないよ。私がタイムスリップしなければ、お父さんは殺される事はなかった…」
「ああ、そうだな。でも一時的にお前の命が助かったじゃないか。まあ、お前はこれから死ぬ訳だから、あくまでも一時的だけどな」
「…そうだね」
「よし、じゃあそろそろ終わりにするか。真央、天国で仲良く親父と暮らせよ」
 龍雄はそう言うと、真央の首を絞めようと手を伸ばして来た。だが真央は、龍雄の手を払い、トランクから出て逃げようとした。だが龍雄に肩を掴まれ、トランクに押し戻された。
「ジタバタするな。おとなしく死ねよ」
 龍雄はそう言うと、今度は素早く手を伸ばし、真央の首を掴んだ。そして龍雄が手に力を入れて首を絞めようとした瞬間、突然、一人の男が現れ、龍雄に体当たりした。すると龍雄は真央の首から手を離し、よろめいて後ろに尻餅を付いた。真央は突然の事に驚いていたが、龍雄に体当たりをした男の顔を見て、更に驚いた。龍雄に体当たりした男は、真央が妻夫木探偵事務所から帰っている時に、真央の後をつけていた黒のスーツを着た男だった。
「テメー、何するんだよ!」
 龍雄は大声でそう言って、黒のスーツを着た男に殴りかかった。だが黒のスーツを着た男は、殴りかかってきた龍雄の腕を掴むと、そのまま一本背負いで地面に龍雄を投げ付けた。
「武田龍雄。殺人未遂の現行犯で逮捕する」
 黒のスーツを着た男はそう言うと、龍雄に手錠を掛けた。すると遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてき、やがて数台のパトカーが真央達が居る所に到着した。そしてパトカーから出て来た警察官に、龍雄と智子は連れて行かれた。
「真央さん、大丈夫ですか?」黒のスーツを着た男が真央に聞いた。
「だ、大丈夫です…。それより失礼ですけど、あなたどなたですか?」
「あっ、申し遅れました。私、刑事をしている福山浩介と申します」
「福山‥浩介…」
 ――― あっ!思い出した。この人の顔、どっかで見た事あると思ったら、お父さんお気に入りの浩介さんだ。
「浩介さんって、私の父と知り合いなんですよね?」真央が浩介に聞いた。
「はい。まあ、知り合いと言いますか、私は、真央さんのお父さんには、感謝しても感謝しきれない程お世話になってたんですよ」
「えっ、そうなんですか?」
「はい。真央さんのお父さんは慈善活動を積極的に行っていて、色々な所に寄付や募金をしていました。私は幼い頃から児童養護施設で育ったんですけど、真央さんのお父さんは私の居た児童養護施設にも毎年数百万円のお金を寄付してくれていました。それもただ寄付してくれるだけじゃなく、真央さんのお父さんが直接施設の方に来てくれて、子供達にプレゼントを配ったり、施設のイベントに参加してくれたりして、施設の子供達との交流を図ってくれました。そんな中、真央さんのお父さんは何故か私の事を気に入ってくれて、特にかわいがってくれました。そして私が高校三年生の時、私は高校を卒業したらすぐに警察官になるつもりでいたのですが、真央さんのお父さんが『刑事になるんなら高卒より大卒の方が良い』と言って、私に大学へ行く様に勧めてくれました。でも大学へ行くには金銭的に無理だったので、私が『大学へは行かないです』と言うと、真央さんのお父さんは『お金は全部、私が払うから心配しなくて良い』と言ってくれ、私は悪いと思いながらもその好意に甘え、大学に進学する事にしました。そして大学在学中は、学費も生活費も全て真央さんのお父さんが払ってくれたんですよ」
「へー、そんな事があったんですか?」
「はい。ですから真央さんのお父さんに恩返しをしたかったんですけど、あんな事になってしまったんで…」
「そういや浩介さんは、私の父が殺された直後位から、私の後をつけてませんでした?」
「はい。尾行させて頂いてました」
「何で私の事を尾行してたんですか?」
「はい。実は以前から真央さんのお父さんは、『私は仕事上、敵が多いから、命を狙われる事があるかもしれん。別に私はどうなっても構わんのだが、真央にまで危害が及ぶ可能性だってある。私が生きている内は、どんな事をしてでも真央の事を守ってみせるが、もし私に何かあった時には、浩介君、君が真央の事を守ってやってくれ』とよくおっしゃっていました。そして真央さんのお父さんが殺される約一週間前の九月三日に、私は真央さんのお父さんと食事をしたのですが、その時、真央さんのお父さんは何かを悩んでいる様子でした。具体的に何を悩んでいるのかは教えてくれませんでしたが、『多分、大丈夫だと思うが、もしかすると真央の命が狙われるかもしれん。でも真央の命が狙われたら、必ず私が守ってみせる』とおっしゃっていました。すると九月十一日に真央さんのお父さんは殺されてしまいました。その時私は、九月三日に真央さんのお父さんがおっしゃっていた事が頭に浮かび、もしかすると真央さんの命を狙っていた人間から真央さんを守るために、真央さんのお父さんは殺されたんじゃないかと考えました。ですからこのままだと、また真央さんの命が狙われるかもしれないと思い、真央さんを尾行し、真央さんの身に危険が及ばないかを監視していました」
「ああ、そうだったんですか?」
「はい。でもさっき、真央さんの実家から、龍雄容疑者がぐったりした真央さんを抱えて出て来て、真央さんを車のトランクに入れているのを見た時は、もう真央さんは殺されてしまったんだと思って、かなり焦りましたけど…。でも、ご無事で良かったです」
「はい。本当におかげさまで助かりました。浩介さんが居なかったら、私は間違いなく殺されていました。本当にありがとうございました」
「いえ、私は当然の事をしたまでです。大変お世話になった真央さんのお父さんに、頼まれていた事を実行しただけですから。これが真央さんのお父さんに対する恩返しに、少しでもなってれば良いですけど…」
「なってますよ。凄くなってます。浩介さんには、私も感謝してますけど、それ以上に天国に居る父の方が感謝していると思いますよ」
 真央は少し笑みを浮かべながらそう言い、空を見上げた。
「だと良いですけど」
 浩介もそう言いながら空を見上げた。


 ――― こうして私は、私の周りで起こった事件の真相を知り、そして龍雄さんが逮捕され、全ての事件の幕が下りた。だが、どうしても分からないのは、どうやって私がタイムスリップしたかという事だ。これに関しては、一生答えが見つからないだろう…。でも、ただ一つ言えるのは、私はタイムスリップしてなければ、間違いなく殺されていたという事。だから、どうやってタイムスリップしたかは分からないけど、お父さんの絶対に私の事を守りたいと思う気持ちが、タイムスリップを起こした発端になっている事は間違いないだろう。つまり、お父さんの私に対する強い愛情があったから、今、私は生きていられるんだ…。ありがとう‥、お父さん…。
2006-12-10 21:17:59公開 / 作者:美馬達也
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